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2006.Winter 医王会Mail通信
22000066.. WWiinntteerr 医 王 会 Ma il 通 信 天気予報にもそろそろ雪マークが登場し、OARSMENにとっては辛い冬です。ですが、この Mail 通信は皆様のご協力で、楽しい話題が満載です。今年度最後の冬号お楽しみ下さい。 医 医 王 王 会 会 N N E E W W S S <H18年度 総会報告事項> 9月23日(土)津幡漕艇場において医王会フェスティバルが、同町内大正楼において医王会総会・ 懇親会が開催されました。フェスティバルと懇親会の様子については Mail 通信の秋号でお知らせの とおりですが、今回は総会での報告/決議事項についてお知らせします。 1.H17年度活動報告及びH18年度活動計画 別紙の活動報告及び活動計画について承認されました。 2.H17年度決算報告及びH18年度予算(中間報告) 別紙の決算報告及び予算について承認されました。 3.役員改選 別紙のとおり、昨年9月の総会で改選された現役員全員の再任について承認されました。 なお、役員任期は2年が原則ですが、次回の大規模イベントは2年後を考えており、それまで は現体制で会の運営を行う意図で提案、承認されたものです。 4.会則改定 以下の会則改定案について提案し、一部は承認され、一部は継続検討となりました。 (1)役員の一部変更 各学年に学年理事を置くこと、新役職として支部総務幹事を置くことが承認されました。 学年理事はヨコのつながりを活かして全体の連絡体制を再構築しようというもので、既に動 き始めているものを会則で明文化するものです。支部総務幹事の新設は連絡や会費の管理、 行事の運営などの支部活動を活性化することが狙いです。 なお、総会もに参加されていた種田慶信さん(H4卒)を関東支部総務幹事に、田中嘉章 さん(H2卒)を中京支部総務幹事に推薦しました。今後、各支部で承認をお願いします。 関西支部については今後相談させて頂きます。 (2)役員の留任限度 会長、理事長、総務幹事、会計幹事、支部長、支部総務幹事については、留任限度を原則 として2期(4年)迄とすることを提案しました。役員が変わることで「あの方が役員なら イベントに参加しようか」という新規参加者の増加を期待しての提案でしたが、各支部の意 見も踏まえた上でということで、継続検討となりました。 (3)支部活動活性化案 各支部で年1回以上行事(乗艇会・懇親会等)を開催するよう努めることを明文化すること、 また、この前提で、臨時総会の2年毎に支部持ち回りを止めることを提案しました。何れも 各支部の意見も踏まえた上でということで、継続検討となりました。 (4)準会員制度新設 近隣大学の漕艇部員で密に交流した者を準会員としてOB会活動にも参画してもらうこと を提案し、承認されました。具体的には金沢学院大学のOB1名が準会員となります。 <医王会関東支部の乗艇会に参加して> 小林 正志さん(H1卒)寄稿 10 月 14 日(土)晴天の下、卒業以来初めて医王会関東支部乗艇会に参加させていただきました。 思い起こせば今年の夏、メール通信でインカレのスケジュールを知り、久しぶり(15年ぶり位?) に戸田へ行き、現役の皆さんの活躍を見させていただくとともに、戸田の艇庫の変貌に驚かされま した。その後、こまめに送られてくるメール通信により戸田で乗艇会があることを知り、懐かしさ と「戸田で漕げる」という誘惑に負け参加を申し込みました。 スポーツはおろか、体を動かすこともほとんどない毎日を送っており、体重は三桁に限りなく近 づき、心肺機能はニコチンに犯され、肝臓はアルコールの攻撃を受け続ける私に、今更ボートなど 漕げるだろうかという不安はありましたが、「遊びだから何とかなるだろう。それにメインは飲み会 だ!」とその時は安易に考えておりました。 しかしその不安は漕ぎ始める前、船に乗った段階で早くも的中しました。腰が船の両側にぶつか って前に出られません。私が太り過ぎたのか?船の最近の流行がスリム化を追求しすぎているの か? 原因がどちらにあるのかは明らかですが、私の名誉のため、船のせいにして漕ぎ始めました。 しかし今度は腹がつかえて前傾姿勢がとれません。さらに足が曲がらず前に出られません。まさに 船の上のヘレン・ケラー状態となった私に今度はコックスから非情のライトパドルの指令が出まし た。すぐに私は息も絶え絶えになり、シャツは汗でビショビショ、シートは1センチも動かず、漕 いでるふり。岸から見ている人がいたならば、のたうちまわるあやしげな動物を見ることができた ことでしょう。「もうダメだ、許して下さい」と心の 中で何度叫んだことでしょう。 しかし、漕ぎ終わって岸にあがると「また漕ぎた い」と思えるのは何故でしょう? これがボートの 魅力? それともオアーズマン&ウーマンが必ず有 しているといわれるマゾ体質? 理由は定かではあ りませんが、心地よい爽快感が私を包み、来年はせ めてシートを5センチ位は動かしたいなと心に誓っ ていたのです。(他の参加者の名誉のために付け加 えますが、私以外は肥満とは程遠い体形で 気持ち 良さそうに、かつパワフルに漕いでいました。 ) 今回参加して良かったことは ①自分の体力低下を実感でき「このままではいけな い」と危機感を持てたこと。 ②同じ釜の飯を食べた先輩・後輩とおいしいお酒が 飲めたこと。 ③私以外には喫煙者がいなかったため、禁煙に向け ての強い動機付けができたこと。 ④思い出の戸田で漕げたこと。 (漕ぐふり?) ⑤今後飲み会などで「戸田オリンピックコースで 今もボートを漕いでいる爽やかなスポーツマン です」と自己紹介しても大嘘にはならなくなった ことなど。 来年も体質改善した上で、体力チェックも兼ねて 参加したいと思っています。 事 務 局 記 乗艇会の参加者は以下のとおりです。 木村 稚夫さん(33 卒) 、大江 洋造さん(48 卒) 、谷口 文温さん(56 卒) 、小林 正志さん(H1 卒) 、 三原 守弘さん(H2 卒) 、橋本 研吾(H3 卒) 、種田 慶信さん(H4 卒)高野 健司さん(H4 卒) 、 福士 巌さん(H4 卒) 、橋口 敬さん(H5 卒) 、藤田 秀明さん(H8 卒) 医王会HP(流 守博さん製作)には他にも多くの写真が掲載されておりますのでご覧下さい。 http://www.geocities.jp/kanazawa_ioukai/ <第1回四校桜を守り育てる会記念植樹祭に参加して> 坂本 清 理事長(43卒)寄稿 平成18年11月25日(土)午前10時30分より、高島市安曇川「白浜荘別館」で記念式典が 開催される。新田前理事長からの案内で式典内容など不得要領ながら、とにかく現地視察のつもりで 参加を決めていた。当日はかほく市の自宅を車で7時に出発し、敦賀インターを降りてから琵琶湖の 西往来の山里の紅葉を見ながらの道中、時間的には余裕があったつもりだがカーナビの目的地として いた高島市役所を経て、湖岸をもたもたしていたら白浜荘到着は10時過ぎになった。 式典会場の受付は、地元ボランティアの方々がやっているらしい。慌ただしく慣れない様子ながら も式典を前に華やいだ雰囲気である。金沢大学医王会からの僅かなご祝儀を手渡し中へ進むと、すで に会場には約200名程の参加者が詰め掛けていた。外国人も20名ばかり、後で紹介されていたが オーストラリアの環境ボランティアだそうだから、全国的にも有名な琵琶湖の環境ボランティアとの ネットワーク組織がこの運動を支援しているのかも知れない。 式典オープニングには地元婦人部による太鼓打ちが披露され、続いて四校桜を守り育てる会会長の 今西仁氏(金物店経営)から四校桜の言われ、保存の取組み等々についての挨拶があり、嘉田由紀子 滋賀県知事、海東英和高島市長からは、植樹祭のお祝いと地域の宝として四校桜の保存育成を支援し ていく旨の祝辞があった。金沢大学からは橋本哲哉副学長の守り育てる会への感謝の挨拶があった。 引き続き会場を500mほど離れた萩の浜に移して、11時過ぎから記念植樹が行なわれた。萩の 浜は風光明媚の地であり、嘉田知事始め関係者200名が四校桜の苗木120本を植えたが、小生に も名前付で記念の1本が割り当てられていた。 白浜荘に戻り12時半から2時間に及ぶ交流会、ここで始めて当日の主役がおぼろげながら判った 次第。四校関西会会長はじめ四校OB、池田幸男氏はじめ金沢大学OB、いずれも四校や金大の法被 姿である。さらに海東高島市長、市議関係者、県事務所、今西仁会長はじめ守り育てる会の方々など 100名あまりの参加であった。司会者を立ててのスピーチ、懇談のあとは遭難追悼歌の合唱、寮歌 南下軍など、いったいこの情熱、若さは何なのかと感服した次第。北國、北陸中日の新聞記者も来て おり、今秋金沢で最後の四校祭とのことで大学当局も巻き込んで四校OB、金大OBが改めて青春を 謳歌したあのシーンの高島市での再現であった。 そして何より遭難時から65年間、この四校桜を守り育ててきた高島市民の方々である。活動資金 はどうなっているのか聞けなかったが、話すうちにまるで我がことのように、何の打算もなく朴訥に 営々とこの努力を続けてこられたことに真に頭の下がる思いであった。 帰路は数kmの桜並木が続く湖岸道路を通っていろいろと思いめぐらせていたが、金沢大学医王会 こそ主役に最も相応しい、毎年もう少し医王会からの参加者を増やしたい。せめて白浜荘で医王会の 総会を…と思いながら高島の地を後にした。高島市のことや、守り育てる会のことが不案内であった ため甚だ第三者的な記述となったことをお許し願いたい。 <事務局記> この植樹祭の様子は翌11/26の北國新聞、北陸中日新聞に掲載されました。 また、以下の朝日新聞のサイトでも閲覧できます。 http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000611270002 <京大ボート部100年記念式典に参加して> 納藤 眞生 会長(36卒)寄稿 去る12月9日、京大ボート部100年、医学部ボート部50年の記念式典に坂本理事長と二人で、 医王会を代表して参加してきた。京大本部の時計台記念館に600名近いオアーズマンが集まり交流 を深めた。京大ボート部は100年の歴史を振り返り、将来の100年を見据えて新たな一歩を踏み 出そうとしている。医王会は創部60年の歴史を持っている。一歩 〃 大事に積み重ねてゆきたい。 医王会の100年を目指して来年も一年間頑張りたい。 (左から納藤会長、大久保 日本ボート協会会長、坂本理事長) 金 金 大 大 ボ ボ ー ー ト ト 部 部 N N E E W W S S <レース結果報告> *全日本新人選手権:10月20日(金)~22日(日) 於:戸田 女子4×+ 8位入賞 上記日程で今年度最後のレースである全日本新人(ジュニア)が開催され、金沢大(学院大)から も男子2×で2クルー、女子1×の3クルーが出漕しました。 2年生新キャプテン竹松くんが、金沢学院大の前田くんと組んで出漕した男子2×は、敗復で強豪 岐阜経済大とあたり、500mまでは併漕しましたが、その後は力負けし、2位で敗退しました。 これがデビュー戦となる1年生の小柳くん、赤井くんの2×も予選で新潟大学の1年生クルーに競 り勝つなどの健闘を見せましたが、同じく敗復で敗退しました。 インカレ女子4×+で8位入賞メンバーの中、唯一来年度も現役続行する牛津さんは、種目を1× に変更してのチャレンジでしたが、こちらも残念ながら敗復で敗退しました。 なお、レース結果の詳細は以下の HP で確認できます。 http://www.jara.or.jp/race/2006/ これで今年度のレースは全て終了、現在はこの5名のメンバーが来年度に向け、冬期トレーニング に励んでいます。新人戦には村上祐樹さん(H17卒)が応援に来て頂きました。(他にも来られた 方がおりましたら失礼しました。)今年度は多くの方にご支援頂きましたことを感謝するとともに、 今後ともよろしくお願いします。 今 今も も現 現役 役で で活 活躍 躍し して てい いる る会 会員 員の の紹 紹介 介 <ねんりんピック静岡2006に参加して> 木村 稚夫さん(33卒)寄稿 ねんりんピックは毎年、各都道府県+政令指定都市を持ち回りで開催されている全国健康福祉祭で 60歳以上の高齢者を対象としたスポーツ大会である。いわゆる高齢者の国体として行われているの だが、ボートは主催者側のオプション競技となっており、1999年の福井大会以降は開催されてい なかった。 今回、政令指定都市・横浜市のボート競技代表を率いて3種目に参加し、メイン種目のナックルフ ォアで優勝、シングルスカルは2位、ダブルスカルは3位と、いずれも好成績を収めることが出来た。 特に嬉しかったのは、男女の混成で出漕させたダブルスカルが、6クルーの決勝レースにおいて、男 子ばかりの他のクルーと接戦を展開し、上位とは僅差で3位に入賞したことである。シングルスカル は、滋賀(桑野造船・古川社長)と競り合っての2位、ナックルフォアは、滋賀と大阪が有力との土 手評を覆しての優勝となった。 ボート競技が浜松市・天竜ボート場で実施されることを知ってから、横浜市健康福祉局との交渉を 開始した。久しぶりのことゆえ、選手枠を獲得することに苦労したが、いろいろと根回しの結果、よ うやく3種目12名の派遣を認めてもらった。そして5月に選考会を開催し、選抜クルーのメンバー を決定した。日頃から鶴見川漕艇場でエルゴや漕ぎ込んでいる個人の漕力は判っており、ほぼ順当な 選手選考となった。その後は、それぞれの所属団体での活動に任せたので、世界マスターズや全日本 社会人に出かける選手もいたが、9月中旬以降は、選抜されたメンバーで強化練習を重ねた。 総合開会式前日の横浜市派遣選手団130名の全体夕食会で、競技別に抱負をスピーチする場面が あり、ボートを代表して私は全ての3種目でメダルを取ると宣言した。10月29日がレース…。宣 言したものの内心はどきどきで本番を迎えた。結果は上述の通り。選手の出身は東京外語大・慶応大・ 北大・東芝京浜各1、京大2、そして明治生命の OG2名である。特にこの2名の女性は Y 高(横浜商 業)時代にインターハイと国体で2連勝の経験があり、今回も私の期待に応えてくれた。 ボート競技が次はどこで行われるかはまだ決定していない。2010 年は石川県でねんりんピックが 開催されるのだが… 横浜市ボート選手団 <ヘッド・オブ・チャールズ参戦記 10月19日~24日> 大江 洋造さん(48卒)寄稿 ヘッド・オブ・チャールズは、ニューヨークより北西の学術都市・人口 60 万人のボストンで開催 され、土日 2 日間で選手 7200 人、エイトだけでも 617 クルーが出場する一大イベントです。2 年前 にパルテ会員の S 氏が主催者の Cambridge Boat Club キーメンバーと交流したのが始まりで、当初 意図した8+が、メンバーが揃わず4+に変更になりましたが、平均年令 53.3 才のパルテ会クルー で出場することになりました。 10 月 19 日(木)昼、成田出発、12 時間後、同日昼 NY 到着、迎えの車でボストンへ(350km)、 4 時間で Cambridge Boat Club の艇庫に着き、出場許可を頂いた御礼をし、その後、ボストン大学 の艇庫に行き、借艇(200 ドル)を確認、これから 3 泊する 20km 離れたペンションに行きました。 10 月 20 日(金) 、ベスポリ製スターン COX 仕様の練習艇(新艇)にリガーをつけ、我がクルーが 初乗艇。少々雨がぱらつき始めたが、10 時からコース 3 マイル(≒5km)を 1 往復、さらに下流の 橋まで行き、計 12km 漕ぎ、14 時から再度小雨の中、1 往復の練習。コースは全長 3 マイルの片道で、 6 つの橋と約 90 度に曲がるところが 3 箇所、全体が曲がりくねっており、川幅は 80m~200m、土 堤は低く公園・散歩道・道路となっており、その間 5 つの大きく、クラッシックな艇庫があります。 水はきれいで、落ち葉が漂い、水辺公園の紅葉は盛りでした。 10 月 21 日(土)いよいよ本番。晴れているがとても寒く、逆風が強く、さざ波も立っている状況。 9 時よりマスター1×から 15 秒間隔でスタート、我がクルーは 10 時 34 分から 20 クルー中 15 番目 のスタートです。R28 で漕ぐ予定が他艇のスピードに合わせるうちに自然と R31 に上がります。10 秒ほど後に出た№16 がじわじわと詰めて来るのがわかり、№20(優勝)が驚異的な速さで迫ってき ます。1300m付近で№12 を抜き、足けりを入れて逃げましたが、2000m付近の橋の下で 3 艇が並び 危険な状況になりました。しかし、他 2 艇がちゃんばらをし、我がコックスはコース取り良く、すり 抜けました。これで後ろと差がつき当分追いつかれまいと思っていましたが、ほっとしたのか艇速が 落ち、左カーブの狭いところでまた 2 艇に追いつかれ、№20 とちゃんばらになり、漕ぎやめる数秒 の間に№16 がすり抜けそのまま 2 艇とも見えなくなりました。抜かれてしまうと気力・体力ダウン、 残り 700m がとても長く感じました。ゴール付近では土堤からの大きな声援も聞こえ、ラスト R31 にあげてゴール。20 クルー中 16 位で、タイム(21 分 41 秒)は 40 代フォアの最下位より上でした。 レースの感想ですが、間隔を詰めて出すのはただ漫然と漕がせるのではなく、抜きつ抜かれつして 競わせるのと、コックスのコース取りの技をみたり、観客の興をあおり、コース上のバトルもレース の醍醐味のひとつと捕らえているようです。各橋の上には多くの観衆が見物しており、デッドヒート やちゃんばらがあると歓声が上がり、ボートレースを楽しんでおりました。レースは 2 日間 9 時から 16 時まで途切れなく続きます。カテゴリーが 52(艇種・年齢・所属・ウエイト・男・女等)あり、 エイトの国アメリカですが、女子エイトが多いのに驚きました。彼らの感覚では『ボートはエイト』 ということです。艇置場は膨大な数のエイトであふれかえっており、船台は順番待ちです。土産物屋 のテントも混んでおり、艇メーカーの見本艇、展示物、またアウディ(車メーカー)などの大会スポ ンサーが飲食無料パーティを主催するなど「人の集まるところに商売あり。 」の感です。2000m 地点 には大型プロジェクターでレースの状況を映し、観客への配慮も充分です。 往復≒25 時間の飛行は少々応えますが、オアズマンであれば一度はこのレースを観戦したいもの です。アメリカ国内のクラブでも、参加することが制限されているといわれるこの大きな大会に参戦 できましたことと、クルーメンのアシストに感謝します。 会 会員 員交 交流 流の の活 活動 動紹 紹介 介 <医王会S42年卒同窓会開催報告> 山上 博志さん(42 卒)寄稿 藤田の車に川上と山上が同乗し湯涌温泉の「さかえや」に着くと、既に本日この会に出席予定の仲 間が全員揃っていた。田多野は長髪をオールバックのようにしていたのでちょっと戸惑ったが、他の 皆はほとんど変わっておらず、懐かしさがすーと時空を越えてやってきた。学部の同窓会等に出ると 昔仲間の豹変ぶりに愕然とすることがままあるものだが、我が漕艇部の連中は何と今もさっそうとし ており、さすがとうれしくなった。こうして卒業以来39年ぶりとなる我らS42年卒の同窓会が始 まった。 5月に金沢で藤田とゴルフを楽しんだ時に、同窓会をやりたいねとの話が持ち上がりさっそく調べ てみるとS42年卒は総勢 14 名となり、その内既に竹松さんと佐藤は故人となっていたので、12 名 に連絡をとったところ9名の仲間が賛同してくれたのは予想以上の反響だった。以下に懇親会の概要 を記すと ・ 日時 10 月20日(金) 、21日(土) ・ 出席者 飯村政明、藤田(大原)邦男、川上昌治、清水俊正、田多野和彦、八田英男、 吉田(三井)裕子、水野弘志、山上博志(9名) ・ 会場 湯涌温泉「さかえや」 ・ 翌日行動 「ゴルフ」組と「市内観光」組に別れて懇親 飯村は独自の教育方針の基に学習塾をずっと続けており、趣味は川柳、剣舞と多彩で娘さんと共に 今も献血を欠かさない由、この日も真剣持参で披露してくれその運動量とその後の食いっぷりに、皆 は変わらないなーとニンマリ。 藤田は学生時代の恋愛を成就、本屋の跡取をなげうって、旅館の一人娘に婿入り、セキュリティー 会社で定年を迎えた後、家業を手伝いほぼ悠悠自適の毎日。 川上は卒業後ほとんどを名古屋で家電メーカーの営業畑に勤め、定年後は郷里の仙台で家業の水産 物卸売りの仕事を引き継ぎ今も多忙な毎日。 清水は卒業後やはり家電メーカーに勤めていたが、早くに地元に戻りコンクリート製品問屋を営ん でおり今も現役、酔うほどに昨今のゼネコン業界の談合騒動に苦言チクリ。 田多野は中学校長を勤めた後郷土記念館の理事長に就任、趣味の陶芸やボランティア活動で結構忙 しい様子、地方の名士にふさわしい風貌と貫禄があった。 八田は卒業後も一途に家業の鉄工所を引き継ぎ今も社長自ら陣頭指揮を取る毎日、今日も4WGに 製品を積んで600キロ近く運転し途中納品してきたとケロリ、さすが鉄人。 吉田さんは多分医王会第1号のOGであり同期の男子部員にはマドンナ的存在だったが、やがて 1 年先輩の吉田キャプテンと結婚、コミックによくありそう話。だが昨年夫は突然死、これにはコミッ クだってびっくりかも。でも変わらずのほんわか感があり一安心。 水野は家業の税理士を継ぎ今は息子さんがその後を継いでくれた由、なかなか出来ない事だと皆に うらやまれて飲みすぎたか次の日のゴルフで大叩き。 山上は住宅会社の技術畑を定年退職し、職を活かして金沢に学生アパートを建て管理しつつ趣味の 陶芸で地元人と親交の毎日。 このようにお互いの近況を語り合ううちに、あっという間に夜は更けまずはゴルフ組からお休みの 時間とあいなり、次回は名古屋で本会を2年後、下見会(有志)を1年後と決めて中締めとなった次 第である。 <金沢旅行記 2006.10.6-8> 森脇 孝宏さん(H10 卒)寄稿 去る 10 月 6 日から 8 日にかけて、4年半ぶりに金沢を訪れました。数年ぶりの金沢とあって、行 くからには津幡でボートを漕ぐぞ!と意気込んでいました。私は現在大学院(一橋大学大学院社会学 研究科博士後期課程)で日本史を専攻するかたわら、千葉市で自治体史の編纂事業に携わっています。 研究と勤務でまとまった休みもとれず、遠出するほどの資金もなかったのですが、数ヶ月前からスケ ジュールを調整し、準備を進めてきました。 艇庫へ行ったのは 2 日目。前日の天気予報どおりの雨。しかしひとまずは行ってみようと、前日の 酒をひきずりながらレンタカーで艇庫へ。数名の部員が迎えてくれました。ちょっとガランとした艇 庫に若干の寂しさをおぼえましたが、あの「ニオイ」は相変わらずで、ちょっと安心(?)。スカル を出したかったのですが、断続的に振る雨と強い風のせいで断念。仕方なく艇庫をあとにして周辺を ドライブすることに。しかし数年ぶりで来たのに何もしないで帰るのは悔いが残ると思い、引き返し て何をしたかというと、エルゴ・・・(-“-)。苦しくとも楽しい青春時代を追体験しようとも体がつい ていかず・・・。そして夜は同期の仲間達と再会を祝して乾杯。みんなそれなりに年をとった、でも 面影は昔のままのように思われ、久々に楽しい時をすごしました。みんなありがとう!また会お う!! 久しぶりに訪れた金沢は少しずつ変わり、しかし変わらないものがある。もっと懐かしさを感じる かと思っていましたが、実はさほどでもありませんでした。金大時代は過去のことではなく自分の中 にしっかり根付いている、そんなことを確認した旅でした。 <パルテ会 河北潟訪問> 11月3日(祝)大江洋造さん(48卒)、中村さなえさん(H2卒)の2名も所属するパルテ会 のメンバーが河北潟を訪れ、金大のエイト牛若丸で秋の河北潟を乗艇しました。パルテ会は東京在住 の東大・一橋大・北大など多くの大学のOBが所属するクラブで、翌日に富山県で開催されるヘッド・ オブ・神通というレースに参加する傍ら、せっかく遠方から北陸訪問するのであれば、ぜひ河北潟で も漕ぎたいとなり、金沢大学ボート部が協力させて頂いたものです。当日は秋には珍しく無風の水面 で、皆さん河北潟を満喫された様子でした。 (左:2番漕手が大江さん、右:5番漕手が中村さん) この機会に紹介させて頂くとともに、医王会会員の皆様においても、例えば同窓会を行う場合など ぜひとも艇庫に来て頂き、懐かしいボートを楽しむことをお勧めします。 (橋本記) 医 医王 王会 会か から らの のお お知 知ら らせ せ <2006年度会費の納入依頼> 2006年度会費について現在、80名の方から納入頂いております。まだの方につきましては、納入 をお願いします。会費は1万円/年です。 銀行振込:北国銀行七尾支店(312) 口座番号588609 金沢大学医王会 郵便振替:口座番号00720-6-94020 加入者名 医王会 <Mail通信への寄稿依頼> Mail通信に寄稿をお願いします。今もいろいろな形でボートに関わっている方はその活動報告を、 同窓会や同期の結婚式などで集まる機会があればその時の様子を、また、このMail通信の感想や往時 を振り返って現役部員への激励など、何でも構いません。短い文でも構いませんので多くの方からの 寄稿をお待ちしています。なお、次回発行は3~4月頃を予定しています。 T TO OP PI IC CS S <Jara Project ボート検索サイトのご紹介> 日本ボート協会は2006年度から、競技人口の拡大を目的に、水辺環境の整備、クラブや団体の設立、 レガッタ・イベントの企画、器具・用具・設備の開発などを支援する活動を開始しました。その企画・ 実行部隊が「Jara Project」で、プロジェクトの一環として開設したのが、以下の検索サイトです。 http://www.rowing-boat.jp/ ぜひ一度、ご覧になってみて下さい。地域別にクラブやレガッタ情報が整理され、その多くが各団体 のHPにリンクされています。私もパラパラと眺めている段階ですが、こんなに多くの地域でボートの 活動が行われているのかと驚いています。また少しボートに関わってみたいな、でもどこに連絡して いいのか分からないという方には有効な情報となること間違いなしです。 <編集後記> 医王会総務幹事の大役を賜りはや1年。公約どおり、年4回目の通信が発行でき、ほっとしています。 今回は本当に多くの方に寄稿頂きありがとうございました。この通信を通じて交流の環が更に広がる ことを期待しています。皆さん来年はぜひレース会場へも足をお運び下さい。また、いろいろな場所 で卒業後もボートを楽しんで頂けるようになれば嬉しいです。 (総務幹事 橋本 研吾)