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2008 FISA ワールドローイングツアー

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2008 FISA ワールドローイングツアー
2008 FISA ワールドローイングツアー
―
ドイツ、ザール川から発してモーゼル川をライン川合流地点のコブレンツまで
宮ヶ瀬湖ボートクラブ
―
三原邦夫
4月26日から5月4日にかけて行われた FISA ワールドローイングツアーに参加して
きたので、これを大方のご参考のために報告します。
1.
ツアー概要
表題(副題)のように、実質 6 日間にわたって、ザール川とモーゼル川をほぼ 180km に
わたって漕ぎ下るツアーです。ローイングは、日本ではもっぱらスピードを競うレースの
ために行うものですが、このツアーは競うものではなく、プレジャーローイングとして、
ローイングという運動、水域の風土、そして各国からのツアー参加者との交流を楽しむも
のです。使用艇もレーシングシェルではありません。では、どんなものなのか、以下の報
告でご理解いただければ幸いです。
2.
日程
集合
初日
2 日目
3 日目
4 日目
5 日目
6 日目
7 日目
解散
3.
4 月 26 日(土) ザールブリュッケン駅、ドライスバッハへ
4 月 27 日(日) 午前 開会式
午後 ローイング出発
4 月 28 日(月) 製鉄所見学、トリアー市内見学、宿泊
4 月 29 日(火) ローイング、ツェルに宿泊
4 月 30 日(水) ローイング
5 月 1 日(木) ローイング、ドライス・カルデンに宿泊
5 月 2 日(金) 午前 お城見学(エルツ城)
午後 ローイング
5 月 3 日(土) 午前 ローイング、昼コブレンツに到着
夕方 要塞見学とフェアウェルパーティ
5 月 4 日(日) ホテルの目の前がドライス・カルデン駅
ツアーの様子
2008 年のローイングツアーはアルゼンチンで行われると以前から聞いていた。だが、
「地
球の反対側じゃ~な、ちょっと」と、二の足を踏んでいたのだ。そこへ 2006 年のスイスツ
アーでご一緒させていただいた芳野さんから、昨年 10 月頃であったか、2008 年にはモー
ゼル川のツアーも計画されているとの情報がもたらされた。リースリングワインの名産地
ではないか、と今度は迷わず参加を決心した。今度のツアー参加中に知ったことだが、ア
ルゼンチンツアーの参加希望者が多く、漏れる人が多いので急きょ第2プログラム的にモ
ーゼル川ツアーが計画されたとのこと。へぇー、アルゼンチンがそんなに人気なの、とち
ょっと意外だ。
さて、ドイツ・ザール地方というと、思い出した。50 年も前の中学時代に「石炭、鉄鋼
産業が盛ん」と習ったことを。フランクフルトから集合地点のフランス国境近くのザール
ブリュッケンまで鉄道で行き、参加者がそろったところで宿舎までツアー本部手配のバス
で移動したのたが、途中、ボタ山が見えてきて、
「おぉ、教科書どおりだ」と妙に感心する。
良質炭とのことで、最近の原油値上がりとあいまって採炭も好調らしい。本当は、私には
石炭、鉄鋼などどうでもよくて、ワインの方が気になるのだが。
今回のツアーコースであるモーゼル川の名前は知っていたが、ザール川なんてこれまで
1
聞いたことはなかった。考えてみれば、石炭、鉄鋼という「重厚長大」産業は重くてかさ
ばる貨物の輸送を必然的に伴う。その輸送手段は、鉄道もあるだろうが、川とくれば「バ
ージ船」である。ライン川から、その支流のモーゼル川を往復する「バージ船」は長さ 100
m、巾 10mを超える巨大なものであるが、それがモーゼル川からそのまた支流のザール川
に入ってきてザール地方の石炭、鉄鋼を大西洋の港まで輸送する。ザール川はそれくらい
大きな川だ。
「石炭、鉄鋼」、「バージ船」などとずいぶん色気のない工業的な響きだが、川
の景色は決してそんなものではないのでご安心を。
今回のツアーコースの全体像は下の図のようだ。平地はまったくなく、丘陵地帯をぬう
ように川は流れる。
ご覧のようにザール川もモーゼル川も「超」がつくほど曲がりくねっている。ただ、こ
の蛇行は地図でこそ表現されていても、ボートを漕ぎ進む我々にはそんなに感じることは
ない。両岸はコンクリートではない自然のままで、ところどころの斜面には「耕して天に
至る」ほどのぶどう畑が耕作されている。モーゼル川に入ると、それはぶどう畑の連続に
なるのだが。川を進むにつれて絵のように
ザールシュライフェ
きれいなドイツの街が点々と川沿いに現
れてくる。まず、出発地のドライスバッハ
を出るとすぐに“ザールシュライフェ”に
さしかかる。シュライフェというのは「屈
曲」の意で、ここでザール川は大きく 180
度蛇行して北から南へ流れを変える。ロー
イングが始まってしまえばそのチャンス
がないので、集合日に少し時間があったの
で、この大蛇行を丘の上から眺める地点に
案内してもらった。
この眺めにすっかりとりこになってし
まった。ドライスバッハの宿舎はこの写真
2
の右上部の川沿いにある。気がつくと、川の両岸に道路が続いている。「そうだ、明日の開
会式は 9 時だから、起床してからちょっと時間がある。シュライフェをランニングしてみ
よう」。翌朝、まだ誰も起きてこない時間に外に出てシュライフェをぐるりと往復8km余
り走って来た。シュライフェの景観は日本でも少し知られているようだが、ここを走った
という人はそんなに多くないだろうと、一人、悦に入る。
宿舎となったところは Sporthaus と
いう名称がついている。上の写真では右
上の川沿いにある。1階は艇庫で、2階
にレストラン、3階は寝室となっている。
ホテルにしてはお粗末だが、レストラン
つきというのだから合宿所にしてはずい
ぶん立派なところだ。艇庫を覘くと、エ
イト、フォアなどシェル艇はおかれてい
ない。うーん、これはどういう施設かな?
と不思議に思える。聞いて判明したとこ
ろでは、この施設は地元のローイングク
ラブ所有で、シェル艇は土日などの練習
日になるとトレーラーで運びこまれると
いう。普段市内で練習しているクルーが練習集中日にやってくるようだ。看板にはオリン
ピックうんぬんという文字が見える。オリンピック選手が練習にやってくる場所というこ
とらしい。
ツアーは主催国のボート協会の全面的支援で成り立っているのだが、彼らの献身ぶりの
一端を紹介しよう。Sporthaus で2泊して引き払うときに、この宿泊施設はどういうとこ
ろなのか説明を求めて上の説明を聞いたのだが、設備の中にはサウナもあるという。この
サウナの発音が聞き取れずに「え、何ですか?」と聞き返したら、「ついて来なさい」とい
う。そこで初めて「あぁ、サウナね」と分かったのだが、そこは1階艇庫の裏側でシャワ
ー、トイレなどもあるところだ。驚いたことに、サポートスタッフはその着替え室に折り
たたみベッドを持ち込んで寝起きしていたのだ。また、女性スタッフは3階のなんと通路
に衝立を立てて同じく折りたたみベッドで寝ていた。そうとうは知らずに、ホテルにして
はお粗末・・などと不遜なことを言ってしまった。
ツアーの時期は日本の5月連休に相当する時期だ。ドイツでは夏時間を採用しているか
ら、朝6時といえば、日本ならまだ5時だから早朝といえるだろう。この時間、外はまだ
寒い。気温はおそらく7度くらいだ。長袖シャツでランニングしても寒い。誰もいない静
寂の中をゆっくり走る。木々は芽吹いたばかりの新緑で、気温や乾燥した空気など、早春
の信州の高原を思わせる。こちらへ来て気がついたことだが、桜が以外と多い。それも、
紅八重桜や白い大島桜など、いくつかの種類があるようだ。家々や公園に植えられている
ものもあるが、急斜面に自生しているらしいものもある。何となく桜は日本のものという
意識があったが、ジョージ・ワシントンが子供の時に桜の木を切ってしまったことを正直
に父親に話した、という逸話があるくらいだから、日本の専売特許ではないのだろう。そ
んなことを分かりつつも、やはり桜の木をみるとなんとなくほっとする。
気候の話を続けると、今回のツアーは恵まれていたと言えるだろう。しっかり雨に降ら
れたのは1日だけ、それもローイングのない2日目のことだ。では、他にまったく雨が降
らなかったのかというとそうでもない。むしろ1日中晴天という日が珍しかった。1日の
中で、陽射しあったかと思うと、急に空が黒い雲に覆われ、風が吹いて雨がぱらつき、こ
れはたいへんと雨着を着込むと、また陽射しに戻るということが何回もあった。着たり、
脱いだり、サングラスをかけたり、外したり、忙しかった。しかし、全般的にはよい気候
3
で、きっとそういう時期を選んでツアーを設定したのだろう。信州の高原的気候だから、
半そでシャツに短パンというスタイルは最後の1日だけで、あとは長そでシャツに、長い
スパッツというスタイルで、ジャケットが手放せなかった。
本部から参加者に配られたプログラムによると地点間のローイングの距離が示されてい
る。最初、その数字の意味がわからなかった。川に出てみて納得。1Km ごとに大きく看板
で距離表示されているのだ。ライン川、モーゼル川との合流点からそれぞれ起算している
ようだ。だから、目標の艇庫は距離表示であと何 Km とすぐ分かる。
ところで、こうしたツアーにはどのような人たちが参加しているのだろうか?今回は、
12 カ国から 60 名ほどの参加者があり、男女ほぼ半々。平均年令は 61 才だった。年令幅は、
38 才から 77 才までばらついている。一番参加者が多かった国はオランダで、13 名と一大
勢力だ。我が日本はというと、7名で男性3名、女性が4名の構成だ。イスラエルからの
3名にはスイスで一緒だったイスラエル爺さん(「イスラエル」はこの人の名前で、最高齢
の 77 才)とドイツ語も堪能なヨエルさんの顔があった。同じくスイスで一緒だったカナダ
空軍のトムさんは、ツアー参加の予定ながら直前にアフガニスタンに派遣になり、参加取
消しだったのは寂しい。平均年令 61 才とはいえ、皆さん元気だ。オランダのおばさんは「私
は、スケートのチャンピオンだったの」とディナーで隣り合わせたときに語っていた。
海外でのイベントに参加しようか、どうしようかと考えるときに頭に浮かぶのは言葉の
問題ではないだろうか。相手チームと言葉を交わすこともなく、ただ自分のレーンを早く
漕ぎ進むだけのレースと違って、特にこうしたツアーでは各国の人々との交流が楽しみで
もあるわけだからなおのことだ。英語がやはり共通の言葉になるのだが、では参加者皆さ
ん英語に達者かというと、そうでもない。ノルウェーやオランダというと自国語以外に英
語が達者だろうという印象があるが、あまり英語ができない人も結構いた。地元ドイツか
...
ら参加の二人の女性は、我々日本人と同様に英語ができない。そう言えばスイスのときも
フランスからの人も英語がほとんどできなかった。そうなると、たしかにいろいろ雑談は
できない。それでも身振り、手振りがあるし、コックスの号令が分からなくても一瞬遅れ
るだけですぐにローイングの動きを合わせることはできるから艇の上では不都合はない。
だから、英語が心配だといって参加をためらうことはない。また、こんなところに来る人
たちは若い時は名選手では・・ということもなさそうだ。むしろ、話をした限りでは「私
は、レースは好きではない」という人が多い。ごく市民レベルのボート好きの人たちと言
えよう。ツアーは遠漕の一種だから、一定のリズムで漕ぎ続けるわけだが、終盤になると
ときどき「自分はパワー・テンをやりたい。一緒にやる人はついてきて下さい」あるいは
「パワー・テンをやりましょう」などと声がかかる。こんなことを言い出すのはアメリカ
...
の比較的若い人たちだ。そうするとストローク役の人が、
「ダブルでやる。10 本、20 本軽
く、また 10 本。3本目に入るぞ。3・・2・・1、Go」などと言う。
ツアーの間、各艇の責任者とも言うべきキャプテンは事前に指名されるが、キャプテン
がコックスをやるとは決まっていない。コックスは、皆に順番に回ってくる。まごつかな
いように英語のコックス号令集を事前に編纂して日本の参加者に配布したものだ。しかし、
こんな心配も無用だったようだ。各国のコックス役の号令を聞いていると、失礼ながら、
まともなものはあまりない。号令というより、普通の言葉でもぞもぞ言い、漕手もなんと
なくローイングを始める。ローイング開始の姿勢からしていろいろだ。日本の人がとまど
うであろうことは、フィニッシュの姿勢で用意する人たちもいることだ。
4
ツアーに使用する艇は C ギグと言わ
チャーチボート
れるツーリング用ボートである。4X+
の形式ながら、幅が広い。ナックルを丸
底にしてスカル用リガーを取り付けた
ものというと分かり易いか。前後にキャ
ンバスがなく荷物を放り込めるように
なっている。今回はこうした艇が7艇、
それに「チャーチボート」が2艇使用さ
れた。なぜチャーチボートと言うのか?
フィンランドで島から島へ教会に通う
ためのボートとして始まった、という答
えをもらった。漕手は 14 名と多い。特
徴は、両サイド並んで座るほど幅広であ
ること、それにリガーはなくクラッチは
舷に直接取り付けられていることだ。昔
のフィックス艇のようだが、シートはスライディングシートになっている。「クラッチ」の
構造は極めて簡単。ただ、1本の鉄の棒が突き出ているだけ。そこにオールに固定された
プラスチック製の穴あき部材を差し込むのだ。こんな構造だからフェザーしようにもでき
ない。幅広艇だけに安定性は抜群で、遊覧船などの大きな波が来ても平気。フェザーは不
要なわけだ。ローイングの基礎練習のつもりで漕いだが、ちょっと不都合なことは並んで
座ることからオールのインボード長さが十分にとれない。互いのグリップエンドの間隔は
1cm 程度で、ちょっとすると小指を挟んでしまう。フィニッシュの姿勢ではハンドルが内
側に寄りすぎる。フィンランドではこう
した艇で何 10km もの長距離レースを
やるという。
さて、今回のツアーにはそもそも「モ
ーゼルワイン」という不純な動機で参加
した。期待にたがわず、毎日、漕ぐ前か
ら、あるいは昼食時にワインを一杯(た
くさんの意味の「いっぱい」でもある)
飲むことができた。特にローイング 2
日目には途中上陸してワイナリーを訪
ねたが、ここではリースリングを辛口か
ら甘口までグレードをそろえて私の酒
量からすれば「飲み放題」だった。右の
写真でボトルの数をご覧ください。
午後にはローイングを控えているこ
ともあり、文字通り飲み放題にするのは
気が引けて節制した。この他、毎日、地
元クラブの桟橋につけて艇を引き上げ
ると歓迎のあいさつと一杯が待ってい
る。ローイングの前、中、後の3回飲ん
だ日もある。ローイングの3日目、ディ
ナー後の夕方9時(夏時間と高い緯度の
ため、まだ明るい)宿泊地ツェルの街の
ワイナリーに希望者全員出かけた。ここ
でワイン造りの説明を受けたのち、また
5
各種ワインを試飲。
流域のぶどう畑に触れないわけにはいかないだろう。丘陵地帯を蛇行するモーゼル川の
両岸は急斜面が多い。ほとんど崖というようなところにもぶどうが栽培されている。資料
によると、ヨーロッパでもっとも急な 68 度という斜面のぶどう畑がここモーゼルにあるそ
うだ。これでは立派な崖だ。こんなぶどう畑が稜線に達するまで耕作されているのは。ま
ことに壮観だ。
気がつくと、好天のもと、ぶどう畑の
中を歩いている人たちが多く見られた。
ぶどうの木は単純に斜面にそのまま植え
られているのではなく、急斜面では階段
状になっている。こうしたぶどう畑はウ
ォーキング・トレールとして開放されて
いるようで、案内書にもその記載がある。
ぶどう畑に肥料をやることはないという。
ぶどうは、もともと、荒れて、水はけの
よい土地が適しているのだ。こうしたぶ
どう畑にお城が見えたりするといよいよ
「モーゼル」という感じになる。
水運に使用される「バージ船」のこと
は前にも書いた。ヨーロッパ内陸の水運
は閘門なしには発達しえなかった。バー
ジ船は閘門の幅に合うように作られてい
る。改めて計画書をみると6日間、約
180km のローイングで9か所の閘門を通
過している。閘門前後の水位差は閘門に
より多少異なるだろうが、7、8mはあ
るだろう。すると、180km で 70m ほど
の水位差があることになる。
(因みに関東
平野の前橋から利根川河口までの直線距
離を計測したら 170km 余りと出た。
)こ
れらの閘門を巨大なバージ船や大型遊覧
船が頻繁に通過する。当然「信号待ち時
間」が発生する。30 分や 40 分も待たされるのはざらだ。ときには信号2回待ちということ
もあった。後から来たにせよ、まず、巨大バージ船が我々水すましボートに優先して閘門
に入り、それが出て行った後、反対側か
らまたバージ船が通過するのを待ち、よ
うやく我々の番になる。モーゼルの景色
にはうっとりだが、この待ち時間には体
も冷えるし、正直うんざりする。しかし、
文句を言っても始まらない。閘門がなけ
ればボートを漕ぐことさえできないのだ
から。
毎日、こうしてボートとワインを楽し
んでいるうちに目の隅にビルが見え始め、
市街地に入り、とうとう目的地のコブレ
ンツに到着した。レナニア RC というク
6
ラブの桟橋につける。戸田の東大、一ツ橋艇庫もかなわないような立派な艇庫だ。中を覘
くと、基礎練習のための静水タンクと穴あきブレードのオールも備え付けられていた。こ
こで歓迎の挨拶と、そう、またワインが供された。ところで、つまらないことに感心する
が、日本なら使うコップは紙コップが普通だろう。割れる心配はないし、後片付けも簡単。
しかし、ドイツでは違った。このツアーであちこちワインを供されたが、すべて脚つきの
ワイングラスが何 10 人分も用意されていた。ツアーのローイングもこれで終わりというこ
ともあって、一杯入って陽気な雰囲気の中、自然発生的に各国別に集まって国歌を歌いだ
す。こういうとき、君が代はまったく分が悪い。威勢がよくないのだ。我が女性陣が君が
代を歌うのを聞いていた人からは「寂しそう
な歌だね」と一言。
最後の 3 日間、ケータリングで昼食を頂
いたが、今日でそれも終わりだ。このケータ
リング、なかなかふるっていて、炊事用の鍋
釜がトレーラーとして牽引されるようにな
っており、燃料は薪だ。かわいいお嬢さんが
デザートつきのチリコンカルネなどをサー
ブしてくれる。
艇をトレーラーに積み込み、昼食を食べた
後、いったんホテルに引き揚げて、シャワー、
着替えの後、フェアウェルパーティに出かけ
る。会場は、モーゼル川とライン川の合流点
を見下ろす高台にある要塞エーレンブライ
トシュタインだ。この要塞はプロシャがフラ
ンスからの攻撃に備えたものだ。今やモーゼ
ル川もその遠景は丘陵の陰に隠れ、ライン川
をバージ船が往来している。
要塞に関する説明を聞き、展示を見た後、
バグパイプを演奏する女性に導かれて一行
はダイニングルームになっているワインし
ぼり室に向かう。ディナーの間、この女性の
バグパイプと見たこともない楽器の演奏が
あった。右手で空気を送るハンドルを回して、
左手は鍵盤を弾いている。
ディナーの後は、スイスで経験済みの各国によるスピーチだ。イングランドの順番にな
って司会が呼びかけたら、「今、お手洗いに行っている」と連れが言う。そこで順番が繰り
上がってイスラエル、ジャパンということになった。そうこうするうちに彼がお手洗いか
ら帰ってきたので改めてイギリスの登場となった。イギリスチームは2名だが、スイスで
おなじみのマーチンがまた「一席」場をうかがった。トークショーをやりながら、上着を
脱ぎ、シャツを1枚脱ぎ、脱いでも、脱いでもまだ下にシャツを着ている。(それでトイレ
に行っていたわけだ)ついには上半身裸になってしまった。イギリス流ユーモアの連発で
満場爆笑。マーチン君、職業は「べ・ん・ご・し」だそうだ。イギリスの弁護士もやるも
のだ。
アメリカは、シェークスピアのハムレットをモーゼル川ローイングのパロディに置きか
えた詩の朗読だ。これがなかなか、うまい。替え歌(詩)もよければ、その読み上げ方も
堂にいったものだ。満場拍手。
7
ところで、我が日本は、笑いをとるのは難しいので三原が真面目なスピーチをやった。
前半のポイントは、次のようだ:
The instant I learned it, I was hooked. I thought I must come, see and row on
the Mosel. Let me tell you my expectations have been met or exceeded in all
respects. The river, hills, food and wine were great. But, none exceeds meeting
you, folks. It was a real pleasure to have met old friends and made new friends.
これは私が本当にそう思っているところで、ツアーではローイングの技術を高めるとか、
トレーニングをするとかいうようなものではなく、人々との交流こそが本質だと思ってい
るわけです。
そんなことを話しつつ、スピーチの後半ではツアーを企画、サポートしてくれたドイツ
ボート協会と FISA の関係者へのお礼としてギフトをプレゼントし、それについて話した。
日本チームが持参したギフトは T シャツ 10 枚だが、その絵柄
はエイトが直進している画像に I’d rather be rowing! という
文字が描かれている。実は、このシャツは私が所属する宮ヶ瀬
湖 BC の普段練習用のシャツとして作られたものだが、これを
ギフトとして提案したときに、女性陣から「海外では最近漢字
が人気だから、何か日本語を入れた方がよい」と提案され、さ
て、何を入れるか考えた末、
「一艇ありて一人なし」を選んだ。
選んだ理由は、この言葉は説明しなければ分かってもらえない、
いろんな話のきっかけになるだろう、ということだ。スイスの
ときに一緒に行った宮ヶ瀬湖 BC の立花さんに適訳は?と相談
したところ、One boat, no hero となった。こういうのは短い
のが取り柄だから、確かにこれは良い。それで行こう、となった。
ローイング初日、そろってこのシャツを着用していると、予想通り皆さん関心を示して
くれた。「そのシャツはどこで買えるか?」と質問もあったという。しかし、One boat, no
hero という訳にはぴんと来ない人もいたようで、One for all, all for one というと分かっ
てくれたようだ。
そこで、スピーチでは「スイスに行った人は覚えているでしょう、あの愉快な Jolly Chap
の立花さん」と話しかけると、何人かは「うん、覚えている」というようにうなずいてい
た。その立花さんの訳として、One boat, no hero を紹介し、さらにいくつか訳例をあげて
「一艇ありて一人なし」を説明した。それで分かってもらえたと思う。
One boat, no hero の代替モットーとして、最近我が宮ヶ瀬湖 BC では One boat, one
dream を使い始めたことも紹介した。「いい言葉でしょう、皆さん、著作権は我々にある
から盗用しないでね」と、「時間は各国5分程度に・・」と司会者から念を押されていた
こともあって、早々に話を締めくくった。そして、パフォーマンスを見せたいとの女性陣
に席を譲った。
女性陣の出し物は「炭坑節」だ。前日、バスの待ち時間にその振りをやっていたところ、
まわりの人が興味を示して一緒に踊りだしたことに着想を得て、部屋の中で夜遅くまで練
習したのだ。当然、部屋の住人はその余波を被ったのだが、誰がその被害(?)を被った
か内緒にしておこう。なにはともあれ、ドイツで「月が出た、出た♪♪」の曲は流れた。
さて、このツアーの参加費は €800 だ。13 万円弱である。これでツアー期間の宿泊費、
食費、バス移動の交通費、お城の入館料、そして、あちこちでごちそうになったワインが
すべて含まれている。
来年のツアーは、リトアニアで行われるという。どうです、このレポートを読んで自分
8
も参加してみようと思われませんでしたか?
***
日本からの参加者名簿
z
三菱ボートクラブ(5名)
岸田光祐、岸田陽子、平松道子、後藤弓子、松本文子
z
宮ヶ瀬湖ボートクラブ(2名)
吉田 正、三原邦夫
9
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