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長崎市東山手・南山手地区における観光空間の再編成

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長崎市東山手・南山手地区における観光空間の再編成
駒澤地理 No.52 pp.65∼80, 2016
Komazawa Journal of Geography
長崎市東山手・南山手地区における観光空間の再編成
山口太郎*
Reorganization of the Tourism Space in East-Yamate and South-Yamate,
Nagasaki City
YAMAGUCHI Taro
本研究では,観光施設と,まち歩き観光にあたり観光資源となる景観という 2 点に注目して,長崎市の
東山手・南山手地区を対象に,観光空間の再編成の検討を目的とする。具体的には,発地型の観光ガイド
ブックと着地型の観光マップを用いて観光資源の分布を確認し,現地調査による景観の現状と照らし合わ
せて考察を行った。その結果は以下のように要約できる。東山手の観光空間は,東側では静態的であり,
西側では景観整備が行われたものの観光という点では活かしきれていない。また,空間全体としては,教
育機関や医療機関の多い空間である。南山手の観光空間は,「グラバー園」,「大浦天主堂」という 2 大観
光資源界隈が,古典的観光空間であるものの,グローバルな観光空間に変容していく動き出しがみられ
た。その一方,周辺部は閑静な住宅地の環境が維持されている。
キーワード:観光ガイドブック,世界遺産,景観,観光資源,長崎市
Keywords: Tourist Guidebook, World Heritage, Landscape, Tourism Resource, Nagasaki City
Ϩ.はじめに
1.研究の背景
『平成 27 年度版観光白書』によれば,2014 年の訪日外国人旅行者数は,1,341 万人となり,2 年連続で
年間 1,000 万人を突破し,過去最高を更新している。その要因には,アジアなどの経済成長,円安傾向
といった経済的側面,首都圏空港の発着枠拡大,ビザの大幅緩和といった施策展開による側面が考えら
れる。また,東京オリンピック・パラリンピック開催決定,「富士山」や「富岡製糸場と絹産業遺産群」
の世界文化遺産登録,
「和食」や「和紙」の無形文化遺産登録といったように,日本の観光資源に対す
る評価が続いたことによる国際的注目度の高まりもその要因として考えられよう。世界遺産について
は,2015 年にも「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産登録となった。
さて,長崎県は「明治日本の産業革命遺産」として,旧グラバー住宅,三菱長崎造船所の関連施設
( 4 施設),小菅修船場跡,高島炭坑北渓井抗跡,端島炭鉱(通称・軍艦島)の 8 つの構成資産が世界遺
産に登録された。また,「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」がユネスコへの推薦決定し,2016 年の
世界遺産登録を目指している。このように,長崎県では 2 件の世界遺産登録への活動がさかんに進めら
れている。
* 駒澤大学文学部地理学教室 非常勤講師,駒澤大学応用地理研究所 専門研究員
― 65 ―
一方,長崎県の中心都市である長崎市では,まち歩き観光のイベントとして 2006 年に開催され今日
まで継続中の「長崎さるく」が知られている。「長崎さるく」は,バブル崩壊後の団体観光客の減少を
うけ,個人観光客への対応策として考え出されたものである。伝統的建造物や町並みだけでなく,異国
文化の混在する長崎の生活文化が見学や体験の対象となったイベントである。とくに佐々木(2008)が
指摘するように,市民主体の参加交流の方法が都市観光の一つのモデルを示した点で,その意義は大き
いとされる。
後者の「長崎さるく」は,従来の観光コースにはないユニーク,かつ,興味深いメニューを多く含
み,また,そのスケールもまち歩きというスモール・ツーリズム(深見 2013)である。その結果,さま
ざまな施設や地点が観光対象となりうる。前者の世界遺産化は,登録された資産が,書籍・観光ガイド
ブック・インターネットなどを通じ,国内外の関心ある人々へと知れわたる。世界遺産登録資産が観光
対象として注目されることは,マスツーリズムの再来を思わせる。この点で,長崎観光は一つの転換
期,すなわち,観光空間の再編成を迎えることになるのではないかと考える。
2.既往研究と目的・方法
まち歩き観光の舞台となる町並み,特に歴史的町並みに関する地理学的研究では,その多くが,伝統
的建造物の建築年代や景観上の特徴,店舗の業種や観光資源の分布を主題図によって示し,観光空間を
説明している。
大分県日田市を事例とした小堀(2001)や,大阪府富田林市を事例とした小堀(2011)では,住民主体
の町並み保存を通じて地域活力を取り戻し,結果として観光化へと結びついたことを指摘した。また,
磯野ほか(2015)は,長野県佐久市の中山道望月宿を対象に,住民組織による町並み保全が進められて
いるものの,観光振興という点では基盤構築にとどまっていることを指摘した。これらの研究は,住民
主体の町並み保全活動とその影響に主眼をおいている。
飯塚ほか(2013)では,ブルガリアの農村中心地であるバンスコを事例として,建築物の外壁と観光
関連施設との相関から,旧市街地とスキーリゾートを結ぶ通り沿いに,前者の模倣型である外壁による
伝統的景観の創出と,後者の景観との混在による複合的な観光空間の構築が明らかにされた。片柳
(2015)では,兵庫県赤穂市の旧城下町地区における景観形成を検討し,建築物の意匠や階数,駐車場
の分布などから,旧侍屋敷地では景観復元,旧町人地では景観創出による景観まちづくり事業の進行を
指摘している。橋本ほか(2010)では,千葉県成田山新勝寺門前町を事例として,セットバックやファ
サード整備といった商店経営者にとっていわゆる痛みを伴う景観整備事業を通じて,まちらしさの再認
識や伝統の再帰的な意識がめばえ,門前町の表象が強化されたことを指摘した。これらの研究は,町並
みの空間変容,あるいは,再編成に主眼をおいた研究といえる。
本研究では,研究の背景において示したように,長崎市を事例対象地域として選定する。既往研究が
研究対象としている地区は,歴史的町並みを観光資源の主軸としていることがほとんどだが,長崎市中
心部の場合は,世界遺産となった旧グラバー邸を含む「グラバー園」や,今後の登録を目指す「大浦天
主堂」,また「原爆資料館」や「新地中華街」など,もともと人文観光資源の豊富な地域である。まち
歩き観光の成功例として知られる「長崎さるく」の舞台である長崎市だが,世界遺産登録地点を中心と
するマスツーリズム型観光再来の可能性を意識するならば,後者の空間変容や再編成に主眼をおく立場
からの研究が適していると考える。
そこで本研究では,観光施設と,まち歩き観光にあたり観光資源となる景観という 2 点に注目して,
長崎市の東山手・南山手地区を対象に,観光空間の再編成の検討を目的とする。具体的には,発地型の
― 66 ―
観光ガイドブックと着地型の観光マップを用いて観光資源の分布を確認し,現地調査による景観の現状
と照らし合わせて考察を進めていく。
発地型観光ガイドブックの分析は,以下のように行った。長崎をタイトルに掲げる観光ガイドブック
は,9 冊確認できた。そのうち,ハンディーサイズ(A 5 変型)の 6 冊を対象とした。その 6 冊は,「ブ
ルーガイドてくてく歩き(実業之日本社,2013 年 7 月発行)」
,「タビハナ( JTB パブリッシング,2014 年
8 月発行)
」,「ココミル( JTB パブリッシング,2015 年 4 月発行)」,「ことりっぷ(昭文社,2015 年 7 月
発行)」
,「たびまる(昭文社,2015 年 8 月発行)
」,「楽楽( JTB パブリッシング,2015 年 8 月発行)」であ
る。これらに掲載されている観光資源を,発地型観光ガイドブックに掲載された観光資源として分析を
行う。着地型観光マップとしては,JR 長崎駅前の観光案内所等で入手できる「長崎さるくコースマッ
プ 01 居留地」を対象とした。これには A 3 サイズの当該地区地図のほか,写真,文字による説明のペー
ジもある。地図には必ずしも観光資源とはいえない,コンビニや銀行,また歩行する際の目印になるよ
うな施設が記載されている。そこで本研究では,地図を分析対象とするが,その地図のなかで位置情報
以外の記載を伴っている地点を観光資源として抽出した。
現地調査は,景観観察を中心に 2015 年 5 月,7 月の 2 回にかけて行った。なお,どちらも休日を含ん
だ日程で調査を行った。そこで,経験的な判断にとどまるが,人々の観光行動の様子についてもその都
度触れていくこととする。
ϩ.長崎市の観光概要
ここでは,野澤・堂前・手塚編(2012:274-280)を整理して,長崎市中心部の歴史的背景を確認す
る。北,東,西の三方を山に囲まれ,南が外洋へとつながる長崎市中心部は,平坦地の少ない坂の町で
ある。1570 年,キリシタン大名の大村純忠と神父の協議により,長崎港が貿易港として整備された。江
戸時代の鎖国政策下になると,海外との貿易の役割をより高めていった。1858 年,5 か国との修好通商
条約によってその地位は低下するものの,外国人居留地が整備され,その地である東山手・南山手は,
今日でも異国情緒を醸し出す風景により,多くの観光客が訪れる地区となった。また,江戸幕府は
1861 年,造船や機械産業を興すために長崎鎔鉄所(製鉄所)を建設し,トーマス・グラバーと薩摩藩は,
小菅修船所を建設した。1871 年にこの 2 つは官営長崎造船所となり,1877 年には岩崎弥太郎の三菱会
社へ払い下げられた。三菱会社は,1881 年に高島炭鉱,1890 年には端島炭鉱(通称,軍艦島)を所有し
た。このようにして,長崎市は貿易都市から造船を中心とした重工業都市となった。三菱の企業城下町
である長崎市は,軍事産業も盛んになり,1945 年 8 月 9 日には,広島に次いで原爆が投下された。長崎
市中心部の今日の観光都市としての様相は,このような長崎市の歴史に基づいているものである。
図 1 は長崎市の観光客数の推移を示したものである。1990 年に開催された「長崎旅博覧会」をピーク
として,観光客数は減少していた。しかし,2006 年に開催された「長崎さるく ’06」,2010 年の NHK 大河
ドラマ「龍馬伝」放送などを受け,2014 年には過去最高の約 631 万人を記録した 1)。先述のように,世界
遺産登録推進の取り組みによって,さらなる増加が予想される。なお,表 1 に示したように,宿泊客比
率は 1990 年に日帰り客との逆転が起きたあと 2010 年に底打ちをし,2014 年では約 43.5%となっている。
図 2 に示したように,長崎市中心部には複数の観光地区が存在する。これらの地区は先述の歴史を反
映している。すなわち,「出島」,「新地中華街」は貿易都市としての側面,「東山手・南山手」は居留地
としての側面,「浜町・思案橋」は重工業都市以降の商業地としての側面,「浦上・平和公園」は平和都
市としての側面をもっている。なお,「寺町・風頭」は先述の「龍馬伝」の放映後,より注目されるよ
― 67 ―
7000000
6000000
5000000
4000000
3000000
2000000
1000000
図 1 長崎市の観光客数の推移
(『長崎市観光統計』より作成)
表 1 長崎市における宿泊客比率
宿泊客
日帰り客
宿泊客比率(%)
1995年
3,049,500
2,211,700
57.96
1996年
3,071,900
2,347,100
56.69
1997年
2,821,200
2,396,800
54.07
1998年
2,567,300
2,550,400
50.17
1999年
2,485,200
2,562,600
49.23
2000年
2,535,000
2,588,700
49.48
2001年
2,464,600
2,588,000
48.78
2002年
2,342,400
2,700,800
46.45
2003年
2004年
2,412,000
2,253,700
2,625,500
2,681,000
47.88
45.67
2005年
2,311,400
3,082,100
42.86
2006年
2,533,600
3,165,700
44.45
2007年
2,521,500
3,119,400
44.70
2008年
2,460,100
3,099,400
44.25
2009年
2,401,700
3,183,900
43.00
2010年
2,557,700
3,550,600
41.87
2011年
2,529,300
3,415,400
42.55
2012年
2013年
2,586,800
2,694,100
3,366,100
3,383,900
43.45
44.33
2014年
2,741,500
3,565,300
43.47
(『長崎市観光統計』より作成)
― 68 ―
2013ᖺ
2011ᖺ
2009ᖺ
2007ᖺ
2005ᖺ
2003ᖺ
2001ᖺ
1999ᖺ
1997ᖺ
1995ᖺ
1993ᖺ
1991ᖺ
1989ᖺ
1987ᖺ
1985ᖺ
1983ᖺ
1981ᖺ
1979ᖺ
1977ᖺ
1975ᖺ
1973ᖺ
1971ᖺ
0
余
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余
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<浦上・平和公園>
余
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JRうらかみ
路
面
電
ロ
ープ
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イ
余 ᪥ᮏ஧༑භ⪷ேṥᩍᆅグᛕ㤋
JRながさき
✄బᒣ
余
<長崎駅前>
余
㛗ᓮṔྐᩥ໬༤≀㤋
<稲佐山>
余
║㙾ᶫ
㛗ᓮᕷடᒣ♫୰グᛕ㤋
余
余
⯆⚟ᑎ
<寺町・風頭>
<浜町・思案橋>
<出島・ベイエリア> 余
ฟᓥ࿴⹒ၟ㤋㊧
長
余
᪂ᆅ୰⳹⾤
㛗ᓮ┴⨾⾡㤋 余
余
㛗ᓮỈ㎶僔᳃බᅬ
崎
港
<新地中華街>
余၈ேᒇᩜ㊧
余
儎免兗儤ᆏ
余 ᏍᏊᘁ兟୰ᅜṔ௦༤≀㤋
なが
余
さき
余 ኱ᾆኳ୺ᇽ
出島
儔免儴兠ᅬ
道
<東山手・南山手>
0
路
500m
図 2 長崎市中心部の観光空間(2015年)
(各観光ガイドブックより作成)
うになった地区 2)である。
長崎市は,1988 年に都市景観条例を制定し,1990 年代にはさまざまな取り組みを進めてきた。その概
要を示したのが表 2 である。事例対象地域の東山手・南山手では,1992 年に景観形成地区指定を受け,
現在でも景観法に基づく景観形成重点地区となっており,建築物の高さや色彩に関する基準が存在する。
― 69 ―
表 2 長崎市における都市景観事業
1988年
長崎市都市景観条例制定
1989年
長崎市都市景観審議会設置
1990年
長崎市都市景観条例施行規則
長崎市都市景観基本計画告示
1991年
都市景観対策室設置
イベント・エキゾチック山手開催(∼1995年まで)
1992年
東山手地区・南山手地区景観形成地区指定告示
都市景観アドバイザー制度創設
1993年
長崎市都市サイン推進協議会
1994年
景観形成対象物「池上氏住宅」指定告示
都市景観色彩誘導計画策定調査
長崎市案内・誘導サイン整備基本計画
都市景観課へ改組
1996年
長崎市屋外広告物条例制定
長崎市屋外広告物審議会設置
イベント・長崎居留地まつり開催(∼現在)
1997年
「まちのクレヨン−長崎のまちづくり・色彩基礎編−」作成
2007年
まちづくり推進室へ改組
2011年
長崎市都市景観条例改正
長崎市屋外広告物条例改正
長崎市景観基本計画施行
長崎市景観計画施行
(土岐2015より作成)
Ϫ.東山手の観光空間
1.東山手の概要
ここでは,文化庁編(2015:210)を整理して,東山手の概要を示す。1858 年,5 か国修好通商条約に
基づいて長崎が開港したのち,長崎奉行は江戸町から大浦妙行寺付近までの区域と大浦川河口付近の海
岸の新たな埋立区域において本格的な居留地を新設した。東山手の居留地は,商館と海を見下ろす高台
に位置し,各国領事館や礼拝堂が建ち,残りは住宅地として使用された。領事館の敷地が,のちにミッ
ション系の学校用地となり,現在に至る。
1991 年,東山手町の大部分を占める区域と大浦町に建つ旧長崎英国領事館を含む範囲が,重要伝統的
建造物群保存地区(重伝建地区)に選定された。意匠的に優れた領事館や学校施設などの公共建築を主
体とする伝統的建造物群と居留地の地割をよく残している。
2.東山手の観光空間としての特徴
東山手の観光資源の分布を示したのが図 3 である。
「東山手洋風住宅群」
,「東山手十二番館」
,
「東山
手甲十三番館」はオランダ坂沿いに立地し,いずれも洋館である。内部利用としては「古写真・埋蔵資
料」
,「町並みの写真」,「ミッションスクールの歴史」を展示する文化教育施設である。また,国際交流
― 70 ―
を目的としたカフェ併設の洋館や,市民ギャラリーとカフェ併設の洋館もある。
「孔子廟」は,中国歴代博物館を併設しており,この地区の文化教育施設の多さを指摘できる。発地
型観光ガイドブックでは,これら以外にはオランダ通り沿いの宿泊施設 2 軒とカフェ 2 軒,中華料理店
1 軒を掲載するにとどまっている。
着地型観光マップである「長崎さるく」での掲載地点は,発地型観光ガイドブックに掲載されていた
地点のほか,店舗としては「文房具屋」,
「バー」
,「饅頭屋」,「写真屋」
,
「銭湯」をそれぞれ 1 軒掲載
し,オランダ坂から大浦天主堂下電停までの「居留地商店街」の店舗を地図以外のページに掲載してい
る。それぞれ「べっ甲店」,
「ボタン店」
,「ふんどし専門店」である。また,「教会」を 2 軒掲載してい
る。さらに,まち歩きの観点から,「石段」
,「自転車禁止の標識」,
「道路の下の石橋」のほか,「碑」や
「桜の木」を掲載している。
東山手は,南山手同様,発地型観光ガイドブックや着地型観光マップにおいて,異国情緒あふれる地
域と紹介される。それは「洋館」
,「孔子廟」,「石段」のほか,オランダ坂の「石畳」や「赤レンガの
塀」などによると考えられる。この「洋館」をはじめ,
「石段」,
「石畳」
,
「赤レンガの塀」といった土
木工作物などを対象として,東山手の一部区域は,重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。図
4 には,その代表的な建築物や工作物を示したが,それらは発地型観光ガイドブックに掲載されている
ような観光資源や,着地型観光マップに掲載されているようなまち歩き的な観光資源同様,東山手のう
ち,オランダ坂一帯に集中していることを指摘できる。ただし,見方を変えれば「洋館」群と「赤レン
ガの塀」中心で,いわゆる観光の補助的施設に乏しく単調な観光ルートである。
長崎市が取り組んできた都市景観事業の一つである建築物壁面の色彩コントロール(
「まちのクレヨ
ン」
)では,東山手・南山手地区の場合,
「白っぽい色」
,「レンガに似せた人工色」
,「洋館イメージの人
工色」が推奨されている。図 4 には,レンガ風 3)の外観をもつ建築物の分布を示した。集合住宅やビル
の外観に集中しており,地域的にはオランダ通りと地区外周にあたる大通り沿いに多く分布している。
オランダ通りでは,舗装や歩車分離,街灯の設置,無電柱化といった道路整備も完了している。現在,
長崎市は東山手・南山手を含めた「まちなか」空間の整備を進めている(長崎市建設局まちなか事業推
進室 2015)
。オランダ通りは,その「まちなか軸」に位置づけられている。つまり,オランダ通りに表
象されている建築物の外観や道路舗装は,まさに都市景観整備上の取り組みの結果である。
図 3 で示したように,東山手における観光資源の分布の中心は,洋館の集まる地区内の東側である。
しかし,図 4 で示したように,その一帯が国の重伝建地区という景観上の保存・保全の対象 4)である一
方,オランダ通り一帯,すなわち,地区内の西側では,長崎市による都市景観整備が行われた。ところ
で,建築物の用途別分布を示したのが図 5 である。オランダ通りには,いわゆる,観光の補助的施設と
なりうる飲食提供施設や,雑貨店(土産物店を含む)などの物品販売施設が多少存在する。しかし,図
3 から,発地型観光ガイドブック,着地型観光マップともに,掲載店は決して多くないことがわかる。
また,5 階建て以上の集合住宅も 10 棟ある。すなわち,オランダ通り一帯の観光空間としての機能は,
それほど高くないといえよう。
そもそも,建築物の用途に着目すると,住宅が多く,また,医療機関の多いことがわかる。このこと
から,東山手は地域の日常生活に密着した空間ともいえるのである。そして,この地区を特徴づけてき
たのは,「活水学院」や「海星学園」といった教育機関でもある。
観光資源の一つである「旧長崎英国領事館」は未整備のため,敷地内は立入禁止であり,外観も老朽
した印象が否めない。また,重伝建地区の保存対象となっている洋館は,内部見学が可能であるが,そ
の展示物の老朽化が否めず,管理部門の弱さが指摘できる。景観法制定後,長崎市では「景観重要建造
― 71 ―
市民病院前
←オランダ通り
聖三一
教会
★
旧長崎
英国領事館
★
★
←オランダ坂
東山手
甲十三
番館
大浦海岸通り
東山手
十二番館
★
★
★
★
★
大浦天主堂下
長崎孔子廟
中国歴代博物館
東山手
洋風
住宅群 ★
★
長崎
教会
:観光ガイドブック掲載地点
石橋
★ :観光マップ(さるく)掲載地点
★
0
80m
図 3 長崎市東山手における観光資源(2015年)
(各観光ガイドブックと「長崎さるくコースマップ 01 居留地」より作成)
― 72 ―
市民病院前
★
★
★
★
★
大浦海岸通り
★
★
★
★
★
★
★
●
大浦天主堂下
●
★★
★ ★
★
★
★
★
●:景観重要建造物
★・☆:伝統的建造物
:赤レンガ塀
:レンガ風外観(1階から)
:レンガ風外観(2階から)
:石畳・石段
石橋
0
80m
図 4 長崎市東山手における景観整備(2015年)
(『長崎居留地伝統的建造物群保存対策調査報告書』と現地調査より作成)
― 73 ―
市民病院前
▲
C
・F
F
・
F
E
H
聖三一
教会
F
F
旧長崎
F
E
英国領事館
G
C
G
E
・
・
R・
・
・
▲
B
G
・
・
・
・
E
E
・
・
E
G
・
・
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・
・ ・
・
・・・ ・
・
・ ・・
・
・ ▲
・
・
・
R ・ ・ B・・
△
・
・
・
・
・
大浦天主堂下
・
P
R
B
・
△
▲ ・
P
・
・
H:ホテル
R:飲食店
F:食料品店
G:雑貨屋
C:衣料・呉服・寝具店
B:理容・美容店
E:教育機関
△:薬局
▲:医療機関
・
:住宅
P:駐車場
無地:その他
P
・
・
P
P
E
E
E
E
・
・・
・
・
・
・
・・
・
E
E
・
・
・
・
▲
P
・
P
E
東山手
甲十三
番館
・ 東山手
・十二番館
・
E
・
G ・
・
・
▲
▲
活水女子大学
E
・
R
・
・
G
G
E
H
大浦海岸通り
E
△
△
▲
・
▲
▲
・
海星高・中
・
E
長崎孔子廟
中国歴代博物館
東山手
洋風 ・
住宅群
・
・
・
・
・
F・
・
・
・
・
B
・ ・・
・
・・ ・ ・ 銭
誠孝院
・ ・ 湯 長崎
・ ・
・ 教会
△・
・ ・ ▲ 公民
▲
・
F・・ ・
・
・ ・
・ 館
・
・ ・
・ ・・
B
R
P
B
・
・
C
R
△
B・
石橋
B
・
C C
RP
0
図 5 長崎市東山手における建築物の用途(2015年)
(現地調査より作成)
― 74 ―
80m
物」の指定が進んでおり,東山手にも「池上邸」と「長崎教会」の 2 軒が指定されているが,前者につ
いては,着地型観光マップにさえ掲載されていない。
このように,東山手では,オランダ坂一帯の地区東側は,伝統的な建築物や土木工作物といった観光
資源が存在するものの演出性に欠き,また,オランダ通り一帯の地区西側は,景観整備が行われている
ものの賑わい性に欠く。地区全体では,医療機関や教育機関が卓越する地区でもあり,観光空間として
は静態的であると指摘できよう。
ϫ.南山手の観光空間
1.南山手の概要
ここでは,文化庁編(2015:212)を整理して,南山手の概要を示す。東山手同様,南山手も居留地で
ある。南山手町の北側には,フランス人神父が建設した国宝大浦天主堂と,重要文化財旧羅典神学校が
ある。その南隣には長崎市営のグラバー園があり,幕末から明治時代にかけて活躍したグラバー,リン
ガー,オルトの住宅のほか,移築した旧スチイル記念館や旧三菱第二ドックハウスなどがある。南側に
は,レンガ造り 3 階建てのマリア園をはじめ,静かな住宅地が広がっている。
1991 年,南山手町の大部分と,海岸寄りの小曽根町や旧長崎税関下り松派出所と旧香港上海銀行長崎
支店が建つ松が枝町の一部が,重要伝統的建造物群保存地区に選定された。幕末から明治時代の洋風住
宅を主体とする伝統的建造物群と石畳,石段の道,石垣などの地割をよく残している。
2.南山手の観光空間としての特徴
南山手の観光資源の分布を示したのが図 6 である。地区中央部に 2015 年世界遺産登録をなした旧グ
ラバー邸を有するグラバー園が位置し,その隣に世界遺産登録推進中の大浦天主堂の敷地がある。この
2 つの観光施設へは,路面電車の大浦天主堂下電停から徒歩,もしくは,電停から大浦天主堂に向かう
途中の長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館裏手にある大型バス駐車場などから徒歩といったルートと
なり,合流地点からは土産物店を中心とする,いわゆる観光の補助的施設が軒を連ねる(図 8 )。
南山手では,中央部以外の発地型観光ガイドブックによる観光資源は,礼拝堂のみ見学できる「マリ
ア園」や,洋館の密集地帯であるが外観見学のみである「どんどん坂」程度となる。着地型観光マップ
では,石橋電停付近において「カットフルーツ」,「メンチカツ」,「地元常連の多い中華料理屋」を掲載
し,グラバー園より南側において「見晴らし場」,「階段」
,「ベンチ」,「隠れ家風カフェギャラリー」な
どを掲載している。いかにも,まち歩き的な地点の紹介といえよう。
南山手における伝統的な建築物と工作物の分布を示したのが図 7 である。「洋館群」や「赤レンガの
塀」
,
「石畳」などは,「グラバー園」,
「大浦天主堂」以外でも,南西側の「どんどん坂」
,
「マリア園」
界隈に比較的多く分布する。しかし,
「どんどん坂」付近の洋館が,外観見学のみであることからわか
るように,
「グラバー園」,「大浦天主堂」入口付近から離れると,南山手は全体的には住宅地である。
今日こそ,日本各地の重伝建地区では,観光や地域振興と結びついた取り組みが多くみられるが,長崎
市東山手・南山手の 2 つの重伝建地区は,今も昔も住宅である洋館や工作物の純粋たる保存に作用して
いる。そのため,洋館群とその周辺は,閑静な住宅地なのである。
ところで,グラバー園には 2 つの入場口がある。第 1 ゲートから入場すると,まず動く歩道(エスカ
レーター)で「旧三菱第 2 ドックハウス」付近まで上がり,そこから下りながら施設を見学し,第 1
ゲート西側付近から退園するコースとなる。第 2 ゲートを利用する場合は,まず路面電車を一駅先の終
― 75 ―
大浦海岸通り
べっ甲
工芸館
★
長崎市旧香港上海銀行
長崎支店記念館
大浦天主堂下
長崎港松が枝
国際ターミナル
★
★
(グラバー
園出口)(グラバー園
第1ゲート)
旧グラバー邸
★
★
大浦
天主堂
旧羅典
神学校
旧ウォーカー邸
レトロ
写真館
★
旧リンガー邸
★
★
石橋
祈
念
坂
旧自由亭
★
どんどん坂
★
町並み保存 祈りの丘
センター 絵本美術館
★
南山手
レストハウス
グラバースカイロード
★
(グラバー園
第2ゲート)
★
旧三菱第2
ドックハウス
旧オルト邸
旧スチイル
記念学校
マリア園
★
★
★
★
★
:観光ガイドブック掲載地点
★ :観光マップ(さるく)掲載地点
0
80m
図 6 長崎市南山手における観光資源(2015年)
(各観光ガイドブックと「長崎さるくコースマップ 01 居留地」より作成)
点石橋電停で下車し,その後,斜行エレベーターであるグラバースカイロードを上り「旧三菱第 2 ドッ
クハウス」付近の第 2 ゲートから入場し,先と同様のルートをたどる。ちなみに,グラバースカイロー
ドを登りきったところには広場が設置されており,向かい側の東山手の斜面を近景で眺めることができ
る。すなわち,「人間の丘」とも表現される斜面都市長崎の特徴的な風景を眺めることができるのであ
る。第 1 ゲートを利用すると,敷地内で南山手の丘の上り下りが完結してしまう。また,国宝の「大浦
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大浦海岸通り
★
★
大浦天主堂下
★
★
★
★
★
石橋
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★★ ★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★
★:伝統的建造物
:赤レンガ塀
:石畳・石段
0
80m
図 7 長崎市南山手における伝統的建造物と工作物(2015年)
(『長崎居留地伝統的建造物群保存対策調査報告書』と現地調査より作成)
天主堂」も第 1 ゲート隣に位置している。これらから,観光客がこれ以上さらに足をのばして南山手を
散策するという観光行動は,とりにくいのではないかと考える。他方,2015 年 5 月のゴールデンウィー
ク期間や 7 月の夏休み期間における現地観察による経験的な判断ではあるが,第 2 ゲートの利用客数
は,必ずしも多くない。外国人個人旅行客が比較的多い程度である。そうなると必然的に「グラバー
園」,「大浦天主堂」と,その門前とでもいうべき大型バス駐車場や大浦天主堂下電停までの界隈に,観
― 77 ―
光施設が集中する状況は拡大されない。
この大浦天主堂下電停から「大浦天主堂」,「グラバー園」までの界隈における観光施設の分布を示し
たのが図 8 である。先述のように,土産物店を中心に軒を連ねる地区であり,販売されている商品も
「カステラ」
,
「角煮饅頭」
,「ちゃんぽん」
,「べっ甲」をはじめ,
「ガラス細工」
,
「T シャツ」
,「アクセサ
リー」など古典的・典型的な土産物店が集積している。また,美術館などの文化教育施設が多いことも
特徴である。「長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館」がリニューアルした「長崎近代交流史と孫文・
梅屋庄吉ミュージアム」以外は,個人経営の小規模美術館・資料館が多い。ところで 2015 年に 1 軒,
家電量販店が開店した。入口には免税店と掲げており,外国人観光客向けの取り組みが始まったことが
わかる。観光地におけるグローバル化とも,あるいは,団体で押しよせ購買行動を中心とするマスツー
P
大浦天主堂下
P
カ
カ
P
複
ちゃ
複
カ
べ
複
P
:文化教育施設
C
角
蜂
カ
電
H
C
:物品販売施設
H
カ:カステラ
角:角煮饅頭
ちゃ:長崎ちゃんぽん
果:くだもの
蜂:はちみつ
べ:べっ甲
ガ:ガラス
雑:雑貨
複:食品・雑貨など
電:家電製品
複
複
P
果
果
C:カフェ
複ガ
カ
雑
複 べ雑
グラバー園
出口
複
複
雑
複
複 C
複
複
グラバー園
第1ゲート
H:宿泊施設
P:駐車場
カ
大浦
天主堂
入口
0
図 8 長崎市南山手の大浦天主堂・グラバー園界隈における観光資源(2015年)
(現地調査より作成)
― 78 ―
80m
リズムの再来とも考えられよう。
南山手における発地型観光ガイドブックと着地型観光マップでは,後者の掲載範囲が広い。しかし,
後者の拡大部分は,住宅地である。また,「グラバー園」,「大浦天主堂」という 2 大観光資源の後背地
となっており,しかも,グラバースカイロードを利用してもまだ坂道が続く。南山手における観光空間
では,
「グラバー園」,「大浦天主堂」界隈は,予定を含めた 2 つの世界遺産登録を背景に,グローバル
化の影響を受けながら,購買行動が繰り広げられる古典的・典型的な観光空間の強化が想定される。そ
して,着地型観光マップで示されている観光空間の周辺部への拡大は,なかなか進展しないのが実状で
はないかと考える。
Ϭ.おわりに
東山手の観光空間は,東側では静態的であり,西側では景観整備が行われたものの観光という点では
活かしきれていない。また,空間全体としては,教育機関や医療機関の多い空間である。南山手の観光
空間は,
「グラバー園」,「大浦天主堂」という 2 大観光資源界隈では,グローバルな観光空間に変容し
ていく動き出しがみられた。そのことは,むしろ古典的・典型的な観光空間の強化の可能性を含んでい
る。その一方,周辺部は閑静な住宅地の環境が維持されている。
最後にいくつか,観光空間の再編成に向けた提言を試みたい。東山手における景観整備は,必ずしも
観光を意識したものではなく,住民に向けたものでもあろう。しかし,東山手・南山手に決して多くな
い飲食施設の豊富な新地中華街と,
「グラバー園」,「大浦天主堂」とを結ぶ線としての役割を担うオラ
ンダ通りが,景観整備を完了している状況を生かし,観光機能を強化することは,今日長崎市が進める
「まちなか事業」
,すなわち,地域活性化にもつながるだろう。
本研究では,東山手と南山手を別々に論じてきたが,本来この 2 地区はセットで考えられるべき空間
である。東山手は,バイパス的な役割を担うにふさわしい地区であると考える。ひとつは先述のよう
に,新地中華街と南山手を結ぶ役割,オランダ通りの商店街とオランダ坂の 2 経由をうまく設定できる
とよいだろう。もうひとつは,路面電車や客船との関係である。いくつかの地図でも示したように,路
面電車は,JR 長崎駅方面から乗車してきたとき,大浦天主堂下電停ひとつ手前の大浦海岸通り電停から
先,終点石橋電停まで単線区間となる。単線からの折り返し待ちのため,大浦海岸通り電停手前に路面
電車が待機することがある。そして,乗客はここで降りて,グラバー園方面へ徒歩移動することがあ
る 5)。また,大浦海岸通り電停は,国際客船のターミナルにも近い。この地区は大浦海岸通り電停あた
りからの徒歩による観光客の流れを受け入れる空間整備という方向もあるのではないだろうか。
発地型観光ガイドブックでは,長崎市中心部観光は 1 泊 2 日で設定されている。表 1 では,日帰り客
比率の方が高いことも示した。このような日程であれば,いわゆるめぼしい観光資源を巡るのが一般的
であろう。その点で,着地型観光マップ「長崎さるく」の各地点にむけた観光行動は,基本的にはリ
ピーター向けということになる。また,
「長崎さるく」で取り上げられている地点のいくつかは,いわ
ゆるマニア向けでもある。「道路の下の石橋」や「どんどん坂」の U 字溝・三角溝などがそれに該当す
る 6)。このような地点の魅力を含め,地域の地理に迫る観光地誌なるものが,地理に関心を持つ人々か
ら発信できると,観光行動の深化になると考える。
本研究では,観光ガイドブック,観光マップというテクストと,景観を分析対象としてきた。しか
し,実際の人々の観光行動の調査・分析と,出島・ベイエリアなど他地区との関連の検討がかかせな
い。今後の研究課題としたい。
― 79 ―
脱稿後,新聞報道によると,2016 年の登録を目指していた「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の推薦を一
旦取り下げることが決定された。見直し後,再推薦する方針という。(2016 年 2 月 9 日朝日新聞東京本社夕刊)
本研究は,駒澤大学応用地理研究所研究費を利用して行った。
注
1)いわゆる長崎観光は長崎市内にとどまるとは限らない。1 回の行程の中で,長崎市外への観光行動が含まれ
ている場合を想定すべきであろう。そのように考えると,県下佐世保市にある「ハウステンボス」が,2009
年に約 150 万人だった年間入場客数を,5 年後の 2014 年には約 290 万人とした点も見逃せないだろう(『長崎
県観光統計 平成 26 年』)
。
2)調査したガイドブックのうち,
「タビハナ」では,冒頭でこの地区を紹介している(山口 2015)。残り 5 冊は
東山手・南山手が冒頭になっている。
3)レンガ風と表現したのは,今日,建築物にレンガが用いられることはあまりなく,実際にはタイルを用いる
ことがほとんどであるからである。しかし,景観という観点からは,違いが分かりにくく,レンガとタイル
を同等として扱うことに問題はないと考えた。
4)実際の事業を行っているのは,長崎市の文化財課である。
5)2015 年 5 月のゴールデンウィーク時には単線からの折り返し待ちのため,大浦海岸通り電停手前に 5 台近く
の路面電車が待機していた。なお,この際,運転手の日本語でのアナウンスにより,大半の観光客が下車
し,グラバー園方面へ徒歩移動をしていたが,外国人観光客はそのまま乗車しているというシーンがあっ
た。
6)NHK 総合テレビで放送されている「ブラタモリ」というまち歩き番組では,東京中心だったシリーズに対
し,地方都市を中心にまち歩きを行う今回のシリーズの初回で長崎が放送され,その際「道路の下の石橋」
や「どんどん坂」の U 字溝・三角溝が紹介された。地域の地理に迫り,啓蒙活動を行えるのは,何も地理学
者や郷土史家だけではない。さまざまな立場から,言葉としては用いられなくとも,いわゆる「地理」的な
アピールが広まると,人々の観光行動にも変化が生じるのではないかと考える。
文 献
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