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青木ご 田織住民年とアイ ヌ民族 47

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青木ご 田織住民年とアイ ヌ民族 47
青 木:国 際先 住 民 年 と アイ ヌ民 族
47
国際先 住民 年 とアイ ヌ民族
青
木
芳
夫*
InternationalYearfortheWorld'sIndigenousPeoplesandtheAinu
YoshioAOKI
筆者 の 専 門 は ラテ ソ ア メ リカ史 で あ る が、 近 年 は エ ス ニ ッ ク問 題 や二 重 言 語 教 育 に関 心 を寄 せ て き
た 。 そ の 比 較 の た め 、 日本 の アイ ヌ民 族 問 題 に つ い て学 習 す るよ うに な った。 本 稿 は、 筆 者 が奈 良大
学 の 同 和教 育 で 行 な った 授 業 内 容 を も と に して い る。
1国
際先住民年
1994年 は 国 際 連 合 が定 め た 国 際家 族 年 で あ る の に対 して 、1993年 は国 際 先 住 民 年 で あ った。
しか しな が ら、 日本 に お い て先 住 民 年 に 対 す る関 心 が 高 か った とは け っ して い え な い。 た とえ
ば 、1993年12月16日
の 同和 教 育 の 授 業 中 に 筆 者 が実 施 した ア ソ ケ ー・ト(受 講 生246人)で
も以
下 の よ うな結 果 で あ った 。
A今
年 が 国 際 先 住 民 年 で あ る こ と を知 っ て い ま した か?
イ
は い(102人)ロ
い い え(144人)
国 際 先 住 民 年 に関 係 す る行 事 に 参 加 しま した か?
(a)イ
は い(2人)ロ
(b)(a)で
い い え(244人)
「は い 」 と答 え た人 は 、 ど ん な行 事 に参 加 しま した か?
(答
国 立 民 族 学 博 物 館 の 鳥 居 龍 蔵 展)
つ ま り、 知 識 と して は一 応 聞 い た こ と が あ るに して も、 「先 住 民 」 問題 が 今 日の世 界 的 な課 題
で あ る こ と まで は意 識 で きて い な い の が 現 状 で あ る。
な お 、 国 立 民 族 学 博 物 館 の 先 住 民 年 記 念 行 事 と して は 鳥 居 龍 蔵 展 よ り も 「ア イ ヌモ シ リ
民 族文 様 か ら見 た ア イ ヌ の世 界
」 と い う企 画 展 の ほ うが もっ とふ さわ しい。 そ の ほ か 、 大
阪 人 権歴 史 資 料 館 主 催 の展 示 会 「近 代 日本 と ア イ ヌ民 族 」 と講 演 会 、各 種 地 方 自治体 主 催 の 講
演 会(た
と えば 、 大 阪 市 成 人 大 学講 座 「民 族 問 題 の 現 在 」 や 伊 丹 市 の市 民 講 座 「先 住 民 族 との
平 成6年9月30日
受 理*文
学部史学科
48
奈
良 大
学
紀
要
第23号
出 会 い 」 な ど)、 テ レ ビ番 組 、 グア テ マ ラの リ ゴベ ル タ ・メ ソチ ュ(1992年
ノー ベ ル 平和 賞 受
賞)の 訪 日と北 海 道 二 風 谷 訪 問 な ど、 多 彩 な記 念 行 事 が1993年 に は 開 催 され て い る。 奈 良 大 学
にお い て も、 筆 者 が所 属 す る ラテ ソ ・ア メ リカ政 経 学 会 の 第30回 年 次 大 会 が 開 催 され た折 り、
先 住 民 年 を記 念 して記 念 講 演(真
島 囲 弘 「チ チ カ カ湖 タキ ー レ島 の 人 々 と生 活 」)や 研 究 報 告
が もた れ た。 実 は 、上 述 の 同 和 教 育 に は、 こ の と きの 年 次 大 会 の 運 営 を手 伝 って くれ た学 生 も
何 人 か受 講 して い た 。
しか しな が ら、 日本 の 人 々 の 関 心 の 低 さ に は 無 理 か らぬ 点 も あ っ た。 とい うの は、 厳 密 に い
え ば、 先 住 民 年 を記 念 す る 日本 政 府 主 催 の公 式 行 事 は ひ と つ もな か った か らで あ る。 今 や 、 日
本 に お い て 、 先 住 民 問 題 は 非 常 に微 妙 な政 治 的 課 題 の ひ と つ とな って きて い る。
当初 、先 住 民族 の 側 は 、1993年 よ り も1992年 を 国 際 先 住 民 年 とす る よ う、 主 張 して い た。 な
ぜ な ら、1992年 は 、 先 住 民 族 か ら不 条 理 に も諸 権 利 が 剥 奪 され る嗜 矢 と な っ た 、 コ ロ ソ ブス に
よ るア メ リカ 「発 見 」 か ら500年 目に 当 た って い た か らで あ る。 しか し、 こ の 先 住 民 族 の側 の
要 求 は 実 現 され ず 、1992年 に は両 ア メ リカ を 征 服 した側 の ス ペ イ ソ に お い て オ リソ ピ ッ ク と万
国博 が 開催 され、 日本 で も また サ ソ タ ・マ リア 号 の復 元 と保 存 が観 光 目的 で 実行 され た り した。
そ の 代 わ りと い え な く もな い が 、1992年 の ノー ベ ル平 和 賞 が グア テ マ ラ の先 住 民族 運 動 の 指 導
者 の ひ と り、 リ ゴベ ル タ ・メ ソチ ュに 授 与 され て い る。
また 、 「先 住 民 」 年 と呼 ぶ の か 、 そ れ と も 「先 住 民 族 」 年 と呼 ぶ の か を め ぐって 、 先 住 民 族
の側 と先 進 諸 国 の側 の 間 で は 、 激 しい議 論 が あ っ た。 英 語 で 表 記 す れ ば 、indigenouspeople
とす る か 、indigenouspeoplesと
す る か の 対 立 で あ る。 そ して こ の対 立 に は 、 先 住 民族 の 自
治 権 ま で も承 認 す るか 否 か とい う、 重 大 か つ 最 大 の論 点 が 内 包 され て い る。
以 下 で は 日本 の 、 特 に 北 海 道 を 中 心 とす る地 域 の 、 先 住 民 族 で あ るア イ ヌ民 族 の歴 史 と現 状
を簡 潔 に紹 介 した い 。
II先
ま ず 、 上 村 英 明 の諸 論 考 お よび翻 訳[上
住 民族 の 定義
村1993b、
宮 崎1993]に
よ りな が ら、 国 際 社 会 に
お け る先 住 民 族 の 定 義 の 変 遷 を国 際 連 合 下 の機 関 に よ る規 定 の変 遷 か ら見 て み よ う。
国 際 労 働 機 関(ILO)第107号
条 約(1957年)で
あ る 「独 立 国 に お け る先 住 民 並 び に他 の
種 族 民 及 び 半 種 族 民 の保 護 と 同化 に関 す る条 約 」(先 住 民 条 約)は
、 同 条 約 の適 用 対 象者 を 以
下 の よ うに 規 定 して い る。
(a)独立 国 に お け る種 族 民 又 は半 種 族 民 で 、 そ の社 会 的 及 び経 済 的 状 態 が 、 そ の 国 の共 同社
会 の 他 の集 団 が到 達 して い る段 階 よ り低 い 段 階 に あ り、 か つ 、 そ の 地 位 が 、 自己 の慣 習 も
し くは伝 統 に よ り特 別 の法 令 に よ って 全 部 又 は一 部 規 制 され て い る も の の構 成 員
(b)独立 国 に お け る種 族 民 又 は 半種 族 民 で 、 征 服 又 は植 民 の 時 に 当該 国又 は 当 該 国 が地 理 的
に属 す る地 方 に居 住 して い た 住民 の 子 孫 で あ るた め先 住 民 とみ な さ れ 、 か つ 、 法 律 上 の地
位 の い か ん を 問 わず 、 そ の 属 す る国 の 制 度 に従 う よ りは 、 征 服 又 は植 民 の 時 の 社 会 的 、 経
済 的 及 び文 化 的制 度 に従 って 生活 して い る もの の構 成 員
ま た、 半 種 族 民 に つ い て 「種 族 的 特 性 を失 う過 程 に あ るが 、 まだ そ の 国 の共 同 社 会 に 同化 され
て い な い集 団 」 と規 定 して い るよ うに、 同条 約 の規 定 に は まだ 同 化 主 義 的 な傾 向 が残 って い た 。
しか し、 国 際連 合 下 の ホセ ・マ ル テ ィネ ス ・コー ポの 主 催 す る国 際 人権 委 員 会 は 、1984年 、
以 下 の とお り定 義 して い る。
「先 住 民 の社 会 、 人 民 お よ び国 民 は、 彼(女)ら
の 領 土 に発 達 した 侵 略 前 の ま た は植 民 地
49
青 木:国 際 先 住 民 年 と ア イ ヌ民族
前 の社 会 との 歴 史 的継 続 性 を保 ち な が ら、 そ の 領 土 また は そ の一 部 に現 在 優 勢 で あ る社 会
の 他 の 集 団 か ら、 彼(女)ら
自身 を 明 白 に 異 な って い る と考 え る人 々 で あ る。 彼(女)ら
は 、 現 在 、 社 会 の非 支 配 的 な 集 団 を形 成 し、 そ して 、 彼(女)固
お よび 法 体 系 に従 い 、 彼(女)ら
有の文化様式、社会制度
が 民 族 と して 継 続 的 に 存 在 す るた め の基 礎 で あ る、 彼
(女)ら の 先 祖 伝 来 の土 地 お よび そ の民 族 的 な 自己認 識 を 維 持 し、 発 展 させ 、 そ して 、未
来 の世 代 に伝 え る こ と を決 意 して い る。」
この よ うに 、 コー ポ の定 義 で は 、 先 住 民 族 自身 の 「自己認 識 」 が 最 も重 視 され る よ うに な っ
て い る。 これ に代 表 され る よ うな 国 際社 会 に お け る先 住 民 族 認 識 の 変 化 を 受 け て 、ILOは
1989年 第169号 条 約 「独 立 国 に お け る先 住 民 及 び種 族 民 に 関 す る条 約 」(先
約)に
、
住 民 及 び種 族 民 条
よ り、前 文 に お い て1957年 の条 約 の 同 化 主 義 的 傾 向 を反 省 し、 「そ の 生活 す る国 の 枠 内
に お いて 、 自己 自身 の 制 度 、 生 活 様 式 及 び経 済 発 展 を支 配 し、 そ の 独 自性 、 言 語及 び 宗 教 を維
持 し発 展 さ せ よ う とす る願 望 」 を承 認 し、 「世 界 の 多 くの 地 域 に お い て 、 これ らの人 民 が そ の
生 活 す る国 の他 の人 ぴ と と同 程 度 に基 本 的 人権 を享 有 で きて い な い こ と、 並 び に 、 そ の 法 、 価
値 、 慣 行 及 び展 望 が しば しば む しば ま れ て きて い る」 現 状 に留 意 し、 さ らに 「人 類 の文 化 的 多
様 性 及 び社 会 的 生 態 的 な調 和 、 並 び に国 際 的 な 協 力及 び 理 解 に対 し、先 住 民 及 び種 族 民 が顕 著
な 貢献 を果 た して い る」 こ とに 注 目 し、 そ の適 用 対 象 者 の 基 準 を彼 ら 自身 の 「自己認 識 」 に 求
め よ う と した 。 ち な み に 、 第1条1号(b)は
、 以 下 の とお り、 書 き替 え られ て い る。
(b)独立 国 に お け る人 民 で あ って 、 征 服 若 し くは植 民 地 化 又 は 現 在 の 国 境 が 画 定 され た と き
に 、 そ の 国又 は 国 の属 す る地 域 に 居 住 して い た住 民 の子 孫 で あ るた め に先 住 民 とみ な され
て い る もの
ま た 、1994年7月
に は ジ ュ ネ ー ブに お い て 第12回 国連 先 住 民 作 業 部 会 が 先 住 民 族 代 表 もま じ
えて 開催 され 、 「先 住 民 族 の権 利 に 関 す る国 際 連 合 宣 言 」 草 案 が最 終 的 に 作 成 され 、 国 連 人 権
委 員 会 で の審 議 を待 つ こ と と な っ た。
こ の よ うに 国際 社 会 は 、 も ち ろ ん い ろ い ろな 対 立 や 限 界 を 内包 して い る もの の 、 同 化 主 義 的
な 方 向 か ら共 生 の方 向 へ 、 あ る い は多 文 化 主 義 的 な 方 向へ と転 換 し よ う と して い る。 これ に対
して 、 日本 の、 特 に 日本政 府 の動 向 は非 常 に保 守 的 で 、 人 権 分 野 の 国際 条 約 等 の批 准 に は 消 極
的 で あ り[宮 崎1993]、
先 住 民 条 約 もま た そ の 例 外 で は な い。
日本 の場 合 、1986年 の 中 曽 根 首 相(当 時)発
言 に 象 徴 され る よ うに、 単 一 民 族 国家 観 念 が 根
強 く残 って い る。 中 曽根 発 言 で は 「しか も 日本 は 、 これ だ け 高 学 歴 社 会 に な っ て相 当 イ ソテ リ
ジ ェ ソ トな ソサ エ テ ィに な って きて お る。 ア メ リカ な ん か よ りは は る か にそ うで す 。 平 均 点 か
らみ た ら。/ア
メ リカ に は黒 人 とか プ エ ル ト リコ とか メキ シカ ソ と かそ うい うの が相 当多 くて
平 均 的 に み た ら非 常 に ま だ低 い 」(1986年9月22日
、 自民 党 研 修 会)と い う発 言 が 問 題 の発 端
に な った が 、 ア イ ヌ民 族 に つ い て は 「私 は 日本 に お きま して は 、 日本 の 国 籍 を持 って い る か た
が た で 、 い わ ゆ る差 別 を受 け て い る少 数 民 族 は な い だ ろ う、 と思 い ます 。 国 連 に もそ の よ うに
報 告 して い る こ とは 正 しい と思 って お ります 。 だ い た い梅 原 猛 さん の 本 を 読 ん で み ます と、 例
え ば ア イ ヌ と 日本 人 、 大 陸 か ら渡 って きた 人 々 は相 当融 合 して い る と言 う。 私 な ん か も、 マ ユ
毛 は濃 い し、 ヒゲ は 濃 い し、 ア イ ヌの血 が 相 当 入 っ て い る ん で は な い か と思 って い る」(10月
21日 、 衆 院 本 会 議)と
言及 し、 ア イ ヌ民 族 自身 か ら ひ ん しゅ くを 買 い 、強 い抗 議 を 受 け た[明
神1988]。
そ の この 日本 政 府 の 公 式 見 解 の変 遷 を紹 介 す れ ば 、1987年 に は 国 際 人権 規 約 に も とつ く第2
回 定 期 報 告 書 に お い て 、 「日本 に は独 自な文 化 、 言 葉 、 宗 教 を もっ た ア イ ヌ民 族 が存 在 す る」
こ とを 認 め た 。 そ して1991年 の 第3回 報 告 書 で は 「ア イ ヌ民 族 を少 数 民 族 と み な して 差 し支 え
50
奈
良 大
学
紀 要
第23号
な い」 と した 。 日本政 府 は 、 「民族 」 と して 、 つ い で 「少 数 民 族 」 と して 承 認 す るに は した が、
今 日に い た る まで ア イ ヌ民 族 を 「先 住 民 族 」 と して は 承 認 して い な い。 民 族 自決 権 や 土 地 権 ・
資 源 権 、 環 境 ・開 発権 、 文 化 財 に対 す る権 利 に問 題 が 波 及 す る こ とに戦 々就 々 と して い るの が
現 状 な の で あ る。
な お、 北 方 領 土 問題 を め ぐっ て 日本 政 府 は 日本 の領 有 権 を正 当化 す る根拠 と して 「北 海 道 本
島 は我 国 の 固有 の領 土 で あ り、 ア イ ヌの 人 々 は 本 来 の 日本 国民 で あ る」(1992年)と
い るが 、 これ に つ い て も異 論 が提 起 され て い る[乾
説 明 して
・堀1992]。
IIIア イ ヌ民 族 の 歴 史 と現状
ア イ ヌ民 族 が い わ ゆ る 「和 人 」 と接 触 す る よ うに な る の は 中世 封 建 国 家 形 成 期 、 鎌 倉 時 代 末
期 の こ とで あ り、 そ の こ江 戸 時 代 に は 徳 川 幕 府 は松 前 藩 を介 して主 と して 交 易 を通 じて 「蝦 夷
地 」 支 配 を 強化 した が 、 今 日ま で700年 あ ま り しか経 過 して い な い 。
しか し、1868年 の 明治 維 新 を契 機 と して 近 代 国家 形 成 期 に 入 った 日本 政 府 は 、 「蝦 夷 地 」 を
北 海 道 と改称 し(1869年)、
開拓 使 を 置 き(1869年)、
山林 荒蕪 地 払 下 規 則(1869年)に
より
日本人 移 民 に 対 す る払 い下 げ や 賃 貸 を 開 始 した。 や が て 日本 人移 民 一 人 当 た り10万 坪 の 土 地 が
払 い下 げ られ て い き、 一 方 ア イ ヌ民 族 の住 居 地 は北 海 道 地 券 発行 条 例(1877年)に
よ り 「無 主
地 」 と して 官 有 地 に編 入 され て しま っ た。 明治 政 府 は この よ うに そ の土 地 権 を剥 奪 して お い て 、
ア イ ヌ民 族 に対 して は 営 農 の奨 励 、 入 れ墨 や耳 輪 の禁 止 、 日本 語 の 強 制 な ど(1871年)、
同化
政 策 を 強 要 した の で あ る。
そ の 同 化 政 策 の 集 大 成 が 、1899年 に公 布 さ れ た北 海 道 旧 土 人 保 護 法 で あ る。 同法 第1条
は、
営 農 者 に は 「一 戸 二付 土 地 一 万 五 千 坪[日 本 人 移 民 に対 す る10万 坪 と比 較 して み よ]以 内 二 限
リ無 償 下 付 スル コ ト」 を規 定 して い た が 、 明治 維 新 つ ま りアイ ヌ民 族 か らの諸 権 利 の剥 奪 か ら
30年 あ ま りが 経 過 して い た た め 、 農 業 に適 した土 地 はす で に 少 な く、 実 際 に付 与 され た 土 地 は
傾 斜 地 や 谷 底 な ど、 開発 す るの も困 難 な土 地 で あ った。 また 、 相 続 以 外 に よ る譲 渡 の禁 止 、 抵
当 権 や 永 小 作 権 の設 定 の禁 止 な ど(第2条)制
限 も多 く、 さ らに15年 が経 過 して も開墾 して い
な け れ ば 没 収 され る こ とに な って い た(第3条)。
そ の 結 果 、 第 二 次 世 界 大 戦 後 の農 地 改 革 の
ア イ ヌ農 家 に対 す る実 態 を 無 視 した適 用 と もあ い ま って 、 今 日で は 当時 付 与 され た土 地 の10数
パ ー セ ソ トしか、 ア イ ヌ民族 の手 に は残 って い な い とい う。 また 、 営 農 奨 励 の か わ りに 、 山野
にお け る狩 猟 権 、 河 川 に お け る漁 業 権 、 山林 に お け る薪 炭 採 取 権 な ど、 ア イ ヌ民 族 か ら剥奪 さ
れ た権 利 も少 な くは な く、 ア イ ヌ民 族 は伝 統 的 な 生 活 様 式 の 放 棄 を余 儀 な く され て い った。 そ
れ と 同時 に 、1901年 に は 、 「旧土 人 児 童 教 育 規 程 」 が 発 布 され 、 こ こに 同化 を 目的 とす る教 育
が本 格 化 す るの で あ る。
この 旧土 人保 護 法 は 、 米 国 の対 先 住 ア メ リカ 人 同 化 政 策 「一
一般 土 地 割 当法 」(1887年
ドー ズ法)を 模 倣 した もの で あ っ た。 米 国 の ドー ズ法 は 、 そ の こ1930年 代 のF・D・
、通 称
ロー ズ ヴ ェ
ル ト政 権 の ニ ュー ・デ ィー ル政 策 に よ り廃 棄 され 、 部 族 に よ る 自治 や 集 団 的 土地 所 有 等 が 復 活
す る(イ ソデ ィ ア ソ再 組 織 法 、1934年)が
は い うま で もな い が一
一
そ の こ紆 余 曲折 が あ って 今 日 まで 来 て い る こ と
、 日本 の 保護 法 は 何 度 か修 正 され た もの の 、 また 「保 護 」 の 名 に も値
しな い ま ま、 今 日 まで 存 続 して い る。 そ して 今 日で は、 次項 で見 る よ うに 、 ア イ ヌ民 族 自身 か
らそ の 廃 棄 と 「ア イ ヌ新 法 」 の 同 時 制 定 が 要 求 さ れて い る。
アイ ヌ民 族 の現 状 を 見 れ ば 、 北 海 道 民 生 部 が実 施 して きた数 度 の 「北 海 道 ウ タ リ生 活 実 態 調
青 木:国 際 先 住 民年 と アイ ヌ民族
査 」[ウ
タ リ問題 懇 話 会1988]に
51
よ り北 海 道 に つ い て は 比 較 的 正 確 な数 字 を 知 る こ とが で き
る。
人 口に つ い て み れ ば 、 北 海 道 で は アイ ヌ民 族 の血 を引 く者 で 「自分 が ア イ ヌ民 族 で あ る」 と
回 答 した家 族(非
ア イ ヌ系 配 偶 者 を含 む)の
み を 計 算 して い る。1986年 現 在 、 計2万4381人
(7168世 帯)に の ぼ る。 そ れ で も1972年 の 数 字 と比 較 す れ ば 、6083人(2610世
た こ と に な る。 北 海 道 以 外 で は 、 東 京 都 で 、 関 東 ウ タ リ会(東
412)の
帯)の 増 加 を み
京 都 板 橋 区 蓮 根3-12-27-
要 請 に よ り、 知 人 を通 した 聞 き取 り調 査 が 行 な わ れ た こ と が あ るだ け で あ り、 これ に
よ れ ば1988年 現 在 、約2700人 が東 京 都 下 で暮 ら して い る、 と推 定 さ れ て い る[東 京都 企 画 審 議
室1989]。
これ らに よ り、 アイ ヌ民 族 の 人 口は 日本 全 国 で5万 人 前 後 と推 計 され て い る。
そ して 、1986年 の第3回
「北 海 道 ウタ リ生 活 実 態 調査 」 に よれ ば 、 ア イ ヌ民族 は 、 戦 後 の 数
次 の北 海 道 ウ タ リ福 祉 対 策(1974年
∼)に
もか か わ らず 、 い ま なお 厳 しい生 活 を 強 い られ て い
る。 例 えば 、15歳 以 上 の就 業 状 況 を見 れ ば、 ア イ ヌ とい え ぱ や や もす れ ば観 光 産 業 と結 び つ け
て しま うが 、実 際 は観 光 業従 事 者 は1割 に も満 た な い。 現 実 には 、漁 業 ・水産 養 殖 業 が23.3パ ー一
セ ソ トと圧 倒 的 に 多 く、 次 い で建 設 業 が22.7パ ー セ ソ ト、 農 業 が15.5パ ー セ ソ トとな っ て い る。
北 海 道全 体(一 次 産 業9パ ー セ ソ ト、 二 次 産 業25パ ー・セ ソ ト、三 次 産 業66パ ー セ ソ ト)と 比 較
す れ ば 、 ア イ ヌ民 族 に は 一 次 産 業 従事 者 が圧 倒 的 に多 い(42.3パ
ー セ ソ ト)こ と が わ か る。
農 業 は 旧土 人保 護 法 で奨 励 され た産 業 部 門 で は あ るが 、 農 業従 事 者 の 比率 は1972年 の38.5パ ー・
セ ソ トか ら15.5パ ー セ ソ トへ と激 減 して お り、 絶 対 数 で も減 少 して い る。 また 、 農 家 当 た りの
農 用 地 面 積 で も北 海 道 全 体 の9.28ヘ ク ター ル に 対 し3.44ヘ ク ター ル と三 分 の 一 に 近 く、 機 械 化
農 業 が不 可 避 の北 海 道 で は将 来 性 に乏 しい。
そ して 、 失 業 や 生 活 保 護 世 帯(千
60.9人)の
人 当 た りで は北 海 道 全 体 の21.9人 に対 し、 ア イ ヌ系 で は
比 率 を 基 準 に と って み て も、 非 ア イ ヌ系 世 帯 との 間 の 格 差 は 明 白 で あ る。
また 、 教 育 の 面 で も1985年 の学 校 基 本 調 査 に よれ ば 、 高 校 以 上 の 修 了者 の 比率 が22.9パ ー セ
ソ ト、 高校 進 学 率 が78.4パ ー セ ソ ト(北 海 道 全 体 で は94.0パ ー セ ソ ト)、 そ して大 学 進 学 率 で
は8.1パ0セ
ソ ト(北 海 道 全 体 で は27.4パ ー セ ソ ト)と そ の 教 育 格 差 は顕 著 で あ る。
この よ うな 生活 実 態 に 加 えて 、 アイ ヌ民 族 は い ま な お 不条 理 な 民 族 差 別 に苦 しん で い る こ と
が1986年 の調 査(「 世 帯 調査 」)か
ら も分 か って い る。 「あ な た や 家 族 が 、 ウ タ リと して 差 別
され た 経験 が あ ります か」 と い う質 問 に対 す る回答 者1136人 の うち、 「差 別 を 受 け た こ とが あ っ
た」 とす る人(23.1パ
ー セ ソ ト)と
は な か っ た」 とす る人(48.5パ
「一 般 的 に は 差 別 が あ った が 、 自分 に対 して は そ れ ほ どで
ー セ ソ ト)と を 加 えれ ば、70パ ー セ ソ ト強 の 人 に直 接 間 接 に 差
別 され た経 験 が あ る こ とに な る。 さ らに これ ら差 別 経 験 者 の うち85.5パ ー セ ソ トの人 は 「差 別
は現 在 で もあ る」 と考 えて お り、 よ り具体 的 に は結 婚(71.0パ
セ ソ ト)、 学 校(50.8パ
ー セ ソ ト)や 就 職(41.5パ
ー セ ソ ト)や 地 域 社 会(71.0パ
ー
ー セ ソ ト)に お い て 現 在 で も民 族 差 別 が存
続 して い る、 と答 えて い る。
1rア
イ ヌ民 族 の運 動
日本 にお け る中 世 封 建 国 家 の形 成 、 そ して 近 代 中 央 集 権 国 家 の形 成 を通 じて 、 北 海 道 の ア イ
ヌ民 族 は 果 敢 な 抵 抗 を展 開 して きた 。15世 紀 の コ シ ャマ イ ソ(1457年)、
シ ャ イ ソ(1669年)や
ク ナ シ リ ・メ ナ シ(1789年)の
江 戸時代には シャ ク
諸 蜂 起 ・諸 戦 争 が特 に 有 名 で あ る。
大 正 デ モ ク ラ シー が 頂 点 を迎 え る1926年 に は旭 川 近 郊 の 近 文 地 区 の ア イ ヌ民族 を 中 心 に解 平
社 とい う名 の組 織 が 結 成 され た りす るが 、 そ の名 の示 す とお り、1922年 に全 国 水 平社 が 結 成 さ
奈
52
良 大 学
紀
要
第23号
れ た こ と に鼓 舞 され た運 動 で あ った 。 当時 近 文 地 区 は 、 軍 用 地 問 題 の た め に土 地 の無 償給 与 が
実 行 され ず 、 土 地 返 還 運 動 を 展 開 して い た。
そ して第 二 次 大 戦 後 に は 、 ア イ ヌ民 族 の運 動 団 体 と して 北 海 道 ア イ ヌ協 会 が1946年 に再 結 成
され(最 初 の 結 成 は1930年)、1961年
に は 北海 道 ウ タ リ協 会(札
幌 市 中 央 区 北2条
西7丁
目
北 海 道 立 総 合 セ ソ ター 内)と 改 称 し、 今 日に到 って い る。
と ころ で 、1980年 代 に な っ て もア イ ヌ民族 差 別 事 件 が頻 発 した が 、 ア イ ヌ民 族 は も はや 沈 黙
しな くな った。 地 元 の 北 海 道 で も1980年2月
して 札 幌市 教 育 委 員 会 は1984年6∼7月
もに 、 そ の 調 査 結 果[ア
に 起 こ っ た札 幌市 の 教 員 に よ る差 別 発 言 を契 機 と
に 教 員 を対 象 に広 範 な ア ソケ ー ト調 査 を実 施 す る と と
ソケ ー・ト検 討 委 員 会1986]に
驚 き、 以 後 真剣 に 対 策 を講 じる よ うに
な る。
1981年7月
には 日本 交 通 公 社 が 『ジ ャパ ソ ・タイ ム ズ』 に 掲 載 した 英 文 広 告 が差 別 広 告 で あ
ると して 告 発 され た。 こ こで は 「アイ ヌ は毛 深 い」 とい う客 観 的 事 実 を指 摘 す る こ と が差 別 に
つ な が る の は なぜ な の か が 、 一 貫 して 公 社 側 に追 求 され た 。 結 局 、 公 社 側 は1982年5月
に謝 罪
広 告 を掲 載 す る こ と とな る。 この交 渉 の経 緯 に つ いて は、 そ の こ現 代 企 画 室 よ り単 行 本[成
花 崎 ほか1985]が
田・
刊 行 され た。
1985年 に は ア イ ヌ刺 繍 家 の チ カ ップ美 恵 子 が 『ア イ ヌ民 族 誌 』(1969年
(当時 す で に死 去)お
刊)の 著 者 更科 源 蔵
よび 高 倉 新 一 郎 に対 し、 肖像 権 裁 判 を起 こ した。 これ は 、原 告 の17歳 当
時 の ス チ ー ル写 真(NHK1964年
刊 『ユ ー カ ラの 世 界 』 掲 載)が 無 断 で転 載 され 、 しか も 「滅
び ゆ く もの」 とい う説 明 を付 さ れ た こ とに 抗議 した も ので あ っ た。 結 局 、1988年 に札 幌地 裁 に
お い て謝 罪文 を勝 ち と り、 和 解 に達 した。 この 裁 判 は、 そ の こ ラ ジオ ・ ドラマ に な り、 また チ
カ ップ 美恵 子 自身 に よ りそ の一 部 始 終 が の べ られ て い る[チ カ ップ1991]。
アイ ヌ民族 の 意 見 を最 も集 約 的 に表 現 して い る の は、1984年5月
採 択 され 、1988年3月
に北 海 道 ウ タ リ協 会 総 会 で
に は ウ タ リ問題 懇 話 会 に よ り北 海 道 の横 路知 事 に 答 申 され た 「ア イ ヌ民
族 に 関 す る法 律(案)」(ア
イ ヌ新 法)で
あ ろ う。 同声 明 に よれ ば 、 「民 族 の 損 失 を 回復 す る
ため 」 に 、 旧土 人 保 護 法 を廃 止 す る と同 時 に、 ア イ ヌ新 法 を制 定 す る必 要 が あ る、 と され た。
その 主 た る内 容 は 、(1)アイ ヌ民 族 に 対 す る差 別 の絶 滅(基
本 的 人 権 の 保 障)、(2)国 会 な らび に
地 方 議 会 にお け る ア イ ヌ民 族 代 表 と して の 議 席 の確 保(参
政権 の保 障)、(3)ア イ ヌ子 弟 に対 す
る総 合 的 教 育 対 策 ・ア イ ヌ語 学 習 の 導 入 ・教 育 か らの民 族 差 別 の 一
一掃 ・大 学 教 育 に お け るア イ
ヌ関 係 の 講 座 の開 設 ・国立 研 究 施 設 の 設 置 と ア イ ヌ民 族 研 究 者 の 主 体 的 参 加 ・ア イ ヌ民 族 文 化
の伝 承 保 存 の改 革(教 育 文 化 権 の 保 障)、(4)農 業 に お け る適 正 経 営 面 積 の 確 保 な らび に生 産 基
盤 の近 代 化 ・漁 業 権 の付 与 な らび に 生 産 基 盤 の近 代 化 ・林 業 お よび 商 工 業 の 振 興 ・就 職 機 会 の
拡 大 化 、(5)民族 自立 化 基 金 の 設 置 な ら び に ア イ ヌ民 族 に よ る 自主 的 経 営 、(6)アイ ヌ民 族 代 表 を
加 え た 中央 な らび に北 海 道 アイ ヌ民 族 対 策 審 議 会 の設 置 、 か らな って い る。
今 日の 国際 社 会 に お け る先 住 民 族 問 題 理 解 な らび に 対 策 の水 準 か らす れ ば、 新 法 の 内容 は微
温 的 な もの で あ る が 、政 党 レベ ル で は 社 会 党 の 支持 を 得 て い る だ けで あ り、 た び か さな る陳 情
に もか か わ らず 、1989年12月 に内 閣 内 政 審 議 室 を 中 心 に 政 府 検 討 委 員 会 が設 置 され た だ け で 、
国会 レベ ル ・政 府 レベ ル で は 具 体 的 な見 るべ き進 展 を み て い な い。[た
会 ・自民 ・さ きが け 連 立 政 権 の 成 立(5月)、
だ し、1994年5月
萱 野 茂 議 員 の繰 り上 げ 当選(8月)を
の社
受 け て9
月 に は 自民 党 内 に も検 討 委 員 会 が設 置 さ れ るな ど、 新 た な 動 きが認 め られ る。]
しか しなが ら、 市 民 レベ ル で は 、例 え ば学 会 の動 向 を見 れ ば 、新 た な傾 向 も現 れ て きて い る。
1989年6月
に は 、 日本 民 族 学 会 の研 究 倫 理 委 員 会(委 員 長 祖 父江 孝 男)は
、機 関誌 『民族 学 研
究』 誌 上 に お い て 以 下 の よ うな 見解 を公 に した 。 つ ま り、 民 族 を規 定 す る重 要 な 要 件 は 「人 ぴ
青木:国 際先住民年 とアイ ヌ民族
53
との 主体 的 な帰 属 意 識 の存 在 」 で あ る こ と を確 認 し、 そ して ア イ ヌ民 族 文 化 が 「あ た か も滅 び
ゆ く文 化 で あ るか の よ うに」 誤 解 して きた こ と、 ま た従 来 の研 究 は ア イ ヌ民 族 の意 志 や希 望 を
反 映 せ ず 、 研 究 成 果 も還 元 して こな か った こ と を反 省 し、 ア イ ヌ民 族 出身 の 研 究 者 の育 成 と彼
ら との共 同 研 究 の 必 要 、 教 育 を通 じて の ア イ ヌ民 族 に対 す る誤 解 や 偏 見 の一 掃 、 ア イ ヌ子 弟 が
自 らの文 化 や 言 語 を 学 習 す る機 会 の保 障 、 そ して 国 際 理 解 教 育 の第 一 歩 と して の ア イ ヌ民 族 理
解 の必 要 性 を要 望 して い る。 そ して 、1990年5月
に は 日本 の歴 史 学 者 の横 断 的 な 最 大 組 織 で あ
る歴 史 学 研 究会 が ア イ ヌ新 法 を強 く支 持 す る声 明 を 総 会 に お い て 決 議 した。
ま た、 上 村 英 明 が 代 表 を 務 め るNGO組
10-38、
喜 久 美 荘201)を
うグル0プ
織 「市 民 外 交 セ ソ ター 」(東 京 都 三 鷹 市 下連 雀2-
中心 に 国 際 先 住 民 年 を契 機 と して 「国 際 先 住 民 年 」 市民 連 絡 会 とい
が結 成 され 、機 関 誌 の 発 行 な ど、 活 発 な市 民 運 動 を 展 開 した 。 こ の運 動 は 「先 住 民
族 の10年 市 民 連 絡 会 」 へ と受 け 継 が れ て い く。
V運
動の多様化とアイヌ民族の未来に向けて
ア イ ヌ民 族 の 運 動 の現 状 は多 様 化 す る と と もに 、 そ の 裾 野 を拡 大 しつ つ あ る。
ア イ ヌ語 を 教授 語 とす る保 育 所 の開 設 が認 可 され なか っ たた め に二 風 谷 の萱 野茂 が1983年 か
ら独 力 で開 始 した ア イ ヌ子 弟 向 け の ア イ ヌ語 塾 は 、1987年 以 降 北 海 道 ウタ リ協 会 の 公 式 事 業 の
ひ と つ 「二 風 谷 ア イ ヌ語 教 室 」(北 海 道 沙 流 郡 平 取 町 二 風 谷 、 二 風 谷 子 ど も 図書 館)と
そ の こ着 実 に塾 の数 を増 や し、 今 日で は10数 ヵ所(二
な り、
風 谷 ・旭 川 ・釧 路 ・浦 河 ・札 幌 ・白老 ・
千 歳 ・阿 寒 ・静 内 ・鵡 川 ・帯 広)で 開設 され て お り、第 二 言 語 と して アイ ヌ語 を学 習 す る児 童
や 成 人 が 増 加 して い る。 そ れ と と もに ア イ ヌ語 弁 論 大 会 や ア イ ヌ語 劇 の 開 催 、 新 しい ア イ ヌ語
教 科 書[北
海 道 ウ タ リ協 会1994、
知 里 ・横 山1993]も
萱 野1987b]や
二 言 語 併 記 に よ る 出版 事 業[萱
野1988、
盛 ん に な って きて い る。
そ の ほ か 、 ア イ ヌ刺 繍 に して も、伝 統 的 な 衣 裳 の分 野 に と ど ま らず 、 テ0ブ ル ク ロ スや ネ ッ
カ チ0フ 等 に 施 され た り、 斬 新 な デ ザ イ ソの もの も現 われ て い る。 ア イ ヌ舞 踊 で も各 地 に伝 承
保 存 を兼 ね た 自主 研 究 グル ー プ(札 幌 ウポ ポ保 存 会 、 鵡 川 ア イ ヌ無 形 文 化 伝 承 保 存 会 、 新 冠 民
族 文 化 保 存 会 、春 採 ア イ ヌ古 式 舞 踊 釧 路 リム セ保 存 会 、 白老 民 族 芸 能 保 存 会 、静 内 民 族 文 化 保
存 会 、 平 取 ア イ ヌ文 化保 存 会 、 帯 広 カ ム イ トウ ウ ポ ポ保 存 会 、 様 似 民 族 文 化 保 存 会 、 三 石 民 族
文 化 伝 承 保 存 会 、 白糠 町 アイ ヌ文 化 保 存 会 、 門別 ウ タ リ文 化 保 存 会 、 千 歳 ア イ ヌ文 化伝 承 保 存
会 、浦 河 ウ タ リ文 化 保 存 会 、 阿 寒 アイ ヌ文 化 保 存 会)が 結 成 され 、 定 期 的 に民 族 文 化祭 が 開 催
され る よ うに な っ た。 また 、 さ ま ざ まな 宗 教 儀 礼 も復 活 しつ つ あ る。 例 えば 、 札 幌 市 を 流 れ る
豊 平 川 で は 新 しい サ ケ を迎 え る儀 式 「ア シ リチ ェ プ ノ ミ」 が1982年 に 復 活 した。 そ の ほ か 、二
風 谷 で は ア イ ヌ の伝 統 的 な舟 を復 元 し、1991年8月
「チ プ サ ソケ」 とい う舟 お ろ しの祭 りが挙
行 され た し、 また1992年2月 急 逝 した 貝澤 正 は 故 人 の希 望 に よ りア イ ヌの伝 統 的 な方 法 「ア イ
ヌプ リ」 に よ り見 送 られ た。
い わ ば 、 「伝 統 の 再 創 造 」(太
田好 信 の用 語 で は 再 想 像)が
ア イ ヌ民 族 の 間 で も活 発 に な り
つ つ あ り、 そ れ と と も に民 族 と して の ア イ デ ソテ ィテ ィも強 化 され て きて い る。
政 治 参 加 の面 で は 、 萱 野 茂 が 数 年 前 の参 議 院 選 挙 の 比 例 選 挙 区 で 社 会 党 候 補(順
位 第11位)
と して立 候 補 した。 社 会 党 の 衰 勢 の た め に 、惜 し くも落 選 した が 、 新 しい動 きを 代 表 す る もの
で も あ る。[な
お 、1994年8月
萱 野 は 繰 り上 げ 当選 に な った。]
ま た、 自然 と の共 生 とい う、 世 界 の 先 住 民 族 に共 通 す る価 値 の 観 点 か ら、 環 境 保 護 運 動 や 反
核 運 動 と共 通 の利 害 を 見 出 だ す と と もに 、 具 体 的 に は萱 野 茂 や 貝澤 正(死 去 後 は子 息 の 貝 澤 耕
54
奈
一 が継 承)ら
良
大
学 紀
要
第23号
は二 風 谷 ダ ムの 建 設 に反 対 し、所 有 地 の 強 制 収 容 に抵 抗 し、 現 在 裁 判 所 で係 争 中
で あ る。
国 内 的 に は市 民 運 動 や 部 落 解 放 運 動 、 そ して沖 縄 の 民 族 運 動 と連 帯 す る と と も に、 国際 的 に
もそ の活 動 を拡 大 しつ つ あ る。 例 えば 、1989年8月
会 議 」 を北 海 道(札 幌 ・平 取 ・釧 路)で
に は 萱 野 茂 を委 員長 と して 「世 界 先 住 民 族
開催 した 。 また 、1992年5月
リオ デ ジ ャ ネ イ ロで 開催
され た 「領 土 ・環 境 ・開発 に関 す る先 住 民族 会議 」 には代 表 を送 って い る し、1992年12月 の ニ ュー
ヨー クに お け る国連 の 「世 界 先 住 民 年 」 開 幕式 典 で は ウタ リ協 会 の 野 村 義 一 が民 族 衣 裳 に正 装
し、講 演 を 行 な った 。 そ して 、 北 方 諸 民 族 との 交 流 も定 期 化 し、 日常 化 しよ うと して い る。
この よ うな ア イ ヌ民 族 運 動 の多 様 化 と 日常 化 に対 して い か に応 え て い くの か が 、筆 者 を含 む
非 ア イ ヌ系 日本 人 に 今 こそ 問 われ て い る。
【
付
本 稿 は 、1993年12月16日
記】
の 同和 教 育 の 授 業 ノ ー トを基 礎 に して い る。 ま た 、1989年 度 奈 良 大
学 特 別 研 究 費 「日本 の少 数 民 族 問題 と教 育 」 に よ る研 究 成 果 の 一 端 で もあ る。
【資 料1】1989年
度 奈 良大 学 特 別 研 究 費 報 告書r日
心 に 一一 」(1990年5月30日
(1)教
本 の 少 数 民 族 問 題 と教 育 一
アイヌを中
付 け 、 青 木 芳 夫)
授 語 と して の 母 語 の使 用
アイ ヌ語 を母 語 とす る人 々 は、 明治 以 来 の歴 代 日本 政 府 の 同 化 主 義 的 な国 民 統 合 政 策 の 結果 、
極 端 な まで に減 少 して い る。 ア イ ヌ系 の子 弟 と は い って も、 現 在 で は 母 語 は まず 日本 語 で あ る。
した が っ て 、彼 ら もま た 、 ア イ ヌ語 を 第 二 言 語 と して 学 ぶ こ と に な る。 しか し、 第 二 言 語 と し
て学 ぶ に して も、 そ の機 会 が 公 式 に保 障 され て い るわ け で は な い。 義 務 教 育 課 程 で は 言 うまで
もな い が 、 ま た数 年 前 、 ア イ ヌ語 使 用 の保 育 所 を 開 所 す る試 み が、 補 助 金 不 支 給 の脅 威 の前 に
挫 折 した こ とは 、全 国 紙 で も報 じ られ た こ とが あ る。 ケ チ ュ ア語 に せ よア イ マ ラ語 に せ よ、 母
語 を教 授 語 と して使 用 す る こ と が 当然 の前 提 とな って い る ア ソ デ ス地 方 の 二 重 言 語 教 育 実 験 の
事 例 とは 、 この点 で 決 定 的 に違 って い る。
した が って 、早 稲 田大 学 や 千 葉 大 学 な ど一 部 の 大 学 で ア イ ヌ語 講 座 が 開 設 され て い る こ とを
除 け ば 、 ア イ ヌ語 教 育 は ま っ た く民 間 有 志 の 努 力 に依 存 して い る こ とに な る。 北 海 道 で も、 ア
イ ヌ語 教 室 は 、 ウ タ リ協 会 の支 部 を 中心 に4ヵ 所 で の み 開 か れ て い る。
報 告者(青
木 芳 夫)は9月21日
ヌ語 教 室(月1回)を1時
夜 、 二 風 谷 で 、 北 海 道 で も運 動 が 最 も盛 ん な成 人 向 け の ア イ
間 だ け だ が 見 学 ・参 加 す る こと が で きた 。 講 師 は萱 野 茂 さん で あ っ
た 。 この 教 室 は1987年 夏 か ら始 め られ た もの で 、 初 年 度 の講 義 録 が す で に活 字 化 され て い る。
子 供 向 け の ア イ ヌ語 教 室 は そ れ よ り早 く、1983年 か ら始 め られ て い た 。 こ の と きの経 験 か らい
え る こ とは 、 ア イ ヌ語 教 室 を とお して 、 じつ は ア イ ヌ系 の 人 々 の伝 統 文 化 、 自然 観 を伝 え よ う
と して お られ る ので は な い か 、 とい う こ とで あ る。 そ して 、 この 点 で は、 ア ソデ ス地 方 の 実験
教 育 の 精 神 と ま っ た く同 じで あ る。
(2)小
学 校 の 副 読 本 に み られ る地 方 差
初 等 教 育 課 程 の公 式 教 育 に お い て ア イ ヌ系 社 会 の こ とを 学 ぶ 機 会 は、 北 海 道 に お い て も3年
な い し4年 生 用 の社 会 科 副読 本 程 度 で あ ろ う。 報 告 者 自身 、 まだ 実 見 で きた 副読 本 は 数 種 に限
定 され る が 、 そ こで最 も強調 され て い る点 は 、 と くに 札 幌 市 の よ うな大 都 市 の 副 読 本(『
した ち の札 幌 』)で
は 、過 去 を説 明す る と ころ で アイ ヌ系 の 伝 統 的 な家 屋(チ
わた
セ)や 狩 猟 の絵
青 木:国 際 先住 民 年 とア イ ヌ民 族
55
に して も、 か な らず 「む か しの 」 家 屋 で あ り絵 で あ る 、 とい う但 し書 きが 付 け られ て い る こと
で あ る。 この よ うな但 し書 きを 付 け な け れ ば な ら な い ほ ど に 、 ア イ ヌ系社 会 に対 す る偏 見 、 無
理 解 が 強 い とい うこ とで あ ろ う し、 また お そ ら くは ア イ ヌ系 の人 々 か らの抗 議 に よ りこの よ う
に書 き加 え られ た の で あ ろ う。 ま た しか し、 現 在 で は 各 地 で チ セ が復 元 され て い るが 、 そ の よ
うな場 所 で の体 験 学 習 の 際 、 チ セ は寒 か った ん だ よ、 と指 摘 し、 現 在 の プ レハ ブ住 宅 等 の 快 適
さ と比 較 す る だ け で は 不 十 分 で あ ろ う。 当時 の非 アイ ヌ系 の 開 拓 民 の掘 っ立 て小 屋 と比 較 す れ
、ぱ 、 チ セ の合 理 性 を よ りよ く理 解 す る こ とが で き る。
札 幌 市 の ア イ ヌ民 族 教 育 へ の 取 り組 み は、 け っ して遅 れ て い るほ うで は な い。 しか し、副 読
本 にお け るそ の 言 及 は数 ペ ー ジに す ぎ な い。 これ に対 して 、 ア イ ヌ系 人 口が 集 中 して お り、 自
治 体 運 動 も伝 統 的 に活 発 な二 風 谷 の 帰 属 す る平 取 町 の副 読 本 で は 、 こ こで は 詳 し くは の べ な い
が 、量 的 に も質 的 に も相 当 の違 い が 見 られ る。
(3)今 後 の 課題
北 海 道 で さえ 、 この よ うな地 方 差 が見 られ るの だ か ら、 他 地 方 の状 況 は容 易 に想 像 す る こ と
が で きよ う。 しか し、 ア イ ヌ民 族 教 育 の場 合 、 も ち ろん 、 当 の ア イ ヌ系 自身 の子 弟 に対 す る教
育 を ど うす るか 、 とい う問題 も重 要 で あ るが、 それ 以 上 に 緊 急 を 要 す るの は 、北 海 道 に限 らず 、
全 国 の 非 ア イ ヌ系 の子 弟 が ど うす れ ば ア イ ヌ系 の過 去 ・現 在 に お け る等 身 大 の姿 を学 ぶ こ とが
で き るの か 、 と い う こ とで あ ろ う。 こ の よ うな学 習過 程 を経 る こ とに よ り、 人 々 は、 ア イ ヌ民
族 に 対 して い た ず らに パ ター ナ リス テ イ ック な感 情 を抱 く こ と もな く、 彼 らが 置 か れ て きた立
場 が い か に 不 合理 な もの で あ るか を理 解 す る と と もに共 感 す る よ うに な るで あ ろ う。 こ の よ う
な考 え方 は 、 少数 民 族 教 育 全 般 に つ い て 当 て は ま る こ と で あ り、 もち ろ ん ペ ル ー ・ア ソ デ ス地
方 の実 験 教 育 で も同 じで あ る。 しか し、 これ まで 同 化 一 辺 倒 で あ り、単 一 民 族 指 向 が 強 烈 だ っ
た 日本 に と って こそ 、 今 必 要 と され る考 え方 で は ない だ ろ うか。
【資 料2】1990年6月11日
奈 良 大 学 歴 史 ・ア ン ケ ー ト調 査 の 結 果 と分 析
筆 者 は 教 養 課 程 の 「歴 史 」 にお いて 数 年 来 「近 代 世 界 の 諸 問 題 」 と題 して 、 身 近 な問 題 を通
して 授 業 を 行 な って い るが 、 そ の 最 後 の章 が 「差 別 」 の 問題 で あ る。 主 と して 米 国 を例 に とっ
て い るが 、 日本 に お け る差 別 に 触 れ る こ と も あ る。 この ア ソケ ー トに よ り、 奈 良 大 学 学 生(1
年 次 中 心)の アイ ヌ認 識 の実 態 を 明 らか に しよ うと した。 協 力 して くだ さ った 大 学 生 は82名 に
の ぼ った。 また 、1993年 度 に は 同和 教 育 と歴 史 の 授 業 中 に 同一 の ア ソケ ー トを実 施 した が、 そ
れ らの結 果 と分析 は ま だ終 わ って い な い 。
な お 、 ア ソケ ー トの 形 式 は直 接 的 に は竹 ヶ原幸 朗 が1987年 に札 幌 市 内 の小 学 校 で5年 生 を対
象 に実 施 した ア ソケ ー ト[竹 ヶ原1988]に
、 も と も とは 小 沢 有 作 ・竹 ヶ原 幸 朗 「青 少 年 の ア
イ ヌ観 」(『 人 文 学 報 』 東 京 都 立 大 学 人 文 学 部 、1980年)の
設 問 形 式 に ほぼ 準 拠 して い る。 札
幌 市 の 小 学 生 の事 例 と比較 しなが ら、 奈 良大 学 生 の事 例 を 分 析 す る こ と に しよ う。
1.あ
な た は 「ア イ ヌ 」 と い う言 葉 を 聞 い た こ と が あ り ま す か?
[A]イ
[B][A]で
は い82(100%)ロ
は い と 答 え た 人 は 、 何 か ら(誰
い い え0(0%)
か ら)知
り(聞
き)ま
した か?
奈
56
大 学
紀 要
親 ・兄 弟 ・知 人
第23号
14
二
週刊誌
そ の他 の 本
?8(44%)
へ
ロ
教
師
33
ト 新
ハ
教科 書
38
チ
「教 育 」
ホ
学 習参考書
80(46%)
「マ ス コ ミ」
14(8%)
「人 」
イ
良
7
リ
2
26
14
聞
ラ ジオ
2
テ レビ
36
3(2%)
「そ の 他 」
ヌ
〈分
3
その他
析〉
全 員 が 「ア イ ヌ」 とい う言 葉 を知 っ て い る。 問題 は 、 竹 ヶ原 も指 摘 して い るよ うに、 そ の 内
容 と質 で あ る。
「ア イ ヌ」 と い う言 葉 を 知 っ た媒 体 を見 れ ば 、 札 幌 市 の 小 学 生 の 事 例 で は 「教 育 」 に 関す る
媒体 が70パ ー セ ソ トを 占め て い る。 特 に3・4年
生 用 の 副 読 本(『
わ た した ち の札 幌 』)の 影
響 が 強 い 、 と考 え られ る。 他 方 、 奈 良大 学 生 に な る と、 「教 育 」 と 「マ ス コ ミ」 の重 要 性 が ほ
ぼ 拮 抗 して い る。 「マ ス コ ミ」 の な か で もテ レ ビの 比 率(全 体 の21パ ー セ ソ ト)が 大 きい こ と
が 分 か る。
2.あ
な た は 「ア イ ヌ」 と い う言 葉 か ら何 を 思 い 浮 か べ ます か?
2
(北 海 道 の)原 住 民
4
鮭
コ ロボ ツ クル
5
ア イ ヌ人
6
ア イ ヌ語 ・独 特 の 言 葉
6
木 彫 り ・人形
4
3
差別
4
民 族 問題
日本 の先 住 民 で 、 南 か ら来 た 大 和 民 族 に追 い
立 て られ 、 北海 道 に 追 い 込 まれ た 人 々/ピ
カ ピ リカ の歌/イ
族 国家/中
ソデ ィオ/カ
曽 根 発 言/コ
リ
ム イ/単 一 民
シ ャマ イ ソ の反 乱/
オ ホ ー ツ ク/寒 い国 の 人/化 粧/漁 労採 集 民/
神 話/和
人 とは 別 の 日本 民 族/熊 祭 り/ユ ー
カ ラ/熊 笹 の野 原/あ た た か い感 じ/北 の国/
人数 が 少 な い(以 上
各1)
2
民話
い る/独 特 の伝 統 芸/白 い 肌/い れ ず み/明
2
独特の地名
い と こ ろに 住 ん で
2
え ぞ ・えみ し
人 権 問 題/狩 猟 や 農耕/寒
3
少 数 民族 ・異 民 族
民謡/道 産 子 ラー メ ソ/生 活 の厳 しさ/開 拓/
治 時 代/北 方 民 族/野 生 で た くま しい/人 間/
7
民 族 衣 裳 ・刺 繍
0 7
1占
北海道
0
4
回答 な し
2
狩猟民族
毛深い
〈分
析〉
こ の設 問 は 「ア イ ヌ」 に関 す るイ メー ジを知 るた め の もの で あ る。 札 幌 市 の 小学 生 の 場 合 、
看 過 で きな い 差 別 イ メ ー ジ の 回 答 が数 件 あ った 。 ま た、 日本 人 とは異 質 な 生 活 や文 化 とい うイ
メ ー ジ も認 め られ た 。 た だ、 「わ か らな い 」 や 「回 答 な し」 が45人 、3人 に1人 に もの ぼ って
お り、 ど う解 釈 す べ きか、 筆 者 と して は 迷 うと ころ で あ る。
奈 良大 学 生 の 場 合 、差 別 イ メー ジの 回 答 は ほ とん ど な い が 、 「北 海 道 」 とい う回 答 が 過 半 を
青木:国 際 先住 民 年 とア イ ヌ民 族
57
占 め て い る の が特 徴 で あ る。 奈 良 大 学 生 は近 畿 だ けで な く全 国各 地 か らや って きて い る が、 北
海 道 出 身 者 は 非 常 に少 数 で あ る。 た だ し、 ア イ ヌ問 題 を北 海 道 と い う特 定 の 地 域 に限 定 され た
問 題 と意 識 して い る の で あ れ ば 、 問題 で あ る。
3.あ
な た は アイ ヌ の人 ・歴 史 ・文 化 な どに つ い て 何 を 知 って い ます か?
回 答 な し ・よ くわ か ら な い28(34%)
物語/自 然崇拝/江 戸時代松 前藩 との争乱/
ア イ ヌ 語 ・独 特 の 言 葉 ・金 田 一 京 助
日本人 とは違 った文化/日 本人に侵略 され た
15
只V 戸0
狩猟漁労採集生活
差別
{
b
毛深い
られた/江 戸時代 よ り利用 された/江 戸 時代
に屯田兵 制で 日本人が北海道 へ渡 って、アイ
にり
ヌ人 が虐待 された/文 字が なかった/白 老 町
0σ
木 彫 り ・彫 刻
コ ロ ボ ックル
/近 代化のかげで迫害 され た/開 拓使 が派遣
された ときに統一 され た/内 地 人に土地 を盗
などに住 んでい る/和 人に よる侵略 の歴史/
シ ャ ク シ ャ イ ソ、 コシ ャマ イ ソ3
今 開発 のために住みに くい ところに追 いや ら
北海 道 開 拓 時 代 に 日本 人 が 追 い 詰 め た
れてい る/独 特 な船 を使 った漁/屯 田兵 が北
海道 を開拓す る前 か らその地 に住んで いた/
大 和 民 族 が 来 る前 の原 住 民 で 、追 い 出 され た た くさんの神様/今 ではす っか り少 な くなっ
て しまった人 々/江 戸時代 に開拓のため に強
2
2
昔 か ら北 海 道 に住 ん で い た 人2
制労働 させ られ た/江 戸時 代の差別/江 戸時
少 数 民 族2
代の物々交換/過 去 に 日本 人に迫害を受け た
いれ ず み2
/江 戸幕府 による不正貿易/滅 びかけてい る
刺 繍 ・織 物2
/観 光業/子 供 に言葉や習慣 を教 えてい る/
独 特 の 地 名2
サバイバル/蝦 夷 と呼 ばれ ていた/野 蛮な人
間 と見 られていた/ロ シアか ら渡 って きた?
/蝦 夷征伐/祭 り/ユ ー カ ラ/神 話/神 様 か
らの授 か り物(以 上 各1)
〈分
析〉
札 幌 市 の 小 学 生 の場 合 、 ア イ ヌ ・イ メー ジ を裏 付 け る具 体 的 な知 識 は な い よ うだ 、 と い うの
が竹 ヶ原 の 分 析 で あ る。3人
に2人 は 「回 答 な し」 か 「分 か らな い」 で あ る 。 そ の 内 容 を と っ
て み て も 「民 族 衣 裳 」 「家 」 「クマ送 り」 が主 で、 日本 人 とは 異 質 な 生活 ・文 化 が 中心 で あ る。
ま た 、昔 の姿 と今 日 の姿 と を混 同 した よ うな 回 答 もあ る(「 ゆ み 矢 」 「クマ を殺 して 自分 た ち
の服 を つ くった 」 「シ カ な ど を とっ て く ら して い る」 等)。 全体 的 に小 学 生 の知 識 は体 系 的 で
な く、断 片 的 で あ る。
これ に対 して奈 良 大 学 生 の 場 合 、 や は り3人 に1人 が 「回 答 な し」 か 「分 か らな い」 と答it.
て い る。 単 一 項 目で は 「アイ ヌ語 」 と い う回 答 が 多 い が 、 これ は 筆 者 が 前 期 授 業 で 「言 語 と人
間 」 とい う章 で ア イ ヌ語 に も言及 した た め か も しれ な い。 全体 的 に は 日本 史 関係 の 回答 が多 い。
逆 に現 代 の ア イ ヌ文 化 等 に つ い て の 回 答 は非 常 に少 な く、 ま た 「毛 深 い 」 と い う回答 が6件 あ
り、 これ は問 題 を含 ん で い る。 また 、 ア イ ヌ人 が 「され る」 「られ る」 とい う受 身 形 で書 か れ
て い るの は 客 体 視 して い る証 拠 で あ り、 「主 体 と して の ア イ ヌ人 」 とい う捉 え方 が大 学 生 に は
希 薄 の よ うで あ る。
奈
58
4.あ
良
大 学
紀 要
第23号
なた は ア イ ヌ人 に会 った こ とが あ ります か?
[A]イ
は い7(9%)ロ
い い え74(90%)
回答 な し1(1%)
[B][A]で
は い と答 えた 人 は、 ど ん な こ とか ら ア イ ヌ人 だ と分 か りま した か?
o外 見 で 、 ま た そ の 人 が 自分 で ア イ ヌ と言 った か ら
oお み や げ を 売 って い る と ころ で 、 ア イ ヌ独 特 の服 装 を して い て 、 そ れ か ら何 と な く雰
囲 気 の違 う人 が い た
o修 学 旅 行 で 、 顔 の彫 りの深 い感 じで
oア イ ヌの 博 物 館 で 館 長 さん か らユ ー カ ラ を教 え て も ら った
Oア イ ヌ人 だ と わ か っ た状 態 で 話 を 聞 い た
o回 答 な し
o修 学 旅 行 で ア イ ヌ人 の 村 へ 行 き、 話 を聞 い た
〈分
析 〉'
竹 ヶ原 に よ れ ば 、現 在 で は 日本 人 と の混 血 や混 住 が進 ん で い る か ら、 「分 か らな い 」 とい う
回答 が正 直 な と ころ で あ る とい う。 札 幌 市 の小 学 生 で は11パ ー セ ソ トが 「は い 」 、58パ ー セ ソ
トが 「い い え」 、31パ ー セ ソ トが 「分 か らな い」 と回 答 した。 奈 良大 学 生 の 場 合 、7パ
ーセ ソ
トの み が 「は い」 と回 答 して い るか ら、両 者 の 間 に は 意 味 の あ る差 異 は 認 め られ な い。
しか し[B]に
お い て 小 学 生 は民 族 衣 裳 や 身体 的 特 徴 を そ の理 由 に あ げ て お り、 ア イ ヌ人 に
関す る一 種 の ステ レオ タ イ プ、 イ メー ジで判 断 して い る よ うで あ る。 これ に対 して奈 良大 学 生
の場 合 、2番
目や3番
目の 回答 の よ うに 固 定 観 念 で もっ て判 断 して い る例 もあ る が 、 そ れ 以外
は相 手 の 自己 意 識 を尊 重 しな が ら考 え る とい う姿 勢 が認 め られ る。 これ は ま た、 ア イ ヌ人 の側
の 自己 認 識 の 変 化 を反 映 して い る、 とい え な くも な い。
5.あ
な た は学 校 で ア イ ヌの 人 ・歴 史 ・文 化 な ど に つ い て 学 ん だ こ とが あ ります か?
[A]イ
は い38(46%)ロ
い い え43(53%)
回 答 な し1(1%)
[B][A]で
は い と 答 え た 人 は 、 そ れ は い つ 学 び ま し た か?
イ
小 学 校10ロ
中 学 校23ハ
高 校16二
大 学0
[予 備 校1]
[C]中
学 校 … 地 理(4)、
高
校 … 日本 史(10)、
歴 史(13)、
世 界 史(2)、
ホ ー ム ル ー ム(1)、
CD]
[A]で
公 民(3)、
同 和 教 育(1)
政 経 社(3)、
現 代 文(1)、
地 理(1)、
修 学 旅 行(1)
は い と 答 え た 人 は 、 そ の 内 容 を 書 い て くだ さ い 。
回 答 な し ・よ く わ か ら な い ・忘 れ た
13(34%)
-占
沖縄 との類似 性
-占
明治期 の同化政策
-占
江戸時代 の不 当な貿 易
OO
差別 ・人権 に関連 して
元 々狩 りで 生 活 して い た民 族 で 、北 海 道
開 拓 時代 に 日本 人 が ア イ ヌ人 を追 い詰 め
た1
北 海 道 は 前 は ア イ ヌ人 の もの で 、 狩 りを し
な が ら生 活 し、 日本 語 も話 して い なか っ
た1
ア イ ヌ人 は現 在 減 少 して い る1
物 語1
青 木:国 際 先 住 民 年 と ア イ ヌ民 族
シ ャ クシ ャイ ソ、 コ シ ャマ イ ソ1
59
ヌ人 の文 化 が消 え て い った1
国 語 の教 科 書 で 、 ア イ ヌ人 と知 られ な い
ア イ ヌ人 の 現 在 の こと 、純 粋 の ア イ ヌ人 は
た め に 日本 語 を使 って い た ア イ ヌ人 の
数 が 少 な い こ と、 ア イ ヌ語 や文 化 が 絶 え
小説1
よ う と して い る こ と1
和 人 に よ る侵 略 ・差 別 、 和 人 との 融 合 に
よ って伝 統 が な くな りつ つ あ る1
北 海 道 の先 住 民 族 、 和 人 と は違 っ た文 化 、
今 、 開発 の た め に住 み に くい所 に 追 い や
-占
られて い る
-←
-←
独特 の地名
カムイは神 を意味 す るか
-乙
間宮海峡
-←
松前藩
昔 、 日本 人 が ア イ ヌ人 を 支 配 して 、 ア イ
ホア イ ヌの 人 々 の 生 活 と
ア イ ヌ語1
江 戸 時 代 の交 流 、 明 治 以 降 混 血 が進 み 、
純 粋 な ア イ ヌ人 は非 常 に少 な くな っ て い
る1
旅 行 会 社 が 「毛 深 い ア イ ヌ」 とい う広 告 表
現 に よ り問 題 と な っ た こ と1
あ る 日本 人 と アイ ヌ人 の 交 流1
修 学 旅 行 で の体 験 学 習*1
、 そ れ に 入 りこん で い っ た 日本 人 の 文 化 や生 活 につ い て。 現 在 の ア イ ヌ人 の 気
持 ち や生 活 の難 しさ、 二 面 性 に つ い て 。 現在 生 粋 の ア イ ヌ人 は ほ とん どい な くて 、 日本 人 と の ハ0フ が
多 い が、 日本 人 と同 じよ うに学 校 へ通 う子 供 た ち は 「い じめ」 の 対 象 にな る こ と も多 々 あ る。 ア イ ヌ の
人 々 は観 光用 の見 せ物 の よ うに、 自分 た ち の民 族 の文 化 や 歴 史 を さ らけ だ す こ とに抵 抗 を もっ て い るが 、
仕 方 が ない 状 況 に 追 い や られ て い る。 国 会 で の 「日本 は単 一 民 族 国 家 で あ る」 とい う発 言 に 対 す る反 響
は 大 で 、 彼 らが 一 つ の 民 族 と して の 誇 りや ま と ま りを持 と うと して い る こ とが わ か る。(略)
〈分
析〉
札 幌 市 で は3・4年
生 まで にア イ ヌ問 題 に 関 す る学 習 が組 み 込 まれ て い る が、 小 学 生 の13パ ー
セ ソ トは 「い い え」 と 回 答 して お り、 学 ぶ 側 の 問 題 意 識 の 欠 落 を象 徴 して い る。 そ の 内 容 に つ
い て も 「分 か らな い 」 「回答 な し」 が 半 数 弱 を 占 めて い る。 また 、 具 体 的 に は 「暮 ら し の しか
た」 「食 物 」 「言 葉 」 「服 装 」 「す ま い 」 な ど、 社 会 科 副 読 本 『わ た した ち の札 幌 』 の 記 述 ど
お りの 回 答 とな って い る。 た だ し、竹 ヶ原 に よれ ば 、 現 代 の ア イ ヌの 生 活 や 文 化 が描 か れ て お
らず 、 ま た札 幌 市 の 明 治 前 史 の ペ ー ジに配 列 され て い る た め 、 ア イ ヌ を後 れ た存 在 と思 わ せ か
ね な い よ うに な っ て い る とい う。
奈 良 大 学 生 の場 合 、 半 数 以 上 が 「い い え」 と回 答 して い る。 「は い」 と回 答 した学 生 の な か
で は 「中 学 校 」 が一 番 多 く、 つ い で 「高 校 」 の順 とな って い る。 科 目で は 中 学 校 の 「歴 史 」 、
高 校 の 「日本 史 」 の 授 業 とい うの が 大 半 を 占 め る が 、 な か には 同和 教 育 、 ホー ムル ー ム 、修 学
旅 行(体 験 学 習)と
い う回 答 もあ る。
内 容 的 に は 、近 世 ・近 代(明
治期)に
関 す る回 答 が も っ と も具 体 性 を帯 び て い る。 こ れ は受
験 の た め に 暗記 した か らと推 測 で き る。 実 は 、 「差 別 ・人権 に 関 連 して」 等 の 回 答 が 、 筆 者 の
予 想 以上 に あ った。 た だ し、 問題 意 識 の あ る学 生 の場 合 で も、 「減 少 して い る」 、 「伝 統 が な
くな りつ つ あ る」 、 「絶 え よ う と して い る」 とい う理 解 に と ど ま って い る の は 、 今後 の 課 題 と
して残 さ れ て い る。 も ち ろん 、 これ は教 え る側 の ア イ ヌ認 識 の 不 足 の 問 題 で もあ る。 教 養 課 程
の歴 史 を担 当 して きた 筆 者 と して は、 自戒 の 念 を こめ て 指 摘 して お きた い。
ま た、*印 の体 験 学 習 を した 学 生 の 回 答 を 転 載 して お い た が 、 これ は 、 学 ぶ側 の 問 題 意 識 と
合 致 した場 合 、 ア イ ヌ問題 学 習 で も 「体 験 学 習 」 が 非 常 に有 効 で あ る こ と を証 明 して い よ う。
奈
60
良 大 学
【
参
考
紀 要
文
第23号
献 】
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学 紀
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Summary
Theauthor,whosespecialityisLatinAmericanhistory,hasbeeninterestedinethnic
conflictsandbilingualism.TocompareLatinAmericancasewithJapaneseone,heis
studyingabouttheAinuethnicgroup.Thisarticleisbasedwithhislectureforanti-discrimination
classroomatNaraUniversity.
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