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Page 1 大清帝国史のための覚書 ーセミナー「清朝社会と人旗制

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Page 1 大清帝国史のための覚書 ーセミナー「清朝社会と人旗制
大清 帝 国史 の た め の 覚 書
セ ミナ ー 「
清 朝 社 会 と八 旗 制 」 を め ぐ っ て
杉山 清彦
16-17世 紀 の 交 に 東 北 ア ジ ア の 一 隅 か ら登 場 して 世 界 史 の 舞 台 に 上 が り,19-20世
と消 え て い っ た 大 清 帝 国(MA.daicinggunm,大
清 国)の
も っ 歴 史 研 究 上 の 重 要性 は,言
ぬ と こ ろ で あ る。 と と も に,こ の 国 家 が マ ン ジ ュ(Manju,満
根 幹 を な した の が 八 旗 制 で あ る とい う こ と も ま た,研
ろ が,帝
国 の核 心 を な す は ず の 八 旗 制,延
紀 の交 に袖 へ
洲)人
を俟 た
の 支 配 す る 帝 国 で あ り,そ の
究 者 の あ ま ね く知 る と こ ろ で あ ろ う。 と こ
い て は マ ン ジ ュ 人 に よ る 帝 国 支 配 の メ カ ニ ズ ム は,な
お ほ と ん ど解 明 され て い な い とい って 過 言 で は な い 。
とい うの も,通 説 的 理 解 に お け る 「マ ンチ ュ リア の 辺 陲 よ り興 起 し た 異 民 族 国 家 が,中
入 して 中 華 王 朝 の 継 承 者 と な っ た 」 とい う王 朝 の 性 格 の 二重 性 の た め に,国
所謂
家 形成 過 程 に即 した
「
満 洲 史 」 にお い て は 興 起 前 後 の近 隣 情 勢 や 治 下 の 漢 地 社 会 との 関 連 が,ま
王 朝 」 と捉 え る 「中 国 史 」 に あ って は政 権 の 性 格 ・構 造 が,研
て き た か らで あ る。 こ の た め,マ
らず,帝
た 清 を 「異 民 族
究 上 お 互 い に 軽 視 な い し無 視 され
ン ジ ュ 語 一 次 史 料 を駆 使 した 着 実 な 実 証 研 究 の 蓄 積 に も か か わ
国 支 配 の 構 造 とそ の 性 格 は,謂
わ ば 「満 洲 史」 と 「中 国 史jと
の 研 究 の谷 間 に 放 置 され
る こ と と な っ た 。 ま こ と戦 後 の 日本 東 洋 史 学 界 に あ っ て は,「 満 洲 語 を解 す る者 は,普
を 意 味 す る 「清 朝 史 」の 研 究 者 と呼 ば れ,解
通清 初史
さ な い 者 は,社 会 経 済 史 を 意 味 す る 「清 代 史 」の 研 究 者
と 呼 ば れ た 」 ωま ま な の で あ る。 そ の結 果,ア
そ の 相 貌 を 変 え る な か,ひ
原 に進
ジ ア 各 地 域 の 「近 世 」 史 研 究 が 質 量 と も に 大 き く
と り大 清 帝 国 史 研 究 の み は,取
り残 され た ま ま とな っ て い る と い え よ
う。
さ て,そ
の よ うな な か,近
拓 とい うべ き で あ ろ うが一
年 の文 書 史 料 を 駆 使 した研 究 の 展 開 や 政 治 史 へ の 回 帰一
と い っ た 潮 流 を 背 景 に,昨2000(平
成12)年12月,東
む し ろ開
京外 国語 大学
ア ジ ア ・ア フ リカ 言 語 文 化 研 究 所 共 同 プ ロ ジ ェ ク ト 《東 ア ジ ア の 社 会 変 容 と国 際環 境 》 の 一 環 と
し て セ ミナ ー 「清 朝 社 会 と八 旗 制 一
文 書 史 料 か らの ア プ ロ ー チ
」が 開催 され た 。小 稿 で は,
こ の シ ン ポ ジ ウム の 紹 介 と と も に,八 旗 制 を 中 心 と した 大 清 帝 国 史研 究 を め ぐ る近 年 の 動 向 と今
後 の課 題 ・展 望 を素 描 す る こ と と した い。 な お,謂
う と こ ろ の 「清 朝 史 」 の研 究動 向 に つ い て は
い く つ か の 好 論 お よ び 本 誌 各 号 所 載 論 文 ・報 告 が あ り,ま た 「清 代 史 」 の 研 究 動 向 は 多 数 発 表 さ
(1)マ
ー ク;エ リオ ッ ト(柳 澤 明 譯)「 中 国 第 一 歴 史 襠 案 館 所 蔵 内 閣 ・宮 中 満 文 襠 案 概 述 」『東 方 学 』85,1993,
p.!49.以 下,暗
黙 の 了 解 と な っ て い る と思 われ る こ の 呼 称 を仮 に 用 い る。
一llO一
れ て い る の で,詳
し く は そ れ ち を参 照 され た い ω。 本 稿 で は,本
誌 で は あ ま り取 り上 げ られ な い
分 野 を 中心 に,大 清 帝 国 史 に 関連 す る 近 二 十 年 の他 分 野 の 動 向 と,今 後 の研 究 の 展 望 と を述 べ る
こ と とす る。 言 及 す る文 献 は,本
誌 の 脚 註 方 式 の 利 点 に 従 っ て註 に示 し,敬 称 は 一 切 こ れ を 略 し
た。
1.大 清 帝 国 史 を め ぐる近 年 の 動 向
(董)「 清 朝 史 」 を 取 り巻 く潮 流
近 年,さ
ま ざ ま な 研 究 分 野 に お い て,国
際 交 易 ブ ー ム と 銀 流 通 に 特 色 づ け られ る16-17世 紀 の
ア ジ ア 東 方 の 政 治 ・社 会 変 動 が 注 目を集 め て い る。 ま た ,モ
ン ゴル 時 代 に 一 変 した ユ ー ラ シ ア 諸
地 域 の 政 治 秩 序 ・社 会 構 造 が 再 変 し,近 現 代 に 至 る枠 組 み が 形 成 され た 時 期 と し て も,当 該 期 に
始 ま る数 世 紀 は 重 要 視 され て い る 。 か か る研 究 状 況 の な か で,多
最 大 ・最 後 の覇 者 とな っ た 大 清 帝 国 に,あ
ま ず 注 目 され る の は,近
側 に み られ る政 治 史 ・国 家 統 合 へ の
清 帝 国 史 の立 場 か ら注 目 され る の は,16-17世
時 代 を め ぐ る 近 年 の 潮 流 で あ る。 従 来,こ
ナ て き た が,そ
の
らた め て 向 け られ つ つ あ る よ うに 思 わ れ る。
年 の所 謂 「清 代 史 」(明 清 史)の
関 心 の 回 帰 の 動 き で あ る。 と りわ け,大
く の研 究 者 の ま な ざ しは,そ
紀 とい う
の 時 期 は 「明 末 清 初 」 と して 重 大 な 劃 期 と位 置 づ け ら
れ は 江 南 を先 頭 とす る商 業 化 ・都 市 化 や 銀 流 通 の 盛 行 ,あ る い は 社 会 秩 序 の 流 動
化 と い っ た 経 済 ・社 会 変 動 を 以 て指 標 とす る も の で あ っ て ω,王 朝 の 交 替 とは ほ ぼ 無 関 係 に 進 行
し た もの とみ な され て き た 。 そ の た め 明 か ら清 へ の 移 行 は ,最 近 ま で しば しば 明 の 党 争 ・内 乱 と
い っ た 「明 の 滅 ぶ は 萬 暦 に 滅 ぶ 」 流 の 説 明 に 終 始 す る こ と が 多 か っ た ㈲。 しか しな が ら,か
(2)松
浦茂
かる
「
女 真 社 会 史 を め ぐ る諸 問 題 」 『東 洋 史 研 究 』354 .1977,ppll8-129,
同 「
一 九 八 〇 年 以 降 の 中 国 に お け る 清 代 東 北 史 研 究 の新 動 向 」 『東 洋 学 報 』69-3・4 ,1988,pp.206-216。
ほ か に 史 料 解 題 や 展 望 ・研 究 入 門 類 は 多 く あ る。 「清 代 史 」(明 清 史)の
の を は じ め,枚
挙に 遑 がな い。
森 正 夫 編 『明 清 時 代 史 の 基 本 問 題 』(中 国 史 学 の 基 本 問 題)汲
『歴 史 評 論 』580,1998,「
代 か ら清 代 前 期 を 中 心 に 」 『東 方 学 』100 ,2000,pp.5263.
国 史 の 文 脈 に お け る 「明 末 清 初 」 の 変 動 の 概 観 は,濱
『中 国 史4一
明 ∼清一
(4)代 表 的 な もの と して,以
古 書 院 ,1997.
特 集 中 国 「地 域 社 会 論 」の 現 状 と課 題 」
岸 本 美 緒 「中 国 史 学 前 近 代H宋
(3)中
研 究 動 向 に つ い て は ,以 下 の も
』(世 界 歴 史 大 系)山
島 敦 俊 「商 業 化 一
明 代 後 期 の 社 会 と経 済 」
川 出版 祉1999,pp.147-183.
下 の2点 を 挙 げ て お く。
岩 見 宏 「清 朝 の 中 国 征 服 亅 『岩 波 講 座 世 界 歴 史12中 世6』 岩 波 書 店,1971 ,pp.129-159.
小野 和子 「
満 洲 族 の 中 国 征 服 」谷 口規 矩 雄 編 『ア ジ ア の歴 史 と 文 化4[中
pp.90-!05.
一111
国 史 一 近 世ll]』 同 朋 舎 出 版 ,1994,
見 方 は,よ
しん ば 明 の滅 亡 を 説 明 で き た と して も清 の 国 家 形 成 ・覇 権 を 説 明 す る こ と に は な らな
い で あ ろ う。
こ の よ う な議 論 に 対 し,岩 井 茂 樹 は,16世
紀 後 半 以 降 の 時 代 を(華
付 け,〈 辺 境 をか け め ぐ る 銀 〉 を キー ワー ドに,明
共 通 の 商 業=軍
ジ ア,さ
人 が 外 夷 に入 る 時 代 〉 と名
の 周 縁 地 域 で 同 時 多 発 的 に 簇 生 した 諸 勢 力 を
事 勢 力 と指 摘 した ω。 ま た 緻 密 な 実 証 に 基 づ き つ つ,東
ア ジ ア の み な らず 東 南 ア
ら に は ヨー ロ ッパ 勢 力 の 動 向 ま で視 野 に 収 め て こ れ を 展 望 した 岸 本 美 緒 は,(D海
中 心 と した,(2)世
界 的 な 銀 流 通 に 支 え られ た,(3)国
際 交 易 の 活 発 化,と
域を
要 点 を指 摘 し,(4)こ
の 競 争 を勝 ち 抜 い た 諸 勢 力 に よ っ て 秩 序 が 再 編 成 され て,「 近 世 」 社 会 の 安 定 ・成 熟 期 に 移 行 す
る,と
い うサ イ クル で18世 紀 末 ま で を 描 き 出 した(`)。そ れ ら に お い て 貫 か れ て い る の は,孤
た 国 家 な い し社 会 の 時 系 列 的 ・内 在 的 変化 過 程 とそ の集 合 と し て で は な く,あ
や 鉄 砲)と
そ れ に対 す る 人 々 ・地 域 それ ぞ れ の レス ポ ン ス,そ
る動 因(例
立し
え ば銀
して そ れ らの 織 りな す 政 治 ・経 済
・社 会 変 動 ,と い っ た リズ ム を 共 有 す る もの と して 当 該 時 期 ・地 域 を 捉 え る視 座 で あ る。 そ の よ
うな 文 脈 に お い て,岸
本 は 清 の 最 終 的 覇権 を,単 な る 王 朝 交 替 あ る い は 異 民 族 に よ る 征 服 と して
で は な く,銀 流 通 と国 際 商 業 の 過 熱 を 背 景 に明 の 周 縁 地 帯 に 簇 生 した 半 自立 的 な 商 業=軍
同 士 の 覇 権 争 い の 勝 者 と して,ま
事勢 力
た彼 らの 母 胎 と も な っ た 豆6世紀 以 来 の 政 治 ・経 済 ・社 会 状 況 の
沈 静 化 の な か で の 新 た な 国 内 ・国 際 秩 序 の 主 宰 者 と して 位 置 づ け る。 言 葉 を換 えて い うな ら ば,
大 清 帝 国 は,ジ
ュ シ ェ ン(Jugen,女
真)∼
マ ン ジ ュ 人 の 内在 的 発 展 の 結 実 と し て よ りは む しろ,
同 時 代 の ア ジ ア 規 模 ・世 界 規 模 の 状 況 に対 す る マ ン ジ ュ的 適 応 形 態 と して,ま
た なん らかの統 治
理 念 か ら演 繹 され る 固 定 的 ・形 式 的制 度 体 系 の 体 現 と して よ りは む し ろ,専 制 的 意 思 の発 動 を 留
保 し つ つ,治
下 の在 地 社 会 そ れ ぞ れ に 即 した 社 会 編 成 ・社 会 秩 序 の 保 護 者 と して 現 れ る。 そ うで
あ る な らば,明
の遺 産 を継 承 しな が ら明 とは 異 質 な そ の 特 質 は な に に 由 来 し,い か に 説 明 し う る
の か 。 か か る 関 心 か ら,興 起 の 背 景 や 支配 の構 造 ・性 格 が,注
目 を集 め て い る の で あ る く7》
。 であ
れ ば 当然 そ の 眼 差 しが 注 が れ る べ き は,窮 極 的 に は 大 清 帝 国 の 支 配 構 造 で あ り,そ の 中核 を なす
マ ン ジ ュ 人 ・八 旗 制 で あ ろ う。 こ の よ うな 「
地 域 社 会 論 で は 切 り込 む こ と さえ 出来 な か っ た 清 朝
史 の 重 要 な 課 題 亅(S),こ れ は ま さ し く 「清 代 史 亅 で は な く 「清 朝 史 」 に 課 せ られ た 務 め とい わ な
(5)「 十 六 ・十 七 世 紀 の 中 国 辺 境 社 会 」小 野 和 子 編 『明 末 清 初 の 社 会 と 文 化 』京 都 大 学 人 文 科 学 研 究 所,1996,
pp.625-659.な
(6)「
お,岩
井 の 議 論 は 村 井 章介(後
註(10)参 照)の
指 摘 を も ふ ま え て 展 開 され て い る:p.645,n.4.
清 朝 と ユ ー ラ シ ア 」 『講 座 世 界 史2近 代 世 界 へ の 道 』 東 京 大 学 出 版 会,1995,pp.11-42.
「
東 ア ジア ・東 南 ア ジ ア 伝 統 社 会 の 形成 亅 『岩 波 講座 世 界歴 史13東
ア ジ ア ・東 南 ア ジ ア 伝 統 社 会 の 形 成 』
岩 波 書 店.1998,pp.3・73.
(7)森
正夫
「
総 説 」 前 註(2)所 掲 『明 清 時 代 史 の 基 本 簡 題 』,p.41.
新 宮 学 「通 州 ・北 京 間 の 物 流 と 在 地 社 会 一
嘉 靖 年 間 の 通 恵 河 改 修 問 題 を て が か りに 一
」 山本英 史
編 『伝 統 中 国 の 地 域 像 』 慶應 義 塾 大 学 出版 会,2000,p,40,
(8)黨
武彦
「
一 九 九六年 の歴 史 学界一
東 ア ジ ア(中
国 一 明 ・清)」 『史 学 雑 誌 』106-5,1997,p.234.
一112一
く て は な らな い 。
他 方,こ
れ とは 異 な る領 域 にお い て も,大 清 帝 国 へ の 関 心 の 高 ま り を窺 う こ とが で き る 。 日本
対 外 関 係 史 の 分 野 に お い て は,16-17世
興 起 とそ の 覇 権 が,海
の 完 成 と して,あ
紀 の 環 シ ナ 海 域 を 中 心 と した 「倭 寇 的 状 測('〉 下 の 清 の
域 世 界 の 中 世 的 状 況 の終 焉 と して,ま
ら た め て 注 目 され て い る(lo)。
一 方,北
類 学 者 の 佐 々 木 史 郎 が,15-17世
方 史 な い し広 く東 北 ア ジ ア 史 か らは,人
紀 の 東 北 蝦 夷 と明 代 女 真 と の 統 合 過 程 の 並 行 現 象 を 指 摘 して い
る ㈹ 。 これ ら は,「 清 代 史 」 の 動 向 と相 応 じて,日
数 民 族 史 とい っ た 孤 立 した 歴 史 像 の 並 列 や,そ
交 易 史 の 観 点 で は な く,環
た近 世東 ア ジアの専 制 国家 並立 体系
本 史 あ る い は(日
本)北
方 史,東
北 ア ジア少
れ ら孤 立 した 単位 間 の 交 渉 とい う旧 来 の 外 交 史 ・
シナ 海 ・環 日本海 ω とい った 地 域 の な か に共 通 の リズ ム とそ れ ぞ れ の
レス ポ ン ス を見 出 そ う とす る視 座 を 共 有 して い る。 本稿 の 課 題 で あ る大 清 帝 国 史 に ひ き つ け て み
た と き,こ れ ら隣 接 諸 分 野 の 研 究 動 向 は,単
「ジ ュ シ ェ ン(マ
ン ジ ュ)人
に 清 の 興起 へ の 関 心 の 高 ま り とい うに と ど ま ら ず,
の 覇 権 闘 争 ・統 合 → 国 家形 成 → 多 民 族 連 合 国 家 へ の 発 展 」 とい っ た
民 族 史 ・一 国 史 的 単 線 モ デ ル の 問 い 直 しを,わ れ わ れ 「清 朝 史 」 に迫 っ て い る と い わ ね ば な らな
い(13)。
ま た,近
(9>荒
年 活 発 な 動 き を み せ て い る 分 野 と して,嘩
夷 秩 序 」・「朝 貢 シ ス テ ム 亅 とい っ た 概 念
野 泰 典 「日本 型 華 夷 秩 序 の 形 成 」『日本 の社 会 史1列 島 内 外 の 交 通 と国 家 』岩 波 書 店,1987.pp.183-226,
特 にppl84-185.
(10)関 連 文 献 は 夥 しい 数 に 上 る。 代 表 的 な研 究 と し て,以 下 を 参 照 。
荒 野 泰 典 『近 世B本
と 東 ア ジ ア3東
京 大 学 出 版 会,1988.
村 井 章 介 『中 世 倭 人 伝 』(岩 波 新 書)岩
朝 尾 直 弘 「16世紀 後 半 の 日本一
波 書 店,1993.
統 合 され た 社 会 へ 亅 『岩 波 講 座 日本 通 史n近
世1』 岩 波 書 店.1993,pp、1-68.
紙 屋 敦 之 『大 君 外 交 と 東 ア ジ ア 』 吉 川 弘 文 館,1997.
当 該 分 野 の 水 準 を 示 す も の と して,荒
野 泰 典 ・石 井 正 敏 ・村 井 章 介 編 『ア ジ ア の な か の 日本 史 』 全6巻,
東 京 大 学 出 版 会.1992-93.
(1D「
北 海 の 交 易一
大 陸 の 情 勢 と 中 世 蝦 夷 の 動 向一1『
岩 波 講 座 日本 通 史10中
世4』 岩 波 書 店,1994,
pp.319-339.
『北 方 か ら来 た 交 易 民 絹 と 毛 皮 とサ ン タ ン 人』(NHKブ
ま た,近 年 の 北 方 史 ・東 北 史 に っ い て は,以
菊 池 勇 夫 「北 方 史 研 究 の 現 状 一
本 放 送 出 版 協 会,1996,
下 の も の な ど が あ る。
国 家 ・境 界 ・民 族 亅 『歴 史 評 論 』500,199⑪,pp75-92.
東 北 学 院 大 学 史 学 科 編 『歴 史 の な か の 東 北 一
日本 の 東 北 ・ア ジ ア の 東 北 』 河 出 書 房 新 社,1998.
(12)環 日本 海 地 域 の 方 法 的 提 示 と して は,村 井 章 介
世 日本 』 校 倉 書 房,1988,PP.108-142,特
厩 忠夫
ッ ク ス)日
「中世 日本 列 島 の 地 域 空 間 と国 家 亅 『ア ジ ア の な か の 中
にPP.125-128,参
照(原
載 『思 想 』732,1985)。
ま た,最
新 の古
「
環 日本 海 」 尾 本 惠 一 ほ か 編 『海 の ア ジ ア5越 境 す る ネ ッ トワ ー ク 』 岩 波 書 店,2001,PP.27-60,も
見 よ。
(13)岩 井 は,こ
の こ と を 明 確 に 指 摘 して い る。 前 註(5)所 掲 「十 六 ・十 七 世 紀 の 中 国 辺 境 社 会 」,p.659,n.62.
一113一
で 表 され る,当
は,皇
該 期 か ら近 代 に 至 る 時 期 の 国 際 秩 序 ・地 域 秩 序 を め ぐ る領 域 が あ る。 そ の 場 合 清
帝 を 中 心 とす る 同 心 円,な
い しそ れ を 西 北 ・東 南 に 二 分 した 統 治 構 造 を も つ も の と して 理
解 さ れ てお り,か か る 構慥 や そ の 後の 変 容 過 程 の 解 明 が これ ま で 進 め ら れ て き た 鋤 。これ に対 し,
こ の よ うな モ デ ル で は 説 明 しき れ ない マ ン ジ ュ 人 ・八旗 お よび 外 藩 モ ン ゴ ル 王 公 の 位 置 づ け に つ
い て,ま た 二 元 的 世 界 観 で は 処 理 しえ な い 帝 国 全 体 に わ た る政 策 決 定 過 程 の メ カ ニ ズ ム につ い て,
内 陸 ア ジ ア を フ ィー ル ドとす る研 究者 か ら,有 効 な 問 題 提 起 が な され て い る個 。 問 題 関 心 や 議 論
の 枠 組 み に相 違 は あ る もの の,こ
れ ら陸 海 を問 わ ぬ 近 年 の 諸 研 究 に は,単
な る 外 交 史 ・交 易 史 あ
る い は 政 策 研 究 に と どま らな い,帝 国 の統 治構 造 そ の も の へ の 関 心 の 高 ま りが 窺 え るで あ ろ う。
で は,内
陸 ア ジ ア ∼ 中 央 ユ ー ラ シ ア史 の 分 野 にお い て は ど うで あ ろ うか 。 清 は,こ
の分 野 で は
従 来 モ ン ゴル 帝 国 は じめ とす る ユ ー ラ シ ア 諸 国 家 の 後 裔 と して で は な く近 代 の 地 域 ・民 族 枠 組 み
の 淵 源 と して 理 解 され る 傾 向 が あ っ た た め,清
み は,必
そ の も の に 内 陸 ア ジ ア 的 要 素 を 見 出 そ う とす る試
ず し も多 くは な か っ た 。 こ れ に 対 し近 年 の 研 究 に み られ る 特 徴 は,精
た は チ ベ ッ ト ・東 トル キ ス タ ン)支
の モ ン ゴル(ま
配」 「
清 ・ロ シ ア に よ る 内 陸 ア ジ ア 分 割 」 と い っ た 二 元 論 的
支 配 一被 支 配 の 構 図 あ るい は 近 代 史 の 空 間 的 前 提 とい っ た 枠 組 み か ら で は な く,中
央の大清 皇帝
か ら在 地 社 会 各 々 の 住 民 に 至 る まで 各 層 の 「世 界 観 」 「統 治 理 念 」 「正 統 性 認 識 」 に 焦 点 を 当 て
る,主
観 的 視 点 か らの ア プ ロー チ で あ る。 す な わ ち,モ
ン ゴ ル 世 界 の 外 部 に 屹 立す る 支 配 者 と し
て で は な く,逆 に そ れ を 支 配 の 中枢 に組 み 込 ん だ も の と して 帝 国 の 支 配 構 造 を 構 想 す る 岡 洋 樹 ・
片 岡 一 忠 の 研 究,ま
た 単 な る保 護 者 の 域 を超 えて,チ
ベ ッ ト仏 教 の 論 理 の な か で 中 央 ユ ー ラ シア
世 界 に 君 臨 して い た こ とを 明 らか に した 石 濱 裕 美 子 の 研 究 は,中
〈14)関 連 文 献 は 厖 大 で あ り,私
濱 下武志
同
『近 代 中 国 の 国 際 的 契 機
表 的 な 単 著 の み 挙 げ る。
朝 貢 貿 易 シ ス テ ム と 近 代 ア ジ ア 』 東 京 大 学 出 版 会,1990.
『朝 貢 シ ス テ ム と 近 代 ア ジ ア 』 岩 波 書 店,1997.
茂 木 敏 夫
な お,一
『変 容 す る 近 代 東 ア ジ ア の 国 際 秩 序 』(世
般 向 けの啓 蒙書 で は あ るが、岡 田英弘 は
か 』 〈文 春 新 書)文
(15)岡
の 能 力 と 意 図 の 範 囲 を 超 え る の で,代
央 ユ ー ラ シ ア 史 に お け る清 の位
洋樹
界 史 リ ブ レ ッ ト)山
川 出 版 社,1997.
「朝 貢 」 理 解 を 根 底 か ら 批 判 し て い る 。 『歴 史 と は な に
藝 春 秋,2QOI,pp.202-209.
「清 朝 国 家 の 性 格 と モ ン ゴル 王 公 」 『史 滴 』16,1994,pp54-58.
同"TheMongolsandtheQingDynasty;TheNonhAsianFeatureofQingRuleoverMongolia,"T.
YoshidaalldH.Oka(eds.),Faeets{∼fTransfonriationafthe.?VortheastAsianCottntries,(?Vortheαst
AsianStudソSeriesノ),TohokuUniversity,1998,pp,129-151.
片 岡 一忠
柳 澤 明
「朝 賀 規 定 か ら み た 清 朝 と外 藩
「康 煕 五 六 年 の 南 洋 海 禁 の 背 景 一
・朝 貢 国 の 関 係 」 『駒 沢 史 学 』52.1998,pp240-263.
清 朝 に お け る 中 国 世 界 と 非 中 国 世 界 の 問 題 に 寄 せ て 一 一i『
観 』140,1999,pp.72-84.
一114一
史
置 づ け を 一 新 した 鮒 。 他 方,近
二 十 年 で 大 き く展 開 した モ ン ゴ ル 時 代 史 研 究 の 立場 か ら は,大 元
ウル ス の 継 承 者 と して の 大 清 帝 国 とい う見 方 が,単 な る 対 比 ・比 喩 と して で は な く指 摘 され て い
る{")。で あ る な らば,ニ
固 山/旗)と
て も,あ
彖/佐 領)→
ジ ャ ラ ン(jalan,甲
喇/参
領)→
グ サ(gilsa,
い う階 層 組 織 の 存 在 に よ っ て の み 「内 陸 ア ジ ア 的 」 と判 定 され て きた 八 旗 制 に つ い
らた め て 中央 ユ ー ラ シア 史 の 観 点 か らの 本 格 的 な 検 討 が 求 め られ る で あ ろ う。 現 在 進 め
つ っ あ る 私 の研 究 は,そ
(2)「
ル(niru,牛
の 第 一 歩 に ほ か な ら な い"g)。
清 朝 史 」 研 究 の 光 と影
以 上 概 観 して き た 近 年 の 関 連 ・隣接 諸 分 野 の 動 向 に お い て,共 通 の 傾 向 と し て 指 摘 で き る の は,
大 清 帝 国 の 構 造 ・特 徴 ・性 格 そ の も の に 対 す る 関 心 の 高 ま りで あ る。 こ の よ うな 周 囲 か ら の 注 視
に 対 し,「 清 朝 史 」 分 野 に お い て み られ る 動 き は,1980年
代 以 降 続 々 と発 見 な い し整 理 され た 文
書 史 料 の 公 開 ・出 版 と,そ れ に誘 発 され た 新 た な 研 究 の 展 開 で あ る。 あ え て ま とめ る な ら ば,こ
れ に は 大 き く二 つ の 方 向性 が あ る よ うに 思 わ れ る。
(16)前 註(15)所 掲 岡 「
清 朝 国 家 の 性 格 と モ ン ゴル 王 公 」;・TheMongolsandthe()ingPynasty,";片
岡 「朝 賀
規 定 か らみ た 清 朝 と外 藩 ・朝 貢 国 の 関係 」
石 濱 『チ ベ ッ ト仏 教 世 界 の 歴 史 的 研 究 』 東 方 書 店,2001
ま た,濱
田正美
「
モ グ ー ル ・ウル ス か ら新 疆 へ 一
講 座 世 界 歴 史13』,PP.97-119,は
束 トル キ ス タ ン と 明 清 王 朝 一
じめ とす る 濱 田 ・堀 直 ・新 免 康 らの
(17)杉 山 正 明 『大 モ ン ゴ ル の 世 界 陸 と海 の 巨 大 帝 国 』(角 川 選 書)角
同
中村淳
「
東 トル キ ス タ ン」 研 究 も 参 照 。
川 書 店,1992,p.83,
「モ ン ゴル 世 界 帝 国 の 成 立 」 若 松 寛 編 『ア ジ ア の 歴 史 と 文 化7[北
「チ ベ ッ ト とモ ン ゴル の 邂 逅 一
遥 かな る後 世への めば え
」 前 註(6)所 掲 『岩 波
ア ジ ア 史]』 同 朋 舎,1999,p・87・
」 『岩 波 講 座 世 界 歴 史11中
央ユー
ラ シ ア の 統 合 』 岩 波 書 店,1997,pp.121-146.
(18)「 清 初 正 藍 旗 考 一
姻 戚 関 係 よ りみ た 旗 王 権 力 の 基 礎 構 造
f清 初 八 旗 に お け る最 有 力 軍 団 一
」 『史 学 雑 誌 』107-7,1998,pp」-38.
太 祖 ヌ ル ハ チ か ら 摂政 王 ドル ゴ ン へ
2001,頁 数 未 定 。
「八 旗 旗 王 制 の 成 立 」 『東 洋 学 報 』83-1 ,2001,pp.55・85.
一115一
」 『内 陸 ア ジ ア 史 研 究 』16,
ひ とつ の 方 向 は 国 家 論 へ の 還 元 で あ り,そ の 努 力 が 石 橋 崇 雄 に よ っ て 続 け られ て い る ㈲。 石 橋
は,各 種 満 漢 文 史 料 さ ら に は 新 出 襠案 史 料 を丹 念 に対 照 ・読 解 して,「 統 一(複 合)多
民族 国家」
とい う枠 組 み へ の 定 置 を は か る。 しか し,後 述 す る よ うに,そ
の 再 構 築 を 目指 す と こ ろ の清 朝 史
が い か な る像 を結 び,い
お未 だ 明確 な輪 郭を伴 っ ては提 示
か な る論 理 の 下 に 語 られ る の か は,な
され て い な い と い わ ね ば な らな い 。
も うひ と つ の 方 向 性 は,伝
っ た,八
統 的 な 八 旗 制 研 究 ・「清 朝 史 」 研 究 で は ほ とん ど顧 み られ て こな か
旗 制 の 周 縁 部 の 照 射 で あ る。 松 浦 茂 ・楠 木 賢道 ・柳 澤 明 は,ク
ヤ ラ ・シベ ・ダ グー ル ・
バ ル ガ と い っ た東 北 ア ジ ア在 地 の 諸集 団 と清 政 権 と の 関 わ り を明 らか に した ⑳ 。これ らの 研 究 は,
た だ 空 白 を 填 め る に と ど ま る もの では な く,逆 に 「
周 縁 」 あ る い は 「マ イ ノ リテ ィ ー 」 か ら支 配
の 全 体 構 造 を 照 ら し出 す もの で あ り,さ
ろ が りを も つ 。 た だ し 同 時 に,こ
事 実 で あ り,マ
ら に 康 煕 朝 政 治 史 ・ハ ル ハ=モ ン ゴ ル 史 へ とつ な が る ひ
れ ら が 伝 統 的 な 「清 朝 史 亅 ・「満 洲 史1の
ン ジ ュ語 史 料 を 駆 使 す る研 究 者 の 増 加 と反 比 例 して,い
テー マ で ない こと も
ま や 内 藤 湖 南 あ るい は シ
ロ コ ゴ ロ フ 以 来 の 伝 統 的 テ ー マ を扱 う研 究 者 は,血 縁 ・地 縁 結 合 の 歴 史 的 実 態 の 解 明 を進 め つ っ
あ る増 井 寛 也 し か い な い ⑳ 。 そ れ ゆ え,八 旗 制 な い し政 権 の 形 成 過 程 や 構 造 の 解 明 に 正 面 か ら取
り組 む 研 究 は,厖
して,明
大 な 新 出 史 料 の 発現 に も か か わ らず,停
制 の 継 承,マ
滞 した ま ま とな っ て い る の で あ る。 ま
ン ジ ュ 人 の 「漢 化 」 が 定 説 とな る一 方,雍
正 帝 の 奏 摺 政 治 に 代 表 され る 皇
(19)当 該 テ ー マ に 直 接 関 わ る もの だ け で も,以 下 の 如 く 精 力 的 に 発 表 さ れ て い る。
「清 初 ハ ン(畑n)権
の 形 成 過 程 」 『榎 博 士頌 寿 記 念 東 洋 史 論 叢 』 汲 古 書 院,1988,pp2142.
「
清 初皇 帝 権 の形 成過 程一
帝 即 位 記 事 を 中 心 と して 一
「マ ン ジ ュ(manju,満
洲)王
特 に 『丙 子 年 四 月 〈
秘 録 〉 登 ハ ン 大 位 襠 』 に み え る 太 宗 ホ ン ・タ イ ジ の 皇
」 『東 洋 史研 究 』53-1,1994,pp.98-135.
朝 論一
清 朝 国家 論序 説 一
」 前 註(2)所 掲 『明 清 時 代 史 の 基 本 問 題 』,
pp.285-318.
「清 朝 国 家 論 亅 前 註(6)所 掲 『岩 波 講座 世 界 歴 史13』,pp.173-192.
「清 初 入 関 前 の 無 圏 点 満 文 棺 案 『先 ゲ ン ギ ェ ン=ハ ン 賢 行 典 例 』 を め ぐ っ て 一
の 基 礎 研 究 の 一 環 と し て一
清 朝 史を再構 築 す るた め
亅 『東 洋 史 研 究 』58-3,1999,pp.52-83.
『大 清 帝 国 』(講 談 社 選 書 メ チ エ)講
(20)諸 氏 の 業 績 は 多 数 に 上 るの で,数
談 社,2000.
点 の み 挙 げ て お く。
松 浦 茂 「清 朝 辺 民 制 度 の 成 立 亅 『史 林』70-4,1987,pp.1・38
楠 木 賢道
「
ホ ル チ ン=モ ン ゴル 支 配 期 の シ ボ 族 」『東 洋 学 報 』70-3・4,1989,pp.027-050.
柳 澤 明 「清 代 黒 龍 江 に お け る 八 旗 制 の 展 開 と民 族 の 再 編 」 『歴 史 学 研 究 』698,1997,pp」0-21.
同
「八 旗 再 考 亅 『歴 史 と 地 理 』541,2001,pp1-10.
(21)増 井 の 質 ・量 と も に 群 を 抜 く研 究か ら,数 点 の み 挙 げ て お く。
「満 族 入 関 前 の ム ク ン に つ い て一
『八 旗 満 洲 氏 族 通 譜 』 を 中 心 に一
亅 『立 命 館 文 学 』528,1993,pp.94-116.
「満 族 ギ ョル チ ャ ・バ ラ 考 」 『立 命 館文 学 』544,1996,pp.172-204.
「明 末 建 州 女 直 の ワ ン ギ ャ部 と ワ ンギ ャ ・バ ラ」 『東 方 学 』93,1997,pp.72・87.
一ll6一
帝 独 裁 制 の 確 立 と い う鞏 固 な 像 の 屹 立 す る入 関 後 に 関 して は,支
々 た る あ り さ ま で あ り,そ の 結 果,中
配 構 造 ・政 府 組 織 等 の研 究 は 寥
央 公 論 社 版 『世 界 の 歴 史 』 新 版(1998)に
お い て も,「 明 代
の 制 度 は 清 代 に ほ ぼ 踏 襲 され るの で,両 代 に つ い て ま と め て こ こ で 述 べ て お く こ と とす る 」 と し
て 一 括 され た ま ま な の で あ る 〔22)。
こ の よ うな 状 況 の 反 映 が,講
年 代 にお い て は,山
座 ・概 説 書 に お け る プ レゼ ン ス の 劇 的 な 低 下 で あ る。 か つ て1980
川 出 版 社 の 世 界 各 国 史 シ リー ズ の 『北 ア ジ ア 史(新
が 独 立 して 東 北 ア ジ ア 史 に 割 か れ,ま
た 「民 族 の 世 界 史dシ
の 民 族 と歴 史 』 ㈲ と して 一 巻 が 充 て られ,私
自身 を含 め,斯
大 い な る 恩 恵 を授 け て き た 。 と こ ろ が,1990年
版)』 鋤 で は 第 七 ・八 章
リー ズ で は 劃 期 的 に も 『東 北 ア ジ ア
学 を 志 した 初 学 者 や 江 湖 の 読 書 人 に
代 末 に刊 行 の 始 ま った 新 版 世 界 各 国 史 で は,東
ア ジ ア 史 は 『朝 鮮 史 』・『中 国 史 』・『中 央 ユ ー ラ シ ア史 』 に 分 断 さ れ る こ と と な り,特
北
に旧シ リ
ー ズ の 『北 ア ジ ア史 』・『中 央 ア ジア 史 』 が 新 版 で 『中央 ユ ー ラ シ ア 史 』 と して 統 合 され た 結 果 ,
東 北 ア ジ ア 史 の 系 統 的 記 述 が 消滅 した(2,}。また,先
般 刊 行 が 終 了 した 世 界 史 リブ レ ッ トにお い て
も清 な い し八 旗 が 正 面 か ら取 り上 げ られ る こ と は な く,言 及 され る 場 合 は,や
は り内陸 ア ジア 史
と 中 国 史 と に分 断 され る こ と と な っ て い る 鮒。
講 座 企 画 に お い て も,『 シ リー ズ 世 界 史 へ の 問 い』(1989.91)に
お いて細 谷 良夫 が好 篇
「マ ン ジ
ュ ・グル ン と 「満 洲 国j」 を 著 した の み で(27),ス タ ン ダー ドと な っ て き た 『岩 波 講 座 世 界 歴 史 』 で
は,新
旧両 版 と も入 関 前 史 あ るい は 八 旗 制 を 専 論 す る論 文 は な い 。 旧 版 で は,内
は モ ン ゴル ・チ ベ ッ ト ・ トル キ ス タ ンの み,東
い ず れ の 場 合 に お い て も 清 は,そ
陸 ア ジア の巻 で
ア ジ アの 巻 で は も っ ぱ ら 中国 史 の み 扱 わ れ て 側,
れ ぞ れ の 社 会 の外 部 に 屹 立 な い し寄 生 す る存 在 と し て,そ
れぞ
れ の 舞 台 の 上 に た だ 客 演 す る にす ぎ な か っ た 。 新 版 で も,『 中央 ユ ー ラ シ ア の 統 合 』 の 巻 に お い
て 「ポ ス ト ・モ ン ゴル 時 代 の モ ン ゴル 」 が 「
大 清 帝 国へ の 序 章 の 側 面 も兼 ね そ な え る 」 とさ れ な
(22)岸 本 美 緒 ・宮 嶋 博 史 『明 清 と 李 朝 の 時 代 』(世 界 の 歴 史12}中
央 公 論(新)社,1998,PP.77-79,(岸
本執
筆)
(23>護 雅 夫 ・神 田信 夫 編 『北 ア ジ ア 史(新 版)』(世
界 各 国 史12)山
川 出 版 社,1981.
(24)三 上 次 男 ・神 田 信 夫 編 『東 北 ア ジ ア の 民 族 と歴 史 』(民 族 の 世 界 史3)山
(25)武 田 幸 男 編 『朝 鮮 史 』(新 版 世 界 各 国 史2)山
川 出 版 社,2000.
尾 形 勇 ・岸 本 美 緒 編 『中 国 史 』(新 版 世 界 各 国 史3}山
川 出版 社,1998。
小 松 久 男 編 『中 央 ユ ー ラ シ ア 史 』(新 版 世 界 各 国 史4)山
江 上 波 夫 編 『中 央 ア ジ ア 史 』(世 界 各 国 史13)山
(26)梅 村 坦 『内 陸 ア ジ ア 史 の 展 開 』(1997),お
川 出 版 社,1989.
川 出 版 社,2000.
川 出 版 社,1987.
よ び 前 註(6)所 掲 『東 ア ジ ア の 「
近 世]』 ・同(!4)所
掲 『変 容
す る近 代 東 ア ジ ア の 国 際 秩 序 』。
(27)「 マ ン ジ ュ ・グ ル ン と 「満 洲 国 」]『 シ リー ズ 世 界 史 へ の 問 い8歴
史 の な か の 地 域 』 岩 波 書 店,1990,
pp.105-135.
(28)『 岩 波 講 座 世 界 歴 史12中
世6』 ・『岩 波 講 座 世 界歴 史!3中
一117一
世7』(と
も に1971)所
収 諸 論 文 を 見 よ。
が ら,そ れ を 承 け る はず の 『東 ア ジア ・東 南 ア ジ ア 伝 統 社 会 の 形 成 』 に は 中 央 ユ ー ラ シ ア 史 な い
し 「
清 朝 史 」 の 立 場 か ら帝 国 興 起 を 扱 う もの は な く,い わ ば 序 章 が あ っ て 本 論 が な い とい う体 を
呈 して い る の で あ る 捌。 言 うま で もな く,こ の こ と は 中 央 ユ ー ラ シ ア 史 側 の 過 度 な 期 待 で もな け
れ ば 「近 世 亅 史 の 不 見 識 で も な く,両 分 野 に応 え られ な か っ た 「清 朝 史 」 の 責 任 で あ る。 「中 央
マ
マ
ア ジ ア の 研 究 者 は 北 東 ア ジ ア の 研 究 に は ほ とん ど関 心 を 示 さ な い 。 逆 も ま た 同 じで あ る 亅 との 間
野 英 二 の 指 摘 働 は 重 い とい わ ね ば な る ま い。
む ろ ん,こ
れ らの こ とは,大
清 帝 国 史 研 究 の 意 義 の 低 下 を い さ さ か も意 味 す る も の で は な い。
本 節(1)で 概 観 して き た よ うに,事
態 は む しろ 逆 で あ る 。 に も か か わ ら ず,な
ぜ この よ う な こ と
に な っ た の か。実 証 研 究 自 体 の 不 足 は,ど の 分 野 に あ っ て も 十 分 とい うこ と は な い の で あ る か ら,
こ こで は 措 く。 少 な く と も 考 え られ る の は,実 証 に 徹 す る あ ま り,実 証 の 成 果 を 位 置 づ け る枠 組
み が ほ とん ど検 討 され ず に き た こ とで あ ろ う。 そ の 結 果 そ れ ら は,従
来 の ジュシ ェン民 族史 あ る
い は 清 政 権 発 展 史 の レー ル の 上 に 並 べ られ て い くこ と と な り,他 分 野 の 問 題 関 心 ・研 究 成 果 と交
差 せ ぬ ま ま とな っ た の で あ る 。
こ の よ うな 状 況 に 対 し,石 橋 の 一連 の 研 究(前 註(19)参 照)は,い
う か 。 石 橋 は,入
関 前 後 の 国 家 形 成 過 程 を6段 階 に 区 分 し た 上 で,入
か に位 置 づ け られ る で あ ろ
関 前 後 の 連 続 性 と,農 耕 社
会 に 立 脚 した漢 族 王 朝 と部 族 社 会 に 立 脚 した 満 族 王 朝 と い う清 の 性 格 に お け る 二 面 性 を あ らた め
て 強 調 し,そ の 両 面 を統 合 す る契 機 と して,「 統 一(複
合)多
民 族 国 家 中 国 」(な い し清 朝)な
る 視 点 を 提 起 す る。か か る石 橋 の 議 論 に 対 して は,既 に 楠 木 の 鋭 利 な 短 評 が 公 に され て い る が(]1),
本 稿 の 観 点 か ら も,問 題 点 が 指 摘 され るで あ ろ う。
未 だ 「再 構 築 」 の 途 上 に あ り 「明確 に結 論 づ け る に ま で は 至 らな 亅 い 研 究 ω を 批 判 的 に位 置 づ
け る の は,あ
る い は 妥 当 を 缺 くか も しれ な い が,建
設 的 議 論 の た め に あ え て 指 摘 す る な ら ば,そ
こ に は 大 き く二 っ の 問 題 が あ る。 第 一 は,「 伝 統 的 部 族 制 」 「
複 合 部 族 国 家 」 あ る い は 「統 一(複
合)多
民 族 国 家 」 な ど とい っ た,石 橋 の 清 朝 史 理 解 の 関 鍵 た る べ き 概 念 の 内 実 が 不 分 明 で あ る と
い う点 で あ る。 石 橋 は これ らの 概 念 に 明 確 な 定 義 を 与 え て お らず,ま
の 具 体 的 内 容 に つ い て も特 に 説 明 は な い 。 しか し例 えば,そ
「
伝 統」
もそ も 「多 民 族 国 家 」 と対 置 され る
で あ ろ う単 一 民 族 の 国 家 な る もの が虚 構 に過 ぎ ない こ と は,い
識 に 属 す る こ と で あ り,な
た 「
部 族社 会」や
ま や 歴 史 学 を は じめ 人 文 諸 学 の 常
らば 「多 民 族 国 家 」 とい う規 定 は,そ
れ だ け で は な に も言 っ て い な い
に 等 し い 。 とな る と 「複 合 」(お そ ら くcomplexで は な くpluralの意 で あ ろ う)が 鍵 とな る と思 わ
(29)前
註(17)所
掲
代 の モ ン ゴ ルー
(30)「
所 収 杉 山正 明
清 朝 へ の 架 け 橋 一1,pp.325-348;前
「は し が き 」,vii;森
註(6)所
掲
川 哲雄
「ポ ス ト ・モ ン ゴ ル 時
『岩 波 講 座 世 界 歴 史13』
所収 諸論 文。
内 陸 ア ジ ア 史 研 究 の 回 顧 と今 後 の 課 題 」 『東 方 学 』IOO,2000,p」43.
(31)「(新
(32)前
『岩 波 講 座 世 界 歴 史ll』
刊 紹 介)石
註(19)所
掲
橋崇 雄 著
『大 清 帝 国 』」 『史 学 雑 誌 』109・N12,2000,pp.122-】23.
「清 初 入 関 前 の 無 圏 点 満 文 襠 案
『先 ゲ ン ギ ェ ン=ハ
朝 国 家 論 」,p.191,
一一
一
一118一
ン 賢 行 典 例 』 を め ぐ っ て 」,p.53;「
清
れ るが,ど
の よ うな 人 間 集 団 が い か に し て 併 存 ・連 合 して い る か に つ い て の 具 体 的 考 察 は,現 在
の と こ ろ な い 。 これ ら の 点 に つ き,概 念 規 定 の 緻 密化 ま た 実 証 研 究 と の リ ン ク が 望 まれ よ う・
第 二 の 問 題 点 は,満
族 史 な い し北 ア ジ ア 史 の 枠組 み の み(ま
た は 中 国 史 の み)で
捉 え る こ とを
批 判 し な が ら も,そ の 像 が 依 然 と して 民 族 史 ・一 国史 の 延 長 上 に 在 る こ とで あ る。 た しか に 石 橋
は,ヌ
ル ハ チ ・ホ ン タイ ジの ハ ン ・皇 帝 権 を め ぐ る議 論 に お い て,ジ
族 統 合 的 側 面 の 強 調 は 避 け,単
な る内 陸 ア ジ ア のノ・ン な い し中 華 皇 帝 と の 同 一 視 も 批 判 し て,よ
り広 い 枠 組 み を提 示 して は い る が,彼
語 られ て お り,そ
ュ シ ェ ン ∼ マ ン ジ ュ人 の 民
らの 即 位 に至 る 経 緯 自 体 は 政 権 の 形 成 ・整 備 過 程 に 即 して
も そ も の 興 起 を 可 能 な ら しめ た 同 時 代 情 勢 の 検 討 や,同
諸 勢 力 との 実 証 的 比 較 は,考
時 代 あ るいは先 行 す る
慮 され て い な い よ うで あ る。 そ れ ゆ え 本 節(1)で み て き た 隣 接 諸 分
野 の 研 究 に つ い て は ほ とん ど言 及 が な く,石 橋 の議 論 と そ れ らの 問題 関 心 ・研 究 成 果 と は,な
お
交 差 しな い ま ま で あ る とい っ て よ い。
これ らの 問 題 の 解 決 の た め に は,実
証 研 究 の 積 み重 ね と並 行 し て,そ
れ を 定 置 し て い く枠 組 み
の 模 索 が 不 可 缺 とな る で あ ろ う。 私 が 提 起 した,草 創 期 に 貫 か れ て い る 中 央 ユ ー ラ シ ア 的 国 家 編
成 原 理 とい う観 点 は,そ
うか?さ
か?そ
の ひ とつ で あ る('"。で は,ほ か に どの よ うな 枠 組 み の 設 定 が 可 能 で あ ろ
ま ざ ま な 角 度 か ら 眺 め る と き,ひ
とつ の 事 実 は い っ た い い く つ の 顔 を み せ る で あ ろ う
れ を い か に 選 択 し,特 定 の文 脈 の な か に位 置づ け て い け る で あ ろ うか?こ
け を ク リア し,叙 上 の 諸 分 野 の期 待 と 関 心 に応 えて い く に は,八
れ らの 問 いか
旗 制 を 核 とす る マ ン ジ ュ 支 配 の
構 造 の解 明 とそ の位 置 づ け が 喫 緊 の 課 題 と な る で あ ろ う。
2.セ ミナ ー
さ て,セ
「清 朝 社 会 と八 旗 制 」 報 告
ミナ ー 「清 朝 社 会 と八 旗 制
状 況 の な か で 開 催 され た 。 日程 は2000(平
文 書 史 料 か ら の ア プ ロー チ
」 は,そ
成12)年12月20日
京外 国 語 大 学 ア ジ ア ●
の1日 で,東
の よ うな研 究
ア フ リカ 言 語 文 化 研 究 所 大 会 議 室 を会 場 に,東 洋 史 研究 者 を 中心 に 日本 史 ・言 語 学 ・政 治 学 な ど
さ ま ざ ま な 分 野 の 研 究 者 が 内 外 か ら集 ま っ た。 本 セ ミナ ー は,共
会 変 容 と 国 際 環 境 》 の 一 環 で,1989(平
成 元)年
同 プ ロ ジ ェ ク ト 《東 ア ジ ア の 社
以 来 通 算15回 目 の研 究 会 に あ た り,同
プ ロジエ
ク トに つ い て は 本 誌2号 の 中 見 立 夫 「「東 ア ジア の 社 会 変 容 と 国 際 環 境 」プ ロ ジ ェ ク ト」に 詳 し い('4)。
プ ロ グ ラ ム は,第
一 部 の研 究 報 告(司
会:江
夏 由 樹一 橋 大 学 教 授)と,第
二 部の シ ン ポ ジ ウム
「八 旗 制 研 究 の 現 状 と展 望 」(司 会:細 谷 良 夫 朿 北 学院 大 学 教 授 ・加 藤 直 人 日本 大 学 教 授)と
ら な る(題
目 ・肩 書 は プ ロ グ ラ ム お よ び 本 人 提 出 資 料 に よ る)。 ま ず 午 前 の 第 一 部 で は,3人
一 線 の研 究 者 に よ る研 究 報 告 がお こな わ れ た
(33)前 註(18)所 掲 拙 稿
。
「清 初 八 旗 に お け る最 有 力 軍 団 」・「
八 旗 旗 王 制 の 成 立 亅,結 論 参 照 。
(34>『 満 族 史 研 究 通 信 』2,1992,pp.4-9.
一H9一
か
の
劉 小 萌(中
国 社 会 科 学 院 近 代 史 研 究 所 研 究 員)
「清 代 北 京 旗 人 塋 地 与祭 田一
依 据 碑 刻 進 行 的 考 察一
マ ー ク=エ リオ ッ ト(MarkC.Elliott:カ
」
リフ ォ ル ニ ア 大 学 サ ン タ=バ ー バ ラ 校 準 教 授 ・ハ ー ヴ ァ
ー ド大 学 客 員 教 授)
「清 代 八 旗 と満 洲 人 の ア イ デ ン テ ィテ ィ」
劉 錚 雲(中
央研 究 院 歴 史 語 言 研 究 所研 究員)
「
従工 資看乾 隆朝 前期雇 傭労 工的生活
以史 語所 蔵 内閣 大庫 襠案 為 中心」
『満 族 的 部 落 与 国 家 』(吉 林 人 民 出版 社,1995)・ 『満 族 的 社 会 与 生 活 』(北 京 図 書 館 出版 社,1998)
と い っ た 専 著 に ま と め られ た 劉 小 萌 の研 究 は,明
ン ∼ マ ン ジ ュ 史 と,主
が,そ
朝 支 配 下 か ら入 関 前 の 政 権 形 成 に 至 る ジ ュ シ ェ
に入 関 後 を 対 象 と した 旗 人 社 会 の 諸 問 題 と い う二 本 の 柱 か ら な る とい え る
こ に は 共 通 して 身 分 ・慣 習 ・社 会 的 結 合 と い っ た 諸 問 題 へ の 関 心 が 貫 か れ て い る 鮒 。 こ の
た び の 劉 小 萌 報 告 は,こ
の うち 後 者 の 問題 の 一 つ と して旗 人 の 墓 地 と祭 田 を 取 り上 げ た も の で あ
り,当 該 分 野 で は 未 だ 本 格 的 に は 利 用 され て い な い 石 刻 史 料 を 駆 使 した 堅 実 な 研 究 で あ る。 そ の
内 容 に つ い て は,本 誌 本 号 に 論 説 と して掲 載 され て い る の で,直
ら,旧
ジ ュ シ ェ ン各 部(フ
接 吟 味 さ れ た い 。 当 日 は細 谷 か
ル ン 四 国 な ど)あ るい は 蒙 古 ・漢 軍 旗 人 な ど出 自 ・所 属 に よ る相 違 ・
特 色 が み られ る か,と
い う質 問 が な され,こ れ に 対 し,碑 刻 類 は ほ と ん ど が 康 熙 以 降,特
以 降 の もの な の で,そ
の よ うな 違 い は 見 出せ な い との 回 答 が あ っ た 。
続 くエ リ オ ッ ト報 告 も ま た,本
号 が 刊 行 さ れ る こ ろ に は 公 刊 さ れ て い る で あ ろ う 専 著ne
Manchumay」77ieEight・BannersandEthnicIdentityinLatelmperialChina,(SIan」
2001)に
お い て 全 面 的 に展 開 され て い る はず で あ る。 そ の 要 点 は,清
支 配 だ っ た こ と,(2)漢
人 で は な くマ ン ジ ュ 人 の 支 配 だ っ た こ と,の
ジ ュ 人 の 一 方 的 な 妥 協 ・漢 化 と い う 旧来 の 説 明 を排 して,清
ィ テ ィ(ManchuIdentity)亅
に乾隆
の 保 持,お
〔brdUnivcrsityPress,
の 支 配 が(1)少 数 者 に よ る
もつ 意 味 を 問 い か け,マ
ン
の 支 配 の 特 徴 を,「 満 洲 ア イ デ ン テ
よび そ れ と漢 文 化 へ の 適 応 能 力 との バ ラ ンス に 求 め る,と
い うも の で あ る。 そ して,そ の 際 中心 的 役 割 を 担 っ た も の こ そ 八 旗 制 で あ る,と 位 置 づ け る。 「
文
書 史 料 」 に 直 接 触 れ る こ と こそ な か っ たが,満
漢 文 双 方 に わ た る 史 料 的 基 礎 に 立脚 した 議 論 で あ
る だ け に,「 清 朝 社 会 と八 旗 制 」 とい う本 セ ミナ ー の 主 題 に ふ さ わ しい 充 実 した 報 告 で あ っ た 。
こ れ に 対 し細 谷 か ら,「 漢 人 の 満 洲 化 」 に つ い て ど の よ うに 考 え て い る か,と
い う問 い か け が な
さ れ,そ の よ うな 傾 向 も み られ る けれ ど もr満 洲 人 の漢 化 」の 方 が 一 般 的 で あ る との 答 え を 得 た 。
従 来 ほ とん ど顧 み られ て こ な か っ た 重 要 な 問題 で あ り,今 後 の研 究 が 俟 た れ る。
劉 錚 雲 報 告 は,氏
自身 が 整 理 ・研 究 に 当た っ て い る 中 央 研 究 院 歴 史 語 言 研 究 所 所 蔵 の 内 閣 大 庫
(35)『 満 族 的 社 会 与 生 活 』 に っ い て は,拙 評 参 照:『 満 族 史 研 究 通 信 』9,2000,pp、150-151.氏
野 の 研 究 書 と して は,ほ
1997)な
か に 李 治 亭 主編
単著 の該分
『愛 新 覚 羅 家 族 全 書 』 第1巻 の 『家 族 全 史』(吉 林 人 民 出 版 社,
どが あ る。
一120一
漢 文 襠 案 を 中 心 に 各 種 襠 案 史 料 を 渉 猟 して,賃
金 お よ び 収 支 の 面 か ら,乾
隆 前 半 期,す
世 紀 中 期 の 雇 傭 労 働 者 の 生 活 に 薄 る も の で あ る 。 これ に つ い て 岸 本 美 緒(東
な わ ち18
京 大 学 教 授)か
ら,
本 報 告 の 対 象 と して い る 時 期 は物 価 上 昇 期 で あ る と注 意 が 促 され た 。 こ の 点 は 日英 華 語 圏 い ず れ
に お い て も蓄 積 の あ る 問題 で あ るか ら。6),報告 者 が これ を 論 理 の うち に 取 り入 れ て い く こ と が 望
まれ る。
午 後 の 第 二 部 は,満
の 最 前線 を,具
文 を 中 心 と した 文 書 史 料 の駆 使 に よ っ て 新 展 開 を み せ っ っ あ る 八 旗 制 研 究
体 的 な 事 例 研 究 を通 して 紹 介 し,あ わせ て 今 後 の 課 題 ・展 望 を 明 ら か に し よ う と
い う もの で あ る。 シ ン ポ ジ ウ ム は,基
調 報 告 に 代 わ る細 谷 良 夫 「八 旗 制 度 を め ぐ る ノー ト」 か ら
始 ま っ た 。1583年 の ヌ ル ハ チ の 挙 兵 か ら18世 紀 前 半 の雍 正 帝 の 改 革 に 至 る 時 期 を 概 観 し,研
到 達 点 と現 状 を 総 括 した もの で,出 席 者 に 共 通 認 識 を与 え る ば か りで な く,多
起 を 含 む 内 容 で あ っ た 。 これ を承 け て,以
杉 山 清 彦(大
くの 示 唆 ・問 題 提
下 の4報 告 が な され た 。
阪 大 学 非 常 勤 講 師)
「支 配 機 構 と して の 八 旗 制一 一構 造 ・射 程 ・歴 史 的 位 置
綿 貫 哲 郎(日
究の
」
本 大 学 大 学 院)
fr六 條 例 」成 立 の 一 端 」
鈴 木 真(日
本 学 術 振 興 会 特 別 研 究 員 ・筑 波 大 学 大 学 院)
「
雍 正 帝 の 権 力 確 立 と藩 邸 旧 人一
旗 王 か ら皇 帝 へ
亅
承 志(京 都 大 学 大 学 院 ・AA研 公 募 共 同 研 究 員)
「清 朝 治 下 オ ロ ン チ ョン ・ニル 編 制 とブ トハ 社 会 」
私(杉
山)の
報 告 の 目的 は,人 旗 制 にみ られ る,ニ ル か ら グ サ に 至 り旗 王 を 頂 点 とす る 階 層 的
組 織 体 系 の イ メ ー ジ と,「 八 旗 の連 邦 」 と形 容 さ れ る並 列 体 制 イ メー ジ とを 整 合 的 に 説 明 す る た
め の モ デ ル を 提 示 す る こ とで あ る 。 す な わ ち,八 旗 制 下 の 基 本 的 な 支 配 関 係 は,分
諸 王(旗
王)が,各
旗 人 が領 有 な い し管 轄 す る ニ ル を分 与 さ れ て 主 従 制 的 に 支 配 す る側 面,す
わ ち 分 封 制 とニ ル 制 の 結 合 と い う側 面 に 在 っ た(旗
れ た 各旗 ・各 旗 王 家 は,旗
旗 に 分 か れ て,儀
封 され た 帝室
王 制)。 そ して か か る支 配 関 係 の 下 に 構 成 さ
を 単 位 と して 権 利 ・義 務 を均 分 す る と と も に(八
礼 ・出 征 時 の 配 置 が 定 め られ て い た(左
直 構 造 と 八 分 体 制 ・左 右 翼 制 とい う水 平構 造 が,八
な
分 体 制),左
右各四
右 翼 制)。 こ の よ うな 旗 王 制 と い う垂
旗制 を 貫 く基 本 構 造 で あ る,と
体 的 事 例 研 究 で は な く支 配 構 造 モ デル の 構 築 を 目的 とす る も の で あ る の で,今
。 た だ し,具
後 は 実証 研 究 の積
み 重 ね の な か で そ の 有 効 性 を 検 証 して い く こ とが 必 要で あ ろ う、
綿 貫 報 告 は,従 来,研
つ い て,1765(乾
隆30)年
究 者 の み な らず 同 時 代 の 旗 人 た ち を も悩 ま せ て き た ニ ル 分 類 法 の 推 移 に
に 規 定 され た 分 類 法 を記 す 満 文 冊 子 「六 條 例 」 と 「八 旗 世 襲 譜 襠 」 所
(36)岸 本 『清 代 中 国 の 物 価 と 経 済 変 動 』 研 文 出 版,1997,第
一121一
一
一∼ 三 篇,特
に 第 一 章 ・補 論1参 照 。
収 襠 案 とを 主 要 史 料 と して 考 察す る も の で あ る。 議 論 は 未 だ 途 上 で は あ る が,ニ ル 分 類 法 の 変 遷
を 独 自 に整 理 ・提 案 す る な ど,今 後 い っ そ うの進 展 が期 待 され る。 た だ しそ の 際 に は,ニ
別 の み な らず,そ
っ の か,と
れ が 具 体 的 に どの よ うな 違 い を もつ の か,ま
た そ の こ とが ど の よ うな意 味 を も
い っ た 諸 点 へ と踏 み 込 ん で い く こ と が 望 まれ る。 この 点 に つ き,ニ
専 家 で あ る細 谷 自身 か ら,ニ ル=ジ ャ ン ギ ン(ニ
して い た の か,現
こ の 後,綿
ル の 長 官)が
ル の類
ル を め ぐ る問 題 の
ど の よ うな 形 で ニ ル を 管 理 ・支 配
実 に どの よ うな 種 類 の ニ ル が 存 在 した の か,と
い う問 題 が 提 起 さ れ た 。
貫 報 告 と鈴 木 報 告 の 間 に 劉 錚 雲 に よ る 中 央研 究 院 ホ ー ム ペ ー ジ 砌 へ の ア ク セ ス が 実
演 され,内
閣 大 庫 襠 案 か ら一 例 と して 方 大 猷 の 漢 文 上 奏 が そ の 場 で ス ク リー ン に映 し 出 され た 。
た だ し,コ
ン ピ ュ ー タ が い か に 発 達 しよ う と,否,発
達 す れ ば す る ほ ど,そ れ を操 る 個 々 人 の研
究 者 と して の 力 量 ・経 験 が 問 わ れ るの で あ り,そ の 向 上 に お い て 捷 径 は な い こ とは 肝 に 銘 じ て お
か ね ば な る ま い 。 ま た,こ
ケ ッ トの 確 立 や,逆
さて,続
の よ うな 史 料 デ ー タベ ー ス の 利 用 に つ い て は,利
用 方法 あ るいはエ チ
にデ ジ タル ・デ バ イ ドの 問 題 も あ り,今 後 コ ン セ ンサ ス づ く りが 望 まれ る。
く鈴 木 報 告 は,康
熙 ∼ 雍 正 年 間 の政 治 史 ・権 力 構 造 を,当
時 の八旗 制下 の勢力 分布 と
そ の 変 動 を 追 うこ とで 明 らか に す る。藩 邸 旧 人 とは,即 位 以 前 鏤 白旗 に 封 じ られ て い た 雍 正 帝(雍
親 王 胤 祺)配
下 の ニ ル に 所 属 す る 旗 人 の こ とで,鈴
木 は,即
位 当初 の 手 駒 とな った 彼 らへ の 依 存
か らの 脱 却 を 以 て,雍 正 帝 の 権 力 確 立 の 指 標 の 一 っ とす る 。 旗 王 配 下 の ニ ル ・旗 人 の リス トや 授
与 記 事 は 皆 無 に 等 しい な か,丹
念 に 事 例 を蒐 集 して構 築 した もの で あ り,本
て も っ と も 実 証 的 な 報 告 とい え る で あ ろ う。 課 題 が あ る とす る な らば,雍
帝 に な っ た ケ 」 ス が 意 外 に 少 な く,多
り,後
裁 君 主/八
正 帝 の 如 く旗 王 か ら 皇
くの 場 合 特 定 の 領 旗 を 掌 握 す る こ と が な い ま ま 皇 帝 位 に 即
い て い る とい う こ とで あ る。 こ の こ とは,ギ 皇 帝=旗
釈 で は な く 「皇 帝=独
シ ンポ ジ ウ ム に お い
王 の 一 人/八
旗=各
旗 王 の 所 領 」 と い う解
旗=軍 隊 組 織 」 とい う中 国 史 的 解 釈 の 論 拠 と な り うる も の で あ
者 の 理 解 を拒 否 して 前 者 の 面 か ら論 理 を 展 開 して い く た め に は,実
化 が 求 め られ る で あ ろ う。 例 え ば 華 立(大
阪経 済 法 科 大 学 教 授)か
ら,旗
証 と とも に,論 理 の 深
王 一旗 人 間 の 主 従 関 係
に 基 礎 づ け られ た 八 旗 の 独 立 性 は,伝 統 的 主従 関 係 を 断 っ と い う雍 正 帝 の 改 革 に よ っ て ど の よ う
に 変 化 した の か 説 明 が 求 め られ た が,こ れ は必 ず し も両 立 し な い 問 題 で は な い 。 個 別 の 主 従 関 係
を 断 つ こ と と制 度 的 に ニ ル 支 配 を 否 定 ・廃 止 す る こ と と は別 問 題 で あ り,後 者 の如 き制 度 変 革 は
行 な わ れ て い な い か らで あ る 〔38}。
この よ うに,雍
調 され て き た け れ ど も,実 際 に は 何 が,ど
正 帝 の 改 革 を い う とき,従
来 は根 本 的 変 革 が 強
の よ うに 変 化 した か を慎 重 に 区 別 し,論 理 を 緻 密 化 し
(37)中 央 研 究 院 歴 史 語 言 研 究 所 の ホ ー ム ペ ー ジお よ び 史 料 デ ー タ ベ ー ス 化 の 動 き に つ い て は,以
楠木
下 を参照。
「
『明 清 襠 案 』 整 理 事 業 の そ の 後亅 『満 族 史 研 究 通 信 』9,2Goe.PP.128-129.
前 註(2)所 掲 岸 本 「
宋 代 か ら 清 代 前 期 を 中 心 に 亅,特 にp.54.
(38)杜 家 験 『清 皇 族 与 国 政 関 係 研 究 』 五 南 図 書 出版 公 司,1998.
鈴木 「
雍 正 帝 に よ る 旗 王 統 制 と八 旗 改 革一一
一一一
」9S紅
旗 旗 王 ス ヌ の 断 罪 事 件 とそ の 意 義 一
pp.46-64,特 にp.61,
一122一
」『史 麑 』42,2001,
て い く必 要 が あ る。
最 後 に 承 志 報 告 は,黒 龍 江 方 面 の諸 民 族 集 団 の うち,オ ロチ ョン(オ ロ ン チ ョ ン)を 取 り上 げ,
ブ トハ 八 囲 ∼ 八 旗 に 管 轄 され る オ ロ チ ョ ン=ニ ル の推 移 を論 じ る 。 新 疆 チ ャ プ チ ャ ル=シ ベ 自 治
県 第3ニ ル 出 身 の シ ベ 族 で,マ
ン ジ ュ語 の ネ イ テ ィ ヴ ス ピー カ ー で あ る 氏 は,オ
ロ チ ョ ン=ニ ル
の 検討 を 通 して,非 満 洲 ニ ル に お け る ニ ル 社 会 の 解 明の 意 義 を 主 張 し,当 時 の ニ ル 社 会 の 実 態 と19
世 紀 以 降 の 変 貌 につ い て も,今 後 の課 題 と して 指 摘 す る 。こ れ に 関 し柳 澤 明(早 稲 田 大 学 助 教 授)
が,オ
ロ チ ョ ン が 集 団 と して ア プ リオ リに措 定 され て い る 傾 向 を指 摘 し,オ
ロチ ョ ン に 含 ま れ る
範 疇 と時 期 に よ るそ の 変 化 に つ い て 注 意 を促 した 。 この こ とは 「周 縁 」 た る該 地 の 諸 民 族 集 団 を
め ぐ る問 題 だ け で は な く,八
で あ り,エ
旗 満 洲 に 編 成 され る 「中 央 」 の マ ン ジ ュ 人 の 定 義 に も つ な が る 問 題
リオ ッ トの議 論 と あ わ せ,慎
以 上 の4報 告 の 後,討
で 明 示 したr入
重 な検 討 が 求 め られ る で あ ろ う。
論 に移 った 。主 に 話 題 とな っ た の は,細
関 と雍 正 期 と を境 に,慣
谷 がr八 旗 制 度 を め ぐ る ノ ー ト」
習 的 支 配 か ら制 度 的 支 配 へ と移 行 す る 」 とい うテ ー ゼ で
あ る 。 細 谷 は 根 拠 と して 雍 正 年 間 ま で 明文 化 され た 規 定 ・典 範 ・政 書 が 存 在 し な い こ と を 示 し,
これ に つ い て 神 田信 夫(明
な い 議 政 王 制 が,康
治 大 学 名 誉 教 授 ・財 団 法 人東 洋 文 庫 研 究 員)は,や
は り会 典 に 記 載 の
熙 年 問 に 形 骸 化 しなが ら18世 紀 末 ま で 廃 止 され な か っ た こ とを 指 摘 し,移 行
・転 換 に相 当 の 時 間 の 幅 が あ った こ と を補 足 した 。 私 は,細
谷 の 指 摘 に 賛 同 した 上 で,変
も の と しな か っ た も の とが あ り,変 化 ・改 革 を 論 じ る場 合,何
の,ど
の面 につい て の議 論 で あ る
か を腑 分 け して い く必 要 を 指 摘 した 。 エ リオ ッ トも これ を 支 持 す る と と も に,そ
ぜ か を 問 い か け て い く必 要 が あ る こ と を補 っ た が,あ
わ せ て 感 想 と して,本
か く見 失 いが ち な,虫
の 場合 そ れ は な
日の 各 報 告 レベ ル の
微 細 な 実 証 研 究 は ア メ リカ で は 不 可 能 で あ る と述 べ た。 しか しこ の 言 葉 は,わ
へ の 手 放 しの 賛 辞 と い う よ り は む しろ,と
化 した
れ われ 日本 の 研究
の 目 に対 す る鳥 の 目 の 喚 起 と受
け 止 め ね ば な ら な い で あ ろ う。
ま た,劉
あ る が,こ
小 萌 が 報 告 した旗 人 社 会 の 問 題 は,日
本 では 細 谷 が 実 証 研 究 を推 進 して き た テ ー マ で
れ に つ い て 『中 国 知 青 史 』(中 国 社 会 科 学 出 版 社,1998)と
細 谷 の 研 究 が 出 た1960年 代 に 「文 革 」 が 始 ま っ た た め,1980年
い っ た 著 書 も あ る 氏 は,
代 に 入 っ て も,当 初 細 谷 の 論 考 を
入 手 で き ぬ ま ま 研 究 を 始 め ね ば な らな か っ た こ とを 述べ た。 私 は じめ 今 回 の シ ン ポ ジ ウ ム 報 告 者
は,先
の 大 戦 ど こ ろ か 我 の 高 度 成 長,彼
の 「文 革 」 す ら直 接 に は 知 らぬ 世 代 に 属 す る が,こ
うな 母 国 ・世 代 に よ る 条 件 の 相 違 を 正 しく読 み 込 む こと は,学
のよ
問的礼 儀 の上 で忘れ て は な ら ない
こ とで あ ろ う。
討 論 は,時
間 の 制 約 も あ り十 分 に は議 論 を深 め る に至 ら な か っ た が,一
果 を 引 提 げ て 意 見 を 交 換 す る こ とが で き,そ
線 の研 究 者 が 各 自 の成
の 意 義 は大 き か った と い うべ き で あ る 。 終 了 後,会
揚 を 移 して 懇 親 会 が も た れ た。
一123
.一
3.大 清帝 国 史構 築 へ の課 題 と展 望
以 上,ま
し,2に
ず1に お い て 近 年 の 大 清 帝 国 史 を め ぐ る 研 究 動 向 を,関
連 諸 分野 の 状況 を 中心に 整理
お い て 現 今 の 「清 朝 史 」 研 究 ・入 旗 制 研 究 の 水 準 を 示 す も の で あ る セ ミナ ー
「清 朝 社 会
と八 旗 制 」 の 概 要 を紹 介 した。 で は,今 後 どの よ うな課 題,ま た 方 向性 が 考 え られ る で あ ろ うか 。
まず 第 一 に求 め られ る の は,言
就 中,シ
うま で もな く,立 ち遅 れ た ま ま の 実 証 研 究 の 積 み 重 ね で あ る。
ン ポ ジ ウム に お い て 私 が 指 摘 し,鈴 木 が 論 証 した と こ ろ の,旗
特 定 とい う単 純 だ が 困 難 な 作 業 が,基
や,康
王 一旗 人 間 の 主 従 関 係 の
礎 と して 要 求 され る で あ ろ う。 入 関 前 に つ い て の私 の 試 み
熙 ∼ 雍 正 朝 に つ い て の 鈴 木 の 仕 事 は,そ れ ぞ れ 阿 南 惟 敬 ・細 谷(勁以 来 の 作 業 の 継 承 ・再 開
で あ り,ま た,同
じ く細 谷 の 業 績 を 承 け て 綿 貫 が 取 り組 む ニ ル そ の もの の 研 究,松
浦 ・楠 木 ・柳
澤 に 承 志 が 続 く マ ンチ ュ リア の 「
八 旗 」研 究 も,別 の 面 か ら基 礎 を 固 め る作 業 で あ る。 と と も に,
八 旗 制 下 の 基 本 関係 で あ る旗 王 一旗 人 関 係 こそ 慣 習 的 支 配 の核 心 を な す も の で あ る だ け に,誰
誰 の 属 下 か とい う こ とや そ の こ とが 伴 う義 務 を 明記 す る史 料 は,ほ
が
とん ど存 しな い 。 そ こ で,詳
細 な 内 容 を もつ 文 書 ・碑 刻 な ど一 次史 料 が,重 要 な 情 報 源 と な る で あ ろ う。 た だ し,そ こ に お い
て さ え,肝
腎 な こ と は 書 か れ て い な い で あ ろ うこ とは 一
難 な パ ラ ドクス で あ る が,考
さ て,第
二 に 必 要 な こ とは,1に
文 献 を 主 とす る歴 史研 究 者 に とっ て 困
慮 せ ね ば な らな い。
お い て 指 摘 した よ うに,実
証 成 果 を 定 置 して い く枠 組 み の 検
討 で あ る。 従 来,「 明 代 女 真 史 」はだ い た い1580年 代,ヌ ル ハ チ の 挙 兵 を 以 て 巻 を 閉 じ,他 方,「 清
朝 史 」 は ヌ ル ハ チ の 挙 兵 を 以 て 筆 を 起 こ して き た。 しか も こ の 「清 朝 史 」 が 「清 代 史 」(明 清 史)
と な か な か 交 差 し な い とい う こ とは,1で
み て き た 通 りで あ る 、 そ れ ゆ え個 々 の 史 実 は,例
えば
対 明 交 易 は 主 に 「明 代 女真 史 」末 期 の 論 題 と して,八 旗 ・宗 室 王 爵 な ど制 度 整 備 過 程 は 「
清 朝 史」
の テ ー マ と して,そ
し て 奏 摺 政 治 ・帝 位 継 承 制 度 は 「清 代 史 」 の 問題 と して,お
別 個 に 扱 われ て き た 。 しか し,こ の 例 で い うな らば,対
お むね それ ぞれ
明 交 易 と清 の 興 起 の 関 連 は,「 明 代 女 真
史」で も 「
清 朝 史 」 で も な い 「清 代 史 」の 側 か ら近 年 あ らた め て 指 摘 され て い る の で あ り,ま た,
従 来 君 主 独 裁 政 治 の 文 脈 で 研 究 され て き た 奏 摺 政 治 は,今 や エ リ オ ッ トが 満 文 奏 摺 を 駆 使 し て 研
究 に 取 り組 ん で い る の で あ る。 この よ うな,研
究 領 域 の 相 互 乗 り入 れ さ ら に は 融 合 の 傾 向 は,か
つ て み られ た 史 料 の 使 用 言 語 ・作成 主 体 に よ る 研 究 分 野 の 棲 み 分 け を,も は や 許 さな い 。そ して,
こ れ らの 例 に も 示 され て い る よ うに,あ
る テ ー マ あ る題 材 が,従
来 と は別 の 文 脈 と きに は 正 反 対
の 位 置 づ け を 伴 って 提 示 され て お り,拙 速 は 戒 め ね ば な らな い に して も,わ れ わ れ に と っ て 枠 組
み の 構 想 を怠 る こ と は,不
十 分 の謗 りを免 れ な い ば か りか 危 険 で さ え あ る 。 む ろん,そ
れ らはい
か に 広 く渉 猟 し擦 り合 わ せ よ う とも,一 つ に 収 斂 され る もの で は な い し,す べ きで もな い 。 必 要
な こ と は,各
自 が 選 択 し た方 法 ・視 点 の 限 定 性 へ の 自覚 と,そ の 上 で の 議 論 の 構 築 で あ ろ う。 そ
〈39)阿 南 『清 初 軍 事 史 論 考 』 甲 陽 書 房,1980;細
谷 「清 朝 に 於 け るA旗 制 度 の 推 移 亅 『東 洋 学 報 』51-1,1968,
PP.1-43。
一124一
う し て は じめ て,と
もす れ ば 没 交 渉 に な りが ち な 諸 領 域 間 の 対 話 が 可 能 とな る の で は な い だ ろ う
か。
この よ うな議 論 を 深 化 させ て い くに あ た って 強 調 した い の は,い
ど こ まで 変 わ っ た か(ま
た は 変 わ らな か っ た か)を
つ,ど
こ で,な
摘 の 有 効 範 囲 を明 らか に しな い と建 設 的 に な らな い 。 例 え ば,エ
よ うに,口
語 と文 語,ま
リオ ッ トが 指 摘 す る
た 私 用 と公 用 を 区別 しな い ま ま の 「マ ン ジ ュ 語 の 衰 退 ・放 棄 → マ ン ジ ュ
い っ た ス トー リー は ナ ン セ ン ス で あ る。 他 方,清
一代 にわ た る八旗 制の存 在 を強 調
す る あ ま り,軍 事 力 と して の 評価 ま で 清 末 に 至 る変 化 を 認 め な い とす る な ら ば,こ
もな く不 適 当で あ る。 前 者 の 場合,表
の 面 に つ い て の 議 論 で あ る か を 区 別 す る必 要 が あ る 。 ま た,従
れ て い る 雍 正 朝 の場 合,そ
れ は い うまで
面 的 な 言 語 の 選択 の 変 化 を 政 権 の 性 格 あ る い は彼 ら の マ ン
タ リテ に ま で 直 結 させ る の は 拡 大 解 釈 とい わ ね ば な ら な い し,後 者 の 例 で は,八
性 の うち,ど
う,
辨 別 す る 必 要 で あ る 。 対 話 と議 論 の 発 展 の た
め に は,指
人 の 漢 化jと
に が,ど
こ に劃 期 を見 出 す こ とは 同 じで も,文
旗 制 の多様 な 属
来 劃 期 と して 承 認 さ
脈 が 異 な る こ とに 注 意 せ ね ば な
らな い。 中 国 史 の 立 場 か ら君 主独 裁 制 の 完 成 を 見 出す 宮 崎 市 定 ゆ と,慣 習 的 支 配 か ら制 度 的 支 配
へ の 転 換 と総 括 す る 細 谷 と で は ,変 革 の 評 価 は 近 似 す る が,そ
年 の エ リオ ッ ト ・杜 家 驥 そ れ に鈴 木 の研 究 ㈲ は,こ
の 理 解 は 同 じで は な い。 さ ら に 近
の時 期 に重 要 な 変 化 の 存 した こ とを認 め な が
ら も,な お 前 後 で 変 わ らぬ 部 分 を 見 出 し,断 絶 面 よ りは 連 続 面 を 強 調 して い る 。
こ の よ うな 辨 別 に お い て 最 も厄 介 な の が,そ
習 的組 織 で あ る 八 旗 の も つ 多 面性,お
が,混
も そ も八 旗 制 が 帯 び る 多 面 性 で あ る(42》
。 巨大 な慣
よび そ の そ れ ぞれ の 面 の もっ 非 整 合性,ダ
乱 を招 い て い る よ うに 思 わ れ る の で あ る。 例 えば,私
が 指 摘 した,ニ
ブ ル ・イ メ ー ジ
ルか らグサ に至 る階
層 組 織 と 「八 旗 の 連 邦 」 と も 形容 され る並 列 体 制 と い う,並 存 す る組 織 像 。 ま た,当
地位 は八旗 に依拠 す る実 力主 義
と 「清 朝 史 」r清 代 史 」 双 方 が 一 致 をみ る 一 方 で の,矛
か の ご と き 早 い 時 期 か ら の 幼 帝 の 出 現 。 ホ ン タ イ ジ の大 清 皇 帝 即 位,ド
ン の 親 政,同
初 の皇 帝 の
じ くオ ボ イ の 失 脚 と康 熙 帝 の 親 政,そ
盾す る
ル ゴ ン の 死 と順 治 帝 プ リ
して 雍 正 帝 即 位 と 兄 弟 粛 清,と
その 都 度繰 り
返 され る 「権 力 確 立 」 と い う説 明。 あ る い は ま た,区 別 ・種 類 の 多 様 さ も挙 げ られ る。 領 主 の 地
位 に よ る 上 三 旗(皇
禁 旅 と駐 防,ま
帝 直 属 の 鏤 黄 旗 ・正 黄 旗 ・正 白旗)・ 下 五 旗 の 区 別,拠
た 隷 属 形 態 に よ る 内 外 即 ち 包 衣 と旗 分 の 区別(前
点 に 基づ く内 外 即 ち
者 は さ ら に 皇 帝 の 内 務 府 と旗 王
の 王 府 と に 区 別 され る)。 あ る い は よ く知 られ た 眠 族 別 」の 満 ・蒙 ・漢 「二 十 四 旗 」 の 区 分 や,
任 務 に よ る 驍 騎 営 ・前 鋒 営 ・護 軍 営 等 の 区 別,配
置 に基 づ く左 右 翼 の 別 。 さ ら に これ ら の 区 分 が
重 な りあ い,「 三 旗 包 衣 護 軍 営 」f広 州 駐 防 正 黄 旗 漢 軍 」 な ど とい っ た 形 で 現 れ て,研
究者 を戸
惑 わせ る 。 しか もそ の 外 延 に,駐 防 に含 ま れ な い ブ トハ ・ソ ロ ン と い っ た 多 様 な 「八 旗 」 が 存 在
(40)宮 崎 市 定 『宮 崎 市 定 全 集14雍
開 と して は,谷
井 俊仁
正 帝 』 岩 波 書 店,1991,所
収 諸 論 文 参 照 。 ま た,近
「
順 治 時 代 政 治 史 試 論 」 『史 林 』77-2,1994,pp。131。150,な
年 の独裁 君 主制 論 の展
どを参 照。
(41)前 註(38)所 掲 杜 家 驥 『清 皇 族 与 国 政 関 係 研 究 』;鈴 木 「
雍 正 帝 に よ る旗 王 統 制 と八 旗 改 革 」
(42>ご く最 近,柳
澤 が こ の こ と を 明 快 に 指 摘 して い る。 前 註(20)所 掲
一125一
「
八 旗 再 考 」,p.1.
して い る の で あ る勵 。
これ らに 通 底 す る構 造 を 解 き 明 か し,一 貫 した 論 理 の 下 に 説 明 を 与 え る た め に は,人
旗制研 究
そ の も の の 深 化 が まず は 必 要 で あ る。 そ の た め に は 、 八 旗 制 の どの 部 分 を どの よ うな 角 度 で 扱 う
の か を,戦
略 的 に 選 択 ・限 定 して い か ね ば な ら な い 。 と 同時 に,全 体 を覆 い う る視 点 を 常 に意 識
す る こ と も,一
方 で 求 め られ る。 岸 本 の 「
身 分 集 団 」 とい う端 的 な 表 現 は,そ
のす ぐれ た 一 案 で
あ る 禰。 そ の よ う な努 力 の 向 こ うに,「 清 朝 史 」 「清 代 史 」 を 超 え た 「大 清 帝 国 史 」,さ ら に は 「中
国 史 」 「内 陸 ア ジ ア 史 」 とい っ た 枠 を 超 えた 地 平 が ひ らか れ て い る の で は な い だ ろ うか 。
論 旨 は は な は だ雑 駁,ま
た 取 り上 げ るべ く し て 取 り上 げ て い な い 研 究 や 誤 読 妄 評 に つ い て は,
批 判 は 免 れ な い と こ ろ で あ ろ う。 せ め て そ れ に よ っ て 今 後 の 議 論 へ の 「た た き 台」 と な る こ と が
で きれ ば,本 稿 の 目的 は 果 た せ た と言 わ ね ば な ら ぬ。 諸 賢 の 批 判 を 待 ち つ つ,擱 筆 す る 。
な お,最
後 に な っ た が,研
究 会 の主 催 な らび に コー デ ィ ネ ー トに 当 た られ た 細 谷 良夫 ・中 見 立
夫 両 氏 の ご尽 力 に感 謝 申 し上 げ る。
[付 記]本
稿 は,平
成12年 度 懐 徳 堂研 究 出 版 助 成 金 に よ る研 究成 果 の 一 部 で あ る。 審 査 ・交 付 実
務 に 当 た られ た 関 係 各 位 に 深 甚 の 謝 意 を表 す る もの で あ る。
[補 記]本 稿 提 出 後,岸 本 美 緒 「一 八 世 紀 の 中国 と世 界 」『七 隈 史 学 』(福 岡 大 学)2,2001,pp.1-15,
を入 手 した 。 本 稿1〈Dで 整 理 した 「清 代 史 亅 の 新 潮 流 の 最 新 の も の で あ り,「 一 八 世 紀 」 と あ る
も の の,清
政 権 の 特 徴 の 歴 史 的 背 景 を探 る と い う観 点 か ら政 権 形 成 過 程 に 溯 っ て論 点 を整 理 ・提
示 して い る 。 参 照 され た い。
(日本学 術振 興会 特別研 究員)
(43)前 註 く20)所掲 柳 澤
「
清 代 黒 龍 江 にお け る人 旗 制 の 展 開 と民 族 の 再 編 」 「八 旗 再 考 」 参 照 。
(嘱)前 註(6)所 掲 「東 ア ジ ア ・東 南 ア ジ ア伝 統 社 会 の 形 成 亅,p.70.
一126一
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