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2013年7月10日 講師:江川新一 題目

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2013年7月10日 講師:江川新一 題目
東北大学
工学研究科・医学系研究科
2013 年度
『生命倫理』・『医の倫理』
第 14 回(7 月 10 日)
講師:江川 新一 EGAWA Shinichi
題目:終末期医療
(医学系研究科)
Terminal Care Medicine
<概要> (受講者のレポートからの抜粋)
1.
終末期医療について、死ぬとはどういうことか、終末期がいつ始まるかなどについて
講義して頂き、難治性のガンである膵がんを取り上げて、ロールプレイを行い、実際
に生死に関わる人たちの立場になって考え、行動することを行った。機器を用いて所々
アンケートを行い、リアルタイムで表示されたことで、同世代の人たちが考えている
ことが分かった。死に関わるとき、医療と多くの場合は関わるので、様々な判断など
のためにも医師と患者の関係は良好であるべきだということが講義を通して伝えられ
た。
2.
日本人の死因は、がんによるものが最も多い。がんは無制限に増殖し、浸潤、転移す
るという、正常な細胞とはかけ離れた動きをする細胞の集団である。がん細胞が臓器
の機能を低下・停止させることで生命維持が困難になり、死に至る。しかし、がんに
よる死は心臓や脳血管障害による死と異なり、死までに時間に猶予がある。また、痛
みや苦しみの緩和が可能でもある。そこで、早期からの緩和ケアや死を目前にした時
からの終末期医療が行われるが、その中では良好な患者、医師関係が極めて重要とな
る。
3.
今回の講義は終末期医療を題材に、
「生命や死とは」、
「終末期とそれに関わる医療とは」
、
「それに関わる病気(今回は主に膵がん)や対応とは」といったことの説明を受けつ
つ、クリッカーやロールプレイによって学生が自ら考え、その考えをもとにお互いに
ディスカッションするという学生参加型の講義だった。その中でも特に立場や状況に
よっても変わってくる終末期というものの捉え方について、一人一人考えた。
<意見> (受講者のレポートからの抜粋)
1.
「癒すことは時々できる。苦しみを軽くすることもしばしばできる。しかし、患者を
支え、慰めることはいつでもできる」という最後の言葉と、
「あなたは何で死んでみた
いですか?」という言葉が響きました。死ぬことが決まったとき、私は何を望むのか?
その時、望みを伝えることができるのか。終末期において生きる可能性にかけて治療
を行うのか。抗がん剤を使い続けるのか。残された時間を、痛みを control しながら過
ごすのか。終末医療をテーマとして考え、いろいろな取り組みがなされているけれど、
その時私は何を望むのか考えさせられる機会となった。また、自分の周りの人が死に
直面した時、その意思を尊重することができるのか。前に本屋さんで「どうせ死ぬな
らがんがよい」という本が売られているのを見たことがありましたが、苦しくても周
囲の人と最後の話ができる、笑うこともできればいいなと思いました。さよならと言
える時間、ありがとうと言える時間、私が親族の立場でも患者の立場でも必ず欲しい。
2.
今回の講義のロールプレイングで、知識を持つということは重要であることを再認識
しました。知識がないと説明も何もできないことを実感しました。私はがんを患者本
人に宣告することに関しては賛成です。患者に事実を伝えることで、今後の治療法、
また、死を迎えるまでの時間の過ごし方を患者自身が決めることが大切であると考え
るためです。しかし、病気に関する知識が無い場合、がんであることを宣告し、余命
を宣告するだけの、患者を突き放す宣告の仕方しか思いつきませんでした。しかし、
膵がんの知識を少し学ぶだけでも、患者に今後の治療方法の説明をすることができ、
「一緒に頑張っていきましょう」という気持ちを伝えることができました。患者ごと
に考え方が違い、病気の受け止め方が違うので、1人1人に合わせた伝え方をする必
要がありますが、
「私はあなたの味方です。一緒にがんばりましょう」という思いを伝
えることは、どの患者にも必要なことだと思います。そのことを今回の講演で深く考
えさせられました。今回は有意義な講演をありがとうございました。
3.
死を身近に感じたのは、中学生の時、曾祖母が亡くなった時でした。あ、ヒトが死ぬ
ということはこういうことなんだ、と感じたことを覚えています。私にとって、自分
が死ぬということは恐怖以外の何物でもなく、向き合うことを避けてきました。しか
し、親が年齢を重ねるごとに、病気と死について自分はどのように関わっていかなけ
ればならないのか、考えなくてはならないと思っています。終末期医療は、受ける患
者だけでなく医師の方にも負担が多く、両者の密接なコミュニケーションのもとで行
うことが重要だと思いました。緩和ケアは、より広く一般的に知られることで、重篤
な疾患を持つわけでなくても、多くの人の生活の質を向上することが可能であるので
はないかと考えました。
4.
今まで、医者側の心情などは考えたことがなかったので、今回の講演と実演を通して、
「死」について考えさせられた。私は、
「生きる」ことはいつか必ず「死ぬ」というこ
とだと考えている。その「死」は寿命による死を想定していた。しかし、脳死、心臓
死やがんなどで、若いうちでも突然「死」に直面する可能性もある。このときに医者
からの言葉を受け入れられるかどうかという患者側の視点と、患者にどう伝えるかと
いう医者側の視点も知っていることが重要であると思う。私は、医者は事実をきちん
と話すべきであると考える。その時に、無機質に伝えるのでは患者側は納得できない
だろう。事実を伝える中で、終わりだけを伝えるのではなく、生きているうちにどの
ようなことができるのかという視点に立って話すのが良いのではないか。
5.
普段はやらないようなロールプレイがあり、非常に面白かった。まず、医療は専門外
なので、内容が難しかったというのもあるが、医者が患者に病状を説明することがい
かに難しいかが良く分かった。医者は医を知っているとともに、人を知り、人の心を
知っていなければならないと思った。本題とは離れるが、講演のはじめに出てきた「根
底にあるものは“喜んでもらえる喜び”である」ということに共感を覚えた。今まで
自分は「自分がやりたいからこれをやる」という気持ちが強かったが、生命倫理の授
業も含め、様々なことを学ぶ中で、
「人に喜んでもらえること」が大切だと思うように
なってきた。医学も工学も、その他の学問や仕事も、根底にこれがあることは変わら
ないし、これを忘れてはいけないのだと思う。
6.
自分にとって生命とは、食べることであり、死ぬことであると思っています。そして、
死ぬまでに精いっぱい生きることであると考えます。死ぬ時に、今までの人生よかっ
たなと思えるように、今現在頑張っています。私の最終的な目標としましては、笑っ
て安らかに死ぬことだと思っています。今回、普段知らないがんについて知ることが
できました。いずれ来るであろう自分の最後について、目を向けることができたと思
います。また、医師役、患者役、評価者に分かれてディスカッションを行い、それぞ
れの立場で考えることができました。演じていて辛かったのは、医師はもちろんのこ
とですが、患者さんの気持ちです。実際にどのように演じればいいのか全く分かりま
せんでした。がんの告知を受けた人は実際にはどのように考えるのか、自分には分か
りませんでした。つらいのかもしれません、何も考えられないのかもしれません。そ
れとも、すべてを受け入れて笑うのかもしれません。自分自身がその立場となったと
きに、果たして私はどう思うのだろう。そのようなことを考えさせられた講義でした。
今後とも「生命とは何か」
、「ヒトはどのように死ぬのか」、「終末医療はどのようであ
るべきか」を考えていく必要があるのだと思います。
7.
アンケート結果がその場でわかる投票システムのおかげで、一方通行ではないライブ
な講義を受けることができたと感じています。その中でも「あなたの考える生命とは
何か?」という問いに対して、科学的に理にかなった回答よりも、魂の存在や抽象的
な概念をイメージする回答の方が多く見られた点が印象的でした。生命に対する科学
的な知識の欠乏という理由も挙げられますが、無宗教が多数を占めるとされる日本に
おいても、生命に対する神秘的な価値観を持つ人が多いことを再認識しました。多様
な価値観が混ざる終末医療というキーワードに対して、医工学の従事者は高い技術だ
けではなく、どのようなスタンスでそれを世に提供するかを考えなくてはならない時
代に入りつつあると感じました。
8.
Telling a patient, ‘You Are Terminal’. This statement seems to be way too multifaceted
an issue for each and every single doctor involved in such cases. Although many do
believe “terminal illness” is a rogue term since doctors are not always able to precisely
predict how long someone will live, there are a huge number who would go for a
straightforward, honest way through adopting blunt, direct terms. The latter credit, by
using such clear words, the patients, as do not wish to have hope when perhaps none
exists, do need to know what to plan for indeed. I myself am of the firm opinion, the first
stage in alleviating these problems of serious concern will be achieved by educating
individuals, what a “terminal illness” is, through which they can far much better discern
such conditions.
9.
ロールプレイを実際にやってみて、自分がいかに状況を想像できないかを実感するこ
とになりました。患者側になった時には、宣告を受けたときに何を考えるのかが全く
想像できませんでした。家族のことを心配するのか、自分自身の不幸を考えるのか、
全く分かりませんでした。医者側になった時も、淡々と病気のことと余命が長くない
ことを話すだけで、目の前の患者に対して何を話してあげるべきなのか全く分かりま
せんでした。癌は発覚してから死ぬまでに猶予期間があるので、人生でやり残したこ
とや一度はやってみたかったことを実行できる時間を患者は持っています。今思えば、
そのことを適切に伝えて、残りの人生を価値あるものにする補助が終末期医療の役目
だと思います。
10. 質問に対してボタンを押して参加するスタイルは面白かった。また、数値として他の
人の意見も見ることができて、自分と同じ、あるいは違った意見の方がどのくらいい
るのかはっきり分かったのが興味深かった。Role play を通して、改めて医者・患者の
それぞれの立場からの倫理観の違い、
「伝える」、
「受け止める」難しさを実感した。
「生
命」とは何か、
「死」とは何か。明確な定義が付けられないからこそ、何度も議論され
ているが、患者、または医師として「生」と「死」に直面した時に初めて自分自身の
本当の倫理観が分かるのではないかと思う。
「病気を治療する」、
「延命・長生きができ
るように手助けする」というのが医療であるかもしれないが、もっと純粋に「その人
が自分で人として満足・幸せな一生を過ごすための手助け」をするのが医療であり、
そのクオリティを向上させるために我々は研究するのだと思う。
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