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<ネッシーの 国内編 10. 日本の詩人と 詩的血脈から のです。 中也は
<ネッシーの のお薦め作品( (焚書坑儒リスト)> 国内編 10. 中原中也 「山羊の歌」 「在りし日の の歌」 日本の詩人と として最もポピュラーな詩人でし しょう。彼も美学 学には無関心な な人間でした。 詩的血脈から らいうと、三好達治の和漢混淆 淆的、伊東静男 男の硬質さ、宮沢 沢賢治の土俗的 的、島崎藤村の のただの憧れ的とは違うも のです。 中也は、友人 人に小林秀雄、大岡昇平、富永 永太郎といった たフランス文学者を持 持ち、自らもア アテネ・フランセに通い い、不完全ながらも「ランボ ー詩集」を翻訳 訳しています。ランボーというよりも、ヴェルレレーヌの詩風を受け け継いだのかも もしれません。フランス韻文詩、とくに十二 音節詩(四行 行ごとに、脚韻 韻を平行的、ある るいは交差的に に踏んでいく詩 詩法)をいくらか か形を変えて用 用いています。 《サーカス》 幾時代かがあ ありまして 茶色い戦争あり りました 幾時代かがあ ありまして 冬は疾風吹きま ました サーカス小屋は高 高い梁 そこに一つのブランココだ 見えるともないブランコだ 頭倒さに手を を垂れて 汚 汚れ木綿の屋根の のもと ゆあ あーんゆよーんゆやゆよん ― かれは、かな、カタカナの擬音、擬態語を を多用します。私は、この詩を読むたびに、幼いころ片田 田舎に来たサーカスで で歳もそう 違わない少女 女が継ぎの当たった木綿の靴下 下を履いて、空 空中ブランコをして ているのを見て て、哀しくなった たのを憶えてい います。 《都会の夜》 月は空にメダルルのように、 街角に建物はオオルガンのように、 、 遊び疲れた男 男どち唱いながらに帰っていく く。― イカムネ・カカラアがまがってゐる ― その唇は胠き ききって その心は何か悲しい い。 頭が暗い い土塊になって、 ただもうラアラアア唱ってゆくのだ ― メダル-オルガン-カラア-ラアラアという音の転移と、月-メダル-オルガン-男-唱-唇-頭-唱(さらに、夜と酒という隠れたイメー ジ)の意味の転移の交差を読みとってください。ランボーもこれが得意でしたが、さらに聖書や魔女伝説、童話の変身譚など ありとあらゆるものからの転移の秘法を編みだしています。) 《帰郷》 あゝおまえはなにをして来たのだと・・・・吹き来る風が私に云う。 《夕照》 かかる折しも我ありぬ 少児に踏まれし貝の肉。 《少年時》 麦田には風が低く打ち、おぼろで、灰色だった。 翔びゆく雲の落とす影のように、 田の面を過ぎる、昔の巨人の姿… 夏の日の午過ぎ時刻 誰彼の午睡するとき、私はのはらを走っていった… 私は希望を唇に噛みつぶして 私はギロギロする目で諦めていた… 噫、いきてゐた、私は生きていた! ―幼年時の記憶が中原の詩にはよく見られます。 《盲目の秋》 風が立ち、浪が騒ぎ、無限の前に腕を振る その間、小さな紅の花が見えはするが、それもやがては潰れてしまう。 風が立ち、浪が騒ぎ、無限のまえに腕を振る。 《汚れちまった悲しみに…》 汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れちまった悲しみに 今日も風さえ吹きすぎる ―ヴェルレーヌ的な詩です。 《羊の歌》 死の時には私が仰向かんことを! この小さな顎が、小さいうえにも小さくならんことを! それよ、私は私が感じ得なかったことのために、 罰されて、死は来たろものと思うゆゑ。 あゝ、その時私の仰向かんことを! せめてその時、私も、すべてを感じる者であらんことを! ― 私がもっとも愛する詩です。この下降志向のなかにある詩人としての矜持。 《三歳の記憶》 あゝ、怖かった怖かった ― 部屋の中は、ひっそりしてゐた、 隣家は空に、舞い去ってゐた! 隣家は空に舞い去ってゐた! 《誉め》 ホラホラ、これが僕の骨だ。いきてゐた時期の苦労にみちた、あのけがらはしい肉を破って、 しらじらと雨に洗はれ、ヌックと出た、骨の尖。 ― これも下降志向。 《北の海》 海にゐるのは、あれは人魚ではないのです。 海にゐるのは、あれは、浪ばかり。 《曇天》 ある朝、僕は、空の 中に、黒い はたはた それは はためいて ― 音声的繰り返し。 旗が はためくを 見た。 ゐたが、音は きこえぬ 高きが ゆゑに。 《一つのメルヘン》 秋の夜は、はるかの彼方に、小石ばかりの、河原があって、 それに陽は、さらさらと さらさらと射してゐるのでありました。 中原の詩集は、私の懐かしい青春(もしそんな時があったとしたら)の思い出です。 詩とは抒情です。音楽です。ロックや、ラップも脚韻を踏んでいます。 中也の友人であった小林秀雄は「ランボーに抒情はない。もしあるとすれば、 『渇き』である」と書いています。そして、中原 の詩を「彼も亦抒情性の欠如という近代詩人の毒を充分に呑んでいた。彼の誠実が、彼を疲労させ、憔悴させる。かれは悲 しげに放心の歌を歌う。」と評しています。 あのランボーでさえ、少年時に「この私も歌うのだ 数かぎりない姉妹たち 世間から遠く離れた声たちよ この私を 取り巻くがよい はじらいに満ちた栄光の輝きで・・・」と歌っているのです。 「今では私は、生命の動力学にしかすぎない―自恃をもて私は、むづかる特権を感じます。 かくてわたしには歌がのこった。たった一つ、歌というがのこった。 私の歌を聴いてくれ。」(中也「処女詩集序」) 詩とはそういうものです。 My gift is mmy song, this s one’s for yyou. 「 「歌い手にとって ての最後の聴き き手は自分自身 身である。 」 @ネッシー 2012