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中国自動車産業における技術のキャツチアップ
現 代 社会 文化研 究 NL l . Jり コ OI O隼 l 二日 中国 自動車産業における技術のキ ャッチア ップ 呂 彬 Abs t r a c t Chi n cs ea ut omobi 一 es al eswe r e1 3. 6mi l l i one a r si t 1201 0a ndi nc r e as e d46. 2?' oco mpa r e d wi t ht h eye a rbef or e.I te xc e e dst l et ot i l la mountofUSa ut omobi t cf i l l 1 、 ss al e sa ndChi 1 a be c a me No. Ii nt he wor l d.Ct l i ne s ea ut omobi l e ma nuf l ' l C t ur e r S ha ve a bs or be dt t l e l ef i r ms . ma na ge r i a lt e c hni queandt e c hnol ogyt l l r Ougl lj oi ntve nt ur e swi t ht l or e i gna utomobi ngf or c eor Chi ne s egovenl menti l l t ende dt oe s t a bl i s hmas sPr oduc t i ons ys t e ma sadrivi d70% oft hec arma r ke ts ha r e . i ndt l S t r i a l i z at i oni nc hi na.Thef l or e i gnma nut l a c t ur e r ss t i l lhol al t hough t h e Chi ne s e ma nul l i l C t ur e r Sa r ei mpr ovi ng Compe t i t i vepowe rand i nc r ea s i ng ma r ke ts ha r e .Chi nahasgai ne dC a pa bi l i t yf orde vel opi ngt hene xtge ne r a t i onornewc ar . タ自動車 、 キーワー ド--技術のキャッチア ップ、第一 汽車 、トヨ リ ー ン 生 産 方式 、 民族 自動車 メーカー は じめに 中国は 1 978年 の改革 や開 放 政 策 の 実 施 以 来 、 困 き く歩 んでい る。こ うした 状 り、自動 車 国産化 の基本 方 管理技 術 を つ ある 0 特 徴 と 吸 収 に 、 中 て は 、 外 と 技 時 し 直接 投資 術 国 の 国 移 自 か 転 ら は 国 自動 車 産 業 は、中国 の基幹産 業 と しての位 置づ け も固 ま 針 の も と に 、外 国 メ ー カ つ つ 国産 し 況 の 中 で 化 を 進 め 、量 産 体 制 の 動 車 産 業 は の 産 「計 画 経 済 」 直 接 投 資 と 技術移転 難 な課題 を抱 えなが らも経 済発展 の遠 を大 - との合 弁 、外 国技術 の導入 の 中で 、生産 ・ 確 立 を 目指 し、中国工業化 の原動 力 とな りつ から 「 市場経 済 」- の転換 期 にお いて 、主 な を積 極 的 に受 け入れ て きた。20 年 が経 って、 化 の初 期 の 達成 の役 割 を果 た し、製 品の 国産 率 が 9割 以上 に 達 成 さ れてい る 。 20掴 年 の 中 なったo 中国 国 汽 の 車 自 動 車販 売 は政府 支 援 策 の後 押 しを受 けて急 増 し、粟 国 を抜 い て世 界 一 と 工業協会 把 AAM) は 2009年 の 中国 の 自動 車販 売台数 が前年 比 購 . 2% 増 の 1 360万台 で過 去最 高 に達 した と発表 した ( 年鑑 社 201 0) 。 一方 、ア メ リカは経 済危 機 の影 響 で 2009年 の 毎動 車販 売 は 呈 糾0万台 に とどま り、 音 00年 世界最 大の 自動 車 市場 の座 を維 持 して き たア メ リカが、そ の座 を 中 国 に奪われ るこ とにな ったo下記 の図表 を見れ ば、中国 自動 車 市 場 の成 長 は一 目瞭然 で あ るO -1 97 - 中国 自動 車産業 にお け る技術 の キ ャ ッチア ップ (冒) 9 90年 -2 0 0 9年世界 主要 国 自動 車販 売 台数 @)推 移 義 1 1 出典 :中国電 力㈱ ェ ネル ギ ア 総 合 研 究所 2 01 0 2澄 世紀 に入 ってか ら中国 自動 車 産 業 では、 生産 プ ロセ ス技術 o製 品技術 の 向 料 の国 産化 、資本集 約 す る高 度化 の プ ロ セ 度 の 上昇 上 、 部 品 8材 とい う。連 の変革 を通 じて、国 内付加 価値 の労働 生産 性 が 上昇 ス が 加 速 して い る。 = 方 、技術 その もの を生み 出す研 究 開発 につ いては 、 依然 と して外 資 - の依 存 度 が以 前 高い ンテ グ ラル型 と 分 析 し、最 近 中 国 は フ トウエ ア な どで は キ ャ と指摘 してい る ( 丸 山 20那 a) 。自動車 は タロ- ズ ド・イ 急 速 に 生 産技術能 力 を向 上させ 、家電製 品、通信機器 、 ソ ッチ ア ップ を達 成 す るだ ろ うと指摘 して い る( 藤本 2り銅) 0 この よ うな 問題 意 識 の も とで本 論 文 で は 、研 究課題 として外 閣 メ- 力- の直接 投資 と技術移 転お よび 中国 自動 車 の 代 表 メ- 力 - ( 節一 汽 車)を例 に して 中間 自動 車産 業の技術 のキャ ッチ ア ップ を考 察 す るOす な わ ち 、中 国 自動 車産 業 は外 国か らの直接 投 資 と技 術移 転 によって、著 しい成長 を遂 げ、中間 の 由 敷 革 メ- 力- は急 速 に技術 をキ ャ ッチア ップ してい るOその原因 は どこにあ るか を解 明 して い く。 第 -章 では 、中 国 の 自動 車産 業の 沿革 と現状 を分析 す る上 で 、中国 由敷 革産業の歴 史的展 開 を よ り全 体的 に理解 す る た めに、戦 前 の 中 国 自動 車産 業 の発 展 か ら、計 画経 済期 の体制 、また 市場 経 済期 の展 開に 至 る まで の経緯 、歴 史 、現 在 の特徴 を概 観 す る。 こ うした分析 を通 じて 、 中 国 自動 車産 業 にお け る外 国か らの直接投資 と技術 移 転 の 背 景 と現状 を解 明す る。第 二章で は、 節-汽 車 を例 に して、中国 自動 車 メ- 力- は外 国 か ら直 接 投 資 と技 術移 転 を ど うの よ うに受 け 入れ てい るか 、またそ の技術 をキャ ッチア ップで きて い るか を解 明 して い く 終章 では 中国 自 O 動 車産 業 の問題 点 と将来発 展 につ いて論 じてい くo 第 1牽 帝国 自動 車 産 業 の 沿革 と現状 戦 前 に も トラ ックを 試作 した 中国の 自動 車市場 は 1 990年代 末 U )マ ク ロ経済 の 好転及 び 200昔 年 の世 界 貿 易機 関 ( W TO)加 盟 とともに急速 に拡大 して きた。 -1 98- 1 射 t社会文化研究 No . 4 92 01 0年 1 2F ] 1 中国 肖動 車 産 業の沿革 中国 の 自動 車 産 業 は戦 前 か ら軍事や 民生 用 に試 作 した。 戦後 にお い て 、旧 ソ連 の援 助 に よる 長春 第-汽 車 以 来 の長 い歴 史 を有 し、その後 、 「大躍 進 時 代 」 「 文 革期 」 の 困難 な時期 を経 て 、 「 改 自 1 ・ 革 ・開 放 期 」の 1 980牛代 か ら 1 99O隼 代 にか け る急速 な拡 大 ・成 長 を遂 げ て きた、 、t Ht 押) 動 車産 ) 戦前 業 は必 ず しも順調 で あった とはい えな く、下記 の よ うな歩 み を経 て今 日に至 ったo 張学 良に よ り 1 931隼に 「 尺 牛」 ブ ラ ン ドJ)トラ ッ クを試 作 した. 、 しか L、 そ の l 二 場 は満 州 事 変 で 日本 軍 の手 に落 ち、同和 自動 車 と改 名 し、月産 3 00台 で生産 し、 日本 軍 に納 入 して い たO 日本 ちなみ に 日本 で は 1 902年 に蒸 気 自動 車 とガ ソ リン乗 用 車 を試 作 したo ・1 936年 、 卜海 に 中国汽 車製造 公 司が設 ; { . され 、ベ ンツ とL nf kf , f i A i 提 携 で トラ 、 ソクを 2000台組 み 立て る。国 民 党資源 委員 会 も トラ ック工場 を作 った が戦争 で 中断 したO東 津 で は戦前 に ト ヨタ等 が残 した 工場 を利 用 して戦後 ダイハ ツの三輪 自動 車 の製 造 が 計 画 され た0 2) 計画経 済期 :第 -汽 車 の誕 生 。1 953年 、 長春 に第 -汽 車製 造廠 ( 現在 の 中国第 -汽 車)着 工 した。 ソ連 の Z軋 の全 面的技術 援 助 を得 て 、 当初 は 4 トン トラ ック年 産 3万台 の規模 (ちなみ に三菱 ふ そ うの 2003年 の ト ラ ック生産 台数 は 9万 台) 8太 躍 進 期 (1 958-60年 ) に メー カー が乱 立 3)計画 経 済 期 :メー カー の 増加 8南京汽車 (小型 トラ ック)、北京 汽 車 (ジ- プ)な どが 第 一 汽 車 と並 ぶ 主要 メー カ- とな る。 ・乗 周 車 の 試 作 も各地 で行 われ た。 4) 計 画経 済期 :乗 用 車 「 紅旗 」 ・多 くの試 作 車 は指 導者 の歓 心 を 買 うた め の 生 産 で 終 わ ったOそ の 中で 、最 高幹 部 の乗 る乗 用 車 と して生 産 が継 続 され た の が第 -汽 車 の 「 紅旗 」 O「 紅旗 」 は ChT yS 豆 e rの 旦 955年版 C69を 985年 の 累 計 生 産 台数 は 1 500台 だ った0 も とに開発 され 、 1 960年 か ら ま 5) 計画経 済期 :第 二汽 車 の建設 書1 960年 代 か ら 70年 代 の最 大 の プ ロジ ェク トは第 二汽 車製 造廠 ( 現在 は 東 風 汽 車 設 を行 ったO第 二汽 車 は 「三線 建設」の一 環 と して湖 北省 西部 の 山間部 に 建 公 司) の建 設 され た。戦争 に備 えて軍 用 車 を搾 る予 定 が 、結 局戦争 の危機 が蓋 ってか ら工場 が完成 した た め 、5 トン ト ラ ックの 工場 にな り、第 -汽 車 と役 割 が重 な って しま った0 6) 計画経 済期 :小型 トラ ックの誕 生 8第 -汽車 の 「 解 放 」 トラ ック生 産 量 は 1 980年 時 点 で 6万 台 、第 二汽 車 の 「 東 風 」 は 89年 に は 1 3万台O 国家 は結果 的 に 5 トン トラ ックにばか り資金 を注 い だO 小型 トラ ックの生 産 を 埋 め るた め に地 方政府 は小型 トラ ックを生 産 し、そ の プ ロ トタイ プ となっ た の が 「 北京 音 30」 30系 の メ- カー が で きた。 だ ったO 技 術 の無償 移 転 に よ り、全 国 に 20社 の北 京 1 -1 99- 中国 自動 車産 業における技術のキャ ッチア ップ ( 呂) 7) 計 画 経 済 期 :乗 用 車 の 不 足 。計画経済時代 に 生 産 され た 乗 用 車 は 「紅旗 」 以外 には 中級 幹部 向 け の 「 上海 上 これ も年 産 5000台程度、地 位 の 象 徴 な の で 、 「上海 」 は人気 が ない。 改革 開放 以 降、乗用 車の不足 か ら 突撃的輸入や密輸 が 盛 ん に な っ た。 8)改革 開放期 :乗 用車U )国 産 化 ・政府は 国 産化 を 目指 して 、外 国 との合 弁企 業 を設 立 したo 早 い時期にで きた合弁 と して 上海 vw、 北京 ジー プ 、広 州 プ ジ ョー の 3社 だ った。 もり と も ナ 」 だ っ た。 1 981年 欧 州 で発 売 、 1 984年 には 日産 が ラ 題 に な っ た。 中国 に は い わ ば 「 お 下 が り」 と して持 ち 9) 改 革 開放 期 :サ ン タナ (ドイ ツ V W の 自動 車名 ) 昌 サ ン タナ 」 は 中堅 幹 部 用 公 用 車 、 タ ク シ- と して 化 をす る よ う圧 力 を か け る た め に 、販 売価 格 に 「 国 売 価 格 は なん と 300万 円前 後 Oそ の 資金 で部 品 86%に達 す るO サ ン タナ は 累 計 生 産 台数 200万 広 の メ - カ 台 に 達 化 ー し ン ま 成 付 た と わ が 技 た 今 。 部 れ 加 生産。 「和製 外 車」 と して話 ス れ 功 使 したのが上海 vw の 「 サ ンタ 功 セ 込 く 産 イ 成 品 て 金 術 も 」 国 い を 産化 るo 中国政府 は部 品国産 j 二乗 せ たo そ の結 果 、小 導 入 し、1 994年 には国産化率 生 産 が続 いてい る。 10) 改 革 開放 期 :産 業 政 策 の展 開 ・中国政 府 は 自国 の 自動 車 産 業 が 無 力 な企 業 ば か り で あ る こ と を 憂 え、 グル ー プ化 に よって 実 力 を高 め る こ とを企 図 したO そ の た め に新規参入 を抑 え よ うとす る。 そ こで乗用 車 の生産拠 980年 代 後 半 に 「 三大 三小 」の 6 点 を絞 る こ と に決 定 した。 自動 車 U)ダル - プ化 を 目指 し、 1 社 に 限定 す る政 策 を打 ち出す0 81 994年 に 「自動 車工業 産業政 策 」 を公 布。それ まで の政策 (グル - プ化 、新 規 会社 の乗用 車 産 業 の参 入 制 限 、部 品 国産 化 ) を集 大成 す る とともに、マ イ カー普 及 を初 めて唱 えたO厳 し い参 入 制 限の た め、進 出 に名乗 りをあ げ た トヨタ、 日産 、 フォ- ドには 門戸 を閉 ざす。 ホ ン ダは 空 い た鷹 に入 り込む こ とが で きた。 中国の 自動 車大 国化 を 目指 した 「 産 業政策 」が もた ら した もの は 、 予想 外 の需 要 の低 迷 で あったO 廿「自動 車 工業 産 業政 策 」 は 1 999年 辺 りに な る と事 実 L効力 が薄れ たowT0協 定 に抵 触 す るの で、200豊年 の加 盟 と ともに効 力 を失 った。 世 界 の メ- 力- が 中間 に進 出。 競 争 のな か で価 格 低 落 したo WTO 加 盟 に よって 自動 車産業 は打撃 を受 け る と言 われ て いた が 、実際 には 2年 で倍増の急 成長 を達成 した。 2, 中国 自動車産業の現状 世界的には 2 0 0 8年秋 か らのア メ リカ発金 融危機 の影響 が実体経 済 に波及 し、先進 諸国は お しなべ て景気 の低 迷 に苦 しむ な か で 、中国 自動 車産 業 が大 き く拡 大 してい る こ とが鮮 明で あ の金 融危機 が 中国 自動 車産 業 に も大 きな影 響 を与 えた こ とは事 実で あ る そ の結果 、中国 日動 。 -200- 現 代社 会 文化研 究 No. 49 2 8 1 0年 1 2月 車市場は年末 にか け て 低迷を続け、下記 も表 2を参 照 、2 0 08年 の販 売台数 は 、前 年 の 8, 79且 , 523 台をわず か 6. 9% 上回 る 9 , 38 0 , 5 0 2台 に とどま った02 0 0 9年 に入 ってか ら、 中国 自動 車産 業 揺 目覚ま しい躍 進 を遂 げ るの に至 った。その背景 と 対策 が挙 げ られ る02 00 8年 日 月 9日には 中国政 て、金融危機 に対す る中国政府 の積極 的 な し 府 は 「 内需促進 . 経 済成 長 の た めの ま 0大槽 置 」 が 決 定 さ れ 、 そ( ハうちL n鉄道 ・道路 ・空港 ・電 力等U)重大イン7= )整備〔 ハ加速 、農村 し ハイン7 ラ整 備 を 加 速 、 生態環境整備 の強化 な ど 7分野 につ いて 、2 01 0年末までに 4兆元投 資 を実施 す る と発 表 され 、そ の後に地方政府 に よる 2 0兆元 を超 え る投資計画が打ち出 され る こ とにな っ た Oこ うした政府 に よ る内需拡 充策 は当初 の発表 内容 か ら修正 されながらも着実 に実行 され てお り、 中国経 済のマ ク ロ的 な改善 に貢 献 してい った。 さらに、 自動 車産 業 につ い て は、 「 汽 車下郷」 「 以 旧換新 」 とい う言薬 に象徴 され る中国政府 の 自動 車産 業調整 振 興 政策 が、基本 的 には、奏功す る こ とになった。その結果 、依 然 と して 、特 に基本型 乗周 車部 門で は 日米欧韓 の 外 資系が約 7割 と優位を占めてはい るもの 自 動 車 の 、 国民族 系 メ- 力- が シ ェア を拡太 し、次世代 中 開発 にも積極的な姿勢 を示 してい る O 表2 2 0 00-2 0 0 9年 中国 自動 車 販 売台数推移 ( 単位 :育) ヱ 0 00 2 , 0 68 , 1 革 6 日7 6 07 , 4 45) ヱ 0 01 2 , 3 41 , 5 2 8 日9 7 0 3 , 5 25) 2 0 0 ユ 3 , 2 5 3 , 6 5 5圧 0 9 2 , 7 6 2) ヱ O O j , 4 43 , 朝里( 2, 0 3 7 , 8 6 5) 4 2 00 4 5 † 0 7 0 1 45 2( 二、 31 二5 61) 2 0 05 5 , 7 07 † F ' 紳( 2, 7 F ' 7了ユニ) 2 0 06 7 十 二 7 9 了二 6( 十8 6 9 , 49 4) ユ 0 07 8 薄8 2, 45 6( 4, 7 9 7 , 6 8 8) ユ 0 08 9 , 3 45 , 1 0日5 , 0 3 7 , 33 4) 出所 :中国 汽車工業年鑑期刊社2 01 0、括 弧 内 は基 本 型 乗 用 車 近年 、中国 は 世界 に 向 け 自主技 術 開発 を主張 し始めてい るO 特 許 の 出 願 件 数 遇税 制 も撤廃 され よ うとしてい る。 財 政面 での科 学 技術 関 連 支 出 は 増 え て お も 。 増 え 、外 資 り 、研 究 優 開発機 構 の民営化 が進 め られ 、大手企 業 の海 外進 出 も活発 で あ る。 しか し こ う した 政 策 面 での変化 に比 べ、実態 を見 る とい ろい ろ問題 が生 じてい るO研 究 開発 機 構 の資金 不足 は厳 しく、大企 業 は独 自の R&D よ りも海 外 か らの技術 導入 に熱 心 な こ と、 人材 不足 、官 僚 統 制 の無 駄 な どの弊害 が 目立 ってい る 自主技術 開発 に向か う以前 に計 画 O 経 済 ー201 - 時代 の惰 性 か らの 決別 が まだで きてい な 中国 自動 車産 業 にお け る技術 のキ ャ ッチア ップ (呂) い ことも現 状 であ る O 義 3 主要 国 の寧 閤 由軌 車 生 産 台 数 推 移 (酎 立 12 6 4 . 0 0 0 〆 ㌔ 闇 10 8, . 000 1 , 000台) _ _ 題 監 過 n_ " " _ _ V ' 榊加 地 ▼ 1 γ ▲ ⊥ _ V姻 i i i i i i ii i i i i i i i il J d q f l i ; さ ㌔ , ≡ : ≡ こ ね 戚 ≡ i ; # : , a g r イ l h P T J/ 一 一 - ∫ 6 4 2 . 0 O ロ 0 D o 0 D o . J叫 85 9 0 95 98 99 0 0 0 1 02 0 3 0 4 05 0 6 0 7 0 8 L t lJ . 典 =J AMA( ht t p: ・ / ・ : t v、 、 , . W. j 州1 a. Or . 軒l i bl / j am agaZ , i ne/ 200L )1 ユ/ ' 03. l l t 1 1 1 1 ) か 日 付尤 年 義 4 中国 自動 車 市 場 長 期 的 動 向 --2020年 ころ に年 間販 売 台 数 は約 2予 000万 台 (万 台 ) I n ・∼ F i i i i 閤 凶 2 14 1 1 -0 08 06 4 0 02 8 2 00( U 9 96 洋 94 92 1 Q)QV( U 出典 :塩 地 20 09に よ る 衷 狛 ま 2009年 中国ブ ラン ド別販 売 台数 の ランキングで あ る。表 を見 る と、GM は ビュイ ック の販 売 好 調 で 首位 を維 持 してい る。 大躍進 したのは中国広東省深セ ンに本社 が あ る BYD であ る0 2009年 の 同社 の販 売台数 は 45万台 で、全年 の 2. 6倍 と急拡 大 してい る。 ( 表 5を参 照)。 BYD は も とも と、i 995年 に設 立 され た 中国国内最大 手の充電式 二次電 池 メ- カーだ った。 リ チ ウムイ オ ン電池 で 世 界最 大 手 に な った BYD が 2003年 に 自動 車生産 に乗 り出 した 02005年 に 自社 開発 したガ ソ リン車 を発売 した。同社の主力車 種 F F3」は、外観 は トヨタの 「 カ ロー ラ」 ー202- 現代社会文化研 究 No . 購 元で、圧 倒的 に安い。品質 も悪 くない と( ハ評判 で、販売 が 伸びて きた ( 海 外情 報 2 0柑 年 1 2月 201 0) 02008 年 には トヨタ 自動 車 な どハ イ ブ リッ ド車の開発 で発 行 す る大手 自動 車 メー カ- に先駆 けて、量 産型 のプ ラグイ ンハ イ ブ リッ ド車 を発 売 、 世 瀞 の 注 目 を集 め る企業 とな ったo 義 5 中国 での ブ ラン ド別 販 売 台数 ( 2 0 09年 ) ( 単位 :万 台 、%) ブ ラン ド 台数 前年比 増 加 率 GM 1 82 67 VW 現代 1 40 37 8 4 81 日産 .′ しノー 76 40 トヨタ 71 21 ホ ンダ 58 ヱ3 奇瑞 50 40 BY L ) 45 丑 62 出所 日 工作機 械 」2 01 0に よる 第二章 中国 自動車産 業の技術導 入 とキ ャ ッチア ップ 1,中国 自動車産業への外国企業の直接投資 と技術移転 発展途上国-直接投 資 と技術移 転 を担 う主体 は先進 国の他 国企業 で あ る。 現代 の多 国籍 企 業 は 、グ ロ- パ ルな戦略 に基 づ いて海 外 直接 投資 と生産活動 を積極 的 に行 ってい るOそ の活動範 囲 及 び影 響 力 は 先 進 国のみ な らず 、発展 途 上国 に も大 き く及 んでい るO多 くの発展途 上 国 に と っては工業化 を 実 現 す 。 一 般 に 日本 の国語辞典 で は 「 キ ャ ッチ ア ップ再ま 「 追 いつ くこ と」 と定義 され て な ことで あ る るた めに、外 国 の先 進 技術 と生産設備 及 び資本 を導入す る ことは不 可欠 藤 本 隆宏 , い るO中国の工 業 化戦 略 は,基本 的 にいわ ゆ るキャ ッチ ア ップ型 工業化 戦 略 で あ る( 1 996,2001 )) 。 中国 の産業発展 につ いて ,技術 の キ ャ ッチア ップ は 2 段階 に釦 ナて 李春利 ( い る。産 業 の コア技術 の習得段 階 が 第 1段 階 のキ ャ ッチ ア ップ と位 置づ け られ る。つ ま り,中 国企 業は,技 術 の蓄積 ・向上 ,企業 のM & A と企業 間の技術 提携 を通 じ,技 術 を導入 吸 収 し、 生産能力 を整備 、生産 方 式 を構 築 し、コア技術 を獲得 ・吸収 し、中国の 自動 車産業 は第 1次 キ ャ ッチア ップ がで き る よ うになった とい え る。また,産業 の持続戚 産 を図 るた めには,コア技 術 を習得 した うえに,新製 品 と新 技術 を創 出す るイ ノベ ー シ ョンカ に結 実す る新 たな ステー ジ -203- 中国 自動車産業における技術 のキャ ッチア ップ (呂) -移行 しなけれ ばな らいoこのイ ノベ- シ ョンカの構築段 階 を意味す る発 展 プ ロセ ス が第 2段 階のキャ ッチア ップである。第 2段階のキャ ッチア ップの スタ- トは研 究 開発 投入 と基礎 研 究 であるOまた 自社 の新技 術 必要条件 であ るoLたが っ 多国籍 企業の直接投資 と の 確 立 と技術革新 の好循環 も第 2段 階キャ ッチ ア ップを実 現ための 中国含 めの多 くの発展途 上国は 、 さ 技術移転 を積極 的 に受 け入れ てい る O 他 技 術 、設備及び経営技術 も立 ち遅 て 、 も経 済発展 のための資本 と技術 が著 しく不足 していたO生 れ てい る O 産 ま U) ざまな優 遇政策 を通 じて、 発展途上国 と同様 に 、中国 中国は資本 と技術 に比べ て、整富な労働 力資源 が存在 してい るが、それ を消化 す る 能力がか けてい る O この よ うな状況の中で 、中国政府 は、外 国か らの直接投 資 と技術 移転の受 け入れ を含 めた 外 開放 、国内にお ける経 済の発展 、市場 メカニズムを積極的 に利用 す る政 第 対 -a )転換 を展開 している 。 それ に伴 って 、1 990年代 に資本 ・技術集約型 であ る自動 車産 業 が 基幹産業 として位置付 け られ 、外国か らの 資本 と技術 を積 極 的 に受 け入れ 、商用車か ら乗用 車 - シフ トし、成功 したOその結果 、外国か らの資本 ・技術 に よる乗用車の生産 は離陸期 を迎 え るよ うに至 った。 中国は 当初 、外資導入先 としてベ ンツや トヨタに 目を付 けた。 ところが様 々な事情 で うま く い かず 、結局 当時国際市場 では必ず しも トップクラス とは言 えない フォル クス ワーゲ ンな どを 選 択 せ ざ るを得 な か っ た O ヴォル クス ワ- ゲンは中国 に最 も 甲く 日986 年)選 注もし、 第-汽 車、上海 汽 車 とい う中 国 の トップ い る。 VW は、乗用 車を中 心 に 2 と各 席合併企業 を持 ち、生産 、販売体制づ く りで 発行 して 高級 車 か ら大衆 車-の品揃 えを図 ろ うと してい るが 、2つの合 弁企業間 で のプ ラ ッ トホー ムや部 品の共通化 によるコス ト削減 、 wTO加 盟後 に解禁 され る VW 独 白のマ- ケテ ィング展 開で、 トップ 2社 とうま く調整 で きた。その後ゼネ ラル 。モー タース は 99年 に合弁企業が本格稼働 した新規参入組 だが、その後 の動 きは早い。 上海 汽 車 との提 携 を軸 に、地 方の軽 自動車 メーカー- の資本 参加 も果 た したO 日本 の 自動車 メ- 力- は 、選 出が 欧米 メー カー に比べ遅れた こ ともあ り、 本 田技研 は 1 997年 に広州汽車 と提携 し、トヨタは 2000 年に天津汽車 との乗用車生産 を軸 に中同戦略 を強化 してい る。スズキや いす ゞの提携先であ る 北 方 汽車、江 鈴汽 車 との関係 も含 める と、軽 自動 車か ら乗用車、バ ス、 トラ ックまで幅広い生 産 拠 点 を確 保 してい る、そ の後 、 中国の 自動車市場 が どん どん大 き くな り、ついに 200 9年 世 界 N0, 1の販 売量まで成長 して きた。世界の強豪 メ-力- と技術提携 した こ とで、中国本 土の 自動 車 が技術 キャ ッチア ップ習 得の段階を経 て、これか らが 日欧米 メ- 力- を追い越 すステー ジ に入 ってい る。 2. 第一汽主の設立、発展 と技術のキ ャッチア ップ 中華人民共和国建国以後 、中国政府 は 自動 車の生産 を熱 望 し、1 95 0年代 はは じめか ら、敷 革 工場建設の準備に着 手 した。 1949年 1 2月 、毛沢東が 旧 ソ連 を訪 問 した とき、旧 ソ連 と協議 を 行った。旧ソ連に対 し中国の トラ ック製造 工場の建設 ( 年 間 3万台)を援助す るよ う要請 した。 吉林省長春市を-・ 汽 の工場 立地 とした主 な理 由は、次の通 りであるo ー204- 現代社会文化研 究 No. 49 20ま 0年 1 2月 ① 当時 中国 と旧 ソ連 とは緊 密 な友 好 関係 に あ り、 吉林 省 長 春 市 は 地 理 的 に 旧 ソ連 に近 く、 ま た戦 略 的 に 内陸 に位 置 して お り、 比 較 的 安 全 で あ っ た こ と 。 ② 長 春 市 は 中 国東 北 地 方 の 中心部 に あ り、 この地 域 に ③ 長 春 市 は晴 の時代 ( 1 800年 ) に設 立 さ れ た は 豊 富 な鉱 山資源 が あ った こ とO 「 長 春 庁 」 か あ ら、国 民 政府 、偽 満 州 国 に い た るまで 、 一定 の 工業 基盤 を もって い た こ と 。 ④ 長 春 は 北 京 -ハル ビン (旧満 鉄 - ハ ル ビ ン ) 鉄道 に 沿 い、 旧ソ連の鉄道 と も連 結 して い る た め、資 材 運 送 が便 利 で あ った こ とO 琶)こ の 地 方 の 天 候 は 梅 雨 が な い た め 、 比 較 的 に 乾 燥 して お り、 機 械 工 業 に 適 す る こ と ( 丸 山 コOOl a) : 、 第 一汽 車 は 豆 953年 に旧ソ連 の 自動 車 メー カ - ジル の支 援 に よ り設 立 され、1 95 6年 に ジル に 956年 か ら生 産 が 開始 され た 、 ソ ビ よる支 援 が終 了 したO設立後 30年 間 の 主 な生産 車 種 は 、 1 エ ト連 邦の トラ 、 、 / ,I /、ZI S1 5 Oをベ ー ス と した 中 岡 人民 解 放 軍 J)中型 トラ ッ ク、CAl t O と、 そ し1 57をべ - ス とす る軍 用 トラ ック、 解放 8CA30で あ っ たO の 2年 後 に生 産 が 開始 され た Z苦 王 988年 には新 型 の CA一拍 1の生産が 開 始 立 ち上 げ 、 これ は新 中国 国産 の は じめ さ れ たo乗 用 車 は 、1 958年 か ら自社 ブ ラ ン ドの紅 旗 を て 乗 浬 991年 に は フ ォル クス ワー ゲ ン と提 携 用 車 で 、 中国 要人 の 専 用 車 と して も広 く使 われ た。 し 、 世 界 の 最 新 技 術 を使 った乗 用 車 フ ォル ク ス ワー ゲ ン やジ ェ ッタの生 産 を子 会社 で 開始 した。 さ らにそ の後 、 トヨタや マ ツ ダ な どの大 手 自動 車 メ ー カ との提携 も開始 したoそ の後成 長 を続 け 、東 風 汽 車や 上海 汽 車 と共 に 中国 三太 自動 車 メー カ -の 一角 とな り、2004年 には販 売 台数 及 00万台 を突破 したo な ぜ今 回第-汽 車 を研 究 対 象 に した の は 、 まず 第 -汽 車 が設 立 した 当初 、 旧 ソ連 か らの製 造 技術 、管 理 技 術 及 び 90% の設 備 が ワ ンセ ッ トで導 入 され た。 また 、節 - 汽 車 は 旧 ソ連 が 提 供 した 「 生産 組 織 設 計 」に基 づ き、計 画経 済 体制 の 下 で 大 量 生産 を行 った。 当時政 府 の強 い集 権 的指 導 の 下 に 、第 -汽 車 は国家 の計 画 に従 って単 一 な ( 少 品種 )大 農 生 産 の流 れ 作 業 を行 って い たO 農 産 体 制 の流 れ 作 業 は世 界 の 由動 車 メー カ- に共 通 に採 用 され て きた 同 じもの で あ る。 この よ うな生 産 体 制 は 、 当時 の 中国 の状 況 に適 した もの で あ り、第 -汽 車 で も 及 970年 代 後 半 まで この 体 制 を続 け て きた ので あ る。第 - 汽 車 の経 験 を 中 国第 二汽 車 と他 の 中小 自動 車 メー カ ー に も広 く伝 え られ て い った。それ は 中国 自動 車 工業 にお け る生産 管理 の最 高 水 準 で あ り、中 国 自動 車 メー カー の代 表 的 な存在 で あ る こ とを物 語 って い る。 -205- 中国 自動 車産業における技術 のキャ ッチア ップ (呂) 表 6 第イ モ革 売 上 2 0 0 0年 2 0 01年 ヱ 0 0 ユ年 2 0 0 3年 ユ 00 4年 ヱ 0 0 5年 2 0 0 6年 ユ 0 07年 ユ 0 08年 販売 否 数 、 シニア推 移 ( 1元-1 3l l J ) 売十 ( 億元) 5 6 4 6 2 8 8 45 1 1 4 0 1 1 7 5 1 1 8 3 1 48 6 l 8 7 6 1 61 8 ( 新会計基準) 販売台数 41 0 70 9 ヰl o , 9 4 7 5 8 0 , 3 5 6 9 0 2 , 3 ユ 9 ト0 07 , 471 ト0 47, 1 61 ト1 6 5 了6 ユ i , 4 3 5 , 98 2 1 , 5 3 2 , 9 2 3 シェア ( %) 1 9. 9 1 7. 8 1 7. 8 2 03 及 9. 9 1 8. 3 1 6. 0 l f 一 , ヱ ( ∼ . 4 l 出頗 :第 汽車 we bの I R資料 より作成 l) トヨ タ生 産 方 式 の 導入、 徹底 1 9 7 0年代 の 日本 自動 車 産 業 が大 きい な発 展 を 遂 げ て い たoそ の 高水 準 の 生 産 管理を勉 強す る た め に 、 日本 自動 車業界 の協 力 を得 て 、第 - 汽 車 は 廠 長 (日本 企 業 の社 長 ) をは じめ とす る生 本 の トヨタ、 日野 、三 菱 、いす ゞ、 円座 な どの 日勤 車 を 現 地 視 察 莱-汽 車 の メ ンバ ー に とっ て 、大 きな シ ョ ックで あ った 。 中 国 よ りそれ ほ ど遅 れ て い なか った に も関 わ らず 、発 展 の速度 の 違 と研 修 を行 っ た。 この研 修 は の 由勤 牽産 業 が 出発 時 期 は E 3本 い が あ ま り大 きす ぎ る こ とに落 胆 した。 日本 の 自動 車産 業 が技 術 的 、 自動 化 的 に進 ん でい るの は も ち ろ ん で あ るが 、 トヨタの 後 、日本 の経 験 と トヨタ生産 方 式 の学 習 会 を組 織 した が 、これ が ブ- ム を呼 び 起 こ したOまた 、 車 に大 き な進 歩 を与 えた( 丸 山 200ia)0 1 98 0年代に太って、第 -汽 車 は 日野 自動 車 と 技 術 提 携 方 式 を通 じて、日野の L FO 6 S型 トラ ン ス 書ミ ッションケ-スの製 造 技術 を導入 したO同時 に正式 に前 回研 修を行った時に感 心 した ト ヨ' JJ)牛 席 j J ' i C 「 JLI ST ] N TI ME」 を導 入 し始 めた、 ,こ ' )して ト≡ fI /牛庫 j j式が体 系的 に導 入 され た 模 1 980 年 範 的 工 場 - 日 野 と技 術 提 携 した トラ ンス ・ミッシ ョン工場∴ で あ った。 代 に MI T で 行 わ れ た 日本 の 自動 車産 業 の研 究 にお い て注 目 され た の は 「リ- ン生産 方 式」で あ っ た o こ の こ と を 契 機 に を導 入 す る 新 た な ブ ー ム 産 か ら、製 品 開発 、 外 が 起 こ っ 注 、 販 売 さ らに- つ の 工場 か ら全 ・ 社 な い トヨタ 自動 車 は現 場 が 優 生産 方 式 を導 入 時 、徹底 的 し れ て 、 「が た ん 、1 990年 初 頭 に 、第 -汽 車 で は全 社 で 「リ- ン生 産 方式 」 Dそ して 、この トヨタ生産 方 式 の導 入 の新 た の ブ - ムは 生 ー ビス 、財 務 、企 業組 織 な どす べ て の生 産 8経 営 分 野 - ㌔ サ 第 そ ば - の ん 汽 車集 団 -広 く波及 して い っ た。 生 」 産 方 式 を健 界 に渡 り知 られ て い る。 第 -一汽 車 が トヨタ 方 式 、ト-個 流 し上 多 品 種 の混 流 生産 も実行 した。生 -206- 現 代社会 文化研究 No . 4 92 01 ( )隼 1 21 ] 産現場 を中心 に、生産要員 ( オペ レー タ)を主体 として位 置つ け、職長 を首長 とす る現場管理 体制 を採 用 した。 トヨタ生産方式 の導入 によって、第汽 車で実施 され た 30年 間の 旧 ソ連 の 大量生産方 式 と比べ 、作業者 旦人 当た りの平均作業負荷 率は過去 の平均 27% か ら 65%- と上 昇 し、生 効 率 は倍以上 に増加 し、44%以上の生産要員 を削減す るこ とがで きた。仕 掛品の在 庫や不 第- 良 - 汽 産 率 車 も半分 ぐらいまで減少 した。 は積 極 的に外 国か ら先進 な技術 と生産管 理 を学び、 自分流 の会社経営 に結び付 けて いる 時 に開発 セ ンター として 、現 在第一汽 車が持 つ第 汽 車技術 中心 ( 長 春汽車研 究所)紘 0 950年、従業員 1 939人 ( エ ンジニア 1 460 人 ある。設 立は 1 工 l ( ) 50年代以 来 、 2003年までに i 3 車種 を開発 した。 乗周 牽 「 小紅旗 」は技術 ライセ ンシングに よる寄 せ 集 め 開発 した。 エ ン W、 車1本はア ウデ I 1 00 、、 ジンは クライ スラー 、 トラン スミッシ ョンは V 続 00等 々に基づいて開発 を行 ってきたO ンジンは 日産 、車体はア ウデ ィ 1 市 場 の花形 で ある小型 商用車- の第-汽 車の強力 な参入 と低価格戦略 は、中国にお ける本格的 な 価 格 競争 の きっか け く 軒旗世紀 星 もエ -汽 車は上記 の よ うな意味で を作 った。寄せ集 めによる混血寮的 なモデル が多 い とは い え、第の、それ な りの ま とめ技術 をもっていた といえよ うOそ もそ も長春汽車研 究所 は、かつて業界 全体 の製 品開発 を担 当 した ことか ら各種 自動 車開発 の経験 があ り、それ を吸収 書統合 した こ と が第-汽 車の R&D能力の形成及 び フル ライ ン体制 の構築 に大 き く貢献 した こ とは間違 いない。 特 に乗用 車の 自主開発 は、外 国車設計モデル の生産 が主流 である現在 の 中国で は注 目され てい る。 また 1 960年代 か ら蓄積 され た技術 と経験 は少 な くとも開発 システ ムに関 して同社 が一定 の吸収能力 書学習能力 を もってい るこ とを示 してい る と言 える。 そ して、激 しい競争 に対 して、第-汽 車はア ウデ ィや VW の協力 を得 て、乗用車生産 の品質 管理制度 を導入 し、企業 内の中に定着 させ ていったO また、自社傘下の部 品 メ-力- も先進 国 か ら技術や設備 を導入 させ た り、外 国 メー カー と合弁 企業を設立 させ た りして、積極 的 に技術 能力 と管理能力 を高 め よ うとしたOさらに上記 の通 りで、全社で導入 していた 日本 の リー ン生 業員 まで 「 J USTr NTI M捌 く 中国語訳 は 「 準時化 生産 」)や 「リー ン生産 方式 ( 中国語役 は 「 精 義生産方式」とい う言薬 と内容 を知 らない人 はい ない ほ ど、 トヨタ生産方式 が第 汽 車に普及 す るよ うになった。 2) 技術 移転 によ り独 自の研究開発 力の育成 亜 980年 の始 めか ら、技術貿易結合 ( 技貿結合) とい う方 式 で 日本 か 転 が行 われ たOこれ は 日本の 自動車 メ-力-が トラ ック と主 要 装 ら大規模 な 自動車技術移 置 の図 面 を中国政府 、当時 は 中国汽 車 工業 進 出 口公 司 と中国汽 車工業総公 司に供 与 し、対価 として 当時 としては多数 の 日本 製 トラ ックを中 国が輸入す るとい う方 式であった0一 般企 業間の技術供 与 と異 な り提供元 は 日 本 の企 業 であ るが移転先 は中国政府機 関で あった。この よ うな大規模 な技術移 転 は初 めてで あ り、そ の後 の 中国 自動車産業 に与 えた影響 は計 り知れ ないO中国- の 自動 車技術移 転 は欧米が ー207 - 中国 自動 車産業 にお ける技術 のキャ ッチア ップ (呂) 先行 して いた が 、そ の方 式 は モ デル チ ェ ンジな どで 不 要 と な っ た 旧型 車 の 図面や治工具 な ど、 場合 に よって は 中古 工場全 体 を安 く売却す る と い う も の で あ る が 、日本 で は このような設備 廃 却 を行 わず最 新技術 が移 転 され るの で 中 国 側 か ら 高 く評 価 され た 。主 な 移 転 内容 は、いす ゞ自 動 車 は小型 トラ ック と小型 デ ィ-ゼル エ ンジ ン、日野 自動 車 は トラ ック用 変 速 機 、 日産 自動 車 が トラ ック用 キ ャブ、ガ ソ リンエ ンジンで あった。当時の 中国 は トラ ックが 主 力 で あ ったoそ の他 、企 業 間での技術提携 契約 に よる ダイ ハ ツ工 業 のハ イ ゼ ッ トの技 術 な どが 導入 され た。中 国の技術 キャ ッチア ップの経過 を見 る と、技 貿結 合 な どの技術移転 とそ の習得 消化 か ら リバー スエ ンジニア リング- ㌔ 1 990年代 終 わ りか ら の海 外-の委託 開発 を経 て 、之も 臓5年 あた りか ら 自主 開発段 階 が始 ま った ( 渡部 2009) 。 これ らの外 国 か らの技 術 提携 や 設備 の導入 はハ - ドの面 で 中国 の 自動 車 の 開発 能 力 が 大 分 高 めて きたO外 国 の技術 者 を採 用 した り、指 導 を受 けた り、または従 業員 を外 国 由動 寮メ- 力 --研 修 に行 かせ た り、外 間 の先進 な管理 システ ム を導入す る ことに よって ソフ トの 面 も同 時 に進 んでい る。これ らのハ - ドと ソフ トの面 を積極 的 に同時 に導入 また勉 強 す る こ とに よ っ て 外 同の技 術 をキ ャ ッチア ップで き る と考 え、実際 もそ のキ ャ ッチア ップは第 --汽 車 を 始 め 、ほ かの 中国大手 自動 車 メ- 力- の 率で選 んでい る ところであ る。 -j i、 中国の民族 系企業 は提携 先 の外 資 系企 業 か らの先進 技術 導入 は 困 難 とな り始 め 、外 資 系 には頼 らない とい う姿勢 が最近 強 まってい るO現在 中国閣 内でげ )最 大の話 題 は 中 国 民 族 系 企 業 殿 自主 開発 能力 向 上であ る。従 来 、中国U ∋乗 用 車生産 は合 弁企業 が 主役 で あ った。使用技術 は外 国企 業 か らの導入 に依 存 し、独 自技術 の蓄積 では進展 を見せ なか った。外 国企 業 と技術提 携 書合弁 関係 を持 たない民族 系企 業 が 「 組 み合 わせ ( モ ジ ュラ-)型」の ビジネ スモデルで台頭 して きた。 この よ うな 中、中国政府 は 「自主創 新」 (自主イ ノベ- シ ョン)強化 中自主ブ ラン ド 車育成 を通 じた 臣動 車企業 の国際競争 力 向上 を標 棒 してい る。 中国 は 2009年 か ら自動 車生産 にお いて世 界第 ふ とな った が, 未 だ に 自主 ブ ラ ン ド車 が少 な く、研 究 開発 能 ブ 摘ミ 低 く、墓要 自 動 車機 能 部晶 は外資 系多国籍企 業 に依 存 して い る こ と、晶質 レベル が世 界 の標 準 に達 してい な いな どの課題 を抱 えてい るOこの対策 と して 中国政府 は新規 自動 車投 資案件 に は 5倍 元以 上の R&D セ ンター設 置 と寝室 ブ ラン ド車 の 自主 開発 を義 務付 けてい る。 この政 策 に よって民族企 業 の 自室 開発 能 力の 向上 、弱 小 メ← カー の淘汰 、外 資企業 か らの技 術導入 の促 進 を図 るもので あ るo中国 には数 社 の例外 を除 き世界 の 自動 車 メーカ- と、多 国籍 メガ 自動 車部 品 メー カ-30 , 000万台 の 中国で の生産 車の 7割近 くが外 資系 で あ り中国市場 か ら大 社 の大部 分 が進 出 し、i きな経 済 的恩恵 を受 けてい る。 そ の 中に BYD、奇瑞 な ども民族 自動 車 メー カ- の成 長 が非常 に注 目され て い る。 しか し中国には 「 他 山之石 可以 攻 玉 」 とい う諺 の よ うに外 国の石 か ら宝 を作 り出す とい うプ 930年 に洛 陽で 初 の 国 産 トラ ックを生産 した。戦後 の中 ライ ドが あ る。 中国は 80年 ほ ど前 の 1 国 の 自動 車 生 産 は長 春 の第 日 -汽 畢舷 か ら始 ま ったが 、当時 の ソ連 は経 済支援 す るだ けの力が な -208- 現代社会文化研 究 NoA9 2 01 0年 i 2月 く、中国は通 常 の完成 車輸入 、ノ ッ クダ ウン組 立 、 国 産 部 品 の増 大 とい う一般 的 な方 式 が とれ なか った こ とはその後 の発展 の大 き な阻害要 因 と な っ た こ とも事実 で あ る。反 面 第- 汽車 は強 い 毎 主開発意識 を持 ってい る。 中国 地場最大 の 招動 牽 メ- 力- 、第 - 汽 車集 団 が、第 王1次 中 期 5カ年計画を策定、発表 した。経 営方針 として、自立発 展 、オ- プ ンな協 力 関係 、数値 目標 01 0年の総販 売台数 200万台以上、 自社独 臣ブ ラン ド販 売 台数 として 、2 収入 2 000億元を 目指す と してい る0 の積み上 げて きた優位性 を十 二 分 に 00万台以 上 、売上 1 2. 目標 実現のた めの 5大戦略 と して、第 1に 、製 品 ・ 発揮す る こ と、生産 に甘 ん じる こ とな く次 陛代 車 の開発 に まい進 す る こ とを挙 げてい るO第 2に、完成 車発展戦 略 と して、信頼性 とコス トパ フォー マ ン スのある製 品 の提供 、生産販 売規模 の拡 大 、シ ェアの拡 大 、ス ピ- ド経営 を掲 げてい る。また、 中型 、大型 、小型 、セ ダ ン、バ ス 書トラ ック全領域 にお け る発展 を 目指 し、 寝室 ブ ラ ン ド 1 0 0 万台販 売 を実現す る と してい る。第 3に、部 品及 び メ ンテナ ンス戦 略 と して 、部 品 開発 レベル の向上 、二次 開発能 力 の増強 を 目指 してい る0第 射 こ、海 外事 業戦 略 と して 、先ず は海 外 拠 点 を建設 、ネ ッ トワ- タ を構 築す る こ とを通 じて 、完成 車及 び部 品の輸 出 を拡 大す る と してい るo 第 5に、管理 システ ム能力 向上戦 略 として、職 務 幹職 責 の明確化 、縦 の管理 能 力 を高 め、横 の 風通 しを良 くす るこ と、 汀 に よるプ ラ ッ トフォー ム構 築 を通 してのデ- タに よ る管理 を 目指 す としてい る。5年 間で研 究 書開発 ( R&D) に 1 90億 元 ( 280億 ドル) の資金 を充 て る計 画 だ と 発表 した。 自社 ブ ラン ドモデル の売 り上げ を伸 ばす た めの取 り組 み の= 一環 とい う ( 『人 民 日報』 淘 外版 ( 201 0午 3月 I O口)) また、長 い 間、 トヨタをは じめ とす る 日本 の 自動車 メ- カ- は 中国企 業- の技術移 転 につい で 慎墓 のな だ っ た 。 それ に対 して、欧米 メ- 力- が技 術移 転 を行 って きた。世界 の 自動 車 メ- 力- か で , 先駆 けて 中国に進 出 したのは ドイ ツの V Wだ ったo中国政府 の考 えは極 めて シンプ ル な もの だ ったo す な わ ち、市場 開放 との交換 で外国メ- 力- の進 出を認 め 、技術移転 を促 し てい るこ とか ら、第 -汽 車 を始 め 、中国の大 手 自 動車 メ- 力- が外 国 自動 車 メ- カ- の完 全 の 技 術 キ ャ ッ チ ア ッ プ は 時 間 の 問題 にす ぎない し、またす で にキ ャ ッチア ップで きてい る ところ があ るも事 実 で あ るO 先進 国 に キ ャ ッチア ップ した こ とを象徴す る出来事 が 、2006 年 に トヨ タが 中国でハ イ ブ リッ ド車 「 プ リウス」の現地 生産 を開始 した こ とであ るO生産 され るの は 日 本 で 2003 年 に発売 され た 2 代 目の 「 プ リ ウス」で 、 日本 以外 では まだ生産 され てい ない最新 技術 の結 晶で あ る。 また次世代 の革 新 的 な生 産 シ ステ ムに 向 けて大 き く変化 し始 めた のだ。 変化 が起 きてい る場所 は 日本 ではな く、中 国 に あ るoこれ まで は様 々な制約 条 件 があ って完 全 な形 での実現 が難 しかった 「 後 工程 引 き取 り」が 、 トヨタ広州 で ほぼ完全 に出来 上が った。後 工程 引き取 りは、 トヨタ生産 システ ムの最 も核 心 に あ る 考 え方 だか らで あ る。 トヨタの もの 作 りが 、 ライバ ル 他社 に比 べ て効 率的なの は 、 この 後 工 程 引 き取 りに最 大 の理 由が あ る( 川嶋 2 006 ) 。 そ して 2 00 9年 中国建 国 6 0年の軍事 パ レッ トで 中国胡錦涛 主席 が乗 ってい る指 揮車は -209- 中国自動車産業における技術のキャッチアップ ( 冒) 第ー汽 車 開発 製造 の 8百 万元 ( 約 1億 円)の新 型紅旗 で あ るo この新 型 紅 旗 は ま さに第 -汽 車 の技術の結晶産物 だ と認識 してい るO 終章 中国民族 系 自動 車 メー カー は、取得 税減税 措置 、農村 部イ ンセ ンテ ィブ の支給 な ど政府 景気 策 を最大 限 に活用 し、 シェア上昇 の勢 いが鮮 明 とな ってい るO 一方 で 、B YD に よるオ ギ ラ の 館 林 工場 の 買収 、北京汽 車 に よ る Sa a b資産 の買収 、吉利 汽 車 に よる AT メ- 力- の豪 浮揚 ハ DSI及 び Vo漫 voCar Sの買収 な ど海 外企 業- の買収 を通 じて 、技術 力 の獲 得 を進 めてお り、開発 村 201 0) 。こ うした こ とか ら、世 界 自動 車 メー カ- は、 能力 も急 速 にキ ャ ッチ ア ップ してい る ( Cs諸国の これ まで の製 品開発 、部 品調達戦略 を見直す機 運 が高 まってい るO また 中国は 、BRI 中で も、ブ ラジル に比べ 人材 面 で、イ ン ドに比べ 市場成長力 が,ロシア に比べ製 造 業 の 基盤 が 優れ てお り、新戦 略- の舵切 りに必 要 な人材 、市場 、生産 が揃 って い る点 が中国 自動 車産業 の 特長 と言 える。 これ まで強調 して きた よ うに、中国は去年 に世界最 大 の 自動 車生産 ・販 売 国 と して登場 す る こ ととな った.巨大 な人 口保 有 国がい よい よ 自動 車産 業 にお いて もその 巨大化 ぶ りを発揮 す る こ とにな る 今 年 の北 京 と地 方のモ - 夕- シ ョ- を見 て も、日本 とは遥 か に 巨大 O な市場規模 が反映 し て い るo Lか し、中間 自動 牽企 業 は依然 と して技術 的 には先進 国 に大 き く 遅れ てい るこ とも事 実で あ るO 中国 メ- 力- は、M&A も通 じて、先 進 国ブ ラン ドと技 術 を獲 得 しよ うと血 眼 にな ってい るので あ る o また、中国 自動 車企業 の開発や 生産現場 で、 日本 人 を は じめ と した外 国人 が雇 用 され て技術 移 転 を行 って い るの であ るO自動 車産業 は総合 産 業 と し て、裾 野 が広 く、関連産 業 も多岐 にわた ってい るOそれ ゆえ、 こ う した 中国企業 の必死 の努力 が簡 単 に功 を秦す る もので もない。中国 自動 車産業 が先進 国に特 に遅れ て い る のは製 品開発 力 と部 品 メ - カ- の実 力であ り、そ こに今 後 の課題 が あ る と思 われ る。 中 国 臣動 牽 メ- 力- に よる独 自技術成 長路線 の模 索 は 、20 掴 年以 降 殿 触 t o Chi na モ- タシ ョ- か ら顕 著 に現れ てい るOハイ ブ リッ ド自動 車、電気 自動 車 な ど汐 )低公 害 車 、燃 料 電池 自 動 車 の試 作 車が 続 々発 表 され 、 また コンセ プ トカ- につ いて も小 型 乗 用 車か ら高級乗 用 車 、 MPV、SUV が披 露 され 、中国 白動 車 メー カー の技術 開発- の意欲 を世界 にア ピ-ル してい る。 また 、2008年 1月 の 北米モ- 夕- シ ョ- で は、民営企 業 の吉利汽 車が 世界初 の高速 走行 時 の タイ ヤパ ンク安全装 置 BMBS を出展 す るな ど、い よい よ中国 自動 車 メー カー に よる独 自技術 丸 山 20那b)。 それ で も、 自動 車産 業勃 興初期 の欧 塞 メー カ- 、戦 の開発段 階 を迎 えて い る ( 後復 興 を機 に輸 出産業 としての 育成 に成 功 した 日本 ・韓 国 メ- 力- に比 べ 、中国 自動 車 メ- 力 - が直 面す る技術 課題 は一昔 に比べ ハ ー ドル が増 してい る た とえば 、自動 車燃料 の多様 化 が 。 進む 中で従 来型 の化 石燃料 と次世 代燃 料 自動 車の技術 開 発 戦 略 の策 定 、自動 車先進 国が 特許 な どで固 めた知 的財 産権 の障壁 、そ して なに よ りも中国 の 自動車 メー カー を悩 ます のは 、高度 な -21 0- 現 代 社会 文化 研 究 No. 4り 201 0年 1 2F ] 技術統合 能力 が求 め られ る燃費性能 と、衝突安全性 能 が 世 界 水 準か ら見 て数年 ない し 1 0年 の 遅 れ を とってい るこ とにあ るか も しれ ないO 中国 では年 間 70 万人 の新卒者 となる理 系人材 を輩 出 し、 自動 車工学 の 開発研 究 を進 めるに は豊 か な 人的資源 に恵 まれ ている。近年 中国 自動車 メ-カ ー が取 り組 む 旺 盛 な製 品開発活動や 、 世界 自動 車 メーカー が進 め る中国現地 開発体制 も、こ うした中国の人材 資 源 の供給が源 泉 とさ れ てい るr L振 り返れ ば、1 0 午前に、中岡 は複雑な 金型は ほ とん ど作れ ず 、 円本 メー カー な ど の外 国企 業 に発注せ ざるを得 なか った。 しか し、わずか 1 0年 間で中間の金型 メ- 力- は凄 ま じく発展 し、日系の 自動 車 メーカ- に金型 を納 め る レベル まで成長 して い るOまた 自動 車の素 材 である鋼板 やプ ラスチ ック原料 は外 国企 業 と中国 現地企 業の合弁会社 を設 立 した こ と で 、素 材 の技術 移 転 も選 んでい る。おそ らくあ と 5年 ない し 1 0年 もすれ ば、 中 国 の 自動 車 メ ー カ ー は国 内市 場 に 限 らず 、海外 市場 で も外 国メー カー と互角 に戦 えるよ うに な る だ ろ うO <引用文 献 > 川嶋 諭 2006 「トヨ タ生 産 シ ス テ ム 、 中 国 で 大 進 化 遂 げ る 」 『日経 膵工 作機 械 』NO. 3、201 0年 3月)31頁 工 作 機 械 201 0 「海 外 情 報 」 村 隆 201 0 ビジネ ス 』 1 0月 1 7日骨 「中 国 自動 牽 産 業 の新 た な挑 戦 」 (富 士総 研 『中 国 通 トピ ックス 』201 0年 漫月 瞥) 塩 地 洋 200 9 「世 界 最 大 とな っ た 中 国 自動 車 市 場 の 今 後 」 ( 『J AMAGAZI NE』 2009年 1 2月 号 ) 中国 電 力 ㈱ エ ネ ル ギ ア 総 合 研 究所 201 0 『ェ ネ ル ギ ア 地 域 経 済 レポ - ト』No. 429、201 0年 4月 O 中国 汽 車 工業 年 鑑 期 刊 社 20里 『2009年 中 国 汽 車 工 業 年 鑑 』 (中 国 汽 車 技 術 中心 & 中 国 汽 車 工業 協 会 )㌔ 45bi . r . 1 藤 本 隆 宏 .李 春 利 1 996,200i「中 国 自動 車 産 業 の製 品 開 発 シ ス テ ム に 関 す る研 究 ノー ト上 s c us s i onPa pe r ,96I 2 東 京 大 学 経 済 学 部 Di 藤 本 隆 宏 20 04 『日本 の もの づ く り哲 学 』 (日本 経 済 新 聞 社 ) 丸 山恵 也 2001 『中 国 自動 車 産 業 の発 展 と技 術 移 転 』 ( つ げ番房 新 社) 『中 国 丸 山知 雄 2007a 「自動 車 産 業 の 高度 化 」宅 高 度 化 の潮 流- 産 業 と企 業 の 変 革 』 調 査 報 告 書 、 ア ジ ア 経 済研 究所 ) 丸 山知 雄 20 07b 「自動 車 産 業 発 展 政 策 の 中国 自動 車 産 業 」 ( 『J AMAGAZI NE』2007年 6月 賢) 09 「日中 自動 車 技 術 交 流 の 25年 」( Sc i e neePor t aH二hi na 2009年 9月) 渡 部 陽 20 節 - 汽 車 we b ht t p:/ / www. r aw. c om. e n 2009年 ま で の Ⅰ R統 計 デ ー タに よ る 日本 自動 車 工 業 会 we b ht t p: / / www. j ama. or . j p/ s 宅 a t s / 2008年 ま で の デ - 夕に よ る 主 指 導 教 員 く高 山誠 教 授 )、 副 指 導 教 員 ( 平松 庸 = ・ 准 教授 、長 尾 経 信 准 教授 ) ー211-