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中国自動車産業における技術のキャツチアップ

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中国自動車産業における技術のキャツチアップ
現 代 社会 文化研 究 NL
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中国 自動車産業における技術のキ ャッチア ップ
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タ自動車 、
キーワー ド--技術のキャッチア ップ、第一 汽車 、トヨ
リ ー ン 生
産 方式 、
民族 自動車 メーカー
は じめに
中国は 1
978年 の改革
や開 放 政 策 の 実 施 以 来 、 困
き く歩 んでい る。こ うした 状
り、自動 車 国産化 の基本 方
管理技
術
を
つ ある
0
特
徴
と
吸
収
に
、
中
て
は
、
外
と
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時
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直接 投資
術
国
の
国
移
自
か
転
ら
は
国
自動
車 産 業
は、中国 の基幹産 業 と しての位 置づ け も固 ま
針 の も と に 、外 国 メ ー カ
つ つ 国産
し
況 の 中 で
化 を 進 め 、量 産 体 制 の
動 車 産 業 は
の
産
「計 画 経 済 」
直 接 投 資 と 技術移転
難 な課題 を抱 えなが らも経 済発展 の遠 を大
- との合 弁 、外 国技術 の導入 の 中で 、生産 ・
確 立 を 目指 し、中国工業化 の原動 力 とな りつ
から 「
市場経 済 」- の転換 期 にお いて 、主 な
を積 極 的 に受 け入れ て きた。20 年 が経 って、
化 の初 期 の 達成 の役 割 を果 た し、製 品の 国産 率 が 9割 以上 に 達
成
さ
れてい る
。
20掴
年
の
中
なったo 中国
国
汽
の
車
自
動
車販 売 は政府 支 援 策 の後 押 しを受 けて急 増 し、粟 国 を抜 い て世 界 一 と
工業協会 把 AAM) は 2009年 の 中国 の 自動 車販 売台数 が前年 比
購 .
2% 増 の
1
360万台 で過 去最 高 に達 した と発表 した (
年鑑 社 201
0)
。 一方 、ア メ リカは経 済危 機
の影 響 で
2009年 の 毎動 車販 売 は 呈
糾0万台 に とどま り、 音
00年 世界最 大の 自動 車 市場 の座 を維 持
して き
たア メ リカが、そ の座 を 中 国 に奪われ るこ とにな ったo下記 の図表 を見れ ば、中国 自動 車 市 場
の成 長 は一 目瞭然 で あ るO
-1
97
-
中国 自動 車産業 にお け る技術 の キ ャ ッチア ップ (冒)
9
90年 -2
0
0
9年世界 主要 国 自動 車販 売 台数 @)推 移
義 1 1
出典 :中国電 力㈱ ェ ネル ギ ア 総 合 研 究所 2
01
0
2澄 世紀 に入 ってか ら中国 自動 車 産 業 では、 生産 プ ロセ ス技術 o製 品技術 の 向
料 の国 産化 、資本集 約
す る高 度化 の プ ロ セ
度 の 上昇
上 、 部
品
8材
とい う。連 の変革 を通 じて、国 内付加 価値 の労働 生産 性
が
上昇
ス が 加 速 して
い る。 =
方 、技術 その もの を生み 出す研 究 開発 につ いては 、
依然 と して外 資 -
の依 存 度 が以 前 高い
ンテ グ ラル型 と 分
析 し、最 近 中 国 は
フ トウエ ア な
どで は キ ャ
と指摘 してい る (
丸 山 20那 a)
。自動車 は タロ- ズ ド・イ
急 速 に 生 産技術能 力 を向 上させ 、家電製 品、通信機器 、 ソ
ッチ ア ップ を達 成 す るだ ろ うと指摘 して い る(
藤本 2り銅)
0
この よ うな 問題 意 識 の も とで本 論 文 で は 、研 究課題 として外 閣 メ- 力- の直接 投資 と技術移
転お よび 中国 自動 車 の 代 表 メ- 力 - (
節一
汽 車)を例 に して 中間 自動 車産 業の技術 のキャ ッチ
ア ップ を考 察 す るOす な わ ち 、中 国 自動 車産 業 は外 国か らの直接 投 資 と技 術移 転 によって、著
しい成長 を遂 げ、中間 の 由 敷 革 メ- 力- は急 速 に技術 をキ ャ ッチア ップ してい るOその原因 は
どこにあ るか を解 明 して い く。
第 -章 では 、中 国 の 自動 車産 業の 沿革 と現状 を分析 す る上 で 、中国 由敷 革産業の歴 史的展 開
を よ り全 体的 に理解 す る た めに、戦 前 の 中 国 自動 車産 業 の発 展 か ら、計 画経 済期 の体制 、また
市場 経 済期 の展 開に 至 る まで の経緯 、歴 史 、現 在 の特徴 を概 観 す る。 こ うした分析 を通 じて 、
中 国 自動 車産 業 にお け る外 国か らの直接投資 と技術 移 転 の 背 景 と現状 を解 明す る。第 二章で は、
節-汽 車 を例 に して、中国 自動 車 メ- 力- は外 国 か ら直 接 投 資 と技 術移 転 を
ど
うの よ うに受 け
入れ てい るか 、またそ の技術 をキャ ッチア ップで きて い るか を解 明 して い く 終章 では 中国 自
O
動 車産 業 の問題 点 と将来発 展 につ いて論 じてい くo
第 1牽 帝国 自動 車 産 業 の 沿革 と現状
戦 前 に も トラ ックを 試作 した 中国の 自動 車市場 は 1
990年代 末 U
)マ ク ロ経済 の 好転及 び 200昔
年 の世 界 貿 易機 関 (
W TO)加 盟 とともに急速 に拡大 して きた。
-1
98-
1
射 t社会文化研究 No
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92
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1 中国 肖動 車 産 業の沿革
中国 の 自動 車 産 業 は戦 前 か ら軍事や 民生 用 に試 作 した。 戦後 にお い て 、旧 ソ連 の援 助 に よる
長春 第-汽 車 以 来 の長 い歴 史 を有 し、その後 、 「大躍 進 時 代 」 「
文 革期 」 の 困難 な時期 を経 て 、
「 改
自
1
・
革
・開 放 期 」の 1
980牛代 か ら 1
99O隼 代 にか け る急速 な拡 大 ・成 長 を遂 げ て きた、
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押)
動
車産
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戦前
業 は必 ず しも順調 で あった とはい えな く、下記 の よ うな歩 み を経 て今 日に至 ったo
張学 良に よ り 1
931隼に 「
尺 牛」 ブ ラ ン ドJ)トラ ッ クを試 作 した.
、 しか L、 そ の l
二
場 は満 州
事 変 で 日本 軍 の手 に落 ち、同和 自動 車 と改 名 し、月産 3
00台 で生産 し、 日本 軍 に納 入 して い
たO 日本 ちなみ に 日本 で は 1
902年 に蒸 気 自動 車 とガ ソ リン乗 用 車 を試 作 したo
・1
936年 、 卜海 に 中国汽 車製造 公 司が設 ;
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され 、ベ ンツ とL
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提 携 で トラ 、
ソクを 2000台組
み 立て る。国 民 党資源 委員 会 も トラ ック工場 を作 った が戦争 で 中断 したO東 津 で は戦前 に ト
ヨタ等 が残 した 工場 を利 用 して戦後 ダイハ ツの三輪 自動 車 の製 造 が 計 画 され た0
2) 計画経 済期 :第 -汽 車 の誕 生
。1
953年 、 長春 に第 -汽 車製 造廠 (
現在 の 中国第 -汽 車)着 工 した。 ソ連 の Z軋 の全 面的技術
援 助 を得 て 、 当初 は 4 トン トラ ック年 産 3万台 の規模 (ちなみ に三菱 ふ そ うの 2003年 の ト
ラ ック生産 台数 は 9万 台)
8太 躍 進
期
(1
958-60年 ) に メー カー が乱 立
3)計画 経 済 期 :メー カー の 増加
8南京汽車 (小型 トラ ック)、北京 汽 車 (ジ- プ)な どが 第 一 汽 車 と並 ぶ 主要 メー カ- とな る。
・乗 周 車 の 試 作 も各地 で行 われ た。
4) 計 画経 済期 :乗 用 車 「
紅旗 」
・多 くの試 作 車 は指 導者 の歓 心 を 買 うた め の 生 産 で 終 わ ったOそ の 中で 、最 高幹 部 の乗 る乗 用
車 と して生 産 が継 続 され た の が第 -汽 車 の 「
紅旗 」
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紅旗 」 は ChT
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955年版 C69を
985年 の 累 計 生 産 台数 は 1
500台 だ った0
も とに開発 され 、 1
960年 か ら ま
5) 計画経 済期 :第 二汽 車 の建設
書1
960年 代 か ら 70年 代 の最 大 の プ ロジ ェク トは第 二汽 車製 造廠 (
現在 は 東
風 汽 車
設 を行 ったO第 二汽 車 は 「三線 建設」の一 環 と して湖 北省 西部 の 山間部 に 建
公 司) の建
設 され
た。戦争
に備 えて軍 用 車 を搾 る予 定 が 、結 局戦争 の危機 が蓋 ってか ら工場 が完成 した た め 、5 トン ト
ラ ックの 工場 にな り、第 -汽 車 と役 割 が重 な って しま った0
6) 計画経 済期 :小型 トラ ックの誕 生
8第 -汽車 の 「
解 放 」 トラ ック生 産 量 は 1
980年 時 点 で 6万 台 、第 二汽 車 の 「
東 風 」 は 89年 に
は 1
3万台O 国家 は結果 的 に 5 トン トラ ックにばか り資金 を注 い だO 小型 トラ ックの生 産 を
埋 め るた め に地 方政府 は小型 トラ ックを生 産 し、そ の プ ロ トタイ プ となっ た の が 「
北京 音
30」
30系 の メ- カー が で きた。
だ ったO 技 術 の無償 移 転 に よ り、全 国 に 20社 の北 京 1
-1
99-
中国 自動 車産 業における技術のキャ ッチア ップ (
呂)
7) 計 画 経 済 期 :乗 用 車 の 不 足
。計画経済時代 に 生 産 され た 乗 用 車 は 「紅旗 」 以外 には 中級 幹部 向 け の 「
上海 上 これ も年 産
5000台程度、地 位 の 象 徴 な の で 、 「上海 」 は人気 が ない。 改革 開放 以 降、乗用 車の不足 か ら
突撃的輸入や密輸 が 盛 ん に な っ た。
8)改革 開放期 :乗 用車U
)国 産 化
・政府は 国 産化 を 目指 して 、外 国 との合 弁企 業 を設 立 したo 早 い時期にで きた合弁 と して 上海
vw、 北京 ジー プ 、広 州 プ ジ ョー の 3社 だ った。 もり と も
ナ 」 だ っ た。 1
981年 欧 州 で発 売 、 1
984年 には 日産 が ラ
題 に な っ た。 中国 に は い わ ば 「
お 下 が り」 と して持 ち
9) 改 革 開放 期 :サ ン タナ (ドイ ツ
V
W の 自動 車名 )
昌 サ ン タナ 」 は 中堅 幹 部 用 公 用 車 、 タ ク シ- と して
化 をす る よ う圧 力 を か け る た め に 、販 売価 格 に 「
国
売 価 格 は なん と 300万 円前 後 Oそ の 資金 で部 品
86%に達 す るO サ ン タナ は 累 計 生 産 台数 200万
広
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台
に
達
化
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成
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加
生産。 「和製 外 車」 と して話
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功
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したのが上海 vw の 「
サ ンタ
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成
品
て
金
術
も
」
国
い
を
産化
るo 中国政府 は部 品国産
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二乗 せ たo そ の結 果 、小
導
入 し、1
994年 には国産化率
生
産 が続 いてい る。
10) 改 革 開放 期 :産 業 政 策 の展 開
・中国政 府 は 自国 の 自動 車 産 業 が 無 力 な企 業
ば
か
り
で
あ
る
こ
と
を
憂 え、 グル ー プ化 に よって 実
力 を高 め る こ とを企 図 したO そ の た め に新規参入 を抑 え よ うとす る。 そ こで乗用 車 の生産拠
980年 代 後 半 に 「
三大 三小 」の 6
点 を絞 る こ と に決 定 した。 自動 車 U)ダル - プ化 を 目指 し、 1
社 に 限定 す る政 策 を打 ち出す0
81
994年 に 「自動 車工業 産業政 策 」 を公 布。それ まで の政策 (グル - プ化 、新 規 会社 の乗用 車
産 業 の参 入 制 限 、部 品 国産 化 ) を集 大成 す る とともに、マ イ カー普 及 を初 めて唱 えたO厳 し
い参 入 制 限の た め、進 出 に名乗 りをあ げ た トヨタ、 日産 、 フォ- ドには 門戸 を閉 ざす。 ホ ン
ダは 空 い た鷹 に入 り込む こ とが で きた。 中国の 自動 車大 国化 を 目指 した 「
産 業政策 」が もた
ら した もの は 、 予想 外 の需 要 の低 迷 で あったO
廿「自動 車 工業 産 業政 策 」 は 1
999年 辺 りに な る と事 実 L効力 が薄れ たowT0協 定 に抵 触
す るの で、200豊年 の加 盟 と ともに効 力 を失 った。 世 界 の メ- 力- が 中間 に進 出。 競 争 のな
か で価 格 低 落 したo WTO 加 盟 に よって 自動 車産業 は打撃 を受 け る と言 われ て いた が 、実際
には 2年 で倍増の急 成長 を達成 した。
2, 中国 自動車産業の現状
世界的には 2
0
0
8年秋 か らのア メ リカ発金 融危機 の影響 が実体経 済 に波及 し、先進 諸国は
お しなべ て景気 の低 迷 に苦 しむ な か で 、中国 自動 車産 業 が大 き く拡 大 してい る こ とが鮮 明で あ
の金 融危機 が 中国 自動 車産 業 に も大 きな影 響 を与 えた こ とは事 実で あ る そ の結果 、中国 日動
。
-200-
現 代社 会 文化研 究 No.
49
2
8
1
0年 1
2月
車市場は年末 にか け て 低迷を続け、下記 も表 2を参 照 、2
0
08年 の販 売台数 は 、前 年 の 8,
79且
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523
台をわず か 6.
9% 上回 る 9
,
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0
,
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0
2台 に とどま った02
0
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9年 に入 ってか ら、 中国 自動 車産 業 揺
目覚ま しい躍 進 を遂 げ るの に至 った。その背景 と
対策 が挙
げ られ る02
00
8年 日 月 9日には 中国政
て、金融危機 に対す る中国政府 の積極 的 な
し
府
は
「
内需促進 .
経 済成 長 の た めの ま
0大槽 置 」
が 決 定 さ れ 、 そ(
ハうちL
n鉄道 ・道路 ・空港 ・電 力等U)重大イン7=
)整備〔
ハ加速 、農村 し
ハイン7
ラ整 備 を 加 速 、 生態環境整備 の強化 な ど 7分野 につ いて 、2
01
0年末までに 4兆元投 資 を実施
す る と発 表 され 、そ の後に地方政府 に よる 2
0兆元 を超 え る投資計画が打ち出 され る こ とにな
っ た Oこ うした政府 に よ る内需拡 充策 は当初 の発表 内容 か ら修正 されながらも着実 に実行 され
てお り、 中国経 済のマ ク ロ的 な改善 に貢 献 してい った。 さらに、 自動 車産 業 につ い て は、 「
汽
車下郷」 「
以 旧換新 」 とい う言薬 に象徴 され る中国政府 の 自動 車産 業調整 振 興 政策 が、基本 的
には、奏功す る こ とになった。その結果 、依 然 と して 、特 に基本型 乗周 車部 門で は 日米欧韓 の
外
資系が約 7割 と優位を占めてはい るもの
自 動
車
の
、
国民族 系 メ- 力- が シ ェア を拡太 し、次世代
中
開発 にも積極的な姿勢 を示 してい る
O
表2 2
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9年 中国 自動
車
販
売台数推移 (
単位 :育)
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4)
出所 :中国 汽車工業年鑑期刊社2
01
0、括 弧 内 は基 本 型 乗 用 車
近年 、中国 は 世界 に 向 け 自主技 術 開発 を主張 し始めてい るO 特 許 の 出 願 件 数
遇税 制 も撤廃 され よ うとしてい る。
財
政面 での科 学 技術 関 連 支 出 は 増 え て お
も
。
増 え 、外 資
り 、研 究
優
開発機 構
の民営化 が進 め られ 、大手企 業 の海 外進 出 も活発 で あ る。 しか し こ う した 政 策 面 での変化 に比
べ、実態 を見 る とい ろい ろ問題 が生 じてい るO研 究 開発 機 構 の資金 不足 は厳 しく、大企 業 は独
自の R&D よ りも海 外 か らの技術 導入 に熱 心 な こ と、 人材 不足 、官 僚 統 制 の無 駄 な どの弊害 が
目立 ってい る 自主技術 開発 に向か う以前 に計 画
O
経
済
ー201
-
時代 の惰 性 か らの 決別 が まだで きてい な
中国 自動 車産 業 にお け る技術 のキ ャ ッチア ップ (呂)
い ことも現 状 であ る
O
義 3 主要 国 の寧 閤 由軌 車 生 産 台 数 推 移 (酎 立
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年
義 4 中国 自動 車 市 場 長 期 的 動 向 --2020年 ころ に年 間販 売 台 数 は約 2予
000万 台
(万 台 )
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出典 :塩 地
20
09に よ る
衷 狛 ま 2009年 中国ブ ラン ド別販 売 台数 の ランキングで あ る。表 を見 る と、GM は ビュイ ック
の販 売 好 調 で 首位 を維 持 してい る。 大躍進 したのは中国広東省深セ ンに本社 が あ る BYD であ
る0 2009年 の 同社 の販 売台数 は 45万台 で、全年 の 2.
6倍 と急拡 大 してい る。 (
表 5を参 照)。
BYD は も とも と、i
995年 に設 立 され た 中国国内最大 手の充電式 二次電 池 メ- カーだ った。 リ
チ ウムイ オ ン電池 で 世 界最 大 手 に な った BYD が 2003年 に 自動 車生産 に乗 り出 した 02005年
に 自社 開発 したガ ソ リン車 を発売 した。同社の主力車 種 F
F3」は、外観 は トヨタの 「
カ ロー ラ」
ー202-
現代社会文化研 究 No
.
購
元で、圧 倒的 に安い。品質 も悪 くない と(
ハ評判 で、販売 が 伸びて きた (
海 外情 報
2
0柑 年 1
2月
201
0)
02008
年 には トヨタ 自動 車 な どハ イ ブ リッ ド車の開発 で発 行 す る大手 自動 車 メー カ- に先駆 けて、量
産型 のプ ラグイ ンハ イ ブ リッ ド車 を発 売 、 世 瀞 の 注 目 を集 め る企業 とな ったo
義 5 中国 での ブ ラン ド別 販 売 台数 (
2
0
09年 )
(
単位 :万 台 、%)
ブ ラン ド
台数
前年比 増 加 率
GM
1
82
67
VW
現代
1
40
37
8
4
81
日産 .′
しノー
76
40
トヨタ
71
21
ホ ンダ
58
ヱ3
奇瑞
50
40
BY L
)
45
丑
62
出所 日 工作機 械 」2
01
0に よる
第二章
中国 自動車産 業の技術導 入 とキ ャ ッチア ップ
1,中国 自動車産業への外国企業の直接投資 と技術移転
発展途上国-直接投 資 と技術移 転 を担 う主体 は先進 国の他 国企業 で あ る。 現代 の多 国籍 企 業
は 、グ ロ- パ ルな戦略 に基 づ いて海 外 直接 投資 と生産活動 を積極 的 に行 ってい るOそ の活動範
囲 及 び影 響 力 は
先
進 国のみ な らず 、発展 途 上国 に も大 き く及 んでい るO多 くの発展途 上 国 に と
っては工業化
を
実
現
す
。
一
般
に 日本 の国語辞典 で は 「
キ ャ ッチ ア ップ再ま 「
追 いつ くこ と」 と定義 され て
な ことで あ る
るた めに、外 国 の先 進 技術 と生産設備 及 び資本 を導入す る ことは不 可欠
藤 本 隆宏 ,
い るO中国の工 業 化戦 略 は,基本 的 にいわ ゆ るキャ ッチ ア ップ型 工業化 戦 略 で あ る(
1
996,2001
))
。 中国 の産業発展 につ いて ,技術 の キ ャ ッチア ップ は 2 段階 に釦 ナて
李春利 (
い る。産 業 の コア技術 の習得段 階 が 第 1段 階 のキ ャ ッチ ア ップ と位 置づ け られ る。つ ま り,中
国企 業は,技 術 の蓄積 ・向上 ,企業 のM & A と企業 間の技術 提携 を通 じ,技 術 を導入 吸 収 し、
生産能力 を整備 、生産 方 式 を構 築 し、コア技術 を獲得 ・吸収 し、中国の 自動 車産業 は第 1次 キ
ャ ッチア ップ がで き る よ うになった とい え る。また,産業 の持続戚 産 を図 るた めには,コア技
術 を習得 した うえに,新製 品 と新 技術 を創 出す るイ ノベ ー シ ョンカ に結 実す る新 たな ステー ジ
-203-
中国 自動車産業における技術 のキャ ッチア ップ (呂)
-移行 しなけれ ばな らいoこのイ ノベ- シ ョンカの構築段 階 を意味す る発 展 プ ロセ ス が第 2段
階のキャ ッチア ップである。第 2段階のキャ ッチア ップの スタ- トは研 究 開発 投入 と基礎 研 究
であるOまた 自社 の新技
術
必要条件 であ るoLたが
っ
多国籍 企業の直接投資
と
の
確 立 と技術革新 の好循環 も第 2段 階キャ ッチ ア ップを実 現ための
中国含 めの多 くの発展途 上国は
、 さ
技術移転 を積極 的 に受 け入れ てい る
O
他
技
術 、設備及び経営技術 も立 ち遅
て
、
も経 済発展 のための資本 と技術 が著 しく不足 していたO生
れ てい る
O
産
ま
U)
ざまな優 遇政策 を通 じて、
発展途上国 と同様 に 、中国
中国は資本 と技術 に比べ て、整富な労働 力資源 が存在 してい るが、それ を消化 す る
能力がか けてい る
O
この よ うな状況の中で 、中国政府 は、外 国か らの直接投 資 と技術 移転の受
け入れ を含 めた
外
開放 、国内にお ける経 済の発展 、市場 メカニズムを積極的 に利用 す る政 第
対
-a
)転換 を展開 している
。
それ に伴 って 、1
990年代 に資本 ・技術集約型 であ る自動 車産 業 が
基幹産業 として位置付 け られ 、外国か らの 資本 と技術 を積 極 的 に受 け入れ 、商用車か ら乗用 車
- シフ トし、成功 したOその結果 、外国か らの資本 ・技術 に よる乗用車の生産 は離陸期 を迎 え
るよ うに至 った。
中国は 当初 、外資導入先 としてベ ンツや トヨタに 目を付 けた。 ところが様 々な事情 で うま く
い かず 、結局 当時国際市場 では必ず しも トップクラス とは言 えない フォル クス ワーゲ ンな どを
選 択 せ ざ るを得 な か っ た O ヴォル クス ワ- ゲンは中国 に最 も 甲く 日986 年)選 注もし、 第-汽
車、上海 汽 車 とい う中 国
の トップ
い る。 VW は、乗用 車を中 心
に
2 と各 席合併企業 を持 ち、生産 、販売体制づ く りで 発行 して
高級 車 か ら大衆 車-の品揃 えを図 ろ うと してい るが 、2つの合
弁企業間 で のプ ラ ッ トホー ムや部 品の共通化 によるコス ト削減 、
wTO加 盟後 に解禁 され る VW
独 白のマ- ケテ ィング展 開で、 トップ 2社 とうま く調整 で きた。その後ゼネ ラル 。モー タース
は 99年 に合弁企業が本格稼働 した新規参入組 だが、その後 の動 きは早い。 上海 汽 車 との提 携
を軸 に、地 方の軽 自動車 メーカー- の資本 参加 も果 た したO 日本 の 自動車 メ- 力- は 、選
出が
欧米 メー カー に比べ遅れた こ ともあ り、
本 田技研 は 1
997年 に広州汽車 と提携 し、トヨタは 2000
年に天津汽車 との乗用車生産 を軸 に中同戦略 を強化 してい る。スズキや いす ゞの提携先であ る
北 方 汽車、江 鈴汽 車 との関係 も含 める と、軽 自動 車か ら乗用車、バ ス、 トラ ックまで幅広い生
産 拠 点 を確 保 してい る、そ の後 、 中国の 自動車市場 が どん どん大 き くな り、ついに 200
9年 世
界 N0,
1の販 売量まで成長 して きた。世界の強豪 メ-力- と技術提携 した こ とで、中国本 土の
自動 車 が技術 キャ ッチア ップ習 得の段階を経 て、これか らが 日欧米 メ- 力- を追い越 すステー
ジ に入 ってい る。
2. 第一汽主の設立、発展 と技術のキ ャッチア ップ
中華人民共和国建国以後 、中国政府 は 自動 車の生産 を熱 望 し、1
95
0年代 はは じめか ら、敷 革
工場建設の準備に着 手 した。 1949年 1
2月 、毛沢東が 旧 ソ連 を訪 問 した とき、旧 ソ連 と協議 を
行った。旧ソ連に対 し中国の トラ ック製造 工場の建設 (
年 間 3万台)を援助す るよ う要請 した。
吉林省長春市を-・
汽 の工場 立地 とした主 な理 由は、次の通 りであるo
ー204-
現代社会文化研 究 No.
49 20ま
0年 1
2月
① 当時 中国 と旧 ソ連 とは緊 密 な友 好 関係 に あ り、 吉林 省
長
春
市 は 地 理 的 に 旧 ソ連 に近 く、 ま
た戦 略 的 に 内陸 に位 置 して お り、 比 較 的 安 全 で あ っ た こ と
。
② 長 春 市 は 中 国東 北 地 方 の 中心部 に あ り、 この地 域 に
③ 長 春 市 は晴 の時代 (
1
800年 ) に設 立 さ
れ
た
は
豊
富 な鉱 山資源 が あ った こ とO
「
長 春 庁 」 か あ ら、国 民 政府 、偽 満 州 国 に い た
るまで 、 一定 の 工業 基盤 を もって い た こ と
。
④ 長 春 は 北 京 -ハル ビン (旧満 鉄 - ハ ル ビ ン ) 鉄道 に 沿 い、 旧ソ連の鉄道 と も連 結 して い る
た め、資 材 運 送 が便 利 で あ った こ とO
琶)こ の 地 方 の 天 候 は 梅 雨 が な い た め 、 比 較 的 に 乾 燥 して お り、 機 械 工 業 に 適 す る こ と
(
丸 山 コOOl
a)
:
、
第 一汽 車 は 豆
953年 に旧ソ連 の 自動 車 メー カ - ジル の支 援 に よ り設 立 され、1
95
6年 に ジル に
956年 か ら生 産 が 開始 され た 、 ソ ビ
よる支 援 が終 了 したO設立後 30年 間 の 主 な生産 車 種 は 、 1
エ ト連 邦の トラ 、
、
/
,I
/、ZI
S1
5
Oをベ ー ス と した 中 岡 人民 解 放 軍 J)中型 トラ ッ ク、CAl
t
O と、 そ
し1
57をべ - ス とす る軍 用 トラ ック、 解放 8CA30で あ っ たO
の 2年 後 に生 産 が 開始 され た Z苦
王
988年 には新 型 の CA一拍 1の生産が 開 始
立 ち上 げ 、 これ は新 中国 国産 の は じめ
さ れ たo乗 用 車 は 、1
958年 か ら自社 ブ ラ ン ドの紅 旗 を
て 乗
浬
991年 に は フ ォル クス ワー ゲ ン と提 携
用 車 で 、 中国 要人 の 専 用 車 と して も広 く使 われ た。
し 、 世
界 の 最 新 技 術 を使 った乗 用 車 フ ォル ク ス ワー ゲ
ン やジ ェ ッタの生 産 を子 会社 で 開始 した。 さ らにそ の後 、 トヨタや マ ツ ダ な どの大 手 自動 車 メ
ー カ との提携 も開始 したoそ の後成 長 を続 け 、東 風 汽 車や 上海 汽 車 と共 に 中国 三太 自動 車 メー
カ -の 一角 とな り、2004年 には販 売 台数 及
00万台 を突破 したo
な ぜ今 回第-汽 車 を研 究 対 象 に した の は 、 まず 第 -汽 車 が設 立 した 当初 、 旧 ソ連 か らの製 造
技術 、管 理 技 術 及 び 90% の設 備 が ワ ンセ ッ トで導 入 され た。 また 、節 - 汽 車 は 旧 ソ連 が 提 供
した 「
生産 組 織 設 計 」に基 づ き、計 画経 済 体制 の 下 で 大 量 生産 を行 った。 当時政 府 の強 い集 権
的指 導 の 下 に 、第 -汽 車 は国家 の計 画 に従 って単 一 な (
少 品種 )大 農 生 産 の流 れ 作 業 を行 って
い たO 農 産 体 制 の流 れ 作 業 は世 界 の 由動 車 メー カ- に共 通 に採 用 され て きた 同 じもの で あ る。
この よ うな生 産 体 制 は 、 当時 の 中国 の状 況 に適 した もの で あ り、第 -汽 車 で も 及
970年 代 後 半
まで この 体 制 を続 け て きた ので あ る。第 - 汽 車 の経 験 を 中 国第 二汽 車 と他 の 中小 自動 車 メー カ
ー に も広 く伝 え られ て い った。それ は 中国 自動 車 工業 にお け る生産 管理 の最 高 水 準 で あ り、中
国 自動 車 メー カー の代 表 的 な存在 で あ る こ とを物 語 って い る。
-205-
中国 自動 車産業における技術 のキャ ッチア ップ (呂)
表 6 第イ モ革 売 上
2
0
0
0年
2
0
01年
ヱ
0
0
ユ年
2
0
0
3年
ユ
00
4年
ヱ
0
0
5年
2
0
0
6年
ユ
0
07年
ユ
0
08年
販売 否 数 、 シニア推
移 (
1元-1
3l
l
J
)
売十 (
億元)
5
6
4
6
2
8
8
45
1
1
4
0
1
1
7
5
1
1
8
3
1
48
6
l
8
7
6
1
61
8
(
新会計基準)
販売台数
41
0
70
9
ヰl
o
,
9
4
7
5
8
0
,
3
5
6
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0
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3
ユ
9
ト0
07
,
471
ト0
47,
1
61
ト1
6
5
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ユ
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,
4
3
5
,
98
2
1
,
5
3
2
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9
2
3
シェア (
%)
1
9.
9
1
7.
8
1
7.
8
2
03
及
9.
9
1
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3
1
6.
0
l
f
一
,
ヱ
(
∼
.
4
l
出頗 :第 汽車 we
bの I
R資料 より作成
l) トヨ タ生 産 方 式 の 導入、 徹底
1
9
7
0年代 の 日本 自動 車 産 業 が大 きい な発 展 を 遂 げ て い たoそ の 高水 準 の 生 産 管理を勉 強す る
た め に 、 日本 自動 車業界 の協 力 を得 て 、第 - 汽 車 は 廠 長 (日本 企 業 の社 長 ) をは じめ とす る生
本 の トヨタ、 日野 、三 菱 、いす ゞ、 円座 な どの 日勤 車 を 現
地 視 察
莱-汽 車 の メ ンバ ー に とっ て 、大 きな シ ョ ックで あ った 。
中 国
よ りそれ ほ ど遅 れ て い なか った に も関 わ らず 、発 展 の速度 の 違
と研 修 を行 っ た。 この研 修 は
の 由勤 牽産 業 が 出発 時 期 は E
3本
い
が あ ま り大 きす ぎ る こ とに落
胆 した。 日本 の 自動 車産 業 が技 術 的 、 自動 化 的 に進 ん でい るの は も ち ろ ん で あ るが 、 トヨタの
後 、日本 の経 験 と トヨタ生産 方 式 の学 習 会 を組 織 した が 、これ が ブ- ム を呼 び 起 こ したOまた 、
車 に大 き な進 歩 を与 えた(
丸 山 200ia)0
1
98
0年代に太って、第 -汽 車 は 日野 自動 車
と 技 術 提 携 方 式 を通 じて、日野の L
FO
6
S型 トラ ン
ス 書ミ ッションケ-スの製 造 技術 を導入 したO同時 に正式 に前 回研 修を行った時に感 心 した ト
ヨ'
JJ)牛 席 j
J
'
i
C 「
JLI
ST ]
N TI
ME」 を導 入 し始 めた、
,こ '
)して ト≡
fI
/牛庫 j
j式が体 系的 に導 入
され
た 模
1
980
年
範
的 工 場 - 日 野 と技 術 提 携 した トラ ンス ・ミッシ ョン工場∴
で あ った。
代 に MI
T で 行 わ れ た 日本 の 自動 車産 業 の研 究 にお い て注 目 され た の は 「リ- ン生産
方 式」で あ っ た o こ の
こ と を 契 機 に
を導 入 す る 新 た な ブ ー ム
産 か ら、製 品 開発 、 外
が 起 こ っ
注 、 販 売
さ らに- つ の 工場 か ら全
・
社 な い
トヨタ 自動 車 は現 場 が 優
生産 方 式 を導 入 時 、徹底 的
し
れ て 、
「が
た
ん
、1
990年 初 頭 に 、第 -汽 車 で は全 社 で 「リ- ン生 産 方式 」
Dそ して 、この トヨタ生産 方 式 の導 入 の新 た の ブ - ムは 生
ー ビス 、財 務 、企 業組 織 な どす べ て の生 産 8経 営 分 野 - ㌔
サ
第
そ
ば
-
の
ん
汽 車集 団 -広 く波及 して い っ た。
生
」
産 方 式 を健 界 に渡 り知 られ て い る。 第 -一汽 車 が トヨタ
方
式
、ト-個 流 し上 多 品 種 の混 流 生産 も実行 した。生
-206-
現 代社会 文化研究 No
.
4
92
01
(
)隼 1
21
]
産現場 を中心 に、生産要員 (
オペ レー タ)を主体 として位 置つ け、職長 を首長 とす る現場管理
体制 を採 用 した。 トヨタ生産方式 の導入 によって、第汽 車で実施 され た 30年 間の 旧 ソ連 の
大量生産方
式
と比べ 、作業者 旦人 当た りの平均作業負荷 率は過去 の平均 27% か ら 65%- と上
昇 し、生
効
率 は倍以上 に増加 し、44%以上の生産要員 を削減す るこ とがで きた。仕 掛品の在
庫や不
第-
良
- 汽
産
率
車
も半分 ぐらいまで減少 した。
は積 極 的に外 国か ら先進 な技術 と生産管 理 を学び、 自分流 の会社経営 に結び付 けて
いる 時 に開発 セ ンター として 、現 在第一汽 車が持 つ第 汽 車技術 中心 (
長 春汽車研 究所)紘
0
950年、従業員 1
939人 (
エ ンジニア 1
460 人
ある。設 立は 1
工
l
(
)
50年代以 来 、 2003年までに
i
3 車種 を開発 した。 乗周 牽 「
小紅旗 」は技術 ライセ ンシングに よる寄 せ 集
め
開発 した。 エ ン
W、 車1本はア ウデ I 1
00 、、
ジンは クライ スラー 、 トラン スミッシ ョンは V
続
00等 々に基づいて開発 を行 ってきたO
ンジンは 日産 、車体はア ウデ ィ 1
市
場
の花形 で ある小型
商用車- の第-汽 車の強力 な参入 と低価格戦略 は、中国にお ける本格的 な
価
格 競争 の きっか け
く
軒旗世紀 星 もエ
-汽 車は上記 の よ うな意味で
を作 った。寄せ集 めによる混血寮的 なモデル が多 い とは い え、第の、それ な りの ま とめ技術 をもっていた といえよ うOそ もそ も長春汽車研 究所 は、かつて業界
全体 の製 品開発 を担 当 した ことか ら各種 自動 車開発 の経験 があ り、それ を吸収 書統合 した こ と
が第-汽 車の R&D能力の形成及 び フル ライ ン体制 の構築 に大 き く貢献 した こ とは間違 いない。
特 に乗用 車の 自主開発 は、外 国車設計モデル の生産 が主流 である現在 の 中国で は注 目され てい
る。 また 1
960年代 か ら蓄積 され た技術 と経験 は少 な くとも開発 システ ムに関 して同社 が一定
の吸収能力 書学習能力 を もってい るこ とを示 してい る と言 える。
そ して、激 しい競争 に対 して、第-汽 車はア ウデ ィや VW の協力 を得 て、乗用車生産 の品質
管理制度 を導入 し、企業 内の中に定着 させ ていったO また、自社傘下の部 品 メ-力- も先進 国
か ら技術や設備 を導入 させ た り、外 国 メー カー と合弁 企業を設立 させ た りして、積極 的 に技術
能力 と管理能力 を高 め よ うとしたOさらに上記 の通 りで、全社で導入 していた 日本 の リー ン生
業員 まで 「
J
USTr
NTI
M捌 く
中国語訳 は 「
準時化 生産 」)や 「リー ン生産 方式 (
中国語役 は 「
精
義生産方式」とい う言薬 と内容 を知 らない人 はい ない ほ ど、 トヨタ生産方式 が第 汽 車に普及
す るよ うになった。
2) 技術 移転 によ り独 自の研究開発 力の育成
亜
980年 の始 めか ら、技術貿易結合 (
技貿結合) とい う方 式
で 日本 か
転 が行 われ たOこれ は 日本の 自動車 メ-力-が トラ ック と主 要
装
ら大規模 な 自動車技術移
置 の図 面 を中国政府 、当時 は
中国汽 車 工業 進 出 口公 司 と中国汽 車工業総公 司に供 与 し、対価 として 当時 としては多数 の 日本
製 トラ ックを中 国が輸入す るとい う方 式であった0一
般企 業間の技術供 与 と異 な り提供元 は 日
本 の企 業 であ るが移転先 は中国政府機 関で あった。この よ うな大規模 な技術移 転 は初 めてで あ
り、そ の後 の 中国 自動車産業 に与 えた影響 は計 り知れ ないO中国- の 自動 車技術移 転 は欧米が
ー207
-
中国 自動 車産業 にお ける技術 のキャ ッチア ップ (呂)
先行 して いた が 、そ の方 式 は モ デル チ ェ ンジな どで 不 要 と な っ た 旧型 車 の 図面や治工具 な ど、
場合 に よって は 中古 工場全 体 を安 く売却す る と い う も の で あ る が 、日本 で は このような設備 廃
却 を行 わず最 新技術 が移 転 され るの で 中 国 側 か ら 高 く評 価 され た 。主 な 移 転 内容 は、いす ゞ自
動 車 は小型 トラ ック と小型 デ ィ-ゼル エ ンジ ン、日野 自動 車 は トラ ック用 変 速 機 、 日産 自動 車
が トラ ック用 キ ャブ、ガ ソ リンエ ンジンで あった。当時の 中国 は トラ ックが 主 力 で あ ったoそ
の他 、企 業 間での技術提携 契約 に よる ダイ ハ ツ工 業 のハ イ ゼ ッ トの技 術 な どが 導入 され た。中
国の技術 キャ ッチア ップの経過 を見 る と、技 貿結 合 な どの技術移転 とそ の習得 消化 か ら リバー
スエ ンジニア リング- ㌔ 1
990年代 終 わ りか ら の海 外-の委託 開発 を経 て 、之も
臓5年 あた りか ら
自主 開発段 階 が始 ま った (
渡部 2009)
。
これ らの外 国 か らの技 術 提携 や 設備 の導入 はハ - ドの面 で 中国 の 自動 車 の 開発 能 力 が 大 分
高 めて きたO外 国 の技術 者 を採 用 した り、指 導 を受 けた り、または従 業員 を外 国 由動 寮メ- 力
--研 修 に行 かせ た り、外 間 の先進 な管理 システ ム を導入す る ことに よって ソフ トの 面 も同 時
に進 んでい る。これ らのハ - ドと ソフ トの面 を積極 的 に同時 に導入 また勉 強 す る こ とに よ っ て
外 同の技 術 をキ ャ ッチア ップで き る と考 え、実際 もそ のキ ャ ッチア ップは第 --汽 車 を 始 め 、ほ
かの 中国大手 自動 車 メ- 力- の 率で選 んでい る ところであ る。
-j
i、 中国の民族 系企業 は提携 先 の外 資 系企 業 か らの先進 技術 導入 は 困 難 とな り始 め 、外 資
系 には頼 らない とい う姿勢 が最近 強 まってい るO現在 中国閣 内でげ
)最 大の話 題 は 中 国 民 族 系 企
業 殿 自主 開発 能力 向 上であ る。従 来 、中国U
∋乗 用 車生産 は合 弁企業 が 主役 で あ った。使用技術
は外 国企 業 か らの導入 に依 存 し、独 自技術 の蓄積 では進展 を見せ なか った。外 国企 業 と技術提
携 書合弁 関係 を持 たない民族 系企 業 が 「
組 み合 わせ (
モ ジ ュラ-)型」の ビジネ スモデルで台頭
して きた。 この よ うな 中、中国政府 は 「自主創 新」 (自主イ ノベ- シ ョン)強化 中自主ブ ラン ド
車育成 を通 じた 臣動 車企業 の国際競争 力 向上 を標 棒 してい る。 中国 は 2009年 か ら自動 車生産
にお いて世 界第 ふ
とな った が,
未 だ に 自主 ブ ラ ン ド車 が少 な く、研 究 開発 能 ブ
摘ミ
低 く、墓要 自
動 車機 能 部晶 は外資 系多国籍企 業 に依 存 して い る こ と、晶質 レベル が世 界 の標 準 に達 してい な
いな どの課題 を抱 えてい るOこの対策 と して 中国政府 は新規 自動 車投 資案件 に は 5倍 元以 上の
R&D セ ンター設 置 と寝室 ブ ラン ド車 の 自主 開発 を義 務付 けてい る。 この政 策 に よって民族企
業 の 自室 開発 能 力の 向上 、弱 小 メ← カー の淘汰 、外 資企業 か らの技 術導入 の促 進 を図 るもので
あ るo中国 には数 社 の例外 を除 き世界 の 自動 車 メーカ- と、多 国籍 メガ 自動 車部 品 メー カ-30
,
000万台 の 中国で の生産 車の 7割近 くが外 資系 で あ り中国市場 か ら大
社 の大部 分 が進 出 し、i
きな経 済 的恩恵 を受 けてい る。 そ の 中に BYD、奇瑞 な ども民族 自動 車 メー カ- の成 長 が非常
に注 目され て い る。
しか し中国には 「
他 山之石 可以 攻 玉 」 とい う諺 の よ うに外 国の石 か ら宝 を作 り出す とい うプ
930年 に洛 陽で 初 の 国 産 トラ ックを生産 した。戦後 の中
ライ ドが あ る。 中国は 80年 ほ ど前 の 1
国 の 自動 車
生
産
は長 春 の第 日
-汽 畢舷 か ら始 ま ったが 、当時 の ソ連 は経 済支援 す るだ けの力が な
-208-
現代社会文化研 究 NoA9
2
01
0年 i
2月
く、中国は通 常 の完成 車輸入 、ノ ッ クダ ウン組 立 、 国 産 部 品 の増 大 とい う一般 的 な方 式 が とれ
なか った こ とはその後 の発展 の大 き な阻害要 因 と な っ た こ とも事実 で あ る。反 面 第- 汽車 は強
い 毎 主開発意識 を持 ってい る。 中国 地場最大 の 招動 牽 メ- 力- 、第 - 汽 車集 団 が、第
王1次 中
期 5カ年計画を策定、発表 した。経 営方針 として、自立発 展 、オ- プ ンな協 力 関係 、数値 目標
01
0年の総販 売台数 200万台以上、 自社独 臣ブ ラン ド販 売 台数
として 、2
収入 2
000億元を 目指す と してい る0
の積み上 げて きた優位性 を十 二 分
に
00万台以 上 、売上
1
2. 目標 実現のた めの 5大戦略 と して、第 1に 、製 品 ・
発揮す る こ と、生産 に甘 ん じる こ とな く次 陛代 車 の開発 に
まい進 す る こ とを挙 げてい るO第 2に、完成 車発展戦 略 と して、信頼性 とコス トパ フォー マ ン
スのある製 品 の提供 、生産販 売規模 の拡 大 、シ ェアの拡 大 、ス ピ- ド経営 を掲 げてい る。また、
中型 、大型 、小型 、セ ダ ン、バ ス 書トラ ック全領域 にお け る発展 を 目指 し、 寝室 ブ ラ ン ド 1
0
0
万台販 売 を実現す る と してい る。第 3に、部 品及 び メ ンテナ ンス戦 略 と して 、部 品 開発 レベル
の向上 、二次 開発能 力 の増強 を 目指 してい る0第 射 こ、海 外事 業戦 略 と して 、先ず は海 外 拠 点
を建設 、ネ ッ トワ- タ を構 築す る こ とを通 じて 、完成 車及 び部 品の輸 出 を拡 大す る と してい るo
第 5に、管理 システ ム能力 向上戦 略 として、職 務 幹職 責 の明確化 、縦 の管理 能 力 を高 め、横 の
風通 しを良 くす るこ と、
汀 に よるプ ラ ッ トフォー ム構 築 を通 してのデ- タに よ る管理 を 目指 す
としてい る。5年 間で研 究 書開発 (
R&D) に 1
90億 元 (
280億 ドル) の資金 を充 て る計 画 だ と
発表 した。 自社 ブ ラン ドモデル の売 り上げ を伸 ばす た めの取 り組 み の=
一環 とい う (
『人 民 日報』
淘 外版 (
201
0午 3月 I
O口))
また、長 い 間、 トヨタをは じめ とす る 日本 の 自動車 メ- カ- は 中国企 業- の技術移 転 につい
で
慎墓
のな
だ っ
た
。
それ に対 して、欧米 メ- 力- が技 術移 転 を行 って きた。世界 の 自動 車 メ- 力-
か で , 先駆 けて 中国に進 出
したのは ドイ ツの V
Wだ ったo中国政府 の考 えは極 めて シンプ
ル な もの だ ったo す な わ ち、市場 開放 との交換 で外国メ- 力- の進 出を認 め 、技術移転 を促 し
てい るこ とか ら、第 -汽 車 を始 め 、中国の大 手 自
動車 メ- 力- が外 国 自動 車 メ- カ- の完 全 の
技 術 キ ャ ッ チ ア ッ プ は 時 間 の 問題 にす ぎない し、またす で にキ ャ ッチア ップで きてい る ところ
があ るも事 実 で あ るO 先進 国 に キ ャ ッチア ップ した こ とを象徴す る出来事 が 、2006 年 に トヨ
タが 中国でハ イ ブ リッ ド車 「
プ リウス」の現地 生産 を開始 した こ とであ るO生産 され るの は 日
本 で 2003 年 に発売 され た 2 代 目の 「
プ リ ウス」で 、 日本 以外 では まだ生産 され てい ない最新
技術 の結 晶で あ る。 また次世代 の革 新 的 な生 産 シ ステ ムに 向 けて大 き く変化 し始 めた のだ。
変化 が起 きてい る場所 は 日本 ではな く、中 国 に あ るoこれ まで は様 々な制約 条 件 があ って完 全
な形 での実現 が難 しかった 「
後 工程 引 き取 り」が 、 トヨタ広州 で ほぼ完全 に出来 上が った。後
工程 引き取 りは、 トヨタ生産 システ ムの最 も核 心 に あ る 考 え方 だか らで あ る。 トヨタの もの 作
りが 、 ライバ ル 他社 に比 べ て効 率的なの は 、 この 後 工 程 引 き取 りに最 大 の理 由が あ る(
川嶋
2
006
)
。 そ して 2
00
9年 中国建 国 6
0年の軍事 パ レッ トで 中国胡錦涛 主席 が乗 ってい る指 揮車は
-209-
中国自動車産業における技術のキャッチアップ (
冒)
第ー汽 車 開発 製造 の 8百 万元 (
約 1億 円)の新 型紅旗 で あ るo この新 型 紅 旗
は ま さに第 -汽 車
の技術の結晶産物 だ と認識 してい るO
終章
中国民族 系 自動 車 メー カー は、取得 税減税 措置 、農村 部イ ンセ ンテ ィブ の支給 な ど政府 景気
策
を最大 限 に活用 し、 シェア上昇 の勢 いが鮮 明 とな ってい るO 一方 で 、B
YD に よるオ ギ
ラ の
館 林 工場 の 買収 、北京汽 車 に よ る Sa
a
b資産 の買収 、吉利 汽 車 に よる AT メ- 力- の豪
浮揚
ハ
DSI及 び Vo漫
voCar
Sの買収 な ど海 外企 業- の買収 を通 じて 、技術 力 の獲 得 を進 めてお り、開発
村 201
0)
。こ うした こ とか ら、世 界 自動 車 メー カ- は、
能力 も急 速 にキ ャ ッチ ア ップ してい る (
Cs諸国の
これ まで の製 品開発 、部 品調達戦略 を見直す機 運 が高 まってい るO また 中国は 、BRI
中で も、ブ ラジル に比べ 人材 面 で、イ ン ドに比べ 市場成長力 が,ロシア に比べ製 造 業 の 基盤 が
優れ てお り、新戦 略- の舵切 りに必 要 な人材 、市場 、生産 が揃 って い る点 が中国 自動 車産業 の
特長 と言 える。 これ まで強調 して きた よ うに、中国は去年 に世界最 大 の 自動 車生産 ・販 売 国 と
して登場 す る こ ととな った.巨大 な人 口保 有 国がい よい よ 自動 車産 業 にお いて もその 巨大化 ぶ
りを発揮 す る こ とにな る 今 年 の北 京 と地 方のモ - 夕- シ ョ- を見 て も、日本 とは遥 か に 巨大
O
な市場規模 が反映 し
て
い
るo Lか し、中間 自動 牽企 業 は依然 と して技術 的 には先進 国 に大 き く
遅れ てい るこ とも事 実で あ るO 中国 メ- 力- は、M&A も通 じて、先 進 国ブ ラン ドと技 術 を獲
得 しよ うと血 眼 にな ってい るので あ る
o
また、中国 自動 車企業 の開発や 生産現場 で、 日本 人 を
は じめ と した外 国人 が雇 用 され て技術 移 転 を行 って い るの であ るO自動 車産業 は総合 産 業 と し
て、裾 野 が広 く、関連産 業 も多岐 にわた ってい るOそれ ゆえ、
こ
う
した 中国企業 の必死 の努力
が簡 単 に功 を秦す る もので もない。中国 自動 車産業 が先進 国に特 に遅れ て い る のは製 品開発 力
と部 品 メ - カ- の実 力であ り、そ こに今 後 の課題 が あ る と思 われ る。
中 国 臣動 牽 メ- 力- に よる独 自技術成 長路線 の模 索 は 、20
掴 年以 降 殿 触 t
o Chi
na モ- タシ ョ- か ら顕 著 に現れ てい るOハイ ブ リッ ド自動 車、電気 自動 車 な ど汐
)低公 害 車 、燃 料 電池 自
動 車 の試 作 車が 続 々発 表 され 、 また コンセ プ トカ- につ いて も小 型 乗 用 車か ら高級乗 用 車 、
MPV、SUV が披 露 され 、中国 白動 車 メー カー の技術 開発- の意欲 を世界 にア ピ-ル してい る。
また 、2008年 1月 の 北米モ- 夕- シ ョ- で は、民営企 業 の吉利汽 車が 世界初 の高速 走行 時 の
タイ ヤパ ンク安全装 置 BMBS を出展 す るな ど、い よい よ中国 自動 車 メー カー に よる独 自技術
丸 山 20那b)。 それ で も、 自動 車産 業勃 興初期 の欧 塞 メー カ- 、戦
の開発段 階 を迎 えて い る (
後復 興 を機 に輸 出産業 としての 育成 に成 功 した 日本 ・韓 国 メ- 力- に比 べ 、中国 自動 車 メ- 力
- が直 面す る技術 課題 は一昔 に比べ ハ ー ドル が増 してい る た とえば 、自動 車燃料 の多様 化 が
。
進む 中で従 来型 の化 石燃料 と次世 代燃 料 自動 車の技術 開
発
戦
略 の策 定 、自動 車先進 国が 特許 な
どで固 めた知 的財 産権 の障壁 、そ して なに よ りも中国 の 自動車 メー カー を悩 ます のは 、高度 な
-21
0-
現 代 社会 文化 研 究 No.
4り 201
0年 1
2F
]
技術統合 能力 が求 め られ る燃費性能 と、衝突安全性 能 が 世 界 水 準か ら見 て数年 ない し 1
0年 の
遅 れ を とってい るこ とにあ るか も しれ ないO
中国 では年 間 70 万人 の新卒者 となる理 系人材 を輩 出 し、 自動 車工学 の 開発研 究 を進 めるに
は豊 か な 人的資源 に恵 まれ ている。近年 中国 自動車 メ-カ ー が取 り組 む 旺 盛 な製 品開発活動や 、
世界 自動 車 メーカー が進 め る中国現地 開発体制 も、こ うした中国の人材 資 源 の供給が源 泉 とさ
れ てい るr
L振 り返れ ば、1
0 午前に、中岡 は複雑な 金型は ほ とん ど作れ ず 、 円本 メー カー な ど
の外 国企 業 に発注せ ざるを得 なか った。 しか し、わずか 1
0年 間で中間の金型 メ- 力- は凄 ま
じく発展 し、日系の 自動 車 メーカ- に金型 を納 め る レベル まで成長 して い るOまた 自動 車の素
材 である鋼板 やプ ラスチ ック原料 は外 国企 業 と中国 現地企 業の合弁会社 を設 立 した こ と で 、素
材 の技術 移 転 も選 んでい る。おそ らくあ と 5年 ない し 1
0年 もすれ ば、 中 国 の 自動 車 メ ー カ ー
は国 内市 場 に 限 らず 、海外 市場 で も外 国メー カー と互角 に戦 えるよ うに な る だ ろ うO
<引用文 献 >
川嶋 諭 2006 「トヨ タ生 産 シ ス テ ム 、 中 国 で 大 進 化 遂 げ る 」 『日経
膵工 作機 械 』NO.
3、201
0年 3月)31頁
工 作 機 械 201
0 「海 外 情 報 」
村 隆 201
0
ビジネ ス 』 1
0月 1
7日骨
「中 国 自動 牽 産 業 の新 た な挑 戦 」 (富 士総 研 『中 国 通
トピ ックス 』201
0年 漫月 瞥)
塩 地 洋 200
9 「世 界 最 大 とな っ た 中 国 自動 車 市 場 の 今 後 」 (
『J
AMAGAZI
NE』
2009年 1
2月 号 )
中国 電 力 ㈱ エ ネ ル ギ ア 総 合 研 究所 201
0 『ェ ネ ル ギ ア 地 域 経 済 レポ - ト』No.
429、201
0年 4月
O
中国 汽 車 工業 年 鑑 期 刊 社 20里
『2009年 中 国 汽 車 工 業 年 鑑 』 (中 国 汽 車 技 術 中心 & 中 国 汽 車 工業 協 会 )㌔
45bi
.
r
.
1
藤 本 隆 宏 .李 春 利
1
996,200i「中 国 自動 車 産 業 の製 品 開 発 シ ス テ ム に 関 す る研 究 ノー ト上
s
c
us
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i
onPa
pe
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,96I
2
東 京 大 学 経 済 学 部 Di
藤 本 隆 宏 20
04 『日本 の もの づ く り哲 学 』 (日本 経 済 新 聞 社 )
丸 山恵 也 2001
『中 国 自動 車 産 業 の発 展 と技 術 移 転 』 (
つ げ番房 新 社)
『中 国
丸 山知 雄 2007a 「自動 車 産 業 の 高度 化 」宅
高 度 化 の潮 流- 産 業 と企 業 の 変 革 』 調 査 報 告 書 、 ア ジ ア
経 済研 究所 )
丸 山知 雄 20
07b 「自動 車 産 業 発 展 政 策 の 中国 自動 車 産 業 」 (
『J
AMAGAZI
NE』2007年 6月 賢)
09 「日中 自動 車 技 術 交 流 の 25年 」(
Sc
i
e
neePor
t
aH二hi
na 2009年 9月)
渡 部 陽 20
節 - 汽 車 we
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www.
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n 2009年 ま で の Ⅰ
R統 計 デ ー タに よ る
日本 自動 車 工 業 会 we
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or
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/ 2008年 ま で の デ - 夕に よ る
主 指 導 教 員 く高 山誠 教 授 )、 副 指 導 教 員 (
平松 庸 =
・
准 教授 、長 尾 経 信 准 教授 )
ー211-
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