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ミジェットタイプTD ミジェットタイプTF 戦後の英国車事情 最後に
カナダ(それまでスポーツカーが普及し ていない北米)へ輸出され、彼らにスポ ーツカーの楽しさを初めて目覚めさせた ことです。約1万台生産されたT Cの多く がアメリカへ輸出されました。 [ ミジェット タイプTF ] (1953∼55) TFが大きく変わったのはボディスタイ ル(ボディ骨格はなお木骨)で、エンジ ン・シャシーはT Dと同じです。T Fのスタ イリングはクラシカルとモダーンの中間 で、ボディの幅は広くなりました。ラジエ ターの傾斜を強め (ラジエターキャップは ダミー!) 、ボンネットは低くなり、ヘッドラ ンプはフェンダーに埋め込まれました。左 右ハンドルに共用できるように中央にレ イアウトされた計器板のメーターはMGの 伝統が復活して八角形となりました。 [ ミジェット タイプTD ] (1950∼53) 外観は前モデルT Cとあまり変わって いませんが、中身は新設計で、操縦性と 乗り心地が大幅に改善されました。3万 台近い生産台数の大半がアメリカを主 とした全世界に輸出され、当時の英国に 貴重な外貨をもたらしました。為替レート が変動したことで価格も前モデルT Cが 2395ドルに対し、T Dは1850ドルで販売 され、北米でMG人気が爆発的に高まり ました。 自動車産業も、例外ではなく当時の “Export or Die” の言葉に示されるように、 まず輸出を最優先とし、生産された車両 のほとんどは輸出に向けられ、イギリス国 民の手には渡らないという特殊な状況下 にありました。 多くの小型スポーツカーが、アメリカへ 輸出されました。MG、 トライアンフ、オー スチン・ヒーレーなどです。 これら小型スポーツカーが、アメリカを 中心に受け入れられた背景には、商品の 持つ魅力以外にその価格設定の要素が あります。たとえば1950年に発売された M G -T Dの価格は$1,850で、代表的な 大衆車シボレー・セダンは$1,329∼ 1,993、大衆車の価格で小型スポーツカ ーが買える魅力で爆発的な人気を呼び ました。ちなみに当時のアメリカの乗用 車保有率は3.7人に1台であり、 $2,000 を切る小型スポーツを受け入れる市場 として十分成熟していたと言えましょう。 「戦後 ヨーロッパ車の復興」図録より抜粋 6 最後に 5 戦後の英国車事情 第2次世界大戦後の英国車の輸出事 情を当館図録より紹介します。 第二次世界大戦によるイギリス自動 車産業の被害は他のヨーロッパ諸国と 比べ比較的軽く、戦時体制から平時体制 への移行はスムーズに行われました。 しかしながら、当時のイギリスはこの大戦 により、30億ポンドもの外債をかかえ、国 際収支の均衡と国民生活水準の回復に は、大幅な輸出の増大による外貨の獲 得が最優先とされていました。 大衆車の共用部分を多用し、大きなモ デルチェンジを減らすことで、価格を低く 押さえたMGタイプTシリーズ。戦前モデ ルですでに完成された魅力を持ち、大衆 にモータースポーツの楽しさを与えた功 績は大きいと思います。 <出典> ● 世界の自動車18「MG」ニ玄社 「THE T-SERIES MGs」by GRAHAM ROBSON MOTER RACING PUBULICATIONS Ltd ● 「ADVERTISING MG 1929-1955」 DANIER YOUNG編 1989年刊 ● 「戦後 ヨーロッパ車の復興」当館図録 ● 「ボディ構造」 ドアを開き、ボディの端部 を見ると、木骨に外板の鉄 板を張っているのが、わか ります。(矢印部) 「MGマーク」 オクタゴン(八角形)のMGマークは 1927年から付けられ、今日まで続く。 八角形を採用したのはキンバー自身で、 八角形に対する執着は強く、戦前のMG には計器版のリムが八角形のものも多 く、スイッチノブやボンエット・キャ ッチなども八角形でした。 「運転席から前方を見る」 意外に低い着座位置です。ボンネットが視界の下部を塞ぎ、側面を見ると路面 が近い。ハンドルを回すと日本人の私でも肘がドアに当りそうで、ドア上部の えぐりは必須。