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フィールド・ワークの記録を解凍し、 牧畜研究の

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フィールド・ワークの記録を解凍し、 牧畜研究の
フィールド・ワークの記録を解凍し、
牧畜研究の地平線を開拓する
文 小長谷有紀
共同研究 ● 梅棹忠夫モンゴル研究資料の学術的利用(2011-2013)
国立民族学博物館の創設に尽力
のまえがきでつぎのようにのべて
し、初代館長をつとめた梅棹忠夫
いる。
がのこした資料は「梅棹アーカイ
ブズ」とよばれている。本共同研
じつは、わたしにとって、モンゴル研
究は、それらの資料のうちモンゴ
究は未完である。本文中にもしるし
ル調査に関する資料を整理し、学
たように、わたしのモンゴル研究は、
術的に利用するとともに、現地に
まだ未発表の資料を大量ににぎった
還元することを目的としている。
まま、それを論文にして発表するこ
とができないでいる。現地のモンゴ
ルでは、この40数年のあいだに社会
「未完のモンゴル研究」
の資料群
制度もかわり、生活ぶりもおおきく
梅棹忠夫は、1940 年代に朝鮮半
島の白頭山、樺太(現在のサハリ
梅棹忠夫によるスケッチ。
ン)
、ミクロネシアのポナペ島(現
変化したようである。わたしの資料
は1940年代のモンゴルの牧畜生活の
在のポンペイ)
、中国東北部の大興安嶺を探検調査し、第二
実情をうつしだしたものとして、後世につたえる義務があるだ
次世界大戦中は中国の張家口に設立された西北研究所に滞在
ろう。いまは多忙で、それを完成する時間的余裕をもたない。当
して、内モンゴルを調査した。また戦後は、カラコラム・ヒン
分は、この資料も冷凍庫内で保存しておくほかはない。
ズークシ学術探検隊に参加し、東南アジア学術調査隊を組織
し、さらにアフリカやヨーロッパでフィールド・ワークに従
それから約 20 年をへて、没後に開催されることになった
事した。これらの調査記録が「梅棹アーカイブズ」におさめら
「ウメサオタダオ展」のために、これらの資料はふたたび取り
れている。写真およそ 35,000 点、スケッチ・ブック 10 点およ
だされて展示に供された。しかし、決して整理がすすんだわ
びスケッチおよそ 300 点、フィールド・ノートなどおよそ 200
けではない。そこで本研究は、
まず、資料の全容を明らかにし、
冊、一件ファイルおよそ 18,000 点、カード無数があり、現在、
多くの研究者が利用できるように整備して、20 世紀の激動を
当館で保管されている。写真についてはすでに整理が終了し、
しめす貴重な歴史資料にすることを目的とする。
他の資料についても登録作業がはじまった。
本共同研究では、それらのうち、内モンゴルに関する調査
記録を対象にする。フィールド・ノート約 50 冊、スケッチ約
「今西遊牧論」
のもととなった観察記録
梅棹忠夫のモンゴル調査は今西隊長のもとでおこなわれ
200 点、写真 100 点、ローマ字カード約 2,000 点、地図 3 点、
た。今西は、調査成果をいち早く 1946 年 1 月に北京でまとめ
原稿約 1,000 枚等である。フィールド・ノートには、西北研
て、戦後まもなく『遊牧論そのほか』として刊行し、狩猟民が
究所の所長であった今西錦司の分なども含まれる。写真は所
有蹄類動物の群れを追いかけるうちに遊牧がはじまった、と
員の和崎洋一が撮影したもので、スケッチにも一部、和崎の
する画期的な遊牧起源論を発表した。今西遊牧論として知ら
ものが含まれる。梅棹は中国から帰国するときの検閲の際に、
れているこのアイデアは、その後、松井健の
『セミ・ドメスティ
理系の資料であれば取りあげられないだろうと考えて、
「有蹄
ケイション』で「半栽培」という概念として普遍化され、起源
類動物之生態学的研究」
と箱に表書きをして、そのなかにこれ
論をこえてもちいられるようになっている。
らの資料を入れてもちかえったのだった。
この今西遊牧論は、しかし、梅棹から見れば、自分のオリ
草稿は 8 章からなり、かなり完成度が高い。文献リストと
ジナルな発想だったことをのちに自伝『行為と妄想 ――わたし
諸文献の概要も整理されている。偽装した箱にきっちりおさ
の履歴書』で告白している。告白までの経緯については拙稿
まっているので、張家口ないし北京で書いていたと思われる。
「ゆるやかな転身のはじまり」
(
『梅棹忠夫 ―― 知的先覚者の軌
ローマ字でタイピングされた小さなカード類は、帰国後に
フィールド ・ノートを転記したものだろう。いっぽう、ローマ
字で書かれた大きなカード類は、上述の箱にぴったり入るの
で、現地でアイデアをまとめていたのではないかと思われる。
これらの資料は、1989 年、著作集の編集のためにひとたび
点検された。その一部は著作集第 2 巻『モンゴル研究』に収録
されたものの、大部分は 1 冊におさまりきるものではなく、
ふたたび保管された。編集作業にあたった当時、わたしは〈梅
棹忠夫の玉手箱〉とよんで資料の概要を、著作集末尾の解説
「原点としてのモンゴル」で紹介した。梅棹自身は同じ著作集
20
民博通信No.135
内モンゴル調査中の、今西錦司と梅棹忠夫(和崎洋一撮影)
。
内モンゴル調査の
フィールド・ノート。
草稿などの資料類は『有蹄類動物之生態学的研究』と題する本の箱の
草稿などの資料類は
なかに入れて無事に持ち帰ることができた。
なかに
入れて無事に持ち帰ることができた。
跡』
』所収)を参照されたい。2 人の共同のアイデアだとしても、
このように、乳をめぐるモンゴルの生態については、もと
この
西と梅棹の考えかたは同じではない 今西は
生態学的な
今西と梅棹の考えかたは同じではない。
今西は、生態学的な
もと梅棹が論文を書いていたから、すでに蓄積がある。しか
もと梅
用語として「過適応」という概念をもちいて、モンゴルの牧畜
し、
それは、梅棹の
「モンゴル牧畜論」
の一部にすぎない。今回、
を遅れたものと見なしたのに対して、梅棹は、そうした見か
草稿を検討することによって、その全容が明らかになるだろ
たをする畜産学者たちを批判しており、
「共生」という概念を
う。とりわけ期待されるのは、移動に関する側面である。
もちいて、自然環境に適応的に発達したものと見なす相対的
梅棹は、かならずしも植生状態に応じて移動していないと
な立場をとった。民族学的な考えかたがすでに発現していた
いう観察にもとづいて、
「草の経済」ではないと断言した。ま
ように思われる。
た、中部ヨーロッパには、生態学的な平衡点の考えかたを反
また、帰国後、今西はウマの群れを観察して家族の起源を
映した概念として「シュトッス」などがあるのに対して、モン
考えようとしたが、梅棹はオタマジャクシの群れを観察して
ゴルの単位はそのような概念ではなく、生態学的な平衡とい
群れの干渉に対する反応を理論化した。こうした両者の見解
う考えかたが成り立たないと指摘していた。今日いうところ
の相違点については、これまで、たとえば上述の拙稿などで
の、
「非平衡システム」
というわけである。
も紹介してきたが、対比点を指摘するにとどまっていた。
非平衡システムという考えかたは、草をめぐる生態につい
今後は、フィールド・ノートから、どのような調査データに
て、一定の地域内で植生が変動することを前提とすることに
もとづいていたのかが明らかになるだろう。たとえば、15 分
よって、乾燥地域での実態を平衡システムに比べてよりよく
ごとにヒツジ・ヤギの群れの散開のようすを記録したスケッ
反映する。とはいえ、動物学から見た考えかたであるとはい
チはビデオ記録のようなものだ。風戸真理や辛島博善ら現代
えない。家畜は概して、腹いっぱいのときに食べないような
のフィールド ・ワーカーの観察結果と比較することによって、
草も、飢えれば食べる。移動しながら草をはむ動物の側から
牧畜技法の変化に関する考察も可能になるだろう。
見た牧畜論はまだ完成されたわけではないのである。その意
味で、動物学出身の梅棹による論理展開を解読することは、
「乳をめぐるモンゴルの生態」
から、
「草をめぐる牧畜の生態」
へ
今西は『遊牧論そのほか』において、梅棹を「子おとり説」の
モンゴル研究という地域をこえて知的刺激をもたらすにちが
いない。
提唱者として言及し、この説を起源論として批判することに
よって、梅棹を遊牧論から排除した。ただし、梅棹はそもそも、
この「子おとり」というアイデアを搾乳に結びつけて論じてい
たにすぎない。
現在では、家畜化起源論としては、家畜化という長い過程
【参考文献】
梅棹忠夫 1990『モンゴル研究』
(梅棹忠夫著作集第 2 巻)中央公論社。
ウメサオタダオ展実行委員会 2011『梅棹忠夫 ―― 知的先覚者の軌跡』千里文
化財団。
のうちの、初期に想定される「子とり」のアイデアと、後期に
想定される「子おとり」のアイデアは切り離されており、後者
にはさらに「子育て」のアイデアがくわえられて、搾乳の起源
論として確立している
(谷泰
『牧夫の誕生 ――羊・山羊の家畜化
。また、放牧技術論と
の開始とその展開』岩波書店、2010 年)
しては、
「子おとり」
が搾乳期にのみ成り立っていることを、平
田昌弘が現代のモンゴル国での観察事例から追認している。
こながやゆき
民族社会研究部教授。専門は文化人類学、モンゴル地域研究。著書に『モン
ゴル草原の生活世界』
(朝日選書1996年)
、
『モンゴルの二十世紀』
(中公叢
書2004年)など。また2011年度の特別展「ウメサオタダオ展」で実行委員
長をつとめ、
『梅棹忠夫のことば』
(河出書房新社2011年)
、
『梅棹忠夫の「人
類の未来」
(
』勉誠出版2012年1月)
などを編集。
No.135民博通信
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