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学部学生のための実証研究に関するノート

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学部学生のための実証研究に関するノート
学部学生のための実証研究に関するノート
駒澤大学経営学部講師
中川功一
(『駒大経営研究』,43,1・2,pp.49-83)
1.本稿のねらい
1.1 一介の大学教員による、演習のための“資料”
本稿は、私の演習(ゼミ)において大学学部学生に実施させている、実証研究の方法に
関する覚書である。本稿は、基本的には非常に個人的な利益のために作成されている。す
なわち、毎年新しく入ってくるゼミ生に、その都度研究の方法やその要点を思い出しなが
ら説明することに不便を感じ、その不便を解消するために本稿は作成されたのである。後
段でも多少紹介するが、世の中には研究方法が書かれたテキストが溢れかえっている。し
かしながら、
「社会科学分野の」「実証研究について」「学部学生レベルを対象に」「具体的
な方法を説明している」テキストとまで絞り込まれると、とたんに数が少なくなってしま
う。極めつけは「かつ、中川功一ゼミでの利用に最適に作られたテキスト」という付帯条
件である。この条件を満たせるテキストは、当然世界には存在していない。そこで、たと
え一般的な実証研究方法論のテキストとしては不十分なものになってしまうとしても、自
分の指導スタイルに合わせて自分でテキストを用意してみることとした。
本稿の位置づけは、一介の大学教員の私的な方法論を紹介する「資料」である。単に演
習の内部資料として作成するだけに留まらず、こうして公開資料という位置づけで発表し
たのは、大学教員諸氏が教育活動について議論・検討する際の素材として(反面教師とし
てでも)本稿を利用いただければと考えたためである。私のゼミの研究方法は、もちろん
私自身としてはこれがベストと考えて実施しているのであるが、研究法・教育法は十人十
色であろうから、多くの点が議論の対象となるであろう。
本稿では、あえて一般性・客観性を持たせることを避け、自分の考え方、自分の指導の
仕方、学生への取り組ませ方を、ありのままに書いている。実証研究においては、観察さ
れた対象の行為や意図をできるだけそのままに記述するからこそ、情報は価値のあるもの
になる。もし私が自分のやり方をありのままに記述せず、いかにも教科書然としたスタイ
ルで書いたのであれば、それは情報としては歪められたものと言わざるを得ない(そもそ
もそれでは、第一目的であった「中川功一ゼミでの利用に最適に作られたテキスト」では
なくなってしまう)
。そこで、議論内容の一般性、客観性、網羅性、妥当性や、あるいは重
鎮研究者のみがもつ「言葉の重み」には欠けるかもしれないが、本稿は過度の一般化を避
け、あくまでとある経営学の一教員による、自身の担当演習のためのノートというスタン
スを徹底して取り、それをもって本稿の小さな学術貢献としたい。
1.2 研究とは何か
研究方法を議論する前に、そもそも研究とは何かという点を明確にしておこう1。研究と
は、簡単に言えば、問いを発し、それに答えることである。
「問い」とは未知の世界に踏み
込むことである。世の中にまだ知られていない理論や現象を解明することが問いとなるの
である。なお、学術的な「問い」としては、学問と社会の両方への貢献のために、一般化
の可能性が高いものであることが望ましいとされる。例えば、最初に A 社の競争力の源泉
を調べるという研究テーマ設定をしたとしても、最終的にはそこから企業経営一般につい
て何が主張できるかというように、一般化を志す必要がある。
問いに答える、と言ったときに、その「答え」には、①結論(主張)
、②根拠、③論理の
3 つが必要となる。結論(主張)とはつまり答えの骨子であり、先の例で言えば A 社の競
争力の源泉は○○にある、の○○の部分にあたるものである。これが無ければ、研究が完
成したとは言えないのだが、初習者はよく結論のない論文やレポートを作成しがちである
ので気を付けられたい。第二に、根拠であるが、根拠とはその結論を裏付ける客観的事実
である。後段での言葉を使うならば、データといってもよい。インタビューや現場観察、
統計資料、新聞・雑誌記事などによって収集されたデータで、自らの主張の正しさを説得
しなければならない。問いに答えるための第 3 の要素は論理である。論理は、将棋やチェ
スにおける、相手を詰ませるための手順に該当するものである。根拠をただ羅列しただけ
で、主張は成立するわけではない。順を追って、根拠を理詰めで並べていって、論文を読
んだ者を説得しなければならないのである。
まとめるならば、研究とはまず明確に問いが立てられたものであり、その問いに対する
明確な結論が、十分な根拠と論理によって説得的に提示されているものであると言えるだ
ろう。
1.3 本稿の前提
本稿が想定する研究のスタイルは「大学学部学生が、社会科学(さしあたって経営学)
の実証研究を行い、1 年間で論文として研究成果を出す」というものである。修士論文や学
術雑誌への投稿論文を想定したものでもないし、ビジネスのプレゼンテーションや企画作
成の方法論でもない(多少は通じるところはあるかもしれない)
。また、論文として最終成
果を出すことを念頭に置いており、プレゼンテーション資料、小説など物語形式、映像作
品、音声、画像や詩といった別の形式による成果の出し方は考慮していない。さすがに社
会科学分野では詩が成果として認められる時代は訪れないだろうが、プレゼンテーション
資料や小説、映像といったスタイルでの成果を学術貢献として認める分野は既にあるだろ
うし、今後は私の分野(経営学)でも認められる時代が来るかもしれない。しかしながら、
1
本節の議論は、小林・船曳編(1994)を参考にしている。小林・船曳編(1994)は東京大学教養学部文
科各類の 1 年次基礎演習で利用されている、研究とは何か、どう実践するのかを議論した、定評あるテキ
ストである。現在からみれば議論が既に古い部分もあるが、研究とは何なのかということを知る上で参考
になる。
ここではそうした成果物の作り方は本稿では想定しておらず、あくまで構造的に書かれた
文章によって論理的・学術的な主張をすることを最終目標とした研究のための方法を議論
する。
本稿のひとつのポイントは、実証研究を対象とするという点である。実証研究とは、現
場や現象そのものを直接観察する、当事者への聞き取り調査(インタビュー)や質問票調
査を行なう、自ら現場に参与するといった形で、調べたい現象そのものに何らかの形で研
究者が直接接触する研究方法である。現場・現象に研究者が直接に触れ、その“手触り感”
を維持しながら、学術的な考察を行う研究だといってもいい。これに当てはまらない研究
スタイルは、文献研究、理論研究、政府統計や雑誌記事のみに頼った二次資料のみによる
研究、研究室内での実験、コンピュータ・シミュレーションによる研究などがある。ただ
し、実験やシミュレーションにしても、現場へのフィールドワークをそれに組み合わせる
などして、研究者自身の“現場の手触り感”が分析に適切に反映されている研究ならば、
実験等も社会現象に接近しその理解を得るための一つの方法とみなせると考え、ここでい
う実証研究に含むこととする。なお、誤解を避けるため強調しておくが、実証研究とはみ
なさない純粋な理論研究や実験・シミュレーションも、その学術的な意義は実証研究と等
しく高い研究活動である。
また、本稿は「優れた論文」を作るための方法論ではない。率直に恥じることなく言え
ば、本稿は、かろうじて学術論文と言えなくもないレベルの研究さえできればよい、とい
うスタンスでの研究方法論である。もちろん、私のゼミでは学生に対して優れた成果を出
すことを目標として惜しみない努力を求めているが、本稿の立場は、その努力と苦労の過
程こそが大学教育であり、成果は付随物に過ぎないと考える。つまりは、本稿の方法論は、
「優れた研究成果を出すためのもの」ではなく「研究過程において努力・創意・情熱を出
しきるためのもの」である。こと 20 歳前後の若人の教育ということを念頭に置くならば(学
者として食べていきたいということであればもう少しクレバーに行動すべきだろうが)
、本
人の興味に沿ってフィールドを選び、その能力と情熱を余すところなくフィールド研究に
投じ、自ら計画を立案し、当事者にアポイントを取って話を伺い、分析方法に試行錯誤し、
成功でも失敗でもいいから研究対象に全力でぶつかることが、その人の人間的成長につな
がる―以上が本稿のとる立場であり、これから紹介する方法論の根底にあるものである2。
同様の理由で、本稿のスタンスは、成果や方法は必ずしも学術的にみて妥当なものでな
くてもよいと考える。私のゼミは経営学を研究するゼミであることから、経営実務・経営
現場において意味のある活動であり成果であるならば、学術性が高くなくともそれでよい
としている。たとえば、
「ベンチャー企業を立ち上げる」だとか「○社に新商品案を立案す
2
私のゼミにおいては 1 年間続けてきた研究が失敗に終わることは少なくない。しかしながら、毎年観察
していると、失敗したプログラムに参加した学生のほうがむしろより多くのことを身をもって学び、その
後に大きく成長している様子である。少なくとも、成功でも失敗でも同様に貴重な経験を積んでいるよう
であった。それを踏まえて、本稿では学部学生においては過程こそが本質で、最終成果は付随物との立場
をとることとした。
る」
「○○百貨店の店舗改革」といったテーマも、仮にそれが一切学術的な内容を含んでい
なかったとしても、ゼミの研究課題として適切なものであるとさせてもらう。
2.研究テーマ設定
2.1
フィールドと視点
本節からは、具体的な研究方法論の議論に踏み込んでいく。まずは、研究テーマをどう
設定すべきかを本節において議論していきたい。
実証研究の場合には、分析対象となる「フィールド(現場・現象)」と、分析を進めてい
く「視点」の 2 つが必要になる(図 1)
。片方だけでは実証研究とはなり得ない。フィール
ドのみ、たとえば「家電メーカーを調べてみたい」「映画産業を調べてみたい」だけでは、
意図・目的のある調査とは言えず、実際に調査を進めていっても、散漫な調査になってし
まう。他方で、視点のみ「多角化戦略を調べてみたい」
「従業員の動機づけを調べてみたい」
だけでも、調査を進めていくことはできず、最終的には必ずなんらかの分析対象を設定し
なければならないことになる。常に、「家電メーカーの多角化戦略を調べてみたい」という
ように、フィールドをどのような視点でとらえていくか、という考え方が必要になる。
図 1 フィールドと視点の交点に研究課題がある
フィールド
視点
まずはフィールドについて検討しよう。ここでフィールドは、現実のビジネスや社会の
現場・現象、とだけ緩く定義しておく。実際、研究において設定されるフィールドの形は
自由自在であり、フィールドの定義に厳密になりすぎる必要はない。
「産業(家電産業、映
画産業、IT 産業など)
」
「企業・組織(トヨタ、ソニー、生協など)」「部門・工程(営業部
門、プレス工程、渋谷ハチ公口店など)」「人・職種(新規採用者、中小企業経営者、医者
など)
」
「国・地域・民族・階層(日本、大阪、中所得者層など)」
「市場(主婦層、学生層、
iPhone ヘビーユーザーなど)
」…と、フィールドの設定方法は様々である。ただしフィール
ドの設定においては、①フィールド自体の定義は明確に行うこと、②その定義は実務的に
も学術的にも意味のあるものになっていること、③その定義の中に、本来分析対象に含ん
でいないはずのものが混ざらないようにすること、④そのフィールドだけを取り出して分
析することが容易であること、に気をつける必要がある。無理にひねったフィールド設定
は、それだけを取り出して分析することを困難にするのみならず、いかに分析が秀逸であ
ろうとも、実務界や学術界からみて意味をなさないものとなっている可能性もあるので気
を付けられたい。
第 2 に「視点」について。この「視点」は、学術研究であるならば学説・理論であるこ
とが望ましい。経営学であれば多角化であるとか、動機づけ、ラディカル・イノベーショ
ンなどといった学説を「視点」としたならば、おのずと学術的色彩を帯びた研究となって
くるであろう。だが、それだけが学術研究というわけではない。業界で語られる言説や神
話、あるいは学術的な検討・裏付けを欠いている持論や主張であっても、分析のやり方に
よっては十分に意義のある研究となりうる。たとえば半導体産業の著名な「ムーアの法則」
に挑んでみるとか、
「住宅業界においてユニット工法は本当に有利か」など業界の常識を疑
ってみる、新聞やテレビで語られる言説、たとえば「ゆとり世代」「草食系男子」といった
言説を検証してみるといった研究も、ビジネスや社会の現象を実態解明するという意味で
研究に値するものである。
なお「フィールド」
「視点」のどちらについても、研究の初期時点ではあまり厳密に規定
し過ぎる必要はないし、研究中途で変更することも問題はない。
「なんとなく○○業界が面
白そうだから、とりあえず企業の戦略分析からスタートしようか」…というようなあいま
いなスタートでも、全く問題はないのである。なぜならば、研究の初期時点では、フィー
ルド・視点のどちらか、あるいは両方について十分な知識がないのが普通のことである。
フィールドに関する知識が不十分ならば、そのフィールドを分析するうえで適当な視点を
設定することは困難であるし、視点とする学説について知識が不十分ならば、その学説を
検証するに適当なフィールドを選択することはできない。それゆえ、研究当初の段階では、
フィールド・視点の両方が完璧であることを望む必要性は薄く、調査の過程ですこしずつ
修正しながら適切な枠組みを構築していけばよいであろう。なお私のゼミでは、1 年間で研
究を結実させる標準的なプロジェクトの場合、最初の 3-4 か月程度をフィールドと視点に関
する基本情報収集にあてて適切なフィールド・視点を検討し、残りをそのフィールド・視
座に対する本格的な分析にあてることが多くなっている。
初期には「厳密な」フィールド・視点の設定は不要であるとしても、それはフィールド・
視点の設定を一切行わずに研究をスタートしてよい、ということではない。適切なフィー
ルド・視点設定を見つけ出すためにも、暫定ながらもフィールド・視点をその都度設定し
ながら研究を進めていく必要がある。視点をもたずにフィールドに出ることは、コンパス
を持たずに航海にでるようなものである。視点をもたずに現象に接近しようとしても、現
象の多面性や複雑さのために、理解を得ることや、思考を深めていくことに困難が生じる。
特に、現場調査やキーパーソンへのインタビューなどは、何らかの視点なしには、駆け出
しの研究者はほぼ確実に迷子になるだろう。社会の現場は大変に複雑で情報量の多い世界
であるし、多くの経験を有するキーパーソンへのインタビューも、その人物の「豊かさ」
ゆえに、情報量が多くなりすぎてしまうのである。それゆえに、ある程度、フィールドか
ら何を得てくるのかという視点を定めないことには、こと駆け出しにおいては情報過多と
なりすぎてしまう。ちなみに、かつて大変高名な研究者と合同で調査に臨ませていただい
たことがあるが、その方は、特定の視点を持たずに現場を見て・話を聞いて、その本質を
うまく捉えられていたことに感服したことがある。だが、それは研究者としての長くまた
誉れ高きキャリアがあるからこその自由自在の境地なのであり、我々はまず定石通りの「視
点をもって現場に入る」に徹するべきであろう。
2.2
仮説と疑問
ある視点をもってフィールドに接近したときには、研究者の脳裏には、大小さまざまな
仮説と疑問が準備されることとなる(図 2)
。たとえば、A 社の成功という現象を、同社の
マーケティング戦略という視点から分析するならば、「A 社の製品ラインナップ策がよかっ
たのではないか」「低価格戦略が功を奏したのではないか」「流通経路はどうなっているの
だろうか」
「顧客へのアフターサービスが充実しているのではないか」といった疑問や仮説
が生じてくる。研究とは、これらの仮説・疑問を解決していくプロセスである。あらゆる
疑問にこたえ、大小さまざまな仮説を検証し終えたときに、研究者はようやく「ある視点
に基づいて社会現象を研究した」と言うことができるのであり、ひとつの実証研究をやり
遂げたと言えるのである。
図 2 ある視点から現象を眺めたとき、仮説と疑問が生まれる
疑問
仮説
視点
現象
仮説
疑問
従って、視点をもって現象をみるということは、仮説をもって現象をみるということと
同義である。いかに理論や学説を学んだとしても、現場・現象の観察や分析を行うとき、
もし何の仮説も用意できていないとすれば、それは「視点がある」状態とは言い難い。先
の例で言えば、
「A 社の成功をマーケティング戦略から分析する」という段階で思考を止め、
何らの仮説も作らずに、現象(A 社事例)のデータ収集や分析を開始する、という状況であ
る。この状況ではまだ、マーケティング戦略と A 社の成功とは、研究者の思考プロセス上
で結合していない。「製品ラインナップ策がよかったのではないか」「低価格戦略が功を奏
したのではないか」といった仮説や疑問は、思考プロセス上で 2 者をつなごうとした結果
として生まれてくる。仮説・疑問が生まれたときをもって、ある視点から現象をみること
ができたと言えるだろう。
ある視点のもとに生じた仮説・疑問にこたえていくと、より大きな別の問題が見えてく
ることがある。その際には、研究の視点を改めて修正する必要も出てくるであろうし、ま
た分析すべき現象のほうを変更する必要が生じるかもしれない。例えば「A 社の成功をマー
ケティングから分析」してみたところ、むしろ「A 社の製品開発能力の高さがポイントなの
ではないか」ということが明らかになる、といった状況である。こうして視点や対象が移
り変わったならば、それに応じて、理論・学説の検討もしなければならないだろうし、対
象についてであればもう一度学び直すことになる。当然、仮説・疑問は新たに構築し直さ
れることになる。
実は、この視点・対象の修正プロセスこそが、社会科学研究の特徴であり醍醐味である。
この修正プロセスは決して無駄なものではない。むしろ、多様な視点や多様な現象を考察
することで、知見を充実させることができ、より本質的な問題に近づいていくことができ
るプロセスとして、重視すべきものなのである。この点については、後段「研究プロセス」
において今一度議論することとしよう。
2.3
フィールド・視点の設定方法のバリエーション
以上に述べたように、
「フィールド」と「それを見る視点」の 2 つが研究テーマ設定の構
成要素なのであるが、この 2 つの設定の仕方には、何通りかバリエーションが考えられる。
これで網羅したとは言わないが、下記のようなバリエーションが存在していると思われる。
A 現象の原因・理論を探求する
すでに起こっている出来事の背景を探求する。
「A 社の成功を同社のマーケティング戦略
から分析する」「三軒茶屋のカフェ集積は、なぜ維持できているのか」「時代によって変化
するモテる男性像は、何の影響を受けているか」など。この場合は、まずフィールドあり
きで、視点の側は明確に規定される必要はない。というよりも、現象を説明できる適切な
理論=視点を発見できたときは既にゴールがかなり近づいている状態である。現象につい
て理解を深めていくことがこのタイプの場合の研究プロセスの主となり、十分な理解を得
られた段階で、その現象をもっともうまくとらえることができる視点:もっともうまく説
明できる論理を探究していくのである。現象への理解とそれを説明する論理の両方が揃っ
た段階で研究はひとまずの完成となる。
学術的にみて成果の高い研究とするならば、現象を説明する論理は、分析した当該の対
象のみならず、より広く一般的にあてはまることが望ましい。一般性を検証するには、更
なる追加の研究を行えばならない可能性もある。たとえば、他の対象についてもあてはま
るのかどうかをテストするなどといった研究である。一般性の検証をどの程度実施するか
は研究者の興味や余力次第であるが、少なくとも一般化の可能性とそれをできる限り検証
するという姿勢をもって研究を進めることが大切である。
B 仮説を検証する
こちらは A とは逆に、まず視点・理論ありきでスタートし、そののちに適当なフィール
ドを探して検証するというものである。研究のプロセスとしては、理論に関する学習や検
討が最初にあり、知識を獲得したうえで、フィールドを探していくことになる。さしあた
り学部生レベルでは既存理論の妥当性を検証するのでも私は十分と考えるが(そのような
研究は研究でないとする立場の方もいるであろう)
、より望ましいのは、既存理論の学習を
進めたうえで、既存理論に対して新規な追加・貢献あるいは反証を行うことである。本来、
社会科学の学術研究ではこの新規な貢献をもって学術成果とみなされる。とはいえ、これ
を達成することは学部生レベルでは非常に難しい。世の社会科学系大学院生はみな自分の
研究の新規貢献を毎年必死に探して修論・博論を作成しているという実態があり(講師や
准教授・教授になったところでそれは変わらない)
、学部生レベルでこれを求めるのはすこ
し酷かもしれない。…とはいえ、やはり新規貢献の可能性を常に模索しながら研究を進め
るのが筋である。
なお、修士論文などではアカデミックな理論体系に乗ったうえで新規理論構築、新規貢
献を行っていくのであるが、さきにも述べたように、業界における通念や持論を検証する
という研究も、それが最終的にはアカデミックな貢献=一般化の可能性を有した命題の導
出に行き着くのであれば、決して間違った研究アプローチではないことを強調しておく。
C 既存の理論や解釈、あるいは事実そのものを問い直す
先行する研究で提示されている理論や出来事の解釈を問い直し、その修正を行う、ある
いは新しい理論や解釈を提示する。理論・解釈の学習からスタートし、正しい理解や学術
の動向を踏まえたうえで、フィールドで情報収集するなどして根拠を集め、既存の理論・
解釈を批判的に再構築していく。
上記は「理論や解釈」に関する修正であるが、
「事実」側を問い直すというアプローチも
ある。正確に言うなら、
「事実として知られていること」を問い直すというべきだろう。既
存の学術研究や、あるいは新聞等に記載されている「事実として知られていること」を疑
い、自身でそれを再検証するのである。
D 問題を自分たちで設定する
自分たちでフィールドの問題を探し、その問題への対応策を検討したり、あるいはその
問題自体を掘り下げて解明していく。例として私のゼミの過去のテーマを挙げるならば、
「銀座三越への経営改革案」「ラーメン屋『せたが屋』のプロモーションプラン立案」「プ
ロ野球の経営改革」など。まずフィールドありきという点では A と同じパターンであるが、
A の場合はフィールドにおいて「既に見えている結果」について理解を深め、説明を与えよ
うとする研究であるのに対し、この D タイプは何を問題として分析を深めていくべきかは、
最初の段階では解らずにフィールドに入っていくことになる分、より難しいタイプである
と言える。
このタイプの研究のポイントは、第一にはとにかくフィールドへの接触時間を多くとり、
現象への理解を深め続けていくことである。現場に何度も足を運ぶのでも、統計データを
じっくり見るのでも、多数のインタビューを行うのでもよい。できるだけフィールドにた
くさん接し、そこにいかなる問題が隠されているのか、その問題がどのような原理で起こ
っているのか、そして対策はどう打つべきかを、全身全霊をもって感じ取ってくるのであ
る。
ポイントの第二点目は、フィールドとの接触において必ず仮説を持って臨むことである。
仮説を持って現場に行く、という表現がピンとこないならば、考えながら現場をみる、と
言い換えてもいい。ぼんやり眺めるのではなく、常に自分の思考を働かせて、ああでもな
いこうでもないという思考実験を重ねながらものを見ていくことが必要になる。漫然と対
象に接するよりも、はるかに現象への理解が進み、同時にどう見るべきなのか多様な視点
を試行することができるため、研究の効率性は大きく向上することとなる。
E ミッションを遂行する
起業する、イベントを成功させる、商品案を考えるなど、何かを達成するというタイプ
である。一見すれば、それは研究とは言えず、学術的な成果とも言えないと思われるであ
ろう。しかしながら、その経験を論文として記述したならば、それは研究者自身がフィー
ルドに直接参加してきた生生しい経験の記述となり、まさしくアクション・リサーチによ
る研究論文となりうるものなのである。もちろん、ただ経験を記述するだけでは、やはり
研究とは言い難いものであることは事実である。そこで、改めて「ある視点からみる」と
いうことが大切になってくる。特定の理論枠組みから自身の経験を記述し、その意味を模
索したならば、こうしたミッション遂行活動も、十分に研究成果といえるものとなりうる
であろう。
こうした意味では、この E タイプを学術研究に昇華させるためには、厳密な理論に基づ
いた「視点」の設定こそが勝負であるといえる。フィールドにもっとも深く浸かることに
なる D タイプだからこそ、逆説的であるが、アカデミックかつ厳密に揺るがない視点を設
定することが必要になるのである。
3.研究プロセス
3.1 サイクルとしての研究プロセス
どう研究を進めればよいかという問いに対して、決まった答えはない。プロフェッショ
ナルの研究者はみな自分なりのスタイルというものを持っているだろう3。とはいえ、具体
的なプロセスは十人十色であったとしても、幾分抽象度を上げながら共通項を探してみる
と、視点(仮説)をもってフィールドに接し、データを収集し、そのデータをもとに仮説
を検証・修正する、というサイクルを回していることが挙げられる(図 3)
。このサイクル
は、思考と行動のサイクルと言い換えてもよい。行動してデータを集め、思考によってそ
のデータを解釈、再び追加的なデータを収集するための行動を起こす…というアタマとカ
ラダの運動を繰り返すことで、研究は前進していくのである。
図 3.一般的な研究プロセス
視点・仮説を
定める(修正
する)
視点に基づい
てフィールド
に接近し、デー
データを
仮説が十分支持され
研究の終了
る・疑問が解決する
または次な
分析する
る問題へ
タを収集する
仮説が十分に支持され
ない・疑問が未解決
さて、第一ステップにあたる、視点を定め仮説を構築するという段階については、前節
において既に議論しているので、以下では第 2 ステップ以降を説明したい。
研究対象をとらえる視点を定め、仮説・疑問を準備したならば、次のステップはデータ
収集である。社会科学の研究論文において、唯一、ものを語るのはデータである。いかに
高尚な議論を展開しようと、その裏付けとなるデータがなければ、まさしく机上の空論で
ある。もちろんデータに拠らない純粋理論研究というアプローチもあり、それを否定する
わけではない。だが、純粋理論研究の成果も、社会現象の一端を解明するものとして意味
を有することになるのは、最終的にはデータで検証されたときであろう。いかなる高名な
学説を持ってくることも、またいかに言葉や論理を弄することも、事実を語るデータには
敵わない。データをもって語らしめよ、は社会科学の研究において最重要事項として強調
しておきたい。
データのない言説には注意を払うべきである。たとえば、テレビのニュースを眺めてい
れば「いま○○が流行っている」
「近年××が増えておりますが…」といった言葉が何気な
く使われる。また新聞の論説などを読んでみれば「残虐ゲームがニートを生む」だとか「無
気力な若者」のような主張を、データも提示せずに恥ずかしげもなく述べる評論家や“研
究者”もいる。さらに言えば、大変残念なことに、学術研究雑誌の中にも、根拠をもたな
3
さまざまな領域の研究者がいかなる研究スタイルを採っているかについては、小林・船曳編(1994)や
小池・洞口編(2006)
、藤本・高橋・新宅他(2005)が大変参考になる。
い主張が行われることも少なくない(私が読んだ中でもっとも酷かったのは、「やかましい
ポピュラー音楽が流行っている。文化の低俗化も甚だしい」である)
。それらの主張に出く
わしたとき、根拠のない空虚な主張である、という感じ取り方ができたときに、研究を行
うスタート地点に立ったといえるだろう。もちろん、上記のような主張、たとえば「残虐
ゲームがニートを生む」であっても、また「ポピュラー音楽が流行っており、文化は低俗
化している」であっても…、そこにデータというゆるぎないものが示されているならば、
その言説は考慮に足るものだと考えなければならない。反論するにも、こちらもデータを
もってして戦わねばならない相手だということである。
第 3 のステップは、データを分析することである。ここで、
「データを収集」することと
「分析すること」は全く別なのだということを強調しておきたい。統計的な分析を中心的
な方法とする研究者であれば、
「データ収集」と「分析」は全く異なるフェーズであること
は、当然のように理解していることである。しかしながら、特に現場観察やインタビュー
をデータ収集方法の中心とし、質的データをメインに議論するタイプの研究においては、
「収集」と「分析」が同時進行することが多いために、
「分析をする」ということを意識し
ないと、実はただ情報を収集しただけであり、分析としては非常に浅いことをやったのみ
である、ということも往々にして起こりがちである。
分析とはつまり、収集したデータをもとに、自分の頭で考えるということである。統計
手法には「回帰分析」や「因子分析」がある。また、経営戦略論やマーケティングには「5
要因分析」や「AIDMA 分析」などの分析ツールが存在している。しかし、これら分析と名
のつくものは、あくまで研究者が本当の意味での分析を行うための分析“ツール” である
ことに気をつけられたい(とかく私のゼミでは、学生は頻繁にこのミスをやってくる。○
○分析と名のつくツールが氾濫している研究領域ほど、このミスをし易いようである)。ツ
ールはあくまでツールであって、本当の「分析」は、自らの思考にあることを忘れてはな
らない。表や統計手法から「読み取る」「考える」「判断する」といった、自分の頭脳を働
かせて思考することこそが分析である。表もグラフも自ら思考を行う存在ではない。高度
な計算処理をしてくれる統計ソフトですら、真の意味での思考はしていない(求められた
計算の結果を表示しているのみである)
。―研究において、思考を司るのは、唯一、人間だ
けである。
「収集」が済んだ状態と、その「分析」を済ませた状態では、研究の進展状況としては
雲泥の差がある。頻繁にフィールドに出るような研究の進め方をするときに、情報収集が
進んでいるから研究が非常に進展しているような印象を覚えることがあるが、その印象は
半分正解で、半分は間違いである。研究においては、データ収集にかけたのと同程度かそ
れ以上の時間を、分析:思考することに費やさねばならない。「分析」は、データの量が増
える作業ではないから、研究の進捗としてはじりじりとあまり進んでいかない印象を覚え
るものである。だが、ああでもないこうでもないと、右往左往し、行ったり来たりしなが
ら、思考を続けるプロセスは研究のどこかで必要になるものであり、目にははっきりとは
成果が見えないそのプロセスこそが、研究の質を飛躍的に向上させるのである。長い思考
プロセスを経て、ようやくに描くことができた論理や図表の価値は、これまで蓄積してき
たいかなるデータよりも大きいものである。
分析の最終的な狙いは、当初に立てた仮説や疑問にこたえることである。その仮説や疑
問に対して、答えを得られたならば、さしあたりその研究は一段落ということになる。と
はいえ、当初立てた問いにあっさり答えられるということはめったに起こりえない。もし 1
週間や 1 か月程度で答えが得られてしまうような仮説・疑問であるならば、それは研究の
やり方がエクセレントであったということではなく、せいぜいその程度の簡単な研究テー
マ設定であったということであろう。多くの場合においては、何度も視点・仮説の設定→
データ収集→分析→視点・仮説の再構築、というサイクルをまわしていくなかで、傍証を
積み重ねて、本質に近づき、大きな問いへの答えに迫っていくことになる。
研究を進めていくと、当初立てていた重要な仮説が否定されるようなデータや分析結果
が出てくることがある。このようなときには、研究の枠組み(視点・フィールド)を大き
く見直さざるを得ず、見方によっては研究が後退したとも捉えられるであろう。だが、仮
説が否定されることは、研究をさらに飛躍させるための機会を得たと捉えるべきである。
仮説が成り立たない状況に陥り、研究の枠組みを見直さねばならないときは、意気消沈す
るものである。それが、長い時間をかけて研究してきたものであればなおさらである。だ
が、仮説が否定されてしまったという自分の立ち位置をもう一度ここで考え直してもらい
たい。従来の学説が、否定されている現状とは、実は新しい学説を生みだすスタート地点
なのかもしれないのである。そこから更に理論的な考察を深めたり、現象の分析を深めて
いくことで、先人たちのたどり着いていない、新しい知の地平を切り拓ける可能性を手に
している。研究が失敗したと意気消沈するのではなく、新しい地平を拓き得る幸運な機会
に恵まれたと捉えてほしい。
私自身の経験を述べると、まさしく従来仮説の否定こそが研究進展のきっかけであった。
私は 20 代のあいだ、製品アーキテクチャという概念を中心に据えて研究をしてきたのであ
るが、この概念をめぐっては「製品アーキテクチャがモジュラー化するときには、事業を
絞り込んだ企業が有利になる」という有力な通説があった。フィールドワークを重ねるう
ちに、私はこの通説が成り立たない状況に何度も出くわした。当初私は、そうした仮説に
否定的な現象を無意識のうちに見ないようにしていた。それらは些末な例外事例であり、
大勢は仮説通りであると、私は修士論文では結論づけていたのである。だが、幸いにもあ
る日、些末だと考えていた反証事例の方に本質が宿っているのではないかという気づきの
機会があり、そこからようやく、従来仮説を批判的にとらえ、製品アーキテクチャ概念を
発展的に再構築するという形で研究を進展させることができたのである4。
仮説が支持されて理解が進展しようとも、また逆に仮説が否定されて大きく視点を変え
なければならなくなろうとも、リサーチ・プロセスは、視点設定→データ収集→分析とい
4
詳細については中川(2011)のはしがき(pp.ⅰ-ⅵ.)を参照されたい。
うサイクルを何度もまわしていき、ものごとの本質を探究するプロセスだと言えるだろう。
このサイクルを何度もまわしていくことで、視点は何度も修正されてより妥当なものに近
づいていき、データも蓄積されていき、分析も深まっていくことになる。
3.2 他の論理の検証
先述の通り、研究の第一目標は、
「ひとつの主張を根拠と論理を用いて説得的に議論する
こと」である。基本的にはこれが達成された段階で、研究を一段落とすることが多いであ
ろう。しかし、努力目標としては「別の主張が成り立つ可能性を検討すること」も、余力
があれば実施すべきである。A という仮説が成り立つことを示すには、まず A の説自体が
成り立っていることが必要であるが、A の対立仮説となりうる別の B・C・D…の仮説を否
定することも必要なのである。考えられる別の仮説をできるだけ否定することによって、A
の仮説の確からしさは大きく高まるのである。また、別の仮説 B のほうが説得的であるこ
とが判明することも考えられる。このことから、他の論理の検証は、可能な限り行うこと
が望ましいといえるだろう。
3.3 ブレてもいいこと、ブレてはいけないこと
社会科学の研究においては、当初の研究計画からは大きく乖離したが、それにもかかわ
らず優れた研究成果となったということは決して少なくない。労働生産性と照明の明るさ
の関係の調査してみたところ、生産性に影響するのはむしろ人間関係であるという結論を
得たホーソン実験の逸話は、経営学領域では非常に有名な逸話である(レスリスバーガー,
1965)
。当初の計画通りに結果が出ることのほうが、むしろまれであると言えるかもしれな
い。
その意味で、研究プロセスにおいては、研究テーマや調査対象などについて、良い意味
で「ブレ」や「あいまいさ」を認めておくべきであろう。データ収集や分析から見えてき
たものにあわせて、理論枠組みは適宜修正していかねばならないし、その逆もまた然りで
ある。
さらに言えば、最初から解くべき研究課題や利用できる理論枠組みがあまりにもはっき
りと見えすぎていると感じる場合も存在している。とりわけ学部ゼミの研究レベルでは、
指導教員からすれば、このテーマはこう調査していけばよいだろう、最後にはこういうも
のが見えてくるだろうな…という推論が立ちすぎてしまう場合があるだろう。研究者人生
の中では、
「より大きな研究テーマのための傍証集めや布石」
「サブの仕事」
、あるいは「(採
用・昇進などのための)点数稼ぎ」として、最初からゴールが見えているような研究をす
ることも、なくはない。だが、こと学部学生に対し、貴重な 1 年間をそうした研究に費や
させるのは望ましくないように思われる。たまたま、その研究からより大きなテーマ・興
味のわくテーマが見えてくればよいが、そうならない可能性も大いにある。やはり、どう
いう結末が見えるとも解らないような研究テーマの方が、取り組むとして魅力的な研究で
あるように思われる。
ただし、ブレやあいまいさを認めるといっても、それらがあってはならない点ももちろ
ん存在する。
「理論はともかくも自分はマスメディアの研究がしたい」とか「対象が何であ
ろうともクチコミ効果を研究したい」といった、最初にたてた研究の軸足となる部分であ
る。この点までもを自由自在に変更してよいとなると、研究にはもはや何の軸もなく、浮
草のようにフラフラと研究者の興味にそって流動してしまう。したがって、研究プロセス
においては、譲れない部分をしっかり軸として残しつつ、それ以外の部分を柔軟に修正し
ていくという二面性が求められるだろう。
4.データの取り扱い
4.1
データの種類
さて、いかなる研究テーマや視点を設定したとしても、研究において必要なものはデー
タである。ここではデータの種類と取扱い、そしてデータ収集の方法を議論する。
まず、研究に用いるデータであるが、これには大きく分けて量的データと質的データと
がある。厳密な定義の問題を扱いだせばきりがないが、簡単に言えば量的データとは数値
情報のことであり、質的データはそれ以外の、数字で表せない情報(文字情報、画像情報、
動画情報、音声情報など)のことである。研究においてはその両方が大切である。たとえ
ば「女優の魅力」を検討するという研究をするならば、何らかの数値化もおそらく必要で
あろうが、演技力や性格といった特徴を単純な数値情報で表すことは困難であり、量的デ
ータと質的データの両方をうまく組み合わせて説得することが必要になるであろう。
量的データと質的データは、説得する内容についてそれぞれの適性がある。量的データ
は、
「揺るぎなく説得性の高いデータ」である。数値として観察された結果は、それ自体は
もはや解釈の余地のない、確かな事実である。A 社が競争力ある企業であるというとき、質
的データでは相手に納得してもらうには大変な物量と苦労とを要するが、利益や売上、シ
ェア、製品性能や品質といった量的データならば、はるかに有効に、かつ頑健に説得する
ことができるのである。
これに対し、質的データは、
「周辺状況を含んだ豊富さを持つデータ」である。社会現象
のうちで、量的データで説明できることは実は非常に少ない。先の「A 社の競争力の高さ」
を示すという例で言えば、利益・売上・シェア・製品性能といった数値の高さは「競争力
の高さ」を示すデータであることに確かに間違いはないのだが、A 社の競争力の高さはただ
それらのデータだけで捉えられるものでもないのである。A 社の競争力は、数値では示せな
いような戦略や組織設計、従業員の仕事の工夫、製品のデザイン、効果的なプロモーショ
ンの仕掛けなどにあるかもしれない。それらの質的データは、A 社の競争力の高さを証明す
るために、一つ一つの説得力は決して大きくはない。しかし、これらのデータによって、A
社の競争力が何に支えられているのか、理解が非常に「豊かに」なるのである。
従って、研究においては、質的データと量的データの両方が充実していることが望まし
いということになる。質的データで周辺的事実を積み重ね、社会現象そのものの概観を描
き出したうえで、核となる論理は量的データで揺るぎなく示す、という形がひとつのモデ
ルケースとなるであろう。
質的データにせよ量的データにせよ、データの信頼性は非常に大切である。信頼性の高
いデータとは、特定の人物の意見や偏見を排した事実のデータである。とはいえ、いかに
当事者にインタビューしようとも、定評ある統計や歴史資料にあたろうとも、調べた内容
が 100%事実であることは決して担保されないので、「事実であるという可能性が非常に高
い」ということが、信頼性の高さということになる。信頼性を確保するためには、第一に
適切な資料ないし調査対象にあたること、第二に裏付けをとることである。裏付けをとる
とは、複数の情報源から、同じ出来事・現象に関するデータを収集し、事実であることの
確からしさを高めることである。信頼性を高めることは研究において大変難しい課題で、
どこまでデータを集めても、信頼性 100%に到達することは決してできない:それが事実で
あることを覆す根拠が出てくる可能性を 0%にすることは決してできない。それゆえ、現実
にはある程度の裏付けを得たところで折り合いを付けざるを得ないのであるが、古今問わ
ず優れた社会科学の研究は、チャンドラーしかりウェーバーしかり、核たる部分について
は可能な限り裏付けの確保に腐心していることを強調しておきたい5。
4.2
データの収集方法
以下では、一般にデータの収集方法として認知されているものをリストアップしてみた
ので、参考にされたい。
・文献
昨今では、産業や社会現象に関する情報は、既に本や論文のような形でまとまっている
ことが多い。玉石混交ではあれど、ほとんどあらゆる現象について何らかの文献が存在し
ているとみてよい。まずは、それを熟読することがフィールド調査の第一歩である。なお、
日本で出版されている本であれば ISBN を入力するかタイトル入力によってすべての書籍
を Google ないし Amazon で検索することができる(Amazon は ISBN の付いているすべて
の書籍のデータベースとしても機能している)。論文であれば、日本語のものは Cinii、英
語論文は Google scholar で大半が検索可能である(2011 年 8 月現在)6。
・新聞・雑誌記事収集、企業情報収集
新聞・雑誌の記事収集は、有料の Web サービスで可能になっている。日経テレコンや日
Chandler(1962), ヴェーバー(1989)
.論理展開の魅力に目が行きがちであるが、彼ら
が大学者であるゆえんは、むしろ実証におけるデータへの執念深い姿勢にこそある。
5
6
日本語の論文検索は、Cinii(サイニィ)
:http://ci.nii.ac.jp/、
英語論文の検索であれば、Google scholar が有用である:http://scholar.google.co.jp/。
経 BP データベースなど7。企業の決算情報・有価証券報告書などは、eol というサイトで収
集できる8。社会科学の学部を有する多くの大学ではこれらのデータベースと契約をしてい
るので、大学のサーバーからならば無料で利用できる場合が多い(少なくとも駒澤大学で
は上記を利用可能である)
。有価証券報告書や雑誌・新聞記事の情報は大変に使える資料で
ある。これらの資料に載っていることをわざわざ現地調査やインタビューで収集する必要
はない:現地調査・インタビューに出る前に、有報・記事レベルの情報収集は終わらせて
おかねばならない。
・統計資料
政府統計・民間統計など現在では多様な統計がある。統計の有無は基本的にインターネ
ットで調べることができるが、統計表そのものをインターネットで閲覧できるかどうかは
ものによって異なる。また、民間統計の場合は、図書館を利用したり、購買しなければな
らないこともある。民間企業による統計は、通常大変に高価なのであるが、学部学生なら
交渉によっては Academic use only(学生割引)で 1/10 程度で買えることもあるので、ど
うしても必要な統計であれば出版社・調査会社に問い合わせてみるとよい。
・インターネット情報収集
手軽にすこし調べたいなら、インターネットで検索するだけでも近年はそれなりの情報
を集めることが可能になっている。ただしインターネット上の情報はときに裏付けを欠い
ていることが多いので、利用は慎重に行うべきである。たとえば Wikipedia の記述は、手
軽にものを知りたいときには確かに便利なのであるが、多くの場合記述の裏付けを欠いて
いる。匿名掲示板などになればなおさらであろう。この点からして、インターネット上の
情報に基づいた調査を禁じ手とする研究者も少なからずいるだろう。しかしながら、筆者
は、そもそも www が学術推進・情報共有の目的で創始されたことを踏まえるならば、利用
すべきであると考える。インターネットとは無縁には生きられない時代となりつつある現
在、研究を行う者は、高い情報リテラシーをもち、その自己責任においてインターネット
上の情報を活用できるようでなければならないだろう。裏付けのある情報を選別して利用
するとか、裏付けがなければ自ら別の方法で裏付けを取ってくるといった意識が必要であ
る。
初学者はすぐに現場に出たいと思うだろうが、上記までの資料収集でも、近年はかなり
の程度まで、調査を進めることが可能である。現場調査を充実させるには、上記の本・記
7
日経テレコン(日本経済新聞社出版の新聞記事)
:http://t21.nikkei.co.jp/
日経 BP データベース:http://bizboard.nikkeibp.co.jp/daigaku/
このほか、大抵の新聞社・ビジネス誌は記事検索サービスを用意しているので、各大学で何が使えるの
か(及びその使い方)を調べたうえで活用するとよい。
8
http://eoldb.jp/EolDb/
事・政府統計等の基礎学習が必須である。日本の文献蓄積量・情報公開量は世界的に見て
屈指のものである。そのことを先人たちに感謝し、まずは、既存の資料を探すことを心し
てもらいたい。
従って、以下に挙げる、現場から情報を集める方法は、上記の既存文献等でできること
をやりきった後に実施することを原則とする。ただし、研究プロジェクトの初期から現場・
現象と接点を有しておくことで、現場・現象の理解が早まったり、効率的に調査が進めら
れたり、モチベーションを高めることにも繋がるので、一概に現場調査は資料収集が終わ
ってからがよいというわけではない。当初から現場も見つつ、少しずつ資料収集から現場
へとシフトしていくというやり方がよいかもしれない。
・現場調査(インタビュー・見学)
業界の企業や人に伺い、インタビューや見学を行う。フィールド研究の醍醐味であり核
となるものである。再三の指摘となるが、わざわざ現場の人の時間を割いてもらい、貴重
な機会を設けてもらうのであるから、既存資料に書いてあるレベルのことを聞いても仕方
がない。現場調査はとても大切である、だからこそ、現場に出るまでの資料調査でできる
ことをやりきっておかねばならないのである。
現場調査についてであるが、まず、自身や指導教官などの伝手があるならば、それをフ
ル活用すべきである。伝手を利用してならば、通常では難しいお願いも聞いてもらえる可
能性が高い。例えば、通常のルートでは見せてもらえないような所まで工場を拝見させて
いただけるとか、企業とコラボレーションして企画を実現するといったことも、繋がりが
強ければ可能になる。なお話は逸れるが、人の繋がりは、研究に限らず、何かものごとを
成そうというときには非常に生きてくるものなので、学部学生諸氏には人の繋がりを大切
にし、また広げていくことを薦めたい。
しかし、現場調査を進めていくにあたっては、伝手がないことのほうが大半である。そ
して、伝手がない状況からどう現場に踏み込んでいくかが、研究者の腕の見せ所であり、
知恵の絞りどころである9。とはいえども、基本的には、鍵となる人物・企業・機関を選定
し、電話等で用件を伝えてアポイントメントを取る、ということに尽きる(なかなかそう
上手くはいかないからこそ、知恵を絞る必要があるのだが)
。
アポイントの取りやすさは、業界や企業国籍などによっても異なってくるが、電話で意
図・用件を伝え、同時にこちらの無害さと熱意とを正しく伝えることができれば、私のゼ
ミでの実績と感触では、3 件に 1 件程度はアポイントを取れるように思う。近年ではメール
での問い合わせ窓口などがウェブサイトに設置されていることもあるが、担当者にこちら
の声や呼吸(熱意)を伝えられることから、電話のほうが成功しやすいようである。メー
ルでは、黙殺されてしまう可能性も高い。防衛関係など業界によっては非常にアクセスが
9
小池・洞口編(2006)には、研究者がいかにして現場に接近を試みたのか、一流の研究者数名の経験が
記述されており、現場へのアクセス方法として参考になるだろう。
難しい場合もあるが、たいていの社会人は、一生懸命学ぼうとしている学生相手には、学
生諸君の考えている以上に前向きに検討してくれる。「どんな若造がくるのだ、ひとつ説教
でも垂れてやろう」とか「なかなか面白そうな連中じゃないか、世の中というものを教え
てやるか」と感じるものなのである。社会人は自分の経験や努力を誇りに思っており、機
会があればそれを世の中の人に知ってもらいたいと思っている。敬意をもってその経験・
努力を知りたいと伝えたならば、門戸を開いてくれる可能性は小さくない。私自身と私の
ゼミでの経験からすれば、学部学生という立場は実は大変機会に恵まれており、よほどの
レベルでない限り(総理大臣だとか軍事機密、トップアイドルなどはさすがに難しいが)
周到な準備をすれば、大抵のところには調査やインタビューを行うことが可能である。
調査に出向いたあとは、できれば当日、遅くとも翌日にはノートを作成すること。細部
までチェックした完成版は 1 週間程度を要しても構わないが、当日・翌日といった印象が
強く残っている間にどの程度充実したノートが作成できるかが勝負となる。その理由は、
忘れないうちにデータを残しておくことが第一であるが、ノート作成という作業は自身の
頭の整理にもなるためである。
現場調査に際しては、標準的なビジネスマナーは学んでおきたい。ここではその詳細を
記述はしないが、言葉遣い、依頼状、礼状、名刺、時間を守る(オンタイムではなく 5-10
分前で守る)
、情報の取扱いに関する約束(場合によっては、守秘義務契約を結ぶこともあ
る)など、きちんと行うこと。特に先方が社内記録として誰々に会ったということを残し
ておく必要がある場合が常であるので、依頼状や守秘義務契約など先方の仕事上必要な書
類は適切に作成しお送りしなければならない(指導教員の一筆+印鑑が求められることも
多い)
。またその逆に、オフィシャルに会ったことを記録として残したくないという場合も
あるので、先方の業務処理上、何を必要としているのかを把握し、迷惑がかからないよう
心掛けたい。
アポイントの獲得のポイントをひとつ挙げるならば、食い下がってこちらの熱意を伝え
ることである。相手の返事が、最初は No であっても、最後にはしぶしぶでも Yes になって
いることは少なくない。相手が迷惑を覚えない範囲で、粘りを見せること10。
・参与観察
現場に長期で入り込み、観察してくるデータ収集方法。専門用語でエスノグラフィーと
呼ばれることもある。文化人類学などでは当たり前に使われる手法であるが、近年は社会
科学全般に利用されるようになり、方法として定着しつつある11。第三者的立場から観察の
10
教育ということを念頭に置くなら、現場調査を進めていくプロセスでは、できるだけ教員が前に出てい
かない方が望ましいと思われる。たしかに教員が紹介状や依頼状を書き、よろしく伝えたならば、調査の
アポイントメントは取りやすいであろう。しかし、自ら考え行動し、その過程で成功と失敗とを経験する
ことが人間の成長につながってくることから、厳しくも自主自立を旨とすべきと考える。
11 参与観察を実践したいと考える者はより専門的な方法論の書籍に触れることを強く勧める。日本語の書
籍としては佐藤(2002)が決定版として名高い。
みを行う場合と、自分が実際にアルバイトや従業員・研修生などの立場で参加してくるア
クション・リサーチというスタイルがある。また、正式に参与観察の依頼をしてから現場
に入る場合と、すでに従業員・アルバイトやメンバーという形で入り込んでいる現場を改
めて観察するという場合があるが、後者の場合も、各方面に迷惑がかからないように、現
場担当者やその上司には調査趣旨を伝え、承諾を得ておくべきである。
・質問票調査
質問票を作成し、配布・集計する。再三の指摘であるが、既存の資料でわかることを調
べても意味がない。さらに付け加えるなら、
「他の方法、たとえばインタビューでわかるこ
と」を質問票で調べても意味がない。質問票調査を実施する際には、明らかにしたいこと
と仮説、さらにはそれをどう検証するのかという方法までもを明確に事前検討したうえで、
質問票を作成しなければならない。
質問票配布においては、配布対象者を慎重に考慮することが肝要である。例えば、日本
の世論を調べたいとしよう。このとき、大学内で質問票をばら撒いても、20 歳前後の男女
の意見しか集まらない。東京都内で無作為に人々の意見を集めただけでも不十分である。
実は、世論を調べるというのは簡単なことではなく、地域・年齢・性別・家族構成や所得
などからみて、まんべんなく調査対象を選定しなければならないのである。このように、
研究テーマや明らかにしたいことに照らして、まず適切な対象を選択し、次にその対象に
正しく質問票を配布する方法を考えなければならない。
質問票調査では、既に配布され回収された質問票のデータベースを使ったり、あるいは
他の研究者が他の目的で配布する予定の質問票に相乗りさせて調査させてもらう、という
こともある。この場合も、配布対象者がどのような人々で、いかなる目的をもって配布さ
れた質問票なのかに気を配る必要がある。先述のように、○○大学学生対象に撒かれた質
問票であるなら、そこから導くことができる結論は、
「○○大学学生はこう考えている」か、
せいぜい「20 歳前後の学生の意見」であり、決して「日本人は」とか「若者は」とは結論
できないことに注意されたい。
さらに、アンケート配布においては、どの程度のサンプル数を収集すればデータとして
十分かも検討する必要がある。この点について詳細は統計の専門書に譲りたいが、原則は
できるだけ多くのサンプルを集めるべきだということである。とくに推測統計を行いたい
のであれば、まともに機能する推測統計を実施するには甘く見ても 30、できれば 100 程度
は欲しいところであろう。
・社会実験、シミュレーション
研究室・実験室・あるいは企業や組織内で仮想の状況を作り出し、実験を行う。社会心
理学や教育学などでよく利用される方法である12。社会実験は、サンプリングを行う集団を
12
正しく実験を行うためには、こちらもより詳細な専門書に触れることを薦めたい。例えば河野・西條編
厳密に検討したうえで、十分なサンプル数を稼ぐことがポイントとなる。社会実験はサン
プルを 1 つ増やそうとするだけでも非常に手間がかかるものであるため、1 年の研究期間の
中ではそうそう何度も実施することはできない。それゆえに、実験実施までの下準備が大
切となり、十分かつ適切なサンプルをどう稼ぐかをそこで綿密に検討しなければならない。
社会実験と同様に、仮想の状況を作り出る方法として、コンピュータを利用して社会現
象をシミュレーションするという方法もある。実は、経営学では一分野で長らく使われて
いる伝統的研究手法である。プログラミングの知識もさることながら、適切な実行とその
解釈に際しては社会実験以上の慎重さを要するため、シミュレーションを実行する場合に
は必ず何らかの専門書に接する必要がある13。
5.データ分析
収集されたデータから論理や関係性を抽出し、仮説や疑問にこたえていく作業が分析で
ある。分析方法には決まったルールはなく、
「ある主張を説得的に行う」ことが達成できれ
ば、いかなる方法であってもよい。まるで探偵小説の名探偵のごとく、証拠を揃え、論理
的に自分の主張を成り立たせていくのである。ただし、名探偵は「推理」をよく行い、事
実に基づきつつもわからない部分を推測によって埋めることで議論構築をするが、研究に
おいては推理ではもちろん不十分であり、裏付けある事実に基づいて議論を行わねばなら
ない。
相手を説得できるならば、どのように分析を構築してもよいのであるが、ここではよく
利用される分析手法として、事例分析(含む歴史分析)と統計分析を簡単に説明する。
5.1
事例分析
事例分析とは、1 つないし複数の企業・産業・人などを取り上げ、量的・質的データを順
序立てて積み上げていくことでひとつの「ストーリー」を構築し、主張を説得的に展開し
ていくものである。研究者は読者にその分析を読み進めさせることで、ひとつの主張を理
解させていくことになる。このプロセスはさながら物語を読み進ませるようなものである
から、あえて私はここでストーリーという言葉を用いている。ストーリーであるとはつま
り、裏付けある事実だけを積み重ねていったとしても、論理が筋として通っていなかった
り、詰めを欠いていたりするならば、自らの主張を説得的に展開できていないことになる
という意味である。この意味で、誤解されることを恐れず言うならば、事例分析において
は結論へと歩を進めていくストーリーを構築することが第一であると述べさせてもらう。
ストーリー構築に際しては、そこに論理の飛躍やご都合主義がないかどうかに注意を払
わなければならない。魔法や妖精が登場して超常的な展開をみせる“ファンタジー”
:展開
(2007)など。
13 率直に述べて、筆者はシミュレーションについては完全に門外漢なので、適切な専門書を提示できない
ことをご容赦いただきたい。
が強引なストーリー、では困ってしまう。また、スーパーヒーローがタイミングと強運に
助けられて悪漢に勝利する“少年漫画(もしくはアメコミ)”:都合のいいデータばかりが
どんどん出てきて話がうまく出来過ぎてしまうのも問題なのである。以上をまとめるなら
ば、①客観性ある事実を、②妥当な論理の糸でつないで、ストーリーを構築することが事
例分析の要であるといえよう。
事例分析を行っていく際、ストーリーに反するデータは、いかなる調査によっても、ほ
ぼ必ず一度は登場する。同条件なら必ず同じ実験結果を得られるような自然科学の実験室
の中の出来事とは違って、社会科学では、全体としてはある関係の存在が示唆されている
としても、それと食い違う観察結果が出ることは多々あるのである。たとえば A という現
象と B という現象の関係を調べるとき、もし統計分析で相関が 0.9 だったとしても(この
数値は社会科学では分析ミスを疑われるほど高い値である)、事例分析であったとすれば、
10 度の調査のうち 1 回程度は反証となるような結果が生じるわけである。このように考え
るならば、自分が描いたストーリーの反証となるような結果が存在する方が、むしろ社会
現象として自然である:あらゆる調査結果がすべてストーリーに合致している方が不自然
であることを認識されたい。であるから、反証となる観察結果が現れることは、むしろ積
極的な評価を与えるべきである。なぜ反対の結果になったのかを考察することで、より論
理を補強できる可能性もある(例えば、○○の条件のもとでは議論が成立しない、といっ
た条件付けを行うことができるなど)。さらには、その考察から別の仮説が導かれ、研究が
さらに進展する可能性もある。
したがって、研究者のスタンスとして、自身の仮説に反する事実発見があった場合、そ
れを論文中から削除し「なかったことにする」するよりは、他の仮説が成り立ちうる可能
性もあるとして、その事実発見は文字数が許す限り論文中には残しておくべきである。そ
こから、自分自身がさらに研究を発展させられるかもしれないし、後進がそこに着眼して
議論を進めてくれるかもしれない。肯定的であろうと否定的であろうと、内容に無関係の
記述でない限り、論文に記述された情報は価値をもつのである。
5.2
統計分析
統計分析とは、専ら量的データを活用し、それらを各種手法によって分析することで主
張を説得的に展開するものである。統計分析には回帰分析や因子分析など、分析のための
ツールが多数そろっているので、しっかりしたデータベースさえあれば、統計分析は仮説
検証に大いに力を発揮するものである。データベースと手法、そしてその解釈が正しけれ
ば、そこで検証された関係性は非常に頑健なものだからである。近年は、エクセルでも標
準装備でそれなりの分析ができるようになっているし、ウェブ上には無料の分析ツールが
多数置かれている。統計分析ソフト本体すらもウェブ上では無償で提供されているものも
ある。今や統計分析は敷居の低い分析手法となっていると言ってよいだろう。
統計分析を行うに当たっては、①記述統計と②推測統計という 2 種類の統計の考え方が
あることを強調しておく。このことは統計を少しでも学んだ者なら当たり前のことではあ
るのだが、こと研究の局面においては、どちらか一方に頼りがちとなり他方を忘れがちで
あることから強調させてもらう。①記述統計とは、データ自体の状態をまさしく記述する
ものであり、平均や分散、合計、最大最少、相関といった集計値や、時系列でのそれら集
計値の推移、ヒストグラムにしたり散布図にすることで具体的な散らばり状態を記述する、
といった処理を行う。一般に社会科学の学部生がデータを利用するといえばこちらが多い
であろうが、これは統計手法の半分に過ぎない。データの背後にある関係性を調べるには、
推測統計を用いる必要がある。②推測統計とは、変数やデータセット全体の背後にある関
係性や特徴をまさしく推測するものである。各種の検定・推定や因子分析、共分散構造分
析などの方法を用いて、関係性やデータの状態を推測していくのである。詳細は統計の専
門書に譲るが、こと学部学生に対しては、推測統計という方法があり、それを使ってみる
ことを分析のオプション(選択肢)に入れておくことを強調したい。他方で、推測統計を
好んで使う人の中には(ベテラン研究者にも意外と多いのだが)
、記述統計や質的データを
軽視してしまう人が見受けられる。記述統計と推測統計の両方(さらには質的データ分析
も)を分析の手法とし、そこから研究テーマに即して最適な手法を選び出すことが肝要で
ある。
統計分析に際して注意すべきこととして、その分析結果が社会現象として発表するだけ
の意味のあるものとなっているかどうかを確認することが第一に挙げられる。
「サイコロで
1 が出る確率は 1/6 である」というような“常識”を検証しても意味がない。また「晴れの
日にはサイコロで 1 が出る確率は 1/2 まで上昇する」というような“超常現象”を検証して
もやはり意味がない。常識と超常現象の中間に広がる未知の領域こそが社会科学の研究対
象となる。サイコロの例は極論のように思われたかもしれない。だが、量的データと高度
な統計手法という 2 つのフィルタを通すと、気づかないうちに単なる常識の議論を行って
いたり、逆に超常現象を議論していたりすることも珍しくないのである。
統計分析における第 2 の注意点として、データベースや手法から言えることの限界を正
しく理解していることが必要である。例えば、回帰分析では「相関関係:A と B に関係が
ある」ことは示されるが、
「因果の方向性:A だから B になるのか、B だから A になるのか」
までは示されない。また、データベースが「○○大学××学部の学生 100 人」であれば、
それは大学生一般に通じる議論なのかどうかは非常に慎重な検討が必要になる。拡大解釈
は、むしろその分析の弱点となり、説得性を欠く結果になるので、分析からは「最大限に
言えること」ではなく「最低限言えること」を述べるようにしなければならない。
第 3 点目の注意点は、データベースにそもそも入っていない変数が実は重要な影響を与
えている、とする可能性は否定し切れないということである。これも統計学の世界では言
い古されていることではあるが、分析上は A と B に関係があるように見えるのだが、実は
A と B の両方に影響を与えている C という別の変数が存在している…という「見かけ上の
相関」問題である。見かけ上の相関問題は、上記 C の変数がデータベース中にあるならば
上手く解決できるのであるが、
もしその C に該当する変数がデータベースに入っていない、
アンケートでも収集していないということになれば、もはやそれを検証することは同デー
タベースでは不可能ということになる。これを防ぐにはアンケート作成時点で徹底して変
数を洗い出す他はない。だが、いかに徹底した変数の洗い出しをしたとしても、それでも
なおデータベースに入っていない変数が何らかの影響を与えているのではないか…という
疑念は、どうしても潰せないのである。このことを踏まえ、データベースという「限られ
た範囲の情報」の中で分析をしていることを、意識の片隅には残しておかなければならな
い。
6.論文を書く
首尾よく研究が進んだとしても、最後の論文執筆段階で行き詰まることも少なくない。
かくいう私も、執筆には非常に苦労する。データが全て揃い、分析も終わり、論理も完全
に構築できたとして、そこから論文初稿を書き上げるまでに数か月を要することもある。
執筆速度は個人差が大きいとも聞く(プロでもレベルに関係なく速筆・遅筆があると聞く)
が、少なくとも学部学生諸君は論文どころかレポートとしても論理の通った長文を記述す
ることは多くないはずなので、文章化には多大な困難が伴うことを想定したほうがよい。1
日 1 ページも進まないこともざらであり、長期間の研究成果を書きまとめるには最低でも 1
か月は必要になることを念頭に置くべきである。
論文の構成や文章について学ぶには、何はともあれ、先人たちの残した論文をよく読む
ことである。多くの論文を読むほどに、いかなる構成・文章が望ましいかのセンスは磨か
れてくるであろう。これは論文に限られたことではないだろう。小説であっても、音楽演
奏であっても、映像作品であっても、表現技術一般について、先人の名作に親しみ、それ
を分析したり真似たりする中から、自己の表現技法を磨いていくのである。表現する技法
については近道はないので、ここではあえて詳細は語らない。できるだけ、多数の論文に
触れて、その表現の仕方を学んでほしい。
本稿では書き方について 1 点のみ、論文における良い文章とは何か、ということを議論
しておきたい。論文における良い文章は、もちろん日常用語とは大きく異なるし、小説や
エッセイのそれとも全く異なる。解釈の余地の生まれづらい言葉・記述を選び、裏付けを
前提として、淡々と論理を構築していくのである。文法は厳密に正しく書く(主語・述語
関係などの基本事項は特に気を付けた方がよい)
。学部学生・初習者はとくに「文章を書い
ている」という意識を捨て、
「論理のフローチャートを書いている」というくらいの意識で
書いた方がよいかもしれない。文章力・表現力でごまかすということはあってはならない。
過度に“言葉の力”を使ってはいけないのである。
例えば「急に」とか「非常に」といった言葉が既に論文では危険な表現である。
「売り上
げが急増した」と書いたとしても、何を基準に急なのかは人によって基準が変わってしま
う。急というあいまいな言い方をせずに「売り上げが増えた」であれば論文表現としては
安全なものになる。さらに言えば、
「売り上げが○億円(×年度)から△億円(◆年度)へ
と 1.5 倍になった」と具体的な数値で記述しているのであれば、解釈の余地なく正確に情報
を伝えられるので、ベターな表現ということになる。
美しい表現を追求する…ということも、不要である。そうはいえども、論文のしめくく
りや冒頭などには、味のある表現を使いたくなってしまうものであり、それが論文に多少
のアクセントを加えることもあるが、論理の要となる部分では、決してごまかしやはった
りをしないよう心掛けたい。
原稿は何度も推敲を重ねてすこしずつ完成に近づけていくものである。したがって、初
稿が遅ければ遅いだけ完成度は低いものになる。早めに原稿を仕上げ、指導教官にも早く
に見せて添削をしてもらっていくことで、論文は数段内容を向上させることができる。こ
うした意味でも、執筆期間はできるだけ長めに計画し(それを想定して前倒し気味に研究
計画を組み)
、早め早めに仕上げるよう心掛けていくとよいだろう。
7.最後に
実証研究は、理論の世界と現実の世界とをつなぐ役割を担うものである。社会において、
既に理論化され説明されている部分は、全宇宙における太陽系のごとく狭い範囲である。
我々は、残された広大な未知の宇宙を、すこしずつでも開拓していくほかはない。社会が
刻一刻と動いているのだから、それと同じスピードで、学問で解明されていない宇宙は拡
大し続けている。まさしく、フィールドは無限大である。ぜひとも、大学人として、宇宙
の一端を解明していく、という使命感を抱いて、積極的に実証研究の世界へと乗り出して
ほしい。
参考文献
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industrial enterprise.MIT press.
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河野勝・西條辰義(2007)
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レスリスバーガー,F.J.
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『経営と勤労意欲』ダイヤモン
ド社.
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『フィールドワークの技法 問いを育てる、仮説をきたえる』新曜社.
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