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日中文化における奇数「1」・偶数「2」の相違性の探究

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日中文化における奇数「1」・偶数「2」の相違性の探究
東海大学短期大学紀要 45 号(2011)
日中文化における奇数「1」・偶数「2」の相違性の探究
-「一分為二」「合二為一」を中心に(上)-
張 娜*・徐 桂梅**
(受付 2011 年 9 月 6 日)
(受理 2011 年 11 月 5 日)
The different valuation of odd
(1)and even
(2)numbers in Japanese and Chinese culture
- “One begets two” “two combines to One”
(Part one)-
by
Anna CHO*, Guimei Xu**
Abstract
There is a phenomenon that both Chinese and Japanese cherish odd and even numbers.
In the Ancient Jocko period, Chinese people value the number of "two"; the heaven and the earth, the Yin and Yang, they are
united as "one." This is called "Yin-Yang-he-yi" in Chinese.
On the other hand, the ancient Japanese value the number of "one", a curving circle. They loved "one" which is still and
delicate, that is harmonized from the contrasting "two". This is called "In-you-gou-itsu" in Japanese.
Keywords : Yin-Yang unification, Harmonization of nature and humanity, Yin-Yang harmony
をもつのではないかと見ることもできると結論した 3)。竹
1. 先行研究と本稿の目的
内勝太郎は「日本民族は奇数を愛した(そして数はあら
日本では奇数,中国では偶数が文化の基層に存在して
ゆる生活の基礎だ!)」4)と述べ,南博は,古事記の国生み
きたことは,数々の研究で言及されてきた。たとえば,汪
神話の時代から,「それは民族全体に共通的な感情生活の
玉林は一~九の内包する文化的要素を並べ,二,四,六,八
表現であろう」5)と述べている。
1)
は中国文化の中で吉祥を表わす数字であると述べた 。唐
このように,日本と中国ではそれぞれ奇数と偶数を愛
向紅・鷲尾紀吉は,中国人は偶数を尊ぶ伝統の観念があ
用する現象が見られるとの指摘は,日中両国の先学の一
ると指摘し,たとえば,四は中国古代における一つのめ
致した見解であると思われる。
でたい数字であり,「四」である時いつも人々を喜ばせる
とする。また,数字「三」など日本の奇数文化の例をあげ,
「中国人は偶数が好きなのに対して,日本人は奇数をあ
がめる。昔から奇数は縁起がいい数字とする思想がある。
2)
確かに日中両国では,数字に対する崇拝と禁忌が異なっ
ている。伝統的な日本文化では奇数を良い数字とし,例
えば,七五三の行事や結婚式の三々九度の杯,お年玉や
祝儀の額など,儀礼的・宗教的な面における聖数は奇数で
日本人は奇数を陽として,吉祥を象徴する」と指摘した 。
ある。その典型的なものは日本の和歌と俳句で,和歌は
西山豊は,『大辞林� 第二版』(三省堂),『新英和中辞典�
五七五七七で,31 音を定型とし,俳句は五七五の 17 音を
第6版』(研究社)の電子版を使用して,日本語と英語の
定型としている。各句の音数は奇数で,句の数も奇数である。
一から九までの数字に関する単語をインターネットで検
一方,伝統的な中国文化では,衣食住や行住坐臥のす
索した。そして,日本語は一,三,五の奇数が多く,英語
べてにおいて偶数を尊ぶ観念が根強い。中国の漢詩文には
は2,4の偶数が多いと見ることができるという結果を得
四六駢儷体もあり,また五言七言の場合も,通常偶数個の
た。そこで,日本語は三や五の奇数を代表とする奇数の
句から成り,偶数句の末尾の字は同じ響き(韻)を持つ字
文化をもち,英語は2や4や6を代表とする偶数の文化
を揃える。対句のように「二句一解」として緊密に連続し
*
東海大学福岡短期大学,**中国人民大学
ISSN�0386-8664
- 23 -
張 娜
た二句が多い。中国語の表現において対句形式が重要な位
初めにある天地開闢,国土生成の段に,この思想が加わっ
置を占めている。律詩(八句),� 絶句(四句), 四字熟語
ていることは,神代説話に中国文化の影響があることを
は代表的であろう。中国人は偶数をよい数字として,文化,
談っているものといわねばならぬ」8)と指摘している。
思想等の活動の中で最高のものとして位置づけてきた。
吉野裕子は,
「日本神話の冒頭が,中国古典の中でも重
ところが,日中の数字の使用傾向はいつ,どこから生
要な部分の借用ではじまっている事実は,私どもにさら
まれたのか,その深層に何が隠されているのか,という
に次のことを類推させる。それは揺籃期に文字をはじめ
研究は,管見の限りほとんど開拓されていないようであ
として中国の思想・哲学・学術のあらゆる面においてそ
る。筆者は,2回に分け,論文を進めて行きたいと思う。
の洗礼をうけた日本文化は,その基底に,中国文化の計
本稿では,上古時代にさかのぼり,中国と日本の陰陽
り知れない影響を蒙っていることである……日本の正史
五行思想における「一分為二」「合二為一」を取り上げ,
『書紀』が,陰陽五行という古代哲学によって書き出され
奇数・偶数の最初の数「1」
「2」の用法を比較しながら,
9)
ているということである」
と,
『日本書紀』が陰陽五行
なぜ日本人が奇数を好み,中国人が偶数を好むのか,そ
によって書き出されていることを簡潔明瞭に述べている。
の相違の源流がどこにあるのかを考察することとした。
本稿の目的は,両国の数字に対する認識の特徴を分析
このように陰陽五行思想が『記紀』の中に顕著である
ことは,すでに諸家によって指摘されている。ところが,
し,数字の使用傾向から,日中の伝統的数字文化の相違の
陰陽五行思想は天地,陰陽の数で宇宙万物を解釈したの
根底に横たわっているものは何かを探究することにある。
である。この肝心の天地,陰陽の数こそ,古代人の世界,
記紀編纂の筋道を理解する鍵ではないかと思う。
2. 陰陽五行思想と天地・陰陽の数の関係
3.「一分為二」の宇宙生成
古代中国の天文学・思想・哲学の根幹をなしているもの
は陰陽五行である。陰陽五行思想では,数字を天と地,陽
「一分為二」(一が分かれて二になる)は中国哲学の
と陰に分けている。奇数を「天・陽」,偶数を「地・陰」に
もっとも重要な命題の一つである。中国古代陰陽思想で
分け,一から十までの数を天と地,陰と陽に配置していた。
は,この世界は,一(太極)から二(天地・陰陽)とな
群経の首と呼ばれる『易経』の「繋辞上伝」には,一
から十までの数について「天一地二,天三地四,天五地
り,三(生成)に至ったと考えた。先秦漢の時代に諸子
百家にこのような思想が多く論じられている。
六,天七地八,天九地十。天数五。地数五」とある。『京
例えば,『易経』に,
易伝』巻下に,「一 三 五 七 九は陽の数,二 四
六 八 十は陰の数なり」6) とある。明示すれば次の
易有太極,是生両儀,両儀生四象,四象生八卦。
八卦定吉凶,吉凶生大業。10)
ようである。
天・陽の数:一 三 五 七 九
(易に太極あり。これ両儀を生ず。両儀は四象を
地・陰の数:二 四 六 八 十
生じ,四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め,吉凶
中国では,原始的な数の概念は,奇数を天・陽の数,
は大業を生ず。)
偶数を地・陰の数としている。中国古代の陰陽数術家,
儒教,道教は,この天地・陰陽の数の観念で宇宙万物を
と繋辞伝にある。「易」の宇宙生成論の概念は,宇宙の
解釈していた。
根源太極「一」から陰と陽「二」が生まれ,それが分化
古代日本は中国の陰陽五行思想を受けていると思われ
して,四象(四季,四方)を生み,さらに八卦が生まれる。
る。たとえば,井上聰は「陰陽五行は古代中国の宇宙観・
八卦は天,沢,火,雷,風,水,山,地を表わす。ここ
世界観であるが,確乎とした法則の上に成り立っている科
にいう「太極」は,宇宙創生の始め「渾沌」の状態であ
学でもあって,古来,中国の文化現象,即ち政治・宗教・
る。これは,天地未分の時に,陰陽の二気が輪の形体で,
信仰行事・医学・薬学・農業から民俗諸行事に到るまで,
抱き合い,時に「動」,時に「静」を以て,自ら交感し
この法則の基礎の上にはじめて動き出している,とみて殆
合う渾沌の状態をいう。この「太極」は老子のいう「道」
ど間違いない。この隣国の古代哲学は,日本にも確実に招
のことである。
来され,その証しの最大のものは日本の正史たる『日本書
『老子』42 章に,
紀』の冒頭の記述である。そこにみられるものは陰陽五行
道生一,一生二,二生三,三生万物。11)
の精髄そのものであって私どもの先人たちが如何に深く
この哲学に傾倒していたかがよく窺われる」7)と述べた。
( 道 は 一 を 生 じ, 一 は 二 を 生 じ, 二 は 三 を 生
飯島忠夫は「日本書紀には陰陽思想が含まれている。特
じ,三は万物を生ず)
に神代の巻において最も著しい。陰陽思想は中国の天文学
の理論であって,天地の成立も皆之によって説明される。
とある。数字の遊びのようにも見えるが,これは太古の
易の哲学もまたこの適用に外ならない。そして五行思想
中国の思想家が演繹的に思想を作り上げるための方法論
は,またこの陰陽思想の展開したものである。神代説話の
であった。一は太極で,二は陰陽,三は陰陽の和である。
- 24 -
日中文化における奇数・偶数の相違性の探究
無より「一」
(太極)が生まれ,
「一」より陽(天)と陰(地)
しや形も現れなかった。あらゆるものは名前もないしそ
の「二」が生まれ,陰陽和合し中の気が加わって,万物(三)
の働きもない。誰もその元始の形を知らなかった。しか
が生まれるという意味で,これは易経の考え方に通じる。
しながら,天と地が初めて分かれた時,三神が創造の始
「一分為二」の宇宙創生について,
「太極出両儀,両儀
まりとなって,陰陽がここから始り,二霊(伊耶那岐命・
12)
出陰陽。(『呂氏春秋・大楽』)」 ,「从道生一,謂之樸也。
伊耶那美命)が万物の親となった,と記している。
一分為二,謂之天地也。(『黄帝内経・太素』)」13),「陰陽
14)
ここに書かれている「万物の形というものはなかっ
者,一分為二也。(『類経・陰陽類』)」 などの解釈がある。
た。名前もなく,何かをするとか,何かになるというこ
「一から二が生れる」
「太極は両儀を生ずる」あるいは
ともなく,誰もその形を知らない」という「混元」は,
「一は陰陽に分かれる」は,ともに万物の根源である渾
宇宙原初の渾沌の太極「一」の状態だと言えよう。
沌の「一」から,陰と陽,天と地の「二」の対立物が分
道家思想の代表的古典『荘子』天地篇に,
離した,いわゆる「一分為二」(一が分かれて二になる)
の宇宙生成である。「一」の異名や別称には「太極」
「道」
泰初有無,無有無名。一之所起,有一而未形。物
得以生,謂之徳。18)
「太一」「渾沌」「徳」「元気」などがある。
葉舒憲・田大憲は,数字の原初的な観念は「抽象的
(泰初に無有り。有無ければ名無し。一の起こる
な観念が生れる以前に数字が具体的な表象に付着してい
所なり。一有りて未だ形われず。物得て以て生ずる。
た」15)と述べる。
之を徳と謂う。)
『淮南子』の「天文訓」には,天地創造が次のように
記されている。「天地未だあらわれざる時は, 々翼々,
とある。すべての始まりは,何もなく無があるだけであっ
洞々涜々たり,故に大昭という。(中略)清陽なるもの
た。何も無いので名前もない。それが一の始まりである。
は薄麾して天となり,重濁なるものは凝滞して地となる。
一は存在するのであるが,まだ形を作って現れてこない。
清妙の合専するは易く,重濁の凝結するは難し。故に天,
物はその一を得て生れてくる。一は,二へ,すなわち陰
先ず成りて地,後に定まる。」
と陽に別れる。二極性となり,対立が生まれる。そして,
『三五暦記』盤古神話には,
「天地渾沌如鶏子,盤古生
この二つを調和する徳が入ると三になる,という。
其中,万八千歳,天地開闢,陽清為天,陰濁為地,盤古
16)
『呂春秋』大楽篇では,道のこととし,
「道也者,至精
在其中」 とある。天地は鶏子のように渾沌としていた
也,不可為形,不可為名,強為之名,謂之太一」19)
(道
が,その中で盤古が誕生した。一万八千年を経て,天地
は形がなく,名づけることもできないが,強いて名づけ
が開けると,鶏子のなかの陽かで清らかな部分は天とな
るなら「太一」である)とした。
り,暗く濁った部分は地となり,盤古は,その中間に在っ
て,一日に九回変化し,天では神,地では聖となる。
太一とは古代中国における宇宙の根元を表す哲学的
概念,大一・泰一・太乙とも書く。太は至高を,一は唯一・
陰陽五行思想では原初,宇宙は天地未分化の混沌とし
根元を表す語である。「道」は,道家と儒家で説かれる
た状態であった。これは「一」に対して最も原始的な認
概念で,天地万物を造化する「太極」のことである。「道」
識である。そしてこの「一」は,中国の哲学を生む。こ
も「太一」も「一」である。『古事記』は「混元」の「一」
の「一」の混沌とした中から「陽」の気が上昇して「天」
から天地の「二」に分かれて,天之御中主神・高御産巣
となり,「陰」の気が下降して「地」となったという。
日神・神産巣日神の「参(三)神」が創造の始まりとなっ
天数「一」から地数「二」が生れた。これが,中国の哲
ている。これは,老子の「一生二,二生三,三生万物」と
学的の宇宙発生の概念「一分為二」である。
いう宇宙創生概念に類似しているであろう。
記紀神話もこの「一分為二」から始まったのである。
『日本書紀』天地開闢神話では,
『古事記』における天地の生成は,上巻序では,
古天地未剖,陰陽不分,渾沌如 子,溟 而含牙,
夫混元既凝。気象未效。無名無為。誰知其形。然乾
及其清陽者,薄靡而為天,重濁者,淹滯而為地,精
坤初分。参神作造化之首。陰陽斯開。二霊為群品之祖。
妙之合摶易,重濁之凝竭難。故天先成而地後定,然
(混元既に凝りて,気象未だ效れず。名も無く為
後,神聖生其中焉。
も無し。誰かその形を知らむ。然れども,乾坤初め
(古へ,天地未だ別れず,陰陽の別れざりし時,渾
て分かれて,参神造化の首となり,陰陽ここに開け
沌たること鶏子の如く,溟 りて牙を含めりき。その
て,二霊群品の祖となりき)17)
清陽なるもの薄麾きて天と為り,重濁れるもの,淹滞
りて地となるに及びて,精妙なるが合い搏ぐは易く,
とある。「混元」は混沌とした宇宙の元素である。「気象」
重濁れるが凝り固まるは難ければ,天まづ成りて地,
は宇宙の根元(気)とその作用である現象,「乾坤」は
後に定まる。然る後に神聖その中に生まれしき)20)
易経の言葉で,天地のこと。渾沌とした天地万物の根元
はすでに凝固してきたものの,森羅万象はまだ何らきざ
とある。昔,いまだ天地が分離せず,陰陽も分割してい
- 25 -
張 娜
ないとき,渾沌たることは鶏子のごとくだったが,その
『黄帝の内経』は,陰陽の二つが統一性をもち,陰陽
清く陽かなるものは天となり,重く濁れるものは地と
の対立・統一は宇宙の根本的な法則であることを明確に
なった。天が先ず生成し,後に地が定まると,その後,
指摘した。例えば「両者不和,若春無秋,若冬無夏,因
神聖がそこに誕生する。「渾沌」の「一」から「天地」の「二」
24)
而和之,是謂経度」
とし,陰陽の二つの対立の力はど
が分離したという。
ちらも欠かせないものであると説いた。
また,張載は「動静合一存乎神,陰陽合一存乎道」25)と,
日中宇宙創生神話は,ともに宇宙原初は混沌の状態で
あると考え,この混沌「一」の中から天地,陰陽の「二」
「陰陽」「動静」の二つの対立関係が「合一」(調和)す
に分離したと語る。中国の「一は二が生れる」あるいは「太
ることを重視している。王夫之は,「合者,陰陽之始本
極は両儀が生れる」のも,記紀の「渾沌は天地・陰陽に
一也,而因動静分而為両,逮其成又合陰陽于一也」26)とし,
分かれる」「混元が乾坤・陰陽に分かれる」のも,いず
陰陽の気は一に始まり,動静により二つに分かれ,二つ
れも「一分為二」の宇宙創生の劇を演じているのである。
に分かれると,また陰陽が一に合するという。王夫之は,
元気の一元論を根拠にして,「一分為二」と「合二為一」
4.�「合二為一」(二を合わせて一となす)
という二つの命題と結びつけ,陰陽の対立と統一の運動
易の根本思想で,万事万物の始め,宇宙の本源は混沌
が普遍的に存在すると論じ,「合二為一」説は,陰と陽
の太極で,太極は一である。太極から陰陽の「二」が生
の二つは互いに連係し,互いに依存し,また互いに転化
まれる。これは「一分為二」である。太極の中に陰陽が
する一つの統一体を構成していることを説いた。同氏は
相互依存,相互制約,相互転化して,いつも離れること
が無く合一である。これは「合二為一」である。「陰陽
「陰陽未分,二気合一,
27)
太和之真」
と,陰陽は太
和の中で緊密な連係しているものだと説いた。
「合一」「和合」は中国の哲学の基本的な範疇である。
合一」
「陰陽和合」
「天人合一」ともいう。この「合一」は,
陰と陽が調和することである。この「一が分かれて二に
「陰陽合一」思想は,互いに全く相反する本質を持つ天
なる」や「二を合わせて一とする」という特殊な構造で
と地,陰と陽が,元来混沌という一つの気から生まれた
最古の宇宙論の思想を象徴していると思われる 21)。
もので,いわば同根である。陰陽の二つの気は,対立し
「二」は,陰陽,天地,天(自然)人のことである。
ながらお互いに引き合い,往来し,交感・交合するもの
陰陽思想では,自然や社会における全ての相対,対立の
である。混沌「一」から派生した陰陽の「二」気が交感・
現象を陰陽で解釈している。たとえば,
「天地,日月,暑寒,
交合し,また混沌の「一」に戻り,その根元の絶大な力
明暗,昼夜」などの自然的現象,
「男女,君民,君子・小人」
で万象を動かす,という。
などの社会的現象,また,自然と社会共通の現象(道徳
「天人合一」の思想も中国古代からの哲学概念であり,
など)も陰陽で解釈している。たとえば,「鋼柔,健順,
中国の伝統の文化の核心思想である。古代中国の儒学,
進退,伸屈,貴賤,高低」などである。
道学,(仏教の)釈学の全ての領域に及んだ。
「天人合一」の思想は『易経』に起源する。『易経』
(乾
陰陽にはまた三つの関係も内包している。
(1)陰陽は対立・相反的なものである。「吉凶,禍福,
28)
卦・象言)に「夫大人者,与天地合其徳」
とある。「大人」
は統治者,大人物。「天人合一」の中の「一」は道徳の
是非,好壊」など。前者は陽で,後者は陰である。
(2)陰陽は相対的なものである。陰がなければ陽は
ことである。天にこの徳があり,君子にもこの徳がある。
存在しない。陰があれば陽がある。陽があれば必ず陰が
「天人合一」の思想が易の根本精神である。天と人の合一,
人と人との調和は,数千年もの歴史長い中国民族の思想
ある。「日月,男女,内外」など。
(3)陰陽は変化するもの,陰は陽に,陽は陰に変わ
を構成して,調和の思想は中国の哲学と文化の特色をな
す。『易経』の陰陽の「和合」「調和」の観念に端的に示
ることができる。「暑寒,夏冬,動静」など。
現代の科学概念で見れば,宇宙は宇宙,自然は自然,
されている。
後漢の陰陽五行思想家である董仲舒は,天と人の関係
人生は人生で,それぞれ異なった系統であるが,古代中
国人は陰陽,天人の観念で物事を考え,中国古代哲学家
29)
30)
を「以類合之,天人一也」
,「天人之際,合而為一」
は「陰陽合一」「陰陽和合」「天人合一」は宇宙万物が生
と,宇宙自然と人生が緊密に連結しているとする「天人
存する条件と規則だと説いた。
合一」論を提唱した。「天人合一」とは「天人之和」
(和合)
の事を指す。中国古代では,「合」は「和」に通用する。
〈4・1〉 古代中国の「陰陽合一」「天人合一」思想
老子は早くに陰陽和合して万物が生れる思想を出し
31)
「夫合者,和也。乃陰陽相和,其気相合。」
陰陽の二気
22)
た。老子は「万物負陰以抱陽,冲気以為和」
(万物は
が一に和合することである。つまり,陰陽の内在する関
陰を負いて陽を抱き,沖気もって和をなす)と説く。
係の中で,協調,統一,調和がその基礎であるという。
「冲気」は陰陽の調和の気のことをさす。ここは陰陽の
「天人合一」には二つの意味がある。一つは天人が一致
二つの気が仲よく交わり万物が生れることを明確に記し
する。宇宙自然は大きい天地で,人は小さい天地である。
ている。
『淮南子』にも「道始于一,
一而不生,故分陰陽,
二つ目としては天人が相応する,あるいは通じ合う。すべ
23)
陰陽和万物生」
と,
陰陽が和すれば万物が生れるという。
ての人事は自然の法則に応順すれば,人と自然との調和
- 26 -
日中文化における奇数・偶数の相違性の探究
が達成できる。陰陽の調和思想は「天人合一」の具体的な
残された父伊邪那岐は一人で生み続け,最後に,
現れである。また「天人合一」には三つの関係が含まれて
いる。それは,人と自然の関係,人と人の関係,人自身の(心
洗左御目時,所成神名,天照大御神。次洗右御目
と身)の関係である。三者が互いに連係し,互いに依存
時,所成神名,月読命。次洗御鼻時,所成神名,建
し,互いに制約しあう。またこの三者はすべて陰陽関係
速須佐之男命。
をもつ。自然の天と地は陰と陽で,人間の男女は陰と陽で,
(左の御目を洗ひたまふ時に,成れる神の御名は,
人自身の鋼と柔も陰陽の関係であると考える。
天照大御神。次に右の御目を洗ひたまふ時に,成れ
中国の先学たちは,「天人合一」について多く論じ,
外国文化と比較したりした
る神の御名は,月読命。次に,み鼻を洗いたまふ時
32)
。また西洋と東洋文化の
に,成れる神の御名は,建速須佐之男命)
対立は,この『天人合一」説と西洋の「天人相分」説,
或いは「主客二分」説との対立であると説いている 33)。
最も代表的なのは現代の言語学者季羨林で,「天人合
というわけで,左目から天照大神,右目から月読命,鼻
から建速須佐之男が誕生する。彼らは三貴子と呼ばれ,
一とは人と大自然の合一のことをいう。天とは大自然の
伊邪那岐は自分から生まれた三柱の神,天照大神,月読
ことを指す。人とは,人類の事を指す。天人の関係は人
命,建速須佐之男命に,それぞれ高天原(天上界),夜の国,
と自然の関係である。合とは,お互い理解し友誼を結ぶ
海原を治めるよう委任した。
こと」と説明した。同氏は「天人合一という命題は,中
三貴子は男性の父から単身で生まれたのであり,女性
国古代の哲学の主な基調を代表するだけでなく,人類の
の母から生まれたわけではない。一見して男女ペアの神
発展の前途にも関係する命題であると述べた」34)。 は一元論的神に戻ったように見えるが,これは決して「父・
張世英は,著書『天人之際』の中で「人間は世界万物
陽・天」だけの「一」ではないと思う。伊邪那美の死によっ
に対する基本的な態度或は関係が2種類ある。一つは,
て伊邪那岐は「母・陰・地」の力を一身に受け,いわゆる「陰
「主客二分」で,一つは「天人合一」(主客が分けず物と
陽合一」の「一」の神である事を伺わせる。天皇・皇室
我の融和)である。中国の伝統的哲学は「天人合一」を
の祖神であるとされている天照大神は,陰陽の地数「二」
主導とするが,西洋の伝統的哲学は主客二分を主導とす
ではなく,陰陽が合した天数の「一」によって生まれたと
る」35)という趣旨の思想を説いた。
いう編者の意図が隠されているのではないかと思う。
「天人合一」は二つのものの和(+)ではなく,二種類
さらに「陰陽合一」は,天と地の関係にも見られる。
の現象が一つの本質に統一されていることである。端的
記紀神話には,神の系統は高天原系(天神系)と出雲系(地
にいえば,「天人合一」とは,人と天(自然)とは一体で
祇系)に分かれる。天照大神は基本的には高天原系の祖
ある。天(自然)と人は,
「気」で感応しあい,影響しあっ
神とされる。一方の大国主神 36)の神名の「国」は天に
ている,調和するものという。天人は「気」に統一され
対する地の意味であろう。大八洲国を支配し,葦原中国
得るし,
「理」「道」「徳」にも統一され得る。このように,
の国造りを見事成し遂げた神である。天照大神は高天原
「天人合一」は,神秘的な神学の内容を含んでいるだけで
に住む神で天津神「天」の代表格,大国主神は国津神「地」
なく,人と自然の調和関係の意味をも含んでいる。その
の代表格である。中国の神話にも天地を司る男女の神が
中に人が自然界に順応すべき摂生の道もある。
多く書かれている。たとえば,日神の伏羲は八卦と書契
〈4・2〉 日本神話における「合二為一」
を創り,人類に農業,牧畜,漁業を教え,月神の女
記紀冒頭では「一から二が分かれた」と,中国から借
用した陰陽二元論なる世界観を用いて,そこから統一し
は
五色の石で天を補修し,人間を作り,婚姻の礼を定めた
という伝説がある。
た世界を構築しようとした。ところが,記紀神話では,
ところが,天照大神は出雲国を高天原系の子孫に治め
天地が分かれてまもなく高天原(天上界)に次々に出現
させることを決めた。かくして大国主神は,素直に出雲
したのは男女性別のない神々であった。陰陽二元論では
の国を譲り渡し,国土を天孫ニニギに譲って杵築の地に
説明しきれない一元論的神々を並べた。これらの神は一
隠棲したという。やがて天照大神の孫の邇邇芸(神武天
元論的神々で,日本古来伝承上の神だと思われる。
皇の曾祖父)の日向・高千穂への天孫降臨へと繋がる。
現代の科学的な思惟方法を持って男女ペアで考えれば
首肯できるが,陰陽思想で考えれば「一元論」的神々の
天照大神系の「天地合一」による天皇の統治する日本国
家はこうして誕生する。
「一」
は陰陽が抱き合う太極であり,
陰陽合体の
「陰陽合一」
記紀神代の巻の目的は,天皇即位とその天皇家が大和
であると考えられないだろうか。この陰陽合体式の「陰
朝廷を支配する正統性を神代にさかのぼって主張する点
陽合一」は,日本古来伝承上の神ではないかと思う。
にあった。伊邪那岐→天照大神→天照系の大和朝廷へ,
「群品(万物)の祖」である伊邪那岐命・伊邪那美命
の男女の神が,大八島国(日本列島)を生み出したのち
「一」構図はそのまま,最も力の強い陰陽合一の「太一」
へ王権の移行したことを示している。
に,母伊邪那美は火神を生むために陰部を焼き焦がして
死んでしまい,「黄泉国」へ赴いた。
さらに「天皇の先祖」最高神・天照大神がどう描かれ
ているのか見てみたい。
- 27 -
張 娜
天照大神について,古来より男性神説と女性神説とが
その昔から「一」を得ることはとても重要視された。
あった。記紀神話の中で,天照大神が角髪と呼ばれる男
老子は「一」を生命の本体,万物の生存変化の根源とし
のような髪形をし,勇ましく武装する場面があった。こ
た。老子は道徳経の 35 章に,
れは男性を連想させる一方,平素には男性の髪型をして
いなかったことに加え,機織り部屋で仕事をしたり,弟
昔之得一者。天得一以清,地得一以寧,神得一以
の自国を乱す行いに悲しんで天の岩戸に隠れたりするな
霊,谷得一以盈,万物得一以生,侯王得一以為天下
ど,こまやかな女性を連想させる。これは陰陽思想で見
貞,其致之一也。43)
れば明らかに「陰陽,柔鋼,男女」という「陰陽合一」
(天は一を得て以って清く,地は一を得て以って
の姿が描かれている。
寧らかたり,神は一を得て以って霊妙たり谷は一を
また『古事記』では「天照大御神」,
『日本書紀』では
得て以って盈ち,万物は一を得て以って生き,諸侯
「天照大神」別名,「大日 貴神」と表記されている。伊
は一を得て以って天下の貞と為る。其の之を致すは
勢神宮においては,通常は「天照皇大神」,あるいは「皇
一なり。)
大御神」と言い,神職が神前にて名を唱えるときは「天
照坐皇大御神」と言う。「天照」「皇大神」の文字から言
と記した。
うまでもなく「天・陽・男性」的な名前で,「大日 貴神」
の「 」は「女巫」「女性」的なイメージを与える。
また天照大神に「和魂」と「荒魂」を同時に具えている。
「和・荒」は「柔・鋼」「陰・陽」を表わす。「魂」は「陽
気也」,
「魄」は「陰神也」の意である
大空は「一」を得てそれで清澄であり,大地は「一」
を得てそれで安泰であり,神々は「一」を得てそれで霊
37)
。天照大神は,
「陰・
陽」「鋼・柔」の性質を持っていることを伺わせる。
妙であり,谷川は「一」を得てそれで充満しており,万
物は「一」を得てそれで生まれており,諸侯や王たちは
「一」を得てそれで世界の主ともなった。それぞれにそ
のようにさせているものが,
「一」である。すなわち「一」
『易経』に「一陰一陽謂之道」
「陰陽不測之曰神」
(系辞伝上)
「立天之道曰陰与陽,立地之道曰柔与鋼」
(説卦伝)38)と言う。
「道」とは「一」のことである。
「陰陽不測」
「天の陰陽の道」
「地
を獲得したことで,「天,地,神,谷,萬物,侯王」は,
「清,寧,靈,盈,生,貞」に至る。「一」は唯一の根源
的なものであると思われた。
の鋼柔の道」という「天地,陰陽,鋼柔」は,天照大神一
古代日本も「一」を得ることが特に強調された。『古
人ですべて備えている。これで絶対的な力をもつ「陰陽合
事記』に「伏惟,皇帝陛下,得一光宅,通三亭育。」(伏
一」の天照大神という人物像が出来上がったと思う。
して惟ふに,皇帝陛下,一を得て光宅し,三に通じて亭
天皇はいうまでもなく皇祖の「陰陽合一」を受け継い
育したまふ。)と記している。天皇に「一を得て光宅する」
だ。『日本書紀』
(孝徳紀)の「現為明神御八嶋国天皇」
(ア
ことを願う。「得一(一を得る)」は,全宇宙を統治する
キツカミトヤシマグニシラススメラミコト)・「明神御宇
日本国の天皇の神聖な政治理想でもあったのである。
日本倭根子天皇」(アキツミカミトアメノシタシラスヤ
日本では幾多の危機が起こったが,その危機を乗り越
マトネコノスメラミコト),『続日本紀』(文武元年)の
えて連綿と一つの王朝が続いてきた。世界には,ここま
「明神大八州所知倭根子天皇などのように,「天皇」の語
で万世一系で連綿と天皇を守り抜いて来た国はどこにも
は宇宙の最高神,天皇大帝のことで,明の字は「日」と
存在しない。万世一系とは,古代から現代まで連綿と「一
「月」からなる。日は陽で,月は陰である。「日月相合而
つ」の系統が継続してきたことを意味する言葉である。
39)
生明意」 という。日と月がともに照らす,陰陽合一は
「明」である。
この「一つ」の系統は,いうまでもなく「陰陽合一」の
「天照大神=太一」の系統であろう。
なぜこの「一」はこんなに重要であるか。「九九帰一」
『日本書紀』は,神武天皇以来,連綿と続く万世一系
というように,どんなに長く難しく変化しても最後は必
の皇統の歴史を綴った書物であり,「大日本帝国は,万
ず「一」に帰する。「一」は原点である。王粛は「太一者,
世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給
40)
元気也」
と注を附す。『太平経』では「一者,太一也。
ふ。これ,我が万古不易の国体である。」(文部省「国体
41)
太極也。神之主也。元気之宗也」 と記す。この「一」
の本義」)とされた。
は「太一」「太極」「元気」のことである。
「万世一系」に象徴されているように,「一」は少なくと
吉野裕子は「日本の祖霊「天照大神」に,中国の宇宙
42)
神「太一」が密かに習合されていた」
と述べた。
も 1500 年もの間存続している天皇を守り抜いて来たのであ
る。天数の「一」の脈は,宇宙の誕生から現在まで,また
「太一」は中国の陰陽五行思想から名付けられた名前
未来へと続くのであろう。「万世一系」という語に集約され
で,北極星の神霊化が最高の天神「太一」(=太陽神・
ているように,天皇制の歴史を支えたのは「陰陽合一」の「一」
太極神)である。古代中国哲学では北天にあって,不
であり,天皇制が現在に至るまで命脈を保ってきた根本的
動の北極星が宇宙の中心として捉えられた。「太一」は,
理由は,まさに天数の「一」を尊ぶからではないだろうか。
天と地に分かれる前に存在したものであり,天地,神明,
「一を得る」ことで,
「陰陽合一」の天照大神の系統が
陰陽,鋼柔,元気は,みなこの太一から生まれたのである。
続かれて,日本神話の初代神武天皇から現在まで,天皇
- 28 -
日中文化における奇数・偶数の相違性の探究
の王朝が断絶することなく,皇室が日本を一貫して統治
することができたのである。つまり「一を得る」ことで
天皇が天照大神の血筋を受け継ぎ,天照大神の化身,い
や,天照大神そのものになりつづけるのである。
これに対して,中国神話には,創世の神「三皇五帝」
が太陽神でありながら,国土建設の英雄として現れてく
る。たとえば「神農」は,農業の神で,鋤や鍬をつくり,
耕作する方法を教えた。商業や医薬の神でもある。
「黄帝」
は,暦・養蚕・衣服・家・舟・牛馬車・弓矢・文字・音
律・医学などを発明したとされている。「帝
」は秩
図 1 注連縄 48)
序を重んじ,鬼神を敬い,万人を教化するなど,徳治で
知られる。神と人が自由に行き来していた天と地の通路
を閉鎖したと言われている。
この対立のない二重螺旋の形こそ,日本神話に描かれ
た「陰陽合一」「太一」皇祖神天照大神の姿であり,ま
「帝 」は頭脳明晰,慈悲深く,音楽を愛する人柄で,
人民に恩徳を施したとされている。「帝堯」は粗末な家
た天皇の 1500 年も延々と続いてきた万世一系の象徴で
はないか。
に住み,質素な暮らしをして,つねに民のことを気にか
中国の古墳から発掘された伏羲・女 の図麻布画や石
けるなど,後代に理想の治世とされている。人々に種ま
室の壁画などは,実に妙な絵図で,両者ともに上半身が
きと収穫の時期を教えた。創世の女神・女 が泥から人
人,下半身は蛇で互いに絡み合っているのである。奇妙
類を創造した伝説がある。「天地開辟,未有人民,女
なことに,絡み合う蛇,注連縄が遺伝子のDNAと同じ
44)
摶黄土作人」
という。いずれも神というよりは,人間
二重螺旋をしている。
としてのイメージが強い存在である。
日本神話においては,神は人間を作っていない点が特
徴的である。従って,日本人がどこから来たのかは,神
話には描かれていない。天皇も天照大神の子孫である。
日本の神話が神々の系譜から始まるのに対して,中国の
神話はその始まりからして人間的なのである。神であり
ながら人間であるという特徴がある。これは中国の「天
人合一」の神である。言い換えれば,日本は創世の神か
ら人間の天皇系まで,天数「一」によって統一された。
中国の神は最初から聖人として,天上,地上を往来し「天
地合一」「神人合一」の地数「二」の神である。 5. 注連縄と伏羲・女 の図
日本と中国の天地開闢神話は,同じく陰陽二元論の
「一分為二」から始まった。ところが,「陰陽合一」「天
人合一」の「合二為一」になると,その違いが見られた
と思う。筆者は日本の注連縄と中国の伏羲・女 の図は,
日中における「合二為一」「陰陽合一」「天人合一」の特
徴を明快に語ってくれると思う。
古代日本も中国も蛇信仰だった。吉野裕子は,
「古代日
本人が信仰したのは,祖霊としての蛇であった」45)と記す。
天皇家も蛇神の末裔となる。「シメ縄はまさに蛇の交尾を
象る縄で,それゆえに,もっとも神聖視されたのである」
46)
神社の「しめ縄」に表現されるようなその生々しいセッ
図 2 伏羲女
49)
クスの姿は,雌雄2匹が交尾する姿だという。吉野は「天
照大神は,この祖霊の蛇としての伊勢神宮を祀り,この
47)
蛇と交わるべき最高の女蛇巫であった」 と論じる。
また伏羲は左側に,女 は右側にいて,二人の手に矩
或いは規を持っている。規は円(丸)であり,円は陽の
注連縄は2束をひねり合わせ1本になっている。日本
気である天を表し,矩は方(正方形)であり,方は陰の
の神社のどこにでも,その神前に雌雄の蛇=注連縄が祭
気である地を表す。そして,太陽は頭の上にあり,月は
られている。
尾の所にあって,周りには星座が描かれている。半分は
- 29 -
張 娜
人間,半分は神である。天と地からなる宇宙を天円地方
という観念がある。
太陽神伏羲と月神女
は,上半身は対称的に向かい
合っているが,下半身は注連縄のように絡み合っている。
これこそ中国の「天人合一」「陰陽合一」の意味である。
またこの「天地,陰陽,日月,矩規(方円),神人」は,
いずれも上下・左右,対称的に描かれていることからも,
対立・対称的な一つの陰と一つの陽から成る地数の「二」
をいかに好むかは分かるであろう。
結論として,中国の陰陽思想の中核は「一分為二,合
二為一」
(一が分かれて二となり,二を合わせて一と為る)
である。つまり渾沌の太極「一」から一陰と一陽の「二」
が生まれる。陰と陽は,対立していると同時に統一され
たものであると考えている。
中国人は上古時代から,天地,陰陽の地数の「二」を
重んじ,太極の中の陰と陽の「二」の対称的な美を見て
楽しんだ。この対称・対立する「二」が良く調和して「一」
に和する,それは「陰陽和一」と言えよう。
一方,古代日本人は流れるような曲線の輪の「一」を
重んじ,対立の「二」を融和した静・柔,混沌の「一」
を楽しんだ。それは日本の「陰陽合一」と言えよう。
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