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電電公社民営化に関する考察(4) 羽 渕 貴 司

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電電公社民営化に関する考察(4) 羽 渕 貴 司
〔研究ノート〕
電電公社民営化に関する考察(4)
羽 渕 貴 司 目次
5 第2次答申から「基本答申」に至る経営形態の改革論議の展開
5.1 第2次答申から第4部会「部会報告」提出まで
5.2 第4部会「部会報告」から「基本答申」まで
5.3 電電公社「分割・民営化」をめぐる論点
5.4 電電公社民営化の政治過程の特徴
5.5 電電公社の経営形態改革論議と新自由主義イデオロギー
5 第2次答申から「基本答申」に至る経営形態の改革論議の展開
第2次答申(1982年2月10日)提出後、電電公社は、①特殊会社方式、②民
営会社方式、③公社制度改正方式の改革案をまとめ、当面、特殊会社を目指す
方針を打ち出した。第2次答申から「基本答申」(1982年7月30日)に至る政
治過程は、特殊会社化案と「分割・民営化」案を中心に議論が展開されること
になる。
「基本答申」は、電電公社に対する「基本的な考え方」として、「十分な当事
者能力を持ち、徹底的に合理化された経営体であるべきであり、このため、そ
の経営形態は基本的には民営化の方向で改革すべきである」(傍線筆者)とし
たうえで、次のように述べた。
「現在の電電公社は、五年以内に、基幹回線部分を運営する会社(以下、「中央
会社」という。)と地方の電話サービス等を運営する複数の会社とに再編成す
− 55 −
ることにし、当面、政府が株式を保有する特殊会社に移行させる」(傍線筆者)。
第1次答申(1981年7月10日)では電電公社民営化は「検討課題」とされ、
臨調発足から第1次答申までは電電公社「分割・民営化」をあるべき姿と考え
る政治主体はほとんど存在しなかったが(「考察(1)」)、第2次答申から「基
本答申」までは、電電公社のあるべき姿を巡り議論が展開された。
本章(「考察(4)」)は、この時期を大きく、①第2次答申から1982年5月17
日の第4部会「部会報告」提出までの時期(5.1)と②「部会報告」から「基
本答申」提出に至るまでの時期(5.2)に分けたうえで、電電公社の経営形
態の改革論議を検討していく。紙幅の関係から、「基本答申」の内容及びその
意義については、次章(「考察(5)」)で検討する。
5.
1 第2次答申から第4部会「部会報告」提出まで
1982年2月10日、経団連は、電話普及が終了した時点で電電公社の現行制度
の役割は終了したとしたうえで、「電電公社は純粋の民間株式会社の形をとる
ことが最適」とする意見書をまとめ、臨調に提出した。電電公社民営化の政治
過程において、電電公社の「純粋民営」案が打ち出されたのは、これが初めて
であった1)。この改革案に対して、真藤総裁は記者会見にて、「たとえ、完全民
営化にもっていくことが良いとしても、時間が必要だ」と述べた(朝日新聞、
1982年2月11日)。
2月22日の午前、東京・永田町の東京ヒルトンホテルで臨調側から瀬島龍三
と加藤寛、郵政省側から浅尾次官、守住電気通信政策局長らが真藤総裁を囲ん
で非公式な会合を開き、26日に電電公社の改革案を第4部会に報告することが
決まった。同日、三公社(国鉄・専売公社・電電公社)の経営形態改革を行政
改革の最重要課題とする方針を固めた鈴木首相は、首相官邸で真藤総裁と20分
1) 民営移行の際、①電電公社公社法に代わる事業法を制定し、公共性を確保すること、
②新会社が独占的に行う事業分野と、競争原理を導入する分野とを区別し、民間企業と
競合する部門については、新会社からの分離・分割を含めた見直しを行うなど配慮を加
える必要がある、とされた(朝日新聞、1982年2月10日)。経団連の「純粋民営」案に
おいても、「独占的に行う事業分野」を認めていたことは注目される。
− 56 −
近い会談を行った(日本経済新聞、1982年2月28日)。
2月24日、経済五団体から構成される「行革推進5人委員会」は「財界一日
臨調」を開催し、「一日臨調決議・増税なき行財政改革の実現を期す」と題し
た決議を発表した。「財界一日臨調」開催の目的は、「臨調を全面的に支援」す
るとともに、「増税なき財政再建」と「行政改革の断行」を関係各方面に強く
求めることにあった。電電公社民営化に関連する決議は、以下の通りである。
「三、政府の民間への介入を最小限に抑え、官業の縮小ないし民営化、許認可
の抜本的な整理、国・地方の行政機構改革(広域行政への対応を含む)、公務
員制度の見直し(採用の一時停止、人事院制度の改廃を含む)、などを断固実
現すべきである。
」(神原、1986、232~233ページ、傍線筆者)2)。
2月26日、第4部会は、真藤総裁から電電公社の改革案の説明を受けた3)。真
藤総裁は、①公社制度の枠内での改革では、当事者能力の付与を望むことはで
きないが、②完全民営化のリスクも大きいとの理由から「将来は民営化が望ま
しいが、特殊会社化が現実的だ」と述べた。また、特殊会社化と並行して、①
電話機取り付け業務を民間に開放する、②データ通信部門は子会社に移行させ
る、③データ通信サービスは、「公社が提供するのにふさわしいサービスに限
定する」と、可能な限り電電公社の業務を民間に開放する方針を示した(読売
新聞、1982年2月27日、2月12日、朝日新聞、1982年2月26日)。
3月5日、郵政省は、通信秘密の保護など公共性の観点から2月26日に電電
公社が第4部会に報告した改革三案を批判した(日本経済新聞、1982年3月6
2) 「財界一日臨調」の意義は、政府の「対象限定論」を牽制し、より広範な行財政改革
の項目を「基本答申」に盛り込み財政削減を図る「対象拡大論」を定着させたことに
あった(神原、1986、233ページ)。
3) この経緯について、第4部会の山同専門委員は、「(1982年−羽渕)2月のはじめに、
瀬島さん、真藤さん、私(山同)の三人で会ったときに、真藤さんから、電電公社が考
えた民営化の方向は大体こんなところですと説明してもらい、やっと2月の下旬に第4
部会で報告」を聞くことができた、と述べている。真藤総裁は、「どの(特殊会社の−
羽渕)方向とは言わないよ」と言いつつも、電電公社が三つの改革案を提出したこと
で、第4部会はこの案に基づく議論が可能になった(加藤・山同、1983、110ページ)。
− 57 −
日)
。
3月13日、臨調は委員会を開催し、電電公社の経営形態問題の意見交換を
行った。委員からは、電電公社の改革案及び郵政省の現状維持の案に対して、
競争原理の導入面で不十分な点が多いとの意見が出た。電電公社の改革案につ
いては「電電公社の自主改革案では、現在の経営規模を想定しており、これで
は民営化、特殊会社化されても、競争状態は生まれない」、郵政省の改革案に
ついては「郵政省は公共性が必要だというが、公共性が本当に必要かどうか、
郵政省見解ではあいまいだ」と、双方に対して批判が出された。臨調は、第4
部会に対して、公共性、通信の秘密の範囲、経営効率、当事者能力、労使関係
等の諸問題をより掘り下げて審議するよう求めていくことにした(読売新聞、
1982年3月14日)。
3月23日、参院逓信委員会で真藤総裁は、「新しい情報化社会に対応してい
くためには、大がかりな組織替えが不可欠で、それがやれる経営形態を考えて
もらいたい」と電電公社の経営形態の改革の必要性を主張したのに対して、箕
輪郵政相は、
「電電公社は高度な公共性、独占性を持っており、気ままな経営
を許さないためにも、今の歯止めをはずしてはいけない」と公社制度の維持を
主張し、両者の意見は対立した(朝日新聞、1982年3月24日)。
4月5日、真藤総裁と箕輪郵政相が会談を行い、民営化した場合の固定資産
税や法人税など租税負担などの問題について、電電公社と郵政省が事務レベル
ですり合わせ作業を行うことを決め、翌日の6日から具体的な作業にはいった
(同上、1982年4月7日)。
4月7日、自民党電信電話基本問題調査会(加藤常太郎会長)は、電電公社
は公社制度を維持したまま効率性を高めるべきと民営化反対の意向を示した。
ただし、同調査会内部では、「臨調答申が出る前に、党として結論を出すのは
まずい」との慎重論や、すでに郵政省と電電公社との間ですり合わせ作業が始
まっていることもあり(同上、1982年4月7日)、しばらくは静観することに
した。
4月9日、第4部会は、電電公社の「公共性と独占性」のテーマで「分割・
民営化」を中心に本格的な審議にはいった。すでに、電電公社は特殊会社を目
− 58 −
指すことを表明していたが、特殊会社化案から更に「分割・民営化」に踏み込
んで議論すべきであるとの意見が強く、具体的な検討に入ることとなった(同
上、1982年4月9日、日本経済新聞、1982年4月10日)。3月13日に臨調の多
くのメンバーが、電電公社の特殊会社化案を「競争状態が生まれない」事実上
の「民営独占」と批判したが、第4部会も同様の意見が多かった。
同日、全電通は加藤寛を訪問し、「経営形態は別として電電公社を分割する
ような結論を出さないよう強く申し入れ」た。これに対して加藤寛は、「分割
という表現は止めて再編成ということではどうか」と答えた。しかしながら、
「再編成」とは「分割」と同じ意味であり、全電通を納得させるものではなかっ
た(小森、1988、20ページ)。
4月19日、郵政省は、電電公社の経営形態を特殊会社や民営に移行させると、
法人税など約6000億円の支出増加が見込まれ、料金値上げという形で利用者に
負担がしわ寄せされるとの試算を発表した。他方、電電公社の試算によれば、
経営形態を変更した場合の支出増加は約2500億円となっており、経営努力で吸
収可能だと発表した。経営形態変更による支出額や料金値上げ等の試算につい
ても両者は対立した(朝日新聞、1982年4月20日)。
4月21日、臨調は、電電公社改革について「地域・分割」を軸とした事務局
案をまとめ、同日開催された第4部会に初めて提出した。経営形態については、
電電公社が特殊会社を目指すとする一方で、郵政省は経営形態の改革そのもの
に反対の立場をとっていたが、分割については両者は反対の立場で一致してい
た。しかしながら、臨調は、独占企業に伴う弊害を除去するためには分割が必
要であるとの考えに基づき「地域・分割」案を第4部会に提出したのであった
(読売新聞、1982年4月22日)。
同日、臨調案を受けた第4部会は、電電公社の具体的な「分割・民営化」論
に踏み込んだ議論を行った。第4部会の部会議事録によれば、事務局は、①後
に「基本答申」で採用される「当面は特殊会社の形をとり、将来は中央会社と
複数の地方会社に分割して民営化する」案と、②「全国を三社にぶつ切り」す
「分割」問題について、
「これからの情報社
るなどの案を提出した4)。加藤寛は、
4) 「ぶつ切り」の表現は、真藤総裁が1981年11月13日の記者会見でも使用していた(「考
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会を考えると、全国あまねくという考え方でやるとかえって困ることになるの
では。ある程度の差は仕方ない。独占では困るから分割が基本だが、技術的な
点で明確な答えが出せない。イメージとしては分割の方向であるが、それが絶
対的に主張できるところまではいってない。作文は事務局に考えてもらおうで
はないか」と述べた(朝日新聞、1982年7月2日、傍線筆者)5)。4月9日に全
電通が加藤寛に分割回避の申し入れを行った際にも、加藤寛は全電通に対して
分割の根拠を示すことはできなかったと考えられる。
また、同日、臨調は自民党と郵政省との調整にも入った。臨調側の瀬島龍三
委員、加藤寛は、自民党の原田憲・党公共企業体等基本問題調査会長、新谷寅
三郎(元郵政相)、那裕一(元郵政相)らと都内のホテルで会い、電電公社の
経営形態について意見交換を行った。臨調側は特殊会社に変えるべきと主張し
たが、自民党側からは経営形態変更に対する反対意見が出された(朝日新聞、
1982年4月22日)。
このように4月21日は、①臨調が第4部会に対して「地域・分割」を軸とし
た案を提出したことを受けて、②第4部会が「分割」問題を審議する一方で、
③臨調と自民党及び郵政省との調整作業が進められた。
4月22日、加藤寛への分割回避の申し入れを断られた全電通は、瀬島龍三を
訪ね、臨調答申で分割を盛り込まないように申し入れた。しかし、瀬島龍三の
答えは、第4部会の答申を無視できないことを遠回しに述べるだけであった
(小森、1988、20ページ)6)。
4月28日、北原安定副総裁は、臨調の分割案を「電電公社の業務の性格上、
組織の分割、なかでも地域分割は割高な料金を招き、現実的でない」と批判し、
察(3)」)。同表現は、真藤総裁と第4部会の共通用語になっていたと思われる。
5) 加藤寛は、後に「電電の場合は何が問題になったかというと、一つは、国際的にみて
も、アメリカの例を除くと分割していない。その事業の性質上、分割することはないん
じゃないか」という意見に対して、どのように説得するかが問題になったと述べている
(加藤・山同、1983、138ページ)。
6) 全電通の分割回避の申し入れの経緯をみれば、全電通は、土光会長を除けば、電電公
社改革の中心人物が第4部会部会長の加藤寛であり、その次に影響力のある人物として
瀬島龍三を考えていたことがわかる。
− 60 −
地域分割は設備投資の重複等を招き通信料金が電電公社時代よりもはるかに高
くつく、と述べた(日本経済新聞、1982年4月29日)。
「分割・民営化」案が既定路線となるなか、4部会は、30日までに電電公社
の経営形態変更の「部会長・事務局案」の骨子をまとめた7)。改革案は、「骨子
案」と「経営形態変更論」の二つに分けられ、第4部会に提出された。「骨子
案」の内容は、以下の通り。
【経営形態の変更】
⑴ 将来は競争原理の徹底の観点から、適正規模の分割が必要。全国的基幹回線網は合理
化が必要
⑵ 分割民営化へのステップ
① 当面は現在の規模のまま、全国一社の特殊会社に速やかに移行する
② 宅内機器、保守、データ通信部門を分離する
③ 電報部門の要員の合理化。なお郵政事業への統合も考慮する
④ 特殊会社への移行の際に、労使協約など労使関係のあり方を全面的に見直す
⑶ 地域・機能分割は五年を目途に順次スタートさせることとし次の条件を考慮する
① 利用者負担増の防止
② サービス水準の向上
③ 地域間サービスの格差是正
④ 適正料金制度の確立
⑤ 民間との適切な競争
出所:朝日新聞、1982年5月1日「臨調の電電改革案」要旨より若干の修正を加えて関連
個所を抜粋、傍線筆者。
「経営形態変更論」は、「分割・民営化」の基本方針と具体的な内容に踏み込
んで論じた。
7) 記事によれば、4月末に郵政省と電電公社との間で、当面は特殊会社に改革するとの
方向で合意を得られたことで臨調の改革案が具体化したという(朝日新聞、1982年5月
1日)。しかしながら、4月末に両者が特殊会社を目指すことで一致したとの事実は、
管見した限りでは確認できなかった。これ以後も、両者は経営形態改革を巡り対立する
ことになる。
− 61 −
【経営形態変更論】
一 目的
⑴ 複数の地域会社間の競争による独占性、巨大性の弊害排除、経営の効率化
⑵ 中央会社を通じての広域的運営の確保、回線利用の自由化等に伴い想定される基幹
回線部分における競争体制の強化
⑶ 研究開発体制の一元的運営による技術的統一性、国際競争力の確保
二 内容
⑴ 骨子
① 単一の「中央電信電話会社」と複数の「地域電信電話会社」により運営する
② 中央電信電話会社の経営形態は特殊会社または民営会社とする
③ 地域電信電話会社は民営会社とする
⑵ 分割方式
① 中央電信電話会社は、全国的基幹回線網(例・現在の中心局以上の回線網)部分
及び研究開発機関と一体とした独立の会社とする
② 地域電信電話会社は、(総括局の)八から(地方通信局の)十一に分割する
三 民営化方式
⑴ 当面、政府出資を受ける特殊株式会社化、調達は一般市場
⑵ 将来、民営的運営の定着次第、政府は持ち株を放出し最終的にはゼロとする
出所:朝日新聞、1982年5月1日「臨調の電電改革案」要旨より若干の修正を加えて関連
個所を抜粋、傍線筆者。
5月4日、「部会報告骨子案」をめぐり第4部会内では、次のようなやりと
りがあった。曽山参与(日本電気システム建設会長、元郵政事務官)は、「電
電の資産は国民全体のものであり、一部の株主に開放するというのはどうか。
治安、防衛の面での問題もある。基幹線は大切なものなので、分割せずに公的
資本のまま置いておくことは考えられないか。合理化が出来るまでは公有公営
のままでやって、将来は特殊会社でやったらよい。当面特殊会社というのは反
対だ」と、
「分割・民営化」に反対した。これに対して、山同専門委員は、「今
のままでは合理化できないという前提で特殊会社構想が出てきたのだ。株の
民間売却への反対は、明治時代的発想」(傍線筆者)と反論した(朝日新聞、
1982年7月2日)8)。山同専門委員は、2月上旬に真藤総裁から特殊会社化案の
8) 5月3日、社会党も電電公社の経営形態問題に関する基本的な考え方をまとめた。分
割は、①全国網の必要性、技術の統一性などの特殊性を有すること、②通信事業の公共
− 62 −
説明を受けていたが、ここでは特殊会社化案は合理化目的であることが明確に
述べられている。
同日、第4部会は、自民党郵政族の関係者との非公式な意見交換を7日で打
ち切り、10日に提出予定の「部会報告」を17日に遅らせることを決め、部会メ
ンバーのみで最後の詰めの作業にはいることにした。電電公社改革に関して
は、
「分割・民営化」の方向性は一致したが、その手順、方法に関しては見解
が分かれたため、連休明けの5月6日に更に審議する必要があった(読売新聞、
1982年5月4日、5月5日)。
5月5日、
加藤寛は箕輪郵政相と意見交換を行った9)。この意見交換について、
後に加藤寛は、
「箕輪さんは、郵政省のいうことを信じておられて絶対反対な
んです。たとえば、公社でないと秘密が守れないとか、民営化したら公社は税
を払うから損だとか。これは、とてもだめだ、これ以上話ししていても無駄
だ」、ただし、真藤総裁であればなんとかしてくれるだろうということになり、
部会報告の発表に踏み切ることになった、と述べている(加藤・山同、1983、
130ページ)。すでに、真藤総裁は、総裁就任直後から加藤寛と電電公社改革に
関する問題意識を共有していたが(「考察(1)」)、郵政省や全電通などからの
激しい抵抗の中で、部会報告発表の直前の段階においても第4部会は真藤総裁
に頼らざるを得ない状況が生まれていた。
5月6日、第4部会は、電電公社改革に関する部会報告案「日本電信電話公
社について」をまとめ、電電公社については、次のような改革案が出された。
日本電信電話公社の経営形態について検討した結果、次の結論に達した。
① 電電公社の経営形態についてはこれを抜本的に改革する必要があり、その方向は民
営化を図ることである。
性は今後ともその必要性が強まるため、単一の事業体として運営される必要があるとの
理由から反対した。経営形態についても、臨調の特殊会社化案には反対し、政府の統制
を大幅に緩め、自主的運営を可能にする「特殊法人化」することを主張した(朝日新
聞、1982年5月4日)。
9) 加藤寛の記者会見をめぐる誤解から、箕輪郵政相が加藤寛に対して激怒したとの報道
を受け、誤解を解く意味も込めて二人は出会うことになった。
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② 民営化にあたっては、競争原理の導入が必要である。そのためには、電気通信事業
の持つ技術的側面と技術革新の可能性とを加味しつつ、現在及び将来にわたり最も有
効な競争の存在が担保されなければならない。
また、経営者の管理限界の観点から、規模の適正化に配慮する必要がある。
③ 民営化の過程においても、極力合理化を推進するものとし、現在民間企業と競争関
係にある部分については、競争条件の整備の観点からも、早急にこの分離、独立を図
るべきである。
⑴ 分割、民営化の基本的内容。
① 現在の電電公社を五年以内に、基幹回線部分を運営する株式会社(以下、中央会社
という)と地方の電話サービス等を運営する複数(八~十社程度)の地方株式会社
(以下、地方会社という)に再編成する。
② 中央会社は、基幹回線の建設、保守、運用を行い、地方会社は所轄地域の回線の建
設、保守、運用及び営業活動を行う。さらに、研究開発については、基礎的、先端的
な技術開発の安定的開発の確保という観点から、中央会社にて行うこととする。な
お、中央会社と地方会社の関係については、中央会社は、電気通信の広域的運営の観
点から、一体的運営に資するため、地方会社に出資する他、技術基準、サービス基
準、研究開発、料金の分計、分収等の調整を行うものとし、その他の点については特
段の権限は有しないものとする。
また、出資は当面のものとし、将来は、地方会社の完全独立化に移行するものとす
る。
③ 基幹回線分野における通信衛星、光ファイバーケーブル等による有効な競争を確保
するため、当該分野に対する中央会社以外の者による新規参入(以下、新規参入者と
いう)を一定の条件を充足すれば自由にこれを認める。
なお、新規参入者に関しては、次の点を確保する必要がある。
(Ⅰ) 新規参入者は、基幹回線の特定分野に参入するものでも、全国的な領域にわた
るものであっても差し支えない。
(Ⅱ) 新規参入者は、自らの保有する回線設備により、特定の需要家間における電話
サービスを提供することも可能であるが、地方会社設立後は、中央会社と同一条
件でこれらの地方会社の回線に自らの基幹回線を接続し、不特定の需要家に対す
る電話サービスを提供できるものとする。この場合、地方会社はこの接続を拒否
することができない。
(Ⅲ) 通信衛星による基幹回線保有は中央会社以外の者によるものとする。
(Ⅳ) 基幹回線の部分における以上のような競争状態を有効に担保するため中央会社
は地方会社の設立時又は設立後速やかにその保有する株式を売却し地方会社の完
全独立化に移行するものとする。
⑵ 分割、民営化へのステップ
ア、分割、民営化の方式
① 現在の電電公社を、本答申後直ちに、全国一社のまま政府が100%株式を保有する
特殊株式会社に移行する。
② 政府は、その保有株式を可及的速やかに一般株式市場に対して逐次売却し、遅くと
− 64 −
も五年以内に売却を完了する。なお、株式の売却にあたっては、別途引き受け機関の
設置を検討することも考えられる。
③ 分割は、地方会社が地方会社を設立し、これに営業の現物出資または営譲渡を行う
ことにより実行する。
イ、移行期間における合理化等
① 新会社における経営体質強化のための合理化、現在民間企業と生じている競争条件
の整備等のため、速やかに宅内機器部門、データ通信設備サービス部門、保守部門の
一部等を分離する。また、オペレータ等運用部門、電報部門についても極力要員の合
理化を図るものとするが、さらに、電報事業については、収支均衡化の方策等につい
て検討する。
② なお、合理化に際して、必ずしも合理化にそぐわない一部の現行労働協約等の見直
しを図るものとする。
出所:朝日新聞、1982年5月7日「臨調部会の電電公社改革案」より関連個所を抜粋、傍
線筆者。
この「中央会社と地域会社に分割する」分割案に対して、(真藤総裁を含む)
電電公社首脳及び電機メーカー及び大学の研究機関では、「電電公社の研究開
発体制を維持できるのかどうか」との懸念が示された。例えば、分割により中
央会社の収入が減少し、研究開発のレベルを維持することが困難になるのでは
ないか、あるいは、地域会社に分割することで、大量一括発注によるコスト削
減という長所がなくなる恐れがあるといった意見が出された(日本経済新聞、
1982年5月12日)。
5月7日、臨調は、電電公社と専売公社について、それぞれ自民党の関係議
員と非公式の会合を開き、17日の「部会報告」提出を控えて最終的な調整には
いった。電電公社の会合には、臨調側から加藤寛、瀬島龍三、自民党側からは
金丸信、玉置置郎、新谷虎三郎、群裕一、原田憲が出席した。自民党側は、特
殊会社を経て民営化を目指す案について、「経営形態の変更は当事者能力を持
たせるのが目的であり、民営化によって、民間から利益を吸い上げ、財政再建
に役立てるような発想はすべきではない」との理由から反対した(読売新聞、
1982年5月8日)。この日の会合をもって、「部会報告」提出までの自民党との
調整協議は終えた。
5月10日、臨調は委員会を開き、第4部会から三公社改革に関する審議状況
の報告を受けた。電電公社については、特殊会社化して経営に弾力性を持たせ
− 65 −
たあと、基幹回線を所有する中央株式会社と、地域ごとに地方の通話サービ
スなどを提供する地方株式会社に分ける、との改革案の説明を受けた(同上、
1982年5月10日)。
5月11日、都内のホテルで箕輪郵政相の「逓信を語る会」が開かれた。二千
人を超す参加者を前に、発起人代表者である田中角栄は、真藤総裁に目を向け
ながら「電電も、少し研究し過ぎだ。もう少しテンポを落とせばいいのに」と
批判した(日本経済新聞、1982年5月12日)。
5月12日の第4部会の審議の焦点は、5月6日の「部会報告案」を受けて分
割問題に絞られていく。鈴木康平参与(日本科学技術連盟理事長、元科学技術
事務次官)は、「
(特殊会社から分割への)移行期間五年は長すぎる。三年程度
でいいのではないか」、住田部会長代理は、「五年というのは、たたかれる原因
になるので、『速やかに』とした方がよいのではないか。方法論については調
査会で十分審議してもらうようにしたら」との意見があった。そこで、加藤寛
は「三年以内というのはどうか」と提示。曽山克巳参与は、「やるなら早いほ
うがよく、いつまでも特殊会社が残らないような措置をとる必要がある」と述
べた。また、屋山参与は、「(国鉄と同様に政府内に委員会を開いて分割方法を
考えるという−羽渕)委員会方式は、政府の過剰関与になるのではないか。電
電は任せられれば八−十一の分割を行うといっているのだから任せればよいで
はないか」と、電電公社に一任する案を提示した。しかしながら、鈴江参与は、
「特殊会社は現在の電電の人がいくのだろうから、任せれば競争ができるよう
な分離案を作るとは思わない。第三者機関に任せるべきだ」と反論した(朝日
新聞、1982年7月2日)。こうして、第4部会では、分割の根拠・主体・時期
が議論された。
5月13日、自民党の電電基本問題調査会(加藤常太郎会長)は、電電公社の
経営形態問題を協議したが、「なぜ民営化しなければならないのか、必要性が
理解できない」と反対論が根強かった。「分割・民営化」論に賛成したのは、
鈴木派の水野清衆院逓信委員ら数名のみであり、畑英二郎(田中派)ら若手議
員は「民営化反対」を決議するよう求めた。自民党としては継続審議としたう
えで、金丸信らが加藤寛に会い、17日に予定されている部会報告の延期を申し
− 66 −
入れることにした(同上、1982年5月14日、5月16日、読売新聞、1982年5
月14日、日本経済新聞、1982年5月15日)10)。しかしながら、同日、第4部会の
「部会報告」最終案が明らかとなり(読売新聞、1982年5月13日夕刊)、すでに
部会報告の延期は難しい状況となっていた。
5月17日、第4部会「部会報告」が提出される11)。第4部会は1981年9月以
来、計67回の会合を重ね、政府・自民党側とも非公式な折衝を行いながら報告
をまとめた(朝日新聞、1982年5月18日)12)。電電公社に関する内容は、次の通
り。
一 経営形態の変更の内容
① 当面、政府が株式を保有する特殊会社に移行。五年以内に、基幹回線部分を運営す
る中央会社と地方の電話サービス等を運営する複数の地方会社に再編成する。
② 中央会社は保有する地方会社の株式を速やかに公開。政府は中央会社の株式を当分
の間保有し、有効な競争条件の整備等を勘案しつつ逐次公開。
③ 基幹回線分野での新規参入を一定の条件で認める。
二 移行期間の合理化等
① 運用、保守、電報部門等は極力要員合理化。
② 宅内機器、データ通信設備サービス、一部保守部門等の分離。
出所:朝日新聞、1981年5月18日、傍線筆者。
第4部会「部会報告」に関して、郵政省、電電公社、全電通などからはそれ
10) 同日、社会党も電電公社の「分割・民営化」反対を申し入れた。社会党の安井吉典
電気通信対策特別委員長らは、国会内で中曽根行政管理庁長官と会い、臨調の部会報
告について、①「分割・民営化」は、電気通信事業を巨大独占に売り渡すことになり、
料金の値上げも必至で、行革に逆行することになる、②電気通信事業は公共性が高く、
単一事業体として運営されるべきである、などを骨子とする申し入れ書を提出した。
中曽根は、「臨調の答申待ちで白紙の立場だ」と答えた(朝日新聞、1982年5月14日)。
11) 部会報告の考え方の背景には、①電電公社の様々な問題が公社経営をむしばみ始め
ていること、②情報通信産業の発展のためには、電電公社を含めたこの事業に携わる
全ての者の活性化が必要である、との認識があった(加藤・山同、1983、186ページ)。
12) 第4部会による電電公社関連の審議経過は、井上[2000]を参照されたい。第4部
会は、週二日ペースで会合を開催し、部会報告書をまとめる段階では週三~四日の
ペースで開催していた(井上、2000、155ページ)。
− 67 −
ぞれ賛否両論が渦巻いた。真藤総裁は「世間の常識が結集されたもの」と「地
域・分割」も含めて全面的に賛成したのに対して13)、箕輪郵政相は「通信の秘
密確保、利用者の利益保護の立場から民営化は断じて認められない」と述べ、
郵政省は「基本答申」提出までに部会報告の内容を撤回させる考えを明らかに
した。同様に、全電通も「部会報告」の再検討を求める500万人の署名運動に
取り組むことを明らかにした。反対に、経団連は電電公社の民営化が当初案よ
りも後退したと不満の意を表明した(同上、1982年5月18日)14)。大蔵省は、特
殊会社から民営化へという基本方針に異論はなかったが、財政再建の観点から
政府持ち株の民間への売却に関心を寄せた(読売新聞、1982年5月18日)。
金丸信は、
「答申を料理するのはわれわれであり、その意見を聞かないのは
論外」との立場から(朝日新聞、1982年5月18日)、次にみる「出資証券方式」
案を提出することになる。
5.2 第4部会「部会報告」から「基本答申」まで
臨調は、
「基本答申」に向けて、6月5日から週三回ペースで審議すると決
めた。6月中は、四部会の各部会長から報告内容の説明を受けつつ、①自民党
の政調審議会の各部会の主要メンバーや社会党など野党の政策担当者、さらに
13) 真藤総裁は5月上旬の段階では、分割案に批判的であったが(日本経済新聞、1982
年5月12日)、部会報告を受けて、「地域分割については今まで本気で考えていなかっ
た」、分割をするのであれば、報告案のように中央会社と地域会社に分けるしかないと
述べた(同上、1982年5月18日)。
14) 経団連の不満は、経団連が当初提案した「純粋民営」案と比べると、民営化を先送
りとした点にあると思われる。また、永野重雄日商会頭は第4部会の報告案に対して、
「分割して競争させるのはいいことだ。五年以内に実施するとなっているが、だらだ
らやっているとかえってうまくいかない」と、早期「分割・民営化」論を主張した。
逆に、臨調の第三部会会長に住友電機工業の亀井正夫社長を送り込んでいた電線業界
では、通信ケーブルの仕様が各地域会社で別々にするメリットはない、と臨調の電電
公社「分割・民営化」論に批判的であった(日本経済新聞、1982年5月18日)。「電電
ファミリー」と称される経済界の中には、根強い「分割・民営化」反対論があったこ
とも念頭に置いておく必要がある。なお、「純粋民営」案に対して、真藤総裁は当初よ
り「時間が必要」と発言していたことから、真藤総裁にとっては想定通りの案であっ
たといえる。
− 68 −
②経団連や全電通などの代表者とも懇談会を開催し、その意見を答申作成の参
考にしたいと考えた(朝日新聞、1982年6月1日)。
5月26日、自民党は、行財政調査会(橋本竜太郎会長)正副会長会議を開き、
①6月1日に行財政調査会、政調審議会、総務会を開き、臨調側から部会報告
全般の説明を受ける、②6月1日から4日までの間、行財政調査会正副会長会
議を開き、各部会長から部会報告作成の経緯を聞く、③6月8日に土光会長ら
臨調側首脳と党政務調査会幹部との会合を開き、部会報告について意見交換を
行うことを決めた(同上、1982年5月27日)。
「部会報告」提出後、郵政族は早速巻き返しにはいる。5月28日、逓信部会
(森美秀部会長)と電信電話基本問題調査会(加藤常太郎会長)は、党本部で
6月1日から12日まで4回の合同会議を開催し、真藤総裁や北原安定副総裁、
郵政省幹部へのヒアリングと民営化及び合理化に関連する資料の提出を求める
ことにした(読売新聞、1982年5月29日)。こうした党内の動きに対して、5
月31日、中曽根行政管理庁長官は、「臨調審議も一番大事な中心線に入ってき
たので、内閣及び党としても、その審議を妨害しないよう静観する」(朝日新
聞、1982年6月1日)と釘を刺した。
7月7日、北原安定副総裁は記者会見で、「基礎的研究分野では、国や独占
体でないと長期的に見て無理。このことはどこの国でも同じではないか」と、
研究開発の領域に限定しながらも、電電公社「分割・民営化」案を批判した
(日本経済新聞、1982年7月8日)。
反対派の動きが活発化するなか、折衷案が出されることになる。電電公社改
革について自民党内で調整を一任されている金丸信らは、7月13日までに「分
割・民営化」は実施せずに政府が特殊法人の証券を保有する「出資証券方式」
「出資証券方式」案は、①電電公社を政府が証券を保有する特
案を提出した15)。
殊法人「日本電信電話機構」に変更する、②特殊会社と異なり商法の原則適用
は受けず、証券を政府が売却する場合は国会の承認等で規制する、③分割は当
面しない、④公労法の適用をはずし、スト権を認めるなどの内容からなった
(読売新聞、1982年7月13日)。
15) 「出資証券方式」提出の経緯については、小森[1988]21~23ページを参照のこと。
− 69 −
7月14日、真藤総裁は記者会見で、「出資証券方式」について、「商法の適用
が受けられない企業体では、電電公社がめざす経営改革はできない」と、同方
式に反対した(同上、1982年7月15日)16)。
7月20日、全電通は全電通大会の「1981年度一般経過報告」の中で、「出資
証券方式」について、「全電通の公社改革案にムードとして接近してきたこと
は事実で、今後われわれの政策活動を展開する場合のプラス要因として受け止
める必要がある」と評価した(読売新聞、1982年7月21日)。同日、郵政省の
守住事務次官は記者会見で、まず、「公衆電気通信事業は高度の公共性と公益
性を必要とし、株式会社(特殊会社を含む)化など民営化はそぐわない。その
考えはいまも変わっていない」と述べたうえで、「出資証券方式」を「ひとつ
の案」と評価した(同上、1982年7月23日)。しかしながら、臨調は、「出資証
券方式」案は採用せず、部会報告通りの「五年以内の再編成」案を堅持すると
した(同上、1982年7月21日)。
7月27日、自民党は電電基本問題調査会(加藤常太郎会長)と通信部会(山
下徳夫会長)との合同会議を開き、
「出資証券方式」を了承した17)。自民党案は、
以下の通り。
① (電電は)特別法に基づく法人とする。
② 名称は日本電気通信機構(仮称)とする。
③ 出資等については政府の出資証券とし、法律で政府が管理する。
④ 剰余金は一定割合を(国庫に)納付する。
⑤ 適正な人員、規模とするための合理化を強力に進める。そのための特別立
法(勧奨退職等)を行う。従って分割は行わない。
⑥ 合理化のため労使関係の見直しを行う。
16) なお、同記者会見で、真藤総裁は「出資証券方式」を「日銀方式」であるとしたう
えで、「日銀方式はヒトラー型」と述べた。ヒトラーが実施した国有化を参考にして日
本政府が1942年に日銀を改組したものが「日銀方式」であり、「出資証券方式」も同様
であると述べた(日本経済新聞、1982年7月15日)。
17) 加藤・山同[1983]によれば、電電基本問題調査会が「出資証券方式」案を提起し
たのは7月23日である(山同・加藤、1983、208ページ)。
− 70 −
⑦ 争議行為対策については、特別立法により現在程度の規制を行う。なお労
使紛争の調整は第三者機関で行う。
⑧ 監査制度、監査機能の強化につとめる。
⑨ 役員については政府が関与する(同上、1982年7月28日、傍線筆者)。
7月13日の「出資証券方式」案は合理化には触れず、「分割は当面しない」
と将来分割を実施するニュアンスを含ませていた。しかしながら、7月27日の
「出資証券方式」案は、
「適正な人員、規模とするための合理化を強力に進める」
「従って分割は行わない」とされた。加藤寛は、「独占では困る」から分割が必
要と考えていたのに対して、「出資証券方式」案では「分割は合理化を進める
ための手段」→「合理化が進めば分割は必要なし」と考えていた。おそらく、
分割を通じた合理化か、分割を実施しない合理化かが争点になったと考えられ
るが、結局、全電通や郵政省が反対する「分割」は見送りとなった。
5.
3 電電公社「分割・民営化」をめぐる論点
第2次答申から「基本答申」に至るまでの経営形態の改革議論は、「特殊会
社を通じた分割・民営化」案を中心に議論が展開された。各政治主体の見解は、
表1に示した通りである。大きな傾向を見れば、民営化賛成派は分割賛成、民
営化反対派は分割反対となっている。この時期の電電公社の経営形態の改革論
議の焦点は、以下の通りである。
第1に、合理化目的である「特殊会社」案は、1982年2月上旬、真藤総裁が
瀬島龍三委員と山同専門委員に説明したところから始まった。この案をたたき
台として、第4部会で議論が展開されたが、同案は「民営独占」と批判され、
特殊会社を通じた「分割・民営化」案に変更された。経団連は、特殊会社のス
テップを飛ばした「純粋民営」案を考えていたので「基本答申」案には不満を
持っていたが、真藤総裁は「純粋民営」案を「時間が必要」との立場から反対
した。
他方、特殊会社化案に反対の立場をとる全電通は、①経営の自主性を高める
こと、②端末機器などの分野で競争原理を一部導入することには賛成であるが、
− 71 −
合理化反対などの観点から「分割・民営化」に反対の立場をとった。これに対
して、郵政省と自民党郵政族は、電電公社の経営形態に付随する利権確保のた
「出資証券方式」案では積極的に合理化を進めることを
めに民営化に反対し18)、
明記し、全電通と対立した19)。「分割・民営化」反対の根拠・基盤は、①全電通
は企業組織に従事する従業員、②郵政族は経営形態に付随する利権にあった。
第2に、分割に関する議論である。加藤寛が電電公社の分割問題について、
「独占では困る」から分割が必要であると考えるが、絶対的に必要であると主
張できるところまではいっていないと述べたように、その手段と方法を巡り第
4部会内でも議論が分かれた。また「出資証券方式」案でみたように、分割は
合理化との関連でも議論となった。さらに、北原安定副総裁は、研究開発力の
維持・向上という観点から分割の議論を展開した。分割問題を加藤寛は競争形
態論から、「出資証券方式」は合理化との関連から、北原安定副総裁は技術力
の観点から論じたのであった。
5.
4 電電公社民営化の政治過程の特徴
この時期の電電公社民営化の政治過程の特徴は、大きく三つある。第1に、
臨調の実質的な権力が強化された点にある。第1次答申は、政府の方針・意向
に沿って臨調が作成したが(「考察(2)」)、「基本答申」は臨調の独自調査に基
づき作成された。臨調の電電公社「分割・民営化」案は、真藤総裁を除き、ど
の政治主体とも完全に意見が一致することはなかった。①全電通や郵政省及び
郵政族の「分割・民営化」反対意見は考慮されなかった。②電電公社の「特殊
会社化」案は「民営独占」と批判された。③自民党の折衷案である「出資証券
方式」案も検討には値しなかった20)。④経団連の「純粋民営」案も採用される
18) 「族利益と官庁利益とがまったく一致しているという意味では、郵政省と郵政族の関
係の右に出るものはいない」(猪口・岩井、1988、202ページ)。
19) 全電通の郵政省批判については、小森[1983]第Ⅲ章を参照されたい。
20) 加藤・山同[1983]は、「出資証券方式」を次のように批判する。「責任政党が、こ
のような何を改革したいのか目的意識が全く欠落し、経営感覚ゼロの案を堂々と提示
するのはどういうことか。しかもその内容たるや、人員削減を法により手当するとい
う条項を除き、今の公社と何の違いがあるのか」(加藤・山同、1983、210ページ)。
− 72 −
ことはなかった。⑤北原安定副総裁の「分割・民営化」反対論も採用されるこ
とはなかった。このように、臨調の電電公社改革案は、どの政治主体の見解に
も与することはなかった。このことは、当初、政府の意向に沿って答申を作成
した臨調が、徐々にあらゆる政治勢力から自立化し始めたことを意味した。そ
して、真藤総裁のこれまでの個人レベルでの「民営化発言」及び問題意識は、
「基本答申」を介して「国家意志」として現れたのであった。
第2に、
「分割・民営化」を巡り郵政省と電電公社の対立が表面化した。歴
史的に見れば、郵政省は、情報通信産業の発展過程と並行して、通産省・電電
公社と対立と協調を繰り返してきた(羽渕[2003])。郵政省と通産省は、①
1960年代後半の「全国地方銀行協会為替交換システム」構築時より情報通信産
業の管轄を巡り対立し(武田編、2011、89~90ページ)、②1970年代半ばには
「超LSI技術研究組合」のもとで協調関係を築いた(羽渕[2003])。その後、80
年代にはいると、③第1次答申(1981年7月10日)から第2次答申(1982年2
月10日)の時期に、通信自由化を巡り通産省との対立が本格化し、「第三セク
ター」案などを巡り電電公社とも対立した(「考察(3)」)。そして、④第2次
答申から「基本答申」の時期は、経営形態改革を巡り電電公社との対立が表面
化した。郵政省・通産省・電電公社は、情報通信産業の発展過程と並行して対
立と協調を繰り返してきたが、この三者間の対立を解消する政治主体が臨調で
あった。
第3に、トップマネジメントである真藤総裁と北原安定副総裁との対立も表
面化した。加藤寛は、技術的観点から分割を明確に主張するところまではいっ
ていないと述べたが、技術畑出身の北原安定副総裁は、技術力の維持・向上の
観点から反対論を展開した。
5.
5 電電公社の経営形態改革論議と新自由主義イデオロギー
日本の新自由主義イデオロギーは、「基本答申」で初めて体系化された。「基
本答申」の内容は、新自由主義イデオロギーが具体化されたものであると同時
に、これまで検討してきたように、新自由主義イデオロギーの歴史的展開過程
の結果でもある。
「基本答申」と新自由主義イデオロギーとの関連は次章(「考
− 73 −
察(5)
」
)で検討することとし、ここでは、この時期の電電公社の経営形態の
改革論議と新自由主義イデオロギーとの関連及びその特徴を検討する。
第1に、新自由主義イデオロギーの現象形態は限界をもつという点である。
「新自由主義イデオロギーが電電公社民営化となって現れる」場合、具体的に
どこまで現れることができるだろうか。例えば、加藤寛が電電公社の分割問題
について、「独占では困る」から分割が必要であると考えるが、絶対的に必要
であると主張できるところまではいっていないと述べたように、新自由主義イ
デオロギーは「競争原理を導入すべきである」→「独占では困る」というとこ
ろまでしか、教えてくれない。仮に、新自由主義イデオロギーが詳細な制度設
計にまで回答を与えてくれるのであれば、政治家・官僚などの実務家は必要な
くなるであろう。新自由主義イデオロギーは、電電公社民営化という現実世界
との乖離・ズレを抱える有限的存在であり、その現象形態は限界をもつ。この
限界を突破し、より具体的な政策を実現するために、新自由主義イデオロギー
は実務家を必要とするのである。
第2に、電電公社を基盤とする新自由主義イデオロギーは、自らのうちにそ
の対立の契機である(「分割・民営化」反対という意味での)反新自由主義イ
デオロギーと(競争に対する)独占を内包する。
①反新自由主義イデオロギーの二大勢力は、全電通と郵政族であった。全電
通は、電電公社の企業組織に従事する従業員の利益を代表して「分割・民営化」
に反対した。それに対して、郵政族は、電電公社の経営形態に付随する利権の
確保が目的であり、合理化推進の立場をとった。新自由主義イデオロギーと
「企業組織−経営形態」の利害を基盤とする反新自由主義イデオロギーとの対
立は必然的に生じた、と言える。この点をより細かくみれば、1)新自由主義
イデオロギーは電電公社民営化に内在するイデオロギーであり(「考察(3)」)、
2)電電公社民営化は、その内部に電電「公社」と「民営化」の双方がお互い
を否定しあう矛盾を抱えており21)、3)この矛盾が新自由主義イデオロギーと
21) この矛盾をより細かくみれば、一方の「公社」は現実に存在し機能しているが、他
方の「民営化」は現実には存在しない「理念」である。新自由主義イデオロギーとこ
の矛盾内部の構造との関係は、まず、①新自由主義イデオロギーが「民営化」=「理
− 74 −
反新自由主義イデオロギーの対立を生み出す基盤となった、と言えよう。
②もうひとつの対立の契機が「独占」である。本来の新自由主義イデオロ
ギーは「競争原理の導入」を目的とする。しかしながら、1)経団連の「純粋
民営」案においても「独占的分野を認める」とされていたし、2)第4部会の
「部会報告」案においても国際競争力を確保するために「研究開発体制の一元
的運営」=「技術独占」が肯定されていた22)。新自由主義イデオロギーは、経
済学的観点から競争原理の導入を主張する一方で、経営学的観点から競争力構
築のためにできるだけ競争を避けたいと考えた。このことは、実務家が新自由
主義イデオロギーの現象形態の限界を突破した際、新自由主義イデオロギーの
純粋概念(=「自由競争」)の対立の契機である「独占」が現実の諸制度に具
現化される可能性が高いということを示している。電電公社民営化の政治過程
における競争形態の議論は、独占的競争を前提として展開されたのであった。
総じて、新自由主義イデオロギーは、「企業組織−経営形態−政治過程」及
び技術革新を包括する包括的契機であるとともに、反新自由主義イデオロギー
と独占という対立する契機をも包摂していたのであった。
第3に、新自由主義イデオロギーの現象形態の限界を突破する実務家及び実
務家の「頭脳」に反映された新自由主義イデオロギーの発展過程の特徴である。
電電公社民営化の推進主体は、大きく①(郵政族を除く)政府・自民党、②臨
調、③(臨調の一部会である)第4部会の三者である。その役割は、政府・自
民党は「民間活力」「小さな政府」実現のための大枠としての方向性を与え、
臨調は第4部会に中間的な方針を与え(例えば、電電公社の「分割・民営化」
の検討を要求するなど)、第4部会は実務レベルに近い問題(例えば、何年以
内に再編成を行うのかなど)を検討した。逆に、「分割の根拠」など第4部会
の議論で結論が出ない場合は、再び臨調に再検討を求めることもあった。電電
念」に具現化し、②この「理念」が「公社」を否定し、③「民営化」と「公社」の矛
盾を基礎とする政治主体間の対立が展開していく、という関係になる。この「理念」
構築のプロセスは、政治主体の認識過程であると同時に、「理念」を現実に適合させよ
うとする実践過程でもある。
22) この時期の新自由主義イデオロギーは、グローバリゼーションに対しては保護主義
的な態度をとっていた。
− 75 −
公社民営化を推進する新自由主義イデオロギーの共通認識は、「政府・自民党
−臨調−第4部会」の三者間及び利害関係者との調整協議を通じて一定の諸集
団の中で形成され、新聞等のメディアを通じて国民の間に浸透していった。各
政治主体の新自由主義的な観念は体系化され、イデオロギーとしての形式を整
えていったのである。こうして、新自由主義イデオロギーは、行為主体の行為
の連鎖及び「頭脳」を媒介として23)、抽象的な「電電公社民営化」論から「通
信自由化−要員合理化」を基礎としたより具体的な「電電公社民営化」論へ
(「考察(3)
」
)
、そして「基本答申」の「民営化すべき」という「べき」論=
「理念型」へと発展していった24)。
このように、新自由主義イデオロギーは、歴史的に現象する25)。新自由主義
23) イデオロギーは「頭脳」を媒介として現象するため、イデオロギーを記述するため
には「頭脳」の形式と内容を記述しなければならない。形式とはイデオロギーの形を
表現するカテゴリー(例えば、「主体」「包括的契機」等々)のことであり、内容とは
行為主体の「事実判断」と「価値判断」を指す。事実判断の根拠となる企業組織や技
術革新の内容を記述したとしても、行為主体の「頭脳」の内容が客観的過程に解消さ
れるわけではなく、「価値判断」の領域は残されている。これらの問題については、さ
しあたり矢島編[1969]を参照のこと。
24) このように、イデオロギーは、時間展開の中で抽象的なものとして現れたり、具体
的なものとして現れたりする。電電公社「分割・民営化」論が登場する以前に「新規
参入」「小さな政府」論が登場してきたことは、新自由主義イデオロギーが電電公社
「分割・民営化」を推進するイデオロギーであったということを意味している。この点
に限定するならば、「新自由主義イデオロギーが電電公社民営化となって現れた」とい
う見解は正しいと言えよう。
25) なお、本研究は、敢えてイデオロギーの概念定義は行っていない。イデオロギーの
概念から出発し分析を進めるのではなく、イデオロギーの分析とその記述が完成した
ときに、イデオロギーの定義を行うべきであると考えているからである。例えば、「新
自由主義イデオロギー」の用語は、以下のように使ってきた。
① 「新自由主義イデオロギーVS反新自由主義イデオロギー」という場合は、イデオ
ロギーの「対立」という意味で使用している。電電公社民営化の政治過程における
イデオロギーは、この二つのイデオロギーのみである(「考察(3)」)。
② 反新自由主義イデオロギーは「企業組織−経営形態」の基盤を持つという場合は、
イデオロギーの「基盤−形態」という意味で使用している。イデオロギーは様々な
形になって現れるのである(「考察(4)」)。
③ 電電公社と新自由主義イデオロギーの「主−客」逆転という場合は、新自由主義
イデオロギーの自立的主体への転化という意味で使っている(「考察(3)」)。
− 76 −
イデオロギーは、電電公社民営化に内在するイデオロギーであり、それは抽象
的なものであると同時に具体的なものである。抽象的に新自由主義イデオロ
ギーが論じられている時には電電公社民営化などの具体的な制度がイメージさ
れ、具体的な制度が論じられている時には抽象的な新自由主義イデオロギーが
イメージされている。このような性質を持つ新自由主義イデオロギーの現象経
路は、①電電公社の事業展開の現実から出発して、その現実が新自由主義イデ
オロギー的な観念及び表現に翻訳され抽象化していく過程と26)、②純粋抽象さ
れた思考(例えば、「新規参入」「小さな政府」など)から出発して電電公社民
営化に具現化していく過程の二つの経路がある。「基本答申」で示された電電
公社民営化の「理念型」は、この二つの過程の統合の結果なのである。次章
(「考察(5)
」
)は、「基本答申」と新自由主義イデオロギーとの関連を中心に考
察する。
④ 新自由主義イデオロギーが「三公社民営化」「電電公社民営化」論となって現れる
という場合は、新自由主義イデオロギーが他のものに形を変えながらも、自らを保
持する「主体」という意味で使っている(「考察(3)」)。
⑤ 新自由主義イデオロギーは「企業組織−経営形態−政治過程」及び技術革新を包
括する包括的契機という場合は、文字通り新自由主義イデオロギーが全体を包括す
るという意味で使っている(「考察(4)」)。
⑥ 新自由主義がイデオロギーとして体系化されたという場合は、新自由主義イデオ
ロギーの時間展開、すなわち歴史的発展過程及び新自由主義イデオロギーの発生メ
カニズムを問題にしている(「考察(3)(4)」)。
⑦ 新自由主義イデオロギーが技術的基盤と国家論を獲得し、支配的地位を確立した
という場合は、新自由主義イデオロギーが行政改革を主導的に推進するイデオロ
ギーとしての地位を獲得した、という意味で使っている(「考察(3)」)。
その他にも様々な意味で使っているが、これらの諸要素は新自由主義イデオロギー
の概念内部で有機的に連関しており、この概念は日本が新自由主義「国家」に変貌を
遂げていくプロセスを反映している。この概念内部の諸要素の連関の内容については
別の機会に論じることとしたい。
26) 例えば、通信自由化の「自由化」が「企業活動の自由」に翻訳され、徐々に抽象度
が高まっていくようなケースである。この点については、次章(「考察(5)」)で論じ
る。
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表1 各政治主体の電電公社「分割・民営化」の見解
民営化
臨調
真藤総裁
北原安定副総裁
経団連
分割
出資証券方式
賛成(委員の一部は電
電公社の特殊会社案に 賛成
も反対)
反対
(特殊会社を通じて)賛
賛成
成
反対
反対
反対
基本的に賛成(ただし、
賛成
「純粋民営」案を主張)
大蔵省
賛成
賛成
全電通
反対
反対
評価
郵政省
反対
反対
評価
箕輪郵政相と自民党郵
反対
政族
反対
中曽根行政管理庁長官 表面的には静観の態度
表面的には静観の態度
自民党・鈴木派議員
賛成
賛成
自民党・田中派議員
反対
反対
社会党
反対(特殊会社化にも
反対
反対)
出所:筆者作成
参考文献
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ター
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