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信
通
仏
ト
南
な
二仏、ゴ大統領に強く抗議
ス和的な解決を!
て、南ベトナム大統
南ベトナムのゴ・ジ
ソ・ジェム政府対仏教
徒間の紛争は、去る五
月八日以来百日にも達
し国内における単なる
仏教弾圧の紛争から飛
躍して、大きな国際問
題、政治問題にまで発
展し、事態は容易なら
ざる深刻なる問題とな
った。全仏では事件の
重大性に鑑みて、八月
二士二日京都東本願寺
における全国宗務総長
会議において本事件に
つき緊急協議し、別掲
のような強い要請書を
日本政府池田首相あて
に各宗務総長の連名で
提出すると共に、駐日
ベトナム大使館を通じ
九 月 号 で勝訴となり、目下相手方の
控訴により裁判中の妙華寺問
発行所
財団法人 ・ 題について、直宗高田派代表
一
全日本仏教会 ︵高島師︶が今後各宗の強力
東京都中央区築地一 なる支援方を訴え、これに対
する協力を申合せた。
三、その他
三ノ一︵本願寺内︶
需薪岡〇二一三
振替東京三七六〇〇
あり諒承された。
発行人︸果∴傘俊道 ①時局講習会の件、②﹁寺
編集者別所弘因⋮ 院名鑑﹂に対する各宗の協力
方につき当局より夫々依頼が
印刷所ルソヒニ社
抗議書
要望書
ことを熱望する。
ん。また、すべての政府は宗教
の自由と云う宇宙の法則に従わ
ねばならないのであります。こ
こに至って、全日本仏教会は現
在までに南ベトナム共和国大統
領に対する強い抗議文書を、世
界仏教徒連盟本部にも送り、同
封写しのとおり我国首相宛にも
要請書を送付いたしました。我
々は南ベトナム仏教徒が不当な
る危害から脱し、政府との間に
あらゆる問題について早急に話
合いが実現されることを希望い
したします。私は全日本仏教会
の名の下に、現下の南ベトナム
における、いまわしい事態が、
貴下の適切なる外交手腕によっ
て速やかに平和的に解決するこ
とを心から念願いたすものであ
ります
一九六三年八月二三日
全日本仏教会会長 大谷光照
駐南ベトナム共和国
米国大使
ヘンリー・C・ロッジ閣下
この原則を離れてはなりませ
全日本仏教会は南ベトナムに
おいて、信教自由の確保のため
に努力している敬露な仏教徒に
対し、不当な危害が加えられて
いることを深く遺憾とし、ベト
ナム政府と仏教徒間の現下の問
題が速かに平和的に解決されん
よって、仏教徒を危難に陥れ
ている武力弾圧に関し、下名は
全日本仏教会の名において、ベ
トナム共和国大統領に強く抗議
する。
ベトナム共和︻因大統領
昭和三十八年八月二十三日
日本国東京都中央区築地塀ノ一
全日本仏教会会長 大谷光照
ゴ・ジソ・ジエム閣下
を仰ぎます。
悪しみて一書を呈し閣下の賢慮
要請書
に国連本部、WFB本部及び各国
なおついで訓覇議長より緊急提
案として﹁南ベトナム仏教徒迫害
事件﹂について全仏の態度表明方
を諮り、万場の諒承を得て別掲の
通りの抗議書︵南ベトナム大統領
宛︶、要請書︵池田首相岬山各宗務
総長連名︶及び要望書︵駐ベトナ
ム米大使宛︶を夫々送ることを決
めたが全仏事務局では、常務理事
会の事後承認を得て八月二十七日
ノ
私は日本における総べての仏
教宗派団体によって構成されて
いる全日本仏教会及び世界仏教
徒連盟日本センターの機関を代
表して、仏教徒が捲きこまれて
いる南ベトナム事件に関して、
以下の通り私の意志を表明いた
すものであります。南ベトナム
仏教徒の多数の生命が失われた
ことに深く哀悼の意を表しつつ
南ベトナム政府が敬慶な仏教徒
に対し、武力を以て過酷なる迫
害を加えつつある現状に対して
我々は全たく遺憾にたえません
これは今日の近代文明に照ら
して、全たく破廉恥なる行為と
言わねばなりません。宗教慣行
と伝道の自由は、世界中のいか
なる場所においても、そのすべ
てが保証されねばなりません。
いかなる政府でも、その指導や
勢力要素の強い、特別のある宗
教信徒によって成されていても
センター、全仏加盟各宗派、都府
県仏、団体、報道機関、常務理事
国際委員、在外各宗開教本部など
へ夫々発送した。出席宗務総長は
次のとおり、
ことが出来ません。
信教自由の確保のために努力
している敬虞な南ベトナム仏教
徒に対し、ベトナム共和国政府
が武力弾圧を加え、多くの僧侶
及び信徒を逮捕するのみならず
殺傷に及んでいることは、我々
日本仏教徒として到底黙視する
本霊禅山︵念仏︶、 川原快俊︵山
階︶、山羽学竜︵時宗︶、佐伯快竜
︵真言律︶、上野頼栄︵智山︶、石
よって、昭和三十八年八月二
十三日、全日本仏教会二心宗務
総長は京都東本願寺に集会し、
ベトナム政府が現下の問題を速
やかに平和的に解決するよう、
国民の大多数を仏教徒にもつわ
が国の政府が、国連その他を通
じ適切な措置を講ぜられること
原円成︵木辺︶、訓覇信雄︵大谷︶、
を要請いたします。
た。
野澄園︵華厳︶、虎山道五︵南禅
寺︶、金剛秀一︵曹洞︶、小林大巌
昭和三十八年八月二十三日
右代表署名人
東京都港区芝新堀町三六
曹洞宗宗務総長 金剛秀一
以下五十七宗派宗務総長
内閣総理大臣池田勇人殿
道導信暁︵高田︶、小泉宗一︵出雲
路︶、山内日嶺︵本門仏立︶、近津
聖学︵穴塞法華︶、柳生昌泉︵妙
見︶、太田淳昭︵本願寺︶、金子弁
浄︵日蓮︶、田中清澄︵東寺︶、上
れた。
山内観音︵天台真盛︶、 宮裡顕秀
︵妙心寺︶、千葉藻亮︵興正︶︵順
不同敬称略︶他に委任状八宗派。
︵浄土︶、源恵明︵西山禅林寺︶、
二、墓地問題訴訟事件の現状並び
に今後の運営についで
白山総長より種々説明があ
り、終って過般三重県津地裁
㈲今後の事業処理について
これについては過般の常務
理事会の決議に基づき九月よ
り全強内に﹁文化局﹂を新設
してその事業を継続してゆく
旨を当局より説明し、諒承さ
報告がなされ夫々諒承され
議 題
目、時局対策協議会に関する件
㈲事業並びに会計現在報告の件
白山事務総長より昨年発足
以来の事務報告があり次いで
栗本局長より会計についての
議事に入った。
を送付した。全国宗務総長会議は
八月二十三日午後一時光分より、
京都市東本願寺宮御殿で開催され
た。金剛理事長の挨拶についで、
訓覇大谷派総長が議長に指名きれ
池田総理、・ッジ大使にも要請
領、また直接駐ベトナ
ム米大使あてに夫々強
い抗議文書及び要望書
り 一
ナ ム
べ
昭和38年8月25日
(毎月1回25日発行)1部20円
全
(・)第85号腱翻憂易翻)
信
雪
も﹂つ
加さ だ つね む
長 田 恒 雄
3 ︷
︸
史が動くものでもない。彼の岸は
いつまでも私にはおいでおいでを
している。
私たちは、その真実の国土をた
えず求め、精いっぱいに生きる力
を、そこからうけとるのだ。欣求
するという形でi。季節の花を
各国WFBよリ回答
南ベトナム問題
五人目の焼身自殺老まで出して
紛糾している南ベトナム政府対仏
教徒との衝突は、益々悪化をたど
っているが、全仏では六月二十五
日付で国連本部、WFB本部及び
× ×
度トリプラ仏教会。
一42■躍齪置コ■■膨
‘6冨圃一︹畳9
生連盟、WFB韓国センター、印
ールセソター、国際連合本部、タ
イ国仏教協会、中国仏教協会.米
国仏教団、在日南ベトナム仏教学
ド・ペルバル氏、WFBマラヤセ
ンター、WFB南ベトナムセンタ
ー及び前仏教会、WFBセラソゴ
フランス・アジア誌主筆ルネ・
る。
れに対する回答が寄せられてい
各国センター宛に﹁要望書﹂を送
付し、現在までに次の各国からこ
仏前に供え、香を焚いて、おのれ
のこころを荘厳︵しょうごん︶し
て、あたらしいいのちをつちかう
のである。そして永遠の真実国土
へ向って、あたらしいいのちを燃
やす決意をしなおすのである。春
と秋と、年に二回の彼岸会は、だ
から、人類︵私︶の歴史をかえり
み現実をしっかりふまえて、善意
と責任とをあらためて自覚するた
めの、人間自身の智慧がつくり出
した行事であると思う。すなおに
彼岸まいりをしたいものである。
︵詩人・在家仏教協会理事・全仏
‘0ーー0藝眉■■レ
教化委員︶
全仏時局対策協議会
が与えられることになろう。
各 寺 院 に お い て
は
大
い
な
る
示
唆
嘱
動 の ポ イ ン ト を 指 図 し て お り 、 ㎜
づき、近代社会における寺院活
寺院の新しい社会教育活動
︵金剛秀一委員長︶では、この
担当委員 伊藤 道機
ほど左の題目の印刷物を発行し
た。右協議会では全国各宗寺院
現
下
わ
が
仏
教
界
寺
院
の
布
教
教亀
方の御一読をのぞんでいる。
査
に
基
㎜
化 、 社 会 活 動 面 の 実 体 調
新刊紹介
創価学会の批判的解明
担当幹事 竹中 信順
〃 安居 香山
本書は創価学会の実体調査に
基づいて創価学会の現況とその
教義を解剖し厳しく批判してい
る。各寺院において御一読する
ことにより学会に対する認識を
一層深めると共に、これに対す
るあらゆる不安は一掃されるだ
以 上 い つ れ も 実 費 頒 布 の
予
定
口
です。詳細は左記へお問合せ下
さ い 。 覧
東京都申央区築地三ノ一
本願寺内
全降雪対策鋒会醐
一0 6■膠■聾口
罪
『たノ 乃
イ}
’2 π
’
彼岸にお
い ま の 世 界 に は 、 大 き な 戦 争 も
ないし、日本はまた十八年も平和
な日 々 が つ づ い て い る 。 明 治 以 来
こんなにながくおだやかな日々を
もっ た こ と は な か っ た 。 泰 平 の 世
というべきであろう。
にはなかった。どんなにおぼつか
なくても、たえず努力だけはして
きたし、いまもしつづけている。
とは言え、それによって少しで
も彼岸がちかづいたか、ユートピ
アはちかくなったか、といえば、
一向にそんな気配はない。あいか
わらず理想世界は、はるかかなた
にある。ちっとも近づいてはいな
い。しかも、私たちはあきらめな
い。絶望しない。求めつづけてい
る。ということは、この彼岸とい
うものが、永遠の救いの根源であ
るということにほかならないの
欣求そのものだということができ
も、仏事をいとなむのも、それに
よって人類の歴史をおもい、おの
れの歴史をおもい、さきゆきの責
となみである。
︵こう︶を、どのように果してゆ
くかで、よくもわるくもなる。私
に選択はまかされている。すべて
のひとがそうである。まかされて
いるから責任がある。彼岸は、私
にその責任を痛感させる季節のい
いくらかはできるだろう。それ
は、私自身が、私の背負うた業
私たちの歴史は、二度と書き直
すことはできない。私の現実を鋳
直すことはできないが、これから
さきに向っては、いかなる努力精
進も自由である。それによって、
寿命をのばすことも、戦争をさけ
ることも、犯罪をへらすことも、
る。
だ。けっして近づいてこないから
こそ、欣求はいよいよ熾烈︵しれ
つ︶になるのである。彼岸とは、
まずにはいられない。ヨーロッパ
のユートピア思想がそれで、仏教
の彼岸思想と同質のものだろう。
私たちは太古以来それを望みつづ
けてきた。ねがいつづけてきた。
そして、いまなおそれは手にはい
らない。だれひとりそれを獲得実
現したものはない。むなしくのぞ
みねがっているのが現実である。
そんなムダなことはやめたらいい
じゃないか、と言いたくなるが、
それがどうしてもやめられない。
寺に詣でるのも、墓に参るの
だ。行が知慧を産み出す。また智
慧が、つぎのあたらしい行を産み
任を自覚するための行事であろ
ろう。
@ @ @ @ @ @ @}
にもかかわらず、私たちの胸の
底に は 、 な に か 安 心 し き れ な い も
のがうずくまっているようだ。爆
撃も な い し 、 核 兵 器 を ぶ ち こ ま れ
る心配もまったくないのにもかか
わらず、いつ、なにかがおこるか
わからないという心配はなくなっ
ていない。それに、労使のあいだ
や政 党 の あ い だ に も 、 不 信 が み な
けれども、そのどうしても彼岸
を欣求︵ごんぐ︶しないではいら
れない、というところにこそ、人
間のすくいがあるとも言えるだろ
う。欣求は行︵ぎよう︶をおのず
からとまなうからである。核停の
交渉が大国間できまったのも、生
ワクチンをつくり出したのも、行
の一種である。どうしても心配の
なくならない現在を、しっかりふ
まえた上で、ほんの少しずつでも
心配の種をとりのぞいてゆこうと
いう善意、それがあるからこそ、
私たちは不信・不安のなかにのた
うちまわりながらも、そこにひか
りを見出してゆくことができる。
はかないひかりかも知れないが、
一日も休みなく、そうした善意を
出す。心配のなくならない現実
う。私が参ったからといって、死
者がどうなるものでもないし、歴
つみかさねずにはいられないの
を、宿命としてあきらめて投げ出
してしまったという歴史は、人類
@ @ @ @ @ @ @ ぎっているし、敵対しあってい
る。宗教の世界にさえ、けんかが
絶え な い 。 小 児 マ ヒ や サ リ ド マ イ
ド、麻薬などまでが、私たちをと
りかこんでいるし、一枚岩だった
共産 圏 に も ひ び が は い っ た 。 い わ
ば不信不安にみちている。武器を
とった大戦争がないというだけの
ことで、よくみると、ちっとも泰
平ではないといえそうである。い
つの時代でも、こんな風だったろ
うと 思 う 。 人 類 か ら 、 心 配 の な く
なった時代なんて一度もなかった
にちがいない。槍刀の心配が、核
や放射能の心配にかかわっただけ
であろう。いつでも、どこでも、
人類は心配しつづけて生きてきた
のである。
だ か ら 、 心 配 の な い 世 界 が ほ し
くな る の は あ た り ま え で あ る 。 夢
と知っても、それがほしい。のぞ
㎜嘱
鳳
亘
一
一
(2)
昭和38年8月28日
仏
全
第三種郵便物認可
信
訪ソはとりやめ
嵂ア理事会で結論下す
神奈川県仏教会総会
略︶
白山総長、栗本、狩野、石川局長
別所、岩本、柳部長、伊東、相馬
鎌田主事、福井書記︵順不同敬称
愛邦の各常務理事︵含委任者︶、
︵代︶山本杉、清水祐之、太田
淳昭、訓覇信雄、倉持秀峰、末広
岩野真雄、阿部竜伝、金子弁浄
出席者は、金剛秀一、上野頼栄
頼栄両界。
なお署名要員は岩野真雄、上野
諒承された。
⑤中国仏教訪日友好代表団歓迎
決算報告の件
に決定す。
③核実験停止協定調印の件
三国元首に対し謝意を表す。
④東洋レーヨン、本田技研二社
よりタイ国へ僧衣千領贈呈に
つき全仏で協賛依頼の件。
趣旨を諒承し協賛すること
めた。
二仏に文化局を設置
全 仏 常 務 理 事 会 は 七 月 二 十 六 日
午後二時より東京築地の全仏事務
局会議室にて開催され、左の議題
について熱心に審議した。
議題
■、ソ連仏教会よリ招請の件
こ れ に つ い て 各 営 々 務 総 長 へ 依
頼したアンケートの結果において
も、また本会議においても積極的
反対はなかったが、国際情勢の点
や、派遣準備時期の面から慎重審
議され、 ﹁しかるべき理由﹂を附
して辞退することに決定した。
な お 八 月 六 日 に 全 仏 石 川 国 際 局
長らが在日ソ連大使館を訪ね、招
請を遠慮する旨正式文書で回答し
た。
二、時局対策協議会に関する件
経 過 報 告 に つ い で 会 計 の 現 況 報
告が な さ れ 、 八 月 末 日 本 協 議 会 が
開散の後は、全仏の組織中に入れ
仮称 ﹁ 文 化 局 ﹂ と 云 う 様 な 局 を 新
設することに意見の一致を見た。
三、その他
①仏教同志クラブより﹁南ベト
ナム仏教徒迫害事件に対する
建議﹂について
同 志 ク ラ ブ 、 全 三 十 代 表 者
が話し合うことに決定。
②デンマーク聖書協会よりバイ
ぬ広範囲の活動振りが報告され
た。決算予算審議も如常に行わ
れ、協議並に報告に於ては、e、
吉水氏より寺院教会相互援助組合
の運営報告、⇔、吉本氏より全仏
九州大会及一般教化問題について
⇔、鈴木氏より農地補償問題につ
いて説明があり、㈲、吉水氏より
墓地問題につき、特に三重県津市
墓地闘争訴訟勝訴の件に就き詳細
な説明と今後の墓地訴訟方針の提
案があり、㈲、県仏青問題につい
ては七月六日結成大会を開く迄の
報告があり、向後の発展が期待さ
れる県仏の印象を深くした。更に
鈴木氏より緊急提案があり、南ベ
トナム仏教徒排斥問題に関して、
神奈川県仏として資金カンバして
被害地たる南ベトナム仏教会に送
附する旨が満場の大多数の拍手を
得て決議された。本件に関しては
後刻全仏側よりの祝辞に於て、南
ベトナム仏教徒迫害事件について
在日ベトナム大使館に於て行われ
た真相発表と全仏国早筆の態度を
干塾して、審重を期せられるよう
要望され、全仏国三局と連絡した
上で事態に臨んで欲しいと述べら
れ、更に軽挙妄動して、いたづら
に、ベトコンや国際共産主義の戦
略の上に乗ぜられる事のないよう
強調されて満場の同感を得、総会
の盛り上りが感ぜられた。記念講
演では、 ﹁仏法と世法﹂の演題で
谷善之亟氏が四十分に亘り、自己
の体験を基礎にした世俗仏法を披
歴し、五時より高橋会長を中心に
夕餐会が行われ余興も飛び出し、
この章章なる総会を閉じた。
岡市井宮瑞竜寺にて、二宮清海県
仏会長、中村静岡市仏会長、野上
幸静岡仏婦会長他市郡部会長、常
務理事及理事者約三十名に、全自
転より岩本組織部長が出席会同し
た。這般九州大会に於て非公式で
はあるが、大会参加有志の賛同を
得て第十二回大会開催地引受に関
して諒承の表明をし、満場の拍手
を浴びて早くも意気旺んな盛り上
りを見せた。しかし静岡県仏とし
ては未だ正式な機関に計っていな
いので、ここに県下理事会を緊急
招集し該件に就き大方の諒解を求
め、協力を申し合わせる事となっ
た。更に開催時期は明年六月一日
から五日迄の間、会場地は静岡市
内の市公会堂を一応予定し、大会
規模については今後詳細検討をせ
ねばならぬが、当地は創価学会の
発生地でもあり、その関係の種々
の会同も屡々行われている事に鑑
みても、此際県仏の名に於ても亦
雪仏の名に於て行われる大会は
いやが上にも之に対抗する意味よ
りも特に従来の大会より参加人員
を増加させて気勢を逃げるべく大
々的に開催し度い旨県仏の意向が
述べられた。静岡大会準備事務局
を静岡市内に之迄に開設し、県名
の人事改選時期を迎えるが、一応
大会終了迄現会長の責任に於て任
期を延長せしめて執行すべき由決
定を見た。静岡県仏の意気込みは
想像以上のものであり、明年の大
会が今より大いに期待される。
東レがタイ比丘に黄衣
軍事もこれに協養
東洋レーヨンと本田技研二社が
協力して、このほど日・タイ親善
チャーリテイ・ページェントのタ
ベを行うことになったが、その一
環として東レからタイ国の比丘に
千着分の黄衣を贈呈することにな
り、過日全仏のこの運動に対する
協賛方を依頼して来た。全仏では
七月二十六日の常務理事会でこれ
を諮りこれらの趣旨に賛成し、協
賛することに決定したが、これら
の黄衣は十月末日タイ国における
仏教行事であるカティーソ祭の日
に各地から参列する比丘に贈られ
ることになっている。
なおこの外に本田技研からも十
台のモーターサイクルが、タイ赤
十字社を通じて公共福祉施設へ贈
られる。両社ではこれを機会に日
・タイ両国民との友好を一層増進
したいと云っている。
台湾から仏教代表来日
日中親善が目的
盛大に出迎えた。
既報の中国︵台湾︶仏教会代表
団書名︵団長白聖大師︶は、守仏
の招請によって八月二十四日午後
七時四十分羽田着のノースウエス
ト機にてマニラから来日した。一
行は香港、バンコック、インド、
シンガポール、フィリピンなどを
巡歴して最終日程の日本に到着し
たもの。なお当日は全仏関係者、
総持寺関係者、仏婦など約正名が
のCAT機に決定した。
一行は約十日間滞在して、各宗
本山を参拝し全書の歓迎同等にの
ぞむが国内旅行中は柳全仏国際部
長が最後まで随行する。なお帰国
は九月七日午後二時三十分羽田発
写ノ
凹﹁
三.一・
盛『
子馳圏’
幽, 翠引」
,.7’
印’
、旧岬L置τ7畷胃唱・、ミr
静岡県仏 緊急理事会
冝V一一十五日午凸削十一時より静
×
ブル贈呈の件。
六月二十四日川崎大師平間寺に
於て、三十八年度第十八回定期通
常総会が開催された。参会七竃三
百名余の参加を見、午後一時より
法楽があり、続いて峯副会長より
開会、高橋隆天会長より挨拶があ
り座長には松阪師が就任した。全
一当局より岩本組織部長が出席。
三十七年度事業報告が行われ、二
仏加盟の有力県仏たる資格を背は
×
百万円相当の和文バイブル
を耳遠を通じて日本仏教徒へ
贈呈したき申入れあり。次回
まで継続審議とすることに決
山市
第三種郵便物認可
通
仏
寺
昭和38年8月25日
(3)
信
昭和卦八年六月十一日
津地方裁判所の判決
三重県久居町法苑院妙華寺
子教徒埋葬拒否事件
r ・
第二 原告の主張
O重県一志郡久居町ニノ町田
七四二番地所在一二〇八坪の墓
地は、真宗高田派に属する被告
の経営管理にかかる寺院墓地で
あるが、紅隈地内にある本件墓
地は、原告が昭和三年頃被告に
墓地料五百円を支払い、原告家
代々の墳墓地として被告の承認
を得て、それ以来右墓地に墳墓
︵死体を埋葬し又は焼骨を埋蔵
する施設、石碑棺等をいう。以
下同じ。︶を所有しているもの
求めた。
被告は、主文と同趣旨の判決を
行の宣言を求め、
告はその宗派による典礼をも行っ
てはならない︶との判決及び仮執
い。 ︵原告の行う右埋蔵に際し被
に埋蔵するのを妨害してはならな
墓地問題に関する判決全文㈲
昭和三三年㈲第一六二号
判 決
三こ口一志郡久居町一一九番地
原 告 稲 垣 彦 次 郎
右訴訟代理人弁護士
藤 原 昇
同県同日同町ニノ町
一七四二番地
被 告 宗 教 法 人 法 国 院
妙華寺
右代表者代表役員
中 川 実 明
右訴訟代理人弁護士
井 谷 孝 夫
右当事者間の昭和三三年㈲第一
六二号墳墓地妨害排除請求事件に
ついて、当裁判所は次の通り判決
する。
主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事 実
第 一 当 事 者 双 方 の 申 立
原 告 は ﹁ 被 告 は 原 告 が そ の 長 男
訴訟外稲垣定夫の妻訴外稲垣あさ
子の死産した胎児の焼骨︵昭和三
三年八月一四日火葬以下﹁本件鎖
骨﹂ と い う ︶ を 三 重 県 一 志 郡 久 居
日月ノ町一七四二番地一二〇八坪
のうち別紙図面に赤色で表示され
た原告の墳墓地︵以下本件墓地し
という︶内にある原告所有の墳墓
である。
二、とこで昭和三三年八月一四日
原告の長男定夫の妻訴外稲垣あ
さ子が胎児を死産したので、同
日役場から埋葬許可証の交付を
受け、原告の娘婿訴外石田綾夫
をして被告方に赴かせ被告の代
表役員中川実明に右死体を本件
墓地に埋葬する旨の通知をさせ
たところ被告代表役員中川は原
告が日蓮正宗に入信し、被告の
属する真宗の信者でなくなった
由で拒絶した。
こと、要するに異宗のものであ
ることを理由に右埋葬方を拒絶
し、翌八月一五日原告からの直
接の懇請に対しても右と同じ理
いる。
そこで、原告は原告の居住す
る三重県一志郡の習慣では土葬
が原則なのであるが、死産児で
あるため腐敗が早いので、止む
なく役場から火葬許可証の交付
を受けて即日火葬に付してこれ
を焼骨となし、原告の自宅に安
置した9
しかし右焼骨︵本件焼骨︶を
いつまでも自宅に安置しておく
ことは適当ではないので、原告
は是非とも原告家累代の墳墓地
である本件墓地に埋蔵したいと
考え、再々被告にその許諾を求
めたが、被告は前述と同じ理由
でこれを拒絶し、現在に至って
四、しかし被告は右のような理由
で本件焼骨の埋蔵を拒絶する権
利は何ら存せず、原告の埋蔵依
頼を訴諾すべき法律上の義務が
存する。以下その理由を詳述す
るQ
O 昭和二三年五月二一日法律
第四八号墓地埋葬等に関する
法律︵以下﹁墓地法﹂とい
う。昭和二三年六月一日施
行︶第=二条には﹁墓地、納
骨堂又は火葬場の管理者は、
埋葬、埋蔵、収蔵叉は火葬の
求めを受けたときは正当の理
由がなければ拒んではならな
いと規定しているが、前記の
ような原告が異宗のものであ
るということは同法条にいう
埋蔵の求めを拒み得る正当な
理由に当らないことは多言を
要しない。若し右のような理
由が正当な理由に当るとすれ
ば、或る特定の宗派の寺院墓
地に墳墓を所有する老が改宗
するについては多大の犠牲を
払うことを余儀なくされ︵改
宗すれば寺院墓地内の家累代
の墓地に埋蔵が出来なくな
る。︶これは憲法の保証する
信教の自由を著しく阻害する
事態が生ずることになる。
従って墓地法第一三条の規
定に照らし被告は原告のした
本件焼骨の埋蔵の求めを許諾
すべき義務がある。
⇔ 墓地法の規定を別にしてこ
れを実体法から考えても同様
ω墳墓とは、墓地富山二条
である。
る.
上権である。
② 仮りに右主張が理由ない
としても、原告は昭和三年
頃本件墓地についての地上
権を従前右墓地に墳墓を所
有していた訴外奥井伊兵衛
から譲り受けた。右地上権
は賃料は半年で百円、期間
の定のないいわゆる永代地
も存しない。
配りに引外奥井伊兵衛が
本件墓地に地上権を有して
いなかったとしても原告は
前記のように被告の承諾の
下に本件墓地内に墳墓を設
置した当初から墳墓を子孫
の代に至るまで永久的に設
置所有する意志を有してそ
の占有を開始し約三〇年間
これを継続し、その占有の
当初から善意にして過失は
なかったから昭和一六、七
年ごろ本件墓地の地上権を
時効により取得している。
以上の通り原告は本件墓
地についての占有権ないし
地上権に論ずいてこれを占
有使用する権原を有するの
であるから、これら権原に
動ずいて当然に本件焼骨を
本件墓地に埋蔵出来るので
あり、被告においてこれを
拒み得る法的根拠はどこに
利である。
判りに原告の本件墓地を
使用する権利が占有権、地
上権、あるいは使用貸借に
基く権利のいずれでもない
とすれば慣習法により認め
られた物権か、ないし永久
性を有する無名契約上の権
管理人の有する占有は寺院
墓地全体の管理のためのい
わば公法上の占有を有して
に規定するとおり死体を埋
葬し又は焼骨を埋蔵する施
設︵率塔婆、石碑、棺等︶
を言い、右施設は墓地の地
上及び地下にあるわけであ
るから墓地とは密接不可分
の関係にあるのである。そ
して原告は先に述べた通り
岡三〇年前から本件墓地内
に墳墓を建設所有し、且つ
これを占有しているのであ
るから、原告は右墳墓のみ
ならず、右墳墓の存する本
件墓地についても占有権を
有することはいうまでもな
い。この場合管理人である
被告代表役員は特定の区画
された墓地に占有権を持つ
ていると解すべきでなく、、
尋
いるのに過ぎないのであ
’ ㌦
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“ゴ、−一.
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一、
(4)
昭和38年8月25日
通
仏
全
手三種郵便物認可
・五、以上いずれにしても原告は本
件墓地内にある原告所有の墳墓
に本件焼骨を埋蔵する権利があ
り、被告は原告の右埋蔵行為を
許諾すべき法律上の義務がある
ものというべきである。そして
原告は日蓮正宗の信者である
が、同宗では埋葬、埋蔵は無典
ら、原告の行う右埋蔵も無典礼
礼で行うことになっているか
法の適用はなく、仮りに適用あ
りとしても異宗の者からの埋蔵
依頼は拒み得るとなし、その理
由として被告の宗教的感情を害
するからということと墓地使用
権が檀信徒関係に由来している
という二点を主張しているよう
であるが、墳墓はこれを客観的
にながめれば、死者の遺体又は
遣骨を収蔵して故人の霊をなぐ
さめるということの目的のため
にのみ設置されている施設であ
って、信仰の対象ではなく宗教
的典礼を行うところでもない。
そして本件墓地は被告の信仰の
対象が安置されている寺院建物
とは相当距離的にはなれてい
る。従って或る宗派の広域の墓
地に異宗派の信者の遺骨を埋蔵
したからといって、その宗派の
根本的信仰には何らかかわりあ
いのないことであるから、原告
の本件埋蔵請求が被告の宗教的
感情を害するということはな
い。また仮りに墓地使用権の発
生原因が被告主張のとおり檀信
徒関係に由来するものとして
も、当初の墓地使用契約におい
て檀信徒たる身分を失うときは
墓地使用権も消滅する旨の契約
をなす道理がない。これは一定
の宗派に属する学校法人の説劃
せる義務教育諸学校については
宗派教育をなすことが認めら
れ、またその学校法人はその宗
派に属しない児童又は生徒の入
学を拒絶する理由を認められて
いるが、当初その学校法人の宗
派に属していることを理由に入
学を許可された児童又は生徒が
在学中に改宗ルた場合にその学
校法人は退学を命ずることがで
る。
きないのと軌を一つにしてい
礼によって執行することをその
寺院に委嘱し、且つその寺院の
護持発展に協力する者を言い、
信徒とは墳墓を設置していない
が、自己の主催する年忌法要等
の執行を一時的にその寺院に委
嘱する者又は、単にその寺院に
その寺院の盛儀を信奉して寺院
れよう。しかるに、原告は前述の
被告は真宗高田派の寺院で宗
祖型鶯聖人の立教開宗の本義に
基ずき檀信徒を教化育成するを
目的としているのであって、こ
のような被告の寺院としての性
格からしても被告の寺院墓地に
埋葬、埋蔵が許されるものは檀
信徒に限られるとの論は首肯さ
ことになる。
う。そして檀信徒になるには、
寺院の代表者にその旨の申込を
なし、承諾を得て入曽冥加金を
支払って始めてその資格を得る
の護持発展に協力する者を言
とであった。
第三 被告の主張
一 原告主張事実中第一項の事実
は、原告に墓地料五百円を支払
つたことは否認する。その余は
認める。原告は訴外稲垣源市の
分家であり、本家が被告妙華寺
の檀徒であった関係で檀徒とな
り、墳墓を本件墓地に設置する
権利を得、約二七、八年以前に
原告の子供が死亡したときにこ
れを本件墓地に埋葬しその墳墓
を設置したのである。
第二項の事実は原告主張の日
ごろ原告側から被告に対しその
主張のような埋葬依頼のあった
こと、被告がこれを拒んだこと
は認める。その余の事実はすべ
て知らない。被告が拒んだ理由
は原告が改宗離檀して被告の檀
徒ではなくなっているというこ
ように約二七、八年前から被告
の檀徒となったものであるが、
昭和三三年ごろ被告の代表役員
中川実柱に対し﹁自分は創価学
会︵日蓮正宗の信者の団体︶に
入会したから今后被告との縁を
一,切断っ﹂旨の離檀の申入れを
なし、被告においても右申入を
承諾し、原告を檀徒から除外し
たのである。このように原告は
右昭和三三年六月以降は檀徒で
おり争う。
第四、五項の主張億後記のと
は認める。
二 墓地法は共同墓地︵公共団体
の経営する墓地︶や公営の火葬
場について公衆衛生的見知から
これを規律した立法であって、
本件のように寺院の経営する寺
院墓地に適用される法律ではな
ら、﹁被告に対し埋葬、埋蔵を求
はなくなっているのであるか
第三項の事実は被告が原告の
埋葬依頼を拒絶していること
は、右墓地内に墳墓を所有し、
三 奉りに墓地法が本件のような
右拒絶はもとより正当である。
そこで被告はこれを理由に原
告の依頼を拒絶したのであって
る。
める権利を失っているのであ
い。そして寺院墓地において
これに埋葬、埋蔵を許される者
は、いわゆる檀信徒に限られて
いるのである。檀徒とは、その
寺院の教儀に帰依し寺院墓地に
先祖の墳墓を設置し自己の主催
する年忌法要等をその寺院の典
べきである。
寺院墓地にも適用されるとして
も、今日まで二百数十年に亘り
寺院開設以来被告は異教徒ない
しその家族を埋葬、埋蔵したこ
とはないのである。このような
被告の寺院墓地に異教徒である
原告の家族の焼骨の埋蔵を許す
ことは、特にそれが異教徒の典
礼を以って行われるときはなお
さらのこと、無典礼の場合でも
被告の宗教的感情を著しく害す
るから、右の埋蔵を右の理由で
拒絶するのは墓地法曽一三条に
いう正当の事由にあたるという
四 原告は本件墓地につき使用権
があるとなし、幽その理由として
占有権、地上権、使用貸借上の
権利等云々の主張をするけれど
も、いうところの墓地使用権
は、民法上のいかなる権利にも
属しないもので、寺院と檀徒と
いう身分関係に由来する慣習上
の権利である。原告が現に被告
墓地内に墳墓な所有しているの
は、原告がかって被告の檀徒で
あったからに外ならず、離檀し
た以上は原告の右墓地使用権は
消滅しているのであるから、現
在では何らの権限なくして被告
の墓地内に墳墓を所有し、本件
墓地を不法に占有しているので
ある。なお被告は右の意味での
原告の占有を何ら妨害してはい
ない。被告は本件潔白の埋蔵の
拒否はするが、すでに埋蔵埋葬
されているものについては何ら
の妨害をしたことはない。
五 信教の自由を阻害する旨の主
張に対しては次のとおり主張す
る。憲法第二〇条が﹁信教の自
由は何人に対してもこれを保証
5
1麹,
醐B℃u
で行うことになるわけである
が、被告は前記の通り現在にお
いても原告が異宗のものである
ことを理由に原告の埋蔵請求を
拒んでいるから、原告が行なわ
んとする埋蔵行為を妨害するお
それが大であり、また原告がな
す埋蔵に際しては、被告は自派
の真宗高田派の典礼を行うおそ
れが大であり、右典礼の施行は
日蓮正宗の信者である原告に対
しては埋蔵行為の妨害行為とな
ることは明らかである︵若し右
典礼の施行が妨害行為にあたら
ないとしてその禁止を訴求でき
ないとすれば、原告は憲法第二
〇町尽二項の規定する﹁何人も
宗教上の行為、儀式、行事等に
参加することを強制されない﹂
という権利を害され、異宗の典
礼に参加することを強制される
ことになる︶から被告に対しこ
れら妨害行為の禁止を求めるた
め本訴に及んだ。
六、被告主張第二項の事実は、被
告が真宗高田派の寺院で原告が
と被告の檀家であったこと、被
告主張の日ごろその主張のよう
な趣旨の離檀の通知をしたこと
は認める。その余は否認する。
七、被告の第二ないし第四項の主
張は要するに寺院墓地には墓地
5煮.,一
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一 F
冒
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第三種郵便物認可
信
通
仏
全
(5) 昭和38年8月25日
.・ F ・
通
全
すると規定するのは、国民の信
教の自由を国権から保障すると
いう趣旨である。具体的には、
同権の作用である立法、行政等
によって信教の自由を奪うこと
読経念仏する。次に日を定めて
葬式を執行し、その後に墓地で
僧侶立会の下に墓蔵画面は納骨
式を行う。このとき僧侶は重誓
偶という経文を唱え、その翌日
に灰葬式を行って一切の儀式を
終る。更に中陰と称して七日目
毎に法要を営み七七日を以って
終る。そして寺院においては寺
院保有の過去帳に死者の法名及
び俗名を記号し、永代保存し、
檀家に於いては、死者の法名を
記入した位牌を仏檀に安置し、
死者に対する追慕尊崇の対象と
するのである。
第四 証 拠
原告は甲第一号証から第五証ま
でを提出し、証人石田綾夫、同岡
本智感、同垣野よしの、同柴田脩
三、同井上きよ子、同山内一夫、
同柿沼広澄、同沖本泰幸、同前川
勇、同福岡喜美代、同深沢繁次郎
の各証言、及原告本人稲垣彦次郎
尋問の結果第一回を援用し乙証各
号の成立は認めると述べ、被告は
乙第二号証第一号証は欠番第三号
証の一、二、第四号、第五号証の
を提出し証人多羅尾光照、
同小妻隆文、同前田正二の各証言
及被告代表者中川実明尋問の結果
︵第一写二回︶を援用し、甲第一
号証の原本の存在及び成立は知ら
ない。その余の師号二言の成立は
藻当然め、ことであウて、信
る。そこで個人や宗教団体が、
他の個人に対し信教を強制した
り、転宗を強要したりすること
の不法なことはもちろんである
が、原告は任意に改宗離檀した
結果として被告の寺院墓地の使
用権を喪った怖のであるから、
は許されないということであ
教の自由の問題とは何らかかわ
りのないことである。
右に関連して原告の典礼行為
禁止の請求部分について述べる
ならば、被告は真宗高田派の寺
院として、その宗義を奉じ、宗
義に基いて布教し、典礼を行う
ものであって、これは憲法第二
〇条によって国権から何らの干
渉を受けないことがらである。
その寺院墓地において埋葬、埋
蔵の依頼者の依頼による埋葬、
埋蔵に際し真宗高田派の典礼を
行うことは当然のことであり、
何ら信教の自由を妨害するもの
ではない。寧ろ被告の右典礼を
差し止めようとする原告こそ信
教の自由を害せんとしている者
というべきである。
認める、と述べた。
う典礼は次のとおりである。死
者があれば、枕経、と称し死者に
理 由
一 被告が真宗高田派に属する寺
院でその経営にかかる寺院墓地
が久居町ニノ町一七四二番地に
存すること、原告は紹和三年頃
彦次郎氏を尋問した。
被告の承認を得て右墓地内の本
量寿経、観無量寿経、阿弥陀
名︶を僧侶から授与する。長い
で親族により浄土三部経︵大無
経︶等を唱和し、, 念 仏 を 唱 え 、
対し帰敬式を行い、法名︵戒
当裁判所は職権で原告本人稲垣
六なを被告の埋葬埋蔵に際し行
一、
納棺式を行い、通夜をして一夜
件墓地に原告家代々の墳墓を設
置し、爾来これを右墓地内に所
有して来たこと、その当時から
昭和三三年六月ごろまで原告は
被告の檀家であったが、そのこ
ろ原告は被告に対し創価学会
︵月蓮正宗の信者の団体︶に入
会し改宗したことを理由に、離
檀の通知をなしたこと以上の事
実は当事者間に争がなく、成立
に争のない甲第四号証、乙第三
号証の一、二、第四号証、証人
石田綾夫、同前田正二、同沖本
泰幸、同岡本智感のの各証言、
原告本人稲垣彦次郎、被告代表
中川実開題本人尋問の結果によ
れば、次の事実が認められる。
すなわち昭和三三年八月一四
日に原告の長男定夫の濫訴外稲
垣あさ.子が胎児を死産したの
で、原告は同日埋葬許可書の交
付を受け、娘婿訴外石田某をし
て被告方に赴かせ右死産児の本
件墓地内への埋葬方を依頼した
が、被告代表者中川面明は原告
が日蓮正宗に改宗離檀し、異教
徒となったことを理由に右依頼
を拒絶し、翌日再度の原告自ら
の依頼に対しても右と同じ理由
で拒絶した。そこで止むなく原
告は胎児のこととて腐敗し易い
ところがら、埋葬許可書と訂正
交付を受け、火葬に付し焼骨と
なし同月十七日再度埋蔵依頼を
したがこれも拒絶されたので、
止むなく原告の自宅に右焼骨を
安置した。 ︵なお右被告の埋蔵
方の拒否については昭和三三年
八月下旬に創価学会の信者有志
と被告との間に再々交渉があの
たが話し合いがっかず、ついに
原告において津地方法務局に人
P
権侵犯事件として告訴がなさ
い。
れ、法務局係官が斡旋にあたっ
たが、主として埋蔵に伴う典礼
方式について双方の意見が一致
せずために遂に不調に終った。
他に右認定に反する証拠はな
二 しかし原告の本訴請求は原告
の被告に対する本件焼骨の本件
墓地内への埋蔵依頼に対し、被
告はこれを許諾すべき法律上の
義務があることを前提とし、従
って右の埋蔵依頼により当然に
原告は右埋蔵をなす権利を取得
したとなし、被告に対し右権利
の実行として右埋蔵行為をする
についての妨害行為︵物理的妨
害だけでなく、被告の典礼の施
行をも妨実行為とする︶の禁止
を求めるものであることは、そ
の主張自体に刻し明らかである
から、先づ原告の前記埋蔵依頼
に対し、被告がこれを許諾すべ
き法律上の義務があるかどうか
について判断する。
三 ところで墓地法は、同法附則
第二四条に規定するように、日
本国憲法の施行の際現に効力を
有する命令の効力に関する法律
︵昭和二二年法第七二号︶第一
条の四により法律としての効力
を保有していた次の命令、すな
わち墓地及埋葬取締規則︵明治
F七年太政官布達二五号︶墓地
埋葬取締規則に違背する老処分
法同年太政官布達八二号通運火
葬の認許に関する件︵昭和二二
年厚生省令第九号︶を廃止し、
これに代るものとして制定され
た法律である。そして成立に争
のない甲第三号証によれば、国
又は地方公共団体の経営するい
サ
わゆる共同墓地については、右詔
太政官布達以来所轄の府県知事謡
から墓地管理権及墓地使用につ凱
いての云々の規制がなされて来旧
たが、寺院の経営する寺院墓地鮎
の管理権ないし墓地使用についρ
ては、特にこれを規制するものバ
はなく、前記明治一七年の太政、
官布達二五号により、これを永、
久墓地として当該寺院の管理に,
委ねていたことが認められる。
従って墓地法が前記の通り右太
政官布達等を廃し亡れに代るも
のとして制定されたものである
以上墓地法は寺院墓地にも適用
されることは明らかであり、同
法二六条により従前からの寺院
墓地について、その経営管理権
を有していた寺院は同法により
許可を得たものとみなされ、9こ
こに寺院墓地は共同墓地と同じ
く同法によって規律せられるに
四しかして墓地法第一三条に
至ったのである。
て考察する。
﹁墓地、納骨堂又は火葬場の管
理者は、埋葬、埋蔵、火葬等の
依頼を受けたときは正当の理由
がなければ拒んではならない﹂
旨規定しているから、被告の前
記のような改宗離檀した異教徒
からの埋蔵依頼であることを理
由とする拒絶が同条にいう正当
の理由にあたるかどうかについ
ところで同条にいう拒絶でき
る正当な理由とは具体的にはい
かなる場合かについては法文上
明かにされていないが、要は同
法第一条にいうように同法が墓
地の埋葬悪落が国民の宗教感情
に適合し、且つ公衆衛生その他
公共の福祉の見地から支障なく
㌔ 隔 , 幽一
≒一一き.悔甲
弔考
(6)
昭和念8年8月25日
信
仏
第三種郵便物認可
信
第三種郵便物認可
通
仏
全
昭和38年8月25日
(7)
はなかろう。
行われることを目的として制定
された法律であることにかんが
み、このような立法の精神に照
らし社会通念の上から正当の理
由の内容を解釈して行くより外
そして若し社会通念の上から
永年慣行として認められていた
ものがあれば右慣行も正当の解
釈については当然二二されてし
かるべきであろう。以下この見
地に立って考へるに、墓地法が
制定されるまでは共同墓地につ
いては云々の規則がなされてい
旨手形を発行するなど、.徳川時
は古い歴史を有する。徳川時代
に幕府がキリスト教徒の根絶を
期するため国民はすべて一定の
寺院の檀家として宗門改帳に登
載されることを要するとなし︾
寺院は幕府の命により国民が自
己の檀家たることを証明する宗
代においては幕府は仏教を国家
において認める唯一の宗教とな
し、檀家制度を確立することに
よりこれを一種の統治のための
組織として利用して来たのであ
る。そのため改宗離檀の如きは
原則として認められず、ために
仏教は根強く国民生活を支配す
るに至った。しかし明治になっ
てから仏教に対する政治的庇護
がなくなり、加うるに檀家制度
の基礎となった宗旨手形等の制
度が戸籍法の施行により明治初
年に廃止されたことにより檀家
制度は次第に崩壊の過程をたど
ることになったが、現在におい
ても長年月に亘って培かわれた
慣行は消えるわけもなく仏教寺
院のあるところ必ず檀家制度の
る。
存することは顕著な事実であ
そして檀家︵正確には檀信徒
のうちの檀徒︶とはその仏教寺
院の教議を信奉し、寺院墓地に
墳墓を設置し自己の主宰する埋
葬等をその寺院に一時的でなし
に委託し、且つその寺院の経費
を分担する者を言うこと︵信徒
とは一時的な埋葬等D委託者を
言う︶は被告の主張するとおり
であり、従ってその寺院の檀徒
乏なることにより始めてその寺
院の墓地に墳墓を所有するに至
るわけである。このような歴史
認められる。
的沿革に徴すると、寺院墓地は
従来からその寺院の檀家からの
埋葬蔵の依頼のみを取り扱って
来たのであり、異宗の者からの
埋葬蔵の依頼は起り得なかった
と考えられ、若し異宗のものか
ら埋葬蔵の依頼があったとして
もこれを拒み得るものと考えら
れ、このような慣行が永年に亘
って続いて来たであろうことは
容易に推測することができる。
証人多羅尾光照同小妻隆文の各
証言及び被告代表者中川実明智
問の結果によっても右のことは
従って墓地法第一三条0正当
の解釈についても右の慣行の存
在を無視することは許されない
であろう︵成立に争のない乙第
二号証により認められる昭和二
四年八月二十二日付厚生省公衆
衛生局環境衛生課長の墓地法一
三条についてと題する東京都衛
生局長宛の文書はこの見地に立
って異教徒からの埋葬蔵依頼を
拒むヒとは正当の理由による拒
絶であるとしている。
六 よって進んで右のような慣行
を社会通念の上から全面的に正
当理由の回つとして是認できる
かどうかについて考える。墓地
法第二二条は、共同墓地、寺院
墓地によって区別して取り扱っ
てはいないけれども、両者はそ
れぞれ特質を有しているのであ
りも先づ公衆衛生上の見地が優
って、.共同墓地については何よ
先し、,この見地から正当な理由
の内容を定めるべきであろう
が、寺院墓地は宗教法人である
仏教各宗派の寺院の経営する墓
地であることからして、当該仏
教寺院の宗教的感情を著しく損 このような現象は国民の墳墓
うごときことは許されないこと
が前述したように檀家制度によ
は当然であり、その点において って元来寺院墓地にのみ存し、
前記慣行は尊重さるべきである
そのため大多数の先祖の墳墓が
が、さりとてその宗教的・感情の
寺院墓地に存すること、右のよ
尊重に急な余り、我が国民全体 うに寺院墓地に先祖の墳墓を所
の宗教的感情ないし公共の福祉 有する国民の一部において次第
からの要請に適合しないような
に前記のように改宗する者が現
解釈運用もすべきではあるま われるに至ったのに、国民的伝
い。明治以降改宗離檀が自由に 統的祖先崇拝という宗教的感情
なったこと、改正民法の施行に
からその親族の遺体ないし焼骨
より家族制度が廃止されたこ
を既成の仏教寺院の経営する寺
と、終戦後信教の自由が保障さ
院墓地内の右先祖の墳墓地に埋
れるに至ったこと等の諸事情か
減損したいという根強い希望が
ら既成の寺院宗派に属しないい
存すること、これに加えて他面
わゆる新興宗教が台頭し、或は
寺院墓地に代るべき共同墓地が
既成の寺院宗派の一部の活発な
その絶対数において少いこと、
布教活動により、従来の寺院の
︵証人山内一夫の証言によれば
檀家であったもの、ないしその
全国的に共同墓地は寺院墓地に
もDの家族の個々人がこれらの 比し少いことが認められる︶ま
宗教に改宗し、離檀するという
たいわゆる新興宗教ないし活発
現象が生じて来た︵成立の争の
な布教活動をしている一部の仏
ない乙第二号証によれば日蓮正
教宗派等が増加した信者の墳墓
宗の信者の団体である創価学会
を各地控目にもれなく自己の経
の会員は昭和初年には幽く僅少
営する墓地に移し迎えるだけの
であったが昭和三〇年頃には全
施設を講じ得ないことなどがそ
国で約七〇万世帯二二〇万人を
の理由に考えられよう。そうす
算するに至ったことが認めら
ると、若し改宗離檀したものか
らの右のような埋葬蔵の依頼に
れ鴇証人秋谷城永の証言によれ
ば現在でも月間相当多数の入信 対し寺院墓地管理者がすべて一
律に異教徒からの依頼は拒むこ
者があることが認められる。︶
このような国民の宗教生活D変 とができるという前記慣行によ
って律し、これを拒むことを正
遷を背景として本件のような改
当な理由にあたるとして右依頼
宗離檀した異教徒からの従前檀
を拒むことを墓地法が容認する
家であった寺院墓地に対する埋
葬蔵の依頼という現象が発生
とすれば、右のような先祖の墳
墓地に埋葬蔵したいという国民
の宗教的感情に違反することに
なり、これは公共の福祉にも適
本件のような埋葬蔵依頼に伴う
七 そこで当裁判所は一方におい
て寺院墓地に存していた古来か
合しないことになろう。
するに至ったのである。︵証人
秋谷城永の証言によれば、昭和
三二年頃から全国で二百件余り
紛争が生じたことが認められ
,
阜弓
たが︵前顕甲第三号証によれ
ば、東京府令第四四号墓地設置
及管理規則第五条は墓地の新設
変更又は廃止は知事の許可を受
くべきこと、墓地管理者は宗旨
の別を問わずその市町村在籍者
又は市町村で死亡した者に対し
総て埋葬の求めに応ずべきこと
と定め、また古くは明治一七年
内務省達墓地及埋葬取締規則施
行方法細則第三条にも同趣旨の
規定が存することが認められ
る。︶寺院墓地については単に
明治一七年の太政官達第二五号
により永久墓地としてこれを当
該寺院の経営管理に委ねていた
ことは前記の通りであるから、
墓地法制定に至るまで寺院墓地
はいかなる経営管理がなされて
来たかを先づ知る必要がある。
五 そして後記の寺院墓地の歴史
的沿革からすれば、少くとも墓
地法制定当時までは、異教徒か
らの埋蔵依頼ということは殆ん
どなされたことはなく、またこ
のような依頼はこれを拒み得る
という慣行が存していたものと
考えられる。すなわち寺院墓地
る。︶. ・・ ︽
●●碍亀
らの前記慣行の本来の趣旨とす
るところを尊重しつつ、他方に
おいて国民の宗教的感情ないし
公共の福祉からの要請に背かな
いにという建前に立って正当理
由の内容を解釈すべきものとす
る。そこから導かれを結論は次
の通りである。すなわち従来か
らの寺院墓地に先祖の墳墓を所
有するものからの埋葬蔵の依頼
に対しては寺院墓地管理者は、
その者が改宗離檀したことを理
由として原則としてこれを拒む
ことが出来ない。但し右埋葬蔵
が宗教的典礼を伴うことにかん
がみ、右埋葬蔵に際しては寺院
墓地管理老は自派の典札を施行
する権利を有し、その権利を差
し止める権限を依頼者は有しな
い。従って
e 異宗の典礼の施行を条件と
する依頼
⇔ 無典礼で埋葬蔵を行うこと
を条件とする依頼︵異宗の典
礼は施行しないが、当該寺院
の典礼の施行も容認しない趣
旨の依頼︶このような依頼に
対しては、寺院墓地管理者は
自派の典礼施行の権利が害され
るということを理由にしてこれ
を拒むことが出来るし、右のよ
うな理由による拒絶は墓地法第
一三条にいう拒絶できる正当な
理由にある。
八 このような結論が導かれる理
由を詳述すれば次の通りである
先に述べたとおり我が国にお
いては国民の墓地は歴史的に古
よう。寺院墓地はかくしていわ
ば永代に亘って墳墓地の使用を
許さなければならないという負
担を設定契約の当初から背負っ
ているのである。従って当該墳
墓の祭祀を司る者が改宗離檀し
たかちと言ウて、その者及びそ
の親族墓地使用権はこれによっ
て当然に消滅するということは
できまい。被告のこれに反する
見解に立つ主張は採用できず、
被告の右主張に副う証人多羅尾
光照の証言は信用しない。︵も
っともこのように解すると改宗
離檀というもまだ先祖の墳墓地
を寺院墓地内に所有している場
合は、前記永代墓地使用権を有
している関係からして、少くと
も当該寺院墓地に墳墓地の維持
料等の経費負担の義務か存する
等の関係から当事者間に離檀の
合意があっても、このような場
合に完全な離檀と言えるかどう
か疑閑であるが一応改宗し、寺
院の教義の信奉者でなくなった
という点において離檀と言えな
くもなかろう。本件においては
離檀という語は右の半者の意味
に用いる。︶そうであるとすれ
ば一度び先祖の墳墓を寺院墓地
内に所有し、その墳墓地を永久
的に使用し得る者からのその親
族の遺体ない黒焼骨の右心墓地
えの埋葬蔵の依頼に対しては、
寺院墓地管理者は原則としてそ
の者が改宗離檀℃たかどうかに
かかわりなくこれを拒み得ない
右にいう墓地使用権は墳墓を寺
院墓地内に設置所有する権利で
ものと解すべきである。 ︵但し
なる権利に属するかどうかは別
あるから、その意味での使用権
の当然の権利として埋葬蔵出来
あるから、右墳墓を所有するこ
とにより右墳墓の存する墳墓地
を使用する権利︵以下墳墓地使
用権という︶は結局寺院との檀
信徒加入契約とでもいうべき契
約に由来するであろう。しかし
たがあかくして取得した墓地使
用権は墳墓が有する容易に他に
移動できない性質︵官庁の許可
を得た墓地内にのみ設定されね
ばならない︶すなわち固定性の
要求からしてまた我が国におい
ては︾墳墓が先祖代々の墳墓と
観念されていると︵民法第八九
七条は墳墓について相続人の承
継を同応おさえ、その所有権は
慣習に従って祖先の祭祀を主宰
すべきものが承継する旨規定し
ている。︶また国民の宗教生活
上墳墓は尊厳性を持つべきこと
を要請されていること︵刑怯上
にこれを保障する規定がある︶
などの諸点からして墳墓は必然
的に固定的且つ永久的性質を有
すべきものとして観念されてい
るのである。さればこのような
固定性、永久性を有すべき墳墓
を所有することにより墳墓地を
使用することを内容とする墓地
使用権も、たとえその設定契約
が前記のように檀家加入契約と
いう契約に由来するとしても、
右墳墓と同様に永久性を持つべ
きものど考える。そして当初の
設定契約もかかる性質を有する
ものとして設定されておるもの
と言えよう。これを象徴する言
葉として永代借地権なる語が存
するが、墓地使用権が法上いか
として墓地使用権の本来的に有
する性質を現わしていると言え
あろう。そうであるとすれば、い・
必ず伴うことが実は寺院墓地と
共同墓地との本質的な差異がな
しているのであって、右典礼の
施行が必須的に伴うことこそ寺
院墓地のそもそもの開設以来今
日まで永年に亘って行われた慣
行である。このことは宗教法人
法認一条第二項に﹁この法律の
いかなる規定も個人、集団、及
び団体がその保障された自由に
基ずいて教義をひろめ、儀式行
事を行い、その他宗教上の行為
を行うことを制限するものと解
釈してはならない﹂旨の規定が
存することによっても明らかで
る。.原告は占有権、地上下等に
基いて当然に埋葬蔵できる旨の
主張もしているけれども右主張
は右の理由によりいうまでもな
く失当である。そして原告が占
有権、地上権等と主張する権利
の内容は右説示した墓地使用権
を指していることは明らかであ
る刃従って寺院墓地における前
記慣行︵異教徒からの埋葬蔵依
表者中川蓋明尋問の結果︵第一・
第二︶により明らかであるから
原告の右主張は被告の寺院墓地
に関する紛争である本件につい
ては採用できない。また原告
¶何人も宗教的行事に参加する
ことを強制されることはない㌧
と明言した憲法第二〇条第二項
「=影「−
ると解すべきではなく、個々の
埋葬蔵は墓地管理者の承諾が必
要であり、墓地法第一三条もそ
の趣旨で管理者の許諾義務の要
件にりいて規定しているのであ
頼は拒み得るとされていた慣
行︶はその限りにおいて修正を
余儀なくされ、寺院墓地側の宗
教的感情は制約を受けることに
もなるわけであるが、元来この
ような制約の因子は前記墓地使
用権の永久性の故からして墓地
設定契約の当初から右契約の中
に内在していたといっても過言
九しかしながら右のように改宗
ではなかろう。﹂
ということになれば、これは
は、若し改宗離檀した者の埋葬
蔵の施行については当該寺院の
典礼を受忍しなければならない
やしくも摺る宗派の寺院墓地管
理者に埋葬蔵の依頼をした以上
その者は、その管理者が自派の
典礼を行うについては依頼者は
これを受忍すべきが当然である
一〇 原告は墳墓は信仰の対象で
はなく、宗派的典礼を行うとζ
ろではないと主張し、仮りに右
主張が原告の信奉する日蓮正宗
にあてはまるとしても、少くと
も被告の所属する真宗において
は、典礼を行うさだめとなって
いることは、証人多羅尾光照、
離檀したことを理由としては埋
葬蔵の依頼を拒み得ないとして
も、その埋葬蔵に際し行わるべ
き、宗教的典礼については、当
該寺院墓地の管理者は自派の典
礼を施行し得る権限を有してい
ることは言うまでもない。
古来から葬式という言葉で言
われているように死者ある場合
はそれが遺体のまま埋葬される
とないし焼骨とtて埋蔵される
とを問わず、それが寺院墓地に
同小妻隆文の公証言及び被告代
おいて行われる限りにおいて
は、その寺院の属する宗派の定
める典礼が施行されて来たので
あってこのような典礼の施行が
岬 璽「
一ゴ 可
一 「」
◎ ■尾
くから寺院の墓地のみであった
のであり、その寺院の檀家とな
ることによって寺院墓地内に墳
墓を所有することができたので
L駒9色鷺●● 1■●
”
(8)
昭和38年8月25日
信
通
仏
全
払三種郵便物認可
信
あるが、然し改宗⋮離檀者のもと
理である。
者はいかなる感情を抱くであろ
うか、容易に想像し得るところ
である、またたとえば、宗教団
体の経営する学校に子弟を入学
さぜた后、その父兄が改宗し、
これを理由に、その父兄が子弟
をその学校に存学させたままそ
の単校に対し、その学校の属す
る宗派の宗教教育をその子弟に
ついてのみ禁止させることがで
きるであろうか。このようなこ
との許されないことは見易い道
一一 以上説示したところがらの
当然の帰結として、改宗離檀者
からの寺院墓地内の先祖の墳墓
地への、その親族の遺体ないし
焼骨の埋葬蔵の依頼について
は、右に述べた寺院の典礼施
行権を害するが如き条件を含ん
だ、前記第七項のe◎のような
依頼︵異宗の典礼を条件とする
依頼、ないし無典礼を条件とし
当該寺院の定める典礼の施行を
容認しないような依頼︶に対
し、寺院墓地管理者に許諾義務
がありとせぽ、寺院墓地として
の性格を根本から否定抹殺する
ことになり、このようなことは
社会通念の上から是認すること
はできないから、右のような依
頼に対してはこれを拒み得ると
解すべきである。従ってこのよ
うな依頼に対する自派の典礼施
行が害されることを理由とする
拒絶は、墓地法第二二条の拒絶
出来る正当理由ある場合にあた
ると言えることになろう。
一二もっとも、墓地法第;一条
には、典礼については何ら規定
するところがないから或は、昭
和三五年三月八日重厚生省公衆
部分は採用できない。
衛生局環境衛生部長の通達︵成
立に争のない甲第二号証︶の如
く、典礼と埋葬蔵と切りはなし
典礼の施行についてはこれを当
事者の解決に一任するという見
解も成立する余地がある。しか
しこのような見解は民事上、刑
事上の許諾義務の存否を決する
ための墓地法の法文の解釈とし
ては採用出来ないことは、先に
述べた寺院墓地における埋葬蔵
が必ず宗教的典礼を伴うことを
不可欠とすることに徴し異説を
要しないであろう。以上説示し
たところに反する甲第五号証の
記載部分及証人山内一夫の証言
二二以上説示した見地に従Pて
本件をみると、原告はもと被告
の檀家として被告の寺院墓地内
にある本件墓地に先祖代々の墳
墓を所有してきたことは先に認
定したとおりであるから本件墓
地についていわゆる墓地使用権
を有するものであることはいう
までもなく、このようなものか
らの本件墓地へのその親族のも
のの死産児である本件焼骨の埋
福フ依頼については、被告は
原則としてこれを拒み得ないの
ではあるが、原告の右依頼は、
右埋蔵については無典礼で行う
というのであって、これは同時
に被告寺院の定める典礼の施行
を容認しない趣旨のものである
ことは、被告寺院の行うことあ
るべき典礼を妨害行為としてそ
の禁止を求めていること自体に
徴し明らかであるから、このよ
うな依頼に対しては被告は自派
の定める典礼の施行権が害され
る.﹂とを理由にして墜口の本生
蔵…
の規定にていしょくすると主張
する。しかしながらこれは改宗
離檀したのにあえて従来の寺院
墓地に埋葬蔵したいということ
に原因するのであり、そのこと
自体は前記のように国民の宗教
的感情などから是認されるので
の寺院墓地への埋葬蔵の依頼に
はそれだけの負担︵寺院の典礼
は受忍しなければならないとい
う負担︶を負うべきであり、こ
れは本来自己の任意に出た前記
輝葬蔵の依頼行為に帰因してい
るのであるから何等の原因なし
に強制されるというわけではな
いから、右のように寺院の典礼
の受忍義務を認めても、別段憲
法第二〇条第二項の規定にてい
しょくするということはあるま
い。もし寺院墓地管理者が自派
の典礼を当該寺院墓地において
行われる埋葬蔵に際し施行でき
ないとすれぽ、寺院墓地はその
限りにおいて共同墓地と全く同
じになるわけであってこれは寺
院墓地の特殊性、永年に亘って
行われて来た、自宗派の典礼施
行という慣行を全く否定するこ
とになる点において全国の寺院
及びその教義の信奉者︵その中
には原告の信ずる日蓮正宗も含
まれる︶という多数の国民の宗
教的感情を著しく害することは
明らかである。立場をかえて日
蓮正宗の寺院墓地に他宗のもの
が埋葬蔵の依頼をなし、日蓮正
宗の定めるところに従わず、異
宗の典礼を施行し、日蓮正宗の
寺院墓地管理者がこれを差し止
めることができないとされた場
合に日蓮正宗の寺院及びその信
同庁裁判所書記官青木春海
昭和一二十八年目ハ日刀一一一日
︵墓地図面略す ﹂“謄写者︶
右は正本である
裁判官松本 武
津地方裁判所民事部
おり判決する。
をかなえることは、もはや墓地
法の解釈の問題ではなくして、
墓地政策という政治の問題であ
り、或は立法論の問題であろう
一五 以上の次第であるから原告
の被告に対する本件焼骨の本件
墓地への埋蔵請求に対し被告は
これを許諾すべき法律上の義務
はないから、右義務あることを
前提とする原告の本訴請求は失
当として棄却することとし、訴
訟費用の負担につき民事訴訟法
第八九条を適用して、主文のと
法第一三条の解釈からは出て来
ないことは屡々説示したとおり
である。原告の右のような要求
るとすることは、・少くとも墓地
埋蔵依頼を拒むことができるの 福祉からの制約を免れないが、
であって、このような理由によ 典礼施行権の否定抹殺は宗教法
る拒絶は墓地法王二二条の正当 人である寺院の存立そのものを
な理由ある場合にあたると解す おびやかし、国民の宗教感情に
べきである。 ︵そして被告が右. も反することにもなり、却って
のような理由によって拒絶する 公共の福趾に適合しないような
旨の主張をもてなしていること
事態に立ち至るであろう。
はその主張自体に徴し明らかで もしどうしても原告が被告の
ある。︶︵被告寺院が死者ある場
典礼を受忍することができない
合に行われる典礼は、被告代表 というならば、原告の信奉する
者中川遅明尋問の結果︵第二 日蓮正宗の墓地なり共同墓地な
回︶によれば、大体被告主張の
りに被告の寺院墓地内にある原
告の先祖代々の墳墓を改葬する
とおりであること、本件のよう
な埋蔵に限って言えば、被告寺 より外はなかろう。日蓮正宗の
院の僧侶が立ち合い埋蔵式を行 墓地が原告の住居地附近に存し
・い・このとき僧侶は重誓偶なる経
ないという理由だけからして、
文を唱えることになっているこ
直ちに原告が被告の寺院墓地に
無典礼で埋葬蔵出きる権利があ
とが認められる、
れるということはあるまい。︵右
一四 附言すれば右のように解し
ても原告が主張するような信教
の自由、改宗の自由を阻害する
ことにはなるまい、改宗離檀は
自由であり、改宗離檀したこと
だけでは寺院側は埋蔵請求を拒
み得ないのであるから、改宗離
檀そのものが阻害されるわけで
はない。そして前記のような埋
蔵に際し行われる被告の典礼の
程度なら原告がこれを受忍して
も原告の宗教感情が著しく害さ
被告の施行する典礼の受忍が憲
法二〇条二項に反しないことは
前記のとおりである。︶しかしい
かなる程度の典礼であっても、・
る。・もとより寺院墓地も公共の
それを施行する権限が寺院墓地
側に存する以上これを差し止め
るがごとき結果を伴うことを要
件としているような埋葬蔵依頼
に対し寺院墓地側に許諾義務を
課するわけにはいかないのであ
.・く;幻 一
第三種郵便物認可
通
仏
書
(9) 昭和38年8月25日
■
信
中日人民友好の権貴
−鑑真大和上 の 遺 徳 を 奉 賛 す る
日本の各界一
初
﹁天平の蔓﹂は劇作家依田義賢が
小説によって改編したもので、俳
優河原崎長十郎、中村翫右衛門ら
の主演である。この歌舞伎の出演
は大きな成功をおさめ、四月十日
から二十九日まで東京の読売ホー
ルで連続四十回出演、回毎に満員
の盛況ぶりであった。惜しいこと
を前奏曲に開始された。歌舞伎
﹁鑑真年間﹂と呼び、この一年間
に、各地では様々な形の記念行事
が行なわれることになっている。
しかし、記念活動はすでに今年の
四月、前進座の﹁天平の莞﹂公演
から一九六四年五月までの間を
日本の各界では一九六三年五月
ることができた。
中日両国の宗教、文化などの各
界の人士は昨年から鑑真大師円寂
千二百年周年を記念する準備をは
じめた。最近、中国仏教協会は全
日本仏教会の招請を受け、日本へ
友好訪問を行なうと同時にわが国
の文化、建築、医薬、宗教などの
各界を代表して日本での十二記念
行事に参加するため、代表団を派
遣した。私は幸いにして代表団の
一員として日本での盛典に参列す
たのであろう。
の莞﹂という小説を書いている。
﹁甕﹂とは屋根の背の意味であ
る。作者は、鑑真師徒を天平時代
の文化の屋根の背のように見なし
中国仏教協会副会長 趙
的人物一理真大師円寂一千二百
一 九 六 三 年 は わ が 国 華 代 の 英 雄
たちとともに、建築、彫刻、絵
年周 年 に 当 た る 。 鑑 真 は 日 本 の 仏
教徒の招請を受け、天華二年から
同十二年︵七四三∼七五三︶にか
けて の 前 後 十 年 間 に 六 回 東 渡 を 試
み、うち五回失敗し、最後に日本
に渡ることができた。その聞、許
多の顛難困苦をなめ尽し、許多の
生命と物質的損失を蒙った。特に
第五 回 の 渡 海 に 失 敗 し て か ら 、 彼
の有力な助手祥彦と日本僧栄叡は
相継いで病死し、鑑真自身も双目
失明 し た 。 し か し 、 彼 の 屈 強 な 意
志は、ついに彼をして困難に打ち
勝ち、所期の念願を達成させた。
彼は 日 本 の 土 を 踏 ん で か ら 紀 元 七
六三年︵天平宝宇七年︶に円寂す
るまでの十年間、授律講学と文化
の伝播の仕事に休むことを知らず
辛苦 努 力 し た 。 彼 は 日 本 律 宗 の 始
祖、天台宗の先駆であるぽかりで
なく、日本医薬道の祖師として仰
がれている。徳川時代まで、日本
では薬袋の上には鑑真の肖像画が
書か れ て あ っ た 。 彼 は ま た 、 弟 子
大和上東征伝﹂をもとに、 ﹁天平
画、書道、漢文学およびその他の
面で 、 当 時 の 日 本 文 化 に 対 し て も
卓越 せ る 貢 献 を し た 。 鑑 真 の 事 については、日本の現代作家井上
靖が 紀 元 七 七 九 年 淡 海 三 船 著 ﹁ 唐
膠 i
に、われわれの日本到着が遅れ、
観賞することができなかったが、
日本に着いてから、多くの観衆か
らの称賛の声を聞いた。また、劇
を見てはいないがそのテレビ放送
を見たという人々も、 ﹁深い感動
を受けた﹂とほめたたえていた。
このことにつき、日本の文学家、
し、 ﹁天平の甕﹂演出の情況につ
芸術家たちが、鑑真師徒たちの偉
大な形象と天平時代の中日両国文
化交流の盛事を今日の人々の眼の
前に再現し、両国人民の兄弟の感
情を力強く喚起させたことに感謝
しなければならない。五月七日、
われわれは京都にいたが、大阪で
公演中の前進座の代表数人が来訪
いてわれわれに親しく語ってく
れ、また同夜行なわれた鑑真大師
記念講演会にわれわれとともに参
加した。翌日、河原崎長十郎先生
日、大阪に着いた。主人側ではわ
とや洞察の経過を情熱をこめて語
ってくれた。われわれは五月九
は再び京都に来られ、鑑真大師を
扮するに当たって、思想感情の上
での注意や苦心談、体得されたこ
写真は趙副会長から賠呈品を受ける全仏金剛理事長
撲
(10)
昭和38年8月25日
通
衰
萎
第三種郵便物認可
れわれの要求を入れてくれ、前進
座の観賞を日程におり込んでくれ
た。それは﹁天平の莞﹂ではなか
ったが、私はそのときほど、自分
の観賞力がいつになく増していた
ように思われたことはなかった。
日本の芸術家の音声、容貌、 一挙
一動がいっそう美しく私の心を打
った。休み時間に、われわれは舞
台裏に行き、前進座D友人たちと
握手抱擁した。舞台裏わ道路はた
ちまち歓喜D熱い潮であふれた。
われわれは中国鑑真大師記念準備
委員会を代表して彼らに敬意をあ
らわすと同時に、錦の旗を送っ
た。それには重り四句D品詞が書
かれてあった。
重現天平盛事。
両邦文化交流。
今日弟兄共勉。
同心同気同町。
われわれは五月四日東京で行な
われた、鑑真和上円寂一千二百周
年記念会と場当和上遺徳奉賛会主
催の﹁鑑真和上記至大集会﹂に参
加することができなかった。それ
は、われわれが五月五日夜半飛行
機で東京に着いたからである。し
きにはすでに午後で、法要の時間
は過ぎていたが、東大寺の門ロに
はなおいっぱいの人々がわれわれ
の到着を待っていた。その中には
各地から来た長老や学者がいた。
中には京都から東京までわれわれ
を出迎えに来てくれ、われわれが
奈良での法要に赴くと聞くや、ま
た東京から関西へ来て、奈良まで
来て待っていた人もいた。中には
また、御老体にもかかわらず、遠
路はるばる出て来られた人もあっ
た。一老学者は私と一緒に本堂に
入るとき、 ﹁鑑真大師は日本人民
文化上の大恩人である。われわれ
はみな鑑真の子孫である。鑑真の
た。
故郷から来られたあなた方を迎え
て私は本当にうれしい﹂と語っ
康大寺は鑑真大師が日本に来て
はじめての駐錫地である。そこに
は千二百余年前に大師によって建
てられた戒壇と彼がたずさえて来
た仏像が今なお残っている。東大
寺よりややへん僻で静かなところ
にある唐招提寺は、大師がみずか
ら創設し、最後にそこで円寂した
場所である。そこの建築、彫刻は
多くは彼と彼の弟子たちの手によ
って作られた。境内のある部分は
し当時の規模と風貌はなお嚴然と
して存在している。この二つの寺
後代修理されてはいるが、しか
は、主人側が、われわれが事前に
電報で要求しておいたことに従っ
て、特に三台の自動車を準備し、
で わ た く し た ち は わ た く した
ち
の
︸
先人の技術と彼らの偉大な気魂と
深
な
学
問
の
塁
上
と
、
彼
ら
が
難
難
︷
湛
困苦を経歴し、九死に一生、中日
両国人民の友宜のために、文化交
流のためになした不朽の業績をま
のあたりに見ることができた。ま
た、日本の仏教徒と日本の人民が
こうした貴い文物を保存するため
かし感謝しなければならないの
われわれを夜を徹して羽田から奈
良まで運んでくれ、五月六日午前
奈良で行なわれる鑑真大師記念法
要に間に合うように配慮してくれ
たことである。全日本仏教会国際
局々長石川存静先生と彼の同僚た
ちがわれわれに着きそってくれ夜
通し眠らずに十三時間自動車に乗
った。われわれが奈良に着いたと
信
仏
にはらってきた大きな心使いを見
て、わたくしたちの内必の感動は
形容し難いものがあった。わたく
しは前後、東大寺の鑑真遺像の前
と、唐招提寺の鑑真納骨塔の前で
日本の友人たちに話しをしたと
き、わたくしの耳もとにその昔写
真大師が述べられた﹁四坐大事
也、何惜身命﹂の偉大な言葉が響
いて聞えて来るようで、実に﹁千
載之下、如聞其声、如見其人﹂の
感があった。
わ れ わ れ は 日 本 滞 在 の 半 月 の 間
に、奈良、宇治、京都、大阪、高
野山、福井、身延山、鎌倉、横
八十八才の高階聴仙長老はみな辛
労を辞せずみずからわれわれの接
待を主催してくれたり、あるいは
遠路をいとわず肉親や家人同様わ
た。わずか半月間の期間とはいえ
このような事例は枚挙し難い。以
り、明年五月竣工後、盛大な記念
法要を行なうことになっている。
著名な音楽家土岐善麿作の鑑真大
師歌譜は、五月十八日、われわれ
近く修理されることになってお
﹁鑑真年間﹂はいま、日本の各
界人民の中で一つの力強い呼びか
けとなっており、唐招提寺は日本
の古代建築専門家の設計のもとに
る。
どうしてこのように、熱烈に鑑真
大師を記念するかを説明してい
で、どのように枝をのぼし、葉を
つけ、いたるところに花をつけた
かを十分説明していると思う。そ
れはまた、今日の日本の人民が、
けず、今なお日本人民の心の中
別れ難い気もちが最高頂に達し
たとき、われわれの親しい友情と
浜、 東 京 な ど の 各 地 を 訪 問 し 、 各
大名山寺計三十ニケ処を訪ずれ、
工場、学校、病院など許多の設備
を参観し、十幾つの大小の集会に
参加し、仏教及びその他の宗教の
友人 、 作 家 、 演 劇 家 、 建 築 家 、 音
上述べたことからでも﹁中日友
れわれを送迎してくれた。五月十
九日、われわれは帰国の途に着い
た。別れのとき、八十九才の著名
な学者椎尾博士が旅行から東京に
帰って来て休まれもせず、飛行場
にかけつけ、われわれと会ってく
れた。三年前双目失明したこの老
人が人の手を借りて空港の待合室
に入って来られたとき、わたくし
は思わず鑑真大師のおもかげを思
い浮かべずにはいられなかった。
彼が両手を挙げて﹁日中両国仏教
徒友好万才!﹂嘆称の音頭をとっ
た。われわれはときには近代化さ
楽家などの各界の人々と会見し
れた都市の真つただ中に身を置
好﹂というこの千数百年半わたっ
て播かれてきた金剛不壊の種は、
霜や雪に負けず、風にも雨にも負
き、ときには深山幽谷に行脚し、
ときには百才に近き老人を崩して
今古 を 談 論 し 、 と き に は 天 真 ら ん
まんな幼児たちから歌と花の贈り
もの を 受 け 、 と き に は 千 人 が 広 座
して高談する中に懐のびやかに、
ときには風雨聯席の夜話にわれを
忘れた。境界の変化は往々にして
朝夕著しく異なった。しかし、い
かなるところでも、みな一つの共
通し た も の が あ っ た 。 そ れ は 日 本
の人民の中国人民に対する友情で
ある。われわれはいたるところで
熱烈 な 、 三 三 な 歓 迎 と い た れ り 尽
せりの招待を受けた。特に感激し
たのは、許多の高齢碩徳の長老た
ち、 た と え ば 九 十 三 才 の 古 川 大 航
長老、八十九才の大西良慶長老、
が主催したお別れのパーティで歌
海洋に散った英霊を弔慰
われた。鑑真和上記念会はいま著
全仏から花輪、弔辞
名な彫刻家にたのんで鑑真大師の
像を造らせ、わが国に贈ってくれ
るとのことである。鑑真記念会に 第一次、第二次大戦で海洋に散
った英霊三十一万有余の霊を慰め
参加している日本の各界の人士は
るため、全仏国際局ではおりから
みな小学校の教科書中、鑑真大師
欧州訪問の途に上る海上自衛隊練
に関する事跡を増補し、日本の後
習艦隊︵滝川司令官︶に大谷会長
代の人々に中日文化の関係の歴史
名による﹁弔慰の辞﹂と花輪一対
を知らせたいと主張していた。日
を托した。柳了堅全仏国際部長
本の多くの地方で、鑑真大師を記
は、以前から殉国英霊の弔慰をつ
念する集会が次々と行なわれてい
づけて来ている鈴木錬成師︵宮城
る。鑑真大師が東渡上陸した地点
II−奄美大島では、現在占領され 県女川町妙齢寺住職︶と同道し、
十四日に練習艦隊が停泊中の東京
て米軍事基地となっているが、そ
芝浦港の旗艦﹁あきづき﹂に滝川
この古跡文物はいま米国に持ち去
艦隊司令を訪ね、夫々弔慰の品を
伝達した。なお艦隊は七月十九日
られる危険な運命に直面してお
日本人民の平和友好の願いを充分
り、このことは当然日本人民の激
憤を引き起している。日本人民の
鑑真大師を記念する熱烈な情況は
に反映したものであり、わたくし
たちを勇気づけ、歓喜賛嘆させる
ものである。先輩を記念すること
の最も重要なことは、将来を鞭う
ちはげまし、われわれが先輩の報⋮
難を畏れない精神と不朽の業績を
うけ継いでいくよう鞭うち励ま
る。 ︵本信は北京﹁大公報﹂より
し、中日両国人民が友好協力し
て、ともにアジアと世界の平和を
守ることを促進するために、われ
われが最大の努力を払うことであ
収録︶
香港の恋患大師逝
香港仏教界の最長老の高話大師
は、八月+一日逝去された。八+
九オであった。全仏では直ちに弔
電を打ったが、京都の牧田諦亮氏
から香貧が全貌を通じて来日中の
中国仏教僧に手交された。
参議院議員で濡仏常務理事であ
る山本杉女史は、国会議員団代表
として八月二十七日羽田空港発に
て、東南アジア各地、中近東、東
欧諸国を歴訪し主として諸地域の
南ベトナムにも立寄る
山本杉氏東南ア、中近東へ
などを同艦隊に托した。
なお鈴木師は法華経写経や押花
没者慰霊祭を、また地中海のマル
タ宰相で第一次大戦戦没者慰霊祭
を夫々行うことになっている。
欧州へ向けて出発したが、航海中
にブイリピソ沖で第二次大戦の戦
写真は弔慰品の三園を
終えて,中央が滝川司令官
政治情勢視察に出発したが、現在
仏教徒と政府間で紛争が深刻化し
つつある南ベトナムにも立寄り、
「=
るとの意向である。
政府要人、仏教徒代表らと会見す
白木屋で
鬼原素俊氏個展
九月六日∼十鞘日
仏教画家として活躍している鬼
原素俊氏︵東京都渋谷区代々木初
台六二一︶は、先きにインドをは
じめ東南アジア各地を巡り、仏教
美術の源流を探って来たが、来る
九月六日より十一日遅の期間に、
棄京白木屋デパートギャラリーに
て全仏後援のもとに個展を開くこ
とになった。数多い作品の中でも
特にバー、ミヤソの石の模写などす
ばらしいものがあり、多数、仏教
徒の観賞がのぞまれている。
仏教政治同盟
全仏に加盟す
ていた﹁仏教政治同盟﹂︵委員長松
かねてから全仏に加盟を申請し
になる。
本徳明氏︶では、このほど全仏常
務理事会の承認が下り、八月廿二
日付を以て正式に全仏加盟の団体
となった。なお全仏加盟宗派、府
県仏及び団体は全部で百十三団体
学績通信綴無料で配付
全収通信つづりを無料で配付し
ます。希望者は送料五十円同封の
上全仏総務軍議に早目にお申込み
下さい。
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硲鳥
第三種郵便物認司卜
通
全
(11) 昭1和33年8月当日
信
通
円
仏教の実際
幼児まで唱える三帰呪文
タ イ
等が、おぼろげに理解できたり世
界に於ける日本、日本人の宗教観
を考えてみたりする事が、海外留
学の成果と云えるのではないでし
ょうか。私の住んでいるマハータ
留学僧 長 原 敬 峯
生活です。
渡 タ イ し て 、 二 年 半 、 三 度 目 の
安居を迎えています。〃郷に入れ
ば郷に従え〃の諺がありますが、
なかなか大変で、戒律生活そのも
のは余り苦にならなくても、タイ
料理になじめなく、時には日本人
的な観念が強くでたり恥しい留学
今 年 の タ イ 全 土 に 於 け る 安 居 入
りの比丘総数は︵一五一、五六〇
核停会談妥決にメツセーヂ
マクミラン英首相殿
ケネディ大統領
メ ッ セ 一 ヂ
全面では七月廿六日開催の常務理事会において、このたびの
三国の部分的核実験停止に関する会談の妥結に対し、次のよう
なメッセーヂを夫々駐日大使館を通じて三国元首あてに送った。
なお英マク、ミラン首相から在日英国大使館を通じて、八月五
日付にて全仏へ礼状が寄せられた。
米英ソ元首におくる
全仏
昨年はラングーンの日本人墓地
に参詣、今年は真如親王の足跡を
偲ぶかたわら、シンガポール、ク
アラ・ルソプール、ペナンの日本
人墓地に参詣してきましたが、今
年度から特に外務省が、海外日本
人墓地管理に力を入れてくれてい
ますので美しく整備され、気持よ
く読経できました。クアラルンプ
ールの日本人墓地が東南アジアで
一番良く整備されている評判です
が、シンガポールの日本人墓地も
海外旅行ブームの今日、有名な見
学地になって居り、寺田領事は
海外一美しい日本人墓地にすると
御自身で草刈りをやられている御
姿を拝見、海外で散った同胞の霊
も慰さめられるようでした。タイ
く、タイでもさまざまです。しか
し日本にくらべて仏教国、二等三
千五百の寺院が民衆の心のよりど
ころになって、幼い子供達までが
高らかに三帰依文を唱える時、には
仏法の不滅を感じるものです。
は第二次世界大戦で直接の戦場に
はなりませんでしたが、泰緬鉄道
建設の犠牲者を祀るカソチヤナプ
リの慰霊碑、昭和十年金閣寺を模
して建築されたバンコクの日本人
納骨堂には三百生霊が奉安され、
その他有縁無縁の人々の霊を祀っ
ています。留学のかたわら参詣回
向するのが私の大きな使命で、春
秋二回には日本人会主催で彼岸会
が挙行され、日泰交流の魅となっ
て散った先輩の供養をつとめます
が、日泰親善、南北仏教の交流を
深める為に、バンコクに日本仏教
会館のような建物が建設される日
の来る事を夢見ています。
九月四日からの、日本テレビ系
の〃世界見たり聞いたり〃東南ア
ジア編で、タイの寺院生活が紹介
される予定です。釈迦を信じるタ
イに居住していると、邪教がはび
ベトナム事件﹂について二時間半
に亘って熱心に協議し次の諸点に
つき夫々意見の一致を見た。即ち
①、苦難に陥入っている南ベトナ
ム仏教徒へ救援物資を送るため全
国的に献金運動を展開する②全宗
教が一体となって本問題に対処す
る統一的行動をとること。③仏教
避溢では八月十六目午後三時か
ら緊急国際委員会を招集し、 ﹁南
全仏国際委員会
ベトナムへ
慰問品を送ろう
仏堂二五〇六年八月六日
長原敬峰合掌
ます。
こる日本がなさけなくなります。
貴会の創価学会対策運動をより強
化される事を希望しつつ筆を終り
財団法人全日本仏教会会長大谷光照
A
フルシチョフソ連首相
ート寺は南方禅︵VIPASS
ANA︶の修行道場ですので、三 我々日本仏教徒は、この度の核実験停止会談の円
満妥決に対し心からの敬意と感謝の意を表します。
永遠の世界平和が、慈悲深い教主仏陀のみ教えの
もとにこの地上に顕現されることを念じます。
一九六三年七月廿六日
味経行が大切な日課になっていま
すが、一般人に人気のあるのは祈
薦師であったり、日本の寺院僧侶
を一口に説明できないのと同じ
︵二三六、八一〇人 ︶ 、 と な っ て い
人︶、沙弥︵八五、二五〇人︶、合計
ます。三ケ月出家者の総数は不明
ですが、推定五万人程度と恵いま
す。二十万余の比丘の約八割近く
までが二十オから三十才までの青
年僧 で あ り 、 多 く の 人 は 数 年 の 比
丘生活で仏教を始め一般学問を勉
学適 当 な 時 に 還 俗 、 一 般 職 業 に 従
事し 、 タ イ 一 般 社 会 の 厚 い 信 仰 を
形成しています。大乗・小乗の相
違と 申 す よ り 日 本 と タ イ の 宗 教 的
地盤背景が異なりますので簡単に
どちらが良いと批判はできません
が、日本仏教徒として素直に反省
と参考にすべきは、やはり戒律の
問題ではなかろうかと思います。
日本では仏法僧の僧が、ややもす
れば軽じられる傾向のある今日、
戒律 え の 反 省 が 日 本 仏 教 再 興 の 鍵
ではないでしょうか。語学が苦手
で学才のない私は、経典の研究は
そっちのけで、なんでも見てやろ
う主義で過していますが、タイ僧
伽の 組 織 、 タ イ 人 の 人 生 観 宗 教 観
青年を中心とした抗議集会如きも
のを開催する。出席者は村野宣忠
委員長、菅島直慶,桜井栄章、浜
田本書︵オブザーバー︶.白山事
務総長 石川局長,柳、岩本部長
鎌田主事
仏青らが署名運動
国連やベトナム政府に訴える
る9
全日仏青︵仲田順和理事長︶で
は、仏学連、仏婦と共同で、南ベ
トナム問題の平和的解決を目的と
して、各宗派管長、長老から署名
入りのアッピールをとり、国連、
ローマ法皇庁、ベトナム政府など
へ送る準備にかかり、すでに京都
方面で活動を開始した。全仏では
これらの趣旨に全面的に賛成し
協賛することに意見が一致してい
抗議集会開く
南ベトナム仏教徒協議会
南ベトナム仏教徒協議会︵発起
人代表清水谷恭順師︶では 九月、
三日午後一時から三時に亘って東
京神田学士会館ホールで、苦悩す
る南ベトナム仏教徒を救うことを
訴えて抗議集会を開く。
1あとがきー
ムベトナム事件は深刻な事態に突
入した。何人と云えども﹁宗教﹂
に対して迫害.圧力を加えること
は許せない。宗教の自由と人命の
尊重は宇宙の法則であることに認
識を新たにすべきである。
△敬慶なベトナム仏教徒に満腔の
同情を捧げつつ、本事件の円満解
決を祈り、世界的な宗教軽視の風
潮がこれによって益々助長される
ことなきよう祈りたい。 K生
r
響一一・rρ
ドマ・剰而』ウ
ド 一
囲型
, ,
(12)
昭和33年8月26日
環
三種郵便物認可
Fly UP