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神戸の戦後華僑史再構築に向けて: GHQ 資料・プラン

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神戸の戦後華僑史再構築に向けて: GHQ 資料・プラン
Kobe University Repository : Kernel
Title
神戸の戦後華僑史再構築に向けて : GHQ資料・プラン
ゲ文庫・陳徳勝コレクション・中央研究院档案館文書の
利用(<特集>国際ワークショップ「日本在住外国人コミ
ュニティーの歴史の発見 : 研究・アーカイブス・特別コ
レクション」)(Reinterpreting the History of the Postwar
Chinese as seen in GHQ Papers, the G.W. Prange
Collection, the Chen Desheng Collection, and Chinese
Archives in Academia Sinica ( Workshop "Discovering
histories of foreign communities in Japan: Research,
archives and special collections"))
Author(s)
陳, 來幸
Citation
海港都市研究,5:65-73
Issue date
2010-03
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81002112
Create Date: 2017-04-01
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神戸の戦後華僑史再構築に向けて
——GHQ資料・プランゲ文庫・陳徳勝コレクション・中央研究院档案館文書の利用——
陳
來
幸
(CHEN Laixing)
はじめに
居留地形成期以降、第二次世界大戦が終結するまでの間、神戸の外国人コミュニティに
おいてその過半を占めていた清国・中国人については、内田直作[内田 1949]、鴻山俊
雄[鴻山 1979]等による華僑社会研究が知られている。近年では『落地生根』[中華会
館 2000]と『神戸と華僑』[神戸華僑華人研究会 2004]の出版により、その実態がより
詳しく紹介されることとなった。戦前部分についての歴史分析の作業はかなり進んだとい
えるであろう。しかしながら、戦争期と戦後の華僑社会における構造的再編過程について
はほとんど未着手の領域として解明が待たれている。
華僑総会、中華同文学校、南京街などコミュニティ内部の刊行物や会議録は現在神戸華
僑歴史博物館に漸次収集されつつある。これらの外、戦後 GHQ/SCAP(連合国軍最高司
令官総司令部)が残した文書群があり、検閲の目的で収集された占領期時期の新聞雑誌が
プランゲ文庫として保存されるなか、華僑による刊行物も含まれ、ともに現在比較的容易
に閲覧と入手ができる。研究の空白部分がこれらの資料の助けによって埋められていくこ
とが期待されている。また、所収安井部分に詳述されている陳徳仁、石嘉成両氏と並び、
御自身が戦後神戸の華僑コミュニティ内部において重要な役割を果たすとともに、中華書
店神戸店店主として文字資料の保存に専心した陳徳勝氏のコレクションが、滋賀県立大学
図書館に所蔵されている。新聞の切り抜きを含む、戦後から冷戦時期の資料が豊富である。
一方、戦後から約 20 年にわたる神戸の華僑社会の政治的趨勢を見る上で、決定的かつ
直接の重要性をもったのは、二つに分裂した中国政府の対華僑政策とその両者に重大な影
響を及ぼした日中関係であろう。近年台湾の中央研究院近代史研究所档案館では、これま
での古い時代の外交および経済部門文書に加え、外交部の管轄下にあったこの時期の文書
が漸次公開され、研究の用に供されつつある。
本論ではこれらの資料の概要を紹介し、その利用による研究の可能性について言及し、
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海港都市研究
これらの戦後資料から読み取ることができるいくつかの新しい課題について考察を行いた
い。
Ⅰ 資料
1 GHQ/SCAP(連合国最高司令官総司令部)文書
連合国軍最高司令官総司令部は 1945 年 10 月2日に設置された組織で、最高司令官、
参謀長のもとに参謀部(第1~第4)と専門分野ごとの部局がおかれ、講話条約が発効し
た 1952 年4月 28 日まで、日本に対する占領政策を実施したポツダム宣言執行機関であ
る。国立国会図書館東京本館の憲政資料室では、米国国立公文書館から複写撮影された全
ての GHQ 文書が所蔵され、限定公開されている。
国立国会図書館>憲政資料室の所蔵資料>日本占領期資料>
Records of General Headquarters Supreme Commander for the Allied Powers, GHQ/SCAP http://www.ndl.go.jp/jp/data/kensei_shiryo/senryo/GHQ.html
マイクロフィッシュ 320,227 枚、マイクロフィルム 1,539 巻という大部の記録群であ
る。占領行政に関する法律問題全般を扱った法務局(LS)や統治機構について調査研究
と助言を行った民政局(GS)、民間史料局(CHS)、民間諜報局(CIS)などの文書群に、
在日中国人や台湾人と朝鮮人の扱いやその法的地位に関する文書が多数散見される。
た と え ば、 法 務 局 に は「 日 本 に お け る 台 湾 人 と 中 国 人 の 地 位 」、「 外 国 人 登 録 法
(1946/2-1952/3)」、「入国管理法 (1952/3-52/3)」、「国籍法」など、戦後日本の外国人管
理政策の根幹をなす重要な法律制定をめぐる論議を知ることができる文書ファイルがあ
る。民政局には「台湾人と朝鮮人 (1946/5-1950/9)」や、
「華僑総会(1950/12-1951/7)」、
「中国同学会」
、
「中国学友会」をはじめとする中国人の組織団体関係ファイルがある。同
様に、参謀第 2 部文書には中国人に関する「団体組織 (1951/6)」が存在するほか、
「1946
年7月渋谷警察署事件 (1946/7-46/8)」ファイルが大量に保存され、民間諜報局にも「渋
谷事件」や「国際新聞 / 国際経済新聞 (1947/3-1948/3)」など、在日中国人や台湾人に
直接かかわる文書が存在する。また、民間史料局文書には「在日中国人国籍回復の件
(1946/6-1950/6)」、「在日台湾人(1946/6-1950/5)」などが含まれる。戦後の占領時期、
処遇が未定であった台湾人と朝鮮人の法律的地位をめぐる関心の強さと議論の在り様が
神戸の戦後華僑史再構築に向けて
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GHQ のファイルに示されている。
2 プランゲ文庫(Gordon W. Prange Collection)
占領時期、GHQ/SCAP 民間検閲部隊は日本で出版されたほぼあらゆる刊行物等に対し
て検閲を実施していた。参謀第2部で修史官として戦史の編纂作業に従事していたゴード
ン・W・プランゲ(1910-1980)は進言によってそのうち図書、雑誌、新聞などのメリー
ランド大学への移管を実現し、これによって貴重な資料がまとまった形で後世に残ること
となった。雑誌は 13,787 タイトル、マイクロフィッシュは 63,131 枚、推定ページ数は
合計 610 万枚に及ぶ。新聞は 18,047 タイトル、マイクロフィルム 3826 リール、推定紙
面 170 万ページ、推定記事数 2600 万に達する。これらに関し、占領期メディアデータベー
ス化プロジェクト委員会(早稲田大学山本武利代表)が作成した「占領期雑誌記事情報デー
タベース(20 世紀メディア研究所)http://m20thdb.jp/login」が一般に公開されている。誰
でも無料で登録し、記事検索を行うことができる。入力された雑誌タイトル数、記事レコー
ド数は合わせて 1,964,933 件に及ぶという。因みに記事タイトルの範囲で検索語「華僑」
を入れると 102 件のヒットがある。一方、国立国会図書館NDLのデジタルアーカイブ
ポータル http://porta.ndl.go.jp/portal/dt からは、記事検索はできないが、プランゲ文庫が所
蔵する新聞雑誌タイトルのキーワード検索が可能である。関西地区では国際日本文化セン
ターや立命館大学などが文庫のマイクロ版を所蔵しており、事前に申請すれば閲覧が可能
である。
3 陳徳勝コレクション
陳徳勝氏は 1919 年に日本で生まれた中国福建人。教育は故郷の福州市で受けた。
1935 年に再来日後、日本で大学に進んだ。1955 年頃から新中国の書籍輸入を専門に扱
い、初期には三宮 - 元町間の高架下に、1968 年からは須磨に中華書店神戸支店を経営した。
神戸の華僑社会においても、新中国支持を鮮明に打ち出した神戸華僑聯誼会の設立に尽力
したことで知られ、1992 年に神戸で他界した。1995 年1月の阪神淡路大震災で被害を
受けたご遺族は、膨大なコレクションの分散と流失を心配し、1996 年2月に滋賀県立大
学図書情報センターに、残された資料を一括寄贈することとなった。2006 年と 2007 年
度に、待望の目録が(上)(下)二冊の分冊として菅谷文則、谷垣勲、廣川八重子等諸氏
の努力によって刊行された[滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科・滋賀県立大学図書
情報センター 2006-2007]。
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海港都市研究
陳徳勝コレクションは、①図書 11536 冊、②新聞雑誌 852 タイトル(①②は滋賀県立大
学図書情報センター http://www.lib.usp.ac.jp/limedio/index-j.html から検索可能)、③新聞の
切り抜きなどからなる。文化資料としての書籍等の保存を意識されていた氏は文字資料を
収集するばかりでなく、それらの整理にも尽力した。とくに「文革」時期を含む新中国成
立後の書籍と雑誌及び華僑コミュニティ関連史料の収集を特色とするが、なかでも陳氏
が 1950 年代から 1970 年代にわたり作成した新聞の切り抜きファイル約 111 冊(2006
年1月現地調査時点の目算。上記の目録には未収録。そのうち 12 冊は日本華僑関係のも
の)と日本各地で発行された華僑新聞は希少価値がある。後者にはおそらく他では手に入
らないであろう貴重なものも存在する。例えば、『杉並僑民報』(編集発行人陳芳蘭、2号
1950 年 12 月)
、
『華僑天地』(東京都渋谷区、9号 1953 年5月)、
『荻窪華僑自治会会報』
(荻窪華僑自治会発行、責任者葉季琳、第3号 1956 年 11 月)などが断片的ではあるが、
所蔵されている。とりわけ占領軍の検閲終了後のものを収集している点で、プランゲ文庫
所蔵史料と相補って利用することができるであろう。
京阪神地区に限ってみても、『国際新聞』など、存在が比較的知られている新聞のほか、
以下の通り、多くの新聞が発行されていた事実が窺い知れるとともに、現物を見ることも
できる。
『僑風』京都、1947 年3月創刊
『国際日報』西宮、国際日報社、社長張文龍、1947 年 10 月創刊 『新華僑』京都、華僑文化研究会、1948 年 9 月創刊
『華僑文化』神戸、華僑文化経済協会、1948 年 12 月創刊
『華僑民主報』大阪、華僑新民主協会、編集兼発行人頼珠村、1949 年4月創刊
『華僑民報(神戸華文版)』神戸、留日華僑民主促進会神戸分会、1950 年
『民促会報』留日華僑民主促進会、1951 年2月ころ創刊
『僑民報』神戸、僑民報社、日本語、1953 年4月創刊
『日華新聞』神戸、日華新聞社、編集兼発行人社長楊挺進、1954 年
『僑声』神戸、僑声編輯委員会、建泰ビル内、1954 年7月創刊
『台湾公平報』神戸、台湾公平社、黄介一、1960 年 9 月創刊
4 台湾中央研究院近代史研究所档案館
中央研究院では 1903 年から 1949 年までの経済部門文書と 1860 年から 1928 年まで
神戸の戦後華僑史再構築に向けて
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の外交部門文書などが一般に公開されて久しい。スキャナーによる文書のデジタル化が進
み、研究者にとって利便性のきわめて優れた公文書館として機能している。近年、外交部
に所蔵されていた戦後時期を含む膨大な量の公文書(1930 年 -1975 年)が中央研究院に
移管された。北米司に続き、在日華僑に関係のある亜太司(アジア太平洋課)の日本関係
文書もデジタル公開が着実に進み、国史館に所蔵されている国民政府档案文書とあわせ、
これまで日本の研究者には利用が困難であった公文書が簡単に入手しうるようになった。
ただし、一部を除き、閲覧と複写のためには台北南港の中央研究院や新店にある国史館本
館にまで足を運ぶ必要がある。
対日賠償関係資料を集めた経済部門の日賠会文書だけでも 394 函(1942 年 10 月
-1953 年3月)
、32-001(全宗号 - 冊号)から 32-885 まで合計 885 ファイル存在する。
中には、
「自備外匯輸日香蕉(僑教会為捐助在日僑校)(32-624)」(1951 年 7 月 -1952
年 5 月)や「自備外匯輸日香蕉(捐助神戶同文学校);華商自備外匯輸日香蕉(32-623)」
(1951 年5月 -1952 年5月)「華僑参加貿易;華僑経済合作社;華僑申請特配延長(華僑
経済権益)
;華僑回国投資(32-381)」(1948 年7月 -1951 年4月)等、神戸華僑につい
て直接言及するものも少なからず存在し、これを用いた研究がようやく世に出てきた[許
2009a]
。
上述の新しく公開された外交部亜太司の日本関連史料群 1,399 ファイル(新・影像編
号 11-EAP-00264 から 11-EAP-02551 http://archives.sinica.edu.tw/main/pdf/eap-01.pdf)
の 中 に は、
「 日 本 僑 務( 以 下( 旧・ 分 類 - フ ァ イ ル )061-0004 ~ 061-0014)」11 冊、
「大阪僑務(061-0001 ~ 0003)」3冊、「日本華僑納税(063.7-0001 ~ 0002)」2冊、
「旅日僑民登記(062.3-0001)」1冊など華僑関係一般を扱ったものから、「神戸僑校
(065-0013)
」
、
大阪中華学校関連 5 冊(065-0001 ~ 0005)、
「東京中華学校(065-0009)」、
「横浜僑校(065-0015 ~ 0018)」4冊、「日本僑校 0006 ~ 0008」3冊、などが存在し、
戦後、華僑学校を中心に、中華民国政府が日本華僑に対して展開した政策の足跡が見られ
る。
「争取神戸僑校(065-0010 ~ 0012)」3冊、「共匪在日活動」、「日匪復交案」などの
ファイル名からも読み取られるとおり、冷戦下の国際情勢が相影響して、国共両党の国内
対立が海外の華僑社会においていっそう増幅されていた事実の痕跡を多々発見することが
できる。
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海港都市研究
Ⅱ 戦後の神戸華僑社会
それでは、以上の史料を概観してどのような問題が見えてくるであろうか。
第一に、戦後台湾人が中華民国籍を獲得し、「新華僑」として新たに華僑社会に参入す
ると同時に、台湾人知識人層が華僑社会におけるリーダーシップを掌握したという問題で
ある。徴用などによる戦時中の一時滞在者が公的支援のもとで大量に引き揚げ帰国しての
ち、1946 年における在日中国人数 30,847 人の内台湾籍は 51.6%を占めていた。1947
年 11 月ごろの兵庫(神戸)、大阪、東京三大都市における在日中国人 17,253 人に占める
台湾人の比率も 53.6% [経済安定本部 1948:51-52]と大差ない。その後約 30 年にわ
たり、台湾籍中国人は在日華僑の半数を占めたのである。戦後華僑社会への台湾人の大挙
の参入は、当時としては日本の華僑社会特有の問題であった。各国各地域の華僑研究が盛
んになった現在、比較の視点を加味すれば、この日本的特色はいっそう鮮明に浮かびあが
ることは明白であろう。冷戦構造が膠着化した後の台湾から多くの留学生がアメリカに渡
り、その後北米を中心に台湾人コミュニティーが形成されて今に至るが、この時代の在日
台湾人コミュニティーとは全く性質を異にする。加えて、戦後新華僑となったこれらの在
日台湾人は、第三国人から戦勝国国民という社会的地位の急激な転換に伴う、ナショナリ
ズムの高揚という歴史的瞬間を共有している。戦中戦前の親日的華僑組織が日本の敗戦に
よって機能麻痺に陥り、それに代わり戦後若い世代の大陸出身華僑が世代交代を余儀なく
されながら中華青年会等へと糾合されるなか、台湾省民会等台湾人組織のリーダーたちと
手を携え、ともに華僑社会を率いていったのである。
多くの台湾知識人とその家族が台湾への帰国を躊躇し、日本社会に根を下ろすことを決
意した要因の一つに、戦後台湾における「光復(祖国復帰)」が「二・二八」事件の勃発
と戒厳令の施行としての結末をつけたことへの失意をあげることができる。また、1949
年以後大陸から台湾に渡った外省人官僚が主導する華僑政策は、故郷を台湾に持たない在
日非台湾系華僑との関係性において齟齬をきたし、逆にその中華民国政府の対華僑政策に、
台湾人を重用する視点が欠如していたことは、50 年代以降の日本華僑社会に特有の「ね
じれ現象」を表出させた。「ねじれ現象」の複雑さは、1950 年代以降に日本各地で親北
京政府の華僑協商会議から華僑聯誼会組織が留日華僑総会に対峙して結成されるなか、そ
の中核を形成したのはほとんどが台湾人であったという現象にみられる。さまざまな視点
からこの稀有な現象を分析する必要があるように思う。
第二に、戦後国共の対立が、さまざまな形で華僑社会に影響を及ぼしたということがあ
神戸の戦後華僑史再構築に向けて
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げられる。このことは他地域の華僑社会においても多かれ少なかれ共通して見られた現象
である。なかでも熾烈をきわめたのが戦後の中華民国政府が採った「争取僑校」に象徴さ
れる対日華僑政策である。日々の教育現場に直接関係することがらであっただけに、華僑
社会の反応も激しかった。このような華僑政策が推進された結果、神戸の華僑学校は「確
保(争取)
」が失敗に帰したが、横浜の華僑学校は二つに分裂し、大阪の華僑学校のそれ
は成功したものとされている。神戸では校舎再建の資金繰りをめぐり、台湾政府が校長と
教務主任の更迭を条件に援助金の提供を申し出るとともに、用地での建設工事の開始を妨
害した。そのことが神戸華僑をひどく憤慨させ、両者の間に大きな亀裂をもたらしたとさ
れる事件である[許 2009b:63-80]。
神戸の華僑学校がこの過程で台湾政府から所謂「左傾化」のレッテルを張られた問題を
分析するにあたり、冷戦構造下の華僑社会の主体性自体が問われるべきであろう。つまり、
国共のイデオロギーと政治的対立のはざまに立たされた現地日本の華僑にとって、台湾の
側の意図、北京の側の意図がどうであれ、果たしてかれらにとっての華僑学校のあるべき
好ましい姿はどのようなものであったのであろうか。現在のように、三世、四世が日本社
会に根付いていくなかでの華僑学校の存在意義を問うならば、日本社会との関係性や、多
文化共生社会への日本社会の不可避的変貌を考慮にいれた移民研究としての視点が今後は
重要な論点となろう。もちろん、いまだ充分に解明されてはいないこの時期の北京と台湾
の両政府の官の側の資料のさらなる分析が待たれるのはいうまでもない。当時の当事者で
ある現地華僑たちがすでに老齢の域に達しているいま、インタビュー形式を用い、文字資
料として残りにくい様々な体験やかれらの思いのたけを残していく作業も不可欠である。
ようやく細々と始められたばかりである。
第三に、在日朝鮮人や共産党など左派グループとの関係性の問題である。19 世紀末か
ら 20 世紀初頭までの華僑社会の分析においては、欧米の商社やそのコミュニティとの関
係がこれまでしばしば注目されてきた。戦後については、戦前の在日台湾人と朝鮮人の国
籍や身分の類似性を通じ、両者の戦後の変化を比較の視点で分析することから、さまざま
な問題が見えてくるであろう。大陸出身華僑を加えて二大外国人コミュニティを構成する
こととなった在日中国人と在日朝鮮人とは、対立と協働の歴史を歩んできた。たとえば、
戦後の混乱で現在の JR 三宮から神戸駅までの高架下には巨大な闇市が発生したが、台湾
人を含む中国人、朝鮮人、日本人がそれぞれ縄張りを守りながら自衛団を組織し、日本の
警察とも協力しながら闇市を秩序ある市場へと変貌させていった[国際日報 1947:12 月
15 日]
。研究領域を超えた対話が望まれる。
72
海港都市研究
先に指摘した在日台湾人の北京政府支持に、強い影響を与えた人物として楊春松が知ら
れている。日本統治下台湾で農民運動のスタートを切ったかれの共産党員としての戦後
の活動は異彩を放っている。進歩的留学生の活動や華僑の組織化の要となったのみなら
ず、日本共産党や朝鮮人党員との関係も深い[楊国光 1999:156-174]。1950 年朝鮮戦
争が勃発し、左翼運動への取締が厳しくなって以降、GHQ は左傾化した華僑団体を危険
な取締対象としてその動向に注意を払った。レッドパージである。例えば、1949 年7月
11 日創刊の旬刊紙『華僑民報』(1500 ~ 3000 部発行)は、1950 年2月に成立した、中
国共産党を支持する「留日華僑民主促進会」の機関紙となったが、この組織は甘文芳が委
員長、楊春松と劉明電が顧問を務めていた[陳焜旺 2004:270]。『華僑民報』(編集責任
者:曽森茂)は、1950 年の中華人民共和国建国一周年記念を目前に発禁処分となってい
る[GHQ/SCAP 1950: GS(B)04247]。神戸でも留日華僑民主促進会神戸分会が発足し、
中国語版の『華僑民報』(1950 年)が発行されていたことがわかっているが、その活動
の詳細は明らかではない。
戦後神戸に出現した多国籍多民族の共存空間と様々な日本人グループのそれとが錯綜し
つつ、複雑に構築された相互協働の体験は、その後の神戸の国際性を決定付ける重要な要
素であったことを強調して結びとしたい。
参考文献
内田直作 1949 『日本華僑社会の研究』同文館 .
鴻山俊雄 1979 『神戸大阪の華僑:在日華僑百年史』華僑問題研究所 .
中華会館編 2000『落地生根:神戸華僑と神阪中華会館の百年』研文出版社 .
神戸華僑華人研究会 2004 『神戸と華僑』神戸新聞総合出版センター .
滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科・滋賀県立大学図書情報センター 2006『陳徳勝
コレクション図書等目録(上)』.
滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科・滋賀県立大学図書情報センター 2007『陳徳勝
コレクション図書等目録(下)』.
許瓊丰 2009a 「在日華僑の経済秩序の再編:1945 年から 1950 年代までの神戸を中心に」
『星陵台論集』(兵庫県立大学)44 (3), 117-150.
経済安定本部総裁官房企画部調査課 1948『在日華僑経済実態調査報告書』, 華僑調査資料 3.
許瓊丰 2009b「戦後中華民国政府の華僑政策と神戸中華同文学校の再建」
『華僑華人研究』
神戸の戦後華僑史再構築に向けて
73
6, 63-80.
国際日報社 1947「三宮自由市場を語る : 神戸支局主催の座談会」『国際日報』4.
楊国光 1999 『ある台湾人の軌跡:楊春松とその時代』露満堂 / 星雲社 .
陳焜旺 2004 『日本華僑・留学生運動史』日本僑報社 / 中華書店 .
GHQ/SCAP 1950/08-1951/04「KAKYO MIMPO( 華僑民報 )」『連合国最高司令官総司
令部文書』GS(B)04247(76).
(兵庫県立大学経済学部)
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