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バングラデシュを知ろう

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バングラデシュを知ろう
2002 年度第 1 期アジア理解講座「バングラデシュを知ろう」
バングラデシュを知ろう
毎週火曜日(5月14日∼7月16日)
◎ コーディネーターからのメッセージ
バングラデシュは生まれてまだ30年という若い国です。しかし、インド世界の長い文化的な伝統を受けつ
いだ国でもあります。この連続講座では、10人の専門家と共にさまざまな角度からこの国の魅力を探ります。
バングラデシュは、イスラームをよりどころとしてパキスタンと共にインドから分離独立し、さらに、ベンガ
ル語をよりどころとして新しい国をつくりました。
世界有数の大デルタに立地する国です。デルタの自然環境の特徴を知り、そこに居住する人々の生活
と環境のかかわりについて学びます。農民たちはデルタのきびしい環境に適応しつつ、世界一の人口密
度をもつ農村を形成してきました。そこには、土地と水を上手に使う智恵と技術が息づいています。
イスラームは人々の心の支えです。そして、生活を律する規範です。ここは、古くからの歴史と暮らしを
反映した歌謡と物語詩と造形文化の宝庫です。庶民の暮らしの中に息づく宗教と文化を探ってみましょう。
この国の、とりわけ農村に住まう人々の暮らしが豊かになることを願って、多くの日本人の若者たちが活
躍しています。この人たちの目に映った「この国の発展のかたち」を、歴史、社会、制度、政治、経済、政策、
そして押し寄せるグローバリゼーションの波などをふまえて、描いてみましょう。
(海田能宏)
第1回 5月14日(火)歴史と文化−どのような人たちがどのようにつくった国なのか 臼田 雅之
バングラデシュを論じる場合、現在のバングラデシュの情況の理解に力点を置く立場(「現在屋」)と、よ
り長期間の同一性と変動性を見る立場(「歴史屋」)では、随分描き出すバングラデシュ像に違いが出て
きます。それがどのように違うのかを説明したうえで、現在の問題点を念頭におきつつ、「歴史屋」の立
場でバングラデシュ地域の歴史的特性を考えてゆきたいと思います。13世紀初頭のムスリム政権の誕
生の時代から、ムスリム人口がどのように拡大したかをまず検討します。そこから浮かびあがってくるの
は、19世紀の重要性です。19世紀ムスリム社会の展開をやや詳しくみたあと、20世紀に入って、東パキ
スタンというムスリム主導の国家が形成される過程をあとづけします。最後に、パキスタンからバングラデ
シュが再度分離独立しなければならなかった要因について考えます。歴史的考察を終えたあとで、バ
ングラデシュにおけるマイノリティの問題と、ベンガリー・ムスリムの特徴について述べ、バングラデシュ
の社会・文化を考える糸口をつけたいと考えています。
第2回 5月21日(火) バングラデシュ―世界有数のデルタに立地する国
海津 正倫
ガンジス川・ブラマプトラ川の最下流部に広がるガンジスデルタは、世界有数のデルタの一つである。
デルタには水路が縦横に発達し、雨季と乾季ではその景観が著しく変化する。この回では、ガンジスデ
ルタの自然環境の特徴を明らかにするとともに、そこに居住するバングラデシュの人々の生活と環境と
の関わりについて検討する。
2002 年度第 1 期アジア理解講座「バングラデシュを知ろう」
第3回 5月28日(火) 自然の脅威と恵み−デルタの自然と農業の適応
安藤 和雄
農民たちは、デルタの強烈な自然環境に農業・土地利用を適応させつつ、一連農業技術を在地の技
術として育んできました。ベンガルデルタはベトナムの紅河デルタと並び世界一の人口密度です。その
人口の約8割は村に居住し、村の半数近くの人口は耕地をまたない土地なし農民です。バングラデシュ
の農村・農業は、耕地の農業生産に多く依拠しない人々の生活の基盤をも提供しています。多くの土
地なし農民が村で持続的な生活を展開できている現実を自然環境・農業生態・村落生態から複眼的に
捉えてみます。生産主義に偏向してしまった日本の農村・農業が失った、農村・農業の本来の姿を日本
人である私たちが問い直す契機ともなります。バングラデシュのデルタの自然と農業の適応を、単にバ
ングラデシュの話に終わらされることなく、そこから日本人である私たちが日本の社会(農村・農業)を考
える糸口を発見できればと願っています。
第4回 6月4日(火) バングラデシュ・ムスリムの生活:都市を中心に
高田 峰夫
バングラデシュは全人口の約90%をムスリム(イスラーム教徒)が占め、国教もイスラームです。また、ム
スリム人口の実数では、インドネシア、パキスタンに次いで世界第3位とも言われています(一説では、イ
ンドの方が多いとも言われますが)。これだけのイスラーム大国でありながら、日本では(世界的にも)バ
ングラデシュのイスラーム世界としての側面については、ほとんど関心が払われていないのが現状です。
ここでは、主に都市でのムスリムの生活を中心に、バングラデシュにおけるイスラームの現状を考えてみ
ます。話す内容ですが、イスラーム世界としてのバングラデシュの形成、都市化とイスラーム、人々の生
活としてのイスラーム、グローバル化とイスラーム、イスラーム原理主義の動き、バングラデシュの未来と
イスラームの果たす役割、等々のトピックについて簡単にまとめてみたいと思います。
第5回 6月11日(火) 開発を支える女性・男性
伊東 早苗
「バングラデシュの女性の地位は低い」と定説のように言われてきた。実際バングラデシュの女性は男性
と比べて、数多くの制約の中で生活している。このため過去20年間、バングラデシュにおける援助活動
において、「女性の地位向上」が重大目標のひとつとして掲げられてきた。草の根の援助活動では、ど
こへ行っても「女性」を対象としたプログラムが実施され、それらのプログラムを実施する働き手としても、
農村の女性が雇用される機会が増えた。一方、農村には失業中の若い男性が数多く滞留しており、欲
求不満から反社会的活動に走る者もいる。女性が直面する問題は、女性だけを切り離して対応すべき
問題ではなく、本来コミュニティや世帯内における社会関係の全体性の中に位置づけて考えられるべき
である。本講義では、バングラデシュの開発における男女の役割を改めて見直してみたい。
第6回 6月18日(火) 河と森に育まれた東ベンガルの民俗文化
鈴木 喜久子
東ベンガル、現在のバングラデシュ、には多くの歌謡、物語詩が伝えられている。が、その内容は波乱
に満ち、悲劇的な結末をとるものも少なくない。こうした背景には、人間の居住にはきびしい環境ながら、
豊かな天然資源を求め、早くから河川を伝って交易・移住活動が行われたこと、また内乱時代には、天
然の要害をもつこの地は中央に服従しない者たちの潜むところになったため、在地との摩擦や葛藤が
多かったことなどがあげられよう。ここでは、西アジアからの文化の流入、融合について、織物を例に、モ
ノシャ霊験記などの物語、ジャムダニ織の模様の名称などから考えてみたい。また、木綿織物の一大生
産地として栄えたダッカ周辺地がイギリス産業革命によって大打撃を受けてのち、西欧文化の吸収、融合
をはかり、先進地帯となりながら、2度の独立戦争によって大打撃を受けたことについてもふれてみたい。
2002 年度第 1 期アジア理解講座「バングラデシュを知ろう」
第7回 6月25日(火) 日本人の関わり−NGOシャプラニールを通して
大橋 正明
バングラデシュは、外国援助の実験場。幾多の実験のなかで、NGOもさまざまな成功や失敗を繰り返し
てきました。経口補水療法普及によって下痢で死ぬ人が激減したこと、初等教育が広く普及したこと、小
規模融資で一部の貧困が緩和されたことは、NGOによる成果の一部です。バングラデシュで活動する
NGOの大半は現地NGOで、外国NGOは多くはありませんが、日本のNGO数団体が活動しています。
「シャプラニール=市民による海外協力の会」は、バングラデシュ独立直後から今日まで活動を続けて
きました。最初はノートと鉛筆を配り、次に日本人ボランティアが村に住み込み、80年代からはバングラ
デシュ人のワーカーが中心に貧しい村人の組織化に取り組んできました。最近では現地のNGOをサポ
ートする形で、農村の貧困層やダッカのストリートチルドレンを支援しています。なぜこんな変遷が生じ
たのか、バングラデシュの現地事情とあわせて説明を試みます。
第8回 7月2日(火) 開発の曙光−農村を立て直そう
海田 能宏
1960年代のバングラデシュ(当時は東パキスタン)はコミラモデル(農協モデル)によって発展途上地域
の農村開発を先導した。1971年のバングラデシュ独立以降は、多くの国際NGOが災害復旧から農村再
興へと大活躍し、グラミーン・バンクは農村小規模金融の世界的なモデルをうちたてた。しかし、政府も、
ODAもNGOもあげて農村開発に力を注いできたにもかかわらず、農村はいまだに「貧困救済」を必要と
している。従来の農村開発は、貧しいターゲット・グループに力をつけることには成功したが、村落をバ
イパスしてきたのではないだろうか。迂遠な道かもしれないが、村落のリーダーシップと農村サービス行
政をリンクし、村落住民の総意を開発行政に生かすような、もうひとつのアプローチがあるのではないか。
その私のリンクモデルの試みを提示しながら、バングラデシュ農村の「希望」を語ってみたい。
第9回 7月9日(火) 国際関係からみたバングラデシュ
佐藤 宏
一人の人間と同じように、国家にもさまざまなアイデンティティーがあります。バングラデシュは地域とい
う視点からみれば、南アジアの一国ですが、東南アジアと南アジアの接点に位置する国であり、宗教と
いう視点からみれば、イスラム諸国の一員でもあります。また世界経済のなかでは後発発展途上国とい
うグループの一員として特徴づけられます。バングラデシュという国家は、独立以来、こうした多様なアイ
デンティティーを様々な形で活用しつつ、国際社会のなかで自らの位置を確保してきました。今回の講
義は、視点をミクロからマクロに切り替えて、国際社会のなかでのバングラデシュという国家の特徴を浮
かび上がらせたいと思います。
第10回 7月16日(火) この国の発展のかたち
村山 真弓
貧困や停滞のイメージが強いバングラデシュですが、現実には様々な変化が生じています。政治面で
は、ほぼ同じ期間に渡って、民政と軍政を経験しました。1990年末の民主化運動以後は、政党政治が
復活し、アワミ連盟とバングラデシュ民族主義者党(BNP)という二大政党の対立が続いています。一方、
経済政策についても、独立後の数年間は、国営部門主導による工業化を目指しましたが、政策の行き
詰まりと、政権交代、さらに国際援助機関からの圧力を契機として、民間資本導入、規制緩和、自由化
に転じました。とりわけ注目されたのが、1980年代後半からの縫製品輸出の急成長です。農業部門の
好調を下支えにして、1990年代後半の年平均経済成長率は5%を記録しました。この講義では、(1)変
化を牽引してきた主要アクターは誰か:政党、民間企業、労働者、NGO等、(2)勝ち組、負け組、の検討
を通じ、バングラデシュが辿ってきた発展の道筋と振り返るとともに、今後の展望を考えたいと思います。
2002 年度第 1 期アジア理解講座「バングラデシュを知ろう」
講師紹介
海田 能宏(かいだ よしひろ)(講座コーディネーター)京都大学東南アジア研究センター教授
1939年生まれ。京都大学及び同大学院で農学・灌漑工学を学ぶ。京大農博。京都大学東南アジア研
究センター助手、助教授を経て現職。1969年以来、タイ、メコン流域などの水文・水利・稲作環境の研究
を続け、1980年代以降は東北タイ農村研究を経て、日本‐バングラデシュ共同のバングラデシュ農村開
発研究を主宰。専門は農村開発論および地域開発技術論。主な著書・論文に、「風土の工学」(龍渓書
舎)、バングラデシュ農村開発実験(京大東南アジア研究センター及びJICA)などがある。
臼田 雅之(うすだ まさゆき) 東海大学文学部教授
1944年東京生まれ。慶應義塾大学文学部史学科東洋史学専攻卒業。1972年から1977年までインド・カ
ルカッタ大学大学院に学びPh.D学位を取得。1982年以来、東海大学文学部文明学科に勤務。現在、
文学部アジア文明学科教授。専攻はベンガル(現バングラデシュ)の1県、ボリシャルにかかわる現象に
ついて論じている。著編書−「もっと知りたいバングラデシュ」(共編、弘文堂 1993年)、「水と大地の
詩:バングラデシュ」(共著、岩波書店、1995年)、「美わしのベンガル」(訳詩、花神社、1992年)
海津 正倫(うみつ まさとも) 名古屋大学大学院環境学研究科教授
1947年生まれ。1978年 東京大学大学院理学系研究科地理学専門課程博士課程終了(理学博士)。愛
媛大学教育学部助手・講師・助教授、名古屋大学文学部助教授、同教授、同文学研究科教授、同大学
国際開発研究科助教授・教授(協力講座)、東京大学大学院理学系研究科教授(併任)を経て2001年
から名古屋大学大学院環境学研究科教授。
安藤 和雄(あんどう かずお) 京都大学東南アジア研究センター助教授
昭和29年(1954年)生まれ。静岡大学農学部で作物及び栽培学を学んだのち、青年海外協力隊員とし
てバングラデシュにおいて農村開発プログラムに参加、帰国後、京都大学大学院農学研究科で熱帯農
学を学びつつ、1986年に始まり現在も継続中の一連の国際協力事業団によるバングラデシュでの実践
的な農村開発研究に専門家として参加する。その後、京都大学東南アジア研究センター研修員を経て
現職。専門は、農業技術変容論・農村開発論・地域研究。主な著書・論文に『自然と結ぶ−「農」にみる
多様性』(田中耕司編、分担執筆、昭和堂)「「在地の技術」の展開―バングラデシュ・D村の事例に学
ぶー」(『国際農林業協力Vol.24、No.7』)などがある。
高田 峰夫(たかだ みねお) 広島修道大学人文学部教授
1957年生まれ。慶應義塾大学大学院博士課程修了。大学院在学中に青年海外協力隊に参加し、バン
グラデシュ国コミラの「バングラデシュ農村開発アカデミー」に派遣される。同地に2年間滞在しながら、
農村や都市下層民について調査を実施。帰国後もバングラデシュついて研究を継続。研究対象は、リク
シャ産業、国内人口移動、宗教と社会、ムスリムのアイデンティティ等々、多岐に渡る。研究論文多数。
2002 年度第 1 期アジア理解講座「バングラデシュを知ろう」
伊東 早苗(いとう さなえ) 名古屋大学大学院国際開発研究科助教授
サセックス大学Institute of Development Studies博士課程修了。青年海外協力隊、国際協力事業団、国
際開発高等教育機構勤務を経て現職。専門は開発社会学。最近の研究関心領域は「貧困」、「小規模
金融」、「開発NGO」など。
鈴木 喜久子(すずき きくこ) 『遡河』編集代表
早稲田大学大学院修士課程終了。専門は中世史。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所
に24年間つとめ、その間、ベンガル語研修を受け、図書室での仕事の合間に所蔵されたベンガル語の
物語詩の翻訳・紹介を続ける。1988年より現在に至るまで『遡河』編集にたずさわる。主な著書:「盗賊ケ
ナラム」(『コッラニ』13号 1989)、「デワーナ・モディナ」(『遡河』1号 1988)、「モノシャ霊験記 ハザン・
ホセン篇」(『遡河』7号 1995)、「祖父」(『タゴール著作集』第三文明社 1981)、『花の香りで眠れない』
(てらいんく 近刊予定)など。
大橋 正明(おおはし まさあき) 恵泉女学園教授 / NGOシャプラニール代表理事
1953年東京生まれ。80∼87年にかけて「シャプラニール=市民による海外協力の会」バングラデシュ駐
在員及び事務局長、90∼93年に国際赤十字・赤新月社連盟のバングラデシュ駐在員を務める。93年よ
り現職の恵泉女学園大学教員(国際開発学、NGO論)。現在は(NPO法人)シャプラニールの代表理事、
及び他のNGO数団体の役員を務める。主著は「『不可触民』と教育」(明石書店、2001)、「コソボ難民救
援」(国際協力出版会、1999)など。
佐藤 宏(さとう ひろし) 南アジア研究者 / 東京外国語大学非常勤講師
1943年生。東京大学教養学科文化人類学分科、インド・カルカッタ大学人類学部卒。アジア経済研究
所地域研究部、秀明大学国際協力学部教授を経て2002年4月より現職。南アジアの現代政治を専攻。
編著に『もっと知りたいインドI』(弘文堂、1989)、『バングラデシュ:低開発の政治構造』(アジア経済研究
所、1990)、『もっと知りたいバングラデシュ』(弘文堂、1993)など。
村山 真弓(むらやま まゆみ) 日本貿易振興会アジア経済研究所副主任研究員
1984 年アジア経済研究所入所。1989 年から 1992 年までダッカ大学経営学研究所にて学ぶ。バングラ
デシュ開発研究所客員研究員、在バングラデシュ日本大使館専門調査員(政務担当)を経て現職。主
な論文は、「バングラデシュの企業グループーその形成と特色」(『アジア経済』第 38 巻第 3 号 1997)、
「女性の就労と社会関係―バングラデシュ縫製労働者の実態調査から」(押川文子編『南アジアの社会
変容と女性』アジア経済研究所 1997)、「バングラデシュの選挙制度―自由・公正な選挙を目指して
ー」(『ワールドトレンド』第 78 号、2002 年 3 月号)など。
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