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PDFファイル - ストレスカウンセリング・センター

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PDFファイル - ストレスカウンセリング・センター
「30余年間のカウンセリング体験で証明された、重要な真実」
ストレスカウンセリング・センター
所長 前川哲治
(1) カウンセリングを継続したケースでは、期間に長短(早ければ、1ヶ月ぐらいで好転するケースも
ある)はあっても、確実に元気を回復し、問題が解決します。両親の協力が無くても、本人さんが
続けてくれれば、元気を回復するようになります。
(2) ケースで圧倒的に多かったのは、
「閉じこもり」問題です。
「閉じこもり」は不登校(大学生、大学
院生を含む)、出社拒否がその主たるものであり、その特徴は対人恐怖を含む、強い否定的な生き方
にしばられている、最も重いレベルの、心のストレス症状です。
(3) 「閉じこもり」では、初めは本人さん(成人を含む)が来所しないことが多く、大半は親の来所で
す。以前は母親だけの来所多かったのですが、しだいに両親で来所することが増えてきています。
親のカウンセリングを継続していると、本人さん(親と口をきかないことが多い)を親との関係が好
転し、本人さんは元気になってきて、本人さんも来所するようになる場合と、本人さんは来所しな
いまま、登校したり、働いたりするようになる場合があります。
(4) 閉じこもりレベルのしんどさがありながら、仕事をつづけており、表面的には社会に適応している
ように見えながら、人間関係がうまくいかず、しんどさを感じ続けている人がかなり多いと見られ
ます。よくやっていますが、そのように自分を認めることができないため、しんどさがつづいてい
ます。
(5) 親(親がいないときは親に代わる人)の子育てが子供の生き方にとても大きな影響を与えます。
日本の再生のために人づくりかきわめて必要になっていますが、第一次的な人づくりの基盤は子育
てです。子供が親の愛を実感できる子育てが必要ですが、これを「甘やかし」と見て否定する子育
て観が社会常識のようになっています。第二次的に重要なのは学校教育です。
(6) 子育ては親の生き方のあらわれです。親自身がストレスを溜めつづけるような生き方をしていて、
子育てだけがすばらしいというわけには行きません。親自身がしんどいと、子供虐待をやってしま
います。
(7) 子育てによって親子の信頼関係がつくられているなら、その子育ては成功したといえます。親がち
ゃんと子育てをしたつもりでも、子供が親不信をもつなら、それは子育てがうまくやれていなかっ
たことの証明です。
(8) 親子が不信関係になっていると、親子の絆がうすいものであるため、子どもが家を離れて働くよう
になると、実家に帰ることがなくなり、つながりが切れるようになります。親の孤独死が問題にさ
れていますが、子どもとのつながりが切れているのです。
(9) 親子関係が子どもの人間関係の基盤になりますから、子どもが親不信になっていると、人間関係が
うまくいかず、対人緊張、対人恐怖があらわれ、人間関係がしんどくなります。
(10) 子どもの親不信、親に対する不満は、親に愛されていないと感じているからです。子どもが何よ
りも親の愛を求めることは子どもにとって自然なことです。親は子どもを大事に思っていても、そ
れを子どもに向かって表現しなければ、愛は愛エネルギーとして子どもに伝わらず、子どもは「親
に愛されていない」と感じるのです。
(11) 子どもが、「親に愛されていない」と感じていると、「自分は親に愛されない、ダメな人間」、「自
分なんか生まれてこなければよかった人間」などという自己否定感にしばられるようになり、スト
レスを溜めつづけやすく、さまざまな問題行為があらわれます。親としゃべらなくなること、不登
校、家庭内暴力、犯罪、心の症状や心身症などです。
(12) 親が子どもをほめて育てるなら、子どもは自己肯定感をもち、プラス感をどんどんふやしていき
ます。しかし、親はそれを甘やかしになると思い込んでいます。逆に、親の期待に従わせることを
愛と思い込み、子どものマイナス面をなくそうと、子どもに圧力をかけます。これは愛ではなく、
執着愛であって、子どもを力支配することになります。
(13) 子ども気持ちを親が尊重することが子どもの存在を尊重していることになります。そのことによ
って子どもは家庭に居場所感を持ちます。不登校は家庭にも、学校にも居場所感をもてない状態で
す。
(14) 父親は仕事をして家庭を経済的に養うことで全責任を果たしていると錯覚していることが常識の
ようになっており、子育ては母親まかせを当然視し、親としての責任を放棄していることがとても
多いのです。子どもと向きかって話をしたことがないという父親がとても多いのです。当然、父親
と子どもとの親子の信頼の絆はつくられないままです。
(15) 父親および母親の夫婦間の信頼関係づくりができていないと、仮面夫婦になります。家ではまと
もに妻と向き合って会話しない夫がとても多いのです。そこでは子育てもうまくいかず、仮面家族
になりやすいのです。
(16) 「閉じこもり」は長びきやすく、生涯を終えるまで、
「閉じこもり」のままの場合もあります。
「困
難に出会いながらも乗り越えていくという、この世に生まれてきた人類としてのテーマが果たせな
いままになります。
「閉じこもり」が自力で乗り越えにくいのは「どう生きるか」という人類の根本
問題に出会っているからです。
(17) たとえ、子どものときから親と話さなくなり、成年となり何年も経っていたとしても、親は本人
さんに心を開いてもらえるよう、子育てのやり直しをすることができます。それは子ども側の本人
さんのなかの潜在意識に「親に愛されたい」という願いがあるからです。しかも、このやり直しの
実践によって、親の生き方もすばらしいものに変わります。
(18) 閉じこもりの人、閉じこもり的な人は共通して感性(右脳)が繊細で敏感です。それはすぐれた
可能性をもつ資質ですが、ガラス細工のようにこわれやすく、その子どもに合った子育てが必要で
す。知性(左脳)は発達しており、理屈っぽい人が多いのです。しかし、感性が傷ついているため、
感性の成長がおくれ、感性が幼く、知性と感性のアンバランスが大きいのです。
このような子どもがどんどん増えていますから、従来の子育て親では親子の信頼関係づくりがで
きません。
(19) われわれの心が親の子育ての影響を受けて自我意識を作り、自分をつくります。それが意識の仮
の焦点になり、その自分を本当の自分と錯覚します。そして、理想我(
「あるべき私」)にしばられ
ます。自我意識は分離意識であり、それをよりどころにしようとするため、強い恐怖が発生します。
(20) うまくいかないことがつづき、苦しんでいても、心は勇気づけてくれるのではなく、ますます否
定的に考えつづけ、心の闇にひきずり込もうとします。ときには「死んだほうがまし」とか、
「死ぬ
しかない」とか、自分を破壊するようなことをすすめてきます。心が自分の味方ではないのです。
しかし、自分にとって心は自分を生み出した親のようなものですから、心が変なことを言ってきて
も、耳を傾けてしまいます。
そのような心との付き合い方が生き方の大事な実践練習になります。心に振り回されなくするこ
とが心のコントロール、セルフコントロールです。心は道具であり、上手に使えば、役に立ちます。
(21) 親が自分に暖かくなり、子どもにも暖かく、あるがままの子供を受け入れるようになると、こじ
れた親子関係がよくなってきます。
「こころ」というとき、心的エネルギーと無条件の愛エネルギーが含まれています。
愛エネルギーが生命の核であるエネルギーです。それはわれわれの中に宿っている魂が働くエネル
ギーです。この社会は敗戦後、唯物的になり、無条件の愛を見失ってきたのです。
(22) 本人さんも親の方も、人間はすべてその本質は分霊ナスの、苦しい状況のなかでも気持ちを建て
直し、立ち上がることでその魂(真我)からプラスエネルギーがあらわれるのです。それを妨害す
るのが、闇をかかえた心の否定的なはたらきです。
(23) 「魂」という言葉に頭から反発する人はとても多かったのです。しかし、時代により意識の変化
が起こり出しており、対外試合をするスポーツの選手や監督が「大和魂」と言うようになっていま
す。ことに、東北の大災害のなかで東北の人たちは暴動を起こさず、助け合って立ち上がろうと協
力し、それが世界から賞賛されました。たくさんの家族を失った人たちの死者との共生という体験
もありました。そのことによって神様に手を合わせるような意識へ日本人の意識は変化しだしてき
ました。
(24) 東大医学部の教授であり、東大病院で治療にあたっている矢作直樹医博はまっこうから魂に向き
合った著書をつぎつぎと出版しています。医療現場で物質主義的な治療とともに、精神的なケアの
必要性に直面しているからです。日常的に患者さんの死という事実があり、
「死とは何か」
、
「生とは
何か」が宗教よりもっと根底の生きることそのことのスピリアリティに目に向けることになります。
(25) われわれは生まれるときに記憶を封印されてこの世界にやってきました。ここは魂の修行場です。
つらいこと、苦しいこと、困難なことなどに出会って当然です。考えつづけるだけでは、ますます
心の闇に入っていきます。それは精神科の薬物療法で解決できません。それなのに、現実には何十
年と薬を飲みつづけてきた人はいっぱいいます。牛久東洋医学クリニック院長、内科医・内海聡さ
んの著書は勇気ある、精神科医学の告発です。少しずつでも困難を乗り越える実践を積み重ねると、
自分のなかからプラスエネルギーがあらわれてきます。それが修行です。この啓発から間もなく、
向精神薬依存が急増し、覚醒剤依存つぐ、薬物依存となったことが報道されました(「毎日新聞 13
年 2 月 22 日」)
。
(26) 大阪市立桜宮高校でバスケットボール部顧問の男性教諭から常態的に体罰を受けたキャプテンの
男子生徒が 2012 年 11 月に自殺しました。さらに、女子柔道の国内トップ選手が全日本女子の園田
隆二監督やコーチの暴力を 2012 年 11 月下旬、集団で告発しました。極端な暴力で5人の死者を出
したのは戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏でした。同氏は、これは訓練、教育、治療のためと強弁し、
裁判は一審無罪、二審で懲役6年の軽い罪になりました。根性論をよりどころにしていたのでしょ
う。しかし、いくら理由づけしても、
「体罰は暴力であり、虐待であるからいけない」ということを
説明します。
00年施行の、親などの保護者から18歳未満の子どもへの暴力を禁じた児童虐待防止法はあり
ますが、親による虐待死亡事件は増え続けています。
敗戦前は「体罰当然」の社会でした。敗戦後の社会は体罰容認だったといえます。体罰が起こる
のは、人間関係が強者と弱者の支配・服従関係になっている場合です。社会的強者と社会的弱者、
親と子ども、教師と生徒、スポーツの監督と選手などの関係です。その背景は力を中心とする社会
があるということがあります。強者は体罰によって弱者を恐怖に陥れ、強者の押し付けに従わせよ
うとします。体罰は暴力、暴言であり、体罰をする側は、怒り、不安、恐れなどの否定的感情をコ
ントロールできない、精神的に未熟な人たちです。親が子どもに体罰をすることは虐待であり、ほ
かの場合も同様であり、それぞれエスカレートすると、死亡事件にいたります。相撲部屋でも死亡
事件が起きました。
これを国家レベルでいえば、アメリカの軍隊が70年近く日本の占領をつづけ、日本をアメリカ
の属国として、支配しています。その支配はマッカーサーのころと異なり、表面に出ないで、従来
の日本の国家機関によって支配しています。つまり、われわれ日本国民は憲法では日本国家の主者
でありながら、アメリカの支配と、この支配に従う、政・官・財・マスコミの利益癒者勢力による
支配の二重支配を受けています。たとえば、アメリカの気に入らない政治家に対しては、体罰では
なく、もっと手の込んだ手段で政治生命を抹消しようとします。その典型例は政治家の小沢一郎さ
んです。小沢一郎さんはアメリカに対して日本を対当の独立国家にしようとした、日本では希有の
政治家です。東京地検特捜部は金銭疑惑があると、インチキ犯罪をでっち上げて小沢一郎さんを身
動きできないようにし、マスコミはいかにも犯罪があったかのような情報を流し続けました。東京
地検特捜部は進駐軍が隠退蔵物資摘発のためにつくった、アメリカの下部機関です。マスコミは戦
時中もインチキ情報を流しましたが、戦後もインチキ情報を流し続けてきました。
小沢一郎さんの無罪判決が確定した時、マスコミは当然謝罪すべきなのに、それはしないだけで
はなく、いまだに小沢一郎さんのマイナス情報を流そうとし続けています。
人間関係はそれぞれを尊重しあう、対等の信頼関係が必要です。親にとって子どもは自分の所有
物ではなく、対等の人間同士であり、親と子という役割の違いがあるだけです。教育の場でも、教
師と生徒との信頼関係づくりが必要ですが、親が子どもとの信頼関係づくりがうまくできないよう
に、教師も信頼関係づくりがうまくやれていないのです。スポーツでも同様です。監督と選手の信
頼関係がつくられるから、選手はすばらしい能力を発揮できるようになります。プロ野球の元投手、
桑田真澄さん(44)は共同通信のインタビューに、[(子供が絶対服従だから体罰をする。一番ひきょ
うなやり方で、自立心を奪う)と否定している。 …体罰を受けた子どもは「殴られないためにど
うしたらよいか」とその場しのぎのことを考えるだけだ。
…スポーツには体力と技術力を精神力
が必要であって、根性では勝てない。]と述べています(
「毎日新聞」13 年 1 月 12 日)。
体罰によって選手や子どもの気持ちは傷つきますが、それにもかかわらず、自身の精神力をふる
い立たせることによって強くなることにあると理解できます。
「すべての体罰はやってはいけないの
です。」ここまでの体罰はよくて、ここからはいけないという境界はありません。1 回ごとの体罰は
それほどひどくなくても積み重なると、被害者は大きな心的外傷を与えることになります。
体罰に関連して学校でのいじめの問題があります。いじめによる自殺も繰り返されていきました。
大人社会にもいじめはあります。学校での同級生は対等の仲間であるはずですが、力の強い側と力
の弱い側に分かれ、強い側が暴力、暴言、無視などの手段で弱い側を支配し、追いつめていきます。
刑事事件になる場合もあります。力中心の大人社会の影響があります。体罰による自殺事件やいじ
めによる自殺事件があると、共通して学校側、教育委員会側はまず責任逃れの行動を見せます。そ
んなことで学校教育は大丈夫なのでしょうか。
日本の将来は子どもの人づくりにかかっています。親の子育ても子どもの人づくりの基盤ですが、
それについで子どもの人間形成に影響を与えるのは学校教育です。教育現場では、親と同様、子ど
もに教師の期待を押しつけることを教育と思っているのではないでしょうか。教師の無条件の愛を
伝えることは重視されていないのではないでしょうか。教師の無条件の愛を伝えることは重視され
ていないのではないでしょうか。量子物理学の現在なのに、古い、唯物科学を信じ込んだままでは
ないでしょうか。
教師の家庭の子どもの不登校の発生率は高いですし、ことに、校長などの役職者や両親とも教師
であると、その発生率は高まります。
参考図書: 矢作直樹
『人は死なない」 (バジリコ株式会社)
矢作直樹・中健次郎
『人は死なないのでは、どうする?』 (マキノ出版)
矢作直樹・坂本政直
『死ぬ事が怖くなくなるたったひとつの方法』 (徳間書店)
矢作直樹・村上政雄
『神(サムシング・グレート)と見えない世界』 (祥伝社新書)
内海聡書・めんどうーさマンガ 『大笑い!精神医学』 (三五館)
係崎 享
『戦後史の正体』 (創元社)
係崎 享
『アメリカに消された政治家たち』 (小学館)
菅沼光弘
『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』
池田整治
『超マインドコントロール』 (マガジンハウス)
森ゆうこ
『検察の罠』 (文芸者)
郷原信郎
『検察崩壊』 (毎日新聞社)
植草一秀
『日本の独立日」 (飛鳥所者)
藤井 聡
『維新革命の正体』 (産経新聞出版)
岡崎公彦
『がんの特効薬は発見済みだ!』 (たま出版)
古賀茂明
『日本中枢の崩壊』 (講談社)
(徳間書店)
山脇由紀子 『教室の悪魔』 (株式会社ポプラ社)
飛鳥昭雄
『2013年「超」世界恐慌』 (ヒカルランド)
中丸薫・飛鳥昭雄
『ユダヤと天皇家の極秘情報と闇の権力』 (文芸者)
安保 徹
『免疫革命』 (講談社インターナショナル)
前川哲治
『「閉じこもり」から抜け出すには』 (創元社)
平成 25 年 3 月 25 日 改定
平成 25 年 3 月 31 日(日)午後 2 時~4 時にこれをテキストにして、2012 年度『子育て自身がもてる』セ
ミナーを大阪市立青少年センター(ココプラザ)で行いました。
カウンセリング道を生きる
これは「重要な真実」さらに掘り下げたものです。全文はセンターにあります。他にも読んでいただ
けるとお役に立つ資料がたくさんあります。
たとえば、平成 6 年 12 月 7 日(水)より 12 月 25 日(日)にかけて読売新聞大阪本社に 15 日にわたって
掲載された「こころの日記帳」は、心理学を専攻した記者の辻美弥子さんが精魂こめて閉じこもりの本
人さんを取材して書かれたもので、いま読んでも新しい発見のある、すばらしい記事です。
関心のあるかたはお問い合わせください。
(1)カウンセリング道とは
大阪少年鑑別所では何人もの非行(虞犯を含む)少年に会ったものの、家庭裁判所に提出する少年
鑑別結果通知書を書くことが主たる仕事であり、カウンセリングのための面接ではなかったのです。
我流ながらカウンセリング的な面接をしたのは大阪刑務所で収容者の希望に応じて面接する仕事を、
心理学の専門職である私が1人で対応したからです。その後、関西大学の学生相談室で学生カウンセ
ラーを体験しました。
分かってきたのは、カウンセリングは人の生き方に影響を与えるということです。そのためには、カ
ウンセラー自身が「どう生きるか」の根本問題についての体験的理解が必要でしたが、肝心なことは
何も分かっていないことに思いいたり、自分のカウンセリングに納得できず、カウンセリングをつづ
けることができなくなったのです。
「宗教にヒントがあるのではないか」と思い、いくつかの宗教教団を遍歴をしたものの、疑問はほ
ぐれず、木村裕昭医博に出会い、よりどころは自分のうちにある真我なのだということに意識が向く
ようになり、やっと長年かかったものの、カウンセリングにもどるようになりました。それから30
年余りになります。
来所するクライエント(本人さん、その親の方など)が、私にいろんなことを教えてくれた、生き
た教科書でした。カウンセリングの大半は不登校、出勤拒否などの「閉じこもり」のケースでした。
カウンセリングをつづけてくれたケースでは、本人さんが元気になり、元気に社会で活動できるよう
になりました。
「閉じこもり」はストレス症状の、もっとも重いレベルの心の症状であり、その本人さんが出会って
いるのは「どう生きるか」という、人類の根本問題です。しかも、親不信、人間不信、自己不信になり、
すべてを否定的に考え、否定的な生き方にしばられています。それでも、元気を回復し、立ち上がれる
という、たくさんの実証を体験できました。
どの人のなかにも、どんなつらい、苦しい状態になっていても、立ち上がることを可能にする、すば
らしい真我(魂)が宿っているのです。ですから、私はかならず元気を回復するという確信をもってカ
ウンセリングを始めます。しかし、本人さんは「自分はダメな人間。よくなるはずがない」などと確信
しています。その否定的なエネルギーを受けながら、カウンセリングするわけですから、カウンセラー
にはハートから放射される、暖かい魂エネルギーが必要になります。
したがって、カウンセリングには技法の面はありながらも、技法を越えた面があり、カウンセリング
道ととらえることができます。日本では茶道、華道、武道などと呼ぶことによって求道として掘り下げ、
生きる根本法則を追究しようとしてきました。カウンセリングは真向から本人さんがどう生きるかにつ
いて対話し、できそうなプラスの実践を積み重ねることによってしんどい状態から元気を回復するよう
になります。その体験によって本人さんは自分のなかにある、すばらしい真我の働きを気づくことが可
能になります。
カウンセリングは「カウンセリング道」ととらえることによってその役割が明らかになります。カウ
ンセリング道はいくつもの「道」と名づけられているなかでも、より端的な求道となるということがで
きます。ちなみに「岩波国語辞典」によれば、「求道」とは「神仏の道を求めて修行すること」※とあ
ります。
ぐ どう
く どう
※求道-仏の正しい道を求めること、転じて人の世の道理を求める(求道)こと。
求道-神の道を求めて修行すること。
みち
道―人がふみ行うべきこと。
(2)「閉じこもり」は自分のうちにある宝庫に出会うチャンスととらえることができる
苦しみ、不幸と感じている人はとても多いのです。そもそも生涯を通してみれば、死を願うほどの苦
しみに出あう人はとても多いでしょう。
「閉じこもり」は苦しみ、不幸と感じる状態の典型例と見ることができますから、「閉じこもり」に
なっても立ち上がれるという、実証的な事実は閉じこもりレベルでなくても、苦しみ、不幸と感じてい
る人々の生き方の見直しにも役立ちます。
「閉じこもり」の本人さんが共通して訴えるのは、「どう生きたらよいか分からない」、「人とどう
付き合ったらよいか分からない」ということ、「闇の中でただ1人でうずくまり、出口が見つからず、
世
界中でだれ1人そのつらさを分かってくれる人がいない」という孤立感です。
頑張ってきたものの、人間関係がしんどくなるばかりで、しんどい人間関係を避けつづけるようにな
り、閉じこもり段階になっていきます。そして、過去のいやだったことや「もうよくなれないのではな
いか」という将来不安などを否定的に考えつづけ、否定的な生き方を強めていきます。そうして、意図
したわけでなく、出会っているのは「どう生きるか」という、人類の根本問題です。
人類の生き方の根本問題に出会って苦しんだのはお釈迦様やイエス様も同様でした。でも、苦しみの
渕からの解脱にいたり、自分のなかから真我の光をあらわして生きるようになり、お釈迦様はその光の
ことを仏と呼び、知恵を説き、イエス様はその光のことをうちなるキリストと呼び、愛を説きました。
どんなに苦しくても、このように立ち上がり、すばらしい生き方をすることができるということを身
をもって人類に教える役割の方々でした。その教えはいまも人類に伝えられ、人類の啓明に役立ってき
ました。
(3)この世界は修行の場
霊である自分自身は肉体をまとって物質世界である、この世界にやってきました。生まれたときに記
憶を消されています。「自分自身がだれなのか」、「どこからやってきたのか」、「何をしにやってき
た
のか」も忘れています。
修行とは霊である自分自身、つまり魂がレベルアップすることです。そのために、この世界ではさま
ざまな困難に出会います。そのことで苦しみ、落ち込みながらも、困難を乗り越えるよう実践していく
と、自分のなかの魂である真我からプラスエネルギーがあらわれ、元気を回復するようになり、精神的
わけみたま
に成長します。さらには、自分自身が霊(神道では分 霊 といいます。)であることを思い出します。こ
こから悟りという意識転換が起こることもあるでしょう。
この世界では、考えているだけでは大して効果はありません。考えると、否定的なことばかり考える
ようになります。小さなことであっても、プラスの実践が必要です。プラスも体験し、マイナスも体験
し、体験を通して理解を深めていきます。
しかし、敗戦後の社会は唯物的な見方が強くなり、精神面に無関心となり、まして「霊などとあやし
げなことをいう」という見方になりやすくなったのです。
(4)明治維新以降の日本の歩み
それは明治維新以降の国家の歩みの影響があります。わが国は欧米から開国への圧力を受け、植民化
される危険に直面し、早く欧米に追いつく必要に迫られました。欧米は植民地支配を当然とする帝国主
義的な強国でした。そのために、わが国も帝国主義化し、国家主義的なイデオロギーにしばられるよう
になり、古神道は国家神道になり、大和魂も好戦的にとらえられるようになりました。
そして、日清・日ロ戦争には勝利したものの、第二次世界戦争では広島、長崎に原爆を投下され、有
史以来最初の被爆国となり、敗戦しました。以後、アメリカに占領され、いまだにアメリカの軍隊は日
本に駐留したままで、アメリカは日本をアメリカの属国として支配しつづけてきました。アメリカの占
領政策は日本人がアメリカから独立しようとする、精神的自立の核を骨抜きにすることでした。その政
策は成功し、日本人自身も大和魂を否定し、精神面を否定し、物質中心的になりました。唯物的科学を
絶対化し、我欲中心、カネ中心、モノ中心、外観中心の生き方になり、社会は精神的に荒廃化してきま
した。家族も経済面さえ満たせばすばらしい家族になると錯覚しました。アメリカ支配を国民は「おか
しい」と思わなくなりました。政治家も、極端な従米路線の小泉元首相だけでなく、従米を当然視して
きたなかでただ 1 人、平成 21 年2月、当時の小沢一郎民主党党首がクリントン国務長官と会談し、「対
等な日米関係」を目指す考えを強調しました(大下英治『小沢一郎と田中角栄』角川 SSC 新書)。しか
し、以後検察と、マスコミなどの小沢潰しの謀略がつづいています。
平成 24 年 8 月、孫崎享著『戦後史の正体』(創元社)が出版され、あっという間にベストセラーになり
ました。[「元外務省・国際情報局長が最大のタブー「米国からの圧力」を軸に、戦後 70 年を読み解く:」
と表紙にあります。日本国民なら当然知っておくべきアメリカの日本支配の真実がはっきり述べられ、
「目からうろこ」の感じでした。さらに、『アメリカに潰された政治家たち』(小学館)も出版されまし
た。当然のように、反動勢力からの批判も出てきています。
民主党は劇的な政権交替があったとき、日本をダメにしてきた自民党政治にうんざりしていましたの
で民意の高まる改革が実行されるようになると喜んだのです。しかし、菅首相、野田首相の政権になり、
その政治は自民党時代とまったく同じ、むしろ自民党より下手であり、その内閣の中心的な人々は共通
して小沢排除に躍起になっており、この人たちは実は隠れ自民党だったということがはっきりしました。
敗戦後の、まともに食べられない焦土から経済復興してきたことにはすばらしい面があったとしても、
1970年代の高度経済成長期になるととともに、ますますカネ中心的になり、登校拒否(不登校)が、
急増するようになりました。親、ことに父親は仕事によるカネもうけ中心になり、親でありながら、子
どもとの信頼のきずなつくりにまったく労力をかけなくなってきたのです。
やがてバブルが崩壊し、長い長い不況期がつづき、さらに世界的な経済危機の影響を受け、アメリカ
に次ぐ世界2位の経済大国の位置が中国に追い抜かれ、さらに転落しつつあり、しかも少子化のために
人口が減少するようになり、民族的に滅びの方向に入ってきました。そこに東北の大災害を体験するこ
とになりました。そこでは原水による放射能汚染という人災が重なりました。たくさんの災害による死
者たちを身内にもつ、多くの人たちが真剣に死者の魂のゆくえに目を向けるようになりました。「日本
はこのままではいけない」と、やっと危機意識をもつ人がふえてきました。科学も量子物理学が解明さ
れ、それまでの物質中心科学が大きく変わり出してきました。
(5)閉じこもりの人々がしばられているネガチズム(否定的な思い込み)
前述のように閉じこもりの人は親不信、人間不信、自己不信の状態であり、否定的になり、「悪いよ
うに、悪いように」と考えつづけます。ですから、カウンセラーに対しても拒否的です。「どうせ、説
教したり、いやなことを押しつけたりするだけ」などと思っています。
「どう生きるのか」の人類の根本問題に出会いながら、そのことを認めにくく、「こんなしんどくな
ったのは親のせい」、「社会のせい」などと責めつづけ、ちゃんとやれない自分も嫌います。そして、
「自分流のやり方で何とからくになれないか」と思ったりします。
「こんなに苦しんでいるのに、神仏がいるなら助けてくれるはずなのに、何の助けもないから、神仏
などいるわけない」と考えます。そうなると、「求道」といわれても、それはカウンセラーのひとりよ
がりで、「カウンセリング道」などとふざけていると反発するでしょう。
しかし、生きる根本法則を少しずつでも、できそうなプラスの実践の積み重ねの体験を通して理解を
深めていくことが元気を回復することに役立ちます、霊、魂、真我は自分のなかに宿る太陽です。
心は太陽をおおう雲です。太陽は物質面をもつとともに、天照大神とか大日如来と呼ばれているエネ
ルギーを地球に放射しています。宇宙的な愛エネルギー(プラナ)であり、それが地球生命、および地
球上の人間、動物、植物などの生命を生かす、不可欠の養分となっています。
われわれ人間が否定的に考えたり、否定的な感情を抑圧したりすることによって心の雲はあつくなり、
太陽がありながら、あつい雲におおわれて太陽はないように見えます。また、心が自我意識をつくり、
自我である自分をつくっています、ですから、自我も雲であり、自我を強くすることが雲をあつくする
ことになります。日本人の大好きな頑張り主義を強めることが自我をあつくすることになります。
太陽がすばらしい光を放つには、心の雲がうすくなることが必要です。そのために、古来、「無心」、
「無我」という修行があります。生き生きとした生命の充実を感じているとき、自我は消えています。
厄介なのは、自我が自分をうすくしようとするから、自我をうすくすることができません。多くの人
は雲のほうが本当の自分であり、太陽という真我があることに気づかないのです。
心の雲があつくなることによって闇を見るようになります。それがネガチブな生き方です。心に振り
回されて生きるのか、心をコントロールして生きるかは心との付き合い方の問題なのです。雲である自
我が雲である心をコントロールできるわけはありません。真我が心をコントロールするのです。
(6)親子の信頼関係づくりが子育ての眼目子どもの最大の願いは親に愛されることです。両親がい
れば、両親に愛されることです。愛されるとは、まるごと受け入れられること、つまり、無条件の愛を
求めています。逆に、子どもがもっとも恐れていることは親に嫌われ、親に見放されることです。です
から、子どもは愛されているかどうか、親に全関心を向けています。そのため、子どもは親のホンネ(潜
在意識)を見抜くようになります。きょうだいがいると、「自分のほうがいちばん愛されたい」という
競争があります。
親の愛が子どもに伝われば、そのことによって子どもも親を愛するようになり、親子間の信頼関係と
いうきずながつくられます。親が子どもに笑顔で接するとき、子どもは最高に幸せです。これに反して、
親はほかに悩みごとをかかえて、不機嫌な顔で子どもに接するときでも、子どもは「親が自分のせいで
不機嫌になり、自分のことを嫌っている」ととります。
思春期ごろにはっきりすることが多いでしょうが、親子関係が信頼関係になっている場合は、親の子
育てが成功だったと証明されているのです。そうでなかった場合は、親は子どもに愛を伝えられなかっ
たことの証明です。そこから子どもの問題行動もあらわれます。子どもが発達障害とかアスペルガー症
候群とか診断された場合でも、親の子育てが子どもの生き方に大きな影響を与えるという事実を無視す
ることは空論であり、子育てを誤らせます。実際に親が無条件の愛を子どもに注いでいるのに、子ども
が発達障害、アスペルガー症候群であるという例があるなら、知りたいものです。私はそんな例に出会
ったことがありません。閉じこもりの人は左脳(知性)の発達は問題がなく、むしろ理屈っぽいくらい
の人もよく見られますが、右脳(感性)が傷つき、感性の発達が妨害され、感性的には未熟、幼稚であ
り、知性と感性のアンバランスがとても大きいのです。これは親の子育ての影響です。
発達障害のことについては、精神科医の岡田尊司医博の『発達障害と呼ばないで』(幻冬舎新書)が
とても参考になりました。本書では、まず、[「発達障害」と診断されるケースが急増している。]と述
べています。その所説を引用します。
(P. 2 5)[発達障害は、生物学的基盤によって起きた中枢神経の機能的発達の障害と定義される。
遺伝子レベルの問題以外にも、妊娠中や出産時、及び乳幼児期に生じた器質的病変によるものも、通
常含められる。]
(p.43)[1970年代頃から、一般の家庭で育った子どもでも、虐待やネグレクト(育児放棄等)を受
けた場合には、特有の対人関係の障害がみられることが知られるようになり、・・・施設で育った子ど
なつ
もたちに似て、誰にも懐かず、心の殻に閉じこもる。逆にだれにでも馴れ馴れしく甘え、しがみつこう
とした。
さらには、不安定な愛着の問題は、・・・明白な虐待やネグレクトがない場合でも、かなりの子ども
に、・・・みられ、・・・約半分の子どもが不安定な愛着パターンを示すのである。さらには、成人で
も、同じくらいの割合の人が、不安定な愛着スタイルを示すことが知られるようになる。]
(p.78)[・・・診断の過剰適用が起こるのには、大きく 2 つの要因がある。1つは、軽症のケースで
診断を適用するようになったことにある。その子の特性に過ぎないことさえ、“症状”として診てしまう
ということが起こる。もう一つは、愛着障害など養育要因の関与が強いケースまで、発達障害に含めら
れてしまっていることである。]
(p.80)[発達障害だけで愛着の問題がない場合には、行動や社会性の問題があったとしても、親との関
係が安定し、親に対して信頼感や安心感をもっている。生活に支障があっても、深刻な問題行動は少な
い。情緒的にも安定し前向きな傾向がみられ、自分の特性をうまく活かしていることが多い。愛着障害
のケースでは、例外なく親との関係にわだかまりや心の傷を引きずっている。深刻で対処の難しい問題
が見られやすい。]
また、親子関係は人間関係の基盤になりますから、親子の信頼関係のつくられている場合は、子ども
にほか人間関係にもよい関係がつくられやすいのです。信頼関係がつくられるとは精神的なきずながつ
くられるということです。それは愛によってつくられるきずなです。これは親の影響によるものです。
親が子どもをいつくしみ、可愛がる実践が子どもに愛を注ぐということになります。「子どもが大事」
という思いをもっている親は多いのですし、そこに愛の萌芽があります。押しつけでない、小さな親切
(例、座席を譲る、公園でごみ掃除するなど)は無償の愛の実践になりますし、小さな親切を積み重ね
れば、大きな親切になります。自発的なボランティア活動も無償の愛の実践になります。人が喜んでく
れることを協力できた、自分のなかの喜びはすばらしい体験になります。自分の子どもに親が小さな親
切を積み重ねることはそんなに困難なことでしょうか。前述のように、親が笑顔で接してくれるとき、
子どもは「最高に幸せ」です。
それでも、「愛が分からない」と言う親は、父親だけでなく、父親よりは少ないものの、母親にもい
ます。こんな親は自分の子育てを正当化し、「子どもに問題があるから、子どもがちゃんとしていない
のだ」と子どものせいにして子どもを非難します。このような親は子どもの問題行動は親の子育ての大
きな影響受けているという事実を認めず、あまりカウンセリングを受けません。受ける場合は、カウン
セラーを親の正当化のために利用し、カウンセラーを支配しようとします。このような親は唯物的でカ
ネ中心的な見方が強く、子どもは小さくても、魂を宿した一人の人間なのだという見方が欠落し、自分
の所有物のように見ています。稀に、親が子どものために献身的にやっている親子共依存の場合も、親
の期待で子どもをしばっており、子どもはだんだんしんどくなります。それも愛による信頼関係ではあ
りません。
(7)人づくりの原点は親の子育て
子どもの生き方の基盤は思春期ごろまでにつくられます。子どもの生き方にとても大きな影響を与え
るのは親(親がいないときは、親に代わる人)の子育てです。親の子育ては親の生き方のあらわれです。
親が否定的でしんどい生き方をしていて、すばらしい子育てをすることはできないのです。
すばらしい生き方とは、自己肯定的で、人の喜びを自分の喜びとし、日々感謝し、幸せを実感する生
き生きと充実した生き方といえるでしょう。謙虚で、自分に暖かく、人にも暖かいのです。そのような
生き方が生きる目的になります。
親にまるごと受け入れられており、親の愛を実感できている子どもは「自分の存在は OK である」と
感じ、自分で自分を認めることができ、自己肯定感をもつ生き方になります。それでも、人生ではいろ
んな困難に出会い、苦しみますが、前向きに苦しみに立ち向かい、困難を乗り越えていこうとします。
親の愛を実感できない子どもは、「自分は親にも愛されない、ダメな人間」、「自分なんか生まれて
こ
ないほうがよかった」などという自己否定感にしばられた生き方になります。そのため、ストレスを
溜
めやすくなります。
また、親に自分を認められてきたという実感をもっていないために、自分で自分を認めることができ
ません。人に認められることによって自分を認めようとしても、気をつかい、頑張って相手の期待に合
わそうとするために緊張が強まり、しんどくなってきます。さらに、親に対する恐怖、怒り、憎しみな
どの否定的感情を溜めつづけると、親は自分の敵、社会は自分の敵と見るようになり、残虐でショッキ
ングな犯罪を行うことによって社会に認められようとすることが、ときに起こります。
親の愛を子どもが実感できなくても、それでも親に愛されたいために、自分から親の期待に合わし、
よい子を演じることによって親に認められ、愛されようとします。しかし、子どもがよい子であれば、
親は「自分の育て方がよかった」と思い、さらによい子を求めるようになります。子どもは頑張ってよ
い子を演じ続ける義務感が強まり、カラ回りし、しんどくなり、むなしくなってきます。もっとも、よ
い子を演じられない子どももおり、親に手のかかるようなことをすることで親に関心をもってもらおう
としたり、消極的で自信のない子になったりします。
(8)閉じこもりの人の親はみんなひどい子育てをしているのか
閉じこもりの人はもっとも重いレベルのストレス過剰状態です。その人たちは、すでに述べたように、
両親の子育ての大きな影響を受けています。そのなかには、子どもの死亡という刑事事件になるような、
ひどい虐待の場合もあります。しかし、今まで出会った親の子育ての大半はそんなひどいレベルの虐待
ではなく、社会でざらに出会うような子育てです。それは社会の常識のように親に影響を与えつづけ、
親の子育てを誤らせてつづけてきた社会の子育て観にもとずく、「甘やかしてはいけない、きびしく育
てなければいけない」という子育てなのです。それは「親の期待に子どもを従わせる」というものであ
ります。子どもが自立していくようになるのを妨害する子育てです。もちろん、ひどいレベルの虐待を
受けた子どもは強い否定感にしばられた生き方になります。子どもが親に甘えてきたら、甘えを受け入
れることが子どもに親の愛を伝えることになり、親の愛を実感できることによってだんだん親に甘えな
くなります。「子どもをほめて育てること」は子どものプラス面をどんどんひき出すようになり、その
ことによってマイナス面を出すことが減ってきますが、「そんな育て方はとんでもない」ということに
なります。その結果、親は「子どものプラス面をあまり認めると、甘やかしになる」と考えます。そし
てプラス面をあまり認めず、しかも、子どものマイナス面をなくすようにマイナス面を指摘し、叱った
りして、逆にマイナス面を強めていきます。子どもは「親は自分が嫌いだから、叱ってばかり」ととる
ことに親は気付かないのです。
親が子どもの気持ちを尊重することが、子どもの存在を 1 人の人間として尊重していることを伝える
ことになり、それが親の無条件の愛を子どもに伝えることになります。そのことによって親子の信頼関
係がつくられます。そんな子どもは感情がゆたかに育ち、人の気持ちを尊重するようになります。
親の子育てが1回ごとではちょっとした、子どもの気持ちを傷つける程度であっても、それが何回も
積み重なると、大きな心の傷になります。そこから閉じこもり問題も発生します。
親子の信頼関係がつくられていると、思春期に親への反抗を経て親離れに入ることが多く、精神的に
自立をする方向へと成長していきます。閉じこもりのケースでは、よい子的で、「反抗期が見られなか
った」ことがかなり多いのです。
しかも、右脳である感性が敏感で繊細な若い世代がどんどんふえてきています。子どもの感性は親の
愛を実感し、養分とすることによって生き生きと成長します。そのような感性はすぐれた資質ですが、
ガラス細工のように傷つき、こわれやすいために、親のちょっとしたつもりの叱責や押しつけが子ども
の気持ちを傷つけることになります。従来の子育て観から、子どもの気持ちを尊重する子育てへ変える
必要に迫られています。それは「甘やかしてはいけない。きびしく育てなければいけない」という子育
てから「ほめて育てる子育て」への転換です。
子ども(成人を含む)が「自殺する」とか「人を殺す」とか言い出す状態にがあらわれたら、困難で
も、それをとめる必要があります。
いじめ事件は繰り返されていますが、大津の市立中学2年の男子生徒が昨年(平成 23 年)10 月に自
殺した事件は、ことにいたましいものです。「遊びでしただけ」と言っている、いじめた側の子どもた
ちの感性の幼稚で荒廃化していることに驚きます。それを見て見ぬふりをしてきた学校側の教育者とし
ての感性の鈍感ぶり、事件が問題化してからの自己保身ぶりにも、大人の側に人間尊重の原点が欠落し
ていると感じました。被害者の父親の訴えに警察の対応も初めは鈍く、マスコミで大きく報道されるよ
うになって、やっと捜査をはじめました。このいじめはいくつかの刑事事件にあたる疑いが強いのです。
恐喝、傷害だけでなく、自殺するまで強要し追いつめた行為は殺人罪になるでしょう。
なぜ、社会の、このような誤った子育て観が延々とつづけてられてきたのでしょうか。日本の国民は
権力をもつ支配者層と権力をもたない、多数の被支配者層に分かれています。支配者層とは政官財およ
びマスコミの利権癒着的勢力であり、さらにその上に支配者としてアメリカがあります。社会の子育て
観はこの支配者層にとって都合のよい子育て観なのです。「権力支配に無抵抗で、従順に従う、よい子
的な大人を養成することに役立つからではないか」と見られるのです。
(9)閉じこもりは修行のテーマのあらわれ
閉じこもりの本人さんはつらく、苦しい生活にですが、親の方もつらく、苦しい生活になります。こ
のことは本人さんだけでなく、親の方も、困難という形であらわれる、この世界にやってきた大きなテ
ーマの一つに出会ったとみることができます。
われわれはこの世界に生まれる前に、どんな親を選ぶか、どんな人生にするか、どんな死に方をする
かなどをかなりくわしく計画して、生まれてくるといわれていますが、出生時にその記憶を失っている
のです。
私は、知人のお母さんから 50 代の閉じこもりに息子さんがガンで亡くなった話を聞きました。多分
10 代から閉じこもりになり、お母さんとはずっと一と言もしゃべらないままだったのが、亡くなる直前、
「ありがとう」と一と言言ったそうです。そんな言葉を発することができたことは「とてもよかった」
とは感じましたが、それでも、「その息子さんの一生って何だったのだろう」と思うと、「もっと協力
のやりようがあったのではないか」と思っています。
最近、20 代の男性の、閉じこもりの本人さんが1人で来所しました。数年まったく外出できないまま
だったそうですが、「こんな自分でもやればできることがあるのではないか」と考えるようになり、そ
れから外出でき、図書館に行き、私の著書(『「閉じこもり」から抜け出すには』創元社)を読み、来
所したとのことでした。自力でそこまでやれたことはすばらしいことです。2回目来所のとき、「家の
経済的事情があって、すぐ働きに行きます」ということで、カウンセリングは終了しました。
閉じこもりの人のなかには、閉じこもり生活をつづけているうちに、「いつまでもこんな生活をして
いれもしようがない」という気持ちにいきつき、自力で動き出すようになる人がいます。「親とか、だ
れかに助けてほしい」と思うようになる人もいます。家庭内暴力になる人はかなりいます。少数ながら、
前述のように社会にショックを与えるような犯罪行為に出る人もいます。閉じこもりのまま、一生を終
える人もいます。
閉じこもりの人は「支えるものが何もない」と感じています。私も、長年、「閉じこもりの人が支え
なしで、大変な苦しさ、しんどさを背負いながら、どうして生きつづけることができるのか」疑問でし
た。最近になって、やっと直感的に気づかせてもらったことは、「本人さんは気づかないとしても、そ
の人の生きているいのちが支えになってくれているし、そのいのちを生み出したもとの働きである神様
に支えられている」ということです。難しいのは、前述のように、本人さんの多くが「長年苦しんでい
るのを助けようとしてくれないから、神仏はあるわけがない」と神仏否定になっていることです。神仏
を否定すると、自分のなかに宿る、魂である真我も信じにくいのです。それには社会の物質中心な見方
の影響もあります。
(10)人間の成長とは精神的成長のことである。
日本人は「頑張ることはとてもよいことだ」と信じ込んできました。われわれの潜在意識は「頑張っ
てちゃんとやらねばならない」という頑張り主義が癖づけられており、うまくやれないと「自分を責め
ることによって頑張らそう」とすることも癖づけられています。
人間の成長とは自我を強めることだと思い込んでいます。そのために、頑張り主義を強めようとしま
す。しかし、「頑張る」とは、感情の凝集力を強めること、つまり心の緊張を強めることであり、前述
のように、太陽をおおう雲をあつくすることであり、そのことによって精神的成長が妨害されます。
頑張りつづけることでストレスを溜めつづけるようになり、くたびれてきます。リラックスした生き
方が大事ですが、この社会ではリラックスが軽視されてきたのです。
また、頑張ることは意志を使うことと同じではありません。だれでも、はじめは意志が弱いのですが、
意志を鍛えることによって強くすることができます。意志が強くなれば、頑張る必要がなくなります。
頑張ることは心的エネルギーであり、意志力は精神的エネルギー、つまり魂から発する魂エネルギーな
のです。意志が強くなることが精神的成長なのです。
感性の繊細さ、敏感さはすぐれた資質であっても、そのままでは傷つきやすく、こわれやすいですか
ら、精神的な抵抗力(ストレス・トラランス)を身につけていくことが必要です。これも意志力を強く
することになります。
スポーツは身体を使う競技ですが、体を動かす練習だけでなく、失敗しても立ち上がるという意志、
つまり、精神面のトレーニングも必要です。ことに、オリンピックに参加する選手は対外試合で「勝た
ねば」というプレッシャーが強くなり、精神面のトレーニングがとても大事なことになります。
人間は物質面、経済面が大事だが、精神面は不要とする、社会の考え方は異常です。人間は物質面・
経済面とともに精神面も大事なのです。家庭も物質面・経済面だけで満たされるわけではなく、信頼の
きずなづくりが必要であり、そのためには精神面である愛が必要なのです。
意志が強くなってくると、心(否定的な心の動き)に振り回されることが減ってきます。心をコント
ロールするのは意志力、つまり精神力なのです。
しかし、われわれは心に振り回されやすいのです。心によって自我意識をつくり、心のつくった自分
は仮の意識の焦点でしかないのに、その自分が本当の自分のように錯覚します。
ストレスが溜まるほど、心は否定でいっぱいになり、否定的な考え方を強め、心の闇に自分をひきず
り込もうとします。ついには、「死んだほうがまし」、「このつらい状況を抜け出すには、死ぬしかな
い」などと、心はささやいてきます。このささやきにだまされた人が自殺します。年間に自殺者が3万
人余、しかも 10 年あまりつづいています。
心が味方なら、どうして自分を破壊するようなことを心はするのでしょうか。心が味方なら、「今は
つらくても立ち上がれるよ」などと勇気づけることを言ってくるはずです。心は自分の味方ではなく自
分の破壊者です。なぜ、そんな心にひっかかるのでしょうか。それは心のつくった自我にとって心は産
みの親のように受けとめており、心が変なことを言っても、そのまま信じ込んでしまうのです。そして、
前述のように、心の雲が本当の自分のように錯覚します。「心が変ことを言っているな」と気づくこと
が、心の支配から脱する第一歩になります。
心は自分自身がいろんなことを具体化することに利用する道具です。真我である自分自身は心を利用
することができます。そのことは、自分の心を他人の心の動きを見ているように、いい、悪いでなく、
ただ客観的に眺めていると、心は揺れていても自然に静まってくる体験をするようになり、眺めている
意識は心という意識とは別の意識であることを理解するようになります。
眺めている意識はしばりのない、自由な意識であり、真我である魂意識です。これに対して。心の意
識は意識であってもいろんな否定的なしばりのある意識なのです。気付きによってこの意識が働き出し
ます。エネルギーとしていえば、自由な意識は高いエネルギー、心意識は低いエネルギーなのです。な
ぜ、心は低いエネルギーになっているのでしょうか。それはわれわれ個々の心は人類全体の心(集合意
識)の影響を受けているからです。人類全体は、この世界へ何度も生まれ変わり、困難に出会うことを
繰り返してきたために、そのことで集合意識は否定が積み重なり、闇的になってきたといえるでしょう。
自我意識は分離意識であり、「自分とあなたは別」「自分と自然は別」「自分と神は別」などとなり、
しかも、その自我の力で自分を守っていこうとしますから、恐怖を強めることになります。苦しみが
深まると絶望的な恐怖から濃い闇に入り込み、さらにどうにもならない、強い恐怖にのたうち回ります。
そんな状態でも、少しずつでも光をあらわすようにするなら、闇はうすれてきます。よく分からなく
ても、自我は真我ではなく、自分のなかに真我が宿っており、真我が自分自身ですから、あきらめない
ことです。どんなにつらくても、少しずつでも立ち上がろうとしつづけるなら、真我が働き出し、少し
ずつでも立ち上がれるのです。立ち上がる働きのもとが自分自身なのです。立ち上がるのを妨害してい
る働きが心なのです。そんな心にだまされるつづけないことです。
(11)熱いハートで感謝をもって生きることが共生であり、死者とも共生する
われわれは潜在意識で考えつづけ、イメージ化したことを引き寄せ、それが人生をつくる働きになり
ます。しかも、われわれは練習しなくても潜在意識で否定的に考え、否定的なイメージをつくることが
上手であり、それが、否定を引き寄せ、否定的な人生をつくることになります。われわれは潜在意識の
強い思いによって人生をつくっているのです。思い、心は変化するものですから、思いを原因としてつ
しき
くられる人生は、現象の人生であり、夢の人生です。現象とは色であり、それは実在ではなく、空であ
るということです。
スポーツでは選手はイメージトレーニングをします。そのことによって体はイメージ通り動くように
なり、成功につながることを選手たちはよく知っているのです。
人生も、潜在意識でプラスをはっきり描けるようになれば、そのことによってプラスの人生をつくる
ことができます。しかし、しんどい状態の人が元気になっている、プラスの自分の姿を潜在意識で描け
るようになることはとても難しいことです。プラスイメージを描こうとしても、潜在意識にある、強い
マイナスイメージがそれを妨害します。プラスイメージを浮かべるのには、右脳である感性が生き生き
していることが、不安や恐怖を溜めると、ハートが冷たくなり、胸がふさがり、心を閉ざした状態にな
り、息苦しく、暗く落ち込んだ状態になります。息を吸いにくくくなり、パニックになることもありま
す。
ハートが熱くなると、胸が開かれてリラックスした感じがあり、愛エネルギーがハートを通してあら
われている状態です。そのことによって感性は生き生きと働くようになり、プラスイメージをはっきり
浮かべられるようになり、充実した人生をつくることができるようになります。しかし、否定的でしん
どい状態であっても、練習すれば、だんだんプラスイメージを浮かべられるようになります。呼吸法、
自律訓練法などでゆったりしたなかで、プラスイメージ(例えば、本人さんなら、元気に働いている姿、
親なら親を拒否し、話さなくなっている本人さんと話せている場面など)を浮かべるようになり、練習
を繰り返していると、イメージがはっきりし、潜在意識にしみこんできます。
スポーツでは「燃える、闘魂」などといます。サッカーのなでしこジャパンも選手はみんな燃え、す
ばらしいプレーをし、見ている人々を感動させてくれました。仕事に燃える人は仕事で大きな成果をあ
げるでしょう。そして、親は暖かいハートで子育てをすれば、すばらしい子育てになるでしょう。
自分に欠点があっても、あるがまま受け入れられるようになれれば、子どもにもほかの人にも暖かく
接するようになれるのです。そのためにも、自分を責めることを少しずつでも減らし、自分を許せるよ
うになれることが生命の働きを活発にします。しかも、一つでも感謝できることに目を向けることがと
ても大事なことです。感謝は自分という雲をうすくし、意識のエネルギーを高めます。
前述のように、生命が生き生きし、喜びと感謝と幸せ感を実感じて生きることがこの世界にやってき
た修行の目的であるといえるでしょう。そして、死ぬときがきたら、死んだらよいのです。親しい人と
死別した体験を持っている人にはお分かりのことですが、死者が身近にいることを、体もなく、話すこ
ともできないとしても、存在を実感するのです。生きることは死者との共生なのです、肉体は死んでも、
死者も生きており、魂である真我は生きつづけるのです。
東北の大災害は、経済的な大損害であることは当然ですが、国土を放射能で汚染したという深刻な問
題があり、日本人全体の意識に変化をもたらすものでした。日本人は有史以来最初の原爆によって大量
殺人の犠牲者となったのに、再度放射能汚染という人災の被害者になりました。しかも、東北は田の神
様に感謝しつづけてきた、日本古来のすばらしい精神的伝統を伝えてきた土地なのです。
その災害でたくさんの人々が亡くなりました。残された生者はその親しかった死者が肉体をもたない
ものの、生者と寄り添い、生者のために働いてくれたことを体験した人々が多かったでしょう。死者も
生きている、生者は死者と共生しているということです。
民族学の柳田国男さんにはかつての東北の災害についての著書があります。戦時中の東京空襲で多く
の人が亡くなり、1976年(昭和21年)1月に『先祖の話』を刊行しました。
若松英輔さんは『魂にふれる―大震災と、生きている死者』(トランスビュー)で述べています。〔
『先祖の話』と題名はやわらかだが、この著作の本質は死者論である。「先祖」とは、すでに亡くな
って、生者の記憶のなかだけにある死者のことではない。それは生者と交わる「生ける死者」である。〕
〔死者は遠くへはいかない。愛する人のもとに留まる。また、「顕幽二界」、すなわちこの世とあの
世の往き来はしばしば行われる。祭りは、もともと死者と生者が協同する営みだが、死者の来訪は春秋
の祭りに限定されない。また、生者と死者が互いに相手を思えば、その心はかならず伝わる。・・・そ
のように信じられていた。〕
ここでは、戦後日本人に染みついてきた唯物論など、ぶっとんでしまいます。
柳田国男さんには「魂の行くえ」という 1949 年に書かれた小品があり、『先祖の話』の補記だという
ことです。
「魂の行くえ」が気になることが、うちなる自然のうながしと感じられます。
そんな大災害のなかで、東北の人々は、死者との離別のつらさに苦しみながら、暴動を起こすことも
なく、協力し合って立ち上がろうとしたのです。そのことが世界に驚きと感動を与えました。その後災
害後の年月が経過し、行政の対応も遅れもあり、ストレスを溜めることも起こってきます。
しかし、災害に遭わなかった日本人も含めて、日本人が日本人として協力し合うこと、生者同士も共
生し、生者も死者も共生することが人類として歩む道であると学んだのです。それに対して、まだ自分
げ どう
の権力欲に執着しつづける人々は、日本にも、世界にもまだ多いのでしょうが、それは外道の生き方で
あるのです。
(12)生きるとは物質面および精神面の困難という問いに答えていくことである
われわれはこの物質世界では肉体なして生きることができません。いわば、霊である自分自身が肉体
をまとうのです。そこからわれわれは肉体面(物質面・経済面)と精神面の両面をもちます。ですから、
肉体面の欲求を満たすことも、精神面の欲求を満たすことも必要です。
精神面を否定し、物質面の欲求に偏ると、利己的で我欲中心の生き方になります。物質面を軽視し、
精神面に偏るなら、非現実的で観念的な生き方になります。
物質面、精神面とも、それぞれの欲求を満たせないと、それが欲求不満となり、ストレスを溜めるよ
うになります、そのことで前述のように、否定的な心のエネルギーを強めることになり、潜在意識に積
み重ねられる否定的思考および否定的イメージが欲求の実現をさらに妨害します。それは失意の人生を
つくることになります。
精神面を否定して物質面に偏っている人は、欲求を満たすことができていたとしても、慢心しやすく、
利己的な低いエネルギーで生きることになりますので、不徳の人生になりその否定的なエネルギーが家
族問題や災害に出遭うなどの深刻なマイナス状況を体験するようになります。
われわれはこの世界にやってきたとき「どう生きるか」と宇宙(あるいは大生命あるいは神様ともい
える)に問われています。われわれの人生はそれに答えていくことであるといえるでしょう。
「どう生きるか」について答えを出した、先人の教えがいくつも伝わっています。イエスの教え、釈
尊の教え、トランスヒマラヤ密教の教えなどはその代表的なものです。われわれ日本人には古神道とい
い
ざ
な
ぎ おおがみ
みそぎ
あ まつ の りと
う文化の流れがあります。たとえば、伊邪那岐大神が 禊 されたことを述べている天津祝詞はわが国に
何千年と伝えられてきた、すぐれた心身の浄化法であるといえます。
答えを出せたか、出せなかったかによって生き方が別れます。問題を解決できれば、元気で、肯定的
で前向きの生き方になり、問題を解決できない欲求不満のままですと、しんどくて否定的で暗い生き方
になります。
後者の場合、本人さんが元気を回復するように本人さんや親の方にカウンセリングで協力します。元
気を回復することが問題を解決できたことの証明です。
さまざまな願望実現法が伝えられています。マーフィさん、ナポレオン・ヒルさん、ヒューレン博士
(ハワイのホ・オポノボノ)、引き寄せの法則、小林正観さん、斎藤一人さん、五日市剛さん、はづき
虹映さん、などが有名です。
私自身もそれらをつぎつぎやってきました。まず自分がやってみて、よいようなら、ほかの人にもや
ってもらいました。
前述のように、願望が実現しているプラスイメージを潜在意識で明確に描けるなら、それが実現する
ことは確かです。それがなかなか容易ではないのです。われわれは「うまくいかなかったら、どうすれ
ばいいんだろう」としょっ中考えつづけており、この恐怖思考が願望の実現を妨害する、暗黒のはたら
きです。そのことによってますます否定的状態になり、心の闇にひきずり込まれることになります。
まず言葉から入り、感謝の言葉(「ありがとうございます」を唱えることをすすめることをものが多
いのです。
私的なことですが、私のひとり息子がガンで腸閉塞になって入院しました。20年、ソフト会社を経
営し、いよいよこれから飛躍の人生になると息子のことを見ていました。しかし、抗ガン剤と無謀な手
術のために病状が悪化しつつあるなかで、息子よりずっと長生きしてきた自分だから身替わりしたいと
願ってもかなわず、ヒューレンさんの四つの言葉を唱え続けました。歩きながら、電車の中でも、寝て
いるときも、唱えられるときは唱えました。そして、2回不思議な体験はしました。暴雨風のなかに、
あらわれた静寂の空間に入り、「息子はきっとなおる」と感じたのです。でも、息子は亡くなりました。
それからはこの言葉を唱えることはできません。ほかの人にすすめることもできません。息子なしで
な まき
生きていく。これからの人生など思いもよらないことであり、生涯最悪の出来事であり、生木を裂かれ
るような痛みは埋めようもなかったのです。それからははづき虹映さんの言葉を唱えることが気持ちの
建て直しに役立ちました。そのつらさはこれからも消えることはないということを受け入れるようにな
ったのです。
その後、斎藤一人さんを再評価するようになりました。その数年前に一人さんの『千回の法則』(講
談社)という著書に興味をもち、そこですすめられた言葉を半年ほど唱える実践をやり、来所した人に
も「よかったら」ということで何人かにやってもらったことがありました。しかし、効果ははっきりせ
ずやめていました。
たまたま、一人さんの弟子の柴村恵美子さんの『大宇宙エネルギー療法』(KK ロングセラーズ)を
書店で見、一人さんを再発見したように感じ、それから一人さんの諸著書や弟子の人らの著書を読み、
大宇宙エネルギー療法の療法師になり、天国言葉を繰り返し唱えるようになりました。
一人さんは漢方薬の製造・販売の店マルカンを全国展開しており、納税トータルで全国一という大成
功者であり、10人の弟子の人らもマルカンの地区の責任者としてそれぞれ経済的に成功してきたとい
う裏づけがあります。
大宇宙エネルギー療法はディクシャと似ていると思いました。それぞれが光の球から教えられたとい
うことでは同じです。ディクシャはインドのカルキ・バガヴァン師がはじめたエネルギー療法です。私
はそれを学びたく、フィジー支部ができたとき、フィジーに1週間学びに行きました。毎日の夕方、盲
目のアメリカ人の高弟の人からディクシャを受けました。2日目、私の後ろからディクシャを受けたと
ごうきゅう
き、感動し、号 泣 しました。
息子が入院中、私はディクシャを行い、バガヴァン師と妻のアンマ様に息子の回復を祈り、またヒー
リングの会を主宰し、バガヴァン師に招かれてインドに行った中西研二さんには1度直接息子の治療を
受け、その後遠隔療法をつづけてもらったものの、息子は回復しなかったのです。
大宇宙エネルギー療法を行ったのは、その後のことです。一人さん自身が行う場合には劇的な効果が
見られるようで、私が行った場合はそんな劇的な効果は体験できませんでした。
難しい状況のなかで、天国言葉を繰り返し唱えることが気持ちの建て直しに役立つことは体験できま
した。ただ、そのことによって状況が改善されるまでにはなりませんでした。
一人さん自身は「どうすれば神様に喜んでもらえるか」に関心をもち、「人に喜んでもらえるように
すること」がその答えになりました。そして、金儲けができることはその御褒美と考えています。それ
は神様とつながった生き方と見ることができます。一人さんの体験にもとづく教えはとても参考になり
ますが、そこから私が直接神様とつながって生きるということにはならないのです。
閉じこもりの人は濃い闇に入っていますから、一人さんの諸著のすばらしさを感じることができず、
逆にしんどくてできず苦しんでいることをやるように気楽に書いているととり、反発する可能性があり
ます。
さらに自分なりの探求が必要になりました。
つづく
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