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成田闘争にみる分配問題の諸相

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成田闘争にみる分配問題の諸相
成田闘争にみる分配問題の諸相
瀬畑藩 10 期 伊藤研一郎
平成 22 年 2 月 12 日
概要
近年日本の国際空港の拠点である成田国際空港 (以下、成田空港) の混雑が問題視
されている。増加する需要に対して、現在の成田空港では処理の限界を向かえており、
また対策として講じられてきた拡張計画も困難を極めている。現状を踏まえた上で、
首都圏第三空港の必要性が議論されるようになり、その過程で東京国際空港 (以下、
羽田空港) の拡張及び国際線就航が政府により決定した1 。2009 年 10 月現在、羽田空
港拡張に関してメディア及び一部の国民が騒いでいるが、成田空港を新規建設した当
時に比べて比較的穏便である。空港の新設や拡張は、世界各国で常に建設予定地の周
辺住民の摩擦が生じている。成田空港新設の際は不幸にも犠牲者も出してしまう程の
闘争へ発展したが、悲惨な成田闘争を防ぐ事もできたはずである。以上の現状を踏ま
えた上で、本論では空港整備に伴う諸問題を成田闘争を例として分析を行う。第 1 部
では成田空港の成り立ち及び成田闘争を様々な視点から説明すると共に、空港の新設
及び拡張の必要性の現状分析を行う。成田闘争を踏まえた空港整備を行ったミュンヘ
ン新空港の事例より空港整備に際して重要なファクターを割り出しを第2部で行う。
第 3 部では空港整備の在り方を提唱し、第 4 部はまとめである。
1
平成 12 年 9 月 26 日より行われた首都圏第3空港調査検討会 (国土交通省, 2000) を始めに、都市再生
プロジェクト (第二次決定)(内閣官房, 2001)、経済財政諮問会議 (首相官邸, 2002) で議論され、国土交通省
が決定を下した。
目次
第 I 部 現状分析
1
1
成田空港の現状分析
1.1 成田空港の現況 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
1.2 成田空港開港の経緯 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
1.3 成田闘争 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
第 II 部 成田闘争を踏まえた上での空港整備
1
1
2
4
7
2
世界各国の空港建設事情
2.1 主要国主要空港 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
2.2 成田闘争を踏まえた空港整備 -ミュンヘン国際空港- . . . . . . . . . . . . .
3
成田闘争は避けることができたのか
10
3.1 時代背景等 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 10
第 III 部 空港整備の在り方
4
11
分析からの考察
11
4.1 考察 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 11
第 IV 部 まとめ
5
7
7
8
13
終わりに
13
参考文献
14
付録
15
A 世界の空港
A.1 世界の国際・国内旅客取り扱い数上位空港
A.2 世界の国際旅客取扱数上位空港 . . . . . .
A.3 世界の国際・国内貨物取扱量上位空港 . .
A.4 世界の国際貨物取扱量上位空港 . . . . . .
15
15
16
17
18
ii
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A.5 世界の離発着陸回数の上位空港 (定期輸送以外を含む) . . . . . . . . . . . . 19
B ドイツ空港関連資料
20
B.1 ドイツ連邦空港法による建設許可後の訴訟の扱い . . . . . . . . . . . . . . 20
B.2 ミュンヘン空港の最近の年譜 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 21
索引
24
iii
図目次
1
ドイツにおける空間整備計画体型 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .
8
表目次
1
2
3
4
成田空港の主な就航先の内訳 (国土交通省, 2009)
東京国際空港貨物の推移 1961-1963 . . . . . . .
1963 年の政府の動き . . . . . . . . . . . . . . .
ミュンヘン国際空港開港への道程 . . . . . . . .
iv
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1
2
3
9
まえがき
私が本論に関して着手したのは大学四年の夏に入ってからであり、羽田空港再拡張に関
する経済波及効果を検証する目的で卒論に着手するものの、だいぶ無理があると考えら
れ空港つながりで成田闘争の分配問題というテーマになった。空港つながりではあるが、
本来とは全く違う形で論文を執筆することとなったが、本来知ることの無かった時代背景
やイデオロギーを知ることができたのは非常に貴重である。
「アマチュアでありながら、如何にインテリっぽく行動できるか」を考えて本論を執
筆したわけだが、どうも、だいぶ無理があり、背伸びしすぎたために自ら苦労するはめと
なった。しかし、本論の内容が果たしてインテリかどうか客観的に見た場合、恥ずかしい
話私はとてもじゃないがインテリであると言い張れる物ではない。では、どういった点で
インテリ力を発揮したのだろうか。答えは論文の作成方法である。
便利なツールを賢く使うことができるまでには多大な労力が必要で、結果的に時間が
かかってしまい、時間の節約になるどころか余計時間がかかってしまった点は否めない。
そういうことで、本論は WinShell を使用し、LATEX で執筆されている。Microsoft Office
Word ではなく、LATEX を使用した理由はいくつかある。まず、海外の論文を見ても、非
常に多くの論文が、様々な理由で LATEX を使用しており、実際に使用してみて、最高の論
∫
文執筆ツールであると感じたからだ。例えば数式一つ出力するにしても、I = 24 x2 dx の
ような表示を $ I=\int_{2}^{4} x^2 dx $ と入力するだけで描くことができ、綺麗に
かつ整形された形で出力することができる。また、基本的にただのテキストファイルとし
て記述していくので、ワードのバージョンの差異に悩む必要も無く、pdf 化においても
C:\ >dvipdfmx sotsuron
と入力するだけで確実に pdf 化できる2 のである。しかも、実際 WinShell を用いれば、僅
か3∼4クリックで pdf 化できてしまうのである。難しいことは何一つ無いのに、日本に
おいて LATEX が使用されない原因は何故なのだろうか?恐らく、視覚的に執筆している物
を見る事ができない3 点と、LATEX を使用せずとも Microsoft Office Word(以下、MS Word
と略す) で論文を形式的に作成できてしまうためである。私はまだ TEX の世界もかじっ
ただけにすぎないが、MS Word がありとあらゆる場面で横行する現状は打破するべきで
あると感じた。もっとも、理数系においては、数式・グラフを使用せざる終えない状況か
ら、LATEX を日常的に使用するのだろうが・
・
・
ひとまず、LATEX を使用する利点を列挙したいと思う。表紙・目次・索引・参考文献・
脚注・注釈等はほぼ全て自動的に整形してくれる。しかも、CiNii4 といった論文執筆に欠
かせないサイトは、丁寧にも LATEX で執筆を想定してくれている。本論で使用した、論
文も、CiNii より取得し、参考文献に載せるに当たっては、BibTeX と書いてあるボタン 1
つで以下の情報が得られ、それをコピペするだけで済んでいる。
2
pbibtex(旧 jbibtex)、platex、mendex、platex を実行してからではあるが。
昨今でいう、WYSIWYG なインターフェイスを用いた方法
4
http://ci.nii.ac.jp/
3
@article{相原亮司:19950310,
author="相原, 亮司 and 河宮, 信郎",
title="成田空港問題と土地収用法",
journal="文化科学研究",
ISSN="09156461",
publisher="中京大学",
year="19950310",
volume="6",
number="2",
pages="37-55",
URL="http://ci.nii.ac.jp/naid/110004648951/",
DOI="",
}
この文字列をそのまま使用しても本論の参考文献 (p.14) の形に出力される。
読者を意識した情報発信が要求される時代に突入した今、上記のような情報も含まな
ければはっきり言って参考文献としても、不十分と言えるのではないだろうか。また、
Amazon5 といった書物を表示するサイトからも、Zotero6 等を利用する事によって、LATEX
形式へ書き出す事が可能なのである。
既に LATEX を使い、論文が執筆されるように世間は動いていて、かつ読み手に優しい
フォーマットで論文を執筆できるのであれば、その流れに従うべきなのではなかろうか。
慣れるためには多大な時間が必要であるが、慣れてしまえば重苦しいソフトを起動せず、
かつ意図した出力を文字を打つだけで完成させることができる。教育の現場において、情
報化が進む今、MS Word の利用を禁止してでも LATEX を利用を推奨した方が良いとさえ
思えてくる。
なお、LATEX で論文を執筆する環境は、基本的に全て無料で揃える事も特筆すべき点で
あろう。家でレポートや論文を作成するのに、何万円も支払う事なく、また最新のパソコ
ンを買うこと無く7 執筆できる。高品質かつ無料、という条件を消費者が好まない理由が
無い。ただ、現状に甘えてしまい、自ら検索して物事を求める貪欲さが日本の学生に欠
けているのが、非常に残念であり、LATEX が普及しない原因ではないだろうか。インター
ネット上で情報が溢れかえっている今、積極的に情報の収集と分析を行わない人を、イン
ターネット界隈では情報弱者と呼ぶが、本論に目を通す人は、くれぐれも情報弱者には
なって欲しくない。
長くなってしまったうえに、非常に偉そうかつ本論と関係性がほとんど感じられない書
5
http://amazon.co.jp/
http://www.zotero.org/
7
Windows98 相当のスペックでも難なく作成・閲覧ができる
6
vi
き出しだが、上記の意図をもって、本論を作成していることを頭の片隅にでもいれておい
て貰えると、非常にありがたい8 。
「エゴだよ、それは!」といわれても仕方が無いと思う
が、新東京国際空港建設において反対した人々の精神に少しばかり通じるものがあると思
い、本論をこのように書き出させてもらった。
最後に、本論を執筆する機会を下さった、権丈善一先生へ、この場を借りてお礼をもっ
て、本論をはじめたいと思う。
8
続きは後書きで
vii
第I部
現状分析
成田空港の現状分析
1
1.1
成田空港の現況
成田空港の年間利用者数は約 3500 万人1 であり、これは世界第 7 位の国際旅客数を誇る。
また、これは日本の国際旅客の約 6 割に当たる。年間国際貨物取扱量は約 220 万トン2 に
ものぼり、世界第 3 位の国際貨物取扱量である。港別輸出入額は日本で一番多いのも大き
な特徴である。主な就航先は 36ヶ国、2 地域 (98 都市) で一週間当たりに 1726 便飛んでい
る。詳しい内訳に関しては表 1 を参照の通りである。
表 1: 成田空港の主な就航先の内訳 (国土交通省, 2009)
成田空港の主な就航先
地域
ヨーロッパ
アフリカ・中東
アジア
オセアニア
北米
中南米
都市数
11ヶ国 14 都市
2ヶ国 2 都市
15ヶ国 40 都市
8ヶ国 13 都市
2ヶ国 22 都市
2ヶ国 3 都市
便数
173 便/週
5 便/週
868 便/週
134 便/週
360 便/週
9 便/週
成田空港は容量拡大を行う事が決定しており、平成 22 年 3 月には年間発着容量が 22 万
回に増加する予定である。しかし、これらの拡張事業による発着容量の増大を持っても、
約 10 年後には首都圏の空港容量は限界に達すると見られている。この現状打開のために、
既に平成 21 年 1 月 23 日には環境面、施設面、及び運用面の制約解消による発着容量を約
30 万回まで拡大する計画着手している。これらの対処方法では時間的制約が解消されな
いため根本的な対策になっていないのである。約 30 万回まで空港容量が拡大したところ
首都圏の空港容量の限界に達する次期を先延ばしにしているだけである。
1
2
2007 年度の利用者数
2007 年度の国際貨物取扱量
1
1.2
成田空港開港の経緯
当時日本における唯一の国際空港であった東京国際空港は運輸省 (1963) によると、1961
年に比べて 1963 年度は、国際航空貨物用が約 36.9%増加している。表 2 に示す通り、貨
物量にして 4,468,113 キログラムの増加である。
表 2: 東京国際空港貨物の推移 1961-1963
単位:キログラム
路線
1961 年
1962 年
1963 年
太平洋路線
5,299,002 5,652,792 6,744,809
(+42.7%)
(+6.6%) (+19.3%)
東南ア、欧州、濠州、路線
5,131,262 5,937,595 7,356,848
(+27.2%) (+15.7%) (+23.9%)
北回り欧州路線
1,213,062 1,669,455 1,966,007
(+54.7%) (+37.5%) (+17.8%)
韓国路線
480,449
489,425
525,274
(-6.0%)
(+2.0%)
(+7.3%)
計
12,124,825 13,749,267 16,592,938
(+34.1%) (+13.4%) (+20.7%)
注 (1) 航空資料による
(2) ( ) 内は対前年増加率
運輸省 (1963) III-6 表 より筆者作成
表 2 を見て判るように、羽田空港の貨物量は凄まじい勢いで増加していた。それにより
運輸省3 は、1961 年頃より当時唯一の国際空港の羽田空港が昭和 45 年頃にはその能力の
限界を向かえると予測された。また、急速な技術進歩より航空機の大型化、高速化が予想
され、1970 年頃には超音速旅客機が就航すると予想され、羽田空港の滑走路では受け入
れることができないと思われていた。また、羽田空港と欧米主要空港を比較すると、数倍
ないし数十倍の面積の差がある上に各空港はさらなる拡張計画も進行されていた。
極東アジアにおける航空交通の中心としのて地位を保持していた当時は、これから到来
するであろう状況及び欧米の拡張計画に対応した受け入れ態勢を確立する必要があった。
その対応策として、羽田空港の拡張が検討されたが、周辺の水深が深く埋め立て計画に難
があった。また、航空路においても米軍が所有する空域4 の制限があり、米軍航空路が障
害となり空港使用率が低下する懸念もありうえ騒音対策上の難点等、多くの困難が生じる
ため羽田空港の拡張は、ほぼ不可能と言われた。
3
4
現在の国土交通省
通称横田空域
2
以上の点を踏まえた上で、東京地域において高まる航空需要を満たすためには大規模な
新国際空港を建設する必要であると容易に推察できる。新国際空港建設のために運輸省
は 1962 年に 118 万円,1962 年には 1000 万円の調査費もって候補地を中心に空港調査を進
めた。当時は 1970 年までに新東京国際空港開港の第 1 期工事をを目標に動いていたため、
1963 年においては新たな調査組織を設け、本格的な候補地の測量と選定を始めた。当時
の運輸省及び政府の動きを年表風に記すと表 3 の通りに進行した。
表 3: 1963 年の政府の動き
時期
6月中旬
7月4日
内容
綾部運輸大臣は浦安沖案を、河野建設大臣は木更津沖案を発表。
綾部運輸大臣、河野建設大臣、川島国務大臣、友納千葉県知事、
初の四者会談、新空港を東京湾内千葉県沖とすることで合意。
7月30日
運輸省、各省連絡会議で浦安・木更津沖案は空港管制上困難と説明。
8月27日
第二回四者会談で、運輸大臣から東京湾内に加えて
千葉県富里村付近と霞ヶ浦の二案追加提出。
12月11日 空港審議会は運輸大臣から諮問されていた
「新東京国際空港の候補地及びその規模」について答申。
(隅谷, 1998) より引用
次項で述べる成田闘争は 1966 年の政府の発表より始まったと認識できるが、闘争が始
まる 5 年前から羽田空港の限界が議論され、3 年前より新東京国際空港の議論が始まって
いたのだしかし、政府は立地箇所を決定しないまま構想を進めてしまったため、立地箇所
決定が大きな問題となった。着目すべき点としては、議論が始まってからは三里塚という
土地は全く注目されていなかった点である。故に、成田闘争へ発展した要因として、急な
決定と言っても過言ではなく、住民の激しい抗議へつながったと考えられる。
「新東京国際空港の候補地及びその規模」についての答申の内容としては、選定地の
検討が主な議題であり、様々な条件を総合した結果と第一候補として富里村5 付近、第二
候補として霞ヶ浦となった。なお、八月二十七日の段階で富里村及び八街町6 では空港建
設反対同盟、「富里・八街反対同盟」が結成されている。当時の政府の様々な農業政策を
行っていた7 が、それに対する不満も手伝い、激しい抵抗にあったのである。
その結果、一度は富里村に内定を出したのにも関わらず、1966 年 3 月に入ってから、候
補地の再選定を行う事となり、内閣に臨時新東京国際空港閣僚協議会を設置して、富里等
の地元対策などの検討をすすめていたが、一向に自体の改善は見られなかった。同年 6 月
5
現在の富里市
現在の八街市
7
財団法人農林統計協会 (1965) より
6
3
より皇室の御料牧場及び付近の県有林を利用した三里塚案が急浮上し、新東京国際空港の
原案の規模の半分の大きさに縮小8 した上で三里塚に空港を建設するのが最適だと発表さ
れた9 。発表直後、6月28日に行われた「三里塚新国際空港設置反対同盟」による三里塚
新国際空港反対総決起大会において、以下の宣言より10 反対運動がはじまったのである。
六月二十二日、佐藤政府は突如として新国際空港三里塚提案を発表した。
これは富里・八街・山武の強固な反対運動で完全に追い詰められた政府が、窮
余の策として、その隣接地三里塚を選び、ここを突破することにより、富里へ
足を伸ばし初期の目的を完遂することにその狙いがある。
われわれは、三里塚は反対が少ないという政府の一方的判断に対し、本
大会の事実をもって、絶対反対が大多数であることを表明すると同時に、地元
民に他に考える余裕を与えず、最初から反対の意見を押し殺す態度で、閣僚決
定を急いで強行する暴挙に対し、政府並びに県当局に大会の名において強く
抗議するものである。
政府が新空港設置はあくまで強行するならば、いかなる事態がおきよう
とも、富里のたたかいと同じように、自ら窮地に追い込められ、墓穴を掘るこ
とになることをここに警告する。
昭和四十一年六月二十八日
三里塚新国際空港反対総決起大会
以上の宣言文をもって、成田闘争が始まったのだった。
1.3
成田闘争
成田闘争開始のいきさつを説明したが、本闘争へ話を移す前に、三里塚新国際空港反対
総決起大会における誤解をいくつか解いておかなければならない。まず、
強固な反対運動で完全に追い詰められた政府が、窮余の策として、その隣
接地三里塚を選び、ここを突破することにより、富里へ足を伸ばし初期の目的
を完遂することにその狙いがある。
上記の解釈は完全に間違いである。政府は非常に苦しい立場ではあったものの、航空技術
的な条件に問題が無く、県有地・国有地11 を最大限に有効活用できる形を取っただけであ
り、三里塚から富里へ足を伸ばすということは一切無かった運輸省 (1967)。また、
三里塚は反対が少ないという政府の一方的判断に対し、
8
2300 ヘクタールの予定から 1060 ヘクタールへ縮小した。
発表は 6 月 22 日
10
隅谷 (1998) より引用
11
下総御料牧場
9
4
ともあるが、政府が側からは反対が少ないという判断を示したことは一度も無い。取得に
必要な民有地を最小限にするための努力の末の事柄だったのである。上記宣言文より開始
した闘争だが、年数を重ねるごとに焦点にしていることが代わってくるのも非常に面白
い。これらの詳しい流れは割愛刺せてもらうが、興味のある人は初期の成田闘争から現在
までの流れを客観的に見ていただけると幸いである。なお、当事者達もその点は十分に理
解しており、エゴイズムによってだけしか成田空港問題を意識できなかった事に関しては
恥じているどころか誇りに思っているようである。特に、三里塚アンソロジーの冒頭で述
べられている石井恒司12 の言葉は衝撃的だ。
そういった葛藤に悩ませながらも、なお戦い続けられつつ空港設置反対
運動は、俺にとって自己内部の弱みを取り除く自分自身に克てる真の人間形
成の場でもある。それが本当にできる時、真に闘いが俺のものとして勝ち取
られる。その時、俺が本当に闘いに参加できるのだ。あらゆる闘争の中で人民
の解放と言われて闘われているが、俺自身も偽りのない人間になりたい。
国家の重大事業に対して、個人の自己形成の場として捕らえて、自身の人間的成長の道具
として反対運動に加わっているようにも受け取れる。おそらく、石井氏のみならず、多く
の人間がそう感じていたのではないだろうか。間違った民主主義の解釈の元でのエゴイズ
ムであるが、きちんと説明や公聴会を行わなかった政府にも責任が有り、自業自得と言う
ことも出来る。その結果、そのエゴイズムに対抗する手段として土地収用法を行使し強制
収容13 を行った政府はさらに非難の的となってしまったのだ。問題の本質はエゴイズムで
も、公共工事における政府の正当性でもなく、空港整備における円滑な運用であるため、
農民の政府に対する理解不足及び政府の説明努力不足であり、本論の問題提起である。
最後に、
絶対反対が大多数であることを表明すると同時に、
とあるが、勢いのあまり統計も取っていない状態で絶対反対が大多数であると表明してい
る。しかし、政府の用地取得に向けた交渉を行ったところ、運輸省 (1968) によると僅か
二年で 80 %以上の民有地で交渉が成立しており、論理的に物事を考えずに条件反射で行
動している人が非常に多い現れなのではないだろうか。これにより、成田闘争において過
激に敵対した人達は実は非常に少なかった事が伺える14 。これほどまでの騒動に発展した
のは、時代背景もあり三派全学連が共闘を表明したことや、反対派が武装闘争を決意した
事もある。無論武力行使に出ると言うことは、当然公務執行妨害に当たるので、この先多
くの負傷者及び逮捕者を出す事になった。
12
三里塚アンソロジー p7-16(宇沢, 1992)
強制収用が実際農民に対して行われたのは大木よね (戸籍上は小泉よねである) のみであるが、県警機
動隊の収用方法が大きな問題となった
14
ただし、大部分は条件付き賛成派という派閥の人達の土地であり、一切闘争に参加しなかった人々では
ない
13
5
空港建設は急を要し、土地収用法による土地収用もやむを得ず行う事となったのであ
る。成田闘争の大部分が土地収用の反対運動でもあり、多くの犠牲者が出たのが本件に関
してであり、1971 年の東峰十字路事件は大きな衝撃を世間に与えた。
6
第 II 部
成田闘争を踏まえた上での空港整備
2
2.1
世界各国の空港建設事情
主要国主要空港
まずはじめに、主要空港と言う定義は非常に曖昧なので、ここでは国際ハブ空港と同義
として扱う。その上で世界各国の空港建設の現状を考えるには、各国の国際ハブ空港の動
向を知る必要がある。ハブ空港というのは、ハブ・アンド・スポーク・オペレーションを
可能とするように計画された空港の事である ((財)東北産業活性化センター, 1995)。こ
の、ハブ・アンド・スポーク・オペレーションとは、元々自転車の車輪をイメージした考
えで、中心の軸受けより放射状に連結されている状態を空港同士の説 z くにいたて、基幹
空港 (国際ハブ空港) より、航空路線が放射状に設定されていることを意味している。こ
れにより、旅客の集中と機材運用の効率化を図る事ができ、需要が少なく路線設定ができ
ない空港にも定期便を就航させる事が可能である。無論、利用客にはハブ空港に一度立ち
寄り乗り換えを余儀なくされるが、地方空港などへの移動が容易となる事によって移動に
かかる時間的コストを、大幅に削減する事が可能である。
現在の日本の空港状態では、航空需要に対応できないため、様々な事が検討されている
が、長距離国際線を含む国際線及び国内線を多数運用できる空港を 1 つ建設し、運用して
いく事が望ましい。しかし、先にあげた新東京国際空港建設において、当初の計画の半分
の大きさに縮小され、かつ闘争を経て今なお100%の運用効率を地元住民との問題で行
う事ができない成田空港ではこの役割を担うには無理がある。他国では実現している国際
ハブ空港を、何故日本で実現できないのか、他国の空港と比較する事によって、その要因
を探っていく。
付録 A 世界の空港の表 A.1 と表 A.2 より、年間旅客取り扱い数の統計ではアメリカの
空港が多い事が伺える。また、表 A.3 と表 A.4 より、年間貨物量の統計では、アメリカが
多いわけではなく、逆に今後発展が期待されている地域周辺の空港と読み取れる。これら
の表と表 A.5 を照らし合わせると、成田空港は国際線における旅客数・貨物量共に高い数
値を記録しているが、年間発着数では 40 位にすら入る事ができない。これは、深夜の離
発着制限や、空港の規模といった問題が影響しており、国際的に見て非常にバランスの悪
い空港であると伺える。また(財)東北産業活性化センター (1995, pp.19-20) によると、
1 便あたりの旅客数を計算すると、成田空港・羽田空港は共に他の空港の 2 倍から 3 倍近
い数値が出ている。このような形で、簡単に混雑状況を知ることができ、また、問題であ
ることが伺える。
7
2.2
成田闘争を踏まえた空港整備 -ミュンヘン国際空港-
ミュンヘン新国際空港は、成田空港の歴史をみて、学んで作られた空港で非常に有名で
ある。近年、経済発展には必要不可欠と言われている空港は、土地や騒音等周辺の環境
問題が常に存在し、またミュンヘン国際空港も例外ではなかった。しかし、制作やシステ
ム、また法律も日本とドイツは大きく違うので、一概に比較できない。まず、ドイツのシ
ステムは林良嗣他 (1995, pp.35) より、引用すると、
ドイツにおける地域の空間整備システムは、インフラ計画 (部門計画) と土地
利用計画(総合計画)とからなり、片方の計画が変更されれば他方と事前に調
整する仕組みとなっている。ミュンヘン新空港の場合も、空港運用に伴って予
測される仕組みとなっている。ミュンヘン新空港の場合も、空港運用に伴って
予測される騒音コンターに基づいて周辺地域の土地利用規制が追加され、ま
た、予測される雇用や人口増加に対応して周辺市町村の土地利用計画がチェッ
クされ、見直された。
と、調整システムが明確になっている (図 1)。
図 1: ドイツにおける空間整備計画体型
(林良嗣他, 1995, pp.37) より筆者作成
一方日本では、ドイツのような調整システムはない。もし、騒音被害は政府より認めら
れたら補償されることになっており、とても事前に準備をして空港整備をしているように
は思えない。つまり、行政手続きが不備があると、大まかに理解できる。
8
そこで、まず、ドイツの空港建設の流れを見てみる。これは、既存空港の限界から話す
と、1954 年まで遡らなければならない (表 4)。
表 4: ミュンヘン国際空港開港への道程
年
出来事
1954 リエム空港では限界があり、今後の航空需要に対応できない事が判る。
1960 ミュンヘン市内、飛行機墜落事故。
1963 「新空港立地調査委員会」が設置される。候補地が20程あがる。
1965 候補地が大幅に絞り込まれる。
1966 ポーフォルディンガー・フォルストが最有力候補となる。
1967 エルディング・ノルトでの建設に政府が合意。
1968 フライジング市の市議会より、空港建設に反対を表明。
1969 エルディング・ノルトに建設地内定。
1974 建設計画が承認、施行命令が出る。
1979 計画確認手続きの後計画決定
1980 5724 件の訴訟 (一審)、速決審理により工事中止は却下される。21 件が二審へ
1981 二審、速決審理の言い残しで工事中止。工事が中止される。
1984 計画変更 (規模縮小) 手続きの後、計画決定。同時に、工事中止は根拠無いと判決。
1985 工事中止決定の取り消し。工事が再開される。
1986 空港建設が合法であると判決が連邦行政裁判所からでる。
1989 騒音規制の導入等空港に関する賠償の判決。
1991 判決を却下、かわりに周辺保護の対応が要求される。
1992 新空港開港
林良嗣他 (1995) より、筆者作成
1974 年以降の、法的やりとりなどが、具体的にどこが管轄でどのように行われたか、(相
原・河宮, 1995, pp.53) の図が非常に判りやすいので、付録 B ドイツ関連資料の図 B.1 へ
引用したので、併せて閲覧してください。なお、開港以後の最近の動きも、同付録の B.2
にまとめてある。こうして、実に 38 年間かけて作られたきた結果、多少の訴訟を抱えつ
つも血が流れるような争い無く開港したのである。また、用地取得や騒音等の問題は成
田空港の対立に大きな関心を示し、分析を行った。これは 1994 年に成田空港の関係者が
ミュンヘン空港へ視察へ訪れた際に明らかにされたと言う。
9
成田闘争は避けることができたのか
3
3.1
時代背景等
この問いは、はっきり言えば無理である。空港建設のみならず、世界中で行われている
公共事業における騒音や土地の問題は、少なからず住民と摩擦は発生しているという点
であり、これは公共事業の宿命である。一部、このような負の外部性を持たない公共政策
があるのであれば、是非とも教えて頂きたい。しかし、これほどまでに殺伐とした争いに
なったのは珍しい。その背景としては、やはりその時代のカラーでも言う、性格故の結果
だったのではないかと思う。現実的に、今もし仮に関東周辺で大規模な空港建設案が内定
したとしても、血気溢れる学生が数百、数千単位で乗り込み、反対運動をするとは到底
思えない。それは、不安定な政治情勢から来る物ではなく15 、性格的要素が強いと思われ
る。育った環境や時代背景を分析するのは本論の結論ではないため、以後割愛するが、成
田闘争は必然であり、かつ惨事になる事は、当時避ける事ができなかったであろう。
ただし、繰り返しになるが行政側の対応次第では、少なくとも死者を出さずに済んだと
思われる。その、政策の在り方を探っていく。
15
不安定な政治が原因なら 21 世紀の若者はもっと殺伐としても良いからだ
10
第 III 部
空港整備の在り方
分析からの考察
4
4.1
考察
さて、本論の今までの流れからすると、地元住民のエゴイズムと民主主義に欠けた行政
の対応が最大の焦点であると言える。(相原・河宮, 1995, pp.48) によると、太平洋戦争に
召集された経験を持つ農民の一部は、土地収用法に基づく事業認定の告示を「二度目の赤
紙だ」と感じたと記されている。同論では土地収用法を民主主義的手続きを欠けた規定と
批判しているが、そもそも民主主義的対話を拒絶し、徹底抗戦を唱えたのは地元住民の方
ではないだろうか。また、大多数の住民は行政側との交渉に応じ、移住に関して概ね合意
している現状を踏まえると、当時の全共闘運動が台頭している時代の流れに流されたと
言っても間違いないだろう。しかし、本質がそれであっても、行政は民意を組んで対応す
る必要があったのである。その点、(成田空港株式会社, 参照:2010) に上手にまとめられ
ており、成田空港問題の歴史的経緯を隅谷調査団によってまとめられている。
(1)
成田空港問題における長期にわたる力による対決に終止符を打つため、国側
は土地収用裁決申請を取り下げることとされたい。
(2) 過去における成田空港建設の経緯の反省の上に立って、国は 2 期工事 B・C 滑
走路の建設計画について白紙の状態に戻し、地域の人々と話し合いをすることにより
解決の道を探ることとされたい。
(3) 上記(1)、(2)の提案の実現により、広く地域住民が初めて国と対等の立場
で、地域における空港の在り方などについて話し合いができることとなる。今後は、
国、千葉県、関係自治体および広く住民の参加する「新しい場」が設けられ、話し合
いが進められることを期待する。なお、この場には従来シンポジウムに参加していな
い農民の参加と意見表明がなされるよう期待している。また、調査団もこうした人た
ちとの話し合いの場を設ける用意がある。
16
焦点はやはり土地収用法におかれており、話し合い を行い、行政の民意に主点を置いた
対応を求められた。12回の対話を経て、結果的に政府はこの所見を受け入れた。旧運輸
省の意見などを踏まえ、最終的隅谷調査団より、発表された所見は以下の通りとなった。
16
どちらかというと、全地元住民に対してに納得の行く説明を行政がする事である。
11
隅谷調査団所見の概要
(1)
円卓会議で提案のあった「地球的課題の実験村」の構想については、その意
義を高く評価する。国は運輸省に検討委員会を設けて、すみやかに具体化のための検
討を開始すること。
(2) 空港の建設・運営における公正を担保するための第三者機関として、共生懇
談会(仮称)を設置すること。
(3) 平行滑走路の整備は必要であるという運輸省の方針は理解できる。ただし、そ
の用地取得は話し合いにより行うこと。
横風用滑走路の整備については、平行滑走路が完成する時点で改めて提案すること。
なお、横風用滑走路計画用地を現滑走路と平行滑走路間の航空機の地上通路として整
備するという運輸省の方針については、横風用滑走路とは別の問題として理解できる。
(4) 騒音対策の一層の充実や成田空港周辺地域振興策の推進などについては、円
卓会議の結論に従って、その実現のために努力すること。
(5) 円卓会議を構成するすべての構成員および関係するすべての地域社会の住民
によって所見が受け入れられ、合意された事柄がすべての関係者によって尊重され実
現を見ることによって、四半世紀を超える対立構造と不信感とが解消し、地域の将来
の発展が図られていくことを強く期待する。
成田空港株式会社 (参照:2010, p.3) より引用
以上の取り決めがある故に、羽田空港の拡張行事は、取り決めからの逃げであるという批
判も行われているが、根本的な空港拡張の容易な方法の選択、及び効率を重視した選択を
政府が行っているので、このような批判は的外れである。しかし、上記の所見を完全に無
視する事は民主主義の方針から逸脱する取り決めであるので、成田空港を今後発展させる
のであれば、踏まえなければならないところではある。特に (4) の騒音対策に関しては、
今後はミュンヘン空港における行われた政策を参考にできる事が多々あるのではないだろ
うか。
12
第 IV 部
まとめ
5
終わりに
本論で取り上げた成田空港の土地問題は、過去に起こった事柄で隅谷調査団が行った円
卓会議をはじめ、多くの人たちが既に分析を行っている。また分配問題に焦点をあてたと
ころ、土地収用法の用い方に問題があることが行政の対応が思った以上に問題があること
がわかった。今後は、当時に比べハングリー精神に欠けるゆとり的に思想に染まった国民
が多くなり、成田闘争の惨事は起こらないだろう。不幸が繰り返されない、歴史が繰り返
されない事は喜ぶべきところではあるが、国民及び若年層が政治に興味を持たないという
事柄に関しては、成田闘争は忘れてはならない事件である。また、結果的に政府が非を認
めたことにより、国民の主張が尊重される事は今後の公共事業が理不尽であった場合に、
異を唱える権利が証明されたともいえる。
本論は以上をもって、今後の日本の発展を願うとともに、三権分立に国民の民意を反映
した政治を望むことで締めくくりたいと思う。
13
参考文献
相原亮司・河宮信郎 (1995) 「成田空港問題と土地収用法」,
『文化科学研究』,第 6 巻,第
2 号,37-55 頁,03 月.
宇沢弘文 (1992) 『三里塚アンソロジー』,岩波書店.
隅谷三喜男 (1998) 『成田の空と大地』,岩波書店.
田村亨 (1994) 『市民意向を反映した公共事業の推進法策』,地域科学研究会.
成田空港株式会社 (参照:2010) 「シンポジウム及び円卓会議の経緯」.
林良嗣・田村亨・屋井鉄雄 (1995) 『空港整備と環境づくり』,鹿島出版界.
山田徹雄 (2009) 『ドイツ資本主義と空港』,日本経済評論社.
運輸省(編) (1963) 『運輸白書 (昭和 39 年度)』,大蔵省印刷局.
(1967) 『運輸白書 (昭和 42 年度)』,大蔵省印刷局.
(1968) 『運輸白書 (昭和 43 年度)』,大蔵省印刷局.
国土交通省 (2000) 「首都圏第3空港調査検討会」,
,http://preview.tinyurl.com/yf25pbn.
参照 2009/05/20.
(2009) 「首都圏空港(成田・羽田)における国際航空機能拡充プランの具体化方
策についての懇談会(第1回)」,
,http://www.mlit.go.jp/common/000037986.pdf.資
料 3, ”首都圏空港の現況と一体的活用に向けてのこれまでの経緯等について”, pp.1-34.
参照 2009/06/19.
(財)東北産業活性化センター (1995) 『国際ハブ空港の建設』,日本地域社会研究所.
財団法人日本航空協会 (2009) 『航空統計要覧 (2009 年版)』,財団法人日本航空協会.
財団法人農林統計協会 (1965) 『図説農業年次報告 (昭和 39 年度)』,財団法人農林統計
協会.
首相官邸経済財政諮問会議の基本方針2002 (2002) 「経済財政運営と構造改革に関す
る基本方針2002」,
,http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizai/tousin/020621f.html.
参照 2009/05/20.
内閣官房地域活性化統合事務局 (2001) 「都市再生プロジェクト(第二次決定) 」,,
http://www.toshisaisei.go.jp/03project/dai2/kettei.html.参照 2009/05/20.
14
A
A.1
世界の空港
世界の国際・国内旅客取り扱い数上位空港
国際
2008 年乗降旅客数
人数 (1000) 増率 (%) 順位
都市名
空港名
アトランタ
シカゴ
ロンドン
東京
パリ
ロサンゼルス
ダラス
北京
フランクフルト
デンバー
マドリッド
香港
ニューヨーク
アムステルダム
ラスベガス
ヒューストン
フェニックス
バンコク
シンガポール
ドバイ
ハーツフィールド
オヘア INTL
ヒースロー
東京国際空港 (羽田)
シャルルドゴール
ロサンゼルス INTL
ダラス/フォートワース
北京
フランクフルト
デンバー INTL
バラハス
香港
JFK
スキポール
マッカラン INTL
インターコンチネンタル
スカイハーバー INTL
バンコク INTL
チャンギ
ドバイ
90,039
69,354
67,067
66,755
60,875
59,498
57,093
55,937
53,467
51,245
50,824
47,858
47,808
47,430
43,209
41,709
39,891
38,603
37,695
37,441
0.7
-9.0
-1.5
-0.2
1.6
-4.7
-4.5
4.4
-1.3
2.8
-2.4
1.7
0.2
-0.8
-8.0
-3.0
-5.4
-6.3
2.7
9.0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
2007 年乗降
旅客数順位
1
2
3
4
6
5
7
9
8
11
10
14
13
12
15
16
17
18
19
27
航空統計要覧財団法人日本航空協会 (2009, p.80 より引用)
15
A.2
世界の国際旅客取扱数上位空港
国際
都市名
空港名
ロンドン
パリ
アムステルダム
香港
フランクフルト
ドバイ
シンガポール
成田
ロンドン
バンコク
マドリッド
ソウル
ミュンヘン
ダブリン
ニューヨーク
チューリッヒ
ローマ
ロンドン
台北
コペンハーゲン
ヒースロー
シャルルドゴール
スキポール
ホンコン INTL
フランクフルト
ドバイ
チャンギ
成田国際空港
ガトウィック
バンコク INTL
バラハス
仁川
F.J. シュトラウス
DUB
JFK
ZRH
フィウミチーノ INTL
スタンステッド
台北
カストラップ
2008 年乗降旅客数
2007 年乗降
人数 (1000) 増率 (%) 順位 旅客数順位
61,346
55,825
47,349
47,141
46,708
36,592
36,288
32,324
30,434
30,104
29,788
29,563
24,544
22,557
22,401
21,406
21,356
19,991
19,754
19,413
-1.2
1.7
-0.7
1.8
-0.8
9.3
3.0
-5.6
-2.3
-4.8
2.8
-3.9
2.6
1.0
4.0
6.8
12.3
-5.7
-5.3
0.4
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
1
2
3
5
4
8
6
7
10
9
12
11
13
14
15
18
21
16
17
20
航空統計要覧財団法人日本航空協会 (2009, p.80 より引用)
16
A.3
世界の国際・国内貨物取扱量上位空港
国際
都市名
メンフィス
香港
上海
ソウル
アンカレッジ
パリ
フランクフルト
成田
ルイビル
シンガポール
ドバイ
マイアミ
ロサンゼルス
アムステルダム
台北
ロンドン
ニューヨーク
北京
シカゴ
バンコク
空港名
2008 年積込積卸貨物
2007 年積込
トン (1000) 増率 (%) 順位 積卸貨物順位
メンフィス INTL
香港
浦東
仁川
3,695
3,661
2,603
2,424
2,340
2,280
2,111
2,100
1,974
1,884
1,825
1,807
1,630
1,603
1,493
1,486
1,451
1,366
1,332
1,173
テッド・スティーブンスアンカレッジ INTL
シャルルドゴール
フランクフルト
成田国際空港
スタンディフォード
チャンギ
ドバイ INTL
マイアミ INTL
ロサンゼルス INTL
スキポール
チャン カイセキ
ヒースロー (LHR)
JFK
北京
オヘア INTL
バンコク INTL
-3.8
-3.0
1.7
-5.2
-17.2
-0.8
-2.7
-6.8
-5.0
-1.8
9.4
-6.0
-11.9
-3.0
-7.0
6.5
-9.8
14.5
-13.1
-3.9
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
1
2
4
5
3
6
8
7
9
11
13
10
12
14
16
18
15
20
17
19
航空統計要覧財団法人日本航空協会 (2009, p.81 より引用)
17
A.4
世界の国際貨物取扱量上位空港
国際
都市名
香港
ソウル
成田
パリ
フランクフルト
上海
シンガポール
ドバイ
アムステルダム
マイアミ
台北
アンカレッジ
ロンドン
バンコク
ニューヨーク
シカゴ
ロサンゼルス
ルクセンブルグ
大阪
北京
空港名
2008 年積込積卸貨物
2007 年積込
トン (1000) 増率 (%) 順位 積卸貨物順位
香港
仁川
成田国際空港
シャルルドゴール
フランクフルト
浦東
チャンギ
ドバイ INTL
スキポール
マイアミ INTL
チャン カイセキ
3,627
2,386
2,059
2,010
1,963
1,916
1,857
1,741
1,568
1,544
1,480
1,404
1,400
1,140
1,054
887
880
788
753
639
テッド・スティーブンスアンカレッジ INTL
ヒースロー (LHR)
バンコク INTL
JFK
オヘア INTL
ロサンゼルス INTL
ルクセンブルグ
関西
北京
-3.1
-5.4
-6.9
0.8
-3.3
5.0
-2.0
9.4
-2.6
-4.2
-7.1
-15.6
6.6
-3.2
-10.7
-13.3
-9.8
-8.0
-1.4
16.3
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
1
2
3
5
4
7
6
12
10
9
11
8
13
15
14
16
17
18
19
23
航空統計要覧財団法人日本航空協会 (2009, p.81 より引用)
18
A.5
世界の離発着陸回数の上位空港 (定期輸送以外を含む)
国際
2008 年離着陸回数
回数 (1000)
増率 (%)
都市名
空港名
アトランタ
シカゴ
ダラス
ロサンゼルス
デンバー
ラスベガス
ヒューストン
パリ
シャーロット
フェニックス
フィラデルフィア
ロンドン
マドリッド
デトロイト
ミネアポリス
アムステルダム
ニューヨーク
ミュンヘン
北京
トロント
ソルトレークシティ
サンフランシスコ
ロサンゼルス
ニューヨーク
フェニックス
ボストン
マイアミ
メキシコ
メンフィス
ワシントン
ローマ
シアトル
東京
ロングビーチ
バンクーバー
オーランド
バルセロナ
香港
ハーツフィールド
オヘア INTL
ダラス/フォートワース
ロサンゼルス INTL
デンバー INTL
INTL
インターコンチネンタル
シャルルドゴール
CLT
スカイハーバー INTL
フィルデルフィア INTL
ヒースロー
マドリッド
デトロイトメトロポリタン
ミネアポリス INTL
スキポール
JFK
F.J. シュトラウス
北京
YYZ
SLC
サンフランシスコ INTL
VNY (*)
ラガーディア
ディアバレー (*)
ローガン
マイアミ INTL
メキシコシティ空港
メンフィス INTL
ダレス INTL
フィウミチーノ
シアトル・タコマ
東京国際空港 (羽田)
ロングビーチ
バンクーバー INTL
オーランド INTL
BCN
ホンコン INTL
979
882
656
623
620
579
576
560
536
502
492
479
470
463
450
447
441
432
432
431
389
388
387
379
376
372
372
367
363
360
347
345
340
338
338
335
321
310
-1.6
-4.9
-4.3
-8.6
0.9
-5.0
-4.6
1.3
2.6
-6.8
-1.5
-0.6
-2.8
-1.0
-0.7
-1.7
-1.1
0.1
8.0
1.2
-7.8
2.2
3.3
-3.2
-0.6
-7.0
-3.8
-3.1
-3.2
-5.9
3.5
-0.5
2.4
-15.1
3.7
-7.0
-8.8
1.5
順位
2007 離着陸
回数順位
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
13
14
15
16
17
18
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
35
36
37
38
39
40
1
2
3
4
5
6
7
8
10
9
11
14
13
15
17
16
18
20
23
21
22
29
33
26
30
24
27
31
32
28
38
36
39
25
41
34
35
44
(*) GA 専用
財団法人日本航空協会 (2009, pp.82)
19
B
B.1
ドイツ空港関連資料
ドイツ連邦空港法による建設許可後の訴訟の扱い
(相原・河宮, 1995, pp.53) より引用
引用元の図の出所は
(田村, 1994) となっている。
20
B.2
ミュンヘン空港の最近の年譜
1995 年
1996 年
1997 年
1998 年
1999 年
2000 年
2003 年
2004 年
近年におけるミュンヘン空港の動向
空港サービスを強化するためにミュンヘン・エアポート・センターの建設が決定。
(München Airport Center、以後 MAC と表記)
MAC の起工式
第2ターミナル建築要綱発表
第2ターミナ設計・建築計画開始
MAC 開業
第2ターミナル着工
第2ターミナル開業
エアバス A380 の離着陸可能なヨーロッパ唯一の空港に指定。
(山田, 2009, pp.141–142) より、筆者作成
21
あとがき
さて、長かった17 論文も終わりと言いたいところだが、本論は非常に多くの人の支え (が
あってからこそ完成しました。ここでは皆さんへのお礼と共に前書きの続きを書き、締め
くくりたいと思う。
まず、始めに空港問題を提案してくれた父へ、ありがとう。あまり多くの事をここで
語ってもしかたがないので、お礼以外は割愛します。
次に、ゼミ員のみんな。心配、迷惑かけてばかりでごめんなさい。でも、10期のみん
なと一緒で色々楽しかったです。自分はお酒飲んでばかりで、酔うとめんどくさいキャラ
なのにも関わらずいつもお付き合いして頂き、本当に感謝しています。また、その他、ゼ
ミ活動、学校生活全般大変お世話になりました。特にアランには様々な面でお世話になり
ました。今までありがとう。これからも宜しく。
さて、ここからは間接的な部分。まず、奥村晴彦先生の提供するホームページには随時
お世話になった。また、LATEX で作成するのを投げ出しそうになった時も、見ているだけ
で励まされました。勉強になるという意味では、もちろん TEX wiki18 は随時開きっぱな
しであったが、意外にも氏の情報教育 wiki19 も面白い。その中の、Word の正しい使い方
は読者の皆さんにも是非熟読して欲しいところである。
次に、論文執筆環境を整えるのに多大な時間を割いて教えてくれた方々。本論は Apache
+ Subversion + Viewvc の環境にて、論文の進捗を管理しているが、この環境を全部自前で
用意するに当たって Ampache20 開発メンバーに大変お世話になりました。コマンドの基礎
から、またあえて yum を使用しないでソースからのインストール等 · · · 特に Karl Vollmer
氏と Momo-i 氏には終始お世話になり、本当に有り難う御座いました。また AmpBOT を
タイマーとして勝手に使ってしまいごめんなさい。
本論は結局 Windows で執筆しており、またエディタとして WinShell を使っていると冒
頭では述べたが、インターネット上で管理する都合上、及び文字コードの都合上 Unicode
化をする必要性に迫られた21 。Windows+Gnu(+Bash) という特殊な環境でのアドバイス
をしてくれた人、長い間一緒に考えて頂き有り難う御座います。以下、しょぼしょぼなス
クリプトですが、完成し、無事動作しています事を報告します。
17
論文の長さではなく、期間的な長さですね
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/ ̄ okumura/texwiki/
19
http://oku.edu.mie-u.ac.jp/ ̄ okumura/compedu/
20
http://ampache.org/
21
WinShell が Shift JIS しか受け付けず、また日本語を扱う上でのバグも存在していたため、UTF-8 で
の執筆は無理があった。
18
utfdir="../branches/utf/"
for f in *.sty; do cp $f ${utfdir}$f; done
for f in *.tex; do iconv -f Shift_JIS -t UTF-8 $f > ${utfdir}$f; done
for f in *.bib; do iconv -f Shift_JIS -t UTF-8 $f > ${utfdir}$f; done
for f in *.bb; do cp $f ${utfdir}$f; done
for f in *.png; do cp $f ${utfdir}$f; done
cp sotsuron.ist ${utfdir}sotsuron.ist
cp sotsuron.dic ${utfdir}sotsuron.dic
cd ..
cd branches/utf
for i in *.tex; do sed -e ’s/\/\\/g’ $i > $i.new && mv $i.new $i; done
for i in *.bib; do sed -e ’s/\/\\/g’ $i > $i.new && mv $i.new $i; done
iconv -f Shift_JIS -t UTF-8 sotsuron.dic > sotsuron.dic.new /
&& mv sotsuron.dic.new sotsuron.dic
割と、無駄に繰り返している部分が多いので、もっと簡略化できるはずですが、まぁ
Windows で無理矢理やっているので仕方が無いです。早いところ、脱 Windows をしたい
ですね!今なら ubuntu とか特にお勧めです。そんなこんなで、終わりです。有り難う御
座いました。
23
索引
騒音············································ 8, 9, 12
え
エゴイズム ····································· 5, 11
と
ドイツ ··················································8
東京
—国際空港 ···················see 羽田空港
東峰十字路事件 ····································6
土地収用法 ······························· 5, 11, 13
富里村 ··················································3
お
大木よね ·····························see 小泉よね
か
外部性 ················································ 10
き
基幹空港 ······················see 国際ハブ空港
な
成田
—主な就航先 ··································1
—空港の現況 ··································1
—空港の旅客数・貨物量 ················7
—闘争 ········································4, 7
く
空港整備 ···············································7
—在り方······································· 11
—成田 ·········································· 12
—ミュンヘン国際空港 ····················9
空港反対同盟
—三里塚·········································4
—富里 ············································3
は
発着容量 ···············································1
羽田空港
—拡張 ············································2
—再拡張······································· 12
—取扱貨物 ·····································2
ハブ空港 ···············································7
こ
小泉よね ···············································5
国際ハブ空港 ········································7
さ
三里塚 ··················································4
—総決起大会 ··································4
み
ミュンヘン国際空港 ·····························8
し
下総御料牧場 ········································4
よ
用地取得 ···············································9
す
隅谷調査団 ········································· 11
せ
全共闘 ············································ 5, 11
そ
24
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