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北の縄文フォーラム2013 開催概要
~報告1「国宝『土偶』のニューフェイス“縄文の女神”について」~
日 時:平成25年3月23日(土) 15:00 ~ 15:25
場 所:ホテルポールスター札幌 2階 セレナード
講演者:山形県立博物館学芸員 押切 智紀 氏
1 序 ~ 国宝「縄文の女神」
平成 24 年 4 月 20 日、国の文化審議会により、山形県舟形町西ノ前遺跡出土の土偶を
国宝に指定する旨の答申がなされ、同年9月6日付け官報で告示されて、正式に国宝に
指定されました。同年 12 月 27 日に、国宝指定書が文部科学省から山形県に交付されて
います。土偶1点(国宝)と土偶の破片である残欠資料 47 点(国宝附)の計 48 点がそ
の対象となります。土偶の愛称は、山形県と舟形町で協議の上、
「縄文の女神」とするこ
ととなりました。本日は、前面のみではなく、側面や背後の姿、そして足の裏側の形状
も、ぜひ見ていただきたいと思います。
現在は、山形県立博物館の常設展の一部に国宝展示室を設置し、今年 4 月から「縄文
の女神」
及び残欠資料を含めた計 48 点の土偶の全てを常設展示できるよう工事を行って
いるところです。機会がありましたら、ぜひご覧いただきたいと思います。
2 「縄文の女神」が誕生した場所
(1) 大木式(だいぎしき)土器分布圏
山形県は、東北地方の南方に
位置し、新潟県、秋田県、宮城
県と接しています。約 5,000 年
から 4,500 年前にかけて、宮城
県の仙台市の近くにある七ヶ浜
町にある大木囲貝塚を標準遺跡
として、文様等が共通する土器
を一括して「大木式(だいぎし
き)土器」と称していますが、
そのような大きな土器が出土す
る地域が南東北全域に広がって
いました。北東北と北海道は、
北の縄文ということで、円筒式
土器分布圏として大きく括るこ
とができるのではないかと思い
ます。円筒式土器分布圏の南限
についてはいろいろな見解があ
りますが、秋田県の県南部で円
国宝「縄文の女神」
筒式土器が出土しておりますの
(山形県西ノ前遺跡出土 縄文時代中期)
で、山形県は大木式土器の文化
圏の中におさまることとなります。
(2) 西ノ前遺跡
① 遺跡の位置
そして、縄文の女神が出土し
た遺跡が、山形県の県北の舟形
町に所在する、右の地図の赤い
点で示した西ノ前遺跡です。北
側には、県内屈指の河川である
最上川の支流の小国川が西流
(地図の右から左へ流下)して
おり、遺跡は、小国川左岸に舌
状に張り出した標高 72mの河
岸段丘上に立地します。現在、
この部分には高規格道路が通っ
ております。
円筒式土器分布圏
大木式土器分布圏
山形県西ノ前遺跡
北日本の土器の分布圏
② 調査当時の状況
それで、下の写真は調査当時
の状況ですが、このように水田
の中で少し高地となっている、
赤い矢印の部分が西ノ前遺跡の
遠景です(北側から撮影)
。写真
のように、調査が入る前は荒れ
地でしたが、草を刈りながら調
査を進めました。
下の河原とは、
比高差約 9mの緩やかな段丘崖
遺跡位置図(赤丸が遺跡地)
で区切られています。この崖の
縁辺を調査していきました。遺跡の面積は約 10,500 ㎡と推定されます(現状)
。
西ノ前遺跡遠景
調査当時の状況
③ 調査の経緯等
この遺跡については、20 年前(平成 4 年 6 月 8 日~10 月 6 日)に、国道 13 号線
(現在の尾花沢新庄道路)の道路改修工事に伴う緊急発掘調査が、山形県教育委員
会により行われました。遺跡の範囲は、下の写真のように、黄色線で表された楕円
形と考えられますが、道路改修工事の対象となった部分が遺跡の西側のみであった
ため、調査は、遺跡の西半分 4,450 ㎡を対象に行われ、その結果、縄文時代中期前
葉から中葉にかけての集落の様子が明らかとなりました。東側は全く調査を行って
いないため、調査を行えば、さらに「女神」が出土する可能性がありますが、個人
所有の土地であり、今後に待たなければなりません(町教委による試掘調査を平成
25 年 8 月に行う予定)
。
西ノ前遺跡全景(南側より)
④ 調査結果概要
この遺跡の「遺構配置図」
、住居や土坑の
跡などの配置図は右図のようになってい
ます。
図の上方に小国川が流下しており、
小国川に向けて、約 9 メートルの崖にな
っています。川に土地が洗掘されていま
すので、辺縁にあった住居は、もう少し
張り出していたのではないかと思われま
す。住居跡(網掛け表示部分です)は9
棟分ほど発見されています。ただ、中心
にある住居跡は少し新しい時期のもので
す。よって、住居が環状に配置されてい
たことが想定されます。この地域で発見
される縄文時代の集落跡では、住居を環
状に配置する例が多く、この遺跡におい
ても同様ではないかと考えられます。ま
た、この遺跡の北側には、フラスコ状土
坑と呼ばれる、よく理科の実験で使うフ
ラスコのように、少し下方が広がる土坑
で、貯蔵した穴ではないかと言われてい
西ノ前遺跡調査区(真俯瞰)
遺構配置図(上が北側、小国川の方角)
ますが、これが発見されています。この中からは、多数の土器が発見されており、
土器等を廃棄したものではないかと考えられます。
さらに、この遺跡の南側は、赤く表示した部分ですが、遺構確認面が2メートル
ほど低くなります。その黒土の部分、沢と表現するのがよいでしょうか、そのよう
なところから、5つのパーツに分かれて、人為的に割られた状態で、
「縄文の女神」
が出土しました。ここは、生活に不要となった道具を廃棄した「落ち込み遺構」と
考えられます。
他の土偶についても、
竪穴住居跡や土坑からも発見されていますが、
それは 13 点ほどで、
土偶の7割くらいはこの遺構から発見されております。
さらに、
テン箱(出土品などの保管に使用するケースです)にして 600 箱くらいの、多量の
土器が発見されています。足の踏み場もないほど土器が散乱しているという状況で
した。
西ノ前遺跡出土土器(左)
、石器(右)
3 「縄文の女神」の出土状況等
(1) 調査状況
「縄文の女神」は、先述の「落ち込み遺構」から発見されました。足の踏み場もな
いほど土器が散乱している中から土偶を探し出すということで、大変な作業だったの
ではないかと思われます。調査の期間も8月ということで、大変暑い中での調査とな
りました。
(2) 各パーツの発見から接合、完全な形になるまで
① 各パーツの発見と接合
「縄文の女神」は臀部、脚部(右
脚及び左脚)
、胸部、頭部の5つの
パーツに分かれて発見されました。
胸部の裏側には背骨が描かれてい
ます。私たちの背中と同様、背骨
の部分が少し食い込んでいる様子
を表現しており、写実的に表現さ
脚部と臀部の出土状況
れている部分もありますが、腕は
ありませんので、人間に似せて作
成されたものではないかと考えら
れます。最初に頭部や臀部が発見
され、各パーツを繋ぎ合わせるこ
とができたことから、一つの土偶
が壊れたものであることが分かり
ました。そして、最後に脚が発見
され、完全な形になりました。
胴部の出土状況
② この土偶の位置づけ
各パーツは、半径3メートルくらいの
直径の円に収まる範囲内で発見されまし
た。他の小さな土偶は、パーツの一部し
か発見されず、全てを接合しても完全な
形とはならないのですが、
「縄文の女神」
は完全な形となりました。故意に狭い範
囲に埋めたのではないか、との見解もあ
りますが、ここまで作り上げられた素晴
らしい土偶ですので、特別な位置づけの
土偶であったのかもしれません。作成の
際には、赤粘土で仕上げをしているため
全体的に赤色となっており、表面は丁寧
に研磨されていて、うっとりと見とれて
しまうような姿をしています。ただ、顔
がありません。基調講演でも「顔のない
土偶」についてのお話がありましたが、
顔がないということにも意味があるので
はないかと思われます。
4 西ノ前遺跡の調査結果(詳細)
(1) 竪穴住居跡及び土坑
右の写真は、竪穴住居跡を発掘して
いるところです。長辺 10m、短辺 2.5
m~3mの長方形をしているものが、
調
査区の西側から集中して発見され、放
射状に配置されているというような実
態が判明しました。
また、下の写真では、土坑の中に作
業員が頭まで入っていますが、2メー
トルくらいの土坑も存在します。食糧
修復前の状況
竪穴住居跡の精査
などを貯蔵したと考えられ、三角フラ
スコのように開口部が狭く、底部が広
くなっているフラスコ状土坑(口径1
~1.5m、底径 1.4~1.6m、確認面か
らの深さが 1.5~1.8m)が 60 基くら
い存在しますが、これも含めて、土坑
は 200 基くらい存在します。その中に
は先述のような大きなものも多数あり
ました。
(2) 環状集落
右の写真は遺跡を上から見たも
のです。東側(写真の右側)も調
査しなければ集落の全体像は明確
とはなりませんが、住居と土坑が
環状に配置されるという特徴があ
ります。
住居が環状に配置される例は他
にもあり、
西ノ前遺跡から 20 ㎞ほ
ど南方にある西海渕遺跡では、中
心に広場があり、広場を取り囲む
ように円形に住居が配置されてい
ました。また、やはり西ノ前遺跡
の少し南方にある寒河江市、
「さく
らんぼ」で有名な街ですが、こち
らの街にある高瀬山遺跡で発見さ
れた縄文時代前期末の住居跡も、
直径 200 メートルくらいの大きな
円を描く住居分布となっています。
これらの遺跡に共通した住居配置
なのです。その遺跡からは、縄文
時代中期の半ばくらいの土器も発
見されています。
こちらの土器も、
特徴的な飾りや文様があります。
少し時代が下りますと、少し形式
化された文様が見られるようにな
ります。また、石器も発見されて
います。
山形県では、
頁岩という、
少し灰色で、緑色のような石材が
多く産出しますので、地元の石材
を地産地消しながら、写真のよう
フラスコ状土坑の精査
土坑
住居域
調査区北側の様子
住居域
土坑
広場
村山市西海渕遺跡 環状集落
な石器も作製していました。少し
形の異なる異形石器のようなもの
もありますが、このような石器も
出土しています。
住居域
5 「縄文の女神」について(詳細)
(1) 外観等
縄文の女神は、土製の素焼で作
成され、非常に大形で安定感あふ
れる立像土偶です。
高さ 45 ㎝であ
り、完全な形の土偶としては最大
です。残欠資料の中には大型の臀
部を表したものもあり、大型の土
偶は、一点主義ではなく多数作成
されていたのではないかと思いま
寒河江市高瀬山遺跡 環状集落
す。ただ、この土偶については、
作成・仕上げが丁寧で、他の土偶とは異なる雰囲気を有しています。
具体的には、胴部は両肩が左右に張り出し、乳房は逆三角形で前方下方に垂れてい
ます。腰の部分は大きく後に屈曲し、尻は緩やかに凸面を呈して無文となっており、
全体として、
よく研磨されて光沢があります。
脚部は角錘状の柱を腰に接合しており、
横方向の凹線が描かれています。脚部の下端で左右を連結させ、台状に前後に張り出
しており、この土偶に安定感を与えています。全長45cm(再掲)、肩幅17cm、重さ3.155kg
であり、縄文中期(約4500年前)に作成された土偶です。
(写真については1ページを参照)
(2) 主な特徴等
① 頭頂部の小孔、顔等
特徴としては、まず、頭頂部に、前方に2か所、後方に4か所、小孔があります。
この小孔の意味については、仮面や羽を装着した等の見解があり、賛否両論がある
ところです。そして、顔面は若干凹面を呈する板状につくられ、眼鼻口等の表現が
ない、顔がないという特徴があります。
(写真については1ページを参照)
② 出尻型
また、腰の部分は大きく後に屈曲し、臀部はゆるやかに凸面を呈しています。こ
のような形状の土偶を、出る尻と記載し「出尻形」と呼称しています。これは、南
東北では非常に一般的な形状です。この土偶は、絶妙なバランスで作製されていま
す。おそらく倒れないように、自立させるイメージで作製されていると思います。
(写真については1ページを参照)
③ 足の裏の形状
足の裏にも孔がありますが、この部分はこの土偶の中で最も太い部分ですので、
焼き上がりのムラが生じないように、焼き上がる前に、深さ4㎝~6㎝くらいの孔
をくり抜き、焼き上がりのムラを防いでいるのです。このように作成にあたり工夫
が施されています。
土器を作製される方も多く来訪しますが、
この土偶の作製は難しいと言われます。
この土偶は「中実」であり、中は空洞ではないので重量感があります。そのため、
作成の過程で乾燥させる際に割れてしまったりするようなのです。そのような観点
からこの土偶を見ていただくと、各所に工夫が見られるということです。
(写真については1ページを参照)
④ 附:土偶残欠(47 点)
「残欠」と呼ばれている、西ノ前遺跡で発
見された、頭部から脚部までの破片です。頭
部は河童型の影響を受ける顔面表現のないも
のや逆三角形の輪郭に眼鼻口の表現のあるも
のまで様々です。胸部は逆三角形で下方に垂
れ、臀部は後方に張り出した形状をしていま
す。15 ㎝くらいの大型の臀部もあり、大型の
土偶も存在したのではないかと思われます。
これらは、
すべて断片しか発見されておらず、
他の部分の接合資料がありません。
そのため、
バラバラにして各所に埋設したのではないか
と思われ、発見されないのも当然ではないか
と思っています。
土偶残欠
(3) 近隣の他の遺跡の土偶との比較
① 概要
参考として、近隣の他の遺
跡から出土した土偶を比較
して見ていただければと思
います。これらの土偶のうち、
原の内A遺跡、水木田遺跡は
山形県内の遺跡であり、この
4体の土偶は同じ時期のも
の、少し古いものもあります
が、概ね縄文時代中期の始ま
りから半ばくらいまでのも
のです。顔がありません。ま
だ顔を描かずに作成してい
ます。この時期を越えると顔
「国重要文化財指定記念 西ノ前遺跡の縄文ヴィーナス」より
を描くようになります。中期の後半になりますと顔を描くようになるのですが、そ
こに至るまでのギリギリの線に留まっているのです。中の内A遺跡は宮城県、七郎
内C遺跡は福島県、それぞれの遺跡から出土した土偶です。
② 比較(共通点等)
これらの土偶に共通するのは、まず、自立するように作成するという特徴があり
ます。また、顔がなく、縄文時代中期前半の土偶については、同様のデザインとな
っています。
「出尻形(でっちりがた)
」という形状も共通しています。南東北の土
偶についてはこのような共通点があり、その中でも特に大型で、丁寧な作成・仕上げ
が施されている土偶が縄文の女神の特徴ということです。
6 最後に ~ 縄文の女神についてより知っていただくために
山形県に所在する東北芸術工科大学文化財保存修復研究センターからの要請により、
2008 年に、縄文の女神の三次元の立体計測を行いました。このような立体計測データを
保有する利点は、例えばレプリカを作成する際に、資料の破損を防ぎ、触れずに作業が
できるということがあります。このような立体計測データがあると、小中学生の教材に
も活用できる、また、いろいろな商品を作成できるということで、いろいろな用途での
利用が可能ではないかとのことでした。本県では縄文の女神の形状を活かし、さらなる
活用を模索しています。
縄文の女神は、土偶作製の盛んな東日本にあって、南東北を中心に発展した出尻形の
土偶です。その造形は緻密かつモダンで、他の土偶と一線を画しています。今後も山形
の宝、県民の宝として活用され、注目されて、山形の誇りとして県民の心に浸透してい
けばと思います。
私の方からは以上で終わります。
注)掲載している写真及び図面については、山形県立博物館 所蔵資料をご提供いただいて
います。
(了)
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