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気候変動と歴史

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気候変動と歴史
気候変動と歴史
大阪大学教授 桃木至朗
東京の1月の平均気温が5℃を超えたことは、
続くわけではなく、むしろその間の波動で人類社
1876年の観測開始から1945年までに2回しかない
会はゆさぶられる。たとえば、最終氷期が終わり
が、1987年から2010年まででは逆に、5℃以下の
に近づき長期間の温暖化が続いた後に、1万2900
年が1回しかない。こうした地球温暖化が世界的
年前からしばらく、急速な寒冷化の時期があった
な問題になった結果、過去の気候変動の復元がメ
ことがわかっている(下図のヤンガードリアス
ジャーな研究テーマとなり、グローバルな人類史
期)
。その理由を、温暖化で北米大陸の巨大氷床
的変動からローカルかつ短期の変動まで、たくさ
から溶け出た大量の冷たい淡水が大西洋・北極海
んの興味深い事実が判明した。もちろん論争が続
に流れ込んだ結果、海氷が広がり(塩分が少ない
いているトピックもあるため、さまざまな歴史事
方が凍りやすくなる)
、温暖な北大西洋海流もス
象を気候変動だけで説明するのは危険である。
トップした結果だと見る説がある。
温暖化と寒冷化のどちらがプラスでどちらがマ
この説には批判があるが、重要なのは、西アジ
イナスの影響を人類社会に及ぼすかは、場所や時
アで1万2000年前に始まる穀物栽培は、この一時
代によるので一概にいえない。たとえば寒冷で湿
的寒冷化がきっかけの一つになったと考えられる
潤なアルプス以北のヨーロッパでは、
「中世温暖
ことだ。つまり、それまでの温暖化で、狩猟採集
期」に農業生産力が大きく発展したが、
「農業革
生活の限界を超えて人口が増えてしまったらしい
命」を含む近代化は、14世紀から19世紀後半にか
(食べられた動物の骨の化石などから乱獲が裏づ
けての寒冷な気候(小氷期)の中で実現した。16
けられる)。そこを襲った寒冷化に対処するため、
世紀後半に始まる気温の低下が「17世紀の危機」
人類は農耕社会への歩みをはじめたということで
を後押しした例など、当時のヨーロッパは農業生
ある。もっとも農耕が定着したのは、その後しば
産の減少、栄養状態の悪化、伝染病の流行、人口
らく温暖な気候が続いたためだが。
の減少などの悪循環に、たびたび苦しんでいる。
その後、5500年前ごろから地球の寒冷化が始ま
ヨーロッパの近代化は、危機への対処が飛躍を生
り(「中世温暖期」など何回かの逆行はあるが、
んだものと理解できる。
大局的には近代の工業化による気温上昇までは寒
温暖化にせよ寒冷化にせよ、同じ傾向がずっと
冷化傾向が続く。主因は地球の公転軌道の変化に
よる北半球の日射量の減少と
される)
、今度は不安定な天
水農業の限界を超えていた人
口を養うために、灌漑農業が
生まれる。環境の激変(気候
変動の場合、寒冷な時期の方
が気温の振幅が大きくなるよ
うだ)への対応は、人類史の
重要なテーマである。
−1−
明できる。
気候変動のさまざまな原因
気候変動というと気温の上下だけを想像しがち
気候変動の原因を理解するには、地理や地学の
だが、農耕や牧畜を基盤とする社会では湿度や降
素養が役に立つ。
水量の変化も劣らず重要だった。たとえば大気中
たとえば、太陽の活動には長短さまざまな周期
に含まれうる水蒸気の量が減る寒冷期には、一般
をもつ強弱の変化があり、それが地表に影響する。
に旱魃が起こりやすくなる。遊牧民の大移動や拡
地球の側では、公転軌道と地軸の傾きの変化、大
散の背景には、中央ユーラシア草原の寒冷化とそ
陸の移動、造山運動などが広範囲かつ長期的な気
れに伴う旱魃がしばしば見られたらしい。また、
候変動をもたらす。陸地が多い北半球の北部には
5500年前に始まる地球の寒冷化の時期には、それ
巨大な氷床が存在するので、太陽や地球の変化に
までかなり湿潤だったサハラの乾燥化が始まる。
伴うその拡大と縮小自体が、地球規模の中短期的
赤道付近(熱帯収束帯)からの湿った上昇気流が
な気候変動につながる。
下降して乾燥する中緯度帯が、赤道側に動いてサ
もっと短期的には、黒点の増減などで検知でき
ハラ上空に来たためである。
る太陽活動の短期的変化、大気と海水の循環(気
温暖化の場合でも、高気圧が強く降水量が少な
流と海流)の変動、そして火山活動などが意味を
い場所では、やはり旱魃が起こる。1200年前後か
もつ。フランス社会が革命に走り出した1780年代
ら、北米内陸部の社会が乾燥化により大打撃を受
には、アイスランドのラーキ火山と浅間山が1783
けるのだが、その背景には「寒冷化の開始」と
年に相次いで大噴火した。その影響などによる寒
「温暖化の最終局面」と両方の説がある。日本列
冷化が、日本の「天明の大飢饉」を含め、世界の
島でも、温暖で比較的雨の少ない(現在でも水不
農業と暮らしに打撃を与えたことが広く知られて
足がよくおこる)近畿から瀬戸内海・北九州など
いる(ただし革命の直接の原因は、86年からの熱
の地域では、中世の温暖化の結果として、春から
波と旱魃、88年の日照りと雹による小麦栽培の壊
夏の熱波と旱魃、秋の大雨と洪水など自然災害が
滅とされている)
。
増加し、12〜13世紀には凶作がしばしばおこった。
こうした諸要因の複雑なからみ合いにより気候
歴史時代の気候変動の幅は、ほとんどの場合、
変動が起こるのだが、それは世界各地域に均等に
最近の温暖化ほど大きくない。しかし、16世紀後
影響するとは限らない。たとえばペルー沖の海水
半にヨーロッパの平均気温が世紀前半より1℃下
温が上昇するエルニーニョ現象(温暖化よりは寒
がっただけで、イングランドでは農作物の栽培期
冷化により頻度が上がる)は、エチオピア高原の
間が1か月短くなり、ノルウェーの高地では農耕
降水量(これが多いとナイル川の水量が増加し、
可能地の標高が中世と比べて150m下がったとさ
インド洋の湿潤な南西モンスーンが強まる)と負
れる。とはいえ、影響の出方は社会のあり方によ
の相関関係をもち、太平洋沿岸などの広い地域に
っても違う。グリーンランドで14世紀以降に寒冷
暖かい空気を運ぶが、その結果は日本や北米では
化が進んだとき、先住民のイヌイットが狩猟・漁
大雨とハリケーン、オーストラリアやインドでは
労の方法を進歩させて生き延びたのに対し、ヴァ
旱魃と、対照的である(南方振動)
。また北極と
イキング社会は北欧式の牧畜と穀物栽培にしがみ
中緯度地帯の気圧差が小さいとジェット気流が蛇
つき、食糧不足のなかで消滅していった。なお、
行し、気流の南側の日本は暖冬だが北側にあるヨ
古代のミケーネにおける造船目的での森林破壊な
ーロッパは厳冬で大雪、といった現象が起こる
ど、森林の消失が土壌流失と気候の乾燥化(森林
(北極振動)
。ヨーロッパと東アジアで温暖化や寒
の保水力が失われたため)につながった例があち
冷化の傾向は一致するが実際の年代は微妙にずれ
こちにある。人為的な原因による気候変動は、工
るといった事実の一部は、こうした要因により説
業化以前にもおこったのである。 −2−
ドや南極などの「氷床コア」の分析では、18O(気
温が高いと比率が上がる)の含有量をもとに、10
万年以上前からの気温の変化が復元されている。
左図の上段のグラフから、紀元400年ごろの寒冷
化、600〜1200年ごろの温暖な気候、その後の寒
冷化と大きな波動などが見て取れるだろう。
先史時代は別として、歴史時代になると、文献
の記録が役立つことがある。京都の宮中では花見
の宴会の記録がたびたび残されており、812〜985
年には1477〜1532年より平均で7日間早くおこな
われている。桜の満開日は3月の平均気温と強い
相関があり、平安時代は室町時代より、3月の平
均気温が2℃ほど高かったと推定される。またヨ
ーロッパでは、ワインに使うブドウの栽培地域と
収穫日の膨大な記録が残されており、栽培の北限
や限界高度などの変化を知ることができる。
気候変動の復元方法
そこまでの詳しさでなくても、西暦536年には
過去の気候変動を復元する方法には、古文書、
『日本書紀』、中国北朝の正史である『北史』、東ロ
絵画などによる文系的方法と自然科学的方法の両
ーマ帝国の諸記録や教会史、ゲール語によるアイ
方があり、
「文理融合」的な研究が要求される。
ルランドの年代記などに一斉に、日照不足や雹、
これは高校でいえば、文系・理系双方の生徒に興
それによる飢饉の記録が現れる。この時期の寒冷
味をもたせられるということである。また、日本
化は、年輪や氷床コアのデータでも裏付けられる。
史と世界史が切り離せないことも当然である。
中国南朝の正史『南史』には、535年末に「黄色い
近代的な観測記録が存在しない時代の気候を復
チリが雪のように降った」とあり、グリーンラン
元するには、自然科学的方法が活用される。p.1
ドの氷床コアから酸性雪の証拠が見つかることか
や上のグラフはその例である。有名なのは、地中
ら、火山噴火による硫酸エーロゾル(大気粉塵)
や湖底に堆積した花粉の種類の分析、屋久島の縄
の大噴出で太陽光線がさえぎられたものと推測さ
文杉のような樹木の年輪の変化(近年では各年輪
れている。17世紀中国の寒冷化は、長江下流の太
に含まれる炭素同位体 Cの比率も調べる。気温
湖が4回、中流の洞庭湖が4回(いずれも過去最
が高いとその比率が下がる)などを調べる方法だ
高)氷結したこと、江西省の柑橘栽培が霜の被害
ろう。上図、下段のグラフは、アメリカ合衆国の
で放棄されたことなどの文献記録から推測できる。
松の年輪による気温復元の代表例である。
ヨーロッパ史では、絵画が利用できる。近世以
最近急速に発達したのは、湖底や海底の泥、万
降のアルプスの風景画は、時期による氷河末端の
年雪の氷床など年々堆積が続くものの長期変動を、
標高の変化を教えてくれる。13世紀の宗教画はキ
酸素や炭素の同位体比率の変化から分析する方法
リストの栄光を称える明るい絵が多いが、14世紀
である。福井県の水月湖(1年に1枚のしま模様
には暗い色調でキリストが苦しむ「受難」を描い
を描く「年縞」堆積物が、7万年前まで検出され
たものが主流になる。1400年から1967年までに描
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ている)では、 Cの変化(太陽活動による宇宙
かれた1200枚以上の絵画の調査では、1549年以前
線の変化などを反映)の、4万5000年前に遡る詳
は青空が多いが、1550〜1849年には低空の積雲、
細なデータがすでに得られている。グリーンラン
曇天、暗い色調などの絵が多数となる。
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