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調査資料> 変貌するサラワクの農村

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調査資料> 変貌するサラワクの農村
Kobe University Repository : Kernel
Title
<調査資料>変貌するサラワクの農村( Changes of Rural
Community in Sarawak)
Author(s)
保田, 茂
Citation
神戸大学農業経済,12:57-70
Issue date
1976-12
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00178123
Create Date: 2017-04-01
- 57-
〔調査資料〕
変貌するサラワクの農村
イ
呆
田
茂
はじめに
1
9
7
5年 3月と 1
9
7
6年 7月に,それぞれ 3週間の 日砲で 東南ア ジアを 旅する
会を待 た。旅 行の日 的は, 当地の 人々と の交流 を深め ること にあっ
せて, 東南ア ジアの 段村と 段業の 実態を ,とり わけ農 業技術 近代化
機
たが, あわ
の態様 をこ
のけで直接確かめてきたいという気持=もあった。私は J
:として東マレーシア・
サラワクとタイの農村を訪問し,時間の訴す限り農家の'J:
j百に触れるようにし
た。さいわい ¥
I
j地の友 人のは からい で,直 接農家 の人達 と話し あいす
る機会
を得たり,
f
t
;家に立 ち寄り ,食事 のもて なしを 受ける ことも できた 。また ,何
軒かの農家に一泊の[世話にもなったりして,時間的には極めて短
期間ではあっ
たが,農家 ω生活と 農業の ー断 i
国を肌で!通ずることができた。
以 刊 む そ の 旅 行 の 印 象 記 で あ る O ここでは,わが I
l
i
1にあまり知られること
のないサラワクの出村について記すことにした。
1
. 森と河の闇サラワク
サラワ クは第 1図にみるように,ほぽ亦道直下にあって,ボノレネオ
島北西部
に位置 し,南 シナ海 に而し た 1
2
5下平心.キロ(わが国のYs)の地域である o 1
9
6
3年にマ ラヤ連 邦と合 体して ,マレ ーシア 連川( 現在, 四マレ ーシア
1
1什!と東
マレーシアのサラワクとサノてを合わせた 1
3
、
川l
から成 る)の うちの --j、けとなるま
神戸大学農業経済
- 58-
第 1図 サ ラ ワ ク の 位 置
S 0 U
P A
SOUTHCHINASEA
o
、
T H
C
C
F
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、
之
広
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q為。守c:>
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5
4
9
大戦後 の 1
ではイ ギリス の植民 地であ った。 植民地 とはい え,第 2次世界
)ならびに│同民の志向に沿っ
k
o
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j
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R
乙,当時のサラワクの統治庁 (
l
て植民 地にな ったと いう特 異なと 乙ろで ある D
ア)と南シ
独立国としての永年の歴史に加え,マレーシア本一 L (同マレーシ
O たとえば,
ナ海で速く隔っていることもあり, I~î 治領的性格の強い nil である
に税閣の検査を受
西マレーシアとの問の出入間でさえ,隣践するサノ吋│、!ととも
々外 rf~l 人にとって,ひど
けねばならない。国内の移動だからと安心していた孜
く検査が厳しく映る O
u緑の厚いじゅ
l
r
サラワクはと空から見る限り,果てしない密林が広がり, iJこも蛇行する河が,熱帯地万
うたん を敷き つめた ようだ 。その 密林の 聞を幾 1
を忠わ せる
特有の茶色っほ。い色を主しながら流れている O 海岸付 近の低 湿地帯
には河 口は
あたり は,河 は大河 となり ,音も なく南 シナ海 と混じ りあう 。とき
は,イ ンド
幾つに も枝分 かれし ,八頭 の蛇の 伝説を 連組さ せる。 サラワ クの南
岳地帯 へと
ネシア 領カリ マンタ ンと山 脈で接 し,海 岸地市 の平原 から丘 陵・山
だ。
景観を変える O サラワクは,まるで森とれ1Jの IJ~ のよう
変貌するサラワクの農村
- 59-
気 温 は ほ ぼ 一 年 間2
6
'
Cと 定 常 的 で , サ ラ ワ ク の 首 都 ク チ ン 市 の 場 合 , 最 低 は
雨 期 の 1月 で 2
5
.
5
'
C, 最 高 は 雨 期 あ け の 5""6月 で26.TCである O 日中はかる
0
'
Cを越す暑さだが,木陰や夜は意外にしのぎやすい。 7""8月 の わ が 国 の
く3
夏 ω暑 さ の 万 が 気 温 も 高 く , 不 快 指 数 も 高 い く ら い で あ る O
季節は,
9月終り頃から始まり 5月頃まで続く雨期と, 6""9月 の 乾 期 に 大
0
0
0ミ リ で , わ が 国 に 比 べ ら れ ぬ く ら い 多 い 。 月 別
き く 分 か れ , 雨 量 は 年 間 4,
l
iでみると,故「寄が 1月 の 6
4
5
.
0 ミリ,最低が 7月 の 1
8
8
.
8ミリ
雨量をクチン i
るに十分であるが,乾期といえども,わが国の
で あ り , 雨 期 ω雨[訟の多さを知i
梅 雨 期 ω雨量に匹敵する O ζ れ だ け の 温 度 と 雨 量 の も と で は , 森 と 河 が 発 達 す
るωも王極当然なことである O
2
.
都市の膨強と離村する若者
E
Jも,人々の仕事と生活は
初!の流れは以前とほとんど変わること ωない ζ の f
確 実 に 変 化 し つ つ あ る o Wi 持な変化 ω 一つに~宗と河 ω!liJサラワクにあって
も,民村から若者の姿が少なくなり , f
部
?
I
日
川
)
[
川
け
IJ
が 次 第l
に
ζ膨張し,つ〉つある事実をあけげ
恭
ることができる O
第 1友は,サラワク
第
ω主叫郎 r
l
i
ω 人 IJ数とそ ωi
背加率を J
jミしたものである
O
1表サラワク主要都市の人 1
1
1
m穆
¥¥¥年
¥
都
1960"
f
1 970年
1 増 加 数
I
-~一
一i
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一 一日
一一一一一一l
ド一一←一一一
人
数│構成比 i
l人
数(陪成比 1
1人
数│増加率 寄与率
止¥
¥
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クチン市
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人
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1
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0 1 8
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31 4
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0 1169.21 1
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4I 3
シマンガン市
5,
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4
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.
9
サリケイ市
4,
2
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.
6
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.
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1 1,
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2
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5
2
3
17
5 大 市 計 11
一一ー一一一一一一一一一
4
4,
5
2
9 11
0
0
.
0 19
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0
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.
01
12
3
2,
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9 11
3
1
.
3I1
0
0
.
0
サラワク合計 17
資 料 :1
9
6
0,1
9
7
0年センサス
神戸大学農業経済
- 60-
0万人とみてよい。そのう
0
表にみ るよう に,サ ラワク の人口 は全体 でほぼ 1
至って い
ち,首 都のク チン市 は人口 増加が 著しし 全体の 11%余を占 めるに
る。増加寄与率もほぼ20~ぢと極めて大きい。
5 大 Iri を合計すると,全体の 20%
きな数 字を示
の人々 が主要 都市に 生活し ,人口 増加寄 与率も 合計で 33%余の大
という もので
している O この聞 に,如 何に人 口の都 市集中 があっ たかが 分かる
よい。
ある O 現在は,これよりもう少しウエイトが高くなっているとみて
政策が 傑
こうし た都市 膨張の 背景に は,マ レーシ ア政府 の開発 政策や 仁業化
的性格をも
く関係していることはまず間違いない。たとえ,サラワクが自治領
は,現在食糧
っといえども,マレーシアの一件│にちがいない。マレーシア政府
府にとりサラ
自給と輸出産業の振興及び、工業化を急いでいるかにみえるが,政
な資源 が序
ワクは,極めて主要な地域なのである O そこに は広大 な土地 と豊富
レーシ アの
在するからである D たとえ ば,サ ラワク に庄す る石油 と木材 は,マ
ル,コ コナ
国際収 支バラ ンスに 大きく 貢献し ている が,そ のほか パール ・オイ
ある O こう
ッツ・オイル,冷凍エピ, ~jf,l突なと、 ω 輸出品拍も{ド々上自加の傾向に
導入を はか
した第 一次産 品を中 心とし た輸出 虚業を 軸に, 他方で 債極的 な外資
の数は 増し
り,西 マレー シアほ どでは ないに しても ,サラ ワクで も徐々 に企業
6年に比較し
6
9
1の企業が操業しており, 1
8
9
0年で 1,
7
9
つつある O たとえば, 1
て21%の増加である O
1
主物,野菜などの食結は1'
サラワクは広大な土地を有-しながら,米および、音 J
l政策も すすめ られて いると はいえ ,やや もすれ
t
t
給できないでいる O 食糧増 I
いると 言え
ば,サ ラワク では輸 出産業 丑視の 陰に, 農業の 発展が 犠牲に されて
2についても,同マ
J
なくも ない。 米の増 産に決 定的な 影響を 与える 瀧瓶施 設設 i
レーシアほどサラワクでは事業がすすんでいないのである O
おしとどめ
こうして,人口の 75%を占めるといわれる農村は,食!利 ω状態に
膨振を続け,
られ,若者は次第に農業を嫌い村を離れつつある O ーな,都市は
1J"をはじめシブー
f都のク チン f
密林の 中に近 代的都 市が装 いを新 たにす る o E
長村との分離が
1が溢れ, j
1
1本製の(j動 1
Tの道路には [
T
i
1
, ミリ など,主安者5
市
じしつつある。
る O それとともに,良!出物の商JIll 化も次第に 1~~ f
m
進行しつつあ
変貌するサラワクの農村
3
.
-6
1-
複合社会のむずかしさ
東南アジア諸国に共通して,サラワクも多民族で成り立つ複合社会である o
1
9
7
0年のセンサスは,民族別人口を第 2表のように教えている O
鮪 2嚢
サラワクにおける民族別人口 (
1
9
7
0
)
~ιI_~イパン人
口│構成比
N
&
人 %
3
0
2,
9
8
4 I
3
1
.
0 ISeaDayak
~一一
つまり,サラワク先住民族のイパン族が全体の 3
1
5
ちを占め故も多いが, 1
8
4
0
2
ド以降移民してきた中同人が,今やほぽ同程度の人口を有するようになってい
るO
ζ
一jJ,その他の先住民族はそれぞれ少数部族にとどまっている。
うした民族の違いは,言語や宗教,生活慣習を異にし,複雑な人間模様を
描いている O マレーシアは 7 レ一語を国語とし,すべての民族にマレー語を学
習することを義務づけているが,人口構成からいえば,イパン語と中国語がサ
ラワクでは最も重要な日常的言語であり,日常あまり使うことのないマレー語
が問語とされる
ζ
とに,中悶人やイパン族など先住民族の問で疑問がないわけ
ではない。しかし子供たちは,学校生活を通じて数多くの i
i
j葉を習得し,自分
たちの言葉のほかにマレ一語,英語を使い ζ な す 子 供 た ち は 決 し て 少 な く な
い。ただ,親は自国語のほかは理解できないことが多く,結局民族聞のコミュ
ニケーションは商品の流通の深化とは裏腹に,仲々うまく pかないのが現実の
ようである O
- 62 ー
神戸大学農業経済
こうした複合社会の中で,マレーシアは憲法ではっきりとマレ一人優先政策
をうたっており,いわゆる 7 レ一人のほかに,サラワクではイパン族をはじめ
とする先住民族に対し.
I
特別な地位」を保障することを規定しているのであ
るO 乙れはマレ一人ナショナリズムに立つ政策であり,特に経済の実権を握る
中国人及び一部のインド人の政治的拾頭を抑える狙いがあるようだが,民族差
別にも似た政策が民族問の関係を一層被雑にしている O
たとえば,サラワクの土地所有制度をあげることができょう O サラワクの国
土は 1
9
4
8
{
!
:土地法にもとづき次の 5種類に分類されている O
(
1
)R
eservedLand:保留地区(公共地区)
(
2
) MixedZone Land:混合地区
(
3
)N
ativeAr
eaLand:先住民専有地区
(
4
)N
ative Customary Land:先住民慣用地区
(
5
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n
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o
rAr
eaLand:内│培地 [
x
:
この土地のうち,中間人の所{
Jし得る [
J
也は J
L
l
t合地区に│浪られており,混合
地区は全土の 1割にも満ナこない │
(
l
i
Mでしかない ωである O したがって,中国人
農家の問では,この土地法に対するイJ
j
i
l
l
J
lはかなり大きいといってよい。実質的
には現在所有する以上の [
_
1
出の拡大は,煙しいとさえいわれている O
就業の機会もかなり民族問に足ーがあらわれており,公務員として政府関係機
関に就職する中凶人は極めて稀であるという。
'
j
J
. 経済界は r
i
'
E
E
I人が実権を
握っており,中国人以外の者が就職する場合,マネージメントへの-昇進の可能
性は少ないといわれている O
それならば,サラワク先任民族の就業の機会は. r~ll斗人より有位にあるかと
いえば決してそうではない。確かに憲法で「特別な地位」が保障されていると
はいえ,政府・公的機関への就職は,貧困が高等教育を不可能にしている関係
もあって,実質的にはほとんどないという。産業界は rt~ 凶人がq:;;悦され,結 rð
先住民族は最も正取外された地位に白かれているといえるようである。そこで,
都市に就業の機会を求めて村を出だイパン族の若者たちは,者1
5
r
b
・
のF層労働者
群を形成することになる O
中国人はマレ一人優先政策に不満を抱き,イパン族の青年は
n
己の能力を発
qd
n
o
変貌するサラワクの農村
揮する機会が与えられず不満をうっ積させている O 複合社会は,複雑な人間模
様を描いている O
4
.
中国人の散居村
私達が訪ねたと
ζ ろは,サラワクきつての大河ラジャン河のほとりにあり,
サラワク第 2の都市シブー市(人口約 5万人)とその周辺の農村である o シブ
-r
lTから村々へは,ラジャン河を
とり下りする連絡船で行くしかない。
連絡船でほぼ2
0分川上にのぼると,スンゲイ・ピドゥク村の波止場に着く O
ここはもとコ。ム困であったところだが,老木になった乙とと,近年のゴム価格
6
2
年から 1
9
7
3年の 1
0年間に 48%の下帯,つまり半値になった)で廃
の暴落(19
闘にされ,現在は中国人が入植して,主としてシブー市向けの野菜を生産して
いる村である。桁かれて問もない土地だけに,ゴムの日根が畑の中ζ
l突き出て
いるところもある O 水路はまだつくられていないため水旧はなしもっぱら畑
作だけを営む。
.
4h
aの土地を経営している O ただし,
この村は現 {02家肢が入植し,平均 2
土地はかつてのゴム闘を所有していたマレ一人のものが多く,借地農業が多い
ことになる o
だが
J
W代は 10--20M$/h
a(
1マレーシア・ドノレヰ 1
2
0
F
I
J
) 程度のよう
k
J:終的には話しあいで決定されるらしい。中国人の村は大抵何処でも散
1
1分 ω耕す土地の一角 ζ
l 高床の住居が建てられている。床下は物
問村である o '
問でありニワトリや犬などの遊び場である O
そのうち ω一軒,今年 3
3歳になる Y氏宅を訪問することになった口氏はニラ
,
0
0
0羽飼育する
とナスを主体に野菜をつくり,採卵鶏を約 3
ζ の村きつての精
5人の大家族であ
農家である O 家族は祖父母,両親 . Y氏夫妻に子供連 9人と 1
るo
2h
aの所有地 (Y氏の場合,全部私有地,一部は密林のままの状態)のか
なりの部分をえn
にし,J]平均野菜で 3
00M札 卵2,000M札 合 計2,
3
0
0
M
$
(
2
7
6千
円)の粗収入をあげている O 故近は飼料の値上がりで,多少収入が減ったと聞
く
。
Y氏は,この村で最も成功した農家のようだ。訪問したときは,近くの畑
をつぶしてコンクリートの立派な家を新築中であった。
Y氏はニラを主体とした作付であったが,村全体ではナスが最も多く栽培さ
- 64ー
神戸大学農業経済
れていた。最近の特徴としては,化学肥料の使用が徐々に増えつつあるよう
だ。ナス畑に入ると,ナスの株間に化成肥料らしい臼い粒が沢山施されている
のを見ることができた。
この村の一番の問題は,ナスが有利だ、ということで連作されており,そのた
め収量が低下したり,特に病気が多くなる乙とだという。聞けば,農薬は 4日
に一度スプレーしないと穫れないということであった。
皮もあったらししまた今のままでは収入が減る恐れがあ
農薬による中毒事 J
るということで,この村では新しい品種の導入に熱心に取り組まれていた。な
かに,わが国の種苗会社が販売する品種も試作されていたが,成績はあまりよ
くないようであった。また,ナスに替る作物も研究中で,キャベツなども試作
されていたが,やはり病気が多く,今のところはとてもナスに替り得る状態で
はなかった。
そのほか,乙の村にはオクラ,小型のセロリ,体菜風の菜類,ニガウリなど
JをJ
II
いたので近よってみると,一本
が作られていたが,ニガウリ如!の光良が [
一本の実に紙袋が掛けてあり,しかもまっすぐにするためであろう,木片がニ
r
f
j
"の市場にみる野
ガウリの先端からつり下げられていた。そういえば,シブ -
菜はきれいに水洗し,姿・形よく,虫食いのあともないものがほとんどであっ
たが,農産物が商品化されるにつれ,外観重視の傾向が生まれるのはどことも
共通するものがあるらしい。
5
. 7.1<田とゴムの村
シブー市から川下に約 1n
寺間のととろに,ラパーン村がある O 乙こはかなり
古くに拓かれたところで,今年 5
5歳になる村の議長 O氏によると,この地ζ
l住
んで 2
6年になるが,すでに当時,中国人が生活していたとの事であった口乙の
村は,水稲とゴムの栽培を主体としている。最近は,ゴムζ
l仰る換金作物とし
て胡阪が増えつつある。他には ~l 給月j の野菜,サトイモ,キャッサパが家の周
りに植えられ,床下はアヒノレやニワトリが放し飼いにされ,ときには豚を専門
に飼育する農家もある o
この村は 6
0戸あまりの大きな村で,人口は 3
5
0名くらいである O 散問村のた
p
o
変貌するサラワクの農村
め
,
6
0
戸とい えば相 当に広 範凶に 村は広 がり, 密林で さえぎ られて
全体は 見通
せない 。村は 河に沿 って細 長く広 がり, 幅 1mくらい の道路
が家々 号結ん でい
るo その道 はずっ とシプ ー市ま で続く のであ る。 ζ の道路 は,村
の生活 道路で
あり農 道であ る。子 供述の 自転車 が行き 交い, 若者の オート
パイが 走る O とこ
ろど ζ ろ 湿 地 や 川 が 行 く 手 を さ え ぎ り , 木 製 の 桟 橋 風 の 道
路がつくられてい
るo
0氏は約lOh
aの土地 を所有 し,一 部は密 林のま まであ ったり ,胡淑 を植え
りして いるが ,半ば は水田ζ
l拓き, 約 9 トンの米を生産する
た
との村 で最高 の
O
収量を あげる 農家で ある o 5
"
"
"6年前ま では本 当に苦 しかっ たが, 現在は 政府
から肥 料,農 薬,除 草剤な どに補 助があ り(作 付地 1
ha当り 1
00M$, 1戸当り
平均3
00M事くら いの補 助),ずいぶん楽になったとのことで,今, 0氏が一 審
関心の あるこ とは, ①米の 収量増 大とそ の安定 ,②濯 j
慣施設 の設置 にある との
話であった。村の教会泡で主だった人達と懇談する機会をもったが
,わが[;ffiの
水稲収 量水準ζ
l対する 関心は 極めて 強く, 品種, 管理法 ,肥料 や農薬 につい て
多くの 質問与 を受け た。排 水施設 は,水 間の高 度利用 のだめ に特に
強く望 れてい
た。こ の辺一 帯の水 間は低 地にあ り,雨 期のラ ジャン 河水位
ヒ昇に より濯 概さ
れる訳 だが, 乾期で も完全 には排 水でき ないよ うで, そのた
め水稲 収穫後 は全
く利用 きれな いまま になっ ている O とうい う低地 の排水 はどう
すれば よいか と
質問さ れ返答 に窮し てしま った。
現在, 乾期の 間は村 に農作 業がほ とんど ないた め,青 壮年の
の仕事 に奥地 に出稼 ぎに行 き,な かには インド ネシア ・カリ
男子は 木材関 係
?ンタ ンの方 まで
出かけ る人も あると いう O 乾期に 村で農 業が出 来れば 出稼ぎ
も必要 ないの だが
という 言葉も 聞かさ れたが ,村で の就業 機会を 作るた めに排
水施設 が強く 望ま
れているようであった。
同時に ,乙の 村の悩 みとし て,若 者が農 業を嫌 がって 都会へ
るととが詰われていた。
出てい ζ うとす
o議長は ,若者 が都会 にあ ζ がれる のはや むを得 ない
ととで ,それ もこの 村が貧 しいこ とに原 因して おり, そのた
めにも 排水施 設を
設置し て,畑 作で収 入をあ げる道 を実現 したい とのこ とであ
った。 しかし ,実
際問題として,
ζ
うした 低地の 本田の 排水は 多くの 困難が あるに ちがい な p。
神戸大学農業経済
- 66-
あるよう
中国人の村に共通して,農業政策に対する不満は,特に土地制度に
して収 量の
であっ た。マ レーシ ア政府 は食濁 自給を めざし ておき ながら ,どう
れてい る O 確か
多い中 国人に 土地を 利用さ せない のかと いった 言い方 がなさ
収に大 きな
に,中 国人の 生産す る水稲 と,イ パン族 等が生 産する 陸稲で は,反
差があ るよう である 。第 3表は, 政府統 計によ る水・ 陸稲の 収量差
の実態 であ
るo
第 3表 水 ・ 陸 稲 栽 培 面 積 及 び 反 収
次
年
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│
稲
水
一一一一一一一一「一一一←
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1
栽培面積
1
陸
稲
←一一一一一一一一一一一一一
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収
収!栽培面積│反
反
65
1964/
45.3Tha
1旬
.
5
2
1
74.0Tha
4旬
.
8
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1967/68
8
.
1
5
1
.
3
3
1
0
.
5
8
9
.
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6
70
1969/
.4
51
7
.
2
5
1
7
.
5
7
5
.
9
8
73
1972/
1
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8
4
3
.
7
7
1
3
.
2
6
5
.
0
7
山
.5
71
3/73平均
凶6
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資料:サラワク農業統計, 1973より換算
がある O
去にみるように,水稲と r~主稲の反収にはほぼ 2 倍の差
こうした稲作
大きな不満とな
技術に対するf:'iu心があるだけに,土地所有.の不平等は余計に
っているようである。
.
6
ロングハウスと焼畑農業
ぢを占め,
サラワクを代表する民族はイパン族である O 彼等は全人口の 3H
河沿いの森の
離れた
"~ζ 生活する者もあるが,ほとんどは都 rlTから遠く
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部は都 r
村の中でも
中で生活し農業に従事している O イパン族の生活様式はアジアの農
0世帯く
0世帯,平均 2
4
0
独特であり,中でも住居構造は特異である O 彼等は 1
模式図 は第
らいがロングハウス(長屋式住民)を建て,集団生活をする O 住居の
)につけられる場
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2[ヌ│の通りであり,ところにより入口は正面ベランダ (
)
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TuaiRumah)の住居部分であり 1ブロック (
合もある 中央は家長 (
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- 67-
変貌するサラワクの農村
鮪 2図
ロングハウスの模式凶
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資料:P
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rEaton,
“ Sarawak,The Land and I
tspeople,
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8f{より O
1家族が起居する。 1家族平均 7""8人とすると,大きいロングハウスは 3
0
0
人近い人口を有することになる O いわば
1 ロングハウスがわが Ij~ O)
1部部に
相当すると考えてよいだろう O
イパン族以外の他の部族も,若干の構造仁の差具はあるものの,同じような
ロングハウスで生活する O サラワクでは,正確な棟数は確認されていないが,
5
"
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6,
0
0
0棟くらいあるだろうといわれている
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n移り{主む省は,再
勿論,都r1
びロングハウスに住む ζ とはないし,最近では,ロンク、、ハウスを嫌って独立家
屋ζ
l化む 在も増えつつあるようだ。
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イパン旗は丘陵地帯に多く住むため,焼畑農業者?常み,主として陸稲を栽培
する D 大体 6月頃から焼畑予定地を伐採し, 2""3週間後に火入れをしての
ち
, 8月頃ζ
l種モミが播かれる D 収穫は 1--21Jになるようである o j二地は 1
--2年利用すると放棄され,析しい焼畑に移り,大体 1
0
1
5年のローテーショ
ンで土地を利用するという O
最近ではマレーシア政府の奨励もあり,換金作物を求めて胡阪を栽培する村
も増えつつある O ただこれまで,イパン族は天然の地力に依序した農業を続け
- 68-
神戸大学農業経済
てきており,胡械のような永年作物のための地力維持の技術は十分にあるとは
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nへの移行は容易で
はなさそうだ。
ロングハウスの生活も,中凶人の村と同様,大きく揺れ動きつつある O 細身
乙身を包み,伝統的なイパンの踊りよりはカセット・テープでジャズ
のズボン l
を聞き,モダンダンスを好む青年達の増加は,ロングハウスの生活と焼畑農業
を徐々に変質させずにはおかないだろう O
7
. DDTとフラゾリドン
先に述べたラパーン村の教会堂で,村の主だった人と懇談の機会をもったと
き,開口一番質問をうけたことは,
I日本にはとてもよい農薬があると聞いて
いる O それを使いたいが,どうすれば購入できるか Jということであった。聞
けば,最近,収量を高めるために化学肥料が使われるようになったが,それに
ともない,一方で病虫害が増えて困っているとの事である D 現在,
DDTらし
い農薬が使われていた。
間マレーシアに比較して,サラワクでは瀧減施設の設置は,ほとんどなされ
ず,したがって,機械・施設などの資本装備型の農業技術は,目立った動きは
見られない。私達が訪問した中国人村もイパンの村も,土地を耕すことはほと
んどなかったし,稲の刈取りも稲椋だけを手鎌で刈るものであった。しかし,
化学肥料や農薬などの化学的資材の持及は確実に進行しつつある O そこで気に
なることは,これら化学的資材のマイナス効果が十分に認識されていないこと
である O 特に,マレーシアではノ子ラチオンやエンドリンなど,毒性の強い農薬
が販売許可になっており,効果の高い農薬へ傾斜を強めることになれば,また
新たな問題を発生させることは日に見えている O
一方,スンゲイ・ブドウク村の Y氏のところでは,ニワトリの病気予防とし
て,フラゾリドン (AF2類縁物質)が使われていた。ニワトリを飼育するよう
になって,①収入が確実に入ること,②鶏舎の中で働けるので暑い太陽に照ら
されずにすむととが嬉しい ζ とだが,ニワトリの病気が陥みの種であるとのこ
とで,現 l
乙鼻汁を出したり,緑便をするニワトリが沢山いるとの話であった。
変貌するサラワクの農村
- 69-
こうした病気に効果があるということで,この薬剤が販売されているようであ
0
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gもの大きな袋入りであっ
るO 現地名「福緑素Jと呼ばれ,イスラエル製で 5
l混ぜてニワトリに与えているのであるが,フラ
た
。 y氏は ζ れを適量,飼料ζ
ゾリドンはわが問でも危険性が論議され,先の新飼料法でやっと使用が禁止に
なったいわくつきの薬剤である o こうした薬剤を素手で扱う万法が用いられて
いるのを見て,卵の品質がどうかということもさることながら,
Y氏の健療を
まず最初に心配にしたものである。
連絡船で見た豚用配合飼料にも,抗生物質添加の旨が明示されていたが,サ
ラワクではブラゾリドンも抗生物質も全く問題になっていない。食べ物の安全
を論議するほどの余裕はまだないとも言えようが,農薬も合めて薬剤多用型の
農業技術が静かに,しかし確実に!よがりつつある現実に触れ,しかも,農家の
人達がこうした技術を積極的に受け入れようとしているだけに,ひどく重い気
持にさせられたのであった。
8
. 開発すすむサラワク
サルタンを統治の象徴にし,マレ一人エリート官僚による支配構造のもと
で,マレ一人優先のナショナリズムを掲げつつ,マレーシアは工業化・近代化
を急ぎつつある。そのため,積極的な外資導入をはかり,他万で輸出産品の生
産増強をおしすすめようとしている O サラワクも木材と石油を基礎に工業化の
道を歩み,開発も次第に奥地へと広がりつつある O
一万,教育制度も次第に整備され,マレー請を国語として国民的統合をはか
ろうとしている。農業試験場や農民訓練センターも設置され,農業近代化にも
力を注いでいる O イパン族をはじめとする先住民族に「特別の地位Jを保障す
るためであろうか,密林を拓きゴムや胡搬を植え,そこに入植させる試みもあ
るo しかもロンクゃハウスではなく,独立家屋を提供して o
しかし,中国人の経済力に依拠しつつ中国人を疎外する政治構造,先住民族
に「特別の地位」を保障しつつ彼等を最も疎外された地位に甘んじさせる社会
構造,独立家屋を求めつつ共同生活の解体ζ
l精神的葛藤を憶える心理構造が交
錯する中ですすめられる工業化・近代化は,サラワクの人々のあいだにますま
巧
4
n
u
神戸大学農業経済
す大きな摩擦を生じさせるにちがいない。わが国がますますサラワクと深い関
係をもとうとしているだけに,他人事とは思えないのである O
参考文献
r
1)萩原宣之「複合社会とサルタン制 J アジア・レビュー J第1
8巻・第 2号
, 9
6頁
,
1
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7
4年
。
r
2) 大内力ほか「西マレーシアの稲作農村J 経済学論集』第4
2巻・第 2号
, 4
1頁以下
および第 3号
, 26頁以下, 1
9
7
6年
。
3) 鏡尚東「砂改沙地理論文集J1
9
7
6年
。
4) VernonMullen,
“ TheStoryo
f Sarawak",seconde
d
i
t
i
o
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9
6
7
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“Sarawak,The Landand1
t
sPeople",1
9
7
4
.
5) P
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e
rEaton,
Fly UP