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2 - HUSCAP
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金大中政権における「現代化」と社会政策(2) : 福祉
政策とジェンダー政策に見る自覚と現実の間
池, 炫周; 池, 直美
北大法学論集, 58(1): 61-110
2007-05-30
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/22555
Right
Type
bulletin
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58(1)_61-110.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
先次
究
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山山
怯周・直美
)
│
説
│
金大中政権における ﹁現代ヒ﹂ と社会政策
究 '
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、'
L
、
│ │ 福 祉 政 策 と ジ エ ン ダ l政 策 に 見 る 自 覚 と 現 実 の 間 │ │
研究方法目説明概念の定義、 本稿の構成
北法 5
8(16
1
)
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1
戸町¥
1
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i論
序
一章
先問問
研│勾関口
1
J題 題
見
"
i
師
ー込
一叫究主法・説明概念の定義
四本稿の構成
第 一 章 新 旧 ハl業凶(何回切)における也会政策
経済における同家の役割発展モデルに依拠して
第節岡京と社会政策の関係
二社会政策における国家の役制
第二節東アジアの福祉国家論﹁京アジア柄祉モ一アル一をめぐって
第三節﹁言説政治﹂と金大中政権下の也会政策改革との関連性について
第一章砕刊における什会政策決定過程の件史的背景
岨円以閉山
第節芋承晩政権則
二社会政策の導入
第二節朴政鼎政権制
山口組民
二社会政策の拡大
第三節全斗娩政権期から廉泰愚政権則へ
北円以尽
二平事政佐から民主化へ社会政策の改革
北
口
一
京
第川節企泳三政権則
二碑阿型一信社モデル構築へ社会的セーフティーネァトを同指す社会政議
前 一 章 金 大 中 政 権 の 福 祉 政 策 拡 大 の 試 み え 態 と 思 惣 的 背景
[以立七色六号]
jt
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,
土 58(1-62)62
IMFと財政改革
節経済危絞から社会危機へ
二
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k性 市 及 び 関 連 機 関 組 織 と 経 緯
ンダ l政 策 過 科 と そ の 具 体 的 政 策
J
害
44
貝会、
政策の決本方針
K性特別
ンダ l政 策 の 批 判 的 検 芯
J
金 大 中 政 権 に お け るK 刊の政治・ μ加凶参加促進の政策の批判的検討
K性の朴公進問と福引に対する社会的評価
第三節ジ
川立牲の一倍朴碁盤拡大
三 文 性 の 政 治 参 加 促 進 の 施 策 女 性 の 代 表 件 向 上 の た め のK 件 の 政 治 公 職 参 加 肘 仏 大
二
第二節ジ
二立性部にム土る歴史的背景
叫同における瓦竹政策法的措世
第節政府レベルの認識女性部の議止に至るまで
第 四 章 金 大 中 政 権 に お け る ジ ゴ ン グ l政 策 の 分 析
第 三 節 人LL
人中の参同村山祉のビジョン
三﹁ヰ産的稲川悦一の珂念
二金大中大統領候補選挙公約と一りの大ぷ題
金大中の﹁生産的福柑﹂のビジョン
第二節金大仰の思想背景
二社会的危機から一生産的福祉﹂へ
第
第節政府レベルの訟識余融危機後の社会状況と﹁ぺ崖的畑仕イニシアティブ﹂
第ふ川章金大中政権の福祉政策的分析
[以上木せ]
北法 58U6
3
)日
(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
見
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師
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社会的セーフティ l ・ネット構築
第二節栴社政策過祈とその貝体的政策
二社会保障ンステム拡大の改革
結晶偉凶における民主+誌の定柑
(nSE--252Z32c己売2
)
﹁牛産的日同社﹂埋念に基っく制祉政最の社会的評何
金大中政権における情祉政策の批判的検芯
第三節福祉政策の批判的検川
一
第一
六
章
付録
資料金大中候補者の選挙公約
資料二劃政権の一りの一課題
資料三瓦性部組織表
資料川門主性部歴代長官
資料主立性部関連統計
資料六久性部関連統計
韓国における社会政策決定過程の歴史的背景
K 性部関連統計
資料ヒム性部関連統計
早
t
参考文献
資料八
開市一
と﹁市民参加川+ の民羊主誌の反望
第一巾においては、緯川を含めた己守ないし東アンアにおける川家と社会政策の関係を検討し、また、この地域の
jt
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,
土 58(1-64)64
おける社会政策の研究、特に、近年ム日頭している﹁束アジア福祉モデル﹂に関する先行研究をまとめ、その特徴を明ら
cそこで、本稿では、経済状泌に併肴している韓凶の社会政策を、時系列的に明らかにし、
かにした。しかし、これらの研究には、歴史的背景を追ったものや、神国の雫例にわって具体的な社会政策の法化・変
行を述べている研冗は少ない
c
一九五0年 代 に お け る 経 済 と 社 会 福 祉 の 状 況 を
一九六ひ午代とされているつしたがって、具体的な席史的背
金大中政権の政策がいかなる占一で画期的であったかを、それ以削の政策と比較しながら示していきたいじ
峰凶で、社会政策が政策アジコンタにのぼった時期は、
十字承晩政権期
(山川)
c 平均してGNPの お よ そ 一 五 ・ 九 % が 米 国 の 経 済
九六O年以降については、時系列的に、金大巾政権成?斗同川までの状況を説明することーとする
岡
山[小の説明は、この一九六0年代からはじめることにするが、その前に、
第一節
瞥しておきたい﹁
背景
朝鮮戦争停戦後のーム0年 代 は 、 米 同 な ど 外 国 の 援 助 に 頼 っ て い た
援助であったっこの 4 0年 代 に 党 反 し た 経 済 は 、 韓 同 に 二 つ の 政 策 法 制 go--2KMHP
のおとを姥すことになる。
九四八年二月に、米同と韓川の問で援
まず、第一に、緯同経済は、発展のため米同により依存する形になり、いわゆる﹁依存発展(号胃EE門岳〆一己主宮内巴門)﹂
的な党民を経験することになる。第一に、凶家と企業における関係である。
助協定を結び、これによって nE22吉 ユ ヨ 豆 が 設 立 さ れ る cそして、この基金は、金融の安定化と民間の投資プロジェ
クトを支探するために、米国からの援助総額(米ドル)に相当する母国ウォンを投入する引組みになっていたのである。
この時期、企業は投資する資本が大仰不足していたため、この某九すから融資を受けること自体が判官心であり、また、銀
北法 58U6
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
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師
ー込
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が三%から八%と、
(2EZZEEZF25R) を引
行の融資に対する利了が一八%から一4%であったのに対して、この基金からの融資に対する利
川内)
かなり低かったころもあった。このような外国の援助配給は、企業の利訴追求刑の活動
c こういった政ー肘と企業におけるパトロン
き起こす原因ーともなった。したがって、斡川の企業は、政治的権んとの協調が不可欠となり、利訴追求型のれ動も手
出
﹂
段として取り入れられ、それが政治的腐敗にもつながっていったのである
ク一フイア、〆ト関係ネソトワークが、川家・社会に浸透してきた時代であるといえようっ
こういった経凶状況の巾、李示晩政権は、福相政策については、同一主による政策にはあまり尽力せず、大部分は、
c
1
ア 0年代においては、慢国
門司などといった機関や外川からの救済援助プログラムに頼っていた。保健社会部(現在の保健福祉部) の統計を
dRR
一
肌
﹂
みると、 4 0 年 代 に は 、 平 均 し て 八 O % 以 上 の 社 会 Iimが外国の放済ほ扶助からであった
H本統治時代における社会干先的・ナ
の経済が十本発達であったこともあり、社会政策は導入されなかったと見ていいだろうっ
また、幹国におけるイデオロギー的背景・分断の状況を考虚する必姿もある。
ショナリスト的な運動ーと密一般につながっていた労働組合の運動は、米凶占領期に禁U さ れ 、 イ デ オ ロ ギ ー 的 な 労 働 運 動
は阻止されたのであ
一九五0年代における
321
出口ぬ拘山﹁旦、 問。。が指摘するように﹁胡鮮戦争終の朝鮮分断は
、
。
労働運動の独立を妨げた﹂ の で あ る 。 労 働 者 た ち が 、 自 ら の 経 済 的 ・ 政 治 的 利 益 を 主 張 す る 組 織 の 形 成 を 阻 止 さ れ て
いたということは、政府はから見れば、社会福祉を発展きせる出力はほとんとなかったとい、つことになろうコしたがっ
c
て、個人の福利 (
d
i
E戸田)は、ほとんどが家族援助、市坊で{疋められた賃金、そして外国の放済援助に頼るはかなかっ
たのである
一九六O年刊月に学生たちの大規模な運動をきっかけとした川・ 一九草命により、宇承晩政権は崩壊、九六一T4・
六 革 命 に よ っ て 朴d照政権が誕止することになる。
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土 58(1-66)6:
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朴政権は、その正
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︺
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件を、経済的な側山から訓達しようとしていた。この政権のキヤブチ・フレーズは﹁経消的自足
性 と 繁 栄 ﹂ と さ れ 、 ク ー デ タ ー 直 後 の 演 説 で も 、 経 済 的 側 面 か ら 口 ら の 行 助 をd当化していた。朴大続税は当時、十品了
I
一九六川年第二共和凶の成 止に伴い、新しい政治構込を帯びることとなるが、 しかし行政府の高
承吻政権における政治的、ネットワークを排除し、政治的﹁川町化キャンペーン﹂を促進し、中央集権的な﹁国家再定最高
I
会議﹂を成 止させるじ
民な独立性は、依然として変わらなかった。このような政治権力の集梓により、経済的行僚政治と新たな因不・企業関
係が形成されることになったコ
c この経済企両院が、制官同における経州開発展を促進する上で重安な役割を果たしたことは、広く
具体的には、経済党展を効半的に促進するために、政府組織を八十山的に内構築し、新たに﹁経済企-山院﹂、財務部、
通商崖業部を設置した
υ
知られている事実であるつだが、こういった経済行僚の支配下における社会政策は、日出 U凶
J 発展の副産物としか思われて
いなく、﹁発展を優先﹂する政策決定過程が支配的であった
cだ が 、 だ か ら と い っ て 朴 政 権 が 企 業 と の 関 係 か ら 迭 さ
また、企業・政府間における新たな関係が成寸してくる吋代である。李承晩政権において特恵を与えられた企業の経
営者などに散しい措世が卜され、全出的な﹁沼化﹂が行われた
かったということではなかった。ハ0年 代 に お け る 輸 出 志 向 型 の 政 策 の 下 で は 、 同 家 と 企 業 の 関 係 は よ り 密 按 に な っ て
いった。例えば、この時期の政府は、園内・海外資本の配給を完全に支配していたため、企業は今まで以上に国家に頼
c
ることになったということがある。輸出促進政策は、凶家指導刑の国家・企業関係を強化していったのである。前政権
戸
川
巴
が個人的かつ共謀的であったとするならば、朴政権における関係は、より形式化された関係であったと指摘されている
こういった関係は、韓国における財閥の問現にも深く関わっている。
他んで、労働組合については、﹁韓国労働組合総連盟﹂といった単一の労働組合を結成したが、この組織は、賃金交
北法 58U.
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
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戸
山
一
沙 や 政 府 の 政 依 を 執 行 す る と い っ た 機 能 し か 持 ち 得 な か っ た っ ま た 、 韓 同 労 総 は 、 国 家 に よ る コ ー ポ ラ テ fス1 的な
労働者の文配をU的としたこともいえる。
c このことについて少し検討したい ι
A
ハd
迫
、
、JT
以上のように、六0年代においては、経済官僚の ﹁党民優先﹂ の傾向と、国家・企業関係の強化が際?札つ中、 、
﹂川付、
1v
る社会政策が導入されたのか
一牡会政策の導入
一九六0年代であるといわれている
c これを山本俄するかのように、
一九六一年刈H の演説で朴大
卜記でも述べたように、韓国において、資本の蕃積に山けて産業資本が動きだし、他卜力で社会政策が政府の政策アジヱ
ンダにハ旦場したのは、
υ その彼、朴大統訟が、保健社会部内に社会
統領は、次のように述、へたのである。﹁社会扶助と社会保険を某燃とする社会保障制度を導入することによって、
犯
の人々の生活の質の向上と、価祉社会を成立することに我々は尽力する﹂
c この委口会は、
九六二作七月に、韓国における社会福祉プログラムの立系
保附制度審議委員会を設置し、この委員会が、幹国における社会保障制度成?止のために重要な役割を来たしたことは、
多くの研究者によって指摘されている
f 一年)
ハ
(一)医療保険法二九六二年)、 ( 凶 ) 軍 人 引 金 法 二 九 六 一 年 て し か し 、
7
0年代初頭に
ハ
を 子 が け 、 そ の 後 、 次 の よ う な い つ か の 法 律 が 制 定 さ れ た 。 ( 二 社 会 保 障 に 関 す る 法 律 ( 一 九 六 二 年 二 (一)産業災
害補償 法 ( 九
九ハ四咋の産業災害補償 、 一九六石年の試行的供療保険
九ハ九年社会扶助を合む祈会保護なとで
おけるこうした連の法律が制どされても、夫施されたプログラムはほんの部であった、実施されたのは、
年の平人年金、
では、なぜ朴政砲は、比較的短時間において、これほど多くの社会保防関連法を制'疋したのであろうかコその理山は、
ふめつれ 。
荷
量
見
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土5
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・(
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問者。ロや回目が主張する﹁政治的正当性の道具﹂であったからだと考えられる
υ たとえば、朴大統領は、
一九六二年新
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m
相政岨政権期
υ
c しかし、こ
年の演説で﹁我々は、いままで実現しなかったが、強力な執行能力をもっー他判国家の胤律を実現しなければならないっ
一%一
したがって、利用保健と産業災市計保障保険制度を導入することにする﹂ーと述、べている。朴大統領は、一九?八二年一心
月の選挙に向けて、自らの正当牲を小すために、演説では明確に﹁社会福祉﹂の関心を明確に示していた
仏国市一日即
の時期における社会保障のための政府支問は、 GDPの一括にしか雫らなかったこともまた、耐性訟できるのである
背景
この時期の緯国経済は、急成長を遂げていたが、社会政策の凶では、 や は り 経 済 発 展 に 有 益 で あ る こ と と い う 文 脈 で
TL
業化の利益は、都市部を中心に分配され、そのため郁山農村間の所得格茅が拡大し、農村にいる人々
虻えられていた。この時間、韓国は民業社会から γ
ム業社会への移行問でもあり、急速な都?山化が進んでいた。したがっ
て、経済発民や
(
向
、
(ILO) の統計によると、 一九七0年 代 に お け る 製 造 業 の 労 働 者 の 労 働
υま た 、 急 速 な 一 業 化 に 伴 い 、 労 働 背 の 人 格 や 付 利 が 、 多 く 犠 牲 に さ れ た 時 期 で
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戸戸︼丹魚川門戸
は、大 景 に 都 市 へ と 流 入 し た の で あ る
ーもみのったっ
000人中川・七一人という数字を示していたじ
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時間をまとめたーところ、 有 一 カ 国 の う ち 、 韓 凶 の 労 働 高 は 、 最 も 長 時 間 で ム 四 時 間 労 働 し て い た と 党 哀 し 、 労 働 中 の
事以に関しても、干均して
いくつかの大統組緊急措情を公布したのであるつここでは、なぜ緯凶がこの時期権
政治についてみれば、この時期韓川はより強力な権威主義体制に移行したといえるつ朴大統領は、七心作代に入ると
﹁維新憲法﹂と打ち出し、さらに
北法 58U6
9
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9
(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
ー込
υ
威主義体制に移行していったということを問うことは、本稿の本題に直終的に関わらないのでそれについては一議論はせ
c ヒの汁代初
ず、ここでは、この権威、土義休制の移行が幹固にもたらした経済的・社会的影響を、より具体的に兄ていくことにする
七0年 代 に 入 る と 、 朴 大 統 領 は 、 六O汁 代 よ り も い っ そ う 経 済 発 展 に 積 械 的 に 関 わ っ て い く こ と に な る
期におけるアメリカの外交政取の変化によって、冷戦期における韓国の安全保障面の安定的な立場が 脅 かされると朴大
統領は訟識し、また、その結巣、防衛関係に資源を割き、重工・科学業化にハバをいれていくのであるつ朴大統領は、
c 川時に、労働者や労働叶体は政策決定過程から除
自らが先頭に立ち、重土科学業の発展を促進したコまた、この重アし科学業の発展を促すため、政府は、特定の財閥に特
別な優遇措情をとり、政府と財閥の聞には併援な関係が形成された
c
c ﹁一九ヒ四年から
外され、労働組合の出動は法的には保一証されたにもかかわらず、集団交渉権は、政府によって抑圧されたのであった
では、こういった政治的・経済的背景の中で、社会保障はとのような状川であったのだろうか。
一九ヒ一年一月利年の記者会見で、突然国民年金計-山の導入を発表し、こう述べた
一什会政策の拡大
制大統領は
一月仁H に 国 民 年 金 法 が 成 立
国民年金計画を 導 入 す る こ と に よ っ て 、 政 府 は 、 出 職 し た 人 た ち に 高 齢 苫 年 金 を 、 障 害 者 の 人 々 に 障 合 年 金 を 、 そして
一九七二年
c しかし、この先進的な ?
V
法にも関わらず、同長年金法が実際に執行され
年余を供給される人の家族に配偶者年余を供給することにする﹂。そして、
九七日午まで施行きれることとなった
c その一義的原因は第一次オイル・ショックであり、朴大統領は一九ヒ川
年一月の緊急情置一号によって、国民年金次執行を一年間延期したのであるが、結局それが虹期限に延長されたのであ
たのは、その一四午後の一九八八年であった
し
る。
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師
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土 S8U.70)70
υ第 一 に 、 川 民 年 金 法 は 、 社 会 保 険 モ デ ル
(52MLEEEロ
EHE号-) を採用しているため、凶民年金プロ
いずれにせよ、この一九七一年の川民す金法は、以下の一τ白川において、韓国の凶民年における甘柄本的制度設定を確立
したと言える
c第 二 に 、 こ の 同 氏 午 金 訟 は 、 子 賞 フ ァ ン デ ィ グ シ ス テ ム 形 式 で 、 例 人 が 払 っ た 分 が 、 送 職
グ ラ ム が 宮 の 再 分 配 に H献することは岡野であろう。この川民汁八市法は、むしろ個人のライフサイクルには一って、所得
を提供するものであった
c 第一に、川氏年余の財源は、
早い主と従業員両んが支払う仕組み
E3己、または
(
円
に 、 ム0 0人 以 上 の 従 業 員 が い る 企 業 の 人 と そ
九七九午七月に
。。人以卜の従来日がいる
c したがって、医療保険の導入は、
ヘルスケアに関して、国家は限定的な役討を担い、 ケ ア の 提 供 者 と い う よ り
ケ
後にその個人に支払われるというンステムになっていた。したがって、年金制度は、社会保障というよりは、仙人が似
障する制度になっている
月あたり九0 0ウォンをよ弘、っ引組みとなっていた。したがって、政府は財政的な負担がほとんどなかったのである﹁
υ第
一九七ヒ午に社会保障プログラムの一貫である医療保険プログラムとし
一一積類の保障があった
一九六一作に成立したが療保険法は、
υ 医療保険法の規定では、
c このため、
九七七汗の段階では、全人口の
、 そして、 五C C人以十の従業只がいる企業、白伝染、 そして農十ーなどに適用される
ttEH
排他的なものであったといえる。第一に
れていない人たちは、医療費が支払えないだけでなく病気へのリスクも高くなった
楽にしか適用されなかっ一たため、医療叶l ピ ス の 使 用 に 小 平 等 が 生 じ る こ と が 予 想 さ れ た 。 そ の た め 医 僚 保 険 で 保 障 さ
こ の 国 民 医 療 保 険 シ ス テ ム に も 、 幾 つ か の 重 安 な 特 微 が あ る 。 第 一 に 、 初 期 の 段 階 で400人 以 上 の 従 業 員 が い る 企
企業にも適用されるようになった。
四・苛%の人々にしか医鮒保険が適用されてなかった
r
m一
3J︺何回があった。だが、実際、多くの人々は保険制川一か高く支払えなかったため、
の配偶者に、血用きれる叶
て右効になった
次
は、調整する側となっている。社会保険モデルを採用することによって、川家は則政的な負析を最小限にすることがで
北法 5
8(17
1
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1
(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
見
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師
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きたのである。
一
日
一
門前役に、政肘の社会支山刊を兄てみることにする。七心午代における社会之出を見てみると、その七割弱が教育に使わ
一一割程度に留まっている
υ
c こ の 時 期 の 社 会 14
山川をみてみると、国民年金法や医療保険プログラムが導
れている。これはおそらく、重工・科学業化を進めていくための専門家育成を円的としていたと比測できる。他方、
社会保障費は
入されたのにもかかわらず、樟凶における社会保障ンステムは、残余的なものであったことが確訟できるのである
では、なぜ朴大統領は、同民年金や医味保険を導入したのであろうか。これは、六0年代同様、七心年代においても、
正当性の問題に関わってくると思われる。また、ヒロ年代初頭における維新体制下では、朴大統領の権威、五弱体制を非
難する団体も多く、学生運肋を含む多くの社会運動が展開されていた仁そのため、日らの維新体制の正吋件を維持する
ために、社会福付のスローヵンを打ち出す、必要があったと考えられよう。また、 ーハロ年代、七0年代は、経済発展や工
業化が優先されていたため、社会福祉は残余的なものときれ、政府の負担が最小限に斜められている。そして、経凶発
c
展や一業化を促進するための社会支出(教育)が多いことからも、社会保障は経済発展に責献し、また政府負担が最小
八十守的成政権期から臓泰愚政権期へ
限に辞めるようなかたちで導入されたということを碓訟することができる
第一節
北岡山且一尽
一九七九年朴大統領町殺によって、維新体制は祉を閉じた。その後、 八一年には、新たにふ工斗燥大統領の権威主義体
制が成立するが、八十政権に対する川倒的な反発と批判は、強力な民、土化運動へと禿民し、 八八午の虚政権の肝心場によっ
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土 58(1-72)72
守
て
需
の
占
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リ
古
は
メ斗
ロ
年裂
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に 、 I
c
かのように、同じ時期に光州事件がおき、多くの光州性民が命を務とすことになった
九ヒロ午
c そして、この士業化の
c そして、
一九八つ午九月、全が
ではない。このクーデターは、直後に全同に戒厳令を公布し、すべての政治活動を抑圧したのである。それを象徹する
九 八 O 年 五 月 七H全 大 統 領 の ク ー デ タ ー で 来 が 附 く 。 だ が 、 の ク ー デ タ ー が 民 主 化 の 幕 開 け を 直 按 的 に - 小 し た わ け
八口一作代後半、緯凶は民王化を経て、民←丁、土義というい引しい政治体制への転換を経験することになる。この時代は、
結果、都市と農村における貧富の格尤といった朴会問題も牛じたのである
また、優遇措置の結果ーとして財閥が成長し、その影響んが拡大したという問題も看過できない
で あ っ た と い う こ と で あ る υ第 一 は 、 政 府 か ら の 優 遇 桁 置 の 結 果 、 重 化 学 で 業 は 、 過 剰 能 力 の 問 題 を 抱 え る こ と に な る 。
世界経済の変動にとても影響されやすい状況にあった。その理山の第は、韓国主士業のち土な財源が、外国からの借款
代における重化学の発民のあり i
刀 、 ま た そ こ に お け る と 政 府 と 財 閥 聞 の 密 按 な 関 係 に あ る c この時期、耕国の経済は、
た の で あ る 。 こ の 時 期 の 阜 気 絞 退 は 、 第 二 次 オ イ ル ・ シ ヨ yク が 原 因 で も あ る が 、 よ り 根 本 的 な 原 同 は 、
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代、
ら 一 九 七 八 ま で に 年 間 平 均 O % のGXP成 長 を 見 せ て い た が 、 一 九 七 九 年 か ら 八 年 に は 、 二 % ま で に 急 落 し て し ま っ
一九ハ二年か
労働集中型崖業から重
よ
て、はじめての民主七義的な政梓﹃父代が実現することになる。そして、全政権と属政権における経消政策は朴大統領の
ヒ
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お
け
る
重
慢国経済は
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円
打ち出したものとは異なるものであり、安ど化・白山化の傾向があったと特徴付けられる。
五四
幹国経済における一業化が定着し、
八%だったものが、八一年には
七0年代の重化山中一千1w
常化に伴い
ヒつ年に川
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日
も
i
首
化 学 一 業 型 産 業 へ と 変 化 し て い た の で あ る 。 し か し 、 七0年 代 末 、 樺 凶 は 深 刻 な 経 済 状 況 に 陥 っ て い た 。
%
i
υ しかし、この時期に野党であった新韓国民主党代表の令大巾や金泳一万政治活動、
そして
大統領に就任、そのふ工政権は、梓威ふT義体制を維持する形で政権を耐性 げし、韓国の人々の民←丁化への蜘いは、また川わ
ないものとなってしまった
北法5
8(17
3
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7
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
ー込
民衆の民主化運動は、いっそう勢いを増したのである、その粕来、一九八七年六月一九日、全大統領の後任者であった
虚泰愚大統領の﹁六・二九民、土化宣一円﹂によって、神国で民主化が実現したのである υ韓国における政治体制の転扱は、
政治参加を求める人々の社会的要求ーと、 それを受行する政治エワ lト が 有 在 し た か ら で あ る と も い え よ う c
oA+
大統訟は、
υそして、経済の安定化を阿るために、①政府
f算 を 減 ら
アンチ・インフレを強調した経済公定化政策を提案し、また腐敗、公共性の欠如、インフレといい
肝済而では、ヒ0年代末の経済徒退から韓国を脱出させるべく、八十大統領は、経消の安定化と白同化を打ち出すので
h
m
ある
﹁社会の一大州弾﹂を排除する﹁社会の浄化﹂を提案した
すなど厳しくし、②通貨の成長のため為梓のレ lト を 制 限 し 、 そ し て 、 長賃 余 の 伯 上 げ を 抑 制 す る と い っ た 二 つ の 方 策
を導 入 し た じ 経 済 の 安 定 化 は 、 そ の 後 の 虚 政 権 に も 引 き 継 が れ る の だ が 、 民 占 丁 化 後 成 立 し た 虚 政 権 に は 、 相 祉 関 係 の
戸
川
、
社会支出を増加するべきだという社会的要求、そして賃金値上げを求める労働組台の安求なとから、こうした一連の安
疋化政策は、失敗に終わってしまう。他方、︿土・尉両大統領は、経済の安ど化と共に経凶の口由化にも積極的に取り
r
一九八一年の平均関税が二二・じ何であったのに対し、
九九干には
四%にまで引き
一九八0年 代 前T 、
社会保障に関する阿期的な政策があったというわけではないが、後半になると国民医療保険、国民年金などが打ち出き
八口作代後半は、民主化と共に、社会保障システム構染への大きな歩が刻まれた時期であるつ
c また、輸入
組んだ c具体的には、金融システムの規制緩和の促進なとがあり、この一環ーとして、産業銀行の民け朽化が実施されたが、
つ
図
た1
1
1り
その大部分の株主は政府白身であったため、民常化しても、政府のーベ配は依然として強いものであった
げ閑
らし
れて
た白
のfI1
で化
あを
一平事政権から民主化へ・社会政策の改革
下に
見
"
i
師
jt
;
,
土 58(1-74)74
れたのである。
一九八ヒ年には、既に同民の五0・一%が医娠保険でカバーされていたが、
cまず、
一九八九年七月に
それが都市部の日
-極が﹁職場住民山保険﹂、 E積が﹁地域医療保険﹂、 川種が﹁公務員私立学校の教員住療保険﹂
営業の人々にまで適川されることとなり、初めて国民医療保険制皮ができたのである。この凶民川区山町保険は、 一つに分
けられている
である。この医僚保険の財源は、人々が納めた保険料と固からの補助であった。しかし、人々の保険料には、差異があ
り
、 I積では、従業只が一一雇用、土と五O%ずつ負組L、 日取用+ーの保険料は自らが一00%を負いするものであった。その
c そし
L E種は、五心%が政府負担、五ひ%が個人
c それに対
刊仙の所初、凶{疋財産、扶美家族の数によって、金魚が{止められていた
保険料は、細合によって月給の一八%の問で相違があった
負担となっていたが、その保険料は
I
て
、 E積では、公務只の旧制ム円、政府が40%負担、個人が五︿﹀%負担し、私 止学校の教員は、 一一O%が政府の負担、
。%が一一堰川王科目伊、そして40%が個人の負担になっていたっこの皆以内娠保険の管理体系は、最終的には政府の負伊が
最小限に押さえられる組合方式のものであったが、興味深いのは、 そこに主るまでの医命保険管理連常体制論?という
統合論争であろう c この論争では、伝統保険制度の管理運営を従米の組合h式にするか、人土一同二冗化とするかが争点に
なり、 {
H僚 、 学 者 、 社 会 団 体 な ど が 参 加 し た 、 激 し い 論 争 と 運 動 が 生 じ た 。 こ こ で は 、 そ の 論 争 の 詳 細 に つ い て 記 述
することはしないが、この論予が象徽点については指摘しておきたい)それは、八0年代における社会福祉制反の改善
c 民主化の波は、什会福相・保健にも影
υし
九七一年の同民作金法から一4年を経て、 八八年に凶民年金が成立
が、政府の政策に対する市民の異議申し立てに某づいていたということである
響を及ぼしていたのであるじ
次に国民年金制度については、前述のように
したロ国民年金は、中初一O人以上の従業只がいる会社に適用されたのだが、九一年にはそれが五人以上となった
北法 5
8(17
5
)
7
;
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
見
"
i
師
ー込
かし、国民年金の導入にも関わらず、
一九九二年までに月給の
一五段以上の労働人口
立%を早川土と従業員が平等に
九九二年までの段階で、年金で保障されていた比不は
のうち二三%にしかいたらなかったっ年金保険料は、
﹁
c
(乙疾病給利、 三二遺族年金、 である。老齢
(22542 224wop-丘) から比問、っと設定されたのである
弘う引組みになった。また、この年金保険料は、 一九九三年からの五年間では六%にあがり、用用十土ーと従業員が各白一%
ずつ、そして、残りは、企業の退職金の積占金
ι齢年金、
他方、年金そのものは、 一つの積類の干金がある。(こ
年金は、 一 の 年 以 上 保 険 料 を 納 め て い る 六 心 歳 以 上 の 加 入 者 に よ 払 わ れ る こ と に な っ て お り 、 し た が っ て 、 老 齢 年 余 の
c したがって、国民年金は、
支払いは一のひ八年が最初となる。そして、この年金は、甘柄本額と追加績の一つの令積を合わせたものであり、廿柄本領
は、保佐加入者全員の平均月給と、保健加人者個人の平均月給で決定されるとされている
九一八一年から九九一年までの社会保障分野への支出について、
個人の所得をベ l スとした再分配機能付きのものとなったのである。
υ
一九九一年には一凶・川%にまで増大している。しかし、 GDP比で観れば、
次に、この時期の社会支山刊を兄てみることにする
七・八%だったのが
. 一 八 % し か 社 会 保 障 ン ス テ ム に 使 川 し な っ た こ と も ま た 確 認 で き る じ 祈 会 保 附 モ デ ル を 導 入することによっ
九八一年には
その
て、この時期の韓国の社会保障において、政府の負担は最低限に抑えられたものだったのであるつ
cこの医療保険制度や国民年余の実現に刻しては、
︿土政権では、あまり社会保障システムは改善されなかったが、その後の府政権では、国民医療保険制度や川民年余が
fm判 ン ス テ ム の 制 皮 化 へ の 大 き な 歩 に な っ た と い え よ う
実現され、
やはり民ム丁化の桜町容が人きいといえるじ医師市保険の統ム門論争からも見、えるように、下からの圧力と運動は、政府によっ
て最早抑制が凶離なほどに勢いを増していた。七りす代の朴政権が、政権の正当性維持のために制祉政策を導入したの
に対し、 八の汗代後半の社会保障導入は、その性質が異なっているように見えるのである。
jt
;
,
土 58(1-76)76
背景
第四節
金涼一政権期
一九九一年、大統領選挙において、韓同で最初の民間人大統領である金涼一が心逃した
c これは韓同政治史上、画期
一九九二年、余泳二政権は﹁新しい経凶﹂
的なことであった。心時、韓国経済は不況に凡舛われていたため、この政権には景気回復への期待が高まった。実際、
余 泳 二 大 統 領 も 、 新 し い 経 凶 政 策 を 約 束L、当初絶大な主持を得ていたコ
l
ヴイジョンを体視した剥五ヵ年経凶計四を党表した。同年六月のこ 乙であった。この司問の中で特に強制されたのは、﹁改
草﹂﹁規制緩和﹂﹁世界化﹂であった c個別的に見れば、﹁改革﹂では﹁公 Hな分配に伴、つ経済的 H義を実現﹂することが、
﹁規制緩和﹂では﹁強化する白同化に対応できるように韓国の経済を調整﹂することが、そして﹁世界化﹂では、﹁ゲロ l
パリゼ l ションの傾向に受行し対泌する﹂ことが強制されたのであったっ
c こういった
景気附似を最優先した金大統領は、財政改日中ーと令融改日中に取り組み、また肥大化して財閥の再編を試みた。財閥につ
I
、
、 卜位三O位の財閥に対して、系列企業を一つの業種まで一認め、時四りは分離・独 止させようとした
しご
v土l
改革は、財間企莱を倒産に追い込み、金融システムによる圧迫と財閥のh力で昔しんでいたその他の企業も活気を取り
一民すようになってきたつまた、余大統領は、当選前から韓川政治の最大の問題点が﹁腐敗﹂にあると保信し、つねに﹁韓
下流ドから腐敗を除去するためには ﹃
上流をきれいにしなければならない ﹄﹂と主張していた﹁
国政府と什会という ﹃
朴政問⋮リん大統領から始まったとされる収賄の省慣は、その後のん土叫す燥政権、虚奈愚政権則にも見られた現象であるじ特
に八土、虚元大統領が、ともに多額なスラ yシコ・ファントを蓄積したことは、一九九六年八月二六刊の裁判でも山明らか
であったっこれを受けて、金大統領は、﹁対腐敗掛情﹂に積極的取り組んだっ具、体的には﹁遺産の公開﹂、﹁金融取引に
北法 S8U./i)
7
7
(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
ー込
戸山︺
i 口治法﹂、﹁山界化改草﹂
おける実名の使用義務化﹂、﹁選挙における不正行為防止法の制{疋﹂、﹁政府資金規H法﹂、﹁地 刀
c しかし、このグロ
i
一月インドネ、ンアで開催されたAPECから帰国後、それを強制したのだった c金大統領にとって、グロ l
などであった。特に、﹁世界
(グ
化
ロ﹂
パリ
つゼいlて
シ、
ョン
金の
大こ
統と領
をは
韓凶
、で は 世 界 化 と 称 す る )
lに
九九川年
パリゼ i 、ンヨンは、韓国紙泌を、世界経済にうまく統台させていくための戦時であったのである
戸出︺
(
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J
パリゼ l ンヨシは、経済政策だけに制まらず、政府のあらゆる政策に対L適用されるようになり、﹁グロ l パリゼ l ショ
ンは、統治の新しくて全能的なイデオロギー的道日ハになった﹂といえよう。
九 九 六 咋 心 月 にOECDの加盟問となり、念願の先進川入りを果たした仁
こういった金太統領の財政改革や、腐敗除土に関する積極的なイニンアティブは、多くの国民からのよ持を何た﹁
また、接川は
だが、こうした金政権の施策ヤ先進同入りは、必ずしも積極的に許川幽されたわけではないっ OECD加問に対しても、
園内に資, h
白様論があったのであるつそれは、経済協力や金融而での国際基準の受容にあったロ緯川は、先進川入りと同
時に、金融、株式、外国投資、環境、交通、労働の分野で桜々な義務を国際社会から課されたのである。他ん、同内政
人的の面では、金大統領は﹁公正な分配に伴、っ経済的正義の実現﹂、﹁財閥改草﹂、﹁腐敗除去﹂という公約を行ったが、労
γ導体・
c
一九九六年上半期の財政赤字は九二O万 ド ル に も よ っ た コ こ の よ う な 凶 際 的 出 力 、 そ し て
出
、
使紛争、そして則闘に対する優遇、﹁財閥からの贈賄﹂は絶えることがなかったつまた、輸出不振や世界市場での
鉄鋼何格の低下によって
国内政治・経済の諸問題が、国民の不満を募らせ、 それは次第に余政権に対する批判となっていった。
九九七年に慢宝(ハンボ) グ ル ー プ 不 正 融 資 事 件 が 起 き た
へ
民
﹀
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企業である鉄鋼 T1
業が一九九七年一月一一一日に倒産したのだが、それに伴
﹂のような政治的・経済的不満が拡大する中
の財閥にまで急成長した悼宝グループのち土
四
い政官民の巨額不正融資をめぐる贈収賄事件が露呈したのであるコ緯宅グループは、資金調達のため大統領周辺に働
位
見
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師
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,
土 58(1-78)78
一九九ヒ午一月一六け、既に司欺・贈賄などの界に問われ
き か け 、 韓 国 の 第 一 銀 行 、 明 興 銀 行 、 産 業 銀 打 、 外 投 銀 打 な と か ら 六 ひ 億 ド ル と い っ た 巨 額 の 資 金 を 不H に引き問した
とい、っ疑惑をかけられていたっそして、緯凶の最高裁は、
ι これにより、全被告の有罪が椛定、その結果同会談只四名が議只職を失う結米に百十った c この事件と
y 山川町の罪に問われた国会議員六人の被告の
・二審で懲役一五汁の実刑判円決を、つけたグループ総会長、鄭引が{寸被土日 l﹂
上古を棄却した
裁判は、韓国同民に、政治に対する不信感を再び時び起こし、同民の不満は民占を極めたっ
ル
そのため、外貨建ての決
他h 、 金 政 健 末 期 の 一 九 九 七 年 秋 に は 、 財 閥 企 業 の 経 営 破 綻 が 相 次 い だ 。 財 閥 解 休 は 経 済 の 活 性 化 を 促 し た 而 も あ っ
井
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たが、この段階ではその破綻がウィン通貨と株よのい l併をねいた。
その結果、 そ も そ も 外 岡 か ら の 投 資 に 頼 っ て い た 慢 凶 か ら 、 海 外 資 金 が 引 き 揚 げ は じ め た
な
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一 月 二 日 、 韓 同 政 府 はIMFへ
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治 、 政 務 不 履 打 の 危 機 が 発 生 、 凶 家 的 依 広J前の状況になったのである。そして、
国
二 月 一 目 、 IMFのv-EFZnEE221EHh事務理事との交渉で、
OECD加盟問でありながら、
対
事L
緊急主援を宴訂、
パソケl ジが決まり、
F
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重視による外貨獲得などの手段が採られた。
で 展 開 し た っ 例 え ば 海 外 旅 行 の 白 粛 、 輸 入 ブ ラ / ド 購 入 の 相 育 、 手 持 ち の } ル (外貨) の 貯 金 、 純 令 製 品 の 供 山 、 輪 山
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﹁ドル集め﹂のスローガンの下、 IMF管理上で国家的危機を乗り越えるべく、 口 氏 を あ げ て の 運 動 が 様 々 な か た ち
﹁
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F へのよ又採要請については、韓同内で、それが﹁政策介入﹂だとして強く反発する向きもあったが、﹁無駄遣いは亡同病﹂、
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差
いかなる経済・社会政策が反問されたのかコまず、前政権同様、財関の経済的力を制限
一 韓 国 型 福 祉 モ デ ル 構 築 へ 社 会 的 セ 1 7テf l ・ネァーを目指す社会政策
では、金泳三政権の下では
北法5
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
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す る 策 を 展 開 し た 。 第 一 に 財 閥 の 銀 行 か ら へ の 融 資 額 を 制 限 、 第 一 に 独 占 禁 止 法 キ 公H取引法などを改昔、そして
の財閥によるクロス・インベスメントなどを規制、第二に枚、心事業に集巾させるため、財閥の多緑化を制限する﹁専門
ι
化﹂政策を導入し、節目に相続杭などを利川し、財閥の創設苫の家族にだけ掃が残らないような措情を、専入したのであ
る c しかし、こういった措置は、財闘の力を半減するまでには主らなかった
c利/ハ川阿体も拡散し、より影響力を増した。経済正義実現連合
実連)や
(MU
他右、文民大統領を裁く金政梓は、子続き的民主、土義を促進するための制度的改草を次々と打ち出した。この制度的
変化は、市民社会の拡大をも促したのある
一九九五年
一月には民ム丁労働組合総連問が新たに成止し
にしたのである。また、労働組合の多紙化も実現し、従米政
ハ小石川除去連合(公除合) なとが、強力なげ庄ん団体ーとして浮 L
府レベルの韓同労働組合総連合しか存す忙しなかったものが、
たのである。この民←丁労総の登場は向則的であり、峰凶において劣働組織が社会政依の改午に重安な役割を担うきっか
けとなったのであるロ
vを一瞥しておこう。人市大統領は、新経済のための4カ年計岡において、﹁韓国型福祉
次 に 、 社 会 福 祉 山 に お け る 改u
モデル﹂に基づいた社会保障システムの構築を宣百した cこの引両では、以下の一今つの具体的なリ的が示されている仁(二
出まれない人たちのために、最低限の牛活水準を僻保L、扶助の金額を増キすた公的扶助プログラム、(一)社会福祉サl
l
一九九一年から一九九六年に
LL
の二つである。しかし、什会的セ
ピスを甫 J門 化 し 、 積 極 的 な 民 間 参 加 を 促 し 、 家 族 の 役 割 を 某 盤 と し た コ ミ ュ ニ テ ィ ー 中 心 の サ ー ビ ス シ ス テ ム を 提 供 す
ること、 (一じ社会保障プログラムを拡大し、 そ の 財 淑 を 安 定 化 さ せ る こ と 、 以
フティ i ・ネ yト を 強 化 す る と い う 第 の 回 的 と は 裏 腹 に 、 公 的 扶 助 を 受 け る 人 の 数 が 、
一九九六年には一・二%に減ったのであるロ
かけて二五%も減少、また、公的扶助を受ける人たちが全体の人円で占めている割合が九九二年には4%であったの
に対して
て}
北法 58(
18
0
)8D
社会保障プログラムに闘して金大統領は、一一層川保険プログラムや、年金プログラムの拡大などを試みていた。次に、
川﹂
積椋的労働市場プログラム
wily}
ιま た 、 火 装 手 巾 の 条 件 は 厳 し く 、 子 市 が 支 給 さ れ る ま で の ウ ェ イ テ ィ ン グ ピ
九九五年ヒけから導入された。このプログラムは、失業手山
一平用保険プログラムと年金プログラムについて、具体的に見てみよう。社会支山については、 その後で検討する。
雇川保険プログラムは
が、川時に導入された点に特徴がある
リオドが、比較的長く、また千当ての支給は、最大で八週間とされている。そして、働く能力がありながら失業して
c
屈用保険の導入じたいは、慢国の
c したがって、一足川保険による失業手当が導入されたのにもか
いる人は、 八 週 間 の よ 給 期 間 が 過 ぎ る と 、 子 当 て を も ら う こ と が で き な く な る 。 ﹁ 貧 岡 ﹂ と 同 断 さ れ た 人 た ち は 、 子 供
のための最小限の医療と教育に対する扶助が支給される
かわらず、失業者に対する社会的セーフティ i ・ネ yトは、最小限のものであった
υ
社会保障ンステムの党民にとって画期的であったが、その条件などは厳しく、金銭的扶助よりは、労働市場の活性化を
促すプログラムとなっていたのである
九九五年ヒ円に、農民や漁民といった白営業者にまで適川されるようになった
c この白常
次 に 、 年 令 プ ロ グ ラ ム に つ い て 簡 単 に 述 べ る こ と に す る 。 年 金 は 、 八0年 代 に 従 業 員 。 人 以 卜 の 胤 棋 の 企 業 ま で 適
用されるようになったが、
楽者に対する干会には、以下の特徴があった。まず、韓国における農民平漁民に対する年金は、日齢者に対する所得維
持という文脈で導入され、良業が漁業を憐造的訓較するという文脈で提供きれたわけではない。また、年金手当ては、
他の保険加入者と同線であったが、年金保険の保険料が追ったのである。農民・漁民は、所得の二形を月に払うように
c したがって、最終的には、
0 0四年までに月一一0 0ウォンの金銭
一
なっており、 そ れ が 丘 年 に 度 ﹂ 一 % づ つ あ が り 、 最 大 で 九 % に 卜 が る よ う に 組 ま れ て い る
農民・漁民の保険料は平均して、 一O%に向閉まっている。
給きれないが、曲庶民・漁民には、
そして、従業員には、政府の補助金は 14
北法5
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)
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
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"
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る。韓同では、平均的に、保険料が
的立援が提供された。具体的には、保険料の一/一は、低所制作者に支給されることとなり、所得の再分配を試みたこと
が確認できる。しかし、こういうた試みに対しては、財政的な不安も宇張きれて
六%と低いのに刻して、ザへすは、所得の七O%を支給することになっていたのである。
慢凶政府は、国民年金のための補助金は支給したものの、他の社会桝祉一般に関しては、財政的な負旧引を担わなかっ
た。したがって、金政権が主張した﹁韓同型福祉モデル﹂はその一汗葉とは裏腹に、福祉への取り組みについては最小限
NJ
の も の で あ り 、 ま た 特 徴 的 な も の も な か っ た と い え よ う コ 社 会 14出の数値をけ比ても、金政砲においては、ヤ均して政府
支出の一一凶何を占めていたが、什会保障に対する支出はん・八%に留まっていたのである。
υ だ が 、 こ の モ ソ トl下 で の 社
一九九0年代、文民政権が誕生し、民主ム丁義への取り組みが拡大され、耕国は政治的・経済的に新たな局面を迎えたじ
この時期は、金政権における﹁グロ l パリゼ l ンヨシ﹂という方向性で特徴づけられる
会福制改本は、期待されたものの、その結果はその期待に答えることができたとは一言いがたいものとなっている。民、土
cこの時期に誕生した金大中政権は、耕国の社会稿祉が注月されるきっかけとなる﹁斗立性的福祉﹂をモットー
化 以 降 の 幹 国 の ア イ デ ン テ ィ テ ィ ー 構 築 は 、 グ ロ l パリゼ l シ ヨ ン で 幕 を あ け た が 、 九 仁 汗 に は 金 融 危 機 を 経 験 す る こ
とになった
に、様々な方而で社会福祉を改善していくのである。民アて化を経て、グ口 l パリゼ l ンヨンで始まったアイデンティ
ティー構築は、経済成長を大重姿課題としてきた韓同が、金融危機以降経済以外のものでアイデ/ティフアイするか、
f
以卜の章では、金大中政権に制制政策とン
Lンダ
i政策を日八体
またOECD加盟国となった韓凶がとう﹁世界標準﹂を達して維持するか、こういったことが金大巾政権にとっ一て、民
主主義の定明と巾I時 に 、 新 た な 諌 題 と な っ た の で あ る
的に分析し、 どのようなアイデンティティー構築を試みたかを見ていくことにする。
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,
土 58(1-82)82
情揺さ一立早
金大中政権の福相政策拡大の試み実態と思想的背景
υ
一一月八日に実施さ
c金 大 中 政 権 の 誕 牛 、 そ の 性 格 、 政 策 な と に は 、 当 時 の 社 会 的 ・ 絞 済 的 ・ せ い じ て
一九九ヒ年の大統領選挙は、第一問団節に述べたような什会的・経済的・政治的汗景の中で、
れたのであり、金大中が選出された
き北円京が色濃く反映することとなった
hl
の諸理由に拠る。(二初めて公けな選挙に基つく、与党から野党への政権交代を経験したこと、
また、先に金泳一の大統領当選の幹国政治における山期性を記したが、金大巾氏の斗選は、 それ以卜に阿則的であっ
た。それは以
めて地域主義に満ちた選挙であったこと。
一九九仁年七月にタイのパ l ツが卜廿附した陣後、東市アジア諸国、
九九六年に、束アジアでは日本に継ぐOECD加問凶円であったため、 IMF支採要請は子組外の展開
位の経済大国
)
c牛
八
。%までに急相L、貧困問題や社会不安は、仙川小人していた。
ソウルでは、最も多いときに四CCC人のホ l ム レ ス が 街 頭 に 出 現 し た
装宗 lの 急 増 に よ る 貨 同 居 の 増 加 と い う 状 況 へ の 対 処 と し て ま ず 想 定 さ れ る の は 、 応 急 措 置 と し て 、 失 業 対 策 生 活 保 護
﹂ういった社会状況を表すかのように
金融危機に作い、半均的に二一一%であった失業率は、
に対するセーフティ 1 ・ネソトの強化とい、つ諸項U であったっ
戸
川
︺
であったっ韓同に対するIMFの 処 克 は 、 緊 縮 政 策 と 為 柊 レ ト 切 り ﹁ げ 、 企 業 及 び 金 融 の 構 造 訓 整 、 そ し て 社 会 不 安
であり、また、
金融危機から脱出するため、韓凶はIMFに援助の中請を申し出たのである。それまで、韓凶は世凶作一
hmと韓国でも金融危機が起きたロそして、この
経 済 的 繁 栄 に 対 す る 想 定 を 覆 す よ う な ﹁IMF経済危機﹂ のUパ中に大統領選が実践されたこと、 (一)この選挙がきわ
(
対策といった臨時の牛活保護制度は導入されるが、他ト力で社会保障ンステムじたいが衰退していったり、あるいは現状
北法 58U8
3
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
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﹂
維持に山閉まってしまうことが多い。しかし、金大中政権は、金融危機後に、従米その形成が凡られなかった社会保障
一川﹂
シ ス テ ム の 拡 大 と 、 経 治 危 機 後 の 社 会 的 セ ー フ テ ィ l ・ネットの構築を推進したのであり、役者はIMFの提一言に沿う
ものだった。
しかし、社会保嘩関連の則政夫出の情加や社会保険のカバレッジ拡大を除いて、 のちに金大中が国家理念として従
一汗する﹁牛産的福祉﹂政策に対しては、 IMFの提一百以上のものを含んでいた。その結果、韓国における社会保障シス
テムは、より包折的、そして制度化されたシステムへと変貌していき、また、神国経凶が世界市場に統合されていく山、
一九九ーハ作の OECD加 問 に よ り
c ここで、興味深いいいは、金大中大統領自身が、彼の政策の月四加を、先進国が掲げる世界水平の達成という点
そ れ で も 牡 会 保 障 の 拡 太 が は か ら れ た と い う 点 で 、 グ ロ l パリゼ l ンョン原理の逆方向に向かっていったということに
一
山
もなる
に置いていると認識していたことである。金大中大統領にとって、社会政策拡大は、
で先進国人りした韓同が九七年経済危機によって失墜した﹁名誉﹂を﹁抑制﹂することを意味しており、神国の﹁真の先
進同入り﹂を来たすカギであったと筆者は思う。
本早では、まず、金大中政権発足別後の朴九百状況とそれへの金大中政権の対ーめを第一節で簡単にまとめ、第二節では、
第 一 節 に お け る 金 大 中 政 権 の 対 応 を 踏 ま え な が ら 、 金 大 巾 政 権 発 足 前 後 に お け る 金 大 中 大 統 領 の 思 想 的 背 景 、 つまり彼
が も っ て い た ス タ ン ダ ー ド を 兄 て い く こ と に す る つ こ こ で は 、 金 大 巾 の 著 作 な ど か ら み ら れ る 金 大 巾 口 身 の (大統領に
c こうすることで金人中大統領白身のスタンダード、とりわけ祈会政策に悶す
なる以前からの)政治信条、大統領候補時間における還挙公約、それに刻する社会の反応、そして太統領就任後に公表
されたスタンダードをみることにしたい
るスタンダードの変容過程を追い、次半で述べる政策をめぐる議論の前提を見ることができる。
jt
;
,
土 58(1-84)84
第一節
経済危機から社会危機へ
IMF-と財政改革
帳消柵でも述べたように、韓国における金融危機が
九九七年二月の大統領選挙直前に訪れたということから、金
大中は、重大な金融・経済の科町田に直面しながら中選したといえよう。この時期の韓川は、 IMFのほ助なしで財政を
スタンドパイ協定が規定している
c幹国政府側からIMF
立てなおすことは困難であることを白覚し、 TMF長助を申訂していたっそして、韓川政府がとる桁置などについて、
c ﹁(前略)
支出世のためにIMF側から養成される条件などもあり、 TMFーとの協議を強いられたのである
宛てに送られた﹃止存でも、韓国は、 IMFと協議することを約束している
戸
則
一
期間中、韓国は、これから必要とされる施策の導入に対して、当日の専門家もしくはIMF取締役のイニシアティプに
よって、 IMFの甫 J
務取締役と協議する。﹂
c また、
金大巾新政権は、 IMFの要望に即して経済の構造的改本やマクロ経凶的政策を導入することに努力した。特に推進
したことは、金融セクターの白由化であり、その結果、外川の機関が凶内の財政機関を引き継ぐことになった
的 に 返 出L、企業の競予力を日め
帯効 TI
資本移動も白山化され、海外からの直接投資に対する反感は、下川口 疋
J 的に捉えられるようになったっこのような転換は、
九市大巾大統領の就任式演説にはっきりと表れている-﹁外国への約金を
㩲⻢ )改革を促進したが、これは IMFが要請した構造改革の課題でもあった仁金大統領は、
して経済の透明性を強化する方法は、外岡からの直援投資を促すしかない﹂。
金大中政権は、財閥
一)ゲル l
四)ハ私心産業に集巾し、中小企業とのパ l
υ (こ透明件を時保する財政システム、
三間甘んな財政構造憐築、
韓同企業のト yブたちと会談をし、以下の 4 つの白川でム円玄をした
ブ企業への融資を保証することをやめること、
北法S8U町 )
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、
(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
ー込
ここで注円
北法 58(
18
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部
トナl シソプを促進すること、 (
4) 大多数の林←丁への透明性の権保、以上の点である。
こういったI M Fか ら の 姿 望 を 受 け た か た ち で 行 わ れ た 構 造 改 革 は 、 金 大 中 大 統 訟 の 析 し い 政 権 卜 で 促 進 さ れ た っ
c
そこでは財政改革が重要視されていたが、それよりもむしろ令大巾大統領にとって重要であったのは、什会保障システ
ム構築であったと筆者は考えている
IMFから与えられた要望に対する金政梓の対出は実は一条ではなかった υ金政権は財政改革についてはIMFの要
望に沿って進めたが、社会保障に対しては、 TMF以上の目前い結果を出したのである。 IMFの社会保障に対するん向
fm相同家﹂
性は、普遍的牡会保障ンステムの導入ではなく、むしろ最低限の止活保障であり、どちらかというと﹁役人心的
Lr
を強調していたじだが、金大中政権は、社会保障政策をその要望よりも高いレベルの重要性をもつものとして設定して
υこれは、
、、一 r 、IMFの要請は、労働市場の改午を強調したものであり、 それに伴う剥整のために緊急
いたのである。 、
しし治、ズル Lじ
措置を拠出したが、令大巾は、緊急崎町量以卜のセーフティ 1 ・ネット憐築や社会保障制度の改革に乗り附した
へす大中が山川した政権維持ーと正当化の一つ路線であったといえよう。
金大中政権においてIMFの要望より両いレベルの社会保障ンステムの形成が促進されたことは、 IMFの丈書から
H に発表された、緯同政府からIMFへの支援要請に関するん u立文主寸﹁ZZEvhEZEーを見てみ
も確認できる。以下では、そのIMFの文書でどのように記録されているかを紹介することにする。
一九九七年二一月一
f
ると、以下のような取目が挙げられている。﹁労働市場改芋(二八)新たな居川保険ンステムは、労働の内配置を促す
ものとし、これと並行に労働山場の柔軟性を確保するよう改吉することをリ的とする﹂とかかれてある
す る べ き 点 は 、 社 会 的 セ ー フ テ ィ l ・ネ yトに闘しでは、 百及がなく、一一足川保険の強化のみが述べられていることであ
る。
見
"
i
師
﹂の丈世田を受けて
CCC午 二 月 に か け て 、 IMF-と韓国政府間で締結された七つの合意丈
J
リ的()
円
一九九七年二一月4 刊にIMFのPE巳ダ条件が党去され、 IMFと 韓 凶 政 府 間 に お け るI M
セーフティ l ・ネットに関する項目がないの
F の支援条件と改日中するべき政策が述べられた。この文書では、 IMFが提案した韓川が促進するべきマクロ経済政策
c ここには労働?山坊の改革に関する項円があるものの、
c ただ﹁新たに構築する服用保険ンステムのキャパ、ンティは、労働を再配置することであり、同時に労働市場の
が要約されている
である
υ
九九仁年一月から一
c 以下、そこに合
EZ
六経済
一 九 九 七 年 二 月 一 凶H のま
各文書は、韓同が促進すべき経済政策について詳細な政浪提案が書かれておる
f
柔軟性を僻保するよう政書することである﹂といった、労働市場の柔軟性についてだけ条件を提小しているに留まっ
ていたのである
卜の丈吉以外に
書が公表されている
まれる社会保防の瓜Hを、発表された順に細かく見でみることにする。
まず、先にけ比た九九七年一一月一日と石日に継く、第二の文書を検討しよう。
︹)ごロ吉田片コである。そこに別記されている労働巾坊改芋に関する取はは、以下の通りである。﹁労働市場政策
(川出
成長の減速を最小限にすることが、プログラムのリ的であるが、他の服用の可能性を目差して、衰退する企業から労働
p
c宮戸 HUM-に
者 が 移 動 し な い よ う に 努 力 し て い く こ と に す る ﹂ と 存 か れ て い る 。 こ こ で は セ フ テ ィ l ・ネットに関する攻H はなく、
・ネットに悶する反円
U的(一)社会的セーフティ l ・ネ yト憐
北法 5
8U.
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7
労働市場の改善が円棋として設今川なじれていることがわかるコ
c ﹁労働市場改革と社会的セーフティ I
第 凶 の 正 存 で あ る 一 九 九 八 年 一 月 に 党 表 さ れ た H52え﹃日ロごロ品目凶22Z225E旨言ロロCEE月
は、以卜のような内存が含まれている
ま
山河働市場の柔軟性確保一労使政委員会の文脈において、レイオフの状況や手続きを明停にするために関連法を改定する
こと、また、民間の派遣会社などに関する制限的法的規定を緩和することコ
ず
(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
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記
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九九九年一円の月の﹃止書には ﹁失業率が史上京高の八・五%に達している現在、
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一九九九
υ
000年七月に発表された文世田では、社会的セーフティ l ・ネ y卜に関する取H の内科が変する。 つま
一
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生
並的 川
祉
を慕礎とするンステムへと移行する。また、
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000年一 O月一 Hから
一
cその文書の
ρ 氏慕礎止活保説法げが施行
同
内容の一部が以下である﹁韓国政府は、政府指導の直終的雇用プログラムといった社会的セーフティ l ・ネットから、
された﹁川民某礎生前保護法﹂を受けて、韓国政府は、白ら IMFに桝祉政策の拡人を申し出たのである
り、金大中小人統領が始めて生存陀的福祉という百棄をつかった一九九九年八月五けの演説内容、また二 CCC年に導入
しかし、
のために、引き続き政府は社会的セーフティ l ・ネットを維持することにコミソ卜していく(省略ごと示されている
性と効書 1性をレビューすることにする﹂と記されている仁同年一 一円には、﹁金融危機でもっとも路管を受けた人たち
九兆ウインから 0 ・日花ウィンに改ー江L、また引き続き経凶状泌を見つつ、社会的セーフティ 1 ・ネットトペ山の妥当
るべく、失業手引を含も社会的セーフティ l ・ネットにコミットし、社会的セーフティ l ・ネットのための文山をヒ・
年においても社会的セーフティーネブトを拡大する﹂、同年七月には、﹁韓凶政府は、労使政委口会の交渉を仙完す
トに関連する以リがあるロ
その顎年の一九九九年には二つの文吉が発表されたが、これらの﹁ZEE--μZEにも、牡会的セーフティ l ・ネッ
性を随時レビューすることにする﹂と明記されているのである。
同干 4月に韓同政府がIMFに宛てた﹃止書にも﹁韓同政附は、統治状況をみつつ、社会的セーフティ l ・ネソトの妥当
で、在国するべき点は、このセーフティーネソトに闘する項リが、時凶政府側から提案した項円だということである
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築トレーニング支援ヤ一雇用安ど化を合む府用保険の予算をじ了億ウォンから二兆ウォンまでに増大すること、収入の
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府
一九九八
い わ ば 緊 急 措 目 的 な 側 面 が 強 い と い え よ う コ し か し 、 一000午 の 正 舎 で は 、 あ き ら か に 緯 川 政 ー 附 の ス タ ン ス の 変
IMFが 提 案 し た 労 働 山 坊 の 柔 軟 件 だ け で な く 、 ま た 、 緊 急 措 置 的 な セ ー フ テ ィ l ・ネy卜だけ
他 の 政 策 、 特 に 金 融 政 鋭 、 財 政 政 鋭 、 金 融 セ ク タ 改 革 、 貿 易 の 白 山 化 、 財 闘 改 革 な ど と い っ た 項U に関しては、
IMFの 提 案 以 上 の も の を 促 進 し た と い え よ う 。
一社会的危機から﹁生産的福相﹂
一九九七年に一。ハ%だったのが
一
日
﹂
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九 九 八 午 に は 4 ・ヒ%にも卜がり、 そ の 多 く は 中 小
F の 許 細 な 政 策 提 系 に 、 位 国 政 府 は 従 っ て い た が 、 し か し 、 社 会 政 策 に 関 し て は 、 韓 川 政 府 、 とりわけ金大山政砲は、
I
でなく、﹁生産的福祉﹂を基慌とする、 よ り 包 括 的 な 福 祉 政 徒 、 も し く は 社 会 政 策 を 構 築 す る と い っ た 志 凶 が 見 、 λる c
化が見える。 つまり、
策
、
ら れ て い る 。 し か し 、 こ れ ら の 文 再 を 凡 で み る と 労 働 市 場 の 柔 軟 性 を 強 調 し て お り 、 大 HEに 党 生 し た 失 業 者 に 対 す る 対
九九九干に発表された按凶政府側からの文書には、白らがセーフティ l ・ネソトを構築するといった項リが挙げ
社会的セーフティ1 ・ネソトに関する項円はなく、労働山坊の柔軟性の改世を強調したものである。しかし、
方
4) ソlシャルワ l
(一二)職業研修就職検索ンステム、保育図制度を通じて自活支援
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一 九 九 七 年 に 禿 表 さ れ たIMFの 条 件 規 定 評 で は
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これらの主書から読み取れることは、以ドの通りである。まず、
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されるっその日ハ休的内容は以下であるつ()最低限の生活の 貨 を権保すること
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10万 か ら 二0 0 一 に は 五 O 万 人 へ と 増 大
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を促進すること
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同転換を明確に表している﹃止存だといえよう。
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年
金融危機以降、失業率は
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
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企業の倒産に伴う解屈が原因であったっまた
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一九九八年の半ばには、失莱率が六八%にも卜昇したっそして、経
み
凶格主芹をあらわすジニ係数百ESEhEE門)は、一九九八年前期から後期において0・二GOT-から0・二一一一に
一切一
増加した。そして、都市部における貧岡レベル以下の世出が一九九仁年で一一・0%から九九八年にはヒ・五%に増
一
c
加した
こ う い っ た 状 川 に 直 山 し た 金 大 巾 大 統 訟 は 、 就 任 直 後 の 九 九 八 作 に 、 新 政 権 の ﹁一(りの一大課題﹂ を発表し
社会的セーフティ 1 ・ネ yト構築と社会保障の拡大に積額的に取り組んだ。
O兆ウォン ( 凶 家 予 算 の 心 % ) を服用の安定とセーフティ i ・ネットの構築にあてた cま た 、 政 労
c それは、
一九九九年八月二日に制定された国民基慌牛活保障法
c したがって、保障というのがただたんに公的政済措情という
c
で経済をまた悪化させるのではないかと懸念されたつまた、予算 1
小字などを根拠に、公的財政の拡大を都続すると破
一
一
川
﹂
しかし、このような政策は、財政的にも維持することが厳しく、野党のハシナラ党からも批判も殺到し、﹁料相病﹂
のではなく、法に基づいた社会権として定義づけられた
一市
持できない国民すべてに公的給付を与えるものであった
であったのに大使、金大山政権が推進した凶民某健生日保障法は、特定のグループに関係なく、最低レベルの止活を維
である。以前の生活保護プログラムは、家族の文援がない老人や了供といった特定のグループに一公的給付を与えるもの
こういった状況の中、両則的な法案が制定された
済危機で臓を失った人々たちのための公的扶助を拡大することを積柿的に推進した。
的融資、内就職のためのプログラム、そして一時的な公的扶助が含まれるコこういうた般的な失業手中と同時に、経
使 協 議 会 で 合 立 し た 失 業 プ ロ グ ラ ム を 推 進 し 、 こ の プ ロ グ ラ ム に は 、 失 業 子 ψlの拡大、 ベンチャー企業などのための公
大統領は、まず
まず、牡会的セーフティ l ・ネ yト 構 築 に つ い て 簡 略 的 に 説 明 す る こ と に す る 。 上 述 の 社 会 的 危 機 に 直 而 し た 金 大 巾
土
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土 S8¥1.90)DO
綻までに山よるとも批判された。
したがって、金大山大統領は、
一九九九年八月 K Hの波乱において﹁第一の道﹂に類似する﹁止庭的福祉イニシア
ティブ﹂を始めて国民に発表する。ここで金大中大統領が意味している止庭的福相ーというのは、以下ーとして定義してい
C
000万人の白常業、 そして丘人以下の従業員が所属する会社の人達も対象と
υ二
000年七月には、
一般市民のための二一じの地点保険会はれがあったのだが(公務員、教員はまた別)、一一七の地h 保険会社、
公務口、と教員の保険を担当する統台された糾たな川家健康保険法人 (uhHIC) が成立された
四二析と、
また、金小人中政権が取り組んだ改本ーとして、川区保保険の統合があげられる。従米、会社の従業員のための保険会社一
7
が、一 000年には、新たに一 ハの万人 (四人以下の従業員が所属する会社)にも適川できるようになったコ
γ
一力人の労働者(五人以上の従業員が 附属する産業会社) が対象となったの
なり、また労災保祉についても、従来七T10
民・漁民しかは対象でなかったのが
また、金大中大統領は、社会保峰システムの拡大のため、年金制度も改川甘さした。従米川九G万人 l二
y 一 O万人の農
ることを意味する。
より一般化していいかえれば、生産的信相とは、同氏の牛活水準を社会泥炭の促進と昌の公平な配分によって改普す
和を発展させるものである
一二)生産的福相イニシアティブにおいて、社会福祉政策は、社会統合を促進し、持続経済成長と参加型民中主義の調
一一)生産的価制イニシアティブは、﹁仕事を通じたい伯祉﹂という原料が前提
二 社 会 福 祉 を 基 本 的 人 権 と し て 訟 識 し 、 因 不 が そ れ を 保 証L、保護するべき
る
残りの一凶一社も統合された。
北法5
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
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師
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以上、簡単に金大中政権発足川後の社会状況とその対応をまとめてみたっ では、金大巾がとった対応策に根民にあっ
たスタンダードとはいったいなんだったのかを、大統領就伴以前からの令大巾氏の思惣背景を探り、ど、ついった選挙公
約が掲げられ、そして就任後、政権の日一体的な課題ーとしてどう形作られていったか、それに対する社会の反応はいかが
金大巾の思想背渋
なものであったことを次節で分析してみることにするじ
第一節
金大中の ﹁生産的福祉﹂ へのピンョン
これまで金大巾政梓が推進した社会保防制度の構築・拡大政策について説明してきたが、こうした政策の背呆には、
余大統領個人のそれまでに片われた思想的理念があることを肴過できないコ軍事政権卜においては、抑圧的な政ー附への
γ 化以降においては、野党ーとして、常に政府の保守
批判を続け、民主化運動においては、有野知識人として活躍し、民、 工
的政策に批判を加えてきたじその金大中が選挙に中選した時、序論でも述べたように、多くの報道機闘も注目したじ金
大中は、﹁準備された大統領﹂として多くの人に品望をもたらしたのである。
金大中は、﹁川氏の政府﹂と口らの政権を称し、 そ の 概 念 の も と で 、 金 融 危 機 を 克 服 す る と と も に 、 新 た な 韓 国 社 会
いままでの ﹁ 成 長 第 主 義 ﹂ を 掲 げ て き た 政 権 と は 明 確 に 異 な っ た 改 革 を 促 進 し 、 IMFの要望以上の社会
と政府のあり方を追求することに尽力した。金大統領は、金融危機以降、 IMFの 要 望 に 即 し て 改 芋 を 進 め つ つ 、 も う
方では
保防制度を構築しようと試み、就任後は、その改草のベースとなる﹁ヰ産的福祉﹂概念を構築したのであるつ
し か し 、 こ う し た 政 策 は 、 金 融 危 機 やIMFからの安請があって始めて形成きれた政策刑判念とは考えがたいっ実際、
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土 58(1-92):
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大統領就粁以前に執筆した
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大 衆 参 加 経 済 論' というの昔世田の中で、金は、社会政依の重要性、そしてその改善に関す
る以一卜のビジョンを既に提示していたのである。
第に、全同民が人間的な生れを営むことができるように再分配的福祉を基本的に拡大すること。普遍的な公共扶助
c紅 会 的 保 護 も 重 要 で は あ る が 、 今 後 、 知 識 産 業 社 会 に お い て 国
政策を形成し、また社会保険もすべての同氏が恵みを受けるように改苦し、あわせて相税制度の改革を通じて所得-再分
配を改善させていくことっ
第一に、社会投資的観点から福祉を発展させること
c
民を什会的危機から積極的に保護していくト刀法は、人的資源を刷発し、白活能力を促すことである。福相は単純な所得
移転ではなく、能力と機会の移動をふまなければならない
第二に、生産過程を通した分配的制付を強化すること。勤労者が生川の安定と財産形成、そして﹃止化ヰ活を字受する
ためには、参加の機会を丙め、それによる公正な保怖を偲さなければなりませんロ勤労者某本法を通して従業員のもち
c
株 制 と 成 果 配 分 を 促 進 し 、 非 正 規 労 働 者 、 中 小 企 栄 勤 労 有 の 福 祉 を 、 企 業 の 裁 量 ではなく、凶{永の政策支援ーとして後押
しをすることが必要だ
最後に、国民の生川の貨を川上させる福相を志附すること。単に基本的生活の課題に対応する村祉ではなく、同民の
全般的な牛活水準を向上きせることが必要であるコ健康な牛活ができるように国民健原保険を制度化きせ、快適でかつ
H
一
回
安全な環境で 持らせるようにし、止命が 山宣
J されるの会をつくらなければならない。文化的に余裕のある生活を享受で
きる祈会的・経済的制度を改善することも重要であるじ
以上のように、最大の課題は、再分配を強化した同氏の牛活水準の向上と、口川能力を強化し、それを持続させるこ
と で あ っ た つ ま た 、 歴 代 大 統 領 も そ う で あ っ た よ う に 、 金 大 巾 に と っ て も 、 韓 国 が 世 界 ぷm に達すること、 つまり先進
北法 58U9
3
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(2)
ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
金
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国の仲間入りをすることは、重市古な安素として受け止められていたのであるつ﹁このように私たちの努力が実るのであ
れば、過去韓同の高度成長に対する世界が川円していたように、成長と分配のバランスがとれた社会の典却を剣山刊した
0 0大 課 題
モデルになるであろうと碓信しています﹂。
一.金大中大統領候補選挙公約と一
一九九一年の大統領選挙において、九市大中は、民、土党の候補として、 立 候 補 し た コ だ が 、 こ の 選 挙 で は や ぶ れ 、 そ の
次の大統領選で、 ふたたびハンナラ党の字会昌候補と戦うことになる。民主党は、へ手探垣に基探があった、いわゆる地
域密看型の政党であったが、金泳一政権卜での与党に対する不満が、野党である氏王党支持に川かった仁民ム丁党候補で
あった金大巾の選挙公約は、 その内容としてやはりIMF克 服 と 世 界4強 が 胃 頭 に 掲 げ ら れ て い た が 、 そ の 内 科 を 確 認
すると、実に政治の腐敗問題、中小企業の拡大、良判・漁村への子当て、労使問題の克服、社会制祉制度の構築、そし
c
て久性問題にふ亙るまで、韓国社会の根幹問題に言及していたのである。特にここで注目したい点は、福相政策構築、労
使問題克服、 そして女作問題に関する公約である
まず、 はじめに、相祉について、金大中候補は、社会開花五ヵ年計山を樹止することを約束した。信相子皆川に闘し、
C Mウィンに値上げことを約束したのである。
毎 年 二 O % を 増 強 す る こ と を 表 明L、日ハ体的な政後としては、医療保険の合問、全国民健康保険制反の導入、公的年金
制度の合併、倣在年金制の拡大、そして防出口人牛補助手当てを一
(CEZ) を 導 入 す
kJ
比率もニロ%を維持することにし、公共部門の女件
次に、(一)女性問題に関しては、比例代表制での女性の配分を考慮し、一O%の叩り巾lて制度
ることを選挙時に掲げたのである。また、政府の重要委員会の参
北京を二O%一O%まで増加させることを似く約束したのである。また、具体的な制度としては、男女分離す体制を
北法 5
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4
防 止 し 、 産 前 休 暇 を 一 週 に 拡 大 す る こ と 、 そ し て 、 育 児 休 職 千 ψl
てを制度化し、有給胎児検診休暇制度を導入するこ
とを約束したのである。
c
このような種々の還挙公約については、山町 l選品段、金大巾次期政権の閣僚で形成された﹁大統領職引受委員会﹂が、金
大中政権の﹁一 0 0大課題﹂としてといりまとめ、メディアに正式に発表したのである
c
信相政策に闘する課題としては、常に川問題とされてきた牛活の質の向上が挙げられていた。生活の貨を高める宿付行
政の改善として揚げられたU椋は以卜のとおりである
()低所得層、老人、障常者など社会的脆弱階層に対する福相拡大
一)川民健康保障のためにが療保険制度を改苦
(二)老後生活保障のために凶民年金制度を改普
(四)事前予防的健康管理体系の強化と医薬品の安全性停保
fJ 化の定者
4) 健全な家庭儀礼及び飲食 人
他点、久作問題に関する課題としては、男女が平等に仕事をする社会を形成することが重要説題として述べられてい
一一)女性の一層川促進及び地位向上、が記
一九九九年八月一烹日の ﹁八・一立光復節度
た。特に(二男女平手社会の構築のための差別的制度、慣行の改善そして
載きれていた。
﹁生琵的福祉﹂ の理念
山界もい一汗Uすべき﹁生産的福相﹂とはいったいなにか。
金大中大統領が、﹁生産的福祉﹂という一戸東を初めて使用した演説は、
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ι巾政権における「現代イじ」と社会政策
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侃の辞﹂ である
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不当な所得・脱税に対しては、厳重な懲
(前略﹂公止な課税を通じて経済的・社会的正義を実現する{税制改川 の
i 志本になる﹁金融所得総合ぷ税一の実現を推進する
変則的な存続や贈与による寓の不当な譲渡がなくなるように、税制を改正していく
LL
を目標とし、人間間同党中しのぺ
訪を認していくつもりである。また、サラリーマンの悦負担を減らし、以内所得陪出の所得減についても、透明性の高いものに
していく ο絶対多数の国民が中山階憎になれるよう努める。中産階屑の育成と庶民ぺ活の一同
注的仙朴政策を積極的に行っていた﹁同氏本縫岸川保障比一が同会で叫決された。これにより、基礎生活ぷ準以卜のすべて
同齢者、病弱者、両親のいない
の凶民に、生前・教育-院惟などの基本的な川活を、制度として保障できるようになった。助万能力や意欲のある凶民には、
職業訓練と障害教育の機会を提供し、それに見台、つ雇用の坊を見つけ山せるように援助する
,ナ仇など社会的弱者に対する関心とよ又援を大幅に広げ、時骨折の一一併同ヤリハビリテ1 ンヨンを促進するための法律と制度を格
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備する。医佐保険・雇用保険・同川氏年金・労災保険など四K保険制度を一五工に制反化し、同川氏が生涯交心して砕らせるように
(
間
一
社会保障制度を砕止する(省略
金大巾はこの演説で、初めて﹁止産的価制﹂という概念を使用し、本格的な包括的社会信相政策を促したコまた、上
記の演況にもあるように、医療保険・厚用保険・国民年金・労災保険の制度化が、重史認問として掲げている。
一二同家による再分配的栴付、
(山)生活
ハ
7 )生産的福祉理念の世界的な何値の実現、
止援するための社会的投資、
(二)口活を l
こ れ ら の 内 容 を ふ ま え た 上 で 、 ﹁ 生 崖 的 制 制 ﹂ と い う 概 念 に 含 ま れ る 日 八 体 的 要 ぷ を ま と め て お こ う c それは、 ( 二 公
i
五 ) 持 続 叫 能 な 発 展 と 反 映 のl ム口構築、
正 な 山 場 秩 序 砕 げを通じた分配、
の質向上のための投資拡大、
と
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いうーハ占山に要約できようっこの金大統領のれ本概念としての生産的福相﹂概念を理解した卜で、金大統領が設定した日
椋(スタンダード) について、筆者なりに繋即していきたい。
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つまり、本章の第一節一でも述べたよう
ト述のように、金融危機以絞、最優先に推進されたのは、 セーフティ l ・ネ Y }の構築であった。そこで、最重要説
題として推進され、金大中が力を注いだのは、 IMF援助への対処であった
c しかし、他んでは、労働政策を合
に
、 IMFが提示した金融政策、財政政策に関しては、 IMFの 指 示 通 り お こ な う 必 安 は あ っ た が 、 こ れ を 川 民 に 理 解
させるため、﹁TMFを利用する﹂というー止脈を川意して国民に説明したのである
む福相に関する指一不に刻しては、 IMFの要求以上のものを構築しようーとしたのである、金大巾ーとしては、 IMFに上
手に対処しながら、他方で国民への説明責粁として、 IMFの指示通りにすれを利用して改革を進めていくことを強調
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しつつ、しかし同時に、晦国独 口 の も の 、 韓 国 白 身 が 成 し 遂 げ た 社 会 科 祉 の 拡 大 と い う も の か ら 、 国 民 にIMF時代を
c そのため、とりわけ川大社会保険(国民年金、一層川保険、医
説明しようとしたものだとも位置づけることができよ、っ。 IMFからの要求を、単なる押し付けとしてではなく、 パ
一
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ンスをとりながら国内政治化していったものとも思える
新保険、産業災害保険)を充,えさせ、高齢者、障害者、女性、児童らの対する福相サービスを拡大する必要があり、
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a、 や は り 社 会 福 付 を 提 供 す る 公 務 員 や 一 雇 用 セ ン タ な ど を 泊 や さ な け れ ば な ら な か っ た の で あ る つ
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一)福相のけ叫化、 (二)後進的什会福相政策の克服、 (四)持続可能な福祉システムの構築、 である。
九 九 九 咋 八 月 五H の治説でな場した生産的福制論の形成過程については、
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金 大 巾 が 重 要 課 題 で あ る と 認 ぶ し て い た 諌 題 は 、 以 卜 の 川 点 に ま と め る こ と が で き る よ う 二 ) 社 会 的 セ 1 7テflネソト構築、
では、金の政策のシンボルとも百える、
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七月に大統領、秘書 主内に設けられた﹁生活の質向上企山団﹂ の役割が重要で、 そこにおいてその理念の体系化が﹁れわれ
たのであった。
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生産的制祉の理念は、もちろん政治的スローガンという側而もあるが、しかし、この理念が、体系的に考えられたも
その具、体的な政策の方向として、 (
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) 川民廿柄本生活の保障、 (b) 臓を通じた
のであったというのも確かである。牛産的福祉の基本科学としては、(二権利としての 侃
判、(一)働く権利の保障、(二)
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c そして、
(C) 生 活 の 質 的 向 卜 の た め の 恭 盤 構 築 、 と い う 一 占 が あ げ ら れ る c これらを推進する戦略としては、
社会連帯の強化の一点である
福祉実現、
戸川川﹂
公正な山場秋ザの確リ、(一)川家による同分配制祉、(一今)口活のための社会的投資があげられていた。
このようなことが実行きれたとき、生産的福祉が実現きれる、と想定されたのであった。
繰り返しになるが、令大巾は﹁止産的福相﹂を民圭下義ーと?山坊経済に昨ぶ国政理念のひとつーとして位置付け、また、
民
国民のすべてが市場経済活肋に公平に参加し、その利誌を分配することのできる社会を実現し、そして白活能力がある
階層に対して職場を提供するといった理念を、八市は重要な基準として待ち合わせていたことを確認ができるのである。
金大巾の社会福祉へのこだわり、政治家として特別な思い入れは、大統拍就任以前から持っていた料念・理想某づく
ものであると考えられるが、 それは一九九九年あたりから具体化、体系化きれていっ一たものであろう。金融危機を経験
し
、 IMFに媛肋を要訂した捜凶が、このIMFの介人について自らがそれをどう詳何し、それととう付き台っていく
mから有していたにせ
の か と い う 問 い が 、 そ う し た 即 念 の 形 成 に 大 き な 影 響 を 与 え た こ と は 間 追 い な か ろ う っ 理 念 は 従y
よ、金大中の刊帯的な政策形成は、 IMFへの対出を中心になきれたといっても過一言ではない。金融・財政改革を強い
LL
の水準で実施することを川民に約束することによって、白
υ鵠 凶 に お け る 市 民 凶 休 の 強 い 影 響 力 に つ
c そして、同内でバランスをとりながら、園内の支持基燃を拡大していくため、山氏川体
られた一んで、余ト人中は、社会福祉に関しては、 IMF以
らの政権を位置付けていった
や運動家と積祢的に議論を﹃父わし、理解を求め、また深めようとしていった
いては、金大山政権がその基幣を作ったといえるつ
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第一節
金大巾の参両相祉のビジョン
金 大 巾 政 権 は 、 特 に こ の 論 丈 で 扱 っ て い る 福 祉 問 題 や ジ エ ン ダl問 題 に 関 す る 隊 々 な 特 別 委 員 会 を 設 け る こ と に 尽 力
し た じ 山 氏 団 体 ヤ 運 動 家 と 政 府 と の 闘 の パ ー ト ナ ー ン yブ を 図 ろ う と い う そ の 方 向 件 は 、 金 大 中 白 身 の い ま ま で の す 野
知 識 人 と し て の 経 験 、 そ し て 、 支 持 品 盤 の 確 保 な ど と い っ た こ と を 考 慮 し な け れ ば い け な い 。 し か し 、 いままでの政権
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よ り 併 採 な パ ー ト ナ ー シ y。フを阿ったことは確かながら、微妙に距離をおいたことも事実である。しかし、こういうた
cま た 、 韓 国 に お け る ﹁ 世 界 様 準 ﹂ ヤ ﹁ 真 の 先 進 国 ﹂ な ど と い っ た 目 標 に 、 金 大 中 も ま た 敏 感 で あ っ
余大中の試みは、今の虚武鉱政権下における山氏岡体との連携の基採になっていったと考えられる。この点を説明する
ことは亘安である
たことは、事実である。この占は、彼の詰世田からも確認できる。
本 節 で は 、 金 大 巾 の 参 両 福 祉 と い う ビ ジ ョンに焦点を当てつつ、彼が拙いた参加と協力による共同体の構築と、生存保
的福相比進の、土休ーとしての民間の役割強化というアイデアについて検討することとしたい。この作業によって、金大巾
政権の特徴を示しながらも、虚武山政政権との連続性もあわせて検討することができようじ
金大巾は、自らの牛産的福祉の推進主体を民同部門に委ね、 そ の 役 割 を 強 化 す る こ と こ そ が 生 産 的 信 相 を 達 成 す る と
刀法だと考えていたコそのためには、﹁従来受動的な政策の対象としてみなきれていた民間部門が、能動的な政策決定
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げ一坊や、執行上のパートナーとして、政府と一体ーとなって定の役割分却をしなければならない﹂と述べた。
者ーとしての ?
(省略)市民社会団体、宗教団体なとは地域社会内の多様なニーズを見出し
また、﹁生産的福祉の主要財源負担者である企業や労働組合は、生産的福祉政策が合用的に行われるように主要政策決
定過血性に積極的に参加すべきであり
て、それを政策の方針として提起するとともに、公共分野では取り扱いにくい特殊な問題などの解決のために地域社会
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の同党的な参加を促すなど、公共部門との
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全なパートナーシァブを形成していかなければならない﹂と王張しているつ
金大巾が特に強調した部分は、 巾
RM体 の 積 極 的 活 動 で あ っ た
の特殊な問題群なとを提起してくれる方、その活動が地域住民の白党的な参加を促す役割をも担うことが組定きれて
υ こういった考え方は以上に端的に示されている υ
いたじ金大中が市に心がけてきた社会的干等、あるいは弱者の声に耳を傾けそれを政府に訴、えることについて、市民団
休の川山動が期作されていた
市民間体は、公共部門が見逃しゃすい疎外附層の問題に対する社会的認識が布く、地域住民の活動を組純化できるいい発的な
判休でもある。ところが、わが同の市民団体は地域別にその活動程度に情差があり、専門性と効率性における事業遂行能力で
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を凶り、緊所在地域ネ yトワ 1クを構成することによって、意思決定の構造を一本化し、福相資
は十分な信服を得ていないのが現状である巾封川休がぺ産的福相の実質的パ!?ナーとしての絞能を遂行するためには、よ
り臼動な専門性と技術の川
加の効率的な活用、ンステムを構築すべきであろう{
政府は、巾民間体に日動を支援することにより、牛産的福祉政策の効中的通川をはかるためのインフラを柄捺していく。特
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に、非営利民間悶体 (NPO) 文援法を甲期に制定することによって、市民団体が社会の多ん耐で想像刈を発揮できるように
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以上の引用文で確認できるように、金大中は、ー山氏同体の積祢的な参加を望むとともに、その参加を支援するインフ
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(山)一九九三年には七一部の支持率を保得したが、一九九じ年には、一六%まで急落する、
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(以)この時期に公川された新聞 £事や社説の多くが、偉凶経済の危機を暗示していた。﹁叫凶経済不況直尚一 ﹃
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ニュースを受けソウル株式市場指数が一・八出卜落、一月九日サンミ鉄鋼業(二八
(国)韓玉グループの倒出からいっきにドミノ効果的に倒産・株式低が相次いだご九九七年一片一七日韓主グループ債務
不同制行のため倒産、一月一阿川聡
位 の 財 閥 ) も 債 務不はノれのたτ
め
{倒崖(その後凶H間続けて株式市場下落)、四月二目前与路(乾国段大の蒸留州製造所)
して心月一円サンパ/ウル(繊維業)も債務不属行に直利する。これに関しては、乞苓ぬミミミ丸一﹀22F-一}]中中叶
債 務不胤/什に陥り政治措置を受ける、じ川け一石川キアグループ(八位の財閥)も債務不履行に陥り救済措置を受ける、そ
るといった合融引締め、不
債権の半期処理、各神間凪制緩和なとの条件が提示された。円八体的なパ yケlジ内存について、
(郎)このパソケージの条件をいくつか上げておく'経済成長官をG D P基 準 の 年 一 一 % に 抑 制 、 物 制 上 昇 京 九 % に 抑 制 す
初鮮日報一九九ヒ利二月μ
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(町)当時のIMF-又綬に刻する徐々な批判反宵なとは、当時大部分の新聞で恨遣されていたり筆者はF宅。司令芸ミヲ
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-3でを参出しているが、引鮮日報、東州日報、
ZZEJ、坦 斡凶日報、なとにも多係なスローガンが 舎 かれていた。
(邸)イギリスは、雇用記録が最低一午、手当て支給まで最低一一判、そしと手当てのえ給は段卜九で五一週山である
アンは、雇用記録が 最 低立ヶ川、干当て支給までの待ち川町はなく、手当ての支給は最大で六0週間であるご 日本は、 円
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(即)この数値を他の凶と比較すると、たとえば、日本だと川得の七・三立%を保険料として支払うのに対して、所得の七
。%を年金ーとして支給することになっている
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(別)一九九五年日本の社会保障支山が三ハ・七判、スウェーデンが四九・五叫に比べ、時間は九・八%である ο 己
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内科目下
C号¥722Eヨに掲載されている、
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不 yト 構 築 を 試 み る が 、 凶 民 年 金 制 度 、 ま た 雇 用 保 険 な と の 内 谷 を 見 て み る と 、
(ぽ)統計局、 ﹃
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同じ時期に通貨危機を粁験したタイ、 f ンド、一子ンア、マレーシアのケ1 スを見てみると、通貨危機以降、応急措置はとっ
ており、持政府も短期的セーフティl
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制じ時期に通貨危絞を経験した困の中で、年金管制度、そして州小企業振興や社会セクター支出である雇用保険の整備や
不 yト 構 築 は 、 韓 国 だ け に 見 ら れ る 現 象 で あ る 。 山 本 克 也 、 ﹁ ア ジ ア 判 カ 凶 に
職業訓練の盤的といった長期的セフティ
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お け る 年 金 制 度 世 界 銀 行 お よ びIMFの 影 響 ﹂ 上 判 事 裕 - よ 世 間 編 ﹃
東アジア福祉システム構築﹁東大大千社会科学耐
究 所 、 ひ っ 一 午 、 一 八 九 一 口λRU
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(川)一九九七年から 000年にかけて、 IMFと 神 凶 政 府 間 で 合E された政策九円自にえ害 (
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り、こ、ついった境円が、明コルされている。 IMY公 式 サ ィ に て 合 主 文 書 を 見 る こ と が で き る 。 ピE43二三三己、一九九
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(悶)新自向、一上長官たちゃグロ l パリゼ l シ ョ ン 擁 護 派 た ち は 、 ク 口 l パリゼ l ン ヨ ン に よ っ て 川 界 経 済 に 統 介 さ れ て い く 中
で 、 同 際 航 続 争 力 を 紺 持 す る た め に は 、 公 的 支 山 を 最 小 限 に す る 必 主 性 が あ り 、 結 同 中 守 的 な 畑 仕 同 家 モ デ ル に 帰 結L、
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