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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
Title Author(s) Citation Issue Date URL 良妻賢母思想の成立と展開( Abstract_要旨 ) 小山, 静子 Kyoto University (京都大学) 2003-05-23 http://hdl.handle.net/2433/148555 Right Type Textversion Thesis or Dissertation none Kyoto University 【696】 氏 名 心 電 窟 享 学位の種類 博 士(教育学) 学位記番号 論教博第106 号 学位授与の日付 平成15年 5 月 23 日 学位授与の要件 学位規則第 4 条第 2 項該当 学位論文題目 良妻賢母思想の成立と展開 主 論文調査委貞 授辻本雅史 助教授鈴木晶子 助教授駒込 武 論 文 内 容 の 要 旨 本論は,良妻賢母思想の成立と変遷を解明し,その歴史的意義を論じている。その際,良妻賢母思想を第二次大戦以前の 日本に固有の女子教育規範とみる従来の通説的な認識枠組みから離れて,近代国家や近代家族の成立と不可分の思想と捉え る立場に立っている。すなわち家庭における女性の妻や母役割を国家がいかに意味づけ,女性を近代国家の一員としていか に位置づけるようになったのか。また社会変化と共に変化を遂げたその思想内実と,女性にとってのその意味を考察してい る。 「はじめに」では先行研究批判と本論の基本視角を明示する。第1章「明治啓蒙期の賢母論」は,良妻賢母思想登場以前 の理想的女性像を,江戸期の女訓書と明治啓蒙期の女子教育論によって解明している。江戸期女訓書が女性に期待するのは 夫や舅姑に対する妻や嫁役割であり,母役割ではなかったが,明治啓蒙期には,将来の母という観点から女子教育振興を説 く女子教育論が論じられ,子どもをよく育てる賢母が求められるようになっていった。 第2章「良妻賢母思想の成立」は,日清戦争後の世紀転換期の女子教育論において,家庭で育児と家事をもっぱらとする 良妻賢母思想が登場し,その観点からなされた女子教育充実論が検討される。さらに家庭の女性役割が国家の発展に有意義 と認識され,生産活動や兵役に就く男性と役割こそ違え,男女同等論が説かれ,女性も間接的な国民として,国家的統合に 組み込まれるようになったとされる。 第3章「良妻賢母思想と公教育体制」は公教育との関わりを論じている。公教育体制の成立は,単なる学校制度の確立で はなく,母が担う家庭教育を学校教育の補完として組込んだ,子どもの社会化という教育体制の総体とみるべきであるとす る。 第4章「転換をもたらすもの」は,日清戦争後に成立した良妻賢母思想が第一次大戦後にその内実を変えたことを論証す る。その要因に(1)「婦人問題」の社会問題化,(2)第一次大戦下での欧米女性の銃後活動の衝撃,(3)家庭の合理化 や「文明化」への要求,と分析する。この要因に応える形で,潜在的能力を開発し積極的活動力と合理的思考をそなえた女 性像を求める一方,性役割分業を温存し女性の「男性化」を回避するという新たな良妻賢母思想規範が展開されたことを明 らかにしている。 第5章「女子中等教育の改善」は,前章の課題に応えた女子教育の改善を,第一次大戦後の女子教育論によって明らかに している。高等教育による女性の知的能力の向上の他,体力・気力を養成する体育の振興,家事教育への科学思想の導入に よる進取的態度の育成など,広範な女子教育改善論が分析されている。 第6章「社会教育の成立」は,社会教育成立期の第一次大戦後,既婚女性に対する社会教育活動の実態とその意味を解明 している。すなわち,家庭のあり方が政治的課題と認識されたこと,女性が家内領域の担い手であることによって,公的な 場での女性の発言力が増し,社会や政治への女性参加が活発化したこと,さらにそれによって女性が直接的に国家と関わり 始めたこと,などを明らかにしている。 −164・4− 第7章「新しい良妻賢母像」は,第一次大戦後に再編された良妻賢母像を論じている。第一に,女性は単に家庭内役割を 果たすだけでなく,職業への従事や「女性の特性」の発揮を通じた国家・社会への直接的貢献をも要求されていったことで ある。もちろん,「男並み」の社会活動を認められたわけではないが,「女らしさ」を損なわない範囲での「男性領域」への 進出が期待され始めた。しかし新しい良妻賢母像は,それだけではなく,家庭における妻役割・母役割にも新たな意味づけ を行っている。それは,家庭における消費経済と家庭教育の二側面を通して,国家と直接的関係をもつことを女性に期待し, 国家の側は,勤倹奨励運動や公私経済緊縮運動,教化総動員運動に女性を動員していった。女性の能力や活力を一方的に抑 圧するよりも,それを国家や社会に吸収していく方向である。それは,女性と国家の新たな関係の創出と評価されるもので ある。女性は夫や子どもを媒介することなく,直接的に国民としてとらえられたということになる。 以上,良妻賢母思想は,近代社会における性別役割分業を支えるイデオロギーであるとともに,歴史的状況の変化に応じ て,その内実を変化させていった思想であった。そして女性は,良妻賢母思想を通して,近代国家の国民として位置づけら れ,国家へと統合されていった。しかし,女性は必ずしも統合される客体としてのみ存在していたわけではなかった。とい うのは,時代状況を先取りする形で新たな良妻賢母像が提出され,それは女性たちの欲求や願望を一部惹きつけていく,あ る種の「魅力」をもっていたからである。ここに,良妻賢母思想が多くの女性の憧憶の対象として受容されてきた歴史があ ったことの理由が認められる,と論じている。 論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨 本論文は,良妻賢母思想の成立とその変遷を,主に女性と国民国家の関わりという視点から,歴史的に考察したものであ る。その際,良妻賢母思想を戟前日本の天皇制国家特有の女性規範とみる通説を退け,近代国家や近代家族の成立と不可分 の,家庭に割り振られた女性に対する性別役割分業の統合規範ととらえる。とくに江戸後期から1930年代までの理想的女性 像の変遷を3区分し,女性が国家に包摂され「国民化」していった過程を各々の女性像に即して検討し,女子教育史や家族 史に新たな理論的枠組みを提示している。なかでも以下の点において高く評価できる。 第一に,江戸後期から明治初年までの女訓善が示す封建的女性像は,夫や舅姑に対する従順な良妻像に限られていること を明らかにした。したがって良妻賢母思想は,江戸期の儒教的女性像とは連続せず,近代に新たに出現した女性像であるこ とを論証した。これは創見である。また良妻賢母思想は,男女同等論を前提に,肉体的・心理的相違の故に異なった性別役 割を説く分業論に論拠をおいていることを明らかにするとともに,それを家族国家観の一環ととらえる通説に批判を加えて いる。 第二に,良妻賢母の女性像が,日清戦争後の世紀転換期に成立したこと,それが家庭教育の成立と不可分であることを論 証した。さらにそれを公教育体制成立と一体であると捉えることで,公教育体制を,たんに学校教育の確立と捉えるだけで は不十分で,家庭教育を学校教育の補完物とすることによって確立した体制であったと捉える見解を提出している。加えて, 公教育体制と一体化した良妻賢母像と家庭教育の成立は,国家が女性の国家的意義を認識し,家庭を通して女性を国民統合 内に組み込んだことを意味すると論じる。良妻賢母思想の意義を,女性の国民化過程の視点から捉えるこの野心的議論は, 従来の女子教育史に見られない大きな理論的枠組みを提示したもので,とくに高く評価できる。 第三に,第一次大戦後の新事態に対応するために再編された,新たな良妻賢母思想の分析とその意味づけの斬新さである。 第一次大戦後,家庭に対する国家的関心の高まりを,文部省による生活改善運動を素材に論じているが,この生活改善運動 は,これまで主に思想善導を目的とした社会教育の文脈で論じられてきた。本論文はそうした単純な見方を斥け,戦後の新 中間層の生活難を契機に,欧米に対抗できる国家づくりをめざし,家庭生活の「文明化」をはかった社会教育政策と意味づ ける。女性を対象とした展覧会,指導者講習会,女性講座等の社会教育を文部省が推進したことを跡づけ,消費主体として の女性に,家事の科学化や合理化をよびかけ,「文明」家庭のモデル像を提示し啓蒙していったという。それは1930年代の 社会教育史に新生面を開く見解と言えるが,加えて生活改善運動は,家庭という私的領域に国家が介入したことを意味し, それによって女性が夫や子どもを通さず,国家と直接的関係を結び,女性が「国民化」する回路ができたと論じている。こ うして,家庭と女性は,私的領域に属することによってかえって強い政治性を帯びることになった,という見方が示される が,この指摘は,国家とジェンダーの関係を論じる上に,示唆的な論点を提供している。こうして女性と家庭が政治の対象 一1645− とされ,その指導者としての女性が政治に関わってくるなか,女性参政権論とその実現を求める運動の高揚も,この文脈か ら必然的に生じてくるとされている。この論証も鮮やかである。 第四に,生産や兵役によって国民化した男性に後れて,女性が男性とは異なる形で「国民化」していった過程を,良妻賢 母思想の歴史的分析によって明らかにした。しかもそれを,女性を良妻賢母の枠にはめながら,女性の持つ社会的能力を引 き出し国家が吸引していく過程と結論づけている。その意味で良妻賢母思想は,女性を国家統合するための思想的拠り所で あった。この論点は近年の国民国家論とリンクして,女性史や家族史などともクロスできる議論になっている。 第五に,良妻賢母規範は確かに国家が女性に押しつけた抑圧的規範ではあるが,その一方でそれは逆に女性が自己実現し ていった回路でもあったこと,したがって一定数の女性が積極的に受容した規範であったことを跡づけている。つまり良妻 賢母思想が,魅力あるものとして女性の欲求を惹きつけていた側面も見逃さず併せ指摘し,この両義的側面において良妻賢 母思想をとらえた点は,本論文が示す卓抜な論点である。 以上総じて,本論文の価値は,女子教育史に新たな歴史的枠組みを提示し,近代国家と女性との関係を歴史の中に定式化 して読み解いたところにある。本論文の見解はすでに著書等を通じて,広く学界に一定の評価を得ているところである。 とはいえ,本論文で検討された良妻賢母論は,社会的指導層や知識人言説のもので,その規範性自体は自明とは言えず, 都市中間層に妥当したとしても,直ちに全国的に妥当するものではないこと,さらに旧民法による家制度の問題が捨象され て「近代家庭」が論じられているため,欧米的近代家族との同質性が強調されすぎたきらいがあり,そのため家族国家観と の関係も論じられなくなっている,といった問題点も指摘できる。本論文はこうした問題点は残しながらも,それらは既に 著者に自覚されており,また本論文が限定した問題構成の領域を越える問題ともいえ,本論文で提示した如上の学術的価値 を損なうものではない。今後の研究のなかで十分解決が期待できると判断された。 よって,本論文は博士(教育学)の学位論文として価値あるものと認める。また,平成15年3月6日,論文内容とそれに 関連した試問を行った結果,合格と認めた。 −1646−