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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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源氏物語と白居易の文学( Abstract_要旨 )
新間, 一美
Kyoto University (京都大学)
2003-11-25
http://hdl.handle.net/2433/148247
Right
Type
Textversion
Thesis or Dissertation
none
Kyoto University
【685】
氏
名
しん
ま
かず
よし 新 聞
実
学位の種類
博 士(文 学)
学位記番号
論文博第 457 号
学位授与の日付
平成15年11月 25 日
学位授与の要件
学位規則第 4 条第 2 項該当
学位論文題目
源氏物語と白居易の文学
主
論文調査委員 授
論 文 内 容 の 要 旨
本論文は,源氏物語と中庸の詩人である自居易(白楽天)の文学との関わりを論じたものであり,全四部から成る。その
要旨を以下に記す。
○第一部 源氏物語と自居易の「長恨歌」「李夫人」
I「李夫人と桐壷巻」
「長恨歌伝」には楊貴妃は李夫人のようであると記されており,自居易の「李夫人」では,李夫人と場景妃が一組のもの
として扱われている。また,病死することや子供を持つことについては,桐壷更衣は楊貴妃よりも李夫人に近い。漢書外戚
伝の李夫人の条をその注までも含めて検討すると,桐壷更衣の描写とかなりの点で共通する。
自居易の「李夫人」には「反魂香」の故事が描かれている。この故事は「長恨歌」の蓬莱山の場面へと展開する。「李夫
人」や「長恨歌」では,死んだ女性の魂の存在が信じられたが,桐壷帝は更衣の魂の存在が信じられなかった。その代わり
として形見としての光源氏と藤壷が登場している。藤壷とそっくりの若紫が後に登場するが,血縁と相似からなる「紫のゆ
かり」の構想は李夫人の「反魂香」の故事の利用として把握できるのである。
Ⅱ 桐壷更衣の原像について一挙夫人と花山院女御恨子一
本章では,まず,桐壷更衣の描写が,李夫人の「反魂香」や「温石」の故事に関わりがあることを指摘する。その上で,
更衣の「おもかげ」が一貫して措かれていて,藤壷登場につながっていることを確認する。
次に,花山天皇の女御紙子が更衣のモデルになっているという高木宗鑑氏説を検討する。本朝文粋に見える願文には,李
夫人の故事を用いつつ恨子の死の前後が描かれているが,その願文は源氏物語以前の作品である。それに従って恨子の死を
復元すると,栄華物語に描かれた恨子像は事実に近い表現であることが分かる。また,紙子の死の後に詠まれた歌を検討す
ると,これも桐壷巻の歌に近いことが分かる。
Ⅲ 桐と長恨歌と桐壷巻一漢文学より見た源氏物語の誕生一
本章では,枕草子に見える植物としての「桐」を検討し,殿舎の呼称としての「桐壷」の由来,桐壷更衣の像,桐壷巻全
体と「桐」との関係を論ずる。桐は黄帝の東園に植えるものであり,鳳凪が止まる木である。また,元積と白居易に「桐」
の詩があり,宮中に桐を植えるという発想がある。
「長恨歌」には,玄宗が亡き楊貴妃をしのぶ場面に「秋の雨に梧桐の葉の落つる時」の句があり,この場面は桐壷巻では,
桐壷帝が亡き更衣をしのぶ場面に写されている。そこに見える更衣を喩える木は「桐」と見るべきものである。「長恨歌」
の「梧桐」を利用して,「桐壷」の巻の巻名は生まれたと考えられる。「桐」は,晩春に咲く紫の花という側面もある。晩春
の「藤」や「紫のゆかり」につながって行く要素を持っている。
Ⅳ 源氏物語の結末についてw長恨歌と李夫人と一
表規矩子氏説では,夢浮橋巻の末尾すなわち源氏物語の結末部分に見える,薫が小君から「しるしの一言」を聞こうとす
−1597一
るところは,「長恨歌伝」に見られる方士が仙女楊貴妃から対面の証拠となる詞を聞くという部分を受けているとする。本
章では,唐物語等に見える「長恨歌」や「李夫人」詩の引用の様相を見ることでこの結末の意味を探る。
唐物語第十八話末尾では,仙界に生まれ変わった場景妃も結局は輪廻の輪をまぬがれることはできず,浄土に生まれるこ
とを願うべきだとする。本朝文粋の願文も,死んだ女性の魂が浄土へ往生するのを願うべきだとする。仙女楊貴妃や李夫人
の魂は,いずれも救われないものとされる。浮舟の場合も小野で出家し,真の使いである小君に「しるしの一言」を伝えさ
せないことによって,浄土を目指そうとしたと解釈できる。
○第二部 源氏物語と住民の物語
住民は白衣の美女に化けた狐で,鄭生と結婚する。鄭生の妻の一族の章釜は住民を得ようとするが,住民は節を守る。鄭
生と任氏が一緒に出張に赴いた時に,任氏は猟犬に襲われ,死んでしまう。この話は唐代伝奇の沈既済作「住民伝」や,自
居易の「任氏行」逸文に見える。この第二部では,源氏物語における任氏の物語の受容について考察する。
Ⅰ もう一人の夕顔一帯木三帖と住民の物語椚
太田晶二郎氏の研究によって「住民行」の日本伝来の様相が知られ,千載佳句や新撰万葉集などに関連詩文が残る。本章
では夕顔の人物造型に「任氏」像が使われたと考え,夕暮の道での出会い,白花の喩え,荒れた屋敷への招きなどの点が両
者に共通することを指摘する。また,空蝉についても,光源氏と空蝉の出会いの場面,蝉が抜け殻を残すように衣を残して
去ることなどが任氏像によると指摘する。最後に「任氏行」と良く似た新楽府「古塚狐」を取り上げ,諷諭的な意味でも任
氏像が源氏物語に受容されたと論ずる。
Ⅱ 夕顔の誕生と漢詩文−「花の顔」をめぐって【
新撰朗詠集「雨」部には,「春雨花顔を洗ふ」という題の,場景妃と住民を雨に濡れた花に見立てた旬があり,二人は
「花顔」の美女と認識されたことが分かる。さらに,「撃贅」かな「花顔」の美女の系譜を考察し,「高唐賦」の仙女,遊仙
窟の雀十娘,任氏などがそれに当たり,神秘的な仙女のような女性がそう表現されることを指摘する。夕顔も「花の顔」を
持つ「ほのか」な美女であり,この系譜に位置づけられる。
また,「花の顔」の美女として自居易の新楽府「陵園妾」に描かれた女性であるが,この女性像も両夜の品定めの「常夏
の女」(夕顔)の造型に利用されたことを指摘する。
Ⅲ 日中妖狐譜と源氏物語夕顔巻一任氏行逸文に関連して−
自居易「任氏行」の逸文としては,従来千載佳句の二聯四句のみが知られていたが,新たに『全唐詩外編』に末代の錦
緒方花谷から「住民行」二聯が採録されているのを見出し得た。その句の「任氏行」における意味を自居易や元横の作品
を参照して考察した。
また,「住民行」の影響を受けた作品に三善清行の書家秘記の逸文中にある賀陽良藤の話があるが,これも夕顔と関わる
ことを指摘し,夕顔巻が広く狐説話と関わると論ずる。
○第三部 源氏物語と自居易の諷諭詩
紫式部日記によれば,紫式部は中宮彰子に「新楽府」を教えたという。「新楽府」は自居易の諷諭詩の代表作品であり,
同じ諷諭詩の「奏中吟」十首とともに源氏物語にもしばしば引用されている。ここでは,自居易の諷諭詩の受容について考
察する。
Ⅰ 源氏物語の女性像と漢詩文一帯木三帖から末摘花・蓬生巻へ一
本章では,帝木巻の両夜の品定めの内容を検討して,空蝉,夕顔,末摘花等の人物造型を論ずる。従来左の馬の頭が中の
品の女を推奨すると考えられていたところを頭の中将の意見とし,左の馬の頭は下の品の女を推奨すると考えた。その中の
品の女の実例として空蝉が,下の品の女の実例として夕顔が登場する。
また,藤式部の丞の体験談の中に博士の娘が出てくるが,そこに奏中吟「議婚」詩が引用されている。詩中にある「わが
二つの途歌ふを聴け」が夕顔巻の末尾に「二道に」と使われていることを指摘した。
末摘花像の造型については,奏中吟「重賦」の引用が重要である。末摘花巻で寒さが強調されるのも,「重賦」と同様に
「貧」を表わすためである。彼女の赤い「鼻」も寒さ放であり,「重賦」に描かれた「寒気」の入る「鼻」に由来する。末摘
花巻を受け継ぐ蓬生巻においては,「貧」がより極端に描かれる。
ー1598−
Ⅱ 漢詩文をどのように取り入れているか−自居易の諷喩詩に関連して一
本章では,一「源氏物語と漢詩文」,二「目を側め」と「側目」,三「桐壷巻と李夫人」,四「帯木三帖と新楽府・奏中吟」,
五「夕顔と妖狐「住民」」,六「自詩と女性と漢詩文」の各説で,紫式部の漢籍利用を自居易の諷諭詩受容にからめて述べて
いる。
Ⅲ 源氏物語の表現と漢詩文一自居易の諷諭詩と夕顔・六条御息所一
本章では,両夜の品定めで議論された三階級の女を住居の面から考察する。光源氏が中の品や下の品の女に関心を持つに
ついては,上の品の世界を相対化する視点が必要とされる。その視点を紫式部は新楽府「杏為染」や,奏中吟「傷宅」,或
いは「凶宅詩」などの自居易の諷諭詩から得たと考える。そこには大邸宅を空しいとする考えがある。
次に新楽府「上陽白髪人」の受容について。両夜品定め中に左の馬の頭の体験談中に登場する指食いの女や賢木巻の六条
御息所の造型にこの詩が使われている。
Ⅳ 新楽府「陵園妾」と源氏物語一松風の吹く風景一
本章では,新楽府「陵園妾」を取り上げ,源氏物語で「松風」が吹いて女が寂しげな様子をしているような場面に多く使
われていることを指摘する。
賢木巻では,光源氏が野の宮の六条御息所を訪れる秋の嵯峨野の光景に「松風」が吹くので,それを検討する。普通には
斎官女御の「琴の音に峰の松風かよふらし」歌が引かれるのみであるが,この歌が詠まれた状況は,源順の歌会の序を見て
も,秋の寂しさを表わすとは言い難い。御息所の心象風景とも言うべき秋の「もののあはれ」は「陵園妾」詩を踏まえてい
ると考えられる。
その他,末摘花巻の末摘花,明石巻の明石上,松風巻の明石上,夕霧巻の落葉の宮,宿木巻の中の君などにこの「陵園妾」
が人物造形に受容されていると考察する。
○第四部 源氏物語と自居易江州左遷時代の詩文
自店易は,元和十年(815)に江州の地に司馬として左遷された。南の産山に草堂を建てて「草堂記」を記したり,痔陽
江のほとりで「琵琶行」を作ったりした。ここでは,その時代の作品の源氏物語における受容を追究する。
Ⅰ 源氏物語と庭山一若紫巻北山の段出典考一
本章では,若紫に措かれる北山の「なにがし寺」及びその周辺の描写が「草堂記」やその周辺で作られた「大林寺に遊ぶ
序」などの作品によるものと論ずる。のみならず,鹿山東林寺の名僧慧遠の「鹿山略記」や,菅原道真の「鹿山異花詩」な
ど,他の産山関係の詩文とも関わりがあるとする。「鷹山異花詩」については,法苑珠林に載せる述異記の記事を本文とす
ることを初めて指摘する。
Ⅱ 源氏物語若紫巻と元自詩一肌夢に春に遊ぶ一
前章の鹿山関係の詩文には,男女の出会いの要素が稀薄であった。本章では,夢の中で仙女のような女性と出会ったとい
うことを描いた,元横と自居易の「夢に春に遊ぶ」詩を取り上げて,光源氏と若紫との出会いの表現に利用されたと論ずる。
「春の花咲く山」,「つづら折の道と山中の趣ある建物」など12項目にわたっての類似点を指摘した。
Ⅲ 源氏物語と自詩−¶明石巻における「琵琶行」の受容を中心に一
本章では,まず日本における自居易詩文の受容を概観し,次に「長恨歌」と並ぶ自居易感傷詩の代表作である「琵琶行」
の明石巻における受容について論ずる。
「月」「風」の用い方や,琴,琵琶などの弦楽器の利用,沈給する男女の出逢いなどについての「琵琶行」の受容の様相
を確認する。特に「琵琶行」に見える琵琶の音色を言葉であるかのように表現する方法を「琵琶の音の言語的表現」と名づ
け,それが源氏物語では,「琴」「言」の掛詞として利用されていることを指摘する。最後に,明石上は若紫巻で登場するこ
とから,紫上と明石上は共に自居易の江州左遷に関わると論ずる。
Ⅳ 元自・劉自の文学と源氏物語一交友と恋の表現について−
自居易は元積や劉丙錫と共に唱和詩を作り,元自,劉自と称されたことがあった。自民文集を丁寧に読めば彼等の交友の
在り方を読みとることができる
。源氏物語にもその交友の読みが活かされているところがある。本章では,その具体的な受
容を追究する。
−1599刑−…
「須磨巻と元自詩」,「花宴巻と元自詩」,「葵巻と劉自詩」の各節において,光源氏と頭の中将,光源氏と臆月夜の君,葵
の上を偲ぶ光源氏と頭の中将の交友や恋の表現を自詩等の関わりから論ずる。
Ⅴ 自居易文学と源氏物語の庭園について
江州左遷中に記した「草堂記」に自居易の庭園作りに対する執着が述べられている。晩年の「池上篇斤序」では,洛陽に
他のある邸宅を造営した様子が詳しく記されている。この二作品などを自居易の庭園文学と呼ぶことができる。それらは,
兼明親王と慶滋保胤の二つの「他事記」や鴨長明の「方丈記」,そして源氏物語に影響を与えている。
光源氏も若くから庭造りに執着しており,明石からの帰還後に六条院を造営した。この六条院の描写の中に自居易の庭園
文学との関わりを指摘できる。特に玉婁を中心とする胡蝶巻後半から常夏,葦火巻までの夏から秋の描写の中に白詩と関わ
る部分が多い。
論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨
『源氏物語』が,それに先立つ古物語,またその影響を受けつつ後れて成立した多くの物語類を,質量ともにはるかに圧
倒して孤高の存在であるという事実は,国文学の解明すべき大きな謎の一つである。もちろん,それを作者紫式部の天才に
帰することは可能であり,またそれが結局は正しい認識であるとも考えられるが,一方で,『源氏物語』が当時もっとも高
い文学的達成を示していた中国唐代の詩文の精華を積極果敢に受容したことが,旧来の物語の世界を一変させた原因であり,
また後世の物語作者に真似ることのできなかった先鋭的な方法であったという見方も可能になるだろう。紫式部が漢学者の
父藤原為時の講義を兄弟とともに受け,そのすぐれた才能を父親に惜しまれたこと,また中宮彰子に自居易の新楽府を講義
したことは,その漢文学の教養の並々ならぬものであったことを推察させる。『源氏物語』という新しい物語の成立の契機
として,そのような漢文学の発想,表現の修得があったことは,当然予想されてよい。式部自身,そのことは物語中にも隠
すことはなく,登場人物に詩の一節を朗詠させることはしばしばであり,あるいは自居易の長恨歌を筋立ての一部に利用し
たりする。『源氏物語』の理解にとって,漢詩文との関わりを考えることは,必須のことであると言わなければならない。
ところが,近世の国学においては,本居宣長が,儒仏の書は道理を説き,人の善悪是非を論ずるものであり,わが国の歌物
語が人の情を述べるのとは根本的に異なっており,詩文ですら議論に傾いて歌物語の世界には縁遠いものだと主張したこと
もあって,『源氏物語』における漢詩文受容の研究は,古注釈の指摘以上には深まることがなかった。また,その国学の影
響を受ける近代の国文学においても,『源氏物語』の表現の一部に漢詩文の影響があることのやや広く,しかし断片的に指
摘されるだけで,古注釈を質的に越える研究は為されてこなかったと言える。
本論文の独自性は,その中にあって,『源氏物語』の成立にとってもっとも大きな要素を漢文学,とくに自居易の文学の
受容であることに見定め,自居易の詩文が物語全体の構想の核心となったことを論証しようとするところにある。
本論文は四部に分かれる。第一部では,桐壷巻が漠の李夫人の説話を典拠とすることを説く。従来,桐壷巻は長恨歌との
関わりの深いことが指摘され,従って桐壷更衣は楊貴妃に重ねて理解されることが多かった。しかし,論者は,楊貴妃に並
び称されることの多かった李夫人こそ,子をもち,病死する点において,桐壷更衣により近い人物と考える。そして,李夫
人の死後に武帝が夫人の絵姿を描かせて偲んだり,また反魂香を焚いてその面影を浮かび上がらせて悲しんだという『漢書』
外戚伝の説話から,桐壷帝が更衣の死後に彼女に生き写しの藤壷を女御として入内させ,寵愛するという物語の筋が発想さ
れたと説く。『源氏物語』では,桐壷更衣に由縁のある人として藤壷が帝の寵愛をうけ,その藤壷への光源氏の秘密の思慕
がその姪で面影の似た紫の上との結婚に源氏を導き,また宇治の大君の身代わりとしてその異母妹の浮舟が薫君に愛される
など,紫のゆかり,形代,身代わりという見方が主人公達の愛の動機とされることが多い。物語を一貫するこの方法が,李
夫人の反魂香の説話に由来するとする本論の推理が果たして成り立ちうるとするならば,それは『源氏物語』の構想の核心
を一挙に明らかにするものとなるだろう。もとより完全に論証することの難しい問題ではあるが,『源氏物語』以前に亡く
なったある女御の四十九日の願文に李夫人の故事が用いられたという傍証を示すなど,論者の用意は周到である。
第二部は,夕顔という女性が光源氏と互いに身の上を隠したままに関係を結ぶが,後に六条御息所の生霊に取り殺される
という夕顔巻の物語が,白衣の美女に化けて男と結婚した狐が後に犬に食い殺されるという唐代伝奇小説の「任氏伝」を典
拠とするという論である。論者は,両者の類似点を詳細にあげるだけではなく,平安時代における「任氏伝」および自居易
w1600−
の「任氏行」の受容のさまを具体的に明らかにして,その推定をより確かにすべく努めている。
第三部,第四部は,自居易の諷諭詩と左遷時代の友人たちとの唱和詩などと『源氏物語』との関係を説くものである。そ
の詳細は省略するが,自居易の詩文への深い理解と,日本における自居易文学の受容の具体的把握とが,その出典論の説得
力をましている。
本論文は,自居易の詩文の多大の影響を受けて,『源氏物語』が構想され,その表現が展開したことを論じて余すところ
がない。『源氏物語』をそのように徹底的に出典論的に考察したことは,国学以来,漢詩文との関わりの研究において停滞
し続けてきた源氏学に一種の革命をもたらしたものとして高く評価できるであろう。しかし,その反面,本論文は出典の論
定を急ぐあまりに,自居易の詩文と『源氏物語』との類似点の列挙に力を集中し,双方に異質な点についてはあまり配慮を
払わないという傾向がある。議論がやや単調に陥りがちな弊は否めない。類似とともに,双方の差異の意味を十分に考察し
てこそ,文学の比較研究は成り立つものであろう。その点で,本論文にはいささかの偏りがあると言わざるを得ない。しか
し,そのような比較研究は,このように全面的,かつ徹底的に出典論を展開した上で,論者が今後目指すべき研究の方向と
言うべきであろう。
以上,審査したところにより,本論文は博士(文学)の学位論文として価値あるものと認められる。平成15年9月19日,
調査委貞三名が論文内容とそれに関連した事柄について口頭試問を行った結果,合格と認めた。
−1601−
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