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心理療法における引き継ぎについて
帝京大学 心理学紀要 2008. No.12, 71-75 心理療法における引き継ぎについて ──セラピストの交代がもたらすもの── 帝京大学心理臨床センター 仲亀秀実 The therapist s change in the psychotherapy. Teikyo University Mental Health Center Hidemi Nakagame Summary In this paper, the author discussed the therapist s change in the psychotherapy. When the therapist change in the psychotherapy, it is assumption to do the morning work between the therapist and the client. If th client experiences the morning work between them, he can start the psychotherapy. It is necessary that the therapist taste the sorrow according to the morning work with client. Ⅰ.はじめに 大学院附属の心理相談室での心理療法は、大学院生が卒業することによって終結を迎えると いう問題がつきまとう。また他機関においても、セラピストが機関を移動することによって終 結を向かえることもある。セラピストの都合により心理療法が終結されることは珍しいことで はない。そして、終結のあと引き継ぎが提案され、新しいセラピストによって心理療法が開始 されることもある。特に大学附属の相談室での心理療法では、出会った瞬間から別れが見えて いる。 心理療法に引き継ぎがあるのだろうか、という問いもある。事例が引き継がれセラピストが 交代することによって、クライエントは何を体験するだろうか。引き継いでいくセラピスト、 引き継ぎを受けるセラピスト、このふたりのセラピストは何を分かちあい、何を分かち合わな いのか。 71 ここでは、 引き継ぎによるセラピストの交代について体験とともに思うことを述べてみたい。 Ⅱ.臨床素材 A.クライエントは何を体験しなかったのか―別れを否認し続けたある統合失調症の女性― 彼女は統合失調症を抱える 40 代の女性であった。彼女は長い間女性セラピストとの心理療 法を継続していた。彼女は、セラピストの退職と私との心理療法の継続を快諾した。セッショ ンの最後には「先生今までありがとうございました。お元気で」と、にこやかに別れを終えた ようだった。そこには、長年心理療法を共にしたセラピストとの別れを悲しむ気持ちや、セラ ピストに見捨てられる恐怖、取り残される怒りは全くないように思われた。引き継ぎは、とて もうまく行われたように見えた。新しいセラピストである私ともスムーズに心理療法が進めら れた。だが、スムーズに進みすぎた。彼女は一気に私との距離を縮め、面接室は楽しくおもし ろい話題で埋め尽くされた。私は、その表面的であるが波風の立たない面接状況をおかしいと は思いつつ、とても気楽なものであるとも感じていた。その気楽さは次第に空虚さに取って代 わられ、重荷となっていった。私は、私と彼女の間に漂うお気楽であるが空虚なものを扱うこ と決意した。その決意によって面接は揺らぎ、私は中断も覚悟した。だが、次第に寂しさや怒 りを否認していたことが浮かび上がってきた。その後、彼女が前任者との別れを体験できるま でに、1 年の月日が必要だった。別れの作業は、彼女自身が抱えていた問題も浮かび上がらせ ていった。 B.セラピストは何を否認しようとしていたか―質問から始まったある心理療法― 私に引き継がれたある 20 代の女性との面接は、彼女の質問から始まった。「先生は何歳です か?」 と。私は困惑した。彼女は、 私の困惑した様子を見て、 「前の先生は教えてくれました」と、 何気なく言った。そして、 セッションでは表を用いて思考の整理をしていたことを付け加えた。 私は前任者から、この女性についての情報は得ていたが、前任者が彼女とどんな心理療法の スタイルを取っていたのか、知らなかった。私は、クライエントの言うがまま、今までの前任 者のスタイルを継続すべきかどうか、悩んだ。だが、私は彼女と数回のアセスメント面接を持 ち、言語のみの心理療法を選択してもいいのではないか、という思いを持つようになった。私 は、専門家として彼女に提案をした。彼女は、それに反発した。そして、前任者への思いをあ からさまに語った。だが、彼女は次第に受け入れていった。 もし、このとき、私がクライエント言葉通り、前任者と同じスタイルを取っていたら、おそ らく心理療法はすぐに中断していたであろう。私は、専門家として前任者の言動に怒りを感じ ていた。それは、容易にプライバシーを明かしてしまう態度や、別れをいい加減に扱っている のではないかという思いからだった。それは正しいかもしれないし、クライエントが私に伝え 72 仲亀:心理療法における引き継ぎについて たかった前任者が去ってしまうことへの怒りを投影しただけかもしれない。どちらにせよ、私 がクライエントの言われるがままに対応していたら、彼女は、専門家としての私を見限っただ ろうし、 私は前任者の影に怯え、 前任者の見立てた彼女としか出会うことができなかっただろう。 Ⅲ.心理療法における引き継ぎとは何か Ⅲ− 1.クライエントにとって 北山(1979)は、終結のための原則として終結の話は患者さんの側から出されるのを待つ もの、症状の改善およびかつてその人が抱えていた障害がなぜ消失したのかを、ある程度本人 の言葉で説明ができるかどうか、の 2 点を挙げている。これを終結であるとするならば、セラ ピストの都合による心理療法の終結は、一般的な心理療法の終結とは言えない。クライエント にとって、それは中断であろう。クライエントにとって、当惑と悲しみと怒りといった感情を もたらすだろう。陰性感情の中にいるのであれば、クライエントに一時的な喜びを与えるかも しれない。だが、それは後に強い罪悪感を引き起こすだろう。だからこそ、引継ぎが重要だと ウィッテンバーグは言う。 「クライエントにとっては、ほかの心理援助者がいて引き継いでく れることが重要です。そのことは、母親がいなくなった子どもにとって、面倒を見てくれる父 親や広い意味での家族がいることが慰めになることとまさに同じです」と。もちろん、セラピ ストを失うという体験を心理療法半ばのクライエントがひとりで抱えるには、荷が重過ぎるだ ろう。けれども、私たちは、ふたりの間にある転移や逆転移を検討せずに、引継ぎを考えては いけない。ふたりが陰性転移に絡め取られているか、陽性転移のまっただ中にいるのか、吟味 しなければならない。もし、こうした事態を考慮しないので引き継ぐことだけを考えるとした ら、別れの痛みを回避することになってしまう。心理療法において痛みを回避することは、心 理療法に真摯に取り組まない、 クライエントが問題解決をする機会を奪ってしまうことになる。 引継ぎは、おそらくふたりが別れを十分に味わってから考えてみることである。その時点で引 継ぎが必要かどうか、答えが見えてくるのではないだろうか。クライエントもまた、心理療法 について考えるだろう。 “私にとって心理療法が何なのか”と。 Ⅲ― 2.セラピストにとって 私たちはこころの援助者である。こころの援助者であるからこそ、自分の都合によりクライ エントに別れを体験させなければならない罪悪感を強く感じる。ウィッテンバーグも、「おそ らく最も重大な障害になるのは、クライエントを置き去りにする罪悪感や抑うつ感情の衝撃を まともに受けることを避けたいという心理援助者の願望です。この願望から、クライエントに 伝えるのを遅らせたり、さらりと言うだけにするという結果に終わる傾向があり、もう一方で クライエントの福祉を継続させる責任のしわ寄せを所属機関に押しつけてしまうという結果に 73 終わる傾向もあります」と、述べている。また、心理療法がうまくいっていたと感じていれば、 クライエントを引き渡してしまうことに対する嫉妬心がわくこともあるだろうし、うまくいっ ていないと感じていたならばほっとした思いになることだろう。 引き継がれるセラピストは、 クライエントへの思いと同時に前任者への何らかの思いも抱く。 私が体験したように戸惑いを感じることもあれば、陰性感情を抱くこともあるだろう。複数の 人間が関わる以上、そこに何らかの情緒が起こることは当然のことである。ただ、別れの作業 を済まそうという努力がふたりのあいだにあったとするのであれば、引き継がれたセラピスト もまたクライエントとふたりの関係を築くことができる。 引き継ぎセラピストと引き継がれるセラピストは、そのクライエントについてファンタジー の持ち方は違うのかもしれない。けれども、別れの作業が必要であるということが分かち合え ているのであれば、こころの援助者としてクライエントに関わっていく姿勢に変わりはないだ ろう。もしかして、セラピストの中には、別れの作業をすることに耐えられず放りだしてしま う人もいるのかもしれない。セラピスト自身の別れの痛みに耐えがたいために、クライエント に侵入的にならないように気を遣い気持ちを押し殺し、クライエントに別れを提供できないセ ラピストもいるかもしれない。シミントン(1996)が言うように、特に初心のセラピストは自 己を無効にしてしまうこと、つまり自分の情緒を排除してしまうことが起こってしまうことも あるだろう。私たちは、痛みを抱えることができなければならない。 その別れの作業を終えて始めて出逢いがやってくる。心理療法が引き継ぎ、引き継がれると いっても、クライエントにとってもセラピストにとっても、初回は始めての出会いの場なので ある。私たちは改めて出会わなければならない。そして、いつものように心理療法を始めるべ きか始めないべきか、考えていくのである。 Ⅳ.最後に フロイトは、1937 年の論文「終わりある分析と終わりなき分析」で「私は分析が終わりの ない仕事であると主張するつもりはない」と述べている。だがフロイトは、終わりを明確に述 べてもいない。私たちは、終結や引継ぎの問題にどのように取り組むべきかという問いに対 する答えは容易に見つからない。私は、松木(2006)の、こころの健康について論じた次の言 葉を引用したい。 「こころの健康とは、無傷で無痛であることではない。善良なよい感情や考 えだけを抱くこともない。憎しみや恨み、悲しみ、羨望、貪欲さといった悪い感情に怯えなが らもそれらの感情を知覚していくことも健康なこころのありかたであろう。こうして私たちは さまざまな感情や考えを抱くのであるから、それゆえに罪悪を感じるものである。また傷つく ものでもある。死なないほどに狂わないほどに傷つくということも健康さのひとつであろう」。 心理療法が松木のいうこころの健康を求めるのであれば、私たちセラピストは、別れと出会い 74 仲亀:心理療法における引き継ぎについて を同時に体験するクライエントの悲哀の作業につきあうこと以外できないであろう。 Ⅴ.文献 S,Freud.(1937b)Die endliche und die unendlich Alnalyse.G.W. Ⅹ Ⅵ.Fischer, Frankfurt am Main. (フロイト,S.馬場謙一訳(1979). 終わりある分析と終わりな き分析 フロイト著作集 6 人文書院) 北山修 (1979) . 治療の終結 精神分析セミナーⅡ 精神分析の治療機序(小此木啓吾,岩崎徹也, 橋本雅雄,皆川邦直編) ,岩崎学術出版 松木邦裕(2006) .思わしくない仕事でのこころの健康―フロイトに学ぶ,臨床心理学 6(5)号, 584-589 I,Salzberger-Wittenberg.(1970).Psycho-analytic insight and Relationship :A Kleinian approach Routledg. (ウィッテンバーグ,I.平井正三監訳(2007).臨床現場に生かすク ライン派精神分析 岩崎学術出版) Symington,N. (1996) .The Making of a Psychotherapist.London: Karnac. 75