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世界に私は虹を描く
京都新聞 賞 世界に私は虹を描く 甲賀市立水口中学校三年 西井 佳音 「お姉ちゃん,肌色の絵の具取って。」それは,弟が夏休みの宿題で夏の思い出 を書くという物をしていた時,ふいに言った言葉だったと思う。その時私は,なん の躊躇も無く茶色と白色が混ざり,薄く桃色がかかったような色を肌色の手で掴ん でいた。その時は,なんとも思っていなかったのだが,人権作文を書こうとした時 私は何気無く人種差別をしていたのだと思った。 私には,保育園の時から仲の良かった友達がいた。その子は,色素の薄い髪に私 達より少し色黒の肌の持ち主だった。彼女は,外国籍の子だった。だからといって 幼いころの私は,カタカナで書かれた名前がとても素敵だと思ったし,色素がうす くてクルクルとキレイに巻かれた彼女の髪とまっ黒の自分の髪を触りあって笑って いたことも懐かしいし,そんな彼女が自分の友達であることが,この上なく嬉しく て誇りだった。小学校に入ってからもその子とは仲が良かったのだが,小学校に入 り他の外国籍の子と仲良くしていて,私はなぜなのだろうと思った。それから,数 年がたったある日,私は同級生の会話に彼女と少し疎遠になった理由を知った。そ れは,あいつは○○人だから仲良くしたくない。とか日本語の話し方が変だとか幼 いころはそんなことは気にせず仲良くしていたのに,少し大人びたフリをするよう な辛辣な言葉がならんでいた。なぜ,その時自分がそんなことないよと否定できな かったのか,笑ってその話題を流してしまったのかも今となっては分からないこと だ。私は,彼女の努力を知っているつもりだった。家では,母国の言葉を話し学校 では日本語を話していた。家に遊びに行くと私達と家族の通訳までしていた。彼女 の家には,彼女の姉弟以外に日本語を話せる人はいなかったと思う。彼女は,日本 に来て数年で完璧なほどに日本語を使っていた。きっと彼女なりの努力があったの だと思う。今思えば,母国語で「おはよう。」とか「ありがとう。」は何て言うの かを聞いたり,夏休みに帰国した時の話を聞くのが私は本当に好きだった。それな のに,私は彼女を傷つけてしまった。今でも中学校で彼女は日本国籍の子とあまり 仲良くしない。あの日私がしてしまった差別という見えない攻撃から自分を守る為 の殻をかぶったそんな感じだった。人は,過去を変えるのは,不可能だと笑うし, 私も過去は変えられないと思う。だけれど,未来は変えられるから,私は国という 壁をこわしたいと思う。彼女の殻を破りたいと思う。いつか,差別が無くなると信 じて。 私は,この作文を書いてる途中に弟に肌色ってどんな色,と聞くと,自分の頬を さしてこんな色と言って笑い,何色あるのと問うと,「無限大やん。世界には 70 億 人の肌色があんねんで。」と不思議そうな顔で見つめられた。私は,このような差 別の無い気持ちの人が増えれば良いと思う。今では,クレパスや色鉛筆では薄橙と 表記されている肌色に時代の流れと共に差別を無くす意識のある人が増えてきたの だと誇りに思った。それから私は世界というキャンパスに人権という虹を描きたい と思う。七色では無く地球に住む全ての無限大の肌色で,その時肌色は人と人をツ ナグ虹色にさえなるのだから。