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旅情詩に恋して - タテ書き小説ネット
旅情詩に恋して 高木徳一 タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範 囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 旅情詩に恋して ︻Nコード︼ N6506O ︻作者名︼ 高木徳一 ︻あらすじ︼ 蔵前工業高校から二浪して、やっとのことで千葉大薬学部に入っ て、修士修了後、山之内製薬の薬理研究部に就職し、その後開発部 に異動しました。学生時代に大雪山系を縦断し、研究者時代の国内 外での研究発表時や開発部時代の国内出張時に便乗して旅行をしま した。国内は北海道から九州まで、外国はニューヨーク、ボストン、 ローマ。旅情の醍醐味を徒然なるままに詩や散文に託し、我が人生 の軌跡を残しましたので、ご愛読下さい。 1 国内旅情詩 あとがきを最初にお読み下さい。 なお、私のブログ︵http://tokuichit.bl og.ocn.ne.jp/bl og/︶も閲覧下さいね。 北海道 一.自然の忍耐︵利尻・礼文島︶ おんどまりこう 昭和五十三年四月 1 日本海の荒海越えし 鴛泊港 緑萌える 利尻富士 広大な裾野 我を抱きし 白き花 コケモモ 薄紫チシマギキョウ 丈低き山笹 空に舞い上がりし小鳥二羽 さえずり 緑に吸い込まれし 2 白き海鳥の乱舞 船泊港 小高き丘 礼文岳 高山植物 我を迎えし 白花 レブンウスユキソウ 桃色 レブンアツモリソウ 桃岩の巨岩 海蝕による 忍耐を 無言で語れり 2 二.達成の歓喜︵大雪山系︶ 昭和四十五年八月 1 勇駒別のロープウエー ガス湧きいでし 姿見の池 旭、白雲、忠別越えて 広がるパノラマ 山の峰 名も知らぬ小さき花 咲き乱れる 五色ヶ原 沼原にテント張り 恐竜に襲われし夢 化雲で出会いし山リス 眼下に見ゆる雲海 山肌の万年雪を映し出す ヒサゴ沼 トムラウシ越えし時 温もりの熊の糞 友と目配せ警戒心 2 道行き止まりし 硫黄沼 笹かき分けし 美瑛川 ロープ伝わり対岸へ 首のカメラが水遊び 日はとっぷりと 暮れにけり 林道を見つけし この歓喜 食料尽き果て 梅干し二、三ケ 国民宿舎満員で 重い足取り 白金へ ビール一飲み 喉の歓び 疲れ、不安が 素っ飛んだ 温泉に駆け込むや 背に聞こゆる女の声 振り返るや 顔と顔 3 三.心の浄化︵知床半島︶ 昭和四十五年八月 1 網走から斜里へ 列車は進む オホーツクの砂浜に 笑みを漏らす 紅の浜茄子 穏やかに白波寄せる 原生花園 流氷の訪れし頃 花は地中に命を預け 刑務所に入りし人 法務大臣に命を預け いでよ、さあ オホーツクの四季を見よ 2 斜里から バスは揺れる 知床旅情の碑 声高らかに歌い出す 樹々映す水の静けさ 知床五湖 白きウミウの世界 朝の潮風耳を切り 海に流れ落ちし滝音 かき消すウミウの 鳴き声 若者よ、さあ 共に羅臼に登ろう 四.昼夜の変貌︵大沼公園 函館山︶ 昭和四十五年八月 1 大沼の静かな水鏡に 駒ケ岳がくっきりと 映っている 白雲がふんわか浮かぶ 大樹の下で一休み のどかな昼下り この景色 目に この甘き空気 胸に そっとしまい込む 4 2 一筋二筋三筋 揺れ動くぞ 光の乱舞だ 自動車のライトが生きている ポツン またポツンと 停泊船の光も 函館山から見下ろす夜景 見上げるとキラキラ星も応援に 啄木の墓眠れず 夜空を見上げし 五.北国の団欒︵札幌︶ 昭和四十五年八月 1 木漏れ日の 散歩道 噴水の飛沫 涼を呼び 耳を澄ませば 時計台の鐘の音 天高くすっくと伸びる ポプラ並木 ボーイズ ビー アンビシャス クラーク博士像 北大の構内に 心が和む 2 草花の 煌く生命 鮭の川登り 歓声を呼び 瞳を上げれば ポッカリと白雲 ジョッキ片手に友と語らむ ビール園 市街一望 夕陽を受け 藻岩山 団欒の明かりに 平和が息づく 5 東北地方 六.この世の浄土︵岩手県 浄土ヶ浜︶ 昭和四十五年八月 1 眼に飛び入りし景観 一幅の襖絵の如し 天地静寂 白砂青松 真夏の旭 キラキラ輝く真砂 青海に聳ゆる岩肌 松の形異なりて 入道雲 水平線に湧き出でし 時の過ぐる 我 浄土を彷徨す 2 まどろみ覚めし昼下り 一幅の影絵の如し 老若男女 歓喜横溢 ビーチボール キラキラ輝く水着 しなやかな柔肌 顔の形異なりて 大波小波 此岸に打ち寄せ 時が無情に過ぎ去り 我 娑婆に融け込む 七.墓との語らい︵宮城県仙台市︶ 昭和六十三年十月 1 杜の都仙台 近代都市仙台 その裏側にある 伊達家三代︵正宗、忠宗、綱宗︶の歴史、瑞鳳殿を 参拝し、江戸を感ずる。青葉城址の石垣の一つ 一つに人夫の汗が浮きいで。 春高楼の花の宴・・・と朗々たる響き、樹間に立ち 込めり。明日の命も知れぬ戦の毎日、水呑み百姓、 町人、武士、領主に至る人々は何を楽しみ、何を期待し 6 生き続けたのか・・。各人各様の知識、知恵の範囲で、 希望を抱き、生き抜いたと家来の墓の中から声がした。 2 照る紅葉 生まれ変わると 墓動き 3 青葉の城 独眼竜 ここに立ち 大いなる野心 郷土の宝 八.親切な新婚さん︵福島県 猪苗代湖︶ 昭和四十三年八月 1 猪苗代湖を後にして ヤッホー 右に安達太良 左に磐梯 キャラバンシューズの音がする 音がする 秋川桧原湖 静かな水面 2 夕闇迫りしバスは来ず ヤッホー 右に磐梯 左に安達太良 自動車エンジンの音がする 音がする ヒッチハイクで 帰ろうぜ 3 新婚さんの車中にて ヤッホー 右に山々 左に畑 長瀬川の瀬の音がする 音がする 何時の間にやら 河原の砂に 4 エンスト起こして ヤッホー 右に新郎 左に新婦 蒸気破壊の音がする 音がする 7 闇夜の農家だ バケツリレー 5 やっと着いたぜ我らが宿 ヤッホー 右になきべそ 左に安堵顔 無事 祝杯の音がする 音がする 新婚さんよ 幸多かれ 関東地方 九.家康と一詩人︵栃木県日光市︶ 昭和四十八年九月 1 豪華絢爛 壮大無比 東照宮に祭られし 家康公 後世まで永遠に 語り継がれし 一介の詩人は 何をか思わん 2 煌く水面 流れ速し 竜頭の滝 生命あるが如し 名も知らぬ 小さき花咲く 戦場ヶ原 誰の生まれ変わりか 3 中禅寺湖を 後にして 湯元に泊まれし 我が仲間 男女十人 男体山を眺めし 仕切り隣り 女体の乱舞 湯を手ですくいて 隣りに投げ込みあい キャッ、キャッ、キャー 8 童心に返りしは サラリーマン二年生 十.一人旅︵群馬県 伊香保温泉︶ 昭和三十九年六月 1 演歌のリズム 流れ来る 動く身体の 悩ましさ お客さんの 拍手浴び 今日も頑張る この私 2 雨がしとしと 降っている 雨音聞こえる この舞台 まばらなお客に 笑顔みせ 今宵も頑張る 踊り子一人 3 今日は伊香保か 明日は熱海 旅から旅への 渡り鳥 赤子も何時しか 大人になって 去って行く行く 一人旅 十一.恋しき女︵群馬県 野反湖︶ 昭和四十三年八月 1 胸わくわく キャンプに行こう 胸ときめき 恋しき女も連れ立って 赤、黄、紫の小さき花々 緑に包まれて 野反湖が見えてきた 森の中のバンガロー 9 2 光が漏れきて お目覚めだ 同級生の女子の号令一下 慣れぬ手付きで 朝餉の準備 準備に腹空き 食べて 心地好き満腹感 さあ、行こう 湖一周 3 恋しき女が 駆け下りし坂道 しっかと胸で抱き ふくよかな乳房の感触 友に見られて恥ずかしと 直に離れたよ 私、近眼なのよ 眼鏡取るからどうぞ、泳いで フルチンで泳いだ友一人 僕は恋しき女の前 遂に泳がず 泳げず 4 追伸 三年後 恋しき女は 今は他人の妻 子宝に恵まれ 幸せな時と思うよ しかし、人の一生は大波小波の繰り返し どうぞ頑張って下さい 生ある限りお互いに 励まし合って 生きて行こうよ 過去にはあんな事 こんな事有ったけど 共に心の成長を願い 良きライバルとして 時には思い出しておくれ・・おくれ・・ 十二.強制混浴︵群馬県 草津温泉︶ 昭和六十三年十月 10 1 湯ノ花臭う 草津の湯畑 露天風呂の若き男が 打ち振る手拭いに こちら高き道の 連れの女らが ﹁いやーねー﹂と言いつつ 顔を赤らめ 手を振るお返し 和気藹々のコミニュケーション 2 三日月に雲掛かり 星にも雲の幕 暗闇の世界 賽の河原の露天風呂 男一匹ヤモリとなりて 女湯に消え入り 二匹、三匹と続くなり 雲が千切れて明るくなるも 湯煙もうもう視界は利かず ﹁誰ー? 岩に登って覗いているのは・・﹂ ﹁おっと、待った、おいらは監視役。 他のグループが覗きをしてるか見張ってるんだ﹂ 白い裸身がちらちらと・・ 半纏を裏返しにしている奴がいて大笑い ひょっとして、パンツも他人のか・・ 風邪引き出たとの後日談 旅の悪戯 これまたドキドキ愉しかり 3 神無月 三日月 雲に遮られ 湯煙もうもう 女体ちらちら 4 山眠る 否応無くも 男肌 眺める辛さ 男湯の岩 5 紅葉狩り 女湯の岩 愉しきかな 11 ボインペチャパイ 色々ござる 十三.万物流転︵群馬県 鬼押し出し 浅間火山博物館︶ 昭和六十三年十月 1 浅間山の大噴火、夜空を焦がす大火柱 ドドッー、ドドッーン、ドドッーン 間断なく流れ来る真っ赤な溶岩流 ﹁駄目だ、逃げおおせない、誰か助かれ!﹂ 人の気持ちなどお構いなく 子供を 大人を 家畜を 家を 樹木を 村を 一飲みに 石段を昇り詰め社に辿り着いた二十数名 傷だらけの身体の痛みを忘れ 暫し呆然 眼下は地獄絵そのもの 2 已む無く再婚し 自然を呪いつつ子を産む 自然も春夏秋冬を繰り返し 村人の気持ちを和ませる 村を立て直し 村人の顔にも何時の日か明るさが・・ 溶岩樹型があちこちに 焼け爛れた樹木が 幾星霜 立ち尽くす ガスが抜け 軽石状に穴が開き ぶつぶつしている奇岩 大岩 生を全う出来なかった村人の顔 顔 その穴から今にも顔を 見せそうな 12 3 万物流転 歴史は繰り返す 珍しき景観を愉しむ観光客多し 自然の偉大さ 恐ろしさに立ち向かいて 人間の英知を結集し 科学技術を発展させ 警戒心 怠るべからず 現代もなお 三原山 十勝岳噴火 アルメリア地震と 大自然はあいも変わらず生き続けている 十四.夕陽の地引網︵千葉県 蓮沼海岸︶ 昭和四十一年五月 大学の午後の物理をさぼりなん。汽車に飛び乗り、友と 三人。 後ろめたさを忘れなん。 畑野を突き抜け横芝へ。田舎の駅の佇まい。 ひで 徒歩にて十分、林に囲まれし農家。 ﹁こんにちはー﹂﹁おおー、英ちゃん、よく来たわ﹂ 爺ちゃま、婆ちゃまの声がする。 ﹁友達連れて遊びに来ただ﹂﹁おお、そうかね。ゆっくり してき﹂ あない 友の伯父の家なりき。 息子さんの案内にて。庭、畑一面に、煙草の木 あり。 葉っぱを乾燥させて出荷すると。 わが父の仕事の源流。タバコ専売公社の原料加工課を訪ねた 事はなかりけど。 ブーブー、ブウー、ブウーと豚の群れ。 13 大豚子豚入り乱れ、異様な臭い鼻につく。 ﹁何だ、ありゃー!﹂ 螺旋状の錐を見た。種保存のオチーンチンだと。 餌にパクつき、ヒトに食わるる。養豚の一生は短かりき。 オレンジ色の大きな夕陽、水平線に浮いている。 波は静かだ。近所の子らに混ざりて、エンヤーコラ、 エンヤーコーラと地引網を引く。 さかな うお ピシャ、ピシャ、ピシャと波が騒ぐ。 魚屋の魚と同じ魚が跳ね上がる。 労賃だと四匹貰い受け、すぐさま焼いて食べたっけ。 十五.大平原︵千葉県 東金公園︶ 昭和四十年十月 1 大学の授業終わりて 正門より去る 西千葉より大網を経て 東金下車 ボンネットバスに揺られ 八鶴湖へ ウイークデーにて 人影まばらなり 二人でボートを漕ぎ出でし 共に語ろう 暫しの間 2 遥か彼方の小高き丘へ 葉も少なき桜の細木、並び立つ 丘に登り、息を呑む 三百六十度の大パノラマ 見渡す限り 平原と畑 所々に林あり 14 人家はポツーン、ポツーンと・・ 西部劇のあの大平原に匹敵せり 狭き日本に 都心の近くに 広大な空地があるとは・・ 我が心までも雄大に 大志が更に膨らむ 帰りの夜汽車で 宅地化の波を押し留め子孫代々残さねば 宝物はと 十六.大学祭の女神︵千葉県 千葉大学︶ 昭和四十年十一月 1 二浪の末に入れたは 第二志望の薬学部 第一志望の医学部じゃないが 関連領域 頑張ろう 満開桜の並木道 胸を反らせて 大股に 大空に 夢を語りし 歩みつつ 2 水平線の彼方に 力瘤のように湧き上がる 入道雲 カモメ舞い ヨットが走る大海原 松林に テント張り 泳ぎ疲れて 顔にタオル 星空に 夢を語りし 友の横 3 秋晴れの太陽 ニコニコと微笑み 15 木造の古色蒼然たる 学び舎 先輩の薬紹介 薬学祭 白衣に勝る色白の 円らな瞳 恋焦がれ 4 粉雪舞い散る 校門前 恋し女 前を歩めり サッサッと 意を決し 声を掛けし 後姿 振り向き あの笑顔 偶然にも 家も近くなりき 5 彼女と語らえる この歓喜 希望と夢を 共に話した あの車中、 あのベンチ 神に感謝 有頂天 この世は 我が為にあり 6 彼女の死 知人より伝えられし まさかの思い 今も消えやらず 癌の悪魔 棲みつきし 神が女神を 遣わし 我に試練を 与え給うたなれ 十七.サイクリング賛歌︵都立水元公園︶ 昭和四十三年五月 1 青空 太陽 白い雲 ヤッホー ヤッホー 手を振り ウインクすれば 16 乙女が答える 愉快なサイクリング 2 バード サンクチャー 緑の梢 ヤッホー ヤッホー 手を振り 口笛吹けば 小鳥が 囀り 愉しき サイクリング 3 静かな水面 釣りの糸 ヤッホー ヤッホー 手を振り 語りかければ 魚が 跳ね飛び 心和む サイクリング 4 黄色 紫 菖蒲田 ヤッホー ヤッホー 手を振り お見合いすれば 花が 恥らう 心ときめく サイクリング 十八.土俵の鬼︵東京都 蔵前国技館︶ 昭和三十六年六月 1 ふれの太鼓が 鳴り響く 幟はためく 国技館 上を下への 大賑わい 美智子妃殿下 ご観戦 ハッケヨイ ノコッタ 17 2 男一匹 まわし締め 円が散らばる 円い中 小さい身体で 大技を 大観衆は ご満悦 ハッケヨイ ノコッタ 3 明日はどの手で ゆこうかな 頭悩ませ 思案顔 ハズでゆく筈 そんな筈 正攻法の 大一番 ハッケヨイ ノコッタ 4 師匠の鋏 髷落とし 磨いてくれた 心技体 目頭熱き 幾星霜 第二の人生 恩返し ハッケヨイ ノコッタ 十九.予備校ブルース︵東京都︶ 昭和三十九年四月 1 また 落ちたぜ この俺は 頭の悪さは 父親ゆずり 顔のよさは 母親ゆずり 恋もしますよ 人並みに 今日はこの娘か 明日はあの娘 恋と受験の 二足のわらじ 18 2 またもきました 模擬試験 ×が○より 多かった 席次もグングン 下がるなり 負けじ魂 人並みに 今日も会わず 明日も会わず 受験受験の 一本槍で 3 巡り巡って 三回目 模試類似の 問題で スラスラ解けるよ 驚く程に やっと出来たぜ 人並みに 我が名が光る 合格板 笑顔でさらば 灰色人生 二十.ずるの休暇︵神奈川県 三浦海岸︶ 昭和五十三年五月 1 玄関を 開けると 空はどんより 雨雲も ステッキ付きの 傘を手に 雲は流れる 車窓から 一条の光 サッとガラスを通す 太陽が半分 微笑んだ 2 ロンドンじゃ あるまいし 太陽と我が身が 滑稽で 怠けの虫が 蠢いて 終点まで 往っては引き返し 咳を入れる 電話口 19 風邪で頭痛と 休暇取り 3 京浜急行 三崎口 バスのお通り 城ヶ島大橋 コンコンと 小槌の音 ブーブーと 魚臭い自動車 我一人 ずる休みの後ろめたさ 反面 本当に休んだと言うこの実感 4 砂浜や岩場に 似合わぬ革靴 白き灯台 海の青さに映えている 潮風を胸一杯に 吸い込みし アベックの 二、三組 幼稚園児に 混ざり 我も カニ 波と戯る 5 食卓の 我に向かいて 顔焼けて 潮の香するよと妹達 ドキッと 咄嗟に 炎天下 バレーボールで 汗の塩が 吹き出たと 俯きて 急ぎ夕食摂り終えし そそくさと 我が城に向かいたり 二十一.伯母と鎌倉大仏︵神奈川県鎌倉市︶ 昭和五十三年五月 1 糖尿を病みし伯母。亡くなった父の姉なり。 今は逗子で療養中。﹁やあ!今日は﹂ ﹁おお、徳ちゃん。遠い所、よく来てくれたね。 20 弟さんも一緒かね﹂﹁ええ、お加減の方は如何です か?﹂﹁何、どうってこたあねえだよ。ただ、甘い 物はいけねえだどさ。食事も多く摂ってはならねえど。 ほら、この通りぴんぴんしてるで。大部屋なもんで、 他の患者さんとくっちゃべってるだよ﹂ ﹁これ、母さんから伯母さんへって﹂と、包み紙を 手渡した。 ﹁そう、そりゃあ良かった。痛い所も無いなら、お医者 さんの言う事を良く聞いて、早く治って帰って来て下さ い。父は生前、脳軟化症で全身が痛いって言ってたの で・・﹂﹁そうだったわな。屋上に行ってみべえか。 見晴らしがいいだよ﹂ 病人の後に付き、階段を上り、五階建てのビルの屋上に 出た。 海風が三人の顔を心地好く過ぎっていた。小高い山々に 囲まれ、直ぐ近くの相模湾も見えた。畑多し。宅地造成 地にブルが一台動いている。世間話を暫しした。 ﹁風が冷たいや。風邪を引くといけねえから、遅くなら ない内に帰った方がええ﹂﹁大丈夫ですよ、未だ午後 三時ですから﹂﹁ええ、ええ。顔見ただけでよかばい。 お父さんの分まで、お母さんを大事にして頂戴ね﹂ ﹁はい、判りました﹂ 病室に戻り、家政婦さんに、﹁よろしくお願いします﹂ と挨拶した。 病人に急かされて、部屋を後にする。 2 まだ時間が有ったので、帰り道鎌倉大仏に寄る事にした。 小学生の頃、皆で撮ったアルバムの写真を思い出した。 バスに乗り、近付く浄泉寺。過去との対面に胸わくわく。 バスを降り、表示に従って、枝振りの良い松の並木を 21 大股で歩く。 日はやや暮れてきた。見えた。在った。大仏坐像が。 青い格子状の高い門が閉ざされている。閉門十分後。 残念至極。 ﹁身体の大きな大仏様よ。貴方に良く似た、やや太り 気味の伯母さんの病気が早く治りますようにお願いしま す﹂ 門越しに二人で手を合わせた。 三日月の弱き光が大仏をほんのりと照らしている。 3 約二年後、療養所で亡くなったとの知らせが届いた。 天に召された伯母よ。何時も大声、がらっぱち、せっか ちだった。心の中を全て出しているようなあの明るさ、 朗らかさ。愚痴や悩みを聞いた事がない︵まあ、子供に 話しても仕方ないだろうが・・︶。 傍目には映らなかった哀しみを胸に仕舞い込み、耐えて きていたのかも知れないが・・。伯母の人生の幕は閉じ られた。 しかし、その幽体と思い出は関係者の間で生き続けるで あろう。 しょぼくれた僕らを見たら、何時ものように怒鳴って おくれ・・。 二十二.原生林と五山文学︵神奈川県 箱根︶ 昭和四十九年五月 みち 1 箱根湯本から 塔ノ沢 大平台とスイッチバックは続く なり 今来た我が線路 眼下に見遣る 22 春の草花 色取り取りに 終点強羅でケーブルに乗り換え い 路面電車が勾配昇る家々の庭を見ながら 早雲山でロープウエーの箱に入り もくもくと湧き上がる黄色い煙 山肌も黄色 ロープよ 切れるなと心に念じ 姥子から金時山 神山 駒ケ岳が一望に 静かに顔出す 芦ノ湖よ 2 桃源台から 湖半周の旅 ﹁今日は!﹂ 笑みと笑みで 挨拶交わすなり 喬木 潅木 何でもござれ 針葉 広葉 何でもござれ 若人の足はテンポ良く原生林を進み行く 年輪を肌で感ず 深良水門 亀ヶ崎 小杉鼻 百貫ノ鼻 箒ガ鼻 時折り見ゆるは 海賊遊覧船 町は近いぞ 白浜着だ 石段を登り 手を合わせ 駒形神社 箱根関所で 往時を偲ぶ 箱根街道 石畳 杉の並木 天を覆う 何百年 否何千年と旅人と話を交わしたことか 3 近道をと 道無き道を 降りししは 夢想国師の閑居跡なり 室町時代の臨済宗の禅僧で 後醍醐天皇から国師号を賜り 23 京都 鎌倉の五山文学︵詩、書︶の中心的巨匠なりき また、苔寺などの名園を設計している 詩を紡ぎ始めた我は彼の魂受け継ぐべく 一人立位で 合掌す 宮ノ下温泉のひなびた店で 冷えたビールを口に含み 五臓六腑の歓喜の声を聞き入り 二十三.自然と人生の急変転回︵関東・中部地方︶ 昭和六十四年二月 1 水煙が川面に立ち込め 見え隠れする葦 ガスの中を突っ走る 東海道新幹線 小高い山々 杉林 竹林 青い尾根 白壁も 後へと飛び去り 土砂降りの雨が 窓ガラスを叩き付ける 自然の乱舞を ご覧よと言ってるが如し 2 トンネルを抜けると パッと開けた視界 霧雨が我を迎える 白む空 段々畑に 黄色いミカン カーブのままで 熱海に停まり 名も知らぬ小さき花が ポツンと咲く 自然の急変 人生の急転回と一脈通ず 中部地方 二十四.無言の旅立ち︵静岡県伊東市︶ 24 昭和四十二年八月 1 波が聞こえる 聞こえるよ 一人淋しく 聞かねばと 貴方の笑顔に 会える日を 指折り数え ベッドの上 星に祈りを 捧げます 2 さあ早く来い 早く来い 学びの机 待ち焦がれ 貴女の笑顔 会える日を 友と語ろう 休み時 やまいどこ この私 旭に祈り 捧げます 3 誉めて頂戴 いい子でいたの 病床 言えずして 貴女の笑顔に 会えずして お別れ言葉 私の分まで 長生きを 4 最後の便り 胸に抱き 余りに早い 旅立ちだ 貴女の笑顔 夢枕 男一匹 荒波を 泳ぎ切るぜと 誓い立て 二十五.青春の悪戯︵静岡県 下田︶ 昭和四十二年八月 1 夕闇迫りし頃、背丈より高いトウモロコシの畑に、 25 抜き足差し足入り込む影三つ。我、自動車の中で待機す。 遠くに見える農家の明かりの方で、がやがやと人の声。 ﹁やばい、見付かったか・・﹂ 手に二、三ケずつ茶色髭付を。 ﹁何故か騒がしくなってきたので戻ってきた﹂ ﹁見付かったかも知れん。早く車を出せ、逃げろ﹂ 翌朝、小高い山の中腹から下を見遣ると、警察官が一人、 自転車から降りて、五米幅道路に駐車してある友の車の 中やナンバープレートを調べている風であった。 やばい! トウモロコシ泥棒を探しているのか、 否そんな筈はない。暗闇だったので判らない筈だ。 だが待てよ、万一誰かが目撃し、交番に届けているかも。 心臓の高鳴りを覚えた。 ﹁判ら無いで欲しい﹂と神に祈った。 ﹃C大生、トウモロコシ 泥棒﹄の活字が頭に浮かんだ。 田舎にはニュースが殆ど無いので、面白おかしく地方版 記者が書き立てるに違いない。長い長いトンネルに居る ようだった。 物理量としての時間は五分位であったろうが。 自転車に跨って去って行った。安心した。 ﹁だが、待てよ。プレートナンバーを控えて、本庁に 持ち主の問い合わせをするかも知れないぞ﹂ 不安が頭を持ち上げるが、なるようになるだ、ケセラ セラ。 折角、夏休みをエンジョイしに来たのに・・ 二十年後の今もって、問い合わせがないので、トウモロ コシ泥棒の一件は迷宮入りだし、時効が成立している。 天国に召されたであろうトウモロコシ所有者に、スリル を味わわせて頂いた事と、二十年間も引き摺ってきた 26 この後ろめたさのため、その後は罪を犯さずに済んで いる事に対するお礼を心より述べます。 2 パチリ、パチリ、パチリとシャッターを切った。 木橋の中央に立つモデル。橋の向こう側から、ハッと するような美形がこちら側に。年の頃、二十四、五の 新妻であろう。 黒髪をアップに結い上げ、涼しそうな澄んだやや大きめ の瞳。柄は忘れたが、黄色地の着物を着こなし、紫の 風呂敷を左手で胸の位置に抱え、歩く度に裾裏の白が ちらりと見え隠れする。 ﹁済みません。C大の写真部ですが、展覧会に出すので、 写真を一枚撮らせて下さい﹂﹁写真だなんて、用足しで 急いでいるので駄目よ﹂﹁是非、撮りたいんです。お願い します﹂﹁モデルだなんて。こんな格好じゃ、恥ずかしい わ﹂﹁いえ、自然のまま、ありのままの姿を表現したいん です。時間を取らせません、一、二枚ですから﹂ ﹁そう。そうおっしゃるなら・・。バックは何処にしたら 良いかしら﹂﹁済みませんが、橋の中央まで戻って下さ い﹂ レンズを覗いた。 髪のほつれを直し、やや半身に構え、色気を一層漂わせ ていた。 女心の深淵を見た思いがした。 勿論、僕は写真部には所属していない。 3 弓ヶ浜に友三人と海水浴に行き、我一人被写体を探して いた。 中学生らしき五、六人の中に、一際目立つ知的な顔を 見出した。撮りたい。 27 しかし、その子に直接言った場合、恥ずかしさ、 友達への心配りから断られるのが落ちだと思った。 そこで、集団の中で、明るそうな子に声を掛けた。 みんなの写真を撮らせてくれる。C大の写真部員で 展覧会に出す作品を作っているんだ。協力してくれない﹂ ﹁あら、いいわよ、ねえ、みんな﹂﹁やだあ!﹂ ﹁いいわよ﹂との声が交じり合った。 ﹁大した時間じゃないよ、一、二枚だから。そこの ボートに座って・・。いいかな、撮るよ﹂ レンズを覗いた。 目的の少女にピントを合わせる。 明朗な子を真ん中にして、みなニコニコ笑っている。 何故か、目的の少女は一人だけ笑わず、顔をやや横に して、知的なマスクで、﹁貴方の魂胆は判っているわ。 私が狙いなのね﹂と、問い掛けているようだった。 感性の鋭さに、こちらがどぎまぎして、シャッターを 何回押したのかも忘れてしまった。 中心の子に住所と名前を聞いて、後日礼状と写真を送 ってやったら、二、三回年賀状が来た事を今、思い出し ている。 この他、購入したてのニコンの高級カメラで被写体を 見付けてはパチパチ撮った。 その内の一枚に、前屈みになり、砂遊びをしている女高 生が写っていた。張りのある乳房が二つ仲良く、前に たるんだ黒の水着に・・。 学び舎で友に冷やかされた。 ﹁こんな趣味が有るのか﹂と。 言い訳しても仕方無い。正に証拠写真が在るのだから。 28 意図した被写体以外にも意外なものが写される写真の 素晴らしさ、怖さを教わった気がした。 4 山の端に、夕陽が少し隠れた頃、ある種の期待を抱き ながら、下賀茂の共同浴場に車で乗り付けた。 湯煙が立ち上る。川沿いの温泉場で、東に男の出入り口 ︵ドアが無くて、空間だけ︶と湯船が。 女性は西側から。湯船は板塀で男女に仕切られている。 しかし、北側の細長い洗い場には仕切りが無い。 ﹁おい、何人か女湯にいるぜ﹂﹁どうせ、今時分じゃ、 婆さんだろうよ。期待しない、期待しない﹂ 湯船に沈む友三人。 ややもして若やいだ女の声がした。 ﹁おやっ﹂という風に、皆顔を見合わせた。 ジェスチャーで、口元に手でシーとやり、順番を決め、 一人ずつそろりそろりと節穴目指して移動開始。残り 三人は今までと変わらず、大声で学校の事や明日のスケ ジュールについて話し合った。 いよいよ我の番、後ろめたさ半分、好奇心半分・・。 運悪く、背中で節穴覆われし。次のチャンスを狙わねば、 男がすたるぞ。洗い場に上がり、前を拭き拭き、鼻歌 まじり。チラリチラリと左手見遣る。四十五、六のおっか さん、たわわに実った乳房をごっしごっしと磨いてる。 傍らで、方言まじりのお喋りに夢中な女子中学生。 スラッーと伸びた脚の長さよ。 こちとらに無頓着なおっかさん、婆ちゃま達よ。 男など何処吹く風のその風情、おおらかな立ち居振る 舞い、一人相撲の馬鹿馬鹿しさよ。浴場で欲情期待の お粗末さまよ。 ﹃大らかに生きる事は良い事だ﹄を地元の人に教わりし。 29 5 月明かり、大波、小波、引いては返す 波打ち際 ザザザー、ザザザーと波の音一際高く 辺りはシーンと 時折り、シュルシュルバーンと打ち上げ花火 キラキラと波間に漂う海の星 電気海月か 夜光虫 静かに更け行く一夏の夜・・・・ 二十六.富士の雪化粧︵静岡県 天城山系︶ 昭和四十二年四月 我らカニ族、三人連れ、修善寺下車し、バスに乗り、 スタート地点の船原峠着。 なだらかな細道、続く急坂、登り詰め、振り返ると視界 開け。出し惜しみをしているように、雲間からぼんやりと 見える富士の山。暫しの疲れ休み、目の保養。 七五三米の棚場山目指し、熊笹に身体を触られ、馬酔木に 挨拶を交わし、字の如く、棚の姿が前方に。富士は未だ 恥じらいのまま雲に隠れている。南無妙峠を越え去りし。 枝だが根だか判らぬが、曲がりくねって絡んでる。隣の 樹にもちょっかいを。背を屈め、這い付くように潜り抜 ねっこ け、二十三の若者もさすがに足腰疲れし。 これは根っこかな、猫越峠とはこれ如何に。 確か、時針は五、分針は十であったっけ。 シュラーフと共に寒さを感じ、目が覚めた。テントの 外布に氷が張り付いている、どうりで。下方からの微かな 水音、聞き分けし友、水汲みに。腹ごしらえ、上々だ。 熊笹を分け出でし、雉を撃つ。 30 にこやかな太陽、雲がふんわり二つ三つ。恥らいつつも 本能か、見せたい願望、意を決した後の度胸あるこの姿。 青空バックに従えし、枝葉を右手前に配置させ、入念な 雪化粧。我ら山男を圧倒するど迫力。富士は日本の誇り、 自然の崇高な恵み。 下り上りを一歩ずつ。 小さき草花下向きに、大きな木々には上向きに、話し掛け たるこの私。 厳しい自然に文句を言わず、旅人の心と身体の疲れを癒して くれて有難う。 いづく 遂に来た、天城峠よ、トンネルよ。 伊豆の踊り子、何処にや。 二十七.自然と旧友︵静岡県 伊豆西海岸︶ 昭和四十九年八月 1 リズミカルな潮騒 露な絶壁 紺碧の海の中 ここ石廊崎 地球創生時からの自然の営み 一人の命は短しとも 人類の命はこれからも 自然と共に記録を延ばす 人の英知を信ずるならば 2 泳ぐ 食べる 天を仰ぐ 大岩に風穴 海水の浸食穴 ここ子浦 波頭が申し訳なさそうに浜辺に 31 リンゴをむしゃぼり喰らう 採れたてウニを飲み込み また一泳ぎ 3 野猿は何を思う 人が嫌いか 臆病なのか ここ波勝崎 一猿︵一人に対応︶占めする断崖美 僕らの世界もボスがいて 権力闘争凄まじい 生傷絶えずに頑張って 宴の最中 腹の探り合い 4 小さき入り江 白砂に 松林のいくばくか 岬の社に何をか祈らん 追う子 追われる子 裸で しなやかに倒るる 静かな漁村 時は止まり 詩情の世界に 5 糊で貼ったような 小さき岩 触れれば落ちそうな 岩壁群 ここ堂ヶ島 亀島 蛇島 稗三升島 天窓洞 見上げりゃ 青空 今日は 小船揺れし 腹具合 嘔気の思い出 今遠く 32 6 隣には 禿げもいれば 白髪も多し 高卒二十五年後のクラス会 ここ大瀬崎 風呂の時間も忘れるほど 尽きぬ積り話に華が咲き 寝入るは夜半過ぎ 明るさに誘われて 障子戸を開ければ おはようと 富士は目の前 岬が緑と白砂の色を添え 朝餉に笑顔が輝く 恩師の齢六十八歳 所用で欠席 友の話の玉手箱 早速届けにゃ 皆の健康を 富士に頼みし心の内 二十八.蛍と湖︵長野県 諏訪︶ 昭和四十三年八月 1 ポワッー ポワッー 光が下へ 右へ 光跡描く 暗闇の垣根越し ﹁何だ、ありゃ﹂ ﹁ホタルの光だよ。お前、見た事ねえの・・﹂ ﹁ああ、都会っ子なもんで﹂ そうっと捕えた。 指の間から尾の光を見た。 そうっと離す。 仲間の光跡に 負けじと発光す。 2 ドドンガドン ドドンガドン 33 ピーシャラ ピーシャラ ピーシャララ 櫓太鼓に 笛の音が みんな踊れよ 盆踊り 浴衣揃いに ジーパン姿 村の娘を 見習って 3 おお 蓼科 霧が峰 抱かれし 渋の湯 前を洗い 前を隠し 湯船に入る 湯気が 割れた 目の前に 女の顔二つ ご夫婦と中学生のお子様が 驚き慌てた 上も下も ﹁交替だ。早く出ろ。お前が出なきゃあ、俺らは入れぬ﹂ ﹁待てよ。待て! 今、入ったばかりだぜ﹂ ﹁どうぞ、今出ますよ。私達長く入っていますから﹂ ﹁そうじゃないんです。こいつに言ったんですから﹂ ﹁どうぞ、遠慮なさらず﹂ 乳房を手拭いで隠し、母、娘、父の順で、静かに木の香り する湯船から上り、消えて行った。 ﹁女の子じゃん。お前、目の前でうまくやったな﹂ ﹁面食らったぜ。まさか女の人が入っているとは、ここは 混浴か・・﹂ ﹁混浴もへったくりもあるもんか。ここは大自然の真っ只 中。人間も大らかにならんいかんぜ﹂ 友の言葉に苦笑い。 4 諏訪湖の水に 洗われし大鳥居 諏訪大明神 ここにおわす 村人の心の拠り所 34 子孫代々受け継がれ 民の苦しみを苦しみとして 喜びを喜びとして 受け容れる。 諏訪湖の深き心と共に 二十九.記憶の再生︵富山県 剣岳︶ 昭和四十七年十月 1 茫々たる原野を走る二車両 宇奈月を過ぎし 坂の途中にやや広き台地あり 灰色に黒が混ざりし土の色 所々に灰緑の潅木が 前方に動くものあり 土と保護色の雷鳥だ 大きな図体、細い脚 動作も鈍く、よちよちと 噴煙がスウーと天空へ・・・・ 2 この丘の紅、黄、茶色の潅木が 我ら三人を暖かく迎え入れ 聳える山々は万年雪を抱えし 山の冷たさよ 辿り着いたぜ 剣の頂 北に白馬 南に薬師 それを越えたる 槍と穂高 晴天下の大パノラマに 心のシャッターを切った・・・ 35 3 黒部峡谷 怖い道 山肌に蛙スタイルへばり付く 幅三十糎の細道 五十米眼下の激流 命懸けの七米 息を殺して渡り切る 十文字峡に立て札あり 昭和〇年〇月〇日 ここにて四名遭難死 冬季の悲劇 名も知らぬ赤き花を折り 手向け合掌す 吊り橋を渡り 一路下界へと脚は急ぐか・・ 4 ドーンと天を突かんばかりの コンクリートの高さよ これが名にしおう黒四ダムか 人間の英知よ 日本人のレベルの高さよ 突発事故で地底に眠る技術者 作業員の皆さん 貴方方の犠牲の上に立って 後輩の生活レベルは 格段にアップしています 心の向上は別問題ですが 後世に語り継がれる大事業・・・・ 5 大町へと若者の脚は歩き続けた ﹁大町・・大町・・ 前にも聞いた 名だ﹂ ﹁何処で・・﹂ ﹁ああ そうだ、小学校の算数の教科書に大町からバス に乗り、時速四十粁で往くと千五百米の何町には何時間 で着くかなどと大町の名前が何回も出ていたっけ﹂ 36 大学生のこの旅で 小学時代の思い出が パッと胸一杯に 拡がった 愉しきかな 旅は・・・・ 三十.スキー場とガス︵新潟県 妙高高原 池之平温泉︶ 昭和四十五年一月 1 滑る滑る 妙高の雪を蹴散らし 頂からスイスイ降り来るのは かっこ良い人 僕はビギナー ビギナー 先輩にちょっと習った 自己流ボーゲン 2 何時の間にやらガスってきたよ 危険ですから 早く帰って下さい がなり立てる拡声器 一寸先視界きかず 突然目の前横切る人影 慌てふためき スティックを前に出し ブレーキ スティックの手元が鼻下にぶつかり 痛みが走る 宿に辿り着き 血が滲んでると 絆創膏を貼ったっけ 3 アルバムをめくると 鼻絆の着いた写真 皆とにっこり 良く撮れている 37 三十一.流人との語らい︵新潟県 佐渡︶ 昭和五十七年六月 1 海の青さ 白い波頭 静かに進み往く フェリー 両津の港 我を迎える 聳ゆる主峰 金北山 2 バスから見ゆるは 水平線か いやいやあれは 地平線 島にして 島にあらず 驚きの 佐渡の広さよ 3 流人の島 佐渡島 順徳上皇 日蓮上人よ 観世元清 爲兼 佐渡の文化は 育まれ 4 伝統の 佐渡の金山 栄枯盛衰 幾度か 苦役人 女郎の涙 怒涛の荒波 流し去る 5 湯に浸かり 旅の疲れ癒されし 今の世に 生まれしことは 摩訶不思議 暫し 時の逆戻り 38 三十二.女と宗教︵福井県 芦原温泉 永平寺︶ 昭和五十六年四月 1 湯煙に 見え隠れする 女身 雪国の白いもち肌 ピンクに染まり 緑葉が 酸素を放つ リズミックな雨音が 心地よい音楽を奏で 我 浴槽に浸かり 安寧を貪る︵むさぼる︶ 2 曹洞宗大本山 永平寺 七百年にも渡り あまた 道元禅師の教義を継承し 老杉も数多の修行僧見守り ひんやりした冷気が杉木立ちに立ち込め 心の芯まで伝わり来る七堂伽藍が回廊で結ばれし 無念無想の境地とは 如何に 職業柄 その時の脳波は 如何に 3 風呂上り 地酒で乾杯 海の幸に舌鼓 御陣乗太鼓の音がする 来し旅の楽しきことの多かりき 明日からの旅路にも幸あれと語り合う 民宿の襖の先は誰人ぞ 日本海の 波のうねりの子守唄 朝市に 顔出し 声掛け 通り過ぎ 鴨が浦遊歩道で 暫し遊ばん 39 4 輪島に別れを告げし 穴水へ キラキラと水面が輝く 七尾湾 新緑の木々も飛び去り 車窓から手を振る いつか立ち寄る 待ってておくれ 列車は一路 東京へ 近畿地方 三十三.若き命︵滋賀県 琵琶湖 京都府京都︶ 昭和六十二年四月 1 凪の湖上 滑る快速艇 湖底より 琵琶湖周航の歌 心で合掌 若き命 魂の住家 浮き御堂 石山寺 船参り 満開の桜 石段に花びら 源氏の君は 何処に 2 いが栗頭 お下げ髪 二十七年前の わが姿想う ここ 清水坂 仁王門を 見上げし 西門から 京の町並み一望に 音羽滝より 細きカエデ 高さ七米 懸崖造りの木組み 力感溢れし 清水の舞台 40 三十四.幽玄とラッコ人気︵三重県 伊勢︶ 昭和六十年五月 1 幽玄、森閑、深遠、霊気 我が語彙からは 筆舌に尽くし難し この世でみた 初めての霊境 あの世も このようであって欲しいと いかすずかわ 願わずにはいられない 五十鈴川に掛かる 宇治橋からの景観よ こんもりと茂った森 広々と 小高き山まで延びている 自然に頭を垂れ 暫し茫然・・・ よくぞ先祖は残し継承してきたと 何百年という樹齢の大木に 挨拶を交わし 玉砂利の音をさせつつ 天照大神を祀る 皇大神宮︵内宮︶の御正殿に よくぞ、日の本を造り給うた 幾多の戦を経験し 今日の繁栄を勝ち取った 日本民族よ 心の安らぎを この霊境に求め 更なる心 科学 経済の発展を 先祖に 誓わねば 2 真珠島に 歩を入れる 41 精巧な城郭 王冠 ネックレス イヤリングと 見る事で 心の豊かさが 増えてくる 真珠養殖に 全生命を賭した 御木本幸吉翁 精神力 肉体に 敬服するのみ 当人は元より 周囲の人々の 援助もあったろうが 同じ人間でありながら 我が身を つねる ファイターは 昔から居たんだな 3 押すな押すなの超満員 鳥羽水族館 ラッコ人気は絶好調 僕も見た事 ないがな プックから 日本初の赤ちゃん チャチャ生まれる 母さんの真似をして スウーと水中から水面へ ガラス張りの大水槽 仰向けに浮きながら 巧みに胡桃、貝割り 口元もぐもぐ 平和な表情 ﹁キャー、かわゆいー!﹂ 中国地方 三十五.古墳と魂︵岡山県 倉敷 吉備路︶ 昭和五十年四月 1 相生の国民宿舎 見下ろす播磨灘 42 入浴後 磯の料理に舌鼓 ビールの冷たさ 五臓六腑に沁み渡り 朝ぼらけ 島影二つ三つ 相生を後にして 岡山城の天守閣 ここ平地の城 た易く 攻め入れられたであろうに 後楽園の 松の枝ぶり 池に映え 2 青緑の枝垂れ柳 両岸に 静かな川面 石の太鼓橋 白亜の館 茶レンガのアイビースクウエアー 銀紙の反射光 顔に受け おすましのモデル嬢 こちらも負けじと 友にシャッター押させ モデル気分 ここ倉敷 3 吉備路を 貸しサイクルで巡り 大杉に囲まれし神社、仏閣 人々を守り 静かな時の流れを感ずる 生まれては死し その繰り返し 何時か我も死を迎え 土となるらむ 幽体の存在や 如何に 五重塔 夕日に映え 枯れ草の炎 赤々と 魂の乱舞の如し 古墳に立ちて 太古の人々の息吹を・・・・ 43 4 白鷺城の並木 我を過去へと誘う その時々の時代を 精一杯生き抜き 駆け抜けた人々の霊に 頭を垂れ 我もまた 今を悔いなく生きる事を誓う 何時の日か また訪れてみたい 小さき鶴山城 小雨けぶる衆楽園 人影まばら ゆったりと歩を進め 都会の心 素晴らしき田舎の心に変わりゆく いくさびと 三十六.戦人の魂︵広島県 安芸の宮島︶ 昭和六十年五月 1 松島 天の橋立と 並び称される 日本三景の一つ 安芸の宮島 瞳に染み入る 朱色の大鳥居 奥に控えし 深緑の社殿 壮麗の極致なり 竜宮城と対比す 平家隆盛時の 面影偲ぶ 戦人の魂 浮遊を感ず 2 野生のサルよ シカよ 今日は みせん 自由闊達に 動き回る 弥山から 四国の連山 雲の間に 山下り 細き道を 神泉寺の番僧 誓真は 祈りをシャモジに 託すなり 44 紅葉饅頭 土産に 帰り船 四国地方 三十七.水戸黄門様の兄の海城︵香川県 高松城︶ 昭和六十四年一月 1 生駒家四代 松平家十一代の居城 高松城 松平家初代は黄門様の水戸光圀公の兄 よりとし 頼重公との記載を見 親しみを覚ゆ さらに 最期の十一代頼聰公の奥方は あの桜田門外の変で有名な進歩的な大老 彦根藩主井伊直弼公の次女 千代姫様 我が記憶にある人物に 一期一会の引き合わせ 歴史は身近になりにけり 2 石垣の目 往きし人を静かに見詰め 緑滴る老松も またしかり 名木を従え 石灯籠 手水鉢 大飛び石の調和 武人の喜怒哀楽 耳を澄ませば聞こえそな 静寂 海城の威容 今は昔 45 九州地方 三十八.異人と和人の息吹︵長崎県 長崎市︶ 昭和六十二年五月 1 L特急で着きし 長崎 駅前の路面電車 タイムマシーンで 数十年の逆戻り 都心では見ることもなし 荒川線の一路線を除いては 2 曲がりくねった路 そこかしこに坂 木造の洋館 赤茶色のレンガ塀高し 石畳の坂道 オランダ坂の標識あり 金色の瓦屋根 朱塗りの柱 唐人館 八角の尖塔 ゴシック建築 大浦天主堂 庶民と異人との交わり 驚愕の姿眼前に 彷彿としてくるなり 3 行き交う 船舟 港を見下ろす ここグラバー園 草花 樹木に囲まれし オルト邸 リンガー邸 そしてグラバー邸 主人 家族 側近 異国の地で 何をか想わむ 何かを目指した 情熱の炎を感ず 46 三十九.栄枯盛衰︵熊本県熊本市︶ 昭和五十六年四月 1 満開の桜 八重に着飾りし 熊本城 天にも届かんばかりの 天守閣 築城期間七年 あまた 加藤清正公が 意地をみる 数多の戦 そこかしこを 駆け抜けたる 名も無き 武士 栄枯盛衰 森羅万象 時は 巡りき 思い出書きし 今 昭和から平成へ 平和の 味を 噛み締める 2 細川家代々の 水前寺公園 澄明な水を たたえる池 若松 老松の針葉と枝 水に映え 小鳥 小高き丘を 歩むなり 心を無にし 茶室より望む この小世界 何処からともなく 聞ゆる 同い年 水前寺清子の 人生応援歌 四十.大自然の気迫︵熊本県 阿蘇山︶ 昭和六十二年五月 47 1 熊本より一路バスにて 阿蘇山を目指す ほんの僅かずつ 海抜から高くなる 三百六十度展開する 緑の大平原 阿蘇駅前で バスを乗り換え 乗客は 女の人一人 斜度五∼十度の 緩やかな坂道 窓を開け 心地良き風を呼び込む 木立の間に入ると ひんやりする 焼印を押された牛 三、四頭 のんびりと 草を食む 草千里の澄んだ池 ひらひらの雲を映し出す 乗馬を楽しむ 親子連れ 2 阿蘇山西で ロープウエーに 乗り継ぎて 噴火口駅に 降りし 目の前に 退避壕のいくつか 万一の時は 逃げ込まねばと心に決め 中岳の 火口を覗く シュー シュー シュシュー ゴー ゴー ゴゴー 白煙 黄煙が立ち昇る 天空へ 一直線に 硫黄の臭い 鼻につき 黄に変色した地肌 すり鉢状の底 そこかしこからの 噴出 地球は生きてるぞ お前らがぼやぼやしてると 怒り出すぞ という 48 凄まじいばかりの 気迫満点 3 阿蘇内牧の芒硝泉で 平泳ぎ ビールの冷たさ 喉越しに 山菜 刺身に 舌震え 窓越しに見やる 阿蘇の夕景 自前のフィルム︵網膜︶に 焼付けし 食後の散策 川沿いに 月明かり 雲の後ろで 闇になり 迷い込んだり 墓石 卒塔婆 四十一.名士の追憶︵鹿児島県 鹿児島市︶ 昭和六十二年七月 1 もくもくと白煙吐き出す 桜島 錦江湾に船影 ここ城山 ドン南州以下 二千余名が散りし 西南の役 官軍の戦没者 いくばくや 歴史の重み流れ 時は移ろう 我 これから何をなすべきか・・・・ 2 釣り人の姿 ちらほら サーフィン ヨット 若人が 心地よく風を切る 磯海水浴場 人影多し ハンカチを頭に乗せ 多賀山公園に入る 仰ぎ見る 東郷平八郎元帥像 海を愛し 祖国を愛し 49 国葬のうちに 生涯を閉じた 汗を拭き 床屋を訪ねし 髪を切り 髭を剃り 鹿児島出身 名士を偲ぶ 四十二.潮風と清貧︵鹿児島県 桜島︶ 昭和六十二年七月 1 潮風 頬に受け フェリーは進む 桜島 袴腰に着き 腹ごしらえ ハンケチの助けにて 強烈な日差し 避け 磯に下り カニの動き 小魚の動き 紺碧の海色 眼を奪わる 溶岩の大岩に身を隠し 鹿児島市を望む 頻繁に行き交う フェリー 政治 経済 文化を 縦横に運ぶ 2 定期観光バスに乗り 桜島口までの往復 名も知らぬ人々との ツアー 老夫婦 若夫婦 アベック 一人旅旅に喜びを感ずる人々 古里温泉に着き 石段を昇りて ﹃花の命は短くて 苦しきことぞ多かりき﹄ 林扶美子文学碑を詠む ここは彼女の母の出身地 少女期を過ごした地 清貧に甘んじ 四十七歳の短命 50 ベストセラー 自伝的小説﹃放浪記﹄ 懸賞付き和歌の募集あり 我 メモに二首詠みたり 木箱に投函 今もって 連絡なし 3 安永 文明 大正 昭和期に 流出せり 赤茶けた溶岩群 村人 家畜 樹木 恐怖に陥れ 多大の犠牲 ありしとな 観光客 何をか思わむ 気象庁と鹿児島大の 火山観測所は あると聞く 怪物の爆発 何時やも知れず 歴史は繰り返す 故郷を捨て 安全地帯に引っ越す勇気も また 必要なりしと我思う・・・・ 51 国外旅情散文詩 アメリカ 四十三.自由の女神の改修 ︵ニューヨーク︶ 昭和六十年五月 成田発午後七時、初の海外出張。十八人のツアーパックに入った が、 先発隊は私と他の会社のI.H.さんの二人だけであった。添乗員を 含めた後発隊とは二日後にニューヨークのホテルで落ち合う事にな って いた。機内で、十一時まで喜劇映画を観て、終映となり眠りに就い た。 ややもして、光で眼を覚ました。 誰かが窓のシェルターを開けている。強烈な光が差し込んでいる。 ︵何だ、ありゃぁ!︶と思った。腕時計は確か午前三時頃だったか。 あれは太陽の光か。日本じゃ、真夜中だと言うのに、日付変更線を越 えたのか。普通は朝食から昼食、昼食から夕食までの時間は六時間 なのに、飛行中では現地時間に合わせ、三、四時間おきに、こちとら の腹具合などお構いなく出されたのには閉口した。まあ、適当に残し たが。 アンカレッジ経由で、ケネディ空港に無事到着し、心で万歳を叫ん だ。ニューヨーク駐在のI.M.君に出迎えられ、タクシーに乗っ た。 最初の内は右側通行にやや奇異さを感じたが、直ぐに慣れた。 ハローランハウスまで送って貰い、別れた。黒人の娘さんにチェック インして貰おうと思って、拙い英語で話し掛けたところ、二人の予約 52 は無いとの事。﹁そんな! 馬鹿な!﹂思わず日本語が飛び出した。 ヒアリングが不得手なとは知らぬ娘は何やらまくし立てている。 困って、別れたI.M.君を探しに玄関を出ると、正にタクシーに 乗り込むところ。間一髪だった。﹁これこれしかじか・・。通訳頼む よ﹂と言った。M旅行社の添乗員を含めた後発隊十六人は二日後に、 このホテルに来る事。旅の疲れもあるし、また現地時間の午後十一時 を廻っているので、他のホテルを探すのも億劫である。是非、この ホテルの空いている所なら女中部屋でも良いから泊めて欲しい事を。 丁度、当ホテルに居たM旅行社の日本人に聞いたが、担当が違うので 一切判らないとの返事。何やかやで、二十分近くの押し問答で宿泊 出来る運びとなり、ホッとした。 三泊したが、真夜中の三時近くに眼が覚めたり、パトカーのキーの 高い警笛音に飛び起き、寝付かれなくなり、昼間頭がボーとしてい る。 ははーん、これだな、俗に言う時差ぼけか。納得。 公衆トイレに驚いた。隣の足がよく見えて、落ち着かない気がし た。 出入り口でペーパーを渡す男が居て、チップを払う人も居る。 パン、ジャム、ハム︵ベーコン︶、ミルク︵コーヒー︶の食事に 飽き てきたなり。和食を求めて歩くなり。和食の店の従業員は皆日本人 なり。ホッと一息ついた。隣に座った小父さんに話し掛け、お子さん への土産にと十円、五十円、百円の硬貨を渡せば、義理堅くコインを くれにけり。腹は一杯、ビールでほろ酔い。支払いの段になり、 チップの一割計算に酔いは覚めた。 胴巻きにトラベラーズチェックと現金で百万円相当を入れていた。 治安の悪さは天下一品、ニューヨーク。新聞、テレビ、映画で、殺 人は 日常茶飯事に起こっている事を知っている。静かにホテルに帰るな 53 り、 テレビのスイッチをひねるだけ。ピーコ、ピーコ、ピーコ、窓から 入る パトカーのサイレン続けざま。 学会場のニューヨークヒルトンを出でて、目と鼻の先にあるセント ラルパークへ。赤信号なのに渡る人が何人もいてびっくり仰天! 自分の責任において行動するのがアメリカ人なのだと言う事を、後 日、 日本に帰ってから新聞で知った。 雲一つなきアメリカ晴れ。スラーッとしてがっしりとした体躯の黒人 青年の群れに道を空けた。パークの池で魚釣りを楽しむ孫と老人。 話し掛けたら、﹁おお、日本から。このラジオは日本製よ。中々性能 良いね﹂と言われ、いい気分。 教会のあの高さ、あの荘厳さ、エンパイヤステートビルにも驚い た。 いかに地震が無いとは言え、よくもまあ上へ上へと延ばしたもんだと 感心した。 ブロードウエーを南下して、マジソン広場、チャイナタウンを経 て、 バッテリーパークにバスで着いた。身体中包帯だらけのリバティー 島の ﹃自由の女神﹄が向こうに見える。大分重傷との事。運悪く、大修 理の 真っ最中であった。 四十四.ロブスターとの格闘 ︵ボストン︶ 昭和六十年五月 怖いニューヨークを後にして、ボストンへの列車に乗った。その 54 地は 北緯四十二度、日本では室蘭辺りである。車窓からの五時間の眺め を愉しんだ。喧騒のニューヨークから一路北へ。海岸沿いに走り、 前方 にロング島を見やりながら、右手に大西洋の海原を、左手に大平原 を、 喬木から潅木へ、広葉樹から針葉樹への移り変わりがこの目に飛び 込む。車外の寒さを感ず。 ボストン駅に着いた。プラットホームが線路と同じ高さなので驚い た。日本で経験した事のない事の一つである。旅行社がチャーター した バスで塵一つ無い茶の舗装道路、手入れの行き届いた緑、ガス灯の ある レンガ造りの家並、石畳の街路に清潔感を感じながら、高級ホテル でも格式高いコプリー・プラザホテルに到着した。大理石のバスル ーム、トイレ、ツイン部屋。ベッドの縦と横が狭く、おや・・、 日本人︵東洋人︶向きにしつらえた部屋かなと苦笑した。 盛装の若き男女が行き交うフロント。間もなく音楽が漏れ出てき た。 ︵ハハーン、ダンスパーティーだな︶高校三年から大学生位の男女が 何組もステップを踏んでいる。目パッチリ、ピンクのドレスにふく よか な肉体を包んだ娘が出て来た。二言、三言言い、手であっちへ行けと 言うジェスチャーだった。何を言ったか、聞き取れなかったが、部 屋の 中を覗いたり、入ったりしちゃあ駄目よ。貴方方の来る所じゃない わと 言うような意味であったろう。 ︵何を小生意気な小娘よ。親のすねかじりで、服を買って貰い、高級 ホテルでダンパを開くなんて︶と、つい大人気なく心の中で呟いて 55 しまった。言葉が判らないため、相手の真意を汲めず、勝手に当方が ひがみ根性で悪く解釈したのかも知れないが。何はともあれ、言葉が 正確に掴まえられなければ、感情が一人歩きする事を知った。言葉の 内容もさること事ながら、相手の感性に訴えるボディーランゲージも 一層重要である事を思い知った。四階の我がルームに戻ろうとして、 廊下の角を曲がった所で、英語で話し掛けられた。 ﹁451号室は何処でしょうか?﹂﹁僕は453号室ですから、 ご案内しますよ﹂ 宿泊の場合は、小心なため必ず建物の間取り、非常口を頭に叩き込 んでいる。あの映画、﹃タワーインフェルノ﹄、また日本でのホテル ニュージャパンの大火災のテレビ映像を脳に深く刻んでいるので。 深酔いしてたら役に立たないかも。 ﹁この建物は古く、継ぎ足したりして迷路みたいですね﹂と言いなが ら、壁に指で、間取り、エレベーター、非常口を描き、教えてやっ た。 アメリカで役に立とうとは夢にも思っていなかった。聞いたところに よると、母娘で南部のマイアミから旅行に来たとの事。母親は六十前 後の小太りで白髪であった。娘さんは年の頃三十五位か、背は170 センチちかくあり、顔立ちはあの﹃終着駅﹄のキャサリン・ヘプバー ンばりの美女であった。別れ際、母親が、﹁貴方は日本からいらした のね﹂と言った。﹁そうですよ。良く判りましたね。中国人、韓国 人、 台湾人と間違わずに﹂﹁そりゃあ、判るわよ。どうも有難う﹂ ﹁いいえ、どう致しまして。それじゃ、また﹂ 経済大国日本がアメリカの庶民にも知れ渡っているのだなあと、つく づく思った。 ︵後で、部屋の方に遊びにいらっしゃいよ︶と言ってくれるのを内心 期待したが、映画のストーリーみたいはいかないものだ。部屋に入 り、 ︵いやあ、誘うのは女性からでなく、男性からなのかなあ︶とか、 56 ︵この辺の地理は不案内で良い場所も知らないし、また初対面で女性 二人の部屋で飲むのも気が引けるし︶とか思いつつ、何時しか寝息を 立てていた。 夕食は五十二階建て︵二二九米︶のプレデンシャル・タワーの屋上 レストランで午後七時から今回のパックツアーで一緒になった製薬 会社 の男と摂った。午後九時になっても周囲は白々としており、チャー ルズ 川のヨット、トリニティ教会の尖塔、ボストン塔、マサチュセッツ 工科 大、ハーバード大が展望出来た。民衆は午後十時頃まで外食し、遊ん で、翌日の仕事に差し支えないのかと、他人事ながら心配した。 テレビでかつて見た大きなロブスターが一人に一匹が目の前に出さ れ、 ペンチの使い方を教わり、食べてみた。確かに美味! その内、手が 痛くなり、ペンチ労働でエネルギーを消費してはロブスターを食して 栄養補給している自分に気付いた。手の運動、口の運動の繰り返しで 疲労困憊し、三分の一を残す羽目になった。 1636年創立の米国最古の大学ハーバード大学で﹃抗潰瘍剤フ ァモ チジン︵ガスター︶の薬理学的研究﹄に関する我が学術論文をポス ター セッションではあるが、発表出来た光栄は何時までも心に残り続け るで あろう。 奥の校舎は蔦が絡まる赤レンガ、その前庭から白、黒、黄の肌色を した 学生の談笑が聞こえてきた。 57 イタリア 四十五.古代人との邂逅︵ローマ市︶ 昭和六十三年八月 ︵一︶羽田発 北緯四十二度、ボストン、函館と同じ緯度に位置するローマ市。 時は 夏の真っ盛り。羽田を発ち、アンカレッジ経由でイギリスのヒース ルー 空港に到着した。どんより曇っている。ターミナルまでバスで移動し た。カウンターに問い合わせたところ、ローマ行きがどのゲートかは 出発の十五分前にならないと判らないとの事。これには驚いた。 突然、﹁ハンブルグ行きはどのゲートからですか?﹂と日本人の小母 さん、四十五歳前後の人から声を掛けられた。中央待合室のボードや 廊下のあちこちに在るテレビに、出航時刻の十五分前頃に表示される 旨を伝えた。聞くところによると、彼女は外国語が全く駄目である 由。 しかし、今では世界中至る所に日本人がおり、行けば何とかなると いう信念で、娘さんの嫁ぎ先であるハンブルグまで行くのだと言う。 空港には娘さん夫婦が出迎えに来るとの事。母の愛は強し。 ﹁お互いに無事で!﹂と声を掛け合い、別れた。 定員五十人のアリタリア航空機に乗り継いだ。髪の色は金、銀、茶、 黒、目は青と黒、背の高さ、大小様々、鼻にも高低あり、鷲鼻、団子 鼻と鼻づくし。色とりどりのファッションから種々の言語が飛び交 う。 窓外には、太陽光を反射し、ピカピカ光る万年雪。アルプスの山を 一跨ぎ。ダ・ヴィンチ空港に無事着陸した。 58 訪れたローマ市内を感じたままに簡単に書き連ねてみたい。 ︵二︶ボルゲーゼ公園 ボルゲーゼ公園内の館のテラスにて、夕餉を摂る。ワインを傾け、 夕陽が沈み、薄明かりのローマ市内を展望する。ピアノの奏と共に ロマンチックな雰囲気が辺りを覆う。ピンチョの丘より、市内を撮っ た。オーストリーから観光に来ている少女二人と写真に納まる。 オーストリーかオーストラリアか、何度か聞き直したものだ。 拳銃と剣を腰に提げた騎馬警官が颯爽と現れた。カメラを向けた。 ﹁疑われて、ピストルでも抜かれたら事だから遠くから!﹂と友に 言われ、従った。 ポポロ︵人民の意︶の広場に在るオベリスクの余りの高さに目を ぱちくり。二十四米だそうだ。口から水出すライオン像に跨り、 友に写真を撮らせ、アベックの笑いを誘う。この広場を見下ろす ように、ナポレオン一世率いる騎馬隊があたかも宙に浮き、進軍 している大きさの像に圧倒された。それが幾つも在る。 ︵三︶スペイン広場 観光客が写真を撮り合ったり、アイスクリームを頬張ったりして、 スペイン階段に座っている。その前方にあるショッピング街のグッチ に足を入れた。何人もの日本人女性に出くわす。バッグを二つ妹達に 頼まれ、金額は大体指定されていたが、同じようなデザインが多く あったので、どれにしようか迷っていた。 日本人の母娘連れの方と話し込み、女性の立場から、﹁少し大き目の 方が良いわよ﹂とアドバイスを頂き、ようやく決める事が出来た。 次は靴屋に入り、我が靴を買った。 並びの﹃東京レストラン﹄でビールを飲み、和食を食べホッと一息が 付けた。 59 ︵後日談だが、試しに靴を履いて少し歩き、何でもなかったので購入 したが、帰国後長く履くと甲高の足が痛み、履かなくなってしまっ た︶ 急にお金を使う事になったので、万一マスターカードが使えない店 があるとの想定で、日本円をリラに買えておきたかった。日本円十万 円をホテルで交換したら、一万円を手数料として取られ、おったまげ た。手数料が高すぎるからキャンセルとも言えず、仕方なく領収書を 貰った。手数料の安い順は、ご承知の通り、空港内︵一∼二%、 パスポート提示︶、次に銀行︵三∼五%、パスポート提示。午後は 休みになる場合多し︶で、ホテルが一番高い。 ︵四︶バルベリーニ広場 ヴェネト通りの並木舗道のテラスで、グレープジュースを注文し た。 丼の大きさのワイングラスに入っている。三人分はありそう。イタ リア 人の胃の大きさをみたい。 バルベリーニ広場からヴェネスト通りをS字状に上って行くと、 三世 紀に城塞として建てられたと言うピンチアーナ門が見える。右手に ある予約したジラロスト・トスカノで夕餉を愉しむ。食前酒ビアン コを 飲みながら、アンチパスト︵前菜︶の生ハム、サラミ、ミートボー ルに 手を出して語らう。チキンの炭火焼き、舌平目のグリル、ミックス サラ ダ、オリーブ油と酢和え、デザートのアイスクリームミックス、食 後酒 にアマーロ・ルカーノを味わった。辺りを見回すと、夕食を家族と、 60 友と、恋人と笑顔でお喋りしながら、赤ら顔で陽気に過ごしている。 ︵五︶トレヴィの泉 ﹃トレヴィの泉﹄を訪ねて、壁面の海神彫刻と人々の多さに驚い た。 この泉は古代水道の修復と整備の最後の計画として、教皇クレメンス 十二世が公募し、ベルリーニからサルヴィの手を経て完成との事。 このポーリ宮殿の壁面彫刻はブラッチ作。コインを後ろ向きで投げる 人、色取り取りのアイスクリームを頬張る人、写真を撮る人で鈴なり だ。強烈な太陽がポーリ宮殿にさえぎられて影を大きく作り、そこで 涼をとる市民と観光客。 翌日、日本人医師を招いたパーティーを済ませ、各ホテルに送った 後、バスのガイドと運転手に礼を述べ、降りた。つかつかと寄って 来た 男は人のよさそうな笑顔を見せ、体躯のがっちりしたイタリア人風で あった。ジャパニーズ・イングリッシュ並みの、日本人にとって理解 し易い英語で話し掛けてきた。 小さな紙に印刷された地図を出し、指差ししながら、﹁﹃トレヴィの 泉﹄は何処ですか?﹂と問われた。二度訪れたが、ここからどう行く かは、夜でもあり、方角が咄嗟には判らない。でも、宿泊中のホテル の近くだから、途中まで案内しますよ﹂﹁おお! どうも有り難う﹂ 道中、こちらは日本からこれこれしかじかの用事で来たなど喋り、 相手も自分は技術者で東京には一度行った事があり、大阪には知人も いるなどと話しながら来ると、﹃トレヴィの泉﹄の標識が見付かっ た。 自分のホテルはすぐそこのコルソ通りの﹃コロンナホテル﹄だが、 まだ午後九時半だし、眠るには早いし、英会話の練習にもなると考 え、 彼とトレヴィの泉で飲もうと思った。 61 目的地に着くと、彼はわざわざコインをくれたので、後ろ向きでお互 い投げ入れた。 近くの店でビールでも買って来ようとすると、﹁ここでは話もゆっ くり 出来ないし、その辺のバーで飲もうぜ﹂と言った。 ﹁自分は夜空の下でビールを飲みながら語りたい﹂と言い返した。 ﹁おごるから、路地裏のバーに行こう﹂と言いつつ、歩き出した。 じゃ、行ってみようかと心で思い、彼の後についた。奥まった所へ 入り 込むと﹃ピアノバー﹄の看板。 昨夜のミーティングで、友二人から、﹃ピアノバー﹄に寄ったら女二 人、男二人が中に居て、コーラ一杯ずつで計二万円ぼられたと言った のを思い出した。彼はいやにバーで飲む事にこだわり、またトレヴィ の泉を初めて訪れたには、﹃ピアノバー﹄の方角へすんなりと先に立 って案内したもんだと気付いた。 これはやばいぞ、引っ掛かってたまるか。特に一人だしと心に呟き、 ﹁自分はトレヴィの泉の前で飲むんだ﹂と強く言った。彼は六米先に おり、正に﹃ピアノバー﹄の扉に手を遣るところで、﹁ここで飲もう ぜ﹂と再三再四叫んだ。 ﹁じゃあ、これで。僕はホテルに帰るよ。さようなら﹂ 彼は未練たっぷりなジェスチャーをして扉を開けて中に消えた。 やはり、日本人観光客を狙ったたかりやさんだと思った。人を疑う 事は悲しいが・・。海外では、注意し過ぎる事はないと自分に言い 聞かせた。まして、全財産を肌身に付けているので。仲間と後を追っ て来られたら困るので、速足で多くの観光客に紛れ込んだ。 追われた様子もなく、ホッとした。 ホテルに戻り、冷蔵庫のビールを一気に飲み干した。 ︵六︶テルミニ駅 62 テルミニ駅を見詰めた・・。二十六年前の記憶が蘇ってきた。 一浪中、図書館での勉学に疲れ、フラッと入った洋画館。そこで、 キャサリン・ヘプバーン主演の﹃終着駅﹄を観た。小銭を貯めた アメリカ人の五、六十歳の女がローマで恋し、愛したイタリア人 男性と、夫々の家庭を守るため、テルミニ駅で永遠の別れをする 名場面であった。こんな恋、愛の形もあるものなのだなあ、何時か 自分も経験したい。苦しいかも知れない、悲しいかも知れないが。 それには、当面の自己の課題である大学入試を突破するしかない。 ようし、頑張るぞー! と映画に勇気付けられたものだ。 その場所に、今立っている。自分なりに努力して、大学を卒業出来、 出張で来られた。これからも、努力あるのみ。駅を目に焼き付け、 後にした。 同じような体験は残念ながら、現時点で叶っていないが・・。 ︵七︶共和国広場 テルミニ駅から二百米先の共和国広場にある噴水の石囲いの上で、 仰向けになり友と天を見詰める。雲がふんわり一片、この青空。東京 の空も同じかなあ。 日本人の一行、中国人か韓国人の一人が目の前を通り過ぎて行く。 ニューヨーク程の怖さは無く、治安も良いと聞いていたので、テル ミニ駅からA路線でバルベリーニ駅、またB路線でエウールフェルミ 駅まで利用した。 テルミネ駅に戻り、共和国広場から発するナツィオナーレ通りに 面したローマ三越に足を踏み入れ、ホッとする、日本人従業員がちら ほらいたので。友は壁掛けを二点買った。 外に出ると、角に、目ぱっちりで眉毛太く、濃い、彫りの深い愛嬌 のある十二、三歳の少女が三、四人たむろしていた。その内の二人が ボードを手にしながら、見てくれというように近付いて来た。他の 少女は横に回っている。 63 ︵うむ、これが世に名高いジプシーの物貰い、またはかっぱらいか︶ さんざ、出張前に日本で耳にたこが出来る程聞いていたので、肩に 掛けた鞄、カメラを両手で押さえ、防御の姿勢を取った。すると、 どうだろう。チェ、気付かれたかあと言うようなジェスチャーで元の 場所に戻った。暫く、彼女らの様子を見ていたが、行動を起こさな かった。観光客を狙えと指示されているのだろうか。この子らの教育 はどうなっているのか。両親には職業はあるのだろうか。行く末は どうなるのか。考えてみると、同じ人間としてこの地球に生を受け、 生まれ落ちた国、宗教、文化、経済などの環境因子の相違により、 生活レベルも大きく違ってくる事に驚きだ。この子らが逆境に打ち 勝って、子供の頃、日本人観光客に上手く逃げられたよと笑いながら 語らえる余裕のある生活を築いてくれる事を日本の地から祈る。 ︵八︶ヴェネツィア広場 市の中心に在り、市内の至る所からもこの威容が見えるここエマヌ エレ二世記念堂。初代国王エマヌエレ二世を記念して、1911年に 建てられた白亜の建造物。門前から見ても、玄関までの中間に位置 する衛兵が小さい程スケールはどでかい。 隣のヴェネツィア宮殿は、その二階のバルコニーから第二次大戦 中、 日独伊三国同盟の伊のムッソリーニが群集に演説した所であり、歴史 を手の中に感ず。 ︵九︶パラティウムの丘 パラティウムの丘にあるフォロ・ロマー︵古代ローマ市の集会用 中央広場︶の遺跡群に、ローマ建国、ローマ帝政時代の往時の一端を 垣間見る思いがした。日本の城、神社、仏閣に匹敵する宮殿、神殿の 数々。 64 コロッセオの中に足を入れると、真夏の太陽がカッと照り付け、茶 レンガに陰陽を鮮やかに刻んでいる姿を目の当たりにした。 紀元80年に完成したこの円形競技場が約1900年もの間、生き 続けている事に驚かされた。この無生物に生命の息吹さえ感じられ た。 四階建てで、五∼八万人を収容可能なこれは、古代ローマのヴェス パシアーノ帝の命で造られたと言う。このコロッセオでは、歴代皇帝 が見世物を催す事で人心掌握を計るため、映画でお馴染みの生命を 賭した剣闘士の戦い、猛獣と人間の死闘、場内に水を張って戦う模擬 アレーナ 海戦など凄惨で残酷なゲームが行われ、市民は熱狂した。 競技場には良く血を吸うように砂が撒かれた事から、競技 場を﹃アリーナ﹄と言う血生臭い語源がある。しかし、考えてみる に、 戦いとは究極的には殺すか殺されるかである。敵を敗北させるために は、先ず身内内で仮想敵を作り、実践して練磨したりしたのも分から ない訳ではない。味方を殺してまでの実践は戦力を落とす事になり マイナス面もあるだろう。だが、刃向かう者を葬るには良い機会と 権力者は考えた事であろう。地下部分に猛獣の檻や機材置き場が あり、その上に板を敷きゲームが続けられ、無念の涙で消えた人々 はいくばくか。 この歴史を教科書として、今の人、これからの人も人間の幸福とは 何かを考え、実施していかねばならない。 ︵十︶ナヴォナ広場 ナヴォナ広場に在るパンテオン神殿の青銅の大扉から足を踏み入れ た。直径九米の天窓から光を呼び込み、或る一面に反射し、周りに 微光を放ち、神秘的なムード。ドームの直径、高さ共に四十三.三 米、 古代人の建築技術に呆れる。 65 紀元前27年、アウグスト帝の一人娘の婿である執政官マルコ・アグ リッペによって皇帝の守護神を祀るため建てられた。紀元80年の 落雷 後、修復され、七世紀にはキリスト教会になった。今でも、エマヌ エレ 二世、ウンベルト一世、画家・建築家のラファエロ・サンティの墓が ある。 ︵十一︶ヴァティカン市国 テヴェレ河を渡り、サンピエトロ広場に医師を乗せたリムジンが着 いた。ここに、世界中からの信者約四十万人の大勢を収容出来るの か。 柱廊の上から、広場を見下ろす白亜の聖人像一○四体、風雨に負け ず、立ち並ぶ。赤、黄、黒の縞模様の服を着た衛兵二人。サンピエ トロ寺院の内部に入り、天井を見上げた瞬間、目の玉がくらくらし た。 高さ五十米はあろうか、奥行きは一八六米。このドームが信者の喜怒 哀楽を吸い込み、浄化して、再び喜怒哀楽を穏やかなものにして、 信者に戻しているような気がした。一人の力で成し得ぬ事でも、多く の人々が集まれば、その心、技術、金の力で崇高なる精神、建造物を 地球のある限り、伝承してゆけるものだとの感銘を強く受けた。 磔になった我が子を抱く聖母マリアの表情に、人間と共通する止め 処なき悲しみをみる。ここは、ネロ皇帝時代に殉教した聖ピエトロの 墓の上に、四世紀のシルヴェウス一世が教会を建てた事に始まる。 法王ニコラウス五世がカトリック総本山に相応しい寺院再建計画を 立て、代々の法王と芸術家が組んで造ったルネッサンスの記念碑的な 大教会である。 ︵十二︶トラステヴェレ地区 66 テヴェレ河の石橋を通り、下町の石畳の路地裏に在るレストラン シアター﹃ファンタジェ・ディ・トラステヴェレ﹄の前でタクシーを 降りた。車の脇に、腰に拳銃を提げたボディーガードが近寄り、門の 中へと誘導される。ギョッとして、この地区の治安の悪さを垣間見た 気がした。ガラス張りの入場口から廊下を経て扉から内へぞろぞろと 入る。おや、何処かで見た顔・・、そう、日本人の団体さんが真ん 中に 陣取っている。外人客は・・、オッと、ここでは日本人も外人だ。 二百人位の内、日本人以外は二、三割は居るには居るが。 テーブルを囲み、ワインを飲み、前菜、肉、魚を頼み、会社仲間と 語る。 朗々たる独唱、陽気で笑顔のカンツォーネを合唱で聴き、旅と医師 世話役の仕事の疲れも一気に吹っ飛んだ。 日本の歌のリクエストタイムでは、﹃さくら、さくら・・・﹄ ﹃春のうららの隅田川・・・﹄など、流暢な日語が会場狭しと響き 渡り、こちらも思わず口ずさみ、終わるややんやの喝采を送った。 日本の国歌﹃君が代﹄を要望した客が居たが、他の歌にして欲しいと やんわり断られ、愛国心の強いイタリア魂をみた思いがした。 ︿ 了﹀ 67 国外旅情散文詩︵後書き︶ あ と が き 購入依頼時に製本、配本する会社﹃ホンニナル出版﹄及び電子本 書店 ﹃でじたる書房﹄には、既に自著小説を十六作品出版しています。 今回初めて旅に関する詩集を編み、この詩集﹃旅情詩に恋して﹄を WEB 作家デビュー7周年を記念して、電子本で無料配信することに致し ました。 そこで、本サイトにも掲載した訳です。 私は、昭和三十六年六月の高校入学時から二浪を経験し、大学を 経て、 会社員になり、昭和六十四年二月までに友人との旅、出張時の小さ な旅に 出て、感じた事を詩や散文にしたためてきました。 サラリーマンになってからは、自腹で旅の運賃を支払った事はあり ません。 と言うか、研究者の時は学会発表時に、また開発部時代は日本全国 の病院を 廻り、治験の依頼や調査票の回収、研究会などの業務が終わり、翌 日が休日 の際にその近くを観光しました。当然、業務以外のルートで事故が 起こった 場合には労災が認められないのは覚悟の上です。運良く、事故、事 件も無く 無事に定年を迎えられました。 68 何故、旅費を節約したのでしょうか? それは・・・ 六歳下の弟が赤ん坊の歳、高熱を出し、新薬と言われ、強い薬が打 たれた そうです。右手が少し麻痺し、聴覚が失われましたが、命は取り留 めました。 後日考えるに、小児麻痺ウイルスに罹って、抗生剤のストレプトマ イシン難聴 と考えられます。小学時代から医者になって、難聴の研究をしたい と思いました。 当時、日本大学が日本の大学で一番と思い、入りたいと考えていま した。 確か、中学に入学してから、東大が日本一と知り、負けず嫌いの私 は東大を 目指します。第六学区は両国高校から東大へのコースですが、区立 桜道中学 卒業生からは毎年一人位の超難関と聞き、発奮しました。しかし、 三年の或る晩、 父母の話し声が勉強部屋に聞こえました。 ﹁遅い子で下に三人も居るから大学は無理だわな﹂の一言を涙なが らに聞き、 大学進学を諦め、職業高校に志望を急遽変更したのです。都立蔵前 高校に受かり、 英語の最初の授業で、谷川先生が、﹁今は景気が良く、職業高校生 は金の卵と、 もてはやされているが、不景気になれば最初に首を切られる。何と かなるなら 絶対に大学に進め﹂と言われ、仰天。受験戦争も終え、ゆっくり遊 ぼうと思って いたので。それから電気科四十名中、十人が受験勉強を開始。経済 面から国立 69 しか入れません。医学部は難易度が高く、一浪目は埼玉大電気科と 弁護士も いいかなと都立大法文科を受験し、失敗。都立大の発表板に中学の 同級生の名が。 自分より成績が五十番も下だったのに。未だ自分の努力が足りない と、トイレで 泣きながら思った。二浪は世間体が悪いと考え、レントゲン会社に 入社。 しかし、長い人生で勉強できる時期は今しかないと、両親に土下座。 八月のボーナスを貰わず、再び予備校通い。地方大学の医学部は下 宿代がかかるし、 千葉大の医学部は難易度が高いし・・。レントゲン技師は放射線障 害があるし・・。 医療に関係が深い千葉大の薬学部と埼玉大の電気科に願書を提出。 古典と数学Ⅱの一問が三ヶ月前に予備校で習ったのと一致。ラッキ ーだった。 天が救ってくれたと。埼玉大は受けず。 薬学部は漠然と薬局の小父さんになるのかと。 ところが、薬理学、生化学、生理学、病理学、解剖学、微生物学、 公衆衛生学、 裁判化学、物理化学、放射線学、生薬学、薬剤学、合成学と医学部 に準じた 学問の多さに仰天。 薬物学教室の北川晴雄教授に、研究者になるなら学卒では無理で、 せめて二年の 修士課程を終了したほうが良いと助言され、教室に残り、修了し、 山之内製薬の 研究所に就職した。脳の研究を希望したが、既に研究者が三人いた ので、一人しか いない消化器系に回された。 70 運良く、抗潰瘍剤ファモチジン︵ガスター︶の発明、開発者の一人 になった。 学生時代に家庭教師や塾を開き、アルバイトをしたが、四歳下の 妹が高卒で就職し、 家計を支えてくれたので、永遠に頭が上がらない。それ故、余計な 二浪と修士分も あって、何事も節約し、給料はまるごと家に戻してきた。 特に、旅行の足代は、出張ついでに便乗! このように人生とは人との出会いや環境、境遇によって左右され る。 都会の喧騒から離れた旅は好きです。自然との語らい。しかし、 自然の中で息づく 人々との触れ合いなくしては、自然との対話もあったものではない と気付いた。 自然と共に生き続ける人間の歴史、文化、経済などが、そこかしこ に厳然と存在する。 万象皆師・・。観る側のアンテナを鍛えて鋭敏にしておかなければ、 網膜に、心に 焼き付ける事は出来ない。一段とアンテナを磨き、次の旅に出たい。 あなたにも是非、旅の醍醐味を存分に味わって欲しい。 一読して、どのような感想を持たれましたか。忌憚の無いご批評 を頂ければ幸いです。 なお、小説﹃ネガの絆ー歌咲くクラス仲間ー﹄も本サイトで無料掲 載していますので、 ご愛読下さい。 それでは、次回作でお目に掛かりましょう。 二〇一〇年九月 高 木 徳 一 71 たかぎ とくいち 高 木 徳 一 1944年6月5日東京都葛飾区新宿︵現高砂︶生まれ。 区立住吉小学校卒、区立桜道中学校卒、都立蔵前高等学校 ︵電気科︶卒、千葉大学薬学部卒、同大学院修士課程︵薬 物学︶修了。 山之内製薬︵現アステラス製薬︶中央研究所入社、薬理研究 グループ︵消化器︶、開発部、国際開発室、瀋陽山之内研修部、国 際アジア事業本部、日本シャクリー製品開発本部 資格:薬剤師、薬学博士 ﹃炎に死す﹄︵筆名高徳春水、第1回﹃鶴﹄シニア自分 著書:﹃抗潰瘍剤ファモチジン︵ガスター︶の薬理学的研究﹄ 史大賞佳作、鶴書院、1996年︶ ﹃ホンニナル出版﹄Web公開︵07/5∼09/7︶小説部門 イエチエ http://www.honninaru.com/w イエチエ eb︳order/publish/ 小説 からくり 第1作目:﹃北京の月季︵ばら︶﹄ 第2作目:﹃愛と死の絡繰−北京の月季︵ばら︶増補版−﹄、 第3作目:﹃生かされて華開く−世界的新薬開発の裏窓−﹄ えにし 第4作目:﹃ネガの絆−歌咲くクラス仲間−﹄ 第5作目:﹃縁の環﹄ 第6作目:﹃南無妙物語︵心の一滴︶﹄癌シリ−ズ① 第7作目:﹃挑戦の座標軸﹄癌シリーズ② 第8作目:﹃希望の確率﹄癌シリーズ③ 第9作目:﹃赤い笹舟﹄戦争シリーズ① 第10作目:﹃炎に死す︵改訂版︶﹄ 第11作目:﹃いろはにほへと﹄戦争シリーズ② 第12作目:﹃ナナカマド﹄戦争シリーズ③ 第13作目:﹃愛の万華鏡﹄ 72 第14作目:﹃逆走の闇﹄ 第15作目:﹃黒服の客﹄﹂ 第16作目:﹃花風に魅せられて﹄ 定年後は、自治会の地区副部長を務め、幼馴染みと旧交を 温めながら執筆活動を続けております。 趣味:文化的散策、小説・詩創作︵過去;軟式の野球、庭球︶ 現住所:〒125−0054、東京都葛飾区高砂8−27−13 電話番号:03−3607−9829 http://goo.blog.ne.jp/ Eメール:toku−6.5@crest.ocn.ne.jp ブログURL tokuichit/ 検索方法︵友人、知人への紹介︶:グーグ ル、グー、ヤフー、MSNなどで﹃高木﹄または﹃高木徳一﹄と漢 字入力して検索すると、30社の﹃無料ブログ﹄にリンク。そこか ら主ブログの﹃ブログ人﹄を覗くと、購入時製本、配本会社の﹃ホ ンニナル出版﹄と電子本書店の﹃でじたる書房﹄へのリンクが張っ てあります。 73 PDF小説ネット発足にあたって http://ncode.syosetu.com/n6506o/ 旅情詩に恋して 2016年7月15日00時31分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 74