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ニュースレターNO.2 - セイブ・イラクチルドレン・名古屋

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ニュースレターNO.2 - セイブ・イラクチルドレン・名古屋
〒466-0015 名古屋市昭和区御器所通3-18 エスティプラザ御器所4A
(小野万里子法律事務所)
TEL052-852-1336
FAX052-858-3851
http://www.iraq-c.gr.jp
イラクの子どもたちの
いのちと平和のために
訳者/渡邊真紀子・池田 守
これからも イラクと日本の架け橋に
イラクの人々が求める支援を
代
表
小
野
万
里
子
セ
イ
ブ
・
イ
ラ
ク
チ
ル
ド
レ
ン
・
名
古
屋
この1年、医薬品・医療機器の贈呈、
医師研修、患者の治療と、イラクから
要請された支援にとりくむことができ
ました。全国のみなさんからのご厚意、
そして名古屋大学病院をはじめとする
医療関係の方々のおかげと、厚く御礼
申し上げます。
「バイバ∼イ」と元気に手を振って
帰国したアッバース君がわずか4ヶ月
後に急死との予想だにしない展開に、
支援活動この1年と、これから
スタッフ一同の落胆は大きかったので
すが、日本各地から、そしてイラクの
人々から、「他の子どもたちが、あな
たたちを待っている」「引き続きイラ
クとの架け橋に」等とたくさんの暖か
い激励をいただき、活動を中断するこ
となく来ることができました。
イラクの病院のホームページで大き
く紹介されたり、名古屋弁護士会の人
権賞を授与されたりと身にあまる光栄
をいただいた1年でもありました。反
面、「殺す側、占領側の者たち」と支
援を拒否されたことも忘れられませ
ん。ファルージャ攻撃のときに送った
緊急医薬品の一部は、「日本から」と
明示することなく届けざるを得なかっ
たのでした。
イラクでは選挙も終わり、マスコミ
等で報道される機会も少なくなってき
ました。しかし、戦争に痛めつけられ、
医療現場は改善されないままに、日々、
人々が命を落とし続けています。イラ
ク戦争で多用された劣化ウラン弾のた
め、白血病やガンの子どもはさらに増
え続けるでしょう。私どもは、当面は、
医薬品贈呈と医師研修にとりくむ予定
です。愛知医科大学病院のご厚意で、
イラク人医師が骨のガンについて学ば
せていただくことが内定しておりま
す。引き続いてのご支援をよろしくお
願いいたします。
アッバース君からの遺言
の多くは、単に「かわいそうな子へ」
ではなく、紛うことなく「大国による
現代戦争の犠牲児へ」と向けられたも
のでした。彼は、平和への祈りのメッ
セージに彩られていました。
児白血病の分野で世界のトップ
クラスとされる名古屋大学病院
で治療でき、経過良好で帰国できた彼
をも救命できないほどに、イラクの戦
争後遺症は深刻であることを、彼の死
ははからずも物語っています。
ッバース君は、
「イラクジン ダ
カラ イラクニ カエルヨ バ
月 6 日、アッバース君(6 歳)
イバイ」と日本語で言って帰国しまし
がイラクで急死しました。
湾岸戦争で劣化ウラン弾を浴びた兵士 た。「イラクジン」であるがゆえに死
を父に持ち、高度放射能汚染地域のバ ななければならなかったアッバース
スラで生まれ育った、典型的なウラン …。その不条理を思うとき、やはり私
弾禍の子どもでした。「アッバースを たちは足を止めてはならないのだ、彼
救うことはイラクの激増する白血病の の後ろに列をなしている「何千人もの
子どもを救う一歩」ととりくんできま 死に逝くアッバースたち」のために活
動することが彼の死にむくいる道だ、
したが、残念な結果になりました。
主治医のフサーム医師によると、 と考えるのです。
引き続いてのご支援をお願いすると
「アッバースは帰国以来ずっと元気に
していて、死の前日の 2 月 5 日も、日 ともに、どうか皆さんも、時に、彼の
中はいつものように兄弟たちと元気よ あの大きな目を、ツルツルのあの頭を、
く遊んでいた。夜中に頭痛を訴え発熱 思い出してあげて下さい。そのことが
し、明け方にはけいれんも始まったた 戦争も劣化ウラン兵器もない平和な世
め、病院に搬送され、1 時間後に死亡 界をつくっていくための礎になると、
(小野万里子)
した」とのことでした。死因について 信じています。
は、感染性の髄膜炎を疑うが、あまり
ジャーナリストの田保寿一氏による
に短時間の容態急変で、断定できない
ドキュメンタリー作品「アッバース
そうです。
った一つの外国人の命のために、 君が 6 歳で死んだ理由」(DVD)が
完成しています。ご覧になりたい方
日本全国から何千何万という尊
は貸し出します。
(無料)
い支援が寄せられました。そして、そ
小
ア
2
た
寄稿
アッバース君の両親から
日本のみなさん、
アッバースの治療を
応援していただいた
みなさん。
アッバースは亡く
なりましたが、たい
へん幸せな子どもで
した。日本で治療し
ていただいたおかげで、亡くなる直前ま
で全く苦しむことなく、静かに息を引き
取ることができたからです。
イラクにもどってからのアッバース
は、とても元気で、体も大きくなり体重
も増えていました。もとのきれいな色の
髪が伸びて、目は輝いていました。少し
大人びた感じで、
私たち大人と一
緒にイスラムの
お祈りもできる
ようになってき
ていました。
私たちは、ア
ッバースを守るために細心の注意を払っ
ていたのですが、残念ながら、死という
悲しい結果を避けることはできませんで
した。
イスラムのすべての子どもたちがそう
であるように、アッバースも鳥のように
とびたって天国で安らかに過ごしている
と思います。私たちは、今もアッバース
を想い続けて、そして、アッバースの純
粋な魂を感じています。本当にありがと
うございました。
アッバースの母:アヌワル
父:アリ
名大病院におけるアッバース君とアサード先生
∼イラクへの医療協力のはじまりと語られる日がくることを∼
名古屋大学医学部小児科
小島勢二教授
大きな体のお母さんの陰に隠れて、私
の前に現れたアッバース君は、青い目が
印象的な5歳の少年であった。名大病院
の小児科病棟にある 20 ㎡の個室が、
アッ
バース君にとって全世界となった。とて
も恥ずかしがり屋で、最初は私たちや看
護師にも、なかなか打ち解けることがな
かったが、日本のテレビのアニメ番組は
気に入ったようである。しかし、環境に
慣れるにつれ、病棟内のプレイルームで
日本の子どもたちとの交流もみられるよ
うになっていった。イスラムの戒律では、
女性は人前でベールを被らなければなら
ない。入室時に、母親があわててベール
を被る光景をしばしば目にした。私達も
病室のドアのノックから入室までに間を
おくコツを覚えた。
言葉が通じないアッバース親子に対す
る回診風景を紹介する。毎朝、他の患児
と同様に7∼8人の医師チームで回診を
おこなった。チームは私を含め、卒後 10
年の小児血液専門医、卒後4∼5年の小
児科若手医師、ローテート研修医、学部学
生、さらに1∼2名の外国人留学生とア
サード先生が加わった。質問したい内容
をまずアサード先生に英語で伝え、アサ
ード先生が母国語に通訳し、さらに母親
からの回答を英語で私達に伝えた。後半
には親子ともにある程度の日本語を理解
できるようになり、アサード先生の同伴
なしに回診ができるようになった。アッ
バース君の会話能力の上達はめざまし
く、検査の際に「痛いからやめて」と最初
に日本語で叫ばれた時は驚いた。
アッバース君の治療は、薬剤による肝
機能障害の出現や好中球減少時に感染症
による発熱のエピソードはみられたもの
の、順調に予定通りの治療を終え、帰国の
途についた。
アサード先生は回診や入院患者の症例
検討会に出席するほか、血液病の顕微鏡
標本の見方、フローサイトメトリーによ
る免疫学的白血病診断法などの研修をお
こなった。骨髄採取にも何度か立ち会い、
イラクには骨髄移植をおこなえる施設が
ないことから、ことの外、興味をもった
ようである。内科学一般の知識に富み、
帰国した医師の活躍
総合的なガンセンター設立へスタート
モハメド医師は、ファルージャ難民
キャンプで積極的に活動しています。
感染症などに苦しむ子どもたちのケア
のほか、食糧や生活物資を届けるなど
の支援も行っています。また、日本の
支援者から託されたお金で、勤務先の
バグダッドセントラル教育病院の小児
平和を願って(アサードさん作)
白血病棟を整備しました。現在は小児
科の博士号取得に向けて、一所懸命勉
強しています。
アサード医師は、医師や保健職員に、
骨髄移植や「環境汚染とガン」につい
て講義を行っています。ガンセンター
バグダッド近郊のファルージャ難民
での仕事の傍ら、過去 10 年間に見つ キャンプ
かっている血液ガンの研究にも従事
し、医薬品や医療器具を揃えるために
日本からの支援金を片手に奔走してい
ます。また、医療費の支払いが困難な
患者さんには家まで訪ね、無料奉仕で
診察するなど、献身的に活動をしてい
ます。
日本からの支援金で医療品を購入す
るアサード医師
日常生活のサポートをして
通訳など通じてのおもい
浅見裕子さん
渡邊真紀子さん
(主婦・写真家)
(南山大学大学院)
戦禍のイラクか
ら来日した青年た
ち(二人の医師と若
い母親)と少年アッ
バースは、太平洋戦争
直後の日本の人々と重なりました。
イラクからのニュースに苦悩の表情
を見せる彼らは痛々しくもありまし
た。日本政府が米国に加担し、それ
を我々は止められないでいる。親身
になって彼らの生活援助をすること
がせめてもの償いでした。イスラム
教徒の生活様式を頑固に崩さない様
子を見て『彼らは簡単にはアメリカ
化されまい』と頼もしくも思いまし
た。彼らの日常が平和になることを
願っています。
私にできること
を、という思いで
始めたこのお手伝い
を通して本当に多く
のことを学びました。
印象的なのは、アサード医師の「ア
メリカとも平和な関係を築いて、ア
メリカの知識や技術なども、イラク
の復興に役立てたい。希望を捨てて
はならない」という言葉です。憎し
みではなく、平和や未来を志向でき
る開かれた心を、私たち一人ひとり
が持つことがとても大切だと教えて
もらいました。自他の命を尊べる心
を広げて、平和が根をはるように、
これからも活動していきたいと思い
ます。
症例検討会の席においては、私の方からア
サード先生の意見を求めることもしばし
ばあった。アサード先生が医療チームに
加わったことを契機に小児科の症例検討
会は英語でおこなわれるようになった。
イラクから悲しい知らせが届いたのは、
アッバースが帰国した4カ月後であった。
メールの内容は、
本誌にもあるように
“死亡
した前日の夕方まで兄弟と元気に遊んで
いたが、
深夜に頭痛を訴え、
翌朝急に発熱と
ケイレンをおこして、
病院に運ばれたが、
そ
の時点ではすでに意識なくまもなく息を
ひきとった”とのことであった。来院時の
血液検査では、白血病の再発を思わせる所
見はなく、
感染性の髄膜炎、
あるいは急性脳
症の可能性が高いと推測している。
日本を含め、
欧米の先進国においては、い
まや 80 %以上の急性リンパ性白血病に罹
患した小児において治癒が望める。一方、
世界の人口の 80 %を占める発展途上国で
は、小児急性リンパ性白血病の治癒率は
25 %以下で先進諸国との格差がはなはだ
しい。現在のイラクのように戦乱が続く
発展途上国では、
小児医療は顧みられず、
治
癒する白血病患児は限りなく0に近い。
これまでも小児急性リンパ性白血病の治
療については、国際間での医療援助がおこ
なわれ、開発途上国においても短期間に治
療成績の向上が得られた実例が報告され
ている。アッバースを巡る物語が、エプロ
ーグでなく、わが国のイラクに対する医療
協力のプロローグであったと後になって
語られる日が来るのを希望してペンを置
く。
アサード・アブドゥルアミ
ール・カラフ 医師
(バスラ・サドル教育病院)
私は、名古屋大学附属病
院で小島教授のご指導の下で
骨髄移植を学び、この分野の重要
な情報と、経験をつむことができました。また、
血液病専門医に必要な研究作業についても学びま
した。たいへん感謝しております。
帰国してからは、バスラガンセンターで白血病
や悪性腫瘍の患者を治療しています。そして、放
射線療法が行えるように短期的には、ガンセンタ
ーを再編成する計画をすすめています。その建物
内には骨髄移植用に隔離された無菌室を作ろうと
考えています。長期的には、総合的なガンセンタ
ーを設立するプロジェクトが現在イラク保健省で
検討されています。バスラで確認されているガン
の科学的な研究をはじめるために、アルアリ医師
のもとで国際的指針にそったチームを設立しまし
た。
日本で一年間過ごし、日本のすばらしい社会
的・文化的慣習を学んだことは、母国イラクでの
復興をすすめる勇気を与えてくれました。
きびしい状況の中でも私が頑張れるのは「日本
での素晴らしき一年」のおかげです。
それは充実していて楽しく、とても平和でした。
みなさま方のご活動が子どもたちを救い、命の花
を咲かせ、広がり継続されていくことを願ってや
みません。そして、日本とイラクの平和を願う
人々の間の架け橋は、強固になっていくでしょう。
これからも絶えることなくおつきあいを
人類のための貢献に感謝
モハメド・ダハム・ハッサン
医師
(バクダッド・セントラル教育病院)
はじめに、私の日本での滞在
をこの上なく支えてくださったみなさ
んに、感謝の気持ちを申し上げます。医療に関す
るたくさんの役立つ知識を身につけることができ、
またみなさんが私の母国の現状を深く理解し、心
寄せてくれていることを知ることができました。
私がお伝えしたいのは、みなさんは人類のために
大きく貢献しているということです。それはイラ
ク人に、みなさんのことをよく知る機会を与えて
くれました。
私を含めたイラク人は、日本社会にもっと親近
感を持たなければなりません。「あなた方は素晴ら
しいひとたちです。平和で人道的なさまざまな国
と良い関係を築いていかれ、感謝されるでしょう」
と、日本の皆さまにお伝えください。心より、お
礼を申し上げます。皆さんとは、これからも絶え
ることなくお付き合いさせてほしいと思っていま
す。
6 万点をこえる医療機器支援
イラク国内の病院では、爆撃による医療施設の破壊
や経済活動の遅れにより、医療機器などの深刻な不足
状態が続いていることを聞き、中古の医療機器を贈る
活動をとりくみました。
医療機器の募集にあたっては、愛知県保険医協会の協
力を得て、現地
の病院が必要と
している医療機
器希望リストを
例示して、提供
の協力を呼びか
けました。
募集は、昨年
6 月 10 日から
7 月 10 日までの 1 カ月という短期間にもかかわらず、
多くの医療機器提供の申し出があり、「セイブ・イラク
チルドレン・札幌」および広島からの提供分を含め、
57 医療機関から 268 種類 65,169 点、総重量 20 ト
ンという膨大な量となりました。
これらの医療機器は、40 フィート(約 12m)のコ
ンテナ 3 本と 20 フィート(約 6m)のコンテナ 4 本に
入れて、8 月 3 日と 11 月 23 日に、名古屋港から送り
出しました。
贈呈先は、バスラ教育病院、バスラ母子病院、バグ
ダッドセントラル病院の 3 病院で、第 1 便は昨年 9 月
27 日に、第 2 便は今年 3 月 3 日に受け入れ先窓口のバ
スラ教育病院に
到着し、今では
日常診療に使わ
れています。
一度にこれほ
ど多数の医療機
関から大量の医
療器機・器材の
提供で、イラク
から感謝の言葉がよせられています。
【65,169 点の主な医療機器】※カッコ内は個数
CT 装置(1)、レントゲン装置(4)、脳波計(1)、超
音波診断装置(11)、心電計(9)、遠心分離器(4)、
顕微鏡(9)、全身麻酔機器(2)、人工呼吸器(3)、保
育器(6)、血圧計(26)、ベッド(40)、輸液セット
(6,270)をはじめ、合計 268 種類 65,169 点
1000 万円をこえる医薬品支援
今なお、医療機材や医
薬品はまったく不足して
います。私たちは、現地
病院からのリクエストを
もとに、これまでに 1 千
万円をこえる医薬品を贈
ってきました。
バスラゼネラル病院への記録用 PC
2003 年
支援先
内 容
ナシリア母子病院と 一般薬
ラマディ総合病院
20 万円
4月
バ グ ダ ッ ド 周 一般薬
辺の病院
(複数) 150 万円
6月
バスラ教育病院
抗ガン剤
150 万円
バ ス ラ 母 子 病 抗ガン剤
11 月
院、教育病院
120 万円
薬が届きよろこぶ子ども
(バスラ母子病院)
「医療支援物資を受け
支
取りにクウェートに行か
援
ない?」との小野代表の
物
誘いに、中学 2 年の息子
が「仕分けを手伝った物
資
資が現地に着くのを見た
ル
い」と言い出し、8 月 31
日、灼熱の地(最高気温
ー
50 ℃超)に、小野代表・
ト
私・息子の 3 人で乗り込
みました。物資の送り先
の
副代表・整形外科医
バスラは国境からわずか
開
塩之谷香
100km、輸送にはクウェ
拓
ート港経由が手っ取り早
くてリスクも少ないのです。正味
3 日の滞在中、日本大使
に 館、HOC(Humanitarian Operations
Center ・人道支
、 援センター)、海運・陸送会社を行き来しました。
ク 物資の国境越えは HOC の管轄下で、担当のジョージさ
んは懸命に努力してくれましたが、台風による船の遅延、
ウ 「お前達は何をそんなに急ぐのだ」というアラブ流の会社側
ェ の対応、中 1 日が現地の休日で事務が進まず。残念ながら
ー 届いた物資をこの目で見ることはできませんでしたが、物
資支援のためのルートを開拓でき、その後、無事物資は現
ト 地に到着しました。
クウェートはオイルダラー超大国。ビルが建ち並び高級
へ 輸入車が走り、港にはクルーザーが所狭しと並んでいます。
2004 年
支援先
内 容
5月
ファルージャ総合病院
抗生剤・外科薬など 200 万円
10 月
ファルージャ総合病院
抗生剤・外科薬など60万円 ※JVCと協力
12 月
バスラ母子病院
抗ガン剤など 110 万円
2005 年
支援先
内 容
抗生剤・一般薬 82 万円
2月
ナシリア総合病院
3月
バスラ・ゼネラル病院、教 医療器材を含む医療品 55 万円
※イラク支援・医療人ネット
育病院
OSAKA と共同
4月
ナシリア母子病院
人道支援センターのジョージさん
(右から 2 人目)と
本来なら産油国として、同
じような安定した環境でも
おかしくないのに。
クウェートタワーに昇る
朝日を眺めながら、ここか
らほんの少し先のイラクの
人達も、穏やかな気持ちで
朝が迎えられる日が一日で
も早く来ますように、と心
から祈りました。
活動の中心を担ってきた高校生二人が志望校に合格し、
この 4 月、元気に巣立って行きました。
東京大学 1 年
川谷恵さん
イラクチルドレンの活動
を通して「世界の現実」を
学びました。日本での私の
横浜国立大学 1 年
豊田龍佑さん
テレビや新聞上の出来事
に高校生ながら直接関われ
る経験をするなんてなかな
生活が、世界から見ればい
かに特殊であったかを知っ
たことが、私の意識を変え、
生活をも変えていきまし
た。また、さまざまな方々
にお会いし、刺激を得たこ
とが「もっと勉強したい、
知りたい」という強い気持
ちにもつながったのです。
これからも、イラクチル
ドレンで学んだことを土台
に、さらに学び、努力して
いきたいと思います。
か難しい。だけど、私は
SIC を通じてそれをでき
た。イラクなんて行ったこ
ともないような場所と名古
屋のある会議室がリンクし
てる。そして初めてイラク
人に出会う。初対面なのに
以前から知ってたような気
持ちでいたのは後から考え
るととても神秘的だ。そし
てアッバースの死。SIC で
一番よく学んだのは生きる
というありふれたことだっ
たように感じる。
世
界
の
現
実
を
知
る
学
ん
だ
﹁
生
き
る
﹂
※イラク支援・医療人ネット
OSAKA と共同
抗生剤・一般薬 82 万円
イラクの深刻な実態を伝えて
※イラク支援・医療人ネット
OSAKA と共同
日本のみなさん イラクへ送る CT スキャンの研修
ありがとう
に来日した二人の技師から
ワファア・バーダーさん(バスラ母子病院)
最初は日本にくることに複雑な気持ちでした。
でもいまは、私のもう一つの「家族」を残してイ
ラクへ帰ることはとても残念です。
皆さんと過ごしたことはけっしてわすれませ
ん。
私たちは、セイブ・イラクチルドレンを「日本
のグループ」というより、私たちと心を同じにす
る「イラクのグループ」としてみています。イラクへ帰ってからみな
さんの好意を生かしてがんばりたいと思います。
アブドゥル・フセイン・アリさん(バスラ教育病院)
研修で日本にくることができ、たいへんうれし
いです。親切にサポートしていただき感謝の気持
ちでいっぱいです。医療機器、CTをイラクで立
ち上げるために、たくさんのマニュアル、組み立
て、メンテナンスなど学ぶ情報があまりにも多く
ありますが、支援したいただいたみなさんと自分
たちのために頑張りたいと思います。
フレンドシップが永久につづくように。皆さんのことは、イラクへ
帰ってからもずっと忘れません。
イラク人医師を招いた講演会
この一年、私たちはイラクの深
刻な実態を少しでも多くの日本の
方々に知っていただこうと、さま
ざまな活動を続けてきました。
2 月にバスラのアル・アリ医師、
6 月にジャナン医師とジャーナリス
トの安田純平さん、12 月にアサー
ド医師とボランティアの高遠菜穂
子さんを迎えての講演会を、それ
ぞれ数百人規模で開催。また、各
地で多彩にとりくまれている大小
イラクの実態を伝える高遠菜穂子さん
(左)と安田純平さん(右)
名古屋弁護士会 2004 年人権賞受賞
式(04.12.15)
さまざまな催しで、お話ししたり、 やイラク現地への働きかけを不眠
不休で行い、10 月には帰国したモ
写真パネルを展示したりしていま
ハメド医師の支援要請で、ファル
す。
ージャへの緊急援助と宣伝行動、
小野代表をはじめ、スタッフや
などその時々に求められる活動に
イラク人医師が出かけて話をした
も全力でとりくんできました。
ところは 200 ヶ所前後。ニュース
12 月には名古屋弁護士会から
レター、ホームページなどでもイ
ラクの実態を伝え続けてきました。 「当地で優れた人権活動をしている
民間の個人・団体」に贈られる
日本人人質事件では、アッバー
ス君来日の恩人でもある高遠菜穂 「人権賞」を受賞。今後の活動への
大きな励ましとなりました。
子さん救出のため、街頭座り込み
薬や設備の不足、電気、清潔な水が不足して、多
くの命が失われていっています。治安も悪く、イ
ラクのどこにいても平穏な気持ちになることがで
きません。
今イラクで緊急に最優先に必要なのは、道の
整備やゲートを作ったりすることではなく、苦
しんでいる子どもたちを救う人道支援です。
私たちはそれを、日本の皆さんに強く望んで
います。
引き続きみなさんのご支援が 必要です。
化ウラン(D.U.)
の先天性異常の増加が起こって
医師 ジャワード・アル-アリ
は原子炉の燃料
います。ガンの割合、特に小児
バスラ イラク
となる濃縮ウランを
白血病の割合の増加は非常に目
2005 年 2 月 22 日
取り出した後の放射
立っています。ガンの発生に対
性廃棄物です。D.U.
するリスクは一つのみの要因によるのではなく、
の半減期はおよそ 45
多様な要因によるものでした。というのも、ガン
億年です。アメリカ
の発生に対してリスクのある幾つもの要因は
にはこの物質が大量
1991 年の戦争以前からすでにあり、湾岸戦争後
にあり、100 万トン
に加わった新しい要因は劣化ウラン及びその放射
程度はあると推定さ
能だけであるのでガン患者の発生の急速な増加は
れています。この有
そのためだと考えられます。劣化ウランとガンの
害物質を処分するの
関係は依然、正式には確認されていません。なぜ
は困難で、この物質
なら、患者の細胞組織や体液から劣化ウランを検
の存在が放射能と環
出する設備が不足しているからです。イラクでは
境汚染をもたらしています。ここ 50 年の間に戦車
放射線を原因とするあらゆる染色体異常を検出す
や装甲車の鉄板を貫通することが可能な兵器の製
る確かな調査が必要になっていますが、同じ理由
造に関する試みが数多くなされてきており、劣化
によりこの国で行うことはできません。
ウランがその兵器に選ばれました。劣化ウランは
ラク戦争ではより多くの劣化ウランがより広
1991 年の湾岸戦争で、イラク軍に対して歴史上
い規模でそして郊外よりも市街地で使用され
初めて使用されました。バスラの西部で使用され
ました。今私たちはガン(白血病)の増加の初期
た劣化ウランの総量は 300 トン以上もあると見ら
の兆候を確認しています。半減期が長く放射線を
れており、バスラの北 100km をこえる地域にわ
長期にわたってゆっくりと放出する劣化ウランと
たって汚染をもたらしました。
ガンの関係を確かめるため、共同の研究と調査活
この地域における放射能レベルは大気中、地中、
動が必要です。それはアメリカとイラクの DU に
水中に関わらずあらゆるところで高まりました。
対する考え方の違いを解消することとなるでしょ
劣化ウランの健康に与える効果はそれが危険なも
う。
のであるかそうでないのかについて大いに議論の
人の方々の助けがイラクの子どもたちの痛み
対象となる問題でした。この物質の影響は科学的
や苦しみを和らげる力になります。日本のセ
に見れば放射線を放出するものであるために危険
イブ・イラクチルドレンはこの分野において多大
なものですが、政治的には自国から遠く離れた地
な貢献をしてくださいました。またイラクと日本
で広く使用したアメリカ人が危険でないと主張す
両国の良好な関係および友好のため、日本のその
るために、危険ではないとされています。
他多くの機関による援助と支持がありました。
.U.に加えて膨大な量にのぼる従来の爆弾の使
界に平和が訪れ、核兵器を含む大量破壊兵器
用が地域の汚染状況を悪化させています。経
がこれ以上増えることのないよう望みます。
済制裁もイラクの人々、とりわけイラクの子ども
そしてこの世界が愛で満たされることを切に望み
たちの健康状態を悪化させました。結果としてイ
ます。
ラクでは子どもの死亡率、ガン、感染症、新生児
劣
劣
化
ウ
ラ
ン
と
イ
ラ
ク
の
健
康
状
況
イ
友
世
D
劣化ウラン弾って?
核のゴミである劣化ウランは、貯蔵を続けるのも容易ではなく、
劣化ウラン弾として使えば廃物利用にもなります。しかも、ウラン
の比重は鉄の 2.4 倍もあるので、劣化ウラン弾を使えば戦車の装甲
などを簡単に突き破ります。問題はその後で、鉄の装甲を突き破っ
た摩擦熱で劣化ウランは3千°C以上の高熱で燃えて戦車内部を焼
きつくします。燃えたウランは 0.001 ∼ 5 ミクロン(1 ミクロン
は千分の 1 mm)サイズの酸化ウラン微粒子となって大気中に広が
り、呼吸とともに生命の体内に入ります。体内に入ったウランは破
壊力の強いα線を出して近くの細胞の DNA を破壊し、ガンや先天
異常の原因となると考えられます。
砂漠に落ちていた30ミリ劣化ウラン弾(イラク・クウェート
国境非武装地帯)森住 卓氏撮影
いまこそ必要な
“人道支援”
ハッサン・アボットさん
アッバース君を治療して下さっ
たことをたいへん感謝していま
す。このご恩をイラク人は一生忘
れることがないでしょう。
今回私は、メディアが伝えない
本当のイラクの状況を知っていた
だきたくて、日本に来ました。日
本の一般市民の方々が平和を愛
し、私たちイラク人の苦しみを充
分に理解し、イラク人の気持ちに
寄りそって活動して下さっている
フリージャーナリスト
イラク・バビロン在住
(
)
ことを知り、たいへんうれしく、
また心強く思っています。
イラクの病院では薬やベッドが全
く不足しています。選挙が終わって
からも、それが改善されるきざしは
全くなく、多くの医師たちが「イラ
ク戦争前の方がまだましな状況だっ
た」とさえ言っているくらいです。
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私たち市民の小さな力でもできることはたくさんあります。
あなたのまわりでも こんな支援ができます
ぜ
ひ
ご
支
援
を
お
願
い
し
ま
す
。
こんな支援があります。
●イラクへの医薬品等のための募金
●イラクの現状を伝える写真展、講演会、学習会等の企
画(写真パネル・映像資料を貸し出します。講師派遣
します)
●研修するイラク人医師らの日常生活のサポート
●このニュースレターの紹介
●「セイブ・イラクチルドレン・名古屋」の日常事務活
動の補助
●ドキュメンタリーDVD「アッバース君が6歳で死ん
だ理由」
(田保寿一作品)の上映(無料で貸し出します)
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(郵便番号
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(電話番号
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附
裏面の注意事項をお読みください。(私製承認名第6
4
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5号)
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これより下部には何も記入しないでください。
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(消費税込み)
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円
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殊
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十
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受付局日附印
円
名古屋から日本各地へ
ひろがる架け橋
私たちは日本各地で活動する、イラクへ
の医療支援を行なう団体と情報の共有・提
供をしています。また、支援だけでなく文
化的交流を深めている地域もあります。
北海道 「セイブ・イラクチルドレン・札
幌」「同・旭川」2004 年 8 月、医療機
器支援を一緒に行ないました。また
2005 年 4 月には、単独でコンテナ 2
台分の医療機器をナシリアに向け出航さ
せています。
大 阪 「 イ ラ ク 支 援 ・ 医 療 人 ネ ッ ト
OSAKA」300 万円分の医薬品や医療
器材支援を私たちと共同で行なっていま
す。
広 島 「セイブ・ザ・イ
長崎
ラクチルドレン広島」
2004 年 5 月∼ 10 月バ
宮崎
スラ母子病院よりフッサ
ーム医師を招き、広島大
学病院での研修を行ない
ました。医療機器支援に
もとりくんでいます。
長 崎 「アジアと結ぶ市
民の会・長崎」2005 年
3 月、バスラより 2 名の
イラク人医師を招聘し、
長崎大学病院での研修を
行なっています。
トルコ
イラク
シリア
イラン
旭川
札幌
バグダッド
ヨルダン
ナシリア
バスラ
クウェート
札 幌
サウジアラビア
長野
東京
岐阜
大阪
広島
名古屋
バスラ・サドル教育病院がホームペー
ジでセイブ・イラクチルドレンを紹介
http://alsadarhosp.p5.org.uk/SIC-N.htm
バスラ・サドル教育病院
カリド院長
広 島
セイブ・イラクチルドレン・名古屋は、
医薬品や医療機器の支援だけでなく、最
良のそして有益な医師のスキルアップの場
も提供してくれた。バスラの将来のがん治療に
向けての大きな一歩となるだろう。このような関係を広
く世界の NGO との間でも築いていきたい。
大 阪
長 崎
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http://www.iraq-c.gr.jp/
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この受領証は、郵便局で機械
処理をした場合は郵便振替の払
込みの証拠となるものですから
大切に保存してください。
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ムタ
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ジで
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る
ご注意
この払込書は、機械で処理し
ますので、口座番号及び金額を
記入する際は、枠内に丁寧に記
入してください。
ま た、本 票 を 汚 し た り、折 り
曲げたりしないでください。
この払込取扱票の裏面には、何も記載しないでください。
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