...

資料 - 中東協力センター

by user

on
Category: Documents
25

views

Report

Comments

Transcript

資料 - 中東協力センター
第40回中東協力現地会議講演
2015年8月28日(金) ヒルトン・ミュンヘン・ホテル
中東の権力変動と新地政学
山内昌之 東京大学名誉教授
はじめに
中東では「敵の敵は味方」という言葉がある。しかし、
「混乱したリアリティ」ともいう
現実の中東情勢では、しばしば「敵の敵はやはり敵」という事態も進行している。グロー
バルな次元でいえば、地政学とエネルギー安全保障などで最大の脅威は、ほぼすべての国
にとって、イスラム国(IS)になるだろう。人間性の本質を否定するニヒリズムや非イ
スラム的価値観を拒否する独特な文明論も類を見ないものである。しかし、
「敵の敵は味方」
という論法に依拠した「ISの敵のアサド政権は味方」という立場は、ロシアやイランに
は妥当しても、米欧や日本には当てはまらない。他方、
「ISの敵のクルドは味方」という
見解は、米欧や日本それにロシアには適用できても、直近のトルコには当てはまらなくな
った。それどころか、これまで密かに支援してきたISを不承不承とはいえ7月に攻撃し
たトルコは、同時にISの敵であるクルドを攻撃することで、「敵の敵はやはり敵」という
複雑な情勢を自らつくってしまった。
7月のイランの核開発停止にかかわるウィーン最終合意の今後もそうかもしれない。イ
ラン外相ジャヴァド・ザリフが述べた点だけは確かである。
「それは誰をも満足させなかっ
たが、誰にも重要なことだった」
(It wasn’t perfect for anyone but important for everyone)
。
それは、イラン世論とくにSNSでは歓迎され、あらかた「勝利」としてさえ歓呼された。
最終合意から脅威を受ける国もある。イランの公然たる敵のイスラエルと隠然たる敵の
サウジアラビアである。この意味で、6月中旬のサウジアラビア副皇太子の国防相ムハン
マド・ビン・サルマンのロシア訪問は象徴的である。副皇太子のロシア訪問は、EUと米
国がロシアを経済ボイコットし、ウクライナ問題でモスクワを制裁している時期と重なっ
ていた。ロシアによる16個の原子炉建設と運用監督における「最大の役割」をロシアに
約束したのは、「米欧の敵ロシアは味方」ともなりかねない古典的な実例にほかならない。
まず、サウジアラビアの核クラブに加入する意志が暗示されたと考えるのが自然だろう。
1
I 中東地政学の不変性と可変性
ここで中東の地政学的な特徴をまず概観しておこう。中東の核心は歴史的に見てアラビ
ア半島と「肥沃な三日月地帯」
(ファータイル・クレッセント)の2つの地域から成ってい
る。アラビア半島のベドウィン遊牧民は北のシリア、北東のメソポタミア(イラク)
、東の
インド洋に接するオマーン、南のアラビア海やアフリカに抜けるイエメン、西の紅海に接
するヒジャーズなど多少なりとも農耕や通商が可能な地域に囲まれていた。現在のサウジ
アラビアを見れば、これらの地域が現代の安全保障上死活の面であるかが分かる。
シカゴ大学の故ホジソンの考えに従えば、イスラムこそヨーロッパと中国とインドを結
びつける文明的な触媒であった。東西交易路の乾燥地帯であることは、戦略的に現代に至
るまで、不安定な様相をつねに中東に強いる遠因になったともいえる。乾燥地域と農耕地
域が重なるようにして存在しているのが中東の面白いところだ。
古代から現代にいたるアラビア半島と肥沃な三日月地帯の接する北西のシリア、北東の
イラク、南方のイエメンの彼方には「政治的奥地」ともいうべき高原が広がっている。シ
リアにとってのアナトリア高原、イラクにとってのイラン高原、そしてイエメンにとって
のアビシニア(エチオピア)高原ということなのだ。シリアもイラクもイスラム勃興の7
世紀に前後してアナトリアとイランをイスラム化しその文明圏を膨張させる前線となった。
したがって、歴史的に見ればダマスクスとバグダードがそれぞれウマイヤ朝やアッバース
朝の首都として繁栄するのは十分な根拠があったといえよう。この両軸に連なる形で現在
のアサド政権、IS,イラク中央政府のシーア派対スンナ派の対立関係が形成され、その
周辺に内戦や代理戦争の当事者としてアラビア半島(湾岸諸国を含めて)と肥沃な三日月
地帯(イスラエルやガザを含めて)の構成者が展開しているわけだ。地政学的に考えれば、
イランとメソポタミア(イラク)はシーア派の広がりはもとより、ペルシア湾の海岸部の
連続性など、決して切り離して議論できない場所でもあった。イエメンには、オマーンが
ザンジバルや南アジアと結びついていたのと同じように、まさにアフリカと向かい合う海
洋世界の論理も働いている。
イランの歴史と地政学の基本構図は、イラン高原の西にギリシャ文明圏につながるメソ
ポタミアとアナトリアが位置し、東に黄河文明を生んだ中国がある。東南にはインダス文
明を生んだインドがある。ナイル川やチグリス・ユーフラテス川やインダス川で各地域が
分けられるだけでなく、乾燥した中央アジアの草原、ステップで北とも一線を画している。
中東を常識的に理解しようとすればアラブ中心に考えればいいが、戦略的に分析するには
2
イランを重視しなくてはならない。アメリカのオバマ政権は、歴代の政権と比べてこの点
に気付いたとすれば上々吉なのだが、果たして事実はどうであろうか。
イランは南東ヨーロッパからウクライナやロシア、地中海から黒海へつながる地域に大
きく立ちはだかっている。北を見ればマッキンダーが言ったハートランド(ユーラシア大
陸の中核地域)たる中央アジア、それと唇歯の関係にあるカフカース(コーカサス)にも
じかに接し、ペルシア湾とカスピ海の両方に面している。重要なのは、核保有国に囲まれ
ている現実である。北のロシア、東北の中国、東のパキスタンとインド、西のイスラエル、
そして南のインド洋を遊弋している第5艦隊、つまりアメリカにほかならない。この脅迫
観念がイランの安全保障上の危機感をいや増す原因になっている。さらに言えば、世界で
有数の石油や天然ガスの埋蔵量を誇る地域でもあるということだ。天然ガスの推定埋蔵量
は970兆立法メートルで世界2位、石油は1330億バレルで世界3位。それぞれ世界
の確認埋蔵量の40%と70%ぐらいになる。こうしたユーラシアを扼する位置は、歴史
はもとより地政学的な意味でも現実の戦略論から見ても重要性ははかりしれない。
II 2014年夏のパワーシフト
2014年以前の中東秩序と国家の枠組みに戻るのはもはやむずかしい。
第一は、中東政治の焦点の変化と領土・国境線の事実上の変更である。ISのいう「境
界の破砕」
(kasr al-hudud)
。20世紀最大の持続的紛争のパレスチナ問題をめぐるアラブ
とイスラエルの対立は、ISによるシリアとイラクの領土的占拠の国際的脅威にとって代
わられた感もある。すでにイラク戦争(2003年)を機にイラク北部で成立したKRG
(クルド地域政府)の存在は、中東と世界で国家をもたない最大の少数民族クルドの独立
国家をイラクの一角で成長させている。
第二は、シーア派対スンナ派の対立が激化していることだ。宗教イデオロギーに基づ
く政治対決・衝突は、イランとその同盟者アサド政権やレバノンのヒズブッラーとISと
の対決のなかで明確になった。イラクでISが戦うアバディー政権もシーア派であり、米
国からの援助を受け入れながら、イランの革命防衛隊の前線投入によって権力を維持して
いる。1980年のイラク=イラン戦争で始まったシーア派対スンナ派の紛争は、新たな
戦争に発展し、宗派と政治の絡んだ文明内対立は深化する一方だ。政治化した「セクタリ
アン・クレンジング」
(宗派浄化)の恐怖は、ISと対峙するシーア派だけではない。IS
もスンナ派住民へのテロが日常化していると批判。これは、20世紀末のボスニア=ヘル
3
ツェゴヴィナ紛争における「エスニック・クレンジング」(民族浄化)を思わせる。
第三は、トルコ外交の孤立と「隣国との問題ゼロ」外交の破綻。ISやクルド問題をめ
ぐって暴力・テロ・戦争がトルコへも波及拡大し、エルドアン大統領の与党、AKP(公
正発展党)政権は、実際には敵対していなかったISとクルドを同時に敵とせざるをえな
い。トルコのPKK(クルディスタン労働者党)はじめクルド人はISの敵米欧から援助
を受けており、ISは長いことクルドの敵のトルコによる人員物資の国境通過や軍資金・
援護金の送金などで協力や黙認を得ていた。エルドアンの決断は、国内政治のレベルと関
係する。今秋予定の総選挙では前回流れた反クルド票を取り戻すために、クルドとの和平
や妥協の気運を止め、PKKとの全面対決を復活させた。不本意とはいえISとの対決を
掲げたのは、米国主導の対IS作戦への参加を名分としながらクルドとの対決に米欧NA
TOの理解と支援を求めるため。
第四は、包括的共同行動計画 Joint Comprehensive Plan of Action (JCPOA) 。イラ
ンの核開発計画の減速を図るウィーン最終合意の妥結によるイラン外交の成功である。米
イラン間のデタントが進めば、冷戦期のようにイスラエルとサウジアラビアを同盟国とし
て絶対視する旧思考から米国が脱け出し、中東和平への気運が強まる可能性も排除できな
い。オバマによるキューバ、ミャンマー、イランという「敵性国家」との関係再構築は、
地政学にも大きなパワーバランスの変化をもたらす。しかし、オバマは7月14日にイラ
ンの核兵器秘密開発が露見する場合には、制裁を再適用し、
「軍事行動」のオプションもあ
りうると明言。ハメネイも、最終合意がイランの全体政策を変えず、核問題だけに限定さ
れると確言した。「多様なグローバルまたは地域的な問題については米国と交渉せず」「二
国間関係については交渉しない」とも断言。日本のビジネスも難しい判断が迫られる。
III アラブ破綻国家と「宗派的断層線」
第一の中東政治の焦点の変化と領土・国境線の変更は、一部に政治的真空状態と「破綻
国家」も誕生させた。権威主義的なアラブ国家だったイラク、シリア、リビア、イエメン
は多少なりとも「破綻国家」へ変容。既存のアラブ国家の解体は、その廃墟の上に新国家
をめざす新勢力を登場。かつてバース党アラブ・ナショナリズムとサッダーム・フセイン
の強権で統一性と独立性を上から維持したイラク共和国は、イラク戦争後2003年のス
ンナ派の部族地域への周辺化とシーア派の中央権力の強化を経て、三つの新たな「国家」
に事実上分解する過程をたどっている。ちなみに、これは2011年の三つの「宗派的断
4
層線」
(sectarian fault lines)に沿ったシリア解体とパラレルに進む。
1 KRGを中心としながら将来に独立する「イラク・クルディスタン共和国」
。これは
トルコやシリアのクルド人を巻き込んで大クルディスタンに発展する可能性を理論的に残
す。トルコ共和国のエルドアン大統領は大クルディスタンの設立は阻止したく、独立国家
の範囲をイラク領土内に封じ込めておきたい。
2 南部のバスラを首府とする「シーイスタン」とも言うべきシーア派アラブ国家。数
百年のアラブ史のなかでシーア派アラブが単独の国民国家として成立する最初の枠組み。
3
シリアとイラクにまたがる「シャーム砂漠」のスンナ派アラブ国家。イスラエルの
学者のいう「スラキランド」
(Suraqiland)
。ISのカリフ国家であれ何であれ、シリアと
イラクの分裂や解体とリンクするスンナ派住民の政治的実在の形成につながる。
クルド独立国家の成立は、ISと並んで中東政治の枠組変化に新たなリアリティを与え
る。1991年の湾岸戦争の発端となったサッダーム・フセインによるアラブ国境の否定
によるクウェート併合と大アラブへの志向が、同じイラクに由来するスンナ派アラブのI
Sによるシリアとイラク国境(サイクス・ピコ秘密協定)の拒否による両国のアナーキー
化をもたらしたのは逆説。しかし、駐米英国大使のクリストファー・マイヤーのように、
イランと同盟を組む方が米欧には得策だと考えるのは危険。ISやアル・カーイダを生ん
だスンナ派過激派よりもシーア派の方が安心できるという考えは、2001年のアフガニ
スタン戦争や2003年のイラク戦争でイランが米欧の犠牲で大きな果実を得たのかにつ
いて教訓を学んでいない。
IV ISと「第三次世界大戦」の罠
第二は、ISと絡む多重戦争やシーア派対スンナ派の複雑な戦いが中東起源の変形した
「世界大戦」に発展する危険性である。事態の解釈には二つの道筋。地球大の規模に広が
る新たな「包括的戦争」に発展すると見るのか。異なる場所を「戦場」としながら、現実
に各地で展開されている戦争や戦闘が互いに結びつける国家対非国家主体の地球大での対
決と見なすべきなのか。おそらく後者。西欧起源の国家の在り方を否定しながら、国家め
いた実在や犯罪組織の奇妙なハイブリッドの広がりで、中東では6つの戦地と危険地帯が
顕在化。地名に括弧で示した名は、ISが自らの「ウィラーヤ」
(州)とした名称。
1 アフガニスタンとパキスタン(ホラーサーン)
。そこではタリバンとそれに支持された
アル・カーイダが2001年の米国同時多発テロ事件後の報復を越えて生き延びる。
5
2
「スラキランド」(イラク・シリア国境地帯)
。モスルはISのイラク支配地域の中心
であり、クルド人の攻撃を阻止しながら、シリアやレバノンにつながるISの連絡路の軸。
3 イエメン(サナア・シャブア・ハドラマウト・アデン)
。イランの後援するシーア派の
フーシー集団はハーディ大統領を倒して議会を解散、サウジアラビアの空爆干渉を招く。
サウジアラビアとイランとの戦争が事実上進行。
4 シナイ半島(シナイ)
。いまやシナイはISが自らの版図に含まれると宣言、エジプト
国内の治安最不安定地域となった。
5 リビア(タラーブルス・ファッザーン・バルカ)。エジプトはシナイと2正面作戦を行
う。ISはモロッコ国境までアルジェリアにも広がる。
6 ナイジェリア(西アフリカ)。ボコ・ハラムはマリ、チャド、リビア、南部チュニジア、
南部アルジェリアまで広がりナイジェリアはISの「西アフリカ州」
。
ほかに、サウジアラビアは「ナジュド・ハラマイン州」、ダゲスタンやチェチェンなど「カ
フカース州」
。ISはもともと非国家主体でありながら、7世紀のアラビア語の綾を使いイ
スラーム法(シャリーア)による刑罰や徴税や奴隷合法化、旅券や出生証明書の発行など
国家の機能を兼備した高度な軍事力と戦闘意欲をもつ。オバマはIS相手に新たな軍事戦
略や哲学の形成が迫られる。イラクとシリアにおける作戦は、ISの「面目失墜と破壊」
を狙う以上、空爆で十分可能と思えたが、現実には地上兵力を展開する重要性を改めて痛
感。ペシュメルガと呼ばれるクルド地上兵力の協力が頼りになる。トルコが反IS作戦に
参加する反面、クルドとの対決を再開したのは米欧の大誤算。
V トルコ外交の孤立と内政化
第三は、トルコの「隣国との問題ゼロ」外交の破綻である。これは外交を内政化するト
ルコ型民主主義の危険な賭けの原因であり結果。トルコ政府は7月24日、米国との軍事
安全保障協定に締結し、米英軍によるIS攻撃のためのインジルリク基地の利用を承認。
同時に、PKKとの2年に及ぶ休戦に終止符を打っただけでなく、PKKに近いシリアの
クルド民主同盟党PYDとその軍事組織たる人民保護部隊YPGとの対決も打ち出す。エ
ルドアン首相の公正発展党(AKP)政権の15年前からのプラグマチックな外交の破綻。
「隣国との問題ゼロ」外交はアサド政権との軍事対決を最初に打ち出し、イスラエルやエ
ジプトとの外交関係を悪化させた時に限界に達する。身の丈に合わない「ネオ・オスマン
主義」の外交へのシフトは今回の反IS,反クルドへの全面旋回によって水泡に帰した。
6
おそらく今の大統領と首相は2人とも、2002年の選挙でAKPが勝ったように「ア
ラブの春」とその余波で、アラブ各国もトルコ型の民主主義的変革に成功すると踏んでい
た。しかしアサド政権は4年の試練をもちこたえ、シリアでエルドアンらを支える基盤だ
ったムスリム同胞団の勢いも失墜。政治的真空を埋めたのがISなどのジハード集団。
エルドアンの非妥協的政策はトルコを孤立させ、イエメン、シリア、エジプト、イスラ
エル、リビアからはトルコ大使を召還。エルドアンの庇護したムスリム同胞団とムルシ大
統領を倒した軍部シシ大統領への敵愾心、パレスチナのハマス援助に批判的なネタニヤ
フ・イスラエル政権との断絶、2011年のシリアの内戦勃発からアサド打倒でカタルと
緊密になった非対称的同盟は、
「近隣との問題ゼロ」外交を破綻に追いむ。アサドが一番の
勝者になりかねない。
成功している関係は、スンナ派アラブの君主国カタルくらいのもの。両国ともに、20
11年に計画されたイラン、イラク、シリアを通るシーア派圏の「友好パイプライン」に
反対。トルコ経由で欧州にガスを出すカタルの計画への脅威、中東でエネルギー供給のハ
ブたらんとするトルコにもカタル同様スンナ派の矜持があった。しかし2014年12月
にカタルと結んだ包括的軍事協定があまり役に立つとは思えない。両国ともに互いの領土
に軍隊を送り、トルコはカタルに基地を作って共同軍事演習をするといってもカタルがシ
リアやクルドの問題で頼りになるとは思えない。カタルはイランの「シーア派三日月地帯」
と多年のライヴァル・サウジアラビアからの脅威を受けて、トルコをバック要因としたい
のだろう。あまりにもアシンメトリーな同盟。
トルコが米国年来の希望をかなえインジルリキの使用を認めたのは、北シリアで「安全
地帯」
「中立地帯」を樹立してアラブ難民の流入圧力を軽減し、国境地域でのPYD(YP
G)の蹂躙を抑えるためである。北シリアにクルド独立国家が成立するのを何としても押
えようとしたのだ。トルコ政府は、北イラクのKRGだけを合法的な自治権力として許容
する。他方、ISやPKKによるトルコの治安・行政機構への攻撃やテロを利用して、む
しろPKKやPYDとの戦争を挑発しているかのようだ。ここで憤激する国民の反クルド
感情を予想される再選挙に利用して、6月総選挙で13年ぶりに失った単独多数派に返り
咲くことを狙うというシナリオについては、内外の分析者がほぼ一致している見方である。
エルドアンは、クルド人が多い人民民主党HDPが10%を超える得票率と80人の議
席を得たことに衝撃。HDPに打撃を与えるには、クルド問題で右バネが働きがちなトル
コの国民世論に、PKKとのつながりが疑われるHDPと言う印象を植え付けてトルコ人
7
の票を奪い返す必要。6月7日の選挙でHDPと同じ得票率を得た民族主義者行動党(M
HP)の獲得した反クルド票を再選挙で奪う動機。しかし、外交の内政化に成功する保証
はない。AKPの政治目標のための戦争に、国防軍がいかなる反応をするのか。エルドア
ン大統領とAKPの権力を長期化する狙いの戦争や外交は、AKPの独特な民主主義の成
果をだいなしにしないか。それはトルコをカタストロフに導き、国家を内戦の淵に導きか
ねない危険な賭けといわねばならない。
VI イラン、デタントか核開発か?
第四は、イランの核開発を減速させる最終合意JCPOAの評価である。最終合意はイ
ランをめぐって数10億ドル相当の貿易とビジネス・チャンスを生み出す。早くもEUは
革命防衛隊をテロ団体リストから外すという噂を流している。日本が制裁解除を検討中と
いう報道もイラン内部から流された(7月26日付国営「イラン・ラジオ」日本語放送)。
肯定的評価は、JCPOAがイランの核問題に関する唯一の現実的な外交解決だという
のだ。米国の封じ込め政策は成功せず、むしろ逆効果だったと考える。イスラエルやサウ
ジアラビアのようなウラン濃縮の中止(ゼロ濃縮)や核関連施設の全面閉鎖は、決して現
実的な外交オプションにはなりえい。空爆などの軍事的オプションは、イランの核兵器所
有を2、3年遅らせるだけ。JCPOAはイランに有利な材料が多い。制裁解除で石油輸
出が半年で倍増すると見込まれ、今後5年間の経済成長は年平均8%だろうとハメネイ最
高指導者も算定している。イランのGDPが10年のうちにサウジアラビアやトルコを抜
くと考える専門家もいる。イスラム体制の開放とイラン市民の親米欧感情が増進すると予
測する者。誤解してはならないのは、市民たちの大多数が核保有反対ではないことだ。J
CPOAで6000基の遠心分離器の保有が認められ、地下の核兵器開発工場の一部が「研
究所」として維持するのを認められた。イランが1年で広島型原爆を開発できる余地や能
力を事実上黙認されたことに等しいのでは。1年先がどうなるかへの答えはない。
そこで否定的評価も出てくる。JCPOAは米国やEUとの関係の正常化であるにせよ、
イスラエルやGCCとの関係を好転させない。インド、パキスタン、イスラエルのような
保有国とは次元が違うが、核開発への意欲や能力のある「核敷居国」( nuclear threshold
states)たる地位は認められたという解釈もある。しかし、米欧世論で喧しいイランの人権
問題やアラブ世界への干渉政策は手がつかないまま。そのうえハメネイはイラクやシリア
における「管理されたカオス」ともいうべき政策を止めない。彼の表現を借りれば、パレ
8
スチナやイエメンの「人民」
、シリアとイラクの「政府」
、バーレーンの「抑圧された人民」
、
レバノンとパレスチナの「抵抗の戦士」への援助を継続すると今の積極的シーア派革命戦
略に揺るぎはなく、イラクの一体性の堅持を(おそらく自らのシーア派「宗主権」下で)
主張しながら、イランとアラブ隣国との境界をぼんやりさせる戦略。
さらに、サウジアラビアやイスラエルは、イランの制裁解除でその同盟者や代理人(「テ
ロリスト」
)に資金が渡る危険性を強調。サウジアラビアには合意が「毒蛇の隠れ場所」
(a
nest of vipers)を開けるだけという論評もある。日本もまた、JCPOAによって北朝鮮
との6ケ国者協議が8年間開催されない現状に悪影響が出るのを冷静に分析すべきである。
この両者の中間にある評価。米国とイランとの間にデタントが生まれ、冷戦期のように
イスラエルとサウジアラビアを同盟国として絶対視する旧思考から米国が脱け出す可能性。
しかし、7月14日のオバマ声明では、イランの核兵器秘密開発が露見した場合は、制裁
が再適用され「軍事行動」のオプションも残ると指摘。イランとイスラエル、サウジアラ
ビアとの対決、スンナ派アラブ諸国へのイラン革命防衛隊による軍事干渉の増大、ISと
イランとの対決に米欧はどう関わるのか。IS脅威論とは異質かつ別種類の緊張が生じる。
JCPOAを具体的な成果からデタントに発展させるには、中東における地域協力の枠
組みを作ることが必要。イランは地域大国なのに、トルコにもまして、中東和平プロセス
から排除される。ハマスやヒズブッラへの軍事援助や核開発疑惑はイスラエルの脅威であ
ったが、JCPOAはイスラエルにパレスチナ人との平和プロセスに向かい合う基礎条件
を与えた。イスラエルは、イランの脅威を口実に和平実現に不熱心であったが、イランの
核開発の当面中止の進捗状況を眺めながらガザなどに対する過剰防衛的な思考を払拭すべ
き。イランも、シリアと並んでイランとの代理戦争の戦場イエメンでアラブとの対話を始
めては。イエメン干渉の中止、ホウシー派の妥協についてはイランだけが判断できる。
イランと米欧との通商経済関係の活発化につれて、もともと強い日本とイランとの取引
きも復活の兆し。JCPOAの成果と意義の強化を経済基盤から支え強化する必要。日本
の政治外交にとって、ホルムズ海峡封鎖のような有事や重大事態がJCPOAでひとまず
回避されたのは、安全保障関連諸法案の審議中には望ましかった。
イランは、最初の1、2年、IAEAの査察を受け入れる。そのうちにIAEAの査察
担当者に疲れが出てくる。その隙を衝いて、北朝鮮の経験を熟知しているイランはウラン
高濃度濃縮を再開する危険性。厄介なのは、イランでは改革派やリベラルも核兵器を保有
し大国となることに反対しない。数年後にイランの秘密核開発が露見する可能性が大であ
9
る。日本としては、イランに再制裁が発動される可能性も意識に置いておく必要がある。
イラン相手のビジネスの難点は、リスク回避と同時に、必要ならイランから再退場する
タイミングを常にバランスよく判断する点にある。
いずれにせよ、米国もイランも同じ盤でチェスをしているかに見えるが、実際は違う。
オバマが西洋碁(チェッカー)をしているのに、ハメネイの方は西洋すごろく(バックギ
ャモン)をしているのだ。日本人には、両者の使っている駒は丸くて同じに見えるが、駒
が動く盤は完全に違うことをリアルに認識する必要がある。
結びにかえて 日本と中東そして中国、エネルギーとシーレーン
米国は、中国の石油輸入を守るために、湾岸からホルムズ海峡ひいてはインド洋のシー
レーンを防衛している。今なら誰もが冗談としか思わない言説も、あと20年と経たない
うちに、現実となりかねない。2030年までに中国の消費が抑制されなければ、中国は
石油の75%を輸入する必要がある。中国はその年に米国を越える世界最大の石油輸入国
となり、大部分は中東に依存。シェールガスや国内石油生産のせいで米国の中東石油輸入
は、2011年の日量190万バレルから2035年には10万バレルに激減すると見ら
れる。米国の湾岸依存度は2011年に石油輸入の23%だったのに、13年には20・
5%に減った。中東経済の専門家ポール・リヴリンによれば、中国の中東石油の輸入は2
011年の日量290万バレルから35年には670万バレルとなり、全石油輸入量の5
4%を占める。
米国は2011年に石油輸入の23%を湾岸諸国に仰いだが、13年には20・5%に
減り、国内生産は11年と14年の間に約30%も増大、日量1300万バレル。この間
に、中国の国内生産は6%だけ増えただけ。中国の石油需要は、産業面だけでなく、外洋
進出を目指す軍事面でも高まっている。2011年の中国の石油輸入額は、2350億ド
ルであり、米国の4620億ドルの次であった。そして、すでに日本の1820億ドルを
抜いていた。14年には2510億ドルを越えたはず。一方、米国は4180億ドルに減
り、日本はほぼ横ばいあるいは微増の1990億ドルくらい。
2014年3月現在、中国の軍事費は昨年比で12・2%増大、公開された1320億
ドルは5230億ドルの米国に次ぐ世界第二位の軍事予算。ストックホルムの国際平和研
究所によれば、2002年と12年の間に、中国の軍事支出は実質ベースで300%増加
したのに、米国は50%だけ伸びただけ。湾岸を遊弋する第5艦隊が中国の石油供給路を
10
守るのは、国際政治と安全保障の世界で最大の逆説。
現在の湾岸安全保障にかかる経費は冷戦期と変わらない。米国は、1976年から20
10年までに湾岸での軍事支出は8兆ドル。年平均で約2350億ドル。中国のグローバ
ル戦略は、米国にアジアで展開する兵力を中東に戻させ、自分がその真空を埋める名分を
掲げて南シナ海・東シナ海での兵力増強を図りながら日本との戦略的競合で好機をつかむ
点にもある。
オバマ大統領が日本国民を前に尖閣諸島を日米安保条約の適用対象に入ると明言したよ
うに、米国は中国による西太平洋勢力圏分割論にたやすく乗らない。また米国はやがて、
中国による湾岸安全保障へのただ乗りをむざむざと許さない。中国が湾岸石油に大きく依
存する限り、複雑な中東政治の深みに入り込まざるをえない。そのうえ、中東からのシー
レーンに関して、輸送の安全などを自ら図る「真珠の首飾り」のシナリオは、ペルシア湾
からインド洋で米国やインド、モルッカ海峡から南沙・西沙など南シナ海や東シナ海で米
国やASEANはもとより日本との摩擦や衝突をすでに引き起こしている。早晩、インド
が南アフリカからシンガポールやインドネシアを線で結びつけた「ダイヤのネックレス」
と「真珠の首飾り」との複雑なもつれは避けられない。21世紀前半の中東情勢は東・南
シナ海の安全保障とも大きく結びついているのだ。
了
11
Fly UP