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精神科学的教育学と弁証法神学 - 東北大学教育学研究科・教育学部

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精神科学的教育学と弁証法神学 - 東北大学教育学研究科・教育学部
精神科学的教育学と弁証法神学
―人間形成論の基礎付けとその政治的コンテクスト―
清 水 禎 文
精神科学的教育学は、1920年代から1960年代にかけて、ドイツ国内はもとより日本においても大
きな影響力を持った教育学研究の一大潮流である。近年、ナチ・ドイツ支配下における精神科学的
教育学の思想と行動に関する研究が進むなかで、精神科学的教育学に対する再評価が行われている。
本論文においては、精神科学的教育学とナチとの関わりは個々の精神科学的教育学者に帰せられる
べきものではなく、シュライエルマッハーに端を発し、ディルタイを経て、精神科学的教育学に流
れ込み、その土台を形成した文化的プロテスタンティズムに由来するとの前提に立ち、精神科学的
教育学をその根底からとらえ直すことを目標とする。そのさい、ナチ・ドイツ支配下においてナチ
に対してもっとも明確な批判を展開した告白教会左派に属する弁証法神学と精神科学的教育学との
対比を試みる。この対比を通して、伝統的な文化や人間性に対する素朴な信頼のゆえに、精神科学
的教育学は所与の社会的、政治的状況を超える人間形成の基礎を築きえなかったことが明らかに
なる。
キーワード:ナチズム 精神科学的教育学 エドゥアルト・シュプランガー
弁証法神学 カール・バルト ディートリヒ・ボンヘッファー
.
1 問題設定と先行研究の分析
精神科学的教育学とナチズムとの関わりについては、
すでに多くの研究書が上梓されている。1980
年代以降、精神科学的教育学派とナチズムとの政治的な関わりを、いわば告発するような形で研究
が進められてきた。こうした研究動向の延長線上において、とくに近年において注目されるのは、
これまで未公刊であった講義録などの史料に基づき、ナチ支配下、とりわけ第二次世界大戦中にお
ける精神科学的教育学派に属する教育学者たちの思想と行動を解明する研究である。これらの研
究は、教育ないし教育学と政治との関わりを歴史的に解明する上で不可欠な基礎作業であろう。し
かし、たんに精神科学的教育学派の政治思想と行動を解明するだけに終始するならば、教育学の研
究としていまだ不十分と言わざるを得ない。問題は、その政治思想や行動を含めて、精神科学的教
育学の構造それ自体をトータルに問い直し、そこに潜む問題性を明らかにすることである。換言す
東北大学大学院教育学研究科・人間形成論講座
― ―
19
精神科学的教育学と弁証法神学
るならば、精神科学的教育学の基礎付けから問い直されねばならない。
本論文は、精神科学的教育学の基礎構造を明らかにするために、精神科学的教育学を内在的に検
討するのではなく、いわば外部から光を当てることによって、その特質を際だたせる試論である。
具体的には、精神科学的教育学と同時代にあって、ナチ・ドイツに対して最も明確な形で対決した
告白教会左派の弁証法神学(あるいは危機神学)との比較を行う。弁証法神学は、シュライエルマッ
ハー以降のいわゆる《文化的プロテスタンティズム》に対し、
《神の言葉》へと立ち戻ることを提起
した神学的な議論である。しかしそれは同時に、その《被造物神格化拒否》の論理からナチ・ドイ
ツの政治神話、支配体制に対して最も厳しく対決した政治的な議論でもあった。さらにカール・
バルトの大著
『教会教義学』
は堅信礼教育から発展したものであるし、
ディートリヒ・ボンヘッファー
の遺稿集からはナチ体制崩壊後を見据えた人間形成論を読み取ることもできる。したがって、弁証
法神学は、具体的な教育的プログラムを持ち合わせていないものの、優れて人間形成論的な議論で
もあったと言えよう。
先行研究を見ると、精神科学的教育学と弁証法神学との関わりについて言及している論考はきわ
めて少ないことがわかる。対馬がフリットナーと弁証法神学との関わりについて、また田代がシュ
プランガーと弁証法神学との関わりに暗示している。しかし、本格的に取り組んだ研究は管見の
限り、国内外ともに見あたらないのが現状である。本論文においては、主としてナチ支配下にお
けるシュプランガーと弁証法神学とを、いわばモンタージュすることによって両者の思考形式の特
徴および差異を明らかにし、その上で精神科学的教育学の基礎構造における問題性を指摘する。
.
2 シュプランガーと弁証法神学 シュプランガーは、1949年10月21日付のアールント・ホルヴェーク
に宛てた書簡の
中で、倫理の問題をめぐって次のように書いている。
倫理的なるものが生まれてくる場所は良心にあるのです。…手短に言えば、私の中で完成する
まったく孤独な出来事です。しかし、私はその出来事の中に分裂を感じています。私の内の何
かが、私の別の部分について判断を下しているのです。明らかに、第一の自我が、より低いも
のとしての自我に対して、いっそう高くあることを要求しているのです。したがって、究極的
な倫理的決断は、まったく私自身のなかに、私の内奥のなかに置かれているのです。
第一の良心は、いわば第二のいっそう純粋な良心によって再検査されなければならず、そして
さらに《心の純粋性》にまで至らなければなりません。
[そのさい]次のような出来事が重要に
なります。
《私は私の最善の自己の前にして、
次のやり方以外では責任を取ることはできない。す
なわち、私はたんにこれこれのことを望むのではなく、
これこれのことをしなければならない》
。
すでに述べましたが、あの最高の、純粋な自己が人間のなかで神的なものになるのです。
― ―
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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年)
2
書簡であるために、必ずしも厳密な概念使用がなされているわけではないし、むろん体系的な記
述がなされているわけでもない。しかし、ここにはシュプランガーの良心論、そして宗教論の核心
が表れていると考えてよい。
この書簡によれば、シュプランガーの言う倫理は、人間の内なる良心に由来する。その良心は二
層構造を持っており、究極的には「より高い自我」
、「いっそう純粋な良心」が倫理の起源となる。
そのさい注目すべきことは、第二の「より高い自我」ないし「いっそう純粋な良心」が、
「神的なも
の」とされている点である。つまり、シュプランガーにとって、人間のうちに潜んでいる良心は究
極的な権威であることを意味する。
このシュプランガーの書簡は、彼自身が認めているように、自己の良心をいわば最後の法廷とす
ることに対して疑問視するホルヴェーグに対して、十分な答えとなっていない。ここに、シュプ
ランガーと弁証法神学との根本的な差異を見出すことができる。
.
3 シュプランガーの宗教論
『観念論に対する闘争』
(1931年)におけるブルンナー批判
ホルヴェークへの書簡に見られるシュプランガーと弁証法神学との立場の相違は―いっそう正
確に言うならば、敵対関係―は、すでに1931年の『観念論に対する闘争』のなかに認めることが
できる。哲学と宗教との対立を取り扱ったこの書物において、シュプランガーは弁証法神学の代表
者としてエーミール・ブルンナー を取り上げ、批判を加えている。
シュプランガーによれば、
「ブルンナーの神学は、真理をあらかじめ持っており、それを前提とす
「この啓示宗教が人間
る哲学」であり、真理を追究する哲学とは明らかに異なる。しかし問題は、
的な思考や哲学の場を終わらせることができる」としている点である。これは、シュプランガーか
ら見ると、哲学に対する神学の越権行為である。こうした弁証法神学の営みに対して、シュプラン
ガーは「ここでなされうるのは、せいぜい、啓示と信仰との前提の下でのみ、…《問い》に対する
《答え》について語ることくらいであろう」と、きわめて否定的な評価をしている。
倫理に関しては、弁証法神学は「神自身を唯一の基準」としており、
「文化という法廷を否定」し
ている。シュプランガーによれば、神の名において語る「神学の要求は、私にとって人間性の限
界〔という概念〕よりも聞き入れることができない」。こうした倫理の基準に関する見解の相違
とならんで、倫理学の構想が批判の対象となる。弁証法神学においては、「具体的倫理的な行為と
は、同時に従順である信仰において、また同時に信仰である従順において生きること」から生じ
てくる。じっさい、この立場は状況倫理に近い立場と言えよう。シュプランガーは、これを「神秘
主義的」として退けている。おそらく、彼にとって、人間的な文化を一度は全面的に否定する弁
証法神学の倫理は、まったく倫理性を欠いた主観的な、あるいは状況的な倫理の構想と映ったので
あろう。
総括的な評価として、シュプランガーは、弁証法神学は「人間に対する、文化に対する、宗教に
対するラディカルな否定 の神学である」と正当な事実認識を持っていた。しかし、こうし
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精神科学的教育学と弁証法神学
た試みは、シュプランガーにとって、権威主義、教条主義と判断された。
「盲目的な信仰の義務をた
んにドグマティックに理解することは、人間がそのもっとも深い倫理的な核において信仰の準備の
ために担う責任に応えることにはならない」。
弁証法神学との相違は、根本的にはシュプランガーの宗教論ないし信仰論から生じてくる。シュ
プランガーによれば、
「信仰の確信は歴史的な精神連関のなかにおいて成立し、作用する」。この
「歴史的な精神連関」―おそらくシュライエルマッハーからディルタイを経てシュプランガーに
流れ込む―という言葉のなかに、シュプランガーの基本的立場が表明されている。
「歴史的な精神
連関」を重んじる彼の立場と、それを否定し《神の言葉》を中心とする弁証法神学の立場とは、もっ
とも根本的なレベルにおいて一致を見出すことができなかったのである。
結局、シュプランガーは、哲学と宗教とは本質的に別物であるとし、彼自身は哲学にとどまるこ
とを表明している。
『現世的敬虔』(1941年) における宗教論
シュプランガーの教育論は、
彼の宗教論と密接な関係を持っている。彼の教育論は、
「発達の援助」
、
。しかしな
「文化財の伝達」および「良心の覚醒」という つの側面からとらえることができる
3
かでも宗教的な意味合いの強い「良心の覚醒」は、もっとも重要な位置を占めていると言えるだろ
う。じっさい、シュプランガー自身が「すべての宗教問題は、その本質にしたがえば、教育問題
の一側面であるのみではなく、教育問題の中核をなすものである。なぜなら、もしわれわれが、教
育においては「人間社会のための有用性」という目標だけが問題となるのではないと考えるならば、
まさに、人間がその本質の中心から倫理的に究極的な意味決定をし、宗教的に究極的な意味体験を
するように教育されることこそが重要であるということを、われわれは認めなければならないから
である」と述べているように、彼の教育論は宗教論の上に築かれている。
ここでは、『現世的敬虔』
(1941年)からシュプランガーの宗教論を引き出してみよう。
シュプランガーは、古代から、しかしとりわけシュライエルマッハー以降の歴史をたどりながら、
西洋において信仰の世俗化が進行し、
「たんに物理的に理解された世界」が支配的となったことを指
摘する。こうした「形而上学的な深い次元を持たない、物の空間的・時間的秩序が、われわれの信
じる生の意味をすべて殺した」。こうした世俗化に対してシュプランガーは、これを積極的に引
き受けようとする。そのさい彼は、
《現世的敬虔》という言葉を持ち出す。黙想 を中心と
する《現世的敬虔》は、物理的に理解された世界に新しい、垂直的な次元をもたらす。それによっ
て、
「いっそう高い世界、価値に満ちあふれ、時代を超える意義によって支配される世界のみが、真
《現世的敬虔》によって、
《意味》を取り戻そうと試みたのである。
の世界」となる。彼は、
ここで注意しなければならないのは、まず第一に《現世的敬虔》が伝統的なキリスト教への回帰
として語られているのではない点である。むろん、近代西洋文化はキリスト教的な刻印を受けてお
り、
《現世敬虔》の根底にもキリスト教的なものがある。しかしそれは、基本的に「教義から自由
な、内的な高揚」として、また「意識されざるキリスト教」
として構想
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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年)
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されている。第二に、この《現世的敬虔》によって意図されているものは、
「神と協働する」人間
「あたか
像である。シュプランガーは、ドイツ観念論者たちのキリスト教解釈を引き合いに出し、
も人間を助ける神がいないかのように、行動する人間」
、
「真の世界」を築き上げる人間を考えてい
る。
こうした観点からすると、シュプランガーの宗教論は、特定の教義から解放されることによって、
また人間的な力に対する信頼に基づき、広く開かれた、普遍性のある宗教論となっていることに特
徴があると言えよう。しかしながら、まさにこれらの点において、彼の宗教論のいわばアキレス腱
が露呈しているのである。すなわち、特定の教義から解放された「意識されざるキリスト教」にお
ける《現世的敬虔》の内容は明らかにされていない。その形式は黙想であるが、その対象および内
容についても明示されていない。ここに、彼の宗教論が主観主義に陥る危険性を持っていたと読み
取ることができる。
また、「神と協働する」人間は、啓蒙初期の人間性に対する揺るぎない信頼と見てよい。しかし、
人間中心主義 の究極的な形態(ナチズム)が眼前に展開するなかにあって、人間性
に対する素朴な信頼はいささかナイーブであると批判されて然るべきであろう。シュプランガーに
おいては、人間中心主義の歴史的展開の現実が、客観的に把握されていなかったのである。
なお、たとえば「形而上学的な深い次元を持たない、物の空間的・時間的秩序」という表現のな
かに、すでにロシアへ侵攻を開始していたナチに対する密かな批判を読み取ることができるかもし
れない。しかし、静かな学問的な文体で、教養主義的に綴られたこの書物全体を通してみると、シュ
プランガーにおいては現実との緊張関係はきわめて希薄であったように思われる。
.
4 弁証法神学の構想と人間観
カール・バルトの場合
シュプランガーは弁証法神学の代表者としてブルンナーを取り上げたが、むしろ彼が周辺的に言
及しているカール・バルト
こそが、弁証法神学の中心人物である。バルトの『ロマ書』
第 版(1921年)は、近代主義神学の批判のみならず、ひいては近代文化一般に対する包括的な批
2
判を提起することによって、キリスト教界のみならず、思想界に、さらに政治の世界に影響を与え
た。バルトによれば、弁証法神学の基本的構想は以下の通りである。
「《弁証法神学》という名前は」、すでに1922年に「だれかある傍観者がわれわれに付けた名前で
あった」。「今世紀の初めにはなお支配的であった《宗教的》人間の歴史的=心理学的自己解釈
とは反対に…あらゆる人間の自己理解を限定し、規定する優越的なものと新しいもの、これを
聖書では、神、神の言葉、神の啓示、神の国、神の行為と呼んでいるのですが、それへの問い
が」、この神学の特徴であった。
「
《弁証法的》という表現は、人間に対して優越的に出会う神と
人間が対話するときの思考の特徴を意味していました」。
― ―
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精神科学的教育学と弁証法神学
ここに示されているように、弁証法神学は、聖書的使信についての根本的な再検討、つまり神の固
有の存在と主権の主張であり、人間の体験的信仰や文化的理想をふくむ被造物の神化に対する明確
な否定であった。
たとえば、バルトは罪について論じるなかで、
《人間的論理》について言及している。それは、人
間を神に高め、神を人間に引き下げる論理であり、
「敬虔な図々しさをもって人間に神の主権を帰し、
敬虔な諦従をもって神に人間の無力を帰する」ことである。こうした古い宗教的人間像を、バル
トは徹底して否定する。なぜなら、
《人間的論理》にはつねに自己を神格化する
―自分自身の力に頼ること―がつきまとうから。
1935年にドイツを追放されたバルトは、主著『教会教義学』の予定論の後に、キリスト教倫理学
を置いている。これはバルトの倫理学の原理論である。そこにおいては次のように書かれている。
「「われわれは何をなすべきか」という古くからの問いに対しては、
「われわれはこの恵みにふさわ
しいことを為すべきであると答えなければならないのである」。バルトの倫理学は、自然、文化、
国家を前提とするのではなく、ひたすら「恵み」に基づいて展開されている。
バルトの論理にしたがえば、シュプランガーの「神と協働する」人間は否定されるべき人間像に
他ならない。また、『ロマ書』において、バルトは人間的な良心についてほとんど論じていないが、
人間的な良心もまた論理的必然性をもって否定されることになろう。さらに倫理学も、シュプラン
ガーの言う「歴史的な精神連関」からではなく、徹頭徹尾、《神の言葉》を通して与えられる「恵
み」から構想されていた。
ディートリヒ・ボンヘッファーの場合
ディートリヒ・ボンヘッファー は、バルトやブルンナーより下の世代に属し
ており、弁証法神学の担い手とは言えない。しかし、彼はボン大学においてバルトの講義に加わっ
ており、その後もバルトと関わりを持ち続けた。したがって、彼を弁証法神学の陣営に加えること
は的はずれではない。なお、シュプランガーの書簡には、ボンヘッファーの父親カール・ボンヘッ
ファー(ベルリン大学医学部教授)とともにディートリヒ・ボンヘッファーの名前をたびたび見出
すことができる。
ボンヘッファーは、東部戦線のスターリングラードにおいて死活の攻防が行われて1942年末に、
「十年後」と題された手記を遺している。その冒頭に置かれた「確固として立つ者は誰か」におい
て、「悪が、光・慈善・歴史的必然性・社会的正義といった形をとって現われる。これはわれわれの
伝統的な倫理的概念の世界から来た人にとっては、全くまぎらわしい」と語る。言うまでもなく、
ナチ支配に対する批判である。彼は、こうした倫理が混乱する状況のなかで、ナチ支配に屈するこ
となく生きる可能性を模索している。そのさい、彼は「理性的な人々」
、
「倫理的な熱狂主義」
、「良
心的な者」、
「最も深い自己の自由においてこの世で任務を果たそうとする人」
、「公的な対決を逃れ
て、私的な徳行という隠れ場に到達する」人を取り上げて、これらの人がいずれも現実を前にして、
たんなる傍観者となるか、共犯者にならざるをえないことを論じている。ボンヘッファーは、
「良心
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的な者」について次のように書いている。
良心的な者は、決断を要する緊急事態の圧倒的な力から身を守ろうとして孤独な戦いを戦う。
しかし、 ―自分自身の良心によるほかにはどこからも助言が与えられず、支えられもしない
ので―その中で彼が道を選ばなければならないその葛藤の大きさが彼をずたずたに引き裂い
てしまう。彼に近づいてくる悪の上品で魅力的な無数の変装が、彼の良心を不安にし、不確か
にする。それは結局、彼が良い良心のかわりに言いのがれをする良心を持つことで満足するに
至らせ、そして遂には、絶望をまぬがれるために自己の良心を欺くに至る。それというのも、
良心だけに自分の拠りどころを置こうとする人は、良心のやましさの方が欺かれた良心よりも
ためになるし、力強くもありうるということを、決して理解できないからである。
ボンヘッファーは具体的なイメージをもって、上述の人間類型を挙げている。
「良心的な者」のな
かにシュプランガーが含まれていたか否か定かではない。しかし、この引用はシュプランガーの良
心論―振り子のように二つの良心の間を揺れ動く―を彷彿させるものである。
ボンヘッファーによれば、
これらの人々と異なり、
「確固として立つ者」
とは、
次のような人である。
自らの理性・原理・良心・自由・徳を究極の尺度としない人間、信仰において、ただ神への結
びつきにおいて、従順な・責任ある行為をなすべく召しを受ける時、それをいっさいを犠牲に
する用意のある人間、その生活が神の問いと呼び声に対する答え以外の何ものでもないことを
望む責任的な人間だけである。
キリスト者であり、またナチ・ドイツに対する抵抗運動の闘志であったボンヘッファーのこの決
意表明は、徹底した被造物神格化拒否を支柱とするバルトの信仰論と重なり合っていることがわか
る。そしてまたシュプランガーの良心論とは、
バルトの議論と同様に微妙な―しかし本質的な―
差異があることがわかるであろう。
おわりに
言うまでもなく精神科学的教育学は一枚岩ではなく、多様な位相を持っていた。それゆえ、シュ
プランガー一人によって精神科学的教育学を代表させることはできない。しかし、
「人間性」あるい
は「文化」に対する信頼は、精神科学的教育学に共通する傾向と見てよい。シュプランガーにおい
ては、人間性の本質として良心が位置づけられていた。たしかに良心は、シュプランガーがその宗
教論において模索したように、西洋文明を超えてあらゆる場所においても見出すことができる。し
かし、西洋のキリスト教的伝統のなかで結晶した良心 概念を哲学的・普遍的な概念とし
て改造しようとするまさに瞬間に、
コンテクストを失った良心はたんなる抽象的概念となった。じっ
さいそれは、ナチズムという現実を前にして機能不全に陥り、虚しく空回りをすることになる。
― ―
25
精神科学的教育学と弁証法神学
これに対して、弁証法神学は歴史のなかでさまざまな夾雑物に覆われた《神の言葉》を再発見し、
そこへと集中する。そしてそこから、自然的なもの―人間、文化、歴史、国家など―を照射す
る。自然的なものはそれ自体価値を持つものではなく、
《神の言葉》を媒介として、初めて神格化さ
れることない固有の価値を認められる。こうした非陶酔的な思考形式から、
バルトやボンヘッファー
の倫理学、そして抵抗運動は生まれてきたのである。
こうした思想的・歴史的事実を人間形成論との関わりで整理してみよう。シュプランガーにおけ
る良心は、自己の内面において出会うことのできる良心である。
「いっそう高い自我」
、
「いっそう純
粋な良心」は神的なもの、あるいは神的なものの陰影とされ、そこには否定の論理は組み込まれて
いない。したがって、その人間形成論は、人間に内在する良心を核とする単純な連続的成長モデル
であると言えよう。これに対して弁証法神学における良心は、自己を全面的に否定し、
《神の言葉》
を媒介として与えられる良心である。
《神の言葉》との絶えざる対話のなかで語られるトータルな否
定の後に、外から与えられる良心である。したがって、その人間形成論は、絶えず危機と直面する
非連続的成長モデルであると言えよう。
以上のように、弁証法神学からシュプランガーを照射してみると、シュプランガーの人間形成論
の根底にある良心論は、思弁的な性格を持ち、またアンビギュアスな性格を持っていたことが明ら
かになる。むろん、この点にシュプランガーの魅力はあるのだが、しかし時代状況に即してみると、
それは人間を深いレベルにおいて捉え、人間に揺るぎない志操性を与え続ける論理、あるいは時代
状況を超えた人間形成の論理とはなりえなかったのである。
註
すでに日本においても多数の研究があるが、たとえば田代尚弘「ファシズム期シュプランガーの「政治的・教育
学的」立場 −国家社会主義に対する思想的「抵抗」の様態を中心に−」、『教育学研究』第52巻第 号、1985年、
2
同「1933年の国家釈迦主義下における「科学的教育学」派(その )
2 」、
『茨城大学教育学部紀要』、1991年、同「1933
年の国家釈迦主義下における「科学的教育学」派(その )
2 」、『茨城大学教育学部紀要』
、1991年、坂越正樹『ヘル
マン・ノール教育学の研究 −ドイツ改革教育運動からナチズムへの軌跡−』、風間書房、2001年などを参照。
こうした方法論については、シュプランガーとウェーバーの比較検討をした新井保幸「E.シュプランガーにおけ
る経験科学的学問観の批判とその教育学的意義 −M.ヴェーバーの「価値自由」論との関連において−」、筑波大
学教育学系『教育学論集』第19巻第 号、1995年を参照。
2
告白教会の活動については、宮田光雄『ドイツ教会闘争の研究』、創文社、1986年、同『十字架とハーケンクロイ
ツ』、新教出版社、2003年を参照。また弁証法神学については、宮田光雄『政治と宗教倫理』、岩波書店、1975年、
同『平和のハトとリヴァイアサン』、岩波書店、1988年を参照。
対馬達雄「ナチズム・抵抗運動・戦後教育」、『日本の教育史学』第45号、2002年、同「
「市民的」抵抗グループの
ナチズム観―運動課題としての《覚醒》から《人間形成》へ―」、
『秋田大学教育文化学部紀要』、2003年、田代尚弘
「シュプランガーの宗教的人間観への一考察」、『教育哲学研究』第58号、1988年を参照。
弁証法神学における人間形成論については、拙稿「ボンヘッファーにおける人間形成論」、東北大学大学院教育学
研究科『研究年報』第52号を参照。
― ―
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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年)
2
は、当時ボン大学の神学生で、
戦後ドイツに帰還したカール・バルトの講義を聴講した。
その著書に
は、
な
どがある。彼の特徴は、信仰と社会科学との関わりを重視しているところにある。なお、ホルヴェークは、
《赤い神
学者》と呼ばれたベルリン自由大学の組織神学者ゴルヴィッツァーの後任教授と目されたが、雑誌編集と教会奉仕
の仕事にとどまった。ゴルヴィッツァーについては、宮田光雄「反体制知識人の思想構造(下)西ドイツ=ヘルムー
ト・ゴルヴィッツァーの場合」、東北大学法学会『法学』第45巻第 号、1981年を参照。
2
からの聞き取り。
このシュプランガーの解釈は誤りである。弁証法神学においては《神の言葉》が実定性をもつ。それは、神と人
間との神秘的な、直接的な関係を意味するものではない。しかし、文化、歴史的な精神的連関を重んじるシュプラ
ンガーの立場からすれば、「神秘主義的」と思われるのかも知れない。
村田昇「シュプランガー」、杉谷雅文『現代のドイツ教育』、玉川大学出版部、1974年、146-155頁、とくに152頁
を参照。
シュプランガーにおける宗教の位置づけについては、田代尚弘「シュプランガーの宗教的人間観への一考察」、
『教育哲学研究』第58号、1988年、また山邊光弘「宗教の本質」、村田昇『シュプランガーと現代の教育』
、玉川大
学出版部、1995年所収、を参照。
なお、こうした見解は、シュプランガーの獄中で綴られた手記のなかにも認められる。
1944年10月20日の手記において、
「敬虔主義に時代以来、われわれは、われわれのあらゆる文化様式によって、キリ
スト教の歴史においてかつて無いほどそこから〔内面性〕遠く離れてしまった」、「宗教的なモメント、すなわち永
遠から来たるものとしての魂は、まったく色褪せてしまった」と書いている。
世俗化の波
のなかで、《意味》を見出すことが、終始、彼の中心的な課題であったことがわかる。 これに関しては、宮田光雄『平和のハトとリヴァイアサン』
、岩波書店、1988年、123-200頁、とくに127-129頁を
参照。
小川圭治訳『カール・バルトの生涯 1886-1968』、
― ―
27
精神科学的教育学と弁証法神学
新教出版社、1989年、206頁。
カール・バルト、吉村善夫訳『カール・バルト著作集 14 ロマ書』、新教出版社、1986年、226頁。
Ⅱ
バルト『教会教義学 神論Ⅱ/ 』
1 、新教出版社、129頁。
『ボンヘッファー獄中書簡集』
、新教出版社、1988年、 4 頁。なお、この『獄中書簡』については、宮田光雄『ボ
ンヘッファーを読む』、岩波書店、1995年を参照。
同上、 5 頁。
同上、 6 頁。
本論文は、平成16年度日本学術振興会科学研究費・基盤研究の研究成果の一部である。
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東北大学大学院教育学研究科研究年報 第53集・第 号(2005年)
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精神科学的教育学と弁証法神学
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