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Title 戦後日本社会の価値意識の変化 : 余暇と自己実現を中心に Author
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戦後日本社会の価値意識の変化 : 余暇と自己実現を中心に
有末, 賢(Arisue, Ken)
慶應義塾大学法学研究会
法學研究 : 法律・政治・社会 (Journal of law, politics, and sociology). Vol.67, No.12 (1994. 12)
,p.55- 88
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00224504-19941228
-0055
戦後日本社会の価値意識の変化
賢
戦後日本社会の価値意識の変化
余暇と自己実現を中心に
一、はじめに
三、一九八O年代以降の余暇生活の重視
二、私生活主義の価値意識と無限定主義
四、戦後価値意識としての余暇
口 消費社会論と都市化社会論における﹁差異への欲求﹂ と﹁匿名性﹂
e 大衆社会論における政治的人間像
四 大衆文化論における﹁余暇と遊び﹂
日 脱−産業社会論における﹁労働と余暇﹂
五、おわりに
一、はじめに
末
一九九五年は、戦後五〇年を迎える記念すべき年である。そこで本稿では、社会学的に戦後価値意識の再検討を試
55
有
法学研究67巻12号(’94・12)
みてみたい。戦後日本社会の価値意識は一般的には、自由・平等・個人主義などの欧米の価値観が浸透し、戦前から
の封建主義、﹁家﹂制度、全体主義が後退してきたと考えられている。もちろん、こうした戦後価値意識の全体を再検
討して、否定しようというわけではない。しかし、戦後的価値意識は、一九四五年から一気に日本人の価値観を根底
から覆していったわけではない。戦後日本の政治過程、経済過程、法律過程などを通して徐々に、しかし確実に変化
して来たものである。本稿では社会学的な世論調査、特に﹁国民性調査﹂や﹁国民生活に関する世論調査﹂などに基
づきながら、データとしての戦後日本人の価値意識を浮き彫りにしてみたい。もちろん、見田宗介によると、価値意
︵1︶
識論には︵1︶行為の理論、︵2︶パーソナリティ論、︵3︶文化の理論、︵4︶社会の理論、の四つのレベルが存在してい
ると言われているように、世論調査だけから価値意識の変動を読み取ることは不可能である。また、富永健一による
と、非西洋後発社会近代化の諸条件として︵1︶近代的価値の伝播可能性︵象鵠巴琶ξ︶の度合い、︵H︶近代的価値を受
け入れる動機づけ︵目o身魯8︶の度合い、︵皿︶近代的価値を受け入れるに伴って引き起こされるコンフリクトの度合
︵2︶
いの三つの要因が重要であると指摘しており、T・パーソンズのAGIL図式を利用しながら分析している。
これらから社会変動としての価値意識の変動は、さまざまな要因から引き起こされる複雑な現象であり、単一の意
識調査だけからは分析不可能であるものと考えられる。しかし、意識調査だけからでも長期にわたる傾向︵トレンド︶と
いうものは発見することができる。そこから逆に、社会意識総体や社会変動全体の理論的枠組みへと考察を進めてい
きたいと考えている。戦後日本の社会は、いわゆる﹁高度経済成長﹂によって、﹁豊かな社会﹂が実現し、オイル・シ
ョック以後の社会意識としては、個人主義的な価値観に基づく﹁私化﹂︵冥一惹壽呂9︶が進行しているというのが一
般的な見方である。もちろん、この傾向は﹁衣食足りて礼節を知る﹂という諺にもあるように、充分納得のいくもので
ある。しかし、こうした全般的な価値意識の変動は、性︵ジェンダi︶、世代︵ジェネレーション︶、民族性︵エスニシティ︶
などの日本社会の中で進行している﹁分節化﹂︵の品ヨΦ鼻器8︶の傾向とどのように関連しているのであろうか。つま
56
戦後日本社会の価値意識の変化
り、価値観の多様化のなかで﹁私化﹂はどのように拡散していくのかという問題が存在しているのである。
日本社会は確かに一方で、国際化、情報化、高齢化などの諸要因によって全体として変動を受けている。したがっ
︵3︶
て識者によっては、先進資本主義諸国に共通な﹁ポスト・モダン﹂、﹁ポスト・モダニズム﹂という指摘がなされてい
る。しかし、こうしたマクロな社会変動の下で、ミクロには、個人主義が生命・生活・価値意識のなかに浸透してい
く形での変化も読み取れる。例えば、生命現象における﹁患者の自己決定権﹂、﹁女性の自己決定権﹂、﹁死にゆく者の
自由意志﹂などの同型性の問題である。ここには、単に﹁私化﹂﹁私生活主義﹂と言う用語だけでは見落としてしまい
かねない現象が隠されているように思われるのである。そこで、戦後日本人の価値意識について、まずは各種世論調
査のデータから眺めていくことにしよう。
二、私生活主義の価値意識と無限定主義
戦後の価値観の変化について、まず指摘される点は、﹁公﹂や﹁全体社会﹂の強調から解放されて、﹁私﹂や﹁趣味に
合った﹂、﹁気楽﹂な生き方が支配的になって来た点であろう。これを裏付けるデータとしては、図1に掲げた生活価
値観の変化がよく現している。これは、戦後つくられた統計数理研究所が﹁国民性﹂調査として、一九五三年以降、
五年おきに調査したもので、﹁自分の気持ちに近い暮らし方﹂を選択するというものである。このデータの戦前︵一九
三〇年と一九四〇年︶のものは、社会学者・戸田貞三が徴兵検査の壮丁にたいして行った質問項目で、戦後も全く同じ項
目で質問しているために比較できるデータとなっている。
これによると、戦前高かった﹁世の中の正しくないことを押しのけてどこまでも清く正しく暮らす﹂︵一九三〇年⊥二
三%、四〇年阻四一%︶、﹁自分の一身のことを考えずに、社会のためにすべてを捧げて暮らす﹂︵一九三〇年け二四%、四
57
法学研究67巻12号(シ94:12)
図1 生活価値観の変化
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年︵15∼24歳男︶
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年︵15∼24歳男︶
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年︵20歳男︶
年︵20∼24歳男︶
年︵20∼24歳男︶
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(資料)総理府青少年対策本部「青少年の連帯感などに関す
(出拠) 国土庁計画・調整局編『定住構想と地域の自立的発
る調査」
展』p130
58
O年11三〇%︶という価値観は、戦後ますます
減少して来て、一九八O年では、﹁清く正しく﹂
も﹁社会のために﹂も一〇%を切っている。そ
れに対して、既に一九五三年に、﹁金や名誉を
考えずに自分の趣味に合った暮らし方をする﹂
が三三%で、﹁清く正しく﹂を上回っている。
そして、﹁その日その日をのんきにクヨクヨし
ないで暮らす﹂も、一九七五年には、二一二%
に上っている。その他コ生懸命に働き金持
ちになる﹂という価値意識も、一九三〇年が
一九%で最高で、高度経済成長期の一九六〇
年代ぐらいまでは、まだ維持されていたが、
主義の時期の入り口に差しかかったときである。旦・同によれば、﹁滅私奉公﹂から﹁滅公奉私﹂へという価値観の大逆
︿公﹀志向の優位から︿私生活﹀志向の優位へと逆転するのは、一九五八年、すなわち、旦口同六郎の言葉では、経済
は合わせて六%、︿公﹀志向は七一%である。それが、一九七八年の調査では、前者が六一%、後者は一八%である。
生活﹀志向とまとめ、両者の比率の変化に注目している。すなわち、一九四〇年︵軍国主義の時期︶に、︿私生活﹀志向
の﹀とのかかわりを意識し追求する︿公﹀志向としてまとめ、後者の﹁趣味に合った﹂と﹁のんきに﹂をいちおう︿私
旦・同六郎は、﹃戦後思想を考える﹄︵一九八O年︶において、これらの﹁清く正しく﹂と﹁社会のために﹂を︿公的なも
それ以降は、減ってきている。
︵60 50 40
鮒
戦後日本社会の価値意識の変化
図2 一番大切なもの一家族と金・財産の比較
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33
家族
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) ’53年 ’58 ’63 ’68 ’73 ’78 ’83 ’88
(灘顯號第,回全国調査」r研究リポー,69』より)
付表 「あなたにとって1番大切と思うものはなんですか。1っだけあげ
てください(なんでもかまいません)」(自由回答)
1 2 3 4 5 6 7 8 そ 特D
生 子 家 家 金 愛 仕 国 ・
命 ・ ・ 情 事 家 にK
計
の
・ 先 財 … な
健 精 信 社
康 供 族 祖 産 神 用 会 他 し
1(1953)
H(1958)
12 12 19 * 16 11 * * 25 5
100(2,254)
21 11 11 * 12 21 * * 19 5
100(2,369)
26 10 13 2 10 15 10 3 4 7
100(2,698)
28 8 13 3 8 15 10 4 5 6
100(3,033)
V(1973)
20 8 20 2 8 17 8 5 4 8
100(3,055)
VI(1978)
21 7 23 1 5 22 10 3 4 4
100(2,032)
皿(1963)
IV(1968)
備考) *はその他に入れてある。
出拠)統計数理研究所国民性調査委員会『第4日本人の国民性』(出光書店
︵4︶
転が起こったということである。
もちろん、この指摘は正しいものではあるが、
戦前から戦後への価値意識の変化にだけ目を奪わ
れていると、戦後五〇年間の中の変化にとかく鈍
感になりやすい。図2で示したのは、﹁一番大切な
もの﹂という選択肢の中から、﹁家族﹂という項目
と、﹁金・財産﹂という項目を比較したものである
が、一九六〇年代以降、この差は開いて行く傾向
にある。また、図3は、﹁毎日の生活を充実させて
楽しむ﹂か、﹁貯蓄・投資など将来に備える﹂かの
一九七〇年以降の意識調査の結果であるが、これ
を見ると、一九七〇年∼七四年は、まだ、﹁貯蓄・
投資など将来に備える﹂生き方が﹁毎日の生活を
充実させて楽しむ﹂生き方にたいして、かなり差
をつけていたが、七五年∼八五年までの両者拮抗
の時代を経て、八五年以降は、はっきりと﹁毎日
の生活を充実させて楽しむ﹂生き方の方が優位に
立ってきているのである。
このように、一言で、﹁私化﹂とか﹁私生活主義﹂
59
p286
法学研究67巻12号(’94:12)
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60
戦後日本社会の価値意識の変化
とかマイホーム主義とか言ってみても、その内容はさまざまである。﹁趣味に合った﹂、﹁のんきな﹂と言う側面もあれ
ば、家族中心の愛情や人間関係を重要視した生き方、さらに将来よりは﹁現在を楽しむ﹂という考え方も含まれてい
る。このように、公的領域と私的領域の分離を前提として、私的領域にしか自らの﹁意味付けと安定﹂の根拠を見い
だせなくなるという﹁私化﹂の指摘は、確かに﹁公﹂の方面から見れば的を得たものと言える。P・L・バーガーら
︵5︶
によれば、﹁近代のアイデンティティは、異様に個人中心的︵聴2一一畦ζ5鎌≦身餌一&︶である。現実性の本質としての
︵6︶
アイデンティティの担い手である個人は、理の当然ながら、価値の序列の中で非常に重要な位置を獲得する﹂という
わけである。
しかし、﹁趣味に合った﹂、﹁のんきな﹂、﹁現在の家庭中心﹂の生き方は、あくまでも戦前の﹁滅私奉公﹂的価値観へ
の反動として、空白を埋めるとりあえずの自己中心的な価値意識という側面も含まれていた。何故ならば、﹁金・財産﹂
よりも﹁家族﹂、﹁貯蓄・投資など将来に備える﹂よりも﹁毎日の生活を充実させて楽しむ﹂という生き方の選択は、前
者については一九六〇年代、後者については七〇年代後半から八0年代前半の約一〇年間という価値意識がどちらと
も決めかねる期間を持ったうえで、変化して来ているのである。とするならば、九〇年代半ばの現在は、︿私生活﹀自
身の内容こそが問われてきており、﹁家族﹂や﹁毎日の生活﹂のあり方は、公的領域とも私的領域とも十分に重なって
くるものと考えられる。
もう一つ、戦後日本人の価値意識における変化で注目すべき﹁両義性﹂を示しているのが、﹁物の豊かさ﹂と﹁心の
豊かさ﹂という分岐点である。図4に示したのは、今後の生活の仕方について﹁物質的にはある程度豊かになったの
で、これからは心の豊かさやゆとりある生活をすることに重きを置きたい﹂か﹁まだまだ物質的な面で生活を豊かに
することに重きをおきたい﹂かを一九七二年から一九九三年まで比較したグラフである。これを見ると、一九七五年
ぐらいまでは、﹁物の豊かさ﹂の方が重視されていたのが、八0年代以降は、急激に﹁心の豊かさ﹂への比重が高まり、
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法学研究67巻12号(’94
62
戦後日本社会の価値意識の変化
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(備考) 1経済企画庁「消費と貯蓄の動向」,「消費動向調査」による。
2×印以前は人口5万人以上の都市世帯,x印以降は全世帯。
(出典) 経済企画庁「昭和60年版国民生活白書』p125
63
55
59(年)
法学研究67巻12号(’94:12)
一九九三年では、﹁心の豊かさ﹂重視が五七・四%と﹁物の豊かさ﹂重視の二倍近くにも上っている。
しかし、﹁心の豊かさ﹂を重視するということは、どういうことであろうか。確かに図5で示したように、耐久消費
財の普及過程を見ても、電気冷蔵庫も、電気洗濯機も、電気掃除機も、白黒テレビに変わるカラーテレビも八O年代
以降は一〇〇%近い普及率となり、ステレオ、乗用車、ルームクーラー、ビデオデッキなども着実に普及率を伸ばし
ている今日、もはや﹁物の豊かさ﹂はほとんど実現されたという認識はよく理解できる。しかし、それでは﹁物の豊
かさ﹂に代わる﹁心の豊かさ﹂という場合、具体的には何を指しているのだろうか。これは、非常に回答困難な問題
である。何故ならば、﹁心の豊かさ﹂とは、一人一人の精神的な生活にかかわっており、具体的な﹁物﹂を提示できな
いからである。しかも、﹁両義的﹂であるというのは、﹁物の豊かさ﹂は、必ずしも﹁心の豊かさ﹂をもたらさないが、
﹁心の豊かさ﹂があれば、よしんば﹁物が豊かでなくても﹂それなりの充足感を味わえるものと考えられるからである。
それは、言い換えれば八O年代以降の価値意識が、多くの課題を抱えているということでもある。私生活主義と言っ
ても、決して画一的な方向性を示しているとは思われない。﹁心の豊かさ﹂にしろ、﹁ゆとり﹂にしろある種の無方向
的な価値意識であると言える。私は、この傾向を価値意識の無限定主義と名付けておきたい。この点について、次に
戦後価値意識のもう一つの特徴である﹁余暇生活﹂への傾きについて見ていくことにしよう。
三、一九八O年代以降の余暇生活の重視
戦後日本の価値意識の変化を全国的な﹁世論調査﹂というデータに限って見ていくならば、最も劇的な変化を示し
ているのは、﹁労働と余暇﹂に関する意識であるかもしれない。図6に示したのは、これからの生活の力点の推移を衣
・食・住生活、耐久消費財、レジャi・余暇生活の五つの領域から選択した割合で表わされている。これで見てもわ
64
戦後日本社会の価値意識の変化
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法学研究67巻12号(’94:12)
かるとおり、食生活に対してレジャi・余暇生活への重視が上回ってくるのが、一九七八年頃であり、さらに戦後一
貫して生活の最重要領域であった住生活に対しても、レジャー・余暇生活の方へと力点が移行するのが一九八三年頃
である。それ以降も余暇生活の重視は衰えず、最近は、三七%で安定している。
このレジャー・余暇生活への生活の力点の移動は、労働時間の短縮化の動向と一致している。図7を見ると、労働
者一人平均年間総実労働時間の推移がわかるが、一九六〇年の高度経済成長期には、年間二四〇〇時間を越える長時
間労働に支えられていた訳であるが、一九七五年頃までは年間二〇〇〇時間近くまで、減少して来た。しかし、それ
以降の一二年間ぐらいは、むしろ漸増傾向にあった。この点がおそらく﹁物の豊かさ﹂から﹁心の豊かさ﹂へ変わっ
ていく時代傾向の端境期だったのかもしれない。一九八O年代後半からは、目に見えて労働時間は短縮の傾向にある。
先の図7でも、レジャー・余暇生活が他の生活諸領域を引き離して重視されてくるのは、一九八O年代の後半と言え
る。
以上のように余暇生活への価値志向は、確かに戦後日本人の﹁豊かさ﹂﹁ゆとり﹂の一つの指標と見なされてきた。
しかし、この点でも自由時間のもつ無限定性、内容の多様性が存在している。﹃レジャー白書九四﹄︵余暇開発センター︶
によると、図8にあるように、﹁平日の仕事時間の短縮によって増えた活動﹂は、︵1︶休養、睡眠︵四六・六%︶、︵2︶
テレビ︵三八・○%︶、︵3︶家族との団らん︵三〇・五%︶となっており、女性では、︵4︶友人との付き合い、交際︵四三・
八%︶、︵8︶家事・家の仕事︵二九・三%︶も目立っている。しかし、︵5︶スポーツ、健康づくりや︵6︶読書、︵9︶趣味活
動、文化活動など積極的な活動は増えたと言っても二〇%以下となっている。これに対して、﹁今後新しく始めたい﹂
あるいは﹁もっと増やしたい﹂余暇活動について、過去五年間の経験した人の比率と今後新たに始めるもしくは増や
したい人の比率を比較して、その開きの大きいものから順番に挙げたのが図9である。これを見ると、海外旅行、リ
ゾート滞在、観光周遊旅行とアウトドア・レジャーが主流となっている。また、ボランティア活動や自然散策、スポ
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戦後日本社会の価値意識の変化
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法学研究67巻12号(’94:12)
図8 平日の仕事時間の短縮によって増えた活動
全体 (単位;%) 男女別
46,6
38.0
30.5 》(3)家族との団らん
禦%42
心徽3a7
欄16.6
22・6 (4)友人とのつき合い・交際 43.8
143
㎜舞…i6)_健馳くり
一21.3
口2.4
17.0 (6)読 書
(7)ゲーム,パチンコ,
16・5 ・纒 ギャンブルなど
繍15.9120.9
燃須9.8
」4.8
矧11.7
一欝:講賑
129.3
刎11.9
118.1
9・8,雛qo)膿ショッピングなど
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捌7.8
刎6。7
116.4
116.8
6.0 ・餐
禦言7
働 映画,音楽,スポーッ
篁 4.6
面 地域の人との
・ つきあい,地域活動
慧、、1ぽ甑託
6.4
3.2
110.0
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3.2 ㈹ どれもない
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1.6
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□女性(
冤4。1
0.0
(出典) 余暇開発センター『レジャー白書’94』平成6年4月 p.90
68
戦後日本社会の価値意識の変化
図9 過去5年間の経験に対する今後の希望率の日(指数)
ωの㈹㈲⑥㈲Gり⑧⑨⑩㎝働㈱qむ個㈲㎝㈹㈲⑳⑳囲㈱⑳四ロδ⑳㈱四信o
147
海外旅行
47
3
7
リソート滞在
観光周遊旅行
ボランティア活動
68
家族旅行
64
山歩き・自然散策
スポーッ・健康っくり
61
コンサート・演劇など
61
けいこごと
61
美術館・博物館など
44
学習・研究
43
趣味の料理・お菓子っくり
42
家庭菜園・市民農園
42
友人・知人とのっき合い
41
読書
39
トライブ・日帰り行楽
38
家族との団らん
34
ホームパーティ
34
日曜大工・DIY活動
32
散歩
28
遊園地・テーマバーク
音楽鑑賞
28
27
家て休養する
24
外食・食べ歩き
24
ショソピンク
21
飲み屋・カラオケ
20
地域活動
18
パチンコ・ギャンブル
ケーム
テレビを見る
(出典)
69
114
14
12
10
余暇開発センター「レジャー白書}94』平成6年4月 p97
法学研究67巻12号(’94:12)
iッ・健康づくり、芸術鑑賞なども上位に挙がっている。
現実的には、家で休養したり、テレビを見たり、家族との団らんが主流であるが、今後はもっと積極的な余暇活動
を志向していると言える。戦後の価値意識としてとらえた場合、余暇生活、余暇活動とは一体なんであろうか。社会
学的には、現代社会の特徴としての脱−産業社会、大衆社会、消費社会、都市化社会、大衆文化など多くの要素が関
係しているものと考えられる。次にその点を価値意識との関連で論じておきたい。
四、戦後価値意識としての余暇
戦後価値意識としての余暇を考える場合には、現代社会総体の位置づけの中で﹁余暇とは何か﹂を問わなければな
らない。一般的には、フランスの社会学者﹂・デュマズディエが﹃余暇文明に向かって﹄︵一九六二年︶の中で用いた余
暇の三機能としての﹁休息﹂︵U凹霧。D①ヨ。邑、﹁気晴らし﹂︵9お註器。目。邑、﹁自己開発︵人格の発展︶﹂︵U曾巴o薯①ヨ①暮
︵7︶
号鼠冨おo轟一ぎ︶が有名であるが、こうした余暇の考え方は、﹁労働と余暇﹂のパラダイムの中から産業社会論、脱−
産業社会論、労働社会学の影響の下で発展してきたものである。今日、余暇生活、ないしは自由時間への欲求がこん
なにも高まり、また現実化してきたのは、戦後の社会変動と大きな関連をもっている。そこで、現代社会の大きな特
︵一八四六年︶、A・ド・
︵8︶
徴である、大衆社会論、消費社会論、脱ー産業社会論、都市化社会論、大衆文化論などを検討しながら、人間像とし
ての﹁余暇的人間﹂、価値意識としての﹁余暇﹂を抽出していきたい。
e 大衆社会論 に お け る 政 治 的 人 間 像
大衆社会論は、先駆的には、一九世紀から二〇世紀初頭にかけて著わされたミシュレ﹃民衆﹄
70
戦後日本社会の価値意識の変化
トクヴィル﹃アメリカにおけるデモクラシーについて﹄︵一八三五ー四〇年︶、ル・ボン﹃群衆心理﹄︵一八九五年︶、タル
︵9︶ ︵10︶
ド﹃世論と群集﹄︵一九〇一年︶、V・パレート﹃エリートの周流﹄︵一九〇〇年︶などにおいてもエリートと大衆、群集
︵n︶ ︵12︶
と政治的支配の問題などが扱われているが、本格的に登場してくるのは、一九三〇年代に入ってからである。オルテ
ガHイ同ガセット﹃大衆の反逆﹄︵一九三〇年︶とエーリッヒ・フロム﹃自由からの逃走﹄︵一九四一年︶の二冊が、戦前
︵13︶ ︵14︶
期に大衆社会に対する危険性を論じた代表的な二つの方向であった。W・コーンハウザーの﹃大衆社会の政治﹄︵一
︵15︶
九六一年︶によると、オルテガの方が大衆社会に対する貴族主義的批判であり、フロムの方は民主主義的批判であると
述べられている。こうした大衆社会批判の二つの系譜は、戦後においては、オルテガの貴族主義的批判を継承するよ
うな形でハンナ・アレントが登場し、フロムの民主主義的批判の系列では、アメリカの社会学者C・ライト:・・ルズ
が継承していくとも言えるのである。また、日本の大衆社会論においても、西部蓬などは、オルテガの﹃大衆の反逆﹄
をモデルにした現代社会論を展開しているし、日高六郎や南博らは、フロムを土台とした現代日本の大衆社会論を展
開している。
フロムは、近代人の性格構造を自由からの﹁逃走﹂という逆説的な心理構造の中に見いだしている。つまり、逃避
のメカニズムとして、︵1︶権威主義、︵2︶破壊性、︵3︶機械的画一性が現れ、近代人の自由の二面性、すなわち自由
への希求と自由からの逃避が同時に働いていくのである。この﹁近代人の性格構造﹂という発想は、D・リースマン
にもつながっており、フランクフルト学派がフロイトの精神分析を採り入れながら、﹁社会的性格﹂の議論へと入って
いくわけである。アドルノ﹃権威主義的パーソナリティ﹄︵一九五〇年︶、マルクーゼ﹃一次元的人間﹄︵一九六四年︶な
︵16︶ ︵17︶
どもこの系譜に並んでいる。これらは、どちらかというと大衆社会論から管理社会論の方向へと整理し直されてくる
のである。
大衆社会の社会的性格を論じたものとしては、リースマンの﹃孤独な群衆﹄︵一九五〇年︶が代表的である。オルテガ
71
法学研究67巻12号(794・12)
やフロムまでは、大衆社会の全体的な性格や危険性・批判は論じられているが、個別の社会状況の中での個人につい
ては詳しく検討されているわけではない。リースマンは、﹁わたしは、ここでは”同調性の様式”ということばを、﹁社
会的性格﹂と同義のものとして使いたい もちろん、同調性が社会的性格のすべてではないので、社会的性格のな
かには、﹁創造性の様式﹂などもふくまれよう。しかしながら、社会や個人は たとえ退屈でも 、いちおう創造
︵18︶
性なしで存在しうるかもしれないが、なんらかの同調性 それは反抗というかたちでの同調性であってもかまわぬ
なしには存在しえないのではないか﹂と述べている。そして、この﹁同調性の様式﹂が伝統指向型、内部指向型、
他人指向型に分かれ、かつての伝統指向型、内部指向型に変わって、現代人は﹁他人指向型﹂が支配的であることを
戦後アメリカ社会の大衆社会状況から分析している。
この点については、消費社会論とも関連しているが、リースマンの提起した﹁他人指向型﹂の同調性の様式は、大
衆社会が経済成長にともなってますます拡大してきた事を現している。つまり、フロムにおいては、﹁ナチズムの心理﹂
の問題が大前提として存在し、どちらかと言えば、政治思想としてのハンナ・アレントとも共通する性格を有してい
たが、リースマンにおいては、戦後世界を先取りするような消費社会、大衆文化、余暇社会などへの橋渡しが可能に
なってきたのである。大衆文化論の流れの中にも、リースマンに代表される社会的性格論が入ってきて、アメリカン・
カルチャー、ポップ・カルチャ!、ユース・カルチャーなどのいわゆるサブ・カルチャー論︵下位文化論︶が盛んに展
︵ 1 9 ︶
開されてくることになる。
しかし、大衆社会論の核心は、デモクラシー、自由、平等などの政治的な人間像を巡る議論の展開にあったものと
思われる。C・ライト・ミルズは、﹃新しい権力者﹄︵一九四八年︶、﹃ホワイト・カラ!﹄︵一九五一年︶、﹃パワー・エリ
ート﹄︵一九五六年︶のいわゆる階級三部作のなかで、︵1︶労働組合指導者の体制内化、︵2︶どの階級にも属さない現
︵20︶
代大衆の政治的無関心、︵3︶現代アメリカにおける支配階級︵パワー・エリート︶の存在などに触れて、大衆社会批判を
72
戦後日本社会の価値意識の変化
行った。ミルズが指摘した新しい形での支配階級の存在は、余暇研究と直接的な関係はないが、マルクス主義的な階
級論とは多少異なった現代社会批判は、大衆的余暇︵マス・レジャ璽︶の時代を予感させるものでもあった。
清水幾太郎、旦局六郎、高橋徹、辻村明などの社会学者たちは、機械文明の発達によって、資本主義と社会主義と
を問わず、共通に派生してくる社会的病理現象として大衆社会状況を把握したのに対して、政治学者の松下圭﹃は、
︵21︶
﹃思想﹄の特集﹁大衆社会﹂︵一九五六年一一月︶において、社会学者による病理現象の指摘は単なる記述学に過ぎないと
批判した。しかし、松下理論の根底にはマルクス主義の発展図式があり、リースマンやミルズの指摘とは、前提が異
なっていたとも言えよう。
ミルズは、﹃新しい権力者﹄の中では、階級闘争の制度化にともなう労働組合指導者の体制内化の問題を提起し、﹃ホ
ワイト・カラー﹄という文献においては、大衆の政治的無関心というテーマを提起している。従来のヨーロッパ階級
社会論の上流階級・中産階級・労働者階級︵マルクス主義の用語では、ブルジ・ワジーとプ・レタリアート︶という階級区分
ではなくて、労働体系における言わば﹁職業階層﹂としてのブルーカラーとホワイトカラーという区分が現実的な社
会的区分であることがしだいに支持を得てきたのである。そして、まずホワイトカラーにおいて政治的無関心が蔓延
し、そこから新しい支配階級︵ルーリング・クラス︶としてのパワー・エリートが登場してくると指摘している。ミルズ
は、﹃パワー・エリート﹄において、産業・国家・軍事の三つの権力の複合体を構成している現代アメリカの支配階級
を暴露しながら、ラディカルな批判を展開している。
また、大衆社会の貴族主義的批判を展開した同時代の思想家として、ハンナ・アレントを挙げることができる。彼
女は、﹃全体主義の起源﹄︵一九五一年︶や﹃人間の条件﹄︵一九五八年︶において、哲学的な意味での﹁活動的生活﹂に批
︵22︶ ︵23︶
判の根拠を置いたと言える。
このように、大衆社会論から導き出される人間像は、自由を獲得しようとする政治的人間像であるのかもしれない。
73
法学研究67巻12号(’94112)
余暇社会の到来を考えた場合にも、この自由への希求は戦後価値意識の根幹にかかわるものでもある。 したがって、
大衆社会の裏側で進行しつつあった全体主義や管理社会に対する危険性が常に叫ばれていた訳である。 それでは、消
費社会論や脱−産業社会論ではどのような人問像が模索されるのだろうか。
口 消費社会論と都市化社会論における﹁差異への欲求﹂と﹁匿名性﹂
まず消費社会論の先駆的研究としては、T・B・ヴェブレン﹃有閑階級の理論﹄︵一八九九年︶を挙げなければならな
い。ヴェブレンは、﹁誇示的消費﹂︵見せびらかしの消費︶という概念を使って、﹁有閑階級﹂︵毎窪お9霧の︶が自己の富
と特権を誇示する習慣を分析した。ヴェブレンによれば、人びとは消費財としてのモノを、それがもたらす何らかの
︵24︶
具体的な有用性や使用価値のゆえにのみ消費するのではない。人びとにとって、さまざまのモノは有用物、使用価値
として存在していると同時に、それらのモノを消費する人間の、その社会的な地位や経済力などを表示する社会的指
標としても存在している。ヴェブレンはモノのこうした社会的地位表示の機能を、その有用性や使用価値と対比して
﹁消費財の間接的・第二次的効用﹂と呼んだが、誇示的消費とは、モノのこのような﹁間接的・第二次的効用﹂が、人
びとの消費の主要な動機として肥大化してゆくことである。これは、後に消費社会論の代表的論者の一人であるJ・
ボードリヤールが﹁差異表示記号﹂と呼んだところの人びとの欲求の在り方である。
つまり、消費社会論の最も重要な論点は、﹁差異への欲求﹂という点ではないだろうか。これは、大量生産−大量流
通ー大量消費という資本主義の必然的な経済構造に支えられて、﹁あふれ出した商品︵モノ︶﹂が社会状況を規定してく
ることなのである。前述したJ・ボードリヤールはあまりにも有名であるが、同じくフランスの思想家、社会学者で
あるH・ルフェーヴルも﹃日常生活批判﹄︵一九四七−六二年︶、﹃都市革命﹄︵一九七〇年︶などにおいて、人々の﹁差異
への欲求﹂と都市空間とを関連づけている。ルフェーヴルは、都市化され、平準化されてゆく反面で文化的差異と領
︵25︶
74
戦後日本社会の価値意識の変化
域的分化が埋め込まれた世界において、矛盾が集積する場として都市を位置づけ、そこから﹁都市革命﹂の必然性を
説いている。
ボードリヤールの﹃消費社会の神話と構造﹄︵一九七〇年︶は、消費の本質をモノ材記号の消費として位置づけ、差異
化の構造的論理を次のように説明している。﹁実際には、まず最初に差異化の構造的論理が存在し、この論理が諸個人
を﹁個性化された﹂ものとして、つまり互いに異なるものとして生産する。コードに支配された差異化/個性化の図
式の論理、これこそ根本的な論理である。﹂この﹁差異化の欲求﹂は、消費社会を見るある見方を提示している。つ
︵26︶
まり、ある商品は、他の商品と異なる個性化された違いを示さなければならないが、それが消費されると次にまた差
異を求めなければならなくなる。そうしたことが繰り返されて再生産されてくる。これは、構造的論理であって、﹁個
性化﹂とは常に括弧づき、すなわち何かが個性的であるというと直ちに﹁様式﹂が支配していく仕組みが存在してい
るのである。消費社会論の展開が余暇研究と結び付く面があるとするならば、このような﹁構造﹂の発見が人々の余
暇への欲求とどのように結び付いているのかが問われなければならないが、この点については、J・デュマズディエ
などの余暇社会学の登場を待たなければならない。
したがって消費社会論における価値意識としての﹁人間像﹂は、﹁差異への欲求﹂をもった消費型人間ということに
なろう。そして、さらに都市化社会の到来から、都市的な生活様式が全体社会の中に入ってくると、﹁匿名的人間﹂と
でも呼べるような人間像が顔をのぞかせてくる。つまり、都会の中に暮らしている自己は﹁誰か﹂として特定できな
い要素を多くもっており、その根無し草的な生き方に解放感や存在感を感じているのである。余暇生活とはこのよう
な消費社会、都市化社会の到来が前提となっているとも言える。
75
法学研究67巻12号(’94;12)
日 脱−産業社会論における﹁労働と余暇﹂
産業社会論および脱ー産業社会論の核心的な論点の一つは、一九六〇年代後半あたりから欧米先進諸国の工業化の
段階が新しい局面を迎えてきた点である。代表的な論者たちを挙げるとJ・ガルブレイス、ダニエル・ベル、A・ト
ゥレーヌなどがいる。まず、ガルブレイスは﹃ゆたかな社会﹄︵一九五八年︶において、﹁貧しい社会﹂と対比しての﹁豊
︵27︶
かな社会﹂︵畦旨8区9一⑩受︶の登場を指摘した。また﹁新しい産業国家﹄︵一九六七年︶においては、テクノロジーの進
展とともに出現した大企業体制のもとで、大企業を実質的に支配するのは資本家自身ではなく、経営者や技術者など
で構成されるテクノストラクチュアと呼ばれる管理機構であり、しかも政府は大企業の研究開発を助成し、高等教育
機関を充実させて優れた人的資源を大企業に送り込むなど大企業と政府とはますます密接に結び付き、﹁新しい産業国
家﹂として支配体制を強化していくことを指摘した。さらに﹃不確実性の時代﹄︵一九七七年︶においては、このような
︵28︶
欲望が欲望を満足させる過程に依存する巨大産業の﹁依存効果﹂から脱するためには、住宅、交通、医療、教育等、
︵29︶
市民生活に直結する分野への政府政策を積極的に進め、テクノストラクチュアの支配を公共目的のために制御する公
共国家への移行を主張している。
つの社会を比較しながら、脱工業化社会の特徴を次の五点に集約している。︵1︶経済領域における製造業からサービ
ダニエル・ベルは、﹃脱工業化社会の到来﹄︵一九七三年︶の中で、﹁前工業社会﹂﹁工業社会﹂﹁脱工業社会﹂という三
︵30︶
ス産業への変遷、︵2︶職業構造における専門・技術職の優位、︵3︶基軸原則としての理論的知識の中心性、︵4︶将来
の方向づけとしての技術プランニング、︵5︶意志決定での新たな﹁知的技術﹂の創造。これらは、ベルの﹃イデオロ
ギーの終焉﹄︵一九六〇年︶と﹃資本主義の文化的矛盾﹄︵一九七六年︶の間に位置して、社会システムにおける知識・情
報のウェートがますます高まってきた社会的状況を反映していたと言えよう。
これに対して、フランスの社会学者であるA・トゥレーヌは、﹃脱工業化の社会﹄︵一九六九年︶の中で、テクノクラ
76
戦後日本社会の価値意識の変化
図10 余暇の時間一活動二次元モデル
活 動 ACTIVITY
Work(employment) Work obllgations ‘Lelsure m work’
(connected wlth employment)
生理的必要 労働外の要務 余 暇
労働外
Non−work Physlologlcal needs Non.work obhgatlons Lelsure
時 間
労働(雇用) 労働要務(雇用と関連) 「労働としての余暇」
Work
国Σ一臼
シー支配とプログラム化社会を批判し、脱工業化社会H後期工業化社会における
新しい社会階級、新しい社会紛争、そして新しい社会運動について述べている。
彼はまた、余暇社会学のデュマズディエにも影響を与えているが、﹃脱工業化の社
会﹄の中で余暇についても次のように言及している。﹁余暇自体は社会的階層序列
による差別から脱却すると同時に、その実行面での階層別分化の傾向を示してい
ることが確認される。余暇活動はその内容面でいっそう増大しても、その社会的
︵31︶
形態において地位階層いかんによる区分状態をともなうことが認められる。﹂つま
り、脱工業化社会でも新たな階層分化が生じ、単に同質化、画一化していくだけ
ではないというわけである。
﹁労働と余暇﹂のテーマは、広くは産業社会学の範疇に入るが、特に労働社会学
で扱われてきた。S・パーカー﹁労働と余暇﹄︵↓九七一年︶、G・P・フリードマ
ン﹃細分化された労働﹄︵一九五六年︶および﹃力と知恵﹂︵一九七一年︶などが﹁労働
と余暇﹂、﹁労働の人間化﹂というテーマを提起している。パーカーは、図10のよ
うな﹁余暇の時間 活動二次元モデル﹂を表わしているが、これによると、労働
を基準にしながら、時問︵良ヨ①︶と活動︵>3<ξ︶の二つの次元から考察してい
る。このパーカーの図式では、時間における﹁労働﹂と﹁労働外﹂、活動における﹁拘
束﹂とを組み合わせて、余暇を位置づけている。このアプローチは、典型的な﹁労
働から余暇へ﹂のアプローチと言ってもよいだろう。それに対して、一九六〇年
代のヨーロッパ社会の変動を﹁階級社会の変動﹂として捉えた産業社会学者も存
77
労 働
拘束Constramt− D Freedom自由
(出典) 原田勝弘「労働と余暇」山中一郎編『社会学シンポジウム』文教書院,1979年p117
Sねnley Parker,The futureofwork and lelsure(1971)より引用(p28)
法学研究67巻12号(’94 12)
在した。例えば、フランスのS・マレ﹃新しい労働者階級﹄︵一九六一二年︶、A・ゴルツ﹃労働者戦略と新資本主義﹄︵一
︵33︶
九六四年︶、あるいはイギリスのD・ロックウッド、﹂・H・ゴールドソープらの﹃豊かな労働者﹄︵一九六八年︶など
である。高学歴化や技術革新に伴って登場した﹁新しい労働者階級﹂や﹁豊かな労働者﹂︵>窪語暮ミo蒔包によって、
階級社会が新たな段階に入ったことを明らかにしたのである。
このように、J・デュマズディエが登場してくる背景として、パーカー、フリードマンらの労働社会学からの影響
とトゥレーヌ、マレ、ゴルツらの産業社会学や階級論からの影響も入ってきて、アメリカのD・ベルらの脱工業化社
会論と肩を並べられるくらいにヨーロッパ社会での成熟が進んだことが考えられる。デュマズディエはフリードマン
が使った﹁非労働時間﹂という言葉を﹁自由時間﹂に置き換えているが、自由時間はレジャー︵余暇︶と同義ではなく、
言わばレジャーの入れ物である。彼は一九五七年の論文においては、自由時間を﹁技術的進歩や社会的活動の結果、
︵3 4︶
生産の期間の前後に人間の非生産的活動のために使われ、生産・労働によって自由になった時間﹂と定義していた。
これに対して、﹃余暇文明へ向かって﹄︵一九六二年︶になると、レジャi︵余暇︶の定義は、﹁個人が職場や家庭、社会か
ら課せられた義務から解放されたときに、休息のため、気晴らしのため、あるいは利得とは無関係な知識や能力の養
︵35︶
成、自発的な社会的参加、自由な創造力の発揮のために、まったく随意に行う活動の総体である。﹂となっている。デ
ュマズディエと言えば、余暇の三機能としての﹁休息﹂、﹁気晴らし﹂、﹁自己開発︵人格の発展︶﹂が有名であるが、彼自
身、余暇についての考え方を少しずつ修正してきている。この間の変化は、﹁アヌシi調査﹂と呼ばれるフランスの地
方都市住民のレジャー行動の内容・時間・組織の克明な実証主義的な調査の結果に基づいて展開された。彼はまた、
らに﹁レジャー﹂時間へとより積極的な意味付けを強調していく。そしてレジャー活動を生産労働とさまざまな義務
﹃レジャー社会学﹄︵一九七四年︶において、これらを総合化する意味で、﹁非労働﹂時問から﹁自由﹂時間へ、そしてさ
︵36︶
的活動との間に位置づけ、休息に代わって第三次的活動として発展する可能性を見いだした。さらに彼は、﹁レジャー
78
戦後日本社会の価値意識の変化
社会学の構築﹂や﹁余暇文明へ向かって﹂という言い方の中に、社会の中に発生した新たな余暇を使用する形で、人
間の新しい文化・文明論へと展開していこうとする意図が現れている。
産業化、脱ー産業社会論から出発してきたが、パーカーやフリードマンは明らかに﹁労働−余暇﹂パラダイムの延
長線上にあった。しかし、デュマズディエの段階になると、﹁産業社会論﹂の枠だけではなく、﹁労働−余暇﹂パラダ
イム自体をも越えて、文化・文明論にまで入っていくことになった。それ故に、レジャーの定義と言うと必ずと言う
ほど、テユマズディエの﹁余暇の三機能﹂、﹁レジャーの社会学﹂が引用されるのではないだろうか。そこまで、視野
を拡大し、応用領域を広げたわけである。つまり、脱−産業社会論にあける人間像は、産業化の時代における﹁経済
人﹂、﹁生産する人﹂というイメージから﹁労働と余暇﹂というパラダイムを経て、新たな人間像を模索しなければなら
ない段階に至っている。そこに、余暇文明という課題が横たわっている訳である。
四 大衆文化論における﹁余暇と遊び﹂
最後に大衆文化論の領域を見ておきたい。まず先駆的研究としては、九鬼周造﹁﹁いき﹂の構造﹄︵一九三〇年︶、G・
H・ミード﹃精神・自我・社会﹄︵一九三四年︶、J・ホイジンハ﹃ホモ・ルーデンス﹂︵一九三八年︶、R・カイヨワ﹃遊
びと人間﹄︵一九五八年︶などが挙げられるであろう。ホイジンハやカイヨワになると、先駆的研究というよりは﹁遊び﹂
論の本格的展開が見られるが、それぞれにその後の展開が内包されていたという意味で先駆的と位置づけた。九鬼周
︵37︶
造﹃﹁いき﹂の構造﹄は、日本文化の中にある感覚的、芸術的特性を紡ぎ出している。﹁媚態﹂と﹁意気地﹂と﹁諦め﹂
の三つの契機からなる﹁いき﹂の民族的特性の指摘は、戦後の日本文化論とは一味違った﹁遊び﹂の要素を加味した
分析であった。G・H・ミード﹃精神・自我・社会﹂は社会学、社会心理学においては、シンボリック相互作用論の
原点として古典的名著であるが、﹁遊戯﹂、﹁ゲーム﹂、コ般化された他者﹂などの諸概念を駆使して社会的自我の形成
79
法学研究67巻12号(yg4・12)
︵38︶
や﹁社会化﹂︵ωo。一呂N暮9︶について論述した。後に、コミュニケーションとしての﹁遊び﹂や、メディアを通して人
々が﹁娯楽﹂を追求するようになると、ミードの研究は先駆的な価値がますます高まっていった。
これに対して、歴史家であるホイジンハは﹃ホモ・ルーデンス﹄において、人間の精神を夢や幻想に基づくものと
考え、遊びこそが人間を特徴づける﹁生の根源的な範疇﹂であるとした。遊びは自然やまじめと対立するが、さまざ
︵39︶
まな文化所産、言語、法律、芸術などは遊ぶことを通して産み出されてきたのである。さらに、R・カイヨワは、ホ
イジンハの︿遊び﹀の概念を批判的に継承しつつ、﹃遊びと人間﹄において︿遊び﹀を、︿聖﹀からも︿俗﹀からも独
︵40︶
立した次元としてカテゴリー化している。つまり、︿聖﹀1︿俗﹀の文化論的二元論から脱却して、カイヨワは︿聖﹀
1︿俗﹀1︿遊﹀という三元論を提起してくるのである。彼はまた、遊びをアゴーン︵競争︶、アレア︵偶然︶、ミミクリ
i︵模擬︶、イリンクス︵目眩︶の四つのカテゴリ:によって分類している。これも遊びの構造論として興味深い整理の仕
方である。
︵41︶
次に、メディア論、大衆文化論などの領域で見ていくと、これも重要な文献はいくつもあるが、戦前ではW・ベン
ヤミン﹃複製技術時代の芸術﹄︵一九三六年︶が挙げられるだろう。戦後では、やはりアメリカ合衆国のマス・コミュニ
︵42︶
ケーション研究の展開は欠かすことができない。R・デニー﹃ミューズのおどろき﹄︵一九五七年︶、D・ブーアスティ
ン﹃幻影の時代﹄︵一九六二年︶、M・マクルーハン﹃メディアの理解﹄︵一九六四年︶などが続いている。これらは言う
︵43︶ ︵44︶
までもなく、マス・メディアとしての新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどが人々の生活領域の中に余暇、娯楽、遊びと
して入ってきたことと関連している。
アメリカ合衆国の余暇・大衆娯楽研究は、リースマンの大衆社会論以来、ますます発展してきた。その傾向は、や
はりマス・メディア、マス・コミュニケーションの領域での研究の発展を土台にしているように思われる。この領域
では一般的に社会心理学からのE・ララビi、R・マイヤーソン共編﹁マス・レジャー﹄︵一九五八年︶が注目されてい
80
戦後日本社会の価値意識の変化
るが、それより以前、既に戦前からC・D・バーンズ﹃近代世界におけるレジャー﹂︵一九三二年︶が存在していたこと
を岡田至雄は﹃レジャーの社会学﹄で紹介している。また、B・・ーゼンバーグ、D・M・ホワイト共編﹃マス・カ
︵45︶
ルチャー﹄︵一九五八年︶、M・カプラン﹃アメリカの余暇﹄︵一九六〇年︶と引き続いて研究書が出されている。これらは、
J・デュマズディエも﹃余暇文明へ向かって﹄︵一九六二年︶の﹁補遺アメリカにおける余暇と大衆文化研究に関する覚
︵46︶
書﹂で言及しており、欧米での余暇研究が一九六〇年代に入って接触しながら相互に発展してきたことを現している。
このように、大衆文化論における人問像と言えば、何と言ってもホイジンハの﹁ホモ・ルーデンス﹄︵遊ぶ人︶に象徴
されるだろう。もちろん、古代から人間は遊びを共有して来たが、大衆文化の時代に入って来て、﹁遊び﹂も大量生産
i大量流通ー大量消費されるようになってきた。複製技術による視覚、聴覚、味覚などの大幅な拡張であり、文化の
享受である。したがって、大衆文化的人間像として、﹁遊ぶ人﹂というイメージが提起されているわけである。
今まで検討してきたように、大衆社会論、消費社会論、都市化社会論、脱−産業社会論、大衆文化論などそれぞれ
において、社会学的人間像と言えるような人間像が抽出された。まず、大衆社会論においては、自由を求める政治的
人間像、消費社会論においては、差異への欲求をもった消費型人間、都市化社会論においては、匿名性を帯びた移動
する人、脱−産業社会論においては、﹁労働と余暇﹂というリズムから余暇文明を希求する自己実現型の人間像、そして
大衆文化論からは、文字どおりの﹁ホモ・ルーデンス︵遊ぶ人︶﹂の大衆化である。これらをT・パーソンズのAGI
L図式に重ねながら、一つの図にまとめてみたのが、図”の価値意識としての﹁余暇的人間像﹂である。
五、おわりに
戦後日本社会の価値意識の変化について、始めに﹁世論調査﹂を手掛かりにして、私生活主義と呼ばれている生き
81
法学研究67巻12号(794:12)
図11 価値意識としての「余暇的人間像」
大衆社会論
産業社会論
[G]
[A]
政治的人間像
経済人
勿
間 像
人
匿名的消費者
ホモ・ルーテンス
管理社会論
ノ
脱一産業社会論 _
的
余 暇
都市化社会論
下位文化論
[1]
[L]
消費社会論
大衆文化論
方と余暇生活の重視という最近の傾向を検討してきた。そ
して、戦後価値意識としての余暇を現代社会論総体の中に
位置付けて大衆社会論、消費社会論、都市化社会論、脱−
産業社会論、大衆文化論などにおける﹁社会学的人間像﹂
を見定める形で分析してきた。しかし、まだ細かく見てい
くならば、価値意識の多様化、分節化が必要になってくる。
例えば、男性と女性における差異も強調されなければなら
ないし、世代間の差異も大きい。ジェンダー論が女性の職
場進出や家族の領域ばかりではなく、政治・経済・国際関
係、権力・秩序や正当性などのマクロな社会関係から、人
間関係、セクシュアリティ、歴史・生活・文化などのミク
ロな領域に至るまですべてにわたって問題関心が高まって
いるのも価値意識の変化にかかわっている。また、高齢化
社会の到来は、世代間ギャップが今後ますます深まってゆ
くことを予想させるし、国際化の進展は、外国人居住者の
増加と日本人の異文化経験の増加をますます進行させ、情
報化の進行ともあいまってある面での﹁ボーダーレス社会﹂
の出現をも意味している。
したがって、世論調査が描き出している私生活主義や無
82
戦後日本社会の価値意識の変化
図12 価値の類型表
時間的パースペクティヴー
㊦一醜
⑤一偽
〈感性的・観賞的>
く理性的・認識的>
エロース アガペi
㊥一不幸
<自轟
㊦一悪
雛.拗
く社隷
社会的パースペクティヴ←
限定主義、余暇生活の重視なども個人の属性において今後、
多様化、分節化が進んでいくものと思われる。しかし、それ
にもかかわらず、余暇や自由時間への欲求、自己実現への希
求は今後ともどのような属性の中でも高まってくるものと考
えられる。というのは、戦後の価値意識が、究極としての個
人主義、すなわち個人の自己決定権の擁護を目指していたか
らである。さまざまな社会的障壁の中から個人の意志を紡ぎ
出していくと、思想・言論・学問の自由、職業選択の自由、
自由意志による結婚から産む自由・産まない自由、患者の自
己決定権、安楽死・尊厳死への自由に至るまで通底としての
﹁同型性﹂が存在している。つまり、戦後価値意識としての
余暇があぶり出したものは、自己実現を目指す人間像であっ
たが、これは、個人の自己決定権という社会的には曖昧にし
か合意されていない領域にまで、無限定的に引っ張っている
のである。したがって、医療や生命倫理、男性・女性の相互
関係などそのたびに社会的な合意を必要としているボーダー
が差し迫った問題として存在しているのである。価値意識の
変化は、通底している他の領域にまでますます広がっていく
ことだろう。そこに新たな人間像を描くことができるかどう
83
く未来>中心
<現在〉中心
パトス ロゴス
出典) 見田宗介「価値意識の理論』弘文堂 1966年 p32
法学研究67巻12号(’94・12)
かが今日、問われているのである。
︵1︶ 見田宗介﹃価値意識の理論 欲望と道徳の社会学 ﹄弘文堂、一九六六年によると、
①自己の欲求を即時的に充足させる役割をもった︿快﹀価値
②自己の欲求を長期的に充足させる役割をもった︿利﹀価値
③社会︵他者︶の欲求を即時的に充足させる役割をもった︿愛﹀価値
の四つの価値の類型を中心として図12のような﹁価値の類型表﹂を示している。
④社会︵他者︶の欲求を長期的に充足させる役割をもった︿正﹀価値
︵2︶ 富永健一﹃日本の近代化と社会変動 テユービンゲン講義 ﹄講談社学術文庫、一九九〇年によると、非西洋世界に
おいて近代化が起こりやすいか否かを規定している三つの要因の作用は、次のようにあらわされている。
︵1︶伝播可能性⋮⋮経済﹀政治﹀社会−文化
︵n︶動機づけ⋮⋮⋮経済﹀政治﹀社会−文化
コンフリクトというのは、マイナスの条件であるから、これをコンフリクトの克服可能性としてプラスの条件に変換して考
︵皿︶コンフリクト⋮経済く政治く社会−文化
えることにすれば、不等号の向きは逆になって、三変数すべての不等号の向きが揃う。すなわち富永によると、﹁日本の近代化
の歴史的経過からの一般化によれば、非西洋後発社会の近代化は経済的領域において最も起こりやすく、したがって最も早く
にくく、したがって最も起こるのが遅い、﹂︵六五頁︶ということになる。
起こり、政治的領域に置いてそれよりも起こりにくく、したがってより遅く起こり、社会的−文化的領域において最も起こり
人民共和国H北京︶一九九二年一二月、ニニ九−二五一頁参照。
︵3︶ 有末賢﹁現代日本社会と﹁ポスト・モダン﹂状況﹂﹁日本学研究②﹄︵北京日本学研究中心編︶科学技術文献出版社︵中華
︵4︶ 旦口同六郎﹃戦後思想を考える﹄岩波新書、一九八O年・七五ー九二頁参照。
︵5︶ ﹁私化﹂については、浮お①さ悼rω①お①ぴ切国亀冨ぴ戸臼壽霞oミ風霧のミ言鼻一㊤おス高山真知子.馬場信也.馬場
恭子訳︶﹃故郷喪失者たち﹄新曜社、一九七七年・および宮島喬﹁現代社会意識論﹄日本評論社、一九八三年、参照。﹁私生活
主義﹂については、田中義久﹃私生活主義批判﹂筑摩書房、一九七四年、参照。また、田中重好﹁戦後日本の社会変動の到達
点 ﹁豊かな﹂社会の実現と私化の進行 ﹂﹁文経論叢﹄︵弘前大学人文学部︶第壬二巻第三号、一九八八年三月、三一1
84
戦後日本社会の価値意識の変化
七〇頁参照。
︵6︶ ご
o ①お①5ワr他、前掲書、︵邦訳︶一〇八頁。
二年、︵邦訳︶一七頁。
︵7︶ U仁田鶴①鎌霞し9守ρく箋⑦gミ9言騨9ご為儀g卜○聾蔦お露︵中島巌訳︶﹁余暇文明へ向かって﹂東京創元社、一九七
︵8︶ ζ一魯巴曾qこト㊥b象夏魯匡ぼ巴匡①=㊤oぎ暮①口o。&︵大野一道訳︶﹁民衆﹂みすず書房、一九七八年。
㎝︵井伊玄太郎訳︶﹁アメリカの民主政治﹄講
。
︵9︶>一①首の号弓08奉<≡ρb巴Ω念ミ象ミ鉢器§>ミ⑪謡ミ♪08器一ぎ一〇。。
談社学術文庫、 一 九 八 七 年 。
。3︵桜井成夫訳︶﹃群衆心理﹄岡倉書房、一九五六年。
︵10︶ O⊆ω鼠話田ωOP、。。遠ぎε讐偽魯。Dむ蕊霧隔一〇
︵12︶ く一守&○℃胃讐ρ..qき§嵐号§ごミ魯融ミ紺。。8ぴごαq号詩、.︸肉§。。婁営巳言轟Ω箋qoooごご暫Ωお8︵川崎嘉元訳︶
︵n︶ 魯きρ円胃αρ卜、o冨ミ§無蜀\薯欝お2︵稲葉三千男訳︶﹃世論と群集﹄未来社、↓九六四年。
︵14︶
弓ぎ&2≦。>3毎○①3一。。;﹃言ンミ詳oミミ包§即奏o蓉ミドお8︵田中義久.矢澤修次郎.小林修一訳︶﹁権威主
≦≡寅菖国9浮雲器さ﹃ぎ、良登89ミ塗のOQ8執①q﹂霧O︵辻村明訳︶﹃大衆社会の政治﹄東京創元社、 一九六一年。
国ユ9司3旨ヨ℃肉。。8b偽>oミ肉ミ&oミし漣一︵旦局六郎訳︶﹃自由からの逃走﹄東京創元社、一九五一年。
マンハイム、オルテガ﹄中央公論社、↓九七一年。
○詳。窓図O霧零“卜Rミ簿﹄民9魯N霧ミ塗霧﹂3。︵寺田和夫訳︶﹃大衆の反逆﹂責任編集.解説高橋徹﹃世界の名著五
﹁エリートの周流﹄垣内出版、一九七五年。
︵13︶
︵15︶
六
︵16︶
︵18︶
︵17︶
この点については、Oぼ審δ℃プ霞d器oF﹃ぎ○ミ婁、㊥皇≧ミ9鴇湧弾Z①≦Ko蒔一ZeδPおお︵石川弘義訳︶﹃ナ
∪砦置盈霧ヨゆ戸﹃書卜○邑史90ミ鼻58︵加藤秀俊訳︶﹃孤独な群衆﹄みすず書房、一九六四年︵邦訳︶五頁。
=①吾。旨ζ胃8ωρOミーb邑ミ§。。ごき巳ミ§﹂8“︵生松敬三・一二沢謙一訳︶﹃一次元的人間﹂河出書房新社、一九七四年
リ
テ
ィ
﹂
青
木
書
店
、
一九八O年。
義的 。 ハ ー ソナ
︵19︶
ルシ シ ズ ムの
時
代
﹄
ナッメ社、↓九八四年・および閃○ぴ①暮Z。ω①一σF空。鼠こζゆ房。Pミ旨宣唐ζあ巳=茜P>雪
① ≦ ωゑ一
巳 05
餌 口α
ω 鼠く
5︼
● 艮喜op山さ蕊9導①韻偽ミ琳﹂&§畢巳訂ミ§α9ミミ簿ミ鳴ミ言ンミミ誉§卜嘗︸C巳く霞−
参照。
一年、
0
3
一
帥 ㎝ .
中
村 ﹃
、 ︵ 島 薗進
圭 志 訳︶
屯、
の 習 慣 アメリカ個人主義のゆくえー﹂みすず書房、一九九
巴身 9 0 巴肖
7 霧 鉾 這 o。
85
法学研究67巻12号(’94:12)
︵1
3︶
≧巴昌弓2声ぎρ卜Ω。。8§⑪bO。。a昌畢。。言巴欝お8︵寿里茂・西川潤訳︶﹃脱工業化の社会﹄河出書房新社、一九七〇
ω鼠巳塁勺費ぎン﹃詳、ミミQ9ミo尋§亀卜巴。Dミ①口O刈ズ野沢浩他訳︶﹃労働と余暇﹄TBS出版、一九七五年、Ω①oお①。
年︵邦 訳 ︶ 二四五頁。
︵2
3︶
86
︵20︶ Oげ費一窃≦。ζ∈P﹃書≧鳴ミミ§9㌔oミ箋、>ミミ脳S、。。卜&ミトS魯声一漣o。︵長沼英世.河村望訳︶﹃新しい権力
者﹄青木書店、一九七五年、O。ミ’ζ≡Pミ蕊譜8N鼠、は詩﹄ミQ試8きミ菱箋①9霧鴇。D﹂3一︵杉政孝訳︶﹁ホワイト・カ
ラー﹄東京創元社、一九五七年、ρ≦。ζ≡ρ↓詳㌔Oミミ田譜口O器︵鵜飼信成・綿貫譲治訳︶﹁パワー.エリート﹄上.
︵21︶ 松下圭一﹁現代政治の条件﹂中央公論社、一九五九年・﹃思想﹂特集﹁大衆社会﹂第三八九号、岩波書店、一九五六年一一
下、東京大学出版会、一九五八年。
月、参照。
全三巻、みすず書房、一九七二ー四年。
︵22︶ 国餌目筈>8&“﹃書♀磁ミ9﹃o言ミミ言ミ。Dミお摯︵大久保和郎・大島道義・大島かおり訳︶﹁全体主義の起源﹄
。︵志水速雄訳︶﹃人間の条件﹂中央公論社、一九七三年。
︵23︶ =帥昌コ帥﹃>お目騨”﹃書窺gミΩ轟○睾魯駄睾口30
︵24︶ 臼ぎ諺8営甲<①巨①戸﹃詳。﹃ぎo蔓9卜箇⑦ミ㊥9湧。。口o。3︵小原敬士訳︶﹃有閑階級の理論﹄岩波文庫、一九六一年。
︵25︶ =雪巳ゼ亀魯員ρ9嘗Qgo譜ご覧㊥ミ○試魯§き﹂漣①︵田中仁彦訳︶﹃日常生活批判序説﹄現代思潮社、一九六八年.
およびトΩ、8良ミご“ミぴ良竃口雪O︵今井成美訳︶﹃都市革命﹂晶文社、一九七四年。
一九七九年︵邦訳︶二九ー一二〇頁。
魯彗ω窪母旨費斜卜Ω。。o。§噂騒8霧oミミ9ごドおさ︵今村仁司・塚原史訳︶﹁消費社会の神話と構造﹄紀伊国屋書
U帥巳。一ω①戸臼詳Ooミ言頓9、8丈為魯象謡巳Oっ8曇8おお︵内田忠夫他訳︶﹃脱工業化社会の到来﹄ダイヤモンド社、
きぎ雰Ω巴ぼ巴浮’﹃書ン鷺9q討8試9ミ8おミ︵都留重人監訳︶﹁不確実性の時代﹄河出書房新社、一九七八年。
きぎ雰Ω巴ぼ巴爵”≧偽ミ卸儀霧讐言﹄即9やお雪︵都留重人監訳︶﹃新しい産業国家﹄河出書房新社、一九六九年。
魯ゴ円Ω巴ぼ巴一芦﹃書>§N需ミoQ8簿q矯一㊤㎝o。︵鈴木啓太郎訳︶﹃ゆたかな社会﹄岩波書店、一九六〇年。
、
一九七五年。
讐磐嬰署店毯
勺該一甘冨牢一aヨ睾P卜象轟養匙§ミ聾器鉾お露︵小関藤一郎訳︶﹁細分化された労働﹄川島書店、一九七三年、Ω8茜霧
言
冨 P
卜 。
。 。
っ 雪
O ・
竹 ﹃
力 文
書 勺田一
国 匡 a ヨき
Q b 蕊 。。
§ 8 Q ミΩ
鳥 恥 題 鴇口
︵ 中 岡 哲郎
内 成 明 訳︶
と 知 恵 ﹄人
院 、一九七三年。
Q
( ( ( ( (
戦後日本社会の価値意識の変化
︵33︶ ω①茜①ζ巴ざ“卜Ωぎ§巴や創霧。つ町oミ試箋Q口O$︵海原俊・西川一郎訳︶﹃新しい労働者階級﹄合同出版、一九七〇年。
︾昌母①OO醤矯Oo鮮ミ器曳⑪薯ミ討奉&ミoB蕊ミ蓼ミ魯お窪︵小林正明.堀口牧子訳︶﹁労働者戦略と新資本主義﹄合同出版、
一〇①oo−O●
一九七〇年、U●ゼo畠≦○○斜q。甲Ωo匡甚o壱ρ碧自o甚霞9↓壽卜§盲㊥ミミoき§OΦヨ∈こ鵯⊂巳く霞の一身摩窃9
二年、︵邦訳︶↓五頁。
︵34︶ U仁B舘①9霞しo臣胃ρ謡諺gミΩ旨譲9ごき§卜○聾もお爵︵中島巌訳︶﹁余暇文明へ向かって﹂東京創元社、一九七
︵35︶ U仁ぢ舘 ① & 霞 し ’ 前 掲 書 ︵ 邦 訳 ︶ 一 九 頁 。
︵37︶ 九鬼周造﹁﹁いき﹂の構造﹄岩波文庫、一九七九年。また、安田武・多田道太郎﹃﹁いき”の構造﹄を読む﹄朝日新聞社、一
︵36︶ U仁ヨ欝①巳霞し9守Pqo8幅巳品ミ衛ミ喜、ミ§§N黛。つ営お謹︵寿里茂監訳︶﹃レジャi社会学﹄社会思想社、一九八一年。
九七九年も参照。
。轟︵稲葉三千男.滝沢正樹.中野収訳︶﹁精神・自我.社会﹄青木書店、
︵38︶ 08お①甲ζ$斜冒言拝OQQ壁§亀qQo。ミq鴇一。。
一九七三年。
o ︵高橋英夫訳︶﹃ホモ・ルーデンス﹂中央公論社、一九六三年。
︵39︶ き鼠ロ=巳Nぎ㎎P窺oミo卜gα§⑦︸一㊤o。。
︵40︶ 即畠霞O巴=99卜Qξ壁8㊥ミ①。。ぎミミ$一30。︵多田道太郎.塚崎幹夫訳︶﹁遊びと人間﹄講談社学術文庫、↓九七三年。
︵41︶ ミ巴け霞ω①三餌B一Pミ閏罰民肉bu§亀抽お留︵高木久雄.高原宏平訳︶編集解説佐々木基一﹃ベンヤ、・・ン著作集2 複製
技術時代の芸術﹄晶文社、一九七〇年。
︵42︶ ∪①目①ざ国こ﹃詳>詮睾房訟&ミ霧魯お零︵石川弘義訳︶﹁、・、ユーズのおどろき﹄紀伊国屋書店、一九六三年。
︵43︶ ∪き芭ωooお菖P﹃詳﹄ミΩ鷺、ミミ︸9ぎもb§&ε導⑪>ミ。試S轟辱Sミ﹂。露︵後藤和彦.星野郁美訳︶﹁幻影の
時代ーマスコミが製造する事実﹄東京創元社、一九六四年。
。卜⊃9
︵
4︶ ζ胃昏巴一ζ畠鼠ゆPq&箋象§隻品ミ&言1﹃言肉§§巴o講9ミ§﹂⑩望︵後藤和彦.高儀進訳︶﹃人間拡張の原
4
理ーメディアの理解﹄竹内書店、一九六七年
︵45︶ 岡田至雄﹃レジャーの社会学﹄世界思想社、一九八二年、四頁ρU。ω二39卜巴讐奉言導鳴ミo魯ミミo、ミ︸一〇〇
七二年、︵邦訳︶二七一−二八九頁参照。国’ピ胃3ぎρ犀ζε①お9づ︵&ω。yミ霧。っト蝕⑦ミ①ン30。、︵旦局六郎監訳︶﹃マス・
︵46︶ U仁ヨ欝①巳霞し9守ρざ諺§邸Ω言蓼&ε昌§卜a匿亮5露︵中島巌訳︶﹁余暇文明へ向かって﹂東京創元社、↓九
87
法学研究67巻12号(’94:12)
レジャー論﹄紀伊国屋書店、一九六一年。ゆ。即o。D窪訂茜彗α∪’ζ。≦霞S︵①α幹yミ霧。DOミミミ①口30。︵南博監修︶﹁マス.
カルチャー﹄紀伊国屋書店、一九六三年、ζ奨内碧鼠鍔卜巴のミ衛営﹄ミ㊥試Sあ09匙卸Q覧蔓﹂霧O●
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