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カナダ・ヨーク大学における権利の衝突と多文化共生

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カナダ・ヨーク大学における権利の衝突と多文化共生
Kyushu Communication Studies, Vol.12, 2014, pp. 60-67
©2014 日本コミュニケーション学会九州支部
【
研究ノート
】
カナダ・ヨーク大学における権利の衝突と多文化共生
―「自由」と「平等」の考察―
坂田
史
(ヨーク大学大学院博士課程)
York University’s Controversy over Clash of Human Rights:
A Preliminary Analysis on the Discourse of “Equality” and “Freedom”
SAKATA Fumi
(PhD Student, Department of Humanities, York University)
Abstract. In January 2014, on a freezing -40c campus in Toronto, a “request” was made by a
Sociology student enrolled in an online course at York University. Due to his firm religious belief,
the student requested to be exempted from a mandatory component of the course which would
require his face-to-face interaction with other female students in class. The instructor for the
course, after considering the damaging possibility of setting a precedent for sexism based on
religious accommodation, declined the student’s request. The controversy grows when the Dean
of the Liberal Arts program at York quickly advised the instructor to grant the request and give
alternative accommodations for the missed assignment following the school’s policy on religious
accommodations. Carefully reflecting upon the speedy development of this university’s
administrative problem into a political debate that involved the whole body of students and
politicians across Canada, this paper analyzes the ways in which the discourses on
multiculturalism, freedom of religious rights, and equal rights of humans circulate around the
student’s request. The Canadian government declares multiculturalism as its state policy,
stressing the significance of the country’s integration of the diverse population. Yet, the question
of how it intersects with people’s daily lives and experiences remains to be explored. Using the
example of the controversy at York University, this preliminary paper examines the ways in
which multiculturalism surfaces on the level of communication, i.e. the discursive practices that
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attempt to draw boundaries as to what it means to be a “free” and “equal” citizen in the
Canadian multicultural context.
0.はじめに
カナダ連邦政府は Multiculturalism(以下「多文化主義政策」とする)を世界で初めて国策とし
て認めた国家であり
1)、その意義や機能、社会的成果に対しての評価はそれぞれ異なるが、概して
政策の影響を社会レベルで分析したものが多い(Bissoondath、2002;Joppke、2004;Kymlicka、
2003;Roberts & Clifton、1982 参照)。さまざまな権利の確保や、差別・偏見を規制する具体的
な条例の設立が革新的に取り組まれている点や、移民や難民の受け入れ・対応を他国と比べ、解析
する研究・調査が中心に広く行われている。しかし、それらの判断は一国策としての評価であり、
また国家間における比較・照合といった考察方法に依拠したいわゆる外在批評である。多文化主義
政策というトップダウン的な方針を、経済効果や権利の確約などの面から考察することは、政治学
や経済学的観察としてとても価値のあることであると認識しつつ、ここでは、多文化主義政策がも
たらす余波のようなものを、日々のひとびとの生活や活動・言動といったコミュニケーションの側
面に注目して考えてみたい。多文化共生という原理は、どのような現実として日々経験されている
のか、といった問いを念頭に、具体例を取り上げ、その社会的一面を明らかにするよう意図する。
よって本稿では、オンタリオ州最大の都市であるトロントに在るヨーク大学において、多文化共生
をテーマに巻き起こった論争を、平等性と多文化主義政策という二つの連結した政治力が必然と含
む矛盾と混乱に注目して、いわゆるアンソロポリジカルな立場から考察することとする。また本稿
は、より学術的な議論・分析の展開を予期した極めて初歩的段階の構想を端的にまとめたものであ
る。
1.ヨーク大学での多文化共生をめぐる論争
私の所属するヨーク大学はトロントという土地柄を比較的よく反映したマルチ・カルチュラル
(多文化共生的)な場所であると言えるだろう。2006年に行われた国勢調査では、総人口のほんの
30%が自らの民族的帰属として「カナダ」であると答えた2)ほどで、文化・民俗的多様性に富む国の
構成であることがわかる。数にしてみると、二百以上もの異なる民族・文化がそれらの帰属性とし
て挙げられた3)。特に、居住者の半数近くが Visible Minority4)であるトロント5)では、他の都市と比
べても、異なる価値観や文化的風習が街並みや外観にもよく反映されているように感じる。仏教寺
院やモスクなどの建物を目にするのも珍しくはない。本稿が多文化共生をテーマとして注目するヨ
ーク大学にもその影響がみられる。大学キャンパスは、トロント中心部から小一時間ほど北上した
ところに位置するが、ほとんどの学生がトロント市内やその近郊から通っており、1959年に創立さ
れて以来いまではカナダで三番目に学生数の多い州立大学である6)。それらの理由から、トロントの
文化的多様性を反映し、これまでにも学内行事やキャンパスづくりは民族・文化の違いや伝統に敏
感で迅速な対策と対応をしてきたリベラルな大学として知られている。学内の中央にある図書館に
は、様々な宗教に属する学生・スタッフが集会や儀式のために便宜的に利用できるチャペルやプレ
イヤー・ルームが設置され、週末も使えるようになっている。毎年二月にはマルチ・カルチュラル
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週間が設けられ、音楽やファッション、ダンスの披露などのイベントで学生ホールは人混みと盛り
上がりを見せる。学生食堂にはハンバーガーやフライドチキンなどに限らずインドやギリシャ料理、
ジャマイカ、タイ料理専門店が軒並び、まさに多様な学生のニーズに対応したメニュー内容である。
食堂に集まる学生たちの顔ぶれを見るだけでも、1988年に施行された Canadian Multiculturalism
Act(カナダ多文化主義政策)以来の約三十年間で大幅に促進された移民受け入れの成果を実感せざ
るにはいられない。私がアシスタントとして受け持つ授業の学生のなかでも、英語を母語としない
学生の数は半数を超えるほどである。
「多文化共生とはカナダにおいて、事実であり、法であり、社会的理念である」(Day、2000、p.
210)が、実際には、どのようにしてカナダの社会に表出するのだろうか。本稿は、ヨーク大学で今
年一月、数週間にわたり繰り広げられた宗教の自由と男女平等という二つの立場が衝突する論争に
注目し、多文化共生がいかにして具体的に人々の日常と交錯しているのかを観察する。氷点下40度
という凍てつく一月の大学キャンパスで、この論争に火をつけたのは社会学部でオンラインコース
を履修していた学生のある「リクエスト」だった。その「リクエスト」はコースを担当していた教
授へ出されたもので、コース完了のために必要とされた一回限りのイン・クラス参加型課題から免
除されることを申請したものであった。理由として、教室内授業に必然的に伴う異性(この場合は
女性)とのやりとりが当人の宗教的信条に反することであることが挙げられた。この種の宗教的信
条を理由にした免除申請は、オンタリオ州の高校や大学・短大では頻繁に許可されることが多く、
申請としては珍しいものではなかった。様々な文化的・宗教的慣習に対して便宜を図ることは、多
文化共生を理想とする社会において対立や不満を防ぐための重要な鍵となるからである。お互いの
違いを受け入れ理解し合うことは、政府による多文化主義政策の理念として明言されている7)。
しかし、この「リクエスト」を受けた担当教授は参加の免除をすることはできないと判断し、そ
う学生に告げたのであった8)。この判断の背景には、男女平等を謳う民主主義社会において、男子学
生が女子学生との活動を拒否するというような要求は女性の尊厳を損なうこととなり、さらに、他
者との共生を拒否することを意味する、という教授の考えがあった9)。学生の要求は、無宗教であり
民主的な立場をとるヨーク大学の教育理念と相反するものである、と。宗教が理由であっても、人
種や性別、ジェンダーを元になされる差別を助長することに直接繋がる可能性のある要請は、決し
て受け入れることができないと教授は判断した。現実として、有色人種や性的マイノリティーに対
する社会レベルでの差別はカナダにおいて、特に、歴史と呼ぶには新しすぎるほど痛切で現在にも
続く問題である。今回の対処のありかた次第でこの先、宗教を理由に人種差別や性差別が許されて
しまうことになるという危惧も兼ねていた。この件に関しては、女子学生の尊厳を傷つけないこと
が最優先されるべきだ、と担当教授は重ねて主張した。
ことが複雑化し始めるのはここからである。というのも、学生の「リクエスト」に対するこの教
授の対応を耳にした学部長が、判断を覆すよう教授に要請したのである。学部長はこの話を聞き、
教授の判断が適切なものであるかどうかを大学と提携している人権問題センターに問い合わせた結
果、宗教的信条のために参加が難しいのであれば、免除申請を受け入れるべきだという答えがでた
のである。さらに、この授業がオンラインで提供されていたことが免除申請の受け入れの妥当性を
示した。今回の状況の詳細を見るからには、女性差別といった排他的性質の申請ではないという判
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断が出たのである。
2.
「自由」と「平等」という鍵
こうして二つの異なる立場から論争が巻き起こることとなった。「リクエスト」を許可するべきだ
とする学部長側の立場と、許可することは女性差別につながるとする教授の立場の二つである。教
授側に真っ先についたのがフェミニストを主体とする団体や政治家10)、大学は無宗教であるべきだ
と主張する教授・学生陣。ヨークの大学院生を代表する団体も含まれていた。ネット上では教授の
判断を支持するペティションも作られ、そこでは「男女平等はもっとも基本的な人権であり、宗教
を理由に女性の尊厳が損なわれることは許されない。基本的人権に差し支えのない範囲でのみ、宗
教の自由が実践されるべきである」といったことが書かれた 11)。それに対し、多くの批判にさらさ
れたことに遺憾を示しながらも、学部長は、「リクエスト」は学生本人の学習達成に支障をきたさな
い申請であるので許されるべきだ、という当初の判断を変えなかった 12)。こうして論争は、ヨーク
大学という枠を越えて社会全体を巻き込むパブリック・ディベートとなった。
この論争の基盤となるのは、多文化共生を理念とするカナダに限らずあらゆる多民族国家に共通
する、「権利の衝突」である。女性の権利・尊厳を守ることが優先されるべきか、宗教の自由が尊重
されるべきか、という立場の衝突が、この論争の枠組みを決めている。つまり、平等主義社会にお
ける二種類の権利が優先権を競り合っている。これは、グローバル化や移民の進む世の中で、カナ
ダのような現存の多民族国家のみならず、これから様々な国や地域で大幅に必然と生じる差し迫っ
た話題であると言えるだろう。この衝突的議論のなかで興味深いことは、「自由」と「平等」が相反
するものとして対立されていることである。女性の権利・尊厳を守ろうと主張する人々のなかには、
大学院生が多かったと前述したが、私の周りの友人たちもその一部であった。彼らのほとんどが熱
心に平等を主張し、「リクエスト」を許可した学部長の判断に対して怒りと憤慨を示した。年齢や性
別に関わらず、彼らは、「平等」の前に「自由」はないと断言していた。彼らは口を揃えて、宗教は、
プライベートな領域で行使される限りは構わないが、公共の場である大学内で行使されると、それ
は「自由の行使」ではなく「押し付け」であると言った。大学に一歩入るとそこはリベラルであり、
無宗教であるべきだ、と。その熱心さには目をひくものがあった。彼らにとって、この議論は、冷
静さを欠くほどにとても切実で身近な問題なのだ。多文化主義政策がもたらす経済効果や難民救済
などは、彼らの頭には浮かんでいない。いまここで起こっていることは、そのような冷静な政策批
評なんかではなくて、自らが属するこのカナダという共同体において、どのような言語行為・行動
が許されるべきかを規定しようとする、コミュニカティブなレベルの問題なのである。一月にはヨ
ーク大学で、何度かこの論争についての講演が開かれたが、その一つに出席していたある女性は、
「リクエスト」をした学生のことを「卑怯者で自己中心的な女性嫌悪者」と呼ぶほどに、彼の立場
を理解しようとすることを拒絶した。実際のところ、この学生がどの宗教に属しているかなどの細
かな状況はプライバシーを守るために公開されていないため、彼女には学生のことは「リクエスト」
以外の他に何もわからないのだが。彼女は顔を赤くして、「そんな(宗教の)自由を行使する権利は、
だれにも許されるべきでない」と叫んだ。「自由」と「平等」ということばが、どのようにしてそれ
ぞれの立場による論述に使われているのかを考察することで、多文化共生という原理をより具体化
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して考えることができるのではないだろうか。
このような「平等」な判断がなされるべきだという熱心な主張には、カナダ社会に根強く存在す
る理由がいくつかあるように思える。まずは、カナダにおけるフェミニズムの歴史である。過去100
年以上に渡りカナダでは女性の地位と権利の向上が訴えられてきた。現在でも成人男性と女性の年
間収入には大きな差があるなど具体的な問題は残されている13)が、80年代を中心に多くの学者や活
動家が、カナダにおける独特の政治・社会状況をコンテキストとして、女性の地位向上へむけて、
運動を行ってきた。Sharene Razack や Vijay Agnew は、特に、先住民や移民をめぐる政治におい
て、フェミニズムとの接点を探る実践的研究を進めており14)、二人は今でもトロントの大学で教鞭
を握っている。このような、フェミニズムの発展との隣り合わせの状況のなかで、今回のことは、
これまでの長く地道な「平等」への闘いが軽視され、さらには過去に引き戻されてしまうような怖
さを思わせたのかもしれない。この恐れとは後退への危惧であり、「平等」ということばはここでは、
革新性と前進的姿勢という積極性をあらわす。さらに、この「平等」という理想に反対しようとし
ている「リクエスト」をした学生には、後退性や不平等というイメージが当てはめられ、リベラル
な大衆の批判の的として作りあげられていく。またこの恐れの実情は、彼らが主張するように教室
に同席している女子学生の尊厳が損なわれてしまうことというよりも、フェミニズムという運動自
体の価値・尊厳が害されることへの危惧につながっているようにみえる。
この論争において、
「平等」が前進を意味することに対照して、この学生の宗教上の「リクエスト」
は後退を意味するようになる。アメリカのニューヨークで起きた9.11同時多発テロ事件以降に急激
に高まった、イスラム文化圏に対する恐怖と偏見がこの点において顕著になる。前述したとおり、
「リクエスト」をした学生のプライバシーを守るために、彼の宗教や国籍は一般に明かされていな
い。しかし、多くの人がこの学生をイスラム教徒であると推定し 15)、イスラム文化圏または中東地
域における政治情勢に対しての糾弾の場として、この論争をとらえているような発言が端々にみら
れる。例えば、法務省所属の政治家 Peter MacKay は“men and women attending school together
was precisely what Canada fought to accomplish when it sent soldiers to Afghanistan”と、ヨーク
大学学部長の判断を糾弾した(Bradshaw、2014)
。イスラム教心理は、このようにして女性の尊厳
や平等、前進ということばと対照的に持ち出され、後退性を背負わされる。MacKay の発言は、カ
ナダはそのような「時代遅れ」な宗教に加担するべきではない、と示唆する。「平等」を謳うカナダ
という像が強調されるとき、学生の宗教の「自由」という主張は、それと対照的に、「押しつけ」や
「権威主義」などと連想されるようになる。フェミニズムの「革新的」立場と対比され、一段とイ
スラム教の後退性や暴力性の像が強調されるのである。
3.まとめ
すべての始まりとなったヨーク大学の学生の「リクエスト」に話を戻すと、大学という枠を越え
た大規模な論争の渦の目に取り残された当学生は、参加免除の要請を引き下げ、結局は、教室授業
に参加したということ。
「権利の衝突」というかたちで議論されてきたこのイベントであるが、そこ
では「平等」と「宗教の自由」という二つの立場に対極化され、それぞれの政治的アジェンダを突
き合わせながら、多文化共生という原理が孕んでいる矛盾や混乱が露呈されることとなった。また
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その過程で、この論争はそもそもの具体性から切り離され、問題の所在を見失しなってしまった。
男女平等も宗教の自由もともに人間の基本的権利であるが、二つの権利が対極化され、一方を守ろ
うとすればもう一方が損なわれるという二者択一が迫られることで、議論は政治化しつつ拡大した。
もともと「リクエスト」を出した学生の差し迫ったジレンマや混乱はもとより、「イスラム」という
像が、いかにカナダというキリスト教的自由主義的なまなざしのなかから生まれたものであるのか
という、冷静な考察や批判に注意を向ける場所がないことが、この論争の何よりも決定的な問題で
はあったのではないだろうか。
多文化共生が「自由」と「平等」を謳うカナダで国策として施行されることで、それ自体に含まれ
る矛盾や混乱をこのような「小さな」事件に垣間見ることができる。多文化共生の社会を築くため
には、異なる文化習慣や信条をお互いが認め合い尊重することが、国民の一人ひとりに求められる
こととなる。しかもそれは、道徳的心得として求められるのではなく、刑罰を伴う法的義務として
求められるのである。だからこそ、今回のひとりの大学生の「リクエスト」が社会を巻き込む政治
的議論として展開されたのだと言えるだろう。社会全体が、具体的で身近な問題として取り組まざ
るを得ないのだ。
「自分の自由も他人の自由も平等に受け入れる」という多文化共生の原理は、矛盾
を含んだ複雑性を露呈する。そのような状況をいかに社会が対応していくかは、カナダに限らずグ
ローバル化する社会において私たちが共有するこれからの重要な課題であると言える。今回のヨー
ク大学での論争は、
「平等」と「自由」ということばが鍵となり展開されたが、それはさらに連邦政
府による多文化主義政策において描かれる「多様性(Diversity)」という理想が具現化されたもので
あるとも言える。なぜなら、「平等」という理念は、統一性や調和に依拠するものであり、内在する
違いを閉じ込め、さらに多様性という名の下に差異を統合するからである。Bhabha(1989)は、
この「違い(Cultural Difference)
」と「多様性(Cultural Diversity)
」の本質的な異質性をとらえ、
「違い」は権威を揺るがし異種混交性(“Hybridity”)を生む可能性をもつ一方、
「多様性」とはそれ
らの「違い」を封じ込め文化を支配する戦略(“a strategy of containment”)として作用する、と言
う(p. 2365)。つまり、カナダの多文化主義政策で繰り返し強調される「多様性」ということばは、
「違い」を封じ込め国家としての統合・統一を図るレトリックとして考察することができる。文化
的多様性はカナダの国家的アイデンティティを構成する言説に組み込まれ、統合性や全体性のなか
でのみ理解され消費されていくのである。今回のヨーク大学での論争に見てとれるのは、そうした
多文化共生という原理の働きであり、またその矛盾と複雑性である。本稿は、多文化主義という政
策や多文化共生という倫理を、ヨーク大学を事例とした具体的なコミュニケーションの問題として
考察を行った。今後は、本稿を土台として、より精密な言説分析と文献研究・理論的考察を重ね合
わせたうえで、カナダにおける多文化共生を題材としたさらなる文化批判を発展していくつもりで
ある。
註
1) カナダ市民権・移民省のホームページにおける宣言「Canadian Multiculturalism: An Inclusive Citizenship」
では1971年に“Multiculturalism”がカナダの国策として世界で初めて採用されたと記されている。
Citizenship and Immigration Canada
http://www.cic.gc.ca/english/multiculturalism/citizenship.asp(2014年6月25日閲覧)
2) カナダ統計局によって2006年に実施された国勢調査で見られた「民族・文化」に関するデータをまとめたカタロ
65
グ(Catalogue No. 97-562-X, “Canada’s Ethnocultural Mosaic, 2006 Census,” 2008年発行)を参照。
3) カナダ統計局。
4)
5)
6)
7)
8)
9)
10)
11)
12)
13)
14)
Statistics Canada http://www12.statcan.gc.ca/census-recensement/2006/rt-td/eth-eng.cfm(2014年6月25日閲
覧)
カナダでは“Visible Minority”とは、雇用衡平法により“persons, other than Aboriginal peoples, who are nonCaucasian in race or non-white in colour”であると定義されている。
カ ナ ダ 統 計 局 ホ ー ム ペ ー ジ https://www12.statcan.gc.ca/census-recensement/2006/ref/dict/pop127-eng.cfm
(2014 年 6 月 25 日閲覧)
カナダ統計局発行カタログ No. 97-562-X を参照。
学生数は五万五千人を超える規模である。
York University, “York at a Glance” http://www.yorku.ca/web/about_yorku/glance.html(2014年6月25日閲覧)
カナダ政府ホームページにある“Canadian Multiculturalism: An Inclusive Citizenship”ではその理念・理想が
以下のようにまとめられている。
“All Canadians are guaranteed equality before the law and equality of opportunity regardless of their
origins. Canada’s laws and policies recognize Canada’s diversity by race, cultural heritage, ethnicity, religion,
ancestry and place of origin and guarantee to all men and women complete freedom of conscience, of thought,
belief, opinion expression, association and peaceful assembly. All of these rights, our freedom and our dignity,
are guaranteed through our Canadian citizenship, our Canadian Constitution, and our Charter of Rights
and Freedoms.”
Government of Canada http://www.cic.gc.ca/english/multiculturalism/citizenship.asp(2014年6月25日閲覧)
この論争についての情報はすべて新聞記事における報道をもとにまとめた。以下の三つの新聞社(The Globe
and Mail, Toronto Sun, CBC News Toronto)からの報道を参考にした。
J. Bradshaw, “Religious accommodation or ‘accessory to sexism’? York student’s case stirs debate,” The Globe
and Mail, January 8, 2014.
The Globe and Mail
http://www.theglobeandmail.com/news/national/education/religious-accommodation-or-accessory-to-sexismyork-students-case-stirs-debate/article16246401/(2014年6月25日閲覧)
CBC News, “York University student’s request not to work with women stirs controversy,” CBC News
Toronto, January 9, 2014.
CBC News Toronto http://www.cbc.ca/news/canada/toronto/york-university-student-s-request-not-to-workwith-women-stirs-controversy-1.2490514(2014年6月25日閲覧)
S. Jeffords & T. Davidson, “York University prof fires back over religious accommodation controversy,”
Toronto Sun, January 13, 2014.
Toronto
Sun
http://www.torontosun.com/2014/01/13/york-university-prof-fires-back-over-religiousaccommodation(2014年6月25日閲覧)
社会学部教授 Paul Grayson による意見が新聞社に投稿された。
The Globe and Mail, “York professor at centre of religious rights furor: Rights Code is the issue”
http://www.theglobeandmail.com/globe-debate/my-quarrels-not-with-york-but-ontarios-rightscode/article16350272/ (2014年6月25日閲覧)
教授側についた政治家としては、Peter MacKay(法務省所属)や Judy Sgro(自由党所属)
、 Mark Adler(保
守党所属)
、 Tom Mulcair(新民主党党首)が公に発言した。
CBC News による報道 http://www.cbc.ca/news/canada/toronto/york-university-student-s-request-not-to-workwith-women-stirs-controversy-1.2490514(2014年6月25日閲覧)
オンライン上で“York University: Gender Discrimination Should Never Be Condoned on Campus” というタイ
トルでヨーク大学宛てにつくられた。
Care2 Petition Site http://www.thepetitionsite.com/318/205/582/gender-discrimination-should-never-becondoned-on-campus/ (2014年6月25日閲覧)
副学長である Rhonda Lenton はこの論争を受け、
「リクエスト」の受諾が人権センターとの相談の上でなされた
こと、さらにその判断が Ontario Human Rights Code にのっとったものであることを改めて正式に示した。
Rhonda Lenton, “Statement from Rhonda Lenton, Provost and Vice-President Academic, York University,”
Media Relations, York University, January 9, 2014
York University http://news.yorku.ca/2014/01/09/statement-from-rhonda-lenton-provost-and-vice-presidentacademic-york-university/(2014年6月25日閲覧)
2008年の時点で男女間の年間収入の差はおよそ15,000ドルである。45~54歳の年齢層における年間収入差はお
よそ23,000ドルであることがカナダ統計局により報告された。
Statistics Canada http://www.statcan.gc.ca/
Sherene Razack はマイノリティー女性の問題、特に、ムスリム系女性のカナダにおける表象批判を、 Vijay
66
Agnew はアジア出身の移民女性についての研究を行っている。
15) 学生の「リクエスト」の内容から判断するとユダヤ系の宗教である可能性も考えられる。
引用文献
Bhabha, H. (1989). The commitment to theory. In V. B. Leitch (Ed.), The Norton anthology of
theory and criticism (pp. 2353-2372). New York, NY: Norton & Company.
Bissoondath, N. (2002). Selling illusions: The cult of multiculturalism in Canada. Toronto,
Canada: Penguin Canada.
Bradshaw, J. (2014, January 8). Religious accommodation or “accessory to sexism”? York
student’s case stirs debate. The Globe and Mail. Retrieved on June 25, 2014, from
http://www.theglobeandmail.com
Day, J. F. R. (2000). Multiculturalism and the history of Canadian diversity. Toronto, Canada:
University of Toronto Press.
Jeffords S. & Davidson, T. (2014, January 13). York University prof fires back over religious
accommodation
controversy. Toronto Sun. Retrieved
on
June
25, 2014, from
http://www.torontosun.com
Joppke, C. (2004). The retreat of multiculturalism in the liberal state: Theory and policy. The
British Journal of Sociology, 55(2), 237-257.
Kymlicka, W. (2003). Canadian multiculturalism in historical and comparative perspective: Is
Canada unique? Constitutionnel, 13(1), 1-8.
Roberts, W. L., & Clifton, A. R. (1982). Exploring the ideology of Canadian multiculturalism.
Canadian Public Policy, 8(1) Winter, 88-94.
York University student’s request not to work with women stirs controversy. (2014, January 9).
CBC News Toronto. Retrieved on June 25, 2014, from http://www.cbc.ca
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