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具島ファシズム論の再検討

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具島ファシズム論の再検討
論 説
具島ファシズム論の再検討
はじめに
一具島ファシズム論におけるファシズム概念
H
権威国家
全体国家
二 全体国家・権威国家・統一国家
0
臼 統一国家
三 具島﹁組合協同体国家﹂論
H ﹁組合協同体国家﹂とは何か?
0 ﹁組合協同体国家﹂論に基づく独伊比較
日 英国における﹁組合協同体国家﹂論の分析
おわりに
︻具島兼三郎ファシズム関係著作一覧︼
能⋮野
直
樹
71(4・55)423
論 説
はじめに
戦前期日本の政治学者によるファシズム研究の草分け的存在として、今中次麿と具島兼三郎の両名を挙げることがで
︵1︶
きる︵敬称略、以下同じ︶。今中が一九三二年の時点でファシズムに関する体系的な研究書を公刊する一方で、具島は
︵2︶
一九三三年にはイタリア・ファシズムを主たる分析対象とした本格的なファシズム国家論を単行本として出版している。
それ故、戦前期の日本におけるファシズム研究、とりわけそこで理論的に提示されたファシズム論を現段階においてど
のように総括するかという問題を設定した際、今中並びに具島両名のファシズム論は第一に取り上げるべき重要な検討
対象となる。
︵3︶
そうしたなか、今中によるファシズム論の一連の成果については、一九八二年三月二六日に東京経済大学で開催され
た﹁今中政治学の再検討﹂と題するシンポジウムにおいて、ファシズム研究者らによって既に検討がなされている。ま
︵4︶
た研究論文として、今中ファシズム論については安部博純の網羅的で精微な研究が存在するし、ファシズム論と関連す
︵5︶
の
︵6︶
る今中の﹁東亜協同体﹂論については田口富久治による綿密な研究が存在する。しかしその一方で、具島によるファシ
ズム論についての検討は、管見の限り未だになされていない。ただ山口定が﹃ファシズム﹄︵有斐閣、一九七九年︶
なかで﹁イタリア・ファシズムの労働統制﹂に関して、具島の戦前期の著作に若干言及して紹介している程度である。
具島のファシズム諭についての検討がなされなかった理由としては、戦後或る時期から、具島が専らファシズム論よ
りもむしろアジアを中心とした国際政治の分野に研究をシフトしたこと、﹁上からのファシズム﹂﹁下からのファシズ
で極めて大きな影響を与えたために、戦前期の研究業績に対する関心がさほど喚起されなかったこと、さらには今日の
ム﹂といった枠組みを提示した丸山眞男のファシズム論が戦後の日本の社会科学においてディミトロフ・テーゼと並ん
︵7︶
実証研究優位の下、一部の歴史研究者によってファシズム概念の分析道具としての有効性に疑問が提起されており、そ
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具島ファシズム論の再検討(熊野)
︵8︶
の影響が拡大していることなどが挙げられる。しかし、戦前期の日本においてファシズム研究が世界的に見ても先駆的
︵10︶
に具島らを中心になされていたのは事実であり、それを今日の研究水準から再検討することは、日本の政治学史上の意
︵9︶
義だけでなく、混迷するファシズム論を再考する上でも有益であると考えられる。
それ故本稿では、今中と並ぶ戦前期日本におけるファシズム研究の先駆者である具島のファシズム論を中心に、戦後
期の彼の研究をも射程に入れつつ、再検討していきたい。以下では、とりわけ具島ファシズム論の理論的並びに方法論
的特徴について考察するとともに、その現代的意義ないしは有効性についても言及していきたい。
一具島ファシズム論におけるファシズム概念
具島ファシズム論を検討する際に、まず重要となるのは、ファシズムがどのように概念規定されているかということ
である。以下見るように、ファシズムの概念規定は研究の進展とともに大幅に変化している。ここでは、その変化の模
様について考察しよう。
具島ファシズム論における最初のファシズムの概念規定は、管見の限りではあるが、一九三二年においてなされてい
﹁ファッシジムは欧州大戦後一般的危機の段階に入り込んだ資本主義の政治的上層建築である。それはブルヂョアデモクラシイ
る。そこでは、次のようなファシズムの概念規定がなされている。
ママ
ママ
が資本主義の比較的順調な時代即ち産業資本時代の支配形態であつた如く資本主義的の矛盾の最高潮に達した時代即ち最近に於
、‖﹂
ける金融資本の支配形態であるが故に、金融資本の産業資本に対する特質をば又自己の特質とする。﹂
ここで明らかなように、ファシズムは、一般的危機の段階にある資本主義との関連で捉えられており、当時のコミン
︵12︶
テルンのファシズム論の影響を直接的に受けていることがわかる。その際、この時期における具島ファシズム論の方法
71(4・57)425
論 説
論的特徴は、経済主義的な基底還元論にあり、しかも対象がファシズムの運動ではなく、あくまでもその政治形態、す
わなち政治体制であり、それを念頭において概念規定がなされている点である。それ故、ファシズムの中間層運動とし
ての側面並びに中間層的性格については、重心は置かれない。これらの点について具島は明確に以下のように述べる。
﹁ファッシズムはただ単なる一時の政治運動乃至は政策と云ったやうなものではなく、独自の政治形態として理解せねばならぬ
と云ふことが分ったからである。最近に於けるドイツ国民革命の歴史も亦同じことを我々に示してゐる。其処に起こりつつある
政治組織上の変化はもはや従来の政治原理を以てしては説明し難い種類のものである。この事実は又我々にファッシズムを従来
のそれから区別される独自の政治形態として理解すべきことを要求してゐる。かくの如くファッシズムを一種の政治形態として
ヽヽヽ
考ふ可きものとすれば、次にかかる政治形態の独自性を如何なる点に求むべきかと云ふことが当然に問題となる。⋮⋮ファッシ
ズムはその社会的基礎を中間層の中に置いてゐるにも拘らず、客観的にはブルジョアジーの利益を代表するものである。しかし、
︵傍点原文ママ︶
ファッシズムはブルヂョアジーの利益を代表すると云っただけでは、未だその社会的役割の特質を十分に示したものと云ふこと
︵13︶
は出来ない。﹂
ファシズムの階級的性格については、中間層ではなく、独占資本に重きが置かれる。ファシズムと中間層との関係に
ついては、次のような説明がなされる。
﹁元々資本主義そのものに反対ではない彼等︹中間階級︺は、客観的には独占資本の利益を代表し乍らも客観的に一応彼等の反
抗意欲を満足せしむるに足るファッショ的デマゴギ一にブツ突かると容易にその虜となる。ファツシズムの空虚な反資本主義的
スローガンは、没落に瀕して将に藁でも掴まんとしてゐる彼等の耳に宛も天来の福音の如くに響くのである。独占的大資本が中
ジョア、デモクラシーの代りに、階級支配の新たなる形態、即ちファッショ的独裁政権を創造するために中間層を動員するので
間階級のかゝるイデオロギー的混乱を看逃す筈はない、独占資本はこの混乱を利用して既に彼等のために役立なくなつたブル
ママ
︵14︶
ある。﹂
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具島ファシズム論の再検討(熊野)
ファシズムと中間層との関係については、運動のレベルではその社会的基盤として認識されているが、政治体制のレ
ベルにおいては、独占資本の階級支配が強調され、中間層は単なる動員の対象としてしかみなされない。この点が、
ファシズムの中間層的性格を重視した今中ファシズム論との決定的な違いである。この道いはあくまでも具島ファシズ
ファシズム論が導出されていることから由来する。両名のファシズム論の特徴を検討する際に、こうした方法論的相違
ム論においては政治体制分析からファシズム論が導出されるのに対して、今中ファシズム論においては運動分析から
︵15︶
は重要である。
以上のように具島ファシズム論の特徴は運動論ではなく、政治体制論にあり、その際、一般的危機の段階における資
本主義、特に独占資本との関係においてファシズムが理解されている点である。政治体制論に比重が置かれているのは、
■川、
当時ファシズムを単なるイデオロギーないしは運動や政策としてのみ捉える傾向に対する批判という意味もあった。ま
た、ファシズムを資本主義の一般的危機との関連で捉えることについては、ファシズムを単なる﹁帝国主義段階に於け
るブルジョア独裁の一形態﹂と捉える一部のマルクス主義者に対する反論でもあったようである。具島はこの点につい
て以下のように述べる。
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
﹁ファシズムは氏の云ふ如く決して﹃帝国主義段階に於けるブルジョア独裁の﹁こ形態﹄ ではない。それは戦後の一般的危機
、、,、、,、、、,、,,、、、、、、、、、、、、、、、,、,、、、、、、,、、、,、、、、、、、︵17︶
の段階に於て懐柔手段の経済的基礎を失った資本主義が必然的にとらなければならない政治的上層建築である。﹂ ︵傍点原文ママ︶
このように具島ファシズム論は、一貫して資本主義の一般的危機論を基礎に構築されているのだが、ブルジョアジー
とファシズムとの関係においては、多少の展開が見られる。すなわちファシズムの政治体制がブルジョアジーの意図ど
おりに実現されるものなのか、それともその意図と現実との間にギャップがあるのか、という点である。
﹁私見によれば、ファッシズムは資本主義の一般的危機の段階に於て労働者に対する懐柔政策の経済基礎を喪失したプルヂョア
ヽヽヽヽヽヽヽヽ
ジーが必然的に要望するところの政治形態である。勿論ブルヂョアジーのかかる要望が達成されるか否かはファッシズムに反対
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論 説
する労働者勢力との力の関係によつて決定されるのであつて、前記の如き段階に到達しさへすれば、必ずファッシズム的政治形
ヽヽヽ、、
かかる政治形態が必然的に現
ヽヽヽヽヽヽヽヽ
態が現はれるわけではない。ブルヂョアジーがかかる政治形態を必然的に要望すると云ふことと、
︵18︶
、、、
はれると云ふこととは厳密に区別して考へる必要があるからである。﹂︵傍点原文ママ︶
このように具島ファシズム論では、ファシズムに対するブルジョアジーの意図とその現実可能性との混同を諌め、宿
命論的解釈を排除している点が指摘され得る。ただその一方でファシズムをブルジョアジーの﹁代理人﹂ないしは﹁手
先﹂として捉える見方、いわゆる﹁代理人﹂説的傾向が見られるのも事実である。
﹁そこでブルヂョアジ一にとつては、何者の意思にも妨げられないで、自己の思ふままに国家権力を運用し得るやうな、そして
これに対する労働者の反抗に対しては無制限の抑圧手段を行使し得るやうな政治形態が必要とされる。懐柔政策実施の余地を持
︵19︶
たないブルヂョアジ一にとつては利潤経済の危機は、ただかかる政治形態によつてのみ救済し得るにすぎないからである。
ファッシズムはブルヂョアジーのために正にかかる政治形態の担当者として現はれるのである。﹂
﹁⋮⋮此処に於て権力分立主義の廃止はブルヂョアジーの衷心的な欲求となるのである。
︵20︶
ファッシズムはブルヂョアジーのためにかかる欲求を充たすべく現はれる。﹂
戦前期の具島ファシズム論においては、資本主義と資本家の区別、さらにはブルジョアジーと独占資本ないしは金融
資本との区別が曖昧で、ブルジョアジーないしは独占資本とファシズムとの関係においては主意主義的解釈と機能主義
的解釈とが混在しているのだが、戦後においてはこれらが専ら主意主義的解釈、特に独占資本の﹁代理人﹂説へと収束
されることになる。
戦前において最後に善かれたファシズムに関する論文においては、これまで﹁ブルヂョアジー﹂ないしは﹁独占資
本﹂と表現されていたものが、﹁金融資本﹂という名称に明確に変化し、ディミトロフ・テーゼの影響を垣間見ること
ができるとともに、ファシズムの概念規定自体も大きく変化している。﹁ファビオ︵持久的︶・ファシズム﹂論がそれで
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具島ファシズム論の再検討(熊野)
ある。﹁ファビオ・ファシズム﹂
については、以下のように説明がなされている。
﹁クーデターのみがファツシズムヘの道ではない。各国のファツシズムが或る固定化された順路を追ふて紋切型の帰結に到達す
るなどと考へることは馬鹿気たことである。クーデターの方法によらずとも、国によつてはファツシズムヘの通路は既にブル
ヂョア・デモクラシーの胎内に於て開かれてゐる。立憲的合法性を最大限に利用しっ∼ブルヂョア・デモクラシーを内部から腐食
乃至蛮蝕して行く方法が即ちそれである。⋮⋮
今日イギリスのファッショ化は先に私が拙稿﹁英国ファツシズムと組合協同国家﹂⋮に於て述べた如く、二個の側面から開始
ママ
されてゐる。一は一九三一年オスワルド・モズレ一によつて組織されたイギリス・ファツシスト同盟の側からのそれであり、他は
第二次労働党内閣の倒壊後に組織された挙国一致内閣の側からのそれである。前者はファツシズムの公然たる運動形態を代表し、
﹃公然たるファツシズム﹄と云
暴力手段亦敢えて辞せざるの態度を示してゐるのに反して、後者は表面飽迄もプルヂョア・デモクラシーの信奉者たるかの如き風
を装ひ、しかも事実に於てはブルヂョア・デモクラシーの内部からの転形を企図してゐる。前者を
と呼ぶも可である。ファビオ・ファツシズムと云ふのはカルタゴ
ふならば、後者は﹃隠然たるファツシズム﹄乃至は﹃腐食的ファツシズム﹄と呼ばれるべきものであろう。又ファツシズムの漸
進的実現を期すると云ふ意味に於て ﹃ファビオ・ファツシズム﹄
︵21︶
へと至る過程を意味し
﹁ファビオ・ファシズム﹂は、クーデターのような極端で急激な手段によらない、漸進的にブルジョア・
の勇将ハンニバルを持久策を以て悩ましたローマの執政官ファビウスから来たものであつて、持久的ファツシズムの意である。﹂
このように
デモクラシー、とりわけ議会制民主主義を解体しっつも立憲的合法性を利用して﹁ファシズム﹂
﹁過渡的過程﹂
とブルヂョア・デモクラシーからそれに至る過
については次のような説明がなされる。
ている。すなわち﹁ファビオ・ファシズム﹂とは、ブルジョア・デモクラシーから﹁完成されたファシズム﹂ への﹁過
渡的過程﹂を意味している。事実、この
﹁しかし、それにも拘らずファツシズム独裁、即ち﹃完成されたファツシズム﹄
ヽヽヽヽ
渡的過程、即ち﹃ファビオ・ファツシズム﹄ とをハッキリ区別して理解しておくことは必要である。﹃ファビオ・ファツシズム﹄は
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論 説
ヽヽヽヽヽ
決して﹃完成されたファツシズム﹄の一形態を意味するものではなく、たゞそれに至る一つの道程を示したものに過ぎない。そ
ヽヽヽヽ
れはクーデターその他の急進的手段によつて一挙にファツシズム独裁を樹立せんとする他の道程に対して、立憲的、合法的手段
によつて持久的、漸進的に同一目的を達成せんとする道程を表現したまでである。換言すれば従来の自由民主主義的支配体制が
︵22︶
ファツシズム体制に移行する一種の形式を、特徴的、象徴的に表現しただけである。﹂︵傍点原文ママ︶
この﹁ファビオ・ファシズム﹂は、そもそも挙国一致内閣を形成したイギリスの政治分析のために紹介された概念で
あったが、その後、五・一五事件以降の日本の政治体制分析をも念頭に置かれたようである。
﹁即ちこれによればブルヂョア・デモクラシーは何もクーデターの如き過激手段によることなく、挙国一致内閣の手によつて
着々その内部から葛食されつ∼あることが分る。
同じ様な過程は亦我国に於ても見ることが出来る。今日人々は我国に於けるファツシズムの退潮を口にする。しかし、それに
も拘らず自由主義や政党政治の復活を見ないのは何故であるか?退潮したのはファツシズム中の急進ファツシズムだけであつて、
︵23︶
ファビオ・ファツシズムが依然として我国の政局を支配してゐるからである。五・一五事件以後歴代内閣の排撃し来ったファツシ
ズムは急進的、直接行動的、クーデター的ファツシズムだけであつて、漸進的、平和的、立憲的ファツシズムではなかった。﹂
こうした﹁ファビオ・ファシズム﹂論による戦前期日本の政治体制分析のなかに、戦後の丸山ファシズム論における
﹁上からのファシズム﹂との類似性をも見出すことができよう。
︵24︶
この﹁ファビオ・ファシズム﹂論は、そもそもR・P・パームダットのファシズム論から強い影響を受けているが
さらに展開させて、ファシズムを﹁完成されたファシズム﹂の段階と﹁ファビオ・ファシズム﹂の段階の二つに区別し
て論じることを提唱している。その区別のメルクマールについては、以下のように詳細に述べられている。
﹁然らば﹃完成されたファツシズム﹄の段階をファビオ・ファツシズムの段階から区別する主なる標識は何であろうか?:
一、金融資本が何者の意思にも拘束されず自己の思ふまゝに国家権力を運用し得るやうな、そしてこれに対する労働者の反抗
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具島ファシズム論の再検討(熊野)
ヽヽヽヽヽヽヽ
に対しては無制限の鎮圧手段を行使し得るやうな新しい政治機構の存在︵権威国家、全体国家等︶
、、、、、、、
二、労働者の一切の自主的解放組織の破壊、ストライキの法律的禁止、生産的国民のファツシスト強制組織への再編成、労働
ヽヽヽ
︵傍点原文ママ︶
︵25︶
者の自主的団体交渉権の剥奪、経営内に於ける資本家指導者制の確立、利潤経済の国家的保証等を主内容とする新しい社会機構
の存在 ︵組合協同国家、等族国家、職業身分国家等︶﹂
上記の二つの段階を区別する際に、ここでも金融資本の﹁代理人﹂説的解釈が窺えるが、具島ファシズム論の特徴を
考察する上で極めて重要なファシズム国家論の原理的展開を指摘できる。すなわち、この新しい政治・社会機構の有無
ヽ
ヽ
ヽ
といった新しい政治・社会機構の存在の有無が、﹁完全な
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
が﹁完全なるファシズム﹂国家の成立を判断するメルクマールとなるのである。つまり、権威国家、全体国家、そして
﹁組合協同︵体︶国家﹂︵等族国家、職業身分国家をも含む︶
るファシズム﹂国家の成立を判断するメルクマールとなるのである。
こうしたファシズム国家のメルクマールを示した上で、従来のファシズムの概念規定が修正されることになる。
﹁ファビオ・ファシズムの段階に於ては金融資本はそれ自身の意思の遂行に当つて、政治的にも亦社会的にも未だ多くの形式上
および事実上の障碍を持ってゐる。⋮⋮
かくの如く二つの段階は明瞭に区別され得るにも拘らず、これまで我国に於ても亦諸外国に於ても屡々両者の混同が行はれて
来たのは何故であらうか?私はその責任の一端がファツシズムに関する概念規定の不精確であつた点にあることを確認する。
⋮⋮ファツシズムを資本主義の一般的危機の時代に於ける政治的上層建築であるとする見解も、それだけでは未だ余りに一般
論的であり、抽象的である。何故ならばかゝる見解を以てしてはファツシズムの社会民主主義に対して有するところの特異性を
ヽ
ヽ
明かにし得ないからである。⋮⋮ファツシズムの概念規定に際して最も肝要なことは、その時異性を明確に規定することである。
ヽ
従ってファツシズムの概念中には私が先に指摘した二つの点が鮮明に織り込まれなければならぬ。
ヽ
故に私はファツシズムを﹃資本主義の一般的危機の時代に於て労働者に対する懐柔政策の経済的基礎を失った金融資本が、昂
ヽ
71(4・63)431
ヽ
ヽ
論 説
、、、、、、、、、、、、、、、、,、、 ヽ ,、、、、、、、、、、、、、、,、、、、 ヽ
揚し来る労働者の反抗を鎮圧するために必然的に要望するところの政治および社会の新形態﹄ と規定するのである。﹂
∵∵W
さらに、こうした概念規定の特徴として、以下の三点が指摘される。
﹁この規定の特徴は次の三点にある −
一、ファツシズムの物質的基礎が明らかにされてゐる点。
︵傍点原文
︵26︶
⋮然るにファツシズムの物質的基礎はこれと異り、金融資本が労働者に対する懐柔政策実施の能力を極度に制限されてゐるか、
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
又はこれを失ってゐるか、いづれかの段階である。これによつてその支配方法の基本的性格が決定されるのである。
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
二、ファツシズムの特異性は他の如何なる点でもなく、政治および社会の新形態にあることが明らかにせられてゐる点。
ファシズムの特異性は経済にあるのではない。経済的にはそれは依然として資本主義経済である。異ってゐる点はたゞ政治お
よび社会の機構である。それらの構造は前述の物質的基礎によつて決定され、従来の自由民主々義的政治、社会機構と全く臭っ
た相貌を呈する。このことは全体国家や権威国家、組合協同国家や等族国家の中に組織的な表現を見出す。
三、ファツシズムは決して宿命的なものでないと云ふことが明らかにせられてゐる点。
ヽヽヽヽヽヽヽヽ
金融資本の﹃必然的に要望するところの政治および社会の新形態﹄必ずしも必然的に現はれるとは限らない。金融資本が必然
︵27︶
︵傍点原文ママ︶
的に要望すると云ふことと、それが必然的に現はれると云ふこととは別である。⋮ファツシズムは決して宿命的なものではなく、
反ファツシズム勢力の動き如何によつて如何やうにもこれを喰ひ止め得るものだからである。﹂
以上のように、戦前期における具島ファシズム論は、ファシズムの概念規定において幾つかの変遷を経てきたが、資
にその組織的表現を見出したものが、﹁完成されたファシズム﹂国家である、という
へと変化した。さらに金融資本の支配方法として、全体国家や権威国家、
本主義の一般的危機といった時代認識は一貫しているものの、ファシズムの主体が﹁金融資本﹂から﹁ブルジョア
国家﹂
ジー﹂﹁独占資本﹂を経て再度﹁金融資本﹂
さらには﹁組合協同︵体︶
71(4・64)432
具島ファシズム論の再検討(熊野)
というようにその主意主義的解釈が引き続き強調された。ファシズムが金融資本
概念規定に落ち着いた。その際、金融資本とファシズムとの関係においては宿命論的解釈ではなく、﹁必然的に要望す
る と こ ろ の政治および社会の新形 態 ﹂
の要望を体現するという意味では、金融資本の﹁代理人﹂説に近いといえるであろう。戦後においては、この主意主義
﹃ファシズム﹄
︵岩波新書、一九四九年︶
的な﹁代理人﹂説が継承されるとともに、その主体が金融資本から独占資本へと変化することになる。
戦後まもなくに新書として出版され、青年読者の間で大きな反響を呼んだ
において、ファシズムは以下のような概念規定がなされている。
﹁以上述べてきたところからして明らかなように、ファシズムというものは民主主義的方法ではもはや自己の支配をつづけるこ
︵28︶
とのできなくなった金融独占資本が必然的に要望するところの暴力的な政治形態であるということができる。もとよりここで金
融独占資本が必然的に要望したところで、それが必然的に実現されるかどうかは保証のかぎりではない。﹂
このように戦後においては、資本主義の一般的危機といった時代認識が消えるとともに、﹁政治および社会の新形態﹂
ヽヽ
へと修正された。その一方で﹁代理人﹂説は継承されたが、その主体は﹁金融資本﹂から﹁金
ヽヽ
へと収赦していくからである。例え
へと変化した。この場合、重心は金融資本よりも独占資本にあるようである。なぜならば、同書における
が ﹁ 暴 力 的な政治形態﹂
融 独 占 資 本﹂
その後の論理展開においては、﹁金融独占資本﹂という言葉はすべて﹁独占資本﹂
ば、以下の文章は、独占資本の﹁代理人﹂説を如実に表している。
︵29︶
﹁こうした改革がファシズムに対する資金の供給者であり、その真の主人である独占資本にとって、きわめて歓迎すべきもので
あったことはいうまでもないことであった。﹂
さらに、資本主義の一般的危機といった時代認識の代りに、戦後においては、民主主義的方法による支配の維持と
いった観点を導入している。
﹁ファシズムは民主主義的な方法ではもはや自己の支配を維持することのできなくなった独占資本が人民の耳目を蔽い、口をふ
71(4・65)433
論 説
︵30︶
さぎ、手足を縛してイヤ応なしに自己の要求を人民に押しっけるための凶暴な支配形態であるが、⋮﹂。
戦後の具島ファシズム論では、ファシズムの本質は独占資本の凶暴な支配形態として捉えられており、そのためファ
シズムの脅威は、独占資本が存在するかぎりなくならないということになる。
人﹂説から、再度金融資本の﹁代理人﹂説を経由して、戦後には独占資本の﹁代理人﹂説へと回帰していった。ただそ
ファシズム国家論の組織理論の検討を行うことにしよう。
織理論の指摘こそが、具島ファシズム論の最大の特徴であり、ファシズム論への寄与である。そこで以下では、具島
ム国家を他の独裁国家と区別する際にも有効な比較国家論の視座を提供しているといえよう。ファシズム国家独自の組
﹁完成されたファシズム﹂と﹁ファビオ・ファシズム﹂とを区別するメルクマールにもなっており、さらにはファシズ
よび﹁組合協同体国家﹂といった﹁新しい社会機構﹂を伴った国家こそがファシズムであるという見解である。これは
ズム独自の組織理論である。すなわち、権威国家、全体国家、統一国家︵以下で詳述︶といった﹁新しい政治機構﹂お
の際、ファシズムの概念規定からは戦後抜け落ちてしまったものの、ファシズム国家論として継承されたのが、ファシ
︵32︶
主義の一般的危機﹂という時代認識が戦後にはなくなり、﹁代理人﹂説は、ブルジョアジーないしは独占資本の﹁代理
以上のように、戦前期から戦後期にかけて具島ファシズム論におけるファシズムの概念規定は変化しており、﹁資本
︵31︶
ファシズムの危険はくりかえし、くりかえしおこってくるということである。﹂
ただここでわれわれが注意する必要があるのは、たとえ一時的にファシズムが弱められても独占資本が世界に存在するかぎり、
﹁この暴虐に抗して世界の民衆が立ち上ったとき、独占資本の手に握られたファシズムの兇器は粉々に粉砕された。⋮⋮
71(4・66)434
具島ファシズム論の再検討(熊野)
二
全体国家・権威国家・統一国家
異島ファシズム論によれば、ファシズムの理論の根幹をなすものは、全体主義、権威主義、統一主義の三原理であり、
︵33︶
﹁これらの三原理は相互に緊密な論理的関連を有しており、一原理の三面であると称しても差支えない﹂という。さら
にこうした三原理を国家の組織原理としてそれぞれ採周したものが全体国家、権威国家、統一国家であり、それらは
ファシズム国家の﹁新しい政治機構﹂を形成したとされる。そこでここでは、全体国家、権威国家、統一国家の組織理
論 を 取 り 上げて検討することにし よ う 。
なお、戦前期と戦後期において用語に変化があり、例えば、全体主義と全体国家は全体主義という一つの用語に、権
威主義と権威国家は指導者国家という用語に、統一主義と統一国家は統丁王義という一つの用語に収赦している。ここ
では、全体主義原理と全体国家理論というように原理と理論とが明確に区別されて、より体系的だった戦前期の用語法
を使用することにしたい。また、戦前期の具島ファシズム国家論と戦後期のそれとは、ディミトロフ・テーゼの影響の
深化および独占資本の﹁代理人﹂説の全面的採用並びに自由主義から民主主義への政治的価値評価基準の移行という点
で、大きく変化しているが、紙面の制約上、これらについての検討は別の機会に譲らざるを得ない。それ放ここでは、
ファシズム論としての独自性およびその現代的意義という観点からすれば、戦前期の方がむしろ上まわっていたという
全体国家
筆 者 の 評 価を示すにとどめたい。
H
戦前期の具島ファシズム論においては、ファシズムは、原理的に自由主義の理論に敵対するものとして登場したとみ
71(4・67)435
論 説
なされている。その際、ファシズムによって採用された組織原理が全体主義の原理であったとされる。全体主義の原理
について、具島は以下のように説明している。
﹁ファッシズムによれば、自由主義の理論はその出発点に於て否定さるべきものである。自由主義の最大の誤謬は社会を個人に
よつて、国家を人民によつて基礎付けんとする点にある。⋮⋮故に個人といふものはただ国家の中に於て考へ得られるにすぎな
ヽヽヽヽヽヽヽ
いのであつて、国家を離れた個人といふものは考へることが出来ないのである。国家は個人のただ単なる総和以上のものとされ、
ヽヽヽヽヽヽヽ
︵傍点原文ママ︶
︵34︶
︵35︶
それを構成する個々人の意思や目的から離れて、それ自身の意思を持ち、それ自身の目的を持つものと考へられる。即ち国家は
それ自身目的であつて手段ではないのである。﹂
こうした自由主義の個人主義的思想に対して極北に位置する思想が全体主義とされる。
﹁自由主義の個人主義的思想に対して対庶的な立場にあるかかる思想をファッシズムは全体主義と呼んでゐる。﹂
国家を至上の目的とするイタリア・ファシズムと民族を至上の目的とするドイツのナチズムにおける全体主義の相違
を認めつつも、その共通点として、﹁国家にとって不可侵的な個人的自由の領域なるものが存在しない﹂点が指摘され
る。さらに、こうした個人的自由の領域に対する国家の干渉から保護する試みが拒否される点も、両者の全体主義の共
通点として指摘される。こうした点を踏まえた上で、全体国家の概念規定がなされていく。
︵36︶
﹁全体主義的なファツシズムの国家はそれ自身の中に国家の支配し得ない生活領域の存在を認めないのであるから、かかる理論
の発生の余地がないのである。ファツシズムはかくの如き国家のことを全体国家と呼んでゐる。﹂
このように国家の支配し得ない個人の生活領域の存在を認めない全体主義の原理に基づく国家を全体国家とみなして
いる。具島ファシズム国家論では、この全体国家とブルジョアジーとの間に利害関係を見出しており、これについては
次のように述べられる。
﹁この全体国家の理論はそれを主張する人々の主観的意図の如何に拘らず、我々が問題にしてゐる資本主義の新たなる段階に於
71(4・68)436
具島ファシズム論の再検討(熊野)
ては、ブルジョアジーにとつて次のやうな利用価値を持つ。
H国家の名を以てすれば人民の如何なる生活領域にも自由に干渉することが出来るからブルヂョアジーはこの点を利用して利
潤経済の存在を脅かす凡ての人々の生活、特に労働者階級の生活に自由な干渉を行ふことが出来ること。
0しかも、都合のよいことにこれに対する労働者階級の絶対服従を理論的に基礎付けることが出来ること。⋮⋮
ヽヽヽヽ
ヽヽヽヽ
しかし、全体国家の理論がブルヂョアジ一にとつて真にかくの如き利用価値を持つためには、その国家の意思決定がブルヂョ
︵傍点原文ママ︶
︵37︶
アジーのために何時如何なる場合でも都合よく行はれ得るやうなカラクリが存在してゐなければならぬ。かかるカラクリを基礎
付けるための理論が、即ちファッシズムの権威主義の理論である。﹂
このようにファシズム国家における全体国家の理論が、ブルジョアジーにとって労働者階級の生活に自由に干渉し、
その絶対服従を基礎づけるといった利用価値があるとみなされている。その一方で、その全体国家の理論がブルジョア
ジーにとって真に利用価値を持つために、国家の意思決定が彼らのために都合よく行われるための﹁カラクリ﹂として、
権威国家の理論なるものが指摘される。
0 権威国家
権威主義の原理は、具島によれば、政治意思の決定のあり方に関わってファシズムが採用した原理であり、民主主義
国家のように一般大衆によってなされる決定とは対航をなすべきものである。
﹁即ちファッシズムによれば、政治意思の決定は﹃選ばれたる賢良﹄によつてなさるべきものであつて、一般大衆によつてなさ
︵F旨rerprinzip︶
の名に於て主張される。人間と
るべきものではない、換言すれば質的に決定さるべきものであつて、量的に決定さるべきものではないのである。
イタリーに於ける﹃選ばれたる賢良﹄ の原理はドイツに於ては﹃指導者原理﹄
71(4・69)437
論 説
︵謂︶
の原理にせよ、指導者原理にせよ、特徴的なのは、国
しての価値に於ける個人の本来的平等を認めない点ではヒットラーも亦ムッソリーニの忠実な後継者である。﹂
具島ファシズム国家論によれば、こうした﹁選ばれたる賢良﹂
家の意見決定を一少数者の独裁に委ねることを積極的に肯定することであり、これは、ブルジョアジーにとっても利用
価値があるとされる。この点については、次のように述べられている。
−
﹁﹃選ばれたる賢良﹄ の原理にせよ、指導者原理にせよ、要は国家の意見決定並びにその執行に対する人民大衆の参与を排斥し
て、それを一少数者の独裁に委ねんとするにある。
かくの如き理論のブルヂョアジ一に対して持つ意義は明らかである。その利用価値は次の二点にある
︵40︶
︵41︶
の原理や指導者原理といった権威主義の原理が
ブルヂョアジーは少数の指導者達に結び付くことによつて、国家権力の運用に関する労働者階級の容曖を排除し得るこ
H ブルヂョアジーは少数の指導者たちと結び付くことによつて自己の意思を国家の意思として権威付け、神聖化し得ること。
0
︵39︶
と。﹂
こうしたブルヂョアジ一にとって利用価値のある﹁選ばれたる賢良﹂
国家機構の中に導入されて、初めて権威国家の建設が達成されるという。
﹁権威国家の建設は指導者原理を国家機構の中に導き入れることによつて達成された。﹂
﹁かくて指導者原理は中央および地方を通じて実現され、イタリーは漸く権威国家としての面貌を整へることが出来た。﹂
︵42︶
﹁イタリーの場合と同じく、ドイツに於ても亦権威国家の建設は指導者原理の導入によつて行はれた。﹂
こうして指導者原理を初めとした権威主義の原理が中央および地方において導入されたことによって、イタリアもま
たドイツも権威国家として建設されたのであった。権威国家の建設は、原理的に一部指導者による国家の意見決定の独
占を意味しているため、それに対する政治的プロテストは許されるはずはなかった。それ故、その政治的プロテストを
組織的に阻止するために建設されたのが、統一国家であった。
71(4・70)438
具島ファシズム論の再検討(熊野)
臼
統一国家
そもそも統一主義の原理は、具島によれば、指導者達の思想を、ブルジョアジーの利益を擁護する最も卓越した理論
︵43︶
によって統一し、これに対する反対思想の横行の余地をなくす必要に基づいて現れたものであった。さらにブルジョア
あった。こうした原理に基づいた統一国家の建設は、具体的には反対党に対する徹底した弾圧と一党独裁体制の成立並
ジーの意見を労働者に強制し、彼等自身の陣営内で意見を統一する必要があり、その役割を担うのが統一主義の原理で
︵44︶
びにファシスト党やナチ党の国家化として現出されるという。
﹁ファッシズムによる統一国家の建設は一方に於ては反対党に対する苛責なき弾圧となつて現はれ、他方に於てはファツシスト
︵45︶
覚の国家化となつて現はれる。﹂
統一国家の建設のために、ファシズム国家は、政治的自由の禁圧に関して、例えばイタリアの場合、以下のような法
である。
律を発布した。すなわち、秘密結社取締法︵一九二五年一一月二六日︶、定期刊行物取締法︵一九二五年一二月三一日︶、
治安維持令︵一九二六年一一月六日︶、国家防衛法︵一九二六年一一月二五日︶
統一国家の建設のために、こうした政治的自由を禁圧するための法律だけでなく、非合法的なテロリズムもまた重視
されたとされる。
﹁政治的自由の禁圧に関する以上の諸法律はファツシズムの一国一党主義を確保するための不可欠的手段であるが、法律のみに
よつてファッシズムの目的が達成されないことはファツシズム自身が最もよくこれを知ってゐる。そこで以上の様な合法的弾圧
手段の外に非合法的なテロリズムの手段が屡々用ひられる。ファッシズムに好意を持たぬ人々の不可解な失踪、誘拐、頓死等の
事件はこのことを物語ってゐる。
かくの如き手段によつてファツシズムは一方反対党の台頭、策動に備へると共に、他方に於ては自覚と国家との連繋融合に努
71(4・71)439
論 説
︵46︶
めてゐる。党首、ファッシスト大評議会、党書記長の国家機関化はその最も顕著なる現はれである。﹂
さらに統一国家を考察する上で重要なのは、具島ファシズム国家論においては、統一国家の建設を政治的領域のみに
おいて捉えていない点である。政治的領域だけでなく、国民すべての生活領域における規律化・等制化が統一国家建設
のメルクマールとして指摘されている。
検討が必要不可欠な作業となる。
具島ファシズム国家論のさらなる重要な特徴を考察するためには、﹁新しい社会機構﹂としての﹁組合協同体国家﹂の
ジナルな見解である。これらは、戦前期日本のファシズム研究の水準の高さとユニークさを示すものである。しかし、
も有益な視角を提示しているといえよう。しかもファシズム国家を三つの組織理論から説明するということ自体、オリ
日においても十分に有効な理論である。特にファシズムを国家レベルないしは政治体制レベルで特徴づける際に、なお
ドイツの事例、とりわけ法制度を詳細に分析した上で導出されたものであり、ファシズム国家の特徴を考察する際、今
以上が、具島ファシズム国家論の三つの組織理論の概要である。全体国家、権威国家、統一国家の理論はイタリアと
繋融合化および国民の凡ての生活領域のファシズムによる規律化・等制化を意味していたのであった。
リズムによって行うことによる、反対政党の非合法化とそれに伴う一党独裁体制の確立、さらには国家と政権党との連
このようにファシズム国家の組織理論としての統一国家とは、政治的自由の禁圧を合法的法律並びに非合法的なテロ
凡ゆる部門がナチスの一色に等制化されねばならぬ。﹂
︵48︶
﹁しかし、ナチス政府によれば統一国家の形式はただに政党や官吏群の等制化のみによつて行はれるものではない。国民生活の
ての生活領域がファッシズムの一色によつて規律さるべきことを要求する。﹂
︵47︶
﹁然し乍らファッシズムの統一国家は政治の領域に於ける一国一党制の確立のみによつて達成さるべきものではない。国民の凡
71(4・72)440
具島ファシズム論の再検討(熊野)
三
H
具島﹁組合協同体国家﹂論
﹁組合協同体国家﹂とは何か?
具島ファシズム国家論において、﹁組合協同体国家﹂の思想はかなり重要な位置づけがなされている。それは、ファ
シズム国家の公認を受けた一つの思想であることから由来する。
︵50︶
﹁そして今日ではファツシスト国家の公認を受けた一つの思想が存在してゐる。協調組合︹組合協同体︺国家︵statO
︵翌
cOrpOrati∃︶ の思想、乃至は協調組合︹組合協同体︺主義と呼ばれる思想が即ちそれである。﹂
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︵52︶
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、 、 、 、 、
ファシズム国家の特徴をこのように﹁組合協同体国家﹂の思想に求める具島ファシズム論において、他の階級協調主
ヽ
ヽ
11
として、専らその実行方法に関心が向けられるこ
義的な思想とどのように区別されるのかが問題となる。それについては、﹁ファツシズムの階級協調主義が従来のそれ
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︵51︶
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
から区別される点は、むしろその実行方法にある﹂︵傍点原文ママ︶
とになる。それでは、その実行方法の特色とは何か。それは以下のように説明される。
ヽ
一、労働者のみならず、雇備考をも亦職業組合に組織せんとしてゐること。二、これらの職業組合を悉く国家の完全な統制の
﹁ファツシズムのか1る実行方法が従来のそれに比して持ってゐる特色は次の三点にある。!
ヽ
下におかんとしてゐること。三、国家権力によつて階級闘争を廃除せんとしてゐることが即ちこれである。かくの如く国家を絶
、、、、、、、、、
対権威者として労資両階級の面前に出現せしめ、その権威によつて否応なしに階級協調を実現せしむるところにファツシズム階
級協調主義の特質があるのである。私はこれを従来の階級協調主義から区別する意味で強制的階級協調主義と呼んでゐる。﹂︵傍
点 原 文 ママ︶
このようにファシズム国家が採用する﹁組合協同体国家﹂の思想とは、従来の階級協調主義とは厳密に区別する意味
71(4・73)441
ヽ
、 、 、
ヽ
論 説
において、国家による強制が強調されて﹁強制的階級協調主義﹂と名づけられている。こうした強制的な階級協調主義
に基づいた組合を中心とする国家こそが﹁組合協同体国家﹂に他ならない。この点は次のように明確に規定されている。
うのか。これについては次のような見解がまずなされる。
﹁私が協調組合︹組合協同体︺ と訳し、英語でコーポレイション
より詳細に説明がなされているので以下に紹介する。
﹁⋮ファツシズムの所謂コルポラツイオーニ︵協調組合︹組合協同体︺︶
るにファツシズムのコルポラツイオーニ︵協調組合︹組合協同体︺︶
と訳されているファツシズムのコルポラツイ
は国家の内部組織であり、国家それ自身である。
一、カルナ一口憲章のコルポラツイオーニ︵国家組合︶は憲法に基礎を置く組織ではあるが、未だ国家の内部組織ではない。然
は次の二点に於てこれとも亦区別される1
として高く評価できよう。さらに、カルナ一口憲章における国家組合とファシズムの﹁組合協同体﹂の相違については
た組織体であるという説明に集約されている。ファシズムの﹁組合協同体国家﹂の特徴を端的かつ的確に表現したもの
代表者を出して構成される生産部門別の労資協議会である点であり、同時にそれが国家の行政機関たる地位を付与され
具島ファシズム国家論によれば、﹁組合協同体国家﹂の特徴は、まさに雇傭者と被傭者の各公認職業組合から同数の
て発表された混合組合やカルナ一口憲章の所謂国家組合からハツキリ区別されねばならぬ。﹂
︵54︶
付与された組織体の謂である。従ってそれは同じくコルポラツイオーニと云う言葉によつて表現されつゝも、嘗てロッコによつ
の各公認職業組合から同数の代表者を出して構成される生産部門別の労資協議会であつて、同時に国家の行政機関たるの地位を
オーニ︵COrpOraNiOni︶なる用語は今やイタリーに於ても特殊の意義を持ってゐる。それは一言にして云へば、雇傭者と被傭者
︵COrpOratiOn︶
それでは、ファシズム国家の﹁組合協同体国家﹂とその源流ともいわれるカルナ一口憲章の国家組合とどのように違
︵53︶
謂に外ならぬ。﹂
﹁ファツシズムが自らの理想とする協調組合︹組合協同体︺国家とは、即ちかゝる協調組合︹組合協同体︺を中心とする国家の
71(4・74)442
具島ファシズム論の再検討(熊野)
二、カルナ一口憲章のコルポラツイオーニ︵国家組合︶
は言葉はコルポラツイオーニでも、むしろファツシ
は雇傭者と労働者とを意識的に同一組織の中に結成するのである。
は、非常に粗雑ではあるが大体階級別の組織によつてゐる。然るにファ
ツシズムのコルポラツイオーニ︵協調組合︹組合協同体︺︶
これによつて見れば、カルナ一口憲章のコルポラツイオーニ︵国家組合︶
︵55︶
ズムの公認職業組合の方に近いやうに思はれる。﹂
このように﹁組合協同体国家﹂と他の国家組合との違いが強調された背景には、当時のファシズム研究者における両
者の混同が存在した。この混同を正す意味においてもコルポラツィオーニの比較研究は貴重であり、今日においても重
要な指摘である。以上の点については次のように総括される。
﹁我国に於けるファツシズムの研究者の中には屡々両者を混同して、ファツシズムの理想がたゞ単なる組合国家にあるかの如く
謬想してゐる人があるが、これは大いなる間違ひであると云はねばならぬ。ファツシズムの理想は労働組合を基礎とするソレル
M弧円
の新社会とも、又国家組合を基礎とするダメンツイオの所謂組合国家とも異り、正に協調組合︹組合協同体︺を基礎とする新国
家にあるのである。従って此処では職業組合でなく、協調組合︹組合協同体︺が新国家の中心であり、精髄である。﹂
具島ファシズム国家論におけるファシズム﹁組合協同体国家﹂とは、まさに﹁組合協同体︵=協調組合︶﹂を基礎に
した新国家に他ならない。それでは、こうした﹁組合協同体国家﹂の階級利益は労働者階級の側にあるのだろうか。こ
の点についての具島の指摘は興味深い。
﹁個人主義的な資本主義国家に比してたゞ一つ協調組合︹組合協同体︺国家の成功と称せられるものは階級闘争の禁圧である。
その際協調組合︹組合協同体︺国家の理論によれば、ファツシスト国家は雇傭者の味方でもなければ、労働者の味方でもなく、
これら両者の上に超然たる国民利益又は生産利益の擁護者たるべき筈であつた。⋮⋮どうやらその中立性が怪しい。何故ならば
それは具体的には屡々雇傭者階級の利益を意味するからである。⋮⋮実は雇傭者階級の利益にすぎないものが屡々国家利益の形
に於て主張されることがある。⋮⋮しかし、ファツシズムが私有財産制度を容認し、資本家の私的イニシヤーチヴを許容してゐ
71(4・75)443
論 説
ることを考へれば、資本家的生産を不可能ならしむるやうな労働者の要求が許容されないことは余りにも明らかである。︰⋮・従
ってイクリーの産業が不況を榔ってゐる今日、労働者の利益を考慮しすぎた余り資本家的生産を困難ならしむるやうな団体協約
は、﹃ヨリ高級な生産の利益﹄ に反するものと認められるのである。団体協約は労働者の生活改善の手段と云ふよりも、むしろイ
タリー資本主義の時々の要求に労働者を服従せしむるための手段となつてゐる。労働者の賃銀がこれらの団体協約を通じて間断
︵57︶
なく引下げられつゝあるのはその放である。﹂
﹃ヨリ高級な生産利益﹄第一主義を唱へることの具体的意
このように﹁組合協同体国家﹂は、中立性を謳ってはいるものの、実質的には、雇傭者階級の利益にすぎず、それが
国家利益の形で主張されているとされる。﹁ファツシズムが
味は、それによつて資本家に対しては彼等の生産様式たる利潤経済に国家的保証を与へ、労働者に対しては国家の権威
︵開︶
によつて利潤経済への絶対服従を要求する点にある﹂という表現が如実にそれを物語る。その際、雇傭者階級の利益で
﹁ヨリ高級な生産の利益﹂という概念であり、この中立性を
の階級性を理論的に暴露した点が、具島ファシズム国家論の真骨頂でもある。﹁ヨリ高級な生
あることを隠蔽する役割を担っているイデオロギーこそが
装 う ﹁ 組 合協同体国家﹂
−
を組織し、これに国家行政
に組織し、これ等職業組合に法律上同等の地位を賦
産の利益﹂というイデオロギ1に隠された雇傭者階級利益を析出するために、﹁組合協同体国家﹂ の法制度に鋭いメス
が加えられる。以下ではその展開を紹介しよう。
﹁従って労資紛争のファッシズム的解決は次の如き順序を踏むべきものとされた
一雇傭者と被傭者とを別々に同一形式の国家公認職業組合︵sindacatO︶
与して、両者間に勃発する各種紛争の平和的解決を図る。
二 雇傭者および被傭者の各公認職業組合間に一種の労資協議会たる組合協同体︵COrpOraZiOni︶
機関としての地位を賦与して、第一の方法によつて解決の出来なかった問題を解決する。
三 労働裁判所を設置し第一、第二の方法によつて解決出来なかった問題を国家的立場から強制的に解決する。
71(4・76)444
具島ファシズム論の再検討(熊野)
四 階級間のすべての紛争は労働裁判所に於てその最終の平和的解決を見出すのであるから、階級間の私的闘争は法律によつ
てこれを厳禁する。
組合協同体国家は即ちファッシズムの叙上の方針を実践に移すためのからくりであつた。従ってこの国家の基礎となるべき重
要な組織は上述の説明から容易に推知し得る如く、公認職業組合、組合協同体、労働裁判所の三つであつたと云ふ事が出来る。﹂
︵ 傍 点 原文ママ︶
︵59︶
こうして﹁ヨリ高級な生産の利益﹂というイデオロギーの下、雇傭者階級利益のために導入された﹁からくり﹂こそ
がファシズムの﹁組合協同体国家﹂であり、その組織として、公認職業組合、組合協同体、労働裁判所の三つが設けら
れたとされる。このような見解は、主に法制度のイデオロギー性に着目した階級分析的解釈であり、こうした解釈方法
は労働裁判所の階級利益を検討する際にも適用される。
﹁ ︵ハ︶、判決
判決を下すに当つて判事の拠るべき規準は次の如く示されてゐる蕃
ヽヽヽヽヽヽヽ
﹃労働裁判所としての控訴院は現行協約の適用に際しては、協約の解釈、施行に関する法律の諸規定に依り、労働に対し新に制
︵一九二六年四月三日法律第十六条第一項︶
定を要する諸条件の場合にあつては衡平の原則に基き、雇傭者と被傭者の利益を調和せしめ、且すべての場合、ヨリ高級な生産
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
の利益を確保するやう判決を下すべきものとす。﹄
ファツシズムによれば、還に所謂﹃生産の利益﹄とは﹃国家の利益﹄、﹃国民の利益﹄などの言葉と同じく全く、超階級的な意
味を持つものとして理解されてゐるのであるが、実際にはファツシズムも亦自由主義と異なつた形に於て 一 国家の無限の干渉
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
︵傍点原文ママ︶
可能性を伴ふ形に於て曹資本主義を容認してゐるのであるから、この言葉の具体的役割は資本主義的生産の擁護以外にあり得
、、︵60︶
ない。﹂
こうして労働裁判所を初めとした法制度の分析を中心に、ファシズムの﹁組合協同体国家﹂が資本主義容認に他なら
71(4・77)445
論 説
ないことを明らかにした点が具島ファシズム国家論の一つの特徴なのである。それでは、イタリア経済に飛躍的発展を
もたらすとされた﹁組合協同体国家﹂は果たして現実において成功したのか。この点については、具島は明確に失敗と
みなし、その理由について以下のように述べている。
討を行うことにしよう。
︵62︶
具島﹁組合協同体国家﹂論のさらなる特徴は、その比較研究にある。以下では独伊を中心とした比較研究について検
の調和を図ろうとした点に一切の誤謬の根源があるという指摘は、慧眼であり、今日においてもなお貴重な指摘である。
ファシズムの﹁組合協同体国家﹂論における生産手段の私的領有の維持と計画経済導入との矛盾を水と油に例え、こ
一九三四年初頭以来行はれた組合協同体国家の改造は、正にこの油と水とを化合せしめんとする試みであつた。﹂
も何の矛盾もなしに調和し得るかの如く妄想してゐる。此処に一切の誤謬の根源があるのである。⋮⋮
ば当然他を棄てねばならぬ関係にあるのである。然るに組合協同体国家の理論はそのルーズな思考法のためにこれらの両者が宛
﹁スッラッチーの右言説は生産手段の私的領有と計画経済との調和し難き所以を示す。両者は水と油との関係であつて一を撰べ
を利用しっつ、水と油の例えで直裁に説明している。
ない統制経済を説く矛盾に求めている点は誠に興味深い。この点をスッラッチー︵JOhn Strachey︶なる研究者の言説
の理論が一方では私的生産組織や私的イニシアチブの尊重を説きつつも、他方ではそれを侵害ないしは排除せざるを得
このように﹁組合協同体国家﹂の失敗の原因を理論的欠陥に求めており、その理論的根拠として、﹁組合協同体国家﹂
侵害又は排除なくしては行ひ得ない統制経済を説く矛盾の中にあると考へてゐる。﹂
︵61︶
か?私はこれを組合協同体国家の理論が一方に於て私的生産組織や私的イニシャーチヴの尊重を説きつゝ、他方に於てそれらの
体国家の根本理論そのものに欠陥があつたからである。⋮⋮然らばその根本理論を間違であるとなす理論的根拠は何処にある
﹁統制経済機構としての組合協同体国家の失敗は、偶々イタリーに於て採用された技術が拙劣であつたからではなく、組合協同
71(4・78)446
具島ファシズム論の再検討(熊野)
0
﹁組合協同体国家﹂論に基づく独伊比較
具島﹁組合協同体国家﹂論は、もともとイタリア・ファシズムの法制度分析を中心に構築されたものであったが、ド
イツ・ナチズムをも射程に入れて、ついには独伊の比較研究という段階にも至っている。この﹁組合協同体国家﹂論に
基づく独伊ファシズムの比較研究は当時においても極めてオリジナルな仕事であり、今日においてもなお色擬せない貴
重な業績である。﹁組合協同体国家﹂論に基づく具島比較ファシズム論の特徴は、その異同を析出した点にある。以下
ではその点を中心に検討しよう。
ナチス国家とファシズム国家の理想として、それぞれ身分秩序と﹁組合協同体国家﹂が指摘されるが、その目的の共
通点として、階級闘争の絶滅と資本主義的統制経済という二点が指摘される。
︵63︶
﹁身分秩序がナチス国家の理想であると云はれてゐるやうに、組合協同体国家はファツシズム国家の理想であると云はれてゐる。
その目的は階級闘争の絶滅と資本主義的統制経済にある。﹂
以上が目的における共通点であるが、方法のレベルにおける共通点として、企業家の利潤に対する国家的防壁の建設、
労働の社会的義務化、産業平和の確立など国家による労働関係への徹底的な干渉が指摘される。
﹁以上の論述はナチスをも含めて一般にファッシズムの労働秩序の歴史的、社会的役割が如何なる点にあるかを示してゐる。そ
れは一言にして云へば企業家の利潤に対する国家的防壁の建設、労働の社会的義務化、労働者の自主的救済手段の剥奪による産
業平和の確立等、従来の自由主義的方法と全く異った方法に於て、換言すれば国家が労働関係に徹底的に干渉すると云ふ方法に
︵64︶
於て、資本主義の行詰りを打開せんとする試みであると云ふことが出来る。﹂
それでは、目的が同じ独伊ではどの点が異なるのか。これについては、次のような説明がなされる。
﹁これによつて見てもナチス身分秩序の使命が組合協同体国家のそれに同じであることは明らかである。しかし、かゝる使命の
71(4・79)447
論 説
︵65︶
達成方法については必ずしもそれと同一ではない。﹂
その達成方法の相違については以下のように詳細な説明がなされている。
﹁両者は次の二点に於て決定的に臭ってゐる ー
一イクリーの公認労働組合は労働者のみの組織であるが、ドイツ労働戦線は膏に労働者のみならず、企業家、使用人、手工
一九三四年一月二十日の国民的労働秩序法
業者、商人、自由職業家をも同一組織の下に包括してゐること。
ヽヽヽヽヽヽヽヽ
二 イタリーの公認労働組合は組合員のファッシズム的精神の洒養のみならず、その経済的利益の擁護をも目的としてゐるが
ドイツ労働戦線はたゞナチス的精神の歯糞のみをその目的としてゐること。⋮⋮
して改めて強調されるのか。この点については以下の文章が参考になる。
ているように、独伊の差異は枝葉末節の部分に過ぎないとされる。それでは両者の差異にも拘らず、どの点が共通点と
葉末節の部分に存在するだけであつて、その目的、その根本理論に於ては全く同じであると云ふことが出来る﹂と述べ
︵67︶
しかし、具島比較ファシズム論では、相違点よりもむしろ共通点にこそ重点が置かれている。﹁両者の差異はたゞ枝
無、指導者原理導入の有無が指摘されている。
以上のように、独伊の相違として、構成員、目的における経済的利益の擁護の有無、団体交渉権並びに労働協約の有
等最終的決定権を持つものではなかった。﹂
︵66︶
る一つの会議があつて、企業家の諮問に応ずることになつてゐたが、その機能は飽迄も諮問機関としての機能に止まり、何
triebsOrdコuコ叱︶として企業家から労働者に対し天降り的に与へられることになつた。⋮⋮信任者会議︵宕rtra亡2nSrat︶な
労働者は服従者たることが明らかにされ、従来団体協約の主内容をなしてゐた労働条件に関する諸規定は経営規則︵B2・
資間の団体交渉は禁止された。経営内には指導者原理︵F旨rerprinzip︶が持ち込まれ、企業家は経営の指導者、使用人及び
︵GesetNN弓OrdnungdernatiOna−enArbeit︶は即ちその法律的表現であつて、この法律の結果団体協約制度は廃止さ
71(4・80)448
具島ファシズム論の再検討(熊野)
﹁以上によつて明かな如く、ナチス独裁下に於ける労働条件の決定方法はファツシズム独裁下のそれと非常に異ってゐる。しか
し、その狙ひどころは両者とも同じである。企業家の利潤を不可侵的前提とする労働条件の決定が即ちそれであつて、この同じ
︵68︶
目的をファッシズムは団体協約の如き廻りくどい、しかしそれ故に娩曲な方法を以て実現せんとするのに対し、ナチスは経営規
則の如き率直な、しかしそれ故に露骨極まる方法を以て実現せんとする点に相違がある。﹂
すなわち、企業家の利潤を不可侵的前提とする労働条件の決定という目的が独伊の共通点として強調されるのである。
このように独伊の国家利益と企業家の利益との共通性こそが、独伊の比較において重要な要素となるのである。最後に
この点を直裁に語った文章を紹介する。
︵69︶
﹁然るにナチス国家の利益と企業家の利益との間には何等本質的な相違がないのである。生産手段の私有を主張し、生産に於け
る私的イニシヤーチヴを尊重する点ではナチス国家も亦ファッシズム国家に比して何等の遜色も有しないからである。﹂
以上のように、﹁組合協同体国家﹂論を基礎に独伊のファシズム国家を比較考察し、両者の異同を的確に論証した点
が、具島ファシズム論の最大の寄与の一つであり、独伊における雇傭者階級利益の国家による擁護を法制度的に解明し
た点は、今日のファシズム論の水準からみても十分に批判に耐え得るものである。
具島﹁組合協同体国家﹂論は、独伊にとどまらず、実はイギリス政治分析にも応用されている。以下では、その分析
英国における﹁組合協同体国家﹂論の分析
について概観するとともに、﹁組合協同体国家﹂論の射程についても考察することにしよう。
日
ファシズムの﹁組合協同体国家﹂論の同時代的拡がり並びにその影響を考える際に、イギリスにおける﹁組合協同体
国家﹂論の受容と拡がりは興味深い事例である。この点に既に具島は着目し、これに関する研究論文を当時発表してい
71(4・81)449
論 説
る。特に﹁イギリス・ファシスト同盟﹂を中心とした﹁組合協同体国家﹂論の分析は興味深い。そこでは、﹁イギリス・
ファシスト同盟﹂によるイタリア・ファシズムの﹁組合協同体国家﹂論の受容という点に関心が向けられている。
検討がなされる。
︵70︶
の理論である。﹂
﹁イギリス・ファシズムが特に消費者の代表を組合協同体に加へた理由についてロウは次の如く説明してゐる
﹃⋮:・我々は各種の意味に於てすべて消費者である。⋮:・
−
れる。さらなるイギリス・ファシズムの特徴として着目されたのが、消費者の問題である。ロウの意見を紹介しっつ、
このように﹁利潤経済と調和する全体主義﹂という点にイギリスにおける﹁組合協同体国家﹂の第一の特徴が見出さ
︵72︶
り 去 られる予定になつてゐる 。 ﹂
国民全体の利益を第一に考へて、それ自身の利益を後回しにする。資本主義はこれによつてその本来的、根本的矛盾の一つを取
﹁即ち﹃利潤経済と調和する全体主義﹄こそ組合協同体国家の第一の特徴なのである。⋮会社も銀行も労働組合も凡てのものが
張がなされる。
限を利潤経済に課す点が相違として指摘される。それではどの点が異なるのか。それについては以下のように端的に主
モズレーと社会主義的統制経済の相違が強調されるとともに、自由主義との共通性が強調される。ただ一定程度の制
んとする点に於て些かこれと異るのである。利潤経済の越ゆ可からざる限界を明示する点が即ちそれである。﹂
︵71︶
人のイニシャーチヴを許容する点ではこれまでの自由主義と少しも変りないのであるが、たゞそれらに対して〓疋の制限を加へ
﹁しかし、彼︹モズレー︺はこれによつて社会主義的統制経済を主張するのではない。生産手段の私有を認め、生産に於ける私
こうした状況認識の下、﹁イタリア・ファシスト同盟﹂の主張の特徴として以下の点が指摘される。
協同体国家︵cOrpOrateState︶
﹁だが、今日﹃イギリス・ファツシスト同盟﹄の社会的デマゴギーの枢軸をなすものは、モズレーがイタリーから輸入した組合
71(4・82)450
具島ファシズム論の再検討(熊野)
従ってファツシスト制度に於ては消費者の経済的価値が十分の承認を与へられる。﹄
従ってイギリスの組合協同体の中にはたゞ労資の代表のみならず、消費者の代表も亦参加するのである。それは謂ば雇傭者、
︵73︶
イギリスの﹁組合協同体﹂が雇傭者、被傭者、消費者の常設的な一種の協議
﹁組合協同体国家﹂論の特徴として、労資の代表だけでなく、消費者の代表もまた組
被傭者、消費者の常設的な一種の協議会であると云ふ事が出来る。﹂
こ の よ うに、イギリスにおける
合協同体へ参加する点が指摘されており、
会であると位置づけられている。
こうしたイギリスの﹁組合協同体国家﹂論の評価として、以下のような見解がなされる。
﹃不経済的なもの﹄
となろうとし
﹁各種のデマゴギ一にも拘らず組合協同体国家の任務が客観的にはストライキの法律的禁止と自主的労働組織の破壊とにあるこ
︵74︶
とは前述の如くであるが、このことは労働党の社会政策がイギリスのブルヂョアジ一にとつて
てゐる今日、益々彼等にとつて新たなる意味を獲得しっ∼ある。﹂
このように、イギリスにおける﹁組合協同体国家﹂論、すなわちイギリス・ファシズムの台頭の要因が労働党の社会
政策の行き詰まりとそれに対するブルジョアジーの不満に求められている点は、興味深い。
具島ファシズム国家論においては、イギリスにおける﹁組合協同体国家﹂論について言及したのは、戦前期の二本の
論文だけであるが、ファシズムの﹁組合協同体国家﹂論の何が同時代において人々を魅惑し、影響を与えたのかを考察
する上でも貴重な成果であるといえよう。今日、一国史観に基づく適時的なナショナル・ヒストリーの限界が指摘され
るなか、ここでの具島﹁組合協同体国家﹂論の共時的で幅広い比較政治制度論的な視角は依然として有効であろう。
71(4・83)451
論 説
おわりに
以上、具島ファシズム論の特徴について、そのファシズム概念の規定のあり方並びにファシズム国家論における全体
国家、権威国家、統一国家並びに﹁組合協同体国家﹂といった組織理論を手掛かりに検討を行ってきた。
具島ファシズム論の方法論的特徴は、思想・イデオロギー分析や運動分析ではなく、国家、とりわけ法制度の分析に
重心を置いている点である。そこでは様々な法律や法令が丹念に解読されており、そこから当時のファシズムの国家制
度が再構成されている点が特徴である。このように具島ファシズム論の特徴は、その国家論にこそあるが、その体系性
もまた注目される。とりわけ本文において詳細に検討したように、ファシズム国家の﹁新しい政治機構﹂としての全体
国家、権威国家、統一国家という三つの組織理論と﹁新しい社会機構﹂としての﹁組合協同体国家﹂の指摘はオリジナ
ルな見解であり、今日の研究レベルからみても、そのファシズム国家の体系的把握は高い理論的水準を示すといっても
過言ではない。この具島ファシズム国家論は、ファシズム国家を他の独裁国家と区別する際の重要なメルクマールを提
示しており、比較政治的にも十分に有効な分析枠組みであろう。
今日の実証研究のレベルからみても、具島ファシズム国家論は、とりわけ﹁組合協同体国家﹂論は、十分に実証研究
に耐えうるものであり、今もなお貴重なデータを提示し続けている。ただ、研究の時代的制約もまた指摘しうる。すな
わち具島ファシズム国家論は、主として一九三〇年代の中頃に提唱されたものであり、その時点におけるファシズム国
家の状態を踏まえて理論化がなされているため、その後の展開を説明できない。特に第二次世界大戦勃発後の総力戦体
制下の独伊の国家と社会のあり方は射程外であるため、具島ファシズム国家論の射程は、その意味で限界があるといえ
る。にも拘らず一九三〇年代の中頃までは、その分析枠組みは実証研究に十分に応用可能であると考えられる。
さらに具島ファシズム論の方法論的特徴として指摘できるのは、独占資本ないしは金融資本の﹁代理人﹂説の採用で
71(4・84)452
具島ファシズム論の再検討(熊野)
ある。この点については、戦前と戦後との間で主として金融資本から独占資本への重心の移動が見られるものの、コミ
ンテルンのファシズム論、特にディミトロフ・テーゼの強い影響が見られる。その結果、ファシズムを独占資本ないし
は金融資本の﹁代理人﹂として捉える経済主義的な主意主義的解釈に陥ってしまった。こうした﹁代理人﹂説は今日に
︵75︶
おける実証研究では極めて否定的な評価を受けているが、その原因は実証的なデータを欠いたア・プリオリな主意主義
的解釈にある。この点は具島ファシズム論の時代的並びに方法論的制約として指摘されねばならないであろう。
具島ファシズム論においてさらなる検討を要するのは、﹁ファビオ・ファシズム﹂論である。これは戦後においては
殆ど展開されなかったが、丸山の﹁上からのファシズム﹂論にも通じるものがあり、日本を含めた比較ファシズム研究
を行う際に、貴重な分析概念上の手掛かりを提供しているといえる。
戦前と戦後において具島ファシズム論には大きな変化があるが、それは政治的価値評価の基準を自由主義から民主主
義へと移行させた点である。その結果、斬新でオリジナルだった自由主義的観点からのファシズム批判が失われてし
︶は著者の補足を表し、︹
︺
まったのも事実である。その際、具島ファシズム論における自由主義と民主主義との理論的関係やそれぞれの価値評価
についての考察が必要となるが、これらの点については今後の課題としておきたい。
*本稿では、引用の際、旧字体の漢字は原則的に新字体に改めている。また、引用文中における︵
と⋮⋮はそれぞれ引用者の補足と中略である。
︵1︶ 大畑書店から出版された、﹃独裁政治論叢書﹄全四巻を指す。今中次麿﹃現代独裁政治学概論︵独裁政治論叢書第一巻︶﹄大畑
書店、一九三二年、同﹃現代独裁政治史総説⊥東・中・南欧・ファシズム史−︵独裁政治論叢第二巻︶﹄大畑書店、一九三二年、同
﹃ファツシズム運動論︵独裁政治論叢第三巻︶﹄大畑書店、一九三二年、同﹃民族的社会主義論︵独裁政治論叢第四巻︶﹄大畑書店、
現代独裁政治学概論・現代独裁政治
ファシズム運動論・民族的社会主義論﹄御茶の水書房、一九八
一九三二年。なお、以上の叢書は、戦後以下に収録されている。﹃今中次麿政治学論集第二巻
史総説﹄御茶の水書房、一九七八年、﹃今中次麿政治学論集第三巻
一年。
71(4・85)453
論 説
︵2︶ 具島兼三郎﹃ファッシスト国家論﹄千倉書房、一九三三年。
山九八二年。
︵3︶ シンポジウムの記録は以下に収録されている。今中次麿先生追悼記念事業会﹃今中政治学の再検討︵シンポジウム記録︶﹄
︵非売品︶
︵4︶ 安部博純﹁今中政治学における独裁政治論と日本政治分析﹂﹃北九州大学法政論集﹄第一二巻第二号、一九八四年、一二七
∼一五三頁。本論文は、その後以下に収録されている。同﹁今中政治学とファシズム論﹂﹃日本ファシズム論﹄影書房、一九九六
年、九三∼一二〇頁。なお、本論文は、一九八二年三月二六日に東京経済大字でなされた﹁今中政治学の再検討﹂をテーマとする
シンポジウムにおける報告をベースにしたものである。
︵5︶ 田口富久治﹁今中の﹃東亜協同体﹄論﹂﹃日本政治学史の展開−ム﹁中政治学の形成と展開︻﹄未来社、一九九〇年、一六四
∼一九二貢。
︵6︶ 山口定﹃ファシズムーその比較研虜のために1﹄有斐閣、一九七九年、二一九∼二二〇弓
︵7︶ 丸山ファシズム論が戦後の日本の社会科学に与えた影響については、以下が詳しい。山口定﹁丸山眞男と歴史の見方﹂小林正
弥編﹃丸山眞男論−主体的作為、ファシズム、市民社会−﹄東京大学出版会、二〇〇三年、一二三∼一二六貢。
︵8︶ ファシズム概念を分析概念として使用することに対する懐疑的傾向に対して、特にそれを戦前期日本の政治体制分析に適用す
ることに対する疑問に対して、最近、再び山口が反駁している。その際、ファシズムの共通性は、イデオロギー、運動、体制のな
かでもとりわけイデオロギーにその特質を求めるべきであるとする見解は、山口ファシズム論の新たな展開といえる。山口定
﹁ファシズム﹂﹃AERAM00k新版・政治学がわかる。﹄朝日新聞社、二〇〇三年、一一六頁。
︵9︶ 戦後の日本政治学史については、既に以下の研究蓄積があるが、これらと戦前の日本政治学史とをいかに結び付けて体系的に
の構造−戦後日本の政治学=第二期∼﹂﹃大阪市立大学法学
論じるかが、今後の課題となろう。薮野祐三﹁丸山寅男とアメリカ政治学−戦後日本の政治学=第一期−﹂﹃北九州大学法政論集﹄
第二巻第二号、一九八三年、八一∼一〇五頁、同﹁﹃運動の政治学﹄
雑誌﹄第三〇巻第三・四号、一九八四年、三三三∼三五〇貢、同﹁﹃科学としての政治学﹄の方法∼戦後日本の政治学=第三期−﹂
﹃北九州大学法政論集﹄第一二巻第一号、一九八四年、三三九∼三六一貫。これらの論文はその後加筆修正された上で以下に収録
されている。同﹁Ⅲ 先進社会=日本の政治学﹂﹃先進社会=日本の政治−ソシオ・ポリティクスの地平1﹄法律文化社、一九八七
年、一五三∼二二五頁。大嶽秀夫﹃戦後政治と政治学﹄東京大学出版会、一九九四年、同﹃高度成長期の政治学﹄東京大学出版会、
一九九九年、田口富久治﹃戦後日本政治学史﹄東京大学出版会、二〇〇一年。
︵10︶ 今日におけるファシズム概念の定義の困難さについては、馬場康雄﹁歴史現象としてのファシズムーその定義をめぐる問題を
中心に−﹂﹃解放の光と影︵岩波講座世界歴史二四︶﹄岩波書店、一九九八年、二五三∼二六九頁を参照。
71(4・86)454
具島ファシズム論の再検討(熊野)
︵11︶ 具島兼三郎﹁ファツシスト労働裁判所論﹂﹃批判﹄第三巻第三号、一九三二年、五九頁。
︵12︶ コミンテルンのファシズム論については、山口定﹁コミンテルンのファシズム論﹂﹃現代ファシズム論の諸潮流﹄有斐閣、一
︵以下、政治形態と略記︶﹂今中次麿・具島兼三郎﹃ファシズム論﹄三笠書房、一九
九七六年、二七∼二八頁並びに富永幸生・鹿毛達雄・下村由一・西川正雄﹃ファシズムとコミンテルン﹄東京大学出版会、一九七
八年を参照。
︵13︶ 具島兼三郎﹁政治形態としてのファシズム
三五年、一一三∼一一四頁。
︵14︶ 具島兼三郎﹁機械論的ファツシズム論を噴ふ−篠村敏氏を駁すー︵以下、機械論と略記︶﹂﹃批判﹄第三巻第一二号、一九三二
年、六一貫。
︵u︶ 今中ファシズム論と具島ファシズム論との相違について、具島は以下のような興味深いエピソードを紹介している。
﹁⋮⋮ところが、時々おめにかかりまして、話がそこに及びますと、意見が合わないのですね。先生は、さっきもお話がありまし
たように、中間層の運動を基礎にして、ファシズムという概念を考えておられるもんですから、どうもわたしとピントが合わない
わけです。先生のお考えはファシズムの現象面にとらわれて、独占資本主義との関係についての掘り下げが足りないんじゃないか
と思いました。そこで、私がそういうことを申しますと、先生がムキになって反論されたものです。それでこういう点では最後ま
で意見が合いませんでした。﹂前掲﹃今中政治学の再検討﹄六六寅。
︵16︶ 例えば、以下の文章を参照。﹁⋮ファツシズムをたゞ単なるイデオロギー︵国家主義、民族主義、愛国主義、急進主義等々と
云ふが如き︶或は運動、政策等々として理解するに止まつてゐる。しかし、ファッシズムが従来の政治機構から一応区別され得る
独自の政治機構たることは、今日もはや理論の問題を越えた厳然たる歴史的事実である。﹁ファツシスト国家の政治機構1特にイ
タリーについて−︵上︶﹂﹃社会政策時報﹄第一五八号、一九三三年、二頁。
︵17︶ 具島﹁機械論﹂六六頁。
︵18︶ 具島﹁政治形態﹂一一八百。
︵19︶ 具島﹁政治形態﹂一二一∼一二二頁。
︵20︶ 具島﹁政治形態﹂ 〓ハ一貫。
︵21︶ 具島兼三郎﹁ファビオ・ファツシズム其他︵以下、ファビオ・ファツシズムと略記︶﹂﹃公法雑誌﹄第二巻第一二号、一九三大
年、五七∼五八頁。
︵22︶ 具島﹁ファビオ・ファツシズム﹂六〇頁。
︵23︶ 具島﹁ファビオ・ファツシズム﹂五九∼六〇貢。
71(4・87)455
論 説
︵24︶ 例えばパームダットはファシズムについて、以下のように言及している。﹁以上のすべての動きは、これまでの古い政治形態
の内部からその政治形態を掘りくずしてゆく﹃蚕食的ファシズム﹄と呼ばれるものであって、このファシズムは本格的なファシズ
ムの攻勢に先行し、それを準備する役割をはたすのである。ドイツにおけるプリユーニング政権、オーストリアにおけるドルフス
の初期の段階⋮などの経験を検討してみれば、イギリスにおいてまだはじまったばかりのこの過程の意義がきわめて明らかになる
だろう。﹂R・P・ダット ︵岡田良夫訳︶ ﹃ファシズムと社会主義革命﹄ミネルヴァ書房、一九七四年、三一三∼三一四頁。
﹁支配階級の暴力の度あい、抑圧と諸権利の制限の度あい、公然化した完全なファシズムと、形骸化しっつある﹃民主主義﹄的
外被をまとった蚕食的なファシズムの形態とのあいだの方法の相違は、労働階級と階級闘争の発展の度あいに対応する。﹂ダット、
前掲﹃ファシズムと社会主義革命﹄ 三五四頁。
︵25︶ 具島﹁ファビオ・ファツシズム﹂六一頁。
︵26︶ 具島﹁ファビオ・ファツシズム﹂六二∼六三頁。
︵27︶ 具島﹁ファビオ・ファツシズム﹂六三∼六五頁。
二七頁。
︵28︶ 具島兼三郎﹃ファシズム﹄岩波新書、一九四九年、一三頁。
︵29︶ 具島、前掲﹃ファシズム﹄
︵30︶ 具島、前掲﹃ファシズム﹄一〇二頁。
︵31︶ 具島、前掲﹃ファシズム﹄一四六∼一四七貢。
︵32︶ 具島ファシズム論におけるファシズム概念は、その後も引き続き独占資本の﹁代理人﹂説を継承することになるが、その際の
主体の名称は﹁独占ブルジョアジー﹂並びに﹁独占資本主義﹂である。しかも一九七二年に出版された現代ファシズム論に関する
新書においては、ディミトロフ・テーゼの影響がより顕著になる。
﹁それ︹ファシズム︺ はまさに、正真正銘の現代独占ブルジョアジーの独裁なのである。それも独占ブルジョアジー全体の独裁
ではなく、かれらのなかのもっとも反動的な、もっとも狂暴な、もっとも侵略的な、もっとも排外主義的な部分の独裁である。
ファシズムは独占資本主義と切っても切れない関係にあるのであるから、独占資本主義のあるところには、常にファシズムを生み
だす基盤があるといってよい。﹂具島兼三郎﹃現代のファシズム﹄青木新書、一九七二年、九頁。
因みに、旧東ドイツにおけるマルクス主義歴史学者で独占資本論に基づくファシズム論の代表的な論客であったK・ゴスヴァイ
ラーは、一九九六年に公刊された論文のなかで、ファシズムと階級との関係において﹁ブルジョアジー﹂、﹁独占資本﹂並びに﹁金
GOSSWei−er︰
Ita−ienischerunddeutscherFaschismus−GeヨeinsamkeitenundUnterschideJin︰F
融資本﹂という用語はもはや使用していない。そこでは単に﹁支配階級﹂という用語のみが使用されている。Kurt
71(4・88)456
具島ファシズム論の再検討(熊野)
Ri≡ng︵Hg.︶︰ゝミさsc計冴S罵︸Hei︼brOnn−涙声S.N∞−.
︵34︶
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
一三二月。参照、具島兼三郎﹁国家・国民・ファッシズム﹂﹃公法雑誌﹄第一巻第七号、一九三五年、一二四
〓二〇頁。
︵33︶ 具島、前掲﹃ファシズム﹄一五貢、同﹁政治形態﹂一二九貢。
︵35︶
︵47︶
︵46︶
︵45︶
︵44︶
︵43︶
︵42︶
︵41︶
︵40︶
︵39︶
︵38︶
︵37︶
︵36︶
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
具島﹁政治形態﹂
二二七頁。
二二五頁。
二二二貢。
二一七頁。
一五二頁。
一五〇頁。
二〇九頁。
二〇八頁。
二〇三貢。
一四九∼一五〇貢。
一四七貢。
一四一∼一四二百。
一四一頁。
∼一二五頁。
︵48︶
に訂正する旨が公表されている。
国家﹂と訳出されていたが、その後において、以下のように三度にわたって訳文を
︵49︶ 当初、statO COrpO﹁
r協
a調
t組
i合
三は
﹁組合協同体国家﹂
﹁組合協同体国家と云ふのはstatOCOrpOratiく○の訳である。これまで私はこの言葉を協調組合国家としてゐたがどうも適訳でな
い様に思はれるので今中次麿教授の勧めに従って上記の如く改訳することにした。﹂具島兼三郎﹁ナチス国民的労働秩序論﹂﹃同志
社論叢﹄第四八号、一九三五年、四五頁註六。
の如く改訳することにした。﹂具島兼三郎﹁ナチス身分秩序の構造−ファッシズム組合協同体国家との比較研究−︵以下、ナチス
﹁ファッシズム独裁と労働統制﹂に於ては協調組合国家と訳してゐたものである。協調組合国家は適訳ではないと考へたので前記
﹁追記 本稿中組合協同体国家なる言葉はイタリー語StatOCOrpOratiく○の訳であつて、私の著書、﹁ファッシスト国家論﹂及び
71(4・89)457
論 説
身分秩序と略記︶ ︵下︶﹂﹃社会政策時報﹄第一八二号、一九三五年、七三貢。
本稿中組合協同体国家なる用語はStatOCOrpOrati∃の訳である。私は先に拙著﹁ファツシスト国家論﹂および
︵57︶
︵56︶
︵55︶
︵54︶
︵53︶
︵52︶
︵51︶
具島
具島
異島
具島
具島
具島
具島
具島
﹃独裁と労働統制﹄三三一∼三三二頁。
﹃独裁と労働統制﹄ 二一五頁。
﹃独裁と労働統制﹄ 二一四∼ニー五頁。
﹃独裁と労働統制﹄ 二一一貫。
﹃独裁と労働統制﹄ 五四∼五五頁。
﹃独裁と労働統制﹄ 五三∼五四頁。
﹃独裁と労働統制﹄ 五二貢。
︵63︶
︵62︶
︵61︶
︵60︶
︵59︶
具島
具島
具島
﹁労働秩序論﹂二六頁。
具島 ﹁ ナ チ ス 身 分 秩 序
具島
﹁ナチス身分秩序︵上︶﹂一五貢。
﹁改造﹂ 三五貢。
﹁改造﹂ 三一貫。
﹃独裁と労働統制﹄ 二八八頁。
具島 ﹁ ナ チ ス 身 分 秩 序
︵上︶﹂六頁。
︵64︶
具島
︵上︶﹂五頁。
︵65︶
一九三六年、九貢、具島、前掲﹃ファシズム﹄
一一〇∼一一一貫。
﹁ファツシズム労働秩序論−ナチス労働秩序との比較研究−︵以下、労働秩序論と略記︶﹂﹃社会政策時報﹄第一八六号、
︵58︶
一九頁。
︵50︶ 具島兼三郎﹃ファツシズム独裁と労働統制−協調組合国家の研究− ︵以下、独裁と労働統制と略記︶﹄政経書院、一九三四年、
社、一九五四年、六六頁︶。
家﹂という訳語を採用する。なお、﹃政治学辞典﹄における﹁イタリア・ファシズムの政治組織﹂の項も参照︵﹃政治学辞典﹄平凡
﹁私の歩いた道﹂﹃反戦・反ファシズムの五十年﹄︹非売品︺一九七六年、一七頁︶を参照。それ故、本稿においても﹁組合協同体国
戦後においても、一貫して﹁組合協同体国家﹂として訳出されている。例えば、具島の戦後に出版された回顧録︵具島兼三郎
する。﹂具島兼三郎﹁組合協同体国家の改造︵以下、改造と略記︶﹂﹃公法雑誌﹄第二巻第一号、一九三六年、三六頁。
﹁ファッシズム独裁と労働統制﹂に於てこれを協調組合国家と訳した。併し適訳でないので今後組合協同体国家と改訳することに
﹁附記
71(4・90)458
具島ファシズム論の再検討(熊野)
︵70︶
︵69︶
︵68︶
︵67︶
︵66︶
具島
具島
具島
具島
具島
﹁英国ファッシズムと組合協同体国家︵以下、英国ファッシズムと略記︶
﹁労働秩序論﹂二八頁。
﹁労働秩序論﹂一七頁。
﹁ナチス身分秩序︵下︶﹂﹃社会政策時報﹄第一八二号、一九三五年、七二百。
﹁ナチス身分秩序︵上︶﹂一六∼一七頁。
三六年、一〇八貢。
八三頁。
︵一︶﹂﹃国家学会雑誌﹄第五〇巻第六号、一九
︵71︶ 具島兼三郎﹁英国に於ける組合協同体国家論︵以下、英国組合協同体国家論と略記︶﹂﹃公法雑誌﹄第二巻第五号、一九三六年、
八二貢。
︵72︶ 具島﹁英国組合協同体国家論﹂
︵73︶ 具島﹁英国ファツシズム ︵二・完︶﹂﹃国家学会雑誌﹄第五〇巻第七号、一九三六年、八一∼八二貢。
︵74︶ 具島﹁英国ファツシズム ︵二・完︶﹂一〇二百。
︵75︶ ﹁代理人﹂説に対するこうした評価については、山口、前掲﹃ファシズム﹄二五一∼二五二頁を参照。とりわけ、ナチズムの
政権掌握と独占資本との関係については、近年の実証研究では両者が従来考えられてきたほど密接な関係ではなかった点が強調さ
れている。参照、拙著﹃ナチス一党支配体制成立史序説−フーゲンベルクの入閣とその失脚をめぐって−﹄法律文化社、一九九六
年、HenryA.TurnerLr.︰出だ訂3一票喝Nミ/竜訂泣∵p苛﹂訂≡雫︼詮やM旨chen−浩卓Ders卜S賢ュ︼まざこぎ玩訂bぎ勇
G賢tingen−芸−.なお、こうした評価は今日ほぼ通
ゝ、ミミ、︰l二三ト、㍉一/⋮⊥、主二重ご塩≠エ〓ぎ﹁︵︼/へ﹁ざ︰こご、ざ、、、、、.さ誉≠ミ、、、ミンノ、こ、二こ、ミ・≡、ト.、﹂ぎ\・壬、・こ・ざ王∴ミ、、ゝ、・
恕註室温喜軋計こ訂落計ざぎ訂註こざ計こぎ苧計こ罫ざヨご厨註鼓
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訳﹃ワイマル共和国史−研究の現状1﹄刀水書房、一九八七年、二六三頁。因みに最近のヴァイマル共和国史研究に関する概説書
においては、﹁代理人﹂説は紹介すらされていない。Dieter
︵出版年順︶
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︻具島兼三郎ファシズム関係著作一覧︼
﹁︹翻訳︺伊太利に於けるファッシスト組合法︵一︶﹂﹃同志社論叢﹄第三七号、一九三二年、一六七∼一七六頁。
﹁︹翻訳︺ ファッシスト労働組合法施行法﹂﹃同志社論華﹄第三八号、一九三二年、一九三∼二〇七頁。
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論 説
﹁ファッショ独裁の法理−ロッコの所説を中心として−﹂﹃同志社論叢﹄第三九号、一九三二年、一〇〇∼一二六貢。
﹁伊大利に於けるファッシスト労働組合の法律的構成﹂﹃批判﹄第三巻第四号、第五号、一九三二年、五二∼六一貫、七一∼七八貢。
﹁ファッシスト労働裁判所論−階級的自己防衛の禁止1﹂﹃批判﹄第三巻第八号、一九三二年、五九∼六七頁。
︵下︶﹂﹃社会政策時報﹄第一五八号、第一五九号、一九三三年、一
﹁機械論的ファツシズム論を噴ふー篠村敏氏を駁す−﹂﹃批判﹄第三巻第一二号、一九三二年、五五∼六六頁。
﹃ファツシスト国家論﹄千倉書房、一九三三年。
﹁ファツシスト国家の政治機構−特にイタリーについて−︵上︶
∼一九頁、一〇三∼一一六頁。
﹃ファツシズム独裁と労働統制−協調組合国家の研究−﹄政経書院、一九三四年。
﹁ファッショ独裁下の団体労働協約﹂﹃同志社論叢﹄第四五号、一九三四年、五四∼七四頁。
﹁ダメンツィオのカルナロ憲法とファツシスト組合国家﹂﹃国家学会雑誌﹄第四八巻第一号、一九三四年、六四∼九五頁。
﹁政治形態としてのファシズム﹂今中次麿・具島兼三郎﹃ファシズム論﹄三笠書房、一九三五年、一〇九∼二二八頁。
﹁団体協約に於ける二個の独裁﹂﹃公法雑誌﹄第一巻第三号、一九三五年、五五∼七六頁。
﹁︹説林︺国家・国民・ファッシズム﹂﹃公法雑誌﹄第一巻第七号、一九三五年、一二三∼一二五頁。
︵下︶﹂﹃社会政策時報﹄第一八二号、第一八二号、一九
﹁ナチス国民的労働秩序論﹂﹃同志社論叢﹄第四八号、一九三五年、三八∼五九頁。
﹁ナチス身分秩序の構造−ファッシズム組合協同体国家との比較研究−︵上︶
三五年、一∼二三頁、五八∼七三頁。
﹁ファッシズム労働秩序論−ナチス労働秩序との比較研究−﹂﹃社会政策時報﹄第一八六号、一九三六年、一∼三〇頁。
﹁組合協同体国家の改造﹂﹃公法雑誌﹄第二巻第一号、一九三六年、一五∼三六頁。
︵二・完︶﹂﹃国家学会雑誌﹄第五〇巻第六号、第七号、一九三六年、一〇四∼二
﹁英国に於ける組合協同体国家論﹂﹃公法雑誌﹄第二巻第五号、一九三六年、八〇∼九五頁。
﹁︹資料︺英国ファッシズムと組合協同体国家︵一︶
三頁、七八∼一〇二頁。
﹁ファビオ・ファッシズム其他﹂﹃公法雑誌﹄第二巻第二号、一九三六年、五五∼六七頁。
﹁︹説林︺ ﹃ナチス労働法﹄ について﹂﹃公法雑誌﹄第三巻第三号、一九三七年、一一九∼一二四貢。
﹁︹学界思潮︺ ファシズム治下における選挙制度の変遷﹂﹃法律時報﹄第九巻第六号、一九三七年、二一∼二三頁。
﹃ファシズム﹄岩波書店、一九四九年。
﹁イタリア・ファシズムの政治組織﹂﹃政治学辞典﹄平凡社、一九五四年、六五∼六六貢。
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具島ファシズム論の再検討(熊野)
﹁組合国家﹂前掲﹃政治学辞典﹄ 二九五∼二九六頁。
﹁ムッソリーニ﹂前掲﹃政治学辞典﹄一三一八頁。
﹃現代のファシズム﹄青木新書、一九七二年。
﹁私の歩いた道﹂﹃反戦・反ファシズムの五十年︵具島兼三郎先生古稀記念文集︶﹄
︵非売品︶一九七六年、一一∼三七頁。
﹁一九三〇年代とわたし﹂中川原徳仁編﹃l九三〇年代危機の国際比較﹄法律文化社、一九八六年、二八三∼三一〇頁。
﹁具島兼三郎先生業績目録﹂前掲﹃反戦・反ファシズムの五十年﹄一∼九頁。
九州大学法学部﹃具島文庫図書目録﹄一九七六年。
︵享年九九歳︶。氏のご冥福を心よりお祈
︵非売品︶一九八二年。
本稿校正中の二〇〇四年一一月一二日、具島兼三郎氏が永眠された
今中次麿先生追悼記念事業会﹃今中政治学の再検討︵シンポジウム記録︶﹄
︻追記︼
り致します。
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