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ユダヤ人の自己憎悪(IV)

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ユダヤ人の自己憎悪(IV)
明 治 大 学 教 養 論 集 通 巻5
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ユダヤ人の自己憎悪(I
V)
テオドール・レッシング著
田島正行訳
六人の伝記
2
. オッ卜ー・ヴァイニンガー訳注1)
1
9
0
3年 1
0月 4日,ヴィーンのシュヴァルツシュパーニエン通りに通うるベー
トーヴェンの臨終 6部屋で, 2
3歳の哲学学徒オットー・ヴァイニンガーは
自殺した。ひとつの不可解な出来事!
先立つ数か月前,ヴィーンのヴィルヘルム・ブラウミュラー出版社から
(哲学教授フリードリッヒ・ヨードル知的とラウレンツ・ミュルナー抽出の
支援の下で)一冊の大部な思想作品が出版された。それは『性と性格』とい
エレメンタール
ガイスティッヒ
う表題をもち,自然的なものと精神的なものとの関係に関する原理的諸研
究を含んでいた。そこでは,自然的なものは一切の現存在の「女性的・母性
的」な側面とされ,精神的なものは一切の現存在の「男性的・創造的」な側
面とされて,それゆえ女性と男性は踊と脳,ないしは根と梢のように相対立
するものと評価された。
この激烈な書物の成功は驚くべきものだった。あの時代の重要な思想家た
ち,エルンスト・マツノ、訳注 4) ゲオルク・ジンメル訳注目,アンリ・ベルグソ
ンR控ペフリッツ・マウトナー悶 7) アロイス・へーフラー即 8) はこの書物
を読んだ。そして教授障や反駁書においてこの鋭利な思想との取り組みが始
まった。反論が賛同を凌駕した。しかしひとつの声だけは支配的であった。
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すなわち,この 23歳の 学生は天才に違いないという声だけは。
まだ若いひとりの若者は一夜にして有名になった。そ して喜ばしい栄達が
確実であるように彼には思えた。
世間が唖然としたことに,この 若者は自らの花冠を引きちぎり ,ベートー
ヴェンが息を引き取ったのと同じ部屋で自殺した。彼は 37年前の若いフィ
リップ ・マイ ンレンダ ー制的 と同じような振る舞いをしたのである 。 マイン
レンダーは,刷り上がった彼の天才的な 『
救済の哲学」が目の前に置かれた
日に,溢死した。
ヴァイニンガーが自殺してからほぼ一世代が経過した。 この間,オットー・
ヴァイニンガーと彼の体系に関して多くの著作が書かれた。誤 りを正す書物
や知ったかぶりの書物が書かれた。 そしてこの早熟の天才の身近な友人たち
一一 エミール・ルカ 1
R
i
!10) ヘルマン・スヴォボダ臨 11) オスカー・エーヴァ
オットー・ヴァイニンガー
ユダヤ人の自己憎悪 (N) 1
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7
ルト択肢 12) モーリッツ・ラパポート訳注目}一司は,腰昧さのない医者や精神科
医の側から出された多くの賢明な診断を目にして,ヴァイニンガーの教説を
擁護せざるを得ないと感じたが,それも無理もないことである。しかしヴァ
イニンガーの教説は,実のところ病的な不遜と粗暴な恋意とのひとつの途方
もない造化の戯れ以外の何物でもない。
私が言っているのは,ユダヤ教の粗暴で粗野な教説のことである。
我々の考察はユダヤ教の教説を出発点とする。というのも,そのなかに,
ある悲劇的自己憎悪のおぞましい運命を解く鍵があるからだ。
オットー・ヴァイニンガーはユダヤ人だった。しかし,かつて子供が母胎
に唾を吐きかけ,母の血を呪ったことがあるとすれば,このユダヤのエディ
プスはそれをやったのである。ユダヤ人とユダヤ的なるものに対する彼の敵
対心は,それ以前のどんな敵対心とも違っていた。我々がひたすら戦'探し感
嘆しながら彼の敵対心から学ぶのは,邪悪な目には一切が可能であるという
こと,まったく対立する諸概念もことごとし邪悪な日がそれらを用いよう
と意志するかぎり,役立つものであるということである。
健全な生命感から,自らのドイツ的血とドイツ的気質から,
I
ユダヤ主義」
と「セム主義」に対する自らの偏見を汲み取っている重要人物たちがいた。
彼らにとってユダヤ人は,とりわけユダヤ人の神は何か不気味なものであっ
た。ユダヤ人の神は彼らには青ざめて抽象的に思えた。悪魔的で血の気のな
いもの。冷たい論理家。嫉妬深い毒殺者。心の冷たい怒りの神。活力を奪う
モラリストに思えた。「ヤハウェ主義,エホパ主義,一元論,一神教」・
これがお決まりの標語であった。それらは陰気な民族の罪の口座に記入され
た。ことによるとそれらの標語はまたこう呼ばれていたかもしれない。「心
,と。いずれにせよ,怨恨と憤怒
霊主義,批判主義,理想主義,合理主義J
の神はギリシアの美しい神々の世界とゲルマニアの消え去った奇跡の敵であ
り,殺害者であった。エホパは「形態の破壊者Jとして克服された。したがっ
て首尾一貫したユダヤ人排斥論者たちは,ユダヤ教と同時にまたつねにキリ
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スト教とも戦った。それどころか,彼らはユタ。ヤ・キリスト教のなかに,精
神による魂と肉体の分裂および両者の破壊のひそかな道具を見たのである O
すなわち,肉体と理念,愛と理性を反目させ,両者を救い難く損なうため
に,世界の外に存在するひとつのモロク訳出4) が官能と思考との聞に押し入っ
たのだ。
「そのようにして肉体はもちろん神性を失う。自然の魔術は理解できない
マグナ・マ
テル
ものとなった。ディオニュソスは死んだ。大いなるパンは死んだ。大地母神
は姿を消した。ジークフリートは打ち殺された。パルドゥル訳注 15) は殺害さ
れた!J
一一嘆きの声はそうであった。
そして誰が勝利者であったのか。
弁証法と三百代言のうちに啓示される,名指すことのできない霧と砂漠の
神。タルムード舶凶とピルプル訳注 1九教義と言葉。これが勝利者だ。しかし
これはユタ守ヤ人の世界で‘ある。
たいていの〔ユダヤ人〕敵対者たちは今日でもなおこれと同じことを考え
ている。しかし第ニの,はるかに小さいとはいえ,ひけをとらない重要な
〔反ユダヤ主義の〕思想家のグループが存在する。この思想家たち自身,前
者の〔反ユダヤ主義の〕思想家たちの考え方からすれば,純粋なユダヤ人と
言わざるをえない。というのも,彼らは〔ユダヤ人に対する〕その反感を
〔前者の反ユダヤ主義思想家たちとは〕まさしく正反対に現由づけたからで
ある。マルティン・ルターはユダヤ人をこう非難している。ユダヤ人は「神
の息子たち」にならずに,
r
大地の子供たち」にとどまった,
と。「ユダヤ人
はいまだに死衣そまとい棺に入れられて大地を志向し,太陽と星に祈りをさ
さげている」。そして後の完全な合理主義的哲学者,盲目のオイゲン・
デューリング鵡川においては,次の一節のような箇所が無数に見いだせる
のである。「ユダヤ人は事実的なことや現実的なことに関して才能がない。
というのも,ユダヤ人はオリエント人であり,形象や夢にとらわれて暮らし,
比輸によって思考している空想家であるからだ。ユダヤ人は本当の神話形成
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者である。北方の人聞はより厳しいより冷静な天空の下で,際限を知らない
この民族を論理で撲滅しなければならない。我々は彼らの宗教主義的寓話に
対して健全な実証主義で抵抗しなければならな L、
」
。
それゆえ(好みに応じて)あるときは実利主義,現実主義がユダヤ的世界
観とされ,またあるときは「ユダヤ人の空想的神話形成」に対する防壁腿 19)
がユダヤ的世界観とされるであろう。同じように, (好みに応じて)今日の
ところは社会主義,ボルシェビズムが,明日には資本主義が「ユダヤ的」と
される。あるいは,今日のところは進歩,ラディカリズム,革命が,それに
反して明日には停滞,沈滞,反動が「ユダヤ的」とされる。
ところで,オットー・ヴァイニンガーの体系はごつの枢軸のどちらに合致
しているのか。彼の驚くべき教説,ユダヤ的なるものは一一精神的な父なる
神を不活性の物質へと引きずりおろした女性の淫らな暴力,これ以外の何物
でもないという教説は,どこに属しているのか。
ひとりの人間のなかで根と梢がこれほど争ったことはなかった。我々は骨
髄のなかの病的個所を見つけるために,深く切り込まなくてはならない。
諸民族を限定の民族と無限の民族とに,すなわち造形の民族と音楽の民族
とに分類するならば,私はユダヤ民族に(ちなみにドイツ民族にも),厳し
い限定の造形的確かさよりも,むしろある無限への情熱を認めたいし,むし
ろ音楽的なリズミカルな拍動を認めたいと思う。我々が数学におけるユダヤ
人の影響から話し始めるならば,この主張の意味しているものが読者に最も
わかりやすくなるだろう。
およそ一世代前,ヴァイニンガーの作品が世に現れたのとほぼ同じころに,
私は数学の心理学のためにひとつの論文を発表した。この論文は,当時力強
く勃興し始めた物理学の幾何学化と幾何学の算術化,そして当時すでに兆し
始めた「相対性理論」の興隆が,ユダヤ的人聞の魂と密接に関連しているこ
とを示そうとしたものである。
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西洋の会論理学は,アリストテレスからカントまで,つねに同じことを,
つねに同じ空しい自明なととを述べている ・・だが,それはどのような結果
H
H
をもたらしたか。
限定することへの信仰という結果である! 思考においてひとたび措定さ
れたもの, もしくは所与として認められたものを限定することへの信仰であ
る
。
こう言ってもよい。論理学はつねに統ーへの要請であった,と。論理学は
つねに,アリストテレスが
i
a
=
a
J という一様性の原理と名づけた行為の
作業にすぎなかった。
したがって,キリスト教数千年の思想家たちが非合理的なものや想像、的な
ものを決定的知の対象にしたとき,論理学の破壊,それと同時にひとつの秩
序ある世界としてのコスモスの破壊がはじまった。なぜなら,非合理的なも
のや想像的なものは,統一されたものとして捉えることができな L、からであ
る。無限なものは終わることができないし,計り知れぬものは確かめること
ができない。思考において対象や事物として把握されたものがどれも有限で
あり,限定されているということ,このことを無視するやいなや,かの同一
性の原理すら,と同時に思考自体さえも,意味のないものとなった……人類
自身がそのコスモスによって自らを把握し,創造し,支え,保持しているの
ではないか。思考が限定された世界を破壊するならば,生きた統一体として
の人類もまた消え去るのではないか。
プラトンの「テアイテトス」のなかには「すべての完全なものの有限性」
に対するあの不思議な讃散が見いだされる。存在そのもの(このようにプラ
トンは言っている)もまた無限ではありえない,なぜなら無限なものはひと
つの不完全なものであるからだ。生の実体が無限であるとすれば,それは形
態も美も有することはできないだろう。「すべて美的なものは限定の謎を示
している。というのも,すべて生の深みで形態は花聞くからである」。
ひとつの有限な形態としての美的な生に関するこの教説は,スピノザの崇
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高さの教説とはまさに対極をなすものである。スピノザの教説は存在そのも
のとしての生の実体に名を与えることを禁じているが,それは神に付随する
属性の数が限定できな L、からである一一「なぜならどんな限定もひとつの否
定だからである」。
だが,神的なものを諸形態のうちにしか観ることのできないプラトンは,
ギリシアの形式の解消者なのだ!
そしてまた,神を時空の彼岸の非人格的存在としてしか把握することので
きなかったスピノザは,自然を数学の拘束ベッドに閉じ込めた幽閉者なのだ!
ノルム
ところで,数学的規矩の絶対性のためにコスモスを非人格的要素に解消す
るということ,これが主としてユダヤ人の血をヲ l
く論理学者たちの業であっ
たのは,偶然というべきだろうか。
非ユークリッド畿何学の成長によって必要となった新たな学問領域,数論,
集合論,純粋多様体論,あらゆる学問領域における無限なものと結びついて
いる諸々のパラドックスの解消,そして演算の絶対性のために究極の具体性
や直観性を相対化すること,これは,ゲオルク・カントール融 20) アルフレー
ト・フレンケル R龍21)アルフレート・プリングスハイム目控 22) アルトウール・
シェーンフリース訳出紛,フエリックス・ハウスド jレフ訳控 2'),}レートヴィッヒ・
クローネカー融 25) アルフレート・ゾンマーフェルト階部〕のような元々はユ
ダヤ人である知識人の仕事であった。そして避に, A.A ・マイケルソ
ン拙ベ
M ・ミンコフスキー蹄錦
A・アインシュタインによって,世界の
転換(アリストテレス,ユークリッド,ニュートン,カントの克服〉が強要
された。
感知できる形態的性質の最後のわずかな残津を揮発させ,
r
完成できない
もの Jの混沌のなかで人聞がしがみつくことのできる最後のわずかな木片を
奪い取ろうと,このグループはあたかも結託したかのようなのだ。
なぜなら,
r
時空の世界J(この算定し,計測できる世界)が消え去ったば
かりではない。生成自体が,つまり運動,直線的連続性としての順次,指向
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性,始めと終わりが消え去ったのだ。
かくして,感知できる世界のすべての内容が灰燈に帰したあとには,価値
への意志以外なにも浅らなかった。
プラトン学派の末期には,形態なき灰色の虚無の繋明を告げるひとつの概
A
p
e
i
r
o
t
a
r
a
x
i
e
,
“
念が浮かび上がった。すなわち, "
r
計り知れないものに対
する戦傑」がそれである。
生がその甲羅や殻のなかへと,甲胃や堤防の背後へと逃げ込んだのは,当
然のことではなかったか。
魅惑される者たち,忘我者たち,原初的生命の持ち主たち(これら最もた
やすく自身から誘き出される者たち)が,この上もない不安に駆られて戸口
や屋根を探し求めたのも当然で、はなかったか。溢れ出て消えること,ゆらめ
きながら消えることに対する庇護を探し求めたのも当然ではなかったか。た
とえそれが塔や牢獄であるにせよ!
飛沫を上げる波詩や渦巻く抱立ちのまっただなかで,原花筒岩の巌の上に
城砦がiIIZ:立し,城壁の力が果てしない海に抵抗している。
「精神」の巌の上に人類はそのロゴスの城砦を築き上げた。そのなかで-い
まや人類は原初的混乱や混沌に対して耐えた。
この城砦は,エートスと呼ばれるひとつの多層的上部構造をもっている。
この上部構造の頂から人は計り知れない海を自由に見渡すことができるし,
海の上の空や導きとなる星々を自由に見渡すことができる。
巣立ちした渡り鳥である我々の魂は, もろもろの海を越えて進んでゆく。
そしてどんな飛河のあとでもやはり安全な鳥龍のなかへと戻ってくる。これ
は,我々の不安であると同時に我々の強さであり,我々の憧慢であると同時
に我々の諦念である。すべては泡沫であるということを我々は忘れている。
原花商岩の上に立つ城砦を我々は永遠と呼んでいる。そして我々の真の生命
が精神のなかの生命であると錯覚している……
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オットー・ヴァイニンガーという少年を知っていた人は皆,彼が世界に対
して聞かれた,たいそう感じやすい子供であったと語っている。ジャスミン
の香り,花を付けたリンゴの樹,蝶の埋めきがその繊細な魂を圧倒した。遠
い山々はひとつの幸福の約束であり,流れる雲はひとつの冒険であった。青
い荒野は憧慢であり,苔パラの木は至福の酪町のひとつで、あった。あらゆる
感覚が鋭敏であり,あらゆる神経がたやすく刺激された。一匹の紋の死がす
でに「問題」となりえた。
この子供は共感をもってすべての生を自らの生として感じ,妖精の小さな
魂のように風景や四季に共揺し,幻影に溶け込む危険につねに晒されていた。
そしてこの子供は成長して青年となった。さらにこの青年は詩人となった,
彼が思想家となるずっと以前に。彼の好奇心は際限がなく,彼の生の飢渇は
Wesen) を
際限がなかった。すべてのものを共に吸収し,至る所に性情 (
感じ取る彼の能力は,より貧しく硬直した魂にはきわめて容易なこと,つま
り自己を限定して形式化するということをきわめて困難にした。
ひとつの職業,生のこのブルジョア的基盤を決定することは,彼には長ら
く不可能に思えた。なぜなら,彼はどんなものにも魅了されたからだ。すべ
てを彼は学びたかったのであろうし,すべてを彼は生きたかったのであろう。
そういうわけで彼には拡散してしまう危険が絶えずあった。それゆえにこ
そ,ただひとつの大いなる情熱,幾百万の人物たちを凌駕して,あちこちへ
と魅惑する豊かな内的諸印象に対する公分母を見出さんとする情熱が,彼に
とってきわめて薫要なものとなった。
これは哲学への道である ・・
H
H
彼のまなざしはまだ身近なものの上に休らってはいなかった。彼は若かっ
たし,あらゆる鳥が遠方への憧れを歌っていた。彼が決して見ることのない
だろう多くの国が,彼が決して握ることのないだろう多くの手が,彼が決し
て口づけすることのないだろう多くの額が残っているであろうということ,
これはひとりの若者を絶望させうる。
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なぜなら,この魂は生まれっき温和で誠実であったにもかかわらず,自分
自身を見出すためにはひとつの決断をする必要があったからだ。
彼はそれぞれの微風に弄ばれる存在であった。それゆえに彼には, I
倫理
的性格」が生の L、かなる天分や豊かさよりも偉大で,賛美すべきものに思え
た
。
したがってオットー・ヴァイニンガーが不安におののいてロゴスの城のな
かに,しかも「倫理」と Lサ最上階の塔の部屋に閉じこもったのも何ら不思
議なことではな L、。臼発的幽閉者である彼はそこに座り,その強烈な思考力
をもっぱらこの象牙の塔の生が真の生,本来の生,唯一の価値ある生である
ことを自分に証明することに費やしたのである O
この若き理想主義を誰も非難しないでほし L、。この理想主義はなるほど非
常口であった。しかし,それゆえにこそ嘘いつわりはまったくない
υ
自分の幼年時代のひとつの思い出が私に浮かんでくる。庭園や森林のなか
で少年は,見知らぬ宿命に紛れ込むにちがいないという恐怖(精神分析で
"Absenzen“(放心)と呼んでいるものに似ている)と, I
自分はここに本当
に存在しているのか」と Lサ疑念にしばしば襲われた。それから私は,抵抗
感によって自分自身を確かめるために,手あたり次第のものを指で掴んだも
のだった。
あの日々の仲間がそれとはまったく別の,正反対の不安を私に話した場所
と時を,いまだに私は覚えている。彼は,夕暮れの薄明のなかで鏡の前に歩
むと,鏡のなかで彼の像が硬直して凝結し,凝結した分身が鏡のなかから彼
に向って歩み出てくる恐怖に捉えられると言うのだった。
これらは,我々が人間として生きている限り,つねに通り抜ける死の両極
なのだ! 一面で我々は海綿となる危険をつねに冒している。他面では我々
は立像へと硬直する危険をつねに冒している。一方の危険は無限性の恐怖を
生み出す。他方の危険は有限性の不安を生み出す。
オットー・ヴァイニンガーは,規律と形式を得ょうと努めるへラクレス的
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性質の持ち主だった。彼のいまだ未熟な性情のプロテウス的なもの鵬紛が
すでに, 自己憎悪の悲劇のための十分な基盤を提供していた。しかし〔自己
憎悪の悲劇が成就するためには〕さらに第二のものがあらたに加わらねばな
らなかった。解消できない問題的なものの何かが。ユダヤ人としての出自が,
しかもユダヤ的本質から剥離したユダヤ人としての出自が。
いかなる人間もこれまでその血の拘束から解放されたことはなかった。い
かなる定言命法もこれまで血の声を覆い隠してしまうことはなかった。
ヴァイニンガーにおける生であったものの一切(そして彼のなかで熱い生
が燃えていたが),それを彼は自ら自身に対して,ユダヤ的なものと名づけ
た
。
そして性の問題ほどに人聞が宿命や永遠と克服しがたく結ぼれている問題
はなかったので,
しかも彼のつねに動揺する魂は男性の魂のひとつであり,
補完的対極として女性を不可欠のものとしていたので,彼は自分を惹きつけ,
驚かす一切のものを女性的なものと名づけた。
それゆえ女性とユダヤ人は彼にとって,自分が恐れ,忌避した自然的基盤
のふたつの異なる名辞であったのだ。
我々はいまやこのエレメンタールな若者が入り込んだ学業の道を思い浮か
べねばならない。この道は思想の諸前提を学ぶことに費やされたが,これら
の思想の諸前提を克服し,脱することは,ひとかどの思想家としての生を実
現し,何十年にもわたる思想研究を果たすためには必要なことであったろう。
デカルトからカントにいたるまでの西欧の哲学は,つねに意識という原現
象から出発した。意識と意識内容の全世界(それゆえ,我々が現実と称する
一切のもの)は,生の他の幾百万の可能性のなかのひとつの創造的可能性と
して生のエレメントから現れ出たものであるが,このことに西欧の哲学は決
して思い至ることはなかった。それどころか,意識のなかの世界が世界全般
であった!
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)
「生きているのは,意識されたもの!J
まさに生きているもの全般が意識されうるかのようだ!
「生はその現存在を,それどころかその現存在の正当性を,思考する生き
もの,ないし思考された生きものとしてまず証明しなければならな L
」
、
両極は次のように逆転した。すなわち,意識,ロゴス,精神が真の生となっ
た。そして〔基盤として〕支えているエレメントは,精神とその神的な純粋
性からの暗い離脱の性格をもつようになった。
ヴァイニンガーはスコラ哲学者たちの著作に没頭した。彼はへーゲルとカ
ントを読んだ。彼は数学と現象学の虜になった。そうして彼のなかで,価値
評価する人格のあの途方もない歴史的・倫理的不遜が,すなわち人格の地下
の〔意識下の〕下部世界や背後世界を,人格を庇めるひとつの恥辱と感じる
あの不遜が凝固した。
これは,カントをして「悟性は自然を創り出す」と語らしめた思い上がり
である。そしてへーゲルに「自然が理性と一致しなければ,自然にとってな
お怠らまず L、」と剛笑させた思い上がりなのである O
ヴァイニンガーは血を憎悪した。しかも彼の血はユ夕、ヤ人の血であった。
そしてこの若者のなかに性交の秘密が萌しはじめたときから,彼は女性と大
地の精神を憎悪した。
ヴァイニンガーの溜稿のなかに,犯罪や犯罪的という詩ほど頻繁に現われ
る語はない。
彼の全哲学は罪と救済に関する比類のな~ "沈思黙考であった。そしてこの
哲学は徹頭徹尾キリスト教的な哲学となった。なぜなら,インド人たちにあっ
ては,ヴェーダにおいてもブッダにおいてさえも,つねに愛が,生の統ーが,
"
t
atwana
s
i
“〔党我一如)がすべての思考の中心にあるのに対して,キリ
スト教徒の体験の中心は,
I
生からの暗い離脱」だからである。拒むことの
できない罪。人間自身とともに生まれた不和。こうした原罪からの救済はど
こにあるのか。
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「救済」はもっぱら純粋な精神における人聞の生の止揚を通じてのみ存在
する。完全な理性,完全な倫理,それは死であろう!……
この若い哲学者においてカントの二世界理論が狂ってしまったと言えよう。
彼はすべてを叡智界の光学の下で見る。
パイプル,ヴェーダ,ブッダ,プラトン……すべては彼に,この世の生と
はなにかまったく別なひとつの生の栄光だけを告げている。
しかし罪責のパトスと自裁のパトスが座を占めるとき,大地は灰色となり,
誘惑的な「女性世界」を嫌悪する禁欲的傾向がつのる O
なぜなら,
r
女性世界」は美しいからだ。そしてすべての美は愛を求める
からである。
彼はこの美に屈する不安を抱いている。それゆえ彼は嫌悪の口調でこの美
に抵抗しようとする。どんな罵声も彼には,この美しい生を誇るのに厳しす
ぎるということはない。
そして美に惹かれて魅惑されればされるほど,彼はますますおぞましく恐
怖と恥辱への自身の堕滞と崩落を自らに描いてみせるのである。
女性世界の懐に耽溺すること,それは,苦労して築き上げた彼の自我の喪
失であり,やっと勝ち取った彼の哲学的平安の喪失である f
ごろう。
しかしどの自己処罰者も誇張に酔いしれる。倫理と道徳の病に躍った患者
の罪責感情は,悔悟を呼び起こす行為と釣り合うことは決してな L
。
、
無を求めての自己町責というものがあった!
アウグスティヌスは年老いてもなお多くの頁を費やして激しく自己を呪っ
ているが,それは,少年のときに隣人の庭でリンゴを盗んだ、ことを苦悶に満
ちて思い出しているからなのである。
ゼーレン・キルケゴールは悔悟の深い心理学者となるが,それは,かつて
生の不安にかられて婚約指輪を突き返した少女に対する憶測的罪責の苦悶か
らであった。
それどころか,オリゲネス開制は生きているときに去勢することで,瞬
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)
間的に,自漬行為を購っている。
自然が自分自身に刃向かうとき,人間は無防備となる O そして無防備な者
を犠牲にする以上にたやすいことな L
。
、
この倫理と道徳に取り壊かれた者は,自分自身に対して,そして自分の固
有な要求に対して耐えうる限りでのみ,自分の所有している一切のものを,
そして自分自身安喜んで犠牲に供するのである。
倫理と道徳の病に躍ったこの患者の自己罪責意識を捉えてみるがよ L、。し
かも君が彼を無貰任にどこでまた傷つけているのか答える必要はな L
。
、
つねに,犠牲のための屠殺を執行する犯罪準備者たちが一一友人たちゃ恋
人たちが
存在している。彼らは彼の手に口づけし,畜殺祝いを寿ぐ。彼
らは自分の大いなる生の罪を予感することは決しでなく,自らを祝福し,肩
をすくめてこう言う。「自らを子羊にする者を,狼は食らう」と。
しかし彼は学んでほしい(望むらくは遅くならないうちに),この地上に
おいては
聖者であるよりも,すぐれた,たくましく勇敢な猛獣であるこ
とのほうが重要なのだということを。
なぜなら,純粋なエーテルのなかへとしばし上昇できはしても, しかし上
空にとどまり,生涯エーテルに棲まうことはできない鳥,人間はこの烏のよ
うなものであるからだ。
にもかかわらず人聞が虚しい大気圏のなかで存在を無理やりにでも手に入
れようとするならば,人聞はますます頻繁に塵撲に向か L、,その翼の飛朔力
は衰え,その上昇はいっそう稀になり,到達する高さはいっそう平板になる
だろう。
そこで精神はおぞましい醤いによって自らを拘束する O さまざまな形姿の
松明舞踏の誘惑に決して負けはしないと精神は審う。
だが,遠くの灰かな一片の寵,歌うようなひとつの笑い声,一房の金髪,
やさしい一瞥が。すると誓約は粉々に砕けてしまう。
生殖 (Zeugung) の夜に高尚な確信(uber-Zeugung) に捉えられ,そ
ユ夕、ヤ人の白己憎悪 (IV) 119
していまや一切の生が死んではまた生まれ変わる光のなかへと移って L、かざ
章一れが,精神を襲った。
るをえない夜の蛾の至福なる f
「賢者のほかには,誰にも諮るな,
人々はすぐさま噺るだろうから。
炎の死に憧れる生き物を,
こたえた L、
」
訳
注
目
)
。
私は f
ひとりの司令官が,いまだ誰も征服しなかった難攻不落の巌に聾える要塞の
前に立っている。そのとき彼は敢えて信じられないことをする。彼はその;技
愛の者,自分の子供を要塞のなかへと送り,こう誓う。「明日おまえを連れ
に来る,さもなければ我々は破滅だ」。
彼は,それなしでは生きる気になれない守護神〔彼の子イ共)を敵のまった
だなかへと投げ込み,それを救うために,そのあとから飛び込む。
彼は背後の船を燃やす。彼は敢えて壁を越えて躍り込む。いまや退路は断
たれた。
オットー・ヴァイニンガー,哲学学徒, 2
3歳,ユダヤ人は,倫理の乗り
越えがたいひとつの体系によって自分自身と世間にひとつの約束をした。彼
はひとつの誇らしい作品によって自分自身を抹殺し,自分自身を創造した。
彼はその生得の自我を抹殺した。パスカルの,moih
a
i
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s
a
b
l
e“(憎むべき自
我)を。光となるために生まれた彼はその生得の自己をもった。カントの
"
I
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eautonomeP
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i
t
“(叡知的自発的人格)を。
到達した高みから,いまや,我々すべてを束ねる卑俗さに再び陥るよりも,
彼はむしろ死ぬことを欲した。
そのとき成功が訪れた。
そして成功以上に魂を腐敗させるものはない。
ヨーロッパでの名声は哀れなユダ、ヤ人の学徒を驚かせた。栄誉,旅,お金,
1
5
0 明治大学教養論集通巻5
1
7
号 (
2
0
1
6・
3
)
権力,気位の高い女性たち。いまだかつてひとりの聖者に「女性世界」がか
くも殺到して誘惑したことはなかった。この少年は自分を生の継子と見なし
ていた。そしていまや生が彼の牢獄に入ってきて,
I
我が恋人よ」と言った。
しかしこの哀れなユダヤ人は誠実な心の持ち主だった。自分がひそかに生
のワインを飲みながら,さらに水を説き勧めることができるような人間では
なかった。
彼は約束したことを,身をもって支払った。
自らがその説教を守ることはできないだろうと,彼の不安神経症はささや
いた。自分の血では持ちこたえられないであろう闘争規則に自分が拘束され
ているのを,彼は知っていた。犯罪という強迫観念が彼を襲った。しかもた
だひとつの犯罪,自分自身に対する不実しか存在しないのである。
いまやドイツ哲学の若き帝位継承者としての彼に目をくぎ付けにしていた
幾千人もの面前で,彼が誓いを破ったとき,彼は,ひとりの不実な検察官は,
恥ずかしさのあまり最も暗い片隅に入り込んで,みすぼらしい獣よりもみす
ぼらしく,死なざるをえなかったのだ。彼の友人たち,両親,教師たちに彼
はこう語った,
I
私はひとりの犯罪者だ」と。世聞が彼の名を褒め称える一
方で,彼はうろたえて教会やヴィーンの森に忍び込み,
I
私は犯罪の呪いを
受けている」と日申いた。
この純真な人聞は何を求めたのか。一匹の蝿も殺すことのなかったこの柔
和な少年は,どうして自分をすべての罪人のなかで最も罪深い人間と感じた
のか。
花々の眼から,動物たちの眼差しから,結品や石からですら,至る所で犯
罪が彼を凝視していた。通りの楽しげな標識,飾り窓の器や織物,画家たち
のさまざまな絵,女性たちの魅惑的な魔力,子供たちの愛らしい魅力,一切
の美が彼を犯罪の共犯者にした。
犬の眼のなかに彼が見たのは,半ばすでに教化され,半ばまだ狼の心を宿
ナトゥーア
しながら,悪しき本性から解放されていない動物の菅悶に満ちた魂であっ
ユダヤ人の自己憎悪 (
I
V
) 1
5
1
た。彼をじっと見つめている馬の目が訴えているのは,人間によって変えら
れ,品種改良されて,自らの生得の力がわからなくなり,自らの力の利用を
拒むか, もしくはその力をほとんど知らない被造物の狂気である。ゲーテが
「生き物はなんと美しく,なんと真実で,なんと単純で,なんと完成してい
ることか」という陶酔の言葉を思わずもらした深海の驚異的な生きものたち
のなかに,ヴァイニンガーの病的な眼差しは恐れとともに,貧欲な,クラゲ
のような,吸い付いて離れない殺害欲の肉体化を認識した。快楽は彼には殺
害に見えた。愛は界に見えた。我々が奇跡と呼んでいるものを,彼は犯罪と
呼んだ。途轍もないもの,把握しがたいもの,非合理的なもの,つまり生自
体を,彼は犯罪と呼んだ。
しかし,我々の理想像に我々は太万打ちできないという屈辱的洞察は,必
ずしも悔悟や錯乱に通じているとは限らない。それはまた誇大妄想や自己顕
示にも通じている。
自分が容易に実現できない要求を,誰もそれを実現できないほど過大化す
る傾向を,我々は皆もっている。これによって,我々はきわめて数多くの挫
折から自分を救うのである。
手の届かぬブドウをすっぱいブドウだと宣告するキツネは,最も利口なキ
ツネではな L、。もっと利口なキツネは,それが触れることのできない神聖な
ものだと宣告する。どのキツネもこう口にしたがるのではないか,
r
俺たち
はみんな若いころから罪人だ」と。我々のなかの精神的本質は,自らの魂が
足下の塵のなかにいっそう深く埋もれているのを見れば見るほど,自分がす
べての地上的なものを越えて高められていると感じるのである。自負と謙遜
との,不可侵性と死刑囚の感情との結び目を解いた心理学者がかっていただ
ろうか。
オットー・ヴァイニンガーはあまりにも自意識が強すぎた。彼の精神的不
遜は倫理的理想、の誇張から生まれたのであり,彼は自らを神から遣わされた
この理想の告知者にして使徒であると感じていたのでFある。器がたとえよく
1
5
2 明治大学教養論集通巻 5
1
7
号 (
2
0
1
6・
3
)
ない土からできていたにしても,そのなかにはやはり袖が,ぞれがなければ
いかなる玉も今後聖別されることのできない泊が入っていたのだ。
そのように彼は思い上がってしまった。後戻りする必要がないように,彼
は自分の形態ぞ破壊した。
もはや恩寵はどこにも施されなかったのか。
.地上に
彼はもう一度ベートーヴェンの偉大な心へと逃げ込んだ。「英雄J
光をもたらした者のプロメテウスの歌は,彼に言葉では決して暗示すること
のできないことを暗示した。「神を観る者は死ぬ」ということを。
彼のことを思うと,ゲーテのオイフォーリオン択肢紛が思い出される。生
まれるやいなや英雄になるべく定められ,若気の至りで岩に登り,飛珂に失
敗して砕け散ったあのオイフォーリオンである。ニーチェの棺台で詩人が歌っ
た言葉は,ヴァイニンガーをもまた悼んでいるように感じられる。
「おまえはおまえ自身のなかの隣人を殺した,
改めて渇望しながら隣人を傑き求め
孤独の痛みのなかで叫び声を上げるために。
遅すぎた,懇願しながらおまえにこう語る者の来るのが。
〈彼処の氷に閉ざされた岩と灰色の鳥たちの巣を
越えて行く道-はもはやない一一いま必要なのは,
愛が結ぶ環のなかにおのれを呪縛することだ>..・ ・
H
そして厳しい附吟する声がひとつの煩歌のように青い夜と
明るい潮のなかへ鳴り響くならば,こう嘆くがよい。〈歌うべきだった,
語るべきではなかった,この新たな魂は〉と悶 33)。
{訳注}
訳注1)オットー・ヴァイニンガー (
O
t
t
oWeininger
,1
8
8
0
.
4
.
3
1
9
0
3
.1
0
.
4
)一一反
ユダヤ主義哲学者。ユダヤ人の金細工師の息子として生まれる。両性愛論で
ユタ守ヤ人の自己憎悪 (
I
V
) 1
5
3
博士号を授与された日(19
0
2年 7月 2
1日)にプロテスタントに改宗。 1
9
0
3
年の夏,学位論文,とくに第 1
3章の「ユーデントゥーム」を敷術した稿を
「性と性格」という表題で出版し,その直後「ベートーヴェンの家」で自殺し
た
。 1
9
0
4年まで 6版
, 1
9
2
3年まで 2
8版と版を重ねて刊行され,さまざまな
言語に翻訳された『性ど性格~ (へブライ語訳,
1
9
5
3
) は,ファシズム的な男
性礼賛の聖書となった。彼は,ヴィルヘルム・フリースやフロイトから借用
した男性的両性愛の類型学を発展させて,両性の闘争というマニ教的世界観
を展開した。その輸によると,カントの説く倫理,秩序,形式の総括概念で
ある男性は,官能性,混沌,物質の総括概念である女性に誘惑され,蔑ろに
される。両性の性的関係を終わらせることによってのみ,善き男性原理を汚
れから救うことができる。リヒャルト・ヴァーグナーの後期の著作に言及し
ているヴァイニンガーに拠れば,両伎の闘争に対応するのが,アーリア人対
ユダヤ人の闘争である。彼にとってもユダヤ人は背徳の物質主義の総括概念
にほかならなかった。彼の禁欲的で常軌を逸した純潔癖は,カール・クラウ
ス,ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン,シェーンベルクのような世紀転
換期のモラリストを引きつけたばかりでなく,ヒトラーやムッソリーニにも
影響を与えた。(以上,ユーリウス・ H ・シェプス編
社
r
ユダヤ小百科 J
,水声
2
0
1
2年)
訳注 2
) フリードリッヒ・ヨードル
(
F
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i巴d
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h]
o
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8
4
9
.8
.2
3
…1
9
1
4
.1
.2
6
)一一ド
イツの哲学者,倫理学者。プラハ(18
8
5
),ヴィーン(18
9
6
) の各大学教授。
実証主義の立場を取り,フォイエルバッハの影響を受けた。
訳注 3
) ラウレンツ・ミュルナー
(
L
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8
4
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.
7
.2
9
1
9
11
.1
1
.2
8
)一一
オーストリアの哲学者,神学者。ヴィーン大学カトリック神学部の学部長,
学長。
) エルンスト・マッハ
訳注 4
(
E
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s
tMach,1
8
3
8
.
2
.1
8
1
9
1
6
.
2
.1
9
)一一オーストリ
1
8
6
46
6
),同物理学教授
アの物理学者,哲学者。グラーツ大学数学教授 (
同
6
6
6
7
),ヴィーン大学哲学教授(18
9
5
1
9
01)。経験的自然科学の研究から
(
18
出発して認識論に進み,実証主義的な経験批判論を立てて,物質も精神も感
覚的要素の結合であるとした。
訳注 5
) ゲオルク・ジンメル
(
G
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l,1
8
5
8
.3
.1
19
1
8
.9
.2
6
)一一ドイツの
哲学者,社会学者。ベルリン大学助教授(19
01),シュトラースブルク大学教
1
4
)。生をその運動,発展,関係から捉えようとする〈生の哲学〉の重
授(19
要な代表者。
) アンリ・ベルグソン
訳注 6
(
H
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n,1
8
5
9
.1
0
.1
8
1
9
41
.1
.4
)一一フラン
スの哲学者。コレジュ・ド・フランスの教授(19
0
0
2
1
)。機械的唯物論に反
対して生命の内的自発a除を強調した〈生の哲学〉の代表者。
訳注7)フリッツ・マウトナー
(
F
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8
4
9
.1
1
.2
2
1
9
2
3
.6
.2
9
)一一ジャー
1
5
4 明 治 大 学 教 養 論 集 通 巻5
1
7
号 (
2
0
1
6・3
)
ナリスト,作家,言語哲学者。ユ夕、ヤ人商人一家の息子。マウトナーの徹底
した言語懐疑の害『言語批判論集』全三巻(19
01
02
) は,言語哲学および文
学上のモデルネ(近代精神)に,たとえばフーゴー・フォン・ホーフマンス
)。
タールに影響を及ぼした(前掲『ユタゃヤ小百科J
訳注 8) アロイス・ヘーフラー
(
A
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l
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,1
8
5
3
.
4
.
6
1
9
2
2
.
2
.
2
6
)一一オースト
0
3
),ヴィーン(19
0
7
) の各大学教授。プレンター
リアの哲学者。プラハ(19
ノの影響を受けた。
訳注 9) フィリップ・マインレンダー
(
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.5
1
8
7
6
.4.
1
)
5
8
6
3
), ショー
一一ドイツの哲学者。イタリアその他で商人として働き(18
ぺンハウアーの影響ドに世界を死滅しつつある神の表現として厭世哲学を説
色最後に自殺した。
0
) エミール・ルカ
訳注 1
(
E
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a,1
8
7
7
.5
.1
1
1
9
41
.1
2
.1
5
)一一オーストリア
の作家。
1
) ヘルマン・スヴォボダ
訳注 1
(HermannSwoboda,1
8
7
3
.1
1
.2
3
1
9
6
3
.6
.
1
8
)一一
オーストリアの心理学者。ヴィーン大学講師。
2
) オスカー・エーヴアルト
訳注 1
(
O
s
k
a
rEwald,1881
.9
.2
1
9
4
0
.9
.2
5
)一一オース
トリアーハンガリーの哲学者。私講師。
訳注目)モーリッツ・ラパポート
(
M
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t,1
8
0
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.1
.1
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1
8
8
0
.5
.2
8
)一一
オーストリアの医者,ジャーナリスト,作家。
4
) モロク
訳注 1
(
M
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h
)一一モロク(モレクとも言う)は古代中東で崇拝された
r
神の名。男性神。元来は「王」の意味。また「涙の閣の君主j, 母親の涙と
子供たちの血 i
こ塗れた魔王」とも呼ばれており,人身御供が行われたことで
知られる。
訳注 1
5
) パルドゥル
(
B
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u
r
)一一北欧神話の主神オーディンの息子。光輝くほど
美しく,賢く,優しかった。
6
) タルムード
訳注 1
r r
(
T
a
l
m
u
d
)一一へブライ語で「学習j 教義 j 研究」の意。ラ
ビのイェフェダ・ハ・ナスィがミシュナー(ヘプライ語で「学習」の意。口
承トーラーの教義の集大成)についてのアモイラームの叙述,議論,注釈を
集めたもの。これはパレスチナとバビロニアのユダヤ教学院で生まれた(前
掲『ユダヤ小百科.1)。
7
) ピルプル
訳注 1
(
P
i
l
p
uI)一“ヘブライ語の「胡椴」に由来する。ハラハー(へブ
ライ語で「行く,変化する」の意味。ユダヤの全「法」体系を含む一般的概
念)の問題における矛盾の解明と,理解を深めるための切れ味の鋭い弁証法
の名前(向上)。
8
) オイゲン・デューリング
訳 注1
(
E
u
g
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nD
u
h
r
i
n
g,1
8
8
3
.1
.12-1921
.9
.21)一一ド
イツの経済学者,哲学考。ベルリン大学で法律そ学ぶが,失明を機縁として
経済学,哲学の研究に転ずる。ベルリン大学講師&して哲学,経済学を講じ,
ユダヤ人の自己憎悪 (
I
V
) 1
5
5
傍ら物理学,哲学,経済学,社会主義に関する多くの著書,論文号発表。彼
のマルクス主義批判は社会民主党内に多くの反響を呼び起こした。彼の反ユ
ダヤ主義と偏狭苛烈な性格は,エンゲルスの批判と相前後して多くの青年を
彼の周聞から去らせ,不遇のうちに死んだ。
訳桟1
9
) これは前後の文脈から,明らかにく「ユダヤ人の空想的神話形成Jのための
防壁〉の書き誤りであろうと思われる。
訳注2
0
) ゲオルク・カントール (
G
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t
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r,1
8
4
5
.3
.3
1
9
1
8
.1
.6
)一一ドイツの
数学者。ハレ大学教授。三角関数に関する研究で実数の概念を明確にし,近
傍,集積点,導来集合などの諸概念を確立して解析学の基礎を充実させっつ
集合論への道を開いた。
訳注2
1
) アドルフ・フレンケルの誤りか。アドルフ・フレンケル (
A
d
o
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fF
r
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k
e
l,
1
8
91
.2.17-1965.10.15)一一ユダヤ系ドイツ人の数学者。公理的集合論で有
名
。
訳注2
2
) アルフレート・プリングスハイム (
A
l
f
r
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dP
r
i
n
g
s
h
e
i
m,1850.9.2-1941
.6
.
2
5
)ーーユダヤ系ドイツ人の数学考,芸術保護者。ミュンへン大学数学教授。
テオドール・レッシングは青年時代にプリングスハイム家に出入りし,プリ
ングスハイムからハノーヴァー工科大学の私講師の職を斡旋してもらってい
る。なお,双子の息子クラウスと娘カーチャも有名。クラウスは音楽家とな
り,来日して日本の西欧音楽の発展に寄与した。カーチャはトーマス・マン
の夫人となった。
訳注2
3
) アルトウール・シェーンフリース (
A
r
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s,1
8
5
3
.4
.1
7
1
9
2
8
.5
.
2
7
)一一ユダヤ系ドイツ人の数学者。結晶学への寄与で有名。
訳注2
4
) フエリックス・ハウスドルフ (
F
e
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i
xH
a
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s
d
o
r
f,1
8
6
9
.1
1
.8
1
9
4
2
.1
.2
6
)一一
ドイツの数学者。位相空間などの研究に貢献。ボン大学,グライスヴアルト
大学教授。ハウスドルフはユダヤ人であったため,ナチス政権がドイツを支
配していた 1
9
4
2年に強制収容所に送られることが決定し,委と寮の妹ととも
に自殺した。
訳注2
5
) ルートヴィッヒ・クローネカー (
LudwigK
r
o
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c
k
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r
,1
8
2
3
1
8
9
1
)一一不
詳
。
訳注2
6
) アーノルト・ゾンマーフェルトの誤りか。アーノルト・ゾンマーフェルト
(
A
r
n
o
l
dSommerfeld,1
8
6
8
.1
2
.5
1
9
51
.4
.2
6
)一一ドイツの理論物理学者,
数理物理学者。アーヘン工業大学教授,ベルリン大学理論物理学教授。はじ
め独楽の理論,ついで無線工学における電波の伝婚について研究した。さら
に N ・ボーアの原子構造論に数学的形式を与え,ついでスペクトルの微細構
造の理論,
X線スペクトルの理論を発表した。物理的問題の数学的処理に大
きな寄与をした。
訳注2
7
) A.A・マイケルソン (
A
l
b
e
r
tAbrahamM
i
c
h
e
l
s
o
n,1
8
5
2
.1
2
.1
5
1
9
31
.5
.
1
5
6 明 治 大 学 教 養 論 集 通 巻5
1
7
号 (
2
0
1
6・3
)
9
)
ドイツ生まれのアメリカの実験物理学者。シカゴ大学教授。精密な光
干渉計を発明し,モーリと共にエーテルに対する地球の相対速度を光干渉計
によって実測し,その否定的結果は後年アインシュタインの相対性理論の基
礎となった。
8
)へ ル マ ン ・ ミ ン コ フ ス キ ー の 誤 り か 。 へ ル マ ン ・ ミ ン コ フ ス キ ー
訳注2
(HermannMinkowski,1
8
4
6
.
6
.
2
2
1
9
0
2
.1
.1
2
)一一リトアニア生まれのユダ
ヤ系ドイツ人数学者。ケーニヒスベルク大学,チューリッヒ国立工業大学,
ゲッテインゲン大学各教授歴任。ミンコフスキー空間と呼ばれる 4次元の空
間により,アインシュタインの特殊相対性理論に数学的基礎を与えた。また,
時空を表すための方法として光円錐を考えた。
9
) プロテウスはギリシア神話の海の老人で,ポセイドンの従者。彼は身体を
訳注 2
あらゆるものに変える力を有する。それゆえ,
I
プロテウス的なもの」とは変
幻自在に姿を変えるもののこと。
訳注3
0
) オリゲネス (
O
r
i
g
e
n巴S,1
8
5
(
8
6
)
2
5
4
(
5
5
)
)一一ギリシアのキリスト教神学
者。彼は初めてヘレニズム的なグノーシス説 kキリスト教的信仰との調和を
図り,これによってキリスト教の啓示に知的構成を与えようとした。
訳注 31)ゲーテの「西東詩集』の「至福なる憧れ」の一節。
2
) ゲーテの「ファウスト J第二部において,ファウストと冥界から呼び戻さ
訳 注3
れたへーレナとの聞に生まれた息子。彼は高い崖から飛朔しようと飛び降り,
命を落とす。
訳注3
3
) ゲオルゲの詩集『第七の球」所収の「ニーチェ Jのi
i
i
i
o
(たじま・まさゆき
法学部教授)
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