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男なら一国一城の主を目指さなきゃね
男なら一国一城の主を目指さなきゃね 三度笠 タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範 囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 男なら一国一城の主を目指さなきゃね ︻Nコード︼ N9511BS ︻作者名︼ 三度笠 ︻あらすじ︼ 列車事故で死亡した主人公︵45歳サラリーマン︶は異世界に 生まれたばかりの赤ん坊として転生した。なぜか特殊なスキルも持 っていた。自身の才能について検証を行い、そのアドバンテージを 生かすため、二度目の人生において主人公は覚悟を決める。 −−−−−−−− 非常に長くなる予定です。冗長かもしれませんがお付き合い願い ます。 1 また、携帯からご覧の方は手動でぶら下げインデントをしている部 分がありますので改行が見づらい箇所があることをご容赦ください。 2013年9月16日ちょっと改稿しました。 2013年11月16日章構成を変更しました。 第三部スタートしました。 −−−−−−−− ■KADOKAWA様より書籍1∼4巻が発売中です。 2 登場人物超簡単紹介︵前書き︶ 第一部第二十話くらいまでの登場人物の紹介をしてみます。 3 登場人物超簡単紹介 ︻アレイン・グリード︼通称アル。本編の主人公。 生前の名前は川崎武雄。 自衛隊を事故で辞め、商社の営業マンをしていた45歳のおっさん。 結婚はしているが事情により子供はいなかった。 ある日列車事故で他界するもオース世界に転生する。 年齢相応に思慮深く、非常に現実的でクレバーな考え方をする。 ゲームなどは子供時分にちょっと遊んだことがあるくらいでよく覚 えていない。 知ってればもう少し楽だったろうにね。 まだ出てきてないけど実は日本人顔。ってか転生者は全員日本人顔。 完全な日本人顔、と言うよりもともとの自前の顔に今の種族平均的 な特徴が足された感じなので生粋の日本人顔になったりはしない。 それじゃいくらなんでも目立ちすぎだしね。 ︻ヘグリィヤール・グリード︼通称ヘガード。主人公の転生先の父 親。 おっさんに見えるけど初登場時はまだ20代だった。別にイケメン じゃない。 魔法は使えないけど元冒険者でレベル15の士爵。バークッド村の 領主。 なんか格好つけて生きてるけど上級貴族には弱い。 と言うかそれが普通。常識人。 家族には深い愛情を注いでいる。 また、根が正直で善良なのできちんと村のインフラ整備をしたり、 普請の代金も日払いし、税も誤魔化さないので領民からの受けもい 4 い。 ︻シャーリー・グリード︼通称シャル。主人公の転生先の母親。 美人なカーチャン。魔法も使えるレベル14。元冒険者だし強いぞ。 水魔法、火魔法、無魔法がそれぞれレベル5だ。 主人公を含む自分の子供達に魔法を教えるが、あっという間に自分 の魔力量を抜かされて、アテクシ、キィークヤシイ。と思ってるか どうかは知らない。 いや、本当は喜んでるんだよ。親だし。 ︻ファンスターン・グリード︼通称ファーン。主人公の兄。 正義感に溢れ、剣や魔法の修行にも真面目に取り組む出来のいい兄。 何気に魔力量も超人クラス。 兄より優れた弟など存在しねぇ。 当然性格もイケメン。 ぱねぇ。 ︻ミルハイア・グリード︼通称ミルー。主人公の姉。 今のところ可もなく不可もなく真面目。でも魔力量は主人公除き世 界でもトップかも。 ちょっとおてんば設定。 5 ︻ミュネリン・トーバス︼通称ミュン。主人公の家に仕えるメイド。 メイドにはいろいろあるんだよ。 ︻ダングル・トーバス︼ミュンの父親。 可哀想だからと戦場でほぼ成人のミュンを拾ってきたグリード家の 従士。 当時既に独り身だったので何のために拾ってきたのかはお察し。 いや、そこまで汚くはないけどね。 善人設定。 ︻ショーン︼グリード家に仕える従士の長男 レベル7なのでそこそこイケる。 ︻ラッセグ︼グリード家に仕える従士の長男 レベル6なのでそこそこイケる。 ︻ダイス︼グリード家に仕える従士の次男 レベル6なのでそこそこイケる。ミュンと結婚の目もあったのに別 の村に婿入り。 6 ︻フリントゲール︼グリード家に仕える従士。ドワーフ。 ドワーフのくせに鍛冶は出来ない。 ︻ジム︼グリード家に仕える従士の長男 ︻ボグス︼グリード家に仕える従士。 ︻トマス︼農奴 ︻シェーミ婆さん︼バークッド村の治癒師。自由民。 ︻ケリー︼バークッド村の外れに住む狼人族の少年。自由民。 親はまだ未登場だが二人共狼人族で自由民。 ︻石田くん︼ 主人公とは別の転生者。高校三年生。幕間で死んだら不評だった。 捕食されて死ぬのなんて最初から一人って言ってるのに、その一人 に選ばれたかわいそうな人。 7 ︻上野さん︼ 主人公とは別の転生者。大学卒業後就職した会社で用事を言いつか っている時に死亡。でもその後は結構のびのびやってるみたい。 8 設定資料抜粋︵前書き︶ ちょっと設定資料から適当に抜粋してみます。 ご興味があればどうぞ。 読まなくても別に困りません。 ぶら下がりインデント、スペース適当なので表はまともに表示され ません。 9 設定資料抜粋 ■ロンベルト王国︵日本の倍より少し大きいくらいの広さ・約80 万平方キロメートル︶ 隣国のデーバス王国とは仲が悪く、数年おきに国境で小競り合い が続いている。 オーラッド大陸西端の国 ■ウェブドス侯爵領 <i84192|9523> ■ウェブドス侯爵領︵中国地方の三分の二くらいの広さ︶ 人口約67000人 首都15000人 税収:金貨約10000︵農民8000人5 000ha換算+人頭税7000︶ 街3000人×8=24000人 税収:金貨約6048︵一街 1500ha換算+人頭税600︶ 村800人×35=28000人 税収:金貨約6300︵一村 500ha換算︶ 小競り合いの度に軍隊を派遣︵騎士80人、総勢1500人ほど。 内常備軍は約200人︶ 常備軍のうち30人ほどは騎士、残りは従士70人と兵站部隊1 00人︶ 侯爵領には男爵と士爵が領主を務める街が8個ある。 士爵が領主を務める村は35個ある。︵そのうちの一つがバーク ッド村︶ 10 ウェブドス侯爵は55歳。息子が3人いる。長男は後継者。次男 三男は恐らく騎士に 任ぜられ、常備軍に入るか小競り合いで戦死した貴族に後継者が いない場合、そ の貴族領を継ぐことになる。 バークッドに一番近い街はドーリットで約3000人の人口 ■バークッド村 <i84191|9523> ■バークッド村 人口420人 62戸 貴族 グリード家 5人 平民 8戸 50人︵自作農・内1家族がドワーフ︶ 自由民 2戸 4人 シェーミ婆さん ケリーの狼人族一家 農奴 360人︵小作農・内1割程度が亜人︶ バークッドで馬を所有しているのは領主のみで3頭。 ■オースの種族など 基本的に父親の耳紋を遺伝で受け継ぐ。別種族間の妊娠は可能だ が、妊娠確率は非常に低い︵通常の5%程度か? 亜種同士:犬と 狼などの場合は半分程度?︶。大抵の場合、父親と同種族が生まれ る。母親と同種族の場合も稀にあるが、その場合母親の姦通が疑わ れ、生まれた子は最悪の場合遺棄されたりすることもある。女性は 必ず筋力は1少ない︵種族修正あり︶。種族・性別によるレベル上 昇の必要経験値の差はない。特記事項がない限り普人族と同一視し て構わない。下記記載の種族は全て魔石を持っているため地球人類 とは異なる。 11 ・普人族:平均身長男性175cm、女性165cm程度。人間に 近いが人間ではない。オーラッド大陸全人口の二割くらいいる最大 勢力。いわゆる標準。女性のメンストレーション周期は30日。妊 エルフ 娠期間300日。筋力、敏捷、器用、耐久全て標準。 ・精人族:平均身長男性170cm、女性160cm程度。耳が尖 っており、瞳はアーモンド型。美形が多い。女性のメンストレーシ ョン周期は30日。妊娠期間300日。筋力−、敏捷+、器用+、 ダークエルフ 耐久− ・闇精人族:平均身長男性170cm、女性160cm程度。デュ ロウとも呼ばれるエルフの亜種。エルフの特徴を備えるが肌は濃い ドワーフ 紫色が多い。逆に髪は色素が薄い。筋力−、敏捷+、器用+、耐久− ・山人族:平均身長男性150cm、女性145cm程度。女性も 髭が生える。女性のメンストレーション周期は90日。妊娠期間2 ノーム 40日。筋力+、敏捷−−、器用+、耐久+ ・矮人族:平均身長男性145cm、女性140cm程度。四本指。 しかし10進数。女性のメンストレーション周期は60日。妊娠期 ハーフリング 間270日。筋力、敏捷、器用+、耐久+ ・小人族:平均身長男性135cm、女性130cm程度。足の裏 にも毛が生えている。多指症が多い。女性のメンストレーション周 期は27日。妊娠期間220日。筋力−−、敏捷++、器用++、 ドッグワー 耐久−− ・犬人族:平均身長男性170cm、女性160cm程度。垂れた 犬耳、30cmくらいの毛が長い尻尾。男性も女性も一対の副乳が ある。副乳での授乳も可。男性の場合胸筋も副乳にあわせて上下に 二対あるのが目立つ。女性のメンストレーション周期は40日。妊 ウルフワー 娠期間180日。筋力+、敏捷+、器用、耐久 ・狼人族:平均身長男性175cm、女性165cm程度。ドッグ ワーの亜種。ピンと立った犬耳、30cmくらいのふさふさの尻尾。 男性も女性も一対の副乳がある。副乳での授乳も可。男性の場合胸 筋も副乳にあわせて上下に二対ある。女性のメンストレーション周 12 キャットピープル 期は38日。妊娠期間200日。筋力+、敏捷+、器用、耐久+ ・猫人族:平均身長男性165cm、女性160cm程度。ピンと 立った猫耳、30cmくらいの猫尻尾。副乳はあるがほぼ形骸化し て痕跡が残るだけであり、乳腺は残っていないので乳房として膨ら むことはない。胸筋は一対。女性のメンストレーション周期は三月 頃から27日周期で年4回程度。妊娠期間180日。筋力−、敏捷 ライオス +、器用、耐久− ・獅人族:平均身長男性190cm、女性180cm程度。キャッ トピープルの亜種。丸い耳、20cmくらいの先に房のついた尻尾。 乳房についてはキャットピープル同様に副乳の痕跡のみ残っている。 女性のメンストレーション周期は三月頃から25日周期で年4回程 タイガーマン 度。妊娠期間330日。筋力++、敏捷+、器用、耐久+ ・虎人族:平均身長男性180cm、女性170cm程度。キャッ トピープルの亜種。丸い耳、縞模様の猫尻尾。女性も胸毛が生える ことが多い。当然縞あり。女性のメンストレーション周期は四月頃 から33日周期で年4回程度。妊娠期間270日。筋力+、敏捷+、 バニーマン 器用、耐久+ ・兎人族:平均身長男性175cm、女性165cm程度。うさ耳、 丸い尻尾。全般的に巨乳。女性のメンストレーション周期は16日 だが非常に軽い。妊娠期間150日。筋力−、敏捷++、器用、耐 マルミッツ 久− ・鼠人族:平均身長男性95cm、女性90cm程度。大きな丸い 耳、30cmくらいの針金のような一回丸まった尻尾。男性も女性 も鼻先は黒光りしていて尖っている。大きな頭部と同程度の卵型の 胴体を持ち、碗部と脚部は細いが先端は肥大。四本指。頭骨に占め る眼球︵楕球をしていなきゃおかしい︶の比率が大きいので脳の容 量は見た目より少ない。また、頭部の三分の一くらいが口蓋。非常 に珍しい幻の種族。他種族と関わるのを異常に嫌うため多分本編に は出てこない。一度妊娠したらほぼ確実に複数妊娠をするが、同種 族同士の性交でも妊娠確率は低い上、未熟児出産が常態であるので 13 死産も多い。死産の子は家族で食す習慣がある。女性のメンストレ ーション周期は7日。妊娠期間30日。バニーマンより更に軽い。 筋力−、敏捷+、器用+、耐久−、MP成長毎年1。 ■経済 税 農民は一戸あたり所有畑1ヘクタールあたり1tの小麦収穫を看 做され6割納税 自由民は人頭税として一人あたり金貨1枚︵但し50歳まで・5 1歳以上は無税︶ 農奴所有は地方により変わるがだいたい年間銀貨1枚程度。 通貨︵単位:ゼニー︶ 賎貨 1円 大賎貨 10円 銅貨 100円 銀朱 2500円 銀貨 10000円 エレクトラム貨 10万円 金朱 25万円 金貨 100万円 白金貨 1億円 ※元来銀朱以上は使用されている金属の希少性から重量での取引が 主体であり、 貨幣は後付けで作成されたものに過ぎなかったが、貨幣浸透後の 貨幣経済の 発展から貨幣自体の絶対価値が必要になった。その為、各国で貨 幣のデザイ 14 ンは多少異なるものの、どこでも同価値になるよう協定が結ばれ た。偽造防 止のため、製造された銀朱以上の貨幣には内部に特別な処理を施 した魔石の ようなもの︵魔石を直接埋め込んでいるわけではない︶が入って おり、その 魔力反応で真贋の区別をつけている。 これは金を司る神の協力で各国にある専用の神社にて処理されて いる。 大きな国ではその神社が複数ある場合もあるが、年間の生産量は 神によって コントロールされており、インフレやデフレは基本的には考える 必要はない。 奴隷のいない平均的な農家の家庭︵6∼8人家族︶の1年間の収入 と財産 労働力は15歳以上5人の場合 ︵バークッドの農民は全員奴隷を所有している︶ 小麦畑 3ha 年間収穫量約3t︵うち租税は2.4t︶ 納税後約600Kg・合計3haの小麦畑だが、見込み生産 量4tの6割税 小麦は1haあたりだいたい1t収穫できる︵現代日本は約 4t前後︶ 1haあたりの種籾は約100kgのため、300kgは自 分たちで消費可能 野菜・雑穀畑 1ha 年間収穫量約1t 7∼8割は販売 輪作 は行っていない 農業に肥料はほぼ使用していない︵人糞で作った堆肥が主︶ 家畜︵鶏︶牛馬はいない 銀貨50枚︵約50万円︶ 15 野菜類で販売できるものの販売︵主に日持ちのいい豆・根菜類や 蕎麦や粟などの 雑穀及び量は少ないがタバコ︶ 綿花の作付を行っている農家もある。 普請の収入もある。 奴隷10家族持ち豪農の場合 小麦畑 50ha 年間収穫量約50t︵うち租税は39t︶ 納税後約11t・合計50haの小麦畑だが、見込み生産量 65tの6割税 野菜・雑穀畑 15ha 年間収穫量約15t 8割程は販売 輪 作は行っていない 農業に肥料はほぼ使用していない︵人糞で作った堆肥が主︶ 家畜︵鶏︶牛馬はいない 銀貨700枚︵約700万円︶ 野菜類で販売できるものの販売︵主に日持ちのいい豆・根菜類や 蕎麦や粟などの 雑穀及び量は少ないがタバコ︶ 通常、賦役は農奴に行わせるが緊急を要する場合などは当然行う。 小麦は大体1kgあたり1000ゼニー=銅貨10枚=千円前後。 大体一家族あたり2.4tの税収があるので24万ゼニー=銀貨2 40枚=240万円くらいの税収となる。 バークッドでは平民8戸の下に農奴が約50戸あり、耕作面積は約 300haである。 そのため、金貨180枚程の税収がある。この6割を更に納税し残 りは金貨72枚程度。 平民8戸は従士を兼ねている。 16 普請は主に3種類 開墾、道路・橋梁整備、護岸・水路工事 普請手当は大体1日当たり大人一人銀朱1枚︵食費なし︶金貨1 枚で400人日。 ■相場 家 金貨10枚︵3LDK︶ 馬 金貨6∼ 牛 金貨6∼ 奴隷 金貨5∼︵ランクによる︶ 農奴で20歳前後の男で4∼ 戦闘奴隷6∼ 性奴隷10∼ 奴隷が自分を買い戻し平民以上になる為には購入金額の100倍の 金額を所有者に支払 う必要がある。 宿屋︵一泊素泊まり︶ 馬小屋 銅貨5 下層宿 銅貨20∼ 中級宿 銅貨30∼ 上級宿 銅貨50∼ 高い 銀貨1 超高い 銀貨3∼ 街の飯屋 銅貨2∼ 普通は3∼10 長剣 金貨1∼︵品質・普通︶ 革鎧 金朱2∼ 17 ■ステータス 名前には個別名・家名のほか、ランク︵奴隷かそうでないか︶もわ かる 一般的には名前と種族、保有している技能しかわからない。 名前 種族 LV HP︵生命力︶ MP︵精神力︶ 筋力・STR、瞬発力 俊敏・身のこなし回避関連 器用・指先、細かい作業、武器などの扱い 耐久・Endurancy各種耐久力、耐性 一般人︵LvUP毎に+2、転生はLvUP毎に+6︶農民基準︵ 1∼105︵筋力x2+耐久x2+俊敏︶ 都市部の住民は多少落ちる︶ HP 1∼12︵意思・欲望・精神力︶ 30歳くらいまでは年齢毎に+1、それ以降年齢1歳毎に −1 MP 1∼15 年齢5歳毎に+1、魔法スキルLV毎に+1 筋力 30歳くらいまでは年齢2歳毎に+1、それ以降年齢2歳 1∼15 毎に−1 俊敏 1∼25 表参照 器用 1∼15 表参照 耐久 18 30歳くらいまでは年齢2歳毎に+1、それ以降年齢2歳 毎に−1 ■特殊技能 レベルあり︵努力で能力を高めることが可能︶ 魔法︵詳細は別記︶ 地・造形、土関係 水・治癒、水関係 火・温度、火・氷関係 風・気体、風関係 無・いろいろ 実際には組み合わせて発動することが多い︵地+火+無=ファイ アーボール︶ 以下レベルなし ・職業付属? キャントリプス︵魔術・明かり、磨き、削り、︶ の詠唱と共に対象 命名︵清い心の僧侶、神官のみ神から授かる。これが成されてい ステータスオープン ないとステータス欄の名前が空白︶ ステータス︵誰でも・ に接触。見るだけ︶ ・生まれつき︵後天獲得不可︶ インフラビジョン︵エルフ、ドワーフ、ノーム、ハーフリング︶ 超嗅覚︵犬系︶ ナイトビジョン︵猫系、梟、スターライトスコープ︶ 超聴覚︵兎人族︶ 超音波︵蝙蝠など︶ 超視覚︵鷹など遠見︶ 吸血︵ヴァンパイア︶ 19 変身︵ライカンスロープ︶ ■固有技能 鑑定 スキルレベルあり 1レベル上昇で更に詳細に︵名前なら家名の解説、種族なら簡 単な説明︶ レベル 射程 0 10m 名前 1 20m 性別・種族︵無生物なら材料・組成︶ 2 40m 状態︵病気や麻痺・毒など︶ 3 70m 年齢︵無生物なら作成・加工日︶ 4 110m レベル︵無生物ならおおよその価値・相場︶ 5 160m HP/MP︵最大値も︶︵無生物なら耐久値︶ 6 220m 能力値︵無生物なら性能︶ 7 290m 技能︵無生物なら効果︶ 8 360m 経験値 9 450m ︵次のレベルまでの必要経験値︶ ■MPの増え方と固有技能経験値UP LV0 LV0−1 1−2−3−4 10 LV1−2 5−6 20︵21︶ LV2−3 7−8−9 20 40︵45︶ LV3−4 10−11−12−13 80︵90︶ LV4−5 14−15−16−17−18 160︵170︶ LV5−6 19−20−21−22−23−24−25 320︵324︶ LV6−7 26−27−28−29−30−31−32−33− 34−35−36 640︵665︶ LV7−8 37−38−39−40−41−42−43−44− 45−46−47−48−49−50−51 128 0︵1325︶ LV8−9 52−53−54−55−56−57−58−59− 60−61−62−63−64−65−66−67−68−69− 70 2560︵2614︶ LV9 Maximum ■レベルアップ経験値表 LV2 2,500 LV21 1,260,000 LV 40 6,000,000 LV3 6,000 LV22 1,430,000 LV 10,000 LV23 1,610,000 L 41 6,400,000 LV4 18,000 LV24 1,800,000 L V42 6,800,000 LV5 28,000 LV25 2,000,000 L V43 7,200,000 LV6 43,000 LV26 2,200,000 L V44 7,600,000 LV7 21 60,000 LV27 2,400,000 L V45 8,000,000 LV8 80,000 LV28 2,600,000 L V46 8,400,000 LV9 110,000 LV29 2,800,000 V47 8,800,000 LV10 150,000 LV30 3,000,000 LV48 9,200,000 LV11 210,000 LV31 3,300,000 LV49 9,600,000 LV12 every LV13 350,000 LV33 3,900,000 500,000exp 270,000 LV32 3,600,000 LV50 10,000,000 LV14 450,000 LV34 4,200,000 くらい パンピー・初級冒険者 LV15 ∼LV5 560,000 LV35 4,500,000 680,000 LV36 4,800,000 くらい やるな・一般兵 LV16 ∼LV7 LV17 810,000 LV37 5,100,000 ∼LV10くらい つえー・強い兵 LV18 950,000 LV38 5,400,000 ∼Lv15くらい 中級冒険者 LV19 1,100,000 LV39 5,700,000 ∼LV20くらい 一流冒険者 LV20 ∼LV25くらい 超一流、そして伝説へ ・経験値ゲットの目安。倒した相手のHP×LV+特殊技能などの ボーナスって感じ。 ・特殊なケース 22 抵抗できないように拘束した相手を殺す場合、拘束後一時間以内 に殺せば普通 に経験値は入るが、一時間を経過した後だとHP分の経験しか入 らない。一日経 過するとHP分の経験も入らない。 一匹の生物を複数の生物が殺害した場合、経験値は各々が与えた ダメージに応 じて入る。但し、経験値入手はその生物が死亡した瞬間。 ex︶ 通常なら1000の経験値が入るモンスターに二人の人間が斬 りかかった。 Aは40%のダメージを与え、Bは60%のダメージを与えた。 その場合Aは400、Bは600の経験値を得る。 ■能力値表︵年齢︶農民 男性Lv.1 十分な栄養を受け育ち 健康状態は良好 年齢 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 HP 1 6 7 8 14 16 22 24 30 32 MP 0 1 1 1 1 1 2 2 2 2 筋力 0 1 1 1 2 2 3 3 4 4 俊敏 0 1 1 1 2 3 4 5 6 7 器用 0 1 1 1 2 2 3 3 4 4 耐久 0 1 1 1 2 2 3 3 4 4 23 年齢 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 HP 38 39 45 46 52 53 59 61 67 69 MP 2 3 3 3 3 3 4 4 4 4 筋力 5 5 6 6 7 7 8 8 9 9 俊敏 8 8 9 9 10 10 11 12 13 14 器用 5 5 6 6 7 7 8 8 9 9 耐久 5 5 6 6 7 7 8 8 9 9 年齢 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 HP 75 76 81 82 87 88 93 94 99 100 MP 4 5 5 5 5 5 6 6 6 6 筋力 10 10 11 11 12 12 13 13 14 14 俊敏 15 15 15 15 15 15 15 15 15 15 器用 10 10 11 11 12 12 13 13 14 14 耐久 10 10 11 11 12 12 13 13 14 14 24 年齢 30 31 32 33 34 35 40 45 50 HP 105 104 98 97 96 95 85 75 65 MP 6 7 7 7 7 7 8 9 10 筋力 15 15 14 14 14 14 13 12 11 俊敏 15 15 14 14 14 14 13 12 11 器用 15 15 16 16 17 17 20 23 25 耐久 15 15 14 14 14 14 13 12 11 年齢 55 60 65 70 75 80 HP 55 45 35 25 15 5 MP 11 12 13 14 15 16 筋力 10 9 8 7 6 5 俊敏 10 9 8 7 6 5 器用 22 20 17 15 13 11 耐久 10 9 8 7 6 5 ■小魔法 キャントリプス 使用回数:一休憩︵4時間以上の睡眠︶ごとにレ ベル数 持続時間は全て最大5秒 明かり 5W球くらい 磨き 耐水ペーパー2000番くらい 吹き飛ばし 口で吹くくらい 払う 羽箒で払うくらい 予約 今から○時間後︵最大10︶に別のキャントリップと 組み合わせ 幻の音 自分にしか聞こえない音 幻の光 自分にしか見えない光 つねり 自分の手の届く範囲・軽くつねる、親が子供にやる程度 25 ひっかき 自分の手の届く範囲・軽く引っ掻く、背中を掻くのに 便利 上記以外にも用途は色々、セックスの時に使うのも有効か ■魔法について 基本的にMPを持っている存在は全て魔法が使えるようになる。 修行を始めてから魔法が使えるようになるには人それぞれ。 ・オースでの一般的な見解 魔法を使えるのは10人に一人 魔法が使える=四大元素魔法をどれか一つでも覚えている ・上記に対する真実 MPを持つ存在で行使方法を理解︵魔力を練ることが可能︶し たのであれば どんな存在でも修行を行うことで最低一種類の元素魔法と無魔 法は使用可 能になる。多数の元素魔法の習得の可能性は出生時に決まるが 法則性はな い。運だけ。全元素習得の可能性は75%×50%×25%で 9%強くらい。もの すごく珍しい訳ではない。本来なら全人口の1割弱くらいは全 元素につい て習得可能。 生活に余裕がないと魔法の修練に時間が取れないため知られて いないだけ。 ・特定の組み合わせの魔法の行使は有名になり名前が付けられる ことが多い。 便利であることと、コミュニケーションに必要になるからであ 26 る。 これは魔術と呼ばれることも多い。 ex︶ ﹁ライトニングボルトの魔術﹂﹁フレイムスロウワーの魔術﹂ ﹁∼したあとにチェインライトニングを使って・・・﹂ ﹁俺が使えるのはファーストエイドとアイスコーンだけだ﹂ ・特定の魔術使用には魔法の完全同時使用が必要 無魔法Lv0の予約で他の魔法を予約して使う。 ただ、あくまで一つの魔術を完成させるためにしか使えないの で、複数の魔 術は予約でも使えない。 ・特定の魔術を短時間︵∼数秒くらい︶で使えるようになるまで に習熟すると 始めて自分のものになると言える。 ﹁ファイアーボールが使える﹂と言うのは魔力を練り始めてか らせいぜい数 秒くらいで発射できる人が言うセリフ 誰でも対応する元素魔法が必要レベルに達していれば時間さえ かければどん な魔術を使うことも可能。但し練習していないとコツがわから ずかなり時間 がかかる。数十秒∼数十分かかることも珍しくない。 普通の魔法使いは一生の間に習熟できる魔術は3∼5個くらい がせいぜい。 ・魔法の射程 基本的に無魔法のレベルあたり20m︵レベル9時:200m︶ 但し予め視界が及んでいる必要がある。 27 建物などの大きな障害物などはその裏側について想像の余地が あり過ぎるた め、例え無魔法のレベル以下の距離だとしても上手く使えない。 しかし、道の脇に生えている木などの陰の場合、﹁ついさっき まで見えてい た﹂為にその部分に対して使うことも可能。 例1︶ 視界10mの暗い場所で﹁フレイムアローミサイル﹂を放つ この場合、視界が及ぶ範囲でのミサイル誘導は可能。視界 外に出た場合、 最後の運動ベクトルのみ保持されて何かに当たるか、無魔 法のレベル範 囲までの距離は飛ぶ。 例2︶ 視界を遮るものがない平らな滑走路のような場所︵但し小屋 が急に出現︶ 小屋に背を向ければいかなる魔法も無魔法のレベルに応じ て射程は邪魔 されることはない。小屋の存在を知らない場合、見た限り で何も周囲に 無い事が解っているため小屋を包み、向こう側にまで氷や 土を出すこと も可能︵但し、自分まで埋まるつもりなら。普通は自分の 前に出す筈︶。 小屋の出現を目にした場合、奥行きが想像できないため小 屋の向こうに 正確に氷や土を出すことは出来ない︵出そうとしても無意 識に消す︶。 どう考えてもこれなら大丈夫、というかなり多めに余裕を 持つ出し方な 28 ら氷や土で埋めることも可能︵おそらく小屋の見えない方 の側は埋まら ない空間が出来る︶。 例3︶ 視界50mの暗い迷宮内 視界範囲内であればいかなる魔法も通常通り使用可能。視 界が及ばない 場所でも﹁直前に通ってきた﹂﹁直前に何かに照らされて 見えていた﹂ 場所であればまず問題はない。 しかし、未知の場所︵まだ行ったことのない通路の先や過 去に行ったこ とがあっても時間が経ちすぎているなど︶に対しては攻撃 魔術の魔術弾 頭を飛ばす以外は殆ど無理。 但し、水魔法と風魔法で元素を出し、それが流れたりする ことは可能。 とは言え、視界外に生み出す事は不可能。地魔法で土を出 し、それが崩 れたりして結果的に視界外に元素が出て行く事も問題ない。 従って、水攻めみたいなことは視界内で元素が生み出され るので︵水が 流れていくような傾斜や空間的余地があれば︶可能だが、 見えない範囲 まで氷漬けにすることはまず無理。 ・魔術はある目標を達成するために開発されることが殆どで特定 の目的の達成 にしか使えないことが多い。 勿論応用して本来とは別の使い方も可能ではあるが、基本的に 29 は達成可能な 目的は一つ。 ex︶ ﹁ストーンアローミサイル﹂を飛ばして遠くの氷柱を折る ﹁キュアーシリアス﹂をアンデッドに使用してダメージを与える ・魔術の行使中に別の魔法や魔術を使うことは集中の妨げになる ため出来ない。 無理やり使うことも可能だがその場合、以前に使って維持して いたり飛んで いる最中の魔法弾頭はキャンセルされる。 ・維持は中断が可能。 ex︶ 氷を作り、維持。数分後に別の魔術行使のため維持を解除。氷 が溶ける前に 再度維持などは可能。但し自分が作り出した氷に限る。 同様に炎の維持なども可能だが、解除時間が短くないと当然ダ メ。 ・呪文詠唱 魔法や魔術発動の集中軽減のためにあるだけ。だが、地味に便 利。 魔法行使の集中力が軽減されても他の魔法が使えるわけではな い。 移動や防御、剣で攻撃などと組み合わせることは可能。 呪文と自分の魔力に紐付けて呪文は組み立てられるため、呪文 の開発から取 り組む必要がある。 故に同じ魔術・魔法行使の呪文でも人によって呪文は違う。 30 ・魔法のLVアップの経験は固有技能の10倍∼100倍だが、 これは使用数のみ の場合。魔法で直接ダメージを与えた場合にはそのダメージ分 の経験が使用 した魔法に入る。普通の魔法使いは魔法レベル4くらいが一般 的で一人前。 5ですごい、6で超すごい、7で宮廷魔術師、8以上は伝説ク ラス。MPの関係で そんなにレベルはあがらない。 ・魔法の特殊技能経験値表︵内の数値は必要経験値︶ Lv.n−0 100 Lv.0−1 400 Lv.1−2 1200 Lv.2−3 3200 Lv.3−4 8000 Lv.4−5 19200 Lv.5−6 50800 Lv.6−7 102400 Lv.7−8 230400 Lv.8−9 512000 ・魔術の習得は同じ魔術を10回くらい使えば集中時間半減くら い。100回くら いで数秒くらいで行使可能なくらいには慣れる。このあたりで ﹁使える﹂と 言っても恥ずかしくない。1000回も使えば達人級︵多分1 秒くらい?︶。 31 〇簡単な魔法表︵使用MPはLv0とLv1は1。それ以外はレベ ル分のMP︶ ・地・造形、土関係 Lv0 土くれ Lv1 コップ Lv2 どんぶり︵2l︶ Lv3 バケツ︵20l︶ Lv4 風呂︵1m^3︶1辺1m立方 Lv5 30m^3︵1辺3m立方強︶ Lv6 130m^3︵1辺5m立方強︶ Lv7 1000m^3︵1辺10m立方︶ Lv8 125000m^3︵1辺50m立方︶ Lv9 雪崩︵1000000m^3︶︵1辺100m立方︶ 水:酸・毒 火:爆発 風:造型 無:土攻撃 水無:酸・毒攻撃 ・水・治癒、水関係 Lv0 土くれ Lv1 コップ Lv2 どんぶり︵2l︶ Lv3 バケツ︵20l︶ Lv4 風呂︵1m^3︶1辺1m立方 Lv5 30m^3︵1辺3m立方強︶ Lv6 130m^3︵1辺5m立方強︶ Lv7 1000m^3︵1辺10m立方︶ Lv8 125000m^3︵1辺50m立方︶ Lv9 津波︵1000000m^3︶︵1辺100m立方︶ 32 地:酸・毒・病気治癒 火:氷 風:雨とか 無:水攻撃 地無:酸・毒攻撃 火無:氷攻撃・傷治癒・体力回復 ・火・温度、火・氷関係 Lv0 マッチ Lv1 コンロ Lv2 焚き火︵2l︶ Lv3 かがり火︵20l︶ Lv4 キャンプファイヤー︵1m^3︶1辺1m立方 Lv5 30m^3︵1辺3m立方強︶ Lv6 130m^3︵1辺5m立方強︶ Lv7 1000m^3︵1辺10m立方︶ Lv8 125000m^3︵1辺50m立方︶ Lv9 山火事︵1000000m^3︶︵1辺100m立方︶ 地:爆発 水:氷 風:温度攻撃 無:火攻撃 地無:爆発攻撃 水無:氷攻撃・傷治癒・体力回復 ・風・気体、風関係 Lv0 口で吹く Lv1 団扇でぱたぱた Lv2 団扇でたくさん Lv3 扇風機︵200l︶ 33 Lv4 サーキュレーター︵1000m^3︶1辺10m立方 Lv5 30000m^3︵1辺30m立方強︶ Lv6 130000m^3︵1辺50m立方強︶ Lv7 1000000m^3︵1辺100m立方︶ Lv8 12500000m^3︵1辺500m立方︶ Lv9 台風︵1000000000m^3︶︵1辺1000m 立方︶ 地:造型 水:雨とか 火:温度攻撃 無:風攻撃 ・無・理力、精神関係 Lv0 流す、一部キャントリップ Lv1 指向性、拡散 Lv2 量加減 Lv3 飛ばす︵速度上下可︶ Lv4 持続 Lv5 変形・整形 Lv6 あやつり・誘導 Lv7 全部︵並︶ Lv8 全部︵中・効率倍︶ Lv9 全部︵大・効率10倍︶ 地:地攻撃 水:水攻撃 火:火攻撃 風:風攻撃 無: 34 第一話 プロローグ︵前書き︶ 初投稿です。感想もらえると嬉しいです。 35 第一話 プロローグ ﹁はぁ、今日は寒いなぁ﹂ つい独り言が出てしまった。空はどんよりとした曇り空で心なし か湿っぽい。そう言えば今朝のニュースで午後からの降水確率は6 0%だったな⋮⋮。俺はコートの襟を立てながら取引先の玄関を出 て最寄の駅に足を向けた。新宿駅で14:45に部下と待ち合わせ だ。今は13:35だ。最寄り駅から新宿駅までは電車で約40分 かかる。小腹がすいていたので新宿駅で立ち食いそばでも食う時間 はあるだろう。 先ほどの取引先との商談でそこそこ大きな注文がもらえそうだ。 これで今期の営業予算は達成できるだろう。ちょっと顔がにやける が、俺の個人予算はともかく、課の予算達成はまだとても安心でき るレベルではないことを思い出し、急に憂鬱な気持ちになる。待ち 合わせをしている部下の数字︵売り上げ数字︶を思い出した。 奴の数字は2月も半ばだというのに予算の30%程しか目処が立 っていないのだ。このままのペースで3月末を迎えると達成率は6 0%程、ということになる。︵言い忘れたが、今期、というのはこ の四半期1∼3月のことだ︶奴の他に調子のいい数字を上げている 部下もいるにはいたが、このまま放置していい状況ではない。今日 の待ち合わせもやっと取れたアポイントメントへの同行営業だ。 駅に着き、Suicaを取り出し入場する。残額は¥12,34 5。おお、なんという切りのいい数字。別に切りが良いわけじゃな くてゾロ目、でもなくて連番か。少しだけいい気分になり、新宿行 36 きの電車に乗り込む。平日の昼下がり、且つ先頭車両︵俺は通常の 昼間の移動の際には先頭車両か最終車両にのる癖がある。すいてい る確率が高いためだ︶のため車内はガラガラに空いており問題なく 座れる。乗客は20人くらいだろうか。 次の取引先の担当者を思い浮かべる。昨年、部下に引き継ぐまで は俺が担当していた顧客で、俺は結構気に入られていたと思う。だ からわざわざ部下に引き継いだんだが。それが今年度から微妙に数 字を落としている。心配だ。 なんとか今日の打ち合わせで数字が落ちてきている原因でもつか みたい。原因が判らなければ対策の打ちようもないしな。顧客の需 要が急に減ったとは思いにくいので、他社にシェアを食われている のは確実だ。問題はその理由。まぁ今は何を考えても回答を得るこ とは出来ないのでここでこれ以上心配してもしょうがない。 なんだか少し眠い。眠い頭で週刊誌の中吊り広告をぼんやりと眺 める。 ・・・・・・・・・ 高校を卒業した俺は学費がかからず、給料も貰えると言うだけの 理由で防衛大学校へ進学した︵1980年代後半の当時は今ほど防 衛大学校の入学希望倍率は高くなく、健康な体と犯罪歴がなく、身 内に犯罪者などもいない、いわゆるきれいな身上であり、上の下程 度の成績であれば入学できた。いわゆるバブル経済が絶頂の頃であ り自衛隊の人気が非常に低いことも大きな原因だったろう︶。高校 までと違って大学校での成績は特に優秀というわけでもなく、中の 37 上程度の成績で卒業し、すぐに幹部候補生学校へと入校した。防衛 大学校卒業者であったため、半年で部隊へと配属された︵現在は一 般大学卒業者と同じだけの期間、9ヶ月が必要︶。田舎の駐屯地で のんびりと任務に就いた翌年の暮れに事件は起こった。 年末年始の休暇が連続で4日もとれたのは偶然に偶然が重なった 僥倖であったが、休暇の初日である12月30日に実家へ帰省する 前に都内在住の高校時代の友人宅へ転がり込んだのが発端である。 そもそも新車を購入したので年末年始の休暇に一緒に新車で実家 まで帰ろうと言われ、ひとつご自慢の新車でも拝んでやろうかと思 ってしまった俺も悪い。30日夕刻に友人宅へ着き、近所の居酒屋 で飲食し、さて、帰ろうか、と店を出て暫くしたときだった。 居酒屋を出て数分後、女性が数人の男に絡まれている現場に行き 合ったのだ。嫌がる女性に執拗にナンパを仕掛けるチンピラ風小僧 共︵当時の言葉では、チーマーと一般に呼ばれていた人種だろう︶ の図、とでも言うのか、都会の繁華街ではよくある光景なのだ、と 自分を納得させ、構わず通り過ぎようとした。俺は自衛官なのであ って警官ではないし、万が一トラブルが発生し、新聞沙汰にでもな れば部隊に迷惑がかかる。 ところが、アホな友人は酔った勢いもあったのか、絡まれている 女を格好良く救うという絵に憧れが有ったのかはわからないが、小 僧共に対して注意︵?︶した。当然そんな注意を受け入れるはずも なく、こちらに何者だという胡乱げな視線を向けるチーマー共。 俺は女性に対して、あっちへ行け、という風に手を振ると友人の 脇に控えた。別に俺が手を出す必要はないだろう。こいつは中学時 代から柔道をやっていたし、当然相手は服を着ている。せいぜい手 38 を抜きつつ一人二人転がせば逃げていくか、こちらが逃げ出せるだ ろう、と踏んでいた。 考えが甘かった。チーマーの一人がいきなり金切り声のような叫 び声を上げたかと思うと、ナイフを抜いて友人に襲いかかった。そ ういえば、連日ニュースなどでチーマー同士の抗争で刃傷沙汰にな ることもあると報道されていた。これはまずい、と思ったときには 遅かった。先頭に立って襲ってきた一人を問題なく投げようとする 友人の横腹に別の一人がぶつかってきた。頽れる友人を横目に、必 死で脳内にこれは正当防衛行為だ、と言い聞かせ自衛隊格闘術で応 戦を開始する俺。 任官して1年以上が経ち、ろくに格闘訓練をやらなくなっても防 衛大学校と幹部候補生学校の4年半に及ぶ訓練で鍛えられた格闘戦 技術と、任官してからも行っていた体力練成のなせる業か体は自然 と動いた。 結論として友人は刺されたものの重要な臓器は無事で命に別状は なく、逆に刺した相手を含め、ほぼ全員を病院送りの状態にまでし ばきあげたところで駆けつけた警官に取り押さえられた。夜の繁華 街で目撃者も多く、当然怪我を負った友人を置いて逃げるわけにも いかず、武器を持った怪我人の山で一人無傷の俺には警官に同行し て最寄の警察署まで行くしかなかった。 ︱︱現役自衛隊幹部が民間人に暴行 当時の自衛隊員は日陰者もいいところの扱いであり、また俺が3 尉の階級を有する陸上自衛隊幹部であったこともいい餌になったの だろう、マスコミはこぞって報道した。裁判で正当防衛を主張し、 件の女性が証言してくれたこともあって、無罪を勝ち取ることがで 39 きたが、隊に迷惑をかけた俺は辞職するしかなかった。上官は半分 泣きながら、すまん、本当にすまん、と頭を下げてきたが当時の状 況では辞職を免れることは無理だった。 残念だなぁとは思ったものの、どんな事情でもやってしまったこ とはやってしまったこと。俺は自主的な辞職という形で自衛隊を離 れた。別に犯罪履歴となる罪を犯したわけではないし、まだ若く1 990年代前半という当時の社会情勢では次の就職に困ることもな かった。特にがつがつと就職活動をしなくてもあっさり零細と中堅 の中間程度の食品を主に扱う商社に再就職することができた。 あ、救った︵?︶女性との間には別段何も芽生えることはなかっ た。 車内の中吊り広告の﹁3・11の裏側であった自衛隊の活躍﹂と いう雑誌広告の記事目録をぼーっと目にしていたら昔の記憶がちょ っと蘇ってしまった。もう既に後悔や未練などは消えているが、あ の震災のとき、あのまま隊に残っていることができたなら俺も⋮⋮。 という気持ちがあったのは嘘ではない。先の退職事件の折でわかっ たと思うが、俺は別段正義感が強いわけではない。 本当に正義感が強いのであれば最初に助けようとしたのは友人で はなく、俺だったはずだ。あれは流されただけだ。防衛大学校に入 校したのも、日本の国防の一助となりたいといった社会的な使命感 に駆られたからでもない。進学し、その間の費用を心配しないでい いし、卒業後は自動的に就職できるな、と思ったからに過ぎない。 勿論、防衛大学校、幹部候補生学校、その後の部隊配属︵これは 1年ちょいという非常に短い期間であったが︶という防衛庁︵当時︶ 自衛隊印の釜の飯を食った期間に醸成された自衛官としての当たり 40 前の国防意識は持っていたとは思う。今となってはあまり意味はな いが。 そんなことをつらつらと考えながら眠りに入った。どうせ終点の 新宿までまだ時間があるしな。 ・・・・・・・・・ ﹁俺と結婚してくれ!﹂ 目の前に若い女がいる。女房だ。でもこれは一体なんだ? ああ、 夢か。結婚して19年たってる筈で、女房も今はかなり歳を食って いる。こんなに若くないし、小じわだってある。しかし、目の前の 女房はどうみても20代で⋮⋮って27の筈だ。俺が女房にプロポ ーズした場面だしな。このとき俺は25歳。二つ上の女房にプロポ ーズしたのが19年前。なつかしいな。夢とわかっていても若い女 房はいいな。惚れ直しそうだ。27でも若く感じるのは俺が既に4 0を超えて久しいからだろう。 ﹁はい﹂ やっぱりあのときの光景だな。返事まで一緒。しっかり俺の目を 見てちょっと微笑みながら返事をする。うんうん、いいもんだ。ち ょっと下腹部に反応があるかと思ったが夢の中なので反応はなかっ た。おっさんだからしゃあないな。 41 揺れる。 ・・・・・・・・・ ﹁え?﹂ ﹁誠に残念ですが、奥様の進行状況ですと子宮を摘出する必要があ ります﹂ 目の前が殴られたように暗くなる。主治医の伊東先生が下唇を噛 みながら俺に宣告する。 子宮癌と診断され、手術後に女房は子宮を失った。 彼女は泣きながら﹁ごめんね。ごめん﹂と繰り返す。 結婚2年目のことだ。 がたん、ごとん、揺れる。 ・・・・・・・・・ 42 ﹁きれい、ありがとう﹂ 指輪をはめた手を居間の電灯にかざし、喜ぶ女房。いわゆるスイ ート10ダイアモンド。結婚10周年の記念日に女房に贈った。ち まちまと小遣いをため、同僚や上司から得意の麻雀でカモって増や したへそくりをはたいて買った指輪。 ︵やっぱりこいつ、かわいいな。結婚してよかった︶ 深い満足感を得て目をつぶる。このとき、俺は36歳。女房は3 8歳。流石に可愛いは言い過ぎか。でも世界一可愛いと思った。 がたん、ごとっ、揺れる。 ・・・・・・・・・ ﹁はじめまして、○ィ名と申します⋮⋮。よろしくオネガイシマス﹂ こいつ、語尾が小さいな。なんとなくうつむき加減で、顔もよく 見えない。ああよく聞こえなかったけど、これ、椎名の面接じゃな いか。椎名はこれから待ち合わせをしている部下だ。まだ夢が続い ているんだな。これ、何年前だっけ? 7∼8年前かな? がたっ、ごとん、揺れる。 43 ・・・・・・・・・ ﹁今日はこれで全員ですか?﹂ 目の前のゴジラの息子っぽい顔が俺に聞く。ああ、隣の課の吉竹 さんか。吉竹さんはこんな顔をしているが女性だ。あと、ジャイ子 のような田崎さんも見えるな。うちの会社はなんでこんなに個性的 な顔の女性が多いんだろ? ﹁そうだね、俺を入れて19人だ﹂ 今日は社員有志でレジャーだ。うちの会社には社員旅行という制 度はないし、全社をあげての忘年会や新年会といった行事も特に行 っていない。最近の若い人たちは社員旅行などうざいだけで休日に 社員で集まってなにかをするということに関心は低いと思っていた が、試しに呼びかけてみたらかなりの人数が集まった。 当社の釣りクラブも盛況になったものだ。海沿いの田舎町で育っ た俺は当然と言えば当然のごとく釣りが趣味だった。当たり前のよ うに海釣りオンリーだ。バス釣りなどというキャッチアンドリリー スなものは認めない。釣ったら食え。 10年ほど前に2つ下の同僚の趣味が釣りだと知り、申し合わせ て何度か2人で釣りに行った。その後の営業日で当然釣りの話題は 出るし、携帯で取った写真を2人で見ながら喫煙ルームで楽しそう に話をする俺たちに居合わせた別の同僚にもだんだんと釣り熱が波 及してくるのにそう時間はかからなかった。 44 たった2人で始まった釣りクラブも4年前に会社に公式にクラブ と認められるほどにまでなった。今では毎月の第三土曜日が定例の 釣行日となっている。その日に都合のつかないメンバー以外の出席 率はかなり高く、会社公認のクラブのため費用も会社からかなり出 ている。驚く無かれ年間で120万円の予算を貰っている。使い道 は会社のロゴを入れたお揃いのキャップの他は全て船代だが。 ﹁はーい、じゃあ注目してくださーい。今日は初めて参加のメンバ ーが2人いるし、春先のいい天気でもあるので、予定通りかさご・ めばるでいきます。席順は昨日みんなに配布している席表の通りに 座ってくれ。あとで替わるのはいいけど船酔いのしやすさとか一応 考慮してるので自信の無い人は中央辺りから動かないほうがいいぞ ー。じゃあ乗ってくれ﹂ 俺はそう言うと定位置の左舷ミヨシ︵船の先頭のほう︶にさっさ と釣り座を確保する。隣にはさっきのゴジラの息子が座る。 ﹁今日は椎名さんは来ないんですか?﹂ ﹁ああ、家族旅行だそうだ。那須に行くとか言ってたな﹂ ﹁えっ? 椎名さんが定例会に顔出さないのは珍しいですね﹂ 確かに出席率の高い椎名が定例会に出てこないのは初めてかもな ぁ。まぁ旅行だそうだし、仕方ないだろ。 この日は大漁だった。俺以外が。 がたっ、ごとっ、揺れる。 45 ・・・・・・・・・ junya: junya: junya: junya: junya: と で め お たんじょうび おお! 俺、今日誕生日︵・∀・︶アヒャ junya: う 俺様@聖誕祭: junya: ! ゜ ︶。*o ,/͡ヽ*゜* .o゜*。o べっ別に、何かお祝いして欲しいとかじゃないん junya: 俺様@聖誕祭: だからねっ/// junya: ∧︳∧ /ヽ ︵・ω・︶丿゛ ̄ ̄' ノ/ ノ ̄ゝ おめ.. / junya: がんばったのに・・・ ・・・ そんなAA探してこなくていいよ、ズレてるしp 俺様@聖誕祭: junya: 44歳! gr junya: おめでとう! 偉い︵ノ´∀`*︶ さんくー junya: 俺様@聖誕祭: junya: 46 俺様@聖誕祭: 俺様@聖誕祭: まじおっさんもいいとこ あと、44じゃない、45ちゃいになりました 完ぺきな中年ですね! おう、熟年とも言うがな junya: 俺様@聖誕祭: ︵*´∀`︶ケラケラ 30歳児ですが、なにか? おまいも人のこと言えないですよね? junya: 俺様@聖誕祭: junya: これは⋮⋮、去年の俺の誕生日の夜のチャットだろうな。 椎名とは妙に馬があい、親しくなった。新卒で配属されてきたあと の2年間は仕事に慣れるためにいろいろ小間使いをさせ、その後正 式な営業として鍛えたんだ。 釣りは俺が教えたが2ちゃんねるやお勧めだというゲームとか教え てもらったし、たまに2人で飲みに行くこともあった。 がたっ、ごとっ、揺れる。 がたん、ごとっ、揺れる。 がたん、ごとん、揺れる。 揺れる。 ・・・・・・・・・ キキーッ!! 47 ︵何だ!?︶ ガッシャーン!! ︵うおっ、体がズレ⋮⋮飛ぶ!!、車両の乗客も飛んでる!!︶ グワシャッ!! ︵やばい、このままじゃ⋮⋮!!︶ バリバリ!! ︵車両の端に叩き付けられる!!︶ ︵ポールでも掴めれば!!︶ やっとポールを掴んだと思ったら俺に突っ込んでくる人影がある。 既に把握しているが多分脱線事故かなにかだ。 ああ、ポールを左手で掴んでいたが、そこに突っ込んできた人によ って引き剥がされる。ちらっと見えたが子供もその後に突っ込んで くるみたいだ。 まだ14時頃の筈なのになんで子供がいるんだ? まだ幼稚園に通うような年代のようだ。 反射的に俺に突っ込んできた人ごと、子供を抱える。 大きな衝撃が右肩にかかった。 どこかにぶつけたんだろう。 そろそろか? そろそろ車両の端に叩きつけられるころか? 48 ︵ぐはっ!!!!!︶ ﹁ぐえっ!!!!!﹂ 変な声が出た。 既に車両の端に叩きつけられた人に重なるようにして俺も叩きつけ られたようだ。 痛い。まじで。 ︵俺は⋮⋮。死ぬのか⋮⋮?︶ 体が動かない。俺が抱えている人︵大人のほう︶は首が変な方向を 向いている。 一緒に抱えている子供の泣き声が聞こえる。 目の焦点が合わない。 ﹁美紀⋮⋮﹂ 最愛の家族の名を何とか発声できた。 最期に女房の名前を呼べたのでちょっと満足した。 ・・・・・・・・・ 2015年の2月半ば、俺は電車の事故で死んだ。 未練が無いかと言えば嘘になるが、子供はいないし、両親は年を 49 取ったとは言え、まだまだ健在だ。女房は仕事をしているし、自活 能力もある。当然俺には生命保険金も掛かっているし、いろいろあ ったがいい人生だったと総括することもまぁ出来るだろう。短い人 生なのは確かだが。平均寿命の半分以上は生きることも出来たしな。 うん、今期の数字の件や週末に女房と飲もうと残してあった高級 酒などつまらない未練はあるがしょうがない、これもまた人生だろ う。 50 第二話 転生︵前書き︶ 設定厨乙の巻。 2013年9月16日改稿 51 第二話 転生 ︵﹂ &%$﹂ #$%& ︵く、苦しい⋮⋮︶ ﹁! ﹁|∼=︶︵ 息苦しく、体も締め付けられるようだ。 なにが起こったのだろう? ああ、そうだ、列車事故で俺、死んだんだ。 いや、苦しさを感じるってことはまだ生きてるのか? 助かったのか!? スッっと頭を締め付ける感じが緩んだ。 % ︵&︶﹂ 目は開かない。そして、相変わらず呼吸は出来ない。 ﹁#%%& 若い男の声だ。 なんだか遠くから聞こえる感じだ。 あの列車事故で巻き込まれた人だろうか? 体の締め付けがなくなった。 肩の辺りと顎に手を掛けられて頭のほうへ引っ張られる感じがした。 これは? 一体? 何かの治療なのか? 目は開かない。そして、相変わらず呼吸は出来ない。 52 苦しい。 と、俺の体は温かいお湯に包まれた。風呂か? ︵く、苦し、い︶ ﹁げほっ、げぶぉっ﹂ むせるように呼吸が出来るようになった。何だ?血の味がする。 ﹁げぼっ、げへっ﹂ 口の中の血液だか液体だかなんだかを吐き出しつつ呼吸ができるよ #︶&! &##%?﹂ うになってきた。 ﹁> ︵#& #&∼# ?﹂ 中年の女の声がする。姿は見えないので中年かどうかは定かではな いが。 ﹁$?%、 さっき聞こえた若い男の声だ。 %!! # =&=、#%=∼&!!﹂ $#$!!﹂ ︵これは、まだ治療じゃないのか? 俺は血を吐いたのか?︶ ﹁>%、%$$、# 、 俺、一体どうなったんだよ? ﹁%$$ 53 まだ苦しい。トリアージの順番待ちなのだろうか? ︵おい! 俺は助かったのか!? どこの病院ですか?︶ 、;=%﹂ ﹁うげ! うぎゃ、うぎゃああ!? うぎゃああああ?﹂ ︵あれ? 喋れないぞ?︶ +、*?︸&!、¥^−・、*:︵ ﹁うごぁ? うびゃああ?﹂ ﹁ $ #$、0−&。 #$#:、;*︼&%! #$& この看護婦︵?︶、何言ってやがる。日本語喋れよ。 ﹁# ︵くそっ、なにがどうなってる?︶ ﹁うぎゃっ!うぎゃうぎゃあぁぁあ?﹂ ・・・・・・・・・ !﹂ 大怪我なんかしてなかった。ぶつけた筈の肩もまったく痛くない。 と、言うか、うまく喋れないわけもなんとなくわかった。俺は生ま れたばかりの赤ん坊になっていた。目は開いたが乱視が酷いのだろ うかよく物が見えづらいがなんとなくわかった。 体中をまさぐってみたところ俺の手はぷくぷくとしたかわいらし い指がついており、腕もぷくぷくしていた。うまく体を動かすこと 54 はできないが、動きは阻害されていないし、痛みを感じることもな かった。手を目の前に持ってきて観察することは出来たが、うまく 起き上がれない。寝返りを打つことも出来ない。 どうも体に力がないようだ。手を見た感じ赤ん坊なので筋力がな いのだろうか? 出来るだけ体を動かしてみようと努力したがうま く力を入れることが出来ず、ぐにぐにと動くだけな感じだ。 と、誰か男が俺を覗き込み、喋りかけてきたようだ。やはり先ほ ど聞いた単語のとおり外人面っぽい感じがする。なんとか喋りかけ ようと努力してみたが、声帯をうまく動かせないようで﹁あぐぁ﹂ =^¥&%$:︶# &%﹂ とか﹁ほぐぁ﹂とかしか声が出せない。まずい、俺は障害持ちで生 まれてしまったのだろうか? ﹁%−&、*;*;、%%=#。> くそ、変な抱き方すんなよ。あんたの手の平が硬くて痛ぇんだよ。 文句を言おうとしたが、この怒りの感情を制御できず、激情のまま 叫んでしまう。 ﹁うぎゃ、うぎゃあああああああ﹂ ああ、畜生、痛いが我慢できないほどじゃないし、こっちは何と かコミュニケーションを取りたいだけなのに。 ・・・・・・・・・ 55 多分三ケ月くらいかけていろいろ判ってきた。 1.おそらく俺は生まれ変わった。記憶を持ったまま。 2.生まれ変わった場所は外国。ヨーロッパか? 英語を喋っていないことは確実だ。ドイツ語やフランス語でもな いので、俺の知らない︵詳しくない︶国なのだろう。 東ヨーロッパか北欧、またはスペインやポルトガルのようなヨー ロッパの西端かもしれない。 死んですぐに生まれ変わったと仮定するのであれば、時期と気候 からいってもっと南の気がする。 ひょっとするとメキシコあたりかもしれない。 しかし、いくつかの名詞は共通していた。一体何語なのだろう? 3.家の中の調度品類から推測するに先進国でもないだろう。 電化製品がひとつも見当たらない。 ラジオすらないってのはいかがなものか? 東ヨーロッパの旧ソ連から独立した発展途上の小国かも知れない。 ちなみに家は木造で床は俺が見た範囲では板張り。畳や絨毯など はない。 窓にガラスもなく、下開きの鎧戸のようなものをつっかえ棒で支 えるだけだ。 夜はつっかえ棒を外すと窓が閉まる。 窓ガラスはないが食器にはガラスがあった。 4.一日は日が昇る少し前に起き朝食の準備を始める。 日が沈む間に夕食の準備を始め、準備が終わり次第暗い家の中で ランプを点けて夕食を摂り、就寝する。 あ、昼食は取っているようだ。俺はまだ離乳食にもなっていない 56 のでメニューはよく判らない。 電気が無いという生活は非常にきついものがあるな。 5.家族構成は俺を除いて5人か6人。 全員毎日見かけるが、人数がはっきりしないのは後述する。 ・一人目は当然俺。赤ん坊だ。おっぱい吸って寝て、うんこしっこ して寝てなので正確なところはわからないが生後3ヶ月。ちなみに おっぱいはまずい。薄い牛乳みたいだ。 ・二人目は多分父親。金髪で髭面のおっさんだ。尤も、死ぬ前の俺 よりはだいぶ若いだろう。三十代半ばではないだろうか? 青い瞳 をしている。 ・三人目は多分母親。二十代後半から三十代前半か? 父親と違っ て結構美人だ。あと美乳。母親も金髪だ。明るい緑の瞳。 ・四人目は多分俺の姉。十代後半から二十歳くらいか? 美人とは 言いがたいが愛嬌は有るかもしれない。母親らしき人と共によく俺 の面倒を見てくれる。姉とは言ったがおそらく年齢から言って姉で はなく父親か母親の妹ではないだろうか? もしくは俺の従兄弟と か。茶髪。薄青い︵水色か︶瞳。 ・五人目は多分俺の兄で長男だろう。小学校に上がる前くらいだろ う。五∼六歳くらい。ちょっとやんちゃな感じがある。年相応に可 愛い。茶髪。薄緑の瞳。 ・六人目は多分俺の姉で次女だろう。兄よりちょっと下くらい。三 ∼四歳? たまに兄と一緒に俺のことを覗きに来る。いい笑顔で笑 う。将来は美人な感じ。綺麗な金髪だ。こげ茶色の瞳 57 ・七人目は父親より少し年長の男で声は毎日聞こえる。顔を見たの はこの一ヶ月で二∼三回だ。多分叔父じゃないかと思う。なので家 族カウントからは外した方がいいだろう。こいつも髭があるが親父 ほどわしゃわしゃと生えてはおらず、綺麗に揃えている。暗い金髪。 緑色の瞳。 6.父親の仕事は不明。 朝飯を摂った後、どこかに出かけているようだが、昼食には帰っ てきて、昼食を摂ったら夕方まで戻らない。 とりあえずこんなところか。家の部屋数はまだ不明。俺は両親の 寝室と居間兼食堂しか見ていない。他にもドアがあるのは見ている が未だに一人で立ち上がることはできず、ほぼ寝たきりだ。母親の 乳を吸うときと、おしめの交換、着替えのときくらいしか構っても らえない。 あと、大事なことだが、どうも感情の制御がうまくいかない。腹 が減っても我慢することが出来ずに泣くし、粗相をしてもこれまた 不快感が極まって泣いてしまう。どうみても赤ん坊です、本当にr yな感じでとても四十代半ばとは思えない。俺はどうなってしまう のだろうかと不安になる。そして不安感から泣いてしまう。 当然泣くだけではなく、兄や姉が俺をあやそうとしたりして変顔 をすると大して面白くも無いのになぜか嬉しくなってきゃっきゃと 笑ったりする。しばらくするとまた不安感に押しつぶされそうにな って泣き喚いてしまう。俺は痴呆なのか? 58 ・・・・・・・・・ そうこうしている内に半年も経つと更にいろいろ判明してきた。 1.当面の問題であった感情面の制御だが、慣れてきたのかある程 度進歩した。 大きな感情の波も2回に1回はきちんと制御できるようになって きた。 これは嬉しい。 2.はいはいが出来るようになった。 立ち上がるのは体のバランスがうまく取れずまだできない。 二足歩行のおもちゃでバランサーが壊れている感じ。 但し、これも慣れればうまくいきそうな感じがする。 3.言語についてある程度理解が進んだ。 声帯を上手く使えないのか発音はまだあまり上手く出来ないが聞 き取りはかなりできるようになったと思う。 文法自体は日本語と大差無いようだ。 助詞や格助詞の変化、接続詞や動詞の変化については今一自信が ないが、喋っている内容はだいたい判るようになった、気がする。 4.言語に対する理解が進んだため、情報量が急激に増えた。 まず俺の名前。アル。嘘だと言ってよ○ーニィ。 父親の名はヘガード。筋肉すごい。プロスポーツ選手みたいな体。 母親はシャル。美人で美乳。性欲は湧かない。俺が枯れてるのか? 年上の姉と思ったがメイドはミュン。朝出勤してきて夜帰るよう だ。休日もないみたいでブラック企業真っ青な労働環境だ。 59 兄はファーンかファン。人によって多少呼び方が違う。愛称か? 小僧。 姉はミルー。小娘。 叔父と思ったが父親の部下?はジャッド。ミュン以外には敬称の ようなものをつけて名前を呼んでいるようなので多分部下とかそん な感じだろう。 その他に数人、名前はまだ覚えられないが家の前までは来ている 様だ。中まで入ってこないので顔はまだ判らない。 ついでに自分の家名もまだ判らない。これはある意味当然だろう。 普段から家族で家名を呼ぶ筈も無い。 5.住んでいる村? 町? バークッド。バークッドシュンと聞こ える。 このシュンは村なのか町なのか市なのかは判らない。バークッド だけで終わるときもあるので名前がバークッドなのは確かだろう。 多分国名ではないと思う。 そんな国名は聞いたことはないし、あまり頻繁に国名を発声する 事もないだろう。 大概の名詞は共通しているのだからここも共通でいて欲しかった。 6.現在年月日は不明。 カレンダーのようなものは見たことがないし、新聞もない。 生まれ変わったのであれば2015年以降だとは思うのだが⋮⋮。 当然のように時計すらない。 7.多分家から数百メートル程度のところで鶏を飼っているようだ。 毎朝鳴き声が聞こえる。 この国だとクックドゥードゥルドゥーなのかコケコッコーなのか ⋮⋮。まぁ別にどうでもいいが。 60 ・・・・・・・・・ 言うのを忘れていたが、俺は冬に生まれた。その後、日本ほどは っきりとはしないが四季らしきものを迎えているのでそろそろ一年 が経つ頃だ。列車事故で死んですぐに転生したのであれば北半球の どこかであろうと推測ができる。 近頃は感情の制御もかなりできるようになってきた。また、筋力 がないのだろうか、長続きはしないが立って歩くことも出来るよう になった。日本語にあった母音を多く含む語であれば発音も出来る。 ちょっとここまでで新たに理解したことをまとめてみよう。 1.感情面で制御できなくなることは激減した。 ただ、大きな喜怒哀楽を感じると暴走の気はまだある。 例えば空腹を感じることぐらいでは問題ないが、それが1時間ほ ど続くと簡単に我慢の限界を超えてしまい、泣き喚いて母親かミュ ンを呼んでしまう。 また、転んだりしたときもある程度であれば我慢は可能だが、何 かの拍子に頭をぶつけたりなど、前世であれば痛くて涙目にはなる ものの泣き喚く程では無い様な事でも簡単に我慢の限界を迎えて泣 いてしまう。 単純に感情制御や我慢のマージンが足りないだけだろう。 これは想像でしかないが、生まれ変わったことで知識は別にして も精神性は肉体年齢相応、もしくは引き摺られているのではないだ ろうか。 2.立って歩いたりよたよたと走ることができるようになった。 61 まだ乳幼児であるため常にそばに誰か︵母親やメイドのミュン、 兄姉いずれか︶がいるため外に出ることは出来ない。 だが、家の構造はほぼ把握できた。 家は木造二階建てだが二階は実質的には屋根裏部屋だろう。何室 あるのかは不明。 一階部分は十畳強の居間兼食堂、四畳ほどの厨房、八畳ほどの両 親と俺の寝室、六畳ほどの部屋が三つあり、うち一つは子供部屋、 残りは一室が応接? 一室が客間? になっているようで、玄関か ら廊下が伸びており部屋にはドアがある。 トイレはあるが汲み取りのようだ。 浴室はない。たらいにお湯を張って布で体を拭くことで入浴代わ りにしているようだ。 3.言語はほぼ覚えた。 母音が六個あるが文法的にはほぼ日本語そのままなので習得は容 易と言っていいだろう。 今では家族間の会話であればほぼ間違いなく意味を理解すること ができると思う。 たどたどしいが喋ることも出来る。 一般名詞に英語とかなりの共通部分があることが大きい。 一歳に満たぬうちからたどたどしくではあるが喋り始めたので家 族は俺のことを天才だと思っているようだ。 気違い扱いや悪魔憑きみたいに扱われることを警戒し、生まれ変 わって転生してきたことは言っていない。 そもそも常識で考えて転生とか生まれ変わりとか信じられないだ ろうし、日本のことを話して認められたとしても既に俺は死んでい るし、葬儀も済んでいるだろう。 この国の政府から日本に連絡が行っても面倒なだけだ。 確かに美紀や父母に会いたいというのも本音だが、俺は死んでい るのだ。 62 万が一助かっているということもあるだろうが、それはそれで問 題がある。 同一人格で同じ記憶を持っている人間が二人いることになるし、 どちらが本物かで日本人の俺と争ってしまうかもしれない。 そんなことはごめんだし、記憶を持って生まれ変わったのならば ﹁この俺﹂が﹁この俺の人生﹂を歩む上で有利だろう。 4.地理および社会情勢だがここバークッドは村で、なんと父親は 村長というか、庄屋というか、領主のような扱いっぽい。 村の主な産業は農業で、狩猟もある程度は行われているようだ。 そして、これは非常に驚愕したのだが⋮⋮いや、これはあとで話 そう。 この後のまとめでも驚愕したことは多いが、一つひとつの項目毎 に驚愕がついて回るのでやはりあとでまとめて話すことにする。 5.度量衡の単位だが、ほぼメートル法だろう。 俺の感覚的にメートル法だと思うが、正確な定規となるような秤 がないため詳細は不明。 不便なので俺の中ではメートル法で考えることにする。単位や発 音もほぼ一緒だ。 6.数学についてだが、十進法を採用している。 計算は簡単な四則演算であれば両親共にできるが、教育水準が低 いのだろう、兄と姉は計算が苦手なようだ。 日本ではちょっと考えにくい。 ・・・・ 掛け算や割り算が小学校入学程度で出来ないのは解るが数もまと もに数えられないのはいかがなものか。 ・・ とりあえず転生してからの一年間ほどで判明したうちの重要では ないことは以上だ。ここからは重要なことを話そう。 63 1.現代じゃない可能性がある。 と言うか、その可能性が高い。 第一にロンベルト王国というのがこの国の名前だそうだ。 そんなの聞いたことないし、旧ソ連から分割独立した国に王国は ない筈だ。 あとは生活水準や雑貨などからの推測になる。 アフリカの小国じゃなければタイムスリップなのか? 2.ロンベルト王国は封建制で王が国を治めている。 王を取り巻く貴族が王直轄領以外の土地を領土として半ば自治領 としている。 バークッド村はウェブドス侯爵領の一部だ。 親父は一応領主で士爵とのことだ。俺、貴族だったわ。 家は兄が継ぐことになるだろう。姉は嫁に出るとしてこの国での 次男の扱いはどうなるんだろう? 時代によっては冷や飯食いにな るかのも知れん。 早いうちに何らかの対策を立てないといけないだろう。 3.最後に税だ。 バークッド村の主な産業は農業で小麦を栽培している。 勿論ほかの野菜類も栽培しているが主力は小麦だ。 農民はその収穫高のなんと六割を税として親父に納めている。 親父はその六割を更に上級の領主︵ウェブドス侯爵かどうかは判 らない︶に納めているそうだ。 収入の六割も取られるとか無茶苦茶だ! と一瞬思ったが現代じ ゃなければ当たり前だし、親父には村の総生産の24%が入ること を考えると充分か、とも思う。 実は当然の事に、24%も入らないのだが。 村のインフラ整備は領主である親父の責任なので費用は持ち出し 64 になる。 村の人口が不明なので︵多分たいしたことはないだろう︶総収入 は不明だが、左団扇で安楽、と言うほどではないだろう。調度品や 食事で大体予想がつく。 とにかくあまり目立たないようにおとなしく情報収集に努めた一 年間だった。怪しまれたりして変に問い詰められて口を滑らすこと になったりでもしたらまずい。せいぜい、多少早熟で、一歳で片言 ながら言葉を解し、かなり上手によちよち歩きができる将来有望そ うな子供、という程度にしないといけない。 なに、まだ一歳だ、あまり生き急いでも仕方が無いだろう。情報 収集の時間はまだたっぷりあるし、現代ではないのであれば、運動 をしたりして体力練成もする必要もある。ゆっくりやればいいさ。 生まれてからの一年間にわたって慎重に慎重を重ねて暮らしてい たが、ここに書いたことなんか吹っ飛ぶような出来事が立て続けに 起こったのは、こんなふうに情報の収集と整理をのんびりとやって いた数日後だった。 65 第三話 地球ですらない︵前書き︶ 2013年9月16日改稿 66 第三話 地球ですらない 天気のよいある日のこと、俺は籠に入れられて外出した。 ・・・・・・・・・ ヘガードは数日前から所用らしく家を空けていた。 昼食を取った後、いつものように姉が俺のことを構いだしたとこ ろ、兄が姉に声をかけた。 ﹁ミルー、アルを連れて部屋に来いよ﹂ ﹁えー、アルはもう眠たそうだわ﹂ ﹁いいからいいから﹂ 姉は俺を抱き上げると兄姉の部屋に向かう。 1歳になったばかりだとは言え、5歳の姉には俺を抱き上げるの はつらいだろう。 だが、まだよちよち歩きしか出来ない俺を抱き上げると姉は俺が 歩くのと同様なよちよちとした頼りない足取りで部屋に向かった。 67 落としたり転んだりはしないでくれよ。 ﹁ミルー、この籠にアルを入れられないかな?﹂ おい、何を言ってやがる。 ﹁うーん、入るとは思うけど、何で? お兄ちゃん、かくれんぼさ せるの?﹂ 見たところ確かに入りそうだけど、ちょっと小さいだろ。だいた いその籠って、でか目の買い物籠くらいじゃねぇの? 俺を入れた ら幾らファーンでも持ち運びには苦労するだろ。 ﹁おう、アルの奴をディックとケリーに見せてやろうと思ってな。 あいつら、まだ小さな赤ん坊を見たこと無いんだってよ﹂ ﹁え? だってお母さんはまだ外に連れて行っちゃだめって言って るわよ?﹂ お? 外に連れて行ってくれるのか? 更に情報収集できそうだ。 これは嬉しいな。 ﹁ミュンがもう首もすわったって言ってたし大丈夫だよ﹂ ﹁それならいいのかな? でもそれならその籠だと小さいでしょ。 背負えるような大きさの籠じゃないと疲れちゃうし、落としたりし たら大変だわ﹂ おお、お姉ちゃんらしいな、ちゃんと弟のことを気遣ってくれる。 ついついにこにこと笑顔で姉を見上げてしまう。 68 ﹁うーん、確かにそうだな。ミルー、倉庫に背負い籠あったよな。 あれならどうかな?﹂ 俺が想像するような︵田舎の婆さんが行商するときに使うような︶ 背負い籠なら充分入れるだろう。中で立ち上がって籠の縁に手を掛 ければ外の光景も充分に見ることも出来るかも知れないが、果たし て7歳児のファーンに背負えるだろうか? ここは俺が歩くべきだろう。 ﹁僕、歩けるよ﹂ と言ってみた。 ﹁歩けるのは知ってる。でもアルはまだ赤ちゃんだからな。遅いし、 転ぶかもしれない。転んで怪我でもしたら大変だから俺が背負うよ﹂ 怪我したらシャルにものすごく叱られるからだろ? ﹁お兄ちゃん、籠持ってくる。ちょっと待ってて﹂ ミルーはそう言うと駆け出して部屋を出て行った。 ﹁アル、今日はお前を皆に紹介してやる。ちょうど父様もいないし、 そうっと抜け出せば大丈夫だ﹂ 俺がまだ赤ん坊だからか、俺が家の外に出ることは固く禁じられ ていた。 当然それは兄や姉にも徹底されていた筈だ。 69 ﹁うん、外行くの初めて。嬉しい﹂ しかし、俺はよちよち歩きとは言え、一人で歩けるし、前世と併 せて45年の人生経験もあるから知識も豊富だ。俺からして見れば 親父だって小僧だ。多少外に行くくらい、どうって事はない。 ﹁そうか、そりゃちょうど良かった﹂ こんなことを話しているうちに姉が戻ってきた。俺が想像してい た婆さんの背負い籠よりはちょっと小さい直方体に近い形状の籐で 編んだ背負い籠を抱えている。小学生の使うランドセルの蓋を取っ て、3回りほど大型にした感じだ。これなら座るのは無理でも、籠 の中に立って縁を掴んでいる分にはまったく問題ないだろう。 ﹁よし、行くか。まずはディックのところだな﹂ そう言うと、俺を抱き上げて籠に入れてくれた。 ﹁アル、ちゃんとここに手を掛けているのよ。離しちゃダメよ﹂ 姉もちゃんと俺に注意してくれた。 ﹁じゃあ行くぞ⋮⋮。おっと忘れ物だ﹂ 姉を伴って外出しようとする兄は腰に剣を差していた。 まず現代ではないだろうと予想はしていたものの、剣って⋮⋮。 しかも微妙に使い込まれているようだし。 70 あー、こりゃ完全に現代説は否定されたな。タイムスリップ確定 か? ﹁お兄ちゃん、剣を持ち出してもいいの?﹂ ﹁ああ、いつでも戦えるようにしてなきゃならんって、父様も言っ ていたろ﹂ ファーンはそう言いながら剣帯を調節している。使えるのかよ。 ﹁それに、俺だって剣の修行をしてるんだし、武装は騎士として当 たり前のことだからな﹂ え? 修行してるのかよ。知らなかった。それに、7歳にして騎 士の心構えを語るなんて、すごいな。兄のことをちょっと見直した。 ただの生意気そうな小僧だと思っていたよ。 ﹁修行って⋮⋮。始めてからまだ一月くらいじゃないの。重くない の?﹂ 見直して損した。やっぱクソガキだわ。 ﹁いけるだろ。っとほら、大丈夫だ﹂ ふらつく事も無く、しっかりとした足取りで立ち上がり、部屋の 中を歩く兄。 おお、これなら問題ないだろう。 ﹁アルの顔が丸々見えちゃってるわ。見つからないかな?﹂ 71 姉がちょっと心配そうな顔をして言う。 ﹁うーん、よし、鎌と布か筵を持って来い﹂ ああ、覆われそうだなぁ。 やっぱり予想の通り筵で蓋をされた。籠と筵の隙間には鎌を差し ている。 ﹁アル、鎌の柄を掴んでろよ。じゃあ、行くぞ﹂ 暫く外の光景はお預けか。 頭が籠の外に出ないようにしゃがみ込むと鎌の柄を掴んだ。その 上から筵で蓋をされる。家の外に出たようだ。すぐに誰かが声を掛 けてきた。 ﹁おやおや、ファーン坊ちゃん。どこへお出かけかね?﹂ たまに声が聞こえてくるボグスという名前のおっさんだ。いつも 話している調子から父親の部下だと当たりをつけている。 ﹁やあ、ボグス、ちょっと川原までいって葦を刈ってくるよ。ミル ーも一緒さ﹂ ﹁そうですか、お気をつけて行ってらっしゃい﹂ 俺の感覚から言うと、いくら領主の息子だろうとこんなガキに丁 寧に喋りかける大人ってのも普通じゃないし、それに対して気負う ことも無く平然と受け答えするガキってのも普通じゃないよな。で 72 もここ1年の観察からこれが普通みたいだ。 特に問題なく家の敷地を出ることが出来たらしい。 数分すると﹁もう筵を取ってやれ﹂と兄が言ってくれたので、姉 が筵を取ってくれた。籠の中で立ち上がり、縁をしっかりと掴むと 周囲を見回した。 おお、予想通り糞ド田舎の光景だわ。二百メートルほど先に見え る建物は我が家だろう︵兄に背負われているので進行方向とは逆が 視界になる︶。母屋とその他に小さな建物が3つほどあり、木の柵 で囲まれている。季節柄︵多分今は2月だ︶ちょっと肌寒いが、空 は抜けるように青く綺麗だ。 家からはまっすぐに踏み固められた道が伸びておりその両側は何 かの畑だろうか、何も植物は生えていないが、畝だけは幾筋も綺麗 に並んでおり、きちんと耕されているのがわかる。 きょろきょろしながら数分もしてくると、後ろに向かっているた めか、結構揺れるためか、ちょっと気持ち悪くなってきた。兄に前 を向くと伝え、籠の中でどうにか進行方向に向き直った。今は兄の 肩に手を掛けている。 川を渡り、少し進むと左手に家が見えてきた。家の戸は開いてい る。その家の脇で子供が4人たむろっていた。全員兄より年下に見 える。姉と同年代かちょっと下と言った所だろうか。 ﹁おいディック、紹介してやる。アレインだ。可愛いだろ﹂ 今初めて知った新事実。俺の本当の名前はアレインと言うのか。 73 愛称がアルなんだな。だとすると兄や姉にも愛称ではなくちゃんと した名前があると思ったほうがいいだろう。 兄が声をかけ、籠を降ろすと中でも年上の子が駆け寄ってきた。 ﹁えぇ!? ファーン様、連れてきてくれたの?﹂ にこにこしながら駆け寄ってくるディックらしき男の子を良く見 て、思わず声を上げて腰を抜かしそうになった。俺が目を真ん丸く してその子を見つめ始めると、他の3人の子供もディックに遅れて 駆け寄ってきた。 何が腰を抜かしそうって、駆け寄ってきた子供たちの髪の色だ。 薄い黄緑、水色、ピンク、紺色。全員とても綺麗に染められていた。 色が色なので遠目では帽子でも被っているのかと思っていた。うち の家族は誰も髪を染めてはいないし、この時代︵認めたくはないが、 タイムスリップしているのなら︶は多分12∼16世紀だろうから、 染髪の技術も無いだろうと思っていた。実際には見たとおり染髪は 普通の行いのようだし、コストもそんなに掛からないのだろう。こ の貧乏そうな村の働き手にもなれないような幼児にも染めさせてい るくらいだから。 ﹁まだ赤ちゃんだ! かわいいなぁ⋮⋮って、この子、黒い髪だ! ねぇファーン様、染めてるの?﹂ ああ、やっぱり染髪は一般的なんだな。俺は抜け毛などで自分の 髪が黒いことを知っていたので髪の色の指摘には驚かないが、世間 では赤ん坊の髪染めまで一般的に行われているのかよ。 ﹁アルの黒髪は生まれつきよ。アルは目も黒いのよ﹂ 74 あら、目も黒かったのか。折角なので俺も緑とか青の瞳になって みたかったんだが。何故か自慢げにミルーが言う。 ﹁本当だ、目も黒いや﹂ ﹁めずらしー﹂ 口々に俺の髪と目の色で盛り上がる幼児たち。目も黒いって、死 んでねぇから。慣用句なんて判らないか。俺の目が黒いうちは、と か日本語の慣用句だし。 ﹁こんにちわ。アルです。宜しくお願いします﹂ とりあえず挨拶しよう。挨拶はコミュニケーションの一歩だし、 印象もよくしておきたい。 ﹁うわ、喋った!﹂ ﹁ええ? まだこんなに小さいのにもう喋れるの?﹂ 子供たちは挨拶を返した俺に吃驚したようで、みんな口をポカー ンと開けて俺を見た。 ﹁ええ、アルはもう喋れるわ。歩くことも出来るけど、それはまだ 小さいから上手じゃないけど﹂ 喋る弟が誇らしいのかまたミルーが自慢げに言った。 ﹁まぁ、今は見ての通り赤ん坊だから外には出せないが、今日だけ は特別にお前たちに弟を見せてやったけど、暫くしてこいつが遊び に出るようになったら宜しくな。じゃあ、俺たちは行くから﹂ 75 ファーンはそう言うとまた籠を担ぎ上げた。少し進んで右手に折 れる。20分ほど休み無く歩いた。その間に何軒も家を通り過ぎた。 何人かとすれ違うがファーンとミルーは適当に挨拶をしたり簡単に 俺を紹介したりした。やはり何人かは髪を染めているようだった。 すると、先にぽつんと一軒だけの家が見えてきた。その先はしばら く行くと森になっているようだ。 ファーンはその家の前まで歩くと扉を開けて﹁ケリー、いるかぁ ?﹂と呼びかけた。おいおい、勝手に他人の家の戸を開けていいの かよ? ・ すぐに返事があり子供が近づいてくる。またびっくりして声を上 げそうになった。なんと、その子には耳がついていたのだ。頭の上 に。 ﹁ファーン様、なんでしょうか?﹂ ケリーが尋ねるとファーンは先ほどのように俺を紹介する。同じ ように髪の色の件でのやり取りの後、ファーンは言った。 ﹁ケリー、まだ日が高いし、ちょっと剣の稽古でもしないか?﹂ おお、剣の修行するのか、それは見てみたいな。 ﹁はい、ファーン様。うちの稽古場はちょっと歩きますが大丈夫で すか?﹂ ﹁すぐそこだろ?いいよ﹂ どうやら俺が入ったままの籠を担いだまま向かうらしい。稽古が 76 見れるようだ。面白そうだし、良かったな。 家の前の道を更に数分歩くと半径10m程のちょっとした広場状 に草が刈ってある場所に着いた。どうやら稽古場はここらしいな。 道端に俺を降ろすとファーンは早速剣を抜く。 え? 真剣でやるのかよ? と思ったが、どうやら素振りだけら しい。ケリーは木刀だ。さて、やっと疑問に思っていたことでも聞 いてみようか。稽古の様子を見ながらミルーに尋ねる。 ﹁姉さま、ケリーは何で頭の上に動物の耳がついているの?﹂ ﹁ああ、ケリーは狼人族だからね﹂ は? ロウ人族? 何だ、それ? 狼人族ってことか? ﹁え? 狼人族、ってなに?﹂ ﹁ケリーのお父さんとお母さんが狼人族なの。だからケリーも狼人 族﹂ なんか常識のようだ。 ﹁そっか、狼人族かぁ﹂ 無難に知ったかぶって答えておこう。って、ええっ!? 尻尾生 えてるよ⋮⋮。尻尾まであるのか。耳は頭から生えてるからわかる。 尻尾もまぁわかる。しかし、耳と尻尾以外の体には毛が生えている のだろうか? 聞いてみたかったが、これから幾らでもそんな機会 はあるだろうと思い直し、我慢して聞かなかった。 77 しかし、ファーンもミルーも狼人族の事なんか今まで一言だって 言ったことは無かったと思う。と、言うか狼人族って、人間じゃな いんだよな? 見た目は人間と変わらない。ちょっと離れると注意 しないと耳はわかりにくいし、尻尾は隠せば認識不能だろう。下着 やパンツに詰め込むときつい、とか尻尾は自由に外に出ていないと 不快、とかなのだろうか。 そんな事を考えながらファーンとケリーの素振り修行を眺めてい たが同じ動作を延々と繰り返しているだけなので、いささか飽きて きた。 ・・・・・・・・ 15分も経つとついに眠気がしてきた。 ミルーはなにやら植物の茎で編み物をしている、冠か何かのつも りなのだろう。 そのとき、素振りをしている稽古場という名の空き地になにかが 飛び込んできた。何だと思ったら人影だった。ファーンと同じくら いの背丈で⋮⋮って人じゃない!! 緑色の皮膚で腰にぼろきれのようなものを巻いている。頭は禿頭、 目つきは鋭い。耳は尖っていて下あごから牙が生えていて唇の上に 少し出ている。体つきは人間そっくりだが背丈が低い割には大人っ ぽい。手には1メートル程度の槍状の長い棒を持っている。状では 78 なく普通に槍だろう。先に錆の浮いた穂先がついていた。 ﹁ゴ、ゴブリンだっ!﹂ ケリーが叫ぶ。 は? 何だって!? ゴブリン? 嘘だろぉぉぉぉぉ!? しかし、ファンタジー映画やゲームなどで目にする﹁ゴブリン﹂ と言われたら、なるほどゴブリンだ。もうゴブリンにしか見えない。 と同時に俺は大混乱だ。地球ですらないのか? ここは。 ﹁ケリー、下がれっ! ミルー、鎌でアルを守れっ! こいつはオ レが!﹂ え? ファーンよ、まさか、ゴブリンと戦うのか? おまえ、7 歳だろ。幾ら小さいとは言っても、相手は怪物だぞ? そりゃ無理 だろう。そもそも素振りしかしたことないんだろ? ﹁わかった、お兄ちゃん。ケリー、誰か呼んで来て!!﹂ は? ミルーよ、お前、何言ってんだ? ここは逃げる処だろ。 常識で考えて。子供だけで怪物に対抗とかまじで意味不明なんだが。 前世も含めて生まれて初めて見るゴブリンに興味津々の目つきで観 察を続けながら、あまりの展開についていけず興奮と混乱で意味不 明の叫び声を上げる俺。いや、普通の人間はこうだろ。 あまりに混乱し、感情が高ぶり過ぎて逆に冷静になったのか、多 少は思考能力も戻ったらしい。そうだ、落ち着け俺、赤ん坊の体に 流されるな。多大な努力を払ってなんとか俺は冷静な目でゴブリン の観察を続けることが出来た。 79 体格は7歳児のファーンと同レベルなので高さはおよそ1m20 ∼30cmと言ったところだろう。腕や足の太さもファーンとそう は違わないように見えるが、腹は多少太り気味な感じがする。 ミルーは籠に差してあった鎌を抜き取り俺の前に立って構えた。 そんなものでゴブリンに対抗しようとするくらいなら石でも投げつ けろよ。あ、俺が伝えればいいのか。 ﹁姉さま、石を投げたほうが兄さまの援護になるよ! 鎌は僕が支 えてるから!﹂ ﹁え? わかったわ。お兄ちゃん、私が石を投げつけるわ。その隙 にお願い!﹂ そう言うとミルーは足元にしゃがみ込んだ。石を拾っているのだ ろう。 ゴブリンは槍を構えるとファーンに突進した。ファーンは剣で槍 を跳ね上げると返す刀でゴブリンに切りつける。おお、ファーン格 好いいな。 ﹁りゃ!﹂ ゴイン! 返す刀で切りつけたが、ゴブリンは跳ね上げられた槍 を縦に持ち替えてファーンの剣を防いだ。ファーンにはまだ剣は重 いのだろう、剣に振り回されているきらいがある。ありゃ、やっぱ りまずくないか、これ。そもそも7歳児に槍が刺さったら一発ジ・ エンドな臭いがする。 80 再度ゴブリンは槍を構えるとファーンに突き出した。またファー ンは剣で跳ね上げる。ファーンは良くやっているが、時間の問題じ ゃねーか。やばい、何とかしないと俺までやられちまう。かと言っ て空き地に飛び込んで来た勢いや最初の突進のスピードを考えると、 俺がよたよた逃げたところですぐに追いつかれるのがオチだろう。 ミルーの投石をうまく使わないと厳しいな。 ﹁やぁっ!﹂ ファーンが今度は横薙ぎに剣を振った。ゴブリンは体を引いてや り過ごし、空振りさせてから槍を突こうとする。と、ファーンは空 振った勢いを利用して回転しつつ再度同じように切りかかった。 うわ、まずい。歳の割には俊敏な動作と言えるが、ゴブリンが槍 を突き出すほうが速そうだ。 ﹁えい!﹂ ミルーが狙い澄ましたように拾い上げた石を投げつける。たいし た勢いではないが、うまくゴブリンの左肩に命中した。一瞬動作が 遅れたゴブリンにファーンの剣が当たったが、右の腿をちょっと傷 つけただけのようだ。 ﹁ギャッ!﹂ ゴブリンが痛みで声をあげ、醜い顔を歪ませる。 ファーンが崩れた体勢を立て直そうとしている間、ミルーは左手 にも掴んでいた石を右手に移しもう一度ゴブリンめがけて投げつけ た。今度はゴブリンにかわされたがその間にファーンは体勢を整え 81 ることが出来たようだ。逆に石をかわすことで体勢の崩れたゴブリ ンに剣を叩き込むことに成功した。 ﹁おりゃ!﹂ ザシュッ! ゴブリンの左足に剣が当たる。5cmくらいの深さ でゴブリンの左足に斬り付ける事に成功した。 ﹁ギョォォ!﹂ ゴブリンの左足をある程度深く傷つけることが出来たため、多少 動きが鈍ったようだ。スゲー! ファーン、スゲーよ! 流石兄貴! ﹁おらっ!﹂ 動きの鈍ったゴブリンにここぞとばかりに剣を振りかざすファー ン。ミルーはまたしゃがみ込んで石を拾っている。 ﹁ギィィィィ!﹂ そのまま斬られてくれればいいのに、ゴブリンは咄嗟に槍を突き 出した。 ﹁うわっ﹂ ああっ、ファーンの右足に槍が刺さったようだ! ゴブリンは左 足が傷ついているためか、腰の入った突きではなく、手だけで突い た感じなので足のど真ん中にでも当たらない限り急に命がどうこう ではないとは思うが、槍が刺されば重傷を負ったに違いないだろう。 82 ﹁お兄ちゃん!!﹂ ミルーが叫ぶ。 ﹁大丈夫、だっ!﹂ ファーンはそう気合を入れると右足を刺されながら再度剣を振り 下ろした。 ドッ! ゴブリンの右肩口に深く剣を斬り込むことが出来た。 ﹁ギャァァァ!﹂ たまらず槍から手を離してしまい、取り落とすゴブリン。右肩口 から15cmは剣が切り裂いている。もう右手は使えないだろう。 しかし、ファーンの右足にも槍が刺さっている。 ﹁ミルー、がんがん石投げろっ!﹂ そう言うとファーンは足に槍が刺さったまま、今度は剣を突き出 した。 ﹁ギョェェ!﹂ ゴブリンは動かせる左手を盾のように体の前に突き出してファー ンの突きを防御する。左手に邪魔をされ、胴体に突きを命中させる ことは出来なかったが、ファーンの剣はゴブリンの左手の平を貫通 した。よし、これでゴブリンは槍を掴むことが出来なくなった。 ファーンは突き刺さった剣を手の平の指側へ力任せに斬り上げる。 83 ゴブリンの手の平を裂いて再び自由になった剣で今度はゴブリンの 足を狙って斬りつける。 ﹁ギィィィィ!﹂ 上手くゴブリンの左足に斬りつけられたようだ。左足の半ばまで 剣が食い込んでいるのが見える。これならいけそうだ。 ﹁やぁっ!﹂ ミルーが石を投げるが当たらない。今こそ鎌だろ。 ﹁姉さま、鎌で首を!!﹂ 咄嗟にそう叫んで鎌を持ち上げるが、お、重い。1歳だとこんな に筋力が無いのか。 ﹁わかったわ﹂ ミルーが俺から鎌をひったくるとゴブリンまで駆け出した。 ﹁やぁっ!﹂ 気合を込めて後ろから草刈鎌をゴブリンの首筋に叩き込む。 ズシャッ。鎌がゴブリンの首に当たったが、5歳児で尚且つ扱い なれていない道具での攻撃のためか、刃が食い込んでいない。殆ど 柄で叩いているようなものだ。しかし、満身創痍のゴブリンの体勢 を崩すには充分だったようで、ファーンは刺さったままの剣を引き 抜くことが出来たようだ。 84 ﹁らあぁ!﹂ ファーンが剣をゴブリンの胴めがけて突きこんだ。 ﹁グブッ﹂ 剣が胴を突き刺すと目に見えてゴブリンの動きが鈍くなり、頽れ るように倒れた。やった、ゴブリンを倒せた。7歳児と5歳児でゴ ブリンを倒せた! ﹁ミルー! 止めを刺せ!﹂ ファーンが叫ぶと、ミルーは倒れこんだゴブリンの頭を滅茶苦茶 に叩きはじめた。叩く度にくぐもったようなうめき声がする。その 間にファーンは倒れたゴブリンの胴から剣を引き抜くともう一度上 から突き下ろした。 ゴブリンはビクンと一度震えると、それきり動かなくなった。 85 第四話 ステータスオープン?︵前書き︶ 2013年9月16日改稿 86 第四話 ステータスオープン? ケリー︱︱村の子供で狼人族︱︱が呼んで来た大人は10分もし たら来た。おせーよ。距離を考えれば遅くはないのか。大人はすぐ にファーンを抱えて走って行ってしまった。しょうがないので俺は ミルーに手を引いて貰い、ケリーと一緒にケリーの家まで歩いた。 よたよたとした歩きでとても真っ直ぐに走れそうも無い。下手に逃 げようとせず、迎撃を選択したファーンは正解だった。 あそこで逃げようとしても俺を抱えてゴブリンよりスピードを出 すことは出来なかったろうし、ミルーもゴブリンより速く走れると は思えない。数分の間ケリーの家にいたが、すぐに迎えの大人が来 た。 ﹁ミルー様、お怪我は?﹂ ﹁私たちはどこも怪我は無いわ、それより、ジム、お兄ちゃんは! ?﹂ ジムというのか。この兄ちゃんは。25歳くらいに見える。 ﹁ファーン様はシェーミ婆さんのとこに担ぎ込まれました。行きま すか?﹂ ﹁ええ、アルも一緒に連れて行って﹂ ミルーが返事をするとジムは俺とミルーを小脇に抱えると﹁ケリ ー、お前も一緒に来い﹂と言うが早いかものすごい勢いで走り出し 87 た。4∼5分も掛け、先ほど通り過ぎた集落のうちの一軒に飛び込 んだ。 ﹁シェーミ様、ファーン様は?﹂ 家に入ると同時に声をかけるジム。家の中には足から血を流して いるファーンと大人が3人いた。その内の一人がシェーミ婆さんだ ろう。 ﹁俺は大丈夫だよ、大げさにしないでくれよ。ああ、トマス、さっ きのゴブリンからマセキ取ってきてくれよ﹂ ﹁ファーン様、まずは治療です。シェーミ、どうだ?﹂ ファーンを担いで走ったトマスと呼ばれたおっさんがシェーミ婆 さんに様子を聞く。 ﹁そんなに酷くは無いようね。傷口は良く洗えた?﹂ ああ、良かった。かなり血が出ていたようだけどそんなに酷くな いのか。 ﹁ああ、これでいいだろう、槍が錆びていたが、これ以上洗うのは 無理だ﹂ まだ名前のわからないおっさんが言うと体をずらした。ええっ! ? ちっとも良くないだろ、まだダラダラと血が出てるじゃんか。 シェーミ婆さんはファーンの傷口に手を当てると、 キュアー ﹁我が身体より魔素を捧げる、この者に癒しのお恵みを、治癒﹂ 88 はぁ? おまじないとかじゃ無くて、今必要なのは消毒と、動脈 が切れているならそれを縫い合わせないとダメだろ、と言おうとし たが、婆さんの手が水色に光ったかと思うとその光がファーンに移 っていく。 ファーンは目を丸くしながらそれを眺めていたが、ふぅっと息を つくと﹁ありがとう、シェーミ。凄いな、治癒魔術は。助かったよ﹂ とにっこり笑ってシェーミ婆さんに声を掛けた。 目を丸くしてその光景を眺めていたのはファーンだけでなく、ミ ルーも一緒だったが、俺は目を丸くどころではない。 ﹁えええええええええっ!? なに? 今何したの?﹂ と大声を張り上げてしまった。だって、魔法だぜ!? ﹁魔法でファーン様の受けられた傷を治療いたしました。傷が骨ま では達していなかったので、治療は問題なく終わりましたよ﹂ ﹁私、治癒の魔法初めて見た! 手が光って綺麗だったぁ﹂ にっこり笑って治療の終了を宣言したシェーミにミルーが畳み掛 けるように言う。いや、それどころじゃねぇよ、魔法使いだぜ!? ﹁いやいやいや、姉さま、吃驚するところ違うから。そもそも魔法 だよ?﹂ 俺はまん丸に開いた目と口と鼻で顔に穴を5つ開けながらミルー に突っ込む。 89 ﹁ええと、ファーン様、ミルー様、この子は?﹂ まだ名前の知らないおっさんが俺のことを尋ねる。 ﹁ザック、こいつは俺の弟でアルだ。アル、初めて魔法を見て驚い ているようだが、皆に挨拶しろ﹂ ファーンに言われ、驚愕から立ち直った俺は大人四人に挨拶をす る。四人とも俺の存在は知っていたようだが、顔を見るのは初めて だったから判らなかったらしい。当然俺も初めてなのでこの四人が 俺を知っているはずも無いのだが。 1歳にも係わらずきちんと挨拶を行い、普通に受け答えができる 俺に驚愕していたようだが、ミルーの﹁この子は天才なの﹂の一声 で不承不承ながら取り敢えず表面上は納得してくれたようだ。後で 両親にツッコミが入るかもしれないが、そこまでは今のところどう しようもないな。 しかし、天才か。努力をしないで好成績を収めたり、結果を出せ るほどの天賦の才に恵まれた者。確かに俺は相応の努力をして来た わけではない。言語を学ぶのに多少苦労したが、それも元々の知識 と経験があったから人より圧倒的に早く喋れるようになっただけだ。 そもそも列車事故で死んだといっても︵多分死んだんだろう︶俺の 意識自体は連続しているし、記憶の欠落なども感じられない。 世の天才と呼ばれる人は﹁自分は天才ではなく、努力の人だ﹂と 言うらしい。その言葉は納得できる。地球の歴史上、真に天才と言 うに相応しい人は何人もいたであろうが、その他大勢は天才ではな く、努力してその能力を開花させ、少しづつ実績を積み上げていっ 90 たに違いないのだ。それを﹁天才だから﹂の一言で片付られたら、 それはたまった物ではないだろう。 しかしながら翻って見ると自分はどうなのだ。先程も述べたが努 力らしい努力なぞ何もして来なかったし、ここ1年は食っちゃ寝の 遊んでいたようなものだ。それがまだ発音に慣れていないところも あるが、1歳にして大人と問題なく言葉を交わせるようになってい る。意識と記憶が連続しているのだから当たり前だが、これは⋮⋮ 何と言うか、いわゆる天才と言っても良い状態なのではないだろう か? 多分、この世界は俗に言うファンタジー物語のような世界なんだ ろう。怪物がいて、魔法もある。中世封建社会によく似た王国があ り、俺はその地方領主の息子だ。多分俺の知識をもってすればこの 領地の生活レベルや収入に大きく貢献できることは間違いないと思 う。 この世界の常識や通常の考え方などまだまだ解らない事は多いだ ろうが、なに、そこはまだ1歳の乳幼児だ。これから幾らでも学ぶ 機会はあるだろう。もしかしたら魔法だって学び、使えるようにな るかもしれない。 よし、嫌味にならない程度で﹁天才﹂ってやつを演じてみよう。 せっかく生まれ変わったんだ。やれることは出来るだけ沢山やり、 経験を積み、この世界で自分の力を試してみるのも悪いことじゃな い。なにしろ、俺は一度死に、新たな生を受けたのだ。日本人の﹁ 川崎武雄﹂の生は終わり、アレインとしての生が始まっているんだ。 苗字が判らないのは締まらないけど、開き直りに近い気持ちでそう 思った。 91 これに気づかせてくれた姉のミルーに何故か感謝の気持ちが湧い てきた。そして、僅か7歳で弟妹を庇ってゴブリンに立ち向かった 兄のファーンがなんだか凄く格好良く感じた。 その後は当たり障りの無い会話でボロが出ないようにし、とにか く家に帰ることを考えた。一度整理して今後の計画を立て直したほ うがいいと思ったからだ。 ・・・・・・・・・ 家に帰ってシャルに今日あったことをファーンが報告する。黙っ ていれば判らないだろうに、とは思ったがファーンの矜持として嘘 は吐きたくないようだ。案の定、ファーンとミルーは俺を連れ出し た事でものすごい勢いで叱られていた。しかし、ゴブリンと戦った 事については叱らず、倒したこと、特に妹と弟、ケリーを庇った上 で倒したことについて褒められていた。 翌日、ヘガードが帰ってきた。帰る途中で村人からゴブリンのこ とを聞いたらしい。家の扉を開けるなり大声でファーンを呼びつけ、 ぶん殴ったようだ。それから俺にとって新たな事件が始まった。 このところヘガードが留守にしていたのは北西にあるドーリット の街まで神官を迎えに行っていたからだそうだ。ドーリットはバー クッドに一番近い街で、そこまでは馬車で片道3日程の距離だそう だ。ところで、この神官というのは、宗教家というものとはちょっ と違う。 92 普通、宗教関係者は自分の教会の勢力を強めるために信者を増や し、喜捨を募るのが一般的な感じだが、少なくともこのロンベルト 王国ではそういったことはない。まず、宗派というものがない。一 宗教一宗派しか存在しないのだ。また、信じがたいことに通常喜捨 は受け付けていないようだ。政治とある程度密接に関係しており、 戸籍管理を任されているらしい。 今回はその戸籍管理の一環としてバークッド村まで来た、という のが本当のところらしい。大体毎年1回バークッドに訪れ、戸籍調 査のようなものを行い、結果を上に報告することになっているそう だ。去年は俺が生まれるちょっと前に来たので俺は初めての経験と いうことになる。 親父がファーンをぶん殴った後で、俺は家の庭に連れ出された。 そこには、俺の他に2人の赤ん坊を連れた親がいた。 ﹁さて、グリード様、前回からの新生児はこれで全員でしょうか? 全員揃っているなら今年の命名の儀式を始めてもよろしいですか な?﹂ 神官が言う。グリードってのが俺の家名なのか。 ﹁ええ、これで全員です。早速お願いします﹂ ヘガードがそう言うと、神官はひと組の親子の前に立つと親に子 ネー 供の名前を聞いた。名前の発音を確認すると、赤ん坊の頭に手を触 れながら言った。 ムド ﹁ステータスオープン。天におわす神の代行者として名付ける、命 名、リリア﹂ 93 はぁ? ステータス? オープン? ネー あっけにとられる俺をよそに、神官は次のひと組の前に立つと、 同じように ムド ﹁ステータスオープン。天におわす神の代行者として名付ける、命 名、ロンド﹂ ネー 次に俺の前に立ち、俺の頭に手を載せ、ヘガードに俺の名前がア レインでいいか確認した。 ムド ﹁ステータスオープン。天におわす神の代行者として名付ける、命 名、アレイン⋮⋮。これで全員終わりました。グリード殿、御確認 願います﹂ ぽかーんとしている俺を放って置いたまま親父が俺の頭に触れて 言う。 ﹁ステータスオープン⋮⋮。アレインは問題ありません。ステータ スオープン⋮⋮。リリアも問題ありません。ステータスオープン⋮ ⋮。ロンドも問題ありません。司祭様、お手数をお掛けしました﹂ この神官、司祭だったのか。いや、そんなことはどうでもいい。 ステータスオープンだと? 一体何だ、そりゃ。ちょっとというか、 すごく試して見たかったが、今は命名の儀式の途中だ。 ﹁では、この3名を新たに人別帳に追加記載いたします﹂ ﹁はい、司祭様。宜しくお願いします﹂ 94 その後、ヘガードと司祭は何やら会話をしたり、俺を含む子供達 3人に神の祝福のお祈りのようなものをあげたりして、じきに儀式 は終了した。 ヘガードはまた司祭をドーリットまで送るらしいが、今晩は司祭 は家に泊まり翌朝出発するらしい。 とにかく儀式が終わったので俺はまた赤ん坊用のベッドに戻され た。 さて、早速試してみようか。 95 第五話 固有技能︵前書き︶ 2013年9月16日改稿 96 第五話 固有技能 今、俺は柵のついた赤ん坊用のベッドで寝ている。 勿論眠っている訳ではなく、横になっている、ということだ。 部屋には誰もいない。 さて、先ほどのステータスオープンとやらを試してみるか。 ところで、ステータスオープンって何だろう? ステータスオープンってことは状態を開けるってことか? 魔法なのだろうか? シェーミ婆さん︱︱治癒の魔法を使い兄を治療した村の住民︱︱ が魔法を使ったときには婆さんの手が光っていたはずだが、司祭の 手は光ってはいなかった。 俺は軽く目を瞑り、気持ちを落ち着かせると、おもむろに唱えて みた。 ﹁ステータスオープン﹂ アホか。 何も起こりゃしない。 当たり前だ。 しかし、司祭だけでなく、ヘガードも唱えていた。 ならば、さっきの﹁ステータスオープン﹂とやらは司祭という神 官職にとらわれるわけでは無いはずだ。 97 一体さっきと何が違うのか。 もう一度先ほどの命名の儀式とやらを思い出してみよう。 司祭はまず、子供の親から名前を聞き、その発音を確かめていた。 その次に、命名対象の赤ん坊の頭に手をやり、 手をやり、 なんだ。対象に触る必要があるのか? 俺、今は何も触っていなかっただろうか? 布団に触ってなかったか? わかんねぇ。あ、両手とも拳を握っていたような気が。 きっちり何かに触ってみてもう一度やってみるか。 俺はベッドの柵を掴むと、再度言ってみた。 ﹁ステータスオープン﹂ お、おおおおおおおおっ!! 何か視界の端っこにパソコンでも使っているかのようなウインド ウっぽいものが開いた。 青い半透明のウインドウには ︻ベッド︵幼児用︶︼ と白い字で日本語で書いてある。くそ、日本語かよ。懐かしすぎ て涙が滲みそうになる。と同時に結構なショックを受けた。一体こ 98 の世界は地球なのかそうじゃないのか改めて判らなくなった。 しかし、俺にも魔法が使えた。いや、魔法なのか? これ? 布団を触り唱えてみる。 ︻敷布団︼ 次は俺の服でも触ってみるか。 ︻前掛け︼ よし、本番行ってみるか。 両手で俺のほっぺたを触る。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429︼ ︻男性/14/2/7428︼ ︻普人族・グリード士爵家次男︼ ︻固有技能:鑑定︼ ︻固有技能:天稟の才︼ 今までよりも大きなウインドウに5行にわたって書かれていた。 1行目。俺の名前か。これは予想がついていた。しかし右の数字 がわからん。 2行目。性別とこれも右の数字はなんだろう? 3行目。予想外だ。多分﹁普人族﹂ってのは種族か何かだろう。 生物学上の分類だろうか? 4行目。意味不明、しかも字の色が暗い赤だ。 5行目。これも意味不明、こちらも字の色が暗い赤だ。 99 鑑定ってなんだろう? これも魔法なのだろうか? どうやって 固有技能の鑑定を使うのだろうか? 鑑定。普通はなにか美術品や 宝物などの価値を図る意味だよな? 青いウインドウに記載されて いる﹁鑑定﹂の字を見つめながら考える。 と思ったら急に視界に変化が起きた。 まず、俺の情報を表示していた窓が消えると同時に俺の視線の正 面にあった天井板のうちの1枚が明るく光っている。いや、正確に は光っているというよりは輝度が上がった。吃驚して視線がずれる と理解した。 俺の視線の先にある物の輝度が上がる。今まで輝度が上がってい た物は別の物に視線を移すと通常の見え方同様にまで輝度が下がる。 丁度ゲームか何かをプレイしていて、一枚絵の中でマウスカーソル を動かし、アイテムか何を選択できるような感じに見えるのだ。 と言う事は、選択出来るってことか? 試してみよう。まず手近なものでベッドだ。 ベッドの輝度が上がったところで選択するかのように意識を集中 してみる。 さっきと同じようなウインドウが開いた。今度は緑色だ。 ︻ベッド︵幼児用︶︼ 一緒じゃん。 と思ったら急にやる気が無くなった。 どうでもいいや。 寝よう。 100 赤ん坊は寝るのも仕事だしな。 寝ようと思って目を閉じても ︻ベッド︵幼児用︶︼ とまだ緑のウインドウが浮かんでいる。 何だよ、邪魔だな、ステータスの青いウインドウは対象から手を 離すとフッと消えたのに。消えろよ。 あ、消えた。 眠いわ。おやすみ。 ・・・・・・・・・ 夕方、晩飯の頃に起きた。 干し肉と玉ねぎが入ったオートミールとマッシュポテトと何かの 焼き肉の晩飯だ。 俺はまだ赤ん坊なのでオートミールだけだが。 今日は司祭がいるからか、オートミールだけじゃない。ちょっと だけ豪華版の夕食か。 もうシャルのあの形のいいおっぱいは吸わせてもらえないのか。 うちの家族と司祭と一緒に晩飯を食うと、明かりが消される。 もう寝る時間だ。 相変わらず夜は早く、朝は早いな。 俺、さっきまで寝てたからまだ眠くないんだがな。 101 ええい、いっちょここは賭けてみるか。 いや、俺の特殊性をこの村以外の人に知られるのはまずいか。 まして司祭だ。 宗教が絡むと万が一の時取り返しがつかない。 悪魔憑きとか言われたらたまったもんじゃないし、神の再誕とか 言われても問題が多いだろう。 おとなしくシャルに抱かれて寝室に行こう。 あ、シャルに抱かれているうちに試してみようか。 ステータスオープンの魔法? は﹁ステータスオープン﹂と呪文 を発音しないと使えないから、ここは鑑定だろう。念じる。 ﹃鑑定﹄ 対象選択モード︵仮称︶になったのでシャルを選択する。 ︼ ︻シャーリー・グリード/8/6/7421 シャーリー・チュー ン/24/11/7401 緑のウインドウにこんな内容が出てきた。 なんか名前が二つある。 家名が違うな。 あ、結婚後と結婚前の名前じゃないだろうか? と言う事はとなりの数字は日付か。 この書き方から言ってグリード家に嫁いだのが7421年6月8 日で、多分赤ん坊の頃に今日の俺のように命名の儀式で名付けられ たのが7401年11月24日ではないだろうか? 102 生まれてしばらくしてから︵今日の俺を例にとると大体1年後か ?︶に名付けられ、その20年後に結婚して名前が変わった、と考 えるのが自然だろうな。 そんなことを考えているとすぐに寝室につく。 ヘガードは丁度服を脱いでいるところだ。均整のとれたスポーツ 選手のような素晴らしい肉体だ。顔は普通だけど。 シャルによってベッドに寝かされる。 ﹁お休みなさい、アル。今日が貴方の名日よ﹂ 名日か。名付けられた日ってことなんだろうな。日本語だと命日 と被るな。 ﹁はい、お休みなさい、母さま﹂ 多分今日は客も泊まっているので俺の弟か妹を仕込むことはない だろう。 落ち着いて考えられそうだ。 まぁ、俺の精神年齢は既に46歳になっているので両親のセック スを見聞きしても若いなぁ、羨ましいなぁくらいにしか思っていな かったので、今更どうでもいい。 多分肉体的な年齢に引っ張られているので今のところ性欲なんか 全くない。 余計な音声がない分、考え事や鑑定が出来るってもんだ。 少なくともシャルを鑑定したことで追加でいくつか確定したこと もあるしな。 103 この世界︵もう地球じゃないことには諦めが付いた。ウインドウ の文字が日本語表記されていることには疑念が残っているが、ここ は考えても結論にたどり着く事はないだろう︶でも地球と同じよう に結婚すると家名が変わるのだろう。 恐らく結婚時にも新たに命名の儀式を行うか、結婚の儀式︵とい う物があればだが︶に命名の儀式も含まれるのだろう。 そしてその日付情報︵タイムスタンプ?︶は残される。 あ、 ああ、 あああああああっ! ここまで考えて気がついた。 俺のステータスウインドウは5行あって、固有技能:鑑定と固有 技能:天稟の才があった! 文字の色も赤でいかにもな感じだった。 そして、シャルには固有技能:なんちゃらと言うのがなかった。 あと性別︵とそのとなりの数字、多分日付︶や普人族・グリード 士爵家次男なんて行もあったはずだ。 と言う事はだ。 いつものまとめだが、 1.ステータスオープンの魔法︵?︶の方が鑑定の魔法︵?︶より 情報量が多い。 2.鑑定の魔法︵?︶は固有技能。 104 あ、まずい。 固有技能ってことは俺にしかないんじゃないのか? 少なくともシャルは固有技能を持っていない。 いや、シャルにはステータスオープンじゃなくて鑑定をしたのか。 シャルにステータスオープンは使っていない。 俺には鑑定を使っていない。 試してみたい。 しかし、ヘガードとシャルはもうベッドに入っている。 うーん。 どうしようか? いいや、やってみよう。 ﹁母さま。母さま﹂ シャルがベッドを抜け出して俺のところに来る。 ちなみにヘガードもシャルも寝巻きを着ているところは見たこと がない。 いつも裸で寝ている。 俺だけは赤ん坊だからかいつも服を着ている。 パジャマという文化がないのだろうと考える方が自然か。 ﹁どうしたの? アル。おしっこ?﹂ 俺を抱き上げた。 今だ。シャルにしがみついて、 105 ﹁ステータスオープン﹂ ︼ ︻シャーリー・グリード/8/6/7421 シャーリー・チュー ン/24/11/7401 ︻女性/11/10/7400︼ ︻普人族・グリード士爵家第一夫人︼ ︻特殊技能:水魔法︼ ︻特殊技能:火魔法︼ ︻特殊技能:無魔法︼ ふぁあ? 魔法三種類、だと⋮⋮!? ﹁ちょっと、アル。貴方、なにやってるのよ﹂ ﹁今日、父さまが僕にやってたんだ。あと、司祭様も﹂ ﹁アル、貴方、字が読めるの?﹂ ﹁字ってなに?﹂ まずい、字はまだ習っていない。ここは誤魔化しの一手だろう。 ﹁でもこれは青くて綺麗だなぁ﹂ ﹁もう、しょうがないわね。あ、私もまだ見てなかったわ、ステー タスオープン﹂ ﹁綺麗だよね、母さま﹂ 106 ちょっと上目遣いで表情を窺ってみるが、シャルの表情に特に変 化はなく、暫く俺のステータスを眺めると満足そうに、 ﹁ちゃんと名前がついているわ﹂ と言って俺をベッドに戻した。 俺に布団をかけながら、 ﹁今度はちゃんと寝るのよ﹂ シャルはベッドに潜り込んだ。 ・・・・・・・・・ 対象が見づらい暗闇でも触れてさえいればステータスオープンは 使えることはわかった。 次は鑑定だ。 早速念じてみる。 ﹃鑑定﹄ おおっ 視線の先の天井板の輝度が上がる。そのまま視線をずらすと、シ 107 ャルやヘガードの身体のうち布団からはみ出している部分の輝度も 上がる。ベッドや布団も輝度が上がる。直接視線が通ればなんだっ て選択できそうだ。 これ、むちゃくちゃ便利だな。 ヘガードでも鑑定してみようか。 ︻ヘグリィヤール・グリード/20/8/7422 ヘグリィヤー ル・グリード/25/7/7400︼ やはり名前だけか。 はぁ、なんだかやる気が削がれたわ。 どうでもいいや。 寝よう。 108 第六話 神︵前書き︶ 2013年9月16日改稿 109 第六話 神 そう言えば昨日の夜はヘガードの鑑定をして、結果は予想通り名 前と名日しか表示されなかったから急にやる気がなくなり、どうで も良くなって寝たんだった。 今日は司祭が帰る日だ。 ヘガードは司祭をドーリットの街まで再度護衛するのだろう。 家全体が既に出発に向けて忙しく動いている雰囲気がする。 ステータスオープンと鑑定。 どちらもそれなりに有益だ。 ステータスオープンは名前、性別、生年月日︵今日の日付が判れ ば年齢も逆算で計算可能だろう︶種族、所属、固有技能が観れる。 しかし、使用には詠唱と対象に触れなければならない制約がある。 鑑定は名前しかわからないが、詠唱の必要が無く、視線が通れば 暗い場所でも使用可能なのが魅力だ。うまく利用すれば夜間など光 のないところで行動するときにも役立つかも知れない。そして固有 技能、らしい。 解らない事は悩んでもしょうがない。 解ることを増やすために情報収集を行い、整理して物事に対する 理解を深めることは全ての問題解決の鉄則だと生前の自衛隊で叩き 込まれている。 その後の民間人としてのサラリーマン生活においてもこの鉄則は 役に立った。 110 既に俺の考え方の根幹を成していると言っていいだろう。 朝飯までまだ多少時間があるはずなので、ここで早速整理しよう。 ああそうだ。昨晩も似たようなことを考えて、まとめて整理して いた途中で思い立ってシャルにステータスオープンをかけてヘガー ドに鑑定をかけたんだった。その後、とっとと寝ちまったんだった。 じゃあ、これから昨晩の続きだ。 ︼ さて、細かいところを忘れちまった俺のステータス確認からだ。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︻男性/14/2/7428︼ ︻普人族・グリード士爵家次男︼ ︻固有技能:鑑定︼ ︻固有技能:天稟の才︼ ふむ。 命名の儀式は昨日だから、今日は7429年3月6日ということ になるな。 そして俺は去年の2月14日生まれ。 1歳になりたてってことだ。 普人族ってのがこの世界の人間のことらしい。今度機会があった らケリー︱︱狼人族の子供・ゴブリンとの戦闘時に一緒にいた︱︱ に試してみよう。 で、次はこのグリード士爵家次男だな。 これはいつ情報として載ったのか。 生まれた時からか、昨日の命名の儀式のときか。 ここで俺は昨晩見たシャルのステータスを思い出す。 111 ︼ ︻シャーリー・グリード/8/6/7421 シャーリー・チュー ン/24/11/7401 ︻女性/11/10/7400︼ ︻普人族・グリード士爵家第一夫人︼ ︻特殊技能:水魔法︼ ︻特殊技能:火魔法︼ ︻特殊技能:無魔法︼ 3行目にグリード士爵家第一夫人とある。 命名の儀式というものがあり、そこで名前をステータスに書き込 むらしい。 と、言う事は、このグリード士爵家第一夫人という種族の隣の所 属︵?︶の記載は自動で行われるということではないだろう。 ネームド もし自動で書き変わるなら名前だけが自動ではなくわざわざ儀式 をする︵と言っても命名の呪文を唱えるだけだったが︶意味が薄い。 なので、このステータスは自動では書き変わらない、と思った方 が良さそうだ。 それから、俺のステータスには暗い赤い字で﹃固有技能﹄という のがある。 鑑定と天稟の才の行がそれだ。 シャルの特殊技能の魔法三種は通常の白い字だった。 で、鑑定は使えた。 天稟の才とはなんだろうか? うーん、わからん。鑑定のように念じてみたがなにも変わったこ とは無かった。 112 残念だが取り敢えず天稟の才については今は棚上げだ。 それよりももっと大きな問題がいくつかある。 ひとつ、シャルは魔法が使える︵か、使える可能性が高い︶ ひとつ、俺には︻特殊技能:●●魔法︼ってのが無いのに、何故 か使えるステータスオープンの呪文は魔法ではない可能性がある。 ひとつ、固有技能の鑑定は発音を伴わなくても使える。 ひとつ、固有技能についての考え方にいくつかバリエーションが あるはず 1.固有技能というのが珍しい場合 A.俺の持っている鑑定と天稟の才はあまり珍しくない B.もうかなり騒いだ後でみんな知ってる。俺がその騒 動を覚えていないだけ 2.固有技能が珍しくない場合︵これはあまり問題がない︶ 但し、この1の場合、司祭に全く関心を示した様子が見られなか ったので、固有技能というのは一般的に言ってあまり珍しくはない、 ということだろう。 整理が進んだところで、当面行わなくてはならないこともまとめ よう。 1.シャルに魔法を習う︵これは当然だろう︶ 2.鑑定の射程︵?︶を確かめる 当面はこれだ。 1は直ぐには無理だ。今は出発の準備で忙しいだろう。 取り敢えずは2だな。 室内は問題なく全部鑑定対象になるだろうことは確認済みだ。 113 外に出ないと室内以上の長距離は無理だな。 外で鑑定を使ってみる。 およそ10m程度の範囲で視線が通るものであれば鑑定対象とな るようだ。 何も鑑定せずに視線を動かしていたら出発の準備で馬に装具をつ けていたヘガードに何をしているのか、勝手に家から出てはいけな い。と言われてしまい、せっかく外に出たのに1分程で家の中に戻 されてしまった。 最後に馬を鑑定したら、 ︻馬︼ としか出なかった。 馬に名前でもつけているかと思って鑑定してみたのだが、名前は つけていないようだ。そりゃそうか。正式な命名は司祭が魔法っぽ いものでやるんだしな。費用もかかるのかも知れない。 家の中に戻り、窓から外を見ようとしたが、身長が足りず窓から 覗くことが出来ない。これは分かっていたので家の中の物を使って 鑑定の練習でもするか。 この鑑定という固有技能は視線の先の鑑定可能なものが光って見 える。対象が光っている時にその対象に意識を集中すると︵俺の中 ではマウスで対象をクリックするような感覚で行っている︶その対 象が鑑定され、緑のウインドウが開くのだ。 次は適当なものを鑑定し、どういう時にウインドウが消えるのか 確かめよう。 今までは消えろと念じれば消えていた︵これはステータスも一緒 114 だが、ステータスの方は対象から手を離しても消えた︶。 だが、ウインドウが開いている間に視線をずらしたりした場合、 どうなるのか? 寝室の隅に座り込み、ベッドの上の枕を鑑定してみる。 ︻枕︼ 視線を動かすと、ウインドウは枕の傍まで移動した。 おお、なんだか面白いな。 更に体の向きまで変えて枕が視界に入らないようにしたら消えた。 枕に視線を戻しても消えたままだ。 うーん、昨日は鑑定ウインドウが開いている時に目を閉じても消 えなかった。 ああ、そうか、目を閉じる度に消えたら瞬きも出来ないことにな るのか。 次は鑑定対象を選択しないまま放っておいた場合、どうなるかだ な。これによって夜の便利さが格段に変わるだろう。 いつまでたっても選択モード︵?︶のままだ。多分もう30分は 経っただろう。 限界まで試してみようか? その時、シャルが部屋に入ってきた。 いきなり扉が開いて吃驚して集中を乱され選択モードが解除され たっぽい。 すると、なんだか眠くなってきた。 ん? 眠くなってきた? 115 そう言えば、昨晩もその前も鑑定していたらなんだかやる気を削 がれt⋮⋮。 シャルは俺に朝食を摂らせる為に来たらしい。 眠そうな俺の口にスプーンでオートミールを食べさせようとして、 その度に俺は眠いのを我慢して食べた。食事をしたら寝てしまった。 次に起きたのは昼食時だ。 それまで数時間ずっと寝ていたことになる。 ヘガード達は既に出発したらしい。 目覚めは爽快だったが、中途半端にしか朝食を摂っていないので かなり空腹だった。とにかく食事ができるのはありがたい。ガツガ ツと飯を食ってちょっと落ち着き、改めて考えてみる。 鑑定を使っていたら眠くなった。抗えないほどではないが、抗う のはかなりきつい。多分一人であの状態になったら抗えず寝てしま うだろうという程度には強い眠さを感じた。 何故眠くなるのだろう。鑑定はあまり使わない方が良いのだろう か。 だとしても能力の特性を掴むことは重要だ。 基本的に明かりのないこの世界で夜間に活動する際には非常に便 利なのは間違いがないだろう。 今は赤ん坊の体でそれなりの体力しかないから眠気を我慢するの が困難なだけかもしれない。 昼食の後でまた寝室のベッドに転がされたまま考え事をする。 また鑑定を使ってみようか? 今なら眠くなっても寝てしまえばいい。 116 使ってみた。棚を鑑定してみる。ウインドウを消す。 30分ほどステータスを出したりして様子を見てみたが眠くなる 気配は全くない。 もう一回使ってみた。やはり眠くならない。 ステータスや寝返りを打ってみたり、ベッドの柵に手をかけて立 ち上がってみたりしてみたがなんの異常も感じられなかった。 ただの偶然だったのだろうか。 再度使ってみた。眠気は感じない。 やはり偶然眠くなっただけなのか。 よし、それじゃあ選択モードの持続時間のテストでもしてみよう か。 また鑑定を使って選択モードのままにしてみた。 あちこちに視線をやってみる。 丁度俺が寝ているベッドの柵に視線が行った。 当然輝度が上がって見える。 ぼうっと選択しないままに見つめていたが、疑問が湧いてきた。 これは一体どういうことか? このまま鑑定するとベッド︵幼児用︶と出るのだろうが、何故、 柵、とか木材とかいう鑑定にならないのだろうか。 俺の体に視線を移してみる。 117 鑑定をするときっと俺の名前が表示されるのだろう。 アレイン・グリードの右手、とか肉︵普人族︶とかにはならない のはなぜか? 俺は右手を持ち上げて顔の前に翳す。 そして気がついた。 指一本だけ光らせることが出来ない。 勿論右手一本だけでもダメだ。 ちょっと実験してみよう。 俺は選択モードのまま毛髪を一本抜くとそれを顔の前に持ってく る。 あ、毛だけを光らせることはできる。 ︻頭髪︼ なるほど、と思ったら急激に眠気が押し寄せて来た。 おいおい、なんでだよ。 ・・・・・・・・・ ん? 何処だ、ここ? ・・ 真っ白い空間に漂っている感覚。 見回しても何も目に入らない。 118 そう、俺の体も視界に入らない。 ただ白い空間があり、そこに浮かんでいるだけの感覚。 目に映らないだけで手足はある感じ。 ただ、手を動かして体の別の場所を触ろうとしてもできない。 変な感じだ。 一発で夢とわかるが、それだけだ。 目が覚める訳でもない。 何分経ったろうか? 10分? 20分? 或いは1分? ﹁お待たせしたようですね﹂ 男とも女とも判断のつかないような声が響く。 ﹁あなたの意識と同調するのにちょっと時間がかかってしまいまし た﹂ ﹃誰だ?﹄ 声に出そうとしても声が出ず、意識だけが漏れ出した感じ。 ﹁ええと、私の名は正確には発音できないでしょう。強いてあなた の知っている呼び名で言えば⋮⋮まぁ、神様、でいいでしょう﹂ ﹃はい?﹄ 119 心の声が漏れ出した。俺が言ったわけじゃない。いや、つい口を ついて出た感じはしたので、実は俺が言ったのだが。 ﹁おや、私を知らないのですか? 神と呼ばれることが多いのです が?﹂ ・・ ﹃いいえ、存じています。もしかしてあの神様ですか?﹄ ・・ ﹁はぁ、どの神様かは知りませんが、そうですよ。私が神です﹂ うぉうぇえええ!? ﹃か、神様!? ははぁーーっ、頭が高くて申し訳﹁そういうのい いですから﹂ ﹃うぇあ?﹁時間無いんです。この空間維持するのも結構大変なん です。なので私が許可するまで対話形式はなしです。思考もなしで す。30秒で理由を理解させて、30秒で状況を把握させて、その 後質問を受け付けます﹂ 流れ込んできた知識︵?︶に驚愕する。 現世で俺が死んだ列車の脱線事故は正確には列車と踏切横断中の バスとの衝突事故だった。事故発生の理由は、遮断機の信号のミス。 但し、ミスの原因は人では無く、この神と起源を同じくする別の神 二柱との間にくだらない争いが起き、その調停にこの神が立って結 界を張って争いが他所に波及しないようにしていたのだが、あると きちょっと気を抜いてしまった。その時漏れた争いの余波で電気信 号が狂ったためらしい。 120 掻い摘んで原因を書くとこうなる。本当はもっといろいろな情報 が流れ込んできた︵くだらないとされる争いの理由や争いの余波が どのようなメカニズムで遮断機に狂った信号を流して誤作動させた のか、など︶が、簡単にまとめた。 従って、本来ならあの事故は発生しなかった。 あの事故で俺を含め39人が死んだそうだ。 事故後に放映されたニュース映像も一部見せて貰った。 それでも普通は﹁ああ、何十人も死んじゃったね。残念﹂で済ん でしまうらしいのだが、今回わざわざ事故の犠牲者達を転生させた 理由は、お詫びや賠償というよりは、もっと簡単なものだった。 どちらかというと、小学校のクラス全員で育てていた大きなアリ の巣のアリ数匹を、クラスの有力者の2人が個人的な諍いの末、故 意ではなく踏み潰してしまった。お互いにアリを踏み潰して殺して しまったのは相手のせいだと言い始め、諍いの収拾がつかなくなり そうだったので、唯一クラスでその二人に真っ向から意見できる級 長が﹁もう争いは止めたまえ。もう一個作っている別の水槽に踏み 潰されたアリを移せば生き返らせる事ができるし﹂と言ったので鉾 を収めるために仕方なく従ったというところのようだ。 そこにアリに対する愛や責任というのは無い。諍っていた二人は 相手を貶めるために﹁死んだアリが可哀想だ、こんな可哀想なこと するお前はひどい﹂と言うが、別に本心から言っていたわけでは無 かった。建前で言っていただけだ。クラスの皆はそんなことは解っ ていたが、面倒くさいのでいちいち﹁嘘つくな﹂とか指摘したりは しない。 しかし、建前でも﹁可哀想﹂という言葉が出てしまったので、 121 アリに対する賠償をせざるを得なくなり、転生させた、というとこ ろらしい。 また、賠償という語が出てしまったため、転生させる犠牲者は調 停役の神を含めた三柱がその後の人生に有利となるハンデとして ・全員同じ日に転生︵亡くなった時の年齢は関係なし︶ ・記憶及び意識の連続性を保つ ・固有技能をひとつランダムに授ける ・何かがレベルアップした時に神が説明︵この空間︶を行う ・レベルアップ時のボーナスがこの世界の一般的な生物よりも多い ・生まれる場所や家柄、立場などはランダムに決まる という条件を与えたのだそうだ。 これで理由と状況の理解タイムは終了らしい。 やっと質問タイムだ。 122 第七話 質問タイム︵前書き︶ ほぼ全て会話回です。 2013年9月16日改稿 123 第七話 質問タイム ﹁川崎武雄よ、いや、アレイン・グリードと呼んだ方が良いか。あ なたが転生した理由と状況について理解しましたね﹂ ﹃はい﹄ ﹁では質問を許可します。何でも訊いて良いですが、その全てに答 えがあるとは限りません。尤も、大抵のことは答えられると思いま すが﹂ ﹃解りました。では最初の質問です。質問回数に制限はありますか ?﹄ ﹁最初に時間無いって言いましたよね? 回数に制限はありません が時間制限はありますよ。残り時間はあなたの主観時間でおよそ1 8分ほどです﹂ ﹃了解しました。先ほど転生者の条件で﹁固有技能をひとつランダ ムに授ける﹂というものがありましたが、どうやら私には2つある ようなのですが、これは?﹄ ﹁ああ、先ほどの理由・状況説明は全員にするビデオの様なものな ので、個々人毎に内容は違わないのです。あなたは最期の時に身を 呈して一人の命を救っています。その褒美だと思ってください﹂ ﹃ああ、最後に庇った子供か。助かったのですか?﹄ 124 ﹁はい、それで貴方にはその子供の分として特別にもう一つ固有技 能を授けています。鑑定の技能がそれです。今回はその鑑定の技能 がレベルアップしたのでこうして時間を作りました﹂ ﹃へぇ、レベルアップ。あ、いまの言葉遣いですが、どうも私の意 図したのとは違う言葉が出てしまうことがあります。これは私が考 えるに肉体的な年齢に精神が引っ張られているのでしょうか?﹄ ﹁ええ、その通りです。あなたは前世で45才まで生きました。今 世ではまだ1才ですが、その精神年齢は46才と言っても差し障り はないでしょう。ですが、あなたのいまの肉体は1才です。体力も それ相応となっています。あなたの感情や考え方はその年齢の肉体 が持つ感性などに引っ張られています。ですが、あと2∼3ヶ月も すれば、そのあたりの整合性はとれる、というか今の肉体に精神が 慣れるので、精神年齢相応の喋り方も問題なく出来るようになるで しょうし、感情の制御も問題なく行えるようになるでしょう。その あたりは時間の問題だと思ってください﹂ ﹃ステータスや鑑定のウインドウ内の文字が日本語に見えます。こ の世界の文字は日本語なのですか?﹄ ﹁いいえ、ステータスや鑑定のウインドウは実行者にしか見えませ ん。精神力、本当は魔力で視神経に表示しているのです。ですので、 あなたが一番理解できる言語で表示というか表記されているだけで す。もし、あなたが英語が一番理解できる言語の持ち主であったら 英語表記になったはずです﹂ ﹃名前の横などに日付のような数字がありますが、あれは日付です か? また、もし日付であればこの世界の時間の長さ⋮⋮例えばこ の世界で1時間と言った場合、地球の1時間と比べてどのくらい違 125 うのですか?﹄ ﹁あれは日付で合っています。時間の件は、後ほど自分で確かめて、 と言いたいところですが、これは地球の時間と同じです。但し、1 年間は360日です﹂ ﹃今回の列車事故で亡くなったとされる39人全員がこの世界に転 生しているのですか?﹄ ﹁はい、全員が同じ日に転生しています﹂ ﹃そのうち、私のように複数の固有技能を持って転生した人は他に いますか?﹄ ﹁いいえ、いません。あなただけが特別に複数の固有技能を持って います﹂ ﹃私以外の転生者がいる場所を教えてください﹄ ﹁それは後ほど自分で探すなり調べるなりしてください﹂ ﹃私の妻は元気でしょうか?﹄ ﹁あなたが亡くなって暫く、そうですね、半年ほどは精神的にかな り辛そうでしたが、今は元気に日々を過ごしているようですよ﹂ ﹃そうですか、それはよかった。前世の家族に連絡は取れますか?﹄ ﹁無理です。こちらが原因であなたの命を絶ってしまって申し訳あ りませんが、あなたは既に死んでいるのです﹂ 126 ﹃そんな、理不尽な⋮⋮。転生者に今回の説明をするのは私が初め てですか?﹄ ﹁いいえ、あなたの前に説明した人はいますよ﹂ ﹃そうか、既に固有技能のレベルアップをした人がいるのか⋮⋮﹄ ﹁既にその方の一人は今世でも亡くなっていますがね﹂ ﹃え? もう死んでいる人もいるのですか?﹄ ﹁はい、39人中既に8人が亡くなっていますよ﹂ ﹃死因を教えて下さい﹄ ﹁精神錯乱からの事故死が一人、病死が四人、単純に世帯収入が低 く、間引きの対象になっての餓死が一人、騒乱に巻き込まれ、ダメ ージを負っての死亡が一人、捕食対象となって食い殺されたのが一 人ですね﹂ ﹃うわ、俺は運も良かったんだなぁ。転生者の転生先はどのように して決定されたのですか?﹄ ﹁完全にランダムですが、近隣に転生者がいないように全員ある程 度の距離は置かれています。ですので最も離れた人との距離はかな り離れています。ちなみにあなたは転生位置では端の方です﹂ ﹃私の前にお会いになった転生者のうち何人が既に死亡しているの ですか?﹄ 127 ﹁一人です﹂ ﹃私の前に何人の転生者とお会いになられましたか?﹄ ﹁二人です﹂ ﹃では、現在生存している転生者のうちで神様がお会いになられた のは私ともう一人だけですね﹄ ﹁はい、そうです﹂ ﹃この世界に名前はありますか? あ、前世で言う﹁地球﹂のよう な呼び名ですが﹄ ﹁普通はオース、と呼ばれているようですね﹂ ﹃この世界は天体なのですか?﹄ ﹁それはご自分で確認してください。世界には端があって、その端 では海水が落ちているかも知れませんし、蛇、亀、象の上に半球が 乗っているかも知れません﹂ ﹃この世界の物理法則は地球と同一ですか?﹄ ﹁魔法が一部物理法則を捻じ曲げることが出来ますが、それ以外は ほぼ地球と同じだと思ってもらって構いませんよ﹂ ﹃この世界の自然、植生や動物などで地球と共通ではないことはあ りますか?﹄ 128 ﹁沢山あります﹂ ﹃それはどんな事ですか?﹄ ﹁植物分布などで地球とはかなり異なることもあるようですが、共 通してることも多いです。また、動物も地球と同様に進化していま すが、進化の樹形図が異なっています。あなたも既に知っているで しょうが、獣人類などがその最たる例ですね。もっと細かいことは 沢山ありますが、それらの説明をすると時間が足りませんが、時間 いっぱいまでの説明を望みますか﹂ ﹃いいえ、結構です。この先の質問で関連することがあれば都度そ の部分についてご説明願います﹄ ﹁はい﹂ ﹃私は1年ほどこの世界で生活してきましたが、文明レベルは地球 で言うどの程度なのでしょうか? 私の暮らしてきた土地が平均な のかわからないもので﹄ ﹁だいたい地球で言う7世紀∼15世紀くらいですね。地方によっ ても異なりますので一概には言えません。また、文明という言葉の 定義が曖昧なので、各種道具や服飾、食事や商業の文化的発展度な ど最低から最高レベルまでごちゃまぜで考えると先の答えになると いうだけです。なお、あなたが暮らしてきた土地はかなり進んでい る方ですよ。これ以上は自分で直接確かめてください﹂ ﹃この世界の地図を貰えますか?﹄ 129 ﹁あげられません。ここでは許可された範囲での知識を質問に答え てお渡しするだけです。また、何か物品や画像イメージとなるもの はお渡しできません﹂ ﹃なるほど、じゃあ、全く知らない知識はどうなるのかな? あ、 すみません。ではチタン合金の精錬の仕方を教えてください﹄ ﹁教えられません。ここでは許可された範囲での知識を質問に答え てお渡しするだけです﹂ ﹃うーん、これから先の私の人生で再度神様にお会いして質問する 機会がありますか?﹄ ﹁あるかも知れませんし、ないかも知れません﹂ ﹃それは私のこれからとる行動によって変わるということですか?﹄ ﹁どうでしょうね。ただ、我ら神はこれでも忙しいので、常にあな たがたの行動を監視していたりはしませんし、あなたがたこの地に 生きるものや地球に生きるもの達の呼びかけに答えることもありま せんよ。なのでこれが最初で最後の機会だと思っておいたほうが良 いでしょうね。ただ、接触すること自体は禁じられておりませんの で、こちらから接触する必要を認めた場合には、再度このようにし て会うことになるかも知れません。まず無いでしょうが﹂ ﹃もっと身近で細かいことを聞いたほうが良さそうだ。と、すみま せん。固有技能なのですが、ステータスオープンで見れる情報だと 暗い赤い字で表記されていますが、これは何故ですか?﹄ ﹁字の色が赤いのは固有技能だからです。また、固有技能は他人が 130 ステータスを見ても見れません。本人しか見ることはできませんし、 固有技能に限らず、レベルのある技能についてのレベル情報は本人 にしか見えません﹂ ﹃先ほど、鑑定の技能がレベルアップとおっしゃいましたが、どう レベルアップしたのでしょう?﹄ ﹁それは後ほど自分で確かめてみてください﹂ ﹃レベルアップすると何かいいことがありますか?﹄ ﹁言葉の意味からすると有るのでしょうね。後ほど自分で確かめて みてください﹂ ﹃ステータスオープンと鑑定の固有技能とはどのような違いがあり ますか?﹄ ﹁ステータスオープンは特別な能力ではありません。誰でもいつで も使うことが出来る代わりに、得られる情報は限定されています。 鑑定は貴方だけが使える代わりにより詳細な情報が得られます﹄ ﹃私の命名の儀式において、司祭が﹁命名﹂の魔法を使っていまし た。私も使えるようになりますか?﹄ ﹁命名はいささか特殊な技能です。長年にわたって私たち神に仕え た者に希に与えられる技能です。私たち神は1年に1回だけ神を祀 る社に赴きます。そこで神同士旧交を温めたりもするのですが、そ の際に幾人かの神官を選び命名の技能を与えます。よく仕え、清ら かな心を持ち、そしてその心の永続性を疑わせないような人物にの み命名の技能は与えられます。普通の地球育ちの人物ではそういう 131 人はまず居ませんので、命名の技能をあなたが獲得することは無理 とは言いませんが難しいでしょうね﹄ ﹃神を祀る社って、神社か。出雲の国の神在月のようなものだろう か? おもしろいな。と、そのタイミングで幾柱の神様がお集まり になられている神を祀る社に行けば、お会いすることはできるので はないですか?﹄ ﹁ええ、神社でいいですよ。オースでは神を祀る社と呼ばれていま すが、同じものと考えて構いません。私たちは直接社の中に実体化 して集まるのではなく、このように別の空間を社と重ねて集まるの で会うことはないでしょう。ですが幾柱かの神はオースの民と深く 関わっています。あなたがこれからの生活において世界に雄飛する 事があれば自ずと理解できるでしょう。直接会えないとは思います が﹂ ﹃固有技能以外で、例えば特殊技能をこれから得ることは可能です か?﹄ ﹁可能です。特殊技能というとなにやら難しそうですが、ある特定 の方向に向いた才能、だとでも理解してください。恐らくそれが一 番近いです。例えば、地球では有名だと思いますが、地球の一般的 な蝙蝠は特殊技能:超音波を持っています。また、高名な芸術家な どもなんらかの技能を持っていることが多いようですね。大きく分 けると自分の努力次第で後天的に得られる技能と、先天的にしか得 られない技能に分けられます。ちなみに後天的に得られる技能は魔 法に関する技能のみです﹂ ﹃なんと、俺も魔法が使えるようになる可能性は否定されなかった ! あ、度々すみません。では走るのが速いとか剣を使うのが上手 132 いとかは技能ではないのですね﹄ ﹁ここでは思ったことは全て判りますのでいちいち謝る必要はあり ません。そうですね、瞬足や剣技などといった技能はありません。 速く走りたいのであれば体を鍛え、剣を上手く扱いたいのであれば 練習をする必要があるでしょうが、後天的に獲得できる技能とは根 本的に異なります﹂ ﹃私の持っている固有技能の天稟の才とはどのようなものですか?﹄ ﹁それは教えられません。ここでは許可された範囲での知識を質問 に答えてお渡しするだけです﹂ ﹃ヒントだけでも。あ、﹁天稟の才とは天才という意味です﹂ ﹃それは知って﹁そろそろ時間です﹂ ﹃解りました。最後に一ついいですか?﹄ ﹁ま、いいでしょう。なんです?﹂ ﹃私はこの世界で出世できそうですか?﹄ ﹁今回の転生者全員が一角の者になれる素質を与えらています。特 に記憶の継承と固有技能は非常に、いえ、ものすごいアドバンテー ジです。あなたはその固有技能を二つも与えられています。これで 出世できなければ、あなたは余程の愚か者か、ものすごい小心者、 ということになります。ああ、別にそれでも何の問題もありません。 我々のミスで不本意な人生の中断をされてしまった訳ですから、ハ ンデくらいあげます﹂ 133 ﹃解りました、期待していてください﹄ ﹁誤解しないで欲しいのですが、我々は転生者の方々に何の期待も していません。こうしろ、ああしろとも言いません。ただ、新たな 人生を用意したに過ぎませんので。ですが、満足のいく人生を送れ るといいですね。では、これで終わりです﹂ ・・・・・・・・・ 気がつくとベッドにいた。 一度にいろいろな情報を得たため、少し混乱気味だ。 特に転生の原因については今更ながら多少腹が立つ。 まぁ、神様に不満を述べても仕方ないのだろうが。 愚痴を言ったり、のべつ幕なしで不満をぶち上げてなにか解決す るのであればいくらでも言うが、そんな事は今までの人生で何一つ なかったしな。むしろ言われた方の不興を買うだけで何も益するこ とはない。 与えられた材料と状況で最善を尽くすのみ、だ。 ただ、これは夢ではない事は確かだろう。 なぜなら、目の前にステータスのようなウインドウが浮かんでお り、そこには ﹁ある意味でここからがこの世界での人生の本番です。未だこの入 134 口にすら辿りつけていない人もいますが、貴方は39人中3番目に スタートラインを踏み越えているのです。これから先、何をするの も貴方の自由です。 また、もう二度と転生はありませんので、後悔だけはしないよう な人生を送ることを勧めます﹂ とあった。 ふざけている。と思ったが、転生や前世記憶の継承、固有技能な どもっとふざけていると思ったので黙ってウインドウに﹁消えろ﹂ と念じた。 本当は先ほどの神様とはもう少し突っ込んだ話もしたのだが、こ こでだらだらと全てを述べてもあまり意味がないだろう。 機会があればその内容を述べることもあるかも知れない。 135 第八話 レベルアップ1︵前書き︶ 2013年9月16日改稿 136 第八話 レベルアップ1 シャルが部屋に入ってきた。ベッドの毛布を干すために取りにき たらしい。 丁度いい。 ﹁母さま、あのね?﹂ ﹁ん? なに?﹂ ﹁昨日の夜に言っていた字ってなぁに?﹂ ﹁ああ、ステータスを見たときね。字というのはねぇ、記録よ。記 録ってわかるかな? 例えば、今話していることを忘れないでいよ うとしたら、どうする?﹂ そういう教え方か。話を合わせようか。 ﹁うーん、一生懸命覚えておく!﹂ ﹁そこで、字なのよ。話している言葉をそれに対応した形の決まり を作って、その決まりに従って何かに書いておけばどうかな?﹂ ﹁えーっと、決まりを忘れないで、書いておいたものを無くしたり しないなら、話したことを忘れても大丈夫ってこと?﹂ ﹁そうね。その決まりの形のことを文字とか字って言うのよ﹂ 137 ﹁ステータスにはその字があるんだ。あの変な模様が字なの?﹂ ﹁そうよ。アル、貴方、字を覚えたいの?﹂ よっしゃ。行きたい方向に進みそうだ。 ﹁うん、覚えたい!﹂ ﹁そう、じゃあ教えてあげるわ﹂ こうして俺は母親から字を教えてもらえることになった。実のと ころ、今まで字の勉強がしたくても余りに不自然で言い出せなかっ たのだ。助かった。字については明日の午前中から毎日教えて貰え ることになった。よし、ついでにこっちも言ってみるか。 ﹁字を覚えないと魔法を覚えるのは難しいの?﹂ ﹁うーん、無理ではないけど、字の読み書きが出来ないとすぐに難 しくなるわね。もし貴方に魔法の才能があれば字を覚えたあとに教 えてあげるわ﹂ ﹁やった、有難う、母さま!!﹂ うおお、やった。魔法も教えてもらえる。これは嬉しい。 シャルは毛布を抱えて部屋から出ていった。 さて、早速確認が必要なことがあるな。 先ほど神様が仰っていたことだ。 そもそも神様がこちらに接触して来られたのだって、鑑定がレベ 138 ルアップしたからだ、と仰っていた。 早速ステータスオープンだ。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429︼ ︻男性/14/2/7428︼ ︻普人族・グリード士爵家次男︼ ︻固有技能:鑑定︵Lv.1︶︼ ︻固有技能:天稟の才︼ 鑑定の固有技能にレベル表記が付いていた。しかし、レベル1っ てことは今まではレベルが無かったか、無理やり表現するとレベル 0だったってことか。 天稟の才は何も変わった表記にはなっていない。 早速鑑定を使ってみるか。 ︻ベッド︵幼児用︶︼ ︻オーク材︼ おお、表示内容が増えている。 材質が表記に追加された。 と言う事は鑑定の固有技能がもっとレベルアップしたら更に詳し く判るようになると思って良いのではなかろうか。 ここで疑問が残る。そもそも鑑定の固有技能は何故レベルアップ したのだろう? 使えば使う程、技量が上がったことになったのだろうか? そうとしか考えられない。 139 鑑定の技能を使う以外に特別なことはしていない。ステータスオ ープンは使ったが、あれは誰もが使えるということだし、特別なこ とには入らない気がする。 それとも鑑定した物が重要なのだろうか? ちょっと思い出してみよう。 最初は昨日の午後、ステータスオープンを初めて使った時に鑑定 の固有技能に気がついたんだ。鑑定したものはベッド。 次は昨日の夕食後、シャルとヘガードだ。 その次は今朝、馬と枕と鑑定モード中のキャンセル。 その次は今日の午後、棚×3と俺の髪の毛 レベルアップの要素ってなんだ? 最後に鑑定したのは俺の髪の毛だ。これか? ︵鑑定︶ ︻頭髪︼ ︻普人族の毛髪︼ 別段変わったことはないな。 念のため ﹁ステータスオープン﹂ ︻アレイン・グリード/5/3/7429︼ ︻男性/14/2/7428︼ ︻普人族・グリード士爵家次男︼ 140 ︻固有技能:鑑定︵Lv.1︶︼ ︻固有技能:天稟の才︼ うん、レベルは1のままだ。 だとすると回数か? ひのふのみの⋮⋮。 10回鑑定した時にレベルアップしている。 ならば今1回新たに鑑定したのであと9回かな? ︵鑑定︶ ︻ベッド︵幼児用︶︼ ︻オーク材︼ ︵鑑定︶ ︻ベッド︵幼児用︶︼ ︻オーク材︼ ︵鑑定︶ ︻ベッド︵幼児用︶︼ ︻オーク材︼ ︵鑑定︶ ︻ベッド︵幼児用︶︼ ︻オーク材︼ くそ、眠い。何もやる気がしない。 141 ・・・・・・・・・ 夕食時に起こされた。 気分は爽快だ。 昨日からあれだけ眠りゃ当たり前か。 離乳食のオートミールをミュンに食わせてもらいながら考える。 相変わらず美味くない、と言うより、不味いわ。 じゃなくて鑑定をしていると眠くなることについてだ。 最初は1回で眠くなった。次は2回鑑定するまで問題なかった。 その次は3回だ。このときに急に襲って来る眠気と鑑定について怪 しんだ。その次には用心しながら使い、大丈夫かと安心したら4回 目で眠くなり、神様に呼び出されたんだ。 で、レベルアップ。 本当、不味いな。オートミールって。塩っけが足りないんだよな、 この家は。 さっきは髪の毛とベッドを5回鑑定したときに眠くなったはずだ。 じゃあ、次は6回目の鑑定で眠くなるのだろうか? どうせ晩飯を食ったら寝るだけだ。 実験してみるか。 現代日本人の俺には本当に口に合わないわ、さっさと食っちまお 142 う。 ﹁旦那様、奥様、アル様がご自分でお食事を摂られています!﹂ うわっ、急になんだよ。 ﹁ガキじゃあるまいし、そりゃ飯くらい自分で⋮⋮。あ゛﹂ まずい、変な事を口走った。おおっ、と一度は感心した顔をした 両親と兄姉とミュンだが、既にぽかーんとしている。 やばいわ、こりゃ。 ﹁僕だって、ご飯くらい一人で食べられます﹂ とにかく誤魔化して押し切るしかないか。 ﹁アル、お前はまだガキどころか赤ん坊だ。それにそんな汚い言葉 をどこで覚えた?﹂ ヘガードが真剣な顔で言う。 ﹁ごめんなさい。父さま。その、誰かが言っていたもので⋮⋮﹂ しおらしい態度が出来たろうか。 ﹁⋮⋮まあ、いい。一人で食べられるのならこれからは一人で食べ ろ﹂ ﹁はい、分かりました﹂ 143 誤魔化せた、のか? 恐る恐るテーブルを眺めてみる。皆がこちらを見ている。 木の匙でオートミールをすくい、食べる。 ちょっと危なっかしい手付きをしてみた。 何回か食べると皆、自分の食事に戻る。 俺はひと皿分のオートミールを食べ終わった。 皆も食事が終わったようだ。 シャルが俺を抱き上げる。寝室に行くのだろう。 なんとか誤魔化せたようだ。ふぅー、良かった。 ・・・・・・・・・ シャルが俺を寝かしつけようと子守唄を小声で歌っている。 ︼ 大丈夫、あと6回も鑑定すればすぐ寝るさ。1分もかかりゃしな い。 ︵鑑定︶↓俺 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ あれ? ステータスオープンのときと表示が違うな。 これが鑑定Lv1の効果か。 144 ︵鑑定︶↓シャル ︼ ︻シャーリー・グリード/8/6/7421 シャーリー・チュー ン/24/11/7401 ︻女性/11/10/7400・普人族・グリード士爵家第一夫人︼ ふむ。内容的には想像通りだ。 一気に行くか。 ︵鑑定︶↓シャル ︼ ︻シャーリー・グリード/8/6/7421 シャーリー・チュー ン/24/11/7401 ︻女性/11/10/7400・普人族・グリード士爵家第一夫人︼ ︵鑑定︶↓シャル ︼ ︻シャーリー・グリード/8/6/7421 シャーリー・チュー ン/24/11/7401 ︻女性/11/10/7400・普人族・グリード士爵家第一夫人︼ ︵鑑定︶↓シャル ︼ ︻シャーリー・グリード/8/6/7421 シャーリー・チュー ン/24/11/7401 ︻女性/11/10/7400・普人族・グリード士爵家第一夫人︼ これでレベルアップしたんじゃないかな? ステータスオープンで確かめてみたいが⋮⋮。 145 最後に俺を鑑定して確認するか。 ︵鑑定︶↓俺 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︼ ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態・良好︼ お。レベルアップしたようだ。状態の行が増えた。 良好とあるけど、なんだ? 健康状態のことかな? だとすると結構便利だ。 回数制限はあるけど、ステータスオープンなんかよりずっと便利 そうだ。 無事レベルアップも確認できたし、眠くなったから寝よう。 146 第九話 レベルアップ2︵前書き︶ 2013年9月16日改稿 147 第九話 レベルアップ2 相変わらず爽快な目覚めだ。 鑑定をして寝ることの利点が更に加わったな。 今日からシャルに字を教えて貰える。 ここ1年、言葉を覚えること以外は特にやることもなくぼーっと 家の中で過ごしていたので、何かをやっているここ数日は非常に充 実感がある。 朝食を摂ったらすぐに字の授業が始まった。 ファーンとミルーも一緒だ。 文字には表意文字は無いそうで、全て表音文字だ。要はアルファ ベットだな。 文字数もさほど多くない。全部で29文字だ。 皿の上に砂を敷いて指で文字を書く。 形状は曲線が多くなく、ほとんど直線での表記だ。 発音と一緒に習ったのでアルファベットと対応して俺はすぐに覚 えられた。 ここでも﹁天才か﹂という顔をされたが、すましていた。 文法がほぼ日本語なのでなんとなくローマ字で日本語書いている ような、変な気分がする。 148 ︼ 俺はさっさと覚えてしまったので、ちょっと鑑定でもしようか。 ︵鑑定︶↓ファーン ︻ファンスターン・グリード/18/2/7423 ︼ ︻男性/21/1/7422・普人族・グリード士爵家長男︼ ︻状態・良好︼ ︵鑑定︶↓ミルー ︻ミルハイア・グリード/26/2/7425 ︻女性/2/2/7424・普人族・グリード士爵家長女︼ ︻状態・良好︼ そのまま5回鑑定した。 眠くなったのでシャルに言って寝た。 ・・・・・・・・・ 鑑定の繰り返しと毎朝の文字の勉強でその後2日過ごし、翌3日 目の朝の鑑定時間中。 鑑定の固有技能のレベルが上がりレベルは4になった。 状態に加え、年齢とレベルも判るようになった。 年齢は性別のところに生年月日が表示されるのであまり意味がな いと思ったが、生物でない物体を鑑定すると作成もしくは加工した 149 年月日が表示されるので地味に便利だ。あと、いちいち計算しなく ていいので助かるといえば助かる。 レベルは多分生き物としてのレベルなのだろう。俺のレベルは1 でファーンとミルーも1だ。ヘガードは15でシャルは14だった。 メイドのミュンは2だった。ミュンの年齢は17なのでもう少しレ ベルが高くてもいいのではないか思うのだが⋮⋮。 このレベルもどうやったら上がるのかは判らない。 ただ、無生物に使うとレベルではなく、価値が表示される。例え ばこんな感じだ。 ︻木の匙︼ ︻楡︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:4/8/7425︼ ︻価値:10︼ ︻ベッド︵幼児用︶︼ ︻オーク材︼ ︻状態:良好︼ ︻作成日:14/12/7421︼ ︻価値:2500︼ ︻万年キューブカレンダー︼ ︻ビーチ材︼ ︻状態:良好︼ ︻作成日:10/7/7389︼ ︻価値:25︼ 鑑定を眠くなるまでやると次目覚めた時には使用回数が1回増え ているのは変わらなかったが、レベルアップまでの回数が大分必要 150 になってきた。 今まで数えてきたが、最初のLv.0から次のLv.1までは1 0回、Lv.1からLv.2までは更に10回だった。しかし、L v.2からLv.3までは20回、Lv.3からLv.4までは4 0回も鑑定が必要になった。多分Lv.5になるためには80回な んだろうし、LV.6には160回も鑑定が必要になるはずだ。 一体何レベルまであるのか分かったものではないが、ちょっと計 算してみた。 Lv.0多分生まれてからすぐ Lv.0−1 10︵10︶ 2日目の昼 Lv.1−2 20︵21︶ 2日目の夜 Lv.2−3 40︵45︶ 3日目の夜 Lv.3−4 80︵90︶ 5日目の朝 Lv.4−5 160︵170︶ 7日目の夜 Lv.5−6 320︵324︶ 10日目の朝 Lv.6−7 640︵665︶ 13日目の夜 Lv.7−8 1280︵1325︶ 18日目の朝 Lv.8−9 2560︵2614︶ 25日目の朝 括弧内の数字はレベルアップするときに眠くなるまで鑑定した場 合の鑑定の使用回数だ。例えばLv.6からLv.7になるには、 Lv.6になった時点から320回鑑定しないといけないが、Lv. 6になる10日目の朝の時点で︵まだLv.5だが︶25回鑑定が 使える。このとき、21回目の鑑定を使った時点でLv.6になる。 しかし、あと鑑定は4回使える状況であり、レベルアップに満足せ ずにそのまま4回使って眠れば、その3日後である13日目の夜に 11回目の鑑定でLv.7にアップする。その時点で使用回数は3 6回になっており、レベルアップ直後には25回の使用回数が残る。 151 今日が初めて鑑定を使ってから5日目の朝なので、一桁レベルま ででもこの調子だとLv.9になるにはあと20日かかる。そのと きには70回に使用回数が増えているはずだ。これは俺の中でロー ルプレイングゲームなどに准えて経験値と呼ぶことにした。要する に鑑定の固有技能を使い、使用経験を積めばそれだけ鑑定の技能に 習熟し、上手く使いこなせるようになる、と言う理屈にしたのだ。 また、文字の勉強の方だが、既に喋れることが大きいのか、非常 に捗っている。既にこの世界のアルファベットは大文字小文字含め て全部覚えた。母音に相当する字も完全に覚えたので、だいたいの 発音通りに書くなら問題はないと思う。 しかし、英単語と同じように単語によって発音通りの記述になら ないことも多いようで、こちらは時間をかけて覚えていくしかない だろう。 とにかく、鑑定のレベルも4になったし、あと数回残したままの 鑑定も使い切ってしまおうとしてふと気づいた。鑑定の使用回数を 使い切らなかったらどうなるのだろうか? 当然眠くはならないだ ろう。そして、眠らないということは使用回数も眠るまで回復しな いのではないか? これは早いうちに試しておいたほうがいいかも 知れない。デメリットはレベルアップが多少遅れるくらいだろう。 自分の鑑定ウインドウをぼんやりと見つめながらそんなことを考 ︼ えていると、鑑定ウインドウに変わったことがあることに気がつい た。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ 152 ︻年齢:1歳︼ ︻レベル:1︼ 1∼4行目と5行目の輝度が違う。1∼4行目は5行目と比べる と若干明るい気がする。1行目の自分の名前を注視すると、なんと 鑑定ウインドウに重なってまたウインドウが開いた。 ︻アレイン・グリード;命名日7429年3月5日︼ 意味あんのか? これ。 と思ったが、今度は家名のグリードの部分の輝度が他と比べて若 干高い。 グリードに注視する。 ︻グリード家:ロンベルト王国士爵。叙任日は7353年10月3 日︼ ︻勃興:12代目ウェブドス侯爵の四男、サーマート・ウェブドス が独立し興す。︼ ︻現在の家督者はヘグリィヤール・グリードで三代目︼ 神様が仰られていたように、固有技能ってものすごいアドバンテ ージなんだな。 これ以上はサブウインドウ︵仮称︶は開かないようだ。 ウェブドス侯爵家についても見てみたかったんだが。 開いているサブウインドウを閉じ、今度は2行目に注視する。 ︻男性;誕生日7428年2月14日・普人族・グリード士爵家次 男︼ 153 サブウインドウが開けるのが2箇所。普人族とグリード士爵家次 男だ。 ︻普人族:ラグダリオス人種︼ なるほど、地球で言うアングロ・サクソンとかそういった人種表 記か。 これもこれ以上サブウインドウは開かない。一つ戻ってグリード 士爵家次男の項目を開いてみると、さっきと一緒だった。これはあ る意味仕方ないと思う。 次は3行目だな。 ︻状態;現在の肉体や精神の状態:良好;問題なし︼ と出た。言葉の意味を聞きたいんじゃないんだが。 サブウインドウは開かない。 ええい、次だ。 ︻年齢;誕生してからの満年齢:小数点以下切り捨て表記︼ ふざけんな、畜生。知ってるよ。1.04歳とか出ても面倒くさ いわ。 まぁいい。鑑定のスキルは闇の中でも鑑定対象の輝度が上がる以 上に使えることがわかった。うーん、そうなると鑑定の使用回数を 限界まで使用しないでどうなるかなんて実験は後回しだな。できる だけ早く鑑定のレベルを上げた方が良さそうだ。あと20日でレベ ルも9にまで上がるはずだし、実験はその後レベル10になってか らでも遅くはないだろう。レベル10まではプラス10日くらいで 154 行けるだろ。要するにあと1ヶ月実験を先延ばしにすればいいだけ だ。 となると、さっさと残り回数を使い切って寝てしまおう。 ・・・・・・・・・ その2日後の夜、鑑定の固有技能はレベルアップし5になった。 ︼ 当然表示される内容も増えた。笑うしかないが、HPとMPだっ た。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:1歳︼ ︻レベル:1︼ ︻HP:6︵6︶ MP:9︵18︶︼ やっぱり中学生の頃にやったことのあるド○クエのようなロール プレイングゲームみたいだ。ウルテ○マでもいいけど、ウ○ティマ は当時のパソコンでやった1作目しか知らないんだよな。ドラ○エ も1しかやったことないし。まいったなぁ、俺あんまりゲームって やらなかったんだよな。こうなるって判ってりゃもう少しゲームし てたのに。 155 ちなみに今は5行目のレベルもサブウインドウが開く。 ︻レベル;生物的な力量を数値化したもの。経験を積むことで上昇 する︼ どうやらひとつ前の鑑定レベルまではサブウインドウで詳細を見 れるようだ。 経験を積めばレベルアップか。ますますゲームのようだ。その経 験の積み方が解らんが。魔物を殺せばいいのか? しかし、ゴブリ ンを殺したファーンのレベルは1で上がっていなかった。ゴブリン 1匹じゃ大したことないということか? それよりも今はMPの項目に注目したい。9の後ろは括弧で18 になっている。括弧の中は最大値だろうか? 今日の晩飯を食って から8回鑑定をしてレベルアップをしたはずだ。そして今のが9回 目。そして現在値は9。これが意味することは簡単だ。鑑定を1回 Pointの略であれば、だが。 使う毎にMPを1消費していた、ということだ。固有技能の鑑定は 魔法だった。MPがMagic 次にレベルアップすればMPについての詳細が解るだろう。次のレ ベルアップは3日後の朝だ。 HPが6というのは⋮⋮よくわからん。大体、大人が殴ったら死 にそうな体だが、一撃でどのくらいのダメージになるのだろうか? ・・・・・・・・・ 156 更に3日が経った。 MPは順調に増加している。 今朝は25MPもある。 ︼ 21回目の鑑定でレベルアップするはずだ。 飯を食ったら鑑定だ。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:1歳︼ ︻レベル:1︼ ︻HP:6︵6︶ MP:3︵25︶︼ ︻筋力:1︼ ︻俊敏:1︼ ︻器用:1︼ ︻耐久:1︼ うーむ。 一気に4行も増えた。 これはドラク○で言う﹁つよさ﹂だな。またはウルティ○の﹁S tatus﹂コマンドか。全てのパラメーターは1ってのは涙が出 Point 生命力。数値がゼロになると昏倒し、 るが、乳幼児ならしょうがないだろ。っと、HPとMPの解説でも 見てみるか。 ︻HP;Hit 行動不能になる。耐久値分のマイナス数値で死に至る。マイナス1 ポイントにつき回復には安静状態で1週間ほどの時間が必要。プラ ス数値の場合は1日あたり1ポイント回復する。年齢に加えて筋力 の2倍、耐久の2倍、俊敏の合計がHPの最大値となる。ある程度 の年齢に達すると年齢による加算は止まり、以降加齢と共に少しづ 157 つ減少していく。レベルアップ時に増加する以外では上記の能力が 変更された場合にのみしか最大値は更新されない︼ 予想通りっちゃ予想通りだが、今の俺の耐久値は1なのでHPが マイナス1になれば死ぬということか。 ちなみに﹁年齢﹂はサブウインドウが開くが内容は︻年齢︼と一 緒だ。筋力や耐久、俊敏という語はサブウインドウは開かない。あ、 ﹁レベルアップ﹂にはサブウインドウがあるな。 ︻レベル;生物的な力量を数値化したもの。経験を積むことで上昇 する︼ 同じじゃねーか、と思ったが更にウインドウが開くようだ。 ︻レベルアップ時にはその直前のレベルでよく使用した能力のうち 1番目と2番目の能力について1ポイント上昇する。能力にはHP とMPも含まれる。但し固有技能を所持している場合、上昇する能 力値は1番目∼6番目になる︼ ﹁但し﹂以降が固有技能のステータス表示と同じ暗い赤字になっ ている。ははぁ、これは神様が仰られていた、転生者の特典の ・レベルアップ時のボーナスがこの世界の一般的な生物よりも多い って奴か。ってか、レベルアップの度に全能力1づつアップするっ て事じゃねぇの? 死ににくさの指標であるHPだけ取ってみても 普通の人がレベルアップで増える最大値は筋力と耐久力が上がった ときに4増えるだけだが、俺の場合はHP、筋力、俊敏、耐久力の 全てが上がるだろうから6増えるわけか。なんか固有技能もそうだ けど、レベルアップ時のボーナスだけでも凄いな、これ。 158 次はMPか ︻MP;Magic/Mental Point 魔力。精神力。 数値が低いほど欲求に対する自制心や執着心などが低下し、ゼロに なると根源的な欲求に逆らえなくなる。また、魔法を使用する度に 減少する。覚醒時には約5分に1ポイントの割合で回復するが、M Pが6以上ある場合に限られる。また、連続で4時間以上の安静な 睡眠により最大値まで回復する。年齢5歳毎に1ポイント︵小数点 以下は切り捨て︶上昇する他、魔法技能1レベルあたり1ポイント 上昇する。レベルアップ時に増加する以外ではMPがゼロになった 際に100から年齢の二乗を引いたパーセンテージで上昇する。年 齢の二乗が100以上の場合でも1%の可能性で上昇する︼ むう、いろいろと判った。まず、何故毎回鑑定を使い切ると次に 目覚めた時に使用回数が1回増えていたのか。俺の年齢は1歳だ。 1の二乗は1。99%の確率でMPが上昇していたということだ。 また、覚醒時の回復だが、鑑定を何回か使った後に、対象指定モー ドのまま数十分耐えていたこともあったのに回復はしていなかった。 これは、その際にはまだ使用回数が6回、つまりMPが6以上とい う条件を満たしていなかったからだろう。 このMPが6以上というのは一種の安全装置なのかもしれない。 魔法が使えない普通の人の場合、MP消費による最大値上昇は発生 しないはずだから、年齢を重ねることでしかMPの最大値は上昇し ないことになる。そして、順当に行けば年齢が26歳のときに初め てMPが6になる。端数は切り捨てになるから25歳だと5.8だ ろうしな。そして、MPは魔力だけでなく、精神力も兼ねている。 欲求を完全に制御するには26歳、つまりMP6が必要なのだろう。 この場合の欲求とは根源的な欲求、つまり三大欲求と考えていいだ 159 ろう。食欲、睡眠欲、性欲だ。 多少の個人差はあろうが、確かに俺は食欲や睡眠欲には弱かった。 年齢から言って性欲はまだ発生していないだろうから、俺を例にと るのは適切ではないかも知れないが、まぁいいだろう。ちょっと前 までは腹が減って泣き喚き、眠くて泣いていた。これはMPが1だ ったからだろう。ここ数日はMPを使い切らなければ全く問題なく 我慢できている。性欲に目覚め始める第二次性徴が始まる13歳頃 から、性欲はなかなか抑えられない物になってゆく。既にMPは3 とか4になっているので普通は問題を起こさないのだろうが、切っ 掛けさえあれば欲求は簡単に決壊し、自慰行為や直接的な行動に出 てしまったりするのだ。 その後成長し、MPが6になる26歳∼30歳くらいでは、ちょ っとやそっとの誘惑には負けない精神力を備える、ということなの だろう。HPと違って加齢によって最大値が減少しないこともその 裏付けになるのではないだろうか? たまに、ものすごく自制心の 強い人がいたりするが、そういった人は幼少の頃に何らかの理由で MPを使い切り、上限が増えた人なのだろう。 となると、問題はファーンとミルーだな。ファーンは今7歳だ。 MPを使い切って上昇する確率は51%。ミルーは5歳なので75 %の確率で上昇するはずだ。これから先の人生を考えると自制心は あったほうがいいだろう。どうにかしてMPを使い切らせてみたい。 なにしろ10歳以上は1%という極低確率でしかMP最大値の上昇 は発生しないのだ。シャルに相談して二人に簡単な魔法を教えても らい、定期的に使わせるか? しかし、何と言って説明する? そ もそも二人はまだ俺ほどには読み書きに習熟していない。少なくと も読み書きが充分に出来るようになるまで待つか? 160 いや、ミルーはまだしもファーンは既に7歳だ。これが8歳にな れば上昇確率は36%に、9歳時には19%にまで落ち込んでしま う。急いだほうがいいだろう。だが、それには俺の身に起こった状 況を説明しなくては信用されないだろう。いやいや、ここで俺の素 性を明かせばなにが起きるか分かったもんじゃない。万が一迫害さ れたりしたらどうするんだ? くそっ、考えてもいいアイデアが浮 かんでこない。 ファーンのMPについて急を要するとは言っても、ここ数日でど うなるもんでもなし、一度情報を整理して分析だな。その結果なに かいい案が浮かぶかも知れない。 俺は転生してから初めて脳をフル回転させ始めた。 161 第十話 覚悟︵前書き︶ 2013年9月16日改稿 162 第十話 覚悟 翌日、ヘガードが帰ってきた。 司祭をドーリットの街まで送るのに往復で10日かかった計算だ。 向こうで何日休んで来たかはわからないが、最低でも片道で5日 かかった計算だ。 ヘガードは馬に騎乗していたが、馬車が一緒だったはずなのでス ピードは遅いだろう。馬車の車輪は木製の車輪に金属の環を被せて あるだけだし、どう考えても舗装道路などあるはずもない。 昨晩からいろいろ考えてきたが、この辺りから話し始めてみるか。 あとは⋮⋮。 まずは鑑定をしてみる。 ︼ ︻ヘグリィヤール・グリード/20/8/7422 ヘグリィヤー ル・グリード/25/7/7400 ︻男性/28/6/7399・普人族・グリード士爵家当主︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:29歳︼ ︻レベル:15︼ ︻HP:156︵156︶ MP:6︵6︶︼ ︻筋力:24︼ ︻俊敏:19︼ ︻器用:15︼ ︻耐久:23︼ 163 すげーな。流石レベル15なだけあるわ。でもMPは年齢通りの 6しかない。 ︼ ︻シャーリー・グリード/8/6/7421 シャーリー・チュー ン/24/11/7401 ︻女性/11/10/7400・普人族・グリード士爵家第一夫人︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:28歳︼ ︻レベル:14︼ ︻HP:101︵101︶ MP:43︵43︶︼ ︻筋力:14︼ ︻俊敏:17︼ ︻器用:24︼ ︻耐久:14︼ うむ。親父に比べると1レベルしか違わないのに見劣りする気が するがMPが圧倒的に多いな。魔法の特殊技能のおかげと、レベル アップ時のボーナスの配分が異なったからだろう。 それでもMPは43だ。俺が今28ということを考えると少ない ︼ のか。いや、これがこの世界の最高とはいかないまでもかなり多い 人なんだろう。 ︻ファンスターン・グリード/18/2/7423 ︻男性/21/1/7422・普人族・グリード士爵家長男︼ ︻状態・良好︼ ︻年齢:7歳︼ ︻レベル:1︼ ︻HP:24︵24︶ MP:2︵2︶︼ ︻筋力:3︼ 164 ︻俊敏:5︼ ︻器用:3︼ ︻耐久:3︼ ︻ミルハイア・グリード/26/2/7425 ︼ ︻女性/2/2/7424・普人族・グリード士爵家長女︼ ︻状態・良好︼ ︻年齢:5歳︼ ︻レベル:1︼ ︻HP:16︵16︶ MP:1︵1︶︼ ︻筋力:2︼ ︻俊敏:3︼ ︻器用:2︼ ︻耐久:2︼ 兄姉二人は予想通りだ。 ︻ミュネリン・トーバス/19/2/7427 ミュネリン・サグ アル/2/12/7412︼ ︻女性/29/11/7411・普人族・トーバス家長女︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:18歳︼ ︻レベル:2︼ ︻HP:65︵65︶ MP:4︵4︶︼ ︻筋力:8︼ ︻俊敏:12︼ ︻器用:8︼ ︻耐久:8︼ 一応おまけでミュンにも鑑定をしてみる。まぁ別にどうってこと 165 はない。 年齢の割にレベルが低く感じるのは以前の印象通りだが、うちの 両親が異常なだけのような気もする。でも、おかしいよな? ﹁父さま、ドーリットの街というのは遠いの?﹂ ﹁ん? そうだなぁ、馬車なら4日くらいだな﹂ なるほど。並足なら馬車で時速3Km前後と仮定して120Km くらいか。 ﹁120Kmも離れているのですか。それは大変だなぁ﹂ ﹁え? お前、計算ができるのか?﹂ ヘガードが吃驚したように言う。 ﹁計算? ああ、馬車は平らな場所だと大人の人が歩くよりちょっ と早く走っているよね。でも、ドーリットの街までの道は石があっ たり、凸凹がひどいと思うのでだいたい半分位の速さになるのかな ? 朝、ご飯を食べてからお昼まで休憩を抜いてだいたい5時間。 お昼にご飯を食べて野営の準備をするまでに休憩を抜いてだいたい 5時間移動すると、普通の道で大人の人が歩くよりちょっと遅いく らいの速度で1日あたり10時間移動することになるから、1日の 移動距離は大体30Kmくらい。あとはそれを4日分なので120 Kmくらいかな、と思ったんだけど⋮⋮﹂ ﹁それを計算、と言うのだ。しかし、お前は本当に優秀だな﹂ 相変わらずヘガードは吃驚して目を見開いたまま言う。よし、掴 166 みはOKだ。 この場には幾人かいるが、俺を抱いているシャルとヘガードにし か聞こえない程度のささやき声で言う。 ﹁父さま、あとで母さまと3人で大切なお話があります。夕食の後 にでもお時間を 作ってください﹂ ﹁あ? ああ。わかった⋮⋮﹂ ヘガードはシャルを見て、シャルも少し吃驚していることを確か めながら答えた。 喋っているうちに慣れてきたのだろうか、俺の口調もだんだんと 思い通りになってきたようだ。 ・・・・・・・・・ いつもの鑑定ノルマをこなし、夕食を摂る。 兄姉を子供部屋に追いやり、寝かしつけるのをミュンに任せると、 居間兼食堂には父母と俺の3人になった。 ﹁すみません、父さま、母さま。少し大切なお話なもので⋮⋮。ミ ュンが帰ったあとにお話を始めたいと思います。最悪、兄さまと姉 さまには聞かれても問題はありませんが、ミュンは家族ではありま せんので﹂ 167 ﹁ミュンは家族同様だし、家で聞いたことを外に漏らすことは無い と思うが⋮⋮﹂ ﹁そうよ、それに﹁あくまで念のためです﹂ 父母の言葉に被せて言うと父母は黙った。 それからは魔法についてシャルにいくつか質問をしたりして時間 をつぶし、ミュンが帰るまでの時間を過ごした。ミュンが帰ったこ とを音で確認する。 さぁ、これからが本番だ。あとは俺の演技力に掛かってくるな。 ﹁それでは、お話をしたいと思います。先日、私の命名の儀式が行 われた晩のことです。私はサーマート曽祖父さまにお会いしました﹂ サーマートとは鑑定技能で得た情報にあった初代のグリード家当 主だ。確か12代ウェブドス侯の四男だ。ありがちだが、ここは枕 元に立ったご先祖様の指示で通そうという作戦だ。当然曽祖父が既 に亡くなっていることは確認済みだ。まぁ曽祖父どころか祖父も亡 くなっているのだが。 ﹁会ったってどういう事だ?﹂ ヘガードが不思議そうに尋ねる。まぁそりゃそうだろうな。 ﹁はい、その晩の夢に出てこられました。そして、曾祖父さまは仰 られました。私たち兄弟3人には魔法の才能があると。必ず一日の 最初に限界まで魔法の修行をし、充分休息を取った後に剣の修行を せよ、とのことです。これはすぐにでも始め、最低でも10歳まで は続けよ、とのことでした。また、その時にこの通り行儀の良いき ちんとした喋り方も教えて頂きました﹂ 168 ﹁おい、シャル。サーマート祖父さんのこと、アルに話した事はあ るのか?﹂ ﹁ないわ﹂ ﹁そうか⋮⋮。それでアル、話は終わりか?﹂ ﹁いいえ、まだ続きがあります﹂ ﹁続けろ﹂ ﹁はい、曾祖父さまは続いてこう仰られました。バークッドにはま だ発展の余地が残されている。アレイン、お前は毎日魔法の修行が 終わったあと剣の修行が出来るようになるまで父とともに領内を見 て回り発展の余地を探るのだ、と﹂ ﹁なに?﹂ 父が気色ばんだ。が、これは予想の範囲内だ。 ﹁父さま、まだ続きがあります。その為の知識は授けよう。それを もとにバークッドをさらに発展させ、兄の補佐をするのだ⋮⋮ ・・・・・・・・・ 169 それから先は適当にほざいておいた。 ヘガードが気色ばんだのはファーンを飛び越して俺がグリードの 家督を乗っ取るのではないかとの心配からだったようだが、それは 貴族の伝統︵長子が家督を継ぐ︶に反するからということが理由だ ったらしい。 俺にそんなつもりはない。 神様とお会いしてから、俺の心の中には炎が生まれていた。 曰く、この世界に転生者は39人いる︵尤も8人は既に死んでい るのだが︶ 曰く、転生者には固有技能が与えられている︵俺は二つだ︶ 曰く、転生者がレベルアップした場合の伸びはこの世界の人の3倍 これだけ揃っていて、一地方領主に甘んじろなんて無理だ。 ・・ それに、俺は転生者として追加の固有技能の他に、自力が違うと ・・ いう自信も持っていた。転生者は全員現代日本から来ている。現代 日本からだ。 普通に生まれ育った現代日本人は専門の軍事教育など受けていな いだろう。戦術にも明るくないだろうし、戦闘者としての訓練方法 も知らないだろう。この中世に似た世界でものをいうのは十中八九 で暴力だ。ゴブリンを見たこともあるから、個人の戦闘力も重要視 されるに違いないだろう。あんな生き物が徘徊する世界でそれなり の尊敬を集めるためには個人の武勇が大切なファクターになるに違 いないはずだ。それに軍隊を編成し、訓練を施し、規律を高めるこ との効率的な方法なんかも真に理解しているはずもないだろう。 恐らく、武器を作ろうにも銃の構造なんかも把握しているわけが ない。よしんば多少知識のある人間が混じっていたとしてもせいぜ い素人に毛が生えた程度のものである可能性が高い。また、黒色火 170 薬の原料は有名だが、配合や、銃自体の素材である金属加工にまで 知識を持っていることはまずないだろう。この世界ではまだ本格的 な鍛造や鍛接はできないはずだ。ヘガードの剣も鋳造したものをあ る程度鍛えて研いでいるだけのようにしか見えない。こんな金属で 銃を作っても発射できるのはせいぜい数発だろうし、1発目以降は ろくに狙いもつけられないだろう。 地方とは言え領主の装備でこの有様だ。神様から聞いた通り本当 に15世紀が文明の最先端なのだろう。ゴブリンが領内をうろつく ような土地で武器の質を高める努力をしない理由がないからだ。な ので武器の質を高めてもなお、この程度という推測が成り立つ。本 当に文明のレベルが低いのだ。また、全てのものが15世紀までの 発展を遂げてはいない。いろいろある中での一部分が15世紀中世 ヨーロッパの水準に達しているに過ぎないのだ。例えば、医学なん かは魔法のおかげで発展が阻害されてすらいるかもしれない。 現代地球ではどんなに努力しても自分の領地や城郭を所有するこ とは現実的ではないし、国を興すなど夢物語以前の冗談にすらなら ない。その理由は簡単だ。現代地球では先進国を中心に人権思想が 圧倒的多数を占め、教育水準も高い。また、銃やそれ以上の大量破 壊兵器が生産され軍事力で領土拡張などアフリカの発展途上国です ら無理だ。だが、翻ってこの世界はどうだ? 教育は殆どされてい ないし、銃なぞ見たこともない。 ここに俺の国を作ろう。一番手っ取り早いのはバークッド村を本 拠地として手始めにウェブドス侯爵領を征服して、というものだろ うが、大義名分がない。特に能力的に問題のない兄を廃嫡してまで 俺がバークッドを嗣いでも、その後のイメージが良くない。簒奪は この世界だと悪いことでは無いのかも知れないが、別に家族に何か 恨みでもあるわけがない。むしろ、ファーンとミルーにはゴブリン 171 から守ってもらって感謝してすらいる。そもそもの原因を作ったの はファーンだとしてもだ。だから彼らのためにMP上昇のお願いか ら入ったのだ。 成人したらどこか別の土地で一旗揚げる方が良いだろう。どうや らこの世界では15歳が一般的な成人の基準らしい。それまではバ ークッドで恩を返そう。前世では充分に出来なかった親孝行をする のだ。何しろ俺には四人の親がいるのだ。四人もの親から愛情を注 がれて育てられるなんて、それだけでもものすごく幸せなことだと 思う。 それからどこか大きな都市にでも行って一旗揚げるのだ。冷静に 考えて成人までじっくりと訓練と経験を積めば、俺は相当強くなれ る筈なのだ。固有技能もそうだし、レベルアップのボーナスもそう だ。また、知識があるため、この世界に未だ無い物でも作れば金に 困ることはまず無いだろう。経済的な知識もあるから最悪の場合、 国を興せなくてもいっぱしの商人にはなれるはずだ。 まずはこの世界の仕組みを学び、それからだ。 172 第十一話 魔法への入口︵前書き︶ 先ほど帰宅して確認したらなんと、お気に入り登録件数が170件 にも達していました。吃驚するやら、こんなに多くの人に読んでも らえて嬉しいやらで、有り難くて、読者の方々に頭が上がりません。 なんか今日の昼くらいからいきなりアクセス数も急激に増加してい ました。一体何が起こったと言うんです? 2013年9月16日改稿 173 第十一話 魔法への入口 翌朝から待望の魔法の修行が始まった。 昨晩、限界まで修行して、その後充分な休息を⋮⋮。と言ってい たのが奏功したのだろうか。シャルは随分考えたのだろう。普通は まず、魔力の流れを感知するところから始めるらしいのだが、魔力 の限界まで使わせることに比重を置いたようだ。 家の前に椅子を4つ運ぶと、まず小枝を左手に持ち、その先端を シュッっと掠るように右手を振った。と、どうだろう、掠った先に 火が点いた。掠った時に右手が僅かに光ったように見えた。手が光 ったのが一瞬だったこともあり、朝の陽の光でよくは見えなかった が、確かに手が光った。慌ててシャルを鑑定してみると確かにMP が1減っていた。今、何も言わなかったよな。呪文を唱えたように は見えなかった。 ﹁これが着火の魔法。初歩の魔法だけど、今の貴方たちにはもっと 簡単なものから学んで貰うわ。ファーン、この炎を揺らめかせてご 覧なさい。両手を炎の両脇に翳して、掌と掌の間に魔力を通すの。 右掌から左掌へ魔力を通すように念じなさい。上手くいけば炎が揺 らめくわ﹂ ファーンは言われたとおり火の両脇に手を翳すと何やら難しそう な顔でうんうん唸り始めた。数分もすると小枝は燃えて短くなり、 シャルは小枝を地面に落とすと火を踏んで消した。次はミルー、そ の次は俺だ。 174 3人とも上手く出来なかった。 シャルは今度は小枝に火をつけるとその枝をミルーに持たせ、自 分はファーンを後ろから抱きすくめるようにした。ファーンの両手 の外側に自分の両手を位置させると、 ﹁じゃあ、ファーン、行くわよ。この感じを覚えなさい﹂ と言うと、両手がうっすらと光る。炎は急激に揺らめき始めたが 消えることはなかった。 ﹁ファーン、同じように続けられる?﹂ ﹁うっ、くっ、ううっ、解りました﹂ ファーンは素直だな。と同時にファーンの鑑定ウインドウを開き、 MPを見る。まだ2のまま減っていない。シャルはもう一度ファー ンの手の外側に自分の手をやると同じように光らせた。ファーンは、 ハッとしたような表情の後、再度気合を込めて炎を見つめた。 すると、ファーンの手もぼうっと青く輝いた。炎が揺らめく。M Pは⋮⋮1だ! ファーンもMP消費が出来たようだ。 次にシャルは小枝に火を点け、ファーンに持たせるとミルーにも 同じように教えた。ミルーはファーンよりも短時間で炎を揺らめか せることが出来たが、限界を迎えたのだろう、眠ってしまった。 シャルは眠るミルーを抱き上げると母屋に入っていく。 175 ﹁おい、アル、見たか。魔法ってすげーな。俺も母さまみたいに魔 法使いになれるかな?﹂ 予想はしていたが、シャルは魔法使いと呼ばれていたのか。 ﹁確かに見ました。凄いですね。僕も使えるといいんですが﹂ ﹁ははっ、そうだな。でもあれって結構疲れるぜ。流石にアルには きついかもな。ミルーは疲れ過ぎて眠っちまうくらいだしな﹂ そんなことを喋っているとシャルが戻ってきた。 ﹁じゃあ、ファーン。さっきの感覚を忘れないうちにもう一度よ﹂ ﹁えっ、次は僕じゃないんですか?﹂ ちょっと不満げに言うが ﹁一度感覚を掴んだら覚えるまで繰り返したほうがいいの、さあ、 火をつけたからアル、持っていられる?﹂ ﹁はい、大丈夫です﹂ なるほど、感覚的なことなら慣れた方がいいもんな。 ﹁じゃあ、ファーン。もう一度よ﹂ 先ほどのようにシャルはファーンを後ろから抱きすくめると同じ ように手を輝かせた。今度はさっきより短時間でファーンも炎を揺 らめかせることができた。喜びの表情を浮かべるファーンだったが、 176 じきに眠気に耐え切れなくなったようだ。もともとそれを見越して いたのだろう、シャルは眠り込んだファーンを抱き上げるとまた母 屋に向かった。 ﹁ふうぅ、こうなるから本当は魔法を教えるのはもう少し大きくな ってからが普通なのよ。あまり小さい子だと魔力量が少ないからす ぐに限界になっちゃうから危険だと言われているのよ﹂ ﹁普通はどのくらいの歳から魔法の勉強を始めるのですか?﹂ ﹁そうねぇ、普通は成人してからか、成人するちょっと前くらいか らかな? 身体が充分に成長していないと魔力も少ないから、練習 にならないこともあるしね﹂ なるほど、だからみんな魔力量が少ないのか。9歳より前にMP を使い切ることをさせないとまず成長の余地はないからな。 ﹁大丈夫ですよ、曾祖父さまがそんなことをご存知無かったとは思 えません。これもきっとなにか訳があるのでしょう﹂ ﹁そうね、じゃあ、次はアル、あなたよ﹂ シャルは少し長めの小枝に火をつけるとそれを地面に突き刺した。 ﹁じゃあ、同じように行くわよ﹂ シャルの手が青く輝くと同時に、俺の手の甲に当てられたシャル の掌から反対側の掌へと何か温かいものが流れるような感じがした。 これが魔力の流れか。じんわりと暖かく、冬の寒い日にしばれた手 をお湯に浸けた時のような感じもする。なるほど、この感じを意識 177 的に起こせれば良い訳か。って、ちょっと待て、出来るか、そんな もん。 ﹁そろそろ一人で出来るかな? いい? 私の魔力の流れを止める わよ﹂ ﹁ええっ、もうですか?﹂ ﹁そうよ。はい、止めた﹂ むう。途端に炎は揺れなくなった。炎を見つめ、揺れろ、と念じ る。 揺れるわけ無い。 ファーンもミルーも出来たのに、ここに来て俺だけ出来ないとか、 嘘だろ。 今後の人生設計にも関わってくるじゃねーか。 ﹁アル、炎が揺れるには何が必要なのかな?﹂ ﹁息を吹きかけたり、風が吹いたり⋮⋮﹂ ﹁そう、なら、右手から風を出して、左手で吸い込むように考えて ご覧なさい﹂ なんだよ、そりゃ。手に口でもついてりゃ出来るけどさ。 手のひらに口が出来たところをイメージしてみるが、あまりに不 自然すぎる。 炎が揺れるには、空気の流れだけではない、何らかのエネルギー の流れがあればいいはずだ。エネルギー、流れ、流れるエネルギー。 178 ﹁じゃあ、もう一度お手本ね﹂ 再度シャルが俺の手の甲に掌を当て、魔力を流す。 流れるエネルギー。しかも体の中を流れるエネルギーか。 ふと思いついて、右手から左手へ透明な血管が伝わったところを 想像する。 勿論血管の中心は炎の中だ。 考えていると、透明な血管が炎で炙られるところまでイメージし てしまった。 うおおお、これは熱いだろ。 生きながら焼かれる我が血管。 ﹁熱っ!﹂ なんだ? なんで触ってもいない炎を熱まで感じたんだ? 大体炎と俺の手は15cmは離れている。 こんなロウソクみたいな炎の熱を感じるような距離じゃない。 ならば、何故熱さを感じた? 俺は右手と左手を繋ぐ透明な血管をイメージした。 で、それが灼かれるところまでイメージした。 魔法ってイメージを実際の現象に具象化することか? 次は右手で仮想の団扇を仰ぐイメージで行ってみるか。 実際の右手を動かすことなく小さな団扇を仰ぐイメージ。 パタパタ。 パタパタ。 パタパタ。 ﹁おおっ﹂ 179 右手だけ一瞬青く光ったと思ったら火が消えた。 左手には風を受けような感触が残る。 ﹁ええっ、あなた、それ風魔法⋮⋮﹂ シャルが絶句する。 ﹁アル、大丈夫? 眠くなってない?﹂ ﹁はい、大丈夫ですよ、母さま﹂ ﹁そう、ならもう一度よ﹂ シャルは再度枝の先端に火をつけなおすと、 ﹁うーん、間違いじゃないし、それも魔法だけれど、それじゃ強す ぎて火が消えてしまったわ。さっき言った通り、右手から左手に魔 力を流す感じよ﹂ と言いながら再度俺の手の甲に掌を合わせるシャル。 もう一度手の甲を通して魔力が右手から左手に流れる感覚が発生 した。 これは血液が流れる感覚とは違うな。 心臓の鼓動で規則的に押し流されるような物ではなく、定量が常 に流れる感じだ。 まるで右手に水道の蛇口が開き、左手の排水口にゆっくりと何か が流れ込んでいくような感覚、とでも言えばいいのであろうか。 ﹁アル、魔力の流れを感じなさい。魔力はあなたの体の中にあって 180 常に体中を廻っているの。その流れをちょっとずらして右手から左 手に直接流してあげる感じね﹂ なんだよ、それ。 常に体の中を廻っているって、血液以外にあるか、そんなもん。 リンパ液? 血液と一緒だよ、そんなもん。 ここで気がついた。俺の知識が邪魔をしているのではないだろう か? 俺は現代日本人として当たり前の基礎的な解剖学を学んでいる。 当然その学習項目に﹁魔力﹂などという代物は存在するはずも無 く。 ある だが、そんな知識に邪魔されることなかったファーンやミルーは 最初から魔力は存在するものとして考えていたはずだ。 俺が抱いている魔力のイメージはシャルやシェーミ婆さんが魔法 を使った時の青く輝く手と、今感じているシャルの魔力が発するじ んわりとした温かみだ。 体の中を青く輝く温かいゼリーが循環していることを想像し、気 持ち悪くなりかけた。 これじゃない。 ゼリー、どこから出てきた? 体の中を血液と混じって青い光の素になる魔力が重なって流れる ところを想像する。 常に循環する魔力。 通常は右手の先まで流れると別の血管を伝わって、再度右手の中 を戻る存在。 それを直接右手から、左手へ。 頭の中で右手から仮想の透明な右手が分かれて肘から少し内側へ、 左手も同様に仮想の透明な左手が分かれて肘から少し内側へ。 今、両掌が合わさった。 181 両手が青く輝き、炎が揺らめく。 俺の頭の中では仮想の透明な掌にはさまれた炎が逃げるように蠢 いている感じで見えている。 シャルが俺の手の内側に自分の手を移動させた。 俺の魔力を感じているのだろうか。 ﹁ええっ、これって⋮⋮まぁいいわ﹂ まぐれとは言え、さっき一度魔法を使えたからだろうか、自分で も驚く程簡単に魔力を循環させることが出来たようだ。 ﹁ええっと。母さま、なにか拙かったでしょうか?﹂ ﹁拙くはないわ。ちゃんと出来てる。慣れてないからかなぁ、ちょ っと違う気もするけど﹂ げ、違うのかよ。 ﹁それより、そろそろ眠くなったでしょ? さぁ、もう休みましょ う﹂ どうしよう、これ以上やって怪しまれるのもまずいか。魔力を流 すのに成功すれば手が光るんだし、あとはベッドでやるか。ならば、 ここは寝たふりだな。 ﹁うー⋮⋮﹂ 182 ﹁あらあら、やっぱりまだ赤ん坊ね。でも、赤ん坊にしては魔力量 が多いわ。これは一体どういうことなの? やっぱり天才だからか しら﹂ シャルは俺を抱き上げるとそんな事を言いながらベッドへ寝かせ ︼ る。シャルが部屋を出ていったことを薄目で確認し、取り敢えず自 分に鑑定をかけてみる。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:1歳︼ ︻レベル:1︼ ︻HP:6︵6︶ MP:20︵29︶︼ ︻筋力:1︼ ︻俊敏:1︼ ︻器用:1︼ ︻耐久:1︼ あれ? 俺は鑑定を、シャルに1回、ファーンに1回、今俺に1 回で3回。魔法で最初に仮想の血管を焼いて熱かったときで1回、 次に一瞬手が光った時で1回、そして最後に仮想の両手を合わせて 1回の合計6回しか使ってないはずだ。何で9も減ってるんだ? 魔法の時は全部MPを2づつ消費したとか⋮⋮。いやいや、ファー ンはちゃんとMP1づつ減っていた。最後に魔法を使ったとき、シ ャルがちょっと吃驚してたけど、あれか? いやいや、シャルは﹁ ちゃんと出来てる﹂と言ったはず。 なら、一瞬右手だけ光ったときか? あのときシャルは確かに﹁ 風魔法﹂と言ったはずだ。確かあの時は仮想の団扇を扇いだイメー 183 ジだったはずだ。これかな? あ⋮⋮。風魔法って、シャルが持ってる特殊技能にあったな。な ら俺にも既に風魔法が備わっていてもおかしくはない。 ﹁ステータスオープン﹂ ︻アレイン・グリード/5/3/7429︼ ︻男性/14/2/7428︼ ︻普人族・グリード士爵家次男︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.0︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.0︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.0︶︼ ︻固有技能:鑑定︵Lv.6︶︼ ︻固有技能:天稟の才︼ おおっ、よっしゃ。いけたな。ってあれ? 水魔法と無魔法って なんだよ? まぁいいや。午後にでも聞いてみよう。 さっさと鑑定ノルマをこなして寝よ、じゃねぇ。 魔力を流す練習をしよう。 俺はベッドに仰向けに寝そべると、両手を上にあげ、掌を30c m程の間隔をあけて向かい合わせに開いた。さっきと同じように仮 想の右手と左手をイメージし、その掌を合わせる感じだ。 さっきより慣れてきたのだろう。普通に出来るな。 団扇のイメージでもやってみた。多少時間はかかったが、こちら も出来た。 透明な血管を伸ばして接続。出来た。 184 一回出来たら、続けざまに出来るようになった。 自転車か。 MPを使い切って寝た。 185 第十二話 目覚まし時計のない生活︵前書き︶ ついにやったぜ、会話なし回。 先ほど帰宅して確認すると、お気に入り登録1000件超えてまし た。 嬉しいやら、吃驚して腰抜かすやらで思わず脱尿するかと思いまし た。 2013年9月16日改稿 186 第十二話 目覚まし時計のない生活 昼飯を食うとヘガードが籠を背負ってやって来た。 親子して同じ考えかよ。 籠に入れられるとファーンに背負われた時よりも高い視点になり 見晴らしもいい。 今日は村の集落を中心に見て回った。 集落内に大人を見かけることは殆どない。 一定の年齢から上は労働力として畑に出ているのだろう。 村落の内部の地理は大体わかった。 歩きながらヘガードにいろいろと尋ねた。 バークッド村の経済や当家の経済状況にはじまり、通貨の単位や 各種品物の相場など尋ねる事はいくらでもある。それだけではなく、 もっと基本的なところ︱︱人以外の種族や魔法、などについては俺 にとってはかなり重要事項だ。 バークッド村は、オース世界の大陸であるオーラッド大陸の西端 にあるロンベルト王国の更に西に伸びる半島、ウェブドス侯爵領の ジンダル半島西端にあるそうだ。緯度や経度は不明だし、オーラッ ド大陸の形も不明だが、新たに分かった事は多い。 ヘガードはこのグリード家に三男として生まれたそうだ。家を継 げる訳もないと、ヘガードは家を飛び出してから冒険者︵!︶をや っていた。そこでサンダーク公爵︱︱王都の貴族で政治家︱︱の三 男の四女で、同様に出奔していたシャルと知り合い、一緒に冒険、 187 というか依頼をこなしていた。冒険者というと格好よく聞こえるが、 実際には何でも屋とごろつきを足して二で割ったものに毛が生えた くらいのもので、軍隊を出す程ではない魔物や怪物退治、商隊など の護衛、各種調査などが主な収入源らしい。 特に一攫千金を狙う場合、迷宮に行くことが多いそうだ。迷宮は 至るところに有り、魔物の住処となっている。そこには強力な魔物 が住み着いているのでそれを討伐することよって賞金を得ることが 目的なのだが、どちらかというとそういった考えで挑戦し、破れて 散った冒険者の遺品が金になるのだそうだ。 だがどこの世界にも一流、と呼ばれる人間が居るようで、冒険者 にも﹁一流の冒険者﹂と皆から言われ尊敬を集める人間も多々居る らしい。一流の冒険者は並みの人間が出来ないような困難な調査や 軍隊を出しても討伐が出来るかどうか分からないようなドラゴン︵ やっぱりいるのか︶のような非常に強力な魔物を討伐したりなど、 依頼の出元自体が特殊なもの︵国や軍隊などの政府機関、大貴族な ど︶であることが多いそうだ。 それはさておき、そんな風にある意味気ままに暮らしていたヘガ ードがグリード家の家督を継ぐことが出来たのは、上の二人の兄が 亡くなったからだ。亡くなった順に話すと、次兄はヘガードがまだ ファーン位の年齢の頃に村の中央を流れる川で水遊びをしている時 に事故死し、長兄はヘガードが成人して街を出た5年後に起こった 隣国のデーバス王国との小競り合いで戦死したそうだ。当時はヘガ ードの父︵俺の祖父︶も一緒に出陣し、重傷を負って帰還したが、 ひとじに 一緒に流行病も持ち帰ってしまい、その際にバークッド村は結構な 人死が出たらしい。 とにかくヘガードは家を出て冒険者をやっている時に、長兄の戦 188 死と父親の重傷の知らせを受け、急遽冒険者稼業の引退を余儀なく されたということだ。当時長兄は結婚はしていたものの、子供はお らず、長兄の嫁と祖母は重傷を負った父親の看病の際に生還してき た父親や従士が一緒に持ち帰ってしまった流行病で相次いで亡くな ってしまったそうだ。この猛威を振るった流行病とは、症状を聞く にどうも赤痢のようだ。当時既に村に居た治癒師のシェーミ婆さん が相当頑張ったらしいのだが、ある程度以上に症状が進んだ病人は 助けられなかったらしい。 また、ヘガードが一緒に連れ帰ったシャルも到着早々に治療に協 力したが、こちらもある程度以上に症状が進むとどうしようもなか ったとのことだ。しかし、この時の活躍で救われた人間がいたこと も確かであり、そのために村人たちはシェーミ婆さんとシャルには 敬意を払っているらしい。 村落内部の地理の把握と同時に今日はこんな話をして夕方になっ た。 家に戻り、晩飯を食う。 ファーンは午後、ずっと剣の素振りをしていたらしい。 7歳児の癖に、よくそんなこと出来るな。 驚いたことにミルーもファーンと一緒に素振りをしていたという 事だ。 あやか どうもヘガードの言いつけだったらしいが、そもそもは昨日俺が 曽祖父を肖って言った﹁必ず一日の最初に限界まで魔法の修行をし、 充分休息を取った後に剣の修行をせよ。これはすぐにでも始め、最 低でも10歳までは続けよ﹂という言葉が原因だったようだ。普通、 剣の修行は7歳前後から始めるのが一般的らしい。おそらく、それ 以前に始めても体が小さいので単純に筋力が低いからだろう。 189 俺の考えが足りないばかりにミルーには申し訳ない気持ちで一杯 になったが、今更あれは俺の騙りでしたなどと言えるはずもないの で、心の中で土下座をしておくにとどめた。幾らなんでも無茶苦茶 きついことはさせないだろう。女の子なんだし。 寝る前にいつものように鑑定を使いまくってMPを消費する。 あ、鑑定じゃなくて魔法の修行をしとけば良かった⋮⋮。 ・・・・・・・・・ 翌朝も朝食を摂ってすぐに魔法の修行が始まった。 昨日同様に魔力を通す修行だ。 鑑定してみたら、ファーンは増えていなかったが、ミルーのMP が増えていた。 ファーンは8歳まであと10ヶ月程だ。なので期待値では毎日1 回はMPを使い切ればあと150ポイントくらい増えるだろう。8 歳から9歳までだと大体120∼130ポイントくらいか。9歳か ら10歳で60∼70ポイントくらい増えるはずだ。合計で330 ポイントくらいにはなるだろう。恐らくこんなにMPを持っている 人はそうそういないはずだ。 ミルーの方はもっと増える。たぶん850ポイントくらいまで行 くだろう。ここまで来るともう使い切るのも大変で笑うしかないく 190 らいだが、これで良い家へ嫁に行くことも出来るのではないだろう か。 とにかく、MPについての問題は解消された。 あとは魔法の習得だな。 だが、こちらも問題はそうないみたいだ。 正直な話、俺よりも上二人の兄姉の方が魔法との相性は良さそう だ。2人とも魔法の修行を始めてからまだ1日しか経っていないと 言うのに、もう数秒で魔力を通すことが出来る。あっという間にM Pを使い切って就寝だ。二人で1分もかかってないんじゃないか? 俺は今日も魔力を通すのに時間がかかる。魔力を通そうとしてか らイメージが固まるまで10秒くらいかかってしまう。実はこれで もかなり短くはなっているのだが。 3回ほどやったあと、昨日のように眠くなったふりをしてベッド まで運んで貰い、その後一人で練習してみた。流石に何回か連続で やっていると驚く程上手く行くようになった。ついでに風魔法と水 魔法でもやってみる。こちらも数回連続でやってみると、その後は かなり上手に出来るようになった。まさに自転車だな。 午後はまた昼飯を食ってからヘガードの背中の籠の住人となった。 今日は畑を見て回るらしい。 まずは家の傍からだ。今は3月も中旬を過ぎ、小麦の種蒔きの前 の畝を作っている時期だ。見たところ、鋤と鍬が主な農機具のよう だ。 牛馬のような大型の家畜を見ることはなかった。理由をヘガード に訊ねたところ、牛馬は通常の平民が購入できるほど安価ではない ことが主な理由っぽい。農耕に家畜を利用したほうが良いと意見し 191 たら、確かにウェブドス侯爵の直轄領では農耕に家畜を利用してい るところもあるらしいことが判った。しかし、バークッドでは未だ 開墾地が少ないため、牧草用の空き地が取れないことも家畜を農耕 に利用できない理由の一つである事も判った。 農耕に家畜を利用すれば効率が劇的に向上するはずだが、なぜ利 用しているのはウェブドス侯爵の直轄地だけなのだろうか? 突っ 込んで訊ねてみると経済的、空間的な理由のほかに文化的な理由も あるようだ。このロンベルト王国にはひとつの物語があった。それ は、よくある建国神話に近いもので、建国の立役者且つ初代国王で あるロンベルト一世の伝記とも言えるものだ。 ロンベルト一世の存命中のある戦争で、当時のロンベルト一世の 愛馬が身を挺して主人を守り、難を逃れることが出来たそうだ。そ してその難を逃れる最中に牛車を利用したのだが、牛車を牽いてい た二頭の牛が体力の限り走り抜き、安全圏に逃れた時、衰弱死した という逸話があるらしい。それにいたく感動したロンベルト一世は、 建国後に牛馬を粗略に扱ってはならない、ましてや重労働である農 作業に使役することを禁ずるという法を発布したそうだ。勿論これ は悪法であり、後にそのことに気づいたロンベルト一世もこれを撤 回している。 しかし、逸話と共に一度国中に効力を持って発布されてしまった 為、なかなか牛馬を農耕に使うことは無いそうだ。興味半分でその ロンベルト一世はいつ頃の人物なのかを聞くと大体500年くらい 前の人らしい。500年も牛馬を農作業に使わないとか、幾らなん でも頭がおかしいとしか思えないので詳しく聞いてみると、理由は それだけでも無いようだ。そもそもの牛馬の絶対数が少ないことも 大きな原因らしい。なにしろ、当バークッド村にも3頭いるだけ。 他の村の状況もどこも似たりよったりらしい。 192 そもそも、馬はこのオーラッド大陸の東が原産で、この西の地方 では野生の馬なんて一頭もいなかったらしいし、牛に至ってはどう も別の大陸が原産らしい。従って価格は非常に高価で普通は貴族か 隊商を組めるような商会や商人でもないと購入することは出来ない そうだ。ここで疑問が湧いてくる。ならば、なぜ増やそうとしない のか? 牛も馬も毎年妊娠・出産が可能なはずなんだが。 ヘガードに聞くと、疑問が解消した。この世界の信仰の問題で家 畜の出産を手助けすることは禁忌なのだそうだ。そのため、せっか く生まれた仔馬や仔牛は出生直後にだいたい半数が死んでしまうそ うだ。生き残った半数も産褥熱などで親の乳の出が悪い場合や運悪 く死んでしまった場合には、乳を出す親代わりの家畜がいないと確 実に淘汰されてしまう。また、出産に失敗して死産であることもま まあるそうで、それがなかなか数が増えない主因らしい。 副次的な要因としては、そういった理由で馬や牛、驢馬といった 大型の家畜は非常に高価でもあるため、略奪の対象にもなるし、戦 争や紛争で死んでしまったり、おしなべて美味であることが多いの で魔物の捕食対象になることも珍しくないそうだ。特に専門の管理 者を置く余裕のない小作農を含む自作農の大半は、例え購入資金が あったとしても、万が一の損害を考えると購入に踏み切ることは大 変に勇気のいることであろうことは想像に難くない。 ここでこの世界の信仰についても聞いてみた。少なくともロンベ ルト王国を含む近隣諸国では現代地球のような多数の宗教や宗派は ない。宗教という言葉も無いようだ。一番近いのは日本人にはお馴 染みの神道だろう。この世に存在する全てのものには遍く神が憑く。 八百万の神を全て信仰しているのだ。 193 今までの話や風俗から俺は既にある程度予想していたが、まさか 他の宗教が存在しないことまでは考えていなかった。先日、俺の命 名の儀式を執り行ってくれた司祭も、司祭とは呼ばれていたが日本 人的な感覚で言うと失礼な言い方になるが、そこそこの格の神社の 神主程度の存在らしい。非常に敬われるようなこともなく﹁実は俺 の実家って○○神社なんだよね﹂と同級生に聞いたときに感じる程 度、という意味だ。政治的に権威があるわけでもなく、宗教で民を 煽動したり指導したりするわけでもない。しかし、特定の行事など には欠かせないし、その際には敬意を払われる。そんな存在だ。な ので、宗教関係は面倒になるかもしれないとか全くの取り越し苦労 だった。 この日は晩飯ギリギリまで耕作地を見て回った。村の中央を流れ る川の護岸工事が一切されていないことに疑問を感じたが、バーク ッド村開拓以来、氾濫した記録は無いとのことなので、護岸工事に ついては急を要するものでないことは判った。 晩飯を食い終わって、いつもの鑑定ノルマ⋮⋮じゃない魔力を通 す練習をし始めた時、大切な事に気がついた。 ■今までの俺の一日 ・朝起きる︵MP+1︶ ・朝飯 ・鑑定 ・寝る ・昼起きる︵MP+1︶ ・昼飯 ・鑑定 ・寝る ・晩起きる︵MP+1︶ 194 ・晩飯 ・鑑定 ・寝る と、食事を挟んで1日に3回MPを使い切っていた。 しかし、今は ■昨日今日の俺の一日 ・朝起きる︵MP+1︶ ・朝飯 ・魔法修行 ・寝る ・昼起きる︵MP+1︶ ・昼飯 ・ヘガードの背中で見回り ・晩飯 ・鑑定 ・寝る と、1日に2回しかMPを使い切っていない。 午前中の魔法修行は曾祖父の命令みたいな形で10歳までは続け られそうだが、問題は午後のヘガードとの領内の見回りだ。ここで MPを使い切り、晩飯までのんびりと寝て過ごすわけにはいかない。 となると、夜中に一度起きるしかないのか。 夜暗くなるとすぐに晩飯を食って寝、日の出ちょい前に起きるの が基本的な生活サイクルなので、実は夜の睡眠時間はかなり長い。 冬で18時くらいには就寝し、朝5時半くらいに起床する。12時 間近く寝ている。夏でも19時くらいに就寝し、朝4時半くらいに 起床する。これでも9時間半は寝ている勘定だ︵夏の就寝時間が早 195 いが、流石にこの世界の人間でも夏の方が日照時間が長いことは承 知しており、夏はまだ明るくても寝てしまう。朝は涼しいので作業 効率が上がるから早起きする、という訳だ︶。夜中0時くらいに上 手く目を覚ますことが出来れば鑑定の連続使用で一気にMPを0に 出来る。MPが0になれば問題なくあっという間に就寝することは 出来る。 問題はいかに0時に目を覚ますかということだけだ。体内時計な んて便利なものはあるといえばあるが、俺は前世からあまり上手く 使えたことがない。困ったな。問題を先送りにして寝てしまっても いいが、これは確実に後に響いてくるだろう。出来れば早急になん とかしたい。なんとかしたいが、今のところいいアイデアが浮かば ない。だからと言って放っては置けない。 くそ。これはまずいな。ぱっと考えた解決方法は3つだけだ。 1.根性で起きる 2.目覚まし時計の代わりになるようなものを作る 3.魔法で何とかする 1はちょっと現実的ではないが、頑張って習慣化出来れば理想に 近い。 2は自分だけに効果がないとダメだ。従って音で起こす方式は使 えない。水時計しかないか? 3は今のところどうしようも無い。聞き方を工夫してシャルに訊 ねてみるくらいしか出来ないだろう。 ここまで考えて、また抜けていることに気がついた。そう言えば、 何故いつも日が出る少し前に起きられるのだろうか? 日の出とと もに起きると一言で言っても窓ガラスがないので、そもそも日の出 196 なんか感じられない。ミュンが起こしているにしてもミュン自身は どうやって起きる時間を把握しているのだろうか? これは明日ミ ュンに聞いてみればはっきりするだろう。 今晩は1に賭けることにして鑑定でMPを使い切った。 あ゛、またやっちまった。 197 第十三話 小魔法︵前書き︶ お気に入り登録数の激増に本当に吃驚しています。 これからもアレインの成長を生暖かく見守ってください。 2013年9月16日改稿 198 第十三話 小魔法 夜中に何とか目を覚ますことが出来た。 今が何時かは判らないが、晩飯の後に使い切ったMPは回復して おり、上限も1増えていることは確認した。最低でもあれから4時 間は経過していることは確かだ。とにかく魔法を練習してMPを使 い切って早めに寝たほうがいいか、と思ったが、やっぱり鑑定にし た。 よく考えると急いで魔法を使えるようになる必要はない。それよ りも鑑定で得られる情報の方がいろいろと価値が高い。さっさと鑑 定のレベルを上げて、やっと見れるようになった筋力やら俊敏など のサブウインドウを見るほうが先だと思う。なので、魔法修行時間 以外はやはり当面鑑定に充てた方が良さそうだ。 ・・・・・・・・・ 朝になりいつも通りミュンが起こしに来た。ミュンに起こされた とき、昨晩疑問に思ったことを聞いてみる。 ﹁ねぇ、ミュンはなんでいつも日の出前に起きられるの?﹂ ﹁ああ、私は4年くらい前から目覚ましのセットが出来るようにな 199 りましたので﹂ は? 今、何て言った? 目覚ましだと? ﹁へぇ∼、ミュンはすごいなぁ、で、目覚ましってなぁに?﹂ 早く答えが聞きたくて焦るわ。 ﹁アル、目覚ましは目覚ましですよ﹂ うん、そりゃそうだろう。しかし、俺が聞きたいことに答えてく れよ。 ﹁そんなんじゃわかんないよ。目覚ましってなに∼?﹂ キャントリップス ﹁小魔法ですよ。﹂ なん⋮⋮だと? キャントリップス 事も無げに言いやがった。 しかし、小魔法か。確かめてみるか。 俺はベッドから降りるためにミュンに抱いてもらおうと腕を広げ る。 それに合わせてミュンが俺を抱き上げる。 鑑定だとまだ技能が見られないからな。 ﹁ステータスオープン﹂ ︻ミュネリン・トーバス/19/2/7413︼ 200 ︻女性/29/11/7411︼ ︻普人族・トーバス家長女︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ﹁アル、ステータスをいきなり見るのは失礼ですよ﹂ うーん、きちんと小魔法の特殊技能を持ってるなぁ。 魔法使いと呼ばれている俺の母親ですら持ってないのに。 でも、そうか、ステータスオープンをいきなり他人にかけるのは 確かに失礼な行為だろう。 人種は見れば大体わかるが、べつに親しくもない奴に誕生日や場 合によっては保有している技能を知られることになるんだ。 キャントリップス ﹁ごめんなさい、でも、小魔法のこと知りたかったの﹂ 我ながらしつこい。 流石俺。 ﹁ん∼、奥様に聞いたほうがいいと思いますよ。私は上手く説明す る自信ないですし、それにもう朝食の準備は終わっています。旦那 様も奥様もお待ちですよ﹂ くそ、役に立たないな。 目覚ましとか、超有効じゃんか。 まじ欲しいわ。 疑問が解消されないままなので、些かやさぐれた考えになっちま うな。 取り敢えず飯食ってシャルに聞くしかないか。 201 ・・・・・・・・・ キャントリップス キャントリップス ﹁ところで母さま、ミュンが小魔法が使えるって言ってましたけど、 小魔法というのは、なんですか?﹂ 朝食の後の魔法の修行で上二人の兄姉がMP切れでダウンしてか ら聞いてみた。 ﹁ああ、あまり魔力を使わない魔法のことよ。大したことも出来な いし、使えても多い人でも一日で数回ね﹂ ほうほう、いいじゃんいいじゃん。数回も使えるなら全く問題な い。 ﹁僕も使えるようになりますか?﹂ ﹁そりゃなるわよ。魔力を流せるならもう使えると言っても良いわ﹂ なにぃ? 実はもう使えるのか? でも俺にそんな特殊技能は無 いぞ? ﹁どいうことですか﹂ ﹁うーん、アルの頭の出来なら理解できるか⋮⋮。アル、魔法って ね、一体なんだと思う?﹂ 何言ってんだ? この女は。それが解らんからこうして習ってる 202 んだろうが。 いやいや、短気は損気。 ここはこの禅問答に付き合おう。 どうも魔法の根本の話から始めてくれるらしいしな。 むしろありがたい。 ことわり ﹁自然の理を曲げる不思議な力、でしょうか﹂ ﹁そんな言い方するとなにか害悪かのように聞こえるわね。間違っ てはいないけど。私が言いたかったのは、魔法の力はどこから湧い てくると思う? ってこと。でも、修行を始めたばかりで解る訳は ないから言うけど、魔法はね、使う人の想いなのよ﹂ わかんねー。 この前気がついたイメージ力ってことだろうか? 更にシャルは言葉を継いだ。 ﹁想いってね、大切なことなの。ああしたい、こうしたい、から始 まって、ああなりたい、こうなりたい、と来て、あれが欲しい、こ れが欲しい、になって行くのよ。全部じゃないけど限定的にでもそ れを実現させる力が魔法。だから、想いが強い人は魔法が上手な人 でもあるわ﹂ 想い、とか言うからなにか高尚な感じなのかと思ったら、意外に も低俗だった。 ﹁だとすると、欲求や欲望が魔法になるのですか?﹂ ﹁ちょっと違うかな。欲求や欲望を実現したいと思い、それを魔力 を助けにして起きる現象が魔法なの﹂ 203 また魔力が当たり前のように出てきた。 だから、それがなんなのかわからんっちゅーの。 ここは話を続けよう。 ﹁なるほど、魔力ですか。では、魔力とはなんですか?﹂ ﹁魔力はね、誰もが持っている力の一つよ。あなたが足の上を這っ ているアリを邪魔だ、どっか行け、と思ったらどうする?﹂ ﹁そりゃ手で払いますよ、こうやって﹂ ﹁そうね。でも両手になにか荷物を持っていたら?﹂ ﹁荷物を一度降ろすしかありませんね﹂ ﹁そう言うと思ったわ。でも魔力を上手に使える人は、こう﹂ シャルはそう言うと向かいに腰掛けた俺の膝小僧を見る。 とほぼ同時に、さっと膝小僧を撫でられた、というか払われた感 じがした。 吃驚して目を丸くする俺に ﹁今のが魔力の簡単な使い方。まぁ今のは自分じゃなくて別の人に 対して使ったから一番簡単、というわけではないけれどね。要は3 キャ 本目の手ね。但し、この手は自分の現実の体じゃないわ。魔力で作 ントリップス キャントリップ った幻の手ってところかしらね。だからこれは魔法じゃないわ。小 魔法ね。一度の小魔法で払いのけられるのはせいぜい数回だし、な にか重い荷物を持ち上げるなんてことも出来ない。﹂ 204 キャントリップス あ、今さりげなく複数形と単数形だった。別にどうでもいいが。 なるほど、魔力を直接操るのが小魔法か。 キャントリップス ﹁魔力で幻の手を作ってなにかさせるのが小魔法ですか﹂ キャントリップ ﹁基本はそうだけど、応用もいくつかあるわ。代表的なのは﹃予約﹄ の小魔法ね。あとは明かりや音かな。両方共自分にしか見えないし 聞こえないけど﹂ ﹃予約﹄か。 それだろう。目覚ましは。 キャントリップス ﹁わかりました。僕にも小魔法を教えてください﹂ ﹁もう教えたじゃないの。あとは練習すればいずれ使えるようにな るわよ﹂ え? いつ教えてくれたんだ? ひょっとして魔力で作った幻の三つ目の手ってところじゃないだ ろうな? ﹁教えてもらってませんが⋮⋮﹂ ﹁まぁ、まだ赤ちゃんだしね。アル、背中で右手を肩の上から、左 手をお腹の後ろから回して握手できる?﹂ 頑張ってみたが、手が届かない。 関節は赤ん坊らしくすごく柔らかいが、腕の長さと回した手を維 持する筋力の問題だろうな。 205 ﹁出来ません﹂ ﹁なら、手が届かないところを掻きなさい﹂ ﹁届かないから掻けませんよ﹂ あ、そうか、ここで幻の手か。 何となくうなじから3本目の手が生えるところを想像してみる。 してみるが、出来るわけねぇ。 ﹁必ず出来るわ。掻きなさい﹂ ちょっとだけ真剣にシャルが言う。 キャントリップス ﹁難しく考える必要はないの。普通に手で掻く感じを伸ばすだけよ。 小魔法を使えない人はいないのよ﹂ こうか? 背中に回した手がちょっと伸び、背中の真ん中を掻く感じ。 キャントリップス 一緒に本物の指も動く。 あ。 出来た。 これか、これが小魔法か。 ﹁その顔は出来たみたいね。当たり前のことだけど良かったわ。で も、今日は多分もう出来ないと思うわ。さぁ、魔法の修行を始めま しょう﹂ 206 その後はまた魔力を巡らせる修行をした。今日は4回やってやっ た。 ファーンもミルーもMPが増えていたのは確認済みだ。 4回の修行中も魔法と小魔法についてシャルから学んだ。 ・・・・・・・・・ 今朝の修行が終わりベッドの中でぼうっと鑑定を使いながら先ほ どシャルから得た情報を整理してみる。 キャントリップス 1.魔法と小魔法は似ているが違う。 2.魔法はMPを消費して使用し、その分効果が高い。 キャントリップス 3.小魔法は一日あたり決まった回数しか︵俺の場合は一日一回だ し、人によって違う︶使えないが、MPを消費しないし、限界まで 使用しても前後不覚になるようなことはない。 4.どちらも基本的に全員が使用可能になる素質はあるが、魔法は 向き不向きが大きく、一生使えない人も多い︵シャルの言によると 魔法の特殊技能を得られるのは10人に1人くらい︶。 キャントリップス 5.逆に小魔法は全く使えない人はいない︵少なくともシャルは知 らない︶。 だいたい10歳あたりで親が教える。10歳の理由はあまり幼 207 いといたずらに使うことが多いためで、躾の意味が殆どらしい。 キャントリップス 6.小魔法は応用範囲が広いがおしなべて持続時間が短い。だいた い5秒。 キャントリップス 7.小魔法は幻の手を使役する以外にも使える。代表的なものだと、 明かりや音、予約など。但し自分にしか見えないし、聞こえない。 幻の手以外は才能が必要だが、それほど珍しくない︵二人に一人は 使える︶。 8.魔法が使える人間は︵ステータスウインドウに﹃特殊技能:○ ○魔法﹄がある人間︶ステータスウインドウに小魔法は出てこない。 こんなところか。真剣に小魔法を勉強するのはなんだか無駄のよ うな気もするが、早く目覚ましは使いたい。おそらく﹃予約﹄と﹃ 幻の音﹄か幻の手の﹃つねり﹄などを組み合わせて使うのだろう。 なので一日当たり最低でも2回使えるようにならなければ意味は薄 い。使える回数が増えるのは人それぞれらしいが、大抵は成人の頃 らしい。冒険者は回数が増えやすいとのことだ。 シャルに聞いてみると今のシャルは一日に14回使えるらしい。 これを聞いてピンときた。多分レベルアップとともに使える回数が 増えるのだろう。 レベルアップが待ち遠しいがどうしたらレベルアップするのだろ うか? やはり沢山の魔物を倒さなければならないのだろうか? だとすると今の俺には方法がない。ファーンのように剣で切り殺す など以ての外だ。 どうしよっかね。とても成人まで待ってられないぞ。 208 209 第十四話 魔石︵前書き︶ 2013年9月16日改稿 210 第十四話 魔石 午後、いつものようにヘガードの背中の住人になる。 今日は耕作地より外の林だ。 昨日耕作地を見回った時に、切り開いた耕作地の外側はまだ未開 の森が広がっていると聞いたためだ。どういった樹木が生えている のか確かめたかったし、一度はゴブリンが村の外れのケリーの家の 傍まで来ているから、村の外に出ることに対するヘガードの反応も 見たかったからだ。 少し及び腰になりながら、ヘガードに耕作地の外の森について見 たいと言ったところ、あっさりと了承されたので、いささか拍子抜 けしてしまった。ヘガードは他に3人の大人を連れて歩き始めた。 やはり完全に安心できるような場所ではないのだろう。鑑定してみ ると全員が20代でレベルは6と7だった。また所属は全員グリー ド家の従士になっている。 村の中央部を流れる川に沿って北北東の方へ一時間ほど歩き、南 西へ方向転換する。木は鬱蒼と茂っていたものの、下草は思ったほ ど生えてはおらず地肌が見えているところも多かった。地面の凹凸 や木の根に注意するぐらいで歩行が困難というような場所ではない な、という印象だ。二時間ほど歩くと一瞬潮の匂いがした。気のせ いかと思ったが、ここから数時間歩くだけで海に出るらしい。 植生はある程度ごちゃまぜなようだ。最初に歩いた村の北方には スギっぽい針葉樹が生えていたが、今はナラやケヤキなどの広葉樹 も混じって生えている。このくらいなら生前の日本でもあったので 別に不思議ではない。海の方に行くともうちょっと種類が増え、ま 211 たちょっと変わった木も生えているらしい。 大きな木の傍まで来た。ここで一休みすることになった。ここか らバークッド村まではほぼ真東に1時間半の距離だそうだ。ヘガー ドは籠の住人となった俺を抱き上げて降ろしてくれた。掌はごつご つして剣ダコがいくつもできているようだが、丁寧に抱き上げてく れた手は温かかった。水筒として使っている革袋からヘガードに水 を飲ませて貰い、喉を湿らせる。ヘガードは村を出てからずっと俺 を背負っていたが、あまり疲れてはいないようだ。一体どれだけ体 力があるのだろう。流石15レベルだ。しかし、領主であるヘガー ドが俺という荷物を背負っているのに、誰も代わろうとしないのは 何か解せない。 ヘガードに聞いてみると理由は簡単だった。ヘガードの実力が飛 び抜けているため、俺を一番傍で守るのにヘガード以外だと力不足 だかららしい。領主自らが重い思いをして守ることについてはヘガ ードは何とも思ってはいないようだ。そんな会話をヘガードとしな がら休憩して20分以上経った頃だろうか? いきなり全員立ち上 がり剣を抜いた。 俺は一瞬、何が起きたのか把握できなかったが、これは、あれだ ろう。怪物とか魔物とかモンスターとかそんな類の奴の出現ではな かろうか? 普通の獣、と言う線もあるが、全員の顔つきが尋常で はなかった。ヘガードは皆に落ち着くように注意すると長剣を構え たまま一人で前に出る。おいおい、こんな時まで領主が前に立つの かよ。俺は後ろを今まで休憩に寄りかかっていた大木、前と左右を 残った男達に守られながらそんな不満を抱えていた。 俺の前に立っている男が邪魔になり近づいてくる相手が何者なの かはまだ分からないが鑑定で探してみる。100mほど先に20人 212 ほどいるのが判った。ゴブリンだが数が多い。向こうもこちらに気 がついているようで、歩くくらいの速さでゆっくりと近づいてくる ようだ。興味を覚えゴブリンを鑑定してみる。そう言えば魔物はま ︼ だ鑑定したことがないな。 ︻ ︻男性/20/11/7426・小鬼人族・ファグ氏族︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:2歳︼ ︻レベル:1︼ ︻HP:16︵16︶ MP:1︵1︶︼ ︻筋力:2︼ ︻俊敏:3︼ ︻器用:1︼ ︻耐久:2︼ ゴブリンの集団の端から続けざまに5人ほど鑑定してみると、多 ネームド 少の違いはあるが全員がこんな能力だった。誰も固有名を持ってい ないのは命名の儀式をしていないからだろう。能力的にはレベル1 のファーンはおろか、ミルーより下だ。年齢も下だし、これはしょ うがないのか? しかし、20人相手になんとかなるのだろうか? 俺はここで死ぬのか? まずいぞ、びびって感情の制御が効かな くなりそうだ。 ヘガードが叫ぶ。 ﹁ショーン、付いて来い! 俺の後ろを守れ! あとはその場でア ルを守れ!﹂ ショーンと呼ばれた男が俺の前から駆け出し、ヘガードのやや左 213 後ろに着いた。そのまま50m程前進したところのちょっと開けた 場所で止まる。俺を一番傍で守るとか言う話は俺の空耳だったのか よ! 俺は矢も楯もたまらず、 ﹁ねぇ! 大丈夫なの!?﹂ 俺の周囲を固める2人に聞く。すると、若い方の男︱︱こいつは ダイスという名前だ︱︱が ﹁大丈夫ですよ、お屋形様は元冒険者ですし、このあたりのゴブリ ンでは相手になりません﹂ と、多少の緊張を見せながらも笑みを浮かべて言う。もう一人の 男︱︱こっちの名前はラッセグ︱︱も ﹁それにショーンが後ろにいますからね、問題ありません。万が一 ゴブリンが多少流れてきても我々が居ります﹂ こちらは表情に幾分の余裕があるようだ。その表情を見て多少安 心するものの、相手は20人だ。しかも先日のファーンとの戦いを 思い出すと、相手は完全にこちらを殺しに掛かってくるだろう。今 回のゴブリンたちは見たところ刃物の類は持っておらず、棍棒で武 装しているようだが、流石にあれだけ離れていると長めの棍棒なの か、短槍なのかの区別はつかない。先端が光を反射していないよう なので金属のようなものがついている感じはしないし、ちょっと太 めな感じもするうえに、突くような構えを取っているものも見られ ないのでただの棒だろうが、危険なものは危険だ。 ゴブリンの集団はヘガードとショーンが立ち止まったのを見ると 一度動きを止めた様だが、すぐに一人がギャーだかギョエーだか叫 214 んだ。それを合図に集団はヘガード達を包囲するかのように広がり、 すぐに半包囲の陣形になった。 ヘガードは半包囲が完成するより前に雄叫びを上げながら稲妻の ような素早さで前進し、正面のゴブリンに剣を突き入れると、相手 を蹴り飛ばし剣を抜いた。ショーンもヘガードのやや左後ろに位置 しながらゴブリンに剣を突き入れる。あっと言う間に二人のゴブリ ンを葬るとヘガードは蹴り飛ばしたゴブリンの右のゴブリンに剣を 突き入れた。ショーンも剣を突き入れたゴブリンを蹴って剣を抜く と今度は突きではなく剣を右から左に振るい、ゴブリンを遠ざけた。 なるほど、ショーンは左利きなのか。先ほどの薙ぎ払いは左手一本 でやっていたようだ。だから少し左側にずれていたのか。 そうこうしているうちヘガードは次から次へとゴブリンを倒して いく。ほとんど全てを一撃で突き殺す。たまに剣の旋回半径の先の 方の調度いい場所にいる相手にだけ喉を剣の先端で切り裂くだけで 剣の刃を殆ど使っていない。棍棒で殴りかかってくるのを避けきれ ない時にだけ剣で受ける、と言うか殴られる前に棍棒を叩き、相手 の体勢を崩したあとで突いているようだ。ショーンはそれをうまく サポートする位置につき、ヘガードの死角にゴブリンを寄せ付けな いように防御に専念している感じだ。当然隙を見せたゴブリンには 容赦のない突きをお見舞いしている。 あれよあれよという間にゴブリンは半数の10人くらいが倒され た。見ていた感じではヘガードもショーンも一回も殴られてはいな い。圧倒的じゃないか、我が軍は。俺はさっきまでびびっていたの が嘘のように気分が高揚してくるのを感じた。全く何が感情の制御 だよ。びびってんじゃねぇ、冷静に考えて見ろ。ヘガードのステー タスで見たHPや筋力などはいま相手にしているゴブリンの10倍 くらいあったはずだ。 215 付き従っているショーンのレベルは7とヘガードの半分弱だが、 こちらも軒並み15くらいの筋力や俊敏さを持っていたではないか。 ヘガードのように剣を上手に使うことの出来る成人が、棍棒を持っ ているとは言え筋力から何から5歳児の女の子程度の集団に囲まれ たところで蹴散らせない道理がないではないか。しかも向こうは半 包囲に近い状況とは言え、ろくに連携もせず、ただ殴りかかってく るだけだ。 見た目がちょっと不気味なぐらいで、どうと言うことはない、は ⋮⋮ず? やばい、今まで見えなかったが一匹はファーンを襲った奴のよう に粗末だが短槍を持っているのが見えた。槍をヘガードの方に向け ながら何やら声を出している。あれが仲間への指示や命令だとする と、こいつがこの集団のリーダーなのかもしれない。慌てて鑑定し ︼ てみる。 ︻ ︻男性/19/1/7424・小鬼人族・ファグ氏族︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:5歳︼ ︻レベル:3︼ ︻HP:23︵23︶ MP:1︵1︶︼ ︻筋力:3︼ ︻俊敏:4︼ ︻器用:2︼ ︻耐久:3︼ うん、確かに他のゴブリンよりは強いね。劣化ミルーが劣化ファ 216 ーンになった感じかな。一応、粗末とは言え金属製の武器も持って いるから気は抜けないだろうが。そう思えば安心して本格的な戦闘 を見ていられるな。 ﹁ほら、大丈夫だと申し上げたでしょう? もうゴブリンを10匹 もやっつけた。お屋形様はあんなにお強いんですよ﹂ とダイスが俺を安心させるかのように言った。 俺は適当に返事を返しながらヘガードとショーンの戦闘に目を奪 われていた。まるで冒険活劇映画の主役であるかのような強さに心 を奪われている。また1人、ゴブリンがヘガードの剣によって倒さ れた。あ、そう言えば俺はゴブリンを1人2人と数えていたが、皆 は1匹2匹と数えているようだ。この辺は日本語に近いんだよな。 でも、何故匹なのだろう? まぁ、そんなことは後でいい。 もう1人か1匹を追加で倒したところでリーダーらしきゴブリン が退却を命じたのだろう、残っているゴブリン達は散り散りに逃げ 出す。こちらには向かって来ないようで安心した。ダイスが俺を抱 き上げて籠に入れ、ラッセグがヘガードの傍まで運んでくれた。 ヘガードとショーンはゴブリンの死体の傍にしゃがみ込み、ナイ フで死体を切り裂いている。悪趣味だな、と思ってじっと見ていた ら、俺を守っていたダイスとラッセグの二人もナイフを取り出すと、 同様にゴブリンの死体を切り裂き始めた。一体何の為に何をしてい るのか、不思議になってそのまま見ていると、ヘガードとショーン が立ち上がり、また隣のゴブリンの死体を切り裂き始めた。 そう言えば死体を鑑定してなかったな、と思い、端っこのまだ切 り裂かれ始めていない、死にたてホヤホヤの死体を鑑定して見ると、 状態の欄が死亡になっているだけであとは生前と一緒だった。つい 217 でに切り裂かれた死体を鑑定すると ︻死体︵小鬼人族︶︼ ︻小鬼人族︼ ︻状態:良好︼ ︻生成日:19/3/7429︼ ︻価値:10︼ ︻耐久値:1︼ と出た。無生物を鑑定した時のウインドウ項目になっている。ど う考えても死後ヘガード達に切り裂かれてこうなったとしか思えな い。切り裂かないで放っておけば生き返るとでも言うのか? ﹁お屋形様、死体はどうしましょう?﹂ ラッセグが言うと ﹁お前がいるなら持って帰ってもいいぞ﹂ と冗談めかしてヘガードが答える。 ﹁マセキを取ったあとのゴブリンなんぞ何の役にも立たないので、 結構ですよ。で、埋めますか?﹂ ﹁ここから村まではそこそこあるし、放っておいても大丈夫じゃな いか?﹂ ﹁しかし、森トカゲが食うかも知れんぞ﹂ ﹁別に放っておいてもいいんじゃないですか?﹂ 218 ゴブリンを切り裂く手を休めて、皆が口々に言う。 ﹁よし、明日シャルに焼かせる。それでいいな﹂ ヘガードが決定し、全員作業に戻った。 帰り道で﹁マセキ﹂とやらについてヘガードに尋ねてみた。﹁マ セキ﹂は﹁魔石﹂であり、本当は﹁魔晶石﹂と言うのだそうだ。こ れはこの世界の植物以外の生き物全てが体内に持っているもので、 だいたい心臓の傍にあるのだそうだ。魔石は体内を巡る魔力が結晶 化したもので、強大な生き物ほど色が抜けて透明度や大きさが増し て行くらしいが、拳くらいの大きさが限界で、ドラゴンみたいな大 きな生き物だとそれが2つとか3つとか複数体内に生成されること もある。さっきゴブリンを切り裂いていたのはこの魔石をゴブリン の体内から抜き取る作業をしていたのだ。見せてもらったが、いび つな形をした大人の小指の先ほどの黒っぽい結石のようにしか見え なかった。 なんでこんな物を取るのか聞いてみたら、魔石は売れるのだそう だ。売れるからには使い道がある。薬の材料にするのが代表的らし いが、高級な道具の電池のような使い道もあるそうだ。もっとも、 ゴブリン程度の魔石は魔法でいくつも固めないとそういった電池的 な使い方は出来ないらしい。ヘガードはそう言うと﹁帰ったらシャ ルに魔石を結合させるところを見せてもらうといい﹂と言って笑っ た。 あ、魔石を鑑定してみたら良かった。後でやってみよう。 219 ・・・・・・・・・ 暗くなるちょっと前に家に着いた。ヘガードは見回りの途中でゴ ブリンの集団に出会い、これを撃破して魔石を回収したことをシャ ルに話し、明日死体を処分するので一緒に来い、と告げて自分は剣 の手入れをすると言って家の外へ出ていった。 魔石をヘガードから受け取ったシャルは中身をテーブルの上に並 べ、一通り検分した。勿論その間に一つ鑑定してみる。 ︻魔晶石︵小鬼人族︶︼ ︻小鬼人族︼ ︻状態:良好︼ ︻生成日:19/3/7429︼ ︻価値:174︼ ︻耐久値:2︼ 全部で13個ある魔石は価値が微妙に異なるだけであとは一緒だ った。そうか、どんな生き物から取れた魔石かわかるのか。シャル は立ち上がると戸棚から巾着のような袋を出し、そこから一つの魔 石を取り出した。親指くらいの大きさで灰色をしている。形は今日 取って来た物よりもだいぶ球に近い。鑑定してみると ︼ ︻魔晶石︼ ︻ ︻状態:良好︼ ︻生成日:17/8/7428︼ 220 ︻価値:49621︼ ︻耐久値:2︼ と出た。あれが固めて結合させた魔石のようだ。原材料名がない のはいろいろな生き物からとった魔石をくっつけたからだろうか? シャルは左手に今取り出した灰色の魔石を、右手に今日取って来 たゴブリンの魔石を乗せると、俺に見ているように言う。シャルの 手が青く輝くと同時に右手の魔石を左手の魔石の上にコロコロと転 がり落とした。13個全てを左手に移すとその上に空いた右手を蓋 をするように被せて揉み込むような動作をした。手を開くと魔石は 1つになっていた。さっき取り出した灰色の魔石だけが左手の上に 乗っているだけだ。一緒にあったはずのゴブリンの魔石は影も形も ない。 俺が不思議そうな顔で見ていることに気づいたシャルが説明して くれた。今のは魔法で魔石を固め、一つにしたのだそうだ。鑑定し てみると魔石の価値が49600位だったはずだが今は51500 程になっている。なるほど、結合か。夕食までもう少し間があるの でその後は夕食までシャルに魔石や魔法についていろいろ話を聞い た。ついでにゴブリンの数え方を聞くと、人型をしていても言葉を 喋ったりこちらと友好的なコミュニケーションが取れない魔物は匹 になるらしい。 そのうちにミュンが食事の用意を終わらせて料理を並べ始めたの で夕食を取る。食事の話題は勿論今日行われたゴブリンの集団との 遭遇戦だ。ファーンが見れなかったことをしきりに残念がるが、そ れをシャルとミルーが笑いながらからかう。いつものように今日が 終わる。 また今晩も夜中に起きられるか不安だったが、悩んでも仕方ない 221 のでまた鑑定を使い切って寝た。夜に起きるには起きられたが、戦 闘を見て興奮して疲れたのだろう、ちょっと起きる時間が遅かった らしい。しょうがないので自然回復するMP6まで自分を鑑定して また寝た。 222 第十五話 攻撃魔法と間者︵前書き︶ 2013年9月16日改稿 223 第十五話 攻撃魔法と間者 翌日の朝の魔法修行は、ゴブリンの死体処分の為、中止になった。 残念ではあるが死体を魔法で焼却するとのことで、実はどのように するのかという興味からちょっと楽しみではあった。 昨日と同じメンバーにシャルとファーン、ミルーの3名を加えて 村を出発した。ファーンは軽装ではあるが剣を帯び、自分で歩いて いく。ミルーは俺よりも大型の背負い籠でヘガードに背負われてい る。俺はショーン、ラッセグ、ダイス︱︱全員父親に仕える従士︱ ︱の3人に交代で背負われている。昨日の現場まで順当に行けば1 時間半程度のはずだが、今日はファーンが同行しているためにちょ っとペースが遅いようだ。 ファーンはしきりにヘガードや3人の従士に昨日のゴブリンとの 戦闘について訊ねているが、ミルーはいささか退屈そうだ。俺は適 当に鑑定をしながら籠に揺られていた。鬱蒼と茂る木々の間を摺り 抜けること2時間程で昨日の戦闘の場に到着した。既に何らかの動 物にゴブリンの死体は囓られている様で、柔らかい腹の部分が食い 荒らされていた。 ヘガードと従士たちはゴブリンの死体を一箇所に集めると、その 脇に30センチほどの穴を掘った。これで準備は完了らしい。たい して大きくもない穴なので穴掘りの時間を入れても20分ほどだ。 シャルは全員に充分離れるように言うと、子供たちに今からやるこ とをよく見ておくように念を押した。当然だ。見逃せるはずもない。 死体に掌を向け、指を広げたシャルの手がぼうっと青い光を放つ。 224 掌から死体に向けてかなりの勢いで炎が吹き出した!! 炎は一気に死体を焼いていく。 シャルは真剣な表情で手を向ける方向を調節して満遍なく死体に 炎が吹き付けられるように動かしている。魔法の炎は普通の炎とは やはり違うのだろう、死体のシャル側だけでなく、裏側にも火が回 っているようだ。肉が焼ける匂いが不快だが、これは我慢するしか ないだろう。ファーンとミルーも顔を顰めつつもシャルの手から噴 出する炎を見ている。 5分程続けるとシャルは魔法を止め﹁ちょっと休憩ね﹂と言って 子供たちのところにやって来た。ヘガードたちは立ち上がり周囲の 警戒のため二人ひと組でこの周りを巡回するそうだ。男達が巡回に 出るとシャルは、 ﹁今のが攻撃によく使われる魔法﹃フレイムスロウワー﹄よ。貴方 達はまだ使えないでしょうけれどここでちょっと魔法について勉強 しましょう﹂ と言い、早速講義が始まった。 魔法には大きく分けて5系統あるという。地、水、火、風、無だ。 そのうち四大元素魔法とも言われている地水火風は読んで字の如く それぞれの元素を発生させる魔法だ。例えば先ほどシャルが火を出 していたが、あの炎は火魔法で現出させたものだ。残る無魔法だが、 これだけは特殊で地水火風にとらわれないいろいろなことが出来る 魔法だ。多目的魔法とでも言った方がしっくりくる。 225 無魔法以外は単独で使うと各元素を放出するだけで、それ単体で 使われることはあまりないらしい。例えば火魔法がどんな強力でも 火魔法だけで魔法を使うと単に火が出るだけだ。当然火魔法の実力 が上昇し、地力が上がれば出せる火の規模は大きくなるが、あくま で火を出すだけで、それを操れるわけではない。 魔法で現出させた元素を操るためには無魔法と組み合わせて使用 しなければならない。先ほどシャルが使った﹃フレイムスロウワー﹄ の魔法は火魔法と無魔法の﹃固め﹄と﹃持続﹄との組み合わせだそ うだ。因みに﹃固め﹄は魔石の結合にも使われる。つまり﹃フレイ ムスロウワー﹄の魔法は火魔法で火を出し、出した火を一方向に﹃ 固め﹄、それを﹃持続﹄させることで実現していることになる。 とにかく、何らかの四大元素魔法を自在に使おうとするのであれ ば、無魔法の上達は必須であり、一番重要な魔法である、と言える。 そもそも、魔法の修行で魔力を流す練習をしているのはこの無魔法 を習得させる為らしい。 通常の魔法の修行は魔力の流れを感知する所から始める、と以前 キャントリップス 言ったことがあるが、シャルが魔力を流す修行から始めたのには訳 キャントリップス があった。魔力感知は小魔法だからだ。従ってMP消費による限界 が発生しない。それでは曽祖父の言葉に反してしまう。小魔法は修 行回数に限度はあるものの、MP消費の限界を迎えて眠り込んでし まったり、同様に腹が減っている時など、誰かの持ち物を奪ってで も食べようとしないからだ。しかし、普通はMPの量の関係で成人 してから魔法の修行をすることが多いらしいので、大方、妙な気を 起こしてそれを抑えられず異性に襲いかかったり、トイレに駆け込 んだりする不心得者が出たことが本当の理由じゃないかという気も する。 226 ここまで説明すると、いつものように魔力を流す修行をする、と シャルは言う。村の外で、且つゴブリンが出るような場所で眠り込 んだら危険だと思うのだが、シャルはどうせ子供達は起きていても 戦闘の役には立たないから大丈夫だと言い、死体を焼くのに休み休 みやるからまだ時間は掛かるからと修行をさせられた。俺たちは眠 り込むと傍の木の根元に横たえられた。 起こされると、何度も念入りに焼いたのだろう、ゴブリンの死体 は骨だけになっていた。もうこれで魔物や肉食の獣のエサになるこ ともないだろうと、ヘガード達は穴に骨を蹴り込むと上から土をか ぶせた。まだ昼を多少過ぎた位の時間のため、簡単な昼食を取ると 今日は帰ろう、ということになった。 時間的な余裕もあるので皆ゆっくりとした足取りで歩いている。 一時間も歩いたろうか、小休止となった。皆、座り込んで革袋から 水を飲んでいる。そう言えば、昨日はこんな時にゴブリンが襲って きたんだよな、とか思っていると本当に襲撃を受けそうな気がした ので、それ以上考えるのを止めた。代わりに魔法の組み合わせにつ いて考える。 四大元素魔法と無魔法を組み合わせて魔法を使うのであれば、例 えばこんなのは出来ないだろうか? 先ほどの﹃フレイムスロウワ ー﹄の魔法に水魔法を更に併せて、温水シャワーの魔法、とか。一 見くだらなそうだが、これが可能ならいろいろ組み合わせて便利な ことが出来そうだ。 早速シャルに聞いてみると、そう言った考えは既に有り、いろい ろな組み合わせも研究されているそうだ。当たり前か、誰でもすぐ に気がつきそうだもんな。だが、シャルによると各魔法に込める魔 力の量を調節することで同じ組合せでも別の効果になったりするの 227 で研究課題は尽きないらしい。 小休止は終わり、また籠の住人になる。 一時間ほどで村に帰り着いた。 ・・・・・・・・・ ファーンとミルーは夕方まで剣の修行らしい。あんなに歩いて疲 れているだろうに、本当に偉いなぁ。 家に帰り時間が出来たので適当に鑑定をする。5分に1MPづつ 回復するので最近は空き時間が出来ると鑑定をするようにしていた のだが、自分を鑑定すると鑑定のレベルが上がった。鑑定レベル7 で保有している技能の鑑定も出来るようだ。 さて、これで今まで自分の中で懸念事項となっていたことを確か められるな。俺はおもむろにミュンを鑑定する。 ︻ミュネリン・トーバス/19/2/7427 ミュネリン・サグ アル/2/12/7409※︼ ︻女性/21/11/7409・普人族・トーバス家長女※︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:19歳※︼ ︻レベル:9※︼ ︻HP:84︵84︶ MP:9︵9︶※︼ 228 ︻筋力:11※︼ ︻俊敏:18※︼ ︻器用:16※︼ ︻耐久:10※︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.2︶※︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.3︶※︼ ︻特殊技能:偽装︵Lv.5※︶︼ ふふん、まぁそんな所だろうな。 トーバス家は鑑定のサブウインドウではグリード家従士となって おり、曽祖父であるサーマートの時代から仕えていた事が判り、問 題は無い。しかし、サグアルの方はこうだ。 ︻サグアル家:デーバス王国従士。叙任日は7247年3月17日︼ ︻勃興:戦闘奴隷、ベーグリー・サグアルが戦功︵コーダ渓谷攻防 戦における敵将の暗殺︶により独立し興す。︼ ︻現在の家督者はボンダール・サグアルで六代目︼ 臭い、このメイドからは危険な香りがする。 鑑定のレベルが上がり喜んで何でも鑑定していたから気づけた。 結婚もしていない筈なのに名前が二つあった。そして新しいほう の名前の所属になっている。最初は実はミュンは結婚していたのか と思って気がつかなかった。しかし、トーバス家﹃長女﹄はおかし い。結婚していたならシャルのように第一夫人なり第二夫人なりに なるはずなのだ。 更にダメ押しをしたのは先日ミュンにステータスオープンを掛け たときだ。 あのときミュンのステータスには﹁ミュネリン・サグアル﹂の名 前はなかった。 229 鑑定のレベルがアップしたら次に鑑定出来るようになるのは多分 技能ではないか、と勝手に当たりを付けていたのだが、これは正解 だったようだ。技能の詳細を見るには更に鑑定レベルの上昇を待た ねばならないが、これについてはMP回復を待ちながら鑑定してい ればあと2∼3日もすれば上昇するだろう。 特殊技能に﹃偽装﹄が出てから鑑定項目の至る所に※印があるが、 これが偽装している項目になるのだろう。状態以外全部じゃねぇか。 ちなみに、技能の鑑定が出来るようになるまでは、 ︻ミュネリン・トーバス/19/2/7427 ミュネリン・サグ アル/2/12/7412︼ ︻女性/29/11/7411・普人族・トーバス家長女︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:17歳︼ ︻レベル:2︼ ︻HP:65︵65︶ MP:4︵4︶︼ ︻筋力:8︼ ︻俊敏:12︼ ︻器用:8︼ ︻耐久:8︼ こんな風に見えていた。 はっきり言ってこの時点で気づけよ、と思わないでもないが、い ちいち日付まで細かくは見ていなかった。しかし、見事に偽装した ものだな。 まぁいい。 今のところ何か問題を起こしたわけではないし、こちらに害意を 230 見せたわけでもない。つまり、証拠不十分だ。しかし、ステータス ウインドウを偽装しているだけで怪しいことは確かだろう。害意云 々よりこの時点で証拠充分とも言えるが。だが、今はそれについて 言及することは出来ない。 ステータスウインドウの偽装について糾弾すれば、なぜそれが判 ったのかが問題になるだろう。当然だ。だが、鑑定の固有技能につ いてはおいそれと明かすことは出来ない。明かせば、他国の間者か も知れないミュンにばれるし、それはバークッド村のみならず俺個 人に取って不幸な未来しか思い浮かばない。 だいたい、俺が気付けたのだって鑑定の固有技能があったからだ。 それくらいミュンのステータスウインドウ偽装は完璧だろう。しか し、鑑定とステータスオープンでは表示内容が微妙に異なることは 面倒だな。例えば、今回わかったことだが、保有している技能のレ ベルは鑑定であれば俺は自分を含めて他人の技能レベルも見える。 しかし、ステータスオープンの場合には自分の技能のレベルしか見 えない︵つまり、固有技能と同様に技能レベルの表示が暗い赤字に なる︶のだ。見える部分だけ取っても鑑定のほうが有効なのだが、 今まで鑑定では技能を見ることが出来なかったために、最初の鑑定 が低レベル時と技能確認が必要なときのみしかステータスオープン を使っていなかった。今後は人前でステータスオープンを使わなけ ればならないなど、特殊な場合以外はMPがあるのであれば全て鑑 定で良さそうだ。 話がそれたが、もう少しミュンの様子を見ても良いだろう。既に グリード家には数年仕えているようだし、潜り込んで来た理由も、 どのような方法で潜り込んで来たかも、そもそもトーバス家の当主 であるダングルが何故見逃しているのかも何にも判らないのだ。 231 今判明しないことは時間をかけて調査すればいいし、偽装の特殊 技能の能力範囲も知りたい。これは鑑定のレベルが上がれば判る様 な気もするので時間の問題だとは思うが。 とにかくミュンとトーバス家は要注意だな。 232 第十六話 幼少期の終わり 5年経った。 俺は6歳になり、鑑定の技能レベルはMAXの9、MPは528 4にまで成長した。昨年からは剣の修行も開始された。 自分で言うのも何だが、魔力に関しては超人レベルと言っても過 言ではないだろう。 魔法の技能レベルも四大元素がそれぞれ5、無魔法は6になって いる。 シャルは火と水、あと無魔法が5レベルだったので、既にシャル を超えている。 尤も実力は隠すようにしているのでシャルよりちょっと劣る程度 だと思われている。 それでも充分に異常なことらしいが。 しかし、自分自身のレベルは2だ。 1しか上昇していないのには訳がある。 鑑定技能レベルが8になったとき、自分自身も含めて全ての経験 が数値となって見えるようになった。 MAXの9になったとき︵何故MAXか判ったかというと、レベ ル表記が9ではなく、MAXと表記されたからに過ぎない︶、次の レベルに上昇するまでに必要な値もわかるようになったからだ。 自分のレベルが1から2に上昇するのに必要な経験値は2500 だった。 因みに、一生懸命修行に励み、剣を握る掌の肉刺をいくつも磨り 233 潰した日で2くらい経験値が上昇する。普通に肉刺をかばいながら 修行した場合は1だ。 その為、5年もかけてやっと2になったのだ。 レベルアップした時には満遍なく能力が上昇すると思っていたの だが、MPが5上がり、筋力が1上がった。正直な話、MPは上昇 しなくても各能力値が上がって欲しかった。 満遍なく上がると思い込み、レベルアップが近くなるとワクワク していた自分がバカみたいだ。 精神年齢で50歳を過ぎているのに自分のレベルアップが待ち遠 しくて仕方なかった。 その日の剣の修行をしていると急に剣が少し軽く感じられた瞬間 があり、予感がしてそっと自分を鑑定してレベル欄が2になってい ることを確かめ、見慣れた筋力や耐久などがほとんど変わっていな かったことに落胆した瞬間が昨日のことのように思い出される。 その日の夜に魔力を連続で流している時に、鑑定のレベルアップ のサブウインドウに書いてあることが急に理解できた。 サブウインドウには﹃レベルアップ時にはその直前のレベルでよ く使用した能力のうち1番目から6番目の﹄と書いてあった。 筋力とMPしか使ってなければその他の能力は上昇するはずがな い。 俺は今まで一度もHPが減った経験はないし、素振りしかしてい ないので誰かを傷つけたり回避運動を取ったこともない。 当然、素振り中に目標を変えたり、走り込みなどもまだしていな い。 今後、その辺りをどうするかは課題だ。 キャントリップス それはともかく、小魔法を複数使えない期間が長かったので、自 然と夜は0時くらいに一度目が覚める体質になったのは助かった。 234 そうなるまでには1年近くかかったのだが、今は確実に夜中に目 が覚める。 そして、無魔法の魔力放出を使って一気にMPを0にして気絶す るがごとく眠る。 これを繰り返してMPはものすごく伸びた。 なお、ファーンのMPは予定通り329まで成長し、ミルーも8 55ポイントにまで成長している。 この二人のMPが10くらいになった時点でシャルはあまりの魔 力増加に驚いていたが、何を思ったのかすぐに表情を引き締めて魔 力を流す修行を継続したのが印象的だった。 その夜、ベッドの上でヘガードに子供たちの魔力上昇について興 奮しながら報告し、仕切りに仮説を立てていた。 ヘガードは黙ってそれらの話を聞いていたが﹁サーマート爺さん はそんなに魔法に明るくはなかった筈だ。だが、魔力が増えること は子供たちにとって良い事だから今の修行を継続したほうがいい﹂ という事を言っていた。 その時俺はまだ赤ん坊だったので両親の部屋で寝ていたから聞け たことだ。 かなりヒヤヒヤしながら聞いていたが、話が俺にまで言及しなか ったのでホッとした記憶がある。 その日以降、魔法の修行は誰にも見られないように母屋の中の閉 め切った領主執務室︵屋根裏部屋だと思っていたが執務室だったら しい︶で行われるようになったので両親にはいろいろと思うところ があったのだろう。 俺にとっても都合がいいので助かった。ただ、屋内であるため火 魔法についてあまり実践の機会がなかったので結局ファーンは火魔 235 法を使えるようにはならず、ミルーも着火の魔法が精一杯だ。 ファーンは既に13歳になろうとしているのでだいぶ前からMP 増加のための修行は止め、本格的な魔法修行に移っているが地魔法 と水魔法、無魔法しか使えない。 これでも攻撃系統の魔法は使えるし、治癒も出来る。また、レベ ルも順調に上がっており、地と水は3、無魔法は4レベルになって いる。 低く感じるが、修行だけでまだろくに実戦もしていないのでこれ でも十分に異常だ。MPがふんだんにあるので修行時間が多く取れ るのが要因だろう。 ヘガードは充分に満足しているようで、治癒魔法も使え、剣も人 並みに使えるのであれば今後、村を守り、戦争でも死ににくくなる ので、領主としては理想的だそうだ。 来年には成人前だがウェブドス侯爵の騎士団に従士として入団さ せ、2年の修行の後、正式に国から次期頭首として認定されれば適 当な嫁を貰い家督を継がせたいらしい。 一方、ミルーの方は10歳以降もなぜか魔法を使い切ることに執 着している。 必ず午前の魔法修行の終わりに魔力を流してMPを使い切ってい る。 既に1年くらいやっているが10歳の誕生日以降増えたMPはた った3なので、800以上もMPのあるミルーにとってはあまり意 味のある修行だとは思えなかったが、本人がこだわりを持つこと自 体は悪くはないので放って置かれた。 だが、シャルから﹁魔法を使える者は常に魔力の半分程度は、余 程の事が無い限りいざというときの為に残しておくものだ﹂という、 ある意味での常識を聞き、最近はMPを使い切ることに迷いが見ら 236 れる。 ミルーの魔術技能のレベルは地魔法が4、水魔法が4、火魔法が 1、無魔法は5と、ファーン以上の才能を見せているが、これもフ ァーンの3倍近いMPがなせる連続修行の成果だと思う。 ミルーはどうやらシャルのような魔法使いに憧れているらしく、 魔法の修行に熱心だが、憧れている母親の言う事は何でも聞くよう で、剣の修行も怠ってはいない。 俺は早くから全ての四大元素魔法を習得したので全元素と無魔法 を全て組み合わせて使われる初歩の魔法の﹃アンチマジックフィー ルド﹄を最初に覚えさせられた。 理由は魔法の修行で生成される土くれや水を﹃アンチマジックフ ィールド﹄で消すためだ。 この﹃アンチマジックフィールド﹄の魔法はMP消費にも非常に 有効で︵全ての系統の魔法を同時に使うのでレベルが低くてもそれ なりにMPの消費は大きい︶、独自に改良を加えていまでは500 0以上のMPでも10分弱で空に出来るし、ものすごく微量だが全 属性に経験値も入る。 また、ファーンは既に大人顔負けの剣の腕を持っているが、ヘガ ードに言わせればまだまだだそうだし、ミルーも剣は相当に上達し ており、修行内容は既に木刀での模擬戦を従士たちとしている。 俺は修行を始めてから1年ほどしか経っていないので手に肉刺を 作り、剣道を思い出しながら素振りの毎日だ。本当は銃剣道の方が 得意だったので短槍を使いたいのだが。 今ではヘガードもシャルもMP増加の原因である﹁幼少期のMP 使用における成長﹂をほぼ完全に見抜いている。 だが、一般的な魔法使いであるシャルのMPが44である︵加齢 によりMPが増加した︶ことを考え、当家の秘伝とする考えのよう 237 だ。 MPの正確な値はステータスオープンでは見ることが出来ないが、 シャルは自分の魔力総量や使える魔法の消費魔力からかなりの精度 で見当をつけているようだ。 しかし、俺についてはいまいち掴みかねているらしい。 自分の百倍以上のMP総量を推し量るのは難しいだろうな。 とにかく、当家の魔法修行については門外不出の扱いを受け、フ キャントリップス ァーンやミルー、俺に対しても﹁絶対に自分の魔力総量を悟られな いようにすること﹂と﹁小魔法からでない魔力と魔法の修行法に関 して絶対に口外しないこと﹂をこれ以上無いほどの真剣さできつく 言い渡された。 家族のことはこれくらいにして、さらに判明した社会的なことを 述べよう。 バークッド村の人口は約430人で領主であるグリード家を含め て62戸の家がある。 領主の下には、従士として平民の自作農が8戸あり、軍人兼農家 となっている。 その他、自由民としてシェーミ婆さんと猟師を営んでいる狼人族 のケリー一家がある。 残りは全て農奴だ。村には商店や宿、酒屋などはない。 そのあたりは宿を除き、全て自由民のシェーミ婆さんが治癒院の かたわらで経営している。 村に来た人間が宿泊する場合、グリード家か従士を務める平民の 家に宿泊する。 農奴は自分の所有者である自作農や領主の許可を得るか、奴隷階 級から解放されるまで引越しや移民などについての自由はない。 しかし、土地以外の財産については持つことは出来る。 238 定期的なのかは判らないが、給料も出ているようだ。 そして、結婚はおろか自宅建物や衣服や農機具など、普通に生活 するうえで必要なものについて、ほぼ全て農奴個人または農奴の家 庭の財産にすることについて問題はない。 また、財産を配偶者や子供などが相続することについても問題は ない。 所有者の異なる農奴同士の結婚や、生まれた子供の所有権などま だ不明点は多い。 奴隷という言葉からイメージされるような陰惨で過酷な労働が課 される事はまずない。 奴隷はそこそこ安価に購入出来るらしいが、それでも奴隷を所有 していない一般的な平民の自作農でも相当切り詰めた生活を数年し た上でないと購入資金を贖う事は出来ないらしい。 折角買った農奴を使い潰すような事などもってのほか、と言う事 だろう。 イメージとしては現代日本の小作農だ。 地主に大部分を搾取されているような悲惨な境遇ではなく、どち らかというと自作農が経営している農業会社で働く従業員のような 感じだろうか? 現代の感覚で言うと重労働でブラックであることは間違いないが、 外が暗くなれば農作業は出来ないため、夜は確実に休めるのだ。 グリード家でも数戸の奴隷は所有しているし、今、村にいる奴隷 階級以外で奴隷を所有していないのは自由民の2戸だけだ。 つまり、バークッド村の住民の8割以上が奴隷だということには、 知ったときにちょっとだけショックを受けたものの、それが普通の ことらしいので、俺は奴隷階級に転生しなかった幸運を喜んだ。 なにしろ、奴隷階級だと一生もしくはかなり長い間生まれた土地 に縛られそうだからな。 239 奴隷は税を納めることはない。 税を納めるのは自由民以上の義務だ。 自由民で一人当たり金貨1枚ということらしいが、その価値が良 く判っていないので高いのか安いのか、妥当なのか判断がつかない。 平民は所有している畑の面積で税が課せられる。 基本的には全ての耕作地で小麦を栽培していると看做され、収穫 量の6割税が掛けられる。 収穫量は昨年度の収穫量を基本値として計算される。 新たに開墾した耕作地は開墾後5年間は税が免除される。 また、所有している奴隷に対する人頭税もかかるようだが、金額 までは分からない。 領主は徴収した税のうち6割を更に上の領主へと納税する。 残った分を生活費や所領のインフラ整備、戦争時に使う馬の飼育 や従士の育成などに充てると、恐らく手取りはたいしたことはない であろう。 勿論そこらの豪農程度とは比べ物にならないが。 数年おきにあると言われている隣国のデーバス王国との小競り合 いの軍費も大きな出費だろう。 俺が集められた情報はこんなものだ。 情報収集も大切だが、今は今後一番大切な資本となる体を作ると きだとの判断から、魔法の修行と体を鍛えることに集中していた5 年間だった。 それでも小麦の収穫時期に年端も行かないような奴隷の子供たち や年寄りが扱き棒を使って手で脱穀しているのを見かねて千歯扱き だけは作った。 本来江戸時代の日本で発明されたものだが、脱穀の能率は飛躍的 に向上したのでヘガードからも大変褒められた。 240 ・・・・・・・・・ ミュンの様子は毎日観察しているが全く怪しいそぶりを見せるこ となく、俺に尻尾を掴ませない。 根掘り葉掘り聞いて回って怪しまれるのも得策ではないので、ゆ っくりと慎重に、それと悟られないように情報を集めた。 5年間の調査でミュンが当家に奉公を始めた経緯について解った ことはいくつかあったが決定的な情報は未だ得られていない。 ミュンは8年前、つまり俺が生まれる2年程前にあった、いつも のデーバス王国との国境線の小競り合いに当家が駆り出された際に、 従士のトーバス家の家長であるダングルに拾われた戦災孤児であっ たらしい。 ダングル・トーバスは当時50代になろうかというおっさんであ るが︵今は57歳で完全無欠な親父である︶、その前の戦で一人息 子を亡くしており、そのままだと家系が断絶することは明らかであ った。 既に両親は他界しており、彼の妻も俺の祖父さんが持ち帰った流 行病で亡くなっていたため、寂しかったと言うのも多少は影響があ ったのだろうか? 小競り合いの収束後の戦果確認で戦場跡の調査に行ったダングル は兵士の死体の傍でぼうっと佇むミュンを発見し、連れ帰ったのだ そうだ。 このオース世界では養子に家を継がせることや、婿を取り家督を 241 禅譲することは一般的だ。 ダングルにはそういった考えもあったのだろう。とにかく当時成 人直後の︵多分偽装していたのだろう︶ミュンを連れ帰り、自分の 養女として引き取ったのだ。 ヘガードは同情心もあったのだろうが、メイドとして奉公させる ことを許し、いずれ他の従士の次男でも婿を取らせる腹積もりだっ たようだ。 俺の予想では従士のデュボア家の次男であったダイスと結婚させ ようと考えていたのではないかと思う。 しかし、ダイスは今から4年前に他の村の平民の娘と結婚してそ の村に婿入りしてしまったので、ミュンは未だに一人身である。 ステータスウインドウでは22歳なのでまだ結婚適齢期ではある。 彼女は粛々とメイドを続け、誠心誠意働いているように見えるが、 依然としてステータスの偽装は続いている。 また、たまにだが鑑定で観察すると数十∼数百程度だが経験値が 増えていることもある。 どうやってそんな経験を稼いでいるのか興味は尽きない。 242 第十七話 金を稼ぐ この5年間で俺がバークッド村に貢献できたことは千歯扱きだけ だ。それでも脱穀の能率向上に大きく貢献していることは確かなの だが、以前曽祖父を肖って言った﹁剣の修行が出来るようになるま で父とともに領内を見て回り発展の余地を探るのだ﹂という言葉に は足りないだろう。 いくつか腹案がないこともないが、あまり高度なことは理由付け やなんやで今は実行できないと判断している。特にミュンがいるの で、突っ走ったことは避けたい気持ちもある。まぁ、千歯扱きは巨 大な櫛を逆さにしたようなものだし、扱き棒を沢山纏めただけとも 言えるので﹁よく思いついたな、でもそれくらい本当は俺だって思 いつけたさ﹂と思われる程度ではないだろうか。あんまり突飛な発 想や道具を記憶をもとに現代日本から持ち込んでも、異常者扱い︵ この場合は、何を考えているかわからない、危険人物か︶をされる 可能性があるので避けたほうが無難だろう。 ここは既にこの世界でも行われていることをより簡易に実現する 方向が良いのではないだろうか。となると、やはり家畜だろうな。 農耕に家畜を導入できれば耕作が楽になるだけでなく、深耕が可能 になるので、少しだが収穫量が上がるだろう。既にバークッドでも 二毛作は普通に行われているが、人の手だと畑の表層近くしか耕せ ないので、ある程度以上の深さまでいくと土が固く、空気が混ざら ないので窒素が足りないせいか、根が伸びづらいようなのだ。 耕耘機の開発も人力の耕耘機、というより耕耘道具である犂を作 るのは問題ないし、話を聞くに既に存在もしているらしい。しかし、 243 ここは動力となる家畜を導入するほうがいいだろう。財政的な問題 さえクリアできれば家畜は導入出来るのだし、各平民の従士の家に 牛か馬を一頭づつ合計八頭もあれば、かなりの効率化が目指せる。 とにかく、牛馬用の犂は開発してもいいし、既にウェブドス侯爵 の直轄領で使われているのであれば購入してもいい。または、購入 してそれを改良したほうが良いかも知れない。あとはその犂を引く 牛馬を用意しさえすれば、すぐに農業の大幅な改革は出来るのだ。 また、家畜の維持のための牧草の問題だが、三圃制や輪栽を導入 すれば地力回復のために植えられるクローバーが充分に牧草の代わ りの餌になるだろう。当家でも馬は三頭いるがこの三頭だけでは、 300haの農地の三分の一に相当するクローバーはとても食べつ くせ無い。どうせ余るのなら維持も含めて全部当家で面倒を見て、 必要な時に貸し出すという手も取れるだろう。おそらく、ウェブド ス侯爵の直轄領では既に三圃制や輪栽が導入されていると見たほう がいい。文明レベルのことを考えると三圃制だと思う。種播きの時 期や育てる作物などの研究は必要だが成功すれば劇的な効果をもた らすはずだ。 千歯扱きとは比べ物にならない程初期投資に費用がかかる話なの で、ヘガードに相談するにしてもちょっと尻込みしてしまうが、い ずれ通る道だし仕方ない。それに領地を発展させる話だし、言って 叱られたり怒られたりする類のものでもない。俺の弱みは経済感覚 が︵経済知識は多分、商人や王族よりもあるだろう︶無いことだが、 これは仕方がない。今まで現金を使うことなど殆どなかったし、シ ェーミ婆さんの所に一人で買い物に行ったこともない。正面から話 すか。 ﹁父さま、領地の農作業について考えたことがあります。話を聞い 244 て貰えますか﹂ ﹁ん? いいだろう、何だ?﹂ ある日の昼食の後のことだ。腹も膨れて良い気分の時に話をした ほうがいい。俺はヘガードを領主執務室に誘うとおもむろに話し始 めた。 ﹁畑を耕すのに今はこのように人手で鍬と鋤を使っていますね。で すが、この方法だと鍬や鋤の刃の長さよりも深く耕すために非常に 苦労をしているようです﹂ ﹁まぁ、そうだな。それで?﹂ キャントリップス 画板のような板に蝋石で画を描きながら説明する。これは後でヘ ガードに頼んで小魔法の﹃ポーリッシュ︵磨き︶﹄で鉄穴をかけた ように磨く、と言うかこそぎ取れるので、レベルの高いヘガードや シャルには重宝されているメモ帳や黒板のようなものだ。 ﹁ウェブドス侯爵の領地で行われているという、牛馬や驢馬を耕作 に用いることで解決できます。犂を使えば人手で耕すより倍以上の 深さで楽に、早く耕せます。余った時間で更なる開墾も可能になる でしょう﹂ ﹁その話は前にも聞いたことがあるな、その時も言ったはずだが、 家畜も只では動けないぞ。牧草が必要になるんだ。とても維持出来 ないと話したじゃないか﹂ ヘガードは又か、判りきったことを、という感じで答えた。 245 ﹁今日はその家畜の維持についての案です。今、バークッドでは二 毛作、と言うのでしたっけ、ひとつの畑で小麦とライ麦や豆など交 互に複数の作物を育てていますよね?﹂ そう言いながら黒板に、連なった耕作地の画を書く。 ﹁それをちょっと進めた考えです。例えばこの土地で小麦を育てま す。隣の土地では豆を育てます。その隣の土地では牧草を植え、家 畜に餌を摂らせた上で、余った牧草は貯めておきます﹂ ﹁ふむ﹂ ﹁最初の土地で麦を収穫し、次に豆を植えます。次の土地では豆を 収穫し、牧草を植えます。牧草を植えていた土地は完全に耕し直し て麦を植えます。この土地では家畜が牧草を食べていますから糞も しているでしょう、土地が肥えることになります﹂ ﹁続けろ﹂ ﹁はい、僕が思うに侯爵の領地ではこのようにして農作業に牛馬を 組み込んでいるのだと思います。それで各農作業の時間が短くなる のでその分、新しい土地を拓くことが出来るようになっているので はないかと考えました﹂ ヘガードは黒板を消すと、感心したように ﹁よく考えたな。多少の違いはあるかも知れんが、似たようなこと をしている可能性は高いな。しかし⋮⋮﹂ ﹁しかし?﹂ 246 ﹁馬を新しく買うのは出来ないこともない。だが、買ってしまうと 当然金が出て行く。前に我らがデーバス王国の越境を押しとどめる ために出陣したのが8年ほど前だ。そろそろまたあるかも知れん。 そのために、今は大きな金は使えないな。おまえの考えだと、馬を 買った金を回収できるのは何年も先になるだろう﹂ しまった。戦争のことを忘れていた。この世界ではちょくちょく 小競り合いが起きているのだ。総力戦のような万単位の軍勢がぶつ かるような事は滅多にないが、小競り合い程度なら毎年のように起 きているらしい。領地を持っている伯爵以上の貴族は毎回軍隊を派 遣している。小規模ながらウェブドス侯爵も常備軍のようなものを 持っているし、それで足りない分を更に下級の貴族から賄っている のだ。輪番制、という訳でもないらしいが、ある程度順番にウェブ ドス侯爵から支配下の村や街の領主に声が掛かる。 声を掛けられた領主である下級貴族は軍隊を派遣することになる。 バークッドではだいたい10人くらいの部隊を領主指揮のもとに送 り出すそうだ。数年おきに声がかかるのはまず間違いないので招集 されない間に軍事費として金を貯めておくのが一般的なのだ。 どうする? 腹案にあった隠し玉が使えないことも無いが、出来 れば時期が来るまでは隠しておきたい。しかし、すぐに金が必要な ことは確かだ。それに、あれは扱いにある程度の慣れがいるだろう。 俺がまだバークッドにいる間に慣れてもらうことも有効は有効だ。 まぁ良いか。 ﹁お金ですか⋮⋮。わかりました。ちょっと待っててください﹂ 遂に隠し玉を使うときが来たか。まぁ遅かれ早かれいずれ使うつ 247 もりだったし、いい機会だろう。俺は物置に置いてある、ある物を 取りに行きながら考えた。これはオーバーテクノロジーを公開する ことになるだろうか? いや、もう発見されているし、俺は既に発 見されているものの有効利用法を発見したに過ぎないだろう。そう 自分を納得させ、目的の物を手にして戻る。 ﹁なんだ? それは?﹂ 俺は白と黒の小判状の物体を持って机の上に置いた。 そして白いほうを手に取り、 ﹁これはバークッド村の南西の林に生えている木から採った汁を煮 詰めたものです。僕はこれをゴムと名付けました﹂ そう、剣の修行を始める前、毎日のようにヘガードや従士達とバ ークッドの近辺を探索していた。そのときこの木を見つけたときは 飛び上げるほど喜びそうになったものだ。当然発見時には涼しい顔 をしていたが、内心ではそれはもう年甲斐もなく浮き浮きしていた。 こっそりと樹液を採取し煮固めたものがこの白い小判状のものだ。 ﹁ふむ、なんだかぐにゃぐにゃしてて柔らかいな。お? おお、引 っ張ると伸びるのか。これは、弾力があって伸び縮みして面白いな。 だが、これが一体どうしたと言うんだ﹂ ﹁父さま、次にこちらを見てください﹂ 俺は黒いほうの小判を渡す。 ﹁む、これは硬いな。さっきの白い方とは大違いだな。弾力はある ようだが伸び縮みはせんか⋮⋮。いや、硬いだけで伸び縮みするこ 248 とはするのか⋮⋮。アル、これもゴムなのか?﹂ ﹁はい、そうです。黒いほうは煮固めるときに北の山の石を加えて 煮固めています﹂ ラテックス ゴムは近代に入ってから発見された非常に重要な戦略物資だ。防 衛大学校でも嫌というほど叩き込まれている。ゴムノキの樹液を採 取し、煮固める際に硫黄を加えて硫化させればゴムとしての弾性を ラテックス 保持したまま硬度があがる。これは別に大量生産をするのでなけれ ば特別な技術はいらない。普通の鍋があり、ゴムノキの樹液があり、 硫黄があれば子供でも作れる。勿論混ぜる量の調整は必要だが、少 しづつ加えていけばいいだけの話だ。 俺は特に黒い小判に注目を集めるように持ち上げながら、 ﹁このゴムを製造できるのは今のところこのバークッド村だけだと 思います。父さまならこのゴムをどのように扱い、使い道を見出さ れますか?﹂ 我ながらイヤミな餓鬼だ。 しかも、ヘガードはもともとゴムについて何の知識も先入観も持 っていない。 知識を盾に父親を試しているようで無茶苦茶気分が悪いが、ゴム の生産を村で行えるよう決定できるのはヘガードだけだ。ある程度 のインパクトは必要だし、ここで正確に知識を得て欲しい。 俺は更に言葉を重ねた⋮⋮。 249 第十八話 ゴム ﹁確かにこのゴムというやつは面白いな。だが、これがすぐに金に なるとは思えん。うーん、すぐに考えられるのはこれを沢山作って、 何か壊れやすいものを運ぶ時に壊れないように保護する材料にする か⋮⋮あとは鍬や剣の持ち手に貼り付けて滑り止めくらいか? あ とは、なんだろうな。よくわからん﹂ ヘガードは感触が気に入ったのか、俺が持ち上げている黒い方に は注目せず、白い生ゴムをいじりながら言う。充分な答えだ。いく つか特徴を生かしていないが、知識がなければこれだけ思いつくの だって大変なことだろう。領主をやっているので、なにか使い道を 見出したいという気持ちさえあれば問題ない。 ﹁僕もこれを見つけたときにはどう使えばいいのかよく分りません でした。最初は樹液が垂れているのを触ってみてべたべたするなぁ、 と思ってそこまでは何も感じませんでした。あるとき垂れた樹液が 乾いているとべたべたが減ってちょっともちもちしているところを 見つけたのです。それで何かに役立てられないかといろいろいじっ てみました。それで最初に出来たのがその白い方です﹂ ﹁あー、そういえば見回りに行った時に、何か小さな桶を持ってい たことがあったな。それがこれか⋮⋮。で、これはどうやって作る ? 手間がかかるのか?﹂ ゴムの入手の経緯から説明を始めた。 ﹁手間はさほどかかりません。その樹液ですがそのまま放って置い 250 ても固まりはするのですが、そこまで固まるのにはかなり時間がか かることがわかりました。更に、奇麗には固まらず一部だけや表面 だけ固まるのです。また、焚火をしているときに、木から茶色い水 が出ますよね。 あるとき、その茶色い水に樹液を零してしまったことがあるので すが、樹液が固まり始めたので気になって魔法で固められないかい ろいろ試してみました。そして、いろいろ試した結果地魔法と水魔 法、火魔法、無魔法で乾かすと一気に中まで固まることがわかりま した﹂ 勿論、焚火云々は出鱈目だ。酢が欲しかったが家には無かったし、 ビールを腐らせて作ろうにもそんな無駄な使い方を相談することも 出来はしない。しょうがないので木搾液を使っただけだ。その後は 魔法で酸を作って効率を上げている。乾燥と言ったのは化学変化を 説明するのが面倒だからだけだが、いつか話せばいいだろう。 ﹁ああ、お前達兄弟は魔力は多いからなぁ⋮⋮。乾燥の魔法は普通 は特別な魔物の皮をなめすときくらいにしか使わんと言うのに⋮⋮。 お前のことだから大丈夫だとは思うが誰にも見られてはいないだろ うな﹂ ﹁はい、すべて家の物置の中でやりましたから、そこは問題ありま せん。でも単に乾かすだけだと樹液の中のゴミや木の屑みたいな混 ざりものも一緒に固まってしまうので、一度水に溶かしてさらさら にしてから麻布で漉したものを乾かすほうが奇麗になることに気が つきました。そして、出来るだけ混ざりものを取って作ったのがそ の白い方です。﹂ ﹁そうか。こういうときの混ざりのものは﹃不純物﹄と言うのだ。 しかし、これは手に吸い付くような感じで気持ちいいな﹂ 251 ヘガードはよくこうやって言葉を教えてくれる。これはヘガード の教育なのだろう、ファーンやミルーにもよく言葉を教えていると ころを見かける。教育熱心なのはいいことだと思う。それはそうと、 そんなにその感触が気に入ったのか。ヘガードはさっきから白い生 ゴムをずっといじりっぱなしだ。 ﹁﹃不純物﹄ですね。わかりました。で、そのゴムですが、よく伸 びますし、縮むと元の形に戻ります。でも強い力であんまり伸ばす と、限界がきて切れてしまいます﹂ ﹁ふんふん⋮⋮﹂ ヘガードはそれを聞いて思いきり生ゴムを引き延ばし始めた。持 前のレベル15の筋力に任せて引っ張る。ああ、切れて痛い思いを する前に止めよう。 ﹁父さま、それ以上引っ張ると切れますよ。切れると縮む勢いでゴ ムが当たって痛いです﹂ ﹁お? そうか。だが試してみたいな。切ってもいいか?﹂ ﹁そりゃ構いませんが⋮⋮﹂ おお、すごいな厚さ1cm、長さ14∼15cmくらいの小判型 のゴムを1m近く引き伸ばしている。あ、切れるな。 バッチーン! ﹁痛っ!! こりゃー痛いな﹂ 252 ﹁だから言ったじゃないですか。で、その白い方ですが、柔らかく てよく伸び縮みするのが大きな特徴です。それでも十分役立てられ るとは思うのですが﹂ ﹁ん∼、そうか? さっき言った以外だと遊ぶくらいじゃないか?﹂ ﹁いいえ、例えばこうです﹂ 俺はそう言うとヘガードからちぎれた生ゴムの大きい方を受取り、 ナイフを出した。ナイフでゴムの塊から細長い紐状に切り出す。 ﹁こういう感じで細長い紐をゴムで作ります。そして、それを輪っ かにしてズボンなど衣類に使えば腰ひもを結ぶ手間を省けます﹂ ﹁確かに便利だが、それが金になるとは思えんな﹂ 少し失望したような顔つきで言った。 ﹁確かにそうですね。これだけだと単にちょっと便利なだけです。 これは僕が考えたゴムの使い道のほんの一例です。ですが、この紐 をもう少し太くしてみます﹂ 今度は1cmくらいの太さで切り出す。長さ10cmくらいの紐 がとれた。これはポーズなので別にどうでもいいが。切った紐をヘ ガードに渡しながら言う。 ﹁本当はもう少し長い方がいいのですが、これを使うわけではない のでいいでしょう﹂ 253 次に俺は右の尻ポケットに挿していたYの字状の木を取り出し、 前の右ポケットから小石を取り出した。パチンコだ。パチンコには 今切り出したゴム紐と同じくらいの太さで長さが30cm程のゴム 紐が取り付けられている。弾帯はあえてつけていない。窓を跳ね上 げパチンコに小石をセットすると外に向かって打ち出す。 ﹁!? お、おう。簡単な弓みたいなものか⋮⋮。威力はどうなん だ?﹂ これにはかなり驚いたようで、同時に感心したように言った。 ﹁これは同じゴムを使って作りました。今切ったものと長さが違う だけです。威力はゴム紐の長さと太さ、引っ張る長さ、あと飛ばす 弾によって変わります。これだと人を狙っても目にでも当たらない と大怪我することはないでしょう﹂ ﹁なるほど、そうか⋮⋮改良すればいいということか⋮⋮﹂ ゴム紐を引っ張ったりしつつパチンコを見ていたヘガードだが、 ふと気がついたように言った。 ﹁そうです。このままのゴムだと相応の威力を出すとすればもっと 太く、長くする必要がありますし、本体の方もあわせて大きくする か、こんな木じゃなくて金属などで作った方がいいでしょう。そう なると、大きくて重くなってしまいます。そう考えてゴム自体をも っと切れにくく、伸び縮みしやすいものを作る必要があると思いま した﹂ ﹁うん。それで作ったのが黒い方か?﹂ 254 ﹁はい、でも実は黒い方は失敗作でした﹂ ﹁? 失敗作をわざわざ持ってきたのか?﹂ 不思議そうにヘガードが言う。尤もだ。 ﹁この黒い方は、どうにかしてゴムを同じ大きさのまま丈夫に出来 ないか、いろいろ混ぜて作っているうちに出来たものです﹂ ﹁結局、出来たのか?﹂ もう、せっかちだな。でも仕方ないか。気持はわかるしな。 ﹁一応出来はしました。茶色っぽくなりましたが。これは白い方を 作る前、樹液の段階で乾燥して固まる前によく練って北の山の石を 粉にしたものを少しづつ混ぜて作りました﹂ 茶色っぽいゴム紐を小石を取り出したポケットから出した。ヘガ ードが手を出すのでそれを渡してやる。 ﹁ん? それは黒い方の作り方じゃないのか? まあいい⋮⋮さっ きのより細いな。だが、伸びはこっちの方が良い。それに、縮む力 も強いな﹂ ﹁このゴムでさっきと同じようなものを作るとこうなります﹂ 左の尻ポケットからさっきより小型のパチンコを取り出す。 ﹁む、大分小さいな。これでさっきのより﹁威力はこっちの方が上 です﹂ 255 ﹁そうか⋮⋮。あとで試してみるか﹂ かなり感心したようにヘガードが言う。じゃあ、本題に行くか。 ﹁目指したのはそれではありましたが、さっきの黒い方、そうです 失敗作と言った方です。これはその茶色の方を作ろうとして、白い 方を改良しようと試しているうちに出来ました。しかし、真の完成 品はこっちかもしれません。この黒い方は伸び縮みはほとんどしま せんし、混ぜものが多いのでちょっとだけ重いのですが、非常に丈 夫です。僕はこっちの方が使い道が多いと思います﹂ ﹁どういうことだ? 伸び縮みが少なくて重いのであれば白や茶色 のゴムの方がいいだろう? 丈夫と言っても木の方が丈夫だろう?﹂ もともとこのオース世界にゴム製品はなかったので無理はない。 まだ説明していないゴムの特徴だって知らないだろうしな。 ﹁そうですね。一見するとこの黒いゴムは使い道が狭くなったよう に思えます。しかし、弾力も全く失われたわけではありません。こ れは作っているうちに気がついたのですが、伸び縮みする弾力を混 ぜものによって無くせばその分硬く、丈夫になります。この丈夫さ は作り方によって木を凌ぎます。また、全く弾力が無くなるわけで はありませんので何か作った後でちょびっとなら変形もします﹂ ﹁うーん、よくわからんが、木よりも丈夫になるというのは本当か ?﹂ お、そこに食いついてきたか。でもその説明はもう少し先にさせ てくれ。 256 ﹁はい、ではこれらゴム製品について僕が考えた使い道を説明しま す。まず最初の白い方、これは樹液を漉して固めただけなので、生 ゴムと僕は呼んでいますが、こちらの用途はあまり思いつきません でした。薄く板状にして馬の鞍に敷いたり、帯状にして何かの柄に 巻きつけて滑りどめ、それからやはり板状にしてブーツや靴、サン ダルの底に敷けば多少柔らかいので歩くのが楽に⋮⋮ああ、靴の中 の底です。靴の裏でもいいですが、柔らかいのでこれだけだとすぐ に削れてしまうでしょうね。 次に茶色い方ですが、これは生ゴムより丈夫で伸び縮みの力も強 いです。しかし、同様に刃物で簡単に切れます。使い道は、先ほど 言ったように衣服に使ったりさっきの飛び道具に使ったり、こちら も靴に使えるでしょう。また、ある程度の太さの紐にすれば荷造り も楽になるでしょう。 これで袋を作れば山羊や豚の胃袋や皮で作った水筒よりましなも のが出来ると思います。ああ、そうです。ゴムは一度乾かして固ま ると水を通しません。なのでこれで樽などの栓を作ってもいいです し、今ある水筒の栓を作るのも簡単にできますね﹂ ﹁うーむ、いろいろ出来そうなんだな﹂ 少しはゴムに対しての好感度が上がった感じか? ﹁そして、この黒い方です。これは茶色いゴムを作る時に使った北 の山の石の他に炭を粉にして混ぜました。だから色が黒いのです。 北の山の石を粉にしたものを混ぜると最初は伸び縮みが良くなり丈 夫になりますが、限度があるようです。炭を加えると伸び縮みは悪 くなりますが、硬く、丈夫になります。それ、ちょっと削るか切る かしてみてください﹂ 257 そう言ってナイフを渡す。ヘガードは黒いゴムにナイフを当てる が思ったより硬いのでちょっと吃驚したようだ。 ﹁これは⋮⋮硬いな。削れないほどじゃないが。かなり丈夫だ。こ れなら木よりも硬いかも知れん﹂ ﹁結構硬いですよね、硬いので硬質ゴムとでも言ったらいいのでし ょうか。次はこれを切ってみてください﹂ 俺は更に前の左ポケットから厚さ5mm幅2cm長さ10cm位 の短冊状の黒いゴムを取り出す。 ﹁! む⋮⋮。これは削るのにかなり力がいるな。このナイフだと 簡単には切れないな。こんなに小さいのにな⋮⋮﹂ ﹁これは出来るだけ沢山の炭の粉と北の山の石の粉を混ぜて時間を かけて作ったものです。重くはなりましたが金属や普通の木よりは 軽いはずですし、結構丈夫でしょう? これを丁度いい形にすれば鎧など武具にも使えるかもしれません し、硬質ゴムならば靴の底に張れば丈夫な靴も作れます。勿論削れ エボニー ないわけではないですし、金属ほどの頑丈さではないですが。こち らは見た目が黒檀のような艶もあるのでエボナイトと名付けました﹂ 親父の目つきが変わってきた。これはいい感じのようだ。 ﹁これは一日でどのくらいの量が作れるんだ?﹂ ﹁原料となる樹液は一本の木から一日でちょっとしか取れません。 ゴムにすると分量はその三分の一くらいになってしまいます。なの で、今のその短冊くらいで十本の木で一日で作れるくらいですね﹂ 258 ﹁その木、樹液の取れる木だが、どこにどのくらい生えている?﹂ かなり真剣な顔つきだ。 ﹁村の南西の方に二∼三百本くらいでしょうか? 数えてないので 正確にはわかりませんが﹂ ﹁わかった。あと、樹液からゴムを作るのに魔力はどのくらい使う んだ? シャルでも出来そうか?﹂ なんだかかなりの食い付きのようだ。これはいけそうだな。 ﹁地魔法を使うので難しいと思います。姉さまなら問題なく作れる かもしれません。でも材料は樹液の他は木を焼いたときにでる水と 北の山の石、木炭なので魔法がなくても時間と手順さえ間違えなけ れば誰でも作れますよ。現に今見せたゴムは全て魔法を使わずに作 ったものです﹂ ﹁そうか、ゴムにはいろいろと使い道がありそうだな。試しに何か 使えそうなものを作ってみろ。売れそうなら少し多めに作ってドー リットまで売りに行ってみるのもいいだろう。うまく売れたら馬の ことは考えよう﹂ そういうわけで暫くはゴム製品の開発だな。頑張ってみるか。 259 第十九話 試作︵前書き︶ 週末は今まで投稿した内容について再度考えて見ます。 つきましては今週末は幕間を投稿します。 話が滞ってしまいますが、ご容赦ください。 ・・・・・・・・ 予約投稿の日付が明日になってました。 260 第十九話 試作 今手元にあるゴムはそんなに多くは無い。 30Kgと言った所だ。多く感じるかもしれないけれど、ゴムの 木一本から取れるゴムは結構な量になるのだ。特に、バークッドの 傍に生えているのはパラゴムノキなので一日で取れる量は知れてい るが、それでも一日あたり10g弱くらいは生ゴムが作れるくらい の樹液が採れる。俺は30本から採っているので250gくらいが 一日の生産量だ。一月当たりで7.5Kgも作れるのだ。数日置き に樹液を取りに行っていれば半年で40Kg以上が採れる。 産業としては心許ない量だが、俺が見たところ今の10倍は無い だろうがそれに近い程度の木が自生しているようなので本格的に採 取すれば相当な量が取れるだろうし、種子を蒔いて木を増産しても いい。確かゴムノキ類は成長が非常に早く、量は少ないが数年後か ら樹液の採取は可能になるはずだ。 さて、まず何から作れば良いだろうか? まずは靴だろうな。 一般的なブーツは豚などの皮で作られていて、靴底に木の板が張 られている。そして更に皮を張っている。なめした皮なので丈夫で はあるのだが、それは皮の丈夫さの範疇を出ることは無いし、履き 心地も悪い。高級品であればコルクのようなものを靴底に張り、そ の上から板を貼り付けるのだが、そんなもの、俺の父母しか持って 無いだろう。 261 ここはサンダルでも改造しようか。 サンダルの中敷を薄い生ゴムの板から切り出す。 同じように靴底にも同じ生ゴムの板から切り出したゴムシートを 張る。 靴底はその上に更に硫黄だけを加えた軟性のゴムと黒い硬質ゴム も張り、形を整える。 硬質ゴムには幾つか適当に山を作っておいた。 ちょっと履いてみる。 大人用のサンダルなのでぶかぶかだが、履き心地は向上しただろ うか? ぶかぶか過ぎて良く判らない。まぁいいか。 簡単に出来るものを取りあえず作ってみたが、問題は無いようだ。 次はインパクトのあるものが良いだろう。 俺は馬車の車輪についての改良が必要だと思っているが、こちら は手間がかかるので後回しだ。タイヤの製作は外側のタイヤ部分だ けでも段違いにはなるのだろうが、ここはやはり中空のチューブも 作って空気入りのタイヤを作りたい。時間を掛ければ作れないこと もないが、バルブが作れない。あ、風魔法で気体を直接チューブの 中に発生させれば良いのか。バルブ、いらなかったわ。 よし、やってみるか。まずはタイヤチューブだな。直径5cmく らいの長い筒を用意し、そこに固まる前のゴム︵茶色い軟質ゴムだ︶ を少々流し入れる。そこに直径4cm強の棒を突っ込めばチューブ 状のゴムが出来る。板状のゴムを巻いて作っても良かったが、接着 部分が長くなるのでこの案は却下した。 262 出来上がったチューブ状のゴムを車輪より少し小さく輪にして接 続すれば出来上がりだ。接続部分は板状のゴムを巻いて固まる前の ゴムを接着剤代わりにすればいいだろう。接続部分のみちょっと太 くなるがまぁ、誤差の範囲だ。どうせタイヤを被せるので問題には ならないだろうしな。 取りあえず車輪にはめ込んで内部に風魔法で空気を発生させて見 る。おお、出来た。外部のタイヤ部分をかぶせる前にあまり空気圧 を高くしても問題だろうから膨れる程度だけ空気を入れてある。念 のため事前にたらいに張った水につけて空気漏れが無いことは確か めた。 ここで、俺は重大なことを見逃していたことに気づき、愕然とす る。車輪の外周、この場合はタイヤをはめ込むつもりなので今風に ホイールとでも言ったほうが良いだろう。このホイールは今までタ イヤの代わりになっていただけあって表面は平らの細長い板を木の 車輪の外周に巻いているだけだ。そう、リムがないのである。これ ではタイヤやその中のチューブの保持が出来ず、動き出しても数メ ートルも進めばタイヤが外れて意味をなさなくなってしまうことは 明らかだ。 リムを作るためには車輪外周に巻いている金属製の板の車輪外周 部と内周部を起き上がらせなければならない。今の俺にそこまで魔 法では出来ない。金属を作り出したり、既にある金属を整形するの はまだ出来ないので、ここは諦めるしかないのか⋮⋮。 あせって早急にタイヤを作らないといけない訳ではないので、ホ イールのリムについては後回しだな。同時にタイヤも後回しになっ てしまうが、そこは仕方ない。すぐに金になるもの、つまりある程 263 度売りやすいものを先に作った方が良いだろうな。 となると、硬質ゴムやエボナイトを使った防具かなぁ? まぁ素 材なんだから、防具の形に整形しなくても良いだろう。3∼40c m角の板状のゴムを適当に何枚か用意しておけばいいか。本当はそ のうちの数枚程度には針金で作った網を中に入れたかったのだが、 針金の用意が出来ずに諦めた。流石に鎖帷子をゴム漬けにしたら怒 られるだろうし。 あとは各種大きさで作ったパチンコと、適当な長さのゴム紐も用 意する。他には、以前からゴムの扱いの練習のために作っていたゴ ム製の薄い膜も用意しておくか。この膜は頑張ってはいるが、まだ 厚さはようやく0.5mmと行った所だ。前世で海外出張に行った ときに興味本位でお土産用に買った衛生用ゴム製品は国産品より分 厚くてあまりいい感じではなかったが、勿論使えない訳ではなかっ た。それでも厚さは0.1mm程度だろう。 今の生ゴムだと強度を保持したままそこまで薄くするのは難しい ので衛生用ゴム製品を作れるのはもっとずっと先だろうな。きっと 都市部では病気の問題などもあるだろうし、出来上がれば確実に需 要があるというのに⋮⋮。今回は膜だけ用意すれば良いだろう。 あとはエボナイトで作った小物類と手甲のような小手防具のよう なものも用意しておこう。 まぁ、焦っている訳ではないので、タイヤのリムや防具の中の針 金か金網なんかは相談すれば何とかなるような気がする。ヘガード もゴムの生産や性質について多少の知識は得ているので、型を作っ たり追加で多少の材料を購入したりなどが必要になることは理解で きているはずだ。 264 ・・・・・・・・・ 数ヵ月が経ち、幾つかの試作品が出来た。無魔法のレベルが上昇 し、整形や加工が出来るようになった事がものすごく寄与した。地 魔法と風魔法で造形した型を整形で更に整えることで、細かなゴム 型も作れるようになった。型は魔法で作ってもゴムを流し込む作業 には魔法は要らないので、実質的には誰にでもゴム製品が作れる。 タイヤもリムから作ってやろうとしてみたが、地魔法で生成でき るのは土で金属ではない。仕方ないのでホイールリムはヘガードに 頼んで作って貰おうとしたが、金属製品を一から作るのは費用もさ ることながら、図面も必要になる。また、鍛冶屋はこの近辺ではド ーリットの街にしかないので作成に失敗したら修正するだけでも一 苦労だ。 俺の乏しい知識ではドワーフは鍛冶が得意な種族だった。バーク ッド村にはドワーフがいるじゃないか。従士の一家族がドワーフだ。 期待を込めてドワーフの従士のフリントゲールに頼んでみたが﹁ド ワーフ全てが鍛冶屋なら、ドワーフはどうやって作物を作り、酒を 醸造したらいい?﹂と言われてしまった。 そりゃそうだ。しかも鍛冶をしている所なんか見たことないし、 鍛冶の道具も見たことがない。これは金属も加工できるよう魔法の 修行に更に熱を上げるか⋮⋮。いや、そりゃ無理だ。今回無魔法の レベルが上がったのも予想はしていたが、同じペースで修行を続け 265 ても、次にレベルが上がるのは、今後のMPの上昇分を修行回数の 増加の計算に入れても4∼5年くらいかかるだろう。 空気入りのタイヤは当面おあずけにするしかない。代替品となる タイヤも内側が生ゴム、その外に軟質ゴム、その外に硬質ゴムのバ ウムクーヘンのようなタイヤを作ってみた。それなりに改善された ような気もするが⋮⋮。売れるかと言われるとなんとも言えない。 パチンコは改良を重ねて弾帯を付け、パチンコ本体の材質もエボ ナイトと硬質ゴムで作った。ハンドル部も改良し、握りやすくして みた。既におもちゃの域は超えたろう。スリングショットと呼んで 差し支えないだろう。 適当な木を狙って威力を試して見ると、距離や対象の木の種類に もよるが、小石がめり込んだりするのが確認できた。硬質ゴムで作 った防具の素材用の板は表面にちょびっと傷がついたかな? とい う程度なのが確認できたので、スリングショットの威力と共に、ゴ ム製防具の防御力の証明も出来るだろう。 また、軟性ゴムを使って直径1∼2cm程度のホースも作ってみ た。バークッド村での需要はあまりないだろうが、都市部ではサイ ホンとして何かに使えるかもしれないと思ったからだ。あとは同じ く軟性ゴムで座布団を作ってみた。座布団のように整形して中に多 少空気を入れてみる。ゴムが肉厚なので空気が漏れることはないだ ろう。適当な布でも被せておけば普段使いから、馬車の御者、積荷 の保護など用途は広いだろうと思った。 リムの問題で未だに空気入りのタイヤが作れないので、硬質ゴム のタイヤ部分の改良や軟質ゴムの空気チューブの改良をしつつ、考 え付くものを手当たり次第に作っていった。 266 267 第二十話 発表会︵前書き︶ ああ、すみません。また予約投稿をミスってました。 268 第二十話 発表会 幾つか試作品を作ってみた。 まずは硬質ゴムを使って作ったプロテクターだ。前世のアメフト やアイスホッケーの防具のようなものを思い出しながら作った。厚 さ1cm程度の硬質ゴムの板で作ろうと思ったが、曲面が上手く作 れないことにすぐ気がついたので、各パーツにあわせて型を作ると こからやってみた。 地魔法と風魔法でざっとしたゴムを流し込む型を作り、それを無 魔法で更に整えるのだが、これがなかなか上手く行ったと思う。何 しろ手先を使わず、イメージ力だけで型を作れるのだから、便利な ことこの上ない。調子に乗ってゴム製の鎧も考えたが、デザインは ともかく通気性の問題について何も考えていなかったし、金属ほど ではないがそれなりの重さになりそう、と言うかゴムの量が限られ ていることに気がついて鎧はすぐに没にした。 既存の革鎧や服の上に取り付け、要所を保護するプロテクターの ようなものが出来た。形状は肩と肘を守る御椀の出来損ないのよう なものと、昔の仮面ライダーを思い出して適当に作った胸当てと腹 当て、そしてそれらを保持するゴムベルトだ。ベルトの金具は取り あえずエボナイトと釘を使って作った。お世辞にも洗練されたデザ インだとは言い難いが、試しに従士たちに着て貰っていろいろテス トをして見た所、大きな問題はなさそうだったので良しとした。こ れに以前作ったエボナイト製の手甲を合わせて見ると、上半身が黒 っぽくなってまるで忍者鎧のようだ︵そんなものが無い事は当然知 っているが、子供の頃に読んだ漫画が思い出されて、もう忍者鎧と 269 しか思えなくなってしまった︶。表面をつや消し処理したエボナイ トで固め、更に下半身用の膝当てと腿や脛を保護するパーツも併せ て作ってみると、思いのほか好評だった。 次は靴やサンダルだ。こちらは特に問題もなく作れたし、今まで の革のみや、麦藁を編んで作ったものとは比較にならない履き心地 と耐久性を示したので、非常に満足がいったものとなった。 その他、好評だったものは大きな麻布の片面に軟質ゴムを塗りつ けたものだ。このゴム引きの布については多方面から評価を得られ た。耐久性はそれなりだが、雨具のようなものや、荷車の幌などに 便利だろうと言う評判だ。丸めたり畳んだりすればそう嵩張らない 事も地味にポイントが高かった。 また、パチンコを改良して作ったスリングショットだが、こちら は男性陣の受けが良かった。ある程度強力なものを用意したのが良 かったのだろう。専用の弾丸もエボナイトで直径1cmの球体を幾 つか作ってみると、これが良く飛んだし、威力もかなりあることが 判った。ただ、重量は金属とは比べ物にならないし、威力だけ取っ ても小石のほうがまだましだ。単純に球体に出来る中で一番重かっ たのがエボナイトだったというだけの話だ。空気抵抗を受けずらい ので狙いが付けやすかろうという以上の意味は無い。 なお、軟質ゴムの座布団はそこそこ好評だったが、ホースについ ては何に使うものなのか理解できなかったらしく、不評であった。 尤も、上下に置いた桶の水をサイホンの原理で移動させるのを見る と納得はしてもらえたが、それでも需要はないとの結論だった。風 呂が一般的になればこの評価は覆るとは思っているが、ゴム栓も開 発してしまったので、確かに微妙なポジションな気もする。 270 ヘガードやグリード家に仕える従士たちにこれらのゴム製品を発 表すると、概ね好評であった。 しかし、いくら領主に言われたとはいえ子供が作ったもの︵ヘガ ードは余計な思惑が発生する可能性を慮り、ヘガード自身が俺に命 じて作らせたと説明していた。領主の次男が非常に優秀なのは既に 殆どの村人が知っている︶なので耐久性も含めたテストを行うこと になった。 耐久性のテストは2ヶ月間と決定した。但し、鎧だけはヘガード が訓練等で使用し、2ヶ月後に改めて人形に着せて斬りかかったり して耐久テストを行うようだ。 まぁ、多分大丈夫だろ。 ・・・・・・・・・ ゴム製品の試作中、ミュンは今まで通り全く怪しい動きを見せな かった。 しかし、家の庭で製品の発表をする時にヘガードが﹁意見は広く から聞いた方が良い﹂と反論不能の声を上げ、従士全員の他、当家 で働く農奴達、当然の様にミュンも発表の場に居合わせることにな った。 俺は、ある意味でこの発表会で何らかの反応でもあればめっけ物 271 かな? という気持ちでいた。ゴム製品を作っているところは魔法 を利用するので絶対に見られないように気をつけていたが、試作品 の発表については見られても問題は無いと思ったからだ。没になれ ば日の目を見ることなく消えていくゴム製品もあろうが、そうでな ければ、バークッド村で生産して他所に販売して外貨を稼ぐ商品に なるのだから、見られることに何の問題もないと思っていた。 但し、戦略性の高いと思われるタイヤだけは今のところ試作品や 中途半端なバウムクーヘンのような物さえ見せないことにした。故 のタイヤ抜きの試作発表会だった。 マジックアイテム 当然意図的に抜いたタイヤ以外にも俺自らが時期尚早やあまりの不 出来に発表しなかったものもある。例えば魔道具と組み合わせて使 うようなものは、今回一切発表していない。 未発表のゴム製品はさておき、いろいろ発表をしていると、明ら かにミュンの目つきが変わった物が2つあった。一つはある程度予 想していた物だったが、もう一つはちょっと予想外だった。 最初のひとつはスリングショットだ。これはある程度予想してい たので、実は目つきが変わった時に、多少なりとも反応を示してく れたことに安心さえしたのだ。やはり武器という、軍事転用可能な 物に反応を示してくれたので、ほっとしたくらいだ。何しろ、今ま で碌に尻尾を現さなかったから潜入してきた目的が不明だったので、 これで少なくとも目的の一つか、その周辺に近づいたのだな、と思 うことができたのだ。 スリングショットを披露したとき、従士を中心に質問がいくつか 出たが、軍人以外の、しかも女性で質問をしたのはミュンだけだっ た。その質問は﹁そのスリングショットという小型の弓はアル様で もそのような威力を出せるのですか?﹂と言う、質問というよりは 272 戦力化の目安の確認のようなものだったからだ。一見するとスリン グショットの威力に感心したようにも取れるので、俺の他には誰も 気がつかなったようだ。 それと、スリングショットの改良版である、スリングショットの 散弾バージョンのような物を発表した時も目つきが変わった。俺は スリングショットがかなりの好評を博し、ミュンの興味も引けたよ うだということにその時ちょっと調子に乗っていて、発表するつも りのなかった散弾バージョンまで披露してしまったのだ。 散弾バージョンはスリングショットのハンドルはそのままに本来 Y字の上部、つまりゴム紐を付ける部分を取り外し、直径5cm程 のリング状にしたエボナイトを取り付けたものだ。そのリング部分 には作成に失敗したコンドームを分厚いまま数枚重ねたものが取り 付けてある。そのコンドーム内に直径2mmほどの球体のエボナイ トを20発程入れ、思い切り引っ張って発射すると15m程先で直 径1.5m程に拡がり散弾状に着弾するのだ。 威力は俺がテストしたところ厚さ2cm程度の杉板を割ることが 出来るくらいだ。目に当たったら失明は免れないだろうし、露出し ている皮膚に当たっても相当に痛いだろう。だが、目に当たらない 限りは15mも離れると大人の行動を完全に阻害できるようなもの ではない。勿論距離が近ければ威力はもっと強いのでその限りでは ないが。だが、俺はそれを格好をつけて腰に拳銃よろしく吊ってい た。腰とは10cmくらいのゴム紐でベルト部分に接続していた。 予め右手に散弾を握り込み、西部劇のガンマンのように左手でス リングショットを構えるとコンドーム内に散弾を流し込みすぐに右 手で散弾ごとコンドームを思い切り引き15m程先にある、それま でスリングショットの的に使っていた杉板に向かって発射すると、 273 複数並べていた杉板を同時に3枚割った。発射後すぐにスリングシ ョットから左手を離すと、散弾バージョンは接続されていたゴム紐 によって腰に戻りぶら下がる。その時にはナイフを構え、誰もいな い正面に向かって突き込む動作をしておしまいだ。 発射までの時間の短さと手を離すとすぐに腰にぶら下がり、次の 動作を行える柔軟性。且つ発射装置自体を放棄することもないので 隙があれば再度発射可能な便利な飛び道具。そして正確に狙わなく ても広範囲に広がる散弾が命中の期待値を上げる。威力だってそう 馬鹿にしたもんじゃない。 ミュンはその全てを幾らか驚愕を含みつつも冷静な目つきで観察 していた。 もう一つ、スリングショット以外にミュンが興味を示したのは靴 だった。これはミュン以外にも興味を示した人数は多かったので目 立たなかったが、何人かに履いてもらう時にミュンが自ら試すと言 って来たのだ。ミュンが試したのはブーツではなくサンダルタイプ で、そこだけ見れば使用人なので当たり前と言えなくもない。だが、 サンダルタイプの方がゴムのベルトで足にしっかりと固定する分、 スニーカーに近い履き心地なのだ。ゴムの特性を余すところなく使 った品である。 歩いたり小走りに駆けてみたり軽くジャンプしてみたりしてその 性能を確認していたことは、しっかりと目の端っこで確認していた。 俺は少なくともミュンの興味を引くものを作ることは出来た。 次はこの情報を得たミュンがどういう行動をとるのか、しっかり と観察するべきだろう。 274 耐久テストが終わる2ヶ月先までミュンは様子を見るだろうか? それとも早速どこか、又は誰かに連絡をするのだろうか? 単に思わせぶりな目つきをしただけという可能性も極小ながらあ る。 だって、一番ゴムをふんだんに使った鎧には大して興味を示さな かったのだ。 実は俺は興味を示されるなら鎧だろうと当たりをつけていたのだ。 いや、一番作るのに苦労したから俺の欲目もあったかも知れない な。 275 第二十一話 メイドの秘密 発表会があった日以降から更に注意深くミュンを観察していた。 昼間は殆ど当家にいるので監視の必要性は薄いのだが、夜間は自 宅に戻っているので、その間の監視について問題が発生する。俺は 既に兄姉と一緒の子供部屋で寝起きをするようになって久しいが、 監視用の魔法を編み出すことに成功している。 と言っても、そんなに大した物でもないが。 もともとミュンが怪しいと思い始め、鑑定の固有技能で経験値を 見ることが出来るようになってから、一生懸命に編み出したものだ。 たまにミュンが一晩で百以上の経験値を稼いでいることがあること に気がついたので、勿論ミュンの夜間の行動の監視の意味もあるが、 どうやってそんなに経験値を稼ぐことが出来るのか知りたかったの と言うのが開発理由の半分以上を占めている。 要は魔力で作った鳴子だ。監視と言うより、鳴子の設定範囲に一 定以上の質量をもった生物が出入りすると俺だけに聞こえる音が鳴 るようになっている。風魔法と無魔法を組み合わせて使うのだが、 兄姉は風魔法が使えないので多分俺にしか使えないと思う。鳴子の 魔法自体の発動にはMPは8しか使わないが︵風魔法で3、無魔法 で5だ︶、何しろ持続させるのにかなり魔力をつぎ込まないといけ ない。鳴子の魔法を使用する際に継続時間も予め設定する形になる のだが、10秒間継続するのにMPを1消費する。たった1時間継 続させるのにMP消費は360だ。 276 俺の場合は溢れる程MPがあるので問題は無い。夜寝る前に朝ま での持続として10時間分のMP3600と鳴子発動の8MPで3 608ものMPを一瞬で消費できるのは便利なのでこの魔法を開発 して良かったと思っているくらいだし。尤も、最近はゴム型の製作 でもかなりMPを消費することも多いのでMP消費に時間がかかる ことはないのだが。もともと多大なMPを使って﹃アンチマジック フィールド﹄を適当な空中にでも張れば一瞬でMP消費はできる。 こんな風に便利な魔法であることを自慢げに言ってはいるが、実 は大きな見落としがあったのであまり役に立ってはいない。鳴子の 魔法にミュンがひっかかっても俺がそれに気付く可能性は極小なの だ。たとえば19時に鳴子を0時までセットする。残ったMPを使 いきって寝る。これが曲者なのだ。MPが切れて寝るとよほど強い 刺激がないと4時間は目が覚めないのだ。 具体的には強く蹴り飛ばされたり、引っ叩かれでもしない限りは まず目が覚めない。寝相が悪くてベッドから落ちるくらいの刺激だ と全く目を覚まさずにぐぅぐぅ寝ているのだ。当然鳴子程度の音で 目が覚めるわけがない。また、仮に目が覚めたとしてもものすごい 眠気と倦怠感で動くこともままならないのだ。 MP成長には当然10歳までという限界点が存在する以上、今ま では出来るだけその機会を失うまいと、夕方寝てから深夜に目が覚 めるような体質にするなど出来るだけのことをしてきたが、ここに 来てその機会をある程度切り捨ててまでミュンの動向を確かめる必 要があるだろうか? 少なくともここ5年間、怪しいところを見せなかったというのも あるが、実は俺は油断していたところが大きかったとしか言えない のではないか? 確かに考えすぎかもしれなかったと思うことも多 277 かったが、今日は食い付きが違ったように思える。何か動きがある ような気がする。これは俺の願望のような気もするが。 あと数カ月程度は晩のMP消費の機会を捨ててでも確かめたほう がいいという気がして仕方ない。おれの冷静な部分は、これは6歳 児の好奇心の分だとなんとなく気がついているが、だからと言って 放って置いてもいいのだろうか? こういう理屈付けに関しても感 情の制御はかなりできるようになってはいるのだが、今回は仕方な いと思い込むことにした。 今晩から鳴子を10時間セットしてもMPを使い切らないで寝て みよう。最低限耐久テスト期間の2か月とその後の1か月の合計3 か月だけでもやってみるか。 ところで、MP消費の話が出たついでにこの5年間で新たに理解 できた魔法についての情報も述べておこう。既に魔法には地水火風 の四大元素魔法と、無魔法の5系統があり、これらを組み合わせて 魔法を発現させることは話したと思うが、魔法の技能には固有技能 のようにレベルがある。四大元素魔法はレベルが上昇すると生み出 せる魔法的な元素量が増えるだけだが、無魔法は違う。無魔法はレ ベルが上がると出来ることが増加するのだ。 四大元素魔法がいくらレベルが上がっても出来ることは魔法的な 元素を生み出す、という一つだけであるのに対して、無魔法はレベ ルが上がると様々なことが出来る様になるので﹁魔法使いとして成 長している﹂という実感が全く違う。 例えば、地魔法だとLv0で生み出せるのはほんの少しの土くれ だけだ。Lv1になってコップ一杯くらい出せる。あとは量が増え ていくだけだ。簡単に言うと元素を生成するのに魔力をつぎ込んだ 278 だけ多く出せるが、その限界量が成長するだけ、と思うと解りやす いだろうか。同様に水魔法では水が、火魔法では火、ではなく影響 を及ぼせる温度の範囲が広がっていく。風魔法だと生み出せる空気 の量や流れる勢いを増加させることが出来る。火魔法と風魔法は元 素魔法でもちょっと特殊なのでまた次の機会にでも話そう。 だが、無魔法は何かを生み出すことは出来ないが、生み出した物 への影響を及ぼすことが出来る。以前﹃フレイムスロウワー﹄で説 明した通りだ。﹃フレイムスロウワー﹄では﹃固め﹄と﹃持続﹄を 使うが、﹃拡散﹄や﹃誘導﹄など、レベル上昇に伴って出来るよう になることは非常に有用なことが多い。魔法はイメージ力が大切だ いう言葉の意味が良く解かる。たとえばシャルは﹃固め﹄と表現し ていたが、俺には﹃融合﹄や﹃指向性付加﹄と言ったほうがしっく り来るし、出来ることもより精密になり、増えると思う。 実際、俺の﹃フレイムスロウワー﹄は当然シャルと同じようなこ とも出来るが、もっと優れた魔法になっている。炎の勢いを増して より遠距離に火を飛ばせるし、更に指向性を増して収束率を上げて 短いが高温のバーナーのようにすることも出来る。つぎ込む魔力を 増やせば10m先に届く直径1cmの超高温バーナーを1時間持続 させることも可能だ。ついでに﹃誘導﹄を付け加えればそのバーナ ー炎を蛇のようにくねらせたり、鞭のように振り回すことも出来る。 火魔法以外の元素魔法を組み合わせることも可能だ。﹃発射﹄もつ け加えて、くねくねと蛇のように飛ばし、動いている標的に当てて、 絡みつかせ、絞って焼き切ることすら出来るだろう。尤も、試した ことはないが。 いささか余談が過ぎたようだ。 俺は寝る前に顔を洗うついでに300m程南西にあるミュンの自 宅であるトーバス家を見つめ、鳴子を設定する。持続時間は10時 279 間だ。朝まで何も起きなければ、いつも通り朝食を摂った後、適当 に魔法の修行をしてからMPを使い切って昼まで眠り、午後からは ゴム製品の耐久度合いを確かめながら型の改良を行う。そして、晩 にはまた同様に鳴子をセットして監視続行だ。当面MPの完全消費 は1日1回に限定されてしまうが、まぁいいだろう。 仮にどこか、又は誰かとの接触が見られなくても、経験値上昇の 秘密の一端でもわかればそれでいい。 ・・・・・・・・・ 果たして数日後、多分21時くらいだろうか、鳴子に反応があっ た。俺は既に眠っていたが、MPを使い果たしてはいないのですぐ に起きることが出来た。そっとベッドを抜け、トイレに行くふりを しつつ外に出る。予め外の植え込みの陰には俺用のサンダルを隠し ているので、急いでそれを履き、ベルトで固定する。立ち上がると 同時に鑑定を発動し、トーバス家の方を見つめると既に俺の鑑定の 範囲を抜け出てしまったのだろう、ミュンを見つけることは出来な かった。 くそ。失敗だ。ミュンがどちらの方へ行ったのかわからない。と 思ったら2百メートル程南のグリード家へと続く道を東に向って歩 く人影が月明かりに照らされて見えた。背格好からしてミュンだろ う。鑑定の対象選択モードはまだ生きているので鑑定するとやはり ミュンだった。 280 逸る心を抑えながら用心深く後を付ける。念のため俺の前方10 m程に風魔法で空気の壁を作り俺と一緒に壁を移動させながら防音 壁として利用する。再度鑑定を発動させ見失わないようにミュンの 輝度を上げつつ150m程離れて道ではなく畑の畦道を使って追跡 する。まだ身長が1mちょいであることを有効に活かして追跡する が、まるで自衛官時代の野戦訓練のような気持になってきた。ミュ ンは振り返ることも、あたりを見回すこともなくまるで日中である かのようにしっかりとした足取りで歩いていく。 村を縦断する道を南に向かって歩いて行くミュン。それを斜め後 ろから畑の畦道を使って用心深く追跡する俺。30分ほども歩くと 畑は途切れ、ミュンの歩く道はそのまま街道となり村を出ていく。 この先は川沿いにしばらく南に続き、いずれ東へと道は曲がってい くはずだ。この時点で村を出る危険性から俺は引き返すかどうか迷 ったが、MP成長の機会を捨ててまで得たせっかくの尻尾だ。万が 一街道で魔物に出会ってもよほど数が多くない限り魔法でなんとか 出来るだろうと、びびる心を叱咤して追跡を継続することにした。 意を決して街道を歩くミュンの斜め後ろを150m程の距離を保 ったまま、林の中から後をつけて行くと、1時間ほど街道を南下し、 東から流れてくる別の川といままで歩いてきた街道沿いの川が合流 し、合流した川は南西に向かって流れ、街道は合流してきた別の川 沿いに東に折れるちょっと開けた場所に出た。そこで初めてミュン は用心深そうに辺りを見回した。俺はちょうどいい木の根の瘤に隠 れながら様子をうかがっていると、誰にも見られていないことを確 認したミュンは懐からなにか塊のようなものを取り出して街道から 川の方に向かおうとした。 取り出した物を急いで鑑定すると 281 ︻コリサルペレット︼ ︻コリサル草︼ ︻状態:良好︼ ︻生成日:11/12/7434︼ ︻価値:100︼ ︻耐久値:8︼ みみず ︻コリサル草の葉を干して粉末にし、蚯蚓と混ぜて押し固めたもの︼ ︻魔力を込めて水に漬けると溶解し赤いジェル状に変化する。込め た魔力量にもよるがジェルは数日で分解される。無害︼ と出た。コリサル草は別段珍しいものではない、と思う。林や森 の下生えなんかを鑑定しているとちょこちょこ見かける植物だが、 ペレットに固めたものは初めて見た。あんなものをどうするのだろ うか。しばらく様子を見た方がいいだろうか。と思ったときピンと 来た。あれは合図だ。川に投げ込んでジェルを発生させる。ジェル は川の流れに押し流されて下流で観察してる誰かの目に入る。万が 一どこかにひっかかって止まっても、何度か流していればそのうち 目につくだろう。数日で分解されるらしいから、放っておいてもそ のうち消えてしまう。 おそらく、緊急性は高くなく、それでいて何らかの情報を入手し たか何か品物を手に入れたので接触を求めるという意味の狼煙のよ うなものなのではないだろうか。この川はこのまま南西に流れ、小 さな砂浜で海に接続しているはずだ。川を流れるジェルの速度はど のくらいになるのか解らないが水の流れよりはかなり遅いだろう。 下流のどこかで川を監視している人間に合図を送れるくらいには遅 くないとダメだろう。なにしろ、今は22時位のはずだから、最低 でもあと7∼8時間は川を流れていないといけない筈だ。 どうするか。 282 まず、今日のところはこのまま何もせず監視を続行し、様子を見 る手がある。メリットとしてはミュンを含め誰にも俺がミュンに疑 念を持っていることを知られない、と言うことと、ミュンが外部に 連絡を取ったことについて気付かれていないと思い込むことだ。だ が、デメリットは大きくなる可能性がある。ミュンに外部と連絡を 取られてしまい、ある程度の情報が流出する可能性がある。魔法や 魔力の件以外は別段秘匿しなくても問題は少ないのだが、隊商など に交じって調査員を派遣されでもしたら面倒だし、それが敵対的な 場合、取り返しがつかない。 次に、ミュンにばれない様にこのまま下流に向かい、ジェルを回 収する手がある。魔法があるのでよほど水中で拡散しない限り回収 は可能だろう。その後については何度か回収してもいいが、いずれ 連絡が取れないことに気がついたミュンに別の手を打たれる可能性 はある。その前にミュンをへガードに突き出すことも可能だが、現 行犯でない限り言い逃れられると厄介だし、外部に連絡を取ってい ることを気付かれたミュンがどのような行動を取るか予想がつかな い。 最後は今ここで、ミュンを咎めることだ。メリットは今晩一晩で 片がつく可能性があること以外には無い。デメリットは咎められた ミュンの行動に予想がつかないことと、最悪の場合にはミュンと戦 闘になるかもしれないことだ。いくらミュンの本当のレベルが9だ とは言え、本気で魔法を使って戦えばミュンを倒すことは可能だろ う。そうじゃなきゃそもそも追跡なんかしない。 ただ、どの方法を選んでもミュンとの仲は決定的なものとなるだ ろう。 シンプルに考えると、外部に連絡を取られることは宜しくない。 283 ゴムの件だけで考えても、製品自体はいずれ公開するにしてもゴム の製法やゴムノキから樹液を採取することまでばれるのはまずい。 今だって﹁広く意見を募る﹂とか言ってるへガードですら従士達と 当家の農奴までにしか公開していないのだ。 最悪の場合でもミュンを殺さずに行動の自由を奪うことくらいは 出来る。今日はゴム型の改修なども適当に手を抜いていたので鳴子 の魔法でMPを大量に消費していても未だMPは1000以上ある。 場合によっては冷静に話し合ったり、何らかの交渉をすることも出 来るかも知れない。 いまミュンを傷つけずに行動を奪う魔法は地魔法で出した土を整 形して飛ばし、顔だけ出して埋めてしまうくらいだろうか。水魔法 も併せて使って河原の植物を急成長させてそれで縛ってもいいが、 それだとナイフ一発で切り抜けられるかもしれない。小型のプール 一杯くらいの土をミュンの周りに飛ばして一気に押し固める方が安 全だろう。お互いにとって。 そんなことを考えているうちにミュンはペレットに魔力を注ぎ込 み始めたようだ。取り出したペレットをぶら下げている右手が青く 輝いた。もう時間がない。 ならば善は急げだ。俺は地魔法で高さ1mで10m四方くらいの 量の土を頭上に生み出すと同時に無魔法でそれをドーナツ状に変形 させ、ミュンをその輪の中に取り込んだ。いきなり出現した大量の 土に仰天しているうちにミュンの頭だけは埋めてしまわないように 気を付けながらさっさと輪を縮めて押し固める。150m程離れて いたので発生させた土を飛ばすのに3秒ほどかかったが、輪の中に 取り込んでから埋め固めるまでは1秒もかからずに済ませた。今の でMPを40くらい使ってしまったが、まだまだ余裕だ。普通の魔 284 法使いならこれでもう魔法は使えないだろうな。 ここまでやってから、あ、俺、このまま帰ってへガードにちくる という手もあるな。と思ったが、それはやめておいた。頭だけ出し て埋まっているミュンの背後からゆっくり歩いて行き、ドスを効か せて声をかける。勿論、首を回しても見られない様に、頭の後ろに 壁を作っておくことは忘れていない。 ﹁なぁ、何をするつもりだった?﹂ ﹁え? どなたですか? 私は何も⋮⋮﹂ しらを切るつもりなのだろうか? しょうがないな。 俺は再度無魔法を使い、ミュンが右手に持っていたコリサルペレ ットだけを取れるような穴を作り、ペレットを取り上げるとまた穴 を塞いだ。 ﹁これは何だ?﹂ ﹁さぁ、何でしょうか?﹂ ﹁とぼけなくてもいい。何の為に持っていた?﹂ ﹁その声は⋮⋮アル様ですか?﹂ 吃驚したようなミュンの声がする。 折角格好をつけてドスを効かせたのに、一瞬でばれてるじゃねぇ か。 頭の後ろの壁、意味ねぇ。 285 俺はそれには答えずに ﹁質問に答えろ﹂ ﹁いきなりこのようなことをなさるなんて、だんな様に言いつけま すよ﹂ ﹁ああ、言えばいいさ。言えるならな。だが、それも質問に答えて からだ﹂ ﹁アル様、いたずらにしては度を越していますよ。早く出してくだ さい﹂ ふむ、もう俺だとばれてるし、しょうがないか。 俺はミュンの正面に回るとミュンの頭を一周するように壁を伸ば す。 ﹁なぁ、いたずらや冗談でこんなことしてるんじゃないんだ。早く 質問に答えてくれよ﹂ ﹁そう仰られましても、私は散歩をしていただけですので﹂ ﹁散歩って、今は夜中だぞ? 本気で誤魔化せると思ってるのか?﹂ ﹁散歩のついでにゴミを捨てようとしただけです﹂ ふーん。ゴミねぇ。 ﹁ミュンはゴミを捨てるのにいちいち魔力を使うのか? さっき魔 力を込めているのを見たぞ﹂ 286 ﹁⋮⋮﹂ ﹁それに⋮⋮ステータスオープン⋮⋮ほら、ミュンは魔法の技能を 持っていないように見えるな。でも魔力を込められる。これは一体 どう考えればいいのかな?﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁だんまりか。ところで、俺は水魔法も使えるんだ。この状態でミ ュンの頭の上に水を作ったらどうなるかな?﹂ ﹁私を殺すおつもりですか?﹂ ﹁ん∼、どうかな?﹂ ﹁脅されても、私には何のことかわかりかねます﹂ 無駄な問答が続く。いくら言っても知らぬ存ぜぬだ。 さてと。 ﹁だいたい判ってるんだよね。ミュネリン・サグアルさん。魔法だ けじゃなくて歳も誤魔化してるよね。本当は24だろう? 2歳も サバを読むなんて、詐欺じゃねーの? ダングルは知ってるのか?﹂ ミュンの顔色が変わった。ステータスウインドウを偽装している ことを見破っている発言だしな。カマを掛けてみるか。 ﹁前におかしいと思った時があったんだよね。ステータスがいつも と違う内容のときがあったんだ。本当は風魔法も使えるんだろ? 287 当然無魔法もな⋮⋮。あと一つ、変なのもあった。たまたまあの時 は毎朝の日課を忘れてたかサボったかしたんだろ?﹂ 当然俺が言っていることは嘘だ。適当に言っているだけだ。だが、 それでミュンは観念したようだ。 ﹁もう気がついていらっしゃるのでしょう?﹂ ﹁何を?﹂ ﹁私がステータスを偽装出来ることです﹂ ﹁それはさっきから俺が指摘していることだな。本当のことを言っ てみ?﹂ ミュンはぽつぽつと喋り出した。 288 第二十二話 メイドの話 ﹁最初から目的があってバークッドに来た、と思っていいのかな?﹂ ﹁はい、8年前のセリノー村での攻防でロンベルトに入り込む予定 で、結局首尾よく潜り込めました。セリノー村の攻防の事はご存知 ですか?﹂ ﹁名前は知ってる。父さまが参加したことも。それ以外はよく知ら ないな﹂ 本当は知っている。ミュンが当家に来る、と言うかダングルに引 き取られる契機となった紛争だし、調べるのは当たり前だ。へガー ドに尋ねるときは、誤魔化すために当家が出陣した全ての紛争につ いて聞くことになったんだ。尤も、へガードが参戦した紛争は﹃セ リノー村の攻防﹄だけだったので、あとは更に昔の紛争でへガード も伝え聞いた話だったので、この戦程は詳しくは知らないが。 ﹃セリノー村の攻防﹄というのは、8年前にあった隣国デーバス 王国との毎度の紛争の一つだ。ロンベルト王国とその南にあるデー バス王国とは国境線の解釈でかなり昔から国境地帯を巡る紛争が頻 発している。ロンベルト王国側で言う南の国境線で毎年のように紛 争が発生していると言ってもいい。まぁ、大体4年に5回くらいで 毎年1回よりちょっと頻度が高いかな? という程度で発生してい る。勿論大規模な衝突ではなく、両国とも補給部隊も含めて200 0人程度がぶつかっているだけだ。実際に戦場で鉾を交えるのはい いところその半数くらいではないだろうか。 289 で、適当にぶつかって勝ったり負けたりを繰り返している。両国 が最後に数万規模同士の総力戦の様相で衝突したのは、記録だと1 20年くらい前のことで、それ以降はその時の衝突の結果、暫定的 に引かれた国境線を主軸に毎年のようにどこかでちまちまと紛争を 繰り返している。で、その大規模な衝突のことを﹃ダート平原の会 戦﹄と呼んでいる。ダート平原はロンベルト王国とデーバス王国と の境界にある肥沃な平原だそうだ。いい感じに河川や林、適度な森 があり、起伏の少ない開拓するにはもってこいの土地なのだ。 もともとはこの平原の中程に緑竜が棲んでいて、ダート平原をそ の狩場にしていたらしく、ある意味でロンベルト王国とデーバス王 国の丁度いい壁になっていた。紛争もダート平原の東の端の竜の狩 場から離れた場所でたまに発生する程度だった。しかし、あるとき に強力な冒険者の一行が緑竜を討伐した。その冒険者の一行には両 国の出身者が含まれていたので、かくしてダート平原は両国がお互 いに領有権を主張して﹃ダート平原の会戦﹄を経て今に至っている、 とこういうわけだ。 当然、両国はこの平原が欲しい。この世界には地魔法があるので、 肥沃そうだとは言え、なにも人の住んでいないような都市部から離 れた平原を開拓せずとも、もっと別の、そう、国内の林や丘陵地帯 を開拓すればいいと思えるが、魔法で開拓するのは現実的ではない。 シャルは一般的な魔法使いくらいのMPは持っているが、地魔法を 使えたとしても、シャルの持っている程度のMPで開拓出来るのは、 恐らく毎日全力且つ休息を日に4回取って開拓に従事しても、開拓 面積はひと月かかって1aも無いだろう。土地を均すだけでなく、 地中の石や邪魔な根を取り除き、地上から最低1mは掘り返し、一 度は耕さないと作物は上手く育たない。 そもそも元素魔法は元素を生み出すことは得意でも、既に存在し 290 ている元素を消したり、別の場所に移動させるのは無魔法と組み合 わせて使わなくてはならない。俺に言わせると無から有を作り出す 方が無茶苦茶なのだが、とにかくこの世界ではそうなっている。更 に、魔法の技能のレベルで効率が段違いになっていく。魔法の話に 逸れそうなので話を戻そう。 結論から言うと、肥沃で起伏の少ない土地はそれだけ開拓を含め た開発も容易であり、少しでも国力を伸ばすのであれば有れば有る だけ欲しい、ということになるのだ。当然、ダート平原はその意味 で理想に近い土地であり、開拓に成功し、都市でも築ければ国力は 飛躍的に上昇することになる。まかり間違ってその都市を要塞化で も出来れば隣国に対してその差は圧倒的なものになるだろうし、勢 いに任せてそのまま隣国の領土を切り取ることすら出来るかも知れ ない。 当然両国とも開拓民を送り込み、村を作ろうとする。当たり前だ が、最低でもある程度、つまり一定規模以上の軍隊が駐留できる規 模になるまでは村を秘匿しなければならない。そういった秘匿され た開拓村をお互いに幾つか持っている。だが、両国とも馬鹿ではな いので目立たないように少人数でのパトロール隊を定期的に送り出 し、相手の村の位置や規模についてはほぼ正確に掴んでいる。 そして、ある程度大きくなるか、なりそうなら潰す。これの繰り 返しだ。そして、数あるそんな紛争のうちの一つが﹃セリノー村の 攻防﹄とこの国では呼ばれている。 セリノー村はダート平原の中心部からはやや西よりにある、もと もとはデーバス王国が開拓した秘匿開拓村の一つだ。その後ロンベ ルト王国が占領し、直後にまたデーバス王国に奪い返された。2回 の占領を経て再度ほぼ1からの開拓をせざるを得なくなったのだが、 291 デーバス王国は苦心してロンベルト側のパトロール隊を排除しある 程度の規模への目処がつきそうになった。セリノー村の開拓状況に ついての情報の入らないロンベルト王国は危機感を抱き、セリノー 村を蹂躙すべく軍隊を派遣したのが8年前の﹃セリノー村の攻防﹄ だ。 で、その時にここバークッド村にも陣への参加要請があり、当時 既に領主であったへガードが総勢10名の部隊を組織して参戦した。 その中に含まれていたのがミュンの養父であるダングル・トーバス だ。で、セリノー村を攻め落とし、占領したのはいいが、その後に 巻き返してきたデーバス王国の軍に攻撃を受ける。なんとかこれを 退けるも被害が大きく撤退せざるを得なくなった。撤退時にはセリ ノー村に火をかけたそうだ。 一時的にセリノー村を占領した時の戦果確認の際にダングルはミ ュンを拾い、そのまま連れ帰ったが、ミュンがトーバス家、ひいて はバークッド村の住人となった経緯は既に話したのでここでは細か いことは省略する。 ﹁ロンベルト王国がセリノー村に軍を派遣するという情報を得たデ ーバス王国は、長く続く紛争を解決する手段を模索していました。 ええ、それはロンベルト王国も同様でしょうが。デーバス王国側は、 とにかく紛争を有利に運ぶことに腐心していました。ロンベルト側 の参戦貴族の情報を得ることもその一つです。そういった訳で私は ウェブドス侯爵領に潜入することになりました﹂ ﹁やっぱりスパイだったか﹂ ﹁スパイ?﹂ 292 ﹁間者のことだ﹂ ﹁はい、そうです。そこまでお判りであれば隠しても意味は無さそ うですね⋮⋮。セリノー村に来る予定の軍にウェブドス侯爵軍が参 戦している情報は村への攻撃が始まる数日前に私の家にもたらされ ました。私の家、サグアル家は間者を育て、あちこちに送り込むこ とを得意とする、デーバス王家直属の従士です。私は、今のアル様 と同じくらいの年からそういった訓練を受けてきました。いつか敵 方に忍び込み、情報を流すためです。ステータスを偽装できるのは サグアル家に生まれたものが大抵持っている力です。頭の中で思い 浮かべた人物のステータスを自分のステータスの替わりに出すこと が出来ます﹂ うん、MAXレベルの鑑定で技能のサブウインドウも見て確認し たから知ってる。使うとMPを1消費するけど、偽装の技能レベル と同じ時間、ステータスを偽装できるよね。特殊技能になってるけ ど、生まれた時に一定確率で親から受け継ぐ技能なので後天的に取 得することは出来ないし、固有技能みたいなもんだよね。一定確率 とは言え、かなり高確率なので、サグアルの血筋がどのように遺伝 するのかは判らないが偽装の技術はある程度有名な気もする。 ﹁そうか、で?﹂ ﹁ウェブドス侯爵領にはまだ間者を潜入させてはいなかったので狙 っていました。出来ればウェブドス侯爵の常備軍の騎士や従士に入 り込むことを目標にしていましたが、私はお養父様に連れ帰られま した﹂ ﹁不満なのか?﹂ 293 ﹁いいえ。確かに最初は目的通りの潜入が果たせなかったので不満 ではありましたが、お養父様に引きとられ、旦那様にお仕えしてい るうちに不満は感じなくなりました。私がサグアルの家にいた頃か ら考えると皆さん良くしてくださいましたし、夢のような生活でし た。だいたい、こうして間者が目的通りに潜り込めること自体が希 です。普通は潜り込むこと自体が難しいのです。そういった意味で は、少なくとも私はウェブドス侯爵領に潜り込むことが出来たので、 満点とは言えなくとも成功と言っても良いと思います﹂ ﹁そうか、今までもこうやって情報を流していたのか?﹂ つなぎ ﹁いいえ。最初は連絡員の間者が私の潜入が確実かどうか隊商に紛 れて何度か確認に来ました。しかし、バークッド村はウェブドス侯 爵領でも辺境ですので、流すような情報は得られませんでした。ア ル様もご存知の通り、あれ以来旦那様が出陣したことは御座いませ んでしたので、流す情報がありませんでしたから﹂ ﹁では、いままでサボって居たくせに何故今日から急に勤労意識に 目覚めた?﹂ ﹁もう予想はついていらっしゃるとは思いますが、ゴムです。あの スリングショットとサンダルは我々間者には非常に都合の良いもの です﹂ ﹁なるほどね。それだけか? コリサルペレットは接触の合図か?﹂ つなぎ ﹁はい、コリサルペレットを流すと、この先で引っかかるところが あります。サグアルの連絡員は最低でも三ヶ月に一度は見回りに来 ているはずなので、最長でも三ヶ月、ペレットを流し続ければ私が 接触を求めていることがわかります﹂ 294 やっぱりそうか。ペレットが引っかかる場所があることは知らな かったが、まぁ似たようなもんだ。 ﹁で、接触してスリングショットとサンダルの事を伝えようとした のか﹂ つなぎ ﹁はい、その通りです。私が話せるのはここまでです。接触を取る サグアルの連絡員について詳しいことは判りませんので。もう隠し ていることは御座いません。そろそろ始末しますか? そうならお 養父様にご伝言をお願いします﹂ ﹁え? なんで? ミュンは死にたいのか?﹂ 意外だった。俺の持っている間者のイメージは日本の忍者だ。そ れも漫画に出てくる忍者だ。本物の忍者なんて知るわけないしな。 俺が子供の頃に読んだ漫画の忍者は任務達成の為に高い目的意識を 持ち、決して諦めない。いよいよダメな時には自害して秘密を守っ たりはするが、基本的には絶体絶命の窮地に追い込まれでもしない 限りは死を選ぶことはない。自分の組織への忠誠心が高く、上司の 命令には絶対服従し、組織を抜けること自体が忍者組織の中で重罪 とされる。ぶっちゃけて言うと白土三平の漫画なんだけどさ。 ミュンはこっちがミュンのことを掴んでいるとわかると、今置か れている状況からの脱出の方策を練ることも、俺を懐柔しようとす ることも無くぺらぺらとまぁよく喋った。正直なところ普通の日本 人的な感覚の俺には全く解せない。 ﹁死にたくはありませんが、私は間者であることが露見しました。 責がお養父様に及ばないよう、全て喋りました。露見した間者は見 295 せしめのために殺すべきでしょう﹂ あー、たまに思ってたけど。この世界の人達って基本的にアレだ よな。考え方が真っ直ぐって言うか、一本道な人が多いよな。バー クッド村しか知らんけどさ。父ちゃんと母ちゃんはあれで凄くマシ な方なんだよな。封建社会などの身分階層社会で、多様な情報に触 れさせずにまともな倫理教育もされてなければこういう一本道な考 え方になるって昔なにかの本で読んだことがあるけど、本当なんだ な。ああ、防衛大学校の教科書だ。ソ連や中国で取られていた教育 法の一種になんか似たようなのがあった気がする。 諦めないで目的を果たす、とか本当は物凄い精神力を使うしな。 生まれてから諦めることばっかりだった、ある意味諦めることが人 生だった大多数の人はちょっとしたキッカケで諦めてしまうのだろ う。ひょっとしたらMPの問題かも知れない。ミュンのMPの最大 値は10だ。魔法が使えるからへガードよりも多いが、魔法を使っ てしまえば当然減る。先ほどコリサルペレットに魔力を注ぎ込んで いたので今は1だしね。MPは6以上ないと眠らない限りは回復し ないのだよ。 1ってことは今のミュンはよくて5歳児程度の精神力のはずだ。 ちょっと悲観入ったら一直線かも知れん。しかし、俺は別にミュン を殺したいわけではないし、今まで一緒に生活してきた情だって当 然ある。それに、ミュンは養父のダングルには深い感謝の念を抱い ていることは今更言われなくても知ってる。その情報が裏打ちされ ただけだ。ここはあれだよな。 ﹁あのさ、ミュン。お前、まだ全然喋ってないよ。俺はもっと知り たいことがたくさんあるし、それをミュンがいくらか知っているこ とも確定した。もう少し付き合ってもらうぞ﹂ 296 ﹁⋮⋮? わかりました。なんでもお聞き下さい﹂ 5歳児のメンタリティー、チョロいな。 ﹁まず、サグアルについてだ。何人くらいの間者をロンベルトに放 っている?﹂ ﹁今は判りませんが、私がここに来た時は4人のはずです。他の貴 族領ですが。﹂ ﹁ああ、お前の知る限りの情報でいいよ。⋮⋮4人か。ミュンが知 る限り、その4人はどのくらい前から潜入して、その後どの程度の 情報を伝えられたんだ?﹂ ﹁一番古い人でもう50年くらい前だったはずです。そして、伝え られた情報の最大の功績は次の派遣軍の指揮官の情報だったと聞い ています﹂ ぶっ、何だよ大したことねぇな。 ﹁そうか⋮⋮で、ミュン以外に間者が露見したことはあるのか?﹂ ﹁私の知る限りありません。ですから私は役立たずです﹂ そうは思えないけどな。偽装の技術があれだけ完璧なら、怪しい 動きや露骨な情報収集でもない限りそうそう見破れないだろうしな。 第一、ミュンが流そうとした情報は、知らなければ重要なものだと 言うことも出来る。どうせ商売のために公表するつもりだったので 流されたところで痛くも痒くもないが、次の派遣軍にどの貴族が参 297 加する、とかの情報よりはよほど役に立つだろう。 ﹁それはまあいいや。じゃあ次だ。ミュンに接触するはずのサグア ルの間者を殺したらどうなる?﹂ つなぎ ﹁え? 潜入ではなく連絡員の間者は冒険者並みに腕が立つと聞き ます。殺すのは難しいかと思いますが﹂ ﹁いいんだ、仮定の話だよ﹂ つなぎ ﹁そうですね。連絡が無くなったことについて怪しまれるでしょう。 当然その連絡員は私に接触しようとしたことまでは報告しているで しょうから、まず私が疑われるでしょう。そして調査のために誰か が新たに接触してくると思います﹂ ﹁まぁそんなとこだろうな。だが、合図確認の定期巡回時ならどう だ?﹂ ﹁わかりません。魔物に殺されたか、間者と露見して殺されたかの 区別はつかないでしょうから。でもどちらにしろ、いつかは新しい 人間が送り込まれて来ると思います﹂ ﹁なるほどね。ってそれ以外無いか。んじゃ次だ。お前、いままで も偶に夜にどっか行ってたよな。情報を流すのは今回が初めてだと 言うなら、あれは何処に何しに行ってたんだ?﹂ いよいよ経験値の謎についての核心の質問を投げかける。間者と して大した働きをしていないのなら、そっちは当面いいや。むしろ 個人的にはこっちが聞きたい。 298 ﹁⋮⋮やはりそれもお気づきでしたのですね。腕が鈍らない様に訓 練を兼ねて魔物を狩っていました。場所は⋮⋮いろいろですが、バ ークッド周辺の森が殆どです﹂ ﹁へー、魔物を狩りにねぇ? ここ数年間、俺は領内のあちこちを 父さまと一緒に見回っていたことは知っているだろう? 不審な魔 物の死体なんぞついぞ見たことがないんだが? だいたい魔石はど うしてたんだ?﹂ 隠れて魔物を狩りに行っているというのはかなり初期から怪しん でいた仮説だった。しかし、全く不自然な死体をみることがなかっ たので俺の中で否定されていたのだ。 つなぎ ﹁サグアルの間者は潜入に成功すると最初に接触した連絡員から予 めその間者用に作ってある魔道具を一つ貰います。私の場合はいつ も嵌めている腕輪です。これは一定の量までの死体を水に変えるこ とが出来る魔道具です。これを使って魔物の死体を処分します﹂ ﹁ふーん、見せてもらうぞ﹂ 気づかなかったわ、そんなもん。早速穴を開けるとミュンの腕輪 を見て鑑定する。 ︻サグアルの腕輪︼ ︻真鍮︼ ︻状態:良好︼ ︻生成日:17/6/7417︼ ︻価値:100000︼ ︻耐久値:29︼ ︻水魔法と無魔法の魔力が込められている腕輪︼ 299 ︻10日間に1回だけ水変換の魔法が使える。但し対象は生物の死 体のみ。一度に分解できる数に制限はないが体積の合計は10m^ 3まで。制作には真鍮にサグアルの家系の骨でつけた紋章と、使用 者の血液をその紋章に循環させる必要がある。製作時の血液を循環 させた使用者にしか使用出来ない︼ なんだか凄いな。俺が今まで見た魔道具なんて時計だけだ。結構 流通しているらしいのであまり珍しくはないのだが。だが、これは 本当の意味の魔道具だな。でも、そうか、ミュンにしか使えないの か。 ﹁じゃあ、いいや。そろそろ帰るか﹂ ﹁?⋮⋮。ああ、そうですか⋮⋮。では、お養父様にお伝え﹁お前 も一緒に帰るんだ。あとは帰りながら話そう﹂ 不思議そうなミュンを掘り出して風魔法と無魔法で土を吹き飛ば す。まだ汚れは残っているが、このくらいは我慢して貰わないとな。 300 第二十二話 メイドの話︵後書き︶ ミュンの話はもうちょっと続きます。 301 第二十三話 メイドの顛末 帰り道、拘束するそぶりも見せない俺にミュンは不思議そうに尋 ねる。 ﹁何故、私を殺さないのでしょう? 私は間者で大切なゴムの情報 をデーバス王国に流すところだったのですよ?﹂ ﹁ん? 殺して欲しいのか?﹂ 意地悪く言ってみる。 ミュンは俯きながらもおずおずとした感じで言う。 ﹁勿論、殺されるのは嫌です。でも、私は間者としての教育を受け る過程で言われました。間者が見つかった場合、確実に殺されるだ ろうと。どの程度の情報を流したのか、情報を流した相手はどこの 誰なのか、協力者はいるのか、そう言ったことを吐かされた後は、 生かしておく意味もないので殺される。と言われて来ました。だか ら、普通は間者を見つけたら必要な情報を取って殺すと思います﹂ それがオースの常識なんだろうな。魔法があって、魔物がいて、 文明、文化レベルは最高で15世紀で停滞しているとなると、それ はまぁ理解できる。間者である事が露見した場合、その多くは殺さ れ、処分されるのは当たり前かもしれない。尤も、殺す最大の理由 は腹いせの部分が大きいのだろう。生かしておいても特に益は無い。 間者なんてこの世界のどの陣営も使っているだろうし、見つけたら どこまで情報が漏れたのか確かめさえすれば、あとは腹立たしい気 持ちを慰めるくらいしかすることはないだろう。人道主義や人権教 302 育なんてそもそも存在してないのだから。 ﹁ふーん、そうか。だけど、いいんだ。ミュンを殺す理由はないよ﹂ ﹁?⋮⋮。何故でしょうか﹂ ﹁納得出来ないのであれば、そうだな⋮⋮。ミュン、お前は今晩俺 に殺されたんだと思えばいい。だから、今までの間者をしていたミ ュンはもう死んでる。だけど、今のミュンは今までのミュンじゃな いとでも思っておけばいい﹂ ﹁!⋮⋮。どういうことでしょう?﹂ ﹁そこは自分で考えろよ﹂ うーん、家に帰るまでまだ1時間近くはかかるな。今の時刻は恐 らく23時くらいだろうか。MPの余力もまだかなりあるし、最後 にちょっとだけ疑念を晴らしておこうか。考え込み始めたミュンに、 疑問をぶつけてみる。 ﹁なぁ、ミュン、これから聞くことに正直に答えてくれ。それによ って今後のことについて、いろいろ考えるから﹂ MPが1しかない、精神的に不安定な状態でいろいろ考えていた ミュンは眉間に皺を寄せた難しい顔をしていたが、俺の問いに俺の 目を見ることで反応した。 ﹁何故お前は俺が地魔法から出してやった時に抵抗しなかった? いくらお前が武器を持っていなかったとしても、俺はまだ子供だ。 俺を組み伏せるなり、襲いかかるなりして倒すか、殺さないまでも 303 抵抗して俺が怯んだ隙に逃げることだって出来たはずだろ﹂ ﹁そのことですか⋮⋮。最初に地魔法、ですか、私が埋められた時 には直ぐに魔法で囚われたことに気がつきました。そして、声を聞 いて私を捕えたか、その一味にアル様がいらっしゃることが解った 時に、私には抵抗する気力はありませんでした。ああ、武器自体は 持っていますよ﹂ そう言うとミュンは胸の周りからアイスピックの先のような長さ 10cm程度の針金状の物を左右4本づつ引き抜くとそれを纏めて 俺に渡してきた。そして、ポケットから何かの小瓶も取り出して、 それも渡してくる。危ねぇ、胸のは飾りだと思ってたわ。とすると、 この小瓶は、ど、毒か? とにかく、渡された千本のようなものと 小瓶を受け取りながら﹁何故だ?﹂と返事をする。ちょっと慌てた のが顔に出てないといいな。 ﹁アル様が魔法使いとしてとても優れていることは存じております。 私も多少は魔法の心得がありますから、先ほどの魔法がどの程度の 魔力を使ったのかくらいは理解出来ないまでも、想像するくらいは 出来ます。その様な恐るべき魔法の使い手に多少の抵抗など無意味 でしょう。それに⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮それに?﹂ ﹁⋮⋮なんでもありません﹂ ﹁確かに俺は魔法が使えるし、まだまだ余力はある。多分ミュンが 抵抗して逃げたとしても直ぐに捕まえることは出来るだろうな。だ が、俺は正直に答えてくれ、と言ったはずだぞ。それだけが理由だ ったのか?﹂ 304 ﹁⋮⋮お養父様に迷惑がかかります。旦那様や奥様にはとても良く して下さったご恩もあります。間者として潜り込むという目的はあ りましたが、それまでの私の暮らしと比べ、バークッドでは夢のよ うに豊かで穏やかな生活をさせて頂きました。戦争で一人になった と見せ掛けて、着の身着のままの、しかも敵国の人間であった私を、 お養父様や旦那様方はそれは優しく受け入れて下さいました。あま つさえ、メイドとして雇ってもいただきました。相手がアル様と解 って、どうしてアル様に対して手をあげられましょうや。それに、 万が一アル様を倒して逃げおおせたとしても⋮⋮アル様が生きてい れば私が間者だったことは白日のもとに晒されますし、アル様を殺 すことが出来ても私に嫌疑がかかるようになっているのでしょう。 出来るはずがありません﹂ ミュンは一気に喋りだした。目には薄らと涙が浮かんでいる。月 明かりに照らされながら足を止め、俯きながら喋るミュンの言葉は 震えが隠せず、ところどころつっかえている。⋮⋮俺が殺されるこ とは想定していなかったので何の手も打ってねぇよ。俺を殺したあ とに何食わぬ顔で村に戻れば大丈夫だったと思うぞ。 ﹁そうか、重ねて聞くが、それならば何故、父さま達を裏切るよう な真似をした? 今までバークッドからの出兵は無かったから、軍 事的な情報を流していなかったという言葉は信じてもいい。だが、 なぜ今、急にゴムの情報を流した? ゴムの情報を流さずにお前の ところで握りつぶすこともできたんじゃないのか?﹂ ﹁⋮⋮それは、恐れながら申し上げますが、ゴムの情報の価値が直 ぐに無くなると思ったからです。旦那様は先日のゴム製品の意見を 募った際に仰られていました。ゴムについては製品化する前の意見 を聞くために皆に見せるのだと⋮⋮。ならば、今この瞬間にはゴム 305 の価値は高いですが、いずれ製品化された場合にはその情報の価値 は下がります。であれば今私がその情報をデーバス王国に流したと しても王国に報告が行く頃には、バークッドの住民やドーリットの 街周辺の人達は皆ゴムについて知るところとなっているはずです﹂ ここまで言うとミュンは顔を上げ俺をしっかりと見つめた。 ﹁サグアルの間者は最低でも10年に一度は何らかの情報を流すこ とが掟となっています。次の出兵にバークッドから旦那様が参加を する、その時同行するのは何人、といった情報であれば情報の質と いう点で言う事はないのですが、出兵しないのであれば情報は得ら れようはずはありません。間者が潜り込んだ先で情に囚われないよ うに、そういった情報が得られない場合には領内の情勢や経済的な 状況など、何でも良いので報告することになっています。私がバー クッドに潜り込んで8年経ちますが、まだ何の情報も送れていませ ん。ここで情報を送っておけばあと10年は安心出来ると考えまし た﹂ その言葉が聞きたかった。と言ったら嘘になるかもしれない。だ が、筋は通っている。ゴムの情報価値についての分析もまぁ的確と 言って良いだろう。それに、ゴムの情報がすぐにでも無価値に近く なることまで予見していたにも関わらず、その情報を流したという 点から考えると、ミュンが嘘をついてこの場を切り抜ける気は無か ったと考えることも出来る。やっぱり、ミュンは必要だ。 俺が﹁自分の国を作る﹂という目的︵と言うより、目標とか、夢 とか言った方が良いのだろうが︶を達成するためには、まず強くな らなくてはならない。精神的な強さは勿論必要だが、一番最初に必 要なのは腕っ節だ。何をするにも腕っ節があれば尊敬を集められる し、部下、と言うか手下も集めやすいだろう。魔法があるので多少 306 は誤魔化せるにしても、この世には﹃アンチマジックフィールド﹄ だってあるのだし、魔法一辺倒はまずい。剣の修行も始めてはいる が、始めてから1年、所詮はまだ6歳児の力でしかない。いずれ成 長はするのだろうが、何もしなければ所詮は人並みの力しか持たな いことになってしまう。それをカバーするには個人のレベルアップ が必要だ。 へガードだってレベル15だから相当に強いが、もしレベルが1 とかだったら腕力は人並みかちょっとましくらいじゃなかろうか。 レベルアップで能力値の上昇があるからこそ強く、領主としての尊 敬も集められるのだ。領地の経営能力や、領民への慈悲深い対処な ど、尊敬すべき点は多いが、何よりまず、強いことが尊敬される第 一歩だろう。いくら領地経営が上手く行き、慈悲深く慕われて領地 が裕福になってもゴブリンなどの魔物の直接的な脅威が存在する以 上、実力でその脅威を跳ね返さなければお話にならないのだ。 ミュンの話から魔物を殺すと経験値が増えることは確実だろう。 ならばレベルアップの近道は魔物を狩りに行き、経験値を稼ぐこと だろう。なんだかゲームみたいだが、オースがそうなっている以上、 そこは仕方ないし、地道な修行を繰り返すより手っ取り早く強くな ることが出来るのならやらないわけには行かないだろう。勿論、地 道な修行を否定する気は更々無いし、修行自体は続けることが前提 だ。いくら筋力が上がり、俊敏さや耐久力が上がっても武器の扱い が上手くなるわけではない、と思う。馬鹿力で剣を振り回して何と かなるのは相手があまり強くない時だけだろう。 だから、俺はレベルアップのために魔物を狩らなくてはいけない のだが、その狩り方もわからなかったし、どこで狩るのが安全なの かも知らなかった。こんなことはへガードやシャルに訊いても、早 すぎる、の一言で切って捨てられることは明白だ。だから隠れてや 307 らなくてはならないが、今までその機会が無かったし、知識も無か った。だが、ミュンに力を借りることが出来れば、狩りに行けるか もしれないのだ。何しろ隠れての狩りはいままで何度となくやって いたろうしな。ベテランだ。 ここは少々嫌な感じだが背に腹は変えられないし、脅してでもミ ュンに協力して貰う方がいいと思う。だいたいの確認とミュンに抱 いていた疑問も完全ではないだろうが俺は咀嚼できたと思うしな。 ﹁なるほどな。ミュンの考えは解った。で、さっき考えろと言った つなぎ 件だけどな。間者であったミュンは死んだ。と言うか、今後そう偽 装するか、連絡員を始末し続けて結局はそうなるようにする。その 為に俺に出来ることは協力しようと思ってる。だが、間者として潜 入していたことは確かだし、場合によってはダングルにその責が及 ぶことは否定できないだろう﹂ ﹁!!⋮⋮。そう、ですか⋮⋮﹂ ﹁まぁ待て、慌てるなよ。まだ話は終わってない。だが、それは俺 がミュンのことを父さまに喋ったら、という事を忘れていないか?﹂ ﹁!?⋮⋮。どういう、ことでしょうか?﹂ ﹁どういうもこういうも無いんだが。言葉通りの意味だ。俺が喋ら なければバークッド村にはデーバスの間者はいないと言うことだろ﹂ 未だ疑問が晴れた様子のないミュンに続けて言う。 つなぎ ﹁ミュンが潜入してきた間者であることは黙っていてやるよ。さっ き言った通り、連絡員も何とかしよう。だけど、それにはいくつか 308 条件があるぞ﹂ ﹁どんなことでもやります。何でも致します。どうか黙っていてく ださい﹂ ﹁ああ、わかってる。条件は三つだ。一つは今後夜に隠れて狩りに 行くときは俺を同行させてくれ。一緒にやろう。二つ目はデーバス 王国やロンベルト王国について知っていることを教えてくれ。俺が 既に知っていると思っていることでもいい、どんなことでも教えて くれ。最後に、もう二度とダングルや父さま達を裏切らないと誓っ てくれ﹂ 唖然とした顔をしたあと、恐る恐るといった感じでミュンが言う。 ﹁あの⋮⋮。そんな事で良いのでしょうか? 私は罰を受けるべき ではないのですか?﹂ ﹁ああ、それでいい。どうだろう? この条件で納得するなら協力 しよう﹂ ﹁願ってもないことです。私は⋮⋮。私は死ぬのだと半ば諦めてい ました。見つかった間者は死ぬしか道は残されていないものだと⋮ ⋮。ありがとうございます。お養父様へ責を問うこともせず、本当 にありがとうございます!! 私は今後アル様のためでしたら何で も致します!! どんなことでもお申し付けください!!﹂ いきなり土下座に近いような姿勢でお礼を言われて戸惑ったが、 それはミュンの感謝の表れなのだ、と思うことにして、懸念事項を 継いでいく。 309 ﹁よし⋮⋮なら、早速だけど、コリサルペレットを流しに行くか。 ちょっと戻らないといけないけど﹂ ﹁? 何故でしょうか?﹂ つなぎ ﹁だって連絡員を何とかすると言ったばかりだろう? 誘き出さな いとだめだろう﹂ つなぎ ﹁わかりました。ですが連絡員の腕はかなり立つはずです。魔法が あるとは言え、どうかご用心を﹂ つなぎ ﹁ああ、わかっているさ。連絡員から接触があったらすぐに教えて くれよ﹂ それから、俺達は再度川の合流地点まで戻るとコリサルペレット を投げ込んだ。 つなぎ 村に帰る道すがら、狩りについてのおおまかな場所や服装、危険 なポイントなどの注意すべき点について話を聞き、連絡員の始末や 今後の対策などを話し合いながら、俺はミュンの知っている知識を 吸収していった。 つなぎ 連絡員の始末は勿論だが、当面のゴム製品についての販売や生産 計画の立案もあるし、狩りの件もある。MP消費や修行についても 手を抜くわけには行かない。やることは山積みだな。 310 第二十三話 メイドの顛末︵後書き︶ ミュンは主人公の、何番目かの師匠ポジションだったのでした。 311 第二十四話 初めての⋮⋮ 二週間程経ち、初めてミュンと魔物を狩りに行くことになった。 みなが寝静まった21時くらいだろうか、そっと家を抜け出す。 俺はまだ自分の実剣を持っていないので武器はナイフとスリング ショットだけだ。だが、魔法もあるし、ミュンもいるので恐ろしさ は感じなかった。ミュンは最初だから弱い魔物がいる所に連れて行 ってくれるそうだ。 村を流れる川を川沿いに1時間ほど上流まで行き、東の森に入る とそのまま30分ほど進む。すると、森が薄くなり林の中に石がご ろごろとしている辺りまで来た。ミュンが言うにはここらには数十 cm程度のナメクジのような魔物が出るらしい。あまり動きも速く なく、毒を持つなど危険なことも無いそうだ。考えてみれば長さ1 mのナメクジだとしても、所詮はナメクジだ。何匹にもたかられて 押しつぶされなければ確かに問題はないだろう。また、このナメク ジは木の上にいてその下を動物が通りかかると落ちてきて噛み付い て血を吸うらしい。なんだ、ナメクジじゃなくて蛭か? とにかく用心深く林の木の枝を見てみる。暗くて良く判らないの で鑑定を使ってみた。すると、いるわいるわ、あちこちの枝に蛭が ︼ いることが判った。一匹鑑定してみよう。 ︻ ︻両性/29/5/7433・ラージリーチ︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:1歳︼ 312 ︻レベル:1︼ ︻HP:11︵11︶ MP:1︵1︶︼ ︻筋力:1︼ ︻俊敏:0︼ ︻器用:0︼ ︻耐久:4︼ ︻特殊技能:吸血︵Lv.1︶︼ ︼ なんだ、こいつ、大したこと無いな。因みに、今の俺はこんな感 じだ。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︼ ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:6歳︼ ︻レベル:2︼ ︻HP:24︵24︶ MP:4164︵5379︶ ︻筋力:4︼ ︻俊敏:4︼ ︻器用:3︼ ︻耐久:3︼ ︻固有技能:鑑定︵MAX︶︼ ︻固有技能:天稟の才︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.7︶︼ ︻経験:2849︵6000︶︼ 313 持っているナイフは ︻ナイフ︼ ︻鉄︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:3/9/7431︼ ︻価値:960︼ ︻耐久:100︼ ︻性能:10−40︼ ︻効果:無し︼ ナイフで思い切り攻撃すればほぼ一撃で死ぬような感じがする。 俺もこのナイフだと一撃で死ぬような気もするが。と、言うか、ナ イフで思い切り攻撃されて一撃で死なない6歳児なんて居るわけも 無いか。 さて、木の上に蛭が沢山いることはわかった。同時に蛭がたいし た敵ではないことも理解した。あとは何一つ罪のない蛭達を狩り殺 すだけだ。だが、どうやって? ﹁ミュン、木の上に沢山いるぞ、だが、どうやって落とすんだ?﹂ ﹁見ていてください。最初に私がやります﹂ ミュンはそう言うと手近な木に駆け寄り、すぐに飛び退った。ミ ュンめがけて数匹の蛭が落ちてきた。落ちてきた蛭はうねうねとも がくようにしていたが獲物が近くにいないことにすぐに気がついた ようで、うぞうぞしながら木に戻ろうとし始めた。ミュンはすかさ ず一番近くにいる蛭に対して攻撃する。ミュンの武器は木の棒だ。 棒の長さを生かして少し離れたところから蛭を叩く。数回も叩くと 314 蛭は潰れて動かなくなった。 ﹁うーん、あんまり効率は良くなさそうだな。ミュン、ちょっと俺 の後ろに居てくれ﹂ 出来るかどうか。今までやったことのない魔法を使ってみる。風 魔法で大量に風を生み出し、無魔法で吹き荒れさせてみる。MPを 10ばかり使ってみたが、一匹も落ちてこない。そりゃそうか。嵐 のときに蛭が沢山落ちてくるなんて話は聞いたことないし、確か蛭 には吸盤があったはずだ。 ならばどうするか、簡単だ。前世から蛭にかまれたらタバコの火 を押し付けるとかライターでちょっと炙るとか言われてた。今度は 風魔法に加えて火魔法で温度の高い風を作り出してみる。火を出し て山火事にでもしたら大変なので百度くらいでいいのかな? 今度は上手く行ったようだ。ぼとぼととものすごく沢山の蛭が落 ちてきた。俺の前方20mくらいに風を生み出したが、範囲内の蛭 は全て落ちてきたんじゃなかろうか。落ちてきた蛭は風の熱さから 丸くなっている。ミュンを振り返ると感心したように俺のことを褒 めてくれた。さて、あとはミュンを真似て俺も遠くから安全に棒で 叩き潰そう。 最初の1匹を叩き潰してから俺を鑑定してみると経験値が13も 増えていた。ふざけんな。こんな簡単に6∼7日分の修行を上回る 成果を出せていいのかよ。だが、そんな不満なぞすぐにどうでも良 くなった。どんどん叩き潰していく。経験値もどんどん増えていく。 まさにウハウハだわ。 と、自分を鑑定しながら次々に蛭を叩き潰していると、あること 315 に気がついた。蛭のHPはだいたい10前後なのだが、経験値はそ のHPに2を足した数だけ入手できているようだ。だが、ある程度 潰すとHPに4を加えた数の経験値が入手出来るようになった。鑑 定ウインドウでは変わったところは⋮⋮あった。固有技能の天稟の 才のレベルが今まで表記がなかったのにLv.1になっている。あ わててサブウインドウを開いてみる︵今まではサブウインドウを開 けなかったのだ︶。 ︻固有技能:天稟の才;レベルに応じて入手経験値が増加する。レ ベル当り20%の増加。小数点以下切捨て︼ なにぃぃぃぃ。 なんじゃそら。 今まで一度に5以上の経験を稼いだことがなかったから解らなか ったのか。 だから天稟の才の技能のレベルも上がらなかったってことか。 ちっくしょ。 まぁ、いい。 まぁいいよ。 これから狩りを続ければおのずと技能のレベルも上がるだろうし。 しかし、これ、無茶苦茶だな。 鑑定の技能と同じく最高レベルが9だとしたら200%アップか。 普通の人の3倍の効率で成長できるとか、イカサマだ。 レベルアップ時の能力の増加も3倍。 合計9倍の成長速度かよ。 ああ、まさに天稟か。 やばい、興奮しすぎて何の罪も無い蛭を叩き潰すのを忘れてた。 この日は40匹あまりの蛭を叩き潰して天稟の才はLv.3にな った。 316 経験値も600以上入った。 ミュンに﹁あまり殺しすぎると蛭がいなくなってしまいます﹂と 言われるまでニヤニヤしながら狂ったように蛭を叩き潰していた。 狂人かっつーの。 蛭を殺した後始末のほうが嫌だった。ぐちゃぐちゃになった蛭の 死体から吐き気を抑えつつ魔石を採り、一つに結合する。その死体 を一箇所に纏めると、ミュンの腕輪の力で水に変える。気がついた ら真夜中になっていた。 ミュンが言うには、あの蛭の場所には数百匹の蛭がいるらしいの でそうそう絶滅はしないだろうが、蛭は生まれてから1年ほど経た ないと成長しきらない︵多分レベル1にならないという事だろうか︶ のであまり殺しすぎるのは良くないそうだ。 確かに蛭を殺しつくすのはまずいな。今日のようなペースで狩り 続けたら2∼3週間で絶滅だろう。たった一晩で蛭の全人口︵?︶ の数%も殺したら蛭界の大事件だ。一晩でバークッド村の人口が4 0人も死んでしまったらということを考えるとわかりやすいな。い くらでかくて気持ち悪いとはいえほぼ無抵抗に近い相手に安全に経 験を稼げるとは思わないほうが良さそうだ。 ・・・・・・・・・ つなぎ あれから数週間が経ちその間何度もコリサルペレットを流しに行 った。まだミュンへの連絡員の接触は無いようだ。だが、そんなあ 317 る日、定期的にやってくる隊商の護衛に見知らぬ男が混じっていた。 つなぎ これあるを予期してあれから狩りには行っていない。腕輪の魔力を 使わないようにするためだ。ミュンに確認するとやはり連絡員だろ うとのことだ。通常、隊商は村で2泊するはずなので、接触がある とすれば今晩か明日の夜だろうと踏んでいた。 思惑通り、翌日の昼にミュンに接触があったらしい。洗濯をして いるミュンに近づいた男は﹁今晩の真夜中に村の南の川が合流する 地点で待つ﹂と話しかけてきたらしい。俺は男の鑑定をして能力を 確かめていたが、レベルは12でそれなりに強いようだった。しか し、魔法で一気にカタをつけられると思っていたので、ミュンに今 晩は俺が予め出向いて待ち伏せをし、有無を言わさず始末すること を告げた。 キャントリップス ミュンは危険だと反対したが、死体の始末のために真夜中過ぎに 待ち合わせ場所に遅れて来ることを指示し、目覚ましの小魔法を久 々に使って確実に目が覚めるようにしてから晩飯を食うとさっさと 眠った。 つなぎ 少し早めに待ち合わせ場所に着くと、俺は少し離れた場所に生え つなぎ ている木に登って連絡員が現れるのを待つ。ちょっと落ち着かない 気分になったが程なく連絡員が現れた。彼は松明を持っていたので つなぎ 遠くからでも近づいてくるのが良く見えた。鑑定をして間違いなく 連絡員であることを確認すると用心深く彼がこちらに背を向けるの を待つ。 つなぎ しかし、連絡員は河原に丁度いい石を見つけるとその石にこちら 向きに座ってしまった。姿勢を変える様子もなく、ただ座り込んで いる。まずいな。これだと不意打ちが難しい。仕方ないので無魔法 を使って適当な石を川の中に投げ込んでみようか。いやいや、松明 318 はまだ消えていないので石が飛ぶところが丸見えになる恐れがある。 どうしようか。 このまま時間が経過すれば後始末のためにミュンが来てしまう。 木になんか登らなければ良かったな。正面から仕掛けてみようかと も思うが彼我の距離は100m程だ。上手くいけばいいが、失敗し たりかわされたりしたら10秒あまりでこちらに来てしまうだろう。 その間に木から降りて迎撃、は難しそうだな。やはり一度は視線の 方向を変えないとだめだろう。 地魔法でちょっとした土の塊を飛ばしてみようか。これならいく ら松明があっても気づかれにくいのではないだろうか。よし、やっ てみるか。レベル2くらいのどんぶり一杯程度の土を生み出すと無 魔法の誘導を使ってそれを男の後ろを流れる川に投げ込む。予想通 り﹃ドボン﹄という音がして男が振り返るのが見えた。今だ! 俺はミュンを捕縛するときのように大量の土を生み出すとドーナ ツ状に変形させて男へと飛ばす。ミュンのときよりも大量に無魔法 に魔力をつぎ込み、あっという間に男の頭上に土を運ぶと一気に押 し固めた。よし、何とか成功したな。 滑らないように気をつけて木から降りると誰かに悪態をついてい る男の背後からゆっくりと近づき、またミュンの時のように男の頭 の周りに土壁を作る。そして後ろから声をかけた。 ﹁さて、こんな時間にこんな所で何をしていたんだ?﹂ ﹁だ、誰だ!﹂ 319 ﹁誰でもいい。質問に答えろよ﹂ そう言うと水魔法で男の頭上にバケツ一杯くらいの水を生み出し た。生成された水は当然男に降り注ぎ、表面を滑らかに固めた土壁 によって流出を阻まれる。男と土の間のわずかな隙間から微妙に漏 れているだろうが、その程度はいい。お椀のようになった土壁の底 に水が溜まると水面は男のあごくらいまでになっている。 ﹁質問に答えないと、もう一発水を出すぞ﹂ ﹁ひっ、わ、わかった。何でも言う。何を言えばいいんだ?﹂ ﹁だから、こんな所で何をしていたのか、と言うことだよ﹂ つなぎ 連絡員はびびりながらも俺の科白でそろそろミュンが来ることを 思い出したのだろう、多少強気に答えた。 ﹁俺は、一人じゃないぞ、仲間が居るんだ、だか﹁はい、水﹂ 今度はどんぶりくらいの水を出す。 ﹁仲間を待っていたんだ。ここで落ち合うことになっている﹂ ﹁最初から言えよ。で、仲間って?﹂ ﹁この村の住人だ﹂ ﹁ほう、お前は昨日来た隊商の護衛をやっていたよな。なんでその 仲間が村の住人なんだ?﹂ 320 ﹁昔からの知り合いなんだ。話でもしようと思って⋮⋮﹂ またどんぶりくらいの水を出す。 ﹁嘘じゃない、本当だ、もうすぐここに来るはずだ﹂ ﹁そうか、で、なぜこんな時間なんだ?﹂ ﹁そ、それは⋮⋮﹂ ﹁ああ、人に見られたくないんだよな、何しろ貴重な情報かもしれ ないしな﹂ ﹁!!⋮⋮。な、なぜ⋮⋮﹂ よし、確証も取れたな。どうせ背後関係なども喋らないだろうし、 もう始末するしかないかな。 ﹁捕まった間者がどうなるかは知っているよな? 喋らないならも ういいや﹂ ﹁ま、待ってくれ、何が知りたいんだ? 何でも言う﹂ ﹁そうか、だが、大したことは知らないんだろう?﹂ ﹁くっ、だ、だが、俺を殺したらその調査でもっと調査員が来るぞ﹂ ﹁来てどうする? お前の死んだ原因を調べて、それが俺に殺され つなぎ たと判ったとして、どうなる? お前の仇でも取ってくれるのか? 俺に襲撃でも掛けるのか? たかが間者の連絡員の為にわざわざ 321 そんなことをする奴がいるとは思えんな﹂ ﹁な、どこまで⋮⋮﹂ ﹁間者とはどうやって連絡を取った?﹂ ﹁そこまでは判らん。俺は間者が連絡を取りたがっているから接触 しろ、と指示を受けたに過ぎん﹂ うーん、まぁ嘘じゃないだろ。嘘だったとしても別にどうでもい いし。 ﹁その指示は誰から受けた?﹂ ﹁ベグルの旦那からだ﹂ ベグル? 誰だそりゃ。 ﹁そいつは普段何をしているんだ?﹂ ﹁だ、旦那は普段はキールに居るらしい。何をしているのかまでは 知らねぇ。たまにここらまで来て合図が無いか確認しているらしい が、どんな合図なのかまでは俺は知らないんだ、本当だ!﹂ ﹁ベグルにはどうしたら会える?﹂ ﹁俺からは連絡が取れない。何かあったら向こうが俺のところに来 るんだ。それで指示をする。今回はバークッドまで行ってミュネリ ン・トーバスという女に会って情報を受け取れと言われたんだ﹂ 322 ふーん、そうなっているのか。じゃあ、問題はそのベグルという 奴を騙せるかどうかだな。だとするとこいつをここで始末するのは つなぎ 都合が悪いか? そこまで考えたとき、運悪くミュンが現れてしま った。連絡員は新たに現れた人影がミュンだと判ると少し安心した のか、ニヤリと笑みを浮かべる。しかし、その直後にミュンが ﹁アル様。首尾よく拘束できたようですね。情報は取れましたか?﹂ と言うのを聞いて、自分が絶体絶命の窮地にあることを再認識し たらしい。また、ミュンに嵌められたと理解もしたのだろう。ミュ ンを罵り出した。 ああ、ミュン。出てくるの早いよ。ってか俺が死体の始末の為に 遅れて来いって言ったんだっけ。なら俺のせいだな。 ﹁ああ、今締め上げていたところだが、大した情報はなかったな。 じゃあ処分するか﹂ 仕方ない。生かして帰し、ミュンが死んだと偽装しようと思った が、それは失敗だ。今更誤魔化すことは無理だ。ここで始末するよ りないな。こいつも護衛中に隊商を離れるのにはそれなりの理由を 付けて出てきているはずだし、死体を消してしまえば俺達が処分し たことはばれる事はないだろう。 こいつには何の恨みもないが、間者の一味として動いていたこと は間違いがないだろうし、先日のミュンの話から、間者は見つけ次 第殺すのが常識らしい。特に目的も無いのに殺しもせずに見逃す方 がおかしいだろう。水で溺死させるのは見ているほうが嫌だし、本 人も苦しかろう。 ﹁ま、待ってくれ! 殺さないでくれ。何でもする!!﹂ 323 ﹁間者には死あるのみだろ﹂ 残酷だがこの男とミュンは代えられない。俺はナイフを抜き男の 首筋に当てる。 ﹁頼む、殺さないでくれ!! もう間者はやらねぇ!! なぁ、頼 むよ!!﹂ 命乞いをする相手にナイフを突き立てるのはよほどの決心が要る のだな、と思う。だが、ミュンが生きていることを知られ、ついで に俺の名前も知られた。調べればグリード家の次男だと簡単に判っ てしまうだろう。もう生きて帰すことは諦めるしかないだろう。 俺は更に水を出し、男の口元まで水位が上がったことを確認する。 首からの返り血を受けないようにするためだ。命乞いをする男の首 筋に当てたナイフに力を込めると同時に思い切って引いた。 血が噴き出しているようだが、水を張ってあるため俺にかかるこ とはなかった。更に水魔法で水を出し、血の混じった水で汚れた手 を洗う。確実に男が死んだことを確認する。ここまでは機械的に行 うことが出来た。だが、ミュンに﹁この男の魔石はどうしますか﹂ と聞かれて我に返る。こいつの体を切り裂いて魔石を取るのか? 人間にも魔石ってあるのかよ? 黙りこんだ俺に気を使ったのだろう。ミュンは腕輪の力を使い、 死体を水に変える。ああ、そうだ。さっさと片付けて帰らなきゃな。 無魔法を使い、男の埋まっていた穴を広げる。服や財布が出てきた。 財布には銀貨と銀朱、銅貨などが入っていた。今は金に興味は無い のでミュンに渡す。服なども穴を掘って埋めてしまおう。とっくに 324 火の消えた松明は川に流してしまえ。ん? これは剣か。男が腰に 吊っていた剣がある。 ︻ブロードソード︼ ︻鉄︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:3/9/7428︼ ︻価値:97500︼ ︻耐久:500︼ ︻性能:100−150︼ ︻効果:無し︼ 剣を手に持ってミュンを見上げる。 ﹁それはいただきましょう。今後の狩でも役に立つはずです。どこ かに隠しておけばそうそう見つかることはないでしょう﹂ そんなことを聞きたかったんじゃないんだがな⋮⋮。 俺達は粛々と男の遺品を拾い上げ、現金と剣以外は処分したほう が良さそうだったので穴を掘って埋めるのではなく、火魔法で焼き 尽くし、灰は水魔法で流して処分した。 全ての処分が終わった頃には俺はすっかり落ち着いており、この 男から連絡がなかったベグルがどう出てくるのか考え始めていた。 二人とも黙ったまま、家に帰る。家に帰った後、MPを使い切ろ ︼ うとして気がついた。なんとレベルが上がっていた。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 325 ︼ ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:6歳︼ ︻レベル:3︼ ︻HP:30︵30︶ MP:5242︵5380︶ ︻筋力:5︼ ︻俊敏:5︼ ︻器用:4︼ ︻耐久:4︼ ︻固有技能:鑑定︵MAX︶︼ ︻固有技能:天稟の才︵Lv.3︶︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.7︶︼ ︻経験:6098︵10000︶︼ つなぎ なんと、2600くらいの経験が入っている。あの連絡員ってそ んなに強かったのか? 確かレベルは12でHPは120ちょっと だったような気がする。天稟の才Lv.3で経験値は80%増しの はずだ。それを差し引けば1400あまり。あの男の本来の経験値 は1400ちょっとというところだろう。 とにかく、今度のレベルアップでは全部の能力が上がった。ひょ っとして戦闘で魔法は使ったが、直接ダメージを与えるような使い 方はしていないし、結局自分の手で殺したからだろうか? よくわ からん。 そういえばゴムの発表会からそろそろ2ヶ月が経とうとしている。 326 耐久性のテストは順調だ。 あとは親父の許しが得られれば量産に入れるな。 327 第二十五話 量産開始︵前書き︶ この世界の貨幣価値や相場についてご興味のある方は設定をご一読 ください。 328 第二十五話 量産開始 翌週、ゴムの耐久性のテスト期間が終了した。 どの製品も問題なく耐久性を発揮し、ゴム引き布、クッション、 サンダル、靴についての製品化をヘガードは許可した。スリングシ ョットとプロテクターについては見合わせるとのことだ。特にプロ テクターについては予定されていた斬りかかってのテストすらして いない。しかし、一度決定したことに異を唱えても仕方がない。俺 としては単価の高いプロテクターの製品化を望んだのだが、ヘガー ドは武具については製品化を許さなかった。しかし、武具の改良を 続けるよう指示を出したと同時に、ファーンとミルーに対してもゴ ムの生成を出来るように指導しろと言って来た。改良についてはと もかく、指導については全く問題ないので二つ返事で引き受ける。 しかし、一点解せないことがある。 ﹁父さま、村の他の人への指導は宜しいのでしょうか?﹂ ﹁うむ、その件については今晩の夕食後に皆に話をする。それまで はいつも通り稽古に励め﹂ そう言うと、今はもう終わりだとばかりに席を立った。領内の見 回りに行くのだろう。俺は釈然としないまま午前の魔法修行をして MPを使い果たすと昼まで休んだ。どうせ夕食後には話し合いの時 間があるんだ。 329 ・・・・・・・・・ 夕食後、ヘガードは家族全員を見回すと﹁今日はこれから少し話 すことがある﹂と言ってランプの火を点けたままにした。何のこと か解っていないファーンとミルーはお互いに顔を見合わせると、直 ぐにヘガードに向き直る。シャルは予め大体の話を聞いていたのだ ろうか、落ち着いた様子のままいつもと変わらずに微笑んでいる。 ミュンが紅茶のような味のする豆茶を用意し、それが全員に行き渡 るまでヘガードは待つつもりのようだ。もうミュンを疎外する必要 を感じないので俺も黙って最後の俺のお茶が用意されるまで待つ。 俺のお茶の用意が終わるとミュンは一礼して退室した。帰るつも りなのかどうかは判らないが、俺がミュンの方をちらりと見るとミ ュンは薄く微笑みを返してきた。 ﹁さて、これから話すことは既に俺とシャルで話し合って決めたこ とだ。だが、ファーンやミルー、アルももし別の意見があれば言っ てもいいぞ。場合によっては考え直すからな﹂ ヘガードはそう言うとまた全員の顔を順に見ていく。 ﹁もうわかっていると思うが、今日がこの前アルの言っていたゴム 製品の耐久性を見極める日だ。まぁ、使っている奴らにはちょくち ょく様子を聞いていたから最終的に問題になることはまず無いとは 思っていた。予想通り問題は無さそうだから幾つかのゴム製品につ いてはバークッド村で生産し、他の街へ売りに出す事にした。売り に出す製品はサンダル、靴、ゴム引き布、クッションにした﹂ 330 そこまで言うと、へガードは一口お茶を飲み口を湿らせた。 ﹁スリングショットや鎧については今回は見送る。その理由は今後、 ゴム製品はバークッドの基幹産業になるので、もう少し完成度を高 めると同時に、そろそろ起こりうる次の出陣で実際に使ってみてそ の優秀性を証明したほうが高値がつくと思ったからだ。あー、つま り、ゴムを使った品々はこれからバークッドがどこに出しても自慢 できるくらいの名物になっていく。だから、もうちょっと使えるよ うにいろいろ工夫して、更に次の戦で実際に使ってみて、ゴムの武 具が良い物であることを知らない人達に見て貰ってから売る、とい う事だな﹂ さっきから良く解っていない顔をしていたミルーにも理解できる ように言い直したようだ。しかし、そんな事を考えていたのか⋮⋮。 ﹁サンダルやゴム引き布は使ってみると直ぐにその優秀性に気づく。 実際に売りに出してみないことにはなんとも言いづらいが、俺とシ ャルはそう考えた。ある程度高い値を付けるつもりだが、それでも そこそこ売れるだろう。農奴はともかく、平民なら手が出ないよう な金額にはしないつもりだ。まぁ、実際にいくらで売るかはまだ何 も案がないから、これから詰めていくんだがな⋮⋮。だが、命を預 けることになる武具はそうはいかん。まさか売りに出すたびに実際 に斬りつけて、試して貰う訳にも行かんしな。だから、武具につい てはこれからも更に改良を重ねた上で次の戦に持っていく。いい加 減、そろそろお声がかかってもいい頃だしな。そこで見せつけた上 で、場合によっては他の貴族たちにその場で売り込んでくるつもり だ﹂ コンバットプルーフ なるほど、武具については実戦証明付きで売り込むつもりなのか 331 ⋮⋮。俺はそこまでは考えていなかった。人の多い大きな街でサン コンバットプルーフ プルの鎧でも用意して斬り付けて貰えば充分だろうと高をくくって いた。しかし、実戦証明とかよく思いつけたな。この考えはヘガー ドなのかシャルなのか、又は二人で相談しているうちに出てきた物 なのかは知らないが、うちの両親も伊達に領主をしているわけじゃ ないな。それに、商売っ気についても大したもんだ。 ﹁そこで改めて言うが、良く覚えて置いて欲しいことがある。それ はな、ゴム製品についてはいくつか秘密がある。その秘密を家族以 外には絶対に漏らしてはいけないということだ。今でも幾つか秘密 があるが、製品が増えていけば今後も秘密は増えるだろう。他の事 なら良い意見があれば聞くが、これはもう決めたので変更はない。 グリード家の決め事だ。いいな﹂ 全員が頷いた。 ﹁ゴム製品の作り方はアルから聞いて大体分かっているつもりだ。 今から話すが間違っていたら訂正してくれ﹂ ヘガードは俺の方を見ながら言うと、ゴム製品を作る手順を説明 し始めた。特に間違っていなかったので途中で口を挟むことはしな いで済んだ。俺の説明とゴム製品のサンプルを触っただけでよくこ こまで正確に説明できるな、と思ったが、ヘガードは領主としてそ れだけ真剣だったのだろう。単にぼーっと聞いていたわけではなか ったことが良く解ったし、へガードの理解力も大したものだ。 ﹁要するにゴムを作るのに、本来は魔力は必要ない。きちんとした 手順を踏み、時間をかければ誰にでも作れる。だが、一番時間を食 う乾燥の時は魔法を使ったほうが数段効率がいいことは解るな? それと、樹液だけでなく炭の粉と北の山の黄色い石の粉を混ぜてい 332 くと弾力が増し、更に加えていくと最終的には硬くなってエボナイ トになる。混ぜものがあることは誰にでも予想がつくだろうし、そ れが何を混ぜているのかもこれから沢山作って行き、使う材料も増 えていけば隠すことは出来ないだろう。しかし、どのくらいの割合 で混ぜるといいかというのとその混ぜ方は秘密だ。いいな﹂ また全員が頷く。なるほど、まぁ混合率や手順を秘密にする方が いいか。他の要素についてはヘガードが言う通り秘密にしたくても 無理だろうしな。その後、ファーンとミルーには明日からゴムの製 法を学ぶようにとお達しがあった。同時に俺にはゴムの生産量を増 やすように言われた。これは従士達を中心に人を使って良いとのこ とだったので、あまり手間はかからないだろう。 ゴムの樹液を出すパラゴムノキは俺が知る限り265本ある。俺 は今まで主に手間の問題から30本の木からしか採取していなかっ たが、話し合った結果、採取する木を200本にまで増やすことに なった。後の木は種を取り、別の場所に植えてゴムの木を増やす為 に使うのと、使い切らないように取り敢えず何もしない、というこ とになった。 いい加減時間も経ち、子供達が眠くなったのを見て取ったのだろ う、この日はこれで寝ることになった。 ・・・・・・・・・ ゴムの採取は上手く行き、生産量も格段に増えた。まぁ樹液を取 333 ってきて木炭と硫黄を粉にして、混ぜるだけだし、そうそう失敗が あるわけもないが。混合率についても、俺が纏めたメモを作ったの で間違えようがない。2ヶ月をかけてゴム底の革ブーツ20足、ゴ ムサンダル100足、1m幅のゴム引き布が50m分、ゴムクッシ ョン10個が完成した。ゴム自体は生産量の半分位しか使っていな い。 すべての品質を確かめたヘガードは数人の従士と珍しいことにシ ャルを連れてドーリットの街まで売りに行くそうだ。場合によって は侯爵領の首都であるキールまで行くかも知れない、との事だ。向 こうでどのくらいの時間を過ごすつもりかは判らないが、直接売る となるとどのくらいの時間がかかるのだろうか? 今になって売れ なかったらまずいな、と思い始めてきたが、冷静に考えれば売れな いわけがない。だが、ここまで棚上げにしてきた問題について指摘 しないわけには行かないだろう。 ﹁父さま、それぞれの値段は決めたのですか?﹂ 思い切って聞いてみる。あまり高いと売れないだろうし、安いと 売れたとしても家畜を買ったり維持する費用が出ない。 ﹁ああ、既に決めた。サンダルは10,000ゼニー、靴は30, 000ゼニーで売る。布は1mで5,000ゼニー、クッションは 1個20,000ゼニーだ﹂ ああ、畜生。どれくらいの価値かわかんねぇ。 ﹁なるほど、因みに馬は一頭でどの位の価格なのでしょうか?﹂ ﹁そうだなぁ、家にある程度の荷駄用の馬なら一頭で六百万ゼニー 334 というところだな。俺が乗っている戦争にも使えるような軍馬で一 千万ゼニーくらいだろう﹂ は? なら、今の在庫全部予定通りの値段で売れても二百万ちょ っとじゃねーか。ぜんぜん足りねぇよ⋮⋮。うーん、馬の値段はも ともと貴重な動物なので高いらしいのは判る。だが、ゴムの価格が 判らん。だいたい、1ゼニーってどのくらいの価値よ? ついに経 済感覚が無いことが問題になったな。 ﹁あのう、皮サンダルは普通どのくらいの値段なのでしょうか? あとブーツも﹂ ﹁ん∼、そうだなぁ、サンダルはだいたい3∼5,000ゼニーく らいだろうな。ブーツも今回と同じような出来のもので12∼15, 000ゼニーと言ったところだろう﹂ なるほど、よくわからんな。だが、ゴム製品と比較対象になるよ うな既存の製品の倍かちょっと高いくらいというのが安いと言うこ とはわかる。 ﹁アル、お前が心配していることはわかる。これでは安すぎると言 うのだろう? だが、心配するな。これは最初だけだ。すぐに沢山 売れるようなら、ドーリットでの商売は止めてキールにいって5倍 くらいの値段で売ってみるつもりだからな。大丈夫だよ﹂ そう言うとヘガードは俺の頭を撫で、荷物の積み込みを見守った。 うーん、流石に5倍はどうなのよ? 335 ・・・・・・・・・ 三週間が経った。ヘガード達はまだ帰ってこない。両親がいない のでのびのび出来ると踏んでいた俺たち兄弟だったが、従士長のベ ックウィズ・アイゼンサイドが毎日昼には必ず来て俺たち三人を拉 致して強制的に従士達の剣の稽古に放り込まれる。俺は元々素振り しかしていなかったのであまり問題は無いが、ファーンとミルーは 思い切り扱かれている様だ。 あとで聞いてみるといつものヘガードが指導する稽古よりは楽ら しい。おいおい、じゃあいつもはどんだけ扱かれてるんだよ、と思 わずにはいられなかった。俺もあと何年かしたらあれに混じるのか と思うと気が滅入るな。だが、それもまた必要なことだし、致し方 ない。 つなぎ なお、この前始末した連絡員以降、新たにコンタクトを取ってき た者はまだいないそうだ。あれから約3ヶ月、次の動きがあるとす ればそろそろじゃないかと思うと、おちおち夜に狩にも行けない。 実際、あれからはまだ2回しか狩に行っていない。使いたいときに 腕輪の魔力が無いと言うのだけは避けたいし、これは仕方の無いと ころだと妥協するしかない。 336 第二十六話 濡れ手に粟? 数日経った昼過ぎ、剣の稽古を始めてから小一時間程した頃にヘ ガード達が帰ってきた。空になった馬車にへガード以外全員乗って 帰ってくるのかと思っていたら、そうではなかった。馬車の荷台に はまだ荷物が載っているようだ、あまり売れなかったのだろうか。 心配になった俺は剣の素振りも放り出してヘガードに駆け寄りなが ら問いかける。 ﹁父さま、あまり売れなかったのですか?﹂ 騎乗したヘガードにそう問いかけた俺は、きっと悲壮な顔をして いたのだろう。ヘガードを始め、御者台に掛けているシャルとボグ スも俺を見ると慰めるつもりだろうか、何とも言えない顔で笑いか けてくる。 あっちゃ∼、失敗したかな? ある程度期待していただけに落胆 の色も顔に出たのだろう、俺は自分の表情が固くなるのを意識しな がら、それでもゴムの評判や改良しなければならない点に思いを馳 せつつも続いて尋ねる。 ﹁どこがまずかったか教えてください。すぐに改良にかかります﹂ そう言う俺を馬車の傍らで護衛に付いていたショーンが抱き上げ るとヘガードに預ける。ヘガードはショーンから俺を受け取ると、 にっこり微笑みながら ﹁全部売れたさ、追加の注文も貰ってきた。それに、お前が喜びそ 337 うなものも買って来た。さぁ、荷物を降ろしたら報告会だ。これか ら忙しくなるぞ!﹂ なんと、全部売れたそうだ。荷台に乗っていたのは売れ残りの在 庫ではなくて、買ってきた別の品物らしい。ホッと胸を撫で下ろす。 今日はこのまま従士を集めてゴム販売の報告会になるらしい。 ・・・・・・・・・ ﹁全員集まってるな。早速だが、今回のゴムの販売について皆に知 らせようと思う。また、同時に今後の村の方針について考えがある のでそれも聞いて貰いたい﹂ 従士全員を庭に集めるとヘガードはそう言って全員を眺め回した。 ここには家族と従士全員、それに従士の跡取りで既に成人している 者全員が集まっている。端にミュンもいる。全員が地べたに座り込 み、前で立っているヘガードに注目している。ヘガードの後ろには シャルとボグス、ショーン、ジムが立っている。今回の商売のメン バーだ。 ﹁まず、最初に言っておくと、今回用意した製品は全て売れた。因 みにドーリットではサンダル二足とゴム引きの布1mだけ売れた。 と言うか売った﹂ 用意した製品が全て売れたという言葉で全員の顔に笑みが浮かぶ が、ドーリットで売れた数があまりにも少ないので訝しむ声もあが 338 る。だが、ヘガードは﹃売れた﹄ではなく﹃売った﹄と言い換えた のだ。どういうことだろう? ﹁俺たちはドーリットに到着すると、まず﹃サグレット商会﹄に行 って見た。村の特産品を露天売りしたかったからな。それから、ド ーリットの領主のキンドー士爵への顔出しと領内での商売の許可を 取りに行った。どちらもバークッドの特産品と聞いて農産物か何か だろうと思ったらしく、簡単に許可が貰えたし、税も免除して貰え た。だから中央通り沿いに馬車を停めて早速売り出してみた。最初 なので様子を見るために予定通りサンダル一足で10,000ゼニ ーだ﹂ ヘガードの後ろに立っているメンバーが面白そうにニヤニヤして いる。 ﹁ドーリットに着いたのは夕方だったから、商売の許可を取ってか らちょっとだけ売って夜には宿に入ろうと思っていたんだ。だから 店は皆に任せて俺は宿を取りに行った。すぐに引き返して店を開い た場所に戻ったんだが、まぁ当たり前だな。誰も見向きもしていな かったな﹂ ヘガードもそう言うとニヤッと笑った。 ﹁仕方ないのでその後ちょっとして店を畳んで⋮⋮と言っても荷馬 車を宿まで移動させただけだがな。その日は休んだんだ。そして次 の日、朝からまた同じ場所で店を開いた。板を用意してシャルが値 札まで書いてな⋮⋮﹂ それを受けてにやけながらショーンが言う。 339 ﹁何でしたっけ、ああ﹃超高級サンダル 特価 10,000Z﹄ とか書いてましたね﹂ 皆は何が面白いのか解らないようで、ぽかんと聞いているだけだ。 俺も何がそんなににやつく要素があるのか全く解らないので同じよ うにぽかんとしていた。 ﹁昼くらいまで全く売れなかったなぁ。俺たちもいい加減売れない から全員荷馬車に寄りかかって座り込むようになってきた頃だ。そ こにキンドー士爵が通りかかったんだ。士爵は多分、田舎から村の 特産品を売りに出てきた俺たちにお情けを掛けて少しでも買ってや ろうとして、わざわざ足をお運びになったのだと思う﹂ 今度はボグスが言う。 ﹁ああ、あれは完全にそういう目でしたね。キンドー様はお優しい 方なんだと思いましたよ﹂ ﹁全くそうだな。だが、俺は辛かったぞ、気の毒な人間を見るよう な表情で﹃超高級サンダル⋮⋮10,000ゼニー⋮⋮ふむ、頑張 ってご商売下さい⋮⋮﹄そう言って銀貨を1枚俺の手に握らせたん だ。あの時の気持ちは⋮⋮言葉に出来ん﹂ シャルが口を抑えながら言う。 ﹁でも、その後、凄かったじゃないの﹂ ﹁ああ、確かにあれは凄かったな。と、話がそれたな。とにかく昼 くらいに初めてキンドー士爵がサンダルを一足買ってくれた。その 後は朝と同じでさっぱり売れなかった。と言うより足を停めて見て 340 くれる人はそれなりにいたんだが、値札を見て呆れた顔つきをして 通り過ぎて行ってたな。俺達も、こいつは厳しいな、と思い始めて いたんだ。だが暫くしてキンドー士爵が今度は馬に乗ってやってき た。馬から急いで降りると慌てて言ったんだ﹃残っているサンダル を全部くれ﹄ってな﹂ それを聞いて皆がガヤガヤとしだす。俺もちょっと吃驚した。全 部くれ、だと? ﹁それを聞いて俺とシャルはピンと来た。やはりゴムは売れるって な。だが、相手は無税で商売を許可してくれたご領主様だ。どうや って断ろうかと思っているとシャルが言ったんだ﹃キンドー様、サ ンダルは殆ど全てキールにて売り先が決まっております。あと一足 で店仕舞いをしようとしていた所なのです。申し訳ありません。で すが、お詫びと言ってはなんですが後一足サンダルをご購入頂ける のでしたら、こちらのゴム引きの布を1m無償にてお分け致します﹄ ってな﹂ ヘガードはおどけてシャルの口真似をしながらその場を再現する。 ﹁しょうがないでしょう? やっぱり見る人が見れば物の価値とい うのは見抜かれるものだわ。あの場を切り抜けるのに他に言いよう がなかったのよ。それに、ゴム引き布だったら色々な使い道を向こ うが考えてくれると思ったのよ﹂ ﹁そうだな、お前の言う通りだよ。あそこでは俺が言うよりも角が 立たなかっただろうし、ゴム引き布をおすそ分けすることもいいア イデアだった。⋮⋮とにかく、俺たちはサンダルを追加で一足売り、 ゴム引き布を1m分だけ無償で渡した。まぁ税だと思えば良いし、 帰り道に寄ればいいと考えたんだ。で、直ぐに店を畳み宿を引き払 341 って逃げるようにしてキールを目指したんだ﹂ 皆は﹁サンダルって100足あったんだろ、なんで全部売っちま わなかったんだ?﹂とか﹁全部売れたら⋮⋮︵指を折って計算中︶ ⋮⋮ひゃ、百万ゼニーかよ、金貨じゃねぇか!﹂とか言って騒いで いる。俺は逆に、また両親を見直した。一気に売れるチャンスを棒 に振ってまで更に大きな商売に賭けたのか。これはなかなか出来る ことじゃないだろう。特に田舎領主で商売というか、商機に疎そう だった両親だと思っていたのだが、やはり先日の件は本物だったと 言ってもいいのだろう。偉そうに評している俺だが、精神年齢は5 0を超え、食品商社で20年近くを過ごし、中間管理職をやってい たのだ。正直な話、両親を舐めすぎていた。改めないとな。 ﹁で、それからは途中の街でも商売には手をつけないでキールまで 行ったんだ。その間、俺たちは皆で何度も相談した。どこにどうや って持っていったら高く、継続的に売れるだろうってな﹂ うーん、これはますます見直さないとな。どこに持っていったら、 というのは誰でも考えるが、ここでは﹃どうやって﹄持っていった らまで言及されているし﹃継続的に﹄というのも素晴らしいな。基 本的な商売の仕方は心得ていると言ってもいいだろう。いずれ貸借 対照表などの経理的な概念や決算などについても教える時が来るか も知れない。転生してまで収益性分析とか面倒だなぁ。 ﹁それでだ。俺たちはいろいろ話し合った。それこそ頭が茹だって 煙が出るほどにな。なにしろ、キンドー士爵が慌てて全部買い占め に来るぐらいの代物だ。作れる数も限界がある。出来るだけ高く売 りたいじゃないか。そうすれば皆の生活も豊かになるしな。俺たち は道すがらああでもない、こうでもないと知恵を出し合った。そし て、考えついたのはウェブドス侯爵に直接売るか、侯爵の弟が経営 342 しているウェブドス商会に売るかしかない、と結論づけた。どっち も一長一短がある。侯爵に直接売る場合には税を払う必要はない。 代金をその分上乗せすればいいんだからな。だが、売れる数はわか らん。軍に採用されれば継続的に販売できるかも知れん。商会に販 売すれば税が必要になる。あまり高くすればその先での一般に販売 する際には更に高額になるので売れ行きがどうなるか予想がつきに くい。だが、商会は侯爵領だけでなく王国全土に販路を持っている。 上手くいけば買ってもらえる量や継続性は侯爵に直接販売する場合 の比では無くなるかも知れん﹂ 皆はまた黙ってヘガードに注目している。ヘガードはそれを確認 するとまた口を開く。 ﹁持っていく先は二箇所まで絞れた。取り敢えず、俺達は侯爵に直 接売り込むことに決めた。どちらにしろ侯爵にお目通りは願わねば ならんしな。直接の売り込みに失敗しても次に商会の方へ行けるか らここは安全策を取ったんだ。で、持っていき方だが、単に﹃バー クッドの特産品﹄と言うと軽く見られてしまうことはドーリットで 判っていたから、それを考えた。もう既に皆が知っている通り、ゴ ムはいろいろな使い道がある。結果としてバークッドの特産品では あるがそれは大きな声で主張するまでもない。そこで考えた結果だ が、お年を召した侯爵に直接良さを訴えても難しいであろうと思い、 ここは搦手から行くことにした。俺達はまず最初にセンドーヘル様 の所にお伺いした﹂ センドーヘルって誰だ? ﹁皆も知っていようがセンドーヘル様は侯爵のご長男で3年前に騎 士団長に任ぜられている方だ。まだお若いが確かな剣の実力もあり 侯爵も跡取りを公認している。家のファーンの事もあるから、最初 343 にお目にかかっても失礼ではないしな。ファーンの騎士団への入団 のお願いと併せてさりげなくゴム製品の紹介をしたのだ。センドー ヘル様は流石にお目の高い人だった。直ぐにゴムを気に入ってくだ さった。皆の者、聞いて驚け、騎士団の正規装備品として継続採用 を約束して下さったぞ!﹂ おお、そんな事があったのか。しかし、それはすごいな。皆も興 奮を隠せないようでざわついている。しかし、やはり喜びが大きい のだろう、笑みが溢れている。 ﹁サンダルは騎士や従士の訓練用の装備として一足40,000ゼ ニーで納入する。ブーツは騎乗時と実戦用として一足190,00 0ゼニーで納入する。但し、ブーツについては今の豚革ではなく鞣 して二重にした豚革にしなければならない。また足の甲にプレート を取り付けるのでその固定用のバンドも一緒だ。ゴム引き布につい ては1m四方辺り30,000ゼニーで納入する。但し、これにつ いては注文時に大きさの指定があるそうだ。クッションは馬の鞍に 合わせた形に広げてもう少し薄く作れるなら1個250,000ゼ ニー、持っていったものと同じものなら100,000ゼニーだ。 但し、こちらも条件があり、クッションの表面はゴムのままではな くゴム引き布で全体を覆う必要がある﹂ 全員度肝を抜かれて声も出ない。俺も声も出ない。5倍くらいで 売ってくるって言ってたじゃん。サンダルなんか普通の皮製で3∼ 5000ゼニーくらいなんだろ? ブーツもいいとこ15,000 ゼニーだって言ってたはずだ。10倍以上じゃねぇか。ボッタくり もいい加減に⋮⋮いや、いいのか? ﹁なお、これらは今後継続して半年ごとにサンダル300足、ブー ツ100足、ゴム引き布は取り敢えず幅1m長さ200m分、クッ 344 ションは早期に鞍用30個、普通のもので20個の注文だ。全部で 4650万ゼニーだな﹂ ⋮⋮。農耕馬買えるじゃん。 345 第二十七話 増産︵前書き︶ このゴムの商売って、ブーツ代と布代しか仕入れにお金がかかって ないですから原価率考えたらぼろ儲けですね。 まぁ人件費を考えればもっと原価は上がりますが⋮⋮人件費安いだ ろうなぁ。 私も一度でいいからこんな粗利稼げる商売してみたいですわ。 346 第二十七話 増産 ﹁今回持って行った製品は全てウェブドス侯爵の騎士団に販売した。 合計で900万ゼニーで引き取って貰えた。多少値引きはしている が、これは現時点で持っていった品物は先方の要求を完全に満たし ていないので、その分割り引いたから少し安くなっている﹂ えーと、サンダル98足、ブーツ20足、布49m、クッション 10個だっけ? 俺一人で適当に作ったものがそんなに高く売れた のか⋮⋮。馬一頭数百万ゼニーだそうだから、あの程度で馬一頭買 っていくらかお釣りも来るということか。最初に心配していたこと が馬鹿みたいな売上だ。 ﹁今回の売上で今後ゴムを作っていくためにいろいろ必要だと思わ れる道具を買ってきた。センドーヘル様のお声掛かりもあって少し 安く買えた。買ってきたものがこれだ﹂ ヘガードはそういうと振り返って荷馬車に被せてあった布を引き 剥がした。荷馬車にはかなりの荷物が載っているように見えていた が、カバーを外されて中身を見ても良く判らないものが多い。袋開 けなきゃ中身わかんねぇよ。まぁ袋以外にも金属製の鍋や釜のよう なものも見えるし、なんだろうな。 ﹁これはキールで廃業した鍛冶屋から設備を買ってきた。他にゴム を流し込むための鍋やゴムを作るのに必要な桶も買ってきた。あと は、分解してあるが、犂も1つ買ってきた。犂は後で組み立ててう ちの馬の1頭を使って畑を耕すのに使う。必要な奴は言って来い。 まだ料金は決めてないが、馬ごと貸し出すぞ﹂ 347 ヘガードが自慢げに言うと犂のあたりから皆から歓声が上がった。 うえー、犂と馬貸し出すのに金取るのかよ、と思ったが、無償で貸 し出すと順番とかで揉めるかもしれないし、貸し出しの金額を安く 設定すればあまり問題にはならないだろう。とにかく、これで農業 に家畜を導入する事が出来るようになったわけか。経緯はどうあれ、 目標を達成することが出来たのには満足感があるな。 ﹁犂については明日以降詳しく発表する。それと、最後に一つ話を しなければならん。今のところゴムについては家のアルが作ってい るが、これからは作る数も増えるし、かなりの力仕事も必要になる。 だから手伝いの為に人を増やさねばならん。当面は最初の注文分を 作らねばならんし、やることは多い﹂ ヘガードはそう言ってまた皆を見回す。 ﹁テイラー、エンベルト、アルノルト⋮⋮あとは、そうだな。ダイ アンと⋮⋮ミュンだな。ダイアンは今は居ないが、後で伝えてくれ。 明日からアルにゴムの製造について学べ。既にファーンとミルーが 学び始めているが、細かい内容についてはファーンから明日説明さ せる。いいな。あと、当然だが、給金も出すぞ﹂ 呼ばれたのは従士の息子や娘だ。ミュンだけが20代だがあとは 全員10代で若い面子だ。エンベルトとダイアンは今年成人したば かりの15歳だし、アルノルトも17歳でまだまだ若い。ドワーフ なのでちびで髭が生えているが。テイラーは19歳でミュンを除け ば一番年上だが、日本の常識で言えば社会人としては小僧にもなっ ていないような年齢だ。だが、若いということは頭も柔らかく、覚 えはいいだろう。せいぜい鍛えさせて貰おう。 348 ﹁それと、この商売が軌道に乗れば⋮⋮上手くいっても3∼4年は かかるだろうが⋮⋮約束は出来んが俺はこのゴム製品の製造につい て最終的に村の産業にしたいと思っている。ゴム製造について今後 も皆の手を借りると思う。そうなったときにはこの中でも農業を辞 めてゴム製造に専念して貰う奴も出ると思ってくれ﹂ 皆は素直に聞いていたが﹃農業を辞めて﹄のあたりで不安そうな 顔をするものもいた。先ほど呼ばれた若手とその親達のようだ。素 直にゴム製造に関わったほうが幸せだと思うよ。 ﹁あとは何か質問はあるか?﹂ ヘガードは話はこれで終わりだ、とばかりに締めにかかった。す ると何人かから手があがる。ヘガードは従士長のベックウイズを指 名した。 ﹁あのぅ、結局帰り道にキンドー士爵の所には寄られたのでしょう か? 先ほどお伺いしたご様子ですとキンドー士爵もゴムの注文を したがっていると存じますが﹂ それを聞いてヘガードを始め、立っていた全員の顔色が変わった。 まさか⋮⋮な。 ﹁あ⋮⋮その⋮⋮。忘れてた。まずいな⋮⋮俺が行かないとダメだ ろうしな⋮⋮。明日またドーリットまで折り返してくる⋮⋮﹂ ・・・・・・・・・ 349 その日の晩、ヘガードはまた食事の後で話をした。 ﹁ファーン、ミルー、ゴムは作れるようになったか?﹂ ﹁はい、ですがまだアルの用意してくれたメモが無いと作れないと 思います﹂ ファーンが言う。そりゃそうだよ。ラテックスの採取からやって るんだし、まだ三ヶ月くらいだしな。 ﹁そうか、ならば明日はアルがラテックスの採取から指導してやれ。 ああ、指導するのはテイラー達にだぞ。ファーン。お前は一日も早 くゴムを一人でも作れるように、完全に混ぜ物の割合を掴める様に なる事が当面の目標だ。お前は来年か再来年にもウェブドスの騎士 団に入団するのだから、その前には完全に出来るようになっておけ よ﹂ ヘガードはそう言うと今度はミルーに向かって言う。 ﹁ミルーは魔法でのゴムの乾燥は出来るようになったか?﹂ ﹁はい、父さま。もう出来る様になりました。アルにももう大丈夫 って言われたんだから﹂ うん、ミルーは風魔法以外全部使えるから効率は俺ほどではない が問題なくゴムの乾燥が出来る。 ﹁よし、アル、明日から頼むぞ。三ヵ月後には馬も何頭か買えるだ ろうし、厩舎の増築も必要だ。厩舎の増築はあと10日もすればド 350 ーリットから職人が来て取り掛かるはずだ。皆、失礼の無いように な。グリード家全体が舐められるぞ。職人達は厩舎の増築の前にゴ ム製造のための小屋も建ててくれるように発注してある。小屋の場 所は川沿いの空き地だ。アルは使いやすい小屋を考えて置けよ。そ れを俺から職人達に伝えよう﹂ ﹁はい、父さま。わかりました。あと、質問があるのですが、いい ですか?﹂ 俺は自分の中で興味のあった鍛冶道具について聞きたかったのだ。 ﹁ん? なんだ?﹂ ﹁鍛冶道具ですが、バークッドで誰か使えるのですか?﹂ ﹁大体のところは俺がわかる。あとはお前が何とかしろ。人を使っ てもいい﹂ ﹁え? 僕?﹂ 意外だった。だが、物は考えようだ。ヘガードが基本的なところ が分かっているならそれを聞いて魔法でなんとか出来ないだろうか ? いやいや、出来れば儲けものだ、くらいに考えておかないとな。 ・・・・・・・・・ 351 翌日、ヘガードは朝早くから再びドーリットへ向かった。俺は朝 のMP消費からの休息を経て昼過ぎには庭に集まったメンバーを前 にしていた。取りあえずゴムノキの場所まで採取に行く。全員農作 業や剣の修行などで鍛えられているので片道2時間程度の道のりな ど物ともしないようだ。尤も俺の脚で2時間なので大したことは無 いのは本当だろうが。 ラテックスの採取法を教えながら実地で採取をしていく。既に2 00本のゴムノキに小さな桶を設置してあるのでその桶の内容物を 集めるだけだ。集めると同時に木の幹に新しい傷を付けるのだが、 過去に付けた傷跡も残っているので迷うようなことはない。慣れて いないとは言え、流石に何人もでやれば順調に採取が進み、あっと いう間に終わってしまった。 その後、採取したラテックスを村まで持ち帰り︵ラテックスは2 00本の木から10日あたり40Kgくらい採取出来る。ゴムに生 成すると半分弱になる︶ファーンとミルーに渡して終了だ。今日は もう夕方なので、ファーンとミルーはラテックスに混ぜる木炭と硫 黄鉱石を魔法で粉末にしていたが、実際に混ぜて各種ゴムを生産す るのはまた明日だ。 翌日はゴムを精製し、型に流し込む作業だ。こちらも大して難し い仕事じゃない。型は既に用意してあるのだから、溢れないように 注意して流し込むだけだ。流し込んだら俺達姉弟で順に乾燥の魔法 を掛けていく。ゴム製品がどんどん出来上がる。一人でやるより兄 弟3人の方が効率は良くなっていたが、人数が増えて更に効率は良 くなった。 ラテックスさえあれば騎士団への納入品は実質10日もあれば作 れるんじゃないか? 一番手間がかかるのが、ゴムの使用量が一番 352 少ないブーツというのもなんだかなぁ、という気持ちになって来る が、これは仕方が無い。ブーツ自体は作れないからな。村でも豚を 潰した時には皮でいろいろ作ったりするのだが、ブーツを履いてい る、いや、履けるような余裕のある人間は家の両親だけだし、製造 ノウハウがないのは仕方ない。取りあえず今はブーツの中敷と底、 プレート取り付け用のベルトをちょっとだけ作っておくに留めた。 ヘガードが買ってきたブーツを改造してゴム底を取り付けやすくし たりする、地味に面倒な作業については一足だけ見本でやってみて 後はテイラーとエンベルトに任せた。 彼らにゴムの特徴や上手な型への流し込み方などを説明している だけでも時間はどんどん過ぎていく。人に教えていると急速に時間 が経つのは本当だよな。 ・・・・・・・・・ ヘガードも戻り、キンドー士爵の追加注文も受け、ゴムの作業小 屋や厩舎の増築も進んでいく。今のところ問題はない。と油断して いた。 つなぎ そんなときにミュンから報告があった。ドーリットからの大工職 人のなかに連絡員が居るらしい。 そう言えばそうだった。職人達の作業はまだ終わっていない。ま た殺したら面倒なことになるだろうか? ミュンに聞いて相手を特 定して鑑定してみた。何だよレベルは6か。いつも口を半開きにし 353 て頭も回らなそうな顔つきだ。まだ日は高いし、どうやって始末し たものだろう。夜まで待つか? 354 第二十八話 見送り つなぎ さて、連絡員の始末を決心した俺だったが、その方法については 全くいいアイデアが浮かばない。殺すこと自体はいつでも出来るが、 今はゴム小屋建設と厩舎の増築中だ。下手に始末すると当然騒ぎに なる。前回のようにいついなくなっても不思議のない冒険者兼護衛 ではないのだ。 つなぎ 連絡員などをやっているということは当然まともな人間ではない のだろうが、この工務店︵?︶で恒久的に雇っている人間か、臨時 雇いかの判断もつかない。どちらにしろ請け負った作業中に失踪す る可能性は低いだろうし、残された職人達の作業負担も増えるので 捜索もされるだろう。 いくら遺体を水に変えられると言っても何の理由もなく失踪した 人間の捜索はバークッド村のレベルでもそれなりに徹底的に行われ てしまうだろう。と、そこまで考えてやっと気づいた。誰も見てい ない、もしくは見られていない環境で始末するから失踪扱いになる のだ。白昼堂々、事故に見せかけて殺すことは出来ないだろうか? つなぎ 何だか考え方が殺し屋のようになってきている。が、これはもう 決めたことだ。前回の連絡員を処分したときに多少なりとも思うと ころはあったが、ミュンはまだまだ俺には必要な人間だ。いままで 世話してもらい、寝るときを除いて一緒に暮らしてきた情もあるの だ。 見ず知らずの人間、しかもデーバス王国に加担する連絡員などを 生業としている奴とミュンだったら比較にすらならないし、とっく 355 に腹は決まっている。これから俺が人生を賭けてやろうとしている 事を考えたら別にどうと言う事はない。よし、事故に見せかけて処 分しよう。失敗は許されない。一撃で処分できなければ事故に見せ かけるチャンスは二度と無いと思うべきだ。外傷を付けて殺すのも まずい。屋根や梁の作業中に転落死させる方がいいだろうか。いや、 屋根の高さは4∼5mと言ったところだ。落ちたくらいでいきなり 死ぬとしたらよほど運が悪くないと無理だ。 だとするとどうするか? 水と地魔法を組み合わせて遅効性の毒 を作るか? ふぐをイメージすればテトロドトキシンくらいは作れ そうだ。だが、作ったとしてどうやって摂取させる? 食い物に混 ぜ込むのは職人全員が同じスープを食べているから困難だしな。転 落死+アルファでなにか出来ないだろうか⋮⋮。 ・・・・・・・・・ こんなことばっかり考えていると心が荒んで来るな。出たとこ勝 負を掛けるにしても不自然な点が多ければ問題だし⋮⋮。ゴムの作 成の監督的な仕事をしながらこんなことを考えていた。 今はダイアンとミュンがゴム板からブーツ用のゴムベルトを切り 出している作業中だ。その傍ではファーンが型にエボナイトの原料 を注ぎ込んでいる。あの大きさはベルトの留め具になる部分の型だ ろう。四角いリング状の小さな型に手桶から慎重にエボナイトの原 料を注いでいる。 356 テイラーとエンベルトはミルーがすでに混ぜ込んだ木炭と硫黄の 入った硬質ゴムの素の桶を撹拌している。アルノルトはミルーと一 緒にブーツの底の形に切り抜いたシートを貼り合わせてソールを作 っているようだ。作業は順調だ。手持ち無沙汰は俺だけのようだ。 ちょっと気分転換に実験でもするか。 母屋の作業場に使っている倉庫に移動して地魔法で土を作り出す。 レベル3程度の地魔法を使ってバケツ一杯分くらいの量を作り出す 傍から無魔法を使って土にふるいをかけるように土くれを選別して いく。何をしているかというと、せっかくなので魔法で作った土か ら鉄分が取れないか実験しているのだ。土くれの中には多少の鉄分 があってもおかしくないだろうと考えてのことだが、俺の考えがお かしいのか鉄分はほぼゼロに近い。 感覚的には高さ1mの10m四方程度の土から取れる鉄は僅か2 g程だ。こんな僅かな鉄を作り出すのに使うMPはものすごい量が 必要になる。まず10m四方の土を作り出すにはレベル5の地魔法 で大体6回くらいだ。これだけでMPは30も使ってしまう。この 量をレベル3の地魔法で作ろうとしたら何百回と魔法を使わないと いけないだろう。なので今は鉄を取り出すことが目的ではなく、選 別を少しでも効率的に出来ないかの練習だ。 生み出した土を無魔法にかけて選別する時に使うMPだが、こち らは何と1000MP程も使ってしまう。1立方メートルを選別す るのにMPを10も食う計算になる。金属を作り出すのは多分俺以 外には誰も出来ないだろうな。俺でさえ朝昼晩頑張ったとしても一 日に数10g作れるかどうかだし。それよりも生み出した大量の土 を処分するほうが大変だ。魔法で消すにしても選別と同じくらいの MPを使ってしまうしな。生み出した土を処分することまで考える と一日10g、つまり百円玉2枚強くらいの量の鉄を生み出すこと 357 がせいぜいだ。 金属を直接生み出せる魔法があれば便利なんだが、そんなものが あったら武具はもっと安いだろうし、文明ももっと進んでいただろ う。ちなみに、鉄を選別する過程で金や銀、白金などの貴金属も選 別できないか試してみたが、こちらの方はさっぱりだった。全く出 来ないわけではないが、砂粒程度の貴金属が取れるかどうか、とい うところで、基本的に貴金属は取れないと思ったほうが良さそうだ。 だが、クロムやニッケルは多少だが取れる。ステンレス鋼の製造も 全く無理ではないだろうが量が少ないので現実的ではない。 ここ数日は金属の選別にばかり心を奪われている。それというの も中古の鍛冶設備をヘガードが入手してくれたからだが、俺に鍛冶 が出来るわけでもないのでこれは遊びの範疇を超えてはいない。お っと、かなり話が逸れてしまったようだ。 つなぎ こうして遊びながらもあの連絡員の処分について考え続けている。 だが、いくら考えてもいいアイデアは浮かばない。しょうがないな。 ・・・・・・・・・ つなぎ 数日後、川べりのゴム小屋の屋根の骨組みを作っているときに例 の連絡員が上に登るのを遠目で確認した。さりげなく近づいていく。 タイミングも重要だが、確実に息の根を止めなければならない。俺 は小屋を作っているのが珍しくて近くまで見に来た子供、という体 を装って興味津々、という顔つきをして近づく。この小屋の設備配 358 置のための基本的な間取り設計は俺がしているが、それを職人に伝 えているのはヘガードなので、職人達は俺を単なる子供としか見て いないはずだ。 建造中の小屋まで10m程の距離を置いて木材の切れ端に腰掛け て建造中の小屋を見上げる。親方を入れて8人の職人が臍と木釘で 忙しそうに組み立てをしている。上で作業をしているのはそのうち の5人だ。例の男が作業を続けながら梁の上を移動している。あと はタイミングを待つだけだ。そのまま数分経っても丁度良い位置に 来ない。 うーん。困ったな。だがまだ10分も経ってないし、このまま暫 く様子を見るか。 10分くらいが経過。まだだ。 さらに10分くらいが経過。お、また動くようだな。いけるか? うん、いけそうだ。ここで風魔法を使えば風に吹かれて足を滑ら せたように見えるだろう。ゆるいが丁度よく風もあるし。 今だ! 俺は風魔法を使い奴の体を吹き飛ばそうとした。 当然風を起こす方に向けた手の光が見られないようなタイミング は見計らっている。 だが、何と言うことか、建造中の小屋の骨組みごと大きく揺れて いた。 359 手抜き工事かよ。 目的の男だけでなく、上に登って作業をしていた全員が足を滑ら せてしまったようだ。 これはまずいな。 つなぎ みな口々に叫ぶが1秒以内に落下してしまった。本当なら目標の 連絡員だけが足を滑らせたところで再度風魔法を使って体勢を崩し て頭から落下させるつもりだったのに、全員が足を滑らせたことに 驚いて何も出来ないまま落下してしまった。最初に風魔法を使った 後、俺はそれを見ていただけだ。 だが、このまま放置するよりはやってしまったことを生かすしか つなぎ あるまい。下で作業をしていた、事故に慌てている職人に混じって 連絡員に近づく。運良く死んでくれたらいいのだが、鑑定をかけて 見ると︻状態:両足骨折︼なだけで命に別状はないようだ。他にも 数人怪我人がいるので全員が慌てている今しかチャンスはないだろ う。 やりたくは無いが仕方ない。地魔法でコップ一杯位の土を生み出 し奴の口周辺に無魔法で押さえつけ声が出せないようにし、MPを つぎ込んで崩れかけた梁を哀れな連絡員の頭目掛けて落とすしかな いだろう。MPは2000くらいつぎ込めば行けるだろうか? は しっこく近づいて治癒魔法をかけようとした直前に風で崩れた梁が 奴を押しつぶしたように見せかけるしかない。 駆け出しながらそんなことを考えていると、親方が連絡員の名を 叫びながら飛び上がるようにして駆け出すのがわかった。げ、親し い仲なのかよ。下手に殺せないじゃないか。仕方ないので本当に治 癒魔法をかけるしかないか⋮⋮。 360 落ちた怪我人のうち一番重傷だったのは連絡員の男だったので取 り合えず治癒魔法をかける。同時にシェーミ婆さんを呼んでくるよ うに言い、次の男に治癒魔法をかける。それで力尽きた振りをして 座り込んだ。骨折するほどの重傷者はこの二人だけだったのであと は放って置いても問題は無いだろう。この二人にしても取り合えず の治癒魔法をかけただけだし。本気で治癒魔法をかければすぐにで も健康体になるだろうが、そこは怪しまれたくないので手を抜いた。 俺のMPが多いことはゴム製作で知っている人間はいるから最初は ともかく、最終的にはあまり怪しまれるということもないだろう。 ・・・・・・・・・ 連絡員は親方の知り合いの息子で今回限りの臨時雇いだったらし い。本人と親方からかなり感謝された。殺そうとした相手に感謝さ れるなど、背中がムズ痒くて仕方ないが何も言わず感謝を受けた。 また、怪我人5人の治療にシェーミ婆さん以下、シャル、ファーン、 ミルー、休息を取った俺が再度治癒魔法を掛けたことで明日からも また作業が継続できるそうだ。 うーん、困ったなぁ。直接会話したことでどうも殺す気も削がれ てしまった。本当はこんな甘いことじゃいけないんだがなぁ。しか し、流石に魔法で怪我の治療をして貰ったとは言え、こんなガキに 頭を下げる男に対して殺意は湧いて来ない。本当にどうしよう。 小屋の方は風が吹いたくらいであわや倒壊か、という手抜き工事 361 だと思っていたのだが、建造途中でもあったのでその点を責める事 は誰もしなかった。また、俺達が治癒魔法をかけたことで親方も感 謝しているし、あえてここでつまらない話をすることも無いと思い、 俺も何も言わなかった。多分手抜きはもうしないだろうし、いいだ ろう。 完全にマッチポンプになってしまったことに忸怩たる思いを抱く が、起こってしまったことは仕方ないし、ここで悩んでも何にもな らない。職人達も俺のことを坊ちゃん坊ちゃん、と呼び、親しげに 振舞ってくる。ああもう、一体どうしたらいいんだ!? しかし、事は動き出した。 翌日にウェブドス侯爵家から早馬が来た。 コンバットプルーフ 次回予定される出兵への参加要請だ。 ゴム製のプロテクターなどの実戦証明のチャンスなので本来は喜 ぶべきことなのだろうが、最近人の死に対して思うこともあったば かりだし、殺人未遂までやった翌日だ。ついつい出兵するヘガード やそれに付き従う従士達の事を思ってしまう。 バークッド村の軍隊がこの村を出発するのは1ヵ月後になるらし い。 ヘガードはそれまでに騎士団とキンドー士爵に対しての納入物を 作れることを確認するとプロテクターの製造を命じてきた。こんな こともあろうかと改良は重ねてあったので期限までの製造は問題な い。 その翌朝から出兵するメンバー全員の体のサイズを図り、プロテ クターを作る。今回は時間も限られているし、侯爵の騎士団の注文、 362 キンドー士爵からの注文、プロテクターの製造で手一杯だ。改良し たプロテクターの型さえ作ってしまえば俺にMPが必要な作業はな いが、忙しいことは忙しい。剣の稽古をサボれないか聞いてみたい が答えは分かり切っているし、俺自身が剣の修行の必要性は理解し ているので何とか時間を遣り繰りするしかないだろう。 ああ、そうだ。俺が思うに大した情報ではないし出兵に当家が参 戦することを連絡員に伝えればいいのか。このところ頭を悩ませて いた問題が解決できることを素直に喜んでおこう。 ・・・・・・・・・ つなぎ つなぎ ミュンを通じて連絡員にグリード家の参戦と1ヵ月後のバークッ ド村出立の情報を流すと、連絡員は体調と怪我の治療を理由にして、 しきりにドーリットへの帰還を望むようになった。しかし、親方が それを許さず、厩舎の増築と作業小屋の建造は急ピッチで進められ た。怪我を治療してもらったことで職人達の士気も高かったからだ ろうか、20日ちょっとで両方の作業は終わり、充分に拡張された 厩舎とそれなりに満足できるゴム製造のための作業小屋が完成した。 デーバス王国との小競り合いに出立するメンバーはヘガードを筆 頭にシャルも行くようだ。また、従士も全員参加で総勢10名の所 帯だ。規模が小さいとは言え、ロンベルト王国の防衛だか侵略だか の為に赴くのであるから軍隊は軍隊だ。 俺は派遣部隊全員のプロテクターが間に合ったことに胸を撫で下 363 ろしながら残る村人達と共に出立を見送った。荷馬車には2頭の馬 を使うし、1頭しかいない軍馬にはヘガードが騎乗しているため、 彼らが帰還するまでは農耕や開拓に馬を使うことは出来ない。すで にキンドー子爵からの注文は納品済みであるため、騎士団向けの品 物で満載の荷馬車には念のためと作ったフリーサイズの予備のプロ テクター一式も積み込んである。荷馬車は従士長のベックウィズが 御し、シャルはその隣に腰掛けている。 本来は食料や衣料品なども荷馬車に積み込むのだが、今回は商品 と必要不可欠な軍用品で既に馬車は一杯の為、食料などは途中で必 要な分だけ買い、納品後にキールで補給するそうだ。硬質ゴムとエ ボナイトで固めた従士達は黒一色で精悍そうに見え、ちょっと格好 フルプレートアーマー が良い。前にヘガードに尋ねた所、金属製の鎧はこの世界には既に あるようだが、俺がイメージしていた板金製の全身鎧はあまりに値 チェーンメイル 段が張るので上級貴族しか持っていないそうだし、一般的な兵隊は 固くなめした革鎧か良くて鎖帷子らしい。 チェーンメイル 革鎧はともかく、鎖帷子は防御力もそれなりにあるが重いので行 軍中には着ないことが多いらしい。それらと比べるとキルトなどの 本来、鎧下と呼ばれるような服の上にゴムバンドで留められるプロ テクターの評判はすこぶる良かった。当然革鎧の上に装着できるよ うなタイプも用意してある。従士によって装備がまちまちなので幾 つかの種類を作らざるを得なかったのが面倒なところではあったが、 このプロテクターのお陰で皆の生存率が高められるなら言うことは 無い。今回出兵するメンバーの鎧下や革鎧にはプロテクターの装着 を考えてゴムバンドを通す金具や、ベルトホールを付ける改造済み だ。 また、オースではそれほど男尊女卑でもないので軍隊には女性も いるらしい。俺の常識で言うとWACだな。尤も、俺が所属してい 364 た当時の自衛隊の女性隊員は母性保護の観点から正面戦闘部隊の戦 闘要員には配属はされないが。確か転生する大分前には陸自では正 面戦闘部隊にも女性隊員は配属され始めていたはずだし、イスラエ ルでは女性も徴兵対象だったので、軍隊に女性が居ること自体は問 題が無いのか? 地球の文化を先取りしているだけか? まぁそこ はどっちでもいいけど。ここは地球じゃないし、地球や日本の常識 と比べるほうがどうかしているだろう。今後、もし注文があるなら プロテクターも女性向けのものも作ったほうが良いらしい。シャル のプロテクターを作る時にたまたま居合わせたヘガードがそう言っ ていた。 出兵したら数ヶ月∼半年は帰れないそうだ。 俺は敬礼したくなる体を抑えるのに苦労していた。 365 第二十九話 少年期へ さて、ここらでちょっとまとめてみよう。 俺が今やっていることは 1.ゴム製品の製造の監督及び製造方法の伝授 2.ゴム製品の改良 3.ゴム製品の開発 4.剣の修行︵但し、素振りだけ︶ つなぎ 5.魔法の修行︵MP消費によるMP成長も含む・可能なら1日3 回︶ 6.ミュンに連絡を取ろうとする連絡員の始末 なんと、大別して6個も仕事がある。あ、4以降は仕事じゃあな いな。 児童福祉法はどこ行った? ねーよ。 順番に考えてみよう。 まず1だ。これは今のところ大きな問題はない。とにかく地魔法 と風魔法と無魔法を併せて大量にMPを注ぎ込むことで型さえ作っ てしまえば後は特にやることもない。皆が怪我をしないように見て 回り、固まる前のゴムをきちんと型に流し込んでいるか、流し込め ているか確認するだけだ。手間もあんまりかからない。 次に2だ。改良と言っても、要望がなければ改良しようもない。 何しろ、作った時には自分では満足しているのだから、誰かに指摘 されなければ改良点なんかあるわけもない。まぁ自分で製品を使っ 366 ていて気づくこともあるから全く無いわけではない。それよりも誰 か改良の要望を上げてこないとこの仕事はあまり無い。 そして3だ。これはいろいろある。問題なんか山積みもいいとこ ろだ。未だリムが作れないのでタイヤの製造は中断しているしな。 そろそろ生活用品のゴム製品もつくる時期かも知れないし。ゴム紐 なんて、本当に便利なんだぜ。細いゴム紐を数本束ねて薄い布チュ ーブを作ってその中に通せば簡単に衣類に使えるゴム紐が出来る。 これは使ってみないと便利さはわからないだろうなぁ。あと、コン ドームもそうだ。バークッドでは性病は流行って無いようだが、古 来性行為を感染源とする病気は世界中で猛威を振るって来たのだ。 是非完成させないといけない。 で、4。これも時間を見つけてやっている。俺が監督や指導しな いといけないことは少ないので、実は剣の修行時間に困ることはな い。素振りだけだし。畳一畳程の面積が野外にあればそれでいい。 それから5。これも朝起きて朝食を摂った後に魔法の修行も兼ね てMPを消費している。最近だと金属の選別にも使っている。後は 夕食の後と真夜中だ。たまにはミュンと夜の狩りに行くので出来な い夜もあるが。 最後に6。今までに1人始末した。その後任︵?︶の男は始末こ そしなかったが出兵の情報を掴ませたのであと10年近くは問題無 いだろう。と思いたい。だが、根本的な解決にはならない。根本的 な解決方法は3つだ。一つ目は間者の大元であるデーバス王国のサ グアル家を潰すこと。だが、これは困難だ。二つ目はキールに居る とかいうべグルという男を始末すること。一つ目と比較すると楽で はあるが、根本的な解決かというと疑問符が残る。三つ目はミュン が死んだと偽装すること。これが一番現実的でなかろうか? 何か 367 つなぎ つなぎ つなぎ のタイミングで連絡員が来ている時に連絡員の目前でミュンが死ぬ か殺されるかの偽装をして連絡員を帰してやればいい。その後べグ ルなりを始末出来れば満点だろう。当面の時間は稼いでいるので焦 って解決しなくていいのは救いだ。 となると、当面の課題は3のゴム製品の開発だな。あとは問題と 言えるようなものでもない。早速取り掛かるか。ヘガードやシャル が帰ってきた時にいろいろ新製品が増えていたらびっくりするだろ う。 ・・・・・・・・・ ゴムへの添加物の調整も慣れてきたのでまた衛生用ゴム製品の開 発に取り組むが、どうにも上手く行かない。何しろ自分で試すこと も出来ないし、誰かに試してもらうことも出来ない。両親に試作品 を試してくれと言ったらどんな顔をされるのか⋮⋮。まぁ半分趣味 のようになりつつあるし、あまり先々のことは気にしないようにし て今日もゴム膜の改良に勤しんではいるが、薄く均一な厚さの膜を 作るだけでも一苦労だし、その膜を、なんだ、その、ナニの形にす るのでも苦労する。当面諦めて趣味に留めておくしか無いのだろう か。 新製品の開発と称して自宅の倉庫兼作業部屋に閉じこもってそん な事をぼうっと考えていたら、突然閃いた。今まで、ゴム膜は表面 をつるつるにタイル状に加工した地魔法で作った板の上に適量のゴ ムをたらし、上から同様の板で抑え付けて膜を作っていた。それを 368 加工して筒状にし、先端を塞いでいた。だから筒の継ぎ目や先端が 歪になり、厚さが変わってしまう場所ができてしまう。その厚さの 変わり目から裂けたりしてしまいやすかったのだ。なら、考え方を 変えて外形の型を作り、そこにゴムを適量流し込む。風魔法で一気 に空気を送り込んで流し込んだゴムを型に沿って広げると同時に乾 燥の魔法で一気に完成させるというのはどうだろう? 風魔法を使うから俺にしか出来ないが、そのうち村からも風魔法 を使える人間も出てくるだろうし、これ、行けるんじゃないか? よし、早速試作してみるか。 完全な型を作るのは時間がかかりそうだったので、取り敢えず型 は適当でいい。生ゴムを流し込んで⋮⋮風魔法、乾燥! ⋮⋮どう だ? 一応出来たな。継ぎ目もないし、綺麗だ。空気を吹き込んで 風船にしてみたり、水魔法で中に水を入れて水風船のようなものを 作ってみたりして遊ぶ。モトが風船や水風船用に小さく作った物で はないのでかなりでかいな。でも⋮⋮これは成功じゃないか? うっひょー、光が見えた。外形の型さえきちんと作ればいけるな、 これは。ゴムも大した量は使わないし、風魔法さえきちんと使える なら量産に支障はない。⋮⋮いや、それなりにMP使うからまずい かな? まぁ今からそんな心配しても始まらん。これでいいのだ。 衛生用品ばかり作って遊んでいても仕方ないので、他にも考えて みる。浮き輪とかどうだろう。ゴムボートもいけるかも知れん。バ ルブと言うか、栓の工夫さえしっかりやればいけるだろうな。あと は何だろうな。ゴム手袋なんかも良いかも知れない。でも、ゴム手 袋の使い道ってなんだ? まぁあって困るものでもなし、試作はし ておくか。 369 ・・・・・・・・・ ゴム製品の試作や蛭を退治して経験値を稼いだりしているとあっ という間に4ヶ月が経ち、ヘガード達バークッド村派遣部隊が帰還 してきた。戦死者は0で、喜ばしい限りだ。ヘガードやシャルを始 めとする派遣部隊の面々は村に辿り着くとその日は疲れも溜まって いたのだろう、全員がすぐに休んだ。疲れも癒えた2日後に、ヘガ ードは派遣部隊の面々を集めて言った。 ﹁さて、皆ご苦労だったな。結構きつかったが戦死者が出なかった ことは何よりだ﹂ 全員がヘガードに注目している。 ﹁で、だ。ここらでそろそろ使った武具について、良かったところ と改善して欲しい所を言ってくれ。あのゴムの防具はアルが作った から、アルに直接言った方が良いだろう。アルも質問があれば都度 尋ねてわからないことがそのままにならないようにしろよ﹂ ﹁お屋形様、例の件もお話しした方が宜しいのではないでしょうか ? アル様も急なことで戸惑っておられますぞ﹂ 従士長のベックウィズが急に話題を転換させてきたヘガードを窘 める様に言った。うんうん、急にプロテクターの良い所とか改善点 とか言われてもな。メモ板すら持って来てないよ。 370 ﹁あ、お、おう。そうだな。アル、喜べ。ゴムのブーツとサンダル は騎士団長のセンドーヘル様も実際にご使用になられて優秀性につ いて大層お喜びになられていた。それに鞍のクッションについても お褒めの言葉を戴けた。サンダルとブーツは消耗品だから半年で3 00と100だったが、今後は全面的なご採用をして戴ける。納品 の量は3ヶ月で300と100になった。ゴム引き布は500m分 だ﹂ おお、それはすごいな。まぁ今の生産量だとまだなんとかなる量 だな。 ﹁あとな、帰りにキンドー士爵のところにも寄って来た。士爵も喜 んでおられた。次はサンダルだけでなく、ブーツやクッションも買 って戴けるそうだ﹂ む、そういえばキンドー士爵にも納入してたんだっけ。流石にや ばいかな? 俺の顔が浮かないものになったのに気づいたのだろう、ヘガード は不思議そうに言う。 ﹁ん? どうした? 売れれば儲かるし、馬も買えるだろう? ⋮ ⋮何かまずかったか?﹂ 最後に恐る恐る言うヘガードを父親なのにちょっとかわいいと思 ってしまった。 ﹁いえ⋮⋮。それだけの量となりますとゴムの生産量が恐らくギリ ギリです。余裕がありません﹂ 俺の心配が理解できたのだろう。ヘガードも事態の深刻さに気づ 371 いたようだった。 ﹁む⋮⋮。そうか、それはまずいな⋮⋮。生産量を増やすにはどう したらいい?﹂ ﹁そうですね。新たに開墾してゴムノキの種を植えて木を増やすし かないでしょう。ですが、僕は試したことが無いので上手くいくか どうか⋮⋮。それに、上手くいったとしても新たな木が育って樹液 が採れるようになるには何年もかかります。ですから、すぐには増 産は難しいです。どうしても、となれば手を付けていない木からも 樹液を採れば当面はしのぐことは出来ますが、木を傷つけるのでい つかは樹液が満足に採れなくなる筈です。それまでにゴムノキを増 やすことに成功しないといけません﹂ 流石に俺も真剣な表情で答えた。 ﹁ふむ⋮⋮そうか⋮⋮。普請で開墾をするしかないか⋮⋮﹂ なんだか皆の雰囲気が暗くなってきた。この空気は嫌だなぁ。 ﹁それはそうと、ゴムの防具の改善点ですよね。いま、忘れないよ うにメモ板を取ってきます﹂ 俺は暗い雰囲気を振り払うように努めて明るく言うと、メモ用の 板を取りに行った。 その後は和気藹々とした雰囲気で、皆の手柄話を聞きつつプロテ クターの改良点を聞いていく。思いも寄らない改良点も出てきた。 改良には時間もかかりそうだ。一番の問題は蒸れる事らしい。肘や 肩はそうでもないのだが、胸や腹、腿だとゴムとエボナイトで作る 372 プレートの面積もそれなりに広くなるので、そこが蒸れるらしい。 また、股間の防具も同様だ。これについては穴を開けることでの対 処は防具の機能を損ないかねないので止したほうがいいだろう。ち ょっと重量が嵩んでしまうが、裏側に空気抜き用の突起をいくつも つけることで対処できないだろうか? あとで試してみよう。 なお、バークッドの派遣部隊が防具をデザインや材質に至るまで 揃えていた事は、結構好評だったようだ。戦闘でも充分に役に立っ たとも言って貰えたのでそこは一安心だ。 こうしてゴム製品の改良や開発、月に数回の狩りなどで俺の6歳 は過ぎ去ってゆく。 373 第三十話 鍛冶の開始 7歳になったばかりの俺は、今日も今日とてプロテクターの改良 と新製品の開発を行っていた。プロテクターは自分で言うのも何だ がかなり出来はいいと思っていただけに、両親や従士達から出た改 善要求はかなり厳しいものであった。 改善要求は以下の通りだ。 1.蒸れるため、空気の流動が可能になるように 2.重量の低減 3.体積の減少 4.硬度が高いため、もう少し柔軟性を 5.防御力の向上 はっきり言って無茶苦茶だ。要望は理解できるがこんなの現代日 本の技術力や工作精度があったって無理だ。だいたい、矛盾しすぎ だっつーの。ゼロ戦を作った例の技師の悩みがほんのちょっとだけ 解った気がした。 取り敢えず最初の蒸れ対策から始めてみる。まぁこの改善要求の 中では妥当だろうし、無理もないと思う。戦争状態だといつも装着 しっぱなしに近い状態だったらしいし。蒸れると辛いもんな。ちな みにこれについては従士達が現地改修である程度の目星をつけてい てくれた。なお、革鎧の上に装着するタイプのプロテクターを使っ ていた従士からは蒸れについては大腿部以外何の不満も出なかった ことを付け加えておこう。もう上半身は全部革鎧の上でいいんじゃ ね? 374 胸部や腹部、大腿部などのプレートは板状に作ってあるが、もち ろん体の肉付きにあわせている。例えば胸部や腹部は外側部分は昔 の仮面ライダーのように筋肉状にプレート形状を整えているが、内 側は外側の形状に合わせて凹ませたりはしていなかった。もちろん ある程度の凹みは作ってあるが、プロテクターをひっくり返して見 てみると装着者の体型に合わせて凹みを作っていた。このため、互 換性などはあまりない。しかし、体型にフィットするため無理のな い可動範囲を作れていると自負していたのだ。 もちろん、短時間であれば全く問題はなかった。むしろ、変に遊 びを作ったほうがフィットしていないので装着に違和感があると言 われていたのだ。だが、この体型に合わせた凹みが問題だったよう だ。鎧下を着用してその上にプロテクターを装着しているとはいえ、 鎧下程度の厚みの生地だと密着しすぎて通気性が確保されないので 1時間もすれば汗びっしょりで不快感がこの上なかったそうだ。 こんな簡単なことに気づかなかった俺も俺だが、最初に皆も言っ てくれよ、とは思った。だが、革鎧と比べても体にフィットして使 コンバットプルーフ いやすかったので、大した問題では無いと思っていたようだ。まぁ これも実戦証明と言えばそう言えなくも無い。これを現地改修した ものは主にシャルが作り始めたらしい。やはり女性だけあってその あたりは気になるのか。他の人間が異常に我慢強かったのか。 シャルはプロテクターの裏に補修用で持っていった細いゴムバン ドを貼り付けることである程度の通気性を確保したらしい。ゴムバ ンドがあまり広くなく、量も適量であれば確かにプロテクターのプ レート部分と体の間に隙間が空くので通気性は確保できるだろう。 しかし、ただゴムバンドを貼り付けただけなので大した効果は無か ったようで、やはり蒸れて厳しかったそうだ。そのため、プロテク 375 ターを体に固定するゴムバンドを緩めておき、戦闘時に誰かに背中 の部分を締め直してもらうほうが簡単で効果的だったようだ。 うーむ、だとすると普段はゆるゆるの状態でサッと締められるバ ンドを考えたほうがいいのか? しかし、それだと戦闘が長引いた りすると結局は同じだしな。バンドはバンドで考えるとして、まず はプレート部の空気流出入用の空間を作ることが本道だろう。何ヶ 月か試行錯誤してプレートの内側に大きな溝を掘るようにしてみた。 その分防御力が落ちては意味が無いので、溝というか、突起の分だ け嵩も増えたし重量も増えた。だが、溝だけでは換気に不十分とい うことも判明し、プレートの外側に近い部分にいくつか換気用の穴 を開けることで対応できた。穴は脇の下に近い部分と脇腹に近い部 分に空けた。 両親と従士達で装着しっ放しのテストを繰り返してやっと完成し たと言ってもいい。まだ充分に換気できる前の段階のプレートを装 着したまま農作業や開墾をして貰った事は忘れない。彼らの恨みが ましい目つきも忘れない。しょうがねーじゃんか。 残った項目のうち2と3にあたる軽量化と小体積化についてはも うね、無理だよ。5の防御力とトレードだし。これを解決するのは ゴムやエボナイト以外の新素材を作る必要がある。軽量化について は穴を増やすことでいくらか対応は出来そうだけどね。穴くらいだ と雀の涙程度の重量低減にしかならないだろうし。 4の柔軟性の向上についてもそれだけ取れば可能だが、エボナイ トの硬度を落とすだけなので5の防御力の向上とはトレードの関係 になる。だいたい、最初に作るときに防御力の検証とか言ってさん ざん試し切りとか試し突きとかしたじゃんか。それで決まった厚さ だぞ。と言っても最も厚い部分で4cmくらいだし外周部や薄いと 376 ころは1cm程度しかないのでもう少しエボナイトの量を減らして 硬質ゴムの部分を増やせばあまり防御力を落とさずに柔軟性を担保 できるかも知れないな。 表面をエボナイト、裏面を硬質ゴムの積層構造にしていたが、エ ボナイトは表面全体ではなく胸や腹の正面部分など、重要な内臓の あたりだけにすればいいのか。硬質ゴムのプレートの表面の一部に エボナイトのプレートを追加ではめ込むようにすればいけるんじゃ ないだろうか。硬質ゴムと言っても素材の密度は高いのである程度 の防御力は残せるしな。だとすると槍などで突かれたときに穂先が 変に滑らないようにエボナイトプレート表面にわざと溝でも作るの もありかも知れん。露出した硬質ゴムの表面は下手にいじらないで そのままでもいいだろう。そうすれば突かれても穂先が滑る先を特 定しやすいし、滑った先だけを厚くするかその部分だけでも金属プ レートをはめ込んでもいいかも知れない。あ、表面のエボナイトプ レートは部分的じゃなくて全面でもいいのか、部位によって厚さを 変えればいいか。 とにかく鎖帷子などの金属製の鎧より軽ければあまり問題はない のだ。今でも金属鎧と比較すれば比べ物にならないほどには充分軽 いのだし防御力も金属鎧よりちょっと落ちるくらいだ。あとは多少 重量が増えるが鎖帷子をほぐして数cmおきに鎧のプレートの中に 鎖を入れるのも手かもしれない。または、今魔法で作っている金属 を貯めてなんとか針金を作って金網を埋め込んでもいい。魔法で取 り出している鉄は別のことに使いたいので出来ればそこまではやり たくないが。 ・・・・・・・・・ 377 ところで、プロテクターの改良なんかよりずっと重要なことをい くつか忘れていた。農耕と鍛冶だ。約束通りヘガードは農耕馬を購 入してくれた。それも一気に3頭もだ。おかげでゴムノキを新規に 植える開拓地の開墾はものすごい速さで進んでいる。一体いつごろ 種を植えたらいいのかわからないので今までに収集した種を毎月3 つづつ植えている。去年の11月頃からまきはじめたのだが、まだ 1つも芽は出ていない。まぁこれは最長でも1年で解決するはずな のであまり問題視はしていない。 それよりも3頭の新規農耕馬を全部開墾に充て、今までいた荷馬 車用の2頭を通常の耕作に充てる決断をした両親は手放しで褒めら れるだろう。馬を貸し出すに当たって決めた料金は有名無実化して おり、貸し出しの順序は従士長のベックウィズが管理している。村 民達に公平に貸し出すのかと思いきや、耕作の進捗状況などを見な がら調整しているらしい。開墾の賦役などで働き手が少なくなって、 進捗状況が悪い畑を優先してるようだ。 結果としてほぼ横一列の耕作状況を作り出せたらしい。これはベ ックウィズだけが褒められる状況ではない。ゴムが金になり、村に 外貨を呼び込むことが出来ることがわかり、心に余裕の出来た両親 の指示のたまものかとも思ったが、なんと、それを進言したのは兄 のファーンだそうだ。流石俺の兄貴。イケメンなだけある。既にフ ァーンは13歳になっており、成人一歩手前だ。来年、14歳にな ってからウェブドス侯爵の騎士団に入団することも決まっており、 バークッドのエリートコースまっしぐらだ。この様子だと、騎士の 叙任を受けて親父から士爵を継いでも上手くやっていけることだろ う。 378 ﹁どうすればもっと村が良くなるか、発展するか良く考えればおの ずと答えは出る。ゲロ吐くくらい考えればそうそう間違うこともな い﹂ ファーンはこんなイケメンな事を当然のように言って笑っていた。 ゲロのくだりはどうかと思うが、うちの兄貴まじイケメン。でもこ ういう考えが自然と出来るように教育した両親はもっと凄いのかも 知れない。ファーンの言葉を聞いてしばし呆然とする俺に、今度は 姉のミルーが言う。 ﹁そうよ、兄様は父様の後を継ぐんだから、今からいろいろ考えて おかないといけないのよ。私達は兄様の決めたように動けばいいの よ﹂ ⋮⋮ミルーは流されやすいタイプか? ﹁まぁでも、兄様がいるから私達は好きに出来そうよね﹂ と俺に耳打ちしてくる。あ、わかってやってるのか。そう言えば ミルーは未だにシャルやヘガードに冒険者時代のエピソードを聞き たがっている。やっぱり幼少期の憧れは消せないらしい。最近は魔 法だけでなく、剣の修行も本格的なものになってきており、一昔前 のファーンのように子供とは思えないほどの剣を振るう。ひょっと したら純粋な剣技だけだと俺達兄弟の中で一番強いかもしれない。 今でこそ体格の問題でファーンに一歩譲っているようだが、身のこ なしや剣の技自体は既に従士にも引けは取らない。俺はと言えば⋮ ⋮まだ素振りだけだよ。悪かったな。 ちょっとだけコンプレックスが無いわけではないので、竹刀、と 379 いうか木銃を作った。勿論、過去に俺がまともに訓練した銃剣道と 銃剣格闘のほうが使いやすいからだ。まわりからはいびつに曲がっ た短槍、というふうに見られている。いいんだよ、この形で。だい たい剣と言っても鋳造の剣なので切れ味は悪いし剣自体のリーチは いいとこ70cmくらいだ。短めだとはいえ槍のがいいに決まって るだろ。日本刀だって普通のは60∼70cmくらいだったという から、槍でいいのだ。そういえば、間者を殺して奪ったブロードソ ード、どうしようかな。潰して何か役に立つものをつくるか。でも、 勿体無いよなぁ。 鍛冶のほうはヘガード自ら俺に教えてくれた。ヘガードも昔武具 の修繕でちょっと齧った位らしいので、本当に基礎的な部分くらい だが、それでも先達が誰もいないよりは全然ましだ。鍛冶は俺のほ かにドワーフのアルノルト・フリントゲールも一緒に習った。親父 のゲルダンは鍛冶が全く出来ないのにアルノルトには才能があるら しい、俺より上手に鋤や鍬を補修出来る。いままでは月に一度くら いドーリットまで誰かが纏めて補修に行っていたのでこれも村の発 展要素ではあるのだろう。鍛冶のおかげでアルノルトはゴムの製造 からは外れ、代わりにジョッシュという、まだ14歳の従士の息子 が加わった。ジョッシュはファーンと歳が近いこともあって親しく 付き合っているようだし、いいんじゃないかな。 俺は貯め込んだ鉄を鍛えることに夢中だ。いままでちまちまと貯 めていた鉄は1kgちょっとの量がある。小刀くらいは充分に作れ る量だし、30cm程度の銃剣を作るには多いくらいだ。燃え盛る 炭に石の鍋を乗せ、さらに火魔法で温度を上げてやれば鉄が融解す るくらいの温度はすぐに出せる。それより、鍛冶設備で購入した耐 火煉瓦や石鍋が割れないように温度を上げ過ぎないように注意を払 う。確か炭素を加えれば鉄は鋼になって硬度や靭性も増すはずだ。 俺の場合、土から魔法で鉄だけを取り出しているので製錬や精錬は 380 必要ない。二本の失敗作を経て何とか短めの銃剣らしきものを鍛え られたのが僥倖だろう。鍛えたのはアルノルトだが。 アルノルトやヘガードはハンマーで鍛えるという概念を知らなか ったので説明に苦慮したが、魔法の通りを良くすると言う俺の適当 な方便に渋々ながらも協力してくれた。そりゃそうだ。この世界で は分子間結合や結晶化した分子圧着なんか誰に説明しても理解され ないだろうし、信じて貰えないだろう。だいたい、ハンマー自体熱 である程度軟らかくなった農機具の形状を叩き直す以外に使わない のだ。まぁ本来は製鉄時に取れなかったリン分などの不純物を叩き 出すのが主目的の﹁鍛え﹂なのであまりかんかんやっても意味は薄 い。適度な炭素を加えられて叩く事による鉄の結晶の結合ができれ ばそれでいい。魔法万歳。 きっさきもろはづくり 銃剣なので日本刀のように反らせる必要も無い。鋒両刃造を真似 して途中まで両刃にした。本当は鎧通しのように厚さ1cmくらい にしたかったのだが、二本分の失敗で鉄が足りなくなってしまった ための苦肉の策だ。地味に痛い。それでも峰の厚さは6mm程確保 なかご 出来たので、刺突に使う分にはいいだろう。刀身は30cm程、本 つかまき 来は柄の付くはばき以降の柄頭までの茎は12cm程、重量400 gほどの64式銃剣状の直刀だ。柄を造り目釘を嵌めて革紐を柄巻 として巻けば、見た目だけはそれなりになった。柄を外して銃のよ うにちょっと曲がった1mほどの柄に取り付ければ64式小銃と同 じ感覚で使えるだろう。弾倉は無いので弾倉を使った殴打は出来な いが。柄は槍にも使われる頑丈な樫の木を魔法で乾燥させ、エボナ イトと併せて作った。本当はもっと手軽に取り外しの出来る着剣装 置もつけたかったが、難しいので諦めた。 弾倉抜きの64式セットで俺もミルーやファーンに対抗できる、 と思っていたが、自分の体の大きさを忘れていた。俺にはでかすぎ 381 る。こればっかりは体が大きくならないと無理だ。ちくそー。当面 物置の肥やしだな。当然の如く皆に馬鹿にされたし。覚えてろ。体 に合うちっさいの作ろうかな。 もっと食って運動してでっかい男になってやる。 あ、物理的にも精神的にもね。 382 第三十一話 恋 更に1年が過ぎようとしている。 今日は7436年2月14日で俺の誕生日だ。 俺は8歳になった。 ︼ レベルも上がり、能力的には異常なMPを除けば一般的な10代 前半に近い能力値を得ている。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︼ ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:8歳︼ ︻レベル:5︼ ︻HP:54︵54︶ MP:6581︵6581︶ ︻筋力:9︼ ︻俊敏:10︼ ︻器用:8︼ ︻耐久:8︼ ︻固有技能:鑑定︵MAX︶︼ ︻固有技能:天稟の才︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.7︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.7︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.8︶︼ ︻経験:20941︵28000︶︼ ちょっとだけ解説するとレベル5というのは平均的な30歳前後 383 の農夫のレベルだ。また、筋力などの能力値は13歳前後のレベル 2くらいの子供の能力値に近い。剣の稽古をしていない一般的な農 民のレベルの上がり方は7∼8歳くらいから本格的に農作業を始め、 十代前半で2に上がり、成人するあたり、15歳くらいで3になる。 キャントリップス 大体このくらいでMPが3∼4くらいになり、魔法の修行を始める。 聞くところによると小魔法を1日3回くらい使えるあたりが目安ら しい。そして20歳前後で4、30歳くらいで5、40代半ばくら いで6、という感じだ。農作業の経験値の効率がすごく悪いことが 解る一例だ。観察していると農作業を1日やって入る経験値は1∼ 5くらいだ。開墾などの重労働の場合に入りやすい感じだ。 対して剣の修行は素振りだけだとどんなに頑張っても1日で入る のは1∼2に過ぎないが、試合のような、模擬戦のような、組み手 のような⋮⋮とにかく実戦形式になると多いときには1日で20く らいも入ることもあるようだ。貴族は7歳くらいから剣の稽古を始 め、10歳くらいから稽古は実戦形式になっていく。成人する頃に はレベルも5くらいになっている感じだ。当家の従士の家族や、兄 姉を見ているとそんな感じだ。その後はレベルアップに必要な経験 値も増加するのでまちまちだが、大体30歳くらいにはレベル8か ら9くらいになっている。そして40歳前後に従士を引退して息子 か娘に︵グリード家に仕える正従士で女性はいないが︶従士の職を 引き継ぐ。従士長のベックウィズだけは才能があるのか元気がある のか知らないが47歳でいまだ現役、レベルも13に近い12と頭 1つくらい飛び抜けているが。勿論、若い頃に冒険者をやって魔物 退治の実戦が多かったであろう両親は当然別格だ。 当然俺は素振りしかやらせてもらえないので普段の経験値効率は 悪いが、天稟の才と月に1∼2回程度やっている夜の狩りでレベル だけはなんとか一人前と言えなくもない。 384 4月には14歳になったファーンが騎士団に入団する。本来なら 成人する来年からの入団になるらしいのだが、貴族なので1年繰り 上げての入団が可能なのだ。と、言う事だが、本当のところはゴム 製品の供給元であるグリード家にいい顔をしたいのと、ヘガードへ の恩を売ることも計算しているのではないだろうか。穿ち過ぎかな ? この時代なら規則を無視して貴族だからと早めに入団させるこ とも有りなのかも知れない。日本では絶対になかったことだからど うも捻くれた見方をしてしまうのかも知れない。 また、ミュンのことだが、相変わらずゴム作りに精を出し、夜に はたまに狩りについて来てくれる。本当の年齢は26なのでいい加 減にしないと結婚が厳しくなるだろう。養父のトーバスもとっくに 60を超え、従士ではあるが名前だけだし、どう思っているのだろ う。聞いてみるかな? ﹁なぁ、ミュン。ちょっと不愉快な話かもしれないけど、聞いても いいか?﹂ ﹁はい、なんでしょう?﹂ その晩、いつもの魔物狩りに行く道すがら、ミュンに切り出して みた。 ﹁ミュンは、結婚はしないのか? ミュンは剣も使えるし強いから そのままトーバスの従士を引き継ぐことも出来るだろうけど、今か ら従士の訓練に参加するのも不自然だし、トーバスの家、どうする んだ?﹂ 流石に嫁き遅れるぞ、とは言いづらい。ここはさりげなく、さり げな∼く切り出そう。ちっともさりげなくないけど。 385 ﹁⋮⋮そうですね。でも、婿を迎えると言っても⋮⋮﹂ あ、やっぱり嫁き遅れ、気にしてたのね⋮⋮。 ﹁でも、本当ならもう子供がいてもおかしくないだろう? トーバ スの家、断絶しちゃうぞ?﹂ わかってるならいいや。ズバリ言うしかない。 ﹁私はその、器量も良くありませんし⋮⋮﹂ いやいや、そっちに行くなよ。話がおかしくなるって。 ﹁誰か好きな相手はいないのか?﹂ ﹁はい、特には⋮⋮﹂ そう言いながらもちょっと目つきが怪しい。うーん、これはいる なぁ。 カマかけてみるか。 ﹁ふーん、デスダンとかどうなんだ? 歳も一緒だし、よく話して るじゃないか。それとも、ボッシュか?﹂ デスダンは26歳、従士のティンバー家の次男でちょっと粗暴な ところもあるが、気のいい男だ。26まで結婚出来なかったのは兄 のショーンの嫁になったテミスのことが好きでショーンが結婚した 時に家を出て冒険者をやっていたからだ。最近になって怪我をして 冒険者を引退して村に戻ってきたのだ。ボッシュは同じく従士のド 386 ンネオル家の次男で24歳、偽装しているミュンとは同い年になる から、問題はない。ボッシュは大人しいタイプで従士を継いだ長男 のラッセグをよく補佐している。大人し過ぎて奥手なのが結婚でき なかった原因だと言われている。 ﹁え? ボッシュはそんなんじゃ⋮⋮﹂ デスダン無視かよ。でも大当たりっぽいな。ちょっと表情が変わ った感じだ。 ﹁そうか、そうだよな。ボッシュは大人しいし、従士って柄じゃな いよな﹂ ﹁ボッシュは誰にでも優しいから⋮⋮。それに、剣だって使えます よ﹂ ほうほう。 ﹁だって、もう従士のパトロールにも行ってないだろ、大した事な いだろ﹂ パトロールは10日置きくらいにヘガードや従士たちが領内の森 を見て回り、ゴブリンなどの魔物から村を防衛するために間引きの ように魔物狩りをする行為を言う。ファーンもいつからか同行させ ろと言っているらしいが、成人していないことと、騎士にもなって いないのでヘガードは成人した従士達やその兄弟しか連れて行って いない。俺が生まれた頃にラッセグが19で結婚しドンネオル家が 安泰になったので弟のボッシュは従士の訓練を止めて農地での農作 業をしていたのだ。 387 ﹁そんなことはありませんよ、ボッシュはちゃんと戦えます!﹂ なんだよ、答え出てんじゃんか。 ﹁なら問題ないじゃないか。ボッシュとダングルに言えよ。それと も俺から言った方がいいか?﹂ にやにやしながら言う。俺、さいてー。 ﹁え? でも、その⋮⋮ボッシュは胸の大きな子が好きだって⋮⋮ 昔はアンの胸ばかり見てたし⋮⋮﹂ ボッシュ、むっつりかよ。アンは兎人族の農奴で胸がでかい。カ ップはいくつか知らないが、とにかくでかい。 ﹁男はみんなそうなの。それにアンは兎人族じゃないか。だいたい、 それ、いつ聞いた話だよ? 今なら違う答えが返ってくると思うぞ﹂ うん、全く根拠ないけど。ちなみに異種族間の婚姻は可能ではあ るが子供が生まれにくいのであまり行われない。バークッドにも普 人族の男と猫人族の女の夫婦はいるが子供は生まれていない。全く 可能性が無いわけではないらしいのだがかなりの低確率でしか妊娠 に至らないらしいのであまり推奨はされていない。 ﹁⋮⋮そうでしょうか?﹂ 不安そうに言うミュン。美人ではないだろうが人並みの器量は持 っているのでこんな表情をするとちょっとかわいく見えるな。 ﹁俺からボッシュにそれとなく気持ちを聞いてやってもいいんだぞ 388 ?﹂ なんだか保護者な気持ちになってきた。日本でも昭和の中ごろま で親が結婚を決めることはよくあったし、なんとなく、なんとな∼ く、そんな気持ちになっていたようだ。 ﹁アル様はまるで大人のようにいろいろと気がつきますね⋮⋮﹂ じとっとした目でそんなことを言って来た。ふん、ミュンには今 更何を遠慮することがある? ﹁どうすればいいのかゲロ吐くほど考えればそうそう間違ったこと は言わないよ。歳は関係ない﹂ ﹁まったく⋮⋮ファーン様のようなことを言わないでください﹂ すぐばれるな。 ﹁ファーン様は本当に思慮深くお考えの上にいろいろ鋭いことを仰 られますが、アル様は自然に出てきているような感じがします。本 当に子供ですか?﹂ ﹁生まれた時から知ってるだろうが、で、どうするんだよ?﹂ ミュンは夜空を見上げると静かに言った。 ﹁ボッシュとお養父様には私から申し上げます。駄目でもそのほう がいいです﹂ ﹁⋮⋮そうか⋮⋮頑張れよ﹂ 389 そう言うしかないだろ。 その晩は魔物を狩りに行く雰囲気じゃ無くなったのでミュンをか らかいながら帰った。 ・・・・・・・・・ ところで、鍛冶の方だがこちらはかなり軌道に乗って来た。ゴム 製品による豊富な資金力で鉄鉱石を買い、農具や鍋釜も村で生産で きるようになった。基本的には鋳物に近いが金属製品が村で製造で きるのは大きい。需要の問題で日用品の製造が優先されているが俺 が魔法で生成・選別した鉄を使っての鍛造も細々と続けている。尤 も、殆ど全てアルノルト頼りだが。完全ではないのだろうが、俺の 64式銃剣もどきも鋳造品よりはかなり性能も高いのでヘガードも アルノルトも地金を叩くことでの鍛錬の大切さを理解したようだ。 最近は鉄以上に丈夫な合金をつくろうとしてステンレスの製造に 挑戦している。鉄に対してニッケル10%弱、クロム15%強くら いの割合だったはずだ。将来的にライフリングが切れる銃身を作成 したいのでまず適当でもニッケル・クロム鋼のステンレスを製造し、 それを改良していけばいいだろう。合金は基本的には魔法で温度を 上げて混ぜればいいのであまり苦労しないで作れる。火魔法を収束 させて温度を上げ、無魔法でそれを加速︵という表現も適当ではな いが︶してやれば合金を作るために必要な温度をひねり出すのはそ う難しいことではない。MPを大量に使うだけだ。 390 こうしてみると、無魔法でいろいろなものから分子・元素・原子 レベルで選別できることは非常に有用であることがわかる。今は金 属を中心にやっているが、金属だけでなくその他のいろいろな物質 から含まれている元素を取り出せることもわかった。それなりにM P消費はするものの酸やその他の重要になると思われる元素も分離 できることがわかった。 あれ? じゃあ元素を混ぜて分子を作ることもできるのかな? 391 第三十一話 恋︵後書き︶ さて、アルくんはいろいろ試しています。成功もありますが当然失 敗も多いです。失敗は成功の母ですね。 392 第三十二話 いろいろと思うこと バークッドでは小麦のほかに大麦やライ麦、各種野菜やイモ類な どの根菜、綿花やタバコなども栽培している。今回話す中で重要な ものは綿花だ。こいつを魔法で分離選別した硝酸と硫酸に漬け込み しばらく放って置く。その後水魔法でも何でもいいがよく煮込むと 同時に洗い、更に籠の中に入れて流されないように紐で何かに結び つけて川に沈める。同時に紛れ込んでいたゴミなどの不純物を完全 に取り除く。あとは乾く前に出来るだけ細かく裁断して粉状にまで 出来れば言う事はない。 粉状にまでしなくて綿のままでもいいが使いにくいのだ。何を作 っているかというとニトロセルロースだ。銃弾の薬莢の中に入れる 火薬の主原料と言った方が通りが良いかも知れない。本当は粉にし てからトルエン︵こいつも石油や場合によっては特定の木からも作 れる︶から酸で処理をしたジニトロトルエンをちょっと加えて可塑 剤兼燃焼抑制剤であるフタル酸ジブチルを混ぜれば一般的に言う無 煙火薬になる。フタル酸ジブチルはなくてもいい。本来は更に安全 のために安定剤を加えたほうがいいが、今は別にいい。火薬として 必要なものはニトロセルロースだけで、あとは添加剤として使うも のだ。なので、安全や劣化に気を配らないのであればニトロセルロ ース以外はいらない。 ちなみにニトログリセリンのために植物油からグリセリンを取り 出そうとしたがあまりにも効率が悪いのであほくさくなってやめた。 また、酒類を醸造する際の糖分から作り出そうとしたが、酒を盗み 飲みしようとしていると誤解されたので当面ニトログリセリン製造 は諦めたからコルダイト火薬は作れない。多分防衛大学校で特定の 393 授業を習っていない人間だとそもそも発想すらできないだろうから 別にいい。 硝酸や硫酸は硝石︵北の山にごろごろしている︶やミョウバン︵ 動物の皮をなめすのに使う︶から幾らでも分離選別できるので問題 なく作れることは確認済みだ。最初はほんのちょびっとだけ作って みた。乾いた処理済の綿花だったものに火をつけてマグネシウム程 ではないがかなりの光とともにあっという間に燃え尽きて灰が残ら ないか殆ど残らなければ成功だ。 何度か失敗したが、概ね出来るようになった。今は俺の拳ほどの 量の綿花で試しているので出来上がっても量はほんのちょっとなの で失敗して爆発したりするような量でもない。また、安定剤なども ないのでちょっとした温度変化や湿気にも弱いが、ニトロセルロー スを作ることは出来たようだ。 ふむ、ステンレスと併せれば最悪でも火縄銃はいけるな。これが 確認できただけでも今のところは充分だ。あとはおいおい、という かバークッドではやらない方がいいだろう。いつか小規模でも完全 な俺の領地が出来たときだ。 領地が出来なかったら? ⋮⋮そのままお蔵入りに決まってる。 いや、俺用に少数だけ何とかするくらいか? とにかく今はこれでいい。 黒色火薬? あんな簡単なもの、すぐに真似されるだろうし魔法を介さない火 薬を作りたくなんかない。いつか敵にまわるじゃないか。 少なくとも魔力を大量に使わなければいけない物であれば俺の生 きている間くらいはそうそう真似されないだろうし出来ないはずだ。 394 いやらしい言い方をすれば刀剣類や弓の改良くらいはある程度の 技術など流出しても大きな問題にはなりにくいだろうが、銃砲類は 駄目だ。絶対に俺の陣営以外で使われないようにしないといけない。 来るべき時までは絶対の秘密だ。いろいろなアドバンテージを持っ て生まれた俺だが、死ぬときは簡単に死ぬだろう。これから体を鍛 え、レベルアップしていけば刀剣や弓などではこちらには魔法もあ るからよほど運が悪くないと即死はそうそうないと思いたいが、銃 だけは即死の危険が付きまとう。下手したら遠くからレベルの低い やつの放った弾丸や、場合によっては流れ弾などで致命傷を負う可 能性がある。 銃は刀剣や弓と比較しても短い訓練期間で扱えるようになること も利点だが同時に敵に銃が存在する場合、短所にもなる。俺自身が 使用する場合も注意が必要だろう。当面は誰にも見られない場合に しか使えないだろう。だから今は銃の試作すらしたくはない。 今のところ火薬と銃の話はこれで終わりだ。 ・・・・・・・・・ さて、いつもの村の話に戻ろうか。 ファーンが騎士団に入団する前に、1つだけやらなければいけな いことがある。それは餞別の作成だ。ファーン用のゴムプロテクタ ーは勿論だが、ファーンは14歳になったばかりでこれからも暫く は体の成長があるだろう。特にここ数年は大きくなるはずだ。プロ 395 テクターを作ってもすぐに使えなくなってしまうだろう。ある程度 の密着は捨て、暫く使えるようにしたほうがいいだろう。 が、プロテクターはおまけなのでやらなければいけない事では無 い。俺は赤ん坊の時にファーンに剣で守られた。だから、剣を贈り たかったのだ。ステンレス鋼による剣も作ってみたが耐久性や切れ 味などは今までのほぼ鋳造だけで作られている剣とは比較にならな いほど優れていたが、手入れが面倒だ。刃を研ぐのが手間だし、単 純な切れ味は俺の持つ64式銃剣もどきの方が上だと思う。錆び難 いのは大きな利点だが、剣の手入れをしっかり出来るならあまりア ドバンテージにはならない。 ここは64式銃剣もどきを更に改良して大型化したほうがいいだ ろう。ヘガードとアルノルトに相談してみると二人とも賛成してく れた。ヘガードは騎士団で剣は貸与してくれるとの情報も言ってく れたが、鍛造の剣の性能についても理解を示しているので俺の考え には喜んで賛成してくれた。おそらく本物の日本刀ほど優れたもの など作れようはずも無いだろうが、オースの場合、鋳造やステンレ スの剣より優れてさえいれば文句は無いのだ。別に俺も日本刀を再 現したいわけでもない。 へガードはすぐにドーリットまで行って良質な鉄鉱石を買ってき てくれようとしたが、俺は自身で選別した鉄を使いたかったのでそ う言って見るとあっさりと許可された。今まで貯めていた3Kg程 の鉄をすべて使い尽くすつもりで剣の製造が行われた。鑑定を使い 続け、鉄材の耐久力の変化を見ながらとにかく二人に鍛えてもらっ た。剣はファーンが出発する4日程前に完成した。 ︻ロングソード︼ ︻鍛造特殊鋼︼ 396 ︻状態:良好︼ ︻加工日:26/3/7436︼ ︻価値:879000︼ ︻耐久:4160︼ ︻性能:120−190︼ ︻効果:無し︼ 切れ味なんかは非常に優れていたし、耐久性も高い。 ちなみにヘガードが使っている長剣は ︻ロングソード︼ ︻鉄︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:3/9/7418︼ ︻価値:112400︼ ︻耐久:610︼ ︻性能:82−152︼ ︻効果:無し︼ だし、俺が未だに隠し持っているブロードソードは ︻ブロードソード︼ ︻鉄︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:3/9/7428︼ ︻価値:97500︼ ︻耐久:500︼ ︻性能:100−150︼ ︻効果:無し︼ 397 という程度だ。ああ64式銃剣は ︻ショートソード︼ ︻鍛造鋼︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:4/5/7435︼ ︻価値:291000︼ ︻耐久:1520︼ ︻性能:95−115︼ ︻効果:無し︼ ショートソードだってさ。 剣とプロテクターを贈られたファーンは感激していた。 喜んで貰えるのは嬉しいものだな。 研ぐときは水ではなく、オリーブオイルなどの油を使うことと、 手入れの最後には刀身に油を薄く塗っておくのを忘れないように伝 えるとファーンは ﹁必ず2年で騎士になって見せます﹂ とヘガードに誓っていた。 お、俺には? 程なくしてファーンはヘガードや護衛の従士達とともに村民に見 送られながらバークッドを旅立っていった。 ・・・・・・・・・ 398 更に一月が経過した。 明後日はミュンの結婚式だそうだ。 あれからボッシュといい仲になったのは聞いていたので知ってい たのだが。 結婚が決まったことは俺はちょっと前まで知らなかった。 あんだけ発破をかけてやった俺に一言も無しかよ。 おっちゃんは悲しいよ。 前世でも社内で誰かが結婚する場合、直前まで知らなかったなん てことは無かったのに⋮⋮。 そう言えば俺の部下の結婚が決まったときなんか、真っ先に俺に 報告に来た。 とか思って不貞腐れていたらミュンが馴れ馴れしく話しかけてき た。 ふん、所詮は間者かよ。 俺のことなんてどうでもいいと思ってたんだろ。 ﹁アル様、今晩あたりいかがですか?﹂ 夜の狩りの誘いだ。 腹が立つから断ろうかと思ったが、二人きりになれる最後かもし れないので文句でも言ってやろう。 ﹁わかった﹂ これで終わりだ。時間はいつも20時から21時くらいの出発な ので打ち合わせる必要は無い。 399 その晩、いつも落ち合う場所に行くとミュンは既に来ていた。 ミュンは俺が傍まで来ると言う。 ﹁アル様、最近私のことを避けていませんか?﹂ もう遠慮はいらねぇ。 ﹁当然だろ﹂ ﹁何故です?﹂ 何を言っていやがる。 ﹁胸に手を当ててよーく考えてみろよ﹂ 本当に胸に手を当てて考え込み始めた。あほか。 ﹁わかりません。何か失礼なことでもしましたでしょうか?﹂ どうやら本当に解らないらしいな。まぁいつまでもへそを曲げて いても大人気ない。子供だけど。体は子供、でも心は大人な俺は広 い心で許すべきか? ﹁ふーん、わからないんだ? 俺が言わなきゃボッシュと一緒にな れなかったのに﹂ ﹁え?﹂ ﹁結婚するって聞いたのなんか5日前だぞ、しかも父様からだぞ﹂ 400 ﹁それが、なにかまずかったですか?﹂ なん⋮⋮だと? ﹁はぁっ? おかしいだろ? 普通最初にミュンから俺に言ってき てしかるべきだろう? しかもこんなギリギリまで俺は知らなかっ たんだぞ? いきなり父様から聞かされた俺のショックはでかかっ たんだぞ!﹂ ﹁いえ、私も結婚を聞いたのは5日前ですが?﹂ ﹁えっ?﹂ ﹁えっ?﹂ 何かおかしい。話が変だ。 ﹁えっ? ミュンかボッシュが結婚するって決めたんだろ?﹂ ﹁えっ? 何故私が? 私はトーバスの一人しかいない娘ですし、 ボッシュが婿入りしてくればボッシュがお養父様の跡を継いで従士 になるじゃありませんか。勝手に結婚なんか決められるはずありま せん﹂ えっ? そうなの? 驚いて何も言えない俺にミュンは言葉を継 ぐ。 ﹁当たり前です。従士の跡継ぎのことですから、お養父様と旦那様 が決めるに決まってるじゃないですか?﹂ 401 あら? じゃあミュンも知らないうちに結婚が決まったのか? ﹁常識ですよ。トーバスの家に私より上の兄弟がいるか、下でもお 養父様が跡継ぎに決めた兄弟がいれば別ですけど、勝手に結婚なん か出来るはず無いでしょう?﹂ あらら? 言われてみればそれもそうか、と思う。 ﹁じゃあ、結婚を決めたのはダングルと父様なのか?﹂ ﹁そりゃそうでしょう。ドンネオルの家の家督は今はラッセグが持 っていますからラッセグには話くらいは通したでしょうが﹂ ﹁じゃあじゃあ、ミュンかボッシュが本当は結婚したくないと思っ ていたら?﹂ ﹁もしそう思っているなら、私はボッシュに何も話さなかったでし ょうし、ボッシュも私から話があったときに断っているでしょう﹂ ﹁いや、そうじゃなくて、付き合った後で、ああ、やっぱりこの相 手はダメだと思ったら、だよ﹂ もう、理解が悪いな。 ﹁付き合うってなんですか?﹂ ﹁え?﹂ ﹁ですから、付き合うというのはどういうことですか?﹂ 402 そこからかよ⋮⋮。 ﹁だから、結婚する前や、結婚するような年齢でもないときでも好 きな人ってのは出来るだろ? そういうときに、お前が好きだ、付 き合ってくれって言うじゃんか。で、相手がそれを了承したときに 付き合いは始まるんだろ? だいたい、お前、ボッシュに何て言っ たんだよ﹂ ﹁それは、決まってます。好きなので結婚してほしいと言いました が﹂ なんと⋮⋮。途中全てすっ飛ばしていきなりそこかよ⋮⋮。ん? まてよ? ﹁ひょっとして、結婚前になんだ、その⋮⋮、キスしたり遊んだり しないのか? 俺は結婚前のそういう状態のことを付き合うと言っ ているんだが⋮⋮﹂ ﹁ああ、そういうことですか。家の相続が絡まない人たちはそうい うこともあるようですね。ですので私には縁の無い話です﹂ お、おう。そうなのか。覚えとくわ。 ﹁そうだったのか。ならミュンから結婚の話が聞けなかったのは仕 方ないのか⋮⋮ごめん、ミュン。勝手に俺が考え違いをしていたよ うだ﹂ 俺はミュンに詫びると、おそるおそるミュンを見上げる。 ﹁もう⋮⋮大丈夫ですよ。怒っていませんから﹂ 403 ミュンはそう言って笑うと俺を抱きしめてくれた。 出来ればミュンには幸せになってほしいと思う。 俺に何か出来るだろうか? 武器なんか今更だろうし、ゴム製品なんか腐るほどある。 ちょっと考えてみよう。 404 第三十二話 いろいろと思うこと︵後書き︶ 設定資料に最初から記載のあった綿花はこういう使われ方なのでし た。 ところで、アルの技術開発は当分なくなると思います。 当然ゴム製品の新規開発や鍛冶で農機具や武器は開発し続けるでし ょうが、技術的な開発を含むアイテム開発は暫く無くなります。 分子だとか酸の分離だとかいうようなちょっとファンタジーくさく ない単語とは暫しお別れです。 ファーンは暫く出番が無いのでちょっと現時点のステータス置いて おきますね。 ︼ 今後はこのスペースを使っていろいろデータを置くようにしてみま す。 ︻ファンスターン・グリード/18/2/7423 ︼ ︻男性/21/1/7422・普人族・グリード士爵家長男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:5︼ ︻HP:65︵65︶ MP:334︵334︶ ︻筋力:11︼ ︻俊敏:11︼ ︻器用:8︼ ︻耐久:9︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.4︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.5︶︼ 405 ︻経験:19213︵28000︶︼ 406 第三十三話 咆哮 ミュンとの狩りの翌朝、俺は飯を食いながら考えていた。ミュン にはかなり世話になった。バークッド近郊の狩り場をいくつも教え て貰ったし、そこにいる魔物毎に異なる効率的な狩り方や弱点、ま た、魔物についての知識。オースのいろいろな常識やロンベルト王 国やデーバス王国のこと。数え上げたらキリがない。冷静に考えて みるとミュンがいなかったり、あの時ミュンを殺してしまっていた ら今の俺はない。 魔物を狩ることによって得た経験︵経験値だけじゃない、戦闘の 心得や知識などの方が大切だと思う︶や、オースで生活していく上 で欠かせない常識や知識。これらはある程度は放っておいてもいつ かは得られるのかも知れないが、早く得ることについては全く問題 ない。ミュンは文字通り俺の先生だ。 先生の人生の新しい門出に対して何かしてあげたい。物や現金を 贈るのは日本では一般的だったが、物はともかく、金は持っていな いし、現金を得られる状況にもない。だいたい、今迄バークッドで の結婚は金品を贈っているのを見たことはない。そもそも贈り物を 出来るほど裕福ではない。ただ、宴会をして終わりだ。あとは年に 一回来る司祭に結婚の儀式をしてもらって本当に最後だ。 俺が難しい顔をして考え込みながら飯を食っているのに気がつい たのだろう、その日の朝の魔法の修行の時に、ミルーが俺に話しか けてきた。もう既に二人共極度な集中までしなくても簡単な魔法を 使うことは問題ない。と言ってもレベルが低い魔法に限られている ので、ある程度効果の高い魔法を使うときにはやはりかなりの集中 407 は必要だ。 ﹁ねぇ、アル、どうしたの? 朝ご飯の時から何やら変な顔をして いるけど、どこか、そう、おなかでも痛いの?﹂ ﹁いや、どこも痛くはないよ、姉さん。ちょっといろいろ考えてた だけだよ﹂ ﹁ふーん。ゴムのこと?﹂ ﹁いや﹂ ﹁じゃあ、鍛冶のこと?﹂ ﹁いや﹂ ﹁ああ、畑仕事のことね?﹂ ﹁いや﹂ ﹁じゃあ、何よ? 何か心配事でもあるの? 明日はミュンの結婚 の宴会なんだから、そんな小難しい顔してちゃダメじゃない﹂ ミルーはそう言って話を切り上げようとした。 あ、ミルーに聞いてみようか? ﹁姉さん、その⋮⋮ミュンが結婚するにあたって何かしてあげられ ることはないかな? ミュンは、その、ずっと一緒だったし⋮⋮﹂ ﹁ああ、そういうことね。アルはミュンに何か贈り物とかしてあげ 408 たいの?﹂ 話が早いな。って、ああ言ったら誤解しようがないよな。 ﹁うーん、普通は家具とか服とか贈るわねぇ⋮⋮でも今からじゃ揃 えられないし、遅すぎるわよね⋮⋮﹂ え? 普通家具とか贈るのかよ⋮⋮。 知らなかった。 ﹁でもね、一番は食べ物よね。ほら、一昨年だっけ、もう少し前だ っけ⋮⋮。ザールが結婚したときの宴会でケリーが仕留めたブンド 鳥が出たじゃない﹂ ﹁ああ、そうだね、あれは美味かったなぁ⋮⋮﹂ あの時の事は覚えてる。あれは本当に美味かったのだ。ブンド鳥 はあれ一回しか食べたことは無いけれど、強烈に記憶に残っている。 今まで何回か結婚の宴会は行われたが、あの時の印象は強いな。結 婚の宴会の時には当然贅を尽くした料理が振舞われるのだが、大抵 の宴会の食材は狼人族で狩人のドクシュ家から買うのだ。 バークッドでは動物性蛋白の供給源は、多くの農家で飼っている 鶏とその卵、あとは豚だが、狩人も大切な動物性蛋白の提供者だ。 鶏肉と豚肉だってしょっちゅう食えるわけではないのだ。鶏はとも かく、豚は飼料の関係から飼っている農家も少ないし、村全体で毎 月一頭から二頭くらいを食べているに過ぎない。小さいとは言え4 00人以上の人口があるから100∼200Kg程度の豚︵飼料が 豊富なわけでもないのでバークッドの豚は日本の食用に飼育されて いる種類の豚ほど大きくはならない。品種も異なるようだ︶の可食 409 部分など一人当たりいいとこ2食かせいぜい3食だ。 ホワイトデアー それではいくらなんでも少ないので狩人が狩ってくる獲物は予約 制で必ず売れる。たまに白毛鹿やデングボアー、ジャイアントトー ド、グリーンクロコダイルなど大物が獲れた時も問題なく売れる。 1家族では多過ぎるし、とても代金は払えないが、共同で買うのだ。 大物の時は当家も金を出すことが多く、領主ということもありいい 部分を廻してもらえる。 だが、総じてあまり美味くはない。尤も、皆は旨い旨いと言って いるのでそれなりに上等な食材ではある。単に俺の舌が前世の関係 で肥え過ぎているだけだ。そんな食材達の中では例のブンド鳥はあ まりにも鮮烈だった。日本でもあれ以上の肉はそうそう記憶には無 い。かつて出張や旅行の時に食べた松阪や神戸などのブランド牛な どにも劣らない肉だった。鳥なのにあまり筋張ってなく、それはそ れは美味かった。 そうだ、ミルーの言う通り﹁いい結婚の宴会﹂は語り継がれ羨望 の的になる。何かいい食材を提供できたらそれこそいい贈り物にな るのではないだろうか? ﹁姉さん、わかったよ。僕は今日はこれから狩りに行こうと思う。 まだ朝も早いし、父さまに許可を貰ったらケリーのとこに行って頼 んでみるよ﹂ ﹁ええっ? だってもうトーバスの家で注文してるでしょ? ジャ イアントトードの脚も10匹分既に用意があるって聞いたわよ?﹂ ﹁いいんだ。僕が贈りたいだけだから﹂ 410 ﹁でも、アルだけだと危ないから父さま、絶対許可してくれないと 思うわ﹂ ﹁⋮⋮お願いしてみるしかないよ。場合によっては父さまに同行し てもらえるようにお願いしてみる﹂ ﹁⋮⋮しょうがないわね。私も行くわ﹂ ﹁えっ?﹂ ﹁私ももう12だし、私とケリーも一緒なら父さまもそうそうダメ とは言わないんじゃないかしら。でもケリーだけは絶対に一緒じゃ ないとダメよ。ケリーが仕事に行く前に捕まえておかないといけな いわね⋮⋮。とにかくケリーに先に声をかけてそれから一緒に父さ まの所へ行ってあげる﹂ ﹁⋮⋮ありがとう、姉さん﹂ それから俺達はケリーの家を目指して走り、狩りに出発するドク シュ一家を捕まえると事情を説明し、出発を待ってもらい、従士と 訓練中のヘガードのところへ行き、ケリーだけでなくその両親の狩 人一家に同行し、ミュンの結婚の宴会の獲物を狩りに行きたいと告 げると、ヘガードは俺とミルーに魔力残量を尋ねた。二人共朝の魔 法修行はすぐにそっちのけで話していたからまだ充分に残っている。 ミルーは2割ほど使用していたが俺は6000MP程残っているか ら一割も使っていない。二人共まだ充分に魔力があると告げるとヘ ガードは従士長のベックウィズを呼び、お目付け役として同行させ た。ドクシュ一家の狩りの邪魔をさせないようにと、ベックウィズ に念を押し、俺達には気を付けていくように、と告げると訓練に戻 った。 411 許可が出たのはケリーだけでなくその両親のザッカリーとウイン リーも一緒であったことも理由だろう。彼らに先に話を通しておい て良かった。 ・・・・・・・・・ 俺はスリングショットと64式銃剣を用意し、ミルーはファーン から譲り受けたショートソードと俺のと同じ型のスリングショット を用意していた。ベックウィズはロングソード一本だ。防具はベッ クウィズは上半身だけプロテクターを装着し、俺達姉弟は肩と肘、 膝部分だけ付けている。三人でケリーの家までいくと既に狩人一家 も用意を整えて待っていた。俺は同行の許可を貰えたことを報告し、 同行させてもらえることの礼を述べると早速出発となった。 今日は村の東部の森を目指す予定だったらしいが、大物を狙うと いうことでわざわざ北部の森を越え、北西部の山地を目指すらしい。 予定では夕方には帰るとのことだったが、獲物の追跡状況によって は明日までかかる可能性もあるらしい。明日はミュンの結婚の宴会 なのでなんとしても今晩中には帰りたい旨を告げると、笑いながら 大丈夫だと請け合われた。 さぁ、出発だ。ザッカリー達ドクシュ一家は全員弓とナイフで武 装し、流石に耐久力や腕力に優れた狼人族だけあってゴムプロテク ターを全身に装備していた。見れば腰には散弾タイプのスリングシ ョットもぶら下がっている。そう言えば騎士団やキンドー士爵以外 412 の最初の顧客は彼らだった。 ﹁そう言えばアル様。この散弾タイプのスリングショットは良いも のですなぁ。鳥を撃つのにこんな素晴らしい物はないです。大きな ものは流石にダメですが、うずらを撃つのに丁度いい。弾がある程 度拡がるから外すことも滅多にないですし﹂ ザッカリーがスリングショットを褒めてくれた。 ﹁それにこのプロテクターも素晴らしいです。鹿の角も怖くないで すし、軽いし、体に合っているので動きやすいのはありがたいです﹂ ウインリーも装着しているプロテクターの胸を叩きながら笑いか けてくれる。多少はお世辞や追従もあるのかも知れないが、その喋 り方や口調には実感がこもっている事を感じさせてくれ、俺はちょ っといい気分になり、和気藹々と北西部の山地に向かっていった。 出発したのが7時頃だったか、3時間程歩くと北西部にある山地に 到着した。ここまでの行程でうずらを6羽とフォート鳥と言うムク ドリに似た鳥を3羽狩ることに成功したが全てドクシュ一家の散弾 スリングショットの成果だ。俺とミルーは散弾タイプのスリングシ ョットを持ってきていなかったので見ていただけだ。取り敢えず9 羽の獲物はゴム引きの布袋に入れて口を縛り、目印によく使う木に ぶら下げておく。ゴム引きの布袋に入れてきっちり口を閉じれば臭 いが漏れずほかの動物に食べられることもないのだそうだ。地味に いい仕事しているな。 20分程の小休止の後、いよいよ山地に足を踏み入れる。山地と は言ってもここら辺は北部の山地のように石や岩がゴロゴロしてい るということもなく、森林の延長のようなものだ。ひぃひぃ言いな がら狼人族一家の後を付いて、一時間程進んだ頃だろうか、狩人た 413 ちが全員しゃがみこんで前方を窺いだした。10m程の間隔を開け て付いていた俺達もしゃがみ込み、そっとケリーのそばまで行くと 聞いてみた。 ﹁どうした? 何かいるのか?﹂ ケリーは真剣な表情で前方を窺いながら俺の方を横目で見ると ﹁まだ判りません。でも親父が何か見つけたようです﹂ あ、鑑定を忘れてた。俺は鑑定を発動し、そっと前方を窺う。 因みに、固有技能の射程は通常の魔法の射程の倍程もある。魔法 はレベルあたり20mなので最高200mだ。俺やミルーの場合、 魔力をつぎ込むことで射程を更に伸ばすことも出来るが。 レベル 射程 0 10m 1 20m 2 40m 3 70m 4 110m 5 160m 6 220m 7 290m 8 360m 9 450m 俺の鑑定は450m程先まで見通せるが、仮に450m先に誰か いても気づく自信はない。こんな森の中で視線を木や木の葉に邪魔 されるとその先の輝度が変化してもそれが人か中途半端に一部分だ 414 け見えている木かの判別はつかない。どうしても判別したいのであ れば鑑定先を決定し、ウインドウを見るしかない。当然隠れていた りして一部分しか確認できなければそもそも気づかないことも有る。 ちゃんと見分けがつくのは視界が開けているか、鑑定を繰り返し使 ってウインドウを見るしかない。実用レベルで言えばこの程度の森 林だと200mがいいところではないだろうか。 そっと前方を選択モードの鑑定でスイープしてみる。 ⋮⋮わからん。 MPの無駄遣いを承知で偶然に任せて連続鑑定をしてみようか? その時、ウインリーがそっと中腰になるとさっと10m程前進し、 木の幹に隠れた。ザッカリーも直後に移動を開始してウインリーか ら少し離れた木の幹に身を寄せる。ケリーもザッカリーの隣の木に 身を寄せた。俺とミルー、ベックウィズはどうしていいかわからず、 しゃがんで様子を窺っていることしか出来ない。 やはり何らかの獲物はいるようだ。俺は鑑定を使いながらザッカ リーとウインリーの見つめる方向を中心に集中する。⋮⋮わからん。 と思ったら俺はどうも見当違いの方向を見ていたようだ。俺はてっ きり大型の動物か魔物がいて木の幹などで隠れて見づらいか、鳥な どがいて木の枝や葉に隠れているだけだと思い込んでいたのだが、 それは大きな間違いだった。彼らが見つめている方向と俺が見てい る方向自体は合っていたが、彼らは地面を見ているようだ。 俺は視線の中心を地上1mくらいから上にばかり注意を払ってい たので気づかなかった。4∼50m程先の地面の一部が不自然に鑑 定対象として選択できることに気づいた。だいたい直径10m程の 415 ︼ 不定形に鑑定できる。 ︻ ︻無性/21/10/7433・ブラウンスライム︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:3歳︼ ︻レベル:2︼ ︻HP:125︵125︶ MP:1︵1︶︼ ︻筋力:0︼ ︻俊敏:1︼ ︻器用:1︼ ︻耐久:62︼ ︻特殊技能:溶解︼ ︻特殊技能:分裂︼ なんだ、スライムか。俺は前世で遊んだド〇クエを思い出して勝 手にザコだとランク付けした。耐久力が高いだけのザコだと思った のだ。だって、スライムってよく名前を聞いたし、RPGでだって 序盤のザコだろう? 狩人たちが戻ってくるとザッカリーが言う。 ﹁アル様、ちょっとまずいです。スライムがいます。戻って別の道 を行きます﹂ 何を言っているかわからない。 ﹁え? スライムだろ? 矢でも撃ち込んでやれば直ぐに倒せるん じゃないのか?﹂ 416 ザッカリーは俺の言葉にちょっと吃驚したようだが、教え含める ように言った。 ﹁スライムには矢も剣も効果ありませんし、あれで結構危険なので す。傍まで近づくと一気にくるまれて溶かされてしまいます。この 森でも危険な魔物のトップクラスですよ﹂ え? そうなの? そう言えば例のゲームみたいにお団子のよう な形もしてない。地面に広がっているだけだ。少し茶色がかった粘 液のような感じだ。茶色がかっているため遠目には少し濡れた地面 とそうそう見分けはつかない。 ﹁お前でもダメだろうか?﹂ 同行してきた従士長のベックウィズに聞く。 ﹁ちょっと、無理ですね。お屋形様でも無理だと思います。いつも 見回る辺りにはスライムは滅多に居ないので問題になることはない ですし、それにスライムはゴブリンなどを食ってくれますから見か けても進路を変えるだけですね﹂ うーん、ベックウィズでもダメどころか、親父でもダメなのか。 でもなぁ、進路を変えたら時間かかっちゃうしなぁ。粘液に見える から火魔法で焼き払ったらどうだろう? 山火事にならないように 気をつけるか焼き殺したあとに水魔法で水でもかけておけばいいん じゃないだろうか? ﹁火魔法で焼けばどうかな? あのくらいなら一気に焼けるぞ﹂ ベックウィズとザッカリーに言ってみる。 417 ﹁え? 魔法ですか⋮⋮。魔法なら行けるかも知れんな、どうだ?﹂ ベックウィズがザッカリーに尋ねた。 ﹁ちょっと判りかねます。私は火魔法は使えないので⋮⋮﹂ ザッカリーが答えると俺はそこに畳み掛けるように言う。 ﹁なぁ、火魔法で焼き払えるなら試してみたい。駄目なら引こう。 それとも攻撃されたスライムはいきなりここまで来るほど素早いの か?﹂ ﹁いえ、獲物がすぐ傍にいればそれなりに速いですが、ここからな ら距離もありますし、まだ気づかれても居ないので大丈夫しょうが ⋮⋮﹂ ザッカリーはそう答えるとウインリーを見た。 ﹁そうですね、試してみて駄目なようならすぐに引けばそう危険は ないでしょう﹂ そうウインリーが答えてくれたので俺はやってやろうと胆を決め た。 ﹁よし、じゃあ行くぞ﹂ スライムに向けて左手の掌を向けると同時にレベル5相当の火魔 法を絨毯状に無魔法で整形しながら飛ばした。使用MPは火魔法で 5、整形で5、飛ばして3だ。火魔法には特に追加のMPを注ぎ込 418 んでいないので温度は恐らく乾燥した木材に瞬時に引火できるくら いの300度前後と言ったところだろう。単に点火するだけなら時 間さえあればもっと低い温度でも火はつくのだろうが、何も考慮せ ずに火魔法を使うとだいたいこのくらいの温度の火が出る。冷たく しようとだけ考えると多分マイナス30度くらいの温度になる。こ の二つが火魔法の基準温度で後はMPを余計に注ぎ込むことによっ て温度は上下に調節出来る。どちらかというと温度を下げるより上 げる方が使用するMPは少ない。MPを1追加する毎に上げる場合 だと最高100度くらいは上昇出来るが、冷やす場合は同様にMP を1追加する毎に1度下げられるくらいだ。初期のマイナス30度 から300度くらいまでは感覚的に指示することで自由に変更は可 能だ。 スライムに向けて飛ばした火はあっという間にスライムの表面を 覆い尽くした。表面を火で炙られたスライムは瞬時に広がった全身 を縮めようとしたようだが、完全に縮むより先に息絶えた。鑑定し ても死体は残っていないようだ。スライムが死んだことはその死体 が鑑定できず、俺の経験値が増加していることで確認した。経験値 は750程だった。スライムのくせにすげーな。確認後すぐに水魔 法で残った火を消すと魔石の回収のために近づこうとしたが、ベッ クウィズに止められた。 ﹁アル様、まだスライムが死んだとは限りませんぞ。まずは私が近 づいてみます﹂ スライムはもう死んでいるのは確実なのだが、俺以外にそれが分 かる訳もない。危険はもうないし、止める理由もない。 ﹁ああ、わかった。頼む﹂ 419 ベックウィズは恐る恐る近づいていくが何か起こる訳もなく落ち ていた魔石を持ってきた。価値はゴブリンの魔石とあまり変わらな いようで、200あるかどうかだった。 とにかくスライムをうまく処理することも出来たのでそのまま狩 場に向かって進むことが出来た。そのまま30分も進めば白毛鹿な どの大型獣のいるいい狩場らしい。 20分ほど歩いたあと、用心しながら進みだした。ここから数百 メートル先に沼があり、水場になっているらしい。偵察にはウイン リーとケリーが出た。暫くしてケリーが幾分怯えつつも興奮した様 子で戻ってきた。 ﹁父さん、まずい。奴がいる。ヒトツメだ﹂ ヒトツメ? 一つ目か? 一体何だろう? ﹁なにっ? ベックウィズ様、まずいです。ホーンドベアーです。 目は片方潰れていますが、あいつはずる賢くて危険です﹂ ﹁何だとっ? ホーンドベアーか⋮⋮。こいつはまずいな⋮⋮。ウ ィンリーはまだ貼り付いているのか? ここは引いたほうがいいか ⋮⋮﹂ ザッカリーとベックウィズは興奮したように話している。ホーン ドベアーってなんだ? 俺はケリーに訊いてみた。 ﹁ケリー、そんなにまずいのか? 危ないのか?﹂ ﹁はい、ホーンドベアーは皮が丈夫で矢も余程近くないと通りませ 420 んし、爪で殴られたら大怪我で済めば運がいいくらいです。危険な 獣です﹂ ﹁アル、私も聞いたことがあるわ。ホーンドベアーは滅多に現れな いし、ここらでは珍しい獣よ。魔物と言う人もいるわ。父さまや母 さまは昔倒したこともあるらしいけれど、かなり強かったと言って いたわ⋮⋮でも美味しいらしいのよね⋮⋮﹂ あんですと!? ミルーの言葉に反応した。美味いのか。何とか したいな。魔法じゃだめだろうか? 火魔法だと焦げちゃうかな? ⋮⋮あ! 地魔法で包み込めば行けるんじゃないか? ﹁ザッカリー、ベックウィズ、ちょっと聞いてくれないか?﹂ 引くべきかどうか議論中の二人に声を掛ける。もう殆ど引くこと で合意しているようだが、それを無視する。 ﹁なんでしょう?﹂ ベックウィズが返事をしてきた。 ﹁ホーンドベアーと言うのは相当強い奴らしいが、かなり美味だと 聞いた。なんとか狩れないだろうか?﹂ ﹁確かに聞くところによると美味は美味らしいですが⋮⋮その⋮⋮ いまの我々だといささか持て余すと思われます﹂ ザッカリーが冷静に答える。しかし、ここで引くわけには行かな いだろう、ミュンの為に。 421 ﹁うん弓も相当近くからでないと通らないらしいな。だが、魔法な らどうだろう? 俺と姉さまで地魔法をつかって大量に土を出して それで埋めてしまえば何とかならないだろうか?﹂ 俺の考えを言ってみる。 ミルーはなるほど、といった感じで聞いているが、ミルー以外の 3人は難色を示した。 ﹁アル様、アル様ご姉弟が魔法が得意なことは解っていますが、相 手が悪すぎます。あいつはただのホーンドベアーじゃありません。 長年生きて大型化し、より強力になっています。今迄我々も何度か 見たことがありますが、あいつは只者じゃない。正直なところ、あ いつを見かけたら狩りは諦めて帰ることにしています﹂ ザッカリーが言う。そうなのか、中学生の頃連載していた犬漫画 に出てきたアカカブトみたいなもんだろうか? 猟犬が必要か? いや、狼なら三びk、もとい三人いるし⋮⋮。一緒にはならんよな。 ﹁うーん、強力と言ってもたかが熊だろう? 埋めてしまえば抵抗 もできないと思うんだが⋮⋮どうだろう? ここで倒せればこれか ら奴に怯えないで済むし、美味い飯にもありつける。ここはやって みたらどうかと思う﹂ その時、ウインリーが戻ってきた。 ﹁あなた、まずいわ、一つ目のやつ、子熊を連れているわ。風向き が変わったら私達も匂いでバレるかもしれない。戻りましょう﹂ あれれ、ちょっとまずいのかな? 子供連れの熊はものすごく凶 暴になるって聞いたことがある。オースの熊が地球の熊と一緒のは 422 ずもないが、子供がいたらそれを守るために全力で戦おうとするの は共通している気がする。うーん、ここは拘り過ぎるのは危険な気 がしてきた。誰かが怪我するのも嫌だしな。 その時、大きな咆哮が聞こえた。 一瞬で全員の体が強ばった。 423 第三十三話 咆哮︵後書き︶ 今回はミルーとケリーです。 ︻ミルハイア・グリード/26/2/7425 ︼ ︼ ︻女性/2/2/7424・普人族・グリード士爵家長女︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:12歳︼ ︻レベル:4︼ ︼ ︻HP:53︵53︶ MP:861︵861︶ ︻筋力:8︼ ︻俊敏:11︼ ︻器用:7︼ ︻耐久:7︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.4︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.6︶︼ ︻経験:15147︵18000︶︼ ︻ケリー・ドクシュ/20/3/7424 ︼ ︻男性/5/4/7423・狼人族・ロンベルト王国ウェブドス侯 爵領登録自由民︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:13歳︼ ︻レベル:4︼ ︻HP:66︵66︶ MP:3︵3︶ ︻筋力:11︼ 424 ︻俊敏:11︼ ︻器用:10︼ ︻耐久:10︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻経験:14965︵18000︶︼ 425 第三十四話 更なる覚悟 ﹃グォルッ、グォォォォォォルゥゥアァァァッ!﹄ 物凄い大音声の咆哮だった。 その叫び声を耳にしたとたん、全員の体が強張り、自由が効かな くなった。 あくまで一時的、僅か1秒程度ではあるが、確かに硬直し、動け なかった。 硬直中に慌てて目の前にいたベックウィズを鑑定してみると︻状 態:恐慌︵小︶︼になっている。また、MPも最大値から1減って いる。ベックウィズは元々多少の魔法が使えるが、それでもMPの 最大値は20もない。そこまで考えて気がついた。確かケリーのM Pは3しかなかったはずだ。MPがゼロになるとまずい! 想像通りケリーのMPは1減って2になっており、︻状態:恐慌 ︵大︶︼になっている。パニック寸前か、既にパニックを起こして いるかのどちらかで、どう考えても危機的状況だ。 何だ? 一体どういうことだ? 確かに先程の咆哮は非常に恐ろしい物ではあったが、パニックを 起こす程のものだったか? ﹃グォォッ、ゴォォォォゥゥゥアァァァッ!﹄ うわっ、まただっ! 426 今度は俺とミルー以外はすぐには動けないようだった。また硬直 が発生したと同時に鑑定してみるとケリーのMPは既にゼロで状態 は括弧のつかない恐慌だった。恐らく、完全な意味での恐慌状態と いうことだろう。あっと言う間に腰を抜かし、あわあわ言うだけで 何も出来ない様子だ。 また、大人三人も状態は恐慌︵小︶だったはずなのに、今は恐慌 ︵中︶へと変化し、多少腰砕けのような状態になって膝が笑ってい るようだ。MPも更に2づつ減っている。元々のMPが6だけだっ たウインリーは既に半減している状況なのでこっちもまずい。俺は ミルーと顔を見合わせるとまずは見るからに動ける状態ではないケ リーを引き摺って木陰に隠した。 隠しながら振り返り、様子を見るが、まだホーンドベアーの姿は 確認できない。今のうちに隠れるなり逃げるなりこちら側の態勢を 整えないとどうしようもない。だが、どう考えても俺とミルーで大 人三人に加えてケリーの面倒を見ることは不可能だ。 ﹁アル、とにかく皆を木陰に! 最悪、やるしかないわ!﹂ ミルーはそう言うとケリーを俺に任せ、膝が笑っている大人達を 押すようにして移動させようとする。やはりMPの多さなのだろう か、ミルーは俺と同様に一時的な恐慌状態からすぐに立ち直り、指 示してきた。既にミルーの状態は俺と同様に良好に回復している。 ひょっとしたらあの叫び声を聞くと恐慌状態になってしまうのかも 知れない。俺とミルーは瞬時に立ち直ることが出来たが、多少MP が多いとは言え、恐慌︵小︶の状態のまま再度あの叫び声を聞いて しまうと、恐慌状態は進行し、恐慌︵中︶になってしまうのかも知 れない。 427 俺は一瞬の間に直感的にそこまで閃いたが、今はそんな分析など している場合ではない。とにかくケリーを木陰に隠し、ミルーを手 伝わなくてはならない。⋮⋮手伝う? いや、別に手伝うことに不 満があるわけではないが、手伝っている場合か? すぐに防御を固 めるか、攻撃して無力化しないと結局後手を踏むだけじゃないのか? 取り敢えずケリーは木陰まで引き摺ることには成功した。まだ相 手が視界に入っていない今なら周囲に壁を作る時間も充分にある。 地魔法で土壁を作るか、火魔法と水魔法で氷の壁を作るかだろう。 火魔法で炎の壁を作ることも当然できるが、初期温度は300度だ。 これを100度上昇させるMPは1で済むが10秒程時間がかかる。 熊なら数百度くらいの炎の壁を突破しても多少の火傷くらいは負う かもしれないが、矢も通らないような皮膚だ。死ぬことは無いだろ う。いつかミュンや間者を拘束した時のように一気に土で押し固め るか? 数瞬の間にそんな事を考えながらミルーが押しているウインリー の手を引くように振り返った。見えた、多分250m位先だろうか、 茶色い体毛のかなりでかい熊だ。こちらに向かって四つ足で駆けて 来ている。パッと見たところ体高は2mはありそうだ。あれなら立 ち上がったら5mはあるんじゃないか? まだそうスピードは乗っ ていないようだがあの勢いでスピードを上げて駆けてこられたらこ こまで来るのにもう10秒もないかも知れない。もう考えたり迷っ たりしている暇はない。勿論悠長に鑑定なんかしている場合でもな い。 俺はウインリーの手を離すと両手を広げてホーンドベアーに向き 直り俺の使える最大の6レベルの水魔法を100倍で使い、同時に 火魔法も6レベルで100倍にしてマイナス30度の氷で固めよう 428 とした。大丈夫、まだ数秒はあるから集中は出来る! 元素魔法合 計で1200ものMPも使って縦横50m四方、高さ5mの氷の板 を俺の前方25m辺りを中心になるように出現させる。勿論、タイ ミングは考え、温度調節は初期設定で可能な下限、飛ばして狙い撃 ちではなくてホーンドベアーが丁度いいポイントに着いた瞬間に発 動させる。無魔法で操ったり、温度調節など余計なことをしなかっ た。と言うより、余裕がなくて出来なかった。 50m四方にわたって地面から急激に水が発生し、1秒と経たず、 一瞬にして水位は5mに達する。同時に俺の前に高さ5mの氷の壁 が出現する。幅50m、奥行50mの量だ。その中心部あたりにホ ーンドベアーが氷漬けにされている格好になった。周囲の木と一緒 に気泡もなく透明度の高い氷で彫像のように閉じ込めた格好だ。こ のまま放っておくと火魔法に持続を込めていないのでいずれ溶けて しまう。そう、火魔法と風魔法だけは効果を維持させるのに無魔法 の持続を重ねなければならないのだ。水魔法や地魔法は維持に魔力 を使わなくても出現させた元素は放っておけは永続的に存在するの だが。 使う魔法は別に地魔法でも良かったのだが、地魔法で発生させる 土は効果範囲の下部からではなく、上部から発生するのだ。おそら く大した違いは無いだろうが、少しでも早く足を止めたかったので 下から発生する水魔法を使ったに過ぎない。だって、水の抵抗だっ て馬鹿にはできないだろう? 今は5月で気温も20度くらいだろうか。魔力で維持をしなくて もこれだけの量のマイナス30度の氷の塊はそうそう簡単に溶けた りはしないだろうが、いつどうなるかはわからない。そもそもあん なにでかい熊と接近戦で戦うとか無理だ、と思う。俺は更に水魔法 と火魔法で10m四方くらいの量の氷を作り出し、無魔法で熊の上 429 に運び下ろして歪なピラミッドのようにしてから、恐る恐るホーン ︼ ドベアーを鑑定してみる。 ︻ ︻女性/1/7/7403・ホーンドベアー︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:33歳︼ ︻レベル:13︼ ︻HP:181︵181︶ MP:5︵7︶︼ ︻筋力:39︼ ︻俊敏:14︼ ︻器用:7︼ ︻耐久:33︼ ︻特殊技能:咆哮︼ ついでに咆哮の特殊技能のサブウインドウも見てみる。 ︻特殊技能:咆哮;威嚇のために上げる叫び声。この特殊技能にレ ベルはない。この声を50ホーン以上の音量で聞いた同レベル以下 の高等生物は精神にダメージを受けMPが減少する。減少するMP は聞いた声の音量に比例して大きくなる︵最大5MP︶。精神にダ メージを受けた生物は例外なく一時的な恐慌状態に陥り、体を意思 通りに動かすことが困難な時間が発生する。その結果MP最大値の 5%以上MPが低下した場合には恐慌状態となり、意思通りに体を 動かす事が困難な時間は最低10秒間持続する。この効果時間中に 再度咆哮を聞くと恐慌状態は深化し、体を動かすことは更に困難な 状態に陥る。この状態は最低1分間持続する。また、効果時間中に 重ねて咆哮を聞くことによってこの恐慌状態の深化は更に2段階進 行し、最終的にはMPが残っていても完全な恐慌状態に陥り、精神 がパニック症状を起こしてしまう。最終的な恐慌状態に陥った場合 430 には回復までに最低2時間が経過し、更にある程度のMPを回復さ せないと完全な回復には至らない︼ なるほど、だから俺とミルーはほんの少し硬直した程度ですんだ のか。 ケリーも時間さえ経てば無事に回復するらしいし、ホーンドベア ーは氷漬けになっているので暫くは時間がある。 ﹁ねぇ、アル。わたし、母様が昔どうやってホーンドベアーを倒し たのか言ったっけ?﹂ ミルーが油断なくショートソードを構えつつホーンドベアーを見 ながら言う。 ﹁いや、聞いてないけど?﹂ ミルーは呆れた様に言葉を継いだ。 ﹁ホーンドベアーの頭や手足の先を氷で固めたんだって。頭を固め ると声が出せなくなるし、場合によっては口の中まで氷が入るから ちょっとやそっとでは取れないらしいのよね⋮⋮。そこを父様が剣 で何とか倒したらしいんだけど⋮⋮﹂ ﹁そうだったんだ⋮⋮。無我夢中だったからね⋮⋮。別に何か考え があってやったわけじゃないよ﹂ ちょっと考えるとわかるが、俺は縦横50m高さ5mほどの氷の 板を出すためにMPを1200も使った。レベル6相当の魔法20 0回分だ。単純に元素量だけで考えてもレベル6の水魔法100回 分だ。レベル6の水魔法や地魔法で出せるのは5m立方くらいだか 431 らな。ところが、これが地魔法だとレベル7まで使える。レベル7 だと10m立方程度の量が出せる。単純計算で8倍の体積の元素を MPの消費が1しか違わないで出せるのだ。MPの効率を考えると 今回と同じ量の水をレベル6の水魔法かレベル7の水魔法で出すこ とを考えるとよくわかる。俺は今回50m×50m×5m=125 00m^3の水を出し、同じ範囲に火魔法を使って氷にした。まぁ 火魔法は置いておこう。これをレベル7の水魔法で同じ量くらいの 体積を出すとするとレベル7の12.5倍で出せることになる。ま ぁ13倍だ。消費するMPはレベル6の場合で600、レベル7だ と91だ。地魔法も同様なので、地魔法で同じ量の土を出して埋め たと仮定すると、こちらは火魔法を使わないので13分の1くらい のMP消費で同じ量の土が出せた計算になる。 しかし、俺は少しでも早くホーンドベアーの脚を止めたくてMP 消費効率を無視して氷を出した。地魔法でも、結局突破はされなか ったような気もするが、ほぼ中心ではなく、大分こちらに近づいた 場所か、真ん中に閉じ込めようと早いタイミングで魔法を発動して、 やはり避けられて真ん中からずれた場所になっただろう。勿論今の 氷の中だって真ん中でななく、若干俺に近いあたりだとは思うが。 要はまたびびってしまっただけだ。多少真ん中からずれていたと しても大勢に影響は無かっただろうし、維持の為にMPを使うこと も無いのだ。ヘガードくらいの剣の実力でもあればそうそうびびる こともないのだろうか? だが、四つんばい状態で体高が2mもあ る熊に迫られてびびらないってのは早々出来る事でもないような⋮ ⋮。 だが、ミルーが言うには若い頃の両親はたった二人だけでホーン ドベアーを倒したと言うではないか。俺は彼らの数百倍、親父と比 べても数千倍ものMPを持ちながらびびって腰が引けていたのだ。 432 確かに俺の剣の腕は親父とは比較にならないし、姉と比べても月と すっぽんだ。剣でどうこう出来ない事はわかる。しかし、その代わ りの魔法じゃないのか? MPを無駄遣いして、肝心なときにガス 欠になるかも知れない。 ちらりとホーンドベアーに視線を移し、再度鑑定する。氷漬けに しているので窒息するだろうが本当にそうなるのかはわからない。 心配になってHPが減っているか確認したかった。少し減っていた のでほっと肩の力を抜き、氷が溶けないように改めて持続の無魔法 を使った。無魔法のレベルは8になっており無魔法で出来ることは 全て出来る様になって久しい。持続も効率が倍になって使えるので これだけの氷を溶けないように維持するのに必要なMPは2分あた り僅か4にしか過ぎない。 氷の維持も問題がないようなので改めて大人達を見ると全員既に ナイフと剣を持っていた。ケリーは未だ木陰で震えているがあれは 仕方が無い。皆は恐慌状態に陥りながらも抵抗しようとしていたこ とが理解できる。確かに俺も魔法を使って氷漬けにしたが、あれは 恐怖心からホーンドベアーの足を止めようとしたことの延長に過ぎ ない。抵抗しようとしたミルーや大人達。恐怖感から足止めをして 時間を稼ごうとしただけの俺。どちらが良いとか悪いとかいう問題 では無い事はわかるが、どちらがオースに生きる人の考えなのだろ うかという問題が残る。 多分、抵抗したとしても揃って殺されたかもしれない。ミルーは 魔法で頭を固めるとか足元を固めるとかしようとはするだろう。ひ ょっとして上手くいけば出来たかもしれない。出来なかったかも知 れない。だが、ミルーがやろうとしたことと、俺が実際にやったこ とでは天と地ほどの開きがあるような気がする。あれだけの直接的 な脅威に立ち向かおうとしたのだ。少なくとも俺以外は迫り来るホ 433 ーンドベアーをどうにかして殺そうと、殺してでも脅威を拭い去ろ うとしていた。俺はといえば殺すことは早々に諦めて時間を稼ぎ、 逃げるなり何なりしようとして、それが上手く行ったに過ぎない。 これは用心深く立ち回り、出来るだけ安全な方法で成果を上げよ うとする事とは根本的に異なる。蛭を叩き潰し、スライムを丸焼き にして、日本から持ってきた知識を使って、ありあまる魔力を行使 して⋮⋮それらがたまたま上手くいって調子に乗っていた俺の鼻っ 柱は見事に叩き折れた。結局肝心なときに逃げ腰になってしまって 何が個人の武勇がものを言う? 何が一国一城の主を目指す? 一 体どの口がほざくのか。 まだホーンドベアーのHPは170近く残っている。もう暫くで 死ぬことは確かなのだろう。そして、ホーンドベアーを倒した経験 値が俺に入ることになるだろう。それはいい。なんだかんだ言って も倒したのは俺なのだから。だが、俺はホーンドベアーを倒した気 にはとてもなれない。何しろ倒そうとして、殺そうとしてその結果 勝ち取ったのではないのだ。びびって臆病風に吹かれスッ転んだ手 にたまたま金貨を握り締めたに過ぎないのだ。 心を入れ替えねばならない。 俺はもう地球に生きているのではない。 オースに生きているのだ。 ここではここの生き方があり、価値観がある。 国境ではちょくちょく紛争が起きて、非戦闘員まで巻き添えで殺 されることも珍しくないと言う。 人間達の勢力圏以外にはこのように強力な魔物や獣がうろつき、 434 虎視眈々と獲物を狙っているのだろう。 暴力が支配し、暴力には暴力で抗わねば問答無用で殺されること も多いだろう。 油断なく周囲に気を配り、食えそうな相手は殺して食う。 そうしないとちょっとした油断や慢心でこちらが食われることに なる。 良いとか悪いとか善行とか悪行とかそういったものを全て包括し ている自然な世界だ。 無謀に立ち向かうのではなく、常に冷静さを失わず効率よくクレ バーに立ち回る。 俺がこんなことを考えながら氷を維持しているうちにホーンドベ アーの状態は良好から窒息になった。HPが数秒ごとにみるみると 減少していく。もう限界なのだろう。まだミルー達は油断なく気を 配っているようだ。ケリーを中心にして周囲を固めている。大丈夫、 もうすぐ死ぬよ。 反省点は多いが、それを今後に生かさねばならないな。今回だっ てそうだ。素直に地魔法で埋めてしまえば大量にMPを消費せず、 さらに持続に集中力を割かなくてよかったのだ。まだMPは450 0以上残っているが、ここで別の敵に襲撃を掛けられたら本当にま ずかった。即死させられるのなら別だが、最初から地魔法を使って いればMPの消費を抑えられただけではなく、氷の維持に気を使う 必要も無いのだ。少なくとももう暫く、こいつが死ぬまで別の事に 気を回す余裕は無いことが問題なのだ。咄嗟の判断力、腰の引けな 435 い勇気、冷静に計算できる精神力。俺に足りないものだ。8歳の肉 体に引っ張られる精神や感受性とは違うことだ。勿論多少の影響は あるだろうが、もう肉体に精神が引っ張られるなんて事は無視して 良いくらいにはなっているのだから。 ⋮⋮新たな敵? そう言えばウインリーは子連れだったと言って いた。子熊がいるはずだ! 氷漬けでもうすぐ死ぬこいつの性別は 女性、雌だ。母親なのだろう。地球の熊の生態だと父親に相当する 熊は一緒ではない筈だ。しかし、ここはオースであって地球ではな い。生態系や自然環境も地球に近いと神様は言っていたが完全に同 じではないとも言っていたではないか? 火山でもない北の山から 硫黄が取れるのも地球ではまず有り得ないことだ。つまり、地球の 熊と生態系が同じである可能性は否定しろ! たったいま用心深く、 冷静に物事を考えろと思ったはずだ。 俺は叫ぶ。 ﹁全員、新手に注意しろ!﹂ 436 第三十四話 更なる覚悟︵後書き︶ 今回は従士長のベックウィズです。 ベックウ 名前が二つあるのは生まれたあとの命名と従士長に昇進した時の命 名です。 ︻ベックウィズ・アイゼンサイド/14/2/7415 ィズ・アイゼンサイド/18/3/7389︼ ︼ ︻男性/2/6/7388・普人族・グリード士爵家従士長/アイ ゼンサイド家当主︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:47歳︼ ︻レベル:12︼ ︻HP:109︵109︶ MP:18︵18︶ ︻筋力:19︼ ︻俊敏:14︼ ︻器用:26︼ ︻耐久:20︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.2︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.4︶︼ ︻経験:256329︵270000︶︼ 437 第三十五話 闘い 急に全員に警告を発したため、皆が俺に注目したが、やはりすぐ に思い至ったのだろう、全員改めて引き締まった顔つきになり、周 囲を警戒し始めた。 鑑定しっぱなしの氷漬けのホーンドベアーの残りHPは30を割 ったところだ、耐久値の分を入れてもあと1分程でこいつは窒息死 するだろう。もう氷を維持しなくても大丈夫だ。俺は氷漬けになっ ているホーンドベアーの鑑定ウインドウを消し、皆と同様に周辺を 警戒する。あ、そうだ。目の前には幅50mの氷の壁があるから警 戒すべき方向は左右と後方に限られる。水場の沼は氷の壁の向こう にあるはずなので後方については警戒の重要度は高くない。となる と、左右に対しての警戒を固めなければいけない。 しかし、左右を警戒すると言っても、キョロキョロと見回すのは 効率も悪い。 ﹁氷に向かって左手に土を出す。全員右側を見てくれ﹂ そういうと同時に左手に地魔法で同様の土壁を出す。これで警戒 すべき方向をかなり絞ることが出来るはずだ。氷と同様に高さ5m に合わせて作ったので、ちょっとやそっとでは乗り越えたり崩した りするのは難しいだろうし、仮にそういったことをやられても、対 応して態勢を整えるだけの時間を稼ぐことくらいは充分に出来るだ ろう、と考えたからだ。 俺の考えを全員理解してくれたようで、全員一様に右手方向を注 438 視し始めた。ケリーを除いて全員状態が良好に回復しているのは確 認済みだ。 ﹃グッ、ガオォォォォォォォォン!﹄ やっぱりいたか。新手のホーンドベアーの咆哮だ。心なしかさっ きよりも大きく聞こえたような気もする。あ、気のせいじゃねぇ。 ウインリーのMPは2減り、残り1にまで減っている。状態も恐慌 ︵小︶だ。ザッカリーとベックウィズのMPも2づつ減少し、同じ く恐慌︵小︶になっている。くそっ、まずいぞ、これは。 ﹁アル、皆、また様子がおかしいわ! ケリーのところへ連れて行 くわよ!﹂ ミルーも気がついたようだ。俺とミルーは一番まずそうなウイン リーを押してケリーを座らせている木の下に移動させる。移動させ ながら俺とミルーにも鑑定をしてみると今度は俺達もMPが2減っ ているのが確認できた。次にザッカリー、そしてベックウィズを何 とかしなければいけない。あと一回あの咆哮があるとウインリーも 完全な恐慌確定だ。 ここで大人たちが全員恐慌になってしまうと、仮に首尾よくホー ンドベアーを始末できたとしても、撤退が出来ない。まだ、新手の ホーンドベアーがどこに居るかはわかならない。声の感じから推測 しても二方向を壁に囲われているので居る方向が掴みにくい。しか し、まだ姿も見えないので、ミルーと作戦を練るなら今しかないだ ろう。俺は右手の壁の無い方向を指差しながら言う。 ﹁姉さん、ホーンドベアーが姿を現すとしたらあっちだと思う。姿 が見え次第今度は地魔法で生埋めにします。万が一俺が失敗したら 439 姉さん、頼みます﹂ ミルーはそれを聞くと刹那の間だけ俺を見つめると、落ち着いた 声音で言った。 ﹁わかったわ、アル、私も多分それしかないと思う。頼りにしてる わ﹂ 作戦とも言えないような内容だが、こんな時にあまり複雑なこと をしても失敗するだろう。とにかく、何をしたらいいかの指示が必 要だ。俺達はザッカリーとベックウイズもなんとかケリーの傍まで 移動させ、座っているように言うと、元の場所には戻らず氷の壁に 沿って5mほど右に移動し、そのまま氷の壁の角あたりを注視する。 多少溶け出しているとは言え、透明な氷の見通しはかなりいい。だ が、表面が溶け出しているので氷の壁の向こう側のすぐ傍で何かが 動けば判るだろうが、多分氷から数mも離れたらよくわからないの ではないかとも思う。 俺は念のため鑑定の選択モードを使う。せめて対象選択に引っか からないかを期待してのことだ。 ﹁姉さん、姿が見えたら魔法でも何でもいいからぶつけてくれ。怯 んだ隙に土で押しつぶしてやる!﹂ ﹁うん、わかった。慎重にね﹂ 俺とミルーはもうそれだけしか言葉を交わさなかった。ミルーの MPはまだ600以上あるし、風魔法以外は全てそれなりに使える から何とかなるかもしれない。とにかく、出来ることは何でもやっ て全員で生き残るのだ。 440 俺達はそのまま氷の壁の傍で警戒を続けた。あれから咆哮は轟い て来ない。一体どのくらい時間が経ったのだろうか。数十秒か数分 か、事によったら10分近くも経過しているのだろうか。とにかく 長く感じた。手のひらに汗をかいて気持ち悪い。ズボンの生地で汗 を拭いながら、新手のホーンドベアーを待ち受けている時にちょっ と体が軽くなった気がした。ひょっとしてレベルアップか? する と氷漬けにしたホーンドベアーはやっと窒息死してくれたのか。し かし、レベルアップには6000以上の経験値が必要だった筈だ。 このホーンドベアーは相当な経験値だったのだろう。 いつもみたいにのんびりと自分を鑑定している場合ではないので 取りあえず今はレベルアップはどうでもいいが、そうか、さっきの 咆哮からはまだ1分程しか経っていなかったのか。ものすごく緊張 していたことがわかる。緊張自体は悪いものではないが、緊張しす ぎはよろしくない。もっと力を抜いておかないと、いざというとき に動けない。緊張しすぎて魔法失敗して死にましたってのは格好が 悪い。 ﹁うわぁっ!﹂ 皆を座らせた辺りから恐怖感の篭った叫び声があがった。ちいっ くしょ、そっちかよ。俺は急いで振り向くとホーンドベアーがどこ から出現したのか確かめようとする。土を回り込んできたのか、乗 り越えようとしているのか、どっちだ? ホーンドベアーは土壁を回りこんできたようだ。氷漬けにした奴 より少し小さい気がする。こいつがさっきの奴の子供なのか? どちらかと言うと壁を越えて来られるより回り込んでくれた方が 441 距離があるのでありがたい。早速地魔法だ。だが、氷漬けにしたと きのように予め整形した形で土の板を出現させるにはミルーとの距 離がまだ近すぎる。じゃあと、先ほどのようにMPを90くらい使 って土を出す。それを無魔法で飛ばし⋮⋮まずい! 今度はベック ウィズたちを巻き込んじまう。 俺が躊躇してる間にミルーは炎を出してそれをホーンドベアーに 向けて飛ばしながらベックウィズ達から離れるように駆け出した。 くそっ、出した土、どうしよう? 俺は今両手を広げて頭の上にか ざしている。その手のひらに下接している形で直径29mほどの土 で出来た球体があるはずだ。体積はだいたい12500m^3くら いなので直径はそんなもんだろう。本来はこれを整形しつつ飛ばし て押し固める。あ、転がしてみようか? 無魔法である程度表面を 固めた上で勢いをつければ転がるだろう。押しつぶせないかな? いやいや、ミルーを巻き込むかも知れない。やはり飛ばすべきだろ う。 変形させつつ飛ばす。いつかみたいにドーナツのように変形させ てその真ん中にホーンドベアーを入れて周りから押し潰すのだ。ミ ルーがホーンドベアーに炎を飛ばしながら挑発し遠くまで誘導して いる。⋮⋮いまだ、行けっ! ドーナツ状の土の塊がホーンドベアー目掛けて飛んで行く。よし、 これは行けるっ! ホーンドベアーは土をかわせないと見るや、動 きを止めた。観念しやがったか? と思ったが、何と言うことか、 体を縮めると一気に飛び上がった。ちょうどサーカスなどで投げ輪 や火の輪をくぐる動物のように跳躍するとドーナツの穴を跳躍する ことで潜り抜けたのだ! 完全に捕まえた、と思っていただけに俺のショックは大きかった。 442 飛び上がったホーンドベアーは小山のように盛り上がった土の上に 着地すると今度は俺を目標にしたらしい。こちらに頭を振り向けて きた。くっそ、見てろ。ミルーの放った炎がホーンドベアーの肩に 当たり、毛を焦がすのが見えた。しかし、ホーンドベアーはミルー の炎を意に介した様子も無く無視する。俺目掛けて小山の上から走 り降りようと体勢を整えるべく右の前足を引く。その時、視界の隅 でザッカリーが立ち上がりホーンドベアー目掛けて散弾スリングシ ョットを発射した。 小型の鳥を落とせるくらいの散弾を発射できるスリングショット だが、ホーンドベアーにはほとんど効果はないだろう。徒に敵意を 煽るだけじゃないか。 ﹃ギャオォォン!﹄ 何と、放たれた散弾のうちの1発が奴の左目に命中したらしい。 ちょっと怯んだ感じだ。今だ! 俺は小山になっている土を再度操 る。 ﹃ゴォッ! グワォォォォォォン!﹄ 俺に操られた土がホーンドベアーを覆い尽くす直前に例の咆哮が 来た。 かなり距離が近かったこともあり、耳をつんざくような大きな咆 哮だった。 まずい。ウインリーは完全な恐慌状態に陥ったろうし、ザッカリ ーやベックウィズもどうなるのか? いやいや、それ所ではない。今の咆哮で俺も一瞬体が硬直し、同 443 時に精神集中が乱される。 これは危険だ。俺は硬直から立ち直るのに1秒程度かかるが、ホ ーンドベアーは中途半端に覆っただけの土から抜け出るのにどのく らいの時間がかかるのか? 俺が立ち直るのと大して変わらないよ うな気がする。 俺はすぐに風魔法を使い奴の周りに竜巻のように空気の渦を作り 出す。竜巻は土を巻き上げ、奴の視界を塞いだ筈だ。だが、かなり 強い竜巻だが、あんな何メートルもある熊を上空に巻き上げるだけ の力などあるはずも無い。力ずくで突破される可能性も高い、と言 うより、突破されることは前提だ。今の竜巻は次の仕掛けの準備に 過ぎない。 俺は水魔法と火魔法を使い、また氷を出すが、今度は火魔法を使 う前に無魔法で水を整形する。直径50cmほどの槍状にだ。そし て火魔法で凍らせ、まるで尖った電信柱のような槍を作り上げる。 無魔法でこいつを飛ばしてやる! 俺と小山までは30mあるかどうか。 電信柱を俺の後方200mのところまで移動させる。 そして、既に風魔法の持続を切った小山の上には目を庇っている ホーンドベアー。 出来るだけの速度で電信柱を飛ばす。 時速何Kmか知らないが、猛烈な速度で飛翔する電信柱。 ホーンドベアーの頭を目指して飛翔する超大型の槍。 こいつが当れば流石に即死だろう。 444 ホーンドベアーも猛スピードで飛んでくる槍に気がついたようだ。 だが、もう遅い。 多少動いたところで俺の誘導から逃れられるものか。 死ね。 狙いは過たず、氷の電信柱は奴の頭蓋を貫通し、頭を吹き飛ばし てどこかへ飛んでいく。 全てが終わり、空を見上げると太陽はまだ中天にも達していなか った。 ・・・・・・・・・ それから暫くは油断無く周囲を警戒したが新たなホーンドベアー が現れることも無く、他の危険な魔物が現れることも無かった。ベ ックウィズとザッカリーは状態が恐慌︵大︶になっており、MPも 6とか7しか残っていなかった。彼らが回復するのに10分程もか かった。状態が良好以外から変化するのはいろいろと問題がある。 特に今回のようなケースを思うと、いろいろと考えさせられる。 ケリーとウインリーは2時間が経過しても回復しなかった。恐ら くMPがゼロだからだろう。 445 暇で仕方ないので二匹のホーンドベアーから魔石を回収し、つい でに一番上等とされる腹の肉や横隔膜、肝臓を取り、ゴム引きの布 袋に入れた。かなり大きな袋はそれだけで一杯になった。氷漬けの 方は氷に100度くらいの火魔法を再度かけてすぐに溶かした。周 り中が水浸しになったが仕方ないだろ。 ベックウィズとザッカリー、ミルーは興奮したように語り合いな がら、俺は粛々と作業をしていた。いろいろ考えていたのだ。あの 咆哮は耳栓をすれば大丈夫なのだろうか、とか下らない事からはじ まり、最後に使った氷の槍について彼ら二人が覚えていたら厄介だ な、などと考えていた。 結論から言うとベックウィズとザッカリーの大人二人が恐慌状態 で殆ど記憶がないことを彼らの会話から推測する。最後に使った俺 の氷の槍の魔法は見られたかもしれないが、話している内容を聞く に、覚えては居ないであろう事を確認し安心する。 ミルーは二人には﹁最終的にアルが魔法で仕留めた﹂と説明して いた。 さあ、帰ろう。 ・・・・・・・・・ 木陰から覗いている奴に俺達は気がつかなかった。距離が結構あ 446 ったし、暫く周りを警戒していても襲われそうな気配が無いことが 確認できていたからだ。 ホーンドベアーは数年で生殖可能な大人になるらしい。 こいつとはこれから先、暫く付き合うことになる。 一方的に奴が突きかかって来るだけの関係だが。 奴は俺を仇か何かのように⋮⋮。 447 第三十六話 新たな影 夜になったが何とか無事にバークッド村に帰還できた。相当量の 獲物を獲って帰れたので皆の表情は明るかった。数時間前まで死ぬ 思いをしていたのにまったく現金なことだ。明るい雰囲気のおかげ で俺も帰りの道中にすっかり気持ちに整理をつけられた。いろいろ と考えさせられたが、それはまあ、今後の課題になるだけで、今の 時点で心配することじゃないしな。 帰る頃にはすっかり暗くなっていたので心配して捜索隊が組まれ る寸前だったようだ。通常なら捜索隊を出すなど大掛かりなことは 行われない。夜は危険だし、万が一魔物にやられていたのであれば 二次災害で捜索隊にも被害が出かねないからだ。今回は俺とミルー という領主の子供たちが含まれていたので特別に捜索隊の組織とな るとこだったようだ。 連絡手段があるわけでもなく、ホーンドベアーを二匹も相手取り、 大人二人が恐慌を来たしたにも関わらず全員が無傷であったことも あり、叱られることはなかった。襲われた場所も恒常的に狩りを行 っている場所であったので、こちらから危険に飛び込んだわけでも ないからこれで叱られたら気分も良くないだろう。そもそも俺達姉 弟以外は立派な大人なのだし。ケリーはまだ成人の年齢ではないが、 寸前の14だしな。大人にカウントしてもまぁいいんじゃないか? 両親もミルーと俺の魔法の力は知っているので、実はあまり心配 はしていなかったようだが、ホーンドベアーを二匹という大戦果に は吃驚していたようだ。その夜、俺達は両親からホーンドベアーの 恐ろしさを改めて聞かされた。やはりあの咆吼はかなり危険な代物 448 であるのは有名らしいが、普通はそうそう吼えることもないそうで、 両親も昔戦った時には聞いたことはないらしい。何だよそれ、俺達 無茶苦茶運が悪かったのかよ。 ・・・・・・・・・ 翌日のミュンの結婚の宴会は参加者も多く、派手に行われた。ダ ングルも蓄えをかなり放出したのだろう、料理や酒類が豪勢に振舞 われた。ホーンドベアーの腹肉や横隔膜と肝臓もかなり好評だった。 俺も食ってみたが、確かに美味かった。うん、ブランド牛とは違う けれど、別方向の旨さだな。美味いというより旨いのほうがしっく りくる。 結婚式の宴会は滞りなく進行し、夕方にはお開きとなった。ミュ ンは最後に俺のところに来て、ひとしきり感謝の言葉を述べると幸 せそうに微笑んだ。うん、幸せになってくれればいいんだ。ボッシ ュと一緒になって元気な子供でも沢山産んでくれ。 ・・・・・・・・・ そして2年が経過しようとしていた。俺は10歳になり、レベル ももう一つ上がって7になっていた。MPは7000を超え、つい 449 に成長が止まった。あれから何度も夜の狩りに行っているが、あの 時のホーンドベアー程危険な魔物には出会っていない。一人だし、 安全を優先して確実な狩場だけで狩りをしていたせいもあるだろう。 死体は全て火魔法を使って焼いて処分をしている。 農耕馬は八頭にまで増え、開墾だけでなく、通常の農耕にも充分 に役立っている。また、ゴムノキについても新しい開墾地を中心に 200本程増加しているうえ、更に増殖に力を注いでいる。これら の新しい木のうち最初に増やした100本程度はあと2∼3年も経 てば樹液が採取できるようになるだろう。ゴム製品の改良はゆっく りだが引き続いて行っている。最近は俺だけでなくテイラー、ミュ ン、エンベルト、ダイアンもいろいろ考えているようで、いろいろ と新製品も増えている。 サンダルやブーツ、クッションの改良は言うまでもなく、プロテ クターもより使いやすく、デザイン性も上がっている。また、少量 ながらゴムボートや浮き輪、バンド、輪ゴムなども開発され生産さ れている。傑作なのがコンドームを作るときと同じようにして作っ たゴム風船だ。ちょっと余ったラテックスで作れるし、子供たちの おもちゃにでもなればいいくらいに思って気軽に作ったのだが、誰 が最初に作ったのかは知らないが、その中に羊羹を入れた奴がいた。 羊羹と言っても一般に日本で言われているものとは違っており、村 で作られているのは農作物の豆を元にして作ったずんだ餡を水で伸 ばして寒天で固めた羊羹のようなお菓子だ。俺に言わせると大して 美味くは無いけれど、羊羹以外に呼びようはない。村ではヨーモと 言われているが、俺は羊羹と言っている。それを小さな風船に詰め た物は爪楊枝などで風船に穴を開けるとつるんと出てきて面白い食 べ物になる。と言うか玉羊羹そのものだけどな。これは王都まで輸 出されて非常にいい金になっているようだ。 450 特に大きな発明は俺ではなくダイアンが作った。ゴムのシートを 作る際に手違いか不注意か何かで飲みかけの炭酸水でラテックスを 溶いてしまったことから作られたスポンジというか発泡ウレタンと いうか、気泡を沢山含んだゴムが出来た。勿論スポンジや発泡ウレ タンとは比べ物にならないが、俺はこれを元に自然に湧き出ている 薄い炭酸水ではなく、魔法で人工的な炭酸水を作り出し、気泡を増 やすことに成功した。おかげで単なる生ゴムなどのシートよりも余 程対衝撃性に優れたものが出来た。 今ではプロテクターの内側やサンダルやブーツのソールにも利用 されている。なお、ウレタンは合成物質なので存在しないと思うが、 スポンジは海で海綿を取ってくればいくらでも作れるので別に珍し くはない。天然スポンジは体や食器を洗うのに一般的に使われてい るので流通もしている。クッション類は空気と一緒にこの天然スポ ンジを中に入れることでより良いものになっている。 因みにこの人工的な炭酸水を作るのは発想の転換が必要であり、 出来た時には俺は魔法への考え方が大きく変わることになった。も ともと炭酸水は水に炭酸ガスである二酸化炭素を飽和させることに よって簡単に作れる。前世にソーダサイフォンを買って炭酸水を作 っていたのでよく知っていたはずなのだが、思い出さなかった。 以前に魔法はイメージが重要だと語ったことがあるが、まさにそ の通りだった。元素魔法を単体で使うと、使った元素魔法のレベル に応じた量の元素が生み出される。俺は今までこれで土や水を出し ていた。その後無魔法なり火魔法や風魔法と組み合わせて使ってい た。一般的にはこれで全く問題がない。しかし、あらかじめ水魔法 と火魔法を同時に使う例があったではないか。そう、お湯を出した り氷を出したりしていた。これも充分一般的な使い方の範疇だ。だ が、実はこれは同時に使っているのではない。お湯ならば最初に水 451 を出し、わずかな時間差で出した火を使い水を火魔法で温めている のだ。勿論氷も同様だ。それからまたわずかな時間差で無魔法を使 い整形したり持続させたり飛ばしたりしていた。 今まで完全に同時に別の魔法を使うことなど考えもしなかったし 取り組むこともなかった。それで充分だったからだし、別に困るこ ともなかった。勿論シャルもそう教えてくれたから、というのも大 きい。シャルは﹁わずかな時間差で﹂などと言わず﹁一緒に使う﹂ と言っていたのだが、結果は同じだったし問題も無かったのでそも そも﹁完全に同時に別の魔法が使える﹂などと考える必要もなかっ た。俺がこんなことを考えたのは炭酸水を上手く作れなかったから だ。勿論、今までのように水を出してそのあとに風魔法で空気を出 し、無魔法で二酸化炭素だけ選別してそれを水に溶かしてやればい い、と考えて実行した結果、どう頑張っても出来なかったことがも う一度俺に魔法を根本から考えさせるきっかけになった。 なぜ出来ないのか。それは水を密閉容器に入れてその中に炭酸ガ スを入れることが出来ず飽和させられないからだ。密閉容器自体は ガラス瓶とゴム栓を使えば作れるから問題ない。その中に水を作る ことも問題ない。栓をした空の瓶の中に水を作り出し、いっぱいに 近くしても気圧で栓が飛ぶようなことはない。瓶の中の空気は発生 させた水の分の体積だけどこかに行っているらしい。原理も不明だ がそこは魔法なのでしょうがない。空気を水に転換していると考え るしかない。多分土を出すときもその分の空間を占めている空気が 土に転換されているのだろう。空気という、液体や個体とは比べ物 にならない希薄な物体が液体や個体に転換されるなら体積は何千分 の一とか何万分の一にならないとおかしいが、空気の分子を同じ分 子量で転換しているわけではないのだろうからそこは考えるだけ無 駄なんだろう。 452 しかし風魔法で生み出した空気についてはいささか異なるようだ。 風魔法によって生み出された空気は明らかに圧縮された状態で発生 している。そうでなければ気圧差が発生せず、風魔法を使っても風 が吹き荒れたりするはずはない。 まぁ風魔法の体積のことは今は置いておこう。つまり炭酸水を作 るには水魔法で水を出すと﹃同時に﹄風魔法で空気を出し、無魔法 で二酸化炭素だけ選別し、それを水に溶かす必要がある。尤も、き ちんとした設備があれば別々に使っても良いのだろうが⋮⋮。炭酸 水を作るためだけに設備を作るのは時間をかければ出来るかも知れ ないが、それにかかるコストを考えるとアホらしくなるので魔法で 何とかしたい、というわけだ。 最終的に何らかの設備なり道具なりは必要だろうが、今はとにか く﹃完全に同時に﹄魔法が使えるかを確かめたい。これが出来れば いろいろなことが大きく効率化される。例えば鉄を作る場合など、 今までは土を出して選別し、そのあと余計な土を消していた。これ ができるなら最初から鉄しか出さずに済む。勿論選別の魔法を工夫 すれば魔法で作り出した土から欲しい成分だけを別々に選別しつつ 対象の成分だけを直接手の中に出すことも可能になる。それに、戦 闘の時などはいきなり氷漬けに出来る。こう考えたわけだ。 一生懸命水魔法と風魔法、無魔法を同時に使おうと頑張ってみる。 同時に複数の魔法へ集中しなければいけないだろうからそう簡単に は行くまい。俺は同時に魔法が使えるようになるために考えつくこ とを全てやってみた。慣れの問題かとも思い、右手で絵を描き、左 手で字を書くことや、しまいには右手で膝をさすり、左手で膝を叩 く、瞬間的に右手と左手の動作を入れ替える、など、かなりアホく さい訓練までやってみた。しかし、どう頑張っても出来なかった。 453 あるとき、村の道に放置されてベンチ代わりになっている丸太に 腰掛けながらいつものようにアホなことをやっている俺にたまたま 通りかかったシャルが声を掛けてきた。 ﹁アル、あなた一体なにをやっているの?﹂ 馬鹿なことをしている俺を訝しんだような声音だ。無理もあるま い。 ﹁あ、いえ、その⋮⋮。同時に異なる魔法を使うための訓練です⋮ ⋮﹂ ほかに言いようがなかったので、恥ずかしかったが素直に答えた。 俺の返事を聞いたシャルはいきなり吹き出すと理由を聞いてきた。 仕方ないので炭酸水を作りたいと正直に答えると、やっと理解して くれたようだ。魔法の完全な同時使用は出来ないことはないがコツ がいるそうだ。まず無魔法を使って魔力のフィールドを作りそのフ ィールド内に水魔法や風魔法を出すようにするらしいのだが、それ って完全な同時使用とは違うだろう。それを指摘すると、話の腰を 折るなと怒られた。 それももっともなので、おとなしく聞いてみる。どうも未だに感 情の制御ができない時がある。今回のは感情とは違うので正確には 感情の制御ではなく、好奇心の制御に近いのだろう。そう言えば神 様も感情の制御はすぐにできるようになるとは仰っておられたが、 それ以外のことは仰っておられなかった。やはり体に引き摺られる 部分は残るのだろう。これは仕方ない。上手く制御できるように訓 練、というか成長をしていく他はないだろう。 454 キャント とにかく、無魔法で魔力のフィールドを作り、その中に対して水 リップ キャントリップ 魔法と風魔法を同時に使うのだが、ここで思い出すのは予約の小魔 法だ。実際には予約の小魔法を使うのではなく、同様の無魔法を使 う。その予約の無魔法を、例えば自分の水魔法に対して使用し、そ の後風魔法を使う。この時、予約された水魔法に正確にタイミング を合わせることで同時に魔法を使うことが出来るそうだ。そうか予 約か。完全に頭の外にあったわ。 それなりに練習は必要だったが、すぐに予約を利用した魔法の同 時使用に慣れることが出来た。一つの魔法を使おうと集中している 時に予約で別に集中が取られることが心配だったが、強制的に集中 させられる分、変な気を使わずに使えた。魔法を使っている意識だ け集中していれば後で使う方が失敗することはなかったし、予約で 強制的に集中させられているので先に使った魔法も失敗しなかった。 これで水魔法と風魔法、無魔法を同時に使うことで炭酸水を魔法 的に作り出すことに成功した。村でも何人かは水魔法と風魔法を同 時に使える人間はいるので今後も困ることもないだろう。 この予約による同時使用はかなり魔法の裾野を広げてくれた。発 想の転換だな。 ・・・・・・・・・ 剣の修行も俺が10歳になると同時に素振りは終了し、型や模擬 戦が稽古の中心になった。年齢の割には高い能力値のため、さほど 455 苦労せずにミルーや従士達に対抗出来そうだと思っていたが、甘か ったようだ。確かに剣の打ち込みの威力や回避の速度、戦闘行動の 持続力など、能力値に直結する部分については褒められたが、剣を 使った防御や防御から反撃に移る際の技術についてはまだまだとい うところで学ぶところが大きい。模擬戦をやっても一度も勝てたた めしがない。 これは完全に技量が伴っていないことの証左だろう。稽古を積ん で早く技量を上げる必要がある。剣についてはこのように全くだっ たが、俺が槍を改造した銃剣格闘のスタイルになると誰にも負けな かった。あの親父にすら半々で一本取れ、残りの半分は引き分ける。 やっぱり剣の稽古も大切だけど、俺にはこっちの方が合っているな。 そもそも銃剣と銃を模して作っているので、こんな変な形の武器は いままで存在していなかっただろうし、槍はあってもここまで短い 短槍はなかったから、銃床や弾倉などを利用した殴打も初めて見た だろう。それに初見で対応する親父がすごいのであって、他の従士 達やミルーが劣っているわけではない。 おそらく再来月にはファーンも帰還してくるはずだ。兄が帰って きたら都会のいろいろな話を聞きたい。また、現役の騎士になって いるはずのファーンと剣や銃剣格闘で手合わせして、今の実力がど んなものなのかを知りたい。少なくとも普通の騎士たちと比較して どうなのか、全くダメなのか、拮抗しているのか、要するにあと数 年このまま稽古を続けて成人する頃に家を出てもそこそこの危険を 回避できそうなのかが知りたいのだ。 へガードは銃剣格闘については吃驚して、かなり褒めてくれたが、 表情を見るに息子の成長を喜ぶ父親、という感じが強いような気が する。また、冒険者で鳴らしたと言うが、もうかなり昔の話だ。今 の騎士たちの腕もよくは知らないだろうし、嫌な言い方だが所詮は 456 田舎者だからな。 こんなことを考えつつ日々稽古に打ち込み、魔法の修行も継続し、 ゴム製品の生産や改良に励みつつ日々を過ごしていた。そんな春先 のことだ、平和で呑気だったバークッド村を震撼させる事件が起き た。 ゴムの採取に向かった従士一人を含む若者や農奴達合計六人が無 残な死体となって発見されたのだ。 ・・・・・・・・・ 死体を調査すると魔物やそれに準ずる大型の肉食獣にやられたら しい。らしい、と言うのは俺は直接死体を見ていないからだ。どう せ見ても知識がないので正確な判断も出来ないだろう。傷口を見れ ば刃物で斬られたのか、牙などで食いちぎられたのか位は判断でき そうなものだが、あまりに無残だったらしく俺には見せてもらえな かったのだ。 これを受けて村ではゴムの採集に行く際には従士は最低四人以上 が同行し、尚且つ俺を含む領主の家族のうち誰か一人は同行、また 採集する人間も武装することになった。武装と言っても武器を装備 するのではなく、フリーサイズ用で簡易的に作ったゴムのプロテク ターを着用する、という事だ。訓練をしていない素人は武器を振り 回すだけで危険だし、同行している護衛に間違って当たってしまっ たりした日には目も当てられないしな。 457 俺たち家族はヘガードを除けば魔法も使えるので子供二人も充分 戦闘時に役に立つだろうと考えられている。俺はともかく、ミルー も既に14歳になっており、成人一歩手前だし、そう滅多なことで はやられないだろうとの判断からだ。魔物に襲われた場合には従士 のうち一人が援軍要請のために走り、残りの従士三人が相手になり、 かな 俺やシャル、ミルーは魔法でその援護をするということだ。また、 敵いそうになければさっさと撤退し、時間を稼ぎつつ援軍を待つ、 という大まかな決まりになった。 MPを消費し尽くす必要も無くなった俺は時間も余り始めたので 剣や格闘の稽古のいい気分転換になるので反対する理由は全くなか った。多少の危険はあるだろうが、夜の狩りもちょこちょこと続け ていたし、危険について気持ちが鈍化しつつあったことも確かだ。 また、練習して編み出した新しい魔法の使い方も実践で試してみた いという気持ちもあった。 ラテックス ある日のゴムの樹液採集に俺が何度目かの同行をするとき、俺は 密かに魔物の出現をすら願っていた。 458 第三十七話 ライバル 今回のラテックス採集のメンバーは俺の他に合計で8名だ。従士 が4名と村の若者で今回の当番の者が4名だ。従士と俺は村で正式 採用となっている新型のゴムプロテクターを装着し、採集のメンバ ーは旧式だがちょっと前まで現役だったゴムプロテクターを装着し ている。但し、武装しているのは俺と従士たちだけだ。従士たちは 全員剣を腰に佩いており、俺は自分で作った銃剣とそれを装着した 木銃だ。 用心しながらもいつもと変わらないペースで採集は進んでおり、 作業は順調だ。半分ほど採集が終わった時には丁度昼前になってい たので、少し早いが休憩を兼ねて昼食を摂ることになった。弁当は 黒パンに野菜とチキンを挟んだサンドイッチだ。ドレッシングやソ ース類に大したものがないので正直な話、ちっとも美味くは無いが、 採集メンバーは数日置きにしか肉類を食べられない食生活をしてい る者達のため、皆旨そうにサンドイッチにかじりついている。 採集の賦役は危険もあるが必ずチキンのサンドイッチが配給され るのでかなり人気があるらしい。通常の開墾などの賦役では食事は つかないので、それも人気の秘密とのことだ。俺も一つをかじりな がら従士と話をする。 ﹁休憩中に見張りを立てなくても大丈夫かな?﹂ ﹁ええ、あれ以来襲撃もありませんし、まぁ大丈夫でしょう。さっ さと食ってすぐに周りを警戒すれば問題はありませんよ﹂ 459 ジャッドの息子で少し前から正式な従士になったウィットニーが 言う。 ﹁でも、魔物はこういう隙を狙ってくるんじゃないのか?﹂ 俺はこんなことを言ったが別に臆病風に吹かれたわけではない。 用心は大切だと思っているからに過ぎない。 ﹁アル様は心配性ですね。ですが、分かりました。私がすぐに警戒 に立ちます。おい、ジェイミー、お前は俺と反対側だ。南西の方を 頼む﹂ ウィットニーはそう言うとすぐに立ち上がり、サンドイッチひと 切れを咥えたまま北東の方へ警戒待機に向かった。ジェイミーも同 様にウィットニーとは反対方向である南西へ向かう。数十分で交代 するのだろう。 俺は少し安心し、また大して旨くもないサンドイッチをかじる作 業に戻る。黒パンは硬いので本気でかじらないと噛みきれない。そ う言えば前世の家のそばにあったパン屋は黒パンも中身はそこそこ 柔らかく、こんなに酸っぱくはなかったと思う。たまに女房とスモ ークサーモンやお中元やお歳暮などで良いハム類が手に入った時に 食べていたなぁ、とふと思い出した。女房の顔はまだ思い出せる。 今も元気で過ごしているならそれでいい。 俺がなんとかサンドイッチをやっつけた頃を見計らって休憩して いた従士が遠慮がちに話しかけてきた。 ﹁アル様、済みませんがお湯をお願いできますか?﹂ 460 食後のお茶だろう。お茶と言っても俺が勝手にそう呼んでいるだ けで本物のお茶ではない。村中に生えているミントのようなハーブ に熱いお湯を注ぐといい香りがしてちょっと気持ちが落ち着くもの があるのだ。俺も丁度飲もうと思っていたので二つ返事で差し出さ れた水筒の水をお湯にした。最初からお湯を出さないのは魔法で作 り出した水は勿論飲んでもなんの害も無いが、恐らく完全な純水な ので不味いからだ。皆もそれをわかっているので水筒を持って来て いる。水筒は木で作られたものでゴム栓をしている。ゴム栓を開け て差し出された水筒の中の水に火魔法をかける。魔法で作り出した 水であればこの程度の量ならばレベル2の火魔法一発で沸騰寸前に まで温度を上げるのは容易いのだが、自分で作り出した水でないと その10倍近いMPを消費してしまう。 俺は特に問題なく自分で作り出した以外の水を温めることが出来 るので、皆からはMPが多いと言うよりも、上手に魔法を使えると 思われている節も垣間見える。別段話すことでもないのでこちらか らはそういった事を話題にしたことは無いが。 全員の水筒の水をお湯にして返す。そこにハーブの葉を入れて1 分ほど蒸らすとお茶というか、ハーブティーと言うか、ハーブ湯の 出来上がりだ。やけどに気をつけてゆっくりと啜る。いい香りだし、 あと口がスッとするので慣れると美味く感じる。 そんな感じでゆっくりと休憩をしていた。 そんな折、ウィットニーの叫び声が聞こえた。 ﹁魔物だぁっ!!﹂ 461 ・・・・・・・・・ ついに来たか。俺を含む従士達は立ち上がり武装を確認する。従 士の一人が村へ走って援軍を呼びに行った。あらかじめ、こういう 時には誰が行くのかは決めてあったので迷いや戸惑いは無い。残っ た一人にはジェイミーを呼びに行かせ、俺はウィットニーの元へと 全力でダッシュだ。 ウィットニーは恐らく200mくらい離れたところにいるはずだ。 下生えがあまりないとは言え、凸凹のある林の中だ。平地を走るほ どスピードは出ない。多分30秒くらいはかかるだろう。少しでも 早く行きたいが転ばないように注意もしなければならない。転んだ ら余計時間がかかるのだし、俺の場合、視界にさえ入れば魔法があ るからウィットニーと肩を並べるまでの距離まで近づかなくても攻 撃なり何なりの行動が出来ることが強みだ。 木銃を抱え、急いで走る。その間に鑑定を使って一体何が出現し たのか少しでも早く確かめようとする。ほどなくウィットニーと争 ︼ っている魔物が視界に入った。コボルドだ。 ︻ ︻男性/20/7/7435・小犬人族・ボゾ氏族︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:3歳︼ ︻レベル:2︼ ︻HP:16︵16︶ MP:1︵1︶︼ ︻筋力:3︼ 462 ︻俊敏:3︼ ︻器用:1︼ ︻耐久:2︼ こんなのが4匹いる。コボルドは犬を擬人化させたような外見を しており、二本足で歩行する魔物だ。手は人間の様に器用で棍棒を はじめとした武器などの道具も使う程度の知能はある。体中の体表 は小さな鱗に覆われているが、頭は犬そのものだ。いや、犬なのか ハイエナなのか、はたまた狼なのか知らないが。まぁ狼人族や人狼 ではないので狼という事はないか。ここら辺では比較的ポピュラー な魔物だ。夜行性ではないので夜の狩りの時に出会ったことはない が、昼間に見たことは何度かある。普通はこちらの数が多ければそ のまま回れ右で逃げていく程度は状況を見るだけの頭もあるので見 かけても戦ったことはない。今回はウィットニーが一人でいたので 襲いかかってきたのだろう。 別に大した魔物ではない。魔法を使うまでもないのでさっさとウ ィットニーの所まで行って一緒に格闘したほうがいいだろう。俺は ﹁いやああぁぁぁ!﹂ という鬨の声を上げながら銃剣を突き出しつつ端っこのコボルド に突っ込んだ。胸のど真ん中に銃剣を突き刺し、突っ込んだ勢いを 利用して蹴りつけて銃剣を抜く。ウィットニーは4匹が相手だった ためか防戦に徹して時間を稼いでいたようだ。ざっと見たところ今 のところ彼が傷を負った様子はない。 とにかくこれで四対一から三対二になった。コボルドが相手なら もう大丈夫だ。全滅させるのも時間の問題だろう。そもそもウィッ 463 トニーだってある程度危険を覚悟すれば一人でも何とかなるはずだ。 あとは安全を考えてジェイミーともう一人の従士が援軍に来れば三 対四になるのでそれから一気に畳み掛ければいいだろう。 俺達はコボルドの使う棍棒をよけ、剣や銃剣で受け、振り回され た攻撃をタイミングを見て躱すことに集中する。その時だ。 ﹃ゴアアアアァァァァオオオゥ!!﹄ 咆哮が轟いた。 一瞬で体が硬直する。これは⋮⋮。あれか? ホーンドベアーか? コボルド三匹は恐慌状態になったのかへたり込む。 ウィットニーも多分恐慌状態だろうがコボルド程ではない。 すぐさま体勢を立て直し、ホーンドベアーの出現に備えなくてな らない。 魔法で一気に倒してやる。 そう思っていたが、ウィットニーを間にして、もう数十m先にホ ーンドベアーがいるのを発見した。 奴はこちらに向かって猛ダッシュで近づいてくる。 まずい。 ウィットニーが邪魔で水や土が出せない。生成してから無魔法で 464 飛ばしてもダメだろう。 こいつ相手に肉弾戦かよ!? おいおい、冗談じゃねぇ。 だが、どうする!? このまま退却はウィットニーの見殺しを意味する。 とてもそんなことは出来ない。 仕方ねぇ。 俺は恐慌状態のウィットニーの前に出て木銃を構える。もう10 m程しか距離はない。木銃を槍のように突き出す。四つ足で駆けて きたホーンドベアーは意外にも俊敏に頭を狙った俺の攻撃を躱し、 そのまま俺に体当たりをしてきた。巨体の肩口から俺の胸に体当た りされ、弾き飛ばされる俺。ゴムプロテクターがなかったら肋骨が 折れていたかもしれない。という位の勢いだった。 10m程も飛ばされて地面に転がった俺は咳き込みながらも立ち 上がろうとしたが、上手く立てなかった。外傷を受けた訳では無い のだろうが、肺の中の空気が全て漏れ出したような感じでホーンド ベアーを睨みつけるのが精一杯の有様だ。だが、早く何とかしない と、ウィットニーがやられてしまう。ホーンドベアーは恐慌状態に 陥ってへたり込んだコボルドから始末しようとしたのだろう。コボ ルド達の方へ向き直ると右腕を振り上げた。 地面から見上げる格好だからだろうか、ホーンドベアーがやけに 465 大きく見える。額に屹立する黒光りしている10cm程の角がキラ リと太陽の光を反射した。 ホーンドベアーはそのまま右腕を振り下ろし、端っこでガクガク と震えていたコボルドに命中させた。グシャッともグチョッともつ かないような形容しがたい音を立ててコボルドの頭は血煙のように 消えた。 このままボーッと見ているわけには行かない。いつ標的がウィッ トニーになるか知れたものではないし、俺だってまだ呼吸がうまく できない感じなのだ。何とか片膝を立て、左手を木銃から離して掌 をホーンドベアーに向けた。魔法を使いながら、よく木銃を離さな かったものだと自分に感心する。 俺は改良した﹃フレイムスロウワー﹄の魔法で細長いバーナーの ような火を作り出し、それを振るって、と言うか魔法で操ってホー ンドベアーに絡みつかせるように飛ばした。左手から発生した炎が ガスバーナーのように細く収束されするすると伸びて行く。こちら に対して左側面を見せていたホーンドベアーの頭に向け必死に誘導 し魔力を込める。 ホーンドベアーはまだ俺が魔法を使っていることに気付いてはい ないようだ。今度は左手を振り上げている。くそっ、振り上げた左 手が邪魔で頭を直接狙いづらい。構うもんか、取り合えずあの左腕 を貰ってやる! 今にも振り下ろされようとしている左腕に生き物のようにガスバ ーナーの様な﹃フレイムスロウワー﹄を絡みつかせ、同時にそれを 絞る。ホーンドベアーは炎の熱さに耐えかねて声を上げる。 466 ﹁ギャオオオオオン!﹂ 今度は特殊技能の咆哮ではなく、苦痛の声だったようだ。体が硬 直することはなかった。ぎりぎりと炎で締め上げる。ホーンドベア ーの左腕に絡みつかせた﹃フレイムスロウワー﹄は容赦なく体表に 生えている茶色い毛を焼き、表皮を焦がしているようだ。ホーンド ベアーは俺を思い出したようにこちらを向き左腕を焼かれながらも 再度威嚇するように咆哮を上げた。 ﹁ゴオオオォォォガァァァッ!﹂ ビクッと体が硬直すると同時に魔法への集中が途切れてしまった。 腕に絡みついていた﹃フレイムスロウワー﹄はあっと言う間に消え た。硬直が解けると同時に咆哮も終了し、完全に俺がターゲットに されたようだ。くそ、次だ。胸が苦しくて仕方ないが、へたり込む わけには行かない。俺は目くらまし程度になれば充分とばかりに地 魔法で風呂桶くらいの土を出し。それを思い切り無魔法と風魔法で 散らす。 直後に今度は氷の槍を出す。時間もないので大きさは普通の槍よ り少し大きいくらいだ。だが、複数の槍を俺の周囲に出した。合計 5本だ。その槍を加速のための助走を付けている暇はないのでその まま出来るだけの速度でホーンドベアーの頭を最後に見た辺りに飛 ばした。一回だけずぶっという音がした。 ホーンドベアーのどこかに当てることが出来たようだ。俺は開発 した取って置きの魔法を使おうと再度突き出した左手から魔力を放 出しようと意気込んだが、ウィットニーがまだあの辺りに居ること を思い出し、新しい魔法を諦めざるを得なかった。畜生、どうする? 467 散らした土煙が晴れ、ホーンドベアーがあらわになる。氷の槍は 奴の左目を潰したらしい。左目に槍が突き立っている。へっ、昔氷 漬けにした一つ目を思い出すぜ。 ホーンドベアーは次に何をしてくるのか、俺を睨みつけたまま唸 っている。俺も負けじと睨み返す。胸が苦しいままだが、意地でも 負けるもんか。俺は再度複数の槍を出す。と、どうしたことか、そ れを見たホーンドベアーは意外に素早い動作でくるりと振り返ると かなりのスピードで走り去っていった。 やっとウィットニーも恐慌から脱したのだろうか、剣を構え直し ていたが、彼もこのホーンドベアーの退却は意外だったようで咄嗟 に対応することが出来なかったようだ。念の為ウィットニーを鑑定 して怪我がないことを確かめると、俺は我慢できずに倒れてしまっ た。 意識を失った訳ではないので倒れながらも自分を鑑定したがHP は半減していたものの、状態は良好だった。骨折はしていないよう だが胸に体当たりをされたので肺が圧迫されて苦しいのだろう。だ が、これならじきに回復するだろう。 念の為に自分に治癒の魔法をかけてみるがHPは回復するものの 胸の苦しさはそのままだった。そのとき、やっとジェイミーともう 一人の従士がやって来た。倒れている俺を見て声を掛けながら駆け 寄ってくるが、直ぐに恐慌しているコボルドに気がついたようだ。 ジェイミーが俺を護衛するように傍にいて油断なく構えている間に もう一人の従士が残っている二匹のコボルドの始末をしたようだ。 ほどなく俺も回復したので顛末を話した。最初はコボルドが四匹 でウィットニーに襲いかかっていたこと。俺が突っ込み一匹倒して 468 援軍を待とうと防御に徹したこと。その間にいつの間にかホーンド ベアーが現れ、強襲をかけてきたこと。手傷を負わせたもののホー ンドベアーを仕留めるには至らず、退却されてしまったこと。順を 追って全部話した。 多分以前の犠牲者はあのホーンドベアーにやられたのだろう。退 却するホーンドベアーの鑑定は忘れてしまったが、最初に見上げる 格好でコボルドに腕を振り上げていた姿。こちらを睨みつけ唸り声 を上げる姿。そして退却し走っていく後ろ姿。どれも俺にとって印 象深い姿だった。暫くは忘れられそうにない。 意外だったのはあれだけ大きく見えていたホーンドベアーが実は それほど大きくはなかったことだ。以前倒したホーンドベアーは解 体したからよく判っているが、あんなものではなかった。多分今回 の奴はまだ若い個体だったのだろう。 俺は撤収しながらも帰りの間中、あの片目になったホーンドベア ーのことばかり考えていた。今回はなんとかなったが次回はどうだ ろうか? 何となく俺はあいつを倒さなければ一人前になれないような気が していた。 469 第三十八話 間者からの解放︵前書き︶ 今回から話のはじめに日付を入れてみます。 470 第三十八話 間者からの解放 7438年4月4日 あれからひと月程が経ち、今は4月に入ったばかりだ。そろそろ ファーンが帰ってくる頃のはずだ。すでにファーンは16歳になり、 順当に行っていれば既に正騎士の叙任を受けたか、もうすぐ受ける か、と言うところのはずだ。 年が明けて最初のゴム製品の騎士団への納品の後、ヘガードが喜 んで帰って来たと思ったら、ファーンが正騎士になれそうだとの知 らせを持って帰ったのだ。騎士の叙任は3ヶ月に一回程度行われる そうだから、年が明けてからの次の叙任は4月だろう。ヘガードも そろそろ40の大台が見える歳になっているから、ファーンが戻り、 数年してファーンに子供が生まれる頃には40代半ばくらいだろう。 それまでには領地経営などについてファーンに教え込み、引退を考 えているのだろう。 オース、と言うか、ウェブドス侯爵領では家督を次代に譲り、引 退した前家督者は、往々にして自由な暮らしを謳歌するものが多い と聞く。尤も、それは生活に余裕のある家庭に限られるのだろうが、 当家は充分に生活に余裕がある家庭に数えてもいいだろうとは思う。 一般的な田舎の領主である士爵は引退後も従士の訓練や、召集に応 じた軍事的行動への参加、または農作業など、あまり以前の生活と 変わらないことも多いが、責任は段違いになるだろうし、精神的な 解放もあるのだろう。 面倒な税の取立てや納税の処理、領地のインフラ開発、果てはこ 471 まごまとした領民の間で発生する争いの調停など、面倒で地味な問 題からは解放されるのだ。金があるなら純粋に楽しむための旅行を することもあると言う。 バークッドは開拓を主とする農村に分類されているので、現時点 では小麦または相当の金子での納税になっている。勿論、ゴム製品 の売り上げからも税は取られているが、主な納入先は侯爵領の常設 軍である騎士団なので、納品時に同時に税を納めている格好になっ ており、この商売は税を気にする必要はない。 キンドー士爵領であるドーリットへの販売時には納品した品目と 料金の詳細を記した納品・領収書を交わすことで、その写しととも に騎士団への納品のついでにウェブドス侯爵へ税を払ってしまえば 大きな問題もない。侯爵の弟が経営する商会を通じて王都への販売 を行う場合も当家が販売するのはあくまでウェブドス侯爵領のウェ ブドス商会なので、その時点で税は計算される。 つまり、年貢のような小麦の税のほかは現代日本で言う消費税の ようなものしか存在しないので、税に対してあまり頭を悩ます必要 はないのだ。これが国を跨いだ商売を直接したりするなら関税のよ うなものくらいはあるのだろうと想像は出来るが、その他について は今のところは不明だ。あ、自由民には人頭税がかかるし、所有し ている奴隷にも人頭税はかかる。だから住民税のようなものもある にはあるのか。 ゴム製品の増産による増収は確かにバークッドを豊かにしてくれ たが、それ以上に効果的だったのは家畜を農業に利用できたことに よる新規農地の開墾と旧来からある農地の深耕による増産だ。いま までよりも少ない労力で同じ面積から収穫できる農産物の量のアッ プはここ数年でかなりの効果をもたらした。当然新規の農地開墾が 472 一番大きな寄与になるはずだが、開墾後5年間は無税なのでこれは 当家に割り当てられた農地以外の寄与はない。わがグリード家の収 入もここ4年でそれまでの1.6倍∼1.7倍くらいになっている 筈だ。 作付面積あたりの収穫量はこの4年ほどで平均すると10%ほど 上昇したそうだ。1割アップはでかい。あくまで作付面積あたりの 昨年度の収穫量を目安に6割税を課せられるので、本来なら少しづ つ税収は増えるし、農民は毎年納税額が上がることになる。そして、 いつかは昨年よりも収穫量が減る時期がくるだろう。だが、へガー ドはそれを見越しているのだろうか。3年程前から作付面積あたり の収穫量の報告を増やしていないように見受けられる。俺の見たと ころ毎年前年比2∼3%くらいは作付面積あたりの収穫量が増えて いるにもかかわらず、その分の税を徴収していない。だから当然納 税もしていない。 ウェブドス侯爵へ納入している税自体は毎年ほとんど増えていな いからよくわかるが、確実に誤魔化している。ただ、開墾地の面積 の報告はしっかりとしているようだ。最初は俺の気のせいかとも思 ったが、執務室で二重帳簿を発見したので確実だ。別にその分農民 から税を徴収して私腹を肥やしているわけではないので、何か考え があるのか、それとも単に数年は皆にいい目を見させてやろうとし ているのかは解らない。俺としては別に私腹を肥やしてくれていて も一向に構わないし、むしろそっちのほうが安心できるくらいだ。 最初は、﹁お、やるじゃん、親父﹂くらいに思っていたのだ。今の ところ親父の考えが読めない。まぁこれはファーンが帰ってきて本 格的な領主教育が始まると税は避けては通れない道なので、必ず説 明せねばなるまいから、今は放って置こうと思っている。 そんな状況で、俺はと言えば魔法の修行、剣などの従士達との戦 473 闘の稽古、ゴム製品の開発・改良および製造の監督といった相変わ らずの毎日を送っていた。しかし、物事は起きるときには起きるの だろう。ウェブドス侯爵からの早馬で次の紛争への参加要請が届い たのだ。ヘガードも当年とって38歳だ。あとすこしで39歳にな るはずで、肉体的な衰えも出てきている。多少心配ではあるものの、 相変わらず剣は冴えており、白兵戦ではバークッドで無敵を誇って つ いるからちょっとやそっとでは死にそうにないからここは安心して 送り出したほうが良いのだろう。 なぎ 俺はミュンに情報を流し、急ぐ必要もないことだが、とにかく連 絡員を呼ぶように言う。コリサルペレットを流しに行くのは俺がや ってもいい。そして、これからしばらくはゴム採集の際に護衛する 人間からヘガードとシャルが外れる旨を伝えると、ミュンが当番で 採集に行く際には必ず武器を隠し持っていくように念を押した。ま だ俺が片目を潰したホーンドベアーの再襲撃は起きていなかったが、 念のためだ。俺かミルーが同行するから早々危険はないだろうが、 俺もミルーも戦闘経験ではヘガードやシャルの足元にも及ばないし な。まぁあの熊公も傷が癒えるにはそれなりの時間もかかろうと言 う物だし、そうそうあんな襲撃はないだろう。あってたまるか。 あ、そう言えばミュンの後任のメイドについて話すのを忘れてい たな。ミュンが結婚した2年前から別の従士の家の娘が我が家でメ イドとして働いている。リョーグ家の娘でゴム製造を手伝ってくれ ているダイアンの妹でソニアだ。年齢はミルーの一つ上で15歳だ。 物覚えも悪くなく、炊事や洗濯、掃除など完全にミュンの後を継い でおり、よく働く。だが、応用力や思考を展開させていく能力は足 りないのだろう、基本的に言われたことを言われたようにやるだけ で特筆するような人間ではなかった。あ、メイドになってからの2 年間で胸はずいぶん成長した。あれ? 俺もそろそろ性欲が出てき たのかな? でもいくらなんでもまだ早すぎるだろう? 474 2週間が経ち、ドーリットからいつもくる隊商がやって来た。コ リサルペレットを流し始めてからそう日は経っていないからこの中 に間者が入っていることはないだろうと思ったのだが、いつかの作 業員がいた。親しげに俺に話しかけて来ていつかの礼を述べてきた。 その日にミュンに確認したがやはり接触は無いようで、今回の護衛 は単なる偶然に過ぎないようだ。だが、俺はちょっと思いついた事 があった。ミュンの死を偽装できないだろうか? つなぎ こいつも確かに連絡員をしていたのだから、ベグルとか言う奴と の繋がりはある筈だ。相変わらず口が半開きで抜けていそうな顔つ きはそのままだ。まぁだからと言って本当に抜けているのかは確か めようが無いが、こいつならそこそこのトリックで騙せそうな気が する。いくら馬鹿でも潜入させている間者の死を報告しないという ことはないだろう。 俺は早速ミュンに相談を持ちかけた。村中でグルになるわけにも 行かないので、ミュンの死は俺たちとこいつだけが知るように出来 れば満点だが、流石にそうはいかないだろう。だが、ボッシュには 申し訳ないが一時的に村の住人達を含めて全員を騙すことが出来れ ばいいのではないだろうか? つまり、こいつの滞在中にミュンが 死んだと発表する。しかし、ミュンは生きていてこいつのいる間だ けどこかに身を隠す。こいつが帰った後にひょっこり出てくればそ れでいい。 現代日本のような遠隔地とすぐに連絡が取れるような道具なんか 存在しないし、そんな魔法も少なくとも俺は知らない。シャルも知 らないと言っていた。だいたい、こんな田舎の村の従士の女房が死 んだくらいではニュースにすらならないので、一度死を装い、それ が成功すれば、その後生きていたとしてもその情報があとから漏れ 475 る事もまずないといって良いだろう。 問題はこいつがこの先も生きていて、再度護衛だかなんだかでバ ークッドに来てミュンを見つけてしまうことくらいだ。万が一そう なら、今度こそこいつを始末してしまえばいいだろう。その時は既 にミュンは死んだことになっているから間者として始末されたと判 断されることもあるまい。 その日はゴムの作業が終了してから、製品の改良にミュンの意見 が聞きたいと言って、二人で相談する時間を設けた。ある程度の計 画を立て、翌日早速実行することにした。 ・・・・・・・・・ 翌日、俺はヘガードに新しいゴム畑︵既に畑といっていいくらい の面積は開墾されている︶の候補地を探しに行きたいと申し出た。 へガードは護衛に従士を何人かつけようとしてくれたが、出兵の準 備で忙しいだろうし、村からそう大きく離れることもないから危険 は少ないはずだと断った。それでもヘガードは引き下がらなかった のだが、俺が折れる形で、ミュンと一緒に行き、万が一のことがあ ったらミュンが村に異常発生を知らせるようにする、という形で納 得させた。 朝からミュンと一緒に出発し、村の外周をそれらしく見回るよう にしてミュンが村の外へ出ることを印象付けた。俺は地質判断用と か適当なことを言ってゴム袋を持っていたが、これは当然偽装で、 476 中にはミュンの当座の食料が入っている。村から少し離れた木の洞 に隠してあった、昔手に入れたブロードソードを回収してミュンに 渡す。俺は当然銃剣だ。 森に入って数十分。村から1∼2Kmは離れただろうか。ここら 辺りで良いだろうということになった。俺とミュンはあたかも戦闘 があったかのように地面を荒らす。適当な木に切り傷までつける。 途中で狩った数匹の狸だか兎だかの死体を利用して血も擦り付けた。 そんなつまらない作業に没頭していた。 だからだろうか、魔物の接近に対して気が抜けていた。気づいた ときにはミュンの先50mほどにまで近づかれていたのだ。油断無 くそっと近づいてきたようだ。奴は茶色い体毛で左目が潰れており ⋮⋮。畜生、あいつかよ。 俺は咄嗟に両手をホーンドベアーに向け魔法を使おうと試みるが、 奴との間にはミュンがいる。ミュンに警告を発し足元に置いていた 銃剣をセットした槍に手を伸ばす。 ﹁ングオオオォォォォ!﹂ びくっと体が硬直する。まずい。まずいがミュンに警告を発した 後でまだ良かった。ミュンもMPは10以上あるから一発で行動不 能になることはないだろう。せいぜい恐慌︵小︶のはずだ。と思っ たら、ミュンは硬直することも無く流れるような動きでブロードソ ードを引き抜き、構えながら振り返った。 は? え? 何で平気なの? 俺はそう思いながらもすぐに硬直が解けたので魔法で攻撃すべく 477 銃剣から左手を離し、その手をホーンドベアーに突き出すようにし ながら、ミュンを射線から外すために地面を転がった。ミュンが平 気だったのは今はいい。それよりもあいつだ。 奴はこちらに向かって四足で駆けてくる。俺は距離も近いし余裕 も無いのでいつかのように5本の氷の槍を生成して、それを全てホ ーンドベアーに向かって放った。今度こそ奴に一本でも突き立てら れれば修行した新魔法﹃ライトニングボルト﹄を刺さった氷の槍目 掛けてぶち込んでやる! 前回より多少は落ち着いて対応できたからだろうか、今度は前回 みたいに奴が大きく見えるような事は無かった。四足状態での体高 は1mあるかどうかだろう。いつか倒した番のホーンドベアーより もだいぶ小さい。ああ、こいつはあいつらの子熊なのかも知れない な。そんなことを思いながらも槍を誘導し奴の体に突き立てようと した。 すさ ミュンは俺が魔法を使う気配を感じたのだろうか、俺とは反対側 に横っ飛びに飛び退ると、ブロードソードを構えている。全力で氷 の槍を飛ばし、ホーンドベアーには俺の誘導もあって全部命中した。 前回は土煙で視界が塞がれていたから仕方ないが、見えていればこ んなもんよ。ざまぁみろ。 ざまを見るのは俺の方だった。いくら魔物とは言え、一度食らっ た攻撃に対する学習能力はあるのだろう。飛んでくる槍を認識した とたんに片腕で顔面をカバーしている。おかげで残った右目には槍 を突き立てることは出来なかった。そればかりか、命中する寸前に 体をずらして防御力の高い場所で受けたのだろうか、槍は一本も刺 さらなかった。ああ、勢いが足りな過ぎたのか、槍が小さすぎたの か全て分厚い体皮だか毛だかに弾かれてあらぬ方向に逸らされてし 478 まった。 そして、一瞬突進の勢いは衰えたものの、やはり俺を指向してい るらしい。ミュンに気を取られることもなく、俺に向かって突撃を 敢行して来る。このままだとまた体当たりを喰らっちまう。前回は 肩口から喰らったので弾き飛ばされるだけで済んだが、あの額に生 えている角でやられたらいくらプロテクターをしているとはいえ、 良くて重傷だろう。俺が重傷を負ってしまえば次はミュンの番だろ うし、重傷を負った状態で魔法を使うための集中力があるかどうか もわからない。ここは少しでも突進の威力を削ぎ、狙いを外すため に地魔法を使ってクッションの効果を期待すると同時に、奴の視界 を阻害するしかあるまい。 風呂桶一杯くらいの土を俺の眼前に出すのとどちらが早かったの だろうか。いつの間にか接近していたミュンがブロードソードをホ ーンドベアーに突き入れたのだ。そのおかげもあり、土を跳ね飛ば しながら突っ込んでくる角ばかりか、体当たりもなんとか避ける事 が出来た。 ブロードソードを突き込まれたとは言え、そう傷も深くなかった のだろうか、体当たりをかわした俺を睨み付けながら振り返ったホ ーンドベアーが息を吸い込んだ。ああ、あれだ。咆哮だ。まずいぞ まずい。ここで硬直したら本当にまずい。俺が魔法を使うのとどっ ちが早いのか。 ﹃バシィィィィィィ!﹄ ﹁ウオォォォォォン!﹂ 一瞬にして俺の左手から電撃が伸び、咆哮したホーンドベアーに 絡みつくが、ほぼ同時に始まった咆哮に集中を乱され電撃は霧散し 479 てしまう。だが、咆哮の影響を受けない手札がこちらにはあった。 ミュンは再度ブロードソードでホーンドベアーに斬りかかった。咆 哮をしている間はホーンドベアーもそれなりの集中が必要なのかは 知らないが、数少ない今までのホーンドベアーとの戦闘では咆哮し ながら何かの行動をしたことは無かったはずだ。 ミュンの一撃は綺麗に決まった、という程でもなかったがそれで もホーンドベアーに再度傷を負わすことには成功したようで、新た な傷が出来たようだ。俺も1秒くらいで硬直が解ける。すぐに飛び 退ったミュンは俺の右にいる。 ホーンドベアーは傷口から血を流しながらもじりじりと後退しあ る程度の距離を稼ぐと急に方向転換し走り去っていった。今度こそ ︼ 鑑定をしてみた。 ︻ ︻女性/11/1/7434・ホーンドベアー︼ ︻状態:切創︼ ︻年齢:4歳︼ ︻レベル:7︼ ︻HP:58︵83︶ MP:1︵3︶︼ ︻筋力:20︼ ︻俊敏:9︼ ︻器用:4︼ ︻耐久:15︼ ︻特殊技能:咆哮︼ うーん、レベル7か。そう言えば咆吼は自分と同じレベル以下に しか効果はないんだっけか。ミュンのレベルは9の筈だから無効化 されたのか。ひょっとしたら野生の勘というか、そういったもので 480 相手の生物的な力量を量った上で使うのが普通なのかも知れないな。 親熊の時はレベルが13だったから、あの時いたメンバーは全員咆 吼の影響を受けたし、前回こいつに襲われた時もレベルが8以上の 高レベルの人間はいなかったから全員咆哮の影響を受けた。ヘガー ドやシャルが冒険者時代に倒したとか言っていたが、彼ら二人のレ ベルはかなり高いから咆吼の影響を受けないだろうし、ある程度経 験を積んで相手の力量を量れるような大人の個体であればそもそも その時点でスキの出来る咆吼を使うことはなかったのだろう。 とにかくホーンドベアーを撃退することは出来たので、その点で は一安心だろう。また奴の傷が癒えるまではちょっかいをかけて来 ないと思いたい。と言うか、いい加減あいつとは決着をつけないと いけないだろうな。正直なところ今回も危なかった。咆吼の影響を 受けないミュンが居なかったらと思うと空恐ろしくなる。だが、今 回の件で解ったことも多い。レベルさえ上昇させれば咆吼は無視出 来ることと、接近戦でもきちんとダメージを与えられるということ だ。ミュンが使っていたブロードソードの品質は一般的なものだっ たので、俺の銃剣ならばもう少しマシなのではないだろうか。 まぁ考察はこのくらいにして、今はミュンの偽装だ。戦闘跡をで っち上げる件は、この戦闘で充分だろう。あとはシナリオだ。俺た ちが考えていたのはコボルドやゴブリンの集団に襲撃を受け、ミュ ンが死亡。俺は命からがら退却した、というものだ。勿論、あとあ とミュンは死亡しておらず敵集団が引いた後にその場を離れて安全 を図り、隠れていた。多分戦闘時に踏まれたか何かで足を捻挫して しまい、村まで戻れそうにないので適当な木の洞に隠れて過ごして いた。俺は戦闘のどさくさでミュンの死亡自体は正確に確認できな かったものの、あの状況では死亡以外ないだろうとミスリードさせ るような報告をする、というシナリオを考えていた。 481 俺の評判は落ちるだろうがそれは別にいい。当然ボッシュには恨 まれるだろう。だが、それも仕方ないと思っている。俺は村で人気 者になりたいのではなく、ミュンが安心して暮らせるようにしたい だけだからだ。それに恨まれたり蔑まれたりしたところで、俺に面 と向かってそれを糾弾できるのは家族だけだろうしな。 俺の家族は俺が無理だと思って引いたのなら、本当に無理だった のだと信じてくれると思う。そのくらいの信用はある。あるはずだ。 あると思いたい。ミュンは最後まで俺の立場が悪くなるのでは、と 心配してくれたが、実は俺はそんなに心配していなかった。何しろ 魔物がある程度うろついていることは普通だし、魔物と戦闘も発生 するのだ。怪我人だって出るし、この前は6人も殺されているのだ。 そして俺は領主の息子で過去の戦闘でも領民を見捨てて逃げたこと は一度もない。魔法だって相当使える。なによりまだ10歳の子供 だ。 そう言ってミュンを安心させる。ミュンは俺のプロテクターにブ ロードソードで傷をつけていく。勿論これも戦闘の偽装だが、俺は プロテクターを装着したままだ。ミュンを納得させようと適当に言 い訳をしながら、その相手に斬られている。なんだかシュールな図 だな。 ミュンはこれから移動し、村を迂回して川沿いに南下して身を隠 す予定だ。俺は村に戻りミュンの死亡を伝えたあとで隊商の出発を 待ち、頃合を見て川にコリサルペレットか何かを流すことで合図す る。合図を確認したミュンは村に帰還する。 本当にこれで上手く行くのかはわからないが、やるしかない。 俺はほうほうの体で逃げ帰るとミュンの死亡を報告した。かなり 482 強力で大規模なゴブリンの集団に襲撃を受けたと報告した。一生懸 命頑張ったものの、ぎりぎりまで襲撃に気づかず、先手を取られた こと。最初の一撃でミュンが昏倒させられてしまったこと。俺の力 では倒れたミュンを連れ帰れなかったことなどを抜群の演技力で報 告した。尤も、抜群の演技力というのは俺が思っているだけなのだ が。 当然村では騒ぎになる。ボッシュにも半べそをかきながら報告し た。ボッシュは唇を噛み締めながら報告を聞くと、襲撃を受けた場 所を尋ねてきた。ヘガードはボッシュの様子を見るとゴブリンの討 伐には連れて行かないと宣言した。理由は平静ではいられないだろ うし、従士になってまだ2年と日が浅く、昔の勘を完全に取り戻せ ていないことの二つだった。確かにボッシュは成人してからミュン と結婚するまでの9年間、農作業に従事しており、レベルも従士の 平均をかなり下回る5だ。だからヘガードの決定は頷けるものがあ るので、兄のラッセグやダングルに慰められていた。 そうこうしているうちに隊商は出立していった。俺もわざとらし くミュンの死亡を間者である例の男に伝えて様子を窺って見ると、 やはり何か思うところがあったようで、最後の様子などを聞かれた ので、確かに死んだと答えておいた。 隊商が出発した二日後に俺はコリサルペレットを流し、ミュンに 合図を送った。翌日の夕方にミュンは村に戻り、シナリオ通りに報 告し、ボッシュを始めとした関係者全員を安心させた。だが、シナ リオに無い事を言い始めた時には焦った。 ﹁私は最初に頭を殴られて倒れ込みましたが、意識はありました。 ですが頭に傷を負っていたので体が痺れて動けなかったのです。ア ル様は戦闘中にも関わらず私に治癒の魔法をかけてくださいました。 483 そのおかげで私の傷は回復しましたが頭を殴られたショックまでは 回復はしませんでした。なんとかショックから回復した時には戦場 は移動しており、私はアル様を追いかけようとしましたが、その時 になって足を捻挫していることに気づきました。足手纏いになって は元も子もないのでアル様が戦っているのとは逆方向に進みました。 ゴブリン達はアル様と戦うのに夢中で私には注意を払っていません でしたので、なんとか安全な距離まで離れられましたが、捻挫は悪 化してしまい、動くに動けなくなったので様子を見るしかありませ んでした。アル様、アル様のおかげで私は逃げ延びることが出来た のです。ありがとうございます。そして、最初に攻撃を受け足手纏 いになってしまい、誠に申し訳ありませんでした。あれがなければ アル様のことです。魔法で一気に対処できたことでしょう。しかし、 私が倒れてしまったことで、魔法を使えなかったことだと思います。 本当にどうお詫びしていいものやら⋮⋮﹂ こんなことを言ってくれた。 もともと恨まれたりはしていなかったが、この言葉が決定的なも のになったのだろう。俺は従士の家族を思いやって生存の可能性に 賭け、使えたはずの魔法も使わず、身一つで敵集団を自分に引きつ けてミュンを生存させた良い奴になってしまった。 ・・・・・・・・・ 4月の終わりごろ、準備を整えたへガードはシャルやベックウィ ズなど10人のバークッド村派遣部隊を率いて出陣して行った。今 回は当然といえば当然なのだろうが、出陣した先でファーンらウェ 484 ブドス侯爵領の騎士団と合流することを楽しみにしているようです らあった。うん、先方にファーンがいるのならまず大丈夫だろう。 ファーンは火と風の元素魔法こそ使えないが、魔法のレベルはシャ ルを超えているのだし、MPは比べ物にならない。おそらくそれは 隠しているのではあろうが、万が一ヘガードやシャルが危機に陥っ た際には必ず大きな助けになるはずだ。 485 第三十八話 間者からの解放︵後書き︶ この時点でファーンは騎士になっていたとしたら、出陣が目前に迫 っているため、騎士団を退職してバークッドへの帰還は許されない でしょうし、騎士になっていないのであればそもそも戻って来ない ので、いずれにしてもヘガードやシャルはファーンに会えると思っ ています。 486 第三十九話 呪文 7438年4月28日 へガード達バークッド村派遣部隊の出立を見送った俺はミルーと 今日のゴムの製造作業について話しながら母屋に戻った。午前中は 魔法の修行なので二人で領主執務室にこもって修行をする為だ。 ﹁そういえばアルは﹃ライトニングボルト﹄は使えるようになった のよね?﹂ ミルーが羨ましそうに言ってくる。﹃ライトニングボルト﹄の魔 法は地魔法と水魔法を低レベル、風魔法と無魔法をかなり高レベル で使用しないと使えない高度な魔法だ。風魔法が使えないミルーに は一生かかっても無理なので羨ましいのだろう。 ﹁うん、もう﹃ライトニングボルト﹄はいつでも使えるようになっ たよ﹂ いくつかの組み合わせで使用可能になる、ある程度高度で有用な 魔法には名前がついていることが多い。以前から使っている﹃フレ イムスロウワー﹄や﹃キュアー﹄更に﹃キュアー﹄の上位版である ﹃キュアーシリアス﹄や﹃キュアークリティカル﹄、有名なところ では﹃ファイアーボール﹄﹃○○ミサイル﹄や毒を抜く﹃リムーブ ポイズン﹄、毒を防ぐ﹃プロテクションフロムポイズン﹄などがあ る。因みに○○には色々な名前が入る。俺が使っていた氷の槍は﹃ アイスジャベリンミサイル﹄という感じだ。 487 魔法の修行とは単純に言って、これら名前が付けられている有名 な魔法を使えるように練習するということに他ならない。時間さえ かければ使いたい魔法に必要な各元素魔法と無魔法さえ習得してい るのであれば基本的には誰でも使うことは出来る。使おうと思って 必要な魔力を込め︵これは魔力を練る、と表現されることが多いら しい︶、無魔法で調整をすればいいだけだからだ。 集中を乱されない限り失敗こそ考える必要はあまりないが、練習 をしていないと発動に時間がかかってしまったり、効果が低くなっ てしまう。魚を捌く事を考えてみてほしい。包丁を使えない人間は 存在しない。技術が足りなくても時間を掛けさえすれば誰にでも魚 を捌き、刺身にすることは出来る。たとえ不恰好で手の温度が切り 身に移ったとしても刺身は刺身だ。旨くはないかもしれないが、充 分に食うことは出来るし、食えば何の魚を刺身にしたかくらいはわ かるだろう。まぁ、そのぐちゃぐちゃになった魚の肉片を刺身と呼 べるのならだが。 しかし、誰でも何回もやれば上手になるし、刺身も綺麗に切りそ ろえられる。骨から複数枚でサク取りし、かつ無駄に身を残すこと もない。皮も上手に引けるようになる。そして、出来上がるまでの 時間は短縮される。 つまりはそういうことだ。何回も反復練習を繰り返すことによっ て無駄な魔力を使うこともないし、魔法の完成までにかかる時間は 短縮される。要はコツをつかみ、要領を得て自分の技術として確立 させることで初めて﹁○○の魔法を習得した﹂と言うのだ。普通の 人は魔力量の関係であまり練習が出来ないため、一生をかけてせい ぜい3種類くらいの魔法を﹁習得﹂する程度だ。多い人でも5種類 くらいらしい。 488 だから、俺たち三人の兄弟はMPの多さのおかげで、普通の人た ちと比較すれば飛び抜けて習得した魔法が多い。当然だ。練習の機 会がそれだけ多くなるのだから。さっきの魚を捌くことの例を借り ると、普通の人は1日1匹のアジを捌くとMPが少ないのでもうそ の日は練習が出来ない。だが、俺たちは何匹でもアジを捌く練習を こち ひらめ 続けることも可能だし、その気なら鯖、鯛、鰹のようなもっと大型 の魚や鯒や鮃など、ちょっと変わった形の魚を捌く練習だって可能 だ。当然、最初は上手く行かない事は当たり前だが、練習を繰り返 せば鼻歌を歌いながら、タバコを吸いながらだって変わらないスピ ードで上手に捌けるようになるのだ。 ﹁いいなあ、全部の元素魔法が使えるって⋮⋮。ところで、今日は ﹃ファイアーボール﹄の練習するから、﹃アンチマジックフィール ド﹄お願いね﹂ ミルーはそう言うとニッコリと笑う。ちぇっ、汚ねぇな。自分は 全元素魔法が使えないから﹃アンチマジックフィールド﹄はいつも 俺の役目だよ。おかげで俺は何かに対して攻撃する魔法を練習する 機会は殆ど無い。夜に狩りに行ったついでにちょこっと練習するく らいだ。だから、俺が使える攻撃魔法は限られたものになってしま う。 ﹃フレイムスロウワー﹄は別に何かめがけて使わなくても練習で きるからものすごく上手になったが、それ以外はさっぱりだ。﹃ラ イトニングボルト﹄や﹃アイスジャベリンミサイル﹄だって真夜中 の修行でようやっとまともに使えるようになった部類だ。さっきミ ルーの言った﹃ファイアーボール﹄も使えないことは無いが、俺が 使っても発動には30秒くらいかかってしまうと思う。戦争ならと もかく、とても戦闘には使えない。 489 だが、ミルーはここ2年ほど、かなり攻撃魔法に特化して修行を している。理由は知らないが、大方、以前のホーンドベアー戦で﹃ フレイムミサイル﹄くらいしか使えなかったからそれを気に病んだ のだろうとは思うが。俺だって﹃ファイアーボール﹄とか﹃フレイ ムミサイル﹄とか練習してみたいよ⋮⋮。生活や何らかの生産に密 着した魔法は攻撃魔法なんかよりはるかに有用なことは解るけどさ ⋮⋮。こんなんで一国一城とか、どうなのよ? いや、有効だよ、 確かに。でもさ、当面は争いごとを腕ずくで解決しなきゃいけない わけじゃん? そこで土出して埋めるとか、絵面が地味だよね。 ﹁わかったよ⋮⋮。今日は何発くらいやるの?﹂ 攻撃魔法の威力は無魔法に込めるMPで決まるといっても過言で はない。もちろん使う元素魔法のレベルにもよるが、大方は無魔法 のレベルと量の加減、誘導や速度、指向性によって決まる。地魔法 で石を出してそれを飛ばすことを考えればすぐに理解してもらえる だろう? 弾丸の威力は弾頭の材質も大事だけど速度や重量、その 形状の方が威力に占める割合が大きいだろ? ○○ミサイルのような魔法は元素魔法で弾頭を作り、無魔法でそ れを発射する銃や砲を作るようなものだ。発射薬である火薬も無魔 法だが、別に爆圧で飛ばすわけじゃないので銃身や砲身にあたる助 走距離を多く取り、その銃身内の弾頭を魔力で加速させる。だから 威力は無魔法でどれだけ長距離=長時間加速させられるかにかかっ てくることが多い。誘導は銃身を捻じ曲げて銃口を対象に密着させ ると考えてくれ。勿論誘導には魔力を使わず、魔法の射程外まで飛 ばしっぱなしにすることも可能だ。そのためには銃弾に当たる弾頭 をかなり加速させないと魔法の射程距離を過ぎたところで空気抵抗 やその形状などですぐに威力は激減してしまい、しまいには地上に 落下する。 490 そしてその練習は弾頭ごとにやらないとだめだ。勿論ある程度の 応用は利くが、石を大きくしたり、変形したりなどで弾頭が変わる とただ飛ばすだけならともかく、加速や誘導に使う無魔法の使い方 も多少異なってくるのだ。だから1MPで作った石を使って﹃スト ーンミサイル﹄に習熟しても﹃アイスジャベリンミサイル﹄とか﹃ ストーンアローミサイル﹄とか﹃ファイアボルトミサイル﹄とか弾 頭毎、弾頭に使用するMP毎に練習が必要になる。これが弾頭を飛 ばさず、加速せず、ただ単に作り出した土や石を誘導して飛ばした り埋めたり氷漬けにしたりとかだと別に練習は必要ない。多分俺が 思うに弾頭の加速が一番練習が必要だと思う。勿論時間さえ掛けら れる状況で充分にMPを使えるならどんなものでもそれなりの効果 を発揮させられるとは思う。 だが、﹃ファイアーボール﹄の魔法は特殊で爆弾を飛ばすような ものだと思ってほしい。勿論速度はある程度重要ではあるのだが、 この魔法は弾頭自体によりMPを使うことになる。地魔法と火魔法 で弾頭を作り、それに無魔法を使って思い切り圧縮する。圧縮を維 持したまま飛ばし、目標あたりで圧縮を解放してやると燃えた石や 土くれがそこで飛び散る事になるのだ。弾頭の飛び散りには加速を していないので飛び散り方は大したことは無いが、真っ赤に灼熱し た石などが飛び散るさまはまるで爆発のようだ。使うのに必要なM Pは最低限で地魔法の1、火魔法の1、無魔法の指向性、拡散の反 対の圧縮で1、飛ばすための3、圧縮持続の4で合計10MPだが、 この程度だと爆竹に毛が生えたようなものなので、殺傷を目的にす るのであれば最低でも弾頭にこの3∼4倍は欲しいところだ。 それでも多分人を殺すのは難しいだろう。爆発のすぐそばにいた としていいところ重傷で、当たり所が悪ければ死ぬくらいではない だろうか。だが、それでもMPを20以上も︵弾頭に地と火でそれ 491 ぞれ4、圧縮も同様に4×2で8、飛ばして3、圧縮持続で4だ︶ も消費する。普通の魔法使いであれば、その後のことを考えてもう 魔法は軽々に使えなくなる。シャルくらいの魔法使いが昏倒も辞さ ずに全ての魔力を注ぎ込んでダイナマイトくらいの爆発を作り出し て数人を殺傷できるくらいらしい。 だが、ミルーは違う。50とか100とかアホみたいな量のMP を注ぎ込んで弾頭を生成するのだ。ちょっとした軍事用の爆弾程度 の威力があるのではないだろうか? そんなものを屋内はおろか、 屋外でもまともに使うわけには行かないので実際の爆発は見たこと ないから知らんけどさ。要するにそれを受け止める﹃アンチマジッ クフィールド﹄にはそれ以上のMPが必要になるのであらかじめそ れだけのMPを注ぎ込んでおかないと爆発が﹃アンチマジックフィ ールド﹄を超えてしまうのだ。だから何発くらいやるのか聞いてお かないとあとでまた﹃アンチマジックフィールド﹄を使いなおすこ とになるし、俺がボケていた等場合によっては家の中で爆発させる という大惨事を招きかねない。 ﹁ん∼、3発くらいかなぁ⋮⋮。選別の修行もしないといけないし ね﹂ あ、そうですか⋮⋮。じゃあ多少多めに700くらいでいいかな。 ミルーは攻撃魔法の修行もしてはいるが、ゴム生産のための選別 ラテックス の魔法や風魔法を使わない乾燥の魔法についても一応きちんと修行 をしている。乾燥はともかく、採集してきた樹液に含まれている不 純物の除去なんか、水で薄めて沈殿させるなり漉し取るなりすれば 時間はかかるが出来るのに、少しでも生産を効率的にやりたいとい って修行を続けているのだ。 492 ミルーはさっさと﹃ファイアーボール﹄を3発撃ってから選別の 修行でMPを使い切って休んでしまった。しょうがないので俺は弾 頭だけ作ったりして練習をする。弾頭自体はもうかなりの種類をコ ンマ何秒で作れるがそれを加速して飛ばしたりする練習は昼間はま ず出来ないので仕方ない。それより最近は治癒魔法の練習をしてい る。練習には怪我をしなければいけないので痛いから嫌なんだけど、 肝心なときに集中に時間がかかって死ぬとかのほうがよほど嫌なの で辛くても練習を重ねている。自分の足や腕に切り傷を付けるくら いのうちはまだ我慢できたのだが、思い切って足に銃剣を突き立て るまでにはかなりの時間と覚悟を要した。多分思い立ってから1年 くらいはかかった気がする。 だが、どうしても腹や胸を突いたりする勇気がない。今度こそ、 と思って修行に臨んでも、いざ突き立てようとすると、ぶるってし まう。だって、あまりの激痛とかで集中が乱れて治癒が間に合わな いことを考えるととてもできねーよ。指を落とすこともしていない。 欠損が接続できなかったら大変だし、その場合、欠損した部分は一 生ついて回るだろうしな。だけど、大きな切り傷なんかが治癒魔法 であっという間に接合され皮膚に跡も残らず回復されていくことを 考えると、欠損してすぐならくっつく気もするが⋮⋮。だめだ、怖 い。やっぱ出来ないわ。 とにかく手足の切り傷や突き傷ならかなり大きなものでも一瞬に して治せるくらいまでは修行した。いまさらこんな傷の修行は殆ど 意味ないので、腹や胸の修行をしたいのだが、どうしても思い切れ ず結局二の腕や腿とかに銃剣を突き立ててお茶を濁してしまう。因 みに治癒の際に血液もある程度造っているくさいので貧血になった ことはない。 もうこれはあの練習法に頼るしかないかな? 村の治癒師のシェ 493 ーミ婆さんに昔聞いた修行法だ。魔法の練習をする場合のもう一つ のやり方だ。それは呪文を唱えること。どんなに上達しても呪文を 唱え終わるまでは決して魔法は発動することも無いが魔法への集中 をある程度減らすことが出来る。それ以外の効果はないが、魔法の 修行法の一つとして比較的ポピュラーなものらしい。昔ゴブリンと 戦って傷ついたファーンを治療したときに言っていたあれだ。 キュアー ﹃我が身体より魔素を捧げる、この者に癒しのお恵みを、治癒﹄ 特定の速度で呪文を唱えることによって半自動的に魔力を使い魔 法を完成させる。呪文自体に別段意味はない。唱える内容も﹃じゅ げむじゅげむごこうのすりきれ﹄だっていい。自分の中で特定の単 語と一定の魔力量とその元素や効果とを紐付けられさえすれば良い らしい。心が平静でない場合などで効果を発揮する魔法の行使方法 だ。シャルなどは﹁発声出来ない状況ではまったく役に立たないし、 普通に魔法を使うよりも時間がかかるし呪文と自分の魔力の相性を 発見するまでは意味がない﹂と言って切って捨てていた。 そもそも魔法の発動までに時間がかかるので戦闘で使う魔法使い なんかいないとも言っていた。さっきの治癒の魔法だって呪文を書 いて見れば大したことない量だけど、あれを正確に5秒くらいのリ ズムで唱えないといけないらしい。人によってはもっと長いことも あるそうだ。短いこともあるだろうが。呪文とそれに対応する魔力 なんかを見つけるまでにかなりの時間がかかることが難点の一つで もある。俺もそれを聞いて馬鹿馬鹿しいので諦めた口だ。 治癒師なんかが魔法のありがたみを演出する材料として修行する のが一般的らしい。だって、商売の道具だしな。それだって本当は 呪文なしで魔法を使っている治癒師が殆どらしいが。シェーミ婆さ んは治癒の魔法は呪文がないと使いにくいとは言っていた。 494 しかし、俺の魔力と相性のいい呪文を探すって、簡単に言ってく れるが一体どうやって探せばいいのだろうか? 適当になにか言葉 を喋りながら魔法を使って、これだ! というものを探せばいいの だろうか? 多分こうやって闇雲に探してもまず無理な気がする。 それなら、実際に呪文を唱えることで修行したシェーミ婆さんに聞 けばいいのか。 早速シェーミ婆さんの家まで行って見た。そして、婆さんに呪文 による魔法の修行方法を尋ねてみる。 ﹁ねぇ、シェーミ、呪文でやる魔法ってどうやって自分に合った呪 文を見つけたらいいの?﹂ ﹁おや、アル様は呪文で魔法を使いたいのですか?﹂ シェーミはにこにこしながら聞いてきた。 ﹁うん、治癒の魔法なんかだと手足の切り傷くらいしか練習できな いしね。もっと大怪我をしたときなんかだとちゃんと集中出来るか 不安なんだ﹂ ﹁ええっ!? 練習って⋮⋮あ! まさか手足を傷つけているんで すか!?﹂ おいおい、急にでかい声出すなよ。びっくりするだろうが。 ﹁え? ああ、見てろよ⋮⋮ふんぐ!﹂ 俺は言うが早いか銃剣で左腕を突き刺してから引き抜くとすぐに 495 治癒魔法で治療した。 ﹁ちょ、ちょっと、アル様! ⋮⋮え? あ、ああ、お見事な治癒 ですが、そんなことは二度とやってはいけません! いいですね!﹂ なに、その剣幕。目を三角にするという生きた凡例が目の前にい る。 ﹁え? だって練習出来ないじゃんか⋮⋮﹂ ﹁だっても糞もありません! 一体何をお考えですか! ご自分で 手足を傷つけるなんて⋮⋮。だいたいすごく痛いでしょうに⋮⋮。 なぜこんなことを⋮⋮﹂ 思い切り叱られた。だから練習だってば。 ﹁だから練習しないとうまく使えないだろう? 今は手足だけしか 怖くて練習できないけど、腹や胸はさすがに⋮⋮その、勇気無くて さ﹂ ﹁⋮⋮いいですか? この事はお館様と奥様に報告いたしますよ。 充分に叱って貰わなくてはいけません。それに、呪文もお教えでき ませんね﹂ え? ﹁そんな⋮⋮。何でだよ! 修行できないじゃんか! 教えてくれ よ!﹂ ﹁治癒の魔法の修行のためにわざわざ怪我を作るとか、奥様が教え 496 たのですか!? そんなわけないですよね? 間違って大怪我した りして治癒が間に合わなかったら一体どうするおつもりですか!!﹂ そこまでぎゃんぎゃん言わなくても良いだろうが。言ってる事は 解るけどさ。俺は自分で治療出来ないと安心出来ないんだよ。 ﹁だから間に合うように練習したいんじゃないか。でも普通に魔法 使ったら集中できないかもしれないだろ。だから呪文でも治療でき るようにしときたかったんだよ﹂ ﹁⋮⋮おっしゃっていることは解りました。ですが、普通は治癒は 自分にはそうそう使いません。今アル様がおっしゃられた通り、集 中できないことが殆どだからです。普通は他の治癒が使える人に魔 法を使ってもらうことになります。ですから、自分への治癒魔法の 練習など必要ありません。ずいぶん治癒魔法を上手に使えると思っ たら⋮⋮こういうことだったのですね。私はお教えできません。ど うしてもという事でしたらお館様と奥様の許可を取ってください﹂ シェーミ婆さんはそう言うともう何を言ってもだんまりになって しまった。 まずいな。だって許可を取ろうにもヘガードもシャルも遠征に行 ったばっかりだなんだぜ。それに、シェーミ婆さんの剣幕を考える と両親ともに激怒しそうだ⋮⋮。 身体髪膚之れを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。 という言葉もある。オースにあるかは知らんが。おそらくこの言葉 と同様の意味で怒っているのだろうということくらいは解る。解る が俺の事情はそうもいかんのだ。 497 うーん、どうしよ? なんとか両親が帰る前にシェーミ婆さんを説き伏せたい。ちょっ と考えないとな。 498 第四十話 反省 7438年4月28日 午後 さてさて、シェーミ婆さんに婆さんの家から放り出された俺はと ぼとぼと歩きながら、どう婆さんを切り崩したものか悩んでいた。 ちょっと整理してみよう。 1.魔法を使うには呪文の詠唱は必要ない 2.その場合、魔法に慣れれば一瞬のうちに発動することも可能に なる 3.但し、精神集中が必要で、魔法の発動前に精神集中が途切れる と魔法失敗 ︵一瞬とは言えゼロではないので精神集中は必ず必要︶ 4.呪文を詠唱して魔法を使う場合、呪文の詠唱終了まで魔法は発 動しない 5.精神集中は呪文を詠唱したほうが低減される︵半自動になる︶ 6.呪文は魔法毎、個人毎に異なり、相性のある言葉を探す必要が ある ちょっと補足しておこうか。2に述べている一瞬とは魔法によっ て異なる。使用する魔法の系統が少なかったり必要な魔法のレベル が低いならば文字通り一瞬││長くてもせいぜい1秒くらい││だ が、必要なレベルが高かったり、多くの元素魔法が必要になると一 瞬とは言え2∼3秒は要する。慣れていない場合は1分以上、場合 によっては数十分もかかることはザラにあるのでそれらと比べた場 合には充分に一瞬と呼んでも差し支えないだろう。 499 次に、3の精神集中だが、これは勿論文字通りの精神集中だ。使 うと決めた魔法の完成に必要な魔力を練りあげ、それを行使するた めに極度な精神集中が求められる。正直なところ、イメージする魔 法を使うと決め、魔力を練り始めてから完成するまでは他の事は一 切出来ないと思うくらいで丁度いい。よほど慣れた魔法であれば多 少の身体行動くらいは出来るがせいぜいそれまでだ。だから、動揺 していたり、何かに気を取られていたりなどするとそもそも魔力を 練り始めることすら出来ない。当然何らかの魔法を使ってそれを維 持している最中に別の魔法を使うなんてことは出来るはずもない。 問題は6だよな。こればっかりは盲滅法でなんとかなるものでは ないだろう。ちょっと軽々しく婆さんの前でわざと自身を傷付けた のはあまりに軽率だった。どんな理由があろうとも子供が己の体に 自ら傷付けることはどう贔屓目に見ても感心されないことぐらい気 が付きそうなものだ。なんであんな馬鹿な事をしてしまったのだろ う。まぁ後悔先に立たずだ。やってしまったことを悔いるより今後 にどう活かすかを考えたほうが精神的に健全だ。 次は治癒魔法の呪文を唱えられるようになりたい目的だ。なぜ呪 文が必要なのか。これは一つしかない。 ・自身の体の重要部に大怪我を負ったりなどした場合に、痛みやシ ョックなどで魔法に対する精神的な集中力を維持出来ない可能性を 捨てきれないから これだけだ。別に呪文を唱えれば魔法への集中力が必要無くなる 訳ではない。魔法への集中力が軽減されるだけだ。半自動で呪文に 対応する特定の魔法のための魔力を注ぎ込んでくれる、というだけ だ。要するにどんな場合でも魔法に対する集中力の維持さえ可能な ら呪文は必要ない。必要な集中力の低減以外にはなんのメリットも 500 ないのだから。だから俺は手足の怪我くらいであればたとえ戦闘中 に欠損したとしても治癒魔法をかけて傷口を塞ぐ程度は出来るくら いには治癒魔法の修行をしたのだ。多分これは戦闘中だろうが何だ ろうが出来るだろうと思えるくらいには何回も修行を重ねただけあ ってかなりの自信がある。 ただ、胴体などあまりに重要な器官が集中している場所について は修行のためとは言え自ら傷付ける勇気がない事と、胴体部への怪 我の痛みを押して治癒魔法を咄嗟にかけられる程度の集中力を発揮 出来る自信が無いだけだ。多分相当痛くても時間さえかけられるの であれば、胴体に重傷を負ったとしても治癒魔法をかけることは出 来るだろう。だが、魔法に対する集中に時間が掛かりとても戦闘中 には出来ないだろうとの考えから修行をしたいだけだ。ただでさえ 重要な器官を多数内蔵する胴体部に大きなダメージを受けた場合、 出血によるショックや、魔法が効果を発揮するまでに失血死しない かどうかや内臓が傷ついたことによる恐怖と戦いながら落ち着いて 魔法が使えるか⋮⋮。 自信なんかあるわけない。しかし、それを言うならそんな状況で 正確に呪文を唱えるのだって難しそうだ。血液が気管や食道を登っ て来たりしたら正確な発音も無理だろうからそうなると呪文には本 当に意味が無くなる。呪文はただ決まった言葉を発音しさえすれば 良いと言う物では無いし、シャルが言う通り発声できない状況では 文字通り何の力も発揮することはない。 うーむ、今はしょうがないのかなぁ⋮⋮。今考えたように胃や腸 などの消化器官や、肺を傷つけて血を吐いたりなんかすれば呪文を 唱えるどころじゃないしなぁ⋮⋮。でもなぁ⋮⋮。胴体はでかいか ら目標になりやすいから傷を受けることも多いような手足で防御す るからそうそう傷を負うことも無いような⋮⋮。いやいや、出来る 501 だけ悪い状況を想定すべき⋮⋮。 しかしだ、普通に考えてみればシェーミ婆さんの言っていること は全く反論の余地がない。僅か10歳の小僧が﹁胴体部に重傷を負 った場合の治癒の練習をしたいから腹に剣を突き立てているんだ﹂ とか言って来たとして、俺がシェーミの立場なら確かに﹁ふざけん な、馬鹿﹂だろうしな。そこで認めて﹁よしよし修行熱心だね。じ ゃあ教えてあげよう﹂なんて言う奴がいたら気違いとしか思えんわ。 もう少し大きくなってから再度教えを乞うしかないのかな? だい たい治癒の練習とかバカ正直に言ったのが悔やまれるわ。 例えば魔法で攻撃しながら防御したり走ったりしたいから、で教 えを請う理由としては充分だろうに⋮⋮。なんであんな事を言って しまったんだろう。いつも出来るだけ話した相手の受け答えを考え て発言するようにしているのに今回は全く考えなかった。これも年 齢に精神が引っ張られているからなのだろうか? いやいや、もし それが本当だとしても自分がアホ過ぎただけだろうと思うようにし ないとまた似たようなことをする可能性がある。良い事は他人のお かげ、悪いことは自分のせい。こう考えないと成長はないしな。 村の中心部にあるシェーミ婆さんの家から戻る道すがら、肩を落 としながらこんな益体もないことを考えていた。 ・・・・・・・・・ 昼になりミルーが起きてきたのでメイドのソニアに作ってもらっ 502 た昼食を摂り、姉弟二人で剣の修行に行く。行くと言っても家のす ぐ脇で修行をするのですぐに到着するのだが。遠征に行かなかった 従士の子供たちと共に木刀などで模擬戦をし、適当なところで切り 上げて今度はゴム製造だ。皆既に充分に慣れているので流れ作業の ように各種のゴム製品を作っていく。俺はぼーっとしながらその光 景を眺めていたら夕方になったので家に帰り用意されていた晩飯を 食う。 なんだかしゃっきりしないので今晩は狩りにでも行くかなぁ⋮⋮。 夜に一人で狩りに行けば気持ちも引き締まろうってものだ。それに、 あのホーンドベアーへの対抗手段は治癒魔法なんかではなく、レベ ルアップすることのはずだ。咆哮をあげる時にはあたかも魔法を使 うときのようにホーンドベアーにも隙が出来る。その隙を狙い撃ち すれば剣や槍でも充分にダメージを与えられるし、魔法で撃ち抜い てもいいだろう。 俺はミルーが寝たのを確認するといつものようにそっと家を抜け 出した。銃剣を持ち、誰にも見つからないように村の外れまで行く と今日はどのあたりで狩りをしようかと首を捻るが、今はとにかく 経験値を得てレベルアップを目指すのが一番の早道なので経験値の 高い魔物が多いところを目指す。 村の北から北西の方へ行くとスライムがいるあたりに行けるはず だが、あの辺りはいつかホーンドベアーの番に襲われたところだ。 ホーンドベアーを除けばこの辺りではスライムが経験の高い魔物な ので出来ればスライムを狩りたいのだが、なんとなくあれ以来足が 遠のいている。今迄夜には遠目ですらホーンドベアーを見かけたこ とは無いので多分ホーンドベアーは夜行性では無いと思うが、あそ こまでは流石に遠い。 503 仕方ないので村の東に行こう。村の東はゴブリンの集団が出やす い辺りだ。他にはラージバットやジャイアントラット等が夜行性の 魔物としてうろついている。場合によってはホブゴブリンと言うゴ ブリンよりかなり経験値的に美味しい魔物に出会えることがある。 ホブゴブリンに期待だな。 村から1時間半程歩くと魔物の集団を発見することが出来た。期 待通りホブゴブリンだ。索敵代わりに使っていた鑑定でおもむろに ︼ 集団のうち、一番体のでかい一体を鑑定してみた。 ︻ ︻男性/17/5/7428・中鬼人族・バズ氏族︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:9歳︼ ︻レベル:4︼ ︻HP:70︵70︶ MP:2︵2︶︼ ︻筋力:12︼ ︻俊敏:13︼ ︻器用:5︼ インフラビジョン ︻耐久:10︼ ︻特殊技能:赤外線視力︼ こんな感じの奴らが12匹いる。どうやら焚き火をして何か食べ ているようだ。見張りを周囲四箇所に置き、残りの八匹が焚き火を 囲んでいる。こいつは何とも実入りがいいな。多分全滅できたら7 ∼8000くらいの経験が入るような集団だ。こんな大集団は初め て見るから興奮してきた。おっと、こんな時こそ落ち着けよ、俺。 ホブゴブリンは通常だと数匹くらいの集団でいることが多く、今 までに倒した事は一匹しかない。集団のうちの一匹でもある程度の 504 傷を与えるとそいつを守って退却してしまうからだ。ゴム採集の時 に何度か出会ったことはあるが、こちらは大抵五人以上の集団なの で向こうから襲撃してくることも殆どないから戦闘回数自体が少な いのだ。見た目はゴブリンと似ているが、大きさを150%くらい にして、体格はゴブリンよりずっとがっしりとした感じでほぼ普人 族の成人と同じくらいかちょっと小さいくらいだ。だが、戦闘力は インフラビジョン ゴブリンのふた回りどころでは無く、かなり強力な魔物と言えるだ ろう。なお、特殊技能の赤外線視はいいとこ2∼30m程しか見通 せない。村のエルフやドワーフなど、同じ特殊技能を持っている亜 人に確かめたので間違いはないだろう。ああ、念の為鑑定してみる か。 インフラビジョン ︻特殊技能:赤外線視力 レベルあたり3mまでの距離の遠赤外線を探知可能な視力。視力 のモード変更にはこの技能を使用すると意識しないといけない。モ ード変更後に目に映る映像は遠赤外線放射量に応じた色となる。遠 赤外線を放射しないか放射量が微量な対象は黒く見え、放射量の増 加とともに赤くなっていく。そして更に放射量の強い対象を視界に 収めるとその対象は赤を通り越して白く見える。この視力は場合に よっては対象との間に壁があっても有効である。視力器官から赤外 線を放射してその反射を見ているわけではないので傍に大きな遠赤 外線を放射する物体などがあると視界は真っ赤になったり真っ白に なったりして有効ではなくなることもある︼ うん、やっぱり一緒だ。心配はなさそうだな。 焚き火が傍にあるのでなんとなくだがあまり脅威ではないし、視 力の及ぶ範囲も短い。明かりのない家屋内などではかなり有効だろ うがある程度距離を取れるなら無いも同じだ。 505 本当は訓練の意味からも一体ずつ肉弾戦で相手をしたいところだ が、多分一対二になった場合、かなり分が悪くなるだろう。それに 今日は訓練ではなく、経験値を得に来たのだ。見張りを出来るだけ 静かに始末してから残った集団を纏めて土で埋めるか、氷漬けか⋮ ⋮。流石に見張りごと全滅は出来ないことも無いだろうが端っこ同 士の見張りの距離があるのでちょっとMPの効率が悪すぎる。一匹 か二匹、見張りを処理してしまえばいいだろう。 俺は魔法の射程ギリギリの200m弱までそんな事を考えながら 用心深く近づくと、見張りに対してアイスジャベリンミサイルの魔 法で狙いを付ける。勿論手の光を見られる可能性を考慮して左手に ゴムの袋を被せてから魔法を使うことにする。全く光が漏れない訳 ではないだろうが何もしないよりは比べ物にならないほどマシだろ う。 鑑定で見張りのシルエットを際立たせて見張りが別の方向を向い た瞬間を見計らって槍を加速して飛ばして最初の見張りを始末する。 また、別の見張りに近づいて同じように始末した。側頭部に氷の槍 を突き立てられた見張りは一撃で死亡した。殆ど音はしなかっただ ろうが、見張りが倒れた音はしたはずだ。だが、ホブゴブリンたち は見張りの半数が既に倒されたことに気がついた様子はない。 何やら聞き取りづらい言葉を大声で話しながら食事に夢中だ。よ し、これなら残りの見張りも上手く始末できそうだ。俺は少し大回 りをしながら焚き火を迂回して三匹目の見張りも首尾よく始末した。 もういいだろう。一気にあの焚き火と残った見張りを巻き込むよ うに土を出して埋めてしまえ⋮⋮。 埋めてから20分程待ち、全員窒息したことを確信してから﹃ア 506 ンチマジックフィールド﹄で土を消した。﹃アンチマジックフィー ルド﹄の魔法は広範囲にかけるとかなりMPを消費するんだよな。 これで今日は残りのMPはもう数百程度しか無くなったのであとは 魔石を回収して⋮⋮もう面倒くさいな。この辺りに死体を放ってお いても別の魔物や肉食獣が始末してくれるだろうし、そうすると魔 物が集まってくることになるから更に経験を稼げるようになるかな ? 放っておこうか。 いやいや、それで変な魔物が来たりしたら大変だ。面倒でも死体 は始末したほうがいいだろう、仕方ない。やるか。 俺はさっさと哀れなホブゴブリンの死体にナイフを突き立て、胸 から魔石を回収すると同時に死体を焚き火跡の一箇所に集めて﹃フ レイムスロウワー﹄を使って焼き上げた。シャルが使っていたよう に火炎放射器のようにしながら温度だけ1000度くらい上昇させ る。時間をいくらでもかけられるから温度をかなり上げて焼いてや ればすぐに灰になるからな。 今日はもう帰って明日に備えよう。シェーミ婆さんにはまた明日 話をすればいいさ。何とかなるだろうよ。 507 第四十話 反省︵後書き︶ シェーミ婆さんのデータです。 ︻ハンナ・シェーミ/20/9/7386 14/6/7368︼ ハンナ・オズガウル/ ︼ ︻女性/12/1/7367・普人族・自由民︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:71歳︼ ︻レベル:11︼ ︻HP:39︵39︶ MP:45︵45︶ ︻筋力:6︼ ︻俊敏:10︼ ︻器用:16︼ ︻耐久:7︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.4︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.5︶︼ ︻経験:182456︵210000︶︼ 508 第四十一話 走れない奴は⋮⋮ 7438年4月29日 結局どれだけ言葉を尽くしてもシェーミ婆さんを説得することは 叶わなかった。おそらく再度俺が説得に現れることを予期していた のだろう、別段驚きもせず落ち着いて応対され、そして無碍にあし らわれた。 呪文についてはシェーミ以外からも学べないか調べたほうがいい だろう。今はシャルもいないので、魔法関係だとあまり頼れる人が いない。ミュンが何か知っているかも知れないと思い、念のためミ ュンに聞いて見たがやはり知らないそうだ。そればかりかシャルの ように呪文は芸の1つですらあるかのように言われる始末だった。 実際そうなんだよな。必要な集中力を低減するだけだからあんま り役には立たないことは確かだと思う。当面はいいかなぁ。腹部の 治癒って言っても、そもそも腹部に傷を受けないように立ち回るの が先なんじゃないか? 攻撃をかわす身のこなしや、剣や槍での防 御を練習するほうがずっと有効ではないだろうか? もしくはやら れる前にやるべく、攻撃のための魔法の練習とか。 魔法と一口に言っても当初想像していたような便利なものじゃな いんだよなぁ。正直な話、俺が魔法について最初に持っていたイメ ージはシンデレラに出てくるかぼちゃの馬車を作り出した老婆風の 魔法使いが使っていたような﹁イメージすれば何でも出来る﹂とい うことだった。当然箒に跨って空も飛べるし、美味しい食べ物を出 したりなど、多少の固定観念はあるものの、今のような、○○系統 509 の元素魔法とか、○レベルの○魔法と○魔法を組み合わせてどうの こうのなどと言った制限が多くて面倒くさいものではなかった。魔 法の杖をさっと振って一発。望みが何でも叶う。そういったイメー ジを持っていた。 だってそうだろう? 普通の日本人が持っている魔法使いのイメ ージは童話に出てくる黒い鍔広の帽子をかぶり、黒いローブを着た 老婆か三角帽子をかぶった真っ白く長い髭の爺さんで、普段は怪し げな中身を煮込んでいる大きな鍋を掻き回していると相場が決まっ てる。特に俺の年代︵既に俺の精神年齢は55歳だ︶だとほとんど の人がこういったイメージなのではないだろうか。あとはせいぜい 秘密の○ッコちゃんとか魔法使いサ○ーだろ。そりゃ俺だって大昔 にコンピューターのロールプレイングゲームくらいはやったことが あるけれど、俺がやったのはごく初期のものばかりで主人公は最後 まで一人で行動して魔法も使うけど、剣も使い、重厚な鎧兜に身を 固め⋮⋮といったものだけだ。 そこに出てくる魔法だってコンピューターのメモリやらの制限で 攻撃か傷の回復くらいしかなく、強さの異なるものが合計で十種類 あったかなといった程度だった。子供心でも﹁ああ、いくらコンピ ューターでも魔法は完全に再現できるわけないよな﹂と思っていた くらいだ。本来であれば魔法などその存在すら信じられないし、本 気で魔法について喋っているところを見掛けでもしたらその脳味噌 の正気度を疑うレベルだ。だが、このオースには魔法は確固として 存在している。 存在が確認され、それに有効性が認められるなら覚えない手はな い、とばかりに今まで一生懸命魔法の修行に時間を掛けて来ていた が、同時に万能ではないこともよく理解出来た。万能どころか使い すぎると精神が参って昏倒したり、魔法の使用中は精神集中のため 510 に殆ど他の行動が取れないなどリスクすら覚悟せねばならない。便 利であることは動かしがたい事実なので今後も魔法の修行は継続し て行うことは心に決めているものの、そろそろ魔法ばかりではなく 体を作り上げることにも注力したほうが良いだろう。マラソンでも やるか? 村を縦断するだけで1kmくらいはあるので、走る場所 には事欠かないし、畑の方まで行くならマラソンと言うかジョギン グコースは選び放題だ。持久力もつくし、自衛隊でも嫌と言うほど 毎日走らされた。 10歳になって体もそれなりになったことだし、今日から走り込 みをしよう。慣れたらプロテクター一式を装着して銃剣の槍も装備 して適当な背嚢でも背負えばいいだろう。転生前の肉体だといくら なんでも無理だろうが今なら出来るはずだ。と言うか出来るように ならねばなるまい。防衛大学校でも教練の教官や助教に﹁走れない 兵隊は使えない﹂と言われて毎日毎日走っていた。各種教育期間が 終了し、駐屯地に配属されてからも若い隊員と一緒に毎日毎日走っ ていた。レンジャー徽章を持った隊員などはマラソン選手以上の持 久力があるという。スピードを競うわけではないが一定以上の速度 で重い装備を抱えながら何時間も走れると言うのはそれだけで充分 優秀な兵隊だと言われたものだ。 そうだ、走りながら魔法を使う練習でもすれば多少はマシになる んじゃないか? 時間制限があるわけでなし、練習はいくらでも出 来る。思い立ったが吉日だ、早速やってみるか。 俺は朝のシェーミ婆さんの説得に失敗し昼飯を食った後、いつも 通り剣の稽古をし、ゴム製造に精を出す連中を横目に早速走ること にした。剣の稽古などである程度の持久力はあるし、能力値の底上 げもあるから思ったよりは楽に走れた。だが、1時間もするとかな り辛くなってきた。ここからが本番だ。まだ何も装備していない、 511 軽装での走り込みだからここから30分は休みなしで走り抜こう。 そう決めてひたすら走る。 村の連中の挨拶に答えを返すことすら辛い。そろそろ試してみよ うか。最初だから簡単なやつな。鑑定⋮⋮問題ない。これは思った とおりだ。最近思うのだが固有技能はMPを使いはするが魔法では ない気がする。まあいいや。次だ。﹃ライト﹄の魔法でいいか。無 魔法しか使わないし、持続させるのでなければMPも1しか使わな い。持続させないで﹃ライト﹄の魔法を使うと5分くらいしか光ら ないが、練習には充分だろう。﹃ライト﹄⋮⋮。あれ? 駄目か。 これはいい練習になりそうだ。 結局今日は走りながら﹃ライト﹄の魔法を使うことは出来なかっ た。だが、出来なかったことに満足していた。疲れた体に鞭打ちな がら走り込みを終えた。風呂が欲しいが無い物は仕方ない。温水シ ャワーでも浴びるか。あり余るMPがないとこんなことに魔法を使 う奴もいないので我が家だけの特権に近いがそこは仕方ないだろ。 家の裏手で汗を流すことにした。何しろ﹃温水シャワー﹄の魔法は 水魔法も合わせて使う分﹃フレイムスロウワー﹄以上のMP、つま り最低で9MPも使うのだ。それに量だってある程度必要だから水 魔法が3レベル以上になっていないと殆ど意味ないし、3レベルだ ってバケツくらいの量だからまともにシャワーを浴びようとするな ら水魔法4レベルは欲しい。つまり普通はそうそう気軽に使える魔 法ではないのだ。我が家では俺とミルーがいるのでかなり気軽に使 えるけどね。 ・・・・・・・・・ 512 7438年5月30日 あれから一月が過ぎた。毎日午前の魔法修行が終わった後に走り 続けてはいるが、未だに﹃ライト﹄すら使えない。そうそう簡単に 行くまいと思っているのでまったく焦っていない。そもそも走り込 み自体は持久力アップのためにやっているのだし、魔法は余禄だか ら、あまり気にしていない。なだらかな起伏が多少あるが、基本的 に平地が広がっているバークッド村の畑の畦道は走りやすく、トレ ーニングには丁度いい。まだ開墾されていないあたりは道もないか ら村の中央を南北に縦断する道を中心に走っている。 初夏が近く、青々とし始めた畑の中を走っていると疲労は感じる ものの開放感に包まれる気がして気分がいい。最近は昼下がりに毎 日走っているので村人たちも俺が近づくと手を挙げてにこやかに反 応してくれる。 それより、走り込みを始めてから体力を使うのか、夜の狩りに行 くほど体力は残っていないのが問題といえば問題だが、当分はいい か。いつも昼飯の前にシャワーを浴びている俺に気がついたのか、 ミルーが一緒に走ると言い出した。一人で黙々と走るのも味気ない ので嬉しかった。しかし、3日と経たずに﹁面倒くさい﹂と言って 走るのをやめてしまった。畜生。 ・・・・・・・・・ 513 7438年6月30日 まだ﹃ライト﹄は使えない。そんなことよりそろそろ暑くなって きたから温水シャワーでなくてもいいかもな。ミルーから﹁なぜそ んなに熱心に走るのか﹂と聞かれたので、格好をつけて﹁走りなが ら魔法を使えるようになりたいから﹂と答えたら馬鹿にされた。ま じ畜生。 ラテックス たまたまだが、俺がゴムの樹液採集に同行した折、あのホーンド ベアーと出会った。襲い掛かってくるかと身構えたが脅しの咆哮も あげずにさっと体を翻すと一目散に退却して行った。俺はほっと胸 を撫で下ろしたが、同行者たちは﹁アル様に恐れをなしたのだ﹂と か勝手なことを言っている。あんまり調子に乗せないでくれ。 ・・・・・・・・・ 7438年7月30日 やはり﹃ライト﹄は使えない。別の魔法でも試してみたが、駄目 だった。シャワーは普通の水に切り替えた。ゴム製品の納品は、戦 争で両親が出兵しているため休みだ。騎士団については一緒に出兵 しているから大丈夫だろうが、キンドー士爵には説明しておくと言 っていたが問題になっていないだろうか。これは何とかしたいな。 従士だけでも納品できるように教育しないといけないだろう。必要 514 なことだと思うので両親が帰って来たら早速ご注進だ。ミルーに﹁ 走りながら魔法を使えるということは、剣を振りながら魔法を使え るようになるのと同義で、冒険者には必要なのではないか﹂と言っ たところ、鼻息を荒くして一緒に走ると宣言された。ミルーは14 歳。ガキを騙すのはチョロいな。しかし、ミルーを説得するための、 この論法を思いつくのに1ヶ月もかかるとか、俺も馬鹿だな。 ・・・・・・・・・ 7438年8月30日 そもそも走りながら魔法を使うのは無理な気がしてきた。走り込 みを始めてから4ヶ月、体力もついてきたのか時間も当初の1時間 半から30分ほど伸び、2時間くらい走っていられるようになった かと思って時計の魔道具を使って計ってみたが20分くらいしか伸 びていなかった。今あと10分追加で走るのは難しいだろうな。夜 の狩りに行ってみると狩り自体は思ったより大丈夫だったが翌朝起 きるのが辛すぎる。意外なことにミルーとはまだ一緒に走っている。 ・・・・・・・・・ 7438年9月30日 515 なんと、一瞬だけ魔法が成功したような感じがした。光はしなか ったが、魔力が流れるような感じがした。これはいけるかも知れん。 しかし、いい加減両親たちが帰ってきてもいい頃じゃないか? 出 立してからそろそろ5ヶ月だ。前回は確か4ヶ月くらいで戻ってき たと思う。まぁ長いときは半年以上かかることもあるらしいから仕 方ないのかな? ミルーに一瞬だけだけど魔力が流れた感じがした と言ったらものすごくはしゃぎだした。いや、魔力が流れたのはミ ルーじゃなくて俺なんだが。 ある晩の狩りで俺はレベルが上がった。これであいつともまとも に戦えるといいんだが、こういう場合、大抵あいつもレベルアップ している気がする。もう贅沢は言ってられない。蛭だろうとホブゴ ブリンだろうと選り好みしていられないだろう。 ・・・・・・・・・ 7438年10月4日 ついにバークッド村派遣部隊が出発時の10名に加えて1人余計 に帰って来た。成長し、騎士となったファーンも一緒だからだろう。 2年以上ファーンを見ていなかったが、その成長具合に驚いた。こ の年齢だと相当成長しているだろうとは思っていたが、多少のあど けなさは残っているものの、騎士団仕込みの精悍な体とぴしっとメ リハリの利いた所作、大人びて落ち着きのある表情をしていた。俺 とミルーは成長したファーンに飛びついたり抱き上げられたりされ 516 たのでその成長具合も余計に感じられた。だが、喜ばしいことだけ ではなかった。 同行した従士が一人戦死していた。ジャッドだ。息子のウイット ニーが既に正式な従士になっているので家督の問題はないが、知っ ている顔が戦死したと聞かされるのはショックだ。以前にホーンド ベアーに襲撃を受けて六人も同時に死んだときと同じようなショッ クを受けた。死因は戦闘中に流れ矢を受けたのだが、その矢に毒が 塗ってあったらしい。打ち込まれてからさほど経たないうちに死ん でしまったそうだ。シャルは地魔法が使えないので解毒が出来なか ったと悔やんでいた。 あれ? そうすると人数が合わないぞ。一人多いじゃないか。俺 はゆっくりと全員の顔を確認する。と、知らない女性が一人いた。 皆と同じようにゴムプロテクターをしていたから分かりにくかった んだ。誰だろう? ミルーも気がついたようで親父に聞いている。 ﹁父様、あのお方はどなたですか?﹂ ﹁ん? ああ、客人だ。あとで紹介する﹂ という会話が聞こえてくる。知らない女性は髪を綺麗に黄緑色に 染めあげ、ちょっと見ると振り返るくらいの美しさだ。シャルも若 い頃はあんな感じだったのだろうか。 ファーンが彼女の傍まで行き、プロテクターを外すのを手伝いな がら親しそうに話している。おいおい、俺の兄貴となに親しそうに してんだよ、ファーンに向けて恥ずかしそうな顔つきをするな、こ の売女が。ちょっと綺麗だからってお前みたいなどこの馬の骨とも 知れないような奴がグリード家の跡取りと直接話をするだなんて、 517 十年早いわ。歯軋りしそうになるのを我慢して外したシャルのプロ テクターを物置から引き出してきた鎧掛けに掛けていく。 そこにファーンがこれも一緒に掛けろ、と彼女のプロテクターも 持ってきた。受け取ったプロテクターは予備用にと作った奴だ。プ ロテクターをしていたから騎士団の従士か何かだろうとは思ってい たが、これは新型の奴でまだ村でしか使っていないタイプ、そう、 今回の出兵時に予備で持っていったもののはずだ。 この中では古いタイプのプロテクターを装備しているのはファー ンだけで、それも年季が入っている。成長期の体にあわせて何回か ゴムベルトを変えているのでそこだけが新しいが、肩当をはじめ、 胸や腹部を守るプレート部分は昔のままで傷はついているし、いく つか修復した跡も残っている。既にファーンの体には小さいようで これを使い続けたのは大変だったろうし、苦労もあったろう。ファ ーンもゴム製造は一通り出来るから、騎士団への納品の度に少量の ラテックスと木炭や硫黄を瓶に入れて持っていって貰っていたので ゴムベルトは自分で作って且つ修繕もしていたのだろう。 しかし、なんだか釈然としない。村のプロテクターを着けていた ︼ のだから騎士団の関係者ではないようだし、親父は客人と言うし、 一体何者だよ。鑑定してやろうか。 ︻シャンレイド・ウェブドス/1/4/7438 ︼ ︻女性/13/5/7422・普人族・ウェブドス家長女・ウェブ ドス侯爵騎士︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:16歳︼ ︻レベル:5︼ ︻HP:62︵62︶ MP:15︵15︶ 518 ︻筋力:8︼ ︻俊敏:12︼ ︻器用:10︼ ︻耐久:9︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.1︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.1︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.1︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.1︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.2︶︼ ︻経験:27655︵28000︶︼ へ? あ、あれ? どこぞの馬の骨は兄貴のほうだった。 519 第四十一話 走れない奴は⋮⋮︵後書き︶ ︼ ファーンは栄養状態もよく、騎士団で鍛えられているので能力値が ちょっと高いです。 ︻ファンスターン・グリード/1/4/7438 ︼ ︻男性/21/1/7422・普人族・グリード士爵家長男・ウェ ブドス侯爵騎士︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:16歳︼ ︻レベル:7︼ ︻HP:78︵78︶ MP:338︵338︶ ︻筋力:13︼ ︻俊敏:12︼ ︻器用:10︼ ︻耐久:12︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.6︶︼ ︻経験:51624︵60000︶︼ 520 第四十二話 基本的にはめでたい話 7438年10月4日 多分シャンレイドはウェブドス侯爵の息子のセンドーヘルの長女、 つまりウェブドス侯爵の孫なんだろう。つまり、この領地では上か ら何番目、という程度には偉い人、ということになる。この場合の ﹁偉い﹂は身分が高いと同義だ。別に何か偉業を成し遂げたと言う ことではない。まぁそんなことは今更語ることではないけどね。そ れと、鑑定欄の二行目の所属のところに︻ウェブドス侯爵騎士︼と ある。騎士団の関係者でもあったわけだ。ちょっと士爵と騎士とで どういう違いがあるのか解らなかったのでサブウインドウで見てみ たい気もするが、それは話が終わってからでもいいだろう。 しかし、一体何だってこのような立場の人間がこんなド田舎くん だりまで来たのだろうか。ゴム製品の生産拠点の視察か何かだろう か? やべー、片付けてないよ。しかし、視察にしては供もつけず に来ているのは不自然だよなぁ。まだ紹介もして貰っていないので 知らんぷりを決め込んでいるが、俺の態度は急にギクシャクしてい ないだろうか。なんとなくこんな世界だと領主の一存でド田舎の士 爵家程度、埃を吹くように消えてしまうかもしれないと思い、気が 気ではなくなっている。 とにかく全員が身軽になり落ち着くまで待つしかないか。従士の 家族たちも集まってきたし、ジャッドの件についての話もあるだろ う。ヘガードは従士の家族も全員が集まるまでは話さないだろうし な。 521 ヘガードとシャルはミルーにゴム製品の生産状況を確認している。 本来はそろそろ納品時期だし、前回の納品はしていないので在庫は 沢山あるし、親父の大目玉が怖いので生産に抜かりはない。二回分 の納品量を賄うくらいの在庫は生産してある。親父はそれを確認す ると居残っていた従士達に明日すぐに納品に出かけるので今日のう ちに品物を纏めておく様に言いつけた。品物を纏めるのは勿論これ からの話が済んでからだ。 全員が集まり、いよいよヘガードの話が始まる。集まってきた人 の中から聞こえてきた﹁誰だ、あの別嬪さんは?﹂とか﹁ジャッド がいねぇぞ﹂とかの声もぴたっと止んだ。 ﹁皆、まず今回の遠征の留守中、よく頑張ってくれた。礼を言う。 それと、今聞いたが開墾も順調らしいな、本当によく頑張ってくれ たな。ありがとう﹂ ヘガードはそう言うと、今度は少し悲痛な表情をした。 ﹁遠征のほうだが、ユニース、お前には気の毒なことだが今回はジ ャッドが戦死した。卑怯にもデーバスの奴らは矢に毒を塗っていた。 その毒にやられての戦死だ。全員無事での帰還を望んでいたが、駄 目だった。俺を恨んでくれていい﹂ ユニースはジャッドの妻でウィットニーの母親だ。彼女は涙を流 しながらも気丈に顔を上げ、ヘガードに言った。 ﹁ウィットニーが従士を継いでくれたのであの人が遠征に行くのも これで最後だと思っていましたが、仕方ありません。従士らしく戦 場で死ねたならそれも運命です。お館様をお恨みするには当たりま せん﹂ 522 ヘガードはそれを聞くと再度ユニースに詫びた。その後、今回の 遠征について大体の戦況を報告したあと、言った。 ﹁そろそろ皆も知りたいだろうから紹介する。彼女はウェブドス侯 爵の孫で騎士団長のセンドーヘル様のご長女だ。名前をシャンレイ ド・ウェブドスと言う﹂ ヘガードの後ろに並んでいた一団からシャンレイドが進み出てき て頭を下げた。皆はいきなりの身分の高い人間の登場に面食らった ようで、押し黙っている。俺もそうだ。 ﹁いまグリード士爵様にご紹介に預かりましたシャンレイド・ウェ ブドスと申します。ですが、一月後にはファンスターン様に娶って いただきシャンレイド・グリードとなります。皆様におかれまして は今後とも宜しくお願い申し上げます﹂ そう言いながらまた頭を下げた。突然そんなことを言われたって ⋮⋮。 皆も一瞬ぽかーんとしたが、直後に蜂の巣をつついたように大騒 ぎになった。だって、そりゃそうだろう? 領主の長男の結婚だし、 ましてその相手はこの地方の領主の直系の孫だという。これでこの バークッドも安泰だ。これが騒がずにはいられようか。俺とミルー は二人ともお兄ちゃん子なので顔を見合わせると複雑な表情で下を 向いてしまった。そっとファーンの様子を窺うと、皆から囃し立て られて照れたような表情をしていた。隣ではミルーも俺と同じよう に上目遣いでファーンの様子を窺っていた。 ﹁なお、申し訳ありませんが、先程グリード士爵様よりご報告があ 523 りました、今回の戦の件ですが、少しご報告に追加がございます⋮ ⋮。今回の戦は当ウェブドス侯爵領のウェブドス騎士団が戦力の中 核にはなっておりましたが、戦全体の指揮は王国第一騎士団より副 団長である、騎士ジェフリー・ビットワーズ卿が派遣され、指揮を 執っておいででした﹂ シャンレイド・ウェブドス嬢はそう言うと、少し言葉を溜めた。 そう言えば今までヘガードが出兵の報告をした時にはそういった情 報について話したことはなかったな。 ﹁今回の戦は先程士爵様よりご報告のあった通り、ダート平原の西 部で行われました。双方ともに兵士の数はあまり変わらず、地形の 問題もあって正面からぶつかり合う格好が多かったのですが、最終 的にはロンベルト王国側が勝利した形になりました。本来であれば 痛みわけに近い形になることが多い、ほぼ同数の軍による衝突だっ たにも関わらずです。戦を指揮したビットワーズ卿の采配もさるこ とながら、バークッド村の部隊の活躍もそれに貢献したと言えるで しょう﹂ 一体何が言いたいのだろうか、少しだけ詳細にはなったが先程ヘ ガードが皆に言っていた事とあまり変わりがない。 ﹁ですが、それだけではありません。幾つかの戦闘がありましたが、 ロンベルト側が優勢になったのは何回か行われた戦闘の中盤からで す。それまでは双方共に被害としてはあまりなく、最終的にはこの まま痛みわけになると思われていました⋮⋮。そのような小競り合 いとも言える戦闘が何度かあり、あるとき私の所属する騎士団の小 隊の指揮官が戦死しました。それはままあることなのでここでは問 題ではありません。その後から大きく戦の趨勢が動いたことが問題 なのです。小隊の指揮を引き継いだのはこの春に騎士の叙任を受け 524 たばかりのファンスターン・グリード卿でした。勿論後継として隊 長に任命したのは私の父である騎士団長ですが、その人事采配によ ってファンスターン・グリード卿は小隊の指揮官としてかなり異例 の抜擢を受けたのです。通常ではまずありえない采配です。小隊に は先輩の騎士も所属していましたから。普通なら騎士の叙任を一番 古くから受けた騎士が次の指揮官に任命されることが多いのです﹂ まぁ兄貴なら当然のことだ。優秀だしな。俺には何が問題なのか さっぱりだぜ。横ではミルーもさも当然だという顔で話を聞いてい る。だが、やっかみなんかもあったんだろうなぁ。 ﹁おそらく騎士団での平時の訓練などで父には思うこともあったの でしょうが、とにかく団長の強権を発動して騎士としては一番若い と言ってもいいファーン、いえ、ファンスターン・グリード卿が私 の小隊の隊長になりました。当然、年嵩の騎士の中には不満を抱え た者もいたのですが、ファー、ファンスターン・グリード卿は実力 で彼らを黙らせました。指揮を引き継いだ最初の戦闘で敵兵を6人 も一人で倒したのです。その後はもう誰も彼の立場について不満を 述べるものはいなくなりました。その次の戦闘では敵陣への切り込 みを成功させ、さらにその次の戦闘では後退時の殿を任され、これ を味方の被害をゼロに抑えて成功させました。その次はある程度の 部隊自体の自由裁量を受け、戦闘開始後に最適のタイミングで突出 して相手に大きな被害を与えることに成功しました。さらに次、最 後の戦闘時にはご自分でビットワーズ卿に進言なされて最初から戦 場を大きく迂回して敵が進撃に移ろうとした瞬間に敵の側面から突 撃を敢行し、敵の指揮官であるコービット男爵を討ち取られました﹂ だんだんとざわめきが大きくなり、敵の指揮官を討ち取った時に は﹁すげぇ﹂とか﹁流石はファーン様だ﹂とかいう声が聞こえてき た。ふふん、兄貴なら造作もないことばかりじゃないか、何を驚く 525 に値するというのか。ミルーも別段驚いた様子はなかったが誇らし そうな顔をしている。俺もそうなのかな? そんな事よりもファー ンとか慣れ慣れしいだろ。あ、いいのか。 ﹁王都に凱旋した後は功一等として称揚され、金子と騎士団内での 昇格か王国第一騎士団への編入も検討されましたが、ファンスター ン・グリード卿はそれらを全てお断りなされ騎士団を辞し、バーク ッドへの帰還をご希望なされました。ご自分はお父上であるヘグリ ィヤール・グリード士爵様の後を継ぎこの地の発展に寄与せねばな らないとの理由でした﹂ ⋮⋮。まじか、流石兄貴、かっけぇな。王国第一騎士団と言えば ロンベルト王国の常備軍の中の精鋭という話だし、そこに所属でき るのは一握りのバリバリの軍人だけで、ものすごく名誉なことだと も聞いている。普通は騎士の叙任を受けて、その後経験を積み、実 力が認められたものに対して更に厳しい入団試験が課されるとも聞 く。金子が幾らかは知らないが、ウェブドス騎士団の中での昇格だ ってたいしたものだろうに、それを全部蹴ったのか。皆も唾を飲み 込んでしわぶき1つ立てないで聞いている。 ﹁トーマス・ロンベルト三世陛下も残念ではあったのでしょうが、 事は領地の継嗣についての問題ですから本人の希望が優先されたと 聞いております。後はグリード士爵様、お願いします﹂ ﹁あー、その、なんだ、あまり息子のことを褒めるのもどうかと思 ってな⋮⋮。ま、そういうことだ。で、だ。ミルー、お前ファーン の代わりに来年度の王国第一騎士団への入団試験が決まった。来年 年明け早々にやるらしい。お前ももうすぐ大人になるし、いいチャ ンスだ。頑張って来い﹂ 526 え? えぇぇぇぇぇ!? ヘガードが何の気負いもなしにさらっ と言ったことって凄い事じゃないのか? 思わずミルーを見る。ミ ルーも何を言われたのかまともに理解していないようだ。と、ファ ーンが親父の横に進み出てきて補足した。 ﹁ミルー、お前は剣の腕も立つし、魔法も俺より使える。駄目でも ともとでビットワーズ卿にお願いしてみたら、いいと言ってくれた んだ。別に俺の身代わりにお前を売ったわけじゃないぞ? 第一騎 士団は王国騎士団の中でも一番規模は小さいが精鋭揃いだと言う、 入団試験を受けるだけでもいい経験になると思うんだが⋮⋮お前は 騎士団の経験も無いから戦闘の実技試験だけでいいらしいし、たと え落ちたとしても第一騎士団の入団試験経験者なら他の王国騎士団 の入団試験だって受けられ⋮⋮おい、嫌なのか?﹂ ミルーがぽかんとしてろくに反応も示さなかったためか、ファー ンの声もだんだんと自信なさげなものに変わって行った。いや、吃 驚して声も出ないだけだと思うよ。だって皆吃驚してるもん。 ﹁え? い、嫌じゃないよ、です。でも本当に私が第一騎士団に入 れるの?﹂ ﹁だから入団試験があるって。もう受かったつもりなのかよ? 試 験は相当厳しいらしいぞ?﹂ ファーンがそう言って茶化すが、目は笑っていなかった。 ﹁あ、うん、はい。試験⋮⋮試験があるんだよね⋮⋮です。はい、 頑張ります!﹂ ミルーの言葉遣いが怪しくなっているが内心の動揺もあるのだろ 527 う。 ﹁ああ、試験までたっぷり鍛えてやる。それに、もう解っていると は思うがシャーニも騎士の叙任を受けてるからな、二人掛りできっ ちりと絞ってやるから覚悟しておけよ﹂ ありゃ、兄貴も愛称で呼んでるよ。しかも気づいてねぇし。 ﹁はい、グリード卿、ウェブドス卿、宜しくお願いします!﹂ ミルーもすっかり立ち直ったのか、よそ行きの喋り方で答えてい る。 その答えに満足したのか、両親や兄貴も頷いているが、シャーニ の表情はちょっと硬い気もする。やっぱり知らない村人たちの前で 緊張しているんだな。 それからはジャッドの葬儀とファーンとシャーニの結婚の日取り や、その宴会にはシャーニの両親だけでなく、領主であるウェブド ス侯爵本人とその妻である祖母も参加するとの事で宿泊場所などの 手配でてんわやんやになった。宿泊場所はどうしようもないので家 の部屋をいくつか空けるしかない。 ・・・・・・・・・ ところで、兄貴の結婚に当たって考えなければいけないことがあ る。 528 シャーニと結婚するのはいい。まぁ反対する理由もないし、基本 的にはめでたい話だと言えるだろう。だが、当家の秘密についてど こまで公開するのか。または何をいつ頃まで秘匿するのか。その辺 りを確認しておく必要がある。 当然、田舎とは言え、貴族の跡取りの結婚なのだから本人同士の 納得よりは家同士の納得もあるはずだ。シャーニの様子を見る限り ファーンに対して隔意を感じることはないし、好感さえ持っている ように見受けられる。そこは問題無いと思っている、と言うか思い たい。確認は必要だが。 疑った見方をすればゴムの製法について情報を取られた後に離婚 されてしまうとかいうことさえ考えられる。離婚した家庭は知らな いので一般的かどうかはわからないが。俺達兄姉は領主の子供と言 う立場から稽古やゴムの製造などであまり親しい付き合いの友人は 村には居なかった。それでもファーンやミルーは人当たりも良いし、 見た目も良いので俺が生まれる前、剣の稽古が始まる前まではそれ なりに年代の近い子供たちと遊ぶことも多かったようだが、俺は物 心ついたときから人と一緒に遊ぶことなど殆ど無かったし、稽古や 見回り、ゴム製品開発で忙しく、もともと精神年齢がすでにいい年 でもあった事から遊ぶことに積極的ではなかった。だって40代後 半から50代半ばになろうという精神年齢で幼児と何して遊ぶんだ よ。時間は有限だし遊んで無駄遣いする余裕なんて無きに等しかっ たのだ。 だから、一般常識の入手先は家族以外はミュンだけだったと言っ ても良い。大人や青年との会話も事務的なことばかりで離婚がどう のなど話すこともないし、話題に上らせることなんて考えもしなか った。最近は余裕も出てきたのでその限りではないが、それにして 529 も物事には順序がある。結婚制度についてなんて優先度は低いだろ う? 親父は母ちゃんと兄貴とシャーニと晩飯前から酒を飲みつつ陽気 に何か喋っているし、だいたい今日は両親とも遠征から帰ってきた ばかりだから休養は必要だろう。明日にでも適当に人払いして話を すればいいだろう。多分明日からは兄夫婦︵もうこう呼んで差し支 えないだろうし、いいだろう︶はミルーの訓練にかかりきりになる だろうから両親と話す時間はその気になればいくらでも作れるだろ う。 ・・・・・・・・・ その晩、宴会のような夕食の後、ミルーと話した。 ミルーは冒険者になりたがっていたはずだ。そのあたり、どうな のだろう? 思うところはあるはずだと思ったが、王国第一騎士団は更に魅力 的だったようで﹁え? 冒険者? そんなの第一騎士団とは比べ物 にならないでしょ。私、これから頑張るからね。剣ももっと修行し て試験に受からないと﹂とか言って全く未練は無いようだ。まぁ未 練が無いのならそれで良いやと思っていたが、なんと代わりに俺に 冒険者を薦めて来た。もう家は兄に任せておけばいいし、領主の孫 の嫁もいれば安泰だし、次男のあんたなんか冒険者で頑張るしかな いじゃない、というのがその理由らしい。 530 尤も、俺としても他に選択の余地は少ないし、いずれは家を出、 更に国を出て、自分の国を作らねばならないのだ。暫くは冒険者も 良いかも知れない、とは思い始めるくらいには説得力があった。だ いたい、自分の国を作ると一口に言っても俺が考えていたのはこの 国で軍人になって出世して軍を率いて独立、なんて内乱か革命や下 克上みたいな方法ではなく、どこか別の国で仕官でもしてそこでの し上がるか、野盗のような自分の手下を集めて兵を起こすとか、な んとなくこの時勢に合うような合わないような方法を漠然と考えて いたに過ぎないのだ。 俺のほかにいる転生者を探して味方になってもらう方法だって取 れなくは無いだろう。戦闘に向いている向いていないは別として、 転生者はレベルアップ時の成長が大きいから確実な戦力になりやす いだろうし、日本で学んだ知識を生かせるなら政治の分野でも魅力 的な人材がいるかも知れない。それになんらかの固有技能だって持 っているはずだ。その内容によっては有効な手札になる可能性も高 い。 場合によっては俺以上に優れた奴だっている可能性もある。その ときはそのときだがな。とにかく今は体を作り地力を高める努力を 怠ることは出来ない。レベルアップだってしなきゃならないし、剣 や槍の修行も必要だ。やること、やらねばならないことは沢山ある のだ。 531 第四十二話 基本的にはめでたい話︵後書き︶ この世界の紛争程度では殲滅戦などまず起きません。普通は適当 にちゃんちゃんばらばらやってあまり死者も多くはありません。そ う思っておいてください。なので一度の戦闘で六人も倒したファー ンはものすごい手柄です。まぁ倒した相手はレベルの低い従士とか、 もしいたならば傭兵あたりではないでしょうか。また、戦争の終息 はどちらかが降参した時です。普通は軍隊の指揮官が相手に使者な り戦場での口上なり使者に持たせた手紙なりで降参したことを伝え ます。今回は相手の大将を討ち取ったので問答無用での勝ちでしょ うね。でも本当なら捕虜にして身代金をせしめるのが最良です。な ので、偉くなればなるほど戦死することは逆に珍しいと言えます。 死ぬのは下っ端の仕事なので。勝負がつかない場合も当然あります が、兵糧が無くなる前にどっちかがさっさと退却するでしょう。夜 戦なんかまずないので。 勿論、侵略を目的とした本格的な侵攻/防御戦や攻城戦などが全 く無いわけではありません。そのような大戦争は数十年∼百年に一 度あるかないかくらいです。そういった国家間の大規模な戦争は大 量に資金や資源を消費しますのでなかなか出来ないという事情も関 係します。 532 第四十三話 教育 7438年10月5日 昨晩、ファーンとシャーニは客間で寝たようだ。昔ファーンも寝 ていた子供部屋で俺とミルーはかなり遅くまで小声で話していたが ついにファーンは子供部屋に戻って来なかったのだ。婚約状態なの だろうから当たり前と言えば当たり前なのだが俺たち姉弟にしてみ ると多少寂しいものがあった。 魔法の修行の後、ミルーはファーンとシャーニに捕まって、現在 は絶賛修行中の身となっている。いまのうちに両親にシャーニにつ いての当家の秘密開示について確認しておこう。 ﹁父さん、剣の稽古中に申し訳ないんだけど、どうしても今確認し ておきたいことがあるんだ﹂ ヘガードとの剣の組み手のときに小声で話しかける。 ﹁? なんだ? 稽古が終わってからじゃだめなのか?﹂ うん、今じゃないと都合が悪い。 ﹁母さんと一緒にすぐに話したいんだ。ウェブドス卿のことだよ﹂ ﹁! ああ、ゴムのことか?﹂ もう、まだ稽古つづけるのか、よっ、っと。ヘガードの攻撃を剣 533 で防御しつつ後ろに下がった。 ﹁え? うん、あと魔法も、⋮⋮ったぁっ!﹂ すぐに前進し、ヘガードに突きを入れようとするが、ゆったりと かわされ、逆に側面からの攻撃を受ける。かろうじてその攻撃をか わしてヘガードに向かって剣を振るが、防御されてしまった。 ﹁⋮⋮そうだな、お前の意見も聞いてみるか、よし、厩舎の裏にシ ャルを連れて来い﹂ ヘガードはそう言うと、くるっと振り返ってすたすたと厩舎に向 かって歩き出した。俺は母屋に向かい、シャルを呼びにいく。 ・・・・・・・・・ 厩舎の裏で剣の素振りをしていたヘガードのもとにシャルと歩い ていった。ヘガードは剣の素振りをしながら言う。 ﹁シャル、魔法やゴムの件だが、シャンレイドにはどこまで話した らいいか家の次男坊が心配だそうだ﹂ ﹁あら? そうなの、アル?﹂ 二人とも何ということも無いかのように話し始めた。 534 ﹁ええ、僕の考えを聞いてもらってもいいですか?﹂ 俺も深刻にとられないような声音で話す。ヘガードも素振りをや め、二人とも何も言わないのでOKだと取って話を続けた。 ﹁僕はまだ世の中のことをよく知らないので、失礼な事を言い出す かも知れませんが、まずは僕の考えを聞いてください⋮⋮。当家は ウェブドス侯爵の騎士団にゴム製品を卸しています。それらは騎士 団の正式な装備品として今では無くてはならないものに取り立てら れていると聞いています。また、兄さんは騎士団に入団してから順 調に昇進し、半年ほど前に正式な騎士に叙任されています。今回の 戦でも大手柄だったそうじゃないですか﹂ 俺は自分の声音がだんだんと真剣味を帯びてきた事を意識しなが ら話を続けた。 ﹁ゴム製品についてはまぁいいでしょう。原料の木はどうもバーク ッド周辺にしか無いようですし、他で発見されゴム製品を作られた という話も聞きませんから、騎士団や侯爵の弟君の商会でもせいぜ いが、ああ、バークッド村は運がいいな、程度の感じ方をされてい るのではないかと思っています。ここでまず知りたいのですが、バ ークッド村や当家は侯爵領の他の領主たちからはどう見られている のでしょうか。出来ればゴム製品が出来る前と出来た後について教 えてください﹂ 一息にここまで言うと俺はじっと両親の顔を見た。両親は一度だ け顔を向き合わせたがすぐにヘガードが言った。 ﹁⋮⋮アル、本当にお前は⋮⋮。そうだな、ゴム製品を作る前は一 番辺境にある普通の士爵家というところだったろうな。領内の平均 535 よりは大分貧乏で下から数えられる程だが、一番貧乏、という程で はない。俺も領主を継いでからは畑の開墾や魔物を追い払うパトロ ールは一生懸命やっていたから、領地経営に熱心な領主、という見 方をされていたとは思う。お声がかかれば戦争にもきちんと兵を出 していたし、貧乏とは言え他の領主たちから借金をしてもきちんと 全て返済していたから恨まれたり、侮られたりすることも無かった と思うぞ。どうだ? シャル﹂ ﹁ええ、そうね。私は結婚するまでグリードの家が士爵家だなんて 知らなかったから、王都では知らない人のほうが多いと思うし、少 なくともその頃まではグリード家は話題にすらなったことは無かっ たわね。私が結婚するときにちょっとだけ話題になったかもしれな いけど、公爵家の血筋とは言え、サンダークの姓も名乗れない傍流 だったし、別段どうということも無かったと思うわ。あなたが領主 になってから、私は殆ど村で暮らしていたから外からどう思われて いるかまではよくわからないわね﹂ そう言えばシャルはサンダーク公爵の孫だったんだよな。確か三 男の四女だっけか。それってもう貴族じゃないだろ。三男だったら どこぞに婿として入ったのだろうが、サンダーク姓ですらないみた いだし、四女なんて味噌っかすもいいところだろうし。 ﹁ゴム製品を納め始めてからは、キールに行ったときにたまたま会 った他の領主からは羨ましがられた事はあったが、もともと大して 金持ちだったわけでもないし、家に取っては大きな収入源になった が、侯爵領には家以上に収入のある領主も沢山いるからそうやっか まれるなんて事はないと思う。だが、収入が増えたおかげで領地が 潤ったのは確かだから、まったくやっかまれていないというのも不 自然かも知れん﹂ 536 ﹁そうね、でもそんなに深刻な状況にはならないでしょうね。収入 が増えたといっても下から数えて何番目、程度の領主が平均的にな ったくらいだから、侯爵あたりは税収が増えて喜んだくらいじゃな いかしら﹂ ふーん、そういうもんか。確かにそれほど豊かな生活をしていた わけでもないし、今は収入が増えたと言ってもせいぜい6∼70% 増えた程度だからこのくらいがウェブドス侯爵領の一般的な地方領 主の収入なのかもしれないな。確かに現代日本でも宝くじで6億円 も当てたら羨望と嫉妬の的になるだろうけど、一千万円くらいだと 素直に良かったねおめでとう、くらいだろうしな。 例えが悪いな。侯爵を大企業、地方領主をその子会社と考えたほ うがいいか。ある子会社が画期的な製品を開発し、それが大企業の 一部製品の部品として採用された。おかげで自転車操業だったその 子会社は連結決算時に多少なりとも利益貢献が出来るようになった。 そのとき、他の子会社は⋮⋮。うん別段どうと言うことはないだろ うな。大企業もいままでお荷物に近かった子会社が改善され、やっ と成長期に入った子会社からわざわざその新製品を取り上げるなん て事はないだろう。だが、あまりにも有望なら役員の一人でも送り 込んでおくか、という感じだろうか。ここまでは予想通りだな。 ﹁わかりました。では、次です。兄さんは順調に騎士になれました。 それは兄さんの努力の賜物であることは確かですが、入団して二年 で正式な騎士になることは良くあることでしょうか? やっかまれ たりしないでしょうか?﹂ これには両親は即答だった。 ﹁ああ、普通だ。平民の子供であればもっとかかるのが一般的だが、 537 ファーンは小なりとは言え、領主の一番の跡取り候補だ。そう言っ た立場であればよほど出来が悪くない限りは大体二年くらいで正騎 士になれる。俺はファーンがつい何かの折に魔法を使ったりしてあ まりにも有望過ぎると言う理由で二年以内に騎士になってしまうの じゃないかという事を心配していたくらいだ。だが、ファーンはど うしても必要になった場合の治癒魔法以外は魔法を人前では使わな かったと言っていた。それもかなり簡単なものに限定していたとも 言っていたな。だから魔力量や魔法の技術についてはまず気取られ ていないだろう⋮⋮ああ、そう言う事か⋮⋮﹂ ヘガードも俺が言いたいことを理解してくれたようだし、安心す る情報もくれた。 ファーンの魔力量について、兄貴は騎士団内で隠し通したのだろ う。少なくとも本人がそう思えるくらいには制限して使っていたの だろう。 ﹁そうです。僕が心配したのは、二つあって、まず一つはシャンレ イド様⋮⋮ウェブドス卿が侯爵直系のご長女であるということ。こ こに侯爵やセンドーヘル騎士団長のお考えがどの程度、どういった 方向で含まれているのか、という事です。次に二つ目、そのお考え が妥当なものだったとして、僕達兄弟の魔力量や独特の魔法の修行 法についてどの程度彼女に話すのか、話した場合、彼女はそれをご 実家であるウェブドスの家に報告するかどうか、という点です。兄 さんとの結婚は決まっていますから、いずれ子供が生まれるでしょ う。その子に同じように修行をさせるのであれば母親である彼女が それを知らないでいる、という事は無いと思いますので﹂ 今度はシャルが答えるようだ。 ﹁アル、つまり貴方はこう言いたい訳ね。一つは彼女がゴム製品の 538 製法をご実家に流し、バークッドから既得権になっている独占状態 を取り上げようとしているのではないか、と言うこと。もう一つは 何らかの理由でファーンの魔力量か魔術の技量に気づいたかしてそ の秘密を探りに来て、有効であれば同じようにそれをご実家に流す のではないか、と言うことね﹂ うん、多少違うし、足りない部分もあるけれどだいたいその通り だ。 ﹁あなたの心配はわかるわ。私達も遠征先でセンドーヘル様からフ ァーンとシャーニの結婚について提案されたときは即答できなかっ たし、今と同じようなことを相談したから。 でも、考えても判らないからファーンを呼び出して聞いてみたわ。 ああ、最初からこんな聞き方はしなかったわよ。そもそも、遠征に 行っても最初から結婚の話は出なかったしね。私達がファーンの結 婚について初めて聞いたのは戦が終わった帰り道よ。どうもシャー ニはもともとファーンの事を嫌っていたらしいわ。 同じ年齢でありながら、彼女は騎士として何一つファーンに勝て なかったんですって。センドーヘル様のご長女とは言え、男のご兄 弟が三人に妹もいらっしゃるらしいから、自分は何とかして騎士と して出世するんだ、それしか無いんだって思って頑張っているのに、 ことごとくファーンの後塵を拝していたから、相当嫌われていたら しいわ。ファーンの方は騎士団の修行中はそんな事考える暇は一切 無くって必死に修行していたから判らなかったと言っていたわ﹂ へー、そうだったのか。じゃあ何でそんな嫌な奴のところに嫁に 来るんだよ。ますますおかしいような⋮⋮。俺がそれを指摘すると 今度はヘガードが言う。 ﹁今のシャルが言った事はファーンではなくて、結局はシャーニか 539 ら聞いたことだ。もともと嫌っていたとは言っても、憎からずは思 っていたらしい。最初はライバルだと思って何かと張り合っていた らしいが、ファーンはろくに自分のことを相手にせず、あっさりと 好成績を修める。一生懸命努力してもファーンも一生懸命努力して いるからその差がなかなか埋まらない。どんな修行をしているかと 思えば、当然同じ騎士団だから相手の修行内容も完全にわかる。特 別なことは何一つしていなかった。ただ一生懸命に修行に励んでい るだけだった。剣や槍、馬術などの戦技で及ばず、それならと机上 戦闘で挑んでもことごとく返り討ち、それはもう憎かったそうだ。 なぜこいつは自分の進路の邪魔をするのかと、憎んで憎んでファー ンの観察ばかりしていたらしい﹂ なんだそりゃ、ストーカーかよ。 ﹁そんなこんなで1年ほど経ったとき、野戦訓練があったそうだ。 ファーンも彼女も従士として徒歩で、ある先輩の騎士のお供として 参加したそうだ。その時に彼女達の部隊は追い詰められ敗走状態に なってしまったんだと。普通ならそこで諦めて降参するか、討ち死 に覚悟で最後の突撃をして部隊壊滅になるらしいが、ファーンは冷 静に状況を分析して反撃の足掛かりを作ろうとした。 殆ど全員諦めて最後の突撃をしようとしていたが、そこで更なる 後退を行い、部隊を再編し、機を狙った反撃を主張したファーンは 従士の分際で作戦に口を出すとは何事か、と叱られたそうだ。それ に対してファーンは途中で諦めたり、意味の無い突撃をしたりすれ ば負けるのは当たり前で、負けるということは捕虜になり、身代金 などで領地や領民に大きな負担をかけてしまうし、死んだりして部 隊が壊滅すれば、自分達の後ろにいる領民や領地を守れないばかり か、それらが敵に蹂躙されることになる。負けると言うことはそう いう事だ、従士と言えどそんな事は認められない、貴方はそれでも 騎士か、と言い放ったそうだ﹂ 540 ああ、兄貴はそうでなくちゃな。 ﹁先輩の騎士達は生意気で知った風な口をきいたファーンをよって たかって殴りつけたらしいが、それでもファーンは自説を曲げなか った。その時、シャーニは初めてファーンを認めたそうだ。ああ、 こいつには敵わない、という気持ちになったらしい。 まぁその訓練はそんな揉め事で時間を食って結局負けちまったら しいが、訓練総括の際に作戦に口を出し、あまつさえ正式に叙任さ れている騎士を侮辱した無礼な従士を吊し上げよう、との思いから ファーンを越権行為と侮辱で告発しようとした騎士がいたらしい。 騎士団長であるセンドーヘル様は事態を重く見てその場で関係者か ら証言を取り裁きを下した。 ファーンは作戦に口を出す権利が無いにも関わらず許可無く発言 したことで厩舎の掃除を6ヶ月間、騎士を侮辱した罪で退団という 罰だったそうだ。しかし、発言内容とその時部隊が置かれていた状 況、ファーンが進言した作戦、侮辱した状況と内容について考慮さ れて罰は3ヶ月に減らされ、退団は無しとなったそうだ。 証言は殆ど全てシャーニがしたらしい。ファーンはその裁きの間 中、発言を許可されなかったこともあって一言も発せず、退団を言 い渡された時でさえ胸を張っていたそうだ。告発した騎士と侮辱し た相手の騎士がどうなったかは聞いていないから知らん﹂ ⋮⋮ファーンは本当にまっすぐだな。 ﹁とにかく、その時からシャーニはファーンを認め、と言うか好き になってしまったことを自覚したらしい。もともと相当気にしてい たようだしな。驚いたことにその後すぐにセンドーヘル様の所へ行 って結婚の許可を求めたそうだ。センドーヘル様もファーンには思 うところもあったらしいが、許可に条件をつけたそうだ。 541 ファーンが正騎士として叙任を受け、その後ファーンもシャーニ を娶ることを承諾し、且つその父親、俺だな、が許可するのであれ ばいい、と言ったそうだ。但し、ファーンが正騎士として叙任を受 けるまではそれらを一切口外せずファーンにも話さない、というこ とも条件の一つだった。だが、叙任とほぼ同時に戦が始まってしま った。本当ならさっさとファーンに結婚について相談し、俺の許可 を求めに来たかったらしい。ファーンには騎士叙任と同時に話した らしいが、戦争中に俺には話せなかったそうだ。俺はファーンとも ゆっくり話す時間がなかったくらいだしな﹂ なるほど、シャーニはファーンにベタ惚れ状態で裏の考えがほぼ 無いであろうこともわかった。ゴム製品については、自分の娘が嫁 入りすればまぁそれでいいと思ったのだろうか? ﹁二人の結婚の経緯はわかりました。ゴムや魔法についての情報や 技術を狙ってきた可能性が低いことも理解しました。でも、今後も その気持ちが継続することは保証できないのではないでしょうか?﹂ ﹁貴族の頭首やその跡取りの離婚は認められないから、離婚につい てはまず心配はないだろう。あと数年もして、ファーンに子供が出 来たら家督を譲るつもりだしな。だが、確かにお前の言う通りシャ ーニの気持ちが今後どうなるかはまったくわからん。 しかし、ゴム製品については心配しなくてもいい。俺達にとって は非常に大切で大きな商売だが、侯爵家にとってはそこまで大きな 商売ではないからな。で、魔法についてだが、これはもうシャーニ には事情を説明して全部話すより他は無いと思う。勿論結婚の儀式 が済んで、完全にグリード家の一員になってからの話だが。それま では様子を見て、出来れば二人に子供が出来るまでは隠しておきた いと思っている。 だから、今後当面は魔法の修行を家ではやるな。ゴムの製造やら 542 で魔法を使うのは仕方ないからお前達の魔力が普通よりかなり多い ことはすぐに判るだろうがな。これは仕方ないけれど、今後は出来 るだけ魔法を使わないようにして作業するんだ。それによって効率 が落ちるのは仕方ないが、来年からは従士の家の一つを農業は辞め させてゴム専属にしようと思っているからいずれ生産量は取り戻せ るだろう。それまでは多少きついだろうが頑張れ。ああ、どの家を 専業にするかはお前がまず考えろ、決めたらその理由とともに聞か せてくれ。年末までに決めればいいからじっくり考えろよ﹂ へぇ、貴族の頭首はその跡取りも含めて離婚できないのか。それ は、なんとも⋮⋮上手く行っている間は問題ないだろうが、結婚後 に性格の不一致とかで別れたくなったらどうするんだ? 我慢して 結婚生活を続けるしかないのか? ああ、重婚もできるんだっけか。 ならいいのかな? 別居したりはあるような気もするが、それは離 婚に近い状態なのではないだろうか。ああもう、めんどくさ。別に 俺はゴムはともかく魔法の修行方法のこととかどうしたらいいか判 らないから聞いただけで俺の意見はもともと無いのだ。親父が方針 を示してくれればそれでいい。 あとはゴム専業の従士の家を考えないといけないけど、これはゆ っくり考えればいいから今は問題ない。 ﹁わかりました、父さんの言う通りにします。これでどうしたらい いか心配しないですみます。あとで姉さんには言っておくようにし ます。話を聞いてくれてありがとうございます﹂ ﹁アル、心配してくれるのはいいけど、家族をもう少し信用しなさ い。シャーニはもうすぐ家族になるのよ。それを言えば私だってサ ンダーク公爵家の人間と言えない事も無いんだからね﹂ 543 殴られた気がした。母ちゃんの言う通りだ。つまらん事で家族を 疑うなんて、阿呆か、俺は。 ﹁母さんの言う通りです。経緯はどうあれ最終的に兄さんが認めた 女性を疑うなんて、どうかしてました。それは兄さんを疑ったのと 同じことです。ごめんなさい、許してください﹂ ヘガードは俺の頭を撫でながら言う。 ﹁いいんだ、アル。俺達も最初はお前と全く同じ事を考えた。それ に、疑問を感じてそれを解決し、不安を取り除こうとすることは決 して間違ったことじゃない。逆に頭から信用せずよく気がついたな。 それは貴族として、領地を任される者として必要な資質だ。判断一 つで領民の生活や領地がどうなるか⋮⋮。いろいろ考えることは決 して悪いことじゃないんだ。だが、シャーニはもう家族になる。一 度家族になったら疑うのはよせ﹂ ﹁はい、わかりました﹂ ああ、ヘガードはいい父親だよな。 そう思うだろ? 俺はちょっとだけ気分が晴れた気がした。 544 第四十四話 ミルー 7438年10月6日 翌日からはファーンとシャーニの結婚の宴会に参加する予定のウ ェブドス侯爵一行の宿泊所の確保にてんやわんやとなった。当家の 客間と応接を開放しても侯爵夫妻とその息子でシャーニの両親であ る騎士団長夫妻を泊めるくらいしか出来ないし、シャーニの弟妹達 はまだ成人していないものが殆どだから当然同行してくるだろう。 長男は既に騎士団に従士として入団しているので今回は参加しない そうだ。また、護衛も当然ながらいるはずで、彼らの宿泊施設も確 保せねばならない。 当家の従士達の家も急な来客のためにだいたい一部屋は空きがあ るのでスペースは大丈夫だろうが、侯爵直系の孫達や護衛の兵士た ちにもそれなりに身分の高い隊長クラスもいるだろうから寝具や調 度品にも気は抜くことは出来ない。 早速足りない寝具やこの際に買い換えたり買い足したりするもの が出てくる。ゴム製品の納品もあるから早々に馬車を出すことは確 定しているのでヘガードは従士長のベックウィズに命じてそれらの リストを作成させていた。また、高位の貴族から嫁を貰う立場なの でその実家に対して結納にあたる相当額の金も用意せねばならない らしい。尤も金貨で50枚くらいが相場らしいので今の当家であれ ば何とか捻出出来なくもない金額なので金の問題は取りあえず置い ておいても差し支えない。 常々思っていたことをこの際なのでヘガードに進言してみる。 545 ﹁父さん、せっかく納品に行くのだから、この際です、父さん以外 の人でも今後ゴム製品の納品が出来るように出兵する人以外からも 連れて行ってはどうですか? 今後しばらく交代で何人か連れて行 って事務手続きの方法や、先方への面通しなどをしておけば今回の ように出兵があっても安心できますし、父さんや、今後の兄さんの 負担も減らせるでしょう﹂ ﹁お? 確かにそうだな⋮⋮。従士の若手たちからも何人か連れて 行くか⋮⋮。見聞を広げるのにもいいだろうしな。ん⋮⋮だが今回 はやめておこう﹂ ﹁え? なぜです?﹂ ﹁いや、ゴムの納品は俺も当然継続してやるが、暫くしたらファー ンとシャーニが中心になるだろう。どうせならあいつらから紹介さ せたほうがいいだろう。それに、まだゴム生産の専従にする家は考 えていないのだろう? それが決まってからゆっくりやればいいだ ろう﹂ ﹁なるほど、わかりました。そうですね﹂ へー、世代交代を印象づけるように考えたのかな? 俺はどちら かというとビジネス的な実利に思考が傾きがちだ。貴族同士の付き 合いや、この世界の商売による結びつきについての機微には欠けて いる。俺の考えとしてはどうせ担当者を設置するのであれば紹介は 早いほうがいいし、その担当者も経験を積めるから早く使い物にな るだろう、という即物的な考えがメインになりがちだ。ゴムの生産 だって現時点で生産や採集の担当は全員従士かその家族だが、能力 さえあれば農奴だって別にいいと思っているくらいだ。 546 勿論、オースでも能力が優れているのであれば農奴や奴隷階級か ら脱出し自由民や平民にだってなれる。だが、やはりそれはあくま でひと握りの相当に優れた者だけに与えられるチャンスらしい。こ の貴族だとか平民だとか奴隷だとかの身分制度についてはやはり未 だに違和感を覚えることも多い。それぞれが所属する階級によって 明確に権利が規定されており、それが社会秩序の基盤になっている ことについてもそうだ。 どうもまだ日本人気質が抜けきっていないらしい。まあ、今の所 大きな問題にはなっていないし、俺の考え方がオースでは特殊であ ることは確かだが、悪いわけではない。俺だって人は皆平等だ、と か平等であるべきだなどという寝言については前世から否定的な見 解だったが、どんな人にも定められた義務を果たす限りにおいて権 利というものは存在し、それは他人が侵せるものではない、という 考えは根底に根ざしている。その﹁権利﹂という言葉の定義内容の 基準が俺︵と言うよりも現代日本といったほうが良いかも知れない︶ とオース一般とではだいぶ違う、というだけのことだ。 分かりやすく説明するためにいくつか例を挙げてみようか。例え ば出産だ。妊娠した母親が出産時に産婆などの介添えをつけられる のは自由民以上の階級だ。農奴を含む奴隷階級は出産時の介添えは 認められない。当然逆子や異常妊娠などの場合、介添えを付けるこ とが出来ない奴隷階級の人間は母体共々危険な状況に陥ることが多 いし、死ぬ場合だってある。だが、自由民以上であれば出産時の介 添えは問題ないし、治癒魔法の使い手が介添えをすればよほどの異 常妊娠でもない限りは出産に失敗することを考える必要すらないだ ろう。 また、武装の権利もそうだ。奴隷階級の一部である戦闘奴隷以外、 547 通常、奴隷は武器を帯びることは出来ない。化物や怪物がうろつい ているような世界で何を馬鹿な、と思うがそういう決まりになって いる。勿論対戦している敵国の軍が侵攻してきたりした場合や、た またま魔物に襲われ、身を守るために既に戦って死んだ貴族の死体 から武器を拝借したなどの非常事態は別だが。雨具の使用だって身 分階級ごとに使用の可否などが決まっているし、衣服の材質だって そうだ。まぁ衣服の材質は特殊で貴族だからといってどんな材質で も良いかと言うとそうでもない。例えば貴族階級は麻を使用した衣 服を纏うことは許されていないが、平民は何を着ても問題ない。 こんなもの、俺に言わせれば馬鹿の極みだとは思う。それで一体 誰が得をするのかとすら思う。だが、似たような規則は地球でも過 去にいくらでもあった。つまり、俺の考えている﹁権利﹂は幅広く どの身分階級でも認められる範囲が広いが、このオースでは身分に よってかなり細かく規定されている、というだけだ。しとしと降る 冬の雨の中、蓑を纏うことも許されず濡れそぼりながら農作業をす る農奴の隣で平民の農民は蓑を纏い、厚手の服を着ていられる。作 業効率を考えれば、暖かい服や雨具があった方が良いのは確かなの に誰もそれを不思議に思わない。買う金がないのであれば仕方がな いが、そう言う問題ではなく、単に許されないのだ。 そんな事を質問しても﹁そう決まっている﹂と言われるだけだし、 そう決まっている理由を訊いても﹁それが常識なのに、そんな事を 気にするお前が変だ﹂と言う、素っ気ない回答が帰ってくるだけだ。 まぁ他人の権利擁護のために今の俺が苦労するのも意味がないので、 この件に関してはもう思考するのを止めた。 ・・・・・・・・・ 548 俺とミルーはまだ成人もしていないし、一応領主の子供でもある ので宴会のための面倒な仕事には関わらずに済んだ。うろうろして いても邪魔になるだけなのでランニングを兼ねて走りながらの魔法 の修行のために村の畑の畦道を二人縦列で走っている。折角なので 昨日両親と話した内容についてミルーに伝えたあと、俺は昨日から 行われていたファーンとシャーニの特訓︵?︶の内容についてミル ーに聞いてみた。 ﹁姉さん、昨日の修行はどうだったの? やっぱり騎士団の訓練は 厳しかった?﹂ ミルーは息を荒くしながら答える。 ﹁そうね⋮⋮。昨日やったのは普通の組手だけだったけどそんなに シゴかれなかったかな。最初だから多少優しくしてくれると言って いたしね﹂ ﹁ふーん、そうなんだ。じゃあまだどんなもんかは解らないね﹂ ﹁うん、でも多分それなりに辛いとは思うのよね。でも、私は絶対 に第一騎士団に入るわ。このチャンスをものにしないとね﹂ 14歳にして何と言うハングリー精神。まぁミルーも俺も家を継 げる訳じゃないし、普通に考えれば適当な婿なり嫁なりと結婚して バークッドの従士になるくらいが関の山だ。もともとミルーはそれ が嫌で冒険者を目指していたしな。 549 オースの常識と言うか、ロンベルト王国の常識と言うか、どう言 ったら適当になるのかは判らないが、地方の士爵家の次男以降なん て世継ぎが決定したあとは素直に平民になるのが一般的で、それ以 外は冒険者になって名を上げ、最終的にどこぞの貴族家の私兵部隊 でそれなりの役職にでも取り立てられるか、金があるなら平民とし て家を出て商売でも始めるかくらいしか選択肢はない。特殊な例だ と新たな村を開墾してそこの領主として新たな士爵家を興す、とい うのもあるにはある。また、それよりは多少可能性の高そうな進路 はミルーが目指しているように適当な騎士団に所属してそこで軍人 としての出世を目指すくらいだ。 そういった意味ではミルーに与えられた選択肢は極上のものだ。 国王の騎士団は常設で四つあって、それぞれ特色はあるのだが、騎 士、と言って大半の人が思い浮かべるのは第一騎士団だ。鎧兜に身 を包み馬に乗って槍と剣で武装し、敵に対して突撃する、まぁ絵に なるってやつなのかな。その割には四つの騎士団の中で一番規模が 小さく、人数は僅か500人程らしい。その中で戦闘要員は騎士1 00人程と従士が4∼50人くらいのこじんまりとした構成だ。 だが、この騎士団は王国でも最精鋭で鳴らしており、以前にも言 ったが入団試験を受けるだけでも大変名誉なことだ。入団試験を免 除される例もあるが、これはあくまで特例で、王位継承権一位の王 子か王女だけだそうだ。それだって騎士団長になれる訳ではなく従 士としてスタートするという徹底ぶりらしい。また、入団試験を受 けて合格した騎士もこの騎士団に入団するにあたっては騎士の位を 返上し、一介の従士からのスタートとなる。元々の爵位は騎士団に 所属している限り関係無くなり、万一貴族家の当主であるならば領 地経営には代官を立てるか本人の配偶者、場合によっては息子や娘 か親が存命であれば親が領地経営を行うことになる。勿論騎士団を 辞めた場合には元の階級に戻れる。 550 王国の他の機関や騎士団とは異なり、完全に実力主義で過去に何 人もの王子や王女が所属したことはあるらしいが、騎士団長になれ た者はいないとのことだ。それだけ実力主義が徹底しているらしい ので、実はもしミルーが入団出来さえすれば辺境の士爵家の出身だ からと侮られたり苛められたりすることもあるまいと安心している くらいだ。尤もミルーの性格ならそんな事態に陥ったとしても何と かしそうではあるが。 この騎士団で正式に叙任を受けた騎士は、上級騎士と呼ばれてた だの騎士よりも格上になるのだそうだ。また、この騎士団は騎士が 100人位の所帯なので僅か三個中隊編成にしか過ぎないが、中隊 長は士爵に、副騎士団長は準男爵に、騎士団長は男爵に封ぜられる。 この貴族階級は一代限りではなく、同格の貴族よりは小さいながら も領地を与えられることになるという。また、役職のない一般の騎 士でも円満な辞職後は死ぬまで年金が出る。本人が騎士団に所属し ている間はこの貴族階級は意味を成さないが、辞職する時に褒賞と して下賜されることになる。尤も、元々それ以上の貴族階級であれ ばこの褒賞は意味を成さないので省略されるが。 つまり、元々家を継ぐことの出来ない貴族の子弟や、場合によっ ては平民や自由民の生まれですらも貴族への道が開けていることに なる。最初に適当な騎士団に入り、そこで騎士の叙任を受けなけれ ば入団試験すら受けられないが、騎士ならば誰でも受けられるとい うものでもない。試験を受けるだけでも有力貴族や騎士団長の推薦 や第一騎士団の中隊長以上の認定が必要になるのだ。本来、受験資 格には推薦や認定さえあれば良く、騎士である必要は無いらしいの だが、長年の慣習で騎士の位を持っていることが条件であるとの認 識が広まっているとのことだ。 551 騎士団に入団した後は従士としての生活が待っているが、これも またすこぶる厳しいものだ。馬の世話は必要ないが先輩騎士の武具 の手入れや身の回りの世話から始まり、騎士としての各種心得や初 級とは言え領地運営に関わる各種学問の履修、品行方正さなどの道 徳など殆ど寝る暇もないほどの勉強もある。当然一番大事な戦闘訓 練についても手を抜くなどあってはならない。 こんな生活を数年︵他の騎士団よりも多少長く、平均して四年ほ ど。また従士のまま十年が経つと騎士団を退職せねばならない︶続 けてやっと騎士の叙任を受けてもその後一年以内に大規模戦闘の指 揮や統率などの勉強を修めなければいけないらしい。もともとの入 団自体が普通ではないので十代の正騎士など殆どいない。なにその カリキュラム、防衛大かっつーの。 だが、ロンベルト王国ではエリートコースの一つであり、社会身 分的な成り上がりの殆ど唯一の道でもあるため、目指す人間はそれ こそ星の数ほどもいるし人気も高い。毎年20人程が入団試験を受 験し、合格して入団するのは約半数の10人前後だ。退職者も10 人前後いるので規模は殆ど変わらないらしい。入団試験に不合格で あったとしても、例えばウェブドス侯爵の騎士団などであれば諸手 を挙げて歓迎されるレベルだ。 入団試験を受けることの出来るチャンス自体がよほどの努力で勝 ち取るしかないため、ミルーはそれこそ宝くじに当たったくらいの 幸運を掴んだことになる。そりゃ意気込みもするだろう。俺として も是非合格して欲しい。俺は転生してまであんな窮屈な暮らしとか 冗談じゃないので冒険者でいいや。歳をとると考えが楽な方に楽な 方に流れるよな。いや別に俺は外国で冒険者やるつもりだからなん だけどね。言い訳くらい言わせてくれよ。 552 ﹁アル、お腹すいてきちゃった。そろそろお昼じゃない? 戻って お昼にしようよ。せっかくのお昼が冷めたらソニアに悪いわ﹂ 全く⋮⋮、なんでそういうこと言うかね。まだ昼にはもう少しあ るっつーの。 ﹁姉さん、お昼にはまだ少し早いよ。あと一往復行こう﹂ ﹁ええっ?﹂ 何でそんなに死にそうな顔するんだよ。罪悪感すら覚えるわ。 ・・・・・・・・・ 夕方、晩飯の前にファーンとシャーニは従士達の家に挨拶を兼ね て結婚の時の宿泊場所の提供の礼をいいに行くらしい。晩飯までに は戻ると言い置いて二人で出かけてしまった。ヘガードはこれ幸い とばかりに魔法の修行の件について再度俺たちに徹底するように言 ってきた。だが、ファーンの子供が育ち魔法の修行が始められるよ うになるまで、魔法の修行はやはり人目につきにくい屋外でやれと のことだった。上手くいけば来年の春にはミルーも家を出ることに なるからミルーに対して魔法の修行方法の口外を禁じ、魔力量の秘 匿について再度徹底させる意味の方が大きかったのだろう。 ミルーも神妙な面持ちで聞いていた。また、魔法を使っていい条 件についても確認していた。自分や家族の命が脅かされた時。周り 553 に誰もおらず魔法を使ったことが露見しない時。この二つが大原則 だ。あとは怪しまれない程度に必要最低限。いつもと同じか。 だが、この晩は違った。第一騎士団の入団試験でミルーが必要と 認めた場合、適切な範囲内で使ってもいい、と言い渡された。これ にはミルーも俺も吃驚した。こんなこと、今までなら絶対に言わな かった。あのファーンにですら騎士団に入る前にはいつもの条件だ けだったのだ。例え実戦に出てもそれを守るように厳しく言いつけ ていたと思う。意外な面持ちで沈黙のまま俺たち姉弟がヘガードを 見つめていると、ヘガードはおもむろに口を開いた。 ﹁ミルー、これはお前が自分の人生を切り開くチャンスだ。お膳立 てはファーンがしてくれたが、それはこの際関係ない。そんなチャ ンスを迎えた娘にまで秘密を守ったが為に試験に不合格になって欲 しくはない。勿論必要以上の魔力を誇示することは絶対に駄目だが、 お前の魔力量と魔法の技倆はいつか必ずお前の助けになるはずだ。 それが入団試験だというだけのことだ。俺達は今後もファーンを助 けてやることは出来るが、ことにミルー、お前は入団試験に合格す れば俺達の元を離れる事になる。もう助けてはやれないんだ﹂ ﹁そうよ、ミルー。あなたは実技だけとは言え第一騎士団の入団試 験を受けられるの。必ず合格するとは思うけれど、もし仮に残念な がら不合格だったとしてもあなたを欲しがる騎士団は多いはず。そ うなるともうここには帰って来ないでしょうね⋮⋮。だから、今こ こで許可を与えます。あなたは持てる力を適正に使って全力で自分 の道を切り開きなさい。グリードの家名を高めていらっしゃい﹂ ヘガードとシャルが口々にミルーに語りかける。ミルーはすぐに は答えられないようだ。 554 ﹁だからミルー、試験までは剣の腕を磨くことは勿論だが、魔法の 鍛錬も怠るなよ。シャルに聞いたが、お前はまだ自分の魔力量が高 いことに胡座をかいて、適切な魔力を使うことはまだまだらしいな。 その点ではアルに及ばないとシャルは言っている﹂ 確かにミルーはMPを無駄遣いするきらいがある。必要以上に無 魔法にMPをつぎ込むことがよくあるのだ。いくらMPが多くても 攻撃魔法だって永遠に使い続けることは出来ないんだ。 ﹁ミルー、あなたは充分に魔法を上手く使えるけど効率についても 考えなきゃいけないわ。いざという時に魔力が切れてしまうことだ ってあるのよ。まぁあなたの場合、そこまで心配しなきゃいけない ことではないけれど、魔法を使うときに魔力の無駄が多いと試験で だって減点対象になるかもしれないわ。そこのところ、ちゃんと考 えて今後は修行するのよ﹂ シャルも続けていうが、何となく説教になりつつあるような気が しないでもない。 ﹁わかりました。今後はもっと剣も稽古するし、魔法の修行にも身 を入れます。そして必ず合格し、騎士団に入団します!﹂ ミルーは真剣な面持ちで宣言した。 ランプの小さな光を受けて煌くストレートのロングヘアーは美し く、その横顔はやけに大人っぽかった。 姉の手助けに何が出来るだろうか、またもや俺は悩み始めている のを自覚した。 555 556 第四十五話 別離 7438年10月22日 ゴムの納品を終えてヘガードが帰って来た。結婚は来月の10日 に行われるとのことだ。前日にはウェブドス侯爵の一行も司祭を伴 って村に到着する。流石に一方が身分の高い貴族の結婚とあらば当 日に司祭が伴って結婚式も行うようだ。一行の総勢は28名もいる とのことで宿泊先の割り振りが行われた。 そう言えばファーンからミルーの騎士団の入団試験までに以前フ ァーンに贈ったのと同様の剣を用意出来るかと訊ねられた。ミルー に贈るのであれば確かにそろそろ用意に入ったほうが良いだろう。 貯めた鉄も剣を一振り作るくらいは充分にあるし、なんだったら三 振りくらいは作れる。三振りは流石にちょっと足りないかな? 二 つ返事で大丈夫だと答えるとファーンは俺を家の裏手に連れて行っ た。 ﹁アル、実は以前お前と父さんに贈ってもらった剣なんだがな⋮⋮。 これは非常によい品物で俺も何度も助けられた。この前の戦の時も 他の騎士の剣が傷み、予備の剣と交換するような状況でもこの剣は 全く問題なく使えた。この剣と同等の剣をミルーにも持たせてやり たいんだ。多分入団試験は実技だけとはいえ何日か行われる。俺が 聞いた話だと真剣による連続組み手も試験項目にあるらしい。真剣 の組み手は武器を破壊されたり叩き落されるとその時点で負けとな る。叩き落されるのは仕方ないが、普通の剣だと何度も組み手をや っていると剣がすぐにぼろぼろになってしまうんだ。 ⋮⋮そうだな、力が同等なら10人も相手にするとまずダメにな 557 ると思っていい。だが、その点この剣ならまず大丈夫だと思うんだ よ。当然相手はミルーよりも力も技もあるだろうが、真剣の組み手 だからそうそう体に当ててくることは無いはずだ。勿論盾を使って も良いんだが、ミルーは盾が苦手だろう? 左腕に固定する小型の 盾だけを使わせて剣も防御に使ったほうがいいし、そういう盾なら 場合によって両手で剣を握ることも出来るから強い打ち込みも出来 る。 だから、頼む、アル。ミルーに良い剣を贈ってやりたいんだ﹂ うん、真剣の組み手については良く知らなかったけど、そういう 事情もあるのか。そもそも剣を贈ることには賛成だ。 ﹁ええ、でも、兄さんにも作成を手伝って貰った方が姉さんも喜ぶ でしょうから、そこはお願いします。アルノルトが鍛冶の設備を監 督していますし、実は兄さんの剣も僕のこの剣もアルノルトがいな ければ作れなかったんです。この剣は作るのに大変に力が要ります から手伝いが必要なんです﹂ ﹁そうか、それは問題ない。俺も鍛冶は騎士団でちょっとだけ習っ た。大丈夫さ﹂ ﹁いえ、多分兄さんが予想している内容よりきついと思いますよ。 それに作るのにはかなり時間もかかります。アルノルトは農具の修 理など他の仕事もありますからね﹂ ﹁ああ、試験に間に合えさえすれば時間は問題ない。それに時間が かかると言ってもせいぜい二日とか三日だろう? 鉄を溶かして型 に流し込んでから叩いて細かい調整をするくらいだろ?﹂ ﹁ふふっ、まぁ楽しみにしていてください。あ、兄さんは領主にな 558 るのですからお教えしておいたほうが良いですね。あの剣は材料を 地魔法と無魔法で作り出しています。剣一本分くらいの分量の材料 を作るのに僕なら休みなしでそれだけに集中して頑張って十日くら いかかります。この時間は後始末に使う魔力については考慮してい ない時間です。一日に三回くらい休憩してその度に魔力も全部使い 切ることまで必要です。それから、その材料を使って鍛冶をするの ですが慣れるまでは大変時間がかかります。この村で肝心なところ を鍛冶で作れるのはアルノルトだけです。父さんも力仕事で手伝っ てくれるくらいしか出来ません。勿論、僕にだって出来やしません﹂ ﹁え⋮⋮そ、そんなに大変だったのか⋮⋮。じゃあ一体、後始末や 他の仕事しながら普通に材料を貯めるんだとどのくらいの時間がか かるんだよ⋮⋮。地魔法と無魔法だけで材料を作れるんなら俺にだ って出来そうだけど、気が遠くなりそうだな⋮⋮﹂ ファーンは剣を作る労力が想像以上だったことに絶句しているよ うだ。 ﹁まぁそのあたりは時間が必要ですが、絶対に無理なことは無いで す。時間さえ掛けて練習すれば兄さんにだって出来るはずです。ま ぁその辺りの事は追々説明します﹂ ﹁あ、ああ⋮⋮わかった⋮⋮そうか、そんなに大変だったとはな⋮ ⋮知らなかった。アル、本当にこの剣には助けられた。感謝してい るよ﹂ ファーンはそう言うと俺を抱き上げた。もう10歳になっている んだから重いし、恥ずかしいよ。嬉しいけど。あ、そうだ、良い機 会だしついでにこれも⋮⋮。 559 ﹁兄さん、全く違う話なのですが、子供はどうするのです? 早く 欲しいのですか?﹂ ﹁ん? ああ、いや、俺もシャーニもまだ若いしな⋮⋮。もう少し、 そうだな二十歳くらいには欲しいかもな⋮⋮でもなんでだ?﹂ ﹁実はですね⋮⋮ ゴム製の衛生用品を最初に使ってもらう場合は本来の目的で使用 してもらうのが一番だろ? 潤滑剤は干した海草を水につけておけ ばすぐに取れるしな。豚の腸も悪くは無いんだろうが俺が思うにム ードぶち壊しだろ。 ・・・・・・・・・ 7438年11月10日 ファーンとシャーニの結婚式はつつがなく終わり、宴会も大変に 盛り上がって終了した。もう夕方近い時間だがまだ酒を飲んで騒い でいる連中も沢山いる。 ウェブドス侯爵には初めてお目にかかったが小太りの優しそうな 感じの爺さんだった。もう60歳を超えているそうだから爺さんで もいいだろう。息子のセンドーヘル騎士団長は一見すると普通のお っさんだが、近くまで寄って見るとヘガードにも負けず劣らずの体 格で、興味本位で鑑定したらなんとレベルは15もあった。ヘガー 560 ドと一緒のレベルの人は初めて見た。年齢はヘガードより二つほど 上の40歳だが髭はきちんと剃っておりヘガードより若く見える。 もっとも、奥さんが三人もいて、そのうちの一人はまだ19歳だ った。なんだよ、それ。これが若さの秘訣だろうか。シャーニにし てみれば僅か三歳年上なだけの母親と言うことになるのだろう。複 雑な気持ちなんだろうな。っと、いやいや、ここは日本じゃない、 オースだ。普通普通。 結納返しというわけなのかは知らないが、シャーニの嫁入り道具 として高級そうな箪笥とそれに詰まった服、あとはなんと馬車を一 台贈られた。でも、これ金貨50枚に見合っているのかというと足 りない気もするが、まぁ良いだろう。皆納得しているし。 ミルーの第一騎士団の入団試験については侯爵もご存知だったよ うで、大変期待しているとの事だった。ウェブドス侯爵領から第一 しゃっちょこば 騎士団に入団できた人間はここ20年くらいいないそうで、侯爵か ら直接言葉を掛けられたミルーは緊張から変に鯱張っていた。 ・・・・・・・・・ 7438年11月22日 ミュンに手裏剣投げを教わった。昔からミュンが持っていた千本 のような奴だ。魔法があるから遠隔攻撃手段は必要ないとは思わな いでくれ。知っていて損な事もないし、魔力を使いたくないときや、 561 夜間など魔法を使う時のように手が光ってばれる事も無くある程度 離れた場所へのほぼ無音の攻撃手段があることは有効だろ? でも、難しいな、これ。格好をつけて指の間に三本くらい挟んで 投げようとしたらミュンに笑われた。ちゃんと一本ずつ投げないと 威力も落ちるし狙いもつけづらいのだそうだ。まぁ常識で考えれば そうだよな。毒を塗って投げるから相手に深く突き刺す必要は無い と思っていたんだけど、表皮にちょっと傷をつけたくらいですぐに 吸収され、相手を殺したり昏倒させたりするような毒なんか知らな いと言われ、出来るだけ深く、急所に刺さるように使わなければ折 角の毒の効果も半減だとも言われた。 ミュンは同時に毒の作り方も教えてくれた。ガンビ草の葉と青蛙 の血を混ぜて痺れる毒を作れるそうだ。あとはこのあたりの動植物 から作れるような毒については知らないと言っていた。毒か。これ も有効だよな。ロンベルト王国の騎士は毒は卑怯と言って嫌うそう だが、俺は騎士じゃないし、別に毒を卑怯とは思わないのでいいや。 ・・・・・・・・・ 7438年12月30日 大晦日までもつれ込んだが、ミルーへ贈る剣が完成した。ファー ンが熱心にアルノルトに師事し、火傷を沢山作りながら︵すぐに魔 法で治療していたが︶造り上げた逸品だ。 562 ︻ロングソード︼ ︻鍛造特殊鋼︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:30/12/7438︼ ︻価値:896000︼ ︻耐久:4070︼ ︻性能:122−192︼ ︻効果:無し︼ 耐久性はファーンの剣より若干劣るがほぼ同性能の剣だ。尤も、 俺は材料を提供しただけで、後は作成中に耐久力を見ながらもっと 左のほうを叩けとかいやいや違うとか適当なことを言うだけの楽な 仕事だった。だが、柄と鞘だけは俺が手ずから作った。格好良く丈 夫に出来たとは思うがろくに装飾も無いので気に入ってくれるかど うかは神のみぞ知るってところだ。 また、ミルー用のプロテクターも作った。当然成長も考えて大き めに作ったが、入団試験に落ちたら元も子もないので今の身体に合 った物も作り、慎重にサイズあわせを行った。今回ミルーに贈るプ ロテクターは胴体や腰の各部にエボナイト製のDリングを取り付け てある。同じくエボナイトと少量の金属で作ったカラビナを着けた 小さなパックをプロテクター上のDリングのハードポイントに着脱 出来る様にしたら便利だろうと考えてのことだ。 簡単な剣や武具の手入れキットや携帯食料、予備のゴムベルトな どを入れておけばいいんじゃないかな。などと思って一人悦に入っ ていたら、ファーンに﹁そういう小物類は従士が持つものだ﹂と言 われ地味にへこんだ。 盾については思案の結果、手の甲から肘くらいまで覆う腕のプロ 563 テクターの前腕部分に腕に沿っていくつか穴を開けその穴に金属棒 を差し込んで盾の代わりに出来るようにした。盾を持ったり装着す るよりは軽いのではないだろうか。重い時は抜けばいいし、抜いて もエボナイト製の表面だからそれなりの防御力は残るだろう。 ・・・・・・・・・ 7439年1月3日 日本なら正月気分真っ盛りだが、今日はミルーの入団試験への出 発の日だ。馬車にミルーの武具一式と納品用のゴム製品を積み込ん で出発だ。馬車には御者としてベックウィズが乗り、その横にミル ーが腰掛ける。ヘガードは軍馬で同行し、護衛に従士が二人徒歩で 同行するいつもの編成だ。 ついにミルーは走りながらの魔法は使えるようにはならなかった。 だが、毎日の走り込みでかなり体力がついたのだろう、能力値の耐 久が1ポイント上昇している。無駄じゃなかったし、入団試験の前 に成果も現れたのでトレーニングには意味があることは証明された。 俺? 何でだか知らないけど上がってないよ。でも俺ももう少しで 耐久が上がる気がするんだよね。 出発前にファーンはミルーに剣を贈った。ミルーは剣を抱きしめ ながら﹁行ってきます﹂と言うと剣帯に剣を吊るした。その後、残 留するシャルにも挨拶し、俺のところに来た。何も言えないでいる 俺を抱きしめると俺の額にキスをして﹁ありがとう﹂と一言言うと 564 剣を抜き、皆が見守る中で長く美しかった金髪を切り落とした。う ん、絵になるけど切り口が変だしそう言う事はやめといたほうがい いと思うよ。 その後、ミルーは馬車の御者台に乗り込んだが前を向かずに後ろ 向きのまま御者台の背もたれに片手をかけると膝立ちになって見送 りの人々に手を振った。 村人全員の見送りに陽気に応えながらミルーが出発する。 5m、10m、ミルーが離れていく。これで子供部屋も広くなる ってもんさ。 15m、20m、もうミルーには会う事も無いかもしれない。 30m、40m、ミルーが向き直って御者台に座りなおした。 50m、60m、振っていた手を降ろすと腰にぶら下げているス リングショットの柄に当たった。 70m、80m ミルーの姿が小さくなっていく。 急に感情が溢れ出す。制御できないのは久しぶりだ。 ﹁姉さん! 姉さん!! 姉さん!!!﹂ 俺は叫びながら走り出す。 ﹁姉さん!!!!﹂ 565 くそっ何だよこの気持ち。 ﹁うっ⋮⋮ねえちゃん!!﹂ もうわけわかんねぇ。 ﹁ぐっ⋮⋮ねえちゃーん!!!﹂ 既に全力で走っている。 ミルーが振り向いたのがわかる。 ミルーは笑っていた。 泣きながら。 566 第四十六話 命中率? 7439年1月4日 昨日はミルーを見送ったあと、何も仕事をせず見回りと称して村 から少し離れた場所へ行ってぼーっとしていた。一日ぼーっと雲を 見て過ごしたら気が晴れた。気分転換は充分に出来た。こんな世界 なら今生の別れなんて珍しくもないだろう。普通の村人が他の村の 人間と結婚したらもう家族には会えないはずだ。ミルーとは俺が冒 険者として家を出、それから機会があれば会うこともあるだろう。 それでいい。 折角広くなった子供部屋だが、俺は今引越しの真っ最中だ。ミル ーもいなくなったし、俺一人には広過ぎる。と言っても6畳間くら いしかないけどさ。別に前世のように沢山の持ち物に埋もれている わけでなし、着替えが四着と身の回りの物が多少あるくらいだから 引越しで一番大変なのはベッドを運ぶだけだ。ベッドと言ってもき っと皆が想像しているような立派なものなんかじゃないぞ。簡単に 言うと藁が詰まったでかい箱だ。30cmくらい上げ底になってい るからベッドと呼んでも差支えはあるまい。その上げ底になってい るでかい箱に藁を詰めて、その上にシーツに相当する布を敷いて寝 転がり、更にその上にタオルケットもかくやという薄っぺらい布団 をかけるのがオースのベッドだ。 藁をよく干しておかないと蚤がわくのでこの辺りの家々では天気 のいい日の昼間は藁を干している光景がよく見られる。最初にそれ を知ったときは藁の上で寝るとかどこの未開人だと思ったものだが、 何年もそれで過ごしてきた慣れなのだろうか、今は別段なんとも思 567 わない。綿を入れた布団は家では両親とファーン達しか使っていな い。ファーン達も結婚式にウェブドス侯爵が参列しなかったら客間 の布団などを新調することも無かったろうから藁ベッドを使ってい たはずだしな。いや、俺の予想だけど。 とにかく、部屋が足りないので客間と応接間をいつまでも潰すわ けには行かないから必然的に今までの子供部屋を兄夫婦が使い、俺 は物置にでも移ればいいと思って昨日シャルに相談したのだ。シャ ルはそこまでする必要はない、と笑いながら言ったが、物置は既に 俺のゴム製品開発部屋のようになっている事もあり、俺も別段何か 不都合があるわけではない。物置は家にくっついているが家の中か らは入れないからドアは独立している。夜中に狩りに出掛けたりす るのも好都合だ。それよりも新婚の兄夫婦が両親の寝室の隣の客間 で生活するほうがいろいろと辛かろうと思ったのでその通りシャル に言った。 シャルはちょっと驚いたような顔をしたが﹁アルはよく気がつく し、優しいのね﹂とニッコリと笑って許可してくれた。そして今日 の朝食の後、ソニアと一緒にベッドを運んでいる最中、という状況 だ。シャーニは俺の引越しを聞いてしきりに申し訳ないと言ってい たが、なに、初めてのモニターをやってくれているんだ。おいちゃ んは幾らでも協力しまっせと心の中で品のない独り言をつぶやきな がら、外面だけはニコニコと﹁いいえ、ゴムの開発で魔力を使い切 ってしまったりしたらすぐ脇にベッドがある方が都合が良いのです よ。気にしないで下さい﹂と優等生のように答えておいた。 ファーンはちょっと表現のしようのない表情をしていたが何も言 わなかった。うん、将来の領主はそうやってどっしりと構えていて くれ。でも、何となくあの顔は言いたそうなことがあるようだなぁ。 多分ファーンは気づいているのだろう。気づいていながらそれにつ 568 いて突っ込むことも出来ないからああいう何とも言えない表情で俺 を見つめるくらいしか出来ることはないんだろう。まぁいいさ。俺 の引越しだって兄夫婦にとって悪い話じゃないだろ。 そう言えば、俺は以前ゴム製の衛生用品兼避妊具をファーンに渡 していた。その後も何度も渡していたがサイズは大丈夫だったのだ ろうか。ファーンは何も言わないので大丈夫だとは思うけど、一度 使用感も含めてきちんと聞いてみたほうがいいだろうなぁ。照れく さいけど。 ・・・・・・・・・ 今日からはミルーの代わりに俺が兄夫婦の剣の稽古にシゴかれる 番らしい。ファーンもシャーニも騎士の叙任を受け、実戦経験もあ るから良い勉強になるだろう。まずは木剣で組手を行うが、二人共 強すぎて話にならなかった。畜生。だが、俺が木銃に装備を変更し た途端、俺が優勢になった。うむ、銃剣格闘は彼らも初めて見るだ ろうからな。 ファーンもシャーニも吃驚して﹁その変な武器はアルが考えたの か?﹂とか﹁あんまり太い石突だから殴ってくるとは思ったけれど、 その槍の真ん中辺りの出っ張りも使ってくるとは思わなかったわ﹂ とか言って感心していた。確かに銃剣格闘の技術は俺の物だが、俺 自身がこの槍、と言うか銃剣を発明したわけじゃないし、動きの型 だって昔自衛隊で習ったものそのままだ。だから何だか褒められた 気がしなかったが説明のしようもないから微妙な表情になっていた 569 と思う。 だが、この格闘スタイルが騎士相手にも充分に通用することが判 った事は俺に自信をつけてくれた。しかし、あくまで人間相手の話 だ。あいつに通用するかどうか⋮⋮。剣も含めて更に稽古は必要だ ろう。 ・・・・・・・・・ 剣の稽古が終わってからはゴム製品の製造だ。俺は既に監督する だけであまりやることは無いから製造の流れについて改めてシャー ニに説明していた。ファーンも久々に本格的な製造をやるので復習 の意味も兼ねて一緒に聞いている。ゴム製造の専従にする従士の家 もリョーグ家に決めたのでダイアンとソニアを除くリョーグ家の家 族にも同時に説明していく。皆真剣な表情で聞いている。因みにリ ョーグ家にした理由はソニアが当家でメイドをやっており、家族揃 って忠誠心が高いことと、ダイアンは全属性の魔法に適性があるか らMPも比較的高い、と言う理由だけだ。正直なところゴム製造の 技倆自体はテイラーが一番上手だとは思うがテイラーは魔法が使え ないのだ。 ゴムの製造については乾燥工程で魔法を使ったほうが格段に効率 が良くなるから特殊技能の魔法のレベルを上げるためにも午前中は 魔法の修行についても義務付けた。これはシャーニに対しても同様 で彼女もレベルは低いながら全属性に適性があるからそれなりに修 行すればシャルくらいのMPにはなるのではないだろうか。勿論眠 570 り込んだり飯を貪ったり所構わず発情されても困るので適度な修行 の範囲だが。 あと、シャーニのMPがちょっと多いような気がする。レベルも 大したことはないのであれは幼少時に何らかの原因でMPを使い切 ったことが何度かあるな、と思う。俺たち兄弟のように異常と言う 程ではないから本格的な修行の結果ではないのだろう。MPを使い 切ったのはいいとこ数回程度か、魔法を覚えてからMPを使い切っ て異常に幸運に恵まれれば増加出来そうな数値の範囲ではある。ま、 こういう人がいてもおかしくはない。 その後ファーンには改良した硫黄と木炭の混合比について新たな メモ書きを渡した。こればっかりは領主の家系で一子相伝にしなけ ればなるまい。ファーンはそれを丁寧にしまうと、周りを見回して 誰もいないことを確認するとおもむろに口を開いた。 ﹁ところで、アル。例のやつ、作り方を教えてくれないか﹂ ﹁ああ、アレですか。ちょっと待ってて下さい。今型を持ってきま すから。でも、あれは風魔法が使えないとちょっと厳しいですよ﹂ ﹁あ、そうか、型があるのか⋮⋮。うん、見せてくれ﹂ 俺は家まで戻り、今は俺の部屋と兼用になっている倉庫からコン ドームの型を持って作業小屋の傍で手持ち無沙汰そうにしているフ ァーンのところへ戻った。 ﹁サイズが合いませんでしたか?﹂ 出来るだけ平静を装って聞いてみる。 571 ﹁あ、いや⋮⋮うん、まぁな﹂ そりゃそうだろう、適当に作った型だし。 ﹁型は作り直しますよ。本当は、その、実物を見た方が⋮⋮﹂ 照れるわぁ、これ。まじ照れるわぁ。 ﹁そ、そうか? そうだよな⋮⋮。うん、あとで頼めるか?﹂ ファーンも俺と同じように感じている気がする。 ﹁ええ、お安い御用です。それと、折角なので一つ聞いてみたいの ですが⋮⋮﹂ ニヤニヤしないよう必死に平静な、いかにも気にしてませんよ、 私は、と言う表情を取り繕いながら話す。 ﹁あ、ああ⋮⋮何だ?﹂ なんだか目が泳いでいる。 ﹁その⋮⋮使い心地とかは如何だったでしょう?﹂ あくまで俺はこの製品の開発者なのだ。問題点を洗い出さねばな るまい。 ﹁うん、良かった。豚の腸には戻れそうにない。お前、よく考えつ いたな﹂ 572 なんだ、身を乗り出すように食いついてきたな。 ﹁そうですか、それは良かったです。ですが、何か問題点とか悪い 点はなかったですか?﹂ いやいや、俺は研究者なのだ。研究課題の提供を。 ﹁そうだな、いくつか思うところはある。まず、破れやすい。もう 少し丈夫に作れないだろうか。あと、豚の腸よりは断然良い、比べ 物にならないのは確かなんだが、やはり、その⋮⋮﹂ ﹁違和感がある、と?﹂ ﹁うん、そうだな。もう少し薄くならんものだろうか?﹂ 言うと思ったよ。これでも厚さ0.1mm近くまで薄くしている と思うんだぜ。もう限界だよ。 ﹁うーん、実はこれ以上薄くするともっと破けやすくなると思いま す。破けにくくするには厚くするしかありません。現状では﹂ ﹁そうか⋮⋮やはりそうだよなぁ⋮⋮﹂ ﹁新しいゴムの配合を作り出さないと厳しいでしょうね⋮⋮今は生 ゴムを使っていますが、ちょっとだけ硫黄を混ぜてみるとか、素材 から作らないと無理だと思います。あっ、兄さんが素材の研究から 始めてみたらどうでしょう? 自分にあった一番いい素材を作り出 せるかもしれませんよ﹂ 573 ﹁む、うん⋮⋮確かにそうだな⋮⋮だが、かなりラテックスを無駄 遣いすることになるんじゃないか?﹂ ﹁いやいや、大した量じゃないでしょう。少量で試してみれば良い じゃないですか﹂ これで求道者の出来上がり、か。ファーンはそろそろ17歳にな る。この年頃だと一日何回でもしたいだろうし、出来そうだ。片方 がまだ10歳の兄弟でする会話では無い様な気もするが、求道者が 複数集まれば自然なことだ。そう思うだろ? その時、ゴムの作業小屋から悲鳴が上がった。吃驚して振り向く 求道者二人。戸口から飛び出てそばの川に向かってしゃがみこみ、 えずきだす求道者の片割れの配偶者。ってシャーニ義姉さんじゃね ぇか。なんだ? 有毒ガスでも発生したのか? んなわきゃない、 作業小屋にいた他の人もシャーニの後を追って出てきたが誰も顔色 は悪くない。 あ゛⋮⋮。 一応鑑定してみるか。 ︻状態:良好︵妊娠中︶︼ あーあ、悪阻か。 俺はしきりとえずいている妻のもとに駆け出した元求道者を眺め た。 うん、暫く衛生用品はいらないね。 574 そう言えば、すぐに破れたとか破れやすいとかなんとか言ってた な。 破れた後は一体どうしていたのか? 決まってるよな。 575 第四十六話 命中率?︵後書き︶ 上げて落とすのが俺クォリティ。前回の後でこんな話ですまん。 知識がなかったり、勢いがあったり、欲があればこういうことって ありますよね。 そもそも正しく装着できていたのかすら怪しい気もします。空気入 ってたんじゃねぇの? 576 第四十七話 作りたい理由 7439年1月5日 昨日から当家の中でシャーニの妊娠を祝う雰囲気になっている。 と言っても手放しで嬉しそうなのはシャルにソニアくらいのもので、 兄夫婦は微妙な感じがする。うん、ごめん。いや、俺だけが悪いわ けじゃないと思うけどさ。これが日本なら16歳同士で結婚して1 7歳で出産とか、どこの中卒ド低脳で先が見えない馬鹿かと思うん だろうな。 だが、ここオースでは決して珍しいことでは⋮⋮オースでもまぁ 珍しい範疇かなぁ。結婚してすぐに子供ができること自体はままあ るけれど、そういう夫婦はお互いに二十歳すぎだったりするし、若 い夫婦だって子供が出来る前に蜜月期間を取りたがるのが一般的だ。 勿論珍しいとは言え無作為に夫婦を抽出したら10組中2組くらい はこういう夫婦はいるから特段気にするようなことでもないか。 兄夫婦だって家族計画くらいは考えていたようだし、10代後半 くらいは誰だって子育て以外の人生を楽しみたい時期だろう。その 当てが外れて何とも言えないような表情が伺えるが、シャーニはち ょっとだけ嬉しそうな感じも隠せないようだ。 昨晩、ファーンに﹁お前が作ったものだから信じてたんだぞ⋮⋮﹂ と困ったように言われた時には、申し訳ないとは思ったが﹁そんな 事言ったって、僕はまだ10歳ですし、その、経験だってないです し、テイラーやエンベルト達が話しているのを盗み聞きして作った ものだって言ったじゃないですか。だいたいちゃんとつけてたんで 577 すか? 僕は自分で使って確かめられないから丈夫かどうかは保証 できないって言いましたよ⋮⋮﹂と言い返したらファーンも流石に 何も言い返せず沈黙していた。 シャーニの妊娠については従士のショーンとラッセグが一昨日出 発したヘガードを追いかけて伝えるそうだ。ウェブドス侯爵にとっ ては初めての曾孫になるのだし、次にゴムの納品に行くのは4月に なるから、シャルが急げばまだ追いつけるだろうし今のうちに伝え たほうが良いだろうと考えて後追い伝令をさせた。 ・・・・・・・・・ 義姉が妊娠したので俺は今ウォーターベッドの開発に再度取り組 もうと頭をひねっている。妊娠中は出来るだけリラックスした姿勢 でいるのがいいだろうと慮ってのことだ。以前に取り組んだ時、最 初は単にでかいゴムクッションをつくってその中に水を入れればい いかと考えて試作したが、当たり前のことにそれだと単にゴム製の でかい水袋にしかならなかった。 水が多いと硬い感じで心地よくないし、少ないと体重のせいでゴ ム板を引いた床に寝ているのと大差がない。調節して丁度よくして も当人以外だと体重の関係で結局は一緒だ。こんなもの個人個人向 けにカスタマイズなんかしてられるか、とボツにした。だいたいク ッションの中身が抜けないから水だといつかゴムが劣化してしまう。 これを防ぐには栓をつけて、使わない時には水を抜いて乾燥させな いとダメだ。 578 栓自体はゴムボートや浮き輪を作っていたからまぁなんとかなる。 しかし、ウォーターベッド︵というかウォータークッション︶だと 空気のように圧力がかかっても水は空気ほど体積が小さくならない ので内圧は全てゴムが受け持つことになる。そして一番弱いのは栓 の部分だ。前世の浮き輪やゴムボートなどの弁付きの栓の構造がわ からなかったので、あの内部に押し込められる機構はオミットして いた。 小さなエボナイトの筒を表面にはめ込み、内側の筒の穴に穴より 少し大きいゴム板を端っこだけ貼り付ける。こうすると息を吹き込 むときはゴム板の貼り付けた部分がヒンジの役目をして板が開くし、 ある程度息を吹き込めば内部の空気圧で口を離しても板が元に戻り 筒は塞がる。最終的には筒の外側にきちんとゴム栓してやればいい。 完全じゃないだろうがまぁ問題は無かったので良しとした。だが、 この栓だと栓自体は問題ないが、本体とエボナイトの筒が一体構造 ではないから栓を取り付けた周囲がどうしても弱くなる。浮き輪や ゴムボートだとあまり問題がなかったのでそのまま放置していたの だが、ウォーターベッドだと大人が寝っ転がるとそこから裂けやす かったのだ。 ゴムの柔軟性に期待して圧をゴムに逃がそうとゴムの厚みを薄く することもしてみたが、今度は水が冷たいので夏は良いだろうが冬 にはちょっと辛い。お湯にしても暫くしたら冷めちゃうしな。暫く 我慢すれば体温で多少マシになるとは思うけれど、ろくな掛け布団 もない冬に暫く我慢しろとかなんの罰ゲームだよと思ってこれもボ ツにした。だって、俺、前世でもウォーターベッド使ってなかった し。 だいたいウォーターベッドって作るのに失敗すると結構な量のゴ 579 ムが無駄になるんだよ。試作に失敗した物や製造時に失敗した物は 作業小屋の脇に設えた﹃失敗ボックス﹄に入れておくと誰かが持っ て行って切ったりして使っているようだから完全な無駄にはならな いけどね。 こんなことを考えながらウォーターベッド、ウォーターベッドと ぶつぶつつぶやいていた時、ダイアンが俺に話し掛けてきた。内容 は騎士団から依頼のあったクッションの座り心地向上だ。納品して いるクッションは騎乗時に使うものと馬車を御する時に御者台に敷 いて座るものの二通りだが、どちらも保管時は結構膨らんでいる。 そうしないと体重で座り心地も悪くなるからだが、更なる使い心地 の向上と耐久性の向上を求められていた。確かに座り心地について は何も無いよりは断然マシだがやはり風船に座っている感じがしな いでもない。ダイアンに限らずゴム製造を担当している若手従士全 員に改良点を考えて欲しいとは昨年から言っていたのだが、正直あ まり期待してなかった。 彼女はクッション内部に壁で仕切りを作り、小部屋構造にするこ とを提案してきた。小部屋構造は考えないでもなかったのだが、若 干でもゴムの使用量が増えるし、何より各小部屋ごとに風魔法を使 わなくてならないので、耐久性の面から栓を付けていないクッショ ンには向いていないと思ってかなり初期に放棄していた考えだった。 だが、俺はこの小部屋構造について放棄したことを後悔した。俺 は面倒くささから魔法の使用回数が増える、ということを免罪符に して有効なアイデアを自ら捨てていたのだ、ということに遅まきな がら気づいた。そうだ、小部屋構造だ。なぜ栓を一箇所にしなけれ ばいけないと思い込んでいたのか。一人で何でも出来はしないのだ。 やはり色々な人にアイデアを出してもらうことはこんなに有効では ないか。だいたい、クッションだって小部屋にしたら普段あんなに 580 丸々とはしないし、座り心地だっていいに決まってる。 俺は早速ダイアンに製造の許可を出し、自分は早速ウォーターベ ッドの試作にとりかかった。直径10cm弱の棒状にしたゴム筒の 端を閉じ、全てに弁無しの栓を付ける。それを並べてくっつけてか ら全体をゴム引きの布で覆う。うむ、一見してマットレス、その実 ウォーターマットならぬベッドだ。早速各棒の内部に水魔法で水を 入れてから寝っ転がる。 うお、こ、これは良い物だ⋮⋮。水の入ったゴムの棒と棒の隙間 に空気の層があり、ゴム引きの布でその空気を逃がさないようにし ているから水と空気で二重のクッションになっているのもいいポイ ントだろう。この試作品では付けていないが、ゴム引きの布の貼り 方を工夫してここにも浮き輪のような栓を付ければもっといいだろ う。うむ、俺も今晩から藁のベッドとはオサラバだな。ゴムはもう 少し余ってるからシャーニの分くらいは作れる。また余ったらファ ーンや両親の分も作ろう。水魔法さえ使えるならこれはいい製品に なるのではないだろうか? 売れるだろうな。風魔法で空気を入れ てみることも試してみる。水よりは落ちるが、これはこれで良いな。 クッションを作る頭はあったのに何故今まで作らなかったのだろう。 やはり固定観念だろうな。そうだ、一人で考えていても見落とした り考えが及ばず諦めたりすることのなんと多かったことだろうか。 そう言えば、玉羊羹だが、あの風船は最初こそ俺が作っていたが 今はエンベルトが作っている。ゴム製衛生用品の参考になるかも知 れない。彼の意見を聞いてみよう。エンベルトは風魔法も使えるか ら玉羊羹用の風船も作ってみたらどうか、と言って日産僅か3個か ら始めたのだ。早速エンベルトのそばまで行くと彼は妙な器具を使 っているところだった。細長い木の板にこれまた木で作った直径1 cmくらいの棒が数本立ててある変なものを使っていた。あんなの 581 あったっけ? 俺作った覚えないぞ? エンベルトは普段サンダルを作っている。バケツにソールとなる ラテックス原料を攪拌したものを入れ、それをサンダルやブーツの ソールになる型に流し込む役目だ。多過ぎず少な過ぎずで注がない となかなか均一の厚さにならない職人技を要求される大切な役目だ。 最初はソール型から溢れても木の棒などで溢れた表面を削るように して同じ厚みのソールを作っていたがどうしてもゴムに無駄が出る ので型を少し深めに作ってくれと言い出したのだ。ちょっと深めに 型を作ることで多少入れすぎてもスプーンなどでバケツに戻せるし、 慎重に注げばぴったりの量で作ってみせると豪語したので作ってや ったのだ。果たして彼は見事にソールを作っていたから今では安心 して任せていた。 一体その変ちくりんな物で何をするのかと思って傍まで行ったも のの声を掛けずに様子を見ていたらラテックスの入ったバケツに板 に突き立っている棒を浸し、板を持ち上げる。すると板に突き立っ ている棒の表面は当然ラテックスに覆われている。板をひっくり返 し、作業台の上に置くと数本の棒が作業台から生えている感じだ。 同じ作業を別の板に交換しながら何度か行うと、作業台は剣山のよ うになった。一息ついたようなので声を掛けると、やはりこれは風 船を作っているところであったらしい。 こうすれば風魔法も必要なく大量に風船を作れる。後で乾燥の魔 法を掛ければあっという間に沢山の風船の出来上がりだ。そもそも 放って置いてもゴムの量自体が少ないので多少時間はかかるが乾燥 の魔法すら必要ない。これは目から鱗が落ちるな。こ、これなら、 コ、コ、コンドームもいけるんじゃね? あとで誰にも見られない ように試作の型を作ってみようと心のノートにしっかりと書き込ん でおいた。 582 ・・・・・・・・・ ウォーターベッドは非常に喜ばれた。ゴムも厚く丈夫に作ったし、 さらにゴム張りの布で全体を覆ってあるから、この上にシーツを敷 いてプロレスごっこをしてもそうそうは壊れないだろう。そっとフ ァーンに﹁かなり丈夫に出来ていますから多分二人で寝ても壊れま せんよ。もっとゴムに余裕ができたら大きめのを作りますから﹂と 耳打ちしておいた。俺は本当に兄思いだ。 兄思いついでに試作品の型を作る相談もしてみよう。母ちゃんと 義姉さんがきゃっきゃと無邪気にベッドメイクをしているので兄を そっと旧子供部屋から連れ出して相談してみる。もう低い耐久性な どの失敗を恐れる必要も無いので耐久性や使用感などのテストにつ いてはやり放題だ。そもそもこればっかりはファーンから意見を聞 いて改良するしかないし、材質の研究だって兄が中心となってやっ たほうが効率はいいだろう。 ファーンはやはり微妙な表情だったが了承してくれた。よしよし、 俺が一人前となってこの村を出るまでには立派な逸品が量産体制に 入っていることを期待しよう。この村では見たことは無いが、ファ ーンが言うには騎士団にも性病患者はいるらしいし、キールなど大 きな町に行けば鼻が欠けたりしてる人も見かけるそうだ。性病自体 はやはりポピュラーなものであるらしい。細菌等の性交渉による接 うつ 触感染のメカニズムなどは理解されていないようだが、経験則から ﹁性病患者と性交渉を持つと病気が伝染ることがある﹂ということ 583 は知られているようだ。 うつ 量産できれば﹁コンドームをしていれば性病患者と性交渉を持っ たとしても病気が伝染る可能性がかなり減る﹂という一般認識を作 れるかもしれない。それを説明するのは難しいので、避妊具として 売り出すより無いのだが、それでも何もしないよりは良いだろう。 え? 性病に感染したら魔法で治療すればいいだろう? うん、 勿論そういう考え方もある。だが、魔法での病気治療は大変高度な 技で、俺ですら上手くはいかない。せいぜいHPを回復させる魔法 を掛けて免疫力の上昇に期待するくらいが関の山だ。 病気になると鑑定した状態が︻状態:病気︵○○︶︼になる。○ ○には病名が入ることもあれば原因が入ることもある。普通は病気 の原因は身体の免疫力を上回る病原体の身体への侵入を意味する。 病気の進行度合いがほんの初期であればHPの現在値がちょびっと 減少するくらいで、ほぼ治癒魔法一発でじきに治る。しかし、ある 程度病状が進行すると身体の体力を使うからなのか、鑑定の筋力や 俊敏、耐久の値が減少し始める。それに伴ってHPの最大値も減少 する。元の値は括弧表記で残されているが何故かその部分は赤文字 になっている。 当然回復すれば元の値に戻るのだが、HPの最大値が減少してい るためかどうかは不明だが完全回復までは治癒魔法を掛けてもHP は元の値までは回復せず、現在の最大値までしか回復しない。こう なると治癒魔法は一時的に身体を多少楽にしてやるくらいの効果し かない。病気の治療専用の回復魔法はあるにはあるらしいが、これ だ、これさえ掛ければ大丈夫、という魔法は無い、か発見されてい ない。または発見されていても何らかの理由で秘匿されているのだ ろう。 584 傷口の化膿を止めたりする魔法がそこそこ知られているくらいで 重い風邪︵肺炎か?︶ですら症状が進行すると先ほど述べた通り、 治癒魔法をかけて少しずつ免疫力の回復に貢献するくらいがせいぜ い出来る事だ。俺は昔からこれについて考えていたが、今ではある 仮説を立てている。治癒魔法は無魔法の他には水魔法が基本になる のだが、他にも地魔法や火魔法を使う方法がある。どちらかという と地や火魔法も併せて使うほうが回復量も大きいようで、要するに 効果が高い治癒魔法と言える。ひょっとしたら、病気の治療のため の﹁回復魔法﹂ってやつは病原体への攻撃魔法なのではないだろう か? 抗生物質だって細菌類やウイルスなどに対する毒攻撃と言えなく もないだろう? 尤も、俺はカビを培養してペニシリンを作る知識 なんか持ち合わせちゃいないので抗生物質はとっくの昔に諦めてい るんだけどね。毒を造り出す魔法は水魔法と地魔法が中心だ。治癒 魔法も同じ魔法を使う。昔、赤痢が持ち込まれてバークッド村に惨 禍をもたらした時に治癒師のシェーミやシャルが治癒魔法で大活躍 したらしいがそれだってある程度病状が進行したら助けられなかっ たと言っていた。 多くの性病には潜伏期間があり、長いものは数年だ。その間に病 気に罹患しているという意識が無ければ治癒魔法なんか自分にかけ ないし、まして自分で魔法を使えないのならば誰かにかけて貰うは ずも無い。そもそも治癒魔法だって自分で使うのでなければ普通は 代価が必要だろうしな。気がついたら急速に病状は進行し、魔法だ と殆ど手がつけられなくなるのではないだろうか。 俺の知る限り生き物の状態をチェックする魔法はないので何らか の自覚症状か外傷でもない限り異常状態を知る手段はない。医者も 585 いることはいるのだろうが、こんな田舎の村になどいるわけもない。 そうすると俺の鑑定の固有技能はすごいな。どんな異常でも確実に 発見できるし医者いらずだわ。あ、最悪これで生きていく方法もあ るな。診断士か。 ・・・・・・・・・ その夜、狩りに行こうとそっと寝ぐらに使っている倉庫の戸を開 け、装備をざっと確認し、意気揚々と出発する時に旧子供部屋の外 を通った。窓の戸は締まっていたが声が漏れ聞こえていた。聞こえ ないふりをしてそっと通り過ぎた。ぼくはじゅっさいだからきょう みはないよ。 病気の予防が第一義なのだ。破れにくくて丈夫なものが作れれば それでいい。こいつのおかげで生まれながら性病に母子感染してい る子供を減らせればいいのだ。使用感など二の次だ。二の次だ。い や、重要だよね。使用感が悪いと使ってくれないだろうし、そうな ると普及もしないだろう。うん、両立はしないとね。 そうなるとローションも必要だけど、今のコンブだかワカメだか のような海藻から作れるローションでも問題ないと思うので、こっ ちは改善の必要を認めないな。それよりもコンドーム自体の保管を どうするかだよな。ビニール袋なんかないし、生前海外で買ったや つの様に小麦粉だか片栗粉だかをまぶして小さな紙袋に入れておい て別売りのローションと併せて使ってもらうしかないだろうな。あ、 密閉を考えたら勿体無いけど小さなゴム袋という手もあるにはある 586 のか。 このあたりは王都やそれ以遠の場所に販売するときには必ずネッ クになるだろうなぁ。ああ、そうだ。もう一人で悩むのは止そうと 思ったばっかりだ。明日またファーンに相談しよう。そうしよう。 その晩はスッキリ晴れやかな気分で夜行性の魔物を沢山狩った。 587 第四十八話 誕生 7439年3月26日 ヘガード達が帰って来た。ミルーは第一騎士団の入団試験に無事 合格したとのことだ。誰もが気になっていた事だったので帰り道に 挨拶に立ち寄ったウェブドス侯爵やセンドーヘル騎士団長、キンド ー士爵等にも会えば必ず結果を聞かれ、その度に祝福と賛辞を受け ていたようだ。 入団試験自体は完全に外部との接触を断つ形で非公開で行われた ようで、どういう内容だったのかは全く判らなかったとのことだ。 これは受験者であったミルーにも箝口令よろしく口外を禁じていた ようで、合格が決まった後、1日だけ許された外泊の際にも語られ ることはなかったらしい。 だから合格基準や受験生がどの程度の成績を修めたのかも発表は なく、単に合格者の氏名が発表されるだけという、いささか味気な い合格発表だったらしい。尤も、味気ないとは言え当然ながらヘガ ード以外の受験生の付き添い人は多数いたらしいので合格者の氏名 が発表されるたびに一喜一憂していたらしい。 合格発表は試験最終日の翌朝に行われ、発表が終わると不合格者 はすぐに騎士団の門から出てきたが、合格者は昼近くまで出てこな かった。ヘガードら合格者の付き添い人たちは、手持ち無沙汰とい うこともあったのだろう、ミルーら合格者達が門から出てくるまで 出身地の情報交換や受験までの苦労合戦を始めたらしいが、ミルー は別段何の苦労もしていないので多少肩身の狭い思いで口を噤むし 588 かなかったそうだ。しかし、ヘガードと一緒に付き添っていた従士 らと顔を見合わせてはニヤニヤが止まらなかったと言っていた。 前世なら﹁おらが村から東大の現役合格者が出た﹂と言ったとこ ろなのかな? いやいや、受験可能者数や合格者数を考えると戦前 の陸軍士官学校や海軍兵学校に合格したというようなレベルかも知 れない。受験生の親御さん同士で情報交換とか、そんなイメージで はなかろうか。 そのあとは一晩だけの外泊を許されたこともあり、当面必要な身 の回りの物を購入したり、お祝いとして高級な料理店に行って食事 をしたり、その際にシャルの親や、その兄の現サンダーク公爵も現 れて祝辞を述べ、贈り物が贈られ、ミルーが公爵を前にして緊張の あまり呂律が回らなくなったことなどの楽しい出来事があったらし い。 ひとしきりミルーの第一騎士団への合格の話題の後、シャーニの 懐妊についてヘガードから祝いの言葉が述べられ、気の早いことに お土産として産着などが渡された。そうか、ヘガードにとっては初 孫になるんだよな。40前でお祖父ちゃんとか、本当、どこのDQ N家族だと笑いそうになるが、ここはオース、普通普通。実際ヘガ ードとシャルの間にファーンが生まれたのだって彼らが二十歳を過 ぎてからだから、ファーンとシャーニに子供が出来たのがちょびっ と早いだけだ。 また、ヘガードは産着の他に馬を二頭連れ帰っていた。この馬は 農耕用の駄馬ではなく、軍馬らしい。ファーンとシャーニは正式な 騎士として叙任も受けているから、当然騎乗出来るだろうとの配慮 だろうか。昨年からこっち、出兵に始まりファーンの結婚やこの軍 馬の購入などで当家の家計は火の車だろうに、張り込んだものだ。 589 出費はともかく軍馬はこれから必ず必要になるだろうから、これに ついては、よく結婚の後数ヶ月という短期間で用意できたものだと 感心したが、前回の出兵の最後で結婚が決まった際にセンドーヘル 騎士団長にお願いしていたものらしい。 とにかく、ようやくヘガードが戻ってきたのだ。ミルーはもうい ないが、これで家族全員が揃ったわけだ。これからは使った金銭を 取り戻すために皆が一生懸命それぞれの仕事に打ち込む時期だろう。 その晩、狩りに出かけるときには旧子供部屋だけでなく、両親の 寝室からも声が漏れていた。へガードが帰って来る前に両親のウォ ーターベッド分のゴムが捻出出来て良かった。若いっていいよなぁ。 ・・・・・・・・・ 7439年9月1日 シャーニが出産した。シェーミ婆さんが産婆を務め、シャルが立 ち会った。俺はシェーミ婆さんに言われるまま湯を用意したり、産 着を用意したりしてそれなりに仕事はした。しかし、前世でも子供 はいなかった身の上なので急にシャーニの陣痛が始まった時には慌 ててドキドキしてしまい、稽古や修行、ゴム製品の製造など全部ど こかにすっ飛んでいた。皆が慌てる中でシャル一人が落ち着いてお り、俺はシャルにシェーミ婆さんを呼んで来いと言われた瞬間に転 がるように外に飛び出て全力ダッシュしてしまった。 590 拙い俺の知識では大量のすこしぬるめの湯と清潔な布、あと分娩 台が必要だったはずだ。そういや分娩台なんか見たことないわ。シ ェーミ婆さんの家のどこかにあるのではないかとぼんやりイメージ していたくらいだったが、そんな物あるわけなかった。そもそも出 産は自宅内で行われたしな。 出産時に治癒魔法が必要になるかと思っていたが、治癒魔法が必 要になるのは出産後らしい。出産中に治癒魔法をかけると産道が元 の通り収縮してしまって赤ちゃんを殺しかねないらしい。考えてみ りゃそらそうだ。出産イコール怪我とも言える。途中で治療してど うすんだ。 あ、ファーンとヘガードは焦燥感を滲ませながらうろうろとして いただけで何の役にも立っていなかった。やっぱり男はそんなもん か。 まぁシャーニは騎士団で鍛えられ健康で丈夫だから出産で命を落 とすことは考えにくいだろう。異常妊娠だった時だけ気をつけてい ればいいのだろう。そのための産婆だしな。何かあってもすぐに飛 んでいけばファーンが役たたずでも俺なら冷静に治癒魔法を掛けら れるだろう。 子供は双子で無事に産まれた。兄がゼルロット、妹がレベッカー ナと名付けられた。ゼットにベッキーか。家には乳幼児用のベッド は一つしかなかったので追加でもう一つ急遽用意しなければならな い。数年前に子供が生まれたショーンの家まで行き、既に使ってい ないベッドを借りられたので事なきを得た。しかし、二卵性双生児 か。妊娠中のシャーニを鑑定しても︻状態:良好︵妊娠中︶︼とし か表示がなかったので双子とは思いもよらなかった。そうだよな、 鑑定は俺の視線が通るものしか出来ないしな。 591 ・・・・・・・・・ 7440年2月14日 俺は12歳になった。精力的な夜の狩りの結果もあり昨晩更にレ ベルは上昇し9になった。力ではそうそう負けなくなったが親父や 30歳前後の従士と本気の力比べをすれば敵わない。しかし、さほ ど見劣りしない程度にはなった。剣の腕も上昇しているようだが、 まだ親父や兄夫婦には勝てないでいる。しかし、体格も大きくなっ たので銃剣スタイルになれば圧倒することもある。今まではテクニ ックで誤魔化していた部分が大きかったが身長もそれなりに伸び、 それに伴って体重も増えたのである程度の力技も使えるようになっ たのが大きい。 シャーニも年明けから稽古に復帰し、久々に兄と二人がかりでの シゴキが始まった。だが、半年以上のブランクもあり鑑定してみる と筋力や俊敏、器用に耐久と全て少し落ちていた。俺はレベルアッ プや加齢による成長、気持ちだけだがランニングによる耐久アップ もあり能力の成長が著しい。思っていたほどの辛さではなくなって いた。ゼットとベッキーもすくすくと成長している。多分今の体重 は6∼7Kg程ではないだろうか。 家族の中で評判の良いウォーターベッドだが、あまりにも大量に ゴムを使うので量産は見送られていたのだが、昔植えたゴムノキが そろそろいい頃合だろう。来年以降もどんどん増えるので限定生産 592 を始めてみてもいいかも知れない。ウェブドス商会を通じてある程 度領外へも流通があるようで、遠方からの注文ということで前回あ たりから商会からの注文も急増している。玉羊羹だけじゃなかった のか。 シャーニの体調も戻り、4月の納品時には兄夫婦も初めて同行す るらしい。その時にはゴム製造を専業にしたリョーグ家からも何人 か随行することになるだろう。やっと収入も安定し始め、昨年末に はバークッドで初となる牛も導入された。俺が牝がいいと普段にな く強硬に主張したので多少割高にはなったが牝牛が購入された。牛 乳も飲めるし、作り方は知らないけど頑張ればバターやチーズも作 れるかも知れない。普段は農耕に担ぎ出されるから生産量は乳牛よ りは落ちるだろうが、全くゼロということはあるまい。だいたい乳 牛は品種改良されたものじゃないのか? よくは知らないけど。 とにかく牝牛が導入されたのがシャーニがゴムの納品に同行でき る大きな理由だ。赤ん坊たちの乳の心配をしなくていいからな。あ とはゴムの作業小屋の隣に浴場を作った。オースだと水魔法と火魔 法が使えればお湯を作ることはわけないので風呂は一般的かと思っ ていたがレベルやMPの関係でそうでもないらしい。以前シャワー の時にも話したことはあるが、風呂につかれるくらいの量のお湯は 最低でも水魔法と火魔法が4レベルは必要だ。そこまでレベルが高 くなるには一般人だとまず無理だ。本格的な魔法の修行や、魔法で 直接魔物にダメージを与えるなどの実践が必要になる。うちの従士 連中だってゴム製造に係わる人間を中心に半強制的に魔法の修行を させるまで誰一人4レベル以上の魔法が使える人間なんていなかっ たのだ。シャルは確かに両方とも5レベルに達しているが風呂に入 るためにMPは使っていなかった。万が一風呂の用意をした直後に 緊急事態などで治癒魔法や攻撃魔法を使わなければいけないことを 考慮していたのだ。 593 今はダイアンが4レベルになっているし、シャーニも2レベルだ。 他にも何人かいるし、俺でもいい。ゴムの製造からは殆ど手を引い ているからその分の魔力を廻せると言い訳すれば問題ない。ちまち まと貯めたゴムをエボナイトにしてそれで風呂桶内部を塗り固める。 栓は床に穴を開けてゴム栓を突っ込んでおけばいい。あとは水を張 っておけば入りたいときに火魔法で暖めれば良いし、水が汚れてき たら交換すれば良い。浴槽を二つ用意して一つだけを入浴に使うよ うにした。もう一つは注ぎ湯用だ。注ぎ湯用の浴槽は高い位置に作 り、ホースで入浴用の浴槽と繋げる。その湯だけは沸騰寸前にまで 暖めれば二時間以上注ぎ湯として充分な温度のお湯が供給できる。 村ではこの湯殿を住人に開放してから、魔法の修行を再開する人 間が増えたようだ。魔法の修行方法は既に確立されている、と言う か元素魔法は使えば使うだけ微量だが経験値が入るからMPにさえ 気をつければ毎日魔法を使っても問題は無いのだ。農業が主体なの でもともと水魔法を使える人間は多少いるしな。尤も、農業に水魔 法を使うのはシャワー状に放水できない限りは難しいのであまり使 用はされない。川が近くにあるのだし用水路さえきっちり作ってあ れば農民が使えるくらいの水魔法なんか無視できる量にしかならな いからな。 だって、考えてみてくれよ。ここに平均的な農奴の男が居ること を想像してみてくれ。彼は7歳くらいから農業に引っ張り出され、 15歳で成人を迎え、そこで初めて一応魔法の修行っぽい事をして みる。才能があって使えればそれでよし、この時点で十人に一人く らいだ。そして水魔法が使える人間は更に四人に一人とか二人だろ う。大人二、三十人に一人くらいが水魔法が使える。だが、最初は ほんの少し、スプーン一杯位しか出せない。農作業は待ってはくれ ない。のんびりと魔法の修行なんかしていられるはずも無いのだ。 594 そうして結婚したり子供が出来たり、その子供を食わせるために更 に農業に精を出さねばならない。 普通の人は魔法を使えるようになってから何ヶ月も毎日魔法を使 って初めてレベル0からレベル1になる。それで出せるのはコップ 一杯位。その後も1年くらい毎日毎日飽きもせず飲んでも大して美 味くない水を出して、やっとある日自分のステータスを確認すると 赤文字のレベル表記が2になっている。どのくらい出せるのかと期 待してもどんぶり一杯位だ。それでもまだ若い十代だ。加齢による MP上昇の恩恵も殆ど無い。魔法を使うには集中しなければならな いがいい加減慣れてきた、頑張ろう、と思って更に毎日毎日魔法を 使う。魔法を使うたびにMPがゼロになるわけではないが、もとも と大して多くもない魔力だからそれが減れば精神的に不安定になる 事くらいもう承知している。 親や兄弟、友人や場合によっては配偶者からいい加減諌める言葉 が出てくるのがこの辺りじゃないだろうか。そして挫けるのだ。あ あ、魔法なんてそうそう便利なものではない、なんて思ったりもす るのだろう。その後は魔法のことなんかは忘れたり、もともと無い 物だと思って農作業に精を出す毎日が続くのだ。お館様の奥様は貴 族の出だと言うし、冒険者もやって魔物を倒したり出来るほどの才 能をお持ちだ。そもそも生まれが違う上に才能まであるのだ。農奴 や平民の俺が頑張っても無理に決まってたんだ。そう思って、自分 を慰め、更に農作業に精を出す。たまには思いついたように魔法を 使うこともあるだろう。 だが、そんなある日、数年前から始まったゴム製品の作業小屋の 脇に湯殿が出来たと言うじゃないか。農作業や従士様達の剣の稽古、 勿論ゴム製品を作っていらっしゃる従士様達の仕事が終わったら誰 でも好きに使えると言う。川があるので水には困っていないから水 595 浴びはよくやるし、たまには湯を沸かして身体を拭いたりもする。 だが、湯に浸かるなんてしたことはない。そう言えば隣のハンスの 奴が気持ち良かったとか言っていたっけ。どれ、一つ俺も入って見 ようか。 手ぬぐいと貴重品と言うほどでもないがそれなりに値段の張るち びた石鹸を持って早速行って見る。結構な人出じゃないか。これだ けの奴らが来るほど気持ちが良いのか。一辺2m四方くらいの大き なゴムの張られた浴槽という黒い桶に50cmくらいだろうか、湯 が湛えられている。何人も浸かっているので水深は60cmくらい にはなっていそうだ。どれどれ、俺も入れてくれよ、浴槽をまたい で入ろうとすると既に湯に浸かってる連中から声がかかる﹁おい、 カニンダー、体を洗ってから入れよ﹂あいつはサクリガンだ。俺に 注意しながらもまるで酒に酔ったような赤い顔で笑いながら言って くる。 ふむ、そうか、と思い周囲を見回すといくつか手桶が転がってい る。既に身体を洗っている奴を見よう見真似で参考にして身体を洗 い、いよいよ湯に浸かってみる。ぬるいが確かに気持ち良いな。す るとじわじわと湯が温かくなってきた。が、入っていられないほど 熱くなる前に温度の上昇は収まった。どうもこの大きな桶の隣に作 られた土山の上にももう一つ大きな桶があり、そいつは更に熱い湯 で満たされているらしい。入浴に使っている桶のお湯が冷めて来た ら上の桶からこの桶まで垂らされているゴムの管に挿さっている栓 を抜いて熱い湯を足すようだ。うん、こいつは気持ち良いな、疲れ がゆっくりと抜けるようだ。 サクリガンは﹁先に上がるぜ﹂と言って浴槽から出た。俺はもう 少し浸かって居たかったから﹁ああ﹂とだけ答え、更に湯を楽しむ ことにした。浴槽を出たサクリガンは右手を頭の上にかざした。な 596 んだろう? 禿でも気になったのか? と思ったら右手が光る。魔 法を使ったようだ。奴の右手からどんぶり位の量の水が噴出し、サ クリガンは﹁うひゃあ、冷てぇ!﹂とか言っている。当たり前だろ う。水なんだから。サクリガンは振り向くと粗末なものをぶらさげ て言う﹁お前も水魔法使えたよな。風呂から出るときに同じように やってみな。気持ち良いぜ﹂ 風呂から出るときにサクリガンのようにやってみた。魔法を使う のは久々だが、問題なく出来た。おお⋮⋮こいつは確かにさっぱり するな。手拭で身体を拭き、家に帰る。女房にも勧めてみよう、明 日は女が入る日だそうだからな。あいつは水魔法が使えないから手 桶いっぱいの水を持って行くように言うのも忘れないようにしなき ゃいけない。 とまあ、こんな感じで魔法を再度使おうという流れになっている。 まぁ、全部俺の妄想なんだけどな。だが、魔法のレベルを上げよう と暇を見つけて魔法を使うこと自体は、今後村の地力を上げること に繋がると思うので、風呂を中心に水魔法と火魔法について一定レ ベル以上の人間なら風呂管理の賦役として給金を払う、との触れを 出したら皆その気になって魔法の修行を始めたのは本当だ。また、 地魔法と風魔法が一定レベル以上ならばゴムの型制作や場合によっ ては乾燥の魔法でも使い道があるかもしれないのでこちらでも触れ を出した。要は魔法が使えるなら給料出すから働きに来てもいいよ ってことだ。 少なくとも力仕事の賦役には向きそうにない女性や老人などに仕 事を提供できることは意味があるだろう? ラテックス そんな事を考えていた12歳の誕生日、ゴムの樹液の採集の護衛 のため同行した折、俺は妙なものを見つけた。勿論、護衛をつけて 597 いるくらいだから採集先は昔からある村からかなり離れた採集地だ。 道中にある木の幹の大人の背より少し高いくらいの位置に、傷の ある木がいくつかあったのだ。傷は平行に3本の線が走っている。 すべての傷はまだ新しいものだ。 ああ、そうか。 そろそろ来るんじゃないかと思っていたよ。 決着をつけてやる。 598 第四十九話 再戦︵前書き︶ 今回の話に含まれている医学的な話はあくまでフィクションです。 くれぐれもご参考になさらないで下さい。 599 第四十九話 再戦 7440年2月14日 俺はゴムの採集の係りの護衛として同行していた従士の一人に﹁ 魔物がいるな。ちょっと外れて歩く﹂と言って列から外れた。何か 言われるかとも思ったが、この若い従士は俺の言う事をいつも重視 してくれるので反対されたところで説き伏せる自信はあった。思惑 通り何も言い返しては来ず、俺の希望を受け入れてくれたことに安 堵しながら隊列から100m程北側に離れて歩き出した。 北側にずれたのは木についていた傷がすべて幹の北側にあったこ とと、例の水場がある場所はここから相当距離はあるものの北にあ るからだ。隊列を離れたのは例の咆哮の影響を受ける人数を減らし たかったことと、どうせやるなら一対一で決着をつけたかったこと が理由だ。本音を言うと誰か傍にいる所に襲撃を受け、咆哮の影響 で恐慌状態になっている人間をかばいながら戦う自信がないだけな のだが。 とにかく列を離れて歩き出したが数分もすると猛烈に腹が痛くな ってきた。むう、これは大きいほうかなぁ、などと考えていたが、 すぐにさっさとしてしまったほうがいいと思い直し腰の後ろに手を 伸ばす。ゴムプロテクターの腰部分の構造は股間の保護を考えてゴ ム製のビキニパンツのような形状をしている。そのパンツの内側の 前の部分二箇所と後ろの部分二箇所からゴムバンドを生やしそのゴ ムバンドの先端には薄いフック状のエボナイトを取り付けている。 このフックを胴体を保護する腹側と背中側のゴムプロテクターの下 部にあるステーに引っ掛けているのだ。 600 パンツ状とは言っても前と後ろを保護するようにしているだけで ビキニの水着のパンツ部分のように横で紐を結ぶ構造にはしていな いので、脱いで広げると寸詰まりの砂時計のような形になり、その 上下から二本ずつ先端にフックのついたゴムベルトがちょろっと生 えている感じだ。要するにゴムのベルトというかバンドでパンツ部 分を吊っているのだ。この吊っているフックを外せば簡単に着脱が 可能な構造だ。 俺は早速後ろ側のゴムベルトを外し、腰部分のプロテクターを股 を通して前に持ち上げると、ズボンを降ろせるところまで降ろして 木陰にしゃがむ。腿のプロテクターが邪魔になって膝まで降ろすこ とは出来ないが、腿のプロテクターを外すのも面倒だし、出来るだ け降ろせば用を足すことは出来る。もちろん周囲の安全は確認済み だ。いきむがブツが出てくる様子はない。なんだよ、もう。腹はこ んなに痛いのに勘弁してくれよ⋮⋮。しばらく格闘すると、ちょっ とだけ出た。うーん、まだ腹は痛いけどこれ以上は出そうにない感 じだ。仕方ない。手近な葉っぱでケツを拭き、ズボンをたくし上げ ようとしたところで異変に気づく。 ああ、異変といってもホーンドベアーの出現じゃないぞ。俺の腹 の方だ。尋常ではない痛みが走る。そして、その痛みは最初はみぞ おちの辺りだったのが今はちょっと移動して右下腹部あたりになっ ている。みぞおちあたりが痛い時点でなんか変だな、とは思ってい たのだが、まさかな。 俺が産み落としたブツの傍は少量とはいえ嫌な感じがしたので、 痛みを堪えつつちょっとだけ移動した。前掛けのようになっている プロテクターをぶら下げ、腹を押さえてケツ丸出しで前かがみにな った姿勢は格好悪いだろうな、とか馬鹿なことを考えている余裕は 601 たちまち霧散した。やばい、痛いよママン。自分自身を鑑定すると ︻状態:病気︵虫垂炎︶︼と出た。やっぱりか、畜生。 バークッドでもごくたまに虫垂炎から腹膜炎を経て死亡する人が いることは知っていた。俺の知る限りかなり前に一人だけだったが。 手術なんか出来ないし、シェーミ婆さんも頑張っていたのだが、治 癒魔法をかけても無駄だった。大腸で炎症を起こしているのだから、 魔法で原因になっている細菌を多少取り除けたとしても既に膿はあ るし魔法で多少免疫力が高まったところで勝手に回復なんてしない だろう。 まずいぞ、まずい。これは危機的な状況だ。ホーンドベアーに匹 敵する。いや、考えようによっては魔物なんかよりずっとやっかい だ。痛いわ、畜生。声も出せないくらいだ。脂汗が気持ち悪い。い やいや、汗かいて死ぬわけがないからどうでもいい。ああ、冷静に ものが考えられないくらい痛い。落ち着け。 整理しよう。 1.確実に虫垂炎を起こした。鑑定もしたしこれは間違いない。 2.前世でも俺は虫垂炎をやって手術によって治療した。 3.俺には前世も含めて手術した経験なんかあるわけない。 4.自衛隊の講義の衛生の授業で簡単な手術は習ったが銃創の処理 や出血に対する対症療法くらいだ。怪我を負った兵隊はモルヒネを 打ってさっさと後方に送るのだ。 5.今俺は一人。痛くて大声なんか出せない。出そうと思えば出せ るが、産み落とすのに数分かかっているし、その間に更に距離も離 れた。とても届きそうにない。 6.このまま放って置けばいずれ腹膜炎になり死に至る可能性が高 い。 602 7.動けることは動けるが今なら亀に負ける。 うん、まずいよね。 昔俺が虫垂炎を患ったのは小学生低学年の頃だった。ものすごく 痛くて泣き出したのを覚えている。病院に連れて行かれ局所麻酔で 手術をした。ものの10分程で手術は終わり、手術してくれた担当 医が切り取った虫垂を変な器具でぶら下げて見せてくれた。黄色く 膿のまとわりついた4∼5cmくらいの細長い物体だったような気 がする。1970年代でもあんな短時間で手術が出来るのだ。局所 麻酔は無いがここは一発腹をくくってやるしかないだろう。どうせ 何もしなくても死ぬのだ。いや、死なないかもしれない。でもやっ ぱり高確率で死ぬだろう。どっちだよ。そうだ、これはいつか訓練 しようとした状況だ。今まさにその状況を強制的に行うのだ。 思わぬところで自分の腹を割くことになった。地魔法で背をゆっ たりと起こせるような手術台をつくった。ああ、別段可動にしたわ けじゃなくて背もたれが異様に傾いたようなリクライニングシート みたいなものだ。昔読んだ有名な医者が主人公の漫画で自分自身を 手術する話を思い出す。確かあの時は鏡を使っていたが今はそんな ものは無いし、代用になるものもない。持ち物を確認しよう。 銃剣、でかすぎる。いらん。 ナイフ、こいつはメスの変わりに使えるだろう。確保。 プロテクター、邪魔にしかならん。ボツ。 服、上のシャツは汚いがなにかに使えるかもしれない。一応確保。 他には⋮⋮何も無い。 俺は簡易手術台︵?︶に寄りかかり何とか足以外のプロテクター を全部外し、服も脱いだ。ズボンも出来るだけ降ろした。縮み上が ったあまりにも粗末な物が見える。どうでもいいわ。 603 ナイフを取り出し刃に火魔法をかける。消毒だし百度くらいでい いだろう。次に水魔法で冷やす。魔法で出した水には雑菌なんかは いないと思うのでこれでいい。念のため治癒魔法をかける。ちょっ とだけマシになった気がする。よし、俺がやることを頭に叩き込ん でおかなきゃ。まず、右下腹を切り裂く。皮膚の下には筋肉層があ るので内臓まで傷つけないように筋肉も切り裂く。傷口に手を突っ 込んで⋮⋮ああ、手の消毒を忘れた。水で洗うくらいしか出来ん、 まあいい。手を突っ込んで大腸を探し当てる。多分太いだろうから 指で触ればわかるような気もする。出来ればそれを引き出す。出来 なければ指先だけの感覚で虫垂を捜すしかないから引き出したほう がいい。そして虫垂を切除。切除したら魔法で水を出して切り口を 洗う。その後大腸に治癒魔法。すぐに腹に戻して治癒魔法。 要するに炎症を起こした部分を切り取って単なる怪我にする。で、 治癒魔法をかける。万事OK。OKなもんかよ、糞が。これで駄目 なら治癒魔法をかけながらなんとか誤魔化して移動を続けるしかな い。だがそれだと結局は助からない可能性が高い。前世の俺の手術 痕は長さ5cmくらいだった。だがあれは傷口を見ながら指を突っ 込んで虫垂を切り取って切り取った跡を手術用の糸で縫い、切り口 を縫っただけだろう。今回はその倍は切らなければならないんじゃ ないか? 麻酔もなしで。 俺は適当な木の枝を咥え、マウスピースの代わりにすると、思い 切ってナイフを右下腹部の昔手術痕があった辺りにあてがい、力を 入れて少しだけ差込み、すっと引いた。 ﹁ふんごっ!!!﹂ ︵いってええええええええぇぇぇぇぇぇぇ!︶ 604 皮膚を切っただけだ。切った皮膚を左手で広げる。そしてまたそ の切り口にナイフを持って行き、また切る。釣った魚は前世から無 数に捌いている。俺の刃物使いは職人芸だぜ。うそ、涙がにじむ。 木の枝の脇からよだれが垂れる。ああ、鑑定忘れた。HPが減って いる。多少出血はあるが腕や足に思い切ってナイフを突き立てた時 ほどじゃない。あのあとシェーミ婆さんにチクられて親父にぶん殴 られたのは無駄じゃなかった。あんな馬鹿な真似をした甲斐もあっ たってもんだ。痛みに耐性がついたからな。ごめん、またうそ。も のすごく痛いよ。 ﹁ぐ、ぐぎぎぎぎ⋮⋮﹂ ︵痛い痛い、止めときゃよかったかな、畜生︶ なんとか10cmほどの切り口が出来た。多分このあたりだろう と適当に当たりをつけてナイフを傍の葉っぱの上に置き、左手で切 り口を拡げ、右手の指を突っ込む。自分の内臓を触るのなんか勿論 初めてだが、ここで躊躇しても仕方ない。思い切って指をぐりぐり 動かして奥のほうに進めると、すぐにぷるんとした触感の器官に当 たった。直径6∼7cmくらいで結構太い感じだ。あれ? 俺はて っきり小腸を掻き分けないと大腸まで辿り着かないと思っていた。 だが、この太さは小腸ではありえないだろう。そいつに指を当てな がらゆっくりと慎重に腹の中心部の方に向かって指をずらして行く。 切り口の終端ぎりぎりになって途切れる感じがする。 ああ、このあたりが終端で盲腸なんだろう。とするとこの終端に 虫垂がぶら下がっているはずだ。また慎重に指で腹の中を探る。す るとしぼんだ水風船のようなものがあることがわかった。HPはゆ っくりと減っておりそろそろ残り三分の二くらいだ。治癒魔法を掛 けたくなる心を抑え、そいつを腹の中にあるまま切り取れそうか確 認する。 605 うーん、出来ないことも無いだろうが、難しいな。他人のだった らまず問題なく出来そうだ。よだれが顎をつたって首、胸くらいま で垂れているのに初めて気がついた。痛みは物凄いが慣れて麻痺し たのだろうか、なんとかなりそうだ。 仕方ない、引き出すか。思い切って盲腸部分をつかみ引き出した。 引き出したと言っても、完全に腹から飛び出させているわけではな いぞ。切り口から少し出っ張っている程度だ。だが見える。これで 切除には充分だ。鑑定しても虫垂だけ光らせることは無理だろうし、 切り取ってからそのかけらを鑑定すれば正解だったかはすぐにわか る。 俺は震える右手をナイフに伸ばし、ナイフを包丁のように持つと 左手で虫垂を引っ張った。出来るだけ根元に近いあたりで一気に切 った。別段痛くは無かった、と思う。魔法を使うとき以上に極度に 集中していたからだろうか⋮⋮。まぁ今はどうでもいい。切り離し た虫垂候補を左手でぶら下げ目の前に持って来ると祈るように鑑定 した。 ︻虫垂︼ ︻普人族の大腸︼ ︻状態:炎症︼ ︻加工日:14/2/7440︼ ︻価値:0︼ ︻耐久値:0︼ ︻普人族の大腸を構成する一器官︼ ︻摂取すると虫垂炎を発症する可能性がある︼ 正解だ。ほっとして虫垂を投げ捨て、ナイフも傍に放り投げ急い 606 でむき出しのままの腸にちょろりと水魔法を掛け血と膿を洗い流す。 勿論腹に水が入らないように気をつけたつもりではあるが多少入っ てしまうことは避けられないし、毒じゃないから少しくらいはいい だろう。そして治癒魔法をかけながら腹に押し込んだ。連続して治 癒魔法を掛け、切り口も修復した。HPが元の値まで回復し、状態 も良好に戻り、一安心だ。 痛み自体は無くなったが、物凄い倦怠感と多少の吐き気はある。 吐き気は無視しても構わないだろうが、倦怠感はいかんともしがた く、もう暫くは動きたくない。どのくらいぼーっとしていただろう か。倦怠感はまだ重く体にのしかかっているが動けないほどでは無 いくらいまでは回復しただろう。うわっ俺、チ○コ丸出しだったわ。 結局シャツは使わなかったので思い切って全部脱ぎ、シャワーを浴 びた。その後風魔法で乾かしてから服を着てプロテクターを身に着 けた。ナイフを鞘に戻し、転がったままの銃剣を拾い上げる。 ゆっくりとした足取りでゴムの採取地へ向かう。うん、倦怠感は 依然として残っているが、歩けるし、どこも痛くない。手術痕もき れいに塞がり、前と見分けがつかないはずだ。垂れた血でズボンが 多少汚れているが、これはもうしょうがない。状態は良好のまま、 特に変化は無い。よし、俺は大きな危機を乗り切った。上手く乗り 切ったのだ。ついでに、兼ねてから目標の一つにしてきた自分の胴 体への治癒も行えた。やっと満足感が溢れてきた。 倦怠感と満足感で周囲に対する警戒が疎かになっていたのだろう。 また、自分を手術したことで血が漏れ、その臭いが撒き散らされた のだろうか。大仕事をやり遂げ、危地を脱した安心感ですっかり油 断していたのがまずかった。ふと気がつくと俺は六匹のコボルドの 集団に包囲されていた。 607 あー、くそ。何て馬鹿なんだろう。コボルドが相手とは言え、こ んな最悪な体調だと苦戦しそうだ。周囲にばらけているから魔法を 使うのも難しい。とりあえず一匹は魔法で始末しとくか。俺は﹃ラ イトニングボルト﹄の魔法を使い、左側に位置していた奴を一瞬で 殺した。すぐに銃剣を構え、戦闘態勢を整える。 正面から突っ込んできたコボルドの粗末な棍棒が俺を捉える前に そいつに銃剣を突き込み蹴っ飛ばすと同時に銃剣を右方向に抜くよ うにして銃床、と言うか石突を右側から寄って来たコボルドの鼻先 に叩き込み昏倒させる。そのまま右前方に走り抜け、包囲を脱した。 十数メートルを走り、くるりと振り返りざまに銃剣を振り回し追 ってきた三匹のコボルドを牽制する。倦怠感に疲労が重なり俺の顔 色はかなり悪いのだろう。きっとコボルドは俺のことを手負いの獲 物だと思っているのだ。ズボンの右腰のあたりに血もついているし な。 油断無く銃剣を構える俺の前方で三匹のコボルドは威嚇するよう に吠え声を立てる。うるせぇよ、犬野郎供。どうやら俺から見て左 端の奴がリーダーっぽい。残りの二匹に対して﹁オラ、行けよ﹂み たいな感じで吠え、握った棍棒でジェスチャーをしているようだ。 俺はこのリーダーをやれば残りの二匹は逃げると踏んだ。 いくら俺の攻撃魔法のいくつかは一秒とかからず発射できるとは 言っても距離が近すぎる。ここで使っても目標以外の奴から一発食 らう気がする。逃げながら使いたいところだが、あいにくとまだ走 りながらの魔法行使は出来ないのだ。もう少しで何か掴めそうな気 けしか もしているのだがな。この三匹は白兵戦で倒すしかないだろう。リ ーダーの安易な嗾けに乗ってくれるほど馬鹿では無いようで、残っ た二匹は俺を包囲すべくじりじりと右方向に流れていく。くっそ。 608 もう一度包囲が完成する前に戦場を移動しなければならない。包 囲されれば相手がコボルドでもこちらが不利だ。負けるとはさらさ ら思わないが、今日はもう痛い思いなんかしたくないのだ。包囲の 完成を待って適度にバラけたところをまた突破してみようか。運が よければそこでもう一匹くらい仕留められるだろうしそれがリーダ ーであれば言うことは無い。 俺は油断無くゆっくりと大きく息を吸い込む。いきなり真ん中の 奴が棍棒の構えを変えた。今だ! 俺は右側の奴を銃剣で牽制しな がら真ん中の奴と右側の奴の間をすり抜けようとした。今回は倒せ そうに無い。もっと走って距離を取ってから魔法で片をつけようと 目論んだのだ。 右側の奴を上手く牽制し、真ん中の奴の棍棒の振り回しを腰を落 とし、地を這うように回避する。そのまま一度前転し、勢いのまま 立ち上がると全力で駆け出した。結構走ったつもりだが、コボルド 達の息遣いと足音、吠え声が数メートルくらい後ろから聞こえてく る。ちっ、そういやこいつら犬だった。走るのと群れるのは得意っ てわけだ。 とっくに三匹を始末したあたりを通り過ぎ、既に虫垂炎の手術を したあたりまで戻ってきてしまった。うーん、このままマラソンを して村まで逃げても良い。普段通りの体調ならコボルドがこれ以上 スピードを上げなければそれも可能だろう。しかし、体に纏わりつ く倦怠感がそれを許しそうに無い。数分走った頃には俺は多少殴ら れても仕方ない、とコボルド三匹を相手取っての白兵戦の覚悟を決 めた。 俺は適当な木の幹の傍で振り返ると銃剣を振り回し、コボルドが 609 うかつに近寄れないようにした。確かにあの棍棒で殴られれば痛い だろうが、頭の急所にでも当たらない限りは一発昏倒はありえない だろう。頭には簡易的なゴムヘルメットを被っているがこれはまだ 試作品でラグビー選手が着けるような形のインナー部分だけしか装 備していない。まさに何も無いよりはまし、と言うところで頭にだ けは攻撃を食らわないようにしなければならない。覚悟を決め、適 当な相手に踊りかかろうとしたその時、俺の視界の隅、30mと離 れていないところに奴が映った。 ・・・・・・・・・ コボルドは三匹も健在で目の前にいる。余計な足手まといになり そうな人間が周囲にいないことだけが唯一前回と異なるところだが、 コンディションのことを考えると前回より分が悪いのではないか。 この距離ならあそこから一発咆哮をかましてコボルドを無力化して くれるほうが有難い位だ。そうすれば土で埋めるのは距離が近すぎ て無理だとしても一発くらいは魔法をぶち込めるだろう。 いや、コボルドにぶん殴られるのを覚悟して今からでもぶち込ん でやろう。俺は魔法を使うべく左手をホーンドベアーに向けた。コ ボルドが隙と見て俺に突っ込んでくる。 ﹁グオォォォォォォ!!﹂ 一瞬でコボルドが腰砕けになり、俺の前に倒れ伏した。俺は反射 的に体の硬直に備えたが、魔法はキャンセルされなかった。どうや 610 らあいつのレベルを超えたらしい。しょっちゅう狩に行っていた甲 斐があったと言う物だ。 左手から稲妻が迸り空気を引き裂くような音を立ててホーンドベ アーに届いた。俺の得意な魔法﹃ライトニングボルト﹄だ。さっき も使ったから知っているだろう? 電撃がホーンドベアーの体に纏 わりつく。これで奴の筋肉は収縮し、動きが鈍ったはずだ。次の魔 法﹃アイスジャベリンミサイル﹄を用意すべく再度魔力を練り上げ る。一秒くらいで電信柱を作り出しそれを加速のために後方に移動 させ⋮⋮確かに動きは鈍ったが期待したほどではない! もう10 mくらいしか距離は無い! あわてて魔法をキャンセルし、銃剣を構え直すがもう目と鼻の先 だ。奴は恐慌状態のコボルドの一匹を踏みつけながら接近してくる。 また俺に体当たりをかまそうと言うのか。それともその額の角で突 き上げるつもりか。 反射的に再度銃剣から左手を離し風魔法を使う。そう、風魔法だ けを使う。何かと組み合わせて使う訳ではないので発動まではほん の一瞬だ。毎日毎日伊達にゴムの乾燥をしていたわけじゃねぇ。俺 の左側、つまり木の幹と俺の体の間に圧縮された空気が発生し、爆 発的に膨張する。そのおかげで俺の体は右方向にずれる。しかし、 ぎりぎりでホーンドベアーの体当たりは俺の体を掠めることに成功 した。多分空気の膨張に巻き込まれてあいつも右にずれたんだろう。 俺のほうがより空気の発生点に近かったからずれる度合いが大きか っただけだ。 覚悟していたとは言え、いきなり大量の空気の膨張に晒された俺 の12歳の体は全身の骨がきしみを上げるほどの速度で右にずれな がら奴の左肩口に跳ね飛ばされた。また10メートル程を飛ばされ 611 ごろごろと地面に転がった。改良されているプロテクターとインナ ーヘッドギアのおかげで致命的な傷を負うことは無かったし、いつ かのように肺が押し潰されることも無かったが、それなりにダメー ジはあるだろう。奴もふらふらしているようだ。妙に落ち着いた俺 はさっさとHPだけでも回復しようと治癒魔法を掛けた。 うむ、さっきの手術の経験もあるのかも知れない。いつもと変わ らず一秒程で俺は回復できた。すぐに奴の脇腹目掛けて銃剣を構え て突進する。ずぶっという俺にとっては小気味いい音と共に銃剣は 奴の脇腹に刺さる。こいつはかなり重傷を与えられただろう。 俺はすぐさま銃剣を引き抜こうと力を込めるが、奴の筋肉が引き 締まったのか、先ほどの電撃で引き締まっているのか、抜けなかっ た。くっそ。ならばと蹴っ飛ばして足の力を借りて抜こうとしたが 奴は左腕を振り回してきた。こいつを喰らうわけにはいかん。仕方 なく銃剣から手を離し、飛び退った。同時に腰からナイフを抜くが、 ホーンドベアー相手にはいかにも心もとない武器だ。刃渡りは10 cmくらいしかないしな。ホーンドベアーは脇腹に銃剣を突き立て たまま、息を吸い込んだ。 今だ! 必ず来るであろう咆哮の際に銃剣を取り戻す! 果たし て咆哮は上がり、俺はその隙にナイフを捨て落とし、銃剣を取り戻 すことに成功していた。奴に表情があれば自分の咆哮が効果を及ぼ さないことに愕然としたはずだ。けっ、ざまぁ見やがれ。銃剣を取 ︼ り戻せたことで俺は更に落ち着き、鑑定をする余裕すら出来た。 ︻ ︻女性/11/1/7434・ホーンドベアー︼ ︻状態:切創︼ ︻年齢:6歳︼ 612 ︻レベル:8︼ ︻HP:69︵100︶ MP:2︵4︶︼ ︻筋力:24︼ ︻俊敏:10︼ ︻器用:5︼ ︻耐久:18︼ ︻特殊技能:咆哮︼ ふん、あの突きと最初の電撃で三分の一くらいはダメージを与え られたらしい。俺が銃剣を取り戻したことでこいつも多少用心深く なったようだ。一つ残っている右目で俺を睨みながらも低いうなり 声がその口から漏れ聞こえている。 おそらく、今俺が魔法を使おうと隙を見せれば奴は瞬時に飛び掛 り、魔法を喰らいながらもその体重でろくに動けない俺を押しつぶ すだろう。また、咆哮はもう効果がないことを学習していないのな ら俺のチャンスだ。学習していれば咆哮はもう使っては来ないだろ うから俺にチャンスは無い。 こいつと白兵戦か。小便をちびるくらい怖いはずなのに俺の心は 妙に落ち着いていた。回復魔法を瞬時にかけたり咆哮のタイミング を上手く読み、銃剣を取り戻せたことが自信に繋がったのだろう。 お互いに相手の目を睨みつけ隙をうかがう。 どのくらい時間が経ったのか解らないが、俺は銃剣を構えたまま、 奴は半身を起こしいつでも振り下ろせるように左腕を構えている。 右腕が地面に着いているので左腕を振り下ろさない限りは次の行動 に移れないだろう。じりじりと足をずらして距離を取るが奴は脇腹 の傷が気にならないのだろうか。あれから10ポイントほどHPが 減少している。 613 俺がそんなことを気にして微妙に視線をずらしたことに気がつい たのだろう。奴は全身をばねのようにして左腕を振り下ろしながら 飛び掛ってきた。上手く右側にかわしたつもりだったが俺の左腕に 奴の左腕の爪が当たる。肘に取り付けていたプロテクターが耐え切 れずゴムバンドをちぎりながら奴の爪にさらわれた。俺の体に直接 ジャンピングレフトフックが命中したわけではないが、左肘のプロ テクターが引きちぎられるのに引きずられて体勢も崩れてしまう。 丈夫なゴムバンドを引きちぎるほどのフックだ。体勢が崩れるのも 当然と言えば当然だ。 俺が体勢を崩している間に着地し、今度は右腕を振り回してきた。 まずい、クリーンヒットを貰ったらそれで大勢が決してしまうかも しれないし、当たり所によっては一発死亡も有り得る。必死に体勢 を立て直し、銃剣を盾のように構えようとしたものの、今度は左前 腕に喰らってしまった。 ﹁∼∼∼∼! 痛てぇ⋮⋮﹂ だが、籠手プロテクターに仕込まれている金属棒を超えて俺の左 腕に爪を叩き込むには至らなかった様だ。しかし、殴られた勢いは 強烈な物で、左腕には殆ど力が入らない。腕をもぎ取られたも同然 だ。奴は﹁ハッ、ハッ﹂とまるで大型犬のように息をして再度用心 深く身構えている。 このラウンドは奴に取られたようだが、次は見てろよ、糞野郎! 俺は動かない左腕は一時諦め、銃剣をしっかりと右脇に挟みこむ。 用心深く槍を構えているように見せながらその実、魔法の機会を窺 っていた。きっちりと銃剣が脇に挟み込まれたことを確信すると同 時に銃剣から右手を離し、再度単体の風魔法を俺と奴の間に発生さ 614 せる。 吹き飛ぶ俺だったが、覚悟の上だったし、奴には完全に不意打ち に近かったろう。風魔法に吹き飛ばされながら一瞬で治癒魔法をか け、銃剣を手に転がりながらもなんとか着地する。だが、距離は稼 げた。地魔法と風魔法を使って土煙を巻き上げる。そしてまたやつ の左脇から周り込むようにして銃剣を構えつつ吶喊する。 一時的な土煙と左目が潰れていることで俺を見失ったのだろう。 奴は立ち上がり両腕を振り回している。左腕を振り切ったタイミン グに合わせて銃剣を奴の左脇腹に突き込むことに成功した! 今度は突き刺さったまま抜けない等という無様を晒さないよう、 あまり奥まで突き刺すことはしなかった。すぐに抜き取り、また距 離を取って油断なく銃剣を構える。無理に攻めを継続する必要は無 い。既に奴は手負いなのだ。油断なく立ち回り、可能な時だけダメ ージを与えられればそれでいい。 また5m程の距離を置いてお互いに睨み合う展開となった。くっ そ。こっちは体調が悪いんだ。さっきはあんな格好いいことを考え たが、長期戦は嫌なんだよ。倦怠感はまだ残っているし、治癒魔法 をかけたとは言え、左腕は痺れが残っている感じで充分に動くとは 言い難い。 そうして睨み合ってからまたどの位の時間が経ったのだろうか。 既に俺は体中から脂汗を吹き出している。奴のHPもじりじりと失 われ、40ポイントを切った。俺は体調が悪いとは言え、傷は回復 しているし、奴も本音は退却したいのではなかろうか。だが、俺に 背を向けた途端に魔法で攻撃されることくらいは理解しているのだ ろう、油断なく俺の一挙手一投足を見逃すまいと睨みつけてくる。 615 その時、遠くから﹁アル∼∼!﹂という声が聞こえてきた。あれ は兄貴の声だ!! まさに天佑とはこのことか、俺はニヤっとした と思う。ドッ、ドッ、ドッ、と軍馬の力強い蹄の音が俺の後ろから 聞こえてくる。もう数十メートルくらいまで近づいているのだろう。 俺は、これで勝ちだ! と思い、突き出していた銃剣を少し引く ようにして突撃姿勢を取ろうとした。だが、そこが俺の油断だった のだ。数十メートルまで近づいたとは言え、ファーンはまだ戦場に 到着していない、俺を巻き込んだりすることを避けるため、魔法も 使えないだろう。俺はファーンが戦場に到着してから突撃姿勢を取 るべきだったのだ。 たぶん、本気で突撃するつもりがないことを見抜かれたのだろう、 銃剣を引き姿勢を変えようとしたその時、ホーンドベアーは一気に 俺に突進し、その腕を振るった。何とか爪を右肩のプロテクターで 受けられたものの、木っ端の様に吹き飛ばされ、左に生えていた木 にぶつかった。左腕からボキッだかバキッだかという嫌な音がし、 また左腕が使い物にならなくなった。余りの激痛に目の前が真っ赤 になった気さえした。 俺に一撃をくれたあと、ファーンが到着する寸前にホーンドベア ーはくるりと振り返り、退却していったのが見えた。そして、俺は 意識を失った。 616 第四十九話 再戦︵後書き︶ ちょっと今回の話は長いです。 あと数話で第一章も終わります。 617 第五十話 休暇 7440年2月15日 昨日ファーンに担ぎ込まれたらしいが気を失っていたため、ホー ンドベアーが退却し始めた以降の記憶がない。体を見回すと防具類 は外され、楽な格好になっていた。骨が砕けたはずの左腕も、ぶん 殴られた右肩にも外側から見た限りでは異常はない。鈍痛は残って いるが、魔法で傷を治癒させてもしばらくは完全にならないことは 判っているので、これはファーンが治癒魔法を掛けてくれたという ことだろう。 念のため右下腹も見てみるが、こちらも綺麗なもんだ。昨日大手 術︵俺にとっては、ね︶をしたとは思えないほどつるつるした若い 肌が見える。自分を鑑定してみても状態は良好であり、あれだけの 大怪我をしたにも拘らず、特に問題は見当たらないようだ。 腹が減ったので、ソニアに何か食べるものがあれば食べさせて貰 おう。母屋の食堂に入ると誰もいなかった。そうか、もうとっくに 朝飯の時間は終わり、いまは午前中の仕事だろう。ソニアは多分川 沿いで洗濯中だろうか。 ならば仕方ない今朝の飯は諦めて、倉庫兼作業場兼ねぐらに戻り、 装備を整えた後に魔法の修行にでも行こうかとしたとき、旧子供部 屋、現在は兄夫婦の寝室のドアが開き、ゼットとベッキーを両手に 抱いたシャーニと、シャルが顔を出した。 すぐにシャルは俺に気がつき、シャーニに何か言うと赤ん坊たち 618 をシャーニから受け取って俺に言う。 ﹁アル、気がついたのね。どこか体におかしいところはない? な ければあなたの食事があるから食べなさい﹂ 飯は用意されていたようだ。ありがたい。 俺はいそいそと食堂に戻ると自分の席についた。シャルも俺に続 いて食堂に入り、ゼットとベッキーを床に降ろすと厨房に行き、木 皿に盛られた俺のオートミールと鶏肉を焼いた料理を持って来てく れた。 腹が減っているのもあり、急いで礼を言うとオートミールの木皿 にスプーンを入れ食べ始める。シャルは先ほど床に降ろしたゼット とベッキーを抱き上げ、自分の席についた。その時、食堂にヘガー ド、ファーン、シャーニの三人が入ってきた。シャーニはヘガード とファーンを呼びに行ったのだろう。飯を食っている俺を見ると、 ファーンはほっとしたような表情で、シャーニはさっき俺に会った ばかりなのであからさまに表情が変わることはなく、ヘガードはな んだか難しい表情で、それぞれ所定の席についた。 何だ? 責められるんだろうか? 叱られるのか? びくびくし ながら食事を続けるが、特に何も言われることはなく、時間が過ぎ ていく。飯を食っているところを見つめられ、いたたまれなくなっ た俺は途中から食事をスピードアップさせ、さっさと食ってしまお うとした。 ﹁アル、あせって食べることはない。飯はゆっくり食え﹂ ヘガードがそう言うが、なんだよこの雰囲気。なんだか変な雰囲 気だし、そりゃ焦るわ。 619 ちょっとだけスピードを落とすが、もうあらかた食っているから じきに食い終わる。食堂には俺が飯を食う音と、赤ん坊達の声しか しない。矛盾しているがゆっくりと急ぎながら飯を片付けた。俺が 飯を食い終わるのを待っていたのだろう、ヘガードは口を開いた。 ﹁アル、体におかしいところはないな? ⋮⋮ならいい。お前、昨 日の事は覚えているか?﹂ ﹁最後にホーンドベアーを取り逃がしたところで気を失ったようで す。そこまでしか覚えていません﹂ ﹁そうか、ファーンが駆けつけてお前を治療してくれたんだ。⋮⋮ さて、アル。ここからが本番だ⋮⋮お前、二年位前、俺たちが戦に 出ている間にゴム採集の人間が六人も殺された事を覚えているか?﹂ え? そんな事あったっけ⋮⋮ああ、思い出した。 ﹁はい、当然です、忘れるわけがありません﹂ ﹁そうか、その後直接の被害は無いが、度々ホーンドベアーが見か けられていることは知っているな。昔はここらに番のホーンドベア ーがいたが、お前とミルーで倒して以降、あれが初めての被害らし い被害だった。その後はホーンドベアーが見かけられても争いも起 こらなかったから見逃していたが、今回の件で俺は腹を括った。山 狩りをしてあのホーンドベアーを始末する。お前、今回あいつに怪 我を負わせたか? 負わせたならどの程度の怪我か教えてくれ﹂ 何と! 山狩りか。焦って損した。 620 ﹁はい、怪我を負わせました。﹃ライトニングボルト﹄を一発と槍 で二突き入れました。そのうちの一突きは僕の槍の刃の根元近くま で差し込みました﹂ それを聞いてシャーニは吃驚したように言った。 ﹁えぇっ!? ホーンドベアーを子供だけで二匹も!? それに魔 法はともかく、槍を根元まで!? アル、あなた、凄いわ。ホーン ドベアーは皮膚がものすごく丈夫でなかなか傷つけられないのよ﹂ それを受けてヘガードが言った。 ﹁ああ、シャーニは知らないのか。アルの槍の穂先はファーンの剣 の原型といってもいい上等なものだ。あの槍なら可能だろう﹂ お、俺の腕は⋮⋮?。 ﹁あの槍とアルの槍の腕があってこそだな﹂ おお、あにきぃ。ナイスフォロー。 シャーニは感心したように言う。 ﹁なるほどねぇ。確かに槍を使ったときのアルの強さは尋常じゃな いわね。そこに加えてあの剣のような槍があれば出来るのかぁ﹂ シャーニが続けて言うにはホーンドベアーは番などの複数ならウ ェブドスの騎士団にもたまに退治の依頼が入るくらいの大物といっ て良いくらいの強さを誇る魔物らしい。それを数年前の俺とミルー で二匹も一気に倒し、今回も最終的には気絶してしまったとは言え、 たった一人で大きな手傷を負わせたのは騎士団であれば大手柄なの 621 だそうだ。普通は30人もの騎士と70人の従士という、騎士団総 出で狩りを行うくらいの魔物らしいのだが、これは騎士団の被害を 可能な限り抑えるためという側面もあるようだ。ヘガードもシャル と二人で昔ホーンドベアーを殺したことがあると言って張り合った りしているが、そんな可愛い意地の張り合いはどうでもいいと、シ ャルがぴしゃっと収めてしまった。 ﹁とにかく、山狩りをする。俺たちと従士全員だ。何か意見はある か?﹂ ヘガードがまとめに入った。 ⋮⋮言うべきだろうか? いや、言わねばなるまい。 ﹁山狩りはわかりました。ですが、メンバーはそんなにはいりませ ん。父さんと母さん、兄さん、それにベックウィズとショーンと僕、 あと、従士ではありませんが狩人のザッカリーとウインリーです。 ほかの従士達と義姉さんは遠慮してください﹂ 本当はミュンも付け加えたいところだ。だが、ミュンはさすがに まずいだろう。ミュンの養父のダングルもレベルは10に近い9な ので資格はあるが、60を超えている。老人は流石にな⋮⋮。例の ホーンドベアーのレベルは8。8以下のレベルの人間は咆哮一発で 恐慌だ。兄貴はつい先日レベルが上昇して8になっている。8以下 ではあるので恐慌の影響はあるだろうが昔の俺やミルーのようにM Pが多いからせいぜい1秒くらいの硬直で済むだろう。 それを聞いてシャーニの眉がぴくりと反応した。 ヘガードとシャルは顔を見合わせてから俺を見た。 ファーンはじっと俺を見つめている。 622 ﹁父さんと母さんはホーンドベアーと戦ったのは一回だけですよね ? その時、ホーンドベアーは大きな吼え声を上げましたか? ⋮ ⋮あげてないですよね。ええ、以前聞きましたね。これは過去にホ ーンドベアーと戦ったことのある人に聞いてもらえばすぐにわかる ことですが、あの吼え声を聞くと恐怖のあまり体の自由が利かなく なります。魔力が多ければさほどの影響を受けないこともわかって います。これは僕と姉さんが以前ホーンドベアーと戦ったときに証 すべ 明されています。ですが、魔力量のほかに唯一あの吼え声に対抗す る術があります。それは経験です﹂ 皆が俺に注目している。 ﹁ホーンドベアーと戦った経験、という訳ではありませんが、経験 を積み身体や技が成長することに加えて、ホーンドベアーとの戦闘 経験が物を言うのです﹂ 俺は全員を見回しながら言葉を継いだ。 ﹁義姉さんはまだ体も本調子ではないでしょう? 今回はどうか僕 たちに任せて貰えませんか?﹂ 嘘ばかり並べ立てたが、本当の事は言えないし、まるきり嘘とい うわけでもない。 ・・・・・・・・・ 623 7440年4月1日 あれから一月半が過ぎた。例のホーンドベアーは現れない。あの 時、俺は奴に合計してHPで70近いダメージを与えたはずだ。鑑 定によるHPの解説から考えると、安静にして二ヶ月以上を過ごさ なければ回復しない筈だ。出て来たくても出て来れないのだろう。 今頃は巣穴に篭ってじっと回復を待っているのではないだろうか。 オースの熊類が冬眠するかどうかは知らないが、ある程度地球の 熊の性質も残しているのであれば飲まず食わずでも数ヶ月は耐えら れそうだ。だが、体はボロボロだろうし、能力値もかなり落ち込ん でいるだろう。本音を言えばそろそろ発見し、弱っているところに 襲撃を掛けて一気に倒したいがそうそう巣穴を見つけることなど出 来はしないだろう。 こうして一月以上に及んだ山狩りは無駄になった。 あ、そうそう、この日、ミュンにも子供が生まれた。子供が生ま れたときに、将来何かの助けにでもなれば良いと思って昔ミュンか ら譲って貰った千本を再現して再びミュンにプレゼントした。子供 が生まれたお祝いで武器を贈るのもいかがなものかとも思ったが、 他に適当なものを思いつかなかったのだ。ミュンの子供は男の子で アイラードと名づけられた。俺と同じアルかよ。ゼットとベッキー とは数ヶ月違いなだけのほぼ同い年だ。いい幼馴染になるだろう。 ・・・・・・・・・ 624 7442年1月14日 来月の今日、俺は14歳になる。レベルはもう少しで10に届き そうだ。おそらくあと1回狩りに行くか、数日も一生懸命剣の稽古 をすればレベルが上がるだろう。あと経験値で100くらいだし。 あれ以来ホーンドベアーは見掛けられてはいなかったが、極稀に食 い残された白毛鹿の死体が発見されたり、新しい傷のついた木が発 見されたりしているのでまだ生きていることは確かだ。 しかし、ゴム採集の人足やその護衛たちは一度もホーンドベアー の被害を受けていないばかりか、その姿を見掛ける事もなかった。 そのため、あの時に相当痛い目にあっているので人間の匂いを感じ たら逃げていっているのだろうと考えられていた。そういうものだ ろうか。 去年のシャーニの誕生日にファーンと同じような剣を贈り、ヘガ ードにも誕生日に剣を贈った。シャルにはレイピアと言うらしい細 い剣を贈った。全員が大喜びしてくれた。義姉に薦められて一本だ け販売用にとちょっと凝った意匠の鞘も作ってウェブドス商会に預 けてみたところ、想像以上の物凄い値で売れたようだ。鑑定では︻ 価値:900000︼くらいだったかな? 売れた後で受け取った 代金は何と700万ゼニーだった。いろいろなものを鑑定していた ので、鑑定の価値はだいたい十倍すればゼニーと同等になることは 判っていたが、剣がこれほど高く売れるとは思わなかった。ウェブ ドス商会は一体幾らで売ったのだろうか。 俺はいままで稽古のときには木剣を使っており、護衛などの時に は銃剣しか使っていなかったので実剣を用意していなかったのだが、 625 つい先日俺の剣も作った。こう言っちゃ何だが、結構良い感じだ。 専用の木銃もエボナイトで作り、剣の先端30cmくらいが銃の先 から飛び出すような感じに仕上げた。剣の柄とそこから飛び出した 鍔で木銃に固定できるようにしている。木銃にレールみたいな溝を 作り、その中に剣を入れ、先端にはエボナイトで作った鞘をかぶせ る。 レール部に二箇所固定用のラッチを作れば多少がたつきはするが、 中に収められた剣の刃によって手が傷つくこともないし、充分に使 い物になることは確認した。二箇所のラッチを跳ね上げ、木銃の本 来機関部のあたりに鍔があるのでそれを持って外せばすぐに長剣と しても使うことが出来る、俺的に便利設計だ。 ラテックス なお、バークッド村の経営は順調だった。ゴム畑は増え、今では ゴム畑だけで1000本ものゴムノキが育っており、そのうち樹液 の採取出来る物は300本程になっている。従士の家族もゴム製品 の専業を一家族増やし、今ではもともとのリョーグ家と新たにドン ネオル家も加えた二家族で生産している。彼らの管理していた畑と 農奴はそれぞれ公平に別の従士の家庭に割り振られた。 限定生産のウォーターベッドは大人気で月産3つだけということ も手伝って3年後まで予約で埋まっている。一つで馬一頭が買える 程の700万ゼニーという価格にも拘らずだ。噂によるとロンベル トの王家も使っているらしい。一体ウェブドス商会はいくらで売っ ているのか気になるところではあるが、そこは代理店のおいしい部 分だし仕方ないだろう。 他のゴム製品ではゼットとベッキーの為に作った哺乳瓶が人気に なった。もともとガラス瓶は存在しているので硬質ゴムとコンドー ムの出来損ないのようなものだけで作れるから大してゴムは使わな 626 い。魔法が一般的なので水魔法と火魔法さえ使える人間が傍にいれ ば氷を出して数日くらいであれば母乳を保存することは都会の貴族 の間では行われていたらしい。そういった層からじわじわと売れ出 し、もともとそう高い価格を設定していなかったこともあって今で は月産500個のヒット商品になっている。 また、俺が昔我侭を言って購入した牝牛はすぐに乳を出さなくな り、いろいろ原因を考えた結果、子牛を生んだ後だいたい一年間く らいで乳が出なくなることがわかり、牡牛も購入してもらった。夜 中に牛が産気づいたとき、例のこの世界の信仰というか、文化のせ いで誰も手伝わないのでこっそりと厩舎に忍び込み、母牛から出始 めた子牛を引っ張り出したのは内緒だ。その子牛もすぐに大きくな り、今は二頭目が腹にいる。牛乳はたくさん出すようになった。め でたしめでたし。 牛以外ではファーンとシャーニに騎乗を教えて貰った。まだ乗っ て移動するくらいしか出来ないが、充分だろう。馬上戦闘は体重の 掛け方や、鐙上での踏ん張りにコツがあるらしく俺にはまだ出来そ うに無い。魔法は馬を駆けさせたりしなければ使えるけどね。 ランニングは相変わらず続けている。最近はいい感じで、まぐれ で魔法が使えることもある。剣の稽古中にも試してみたが、こちら でも魔法の発動寸前までは度々成功しているので継続して続ければ 近いうちに出来るようになるのではないだろうか。 次は甥と姪の件だ、ゼットとベッキーはすくすくと育っており、 騒がしいままだ。健康に育っている証拠だろう。まだ魔法の修行に は早いので︵多分説明しても理解できないだろう。おそらくミルー が修行を始めた5歳くらいまでは魔法の概念すら理解できないだろ うから修行はしていない︶遊ばせているが今が一番手のかかる時期 627 で、同時に一番可愛い盛りだろう。 そんな時だ、夕方皆で飯を食っていると。扉が開いた音がする。 誰か来たにしては声も掛けないので変だな、と思い、皆が顔を合わ せたのだが、メイドのソニアが対応しようと食堂から出て行ったよ うだ。すぐにソニアの声が聞こえた。 ﹁まぁ! ミルハイア様!﹂ なんだって!? ソニアの声を聞いて全員吃驚しているところに入ってきたのは果 くび たしてミルーだった。満面の笑みを浮かべるミルーに対して、親父 を始め全員声も出ない。まさか、第一騎士団を馘首になったのか? すると、ミルーは手に持っていた剣を柄を上に鞘ごと立て、剣の 柄の上に左手を置き、右手は鞘を掴んだ。手は丁度胸の前あたりに ある。そして、直立不動になり、朗々とした声で言った。 ﹁ロンベルト王国第一騎士団、第五位階第九位、騎士ミルハイア・ グリード、ロンベルト王国第二十二代国王トーマス・ロンベルト三 世陛下より騎士の叙任を受け、王国第一騎士団団長、ロッドテリー・ ローガン卿の許しを得て休暇により帰参致しました﹂ よくつっかえずに言えたな。しかし、今、騎士の叙任と言ったの か!? 俺も含めて突然のことに全員ぽかんと口を開けている。ゼ ットとベッキーだけが何やら騒いでいるが。 俺たちが何も言えずにいた時間はせいぜい十秒くらいだろうが、 すぐにミルーの後ろからソニアが現れると、ミルーは気がついたよ うに言った。 628 ﹁客間は空いていますか? 私の従士が護衛に二人ついてきており ます。その者たちに部屋を用意してやりたいのですが﹂ あんですと? 従士? 護衛だと? なんとかファーンが気を取り直したのだろう、それに答えた。 ﹁ああ、客間は空いているし、ベッドも二つある⋮⋮。案内したほ うがいいか? それと、彼らの食事はどうする?﹂ ﹁ああ、案内は結構です。私が案内します。食事については頂ける と嬉しいです﹂ 本当にミルーか? ミルーは間違ってもこんな喋り方はしなかっ たはずだ。 そう言うとミルーっぽい人は振り返り食堂を出て行った。 シャーニがおずおずとした感じで言う。 ﹁あの、今のはミルーよね?﹂ うん、俺もそう思った。だから、 ﹁よく似た他人、と言う可能性もあ﹁騎士だって!?﹂ ヘガードが折角の俺の冗談を大声で遮った。別にいいけどさ。 ﹁そう言っていたわね⋮⋮﹂ シャルもヘガードの言葉を継いで言った。 いち早く気を取り直したファーンが信じられない、という感じで 629 言う。 ﹁まだ三年かそこらしか経っていないぞ、あいつは三年もしないで 第一騎士団の正騎士になったのか?﹂ それは皆の総意を代表する言葉だったろう。 ほぼ三年ぶりに見るミルーは髪は伸ばしていなかったが美しく成 長し、すっかり大人のようだ。もう18近い筈だ。表情もきりりと 引き締まり凛々しさすら感じさせた。 ﹁でも、十代で第一騎士団の騎士の叙任を受けるなんて滅多にない ことなんでしょ? 姉ちゃんは凄いなぁ﹂ 俺がそう言った時、また食堂の扉が開いた。ミルーの他に二人入 ってきた。食堂は満員に近い。ミルーは彼らの横に立つと口を開い た。 ﹁紹介します。従士コンラート・アムゼルと従士ユーリ・グロホレ ツです﹂ 紹介された二人の男は両方共二十代前半から二十代半ばに見える。 へガードとシャルが立ち上がったので俺たちも慌てて立ち上がり、 自己紹介をする。紹介が終わるとミルーは彼らを客間に案内した。 俺たちはミルーが戻ってくるまで立ちっぱなしのままだった。 食堂に戻って来たミルーはソニアに彼らの食事の用意を頼むと自 分の椅子が無いことに気づいたようで、こっちを見た。 何故俺を見る。 ちぇっ、仕方ないなぁ。 630 ﹁これは気づきませんで申し訳ありません、姉上、ささっ、どうぞ おかけ下さい﹂ はた と言って俺が座っていた椅子の埃を払うようにしていると後頭部 を叩かれた。 なんだよ、もう。 ﹁あと、馬を繋ぎたいの。厩舎に空きはまだあるようだけど、空い ている馬房に入れていいかしら? アルお願いね。今は柵に繋いで いるの﹂ はいはい、行ってきますよ。 俺はこれ以上被害を被らないうちにさっさと馬を馬房に入れに行 った。 631 第五十話 休暇︵後書き︶ アルの剣のデータです。 ︻ロングソード︼ ︻鍛造特殊鋼︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:10/1/7442︼ ︻価値:1081000︼ ︻耐久:4810︼ ︻性能:134−204︼ ︻効果:無し︼ 632 第五十一話 習得 7442年1月14日夜 いきなり帰って来たミルーは、帰還の理由を﹁ある意味で正騎士 に叙任したご褒美﹂と説明した。第一騎士団は所属自体名誉だし、 ましてそこで正騎士の叙任を受けたなどといったら出身地では最高 の誉れに近い。そういったことから、第一騎士団では正騎士の叙任 を受けた直後にだいたい一月半くらいの休暇を与えられるそうだ。 ウェブドスの騎士団では構成員の殆どが領内出身者で占められてい るのでそんな制度はなかった。だから、そんな気の利いた制度があ るなんて当家の誰も知らなかった。 また、騎士の叙任を受け、正騎士となった団員は団を離れて行動 する際には必ず従士が護衛としてつけられるらしい。何十年だか何 百年だかわからないほど昔、団を離れて単独行動をした騎士が多数 の野盗に襲われて落命し、騎士団の紋章の入った装備品とともに打 ち捨てられていたという、非常に不名誉な事件があったことが護衛 をつける習慣につながったらしいが、それ以上の集団に襲われたら 意味ねぇじゃねぇか、と思ったが大人なので黙っていた。多分、護 衛をつけることで襲う側の心理や数に制限をかけたいというのが本 音の部分だろうしな。 護衛を伴ったものものしい帰還の理由についてミルーは説明を終 えると、ついに本題に触れた。そうだ。何故ミルーがこんなに早く 正騎士になれたのか? 勿論誰もミルーが見栄を張って嘘をついて いるなんて思っていやしないが、念のため従者にもお茶を振舞うと いう口実で食事の後に食堂へ来て欲しいとソニアに言付けた。うん、 633 ミルーが勘違いしている可能性も否定できないしな。 俺が馬を厩舎の馬房に入れて食堂に戻って来たら、こんなことを 話していた。従者二人と俺の分の椅子を追加で三つ用意し、食卓は 本当にギリギリになった。食事を終え、食卓に現れた従士達にお茶 を勧めて長旅をねぎらうと、恐る恐るといった風にヘガードはミル ーの話の裏づけを取るべく確認した。従士達は非常に礼儀正しく、 話をすべて肯定したばかりか、ある程度詳しい事情まで説明してく れた。ちなみに、従士達が食堂に現れてからミルーの口調は登場時 のものに戻っており、ミルーとは思えないほどしっかりとした丁寧 な喋り方になっていた。 従士達が説明してくれたミルーについての話はどれもこれも信じ がたく、だんだんと全員の顔に困惑の表情が浮かびはじめた。困惑 しなかったのはミルーとの付き合いの浅かったシャーニ義姉さんと 甥と姪くらいだ。ちなみに今は甥のゼットも姪のベッキーもミルー の両腕に抱えられている。もうすでにかなり大きくなっているから 一時的ならともかく、抱えたままというのは辛いのではないだろう か。別にいいけど。 ひととなり 従士の二人はミルーの為人や、騎士団での評価などを話している うちに我々が困惑の表情を浮かべ始めたことに気づいたのだろう﹁ 何か腑に落ちない内容がございましたか?﹂とヘガードに伺いを立 てるものの、ヘガードは﹁あ、いや﹂とか﹁う、いや﹂とか言葉に 詰まっていてまともな返事を返さないので説明は続けられた。 控えめに言っても彼らのミルーの評価は非常に高かった。俺は彼 らのほうがミルーより明らかに年上であることと、従士の一人はミ ルーの先輩でもあるらしいことに疑問を持った。何故彼らはミルー に対して嫉妬の感情をかけらも表さないのだろうか。従士とは言え 634 ひとかど 第一騎士団に所属している限りは彼らも元々は騎士だったはずだ。 それも一角の。当然、自信やプライドもあるはずだろう。それがこ んなぽっと出の田舎の小娘に抜かされたのだ。悔しいと思いこそす れ、高評価を与えるようなものではないのではないか? 俺の中で疑念が高まっていく。よほど口を挟んでやろうか、と思 い始めた頃に従士達の話は終わった。簡単に話をまとめると、 ・入団試験での実技成績は飛び抜けたものではなかった。だが、魔 術行使のスピードが尋常なものでは無く、且つ複数の魔術を行使で きることが確認されたため合格となった。 うん、これはいい。納得できる。他の家族たちもここまでは頷い ていた。良く知らなかったシャーニ義姉さんだけが少し吃驚した位 だ。逆に驚かない俺たちについて従士達は拍子抜けのような表情を 浮かべていた。 ・最下位の従士︵第六位階第五位と言うらしい︶からスタートし、 元騎士であった他の同期の従士達より頭ひとつ抜きん出ていると判 断されるにはさほどの時間はいらず、僅か一ヶ月ほどで第六位階第 四位となった。 皆良く解らないのでそれを代表してだろうか、ファーンが﹁普通 はどの位の期間で位が上がるのか﹂と質問した。従士達は﹁通常三 ヶ月ほどです﹂と答えた。何故こんなに早く昇進の判断がなされた のだろう? 皆の疑問を代表してシャルが﹁なにか基準があるのか﹂ と尋ねたところ、﹁第六位階第三位までは毎月希望者に対して行わ れる試験に合格すれば昇進できる﹂との返答だった。 昇進試験としては初回になる第四位挑戦の試験内容は騎士の心得 635 と座学で学んだ内容から出題されるペーパーテストらしい。この時 点でまた全員が困惑に包まれる。勿論シャーニ義姉さんもだ。実技 なら兎も角、ペーパーテストによって試される、心構えだとか知識 についてミルーがまともに答えられる訳など無い、と思っていたの だ。 ところが、従士の一人︵面倒だ、これから名前で呼ぶわ。こいつ は従士グロホレツだ︶が﹁試験は必ず座学の範囲から出題されます。 グリード卿は座学でも非常に優秀でした。典範の内容はおろか座学 のテキストの内容について第四位までの内容を全て一月でそらんじ てしまわれました。勿論、最終的には出来る様にならねばなりませ んが、一月間でというのはなかなか出来る事ではありません。しか しながら、実際には出来るのでしょうね。過去にも同様の例は幾つ もあります﹂と答えるに及んで、皆からため息が漏れた。 俺はここまではまぁ納得できる。普通の騎士が三ヶ月かけて暗記 するような内容を一月で、というのは一見難しそうだが、丸暗記な らそれが得意であれば充分に可能だろうと思ったからだ。前世にも 理解は兎も角、丸暗記だけなら大得意なんて奴は多くは無かったが、 それほど珍しくなかったしな。俺個人の考えだが、暗記しなければ ならない量自体も大した量ではなかったのではないだろうか。この オースだと幾らなんでも前世の受験生より覚えなければならないこ とは圧倒的に少ないはずだ。ミルーは若いし、歳を食ったほかの従 士たちよりは暗記は得意だろう。 ・その後夏前には第六位階第三位の試験にも合格し、更に昇進した。 これは第四位の試験突破者でも早い方ではあるがそれほど異常で もないらしい。要は暗記範囲が増えただけだからだ。ここまでは多 少早いがいなくはないし、頭がよければ別段驚くには値しない。オ 636 ースでは頭がいい、というのには暗記能力が高いという意味が多分 に含まれる。だが、次からはそうも行かない筈だが? ・その後一月で第六位階第二位の試験に合格した。この時点で騎士 団関係者から注目を浴び始める。 第二位の試験から実技が入る筈だ。今までの説明からそう推測で きる。だいたい、ミルーは馬に乗ったことも無いはずだ。二月の半 ばに入団し、恐らく三月の半ばには第四位、夏前と言うからには六 月くらいには第三位になっている。そして七月か八月頭くらいに第 二位だと? 入団して半年かそこらで可能なのか? 今度は従士アムゼルが答えた。 ﹁第二位の試験は総合的なものです。今までの試験内容に加えて戦 闘試験が行われます。現役の騎士を相手に20人連続で相手取り模 擬戦を行います。各模擬戦の勝敗は評価には影響しないと言われて おりますが、今まで全勝したという記録はありません。グリード卿 は騎士団の記録上初めて全勝しました﹂ な、なんだって!? いやいや、嘘くせぇ。俺も最近では銃剣を 使えば負けはしないだろうが、20戦を連続でなんてやったら多分 5∼6人目くらいで負け始める自信がある。多分10人目くらいか らは全敗だ。威張れることではないが当たり前じゃねぇの? 他の 皆も俺と似たり寄ったりの事を考えたのだろう、疑念のこもった目 で彼を見た。 ﹁いえいえ、嘘でありません。あ、皆さんはグリード卿の魔法の技 量を良くご存じではないのでしょうか? グリード卿は魔法と魔術 において比類ない程の実力者です。それがこの試験で改めて確認さ 637 れたのに過ぎません﹂ ま、まさか、攻撃魔法を使ったのか? 生身の騎士相手に? あ の無茶な﹃ファイアーボール﹄とか? 殺しちまうぞ。俺と両親は 戦慄したように青い顔をしたが、ミルーのまともな攻撃魔法につい てあまり見たことの無い兄夫婦はしたりと頷いている。シャーニ義 姉さんもミルーの魔法の技量が優れていることについて理解し、納 得したのだろう。だが義姉さん、その理解は充分ではないよ。とに かく、従士アムゼルの言葉は続いた。 ﹁グリード卿は最初の数人は馬を狙い炎を出して馬が怯んだ隙を狙 って脚に﹃フレイムアローミサイル﹄を撃ち込んで転ばせました。 模擬戦で騎乗していた場合、落馬の時点で負けです。その後は誰も 騎乗しませんでした。グリード卿も相手が騎乗しないのを見て馬か ら降りました。その後は﹃フレイムアローミサイル﹄の魔術で最初 に一撃を加え、それで怯んだ相手には二撃目の魔術で勝ちを得まし た。 白兵戦だと攻撃が二回、明らかに命中した時点かどちらかが降参 した時点で勝敗はつきます。怯まない相手にはわき目も振らずに距 離を取り、再度﹃フレイムアローミサイル﹄の魔術を命中させ勝ち をもぎ取りました。勿論、騎士団にも魔術を使える程魔法の技能が 優れた騎士も何人かはおります。 彼らを相手にする場合はもっと簡単でした。相手が魔術を使うと きにはその発動よりも早くグリード卿の魔術が相手に命中するので すから。恐らく騎士団内部にはグリード卿より早く魔術を発動させ られる団員はおりません。ですから、相手が魔術を使うのを確認し た後に動けない相手に対して先に魔術を確実に当てられます。その 時点で相手の魔術は発動を阻まれます。 638 その後は同様に距離を取って確実に当てられる﹃フレイムアロー ミサイル﹄の魔術で勝負をつけました。こうして十人以上の騎士と 四頭の馬に傷を負わせて勝ちました。最後の五人は異例にも各中隊 長と副騎士団長と騎士団長です。彼らは全員魔法が使えます。中に は風魔法で自分を弾き飛ばすことすら厭わない剛の者すらいらっし ゃいます。 しかし、グリード卿は﹃フレイムアローミサイル﹄の魔術を使っ たと見せかけて防御態勢を固める相手に﹃フレイムアローミサイル﹄ ではなく、無誘導の﹃フレイムアロー﹄を撃ち放ったまま即座に走 り込んで切り付けるという強引な手法で勝ちました。今まで攻撃の 魔術は﹃フレイムアローミサイル﹄しか使っていなかったので、誘 導中は動けないと踏んでいた相手の意表をつく勝ち方でした。 更には﹃フレイムアロー﹄だけでなく、小さな﹃ファイアーボー ル﹄すら使い、その爆発範囲に巻き込んだり、魔法を使わないと見 せかけて近寄ってきた所にいきなり﹃フレイムスロウワー﹄でダメ ージを与え、距離を取ったところに﹃フレイムアローミサイル﹄で 止めを刺したりしていました。風魔法を使う相手には開始直後に自 分の前に土山を出し、突っ込んで来るのを読み勝ったりもしておら れました。 副騎士団長には模擬戦では初めて火魔法だけでなく﹃アイスコー ン﹄を使ってダメージを与えると共に氷の粒を舞い散らせて視界を 塞いだ瞬間に魔術の維持をやめ、氷の粒がまだ舞い散っている僅か な時間で死角に回り切り付けて勝利しました。最後に騎士団長が相 手をしたときには全員がグリード卿に全力を出させていなかったこ とを悟りました。 639 開始の瞬間、氷魔法を大規模に使い騎士団長を氷漬けにしました。 範囲が広すぎて回避のしようが無かったと思います。恐らく5m四 方は氷漬けになったと思います。放って置けば確実に団長は窒息し ますのでその瞬間に勝負は決しました。グリード卿はすぐに氷を水 にして団長を救い出しました。そして傷を負った騎士達や馬に治癒 魔法をかけたのです﹂ 従士アムゼルは自分で話しながら興奮してきたのだろう。その顔 は少し紅潮し額には汗すら浮かんでいた。確かに﹃フレイムアロー ミサイル﹄の魔法は威力を絞ればMPを7しか使わない。どうもミ ルーは省エネで戦ったようで、20人を連続で相手取っても使った MPは200も無いだろう。その後の治癒魔法だって充分に大丈夫 だったはずだ。だが⋮⋮。いや、今はいい。 従士グロホレツが後を継いで言う。 ﹁当然試験は誰も文句がつけようも無く合格です。何しろグリード 卿に攻撃を当てることに成功した騎士すらいなかったのですから。 つまり、複数なら兎も角、一対一でグリード卿に勝利できる騎士は いまの第一騎士団には居りません。その後は大騒ぎでした。魔術の 技量が優れていることは皆ある程度知っていましたが、これほどの 使い手とは思ってもいませんでした。 その技量は充分に魔術師と呼ぶにふさわしく、王国の筆頭宮廷魔 術師のダースライン侯爵をすら技量・魔力量ともに上回るだろうと 団長は仰っておられました。確かに剣の技量はまだまだでしょうが、 グリード卿はまだお若く、現役の騎士では最年少です。これからい くらでも修練出来るはずですし、まだまだとは申し上げましたが、 我等第一騎士団の訓練にしっかりと付いて来ておられます。並みの 騎士よりは腕も立ちます﹂ 640 手放しのベタ褒めじゃねぇか。これじゃあ幾ら年上だとか先輩だ とか言ってもミルーの下風に立つのも良しとするしかないだろう。 従士アムゼルは ﹁その後、やはりダースライン侯爵が騎士団までおいでになり、グ リード卿の魔術の技量を見たいと仰せになられましたが、団長も引 抜を警戒したのでしょう、きっぱりと断られておいででした。その おかげで我々も希代の天才魔術師のご指導を賜れております。こん なに嬉しいことはございません﹂ と言って説明を終わらせた。 俺とファーンは顔を見合わせるとミルーの顔を見つめた。それに 気づいたミルーは少し恥ずかしそうに俯き、ゼットとベッキーをあ やしている。え? なんだこれ? 第六位階第一位の試験を受験するには第二位で最低一年間の経験 が必要になるらしい。だが、一年が経過したときミルーは実技は剣 と乗馬だけになり、模擬戦は免除された。あとは面接で合格になっ たそうだ。従士のうちは乗馬の試験もあまり厳しい内容ではないら しい。本来従士は馬に乗れないからな。ミルーはそこでも決して奢 ることなく謙虚な態度を崩さずにいて、騎士団の面々からも好感を 持たれているとのことだ。 そして、第六位階第一位の従士からは実戦への随行が言い渡され る。当然ながら第一騎士団の従士は第五位だろうと騎士としての優 れた実力を備えてはいるが、第一騎士団の所属として充分な働きを する、というのは第一位の従士からなのだそうだ。なにそのエリー 641 ト志向。レンジャー持ち以外は人にあらずで展示降下に参加させて くれないという噂の習志野第一空挺団かよ。 昨年、ミルーは二つの紛争に参加したらしい。年の頭と年末だ。 紛争の頻度を考えると二戦連続参加ということになる。そして魔法 で活躍したとのことだ。ゴムプロテクターをしていることから﹁黒 い魔女﹂と呼ばれたとか呼ばれないとか。なんだそれ、三流の悪役 か。ミルーは困ったように笑っていた。 その活躍を受け、年末の紛争終了時に騎士団長の推薦を受けて正 騎士の叙任となったそうだ。そして、故郷に錦を飾るべく、休暇を 貰えたということだ。いささか長くなったが俺達の知らないミルー の一面を知れたのは良かった。俺達は疲れているところに説明をさ せてしまった二人の従士に礼を述べ、今日は休むことにした。 ミルーは部屋が無いので俺の部屋で一緒に寝ることになった。仕 方ないのでウォーターベッドをミルーに譲り、俺は土間になってい るが、床にゴムシートを敷いて寝ようとしたら、ミルーに一緒に寝 しき ようと言われたのでお言葉に甘えることにした。狭くて寝辛かった が、ミルーは頻りとウォーターベッドに感心していた。王都でもゴ ム製のウォーターベッドについては最近噂が出回っているらしく、 存在は知っていたようだが、使ったことは無かったそうだ。仕方な いので、 ﹁姉ちゃんは水魔法も使えるから問題ないだろうし、これ、持って 帰っていいよ。試作品だから出回ってる奴より多少寝心地は悪いけ どさ﹂ と言ったら嬉しそうに喜んでくれた。 642 ﹁それよりも、魔力量が多いこと、何と言って誤魔化したの?﹂ 重要なことだ。こればかりは確認せねばなるまい。 ﹁え? ああ、魔法の技能レベルが高いから、って言ったわ。レベ ルは風魔法は使えないけど全部相当高いですって言ってある。勿論 レベルについては教えてないわよ。でも50レベルくらいを匂わせ てはいるわ﹂ 思わず噴出した。大嘘もいいところだ。いくらステータスで見ら れる特殊技能のレベルは本人にしかわからないとは言え、50は幾 らなんでも滅茶苦茶だろう。だいたい特殊技能も固有技能と一緒で レベルの最大は9のはずだ。俺も無魔法が一番レベルは高いが、ま だ9にはなっていないので本当に9がMAXかは知らないけどさ。 多分一緒じゃね? ﹁ええっ? それはいくらなんでも⋮⋮そんなの信じられてるの?﹂ ﹁どうかなぁ? 宮廷魔術師のダースライン侯爵も無魔法のレベル はやっと私と同じ7になったばかりらしいわ。あの人、もう60歳 超えてるらしいし、これから先頑張ってもどうせもうすぐ死んじゃ うから。この先の時間も知れてるでしょ。多分ばれないわよ﹂ MP 何を言ってやがる。だが、まぁ理屈としては合っていると言って もいいのか? 風以外が全部50レベルならそれだけで魔力量は2 00ということになるし、頻繁に魔法を使っているところを見られ たりどの魔術を何回使ったかとか数えられていない限りはそうそう 魔力量の推測も出来ないだろう。MPかそれに準ずる、魔力量を数 字として捉える概念が無ければいいのか? いやいや、昔、母ちゃ んは俺たちの修行を見てほぼ正確にファーンとミルーの魔力量を推 643 し量っていた。数字の概念ではないにしても、どの魔法を何回、と いうように数えられる可能性もある。 ﹁うーん、でも、それに安心しないで魔力量は隠したほうがいいよ。 戦っているときに、相手が魔法が使えるけどまだ充分な魔力量を保 持しているかまではだれにも解らないんだし、何が起こるか解らな い。母さんも必ず魔力は使い切らないように残しておけって言って るじゃんか﹂ ﹁それはそうよ、私の生命線だからね。魔力切れを狙われたりした らまずいしね。魔力がどのくらい残っているかわからないから魔法 使いや魔術師は怖いんだから。何としても隠し通すわよ﹂ そうか、ならいいんだ。これから先、いつかはわかってしまうか も知れないが、そこまでの期間は長ければ長い程いいわけだし。 ﹁あ、それと教えて欲しいんだけど、魔法使いと魔術師ってなにか 違うの? 従士の人たちも魔法と魔術って言ってたよね?﹂ ﹁ああ、一緒よ。私達は﹃フレイムアローミサイル﹄の魔法って言 ってたでしょ? ああいうふうに、名前が付いて、複数の魔法で構 成されている魔法のことを魔術って呼んでるだけよ。で、その魔術 を3つくらいかなぁ、そこそこの速さで発動出来る人を魔法使いで はなくて魔術師って言うんだって。アル、私達魔術師なのよ﹂ なんだ、呼び名が違うだけか。つまんね。 ﹁ふーん、そうなんだ。だからと言って何があるわけでもないんだ ろ? どうでもいいや﹂ 644 ﹁魔術師は魔術を極めた人の称号みたいなものね、名乗れること自 体が名誉なことらしいけど、どうもここ数年で流行りだした言葉み たいね。元は東の方のグラナン皇国やバクルニー王国とかで使われ ていた言葉らしいわ。実は私もどうでもいいわ﹂ ふーん、外国から来た言葉なのか。 まぁいいや、そろそろ寝よう。 ﹁なるほどねぇ、それじゃお休み、黒の魔女様﹂ ﹁ぐっ、やめてよ、もう﹂ ﹁く ろ の ま じ ょ さ ま﹂ ﹁次言ったらぶつよ﹂ からかうのはこのくらいにしないとな。 ・・・・・・・・・ 7442年1月15日 寝相の悪いミルーに蹴り飛ばされて一度目を覚ました。夜中にM Pを全解放してから結局床で寝ていたので、翌朝目覚めた時には体 中が凝り固まって痛かった。ちくそー。 645 とにかくいつものように日の出前、朝五時くらいに目が覚めると、 ミルーも起きだしたようだ。すると、ミルーは服を着ると、プロテ クターを装着し始める。何をするのかと思って仄暗い中で観察して いると、 ﹁ぼうっとしてないであんたも早く準備しなさいよ。朝御飯の前に 軽く揉んであげる﹂ と来たもんだ。見てろよ。俺も急いで支度すると、木剣を二本用 意して家から少し離れた稽古場に行く。ふふん、見て驚けよ。だが、 ミルーもにやにやしている。あれは何か奥の手を考えたときに昔か らやってる表情だ。考えが足りないので俺に言わせると上手く行っ た試しなんか殆ど無いのに。今回はおそらく俺をいたぶれると思っ ているからあんな顔をしているんだろう。 ﹁じゃあ、始めるわ。殺すまではやらないし、怪我したら治療して あげるから﹂ ﹁けっ、そりゃこっちのセリフだ、血で染めて赤い魔女にしてやる よ﹂ 俺たちはお互い10m程の距離を取って木剣を構えた。昔の構え よりは洗練されている感じだ。あれが第一騎士団流なのだろうか。 まずは一戦。昔のように魔法を使わずやるのだろう。剣の稽古では 魔法は禁じられていたからな。 ⋮⋮。俺もかなり強くなったはずだ。しかし、ミルーの方が俺を 上回っていた。差は縮まっていない。木剣の攻撃をかわした所に肘 打ちを食らってだらだらと流れ落ちる鼻血を治癒魔法で治す。それ から肘打ちの後、突かれた脚にも治癒魔法をかける。こんな相手に 646 直接攻撃を加える稽古は有り余った魔力の恩恵を受けられる俺たち しか出来ないからな。 一戦目は負けか。 ﹁さぁ、次だ。今度こそ勝ってやる﹂ ﹁次は魔法有りだからね。また這い蹲らせてあげるわ﹂ くっそ、見てろ。俺たちは昔から隠れて魔法︵正確には魔術だ。 魔法だと一気に埋めたほうが勝ちになるので正直な話、魔力量が多 く、魔法のレベルも高い俺が絶対的に有利なのだ︶を使いながらの 稽古もしていた。そのルールだとお互いにスタートする距離は約2 m、思い切った踏み込み一つで相手に剣が届く間合いだ。如何に初 撃を躱して魔法を使うだけの時間が稼げる距離を取るかの勝負だ。 お互いに木剣を構えると相手の目を見る。なんとなくでスタート だ。合図はない。俺は一撃貰う覚悟でいた。その一撃を頭に受けず に避けることだけを考える。腕一本捨てるか。俺の目つきが変わっ たことにミルーは気がついたのだろう。ミルーの目にも力が篭った のが見て取れる。 俺はジャンプして飛びかかる。左手を開いて前に突き出し、右手 は剣を握ったまま軽く曲げて剣で頭をガードした姿勢で大きく跳ね た。すかさずミルーの稲妻のような突きが来るだろう。何しろ俺は 左手を開いてあたかも左手から魔法を使うかのように飛び掛ってい るのだから。 ミルーは俺の誘いに乗った。すかさず右手から剣を離し、右手も 突き出す。﹃ストーンボルト﹄の魔術だ。石造りの短い矢が俺の右 647 手から放たれると同時に、左手にミルーの突きを受ける。﹃ストー ンボルト﹄はミルーの左肩と二の腕を守るプロテクターの隙間に突 き刺さった。二人共痛みに顔を歪ませる。だが、俺はミルーの﹁こ れでもう魔法は使えまい﹂というような表情を見逃さなかった。 普通は重傷を負ったりすると集中が乱され、魔法を使うことは困 難になる。だがな、姉ちゃん、俺も遊んでた訳じゃないんだぜ。左 腕を突かれながら無理やりミルーの右脇を転がりながら通り抜ける。 起き上がった時には俺の左腕は治癒魔法によって回復し、直後にミ ルーが振り返ったときには回復した腕を見せつけるようにして左手 から﹃エアカッター﹄を飛ばす。 勝負あった。ミルーは一体何が起きたのかすら判らなかっただろ う。確かに自分は弟の左手を突き、一発魔法を喰らったものの、剣 を落とし、重傷を負った弟はもう魔法を使う術もなく剣で攻撃する ことも出来ずに嬲られるだけになった筈だ、とでも思っていたのだ ろう。鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしながら俺の﹃エアカッタ ー﹄を足に受けていた。 ﹁はっはっは。いい感じに血が出て赤い魔女になったね﹂ 棒読みのように馬鹿にした台詞を吐く。 ﹁ちょっと、何よ、今のは⋮⋮あ、あんた走りながら魔法使えるよ うになったの?﹂ ほう、少しは進歩したようだね。 ﹁いや、まだまだ出来ないよ。たまーにまぐれで使えるくらいだね﹂ 648 治癒魔法を使い、傷の治療をしているミルーに多少自慢げに答え る。 ﹁じゃあ今のは一体何よ? 確かに左手を突いたはずよ﹂ ﹁うん、突かれたよ。でも転がりながら脇を抜けていったろ? 勢 いさえつけば体を動かすこと考えずに魔法が使えるからね。左手は 転がりながら治癒魔法で回復した﹂ それを聞いてミルーはちょっと吃驚したようだ。 ﹁はぁ? あんな一瞬で回復したの? そんな事出来るようになっ たのか⋮⋮﹂ ﹁へへっ、回復じゃなければあの時攻撃魔法を使うことも出来たよ。 わざと見逃してあげたのにさ。勝った気でいるんだもんな。チャン スを有効に生かせない奴は死ぬって父さんも言ってたろ? 本当な ら転がりながらの攻撃魔法と、起き上がってから止めの攻撃魔法で 姉ちゃんは真っ赤っかな魔女になってるはずだぜ﹂ ﹁ちょっと、なんですって!? ⋮⋮次行くわよ﹂ ﹁まだやんのかよ。剣では姉ちゃんの勝ちなんだし、もういいだろ﹂ ミルーはぶすっとして答える。 ﹁もう油断しない。行くわよ﹂ 仕方ない、俺は落ちている自分の木剣を拾い上げると再度構えた。 同時に、こりゃ俺が負けないと終わりそうにないな、と考え、如何 649 に上手く負けるかについて考えを巡らす。多少なりとも吃驚させて やればいいか。どうせ成功はまだしてないんだし、あれを試してみ るか。純粋に真剣な模擬戦中に魔法を使おうとするのはファーンと 二人の時だけだ。俺が魔法を使おうと少しでも隙を見せると容赦の ないファーンの突きや斬撃が飛んでくる。今までは失敗ばかりだが、 万が一成功した時のことを考えると兄貴相手にしか出来ないしな。 今回は負けでいいし、失敗しても構わない。﹁剣での戦闘中に魔 法を使おうとする﹂だけで、ミルーは吃驚するだろう。俺は平坦な 気持ちでそう考えると同時に剣を振る。ミルーは俺の攻撃を剣を寝 かせて受け止めた。鍔迫り合いみたいな状況になる。ミルーの顔を 見ると綺麗な青い瞳が激しい感情に揺れてこちらを見ている。その 瞳に俺の顔が写ってるのがわかった。こんなに落ち着いて模擬戦が 出来るなんてな。レベルや性別の問題もあるのだろう、歳はミルー が四つ上だが筋力は少しだけ俺が優っている。 ミルーの瞳に少し焦りの感情が走ったのがわかる。いや、わかん ねぇけど、そんな感じがしただけだ。焦っているのなら今だ。俺は 剣の柄に手を当てたまま左手だけ開く。そして、魔法は発動した。 ﹃エアハンマー﹄だ。ミルーの顔が驚愕に歪み、同時に空気の塊が 彼女の身体を弾き飛ばした。10m近く転がって仰向けになってや っと止まった。 実は﹃エアハンマー﹄が発動した時には俺も驚愕した。まさか成 功するとはな⋮⋮。あれ? ミルーが起き上がって来ないぞ。打ち どころが悪かったのか!? 慌てて声を掛けながら姉ちゃんに駆け 寄る。さっさと治癒魔法を掛けないと。仰向けになったまま寝転が っているミルーの傍にしゃがみ込むと、ミルーは笑っていた。 ﹁何笑ってるんだよ。打ちどころでも悪かったのかと思って心配し 650 て治癒魔法でもかけてやろうとしたらこれかよ。ふざけんな﹂ ﹁ふふっ、くっ、ふふふふっ﹂ 気でも違ったか? 俺はミルーの顔の前で手を振ってみた。反応 はある。 ﹁おい、大丈夫なら傷治せよ、打ち身くらいはあるだろ?﹂ ﹁⋮⋮うふっ、え? ああ、そうね⋮⋮っと、これでよし﹂ ミルーは起き上がると﹁心配してくれたの?﹂と言ってにっこり 微笑みながら俺の頭をぽんぽんと叩いた。 ﹁そりゃそうだろ。倒れて起き上がらないんだからさ。なに笑って んの?﹂ ﹁今回も私の勝ちね﹂ ﹁はぁ? 俺は一発だって貰ってないぞ。だいたい、姉ちゃんを弾 きとばしてすぐ追撃も出来たのは分かるだろう?﹂ ﹁今頭二回叩いた。だから私の勝ち﹂ なんだとこのアマ。 ﹁まぁまぁ。それよりあんた、あんなことも出来るようになったの ね⋮⋮。あんたならすぐにでも第一騎士団の小隊長くらいにはなれ るわね。でも、悪いことは言わないからあんたはやっぱり冒険者を 目指しなさい。そっちのほうが向いてるわ﹂ 651 いきなり、訳分かんねぇよ。 もともとそのつもりなんだし、言われなくてもそうするさ。 652 第五十一話 習得︵後書き︶ アルが現役自衛官の頃は自衛隊に特殊作戦群はまだ創設されており ません。 その後その創設くらいは知ったかもしれませんが、ここでは第一空 挺にしています。 653 第五十二話 騎士の条件 7442年1月15日 模擬戦を終えた俺たちは家に戻り、シャワーを浴びつつ話を続け ていた。まだ時刻は日の出くらい、6時を少し回った頃だろう。そ ろそろ朝飯のはずだ。 ﹁ところで、何でまた冒険者が向いているなんて言うのさ?﹂ ﹁えー? なに?﹂ シャワーを浴び石鹸で頭を洗っていたミルーが言う。良く聞こえ ていなかったんだろう。 ﹁だから、何で俺が冒険者向きなのかって話だよ﹂ ﹁ああ、簡単よ。あんた、そのまま第一騎士団に⋮⋮ううん、第一 じゃなくてもいいけど騎士団に入ったらいろいろ苦労するわよ。私 だって大変だしね﹂ ﹁なんで?﹂ ﹁騎士は飛び道具嫌いだしね﹂ ああ、それはファーンから聞いたことがあるな。飛び道具とは卑 怯なりぃ、って奴だろ? 654 ﹁でも、姉ちゃんはあの従士の二人から褒められてたじゃんか﹂ ﹁うん、まぁね。嫌いでも有効は有効だしね⋮⋮。でも、そのせい で剣が疎かになるって考え方もあるわ。普通はまず剣と槍と馬。そ れが出来た上に余裕があれば弓とか魔法ね。弓は馬上で撃つのは本 当に難しいからまずやってる人はいないわね。大して飛ばないし、 射程ぎりぎりだと本当に急所にでも当たらない限りは盾や鎧ではじ かれたりするし、たとえ当たっても距離があるからすぐに治癒魔法 使われたらそれまでだしね。乗馬しつつ移動している相手の顔面に 当てられるような人なんかいるわけないしね﹂ それもそうか。俺は弓といえば狩人のドクシュ一家が使っている ものしか知らない。全長は1m程度で有効射程は狩の対象となる獣 相手に20mくらいだ。それ以上だと刺さっても目にでも当たらな い限りはたいした傷にはならない。まして逃げている獣の目に当て るなんて出来っこない。那須与一が使っていたような大人の全身よ コンポジットボウ り背の高い和弓のような大弓なんか聞いたこともないし、モンゴル の騎兵が使っていたという複合弓なども聞いたことはない。 クロウボウ 唯一例外として射程が長く威力のあるものに弩があるが、騎兵が 最初に一射して終わりか、専用の歩兵が使っても一分間に一射出来 るかどうかくらいの連射性能だ。射程だって水平射撃で100mく らい、有効射程にいたっては50mもの距離があるそうだ。斜め4 5度で曲射するならもっと飛ぶがまず当たらないと言われている。 まぁ、普通の弓の有効射程である20m位までであれば板金鎧も貫 通して装着者を傷つけられるようだし、クロスボウの威力はたいし たものだ。連射できないと言っても騎士には脅威だろうな。魔法に は敵わないが。 ﹁なるほどね。でも姉ちゃんだって出来る苦労なら俺だって出来る 655 だろ﹂ ミルーはそれを聞いてちょっとムッとしたようだったが、すぐに にこっと笑って言った。 ﹁アルはさ、⋮⋮そうね、父さんと同じくらいの剣の腕を持ってい る人ってどう思う?﹂ ﹁そりゃーすげー人だろ。兄貴も言ってたけど、ウェブドスの騎士 だって父さんくらいの腕の剣の使い手はなかなかいなかったって言 ってた﹂ ﹁そうね、私もそう思うわ。で、そんなすごい人がたまたまあなた の先輩とか上役になることもある。そしてその人は剣の腕に自信も 誇りも持っているでしょうね。そういう人をぽっと出のどこの馬の 骨ともつかないような従士が魔法でコテンパンにしたらどうかしら ?﹂ ﹁⋮⋮いたたまれない気持ちになるだろうなぁ﹂ ﹁でしょう? そういう事を私はやってるの。あんたに出来る?﹂ 出来る出来ないで言ったら当然出来る。こちとら生き馬の目を抜 くような日本のビジネス界で20年近くも営業をやって来たんだ。 出来ない訳がない。だが、ミルーはそんな俺の本性なんか知らない だろう。仮面を被って生きてきた俺しか知らないのだ。そして、今 の言葉は仮面に向かって言っているのだろう。優しいな。それより もミルーが思ったよりいろいろ考えているのがわかり、そちらの方 がミルーの成長を感じられてずっと嬉しかった。 656 ﹁きっとアルは持て囃されるわ。私以上に魔法の才能があって、多 分剣の腕もそこらの騎士くらいはある。あの変な槍を使ったら私で ももう勝てないでしょうね。それどころかアルの剣を見たからわか るけど、あの槍を使えば第一騎士団の正騎士だって最初は負けると 思うわ。力もついた様だし、体だって結構大きくなったからね﹂ そう言うとミルーは後ろを向いて手を広げた。乾かせと言うのだ ろう。昔はいつもやっていたことだからすぐにわかった。乾燥の魔 術を使い濡れたミルーの体と髪を乾かしていく。 ﹁でもね、きっとあんたはそれを申し訳なく思うでしょう。自分が いなかったらもっと評価されているはずの人達が目の前にいれば特 にそう思うはずよ。そして、それはきっと騎士団長くらいになるま で続くはずだわ。いえ、騎士団長になったとしても自分がいなけれ ば代わりに騎士団長になっていたはずの人に対して、永遠にそうい う気持ちを持ち続けることになるわ。だからあんたは騎士団に向か ない﹂ 大きな勘違いなうえ、完全なる誤解だ。だが、ミルーは俺の仮面 に言っているのだ。真剣に俺のことを考えて。 ﹁だからそういった組織のしがらみのないところでやったほうがい い。そして、自分の騎士団を作ればいい。皆をまとめてゴム製品を 作れるんだからね。プライドの塊みたいな騎士団にあとから所属す るわけじゃないし、あんたなら出来ると思うわよ﹂ やる やるって何をだよ、と思うがそれは﹁人生を歩む﹂ということだ ろう。自分の騎士団ってのは⋮⋮自分の配下、とか自分の組織とい うことか。ああ、俺の場合自分の国ってのがぴったりだ。 657 ﹁兄さんには悪いけど、あんたが長男だったらまた違ったかもね﹂ そういうこと言うなよ。唯でさえ褒められて背中がむず痒くなっ てるのに。 ﹁兄さんにはとても敵わないよ⋮⋮。兄さんは騎士団でも魔法の技 量を隠し通したんだ。シャーニ義姉さんはもう知ってるみたいだけ ど。それに、兄さんは⋮⋮昔からまっすぐだった。曲がらず、折れ ず、いつだって格好良かった。兄さんが言うなら村の皆も何でも言 うことを聞くだろうね。俺なんかとても兄さんの足元にも及ばない よ﹂ これは本音だ。知識だとか魔力だとかを除いて、裸の人間一匹で 考えると俺は前世から通して思い返してみてもファーンほど凄い人 間を知らない。ファーンはいつだって真剣に考え、いつだって正し かったんだ。 俺が素直に心情を吐露すると、それを聞いたミルーが目をむいた。 ﹁はぁ? 当たり前でしょ? 何言ってんの? 私が言ったのはそ ういうことじゃない。あんたが長男だったらもう少し上手に世渡り 出来るような性格になった筈ってことよ。勘違いすんな、馬鹿。あ んたなんか兄さんと比べたら馬の糞にたかる銀蝿以下だわよ。蛆虫 以下の下等生物のくせして兄さんと比べるほうがどうかしてるわ! もう一度殴りつけて髪と目の色に顔色も合わせてあげようか? 顔中痣で真っ黒にして解らせてあげる!﹂ ⋮⋮。 ﹁っだと、コラ! もう一回コテンパンにのしてやる! ああ、そ 658 ういや昔のプロテクターが合わなくなったろうから新しいの作って やろうと思ってたけど、その気の毒な胸じゃ必要ねぇよなぁ。表に 出ろこのクソアマ!﹂ 俺とミルーは素っ裸で殴り合いを始めようとしたが、 ﹁いい加減にしろ! この馬鹿ども! ミルー! 従士達にも聞こ えるぞ! アル! お前もそんな行儀の悪い口のききかたは止めろ ! さっさと服を着て飯を食え!﹂ 親父が急に現れて一喝され、姉弟間の戦争勃発前に諍いは収束し た。 いつから聞いてたんだ? ・・・・・・・・・ 客がいるからか少しだけいつもより上等な朝食だった。朝食の間 中、ミルーはまた登場時のような上品でお堅い喋り方に戻っていた。 猫被りやがって。 ミルーはあと三日滞在するらしい。一月半もの休暇で、実家で過 ごせるのが合計四日間か。王都は遠いんだろうな。本当にミルーと はこれで最後になるのかな。 ミルーの従士達は相変わらず礼儀正しく食事をしている。さっき の俺とミルーの会話の全てが聞こえたはずはないが、最後の言い争 659 いは耳に入った可能性がある。だが、彼らは丁寧に無視することに 決めてくれたようだ。様子の変わったところはない。何で俺が姉ち ゃんの心配をしなきゃならんのだ。くそ。 朝食が終わり、ミルー達は散歩がてら体を休めるようだ。俺と兄 夫婦は子供をソニアとシャルに預け、いつものように魔法の修行に 出かける。村の外れの背の高い草原を直径50m程焼き払って作っ た魔法修練所だ。魔力の少ないシャーニに魔法を使わせ休ませる。 MPが6を割らないように、いつも適当に魔法を使わせ、経験を積 ませている。俺は﹃アンチマジックフィールド﹄の魔術でファーン の修行をサポートする係だ。ファーンもいろいろな魔法を使うが、 ﹃アンチマジックフィールド﹄の中でやるようにしているのでじっ と見ていてもどのくらい魔法を使ったのかは解らないだろう。 ファーンの魔法の修行が終わる頃に少しだけ回復したシャーニが もう一度魔法を使って修行は終わりだ。いずれシャーニもグリード 家の魔法の秘密について説明を受けるだろう。その時にはファーン もすべてを見せるのではないか。その頃、俺はいないと思うけど。 魔法の修行が終わると剣の稽古だ。こちらは家の傍の稽古場で従 士たちと一緒に行う。俺達が稽古を始めると、三々五々従士達が集 まってくる。剣の素振りをするもの、組み手をするもの、一連の流 れを取り決めた約束組み手で防御や攻撃の練習をするものなど様々 だ。俺は稽古場の隅に立っている木にゴム板を藁縄で巻きつけた巻 き藁もどきを相手に、エボナイトで作った木銃で稽古をする。体が 温まってきたところで兄夫婦を相手に組み手だ。銃剣スタイルなら 二人どころか三人を相手にしても戦えるようになった。その後は木 剣に持ち替えて従士を含めた全員と順番に組み手をする。最後のほ うは全員へろへろだから実力が近いならいつまでもいい勝負になる のだ。そして、一休みしたあと、俺とファーンは隅っこでまた組み 660 手をする。 今朝出来たことを試してみよう。組み手の前に素振りをしつつ魔 法を使ってみる。あ、これは出来る。すぐにキャンセルし、ファー ンに向き直る。今のを見ていたのか、ファーンは驚いたような表情 をしている。よし、行くぞ。ファーンとの組み手が始まった。何合 か打ち合うが、これならなんとなくいけそうな感触だ。ファーンと 鍔迫り合いになったとき、今朝ミルーにしたように﹃エアハンマー﹄ の魔術を使ってファーンを跳ね飛ばせた。まだ失敗もあるが、何度 も練習すれば確実に出来るようになるのは時間の問題だろう。 ファーンにコツを聞かれたが、コツなんかわからん。心を出来る だけ平静に保ち、体の動きを意識しない、というくらいだな。走り ながら魔法が使えるようになればじきに出来るようになるとも言っ ておいた。俺も4年近く毎日毎日飽きもせず頑張ったのだ。ファー ンならもっと短い時間で出来るようになるのかもしれないな。今日 からファーンも一緒に走るらしい。 稽古が一時終わり昼食だ。飯を食ったら俺はプロテクターを着け たまま走りに行く。今日からファーンも一緒だ。最初だからプロテ クターを外したほうがいいと言うと、ファーンは素直に従った。こ の素直さがファーンの取り柄だ。決して自分の力を過信せず、謙虚 に受け止める。六つも下の弟から無理しないで良いと言われるとそ の通り受け取り格好をつけることもしない。14歳前の俺がプロテ クターを着けて走っているのに20歳近いファーンは格好つけずに 俺の忠告を受け入れる。 なかなか出来ることじゃない。そして、全てに一生懸命に取り組 むのだ。効率よく長時間走るための走法や、呼吸など、取り入れら れるものはどんどん取り入れ自分の力にしていく。効率のいい方法 661 になるように改良したりなど、工夫もする。そしていつか先達をも 追い抜くのだ。騎士団でもこうやって頑張っていたであろうことは 疑う余地もないだろう。絶対にいい領主になると思う。従士達は物 好きにも走っている俺たちを横目に稽古の続きをしている。走りな がら魔法を使ってみるとやはりある程度使えるようになっていた。 失敗確率は5割といったところだ。うむ、ついに掴んだな。 ランニングから帰ってきてからはゴムの製造だ。俺はもう殆ど手 出しすることもない。俺は俺の魔法の修行に出かけることが多い。 ダイアン達ゴム専従の従士やファーンが指導、監督役だ。また魔法 修練場に出かけ、魔法の精度を高めたり、魔法による攻撃の練習を したりする。土山を出して走りながら打ち込む練習もした。多少は 成功確率も上がったかもしれない。 そうして修行をしている時だった。ファーンが走ってきた。緊急 事態か!? ファーンは笑っているようだ。一体なんだろう? ﹁おい、アル、これを見てくれ﹂ ファーンが差し出したものは⋮⋮薄茶色の物体だった。 ﹁これは⋮⋮?﹂ 風船のようだ。いや、玉羊羹じゃないし、勿論ただの風船でもな い。そうか、ついに⋮⋮。ついにやったんだな。流石だよ、兄さん。 ﹁まだ試作だが、いろいろ配合を試した。ゴムを無駄には出来ない から少しずつやっていたんで時間がかかっちまった。だが、こいつ は凄いぞ。厚さは今までの半分近くになったが、耐久力は倍ほどで はないがかなり上だと思う。厚さが一緒なら耐久力は2∼3倍以上 662 ってことだ﹂ ﹁なるほど、確かに凄いですね。これなら破れ難いでしょう。たい したものです﹂ ファーンは少し照れたように微笑みながら言う。 ﹁ああ、試作するたびに工夫を重ねてきたからな。配合率もばっち り記録してあるから偶然じゃないぞ。ありがとう、アル﹂ なぜ礼を言うのか。 ﹁そんな、礼を言われるようなことはして﹁いいや、礼を言わせて くれ。最初に考えたのはお前だ。俺はそれに乗っかって改良したに 過ぎん。おそらくお前が考えてくれなかったら俺は一生、豚の腸で 満足していたかも知れん。豚だってそうそう潰せないからな。これ ならゴムもちょっとしか使わないし、いいものが出来たのはお前の おかげだよ﹂ 俺の功績にしてくれるのか。 ﹁で、これは幾らくらいで売るのですか?﹂ ﹁え?﹂ ﹁あ、いや商会への卸値ですね﹂ ﹁え? 売らないよ。だって俺のために作ったんだし⋮⋮﹂ は? 663 ﹁売らないって⋮⋮勿体無いですよ。売れるんじゃないですか?﹂ ﹁え? 売れるかな? 完全に生ゴムだけじゃないけど、これだけ 薄いと村から商会に卸すときには硬くなっちゃってると思うぞ?﹂ ああ、その件があるから売らないと言ったのか。 ﹁いやいや、こうやってくるくる巻いて小さくすればいいですし、 これを小さなゴムの袋に入れてきちんと閉じて中に例のローション を入れておけば暫くは保つのではないでしょうか?﹂ ﹁おお! そうだな! だが、一個ずつゴム袋に入れるとなると手 間だな。あ、ゴム袋を少し大きく作って10個くらい纏めて入れれ ばどうだ?﹂ ﹁それはいい考えですね﹂ いいアイデアだと思う。纏め売りになるから売り上げもあるだろ うし単価も少し抑えられるかもしれない。何より10個単位で買っ たら、顧客は10回は使うことになるだろう。勿体無いし。そうし たらこいつの魅力に取り付かれるだろうな。 ﹁おお、良し、それで行こう。もうすぐ5番の畑もゴムが取れるよ うになるだろう。そうだ、こいつの名前を考えないといけないな。 折角だからアル、お前がつけてくれ﹂ コンドームなんて言ってもそんな言葉はオースには存在しないか ら意味わかんねぇだろうし、困ったな。 664 ﹁うーん⋮⋮いい名前が思いつきません﹂ ﹁そうかぁ、そうだよなぁ。ああ、そうだ。最初の発明者はお前な んだし、お前の名前で﹃アレイン﹄ってのはどうだ?﹂ 勘弁してくれ。国作りの障害になる未来しか思い浮かばねぇ。将 来の禍根は早めに絶つべきだ。 ﹁単に﹃鞘﹄ってのはどうですか? 剣になぞらえて﹂ ﹁﹃鞘﹄、﹃鞘﹄か。よし、それで行こう﹂ 気に入ってくれたようだ。 ﹁で、どの位の値で卸しますか?﹂ ﹁そうだなぁ。10個一組って言っても大してゴムは使わないだろ うしなぁ。その割には手間もかかるし、ローションも必要だ。10 000ゼニーくらいかな?﹂ そりゃ高いだろうな。10000ゼニーと言ったら哺乳瓶と同じ くらいだ。感覚的には一万円くらい。銀貨一枚。農奴を所有してい ない平民の農家の一年間の可処分所得の50分の一くらいだ。あ、 いや、まてよ? ﹁うーん、キールあたりだと豚の腸は幾らくらいで売っているので しょう?﹂ ﹁え? うーん。だいたい1000ゼニーくらいかな? 豚一頭分 だと10000ゼニーくらいだろうなぁ﹂ 665 ソーセージが流通していない訳だわ。 ﹁だとすると少々高くはありませんか? 豚一頭の腸からだと沢山 作れますよね?﹂ ﹁ああ、高いな。だが、安くすると普通の奴隷達や娼館などでも大 量に使われるだろう。いくら少ししかゴムを使わないと言っても一 気に沢山使われると生産に響くだろう。特にこいつは包装に手間が かかりそうだから、注文を捌けなくなりそうだ﹂ 確かにその問題はあるな。 ﹁うーん、そうなると幾らの値をつけたものか僕は良くわかりませ ん。父さんに相談してみたらどうでしょう?﹂ ﹁ええっ!? 父さんにこいつの話するのかよ⋮⋮実際に試しても らうって言ってもなぁ⋮⋮ちょっと考えさせてくれ⋮⋮﹂ 無理もない。 ﹁お願いしますね。僕から話すのはちょっと、その、どうかと思う ので⋮⋮﹂ ﹁うーん、お前から話してくれると有難いんだが⋮⋮もういい年だ し、お前もうしたことはあるのか?﹂ そりゃ結婚してたくらいだし当然ある。ここんとこはとんとご無 沙汰だが。だいたいそろそろ14歳になるのだし、早い奴は結婚だ ってする年齢だ。 666 ﹁僕、親しくしている女の子がいるように見えますか?﹂ ﹁見えねぇ⋮⋮そんな時間無いだろうし、万が一子供でも出来ちま うと問題だしな⋮⋮いや、からかうつもりはなかったんだ。騎士団 に入れば先輩がそういう店に連れて行ってくれることもあるんだが ⋮⋮俺も最初はそうだったし﹂ ファーンは玄人相手に捨てたのか。別にいいけど。何となくだけ ど、シャーニが最初だと思ってたわ。そんなわけねぇか。 俺は12歳くらいになったときに性教育を受けた。田舎士爵の次 男とは言え、一応貴族なので変な相手に子供を作らないようにだ。 村の人間ならまだマシだが、隊商の護衛の冒険者の女なんかは要注 意だとも言われていた。世継ぎを設ける前にファーンが戦死したり すればグリード家はミルーか俺が継ぐことになるし、そういうのを 狙う女だって居ない訳じゃないのだ。だから、貴族には身持ちの固 い人間も多いらしい。将来のトラブルを防ぐためだ。 俺の知る限り、シャーニはファーンが最初だと思う。村に来た直 後に痛がっている声を聞いたこともあるしな。彼女もウェブドス侯 爵の直系の孫で長女だ。男の兄弟が複数いたからファーンに嫁いで きたのだし、きっと身持ちも固かったのだろう。 ﹁わかりました。努力はしてみますが、タイミングとかありますし ⋮⋮兄さんもタイミングがあれば僕よりも先に話してくださいよ﹂ ﹁ああ、そうだな⋮⋮﹂ 俺たちは顔を見合わせるとため息をつき、家路に着いた。 667 ・・・・・・・・・ 家に帰るとミルーたちも戻っていた。しょうがねぇな。 ﹁姉さん、ちょっといいですか。サイズを測ります﹂ ﹁⋮⋮ちゃんと作ってくれるんでしょうね?﹂ うっせぇな。やる気が削がれるだろうが。 帰るまでにはちゃんと作ってやるよ。 プロテクターは鎧下の上に装着するから鎧下の上からサイズを測 る。胸囲を測るあたりでいやみっぽくクスリと笑ってやった。食堂 でやっていたので興味深そうに従士達が作業を見ていたからか、殴 られはしなかった。殺されそうな目つきでにらまれたが、そのくら いは計算済みだ。 明日には当たりをつけた物が出来、内側の修正をして完成だ。プ ロテクターの製造スケジュールを話していると従士達はそんなに早 く出来るのかと驚いていた。大体の型はあるから微調整が必要なく らいでどうせ大して手間もかからないし、一緒に作ってやろうか? 一応ミルーに確認したら仕事が増えるし商品を作るゴムがその分 減るとか抜かしやがった。じゃあ、お前のプロテクターだって一緒 だろうが、馬鹿姉貴。だいたいお前が心配することじゃねぇよ。 668 馬鹿は放って置いて、折角村まで来たし、こんな奴のお守りも大 変だろうからとへガードから言ってもらい、一緒に作ることにした。 二人は非常に感謝していた。そういえばプロテクターを販売したの は狩人のドクシュ一家だけだな。ファーンとミルーを除けばこの二 人が始めて村以外の場所で恒常的に使うことになるのか。へガード はちゃっかりとプロテクターの良さをアピールしていた。ウェブド スの騎士団から販売の打診を受けたときもゴムの量が足りないから と断っていたはずなんだが、どういう風の吹き回しだ? そう思ってあとで聞いてみたら、今まではチャンスを狙っていた そうだ。第一騎士団に直接納入を構想しているらしい。それに、第 一騎士団御用達となればブランド力は一気に高まる。値も吊り上げ て売ることが出来る。当面はサイズも測らなければいけないし、こ こまで来れることが条件になるだろうが、まとまっての需要があれ ば王都まで出向いてサイズを測りに行ってもいいと言っていた。 ブランド化か。いいアイデアだ。親父は商人の方が向いてるんじ ゃね? そもそも鎧は非常に高価なものらしい。革鎧くらいだと銀 貨50枚くらいする。金属製の鎖帷子で金貨10枚前後、薄い金属 の板を重ねて作るスプリントメイルとかスケイルメイルって奴だと もっと高くて金貨20枚以上に跳ね上がる。全身板金の鎧だと最低 でも金貨4∼50枚はくだらないと言う。騎士は最低でも鎖帷子以 上はないと格好はつかないから、非常に金がかかるというのも頷け る。 既に騎士団を退職しているファーンはいいとしても、ずっとゴム プロテクターのミルーは金属鎧でなくて格好はつかないのだろうか ? 急に心配になってきた。恐る恐る従士たちに尋ねてみると、実 は皆欲しがっているらしい。軽くて取り回しも良く、その割には金 669 属鎧に迫る防御力が魅力なのだそうだ。だが、ミルーに聞いても﹁ 販売はしていない﹂という返答で諦めていたそうだ。勿論鎧は常識 としてかなり高価なものなので売っていたとしてもおいそれとは買 うことは出来ないだろうが、田舎者のミルーだって最初から使って いたのだからスプリントメイル程度の値段だろうと思われていたら しい。 俺はせいぜい金貨3枚くらいだろうと思っていたのだが、鎧って 物凄く高いんだな。確かに商隊護衛の冒険者は革鎧しか着ているの を見たことがない。こりゃあれだけ感謝されるのも頷ける。只でサ ンプルをあげるんだから一生懸命宣伝してくれよ。 翌日出来たミルーのプロテクターは胸の表面を盛ってやった。俺 の優しさに涙しやがれ。 勿論、感謝などある訳もなく、微妙な顔でプロテクターを眺めて いた。 670 第五十三話 決着 7442年1月18日 朝食を摂った後、ミルーと従士二人は休暇期間の終了に間に合う ように王都へと帰らねばならないので帰還の準備を始めた。従士二 人は来たときに装着していた鎧をパニエの様に大きなサドルバッグ へ収納し、ミルーと同様にゴムプロテクターを鎧下の上に装着して いた。 あんなにでかいサドルバッグと大人一人を乗せるとそんなにスピ ードは出せないだろうが、そこは大きな軍馬だし、大丈夫なのだろ う。ミルーもウォーターベッドを丸めて鞍の後部に縛り付けている。 真っ黒いプロテクターで揃った三人の騎士は確かに精悍な印象を与 えるな。 ミルーは最後に騎乗する前に家族全員の顔を眺め、ゼットとベッ トロット キーを抱きしめた。そして、さっと馬に跨り従士達に出発の合図を するとだく足で出発した。にこやかに手を振る従士達と、後ろ髪を 引かれるような表情のミルーが対照的だった。三頭の軍馬に跨った 三人の騎士がバークッド村を南に縦断していく。真冬とは言え、畑 が広がる牧歌的な風景の中に映る黒い鎧の三つの騎馬姿は否応なく ここはオースなのだと俺に思い知らせてくる。あの先頭の凛々しい 姿は俺の姉ちゃんなんだぜ、信じらんねぇ。 ・・・・・・・・・ 671 7442年1月25日 つい数日前、俺のレベルはまた1つ上昇し10になった。あと2 0日もすれば14歳になる。加齢に伴って更に強くなるだろう。そ して、そんなことよりも走りながら、剣で戦闘しながら魔法が使え るようになったことが俺の戦闘力を大きく底上げしてくれたはずだ。 今は何か別の行動をしながら魔法を使う練習にかなりの時間を割い ている。 たった10日弱の練習期間だったが、一度開眼したら練習を重ね れば重ねるほど成功率が目に見えて上昇するのが手に取るようにわ かる。これも何らかの特殊能力と言えるのかと思って自分を鑑定し てみたが、別段変わった事はなかった。騎乗しながら弓を撃つ人だ っていない訳じゃないだろうし、一輪車に乗りながらお手玉を出来 るようになったとかという程度のものなのだろう。その割には4年 近い修行期間を必要としたのだから、かなり難しい技術だろうとは 思う。 もともと魔法、いや魔術だって10回も練習すれば発動のための 集中時間は当初の半分くらいにはなるのだ。コツさえ掴めてしまえ ばある程度までの上達にはさほど時間を必要としないことも頷ける。 それに、この﹁何かをしていながら同時に魔法を使う﹂という技術 を完成させたのは俺くらいだろう。一番簡単な魔法とは言え毎日数 時間走っている間中魔法を使い続けるだけのMPなんか誰も持って ないだろうし。発動に失敗すれば得られる経験はゼロだから、俺は 今まで何十万というMPを有効に使わず、修行のために捨てていた ようなものだ。 672 きっとこの技術は俺の大きな武器になるだろう。 ・・・・・・・・・ 7442年2月14日 14歳になった。オースで14歳と言えば前世では世間からは高 校卒業くらいの感じで扱われる年齢だ。農耕用の家畜を導入する前 のバークッドのような村では1haくらいの畑を完全に任される事 もある。バークッドでは機械化ならぬ家畜化が浸透し始めて来てい るので、もう少しシステマティックになっているから最近では一人 の人間が一つの畑の管理をすべて行うということはあまり見かけな いが、まぁ一人前と言ってもいいくらいだ。 両親の前で、走りながら、素振りをしながら、ファーンと組み手 をしながら魔法を披露したら二人共目を丸くして驚いていた。すで にトレーニング方法︵走りながら魔法を使うようにひたすら頑張る だけだが︶をファーンとミルーに伝えていることを説明し、ミルー はともかくファーンは既に始めていると言ったら妙に納得したよう に頷いていた。多分ここ数年、俺が昼ごろになると村中を走ってい たことを思い出したのだろう。ランニングは単に体を鍛えるために やっていたと思われていたようだ。別に間違いではないし、もとも と魔法が使えるようになるほうが余禄だったわけだから正解といえ ば正解だよ。 673 その日の晩、食事をしながら妙に改まった感じでヘガードが話し てきた。 ﹁アル、お前は将来どうしたい? 何になりたい?﹂ なんだ? 急に? ﹁え? 将来⋮⋮ですか。⋮⋮なりたいものはあります﹂ ちょっと、全員の注目を浴びて恥ずかしいじゃないか。 ﹁ん? なんだ? 騎士になるか? お前ならミルーを通じて第一 騎士団に入ることも出来るかも知れんし、仮に入団試験を断られて もウェブドスの騎士団ならなんとか押し込めるかも知れん。⋮⋮そ れとも、商売でも始めるか? 今なら多少の蓄えはあるから援助も 出来るだろう﹂ するとシャルが口を挟んできた。 ﹁そうねぇ、あなたはこのまま従士になるのは勿体無い気もするわ ねぇ。商人になっても成功しそうだし、騎士になってもかなりのと ころに行けるでしょうけど、流石に家の子が三人とも騎士になるの は寂しいわね﹂ 母親だからなのか、ミルーが居なくなって寂しいのかシャルは俺 を遠くにはやりたくないようだ。 ﹁ちょっと待って、父さん、母さん。アルはなりたいものがあるっ て言ってるじゃないか。アルの話も聞かずに勝手に話を進めるのは どうかと思うよ。アル、正直な話を言うと、お前のおかげでバーク 674 ッドは豊かになった。さっき父さんが言ったとおり蓄えもそれなり に出来た。もともとゴムだってお前が見つけてきたものだからな﹂ ファーンが助け舟を出してくれるようだ。続けてファーンは言う。 ﹁だから、本来から言えばお前は家の従士になるのが普通だけど、 選択肢は沢山ある。騎士だって商人だってそれなりに元手は必要だ。 別に父さんや母さんをクサすつもりは全く無いけど、ゴムがなけれ ばバークッドは俺達が子供の頃のままだったと思う。多分俺がウェ ブドスの騎士団に入るときは剣はともかく鎧で大きな出費があった 筈で、それはきっと家にとってものすごい負担になったと思う。な ぁ、シャーニ、そうだろう?﹂ 急に話を振られたシャーニはちょっと驚いたような顔をしたが、 すぐに答えた。 ﹁そうね⋮⋮ウェブドスの騎士団だってスプリントメイルはともか く、スケイルメイルやチェインメイルくらいは持って入るのが普通 だしね﹂ ﹁そうだ。ゴムがなければゴムによる収入も無く、そういった出費 もたら だけがあったはずだ。ゴムは丈夫で優れた鎧にもなったから、出費 も必要で無いばかりかゴム製品を売ることで大きな収入を齎してく れたんだ。忘れがちだけど、出兵にあたって村の従士達も直接的に 守ってくれた。誰が何と言おうが今のバークッドを作ったのはお前 の見つけてきたゴムなんだよ。だから、お前は何も気にせずやりた い事をやれ。もしお前が別の村の開墾を目指すならその援助だって いくらでも大丈夫だ﹂ シャーニの言葉を受けてファーンが言った。 675 ﹁貴方だって自分の考えを言ってるじゃない。お義父さまとお義母 さまに何も言えないでしょう?﹂ ﹁い、いや、俺はただ、そういう道も選択できると言うことをだな ⋮⋮﹂ ﹁もういい。アル、悪かったな。お前はどうしたいんだ?﹂ 不毛になりそうな会話を引き取ってヘガードが俺に尋ねた。 ﹁⋮⋮僕は、僕は外国に行ってみたい。いろいろな場所を見て、聞 いて、どんな国があるのが確かめたい。そして⋮⋮﹂ 話し始めた俺に再び注目が集まる。 ﹁そしていつか⋮⋮僕は⋮⋮いや、俺は⋮⋮小さくてもいい。俺の 国が欲しい﹂ シャルは少し目を見開いたあと、微笑して俺を見ている。 シャーニは意外そうな顔で俺を見つめている。 ファーンはちょっとだけ寂しそうな表情をした後、真剣な顔にな った。 ゼットはスプーンでオートミールを掬うのに熱心で。 ベッキーは手を伸ばしてゼットの皿から焼肉を取って自分の口に 運んでいた。 そしてヘガードは、俺の言葉にしっかりと耳を傾けた後、言った。 ﹁いつかこうなる気がしていた⋮⋮。いつか、お前は似たようなこ 676 とを言って家を出ると思っていた。家を出るのはいい、次男だしな。 だが、今の言葉は本気で言っているのか?﹂ ﹁ああ、勿論本気だよ、父さん。俺は、俺のために、俺の国が欲し い。ここロンベルトだって500年前にジョージ・ロンベルト一世 陛下が作ったと言うじゃないか。ならば、俺はアレイン・グリード 一世を目指す。いつになるか、どこになるかはわからないけど、俺 の国を作るんだ﹂ しっかりと親父の目を見つめながら答えた。 ﹁そうか⋮⋮お前が自分で決めたんだ。夢物語だろうと俺は何も言 わん。で、いつ頃出たいんだ? 時期はもう考えているのか?﹂ ﹁ええ、それなんだけど、春位を考えているんだ。気候も良いし、 当面は世の中を見て回りたいですから。それに、出る前にゴムの製 造について完全に指導しなきゃいけませんし、他にもやらなきゃい けない事もあるしね﹂ 言葉遣いが変になったが最初はこんなもんだ。 ﹁そうか。わかった。春頃か、いいだろう。アレイン、家を出るこ と許可する。それまでに片付けなきゃならんことはやっておけ。皆、 いいな、この話は終わりだ﹂ ヘガードは俺の夢に共感はしてくれなかったが理解し許可を与え てくれた。それだけで充分だ。 677 ・・・・・・・・・ 7442年2月30日 ゴム製品の指導についてはもう殆ど俺を必要としていないので、 実は無いも同然だ。俺がやらなきゃならないのは、インフラの改善 になるような試作品と言えるものをいくつか追加で作ることと、も う一つ、あのホーンドベアーを今度こそ一対一で殺すことだ。 今俺は村の北西部の山地にある獣や魔物の水場に来ている。ここ でキャンプして四日目だ。水場から少し離れた場所をキャンプ地と 定め、ハンモックを張り、ハンモックの1mくらい上に更にロープ を張ってそこにゴム引きの布をかけて布の端はロープを伸ばして地 上に固定する。こうすると即席のテントの出来上がりだ。食料など の荷物は同じくゴム引きの布で作った袋に入れ、ハンモックから吊 るして置けば濡れる事も無い。 昼間はテントから距離を置いて水場を監視し、夜だけ戻って休む という生活は、非常にしんどいものだった。いつあいつが現れるか わからないから適当に魔法を使って修行するなどということもいざ という時のことを考え自粛せざるを得ないし、剣の稽古やランニン グなどもってのほかだ。 匂いを消すために出来る限り泥を体になすりつけ、水場が見える 場所に身を潜めて過ごす時間のなんと辛い事か。今日も冷たい泥を 体になすりつけ、さあ、退屈な仕事を始めようとした矢先、ホーン ドベアーが現れた。 678 遂に来たか。遠目に鑑定するとやはり目的の奴だ。のっそりと水 場を目指して歩いている。いつもいつも奇襲を受ける俺じゃないぜ。 今度はこっちが先手を取ってやる。出来れば一撃でカタをつけたい から、ここは﹃アイスジャベリンミサイル﹄でやってやろうか、お 前の父親を殺した魔術だ。 落ち着いて魔力を練り、電信柱のような氷の槍を作り、加速のた めにさっさと後方へ移動させる。もう少し、もう少しで誘導の射程 圏内に入ってくる。あと50m、40m⋮⋮。水場を挟んで若干左 方向から寄って来るホーンドベアーを睨み付けながらタイミングを こいつ 窺う。射程に入ったらすぐに加速して発射だ。あの距離なら充分に 一撃で殺せる。電信柱の威力なら貫通するかも知れんな。ほくそ笑 みながら死神のような気持ちで舌なめずりをする。あ、唇に塗った 泥も舐めちゃった。汚ねぇな。 射程圏の200mまであと10mくらいのとことで奴は振り返っ た。今なら発射しても最後の10mくらいは慣性で充分な勢いがつ いたままだろうから、行けるだろう。こちらの方向を見ていないう ちから加速させられるのもいい条件だ。よし、行くぞ。加速開始だ。 俺の後方200mに氷を維持したまま誘導で浮いている電信柱に 対して魔力をつぎ込み発射する。同時に加速開始だ。多分三秒ほど であそこまで届く筈だ。俺を中心にして400mの距離を速度ゼロ から三秒。最終的な速度は時速5∼600kmくらいじゃないだろ うか。方向を微調整して邪魔になる木などを避けつつ﹃アイスジャ ベリンミサイル﹄を加速しつつ誘導する。 これだけの重量で、且つ先を尖らせている。貫通させてやる!! 今まで何度も煮え湯を飲まされてきた相手を目掛け、全身全霊の 集中力で俺の魔力の結晶を翔ばす。電信柱が俺の誘導圏内を飛び出 679 し、今、まさに今、振り返った姿勢から改めて水場に視線を移そう とした奴の肩口から串刺しするような格好で突き刺さった。 貫通こそしなかったものの、電信柱のお尻は奴の体内にある。も う少しで完全に貫通したのにな。まあいい、俺は獲物を検分するた めに立ち上がり、ゆっくりと歩いていく。鑑定すると状態は死亡を 通り越して︻ホーンドベアーの死体︼になっている。即死を通り越 したようだな。あのでかい体を貫通するほどの勢いで電信柱をぶつ けたのだ。幾ら耐久の値があってもHPは一気にマイナスになって いるだろうしこれも当たり前だろう。 はっはっは。やったぜ。遂にやってやった。ストラップで肩に担 いでいた銃剣から剣を取り外し、それを意気揚々と振り回しながら 鼻歌さえ口ずさみたい気分で歩いて近づいていく。取り合えずこい つから残っている肝を取って腹の肉を多少削って帰れば今晩はあの 美味しい熊鍋だ。ゼットとベッキーも喜ぶだろう。おっと魔石も回 収しないとな。 ここ数日、思い切り塩胡椒の効いたベーコンばかり齧っていたか らジューシーで新鮮な肉を心ゆくまで堪能出来る期待に胸を膨らま せる。楽しみだなぁ。あ、そうだ、解体するなら長剣じゃなくてナ イフのがいいか。いやいや、あんなでっかい熊だし最初は剣じゃ無 いと切るのも大変だ。ああ、キャンプに置いてあるゴム引き布やハ ンモックを諦めればもっと沢山肉を持って帰れるだろう。ハンモッ クとかはあとで取りに来ればいいや。まだ早朝だし、今日のうちに 往復くらい充分に出来るだろう。次は誰か人を連れてきてもいいし な。 ホーンドベアーの死体まであと50mくらいだろうか、傍に何か 居るのに気づいた。びくっとして剣を握りなおす。同じ毛色なので 680 気がつかなかった。あと、出しっ放しの鑑定のウインドウに隠れて いたのも原因だろう。子熊だ。体長1mもない子熊がホーンドベア ーに寄り添っている。こいつの子供だろう。子熊は俺など眼中に入 らないのかしきりと母熊に体を寄せているようだ。もう乳離れ出来 ているのかいないのかは解らないが、きゅるると鳴いている。 ああ、お前はこいつがいたから振り返っていたのか。こいつがい たからここ暫く姿を見せなかったのか。 とにかく子熊がいるからには父熊もいる筈だ。昔は番で殺したの だ。鑑定のウインドウを消し、さっと姿勢を低くしてあたりの様子 を窺う。暫く観察したが特に大型の動物はあたりには居ない様だ。 父親が傍に居ないのは意外な気もするが理由なんか考えても解るは ずも無い。 視線を戻すと子熊はまだ母熊の死体の傍にいた。母親が死んだこ とを理解できないのか相変わらず、きゅるる、きゅるると鳴いてい る。一見すると可哀想で、同時に愛らしくもあるが、こいつはホー ンドベアーだ。鑑定にもホーンドベアーと出ている。放って置いて もいずれ死にそうな気もしないではないが、魔物に違いない。いや、 ただの獣かも知れないが、咆哮なんていう特殊技能は普通の獣では 持っていないだろう。 10mくらいまで近づき、用心深く様子を窺ってみるが、子熊は 相変わらずこちらには注意を向けてくることは無かった。俺くらい の小さな尻をこちらに向け、子熊はしきりと無反応な母熊に何か訴 えるように泣き声をあげていた。お前のお袋さんはたった今俺が殺 した。可哀想だが仕方ない。場合によっては数年前の俺がこうなっ ていたかも知れないんだ。そして、俺は可哀想という理由でお前を 見逃すつもりは無い。 681 大きくなったらゼットやベッキーに襲い掛かるかもしれないお前 を放って置くのは無理だ。右手に剣をぶら下げたまま、左手を子熊 にかざす。そして、青く光る掌から電撃が放たれる。ぎゃん、と鳴 いて子熊が倒れこんだ。再度鑑定し死亡を確認した後、子熊に近づ くとゆっくりと胸に剣を立て、解体する。そして、母親のあいつも 解体する。 肝を取り、腹の肉を削ぎ、それらをゴム袋に入れる。そして電信 柱が貫通し飛び散った肉片から魔石を探し当て回収する。子熊の魔 石はまだ黒っぽかった。二つの魔石を結合させることなく、俺はそ っとポケットに入れた。 682 第五十三話 決着︵後書き︶ 次回で第一章は終わりです。 683 第五十四話 独り立ち 7442年2月30日 一度村に戻り数人でまた水場まで出向いてホーンドベアーの死体 を回収してきた。勿論、残してきたキャンプの為の道具の回収が本 来の目的ではある。ホーンドベアーの肉は可食部は非常に美味しい 部分と大して美味くはない部分とではっきりと別れており、筋肉量 が多いとあまり美味くはないようだ。腹肉は脂肪分が多く、筋肉量 が少ないので美味いのだそうだ。だが、別に食べられないわけでは ないし、回収可能なら回収した方が良いので回収しに行ったのだ。 特に子熊は筋肉部でもそれなりに柔らかく、脂肪分も全身にあるの で結構美味だろうとのことだ。以前と違い、今回は子熊がいたこと もわざわざ人を出しての回収の決め手になったと言う事だ。 ほかの動物や魔物に荒らされていないか心配したが、たまたまだ ろうか、肉食の大型動物には目を付けられなかったようだ。この水 場周辺ではホーンドベアー以外の大型肉食動物は夜行性のものも含 めて少ししかいないし、ホーンドベアーの死体を荒らすのはコボル ドかゴブリンだろうと思っていたのだが、どうやら見つかるのを免 れたらしい。従士達の話によると、ホーンドベアーが使っていた水 場であれば、そもそもコボルドやゴブリンなどは獣と違って頭が良 いから近寄らないようにしていたのかもしれないとのことだ。ファ ーンをはじめとした従士達はホーンドベアーの死体を見て、その凄 惨な有様に仰天していたようだが、黙々と解体し、全員で担いで帰 ることにした。 母子熊の肝と腹肉は家族にとても好評を博した。中でも甥と姪は 684 口の周りを肉汁でベトベトにしながらにこにこしている。その光景 を眺めながら、俺はやらねばならないと決めていたことが無事片付 いたことに肩の荷を下ろした気持ちになっていた。 ・・・・・・・・・ 7442年3月1日 翌日、俺は家の修理をしていた。最後に出来るだけ住みやすい家 にしておきたかった。14年も暮らしていればそれなりに愛着もあ り、昔から不便だと思っていながら放置していた所を中心に直して いる。来月にはここを出るのだから、今のうちにやれることはやっ ておこうと、地魔法で石を出し、それを組み上げて塀を強化したり、 共同浴場に使っていたシステムを流用して家の脇に石混じりの土山 を作り、その上にゴム張りの風呂桶くらいの貯水タンクを設置して ゴムホースを家の中まで引き、簡易的な水道を作るなどしていた。 ゴムホースの一つはそのまま屋外に引いて、ゴムで作ったシャワ ーヘッドに接続すれば魔法が使えなくても使用可能なシャワーの出 来上がりだ。ファーンは火魔法が使えないので水を出すだけだが、 貯水タンクくらいの量であればレベル5の火魔法が使用可能なシャ ルが温めれば問題はあるまいと思った。風呂を作っても良かったが 風呂はもう共同浴場があるのだし、わざわざ家に作る必要はないと 思ったのだ。 これらの作業と並行してファーンに貯めてあった鉄とニッケルや 685 クロムなどの金属類を渡し︵これらは殆どが鉄だが全部で4kg以 上あるから火魔法さえ使えるなら合金も作れるし、なにか武具を作 るのにも役立てられるだろうとの考えだ︶、昔使っていた銃剣はミ ュンの息子であるアイラードにあげた。俺と同じアルだし、練習し て使えるようになって欲しいとミュンに言ったらお任せ下さいと笑 って受け入れてくれた。何を任せるんだよ。 こうして俺の家で過ごす最後の時間はゆっくりと過ぎていった。 ・・・・・・・・・ 7442年4月5日 ウェブドス侯爵の騎士団へゴムの納品に行くついでに俺も旅立つ ことにした。いつものようにヘガードに率いられて出発するゴムの 納品の隊商は今回は大人数だった。いつもはヘガードの他にはゴム 製造担当の従士から一人とファーンかシャーニのどちらか、あとは 護衛の従士が二人、荷馬車の御者として二人の従士の合計7人だが、 今回は兄夫婦とシャルまで同行し、俺を入れて10人の大所帯とな った。キールまで約220km、六泊七日の旅だ。 俺は新調した自作の編み上げブーツを履き、最新型のゴムプロテ クターを装備するとゼットとベッキーを抱き上げて頬ずりし、銃剣 をストラップで肩に掛け、馬車の横について歩き出す。次にこの村 に戻るのは最低でも2∼3年後だろう。勿論その頃には体に合わな くなっているであろうゴムプロテクターを新しく作り変えるためだ。 686 きっとその頃にはゼットとベッキーの魔法の修行も始まっている だろうし、ゴム製品も増えている可能性がある。村も今以上に発展 していることだろう。それに、ファーンが士爵位をへガードから継 いでいることだってあるかも知れない。尤も、見聞中に俺が横死し ている可能性も否めないではないが、今考えることじゃないだろう。 俺の旅立ちを村中の人が見送ってくれた。いつかのミルーのよう に。 その中にアイラードを抱いたミュンもいた。その姿を見て昨日挨 拶のためトーバス家を訪れた時のことを思い出す。必ずミュンに伝 えなければならないと思い、決心した俺はミュンに﹁キールに行っ たら必ずべグルという奴を探し出して後顧の憂いを断つ。必ずだ。 だからミュンは安心してくれ﹂そう伝えた俺をミュンは優しく抱き しめてくれ言ったのだ﹁アル様、私は今凄く幸せです。ありがとう ございます﹂俺は胸を叩いて、大船に乗った気で任せろと請け合っ たがこんな慣用句はオースにはなかったので通じなかった。 だが、ミュンは﹁何かの役に立つかもしれない﹂と言ってサグア ルの腕輪を俺に押し付けた。どうせミュンしか使えないものだし要 らないと断ってもミュンは譲らなかった。﹁売れば幾らかにはなる でしょう﹂とも言われた。しかし、これはミュンが昔から持ってい たもので、彼女の為に作られた魔道具だ。俺が持っていても役には 立たないだろうし、何よりミュンがどう思おうとこれはミュンの両 親から貰った唯一の品の筈だ。いや、ミュンから実の両親を恨んで いるなんて言葉を聞いたことないから知らないけど。折角の厚意だ が、これは受け取れないと言った俺にミュンは、では代わりにと魔 石をくれた。直径3cm程で色はかなり白っぽくなっていた。 687 きっと、昔から夜の狩りで貯めていたものだろう。価値は十万を 超えていた。金貨くらいの価値がある。ミュンはあまり大物を狩っ てはいなかったからここまで貯めるのにバークッドに来てからの戦 果を全てつぎ込んでいたんじゃないだろうか。15年くらいかかっ たはずだ。じゃあ、交換しようと言うことで俺はこの前倒したホー ンドベアーから得た魔石をミュンに渡した。こっちの直径は5cm 近いが色は灰色で価値はミュンのものと同じくらいだ。これならい いだろう、ミュン。俺はミュンには既にいろいろ貰っているのだ。 これ以上は負債超過で俺の心が耐えられないよ。 昨日のことを思い出しながらじっとミュンを見つめるとミュンは アイラードの手に自分の手を添えて振ってくれた。 ・・・・・・・・・ 7442年4月12日 予定通り侯爵領の首都キールに着いた。俺はこの世界に転生して からバークッド以外の村や街を見るのが初めてだったので途中で通 り過ぎたドーリットやバルゴーの街でもずっときょろきょろと辺り を見回していた。だが、それらの街はバークッドの拡大再生産とい った感じだったのに対し、ここキールは都市と呼んでもまぁ差し支 えない感じだ。 建物は石造りのものが多く、使っている漆喰も上等なものに思わ れる。町並みも地形に沿って無計画に伸びた感じは少ないが、古く 688 からあるような建物もかなりあるため、昔から計画的に都市として 開発されてきたことを窺わせた。街の中央を流れる川も水量は豊富 そうで街全体が明るく活気があって豊かな印象を俺に与える。町並 みを眺めながら通りを歩き、中心街を少し外れた辺りの騎士団の詰 所まで行った。石造りの塀で囲われた立派な建物だ。既に顔パスに なっているのか誰何される事も無く、門内に入ると騎士団の下働き だかの従士よりも身分の低い者たちがばらばらと集まってきた。 通りかかった数人の騎士や従士にへガードやファーン、シャーニ が挨拶される。そして会計か輜重担当者であろう人間が連絡を受け たのか、駆け寄ってきて、納品物の検分が始まった。検分はざっと ではあるが滞りなく進み、じきに終わった。もう夕方近い時刻であ るためか今晩と明日の昼頃までかけてしっかりと検分し、代金は明 日の夕方に支払われるそうだ。つまり今日と明日の夜はキールに宿 泊するのだろう。ファーンとシャーニとはここで一時別れることに なる。 彼らは今晩はシャーニの父親であるセンドーヘル騎士団長の家に 宿泊するらしい。残されたヘガード以下の面々はいつも常宿に使っ ているところがあるそうで、今回もそこに宿泊する予定らしい。ビ ンス亭という宿に行くと店の主人だか番頭だかがヘガードに丁寧に 頭を下げていた。 今日はヘガード達と一緒に晩飯を食べ、この宿に泊まる。村のみ んなとも今日明日でお別れだし、初めて酒を勧められた。ぬるいビ ール︵エールだろう︶で乾杯し、ちょっと高級な料理に舌鼓を打っ た。ぬるいとは言え、久しぶりに飲んだ酒は美味かった。よほど火 魔法で温度を下げてやろうかと思ったが。ヘガードは酒にはあまり 強くないので、美味くて飲みすぎでもしたらまずいから止めておい た。 689 翌日、朝から両親にキールの主要な場所を案内して貰い、夕方に は宿に帰った。宿では騎士団の経理担当者が待っており、今回の納 品分の支払いを行っている。俺は両親が途中で購入した土産物など の荷物を置きに部屋に行き、淡々と流れていく最期の時に思いを馳 せていた。暫くぼーっとした後、宿のロビーに行くと支払いと雑談 を終えた経理担当者をへガードとシャルが見送っているところだっ た。そこに丁度いいタイミングでファーンら兄夫婦が戻ってきた。 家族が揃っていることを確認したヘガードは全員で集まる為、部屋 に集合しろと言う。彼らはバークッドに向かって明日の朝から出発 する予定だから、最後に話がしたいのだろう。 部屋に集まった家族を前に、へガードが俺に話しかける。 ﹁アル、お前に渡すものがある。当座の金だ﹂ ヘガードはそう言うと、金貨を20枚渡してくれた。すごい大金 だ。今ではその価値がわかる。 ﹁こ、こんなに⋮⋮。いいんですか?﹂ あまりの大金に目眩がしそうになった。確かに俺はかなりの金を 稼いだろう。金額だってこの何十倍にもなっているとは思う。しか し、金貨20枚は価値としては日本円で約二千万円。地球の発展途 上国並みのウェブドス侯爵領の田舎に行けば一人なら贅沢さえしな ければ10年以上遊んで暮らせる金額だ。勿論、きちんと税を払っ た上でだ。いくらなんでも14歳の小僧にいきなり渡していい金額 じゃない。 ﹁あと、金貨だけだと不便だろうからな。銀貨と銀朱、銅貨も渡し 690 ておく﹂ ついでに銀貨30枚と銀朱2個、銅貨30枚を渡された。合計し て金貨一枚分には少し満たない額だが、それなりの金額だ。 ﹁いいか、財布には銅貨全部と銀貨を2∼3枚だけ入れておけ。あ との金は絶対に盗まれない場所に隠せ。それから、これをやる﹂ スリだか強盗だかに対する対策と一緒に渡されたのは木札だった。 宿に宿泊している客の馬や、馬車の番号札だ。この札と引き換えに 預けている馬だとか馬車だとかを用立ててもらえるようになってい る。このビンス亭というのはそれなりに高級な宿だからな。しかし、 これは一体⋮⋮? ﹁お前には馬も用意した。馬具もすべて揃えてある。出発する時は 宿の者にその札を渡せ。この宿の代金はこの先10日分は先払いし ている。その間の飼葉や世話も頼んである﹂ 一体どういうことか、ぽかんと口を開けたままの俺にとんでもな い財産まで用意してあると言う。何が起こっているのかよく理解で きない俺に、ファーンが言う。 ﹁馬は俺が騎士団で騎士になった時に乗っていた奴だ。気立ても良 いし、よく言う事を聞く。今は7歳くらいだし、頭も良いからお前 にぴったりだと思うぞ﹂ え? 馬は兄貴が用立ててくれたのか? ﹁あ、あの⋮⋮ありがとう⋮⋮ありがとうございます。可愛がりま す﹂ 691 ようやっと礼が言えた。 ﹁次は私ね。アル、これを持って行きなさい。ロンベルト王国の国 内ならどこに行っても通用するわ。これは貴方がウェブドス侯爵を 後ろ盾に持っているという証明になるわ。何か困ったことがあれば 役人や騎士に見せなさい。小さな村でも領主に見せれば解るはずよ﹂ シャーニはそう言うと、縦10cm、横5cmくらいの銅板を渡 してくれた。銅板にはなにやら精緻な紋章が彫ってあり、裏側には 署名っぽい彫刻と今日の日付が彫ってあった。これは貴重なものじ ゃなかろうか? ﹁あの、シャーニ義姉さん。いいんですか? その、このようなも の⋮⋮﹂ ﹁いいのよ。持って行きなさい。だけど、それは貴方の身分を保証 するものだから、無闇に他人に見せびらかさないようにね。万が一 無くしたりして悪用されたら問題になるからね﹂ シャーニが微笑みながら言った。 ﹁義姉さん、ありがとうございます。決して無闇に見せるようなこ とはしません﹂ ﹁じゃあ、アル。最後は私。これを持って行きなさい。大きな街な ら魔道具を扱っている店で必ず買い取って貰えるわ。お金に困った ら売りなさい﹂ シャルがそう言うと、俺の手に袋を渡してくれた。この袋は、魔 692 石を保管している袋じゃないか! ずっしりとした重みからかなり 多くの魔石が入っていることがわかる。ひとつに固めていないのは 小売や使用する際の便を考えてのものだろう。 ﹁あ⋮⋮母さん、ありがとうございます。父さん、母さん、決して 無駄遣いはしません﹂ 頭を上げられなかった。有り難くて涙が溢れる。 ﹁アル、俺たちはお前が無駄遣いするなんて思っていやしない。必 要な時に必要なだけ使えばいい。それから、キールにはしばらく滞 在してみるのもいいかも知れん。少なくとも宿代を払ってある10 日くらいは滞在して街の様子に慣れておいたほうがいい。この宿は 部屋に荷物を置いておいても大丈夫だ。信用が置けるからな。さぁ、 最後の食事にしよう。ファーン、今晩はダックルトンのレストラン を予約してあるんだろう? 早速行って美味い物を腹いっぱい食お う﹂ ヘガードはそう言うと、膝を打って立ち上がった。 その晩は大いに飲み、食べ楽しんだ。 両親や兄夫婦からは村で何度も聞いていた都会の常識や俺の経験 したことのない慣習などについて何度目かの説明を受け、夜も更け ていった。 翌日、朝日が昇り、暫くしたくらいに皆は家路についた。 俺は、ついに独立して生計を営むことになったのだ。 693 第五十四話 独り立ち︵後書き︶ これで第一章は終了です。 ここまでお読みいただきありがとうございました。 第二章は来週くらいからスタートの予定です。 今週末は章構成の変更などで意味のない更新情報が飛ぶと思います。 おまけとして週末は幕間を少しだけ入れさせていただきます。 694 第一部終了時の登場人物紹介︵前書き︶ 主要人物のステータスは明日載せます 695 第一部終了時の登場人物紹介 ■主人公とその家族 ︻アレイン・グリード︼通称アル。本編の主人公。 ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:10︼ ︻HP:104︵104︶ MP:7424︵7424︶ ︻筋力:16︼ ︻俊敏:18︼ ︻器用:15︼ ︻耐久:16︼ ︻固有技能:鑑定︵MAX︶︼ ︻固有技能:天稟の才︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.7︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.7︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.8︶︼ ︻経験:117821︵150000︶︼ 生前の名前は川崎武雄。 ︼ 自衛隊を事故で辞め、商社の営業マンをしていた45歳のおっさん。 結婚はしているが事情により子供はいなかった。 ある日列車事故で他界するもオース世界に転生する。 年齢相応に思慮深く、非常に現実的でクレバーな考え方をする。 ゲームなどは子供時分にちょっと遊んだことがあるくらいでよく覚 えていない。 知ってればもう少し楽だったろうにね。 696 村の近くでパラゴムノキを発見し、ゴム製品を作り上げ、いくつも のヒットを飛ばす。 また、幼少期から魔法の修行を行い、膨大な魔力を持っている。 剣にも精通し、その腕は並の騎士を凌ぎ、自衛隊時代からの銃剣格 闘スタイルになると更に強い。 独自のトレーニングで﹁何かの行動をしながら同時に魔法を使える﹂ ようになった。 多分一体一なら大抵の相手に勝てる。 固有技能として﹁鑑定﹂と﹁天稟の才﹂を持っているチート野郎。 家族は大好き。特に兄には憧れている。 自分の国を打ち立てることを夢見、ついに家を出て独り立ちする。 黒髪黒目のハーフっぽい日本人顔。 ︻ヘグリィヤール・グリード︼通称ヘガード。主人公の転生先の父 親。 ︻年齢:43歳︼ ︻レベル:15︼ ︻HP:124︵124︶ MP:9︵9︶︼ ︻筋力:22︼ ︻俊敏:16︼ ︻器用:22︼ ︻耐久:21︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻経験:497821︵560000︶︼ 元冒険者のバークッド村領主で士爵。そろそろ士爵位を長男に渡そ うと思っている。 主人公を含む自分の子供たちに剣の手ほどきをし、従士を鍛え、精 力的に領内のパトロールも行う。 この世界ではかなりの常識人で、家族には深い愛情を注いでいる。 697 ある程度の商才もあり、主人公の才能をある程度見抜いている。 先を見て考えることもできる優秀な人。 容姿はフツメン。 金髪碧眼。 ︻シャーリー・グリード︼通称シャル。主人公の転生先の母親。 ︻年齢:42歳︼ ︻レベル:14︼ ︻HP:78︵78︶ MP:47︵47︶︼ ︻筋力:12︼ ︻俊敏:14︼ ︻器用:31︼ ︻耐久:12︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.5︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.6︶︼ ︻経験:429613︵450000︶︼ 美人。元冒険者の魔法使い。 水魔法、火魔法、無魔法が得意。 主人公を含む自分の子供達に魔法を教えるが、主人公によって齎さ れた新しい魔法の修行方法を実行し子供たちの魔力成長を喜ぶ。 作中では今まで見せていないが、貴族出身の元冒険者だけあって剣 での戦闘も行える。 旦那同様にある程度の商才もあるらしいが、これはもともと公爵家 の出の成せる技かも知れない。 金髪。瞳は緑。 ︻ファンスターン・グリード︼通称ファーン。主人公の兄。 698 ︻年齢:20歳︼ ︻レベル:8︼ ︻HP:94︵94︶ MP:339︵339︶ ︻筋力:15︼ ︻俊敏:16︼ ︻器用:12︼ ︻耐久:14︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.6︶︼ ︻経験:66495︵80000︶︼ ︼ 正義感に溢れ、剣や魔法の修行にも真面目に取り組み、騎士団の野 戦任官で異例の出世をした。 戦術家としての才能もあるかもしれない。 折れず、曲がらず、諦めず、そして素直で思慮深い。 何気にイケメン。当然性格もイケメン。 魔力量も超人的にあり、魔法も地、水、無が高レベルで使える。 まだ若いので求道者の側面もある。よう、肥後ずいきって知ってっ か? いくら出す? 茶髪。瞳は薄緑。 ︼ ︻ミルハイア・グリード︼通称ミルー。主人公の姉。 ︻年齢:18歳︼ ︻レベル:7︼ ︻HP:82︵82︶ MP:866︵866︶ ︻筋力:14︼ ︻俊敏:15︼ ︻器用:12︼ ︻耐久:11︼ 699 ︻特殊技能:地魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.7︶︼ ︻経験:57932︵60000︶︼ 兄以上の戦闘の才能を見出され、超エリート集団の王国第一騎士団 で正騎士に叙任を受けた。 だが、兄以上に魔力があるのは確かではあるものの、剣での接近戦 や槍、馬術など本来の騎士としての才能まで兄以上かは現時点では 不明。 但し、相当な実力者であることは確か。 結構芯が強いところもある普通の女の子。母親似で結構美人。 魔法は風以外が使え、膨大な魔力量により魔法のレベルは高い。 主人公曰く気の毒な胸。本人は気にしてないもんね。うそ、超気に してる。 彼氏いない歴=年齢。お兄ちゃんよりかっこいい人じゃないと多分 付き合わない。 金髪。瞳はこげ茶色。 黒の魔女。 ︼ ︻シャンレイド・グリード︼通称シャーニ。主人公の義姉。 ︻年齢:20歳︼ ︻レベル:6︼ ︻HP:81︵81︶ MP:25︵25︶ ︻筋力:12︼ ︻俊敏:15︼ ︻器用:12︼ ︻耐久:11︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.3︶︼ 700 ︻特殊技能:水魔法︵Lv.3︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.3︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.3︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.4︶︼ ︻経験:39247︵43000︶︼ ファーンの妻でファーンとは同い年。騎士。あることをきっかけに ファーンに押しかけ妻として嫁いできたようなもので、ファーンに ベタ惚れ。 失敗作にもかかわらず続けて行為に及ばれたため、ちょっと前に双 子を生んだ。 見かけたら振り返るくらいの美人。 ウェブドス侯爵の直系の孫であることと、その容姿も相まって実は 侯爵領の首都キールではかなりの有名人だった。 魔力は普通より少しだけ多いくらいだが魔法は全属性が使える。ま だレベル低いけど。 旦那と義弟の求道の対象にされ、多種多様でチャレンジングなプレ イを行わされいろいろ開発されたとか。うそだけど。昼は貞淑、夜 はお察し。 後々超暇になったら騎士団時代の話も書いてみたかったり。 黄緑色の髪。瞳は水色。 ︻ゼルロット・グリード︼通称ゼット。主人公の甥。ファーンとシ ャーニの長男。 ︻レベッカーナ・グリード︼通称ベッキー。主人公の姪。ファーン とシャーニの長女。 二卵性双生児。まだ幼児。 将来、英才教育される予定で祖母はいろいろ計画中らしい。 ゼットは緑色の髪、瞳は茶色。 ベッキーは濃い金髪。瞳は緑。 701 ■バークッド村の人々 ︻ミュネリン・トーバス︼通称ミュン。主人公の家に仕えていたメ イド。 ︻年齢:32歳︼ ︻レベル:9︼ ︻HP:107︵107︶ MP:13︵13︶︼ ︻筋力:17︼ ︻俊敏:18︼ ︻器用:23︼ ︻耐久:16︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.3︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.4︶︼ ︻特殊技能:偽装︵Lv.5︶︼ ︻経験:102366︵110000︶︼ 元デーバス王国の間者。 主人公の対魔物戦闘の師匠であり、同時にこの世界の知識の師匠で もある。 バークッドに来てから不本意に感じ始めていた間者の境遇から主人 公によって一応解放されたことを深く感謝している。 嫁き遅れ寸前で幸せな結婚を果たし、長男を出産する。 風と無魔法が人並みに使える。 また自己のステータスを偽装する技能がある。 容姿は十人並みだが愛嬌のある顔立ち。 レベル9。 ︻ダングル・トーバス︼ミュンの父親。 702 グリード家に仕える元従士。 戦場でほぼ成人のミュンを拾い養子にした善人の爺。 養女ミュンの結婚を機に家督をミュンの夫で婿養子となったボッシ ュに譲った。 レベル10。 ︻ボッシュ・トーバス︼ミュンの夫。 もともとミュンにいい感じだとは思われていたらしい、ドンネオル 家の次男。 トーバス家に婿養子として婿入りし、正式にグリード家に仕える従 士となった。 成人直後から暫く農作業に従事していたため年齢に比して従士とし ては実力が低い。 レベル5。 ︻アイラード・トーバス︼ミュンとボッシュの長男。 主人公が村を出るにあたり、昔から使っていた銃剣セットをプレゼ ントされた。 従士として鍛えられる運命かも知れない。 ︻ベックウィズ・アイゼンサイド︼グリード家に使える従士長。 主人公の家族を除き、村で一番の実力者。 普通は引退する年だが、まだ現役。 レベル13になったばっかり。 ︻ショーン・ティンバー︼グリード家に使える従士。 グリード家に仕える従士の中ではNo2に位置する実力者。 703 多分将来の従士長。 レベル9。 ︻テミス・ティンバー︼ショーンの嫁。 ︻デスダン・ティンバー︼ショーンの弟。 元冒険者なのでそこそこの実力はあるはずだが怪我で冒険者を引退 し、今は戦闘で役に立つのは難しい。 おとなしく農業に従事している。 粗暴なところもあるが、気のいい男。 兄嫁のテミスに片思いしていた。 レベル8。 ︻ラッセグ・ドンネオル︼グリード家に仕える従士。 ボッシュの兄。 主人公の引き立てにより、現在農業は辞め、ゴム専業になっている。 レベル8。 ︻ダイアン・リョーグ︼グリード家に仕える従士の長女。 全属性魔法に適性があったため、最初にゴム専業になった。 ︻ソニア・リョーグ︼ミュンの後任のグリード家に仕えるメイド。 ダイアンの妹。 704 ︻ゲルダン・フリントゲール︼グリード家に仕える従士。ドワーフ。 ドワーフのくせに鍛冶は出来ない。 ︻アルノルト・フリントゲール︼グリード家に仕える従士の長男。 ドワーフ。 最初はゴム担当だったが後に鍛冶担当に。 親父と違って鍛冶の才能があり、主人公の期待したとおりの実力を 発揮する。 ︻ダイス︼グリード家に仕えていた従士の次男。 ミュンと結婚の目もあったのに別の村に婿入り。 ︻テイラー︼グリード家に仕えている従士。 ゴム製品を上手に作る才能に恵まれているが魔法が使えないため専 業にはなれなった。 ︻エンベルト︼グリード家に仕えている従士。 ゴム担当 ︻ユニース︼ジャッド︵故人︶の妻。ウィットニーの母親 ︻ウィットニー︼グリード家に仕えている従士。 705 ︻ジェイミー︼グリード家に仕えている従士の長女。 ︻ジム︼グリード家に仕える従士の長男。 ︻ボグス︼グリード家に仕える従士。 ︻トマス︼農奴。 ︻アン︼兎人族。 巨乳。 ︻ハンナ・シェーミ︼バークッド村の治癒師。自由民。 ︻ザッカリー・ドクシュ︼バークッド村の外れに住む狼人族の狩人。 自由民。 バークッドの軍人以外でこの家族だけがゴムプロテクターを所有し ていた。 ︻ウインリー・ドクシュ︼バークッド村の外れに住む狼人族の狩人 でザッカリーの妻。自由民。 ︻ケリー・ドクシュ︼バークッド村の外れに住む狼人族の少年。ザ 706 ッカリーとウインリーの息子。自由民。 ■ウェブドス侯爵領の人々 ︻ウェブドス侯爵︼領主。じじい。 ︻センドーヘル・ウェブドス︼領主の息子。騎士団長。シャーニの 父親。 ファーンの才能に注目した。 嫁さん三人うち一人は19才。 ︻キンドー士爵︼ドーリットの街の領主 キンドーちゃん。 ︻ベグル︼謎 間者の情報を取りまとめ、デーバス王国に送っている元締のような ものと主人公は予想。 ■王国の人々 ︻トーマス・ロンベルト三世︼ロンベルト王国国王。 ︻サンダーク公爵︼政治家。シャルの祖父。 707 ︻ダースライン侯爵︼筆頭宮廷魔術師。 ︻ジェフリー・ビットワーズ︼王国第一騎士団副団長。 ︻コンラート・アムゼル︼王国第一騎士団に所属する従士。 弟の名前はエディ・アムゼル。棒持って豚追いかけてる。 ︻ユーリ・グロホレツ︼王国第一騎士団に所属する従士。 ■故人 ︻冒険者の男︼ミュンとの接触を命じられて隊商の護衛として来た 男。 主人公の初体験の相手。 ︻ジャッド︼グリード家に仕えている従士。 戦争に行った際に毒矢に当たり戦死。 ︻ジョージ・ロンベルト一世︼ロンベルト王国初代国王。 身一つで建国したのかは謎。 708 709 幕間 第一話 石田雄一郎︵事故当時18︶の場合︵前書き︶ 遅くなって申し訳ありません。 多分明日には修正が終わる、と思います。終わるといいな。 あと、この幕間は読まなくても何の支障もありません。 かなり不快な部分もありますので、途中で嫌な予感がした方はブラ 2013年 09月 16日 ウザの戻るボタンを押下することをお勧めします。 初稿: 710 幕間 第一話 石田雄一郎︵事故当時18︶の場合 あの日は最悪な事が幾つも重なった日だ。 志望校の受験は上手くいかなかった。 付き合っていた子からは他に好きな人が出来たからとメールでフ ラれた。 バスに乗ったら女子高生の集団が耳障りな声で脳天気にくっちゃ べっていた。 何よりも最悪だったのはそのバスが踏切で電車に突っ込まれて死 んだことだ。 ああ、俺は死んだ筈だ。あの事故で俺は電車に突っ込まれるのを バスの車内のつり革に掴まったままその瞬間まで見ていたんだから な。自分の体に鋼材が突き刺さり声も出せないうちに上半身が千切 れかけるところまでは何とか覚えてはいる。 あん時は﹁ああ、死ぬんだな﹂と思っただけだ。派手なスキール 音をまき散らしながら電車が突っ込んでくるのを見て、え? と思 った直後に上半身と下半身が泣き別れ寸前だったしな。 ・・・・・・・・・ しかし、今俺は五体満足で生きている。 711 何を言っているのか解らねーとは思うが、俺も何を言っているの か解らねー。 何しろ、死んだと思ったら死んでなかったんだ。 死んで意識がぷっつりと途切れたと思ったら、治療中っぽい感じ で目が覚めた。 ああ、生きていたんだな、良かった、と思う間もなく泣き叫んだ が。 数ヶ月して周りの状況が飲み込めるようになって仰天もした。 そして、輪廻転生ってあるんだなぁ、でも俺、記憶あるし、神様 も失敗するんだなぁ、とか思っていた。 俺はどうやらルードと言う名前をつけられた赤ん坊らしい。 いや、俺の名前は石田雄一郎だ。 今更言っても詮無いが。 周りを見回すと外国のようだし、これで受験勉強とはおさらばだ な、と思って安心もした。 両親っぽい人たちも外国人のような容姿だったし、日本語は喋っ ていなかったっぽいのでこれは完全に外国だろう。 しかもド田舎であることは間違いないはずだ。 712 何しろ電化製品はないし、両親は二人共死んだときの俺くらいの 年齢だろう。 十代後半にしか見えない。 いくらなんでもこんな若い両親なんてDQNだろ。 いや、外国の田舎ならそれもアリなのか? ・・・・・・・・・ 転生してからどのくらい経ったろうか、何となく両親の話してい る内容について理解できるようになってきた頃だ。 俺は一人の時間が出来る度に少しずつ発音の練習をしていたのだ が、その成果を発揮してみようと思い立った。 記憶を持って転生したのならそれを生かしたほうが有利だろうし、 こんな赤ん坊のうちからいろいろやらかしたら神童扱いされて、今 後の生活もより改善できるかもしれない、と思ったからだ。 まぁ、喋るにしてもタイミングは重要だろう。 何か丁度良いタイミングの時にでも喋り始めるのがいいんじゃな いか、と思い、ゆっくりとその時を待つことにした。 713 そんな折だ、あれが来たのは。 俺はその時まで家の外に出たことは数える程しかなかった。 だが、今俺は夜の帳の中、母親の胸に抱かれて走っている。 足元は星明かりで充分に見えるのだろうか。 他にも何人か一緒に走っていたはずだが、今は母親だけだと思う。 父親はどこにいるのかは判らない。 俺たちは、街だか村だか知らないが、生活していた集落ごと暴漢 やゲリラ部隊のようなものに襲撃を受けたらしい。 だが、聞きなれない単語が耳に入っていた。 信じられないので別の意味だと思い込むようにしていた。 どれくらい走ったのか。 母親は木の空洞に飛び込み隠れた。 多分追っ手を巻くために隠れたのだろう。 隠れると同時に俺の口を手で塞ぐ。 何しろ俺は恐怖のあまり泣き叫んでいたからな。 頭では解っちゃいたんだが、どうしても泣き叫んでしまった。 714 なので、これは追っ手を巻くためには当たり前とも言える行為だ。 それは解っている。 解ってはいるんだ。 だが、感情は恐怖で爆発し、俺は鳴き声を上げようと息を吸い込 む。 母親はそれを見越して俺の口をしっかりと押さえているので、な んとか大声を上げるには至っていないのが救いだ。 俺を庇うように木の空洞の口に背中を向け、片手で俺を抱きしめ、 片手で俺の口を塞ぐ母親。 だんだんと感情を制御し、鳴き声を上げなくなる俺。 息を殺す。 追っ手が草を踏み分けて迫ってくる気配がする。 ﹁ブガッ、ブガガッ﹂ 追っ手の叫び声だろうか、言葉になっていない声がする。 いや、これが追っ手の言葉なのだろう。 今では俺にも聞きなれなかったはずの単語の意味が理解できる。 715 ﹁ブビッ、ブッボビッ﹂ 豚の声帯が何らかの意味のある言葉を喋ろうとするとあんな感じ になるのだろう。 ガサガサという足音、カチャカチャという何か得体の知れない金 属音が近づいてくる。 そう言えば最初に母親に抱かれて走り始めた頃、数人いた連中は いつの間にかいなくなっていたが、捕まったのか? 途中でばらば らに逃げ散ったのだろうか? 今となってはどうでもいいそんなことをふと思い出す。 しかし、父親はこんな時に一体どこで油を売っているのだろうか? 家族の危機のはずだ。 なぜ助けに来ないのか? 足音がすぐ近くまで来た。 どうかそのまま通り過ぎてくれ。 ﹁ブゴッブ、ブギャブギャ﹂ 俺たちは木の空洞から力ずくで引きずり出された。 星あかりで見えた追っ手の顔は、聞き慣れなったかったある単語 を否応なく思い起こさせた。 716 オーク。 この世界では豚人族とも言うらしい。 俺の知っている通りの意味であるなら、絶望と呼ぶに相応しい状 況だろう。 あっという間に母親は汚い縄で縛られ、俺も縛り上げられ、まる で荷物のように担がれる。 母親は泣き叫びながら俺の命の懇願をしている。 オーク共は当然の如くそんな懇願は無視している。 尤も、人間の言葉が解らないのかもしれないが。 解ったところで聞き入れるつもりもないのだろう。 乱暴に運ばれた先は、多分俺たちが暮らしていた集落だろうか? そこここに血の跡があり、多少大きく広がった血の跡には引き摺 ったような跡がのびている。 集落をまじまじと見たのはこれが最初に近かったが、たいして大 きな集落ではなかったのだろう、全部で家が十軒程度だろうか。 井戸を中心に広場がありその周りに家が配置されていたようだ。 広場には数十匹のオークがいた。 717 また、広場の片隅には十数人の死体が積み上がっている。 全く動く様子がないので死体なんだろう。 ここで俺は再度大きな恐怖感に囚われ大声で泣き叫ぶ。 俺の鳴き声に母親も反応して泣き叫んでいるようだ。 と、その時、広場の中から父親の声がした。 母親の名と、俺の名を呼んでいる。 母親は父親に助けを求めるが、俺は泣き叫びながらオークの肩の 上で見てしまった。 井戸のそばで首に縄をかけられ、裸にされ全身を縛られて身動き が取れそうにない父親の姿を、だ。 そして、何匹かのオークに手足を押さえ付けられて陵辱されてい る女性を。 父親の手足に何本かナイフのようなものが刺さっているのが見え る。 と、少し離れた場所にいたオークが父親に向かってナイフを投げ た。 投げられたナイフは回転しながら父親の足にささり、痛みから絶 叫が上がる。 718 俺たちはその傍まで運ばれると乱暴に降ろされた。 俺は未だに力の限りの泣き声を上げている。 リーダー格なのだろうか、一回り立派な体格をしたオークが俺た ちを運んできた数匹のオークを労うような声を上げ、涎を垂らしな がら立ち上がる。 父親が制止の声を上げるが、意に介さずに、数人のオークに合図 をして絶叫する母親の手足を固定させた。 母親に猿轡を噛ませると、あとは予感通りの阿鼻叫喚の図が描か れる。 途中で煩くなったのか父親の首を刎ねさせると、おとなしくなっ た母親を再び蹂躙した。 リーダー格のオークは一通り満足したのか、母親から離れると手 足を押さえ付けていたオークに母親を与えた。 次にリーダー格のオークは未だ泣き叫ぶ俺の傍まで来ると俺を持 ち上げる。 なぜ俺は輪廻転生なんかしたのだろう。 次に輪廻転生をするならもう少しイージーな環境にしてくれよ、 と思う。 そして、豚って牙があるんだな、というのが俺の最後の思考だっ 719 た。 720 幕間 第二話 上野真由里︵事故当時23︶の場合︵前書き︶ 何だか昨日投稿した幕間の第一話について厳しいご感想を頂戴して おります。 ですが、既に転生者全員ではないですがそれなりの人数の幕間を書 いてしまっています。 当然死ぬ人もいます。 でも、前書きで不快な表現もあるし嫌な感じがしたら戻ってと言っ ているのであまり気にしないで書いていこうと思います。 2013年 09月 16日 あ、今回は不快なことはないと思います。多分。 初稿: 721 幕間 第二話 上野真由里︵事故当時23︶の場合 ︵さて、少し時間もあるし本でも読もうかな︶ 上野真由里は昨晩ネットでダウンロード購入した小説を読むため に空いた電車の座席に座ると電子パッドを取り出して読書用のアプ リケーションソフトを起動する。小気味良い滑らかな反応で起動す ると同時に、昨晩の読みかけの部分を表示してくれる。先輩社員に 頼まれた商品サンプルが鞄から転げ落ちないようにしっかりと鞄の 底にある事を確かめると、改めて小説に熱中する。 読み始めて数十分も経った頃だろうか、乗っていた電車が急停止 するようにブレーキをかけるのが感じられる。 それなりにスピードが乗っていたところに急ブレーキを掛けたの だろう、制動による慣性で真由里も抱えていた鞄や電子パッドごと 宙を舞う感覚にとらわれた、と思ったそばから車両の先頭、乗車し ていたのは先頭車両なので、列車の先頭と言うべきだろうが、とに かく運転席のある先頭部分に向かって飛んで行く。 ︵うわっ、なに? 何が起きたの?︶ そう思っている間に充分に慣性のついた真由里の体は頭から運転 席後部の壁に衝突すると、致命的なダメージを受け、真由里の意識 は消失した。 722 ・・・・・・・・・ ・・・・・・・ ︵うーん、なんだか苦しいなぁ、今、何時だろう︶ 目が開いた感じはしないのに視界の右上に﹃14﹄という緑色の 数字が現れた。え? 一体何だこれ? 確か私は電車に乗っていて、 それで⋮⋮。 そこまで思い出し、ああ、あれは事故だったんだろうなぁ、つい てないなぁと思うと途端に悲しくなり泣き出してしまった。緑色の 数字はいつの間にか消えていたが、真由里は何故急に悲しくなった かについて混乱しながら考えたが、どうせ今は病院かどこなのだろ う、と思い直すと、状況を確認したくなり泣くのをやめて声を出す。 ︵あの、すみません︶ ﹁うぎゃ、うぎゃああ﹂ ああ、何だか変な感じだし、体がだるいなぁ。この様子なら大怪 我もしているのかも知れない。顔に傷が残ったら困るなぁ、と考え ているうちに寝てしまった。 ・・・・・・・ 再度目が覚めた時に、また今、何時だろうと考える。すると、ぼ んやりとした視界の右上に﹃18﹄とくっきりとした緑色の数字が 浮かんでいた。あれは何なのだろうか? よくわからないが、急に 空腹感を覚えるとそれが我慢できなくなる。誰かにこの苦しみを訴 えて何か食べさえてもらえないかと声を張り上げる。 すぐに自分のそばで反応があった。看護婦だろうか、真由里を優 723 しく抱きしめると、口になにか柔らかいものが含まされた。きっと 流動食かなにかだろう。真由里は夢中で吸い込むが、薄い牛乳のよ うで、お世辞にも旨いものではない。ただ、重傷を負った自分には 今はこれが精一杯の食事なのだろうことは想像に難くない。とにか く飲むことに専念した。飲み終わったら寝てしまった。 数日で事態は判明する。 時間を確かめようと思うと視界の隅に浮き上がる数字が、時間だ と気付いた時だ。それまでは﹃08﹄とか﹃16﹄などの表示だっ たので意味不明だと思っていたのだが、あるときに﹃06:04﹄ というように変化したのだ。そして、その後に眠るととんでもない 夢を見た。 夢には神だと名乗る存在が現れ、事故について謝罪したかと思う と、転生だの、異世界だの、いまは赤ん坊だのと訳の分からないこ とを続けざまに言って来たのだ。何一つ信じられない、家に返して 欲しいと懇願しても、既に上野真由里は死んでいるので無理だと言 う。そして第二の人生を生きろと言った。 同時に神は真由里の時間を表示する能力︵?︶のことを﹃時計﹄ の固有技能だと言い、あの事故の犠牲者39人がこの世界に転生し、 それぞれ別の固有技能を持っていることと、意識と記憶が連続して いることを説明していた。 まったく理解しがたい状況だ。神が現れたのは事故の後目覚めて 数日後だったからだろうか、まだいろいろと精神状態が混乱してお り、こちらがろくに文句を言う間もなくぺらぺらと喋っていた。質 問も受け付けてくれたが、混乱した真由里は転生した世界について 殆ど重要な質問をすることなく、やっと就職できた会社のことや、 724 両親家族、付き合っていた彼氏の状況などに大きな時間を費やして 時間切れとなったようだ。何しろ僅か20分しか質問は許されなか ったのだ。 当然、20分程度で納得できる情報を収集できたわけではないが、 目が覚めると目の前に文字が浮かんでいたので、これが現実なのだ と理解できた。 ﹁ある意味でここからがこの世界での人生の本番です。未だこの入 口にすら辿りつけていない人もいますが、貴方は39人中最初にス タートラインを踏み越えているのです。これから先、何をするのも 貴方の自由です。 また、もう二度と転生はありませんので、後悔だけはしないよう な人生を送ることを勧めます。最後に、貴方の固有能力から最初に 私に会うのは貴方ではないかと予想していました。未だ事故の記憶 が鮮明な状態で私に会ってしまったことはお気の毒だとしか言えま せんが、それもまた運命です﹂ あまりに人を食った内容に真由里は大いに憤慨し、泣き喚いたが、 すぐに腹が減ってきたので、別の意味で泣き喚き始めてしまった。 ・・・・・・・・・ 6年後、上野真由里、ではなく、ネイレン・ノブフォムは元気に 育っていた。あのあと暫くは憤慨したり、哀しみに暮れたり、諦め たり、また憤慨して最初に戻ったりしていたが、もういい加減に腹 725 がくくれた。 ジタバタしても何もならないことはすぐに理解できたので、とに かく周りを観察し、生き延びることに専念したのが良かったのだろ う、と思うことにして、それなりに新しい人生を楽しむことにした のだ。 驚いたことに自分は人間ではなく、一般的にはノームと呼ばれる 種族らしい。矮人族という呼び名もあるそうだ。ノームと言ったら 白雪姫と七人の小人だったか? いや、あれはドワーフという別の 小人だったような気もする。 小人と言うより大人になっても身長は150cm程にしか成長し ない小型の人間、という感じがする。ネイレンが住んでいる村には 普人族と呼ばれる人間や、精人族と呼ばれるエルフ、山人族と呼ば れるドワーフに小人族と呼ばれるハーフリングなどいろいろな人種 が住んでいた。 殆どが農奴階級だったが、ネイレンの生まれたノブフォム家は自 作農の平民階級であり、村では名士のうちに入っていたので、かな り安楽に暮らせていたのも運が良かったのだろう。特に大きな病気 や怪我などをすることもなく、健康体で成長できたのは嬉しい限り だ。 固有技能の時計には技能のレベルがあった。 こんな感じだ。 Lv0 現在時 Lv1 現在時・分 Lv2 現在時・分・秒 726 Lv3 現在日 Lv4 現在月日 Lv5 現在年月日 Lv6 総合表示︵カレンダー・スケジューラー機能付き︶ Lv7 アラーム︵自分だけに聞こえる︶ Lv8 ストップウォッチ︵1000分の1秒単位︶ Lv9 アラーム︵対象選択1人まででその人にしか聞こえない︶ Lv9になった時点でステータスオープンでのレベル表示はMa xになっているのでこれ以上時計のレベルは上がらないのだろう。 あんまり役に立たない技能だ。それに、あまり時計の固有技能を使 うと眠くなってしまうので最近では必要以上には使わないように心 掛けている。 時計は日時計があるし、厳密に時計で図るような生活なんか誰も していない。太陽の角度や方向で推測できれば十分だし、魔石を使 えば触った人にしか判らないがちゃんとした時計だってある。触れ ば魔石に込められている魔力を少し消費するので、滅多に使われな いけど。 カレンダー機能は結構役に立つけど、これもキューブ型の万年カ レンダーが普通に存在するので、今が何月何日か分からなくなるな んてことはまずない。だいたいスケジューラー機能なんて、こんな 未開地の農民達に必要になるとは思えないし、ストップウオッチな んて一体何の役に立つというのか? アラームは全く役に立たない、 という事もないが、普通に寝起きするだけならまず使わない。 ネイレンは他の平民の子供達とよく遊んだ。新しい遊びを作り出 すのが上手く、リーダーシップもあったので、大人たちからは子供 達の面倒を見させるのにちょうどいい人材として見られていること 727 も計算して立ち回っていたので、村中から﹁よくできた利発で頭の いい子﹂という評価を貰っていた。 ︵うーん、でも一生ここで手作業の農業をやるなんて嫌だなぁ︶ 成長したとは言え、精神年齢でまだ30前の女性だ。それはそう だろう。 ︵家はお兄ちゃんが継げばいいし、私はどうせこんな世界に生まれ たなら大人になったら旅にでも出ようかなぁ、でも一人は怖いしな ぁ︶ 最近は魔法にも興味がある。最初は何か得体が知れない感じがし て距離を置いていたが、村の外に出ることを考えると習得は必要な ことのような気もしてくる。なにしろこの世界にはモンスターとか 魔物とか呼ばれる怪物が跋扈しているらしいのだ。ある程度身を守 る技術は必要だろう。とにかく成人したら魔法の得意なエルフが村 の子供に魔法を教えてくれるのだ。早く魔法を習いたいが、成人前 に魔法を習っても体内にある魔力量の関係でろくな修行もできない うちに昏倒してしまうらしいので、今は我慢するしかないのだろう。 焦ってもしょうがないと思い、今は子供達と楽しく遊んで過ごす。 でも、近いうちにきっと⋮⋮。 728 2013年 09月 26日 幕間 第三話 江藤昭二︵事故当時30︶の場合︵前書き︶ 初稿: 729 幕間 第三話 江藤昭二︵事故当時30︶の場合 ︵良かった、二人で座れるな︶ 江藤昭二は息子の佑太と一緒に乗り込んだローカル線の座席に疲 れた腰を降ろした。先頭車両の一番後部、向かいは優先席となって いる。優先席には先頭側に老人が、後部側に仲の良さげなカップル が2人座っていた。息子を座席の端に座らせると靴を脱がせてやる。 喜んで座席に正座のように座り窓の外を流れる景色を夢中で眺める 息子の脇で、多少なりとも眠ろうとし、程なく列車の揺れと規則的 な音で穏やかな睡眠へと引き込まれた。 先々週、妻が都内の病院で出産を終えて今日の夕方に退院の予定 なのだ。昨日は妻の居ない最後の夜だったので同僚とかなり遅くま で飲み歩いていた。まだ小さな息子の面倒を見るために郷里から母 親が上京しており、佑太の面倒や家事などについては全く心配はな かったのだが、昭二はここぞとばかりにこの数日の夜を満喫してい た。 だが、第二子が生まれたことは当たり前のように喜ばしいし、先 週末に顔を見に行った時は、あまりの可愛さにニヤニヤした笑いが 止まらずヤニ下がっていた。妻にそのだらしのない顔を笑われても、 それが幸せであると思い、表情を改めることもなく、息子と笑いな がら帰途についたものだ。 仕事の関係で出産に立ち会うことの出来なかった昭二を気遣って、 退院の日に有給を消化させてくれた上司にもこの夏にはお中元を贈 ろうかとさえ考えるほど浮かれた気分だった。流石に昨晩の二日酔 730 いはまだ消えては居ないものの、精神的には幸福度100%の状態 で電車に揺られ、幾ばくかの眠りを得られることにすら単純な幸福 を感じていた。 列車が急停車のための急ブレーキを掛けた。 その反動を受けた昭二は息子を庇う暇もなく隣に座っていた男に ぶつかり、勢いのままポールに頭を打ち付ける。 あまりの痛さに涙が浮かぶが、息子を庇おうと、とにかく腕を広 げるが、何かに当たってうまく広げられなかった。 急制動の勢いを受け、宙を飛ぶように滑りながら必死に佑太の姿 を探すと、さっき突っ込んだ隣に座っていた男が、自分のちょっと 先に居てポールを掴んだようだ。 良かった、とにかくあの男の体のどこかに掴まらせて貰えれば⋮ ⋮。 うまく掴まることは出来ず、男に突っ込んでしまった。 男は少しだけ耐えたようだが、息子がそこに突っ込んでくると息 子を抱き寄せた。 その為にポールを離したようだ。 ︵俺の佑太を返してくれ!︶ あまり知らない男に佑太を抱かれたくない。 731 必死で佑太を抱き返そうとして体勢を崩したのか、昭二はどこか にしたたかに頭を打ち付けると意識を失った。 ・・・・・・・・・ その後江藤昭二は何ヶ月かをぼんやりとして過ごした。 だんだんと状況が掴めて来て驚いた。どうやら俺は生まれ変わり という奴を経験しているらしいと思った。そうでなければこの状況 を理解することなど出来はしない。何しろ外国の田舎町にいるのだ。 何がなんだか判らないまま月日は過ぎていく。 あるとき、この人生での両親が使用人と共に俺をどこか寺院か教 会のような場所に連れて行くと、そこで驚くべきことが起こる。今 %︶#%⋮。ネームド﹂ まで理解できなかった言葉の中で理解できる言葉が出てきたのだ。 ﹁ステータスオープン⋮⋮。⋮%$ とか言っていた。明らかにステータスオープンは英語だろうし、 ネームドも英語ではないだろうか。言葉なぞそのうち覚えるだろう と高をくくってぼんやりと日々過ごしていたが、この時から江藤の 生き方が変わった。貪欲に言葉を覚え、理解していく。それと共に 本当の意味での﹁ステータスオープン﹂を知り、驚愕に震える。 一体何なのだ、この世界は? まるでゲームの中に生まれ変わっ たようじゃないか。 732 江藤自身はあまりゲームをやることなく生きてきたこともあるが、 最低限有名なソフトを何本かくらいは遊んできた。それを思い出す と同時についでに思い出したこともある。これがゲームの世界なら、 必ずあるはずだ。そう、モンスターだ。いやだ、あんな生き物が居 るとすれば町から出るのはよそうとさえ思う。そして、効率的に生 きるために更に知識を収集していく。 ・・・・・・・・・ 数年が経ち、そろそろ幼児からギリギリ少年と言っても良いくら いの年齢になった。江藤昭二、改めロートリック・ファルエルガー ズが生まれたのは、この世界でもそこそこ平和な地方であった。そ の地方都市の領主の跡取りらしい。現在、領主は祖父が勤めている が、順調に行けばその二代後の領主になるらしい。確か伯爵とか言 っていたような気がする。伯爵がどの程度偉いのかまでは良く知ら ないが、自分も聞いたことくらいはあるので、上位1%に入る偉さ ではないだろうかと思い、モンスターと戦う必要が無いことにほっ とした。 来年からは剣の稽古をするらしい。 面倒だし、直接戦うことなど無いのだろうからそんな稽古はした くないのだが、伯爵家での決まりらしいので、文句を言っても仕方 が無い。大体、俺の持っている固有技能:耐性︵ウィルス感染︶な んて、モンスターを倒したり、戦争で指揮をしたりするのには何も 733 役立ちそうは無い。そもそも今まで誰に言っても固有技能自体信じ て貰えなかったのだ。今はそんな役立たずの固有技能はないものと 思うことにしている。 13歳になると伯爵直轄の騎士団に強制的に入団させられ訓練を 積み、17歳までに正騎士に叙任されないといけないらしい。それ からまた伯爵家に戻り、将来の伯爵としての勉強をしなくてはなら ないそうだ。今は6歳なのでいろいろと大目に見て貰えているが、 来年、剣の稽古が始まったら一体どうなってしまうのかちょっと不 安だ。 まぁ今まで17歳までに正騎士になれなかった伯爵の家系の人間 は居なかったらしいので、その点は少し安心してはいる。大体、普 通の貴族は騎士団に入団して2年で正騎士になるのだ。伯爵家の人 間の場合、余裕を見て13歳入団、17歳までに叙任、と言ってい るのだろう。 とにかく、今は適当にふらふらしているだけだが、そろそろ覚悟 を決めて剣に慣れ始めないといけないだろうな。 734 09月 27日 幕間 第四話 大野美佐︵事故当時17︶の場合︵前書き︶ 初稿:2013年 735 幕間 第四話 大野美佐︵事故当時17︶の場合 ︵あー、だる。今日これからどうすんべ?︶ バスの中で同級生の仲の良い子数人とだべっている。 いつもと変わらない日常だ。 今日の天気はあまり良くなかったので、正直なところ買い物にな んか付き合いたくなかった。他の子と違って、自分は今日の用意は 既に終わっているのだ。朝礼の後抜け出してきた学校のロッカーの 中には戻ってすぐに配れるように義理チョコが数個入ったままだ。 単に友人のうち間抜けな何人かがチョコレートの用意を忘れてい たので買い物に付き合っただけだ。バスは順調に走っており、あと 10分もすれば学校の前に着くだろう。結局今日は何をしに学校に 来たのかわからない。ああ、それはいつもと同じ日常か。別にまじ めに勉強をするわけでもなく、本気で打ち込んでいる部活があるわ けでもない。 ただ仲の良くなった友人とだべり、多少格好の良い男子や先輩と 遊ぶ。卒業する前にちょっとだけ勉強して適当な専門学校にでも入 れれば言うことはない。馬鹿な親がもう少し小遣いを増やしてさえ くれればもう少し毎日が楽しくなるのに、と言ったところだ。 少し離れてつり革に掴まっている陰気な感じのどこかの男子生徒 を見る。今日、この日で陰気なのはチョコレートをもらうことが出 来なかったか、受験で失敗したかのどちらかだろう。顔の造作はそ んなに悪くは無いようだが、ちろちろとこちらを窺う目つきが気持 ち悪い。悪意を持って見ているのがわかる。 736 友達に彼女が夢中になっている先輩の良さをレクチャーされなが らそんなことを考えていると、大きな衝撃を受けた。一体何が起き たというのだろうか? 乗っているバスが交通事故でも起こしたの か。何も判らないまま大野美佐の意識は途切れた。 ・・・・・・・・・ 次に目が覚めると、そこは薄暗い部屋のようだった。周囲もろく に確認できない。体もだるく、手足に満足に力を入れることも出来 ないようだ。急に意味不明の恐怖感が湧き上がり泣き出してしまう。 ひとしきり泣いたが誰も相手にしてくれない。それどころか目もろ くに見えないようだ。怖くなってまた泣き出してしまった。 一体どのくらいここで過ごしたのだろう。目が見えず、周囲の状 況が掴めない事も勿論だが、とにかく空腹が耐え難い。余計に腹が 減る気がして既に泣くことさえも諦めた。 そんなとき、誰かに抱き上げられるのを感じた。ああ、やっと誰 か来てくれたのだという安心感からうめき声を上げるなり気を失っ てしまった。 ・・・・・・・・・ 737 ドワーフ 数年が経ち、自分を取り巻く状況を掴めてきた。驚いたことに自 分は赤ん坊に生まれ変わっていた。そして、抱き上げたのは山人族 という人間に良く似ているが、人間ではない別の種族だった。だん だんと言葉を覚えたからこそ判ったことだ。 自分は母親の死体の傍で死にそうなところを助けられたらしい。 どういった状況だったのかはまだ判らないが、ろくな状況ではなさ そうだ。また、名前が判らなかったので、勝手に名づけられていた。 ラルファ・ファイアフリードという名前だ。ファイアフリードは姓 なのでどうしようもないが、ラルファと言う名前は可愛いので気に 入っている。 また、自分には固有技能というものがあることが判った。しかし、 親代わりになってくれているゼノムに聞いても固有技能:空間把握 については判らないそうだ。名前からして飛行機のパイロット向き な気がするが⋮⋮この世界に飛行機なんてないんだよね。 ところで、ゼノムは定住していない。私を拾ってくれた最初の1 年くらいは定住していたようだけれど、それ以降は私を連れて旅を しているような感じだ。こういう人のことを自由民とか冒険者とか 呼ぶのだそうだが、冒険者とか、ゲームかよ、と思わんでもない。 しかし、ゼノムは町から町へ旅を続けてあちこちで何らかの仕事 を請け負って金を得ているようだ。こんなの冒険者じゃなくて単な るフリーターのホームレスだとしか思え無い。自由民とか冒険者と か自分を誤魔化して格好を付けているだけだろう。 だが、ゼノムには親代わりになって育てて貰った恩があるし、い 738 くらなんでもこんな事言えない。旅の道中で化け物を殺したり、人 を殺す所だって見たことがあるのだ。最初に見たときには恐ろしく て口もきけなかった。でも、ゼノムはいつも私を守ってくれている ことはわかっているのですぐに許したけど。 ゼノムは普段あまり喋らないし、愛想も良くないけれど、旅の道 中に襲い掛かってくる化け物や緑色の皮膚をした人や豚みたいな人 と戦うときには大きな鬨の声をあげて戦っている。斧を振り回しな がら私を守って戦うゼノムは格好良い。私はまだ全く役に立たない けれど、いつかゼノムの傍で一緒に戦うようになるのかな? まだ何もわからないけれど、ゼノムの好きな味付けで今日も美味 しいスープを作ろう。 739 2013年 10月 05日 幕間 第五話 木内義男︵事故当時32︶の場合︵前書き︶ 初稿: 740 幕間 第五話 木内義男︵事故当時32︶の場合 ︵くあぁぁ⋮⋮眠いな、少し眠るか︶ 監視要員交代のついでに家に寄り、着替えを済ませた俺は本庁へ の出勤の合間に眠気が抑えられなかった。あと30分くらいは眠れ るだろうと電車のベンチ型の椅子に腰掛けた尻を少し前に出してゆ ったりと座り直した。丸一日の監視から疲れた体に鞭打ってわざわ ざ出勤するのは、課長に報告書を提出しろと要求されたからだ。 ひだりまき 今時の左翼運動家は一昔前と違って根性がないから、なにか政府 桜田門 に対して危険なテロリズムを企てているなどということもない。俺 も大学を卒業して早10年、警視庁の公安部で仕事をしているが、 在日外国人が起こす大規模なデモの警備監視がせいぜいで特段大き な事件に駆り出されることもなく過ごしてきた。キャリアではなく、 準キャリアなので警部補にはなれたが、このまま頑張っても警部か ら、ものすごく運が良く大手柄を立てたとして警視で定年だろう。 勤務体系が特殊すぎるので30過ぎだというのに結婚も出来ていな い。なんとか付き合えた女の子達もデートの約束一つ守れない男に は続いても半年で皆振られてきた。 サツカン これが一般の警察官なら同僚に女性警察官が沢山いるからあまり 苦労はないそうだが、警備警察にはあまり若い女性はいないんだよ なぁ。いても売約済だし。交通課の子達とお近づきになりたいがそ んな暇もない。いつもの愚痴を脳裏に思い浮かべながらうとうとと 眠ってしまい、事故かテロか判然としないまま俺は死んだ。 741 ・・・・・・・・・ ぼんやりと周りを見回しても視界に霞がかかったようにぼんやり としている。ここのところずっとそうだ。直ぐに感情も高まり、泣 き出したり騒いだりしてしまうし、上手く喋ることも出来ない。ま た、喋りかけられる言葉も外国語だろう、意味がわからない。 さらに時間が経ち、生まれ変わったことが解った。ヨーロッパあ たりの田舎なのだろうか、家電製品が何もない家だが、作りや調度 品はかなり金がかかっている感じだ。 あるとき、大人に連れられて家を出たのだが、驚いたことに馬車 だった。馬車自体は立派な物だったが、馬車はないだろ、馬車は。 ベンツとは行かないでも普通の車はないのか? ⋮⋮そんなもの無 かった。 田舎道を何日もかけて馬車で移動する。母親と一緒なのが救いだ。 何しろ今まで会った事のない人間が沢山周囲にいたし、剣や槍で武 装していた。この武器を見て現代ではないと当たりをつけたが、あ ながち間違ってはいないだろう。父親は多分まだ見たことはない。 大きな都市に着いた。馬車は漫画に出てくるような馬鹿でかい洋 館に入っていく。え? まさかここが訪問先なのか? と思ってい たらそのまま宿泊するようだ。こんな立派な屋敷に寝泊まりしたこ とはないので素直に嬉しかった。 もう何日も逗留している。そう思っていたら何だか立派な青年に 742 抱き上げられた。高貴な出なのだろうか、仕草がいちいち洗練され ている。なんだか俺をあやすように語りかけてくる。え? この人 は俺の父親らしいぞ。貴族の血筋に生まれたのだろうか。どうやら やはりあの青年は俺の父親らしい。こんな数百年前の貴族か⋮⋮一 生安楽に暮らせるといいなぁ。 俺を産むために母親は実家に戻っていたらしい。俺を産み、旅に 耐えられそうになったので嫁ぎ先の家に戻ってきたということがわ かった。どのくらいの距離を移動したのかは判らないが、何日もか かっていたのだから相当な距離ではないだろうか? 田舎貴族出身 の母親が、大都市にいる貴族に嫁いできて、息子を産むために一時 的に里帰りしていた。子供もある程度成長したので以降は自宅に生 活基盤を戻す、という事だ。 後でなんちゃらの儀式に行くとか言っている。どうやら俺も行く ようだ。あまり興味はないのでずっと寝ていた。儀式はいつの間に か終わっていたようで、俺が目を覚ましたのは帰りの馬車の中だ。 目を覚ましてからは数分で屋敷に着いた。 ・・・・・・・・・ 数年が経ち、いろいろ理解できた。俺はセンレイド・ストールズ という名前でデーバス王国のストールズ公爵家に生まれた。まだ会 ったことはないが、この王国の国王は俺の伯父に当たるらしい。従 兄弟である王子もいるので、将来的には父親の跡を継いで国王の補 佐をする大臣職が約束されているようなものか? いや、嘘を吐い 743 た。適当に言っただけだけど。 デーバス王国は王族主家としてベルグリッド家があり、このベル グリッド家が王家だ。基本的にはこの家に生まれた長子が王位を継 承する。そして、我がストールズ家は王族の中では序列第二位の公 爵家だ。その他、ダンテス家が序列第三位の公爵家として存在する。 ベルグリッド家に男子が生まれなかった場合にはストールズ家かダ ンテス家から王配を迎えるか、場合により婿として迎え、王位を継 がせることもあるらしい。つまり、この三家でデーバス王国を牛耳 っていると言っても過言ではないようだ。また、この三家はどうや らこの時代でも特殊で、血縁関係も複雑なようだ。流石に兄弟姉妹 での婚姻は無いと思いたい、という程度には血が混じっているよう だ。この三家以外は普通の貴族で、侯爵や伯爵に始まり子爵や男爵、 準男爵、更には士爵なんてのもいるらしい。 この血の濁った三家だが、たまには外部の血を入れるため、ほか の貴族から嫁を取ったり婿を取ったりしているらしい。俺の母親は なんとかという地方の領主をしている侯爵家の長女らしい。長女が 産む初孫であり、公爵家の長男か長女を出来るだけ精神的に楽に産 むために一時的に里帰りをしていたということだ。その証拠に俺の 妹が生まれる時には里帰りはしていなかった。 俺は毎日それなりに旨いものを食って健康に育つことが出来たよ うだ。この時代の一般庶民や平均的な貴族達がどんな生活をしてい るかはもともと世界史をあまり学んで来なかったのでよく知らない。 大学受験は日本史だったし、大学でも世界史の講義は取っていなか ったしな。 しかし、生まれ変わって最初の頃は不安もあったが、俺を取り巻 く環境について理解したらホッとした。生まれ変わりって過去の時 744 代にもするんだな。大人になったら政治の世界に行くのだろうが、 それまでは適当に過ごせば良さそうだ。こんな時代じゃ勉強と言っ てもたかが知れているだろうし、世襲の専制政治なんて、まさに日 本の戦国時代や江戸時代さながらだ。適当にやっていてもそれなり に善政をしたとか褒められるような気がする。 また、一夫多妻もあるようだし、専制政治の頂点に近い貴族だか らお手つきもし放題ではなかろうか。うひひ。 ・・・・・・・・・ 6歳になった頃、初めて従兄弟である王子に挨拶をするというこ とで王宮に登城する事になった。将来の上司の顔を拝んでおくこと も悪いことではないし、出来れば友好的に迎え入れられたいものだ。 せいぜい猫を被って気に入られよう。 登城し、王子に面会して驚いた。糞生意気そうな日本人ヅラだっ た。なんと年齢も俺と同じ、どころか誕生日まで一緒らしい。変だ な、と思ったし、妙だな、とも思ったが、それはどうやら先方も一 緒だったらしい。アレキサンダーと名乗った生意気なガキは俺と握 手し、挨拶のために顔を近づけると、周囲に聞こえないように﹃こ んにちわ﹄と言って来た。日本語でだ。 俺は目を白黒させたのだろう、﹃あれ? 違ったかな?﹄と言っ て吃驚している俺を興味なさそうに一瞥すると俺から手を離し、席 に戻ろうとする。こんなチャンスを逃してたまるものか。 745 ﹃待って﹄ 俺がそう日本語で言ったことを確認すると王子はまた手を握り直 して ﹁後でまたね﹂ と言って席に戻った。その後食事会なども催されたが、俺は王子 の顔をずっと見つめているだけで、料理の味も覚えていない。 食事会が終わると王子は俺と二人で話がしたいと駄々をこねて見 せ、別室を用意させるとすぐに俺を連れ込んだ。用心深く誰も聞き 耳を立てて居そうにないことを確認すると、ニヤッと笑い、俺に話 し掛けてきた。 ﹃日本語を話すのは久しぶりだよ⋮⋮。なぁ、あんたも日本人なん だろ?﹄ 何だ? こいつ、何を言ってやがる。 ﹃あ、ああ。日本人⋮⋮だった﹄ 俺だって日本語を話すのは久しぶりだ。それに、なんだか事情通 な感じだ。将来の上司でもあるし、印象よくしないとな。出来れば いろいろ聞きたい。 ﹃だった、かよ。まぁいいや。で、あんたの固有技能は何?﹄ は? 何言ってるんだ? 固有技能? 746 ﹃え? 固有技能? っと、ああ、そうだな。柔道と剣道、かな? 警察官だった﹄ おれがそう言うと、王子は可笑しそうに笑った。 ・・ ﹃あ? ああ、まだなのか。神様には会ってないんだ? それにス テータスも見てないんだな﹄ 神様には会ってない? 一体、何言ってるんだ? ﹃あ、いや。すまない。俺にはあんたが何言ってるのか良くわから ない﹄ ﹃ん∼、見たほうが早いか。じゃあ⋮⋮。そうだな。ええと、セン レイド、君だっけ? このテーブルを触りながら﹁ステータスオー プン﹂って言ってみて﹄ は? 全く話がわからない。噛み合ってないのか? ﹃え? いや、ごめん。何だって?﹄ ﹃いいから、言ってみな﹁ステータスオープン﹂だ﹄ ﹃す、ステータスオープン⋮⋮うわっ、なんだ!? あ? 消えた ?﹄ 驚いた。いきなり視界の右の方に変な青い窓みたいなものが開い てすぐに消えた。窓の中には何か書いてあったようだが、すぐに消 えたので読めなかった。 747 ﹃やっぱりな。次は自分の肌、そうだな、顔でも触りながら同じこ とを言ってみな。手は離すなよ。特に赤い字の所、要注意な﹄ ﹃ステータスオープン﹄ ︻センレイド・ストールズ/15/1/7429︼ ︻男性/14/2/7428︼ ︻普人族・ストールズ公爵家長男︼ ︻固有技能:超回復︼ な、一体なんなんだ? 俺の名前とか数字とか⋮⋮固有技能って これか⋮⋮超回復ってなんだ? ﹃え? 日本語? 漢字? ⋮⋮普人族⋮⋮ストールズ公爵家長男 ⋮⋮固有技能、超回復?﹄ ﹃へぇーっ、超回復か。よくわからんけど、戦闘向きな感じだな。 いいぞ﹄ ﹃っ⋮⋮これは一体⋮⋮?﹄ ﹃うーん、どう説明したもんかなぁ⋮⋮あんたもあの事故で死んだ 口だろ?﹄ ﹃ああ、あの電車の⋮⋮やっぱり事故だったのか⋮⋮いや、俺は直 前まで電車の座席で寝ていたんだ。事故かテロかの区別はつかなか ったし、まぁテロはないわな。事故だったんだな⋮⋮そうだ、あの 事故で死んだんだ、ろう⋮⋮﹄ 748 ﹃うんうん、なにがなんだかわからないよね? 俺も最初はそうだ った。でもいろいろ試したりしてるうちに神に会ったんだ。で、あ る程度説明された。説明、いる?﹄ ﹃ああ、そりゃもう。頼むよ﹄ 神様同士のいざこざに巻き込まれて死んだ。死者は39人。神様 のいざこざを調停する神によって説明がなされた。39人全員がば らばらに転生。ここは地球じゃない。魔法もあるし、モンスターも いる。レベルアップ。一人一つのランダム固有技能。レベルアップ すれば神様に会える。質問タイムは3分。推測によると固有技能を 使えばレベルアップするが、眠くなるので連続使用は控えたほうが いい⋮⋮。 あたまがフットーしそうだよ。 749 10月 06日 幕間 第六話 栗田浩一郎︵事故当時16︶の場合︵前書き︶ 初稿:2013年 750 幕間 第六話 栗田浩一郎︵事故当時16︶の場合 ﹁え? あれってそうじゃねーの?﹂ 正志が俺の隣で独り言を言っている。先ほど購入したゲームの攻 略本に夢中になりながらの独り言なので気持ちが悪い。俺はそんな 正志を横目にスマートフォンで本を読んでいた。正志の買った攻略 本のゲームには興味がないからだ。俺もゲームはやるがどちらかと いうとシューティングや落ちモノなどのアクションやパズル系のゲ ームの方が好みなのだ。クソ長いRPGやアドベンチャーなんて時 間の無駄のような気がしてやる気が起きないからだ。 ゲームなんか暇潰しの為にやるものであって、ゲームをやること 自体を目的にすることの意味が理解できない。尤も、そんな事を主 張しても周りから孤立するだけなので言ったことはないが⋮⋮。あ と10分もすれば目的の停留所に着く。バスの車内には前方の方に 小太りのおばさんとサラリーマン風の男女が数人座っているだけで、 あとは高校生ばかりだ。俺達は車内左側の後半部分にある二人掛け の椅子に腰掛けているが、俺たちより後ろには誰もいない。 ふと前を見ると数人の女子高生の集団が座ったまま姦しく何か話 している。その脇ではつり革に掴まったままぼうっとしている男子 生徒がいる。制服はそこそこの進学校のものだ。その傍に座ってい る男子生徒は始終俯いていて、後ろからだと何をしているのかは判 らない。本でも読んでいるか俺と同じくスマホでも眺めているのだ ろう。 バスが踏切にはいったようだ。路面から伝わる振動が舗装された 751 道路からガタガタの線路の路面に入ったことを教えてくれる。その 瞬間、左から派手なスキール音が聞こえ、反射的に左側を見てしま った。あまりの事態に声も出せず、口をあんぐりと開けるだけだ。 電車が俺達の乗ったバスに突っ込んできた。 一瞬で死ねたのは幸福かも知れない。何しろ苦しむ時間なんか無 かったと言ってもいい。本当に一瞬にして意識が刈り取られた。 ・・・・・・・・・ ﹁う、うぎゃあ、あ、あ、あんぎゃあ!﹂ 畜生、何だか上手く声が出せない。あれから何日か何週間か過ぎ た。目にも靄がかかったようにぼんやりとしか見えない。たまに何 か柔らかいものを口に押し付けられて薄いミルクのような液体に近 い流動食のようなものを飲ませて貰えるのでなんとか命があるのだ ろう。冷静に考えてバスに電車が突っ込んできたというものの、命 が助かったことは本当に運が良かったのだろう。あ、そう言えば正 志は無事だろうか? あのときは俺が窓側に座っていたので最初に 突っ込まれたのは俺のはずだ。俺が助かっているのだから、正志も 助かっているのではないだろうか。 しかし、誰も見舞いに来てくれない。そこまで俺は孤立していな かったし、正志以外にも親しく付き合っている友人は何人もいた。 だいたい、姉と弟はともかく、両親のどちらも見舞いに来ないとは どういうことだ。ああ、そう言えばここは外国だった。変な言葉が 752 ・・・ たまに聞こえてきていたんだった。何言ってるのかさっぱりだが。 ・・・・・・・・・・ 一体何を喋っているんだろう、と思ったら目の前に変な文字列が 表示されたかと思うとその下にカタカナの行、その下に漢字交じり の日本語の行が表示された。日本語には﹁ああ、この子も元気に生 まれて良かったけど、あまり泣かないのはなぜかしら?﹂と出てい る。日本語の文字の単語単語に視線を動かすたびに視線の先の単語 が反転し、上のカタカナの一部とその上の変な文字も一部同じよう に反転する。 暫く単語ごとに反転表記される文字を眺めて、一体これは何だ? と思っていた。何しろくっきりと物が見えるのはあの事故以来初 めてのことだし、目がいかれていないことがちゃんと確認できて嬉 しかったのだ。それまで俺は事故の後遺症か何かで視力が0に近く まで落ち込んでしまったのだと思い込んでいた。 部屋の外から男の声がした。つい、声のした方へ視線を移してし まったら、急激に眠気に襲われた。抵抗しても意味がないのですぐ に寝てしまった。 ・・・・・・・・・ 何回か試して判ってきた。俺以外の誰かがなにか喋っている間か、 その直後に﹁喋っている意味が知りたい﹂と思うことによって翻訳 が出るのだ。﹁何を言っているのか解らない﹂とか﹁解るように喋 れ﹂とかだとダメだ。だが、翻訳をするとすぐ眠くなってしまうこ 753 とも判り、ちょっと憂鬱ではある。カタカナは発音らしいが、よく 聞いていると単に発音に近いカタカナを当て嵌めているようなもの だということもわかった。外国語を無理やりカタカナ表記にするよ うなものだろう。多分そのまま喋っても通じないか、カタコト喋り みたいに聞こえるのではないだろうか。 そうこうしているうちに、ついに会ってしまった。そう、神様だ ってさ。嘘くせぇ。しかし、最初に知識を流し込む形で説明してく れた内容は納得はともかく、筋は通っていることはわかるし、こん なことが出来るのは神様しかしない、と思えば納得せざるを得ない だろう。やっぱりあの事故で死んでいた事はしょうがない。少なく とも俺にはどうしようもなかったことも解った。 まぁ事故自体が人為的な︵神為的?︶な物であったということに は怒りを覚えた。だって、こっちは完全なとばっちりだぜ? 簡単 には許せないが、神様も別に許しは求めていないことはすぐに理解 できた。だいたい、誰がアリを踏み潰したとしてそのアリに許しを 求める? 言い争いか相手を貶めるためか建前かはどうでもいいけ れど、固有技能や記憶を継承したままで新しい人生を貰えるだけで も感謝すべきだろう。そのくらいの分別はつく。 そうそう、固有技能だ。俺の固有技能は﹁言語理解﹂というもの らしい。神様の説明によると知らない言語でもある程度早く理解出 来るようになるというものらしい。翻訳機能自体はおまけのような もので、どちらかというと知らない単語の意味を調べる辞書的な使 い方をした方が有効とのことだ。 また、この世界には固有技能だけでなく、特殊技能というものも 存在し、なんと魔法は特殊技能で、誰でも修行さえすれば使えるよ うになるとのことだ。これは嬉しい。だって、魔法だぜ? 火の玉 754 を撃てるようになるとか、夢がひろがりんぐ。 そして、こうも言っていた。技能は大別して二種類、固有技能と 特殊技能。更に別の分け方だと、先天性のものか後天性のものか。 そして更に別の分け方だと受動的か能動的か。俺の言語理解の技能 は先天性で受動的なもの、且つ固有技能なので世界でも俺一人のも のらしい。勿論辞書のように使うことで能動的発動も可能だそうだ。 だが、能動的に使うと魔力を使うので魔力が無くなる。完全になく なった場合、休息すれば回復するが、俺の体はまだ赤ん坊なのでそ もそもの上限が低いそうだ。増やすには加齢による成長の他は、特 殊技能である魔法を習得してのレベルアップなどの魔力の修行か自 分自身のレベルアップでも増えることがあるそうだ。 要は放っておいても加齢と共に少しずつ増えるが、魔法を使うこ とに代表される魔力の修行、レベルアップなどで増えるということ だ。情報としては充分だろう。それと、重要なことだが、俺を含め たあの事故の犠牲者は39人いて、全員なんらかの固有技能を持っ てこの世界に同時に転生しているらしい。この世界は現在の日本よ りもだいぶ文明の発展が遅れているそうだから、出来れば早急に合 流したいものだ。 一人じゃ不安だしな。ああ、親がいたか。 ・・・・・・・・・ 暫くして体の変調を感じる。だるいし、熱もあるようだ。風邪で 755 も引いたのだろうか。風邪なら栄養をつけて薬を飲んで寝ているの が一番だろう。安静にしなければ⋮⋮薬を飲んで? 薬なんかある のか? ・・・・・・・・・ 咳が止まらない。飯は母親の母乳だけだ。体がだるい。 ・・・・・・・・・ 泣く気力もない。全身の倦怠感と発熱がひどい。咳は相変わらず だ。これはまずいのでないだろうか? ・・・・・・・・・ 体力が限界まで落ち込んでいることがわかる。心配そうな声がす る。既にしゃべっている内容はある程度理解出来るのだが、理解す る気力も無い。脳細胞が働いているだけで体力が減っているのでは 756 なかろうか? 下らない事を考えても体力の浪費だ。 ・・・・・・・・・ ⋮⋮。ああ、しんどい。もう何も食いたくねーよ。寒い。 ・・・・・・・・・ 畜生。ちくしょう。チクショウ。ここで終わりか。悔しいなぁ。 ・・・・・・・・・ 多分もう熱もないだろう。発熱するエネルギーがない。風邪で死 ぬとかw ・・・・・・・・・ 757 ⋮⋮あ⋮⋮⋮⋮⋮⋮。 758 10月 06日 幕間 第七話 研堂阿矢子︵事故当時66︶の場合︵前書き︶ 初稿:2013年 759 幕間 第七話 研堂阿矢子︵事故当時66︶の場合 今日は新宿のレストランで同窓会がある。もう卒業して何年だろ う、50年近くなるのだろうか。何十年も会っていなかった旧友を 思い出すが、思い出せるのはごく親しかった数人で、それも当時の 若く、溌剌とした外見だ。彼らから見た私もそうなのだろうか。こ んなおばあちゃんになっているなんて、笑っちゃうわね。 駅に滑り込んできた列車に乗り込むと、平日の昼下がりのためか 随分と空いている。同窓会の前に買い物でもしようかとかなり早め に出たのがよかったのだろう。車両中程の空いている席に座り、流 れる景色を楽しむ。景色に乗って思い浮かぶ、学生時代の楽しかっ たエピソード。そう言えば数年後にまた東京でオリンピックが開催 されるらしい。前回は在学中に開催したんだっけ。オリンピックに 間に合うように、父が無理してテレビを購入していたことを思い出 す。 あの頃と大して変わっていないようで、大分変貌した景色を見な がら若い頃の記憶に思いを馳せていた。こんな年になっても若い頃 の記憶は色褪せず、輝いている。ああ、そう言えば同じクラスの剣 道部の選手だった男が好きだったな。彼は今どうしているのだろう ? 今日は出席するのだろうか。もう自分には中学生になるような 孫もいるのに、一体何を浮かれているのだろう。 そんな事を考えながら、いつの間にか顔が綻んでいたのを自覚し て急に恥ずかしくなった。あらら、にやにやしていたのを誰にも気 づかれてないわよね。久々に同級生に会うためにちょっとだけ若作 りしてきた化粧を直すふりをして手鏡を出し、覗き込んで誤魔化し 760 た。 手鏡をバッグにしまい、澄ました顔でまた景色を眺める。と、急 に列車が急制動でも掛けたのだろうか、自分も含めて周囲にいた人 達が口々に驚きの叫び声を上げながら車両の先頭に向けて吹っ飛ん でいく。自分も例外なく吹っ飛んでいく。ああ、宇宙飛行士の無重 力ってこんな感じなのかしらん。 ・・・・・・・・・ 苦しくて意識が覚醒してくる。何だか体が締め付けられるようだ。 多分、あの事故でも何とか助かったのだろう。ひょっとしたら大怪 我をして生死の境を彷徨っているのだろうか? 同窓会に行けなか ったのは返す返すも残念だけど、命があっただけでも拾い物だ。き っと主人も心配しているだろう。 心配⋮⋮? 心配だ。主人もそうだが、このまま後遺障害でも残 ったら大変なことになる。心配な感情が抑えられない。 ﹁あ、あ、ああああああああっ﹂ 体の拘束が無くなったことを幸いについ心配で叫び声が出てしま った。これでは看護婦さんや医者に笑われてしまう。ああ、恥ずか しい。 ﹁あ、う、うああああああああっ﹂ 761 *+︶ #$ ︵!=∼>﹂ あまりの恥ずかしさにまた声が出た。 ﹁#$% 外国語だろう、良く判らないが人の声がする。ひょっとしてあの 列車には外国人も乗り合わせていたのだろうか。だとするとここは 大部屋の病室だろう。ああ、でも列車事故なら何十人も怪我を負っ &︷ ¥!!%#!?﹂ ているだろうし、もともと入院していた人かも知れない。 ﹁?︳︸+#︶ 今度は別の人の声がしたが、やはり外国語だ。何を言っているの かさっぱりだ。この病室には外国人しかいないのかもしれない。ま ずいなぁ、私、英語はよくわからないのよね。せっかく同じ病室な のだから、少しは話が出来ると気が紛れるのだけど⋮⋮。以前、病 気で入院したときは同室の人達と仲良く過ごすことが出来て、全く 不安はなかった。しかし、外国人がいるようだ。それも、複数。会 話ができないのは不安だわ。日本語が通じないといろいろ不便だし、 心配。ああ、心配だわ。 ﹁えぁ、あ、あ、うぁぁぁああぁぁぁっ﹂ また泣いてしまった。私ったら、こんなに簡単に泣いちゃうのね ⋮⋮。 ・・・・・・・・・ 762 数ヶ月が経ち、やっと周囲の状況が掴めた。ここは外国らしい。 自分の名前を言って家族に連絡を取って貰おうと努力しても、口が うまく回らず、赤ん坊のような声しか上げられない。それもそうか、 目がはっきりと見えるようになってわかったが、自分の体はどうみ ても赤ん坊になっていた。 おそらく、父親と母親、それにお手伝いさんもいるようだ。家人 の服装や窓から見える景色、家の中の調度品から、ヨーロッパのよ うな感じもする。でも、テレビはおろか、ラジオも携帯電話も無い みたいだ。よほど貧しい家庭かとも思ったが、服に使われている生 地は天然繊維の高級品だし、毛布や布団もポリエステルは使われて いない、天然繊維の手触りだ。 何が起こったのか良く解らないが、これは輪廻転生なのだろうか ? そうでも考えないと自分が赤ん坊になっているということは説 明がつかない。今日も母親の乳房に吸い付きながら薄いミルクのよ うな母乳を飲みながらそう考える。 ・・・・・・・・・ 6年が経ち、すっかり言葉も覚えた。私の新しい名前はレーンテ ィア・ゲグランというらしい。言葉を完全に覚えるよりも先に、こ こが地球ではないことは解った。解った時にはパニックになりかけ たが、母親が抱きしめて必死にあやしてくれたのでほどなく落ち着 763 いた。そう、両親は魔法使いだったのだ。あれは1歳か1歳半くら いだろう。多分二歳にはなっていない頃だと思う。お手伝いの女性 が料理を作っている時に、鍋をこぼしてしまい、足に大火傷をおっ てしまう事件があった。彼女の叫び声と自分の叫び声に慌てて両親 が台所へとすっ飛んできた。 すぐに私には何の外傷もないことを確認すると両親は火傷した足 を魔法で治療したのだ。ぐつぐつと煮えたスープを零して、足はひ どい有様だった。しかし、両親が手を青く光らせ、ゆっくりと足に 近づけ、火傷を触った。すると、信じられないことに表面がべろん べろんになっていた足の皮膚がみるみるうちに回復していく。まる でフィルムの逆回しのようだった。 びっくりしているのは私だけで、魔法によって治療されたお手伝 いさんも、治療されたことに感謝はしているようだったが、魔法自 体にはまったく動じていない様子だった。その後は言葉を理解しよ うと努めつつ、いろいろ観察した。すると、地球ではありえないこ とが、出るわ出るわ。それはもう、驚きの連続だった。 ステータスオープンと唱えながら何かを触れるだけで、その触れ たものの名前などが小さな窓が開いてわかる。電源も来ていないの に電球の様に光る、どう考えても不思議な道具もある。電池でも入 っているのかと思ったらそんなこともない。大体、光を発する部分 が電球ではなかった。ああ、言葉を喋れるようになる前に気がつい て良かった、と思う。 いきなり日本で事故に遭い、気がついたらこの家の赤ん坊になり 変わっていた、などと言っても信じてもらえそうにない。いずれは 言うにしてもそれは今ではない、最低でも成人するなり、仕事を見 つけるなり、自活できるようになってからだろう。 764 ・・・・・・・・・ ところで、魔法については不思議なことが多い。喋れるようにな って暫くしてから、思い切って﹁魔法を教えて欲しい﹂と両親に頼 んだことがあったのだが、答えは﹁もちろん教えるが、それは体が 成長して大人になってからだ﹂と言われた。どうやら大人になる前 は魔力が足りなくて魔法は使えないのだそうだ。 キャントリップス しかし、小魔法は教えてもらえた。小魔法は読んで字の如く、小 さな魔法なのでそれほど魔力は消費しないから良いのだそうだ。そ キャントリップス れほど消費しなくても魔力を消費するならまずいのではないか、と 思ったが、訊いても小魔法なら問題がないの一点張りだ。 キャントリップス 勿論、小魔法と言えども魔法は魔法なので、喜んで練習した。実 はちょっと前に流行った魔法学校を舞台にした映画に憧れていたの キャントリップス だ。別段他にやることがあるわけでもなく、時間だけは有り余って キャ いたのでじきに小魔法は問題なく使えるようになった。しかし、魔 ントリップ 力が少ないと修行が出来ない、というのは本当らしい。私は一度小 魔法を使うと眠るまで使えなかった。どんなに根性を入れ、気合を 込めても使えなかった。 それを両親に訴えると、両親は笑って﹁だから、まだ体が成長し きっていないからだよ。魔力が足りないんだ﹂と言うだけだ。休息 キャントリップス を取れば再度使えるようになるとも教えてくれたのは有難かったが。 そんなことを言いながらも完全に小魔法を使いこなす私を見て両親 765 は﹁流石我々の子だ﹂と嬉しそうにしている。 両親が嬉しそうだとなんだか自分も嬉しくなる。そう言えば、喋 れるようになって分かった事だが、物事の感じ方も若々しくなって いた。口調についてはさほど苦労せずに大人のように喋れるように なったが、なにかを考えたり、感じたり、それを表現しようとする とつい口を突いて出てくる言葉は年相応の可愛らしい言葉になるこ ともあった。意識して喋れば問題は無いが、ちょっと気を抜くと子 供みたいに喋ってしまう。まぁ子供なのだから問題は無いと言えば 無いけれど。 ・・・・・・・・・ 私があまりに口煩く﹁魔法を教えて欲しい﹂と言うのが煩わしく なったのかもしれない。あるとき﹁そこまで言うなら﹂と言って魔 キャントリップス 力を感じるところから、という条件で魔法を教えてくれることにな った。 キャントリップス 小魔法で魔力検知というのがあるらしい。この小魔法を常に失敗 せずに使えるならば魔法の素質があるということだった。両親から は﹁我々の娘なのだから当然素質は有るはず、諦めないでしっかり やるように﹂と言われ、心が引き締まった。前の人生では66年も 生きたのだ。そして、新しい人生を赤ん坊から始めている。前の人 生くらい生きれば合計132歳だ。加えて魔法も使えるようになる かもしれない。こんな幸せがあるだろうか。 766 両親は火を付ける魔道具に魔力を込めるとそこから出る火の魔力 を感じ取ることからスタートさせた。これが魔法の修行の第一歩ら しい。また、私はまだ幼いので、魔法を使えるようになるまでは辛 抱強く修行を積まねばならないそうだ。どうせ大してやることもな いのだ。せいぜい一生懸命修行することについては何の心配もない。 それどころか魔法が使えるようになるという期待感の方が圧倒的に 強い。 今日も私は着火の魔道具の火に手をかざしている。 767 幕間 第八話 小島正志︵事故当時16︶の場合 ﹁え? あれってそうじゃねーの?﹂ おっと、つい独り言が出ちまった。今プレイしているゲームの攻 略本に知らなかった情報が載っていたのでつい口に出てしまった。 まぁ隣にいるのは浩一郎だけだから独り言なんかどうでもいい。そ れよりも今は攻略本に載っている隠しアイテムの取得法の方が大問 題だ。今俺がハマッているRPGの隠しアイテムについての情報が 載っているのでこれは見落とせない。 ゲーム中でその存在を示唆されていたアイテムなのだが、普通に 遊んでるだけだとまず手に入らない。面倒なクエストを特定の順番 でクリアしなければ入手は出来ないと予測していたのだが、攻略本 によるとそれだけでないらしい。ふむふむ、なるほどね。浩一郎は 隣でスマホで小難しい本を読み始めたようだ。本当、こいつはいつ も格好をつけて斜に構える癖さえなければ良い奴なんだがな。 攻略本の内容を咀嚼しはじめて暫くした頃、俺の乗ったバスは電 車に突っ込まれ、当然の様に俺は死んだ。 ・・・・・・・・・ 死んだのだが、転生した。よく読んでいたジャンルの創作小説の 768 題材に選ばれたのかも知れない。 小躍りそうなくらい嬉しかったが、まだ赤ん坊だ。自重自重。だ いたい、転生についてお決まりの説明もなかったから、異世界への 転生なのか、地球の別の場所への転生なのか、時代はいつなのか、 そういった事すら判らなかったのだ。 まだ小さな赤ん坊でもあるし、ここはゆっくりと確かめてもいい だろう。のんびり行こうぜ。 そんなある日、俺の命名の儀式で吃驚する事があった。そう、言 わずと知れたステータスオープンだよ。 こいつは便利で、触って呪文を唱えさえすれば、対象が何であれ 何でもその情報を見ることが出来る。 そして、次に魔法だ。この世界では10人に一人くらいの確率で 魔法が使えるようになるという。 だが、15歳、つまり成人する頃から修行を始め、すぐに使える タイプかそうでないかは解るらしい。成人するまでに魔法の修行を してしまうと、魔力量の関係でいろいろと体に害があるとのことだ。 魔力量の関係でいろいろと体に害がある? 転生系主人公の俺様 には問題ないね。 きっとチートで俺の魔力量はこの世界の常人を遥かに凌駕してい るに違いねぇ。 俺はロンベルト王国のウェブドス侯爵領のバフク村という場所に 農奴の子供として転生した。 農奴とか、すげーハンデだよな。だが、成り上がりにはぴったり だ。 両親や兄弟には魔法の才能がある人はいなかった。たまーに農奴 でも魔法が使えるやつもいるらしいが、魔力量は遺伝が大きいらし いので平民以上や貴族階級でもない限り、そうそう使えるものでも ないらしい。 769 そうか、そもそも俺は魔法使いってガラじゃない。剣で敵をバッ サバッサと切り捨て、押し寄せる魔物の軍勢を薙ぎ払ってゆく肉体 系勇者だったのか。うん、そっちのがわかり易いよな。 そうなると、何が何でも生きなきゃな。貧しいのか餓死するほど ではないが非常に質素な食事だし、赤ん坊のうちに死ぬのも多いら しい。 多分満足な栄養状態ではないから病気などに対する抵抗力も低い のだろう。ここは、親が目を離した隙に盗み食いでも何でもしない といけない。 だが、言葉を覚え始めてから急速に語彙を増やし、口調はどうあ れ大人と同じように小難しいことまで喋り始めた俺に親は相当期待 したのだろう。俺はろくに病気もせず育つことができた。 ・・・・・・・・・ 数年が経ち、俺は更に幾つかのことを学んでいた。まず、もうわ かってはいるがここは地球ではなく異世界だった。万歳三唱! そ して、異世界といえば、そう、魔法や魔物、冒険者だ。ここオース には全部あった。やったぁ! 次はそう、わかるだろ? 亜人だよ。 エルフドワーフ猫兎、なんでもござれだ。いろいろな亜人が入り乱 れて生活している。ひゃっほう! そして、最後、固有技能だよ! 俺の固有技能は有名なあれだ。︻固有技能:誘惑︼これで勝つる ! 俺TUEEEEEEに加えてハーレムまで作れそうだ! 目指 せチートハーレム! うけけけけ。 770 え? 俺TUEEEEEEになってないだろって? こまけぇこ たあいいんだよ。異世界転生した主人公様が弱いわけねぇだろ? 勇者クロフト・バラディーク。正に俺様にピッタリないい名前です。 とうちゃん、かあちゃん、素敵な名前をありがとう! 10歳くら いになったら魔王を倒す旅に出るんだ。そして、行く先々で可愛い 奴隷を手に入れて綺麗なお姫様と行きずりの恋に落ちる。最後に世 界を苦しめている元凶であるところの魔王だか魔神だかを俺と俺の ハーレムがぶっ潰す! ええ、こんな事を考えて悦に入っていた時期が俺にもありました。 俺は強いと思って吹っかけた、同年代くらいの子供と喧嘩してはい つもボコボコにやられ、折角の固有技能の使用方法もわからず、そ れでもメゲずに頑張っていたが、喧嘩には年下以外には一度も勝て ず、誘惑しようと流し目を送った目つきがキモいと言われ女の子達 には全く相手にされず、しまいにはこの黒い髪や黒い目までキモい と言われてしまう始末だった。 いわれ まぁ、いいさ。初期の苦労や誤解、謂なき差別は転生系主人公の お約束と言ってもいい。こんなのよくあるあ⋮⋮ねーよ、畜生。や っぱり異世界でも当たり前に俺は普通なようだ。まぁいずれ誘惑の 固有技能の使い方も解るようになるだろうし、こんな5歳くらいの 幼児期から目立つ必要なんてないのだ。よし、ならNAISEIだ。 NAISEIチートで皆からそんKを集めてやる。何しろ文明レベ ルが遅れている異世界ファンタジー転生の王道といってもいいしな。 そして女の子から﹁キャーステキ、抱いて﹂と言わせてやるのだ。 だが、だ∼れも俺の戯言なんか聞いてくれなかった。そりゃそう か。なんたって5歳だしな。だいたい農業なんかしたことないしわ かんねぇよ。種蒔いて水やって肥料とかやればいいんじゃねぇの? 肥料だってこっちじゃ人糞を発酵させて水で薄めてそれを使って 771 いるようだが、植物の成長のための肥料は、そうそう、あれだ。窒 素リン酸カリ。中学の理科だか社会だかで習ったぜ。窒素は畑を耕 すことで土に混ぜるんだろ。これは既にやってるからいい。リン酸 ⋮⋮置いとこう。カリ、カリカリ。猫の餌か? いやいやカリと言 ったら、そうそうカルシウム、かな? 骨でも砕いて畑の土に混ぜ ればいいのかな? そう言って偉そうにやってみたがほかの畑となんら変わらない収 穫量だった。あれ? どこで間違ったんだろう? 仕方ない。じゃ あここは家畜だ。何故か牛や馬を農耕に使っていなかった。本当、 バカジャネーノ、この未開の土人どもは。でっかいフォークのお化 けみたいなのを逆さにして家畜に引かせるのだ。それで万事OK。 農耕が楽になって﹁流石クロフト、お見それしました。今まで馬鹿 にしてゴメンネ。抱いて﹂と言われるに違いない。むほほ。 早速馬か牛を買ってもらおう。村の領主が馬に乗っているのを見 たことはあるし、定期的にやってくる隊商の荷車を引いているのは 牛だ。ステータスオープンで見たから間違いねぇ。親に馬をねだっ たら﹁そんな金が一体どこにある? 下らない事を考えている暇が あるなら雑草でも毟ってろ、穀潰しが!﹂と言われて放り出されて しまった。なんだよ、先行投資の大切さを理解しない石頭め。 では、鍛冶だ。日本刀を作って俺TUEEEEEE路線だな。日 本刀ってあれだろ? 鉄をかんかん叩いて鍛えればいいんだろ? 確かちょっとずつ硬さの違う鉄をいろいろサンドイッチのように叩 いて貼り付けてあるんだよな。楽勝楽勝。数年かかるが何とか満足 の行く剣を打てた。そしてあるとき、平和なバフク村を襲撃するオ ークの集団。 三軒隣のムカつくダージェスや、いつも俺を小馬鹿にするファー 772 レがオークに惨たらしくやられ、レイチェルやクーリエに乱暴を働 こうとするオーク。その時、颯爽と登場とする俺。オークを頭から 股間までバターの様に切り裂き、あっという間にオークの群れは全 滅だ。﹁クロフト、危ないところをありがとう。今まで辛くあたっ てゴメンネ。でもそれは好きの裏返しなの、わかるでしょ。抱いて﹂ 村に鍛冶屋はありませんでした。はい、終了。 ・・・・・・・・・ 異世界オースだろうと現実は現実だ。厳しかった。 何度も挑んだNAISEIはことごとく失敗し、魔法を覚えよう と修行法を村の治癒師のじじいをだまくらかして何とか聞き出した ものの、修行には糞時間がかかるらしく、畑仕事に支障無いような 連続した修行時間を取ることすら難しかった。ああ、そもそも俺に 魔法の才能は無いのかも知れなかったんだ。貴族じゃなくて農奴だ しな。 そんな糞つまらない毎日を送っていた8歳の頃、俺はついに出会 ったんだ。そう、神にだ。いやいや、決して頭がおかしくなったわ けじゃないぞ。俺はいつだって冷静な男だ。決して取り乱したりは しないのが俺の売りだしな。 俺としてはついにこの時が来たかってなもんだ。どうせ、あれだ ろ? 今までよく我慢しましたね。だからそんな貴方に必殺のチー トあげますとかそう言う奴だろ。 773 ちょっと違ったが大筋では違わない。どうやら浩一郎も転生して るようだな。生きているといいけどな。質問タイムが一分間と余り にも短かったので固有技能の使い方を質問しただけで終わってしま った。相手の体の一部に触れ、相手と目と目をしっかり合わせる。 そして誘惑を使うことを意識しながら相手に聞こえるように相手の 名前を含めて愛を囁く。それだけで相手は俺に誘惑されるらしい。 バニーマン 但し効果は同種族の異性に限られるそうだ。 エルフ なんだよ、じゃあ精人族のレイチェルや兎人族のクーリエには効 果はないのか。普人族だとあんま好みなタイプはこの村にはいない んだよな。ラスルでいいか。 翌朝、起床とともに目覚めた俺ははやる心を抑えてなんとか昼ま で我慢した。昼には大抵の人が農作業の手を休め、弁当のような食 事をしたりするからだ。昼になると弁当の黒パンを一気に詰め込み、 ラスルの家の畑まで出かけ、ラスルの姿を探した。 ラスルは畑から少し離れた川べりで俺と同じような薄い黒パンを かじっていた。早速試してみよう。ラスルの肩に手を置き、こちら を向いたところで﹁ラースリン、好きだ﹂と言ってみる。最初に俺 を見て﹁何だよ、またこいつか。どうせまた下らない冗談でも言う のだろう﹂というような目つきをしていたラスルだが、俺が愛を囁 いたとたん、目つきはとろんとし﹁あんた、ちょっと見ないうちに 結構変わったわね﹂とか言ってきた。本物だ、こりゃ。その後、俺 は前世も含めて生まれて初めて女の子といちゃいちゃした。楽しく お喋りをしている間にあっという間に時間が経つ。 ああ、前世でモテまくっていたリア充共はこんなに楽しいことを 経験していたのか。まぁいいや。俺もこれでリア充の仲間入りだし、 こうして俺のハーレムを作っていけばいいのだ。そして世界を救う 774 のだ。かっけー、俺。 そうして翌日の夕方、農具を担いで家路につくラスルを見た俺は 昨日の続きをしたくなった。いやいや、まだ俺は8歳だし、ラスル はひとつ上の9歳だ。いくらなんでも早すぎる。勘違いするなって。 ちょっと話をしていちゃつきたかっただけだよ。だが、ラスルは親 しげに声をかける俺を見ると今までのように﹁またホラ吹きクロー か﹂というような目つきで﹁何?﹂と無感情に言われた。 ええー? 昨日はあんなにいちゃついたじゃんかよ。もう俺にメ ロメロの骨抜き状態だったのに、そりゃないぜセニョリータ。親し げに声をかける俺に一文節くらいの短い言葉のみで返事を返すラス ルだったが﹁昨日は何かの気の迷い、もう帰るしウザい﹂と言われ てしまった。なんで? その後いろいろ試してみたらどうも一日しか誘惑の効果は持続し ないらしい。そしてあまり誘惑の固有技能を使うと眠くなったり、 腹が減ったのを我慢出来ないようなことになることもあった。誘惑 は一日一回まで。そうしないとダメだな。 一週間︵オースでの一週間は6日で、月曜から土曜までだ。一ヶ 月は5週間で一年は12ヶ月、60週間だ︶も経つと村中に﹁たら しのクロー﹂のあだ名が広まってしまった。ホラ吹きクローよりは 幾分マシかも知れないが、どっちもどっちだろ。そして俺に近寄る 女の子はいなくなった。こりゃいよいよいつか旅立たねばなるまい。 ・・・・・・・・・ 775 俺が12歳になった頃、いつものように隊商が村に来た。この隊 商は一ヶ月ほど前にも村に来て、バフク村を通り過ぎてからいくつ かの村を廻り、侯爵領の首都キールに戻るところのはずだ。この隊 かね 商の護衛3人のリーダーが女だった。いい加減村を離れたかった俺 は予てからの計画を実行に移す。この護衛の女はたまに見る顔で、 人格も悪くない。俺の好みの顔つきではないが、信用できる性格を していると思っていた。だが、正確な名前を知らなかったのだ。今 まで散々試した誘惑の固有技能はレベルアップし、既にレベルは3 になっている。レベルとともに誘惑の効果時間は伸びており、今は 9日間も誘惑の効果は持続する。隊商のメンバーからはジェーンと 呼ばれているのは知っていた。 俺はジェーンに話しかけ、本名を聞き出すと早速誘惑の固有技能 を使い、ジェーンを俺の虜にした。続けて甘い言葉とともに村を出 てジェーンのような冒険者になりたいと話し始めた。 もう30歳近いであろうジェーンが12歳の子供にメロメロにな っているのは不自然だが彼女の目には俺しか映っていないのだ。ジ ェーンは俺をジェーンの小姓のような形で雇うと言う。場合によっ ては身請けしてもいいとさえ言ってくれた。俺もそれは願ったり叶 ったりだ。早速ジェーンを連れて俺の所有者である村の従士のとこ ろまで一緒に行った。 従士に金貨を数枚払ったようであっさりと身請けは終わった。す ぐに家族に別れを告げ、隊商と共に出発した。村では俺が女たらし の才能を発揮してジェーンをたらしこんだと思われているようだっ たが、もうこんなしけた村とはオサラバなのだ。気にしないもんね。 776 誘惑の効果が切れる前に、また誘惑を使い、俺はすっかりジェー ンの情夫のようなポジションになった。これがヒモってやつか。悪 くないな。30歳近いとは言え冒険者で鍛えられている体はぜい肉 など全くない。俺も精神的には既に30歳近いから話だってそこそ こ合うし、甲斐甲斐しく俺の世話をするジェーンには悪感情など抱 き様もなかった。俺の初めてを捧げた相手でもあるしね。大人のテ クニックってすごいわぁ。 こうして何とか金魚のフンのようにジェーンにくっついて村を出 ることが出来、ジェーンに身請けされたことで同様に冒険者になる ことも出来た。冒険者は全員自称だそうだ。冒険者ギルドってやつ で会員証を貰ったり、依頼をこなしてランクを上げたりするのかと 思っていたがそんなことはなかったぜ。 冒険者は文字通り冒険者であって、それ以上でも以下でもない。 普通は貴族の次男坊以下や、平民の次男坊以下、または自由民が冒 険者への道を選ぶことが多いらしい。奴隷出身の冒険者もいないこ とは無いらしいが、貴族や平民と違って戦闘訓練なんかしていない から戦力になりにくいのと、こっちが本当の理由なんだろうが、奴 隷は行動の自由が殆どないことが原因らしい。俺のようなケースは 極めて稀な存在だという事だ。 幾つかの村を廻り何日もかけてキールに着いた。これで今回の仕 事は終わりらしい。護衛の依頼料としてジェーンは金朱を2つとリ ーダーとしての割増料金である銀貨を15枚受け取ると、神社に向 かうと言う。移動中に話していたことだが、命名の儀式で俺をジェ ーンの奴隷から自由民にしてくれるらしい。元の俺の所有者である 従士の販売証明とともに、神社でそれなりの手続きと賽銭に相当す るのだろうか、幾ばくかの喜捨をすることで命名の儀式をすること が出来るのだ。 777 因みに、奴隷から自由民になることは本来は非常に難しい。金貨 数枚する自分の値段の百倍を所有者に払って自分を買い戻す方法が あるが、これは余りにも非現実的だ。一番の方法は今回のように通 常の取引で所有者の変更をして、その所有者が奴隷身分から解放し てくれるのが一般的だ。他には、滅多にないことだが役に立ちそう な奴隷を領主である貴族が従士に取り立てるような時にも今回のよ うなことは行われる。 また、これは余談だが奴隷同士が結婚する際にその所有者が異な る場合、どちらかに売買されるのが一般的だ。金がないときなどは 同格くらいの奴隷と交換での取引となる。子供が生まれた場合、そ の子供は当然奴隷階級であり、所有者は親の所有者となる。出来る だけ奴隷は子供を産んだ方が財産が増えることになるのである程度 の多産は奨励される。 まぁ、それは置いておいて、このために俺はジェーンにくっつい ていたのだ。まぁ成人するくらいまでの間は当分くっついて歩き、 戦闘技術なども鍛えてもらう必要もあるけどね。命名の儀式はあっ クロフト・バラ という間に終わった。早速自分のステータスを確認してみる。 ︻クロフト・バラディーク/11/6/7440 ディーク/13/4/7429︼ ︻男性/14/2/7428︼ ︻普人族・ロンベルト王国ウェブドス侯爵領登録自由民︼ ︻固有技能:誘惑Lv.3︼ ︻特殊技能:小魔法︼ いよっし! これでいい。奴隷階級から無事に脱出することが出 来た。これから頑張ればジェーンのような本当の冒険者にだってな 778 れるだろう。 ・・・・・・・・・ 1年が過ぎ、俺は13歳になっていた。ジェーンはある魔物退治 の依頼で命を落としていた。後ろ盾を無くした俺はお決まりのコー スで街のゴロツキの集団に属していた。冒険者とは名乗っているも のの、正規の依頼を受けるには実力が足りないばかりか、いくつも 依頼を失敗している実績があったり、護衛等の際に役に立たないと 言われたりして正規の依頼を受けられなくなった冒険者の成れの果 てだ。 え? 世界を救う勇者になるんだろうって? バカ言っちゃいけ ないよ。俺はたまに誘惑で女を抱ければそれでいいんだ。わざわざ 金を払って商売女を抱く必要がないだけで充分だろう? ハーレム ? なにそれ美味しいの? ハーレムを維持できるだけの稼ぎなん かあるわけないし、ジェーンの時みたいに適当な女のヒモをやれれ ばそれでいいよ。 それよりグループのボスであるべグルの兄貴にくっついていりゃ かなり面白おかしく暮らせるんだ。しょっぱい犯罪でもそれなりに 稼げるしな。おお、そうだ、オースにはケシの花はないのかな? あれがあれば大儲け間違い無しのはずだ。ちょっと貯金して見て探 しに行くのも良いかも知れないな。花を見かけたら片っ端からステ ータスオープンしてみりゃそのうち見つかるだろ? ケシがなくて も大麻ならすぐ見つかりそうだ。あれってシダ類なんだろ? シダ 779 なら俺にもわかるだろう。 こうやって転落人生を歩んでいた俺だが、あるとき、たまたま入 った食堂で、久々に上玉を見つけた。黒髪黒目の女だ。俺のゴース トが﹁転生者ジャマイカ?﹂と囁いた。 780 幕間 第九話 篠原隆雄︵事故当時44︶の場合︵前書き︶ 例によって非常に鬱な話です。短いですし、オース世界の重要なこ とも書いてませんので読み飛ばしても一向に差し障りはありません。 気持ちが沈むような話が苦手な方は戻るボタンを押下することをお 勧めします。 なお、今日はもう1話アップします。 781 幕間 第九話 篠原隆雄︵事故当時44︶の場合 今日も今日とて変わりばえのしない退屈な仕事中、いつもと違う ことが起きた。俺の運転する列車が事故を起こしたのだ。それも旅 客運転中に路線バスと衝突するという最悪の事故だ。なぜ信号は停 車を示す赤にならなかったのだろう? なぜ何重にも予備回路のあ る各種保安保安ブレーキが動作せず手動でないとブレーキをかけら れなかったのだろう? いまさら思い返しても詮無いことではある が、納得はし難い。 踏み切りに進入してきたバスに気がついてブレーキをかけたが、 時速70kmという高速で走っていた列車が完全に停止するにはあ まりにも距離が短すぎた。バスの横腹に衝突し、バスの屋根が衝突 した衝撃で一部剥がれたのはちょうど運転席から飛び出し、列車の フロントガラスに俺の頭が打ち付けられる時に見えた光景だ。 ・・・・・・・・・ ああ、俺はなんというひどい事故を起こしてしまったのだろう。 なぜもう少し早くバスに、いや、遮断機が上がっていることに気が つかなかったのか。信号はいつもと変わらない青で、だから大した 減速もせずに運行を続けたのだ。もう20年も運転士をしているか ら信号の見落としはありえない。これは自信を持って言える。 782 だが、事故は起きた。きっと何十人という規模の夥しい死者や怪 我人も出たことだろう。その保障で会社にも大損害を与えたことだ ろうし、ことによったら俺も刑事罰の対象になるかもしれない。こ れじゃ家族にも顔向けが出来ない⋮⋮。まして事故死や大怪我を負 った人達に対しては詫びる方法すら思いつきはしない。 そうだ、事故とは言え俺は人殺しだ。大量殺人者だ。許されるわ けがない。仕事は完璧にやっていたつもりだったが、経緯はどうあ れ、俺の責任において発生した事故だ。 ⋮⋮しかし、苦しいな。⋮⋮あ、こんなことを考えていられると いうことは俺は助かったのか? 助かってしまったのか!? 苦しい。 あの様子じゃかなりの死傷者が出たのは確実なのに、列車の運転 者である俺は助かってしまったと言うのか!? 何という事だ! 苦しい。 許されないだろう! 何故俺が助かるのか!? 苦しい。 783 ﹁ううううぎゃああぁぁぁぁ!﹂ 赤ん坊のような泣き声が出た。 思い切り声を上げて泣いたのはいつ以来だろうか。 今の俺に出来ることは泣く事くらいしかない。 ・・・・・・・・・ 腹が減っては泣き、なにか飲ませてもらう。 眠くなっても泣き、またなにか飲まされそうになるのを嫌がって 泣き疲れていつの間にか寝てしまう。 こんな日を幾日送ってきたのだろうか? もう嫌だ。 毎日事故のことが頭をよぎり、苦しんで亡くなったであろう犠牲 者を偲んでまた泣いてしまう。 頼む、いっそ誰か殺してくれ⋮⋮。 784 ・・・・・・・・・ 目が見えるようになってきた。 どうやら外国のようだ。 そして、驚いたことに俺は赤ん坊になっていた。 だが、そんなことはどうでもいい。 俺は、あの事故の責任を⋮⋮。 くそっ、どうやって責任を取ればいいんだ!? 毎日毎日、事故の夢を見る。 頭が変になりそうだ。 いや、既に変になっているんだ。 だから自分が赤ん坊になっているとか思えるのだ。 そうだ、俺はもうとっくに狂っているんだ!! ・・・・・・・・・ 785 狂っているから母親面して俺の面倒を見ようとしている女も子供 のように小さいのだろう。 狂っているから今まで見たこともないような風景、家、物や道具 なんかが想像されているんだ。 そうだ、これは全て狂った俺の脳が見せている幻影でありまやか しだ! 何もかもが狂っていやがる! 何もかもが俺を嘲笑っていやがる! 這いずる事しか出来ないのがその証拠だ。 俺は事故で助かりはしたが、這うことくらいしか出来ない体にな ってしまったのだ。 狂っているから俺の脳は俺の体を赤ん坊に見せて納得させようと いうのだろう。 狂っているから言葉もわからず、看護婦を小さな女の子に見せて いるんだ。 狂っているから医者も子供のように見えるんだ。 笑いかけているように見せているけれど、本当は汚い言葉で俺を ののしっているに違いない。 786 たまに顔を出す知らない外国人は最初だけ俺に興味を示すがすぐ に子供のように見える医者と看護婦との話に熱中する。きっとその 正体はいつから事情聴取出来るようになるのか確認に来た警官だと か、会社の調査関連の人間だろう。 あは⋮⋮。 あはは⋮⋮。 あはははは⋮⋮。 ・・・・・・・・・ もう嫌だ。 狂った頭には世界全てが狂って映る。 死んだほうがいい。 誰も殺してくれないなら自ら死のう。 そうだ、事故死した犠牲者に死んで詫びるのだ。 看護婦の監視の目をくぐりぬけ、建物の外に出るが、何というか、 その⋮⋮ものすごい田舎だった。 787 しばらく建物の周囲を巡ってみると、建物の脇にマンホールのよ うなものがあるのを見つけた。蓋は木製だったが。半分ぐらい開い ているので中を覗き込んでみるとやはりマンホールのようで、深い 竪穴に見える。 頭から落ちたら死ねるだろうか? 試してみる価値はあるだろう。 下水に落ちたとしても大怪我位するだろうし、夜には大きなドブ ネズミに齧られるかもしれない。 苦しんで死のう。 せめてもの償いだ。 汚い下水でネズミに齧られるというのも、事故死した人達や、怪 我をした人達からしてみればいくらかでも溜飲を下げる死に方だろ う。 大人の体であれば、この蓋のずれたマンホールの隙間に入ること は出来ないだろうが、入れないならまた別の方法を考えればいい。 俺は蓋のずれたマンホールに飛び込んだ。 するっと通れた。 狂っているなら狂っているなりに自分の目算にあわせて光景が修 正されていたようだ。赤ん坊に通り抜けられそうに見えていたが、 788 あれは本当は大人の体でも通り抜けられそうな隙間だったのだろう。 芸が細かい狂い方だが、もうどうでもいい。 僅かな浮遊感の後、冷たい水に飛び込んだ感じだ。 なんだ、マンホールじゃなくて貯水槽か何かだったのか。 貯水槽だったら病院のものだろう。 俺の死体で汚してしまうことになる。 また迷惑をかけるのだ。 だが、もういいや。 このまま息を止めて⋮⋮って冷たい水だな。このまま浮かんでい ても凍死するかもしれない。 目を閉じよう。 789 幕間 第十話 須藤弥生︵事故当時39︶の場合 かしま その日、私は日用品や食料品などの買い物をするため、路線バス に乗っていた。高校生ぐらいの若い女の子たちがきゃあきゃあと姦 しい声で騒いでいるのを耳にしながらバスに揺られていた。それが、 あんなことになるなんて思いもしなかった。 いきなり乗っていたバスに電車が突っ込んできたのだ。多分私は 即死だったと思う。大きなショックを受けたと思ったら、今度は赤 ん坊に生まれ変わっていたのだ。多分死んだ直後に生まれ変わった のだろう。 少し前に逢った神様が言っていたことだから本当だと信じられる。 その時私は6歳になっていたので、生まれ変わった後の人生にも慣 れていた頃、久しぶりに聞いた日本語だったからまず間違いなく神 様だと信じられた。日本語自体は何かのステータスを見ることで目 にする機会はあったが、聞くのは本当に久しぶりだった。尤も、音 声で聞いたわけではなく、頭の中に直接響くようにして聞いたのだ が。 話の内容は突拍子もないような物ではあったのだが、前後の関係 や、何よりこの世界に生まれ変わっていることやあんな夢を見せら れること自体があの存在が神であるという事の証明になっていると しか思えなかった。因みに、6歳になるまで何のレベルアップもし はばか なかったのは私に与えられた固有技能のおかげだ。何しろ私の固有 技能は耐性︵毒︶という奴で、おいそれと試すことは憚られたから だ。 790 小さな頃に知ったステータスオープンで自分のステータスを見た ときに固有技能という項目を見たときは吃驚したものだが、軽々し く誰かに話さなくてよかった。その後わかった事ではあるが、固有 技能なんて私以外の誰も持っていないし、そんな言葉さえ知らない ようだったから。 例え両親に話したとしても信じてはもらえなかったのではないだ ろうか。それに、耐性なのだから仮にこの固有技能という奴が本当 だとしても恩恵を受けられるのは私一人だけなのだろう。わざわざ 話す必要もないと思った。両親は私のことを愛してくれているのは 解っていたが、オースの常識に囚われ、いろいろな価値観︵この場 合は地球の日本で言う人権や常識などについてだ︶を認めようとは しない人達だった。 私の両親は大きな町で食堂を経営しており、かなり安い値段で市 民に食事を提供している自由民という階層に所属している。自由民 の下には奴隷階級があり、上には平民と貴族がある。上と言っても 平民は実質的には自由民と変わらないが。私には不動産を取得する ときに後ろ盾となる貴族などを持っているかいないかくらいの違い しか無い様に思える。 本当はもっと違いがあるのかも知れないが、そこまでは私は知ら ないし、別段興味も無い。そのときの私が興味あったのは、自分や 家族、身分が低いとされている人達の権利が不当に侵されているか どうかということだったからだ。だが、人の権利や義務を設定する のは法であり、立法権は国王が持っている。そして、現状では法に よって権利や義務が規定されており、別段それを逸脱しているわけ ではない。 昔は身分によっていろいろ権利や義務が異なることについて﹁法 791 が間違っている!﹂と両親に一席ぶってみたりもしたものだが﹁そ こまで言うならお前が王様にでもなって全員平等な国でも作ればい い﹂と言われてしまい、言い返せなかった。力が無いものは何かを 主張することも出来ない窮屈な社会に対して理不尽さを感じないの だろうかと、一時は軽蔑すらしたものだ。 だが、そんな状況にも拘らず、毎日を元気良く楽しそうに過ごし ている両親や近所の人達と付き合っていくうちに私自身、こう言っ たことについてどうでも良くなりつつあった事は確かで、いつの間 にか立派なオースの人間になっていたようだ。 ともかく、5歳になる頃には児童福祉法なんて無いオースらしく、 私も店の手伝いをするようになった。精神的には40をとう超えて いるから肉体的な辛さはともかく、働くこと、まして家業を手伝う ことには何の不満も抱くことは無かった。だいたい家業と言っても 食堂だから料理を作ったり、食器を洗ったりすることが殆どだ。曲 がりなりにも普通の主婦であった私はさほど苦労することなく仕事 をこなせる様になっていた。 そんなある日、川からあがった食材である、ケイスァーゴという かさごに良く似た魚を料理するときに毒のある背鰭を指に突き立て てしまったのだ。以前父が間違って同じように指を突き立てている のを見たときには相当痛そうで、ものすごく腫れ上がったのを覚え ていたので、私はきっと自分もそうなるのだ、と覚悟をしたものだ。 だが、幼い私が折角覚悟を決めたというのに、思ったほど痛まず、 指も腫れた事は腫れたが、さほど酷いものではなかった。ただ、そ の時、指を刺してしまった場所が青く光ったのを覚えている。その 直後私は強烈な眠気に襲われ、店が営業中だというのにうつらうつ らしてかなり叱られた。眠気はものすごい努力で一時的に我慢する 792 ことは出来るが、ちょっとでも気を抜くと襲ってくる強烈な睡魔に はなかなか抗うことが出来ず、その日は殆ど居眠りしていた。 その後は間違って指や手に背鰭を刺しても眠くなるようなことは なかった。そりゃそうだ。これでも私は10年以上主婦をしてきた のだ。魚の背鰭に指を刺すなんてことなんか滅多に無い。そして何 回か同様の経験をしたときにはっと気づいたのだ。これこそ︻固有 技能:耐性︵毒︶︼の効果ではなかろうか、と。こんな魚の毒であ れば死ぬことは無い。多少痛いだけだ。効果を確認するためにちく っと指先をわざと刺すことまでやってみた。 案の定、私には毒に対する耐性があるようだ。勿論、毒の効果を 受けないわけではなく、その効果を軽減するものだ。多分毒の力を 弱めて半減するくらいだろうか。毒を受けた場合、受けた箇所がま るで魔法を使うときのように青く光ることもわかった。 そんな時、神様に会ったのだ。1分という短い質問の時間では、 もう地球には戻れないことと固有技能について確認するだけで精一 杯だった。固有技能は使えば使うほど成長するらしい。私の場合は 最終的には毒についてはなんら影響を受けることのない体になれる そうだ。 嬉しくなって暫くはケイスァーゴやウォコーゼという毒の背鰭を もつ魚が入荷するたびにちくちくやっていた。あまりやりすぎると いつも物凄く眠くなるので、最近は回数については控えるようにし ていたが。 そうして何年か過ごしていくうちに私は10代になり、店の看板 娘と言われるようになった。固有技能のレベルは8にまでなってお り、大抵の毒は殆どその毒性が通じなくなっている。勿論弱くなっ 793 ているだけで毒の効果自体がなくなるわけではないけれど。本来で あれば物凄い激痛を感じたり、毒を受けた手がグローブのように腫 れ上がったりするはずのものでも、殆ど痛くなかったり、ちょっぴ り腫れるくらいで済むようになった、ということだ。ひょっとしら 今なら河豚をまるごと食べても死なないのではないだろうか。似た ような魚が手に入ったらぜひ試してみたい。 あかぎれ そう言えば最近バークッドという村でゴムが作られているという。 生魚を扱うから手はいつも皸状態なのでゴム手袋が欲しい。あと、 ゴム長靴もあれば調理場でもっと動きやすくなるだろう。ここキー ルに入荷しているらしいからどうにかして買えないものだろうか? 調べてみるとゴム手袋とゴム長靴は無いみたいだ。 これには正直な話、かなり落胆した。今まで存在しなかったゴム 製品がここ数年で急に流通し始めたことで、あの事故で転生してき た日本人が作ったものかと思っていたのだ。普通の日本人ならゴム 手袋やろくに靴もない生活に耐えられるもんじゃない。出来れば会 ってみたかったと言う気持ちも多少あったしね。仕方ないので代わ りにかなり高価ではあったがゴムサンダルを購入した。濡れた厨房 の床で滑ることもなく、両親は﹁いい買い物をした﹂と喜んでいた。 そんな13歳のある日、あいつが店に現れた。 あいつは私と同じ黒髪で目も黒かった。初めて来たときはこのあ たりでは荒くれ物で通っているような乱暴な連中と一緒だった。本 人達は自分達のことを﹃冒険者﹄と言っているが、本物の一流の冒 険者はこんな安い食堂なんかには来る事は無い。普段は安酒を飲ん で自堕落に過ごし、金が無くなったら犯罪行為の片棒を担ぎに行っ たり通りを歩く大人しそうな人に難癖をつけて小銭を稼いだり、そ れなりにまとまって暴力団のような組織を形成していろいろな店か 794 ら保安料と称してみかじめをふんだくるようなやくざ者だ。 冒険者には一般的に言って三つのランクがある。別段正式に定め られたものではないが、最高なのは国家機関から依頼を受けるよう な極一握りの人たちだ。次が普通の冒険者で自称冒険者のうち三分 の一から四分の一くらいの人たちはここに入る。ここキールのよう な都市だと侯爵の行政府や騎士団に対して、地方領主などからさま ざまな依頼が入る。 大抵は領内を荒らす魔物退治だが、中には多少飛び地になっても 構わないから次の開墾地の調査だとかの依頼もある。又は医者も兼 おおだな ねる薬屋などから原材料の採取を依頼されることもある。ウェブド ス商会のような大店をはじめとした、それなりの規模の隊商の護衛 などをして王国各地まで旅をすることもあるらしい。そういった各 種の依頼を行政府や騎士団が捌くのだ。大規模な退治などは直接騎 士団が出向くこともあるようだし、そんな時には傭兵として冒険者 を一時的に雇うこともあるという。こういった人達はそれなりに収 入もあり、やたらと乱暴狼藉を働くこともない。金持ち喧嘩せずだ。 だが、そういった正規の依頼で生計を立てられる人だけではない のだ。実力が足りなかったり、騎士達や、行政府の役人と堅い話を するのが嫌いだったり、何らかの犯罪行為に加担した経験があり、 それが知れ渡ったりなどさまざまな理由で正規の依頼を受けないで 生活する、どこからどう見てもごろつき一歩手前、という冒険者も 沢山いるのだ。 私の知る限り、キールの冒険者達には最高レベルはいない。国家 機関から依頼を受けるようなレベルであれば王都であるロンベルテ ィアを根城にするだろうし、これは仕方ない。次の普通の冒険者は 2∼30人ばかりはいるようだ。だが、こんな安食堂には滅多に来 795 ることは無い。依頼を完全に達成できなかったりして金欠のときに 来るくらいだろう。そして全部集めても百人はいないだろうが、底 辺のごろつきはこういう安食堂に来るのだ。 私の店に来たあいつは他のごろつきと同じように笑い、同じよう に安酒を飲んでいた。そして、私の顔を見てすこし驚いたようだ。 その日は特に何事も無く過ぎたが、翌朝そいつは一人で店にやって きた。 黒髪黒目は滅多にいない。私の知る限り私だけだったはずだ。そ して、日本人に近いような顔つき。こいつは私と同じ転生者だろう。 二回も顔を合わせればピンと来る。 ﹁よう、店はもうやってるか?﹂ ﹁開いてるわ、ご注文は?﹂ 空いている席に着きながら、 ﹁少し話がしたいんだけど、いいかな?﹂ と話しかけてきた。やっぱりか。只のナンパ目的なら適当にあし らえばいい。 ﹁少しならいいけど、注文が先。あと、先払いだから﹂ と答えてやった。 ﹁しっかりしてるな。じゃあ豆茶﹂ 796 ﹁20ゼニーよ﹂ 大賎貨2枚をテーブルに置かれたので回収し、豆茶を取りに行く。 そのわずかな間で、対処法を考えないと。 ﹁豆茶よ﹂ 豆茶を置いて、厨房に戻ろうとするとやはり声をかけられた。 ﹃なぁ、あんたも日本人なんだろう?﹄ 日本語で話しかけてきた。涙が出るほど懐かしい気持ちを必死で あらかじ 堪えながら、振り向きもせず歩き続ける。そう、こいつも私と同じ 転生者なら必ず日本語で話しかけてくると踏んだのだ。予め覚悟を 決めていなかったら反応してしまうところだった。私は﹁変な外国 語で話されてもそれはあたしにではないでしょう﹂と云う風を装っ て僅かな反応も表すことなく歩き続けられた。 その後も厨房から出てくるたびに声を掛けられた。日本語の場合 は無視した。そのうち向こうも飽きたのか、それとも周りでここら の住人が食べている朝食セットを見て自分も食べたくなったのかは 知らないが、同じように朝食セットを頼んできた。朝のご飯時の間 中、居座る気になられても迷惑だと思ったが、注文以外はすべて無 視してやろうと心に決めた。 だが、食事が終わると素直に立ち上がり帰っていった。 しかし、忙しい朝のご飯時が終わる頃、また現れた。今度は私が テーブルを拭いている時に後ろから声を掛けられた。 797 ﹃落ちるぞ﹄ ビクッとして思わずテーブルの上の塩や胡椒などの調味料の瓶の 無事を確かめてしまってから気づいた。 ﹃やっぱり日本人なんだな。ちょっと話くらいいいだろ?﹄ 仕方ない。少しだけ付き合うか。 ﹃そうよ、私は日本人だった。あなたもあの事故で?﹄ ﹃うん、高校一年生だった。俺は小島正志、こっちではクロフト・ バラディークだ﹄ なるほど、子供だったわけか。考えなしの子供みたいな馬鹿であ ればこんな冒険者崩れになったのも肯けなくはない。考えようによ っては可愛そうだとも言えなくはないが正直なところ関わりたくは ない。 ﹃そう、私は40近い小母さんだったわ。日本人なら年上には敬意 を払うものよ﹄ ﹃こっちじゃ全員同じ日に生まれてるんだろ。なら同い年じゃんか﹄ やはり子供だ。前世と合わせれば30歳近くになっているはずな のにまだこんなこと言っているとは。まぁ、他人だし、いいか。 ﹃それもそうね。で、何の用?﹄ ﹃同じ日本人同士なんだしさ、話くらい別にいいじゃん? だいた 798 い、俺は自己紹介したけど、俺はまだあんたの名前も知らないんだ﹄ 確かにこの小島、いやバラディークは子供だろうが、その気持ち は痛いほどわかる。日本語で会話をするうちに私もだんだんと会話 を続けたくなったのも感じている。お互い、情報交換くらいしても いいだろう。 ﹃⋮⋮須藤、弥生よ。こっちではマリッサ・ビンスイル﹄ ﹃⋮⋮っふ。須藤⋮⋮弥生さん⋮⋮か⋮⋮。日本人の名前を聞くだ けでこんなに懐かしくなるなんて⋮⋮﹄ そう言うとバラディークはぼとぼとと涙を零した。急に泣き出し たバラディークに吃驚している私をよそに、バラディークは身の上 話を始めた。確かに泣き出したことに少し驚きはしたが、こんな最 低のやくざ者になるにはそれなりの事情だってあったのだろう。そ れに私はまだ私以外の転生者のことについて何も知らないのだ。興 味がないわけはない。 話を聞いてみると驚くことがいくつかあった。バラディーク、い や、クロフトはやはりそれなりの苦労もあったらしい。田舎の村で 農奴の何番目かの息子として生まれ、赤ん坊時代から喋り始めたこ とで最初はかなり期待もかけられたらしいが、産業が農業中心だっ たためうろ覚えの知識でいろいろ挑戦したらしい。尽く失敗したら しいが。 農奴という言葉から想像するにかなり悲惨な境遇だったのではな いだろうか。ここキールにも奴隷はたくさんいるが、田舎の農村で の奴隷の扱いがキールのようなまともなものかどうかまではわから ない。確かに言葉のイメージから私も幼い頃は奴隷制度自体を容認 799 出来なかった。実態を知った今ではあまり気にしていないが。 ﹃それにしても、奴隷なのになぜキールにいるの? 生まれた場所 からは離れられないでしょ?﹄ ﹃それについては⋮⋮いいや、日本人のあんたにやるつもりはなく なったから。全部種明かしする。軽蔑してもいいよ⋮⋮﹄ ﹃? なぁに? 誰かを殺したとか? 今更そのくらいじゃ驚かな いよ。それくらいのことはあっただろうしね﹄ ﹃固有技能だ。俺にステータスオープンしてみな。ひょっとしたら 転生者なら見えっかも知れねぇし﹄ そうだ、固有技能。忘れていた。だが、クロフトの差し出した手 に触れてステータスオープンをかけても︻特殊技能:小魔法︼だけ だ。 ﹃そうか、転生者同士でも固有技能は見えないのか。俺の固有技能 は誘惑ってやつだ。でもあんたに使う気はないから安心していいよ。 ああ⋮⋮そうだ、誘惑は使うのにいくつか条件がある。だから避け る方法を先に教えておくよ。誘惑の固有技能はステータスオープン みたいにまず相手に触ってないとだめだ。それから目を合わせる必 要がある。だから、目をつぶれば大丈夫だ。あと相手の名前と一緒 に、好きだ、とか愛してるって言えばいい。効果は固有技能のレベ ルの二乗くらいの日数、相手の気持ちを俺に向かせることができる。 白状すると、昨日の晩、あんたを見て使おうと思って来た。可愛か ったから﹄ びくっと身が硬くなった。それを見てちょっと寂しそうに笑った。 800 ﹃安心してくれ。別に俺を見てすごく気になったり変にドキドキし たりはしねぇだろ。今のは本当だ。嘘じゃねぇよ⋮⋮。この誘惑を 使って村に来た隊商の護衛の女冒険者を誑し込んだんだ。最低だろ ? 俺を買い取らせてキールに連れてきてもらって奴隷身分から自 由民へ解放して貰った﹄ 確かに私の身に何か変わったことは起きなかった。別にクロフト を見てもなんとも思わない。誘惑を避ける方法が本当かどうかは別 にして私を固有技能で誘惑していないのは本当かも知れない。だけ ど、既に誘惑にかかっていてそれに気づいていないだけ、というこ ともありうる。例えば今晩から気になり出すとか。 ﹃まぁ、身構える気持ちは分かる。今の俺は底辺の冒険者崩れだし な。だけど、信用してくれなきゃ話も出来やしない。それとも、も う今日は帰ったほうがいいか?﹄ ﹃⋮⋮いいよ、取り敢えず今は信用してあげる。もう誘惑にかかっ ているなら何しても遅いだろうし⋮⋮﹄ ﹃仕方ないよ。だけど、俺が言っている事は本当だ。さっき言った 通りあんたには使わない。約束する。俺からはあんたに触らないし、 愛を囁いたりもしない。目を閉じるかすぐに振りほどけば大丈夫だ よ﹄ ﹃もういいよ。で、その女の冒険者はどうなったの? まだ一緒な の?﹄ ﹃いや、半年⋮⋮半年少し前にモンスターに殺された。それまでは 俺もくっついて真っ当に依頼を受けてたんだ。だけど、あいつが、 801 ジェーンがいなけりゃ俺の力なんてとても冒険者でやれるようなも んじゃない。それからは⋮⋮わかるだろ。適当な女を誑し込んでヒ モみたいに暮らすしかなかった。剣の使い方はジェーンが簡単に教 えてくれただけだし、剣道は高校2年からだったからまだ習ってな かったし⋮⋮ゴブリンくらいのモンスターなら一対一ならなんとか なるけどゴブリンが一匹でいることなんかまずないしね。あっても そんなのどの村だってわざわざ金払って退治の依頼なんかしやしな いよ﹄ そうか、方法はともかくそれなりの苦労はしたんだ。少なくとも 私は奴隷階級ではなかったし、家業という定職もある。苦労らしい 苦労はしていない。料理をちょっと工夫したくらいだ。 ﹃それより、須藤さん、いやビンスイルさん、あんたの方はどうだ ったんだ?﹄ ﹃マリッサでいいわ。私はこの家で生まれてからずっと一緒。5歳 くらいからこの食堂で働いてる。もともと主婦で料理は嫌いじゃな かったからあんまり苦労らしい苦労はなかった。あんまり話すこと なんかないの﹄ ﹃そうか⋮⋮まぁいいや。また話に来てもいいかな。久しぶりにた くさん話した気分だ。日本語なんか使わないし﹄ ﹃暇なときならいいよ。あ、そうだ、ちょっと待ってて﹄ 私も久しぶりに日本語を聞き、話したことには満足していた。勿 論完全にクロフトを信用したわけじゃない。13歳の男の子を見て いたら似ても似つかないのに前世の息子を思い出したのだ。クロフ トは別に美男子という訳でもないけれどハーフっぽいから生粋の日 802 本人よりは多少格好良く見える気がする。勿論これは私の美的感覚 が日本人のままだからなんだけど。 ﹃これあげる。懐かしいでしょ?﹄ ﹃? なにこれ?﹄ ﹃微妙に違うけど梅干っぽいのと浅漬け﹄ ﹃⋮⋮ありがとう。大事に食べる﹄ ﹃気にしなくていいよ。家でもどうせ食べるのは私だけだしね﹄ その日クロフトは大事そうに梅干と浅漬けを抱いて帰っていった。 それから暫く、たまにクロフトが来ると日本の話をしたり、テレ ビ番組やタレントの話題で盛り上がったりもした。話しているとお 互い郷愁にかられる事もあり、会話が止まったり、家族を偲んで涙 を浮かべることもあった。だけど、私は完全にクロフトに信用を置 くことだけはしなかった。どんなことを言ってもやくざ者だし定職 はおろか定住している家さえないのだから。両親にもあんなわけの わからないやくざ者と付き合うなと注意された。髪と瞳の色が珍し くも同じだから、たまたま気が合っただけと言って誤魔化している。 言葉については用心して周りに人がいない時だけ日本語で喋ってい たのでバレていなかったので突っ込まれることはなかった。 一度、誘惑の固有技能を使っているところを見せて欲しいと頼ん だことがある。本当に使っている所を見ればあの対抗策が有効かど うかわかると思ったからだ。渋るクロフトを説き伏せ、女を替える 時にわざわざこの店で口説いてもらった。確かに相手に触れ、見つ 803 め合った状態で愛を囁いた。その時、クロフトの目が薄青く光った。 あまり強い光ではなかったことと夕暮れとは言えまだそれなりに明 るかったのであまり目立ちはしなかった。すると、急に女はクロフ トにしなだれ掛かり始めた。まさに魔法のような誘惑だった。何と なく面白くなくてその日はとっとと店を追い出した。 その後も数日おきにクロフトは店に顔を出していた。すっかり店 の常連で、店では乱暴なことはしないし、暇なときに静かに私と話 をするくらいで何の害もなかったから両親もあまりうるさい事は言 わなくなった。そして、2月14日、クロフトは誕生日プレゼント だと言って私に小さなブローチをくれた。その日は私たちの14歳 の誕生日だった事をすっかり忘れていた。大して儲からない食堂で は誕生日を祝うなんてことはなかったから、私は何の用意もしてい なかったことを恥じた。バレンタインデーでもあるし、チョコレー トは無理にしても何か甘いお菓子くらい用意しておけばよかった。 その日、クロフトはついに定職を持ったらしい。仕事はキールか ら30km程南のデンズルの街を週に2回往復する定期的な隊商の 護衛だそうだ。デンズルは侯爵領第二の都市といっていいくらいの 街で、そこまでの街道は綺麗に整備されているから片道は1日で行 ける。大きな街道で中間くらいに村もあり、かなり治安もいいので あまり危険は無いと言っていた。もう冒険者崩れのやくざ者からは 足を洗うのだと言って笑っていたが、ああいう連中は自分のグルー プからの足抜けを嫌う傾向があるだろう。注意すると、大丈夫、そ れはわかっていると言ってまた笑った。 まっとうに仕事を持ち、暮らして行けるなら何も問題はない。 真面目に働けばいずれそれが報われる時が来るだろう。 804 普通に働いていれば一人で年間金貨二枚くらいは稼げるものだ。 半分は人頭税で取られてしまうが、金貨一枚あれば贅沢さえしなけ れば一年間食べていくには困らない。こんな安食堂だって年間の利 益は金貨六∼七枚くらいはあるのだ。売上はその倍以上だけど。 がんばれ、オースの日本人。 805 幕間 第十話 須藤弥生︵事故当時39︶の場合︵後書き︶ クロフトの給料は週で銀貨4枚という設定です。年間で銀貨240 枚、金貨2枚以上稼ぐことになりますから。充分生活可能です。年 間で金貨1枚分を税金として取られますから可処分所得は銀貨で1 40枚、農村と比較するとかなり高給ではありますが、宿代が必要 だったり食事代もかかるので贅沢はできないでしょう。 また、この世界の都市圏の人々はあまり自分たちで料理をしません。 全くしないわけではありませんが基本的に外食です。このあたり、 数十年前の現実の東南アジアに多少近い感じです。 806 第一話 邂逅︵前書き︶ お待たせしました。やっと第二章の開幕となります。 今回は最初の話なのでキールのことなど説明多め、量も少し大盛り です。 807 第一話 邂逅 7442年4月14日 皆は今朝帰途についた。もう俺は一人だ。取り敢えず剣だけを腰 に下げ、今日一日はキールをぶらついてみよう。はじめての都会だ からきょろきょろとおのぼりさん然としてしまうが、それは仕方な いだろう? とにかく、宿代は10日分も払ってあると言うし、あ ちこちゆっくりと見て回ってみよう。 ぶらぶらと中央通りを見て回る。露天商もいくつかあるようだ。 店先を冷やかしてみるが、主に生活必需品を売っているようで、さ ほど目に止まったものはなかった。ああ、そうだ。折角だから鍛冶 屋とか見てみたいなぁ。武器なんかも置いているのだろうか? そ れとも武器屋とかあるのかな? あと、出来れば魔道具とか売って いる店があればそこにも行って見たい。そういえば兄貴が買い物を するなら騎士団の紹介を受けろと言っていたっけ。 俺がグリードを名乗り、ステータスを見て貰えば信用出来る店を 紹介してくれるはずだと言ってたな。今から騎士団の屯所だか詰所 だかに行くのも面倒だ。うん、じゃあその辺は明日でもいいか。今 日くらいはゆっくりと都会の香りを楽しみたいしな。 いくらキールが都会と言ってもちらほらとしかない露天商を冷や かしながら中央通りを通るのに30分もかからなかった。そりゃそ うだ。日本でだってそんな町ありゃしない。また別の道を通って宿 近くまで帰ってもまだ午前7時くらいじゃなかろうか。 808 もっと、こう、沢山の人がいて、露天商も隙間なく並び、店も沢 山あるものだと勝手に思っていた。そんなことあるわけないよな。 時間も腐るほどあるし、騎士団に顔を出して店を紹介して貰うか。 同時に冒険者向けの依頼があるようならそれも紹介して貰ってもい いかもしれないな。 一度ビンス亭に戻り、財布に金貨を2枚補充してから騎士団へと 向かう。騎士団の屯所に着くと、今度は門番みたいな兵隊に誰何さ れた。顔パスなのは親父だからだろうし、向こうは一度来た位の俺 なんか覚えてるわけもないだろうから当たり前か。 俺は丁寧に名乗り、新人の冒険者向けの依頼があるかどうか確認 に来たことと、他に名前も知らないのでセンドーヘル・ウェブドス 騎士団長に挨拶がしたいと言うと、念のためと言われながらステー タスオープンを使われた。身元の明らかでないものを敷地に入れる わけには行かないだろうし、こちらとしては言うこと言ったら黙っ て指示に従う他はあるまい。 ゴムのおかげか兄の威光かは知らないが、10分ほどで迎えが来 た。迎えの従士に案内され、騎士団の建物に入った。ここ二日泊ま っていたビンス亭同様に石造りの立派な建物だ。入り口からすぐの 応接らしい部屋に通され、暫く待てと言われたので黙って待つこと にした。部屋は8畳間ほどの広さで真ん中に四人がけのテーブルと 椅子があった。 ついついサラリーマン根性を発揮し、椅子には触れず、壁に飾っ てあるウェブドス騎士団の団旗を眺めて暫く過ごしていた。すると、 数分で従士を伴ったセンドーヘル騎士団長が部屋に現れた。女性の 従士はどうやらお茶汲みのようでテーブルにお茶を二つ置くとすぐ に下がった。 809 ﹁ご無沙汰しております、ウェブドス卿、本日は急な訪問にもかか わらずお会いいただけて光栄です﹂ ﹁ああ、シャーニの結婚以来だね。まぁ掛けなさい。一昨日から君 の事は聞いているよ。冒険者になるんだってな。次男なら仕方ない な。頑張りなさい﹂ テーブルを挟んでセンドーヘル騎士団長の向かいに座る。 ﹁はい、それで、今日はご挨拶とお願いに参りました。既にお聞き 及びかも知れませんが、私は生まれてこのかたバークッド村を出た まか ことがない田舎者です。そこで信頼できる鍛冶屋をご紹介いただけ ればと思いまして、不躾ながら恥を忍んでこうして罷り越しました﹂ ﹁ああ、店の紹介の件だね、聞いているよ。今日一日時間が取れる なら従士に案内させるが、都合はどうかね?﹂ ﹁ええっ? それは願ってもないことですが、宜しいのですか?﹂ 従士にだって訓練や仕事があるだろう。それを邪魔したくはない。 ﹁ああ、構わないよ。君はシャーニの義弟なのだからね。私の息子 のようなものだ。それに、団長ならこの程度の公私混同くらいは許 されるさ﹂ そういうものなのか。確かに新人などのお味噌に近い従士であれ ば大したことじゃない。その後は世間話や、団長の知っている現役 の冒険者の紹介など取り留めのない話を少ししていたが、そろそろ 時間も限界のようだ。 810 ﹁では、私は片付けねばならん案件がいくつかあるので、これで失 礼させてもらうよ。ああ、冒険者向けの依頼は門の傍に受付がある からそこで聞いてみるといいだろう。そうそうは無いかも知れんが、 月に1件くらいは魔物退治の依頼があると思うよ。すぐに案内の従 士を寄越すから、それまでこの部屋で待っていてくれ。じゃあ、元 気で頑張ってくれ﹂ センドーヘル騎士団長はそう言いながら礼を言う俺の手を握ると、 部屋を出ていった。魔物退治の依頼が月に1件もあるのか。バーク ッド村は10日に一回くらいは親父を中心にパトロールに出て魔物 退治をしていたから、わざわざ退治の依頼を出す必要がなかったの だろうが、それは親父やお袋が元冒険者で魔物相手の戦闘に慣れて いたからだ、と聞いたことがある。 義姉さんもバークッドは田舎にあるのに魔物の被害が全くと言っ ていいほど無いことに驚いていたっけ。ほかの村などでは結構魔物 退治に金がかかるということも聞いたことがある。報酬がどのくら いなのかは知らないが、ウェブドス侯爵領には30以上の村や街が あるから、自前で魔物退治を出来ないか、できても人的被害を考え て、自らしたくない村か街の数もそれなりにあるのだろう。 こんなことを考えながら数分も待つと、俺と同年代だろう若い女 性の従士が部屋に入ってきた。俺と同年代という事はやはり新人か それに近い立場なのだろう。若い女性の従士というところが少し残 念だったが、お互いに自己紹介をし、騎士団の敷地を出て最初に案 内して貰うのは保存食を扱ってるような食料品店にして貰った。キ ールを出るときには必ずお世話になる店だしな。 次は鍛冶屋に連れて行って貰った。鍛冶屋は街中ではなくちょっ 811 と外れた場所にあった。常に火を使うから街中から外れた所にある のだろうか。 鍛冶屋は﹁金属製品なら何でも来い﹂みたいな感じかと思ってい たのだが、騎士団が勧める店だけあって武具系が豊富な感じだった。 スプリントメイル 在庫も剣が10本ほどあったし、金属製の鎧まで置いてあった。ほ ほう、こいつが重ね札の鎧ってやつか。初めて見た。ちょっと鍛冶 屋の職人と話をしてみたが、この店には俺の希望するようなものは 置いていないし、作れそうもないことが分かり、少し落胆する。 別に今更武具が欲しかったわけではない。どちらかと言うともっ と生活に密着しているものが欲しかったのだ。例えば細い針金や、 小さなバネなどだ。そう言ったものはバークッドで作ろうと思って も道具もないし、頑張って作るにしても手間がものすごくかかるの で量産を諦めていた。治具から作らなければいけないであろうこと は想像していたが、もしこの店で治具を見ることが出来れば参考に なるかと思っていたのだ。 だが、こういった小さな金属製品は鍛冶屋である程度の大きさに した材料を金細工師の店に卸してそこで加工を行っているらしいこ とがわかった。なるほど金細工師か。拙いとは言え金や銀を加工し た装飾品があることは知っていたし、そういう職業が存在すること も判っていたのだが、俺の場合はバークッドから出たことがなかっ たことと、まず量産が頭にあったことがいろいろと視野を狭めてい たのだろう。 職人に丁寧に礼を言い、今度は金細工師の店に案内してもらった。 金細工師の店は中央通りにあり、先程はちらっとだけ見て﹁装飾品 には興味がないな﹂と素通りしてしまった店だ。店に入るとたくさ んの装飾品でもあるのかと思っていたが、店自体が工房のようなも 812 ので、商品サンプルとでも言うような完成品は隅っこの棚に数える 程しか置いていなかった。装飾品に興味があって来たわけではない のでそこはどうでもいいが、もう少し量があるとどういったものが 作れるのかわかるのに、と勝手に不満を感じていた。 ドワーフ 店の主人は先ほどの鍛冶屋同様、壮年の山人族の男で、最初は気 難しそうな感じの表情でいたが、俺たちが客らしいことがわかると 途端に相好を崩し商売モードになった。あまりの態度の変わりよう いしゆみ に苦笑いが浮かぶが、丁寧に針金やバネが作れるか聞いてみる。俺 の説明でも理解出来るだろうか? 例えばバネでも板バネは弩も存 在するから知っているだろうがコイル状のバネについての知識がな いとわかりにくい可能性があるからな。 案の定コイル状のバネについての知識は持っていないようで、コ イル間を一定の幅に巻いた圧縮バネと、コイル間を完全に接触状態 にしている引張バネについての説明からしなければならなかった。 だが、鉄を針金状に加工する点については多分可能であろうとの返 答は貰えたが、それをコイル状に加工するのは難しいらしい。 理由は熱を加えつつ曲げるのが大変すぎるとのことだった。さも MP ありなん、魔法で出した金属ならともかく、鉄鉱石から精製した普 通の鉄を魔法で加熱するのは非常に魔力を食う。俺は、てっきり魔 法とか関係なく炉に針金を突っ込んで柔らかくなったところを別の 丸い鋼材などに巻きつけて作ればいいのでは、と安易に考えていた が、そんな高温の炉は鍛冶屋しか所有していないそうだ。 金や銀を中心とする装飾品が主な生産品であれば金銀を溶融させ る程度の温度でいいから、そこまで高温の炉は必要ないのであろう。 キールでは一般の鍛冶屋と金細工師は店自体分かれているが、王都 まで行けば総合的な鍛冶屋もあるだろう。職人が納得さえすれば全 813 く作れないことはなさそうだ、ということが解っただけでも収穫は あった。コイルバネがあれば大型のものならば車両のサスペンショ ンに使えるだろうし、小型のものであればバネ秤など応用範囲は広 くなる。もっと小さくて丈夫なものが作れるのであれば⋮⋮。うん、 今はいい。 ゼンマイについても確認してみたが、こちらは概念からの説明に なりそうだったので早々に諦めた。俺は職人に丁寧に礼を言い、小 さいが上品なブローチを銀貨5枚で購入した。この店なら大丈夫だ ろうと言うことと、ある程度崩す必要もあったので金貨で支払った。 いささか高い買い物になったが、これは案内をしてくれた従士にあ とで礼としてあげるつもりだ。 その後、従士が薦める安価だが量のある店で二人で昼食を取り、 下着や服を購入出来る店に連れて行ってもらった。服は複数あるの で当座は困らないが、靴下や下着は欲しかったのだ。特に今まで靴 を履いた経験があまりなかった事もあって靴下は持っていなかった。 編み上げブーツを履いてはいたものの下は裸足だったから、切実に 靴下が欲しかった。連れて行ってくれた店は、やはり騎士団でもブ ーツの下の靴下の需要があるのだろう、ある程度の在庫があった。 多分出入りの業者ではないだろうか。早速靴下を六足、一週間分購 入し、恥ずかしかったがすぐに履いた。 その時、従士は初めて俺のブーツに気がついたようで、珍しそう に見ていた。飾りではなく、完全に紐で編み上げるブーツは存在し ないのだろう。靴底もエボナイトと硬質ゴムをふんだんに使い、つ ま先も踏みつけられる事を考慮してエボナイトで固めてある。二重 の豚革の断面や縫製の穴にもゴムを塗りつけてあるため、防水性に 優れている反面、通気性は最悪に近い。蒸れた足の臭いに気づかな いといいなぁ。あ、水虫は毎日治癒魔法をかければ防げるので大丈 814 夫だから心配しないでくれ。今後の成長も考慮してつま先にボロ布 を突っ込んで大きめに作ってあるブーツからブーツのサイズと比べ て小さい足が出てきたので少し吃驚したようだ。 次に案内をお願いしたのは日用品をいろいろ扱っているという雑 貨屋だ。何か俺の知らない便利なものであれば購入しておこうと思 ったのだ。だが、大して欲しいものは見当たらず、この店では何も 買うことはなかった。多分いまの時間は14時を少し過ぎた頃だろ う。あ、そうだ。時計の魔道具は欲しいな。灯りの魔道具と並んで 時計の魔道具は魔道具の中でも安価なものの1、2を争うと聞いて いた。安価とは言え魔道具だからそれなりに値が張るのだろうが、 あまりにも高ければ購入を諦めればいいだけのことだ。 早速、案内して貰うが灯りの魔道具も時計の魔道具も揃って銀貨 20枚が最安値だった。家にあった時計の魔道具はシンプルなもの で、鑑定による価値は12000くらいだったと思うので結構高い。 仕方ない、諦めるか。そう言えば母さんが魔道具屋では魔石を売れ ると言っていた。明日にでも価値が異なるものを何種類か持ち込ん でみるか。どうやって価値を測るのかも知りたいしな。 従士を騎士団の詰所︵本部と呼ばれているらしい。じゃあ支部は あるのかと聞いてみたら、無い、とのことだった。なにそれ?︶ま で送ると、今日一日、時間を使わせてしまったお礼だと言ってブロ ーチを贈った。恐縮しつつも嬉しそうな従士に重ねて礼を述べ、ビ ンス亭に帰る。今日購入した荷物を置いたらビンス亭の番頭だかに 安酒場を聞いてみるつもりだったのだ。目的は酒ではなく、情報収 集だ。忘れちゃいけない。キールでの滞在の最大の目的の一つ、べ グルの始末だ。 ビンス亭の番頭は不在だったが丁稚のような小僧に、冒険者崩れ 815 やごろつきが行くような危ない場所に近寄りたくないから教えてく れ、と尋ねるとすぐに教えて貰えた。本当に危険だというスラムの ような場所にある酒場が二軒。あと、飯屋が一軒。どちらも安価だ が、本当にごろつきが多く、新参が一見で入るには些かハードルが 高いらしい。また、スラム地区からは外れた場所にある酒場兼飯屋 が一軒。ここはあまり危なくはないし、一般人の客も多いらしい。 まずはここに行ってみるか。一度部屋に戻り、財布から残りの金貨 を抜き出し、銀貨3枚と銀朱2つ、銅貨を数枚だけにした。所持金 4万円弱。これだけあれば飲食には問題ないだろう。 ・・・・・・・・・ セントラルリバー 教えられた中央川の川沿いの場所に行くと一軒の店が既に営業し ている。東南アジアの飯屋のような雰囲気の店だった。間口が広く、 店の中にテーブルが幾つかと店の外にもテーブルが幾つかあり、雑 多な雰囲気ではあるが少し離れた場所から窺ってみても客層はそれ ほど粗野な感じはしない。うん、店の名前も合っているし、今日は ここで暫くクダを巻いてみるのも良いかも知れない。 そうしてパッチワークで﹃酒・料理の店ビンスイル﹄と書かれて いる暖簾︵!︶をくぐると空いている席に座った。きょろきょろと 店の中を見回すがメニューはどこにも書かれていなかった。こうい う感じの店なら日本の居酒屋宜しくメニューが壁に貼ってあると思 っていたんだがな。 まだ16時くらいだろうと言うのに店の席の半分近くが客で埋ま 816 っている。客層は畑仕事をしているような土で汚れた農民はいない みたいだから都市圏の住民専用の店なんだろう。農民なら暗くなる 寸前まで畑仕事をしているだろうし、わざわざ街中まで移動するの にも時間がかかるはずだから、外で食事はしないだろうから当たり 前か。 俺が席に着くと愛想のいいおばはんがいそいそと注文を取りに来 た。酒類は何があるのか聞いてみるとビール、エール、ワインとい うお馴染みの醸造酒のほか、麦焼酎のような蒸留酒もあるらしい。 酔っ払うのが目的ではないのでここはビールを頼み、肴としてどう いったものがあるのか聞いてみると何でも注文に応じて作るとのこ とだ。今日入荷した食材の一覧はなんとかという魚が2種類と豚肉、 野菜類が何種類か口早に言って来た。豚肉の肉野菜炒めと煮魚を頼 んでみる。 煮魚はその店の味を知る大きな手がかりだからな。前世でも俺は 煮魚が好きだった。若い頃はつまらない食べ物だと思っていたが4 0歳を超えた頃から急に旨く感じだした。砂糖はともかく、日本酒 や醤油がないオースではもう二度と食べられないと思っていたがこ こで食えるとは感激だ。ビールと肉野菜炒めはすぐに出てきた。こ の店では代金は料理が出た時に払うらしい。おばはんに言われた通 りの代金を銅貨で払うと早速肉野菜炒めをつつきながらぬるいビー ルを喉に流し込み、周りの会話に耳を澄ます。 時間が悪いのか、客は一般人ばかりのようで、当たり障りのない 会話ばかりだ。早く煮魚来ないかな。手づかみで料理を口に運び、 ぬるいビールでそれを流し込みながら楽しみに待っていると、客が 一人入ってきた。俺と同じ黒髪黒目で日本人を彷彿とさせる男だ。 年代も一緒くらいだろう、若い男は店の隅の空いたテーブルに座る とおばはんに﹁いつもの﹂と言った。常連なのだろう。鑑定してみ 817 たい誘惑に負け、つい鑑定してしまった。 ︻クロフト・バラディーク/11/6/7440 ディーク/13/4/7429︼ ︼ クロフト・バラ ︻男性/14/2/7428・普人族・ロンベルト王国ウェブドス 侯爵領登録自由民︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:4︼ ︻HP:70︵70︶ MP:12︵12︶ ︻筋力:10︼ ︻俊敏:13︼ ︻器用:10︼ ︻耐久:10︼ ︻固有技能:誘惑Lv.3︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻経験:13827︵18000︶︼ レベルは年齢相応より少し高いくらいだ。だが、筋力などの各種 能力はレベルよりかなり高い。何より︻固有技能:誘惑Lv.3︼ だと!? こいつは、俺と同じ転生者か!? 俺が驚愕の表情でじっと少し外れた方向を見つめている︵鑑定ウ インドウを、だが︶のに気がついたのだろうか、彼もこちらを注視 した。少し見つめ合ったが、どちらともなく視線を外す。べグルの 情報収集の予行演習に来たつもりが、とんでもない外道の大物を釣 り上げてしまった気分だ。おそるおそる視線を戻すと彼もこわごわ とした感じで俺に視線を戻していた。 いやいや、こんな店に出入りしているくらいだ、格好自体はボロ 818 ではあるが充分に一般的で俺が勝手にイメージするごろつきのよう に不潔そうではないが、この店は冒険者崩れも出入りする店だと聞 いている。最悪、戦いになっても負けるとは思わないが他に厄介な 仲間がいる可能性もある。取り敢えず正体のわからない固有技能の サブウインドウを開いてみよう。 ︻固有技能:誘惑;使用者と同種族の異性を誘惑する。誘惑の対象 となった相手は使用者に対して性愛的な好意の感情を持つことが多 い。効果時間はレベルの二乗と同じ日数の間持続する。効果時間内 に再度誘惑をかける事も可能。その場合、持続していた効果時間は 無効化され、新たな誘惑として効果時間は積算されない。また、誰 かを誘惑中に別の相手に誘惑を使用することも可能。魔力中和、又 は無効化の影響範囲内に対象者が完全に入ることで効果時間中でも 誘惑の効果は解除される。誘惑の対象者は効果時間が終了しても効 果時間中の記憶はその感情とともに覚えている。なお、誘惑の効果 を及ぼすためには使用者は対象の周囲1cm以内に近寄り、対象の 注意を自分に引きつけた上で対象の理解可能な言語で自己をアピー ルする必要がある。同時に技能の使用を明示的に思い浮かべる必要 がある。アピール内容によって誘惑の効果による心理的な影響はそ の深度が変わる。この技能の効果に囚われた対象者は自己の精神が 何らかの魔法的な影響下に置かれている、又は置かれていたことを 認識しない︼ なんじゃこら。すげぇ固有技能だけど、使いどころがイマイチよ く解らんな。俺には効果なさそうなのでそこは一安心だが。あ、情 報を取ったり、単純にナンパするのなら便利か。男として非常に羨 ましい技能ではあるが、無害に近い。それに、技能のレベルが上が っているとは言え、大したレベルではないし、あまり乱用していな かったのではないだろうか。少なくとも能力の検証に使ったくらい で自己を戒める精神を持ってはいるのだろうという事は理解できる。 819 更に開いた技能の経験値のサブウインドウでも経験値は74︵80︶ となっているから、70回以上は使ったのだろうが。 お互いに相手をちろちろと窺ってはいるものの、決定的な事態に は到らず、会話することもなかった。そして、煮魚が運ばれてきた 時に俺は更に仰天した。 ﹁お待ちどうさま﹂ そう言って煮魚を運んできたウェイトレスは黒髪黒目だった。ま たか! こんなウェイトレスは今までいなかった。店の奥にいたの だろうか? ﹁あ、ああ⋮⋮。有難う。幾らかな?﹂ ﹁1400ゼニー﹂ 何とか答えて煮魚の皿を受け取った。煮魚だけかなり高いな。銀 朱で払う。すると、ウェイトレスも俺の顔を少し注視したあと、例 の黒髪の男の傍まで行き、此方を盗み見ながら何か話している。お い、お釣りは? あの男は常連のようだから知り合いなのも頷けは する。ウェイトレスの鑑定も忘れ、煮魚を指でつつきながらビール を飲むが、落ち着けたものではない。煮魚も当然といえば当然だろ う、日本酒や醤油で煮たものではなく、何かのブイヨンとでも言う のだろうか、出汁で煮て塩で味付けしてある、洋風なものだ。しか し、この出汁はなんだろう? 鰹節や昆布なんかキールに有るはず もないがどことなく日本を思い返すような出汁だ。 ふと気がつくとウェイトレスが此方に近づいて来る。煮魚に注意 を取られ、ウェイトレスが男のテーブルから立ち上がったのに気が 820 つかなかった。何だろう? ああ、お釣りか。ちょっと話ができる と嬉しいんだがな。 ﹁お釣りよ﹂ そう言うと銅貨を11枚、俺の前の料理の脇に置く。そして、そ っと箸を出してくる。釣り銭をしまうと、箸を受け取り、煮魚をつ つく。 箸? 箸だと!? 一瞬流しそうになったが、すぐに気づいてウェイトレスを見上げ る。大きく目を見開いていたかも知れない。 ﹃ありがとう﹄ そう日本語で答えると、 ﹃どういたしまして﹄ 案の定、日本語で帰ってきた。 ﹃少し話がしたいのだけど、時間はあるかな?﹄ 一応聞いてみる。 ﹁向こうの席に移って相席してくれるかな。テーブルを開けたいの﹂ ウェイトレスが指定したのはあの男のテーブルだ。確かバラディ ークとか言ったな。店の席が半分も空いているというのに相席を言 821 ってくるということはOKと取ってもいいのだろう。 ﹁わかった﹂ そう言ってビールのジョッキと少し残っている肉野菜炒めの皿を 持ち上げると、ウェイトレスは煮魚と箸を持って来てくれた。 男の向かいに座り、何を話したもんかな、と思いながらビールを 飲もうとするがジョッキは殆ど空に近く、すぐに気まずい思いをし てしまった。 ﹁ビールでいいの?﹂ 多分ウェイトレスは俺のジョッキが空に近いことに気づいていた のだろう。 ﹁あ、ああ、お願いします﹂ すぐにジョッキを下げるため、俺からジョッキを受け取ると席か ら離れていった。相席の男はこちらを窺うばかりで何も言わない。 仕方ない、ここは俺から話しかけるか。そう思って口を開こうとし た時、男の方から話しかけてきた。 ﹁あんた、名前は?﹂ ﹁え? ああ、アレイン・グリードだ﹂ 俺の言葉に頷きながら、 ﹁そっちが先か、俺は小島正志、こっちじゃクロフト・バラディー 822 クだ﹂ そういう事か。 ﹁ああ、すまん。川崎武雄だ﹂ ﹁やっぱり日本人だったな。日本語は不用意に喋らないほうがいい。 ここらじゃ解る奴はいないが、外国語を喋れるインテリもいないか ら変に思われかねない。もっと人が少ないならあまり気にしなくて もいいんだけど﹂ なるほどね。 ﹁お待ちどうさま。200ゼニーよ﹂ ウェイトレスがビールを持ってきた。ジョッキは3つある。一つ は俺の分だろうが、あとはこいつらが飲むのだろう。と言うことは やはりこのウェイトレスも転生者だろうな。後で鑑定してみよう。 ﹁マリー、アレイン・グリードだそうだ。俺たちは自己紹介が済ん だ﹂ クロフト・バラディークが隣に座ろうとしているウェイトレスに 言う。 ﹁あら、そう。私は須藤弥生よ。オースではマリッサ・ビンスイル﹂ ﹁川崎武雄だ。こっちではアレイン・グリード。アルでいい﹂ ﹁そうか、じゃあ俺のことはクローと呼んでくれ﹂ 823 ﹁私もマリーでいいわ﹂ 互いに自己紹介を行う。さて、初対面の儀式も済んだことだし、 出来れば相手の人格が解かるような話がしたいが、まずは情報交換 が先かもしれない。ここは出方を窺うか。 ﹁じゃあ、アル。キールでは見かけなかったけど、隊商かなにかで キールに来たのか?﹂ ﹁俺は侯爵領の田舎にある村で生まれ育った。村から出たのは生ま れてこのかた初めてだよ。当然キールも初めてだ﹂ 出来るだけ俺の情報の露出については控えたい。嘘はつきたくな いが、相手がどういう人間かはまだ何もわからないのだ。 ﹁俺と一緒だな。俺はバフク村の出だ。二年位前にキールに来た﹂ ﹁私は生まれも育ちもここ。この店の娘だからね﹂ そうか、やはり同じ場所には転生しないんだな。 ﹁ああ、すまん、いい忘れた俺の村はバークッド村だ﹂ ﹁バークッドってどこかで聞いたような⋮⋮あ! ゴム作ったのっ てあなた?﹂ ﹁そうだ。村の傍にたまたまゴムノキがあったからな﹂ ﹁サンダル使ってるわ﹂ 824 ﹁へぇ、そりゃどうもありがとう﹂ 俺とマリーで話が弾んだ。 ﹁大分儲かってるみたいだな。格好でわかる。その服も高そうだし な﹂ クローが俺を値踏みするように言う。ボロではあるがそっちだっ てちゃんと洗濯しているみたいじゃないか。 ﹁家を出るにあたって少し金が貰えたからな。キールに着いてから 新調したんだ﹂ ﹁家を出たって⋮⋮家出じゃないだろうし、どういうこと? キー ルに仕事でもあったのか?﹂ クローが不思議そうに聞いてきた。 ﹁いや、俺には兄と姉が一人づついてね。兄が結婚して子供も生ま れたから家を継ぐんだ。だから邪魔者の次男は冒険者を目指そうと 思って小金を貰って家を出たんだ。姉はもう三年くらい前に家を出 てるしな﹂ 俺がそう答えるのを聞いた二人は互いに顔を見合わせると、くす くすと笑い出した。何か変なことを言ったのだろうか? 冒険者が おかしいのか? いや、親父もお袋も冒険者だったし、俺が暫くは 冒険者をやると言っても全く反対された覚えはない。兄貴も義姉さ んも反対はしなかった。何が可笑しいんだ? 825 ﹁? 何か変なことを言ったかな? 俺には何故笑われているのか よく解らない﹂ ﹁あ? ああ、いやごめん。俺も冒険者と言えば冒険者なんだよ。 な、マリー﹂ ﹁ええ、そうね⋮⋮でも⋮⋮ぷっ。あ、ごめんなさい、男の人は皆 冒険者を目指すものなのね。私はもともとそういうのに興味はなか ったから考えたことすらなかったけどね﹂ やはり﹁冒険者を目指す﹂と言う部分が笑いの対象になったらし い。騎士団長や、今日案内してくれた従士も冒険者を目指すという ことを聞いてもピクリとも反応しなかったことを比較して反応が違 いすぎる。なんだか急に心配になってきた。 ﹁田舎から出てきたばかりで良く知らないから、何とも言えないん だが、俺の両親は元冒険者だった。今日、ウェブドス騎士団の騎士 団長に会って冒険者を目指すということを﹁﹁はぁぁ!? 騎士団 長に会ったぁ?﹂﹂ なんでそんなに食いつくかな。 ﹁? ああ、そうだ。3∼4年くらい前まで兄貴はウェブドス騎士 団にいた。そこで騎士団長の娘と知り合ってその後騎士団を退職し て結婚したんだ﹂ ﹁ああ、私はそれ聞いたことあるかも。騎士団長の娘って侯爵の孫 ってことよね。それにお兄さんが騎士団にいたって⋮⋮あんた貴族 なの?﹂ 826 なんだか貴族が嫌いなようだな。 ﹁貴族っちゃ貴族と言えなくもないが、家は士爵だから貴族とはい っても最下級だし、俺も次男で家督なんかないから、平民と一緒だ ぞ? 家なんか古くてあちこち痛んでるし、部屋が足りないから最 終的に俺は土間の物置で寝起きしてた﹂ 多少は苦労話っぽく聞こえたらいいんだけどな。 ﹁土間の物置って、俺より悲惨じゃねーか。流石に俺の家でも床く らいあったわ⋮⋮ああ、俺のもともとの階層は農奴だったんだが、 アルも相当苦労したんだな﹂ いや、全く悲惨じゃなかった。毎日ちゃんと飯は食えたし、着る ものだって困ったことはなかった。住環境もきっとクローが考えて いるほどひどくはない。だが、無理に誤解を解く必要もないし、生 活環境に同情してくれるならそれでもいい。 ﹁まぁ、俺自身は苦労とは思ってないけどね﹂ ﹁そうか、いや、冒険者を目指すって本気なのか⋮⋮。俺は挫折し たようなもんだしな⋮⋮。いくつか教えられることも無いことはな いけど、俺個人ではちゃんとした依頼をきちんと出来たことは無い からな⋮⋮﹂ ﹁笑ったことは謝る。でも、アル、私からの忠告だけど冒険者なん て夢は捨てて普通に働いたほうがいいと思う。成功する人は全体の 中でもひと握りで、皆実力⋮⋮と言うか魔物を退治出来るようなす ごい力を持っているのよ。貴方は自信があるようだけど、正直な話、 私はお勧めはしないわ﹂ 827 クローは積極的には賛成しないが好きにしろって立場のようだし、 マリーは定職に就いたほうがマシだと言う。そうそう仲間になって はくれないか。転生者ならレベルアップの能力の伸びは常人の3倍 なんだし、冒険者とか向いてると思うんだがな。﹁転生者はレベル アップの時いろいろボーナスがあるらしいじゃないか﹂と言うと﹁ それはそうかも知れないけどレベルアップするようなものは固有技 能しか持ってないし、魔法はまだ使えないから魔物を相手するなん て冗談じゃない﹂と言われた。魔物と戦うのなんて相手を選べばそ んなにきつくはないと思うんだが。あ、そうだ、マリーも鑑定して みよう。 ︻マリッサ・ビンスイル/24/6/7429︼ ︼ ︻女性/14/2/7428・普人族・ロンベルト王国ウェブドス 侯爵領登録自由民︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:3︼ ︻HP:65︵65︶ MP:16︵16︶ ︻筋力:8︼ ︻俊敏:13︼ ︻器用:11︼ ︻耐久:10︼ ︻固有技能:耐性︵毒︶Lv.8︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻経験:7082︵10000︶︼ なんだか二人共しょっぱいな。いや、俺がおかしいだけか。だけ ど、マリーの固有技能のレベルは高いな。毒への耐性なんてどうや って磨いたんだろう? サブウインドウで確認するとその経験はも 828 うMAXレベルに近い。 ﹁あ、そうだ。ちょっと話しにくいんだけど、もし知っていたら教 えて欲しい。この街で⋮⋮そうだな、非合法な組織の元締めみたい な感じだと思うんだが、べグルって奴を知らないか?﹂ ﹁べグルならここらあたりでは有名人だ。そうだな﹃日本風に言う と暴走族とかチンピラ集団というか、やくざというかそういうのの 頭、まぁいわゆるDQNのリーダー﹄みたいな感じだ。ただ、頭も それなりに切れる。⋮⋮アル、お前、べグルの組織に入りたいのか ? もしそうならもう俺たちには関わらないでくれ﹂ ﹁そうよ。悪いけど出て行ってくれるかな⋮⋮﹂ クローは一部日本語で強調していた。相当する言葉が見つからな い、と言うより誰かにしゃべっている内容を聞かれたりしたらこと だ、という感じだ。二人共べグルとは関わりたくないらしい。なる ほどね。 ﹁いや、勘違いさせて悪かった。そんなつもりはないから安心して くれ。ちょっと小耳に挟んだから、そんな奴の縄張りには近づきた くないなと思っただけだ﹂ それからは当たり障りのない話をしながら、時間が過ぎた。俺は 転生者なら気になるであろう固有技能についての質問や話題を二人 が避けていることに気付いたので、そこには触れないように気をつ けた。多分、この二人くらいに親しくならない限りはお互いに腹を 割って話すのは難しいだろう。俺も自分の固有技能をどう説明した ものか困るし、考える時間がある方が良い。適当に飲み食いしなが ら時間が過ぎていった。クローは今日は仕事が休みらしいが、明日 829 明後日は仕事でキールを離れるそうだ。マリーに明日もまた来ても いいか聞くとOKとのことなので、暫くこの店を根城に情報収集し てもいいか、と思った。 ・・・・・・・・・ ビンス亭に戻ると番頭が言付け品があると言う。今日の夕方以降 に渡して欲しいと預かったものだそうだ。 俺にはキールに知り合いなんかいるはずもない。一体どういうこ とだ、と思い誰が託けたのか聞いてみると兄貴だった。なんだよ、 もう、直接渡せばいいじゃんかよ。しかし、何だろうと思いながら 品物を受け取ったらヘナヘナと腰が崩れそうになった。10個入り のゴム製品のパックが10パックだった。あとはメモ書きに多分店 の名前だろう、単語が一つ書かれていたものが同封されていた。兄 貴⋮⋮ ⋮⋮本当にありがとうございます。 830 831 第二話 ベグルはどこに? 7442年4月15日 兄貴からの贈り物を大事に抱えて部屋に戻ると灯りの魔道具に触 れて点灯させた。ベッドに放り出しておいた今日購入した荷物を手 早く整理し、ブーツを脱いでベッドに寝転がる。壁の漆喰には剥げ たところもないし、天井にも板が張ってあるから立ち上るレトロ臭 を除けば非常に快適なホテルだ。一泊で銅貨50枚もするだけはあ るよな。とは言ってもオースの、しかも俺が知る範囲内の知識だけ での判断だから、勘でしかないんだけどね。 個室ホテルの贅沢を存分に味わいながら、今日逢ったばかりの二 人について思いを巡らせる。一人は男で冒険者崩れだという。ベグ ルの名前を出したときの反応からして何らかの繋がりがあったのだ ろうか。いや、そこまでは解らんな。だが、ベグルについてそれな りに知ってはいるようだ。ベグルがあの男の事を知っているかどう かまでは判断がつかない。 もう一人は女でこの町の酒場兼飯屋の生まれ育ちでそのまま働い ているという。こっちもベグルのことは知っていたようだがどの程 度知っているかとか関係があるのかとかも男の方同様に判断がつか ない。だが、二人ともベグルと関わり合いになることを拒否してい た。それも恐れるような感じでの拒否だった。ベグルとはそれほど 周りから恐れられる様な奴だったのか。 7年ちょっと前だから8年前でもいいか、俺は初めて殺人を犯し た。ミュンから情報を受け取りに来た冒険者の間者だ。確かあいつ 832 は﹁ベグルの旦那﹂と言っていた。親父と同年代くらいに見える男 の言う﹁旦那﹂という言葉から俺は勝手にベグルのイメージを作っ ていた。 1.年齢は最低でも20代後半以上︵おそらくもっと上だろうとは 思う︶ 2.性別は男 3.普段キールにいる 4.普段表に出ず、間者の仕事の時だけ本人が直接手下の所に現れ て内容を指示する こう言った情報から俺は30代∼40代、下手したら50がらみ の男で、普段は正業を持つなどして仮面を被っているか、非合法な 方法でキールの裏社会に溶け込んでいるのだろうと思っていた。ベ グルという名前すら仕事の時だけの偽名だと思っていたくらいだ。 間者の元締めをしているくらいだから用心深く、且つ狡猾に立ち回 る思慮深い人物像をイメージしていた。だから、あの二人の反応に ついては少々意外な気もしたのだ。 ベグルは普段から堂々と名乗り、愚連隊のような組織のリーダー をしているとは全く思っていなかった。だからわざと有り得ないだ ろうと思っていた形で聞いてみたのだが、二人ともベグルという男 の存在を知っており、あまつさえキールの中層以下の社会では有名 人だと言う。ひょっとしたらベグルは二人いて、間者の元締めの方 が目立たないように有名人の方の名を騙っているのかも知れない。 有名人のベグルは周りから恐れられるような存在らしいから、か なり目立つし、それなりに注目されているだろう。そいつが捕らえ られたり、何らかの調査が行われた場合には、その情報はすぐに出 回るだろう。場合によっては間者としての嫌疑での調査、などとい 833 う情報すら流れる可能性も高い。それが本来のベグルの保身のため の安全装置になっているということすら考えられる。 つなぎ そうなると有名人の方に手を出すのは躊躇われるな。と、すると つなぎ やはりあの工務店に臨時雇いで雇われていた連絡員から辿った方が いいか。正直な話、あの連絡員と話すのは最初から覚悟の上だから ドーリットに戻ることは計算に入っている。ドーリットまで片道1 00kmくらいだから普通の馬なら兎も角、兄貴が乗っていた軍馬 なら耐久力や持久力は段違いだろうし、訓練もされているだろうか ら1日半∼2日といったところか。宿の代金分は泊まり、その後出 発しよう。え? 明日とか出発しても親父たちに追いついちゃうじ ゃんか。 ものすごく緊急なわけじゃないし、そこまで急がなくたっていい だろ。 ・・・・・・・・・ 翌朝、日の出前に目覚めた俺はプロテクターを身に着けると走り 込みをするために宿を出た。大きめに作ってあるプロテクターやブ ーツに早く慣れたいというのもあるが、体力練成は出来るだけやっ ておいたほうがいいからな。 日が昇り、合計で2時間ほど走ると充分なトレーニングに満足し た。プロテクターに身を包んで走っている俺は異様だろうが、他人 の目を気にしてもしょうがない。もう既に朝日は昇っているし、い 834 つもの時間に朝飯を食っていないから腹はぺこぺこだ。プロテクタ ーを脱ぐためにビンス亭に戻るのも面倒だし、このまま朝飯を食う か。 クールダウンしながらビンスイルの店まで行く。昨日と変わって プロテクターを身に着けているのでものものしくはあったが、仕方 ない。マリーを呼び、朝食セットを頼むとちょっとだけ話をしたい と外のテーブルに連れ出した。 ﹁なに? その格好。凄いね。まるで騎士様じゃない﹂ ﹁ああ、ゴムで作ったプロテクターだよ。鎧みたいなもんだ。それ より、ちょっと確認と言うか話をさせてくれ﹂ ﹁別にいいけど。なに?﹂ 俺のプロテクターが珍しいのだろう、肩当や小手をちょっと触り 感触を確かめたいようだ。どうぞ、という感じで右手から小手を抜 いて目の前に置いてやる。 ﹁あんた、年は? 俺は今年59歳になる。正直な話、クローとあ んたのような関係が羨ましい。昨日話してみて解ったが、二人とも 悪い人間では⋮⋮いや、変にオースの底辺、と言うかキールみたい な大都市の底辺に染まり切っていないことは確認できたと思ってい る。日本人らしいところが残っているのを感じて、俺は泣きそうに なったことが幾度もあった﹂ ﹁53歳よ。そう、私たちも日本人に会えて嬉しかった。貴方は私 たちのことを羨ましいと言ったけれど、私たちも貴方のことを羨ま しく思っているわ。貴方と違って私たちはオースに何の影響も与え 835 られていないわ。 特に私は皆に使ってもらえるような何か便利な物を作るとか考え もしなかったし⋮⋮私もクローもそれなりに頑張ってはいるつもり だけどね。でも、貴方のような成功はしなかった。クローは蓮っ葉 に構えているけど、あれでも昔は村で相当頑張ったらしいわ。全部 だめだったらしいけれどね。それでこの町に来た当時はグレちゃっ ていたみたい。今は一生懸命働いているけどね﹂ 真新しい俺の小手をいじくりながら話してくれた。 ﹁うん、お互いいい年なんだな。あと、ゴムの件は俺は運が良かっ ただけだと思うから⋮⋮。﹃ちょっとここからは日本語で話す。単 刀直入に聞くけど、ベグルについて知っていることがあれば教えて くれないか? 正直な話、昨日ちらっとクローから聞いた話が信じ られないんだ。ああ、いや、クローが嘘を言ったなんて言うつもり じゃなくて、俺がイメージしていたベグルと聞いた話ではかなり印 象が違ったからね﹄ ﹃なんでベグルのことを知りたいの? 関わりにならないほうがい いと思う。ここらのごろつきとかのリーダーなのよ﹄ 小手から目を上げ、俺の顔を正面から見つめてきた。オートミー ルをスプーンで掬っていたのでそう見つめられると食べられん。 ﹃俺の恩人がベグルという奴に困らされている。いろいろ集めた情 報だとベグルはデーバス王国へ情報を流しているらしいことがわか った。つまり、スパイみたいなもんだ。俺は別にロンベルト王国自 体に思い入れがあるわけじゃないからそこはどうでもいいんだ。 だけど、そのあたりの事情や、今までに入手出来た情報から推測 して、君らから聞いたベグルの人物像はちょっと予想外だったんだ。 836 最初はかまかけのつもりで聞いたんだが、あまりに典型的な悪人の ように聞こえたから意外だった。それに、どうも関わりたくない、 と言うより、恐れているように聞こえた。でも、俺としては恩人が 困らされていることは見過ごせない﹄ ﹃見過ごせない、か。じゃあどうしたいの?﹄ ﹃俺がやったと誰にも知られないように憂いの要因を排除したい﹄ スプーンをオートミールの皿に戻しながら言った。 ﹃懲らしめたい、とか殴りつけてやりたいとかじゃないのね?﹄ ﹃それで憂いが断てるならそれでもいい。だけど、そんな簡単には いかないだろうなってことは想像がつくよ﹄ マリーはまた小手に視線を落としながら言う。 ﹃教えるのは構わない。でも、私からだと多分通り一遍のことしか 言えない。別に隠しているわけじゃなくて、それしか知らないから。 それで良かったら教えてあげられるけど、正直な話、貴方にベグル をどうこう出来るとは思えないわ。仲間、と言うか手下も沢山いる みたいだし、下手に手を出したら酷い目に逢うわ。殺されるかもし れない。冒険者崩れとは言っても強いことは確かだわ。何でも一人 でオークを何匹も退治したこともあるらしいし、本来なら真っ当な 冒険者としてやっていける実力もあると思う﹄ オークってのの強さがわからないから何とも言えん。 ﹃そうか、オークってのはどのくらい強い魔物なんだ? バークッ 837 ドの辺りにはいなかったから戦ったことが無いから知らないんだ。 ホーンドベアーくらいなのか?﹄ ﹃え? ホーンドベアーな訳ないじゃない。私も魔物と戦ったこと なんかあるわけないから知らないけど。ホーンドベアーって言った らここらじゃ一番強いと言っても良い魔物らしいわ。退治には普通 の冒険者だけじゃ無理ってことで、騎士団が揃って行くか、キール でもトップクラスの冒険者たちが複数で行くくらいの魔物なのよ。 あんた、何言ってんの? それで良く冒険者やるとか言えるわね。⋮⋮ホーンドベアーは置 いておいてもオークはホブゴブリンと同じくらい強力らしいわ。家 族単位とかで群れているらしいから冒険者くらいの実力がないと追 い払うのがせいぜいでしょ。キールのあたりには出ないらしいけど ね。そんなこと言ってるようじゃベグルの相手なんて10年早いわ。 悪いことは言わないから忘れなさいよ﹄ ﹃なんだ、その程度か。じゃあどうせ手下はもっと弱いんだろ? 不意打ちさえ食らわなきゃ、いや不意打ちできれば問題なさそうだ。 自慢するわけじゃないけど、一対一なら全く負ける気はしない。と 言うより、冒険者崩れって言葉に惑わされていたな。冒険者っても っとずっと強いと思ってた。うちの両親も元冒険者だったが、やっ ぱりかなり強い方だったんだな﹄ マリーは馬鹿を見るような目つきで俺を見ると、口を開いた。 ﹃あんた、いくらなんでもすぐにばれる嘘は人を馬鹿にし過ぎじゃ ないの? いくらオースがステータス見れたり魔法があるとは言っ ても現実なのよ。見栄張って嘘言わなくても、馬鹿にしたりはしな いから本当のことを喋りなさいよ﹄ 838 見栄なんか張ってないけど、ここで突っ張るのも意味がない。だ いたい、他人はおろか自分のレベルだとか能力だとかHPだとかす ら普通はわからないんだからな。僅かに自己の特殊技能のレベルが 確認できるだけだ。 ﹃いや、ごめんごめん。こうでも言わないとベグルのことを教えて もらえないかと思ってさ。本当、すまん。謝る。この通りだ﹄ そう言って両手をテーブルについて頭を下げる俺に対し、 ﹃最初からそういう態度でお願いすれば良いじゃない。別に教えな いとは言ってないんだからさ﹄ こう言って座りなおした。 ﹃ベグルは昔どこかから流れ着いた冒険者だったらしいわ。最初は キールでもそれなりに上手くやってたみたいだけど、いつも一緒に 行動していたグループで仲間割れが起きたらしいの。それでグルー プを抜けたらしいけど、やっぱり一人じゃ碌な依頼も出来ないで落 ちぶれていったんだって。でも、腕は確かだし、強いからすぐにこ こらあたりでぶらぶらしてる同じような冒険者崩れのリーダーにな った。それからは悪さのし放題。簡単に言うと札付きね﹄ ﹃そんなのを何で放って置くんだ? 侯爵や騎士団はベグルを捕ま えないのか? 警察みたいなこともやってるんだろ?﹄ ﹃日本のやくざと一緒よ。ここらあたりを管轄してる騎士に取り入 って賄賂でも渡してるんでしょ。たまに手下を人身御供で差し出し たりしてるなんて話も聞くわ。直接殺人とか強盗とかの犯罪を見ら れたり証拠を残したわけじゃないみたいだしね。賄賂はともかく、 839 多分証拠がないから騎士団も逮捕出来ないんだと思う﹄ なるほどね。それなりに頭はあるみたいだ。でもこんな小悪党が スパイの元締めみたいなことをしているのはやっぱりおかしいよな。 やはり俺が追っているベグルとは別人なような気がする。が、まだ 完全に判断するには早いだろう。うんうんと頷く俺に続けてマリー が言う。 ﹃とにかく、逆らったりしたら商売はまともに出来なくなるし、ク ローも昔ベグルと一緒にいた事があるんだけど、抜けるのに大変だ ったんだから。⋮⋮本当に大変だったんだから⋮⋮私が知っている のはこのくらい﹄ マリーはきっとクローがベグルの組織を抜けるときにされた何ら かの仕打ちのことを知っているのだろう。拳を握りながら俯いてい た。 ﹃そうか、どんなことがあったかは聞かないよ。それはクローから 聞く方が良いだろうし。まだ確定はしてないから何とも言えないけ ど、その悪党のベグルが俺の探しているベグルじゃないことを祈っ ててくれ﹄ ﹃あとはクローに聞いて。明日の夜には帰ってくると思うし、帰っ てきたら必ずこの店に来るはずだから。多分夕方5時過ぎくらいの 時間だと思う﹄ だいぶ冷めたオートミールを掻き込んで時間を取ってくれた礼を 言い、ビンス亭に戻った。プロテクターを脱ぎ、宿の裏手の厩舎の 傍にある井戸で水をかぶる振りをしながらシャワーを浴びさっぱり としてから部屋に戻る。 840 まだ朝だし、クローは明日の夜にならないと戻らないらしい。ど うすっかな。 ・・・・・・・・・ 冒険者の依頼がないか確認しに騎士団に向かった。門の傍の小屋 で依頼がないか確認すると、現在依頼は無いとの事だった。受付の 担当の従者だか事務官だかに依頼のシステムを聞いてみる。 基本的にウェブドス騎士団で受けられる依頼は行政府からこぼれ てきた物らしい。侯爵領において、冒険者に何らかの依頼を出した い場合、基本的に行政府宛に出すらしい。その中で主に退治系にな るのだが、困難そうな依頼を騎士団に回すのだそうだ。騎士団では だいたい2∼3週間ほど依頼を掲示するらしいが、依頼を受ける冒 険者がいない場合に限り騎士団が代わりにその依頼を受けるという ことだ。 なるほど、退治の場合、自分の実力に見合っていないと思えば受 けない人間も多いのだろう。ただ、だからと言って放って置く訳に も行かないから期限を切って騎士団が処理するのか。 ならば行政府に行った方が多種多様な依頼がある可能性は高そう だ。教えてくれたことに礼を述べ、行政府に向かってみた。 行政府ではどこに行けば依頼が確認できるのか分からなかったの 841 で職員らしそうな人を捕まえて聞いてみた。すると親切に案内して くれたのは良いが、依頼の開示はいつも午後から行われるとの事だ った。大きな板に依頼内容が書かれて掲示されるらしい。午前中は 板に依頼内容を書いているから午後からの受付なのかもしれないな。 どうでもいいけど。 板に書かれた依頼には番号が振られており、その番号を板の傍に 立っている係に伝えることで依頼を受けることになるそうだ。その 際にステータスを確認され、名前などを記録される。同時に札が発 行され、その札を持って依頼人に会うらしい。 謝礼は依頼完了時に依頼人から直接支払われたり、前金で何割か 受け取れたりなど場合によってマチマチらしいが、依頼の完了時に は必ずここに戻り、最初に受け取った札を返却する。それをもって 初めて完全に依頼を達成したことになるらしい。どうも札が返却さ れることで依頼完了と見做して依頼人に税を課しているようだ。 札がいつまでも帰ってこなければ依頼は未達成のままになり、受 けた冒険者の評判が悪くなる。また、行政府としても依頼人から税 が取れないからそんな奴に仕事を斡旋したくは無くなっていく、と いう事か。依頼が未達成にもかかわらず札が戻ってきたら税の請求 をする際に必ずばれるから結果は同じという事だろう。 こうやって淘汰され、冒険者崩れ、という人間が発生するのだろ う。なるほどね。因みに冒険者にもその収入に税はかかる。個人事 業主のような感じになるらしい。二重課税じゃねーか。そもそも依 頼主が別途税を払っている筈だ、明らかな二重課税に憤慨しそうに なった。 しかしながら、税がかかるのは平民だけのようだ。貴族は家督を 842 持っている当主本人で且つ土地を所有していない限り冒険者の収入 に対する税はかからない。本家でその本家の収入の6割税を払って いるからだ。自由民は登録している領主に人頭税を払っていると見 做されるのでこちらも冒険者の収入に税はかからない。奴隷はそも そも単独で生計を営んでいること自体有り得ないので、奴隷だけで 依頼を受けること自体出来ないし、その所有者が人頭税を払ってい ると見做されるからこれも同様に税はかからない。多分所有者と一 緒に依頼を受ける形になるんだろう。 平民だけやけに不利だと思って質問してみたが、家を出た平民は その時点で本家とは生計が別になると見做され、冒険者の収入に対 して1割税がかかるとのことだった。6割ではないのは土地を所有 していないので農業ではなく、商業として課税されるかららしい。 貴族の特権はまぁいい。貴族というだけである程度の特権があるこ とは想像できるし、俺がその恩恵にあずかれるのだから不満は全く 無い。自由民は領内しか行動の自由がないし、人頭税を払っている ので全く税を払わないわけではないのだからこれもいいだろう。そ れに、平民や貴族と異なり土地の所有が認められていないので農業 が出来ないらしいからね。 平民の冒険者だけが収入に課税される理由は奴隷にあった。平民 や貴族が所有する奴隷の人頭税は年間銀貨1∼2枚くらいでまず無 視できる金額だ。だが、これが自由民になるとそうは行かない。自 由民が奴隷を所有することは禁じられていないが、自由民が奴隷を 所有した場合の人頭税はなんと自由民と同じ、年間で金貨1枚なの だ。だから冒険者であるなしに関わらず自由民で奴隷を所有してい る人間はほぼいないと思ってもいい。 冒険者に対する依頼は何らかの理由で人数を指定されているもの でない限り何人で受けても構わない。一人なら報酬は独り占めでき 843 るし、二人なら等分するか、実力や働きに応じて決めるのだろう。 だが、奴隷を所有する貴族や平民ならどうか。一人ではとても達成 出来そうに無い困難な依頼を奴隷パワーで受けることも出来る。当 然報酬は独り占めだ。 一例を挙げると隊商の護衛の依頼があるとしよう。受けられる条 件が6人で報酬はそれぞれ銀貨10枚だ。ごく普通の自由民の冒険 者なら6人集める必要があり、報酬は一人銀貨10枚だ。対して奴 隷冒険者を5人所有している平民の場合は60枚全部貰え、1割税 で6枚取られても54枚残る勘定になる。奴隷に武装させ、体力が 維持できるような食事さえ用意できるなら、かなりおいしいと言え るだろう。食事だって贅沢さえしなければかなり安く済むから、初 期投資の奴隷購入費用と武具の購入費用さえ何とかできるのであれ ば問題は少ないと言えるだろう。 詳しくは聞いていなかったがバークッドの出戻り冒険者デスダン は何人か奴隷を連れて行ったのかもしれないな。ああ、親父が沢山 金をくれたのは奴隷を買えという意味もあったのか。今になって分 かる親の愛だな。だが、待てよ。確か両親はたった二人で冒険者を やっていたはずだ。奴隷がいたなんて聞いたことはない。 今は掲示場所は確認出来たから昼過ぎまで時間をつぶすしかない な。 ・・・・・・・・・ 844 適当にぶらぶらと散歩しながらキールを歩いてみようか。多分ま だ10時くらいだから時間はたっぷりある。そういや兄貴のメモに あった店に行ってみるのも悪かねぇな。でもビンス亭まで戻るのも 面倒だし、今日は止めとくか。 845 第三話 情報 7442年4月15日 やることが無いというのは存外精神的に変な圧力をかけてくるも のだ。 今までなら剣や魔法の修行やゴム製品の製造・開発をしていて、 時間が余るということなんか考えたことすらなかった。 街中で剣を振り回すことも出来ないし、みだりに魔法を使うこと も出来ない。ゴム製品がどうのこうのなんか原材料がないんだから どうにもならん。金はかなりあるから遊ぶにしてもどこで遊んだら いいのか、そもそも何して遊んだらいいのか見当もつかない。こん な真っ昼間、と言うか昼前から兄貴お勧めの店に行って兄貴と真の 兄弟の契りを結ぶ可能性に賭けるのもなんだか違う気がする。多分 早朝・昼間割引なんかないだろうしな。 仕方ないから最初に目に付いた飯屋に入り、豆茶を啜りながらな んとか昼まで時間を潰し、また行政府に行く。先ほど聞いた掲示板 のあたりに行くが、掲示板はおろか誰も居なかった。 ちょっと早かったかな。手持ち無沙汰のままその場に佇んでいる と、依頼の受付の係だろうか、二人がかりで木製の台のようなもの を運んできた。運んできた台を置くとまたどこかへ行き、また同じ ような台を運んできた。これは依頼の板を置くための台なのだろう か。この二台の台座に設置する板なら横幅は3mくらいありそうだ。 846 高さはどんなものになるかはまだわからないが、結構な依頼があ るのではないか、と期待する。暫くすると先ほどの係が二人、板を 担いできた。あれが依頼の掲示板か。設置されるのを待って、いそ いそと掲示板に寄ってみる。 掲示板にはいくつか依頼が書いてある。板の上に直接木炭のよう なものを使って書いているようだ。 2/10/39 採用 ダングート士爵 領内警備 出来高応談 若干 22/2/40 採用 ベッツ士爵 領内警備 出来高応談 若干 25/1/42 採取 ビョールグ 10万 ダルギルの若実 1 0kg 11/2/42 護衛 ロシュモル士爵 100万/4/3 迎送 バーラッグ 先キール 出1/7/42 20/2/42 採取 ビョールグ 12万 バックライの葉 5 00枚 10/4/42 護衛 ミンス商会 40万/2 ベルース 往復 出20/4/42 13/4/42 搬送 ズーライド金工 8万 3kg剣 先ベッ シュ 15代引 14/4/42 護衛 マール商会 20万/2 ベンドル 往復 出24/4/42 847 14/4/42 搬送 ズーライド金工 10万 3kg剣 先ド ーリット 20代引 14/4/42 護衛 ウェブドス商会 550万/10 ロンベ ルティア 往復 出24/4/42 なんだか略語が多いな。勘違いがあっても嫌だし、略語の意味な どは係の人に確認しておいた方がいいだろう。どうせ今は俺一人し かいないのだから仕事の邪魔になるということもないだろう。 基本的には難しいところはなかった。俺の復習の意味も込めて順 に説明しよう。各依頼にある左端の数字は行政府で依頼の出願を受 ゼニー 領した日だ。次は簡単な依頼内容。その次は依頼者の名前。次の数 字は依頼の達成料金で単位はZだ。あとは依頼内容により異なる。 最初の二つの依頼は特殊で、ある一定の期間に渡っての契約との ことだ。仕事内容は領内の警備。つまりバークッド村の従士たちが やっていたようなパトロールのようなものらしいが、内容について は依頼者に直接確認の必要がある。 係の人の説明だと出来高応談というのが曲者らしい。倒した魔物 の数などで報酬が上下するのはなんとなく理解できるが、依頼主に よって閾値があることが殆どで一定以上の魔物を倒さないと報酬が ゼロということすら考えられるらしい。だから依頼が受領されてか らも何年も放って置かれているとのことだ。 三行目からが本番ということか。依頼内容は採取。ビョールグと いうのはキールに住む医師で、薬の材料の採取だろうとのことだ。 ダルギルは秋に実をつける。この時期だと昨年実った実が全部落ち 848 10万ゼニー たあとで、まだ花も咲いていない。10kgで銀貨10枚はおいし いけど受けるに受けられない依頼か。 四行目、護衛だ。依頼者はバーラッグ村のロシュモル士爵で、迎 送バーラッグとあるからバーラッグ村まで行き、ロシュモル子爵本 人か、指定する誰かか物を護衛してキールまで来る。そしてまたバ ーラッグ村まで送り届けるという内容だ。右端の数字はバーラッグ 村を出発する希望日らしい。つまりこの日までにバーラッグ村まで 行かなくてはいけない。 順番が前後したが、報酬の後に数字が二つ、区切って書かれてい る。左の数字は最低この数字以上の人数が必要だと依頼者が考えて 100万ゼニー いることを意味している。右の数字は足りない人数だ。つまり、こ の依頼の報酬は全部で金貨1枚もあるが、充分な護衛には四人必要 で、すでに一人は応募があり、依頼を受けられる人数はあと三人分 残っているということだ。 40 五行目は飛ばし六行目。もうわかったろう? ミンス商会からの 万ゼニー 依頼で目的地であるベルース村まで往復の間の護衛だ。報酬は銀貨 40枚。但し2人以上じゃないと受けられない。 8万ゼニー 七行目は荷物運びだな。ズーライド金工は昨日行った騎士団御用 達の武具を中心に作っている鍛冶屋だ。銀貨8枚の報酬でベッシュ 村まで剣を届ける。重量は3Kg。宅配の際、剣の料金を受け取っ て持って帰る必要がある。依頼の剣を受け取ってから15日以内に 帰って来ないといけない。それを過ぎると犯罪者となる。取り込み 詐欺か。 八行目以降はもう説明の必要はないだろう? わかったよな。さ て、この中に俺の受けられそうな依頼は⋮⋮と、あるな。そう、説 849 10万ゼニー 明を端折った九行目だ。荷物運びだが、行き先がドーリットだ。報 酬は銀貨10枚。依頼を受けて20日以内に帰ってくればいい。俺 は軍馬を持っているから急げば4日か5日もあれば充分だろう。向 こうで個人的な用も果たせるくらいの余裕は充分に見込める。 よし、こいつを受けるか。俺は係の所まで行き9番目の依頼を受 けたい旨を話す。すると係は木製の札を俺に渡し、俺の名前を聞い てきた。名前を答えるとすぐにステータスオープンを掛けられ内容 を記録された。これで依頼の受領は終わりらしい。9番目の依頼に はすぐに横線が引かれた。これが依頼済みの印なのだろう。一週間 ︵6日︶以内に依頼者であるズーライド金工に行き、担当者に会う ように指示された。 何でも屋 木札を見ると妙ちくりんな紋様が書いてあり、それが割符になっ ているようだ。これで正規に依頼を受けた冒険者であることを証明 するのだろう。木札をポケットにしまい、帰ろうとしたところに何 人かの話し声が近づいてきた。どうも冒険者の一団が依頼の確認に 来たようだ。ちょっと様子を見てみるかな。 しごと ﹁おお、依頼が五つも追加されて⋮⋮一個は受けられたか﹂ ﹁帰ってきたばかりなんだから少し休みませんか?﹂ ﹁腹減った∼、先に飯食ってから来たかったよ﹂ ﹁ロンベルティア行きの定期便があるぜ、これがいいんじゃねぇか ?﹂ ﹁あ、それいーねー。ゴム様様だよね。二月で50万はおいしーよ ねー﹂ ﹁選択の余地ねぇじゃねぇか﹂ ﹁おい、値上がりしてるぞ。それに今回は10人かよ﹂ ﹁今回は先越されなくて良かったわ﹂ ﹁っかぁ∼、馬車5台か。ウェブドス商会、儲かってるなぁ∼﹂ 850 ﹁急いで来た甲斐があったな。じゃあ、ゴムの護衛でいいな﹂ 6人組らしい。がやがやと言い合っているが報酬が一番高いロン ベルティア行きの護衛の依頼を受けるようだ。ところで、そのゴム、 俺が作ったんすよ。鑑定でレベルを見てみると全員が自由民で10 レベルを超えており、リーダーっぽい30代半ばくらいの男のレベ ルは14に達していた。 すげーな。あれが本物の冒険者か。鎧などの重い装備は宿かどこ かに置いてあるのだろう。全員がズボンにシャツのような格好の軽 装で、中には武装すらしていない奴もいる。何人かはゴムサンダル を履いていた。あ、そのサンダルも実は俺が作ったんすよ。 本物の冒険者も見れたことだし、用は済んだ。一度宿に戻るか。 ズーライド金工? ギリギリまで行かねーよ。宿代払ってるしな。 ・・・・・・・・・ 宿に戻る途中で服屋に寄り、裾の長い皺くちゃズボンとヘロヘロ になっているシャツを購入した。ブーツを隠せるくらいの裾のズボ ンを履き、ヘロヘロのシャツに着替えると長剣を腰から下げる。そ して財布は持たず銀朱2個と銅貨を10枚くらい裸のままズボンの ポケットに突っ込み出発の準備は完了だ。長剣だけは鞘がないから 不自然極まりないが、刀身には革紐を巻いて誤魔化していた。貧乏 な冒険者崩れに見えればOKだからこれでいいのだ。 851 昨日丁稚に教えてもらったスラムの酒場に出かけるのだ。有名人 の方のべグル︵べグルAでいいや︶の情報を収集したい。正直な話、 このべグルAの方が目的の人物べグルBを兼ねている方が俺として は面倒がなくていい。人気がないところを狙って離れたところから 魔法でぶっ殺せばカタはつくからな。 ただ、べグルAの顔が判らないからこれから暫くは酒場で網を張 って入店してきた奴に片っ端から鑑定をかけて名前を確かめること と、ついでにべグルAについての情報収集をしようと思っているの だ。べグルAが偽名を使っていることは考慮していない。冒険者崩 れなのだからステータスオープンで本名は割れているはずだからな。 よし、行こうか。 汚くはないがみすぼらしい格好相応に背中を丸めて歩き出す。ふ ふん、これならどこからどう見ても冒険者崩れにしか見えまい。ほ かの街から流れてきた感じを出すために周りに誰もいないことを確 認してから道を転げまわって埃や土を付けたほうがいいかな。この あたりはまだ上層の人々の生活圏みたいだからあまり人通りも多く はないし、さっさとやったほうがいいか。 誰も通りそうにない小径に入り、転げ回った。と、腿のあたりで 嫌な感触と嫌な臭気が立ち上る。この匂いは⋮⋮スカトール臭だ⋮ ⋮道端のうんこを転げ回った勢いで潰したらしい。臭ぇ。表面が乾 いていたから潰すまで匂いがしなかったのか、そもそも街のあちこ ちを流れるドブの匂いで鼻が馬鹿になっていたのか、これから道を 転げまわる時は気を付けよう。明日もやるかも知れないしな。慌て て水魔法で洗うが完全には落ちなかった。続いて乾燥させて誤魔化 すが、これで大丈夫かな? まぁいいや。 852 ほんとにもう、道端でうんこすんなよ。キールは中央を流れる大 きな川に流れ込むようにドブ川を沢山作ってある清潔な街なんだか らさぁ。しかもここは比較的富裕層の住むあたりなんだぜ。文化レ ベルが地球の中世15世紀くらいが最高というが、ここらのトイレ まわりの文化は最低レベルの7世紀なんじゃね? 今更どうでもい いけどさ。不愉快は不愉快だしな。 気を取り直してスラムにある酒場に向かう。今度は本当に背が丸 くなってチロチロと回りを窺っていた。だって、臭いと思われたら 嫌じゃんか。十字路の角に、近い方の酒場があるのが見える。 ここでいいか。 この店もビンスイルの店同様にテーブルのいくつかは道にはみ出 している形態で営業をしている。客層を見ると皆俺と似たりよった りの格好で汚いし、多少不潔な感じもする。 店と外の境に置いてある小さなテーブルが空いていたのでそこに 着くと、ほどなくして無愛想なおっさんが注文を取りに来た。ビー ルと煮豆を頼んだ。俺の腿からほのかに立ち上るスカトール臭には 気付かれなかったか、気付いても無視してくれた。 ビールは70Z、煮豆は30Zと合計で銅貨1枚=100円で済 んでしまう程バカ安だ。だが、ビールは酸っぱさが残っているばか りか気の抜けた安物だし、煮豆は煮込まれすぎて形が既に無いよう なものも多く、はっきり言ってちっとも旨くない。 渋い顔で飲み始めながら、店の様子を観察した。塩気の強い煮豆 を手づかみで口に運び酸っぱいビールで流し込みながらとりあえず 店の中にいる人を一人づつ鑑定していく。皆、レベルは低く、固有 853 技能は疎か特殊技能の魔法を持っている奴すらいない。せいぜいが 亜人特有の技能持ちがチラホラいる程度だ。 俺も他の客と同様に粗末な木製の椅子の背もたれにだらしなく寄 りかかりながら鑑定して時間を過ごす。客同士の会話に耳を傾けつ つ安いビール1杯で30分以上粘ったが、特にべグルについての話 は聞こえてこなかった。 夜までは粘ろうと覚悟してきたので通りかかった例の無愛想なお っさんに追加のビールを注文をしたところ﹁1時間で300Zは使 ってくれよ﹂と大賤貨3枚の釣銭を返されながら言われた。なるほ ど、安いだけあってそういうシステムなのか。 追加でいくつか注文し、またぐでっとした粘り体勢に入ると暫く して新しい客の一団が入ってきた。今度の集団は全員剣か槍を持っ ていた。鎧らしきものは身につけてはいなかったが、服装は他の客 と大して変わらない。 こいつらが冒険者崩れってやつなのかな? 7人の集団を一人づつ鑑定していくがべグルらしき奴はいなかっ たし、レベルも4∼6程度で大したことはない。一番レベルが高い 奴も年齢は25歳だから本当に実力も大したことはないのだろう。 全員しけた面をしているから金も大して持ってはいるまい。 だが、冒険者崩れなら何かべグルに関しての情報を持っている可 能性もあるだろう。俺は奴らの会話だけに集中力を割くことにして、 聞き耳を立てた。 ﹁相変わらずまっずいビールだよな﹂ 854 ﹁そう言うな、稼ぎがねぇんだしよぉ﹂ ﹁上から回ってくるのもケチくさい荷運びばっかだし、ここらで一 発当ててぇなぁ﹂ 上? 上って言ったのか? 何らかの組織があるのか? ﹁ちゃんとした依頼が受けられないのは痛ぇよなぁ﹂ ﹁はっ、そりゃ自業自得だろうが﹂ ﹁そりゃそうかも知れねぇけどよぉ、行政府の役人共の目付きがだ んだんあからさまに悪くなって行くんだぜ。もう行けねぇよ﹂ ﹁何回も依頼を失敗するほうが悪いだろ﹂ ﹁お前だって失敗続きでもう依頼受けられねぇんだろうが、偉そう にすんな﹂ ﹁俺だってお前みたいなのと組まなけりゃ護衛の一つや二つくれぇ よ﹂ ﹁よせよ、お前ぇら。喧嘩してもつまらんぞ﹂ ﹁あたいもさ、もう村に帰ろうかなぁって思うことあるんだよね﹂ うつ ﹁おめーは股開けば稼げるだろうがよ。ああ、そのご面相じゃぁ無 理か。けっへっへ﹂ ﹁なによ、あんただって一昨年毛ジラミ染されたままあたいとヤッ たじゃない。あのあと大変だったんだからね﹂ ﹁ありゃー気の迷いよ。金さえありゃわざわざオメーなんか相手に するか﹂ 思わず再度鑑定してしまったが二人共状態は良好だった。寄生虫 は病気とは違うから鑑定には反映されないのか、それとも既に駆除 が済んでいるのか、どっちかな? 多分後者のような気がするが、 確かめようもねぇ。 855 ﹁あーあ、なんかでけぇ話はねーもんかなぁ﹂ ﹁ねぇよ、ンなもん﹂ ﹁だけどよぉ、いつまでもこうしてらんねぇしよぉ﹂ ﹁⋮⋮ああ、だなぁ。俺だって金貨の4∼5枚もありゃあ、いや2 ∼3枚でいい、なんか商売でも出来るんだがなぁ﹂ ﹁ああ、全くだ。だけど、お前ぇは商売は無理だろ。馬鹿だから﹂ 揃いも揃って頭の悪そうな会話をしてるんだからどっちもどっち だろ。ふむ、やはりこいつらは底辺の冒険者崩れと考えて良さそう だな。 ﹁でもよ、税金もまともに払えなくて、キールおんだされて何年も 野宿してるアッザス達よりゃ俺たちの方が数段上等ってもんよ。あ いつらだろ、先月どっかの隊商襲撃して護衛に追い散らされたのっ て﹂ ﹁あ、それ、あたいも聞いたことある。アッザスは顔はいいけど頭 つる がねぇ、ちょっと弱いからさ﹂ ﹁ジールドもアッザスと連んでさえなけりゃいっぱしになれたろう になぁ﹂ ﹁クズはクズと連むのよ、あいつら、今何人くらいで連んでんだ? あんまり多いと退治依頼出ちまうぞ、ギャハハ﹂ ﹁確か今は4∼5人くらいじゃね? 馬車一台の小さな隊商襲うの だって出来はしねぇだろ。護衛にゃ最低2人はいるんだからよ。一 人でもやられたらもう次はねぇしな﹂ ﹁じゃあ何で隊商襲ったんだ?﹂ ﹁そりゃアッザスが馬鹿だからよ。大方奇襲でもして一人を先にや ろうとしたんだろうが、それ失敗したら逃げるしかねぇのにな。そ こがアッザスの馬鹿さ加減だよな﹂ ﹁まともな護衛なら魔法だって使える奴がいると思ってたほうがい いのによ、馬鹿は全部自分を基準に考えるからよぉ﹂ 856 あ、エールもう一杯頼もう。 ﹁そういやぁ、あいつ、なんつったっけ、あの小僧﹂ ﹁そんなんでわかるかよ﹂ ﹁あの、上手くやった奴だよ、ミズベール商会で専属で雇ってもら ったやつ﹂ ﹁ああ、クローか﹂ なに? 椅子が軋んだ。 たら ﹁誑しのクローか。みんな専属の護衛なんて小さくまとまりやがっ てなんて言ってたけどよ。あいつは上手くやったよなぁ。実際の話、 一回の実入りは少なくてもいつも確実に仕事があるのは羨ましいぜ﹂ ﹁ああ、冒険者の風上にも置けねぇとか言われてっけど、ありゃ皆 妬んで言ってるだけだしなぁ。本当、羨ましいな﹂ ﹁ミズベール商会の婆ぁでも誑し込んだのかと思ったら違うのな。 この前、怒鳴られてるの見たぜ﹂ ﹁へぇ、おりゃてっきりあの婆ぁ誑し込んだのかと思ってた。あい つにしちゃ趣味悪すぎだろって思ってたぜ﹂ ﹁あいつ、女の趣味だきゃ良かったしな。ジェリルが相手にされな いわけだしよ﹂ ﹁あんだって? あたいだってあんなのお断りよ。黒髪黒目で気味 悪い﹂ 俺もだよ、悪かったな、このブス。 ﹁最近はよ、ビンスイルの看板娘にご執心らしいぜ。あれもいい女 だよな﹂ ﹁ビンスイルかぁ、あんな高い店に出入りできんのかよ、専属護衛 857 様は﹂ 別に高かねぇだろ。 ﹁ふん、あの女も黒髪黒目なんだろ? 気持ち悪い同士でお似合い じゃない﹂ ﹁別にあの看板娘は気持ち悪かねぇだろ。まぁクローに目ぇ付けら れたのは運が無いけどよ。いままでのあいつの女みたく金吸い取ら れんじゃねぇの?﹂ ﹁そりゃどうかね? いつもみたいに転がり込んでるわけじゃねぇ らしいぜ﹂ ﹁ビンスイルの店に通えるほど定収入あって、あの看板娘誑し込め て、本当羨ましいぜ﹂ クローも苦労したんだってよ。駄洒落じゃないけど。でも、あい つ、ここから抜け出したんだな。 ﹁クローっつったらよ、べグルの旦那んとこから抜けたんだろ﹂ おっ? ﹁そうだ。相当ヤキ入れられたってよ。聞いた話じゃあいつの体、 無茶苦茶らしいぜ﹂ ﹁なにそれ?﹂ ﹁だから旦那の所抜けるときによ、あの、なんつったっけ、旦那ん とこにいる魔法使いによ、やられたんだと﹂ ﹁え? あたいそれ初耳∼。なにされたん?﹂ ﹁﹃フレイムスロウワー﹄で焼かれたらしいぜ﹂ ﹁ええっ? まじかよ﹂ 858 ええっ? まじかよ。 ﹁で? で?﹂ ﹁そりゃ大火傷よ。背中から腹からすげぇ火傷の跡が残ってるって よ。おまけに背中に剣でベグルって名前まで彫られたらしいぜ。ま ぁ、何日か後で這いずって治癒魔法かけてもらったらしいから、剣 の傷の方は治ったらしいけどよ。火傷跡なんかすっげぇらしいぜ。 ほら、俺がドジこいて腕折ったときによ、その治癒師んとこ行って 聞いたからよ﹂ ﹁火傷は治らなかったんだ?﹂ ﹁手遅れだったってよ。すぐに魔法かけてたら跡も残らず治せたら しいけどな。時間が経つほど傷とか火傷とかの跡は治せないんだと﹂ それは知ってる。俺の足にも子供の頃蚊に刺されて掻き崩した跡 かさぶた かさぶた が残っていた。蚊に吸われて魔法かけるなんて思いもしなかったし な。瘡蓋になってから気がついて治癒魔法をかけたら、瘡蓋はすぐ にポロっと取れたけど、跡は残った。成長してから治癒魔法の修行 の時に思い切ってその跡をナイフでえぐりとって治癒魔法かけたら 綺麗さっぱり治ったけどさ。 ﹁へー、じゃあ、気持ち悪がって女も寄って来ねぇか。流石にいく らクローが誑しでもそんな体の男に抱かれる女もいねぇだろ﹂ ﹁んだな。商売女くらいだろ﹂ ﹁じゃあ、あのビンスイルの看板娘、それ知らねぇのか﹂ ﹁だろうなぁ、知ってりゃ幾ら何でも相手しねぇだろ﹂ マリーは知ってそうだったな。 ﹁そういやぁよ、べグルの旦那っていやあ、何か大きなことやるら しいじゃねぇか﹂ 859 ﹁大きなことって?﹂ ﹁そこまでは知らねぇよ、でかい稼ぎになることだろ?﹂ ﹁そりゃそうか。でもよ、儲かるなら一枚噛ませて欲しいもんだぜ、 なぁ?﹂ ﹁だよねぇ、でも、ジャンルードの店に行くの怖いよ。あそこはや ばいわ。あたい、か弱いからいきなり襲われるかも﹂ ﹁ねぇよ。手前ぇの面知ってて言ってんのか、タコ﹂ ﹁あにさ、そう言いながらこの前の夜﹁うっせ、だぁってろ﹂ どうやらジャンルードの店がべグルの根城らしいな。ここより更 にスラムの中心にあるもう一軒のやばいと言われてた酒場だ。なん だよ、初日からいい情報が聞けたな。じゃあ、そろそろ帰るか。マ リーのところに顔でも出そう。残った料理を食い切ったら出るか。 ﹁でもよ、大きなことって何だろうな﹂ ﹁わかんね。取り巻き全員で隊商でも襲撃すんのかね?﹂ ﹁全員殺さない限りバレて騎士団のご厄介コースじゃねぇか。旦那 がそんなことするかね?﹂ ﹁全員殺しちまえば誰がやったかはわかんねぇから可能性はあるぜ﹂ ﹁20人近くいるからなぁ。去年のゲールフんとこの隊商襲ったの だって、ありゃ旦那なんだろ? やりゃ出来んじゃねぇの?﹂ ﹁おい、滅多なこと言うなよ。旦那んとこのやつに聞かれたら、お 前ぇ、これもんだぜ﹂ ベグルAはやはりろくでもない奴のようだな。席を立って店を出 ようとしたら、ブス女に言われた。 ﹁何だよ何か臭ぇと思ってたらオメェかよ。うんこ漏らしてんじゃ ねぇよ貧乏人﹂ 860 ﹁すいやせんねぇ、姐さん。でも、漏らしたわけじゃねーんで。勘 弁してくださいよ﹂ ちっくしょ、でもやっぱ臭ってたんだな。 ﹁うっせぇ、あたいに話しかけんな童貞小僧﹂ どっどどどどど童貞ちゃうわ! あ、いや、オースでは童貞か。 ﹁おいおい、下らなねぇことで絡むなよ。兄ちゃん、悪かったな﹂ ﹁いえいえ、じゃあ、あっしはこれで⋮⋮﹂ 勝手にイメージする小物臭を漂わせて店を出るが、なんかムカつ くわ。店からは﹁あいつも黒髪じゃんか、クローと一緒でウンコ野 郎は黒髪なんじゃね?﹂﹁おいジェリル、お前やけに黒髪黒髪って 言うけどよ、本当はクローのことまんざらじゃなかったんか?﹂﹁ ああ? いつあたいがクローのこと気にかけたよ﹂﹁さっきからず っとじゃねぇか﹂とか聞こえてきた。 ジェリルか、覚えたわ。ブス。 ・・・・・・・・・ 臭いが気になったのでビンスイルの店には行かなかった。さっさ と帰ってズボンを洗濯しよう。 861 ビンス亭に帰ったら番頭に嫌な顔をされた。 裏の井戸で半べそになりながらズボンを洗った。 誰かに見られていないので温水シャワーで洗うと臭いがきつくな ったので、買ったばかりのズボンだったが捨てることにした。ムカ ついたから一気に火魔法で燃やした。 汚物は消毒だ。 もう嫌、今日はどこにも行かない。 862 第三話 情報︵後書き︶ 最新の依頼の受領日が一日前なのは当日受けた依頼が掲示板に反映 されるのは翌日以降からだからです。 また、アルがトイレの文明レベルについて言及していますが、実際 には15世紀になってもヨーロッパでは道端で用を足していたらし いです。アルはそれを知らなかったのでしょうね。 863 第四話 お誘い 7442年4月16日 さて、日も改まったことだし、気持ちを切り替えて行こう。まず は新しいズボンの調達だな。それから、べグルAが根城にしている というジャンルードの店に行って朝飯がてら情報収集だ。危ないと か絡まれるとか色々と不穏なことは聞いたけど、今のところベグル Aに敵対するようなことは何もしていないし、昨日と同様に貧乏そ うな格好をしていけばそうそう危険なことはないだろう。 よしんば、絡まれたとしてもそれを奇貨にして食い込むことも出 来る。ベグルAと関係ない奴らなら懲らしめてやればいいし、関係 があるなら本人と接触できるかもしれない。俺には魔法があるから そうそう不味い事になっても切り抜けられるとおも⋮⋮甘いな。昨 日聞いた話だとベグルAの傍らには魔法使いもいると言っていた。 持久戦ならいざ知らず、不意打ちでもされたらまずい。最初だし、 様子を窺う程度に留めておくほうが無難か。あまり自分の力を過信 しないほうがいいだろう。 鑑定の結果から見て、確かに俺はレベルも高いから強い。だが、 これは﹁14歳にしては﹂という冠詞が付く程度だ。冒険者や冒険 者崩れなら俺くらいのレベルの奴はいるだろうし、そういう奴らと なんとか互角か少し劣る程度だ。14歳の小僧が30歳の冒険者と やりあえるのは凄いことだが、剣の技倆や魔力量や魔法を除いた素 の肉体の力だと俺は普通の冒険者程度かちょっと劣るくらいなのだ。 柔道を含む徒手格闘も遥か昔、自衛隊時代に通り一遍の事しかやっ てないし、慢心は禁物だ。アドバンテージはないものと考えたほう 864 がいい。 改めて気合を入れ直し、ズボンを購入してから着替えてジャンル ードの店に向かう。本来清潔なキールの街並がだんだんとボロく、 不潔な物になって行く。道はデコボコでぬかるみも残り、正体のわ からないゴミやボロクズ、道端に座り込んだり、寝転がったりして いる殆ど浮浪者︵正確に言うと浮浪者はいないはずなので、極低所 得者なんだろう︶の様な汚い格好の人や亜人が増えていく。 どちらかと言うと比較的若いか、年配が多い。働き盛りの年代は それ程仕事には困らないのだろう。五歳以下と五十歳以上の自由民 は人頭税を免除されるから見かけるのは殆どがそういった年代だ。 ブーツが汚れないように出来るだけマシな部分を歩き﹁朝飯でも 食いに来ましたよ﹂と言うように平静を装ってジャンルードの店に 入っていった。この店は通りに面してはいるものの外にテーブルは 出ていなかった。尤も通りが狭いからテーブルを出す余裕がないの かもしれない。店の中は案外広く、テーブルは12もある。通りに 面した入口は開放状態で、入口から入って左奥が厨房のようだ。 入口近くの空いている席に腰掛け、早速客を鑑定する。やはり早 朝なだけあって冒険者崩れやごろつきのようなやくざ者はまだいな いようだ。黒パンとスープの朝食セットを50Z也で頼み、ゆっく りと食べ始めた。石のように堅い黒パンを薄い塩味で具がほとんど ない野菜スープに浸し、吸い込んだスープを啜るようにして少しづ つ食べる。うん、まずい。スープを吸っても黒パンはあまり柔らか くならないし、スープ自体具が少なすぎて出汁など出ておらず、薄 い塩味のお湯みたいなものだ。 自然と顔が渋いものに変わっていくのを自覚しながら堅い黒パン 865 と不毛な格闘を続け、なんとか食べ終わる。うーん、オースでは日 光は貴重だから基本的に日の出とともに活動し始め、日の入りとと もに就寝が一般的で、俺の生活習慣もほぼ似たようなものだったか ら、勘違いがあったかな。キールくらいの都市だと灯りの魔道具も 一般的だし、夜間も営業してる店が多いことは考えられる。 我が家にも灯りの魔道具はあった。しかし、魔石を消費するから 滅多に使われず、どうしても夜間に明かりが必要な時にはもっぱら 獣脂を燃やすタイプのランプを使っていた。魔石も収入源だったか らね。転生してから今までの14年間、夜更しは夜間に狩りに行く 時くらいで、あとはさっさと寝て、真夜中に一度起き、魔力を使い 切ってまた朝まで寝る生活だった。だから、その部分は健康的でい いな、と思っていたのだが、冒険者をやって行くなら一日10時間 以上の睡眠は諦めたほうがいいかもしれないな。 そうと決まったら魔道具屋に行って魔石の売価や小売価格、必要 なら加工法も聞いてみたほうがいいだろう。時計はともかく、灯り の魔道具も購入したほうがいいかも知れない。俺はせっかく来たジ ャンルードの店を出るとビンス亭に戻った。上等な服に着替え、魔 道具屋に行くのだ。 ・・・・・・・・・ 一昨日騎士団の従士に案内されて来た魔道具屋に再び入る。看板 には﹁魔道具七九屋﹂と書いてある。店内カウンター奥の棚に飾っ てある魔石の価格を見ると、鑑定した価値のだいたい九倍くらいの 866 値がついていた。 何種類かの魔石を持ってきたので、早速買取して欲しいとお願い すると、中年の主人は奥からなにやら持ってきた。秤のようだ。同 時に灯りの魔道具も用意した。一体それらでどうするのか? 興味 津々で見ていると、俺の持ち込んだ魔石を順番に灯りの魔道具にセ ットし、点灯させていく。何の意味があるというのか? そう思っ て聞いてみると、偽物が持ち込まれることを警戒して、本物の魔石 であるか試しているとのことだった。 この試すために使っている灯りの魔道具は特別製で、台座内の電 池ボックスのような魔石を入れる部分が通常よりも大きくなってお り、まずどんなサイズの魔石でも入れられること、また、わざと少 し感度が悪くなるように調整してあるらしい。 全部の魔石をテストして点灯することを確かめると今度は秤に載 せた。秤は天秤で、片方に魔石を載せ、反対側に分銅を載せるタイ プだ。魔石は込められている魔力量に比例して正確に重さが異なる そうだ。同じ大きさでも魔力量が多いと重量が増え、少ないと減る。 魔力を完全に放出した魔石は大きさが異なったとしても全て同じ重 量らしい。 小さいものは大人の小指の爪くらいから大きいものは子供の拳く らいまで様々な大きさがあるが、魔力を放出し尽くすと最終的に同 じ重さになるらしい。これは魔石をいくつ結合しても変わらないそ うだ。不思議だな。大きさによって込められる最大の魔力量が異な り、大きいものほど最大魔力量は多くなり小さいものは最大魔力量 は小さくなるとのことだった。 重量によって魔力量の違いが測れるから、計測した魔石の重量か 867 ら魔力を放出したあとの空の魔石の重量を引けばその魔石の魔力量 は多少の誤差はあるだろうがほぼ正確に推測出来る。それが魔石の 価値になるということか。さっきのテスト用の灯りの魔道具の感度 を悪くしている理由もこれか。魔石に何かくっつけたり、魔石の周 囲を土で覆ったりして重量をごまかされないようにしていたのか。 しかし、オースで正確な重量の分銅なんか作れるはずもないので、 ついつい誤魔化されるような気がする。出来るだけ正確になるよう に作った分銅であるとは思うがね。あんまり真剣に手元を覗き込ん でいるのに気がついたのか、店の主人は苦笑しながら俺に言った。 ﹁大丈夫ですよ、重さを誤魔化したりなんかしません。魔石のごま かしは殺人に匹敵する重罪ですからね﹂ なるほど、なら安心してもいいだろう。魔石は鑑定の価値のおよ そ七倍で売却できた。店に並んでいるものは大体九倍の値がついて いる。粗利益22%くらいか。妥当だろうな。ああ、七割で買い取 って九割で売る。だから七九屋か。 ・・・・・・・・・ 昼近くまでまたランニングをし、改めてジャンルードの店に行く。 気持ち悪いがあえてシャワーは浴びなかった。汗臭いけどリアリテ ィが増すかと思ったのだ。ジャンルードの店に行くまでには乾くか らびしょびしょのまま入るわけじゃないし、いいだろ。貧相な格好 のままてくてくとスラムの道を歩いて行った。 868 ジャンルードの店は朝と変わりなく営業中のようで、俺は昼食を 兼ねてビールを一杯と豆の煮物を頼みまた朝と同じ入口近くのテー ブルに座った。背を丸め、目だけで店内を見回すと、朝と客層は異 なり、ごろつき風の男女が増えている。こいつらがべグルAの手下 なのだろうか。近くの席から一人づつ鑑定をして名前や能力などを 確認していく。どいつもこいつも昨日の奴らと似たり寄ったりでレ ベルも高くないし、特殊な技能を持ったりもしていない。 べグル・ゴードビ すると、いた。店の奥の方のテーブルに二人で腰掛けて何か飲み ながら話している。 ︼ ︻べグル・ゴードビット/14/7/7423 ット/25/9/7402 ザックワイズ・ベ ︻男性/11/3/7401・普人族・ロンベルト王国ウェブドス 侯爵領登録自由民︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:41歳︼ ︻レベル:14︼ ︻HP:112︵112︶ MP:9︵9︶︼ ︻筋力:20︼ ︻俊敏:15︼ ︻器用:22︼ ︻耐久:19︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻経験:379214︵450000︶︼ ︼ ︻ザックワイズ・ベグル/6/11/7426 グル/5/5/7403 ︻男性/19/3/7402・普人族・ロンベルト王国ウェブドス 869 侯爵領登録自由民︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:40歳︼ ︻レベル:11︼ ︻HP:93︵93︶ MP:32︵32︶︼ ︻筋力:14︼ ︻俊敏:14︼ ︻器用:22︼ ︻耐久:13︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.4︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.4︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.5︶︼ ︻経験:201825︵210000︶︼ っざっけんな。二人ともベグルじゃねーか。年齢やレベルからし て魔法が使えない方が親玉だろう。しっかりと二人の顔を心に刻み 付ける。うーん、多分ベグルAはあいつで間違いないとは思うけど、 ベグルBはどっちなのか? それとも更に別人なのか。うーん、困 ったな。年齢も二人共40を超え、ミュンがバークッドに来たとい う7426年の時点で成人はおろか二十歳をとうに超えているから そう不自然でもない。 リンチ ベグルBは殺すつもりだからいいけど、ベグルAには何の恨みも ないしなぁ。せいぜいクローに足抜けの私刑をしたくらいだろ? 悪さもいろいろやってるようだけど、俺は警察官じゃないしな。確 かに同郷の日本人に迷惑を掛けていることについては腹が立つが、 その仕返しを俺がやるのも筋違いだ。 鑑定で姓のサブウインドウを開いてもデーバス王国とかサグアル に関連するようなところは全くない。ロンベルト王国の別の領地出 870 身の自由民だったことが判明したくらいだ。魔法が使えない方がペ ンライド子爵領で使える方がファルエルガーズ伯爵領の出身だとい うことしか解らない。 つなぎ お手上げに近いなぁ。素直にドーリットまで行ってあの連絡員を 締め上げるほうが早そうだ。今日のところは顔が確認できたことで 満足したほうが良さそうだな。退散するか。 ・・・・・・・・・ 夕方、ビンスイルの店に出発した。勿論着替えたぞ。シャワーも 浴びた。クローはもう来ているだろうか? あ、そうだ、明日はク ローが休みの日だな。込み入った話をするなら気兼ねなく話せる場 所がいいな。昼過ぎならマリーも時間があるだろう。3日前、親父 達が出発する前夜に行った店がいいな。個室があったし。 レストランに入り明日の昼過ぎで個室を予約した。店員は俺の顔 を覚えていたようで問題なく予約できた。 ビンスイルの店に着くと既にクローはいた。また隅っこのテーブ ルに陣取って静かに飲食をしていた。店もそれなりに混んでいるか らマリーも忙しいのだろう。俺はクローの向かいに座ると声をかけ た。 ﹁よう﹂ 871 ﹁ああ、アルか。どうした?﹂ クローが穏やかな顔で俺を見る。 ﹁明日は休みなんだってな。昼過ぎくらいに時間あるか?﹂ ﹁ああ、空いてる。ここでいいのか?﹂ 不思議そうな顔をして言って来た。そうだよな。話があれば今す ればいい。だがな、誰にも聞かれたくないし日本語で喋りたいんだ よ。 ﹁いや、店を取った。﹃日本語﹄で話がしたかったからな。もし可 能ならマリーも一緒がいい﹂ ﹁ふぅん、でもあんまり高い店だと金ないぞ﹂ 店を取った、ということに対して少し心配なようだ。 ﹁それは心配しなくていいよ。俺のおごりだと思ってくれ。明日二 時くらいに店で待ち合わせしよう。店の名前は﹃ダックルトン﹄と 言うレストランだ。知ってるか?﹂ ﹁! 知ってるも何も、中央通りの超高級店じゃねぇか! いいの か?﹂ え? そうなの? 親父達と最後の別れの晩餐に使った店だし、 個室もあるし美味かったから選んだんだが。まずったかな? まぁ 払えるだろうし、いいか。 872 ﹁ああ、構わない。折角オースで会ったのも何かの縁だ。ちょっと 込み入った話もしたいし、最初くらい奢らせてくれ﹂ ﹁そうか、﹃ダックルトン﹄には行ったことがないんだ。明日は昼 飯抜いて行ったほうがいいかな?﹂ かわいいな、こいつ。マリーは昨日話した時に俺と同年代だった ことは解ったけど、クローは若いのかも知れないな。 その後はクローの護衛の仕事のことや、昨日受けた宅配の依頼に ついてなど、他愛のない話をしてビンス亭に帰った。マリーも明日 は来てくれるそうだ。彼女も奢りと聞いて喜んだが、昼飯を抜いて いくとまでは言わなかった。 流石に大人だね。 873 第四話 お誘い︵後書き︶ 何だか煮え切らない話ですみません。 最近メッセージで活動報告書いて欲しいというお願いが増えました。 本当に事務的なものになりそうですが簡単に活動報告を書いてみま す。 文字通りの活動報告以上のものにはならないと思います。 874 第五話 情報交換 7442年4月17日 ﹃ダックルトン﹄の前で待っているとすぐに二人が現れた。 ﹁よお、アル、今日は悪いな﹂ ﹁本当、ご馳走様ね﹂ ﹁ああ、いいさ。入ろうか﹂ 声を掛け合って店の戸を開ける。クローが驚いたほどの高級店だ けあってまだ日が高いというのに店は戸を開け放つようなことはし ていなかった。重厚なオーク材の戸を開けると、すぐに絨毯敷にな っており、店の中は灯りの魔道具によって照らされている。明かり も煌々としたものではなく、上品に少し控えめにしてあるようだ。 俺が入口の脇にあるフロントのような木製のカウンターの奥にいる 店員に予約してある旨を告げると、20代の若い店員は俺たちを見 て慇懃に口を開いた。 ﹁お客様、そちらの方々のお召し物ですと、その⋮⋮﹂ クローとマリーの顔色が変わる。俺の顔色も変わる。あー、確か にクローとマリーの格好は不潔でこそないが、不潔ではない、と言 うだけの服装だ。袖はほつれが目立つし、シャツの襟はベロベロに 伸びている。裾だってほつれてモップもかくや、という感じだ。マ リーはゴムサンダルだし、クローに至っては何も履いていない。裸 足だ。これは言われても仕方ない。 875 しかし、ドレスコードがあるのかよ。知らなかったな。確かに店 にも格はあるだろうし、店に合った服装は必要だろう。だが、今日 は個室を予約しているのだ。他の客の目には付かないだろうから、 見逃してくれないかな。 ﹁アル、その⋮⋮私達はいいよ﹂ ちょっと待ってくれ。 ﹁あー、その、個室を予約しているから他の客の目にはつかないし、 ダメかな?﹂ ﹁申し訳ございません、当店の規則でして、私には何とも⋮⋮﹂ ﹁そんな堅いこと言わないでさ、どうかな?﹂ 店員に銀貨を握らせる。これでダメなら伝家の宝刀である義姉さ んに貰ったウェブドス侯爵のプレートを使うしかない。万が一にも こんなつまらない事で使ったとか知られたくないんだけどなぁ。し かし、どこの世界でも賄賂、いやいや心付けは効くものだ。店員は 握らせた貨幣が銀貨であることを確認すると、 ﹁今日だけ特別ですよ﹂ と言って引き下がってくれた。ふぅ∼、よかった。 ﹁大丈夫だってさ。来いよ﹂ 俺がそう言うと二人は顔を見合わせたがすぐに付いて来てくれた。 876 店内を案内され個室に行くが、店内のテーブルには客は一人もいな かった。飯時じゃないし、高級店ならこんなものだろうか。 だけど、前に来た時は独り立ち前夜での興奮もあって、あまり気 にしていなかったが、本当に高級店なんだな。テーブルの間隔は非 常にゆったりとしていて、それらのテーブル自体も高級品のようだ。 そう言えば椅子もテーブルも木製ではあるがちゃんと表面処理が されており、ニスのようなものが塗られていて艶もある。テーブル 全体を覆うテーブルクロスこそ無いが、ランチョンマットのような 物は各席にあり、珍しくナイフやフォークも揃っている。やべー、 料金確認しときゃよかった。大丈夫だろうけど。 奥の個室に入ると、部屋に備えられているテーブルはたっぷり8 人が腰掛けられるほど大きなもので観葉植物っぽい飾りの草木が部 屋の隅にあり、テーブルの真ん中には花が活けてあった。壁にはレ ストランのホール内のように白い壁紙も貼ってある。明かりの魔道 具は部屋の四隅の天井に設置されており、柔らかな光で部屋を照ら している。 早速席に着くとクローとマリーの二人も並んで俺の向かいに座っ た。 ﹁メニューは本日のコースしか選べないそうだから、飲み物を頼む か。何がいい?﹂ ﹁うぇあ、をわ、わ、ワイン頼んでもいいか?﹂ ﹁ちょっと、落ち着きなさいよ、私もワインにする﹂ 877 ﹁じゃあ、コースに合うワインを一本頼むか﹂ 俺は席を立ち、部屋の入口隅にあるスツールの上の小さな鐘を鳴 らす。前に来たとき、これで店員を呼ぶのを見たんだ。 すぐにボーイがノックして現れたので本日のコースを三人前とワ インを頼んだ。ああ、心配しないでくれ、現代の地球のように銘柄 なんてない。赤白ロゼしかないんだ。発泡ワインもないよ。 ﹃今日はありがとう。さて、料理が来るまでにちょっと今日の趣旨 を説明させて欲しい。いいかな?﹄ 二人共黙って頷いた。 ﹃今日は何が何でも誰かに話の邪魔をされたたくなかった。だから 個室の取れるこの店にしたし、万が一の用心で会話も全部日本語で する。わかるよな、転生の情報についてお互い交換したい。個人的 な事情や話したくないことがあればそれは別に構わないよ﹄ 二人はまだ俺に注目している。顔つきがかなり真剣なものになっ ている。 ﹃じゃあ最初は俺からだ。改めて言うが俺の名前はアレイン・グリ ードだ。日本では川崎武雄だった。死んだときは45歳。食品商社 の営業マンをしていた。結婚はしていたけど、残念ながら子供はい なかった。 オースではバークッド村で生まれ、ついこの前まで村からは出た ことがなかった。独立するために村を出て冒険者を目指している、 あ、いや、冒険者だ。神のことは多分もう知っているとは思うけど、 俺が神に会ったのはかなり前、赤ん坊の頃だ﹄ 878 ﹃ええっ?﹄ ﹃赤ん坊の頃かよ⋮⋮﹄ 二人共驚いている。まぁレベルアップの時じゃないと会えないそ うだからな。固有技能によってはかなり遅いことも考えられるし、 神様は俺とは転生者全体で三番目に会ったとか仰っていた筈だから、 俺はかなり早く会った方だろう。 ﹃まず、俺にステータスオープンをかけてみてくれ﹄ 俺はそう言うと右手をテーブルの上に伸ばす。すぐにクローとマ リーが俺の右手に触れ﹁ステータスオープン﹂と言った。 ﹃⋮⋮魔法の修行、もうしたのかよ﹄ ﹃⋮⋮すごい! 全部の魔法が使えるの?﹄ ほぼ同時に二人から声が上がる。転生者でも固有技能は見えない らしいな。あと、レベルも。少しホッとする。やはり赤文字の部分 は本人しか見えないらしい。これで兼ねてから用意してあったこと を言えるな。 ﹃もうわかったろう? 俺の固有技能は魔法習得だ﹄ 大嘘をこいた。だが、もし行動を共にするなら俺が魔法が得意な ことはすぐにバレるし、魔力量が多いことも多少勘の良い奴ならす ぐに気づく。逆に魔法を隠す方が困難だ。一緒に行動しなくても魔 法が得意なことはいずれバレるだろうし、こう言っておけば害はな いだろう。 879 ネームド ﹃命名の儀式の時にステータスオープンを覚えて仰天したよ。それ からすぐに独自に魔法の修行を始めた。じきに魔法の特殊技能がレ ベルアップして神に会うことになった﹄ クローがごくりと唾を飲み込んだ。マリーはまだ吃驚しているよ うだ。 ﹃まぁ、そういうわけで俺は魔法についてはかなり得意だ。多分そ こらの魔法使い程度には使えると思うよ﹄ その時、部屋がノックされ、ボーイがアイスペールに突っ込んだ ワインと水を運んできた。別のボーイがワイングラスや食器の入っ たカゴを持って来ている。ワイングラスは緑がかった厚手のガラス 製で、オースではそれなりに値が張るものだ。ボーイ達が下がるの を待ち、アイスペールからワインの入ったデカンタを取り出してそ れぞれのグラスにワインを注ぎ、乾杯して軽く口を湿らせる。てっ きりワインは瓶で出てくると思ってたわ。 ﹃話を戻そう。とにかくそういう訳で俺は赤ん坊の頃に神と会った。 その時に確認出来た情報を話そう。興味あるだろ?﹄ 二人共頷く。 ﹃レベルアップのボーナスについて一昨日話したことがあると思う。 あの時、レベルアップするようなものは固有技能しかないと言って たな﹄ また二人共頷く。 880 ﹃それは間違いだな。俺が聞いた話だとレベルには三種類ある。考 え方によっては二種類と言えなくもない﹄ 今度は二人共不思議そうな顔だ。 ﹃まず、固有技能の他にも技能があることは知ってるよな?﹄ ﹃ああ、当然だ。小魔法や魔法だろ?﹄ ﹃あとは技能を持って生まれてくる亜人もいるね﹄ 知ってるようだな、当然だけど。 ﹃その中でほとんど唯一、レベルがあるのが魔法だ。魔法も技能だ から固有技能も技能の一種として同列に扱うと考えれば、他にもう 一つレベルがある。知ってるか?﹄ 二人は少し考えるが、すぐにふるふると首を横に振った。 ﹃便宜上俺は肉体レベルと呼んでいる。二人共、ある日、ある瞬間 で急に体が軽く感じたりしたことはないか?﹄ ﹃うーん、わかんねぇ﹄ ﹃私も、わからないわ﹄ ﹃そうか、だが、神によるとあるそうだ。仕事や訓練、稽古や修行、 戦闘などで経験を積めばこの肉体レベルが上昇することがあるらし い。俺は何度か体が軽くなったような感覚を味わった。神にそうい うものがあるって聞いたから、幼少時から剣の稽古は欠かさなかっ 881 たからな﹄ ﹃肉体レベルかぁ、なんだかRPGみてぇだ⋮⋮うわ、RPGとか 何年振りに発音したんだろ、俺﹄ ﹃RPGってなに?﹄ ﹃ロールプレイングゲームの略。ドラ○エとかF○とか、知ってる だろ? あれだよ﹄ ﹃ああ、テレビゲームのか。名前は知ってるけど、やった事はない ねぇ。息子が夢中になってたけど、ポ○モンとか﹄ ﹃俺も詳しくはないが、クローの理解でそう間違ってないと思う。 何しろ俺は大昔にファミコンとかで古いのをやったくらいだからな。 で、クロー、よく思い出してくれ。そういったゲームだとレベルア ップってあるだろ? レベルアップするとどうなる?﹄ クローはマリーと話している時に急に俺に割り込まれ、少し驚い たようだが、すぐに答えた。 ﹃能力が成長して強くなるな。タイトル、ゲームソフトによっては 新しい技とか呪文を覚えたりもすることがあるけど、基本的には肉 体的に強くなる。力が上がったり、素早さが上がったり、耐久力や 魔力が増え⋮⋮あ﹄ ﹃気がついたようだな。その通りだよ。レベルアップするとオース でもそうらしい。だが、それは僅かなものみたいだが、俺達のよう な転生者はその成長の度合いがとりわけ大きいそうだ。肉体レベル なんかについては確認のしようも無いから正しいかはわからんけど﹄ 882 ﹃へー、それ神様に聞いたの?﹄ マリーが不思議そうに言う。 ﹃ああ、そうだ。神によるとオースの人の成長度合いと比較すると 俺達転生者はその三倍の成長率らしい。これがレベルアップ時のボ ーナスということらしい﹄ 黙り込んだ二人に対して俺は更に語りかける。 ﹃知っての通り、あの事故で39人が死んでオースに転生したそう だ。で、俺は神に会った順番から言うと三番目らしい。俺の前に二 人が既に会っているってことだ。で、そのうちの一人は俺が神に会 った時にはもう死んでいると言っていた。その他に七人、合計八人 が俺が神と会った時点で死んでいたそうだ﹄ ﹃あ、赤ん坊のうちに八人も死んでるのかよ⋮⋮﹄ ﹃医学が発達してないからすぐ死ぬ赤ん坊も多いから納得出来ると いえば出来るけどね⋮⋮ひどいね﹄ 二人共吃驚しているようだ。 ﹃ああ、ひどい話だ。死因は正確には忘れたけど餓死や病気、あと、 何だっけな⋮⋮忘れちまったわ﹄ ﹃ありそうだな﹄ ﹃餓死はともかく、病気はありそうね﹄ 883 妙に納得した顔で二人は頷いたが、クローが言う。 ﹃餓死だってあるだろ。侯爵領ではあんまりないけど他の領地では 俺がガキの時、麦の生育が悪くて沢山餓死者も出たって聞いたこと があるぞ﹄ へぇ、そりゃ知らなかったな。 ﹃うん、それは有り得るだろう。俺が思うに、侯爵領はかなり恵ま れていると思う。気候はいいし、水にもそれほど苦労しない。平地 の面積もそれなりに多いみたいだからオースではものすごく恵まれ ていると思うよ。他の土地のことはよく知らないから想像でしかな いけれどね﹄ 俺がそう言うとクローも俺の意見に賛成してくれた。 ﹃そっか⋮⋮私はずっとキールにいたから農村とかよく知らないの よね⋮⋮﹄ マリーが言った。 ﹃で、だ。つまり今のところオースには日本人は最大でも31人し かいないことになる。俺が神と会った後に死んだ奴もいるかもしれ ないし⋮⋮もっと少ない可能性もあると思う﹄ そこまで俺が言ったとき、クローが言う。 ﹃ちょっと待ってくれ。俺たち二人はお互い既に情報交換をしてい る。それでわかったんだが、神に会った時に質問できる時間は一分 884 しかなかった。アル、お前、なんでそんなに詳しいんだ?﹄ は? 一分だって? ﹃一分だって? 俺の時は20分近くあったぞ? 時間が決まって るから訊きたいことは時間を無駄にしないで早く訊けって言われた くらいだ﹄ ﹃え? 20分もあったの?﹄ マリーが驚いたように言った。クローは訝しそうに俺を見ている。 なんかまずいな、と思ったが言ってしまったものは仕方がない。咄 嗟に口を開こうとした時にノックがあり、返事を返すとボーイが料 理を運んできた。 俺たちは料理が並べ終わるまでの間中口をつぐみ、黙っていた。 ちょっとだけ稼げた時間を有効に使い、頭を回転させるが、ある程 度真実を話すことは予め織り込み済みだから、ここは予定通り進め た方がいいだろうな。ボーイたちが部屋を出て行ってから話し始め る。 ﹃そうだ、20分近くあった。理由までは判らん。最初は身の回り の事やもう帰れないのかとか、残された女房の事とか聞いてみたり もしたが、すぐに時間が無駄になることを恐れて情報収集しようと した。おかげでいくつか重要なことがわかった。もう知っているか もしれないけどね﹄ ﹃重要なことってのには興味があるが、アル、すまないけどお前が 嘘を言って俺たちを騙そうとしていないという保証がな﹃クロー、 疑うのもいい加減にしなさいよ。まずはアルの話を聞いてみようじ 885 ゃない。私たちだって今まで何も考えないで生きてきたわけじゃな いでしょう? 聞いたことが嘘か本当かは自分で判断したほうがい いと思う﹄ ﹃だってよ、騙されたら嫌じゃんか。俺は騙されるのは嫌いなんだ﹄ クローはやっぱり子供だなぁ。表層しか見ないのか。 ﹃⋮⋮どうする? やめようか?﹄ ﹃いいえ、続けて。興味あるもの﹄ ﹃わかった。いくつかあるが、まずはこの世界の文明についてだ。 いい加減分かっているとは思うが、地球で言う7世紀から15世紀、 西暦だと600年から1400年代くらいらしい。それでもオース の中でロンベルト王国はかなり上位に位置しているとのことだ。 俺が思うに、農業や漁業、林業などはいいとこ10∼12世紀く らい。加工、製造業も一緒くらいだが下手したらこっちは7∼10 世紀くらいかも知れない。木工だけはこのテーブル類を見たらわか るがもっと進んでるようだな。 だが、キールの街の商店などを見るとサービス業のような三次産 業は最高レベルに近いかも知れない。政治形態は貴族に階級がある ことや封建制とは言えしっかりとした官僚機構もあるみたいだし、 こっちも最高レベルだろうな。 俺の感覚的には15世紀を超えてもっと進んでいるところもある かも知れないと思ってる。勿論、変なところで7世紀位のところも あるけどね。俺も昔勉強した世界史のことなんてあまり覚えてない からなんとも言えないよ。あくまで多分、だと思ってくれ﹄ ﹃そうね。私もそれには賛成﹄ 886 クローは話を聞きながらも早速濃いスープを味わいつつ、柔らか な白いパンに齧り付いている。 ﹃だが、軍事的なレベルはそれらに比べるとお粗末で多分10世紀 にはなっていないと思う。騎士団や騎士がいるから、そこだけ見る と14∼15世紀以上、ことによったらもっと先に見えるけれど、 多分そんなもんだろうと思う。このあたりのことは神様に聞いたこ とを元にして他からも情報を集めて総合的に判断した結果だ﹄ ﹃他からもって⋮⋮ああ、貴族だし、私たちよりはいろいろ知れる かもね﹄ ﹃そうかもな。親父が士爵だったからデーバス王国との戦争の話も それなりに聞いているし、兄貴も騎士団を引退してからは家に戻っ てるからいろいろ話は聞いた。義姉もウェブドス侯爵の孫だし、貴 族階級のことなんかかなり参考になる話を聞けたよ。まぁおかしい ことがあればその都度言ってくれ。俺だって完全に分かってる訳な いんだ﹄ ﹃余裕がある奴は羨ましいね。俺は食うのに精一杯でそんな余裕な かったぜ﹄ ひねく こいつは⋮⋮弄れてやがるなぁ。クローは日本でも金持ちの家に 生まれた友達にもこんな感じだったのか? いや、先入観を持つの はよそう。きっと育ちが不幸だったから僻んでるだけだ。農奴出身 だと言っていたしな。 ﹃まぁそう言うなよ。仕方ないだろう。俺が悪いわけじゃないぞ。 続けていいか?﹄ 887 ﹃ええ、もちろん。クロー、いい加減にして﹄ ﹃あとは、そうだな。動植物だな。基本的に地球での特徴は踏襲し ている。だが、異なることも多い。分布はもう滅茶苦茶だ。動植物 じゃないけど、俺の村ではどう見ても火山なんかないのに傍で硫黄 が出てた。地球には存在しない動植物も多い。 地球での知識は参考程度に留めておくのが無難だろうな。 どちらかというと植物よりも動物に地球とは異なる傾向が強く見 られるように思う。神様は進化の樹形図が根本的に違うようなこと を言ってた。代表的な例は魔物だな。地球には確実にいないものだ ったはずだ。伝説や神話とかに出てくるような魔物がたくさん、そ れこそうじゃうじゃいる。そして亜人もね﹄ ﹃そうね、私もそれには吃驚した覚えがある。クロー、あなたは?﹄ ﹃俺は、実はあまり驚かなかった⋮⋮小説とか漫画とかで知ってた からな。それにゲームでも。モンスターなんかはそういったもので 出てきた特徴とかと一緒だからね。亜人もそう。一緒だった。そり ゃ微妙には違うけど、ソフトによって同じ名前のモンスターでもグ ラが違うじゃんか。その程度の違いだから俺には一緒に思える﹄ そうか、それは羨ましいな。そういった知識が何もない俺には吃 驚することが多くて苦労したんだ。 ﹃次は日付や暦だな。時間は1日24時間。これは地球と一緒だそ うだ。だが、一週間は6日。一月は5週間で30日。12ヶ月で1 年360日だ。これは知ってるよな﹄ ﹃ああ、最初の1日24時間については多分そうじゃないか、くら 888 いだったけどね。それくらいは知ってる﹄ ﹃私も﹄ ま、そりゃそうだろ。知らなきゃいろいろ不便だろうし。 ﹃あとは魔法だな。これについては逆にお前らがどこまで知ってる か聞いたほうが早いだろう﹄ やっとスープに口をつける。見た目通り濃厚な味わいのスープだ。 具もごろごろ入っており、もはやシチューと一歩違いくらいだ。旨 いな。 ﹃地水火風無の五系統それぞれにレベルがある特殊技能。魔力量の 関係で成人くらいから魔法の修行をして才能がある人は使える。だ いたい十人に一人くらいだと言われてる。だから魔法使いは珍しく はないけど、実用的に使えるにはレベルは2は必要らしくて、そこ まで行くのにもある程度修行が必要。魔法の技能レベルが高い自由 民や平民は冒険者や軍隊に入ったりするみたいね﹄ ﹃そうだな、他には?﹄ ﹃魔法を組み合わせてゲームのような効果を出せるな。名前もある らしいじゃないか﹃フレイムアロー﹄とか﹃ウインドカッター﹄と か、そういうの。あと、怪我を治したりなどの治癒系統は呪文を唱 えるみたいだな。 だけど、どれもこれもそう大したもんじゃない。俺は昔﹃フレイ ムアロー﹄を使っているところを見たことがあるけど、スピードは 石を投げるくらいだったし、外したらそれまでだし、当たっても大 人なら当たり所が悪くない限りそうそう倒せないだろ﹄ 889 ﹃うん、他には?﹄ ﹃そうね、あとは⋮⋮自分で出した元素なら操れるって聞いたこと があるわ。もともと存在するものじゃなくて自分で出したものだけ ね﹄ ﹃あとは⋮⋮魔法を使いすぎて魔力が切れるといろいろ面倒らしい、 ってことくらいだなぁ。どうなるのかは俺は知らないけど。見たこ とねぇし﹄ ﹃そうか。今までのはだいたい合ってるよ。だけど、いくつかは間 違ってるし、いくつかは充分じゃない。魔法については俺の経験か ら来る知識だ。だから完全に正解ではないだろうけどそれでも俺の ほうが知っていることは多いな。じゃあ魔法について知っている事 を話そう﹄ スープと一緒に出てきた前菜を摘む。なんだこれ? 変わった味 だが旨いな。 ﹃まず、魔法を使いすぎた時に魔力が切れた経験がない、と言って たな。二人ともそうか?﹄ ﹃私たちは二人とも魔法は使えないわ。ステータス見る?﹄ そう言うとマリーがスープ皿を固定していた左手を伸ばしてきた。 クローも手を伸ばしてきた。それを押し留めて俺は言った。 ﹃ああ、ステータスは後でいい。わかった、少し脇道にそれる感じ だろうが聞いてくれ。固有技能がレベルアップして神様に会ったと 890 言ったな。俺もそうだけど、最初のうち、固有技能を使うと眠くな ったりしなかったか?﹄ ﹃した﹄ ﹃したわね﹄ 二人が同時に答える。 ﹃二人が神に会ったのはいつだ?﹄ ﹃俺は8歳のころだな﹄ クローが言った。 ﹃私は5歳か6歳くらいだったかな﹄ マリーが言った。 ﹃そうか、それ以降固有技能を使い過ぎて眠くなったり体に変調が あったことは?﹄ ﹃最初の頃だけだな。眠くなったり飯食いたくなったりするから一 日一回までとかにしてた﹄ ﹃私も何回か眠くなってから気がついて使いすぎに注意してたから、 固有技能の使い方を覚えた最初の頃だけね﹄ ﹃それが魔力切れだ。魔法を使いすぎても同様の症状になる。ちな みに、俺が分析したところでは、魔力切れを起こすといろいろな欲 求の中でその時の状況に一番即したものが抑えられなくなる。主に 891 人間の三大欲求だ。食欲、睡眠欲、性欲だな。 話を聞くとまだ子供の頃みたいだったから、まず睡眠欲。腹があ る程度減っている時なら、食欲が前面に押し出されてなかなか我慢 できなかったはずだ。今くらいの年齢なら性欲が出てくるかもしれ ないな﹄ 二人とも唖然としている。 ﹃つまり、固有技能の使用と魔力には密接な関係にある。固有技能 は魔法ではないけれど、使用には魔力を使うんだ。これは俺が散々 試したから合ってると思う。俺の固有技能の魔法習得を使うとしば らくの間魔法の習得がかなり楽になる。固有技能をまったく使わな いで使用出来る魔法の回数と固有技能を使ってから使用出来る魔法 の回数を記録したりして、分析にはそこそこ苦労したんだ﹄ そう言うと俺は澄ました顔でスープを飲み、前菜に口をつける。 クローがなるほどと言った感じで口を開いた。 ﹃そうか。なるほどなぁ。俺の固有技能は⋮⋮恥ずかしいけど誘惑 ってやつだ。普人族の異性、女を誘惑できる。惚れ薬みたいなもん だ。この技能も使うとしばらくの間相手の女の心を俺に向かせるこ とが出来る。異種族や男は駄目らしい。試したことないからわかん ねぇけどさ。 ああ、勿論マリーには使ってねぇぞ。 それどころかここ暫くまったく使ってない。誘惑を使うには手順 があるんだが、それは神様に教えて貰っ⋮⋮ああっ、そうか、俺の 肉体レベルが上がったからあの時神様が出てきたのか! あんまり 嬉しくて聞き流してたんだな。すまん、アル。疑ってた﹄ ふうん、自分が間違ってることを認めたら素直に謝るくらいの分 892 別はあるのか。ちょっとだけ感心した。俺は気にするな、という風 に頷いてやった。 マリーは黙ってクローの発言を聞いていたが、クローが自分の固 有技能を言ったことで踏ん切りがついたのだろうか、マリーも続け て口を開く。 ﹃私の固有技能は耐性、かっこ毒というの。かっこは括弧で耐性の 字の後ろに括弧書きで毒って書いてあるの。昔毒の背鰭を持つ魚を 捌いている時にそれが指に刺さってそのとき初めて固有技能を使っ たわ。それまでどうしたらいいか解らなかったからね。まさか毒を 飲んでみるわけにもいかないし、毒なんか手に入らないしね。それ から折を見て毒の背鰭を指に刺してみて鍛えたの。今ではレベル8 で殆どの毒は私には効かないわ﹄ しっかりと俺の目を見て話している。ここの料理に毒なんて盛っ てないから安心してくれ。しかし、耐性︵毒︶ってなんかすごいよ な。括弧書きがあるなら毒以外にもありそうだなぁ。 ﹃へぇ、二人ともすごいな。誘惑もすごいし、毒の耐性もすごい。 ま、それは置いといて、魔法の話に戻すと、ステータスでは確認で きないけど、魔力というのは確かに存在している。それを燃料のよ うに使って魔法を実現させるんだ。魔力を使い切っても飯食ったり してから休めば回復する。使い切らないである程度残っているなら 普通にしててもゆっくりとだが回復する。魔力についてはこんなと ころだ﹄ その時、またノックがありボーイが料理を運んできた。魚の料理 のようだ。見たことのない魚が煮てある。美味そうだな。 暫しの間三人で料理を楽しんだあと、また俺は話しだした。 893 ﹃魔法には五系統あるが、大別すると三系統だ。地と水は文字通り その元素を出す。出せる量はその魔法のレベルに応じた量を出せる。 減らす事も可能だ。より多く出そうとするなら余計に魔力をつぎ込 めば出せないこともないが非効率だ。この二つの魔法は単体で使う と土とか水を出して終わりだ。 ああ、水はまずいが飲んでも害はない。多分純粋な水だと思う。 土も出せるのは土質が一定の土だけだ。畑に使ったことは無いから 栄養があるかは知らん。多分無いんじゃないかな﹄ 二人は俺に注目している。 ﹃次は火と風。火は魔法のレベルに応じた範囲の温度を操ることが 出来る。温度を上げることも可能だし、反対に下げることも出来る。 俺は水魔法と組み合わせて使うことが多い。単体で何も考えずに使 うと炎が出る。多分空気中の可燃性のガスを燃やしているか何かだ ろうが詳しいことまでは判らん。オースの空気は構成が地球の空気 とは違うのかも知れないな﹄ 俺の想像にちょっと吃驚したみたいだ。 ﹃風はまた少し違う。単体で使うと空気が生み出される。結構大量 だと思う。この空気も吸って害があるものじゃない。だが、あまり 長時間呼吸に使うと喉や肺を痛めるかも知れない。多分この空気に は水分は含まれていなさそうだからね。風魔法は火魔法と同様に他 の魔法を組み合わせて使うことが多い﹄ ある意味突拍子もない俺の話に慣れたのだろうか、二人はふんふ んと頷き始めた。 894 ﹃最後に無魔法だが、これが一番重要だ。元素魔法で生み出した元 素に何らかの力を加えることに使うことが多い。飛ばしたり変形し たり、操ったりなんかだ。単体で使うこともある。一番良く使う魔 法だから複数の元素魔法を使える魔法使いでも無魔法が一番レベル が高いことが多いみたいだ﹄ ﹃へぇー。俺が昔ちょっとだけ一緒に仕事をした冒険者の魔法使い はそこまでは教えてくれなかったな。ところで、アル、魔法の修行 ってどうしたらいいんだ? 俺も使えるようになる可能性があるん だろ?﹄ クローが目を輝かせている。マリーもクロー同様に期待があるよ うだ。そりゃそうだろうな。魔法を使うってのは地球にいちゃ出来 ないからな。その気持ちはわかる。 ﹃ああ、今度教えてやるよ。別に大したことじゃないから。俺がお 袋から教わったやり方と一般的なやり方とどっちがいい? 多分結 果は一緒だ。難しさはお袋の方が上だけど、結果は早くわかるかも 知れん。普通の方は慣れるまで多少時間⋮⋮そうだなぁ1週間くら いがかかるけど多分難しくない﹄ ﹃どっちでもいいよ。両方試してみたい﹄ ﹃私も﹄ 二人が身を乗り出してきた。 ﹃だからまた今度な。まだ、もう少し魔法の話があるんだよ。で、 さっきも言った通り、魔法は他の系統の魔法と組み合わせて使うの が一般的だ。単体だと応用範囲が狭いからな。例えば、水魔法と火 895 魔法を組み合わせて氷を作ったりとかな。このワインを冷やしてい る氷も魔法で作ったんだろうな﹄ そう言うと、二人はしげしげとアイスペールを眺める。ロックア イスのようなゴツゴツした氷は既に大部分が溶けている。俺はアイ スペールからデカンタを抜き出すとアイスペールの上に左手をかざ し、少しだけ氷を出した。左手の平から青い光が漏れ出すと同時に ゴロゴロとロックアイスのような氷がアイスペールに落ち、既に溜 まっている水を弾き、雫を飛ばした。デカンタをアイスペールに戻 しながら、再度口を開いた。 ﹃こうやって氷を出すんだ。今のは水魔法と火魔法を一緒に使った 例だよ。無魔法は使っていない。一緒に適切な無魔法を使えば尖っ た氷を出して矢のように飛ばすことも出来るし、氷じゃなくてお湯 を出してシャワーを浴びることも出来る。組み合わせとイマジネー ションで応用力が格段に広くなるんだ﹄ そう言ってまた煮魚を食べる。旨いな、これ。 ﹃俺の話はこの程度かな。あとは君たちの話を聞かせてくれ﹄ 二人は顔を見合わせるが、クローが頷き、俺を見る。どうやらク ローが先に話すようだな。 ﹃さっきも言ったとおり、俺たちは質問の時間が一分しかなかった。 俺の場合は自分の固有技能の使い方を聞くくらいで終わっちまった。 マリーも似たようなもんだ。すまんが俺達からはあまり役に立ちそ うな事を教えられないんだ﹄ 何となく予想はしていたが、本当にそんだけかよ。仕方ないか。 896 もっと重要なオースの知識があったりするのなら、正直な所こんな 生活はしていないだろうしな。レベルアップだって、するもんだ、 という意識をしていればその瞬間は確実にわかる。そうすれば気が 付く事も多いはずだしな。まだ二人のレベルが低いことが有効なポ イントと言えばポイントか。 鍛えようによってはこの二人は普通の人間よりよほど強くなる。 最初の仲間としてこれほど相応しい人材もあるまい。だが、二人に は定職があるようだし、マリーは家族と一緒に暮らしている。おま けに冒険者に対して偏見もあるようだ。どうしたもんかね。 ﹃そうか、二人共気にしないでくれ。俺も気にしないから。まぁ、 日本人同士で知り合えたのも幸運じゃないか。それだけでもお互い 貴重だろう﹄ またノックがあり、ボーイが料理を運んできた。今度は肉料理の ようだ。豚肉のソテーに正体不明のソースがかかっている。俺はキ ールに来て食物にはそうそう鑑定をしないことしている。驚きが無 くなるからな。鑑定するなら食ってから。ああ、勿論あからさまに 腐っていそうだとか、いかにも怪しいものには当然鑑定するけどな。 ﹃そう言ってくれて助かるわ。私たちはオースについては大した情 報は持っていないの。だからアルに教えてあげられるような事はキ ールの社会のこととか、都市での一般常識くらいになっちゃうのよ﹄ ﹃いや、それだけでも有難いよ。俺はそういった事には疎いんだ。 だから助かるよ﹄ 二人は身なりはボロくても器用にナイフとフォークを使って豚の ソテーを切り分けて口に運んでいる。このあたり、現代社会に生き 897 ていたと感じさせるな。 ﹃さて、あと二つ本題がある。一つは冒険者についてだ。二人は俺 と組んで冒険者をやるつもりはないか?﹄ 二人は顔を見合わせると、何とも言えないような顔で俺を見つめ てきた。 ﹃アル、俺も昔冒険者を目指して少し齧ったから知っているんだが、 まともに稼げるのはほんの一部の凄い奴らだけだ。お前が魔法が使 えることはわかったが、モンスターとやりあえるとは思えねぇ。 ああ、気を悪くしないでくれ。 俺も昔モンスターを見たことがあるから言えるんだが、ありゃR PGみたいな生易しいもんじゃねぇんだ。本気でこっちを殺しにか かってくる。常に全力で相手をしなきゃなんねぇ。連続で襲ってこ られたら魔力だっていつか尽きちまうだろ? そうやって自信満々 でいながらモンスターにやられて死んでいった奴も何人か知ってる んだ﹄ ﹃そうよ、それにクローはすこし剣が使えるけど、私は戦うなんて 出来ないわ。刃物なんて包丁しか使ったことないのよ。家族もいる し、店だって放っては置けない。一昨日も言ったけど冒険者なんて 成功するはずがないわ。仕事を探して普通に暮らした方がいいと思 う﹄ 二人が口を揃えて反論してくる。うん、予想してた。 ﹃冒険者が大変なことは解ってるつもりだよ。無理にとは言うつも りもないし、強制するような権限を俺は持っていないからね。だけ ど、信頼できる仲間が欲しいんだ。 898 魔物⋮⋮モンスターか。 モンスターも正直な話、俺の出身地の周辺にいるモンスターとは 俺は全部戦って倒してる。ホーンドベアーも今までに四匹殺してる。 ホーンドベアーはともかく、コボルドやゴブリン、ホブゴブリン、 ブラウンスライム、ジャイアントリーチ、グリーンクロコダイル程 度なら相手が数十くらいの集団でも俺一人で全滅できる。そのくら いには戦った経験があるよ﹄ 俺の話を聞いた二人はぽかんとした後で、すぐに前のように﹃嘘 言うな﹄と言って来た。別に話だけで俺の戦績を信じてもらう必要 もないから、俺は話を進めることにした。 ﹃まぁまぁ、幾ら転生してきたとは言え、オースではまだ14の俺 が言っても信用がないことはわかるよ。だが、仲間が、特に信頼の 置ける仲間が欲しいのは本当のことだ。冒険者だと戦闘用の奴隷を 購入して一緒に依頼を果たす奴も多いらしいな。 それでもいいっちゃいいんだが、俺は個人的にそういう奴隷を使 った経験がないし、信頼を置けるような奴隷が運良く手に入るとも 考えづらいと思ってね。だいたい、奴隷を売り買いするのにもちょ びっと心理的な抵抗もあるからね。ああ、勿論、君たちを奴隷の代 わりにしたいなんて思ってるわけじゃない。そこは信じてくれ﹄ ﹃別にそんな事思ったりはしないわよ。もしあなたが言う通りの強 さがあるなら、仲間になりたがる人は多いはずよ。それにそんなに 強いなら一人だっていいじゃない﹄ ﹃そうだ。俺たちはそういう世界には出来るだけ関わりにならない ようにしたい。隊商の専属護衛をやってる俺が言うのもなんだけど さ。俺んとこの商会は安全な場所を往復しているだけだしな。でも 本当にそんなに強いなら⋮⋮﹄ 899 ﹃ちょっと、クロー﹄ マリーは心配そうにクローに話し掛けた。 ﹃ああ、ごめん。でも本当にそこまで強いならキールじゃすぐにト ップクラスだろう?﹄ クローはそんなマリーをいなすように謝ったが、憧れはあるよう だな。 この話題はこのくらいにしておくか。ソテーに齧りつきながら言 う。 ﹃じゃあこの話は一旦やめよう。最後はベグルの事だ。クローは何 故俺がべグルを追っているか聞いたか?﹄ ﹃ああ、昨日マリーから聞いた。俺の知っているべグルじゃないか も知れない事も聞いたよ﹄ ﹃そうか、実は昨日、ジャンルードという店に行ってみた。かなり 時間を使ったが、べグルの顔は拝めたよ。二人いるんだな。俺の追 っている方がどっちだか解らないから話し掛けもしなかったし、此 方からは接触は持っていない﹄ 俺の発言を聞いて二人はびくっとしたが、すぐに平静になった。 クローが席を立ちゆっくりとシャツを捲った。腹にはケロイドのよ うになった大きな火傷の跡があった。クローは俺の顔色が変わった のを確認すると背中も見せてきた。せっかく旨い飯食ってる時に変 なもん見せんじゃねぇよ。 900 ﹃これは俺がべグルのグループを抜けるときに文字通りヤキを入れ られた跡だ。ひでぇもんだろ? やられた時には死ぬかと思ったぜ。 治癒師の爺には有り金殆どふんだくられたしよ。俺たちが何で奴と 関わりを持ちたくなかったか分かって貰えたか?﹄ うん、知ってるよ。 マリーはナイフとフォークを持ったまま心配そうにクローを見上 げている。 ﹃ひどいな。そんな事されたのか⋮⋮﹄ 同情を込めて言った。 ﹃ああ、悪いこた言わねぇ。あいつと関わりになるのは避けたほう がいいと思う﹄ ﹃なるほどね。良く解ったよ。だけど、俺はべグルを追うのは止め ない。なんとしても見つけ出して殺さないと安心して寝られない人 がいるんだ。ああ、殺すとか言ってすまないな。勿論昨日見た二人 じゃないかも知れないとは思っているんだ。ただ、仮にあの二人の どちらかだったとしても俺はやる。多分出来ると思うしな﹄ マリーが溜息をつきながら俺を見て口を開いた。 ﹃アル、自信があるのはいいけどね。べグル達のグループは本当に 無茶苦茶なの。騎士団だって手を焼いているくらいなのよ﹄ ﹃そうか、犯罪の証拠がないんだったな⋮⋮。俺が追っているのが 奴らのどちらかか、はたまた別人なのかはまだ分からないが、それ も時間の問題ではっきりすると思う。もし、奴らなら必ず殺す。一 901 人になるのを見計らって殺すのが一番だが、どうしても一人になら ないようなら二人纏めて殺す。それがわかるのは多分あと3週間く らいだけどな﹄ 俺があまりに真剣な顔つきで必ず殺すとか言っているのでマリー は怯えたようだ。クローはマリーを安心させるように﹃別に俺たち をどうこうなんてアルは言ってないだろ﹄と言って俺には﹃出来る といいな。お前には悪いけど、俺はお前の探しているのがあのべグ ル達だといいなと思ってる。あのべグル達をどうにか出来るなら喜 ぶやつは多いぜ。手助けするつもりはないけど気持ちだけでも応援 はするよ﹄と言ってくれた。まぁ恨みに思うくらいのことはされて いるから当然といえば当然か。 ・・・・・・・・・ 店を出て別れる時に俺はここ数日思っていたことを聞いてみた。 ﹃お前ら付き合ってんの?﹄ お互い見つめ合うだけで否定も肯定もされなかったので兄貴の置 き土産を一パックプレゼントした。二人共最初は何なのか解らなか ったようだが、マリーがすぐに気がついたようで、乱暴に俺に突き 返しながら﹃まだ私たちは14よ!﹄と言って来た。 くっ、俺たち兄弟の結晶を粗末に扱いやがって。 902 903 第五話 情報交換︵後書き︶ 情報﹁交換﹂は殆どしてませんね。 あと、小魔法の使用回数=レベルについてはアルはわざと言及して ません。 904 第六話 売り込み 7442年4月17日 俺は宿に帰り、今日話した内容について整理してみる。 ⋮⋮。殆ど俺の持ち出しじゃねーか。と一瞬だけ思ったが、キー ルでの常識などかなり参考になる話も聞けたから﹃ダックルトン﹄ に払った42600Zについては完全に無駄になったわけではない。 あ、賄賂で10000Z余分に払ってた。これはまぁいいや。それ にあの二人との距離も多少は近づいたろうから、今日のところはこ れで満足しておいた方がいいだろう。 あと、あれな。最後のデザート。あれは美味かったなぁ。 勿論、オースにも菓子は存在するが、今まであんな手の込んだ洋 菓子のような菓子は食べたことがなかった。寒天で固めた果物とか 羊羹みたいなやつとか、あとはパンケーキの出来損ないみたいなの がせいぜいだ。オースにもあんな美味い菓子があるなんて思っても みなかった。フルーツババロアの上に表面だけ寒天で固めた甘酸っ ぱいムースが乗っており、その周りに生クリームのようなものでデ コレーションしてあった。クローもマリーも見ただけでため息をつ いていたし、俺も声が出そうになっていた。 前世ではあまり洋菓子を好んではいなかったので滅多に食べなか ったし、よくは知らないのだが、﹃ダックルトン﹄のデザートは確 かにコンビニのスイーツ類にも劣るとは思う。だが、あのような美 味い菓子はそれこそ前世を通じて初めて食べたような気がして一瞬 905 ではあるが確かに天にも昇るようなえも言われない気分になった。 ああ、思い出すだけで唾が溢れてくるわ。 おっと、食い物の件はこのくらいにしておこう。あの二人を仲間 に引き込みたいが早々には無理くさい。冒険者に対する忌避感が強 すぎるからな。いっそのことそれなりの給料で雇うということも選 択肢に入れておくべきだろう。王都の近くにあるという迷宮に入っ て出てこられるなら戦利品でものすごく稼げるというしな。まだと ても力不足で無理だろうけどさ。 いろいろな領地でトップクラスと言われている冒険者のグループ もかなりの人数が挑戦し、そして返り討ちにあい、何割かは戻って くると言うらしい。戻ってきた奴らのうち更に何割かは一生安楽に 暮らせるくらいの財宝や魔石を得ているとも言う。 俺もそれを狙うのだ。何度も挑戦し財を成し、それを元手にして どこか外国で国を興すのだ。聞いた話じゃ東の方にあるコーラクト 王国は100年くらい前に冒険者出身の王が建国したらしいし、似 たような国は沢山あるって話だしな。それに各国の間の国境線なん て曖昧なものなので、隙間を狙って建国を宣言し、少し離れた国に 国家であることを公認してもらって、軍事的に周りに睨みを効かせ られれば大抵なし崩しに国家として認められるっぽい。 ロンベルトの近隣諸国も結局はそうやって建国されたものが多い らしい。田舎で集められる程度の情報を元に推測しているだけなの でこんな簡単ではないだろうが、確かに昔の日本の豪族の発生も似 たようなものだったはずだ。最終的に天皇に﹁お前にその領地を任 せる﹂とか言わせれば勝ちだし、言われなくても土豪から大名にな った奴らは沢山いた。力を持っていれば、まぁなし崩しに国になっ ちまったと言っても過言ではあるまいよ。 906 何にしても先立つものは金か。ゴム製品の販売で蓄財できる量は たかが知れている。せいぜい田舎の士爵領がそれなりに潤う程度だ。 ゴムノキの作付面積を何百倍にでも出来れば別だが、そんなの何十 年かかんだよって話だ。俺が生きているかも怪しいぜ。 だから生き急がなくてならない。 その為には金が必要だ。勿論力も。焦って短絡思考に陥り失敗す るのだけはみっともないからそこは用心が必要だし、慎重に辛抱強 く少しづつ進まねばならない時も多いだろう。勿論時には大胆に大 きな一手を狙う必要もあるだろう。うん、考えることは多いよな。 今日はもう寝ちまうか。 ・・・・・・・・・ 7442年4月18日 朝からビンスイルの店に行く。クローとマリーに魔法の修行法を 教えるためだ。勿論日の出前後は朝食準備と店に沢山客が来て忙し いだろうから8時か9時くらいに行くようにすればいい。それまで はランニングでもして汗を流そう。あ、クローは今日明日は仕事で いないのか。 二勤一休って風俗嬢のような働き方だよな、どうでもいいけどさ。 え? 何でそんなこと知ってるかって? 皆、俺の前世の職業は営 907 業マンだったことを忘れてるんじゃないか? 会社に言えない接待 だってしてたんだ。知らない訳無いだろ。 8時過ぎにビンスイルの店に着いた。マリーはいるようだな。俺 はいつもクローが座っている端っこのテーブルについて朝食セット を頼む。すぐにマリーが朝食セットを持ってきてくれた。 ﹁昨日はご馳走様。とても美味しかったわ。あんな食事をしたのな んて何十年ぶりっていう感じよ﹂ ﹁そうか、喜んでくれて良かったよ。で、今時間あるなら魔法の修 行のこと、教えられるけど、どうする?﹂ 昨日の別れ際と違いにこにこと言うマリーに、早速約束を切り出 した。 ﹁今ならいいけど、どのくらい時間がかかるのかしら? あまり長 いと昼の仕込みもあるから⋮⋮﹂ ﹁ん? 最初は数分からせいぜい長くても数十分ってとこだな。そ れに一回教えればあとは自分一人でもやろうと思ったらいつでも出 来るようになるぞ﹂ 俺の発言を聞いたマリーは身を乗り出してきた。 ﹁そんなに短いの!? なら教えて、今すぐ!﹂ ﹁飯くらい食わせてくれよ。あと、昨日言った通り、やり方は二種 類ある。どっちがいい?﹂ 908 マリーは少し考えて言う。 ﹁結果が早くわかる方がいいわ﹂ ﹁そうか、じゃあ、いらない細い木の棒でも用意しててくれよ。さ っさと食っちまうから﹂ マリーは﹁さっさと﹂から後を聞く前に席を立ち、厨房へと駆け 出していった。後ろ姿にも期待に胸を膨らませている様子が窺える。 パンを噛みちぎりながら、そう言えばマリーのMPはいくつだった っけ? と、厨房の竈に向かってしゃがみこんだ背中を鑑定する。 16か、最初にしちゃ充分すぎる。あ、耐性︵毒︶の解説も見とい た方がいいかな? ︻固有技能:耐性︵毒︶;耐性技能の一種。摂取または何らかの要 因により体内に入った毒物に対して抵抗または恐怖心を抱くことに よって発動する。故に、本人が毒物と意識しないか、毒を受け入れ る心境にある場合には技能は発動しない。また、抵抗可能な毒物は 自己の体内に入る以前より毒物でなければならない。体内とは、体 表以内を指す。すなわち、自己の体内において生成された毒物に対 しての効力はない。この技能の効果が及ばない範囲の毒物全般に対 しては通常の対毒物への処理となる。技能が発動しても毒物の効果 は無くなることはなく、毒物の効果が弱められる形で技能の効果が 発揮される。レベル0で毒物の効果は55%減じられ、以降レベル 上昇と共に5%ずつ減少の度合いは大きくなる。最大レベルでは1 00%減じられることになる。また、毒の生成が体内・体外を問わ ず、体内に蓄積することで悪影響を及ぼす形式の毒物であった場合、 その分解・排出の効果も発揮する。レベル0で効果発動より最大2 0日間で完全に分解・排出され、以降レベル上昇とともに分解・排 出までの時間は1日づつ減少する。ただし、こちらも毒物に対する 909 抵抗または恐怖心を抱くことで技能は発動する。なお、本項目で言 う毒は無機物有機物を問わず、技能保持者の生命活動に何らかの阻 害的な影響を与える物質の総称であるため、他の生物では選択毒性 があってもこれを考慮しない︼ へー、確かにすごいな。本人が意識さえすればおよそ全ての毒物 に対して無敵に近くなれるのか。自分が摂取した毒の強さとかわか るのかね? これは大したことない、とか、これ食らったら普通死 ぬ、とかさ。 厨房で焚付か何かに使っていたのであろう細い木の棒を持ってす ぐにこちらに向かって来た。んじゃ、やるとしますかね。 ﹁よし、⋮⋮と、見ての通り今火をつけた。この両側に掌をかざし て、手の間に魔力を通すんだ。成功すれば炎が揺らめいて無魔法の 習得完了ってことだ。いきなりだとどうしたらいいかわからんだろ うから最初だけ手伝ってやる﹂ そう言ってマリーがかざし始めた手の外側に俺の両手を当てて魔 力を流す。流れを感じたマリーは﹁ひゃうっ﹂と声を上げるが目は 風に吹かれるように揺れた炎をしっかりと見つめていた。 ﹁いまの感覚を自分で起こせるようになれば完璧だ。だけど、あん まり頑張ってると魔力を使いすぎて魔力切れになるから気をつけて くれ。そうだな、マリーなら午前中に10回、午後に10回くらい 練習してみたらいいと思う。魔法の才能が高いと数回で出来るよう になる。だけどコツが難しい。低いとすごく時間がかかるからな。 明日また来るからその時までに出来ないようなら普通のやり方でや ってみよう﹂ 910 ﹁⋮⋮うん、わかった﹂ 俺が飯を食い終わるまでにはマリーは炎を揺らすことは出来なか った。魔法の修行に夢中になっているマリーを見ていても仕方ない ので、店を出た。店を出ると物陰から店の料理を窺っていたであろ う低所得者達が一斉に目を伏せる。働けば食えるよ。そう高くない し。 ・・・・・・・・・ はてさて、特段やることもないが、一つだけやらねばならないこ とがある。ビンス亭に戻った俺はシャワーを浴び、着替えを済ませ て身だしなみを整えると丁稚を捕まえて、兄のメモに書いてあった ﹃リットン﹄という店の場所を聞いた。 口笛を吹きつつ﹃リットン﹄に向かいながら、ポケットに入って いる兄弟の絆を確かめ、どう攻略したものか考える。最初は出来る だけ上位の人間を捕まえたほうがいいだろう。程なく目的地に着く と、思っていたほど豪華な建物ではなかったことに少し落胆した。 一階が石造りで二階が木造のようだ。豪華ではないが建物の周りは 綺麗に掃除されており、塵一つ落ちていない。うむ、従業員の教育 には力を入れているようだな。 堂々と胸を張って入口のドアを開けて中に入ると目の前にカウン ターがあった。その両脇に伸びているであろう廊下は黒いカーテン のような布で隠されている。カウンターには上着を着た紳士然とし 911 た中年の男性が姿勢よく立っており、こちらに気がつくと丁寧に頭 を下げ﹁いらっしゃいませ﹂と声をかけてきた。俺は﹁ここは初め てなんだが、評判を聞いてね﹂と言って右手を差し出した。 紳士はそっと俺の右手に自分の左手を重ねるとステータスオープ ンをかける。うむ、店構えなどから予想していた通りだ。良かった。 紳士は俺のステータスを確認すると品の良いうっすらとした笑みを 浮かべ﹁ようこそ当店へいらっしゃいました。グリード様。どなた からのご紹介でしょう﹂と聞かれたので、少しでも印象を良くして おきたかった俺はそっと義姉から貰ったプレートを見せた。 紳士はちらっとだけプレートを見ると、全て相分かった、とでも 言うように無言で頷き、俺を左側のカーテンの奥へと案内した。カ ーテンの奥は予想通り廊下になっているようだが、数メートル先に はまた同じようなカーテンが先を塞いでいる。紳士は俺の脇をすり 抜けると廊下の左側のドアを開け、頭を下げた。入れと言うのだろ う。 俺はドアを抜け、談話室のような部屋の奥の椅子に腰掛けた。﹁ しばしお待ちを﹂と言い残して紳士は姿を消す。うむ、流石プレー トの威力か。VIP扱いだな。10分も待ったろうか、ドアがノッ クされて開けられた。さっきの紳士が丁寧にドアを開け、後ろに居 た人物がゆっくりと室内に入ってきた。期待に胸が張り裂けそうに なりながらその人物を見る。 ⋮⋮。 ⋮⋮⋮⋮。 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮。 912 ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮。 おっと、あまりの出来事に脳が停止していたようだ。 3100はなんとかV 俺の脳のOSは防大にあったVAXマシン並に再起動に時間がか かった。俺の脳内のVAXstation MSを起動出来たようだ。 今テーブルをはさんで向かいにゆっくりと腰掛けようとしている 人物はまさに地上の生物ではあるまい。絹のようなゆったりとした 衣を纏い、光り輝くような微笑を浮かべ、こちらを見つめる一対の 水色の瞳は思慮深そうな輝きを発し、俺の体の中身まで透視してい るかのような錯覚すら覚える。紳士は音を立てないよう扉を閉め、 すでにここにはいない。 これから数十分、いや事によったら数時間もの間、この相手に戦 いを挑むのだ。これは聖戦だ。俺は一度だけ瞑目すると、再び正面 から相手を見つめた。さて、聖戦はここで繰り広げられるのだろう か、はたまた戦場を移動するのか。その時、相手の口が開いた。 ﹁ようこそいらっしゃいました、グリード様。私は当﹃リットン﹄ のオーナー、ヨシルミル・ハリタイドです。本日はどのような事を ご要望でしょう?﹂ 地獄の釜の蓋が開いたような声だ。目の前の人物はガマガエルの ように横幅の広い口を開き、ぶつぶつとした肌の頬を揺らして喋っ た。ああ、ここまで不摂生で醜い人間を見たのは初めてだよ。ジャ バ・ザなんとかを髣髴とさせるわ。どうしてこうなった? 畜生。 俺は、俺はさ、期待してたんだよ。なにこれ? ドッキリなの? 913 早く看板持ってきてよ赤ヘルさ∼ん! 本当に予想外の事態に混乱 する。兄貴∼、助けてくれぇ! おにぃちゃ∼ん! あにき? あ、 そうだ。 ﹁あ、あの、あのですね。ここここ、ここでご採用頂きたい品があ りましてですね。本日はそのご紹介に上がらせて頂きました﹂ 多少あわてたものの、何とか取り繕って喋りだす。トップ営業だ った力を見せてやるぜ。 ﹁ほう、侯爵のプレートをお持ちとお伺いしたので、まずオーナー である私がご挨拶に、と思ったのですが⋮⋮﹂ そう言ってハリタイドは指を鳴らした。指を鳴らした拍子にまた 彼の頬が揺れた。 すぐに戸が開き紳士が﹁さぁ、顔を見ていただきなさい﹂と言い、 廊下に控えていたらしい幾人かの女性たちを招き入れようとした。 しかし、ハリタイドは再び口を開いた。 ﹁ああ、いい。セバスチャン。女達を下がらせろ。あと飲み物を二 つ用意してくれ﹂ ま じ か よ。 大失敗じゃねぇか。何がトップ営業だよ。俺なんかうんこまみれ がお似合いだ。 ﹁さて、どのような品でしょうか? 当店では大抵のご要望にお応 え出来るよう、各種用品の品揃えは完璧に行っているつもりですが ⋮⋮﹂ 914 俺は泣き出したくなるのを鋼鉄の意志で堪えながら、何とか平静 を装ってポケットからコンドームを取り出した。テーブルの上に置 き、にこやかに説明を始める。 ﹁こちらでは、その、社交を求めておいで頂いた紳士達と店の従業 員が恋愛関係に陥ることがあると聞きます。それも紳士達が魅力的 なのでしょう、かなりの確率で恋愛に囚われる従業員も多いとのお 話です﹂ じっと俺の手元のコンドームを訝しげに見ていたハリタイドが、 俺の心を見通すような視線を俺に向けると口を開く。 ﹁ふぅむ。グリード様はとても上品な表現をなさる。ですが、その 表現は素晴らしいですな。確かに、当店を訪れる紳士方は魅力的な のでしょうなぁ。従業員が夢中になることもあるようです﹂ よし、掴みはOKだ。 ﹁そして、恋愛関係に発展した場合、無視し得ない問題があるでし ょう﹂ ﹁ほう? 無視し得ない問題⋮⋮どういうことですかな?﹂ その時、控えめなノックと共に例の紳士が盆にお茶を載せて部屋 に入ってきた。丁寧に茶の用意をすると、また音を立てないように 扉を閉め、部屋から出ていった。 ﹁紳士や従業員が望まない人口問題や、一部の不心得な紳士が持ち 込むという、恋以外の病です﹂ 915 ﹁ほほう、なるほど。ですが、そういう問題を回避するため当店で は最上級の品を用意しておりますぞ。当店で用意しております品は 全て前日に屠殺された物の中でも健康なもののみを使用し、乾燥や カビなどの心配もない高品質なものばかりです。品質の保証をする ために屠殺場が休場の翌日の営業も控えるほど徹底しております﹂ ハリタイドは自信すら滲ませながら言った。 ﹁なるほど、音に聞く﹃リットン﹄ならば確かにそうでしょう。で すが、本日私の持参いたしました、この製品をご使用になられてか らも同じ事を仰られますでしょうか?﹂ ここが押しどころだ。兄貴の為にもここで引くわけにはいかん。 ﹁む、かような物の言い様、当店の用意する品の品質に対する挑戦 ですかな?﹂ 面倒くせぇ、ジャバ・ザなんとかは片方の眉を吊り上げながら俺 を見る。怖いよ。 俺は自分に用意されたカップの茶を飲み干し、コンドームの袋に 手を伸ばした。 そして、袋の封を切る。と言っても端っこを爪で無理やりちぎっ ただけだけどさ。 中に封じられている海藻ローションが少し溢れ、俺のカップにこ ぼれたが、まぁいいや。そのためにカップを空にしたんだ。 916 そしてローションと一緒に収められている10個の絆のうち一つ を切り口からむにゅっと押し出すと、それを取り出した。 ﹁これはゴムと言う材質で作られています。ゴムはご存知でしょう か?﹂ 不満げな表情だったジャバは﹁勿論存じておりますよ。最近出回 っているものですな。私も履物とクッションを購入しましたよ﹂と 言って少し自慢げにする。ゴム製品は高価だから所有しているだけ である程度のステータスなんだろう。特にクッションはかなり高価 だから自慢げにするのも頷ける。 ﹁これはゴムで作った衛生用品です。どうぞお手に取ってご覧下さ い。ああ、その液体は体に害のあるものではありません。場合によ っては⋮⋮そうですね。気分の乗りにくい従業員の方でもすんなり と紳士を受け入れられるように潤滑性が高く、ぬめりがあるように 作られた完全に無害なものです。原料は食品なので口に入れて飲み 込んでしまっても何の害もありません﹂ ジャバは正体不明の液体にまみれ、丸く巻かれた衛生用品を気味 悪そうに見つめていたが、俺の手に乗ったそれに、恐る恐るといっ た感じで手を伸ばしてきた。俺に向かってくる芋虫のような指を見 ながら吐き気を抑えつつ、俺は続けた。 ﹁これは殿方が装着しやすいように丸められております。このよう に装着します﹂ 芋虫につままれた衛生用品を受け取り、ジャバの手に生えた人差 し芋虫と中芋虫にくるくると装着していく俺。なんだか嫌な図だな、 と思いながらも笑みを絶やす事を忘れてはいない。当然だがぶかぶ 917 かだ。 ﹁さぁ、このゴムの厚さや耐久性についてご理解いただけますか? なにか触ってみてください。ゴムを引っ張ってみても結構です﹂ ローションにまみれたまるまるとした指を気持ち悪そうに眺めて いたジャバは、指に衛生用品を被せたままカップに触れた。すると 驚いたような表情を浮かべ、テーブルの表面を触れたり、持ち手で はないカップの表面を触れたりした。また、反対の手に生えている 芋虫で触って感触を確かめたり、引っ張って強度を確かめるような 事まで始めた。いたく興味を惹かれたように見える。 ﹁うむ⋮⋮これは⋮⋮温度も非常に良く伝わるな⋮⋮しかもこの薄 さはどうだ⋮⋮しっかりと感触が残る⋮⋮ふぅむ⋮⋮よく伸びる⋮ ⋮そしてちぎれる事もない、か⋮⋮﹂ いろいろな物を触りながらブツブツ言い、しまいにはコンドーム 越しにカップをもて遊びながら考え込んでしまった。ここでもうひ と押しだな。 ﹁ハリタイド様、私は常々思うのですよ。一流の店には一流の品揃 えが必要なのでは、と。勿論貴店が超一流であることは既に自明の 理と言えましょう。店員を始めとする従業員の教育や従業員自体の 容姿も、これは当たり前のことですが重要なポイントです。当然お 客様である紳士も一流のサービスを受けられる、と思えばこそ、貴 店の扉を叩くのです。この商品は他店にはまだ紹介しておりません。 一流の店と思えばこそ、最初に貴店に持ち込ませて頂いたのです﹂ ジャバははっとしたように俺の顔を見ると頷いた。 918 ﹁グリード様、グリード様の仰りよう、このハリタイドめは非常に 感銘を受けました。一流の店には一流の品揃え、一流のサービスの ご提供、なるほど全くその通りです。是非この製品を購入させてい ただきたい。いかほどですかな?﹂ 落ちた。さて、ここからが本番だ。 ﹁いえいえ、ハリタイド様、一流の店のオーナーであればそのよう サンプル な性急なご判断は鼎の軽重を問われます。本日お持ちしたこの袋を 試供品として進呈いたします。既に封は切っておりますが、中に水 が入らないよう、氷水に漬けておけばあと2日程は全く問題なく使 用可能です。その間においで頂いた貴店の上得意様にご使用頂き、 ご感想をお伺いになるのが先でございましょう。またはハリタイド 様ご自身でご使用頂き、その性能を確かめていただくのも宜しいか と存じます。私は明後日の夕方また参ります。価格などはその際に でも⋮⋮﹂ ハリタイドは目を見開いて俺の言葉を聞いている。高価なはずの ゴム製品をひと袋とは言え、ロハで進呈すると言ってから目玉は更 に大きく開き、顧客の感想を聞くあたりでは見開きすぎて目ん玉が こぼれ落ちそうになっていた。超初歩のマーケティングに感銘を受 けたようだ。違うかも知れんけど。 ﹁おお、そのような事までご心配頂けるとは、このハリタイド、必 ずやグリード様のご期待に添えますよう、お試しいただく殿方は厳 選致します。また、機会を見つけ次第私も試させていただくことを 約束致しますぞ﹂ 完全に落ちたな。この聖戦を制したのは俺だ。 919 ﹁どうかお気になさらないで頂きたい。これも一重に貴店が一流店 であるとの証を立てるお手伝いをしたいという気持ちの表れと取っ て頂きたいだけなのですから﹂ あとはさっさと退散するべきだろう。ここでこれ以上話してもあ まり意味はない。 ハリタイドは手を鳴らしてセバスチャンを呼ぶと俺を丁重に送る ように言いつけた。 深々と頭を下げるセバスチャンを見て涙が滲みそうになるが、そ れをぐっと堪え、ビンス亭に戻った。 ・・・・・・・・・ ベッドに顔を埋めながら﹁なにあれ? すげーいい女いたじゃん ! 俺なにやってんの?﹂とか思って転げまわっているうちに腹が 減っていることに気づいてビンスイルの店に行った。 相変わらず少し離れた場所から店を窺っている低所得者共をよけ ながら店に入り、席について麦焼酎を頼んだ。機嫌の悪そうな俺の 表情を見たのかマリーは近寄ってこなかった。 今日の酒はほろ苦く、後悔の念に包まれた。 上客の振りして義姉さんに貰ったプレートなんか見せるんじゃな 920 かった。 やっぱりつまらないことに使うのだけは二度としない。 酔っ払いながらビンス亭に帰った俺はそう心に誓ってベッドに倒 れこむ。 あ、別の店行きゃいいじゃんか。でもなぁ、チラっと見えたあの 子、好みだったよなぁ。 今更別の店行ってもあのレベルの女がいないと不満だよなぁ。 どうせ明後日の夜にはまた行くんだ。そん時でもいいか。 921 第六話 売り込み︵後書き︶ この話︵小説全体のことです︶を書くにあたり、いくつか象徴的な エピソードのプロットを書いていました。今見ると50個くらいあ ります。 その中で、小道具としてゴムを使うと決めたあと、最初に考えたエ ピソードを使ってみました。つまんなかったらごめんなさい。 あ、当然お気づきとは思いますが、別にアルは﹃リットン﹄にのみ 卸すとは言っていません。 922 第七話 魔法使い 7442年4月19日 翌朝起きたとき、ひどい二日酔いで頭が痛かった。解毒魔法で回 復できることは知っているが、簡単な解決は不摂生の元、と言うか 変に慣れて安易に深酒をする習慣をつけたくないだけだ。別に差し 迫った危機があるわけでなし、ランニングをして汗を流せば収まる だろう。 水分を十分に摂って普段より少し長めに走り、シャワーを浴びた ら予想通りスッキリしたので、朝飯を食いに行くことにした。 どこに行こうか少しだけ考えたが、魔法の修行の約束をしていた のでビンスイルの店に行くことにした。芸が無いっちゃ芸が無いが 日本語で会話できる機会は貴重だし、マリーとクローには出来るだ け良い印象を持っていて貰いたいので別段不満なんかない。飯も旨 いしね。 ビンスイルの店に向かい、うろうろと店の客が食っている物を見 つめている低所得者どもの包囲をくぐり抜けていつもの端のテーブ ルに着くと朝食セットを頼む。黒パンとスープ、付け合せの温野菜。 うむ、いつも通りのメニューだ。だが、スープは普通に飲めるし、 温野菜もいつも内容が変わるから飽きることもない。これで250 Zはお得だろう。俺はいつも50Z追加して炒り卵も頼むけどね。 塩コショウを掛けて黒パンに乗せて食べるとこれが結構イけるんだ。 俺が食い終わった頃を見計らってマリーが向かいに座った。 923 ﹁昨日一日、魔法の修行をやってみたんだけど⋮⋮私には才能がな いのかな? ダメみたい﹂ 悲しそうにマリーが言った。 ﹁じゃあ多少時間は掛かるかもしれないけど普通のやり方でやって みる?﹂ ﹁え? 普通のやり方って⋮⋮うん、教えてくれる?﹂ なんで恥ずかしそうに赤くなる? もじもじ病か? ﹁着火の魔道具はある?﹂ ﹁あるわ。持ってくる﹂ なんだか拍子抜けしたように厨房に向かったマリーを見ながらポ ケットをごそごそかき回した。一個くらい魔石が残っていないかと 思ったが、勿論そんなことはなかった。 ﹁この修行法は俺が聞くに一般的なものだ。他にも方法はあるとは キャントリップ 思うが俺は知らない。簡単に説明すると着火の魔道具から火を出し っぱなしにする。それを小魔法の魔力感知で感知を繰り返す。何回 もやれば無魔法の魔力感知が使えるようになるらしい﹂ ﹁え? 火を付けっぱなしって、魔石結構使うんじゃない?﹂ ﹁そりゃそうだ。火が出てる間、魔石からの魔力を使うんだしな﹂ 924 マリーは下唇を噛むと、眉根にしわを寄せて言う。 ﹁だとしたらちょっと無理ね。魔石を無駄に使うわけには行かない わ﹂ ﹁そうか、じゃあ、大変だろうが昨日教えた通りやるしかないぞ﹂ ははぁん。都市部の住民だと魔法が使えるのはほとんどが平民以 上や裕福な層だけにしかいないというのはこれが原因なのかもしれ ないな。バークッドでは農奴達が成人した時には領主から魔法習得 の練習用にと小さい魔石を贈られるのが習わしだった。それでも十 人に一人くらいしか魔法を習得することは出来なかったのだ。 魔石がないなら購入するしかないのだが、ゴブリンから取れるく らいの価値の低いものでも1000Z以上はする。特に魔石の入手 先が﹃魔道具七九屋﹄に代表されるような魔道具屋くらいしかない 都市部の場合、ゴブリン一匹から取れるような価値の低い魔石をそ のまま店に並べるようなことは滅多にないだろう。価値の低いのが 沢山あっても在庫管理が面倒だし、もし棚卸などを定期的にやって いるなら事務的な負担が増えるだけだからだ。棚卸なんかやってな いとは思うけど。 魔石を購入するのは貴族などの富裕層と商店だろう。いわゆる法 人ユースがほとんどと考えられる。だから購入可能な魔石は数万か ら数十万Zくらいの値になってしまう。ビンスイルの店でも着火の 魔道具は勿論、灯りの魔道具も使っているが、それは商店として使 っているに過ぎない。価値の低い魔石をしょっちゅう買いに行くの は手間だし、交換だって面倒だ。魔石の魔力が切れた時にそこそこ の価値のものを買いに行く位なのだろう。 925 日常的に魔物を退治して魔石を取っていた、魔石生産者とも言え る我が家ですら魔石の無駄な使用についてはできるだけ避けるよう に教育されてきた。消費者なら家なんかよりももっと厳格に使用を 制限しているのかも知れないな。 魔石の消費量が少ないとされる着火の魔道具で価値100︵七九 屋で900Zくらいの売値の筈︶くらいの魔石だとだいたい100 秒位の間炎が出せる。一秒で9Zも使うわけだ。そりゃ無駄遣いと 言われるのも頷ける。村でも親父が成人した農奴達に贈っていた魔 石はゴブリンから取ったくらいの物を7∼8個結合したものだ。1 000秒くらい火が出ている事になる。うーん、1000秒で小魔 法は何回使えるかな。何日にも分けなきゃいけないだろうが200 回くらいかな。その位やって初めて無魔法を覚えられるかどうかな のだ。 ﹁もう一回手本を見せてくれる?﹂ ﹁いいよ。やってみようか﹂ マリーはまた焚付に使う細い木の枝を持ってきた。火をつけてや ってからそれを囲むマリーの手を外側から更に囲むようにして魔力 を通す。マリーは真剣な顔で魔力が通った感触を確かめているよう だ。 正直な話、マリーが魔法を使えるようになるかどうかは可能性と して1割くらいの筈なのであまり期待しても仕方ないと思うけどね。 まぁ自分が納得するまではやってみればいいだろう。本当に気持ち は理解できるしな。ちょっとヒントをやろうか。 ﹁魔力を通すのにはコツがいるんだ。これは俺の方法だから絶対じ 926 ゃないけど、広げた手を想像の中で合わせてごらん。体を循環する 魔力を意識しながらね。多分⋮⋮そうだな、血液に魔力が溶け込ん でいると思えばいい。それで、想像の中で合わせた掌を通して両手 の血管が繋がったことを想像する。ちょうど想像した掌の合わせ目 が炎に重なるくらいでね。あとは根気と回数だろうね。才能があれ ば今日にでも出来るはずだよ﹂ ﹁わかった。やってみる。ありがとう﹂ ﹁別にいいよ、今んとこ暇を持て余してるしね。頑張れよ。俺はま たクローが来る夕方にでも顔を出すよ﹂ ビンスイルの店からの帰り道、もう10年以上前になる初めて魔 法の修行を行った頃のことを思い出していた。確か兄貴も姉貴も俺 も最初の10分くらいで出来たと思う。マリーは多分ダメなんだろ うな。MPは16もあるのに勿体無い気もするな。 ・・・・・・・・・ 俺はその足で騎士団本部に向かった。手を焼いているというベグ ルAについて聞いてみたかったことがあったからだ。門を入った脇 の小屋に行き、冒険者向けの依頼があるか確認すると同時に小屋に いる20歳くらいの受付の係員に聞いてみた。 ﹁今日も依頼は無いみたいですね﹂ 927 ﹁そりゃそうだ。退治依頼がしょっちゅうあったらそれこそ大変だ からな﹂ ﹁確かにそうですね。ところで、騎士団では街の無法者は退治する なり逮捕するなりしないのですか?﹂ ﹁退治って⋮⋮魔物じゃないんだから⋮⋮まぁ似たようなもんか﹂ こんな感じで世間話のようにべグルについて話を誘導し聞いてい く。すると、出るわ出るわ、次から次へとべグルが絡んだらしい悪 事が出てきた。いい加減持て余した騎士団は余程奴にきついお灸を 据えてやりたがっているらしい。 センドーヘル団長も一度呼び出したべグルと対峙したこともあっ たらしいが、決定的な証拠もなく、こっちは税もきちんと収めてい る善良な市民でござい、といった態度に額に血管を浮かせ顔を赤く して怒り狂ったこともあるらしい。確かにキールの規律と治安を護 る騎士団が証拠もなしに捕縛することも出来ないだろう。 ﹁でも、そんなことばかりならあちこちから恨みを買って殺された りしないんですかね?﹂ そう聞いてみたが、 ﹁そう思うだろ? だがな、奴は用心深くて一人になることは滅多 にないらしい。いつも魔法使いの相棒と一緒に行動しているから、 なかなか不意打ちも出来ないってよ﹂ と答えられた。そして、 928 ﹁一緒にいる魔法使いもかなりの手練らしい。冒険者として働いて はいないみたいだから誰も本当の名前を知らん。神社は犯罪者だろ うがなんだろうがステータスの情報は絶対に教えないしな。いっつ も一緒にいやがるから小べグルって呼ばれてるけどな。まぁそんな わけで不意打ちしようにもある程度犠牲を覚悟しなけりゃならん。 流石に悪人であることは確実なんだが証拠もないから無理矢理力ず くでってのもな。相手は手練の魔法使いだからこっちに犠牲が出る ようなことは出来んしなぁ。団長もきっとお辛いことだろう﹂ と追加された。そうか、小べグルとは呼ばれているものの、あの 魔法使いが本当にべグルという姓であることは知られていないのか。 ことによると奴がべグルBなのかも知れない。 ﹁騎士団も大変ですねぇ。ところで、彼らはキールの下町を根城に していると聞きますが、あの辺のゴロツキどもはいろいろ、その悪 さをしているらしいじゃないですか。喧嘩なども日常らしいですし。 べグルとかいう親玉みたいのも一緒になってやってるんじゃありま せんか? 証拠なんて腐るほどあるのでは?﹂ ﹁ああ、そうらしいな。だが、本当に奴は尻尾をつかませないんだ。 ケチなカツアゲやみかじめを徴収したりしているのは下っ端どもだ。 出来るだけ防ぐようにはしているんだが、完全になんてとても無理 だよ。べグルはもっと大掛かりな仕掛けの時なんかに手下共を指揮 するらしいんだ﹂ 難しい顔をして係員が言う。 ﹁へえ? 大掛かりな仕掛けですか⋮⋮﹂ ﹁ああ、そうだ、隊商を襲って荷馬車を奪ったりとかな。その場合、 929 全員殺すから目撃者も残らないんだ﹂ 目撃者もいないのにべグルの仕業だと判るのか? ﹁目撃者になりそうな人間は全部殺すのですか⋮⋮残虐ですね。と ころで、何故、べグルの仕業だと判るのでしょう?﹂ ﹁状況証拠だなぁ。もともと奴らは行方をくらますことも度々ある んだが、襲撃があった日の前後で必ず奴の姿はキールから消えるし、 その後は金遣いが荒くなったりするからな。あと、運んでいたと見 られる商品を手下が捌いたりしてるしな﹂ ﹁悪人とは言え余程用心深くて頭も切れるんですねぇ﹂ 係員は俺の感想に溜息を一つつくと言う。 ﹁本当になぁ。だが、頭がいいのは相棒の魔法使いの方らしいけど な。まぁどっちでもいいんだが、手を焼いているのは確かだよ。お 前さんも気をつけてな。多分バークッドの隊商は襲われないよ。荷 物が特殊すぎて捌いたとしても足がつくからな。それに、お前さん のとこの隊商は護衛にグリード卿やお嬢様がつくだろうから、奴ら も被害を恐れるだろうからな。安心していいんじゃないか?﹂ おお、言われるまでバークッドの隊商が襲われることは考えてな かった。だが、確かにこの係員の言う通りだろう。侯爵の直系の血 族も居るからもし被害でもあれば大変な騒ぎになるし、怒り狂った センドーヘル団長も証拠なんて気にしそうにないだろうしな。 ﹁うーん、そうですね。では、私はこれで。また来ます﹂ 930 苦笑いしながら挨拶をした。 いくつか重要な情報を得ることが出来た。多分俺しか気づかない だろう。まだ確信を得るほどではないが、前進の手応えを感じた俺 は、充分満足していた。 ・・・・・・・・・ セントラルリバー 夕方、ごみごみした道を抜け、中央川沿いに歩き、もうおなじみ となった低所得者を眺めつつビンスイルの店に行くと、クローとマ リーが何やらしていた。どうも俺の魔法の修行をマリーがクローに 教えているらしい。おばはんにビールを頼み、二人に声を掛けて同 じテーブルに座った。 ﹁アル、こんなんで魔法が使えるようになるのかよ?﹂ 多分何の成果も上げられなかったのだろうクローが不満げに言っ た。 ﹁ああ、使えるようになる。手本を見せてやろうか?﹂ そう言うとクローは﹁んじゃ頼むわ﹂と言って俺を見た。 ﹁ほれ、こうやって手を炎の左右に当てる。距離はそんなもんでい いよ。で、こうだ﹂ 俺がクローの手の外側から魔力を流すと﹁むおっ﹂と言って魔力 931 に反応した。 ﹁今の感じを自分で出せるようになればOKだ。感覚の掴み方はマ リーに聞いたか?﹂ ﹁ああ、掌を想像の中で合わせて血管を繋ぐととかいう奴か?﹂ ﹁そそ。まぁやってみ﹂ マリーが持っている枝の炎の左右に真剣な表情で手をかざすクロ ーを俺とマリーが見つめる。すると、どうだ。ほんの数十秒程度の 時間で集中して顔がゆがんだクローの手が弱く薄青い光を放った! 慌ててクローを鑑定するとMPが1減っている。炎の揺らぎは誤 差に近いものだったが魔法の光も出たし、MPも減った。うん、こ れは確かに魔法が使えたと言えるだろう。 ﹁おめでとう、クロー。もう少し頑張れば多分無魔法が使えるよう になるぞ﹂ 俺はそう言ってクローに笑いかけた。 ﹁⋮⋮今のが⋮⋮今のが魔法か⋮⋮っふ。ふふふ。あは。やった⋮ ⋮マリー、見たよな。俺、やったぞ。俺にも魔法が使えた﹂ クローはニヤニヤしながら喜びを噛み締めると嬉しそうにマリー に報告した。目の前で見てたんだから知ってるだろ。 ﹁手が⋮⋮光った? 今、手が光ったわ⋮⋮。すごい、本当にこん なやり方で魔法が使えるようになるのね﹂ 932 マリーも心なしか嬉しそうだが﹁こんなやり方﹂とか﹁本当に﹂ とか、聞き捨てならんぞ、こら。疑ってやがったのか、こいつは。 ﹁クローは⋮⋮そうだな、あと2∼3回はコツを忘れないように続 けてやったほうがいい。急いでやるなよ。時間がかかってもいいか らゆっくり、集中してやれよ。それとマリー、なんだか俺が教えた 以外のやり方のほうが信憑性があるような事言いやがって、参考ま でにお前の知っている魔法の修行方法を教えてくれ﹂ 俺はクローには笑顔で、マリーにはぶすっとして言った。 ﹁え? ああ、アルの教えてくれた修行方法って普通じゃないから ⋮⋮。ちょっと、その、俄かには信じられなかったの⋮⋮すみませ ん﹂ マリーは片手で拝むようにして謝った。まぁいいけどさ。だが、 こいつは普通の魔法の修行方法自体を既に知っていたような口ぶり だ。俺はシャルの考えたこの方法と、シャルから聞いた着火の魔道 具を使う方法しか知らないぞ? 違う方法があるのか⋮⋮。 ﹁マリーの言っている普通の方法ってどんなんだ? 俺が教えたの とは違うのか?﹂ マリーが教えてくれた魔法の修行方法はキール都市部の自由民の 間で行われている方法らしい。聞いてみるとその方法はいかにも効 率の悪い方法だった。 え? 興味がある? じゃあ言うけどさ。 933 もう知ってるとは思うけど、シャルの編み出した炎を揺らす方法 ってのは無魔法の特殊技能を得るための修行方法だ。小さな炎を揺 らすことは物理的にも簡単なことだ。ほんの少しの気流があればい い。 電位差でも揺れるし、燃やす燃料の種類によっては磁界の中に入 れても揺れる。炎ってのは質量がものすごく小さいし、希薄だから 簡単に影響を受けるからな。それは魔力で揺らそうとしても一緒だ。 小さな魔力の流れにも簡単に影響を受けてしまう。 ここまで整理して改めて思ったんだが、シャルはやはり相当考え てこの方法を編み出したのかも知れない。惜しむらくは炎は簡単に 影響を受けるが、自分の生み出した炎ではないからそれに影響を与 えるためにはかなりの集中力を必要とすることだ。 自分以外が生み出した物体︵ここでは敢えて物体と表現しよう︶ に影響を与えるのは普通より大きく魔力を消費するとは言え、枝の 先に付けた炎は小さいから1MPでも揺らすくらいは出来る。1M P使うだけで修行の成果をすぐに確認でき、同時に魔力︵MP︶を 使用させるというのは実に合理的でいい修行方法だと思うよ。 対して、俺の言ったもう一つの方法。シャルから昔聞いた着火の キャントリップ 魔道具で放出される火に含まれる魔力を感じ取る方法は、こちらも キャントリップ 無魔法の習得方法だ。最初は小魔法の魔力感知を使い、魔力感知の 小魔法に慣れたところでひたすら使い続ける。何日も何回も繰り返 すことで無魔法を習得できる可能性がある。 キャントリップ 実のところ、これは小魔法の魔力感知に慣れて、何回も流れる魔 力に触れているうちに魔法の特殊技能に目覚めるのを待つ、という 934 受動的な方法だ。俺はこれが一般的だと思っていた。 ところが、マリーが顔を赤らめながらも教えてくれた方法は無魔 法の習得ではなく、元素魔法の習得方法だった。全てに共通するの は前日は早めに就寝して充分に睡眠をとり、翌日日の出前に起きた あとで丁寧に体を清め、配偶者と性交渉をし、充分な朝食を摂って、 一人になれる静かな環境でやるらしい。 性交渉は自慰でもいいらしいが、これが必要とされているからあ る程度大人になってから修行を始めるとも言っていた。まぁここま では性交渉や自慰など後暗い秘密の儀式めいたところもあるが、魔 力切れに対する配慮も感じられるし納得できなくはない。 このような下準備を経て行われる、実際の修行方法は次のような ものだった。 手に持った小さな燃えるもの︵薄い紙に朝採り一番の精液や愛液 を垂らし乾かしたもの︶を見つめながらひたすら﹁燃えろ﹂と念じ 続けるとか、コップとかの容器の上に握り拳を作って﹁精液/愛液 出ろ﹂とか念じ続けるとかいった感じの、なんと言うか、惚れ薬の 開発とか超能力の訓練ですか? と言うのに近いような方法だった。 地魔法や風魔法も聞いてみたかったが﹁セクハラもいい加減にし ろ﹂と言われ諦めた。要するに、俺に言わせれば、それで魔法が使 えるようになる方が天才じゃね? と言うようなものだった。 一応、どれも炎を揺らすような能動的な習得法ではあるとは思う キャントリップ が、困難さの度合いは比較にならない気がする。なお、マリーの言 う無魔法の習得方法は小魔法の予約を無魔法で実現させることだっ た。これは最初からやるにはハードルが高すぎると思う。 935 だが、実際にこのやり方でも魔法の特殊技能を習得できる人もい るのだから普通に信じられているらしい。マリーはこれだって長い 間に幾分効率化され、洗練された方法ではあるらしいと言っている。 勿論、転生してきた日本人は魔法なんか使ったことがないので、 これが正しい魔法の習得方法で、実際にこの方法で習得できた、と いう人が複数いれば信じるしかないだろう。きっと俺だって信じた と思う。性行為やそれで絞り出された己の分身を魔法の媒介にでも するような内容だし、カバラだっけ? 秘術っぽい気もするから信 じやすいとも思う。 恐らく、魔力切れに対するある程度の予防として、成人以上であ ることを印象づけるために性交渉や自慰と結びつけ、他に大して愉 しみなんかないからセックスに関わる内容も絡めたんだろう。15 ∼6歳くらいの若い男女が自分の分身が染み込んだ紙だか布だかを 持ちながら真剣な顔でそれを睨みつけて﹁俺の/私の恋よ、燃え上 がって届け!﹂とか言ってるところを想像すると、何とも言えない やるせない気持ちになる。 少なくともバークッドではこんな事聞いたこともないし、ゴムの 作業に従事している若い連中が話している猥談でも似たような事が 話されていなかったから、田舎と都市部では言われていることも違 うのだろう。 キール以外の都市、例えば王都であるロンベルティアとかでも幾 分異なって伝わっているんだろう。まぁ文化ってのはその土地や風 習などに根ざして発展するものだろうから、一生その土地から動か ない人間が殆どなら、同じことでも言い伝えが土地によって変わる んだろう。 936 ちなみに一時間も集中してへとへとになったクローは追加でMP を3消費して無事に無魔法がレベル0になった。マリーは俺が思う に魔法が使えない9割に含まれていると思うが、もう少し頑張るそ うだ。 まぁ勝手にしろ。陰ながら応援はするよ。 937 第八話 顛末 7442年4月20日 翌朝、起床した俺はいつものようにランニングをしてからまたボ ロに着替えて適当な飯屋で適当な朝飯を食ってからジャンルードの 店に行った。この時間ならべグルに会うことはあるまい。暫く外か ら様子を伺い、テーブルが全部埋まってから店に入った。 当然相席になるが、もともとそれが目的だったから問題はない。 俺は比較的荒っぽそうなあんちゃんの座っているテーブルにつくと あのまずい朝食セットを頼んだ。大賎貨5枚を代金として渡し、こ んな糞まずい飯を美味そうに食っている目の前のあんちゃんにひと つ愛想笑いを向けると硬い黒パンに齧り付く。 ﹁なんだか腹いっぱいになっちまったなぁ﹂ 渋い顔で半分くらいくらい食ってから独り言のように呟く。 エルフ 今まで俺に大して関心を払っていなかったあんちゃんは、俺の独 り言を聞くとちょっと先の尖った耳をぴくんと動かした。精人族か。 俺は続けて呟いた。 ﹁ここらで何とか儲けねぇとなぁ﹂ エルフのあんちゃんは食べるのを中止し、スープのカップを持っ たままそれを覗き込んで独り言を呟いている俺に注目したようだ。 938 ﹁おい、兄ちゃん、不景気な面してぶつぶつ言うなって。ところで、 そのパンだが、食わないのか?﹂ 物欲しそうな顔で俺に話しかけてきたエルフのあんちゃんに、俺 は今気がついたというような表情をして言う。 ﹁ん? ああ、俺に言ってるのか。うるさかったか、すまんな。つ い口をついて出ちまった﹂ ﹁ああ、いいさ、気にすんな。で、そのパン、食わないのか?﹂ こんな店の食い物をあれだけ美味そうに食っていたんだ。やはり 意地汚いんだろうな。別にいいけどさ。だが、うまく乗ってくれた ようだ。 ﹁ん? ああ、食いたいのかよ?﹂ 俺はわざと下品にニヤつきながら言った。 ﹁あ、いやぁ、食わないなら、な。で、どうなんだよ﹂ 俺の表情はここらあたりをうろつく低所得者特有の厭らしい顔つ きになっていたんだろう。あんちゃんは少し気圧されたようにしな がらもしっかりと俺の黒パンを見ながら言ってきた。俺は厭らしい 表情を崩さないように意識しながら言う。 ﹁別にくれてやるのはいいがよ、なんか仕事ないか? 一気に儲け られそうなら言うこたねぇけどよ﹂ ﹁んな仕事ありゃ俺がやってんに決まってんだろ。あるわきゃねぇ。 939 もういいよ。おりゃ行くぜ﹂ そう言ってエルフは席を立ち、出ていった。うーん、そう上手く 行くはずもないよな。もう少し考えたほうがいいか。こいつなら荒 っぽそうだし、べグルの手下かも知れないと踏んでカマをかけてみ たんだが、違うようだ。そりゃそうか。 聞いた話じゃべグルのグループは2∼30人程度らしいから、簡 単に出会えるはずもない。なぁ、あんたにももう分かったろう? 数日前に俺をうんこ漏らしの貧乏人呼ばわりした冒険者崩れ達が言 っていた﹃そういやぁよ、べグルの旦那っていやあ、何か大きなこ とやるらしいじゃねぇか﹄という言葉からそれについて情報を集め ようと思って来たんだよ。 あ、思い出したらムカついてきた。忘れてねぇぞ、ジェリルのブ スが。 ってのに興味がある。まぁあの冒険者崩れの人 あのブス女のことはどうでもいいが、べグルのやろうとしている 何か大きなこと 生の敗北者どもが言っていたことから類推して、大方のところどっ かの隊商でも襲うのかと思ってはいるんだけどね。 大きなこと をやるならべグルが直接指揮を執るだろうし、そ その場所と日時くらいは確認したい。 れがキールの外なら好都合だからな。それまでにどっちのべグルが 俺の目標なのか確かめておけば、街の外の誰にも見られないような 場所で遠くから狙撃できるだろ? つなぎ あと数日でドーリットに行ってあの連絡員を締め上げて情報を取 940 つなぎ り、どっちが俺の探しているべグルか突き止める。よしんばあの二 人じゃないにしても連絡員から伸びる糸を伝えば俺の尋ね人である 真のべグルであるベグルBにたどり着けるだろうよ。 あいつはいつも口が半開きで間の抜けていそうな面だし、どう考 えてもべグルなり組織なり︵そんなもの無いと思うけど︶への忠誠 心があるようには見えない。俺に律儀に礼を言って来たのだって単 に俺に恩があるからに過ぎないだろう。マッチポンプの恩だけど。 そういや面構えと忠誠心も関係ないか。 つなぎ だが、あの連絡員はドーリットに住んでいることは確かだし、あ そこで生まれ育ったらしいから、しょっちゅうべグルと接触がある とは思えない。単に金の繋がりがあるだけだと考えてもいいと思う。 最初に殺せなかった時は悔やんだものだったが、結果的に生かし ておいて良かったな。なんか憎めないけどさ。だけど、ミュンの為 ならたかが口封じ程度の理由だとしても俺にとっては充分殺す理由 にはなる。 あいつは馬鹿そうだったけど、ミュンの死亡を偽装した時にも一 応はきちんと確認してきたから、ミュンの死はベグルBに伝わって はいると思うけどね。あの後何もなかったし。まぁ、念には念を入 れて、と言う事だ。初心忘るるべからず。俺はミュンに恩を返すの だ。 こうして再び気合を入れ直して、ちっとも旨くない食物を食った り、無駄に奢ったりしながら情報収集に努めたが、結局なんら新し い情報を得ることが出来なかった。せいぜい、べグルが何か大きな 稼ぎを計画しているらしいと言う、裏付けが取れたくらいだ。 941 ・・・・・・・・・ 夕方近くなり、俺は着替えてから﹃リットン﹄に向かった。へっ へっへ、今日こそあのチラ見しか出来なかった超好みのいい女とパ ツイチ決めてやるぜ。念入りに手櫛で髪を梳かし﹃リットン﹄の扉 を開ける。あのジャバ野郎とさっさと話をつけて遂にモノホンのV IP待遇で超一流のサービスを受けてやる。 扉を開け、相変わらずフロントに姿勢良く立っているセバスチャ ンという名の紳士に会釈をする。すぐに俺に気づいたセバスチャン は、また談話室のような、ああ、待合室なのかな? に招き入れ、 俺に椅子に掛けて待つように言うと、姿を消した。ハリタイドを呼 びに行ったようだ。10分以上待たされた前回よりもかなり早くハ リタイドが現れた。 ﹁おお、グリード様、ようこそおいで下さいましたな。お待ち申し 上げておりましたぞ﹂ にこにこと不気味な笑顔を貼り付けたジャバがなんか言っている。 ﹁いえいえ。して、結果はいかがでしたか? ご採用いただけます か?﹂ 俺も負けじとにこやかに返した。 ﹁ええ、ええ、勿論採用させて頂きますとも! あのような素晴ら 942 しい品と出会わせていただきました恩は忘れませぬぞ! 是非ご販 売頂きたい! 当店の上得意様も﹃思わず声が出た﹄と、それはそ れは大層なお喜びようでした! つい私も試してみたのですがね、 あの品と比べると今までのものがクズ以下にしか思えませんな。私 も年甲斐もなく励んでしまいましたよ!﹂ うむ、そうだろうとも。ジャバは続けて、 ﹁あの品は間違いなく大評判になりますぞ。貴兄には本当に感謝致 します。あ、そうそう、価格ですが⋮⋮﹂ む、そう言えば俺はコンドーム、もとい﹃鞘﹄を売り込んだのだ った。 ﹁この位でいかがでございましょう?﹂ そう言って相変わらず醜い芋虫のような指を両手を使って八本立 てた。8000Zか。兄貴の想定よりは少し安いが、俺の想定した 金額よりはかなり高い。だが、つい前世で営業をしていた頃の血が 騒いでしまった。 ﹁むぅ、いくら小さな商品とは言え、8000Zとは⋮⋮あれは製 造に相当手間がかかるものなのですよ。それを考えると10000 Zは欲しいです﹂ 俺がそう言うと、ジャバは畏まったような表情で言ってきた。 ﹁確かに、確かにグリード様の仰ることはいちいちご尤もです。申 し訳ありません。10000Zにて購入いたしましよう。ですが、 非常に素晴らしい品とは言え、やはりあれは10000Zが限界だ 943 と存じます。 しょうてん 私もこのようなしがない小店とは言えど、真っ当に、そして正直 に経営している以上、従業員に給料も払わねばなりませんし、お上 に税もきっちり納めねばなりません。 勿論あの製品の価格分のサービス料の上乗せは考えておりますが、 おいで頂いているお得意様も皆様がグリード様のような貴族様方の ように非常に裕福、というわけではございません。 私めが勝手に想像するに、いずれは当店以外にも広められるので しょう? であれば、あまりに高価だと他店では買い取れないでし ょう。あの商品は当店で独占したいのは山々ではございますが、お そらくそう言った類の物を目指しているのではありますまい﹂ む、流石に経営者か。俺はジャバの容姿とその生業から、欲望に 忠実で意地汚く、卑小な性格だと決めつけていた。だが、今の言は それらを覆すだけの説得力がある。俺の贔屓目かもしれないが、そ れなりに経営は真面目にしているようだし、コンドームの普及につ いてにも考慮が及んでいるようだ。ちょっと突っついて確かめてみ たくなってきた。 ﹁では、どういったものを目指しているとお考えになられましたか ?﹂ ジャバは俺の発言に少し目を見張ったが、すぐに答えてきた。 ﹁これは異なことを仰いますな。知れたこと。目的は大きく二つで ございましょう。 一つは言わずと知れた品質改良による高級路線。もちろんこれに は様々な意味が含まれます。豚の腸と比較しての見た目や装着感、 行為中の触感も大事ですが、何よりあの高級品であるはずのゴムを 使って行為に及んでいるという贅沢感の演出は非常に大きな点でご 944 ざいましょう。 もう一つは、実際に使ってみて確信いたしましたが、当店の従業 員とお客様である殿方の間で広がる病気の蔓延を防ぐこと、ではご ざいませんかな? あの製品は流石に原料が違うからでしょう、豚 の腸と違い、非常に薄いながらも感触や温度を伝える性能はそれを 軽く上回り、そして、比較にならないほど丈夫です。この丈夫さが 本来のこの製品の特徴ではないかと愚考致します。豚の腸は少し激 しくしただけでダメになってしまいますからな。それに加えて私の 考えを述べさせていただきますと製品に必要なゴムの量自体が少な いことも大きいかと存じます﹂ ふむ、俺は耐久性自体は豚の腸の方が上かも知れないと思ってい たが、どうやら違うようだ。豚だってステータスや鑑定で︻豚︵家 畜用品種改良済み︶︼とか出てるから地球の豚と同一視していたが、 似て非なる可能性もあるしな。と、言うか、豚の腸なんてソーセー ジに使うくらいしか知らなかったわ。あとホルモン焼きか。 あ、そう考えると地球の豚の腸の耐久性もゴム以下だな。生のソ ーセージを齧るくらいの強さではコンドーム、というかあの薄いゴ ムですら破れない。だが、今までのジャバ・ザ・ガマガエルの言に はいろいろな意味が示唆されている。 第一に俺の目的、と言うより、コンドームの性格をほぼ完全に言 い当てていること。これだけで観察力の高さが推し量れる。そして 第二。使ってみて、豚の腸よりいいと言えるのは当たり前だが、そ こから単なる使い心地の向上だけでなく、耐久性の向上による病気 の蔓延防止に考えが至る思考力についても相当のレベルを有してい ると言えるだろう。顧客からも意見を聞いたのだろうが、自分の経 験も元に、漫然とした感想に終始することなくすぐに整理して言葉 に出来るという事もポイントが高い。 945 流石に兄貴が薦める店の経営者であると言う事か。兄貴関係ねぇ けど。 そして一番大きなポイントは独占しようとしないことだ。独占自 体は悪いことではないが、生活密着の度合い、つまり必需品として の需要の大きさと供給力やマクロ的な経済の中で決定されるべき価 格によって利益は一時的もしくは限定的なものになってしまうこと はままある。 特にこういった産業の場合、商品とされる従業員の質が大切なこ とは勿論だが、総合的なサービスやそれを提供する価格については 大きく道を外すことは難しい。コンドームはあくまでサービスに付 随するものであってこれを目当てに来る客はいまい。いたとしても 最初だけだろう。ゴムの使用量が少ないことからやろうと思えばそ れなりの数が作れるであろうことにも言及しているしな⋮⋮こいつ ⋮⋮出来る。 正直なところ舐めていた。少しだけ手持ちを売って、兄貴に適当 に手紙を書いてお茶を濁してしまえばいいやと思っていたが、こい つ相手にはきちんと接したほうが結果的に得する気がする。こんな 商売でも流石に鶏口と言うべきだな。他の店の主人はどういう感じ なのだろう? みんなこいつ並に考えられるのだろうか? 話に聞いただけだがこの﹃リットン﹄はこいつが一代でここまで にしたらしい。と、するとこいつが特別なのかも知れない。もう少 し話を聞いてみるか。 946 ﹁流石はハリタイド様です。御目が高い。そこまでご理解頂いてい るとはこのグリード、感服いたしました。仰る通り﹃リットン﹄に 独占で卸すつもりはございませんでした。そして、本来の目的まで 見抜かれる眼力、敬服いたします。これは私の予想に過ぎないので おお すが、ハリタイド様は﹃リットン﹄をこのままにするおつもりでは ございませんね?﹂ だな カマをかけてみた。想像通りなら拡大、それも単純に今の店を大 店にするということではないはずだ。二号店、三号店やことによっ たらチェーン展開まで⋮⋮まさかな⋮⋮そこまではないか。いくら なんでもオースの文化レベルでは中途半端だとしてもチェーンまで 考えついていたら転生者を疑うレベルで異常過ぎる。 オースでは16世紀くらいまでの地球と同じように商店や職人な どに弟子や丁稚働きなどをした従業員が独立する際には全く別の店 として扱われる。当然出身店とある程度の繋がりはあるのが普通だ が、地球で一般に言う﹃系列﹄などにはならない。同じ屋号を使う 暖簾分けなどのある意味でのボランタリー・チェーン制度が早くか ら社会的に成立していた日本が異常だっただけだ。 その日本にしても本格的なボランタリー・チェーンが確立された のは20世紀に入ってからだし、フランチャイズ・チェーンなんて カーネルおじさんの鶏唐屋が出来るまで影も形もなかったのだ。普 通は独立した者は己の才覚のみを頼りに独り立ちするのだ。 ﹁む⋮⋮グリード様には隠し事は出来ないようですな。まだ誰にも 話していない私の頭の中まで見通されている気分になります。まさ にご明察です。幸いにも私は平民ですから、国内の移動に障害はご ざいません。近隣の⋮⋮そうですな、ペンライド子爵領にでも同じ ﹃リットン﹄を誰かに任せて一から作りたいのです﹂ 947 むぅ、やはりな。流石に本格的なボランタリーやフランチャイズ ではなさそうだ。しかし、二号店以降についての発想があったのか。 だが、やはりこいつが異常なのか。イボガエルは続けて、 ﹁私は﹃リットン﹄と名のつく店に行けば極上のサービスを受けら れる、ということを世の常識にしたいのですよ。そのためにはこの ﹃リットン﹄にだけあの商品を卸されても私にとって都合が悪いの です﹂ と言って締めた。こいつとはことによったら長い付き合いになり そうだ。風俗店だけやらせるには惜しい人材だろう。 ﹁なるほど﹃リットン二号店﹄﹃三号店﹄ということですか⋮⋮。 確かに素晴らしいお考えです﹂ 現実の地球同様、オースにはまだ銀行などという組織は存在しな い。地球でも銀行が出来たのは15世紀くらいのはずだ。シンジケ ートはもっと古くからあったがあくまで原型であり、主体は都市国 家政府だったはずだ。オースにシンジケートがあるかどうかまでは 知らないが、ウェブドス商会の様なロンベルト王国中に取引先を持 っている大店でも二号店や支店など聞いたこともない。貨幣は神社 が流通状況を見て作っており、各国で貨幣価値は共通らしいから両 替商もないしな。 ﹁!! 二号店⋮⋮いい響きです。グリード様はものの表現が巧み ですな。いや、流石はゴム生産のバークッドご出身でいらっしゃる だけあって非常に高い教養をお持ちのようだ﹂ あれ? そう言えば俺、出身地のこと喋ったっけ? 少しきょと 948 んとした俺の表情を読み取ったのだろう、ウシガエルが言う。 ﹁ああ、ゴムといえばバークッド産でしょう。そしてそこのご領主 はグリード士爵家。ウェブドス侯爵の家紋プレートもお持ちなら簡 単に予想できますよ﹂ それもそうか。最初に来た時にセバスチャンにステータスも見せ たから俺がグリード士爵家の次男だと言うことも判ってるはずだっ た。 ﹁では、価格ですが、単価を10000Zにて卸すよう当家に伝え ましょう。最初の納品は7月以降になり、以降だいたい3ヶ月毎に バークッドの隊商がキールに来ます。一回の納品の数量はどの程度 必要でしょうか?﹂ ﹁そうですな、3ヶ月毎となりますと⋮⋮うーん、少しお待ちくだ さい﹂ そう言うとカエルヒトモドキは芋虫のような指を折って計算を始 めた。待ってられるか。 ﹁一日にだいたいどの程度の数のお客様がいらっしゃいますか?﹂ ﹁え? あ、あぁ、だいたい30人強というところですな⋮⋮﹂ ﹁だいたい6000個弱というところでしょうね。ですから600 パックで宜しいでしょう。多過ぎた時には次回の発注量を少し控え 目にすれば済みますが、少ない時は暫く我慢していただくことにな ってしまいますが﹂ 949 でかい口をぽかんと開けるなよ醜いな。ぽかんと開けた口をまた 開いて言う。 ﹁流石はグリード様、計算が早いですな。ですが、どういう理由で その数が?﹂ ﹁一日30人が3ヶ月、つまり90日と考えます。これで3ヶ月間 の来店者数は延べで2700人と計算できます。但し一日の来店者 数は30人﹃強﹄と言うことと一人が何ラウンドかすることもある ことを考慮すれば倍ちょいくらいでいいかな? と思いました﹂ ﹁ふむ、確かに仰る通りです。ご予想頂いたお考えは正しいと存じ ます。特に例の商品を使えば屠殺場の休場を考慮しなくて済みます から、全日営業可能になりますからな﹂ 俺はにこにこと頷いてやった。そのくらい考えたさ。ヒキガエル は続けて ﹁では、10000Zで600パック分、6000万Zですな﹂ と自信満々に言った。は? こいつ、計算出来ねぇのか? あ、 俺はてっきり一パックだと思ってた。一つ10000Zってそりゃ いくらなんでも暴利だし、普及なんか夢じゃねぇか。兄貴は豚の腸 が一つ1000Zくらいだと言っていた。同じくらいの価格にしな いと普及しねぇよ。高くても一割高くらいだろ。 ﹁いえ、価格は一パックで10000Zですよ。ですから600万 Zですね。私共は豚の腸と同じくらいの価格で供給したいと考えて おりますので﹂ 950 ﹁!! 何と。そうでしたか。これは確認もせずに値切るようなこ とを申し上げて誠に申し訳ございませんでした! 当店の価格は値 上げせずに済みそうです。本当に申し訳ございません!!﹂ 机に頭をこすり付けそうな勢いで謝って来た。 あ、いや、これでも使用する原料の量から考えるとぼったくりも いいとこなのでやめてくれよ。元々俺は単品で500Zしない値段 でも儲けが大きいと考えていたんだ。正直言って生産に手間はほと んどかからないし、手間なのは包装だけなんだよ。それだってこの 程度の数、全員でやれば数時間だろうし。なんたって今では15人 くらい作業員がいるんだしな。一人頭40パック。コンドームを1 0個くるくる巻いてゴム袋にローションと一緒に入れて口を閉じる だけなんだからさ。一日もかからないくらいの稼働で金貨6枚なら 無茶苦茶美味しい商売なんだよ。 ﹁いえいえ、お気になさらず。私も確認せずに不服を申し上げたよ うな無礼な発言をしてしまったことをお許し下さい﹂ その後は三ヶ月毎の騎士団への納品の際に騎士団まで受け取りに 行って欲しいことなどを話し、いよいよお待ちかねの話に移ろうと した。 ﹁さて、グリード様、商談も無事に済みましたし、お近づきの印に 是非ご接待させていただきたいのですが、お時間はございますかな﹂ と来たもんだ。うっひょおぉぉぉぉ。 ﹁そんな、私のような若輩に⋮⋮お気遣い痛み入りますな︵にへら︶ ﹂ 951 ﹁では⋮⋮セバスチャン! 例の用意だ!﹂ おお、用意とな。予め用意していたと言うのかね! 流石、ビジ ネスの先を見通すハリタイドさんだ。感心するぜ。 すぐに現れたセバスチャンの後をついて行く。俺の後ろにハリタ イドさんもそのぶよぶよの体をお運びになられた。うんうん、オー ナー自ら接客に遺漏のないように申し渡すのか。そんな、そこまで 気を使ってもらうなんて⋮⋮悪いな。 あ、あれ? あれれ? そっちは出口のはずですよ? セバスチ ャン? あれ? 出てったよ。ハリタイドさんもにこにこしながら 不思議そうな所を見せない。ああ、これはきっと、一度出て、裏口 からでも入りなおすのかな? んなわきゃねぇよ。 俺は今⋮⋮﹃ダックルトン﹄の個室でハリタイドとセバスチャン と一緒に食事をしている。 つまり⋮⋮接待だよな。 952 第八話 顛末︵後書き︶ 長々とコンドームを引きずってすまんかった。あとはたまーにネタ に出るかも知れないくらいだから勘弁してよ。 953 第九話 糸 7442年4月21日 今日は依頼を受けてちょうど一週間だ。ギリギリまで引っ張った がもう限界だ。ズーライド金工に行かなくちゃ。ランニングしたあ とにシャワーを浴び、ゴムプロテクターのフル装備に銃剣まで担い でズーライド金工に向かった。まともな冒険者がまともに仕事受け るように思われたくて気を使ったのだ。 ズーライド金工に行き、例の割符のようなものを見せると依頼受 付の期限ギリギリではあったが特に嫌味や叱られたりすることもな く、依頼の品である剣を鞘ごと渡してくれた。届け先はキンドー士 爵らしい。そうか剣を新調したのか、と思って鑑定してみたが、特 にすごいものではなかった。価格も金貨1枚、100万Zだ。標準 的なロングソードだな。 俺は預けられた商品である剣を受け取ると、同時に渡された受領 書を懐に入れ、ズーライド金工を後にした。あとはこいつをドーリ しるし ットのキンドー士爵に届け、代金を受け取ってから受領書に受け取 りの印を貰って5月11日までに行政府に戻れば依頼達成だ。 さっさとビンス亭に戻り、荷物を降ろして装備を外すと身軽な格 好になり、ビンスイルの店を目指した。昨日はクローが休みで殆ど 一日中ビンスイルの店に入り浸っていたろうから邪魔者が顔を出す のも良くないと思って遠慮したのだ。うそ。ハリタイドに拉致され て﹃ダックルトン﹄に遅くまで軟禁されていたから行けなかっただ けだよ。 954 ビンスイルの店に行き、いつもの隅っこのテーブルについて朝食 セットを注文する。マリーとだべっていたが、まだ彼女は魔法に未 練があるようで、クローにもコツを教わって修行を続けているらし い。 俺がとやかく言うことじゃないので放っておく事にした。まだ2 ∼3日だしな。目の前に実際に魔法が使えるようになったクローを 見せつけられちゃそうそう諦められるもんでもないだろう。また少 しコツを教えたり、実演してみせたりしたが、昼の忙しい時間が近 づいて来たので退散した。 もうね﹃リットン﹄で遊ぶのは諦めたよ。なんかあそこまで深入 りしたら遊べねーわ。俺の好みのタイプとかオーナーであるガマガ エルに筒抜けになりそうだし。それに俺がまだ多少の﹃鞘﹄の在庫 を持っていることを知られたら食いついてきそうな勢いだしな。昨 晩もしつこいくらいにあと三ヶ月も待たなくてはいけないのか、と か上得意に顔向けしづらいとかさんざん言われたんだ。 あ、そうそう、﹃リットン﹄だけど、一回のプレイ料金は銀貨三 枚。30000Zだった。思っていたよりずっと高い。何せクロー の給料が週で40000Zだ。こっから半分近くは人頭税に取られ ることを勘案するとクローは二週間くらい最低な生活をしたら一回 行けるくらいだ。食品以外の購入できる生活用品やら必需品から判 断すると額面通り3万円くらいになるが、平均的な農村の可処分所 得から逆算すると前世日本だと十数万円くらいの感覚だ。都市部だ と多少変わるがそれでも10万円近いイメージだ。無茶苦茶高級店 だったわ。気軽に行けるような店じゃねぇ。 あれで﹃鞘﹄一個8000Zとか10000Zとか乗っけられた 955 らそれこそ客が減るんじゃねぇの? 計算すると一日30人くらい 客は来るらしいから売上は90万Z、一月だと2700万Z、年間 で3億2千万Zくらいの売上になる。従業員の娼婦はどうせ奴隷階 級が殆どだろうから売上の殆どはハリタイドの懐だろう。金貨32 0枚の売り上げから一割税や各種経費を差し引いて三分の二だとし ても金貨210枚。毎月今の俺の全財産近くを稼いでいる勘定だ。 ふとクローの固有技能を思い出す。誘惑か。貴重だなぁ。あいつ、 よく我慢できるなぁ。14歳なんて獣と一緒だろうに。精神年齢と 肉体年齢は違うから溜まるとさ、その、辛いんですよ、いろいろと。 いくらMPが超人並みにあっても欲求を適切に制御出来るだけで無 くなるわけじゃないからね。短絡的に欲求を叶えようとしないだけ で制御するにも限界だってあるしな。 極端な話、目の前にご馳走があってもそれを見たまま餓死するこ とは難しい。が、多分俺ならMPのおかげで普通の人より長く耐え られる。同様に眠らないで耐え続けることも出来るだろう。だが、 いつかは体の衰弱とともにMPも尽き、誰かが止めたとしても貪り 食ったり、眠り込んだりするだろう。意志の力で抑え込むにしても 限界はある。それに、耐えられる、というだけで欲求がなくなるわ けじゃない。痩せ我慢が出来るというだけだ。 真面目な話、睡眠欲と食欲についてはMPが0になった時の状態 は知っているし、経験もある。死ぬ気で堪えなきゃ抗いがたい程の 強い欲求になる。その二つが満足されていて、且つ溜まった状態の 時にMPが0になったらどうなるんだろう? 想像するだけで恐ろ しい。だからあの、マリーの言う修行法も理にかなってはいる。 つらつらとこんなアホなことを考えながら﹃リットン﹄以外の店 に行こうと中央通りから一本だけ外れた道を目指してぶらぶらと歩 956 いていた。そういや少し早いけど昼飯にしてもいい時間だろう。適 当に腹ごしらえしてから行くとしますか。 そう思って﹃リットン﹄以外の高級店をと、ビンス亭の丁稚に教 えて貰った﹃ピンク・モンスーン﹄に行くと、ガマガエルがいた。 何でやねん。当然ながら見つかってしまい、鞘について﹃ピンク・ モンスーン﹄のオーナーに話をさせられた。ハリタイドと違いごく 普通の容姿のオーナーは﹁うちにも卸してくれ﹂と言って来た。 仕方ないので少しだけなら、と言うことで﹃リットン﹄と同価格 で卸すことになってしまった。但し、こちらの店には3ヶ月で40 0パックだけだ。﹃リットン﹄と併せて合計1000パック。ゴム の使用量はサンダル30足分くらいだろうから問題はあるまい。サ ンダルだと30足で120万Zにしかならないが、鞘なら1000 万Zだからいいだろ。 話してみたところ﹃ピンク・モンスーン﹄のオーナーは話のわか るタイプな感じがする。VIP待遇が期待できるかと思ったが﹁グ リード様に店の従業員を充てるなんてとんでもない﹂とか言ってま た﹃ダックルトン﹄で接待を受けた。もういいよ。キールだと業界 に顔が売れてきちゃって遊ぶことも無理そうだ。 ・・・・・・・・・ 7442年4月25日 957 一昨日キールを出発した俺は無事にキンドー士爵へ剣を届けるこ とができた。また、バークッドに毎月定期的に隊商を出しているサ つなぎ グレット商会に行き、兄への手紙を託けた。勿論、内容は鞘の納品 についての件だ。ついでに、例の連絡員の所在を尋ねてみた。以前、 ここの隊商の護衛でバークッドに来たこともあるからな。 あれから隊商の護衛でバークッドに来たところを見かけていなか ったから予想はしていたが、サグレット商会では今はあいつを雇っ てはいないようだ。仕方ない。心当たりを聞くと一軒の酒場を教え てくれた。このドーリットで三軒あるうちの一番安い酒場だそうだ。 俺は早速その酒場に向かおうとしたが、馬が邪魔なことに気づい た。やっべ、どうしよう。キールのビンス亭のように馬も預かって 面倒を見てくれる宿を探したほうがいいな。恥ずかしかったがもう 一度サグレット商会に戻り、宿を紹介してもらった。どうもいつも バークッドの隊商が利用しているところらしい。ならば安心だろう。 宿に入り、馬の世話と部屋を取ると、現金などの貴重品などはま とめてゴム引きのバックパックごとフロントに預け、早速言われた 酒場に出かけた。バークッドの関係者だと分かる様にゴムプロテク ターは装着したままだ。隊商を護衛する従士達も寝るとき以外はつ けっぱなしだったらしいから別にいいだろう。 言われた酒場はすぐに見つかった。ドーリットはキールほど大き くないし、都市という程に道もごみごみと入り組んでいないしな。 多少混み合って大きくしたバークッド村みたいなもんだし。迷いた くても迷えない。だいたい、バークッド同様に二階建て以上の建物 なんか領主であるキンドー士爵の屋敷のほかはサグレット商会くら いしかないのだ。当然ほとんどの建物は木造だよ。 958 酒場に着くと、すぐにあの男を見つけることが出来たので、ホッ つ とした。特徴のある間の抜けたアホ面は離れていても簡単に判別が なぎ できるから便利だよな。俺が入ってきたのに気づいたのだろう。連 絡員は俺のテーブルまでやってくると親しげに話しかけてきた。 ﹁これは、グリード様のところのぼっちゃん。お久しぶりです。ヘ ンデルです。覚えていらっしゃいますか?﹂ ﹁ああ、久しぶり、ヘンデル。当然覚えているさ。その後足はどう だ? 痛んだりしていないか?﹂ 俺も出来るだけフレンドリーに返事を返す。 ﹁勿論でさぁ、おかげさまで、これ、この通り。すっかり良くなっ て大助かりでさぁ﹂ ﹁そりゃ良かった。俺も治した甲斐があるってものだ。⋮⋮どうだ ? 少し一緒に飲まないか? あまり持ち合わせもないが、この店 なら奢ってやれるくらいはあるぞ﹂ ﹁ええっ? いいんですかい? じゃあ、お言葉に甘えさしていた だきやす﹂ 奢ると言ったら目の色が変わった。 その後は暫くどうでもいい話をしていたが、いい頃合になってき た。ドーリットはキールみたいに都会ではないから店仕舞いも早そ うだと思っていたが、灯りの魔道具に光が点った。バークッド程田 舎ではないし、酒場はある程度遅くまで営業するのだろう。 959 ﹁そう言えば、ヘンデル。いつだったか家で働いていたメイドがゴ ブリンに襲われて死んだ時にさ、結構気にしてたな。お前、ひょっ としてあのメイドに気があったのか?﹂ 酒も回ってきていい頃合だ。俺は屋外に小便を装って出たときに 魔法で解毒しているから全然酔っていない。 ﹁ええっ? いやぁ、流石はぼっちゃん。しっかりと見ていなさい ますねぇ、ですが、あれはそういうんじゃないんでやすよ。ちょい と仕事の関係でしてね﹂ ﹁え? 仕事?﹂ つなぎ 不思議そうに聞いてみる。すると連絡員はちょっとしまった、と いう顔をしたが、すぐに取り繕ってきた。 ﹁いやあ、以前の大工仕事の時にね、あのメイドさんには世話にな ったんでやすよ﹂ ﹁へぇ﹂ ﹁まぁ大したことじゃないですがね、それで気になりやして⋮⋮﹂ 挙動不審になってきた。目はあちこちを彷徨い、落ち着きがない。 ﹁おいおい、どうしたんだ? 落ち着けよ。まぁ飲めよ﹂ そう言って麦焼酎を勧める。 ﹁へぇ、こりゃすいやせん。いやぁ、隠せないもんですな。実はぼ 960 っちゃんの仰る通り、ちょいとあのメイドさんにホの字でやしてね ⋮⋮照れちまいやす。ゴブリンにやられちまって残念ですよ﹂ ⋮⋮ふーん、そうきたか。 ﹁そうだったのか、そりゃ全く残念だったな。まぁ飲めよ﹂ ﹁へぇ⋮⋮﹂ ちょっと攻め方を変えてみようか。これでダメなら今晩にでも締 め上げて全部吐かせてから始末するしかないな。 ﹁話はちょっと変わるが、俺もさ、次男は冒険者でもやれって家を 追い出されてからついてないんだよ。今回はうまく配達の依頼があ ったから良かったけどさ。どっかにうまく儲けられるような話はな いもんかな?﹂ ガンガン酒を注いでやる。 ﹁そんなぁ、そんな美味い話がありゃとっくにあっしも⋮⋮ああ、 冒険者やってなさるんですかい。キールで?﹂ ﹁ああ、そうだ﹂ ﹁キールかぁ⋮⋮ぼっちゃんには世話になりやしたしねぇ⋮⋮どう し⋮⋮うーん﹂ ﹁何だよ、ちゃんと喋れよ、飲みが足りねぇんじゃねぇのか? ほ れ﹂ 961 俺はこの店で一番高い豚の串焼きをヘンデルの前に押しやるとま た酒を注いだ。 ﹁ああ、すいやせん。⋮⋮旨ぇや。ぼっちゃんは普段キールにいな さるんで?﹂ ﹁ああ、そうだよ。こっちには滅多に来ないなぁ﹂ そう言って俺もぐびっと飲んだ。 ﹁うーん⋮⋮じゃあ俺と当たることもねぇかぁ⋮⋮﹂ ﹁あ? 何がだよ?﹂ 俺はテーブルに肘をついてやっと酒が回ってきたかのように言葉 を乱し始める。 ﹁いえね、あっしも実はキールにいる旦那に世話になってたんです よ。ドーリットより西の見回りなんですけどね、って、まぁそれは いいんでやすが、さんざん世話になったぼっちゃんに少し恩返しが してぇと思いやしてね﹂ ﹁周りくでぇな。何だよ。いい話でもまわしてくれんのかよ?﹂ これは、べグルのことだろうか? 俺の頭の芯が冷える。 ﹁そうっすね。キールに﹃ロベリック﹄という、まぁ普通の宿があ りやしてね。そこを根城にしているベグルって旦那に俺から聞いた と言えば、多分仕事をくれやす﹂ 962 ﹁へぇ、べグルね。なんだか名前を聞いたことがあるな﹂ ﹁ああ、有名人のベグルって旦那もいやすからね。キールのゴロツ キどもを締めてるって話でやすよ。あっしが言っているベグルの旦 那はそのゴロツキの元締めみたいなベグルの旦那の知恵袋みたいな もんでさ。本名はあっしも知りやせんし、数える程しか会ったこと はないんでやすがね。まぁ2∼3回会っただけのあっしが言うのも なんですが、思うに、ご自分の正体を明かさないために有名なべグ ルってのを名乗ってらっしゃるんだと思いやすよ﹂ いい感じに酒も回って来たし、豚串もたっぷり脂が乗っていて口 の滑りも良くなったと見える。 ﹁そっか、ヘンデルはその旦那さんとはわざわざキールまで行って 会ったのか?﹂ ﹁いえいえ、ここ、ドーリットでやんすよ。それも紹介がありやし て、向こうからわざわざ来てくれやしたんですよ。ぼっちゃんは覚 えてらっしゃいますかねぇ⋮⋮昔ドーリットにバルクっておっさん がいやしてね。そのバルクのおっさんが俺のことをべグルの旦那に 自分の後継者だって伝えてくれてたんでやすよ﹂ !! バルクってのは昔俺が殺した冒険者だ。隊商の護衛でバー クッドに来て、ミュンに接触してきた奴がバルクって名前だった。 俺の初体験の相手だしな。流石に名前は忘れないよ。それにべグル との繋がりも確認できた。あとはこの糸をたぐり寄せるだけだ。 ﹁へぇ、そうか。﹃ロベリック﹄って宿に行ってベグルの旦那と会 いたいって言えばいいのか?﹂ 963 ﹁いや、旦那は用心深いお方ですんで、目印を渡すんでさ。﹃ロベ リック﹄の受付の親父に﹁ロンベルトからだ﹂と言って赤い布を渡 すんでさ。すると親父がべグルの旦那に声をかけてくれやす。で、 話が出来るって寸法でさぁ﹂ ﹁なるほど、赤い布は何でもいいのか? 大きさとか、色合いとか、 いろいろあるだろう?﹂ ﹁ああ、大抵のものなら大丈夫みたいですぜ﹂ そっか、なら大丈夫だろう。その後俺は閉店までヘンデルに奢っ てやった。安い店だけあって会計は6000Zもしなかった。沢山 飲み食いしてこの金額かよ。 や 会話中も散々悩んだが、殺すのは止めておいた。どうせべグルを 殺っちまえばこいつにデーバス王国のサグアル家と連絡する伝手は 残っていないだろうし、自分で伝手を作ってまで報告するようなこ ともしないだろうと思ったからだ。甘いと言ってくれていいよ。 ・・・・・・・・・ 7442年4月28日 ドーリットで更に一泊し、ゆっくりとキールまで戻ってきた。時 刻は既に夕方近くになっている。取り敢えずビンス亭に行くか。一 泊5000Zは痛いが、高級な宿だけあって居心地はいいし、馬の 964 世話も頼める。何より部屋に置いてある荷物の心配を全くしなくて いいことは贅沢なことだ。 部屋を取り、馬の世話を頼んだあと、プロテクターを外してから バックパックの底に突っ込んであったボロい服に着替え、念のため 剣だけは腰に下げて早速﹃ロベリック﹄へと向かった。いい加減革 紐を巻いてあるだけだとまずいよな。鞘くらい買ってもいいかな? 明日時間があれば鞘を買おう、と心に決め﹃ロベリック﹄へと向 かう。 夕暮れ間近で細長い影を引き摺りながら、今日一日馬に揺られ、 疲れた体を引き摺って歩く。﹃ロベリック﹄に着いた頃、遂に日が 沈み始めた。まぁ今日はべグルBに会えればそれでいいや。一応確 認だけはしておいて後で一人になったところで有無を言わさず魔法 でぶっ殺せば後顧の憂いは消え去る。仮に﹃ロベリック﹄に居なけ ればそれはそれでまた明日以降来ればいい。 赤い布も安物だがハンカチのような手拭のようなものを購入して ある。 ﹃ロベリック﹄の戸を開け、受付の親父に﹁ロンベルトからだ﹂ と言って布を差し出した。親父はちらっと布を見ると念のためか周 りを確認してから口を開いた。 ﹁今日はいねぇよ。大仕事で出かけてる。今日帰ってくるかは解ら ん。どうしても急ぎならこいつを持って﹃ビンスイル﹄って飯屋に 行きな。旦那はそこにいるはずだ﹂ 何を言ってるんだ? ビンスイルだって? 黒いコインを受け取 りながら不思議そうな顔をしている俺に気がついたのだろう。親父 965 は続けて言った。 ﹁大仕事の舞台が﹃ビンスイル﹄って店なんだよ﹂ !! どういうことだ。急いで﹃ビンスイルの店﹄に行きたいが、 少しでも情報が欲しい。俺は逸る心を無理やり捩じ伏せながら訊く。 ﹁へぇ、大仕事って何だ? 押し込みでもするのか?﹂ つなぎ ﹁⋮⋮赤い布に合言葉を言ってるから、あんたもデーバスの連絡員 なんだろ? どこの隊だ?﹂ まずい。ええい、ままよ。 ﹁⋮⋮サグアルだ﹂ ﹁サグアル、か。その名は久しぶりに聞いたな。べグルには隠れ蓑 がいてな、そいつも名前が、ああ、姓じゃないほうの名前だが、べ グルって言うんだ。こいつは冒険者崩れの乱暴な奴なんだが、腕っ 節が強いのと多少おつむも切れるから隠れ蓑に連んでるんだ。名前 も一緒だから隠れ蓑にはぴったりだろう? で、その隠れ蓑の方は 多少おつむが切れるといっても、所詮は冒険者崩れだからな、たま にガス抜きしてやらねぇとおつむが茹だっちまうのよ﹂ ﹃ロベリック﹄の親父はつまらなそうに言った。 ﹁それで、そのガス抜きが大仕事ってことか?﹂ ﹁あぁ、ガス抜き自体は大仕事でも何でもねぇ。詳しくは知らねぇ けど今回は﹃ビンスイル﹄って飯屋の娘を攫うことが目的だとよ。 966 あんたと同じように黒髪でよ、高く売れそうではあるけどな。あそ この店で騒ぎを起こして借金漬けにして奴隷にするんだとよ。日が 沈んで暫くしたらやるらしいぜ。だから今日は帰って来ないかも知 れん。急ぎの連絡あれば行ってみたほうがいいかもな。﹃ビンスイ ル﹄は川沿い東通りの南の方にあるから行けばわかると思うぞ﹂ なんだって? マリーを奴隷にして売っ払うってことか? 時間 を無駄にしてる場合じゃねぇ。 ﹁へぇ、そうか。じゃあ、ちょっくら行ってみるよ。このコインを 見せればいいんだな?﹂ ﹁そうだ、じゃあな﹂ 俺は﹃ロベリック﹄を出た。日は半分以上沈んでいる。周りを見 回し全速力で駆け出す。まだ少し時間の余裕はあるだろうが、ビン ス亭に戻ってプロテクターを付けたり騎士団に駆け込むほどの余裕 は無い。 マリーやクローに手助けする義理など⋮⋮まして恩なんか無いが ⋮⋮クソッ! 967 第九話 糸︵後書き︶ ロベリックの親父は﹁借金漬けにして奴隷にする﹂と言っています が、これは実は正確な表現ではありません。 自由民以上の階級の人間︵亜人もですが︶が奴隷階級に落ちるには 幾つか条件があります。全て最終的には神社で命名の儀式が必要で す。 1.何らかの理由で本人が望み、神社で命名される 2.借用書のカタに売られる︵本人の納得は必要ありません︶ 3.年季奉公に出る︵その期間は奴隷同等になります。命名の儀式 はちょっと特殊なものになります。2に近いです︶ 4.奴隷階級と結婚し、自分がその奴隷家の当主にならない︵ほぼ 1と同条件です︶ 5.何らかの犯罪を犯し、その罪として奴隷階級になる︵2に近い です︶ 6.戦争や紛争等で捕虜、または戦利品として連れ去られる 968 第十話 ミュンの解放 7442年4月28日 頭は状況を整理しろと言ってくるが、考えをまとめる暇も惜しい。 俺は﹃ロベリック﹄を出てから周囲に俺を観察している人影が無い ことだけを確認すると夕暮れ近いキールの街を全速力で駆け抜けて 行った。 無我夢中で走りながら、一刻も早くビンスイルの店に着くように と、最短距離を選び道端の邪魔な物を蹴散らし、早く走ることだけ に専念する。時間はギリギリだろう。もうすぐ日が沈む。 間に合え! ・・・・・・・・・ 太陽が沈み切る前にビンスイルの店を視界に捉えることに成功し た。川向こうになるが、途中にキールに二つしかない橋のうちの一 つがあるから問題はない。良かった⋮⋮。まだことが起こされる前 のようだ。店までは橋を入れてもあと300m程だ。荒事に備えて 呼吸を整えておいたほうがいい。 俺は走るのをやめて歩き出した。同時に店を視界に入れつつ店の 969 周りを観察し始めた。今のところ特に怪しいところは見つからない。 店を覗っているゴロツキのような集団もいなければ、店で大きな騒 ぎが起きている様子もない。 いつもの光景だ。 仕事帰りの住民や、浮浪者もかくやというような不潔なガキや老 人達がまばらに道を歩いているくらいだ。路地の奥までは視線が届 かないのでそこに居られたらこの位置では見付けようがないが、歩 きとは言え近づいて行っているのだから急に路地から出てきても何 らかの対処は可能だろう。 少しだけ余裕を見つけられ、頭が冷えてきたのか更に周囲を良く 観察できたようだ。なんとなくだが、店に違和感がある。冷静に分 析しても思い当たる節はないが、確かにいつもと違う気がする。な んだ? 一体なにがおかしいんだ? 橋を渡っている間も店の周囲の観察を続けたが、違和感は拭えな かった。店の周囲に怪しい人影はない。近くで店を覗っている奴も 見つからない。新たに路地から出てきた奴も店の前を何事もなく通 り過ぎていく。店の外にテーブルも出ているし、そこに客はいない ようだが、店の前を通る人も店には何の注意も払っていない。つま り店の中には現在異常はない⋮⋮はずだ。 思わずまた駆け出しそうになりかけたが、周囲に違和感を持たれ ない程度の早足で済ますと、俺は店に近づいていった。あと50m くらいだ。一度立ち止まって店の周囲を再度観察する。⋮⋮うん、 何となく違和感は残っているが特に問題は感じられない。店で騒ぎ が起きている様子もない。ついに日が沈んだようだ。今まで茜色だ った空が急速に暗くなっていった。 970 べグルが店を襲うと言うのは幾ら何でも短絡思考だったか。だよ な、街中の営業中の店に襲撃をかけるなんて、証拠バリバリ残すだ ろう。とすると、襲撃をかけたとしてもべグル自身は参加しないの かな? 手下にやらせて自分は作戦を立てるだけ、手下が回収して きた果実を美味しくいただくというところか? まてまて、また短絡思考になってる。 襲撃しても証拠を残さないようにする方法があるはずだ。流石に 計画だけ立てて、実行のみを部下に任せるというのは無理がありす ぎる。想定外の事態への対応が出来なくなるしな。または多少の想 定外に備えてそれなりに頭の回るやつを現場指揮官みたいに任命し ており、ある程度の裁量を任せているのかも知れない。 足早に店に向かいながら多少なりとも頭を整理してみるが、上手 く回っていない。だが、店ではなんの騒ぎもなく、店を覗っている 奴らが居ないということはまだ決行前なんだろう。決行中なら怒鳴 り声や暴れる音が漏れるだろうし、道行く人の注目も集めるだろう しな。道行く人の注目も集め⋮⋮? ああ、そうか、羨ましそうに 店を覗き込んでいる低所得者共がいないのか。そういやいっつも居 たっけな。なんで今日はいないんだ? 暗くなり始めたキールの街で、愕然とした。そうだ! いつも居 るはずの奴らがいない。直接店に入っているわけじゃなかったし、 障害物程度にしか思っていなかったから気づくのが遅れたんだ。店 から明かりは漏れているようだから中に人はいるはずだが⋮⋮。場 合によっては一度通り過ぎて様子を窺ってみた方がいいかも知れん。 店の手前で歩くスピードを少し緩めると何となく、という感じを 971 装って店に視線を合わせて店の前を通る。想像通り店の中には人が いた。喋り声も聞こえる。厨房にマリーとその両親、それから厨房 への入口となるカウンターの隙間にクローが立っているのが見える。 店には他に10人ちょっとの客がいて全員が席についている。 クローが変なところに立っているのを別にすれば一見しただけだ と特におかしいところはないが、いつも開きっぱなしの扉の前にボ ロい立て看板があり、汚い字で﹁本日貸切﹂と書かれていた。 クローを始めマリーとその両親は引きつった表情をしており、店 の客たちに怯えているような感じだ。彼らは店の客に注目している ので俺が通りかかった事には気付かなかったようだ。 店の客たちはお互いに喋っていた奴らもいるようだが、基本的に はクローを始め、ビンスイルの家族に注目している。喋っている内 容は様々だが﹁おね∼えちゃ∼ん、早く持ってきてよ∼ん。俺、待 ちきれないよ∼﹂とか言っている声もする。 客の中で一人だけ外に視線を向けている奴がいて俺の顔を見る。 その客とはわざと視線を合わせず、看板に注目して通り過ぎるか のように振舞う。店の前を通り過ぎるだけではそこまでしか把握で きなかった。事は既に起こされていた、と考えるべきだろう。 俺は外に視線を送っていた奴を知っている。魔法使いの方のべグ ルだ。確か名前はザックワイズだったはずだ。直接接触はしていな いから向こうは俺のことなど知らないだろう。だが、あの顔は先日 しっかりと心に刻みつけたものだ。奴の顔や体に注視するわけにい かなかったから鑑定はしていないが、間違いはない。 972 店を通り過ぎた俺は落ち着きを取り戻し、頭を高速で回転させる。 これはどういう状況だろう? 見た感じだと今すぐにどうこうなる ような感じではないようだし、少しくらい考える時間もあるだろう。 ﹃ロベリック﹄の親父は﹁マリーを攫って売ることが目的﹂と言っ ていた。 営利誘拐だろうか? いや、ビンスイルが小金を溜め込んでいた としてもせいぜいが数百万Zというところだろう。奴隷を売るって のはそんなに大金を稼げるのだろうか? 俺は農奴ならせいぜい金 貨3∼5枚くらい、戦闘奴隷で5∼7枚くらいと聞いている。確か に大金ではあるだろうし、20人くらいが数ヶ月食うには困らない 金額だ。これと併せて店の溜め込んだ金を奪えるなら半年位は充分 に遊んで暮らせるだろう。 こう考えると確かに﹁大仕事﹂だろう。確かに今まで聞いた話だ とベグルのグループは多種多様な悪さをしている。街中で間抜けそ うなやつを路地裏に引き込んでのカツアゲなんか可愛い方で、街の 外で小規模な隊商の襲撃までやったことがあるそうだから、見てく れのいい女を攫って売り払うくらい朝飯前だろう。だが、ステータ スは誤魔化せないからそんな話はとんと聞かない。 無理やり攫うことはできるだろうが、その足でキールの神社に行 っても本人が納得していなければ命名の儀式は行われないはずだ。 神社の神官たちはたとえ自分が殺されようと命名の儀式を濫りに執 り行うことはしない。そう思った瞬間に命名の特殊技能を神によっ て奪われるか封印されるかしてしまうらしい。正規の手続きがない 限り命名の儀式が無理やり行われることはないのだ。 だとするとべグル達はどうやってマリーを金に変えるのだろう? 無理やりどこかに売りつけることも出来なくはないだろうが、正 973 規の奴隷売買でない以上、相手も相応のリスクを負うはずだから売 り先は限られるだろうしなぁ。証拠も残すだろうしな。 しかし、あの状況でマリーを攫うのは至難の業だろう。クローあ たりに騒がれでもしたらおじゃんだしな。だとするとクローも含め てマリー以外の全員をあの場で始末するのか? 大声も上げられず わきま に? まぁ今考えることじゃないが、手段を知ることが出来れば何 らかの対抗策を思いつく可能性はあるはずだし、そうTPOを弁え ない考えでもないだろ。 だいたい、焦ってここに来たのだって魔法使いの方のべグルをぶ っ殺すことが目的で、マリーやクローを助けることじゃない⋮⋮は ずだ。出来れば助けてやってもいいが、それはあくまでおまけ⋮⋮ のはずだ。店の中からは見えない場所で頭を捻りながら、どうやっ てべグルをぶっ殺そうかと考える。 べグルを短時間でも生かしておいて何らかの情報を取る必要は? 無い。 言い訳を言う時間も与えず殺す。 命乞いの時間も与えない。 相手の御託を聞いている間に有利不利が逆転することはよくある。 特にドラマや小説などのエンターテインメントな物語では、非常 にポピュラーだ。 今の俺はべグルに対する殺し屋だ。依頼主は俺だけど。尋問の必 要なんかないし、少しでも隙があればそこをついて確実に息の根を 止めるのだ。とにかく、あのベグルを殺せば多少なりとも統制は乱 れるだろうし、事によったらそれが決定的なものになってマリーを 974 窮地から救い出すことに繋がるかも知れない。 よし、やるか。やるなら魔法で一撃でカタをつけたい。そして、 こいつらに顔を覚えられたくない。と、すると距離を置いての魔法 攻撃だろう。氷や土で押し固めるのは得策じゃないな。店に被害が 出るだろうし、押し固められても魔法が全く使えなくなるわけじゃ ない。視線さえ通れば魔法は使える。掌から放たれる形の攻撃魔法 は無理だろうけどね。 とにかく、押し固めたとしてもリスクは残るから一撃でザックワ イズ・ベグルを葬った方がいい。まぁ重傷を負わせれば魔法も使え ないだろうからそれでもいいけどさ。 店の被害を考えると﹃ファイアボール﹄みたいなあまり派手なも のは避けたほうがいい。派手に店を壊して大きな騒ぎになると俺が 店を破壊した犯罪者にされかねない。毒ガスの﹃キルクラウド﹄だ と店の中全員巻き込んで殺しかねないし⋮⋮あ、マリーは平気かも しれない。だけどクローとマリーの両親は駄目だろうな。 ﹃スリープクラウド﹄で全員眠らせてもいいけどこっちはろくに 練習してないから催眠ガスが発生するまで最低でも1分はかかるだ ろう。事によったらもっとかかるかも。その間、掌を向けた俺を無 視してくれるのならいいが、そういうことはありえないだろう。と すると﹃ストーンアローミサイル﹄や﹃アイスジャベリンミサイル﹄ での狙撃か。人間に当てると貫通してザックワイズ以外の奴まで傷 つけそうだ。いくらザックワイズ以外のベグルのグループが犯罪者 だとは言え、殺すような恨みがあったり俺に被害があったわけじゃ ないしなぁ。遠くからは止めた方がよさそうだ。﹃フレイムスロウ ワー﹄で焼いても転げまわったりされたら火がついちゃうし。どう しよ。 975 ああ、﹃ライトニングボルト﹄で痙攣させればいいか。多分それ で殺せるし。これで行こう。顔を見られちゃう可能性があるが仕方 ないかな。まぁいいや。善は急げ。 俺はまたビンスイルの店の前を目指して歩く、丁度店の前を通り かかり、ザックワイズ・ベグルと視線を交錯させた。と同時にすっ と左手を向ける。相手も慌てて何か叫ぼうと口を開き両手を俺に向 けようとしたが、遅いよ。 俺の左手から一瞬にして高電圧大電流の電撃が伸び、ザックワイ ズの体を包み込んだ。僅か3秒程度の放出時間だったがザックワイ ズを殺せたろう。高電圧はともかくおそらく数十アンペアに達する 直流電流だ。ホーンドベアーみたいな魔物、いやモンスターなら別 だろうが、人間が死なないほうがどうかしてる。ああ、ひょっとし たらまだ生きてるかもしれないけどね。そん時はそん時でもう一発 かますか、別の魔法でゆっくりと料理してやればいい。剣で突き殺 すのも確実だ。 やったぞ、ミュン。こいつさえ殺せれば後はどうでもいいくらい だ。 念のため鑑定してみると状態は死亡になっていた。これでいい。 電撃の音とクロー達の俺を見る視線、べグルBが倒れたことによる クロー達の驚きの表情によって、店の客、もとい、べグル一味が振 り返る。腰から剣を外し、おもむろに革紐を外しながら俺は ﹁さて、知恵袋は死んだぞ﹂ と格好をつけて言い、続けて 976 ﹃高く飛びあがれ!﹄ と日本語で言うと、立ち上がってこちらに駆け出そうとし始めた 奴らに対してまた魔法を使う。今度は水と火魔法を組み合わせ、量 だけ加減してやった。即座に高さ30cm程の氷が店の床に敷き詰 められ、全員の脚を氷漬けにした。 立ち上がる途中の奴、既に立ち上がり俺に向かおうとする奴達全 員が固定された。あ、なんだよ、クローは氷の上に尻餅をついてつ るつる滑ってるし、マリーも着地に失敗して立ち上がれないでいる ようだ。締まらねぇなぁ。 口々に何やらわめいている。うるせぇな。ちょっと喋りたかった から氷に対する温度持続を切るが少しの間くらいは大丈夫だろう。 ﹁おい、クロー、マリー。こいつらうるせぇから殺していいか?﹂ 気軽そうに言ってみる。一瞬にして静寂が訪れた。突然の出来事 に全員があっけにとられている。 ﹁おい、どうなんだよ?﹂ 面倒くさそうに剣を手近な奴に向けながら再度言う。もぅ、早く 返事しろよ。殺さなきゃならなくなっちゃうじゃんか。 ﹁え? あ、アル。ちょっと待ってくれ。おい、マリー﹂ やっと尻餅つるつる状態からカウンターに手をついて立ち上がっ たクローがマリーに声をかけた。 977 ﹁え⋮⋮殺すって⋮⋮そんな﹂ マリーは状況を掴みかねているようだ。クローに手を貸してもら って立ち上がりながら言った。俺は電撃で死に、地に倒れた体の半 ね 分以上を氷漬けにされたべグルBことザックワイズ・ベグルの氷か らはみ出した死体を蹴りつけながら、べグル一味を睨めつけ、 ﹁ふん、じゃあ、こいつらはちょっと置いとこう。ああ、そうだ。 お前ら、俺がいいというまで一言も喋るなよ。喋ったら殺す。あと、 こいつみたいになりたくなかったら動くなよ。わかったな。⋮⋮ク ロー、マリー、何があった?﹂ と聞いた。さらに続けて、 ﹁あ、その前にマリーの親父さんとお袋さんを出してやらないとな。 ちょっと待ってくれ﹂ と言って氷の上に乗り、ずかずかと店に入ると厨房に行き剣を持 っていない左手に﹃アンチマジックフィールド﹄を小さく展開させ ると、マリーの親父さんとお袋さんの足元の氷を消し、クローやマ リーと一緒に店の外に出るように言う。あ、そういや、クローだけ はサンダルも履いてないんだった。 ﹁クロー、お前もさっさと店の外に出ないと足が凍傷になるぞ﹂ そう言ってクロー達に店の外に出るように促す。全員無事に外に 出れるように睨みを効かせる。クローが外に出たのを確認し、俺も その後に続こうとした。だが、ちょい待て。 978 ﹁クロー、そういやお前、背中と腹やられてたよな。どいつにやら れたんだ?﹂ そう俺が言うと足を氷付けにされた全員がびくっとした。だが、 誰も口を開かない。俺は一番奥の席︵つまり一番俺の近くにいる︶ で未だ椅子に坐り体勢だけ出入り口の方を向いて、上半身と首だけ で俺を見つめているベグルAに剣を向けながら、 ﹁こいつか? 同じように﹃フレイムスロウワー﹄で焼いてやって もいいぞ?﹂ と言ってみた。べグルAは首を振りながら言う。 ﹁お、俺じゃ﹁喋っていいとは言ってないぞ﹂ 鼻の穴にちょびっとだけ剣を突っ込むと小鼻を1cmくらい切り 裂いた。派手に血が噴き出すが、致命傷には程遠いし、派手に見え る出血も命に関わるようなものではない。べグルAは﹁ぶぎゃっ﹂ と言って鼻を押さえて黙った。鼻を押さえる指の隙間から血が漏れ ている。俺は再度氷を維持しながらゆっくりと歩いて店を出た。ま だ大騒ぎになっていないが、異変を感じたのか野次馬も少しだが集 まっているようだ。 俺はクローに ﹁何があった?﹂ と聞いた。 ﹁俺が店に居たらこいつらがだんだん集まってきた。最初は気にし 979 てなかったんだが、最後にべグルが来た時に感づいた。こいつら、 マリーを触って抵抗されるのを待ってやがった。こいつらがよくや る手だ。マリーが嫌がって暴力を振るったら、それで﹃暴行罪﹄が 成立する。あとは手打ちで無茶苦茶な金を用意しろと言って借金の 証文を書かせるんだ﹂ クローは﹃暴行罪﹄のところだけ日本語で言った。多分丁度いい 言葉が見つからなかったのだろう。俺も王国の正しい法律用語なん ざ知らん。だが、ふーん。なるほどね。マリーに痴漢みたいに触り、 無理やり抵抗を引き出すのか。上手く怪我でもすれば儲け物。暴行 なり傷害で訴え出るぞ、と脅す。痴漢なんざ証拠もないし、こいつ らが口裏合わせれば大丈夫ってことか? しかし、幾ら何でもお粗 末じゃないか? まあいい。 ﹁で、マリーは抵抗したのか?﹂ 俺はマリーに聞く。 ﹁抵抗しようとしたらクローに止められた⋮⋮危なかったわ。もう 少しで鍋で殴っちゃいそうになったから﹂ ふうん、クローも落ち着いて対処したのかね? だけど、倒れ込 んで氷漬けになっているべグルBが外に対する警戒をしていたのは 余計な客を入れないようにしてたということか? そんなの下っ端 の仕事じゃ⋮⋮ああ、そうか、下っ端だとマリーに触ろうとしたり しちゃうかも知れないしな。常に油断なく外に警戒を向けなきゃな らんから馬鹿には任せられないよな。 俺はマリーに 980 ﹁騎士団を呼びに行け。俺の名前を出せば来てくれると思う。ただ し、ゆっくりとな﹂ と言い、同時に有無を言わせない表情をする。マリーは少し未練 があるようにしていたが、すぐに頷いて騎士団に向かった。 ﹁店は心配ないですよ。後で氷は全部消します。少し汚れたのは許 してください﹂ マリーの両親にそう言って安心させると、俺は店の中で固定され ているべグルとその一味に向き直った。 さて、何から聞こうかな? それとも⋮⋮ 981 第十一話 濡れ衣 7442年4月28日 一番店の外に近い奴に剣を向けながら、俺は言う。 ﹁お前だけ喋ってもいいぞ、質問に答えろ。この店に何しに来た? 正直に言ったらお前だけは考えておいてやる。だが、嘘は言うな。 俺が嘘だと思ったらすぐに殺す。喋れ﹂ 剣を向けた奴は俺より2歳年上の16歳のノームの男だ。そう言 えば今回ビンスイルの店にいる奴らは全員男だな。ひぃふぅみぃ⋮ ⋮ぶっ殺したベグルBを入れて14人。今は13人と一人分の死体 が店にいる。ベグルの手下共は20人近いと聞いていたから当然女 もいてもおかしくはないが男女比は勝手に9:1くらいだと思って た。もう少し女の比率が高いようだな。 ﹁こ、殺さないでくれ。喋るから!﹂ 男がそう言うと、店の奥から声がした。 ﹁おい、ジョーンズ! お前⋮⋮ぶげっ﹂ 店の奥から声を掛けて来たのはべグルAだ。すかさず﹃エアカッ ター﹄で鼻を押さえている腕を浅く切り裂いてやった。俺はベグル Aを睨みつけると、 ﹁お前、喋るなと言ってから2回目だな。次に喋ったら殺す。良か 982 ったな、今俺は忙しいんだ﹂ と言って、またノームの男に向き直った。そして、にこやかな顔で ﹁悪かったな、邪魔が入った。もう邪魔はさせないから安心して喋 ってくれ﹂ と言った。ノームの男は震えそうになる声を抑えながら喋り始め た。 ﹁俺は、俺はベグルの兄貴に言われた通りやっただけなんだ! 本 当だ! 信じてくれ!﹂ ﹁ああ、信じるさ。お前はべグルの兄貴に言われた通りのことをや っただけなんだろう? その言われた内容と目的を言ってくれ﹂ 俺はにこやかな表情を続けながら言った。 ﹁ここ二ヶ月くらい前から金を稼がなきゃならんってことで、この 店に目星をつけてた。出入りする客や店の様子を観察させられてた んだ。そろそろいいだろうってことで今日やるって決まった。この 店の娘を攫って奴隷にして売ろうって話だった。方法は、その⋮⋮﹂ ﹁方法は? いいさ、気にするな、話せよ﹂ ゆす ﹁娘に嫌がらせして抵抗したら上手く誰かが怪我をする。それを元 に強請るんだ。﹁お上に訴えられたく無かったら金を出せ﹂って﹂ へぇ、クローの言う通りなんだな。クローの言葉の裏付けが取れ た。 983 ﹁金を出せってか。幾らくらい?﹂ ﹁い、一千万Zだ﹂ そりゃ無茶苦茶だ。全く払えないことはない金額だろうが、女の 力で抵抗された怪我くらいでその金額は常軌を逸している。で、借 金の証文の出番かな? ﹁ふーん。一千万Zね。お前、その金額をどう思う?﹂ ﹁え? あ、いや⋮⋮高い、と、思う⋮⋮﹂ ﹁だよな。まぁいいや。で、一千万Zなんてそんな理由で払えると 思うか?﹂ ﹁そりゃ思わないよ⋮⋮﹂ ﹁うんうん、払えないと思うのに要求してどうするんだ?﹂ あくまでにこやかな表情のまま聞く。 ﹁ああ、この店だと払えないだろうから借金にするつもりだった⋮ ⋮。兄貴が言うには支払い期限を明日の朝までにした借金の証文に サインさせるって⋮⋮。それでどうせ払えないだろうから娘を奴隷 にして売ることくらいが落としどころだろうって⋮⋮﹂ うーん、要領を得ないな。こんな愚連隊のようにバカ同士で連ん でいるくらいだからバカなのだろう。人選を誤ったかなぁ。まぁい いか。内容はだいたいわかったし。俺は相変わらずにこやかな表情 984 のまま言う。 ﹁じゃあ、払えないからお上に訴えてもいい、と言われたらどうす るんだ?﹂ ﹁あ、ああ。店が根負けするまで何日でも来るつもりだった。俺達 がずっと入ってたら店にはほかの客は来なくなるだろうし⋮⋮その うち根負けすると兄貴は言ってた﹂ うわ、えげつな。痴漢は証拠も残らないしな。そもそも犯罪かど うかすら怪しいし。 ﹁そうか、ところで、兄貴がこの店にそういう事をやろうって言っ たとき、誰も反対はしなかったのか?﹂ ﹁ざ、ザックの兄貴だけは最初に反対してた﹂ ﹁ほう、ザックってのはどいつだ?﹂ まさかな。 ﹁あ、あんたが最初に殺した人だ。そこで死んでる﹂ ノームの男はベグルBを指さした。へぇ。まぁ道義的に反対した のではないだろうな。リスクとリターンを考えてのことかも知れな い。仮に道義的な観点から反対したのだとしてもどうでもいいけど。 もう死んでるし、すこしだけ善人だったとしても俺は殺しただろう しな。 ﹁ああ、こいつか。で、こいつが反対したとき、誰も同調しなかっ 985 たのか? お前は? 本当のことを話せよ﹂ ﹁え、あ、ああ。しなかった。前にも似たようなことをしたことが あったし⋮⋮べグルの兄貴が大丈夫だって言うし⋮⋮﹂ ﹁そうか、わかった。じゃあ次の質問だ。店の娘にはどんな嫌がら せをしたんだ? 嘘は言うなよ。俺の後ろには一部始終を見てた奴 もいるんだからな?﹂ そろそろ野次馬も10人近くが集まってきた。 ﹁あ、その⋮⋮ケツ触ったり、抱きついたり、後ろから乳揉んだり ⋮⋮﹂ そんなとこじゃないかと思ってたよ。 ﹁そうか、誰がやったんだ?﹂ ﹁え? いや⋮⋮全員⋮⋮﹂ まぁそうだろうね。 ﹁全員か。なぁ、お前、どう思う? 真っ当に商売している店の娘 によってたかってそんな嫌がらせをするのはさ。いい気持ちだった か?﹂ 更に相好を崩しなら言ってやった。 ﹁⋮⋮﹂ 986 ﹁まぁいいや。よし、よく喋ってくれたな。もういいぞ、しばらく 黙っとけ。じゃあ、次、喋りたくなった奴、手を挙げろ﹂ 一斉に手が挙がった。べグルA以外の全員だ。忠誠心低っ。俺は 振り返ってクローに聞いてみる。 ﹁どいつがいいかな?﹂ クローはいきなり聞かれて面食らったようで、ちょっとどもりな がら言った。 ﹁あ、え、じゃ、じゃあ⋮⋮アンガード﹂ アンガードと呼ばれたのは25歳のいい体格をした金髪の普人族 だった。店の中程に居て、椅子に座ったまま振り返ろうと中途半端 なまま固まっている奴だ。 ﹁あんたがアンガードか。じゃあ、折角のご指名だ。何を聞かせて くれるんだ? 嘘は言うなよ﹂ アンガードは俺に質問をされると思っていたのだろう、多少慌て たようだったが、口を開いた。 ﹁あ、お、俺も本当は嫌だったんだ。こんなことはしたくなかった んだよ! 信じてくれ﹂ あーあ。 ﹁嘘だろ。俺は俺に嘘をつくやつは嫌いなんだよな⋮⋮残念だ﹂ 987 そう言ってゆっくりと左手をアンガードに向けて持ち上げていく。 単なる脅しだけどな。全員がゴクリと唾を飲み込んだ。 ﹁あ、や、やめてくれ! 本当のことを言うから! 本当のことし か言わないから!﹂ ﹁そうか、奥の奴は俺の言うことを聞かなかったからいらん怪我を してる。気をつけてくれよ﹂ また俺は人好きのする笑顔に戻った。アンガードは何度も頷きな がら言い始めた。 ﹁最初は奴隷にして売り払うだけだと思ってた。たまにやるんだ。 実際、この店の娘はいい女だし。あんたもそうだが、黒髪に黒目っ てのは珍しいから高く売れると思ってた。昔はちょっと変わった只 のガキだと思ってたが、ここ何年かで急に女らしくなってたから狙 ってる奴は多かったんだ。わかるだろ? そりゃ褒められたことじ ゃないことは解ってるが、売る前にちょいと愉しむくらいいいじゃ ねぇかと思ったんだ。この店にはまだ小さいらしいが息子もいるら しいから女を攫ってもそう抵抗されないと兄貴が言ってたし⋮⋮﹂ へー、マリーに弟がいたのか。知らなかったよ。で、そいつは今 どこにいるんだ? 俺はマリーの両親に子供を連れてきたほうが良いか聞いてみる。 父親が裏口から連れて来ると言って店の裏に回るのを見ながら言っ た。 ﹁そうか。わかった。もういいぞ。次、じゃあお前な﹂ 988 アンガードの隣の奴を剣で指した。22歳のドワーフだ。 ﹁お、おりゃ、べグルの兄貴に誘われたし、金も入るから⋮⋮。確 かにあの娘は顔も整ってるし、少々薄いが目鼻立ちもいい女だ。切 れ長の目や小さな鼻もいいけど⋮⋮俺はドワーフだし、あまり好み じゃないけど、その、金になればいいと思って⋮⋮今は悪いことし たと思ってるんだ、本当だ﹂ 誰がマリーを褒めろと言ったよ。そんなの別にどうでもいいわ。 ﹁あ、そ。もういいぞ。んじゃ、おい、そこの紫の髪のエルフ、お 前は? なんか喋りたいことあるか?﹂ 23歳のエルフでなかなか男前ではあるが、線の細い感じの男前 だ。日本でなら大人気のアイドルでもやっていけるだろう。あのご 面相は同性ながら羨ましいな。モテるだろうなぁ。そう言えば俺の 知っているエルフは皆美形が多い。なんでだろう? ﹁あ、ああ。勿論だ。俺も最初は金貰えるし、兄貴が言うからあま り深く考えないでやったんだ。今は反省してるよ。あの娘だが、俺 は唇が気に入ってた。薄いピンクで艶がある感じがたまんなかった﹂ こいつもかよ。確かにマリーもクローもそこそこ良い顔立ちだと は思うよ。ハーフっぽいし。地球でもアジア人は西欧人から見ると エキゾチックな魅力を感じる奴も多いらしいからわからんでもない けど、そこまで言うほどかね? 綺麗な鏡を見たことなんか無いから正確には解らないけど、俺の 顔もハーフっぽくなっているなぁ、とは思っている。新しい体に生 まれ変わっているから前世、おっさんの頃にこめかみに出来たシミ 989 も綺麗に無くなってるし、顎の黒子も消えてるしね。まぁ、黒子自 体は体のあちこちにあるけどさ。場所は違う。 個人的な好みの問題はさて置いて、俺の美的感覚で言うと美しさ という点ではマリーやクローもエルフにはとても敵わないと思うし、 エルフ以外の一般的な普人族や亜人にだってそれなりに美人はいる。 勿論美人の対極だっているけど。 以前、クローやマリーと話したことがあるけど、別段すごく綺麗 でもなければ美形でもないとお互いに納得してた。確かに純血の日 本人よりは多少彫りが深く、西欧風の顔立ちが混じったハーフっぽ い顔で、このまま日本に行ったらそこそこな感じらしいとはお互い に言い合ったが、親しみやすさは別にして、決して美しいわけでは ない、との結論に達したんだ。少なくとも俺達はお互いを見て﹁日 本人だ﹂と思うくらいには見分けがついた。 ﹁ああ、もういい。わかった。じゃあ次、お前な﹂ 俺は手前の方にいた狼人族の男を剣で指して言った。 ﹁あ、お、おらだか。おらぁもあの娘はええ思うとった。髪がいつ も濡れてる感じで綺麗だっただしよ﹂ お前もかよ⋮⋮。 ﹁んだば、体つきはまんだ子供だし、正直女とは見えなかったんだ ぁ﹂ ﹁もういい。誰か俺が聞きたい話ができる奴はいないのか? ここ で喋ったほうがいいと思うぞ。娘のことは今はいい。お前はどうだ 990 ?﹂ また剣で指してやる。今度は抜け目なさそうな顔つきをした兎人 族の27歳の男だ。 ﹁お、俺か。そうだな、まず、この氷を何とかしてくれないか? 足が冷たくてもう感覚が消えそうなんだ﹂ ﹁ん? そうか。何とかしてやろう、ちょっと待て﹂ ああ、氷のこと忘れてた。俺は氷に手を当てると温度を下げた。 多分今はマイナス20℃くらいにはなっちゃってるからな。一分程 頑張って多分6℃くらい下げてやった。 ﹁よし、これでいい。さぁ話せ﹂ ﹁え? 出してくれるんじゃ﹁んな訳ないだろうが﹂ 男はショボンとしたが仕方ないと諦めたのだろう、口を開いた。 ﹁去年、べグルの兄貴の声がかりでここにいる全員といない奴⋮⋮ 女が4人の全員でゲールフの隊商を襲った。結構な儲けになったは ずだが、俺達には金貨1枚分の分け前しか貰えなかった。税金払っ て終わりだ。あれは小さな隊商だったが、全部で5千万Z近い品物 が積まれてた筈だ。半分以上べグルとザックの兄貴で分けてるはず だ﹂ おお、そういうの聞きたかった。 ﹁へぇ、そうか、じゃあお前、兄貴分に恨みを持ってたってことか 991 ?﹂ マリーの親父さんが5歳くらいの男の子を連れて戻ってきた。ヨ シフ・ビンスイルってのか。弟は眠そうだ。 おれはまたにこやかに聞いてみた。 ﹁あ? ああ、正直面白くなかったよ。襲撃は全部俺達がやったの によ⋮⋮自分は後ろから指図するだけで半分以上のアガリを持って 行っちまったんだ﹂ ほうほう、それはまた。 ﹁へぇ、じゃあ、お前、兄貴に恩は無いんだな? その話、また言 えるな? ちゃんと喋ったらお前のことも考えてやるが、どうだ?﹂ こんなことを言っているうちに時間が経っていく。抜かりなく定 期的に氷の温度は下げている。勿論普通に氷を維持しながら喋った りも出来るけど、面倒だしね。ああ、維持している分には手は光ら ないから魔法を使っていることはバレないけど、両方に集中するの って別に楽じゃないんだ。出来るけど、やらないだけ。ついでに言 っておくけど、俺が普通に魔法を使うのだって楽じゃないぞ。ごく 短時間ではあるけど、当然それなりに集中しなきゃならないんだか らな。可能なら面倒だから使いたくない。 まぁ、このように余罪を洗いざらいぶちまけさせて数十分も経っ たろうか? マリーに連れられた騎士団がおっとり刀で駆けつけて きた。俺は自分の身分を明かし、ステータスオープンで確認しても らうと今聴いたこいつらの罪状を全てぶちまけた。証拠はないが証 言はある。あと、どれが法に触れるか触れないかまでは分からない が、全部言った。ついでに、特別な情報を得て、行きつけであった 992 この店を覗き込もうとしたらベグルBがいきなり俺に何か魔法を使 おうとしたので身を守るため反射的に攻撃魔法で殺してしまった。 但し、店の様子が変だったので、全員氷漬けで拘束したと言い、心 配げに自分は何か罪に問われるのかと聞いて締めた。 騎士団の隊長は俺の話を聞くと、 ﹁グリード様、ご安心召されよ。街中で貴族たる貴方に手を上げよ うとした時点でそこの氷漬けになっている男は死罪です。ましてや、 特に理由もなくいきなりでしたのでしょう? とっさの反撃、流石 はグリード卿の弟御ですなぁ。確かお姉様でしたか⋮⋮おっと失礼、 姉君であるグリード卿も第一騎士団で騎士の叙任を受けられたとか ⋮⋮。いやいや、我らウェブドス騎士団もバークッドに足を向けて 寝られません。また、今お聞きした証言についてはこの場の者にす ぐに確認します﹂ ﹁そうですか。それは良かった。キールの治安維持のお仕事、誠に ご苦労様です。さて、それでは一人一人の氷を分割します﹂ ﹁それはそうと、特別な情報とは?﹂ ﹁その件はあとで必ず話します。まずは取り調べからでしょう﹂ そう言うと俺はべグル一味のそれぞれの足元だけ残して氷を全て 消した。仕方ないので椅子に座った奴の椅子はそのままだ。それか ら俺は隊長のそばに行って話した。 ﹁これで運び出せます。また、証言については彼と彼、あとこの三 人、それからあそこの二人、あとはあいつが証言してくれるはずで す。また、この場の皆さんからも第三者として証言が得られると思 993 いますし、ここにいる今回の件の被害者であるビンスイル御夫妻や バラディークさんからすぐに証言を取られた方が宜しいかと存じま す﹂ ﹁確かに、そうですな。おい、第三小隊はすぐに周りの者から証言 を取れ。第一小隊は店の中から容疑者共を運び出せ。第二小隊は周 辺の警護だ。かかれっ﹂ 隊長の言葉に1小隊6人、合計18人の騎士達がさっと散って各 々の仕事にかかった。10分もするとべグル一味が足を氷漬けにさ れたまま全員通りに並べられ、野次馬やビンスイル夫妻からの証言 も取れたようだ。証言と言っても俺がぶちまけた罪状について齟齬 がないかの確認だけだった。 その後、並べられたべグル一味の中から俺が先ほど話を聴いた奴 に確認が取られた。不安そうにしていたが俺が頷きかけてやると全 て肯定しやがった。証言の確認が取られたもの、そうでないものも 全て猿轡を噛まされ、両手も後ろ手に縛られた。そのうち、身体検 査をしていた騎士の一人がべグルの懐から魔石が二つと紙を取り出 して何やら隊長に報告している。 なんだろ? クローにそっと聞いてみると﹁そんなことも知らな かったのか﹂というような態度で教えてくれた。借用書などの重要 な書類などでは偽造防止のため、魔石を粉にしたものに署名者の血 液を混ぜてそれで互いに拇印を押すらしい。これで公式な文書にな るそうだ。いや、田舎者だから知らなかったよ。でも、貴族の端く れのくせに公文書の作り方も知らないのは確かに恥ずかしかった。 この紙と二つの魔石を用意してあることも証拠になるそうだ。因 みに魔石は余程強い力がかからない限り破壊出来ない。その場合も 994 割れるだけで粉にはならない。粉にするには同じ価値の魔石同士を 二つ合わせてこすり合う必要がある。普通は近い価値のものを集め て多少価値︵=重量︶の多いものを適当な魔道具で少しづつ魔力を 放出させてぴったり同じ価値にして使うそうだ。従って、べグルの 懐から出てきたこの二つ魔石の価値が同価値であれば充分に計画的 犯罪の証拠になるとのことだ。あ、完全に同価値かはこすり合わせ て簡単に粉になるかですぐに判別が出来るらしい。 特別用もないのに全く同価値の魔石を持ち歩くなんてまずありえ ないからこれは大きな証拠として扱われるらしい。果たして、魔石 は簡単に粉になった。べグルAは﹁別の店で取引の証文を作るため に持ち歩いてた﹂と証言したが、その別の店と言うのは﹃ロベリッ ク﹄だと抜かしやがった。ふっ、バカが。丁度いい。俺は隊長に耳 打ちした。 ﹁ああ、先ほどの特別な情報の件ですが﹃ロベリック﹄の経営者、 と言うのが正しいのかは解りませんがあそこの主人はデーバス王国 の間者です。このコインと何か赤い布を出して﹁ロンベルトからだ﹂ という合言葉で尻尾を出しますから、捕まえたほうがいいでしょう ね。これはドーリットのヘンデルと言う男を内偵して得た情報です。 私はドーリットから今日キールに戻ってすぐに確認しています。報 告が遅れたのはその時得た情報の確認のため、この店に寄ったらこ のような騒ぎになった次第でして⋮⋮で、得られたのはベグルとい う男はデーバスの間者だということです﹂ ヘンデル、お前を売っちゃった。まぁ悪く思うなよ。別に思って もいいけどさ。お前も恩人である俺の役に立てて嬉しいだろ? 俺 の為に死んどけ。何しろ間者は問答無用で死刑らしいからな。 ﹁そ、それは誠ですか! おい、シュラフ! 来い!﹂ 995 隊長は一人の小隊長を呼ぶと耳打ちした。最後に、 ﹁すぐに小隊全員で確認に行け。いいか、最初はデーバスの間者の 振りをして尻尾を出させろ。尻尾を出したらすぐにひっ捕らえて連 れて来い!﹂ と言って非常に厳しい顔つきになった。隊長は続けて全員に言っ た。 ﹁新たな証人を呼ぶ。沙汰はそれまで待つ﹂ なんと、予想はしていたが、警察権だけでなく司法権もありやが る。流石封建社会。あ、いや、間者は通常の司法権を飛び越えて軍 法の管轄かな? そんなのあるかどうかよく知らんけど。時間が空 いて暇なのでつい我慢しきれなくなって鼻くそをほじりたくなった が鼻をこするだけで我慢してやめておいた。 がやがやと野次馬が話している。 クローはマリーに彼女がいなかった間の内容を話し、マリーとそ の両親は騎士団が到着したことや店に大きな被害がないことに安心 しているようだ。 べグル一味を監視している騎士達はもじもじと動き始めた連中を 小突いている。 いい加減氷も大分温度が上がっているだろう。少しなら動けるみ たいだが、まだ当分は足を抜いたりは出来ないだろう。 996 20分もすると﹃ロベリック﹄に行っていた騎士達が帰ってきた。 騎士達に小突かれながら﹃ロベリック﹄の親父が連れてこられた。 親父は猿轡をされ、手は後ろ手に縛られていた。 ﹁確かに﹃ロベリック﹄の主人は間者でした。尻尾を出したので合 図をしてなだれ込み捕縛しました!﹂ ﹁む、そうか。良くやった。して、こいつはデーバスの名を出した か?﹂ ﹁はい、確かにデーバスの名を言っていました。それから調査段階 でべグルの事もカマをかけて聞いております。確かにべグルは間者 です! また、その一党も度々べグルの仕事を手伝っていたそうで す!﹂ ﹁よし、確認する。そいつの猿轡を外せ﹂ 隊長が言うと騎士の一人が﹃ロベリック﹄の親父の猿轡を外した。 すると親父は哀れそうな声で言った。 ﹁わ、わたしは、わたしはべグルに言われた通り連絡役をやってい たに過ぎません!! 間者だなんて、そんな⋮⋮あ、あんた! さ っき会ったよな。コインも渡してべグルの居場所を教えてやったろ う? そうだ! 騎士様! こいつが間者ですよ!﹂ 親父は俺を睨みつけながら言った。隊長は、 ﹁ふむ、良い事を教えてやる。こちらのグリード様はつい先日バー クッドからキールに出て来られたばかりで今は冒険者をしておられ る。その仕事の合間にヘンデルという男から貴様の情報を知ったの 997 だ。それで内偵を進めておられ、こうして間者の証拠をお教えいた だいたのだ﹂ ﹁なっ、ヘンデル⋮⋮サグアル⋮⋮そうか。畜生、あんたがサグア ルの間者を始末してたのか!﹂ おお、ナイス勘違い! サグアルの間者であったミュンは2年く らい前に死んだと報告されているはずだから、始末されたと踏んだ のかも知れないな。こいつは死因を知らなかったのだろう。とする とこいつの勘違いじゃないけどさ。大方ヘンデルは﹁死んだ﹂とし か報告してなかったんじゃないか? あいつ、間抜けだし。俺は、 ﹁ふふん、間者を始末するのも領地を預かる貴族である我が一族の 務め!﹂ と言って誤魔化した。 ﹁糞っ! 間者の振りをして俺を騙したんだな!﹂ とか親父が言っているが、もう相手にしないぞ。俺は隊長に言う。 ﹁証拠は出揃ったようです。お裁きは如何となるでしょう?﹂ ﹁うむ、もう良いから猿轡を噛ませろ!﹂ 隊長がそう指示すると親父の後ろに居た騎士がすかさず猿轡をは めた。 ﹁おい、べグルを連れてこい﹂ 998 隊長はそう言うと、剣を抜いた。 騎士に両脇を抱えられ、後ろから別の騎士に剣をあてられながら 椅子に座ったままのべグルが前に引き出されて来た。隊長は蒼白に なったべグルを睨みつけると、 ﹁ウェブドス騎士団、第一中隊長、ゴーフル士爵の名において断ず る。間諜の容疑で死罪を申し渡す﹂ と言うが早いか言い訳も聞かずに剣で首を刎ねてしまった。ええ えっ!? 今のが裁判かよ。野次馬たちからは歓声が上がっている。 マリーとその母親からは小さく﹁きゃっ﹂という声が聞こえてきた。 そして﹃ロベリック﹄の親父も同様に首を刎ねられた。と言っても 二人共首が飛んだわけじゃないぞ。喉を切り裂かれたんだ。鋳造の 剣で首の骨ごと断てるわけないだろ? しかし、﹃ロベリック﹄の親父はいいが、ベグルAは間者ではな い。完全な濡れ衣に近い。近いがベグルBの間者の仕事も多少は手 伝わされていたはずだから⋮⋮まぁ処刑される運命は一緒じゃない かな? 間者は置いておいても相当いろいろ悪いことやってたらし いからさ。 ﹁主要な間者は処分された! 後の裁きは明日の昼に行政府前で行 われる! 解散しろ!﹂ 隊長はそう怒鳴ると﹁全員引っ捕えて牢に入れろ!﹂と言ってい る。仕方ないな。 ﹁あの、ゴーフル卿、先ほど私が尋問する際にですね。証言の代わ りに約束したんですよ。考えておいてやるって﹂ 999 と言ってやると、不安そうな顔をしていた証言者たちの顔に安堵 の表情が浮かんだ。 ﹁む、それは⋮⋮﹂ ﹁ああ、それでですね、よくよく考えたんですが、あまりに凶悪だ と思ったので、ここは騎士団にお裁きをお願いしたほうが宜しいか と思いました﹂ クローが後ろで﹁ひでぇ﹂とか小さな声で言った。ちゃんと聞こ えてるぞ、この野郎。 べグル一味に絶望の色が浮かんでいる。しょうがねぇだろ。助け てやるとか罪を軽くしてやるとか一言も言ってないぞ。だいたい俺 にそんな権限あるわけねぇだろうが。約束通り考えたけど、騎士団 にお任せするのが一番だと思っただけだよ。 騎士団が引き上げると野次馬たちも三々五々散っていった。隊長 は椅子の代金だと言って銀貨を何枚かマリーの親父に渡していた。 俺は夥しい量で地面を汚している処刑されたべグル達の血を水魔法 を使ってさっと洗い流すと銅貨を2枚マリーに渡し、ビールを頼ん だ。 店の中は誰も居らず、いくつか椅子も無くなっているのでがらん とした様子だ。ビールを頼んだことが皮切りになったのだろう。全 員店に入ると空いたテーブルに残った椅子を集めて座る。マリーが 俺のビールを持って来たので礼を言ってから一息で飲んだ。喉渇い てたんだ。 1000 マリーとその家族、クローが口々に俺に礼を言い始めた。いいん だよ礼なんて。ある意味で偶然だったんだから。 話を聞いてみるとクローもマリーを庇って頑張っていたらしい。 マリーは﹁後ろから見てたけどクローの足が震えてたから怖いの は私だけじゃないんだって思って少しだけ安心したの。でもやっぱ り怖かった﹂とか言っている。親父さんもお袋さんもびびっている だけで特に何も出来なかったけど、クローが自分自身怖くても庇っ てくれたことが嬉しいらしい。 クローは食べ物を運ぼうとするとマリーが触られるので自分が運 んだりとかまでしたとのことだ。足を掛けられて転ばされたり、唾 を吐きかけられたりいろいろひどい目に遭っていたらしい。 話は進み、俺の魔法の腕やべグルの小鼻だけを切り裂いた剣の腕 についても持て囃された。鍛え方が違うよ。親父や兄貴、義姉に散 々しごかれたんだ。クローなど﹁アルの働きは価千金だ。なんたっ て間者ってのまで暴いたんだろ?﹂とか言っておだててくる。親父 さんも同調して﹁本当に助かりました。さっき奴らの話している内 容を耳にしましたが一千万Zも要求されたらとても払えませんでし た。あなたは家族の恩人です﹂とか言ってくる。お袋さんも﹁一千 万Zの働きよねぇ。本当にありがとうございます﹂と言って頭を下 げる。マリーはマリーで﹁もうダメかと思って覚悟もしてたの、本 当にありがとう。あなたにはどんなお礼をしつくしても足りないわ﹂ だそうだ。 わはは、もっと言ってこいや。 ﹁本当に助かりました。私達に出来ることならどんなお礼でもした 1001 いと思っています﹂﹁いや、マジで助かった。俺もべグルには敵わ ないまでも最後には戦うしかないと思ってたくらいだ﹂﹁アル、私、 奴隷にならなくて本当に良かった、あなたのおかげよ﹂ そうこうしているうちに大分酒も回ってきた。俺が酒を頼む度に親 父さんなどは奢らせてくれと言って来たがちゃんと全て金を払って いた。そう、俺はまだきちんと礼を受け取っていないのだ。っつー か、奢りくらいで礼を有耶無耶にされたらたまらんわ。 さて、そろそろいいかな。 ﹁お礼についてのお気持ちは理解しました。では、この際なので遠 慮なく申し上げさせていただきます。私は先ほど隊長さんから紹介 された通り、冒険者です。キールで少し仕事をしたらロンベルティ アにあるという迷宮に挑戦しようと思っています。ですが、駆け出 しですし、今のところ一人も仲間がおりません。もし、どうしても 礼をしたいとのお気持ちでしたら、マリーを下さい。ああ、勿論冒 険者の仲間としてです。変な勘違いはしないで下さい。クローもな。 お前はマリーの家族じゃないからお前は別口だ。俺と一緒に冒険者 をやれ。二人共きちんと分け前はやるから﹂ 親父さんは口をぽかんと開け、 お袋さんはぽかんと開けた口を手で隠しつつも、目を大きく見開 き、 マリーは顔色が白くなり、 クローは信じられない、という顔つきで俺を見つめ、 ヨシフは店の端に並べた椅子の上ですやすやと寝息を立てていた。 ﹁先ほど、本日の私の行動を﹃一千万Zの働き﹄とご評価していた だきましたよね。別に私は金に困ってはおりませんので金は一切結 1002 構です。急な話で整理もついておられないでしょう。今晩一晩お考 え下さって結構ですよ。では、明日の正午、私は行政府の前で行わ れるという奴等の処分を見物に行きますからお返事はその折でも﹂ と言って、呆然とする四人を残してさっさと席を立った。 ・・・・・・・・・ ビンス亭への道すがら、良い感じに転んだな、と思ってほくそ笑 んでいた。もともとこんなことは考えていなかったが、あんまり熱 心にお礼をさせてくれと言うから思いついただけだ。多少あくどい とは思わないでもないが、転生者を仲間に引き入れたいのは本音だ。 まぁマリーに戦闘経験は全くないからすぐに彼女を戦力として考 えることは難しいだろう。クローは少し剣も使えるらしいが、俺の 見たところまだまだだ。こちらもマリーよりはましくらいと考えた ほうがいい。だから、最悪の場合、土下座する勢いで断られたらそ れはそれで仕方ないと思っている。その時は縁が無かったものとし てあの二人はすっぱり諦めよう。 1003 第十二話 人生の岐路 7442年4月29日 すっきりとしたいい目覚めだった。昨晩の酒も残っていない。ふ と気がつくと日は既に登っており、今は多分朝8時から9時くらい だろう。これだけ寝坊すればいい目覚めなのは当たり前だ。腹が減 っているが、トレーニングが先だ。今日は昼から行政府前でイベン トもあるしな。少し早めに行って行政府の傍の飯屋で何か食えばい いだろう。 ゴムプロテクターを身に付け、ランニングに出かける。キールの 街は既に活動を始めて何時間か経っているはずだが、道を行き交う 人の数は夜間にも劣るようで人影は少なかった。人口が万を超える 街なはずなのにこんなに人が少ないのはどうしたわけだろう。そん なことを思いながらいつも通り出来るだけ邪魔にならないように裏 通りを走る。街の外まで行ったらまた折り返して別の道を選んで走 った。 汗が吹き出て目に流れ込もうとするのを首にかけた手拭いで拭き 取りながら走り続けた。そろそろ1時間になろうとしている。あと 半分だ。ここからがランニングの本番だ。頑張れ俺。自分を励まし ながら体を虐める。つい先日まで馬でドーリットに行っていて一週 間近くもランニングをサボっていたから体がなまっているかと思っ ていたがそんな事はないようだ。うーむ、14歳の体ってすっごい な。毎朝超元気だし。なんたって親指の角度だぜ。へそにつくんじ ゃね? 1004 もうひと頑張りしようとキールの町外れを目指して走っていたと き、前から人馬の集団が近づいてきたのに気がついた。なんだろう ? と思ったがあれはウェブドスの騎士団以外にあるわけがない。 大方町の外で訓練でもしていたのだろう。邪魔にならないように道 の端に避け、正式な騎士団の集団の行進を眺めていた。騎乗した騎 士が20人弱、多分従士なのだろう徒歩で騎士に付き従っている集 団は何十人もいるようだ。 すげー、かっけーな。全員鎧を着て槍や剣で武装している。俺は こんなに沢山の騎士や従士が整然と行進している姿を見たのは生ま れて初めてだったので興奮して眺めていた。きっと目をキラキラと 輝かせているだろう。 先頭に立っているのはセンドーヘル団長だろうか? 面頬付きの兜を被っているので顔がよく見えない。うーん、自衛 隊のパレードなんかとはまた違う迫力があるな。鎧は全員まちまち で装備も規格品で統一されているわけではないが、これは格好いい。 戦国時代の騎馬武者の行進もこんな感じだったのではあるまいか。 勇壮な行進が近づいてくるのをぽけーっと眺めていたら、俺の前 に差し掛かったところで先頭の騎士が左手を上げた。するとすぐ後 ろに付き従っていた騎士が﹁全体、止まれ!﹂と号令を掛けた。な んだなんだ? 先頭の騎士は兜の面頬を上げると俺に声をかけてきた。 ﹁やあ、アレイン君。早速お手柄だったようだね。昨晩の件は報告 を受けたよ。流石はファーンの弟だ。よくやってくれた﹂ 1005 やはりセンドーヘル団長だった。 ﹁いえ、私は大したことはしておりません、むしろ昨晩の件は指揮 官であるゴーフル卿の果断なご判断と配下の騎士、従士の方々の迅 速なご対応が功を奏したのだと存じます。私など僅かながらご判断 の材料を提供したに過ぎません﹂ 俺は兄に習った通り跪きながら神妙に答えた。 ﹁ふっ、アレイン君、謙遜も度が過ぎると嫌味になるぞ。報告は聞 いているし、昨晩からこっち彼らは全員取り調べで騎士団本部に詰 めている。罪状の報告については今朝早くに父上の元に報告が行っ ている。その際に君のことについても報告されている。何しろ、報 告は私がしたのだからね。これから本部に戻り次第、君の逗留して いる宿に使いを出そうとしていたところだったのだが、丁度いい。 今日の昼に行政府前で領民に対してべグル一味の処分が申し渡され る。その場に来なさい。いいね﹂ センドーヘル団長はにやっと笑いながらそう言った。 ﹁はい、お申し付けの通り今日の昼、行政府前に参上いたします﹂ ﹁うん、それはそうと、君は何をしているんだ? 鎧を着たまま走 っていたようだが⋮⋮﹂ あ、手拭いを首にかけたままだった。俺は恥ずかしさのあまり真 っ赤になりながら慌てて手拭いを取り、懐にしまいながら言うしか なかった。 ﹁あ、あの、体を鍛えるために走っておりました。村で兄と毎日走 1006 っていたもので⋮⋮その⋮⋮あの⋮⋮﹂ ﹁ほう、走ると体が鍛えられるのかね?﹂ もう、なんでそんなに食いついてくるかな。流してくれよ。 ﹁は、長時間戦闘になっても息が上がりにくくなるので多少は鍛え られるかと⋮⋮金もかかりませんし⋮⋮﹂ ﹁はっはっはっ。確かに金はかからんな。くっ、ふふふ。だが、い い考えだな。それに、村を出ても兄とともに行っていた鍛錬を続け ているのも気に入った!﹂ センドーヘル団長はそう言うと面頬を降ろしてまた左手を挙げ、 馬の手綱を握った。﹁全体、進め!﹂と号令がかかりまた整然と行 進が始まった。俺は道の端に避けて騎士団が通り過ぎるまでぼうっ と眺めていた。 ・・・・・・・・・ 残ったランニングを終えてビンス亭に戻ると11時を過ぎていた。 裏の井戸で軽くシャワーを浴び、剣鞘がないので銃剣に組み立てて から先端に鞘をはめてそれを肩に掛けて行政府を目指した。時間も ないので途中で串焼きでも買って食いながら行こうとしたが串焼き 屋は休業だった。そればかりか結構店仕舞いをしているようだ。ひ ょっとして見物に行くのだろうか? 1007 思った通り、行政府前は既に人でごった返していた。何か祭りか な? と思ったが、日本でもヨーロッパでも罪人の刑の執行はいい 見世物だったと思い出す。なるほど、祭りでもあったか。裏通りに 殆ど人影がなかった理由はこれか。屋台も出ているようだ。 良かった。もう腹が減って困ってたんだよ。焼き鳥を何本か買う とガツガツと食った。うめぇ。塩だけのシンプルな味付けだが、空 きっ腹には何食っても旨い。ああ、醤油があればタレ焼き食えるの にな。俺は焼き鳥はタレ派なのだ。塩も嫌いじゃないけど、タレは 店ごとに特徴があって気に入った店を探すのが好きだった。そうい や椎名も焼き鳥はタレが好きだと言ってたっけ。 ふと前世のことを思い出してしまったが、今は目の前の焼き鳥を 貪る方が重要事項だ。皮のついたアツアツの身を食いながら、そう 言えば何でオースの焼き鳥は部位ごとに別メニューにならないのか 不思議に思っていた。串焼きのメニューは豚はロースだのバラだの ヒレだの部位ごとにメニューがあるのに鶏だけは焼き鳥一本しかメ ニューがない。全部一口サイズに切っただけのぶつ切りを串に刺し て焼いているだけの﹁焼き鳥﹂しかないのだ。許せん。俺はぼんち りが好きなのだ。 どうでもいいことを考えながらぶらぶらと前の方を目指して歩い ていく。行政府前の広場は400mトラック位の広さはあるから人 でごった返していると言っても通勤時の山手線みたいにギュウギュ ウなわけじゃない。昼の新宿駅くらいだから誰にもぶつかることな く好きな場所に行くくらいは問題ない。人出は多分1万人くらいじ ゃないだろうか。 そうやって焼き鳥を食い終わり最前列に入り込むと地面に座った。 1008 ロープで簡易的な柵が作られているからこれより前には出るなとい うことだろう。目の前には高さ3m程の舞台がある。そう大きなも のでは無いが、ウェブドス侯爵が演説でもするのであれば充分な高 さだ。ここに来る間に周りを見回したがマリーもクローも見かける ことはなかった。まぁ仕方ないさ。 ・・・・・・・・・ 食い終わった焼き鳥の串を一本残してそれを爪楊枝がわりに咥え てぼーっと待っていたら、柵になっているロープを見回っていた騎 士団の下っ端達がキョロキョロと人々の顔を見て回っているようだ。 誰かを探しているのだろうか。と、すぐに下っ端たちが俺の方に寄 ってきた。 ﹁あのぅ、アレイン・グリード様でしょうか? バークッドご出身 の﹂ え? 探してたのって俺かよ。俺が頷くとこっちに来てくれと言 う。何でもセンドーヘル団長がお呼びだそうだ。しかし、よく俺の 顔がわかったな、と思ったがプロテクターをつけているからバーク ッドの人間ではないだろうかとアタリをつけたらしい。なるほどね。 下っ端に案内されて行政府に入るとメインホールに団長と侯爵が いた。二人は何か話をしていたようだが、俺が案内されて来たのを 目にするとこっちに来いと手招いてくれた。ここまで案内してくれ た下っ端に銃剣とナイフを預け、俺が傍まで行くと侯爵が 1009 ﹁君とはシャーニの結婚式で会ったのだったね。シャーニには良い 夫ばかりでなく有能な義弟が出来たことは喜ばしい。今は冒険者を やっているそうだね。この分なら将来はバルドゥックを制覇するか も知れんなぁ。はっはっはっ﹂ と言って呵呵と笑った。バルドゥックというのは王都ロンベルテ ィアの近傍にある地下迷宮だ。俺も制覇はともかくそこへの挑戦を 当面の目標にしている。別に隠していないので誰かから聞いたのだ ろう。 ﹁父上、それより褒賞ですが、如何いたしましょう? 私は今回の 件については金には代えられない手柄だと考えておりますが⋮⋮何 しろ間者を挙げられただけでなく、近年の頭痛の種であったべグル 一派をことごとく捕らえられたのですから﹂ お、何事かと思ったら何かくれる相談かよ。うっしっし。自然と 顔が綻びそうになるのを鉄の意志で捻じ曲げて神妙な顔つきを保つ。 ﹁おお、そうだった。しかし、金子が良いのではないか? 何か入 り用な物を購入できようしな﹂ うんうん、金は幾らあっても困らない。金貨の1枚でも貰えれば 物凄い黒字だ。2枚なら言う事はないよ。金貨1枚稼ぐのに俺はド ーリットまでのお使いを10回もしなきゃならないのだから。もち ろん必要経費は自腹だしな。 ﹁うーん、貴族でもあるし馬を与えようとも思ったが、馬は既にフ ァーンがやってるというしなぁ﹂ 1010 ぬはっ、う、馬ですと。金貨6枚! もう1頭居れば馬車も使え る。商売やってもいいかな。同じだけの金貰えるならそれで馬買っ てもいいかも⋮⋮。頭の中で皮算用が始まるが勿論表情には出さな い。侯爵はそんな俺を見て口を開いた。 ﹁なにか希望はあるかね? なんでも良い、遠慮せずに申してみよ﹂ ﹁そうだ、アレイン君。この際好きなことを言ってみていいぞ。大 抵のことなら叶えてあげられる﹂ むっほっ。ななな、何でも良いんかい。勿論金貨100枚とか却 下だろうし、現実的な方がいいか⋮⋮。馬一頭で牽ける小型の馬車 も便利そうだなぁ。ん? ここは⋮⋮ ﹁では侯爵様。お言葉に甘えまして希望を述べさせていただきます。 私の希望は⋮⋮ ・・・・・・・・・ また広場に戻ってきた。喉が渇いたので屋台でビールでも買おう か。それともそろそろ始まるだろうし、ここは我慢して見物してか らにしようか⋮⋮。 お、あそこに見えるのはマリー一家とおまけのクローだな。何だ、 クローの奴、すっかり家族気取りか? なんちゃって。んなわきゃ ねー。多分あれからクローも交えて相談していたんだろう。当事者 1011 同士だし、もともと常連になっていたくらいだからビンスイルの家 族ともそれなりに親しくはあるのだろう。まぁ、まだ向こうは俺の 事に気がついていないようだから別の場所に行こう。今彼らと話し たいわけじゃないしな。 しばらくするとロープの見回りをしていた騎士団の下っ端だけで なく、正騎士達も広場にやってきた。今度は正騎士がロープを張っ ている杭の傍に立つと下っ端連中は群衆の中に入り込み整理のため 声をかけ始めた。どうやら前列にいる群衆には座るように指示して いる。へー、こうして見ると一応は集団に対する鎮圧の訓練なんか もしているんだな。 俺はビンスイルの家族から30mくらい離れた場所に座り、舞台 を見つめた。そろそろ侯爵の登場だろうか? 行政府の両開きの扉 が開いた。いままでざわついていた群衆の声がぴたっと止んだ。聞 こえてくるのはまだ幼児らしい子供や赤ん坊の泣き声くらいだ。そ こまで制御するのは無理だろうから、十分静かであるとは言える。 扉からセンドーヘル団長と遅れてウェブドス侯爵、あと数人の役 人らしき男たちがゆっくりと現れ、舞台の方へと歩いていく。舞台 の傍には椅子がいくつか用意されており、そこに全員が腰掛けた。 すると、また一人扉から男が現れた。50絡みの熟年の犬人族の 男性だ。鑑定したい気持ちに駆られたが、戦闘に発展したり、俺に 直接的な危害がないような状況での鑑定は出来るだけ止めている。 好奇心だけで誰かを鑑定するのは初対面の人間に理由もなくいきな りステータスオープンをするよりひどいと思うからだ。鑑定された 方はそれに気づかないというのも理由の一つだ。子供の時分や世間 の常識を知らなかった頃ならいざ知らず、目的もなく鑑定するのは 止めよう。目的があれば別だけどね。 1012 男は舞台に上がると大声で喋り始めた。どうやら男はキールの役 人の長らしい。行政実務を取り仕切っている、日本の市町村なら助 役と言ったところのポジションのようだ。これから法に基づいて刑 を言い渡すというようなことを言っている。普段あまり大声を出す ことはないのだろう、最後の方では声が枯れていた。 次に団長が舞台に上がると罪人どもが引き出されてきた。全員昨 日のメンバーだ。他に俺が知らない奴も何人かいるし、女も数人い る。合計24人だ。昨日しょっ引かれたのが13人。その他、女が 5人で男が6人だ。全員が舞台の前に跪かされている。なお、昨日 しょっ引かれた13人は全員両脇から役人なのか騎士団の下っ端な のかに抱えられていた。足が凍傷になっているのだろう。 ウェブドス侯爵が立ち上がり、助役と交代する形で舞台に登った。 一緒に舞台に登った団長の左に立つと大声を張り上げる。さっきの 助役より数段堂に入った声量だ。侯爵ともなればこのように群衆に 向けてなにか言う機会もあるのだろう。これから罪人の刑を執行す るとかなんとか言っている。 隣の団長は侯爵が喋り終えるのを待って口を開いた。まず一人目。 俺の知らない男だ。窃盗らしい。罪を認めるか団長が男に訊いた。 男はうなだれたまま首肯した。すると侯爵から鞭打ち5回との刑が 言い渡された。 すぐに刑は執行されるようだ。並べられた罪人の前に引き出され 騎士団の下っ端に鞭打たれた。鞭はうなりを上げて上半身を裸に剥 かれた男の背中に食い込んでいく。5回目で男は失神したようでぐ ったりとした。 1013 こうして刑の執行が執り行われていく。ちんけな窃盗は鞭打ち5 回。強姦も5回。詐欺は1回に罰金。強盗は15回。殺人は片足の 切り落としだった。でかい斧で足を切り落とされた男は泣き喚いて いた。流石に放っておくと死ぬのではないかと思ったが、すぐに魔 法で最低限の止血の治療を施されたようだ。止血だけなので痛みは 残っているのだろう。いつまでも喚いているのでどこかへ連れて行 かれたようだ。 なお、罪状についてこの場において再度否認した場合、団長は証 人を大声で呼んだ。そして証人に証言させると侯爵が証人の言い分 と罪人の言い分を聞いて裁きを下した。一つもひっくり返ったもの はなかったが、情状酌量で刑が軽くなったものもあった。 弁護士不在の即決裁判だ。あ、一応被告が弁護士も兼ねているな。 検事と裁判官も分かれている。そう考えるとバークッドよりはまし なのか? バークッドでは親父が被告以外の全てを兼任していた。 恣意的にやろうと思えば何でも出来たはずだ。殺人だの強姦だのと 言った犯罪がなかっただけで窃盗くらいはあったし。 そうして男が6人、女が1人の7人が裁かれた。どうも残ってい る女4人はべグルのメンバーらしい。騎士団長が最初に言った犯罪 は昨晩のものだ。女4人は勿論否認したが男たちは全員首肯した。 団長はビンスイル一家とクローを呼び出した。あと、俺も。ビンス イル一家は証人として呼び出されることを知っていたのか、小奇麗 な服装だった。クローも心なしかましな感じだ。彼らは俺と顔を合 わせると何も言わずに俯いた。仕方ないな、やはりいきなり冒険者 は嫌なのか。 俺たちは団長に言われるまま証言をした。当然昨晩の出来事に女 は含まれていないので男たちだけだ。罪状は強請と詐欺。鞭打ち2 1014 回と罰金刑だ。証言が終わったら、とりあえず俺たちは横に待機し ていろと係の騎士だか従士だかに言われたので邪魔にならない端っ こに控えることにした。 刑はまだ執行されず、更に罪状は続くようだ。騎士団長が罪状を 言うが、罪はいくつも出てきた。殺人も含まれている。ゲールフと いう商会の隊商を襲撃した件もあった。どれもこれも昨晩ビンスイ ルの店で自白させた内容だ。団長はこれらの罪は訴え出られた物で はなく、自白によって得られたものであることを言うと罪人達は全 員俯き、中には泣き出す者もいた。 最終的に刑は罰金で金貨2枚と銀貨25枚に加えて鞭打ちが合計 87回と足の切り落としが3本、腕の切り落としが2本という、と てつもないものになった。女だけが鞭打ちが85回だった。うーん、 全部やられたら達磨じゃねぇか。あ、女に足は3本もないな。俺だ ったらいっそ一息に殺せとお願いしているだろう。こんなことやら れたら死ぬに決まってるわ。 しーんと静まり返った広場には罪人のすすり泣く声と赤ん坊の声 くらいしか音がなかった。ビンスイル一家もクローも押し黙って団 長を見つめている。団長は罪人達を見やると正面を向いて大声で刑 の執行を宣言した。だが、あまりに刑が多いので死罪らしい。罰金 も払えるわけがない。絞首刑だそうだ。刑はまた一時間後に執り行 われるということでそれまでは晒し者にするようだ。 さて、一段落がついたところで俺はビンスイル一家とクローに向 き直った。びくっとした親父さんに言う。 ﹁どうでしょう、お気持ちの整理はつきましたか?﹂ 1015 すると親父さんではなく、クローが返事をしてきた。 ﹁アル、お前⋮⋮仲間が欲しいにしても強引過ぎねぇか? 弱みに つけ込むようなこと言いやがって⋮⋮﹂ ﹁まぁまぁ、俺はお願いしただけだぞ。断るならそれも仕方ないと 思ってる。だいたいお前、昨日の話ちゃんと聞いてたのか? 俺は 今日返事をくれと言ったんだ。強制的に俺に付いて来いなんて一言 も言ってない。金もいらないとも言ってる﹂ 全員が意外そうな顔で俺を見つめた。 ﹁え? あ、こ、断ってもいいのか?﹂ 惚けた様にクローが言った。 マリーの両親も意外そうな顔で俺を見つめてきた。 ﹁だ、だって、助けたお礼に仲間になれって⋮⋮あ﹂ 同じようにマリーが言った。 俺はマリーに頷きながら言う。 ﹁拒否権無しなんて一言も言ってない。だいたい俺に命令するよう な権利があるはずないことはわかるだろうに。そもそも、拒否を認 めないならじゃあなんで一晩考えろって言うんだよ。嫌ならそれで もいいんだ。マリーは定住して定職があったほうがいいみたいな考 えだろうしな。クローは知らんけど、冒険者をやってたことも有る からマリーよりは心理的なハードルは低いと思っているけどね。そ れより、ちゃんと一晩考えてくれたのか?﹂ 1016 そこで一度言葉を切ってから威圧的な表情で続けた。 ﹁まさかとは思うけど、本当にまさかとは思うけど、一晩中俺に対 する恨み言や愚痴を言い合っていたんじゃねぇだろうな? 今更考 えてなか⋮⋮ちっ﹂ 全員揃って俯いた。くっそ。悪者か、俺は。助けたお礼に金も要 求せず、奢られもせず、仲間になってくれって頼んだだけでどんな ひでぇこと言われてたんだ? つい不満が口をついて出そうになっ たが我慢した。 ﹁あのさ⋮⋮まぁ、いいや。で、結論は出たのか? 聞かせてくれ﹂ お互いに俯きながら顔を見合わせてもじもじしていやがる。もじ もじ君の集団かよ。 ﹁どうなんだ? 黙ってたらわかんねぇよ﹂ 相変わらず全員赤くなって下を向いている。恥かしがっている、 ということは考えてなかったな、こりゃ。 ﹁もういい、ちょっと待ってろ﹂ 俺はそう言うと絞首刑のための絞首台を引き出している団員を横 目にセンドーヘル団長を呼びに行った。俺が騎士団長と何か話をし たあとに、騎士団長を伴って帰ってきたのを見て、一斉に目を丸く している。糞が。 ﹁当然知っているとは思うが、こちらはウェブドス侯爵のご長男で 騎士団の団長職にあるセンドーヘル・ウェブドス卿だ。ウェブドス 1017 卿、彼らの紹介の必要は無いですね﹂ ﹁ああ、先ほど私自身が証人として呼び出したからね。紹介の必要 はないよ﹂ 団長は穏やかに言った。 ﹁さて、答えを聞かせてくれ。騎士団長が証人だ。充分過ぎる人選 だろ?﹂ ﹁おいおい、アレイン君。君も人が悪いな。ちゃんと話をしたのか ね?﹂ ビンスイル一家とクローは少し怯えているようだ。仕方ねぇな。 ﹁今更だが、選択肢を増やす。俺と一緒に来るか、断ってそのまま の生活を送るか⋮⋮もう一つ、ウェブドスの騎士団に入って鍛えて 貰うか選べ。騎士団に入った場合にはお前らが正式に騎士になる頃 にもう一度来て意思を聞いてやる。その時に俺についてくるか、騎 士団を退職して元の生活に戻るか、騎士団を続けるか選ばせてやる。 騎士団にいる間は当然給金も出る。従士の間は週に43000Zだ そうだ﹂ 一息にそう言うと俺は彼らを見つめた。全員あっけにとられてい る。まぁそれは無理ないわな。10秒ほど沈黙が続いた。センドー ヘル団長は沈黙に耐え切れないようにくっくっと笑うと言った。 ﹁二人共14歳だってね。14歳なら少し早いが貴族の子弟が騎士 団に入団する年齢だ。このアレイン君のお兄さんも14歳でウェブ ドス騎士団に入団し、2年で正騎士の叙任を受けた。 1018 尤も、君達は基礎からになるだろうからもう少し時間がかかるだ ろうけれど、無理ではないと思うよ。 それから、これは解ってるとは思うけど念の為に言っておく。 本来騎士団への入団条件は平民以上にのみ許されるものだ。 そして、一般的には15歳以上の年齢で入団する。 また、当然ながら入団試験も課される。大したものではないが、 あまりに実力の足りないものを入団させても鍛えるのに時間と費用 が掛かるからね。 これらの条件を超えるのに、アレイン君は今回の間者の暴露と犯 罪者集団の捕縛の褒賞を全て差し出している。 こう言ってはなんだが、本来であれば君たち二人は騎士団に入る ことは出来なかったろう。これはあくまで今回限りの特別な機会だ と思ってくれていい﹂ 団長はそう言うと一歩下がった。あとは俺に任せるというのだろ う。俺はクローとマリーを手招きして呼び寄せると二人の肩を組ん で耳元で小声で言う。 ﹃いいか、前にも言ったが転生者は成長率がオースの人たちと違う。 昨日の俺を見たろ? もうこんなチャンスは二度とない。一生キー ルの片隅で何かに怯えながら過ごすか、騎士団で鍛えて貰うか今決 めろ。断っても俺は恨んだりしない。お前たちの人生だからな﹄ そう早口の小声で日本語で言った。 二人の目に光が宿った。 1019 第十三話 新たなる出会い1 7442年4月30日 両親と一緒にキールに来たのが4月12日の夕方。途中何日かド ーリットまで行ったが僅か3週間で俺はキールを後にする。昨日は あれから刑の執行を見て、行政府の冒険者の依頼掲示板の係の所ま で行き、剣の代金と割符を渡すと報酬の100000Zを受け取り ビンス亭まで帰った。掲示板まで行った際に何か出来そうな依頼が ないか確かめてみたが特になかったので、ひと晩休んだ俺は今出発 の準備中だ。 荷物を纏め、それらを馬のサドルバッグに収納していく。結局剣 の鞘は作らなかった。これから行く先で新たに作ればいいだろう。 どうせ道中は銃剣状にしているから剣の鞘はなくても全く問題がな い。むしろあれば邪魔にしかならないしな。 クローとマリーは結局騎士団に入団することを決めた。クローは 自前の剣と、安物ではあるが一応ちゃんと使用に耐え得る革鎧を持 っていたが、マリーについてはそういった戦闘用の装備はない。鎧 は別にしても剣は必ず必要になる。購入資金について少しだけ心配 だったが、両親が蓄えから出すそうだから問題はないだろう。え? 金持ってるんだから俺が出せって? なんでさ。いくらなんでも そこまでは面倒見切れねぇよ。 そもそも騎士団に入団出来るということは今後の働き口について は全く心配が必要ないくらいエリートになれるということなのだ。 マリーの両親に否やがあろうはずもない。正式に騎士として叙任を 1020 受ければ平民になれるし、良い事尽くめなのは間違いない。無料で 住む所や食事も出してくれ、教育までしてくれる。おまけに給料ま で貰えるのだ。こんな素晴らしい環境を、褒賞をふいにしてまで整 えてやったんだ。これ以上俺にしてやれることはない。 それを理解しているのだろう、二人は今朝早くから俺の見送りに 来てくれた。別に荷造りなどを手伝って貰うほどものすごく沢山の 荷物があるわけじゃないから本当に見送りに来てくれただけなんだ けどね。彼らも明日、月の変わりと共にウェブドス騎士団へ正式に 従士として入団する。荷物をまとめ、馬の鞍に敷いたゴムクッショ ンに尻を乗せた俺をクローが見上げて言う。 ﹁アル⋮⋮その⋮⋮いろいろと本当にありがとう。俺は⋮⋮頑張る よ。折角貰ったチャンスだ。必ずものにしてみせる。この恩は忘れ ない。絶対に恩返しするよ⋮⋮すぐには力になれそうにないけど、 必ずこの恩は返す。﹃ありがとうございました!﹄﹂ そう言ってクローは深々と頭を下げた。クローは昨日で勤めてい た商会を辞め、宿も今日で引き払うらしい。マリーはクローの横で 俺を見上げて言う。 オース ﹁アル、私もクローと同じ気持ち。私は剣も知らないし、それこそ 喧嘩すらしたことはないけど、ここで生きて行くなら必要なことだ とは知っていたわ。今までそんなこと認めたくなかっただけだった ⋮⋮貴方には本当にお世話になったわ⋮⋮。これを期に私も食らい ついてみせる! 必ず恩を返すわ。ありがとう、いいえ、﹃ありが とうございました﹄﹂ そう言ってクローに続いてマリーも深々と頭を下げた。俺は彼ら 二人を馬の背から見下ろすと、 1021 ﹁まぁ、そう気にすんな。俺にしてやれるのはここまでだ。あとは お前たちがどれだけ頑張れるかにかかってることだしな。勉強は日 本でやってたことと比べるとそれほどでもないが、剣や馬の稽古は かなり厳しいらしいから途中でへこたれないようにな。ま、辛抱強 くな⋮⋮じゃあ、俺は行くよ﹂ そう言って手綱を引こうとしたが、一つ追加で言っておかなけれ ばならないことを思い出した。 ﹁一つ言い忘れた。だいたい3∼4年くらいで一度様子を見に戻る つもりだ。5年以上俺が姿を見せなかった時には⋮⋮俺は死んだと 思ってあとは好きにしろ。あと⋮⋮そうだな、マリーにこれをやろ う。妊娠したら騎士団を追い出されるからな、注意しろよ﹂ トロット ゴム袋を放り投げ俺は手綱を引くと馬の腹を蹴った。よく訓練さ れた軍馬はだく足に移行し、北東に伸びる街道を目指して馬を進め た。後ろは振り返らなかった。だって、どんな顔してるか想像つく しな。 ・・・・・・・・・ キールの市街を抜け、人家もまばらになった。一面に畑が広がる 牧歌的な風景の街道を歩んでいく。道とそれに並行して流れる川の 両脇に広がる畑はよく耕されているようで、畝がきっちりと平行に 伸びている。やはり馬や牛を農耕に活用しているようで、農作業は 1022 効率的且つシステマティックになりつつあるようだ。ところどころ に牛馬に犂を曳かせている姿が見える。 この街道の先には、ルード、ホルグ、という二つの村があり、そ の先にキルグという街がある。キルグを抜けるとウェブドス侯爵領 からペンライド子爵領に入る。キルグの街まで約65km。頑張れ ば今晩中に到着できるだろうがそこまで急いでも仕方ない。今日は ホルグ村で宿が空いていれば宿を取り、空いていなければ領主に断 って空き地ででも野営するつもりだ。 しかし、あれだね。この馬ってやつは慣れれば本当に面白いな。 微妙な手綱の操作で本当に以心伝心かのように行きたい方向が伝わ るんだ。今は道のど真ん中を歩いているが、左側や右側に寄りたい と思って微妙に手綱を引くだけですぐに思う方向に思うだけの量で 動いてくれる。 街道は川沿いに伸びているので途中での小休止の際に馬に飲ませ る水に心配はいらない。尤も俺の場合は魔法でも水を出せるからあ まり心配しなくてもいいんだけどね。川のせせらぎを聞きながらの んびりと馬を歩ませていた。多分昼にはルードを通り過ぎることが できるだろう。 畑を通り過ぎ、潅木が茂る中を進んでいく。遠くを鳥が飛んでい る。まだキールに近いこのあたりでは魔物、いやモンスターを警戒 する必要はない。クローに教えてもらったが、地球にもいた動物類 などは獣、それ以外のオース産のものを魔物と大きく区別している ようだ。こちらに攻撃してくるようなものはまず魔物と思っていい。 アフリカやインド、中国の山奥みたいなところならライオンや豹、 虎などの危険な獣がいそうなものだが、このあたりはそうした大型 1023 の肉食の獣がいるなんて聞いたことはない。危険があるとすれば魔 物の方だ。その魔物についてもキール周辺ではまず見かけないそう だし、被害なんかもたまーに微々たるくらいなものらしいのでルー ドあたりまでは昼寝をしながらでも行ける。 そう思ってうとうとしているうちに昼頃になり、ルードに着いた。 ルードから先はバークッド程ではないが魔物、いやさ、モンスター の被害もあるらしいから警戒を怠るわけにはいかない。この村で腹 ごしらえだ。保存食も用意してあるが、ちゃんとした物は食えると きに食っておいたほうがいいだろう。村の中ほどに飯屋があったの でそこに入って食事にすることにした。 キールと王都であるロンベルティアとの間にはウェブドス商会が 定期的な商隊を往復させているし、ペンライド子爵領とも交易があ るから飯屋の需要もあるだろうし、だいたい、キールとどこか別の 領地を行き来するにはこの街道を使うしかないから当分人家のある ところでなら飯に困ることはあるまい。菜っ葉の入った麦の玉子粥 とプロシュートみたいな燻製していないポークハムを挟んだ黒パン のサンドイッチで昼食を済ますと、歯に挟まった菜っ葉をほじくり ながらまた馬上の人となり、ルードの村を後にした。 今日目指すはホルグだ。ここからホルグまでは約20km。この 20kmはバークッドから隣村のバーデットまでの20kmと思っ て警戒しながら進んだほうがいい。鞍の後ろに結わえてある銃剣を 再度確認し、再び周りに注意を払いながら馬を進める。とりあえず 街道の右側を流れている川の方は注意しなくてもいいだろう。左の 方へ警戒の視線をやりながらも相変わらずのんびりとした速度で街 道を進んでゆく。 特にモンスターの襲撃を受けることなく夕方前にホルグ村に到着 1024 した。問題なく宿を取り、豚のステーキとオートミールの晩飯を食 って早々に就寝した。 ・・・・・・・・・ 7442年5月11日 このように、都市近郊では気を抜いて、郊外では気を引き締めつ つ、2週間︵12日︶程が経った。今俺がいるのはペンライド子爵 領を抜け王直轄領に入って数百Kmの街道の上だ。目指す王都近郊 の街、バルドゥックまでは多分あと10日もかからないだろう。で、 なんでこんな事を言いながらぼけーっとしているかと言うと、ここ からおよそ500m程先に人が二人、俺と同じ方向に歩いているの を見つけたのだ。 遠くてまだ性別もよくわからないが、なんとなく子供のように見 ドワーフ える。一人は体つきからして男だろう。がっしりしている感じがし ないでもないので子供のように見えるが、山人族かも知れない。も う一人は相方と比べ、細い感じがする。子供か、女か。多分このま まの速度で歩いていくと20分くらいで数10m位の距離に近づく だろう。 ここまでの道のりでホブゴブリンやゴブリンの集団に襲われたこ とはあったが、野盗には会わなかった。どちらにしろまだ時刻は昼 前で、追い抜かなくてはならないのだ。せいぜい用心しながらさっ さと追い抜いてしまったほうがいいだろう。馬を走らせて抜こうと 1025 も思ったが、襲撃と勘違いされても嫌なのでそのまま進むことにし た。 銃剣を肩にかけ直し、馬を歩かせた。ここからもう暫く進むと街 道は今まで両脇が潅木だったのが、広葉樹を中心とした森になるよ うだ。出来れば森に入る前に抜きたかったな。意外と歩くのが速い な。相当歩き慣れている感じだ。結局25分くらい進み、森の中に 入ってしまった。昨晩俺と同じ村に宿泊していたのであれば俺より も相当早く出発したか、別の道を来たのだろう。いくつかこの街道 に合流してきた道もあったからな。 先行する二人は途中で一度だけこちらを振り返った。男と女のよ うだ。男は予想通りドワーフで、がっしりとはしているが、やはり エルフ 背は低い。女の方と同じくらいに見える。150cmあるかどうか といった感じだ。体格から女はドワーフではなく、普人族か精人族 だろう。髪が背中の真ん中くらいまであって縛っていないようなの で耳が見えなかったのだ。 女の髪は黒髪だった。だが、黒髪自体は少数だがいないことはな い。あ、そうそう、もう滅多に髪を染めたりしているような人がい ないことは知ってるぜ。ピンクだの緑だの青だの信じられないよう な髪の色は本当に一般的だったのさ。ちなみにドワーフの男のほう は薄いピンク色の髪だ。 二人は大型のリュックサックのようなものを背負っている。行商 人かも知れないな。腰には剣ではなくどうやら斧を下げているよう ブッシュ だ。大型の鉈かもしれないけれど、あの形は斧だろう。多分片手で も使えるサイズの手斧だ。と、するとあの斧は茂みを切り分けると きにでも使うのだろうか。 1026 先ほどかなり急なカーブを曲がってまたまっすぐ伸びる道になっ ていた。一度は視界から消えた彼らだったが、また荷物を背負った 背中が見えた。彼らに追いつくまであと100mもない。彼らは同 じペースで歩き続けている。うーん。これだけ歩く速度が速ければ ジャベリン 今日の夕方前に到着する予定の村で一緒になるかも知れないなぁ。 そう思った矢先の出来事だった。森の中から数本の木製の投げ槍が 飛んできたのだ。ああ、俺にじゃない、先行している二人組に対し てだ。投げ槍は運良く二人のどちらにも当たらなかった様だ。 待て待て、のんびりと解説してる場合じゃない。何者かの襲撃だ ! 巻き込まれたらたまらないが、生憎今移動中の街道は一本道だ。 襲撃者は俺のことを認識しているだろうか? 認識していないのな ら引き返す手もあるが、それでは夜になるまでに次の村にたどり着 けない可能性がある。認識しているなら今更引き返したところであ まり意味はない。馬を走らせてしまえばそうそう追いつかれること もないだろうが、どっちにしろ次の村まではこの道を使うしかない のだ。 出直してきても今回みたいに待ち伏せされたら結局一緒だ。ここ で彼らに助太刀するか、馬を走らせて一気に抜き去った方がいいか ⋮⋮。助太刀するかどうかはもっと近くまで行って襲撃してきた相 手を見て決めよう。俺は一瞬で判断を下すと肩にかけていた銃剣を 下ろし、どちらに転んでもいいように、少し馬の速度を上げた。 ﹁ゼノム、右よ!﹂ ﹁おう、ラルファ、お前は俺の後ろを守れ!﹂ 二人の叫び声が聞こえた。 1027 1028 第十四話 新たなる出会い2 7442年5月11日 オーク 襲撃者は身長180cm前後の大人サイズの人だった。いや、普 人族じゃない。鑑定してみると豚人族だ。初めて見た。あれがオー クか。ガッシリとした腕と足を持ち、太めの体だが、革製の粗末な ものではあるが鎧のようなものを着ている。顔は確かに豚を擬人化 したような感じだ。武器は槍と剣のようだ。レベルは4∼6くらい。 結構強いな。同レベルの普人族より各能力は少し上回っている感じ だ。 そのオークが合計で10匹程。流石に女連れ二人だと厳しいだろ う。ここは助太刀してやったほうがいいだろう。俺は馬の速度を上 げると手綱から片手を離し、魔法を使うべく手のひらをオークに向 けた。あ、まずい。ここで魔法を使うのは不自然すぎる。やっぱや めた。銃剣は槍と比べれば短いから騎乗したままだと槍相手には不 利だな。降りたほうがいいか。降りれば魔法を使っても問題ないし な。 襲撃者と被襲撃者の間で戦闘が始まった。男女二人組は手持ちの 手斧だけで防戦するようだ。襲撃者が傍に寄るまでの間に素早く背 からリュックサックを降ろし、油断なく斧を構えている。二人共結 構戦い慣れしているようで、油断はしていないが、表情に恐怖感は 浮かんでいないようだ。行商人かと思ったが冒険者なのかも知れな い。 ﹁ムッルオォォォォォォ!!﹂ 1029 ドワーフが鬨の声を上げながら物凄い速度の踏み込みで先頭のオ ークの突き出している槍に斧を叩きつけた。女の方はドワーフの左 後ろにいたが、ドワーフが相手に踏み込むと同時にドワーフの死角 を守るような位置に移動した。連携が取れているし、いい動きだ。 だが、いかにも斧と槍とでは斧が不利にすぎる。俺は30m程の 距離で馬から降りるとすかさず魔法を使うべく精神集中を始める。 いつかホーンドベアーと戦った時のように5本の氷の槍を作るとす ぐに飛ばした。 助走距離をとっていないので加速が不十分ではあるが、革鎧を抜 いて傷つけるくらいには充分な威力が出せるだろう。オークの集団 目掛けて槍が飛翔する。一辺が50cmくらいの五角形の頂点に槍 があるような感じの位置関係だ。当然バラバラに誘導することは出 来ないので角度を調整しつつ二匹に当てられればいい。 やはり一撃で殺すには威力が足りないようだが、二匹のオークに 傷を負わすことはできた。また瞬時に同じ魔法を使って更に二匹の オークに傷を負わせた。死にはしないが相当な深手だろう。 ドワーフは自分を狙って突いてきた槍を斧で叩き折る戦法のよう だ。二人共お互いをカバーしあいながらオークの槍を狙って斧を叩 き込んでいる。うん、これなら暫くの間は大丈夫のようだな。リュ ックサックを背負っていた姿の時にはわからなかったが膝くらいま である長めの茶色い革製の外套の下に革鎧も着ているようだし。 流石に戦力の40%を無力化されたオーク達は勢いがなくなって きたようだ。だが、頭数ではまだ俺を入れても倍だと踏んだのだろ う、傷ついた仲間をかばうように陣形を立て直そうとしているのが 1030 解った。 ちなみに俺は次の魔法の為に精神集中を始めていた。あと少しで 魔法は投射可能になるだろう。右手に銃剣を持ち左手をオークに向 けたままだ。左手に青い光が集まっていく。今だ! 俺の左手から 直径20cmくらいの炎の塊と化した岩が打ち出される。﹃ファイ アーボール﹄の魔法だ。いや、魔術だ。猛スピードで火の玉がオー クの集団の中心あたりの奴を目掛けて飛翔する。飛ばすと同時に俺は ﹁﹃ファイアーボール﹄!﹂ と大声で叫んだ。勿論格好をつけて必殺技よろしく叫んだんだ。 うそだけど。ドワーフと女に警告を与えるために叫んだんだよ、勘 違いしないでくれ。 俺の叫び声を聞いた二人はオークから距離をとるべく後ろに引く が、せいぜい1mくらいしか下がれなかったろうな。着弾した﹃フ ァイアーボール﹄は直撃したオークを破裂した石で引き裂きながら 燃え盛る石の塊を周囲に撒き散らした。 今の攻撃を無傷でしのげたオークは一匹もいなかった。即死した のは着弾した奴だけだろうが、あとは全員火傷を負ってぷぎぷぎ言 いながら地面を転げまわっている。 ドワーフと女はコートのような外套で燃え盛りながら弾け飛んだ 礫から身を守っていたようだ。流石に慣れているだけあるな。だが、 ここまでの威力を想像していなかったのか、驚きに包まれた表情で 泣きながら転げまわる豚共を見ている。 俺は油断なく銃剣を構えながら馬の手綱を引きつつゆっくりと歩 1031 いて行った。5m程の距離まで近づいたところで手綱を離し、銃剣 を使って転げまわっているオークと最初に傷を負わせたオークの喉 を突いて楽にしてやった。全てのオークが動かなくなったことを確 認すると二人に向き直り、口を開いた。 ﹁すまなかったな。﹃ファイアーボール﹄は慣れていないんだ。最 初から使うには時間がかかるから⋮⋮。二人共怪我はないか?﹂ 俺がそう言うとドワーフの男が答える。傍で見て初めて意識した がこのドワーフは40歳くらいの中年に見えるな。女の方は若そう だ。どういう組み合わせなんだ? ﹁助けてくれたのか。ありがとう。俺たちは一匹もオークを倒せて いないから、こいつらの魔石は全部あんたのもんだ。遠慮しないで くれ﹂ そう言ってくれた。殊勝なようだな。俺は女の方に向き直り、そ れでいいかと確認しようとした。が、女の顔をみて一瞬だが固まっ てしまった。女は黒い瞳をしており、顔つきは確かにオースの普人 族も混じっているようではあるが日本人の顔つきだった。こ、こい つも転生者か!? 一瞬だが顔を見て絶句した俺の顔を見て、女も絶句したのが解っ た。 ﹁あんたもそれでいいか?﹂ どうにかそう言ったが、女は絶句したまま震えるように頷き返し ただけだった。 それを見て訝しんだのか、ドワーフが声を掛けた。 1032 ﹁ラルファ、礼くらい言え。すまん、普段はもっと喋る奴なんだが ⋮⋮﹂ ドワーフは最初に女に、次いで俺に声を掛けてきた。 ﹁あ、ああ、いいさ、気にしてないよ。それより、俺はこいつらを 殺しただけだ、体を張ってやりあったわけじゃない。あんたの言う 通り魔石は貰うことにするが、槍や剣はあんた達のもんだ﹂ 俺がそう言うと、ドワーフも女も目を丸くして驚いたようだが、 すぐに言ってきた。 ﹁いいのか? 槍の穂先が二つに剣は鉄のやつが一本あるぞ。どう 考えてもこっちの方が金になる﹂ 確かにそう見えるだろうな。だが、剣も槍も錆が浮いているし、 売れるようにするにはかなり手間をかけて手入れをしなおす必要が ある。そのままでも武具を扱うような特殊な鍛冶屋なら買い取って くれるだろうが槍の穂先はいいとこ銀貨5枚くらいだろうし、剣も 銀貨10枚になれば儲け物くらいだろう。俺の鑑定ではもっと高く 価値が表示されているが、これは店頭に並べる時のエンドユーザー 向けの価格だ。 対してオークの強さはホブゴブリン並だった。ホブゴブリンの魔 石の価値は銀貨4∼5枚くらいだったから、オークの魔石もその程 度は見込んでもいいだろう。10匹分なら銀貨40枚以上を見込ん でも問題あるまいよ。 キールの七九屋での買取なら30枚ってとこだろう。 1033 それに、オーク10匹の経験値は無視できないでかさだしな。も しもホブゴブリンと同じような行動様式なら一気に殲滅するのは難 しいし、今回のケースなら俺一人で相手にした場合、一匹殺すか無 力化させた時点で撤退されて下手したら経験値は雀の涙の可能性だ ってあったのだ。 オークはどうやらホブゴブリンほど賢くはなさそうだ。一匹殺せ るだけで天稟の才のおかげで数百もの経験値が入るのはかなり美味 しい。それが10匹分だ。一人なら飛び上がって歌でも歌いたい気 分だよ。 俺は余裕を取り戻し、にこっと笑って答える。 ﹁ああ、いいさ。だが、魔石を採るのくらいは手伝ってくれないか ?﹂ ﹁勿論、お安い御用だ。おい、ラルファ、お前は槍の穂先と剣を集 めてくれ﹂ 俺の返事に気をよくしたのか、ドワーフは女に指示をすると自ら 手近なオークに近づき、ナイフをオークの胸に突き立てた。俺も同 様にオークの胸をナイフで割いてゆく。一時間も経たずにオーク1 0匹分の魔石は俺の手の中に集まった。鑑定してみるとやはりそれ ぞれ微妙に価値は異なるが、概ね一つあたりの価値は4500だ。 つまり45000Z×10で銀貨45枚分の価値の魔石だった。 女の方も木を削って作っただけの槍には目もくれず金属製の穂先 の奴だけ選んで穂先を落とし、剣を一本持っている。金属製の穂先 は三つあったようだ。革鎧の方は臭いし、もともと粗末なものなの 1034 でうっちゃるようだ。嵩張るし荷物になるだけだしな。 時刻は昼過ぎくらいだ。俺は女の方と話をしてみたかった。汚れ た手を水魔法で洗いながら、 ﹁なぁ、あんたたち、飯食うか? 時間も丁度良いし、魔石採るの 手伝ってくれたし、干し肉のスープくらいならご馳走出来るぞ﹂ そう言ってみた。今朝出発した村で聞いたところでは次の村まで の距離は約40Km。時刻と俺の馬のスピードから勘案すると残り は15Km強というところだろう。彼らの足は早いがまだ数時間は かかる距離のはずだ。俺がそう声を掛けると二人共少し驚いたよう に顔を見合わせた。 ﹁ああ、すまん。先を急ぐなら気にしないで行ってくれ﹂ そう言うと俺はサドルバッグから水筒と干し肉とパンの包を取り 出した。もし行ってしまうようなら二人には悪いがこっそり鑑定だ けさせて貰ってさっさと飯を食ってから後を追えばいい。 ﹁いや、夕方までにフォシルに着ければいいから、問題はない。折 角だからご馳走になるとしよう。だが、パンくらいは出させてくれ﹂ ドワーフはそう言うと地面に投げ出してあったリュックサックを 開き、包を取り出した。多分パンだろう。ここで女の方が初めて口 を開いた。 ﹁ねぇもう少し先に行かない? ここだと、オークの血の匂いが酷 いから﹂ 1035 確かにそうだ。言われてみればこんなオークの死体が転がってい るそばで飯を食うなんて変な話だ。だけど、飯食うのに誘うタイミ ングってもんがあるじゃんか。決してオークの死体のそばで飯が食 いたかった訳じゃないぞ、そこは勘違いしないでくれよな。 ﹁ああ、その通りだ。じゃあ⋮⋮あそこまで移動しようか﹂ 俺はそう言って包をサドルバッグに戻し、馬の手綱を牽いて移動 を始めた。200m位先に石がいくつか並んでいるのが見える。丁 度いい椅子替わりになるだろう。 俺が動き始めたので彼らもリュックサックを背負い、一緒に歩き 始めた。 ﹁俺は、アレイン・グリード。ジンダル半島のバークッドの出だ。 アルと呼んでくれ﹂ そういえばまだお互いの名前を知らなかった。女はラルファと呼 ばれていたが、ドワーフの方は最初に名前を聞いた気もするが忘れ た。 ﹁俺はゼノム、ゼノム・ファイアフリードだ。こっちは娘のラルフ ァだ﹂ は? 娘? だってこの女はどう見てもドワーフじゃないぞ? それにエルフでもなさそうだ。いくら日本人顔と言ってもエルフの 血が交じればもう少し、その、美しい筈だ。いや、別にこの女がブ スだと言うつもりもない。日本でなら充分に綺麗な部類に入るだろ う。ハーフっぽいし。 1036 もし学校や会社に居たらアイドルになれるくらいだ。だけど、オ ースだと決して美しい方ではない。オースの人たちはもっとバタ臭 い顔が好みなのだ。そう言えば普人族って生物学的には地球と同じ 人間なのだろうか? ふとそんな考えが浮かんだ。 娘と紹介されて俺が驚いたのがわかったのだろう。ゼノムは続け て言った。 ﹁勿論、本当の娘じゃない。この子が赤ん坊の頃に拾ったんだ﹂ なんだ、そういうことか。吃驚した。 ﹁ラルファ・ファイアフリード。ラルファでもラルでもいい。好き に呼んで﹂ つっけんどんに答えられた。恥ずかしがり屋さんめ。違うか。し かし、ラルとか言われると風とか肌触りとか戦争とか思い浮かべる から言わないで欲しかった。意地でも愛称では呼ばん。 石が並んでいるところの丁度いい高さのものに腰掛け、水筒の水 をお湯にする。すぐに干し肉を適量ぶち込んでゴム栓をしてそれを、 2∼3分したら飲みごろだと言ってゼノムに渡し、別の包を開ける。 この包にはハムを入れてあるんだ。ナイフでハムを削り、こっちは ラルファに渡してやる。ラルファはそれを受け取るとパンに挟んで 俺に差し出してくれた。 ﹁ありがとう﹂ そう言って受け取るが、これじゃ次のハムが切れないじゃんか。 とりあえずパンは脇に置いておいてまた何枚かハムを切り、ラルフ 1037 ァに渡す。すると、彼女は次のパンに何か塗りつけていた。なんだ あれ? バターにしちゃ柔らかそうだ。マヨネーズかな? 俺にく れたパンにも塗ってあるのだろうか? スープを作っていて気がつ かなかった。 とにかくハムを渡すと脇に置いておいたパンにかぶりつく。一口 齧って口の中で咀嚼してすぐに気がついた。なんだこれ、めっちゃ 旨い。ちょっと鼻に抜けるようなツンとした香りとコクのある酸っ ぱさは⋮⋮辛子マヨネーズだ!! ﹃まょ、か、辛子マヨネーズ⋮⋮﹄ 呆然としてつい日本語が口をついて出た。 ﹃⋮⋮そうじゃないかと思ったわ。この世界にマヨネーズはあるん だけど、辛子を混ぜたのはないみたいだったから作ったの。バーク ッド﹄ は? ばー、くっど? 何故今それを? ﹁何を言ってる?﹂ ゼノムが不思議そうに訪ねてきた。当然だ、彼に日本語は解らな いだろうし。 ﹁バークッドの方言よ。この前一緒に仕事した彼、なんて言ったっ け⋮⋮あの人に教えて貰ったの。あの人もバークッド出身だって言 ってたから﹂ そういうことか。この女、頭の回転が早いな。それに、確実に転 1038 生者だ。だとすると遠慮は必要ない。鑑定してみるか。 ︻ラルファ・ファイアフリード/25/12/7429︼ ︼ ︻女性/14/2/7428・普人族・ファイアフリード家長女︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:6︼ ︻HP:83︵83︶ MP:3︵3︶ ︻筋力:11︼ ︻俊敏:16︼ ︻器用:14︼ コーディネート・パーシーヴ ︻耐久:13︼ ︻固有技能:空間把握︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻経験:42615︵43000︶︼ コーディネート・パーシーヴ ︻空間把握︼? なんだそれ? ︻固有技能:空間把握;使用者は技能を使用した座標から一定範囲 ︵自分を中心として半径5m。レベルに比例して5mずつ増加する︶ 内に滞在する限り自分の向きと上下感覚を見失わない。この感覚は 視覚情報に左右されず、必ず上下左右を見失うことはない。また、 方角も完璧に把握できる。なお、技能を使用する際には自分が身に つけていると認識している以外の固体に触れていない場合にのみ使 用が可能となる。つまり、技能の発動が可能なのは跳躍中、落下中、 飛行中、水中などである。効果時間は1レベルあたり10分間であ る。なお、効果範囲内に留まる限り効果範囲外から内部に侵入して きた非生物をその大きさや形状、進行方向、速度について把握する ことも可能となる。但し、検知可能な非生物は生物によって装備ま たは装着されているものは含まない。従って、侵入者を感知するこ 1039 とはこの技能では不可能である。何らかの装置から発射された物体 を感知、または検知することのみを可能とする。当然ながら効果範 囲外から侵入してきた何らかの魔法などの魔法的に発生した元素に 対しても効果を発揮する。しかしながら、効果範囲内から発射、ま たは投擲された非生物を感知することは不可能である。また効果範 囲内に留まり続ける限り使用者の空間把握能力の向上により、宇宙 空間、空中、水中など、踏ん張りが効かない状況下での全ての身体 能力とそれに関連する戦闘能力がレベルに比例して20%ずつ上昇 する︼ レベル表記がないってことは使ってないんだな。しかし、自分の 天稟の才はレベル表記が現れるまで鑑定のサブウインドウは開かな かったと記憶している。他人の固有技能なら鑑定可能なのかな? それとも見えるものと見えないものと種類が違うのだろうか? 疑 問はあるが、考えてもわかろうはずもない。 それより、この空間把握って、考え様によっては⋮⋮。それに、 いたずらにレベルを上げすぎても⋮⋮いや、最高レベルが9なら最 高でも半径50mか。うーん⋮⋮。 また、固有技能についても使った形跡がない上、魔法の特殊技能 もない。MPも年齢の標準値と言える3だしな。レベルも年齢の割 にはかなり高い。成人するくらいの従士で5くらいが普通であり、 シャーニ義姉さんが16で家に嫁いできた時と同じレベルだ。さっ きの戦闘時の戦い慣れした動きといい、この二人はかなり経験を積 んだ冒険者なのだろうか? だとすると⋮⋮。 俺はサンドイッチを齧りながらこの二人から信頼を得るためには どうしたらいいか、頭を悩ませ始めた。 1040 1041 第十五話 新たなる出会い3 7442年5月11日 ﹁ところで、あんたたち、凄いな。相当腕の立つ冒険者なのか? さっきの襲撃に対しての反撃は見事なもんだった﹂ 勿論、おべっかだ。確かに見事な反撃態勢を短時間で構築出来た のは大したものだと感心するが、流石にあのままだと結構厳しかっ たろう。オーク達に殺されるようなことはないだろうが、場合によ っては傷を受けていた可能性も否定できない。なにしろ、斧で槍の 柄を叩いていただけだし。 確かに槍を破壊できさえすれば何とかなった可能性はある。場合 によってはオークの何匹かを傷つけるか殺すか出来れば充分に撤退 を誘えた可能性も否定できない。だが、そこに至るまでには数分∼ 数十分もの時間が必要になるだろうし、その間相手の攻撃を避けつ つも武器を破壊するために集中力を持続し続けなければならないの だ。かなり難しいと言えるだろう。 ﹁いや、確かに冒険者で飯を食ってはいるがそんなに大した物じゃ ない。俺たちなんかより、アル、あんたの方が凄い。あの魔法の連 発は大したものだった。俺は二十年近く冒険者をやっているが、こ んなに腕の立つ魔法使いは初めて見た。あれだけの魔術を使いなが らも平然としていられる余裕も大したもんだ。多分魔力もかなり使 ってくれたんだろう? 本当に感謝している﹂ ゼノムはそう言って俺に頭を下げてくれた。 1042 ラルファの方も今回はゼノムに合わせて頭を下げてきた。 ﹁いいんだ。どうせ今日中にフォシルまで行ければいいんだから、 魔力を惜しんでも仕方ないしね﹂ 俺がそう言うと、二人は顔を見合わせてからまた頭を下げてきた。 ﹁ありがとう、正直な話、あそこで魔法を使ってもらえて本当に助 かったわ。かなり時間を食うのを覚悟してたから。それに、最初の 魔法だけじゃなくて﹃ファイアボール﹄まで使ってくれて⋮⋮魔法 使いは魔力を残しておくのが常識って聞いていたから、まだ魔法を 使ってくれることに吃驚した。オークの装備まで譲ってもらえたし ね﹂ ラルファがそう言ってきた。ふむ、苦戦をして時間がかかること は認めるが、負ける気はさらさらなかったってことか。過去にもっ とずっと苦しかった戦いを経験していそうだなぁ。 その後暫くは三人とも食事にその口を使った。食事が終わるとゼ ノムはまた口を開いた。 ﹁助けて貰った上に、装備を譲ってもらい、飯まで世話になった。 さっき、あんたはフォシルまで行くと言っていたな。オークとの戦 いの時に魔法も使っているし、今スープ、いや、お湯か、温めたの も魔法だろう? いくらなんでももう魔力に余裕はないはずだ。あ んたは馬に乗っているから早いだろうが、いくら馬でもこの先フォ シルまではまだ三時間近くはかかるだろう。もし急がんのなら、せ めてフォシルまでは同道させてくれないか? またさっきのような 魔物の集団にでも出くわせば一人だときついだろう﹂ 1043 いや、別に全然きつくはないけど、この申し出は正直なところ渡 りに船だ。多分お礼のつもりで護衛役を買って出てくれるつもりな のだろう。 ﹁そうか、そう言って貰えると俺としても有難いな。馬を飛ばせば 魔物に出くわしてもなんとかなるだろうが、流石にきつい。ゆっく り歩いて行けるならそれに越したことはないしな。むしろこっちか らお願いしたいくらいだ﹂ 俺もそう言って頭を下げた。しばらくでも一緒に行動するなら戦 力の把握は必要だ。ゼノムも鑑定してみよう。 ︻ゼノム・ファイアフリード/5/4/7416︼ ︻男性/19/1/7402・山人族・ファイアフリード家当主︼ ︻年齢:40歳︼ ︻レベル:16︼ ︻HP:126︵126︶ MP:8︵8︶︼ ︻筋力:25︼ ︻俊敏:10︼ ︻器用:25︼ ︻耐久:22︼ ︻特殊技能:赤外線視力︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻経験:574234︵680000︶︼ うほっ、レベル16かよ。初めて見た。既に各能力の値は下降線 に入っている年齢だろうに、筋力すげーな。器用さも普人族より高 い。だが、俊敏はかなり低い。山人族の特徴が色濃く出ているな。 なるほど、これならあの戦い方も頷ける。無闇に突っ込むわけにも いかないだろう。ゼノムはどっしりと構え、ラルファが動き回って 1044 ゼノムの死角になっている方向をカバーするのだろう。 とりあえず、次の村までは同行できるのだ。頼りになりそうなド ワーフの冒険者だし、いろいろ冒険者としての話も聞いてみたい。 ラルファも転生者であるし、この二人は養親と養子の関係だとも言 う。是非今後も一緒に行動したいものだ。 ・・・・・・・・・ その日の夕暮れ近くになる頃に俺たち三人はフォシルの村に到着 した。道中新たなモンスターに出くわすこともなく、平穏無事な道 筋だった。おかげで俺はゼノムやラルファから冒険者の話をいろい ろと聞くことができた。 フォシルの村は王直轄領にあるだけあって、家並みはそれなりに 整然としており、建物すべてがまだそこそこ新しいものである感じ がした。ゼノムやラルファが言うには村自体が10年ほどの歴史し フォシル かないらしい。それまではこの辺り一帯は一面荒地だったそうだ。 この村は10年ほど前に王から士爵の授爵をされた男が切り開いた、 まだ新しい村だそうだ。人口も200人いるかどうかの、村として は赤ん坊くらいの小さな村だった。 なら 当然ながら宿などという気の利いたものもなく、商店すらなかっ た。村はずれに平らに均した空き地があり、隊商などはそこを利用 して休むらしい。今日はここで足を留める隊商はいないようなので 俺たち三人の貸切状態だそうだ。領主の館まで行き、空き地で一晩 1045 野営をさせてもらえるよう断ってから、野宿の準備を始めた。ゼノ ムは薪を手に入れてくると言って村に入って行った。恐らく村人に 薪を売ってもらう交渉をしに行ったのだろう。 うん、今がチャンスだ。俺はラルファに話しかけた。 ﹃なぁ、ラルファ。あんたも日本人だろう? 俺は川崎武雄。サラ リーマンだった。事故の時は電車に乗っていた。出来れば情報交換 なんかで話がしたいんだが﹄ ﹃⋮⋮大野美佐。学校に戻るつもりでバスに乗ってた。私も話がし たいと思ってた。あなた、お酒持ってる?﹄ ラルファが日本語で返してくれた。ここ数年というもの、思考も こっちの言葉が主体になっていたが、先月にクローとマリーと喋っ てからというもの、日本語で考えることも多くなってきた。日本語 を喋れるというのは郷愁を掻き立てられる。 ﹃え? 酒? ごめん。酒は持ってない。なんで? 飲みたいのか ?﹄ ﹃私じゃないわよ。ゼノムに飲ませたいの。普段はあまり飲まない ように気をつけているけど、こうやって火の番だけで見張りの必要 がない時なんか、飲むとすぐに寝ちゃってそう簡単には起きないか らさ﹄ ラルファは俺の失礼な勘違いについて怒りもせず修正した。まぁ 怒るほどの内容でもないしな。しかし、なるほど。﹁学校に戻る﹂ というからには学生か教師だったのだろう。事故があったのは確か 昼過ぎだったのような気がするから学生だとしたら大学生か。若く 1046 評価されたほうが女性は嬉しいだろう。 ﹃ああ、そうか。勘違いしてた。⋮⋮学生だったのか? どこの大 学? あ、いや、懐かしくてね﹄ ﹃初台学園高校⋮⋮。あたし、頭よくなかったからさ⋮⋮学校名言 ったのは十何年ぶり⋮⋮。確かに懐かしい、ですね﹄ そう言ってラルファは夕日が差し始めた中、目を瞑った。もはや 過去となった遠い日に思いを馳せているのか。茜色になった日の光 が彼女の髪に反射して綺麗だった。 ⋮⋮高校生だったのか。いろいろ楽しい時期だったろうに、いき なり事故で死んだと思ったら地球じゃない世界に転生か。参考まで オース に言うと初台学園高校なんて聞いたことなかった。本人の言う通り 程度の低い学校だったのだろう。だが、ここではそんなものあまり 関係ないだろう。多分お互いにとって日本人だったと言うことのほ オース うが余程重要事項だ。通ってた学校の程度が高かろうが低かろうが、 ここで14年間生き抜いてきた事の方が大切なことだと思うよ、俺 は。 ﹃でも、お酒がないとゼノムが起きちゃうかも。ここから離れて話 したほうがよさそうね。川崎さん、真夜中に起きれる、ますか?﹄ ﹃はは、無理に丁寧に喋る必要はないよ。アルでいいって言ったろ ? それにここではお互い同い年だ。遠慮しないで普通に喋ってい いよ﹄ 俺がサラリーマンだったと聞いて、ゆっくりとだが丁寧に喋るよ うになってきたのを制して言う。出来れば親しみを持って欲しいか 1047 らな。 ﹃それから、真夜中に起きることは問題ない。俺が君を起こしたほ うがいいかな? だけど、ゼノムに気づかれないように起こせるか 自信がないよ。親父さんなんだろう? 夜中に君を起こそうとして いるのがばれたら怒られそうだ﹄ ちょっとおどけた様に言ってみた。それで空気が柔らかくなった ことを感じ取ってくれたのだろう、ラルファは ﹃ん、じゃあ、私が最初に火の番をする。で、真夜中くらいに交代 する名目で起こしてあげる。そうしたら、多めに薪突っ込んで少し 離れて⋮⋮あの辺で話そう﹄ そう言いながら空き地の端にある石を指差した。ここからだと2 0mくらい離れている。俺たちは空き地の中でも、村に近い端の方 で火を熾すことにしていたから、反対側の端までは結構距離がある のだ。確かにあれだけ離れればぼそぼそ声なら気がつかれ難いだろ う。 ﹃わかった。いいよ。そうしよう。じゃあ、さっさと用意をしちま おう。俺はゼノムが戻ったら飼葉を分けて貰いに行かないといけな いし﹄ ﹃ん、わかった﹄ 俺が空き地周辺の岩塩を舐め、草を食べている馬を見ながら言う と、ラルファは了解してくれ、野営の準備を進めた。 1048 ・・・・・・・・・ 簡単な晩飯を食ってから眠っていると真夜中頃に起こされた。俺 は未だに真夜中に一度目が覚める癖が抜けていないので、別に起こ されなくても勝手に目が覚めるのだが、いちいち説明するのも面倒 なので黙って起こされることにしていたのだ。 目を開けて起こしてくれた相手を確認すると、当たり前のことだ がラルファだった。俺は、 ﹁交代の時間か、大丈夫、目が覚めたよ﹂ とわざとらしく言って体を起こし、 ﹁ちょっとだけ歩いてくる﹂ と言って、夕方ラルファと示し合わせておいた石に腰掛けた。 焚き火に薪を追加していたラルファはそうっと音を立てないよう に歩いてくると俺の隣に座った。少しでも声がゼノムに届かないよ うに、お互いに焚き火に背を向けて座っている。 ﹃ゼノムは良く寝てる。このくらいの声なら起きないと思う﹄ ゼノムが目を覚まさないかとびくびくしていた俺にラルファが言 う。 1049 ﹃そうか。じゃあ、少し話そう﹄ 俺がそう言うと、ラルファは続けて話そうとした俺をさえぎって 言った。 ﹃まず、確認させて。あなたの固有技能はなに?﹄ ほう、取り敢えず一番大事なところにずばっと切り込んできたか。 ﹃魔法習得ってやつだ。昼も見てくれた通り、俺は魔法を覚えるの が得意なんだ﹄ 焚き火の火は俺たちの背中を小さな炎で照らしているに過ぎない からラルファの表情を見ても良くわからない。 ﹃そう⋮⋮やっぱりそんなところじゃないかって思ってた。私の固 有技能は空間把握っていうの。でも使い方がわからないんだ。昔、 ゼノムに固有技能って何か聞いてみたけど、ゼノムも知らない、聞 いたことがないって言ってた。神様に会った時に聞こうとしたけど、 他の事から確認していたら時間がなくなっちゃって⋮⋮結局聞けな かった。もし良かったら固有技能の使い方を教えてくれないかな?﹄ ﹃その前にいくつか確認させてくれ。神様とはどのくらいの時間会 ってたんだ? それと会ったのはいつごろ? ちなみに俺は赤ん坊 の頃だ﹄ ﹃私はもっと後。確か4歳か5歳くらいの時。ゴブリンにやられて 初めて怪我をした日だったからね。その時、私、ゴブリンのことを 舐めてたのよね。それまでにゼノムと一緒に何匹も殺してたし。そ う苦戦したこともなかったから⋮⋮あのあと、ゼノムは私を担いで 1050 近くの村の治癒師のところまで連れて行ってくれた。確かその時初 めて魔法を見たのよね﹄ おいおい、話が逸れてるよ。ラルファはまだ続けて話すようだ。 ﹃でね、その日の晩、眠ると神様に会ったの。私にくれた質問時間 は5分しかなかった。もう帰れないことを何度も確認して絶望した のを覚えてる。あとはお金の単位とか、ゼノムのこととか他の転生 した人のこととか聞いてたら時間切れになっちゃった。お金の単位 とか時間とかはもう知ってるでしょうけど、その時聞いたほかの転 生した人たちとも逢えそうにないなぁ、って思ってたから昼にアル を見た時は結構吃驚した。10年以上冒険者であっちこっち歩き回 っていたけど、私は他の転生してきた人と会ったことなかったから﹄ 5分か。クローやマリーよりはましだが、確かにそれだけだと得 られる情報は知れているだろう。固有技能の使い方なんかは大切だ ろうが、取り敢えず生きていくためにはもっと確認しておいたほう が良い事は多いしな。無理もない。それに、10年以上も冒険者を していたのか。超ベテランじゃねぇか。冒険者歴一ヶ月くらいの俺 からしたら大先輩だ。 ﹃ねぇ、知ってる? 転生してきた人たちって結構離れて生まれて るらしいの。お互い100Km以上離れて生まれてきたんだって。 最低それ以上離れた場所で丁度いい集落と丁度妊娠している人を選 んだから場合によっては何百Kmも他の人と離れた人もいるみたい。 貴方は私以外の転生してきた人と会った事はある?﹄ へぇ、それは知らなかった。俺も他の転生者の場所を聞いた気も するけど教えてくれなかったような⋮⋮俺の聞き方が悪かったのか な? まぁ今更後悔しても遅いけど。だが、今の話は大きな参考に 1051 なる。転生者は39人。それが各々100Kmくらい離れて生まれ た。確か俺は端っこの方だと言ってた。 ﹃ある。俺は既に二人の転生者││オースに生まれ変わった日本人 を俺がそう呼んでるんだけどさ。うん、二人の転生者と出会ってる。 ウェブドス侯爵領の首都のキールってとこだ。ちょっと面倒を見て やって二人とも今は侯爵の騎士団に入ってるよ。二人のうち一人は 女だ﹄ 俺がそこまで言うと、ラルファは、 ﹃会いたいなぁ。話してみたい﹄ と言った。気持ちは解る。 ﹃言ったろ、今は騎士団で下積みからやってる。何年かしたら会え るさ﹄ それを聞いてラルファが少し残念そうに言った。 ﹃そっか⋮⋮でも、どんな人たちなの? 確実に居所がわかるって いいなぁ。中心地は教えてくれなかった。私は中心よりちょっと南 で生まれたらしいの。ゼノムが私を拾ってくれたのはヘンティル伯 爵領にあるラルファって村の傍の洞穴の中だったんだって。だから 私の名前もラルファってつけられたの﹄ じっと話を聞いたまま黙っている俺にラルファはまだ語りかけて くる。 ﹃私、多分ゼノムに拾われてなければそのまま洞穴で死んでたと思 1052 う。あの時は周りの状況も解らなかったし、混乱してただけで何も 出来なかったから⋮⋮。赤ん坊だったしね。ゼノムは私を抱えてラ ルファ村で親も捜してくれたらしいけど、見つからなかったんだっ て。多分、棄てられてたんだと思う﹄ ヘビーな話だな。 ﹃そうか、だが、ラルファは運が良かったんだな。ゼノムに拾われ て、ちゃんと育ててくれたんだろう?﹄ そう言ってやった。他に何が言えるよ? ﹃うん、本当にそう思う。だからゼノムはドワーフだけどお父さん なの﹄ ﹃ああ、そうだな。じゃあ、今度は俺が話そう﹄ クローやマリーに語ったようなことを話してやった。 ・・・・・・・・・ ﹃⋮⋮いまのが魔法の修行方法だ。少なくともこれで俺は魔法が使 えるようになった。だから成人しているとかしていないとかは関係 ないと思う。俺の知っているほかの奴も成人前からこの方法で魔法 が使えるようになってるしな﹄ 1053 ﹃そうなんだ、じゃあ私も使えるようになるかもしれないんだ。あ と、固有技能のことだけど、どうやって使えばいいの?﹄ ﹃それは⋮⋮わかんねぇ。名前からして宙に飛び上がりながらでも 使ってみれば良いんじゃないか? 使い方は心の中で固有技能の名 前を念じるだけでいいはずだ。だけど、使えば魔力を食うからな。 使いすぎには注意したほうがいい﹄ 適当を装いながら固有技能の使い方を教えてやった。多分ラルフ ァは話してみた感じだと当面俺と敵対するようなことはないと思っ たからだ。それに、ここまで言えば今はともかく、明日の朝には俺 の言葉の真偽が確かめられる。すると俺の信用も上がることだろう。 まぁ今だってやろうと思えば出来るだろうけどさ。ゼノムが起きち ゃう可能性もあるしな。 ﹃⋮⋮そっか。あと、ひとつ聞きたいんだけど、アルは明日からど こに行くの? 冒険者なんでしょ? 依頼中なの?﹄ ﹃いや、今は何の依頼も受けていないよ。キールからバルドゥック に拠点を移そうと思ってね。あそこの迷宮に行くつもりなんだ﹄ そういや言ってなかったな。ええい、ついでだ。一緒に行ってみ ようって言ってみようかなぁ⋮⋮いや、まだ早いかな? でも場合 によっては明日で別れようと切り出されちゃうかも知れないしなぁ ⋮⋮。 ﹃バルドゥックの迷宮か⋮⋮うん、そっか⋮⋮﹄ ラルファが俺の言った単語を噛み締める様に繰り返す。うーん、 こりゃ早まったかなぁ。途中まででも一緒に行けるならなんとかそ 1054 の間に挽回したい。 ﹃よっ⋮⋮と﹄ は? こいつ、何やって⋮⋮俺は振り返ってゼノムが寝ているあ たりを見る。俺の言葉を聞いたラルファがいきなり立ち上がってジ ャンプしたのだ。慌てて鑑定すると、MPが1減って、残量が2に なっていた。こいつ、使いやがった! また振り返ってゼノムを見 る。そしてぼうっとしているラルファを見上げる。振り返ってゼノ ムを見る。振り子か、俺は。 ﹃おい、お前⋮⋮﹄ ﹃ふうん、これが空間把握か⋮⋮﹄ 俺の言葉なんか聞いちゃいねぇ。 ﹁ゼノム! 起きて!﹂ どうしてこうなった? 1055 第十六話 新たなる出会い4 7442年5月12日 ラルファの言葉に視界の隅っ子でゼノムが飛び起きたのが見えた。 一体なんなんだよ、こいつ? 俺は頭を抱えたくなるが、そんな俺に構わずラルファは起き上が ったゼノムの方へ駆け出していく。ああ、ちっくしょう。いきなり 敵対してくるとは思えないが⋮⋮万が一もある。俺は、半身を起こ しかけたゼノムと彼に向かって駆けていくラルファの背を睨みなが ら立ち上がった。 途中、一瞬だけラルファはびくっとしたようだったが、すぐに駆 け続け、ゼノムに声を掛けた。 コーディネート・パーシーヴ ﹁ゼノム! ︻空間把握︼、使えたよ! 私、固有技能が使えるよ うになった!﹂ はぁぁぁぁぁっ!? なにそれ? 何言ってくれちゃってんのよ !? 口を開きすぎて顎が外れるかと思ったわ。 ラルファの言葉を聞いて呆然とする俺を他所に、彼女は嬉しそう に声を上げてゼノムに駆け寄っていく。 ﹁ああ? 固有技能? え? なに? おお、そうか!﹂ 1056 ゼノムもすぐに覚醒したようで、最初は戸惑ったようではあった ものの、すぐに嬉しそうに答えている。しかも疑問も無いようだ。 あ、そう言えば。 −−− ﹃そう⋮⋮やっぱりそんなところじゃないかって思ってた。私の固 有技能は︻空間把握︼っていうの。でも使い方がわからないんだ。 昔、ゼノムに固有技能って何か聞いてみたけど、ゼノムも知らない、 聞いたことがないって言ってた。神様に会った時に聞こうとしたけ ど、他の事から確認していたら時間がなくなっちゃって⋮⋮結局聞 けなかった。もし良かったら固有技能の使い方を教えてくれないか な?﹄ −−− さっきはつい流してしまってたけど、こいつ、既にゼノムに相談 してるじゃねぇか! ってことは⋮⋮? まさか、転生とかその他諸々についても言ってるのかな? 言ってるとしてどこまで話しているのだろうか? そして、ゼノムはそれらをどこまで信じているのか? ああ⋮⋮目眩がしそうだ。 ゼノムとラルファは何やら嬉しそうに話している。 事によったら、本意ではないが二人の口を塞がないといけないか も⋮⋮あれ? 1057 なんで? よく考えてみたら転生したってのは別に悪い事じゃない。罪に問 われるような事でもない。誰かに仕えているのであればオースに無 い知識なんかを利用される可能性はあるが、それだって別に悪くは ない筈だ。 嬉しそうに話すゼノムとラルファを見ながら、早急にどうこうな 転生者の知識が有効だ という情報が一般化しているのであれ る事はないと判断した俺は自分の考えに没入し始めた。 ば本意ではない協力を強要されたりする事もあるだろうが、だから 有効な知識 を持っているなら粗略に扱われる筈もなかろうし、 何だと言うのか? かなりいい待遇で遇されるに決まってる。よしんば、無理やり知識 を吸い出そうとしても本人の協力がなければ絶対に無理なのだから、 少なくとも利用しようとする側は最初は好条件を提示してくる筈だ。 俺は何で両親にも兄弟にも転生して来た事を隠したんだっけ? ああ、出来るだけ変に思われたくなかったからだ。悪魔憑きだとか 神が降臨されたとか、そんな風に思われたくなかったから⋮⋮曽祖 父が夢枕に立った事にしたんだっけか。すっげー昔の事なのですっ かり忘れてた。 クローやマリーも転生して来た事を隠している風だったし、すっ かりその気でいた。かくいうラルファだって最初は用心して日本語 のことをバークッドの方言とか言って、更にゼノムが寝るのを待っ て話そう、と言ったからこそのこの状況の筈だ。 1058 何故それらを不思議に思わなかったのか? 簡単だ。皆が俺と同じような価値観であると勝手に思い込んでい たからだ。 自分の国を作りたかったから、お山の大将になりたかったから、 誰かに都合よく自分の持つ知識だけを使われるような事を避けたか っただけなのだ。 小さな子供の時分であれば何を言ったところで信頼性は低いし、 むしろ力の差によって意に沿わない事をやらされるかも知れない。 場合によっては異常すぎるという理由で排斥されたり殺されてしま うかも知れない、と当時の赤ん坊の俺は分析したからだ。 少なくともある程度まで成長するまでの、当面の間は他の子と同 様に扱って欲しかったから隠したのだ。結果として他の子と比較し て異常な程出来のいい子供だというように捉えられたけれど、それ はあくまで様子を見ながら、ここまでは大丈夫だろうと少しづつ小 出しにしてそうなったに過ぎない。 え? いいんだよ、俺がそう思っているんだから。 裏を返せば当時の幼児だった俺はヘガードやシャルの親の愛を疑 っていたと捉える事も出来る。ああ、今はそんな事は無い。両親の 愛情を受けて育って来た事について全く疑念を持っていない。オー スでの両親を前世での両親同様に愛しているしな。 確か俺が喋り始めたのは一歳頃。曽祖父が夢枕に立ってどうこう 言ったとか、なにやらオカルティックなことを言ったのもそれくら い。その後、村の農業のことや貴族の仕組みのことを聞いたりはし たが、実際に口を出してゴムやら何やらに手を出したのは⋮⋮四∼ 五、いや、六歳過ぎだ。 1059 あ、いや、確か農作業の効率化のために大型の家畜を導入する資 金の為に始めたんだ。 あの当時はMPも相当増えていたから、最悪放逐されたとしても 何とか一人で生きて行くくらいは出来る自信が付いてきたから、と いう理由も全くない訳じゃないけど。 勿論その頃には万が一にもそんな事態にならないと思っていたし、 何か家族の役に立ちたい、それで、出来そうな事はなんだろう? と考えたからだ。 運も相当良かった。何しろあの両親の元に生まれてくる事が出来 たのだから。そうでなかったらどうだ? 例えばクローのように農 奴階級に生まれて来たのだとしたら、彼のように相当苦労したであ ろう。そもそも幼少時に病気なんかでころっと死んでいた可能性だ って高かったろう。 ある意味でバークッドにいた頃の俺がそうだが、利用される事は 決して悪い事ではないし、その反対も然り。むしろあの頃の俺は積 極的に利用されようとしていた。誰かをその能力に応じて使役した り使役されたりなんて当たり前の事だ。俺の意見に賛同する奴も多 いと思ってるよ。 だって、そうじゃなきゃ地球の企業で働く人たちや経営者は全員 悪党だ。政治家や役人も悪党でその下で税を納め、安全や社会保障 などの利便性を享受している国民たちも全員揃って悪党で地球は悪 の星ということになるからね。 そんな訳ないことは誰もが知っている。 オースの人々だって知っている。 1060 当然転生した日本人だって知っているだろう。 勘違いしないでくれ。俺は友達が欲しい訳じゃない。 勿論、友達関係を構築出来るような人がいれば友達になる事に否 やはない。 ただ、俺がやろうとしている事に友達の有無は関係ないというだ けだ。 とだけ言うと勘違いされても困 使役し、使役される関係が構築出来れば充分だしな。ああ、勿論 使役し、使役される関係 俺が使役する側での関係だ。 単に るから訂正しようか。 俺が作る国の国王に俺はなりたいし、臣下や部下が欲しいという 事だ。俺の目指すところに賛同してくれる人は友達である必要はな いって事。会社を作るなら社長とその手足になって働く部下が必要 だし、部下のそのまた部下だっていた方がいいだろう? 俺一人が独立宣言し、領地を主張してもいいけれど、それじゃ誰 もついてこないし、諸国はどこも国だなんて認めないだろう。俺が 個人としてどれだけ強くても、この先強くなっても百人の軍隊相手 にたった一人で勝てる訳がない事は自明の理だ。 ついでに言うと、民主的な国なんか作りたくもない。 俺をトップとする限りなく独裁国家に近い専制主義国家を作りた い。 俺が目指すのは成り上がった戦国大名なのだ。搾取され、虐げら れている人々を王族・貴族階級から解放する社会・共産主義なんか 目指してない。社会体制なんざ今のままで充分だ。 大陸全土を統一したいとも思わない。出来るならやるだろうけど、 そんなのは自分の国を作ったあとで心配することだ。 男一匹、夢はでかい方がいいだろうが、実現するには幾つもの階 1061 かしず 梯が必要な事くらい理解しているさ。 俺に傅いてくれる奴がいて、そいつが使えるなら厚遇する。俺に 付いて来ればこんなにいい目にあわせてやるぞ、どうだ? って事 だ。ほら、別段誰かと友達になる必要なんかないだろう? 有能で忠実な部下でさえあればいい。 と、すると、別に転生者である事を隠す必要なんか特に無いんじ ゃねぇか? 信じる信じないは相手次第だしな。まぁ、普通は信じられないだ ろう。信じられないのであれば、ヨタ話と思って流されるだけだろ うし、害といえばホラ吹きと思われる程度の害しかない。 尤も、俺と同じ転生者ならきっと信じるだろうけど。 問題はこちらを利用してやろうとしている相手に転生者である事 が露見することのデメリットだ。だが、こちらを利用してやろうと いう事は、すなわち転生者の有用性を認識しているという事に他な らない。今のところ考えられるのは相手が転生者である以外には有 用性が露見し難い、という事か。だが、俺の例もある。 転生者がこの世界で俺なんかとは比較にならないくらい高い地位 に転生していた場合⋮⋮。 転生者は、個人の主義主張などの性格や人格はともかく、知識や セデュース 能力的にはオースの人々よりは上であることは確かだ。固有技能だ コーディネート・パーシーヴ って持っている。クローが︻誘惑︼、マリーが︻|耐性︵毒︶︽ポ イゾナス・トレランス︾︼、ラルファが︻空間把握︼。 固有技能は強力だし、俺の鑑定や天稟の才も彼らに劣らずインチ キ臭いほど優秀な技能と言える。考え様によっては、クローやマリ 1062 ー、ラルファを相手にした場合、俺も膝を屈することだって有り得 るのだ。出来るだけ多くの転生者を味方に付けるか、中立にしてお いた方がいい。 敵対するのだけは避けたいよな。 ところで、もうそろそろラルファがゼノムと一緒にきゃあきゃあ 言い始めて三〇秒くらいは経つ。もう充分だろう。 ﹁ラルファ、嬉しいのは解ったけど、いきなりどうしたんだ?﹂ 俺は頭の中の整理を中断し、彼女に声を掛けながら近づいた。空 間把握の固有技能が使えたのだという事は理解している。それが使 えたことが俺に解っていないふりをしようとしたが、そんなことは 彼らの会話を聞いていれば理解出来るから、意味がない。路線変更 だ。 ﹁ゼノム、アルが教えてくれたの。魔法の修行方法も!﹂ 俺に全く構う事なく、ラルファはゼノムに話しかけている。聞こ えなかったのかな? ﹁でね、バルドゥックの迷宮に行くんだって! やっぱり私の言っ た通り。転生してきた人は強くなろうとしてあそこを目指すのよ!﹂ なに? ﹁ああ⋮⋮そのようだな。ラルファ、どうするんだ?﹂ ﹁そんなの決まってるじゃない! 一緒に行く! だってあんなに 1063 魔法が使えるなら私達だって二層くらいはいけるでしょ!?﹂ は? え? 何二人で話してんの? 五m程まで近付いてきた俺にゼノムも気が付いたようだ。 俺の間抜けな顔を見られたろうな⋮⋮。 ﹁ラルファ、言いたいことは解った。だが、俺に言う前に本人に言 ったのか? ⋮⋮言ってないんだろう? 先走りはお前の悪い癖だ﹂ たしな ゼノムはそう言ってラルファを嗜めた。 ラルファが振り返った。やぁ、久しぶり。 ﹁ねぇ、聞いてた!?﹂ キラキラした表情でそう言ってきた。 ﹁⋮⋮ああ、大体はな﹂ ちょっとだけ憮然として答えた。 ﹁じゃあ﹁ちょっと待ってくれ﹂ 勝手に話を進めそうになったので中断させる。確かに当初の思惑 通り、一緒に行ってくれそうな雰囲気だ。ラルファが仲間になりた そうにこちらを見ている。 ﹁いくつか確認させてくれよ。大事なことだ。ゼノム、あんたはど こまで知ってる?﹂ 俺は地面から半身を起こしているゼノムを見つめながら言った。 1064 ﹁ん? 何を知ってるかって? 何の事だ?﹂ これじゃ流石に解らないか⋮⋮。 ﹁ラルファの固有技能のことだ﹂ 転生とかその辺も聞きたかったが、そこまでラルファが明かして いない可能性もあるしな。 ﹁ああ、ラルファから聞いている。使えるように教えてくれたんだ ってな。ありがとう。これでシコーキとやらも﹁え?﹂ いま、何て言った? ﹁いや、シコーキも使えるようになるのか?﹂ ﹁は? え? シコーキ?﹂ 思わずラルファの方を向いた。 ﹁ひこうきよ。ひ・こ・う・き。空を飛ぶあれよ﹂ ﹃ゼノムには転生のこととかどこまで話しているんだ?﹄ ﹁え? 私の知っていることは全部話してるよ? なんで?﹂ やっぱりそうか。 ﹃じゃあ、何で日本語のことをバークッドの方言とか言って誤魔化 1065 した?﹄ ﹃だって、ゼノムは日本語喋れないもん﹄ 繰り返して俺が日本語で言ったのでラルファも日本語で返してき た。 よいつぶ ﹃次、それならわざわざゼノムが寝てから話そうとしたのは何でだ ? 最初はゼノムを酔潰そうとまでしたよな?﹄ ﹃ゼノムに糠喜びさせたくなかったし⋮⋮あれ? なんかまずかっ た?﹄ やっと気が付いたようだ。一四年も無償で育ててくれた親父さん なら別にまずくないけどさ。 問題はその他だよ。 ﹁いや、もういいよ。ゼノム、ラルファが別の世界から生まれ変わ って来たことは知っているんだな?﹂ ﹁ああ、ラルファから聞いてる。ラルファは色々な話をしてくれた からな。あんたもそうなんだろ?﹂ ゼノムは話の前後からなんとなく俺が言いたいことを想像したよ うだ。顔つきが変わった。 ﹁今更否定しても仕方ない。そうだ。俺はラルファと同じ国に生ま れ、育ち、そしてこの世界に生まれ変わった﹃人間﹄だよ﹂ 俺は続けて言う。 1066 ﹁で、確認なんだが、ラルファが生まれ変わったと信じているのは、 いやそう言っていることを知っている奴はあんたの他に居るのか?﹂ ⋮⋮。 しばし沈黙があった。思い出そうとしているのか? ﹁居ない。ラルファにはその事は無闇に話すなと言っていた。昔、 ラルファがまだ小さい頃に話してしまった相手が一人だけいたが、 その後そいつが誰かと会う前に俺が殺した⋮⋮﹂ 言いたくない事を言わせてしまったようだ。今の話を聞いてラル ファが口を押さえた。 ﹁そうか、すまない。ラルファの前では言いたくなかったろうに⋮ ⋮悪かった﹂ ﹁いいんだ。それに、話してはいけないとは言っていたが、例外と してラルファと同じ立場の人間がいたら積極的に話せとも言ってい た。この子は小さい頃から俺が連れまわしているせいで友達がいな いからな。昔はいつも怖がっていたし。ラルファが言うには、生ま れ変わった奴なら皆感じることや考え方は大して変わらないはずだ と⋮⋮同郷の奴になら話しても問題がないだろうと⋮⋮そういうこ とか、俺も娘には随分甘かったという訳だ﹂ ゼノムは理解したようだ。 ﹁ああ、そうだ。一番危ないのは俺達同様に生まれ変わった奴だと 思う﹂ 1067 俺はラルファに向き直ると改めて言った。 ﹁ラルファ、もし俺があんたの知識を利用しようと思っていたら危 なかったぞ。まぁ俺だって人のことは言えない。軽々しく固有技能 の使い方を教えてしまったしな。だが、ここまで話したからには⋮ ⋮二人共覚悟してくれ﹂ 俺は真剣な顔つきで二人を見つめた。二人共俺に気圧されたよう にはなったものの、用心を固めたようだ。このあたりは軽々しいラ ルファの言動と裏腹に熟練冒険者と言うところか。 ﹁やり合おうとは思っていない。それは約束しよう。少なくとも今、 ここでやり合うつもりはない。繰り返すがそれは約束する。まず、 俺がこれから言う事について聞いて欲しい。俺はゼノムやラルファ が昼間オーク相手に戦っている所を見ている。俺とやり合うにも武 器がなきゃ厳しいだろう? だから、俺の話を聞くくらいしても状況は変わらない。俺は魔法 が使えるが、あんた達の武器はそこだしな。脅していると捉えて貰 っても構わない。とにかく、まずは落ち着いて話を聞け﹂ 半身を起こした状態のゼノムとゼノムの傍に立っているラルファ は俺が何か言うたびに、ぴくっぴくっと細かい反応をする。それを 見ながら言った。 ﹁⋮⋮俺は今のところあんたたちに敵対するつもりはない。そんな 気持ちがあればラルファに固有技能の使い方について助言を与えな かっただろう。それに魔法の修行方法も教えなかった。魔法の修行 方法については絶対じゃないが。少なくとも俺はラルファに知識を 与えたんだ。それを考えてくれ﹂ 1068 ⋮⋮。 ﹁もうゼノムは気がついているようだが、ラルファはまだ完全に理 解していないだろうから説明する。ラルファ、ちょっと考えてみろ。 お前の知識はこの世界で役に立つか?﹂ ﹁⋮⋮役に立ってると思う﹂ まだ状況を完全に飲み込めていないのだろう、単に﹁覚悟しろ﹂ という言葉と緊張感に反応していただけのようで、彼女の態度はゼ ノムとは違って大分軟化している。 ﹁そうだな。昼間と晩に食わせてもらった辛子マヨネーズは旨かっ たよ。調味料については俺はあまり詳しくないし、自分で作ろうと 思わなかったから俺は何もしていないけど、あれなら充分商売出来 る味だと思うぞ。だが、そんな程度の話じゃない。ラルファ、よく 考えろ。お前の知っているこの世界で役に立つ知識はあんなもんか ?﹂ はつがく ﹁⋮⋮え? だって私は馬鹿だし、﹃初学﹄だし⋮⋮﹂ ﹁おいおい、どこの﹃学校﹄かは関係ないよ⋮⋮。例えば農業はど うだ? いくらなんでも﹃高校﹄まで行ったのなら正確じゃないに ある と思われることが問題 してもそれなりの知識はあるだろう? 実際にその知識があるかど うかが問題じゃない。他人から見て だということは解るか?﹂ 俺は真剣に問うた。初台学園高校や高校、学校に相当する言葉は この世界にないから、そこだけが日本語だけど。 1069 ﹁よく考えろ。オースでは知られていない事を色々知っている筈だ。 ﹃辛子﹄はどうやって手に入れた? カラシナを見つけたんだろう ? 俺はそんな事考えもしなかったからカラシナを探そうとすらし ていないけどな。﹃辛子﹄程度ならいいさ。だが、場合によって危 ないことは理解出来るか?﹂ ﹁⋮⋮あ⋮⋮そう⋮⋮か﹂ 解ったかな? また俺は続ける。 ﹁さっきの﹃飛行機﹄の話なんてその最たるものだ。解るか?﹂ ﹁うん、解った﹂ ﹁いいか、ゼノムもよく聞いてくれ。あんたたちは非常に危なかっ た。まずそれを理解してくれ。ここまでは良かった。運が良かった。 誰にも目を付けられていないんだからな。いままで冒険者としてか なり仕事をして来たんだろう? あっちこっち出歩いても俺みたい な奴に会っていなかったのは運が良かったと思ってくれ﹂ さっき聞いた情報だとそうそう他の転生者に会えることなんかな いだろうから、運がどうこういうレベルじゃない気もするけど、ま ぁいいや。 ﹁ゼノム、あんたはある程度気が付いてるみたいだからわかると思 うが、俺やラルファの持っている知識はオースよりかなり進んでい るものだ。はっきり言ってものすごく危険なものも多い。さっき、 俺達は生まれ変わって来たと言ったよな。理由は聞いているか?﹂ 1070 ﹁ああ、事故で大勢死んで、死んだ奴らが生まれ変わって来たと聞 いている⋮⋮﹂ ﹁そうだ、それから?﹂ ﹁⋮⋮事故は大きな馬車みたいなもの同士がぶつかったんだってな。 神様の争いに巻き込まれたとか⋮⋮で、生まれ変わった奴は全員赤 ん坊からやり直し。記憶を持ったまま。それぞれ異なる固有技能を 持っていて、普通に生まれた奴よりも強くなり易い⋮⋮んだっけな? あまり言いたくはなかったが、確かにラルファは俺の知らない話 や想像も出来ないような品物の話もするし、話し始めたのだってか なり早かった。歳の割には色々と、その⋮⋮優秀だと思う。俺とし ては信じざるを得ん、という気持ちだった﹂ ﹁⋮⋮そうか﹂ ﹁ラルファが言うには、昔生きていた国では魔物や魔法もないけど、 沢山の人が幸せに暮らしていて、争いなんかとは無縁だったと言っ という言葉があるが、そんなもんじ ていた。俄かには信じられなかったが、あまりにもラルファは色々 見て来たように嘘を吐く なことを知っていた。 ゃないことは直ぐに解った。同じ品物の訊くと正確に同じように答 えが返ってくる。計算だって生まれつき出来た。そんな世界で育っ たのだと言っていた。 そして、そんな世界で生まれ育った人間は基本的には争いをしな い、嫌う筈だとも言っていた。皆ラルファのような人たちの筈だと ⋮⋮だから、俺もつい甘くなったんだ﹂ ﹁すまない、責めている訳じゃない事は解ってくれ。確認したかっ ただけだ﹂ 1071 俺は本心からゼノムに詫びた。本当に彼を責める気持ちはこれっ ぽっちもない。むしろ妙な事だが、同郷人であるラルファを親でも ないのに立派に育ててくれた事に、何故か感謝すらしていた。 ﹁整理しようか。俺は、俺たちみたいにオースに生まれ変わった人 間の事を転生者と呼んでいる。 で、転生者はオースではまだ知られていないいろいろな知識を持 っている。あと、成長が早い。 これは早く大人になる、という意味じゃない。他の人よりも体力 や腕力などの成長が早い、と言った方がいいかも知れない。要する に個人として強くなり易い。 マジカル・アビリティ あと、固有技能、という魔法みたいな力をそれぞれ持っている。 ラルファの︻空間把握︼と俺の︻魔法能力︼だな。ここまでは一般 マジック・アクイジーション 的に言って優れていると言っても良いところだ﹂ ﹁え? ︻魔法習得︼じゃ⋮⋮?﹂ ラルファが突っ込んできた。あ、あぶねぇ。 ﹁ああ、習得より、能力って言った方がゼノムに解り易いかと思っ てな﹂ 内心、冷や汗がだらだらと出る。とにかく平然とやり過ごさなき ゃ。 ﹁ん、それもそっか﹂ ほぅっ⋮⋮良かった。 ﹁で、だ。次は転生者のデメリットだ。まず、一つ目。記憶が残っ 1072 ている分、どうしてもオースの人々と感じ方が異なるところだ。オ ースには身分制度がある。貴族、平民、奴隷のように身分階級が分 かれており、それぞれ許される事、許されない事が違う。転生者が 元々生まれ育った場所でも昔は似たような感じだったが、そんなも のはとっくに撤廃されて、全員が平民になってる。 多分このあたりはゼノムも聞いているだろうが、まぁおさらいだ と思って聞いてくれ。だから、転生者は身分制度自体に不満を持つ 傾向があるんじゃないかと思う﹂ 二人はふんふんと聞いている。緊張感もだいぶ和らいだようだ。 ﹁実はこれは危険なことだ。不満を述べたからと言って、いきなり 処罰されることはないかも知れないが、その転生者が奴隷階級だと したら、持ち主によっては非常に面白くない気持ちになるだろう。 只でさえ普段から小利口な口をきいて、何やら役に立つような事ま で言っていたら尚更だ。 そんな奴が﹃自分が奴隷なのはおかしい﹄とか言ってみろ。面白 い訳がない。流石に問答無用で殺されるような事はないだろうが、 場合によってはいろんな理由をつけて似た様な、更には殺された方 がマシ、のような境遇に合わされる事すら考えられる﹂ 少し驚かせ過ぎたかな? でも、これは言っておかなきゃならな い事だし。 ﹁次は、殺生についてだ。ラルファについてはさっきいろいろ聞い ているから問題はないと思うが、転生者は自分で食料を一から調達 にっぽん した経験がない。これは転生の原因となった場所や時間帯から言っ てまず間違っていないだろう。確かに転生者の国⋮⋮日本という名 の国でも狩人も居たし、農業もやられていた。 だが、そういった経験のあるものが転生者には居ないだろう。居 1073 てもせいぜい一人か二人程度で、それも日本の農家出身なだけだ。 昔、若い頃に家業の手伝い程度に少しだけ経験がある程度だろう。 狩人の方は断言出来る。まずあり得ない。勿論、可能性としてゼ ロではないだろうが、無視してもいいくらいだと思う。ラルファ、 これについてどう思う? 意見を聞かせてくれ﹂ ﹁そうね⋮⋮私もそう思う。狩人で暮らしていた人なんてそもそも 居ないでしょ?﹂ ﹁流石に全く居ないことはないだろうが、あの場所、あの時間から 考えると居ないと言い切っていいだろう。だから、何かを殺したり した経験のある奴も居るとは考えにくい。勿論、小さな虫や犬猫く らいなら居てもおかしくはない。鶏くらいなら可能性としては考え てもいい。 でもその程度だ。豚以上の大型の動物を殺した奴はまず居ない。 当然人間や人間みたいに立って歩き、手足のあるような生き物を殺 した経験のある奴もだ。殺人を犯した経験のある奴が混じっていて も不思議じゃあないが、あの街の人口から考えるとこれもまず無視 してもいいと思う。 日本では大きな動物を殺すことは殆ど全て専門の人間によって特 別な施設で行われている。そして殺人なども厳しく裁かれる。つま り、転生者は自分の肉体を使っての戦闘に対して慣れていないばか りか、何かを殺すことについては基本的に強い忌避感を持っている﹂ 二人共黙って聞いている。 ﹁だから、強くなれる素質を持っていたとしてもそれを活かしてい ないか、活かすこと自体を自ら戒めている事が考えられる。ああ、 別にラルファの事を変わっているなんて言うつもりはない。むしろ、 すごいとさえ思うよ。多分、今ここに全部の転生者がいたとして、 1074 直接全員で戦ったらかなり上位に位置するんじゃないかな? それだけ自分を鍛えていたということで誇ったらいいと思う。日 本でも体を使っての戦いの技術はそれなりに伝えられているから、 相手にダメージを与えることが出来る奴は多いと思うけど、命を取 るまで行ける奴は、どうかなぁ? 半分も居ないと思うし、弱って 命乞いするような相手に対して更に攻撃を加えるような奴なんかそ うそうは居ないと思う。こう言っちゃなんだが、それだけ長い間冒 険者をやっていたんだ、人を相手にしたこともあるだろう?﹂ 二人の雰囲気がスッと変わった。 ﹁勿論ある。殺したこともある﹂ ラルファが言った。 ﹁ああ、そうだろう。俺も人を殺したことがある。だけど、しょう がないって割り切れるだ ろ? それとも、後悔しているか?﹂ ﹁そうね。後悔はしてない。しょうがなかった﹂ ﹁うん。だけど、初めての時はどうだった? 俺はやった後に少し だけ悲しくなった。理屈では解っているんだけど、心では納得して いないと言うか⋮⋮もう戻れない、と言うか、そんな変な気持ちに なった。もう割り切ったから大丈夫だけどね﹂ ﹁私もそう。近いと思う。私は初めてゴブリンを殺したとき、そう 思った。人にしか見えないし﹂ ああ、そうだ。俺もゴブリンなんかは最初は人だと思ってた。 1075 野蛮人だとか原始人のような人だと思ってたんだ。 別にゴブリンが人じゃない、おっと、人だとは思われていないと 知った後でもその気持ちは全く変わることはなかった。俺はゴブリ ンも人だと知っている。だって鑑定だと︻小鬼人族︼って出るしな。 ファーン 多分ステータスオープンでもそう出るだろう。エルフやドワーフ、 普人族なんかと一緒だ。 ゴブリン ミルー だから、初めて見る魔物から守ってくれた兄貴を無条件で格好良 く思えた。 罪を犯してまで身を呈して俺を、姉貴を守ってくれたんだと。 多分、あの時のファーンの後ろ姿が、俺のオースでの人生の原点 なのだ。 そんなファーンに憧れていたからこそ、俺もミュンを守るために 間者の男を殺せたのだ。 ちょっと意識が逸れた。 ﹁うん。そうだ。だから転生者は大きく二通りに分けられると思う。 一つはそれまでの転生前の人生の価値観をある程度残したままの 人。多分争い事などからは遠ざかるように暮らしているんだろう。 こっちは基本的には大きな問題になることはないと思ってもいいか も知れない。 もう一つは俺やラルファのように割り切れている人。俺たちのよ うに冒険者をやっているならいい。それなりに強くなっていること もあるだろう。だが、転生したあとの立場によっては冒険者は出来 ないだろうし、そういう人がどうやって戦闘の機会を見つけている のかまでは判らん。 立場によっては領主に近いような位の高い貴族に生まれついてい るかも知れん。問題はこういう奴らだ。多分生まれて間もなく、自 分の知識なんかがオースの人たちを大きく上回ることは理解してい る筈だ。 1076 そして、自分自身が直接戦う必要もないから、場合によってはま ずいことになる可能性もある。何しろ生まれながらに部下を沢山持 ち、権力まであるんだ。更には転生者が有用であることも知ってい る。家督を継いでやりたいように出来るようなったら、まず最初に やられるのは⋮⋮﹂ 二人の瞳が急速に大きくなった。 ﹁転生者狩り、か﹂ ゼノムが息を吐き出すと共に言った。 ﹁ああ、そうだ。例えばロンベルトの国王の息子か娘にでも生まれ た事を考えてみろ。 最初は言葉も解らないし、状況も理解出来ないだろうからじっと しているだろう。 だが、元々赤ん坊でもない限りはある程度の年齢だったはずだ。 それに加えて柔らかい子供の脳を持っているから言葉なんかすぐに 覚えられる。ここまではラルファも納得できるだろ? そして、どうやら自分は非常に高貴な家に生まれたと知ってみろ。 同時に自分の知識はオースよりも大分進んでいることも理解するん だ。だんだんオースのことも解ってくる。毎年のように戦争をして いるし、魔物もいる。魔法だってある。身分制度が維持されて自分 はその頂点に近いから多大な権力を握っている。そういったことが 少しづつ解ってくる。 で、ある時、俺達のように神様に逢うんだ。他にも転生者がいて、 それぞれ固有技能を持っていると教えられる。ラルファ。ここまで でもしお前がロンベルトの王女ならどうする?﹂ ラルファはさっきのゼノムの言葉にショックを受けていたようだ 1077 が、口を開いた。 ﹁私なら⋮⋮うん、まず王国の改革とかするかも。沢山の人を使っ て街を作り直したり、場合によっては奴隷を禁止したり⋮⋮﹂ ﹁本当にそうか?﹂ 俺はラルファの目をじっと見つめながら言った。 ﹁え? うん。多分そういうことをする。戦争をしないでも暮らせ るような国にしようと思う。その為に役立てるようにするんじゃな いかな?﹂ ﹁⋮⋮まぁいい。その後は?﹂ ﹁え? その後? だっていろいろやることは多いから⋮⋮ずっと やるんじゃないかな?﹂ 前世では高校生らしいからな。その後は幼少時から冒険者をして いたとのことだし、こんなこと考えなかったんだろう。 ﹁よし、少し脱線するけどいいや。幾ら何でも赤ん坊のうちから言 っても取り合って貰えそうもないことは解るな? だから、五歳と か六歳以上の年齢は最低でも必要だろう。その位になれば付き人も いるかも知れん。ラルファはその位の年齢になるまで計画を練って いた。 で、ある日、区画整理だとか水道だとか言う訳だ。上手く言いく るめたとしよう。 何しろ相手は王女様だ。あまりにも無茶なことでなければやって くれることもあるだろうよ。 1078 どうせ最初は小さな事から要求するだろうしな。それは上手く行 った。次もそこそこ上手く行った。国王を始め皆の評価も高い。何 度かやってからもうそろそろ良いだろうと考えて奴隷を禁止しよう と言い出す。周りはどう思う?﹂ ﹁賛成してくれるんじゃない? 今までの実績もあるんだし﹂ ﹁どうかな? 奴隷は財産だ。それを無償で解放しろなんて要求に 貴族たちは応じるか? まぁ、最初は王族だけからスタートでもい い。王族だって沢山奴隷を所有しているだろうからな。王族の奴隷 を解放したとしよう。下働きや軍隊にいる戦闘奴隷なんかも沢山い るだろう。それをいきなり自由民にした。給料やるかわりに税金を 払えと言うんだ。今までは衣食住だけ面倒を見ていれば良かった。 どうなる?﹂ ラルファの目が大きくなった。 ﹁あ、お金が掛かる、ようになると思う﹂ ﹁そうだ、その金は自然に生み出されてくるのか? そんな筈ない よな? そうすると多少不便でも雇う人数を減らすこともあるだろ う。じゃあ、あぶれた元奴隷はどうなる? 工事人夫として使うか ? 溢れたのが女だったりしたら? 年取っていたりしたら? 誰 も雇わないかもな。そうなると元奴隷たちは暮らしていけないから 自分を奴隷として売ることすら考えるだろうよ﹂ ﹁⋮⋮うん﹂ ラルファは俯いた。 1079 ﹁な、ちょっと考えればすぐに解る。身分制度なんて簡単にはどう しようもない。今のは極端すぎるけどね。でも大きな流れとしての 考え方はそう間違ってないはずだ。 で、次。そうやって改革を続けてロンベルト王国は豊かになりま した。ダート平原なんかデーバスにくれてやっても困らない程度に なりました。戦争の必要はなくなったのです。めでたしめでたし。 になるか? デーバス王国はダート平原だけで満足するかな?﹂ ﹁しない、と思う﹂ ﹁ああ、そうだろう。ダート平原に村を作ったらそこを根拠地にし て更に豊かになったロンベルトに攻め込むなりしてちょっかいかけ てくるだろう。デーバスだって豊かになりたいんだ﹂ ラルファは顔を上げて言う。 ﹁解った。多分幾らかは改革もするでしょうけど、攻められないよ うに守りも必要。軍隊も大きくしなくちゃいけない。又は少ない人 数でも守れるように何か武器を考えるかも﹂ ﹁まぁそんなところだろうな。でもそれをお前一人で全部やれるか ?﹂ ﹁無理ね。信頼出来る人が必要⋮⋮転生者を集めるかも知れない。 知識はあることは判ってるし、固有技能だって何か役に立つものが あるかも知れない。うん、アルの言いたいことが解った。多分そう なったら最初はいい条件で雇うとか言うでしょうけど、すぐになり ふり構わずに集めるかも知れない。そして無理矢理にでも働かせよ うとするかも知れない﹂ 1080 まぁ正解と言ってもいいだろう。途中かなりすっ飛ばしているけ ど大体の流れについて納得して貰えればいい。こういう結論になる ように導いたんだし。 ﹁そういう事だ。俺の心配していたことが解って貰えたか?﹂ こっくりと二人が頷いた。 ﹁よし、じゃあ話を戻そう。心配事については解決したから次の話 だ。二人は一年でどのくらい稼いでいる?﹂ ﹁は? え? なんで?﹂ ラルファが言った。ゼノムも不思議そうだ。 ﹁いいから、二人は平均的な冒険者じゃないかも知れないけど、興 味があるんだ。教えてくれないか?﹂ ﹁ん⋮⋮大体二人合わせて四〇〇万Zというところだろうな。ここ から一割税を払ってるからもう少し少ないが﹂ ゼノムが答えてくれた。想像していたよりも結構多いな。 俺はにこにこしながら言う。 ﹁そうか、分かった。じゃあ、毎月二人には四〇万Z払う。一年だ と四八〇万Zだ。さっきラルファが言ったように俺も最初はいい条 件を出すとしよう。臨時収入があれば働きに応じてボーナスも出す よ。ああ、最初はバルドゥックの迷宮に行ってやろう﹂ 二人が顔を見合わせた。 1081 1082 幕間 第十一話 瀬間洋介︵事故当時21︶の場合 付き合って一年近くなる彼女とデートをしていた。今日はバレン タインだし、今朝チョコレートも貰った。これから新宿まで行って 映画を見てから一緒に夕食を摂るつもりで少しだけいい店に予約を 入れてある。今日、これから観る映画について彼女との話が弾む。 前評判も高く、傑作と言われているらしい。 お互い楽しみにしていた映画だ。話の尽きようはずもない。にこ にこと俺に微笑みかけてくれる彼女は昨年の学園祭で、ミスキャン パスに選ばれた。こんな可愛い子が彼女だなんて、一年近く経った 今でも信じられないくらいだ。同じ学年で同じ県の出身ということ もあり、それなりに会話をして来てもいたが、なけなしの勇気を振 り絞って告白した時には、予め慰めてもらうために友人に酒の席を 用意してもらっていたほどだ。 その席に彼女を伴って現れた時の友人たちの顔は一生忘れないだ ろう。自分でも無理だと思っていたくらいなんだから。彼らの驚き 様と言ったらなかった。店の酒を飲み尽くすほど飲んで生まれて初 めて酔いすぎて記憶がなくなったのを体験した。夜中に起きてトイ レで吐いている時に俺の告白に対してOKを貰えたことを実感でき たんだ。 自分は大学でも決して目立つ方ではなかったし、所属していたサ ークルも文化系のパッとしないものだった。それでも彼女のことが 好きで、どうしても諦めることが出来ず、ぐじぐじと過ごしていた のだ。友人に相談しある意味ヤケになって砕け散る覚悟で告白した のだ。 1083 彼女と付き合ってから世界は広がり、鮮やかな色彩を帯びたよう に感じた。世の中すべてが自分達を祝福しているようで、わけもな く嬉しくなることもあった。勉強も捗ったし、大手でこそないがそ れなりの会社から内定も貰うことができた。全ては順調だった。幸 せを感じていた。あの瞬間までは。 ・・・・・・・・・ 何もする気が起きないというのはこういうことを言うのだろう。 彼女を失った俺は抜け殻のように何ヶ月も過ごしていた。なんとな く周囲の状況は掴めているが、彼女がいないだけで心はかき乱され、 大声で泣いてしまう。泣くか寝ているか母親のおっぱいを吸ってい る。そのどれかしかしていない。 命名の儀式? ああ、やったような気もするけど、失意のどん底 にいた俺にはどうでもいいことだったよ。 ・・・・・・・・・ 数年が経ち、いい加減諦めも付いた頃だ。ある日日課となってい る剣の稽古で疲れた体を寝床に横たえて、眠りについた時だ。神に 1084 逢ったのだ。いろいろと話を聞いて驚愕したが、天啓のように頭に 閃いた言葉がある。 ﹁相馬明日夏さんですか? ええ、あなたと同じように転生してい ますよ。会えるといいですね﹂ また世界が新たな色彩を帯びたのを感じた。まだ子供だし、体力 もない。この世界には魔物だってうろついている。闇雲に探そうと しても途中で力尽きてしまうだろうことはすぐに想像がつく。熱心 に剣の稽古を始めた俺に両親や兄弟たちは嬉しそうにしていたが、 俺にとってそんなことはどうでもよかった。鬼気迫るほどの勢いで 剣の稽古を行った。 何か役に立つかも知れないと神に聞いた固有技能についても練習 した。それまでステータスオープンを自分にかけたことなんかなか ったから気がつかなかった。大体ステータスオープンなんて普段そ うそう使うこともないから気にしていなかったし。 尤も、俺の固有技能である﹃秤﹄は彼女を探す役には立ちそうも ないから適当にしておいたけれど。レベルが上がると個体や液体を 自分の思い通りに分割出来る技能だ。最初は紐や木材などの辺を等 分する位置が分かるだけだったが、そのうち等分以外の分割点も解 るようになったし、面の分割も出来るようになった。更にもっと技 能のレベルが上昇するにつれてパンを同じ体積で切り分けることも 出来るようになった。そして麦などの細かいものを重量で分けるこ とも可能になった。一見すると適当な感じでちぎったり切ったりし ているだけで本当に正確に分けられることは俺にしか理解できない だろう。 何故か俺にだけは精密な物差しや秤で測ったように正確に分割し 1085 たり分けたり出来ることが理解できる。だが、すぐにあまり有用で ないことに気づいてしまったが。別段明日夏を探すことに役立ちそ うにないし。使いすぎると眠くなったり腹が減ったりするから、良 い事はない。まぁ晩飯を食って寝る前にちょっと手慰み程度にやる くらいだ。面倒になってやらない日も多いし。 最初は長さの等分、次は等分だけでない分割。ただし分母は幾つ でもいいが分子は1。次は面積の等分、その次は等分以上、次は体 積の等分、もう分かったと思う。ちなみにその後は麦みたいな集合。 その次は液体だ。今俺は液体の等分が出来るようになったばかりだ。 容器は要るけど。次は液体を等分以上に分割することができるよう になるんだろう。ついでに言うと比較もできる。この升に入ってい る麦の重量はこの角材の重量の何分の一かとかどういう理屈かは知 らないが俺には解る。この比較だけは分子も分母も1に固定されな い。 そんなことより、体を鍛え、長い旅に耐えられる体力を養うこと インフラビジョン インフ のほうが余程重要なことだ。それに、生まれつき持っている特殊技 ラビジョン 能の赤外線視力の方が﹃秤﹄などよりよほど役に立つだろう。赤外 線視力には技能のレベルがない。体の成長とともに可視範囲が広が っていくらしいから修行の必要もないと思って放って置いている。 勿論焦りはある。こうやってのんびりとしているうちに彼女は死 んでしまうかもしれないのだ。俺を待ちわびながら魔物に襲われて しまうかも知れない。もしも奴隷階級になんて生まれついていたら 厳しい労働を課されている可能性だってある。考えたくないが、あ れだけ可愛い子だ。もっとひどい目に遭っていることだって⋮⋮。 いや、今は心配しても始まらない。とにかくどんな状況に置かれ ていようが救い出せるようにしなければならないのだ。少なくとも 1086 神に会った八歳の時点では確実に健康体で生きていることだけは判 っているのだ。神が俺に嘘をついていなければ、だが。 折角会えても俺の力不足が原因で救えなかったら意味はないのだ。 むしろ、期待を抱かせた分だけ明日夏を苦しめかねない。やれるこ とをやるしかない。同じ年代の子供と遊んでいる暇なんか一秒だっ てないのだ。 どこにいるかは分からないが必ず見つけ出して救うのだ。いや、 救う必要もないかもしれないが、明日夏に会って今度こそ添い遂げ るのだ。 ・・・・・・・・・ さらに数年が経った。既に俺は13歳になっている。それなりに 鍛えられていることも理解できる。剣の腕だってかなり良い線を行 っているだろう。 俺は予てからオースの家族には冒険者になると宣言している。地 方の士爵家の三男だし、俺の希望は問題なく叶えられるだろうと思 っている。俺を育て、鍛えてくれた両親にはいくら感謝してもしき れない。だが、俺には大事なものがあるのだ。申し訳ないが兄を支 えて家を大きくすることは明日夏を連れ帰ってから誠心誠意尽くさ せて貰おうと思う。 ある日、初めての事だが、俺は次兄を打ち負かすことが出来た。 1087 俺が見る限り次兄の実力はかなり高い。やっとここまで来れた。長 かったが、もう充分に身を守ることもできるだろう。まだ真剣を使 った本物の戦闘を経験したことはないが、成人したばかりだとは言 えあの次兄を倒せるくらいの実力はあるのだ。騎士団に入った長兄 には流石に一歩譲ることだろうが、もう充分だろう。 今日、俺は両親の許しを得て探索の旅に出る。ローゼンハイム伯 爵領のヨーグッテ村を出るのだ。親父から貰った一振りの長剣と丈 夫な革鎧。200万Zの現金。こまごまとした荷物を入れるリュッ クサックが全財産だ。 エルフ この俺が、瀬間洋介こと、精人族の戦士、トルケリス・カロスタ ランが今行くぞ。 待っていろ、明日夏。必ず俺が見つけ出してやる。 1088 幕間 第十二話 相馬明日夏︵事故当時21︶の場合 洋ちゃんは私が手作りしたチョコレートをあげたらすごく喜んで くれた。一生懸命に作った甲斐があったというものだ。実はチョコ レートを手作りしたのは生まれて初めてだったのだ。高校の時にち ょっとだけ付き合った男子がいたが、バレンタイン前に別れてしま ったからだ。嫌いじゃなかったけど付き合ってから3ヶ月も経たな いうちにキスを迫られたら怖くなってしまった。 今はそれが普通のことだとは知っている。3ヶ月も経てばそれ以 上のことにすら発展することもある。だけど、あの当時の私は世間 知らずのネンネだったから、どうしても迫ってくる相手を怖がって しまったのだ。彼には悪いことをしたと思っているが、今となって はどうしようもない。 なんとか東京の大学に進学し、憧れの一人暮らしが始まった。大 学では面白いことが多く、今までとは比較にならないほど時間が経 つのが早かった。同じ県出身の洋ちゃんとは大学で出会った。最初 は特に意識をすることもなかったが、そのうちに洋ちゃんは私のこ とが好きなんだろうなと気がついた。学内のカフェテリアで会った 時や学内図書館でレポートを書いている時にだけど特にさりげない ふうを装って見られていることは知っていたし、帰省すると必ずお 土産をくれた。私も地元が近いから知ってるお菓子が多かったけど。 だけど、特に意識はしていなかった。 三年生に進級する直前、洋ちゃんは私に告白してきた。それまで、 高校の頃の失恋を引きずっていた私は告白されても誰とも付き合わ ずにいたのだけど、あんまりにも必死に、どもりながらも一生懸命 1089 告白してくる彼を見ていたら、急に﹁この人と付き合おう﹂と思え てしまったのだ。何でそんな気持ちになったのか理由はわからない けれど、全く後悔はしていない。 彼はぱっと見だと普通の人だ。別にイケメンでもないし、格好良 くもない。お洒落にだって気を使っているかは怪しいものだ。でも、 いつも清潔そうな服装だったし、近づいて見てみれば悪い顔立ちで もない。私にとっては。私は彼の外見に恋をしているわけではない んだから。話は面白いし、私の好きそうな映画をさりげなくチェッ クしていてくれる。一緒にレポートを書いている時に詰まると相談 に乗ってくれる。音楽の趣味も合ったし、お笑い芸人も趣味があっ た。常に気を使ってくれるところもポイントが高い。 きっとこのまま結婚するんだろうなと思っていた。二人共都内の 会社から目出度く内定をもらえたし。でも、あんなことになるなん て夢にも思っていなかった。あの日は二人で楽しむために出かけた のだ。こんな運命に遭うために出かけたわけじゃない。 ・・・・・・・・・ 命名の儀式の時に驚いた。吃驚した。驚愕した。腰を抜かすかと 思った。魔法だ。私は今までずっと赤ん坊である立場に甘えてずる ずると時間を浪費してきた。生まれ変わって思うところがなかった わけではないが、赤ん坊でもあることだし、別段何かしようともし なかった。 1090 命名の儀式のあと、オースの情報を集めることに執心した。英語 を聞いたからだろうか? いや、違う。英語自体は聞いていたから。 ある程度の名詞など、英単語は聞いていた。だが、魔法があること。 そしてそれに英語が含まれていることに感動したのだ。 まだ赤ん坊であるのは確かなので、慌てて喋りだすのも不自然だ。 バニーマン 自分の中だけでゆっくりと言葉を覚えるよう、聞き耳をたてて生活 バニーマン した。聞き耳を立てるというのは比喩ではない。私は兎人族だから 立派な耳を持って生まれているのだ。兎人族は普通の人間︵オース では普人族、と言うらしい︶とは異なり、本来、耳があるはずの場 所よりも少し上の位置から兎のような耳が生えている。通常だと後 ろの方にだらんと垂れている感じだが、聞き耳を立てるようなとき には斜め上の方にぴんと立つ。丸くて小さいけど尻尾だってある。 髪の毛から尻尾までは背中の真ん中あたりにうっすらと毛が生えて Openで判明した私の固有技能も試 いる。それ以外はどう見ても普通の人間に見えるけど。 とにかく、Status してみたい。だけど、私の固有技能はもう少し大きくならないと試 すことすら出来ないと思う。何しろ﹃射撃感覚﹄というのだ。射撃 と言うからには銃など何かを発射するときに役に立つのだろう。ち なみに、ものを投げつけても何ら変わることはなかった。投射だと か投擲ではないからこれは仕方ないのか。そもそもどうやったら固 有技能を使えるのかすらわからない。特殊技能で﹃超聴覚﹄という のが同時にあるが、これは耳に神経を集中して周囲の音を聞き分け ようと思えばいつでも使うことはできる。 聞き耳について意識している間は周囲の音が普段よりも良く聞き 分けられるようになる感じがする。使っても別段変化はないが、集 中し続けるのも楽ではない。上の兄姉がお父さんとお母さんと話し ているのを聞く限りではこの﹃超聴覚﹄という特殊技能は兎人族に 1091 生まれつき備わっている技能で、兎人族なら誰でも好きな時に好き なだけ使えるものらしい。また、魔法の技能とは違って技能にレベ Openと言い何だかゲームのような ルもないそうだ。そうか、レベルがある技能もあるのか。レベルと か今更だけどStatus 世界だ。 五歳になる前、両親にねだっておもちゃのような小さな小さな弓 を作ってもらった。小さな体の私から見てもおもちゃにしか見えな い。でも、これで射撃の特殊技能を使えるのではないか。そんな気 がしていた。 小さな木の枝を飛ばしてみる。2mも飛ばない。それに適当に作 ってもらった弓だからどこに飛ぶかの予想すら難しい。いくら小さ つが くて非力な体とは言え、思い切り引いたら弓ごと壊れる気もする。 木の枝を矢の代わりに弓に番えると﹃射撃感覚﹄の技能を意識しな がら弦を放した。狙った場所には行かなかった。そして私は眠り込 んでしまった。 その後何度かおもちゃの弓での射撃を繰り返すと、私はこの世界 に生まれ変わった原因を理解することが出来た。そう、神に出会っ たのだ。5分も無いくらいに短い会見時間だったけど、かなりのこ とを知ることが出来た。何と言っても洋ちゃんもこの世界に生まれ 変わっていることがわかったのだ。そして、ここが地球ではないこ ともはっきりと解った。﹃射撃感覚﹄の技能もこの世界に転生した 人達に与えられるものの一つだということも解った。これは秘密に しなければならない。妬まれるかもしれないし。 ちなみに、他の人に与えられた固有技能には﹃鑑定﹄だとか﹃耐 性︵毒︶﹄だとか﹃秤﹄といったものがあるようだ。そう言えば﹃ 予測回避﹄なんて言うものもあるらしい。私の射撃と対をなすのだ 1092 ろうか? 全部は時間がなくて聞けなかったし、忘れてしまったも のも多いが、どう考えても﹃鑑定﹄だとか﹃秤﹄だとかよりは私の 固有技能の方が私の目的に合致している。 ところで、﹃射撃感覚﹄の固有技能だが、何度か繰り返すうちに 理解してきた。﹃射撃感覚﹄の技能は私の実力を底上げしてくれる ものだ。実力が低いうちは底上げしても大したことはないのだ。つ まり、﹃射撃感覚﹄の技能に頼ることなくある程度の実力が必要な のだ。﹃射撃感覚﹄の技能のレベルが高くなれば底上げも大きくな るような気がする。だが、この技能を活かすためには射撃の訓練が 必要だ。二ヶ月近く夢中になって固有技能のレベルアップに努め、 最高レベルまで上げたが固有技能を使っての稽古はそれからでも遅 くはないだろう。 だって、私はこれで強くなって洋ちゃんを探しに行くのだから。 ・・・・・・・・・ 他の人が剣や槍の稽古をしている間、私は弓に没頭して稽古をし ていた。勿論、弓だけでなく剣も学んだ。弓は矢が切れたら無力だ から。いや、正確には無力ではない。昔、なにかの本で読んだこと がある。弓の上の方に槍の穂先を付けた武器もあったらしい。だけ ど、そのための弓は槍としても使えるようにかなりの強度があった ということだ。女の私にそんな強力な弓を引く力はないだろう。だ から剣の稽古も必要だと思って最低限のことはしたのだ。剣だけは 素振りなら暗くなってからでも出来る。昼間に弓の稽古で時間を取 1093 られた分は夜に取り返すしかない。 そうして十歳になり、十一歳になる。既に村では私より弓を上手 に使える狩人はいない。確かに非力な私だとあまり遠くまで矢を飛 ばすことは出来ない。木の板で作った的に矢尻が貫通するくらいの 威力を出せるのはいいとこ13∼14m程度だ。だが、この距離な ら私は走りながらでも動かない的なら当てられる。勿論中心を打ち 抜くなんて器用な真似は出来ないけど、30cm四方の板のどこか に当てるくらいなら出来る。多分、私が動かずに落ち着いて狙える 環境なら動いている的に当てることも出来るだろう。 腕試しがしたい。村の狩人の狩りについて行きたい。空を飛ぶ鳥 や動き回る白毛鹿なんかを撃ってみたい。だが、両親は危険だと言 って狩りに行くことを許してはくれなかった。不満に思ったが、確 かに私はまだ子供だ。森には獲物だけでなく危険な魔物だってうろ ついている。まだ私には早いというのは頷ける。 仕方ないので今まで封印してきた﹃射撃感覚﹄の技能の稽古でも するしかないだろう。昔少しだけ夢中になってやった記憶を掘り起 こしながらやってみる。固有技能のレベルはMaxの9でその後は 何年も使わないで稽古をしてきたのだ。だが、心配はいらなかった。 思った通りの感覚で﹃射撃感覚﹄の固有技能は使えた。昏倒するま でに60射あまりの矢を放つことが出来る。流石に的の真ん中を射 抜くことはまぐれでもない限り無理だが、30cm四方の的を5c m四方くらいの木切れにしても同じように百発百中で当てることが できた。 確かにこの固有技能は私の腕を底上げしてくれることがわかった。 今後は弓の稽古の時に固有技能も一緒に稽古してみよう。既に﹃射 撃感覚﹄はとっくの昔に最高レベルに到達しているが、眠くならな 1094 い範囲で練習することは無駄ではないと思う。 十三歳が過ぎた頃、大きな悩みが出来た。体が成長するにつれ、 バニーマン 胸も大きくなってきたのだ。まだ十三歳だというのに既に前世の私 の胸より大きい気がする。これは兎人族の女性に多い特徴らしい。 そう言えばお母さんも形のいい巨乳だ。 だが、この胸が弓を引く弦の邪魔をする。下手すると右手から放 された弦が右の胸に当たるのだ。ああ、そう言えば前世の弓道では 胸に革製だかプラスチック製だか知らないがプロテクターのような 胸当てを当てていた。あれにはこんな意味があったのか。同時にこ れもまた前世で読んだ本を思い出す。アマゾネスと呼ばれた女性中 心の戦士団の弓兵は右の乳房を切り落としていた人もいたらしい。 どうしよう⋮⋮。まだ私の胸は大きくなりそうだ。今みたいにさ らしのようなもので誤魔化すのもお母さんやお姉ちゃんを見る限り いずれ限界が来るだろう。胸当てを作ってもすぐにサイズが合わな くなりそうだ。だけど、片胸を切り落とす勇気も出ない。だけど、 このままだと弓が使いづらい。だけど⋮⋮。 結局勇気が出せないまま胸当てを作った。軟らかいが丈夫な革で 右胸を保護するような形にしてある。サイズが合わなくなったら無 駄なお金を使うことになっちゃうけどまた作るしかない。でも、本 当にこれでいいのだろうか? 私は私を騙している。弓が使いづら いということは私の戦闘力が落ちるということだ。洋ちゃんに会え ないまま死んでしまうかもしれないということだ。それでは本末転 倒ではないのか? でも、どうしても勇気が出なかった。痛いのは 多分我慢出来る。村の治癒師に頼めばすぐに治療してくれるだろう から死にはすまいということもわかっている。 1095 本当に怖いのは⋮⋮片胸になったら洋ちゃんに嫌われてしまうか もしれないと言う事だ。片胸になったら洋ちゃんが悲しむかもしれ ないと言う事だ。いや、きっと洋ちゃんなら気にしないと言ってく れるだろう。でも、私は嫌なのだ。だって、双子が生まれたら困っ ちゃう。 ・・・・・・・・・ 遂に私は十四歳になった。 予てから両親には冒険者になると言っている。両親も特に反対は しなかった。古くからある村の領主であるお父さんは去年、お祖父 ちゃんから準男爵の爵位を受け継いで授爵した。この地方の領主で あるストールズ公爵家まで行って授爵したらしい。それまではお祖 父ちゃんが準男爵でお父さんは士爵だった。今ではお父さんが準男 爵でお兄ちゃんが士爵だ。次女の私は一応准男爵家の人間ではある けれど、家督の相続権なんか下から数えたほうが早いくらいだし、 家を継ぐつもりなんか最初からない。 私にはやらなければならないことがあるから。 どうしても私にはやらなければならないことがあるから。 家に縛られるわけにはいかないのだ。 神様によると私は転生してきた人たちの中では南東の方らしい。 1096 と、すると当面は北西の方、つまり、隣国であるロンベルト王国を 目指すべきだろう。根拠はある。洋ちゃんについては転生した場所 も、名前すらも判らないが、絶対に私を探そうとしてくれるはずだ。 あの人のことだからそれなりに急いで探しに来てくれるだろう。だ けど、私が洋ちゃんの居場所や名前がわからないのと同様に彼も私 についての情報はわからないだろう。それに、このオースの世界だ と力をつけないうちに旅をするのは危険だ。だから、早くても彼が 成人︵この世界での成人は十五歳だ︶するくらいに出発するだろう と思う。 彼の固有技能によっては身を守ることが難しいかも知れない。だ から、体が成長する成人くらいまではじっと我慢しているだろう。 それに、当てずっぽうにうろついてもそう簡単に会えるわけがない。 普通、冒険者と言ったらあちこちで便利屋さんのように仕事の依頼 を受けて、その依頼を達成することによって礼金が貰える。道中お 金も必要になるはずだ。お大尽の家に生まれたのでもない限りは必 ずどこかでお金を稼ぐ必要がある。 お父さんとお母さんには冒険者が一番お金を稼げる所はどこか聞 いている。生まれ育ったデーバス王国にもあるが、それは迷宮だそ うだ。しかし、デーバスの迷宮はもっとずっと南にあるとのことだ。 と、すると事故の犠牲者が生まれ変わった範囲の南東の方の私のい るラーライル村よりずっと南にあると言うベンケリシュの迷宮は範 囲外ということになる。 ロンベルト王国にあるという迷宮はバルドゥックと言ってここか らだと北西の方角らしい。距離まではよくはわからないらしいけど、 こっちが正解だろう。今のうちにバルドゥックを目指そう。そして、 必ず来るであろう洋ちゃんを待とう。 1097 十四歳の誕生日を迎えた翌日、私は故郷を後にした。 私が頼むのは弓とひと振りの剣、そしてこの腕だけだ。餞別に丈 バニーマン 夫に縫製のしてある服と幾許かのお金を貰い、身の回りの品だけを 持った私、兎人族の戦士、ベルナデット・コーロイルは、愛しい人 との距離を縮める最初の一歩を踏み出した。 ・・・・・・・・・ 村を出て何日も経った頃、国境を越え、ロンベルト王国に入った。 国境には関所のようなものがあるかと勝手に想像していたが、両親 から聞いていた通り、関所のようなものは影も形もなかった。もっ と西のダート平原では国境を巡って争っていると聞いていたので、 警戒されている可能性も高いと思い込んでいたから多少の回り道も 仕方ないと思っていたし、目をつけられないように注意深く用心も 怠っていなかったのだが、拍子抜けした。 バニーマン 確かに、考えてみれば国境線を全部警戒するなんて無茶苦茶な話 だ。それに、兎人族の私には丈夫な両足があるから、道のない山の 中だって多少苦労する程度で歩くことはできる。生まれた時から裸 足で過ごしてきたから靴も必要ない。あれば嬉しいが。 二日前に訪れたデーバス王国側の村で聞いた話だと、国境なんて いい加減なもので、この村の北にロンベルトの村があるのだが、そ の間の山脈がだいたいの国境線になっているらしい。だから尾根を 超えたここはもうロンベルト王国なのだ。山脈と言っても一番高い 1098 と思われるところでせいぜい1000mもあるかどうかのものだ。 高尾山に毛が生えたくらいだろうとチャレンジして良かった。 用意してきた保存食もあと一週間くらいは充分に持つから問題な く眼下に見える村に着くことができるだろう。いや、用心はし過ぎ て困ることはあまりないから、一つ先の村を目指してみようか。ど うせ傍まで行けば街道もあるだろうし⋮⋮。 しかし、30本も用意してきた矢はもう残りが10本程しかない。 いつもいつも回収できるとは限らなかったし。これからだってそう だろう。そろそろどこかで補給しないと厳しいだろう。あの村の狩 人の家で補給してから行ったほうがいいだろうか? それとも用心 を重ねて次の村か街まで引っ張った方がいいだろうか? 迷ったが、結局次の村まで無補給で行くことにした。 ・・・・・・・・・ 7442年5月1日 ラーライル村を出てから二ヵ月半、休みなく歩き続け、やっとバ ルドゥックの街に着いた。ロンベルト王国に入ってから心なしか魔 物との遭遇も減ったため、相当距離を稼げた日もあったから、これ だけ早く着けたのだろう。とにかく、私はこの街に腰を据えて冒険 者として洋ちゃんを待つのだ。 1099 洋ちゃんが私を見つけてくれるまで何年でも待とう。お金はまだ 100万Z近く残っている。とりあえず、安い宿を取り、久しぶり にお湯を買い、体を拭いた。さっぱりしたらお腹も空いてきたので、 ちょっと出かけてみよう。このあたりだとデーバスより美味しいも のがあるかも知れない。宿に入る途中で通り過ぎたいくつかの屋台 を思い浮かべながら、また外出のために汚れた服を着る。いい加減 着替えも欲しいな。 1100 幕間 第十三話 ???の場合 自分には生まれた時から自我があった。不思議なことに、生まれ た当初自分が思考していた言語はこの世界の言語ではなかった。自 我と思考力は生まれた時から大人並みだったと自負しているが、一 般的な他の子供同様、皆が喋っている言葉はわからず、常識も知ら ず変な言語と思考能力以外は別段変わったところは無かった。強い て言えば髪が黒く、瞳も黒いことだが、どちらかが黒いというのは 他にもいないことはない。両方黒というのは自分くらいしかいなか ったが。ついでに言うと顔はイケてない方だ。イケてない? 何だ、 この言葉? うん、まあいい。言い直そう。醜いほうだ。 また、体つきも皆とは多少違う。皆は男性はおろか、女性までも が細く引き締まり、筋肉質な体質が多いのだが、自分はいくら体を ゆえん 鍛えても皆程筋肉質にはなりにくい体質のようで、それもまた皆か ら﹁醜い﹂と揶揄される所以だ。だからと言って別に運動能力まで も劣っているわけではない。念のためだが、補足しておく。それど ころか、同じ年代の間では運動能力は高い方なのだ。理由は後ほど 述べるとしよう。 自分が生まれ育ったのはエルレヘイと言う都市だ。この都市はキ ンルゥという名の高い山の中腹にある。都市と言ったが同時に一つ の国でもある。国の名はライル。国王は女王だ。お名前をリルスと 言う。恐れ多くて直接拝見したことはないけれど。自分はその国の 中流の家庭に生まれた。上には病弱な体質だが兄がおり、下には弟 妹が双子で一人ずついたが、二人共残念なことに幼少時に病気で亡 くなってしまった。病弱とは言え、兄は聡明なので成長すれば家督 を嗣ぐ事になるだろう。自分は兄の手となり足となって兄が家を盛 1101 り立てる手助けができればいい。 ライル ダークエルフ また、特徴的なのは我が国はオースでは珍しく単一人種のみで構 成されている。デュロウと言うのが普通だ。一般的には闇精人族と 呼ばれている。肌の色が黒に近い濃い紫色で逆に口唇や乳首、性器 や肛門周辺など、一般的な地上の人達の肌の色の濃い場所は逆に色 エルフ 素が薄くなっている。自分の肌の色はあまり濃くないほうでありこ れもまた醜い。瞳の形は精人族同様に微妙にアーモンド型だが、瞳 の色は色素の明暗は別にして紫系統が多い。一番多いのはラベンダ ー色だ。また、どちらかというと色素の薄い髪が一般的だ。総白髪 や、総白髪と見紛うばかりの非常に薄い紫とか。勿論、赤や緑の髪 だっていないことはない。 インフラビジョン なお、デュロウの種族特有の特殊技能に赤外線視力というものが ある。これは意思によって目に映る映像が可視光線だけでなく遠赤 外線を映像化する技能だ。簡単に言うと温度を視覚で捉えることが インクリネーションセンシング できる。サーモグラフィ? 唐突に浮かんできた。何だ? まぁい い。もう一つは傾斜感知だ。これは今自分が進んでいる道がどの程 ライル 度傾いているかを感知することができる。登っているのか下ってい るのかがわかるのだ。言い忘れたが我が国は文字通り山の中にある ライル ︵キンルゥ山の中、と言うか地下? にトンネルを掘っているのだ︶ ので我が国で暮らすにはこの二つの能力がないと苦労するだろう。 勿論魔石を利用した照明器具は家庭の中を始めとして国内至るとこ ろにあるが、照明が届かない場所はその何倍も多いのだ。 ライル ライル ところで、我が国の産業はいささか特殊だ。話に聞くだけだが、 地上の国々では小麦という植物を育てる農業が中心らしい。我が国 でも農業は行われているが、それは菌類を育て、収穫することが中 心だ。だから肉類を除けば食卓には必ずきのこがある。多種多様な きのこ類だが、勿論毒を持っているものは栽培されていない。いや、 1102 殆ど栽培されてはいない。 食用のきのこ類はいろいろなものが栽培されているが、私の頭は 最初からそれらきのこ類のいくつかの名前を覚えていた。但し、例 の変な言語でだが。少なくとも通常皆が話しているきのこの名前と は発音からして全く異なる。皆がアベルッジと呼んで美味いと言う きのこは、勿論、自分もアベルッジと呼ぶのだが、頭の中では﹃こ れは本しめじだ﹄と変な知識が教えてくれる。 生まれてから何に対してもずっとこの調子だったので自分が異常 な赤ん坊であるとかなり早期││生まれてから数ヵ月後くらいから 気づけたのは本当に幸運だった。かなり頭が良く、歳の割には知恵 が回り、運動能力が高いというだけの﹃いろいろと優秀な子だが、 普人族みたいで醜い﹄と見られただけで済んだからだ。 ライル 少し話が横道に逸れた。修正しよう。そうだ、我が国の産業のこ ライル とだ。菌類の栽培だけでなく、食肉用の家畜も飼っている。その辺 は地上の他の国もそう変わらないと聞く。だが、根本的に我が国が 他国と異なるのは、現在保有している以上の不動産の取得にはあま り興味がないということだ。普通は農業のための土地や家畜を飼育 する土地の確保などのため国同士が不動産である土地の所有権を争 ライル っていると聞く。いや、これは表現が悪い。現在のところ、領土的 な野心はない。少なくとも我が国の元老院の連中はそう言っている からきっとそうなんだろう。同時に時期が来たら地上に打って出て 国を大きくするとも言っている。これはまだまだずっと先の話らし いからどうでもいいけれど。 とにかく、菌類の栽培と家畜の飼育が主な産業だ。但し表向きの。 裏の産業は暗殺だ。金さえ支払って貰えるのであれば誰からでも依 頼を受け、どんな相手でも必ず暗殺する。我々が暗殺したという証 1103 拠を残さずに。おっと、これは言い過ぎか。依頼人を知られること なく、だ。当然失敗して暗殺者が捕えられる事もある。そういった 場合には依頼人の情報が漏れないよう自ら死を選ぶことによって秘 密を守る。勿論逃げられるようなら逃げるけれど。自殺は本当に最 後の手段だ。とにかく剣や魔法を駆使して暗殺の依頼を遂行するの だ。だから国外で仕事をする暗殺要員は必ず魔法が使える者から選 別されている。 え? そこまで秘密が守られるならあなたも我が国に仕事を頼み ライル たいって? 勿論、然るべきルートできっちりとゼニーを払って貰 ライル えるならまず問題なくあなたの仕事は受理されるだろう。我が国に ライル 仕事を頼みたいなら周辺各国にある我が国の出先機関に依頼するよ りない。我が国に直接赴いてエルレヘイの入口を守護するお役目の 人達に頼んでもいい。エルレヘイには入れてくれないだろうが、依 頼は受け付けてくれるはずだ。但し、報酬は必ず一括で前払い、し かも、ターゲットにもよるがかなり高価だ。 だから暗殺の仕事なんて滅多にない。一年に数回もあれば良い方 だ。国自体あまり大きくはないし、人口だって三千∼四千人もいる かどうかだから国内産業だけでほぼ自給自足ができる。だから裏の 産業は外貨を稼ぐための中でもあくまでも補助的なものだ。あとは 干して乾燥させたきのこ類やそれらから作成される秘薬類を近隣の 国に輸出することで外貨を稼いでいる。または傭兵として人を輸出 していないこともない。戦闘奴隷とも言うが。 ダークエルフ このように裏の仕事を行っているため、地上の国々ではデュロウ、 つまり闇精人族の評判はあまり良くないのではないかと思っている。 だが、誰もが暗殺者という訳でもないという事も同時に知られてい るので、いきなり剣を突きつけられるなどと言う事はまず無いそう だ。何となく、本当に何となくだが、地上の人たちはお人好し過ぎ 1104 るのではないかとも思う。あまりにも一本気過ぎる。楽天的とでも 言ったらいいのだろうか? よくわからないが、不自然な感じが拭 えない。 ライル 話が前後して恐縮だが、我が国の政治形態はいささか特殊だ。先 ライル 程も言ったが女王であるリルス陛下の下に十人で構成される元老院 がある。この十人の元老は毎年一人ずつ入れ替わる。我が国には元 老になることのできる家系が二十ほどあり、持ち回りで元老を輩出 アイドル している。国の決め事は全てこの元老院で決定されている。女王陛 下は何百年も姿を現しておらず現人神だと言われている。偶像? また何かよく判らない言葉が浮かんだ。元老達によると時が満ちた ダークエルフ 時には、女王陛下は姿を現わされ、我らを導き、地上に打って出て 我ら闇精人族の楽園を築くための一大戦争を地上に対して仕掛ける らしい。これは我らの間で王道楽土建設計画と呼ばれている。 当然だが、我らは女王陛下を現人神として尊崇しているので地上 に降りて︵正確には登ってだが、エルレヘイの出入り口はキンルゥ 山の中腹にしかないので、このように表現されている。実は他にも いくつか秘密の出入り口がないこともないのだが、それは関係ない︶ 仕事をする人以外は命名の儀式なんか行われていない。国内に神社 がないからだ。国外に出る必要が発生した時に近隣であるロンベル ト王国、カンビット王国、デーバス王国のどれかの街に行って命名 の儀式を執り行ってもらう。だから、ステータスオープンで名前が 見れる人は基本的には大人か成人に近い年齢の者に限られる。勿論 全員じゃない。 このように命名の儀式を受けられる人たちのうち、まず、戦士階 級から紹介しよう。三位戦士階級。これはキンルゥ山周辺の魔物を 狩って魔石を得ることが仕事なので外部との接触もあるからだ。当 然地下トンネルの拡張工事の際に出くわす魔物を退治することも仕 1105 事に含まれる。国内の見回りもある。次いで二位戦士階級。彼らは エルレヘイの出入り口の警護が主な仕事だ。当然外部との接触があ る。そして一位戦士階級。たまにある暗殺の仕事を請け負うことが 出来ると認定された凄腕たちだ。剣だけでなく、全ての元素魔法を 使える必要があるし、場合によっては年単位で目標の人物の傍に潜 伏するので地上の人たちとも交流が発生するから当然必要だ。 次に獲得階級だ。オースでは一般的に商人と呼ばれる職業だ。貴 ライル 重な外貨を獲得してくるため、戦士より階層が高いとされている。 彼らは近隣諸国へと我が国の産物を販売して回るのだ。彼らにも命 名の儀式は欠かせないだろう。 あとは元老たちだ。場合によっては近隣諸国へ出向いての政治的 な交渉が発生する可能性があるからだ。 その他、例外的だが、何らかの罪を犯した者が奴隷階級へ落とさ れる時にも執り行われる。奴隷として自らを販売し、外貨を獲得す ライル ることによって罪を償う必要があるからだ。一度販売されたらそれ ライル によって我が国での犯罪歴は抹消される。その後何らかの行動を起 こし、奴隷階級から解放されれば晴れて自由の身となる。我が国へ 戻ってきてもいいし、戻らなくても特に罰せられるようなこともな い。因みにデュロウの戦闘奴隷は非常に高く売れるらしい。 また、数年に一人くらいしかいないが、何らかの理由でエルレヘ イを離れ、旅立つ人もいるらしい。そういった人もまず最初に命名 の儀式を受けに行くらしい。 ライル これら以外の我が国の大多数を占める奉仕階級の人々は一生命名 の儀式を受けることもないままその生涯を終えるのが普通なので、 命名の儀式を終えた人は奴隷以外は一定の尊敬を集められる。奉仕 1106 階級と言っても奴隷ではない。家畜やきのこの栽培、地下トンネル の拡張に従事している人たち全般をこう呼んでいるだけだ。 それぞれの人数は三位戦士階級は大体300名強、二位戦士階級 は100名程度、一位戦士階級は100名程いる。元老は50名程。 獲得階級も50名程。引退者もいるのでこのくらいの人数になる。 元老の家系と獲得階級の家系だけは世襲なので別枠になるが、戦士 階級だけは奉仕階級の中から選別される。毎年、前年に七歳になっ た奉仕階級の子供を一箇所に集め、剣の稽古をさせる。大抵の子供 は集められる前に家族や近隣に住む戦士階級や元戦士階級の者たち からある程度の剣の手ほどきを受けている。自分の場合は既に亡く なった父親から手ほどきを受けていた。 そして、同時に魔法の修練が行われる。個人差が大きいが大抵の ものは何らかの魔法を使うことができるようになる。中でも八歳ま での一年間に元素魔法を全て習得できたひと握りの者だけが一位戦 士階級の予備として隔離され、別に用意された専用の教育課程に移 される。同じ期間でついに全く魔法が使えなかった者はその時点で 解放され、家庭に戻ることになる。両方とも全体のうち一割以下の 人数だ。その後も残された八割強の人数で修練は続けられる。だが、 更に一年後にまたハードルがある。ここまでに二種類目の元素魔法 が使えない者は解放され、奉仕階級として家庭に戻る。ここで八割 強残っていた子供たちは半数ほどが脱落する。残った全体の四割く らいの人数で訓練は続く。なお、この時点で四種の元素魔法が使え るようになったものはひとつ下の年齢で隔離された一位戦士階級の 予備に編入される。 少しだけ話の腰を折るが、魔法を使えるようになって初めて魔法 というものの便利さを知った。ある程度の物理法則を捻じ曲げられ るのはこんなに便利なことなのか。極端な話、絶対に不可能だと思 1107 われることも、問題なく出来る。例えば自分で出した水にお茶を混 ぜる。そこから再び自分で出した水だけを除去する、等という事が わけなく出来るのだ。魔力さえあれば、もしくは量さえ少なければ コーヒーと水を分離すらできるだろう。ん? コーヒーって何だろ う? 話を戻そう。その後、残った者たちで引き続き剣と魔法の修練は 続けられる。毎年一位戦士階級への移籍と魔法以外の剣などの修練 の度合いが確認され、ここの人数は基本的には減っていく。そして、 更に四年後、十三歳を迎える年になると成績の良いものから数名は 二位戦士階級見習いとして門番に引き抜かれ、残りのものは三位戦 士階級見習いとなって狩りと警護の任務に就くことになる。 最初に隔離された一位戦士階級の予備集団は引き続き修練するの だが、魔法はともかく、剣などの修練の課程で規定に達しないと見 做された場合、二位三位戦士階級の修練集団に戻される。そこでの 毎年の見極めで規定に達していない場合は当然、奉仕階級として家 庭に戻されることになる。この集団に所属したまま十三歳を迎え、 一位戦士階級見習いとして一位戦士階級の下層に所属できるのは毎 年多くても三∼四人といったところで、少ない年は一人などという ことも有るらしい。 ライル もたら そのため、一位戦士階級の者はかなりの尊敬を得ることができる。 場合によっては一仕事で白金貨以上の報酬を我が国に齎す事もある のだから当然だろう。国を富ませるために体を張って戦っている者 が尊敬されるのは当たり前のことだ。当然それ以上に獲得階級の者 たちは尊敬されているが。獲得階級の者たちが外貨獲得のために諸 国を行商する際には護衛として必ず一位戦士階級から一人、護衛達 の指揮官として随伴し、二位戦士階級からも一人、三位戦士階級か ら六人が護衛として随行する。商品や売上金を魔物や野盗から守り、 1108 ライル 同時に我が国にとっては貴重な馬車や馬をも守るためには必要なこ とだと見做されている。危険の多い地域を通る場合には外部の護衛 を雇うことすらあると言う。 ライル あまりにもざっくりとしすぎているが、我が国についての説明は この程度に止めておこう。いずれもう少し詳しく説明が必要になる 時が来たらその時に補足するとして、以降は自分自身の話だ。 ・・・・・・・・・ 冒頭でも述べたが、自分は他の子供たちと異なり運動能力に恵ま ラ れ、更に有難い事に魔法の力にも秀でていたため、一位戦士階級に イル デュロウリッシュ 見習いとして所属を許された。戦士階級の修練には語学もあり、我 コモン・ランゲージ が国で普通に喋られているデュロウ語以外にオース一般で通用する 言語であるラグダリオス語を学んだ。かなり共通点が多いのだが、 イントネーションや細かい人称の違いなどを学び、周辺各国で仕事 に従事する際に困ることが無いように教育された。そのため、一人 デュロウリッシュ 称についても﹁俺﹂や﹁あたい﹂﹁おいら﹂ではなく、﹁私﹂﹁自 コモン・ランゲージ 分﹂と言うように習った。デュロウ語では一人称は性別によって別 れていたのだが、ラグダリオス語では﹁私﹂か﹁自分﹂くらいしか ないと教わったので、なんとなく﹁自分﹂と言うようになった。特 に理由はない。強いて言えば教えてくれた人が﹁自分﹂と言ってい たからだろうか? 当然ながら二・三人称や語尾、各種表現にも修 正の教育を受けた。 七歳から学び始めた魔法が使えるようになって何ヶ月か経過した 1109 頃、神に会った。きっと、リルス陛下ではないかと思う。自分の体 もないような真っ白い空間で、よく解らないことを早口に伝えられ、 よく判らない景色を見た。見た、と言うより流し込まれた。あのよ うな事が出来るのは現人神であるリルス陛下をおいて他にはあるま い。 新たに生を受けただとか固有技能だとか成長率が高いとか何だか 良く解らないことを次から次へと頭に流し込まれ、混乱の極みに陥 りそうになった時、最後に何か質問したいことはあるかと聞かれた。 その時にはもうリルス陛下だと確信していたので﹁陛下﹂とお呼び したのだが、頭の中に響いてくる声は﹁陛下?﹂と一瞬だけ疑わし そうなニュアンスで言った時、思い当たった。 デュロウリッシュ コモン・ランゲージ この存在はリルス陛下ではない。なぜなら、最初に語りかけてき た時点ですでにデュロウ語でもラグダリオス語でもなく、自分が生 まれた当初から知っていた言語で語りかけてきたからだ。リルス陛 下でなければ一体何者だろうか? と思ったが、それは思うと同時 に声になって不思議な空間に流れた。その存在は自分の名前は発音 できないからとりあえず﹁神﹂とだけ呼んでおくようにと言い、黙 った。自分も混乱したまま黙ってしまった。仕方ないのでずっと疑 問に思ったまま何の解決もしないで棚上げにしていた固有技能につ いて尋ねた。 暫くすると目が覚めたのがわかった。目の前にはステータスオー プンのような窓が浮かんでいた。そこには ﹁ある意味でここからがこの世界での人生の本番です。未だこの入 口にすら辿りつけていない人もいますが、貴方は既にスタートライ ンを踏み越えているのです。これから先、何をするのも貴方の自由 です。 1110 また、もう二度と転生はありませんので、後悔だけはしないよう な人生を送ることを勧めます。また、あなたは深刻な問題を抱えて います。時間も足りなかったので完全に払拭する事は出来ませんで したが、出来るだけのことはしました。その問題を払拭しやすいよ うに幾らかの手助けはしましたが、現時点では特に何も変化を感じ られないでしょう。あと1∼2年も経てば何かをきっかけにして問 題を解決できるかも知れません。何がきっかけになるかは私にもわ かりません。いろいろ試してみることをお勧めします。﹂ と書いてあった。知らない文字の筈なのになぜ読めたのか不思議 でしょうがなかったのが記憶に残っている。 とにかく、この時に知ったことは自分の人生に大きな衝撃をもた らした。嘘か本当かなど解らないし、調べるような術などあるはず もないが、あのようなことが出来るのはリルス陛下か陛下に匹敵す るような存在しかないとしか思えない。 私は別の世界で生まれ、育ち、事故で死んだそうだ。ここまでは 到底納得も受け入れることも出来なかったが、理解は出来る。変な 言葉を知っていたし、赤ん坊の頃からやけに大人びた思考が出来た からだ。私と同じような境遇の人間がオースに39人もいるとのこ とだが、そんなのは調べようもないから嘘でも本当でもどちらでも いい。そして、その全員が人生を一からやり直しているということ もまあいい。 だが、それらが本当ならば記憶と意識の連続性を保っているはず なのに、自分の場合は言語やたまに浮かんでくる妙な知識の記憶は あるが、別の世界で生きていたという記憶はない。意識と言うのが 何を指しているか、その定義は不明だが、大人のような思考能力を 指しているのであれば、納得出来なくもない。きっとこれが自分の 1111 抱えている大きな問題なのだろうと言うことは想像できる。だが、 今更、別の世界で生きていたという記憶を取り戻したとしてどうな るというのか? また、生まれ変わった人間は成長の度合いがオース一般の人たち よりも大きいそうだが、それが本当なら素直に嬉しいことだし、嘘 だったとしても害はない。しかし、自分の運動能力は同年代の他の 子供たちを少しだが上回っている感じがする。生まれ落ちてから今 まで、なんの成長もしていないなどということは有り得ないから、 これは本当の事なのだと受け止められた。 固有技能についても同様だ。自分は既に固有技能があることを知 っている。誰にも、それこそ両親や兄にも話していないが、ステー パーティゼーション インフラビジョン インクリネーシ タスオープンくらいはまだ小さな時分に教えて貰ったから知ってい ョンセンシング る。﹃部隊編成﹄と言うのが自分の固有技能だ。赤外線視力や傾斜 感知のように好きに使えるのかと思っていたが、そんな事はなかっ た。 使い方を知らなかったし、全く解らなかったので放っておいたの だが、神を自称する存在に教えて貰った事によって理解できた。真 に自分の事を理解してくれる人に対して使うそうだ。相手の心の中 に、真に自分の事を理解しよう、とか、自分の事が心配だ、という 意識がありさえすればいいらしい。その上で相手の意識を自分に向 け、対象となる相手に接触し、自分という存在を受け入れられる必 要があるとのことだった。面倒くさい。大体部隊編成出来たからど うだと言うのか? そう思って暫く放っておいたが、いつだったか、そう、十一歳位 の時、初めて使ってみたことがあった。相手は当時既に成人してい た兄だ。その当時既に両親は他界していたから、自分のことを心配 1112 してくれたり、理解してくれそうな相手は兄しかいなかったのだ。 休暇を貰って家に帰った時に心配そうな顔で訓練について質問をう けた時に、ふと気がついて使ってみたのだ。テーブルに載せた兄の 手を握りながら﹁心配はいらない、自分は頑張っている﹂と伝えな がら使ってみた。その時、少しだけ兄は驚いたような顔をしたのが 印象的だったが、すぐに微笑んでくれた。 すると、その後しばらくの間、なんとなくだが、兄の居場所の方 向や距離などが朧げに認識できた。一時間もするとそんな奇妙な感 覚は消え去り、それを除けば別段変わったことはなかった。神に会 ってからの一時期、自分と一緒に缶詰状態で訓練を受けていた仲間 に対して同じようなことをしてみた時があったが、こんな感覚にな ったことは無かった。 やはりあれは本当のことだった。多分家族である兄は損得抜きで 自分のことを心配してくれていたのだろう。それに対して、自分の 容姿などが原因で嫌われ者に近い存在だった自分の周囲にいた仲間 達は兄ほど自分に対して心を砕くことはなかったから使えなかった のではあるまいか。そう思うといよいよ自分の心は周囲に対して固 く閉ざされていくのがわかった。そんなある日、自分の考えを改め る出来事があった。 当たり前のことだが、一位戦士階級の教育課程では教育課程に参 加した年度で教育内容が異なっている。当然だんだんと高度な内容 になっていく。すると脱落して奉仕階級として家庭に帰るものも出 てくる。十三歳になる年に見習いとして配属されるから五年間の教 育期間の最終年度になると同い年はもう三∼四人しかいない。そこ に一人か二人くらい上の年齢の子供が混じる程度が普通だ。残って いる同い年の中に毎年の見極めでいつもギリギリの成績で何とか引 っかかっている子供がいた。 1113 ギリギリで引っかかっているとは言え、一位戦士階級の教育課程 は非常に厳しいのでそれなりに優秀ではある。いつも頭一つ飛び抜 ける形で高成績を修めている嫌われ者の自分とペアで修練をしてく れるものなど誰一人いなかったのだが、この最後の教育課程に進む 際にその子といつもペアを組んでいた子が見極めで二位三位戦士階 なじ 級の教育課程へと戻されてしまった。放り出された子は、いつも自 分に対して容姿を元に詰ってくるような子だったから、自分の心は 痛まなかったし、ペアでないとクリアできないような修練でも何と か一人で乗り切れてきたため、自分は気にしていなかった。 しかし、その、アーウィック・レンサラスという女の子はペアが いないと今後の修練を乗り切ることは難しいだろうと誰もが思って いた。そこで、教授のデンダロッズ先生はアーウィックと自分が新 しくペアになるようにと言った。成績が最低であるアールと成績だ けは最優秀の自分とをペアにしようとしたのだろう。正直言って自 分にとっては今更ペアがいたところで何も益するところはないのだ が、教授には教授のお考えというものがあるに違いない。仕方なく アールとペアを組んだ。アールは今までの彼女のパートナーと違っ て自分の容姿に対して否定的なことを言っていた記憶がないのも大 きい。 なぜだか知らないがアールは自分に良くなついた。家族以外で愛 称で呼んでもらった初めての人になった。なんだかこそばゆい気も したが悪い気はしなかった。ひょっとしたらアールの髪がある程度 色素の濃いワインレッドのような色だからだろうか? 自分と同じ ように醜い髪の色に劣等感を抱いていたのだろうか? 今となって はどうでもいい。 わだかま 自分と彼女の距離は次第に近づいていった。蟠りのない気のおけ 1114 ない友人付き合いが出来るようになるまでそう時間はかからなかっ た。自分と彼女の間に、自分だけが掘っていた溝はいつしか埋まり、 パーティゼーション 自由に行き来出来るようになった。彼女ならひょっとしたら? 半 年近く経った時にいつか兄にしたように﹃部隊編成﹄を使ってみた。 兄にしたときと同じような感覚に包まれたことが解った。 アールはにっこりと微笑んで﹁なんだかミヅチが身近に感じる﹂ と言ってくれた。ミヅチというのは自分の愛称で、ミヅェーリット・ チズマグロルと言う名前を縮めたものだ。自分もアールに微笑んで いた。その後、行われた修練では我々のペアは他のペアを圧倒する ような好成績を修めることが出来た。 パーティゼーション いよいよ見習いとして配属を迎える前の、最後の見極めの日もい つも通り﹃部隊編成﹄を使用して好成績で乗り切ることができた。 この年、一位戦士階級見習いになれたのは自分とアールのたった二 人だけだった。 配属は当然ながら別れた。残念だったが致し方ない。ただでさえ 若く、教育課程を終えたばかりの新人を二人纏めて使うなどという ことはしない。貴重な一位戦士階級を使い潰すことにも繋がりかね ない。当面はそれぞれ先輩とペアを組んで仕事をするのだ。一年後 に再度見極めが行われ、見習いの称号が外れるまでは意見など言え るわけもない。 自分とアールはお互い先輩の女性の一位戦士階級の20代前半の 中堅の戦士とペアを組んで仕事を習い始めた。一年後、晴れて見習 いの称号が取れた。お互い無事に十四歳になれたことを祝い、初め て酔うほど酒を飲んだ。一位戦士階級は仕事がない間は何をしてい ても許される。昼間から酒を飲んでいても白い目で見られることは ない。 1115 アールにはすぐに新しい仕事が来た。カンビット王国のある上級 貴族からの依頼だった。政敵の暗殺らしい。目標も上級貴族だから 屋敷の下調べや行動パターンの情報収集等に多分時間がかかるだろ う。アールは初めての単独任務に張り切っている。自分はまだ単独 の仕事を割り振られていないので、彼女のことが少しだけ羨ましか った。 数ヵ月後、自分にも依頼が来た。内容は政敵の暗殺と依頼者自身 の護衛だった。依頼者は、アールの目標だった。極稀にこういうこ とがある。出来れば誰かに代わって欲しかったが、やっと見習いが 取れたばかりの自分の初の単独任務だ。それに、病弱な兄のために、 常に高価な薬が必要だ。自分には粛々と依頼を遂行するしか出来る ことはない。 自分の護衛対象である上級貴族の家に忍び込んできたアールに剣 を突き立てた時の驚いた顔は一生忘れる事は出来ないだろう。彼女 は直前まで自分のことを援軍だと思い込んでいたのだ。だが、死ぬ 間際に﹁苦しませてごめん﹂と謝ってきた。泣きながらアールの依 ライル 頼者である自身の目標を殺し、自分の依頼者もアールが受けた任務 達成のために殺した。我が国では依頼者も死ぬのだからどうせばれ るはずはないと、アールを見逃すようなことは許されない。代金を 払って貰ったからには、可能な限り正確に依頼を遂行するのだ。最 初の依頼をすぐに達成できなかったアールの力不足が悪かったとさ れてお仕舞だ。 自分の心が再び殻に閉ざされたことを感じた。 1116 ・・・・・・・・・ 月日は経ち、いくつかの困難だと思われた任務を遺漏なく遂行し た自分の戦士としての評価は高まっていた。だが、常なら結婚相手 が殺到してきてもいい立場ではあるが、醜い容姿と、金食い虫と思 われている病弱な兄のため、自分に結婚を申し込んでくる酔狂な人 は一人も現れることはなかった。とっくに凍りついている心はそん な事を残念に思う感情すら消えていた。 ライル 唯一、我が国の非情さに嫌悪感を抱き続けていることだけが自分 にまだ感情らしきものが残されている証だが、兄を置いて出奔など 出来ない。年々衰弱していく兄だけが僅かに残った自分の心の支え だった。気のいい叔父夫婦が兄の身の回りの世話をしてくれている から自分は安心して金を稼ぐ任務に没頭することができる。叔父夫 婦には頭が上がらない。自分の一位戦士階級としての給金や依頼達 成の褒賞はどうしても必要な経費を除いて全て兄の薬代に費やされ ている。叔父夫婦にお礼の金を渡すことも出来ない。 十六歳の頃だ。あるケチくさい任務を遂行し、疲れた体を引きず ってゆっくりとエルレヘイに帰ろうとしていたとき、それは起こっ た。ロンベルト王国のバルドゥックと言う街にある有名な迷宮の中 でのことだ。体力を使い、神経をすり減らして疲れきっていてつい 罠を作動させてしまった。直接命に関わるものではないが、どう考 えても命に関わるものだ。下の階層へと続く落とし穴に嵌ってしま った。傾斜したヌルヌルと滑る床と壁に抗えず、どんどんと下の層 へ落ちていく。 インクリネーションセンシング 傾斜感知など使うまでもなくわかる傾斜した落とし穴は摩擦係数 1117 が低いのだろう。ろくな手がかりもなく、抵抗出来ない自分を深部 へと引きずりこんでいった。 1118 幕間 第十三話 ???の場合︵後書き︶ 今まで描写されていた世界と全く異なるので説明多めの内容になっ ています。 固有名詞など、わかる人だけニヤリとしてください。 なお、次回からまた暫く通常の話に戻ります。 1119 第十七話 盆地の街 7442年5月13日 昨晩はラルファとゼノムを言いくるめて二人を雇うことに成功し た。途中で急にラルファが﹁契約なら内容を詰めよう﹂と言って来 たのには少し驚いたが、所詮は高校生レベル。ちゃんとした契約な どしたこともあるまいと高をくくっていたらやはりそうだった。大 まかに言って 1.俺は彼ら二人に合計で月間40万Zの報酬を月初めに前払いする 2.雇用期間は最低一年間 3.一年ごとに契約更新、更新の際には新年度の報酬について話し 合って考慮する 4.二人は二人の命に関わるような命令以外なら従う 5.お互いに相手の健康について考慮し、心を配る 6.俺はラルファに魔法習得のための指導をする 7.前項はラルファが治癒魔法を使えるようになるまでは続けられる 8.今月に限ってはサービスで報酬はなし︵但し、金を得ることが あったら山分け︶ 9.雇用期間中の冒険の過程で得た金︵報酬含む︶や物品について は俺のもの 10.野営するような場合、見張りは公平に時間分配する という内容に落ち着いた。ちょろ過ぎるわ。誠意条項もないし、 極端なことを言えば俺が﹁ラルファ、ちょっと体を売って稼いでこ い﹂﹁ラルファ、新型の衛生用品の性能をテストさせろ﹂﹁ラルフ ァ、お前の持ち物を売って金を作れ﹂とか言えば断れない。拒否権 1120 は命に関わるような命令だけだしな。まぁそんなことするつもりは ないけど、追い詰められたら何言うかわからんでぇ。 ロプロスとポセイドンゲットだぜ。ロデム候補はいないものだろ うか? 無償じゃないから違うか。 とにかく、バルドゥックまでの道すがら、契約書を作れそうな村 か街に着いたら契約書を作成し、お互いに持ち合うことで落ち着い た。少なくともそれまでは無茶なことを言うつもりはない。尤も、 無茶なことを言った場合、その時は何とかなっても、その後最長で も一年間程で契約が切られるので、言う場合はそれこそ追い詰めら れた時だけだ。 まぁそんな事言っても究極的にはあんまり意味ないんだけどさ。 この世界なら個人間の契約不履行でのペナルティなんか無きに等し いだろうからな。 そう思いながら、ゼノムとラルファを乗せた俺の軍馬の脇を走っ ていた。毎日二時間、出来る限りランニングは欠かさない。移動距 離も稼げるしな。でも、流石に外の街道は走りづらい。足を痛めな いように気を遣いながら走るとそんなにスピードは出せないから何 時も馬を歩かせているよりほんの少し速いかな? という程度のペ ースだ。一日の最初に二時間走ったら一時間の休憩を入れる。馬も 休憩なしで二時間はへばるからな。あとは昼食時を除いて一時間ご とに10分程度休憩するくらいだ。俺も馬に乗ったり、降りて歩い たりしながらだから、全員の疲労を分散させられるようになったの は大きい。あれ? 俺だけ損しているような気も⋮⋮まぁいいか。 若いうちから馬の背に揺られてばかりというのもよろしくない。 1121 途中、ある程度の規模の街で丸二日程休んだりしながらバルドゥ ックを目指し、三週間近くかけてやっとバルドゥックに到着したの は5月末日の30日のことだ。ああ、契約書は作ったよ。紙とペン ちゃんとしない理由 を説明出来ず代書屋みたいなとこ さえあれば俺が書くと言ったのに﹁契約はちゃんとしないと﹂とか 言われて ろで作成してもらった。何でだか知らないが10万Zも取られたわ。 糞。 ・・・・・・・・・ 7442年5月30日 バルドゥックの街に到着したのは昼下がりだった。直径6∼7k mくらいの大きくなだらかな円周状の丘に囲まれたすり鉢の底にあ るような盆地の街だ。話に聞いていたが、農地のようなものは街の 周囲の斜面にちょっとある程度だろうか。盆地の底が直径3∼4k mくらいの平野になっており、その中心あたりに有名なバルドゥッ クの迷宮があるらしい。その入口を中心に歪な放射状に八本の道が 伸びており、盆地の周囲の丘の頂上あたりをぐるりと取り囲む道に 接続している。八本の道はお互い細い道で繋がれているようで、蜘 蛛の巣のような感じと言うのが適当かも知れない。 南からバルドゥックを目指して進行してきた俺たちは、5m程の 木に覆われた丘を登るとその頂上あたりで十字路にぶつかった。当 然真っ直ぐに進めばバルドゥックの街に行くし、左右なら盆地を取 り囲む道を行くことになる。ふむ、この円状の道はランニングコー 1122 スにいいんじゃないかな? などと益体もないことを考えながら眼 下の盆地に密集する街を眺めた。どこからか木に斧を入れている﹁ コーン、コーン﹂という音が響いている。 ゼノムとラルファもバルドゥックに来たのは初めてらしいから俺 と一緒になって丘の頂上から街を眺めていた。ラルファは﹁ここっ て火山の火口とか⋮⋮クレーターみたい﹂と言ったが本当、その通 りだと思った。尤も火山の火口やクレーターの周囲はこんなになだ らかじゃないだろうから違うのかも知れない。でも、長い年月を経 ているのであれば風雨に晒されて崩れたりしてこんなになだらかに なることもあるのかも知れない。 丘の高さは体感で150m。高いところでも170∼180mも ないくらいだろうか。円周状の丘の斜面は今まで登ってきた坂と眼 下に伸びる下り坂を見たところ10%前後くらいの勾配だろう。盆 地内部の斜面の道以外の場所は外側と異なり潅木と草地が広がって いて眺めはいい。この程度の勾配なので斜面に対して坂道は斜めに なるようなこともないと思ったが、盆地の外側はともかく、盆地の 中の坂は少し斜めになっていた。ああ、街の周囲に少しある斜面の 農地に水を運ぶのにそうしているのか。 盆地の中心部に広がる街の中には少し東側に小さな池と言うか泉 というか、水たまりのようなものも見える。とても湖とは呼べない。 上野にある不忍池の三倍くらいの面積があるかどうかだろう。そこ から西に向かって川が流れている。川は西の丘を削って数Km先に 広がる海に流れ込んでいる。多分、西側の丘だけそのために切り崩 したのだろう。川の両側が急峻な崖のようになっているのがわかる。 崖を繋ぐ橋はないからランニングは川沿いを登って盆地を囲む丘を ぐるりと一周し、川の反対側の坂を降りるしかないだろう。川が海 に流れ込んでいるところを見るとあの池は泉で湧き出る水量もそれ 1123 なりにあるのだろうし、盆地の底は周りの地上よりも幾分高くなっ ているのだろう。 見たところ、街の建物は新しいものとある程度古いものが混在し ているようだ。新しい建物はキールの街並みにあったようにしっか りと漆喰で塗り固められた壁を持ち、一階や基礎部分は石造りのよ うだ。気がつかなかったが丘のどこかに石切場のようなものでもあ るのかもしれないな。高さは三階建てどころか数える程しかないけ れど四階建ての建物まである。土地が限られているから新しい建物 は土地を有効活用するために上に伸びているのだろうか。古い建物 は木造で、せいぜい二階建てどまりだ。オース一般の建物とそう変 わりはない。瓦や茅葺きでない板の屋根を除けばどことなく江戸時 代の日本家屋風な感じがするのも一緒だ。勿論豪華に瓦屋根の建物 もないことはない。 昼食を摂ろうと最初に目に付いた飯屋に入った。そこで、簡単に 今後のことについて相談する。まずは腰を落ち着けるための宿を決 めねばなるまい。俺たちは今後しばらく滞在するに相応しい適当な 宿を取ろうとしたが、ここでゼノム達と意見が割れてしまった。彼 らは一人一泊2000Z∼3000Zの下級の宿で充分だと言って いるが、俺はキールで滞在していたビンス亭クラスの一泊5000 Zくらいの宿を考えていたのだ。そう言えばここに来る途中で二日 間休んだ街では空いている宿は5000Z程度の宿しかなかったか ら文句もなかったのか。 だが、部屋を空けている時に荷物の心配をしなくてよく、馬の面 倒を見てくれることは必須条件とも言える。それに伴って料金がか かるのは当然だろう。それだけでなく、いろいろとサービスのメニ ューも多く、清潔なことは大切であると一席ぶったのだが、それで も結局彼らは安い宿に滞在することを選ぶようだ。何かあった時に 1124 すぐに連絡が取れないことは不安だが、俺はこの条件を下げる気は さらさらないので宿が別れることも仕方あるまいと、自分を納得さ せた。 契約を盾に無理やり納得させる手も無い事は無いが、そう軽々し く使えるカードでもない。それにこんなことを無理強いする意味も 薄い。ろくに財産らしい財産も持っていない奴には理解できようも ないことだろうしな。貧乏自体は悪いことではないが、それを、又 はそれで良しとする精神性は害悪だ。世の中には清貧という言葉も あるが、俺は昔から自己欺瞞の言葉だと思っている。別に贅沢を推 奨するつもりは全くないが、必要な経費を切り詰めてもそれはケチ なだけだ。精神性も貧しくなる。金がないなら仕方ないが、ないな ら稼げばいいだけのことだ。まぁこのあたりはそれぞれの考え方や 価値観というものもあるからあまり拘っても仕方ない。俺の考えを 押し付けるつもりもないしな。連絡に多少不便なことはあるが、そ れさえ容認できるならお互い相手が腰を落ち着ける宿さえ確認でき れば別に問題があるわけでもない。 そう思って、そこそこ上質のベッドに寝転がりながら弛緩した。 もう少し休んだら、予め決めてある飯屋に行ってこれからのことで も相談しよう。ああ、そうだ、あとででかい桶でも買ってくるか。 風呂は無理にしてもシャワーくらいは人目を気にせずにゆっくりと 浴びたいしな。そう思って浅い眠りについた。 キャントリップス 夕方近く、目覚ましの小魔法で起こされた俺は、普段着のままブ ーツを履き、落ち合う約束をした飯屋に行った。まだ彼らは来てい なかったので、入口から入るとすぐにわかる場所のテーブルを選び、 ビールを注文した。まだ夕方近い時間ということもあり、客席はま ばらに埋まっているだけだ。他の客席についている数少ない客を観 察すると、冒険者風とでも言うような肉体派の奴らは見かけなかっ 1125 た。多分、この町の住民が少し早い食事を摂りに来ているだけなの だろう。 俺はバルドゥックの街は迷宮があり、冒険者たちが一攫千金を狙 ってぞろぞろ集まってきていると聞いていたので、拍子抜けしてい た。だが、迷宮に挑戦し、一攫千金を狙うには長時間迷宮に滞在す ることもあるだろうし、この時間ならまだ働いて︵?︶いる時間か も知れないと思い直した。沢山の冒険者が命を落とすという危険な 迷宮だから情報収集でもしようかと思っていたが、それはまたの機 会にでもしたほうが良さそうだ。ちびちびとぬるいビールを啜りな がら、豆の煮物を摘んでいく。この豆の煮物はどこにでもあるよな。 家でも食ってたし、ドーリットやキールでもあった。ここまでの道 中でもさんざん食ってきた。 なんとなく日本で言う、お新香だとか、納豆だとかそんな感じの ロンベルト王国のソウルフードとでも言うべきものなのだろうと思 ってはいたが、否定する材料もないし、きっとそうなのだろう。嫌 いじゃないし、十年以上もしょっちゅう食ってりゃ慣れもする。 ゼノムとラルファが来ると彼らも同じものを頼んだ。彼らもぬる いビールを啜りながら豆を食っている。食事も一段落した頃、宿の 情報を交換し、いよいよ明日からの計画を練ろうとしたとき、店に 数人の男たちが入って来た。どことなく汚い格好で、なんとなく粗 野な振る舞いをし、ほのかに立ち上る汗臭い体臭。喋る言葉はどこ の方言かは知らないが多少下品な内容もある。冒険者だ。こういう 奴らが迷宮に潜っているのだろう。戦力はどの程度なのだろうか。 さりげなく鑑定してみると全員レベル7だった。魔法が使えるやつ もちらほらいるが、技能のレベルは2とか3で低い。と言うかこれ が普通か。 1126 どうやら迷宮の一層でノールの集団に出会ったらしい。ノールは コボルド以上、オーク未満程度の強さの魔物、いやさ、モンスター らしい。やはり集団で現れ、こちらを攻撃してくる。ハイエナの様 な人型をしたモンスターで武器も防具も使うとのことだ。やはり何 匹か傷つけると仲間をかばいながら退却する程度の知恵はあるとゼ ノムが教えてくれた。さすがはゼノムだ、何でも知っているな。 とにかく、ノールに追い散らされた実力の低い冒険者のことはど うでもいい。だが、バルドゥックの迷宮の第一層程度ならこの程度 の実力でも生きて帰ってくるくらいは出来るということか。そう思 いながら、既に何度も聞いているゼノムの迷宮のレクチャーに耳を 傾けた。少し長いがおさらいだ。まぁ聞いてくれ。 ・迷宮では何が起こるかわからない。常に油断するな。 ・迷宮に入るためには一人頭10000Zの税金が必要。 ・ある程度の情報はバルドゥックの行政府に行けば説明してくれる。 ・今までに踏破された階層は第八層。それも何百年も前のこと。踏 破者は初代ロンベルト一世。彼はその時得た財宝でロンベルト王国 の基礎を築いた。 ・迷宮に同時に入れるのは一部隊十名まで。それ以上の人数は部隊 を分ける必要がある。理由は迷宮の入口を降りると地下室になって おり、そこに水晶の棒がある。それを握って、握ったうちの誰かが 迷宮内部に転移する呪文を唱える必要があるから。呪文は握る前の 水晶の表面に浮かび上がっている。但し転移のために使われる毎に 変わるから覚える必要はない。水晶の長さの制限でいいところ十人 が限界。 1127 ・転移先は必ず迷宮の第一層のどこか。 ・転移先には同じような水晶があり、同様に呪文を唱えることで入 口の水晶の部屋の脇の部屋に転移できる。但し、この水晶はこの場 所に転移した者しか見ることも出来ないし、触ることもできない。 ・第一層の中心部と思われる場所に同じような水晶がある。入る時 と同様にそれを握りながら呪文を唱えることで入口の水晶の脇の部 屋か、次の階層に転移させられる。戻るときの呪文は一定で﹁我ら を戻せ﹂。 ・迷宮内部で他の冒険者の部隊と出会うこともある。但し、あまり に広いのと、どこに転移するかわからないので狙って会うことは無 理に近い。双方の実力が相当高ければ落ち合う場所を決めて会うこ とも不可能ではないというが⋮⋮まず無理。 ・各階層の広さはとてつもなく広い。伝えられている内容によると この街くらいの面積は余裕である。地図を売っているらしいが完全 なものとは言えない。 ・一層一層が異なり、各階層はそれぞれ特徴的。一層は洞穴。地面 や壁は土、もしくは岩。モンスターもそう強力なものはいない。罠 も大したものはない。 取り敢えずこんなところだ。その他二層以降の情報もあるにはあ るが今語っても仕方ないからそれは後日、必要な時に語るとしよう。 この内容だってゼノムが昔、人伝に聞いただけだから、どこまでが 本当か怪しいと自分でも言っている。多分最初の三項目以外は眉唾 くらいに思っておいたほうがいいだろう。 1128 俺達はまた明日、この店で昼食を摂ってから改めて行政府で情報 収集することにしてこの晩は別れた。 1129 第十八話 情報収集 7442年6月1日 日の出前に目を覚ますと早速ランニングに行く。あ、ここ盆地じ ゃん。本当に日の出前なのか疑わしい。とにかく走って盆地を囲む 丘の上の道まで行ってみた。木々の隙間から東を見ると丁度太陽が 顔を出し始めたところだ。東側から登ってみたので半周してから折 り返すか。 宿に帰るとシャワーが浴びたかったがビンス亭にあったような裏 庭がなかったので諦めた。だが、汗に濡れた俺を見た宿の男がシャ ワールームを教えてくれた。どうやら屋根の上に水魔法で水を蓄え ているらしい。なんだよ桶買ってこなくてもいいじゃん。シャワー ルームでシャワーを浴びるついでに温水シャワーにした。うむ。こ のシャワールームだと覗かれる心配もないからいいね。 シャワールームを出る前に体を乾燥させて、予め用意した着替え に袖を通す。扉を閉め、﹁使用中﹂の赤札をひっくり返して﹁空き﹂ にした。なお、シャワーの使用料金は一回100Zだ。水シャワー なのに高ぇ。排水の手間を考えると桶を買ってきて自室で浴びる程 じゃない価格設定なのが微妙な気分にさせる。 さて、朝飯でも食いに行くか。その後は昼飯まで散歩でもしなが ら街の構造を少しづつ頭に入れるとしよう。 1130 ・・・・・・・・・ 朝食を摂ったあとはぶらぶらとバルドゥックの街をぶらついた。 中心から外周に向かって伸びる大通りは西に伸びる川沿いの一番か ら時計回りに八番まである。あまり迷いそうにない構造ですぐに慣 れることが出来るだろう。 商店は武器屋や鍛冶屋は勿論、迷宮の中で役に立つ小道具屋のよ うな店まである。魔石の商売をする店、保存食を扱う店、いろいろ だ。農家は外周に近いあたりらしい。極端に迷宮に偏った街なのだ と改めて思う。 あ、そうだ。ついでだから迷宮の入口でも見に行ってみようかな。 そう思って街の中心部を目指して歩いていく。番号のついた大通り を周囲の丘を背にして歩けば必ず到着するはずだ。程なくして入口 に到着した。だが、勿論地面に穴がぽつんと空いているわけじゃな い。それどころか二階建ての立派な建物だった。 建物の中に入口があるのだろう。建物の入口に衛兵のような槍を 持った人が二人いるのが見えた。建物を中心に半径40mくらいが 空き地になっており、空き地の周囲には露店が並んでいる。だが、 そんなものよりも俺の目を引いたのは⋮⋮建物の入口周囲にそれぞ れ座り込んだりしている薄汚い冒険者風の連中だ。数えるのも面倒 なくらいいる。何十人だ? 事によったら百人以上いるかもしれな い。 なんだ? こいつら。近寄らないで露店を冷やかしながら暫く遠 目に観察してみると、すぐに理解できた。この場所に溜まっている 1131 奴ら全員が同じではないだろうが、基本的には迷宮に挑戦する冒険 くぐ 者集団のメンバーに入れて貰おうとしているようだ。後から来て迷 宮の入口を潜ろうとする集団が十人以下なら ﹁俺は二層に行ったことがあるぞ﹂ ﹁あたいは一層ならどこに出ても出口まで行けるよ﹂ ﹁槍使いは必要ないか?﹂ ﹁俺は三層まで案内できる﹂ とか口々に自分を売り込み始めたのだ。それ以外だと ﹁火魔法が使える三人組だ﹂ ﹁よう、あんたたち、あと二人、加える気はねぇか?﹂ ﹁我らはヨーライズ子爵騎士団の方から来た。一緒に行かぬか﹂ と言う数人がまとまっている集団もある。っつーか﹁方から来た﹂ ってなんだよ。消火器の押し売りかよ。どうせ大した実力じゃない んだろうな。だいたいまともな騎士があんなボロいリングメイルな んか着てるかっつーの。一応金属部品も使っているから革鎧よりは 防御力がありそうだけどさ。その粗末な盾に描かれているのはヨー ライズ子爵とやらの紋章か? 本人が見たらきっと怒るぞ。粗末す ぎて。 どうもこの野良冒険者どもは大きく二つに分けられるようだ。一 つは単純に仲間の数だけだと不安なので一緒に探索するメンバーを 募るもの。これはいい。もう一つは、多分間違ってないと思うが、 迷宮に入るための税が払えないので十人のメンバーを満たしていな い集団に対して自分を売り込み、税を払ってもらおうとする小判鮫 のような奴ら。 1132 小判鮫と表現したものの、冒険者一行に加わり、それなりに戦力 になるような奴がいないとも限らない。傭兵のように自分の腕を売 る奴がいてもおかしくはないだろう。ある程度の凄腕がガイドをす るという商売も成り立つんだろうな。料金は税を払うだけじゃない だろうけど。ふむ、このあたりも情報収集が必要なようだな。何も 焦って準備や情報不足のまま迷宮に突撃する必要はないのだ。 暫く眺めていると、更に解ってきた。実力のあるガイド︵?︶達 は入口の傍ではなく、ちょっと離れたところで特に声をかけること なく大人しく座っているか、腕を組んで立っているかだ。少なくと も彼らの方から積極的に声を掛けるようなことはしていないように 見える。どちらかというと、数人の冒険者の集団がこの広場に入っ てきたあとにきょろきょろと見回して、顔馴染みになっているらし いガイドを見つけて声を掛けるようだ。ひょっとしたら単なる待ち 合わせなのかもしれないが。 このあたりの事が解ってきた時点で30分程が経過し、入口周辺 の奴らも迷宮に入る奴は入口を潜り、そうでない奴は見切りをつけ て三々五々散っていき、閑散とし始めた。俺は露店で買った何の肉 かわからない正体不明の筋張った肉の串焼きをくちゃくちゃと噛み ながら、辺りを見回した。出来れば詳しそうな奴に話を聞きたい。 だが、既に冒険者のような身軽で且つしっかりと武装を整えたよう な風体の奴らは姿を消し、今度は一般の人々が行き交い始めたよう で、話を聞けそうな奴を見つけることは出来なかった。ふむ。別に いいや。 迷宮の入口になっている建物を守る衛兵に声を掛けるべく近づい ていく。ああ、串焼きは大して旨くもないしとっくにうっちゃって いるから風体はそんなに悪くないと思うぞ。俺は年上だと思われる 中年の衛兵に近づくと声をかけた。 1133 ﹁こんにちは、お役目ご苦労様です。少しだけお話がしたいのです が、宜しいですか?﹂ 衛兵は俺の姿を頭の天辺から爪の先まで眺めると口を開いた。 ﹁なんだね?﹂ にこりともせずに言って来たが、口調は多少柔らかく感じる。 ﹁お忙しいところ申し訳ありません。私はウェブドス侯爵の縁の者 でグリードと申します。世間を知らない田舎者で恐縮ですが、この 場所のことをお教え頂けないでしょうか﹂ 俺がそう言ってプレートを見せると、少しだけ衛兵の態度が改ま ったが、こういった質問にはある程度慣れているのだろう、 ﹁ああ、迷宮のことなら行政府へ行くといいでしょう。貴方になら そこで詳しく教えてくれるはずです﹂ と返答された。なるほど、行政府で情報を集めるのは常套手段の ようだな。 ﹁そうですか、ご丁寧にありがとうございます。お名前をお伺いし ても?﹂ 衛兵は意外そうな表情をしたあと、 ﹁ジョンストン・チャーチです。ですが、なぜ自分の名前を?﹂ 1134 と尋ねてきた。俺は薄く微笑みながら言う。 ﹁いえ、ご親切にしていただいた方のお名前をお伺いしないわけに は行きません。行政府でもお礼を述べさせて頂く際に困ってしまい ますから﹂ そう言うと頭を下げくるりと回れ右で引き下がった。前振りとし てはこれでいい。 ・・・・・・・・・ 昼まで別の場所を散歩しながら時間を潰すと昨日の店に行った。 既にゼノムとラルファは到着しており、テーブルを確保して俺が来 るのを待っていたらしい。待たせたことを詫びながら昼食を注文し、 今月分の給料を金朱一個と銀貨15枚で渡してやると一緒に昼食を 摂り、行政府へと向かった。 行政府はこの街の中央からやや北西にずれたところにある三階建 ての大きな建物だった。あまり広くないロビーに入ると掲示板のよ うなものが目に付いた。掲示板には納税窓口などの住人向けの案内 が書いてある。どこにも冒険者向けの案内などは書かれていない。 この街では冒険者向けの掲示板は無いのだろうか? 俺たちは疑問 に思いながらも奥へと進み、適当な窓口に近づいて声を掛けるとす ぐに教えてもらえた。 冒険者向けの掲示は裏口らしい。要は入口を間違えただけだ。知 1135 らなかったので仕方ないが、そのくらい書いといてくれよ。裏口に 回り、無事に掲示板を見つけることが出来た。キールの行政府と同 様、受付の係もいる。ちらっと掲示板を見るが書いてある内容はキ ールの行政府とあまり変わりがないように見える。だが、荷物の配 達が多いようだ。国内各地に向けての配達が結構ある。この街の職 人は腕がいいみたいだな。 そんなことを思いながら受付の係に声を掛ける。当然迷宮につい てだ。ここで無駄な会話をしても意味はないので早速、ウェブドス 侯爵のプレートを取り出して、迷宮について詳しい人を紹介してく れと頼むと、騎士団を紹介された。ここにも当然のように騎士団が あるのか、と思うが、すぐに納得した。当たり前だ。王直轄領とは 言え代官か王の親族が統治しているのだろうし、治安を維持するた めの兵力が駐屯していないわけがあるか。騎士団という表現が悪い のだ。警察とか治安維持部隊とかと同じもので、各々の任務の合間 憲兵 に外征や防衛のための遠征もする、という方が適切だ。 軍隊 日本で言うと自衛隊の警務隊が民間に対しても警察権を行使して いるようなものだ。騎士団と言うと馬に乗って鎧を着て剣や槍で武 装していて、戦争の時に勇敢に突撃するというイメージが先行して しまうのは、オースで14年も生きているのにどうにも抜けきらな い。騎士団に何通りもの意味があるのがおかしいと言えばおかしい のだが、昔の日本でも武士のような軍人が警察権を持っていた。同 心やら岡っ引きやらが出来たのは江戸時代だ。それだって岡っ引き はともかく、同心は軍人である武士の役職の一つだった。世界的に 見てもこれは正しい流れで上級の特別な役人以外は基本的に軍人が 役人も兼ねていたことが多かったし、警察権を持った軍は当たり前 のように主流だった筈だ。 この世界 つまり、俺はまだ完全にオースに生きる人間には成れていないと 1136 言う事か。自嘲のような硬い薄笑いが顔に張り付くのを意識しなが ら、騎士団の所在地を聞き、ゼノムとラルファと三人で騎士団の屯 所を目指した。 騎士団の屯所は街の東の外れにあった。てくてくとそこまで歩く うちに初夏の日差しで汗が噴き出してくるのを感じる。盆地なだけ あってあまり強く風が吹かないのも一因か。これからの季節、相当 熱くなるのかもしれないなどという話題を口の端に載せながらやっ と屯所に辿り着き、門番の従士に侯爵のプレートを見せ、行政府で 紹介を受けたと説明した。 従士はそのままで暫し待つように言ったあと、紹介を受けた騎士 の在所を確認するためだろうか、奥に引っ込んでいった。俺たちは 手ぬぐいで汗を拭きながら残った門番に夏にはどのくらい熱くなる のかとかどうでもいい話題を振りながら時間を潰していた。 10分くらいそのまま待った頃、従士は戻ってきた。目的の騎士 は面会を許可してくれたようだ。俺たちは従士に案内され建物内部 の応接室に腰を据えることが出来た。日を遮られているだけで多少 は涼しく感じられるのが有難かった。 数分も待つと、一人の騎士が先ほどの従士を伴って入室してきた。 従士は単なるお茶汲みで同行しただけのようだ。お茶を配り終える とすぐに退室していった。紹介された騎士は隊長クラスの幹部らし い。俺は時間を取ってくれたことに丁寧に礼を述べると、すぐに本 題に入ることにした。地方貴族とは言え肥沃で広大な領地を構えて いるウェブドス侯爵の威光もあるのだろう、騎士はかなり丁寧に質 問に答えてくれた。 ・バルドゥックはロンベルティアと並ぶ本当の意味での王直轄領で 1137 あり、代々受け継がれている。︵王直轄領の中の都市は他にも幾つ もあるが普通は親族や代官に統治させている︶ ・理由は、初代ロンベルト一世の建国の礎をつくった地であるから とされているが、すぐ隣が王都であることと、腕の良い職人も王都 並みにいるうえ、平民や自由民の冒険者も多いので税収も高いこと が実際の理由。簡単に言うと大きな金蔓。ここには冒険者がこの街 で換金する魔石などの収入も大きく寄与している。 ・迷宮では確かに一攫千金が可能。モンスターを倒せば魔石は得ら れるし、モンスターは冒険者の持っている金に興味を示さないこと が殆どなので回収できれば結構な収入になる。また、極々希にだが、 どうやっても再現できない魔法の武具を身につけた人型のモンスタ ーもいて、倒せば当然入手できる。売るとすれば白金貨どころでは ないほどの値打ちものとなる。 ・迷宮に入るのは一部隊︵これはパーティと呼ばれることが多いら しい︶十人くらいが限界だが、通路の大きさなどからそれ以下の人 数で入るパーティも多いらしい。また、傭兵のようなガイドを生業 にしているものもいる。朝早くに入口に行くと会えるはず。 ・迷宮の階層は判明しているだけで八層と言われているが、ここ数 十年では五層までしか到達者はいない。八層まで行けたのは初代ロ ンベルト一世と同行したその部下たちだけ。 ・迷宮各層は転移の水晶でしか行き来出来ない。この水晶のある小 部屋は迷宮内の至る所にある。だが、移動できるのは直前に触った 転移の水晶のみ。迷宮中心にあると言われている転移の水晶だけが 特別で出口の部屋︵最初の水晶がある部屋の隣︶と一つ下の層のど こかの水晶へと転移可能。 1138 ・転移先の水晶からは必ずしも下の階層へと転移可能な水晶がある 中央の小部屋に通じる道があるとは限らない。その場合は戻ってや り直すしかない。︵朝見かけた小判鮫のような冒険者達の一部は嘘 を言っていたようだ︶ ・迷宮内に仕掛けられたりしている罠類は誰が修復しているのか全 く不明だが大抵は一日も経つと再び動作するようになっている。勿 論例外もあり。頭の良いモンスターが修復を行っていると見られて いる。 ・迷宮の一層は洞窟状の洞穴となっている。幾つもの小部屋を洞穴 が繋いでいる。 ・二層は妖精の住む水たまりがあるらしいがこれは初代ロンベルト 一世の話からしか確認されていない。また、蛇の噴き出る噴水のよ うなものがある。 ・三層は石造りの迷宮で、まるで拷問部屋のような不思議な器具が ある部屋もある。 ・四層はアンデッドと呼ばれる系統のモンスターの巣になっている。 ・五層は動く石像や黒い炎が燃える祭壇のようなものが確認されて いる。 ・六層はこれも初代ロンベルト一世の話だが水晶もないのに転移が 繰り返される迷路状の場所で猪のようなモンスターが跋扈している らしい。 1139 オーガ ・七層は強力な大鬼人族に守られた迷宮。 ・八層は大きな洞窟の集合体で初代ロンベルト一世の言葉によると ﹁重なっている場所があるとしか思えない﹂作りになっている。こ こで大きな財宝を得たロンベルト一世の冒険は終了している。 ・少なくとも五層までは不思議なことに壁がある程度発光している ため明かりについてはほとんど心配はいらない。ほとんどというの は必要になる場所もあるということ。 ・三層までは不完全ながらもある程度詳細な地図が販売されている。 販売場所は冒険者向けの小道具屋など至るところにあるが、各々内 容のチェックが行き届いていないので細部は異なっていると思った ほうが良い。また、未踏破部分の情報や地図などは高値で買い取っ てくれるところも多いはず。 ・四層以降はひと握りの実力者達しか行けないので今のところ地図 が販売されたことはないはず。だが、彼らは独自に地図を作成して いる模様。 これらのことが新たに判った。最後に騎士団は迷宮に行かないの か聞いてみた。だって、腕試しや、訓練の一環として挑戦すること もあるだろうと思ったからさ。すると﹁騎士団は迷宮内部のことに 関知はしない。訓練を積んだ騎士と言えど命を落とすこともあるし、 そうすると熟練した騎士や従士を無為に失うことに繋がる。モンス ターが迷宮からぞろぞろ出てくるような事態にでもなれば全く別だ が、迷宮のモンスターが出てきた試しはないので問題視はされてい ない﹂と言われた。それもそうか。モンスター相手に戦っても軍隊 が強くなるわけじゃないしな。騎士団はバルドゥックの街の治安を しっかりと守り、必要な際に外征や防衛戦争に参加出来ればいいの 1140 だから。 経験値を貯めることによってレベルアップし、少しづつ強くなる なんてことは知られていないし。レベルが高いからといって戦闘力 が跳ね上がるわけじゃない。筋力や俊敏さが上がればHPも増え、 総合的に強くなると言えないこともないが、それらを制御するのは 日々の稽古の積み重ねで少しづつ、だが確実に積み重ねられて培わ れた技や、本当の意味での戦闘経験なのだ。 レベルアップだって予めそれを知っていて且つ予感していない限 りはまず気がつかない。筋力の値が1上がったとして今まで持てな いくらい重かったものが軽々と持ち上げられたりはしないのだ。多 分各能力の値が10かもう少し上くらいまではある程度値に比例し ている感じもするが、それ以降は値に比例していない気がする。健 康に育った15歳くらいの男子の倍近い筋力の値を持つ30代の男 価値 性の力は多分倍もないだろう。能力の値と実際の能力は曲線を描く ように値が上昇すればするほど1ポイントの差異は低くなると思わ れる。グラフで表すなら、準線から最初は急激に、その後は次第に ゆっくりと遠ざかっていくような、逆放物線に近いものだろうか。 そうでなければいろいろと不都合が多すぎる。 頑張ってジャイアントリーチを叩き潰しているだけでも10や2 0レベルになることは出来るだろうが、そんな奴がいたとしてもち ゃんと訓練を積んで一人前になった数レベルの従士なら苦もなく捻 ることができるだろう。流石に100レベルを超えるようなら俊敏 や耐久なども尋常じゃないだろうから勝てないだろうが、そういう 事を言いたいわけじゃないことは解ってくれるよな。 逆に言うと、同じような腕であればレベル差や年齢差による各種 能力の値の違いははっきりと差異となって現れる。腕の差も僅かな 1141 違いであれば各種能力の値によってはそれをカバーすることも可能 だろう。能力の値が100とか200とかのレベルにでもなればま た違うだろうけどさ。普通に考えてそこまで到達できるとはとても 思えない。 とにかく、新たな情報を得ることができたのは喜ばしいことだ。 おっと、忘れるところだった。俺は昼前に会った衛兵のジョンスト ン・チャーチの名前を出し、彼に親切にされたことについてひとく さり礼を述べると騎士団を退出した。 ゼノムとラルファを伴って、また迷宮の入口に向かったが、ジョ ンストン・チャーチは居なかった。交代したのだろう。俺は二人に 腕っこきのガイドについて詳しそうな衛兵が居ることを改めて説明 し、明日の昼、また昼食を一緒に摂ることを約束して別れた。 今の時間は午後4時くらいだろうか。夕方まで街の地理を頭に入 れようと散策し、適当に晩飯食ってベッドに入った。ベッドに入っ てからはたと気づいた。この街は冒険者がたくさん集まっていると 聞く。ならば、当然のごとくあるのではないだろうか? でももう 夜だし、酒飲んじゃったし、シャワーも浴びたし、明日でもいいか。 目を閉じて眠りについた。 1142 第十八話 情報収集︵後書き︶ アルが衛兵に声をかけたのは、毎日かはわかりませんが、しょっ ちゅう衛兵としてこの場所に立っているはずだから、冒険者やガイ ドにも詳しそうだと踏んだからです。露天商でも良いのでしょうが、 露天商は自分の商売が心配なのでガイドの実力などには興味が無い と思われます。 あと、ゼノムとラルファの給料は二人で割るとアルと出会った頃 のクローの給料と同額です。クローのように自由民ではないので一 人頭年間金貨1枚もの税を納める必要はないので可処分所得は多い ですが、高給というわけではありません。 1143 第十九話 戦力不足? 7442年6月2日 翌朝、起床した俺は日課であるランニングの前に迷宮の入口へと 行ってみた。昨日訪れたときのように既に沢山の人がいる。露店屋 台の簡単な料理を朝飯がわりにしながら観察してみる。ガヤガヤと 雑然とした声の間に聴こえてくるのは ﹁あと一人、魔法が使えるやつはいないか!?﹂ ﹁地図売るよ∼、三層まであるぞ! 一層あたり50万Z!﹂ ﹁罠の場所が書いてある地図だ。買わんか? 一層だけだが80万 Zでどうだ?﹂ ﹁干し肉、煎豆、パン! 迷宮のお供に美味しいドーリー亭の保存 食はいらんかね!﹂ ﹁盾使い募集だ! あと一人! 有り無しで今日一日3万出すぞ!﹂ などと言う、昨日とは違って商売の声のほうが大きいようだ。 この時間帯はかなり真面目に迷宮に挑戦する奴が多いみたいだな。 この広場で待ち合わせをしているのだろう、きちんと手入れがされ た装備を整えた冒険者風の男女も沢山いる。剣や槍、盾などを手に 持ち、身軽な革鎧を身に付け、保存食や小道具が収められているで あろう背嚢を背負った姿が目立つ。 そんな時、入口の方から歓声が上がった。大きな声ではないよう だが、どちらかと言うと感嘆や侮蔑、感心、ブーイングなどいろい ろな感情を含んだ声のようだ。なんだろう? と思って人ごみを避 1144 エルフ けつつ建物の入口の方へと移動した。そこには、自慢げな笑みを浮 ドワーフ タイ かべた背の高い精人族の男が一人いて、その後ろには大柄な普人族 ガーマン の男が三人と女が一人、山人族の女が一人、エルフの女が一人、虎 人族の男が一人いた。自慢げな笑みを浮かべたエルフの男とは対照 的に、後ろに控えている七人は疲れきった顔つきで俯いたままの奴 もいる。 辺りの話し声に聞き耳を立ててみるとすぐに判った。 ﹁ロズウェラの野郎、また奴隷を使い潰したのか。今度は二人か?﹂ ﹁ったく、あいつだきゃいけすかねぇわ。今まで何人潰してるんだ ?﹂ ﹁知るか! 大体あれで黒字なのが信じらんねぇよ﹂ ﹁でもよ、あいつらも長いよな。新人で生き残ってるのはあの男く らいか﹂ ﹁そう言うな。金がありゃあんなことだって出来るんだ。女々しい ぞ、貧乏人どもが﹂ ﹁くそっ、確かになぁ⋮⋮羨ましい﹂ はい ﹁俺だって金さえありゃ、あいつみたいに稼げるのによぉ﹂ ﹁あいつ、いつ潜ったんだ?﹂ ﹁三日前かな⋮⋮三層か四層まで行ったのかも知れんな﹂ ほほう、あのエルフのおっさんはロズウェラって言うのか。随分 と嫌われてるようだが、奴隷を沢山雇ってそれで突き進んでいるら しいな。まぁ、奴隷を使い潰すのなんていくら稼ぎが良くても俺の 趣味じゃないが、責められた行為でもない。あ、採算が合わないこ ともあるだろうから趣味じゃないだけだ。別に奴隷を生きた盾にす るくらい、俺だけでなく、誰でも金が唸ってりゃやるだろう。だが、 戦闘に使えるような奴隷は相当高いはずだ。それ以上に儲かるとい うことか? 戦闘奴隷の価格は一人頭最低でも金貨で6∼7枚以上 1145 はするはずだ。特に迷宮に入るようなクラスだともっとするんじゃ ないだろうか? 勿体無くてとても盾なんかに使えないわ。 親父から貰った金があるからその気になりゃ2人くらいは買える だろうけど、気持ちに余裕がなくなる。余裕がないと稼ぐことに執 着するあまり判断ミスを招きかねない。今のところ俺には縁の薄そ うな迷宮の攻略方法だろう。全く参考にならん。だが、一回の迷宮 への探索行でどのくらい稼げるのだろう? そこは知りたいな。暫 く聞き耳を立ててみたが、そう言った情報は語られなかった。ま、 いいさ。 またガヤガヤと雑然とした雰囲気が戻ってきたのでランニングで もしようかと踵を返しかけたとき、ふたたび歓声が上がった。今度 は本当に歓声だ。口笛も聞こえる。興味を惹かれた俺は再度踵を返 し、建物の入口から出てきた奴らを見た。 今度出てきた連中はロズウェラって奴よりも数段人気があるらし い。こいつらも八人組で全員バンデッドメイルやスプリントメイル を着込み、一目でそれなりの品だろうという剣や槍を佩いている。 鞘しか見えないから本当に業物かはわかんねぇけど。造りが良さそ ウルフワー うなんだもん。普人族の男女が一人づつとエルフの男が二人、ドワ ーフの男女が一人づつ、バニーマンの男が一人、狼人族だろうか、 女が一人の構成だ。 ベルデグリ・ブラザーフッド 賞賛の声を聞いていると彼らは﹁緑色団﹂と呼ばれているらしい。 ろくしょう そういえば皆、装備のどこかに碧緑色のカラーがある。中には腕に 碧緑色の布を巻いている奴もいるようだ。緑青でも浮いてるのかと 思ってたわ。どうやら彼らは平民と自由民で構成されている一団ら しい。賞賛の声が上がっている。一週間も潜り続けて五層に到達し たとのことだ。トップクラスじゃねぇか。興味を覚えて鑑定してみ 1146 たら、なんとレベル19の奴を先頭に、一番低い奴でもレベル16 だった。超ベテランらしく、一人を除いて全員30歳前後だ。残っ た一人は40歳近いエルフだ。彼がリーダーなのかも知れない。レ ベルも19だったし。経験値も90万を超えていて100万近い。 っはぁ∼、世の中にはすんごい奴もいるもんだ。是非話を聞いて みたいが、まだ一度も迷宮に入ったこともない小僧の俺なんかとて も相手にされないだろうな。彼らがトップだという根拠は何もない が、トップクラスの一員であることは間違いあるまい。何しろ五層 まで行ったらしいからな。 思わず彼らにあやかりたいと、手を合わせそうになったが寸前で 気がついてやめておいた。ランニングと素振りでもして地力を養う 方が先だ。そうと決まればさっさと走りに行こう。 ・・・・・・・・・ 昼前にまた入口広場︵勝手に俺が名前をつけただけだが︶まで戻 ると、衛兵のジョンストン・チャーチを探した。昨日と同じく入口 を固めているのかと思っていたのだが、広場内を見回っているらし い。どうも二人が入口を固め、二人は広場内を巡回しているようだ。 尤も二人組は入口を警護しているのではなく、迷宮への入場税を徴 収する税吏を警護しているのだが。たった二日間に過ぎないが、俺 の見たところ毎日400∼500人くらいは迷宮に挑戦しているよ うに思えるから、税金だけで毎日金貨4∼5枚分くらい徴収できて いることになる。 1147 ジョンストン・チャーチに声を掛けた。 ﹁こんにちは、チャーチさん。昨日はご丁寧にありがとうございま した﹂ ﹁やぁ、貴方ですか。昨日は騎士団へ私の名を出して頂いたようで、 その、有難うございます﹂ ああ、言うだけは只だし、あんたの心証を良くしておきたかった からね。気にしないでくれよ。それに、あんたのことだ﹁当然の対 応をしたまでですが⋮⋮﹂とか言ったんだろう? なら普段から丁 寧な対応をしているということで余計に褒められたんだろ? 良い ことだ。 ﹁ええ、それでですね。勤務のお時間は何時までですか? 是非お 話をお伺いしたいと思いまして、もし宜しかったら、後で軽くいか がですか?﹂ と言いながら右手で酒を飲むジェスチャーをした。当然だが、勤 務時間は昼までだろうとアタリをつけてある。昨日は昼飯を食って からここに来ても見つからなかったからな。 ﹁ああ、お昼丁度までです。その後騎士団に報告に戻って訓練せね ばなりませんから⋮⋮。一時間程度なら昼食をご一緒するくらいは 問題ありませんよ﹂ 想像通りだ。多分三交代か四交代制で警護の任務についているの だろう。ローテーションで勤務時間や休日の調整が行われているだ ろうからな。 1148 ﹁そうですか、ではお時間までこのあたりを見物してお待ちしまし ょう﹂ 俺はそう言うと返事も聞かずに歩き去った。これで断る選択肢は ないだろう。急に衛兵を伴って飯屋に現れたらゼノムとラルファは 驚くかもしれないが、おそらく有用な情報源だ。彼らも無下にはす まい。適当にぶらぶらと露店を冷やかしていたらあっという間に昼 になり、ジョンストン・チャーチが傍に来た。 ﹁では、行きましょうか﹂ そういって彼を誘って待ち合わせの飯屋に行った。 ゼノムとラルファは確かに少し驚いたものの、俺が彼を紹介する と別に俺が捕縛されたとか、店で何らかの犯罪が起きたという訳で ないことを悟ったのか、安心したようだ。気にしたのそっちの方向 かよ。 ここまでの道程で俺が冒険者で迷宮を目指してここに来たことや、 仲間が二人いることを話していたのでチャーチさんは特に二人に対 して警戒するようなこともなく和やかに食事をした。当然その間、 俺たち三人から矢のように質問が飛んだのだが。彼から新しく得ら れた情報は以下の通り。 ・迷宮に挑むパーティーの人数はだいたい四人∼八人程度。三層以 降の下層を目指すなら十人のフル・パーティーも珍しくはない。 ・勿論、たった一人で迷宮に入っていく奴らも多少はいる。大抵は すぐ出てくるか帰って来ないが。 1149 ・俺達は三人しかいないので、金に余裕があるなら奴隷を買って戦 力の拡充をしたほうが良い。この街には三軒の奴隷商が有り、どれ も戦闘奴隷を扱っているらしい。購入はどこでも良いが、買う時は 必ずプレートを見せたほうが良い。 ・当然ガイドも居た方が良いが、腕の良いガイドは料金も高い。数 日から数週間程度ならともかく、迷宮内で得た財宝類はガイドを二 人分として計算したパーティの人数で頭割りなので長く使うなら奴 隷の方が結果的に得なことが多い。︵何人か信用のおけるガイドを 教えて貰った︶ ・危ないと思ったらすぐに最初に転移してきた水晶まで戻ること。 すぐに地上に出られるので、無理は禁物。 ・迷宮の入口周辺で声を掛けてくるような小判鮫連中には例外もあ るが基本的には碌なのがいない。酷い奴は迷宮内で雇い主を殺し、 金や装備を換金しようと狙っている。 ・当然、迷宮内で出会ったパーティー同士で争いになることもある。 専門にやっている奴らがいてもおかしくはないが、全滅させれば誰 にもわからない。 ・一層だけで引き返してくるつもりでも食料は最低三日分は持って いけ。 ・一層の地図は買ったほうが良いが、買わなくてもあまり変わりは ないだろう。二層以降は罠の危険性が増すので買ったほうがいいら しい。︵罠の情報のない地図は、急ぐなら別だが、どうせ時間を掛 けて進んでいくことなるので買う必要はない︶ 1150 パーズ サン・レイ ベルデグリ・ブラザーブ フラ ッイ ドトブレイド ゲヘナフレア ブラックト ・今のトップパーティは﹁緑色団﹂﹁輝く刃﹂﹁煉獄の炎﹂﹁黒黄 玉﹂﹁日光﹂の五つ。それぞれ一角の者達で構成されたベテランパ ーティーである。 ・ロズウェラは有名人ではあるが、評価のほとんどがやっかみ。本 人は別に奴隷をいじめたりしているわけではない。流石に自分以外 全員奴隷というのは珍しいが、他にいないわけじゃないし、金があ るならある意味で理想かも知れない。魔法の武具でも見つけられた ら普通は所有権を巡って争いになるし、売却して得た代金の分配で も揉める要因になる。その心配が絶対にない、というのはそれだけ でチームワークが取れる良いパーティだとも言える。 ・一層の探索だけで帰ってくる平均的な収入は一回の探索行でだい たい15万∼20万Zくらい。運良く誰かの死体を漁れて装備品な どを手に入れられた場合は楽勝で100万Zを超えることもある。 但し、この数字は出来るだけモンスターと争わないように気をつけ た場合。大きな音を立てたりして誘えばもっと稼げるだろうが、そ んなことをして大量のモンスターを呼び寄せて全滅したパーティー は星の数ほどある。 ・迷宮で得られる財宝は、1.倒したモンスターから得る魔石。2. 倒したモンスターが装備している装備品。3.以前殺された冒険者 から得られる現金や装備品。4.運良く見つけられる宝石の原石や 鉱石。5.それ以外。の五つに大別される。だいたい後者になるに つれて価値が高い。 ワンド チャーチが衛兵を始めてから見た最高のものは誰でも﹃ファイア ーボール﹄の魔法が使えるようになるらしい短杖らしい。二十年以 上前だが、噂によると何百億Zもの価値があると判断され、発見者 1151 は売らずに王家に献上したことで子爵に列せられてどこかの街の代 官として太守に任ぜられたそうだ。ワンドはロンベルト王家の宝物 庫に収められていると聞いた。 これを聞いてアホか、売って金にしろと思ったがラルファの目に キラキラと星が輝いているのを見て黙っていた。よく考えたら誰で も﹃ファイアーボール﹄が使えるとかとんでもない代物だったわ。 それ以外にも魔法の品は年間数個程度は出てくるらしい。一層で 見つかった例もあるとのことだ。もちろん価値は様々だが、最低で も数億Zはくだらないとのことだ。また、発見しても売らずに所有 し続け、各国の商会などに情報が出回った後で、大手の商会に委託 してオークションを開催して貰って高値で売る方法もあるらしい。 このあたりで時間切れとなった。俺たちは騎士団の屯所に帰るチ ャーチを見送ってから、再び飯屋のテーブルに戻り、豆茶を啜りな がら、今後の方針策定の打ち合わせを行う。最初に口を開いたのは、 勿論俺だ。 ﹁さて、かなり情報を得ることができた。ここで考えられる方針だ が、まずは二つ選択肢がある。一つはこのまま三人でとりあえず様 子見に迷宮に入ってみる。もう一つは戦力の拡充のために奴隷かガ イドを雇ってから行く。どちらがいいだろう?﹂ すると、意外なことにラルファが即答してきた。 ﹁お金があるなら奴隷ね。私もチャーチさんと同じように思うけれ ど、奴隷の方が最終的に効率がいいでしょうね。まぁ奴隷だと実力 がわかりにくいから変なの掴まされたら大損する可能性もあるけど、 プレート? だっけ? それ見せれば大丈夫なんでしょ? なら、 1152 お金があるなら私なら奴隷を買う﹂ この、元女子高生はいきなり奴隷を買う、と来た。逆に一番反対 するかと思っていたのに意外だぜ。 ﹁奴隷か⋮⋮。金かかりそうだけど一人くらいなら買えない事もな いとは思うが⋮⋮。奴隷の料金の他に武装も整えるとなると追加で 100万Z以上飛ぶんだぞ。こら﹂ そうぼやく俺だったが、ふとゼノムの意見も聞いてみたくなった。 この中では一番冒険者として経験を積んでいるのは彼だ。 ﹁ゼノムはどう思う?﹂ ﹁俺たちの報酬は決まっているし、今更アルの財布を心配しても始 まらん。だから俺がアルなら、という仮定で話をするならば、だ﹂ ﹁うん﹂ ﹁やはり俺なら奴隷を買うだろうな。信用の置ける商人を相手に、 更に信用を得られるものがあれば、いい奴隷を買えるだろう。ガイ ドは腕利きもいるんだろうが、報酬が高い。やっぱり結局損をする と思う。最初の一回くらいは良いかも知れんが、アルの魔法を考え たらそうそうなことでは危機に陥るとは思えん。だいたい、すぐに 撤退できるのだから、何もしないで逃げ帰ったとしても損害は一人 頭10000Zだ。俺達にとって10000Zは確かに痛いがそれ で最初の経験が得られるなら安いもんだ。ガイドはそれから考えて も遅くはないだろうよ﹂ 彼ら二人に奴隷を使役することに対する忌避感が薄いことは理解 1153 できた。そういう意味では彼らは二人共キャリア10年以上のベテ ラン冒険者なのだ。ゼノムなんか20年くらいやっているというし な。奴隷を使う冒険者と同行した事なんかもあるだろうし、奴隷を 使った経験もあるのかもしれない。逆に俺はのんびりとした田舎の 村のお坊っちゃま育ちだ。農奴連中は沢山いたけれど、奴隷だから 身分がどうこうとかあんまり気にしたこともない。 と言うより、普通の人たちが奴隷を使役するように俺も使えるの かわからない。距離感が掴めないのだ。こんなところでも俺はオー スの人に成りきれていないというコンプレックスを刺激してくる。 だが、確かに奴隷を使うのは効率的だろう。相場通りなら二人買っ て装備もしてやれるが、流石に財布が寂しくなりすぎる。前にも言 ったが焦りを呼ぶかも知れない。だが、一人ならまだ余裕はあるし 大丈夫ではないだろうか。よし、奴隷を買おう。 ﹁わかった。一人奴隷を買うことにする。これが終わったら買いに 行くから付き合ってくれ。じゃあ、次だ﹂ 俺は豆茶を一口飲み、口を湿らすと言葉を継いだ。 ﹁奴隷を入れても四人だから最初のうちは無理はしない。行けそう な所までは行ってもいいが、苦戦するようなら引き返す。最初だか ら制限時間も決めよう。明日の朝、出発しようと思うがどんなに調 子よくても正午までで引き返す。だから、多少荷物になるだろうが 時計の魔道具は持って行ってくれ﹂ 二人が頷いたのを確認してからさらに続ける。 ﹁あと要りそうなものがあれば今のうちに言ってくれ。買っておか なくちゃいけないしな﹂ 1154 俺がそう言うと、ゼノムが言った。 ﹁糸だな。出来るだけ長いやつ。糸巻きに巻いて使うらしい。最初 に転移してきた場所のそばの適当な石とかに結わえておいて糸を出 しながら進むそうだ。帰りはそれを巻きとりながら戻れば迷うこと なく元の場所に戻れるからな。ボビンごと売っているらしいからこ れはあとで俺が用意しておく。金はあとで払ってくれりゃいい﹂ なるほど、それはいいアイデアだな。木綿ならそんなに高くない だろうし、糸の長さによっては糸を使いきったら帰るという方法も ある。 ﹁よし、それで行こう。じゃあまずは奴隷を買いに行くか﹂ そう言って残った豆茶を飲み干して席を立った。二人も俺に続い て付いてきた。 1155 第二十話 風よ、光よ︵前書き︶ クリスマスイブなので主人公に奴隷をプレゼントです。︵金払うか らプレゼントじゃないな︶ 1156 第二十話 風よ、光よ 7442年6月2日 ゼノムとラルファと連れ立って奴隷商館に行ってみた。まずは一 軒目﹃ターニー奴隷商会﹄だ。この店は迷宮探索用の戦闘奴隷を専 門に扱っており、そこが他の二軒と異なるところだ。多分戦闘奴隷 専門なんてこの街くらいしか成り立たないのではないだろうか? だが、専門商社なのだから、品揃えには期待してもいいだろう。 ﹃ターニー商会﹄は想像していたよりも小ぢんまりとした店構え だった。小ぢんまりとは言え、それは俺が逗留しているような大き な宿屋や八本ある大通りの中心に近いような大店と比較しての話だ けどな。商店主は紹介の名前通りターニーと言うノームのおっさん だ。おれがウェブドス侯爵のプレートを見せながら﹁戦闘奴隷を一 人見繕いに来た﹂と告げると手を揉みながら擦り寄ってきた。今は 十二人の戦闘奴隷を在庫しているらしい。選びたい放題だな。 奴隷を用意して貰う間にソファーに腰掛けながら小声で怪鳥や水 神、地を駆ける黒豹の部分を鼻歌で歌っていたら二人に変な顔をさ れた。女子高生だったなら知らんだろ。 暫くして用意ができたのか、ターニーが戻ってきた。俺達はター ニーの後をぞろぞろと付いて行き、別の部屋に通された。20畳ほ どの広い部屋の奥の壁際に奴隷が並べられている。ここの並べられ ている十二人の奴隷から選べということなのだろう。 うむ、着ている服はあんまり上等とは言えないだろうが、皆良い 1157 体つきをしている。取り敢えず男は鑑定してみて能力やレベルくら いは確かめておかないとな。自分の持ち物の能力は正確に把握して おかないといざという時に困る。だが女は戦闘力が低いだろうから パスだ。一人目。普人族の女。顔はそこそこいいが、女は戦闘力が 低いだろうからいらん。MPが勿体無いわけじゃないぞ。男連中に 使えそうなのがいなかったら選択対象に入れてもいいけど。 二人目、普人族の男。レベルは9。年齢は32歳。ふーん。 三人目、普人族の男。レベルは8。年齢は27歳。年齢の伸びを 考えたらこっちのがさっきより良いかな? 暫定一位。 ドワーフ 四人目、山人族の男。レベルは10。年齢は34歳。うーん。 五人目、同じくドワーフの男。レベルは9。年齢は31歳。むぅ。 六人目、今度はドワーフの女。パス。 ノーム 七人目、矮人族の女。パス。 ウルフワー ドッグワー 八人目、狼人族の男。レベルは8。年齢は27歳。ウルフワーは 種族の特殊技能として犬人族同様に﹃超嗅覚﹄を持っている。取り 敢えずこいつが暫定一位に変更っと。 バニーマン 九人目、兎人族の男、レベルは7。年齢は29歳。﹃聞き耳﹄は 役に立つかも知れんがなぁ。ダメだろうな。 エルフ 十人目、精人族の女。綺麗だけどパス。 十一人目、同じくエルフの女。こいつも綺麗だけどパス。 1158 ストレングス タイガーマン ナイトビジョン 十二人目、虎人族の男。レベルは10。年齢は28歳。﹃夜目﹄ と﹃剛力﹄の種族技能は役に立つかも知れない。年齢とレベルを考 えたらこいつが一番マシかもな。 グイン うーん、豹人族なんてのが居て黒い毛ならロデムと名づけても良 かったんだが、そんな種族は寡聞にして知らん。俺の捏造だよ。俺 はタイガーマンの前に行くと再度彼を観察した。健康状態は良好。 当然四肢や指の欠損もない。どうしよっかなぁ。因みに、誰も魔法 は使えないようだ。女? 魔法が使えたとしてもどうせ大したこと ないだろうから戦力になる奴のがいい。女は俺が金持ちになるまで パスだ。あ、値段聞いてないわ。 ﹁こいつ、幾ら?﹂ と聞くとターニーは相変わらず揉み手で擦り寄ってきた。ゼノム は腕を組みながら突っ立って眺めている。ラルファはよくわからん が、偉そうに﹁口を開けて歯を見せて﹂とか言ってる。何言ってん だ、こいつは。 ﹁流石はお目が高いですな、彼は見ての通り亜人ですが、力はあり、 俊敏に動けます。剣の修行もつけておりますので即戦力ですよ﹂ と言ってきた。そりゃ戦闘奴隷なんだから即戦力にならない奴は 詐欺だろう。こいつでもいいような気もするが、なんとなく俺の琴 線に触れる感じがしない。 ﹁お値段ですが、970万Zで如何でしょう?﹂ 高ぇわ! 装備も買うと1100万Z超えるじゃねぇか。こいつ 1159 を買ってモト取るまでが大変過ぎる。だが、奴隷商はあと二軒ある のだ。焦らなくてもいいさ。ほかの二軒を回って、めぼしいのがい ないと確認してからでも遅くないだろう。 ﹁うーん。今日一日取り置きって出来るの?﹂ つい聞いてしまった。 ﹁取り置き⋮⋮でございますか。いいでしょう。今日一日取り置き 致しましょう。ですが、今日中にご連絡を頂けなかった場合には明 日は売れているかも知れませんぞ﹂ ターニーは渋い顔で言ってきた。そりゃ仕方ない。奴隷商にいい 顔してもしょうがないし。 ﹁ゼノム、ラルファ、ほか回るぞ。⋮⋮おい、ラルファ、行くぞ﹂ そう言って﹃ターニー商会﹄を後にした。次は﹃リッグス商会﹄ に行ってみるか。 因みにラルファに﹁何で歯を見てたんだ?﹂と聞いてみたら﹁昔、 なんかで見たのよね。奴隷を買うときには歯を見て健康かどうか確 かめるんだって﹂と来た。わかんのかよ、お前。俺は歯医者じゃね ぇから見てもわからんわ。虫歯なんて聞いたこともねぇし。 ・・・・・・・・・ 1160 ﹃リッグス商会﹄からは戦闘奴隷だけでなく、一般の奴隷全般も 扱っている。余計な奴などどうでもいいので、戦闘奴隷だけ見せろ と言って、また並べさせた。五人いたが、そのうち四人が女で残っ た男は40絡みのおっさんだった。能力が下降線に入っているのは いらんわ。この店はダメだな。 最後に﹃奴隷の店、ロンスライル﹄に行ってみた。ここも一般の 奴隷全般も扱っている店だ。だが、残り物には福があるという言葉 もある。多大な期待は出来ないだろうが、いいさ、見てみよう。俺 たちは﹃ロンスライル﹄に入ると店主に声をかけた。 店主は女性のエルフだった。年の頃は40代前半というところか。 エルフらしくこの年齢でも輝くような美貌は円熟味も加わりマダム と呼ぶに相応しい貫禄を与えている。マダムは俺のプレートをしげ しげと眺めたあと、 ﹁ちょうど良い戦闘奴隷が入荷したところですわ﹂ と言って奥に引っ込んだがすぐに出て来て、ついて来いと言う。 また並べて見せてくれるのだろうか。 別の部屋に行くと想像通り奴隷達が並んで待っていた。八人もい るが、全員が女だった。使えねー。だが、やはり女の戦闘奴隷は売 れ残りやすいのだろうな。もう、女でもいいかと思っていたら一人 追加された。男だ。早速鑑定してみると、 ︻ダディノ・ズールー/28/5/7442 ダディノ・ズールー /20/7/7422︼ ︻男性/24/5/7421・獅人族・ロンスライル家所有奴隷︼ 1161 ︻状態:良好︼ ︻年齢:21歳︼ ︻レベル:6︼ ︻HP:100︵100︶ MP:5︵5︶ ︻筋力:16︼ ︻俊敏:17︼ ︻器用:11︼ ︻耐久:15︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ナイトビジョン ︻特殊技能:瞬発︼ ︻特殊技能:夜目︼ ︻経験:37082︵43000︶︼ ライオス ︼ ふむ、獅人族か。レベルはそこそこだが、若いのはいいな。体つ きも良いじゃないか。なんだ、名前はライオン○とか獅子○じゃな いのか。果心居士の弟子かと思ったぜ。 ﹃瞬発﹄は瞬間的に筋力と俊敏をレベルと同じ数値分だけ引き上 げる技能だ。この技能自体にはレベルはないが、肉体レベルと同じ だけの秒数持続し、肉体レベルと同じ時間使用不能になる。連続使 用こそ出来ないし、レベルアップとともに強力になりはするが使え ない時間も伸びる。だが、ここぞという時の白兵戦闘には有利な技 能と言えるだろう。能力値が上昇している間、HPも増加するかど すが うかは鑑定のウインドウには書かれていなかった。まぁ上昇したと しても数秒だろうからあまり意味はない。俺はわざと眇めるように 見ながら、 コモン・ランゲージ ﹁彼はラグダリオス語は話せるのですか?﹂ とマダムに聞いてみた。 1162 ﹁勿論でございますよ。この男は先日のデーバス王国との紛争で捕 らえた捕虜ですの。デーバス王国で兵をしていたそうですから、武 器も一通り扱えるはずです﹂ マダム・ロンスライルはそう言って微笑んだ。 そうか、こいつは戦時捕虜から奴隷になったのか。身代金を払っ て貰えなかったのだろう。命名の儀式の日付から見るに奴隷に落ち て数日といったところか。このあたりかな、攻めどころは。 ﹁ちょっと試してみてもいいですか? ああ、万一傷ついたら治療 はしますので﹂ そう言ってマダム・ロンスライルの方を見やった。 ﹁どうぞ、お好きなようにお試し下さいませ﹂ マダム・ロンスライルはそう言って同意してくれた。遠慮はいら んということか。俺はマダム・ロンスライルの方を見ながら、ライ オスの奴隷に向かって﹃アイスグラベル﹄の魔術を使い、小さな氷 の礫を飛ばした。氷の礫は奴隷の左腕に命中した。俺は胴体の鳩尾 あたりを狙ったので反応出来たということだ。ふむ、充分だな。奴 隷は、いきなり魔法を使って狙われたことに驚いた顔をしたが、す ぐにその目に不満そうな感情を滲ませた。よしよし。 ﹁怪我をしたでしょうから治療しますね﹂ 俺はそう言って奴隷に近づいていくと治癒魔法ですぐに怪我をし た左腕を治療してやった。今度は不意をつくような真似はせず、ゆ 1163 っくりと時間をかけて魔法を使ったように見せかけてやった。治療 を受けたにも拘わらず、奴隷は不満そうな表情を続けている。うむ うむ。俺は振り返ってマダム・ロンスライルを見つめると、 ﹁そう言えば、まだ価格をお伺いしておりませんでしたね﹂ と言って、今度は女性の奴隷に興味を惹かれた風を装ってみた。 ﹁彼の価格は800万Zです。兵士をしておりましたので、武器の 扱いもできますからね﹂ マダムの口調に幾分焦りも出てきたようだ。 ﹁彼の躾はどうなっていますか? 本人は不満げなようですが﹂ と言ってやった。ここでもマダムは慌てることなく﹁勿論、奴隷 としての躾は出来ておりますよ﹂と返事をして来たが、口調が幾分 早くなっている。 ﹁なるほど、では、あちらの彼女の価格は?﹂ そう言いながら並んでいる中では一番力がありそうな30前後の 女を指さした。 ﹁彼女は650万Zです。勿論躾もしっかりと行っていますわ﹂ 多少だがマダムに焦りが見られる気がした。ここらでいいだろう。 ﹁うーん、そうですねぇ。貴店とは今後もいいお付き合いをさせて 1164 いただきたいですし⋮⋮﹂ おれがそう言うと、マダムがごくり、と唾を飲み込んだのがわか る。 ﹁ここは言い値で買いましょう。あのライオスの彼にします﹂ マダムの顔がぱぁっと明るくなった。そして、 ﹁ありがとうございます。諸手続きはこちらの部屋で。なお、命名 の儀式は明日以降でしたら当店から神社に申し伝えますので、ご希 望のお時間はございますか?﹂ と聞いてきた。 ﹁わかりました、伺いましょう。おい、ラルファ、彼に聞けるだけ のことは聞いておいてくれ﹂ そう言うと、俺はマダムの後を追って別室へと移り、契約書の作 成をした。手続きと支払いを終え、元の部屋に戻るとラルファはラ イオスの男となにやら話をしていた。うむ、しっかりと言いつけを 守っているようだな。感心感心。ゼノムの方はドワーフの女と世間 話でもしているようだ。まぁ種族間で話すことでもあるだろう。俺 は彼らを呼ぶとこの店を退去することを告げ、踵を返した。ライオ スの装備を整えに行かなきゃならんしな。 店を出てラルファに聞く。 ﹁で、あいつの得物は何だって?﹂ 1165 ﹁え? 知らない﹂ こともなげに言いやがった。 ﹁は? え? 何話してたんだよ﹂ ﹁あのね、ライオスって甘いものが好きなんだって!﹂ けらけら笑いながら言う。どうでもいいわ、そんなもん! ﹁あと、彼、デーバス王国で平民だったらしいの。この前の紛争で 捕まっちゃったんだってさ。お父さんは戦死、お兄さんは身代金で 戻れたらしいんだけどさ。彼も運悪いよねぇ﹂ お前と同行する羽目になっている俺の運も相当悪い気がするよ⋮ ⋮。怪鳥だけに鳥頭かよ。 ﹁アル、その辺は俺が聞いておいた。両手剣らしい。鎧はどうせす ぐには用意できんからしばらくは無し、ということになるな﹂ おお、流石はポセイド、ゼノム。本当に頼りになる奴は違うね。 ﹁そうか、わかった。じゃあ鍛冶屋にでも行くか﹂ そう言って鍛冶屋の方へと足を向けた。無事に120万Z也を払 って両手剣を購入し、折角なので一緒に木綿の糸を買いに行った。 こちらはひと巻き100m程度の長さで540Zと安かった。面倒 だから10巻購入した。 晩飯も二人と食い、明日以降、おそらく明後日からの迷宮内での 1166 行動や隊列などを確認する。明日は朝早くに神社へ出かけ、命名の 儀式を済ませたあと、街外れで彼の戦闘力などの確認や連携の訓練 をするということで話が付き、この日はさっさと宿に戻って寝るこ とにした。 ベッドに横になりながら、ハタと気がつく。あのライオスのあん ちゃんの宿ってどうしよう。まぁラルファ達と同じ宿でいいか。そ う考えると彼らが安い宿に泊まっているのは好都合だったな。 ・・・・・・・・・ 7442年6月3日 早朝から﹃奴隷の店、ロンスライル﹄へと赴き、ライオスの奴隷 を伴って店の下働きとともに神社へと向かった。奴隷の命名の儀式 はなにか特別なことでもあるのかと思っていたが、普通の命名の儀 式と何ら変わるところはなかった。 ︻ダディノ・ズールー/3/6/7442 ダディノ・ズールー/ 28/5/7442︼ ︻男性/24/5/7421・獅人族・グリード士爵家所有奴隷︼ 無事にステータスが変更されたのを確認すると、剣を渡した。こ れでいいか尋ねるとバランスを確かめるように暫く手の中で弄んだ あと﹁これなら丈夫そうだし、充分です﹂と返答があった。昨日の ような不満げな目つきはしていない。俺はロデ、ズールーと一緒に 1167 彼の鎧の調整の為に革細工屋へと向かいながら話をする。名前より 姓の方が呼びやすいんだよ、フォネティックコードみたいだしさ。 ﹁俺のことはもう知っているだろうが、改めて自己紹介しよう。俺 はアレイン・グリードだ。これから宜しくな﹂ すると、彼は少し驚いたようにしていたが、すぐに答えを返して きた。 ﹁私はダディノ・ズールーです。これから宜しくお願いします。ご 主人様﹂ おう、ご主人様、と来たか。うん、悪くないね。 ﹁ああ、こちらこそだ。ところで、お前のことはズールーと呼んで もいいか? なんだか名前より姓の響きがいいからな。ああ、嫌だ ったら気兼ねせず言ってくれ﹂ ﹁あ、はい。問題ありません。私は姓に誇りを持っておりますので 嬉しいです﹂ そうか、そりゃ良かったよ。 革細工屋で革鎧を注文し、既製品の中でサイズが近そうなものを 見繕ってもらうとズールーの体のサイズを測ってもらった。彼は大 柄で身長は190cm近い。タイガーマンと並んでライオスは大柄 な種族だ。その分革を沢山使うから値段は高くなるのだろうか? 少しだけ心配したが値段が変わったとしてもせいぜい数万Zだろう。 ここでこれっぽっちケチるのもバカみたいだと思い直し、職人がズ ールーのサイズを測っているのを眺めていた。 1168 その後は昨日ゼノムとラルファと約束した町外れの草地を目指す。 ズールーの力の確認と連携の訓練のためだ。 ズールーの実力はまずレベル相応と言っても良い物だった。兵士 として訓練をしていた時間が長かったからだろう、実戦慣れしてる ラルファには同じレベルでも一歩譲るところも見られたが、俺たち がフォローを入れればまぁ大丈夫だろう。 ところで、ラルファだが、いつの間にか無魔法を覚えていた。特 殊技能の経験値は入っていなかったので、本人が気が付いているか どうかまではわからない。昨日の夜か今朝の間に習得した可能性が 高い。訓練中に怪我を負ってくれたから鑑定の必要が起きたので気 がついたことだ。それとなく魔法が使えるようになったか試して見 ろ、と言って種火のような小さな炎を揺らさせてみせたら問題なく 出来たようだ。だが、MPの枯渇の問題があるので、当面は一日一 回までと制限した。無事に無魔法のレベルが上昇した時と新たに元 素魔法の特殊技能を覚え、そのレベルが上昇したら少し増やしても 大丈夫だと言っておいた。 1169 第二十話 風よ、光よ︵後書き︶ 女性の奴隷について鑑定しないのは今は秘密です。 http://syosetu.com/userblogman age/view/blogkey/808499/ 明かされるのは当分先になります。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 新たに購入したズールー用の両手剣のデータです。 ︻バスタードソード︼ ︻鉄︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:19/10/7441︼ ︻価値:119000︼ ︻耐久:820︼ ︻性能:140−230︼ ︻効果:無し︼ 1170 第二十一話 初挑戦 7442年6月4日 翌朝、いつも通り夜明け前に起きると、昨晩寝る前に整えた迷宮 内部への冒険の準備をもう一度チェックし、不足がないことを確認 した。食料も干し肉と乾燥豆の保存食で三日分を二人前用意し、背 嚢二つに割り振って入れた。 え? 全部ズールーに持たせればいいじゃないかって? おいお い、せっかくの忠告を忘れたのかよ。迷宮では何が起こるかわから ないんだぜ。ズールーがモンスターの怪光線で一瞬にして消し炭に なるとかしたらどうすんだよ。 これは冗談だけど、迷宮では転移するというじゃないか。バラバ ラになった場合、誰か一人に重要なものを纏めておくなんて愚の骨 頂だ。負傷したりしてどうしても運べないなどの緊急事態ならいざ 知らず、分散できるものは出来るだけ分散して持っておくのが歩兵 部隊のセオリーだ。 個人の武装はともかく、食料や水筒︵これは俺が魔法で水を出せ るから、あくまで一応、だ︶などの重要品、今はないけど、今後は 応急手当用の薬類などのキットも人数分必要になるだろう。そうい った地味だが重要なものを収める背嚢も新規に購入してある。 当然今までも持ってはいたが、荷物のほとんどは馬のサドルバッ グに収納していたので俺が持っていたのは小さな背嚢であり、三日 分九食の食料やちょっとした下着類などを入れるともうパンパンに 1171 なるくらいの代物で、更に馬上でもブラブラしないようにベルトま でついているから、すわ、戦闘というときに素早く脱げないのだ。 で、今後のことも考慮して昨日のうちにゼノムとラルファの意見 を聞いて適当なものを二つ購入しておいたのだ。彼らが使っている 冒険者御用達の背嚢は大きさもそこそこあり、何より肩紐の部分に 金具がついていて緊急時にはその金具を捻って引き抜くことで簡単 に背嚢を放り出せる仕組みになっている。再度装着するときには装 着前に金具を戻しておかないといけないので多少手間ではあるが、 便利な代物だ。生地も帆布のように分厚くて丈夫なのでこれはいい 買い物だろう。できればゴム引きの布で作りたいくらいだ。 あ、そうそう、剣の鞘も剣帯とともに注文しておいた。一週間も かからずに出来上がるらしい。 俺はプロテクターを装着し、背嚢をひとつ背負い、もう一つはぶ ら下げて持ち、銃剣をストラップで肩にかけると待ち合わせ場所の 飯屋を目指して出発した。夜明け前、これだけの荷物でフル装備状 態、且つ肩に長物︵と言っても1.3mくらいしかないが︶をかけ ているのでなんとなく前世の釣行を思い出して懐かしくなった。船 が出る夜明け前、小物が入ったリュックサックを背負い、両肩にク ーラーボックスと竿袋を下げて車から波止場に停泊している釣り船 に向かって歩くときの子供のようにわくわくする感じ、とでも言え ばいいのだろうか。 飯屋に着くと既に三人が揃っていた。ズールーに彼の分の背嚢を 渡し、背負わせる。彼は両手剣を使うが、剣の刃渡りは1m程で、 柄の長さが30cmほどの物なので上背のあるズールーはその剣を 腰に佩いていても違和感がない。長さ自体は俺の銃剣と同じくらい だ。 1172 全員で飯を食い、飯屋で水筒に水を入れてもらった。ズールーは 奴隷であるにも拘らず、全員が同じメニューの食事であることに感 謝していた。いいんだよ、体が資本なんだから。ちらっと聞くと、 普通の冒険者の奴隷や軍隊で使われている戦闘奴隷だと、量はとも かく料理の質は数段落ちるのが当たり前らしい。ふーん、そうなの か。 だが、この飯屋で俺たちの食っている朝飯より質が落ちるメニュ ーでも一食あたり百Z︵銅貨一枚︶しか違わない。俺達の朝食は三 百Zでそれより落ちる朝食は二百Zなのだ。ここで百Zケチること に意味があるのかどうか⋮⋮。たくさん奴隷を抱えているならいざ 知らず、まだ一人なんだしなぁ。 ﹁ズールー、お前は俺の奴隷頭候補なんだからいいんだよ﹂ と言っておいた。食うのに夢中で答えてもらえなかった。別にい いけどさ。 ・・・・・・・・・ 入口広場に行くとまだ結構な人だかりだ。順番を待ち、その間に 迷宮への入場税としてズールーに銀貨を渡そうとしたら三人に止め られた。税を払うのは持ち主の証明にもなるので俺がズールーの分 もまとめて払えばいいそうだ。そういうものなのか。 1173 チャーチさんは今日も衛兵として徴税官の護衛を任されているよ うだ。彼は俺の顔をみるとニヤリと笑いかけてくれたので、俺も笑 い返してやった。無事、四人分の税金を支払って四人で先に進むと 石造りの地下へと降りる階段がある。どうやらこの下に転移の水晶 棒とやらがあるらしいな。 長い階段を降りると前方に廊下が伸びている。壁には松明が灯っ ており明かりには困らない。幅の広い廊下は石造りのせいか寒々と している。数十メートル先が扉のない部屋になっているようだ。俺 の前に降りたパーティの連中が部屋に入るところだった。 俺たちもその後に続いて部屋に向かって歩きだした。突き当たり の部屋までの間にも扉のない部屋が廊下の両脇にいくつもあるよう だ。ここが迷宮から戻ってくる場所なのだろう。俺たちが歩いてい る時に戻ってきたパーティはいなかった。 突き当たりの部屋の真ん中には高さ70cm程の四角く飾り気の ない石の台座が設えてあり、その上に直径2∼3cm程の細い水晶 の棒が突き立っている。部屋自体は一辺が4mくらいの小部屋だ。 台座から外に突き出ている水晶棒の長さは80cm弱だろうか。確 かにこの長さじゃ十人が精一杯なのも頷ける。水晶棒の表面には薄 紫色っぽい文字が明滅していた。これが迷宮内部への転移の呪文な のだろう。幾つも字が明滅している。あまり長いと覚えきれるかな? コモン 近づいて見てみると、あまりのことに呆然とした。文字の種類は ぱっと見たところ三種類。一つは当然ながらこの世界の文字だった。 しかし、残った二つが異様だ。英語のアルファベットと日本語の平 仮名だったのだ。思わずラルファと顔を見合わせてしまった。俺た ち二人の異様な雰囲気を感じたのだろう、ゼノムとズールーは訝し そうに俺たちを見ている。ゼノムは、 1174 ﹁どうした? 意味のあるのはこれだけのようだな。バ・ル・スか。 これが呪文なのか? こんな水晶はそうそう見られるもんじゃない だろうから驚くのも分かるが、話に聞いていた通りじゃないか。覚 え切れん程長くもないし。さぁ、行こう﹂ そう言ってゼノムとズールーはさっさと水晶棒を握り締めた。俺 とラルファはもう一度顔を見合わせたが心を決めて水晶棒を握り締 めた。全員、俺が口を開くのを待っている。この呪文を唱えるの俺 かよ。全てが崩れ落ちそうなこの呪文を。 ﹁バルス!﹂ 何も崩れ落ちることなく、一瞬にして転移が完了したのだろうか ? 握り締めていた水晶と台座だけは変わったところはないが、部 屋の様子は一変していた。話に聞いていたので知ってはいたが、実 際に経験してみると実に驚いた。 周囲をきょろきょろ見回しながらゆっくりと水晶から手を離す。 と、全員の手が離れた瞬間、水晶は一瞬だけぼうっと黄色く光を放 ち、先ほどと同じように表面に字が浮き出した。なになに? 今度 はダ・リ・オ・フか。別に意味がある言葉というわけじゃなさそう だな。何故だか少し安心した気がした。 転移した先の場所は洞窟の行き止まりのような場所だった。聞い ていた通り洞窟の壁全体がほの明るい光を発している。光源は要ら ないと言えば要らないが、これならあったほうが良いかも知れない。 明かりの魔道具を改造してランタン風にしたものを買ったほうが良 いかもしれないな。 1175 ゼノムは早速糸を適当な石に結んでいた。棒に突き刺したボビン を左手に持つと、右手に斧をぶら下げた。俺も肩から銃剣を降ろし、 先端の鞘を外してプロテクターの腰にあるDリングにぶら下げ、い つでも戦闘可能なように準備した。ラルファとズールーもそれぞれ の得物を手にして準備は完了だ。 ﹁よし、じゃあ行くぞ。昨日言った通り俺が先頭になって進む。俺 の後ろがラルファ、その次がゼノムだ。ズールーはゼノムの糸に気 を付けろよ﹂ 全員が頷いたのを確認して進むが、数十メートルも行かないうち に隊列を変えた。洞窟の幅はだんだん広くなり、今は幅8メートル 程になっている。この洞窟をわざわざ一列縦隊で進むのはいかがな ものか、と思ったのだ。今は俺とズールーが二人で先頭に立ち、そ の後ろをラルファとゼノムがついてくるという構図だ。また、この 洞窟は床面は凸凹があるものの、石でごろごろしているわけでは無 いようで、土の地肌となっている。壁も土で所々に石が転がってい るという感じだ。 ボビンの糸を継ぎ足し、そろそろ二回目の継ぎ足しの頃、前方か ら足音とともに﹁ぶわん﹂とか﹁ぎゃう﹂とかいう声が聞こえてき た。既に目が暗順応して久しい。視界は30∼40m程はあろうか。 確かにランタンはなくてもいいかな。まぁ完全に明かりがない場所 もあるらしいから一つは持っていたほうがいいだろうけど。今日は そんな場所には踏み込まないつもりだったから関係ないし、下手に 明かりを持っていたら遠くからでも俺たちの存在を気付かれてしま うだろう。 全員背嚢を降ろし、武器を構えて相手に危険があればすぐに何ら かの行動を行えるように身構えた。背嚢は洞窟の隅の方へ置いてあ 1176 る。全員壁際の方へと左右に別れて移動し、油断なく構えている。 洞窟はしばらく真っ直ぐに伸びているようだ。よし、鑑定だ。俺は 鑑定の視覚に頼るべく固有技能を使ってみた。前方70∼80m程 に小型の人影が見える。ノールだ。全員槍で武装しているようだ。 数は⋮⋮11匹か。真ん中辺りのノールを鑑定してみるとレベルは 3だった。これならいけるな。 もう少し近づいて来るのを待ったほうが効率がいいかな。俺は息 を殺してノールの集団が近づいてくるのを待った。相手もゆっくり と近づいて来るようだ。と、相手が10m程前進したあたりでぴく ん、と動きが止まったようだ。まずい、気付かれたのだろうか? まぁ気付かれたとしても大した違いはない。すぐにノール達は前進 してきた。但し、口々に何か喚きながら、こちらへ突進してくる。 ハイエナだけに鼻がいいのかな? 超臭覚なんて特殊技能はなかっ たと思うのだが。特殊技能になるほどではない技能なのだろう。 あと50m。まだまだ。 あと40m。流石にノールの隊列も崩れかけてきている。そろそ ろか。 あと30m。今だ! 俺は通路の真ん中に飛び出すと左手をノー ルに向け、魔術を放出した。﹃アイスコーン﹄の魔術だ。俺の左手 から円錐状に冷気の渦が拡がり、同時にカッターのような薄い氷の 刃が無数に放たれる。狙いなんていちいちつけちゃいられないので MPを注ぎ込んで刃の量を増やすことに集中させた。マイナス30 度の冷気くらいでは死にはしないだろうが、剃刀のような薄くて鋭 い氷刃の切れ味を維持するには充分だ。左手から前方15°くらい の細長い円錐状の空間に対して密生した氷の刃は哀れなノールども の前衛の四匹を瞬く間に血達磨に変えた。 1177 ついでにもういっちょ。お次は﹃チェインライトニング﹄の魔術 だ。文字通り﹃ライトニングボルト﹄の改良版で、使用するMPは 更に増えるがこいつの電撃は命中した後に更に分裂して近くの別の 目標に次々と当たる。分裂回数は四回までだが、命中した目標の後 方九十度の範囲内で距離五m以内に別の対象がいないとそこで分裂 が止まってしまうのが難点だ。だが、一度でも分裂したらそこから 先はかなり広がることになる。最終的には威力は﹃ライトニングボ ルト﹄の半分位まで落ちるがこんな低レベルのノール相手なら充分 だろう。 これで全滅できるとは思っていない。俺は﹃チェインライトニン グ﹄の分裂が終了する一秒間ほど魔法維持のため精神集中をせざる を得なかったが、この魔術で更に五匹を葬ることに成功した。残っ たノールは二匹。30m程先で瞬く間に味方の大多数を失ったこと に士気をくじかれたのだろう、たたらを踏んでいる間にこいつらも ﹃ストーンアロー﹄をミサイルにしないで連射して殺した。 時間にして僅か10秒程で11匹のノールを仕留めることに成功 した。一層の平均的な敵がこの程度であればいいのだが⋮⋮。 ﹁楽勝だったな。魔石を取るぞ﹂ そう言って背嚢を拾い上げて歩きだした俺の後を呆然とした三人 がついてきた。ゼノムまでがあっけにとられているようだ。ちょっ と景気良すぎたかな? そう思ったが、最初の戦闘だ。気合も入ろ うというものじゃないか。最後の﹃ストーンアロー﹄も含めて八十 近いMPを使ったが、俺のMP保有量の1%にも満たない量だ。そ れに、このくらいなら六∼七時間で回復する。 1178 ズールーにナイフを渡し、俺以外の三人が魔石を採るのを待つ間、 俺は少しだけ進んで先からモンスターが来ないか警戒していた。作 業中の三人から会話が漏れ聴こえてくる。 ﹁ご主人様は物凄い魔法使いなのですね、昨日は治癒魔法くらいし かご使用になられなかったので存じておりませんでした﹂ ﹁ああ、俺たちと出会った時にも魔法を使っていたが、あれほどと は⋮⋮﹂ うはは、もっと言っちゃってもいいのよ。俺は褒めて伸びるタイ プだから。 ﹁私も魔法使える様になったから、早くああなれるようにならない とねぇ﹂ それは無理だと思うよ、お嬢さん。 数十分で魔石を全て回収できた。鑑定してみたら価値は二千くら いだ。七割くらいで売っぱくれば十五万Zくらいか。なお、ノール の武器は先を尖らせた木の槍だったから回収しないでおこうかと思 ったが、何かに使えるかもしれない。長さも1m強くらいだし。と りあえずズールーに三本くらい持たせておいた。ところで、木材な んか一体どこで手に入れたんだろう? また用心しながら進んだ。分かれ道どころか曲がり角すらない。 糸いらねぇじゃんか。 ﹁なぁゼノム、道が分かれるところまで糸使わない方が良くないか ?﹂ 1179 そう言って見ると、ゼノムも同じように考えていたのだろう。す ぐに﹁そうだな、少し待っててくれ﹂と返事があり、最初の地点め がけて走り始めた。まだ400mくらいしか進んでいないから、転 移の水晶のあたりまで戻って、石に結びつけた糸を解きに行ったの だろう。 ゼノムが戻ってくるまで特にやることもない。十分程度小休止だ。 と言っても転移してから移動時間はここまで十五分程度。魔石を採 っていた時間の方がよほど長い。戦闘も十秒くらいだったしな。前 方を警戒しつつもゼノムが帰ってくるのを待った。程なくしてゼノ ムが戻ると、糸を巻き取り始めた。ああ、そうか。巻かなきゃまた 使えないよな。巻きながら帰ってきてくれりゃいいのに、と思った が、誰か一人が糸を繰り出しながらボビンを回転させたほうが確か に効率いいし。 合計30分近く無為に過ごしてしまったが、気を取り直して用心 しながらゆっくりと奥に進む。 更に300m程進んだ。相変わらず洞窟は真っ直ぐに伸びている。 罠も見当たらなかった。だが、どこにあるかもわからない罠を警戒 しながら進むのは結構疲れるな。もっと楽に進めるかと思っていた が、これは舐めていたようだ。途中で先頭をゼノムとラルファの二 人と交代し、俺とズールーは後ろに下がった。 と、交代してすぐに前方から小さな物音が聞こえてきた。戦闘の 音のようだが結構距離は離れていそうだ。ゼノムが俺の方を振り向 いている。俺は彼に対して頷くとあくまで用心しながらゆっくりと 進むように言った。ついでに﹁敵が俺達と同数なら今度は剣で戦お う﹂と言っておく。このまま魔法で突き進んでもいいが、それだと 1180 俺だけが経験を稼ぐことになりかねないしな。 まだ戦闘らしき物音が伝わってくる。心なしか大きくなった気も するが気のせいかも知れない。ラルファが振り向いて囁いてきた。 ﹁誰かが戦ってるみたい。助けに行かなくていいの?﹂ ﹁え? なんで?﹂ ﹁だって結構長いみたいだから、苦戦してるのかもしれないでしょ ?﹂ 確かに最初に物音と叫び声を聞いてからもう1分くらい経ってい るだろう。おそらく苦戦していると思われる。だけど、なんで助け に行く必要があるんだ? 俺が言葉に詰まっているとゼノムが助け 舟を出してくれた。 ﹁ラルファ、迷宮での冒険は自己責任だ。苦戦しているなら強力な 敵かも知れない。用心しながらゆっくりと進んだほうがいい﹂ そうだそうだ。 ﹁それに、獲物を横取りするな、といらぬ恨みを買うかも知れない。 仮にこのまま傍まで行ったとしてもいきなり手を出さないほうがい い。あくまで冒険者たちが助けてくれと言ってくるまでは傍観だ﹂ そうだそうだ。 ﹁⋮⋮わかった。そうね、ゆっくり行きましょう﹂ 1181 ラルファも納得したようだ。俺は、 ﹁そうだ、それにまだ別の冒険者と決まったわけじゃない。モンス ター同士で争っているのかも知れないしな﹂ と付け加えた。なんだ、ゼノムの説明で良かったのか。ラルファ も冒険者をやって久しいから割り切りは出来るし、きちんと説明す れば納得もする。どうも元女子高生、見た目14歳の女の子から﹁ 助けに行かないの?﹂とか言われると責められている気持ちになっ てしまうよ。 俺たちは改めて用心しながら進んだ。50m程で初めて洞窟は右 に折れ曲がるようだ。分かれ道ではないので糸も必要はない。角を 右に曲がると急激に物音が大きくなった。今までは角である程度物 音が減殺されていたのだろう。何かの叫び声も聞こえるが、言葉に なっていない。モンスターの叱咤するような声と複数の戦闘音だけ だ。 もし、冒険者が戦っているのであればたった一人にまで打ち減ら されているはずだ。走れば間に合うだろうか? 根拠は薄弱だが、 多分俺なら助けられるだろう。有り余る魔力で連続して魔法を打ち 込めば助けることも出来るのではないだろうか? 自己責任とは言 え、見殺しも夢見が悪いよなぁ。 その時、前を行くゼノムが右手を挙げてしゃがみこんだ。何だ? と思ったが、ゼノムの言葉を聞いて疑問は氷解した。 ﹁罠だ。落とし穴だと思う。⋮⋮洞窟の端っこなら大丈夫そうだな。 注意してくれ﹂ 1182 確かにゼノムの言う通り、彼の先の洞窟の真ん中あたりに直径5 mくらい多少不自然な盛り上がりがあるようだ。やっべー、焦って 援護に走っていたら見抜けるわけなかった。下手したら全員落とし 穴に嵌るところだったわ。 ﹁ズールー、傍にさっきの槍を立てておけ。罠の目印になる﹂ この先に強力なモンスターがいた場合、撤退の可能性もある。撤 退中に罠の場所を見落として見つけていたはずの落とし穴に嵌ると ジャベリン か全く笑えない。槍を回収させておいてよかったぜ。本当はズール ーに投槍の代わりに威嚇で投げさせようと思って回収したんだが。 ズールーはすぐに俺の意図を理解したようで、落とし穴を回避す ると洞窟の真ん中に槍を突き刺して目印にした。この槍の先には落 とし穴ありだ。洞窟は更に五十m程先で今度は左に曲がっているよ うだ。俺達は更に用心しながらもゆっくりと進んでいった。戦闘音 とモンスターの叫び声はまだ響いている。もう最初に気がついてか ら十分近く経っている。曲がり角に近づくと物音は更に多くなった。 もう数十m先だろう。この角を左に曲がったら見えるんじゃないだ ろうか? 俺はそう思うと皆を制して左の壁に体をつけると慎重に顔だけ出 して通路の先を覗いてみた。既に鑑定の固有技能は発動済みだ。因 みに、鑑定だと落とし穴の罠は見抜けなかった。多分落とし穴の上 に薄い布か板でも渡してあってその上に土をかぶせてあるのだろう。 だから俺の視線は罠の構造まで通らないから鑑定では見つけられな かったと思われる。 曲がり角の先三十mくらいのところにゴブリンが二十匹ほどいて 争っていた。数匹倒れ込んでいるものもいる。冒険者らしき人影は 1183 見えない。モンスター同士の争いのようだ。何匹か鑑定してみたが レベルは二∼四といったところで、それほど強力ではない。俺はそ っと皆の所に戻ると言った。 ﹁この先三十mくらいのところでゴブリンの集団が争っている。数 は合計で二十くらいだ。見た感じだと俺たちなら奇襲すれば勝てる だろう。魔法なら一撃でカタをつけられるが、どうする?﹂ するとズールーが小声だが驚いたように言った。 ﹁まだ魔法が使えるのですか! ですが、お役に立ってみせますよ。 ゴブリンくらい蹴散らしてやります!﹂ ゼノムは ﹁二十匹か⋮⋮多いがゴブリンなら勝てるだろう。行くか!?﹂ と言った。血気盛んなことだ。 ﹁二十匹ねぇ。じゃあ、私たちが突っ込むからアルは逃がさないよ うにいつでも魔法を使えるようにしていて﹂ ラルファもやる気まんまん、と言うことか。よし。 ﹁じゃあ、ズールー、お前が先頭だ。突っ込め。ゼノムはズールー の右後ろ。ラルファはゼノムの死角のカバーだ。俺はノールの槍で も投げつけるけど、これには期待するな。最初の威嚇程度くらいに しかならん。まず、俺が角から出て槍を一本投げる。俺が角から飛 び出すと同時に皆は突撃だ。誰かが怪我を負ったら、ゴブリンが逃 げようが治癒を優先する。いいな﹂ 1184 簡単に突撃順を決めるとそれを指示した。ゴブリン程度なら力押 ししても問題はないだろう。それに、即死でもしない限りは手当も してやれるからまぁ問題ないだろう。 タイミングを見計らって角から飛び出すと、ズールーを先頭にゴ ブリンの集団めがけて三つのしも、もとい、俺の仲間たちが雄叫び を上げながら吶喊して行った。 彼らの背中を見ながら俺は体全体を使って筋肉を弓のように引き 絞ると、ノールの木槍を彼らの頭上を飛び越すように投げ放った。 当然狙いも糞もない。大体、槍投げなんかしたこともない。当たら なくてもいいのだ。そう言い訳しながらも当たることを念じて槍の アトラトル 飛ぶ先を見たが、ゴブリンの集団の手前の地面に突き刺さったのが 見えた。なさけねー。今度、投槍器でも作ろうかな。 すぐにズールー達がゴブリンの集団に襲いかかったのが見えた。 今まで争っていたゴブリン共は何が起こったのかまともに把握すら トマホーク 出来なかっただろう。ズールーの両手剣に背中から刺し貫かれた不 運な奴を皮切りに、ゼノムとラルファの手斧に一撃で頭部を叩き割 られ脳漿を飛び散らせた奴らが出ると、ゴブリン達の混乱は一層ひ どくなったようだ。最初にやられた三匹が所属していた勢力は、ズ ールー達を相手方の助っ人とみなしたようで、相手方の勢力は味方 が増えたと勘違いしていたようだ。 俺はそれを見ながら、最後に残った一本の木槍をもう一度構える と、少し近づいてから端っこにいる奴を狙って投げた。だが、槍は 今度も外れ、目標の傍で既に死体と化しているゴブリンに突き立っ た。慎重に狙ったつもりだったのだが、単なる木の棒の先を尖らし ているだけだし、狙って投げてもそうそう当たるものでもないだろ 1185 う。 ズールーは鬼神のように両手剣を振り回し、ゴブリンを全く寄せ 付けず、彼の剣のリーチ内に存在するゴブリンは死んだゴブリンだ けになっている。その暴風のような鉄の嵐が移動するたびに一匹、 また一匹と動くゴブリンの数が減っていく。ゼノムとラルファは一 体ずつ確実に致命傷となるような一撃を打ち込んでいく。 数分でゴブリン達は半数以下にまで打ち減らされており、残った ゴブリンはただ喚いて持っている棍棒を闇雲に振り回しているだけ で恐慌に陥っているようにしか見えない。俺は逃げようと背中を見 せる奴にだけ﹃ストーンアローミサイル﹄の魔術で遠くから打ち抜 く、もはや作業とも言えるようなことだけに集中していれば良かっ た。 結局、十分とかからず三人とも無傷で二十匹のゴブリンを殲滅す ることができた。その後はまた魔石を採り、更に迷宮の奥を目指し て進んでいった。 まだ朝の八時くらいだろうか。初日にしてはいい滑り出しだ。 1186 第二十二話 ズールー 7442年6月4日 もう転移してきてから一㎞くらいは進んだろうか。ここまで一本 道で迷う要素などどこにもなかった。どのあたりが﹁迷宮﹂なんだ ろう? こんなことを思っていると、遂に分かれ道に行きあたった。 一つはそのまま前方に伸びる幅の広い洞穴。もう一つは右に折れる 幅2∼3m程の狭い洞穴だ。 ﹁これから先、万が一強敵に出くわして後退することを考えたら、 今日はこのまま広い方を進もうと思うが、どうだろう?﹂ ゼノムにそう聞いてみると、 ﹁そうだな。どちらにしろ今日は時間制限をしているし、無理する ことはないだろうな。俺もアルに賛成だ。このまま進もう﹂ と返事が返ってきた。ゼノムに賛成して貰えるなら、大丈夫だろ う。ゼノムは続けて、 ﹁糸はどうする? この様子だとここでは必要ないように思えるが ⋮⋮﹂ うん。確かにここにはいらないんじゃないだろうか? そう思っ て返事をしようとしたら、 ﹁念の為、糸を準備したほうがいいと思う。この先すぐまた分かれ 1187 道になるかも知れないし﹂ ラルファがそう言った。なんだ、えらく慎重だな。だが、慎重過 ぎて困ることもあるまい。 ﹁そうだな。まだ初めてだし、ここは慎重に行こう。いらないよう ならまた回収に戻ればいいさ﹂ 俺がそう答えると、ゼノムは早速ボビンを取り出して分かれ道の 手前で適当な石を見繕い始めた。ゼノムが石に糸を結びつけている 間、右の細い方の分かれ道の奥を鑑定の視力を使って覗いてみたが、 特に怪しいものは見当たらず、数十メートル先で左にカーブしてい ることが分かっただけだった。 糸の用意が終わるとまた俺とズールーを先頭にして用心深く前進 を続けた。 ・・・・・・・・・ 糸を五回継ぎ足すまでの間、分かれ道は三つもあった。俺たちは 出来るだけ幅の広い洞穴を選んで進んできた。罠も落とし穴が一つ あったが、上手く気づくことが出来たのは上出来だった。地面の微 妙な差に気づかないと発見出来ないのは辛い。少しづつ慎重に歩を 進めないとどんな罠に嵌るか想像出来ないのが神経をすり減らす。 因みに、発見した落とし穴の脇にはまた前回のように回収したノ 1188 ールの槍を突き立てて置いたので、帰りは幾分楽だろう。 更に前進する。 また新たな分かれ道だ。今度は十字路状に三方向に道が分かれて いる。前方に続く幅の広い洞穴の他は幾分幅の狭い左右へと伸びる 洞穴だ。 だが、十字路以外にも今までの分岐と異なる点を発見した。分岐 している道の脇に直径30cm程の、洞穴内ならどこにでも転がっ ているような石があるのだが、その石に糸が結わえ付けられていた。 糸は俺たちが使っているような木綿の糸で、見たところそう新しい ものではないようだ。 ﹁どう思う?﹂ 俺は誰とは無しに聞いてみた。 ﹁普通に考えるなら、俺たち以外の冒険者のパーティーがこの先に いるんだろうな﹂ ゼノムが答えた。 ﹁ですが、この糸は結構汚れています。その冒険者のパーティはま だ生きているのかが問題でしょう﹂ ズールーがしゃがんで糸を観察しながら答えた。 ﹁なら、決まりね。この糸の先を追ってみようよ。全滅してたら装 備を手に入れられるかも﹂ 1189 ラルファが元女子高生とは思えないような提案をした。まぁ俺も 同じ考えなんだが、全滅してたら普人族や亜人の死体に出くわすこ とになると思うんだが、平気なんかね? あと、墓泥棒の真似事に なるんだけど、それはいいのか。迷宮での目的の一つでもあるんだ し。 ﹁よし、じゃあこの糸を辿ってみようか。上手くすればラルファの 言う通り装備が手に入るかも知れないしな﹂ 俺がそう言うと、全員で古い糸を辿って右に折れる洞穴を進み始 めた。糸は途切れることなく続いている。 糸があるからには少なくとも落とし穴などの罠は糸の下には無い のではないだろうか。俺がそう言ってみるとゼノムは、 ﹁いや、油断はできんだろう。この糸自体が何らかの罠であること も考えられる。今まで通り慎重に行ったほうがいいと思う﹂ と答えてくれた。確かにその通りだ。俺たちは今まで以上に気を 引き締め、神経を尖らせてそろそろと進んで行った。 幾つかの角を曲がり、分かれ道を糸を頼りに進んでいく。長いな。 もう一時間ほど経つ。1km弱は進んだのではないだろうか。この 間、自分たちの足音やちょこちょこ話す話し声以外の物音は殆どし ない。たまに何かの叫び声が小さく響いてくるだけだ。 そう言えば、地下にこんなに大規模なトンネル群が掘られている が、空気穴のような換気装置は全く見当たらない。空気はどこから 湧いてくるんだろう? ふとそんな考えが頭をよぎった。 1190 今はどうでもいい︵いや、良くはないが︶ことを考えながら進ん でいると、洞穴の先に何やら広い空間があるのが分かった。洞穴を 折れ、30m程先で床以外の天井や壁がなくなっているのだ。糸は その空間に続いている。何となく嫌な予感がする。ここは俺が先頭 に立つべきだろう。そっと足を速めると先頭に立った。簡単なジェ スチャーで俺の後をついて来いと指示する。 俺は鑑定を使って見える範囲内のもの全てに︵と言っても洞穴の サイズより少し広いくらいだが︶視線を動かす。石のようなものや 奥に壁らしきものがあることは分かった。天井も洞穴よりは少し高 いようだが見えないほどではない。 慎重に目玉を動かして少ない視界範囲をスイープする。と、洞穴 の壁に視界を遮られる右隅に人工的なものが目に映った。思わず鑑 定してしまった。どうやら剣のようだ。 ︻ブロードソード︼ ︻鉄︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:9/6/7440︼ ︻価値:97500︼ ︻耐久:480︼ ︻性能:100−150︼ ︻効果:無し︼ 二年くらい前に作られたもののようで、比較的新しいと言えるだ ろう。他には何かないか? 更に慎重に見回す。何かの柄のような 細長いものがある。 1191 ︻槍︼ ︻オーク材・鉄︼ ︻状態:良好︼ ︻加工日:30/3/7441︼ ︻価値:45800︼ ︻耐久:324︼ ︻性能:50−160︼ ︻効果:無し︼ 他にはここから見える範囲だと何も見つからなかった。視界を広 げるためには前進する必要がある。だが、前進するとこの武器の持 ち主を、二度と武器を持てなくした相手に出くわす可能性も否めな い。出来ればその正体を鑑定しておきたい。モンスターなら強力な 相手かも知れないし。うーん。 だが、息を殺して少しづつ前進してきたとは言え、俺たちに何か が襲いかかってくる様子は窺えない。この空間には既に生き物はい ないのではないだろうか? ゼノムに相談したいが、声を立てるの はまずい。ひょっとしたらまだ気付かれていない可能性もあるし。 俺はそっと振り返り、ラルファやゼノム、一番後ろのズールーの顔 を見つめると頷いた。再度前方に向き直り、そろそろと足を擦らせ てじわじわ前進を開始した。 数メートル進むのに何分を要したのだろうか。あまりの緊張に額 に玉の汗が浮かび始める。 視界が広がるたびに新たに鑑定を重ねていく。やはり以前の冒険 者たちの成れの果てのようだ。そして、それとは明確に異なる生き 物の気配。 1192 何か重い袋でも引きずるような音が小さく聞こえる。音の主はま だ視界に入っては来ていない。この期に及んで視界に入ったら鑑定 すべきか、すぐさま魔術で攻撃すべきか決まっていない自分に腹が 立つ。 死体が残っていて死亡直後であれば生前同様に鑑定出来るからこ こは攻撃すべきだろう。 そっと銃剣のフォアグリップから左手を離し、いつでも魔術を放 てるように力を抜いておく。 足を摺らせながら少しづつ前進する。もう目の前に広がった空間 まで10mもないだろう。 幅2m程の洞穴の出口から見える範囲は大分広くなったとは言え、 まだ先に広がる空間の左右の壁は見えない。奥行は多分50mくら いだろう。左右の壁までの距離がわからないので、闇雲に氷漬けに もできない。一度でも視線が通らないと土や氷の元素は出せないの だ。 心なしか音は少しだけ大きくなったように思う。 こちらから近づいた分大きくなったのか、向こうが近づいてきて いるのか、その両方か。この音はモンスターが発する移動音なのだ ろうか? だとすると動きは鈍いのかもしれない。いやいや、普段 は鈍いだけで戦闘になったら俊敏になると思っておいたほうがいい。 それに、音の感じからして結構大型だろう。確実にノールやゴブリ ンのような二足歩行する小型のモンスターではない。 洞穴の出口まであと5m。音はまだしているが、遠ざかっていく 様な気もする。判断がつかない。視界はかなり広くなった。最初の 二本以外にも武器や盾が転がっている。だが、死体やそれに類する ようなものは見受けられない。どういうことだろうか。食われたの 1193 だろうか。 ジリジリと前進してるうちに気がついた。ほのかに腐臭がする。 あそこに転がっている武具の持ち主達の香りか。かなり広くなった 視界の隅には前方の壁の左右に壁があることが見て取れた。おおよ そ50m四方くらいの空間だろう。かなりでかい。ついでに物音を 立てている主をも視界に収められた。 大部屋の右手前に全長3mはあろうかという大きなイモムシ状の モンスターがいて、大部屋の奥の方へと移動しようとしている。あ の巨体だ、いつかのホーンドベアーの時のように魔術の一発や二発 に耐えるということも考えられる。僅かだけ逡巡したものの、俺は すぐさま魔術を発動させた。﹃オーディブルグラマー﹄の魔術だ。 イモムシなので動きは鈍いだろうと思ったからだ。遠く離れた場 所で音を立てて出来るだけこちらから引き離した上で仕留めてやろ う。魔術の発動とともに大部屋右奥で車がパンクした時のような大 きな破裂音が轟く。同時にモンスターは前進速度を速めたのが分か った。意外に速い。走ればこちらのほうが速いだろうが、思ったよ りスピードがある。 大きな音を立てたので後ろで三人がびっくりしたのか、息を呑ん でいたが、すぐに大部屋の奥をめがけて走るイモムシに気がついた ようで、それぞれ武器を構え、動いてはいないようだ。 大部屋の右奥、先ほど音を鳴らしたあたりまでイモムシが移動す るのに要した時間は6∼7秒だったろうか。それだけあれば鑑定ウ インドウを開いてHPを見ながら魔術の用意をするくらいは問題な い。HPは150程か。次に﹃ライトニングボルト﹄を放った。放 たれた電撃がイモムシを貫く。すぐさま﹃フレイムアロー﹄を飛ば 1194 す。炎の矢が5本一固まりでイモムシ、もとい、スカベンジクロウ ラー目掛けて飛翔する。 緑色のゴムのような表皮を炎の矢が貫き、周辺の組織を火傷で爛 れさせたようだ。ケツの方にぶち込んだが、きっちりとダメージを 与えられたようだ。鑑定ウインドウのHPは−23になっている。 まだ死んではいないが、瀕死の重傷だ。スカベンジクロウラーはピ クピクと痙攣を繰り返しているだけだ。死ぬ前に鑑定ウインドウを ︼ 読んでおくか。 ︻ ︻男性/4/9/7423・スカベンジクロウラー︼ ︻状態:電撃傷・熱傷︼ ︻年齢:19歳︼ ︻レベル:13︼ ︻HP:−23︵151︶ MP:26︵26︶︼ ︻筋力:10︼ ︻俊敏:8︼ ︻器用:25︼ ︻耐久:55︼ ︻特殊技能:麻痺︼ ついでに麻痺の特殊技能のサブウインドウも見てみる。 ︻特殊技能:麻痺︵スカベンジクロウラー︶;スカベンジクロウラ ーの口蓋下部より生えている八本の触手の先には細かく鋭利な刺が あり、触手先端から分泌する粘液で常に濡れている。この刺に刺さ れた体重200Kg迄の麻痺への耐性の無い生物は、即座に麻痺に 侵され、嚥下と呼吸以外の随意運動は全て阻害される。麻痺の効果 はスカベンジクロウラーのレベルと同じだけの日数継続するが、被 1195 害者のレベルで相殺可能。但し、最低でも一日間は持続する。しか しながら、被害者のレベルがスカベンジクロウラーのレベルを10 以上上回っている場合には麻痺は効果を及ぼさない。また、体重が 200kgを超える場合、体重10Kg毎に麻痺の効果が発動する までに10秒間の猶予がある。麻痺に侵された被害者を効果時間よ り早く回復させるには解麻痺の飲み薬︵魔法的なものに限る︶か解 麻痺の魔法をかける以外の方法はない。なお、スカベンジクロウラ ーの特殊技能の麻痺は毒ではなく、魔法的なものに近いため、抵抗 するには麻痺に対する耐性か、魔法に対する耐性の能力が必要であ る︼ ぱっと見しかしていないが、ヤバそうな相手だ。さっさと殺した ほうが身の為だろうが、大部屋の中を見回してもモンスターはこい つ一匹しかいなかったようだ。ここは余裕もあるし、実験すべきだ ろう。俺は﹃ストーンアロー﹄を飛ばした。ぶじゅっと音を立てて 石の矢がスカベンジクロウラーの胴体に突き立つ。HPはマイナス 三四になった。ふむ。今度は﹃アイスアロー﹄を飛ばしてみる。H Pはマイナス四三だ。こっちのがダメージが大きいか。﹃エアカッ ター﹄で切り裂けるだろうか。HPはマイナス四九になった。ダメ だ、こりゃ。 あの分厚そうな皮膚だとグラベル系の礫を飛ばすような魔法だと ダメージが通らない気がする。最低でもアロー系じゃないとだめだ ろうな。あと6ポイント分のダメージでスカベンジクロウラーは完 全に死ぬだろう。アロー系だと﹃フレイムアロー﹄が一番効果があ ったようだ。一本で15くらいのダメージだった。ファイアー系な らもっとダメージが大きいだろうか。まぁいい。さっさと殺してし まおう。﹃フレイムアロー﹄の魔術で止めを刺した。 鑑定ウインドウの状態が死亡になったのを確認し、息をついた。 1196 ズールーに魔石を取ってくるように言う前に、全員に用心しつつ 前進するように言った。その間に鑑定のサブウインドウを開いてみ た。 ︻スカベンジクロウラー;クロウラー族の一種。体長3m前後。寿 命は約50年。卵生。常に腐臭を発しており、複数の足で移動する。 口蓋下部の八本の触手で獲物を麻痺させ、後に繭状に獲物を包み、 保存する。口蓋の両脇から生えている大きな一対の顎によって獲物 を噛切る。口蓋内部には糸鋸のような細かい歯が無数に生えており、 この歯によって噛切った獲物をすり潰すように捕食する。胴体の左 右に並んだ耳門によって音を感知し、頭部からナメクジの触角のよ うに飛び出した二つの眼球で可視光を捉える。嗅覚はない。数年お きに発情期を迎え、異性と交配して10個程度の卵を産む。卵が孵 るまでの半年間、親は卵の傍で過ごし、外敵から卵を守る。腐肉を 好むが生きている生物も将来の食糧確保のため積極的に攻撃する。 獲物を麻痺させたあとは尾部より噴出する糸によって繭状にして熟 成させた後、餌とする︼ スカベンジクロウラーの種族の鑑定ウインドウを読んでいる時に 違和感を覚えた。ああ、ウインドウ内の文章にじゃない。とにかく、 今は違和感については放っておくしかない。さっさと遺品を集め、 魔石を採ったらこんな場所とはおさらばしよう。無性に太陽が恋し い。少し早いけれど、もう今日は引き返すべきだろう。 ズールーに魔石を取るように指示し、俺たちは大部屋の中に散ら ばっている武具を集め始めた。鉄製の剣が四本に槍が三本。木と鉄 でできた直径40cmくらいの丸い盾が二つ。あと、ナイフらしき ものが七本。どうやら金属と木製部分以外の有機物はすべてあんに ゃろうの腹の中で消化され尽くしていたらしい。革手袋の一つも残 1197 ってはいない。 武器は特に大きな錆びも浮いておらず、そのままでも売り物にな りそうだ。この大部屋が乾燥しているからか。しかし、スカベンジ クロウラーとまともに戦うのはよろしくない。魔法がなければ苦戦 どころか麻痺を食らってやられていた可能性すら十分に考えられる。 まぁ経験値は馬鹿でかかったが。七千をちょっと超えていた。朝 殺したノールの一団で約三千八百、ゴブリン二匹で百八十くらいか。 一万一千くらいの経験値を稼げたのはでかい。ホクホクと言っても いいくらいだ。もしこの調子ならもう一度同じくらい経験を稼げる ならレベルアップするな。 ズールーが魔石を回収してきた。直径三㎝位のやつだ。灰色がか った色で価値は五千くらいだった。あんまたいしたことねぇな。ホ ーンドベアーなんか十万近い価値だったのに。 スカベンジクロウラーは別にして武具類が沢山手に入ったので、 今日はもうここで切り上げを宣言した。 帰り道は特に問題もなく、転移の水晶まで戻ることができた。念 の為呪文を確認したが﹁ダ・リ・オ・フ﹂から変わっているような ことはなかった。ふと、転移の時に誰か取り残されたらどうなるの か興味が湧いたが、せいぜい呪文が変わるくらいでどうにもなりは しないだろうと思い直し、全員が水晶棒を握っていることを確認し て転移した。 ・・・・・・・・・ 1198 まだ時刻は昼をちょっと回ったくらいだ。俺たちは手に入れた武 具を換金するため、鍛冶屋に出向いていた。剣は一本あたり五十万 Z前後で処分することが出来た。槍の方は二十∼二十五万Zと言っ たところだ。盾は三十万Zだった。締めて三百二十六万Zの売上だ。 大儲けだな。俺はゼノムとラルファに十万Zづつのボーナスを支給 してやり、ついでにズールーの分の宿代を渡すと、今日は晩飯を食 う時まで解散することにした。 ゼノムとラルファと別れたあと、ズールーと二人で食事に向かっ た。大儲けできたので少しだけ奮発して昼定食にオプションで串焼 きの豚肉もつけた。ズールーはしきりと感謝していたが、俺はそん な彼の言葉を遮って言った。 ﹁なぁ、ズールー。いいんだよ。確かに俺は戦闘奴隷としてお前を 買った。だから俺はお前のご主人様なのは間違いない。だけど、そ れはさ、俺にとってどうしてもお前が必要だと思ったから買ったん だ。だから、飯くらい堂々と食ってくれ。奴隷の食事の面倒くらい きちんと見れるつもりがなきゃ、最初から買ったりなんかしてない んだからさ﹂ なんかうまく説明できないな。 ﹁ありがとうございます、ご主人様。ですが、俺は平民の次男で、 正式な従士として取り立てられていたわけじゃないんです。そりゃ、 子供の頃から剣の修行は欠かすことはありませんでした。ですが、 この前の戦で捕らえられた時、兄貴は身代金を払って貰えたので帰 れましたが、私は最初から諦めていました。 1199 それこそ、命があっただけで儲け物だと思っておりました。ああ、 兄貴のことを恨んでいるわけじゃありません。これも俺の運命だと 思って諦めていただけです。きっと戦奴としてデーバスの、事によ ったら同じ村の連中と戦わせられるんだと思っていたんです﹂ なんだ? 身の上話か? ﹁でも、戦地で奴隷商に売られた俺は巡り巡ってバルドゥックまで 来ちまいました。戦争に駆り出されるなら存分に暴れてやろうとも 思っていました。せいぜい華々しい最期にしようって思ってたんで す。だけど、バルドゥックならそうも行きません。デーバス王国に も迷宮はあります。ベンケリシュの迷宮と言います。ご存知ですか ?﹂ ﹁いや、すまんな。知らない﹂ ﹁そうですか、まぁ外国の迷宮ですからね、ご存知ないのも無理な いことです。ですが、ベンケリシュの迷宮に挑む冒険者の戦奴は死 亡率が高いので有名です。魔物への盾として、場合によったら囮と して使われることも多いと聞いていました。だからバルドゥックで もそれは一緒だろうと思っていたんです。きっと俺はバルドゥック の地下で買われた相手の代わりに魔物に食われて終わるのか、って 思ってたんです﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁ですが、俺はご主人様に買われて幸運でした。上等な剣もご用意 していただけましたし、鎧までご用意して貰えます。そればかりか、 常に一番危ない先頭を行くのだと思っていたら、きっちりと交代し て貰えています。あのイモムシの魔物の直前に私を抑えて先頭を行 1200 っていただけたのには驚きました。何が待ち受けているか判らない、 恐ろしそうな大きな広間に向かうのに、ご主人様自らが一番危険な 先頭を往かれるのです。私は驚いて口が開きっぱなしになっていた 程です﹂ 後ろなんかいちいち振り返ってないから知らないよ。 ﹁そして、あの強力な魔法の連発であっという間に魔物を屠ってし まわれました。ご主人様、どうかお聞かせください。何故私を買わ れたのでしょう? ご主人様ならお一人でも迷宮に入れる実力をお 持ちだと思います。私にはそれが不思議でなりません﹂ ﹁⋮⋮何度かズールーにも心配して貰ったように、俺の魔力だって 無限にあるわけじゃない。一人で出来ることなんか限界があるんだ﹂ ﹁ですが、ご主人様ならたったお一人で何十人もの騎士を相手取る こともできそうな気もしますが⋮⋮﹂ ﹁ああ、状況が許すならそういうことも出来るかもしれないな。数 人づつ順番にかかってきてくれるとか、迷宮の中とかで大きく人数 を広げ辛いような狭い場所でなら何とか出来なくもないだろうな。 だが、今日の大きな部屋みたいな場所や外なんかだと大人数を相手 するなんてとても無理だ。それに、さっきも言ったが魔力もいつか 尽きるし、剣だって永遠に振れる訳もない。飯も食わなきゃならん し、寝ないと丸一日も持たないだろうよ﹂ 継戦能力は言った通りだが、百人やそこら程度なら野外だって土 で埋めるなり何なりすれば何とかなるだろう。 ﹁⋮⋮確かに、そこはご主人様の仰る通りです。私が何十人もの騎 1201 士を相手取るなど申し上げたばかりに、私の申し上げたい事とはい ささか異なる方向に進みましたが⋮⋮。いや、私の申し上げたかっ た事など今のお返事で小さな事だと少しわかった気がします﹂ 恐らく、迷宮の、少なくとも一層では奇襲にさえきっちりと用心 を払っていれば俺は苦戦することなくモンスターを相手取れるはず だ、とズールーは言いたかったんだろう。ズールー自らの例え話に 乗っかる形でわざと別の答えを返した俺はなんなんだろうね。でも、 自分の奴隷にさ、お前を買ったのは盾役が欲しかったからだとは言 えないじゃんよ。いや、言っても良いのかも知れないけどさ。なん か嫌じゃんか。 しかし、ズールーが初めて見せる真剣な問いかけの表情に、今可 能な限り誠実に答えてやりたい。 ﹁ズールー。お前はひょっとして、自分がお荷物になってやしない かと心配なのか? もしそうならそんな考えは今すぐ捨ててくれ。 確かに、お前は今のところ正面から戦えば女のラルファにすら勝て まさ ない。だが、それが何だと言うんだ? 永遠に勝てないままなのか? それに、直接剣で勝てないなら何か別のことで優ればいいだけだ ろう? お前は一生今のままの力なのか? だとしたらお前は主人 である俺に無駄金を使わせたということになるぞ。まぁ、もしそう なら単に俺に人を見る目がないだけなんだとも言うけどな﹂ ズールーはテーブルに並んだ料理を見つめながらじっと俺の話を 聞いていたが、しっかりと俺の目を見て答えた。 ﹁ご冗談を。安い買い物だったと証明してみせますよ﹂ ﹁うん、そうこなくちゃな。明日も朝から迷宮に入る。今日はしっ 1202 かり食って休んでおけ﹂ 俺はにやっと笑うと豚の串焼きを口に運びながら言った。 その後食事が終わったら晩飯は全員で今朝飯を食った飯屋に集合 だと言ってズールーの背嚢を彼に渡すと俺は店を出た。 1203 幕間 第十四話 千草隼人︵事故当時27︶の場合︵前書き︶ 今回は今までと違って本当に胸糞悪い部分があります。胸糞レベル 特A級です。 胸糞悪いことが嫌いな方は今すぐ戻ってください。 1204 幕間 第十四話 千草隼人︵事故当時27︶の場合 ついてない。全く俺はついてない。千草隼人はそう思って過ごし てきた。学校の勉強だけはそれなりの成績だったので都内のそこそ こ名の通った私立大学を卒業し、就職には相当苦労したものの、ま ぁ二流と言っても馬鹿にされないような会社に勤めていた。その会 社も昨年一杯で退職してしまったが。 彼は幼少時から少し大人びた性格で物覚えも良かったので、親や 親戚からは神童と持て囃された時期もあった。また、顔立ちも良い 方であった。その為か生来プライドが高く、学校の級友など周囲の 人間の実力を低く見ることが多かった。別に体格は悪いわけではな かったが成長するにつれ、運動からは遠ざかり、本を読んだりゲー ムをして過ごすことが多かった。 別段努力しなくても良い成績を取ることが出来たので高校に入学 するまでは優等生と言っても良い成績だった。しかし、高校からは 生来持って生まれた優秀な素質だけでは通用しなくなり、仕方なく 勉強したが、思ったほど好成績を修めることは出来なかった。﹁自 分は真剣にやりさえすれば出来るのだ﹂という根拠のない自信が後 押しし、それでも真剣に勉学に取り組むことはなかった︵本人にし てみれば真剣に取り組んでいたつもりではあったのだが︶。 高校の間で親友と呼べるくらい親しい友人はついに出来ず、表面 的な付き合いに終始してしまったのは、やはり心のどこかで相手を 低く見てしまう悪癖が身に付いていたからにほかならず、相手の欠 点ばかりを指摘するような人間になってしまっていた。運動系の部 活動に所属し、努力する人間を﹁脳筋﹂と言って憚らず、ひたすら 1205 漫画やゲーム、小説など自分の趣味に耽溺していた。 また、どんな優秀な学校にもある程度いる素行の悪い連中につい てはDQNと呼び、あからさまに見下してもいた。当然その中でも 頭の良い連中には成績でも後塵を拝していたのだが、すぐに喧嘩な ど暴力に訴える性格を嫌い、蔑んでいた。だが、十代半ばから後半 の年頃の子供たちの間で一番物を言うのは腕力であり、リーダーシ ップであることも心の底では理解していたので、密かに羨ましくは 思っていたのだが、本人は絶対にそれを認めることはないであろう。 何しろ、隼人は子供の頃から他人と殴り合いの喧嘩など一度として したことのない臆病者であり、そのコンプレックスを周囲に誤魔化 すために﹁どんな理由があっても暴力に訴えるのは最低の行為だ﹂ と表向き正当と取れる発言で喧嘩を避けていたに過ぎないのだから。 そんな中で何とか中の上程度の規模だけは大きな大学に入学でき たのは僥倖と言えるのだが、本人は不満に思っていた。大学では高 校時代よりも更に人付き合いが減り、顔見知り程度の友人とも呼べ ないような奴らとたまに飲みに行くことくらいはしたが、深い付き 合いに発展することもなかった。当然女性と付き合ったことなど一 度もない。 就職出来たのも何かの間違いと言っても過言ではないくらいの出 来事だったのだが、その幸運を感謝することもせず、自分を書類審 査だけで選考から落とした大手企業を﹁人を見る目がない﹂と言っ て蔑み﹁その会社の人事担当者が能無しだったために俺は選考から 漏れた﹂と思ってすらいた。勿論、理系の学部ではなかったので、 内勤の事務職か営業、または物流関連の部署くらいでしか使いよう もないのだが、履歴書には研究開発職種を志望、と書いているあた り、いっそ哀れですらあるが、本人は﹁俺は真剣にやりさえすれば 何でも人並みには出来るはず﹂という、相変わらず根拠のない自信 1206 がそうさせていた。 このように奇怪に歪んだコンプレックスと他罰的な傾向の強いま ま年齢だけは大人になってしまった彼が社会に出ても上手に世の中 を渡っていけるはずもない。何十社も履歴書を送り、面接を繰り返 し、そういった中でだんだんと落ちていく希望する会社のランクや、 職種に糸目もつけずにひたすら行った就職活動の最中、やっと就職 出来たにも関わらず、上司と上手く折り合いをつけることも出来ず に勢いで退職願を叩きつけてしまったのだ。 勿論、隼人の上司に全く責任が無いとは言えないであろうが、こ ういった場合、九割以上が本人の責任だ。折り合いをつけるのは目 上の人間ではなく、目下の人間が折れるのが当たり前だ。だが、就 職し、安定した生活を送れていた数年間でまた生来の性格が頭を持 ち上げてきていた。﹁人間は皆平等だ﹂とか﹁仕事もろくに出来な い上司に頭を下げるのは嫌だ﹂﹁ブラック企業は労働基準法違反﹂ などと本来の性格をネットで仕入れた俄知識で補強を重ね、こうい った現実とは乖離したことを再び本気で思い込み始めていたので、 上手く社会生活を送れようはずもない。 こんなことを考えている人間はそれを口に出したりはせずとも、 ある程度人生経験を積んだ人間から見れば大きな考え違いをして、 澱のように不満を溜め込んでいることなど一目で見通されるものだ。 当然仕事でも良い結果を残すことなど出来ようはずもない。当たり 前のように評価は最低線を辿っていた。しかし、千草隼人だけがそ の評価に対して不満を感じていたことも事実であった。 あまた ﹁俺は優秀な人間。まだ本気を出していないだけ﹂と思い込み﹁ こんな俺のことを不当に評価する会社なんざ辞めても引く手は数多 だ﹂と勢い込んで退職したのだが、2014年末で退職して以降、 1207 再就職の見込みは未だ立っていない。つまり、今までの人生のどこ かで﹁俺の能力は良く言っても普通。やっと就職できたのだから何 としてもこの会社で生き残れるよう、努力を継続するしかない﹂と 思い直して真面目に仕事に取り組み、会社の言う多少の無理くらい は素直に聞いておけばこれからの人生も大過なく過ごせたであろう。 そんな簡単なことにすら気づかないまま27歳になってしまったこ とこそが﹁ついてない﹂出来事であることに気付かなかったのが彼 の不幸であったと言える。 今日も再就職の面接に出向いていたのだが、面接では面接官の人 事担当者のねちっこい質問につい癇癪を起こしそうになるのをよう やっと堪え、なんとか愛想よく受け答えできたと思っていた。今日 は昼食をまだ摂っていなかったので、バスの終点である新宿駅周辺 で何を食べようかと思いを巡らしている最中、本当に﹁ついてない﹂ 出来事が身の上に降りかかって来る事になった。 ・・・・・・・・・ あっという間の出来事だった。今日の昼飯のメニューをバスの座 席でぼーっと考えていたら、大きなショックを受け、すぐに体に鋼 材のような何かが突き刺さって昇天してしまった。何が起こったの かすら把握する間もなかった。 ︵ああ、本当に俺の人生はついてねぇなぁ︶ 呼吸もろくにできず体が締め付けられるような苦しみの中、千草 1208 隼人は相変わらず愚にもつかないことを思っていた。まぁこれを責 めるのは酷と言えよう。とにかく他の事故当事者と同じく、彼はオ ースへと転生した。彼が転生したのはロンベルト王国の南の方にあ る男爵が治める街だった。その男爵に仕える平民が所有する街外れ に住む農奴の三男として千草隼人は新たな生を受けた。 当然何がどうなっているのか理解できようはずもないまま、感情 の高ぶりを抑えきれずに大きな声で泣き出してしまう。どうにかこ うにか僅かながら状況を掴めたのは生後半年くらい経ってからのこ とだ。自分は何故かは解らないが赤ん坊から人生をやり直している らしい。そして、人生とは言ったものの人ではなく、漫画や小説に でてくるような亜人として人生をやり直しているらしいことも理解 できた。新たに付けられた名前はベイレット・デレオノーラ。通称 ベイルだ。 話されている言葉は何語かさっぱりわからなかったが英単語も含 まれているらしいので少しだけ安心した。知っている単語だけを聞 いていても若干ではあるがなんとなく意味はわかる。とにかくコミ ュニケーションを取るには言葉を覚えるのが先だろう。まずは周り で話されている会話について耳を傾ける。 そうこうするうちに更に一年ほどが過ぎ、ついに執り行われる命 名の儀式。そこで冗談のような奇怪な出来事を目にする。ステータ スオープンだ。その後誰にも見られていない時に自分にステータス オープンをかけて驚愕する。特殊技能に固有技能。特殊技能は﹃超 聴覚﹄。固有技能は﹃高機能消化器官﹄。なんだそれ? と思った バニーマン が誰に聞きようもないので、放っておくしかない。食事の時にでも 試してみようか。﹃超聴覚﹄は自分の種族である兎人族の種族特有 の技能なので聞いたことも使ったこともある。あれと同じように意 識してみればいいのだろう。 1209 早速その日の晩飯の際に試してみた。﹃高機能 消化 器官﹄な のだから食後に試すのが適当だろう。食事を食べさせて貰った後に 試したら驚いた。満腹だった腹があっという間に空きっ腹になった と思ったら直ぐに眠くなってしまった。暫く食事のあとに使ってみ るのも良いかも知れない。食って寝るのが赤ん坊の仕事だし。ベイ ルはそう考えるとその日は眠気に逆らわずに直ぐに眠りに入った。 彼の両親は食事が終わると同時にすやすやと寝息を立て始めた息 子に安心した。いつも食事中はむずかり、泣くのが常だったのだ。 食事が終わってもげっぷと共にかなり長いあいだ起きていることが 多かったのだがこの日はいつものようにあやす必要がないことにホ ッとしてすらいた。 ・・・・・・・・・ オース それから数日後。ベイルは再び驚愕することになる。夢の中で神 に会ったのだ。事故の犠牲者がこの世界に転生させられたこと。転 生させられたものはそれぞれ固有技能を授けられていることなど、 一通りの説明を受けた。そして、15分だけ許された質問の時間。 もう何をしても絶対に元の人生には戻れないこと。ここは地球では ネームド ないこと。﹃高能力消化器官﹄の能力の簡単な説明。ステータスオ ープンや命名に始まる多種多様な魔法。魔物。亜人。奴隷制度。最 下級。封建制度。あっという間に時間は過ぎ去った。夢かとも思っ ていたのだが、覚醒後の目の前に浮かぶ人を小馬鹿にしたようなウ インドウ。 1210 夢ではない。現実だ。一瞬だけワクワクしたのも束の間、すぐに 自分がこの世界の身分制度では最下級の奴隷であることを思い出す。 感情が制御できずに泣き出した。 固有技能を家族に打ち明けようかとも思ったが、どうやらステー タスオープンでは見えないらしいので黙っておいた。打ち明けたら 打ち明けたで、食事の量が減らされそうな気もした。だから固有技 能については秘密にしておくことにした。神とあった後でステータ スオープンをしてみると固有技能のレベルが1になっていた。暫く すると2になった。これがレベルアップというやつか。考えてみる がそれが正解かどうかなんてわかりっこない。 ・・・・・・・・・ 数年が経った。 ベイルが五歳になる数ヶ月前、村にやってきた奴隷商に売られた。 その年、村は不作であり、村中が貧困にあえいでいた。不満であっ たが仕方のないことだし、おそらく﹃高能力消化器官﹄のおかげで 少量の食料でも健康的には全く問題がなかったベイルだけが買取の 対象になったのだ。それよりも農奴としてこのまま一生をこの村で 過ごすことを考えると気が狂いそうなくらいであったベイルは不満 を口にしながらも内心では喜んですらいた。 売られた先は国王直轄領であるバルドゥックの街の革商だ。そこ 1211 なめ で獣から取れた革を鞣す仕事をするのだそうだ。馬車に乗せられ連 れてこられた先で聞いた仕事内容は出身地で農業をやっていた方が 余程ましと言えるものだった。革を鞣す作業は力も使うしミョウバ ンなどの薬品も使う。子供なので最初は小間使いのような扱いだっ ひび たのが唯一の救いではあったが、じきに大人たちに混じって自分も 革鞣しを本格的にやらされるのだろう。彼らのように手に皸を作っ て、大して多くもない稼ぎでたまに酒を飲んでは憂さを晴らす。そ んな人生を送ることになるのだろうか。 考えても絶望しか見つけられなかった。いっそのこと隙を見つけ て逃げ出そうかとすら思ったこともある。だが、行く当てなどどこ にもありはしないし、全くステータスを見られないで過ごすという のも非常に大変、どころかまず無理なことではある。だいたい、逃 亡したのであれば、その後の人生では絶対に奴隷階級から逃れるこ とは出来ないのだ。奴隷が契約書も持たずに単独で神社に来訪して も司祭は絶対に命名の儀式をすることはない。そして、正体が露見 した場合、逃亡奴隷として追われることになりかねない。 勿論、現実には確かに仕事は厳しいし、贅沢だって出来はしない が、奴隷でも革鞣しはそこそこ給金の良い仕事なのだ。真面目に働 き続け、贅沢し過ぎる様な事さえ無ければ主人の援助を元に家だっ て買える可能性すらある。何より革鞣しは職人と言っても過言では 無い仕事なので、品質のいい革を作ることが出来れば名前も売れる し、自分が作った品物目当ての固定客だって付く可能性もあるのだ。 現に、彼を所有している革商も今では50絡みの歳だが、出自は 奴隷だ。いいスポンサーが付き、自由民になれたのだ。その後も一 生懸命に高品質な革を供給し続け、金を貯め、手広く商売をするた めに平民の階級を買ったのだ。平民は軍人階級でもあるのでなるの は難しいと思われがちだが、都市部であれば領地を治める貴族に金 1212 を払って形だけ平民になることはそう無理なことでもない。但し費 用は最低でも金貨数十枚は必要になるが。それも腕のいい職人であ れば貯められない金額というわけではないのだ。 だが、生来、真っ当な努力というものをして来なかった彼にはそ んなに時間のかかる方法に挑戦する気力はなかった。こうなったら 刹那的に生きてやる、と思い始めるまでそう時間を必要とはしなか った。 ・・・・・・・・・ 更に数年が経ち、ベイルは十三歳になっていた。刹那的に生きる と言っても犯罪行為は怖くてできなかった。盗みは見つかったら鞭 打ちだし、割に合わないと思われた。強盗や殺人も同様だ。思い切 って道を外す勇気すら持てずに不満を抱えながら過ごしてきた数年 間だった。十歳からは本格的に革鞣しを行わせられ、ここ数年は子 供の体力で重労働を行っていたために常に疲労していたことも手伝 って、遊ぶような体力も残ってはおらず、仕方なく毎日毎日革鞣し を行っていた。 だが、それに伴って給金も上がったことが、ベイル自身にとって 良い出来事であったのかどうか⋮⋮。確かに彼は固有技能のおかげ で非常に少ない量の食事でも充分な栄養を吸収することが出来た。 従って、増えた給金も全て貯蓄に回せばかなりのペースで金を貯め ることが出来たのだ。 1213 酒こそ嗜むことはなかったが、先輩の奴隷に連れて行かれた娼館 にハマってしまったのだ。前世から妙に潔癖性なベイルは金で女を 買うことについて忌避感もあったのだが、犯罪行為に手を染めるよ うな刹那的な生き方が出来ないのであれば、どうせなら道を踏み外 してみるのもいいだろうと思ってしまったのだ。そしてそこで行わ れる一連の行為の虜になってしまうまで然程の時間を必要とはしな かった。最初のうちこそ先輩と一緒に行っていたが、そのうち一人 でも行くようになった。 別段、店の女に入れあげた、という訳でもない。ただ肉欲の虜に なっていたに過ぎない。金を払って良い女の時間を買う。その買っ ている時間は奴隷を所有することができるのだ。自分以外の誰かを 支配下に置くことの快感はベイルの人生観を変えるには充分過ぎる ほど大きな衝撃を与えた。ベイルはすぐに思った。ああ、前世で風 俗店に入れあげていた奴らはこの快感を知っていたのか、と。当然 これは思い違いも甚だしいのだが、前世では女性と付き合ったこと もなく、風俗店に行ったことすらなく、大学や会社での少ない社交 経験でも意図的にそういった話題から遠ざかっていた彼には比較し ようもない話ではあった。 とにかく、ベイルは女を買い、買った時間中、女を自分の下に組 み敷いて無理やり犯し続けることに耽溺した。当然だがなけなしの 貯金などすぐに底をついた。大して高級とは言えないレベルの娼館 ではあるので料金は知れたものではあったが、幾ら何でも毎日のよ うに通っていたら当たり前である。 金に困ったベイルはついに犯罪に手を染めることになる。盗みは 見つかる可能性が高いと思われた。ここバルドゥックの街でも何ヶ 月かに一回くらい、犯罪者の裁きが行われている。大抵は食い詰め た冒険者が盗みを働いたり、獲得した財宝の分け前をパーティ内で 1214 揉め、殺めてしまったりなどだ。どう考えても自分より荒事に向い ていそうな冒険者達でも盗みが発覚しているのだ。自分に出来ると は思えない。 ちょくせつ とすると、どうしたらいいのか? 考えあぐねたベイルが直截的 な行動に出るまでには流石に半年以上の時間を必要とした。最初は もうすぐ十四になろうかという一月半ばの冬の晩だ。一人で酒場か ら出てきた千鳥足の女の後を密かに着け、人目がなくなったところ を見計らって襲ったのだ。後ろからいきなり猿轡を噛ませ、刃物を ちらつかせながら人気のない建物内に引きずり込んで思う存分に欲 望を叩きつけた。 商売女とは違う新鮮な反応はたった一度の行為ですっかりベイル を虜にした。あまりの快感に何度も絶頂を迎え、精神的にも充足し た気分になった。最後にボロくずのようになった女の首を絞めなが ら行為に及んだのだが、恐怖に歪んだ表情と涙、その持ち主を征服 し、蹂躙しているという背徳感。気も狂わんばかりの快感であった。 そして気がつくと多少ではあるが力が漲った気もする。女の死体は 予め用意しておいた頭陀袋に詰めて、しっかりと口を縛ると重石を つけて街の中にある池に沈めた。 それから暫くはびくびくと怯えながら暮らしていたが、ベイルの 犯行であるとは露見しなかった。死体が発見されたとの噂も聞かな かったので女の出自は未だに不明だ。大方酔っ払った初心者の冒険 者だったのだろうとアタリをつけた。確かに、バルドゥックの街に は冒険者は沢山いるし、街に定住しているわけでもない。迷宮に挑 み、帰って来ない者は後を絶たず、一人二人減ったところで気にす る者はそうはいまい。 時は過ぎ三月も近づいたある晩、ベイルは二度目の犯行を行った。 1215 今度は用心して予め狙いを決めていた。間違っても実力の高いベテ ランの冒険者を襲う事のないように、新しく街に来たばかりの冒険 者に狙いを定め、慎重に一人になるのを待ったのだ。今度も上手く もたら 事を運ぶことができた。新たな犯行によって得られた快感は前回を 上回るほどの凄まじいまでの充足感をベイルに齎した。彼女の所持 金は金貨こそなかったが数十枚に及ぶ銀貨や銀朱を得ることが出来 たという、副産物までついてきた。久々に娼館に行ってみたが、二 人の女に対して行った時ほどの快感を得ることは出来なかった。 これが発覚したら手足を切り落とされることになるのだろう。だ が、そういったリスクを背負ってこそ得られるものは大きいのだと 自分に言い聞かせた。四月の半ば、また新たな犯行に成功した。今 度は美しいエルフの娘だ。黒髪だが綺麗な青い瞳、すっと鼻筋の通 った整った顔立ち。小さいがぷっくりと膨らんだ真っ赤な唇。そこ に浮かぶ嫌悪の表情。その表情が次第に絶望へと変わっていく様。 それら全てがベイルにとって甘露であった。流れ落ちる珠の涙を 舐め取り、青い宝石のような美しい瞳に舌を這わせ、尖った耳に歯 をたて、抵抗できないように縛り付けた肢体を汚す興奮は何ものに も代え難いものであった。惜しむらくは声が出せないようきつく締 めた猿轡であったが、流石にこれだけは如何ともし難い。 三度に及んだ犯行はベイルの精神を安定させることになった。溜 まっていた不満はいつしか消え去り、仕事にも熱が入るようになっ た。主人は熱心に革を鞣すベイルを見て顔をほころばせている。不 思議と仕事でも充足感を得ることが出来ることにベイルは驚いたが、 やはり自分は他人とは違い特別な星の下に生まれてきたのだと納得 した。 そんな五月の頭。新たに街に流れ着いた冒険者らしき女の姿が目 1216 バニーマン バニーマン に入った。黒髪の兎人族だ。顔立ちはどことなく前世の日本人を思 わせる。そうだ、俺はまだ同種族である兎人族といたしたことはな かったな。同種族であれば妊娠を匂わすことで更なる恐怖の表情を 見せて俺に大きな快感を味あわせてくれるだろう。次のターゲット はあの女がいい。 バニーマン まえ 今までの女と違って見たところまだ十代前半だろうが、豊満な体 付きが特徴の兎人族なだけあって発育は良さそうだから前回のエル フと違ってがりがりの痩せっぽちの肢体ということもあるまい。あ の柔らかそうな肉に跡がつくほど歯を立て、そこを舌先でてろてろ と舐めて癒してやりたい。いや、いっそのこと体中の噛みごたえを 愉しむのもいい。一口くらい噛みちぎって目の前で咀嚼してやろう。 きっと今まで食べたどんなものよりも美味であろう。 あ、そうそう、すっかり忘れていた。魔法を使われたらまずい。 今まではたまたま魔法が使えなかった相手ばかりだった。俺とした ことが、ステータスの確認を忘れていた。怪しまれないように近づ き、ステータスを確認する。犯行はそれからだ。まずは彼女の行動 パターンを把握したほうが良いだろう。 時間をかけて彼女の行動を観察しているとすぐに気がついた。ど うやら人を探しているらしい。そして、同時にもっとずっと大切な ことを確信した。彼女は俺と同じ日本人だ。セマヨースケという男 を探しているらしい。どういう字を書くかまでは分からないが、セ マヨースケというのは日本人の名前だろう。恋人か兄弟か、はたま た家族かは知らないがあれは男の名前だろう。 これは良い情報を得ることが出来た。いつものように不意をつい て捕らえるのではなく、俺がセマヨースケになればいいのではない だろうか? そう思った。そして俺をセマヨースケと信じるなら、 1217 俺を買い取らせて奴隷階級から解放させることも容易だろう。もし もそこまでの金がないのであれば⋮⋮。そう、セマヨースケのまま 日本語で楽しむことができるかも知れない。 日本語で脅し、日本語で恐怖を煽る。そして好きな男のいる女を 組みしだく。ああ、想像しただけで達してしまいそうだ。もう奴隷 階級からの解放なんてどうでもいい。俺をセマヨースケと誤認させ れば怪しまれずにステータスも確認できるだろうし、二人きりにな ることも容易いだろう。魔法さえ使えないことが確認できればそれ でいい。多分使えないと思う。日本人なら俺と同様にあの事故の犠 牲者なのだろう。と言う事はまだ十四歳のはずだ。成人前だから魔 法の修行なんか始めていないはずだ。 信じていた相手に拘束される。その時点で俺の正体を明かしてや ろう。抵抗出来ないようにしてから思う存分楽しめばいい。誰かに 想いを寄せる女を味わうのはきっと最高だろう。セマヨースケの名 を呼ばせながら、肉体だけでなくその精神までをも同時に味わうこ とができるのだ。ああ、これはあれだな。折角だから街中ではなく て出来るだけ町外れまで行った方がいいだろう。そうすれば猿轡を 外しても誰も気がつかないだろうから、視覚と触覚、臭覚や味覚だ けでなく、ついに聴覚でも楽しむことが出来るはずだ。ちらと考え ただけで体の中心部が熱く脈打ってくるのがわかる。 そうと決まれば場所の用意をしておく必要がある。数日間、いや いや最低でも数週間は楽しみたい。その間俺たち二人が過ごす為の 快適な空間が必要だ。街を囲むクレーターのような尾根の外側の森 の中に野営地を作るか。仕事が終わってから毎晩通うのは面倒では あるが、小さな面倒事を厭っていては大きな糧を得ることも出来な いのだから。冒険者の多い街だから野営用のキットなども手に入り やすい。金も幾らかあることだし、ここはいっちょ高級な天幕でも 1218 用意しておいたほうがいいだろう。 ベイルは以前の犯行で手に入れた金を使ってある程度高級な天幕 を購入した。天幕をカモフラージュする為の網や獲物を縛り付ける ための丈夫なロープも購入した。本当はテーブル等も購入しその上 に縛り付けたいのだが、流石にテーブルを背負って街中を歩くのは 憚られる。目立つし、誰かの記憶に残りそうだ。そして、街の外ま で足繁く通い、丁度良い場所を見つけるのに一月程の時間をかけた。 丁寧に下準備を行ったのだ。全ては至高の瞬間を味わうためだ。 ・・・・・・・・・ ﹁今日の夕方、街の外、北西の尾根で一番高いところに来てくれ。 セマヨースケがそこで待っている﹂ 必ずそう伝えてくれと何度も念を押した。7442年6月4日の 午後、ある飯屋でのことだ。適当な男に茶を奢り小銭を握らせ伝言 を頼むベイルの姿があった。男が店を出て行ったのを見届けたベイ ルは、熱に浮かされたような上気した顔で舌なめずりをしながら立 ち上がると下履きに手を突っ込んで中身を揉みほぐしながら店を出 て行った。 1219 幕間 第十四話 千草隼人︵事故当時27︶の場合︵後書き︶ 最初のベイルの犯行時に、力が漲ったのは比喩ではなくレベルアッ プです。 1220 幕間 第十五話 土屋良太︵事故当時51︶の場合︵前書き︶ 今日も胸糞悪いよ。ごめんね。 1221 幕間 第十五話 土屋良太︵事故当時51︶の場合 その日は忙しかった。午前中に自分が経営している病院で手術を 一件。午後は母校の学会に出席することになっていた。いつもなら 車で移動するのだが、今日に限っては余裕のないスケジュールのた め、電車での移動を余儀なくされていた。確実に遅刻しないために は駅まで車で送ってもらい、そこから電車で移動することを選択し たのは自分自身だからそこに文句はない。 それに、電車なら暫く眠ることもできるだろう。最近忙しくて睡 眠不足が続いていたし、数十分でも休めることは俺にとってでかい。 寝ている間に何故か子供時分から今に至るまでの夢を見た。内容 は切れ切れで連続はしていなかったが、夢を見ながら、ああ、これ は夢なんだなぁとぼんやり考えていたことを覚えている。小さな頃 遊んだ幼馴染の女の子や、小学生の時に出会った悪友。中学生の初 恋の相手。必死に勉強した高校生の頃。晴れて大学へ入学したのは いいが、勉強に追いまくられた6年間。インターンで行った救急病 院での寝る間もろくになく、目も回るほどの忙しさ。結婚。息子と 娘の誕生。彼らの成長を見守る自分と妻。 ・・・・・・・・・ ああ、まるで走馬灯のようだなぁ、と思っていたら本当に走馬灯 1222 だったとはお釈迦様でもご存知あるまい。いや、あるのか? とにかく、最初は一体どうしたのか、何が起こったのかすら把握 出来なった。あれを把握できるようなら、それは人間を超越した何 か別の存在だろう。いや、単に私が眠っていたから把握出来なかっ ただけなのだが。先頭車両に乗っていた私は、車両の減速時のスキ ール音と慣性で目が覚めたと思ったら同時に横腹に衝突してきた別 の乗客に気を取られていた。その直後何かにぶつかって死亡したこ とまでは認識していた。体を貫く大きな金属を目にした時には、ま ず助かりそうも無いことだけは解っていた。 しかし、この状況は助かったのだろうか? 声を上げようにも、言葉にならず、呻き声の様な、泣き声の様な 甲高い叫び声にしかならず、視界はぼんやりと靄がかかったように ぼやけている。体も上手く動かせない。聴こえてくる言葉も聞きな れない外国語のようだ。だが、英単語も混じっているように聞こえ るから英語でコミュニケーションも取ることは可能だろう。まとも に喋れないし、妙に眠い。どうせ怪我人なのだ、普段休めない分、 こんな時くらい寝てしまってもバチは当たらないだろう。 ・・・・・・・・・ 数日から一週間ほどで状況は把握できた。とても信じ難い事だが、 私は意識と記憶を保ったまま他人の体にいるようだ。多分新生児だ ろう。冷静にあの時の状況を思い出してみる。 1223 キキーッ! と大きく響くスキール音と体に掛かった制動時の大 きな慣性によって私の体は腰掛けていた電車の椅子の端に押し付け られた。そこに幾つか隣︵進行方向に対しては私より後ろになる︶ に座っていた乗客が慣性に耐えられなかったのだろう、私の横腹に 頭から突っ込んできたのだ。 あの突っ込み方や制動時にかかった慣性から考えて時速60∼8 0kmくらいの速度からの急減速でもあったのか。勿論自分の体感 でどれくらいの慣性がかかったかなんて覚えているはずはない。隣 に座っていたと思しき人までの距離とその人の体格を普通の大人と 仮定した時の体重などから計算したに過ぎない。 あの勢いで急制動をかけるのであれば何か緊急事態だったのだろ う。線路上に立ち往生した車との衝突回避だろうか? しかし、結 果的には衝突は回避されず、モロにぶつかったと思われる。何しろ、 私が覚えている最後の光景は電車か車の構造材であろう板状の金属 板によって、丁度私の二の腕くらいの高さで左側から胸の中心くら いまで切り裂かれていた光景だからだ。 どう考えても心臓は破壊されているし、よしんば心臓が無事だっ たとしても左肺は完全に使い物にはならず、大動脈など重要な血管 は切り裂かれていたはずだ。手の施しようがないことはすぐにわか る。 唸るほど沢山の未練はあるが、仕方ない。私は死んだのだ。あの 場に医療関係者が駆けつけてくるまで早くても10分以上かかるだ ろう。運良く病院のまん前だったとしても大した違いはない。五体 満足な私が充分な医療器具を持ってあの場にいたとしてもあの状態 の私を助けられるとはとても思えない。 1224 オカルトじみてはいるが輪廻転生や、憑依など過去に世界中で報 告されていたような不思議なことが起きたのか。ひょっとしたら研 究すら出来るかも知れない。何しろ、それを証明する最高の証拠が 私なのだから。 小児医療は専門外なので詳しくは分からないが、いろいろと脳の 発達や、身体組織が未発達な状態で新生児は生まれてくる。勿論、 完成形に近いのではあるが、完全に発達は仕切っていない。これは 発育とはまた別の問題で、生後半年くらいまでは実は新生児は完全 な人間になる一歩手前くらいの状態だと言っても過言ではない。 喋ったり、見たり、感じたりなど、脳や神経系などが完全に発達 し切っていないため、上手く体を動かせないのだろう、と見当をつ けた。これは貴重な体験だ。本当は全てにおいていちいち記録をつ けたいくらい大変に重要で貴重な経験だ。特に医者である私が経験 出来ているというのも素晴らしいことではないだろうか。 ・・・・・・・・・ 半年ほどが経過し、随分と思い通りに体を動かせるようになって きた。傍に誰もいない時にこっそりと喋る訓練もしてみたが、そろ そろ声帯への神経系は発達しているはずなのにまだ上手く喋ること ができないのがもどかしい。全く喋れないわけではないが。何故だ かは分からないが感情も上手く制御できない。今のところそれ程手 のかからない赤ん坊以上ではないだろう。 1225 母親であろう痩せた女性の母乳を吸いながら、そろそろ離乳食の 時期だろうか? と考えてみる。最近、なんとなくではあるが乳の 出が悪いような気がするので離乳食の時期に入りつつあることが想 像できた。 ・・・・・・・・・ 更に一月くらい経過した頃だろうか。私は大変なことに気がつい た。気がついたときには大声を上げて泣き出してしまった。家の中 に人ではない何者かが侵入していたのだ。いや、ぱっと見には人だ。 だが、頭には動物の耳のようなものが見えるし、尻尾らしきものま である。それが痩せた父親と会話していた。母親に抱かれてリビン グ︵?︶へと移動した時に見かけたのだ。 なんだ? これは? 最初は今流行りのコスプレかとも思った。いい年した大人が何を やっているのだと思った。だが、あの尻尾の動きは猫そのものだ。 耳にはカチューシャのようなものなど付属しておらず、頭の本来耳 があるはずの場所には何もなかった。その男︵?︶は髪を短く刈っ ていたのでよくわかったのだ。耳がないからもみあげもない。刈ら れた毛が生えているだけだ。そして、どう見ても耳は頭から生えて いる。 興奮し、触りたかった。尻尾を動かすという感覚を聞いてみたか 1226 った。だが、興奮した私は泣き声をあげるばかりだった。その男︵ ?︶が落ち窪んだ眼窩で泣いている私を見て父親に申し訳なさそう な顔をして何か話しかけているのが印象的だった。 なお、私には正常な位置に正常な形の耳があることは確認済みだ。 当然障害を負って生まれてきたわけでも無さそうなことも確認して ある。だから、私は人間だろう。 ・・・・・・・・・ 今日は昼の授乳を忘れたのだろうか? 流石にそろそろ母乳も出ないだろうし、いい加減に離乳食にして 欲しい。 ・・・・・・・・・ 母親が私の顔を見て泣きそうな表情で乳を吸わせてくれる。 乳の出は悪い。 ・・・・・・・・・ 1227 まずいな、これは。 今日は朝から何も腹に入れてもらっていない。 夕方に少しだけ乳を吸わせてもらう。 出は非常に悪い。 だから、もう乳はいい。 離乳食に切り替えてくれ。 ・・・・・・・・・ 意図的に私に食事を与えないようにしているのだろうか? ひねた見方は良くないが、折角貴重な経験をしているのだ。 是非、栄養失調など起こさせないように気を配って欲しいものだ。 この体験を学会で発表できたら飛びついてくる医療ジャーナリス トは大勢いるのだから。 ・・・・・・・・・ 意図的に食事を与えられていないようだ。 まずい。 1228 自力で何らかの行動ができるほど発育していない。 何か訴えてみるしかないだろう。 english... 日本語、よし、たどたどしくはあるが問題なく喋れる。 speak NOP. can well, 英語、OK。I ah, この世界の言語。なんとか。腹が減っていることを訴えるくらい の語彙はある。 泣き声をあげる。これですぐに母親が来るはずだ。 ⋮⋮来ない。 思い切ってこの世界の言語で母親を呼ぶ。 ⋮⋮来ない。 日本語で呼んでみる。 ⋮⋮来ない。 英語だ。 ⋮⋮来ない。 何故意図的に食事を与えられないのだろうか。 自分なりに原因を考えてみるが、貧しくて自分にまで回す程の余 裕がないのだろうという、救いようのない回答しか得られない。 恐らく、母親も乳が出なくなったのでどうしようもないのではな いだろうか? 1229 急に抑えられないほどの恐怖感がこみ上げてくる。 泣き出した。腹が減った。 ・・・・・・・・・ もう何日も放って置かれている気がしないでもない。多分一日く らいだろうけれど。 声を上げてみても反応はない。 仕方なしに体力が尽きる前に移動を試みる。 何か口に入れられそうなものでも見つけられれば良いのだが。 そう簡単に見つけられる訳もなかった。 すぐに両親に見つかりもといた部屋に連れ戻されてしまった。 両親は泣いていた。 これは⋮⋮やはりそういうことだろうか!? 使える限りの言語で腹が減ったことを訴えようとしたのだが、感 情が爆発して泣き出してしまう。 1230 ・・・・・・・・・ 眠ったあとでまた泣き声をあげる。 体力を使い過ぎたのだろうか。 声に気力が伴わない。 まだ体が動くうちに部屋から脱出する必要がある。 ! 扉が開かない。 扉に手をついて立ち上がり、ハンドルを捻っても扉は開かない。 扉の向こう側に荷物でも置いているのか。 ・・・・・・・・・ 体がだるい。 1231 栄養失調の初期症状だ。 脱水症状も併発しているようだ。 赤ん坊はタンパク質と糖分がまず必要だ。 それ以前に水。 食べるものを与えることが出来ないならばいっそ殺してくれ。 扉の向こうに叫んでみる。 このまま干涸らびて死ぬのは勘弁してくれ。 糞。 本当に勘弁してくれよ。 ・・・・・・・・・ 体を動かす気力が湧かない。 扉の向こうを誰かが通るたびに思い切り声を張り上げる。 もう意味のある言葉を言うことも疲れた。 1232 目眩が止まらない。 ・・・・・・・・・ 目眩は収まったが、天井は回っている。 ああ、収まった訳ではないのか。 これが餓死するということだろうか。 せめて殺してくれ。 なぜこんなに苦しませる必要がある? もう声も出せない。 ・・・・・・・・・ 目がぼやけてきた。 腕一本動かすのにも大量に気力を必要とする。 1233 ああ、これで終わりか。 うなだ 静かになった俺と俺の部屋を感知したのか、今頃になって項垂れ た両親が部屋に入ってきた。 父母に抱かれ、リビングらしき部屋へ行った。 泣きながら私を抱きしめる母親も栄養状態が悪いのだろう。 そこまで理解して私の意識は途切れた。 1234 第二十三話 そこで待っている 7442年6月4日 ズールーと昼食を終えたあと、俺は腹ごなしに散歩でもするか、 その前に茶でもしばきに行こうかと少し考えた。今日はまだ日課の トレーニングをしていないから、散歩はしないで一服しようか。そ の後、ランニングでもすればいいだろう。腹がくちくなったので豆 茶を飲もう。もう豆茶には慣れた、と言うより実は結構気に入って いる。 俺は数分歩いたあと適当な飯屋に入り、豆茶とお茶請けの煎豆を 注文し、13Z也の大賤貨と賤貨を払うと椅子に浅く腰掛け、足を 伸ばした。器から湯気を立てるほど熱い豆茶を啜りながら煎豆を二 三、口に放り込むとボリボリと噛みしだく。口の中にローストした 豆の香りが充満する。煎豆の塩加減はちょうどいい感じで、これか らお茶時にはこの店を贔屓にしようかな、などと考えつつまた豆茶 を啜る。 昼過ぎだというのに結構混んでいるのはこの店の豆茶の評判なの だろうか。座れてよかったな。落ち着いたところで今日の迷宮での 出来事を順に思い出す。ノールの一団。ゴブリン同士の争い。スカ ベンジクロウラー。数々の戦利品。結果だけ見れば大満足だ。しか し、内実はどうか。結構歩き回った気もするがどうも聞いている話 からするとあれで迷宮の第一層のほんの一部分らしい。第一層の何 %位を踏破できたのだろうか? 数%だとすると第一層を踏破して第二層に到達するまでは毎日潜 1235 っても一月はかかるだろう。転移した先が重なったりしたらもっと 時間がかかることもあると考えたほうがいい。だいたい、数時間し か迷宮にいなかったというのにあれだけ神経をすり減らすのだ。毎 日休みなしで迷宮に挑むのも無理がある話じゃね? 週に二日くら いは完全に精神を休めないとどこかで致命的なミスにつながりかね ない。一週間は六日だから当分の間は二勤一休にするか。これから 先、三層や四層に向かうのであれば迷宮の中で野営するようにもな るだろうし、そうなった時には帰ったあとは数日休みを入れないと きついな。 何つったっけ? ほら、あのトップチームと呼ばれている五つの ベルデグリ・ブラザーフッド パーティだって十年選手がごろごろいるらしいし、そんな連中です らまだ五層を突破出来ずにいるのだ。俺が目にしたのは緑色団だけ だが、あのパーティのリーダーらしきエルフの年齢は39だった。 レベルも19とアホみたいな高レベルだったしなぁ。能力だけで考 えると、俺は三倍近い効率で経験値を稼げるし、レベルアップ時の 伸びも三倍だ。だから彼らが十年かかったのなら俺なら一年ちょい で追いつける計算になる。尤も、そのためには俺があと七人いると 仮定してのことになるのだけど。 いや、俺があと七人いても一年ちょいで追いつくのは無理か。彼 らと俺とでは決定的に経験が違う。一層に潜る回数まで九分の一に なるとは思えない。道を覚えたりどこに罠があるかなど経験でしか 覚えられないことは多いだろう。やっぱり地図買ったほうがいいか なぁ。金貨一枚分もしないから思い切って買うべきだろうか。今日 の稼ぎで買っても良いかも知れないよなぁ。罠がある場所さえ分か るなら迷宮の通路であそこまで気を張る必要もなくなるなら安いも のか。だけど、完全な地図なんて無いだろうしなぁ。気を抜けるよ うになる訳でもないのかなぁ。 1236 金あるんだから買えばいいじゃないかと思われそうだが、罠が記 入されている地図は一層だけのものでも80万Zだ。80万円だよ。 おいそれと買えるわけない。バークッドなら六∼七人の家族が一年 暮らしてお釣りが来るんだぞ。農奴の家族なら何家族暮らせるのや らだ。装備品まで含めたら軍馬が買えるほどの大枚をはたいてズー ルーを買ったばかりだ。それに、今回の迷宮での稼ぎはボーナス要 素が強すぎる。いつもいつもこんなに稼げるはずもないだろうしな。 もしそうなら一層だけでたった五∼六年頑張るだけで充分な資金が 稼げそうだ。一層には即死するような罠はまずないらしいから安全 に稼げるなら誰が二層以降なんぞに行くもんか。奴隷を買ったのす ら勿体無いわ。 こんなことを考えつつ豆茶を啜っていた。 ﹁⋮⋮ら⋮⋮全然⋮⋮で⋮⋮長剣を⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮け⋮⋮す⋮⋮けど⋮⋮相手も⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮それで⋮⋮た。⋮⋮と⋮⋮冗談を⋮⋮たんだ﹂ ﹁⋮⋮妙な⋮⋮こ⋮⋮それを⋮⋮馬鹿⋮⋮ははっ﹂ 店のあちこちから客の話し声が聞こえる。俺はぬるくなり始めた 豆茶を飲み干すとトレーニングのために席を立とうとした。 ﹁⋮⋮⋮⋮セマヨースケがそこで待っている、だ﹂ 俺の二つほど後ろのテーブルから聞こえた声が立ち上がりかけた 俺を押しとどめた。セマヨースケ? なんだ? どこかで聞いたよ うな? いや、聴き慣れたような? そっと後ろを振り返ってみた。 どうやら俺の後ろの冒険者らしき一団の会話が邪魔をして聞き取り バニーマン づらい。その後ろのテーブルには二人の男が座っており、なにやら 会話をしている。一人は普人族の男でもう一人は兎人族の男だ。だ 1237 バニーマン バニーマン が、兎人族の男の髪は黒く、顔立ちは日本人を彷彿とさせる。年代 は普人族の男は十代後半だろうが兎人族の男はどうも俺と同年代の 感じだ。オースではもっと年下に見えるだろうが、あれは十代半ば の日本人の顔だ。 ︻ベイレット・デレオノーラ/18/3/7434 ベイレット・ デレオノーラ/11/1/7434︼ ︼ ︻男性/14/2/7428・兎人族・ガンドール家所有奴隷︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:4︼ ︻HP:68︵68︶ MP:7︵7︶ ︻筋力:10︼ ︻俊敏:15︼ ︻器用:9︼ ︻耐久:8︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻特殊技能:超聴覚︼ ︻固有技能:高能力消化器官︵Lv.Max︶︼ ︻経験:13425︵18000︶︼︼ やはり転生者だ。セマヨースケというのは彼の元々の名前か。漢 字までは分かりようもないが、どこかで聞いたことがある感じがし たのもそのせいか。彼らはまだ何事か話している。俺は怪しまれな いように、自分のテーブルの中で対面に席を移すと鑑定を続けた。 ︻固有技能:高能力消化器官;非常に高い能力の消化器官。有機物 で毒性のないものであれば、およそどんなものからもほぼ最大限の 効率で栄養を摂取可能。それに伴い、排泄物の量も減る。摂食後に 本技能を使用することにより、消化器内にある自分以外の有機物を 1238 分解・吸収する。従って、常に本技能が働いているわけでないこと に留意せよ。なお、本技能には便宜上以外のレベルはない︼ なんとも⋮⋮。すごい⋮⋮のか? いや、すごいけどさ。生きて いくのであればこれ以上にないほど有効な固有技能であることは認 める。確か、食べたものから人間の消化器で吸収できる栄養は四分 の一から三分の一くらいだと聞いたことがある。極論を言えば三分 の一の量の食事で健康に過ごせることになるのか。いや、吸収しに バニーマン くい栄養素などを考慮すればもっと効率が良いことも考えられるな。 だけど⋮⋮なぁ? どうなのよ? 兎人族だけに普通の飯食っても 小さなまるっこいうんこが一個くらいコロンと出るのかしらん? 違うと思うけどさ。 会話にも耳をそばだててみる。距離があるのと間に煩いのがいる ことでよく聞こえない。かろうじて聞き取れたのは﹁今日の夕方﹂ ﹁北西の尾根のうちで最も﹂﹁来てくれ﹂﹁セマヨースケがそこで 待っている﹂これらを誰かに伝えてくれということだ。これらの単 語から推測できることは幾つかある。 まずは当たり前だがこの内容で理解できる相手が別にいることだ。 と、なると相手はこのセマヨースケだかデレオノーラだかの関係者 なのだろう。セマヨースケと言っていると言うことは、転生者であ る可能性もあるが、そこまではわからない。また、セマヨースケが こいつ自身のことを指しているのかも不明だ。だが、少なくともこ の伝言を聞いた相手はセマヨースケという人物のことを知っている 可能性が高い。オースにセマヨースケなんて名前がある可能性もあ るがどうもオースには似つかわしく、いや、ロンベルト王国には無 いと言ってもいい。 そうなると、この話に絡む人間は最小で三人。最大では何人にま 1239 で膨れ上がるのかはわからない。 一人は当然こいつ、デレオノーラだ。 二人目はセマヨースケだ。これはデレオノーラが兼ねている可能 性もある。可能性としては高いだろう。 三人目はデレオノーラに伝言を頼まれている男。単なるメッセン ジャーボーイなのか、関係者なのかは不明だ。 四人目はこの伝言を受け取るはずの奴。これが問題だ。一人なの か複数なのか判明しない。だが、何人であれこの中にはセマヨース ケのことを知っている奴が含まれている可能性が高い。 後考えられるのはデレオノーラ自身が誰かのメッセンジャーだっ た場合だ。その場合はもう複雑だ。それならデレオノーラの前にも 他のメッセンジャーがいないとも限らなくなるし、何人もの伝令を 介して伝言なんて内容は変わってしまう可能性も高い。これは除外 してもいいかな? 次に推測できるのはこの話、というか伝言の内容だ。どうも待ち 合わせの伝言のようだ。時間は﹁今日の夕方﹂。場所は﹁北西の尾 根のうちで最も﹂最も何だよ。オースの言葉だとこのあとに続くの は形容詞だ。ちなみに﹁北西の尾根のうちで最も﹂でも﹁北西の尾 根のうちで一番﹂でも発音は同じだ。意味は同じなのでどっちでも いい。うーん、前後の流れから言って普通なら﹁最も高い﹂か﹁最 も低い﹂だろうな。それ以外も考えられないこともないけれど、待 ち合わせならあまり複雑にするのもおかしいだろう。 あとは﹁来てくれ﹂﹁セマヨースケがそこで待っている﹂という 1240 からにはセマヨースケは夕方前にはそこに行って誰かが来るのを待 っているということなんだろう。 ここまで考えたとき、伝言を頼まれた男がデレオノーラから金ら しきものを受け取り、席を立った。どうする? この件には確実に デレオノーラという転生者が絡んでいる。今何らかのアクションを 取るべきだろうか? だが、いくら奴隷とは言え見ず知らずの男、 いや、見ず知らずではあるが日本人なのだから話くらいは聞いてく れるかな? しかし、夕方に街中ではなく街の周囲の尾根︵多分そ うだろう︶でわざわざ待ち合わせをするくらいだ。誰かに聞かれた くない内容かも知れない。 ここで俺が話しかけたら伝言を聞かれたと思って、引いてしまう 可能性も考えられる。趣味は悪いけど、転生者が絡んでいるなら、 とっとと先回りして話の内容を掴んで置いた方が後々便利かも知れ ない。ポジションを直しながら立ち上がったデレオノーラが店を出 たあと、俺はラルファ達が泊まっている宿に向かった。いなかった ら仕方ない。彼女とゼノムが立ち寄りそうな店を見てそれでも捕ま らないようなら俺一人で行くしかないだろう。おそらくまだ十四時 半くらいだ。 ・・・・・・・・・ 宿に行くと予想通りズールーがいたが、ゼノムとラルファはいな かった。彼女たちは今日ボーナスとして銀貨を渡した時に身の回り の物を買うと言っていた。俺はズールーに、 1241 ﹁すまんが今日の休みは無しだ。ラルファとゼノムを探す。もし一 時間以内で捕まえられなかった時は北西の尾根に行く道の入口で待 ち合わせだ。間違えるなよ。北西の尾根に行くから入口は街の真北 くらいだぞ。一番通りな。お前は衣料品店を探してくれ。俺は日用 品店を当たる。見つけたら二人もそこまで連れて来い。理由を聞か れたら俺とラルファに関係することだと言っておけ。あと一応剣を 持っていけ﹂ そう指示をして俺は日用品を扱っている商店の多い五番の道を目 指して走った。ズールーは衣料品店が多い八番の方だ。 俺が五番通りに着いてすぐにゼノムを見つけることが出来た。彼 は昼過ぎに別れた時の格好のまま珍味のような物を扱っている店先 を覗いていた。酒のつまみ探しかよ。あんた、ドワーフのくせにそ んなに酒に強い方じゃないんだろ? ああ、強い弱いの話じゃない よな、酒には弱いが好きなんだろう。 ﹁どうした? そんなに慌てて﹂ ﹁ゼノム⋮⋮まだ酒は飲んじゃいないようだな。すまんが午後の休 みは無しだ。ちょっと⋮⋮ああ、ゼノムには言ってもいいのか。転 生者が見つかった。手伝ってくれ﹂ ﹁ほう﹂ ゼノムの表情が改まった。この前言った転生者狩りのことでも思 い出したのか。 ﹁ラルファはどこだ?﹂ 1242 ﹁ラルファなら今日のボーナスで靴を買いに行くと言っていた。何 と言ったっけか、そうだ、ゴムの靴と言っていたな﹂ 10万Zぽっちじゃ買えないよ。ってかサンダルならぎりぎり買 えるかも知れないな。買えなくても不思議じゃないけど。 ﹁そうか、なら衣料品店の方だな、ならズールーを向かわせた。俺 たちは落ち合う場所を決めてあるから先に行こう﹂ ﹁これ、買ってからでもいいか?﹂ なんだそれ? 蛸の足の燻製みたいなものか。美味そうだな。 ﹁いいさ、好きなだけ買っていけ。俺も買うわ﹂ 日用品を扱っている店の多い中、一軒だけ珍味を取り扱っている 店があって良かったのか、悪かったのか。とにかく蛸の足の燻製を ひと袋、800Zで買った。ゼノムと一緒に一本口に入れガムのよ うにくちゃくちゃと噛んでみると、これがまた旨かった。熱燗欲し いな。 待ち合わせ場所まで歩いていくと既にズールーとラルファが俺た ちを待っていた。どうやら二人は走ってきたようだ。悪いな。ちゃ んとラルファの腰に手斧がぶら下がっているのが確認できる。 ﹁何で二人共口から蛸の足生やしてるのよ﹂ 初夏のいい天気の中、走ってきたであろうラルファが、ゆっくり と歩いてきた俺たちに不満げに言った。 1243 ﹁まぁまぁ、一本やるよ。食ってみろ。なかなか旨いぞ。ズールー もどうだ?﹂ そう言って一本ずつ太い足を渡してやったら黙った。な、旨いだ ろ? ﹁で、だ。これからの計画を話す。みんな、よく聞いてくれ﹂ 全員の顔を見回しながら言う。全員口から蛸の足が生えていて何 とも間の抜けた絵面だが、仕方ない。 ﹁今日の夕方、北西の尾根で、誰かと誰かが待ち合わせをしている。 その時話されるであろう内容を盗み聞きする必要があるんだ。回り くどい言い方ですまんがな⋮⋮。名前は一方しかわからない。一人 はセマヨースケという名前らしい﹂ 俺はラルファを見つめながら言った。 ﹁セマヨースケって⋮⋮男か。やっぱり、その⋮⋮﹂ 流石にラルファはすぐに気がついたようだ。ちらっとズールーを 見て遠慮がちに言っている。 バニーマン ﹁ああ、多分な。で、これも多分だが、そのセマヨースケは兎人族 の男だと思う。それから、待ち合わせの場所は多分北西の尾根で一 番高いか一番低いかのどちらかだと思う。多分多分ですまんが、北 西の尾根で一番、までしか聞き取れなかったんだ﹂ そう言ってまた蛸の足の生えた皆の顔を見回した。俺は更に言葉 1244 を継いだ。 ﹁待ち合わせている人数はわからん。一人づつなのか、複数同士な のかも不明だ。だから俺たちはふた組に分かれる。俺とゼノム。ラ ルファとズールーだ。万が一のことを考えて武器のリーチの差でチ ーム分けだ。あと、俺とラルファは別れる必要がある。理由はラル ファが解ればいい﹂ ﹃言葉の問題ね﹄ ラルファはすぐに解ったのだろう、日本語で言ってきた。話が早 くて助かる。あと、いざという時、ラルファの傍には戦闘力から言 ってゼノムのほうがいいかも知れないが、盾としてならズールーの 方が使い捨てできる分まだマシだと考えた。そこまで汲み取ってく れるなら言う事はないが、多分無理だろうな。これはズールーが判 っていればいいからいいけど。多分ズールーなら判っているだろう。 ﹁そうだ。この中では俺とラルファしか知らない言葉がある。相手 もその言葉を使って会話する可能性が高い。だから俺とラルファは 別々にする。あと、何が話されていてもどんなことが起きてもこち らから戦闘を仕掛けるな。姿も見せるな。聞いていることを気づか れるな。どれだけの力を秘めているのか全くわからん。いいな、絶 対にこちらから仕掛けるな。気づかれた場合にはまず逃げることを 考えろ。戦闘は本当に最後の手段だぞ﹂ ﹁わかった、ズールーもお願いね﹂ ﹁わかりました。こちらからは何があっても仕掛けません﹂ 彼らも真剣に答えてくれているが、蛸の足をくっちゃらくっちゃ 1245 ら噛みながらだと締まらないね、どうにも。 ﹁あとは時間だが、夕方、以外の情報はない。夕方、というからに は多分まだ日のあるうちだとは思うが、本当のところは日没前か日 没後かすらわからん。ある程度長期戦になる覚悟もしていてくれ。 ラルファとズールーは一番高い尾根で待ち合わせに使えそうな場所 の傍に身を隠せ。草木を被って偽装したほうがいいだろうな。俺と ゼノムは低い方の尾根だ。もし、相手の用が済むまで隠れ通せたな ら合流する。後の指示は合流してからだ。いいな﹂ そう言って締めると俺たちは尾根に向かって坂道を登りだした。 坂を登っている途中でラルファに蛸の足をせがまれたので袋ごと 渡してやった。 ・・・・・・・・・ 多分ここが一番低い尾根だ。北西部の一番高い尾根とは道沿いに 1.5Km近く離れている場所だ。ラルファとズールーももう到着 しただろうか? 遠すぎるし、尾根の外側は高さ5mくらいの森に なっているから、あの辺りかな? と見当をつけるくらいしか出来 ないので彼らの姿を見ることは出来ない。 そこには待ち合わせにはちょうど良さげな石がいくつかある。俺 とゼノムは相談すると石の裏、3mくらいのところに身を隠した。 今のところ誰も通らないので少し森の奥に入って枯葉を集めて来て 1246 それを被って寝転がって待つことにした。交代で眠ってもいいかも 知れない。 バニーマン 一応二人共石に腰掛けたりしてセマヨースケのように振舞ってみ た。多分これならそうそう気がつかれないだろう。兎人族は聴覚に 優れているが、特殊技能を使っていない間は普人族より少し良いく らいだから派手に身動きしなければ問題ないだろう。 ゼノムが石に腰掛けて独り言を言うのもよく聞こえる。俺がそう してもゼノムもよく聞こえると言っていた。うん。隠れ場所として は最適だな。じゃあ、交代で眠ろう。先に俺から眠った。 ・・・・・・・・・ 夕暮れが近づいた頃起こされた。すっかり西日になっており、尾 根の影になっているバルドゥックの街の西部は暗くなっているだろ う。俺たちが潜んでいるのは尾根を挟んで街の外側の方なのでこの あたりはまだ明るい。 交代したゼノムが寝息を立て始めた。だ∼れも通らない道をひっ そりと身を隠しながら監視するのも楽じゃない。寝っ転がりながら 情報を整理してみる。まず、北の尾根での待ち合わせ。これはいい。 それからそこで最も、最もの先が不明だ。俺は高さだと踏んだのだ が、最も眺めの良い場所とか、最も座り心地の良い石とかも考えら れないこともないが、それでは主観的すぎるし、待ち合わせ場所の 指示としてはあまりに不適切すぎる。待ち合わせの人がよほど近し 1247 い人同士で何度も一緒に来たことがあるなら別だけど。 だから、普遍的な価値である高さが妥当だと思う。あとは高低の 問題だけど、高い場所よりは低い場所の方が来るのが楽そうだから、 こちらのほうが確率は高いかと踏んだのだが、よく考えてみれば街 中から尾根に続く道は八本もある。北西の尾根に到着する一番近い 道を選んだが、この道を使って登ってくると決まっているわけでも ない。別の道を使って上り、尾根の上を通っている道を辿ってきて も不思議ではない。登山口、というか、上り坂自体を監視すること を止めた理由の1%くらいはこのせいだ。残り99%は会話内容が 聞きたかったからにほかならないし、出来ればその会話の中から日 本人の転生者を手下にできるようなネタを拾い上げたい、という気 持ちが強い。 まぁどっちでもいいんだけど、転生者の部下は欲しいよな。なん だかんだ言ってラルファはレベルの低い学校とは言え日本で教育さ れていただけあるし、下地がオースの人々とは比較にならない。そ れに加えて成長率三倍はでかすぎる。 そろそろ空が暗くなってきた。西に沈む夕日は下の端が海面に付 いている。あと30分くらいで日が沈むのではないだろうか。 退屈だな。 ・・・・・・・・・ 1248 日が半分ほど沈んだ頃に、ラルファとズールーがこちらに向かっ て坂を駆け下りてくるのが見えた。慌てているようだ。俺はゼノム を起こし、立ち上がった。ゼノムに﹁向こうで何かあったようだ﹂ と言うと、眠そうな目をこすっていたのが急にシャッキリと目を見 開き立ち上がった。やはり娘のことは心配なのだろう。 ﹁あそこの道を駆けてくるのはラルファとズールーだろ? 行こう﹂ 俺がそう言うとまだ数百メートルも離れているのにゼノムは駆け 出した。慌てているようではあるが何かに追われている感じでもな い。だが、あの様子だと確実に何かあった。向こうが正解だったか。 俺もゼノムの後を追って走り出す。すぐに追いつき、追い越した。 ﹁アル、見たわ! 聞いたわ! ちょっと急がないといけない﹂ ﹁落ち着け、一体何があった?﹂ ﹁だから急いでこっちに来て!﹂ 話にならん。俺はズールーに顔を向けるが、 ﹁ご主人様、ラルファの言う通り急いだほうが良いです。話は道中 にでも﹂ え? お前もかよ。ところで、ラルファの事は呼び捨てなのな。 主従関係がないからか? バニーマン ﹁簡単に言うと、兎人族が一人ずつ待ち合わせしていたみたい。一 人は女。女は急いできたみたいで待ち合わせ場所には走って来た﹂ 1249 ﹁うん、で?﹂ ﹁女の方はヨウチャンと言って叫んでた。男の方は先に来て落ち着 いてた。女が叫んだから少し吃驚してたみたいね﹂ ﹁そうか﹂ ﹁殆ど日本語で話してた。でも女の方がいろいろ早口にまくし立て て殆ど会話にはなってなかった。女は男の方を知っていたみたい。 男の顔が少し変わったとか言ってた。あと、女の方の名前はアスカ。 自分で言ってた。走ってきた女が息を切らしていたから、すぐに男 が落ち着けと言って何かを飲ませたみたい。水か何かかと思ったけ ど、毒みたいね。それを飲んだ女はその後暫くしたら倒れちゃった の﹂ ﹁え?﹂ ﹁いいから聞いて! 女が倒れたら男は女にステータスオープンし てた﹂ ﹁は?﹂ ﹁その後、男の方はゲラゲラ笑いながら﹃やっぱり魔法が使えなか ったか﹄と言って女を担いで街の外の方の森の中へ降りて行ったの よ!﹂ ﹁なんでだよ?﹂ ﹁私が知るわけないでしょ!﹂ 1250 意味わからん。ズールーが補足してくれた。 ﹁私は話されていた内容まではわかりませんでしたが、女は男に会 いたかったようで、会って嬉しがってかなり興奮していたようでし た。男は女が最初に大声を上げた時以外は落ち着いていました。で すが、あれは最初から女を攫うつもりだったのでしょう。上手く飲 んでくれた毒が効いたようで、その時初めて男の方は大笑いしてい ました﹂ ﹁攫う?﹂ ﹁ええ、そうです。あれは女を騙して毒を飲ませるつもりで呼び出 したのでしょうね﹂ わからん。恨みでもあったのだろうか? それともなにか他の目 的⋮⋮そう怨恨以外なら何だ? わざわざ日本人同士で⋮⋮転生者 狩りか!? だが、そうだとしても辻褄が合わないことが多い。 ﹁そんなこといいから、もっと急いで! 間に合わなくなっちゃう かも!﹂ ﹁何に間に合わなくなるんだよ?﹂ ﹁はぁ? 男が女に毒を盛って攫うなんて目的は限られるでしょ! 犯っちゃうか売り飛ばす以外にあるの!? あんた、あれを救い たかったんじゃないの!?﹂ 相手も女だなんて知らなかったからそんなこと露ほども考えなか ったわ。だが、おかしい。なぜラルファの思考の道筋に俺も辿り着 かない? こいつより頭が回らないのか、俺は。それとも、犯すと 1251 かそういった事を考えないようにしているのか? どんな童貞小僧 だよ。一体。 ﹁わかった。確かにそうだな。女の方も﹃日本語﹄を喋っていたん だな!? 転生者は確実か!?﹂ ﹃モチのロンよ!﹄ お前、いくつだよ。女子高生だったってサバ読んでるのか? 今はラルファとズールーの先導について行くしかねぇ。別に女が 犯されようが売られようが俺に関係がなく、知らない所でならどう でもいいっちゃいい。だが、流石に寝覚めが悪くなりそうだ。それ に、知ってしまった以上、とても見ないふりは出来まいよ。それも 元の世界で顔見知り同士なら尚更だ。それを利用してゲスい欲望を 満たすつもりか。貴様それでも日本男児か! ああいうのは同意の 上でのことだろ。 俺はラルファとゼノムのスピードにイラつき始めていた。これが 俊敏と耐久の能力値の差か。ズールーはまだ余裕があるようだ。 ﹁ラルファ、俺とズールーは先に行く。お前はゼノムと一緒に後で 来い。出来るだけ音を立てるなよ!﹂ そう言うとズールーの背を叩き、走る速度を上げた。 ﹁ズールー! わかる所までは全力でいけ!﹂ 俺もランニングを続けていなかったら果たしてズールーに追いつ けたかどうか。 1252 ライオス スピードを上げた獅人族はマラソン選手もかくやという程の速度 で走り出した。 ⋮⋮この速度って1kmを三分くらいじゃね? 1253 第二十四話 ベルナデット・コーロイル 7442年6月4日 両手剣を片手に持ち、力強いストライドで駆けるズールーはまる で風のようで、暫く進むと俺も着いて行くどころか置いて行かれ始 めてしまう。まだ道程の半分程だというのにもうズールーとの距離 は30m以上も離されてしまった。後ろを振り返る余裕などないが 俺とラルファ、ラルファとゼノムの間も似たように離れているのだ ろう。 ウルフワー バークッドの狼人族の狩人であるドクシュ一家も能力値は俺と一 緒くらいか俺よりも低いのに山野で獲物を追うときなど、驚異的な 動体視力と身体能力を発揮していた。まるで次にどの位置に踏み出 せばちょうどいい足場なのか、細かい石などが顔を覗かせていない のか予め知っているかのような走り方だ。 ゴム底の手製戦闘靴を履いた俺ですら細く曲がりくねり、土や雑 草、石ころが転がっている山道の地面の様子が気になるというのに ズールーは裸足の癖に地面の様子を全く気にしないかの様な走り方 だ。なに、その動体視力。大体その速度で1Km以上も山道を登っ てから更にどこに行ったか、方向くらいしかわからないであろうセ マヨースケを追って、場合によっては戦闘になるかも知れないんだ ぞ。 わかるところまでは全力でいけと言った俺にも責任があるのかも しれないが、お前、わかるところまで行ってからぶっ倒れたらまじ で怒るぞ。それどころか石を踏み抜いて怪我しても治療は後回しだ 1254 からな、この野郎。 しかし、俺の心配を他所にズールーは全くペースを落とすことな く走り続け、多分セマヨースケ達が待ち合わせに使ったであろう場 所まで到着すると、こちらを振り返った。口を大きく開け、ぜぇぜ ぇと息を吐きながら100m近く後を追いすがってくる俺を確認す ると、あっちだというように大きくジェスチャーをすると今度は道 を外れて左に降りる道なき斜面を下っていった。まだ辛うじて日は 残っているので日没寸前の太陽に照らされたバルドゥックの西の斜 面を駆け下りていく。 すぐに斜面を覆う木々にズールーの姿は隠されて見えなくなった。 くそう。頂上であろう待ち合わせ場所まで行かずにこのままショー トカットしてやろうと思ったのによ。結局ズールーと同じ道を通っ たほうが早いか。なんとかセマヨースケが使ったであろう待ち合わ ショートソード せ場所近辺に到着すると地面に<みたいな記号が書いてあった。あ と、弓と矢筒、剣、それから背嚢が落ちている。こっちの方向か。 簡易的な矢印みたいな記号が示すのは先ほどズールーが消えた方向 だ。斜面を降りながら前方を見るとちらっとだけズールーの後ろ姿 が見えた。 とにかく彼を追うしかない。道中、またさっきのような矢印があ るのかと思ったが、見つからなかった。あったのかも知れないが見 落としていたのかもな。別にどうでもいい。なぜなら、150m程 斜面を下ると木の幹に隠れるようにして斜面の下を覗き込むズール ーを見つけたからだ。 探す素振りを見せていないのでセマヨースケを発見したのだろう。 聞いた話だと女を背負って移動しているらしいから、移動速度はか なり遅いだろう。俺は歩くくらいまで速度を落とし、ズールーの隠 1255 れている木の幹まで行くと小声で彼に話しかけた。 ﹁っ、ズールー、見つけ、たのか?﹂ まだ息が整わない。 ﹁はい、ここから200mくらい下でしょうか。多分天幕だと思い ますが木の枝などで目立たないようにしている小屋が見えます。恐 らくあそこにいるのかと﹂ ズールーも流石に多少息は上がっているようだが、はっきりと返 事を返してきた。俺は彼が指差す方向を見たが、怪しそうなものは 何一つ見つけられなかった。鑑定による視力で見てみる。ズールー が指差す方向を丁寧にスイープする。と、見つけた。多分あれだろ う。 一見すると潅木の茂みのようだが、木々の隙間で不自然に輝度が 上がる点の集合体があった。数人が休めそうな大型のテントだろう。 三角屋根じゃない。四方から縄で天井を木から吊るタイプだ。それ に木々をかぶせて偽装しているのか。完全に覆うことが出来ていな テント いようだが何かあると注意して見ていないのであれば見つけること は相当困難だ。そのまま鑑定するとやはり天幕だ。 後ろを振り返ってもラルファとゼノムの姿は見えない。あ、見え た。ラルファだけだけど。俺は彼女に大きく手を振り注意を引くと ズールーに再度囁いた。 ﹁ズールー、ラルファが来たら俺たちは前進だ。あそこまで行くぞ。 うまい具合にこっちからだと多分天幕の側面だ﹂ 1256 ﹁わかりました。到着したらどうしますか?﹂ ﹁まずは様子を窺う。俺が﹁今だ﹂と言ったらお前はどうにかして 天幕を倒せ。天井を吊っている縄を二本切れば天井は落ちるだろ。 合図をするまでは近くに潜んでいろ。もし不都合があるようならそ の場に応じて指示する﹂ 俺は天幕を睨みながらズールーに言った。ズールーは直ぐに了解 の意を伝えてきた。 程なくしてラルファも到着した。息の上がる彼女に、俺とズール ーが先に行って様子を見る、お前は息を整えてからそっと近づいて こいと言って、俺とズールーは天幕を目指して歩いていく。 天幕まで20m程の距離に近づいてからそろそろと慎重に移動を 始める。話し声などはなにも聞こえて来ない。尤も天幕の中なら普 通の声で話していたとしても相当近づかないと聞こえはしないだろ う。争うような物音なんかもしないが、これは女のほうが毒を飲ま されているから何の抵抗も出来ないからだろう。 更に天幕との距離が近づいた。もう5mもない。やはり俺たちの 接近方向は天幕の側面か背面なのだろう、こちら側には出入り口に なるような切れ目はないし、雑木の枝などでカモフラージュされて いる。傍までよって気がついたが、天幕の外側にネットを張り、そ のネットにいろいろと引っ掛けているようだ。そろそろかなり暗く なってきた。テント内部に明かりの魔道具でもあればテントに人影 が写ったりしないだろうか。その時、 ﹃なんでこんなことするの!? ヨウチャン、解いてよ!﹄ 1257 と言う、焦りを含んだ女の声が日本語でテントの中から響いた。 ﹃ヨウチャンって誰だ? お前の男かよ?﹄ 小馬鹿にしたような男の声。 ﹃え!? 騙したのねっ! あんた誰よ!? ヨウチャンはどこ! 解きなさいよ﹄ 状況から言って女を縛っているのか。 ﹃ひぇっひぇっひぇっ、あれだけセマヨースケセマヨースケ言って りゃ簡単に騙せると思ったけど、あんた、ちょろ過ぎるわ。俺が言 うのも何だけど、簡単に他人を信用しない方がいいぜぇ!﹄ 尤もな言い草だが、癇に障る。 中には二人しかいないと決まったわけではない。あたりを覗って も見張りらしき人影なんか影も形も無いことは確認済みだが、流石 にテントの中まで見通せるほどの透視力なんぞあるわけもない。テ ントに人影も写っていない。テント内部には光源がないか、あって も非常に小さなものなのだろうか。もう少し様子を覗わないとな。 ﹃ねぇ、あんた一体誰よ!? ヨウスケをどこにやったの? 彼の こと知ってるの?﹄ 縛られているらしいが、強気な女だな。声にはまだ張りがある。 ﹃あ∼っひゃっひゃっひゃっ、ンなもん俺が知るわきゃねぇだろ、 ぶわ∼かっ!﹄ 1258 何だろうこれ、ムカつくな。 ﹃あんた、こんなことしてタダで済むと思ってるの!?﹄ ﹃思ってま∼す。何しろあんたを見かけてからひと月近く掛けて準 備したんだ。このテントだって高かったんだぜぇ! それに、俺は ベテランだからね。あんたで何人目だっけかなぁ? え? アスカ ちゃんよう。それとも、あんだっけ? ほれ、ステータスオープン ⋮⋮ベルナデットちゃんがいいか? コーロイルって呼んだ方がい いかぁ?﹄ テントとカモフラージュ越しに聴こえてくる会話に耳をそばだて る。この野郎⋮⋮とんでもねぇ。だが、大きな声で怒鳴りあってく れれば会話の内容も聞き取れるが、ほとんどテントに耳をくっつけ そうになる距離でもかなり音は減殺されている。テントって遮音性 能高いのな。 ﹃ねぇ、これ解いてよ。なんでこんな格好⋮⋮﹄ 女の声が消え入りそうだ。 ﹃解くわけねぇだろ。抵抗されちゃうじゃん? 麻痺を解毒してや っただけでも感謝してよ。日本語話すのも久しぶりだし、もうちょ っとエスプリの効いた会話を楽しもうぜ!﹄ 何がエスプリだよ、クズが。しかし、テントの中はこいつら二人 だけなんだろうか? 会話の様子から他に人はいなさそうだけど⋮ ⋮万が一他に捕まっているような人がいるとか、仲間がいるとかし ても不思議じゃない。ここはもう少し様子を覗うべきか。 1259 ﹃解いてよ! 解けぇぇぇ!﹄ 女が大声で抗議している。せせら笑う男の声が聞こえる。ここで 他の人間の笑い声など聞こえないか耳に神経を集めるが、わからな かった。その時、ラルファがそっと近づいてきた。掠れそうな程の 声で ﹁どう?﹂ と聞いてきた。 ﹃まだ縛られているだけみたいだ。麻痺させられたらしい。女の麻 痺はもう解けているようだ﹄ ﹃どうするの?﹄ ﹃まだ中に何人いるか判らないんだ。あと、やはり二人は日本人の ようだな、まぁ聞いてろ﹄ 小声で会話する。中の声が響いている様子から判断して俺たちの 会話は中には聞こえないだろう。 ﹃ほっどっきっまっせ∼ん! セマヨースケなんか来ねえよ! ぎ ゃっはっは! 呼んでもいいぜ、聞こえねだろうけどなぁ!﹄ 耳障りな声だ。 ﹃っぐ! ヨウチャン、助けてよ! ヨウチャン!﹄ 女は涙声になっている。 1260 ﹃ヨウチャ∼ン! 助けてぇ、私、犯されちゃう∼! ってかぁ! ? ふぇっふぇっふぇっ、ああ、そういやあんたもバニーマンだっ たなぁ、アスカちゃん? 俺も見ての通り、バニーマンなんだよな ぁ。これがどういう意味か解るかぁ? ああ?﹄ 知るか、ボケ! ﹃だから何よ! いいから解きなさいよ!﹄ まだ涙声のようだ。 ﹃ほへ∼、余裕だねぇ、アスカちゃんよう。同種族ならよ、種族を 増やすのに協力し合おうぜぇ、ほれ、こいつでよ﹄ ! こ、こいつ。 ﹃ひっ、まさか、なにそれ? そんなもの見せないでよっ﹄ ゆ⋮⋮ ﹃ハッハァー! こいつでよう、アスカちゃんによう⋮⋮楽しませ てやるぜぇ、嫌がってくれよう、たまんねぇから﹄ ゆる⋮⋮ ﹃やめて⋮⋮ねぇ、やめてよ。お願い﹄ ﹃今更止めるわきゃねぇだろうが、ヴォケ! さあ∼て、アスカち ゃんもヌギヌギさせないとねぇ、俺だけじゃ不公平だよねぇ﹄ 1261 ゆるせ⋮⋮ ﹃お願い、止めて!﹄ ﹃まずはこん中にたっぷり出してやる。好きでもない男のガキでも こさえなぁ! 産みなとは言わないぜぇ! それまで生きてるか解 んねぇしよぉ! なぁ、思いっきり嫌がってくれよ! 泣き叫んで くれよ! 燃えるからよ!﹄ 許せん! もう許せん! 何人いようが知るか! いたところで コイツの仲間ならぶっ殺してやる! ﹁もう我慢できん! 俺が突入する。お前らは待ってろ!﹂ そう小声で言い捨てると俺は天幕の周りを入口に向かってダッシ ュした。物音を立てるだろうが、もう知らん! 頭にカッと血が昇 り、興奮しているのを自覚したが、この男を殴り倒したくて感情が 抑えられない。久々の感覚だった。 俺は天幕の入口から大声で雄叫びを上げながら銃剣を構えて飛び 込むと、いきなりの闖入者に仰天している二人を正面に見た。テン トの奥で仰向けに肢体を拡げられ、手足を地面に打ち込んだ杭に縛 られている女がいた。それからその女の股間にしゃがみこみ、ナイ フで脛丈くらいのズボンを裾から切り裂いているケツを剥き出しの 男がいて、慌てて立ち上がろうとしている。 俺はそのままスピードを緩めずに突進すると銃床で横殴りに男を 打ち据えると、直後に剥き出しの股間を思い切り蹴り上げた。ぐし ゃりと何かを蹴り潰したような感触が伝わってきた。 1262 蹴り上げると同時に素早く左右に視線を送るが、彼ら以外の人影 は見えず、がらんとしたテントだった。再度悶絶して横向けに倒れ ている男に目をやり、その横腹を上から踵で思い切り踏みつけると 同時に叫んだ。 ﹁ズールー! ラルファ! 入ってこい!﹂ すぐに二人共テント内部に飛び込んできた。中の状況を説明する より先にすることがある。なお、テントの中には明かりの魔道具こ そなかったが、小さなローソクのようなものはあった。明かりが小 さすぎてテントの生地を通さなかったのだろう。このテント、そこ そこ上等なもののようだから、結構生地は厚そうだし。 ﹁ズールー! こいつを見張ってろ。抵抗したら殺せ。ラルファは 足の縄を解いてやれ、俺は手を解く﹂ ズールーは片手で持っていた剣を両手でしっかりと逆持ちにする と、男を跨いで仁王立ちになり、剣を喉に突きつけた。男は泡を吹 きはじめている。ラルファも片手に斧を持ったまま女の足元にしゃ がみ込み、斧を地面に置くと縛られた縄を解き始めた。俺は、 ﹃安心しろ、もう大丈夫だ。怪我はないか?﹄ そう言って頭の方に回り拡げられた左手の方にしゃがみ込み、縄 を解き始めた。女は、 ﹃え? なに? 誰?﹄ と、混乱していたようだが、ラルファが﹃もう大丈夫だから、あ 1263 の男はもう抵抗できないから﹄と言うと少しだけ安心したのか手の 縄を解いている俺の様子を窺ってきた。俺は固く結ばれた縄を解く のに苦労しながら、にっと笑顔を向けてやったが﹃ひっ﹄と怯えら れてしまった。あんまりだろ。 数分後、合流したゼノムと一緒になって縄を解いてやった女は俺 達に礼を述べた。男は悶絶したまま気を失ったようだ。とりあえず 男は女が縛られていたように両手両足を広げて杭に縛り付けた。こ れはズールーにやらせた。だってなんか触りたくないし。少し落ち 着いてきた女をテントの外に出してやると既に日は沈み、あたりは 暗くなっていた。 ﹃自己紹介とかそういうのは後にしよう、まず、あの男だがどうす る? 俺は殺してしまってもいいつもりで突っ込んだが、結局はま だ生きてる。水でもぶっ掛けりゃ気がつくとは思うが、あんたが決 めてくれ﹄ 俺は女にそう言った。ラルファは俺の言葉にうんうんと頷いてい る。 ﹃え? あの⋮⋮その⋮⋮﹄ 急にそんな相談を持ちかけられた女は混乱しているように見える が、いい加減落ち着いているはずだ。これは迷ってるんだろうな。 ﹃殺してもいいよ、私たちは誰にも言わない。このことを知ってい るのは多分私たちだけだし﹄ ラルファがそう言うが、もし殺そうとするのであれば俺は止める だろう。まぁ、ここは女の判断を聞いてからでも遅くないし、急か 1264 す必要もない。その間にこの女を鑑定しよう。 ︻ベルナデット・コーロイル/4/4/7429︼ ︼ ︻女性/14/2/7428・兎人族・コーロイル準男爵家次女︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:5︼ ︻HP:72︵72︶ MP:63︵63︶ ︻筋力:10︼ ︻俊敏:16︼ ︻器用:10︼ ︻耐久:9︼ ︻固有技能:射撃感覚︵Max︶︼ ︻特殊技能:超聴覚︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻経験:27239︵28000︶︼ ! 射撃感覚!? あとの能力値などは平均的な兎人族だがレベ ルも高い。殆ど6じゃねーか。固有技能から見てみよう。 ︻固有技能:射撃感覚;射撃時に使用者の感覚を鋭くさせ、射撃の 正確さを高める能力。レベル0で本来の射撃能力に5%の補正がつ き、以降レベルの上昇と共に補正は5%づつ高まっていく。補正と は本来の射撃の才能や経験によって得られた射撃能力の底上げ全般 の総称であり、何か特別な能力を付加するものではない。この能力 は能力使用から60秒以内に発射される射撃に対して一度だけ効果 を発揮する。あくまでも使用者の射撃感覚を補佐する能力であるこ とに留意せよ。従って、射撃装置本体の性能や、それによって投射 された物体の飛距離や威力にはなんの影響も及ぼさない︼ 1265 ⋮⋮これは⋮⋮稀有な人材だと言えよう。なんとしても配下に欲 しい。君が欲しいんだ! 違うか。あとは準男爵家の人間というこ とがわかる。コーロイル家なんて聞いたことないが鑑定のサブウイ ンドウを見たらデーバス王国の出身だった。知るわけねぇよ。でも、 次女なら家督の問題はなさそうだし、一緒に行動できる可能性も高 い。興奮してきた。落ち着け、俺。クールに行こうぜ。 その時、やっと女が口を開いた。さて、どういうお裁きかな、と 少し楽しみにする。ここで人格の一端を窺えよう。 ﹃騎士団に報告します﹄ うん、それがいい。殺してもいいが、それだと、伝令役の男から 足がつく可能性がある。 ﹃それでいいの? あんな奴、死んでも物足りないくらいだと思う けど﹄ ラルファ、もう少し考えようよ。だけど、その考え方、嫌いじゃ ないぜ。 ﹃よせ、ラルファ、直接の被害者であるこの子が決めたことだ。さ て、もうひとつ聞かせてくれ。あの男の治療はどうする? 俺は玉 を蹴り潰してやった。あと、多分アバラにもヒビくらい入っている だろう。今なら魔法で治療出来ると思う。君が望むなら彼の治療を してやってもいい﹄ 努めてクールに言う俺。初対面の印象が大事だ。 ﹃あなたはどう思うの?﹄ 1266 辛そうに彼女は言う。 ﹃君が決めたらいい。俺の意見を言っても意味がないよ﹄ 優しそうな表情で言うが、内容は突き放している。だが、俺の意 見なんか言っても本当に意味はない。あ、俺は放っとく派です。 ﹃怪我は命に関わらないようであればそのままでもいいと思います。 それくらいの事がないと反省もしないでしょうし⋮⋮それに、話が したいです。なぜ、あんなことをしたのか、どこまで知っているの か、確かめたい﹄ そっか。ちなみに玉を蹴り潰しているので命に関わるとは思うよ。 こっそりと一番簡単な治癒魔法、じゃない治癒魔術で回復させる必 要があるな。でもむき出しの玉を触るのは嫌だから体にだけしかか けないけど。 ﹃わかった。多分話なら今でも出来るようにしてやれるが、今がい い? それとも、あのまま放っておいてもすぐには目を覚ますこと もないだろう。明日にするか? だが、そうなると今晩はここで過 ごしてもらう必要がある。騎士団に報告してからだと話なんか出来 ないだろうからね﹄ 正直、俺は面倒くさいのでこれからすぐ話してくれる方がいい。 ﹃では、今からでも大丈夫ですか? お願いできますか?﹄ ﹃わかった、その前に騎士団に報告に行かせる。ちょっと待ってく れ﹄﹁おい、ズールー、騎士団まで行って事情を説明して何人か引 1267 っ張ってきてくれ。俺の名前を出せば大丈夫だろう。それと、ここ で焚き火を焚いておくから、それを目印に来いと言ってくれ。罪状 は⋮⋮そうだな、略取と強姦未遂だ﹂ 本当はズールーにウェブドス侯爵のプレートでも持たせれば完璧 だろうが、流石にズールーと言えどあれを渡すことは出来ないしな。 すると、ゼノムが口を開いた。蚊帳の外にしててすまん。 ﹁俺も一緒に行こう。そちらのほうが良かろう。あと、あんた、宿 はどこだ? もし取ってないのなら、俺達の宿で良ければ一人追加 しておくが?﹂ ゼノムはぶっきらぼうに言った。気をきかせてくれているのか。 ﹁お願いします﹂ 女はそう言うと、ゼノムに頭を下げた。 ﹁あ、ズールー、頂上に弓とか剣とか落ちたままだからそれも全部 回収しておけよ﹂ 俺は歩き出したゼノムとズールーにそう声を掛けるとテントの入 口を潜った。俺の後ろに女とラルファがついてきたが、俺はラルフ ァに ﹃ラルファ、焚き火だけ起こしておいてくれよ。暗いしさ﹄ そう言うと、ラルファは素直にテントを出て行った。俺は四肢を 広げて縛られているデレオノーラの頭の上に右手を当てると治癒魔 術を掛け、その後水魔法で丼いっぱいくらいの水を出してデレオノ 1268 ーラの顔にかけてやった。すぐに男は気が付いたようだ。 暫く憎まれ口を叩いていたが、ヒビの入っているであろう脇腹を 軽く蹴り飛ばしてやると、痛みを訴え始めた。そりゃそうだろう。 痛くしているんだから。わざと見えるように銃剣から剣を外し、デ レオノーラの前に突きつける。 ﹃質問に答えろ、クズ野郎。正直にな。嘘か本当かは俺が判断する から嘘をついてもいいぞ。ただし、嘘だと思ったらもっと痛い目を 見ることになる。明日の朝日が拝めるといいな﹄ ・・・・・・・・・ デレオノーラの尋問が始まって暫くするとラルファがテントの中 に入ってきた。俺はデレオノーラの顔を見続けるのが胸糞悪かった のでラルファに剣を渡してやると外に出て焚き火の番をすることに した。ロンベルティアの隣町で魔物なんか現れないだろうし、よし んば現れたとしても今の機嫌の悪い俺が相手だとかわいそうなくら いだ。 外だと細かい話は聞けないが、基本的にはあの女の個人情報など をどうやって知ったとか言う話や、本物のセマヨースケの話だろう。 どうせ大した内容じゃないだろうし、複雑なこともあるまい、後で ラルファにでも聞けばいい。 1269 第二十五話 就職 7442年6月4日 ぎゃあっという叫び声が上がった。テントの中からだ。拷問でも してるのか、ラルファ達は。まぁ、殺さない程度にしておけよ。殺 してさえいなけりゃ治療できるから騎士団に引き渡す時も面倒が少 ないからな。 ⋮⋮暫く適当な石に腰掛けて火の番をしていた。燃え上がる小さ な焚き火を見ていると、ああ、綺麗だな、と思った。と、同時に少 し不思議に思うことがあった。そう言えばあのデレオノーラは転生 者だ。日本語を喋っていたし、昼間鑑定した時には﹃高機能消化器 官﹄何て言う固有技能もあったのは確認しているから、これは間違 いない。 だが、ちょっと待てよ? 俺は何であいつを騎士団に引き渡すの が良いと思ったんだろう? 本来の俺であればここは見逃してやる から金を出せと言って払えないくらいの額を吹っかけて、ベグルが マリーを狙ったように性犯罪者の男でも転生者なら強引に奴隷にで もして⋮⋮いや、あいつはもともと誰かの奴隷だったから無理か、 いや、無理じゃない。持ち主に請求するか? 持ち主は金なんか払 わずに騎士団に突き出すだろうな。いやいや、性犯罪者だぞ? 俺 の手下に手を出されて不和の種になるような馬鹿な真似なんか、だ いたい性犯罪なんてそれ以外の犯罪とは一線を画していると昔から 常々⋮⋮昔っていつだ? 転生前だ。盗み、強請、詐欺、殺人、唾 棄すべき犯罪は山ほどあるが、性犯罪以外であれば場合によっては 情状酌量の余地はあると思っていたんだ。なのにあいつを迎え入れ 1270 バニーマン る? とんでもない! そうだ、あの女だ、アスカと呼ばれていた 転生者の兎人族が男に強姦されようとしていたからだ。彼女の事を 慮って騎士団に突き出そうとしたのか? 彼女の事だけを考えるな ら例え復讐だとしても殺人は良い事じゃないから、正解と言え⋮⋮ 言える。だが、翻って俺や俺と行動を共にしているラルファ、ゼノ ム、ズールーの今後を考えるなら転生者の手駒はいくらでも欲しい 状況ではある。固有技能で差別化したのか? アスカの﹃射撃感覚﹄ はそりゃ有効だ。戦闘では迷宮内はともかく野外などではかなり頼 りになるだろうし、今後銃を作った時だって⋮⋮それを言うなら戦 闘では役に立たないが、デレオノーラの﹃高機能消化器官﹄だって そう馬鹿にしたものでもない。長期での単独潜伏や単独偵察だと食 料が少ないのは荷物の大幅減に直結する。最悪どこにでも居そうな 昆虫などを食っても相当凌げるだろう。﹃射撃感覚﹄とは別の方向 で有用な固有技能であるのは確かだ。どっちが優れているとかそう いう問題ではない。いや、固有技能の問題じゃない、あいつの人格 の問題だ。性犯罪なんて理性の欠片もないような卑劣な奴と同じ釜 の飯を食うなんて反吐が出⋮⋮俺は何を考えていたんだっけ? 止 せ、今こんなことを考えてなんになる! 今考えないでいつ考える んだよ! 落ち着け、わからないことがあっても感情を高ぶらせる な、良い事なんか何もないぞ。ああ、そうだ、落ち着いて整理しよ う。いつものように。さぁ、やるんだ。 1.デレオノーラは転生者。固有技能は﹃高機能消化器官﹄ 2.アスカは転生者。固有技能は﹃射撃感覚﹄ どちらも有効な固有技能だ。時と場合においてどちらにも一長一 短がある。だからここまでは全く問題はない。両方とも仲間に、部 下として欲しい人材だ。 3.デレオノーラは唾棄すべき性犯罪者である 1271 彼は奴隷だった。元々奴隷として転生したのか、なにか理由があ って奴隷階級になったのかは知らないが、性犯罪とは関係がないだ ろう。奴隷であること自体には同情の余地はあると思うが、己の獣 欲を満たすことのみを目的とした性犯罪を犯したことについてはど んな理由があろうと認められないと思う。あ、復讐の一環というこ とも考えられる、のか? そこはまぁいいや。今回はそういう理由 でもなさそうだし。 4.アスカはセマヨースケを探している。多分事故で一緒に死んだ 知り合いだ。 セマヨースケという転生者がいるのは確実、というかかなり高確 率で転生しているのだろう。アスカにも確信があるから探していた のだろうし。と、するとアスカを仲間にできればこのセマヨースケ も後々自動的にくっついてくるのかも知れない。 5.デレオノーラの性犯罪歴はアスカが初めてじゃない。何度かや っているらしい 何度も性犯罪を犯している奴は⋮⋮ダメだろう。意思も弱いし、 自制心がない事を意味している。あいつのMPは7だったが、MP だけで考える問題でもないだろうよ。個人差だってあるはずだ。そ うじゃなきゃ犯罪など起こらない世界ということになる。犯罪が発 生せず、争いもない、秩序だったある意味での理想郷だが、それは 所謂デストピアという奴だろう。だからMPの多寡は犯罪とは関係 がない。分析してみるのも面白そうだが、今は止しておこう。 6.デレオノーラがバルドゥックにいた理由 1272 不明。ここで生まれ育ったのか? 7.アスカがバルドゥックにいた理由 おそらくセマヨースケを探しに来た。出身はデーバス王国らしい からな。デレオノーラに見つかったのは偶然だろう。 そこまで考えたときラルファとアスカがテントから出てきた。俺 は考えるのやめ、彼女たちに座り易い石を譲ってやった。さて、自 己紹介と行こうかね、最初から貴女に決めていました、お願いしま すってやつだ。え? ねるとん赤鯨団、知らない? ﹁どうだった?﹂ そう俺が尋ねるとラルファが答えた。 ﹁どうもこうもなかった。最低だわ、あいつ﹂ そんなラルファを見ていたアスカは申し訳なさそうに ﹁私も考えが足りませんでした。それらのことはあとでお話ししま す。まずはちゃんとお礼を言わせてください﹂ そう言うと言葉を継いだ。 ﹃危ないところを助けてくれて本当にありがとうございます。私は 相馬明日夏と申します。ベルナデット・コーロイルと言うのがオー スでの名前です。出身はデーバス王国ですが、もうお解りでしょう、 あの事故で一緒に亡くなった恋人を探しにここまで来ました﹄ 1273 ベルナデットはそう言うと俺達に丁寧に頭を下げた。落ち着いた 状況で良く見りゃ可愛い顔立ちだ。まだ十四歳だしあどけなさもあ るが日本人としてみた場合、ものすごい可愛さだ。こりゃ元の顔も 相当美人で良かったんだろうな。オースでは受けにくいけどさ。 ﹃ああ、いいさ。俺もたまたま、飯屋であの男が伝言を頼んでいた のを漏れ聞いていただけだ。あの男の顔つきと、話している中に﹁ セマヨースケ﹂って聞こえたからピンときた。俺と同じ日本人が絡 んでいるんだろうってな。だから、本当を言うと何が起こるのか想 像もしていなかった。日本人同士が密談でもするのかと思って興味 本位で盗み聞きしようと思っていたくらいだった﹄ ラルファもいるし、別に話してしまっても問題はないだろう。盗 み聞きとはあまり良い印象を持たれにくい話だが、他に言いようも ないしラルファには話してあるしな。 ﹃うん。盗み聞きしようとしたのは私からも謝る。ごめんなさい。 でも、同じ日本人同士だから話してみたかった。出来れば一緒に迷 宮に行って欲しかったというのは本音﹄ ラルファが申し訳なさそうに言った。 ﹃ですが、どんな理由でもあの場に駆けつけて助けていただいたの は事実です。本当にありがとうございました﹄ ベルナデットはそう言ってまた頭を下げた。 コモン・ランゲージ ﹃そっか、まあいいや﹄﹁あと、これからはラグダリオス語で話そ う。騎士団が来たらやっかいだ﹂ 1274 そう言うと俺は言葉を続けた。 ﹁俺はアレイン・グリード。アルでいい。日本では川崎武雄。出身 はロンベルトの田舎のバークッドという村だ﹂ ﹁私はラルファ・ファイアフリード。ラルでいいわ。同じく日本で は大野美佐。出身はロンベルトのラルファ村。捨て子だったらしい わ。さっき居たでしょ? ドワーフのゼノムに赤ん坊の頃拾われた の﹂ ラルファの言ったことを聞いたベルナデットは目を丸くして驚い たようだが、相手の出生について根掘り葉掘り聞く間柄でもないと 思い至ったのだろう、平静を装うと﹁私のことはベルと呼んで﹂と 言った。 ライオス ﹁あとはさっき言ったラルファの親父さんのゼノム・ファイアフリ ードと俺の戦闘奴隷の獅人族のダディノ・ズールーだ。ゼノムは短 いからそのままゼノムと呼んでやってくれ。ズールーは姓に誇りを 持っているらしいからズールーと呼んでやってくれ﹂ 俺はそう言うと焚き火に薪になる枝を追加した。その時、おずお ずとベルが語りかけてきた。 ﹁ところで、アルさん。それは﹃銃﹄なの?﹂ ﹃射撃感覚﹄の固有技能を持っているだけに銃には興味があるか。 ﹁あ、そうそう、私も不思議に思ってた。なんで﹃銃﹄の形なの?﹂ ラルファも乗ってきた。そういや今まで聞かれたことはなかった 1275 な。たまにじいっと不思議そうに俺の銃剣を見ていたことはあった けど、何も言われなかったから放っておいたんだ。 ﹁ああ、俺は昔⋮⋮そうだなぁ今からだと40年近く昔になるのか。 いや、35年くらいだ。﹃自衛官﹄だったんだ。だから普通の剣も そこそこ使えるが、本当は﹃銃剣﹄のほうが使いやすいんだよ。だ からこの形に作ったんだ﹂ そう答えると、ラルファが言う。 ﹁なぁんだ。私はてっきり﹃中二病のガンマニア﹄か何かだと思っ てた﹂ なんだそりゃ。 ﹁でも、アルは﹃自衛隊﹄だったのかぁ。﹃自衛隊﹄辞めてから﹃ サラリーマン﹄してたの? いくつなの?﹂ 相変わらずラルファの辞書には遠慮という単語は存在しないよう な物言いだ。 ﹁ああ、﹃高校﹄を出てから﹃自衛隊﹄に入った。六年くらい﹃自 衛隊﹄にいた。その後﹃自衛官﹄を辞めて﹃食品商社﹄で20年く らい営業をしてた。死んだのは45の時だから今は59だな。あと ﹃自衛隊﹄だったじゃなくて﹃自衛官﹄だった、な。言葉は正確に 使え﹂ ぶすっとして答えた。中二病のガンマニアとか⋮⋮このクソガキ。 ﹁うへぇ∼、59とか、もうおじいちゃんじゃない。しかもいちい 1276 ち細けぇ∼﹂ けらけらと笑いながらラルファが言う。こ、この⋮⋮ ﹁うっせ。お前だって﹃高校生﹄だったんだろうが、それならもう 30超えてるおばちゃんじゃねぇか。だいたいオースではまだ14 だ、俺ァ!﹂ 俺たちのバカみたいな言い合いを眺めながらくすくすと笑ってい たベルは ﹁それじゃあ、私も死んだときは21だったから今は35のおばち ゃんですね﹂ と言ったので、俺たちは不毛な言い争いを止め、彼女の方に向き 直った。ごめん。 ﹁もうこいつのことは放っておいていいや。で、セマヨースケとい うのがベルの恋人か?﹂ そう聞いてみた。露骨な話題転換だ。 ﹁はい、そうです。大学の同級生でした。同じ岐阜県の出身で仲良 くなったんです﹂ ベルが答えた。 ﹁じゃあ、あいつはセマヨースケじゃないんだな? まぁ恋人なら 顔見りゃわかるか﹂ 1277 俺がそう答えると、ベルは意外そうに言う。 ﹁え? 生まれ変わっても顔は一緒なんですか?﹂ こいつ、水面見たことないのかよ? ﹁正確に一緒というわけじゃない。例えば俺は俺が十四の頃の顔だ ちにこの世界の普人族を掛けたような顔だ。日本人だとハーフみた いな感じだろう? 本人や家族レベルで親しかったなら見分けくら いは充分につくと思う。ベルは鏡や水面を見たことはないのか?﹂ 俺がそう言うと、 ﹁鏡はなかったし、川は流れてるからよく解らないし⋮⋮ああ、何 かに溜めてみれば良かったのか⋮⋮自分の顔自体にはもともとあま り興味なかったから、私﹂ そういうもんかね? 確かにラルファも水面に自分の顔を写して 見ることなんか考えもしていなかったらしいからな。生まれ変わっ たら赤ん坊で、何ヶ月か動くこともままならず、動けるようになっ たらなったで自分の顔なんかよりももっと重要なことを理解しよう とするので精一杯だったろうからな。そんな生活を何年もしてりゃ そりゃ顔には無頓着になる⋮⋮のか? 透明度が高いまともな板ガ ラスが発明されていないからちゃんとした鏡はない。だが、写りは 悪くとも高級品だとしても全く鏡がないわけじゃない。俺は男だか らそもそもあまり気にしていなかったし、マリーも俺より少し若い くらいで充分にばばぁと言って良い精神年齢だったろうから今まで あんまり気にしていなかった。 だが、ラルファは元女子高生だし、ベルも大学生だった。日本で 1278 生まれ育った若い女が自分の容姿についてそこまで無頓着になるも のなのか? オースで生まれ育った環境のせいでそうなったのか? なんだろうなこの違和感。だいたい俺だって男だからと言っても 生前は毎日何回か鏡を見て自分の容姿を整えるくらいのことはして いた。ま、今は置いとこう。考え込んでも仕方ない。 ﹁まぁいい。で、顔立ちだが、これは俺の主観だけの話じゃない。 ここにはいないが俺はあと二人、男と女の転生者を知っている。あ、 転生者ってのは生まれ変わった日本人のことを俺がそう呼んでいる だけだ。彼らと知り合った時に色々情報交換をした。顔立ちもその 一つだ。どうも生前の顔にこの世界の種族的な特徴が入り混じった ような顔立ちになっている。ああ、男の方はベルの恋人じゃないよ。 小島って言ってたかな、﹃高校生﹄だったらしいしな。そいつらは 今俺の出身地で騎士団に入ってしごかれてるよ﹂ そう言ってやるとベルは安心したような表情をして言った。 ﹁じゃあ、じゃあ、私が彼の顔をみたり彼が私の顔を見れば判るん ですね!﹂ 嬉しそうだ。 ﹁ああ、多分ね﹂ 俺がそう言うと今度はラルファが口を挟んできた。 ﹁騎士団、遅いね﹂ む、そろそろ結構な時間も経つし、いい頃合か。 1279 ﹁そうだな。もうそろそろ来てもいい頃かな? ベル、詳しい話を もっとしたいだろうがそれは後で話そう﹂ 俺はそう言って尻を払いながら立ち上がりかけた。 ﹁あの、その前にちょっといいですか?﹂ ベルがそう言ったので俺はまた腰を下ろした。 ﹁皆さんは冒険者なのですね。バルドゥックの迷宮でお金を稼いで いるんですか?﹂ ベルは勢い込んで言う。 ﹁そう、冒険者よ。まぁバルドゥックに着いたのはつい先日、一週 間前くらい。迷宮にもまだ一回しか入っていないけどね﹂ ラルファが何故か自慢げに胸を反らせて言った。 ﹁そうですか。もし宜しければ洋介が来るまででも、いえ、貴方達 がこの街にいる間だけでもご一緒させて貰うわけにはいかないでし ょうか? 私、一人だし、あんなことがあって心細くて⋮⋮﹂ む、勿論それは良いけど。ラルファが俺の顔色をちらっと窺いな がら言う。 ﹁強い転生者は大歓迎よ。ね、アル、いいんじゃないの?﹂ 当然いいさ。だがな⋮⋮。 1280 ﹁ベル、金に困ってるのか?﹂ 条件を決めないとな。 ﹁いいえ、今のところ特に問題はありませんが、私はこの街で最低 10年は彼を待とうと思っています。流石に10年も街で暮らして いくほどの資金はありませんので⋮⋮﹂ 10年か。外国人とは言え貴族だから税は考えなくても⋮⋮あれ ? 外国人の場合どうなるんだろう? あとで調べておこう。とに かく無税だったと仮定した場合、最下級の宿に滞在すれば食費も含 めて一日辺り1500Zくらいで暮らしていくことはできるだろう。 最悪町外れで野宿でもすればもっと安くなる。最低限の食費だけな ら年間20万Zもかかるまいよ。だが、流石にそういうのはどっち も無理だろ。乞食寸前の生活だし、健康に悪影響も出かねない。普 通に宿に泊まることや、食費以外の雑費のことも考えるなら年間1 00万Zはかかると思ってもいい。まぁ、ベルは準男爵家の出らし いから数年やそこらは暮らせるくらいの金はあるんだろ。 ﹁勿論歓迎する。給料も出すよ。一月20万Zだ。あとは迷宮で戦 利品があった時には都度ボーナスも出す。これで良ければラルファ とゼノムのように契約書を作ってもいいよ。だが、その前に一つ質 問させてくれ。ベルの彼氏⋮⋮洋介さんをバルドゥックで待ち続け る根拠だ。なぜだ?﹂ 俺がそう言うとラルファも言って来た。 ﹁あ、それ私も聞きたい﹂ そうだろうともさ。彼氏を探して旅する途中でバルドゥックを通 1281 過するならわかる。でもまるでバルドゥックに必ず彼氏が来るみた いな言い方じゃないか? ああ﹁最低10年は﹂と言うからには必 ず、というわけでもないのか。 ﹁彼も必ず私を探そうとするはずです。どんな家庭に生まれたので あれ、私を探す旅をするにはお金がかかるでしょう? だから、お 金を稼げると言う噂のバルドゥックに来ると思っています。それに、 オースには魔物もうろついています。ある程度成長してからでない ととても旅には耐えられないでしょう。だから、私は成人する前に 家を出て、真っ先にここを目指しました。慎重な彼のことですから 成人くらいまでは我慢してそれからまずここでお金を稼いでから私 を探そうとするに決まっています。私はそう信じています﹂ なるほどね、薄弱ではあるが全く根拠のない話というわけでもな いのか。と、言うより知り合いの転生者同士がお互いに出会おうと いう目的を叶えようとした場合、それなりに根拠があると言えなく もない。闇雲にうろついてもそれこそ出会うことは困難だろうしな。 ﹁そういうことか。わかった。さっきの条件でいいなら明日にでも 契約してもいいよ。どう? ああ、深く考えないでくれ。そうだな、 俺が社長の会社にでも就職するくらいの気持でいいよ﹂ 但し、あんたの場合、そう簡単に自主退職は出来ないがな。 ﹁ラルもそうなの?﹂ ベルはラルファに聞いた。お前もこいつのとこの従業員なのか? こいつは信用できるのか? そんなところだろう。 ﹁うん。ちゃんと契約書も作ったよ。私はゼノムと二人で月40万 1282 Z。今日は運が良かったからボーナスで10万Zずつくれたよ﹂ ラルファはニコニコしながらベルに言う。いいぞ、ラルファその まま勧誘だ。 ﹁それに⋮⋮あとで話すけど、私たちと一緒にいたほうがいいと思 う。ベルの顔つきのことも⋮⋮相当可愛いし。ううん、それだけじ ゃない。多分聞こえないと思うけど、あんな奴に聞かせたくないこ ともあるし。もし迷ってるならあとで話してあげる﹂ ラルファはそう言いながらテントの方を見て、俺を見た。なんだ よ、言いたいことはわかるけどさ、いちいち俺を見なくてもいいだ ろうに。 ﹁アルは大丈夫。強いし、魔法もすごく上手に使えるし、私も今ア ルに魔法を教わってるんだ﹂ よせよ、照れるじゃないか。 ﹁まぁ、おじいちゃんだし? 私は日本人顔よりこっちの人の顔の が好みだし? ズールーは格好いいしさ﹂ ﹁くっ⋮⋮俺だってガキは願い下げだわ、この野郎!﹂ しかし、こいつの好みがわからねぇ、ズールーかよ。奴隷に恋す る平民の女ってのも珍しいな。身分違いの許されざる恋愛か。別に 珍しくねぇし、どうでもいいわ。勝手にやってろ。 ベルはそんな俺たちを見ると可笑しそうに笑いながら言った。 1283 ﹁解りました、アルさん、私を雇ってもらえますか?﹂ よしよし、いい子だ。罠にかかった蝶に擦り寄っていく蜘蛛の表 情で俺は言う。 ﹁ああ、ガキと違って美人は大歓迎だ。これから宜しくな﹂ そう言って差し出した右手を掴んだ手はタコでごつごつしていた。 遠くから俺を呼ぶ声がする。ズールーとゼノムが騎士団を引っ張 ってきたようだ。 1284 第二十六話 赤・青・金? 7442年6月4日 ゼノム達は六人も騎士と従士を連れてきた。俺は現れた騎士の隊 長らしき人物に自分とベルの紹介をして、ステータスの確認をして もらうと、ベイレット・デレオノーラを犯罪者として引き渡した。 罪状は貴族に対する略取と強姦未遂だ。また、気狂いでもあると付 け加えておいた。手を縛られ腰縄を打たれて傍の木に縛り付けられ たデレオノーラは恨めしそうにこちらを見ていたが、俺が凶悪そう な笑みを浮かべると怯えたように視線を外した。 貴族に対する略取や強姦未遂がどの程度の罪なのかは分からない が、ウェブドス侯爵の裁きを見た限りだとかなりきつそうだ。強姦 で鞭打ち五回だっけかな。未遂だから多少は軽くなるのかも知れな いが、問題は貴族に対してそれをやったことだ。キールでべグルB を処分した時も俺はやむなく降りかかった火の粉を払ったように言 ったが、貴族に対して襲いかかったらそれだけで死罪だと言われた くらいだ。未遂ではない略取まで含めれば一発打ち首じゃなかろう か。 そうでなきゃいくらなんでも手足を切り落とされたり、殺される までの罪というわけではないのだろうからなぁ。ほかに強姦の余罪 もあるだろうけど、被害者を殺したりしていなきゃ流石に強姦だけ で死罪は重すぎる。切り落としは必要だろうけどな。しかし、本当 にこいつが転生者であるのが惜しいな。 俺は天幕の撤収を進めている騎士の隊長にどの程度の罪に問われ 1285 るのか、罰はどの程度であるのか聞いてみた。やっぱり無茶苦茶重 く、死罪は免れえないだろうとのことだ。証拠、と言うより俺とい う貴族を含む複数の証言もあるので尋問なども行う必要性も無いら しい。おそらく二ヶ月後くらいにあるであろう公開処刑で処刑は執 行されるだろうとの予想だった。こりゃ仕方ないな。少し離れた木 に繋がれているデレオノーラに近づくと俺は彼にだけ聞こえる程度 の小声で言った。 ﹃機会があるならおとなしく罪を認めたほうがいいと思うぞ。反省 のポーズを見せれば多少の酌量もあるかも知れん。罪を償えばいい んだ﹄ 俺がデレオノーラの耳元でそう囁くと、彼は胡散臭いことでも聞 いたような顔つきで言う。その通りなんだけどさ。 ﹃なっ⋮⋮そんな口車には乗せられねぇ。全部ぶちまけてやる﹄ ぶちまけるって何を? ﹃は? 何をぶちまけるって? ひょっとして俺達が日本人だった ことをか? 別に隠してないから言えば? 俺はさ、同じ日本人の 誼で言っただけだ。つい、出来心でやっちまったんだろ? なら、 何を言われても出来心だったと言えばいいさ﹄ そんなわけあるか。テントまで用意してたんだ。計画的な犯行で あることは明白だ。俺は更に、 ﹃聞かれたことだけ正直に答えて、余計なことを言わなきゃ多少は 心証も良くなるってもんだろ? まぁお前が納得するなら好きにし ろよ。俺は別に止めないし、何を言われても痛くも痒くもない。お 1286 前と違って犯罪者じゃないからな﹄ そう言うと悔しそうに俯いた。更に続けて言う。 ﹃あとな、お前の玉、俺なら治せるぞ。ま、おとなしく罰を受けて 罪を償ったらだけどな﹄ 期待を込めた目で俺を見つめ返してきた。嘘は言ってない。今な らまだ治せるだろう。傷が癒えてしまったらもう無理だろうけどね。 ﹃いいんだ。同じ日本人だろう? 罪を償いさえすれば清い体じゃ ないか。罪を憎んで人を憎まずとも言うだろう?﹄ そう言ってデレオノーラの傍を離れた。ここは王直轄領だ。変に 転生だとか日本人だとか言い回られると厄介なことになりかねん。 王族に転生者でもいて、そいつが多少でも頭が回るやつなら以前ゼ ノムやラルファに言った転生者狩りでも思いつかれると問題だしな。 自分の領地を構えるまでは隠しておいたほうが何かと好都合だろう。 別に転生者であることを隠してもあまり意味はないが、同じ転生者 で立場が上の奴への用心に過ぎない。あ、毛染めでもしたほうがい いかな。忘れないように心のメモに書いておこう。 さて、こう言っておけばもし取り調べでもあった場合、こいつは ペラペラと自分の余罪を話すようなことはしないだろうが、今回の 件についてはおとなしく認めるかも知れない。ダメでも仕方ない。 ああ、よく考えたら殺しておくべきだったかも知れない。いきなり 殺さないまでも泳がせて伝言を頼んだ男共々始末してしまうのが一 番安全だった。だけどなぁ、いくら強姦されかけたとは言え、ベル に殺せと言うわけにも行かない。鞭打ちと玉潰しで充分な罰だろう。 切り取ってもいいけどさ。 1287 まぁ済んだことは仕方ない。それにこいつが日本がどうのこうの 言ったところで貴族への犯罪者だ。単なる強姦魔の言うことなどい ちいち王族だか上級貴族だかに報告されるような可能性も低いだろ う。さっきのは掛け捨ての保険のようなものだ。 そろそろテントの撤収も終わりそうだ。この証拠品、どうなるの かな? 良い物だから貰えると嬉しいんだが。あ、性犯罪の道具に 使われても俺は気にしないよ。罪を憎んで物を憎まずだからね。 ・・・・・・・・・ ぞろぞろと夜道を登り、その後下っていく。騎士団が明かりの魔 道具を持ってこなかったら大変だったろうな。四つも持ってきてく れていたので充分な光量を確保できるから足元がおぼつかないなん てこともなかった。 街の中、騎士団の詰所と宿への分かれ道で騎士団と連行されてい るデレオノーラと別れると腹も減っているし、晩飯を食いに行こう という話になった。そう言えば今後はベルも同行するようになるん だ。ゼノムやズールーもきちんと紹介しなくちゃいけないね。 彼らとベルはお互い自己紹介をし合った。ステータスも見せ合い、 お互いを知ることになったのだ。ズールーは奴隷である自分もこの 席に同席し、あまつさえ準男爵家の令嬢︵と言っても家督相続権な ど下から数えたほうが早い次女だが︶に直接触れるなど恐れ多いと 1288 言ったが俺んとこでは気にするなと言ってちゃんとステータスを見 させた。飲み食いし、そろそろ食い終わるという段になってラルフ ァがこんなことを言い出した。 ﹁ズールー、あんた、忠誠心は有るの?﹂ おいおい、いきなり何を言うのかね? チミは? そんなの有る以外に答え様はないだろう。 ﹁当然です。数ある奴隷の中から私を選んでいただいたのです。私 への扱いにも大変満足しています﹂ ほらな。 ﹁ふーん。そう。ならいいけど。でもね。そんなあんたには悪いん だけど、ちょっと今日は先に帰ってくれないかな? ね? アル?﹂ なぜそこで俺に振る。まぁいいけどさ。 ﹁ああ、ズールー。俺たちはこれから明日以降の作戦会議だ。あと、 ベルと契約内容も詰めなきゃならん。今日は午後の休みを潰して悪 かったな。先に休んでてくれ﹂ 俺はそう言うとズールーに先に宿に行っていろと言った。ラルフ ァの言うことは気にするな。 ﹁はい、わかりましたご主人様。では、先に休ませていただきます﹂ ﹁おう、明日も今朝と同じ時間であの店な﹂ 1289 そう言って手を振るとズールーは店から出ていった。さてと。 ﹁ベル、今のは人払いに近い。ゼノムは俺たちの事情についてはも う知っているから安心してくれ。あと、全部食い終わったら場所を 移そう。俺の宿で話すか﹂ 俺はそう言うと残っているジョッキを傾けた。 ﹁ベル、安心して。ゼノムは私のお父さんだから。昔から話してい たの﹂ ラルファもそう言うと串焼きの残りに齧り付いた。 ﹁ああ、大体は判ってる。細かいことまではよく知らんがな。まぁ 悪いようにはならんよ、話を聞いておくだけでも損じゃないことは 保証する﹂ ゼノムも肉野菜炒めの残りを左手で掻き集めて口に放り込みなが ら言う。 俺たちの話を聞いたベルは ﹁今更不安になんか思っていませんよ。大丈夫です﹂ そう答えて鳥っぽい何かの肉を食べていた。兎って肉食だっけか ? いや、知らんけどさ。 ・・・・・・・・・ 1290 場所を移した俺たちは早速情報交換を始める。お互いの固有技能 の情報︵俺は相変わらず魔法習得で通したが︶に始まり、基本的な この世界の情報などを話した。特にベルからは他の固有技能の名前 を聞けたことが大きな収穫の一つだった。﹃鑑定﹄﹃耐性︵毒︶﹄ ﹃秤﹄﹃予測回避﹄この中で俺が知らないのは﹃秤﹄と﹃予測回避﹄ だ。﹃予測回避﹄はともかく、﹃秤﹄には興味があるな。 え? 予測回避されたら攻撃が当たらないだろうって? 馬鹿な こと言っちゃいけないよ。瞬間移動でもない限りは魔法の誘導や、 場合によっては広範囲の土や氷による埋め立てなんか回避できるも んか。名前から言って肉弾戦や射撃戦では有効だろうがな。バカ正 直に相手の土俵に立つ必要はない。 また、彼女の出身地は転生者が転生してきた範囲では南東の端っ こだという情報もあった。俺の場合は西の端だったらしいから、あ と一人か二人くらい別の方向で端っこだという奴がいれば大体の範 囲がわかるだろう。正確な地図なんかない。適当でもいいのだ。 だが、デーバス王国内にも転生している奴らがいるという情報は ベルが生き証人でもあるから、これは大きい。ことによったらカン ビット王国やバクルニー王国、グラナン皇国なんかにも転生してい る人がいるのかも知れない。 なお、拷問して︵と言っても蹴っ飛ばしたり剣をちらつかせたり と言った可愛いもののようだったが︶わかった今回のデレオノーラ の事件の内容は、 1291 ・たまたま街角でベルに目をつけた ・日本人っぽかったので注目していた ・セマヨースケという人物を探しているようだったので日本人だと アタリをつけた ・郊外に拠点を準備した︵準備には場所探しも含めて、ひと月近く もかけたそうだ︶ ・金で雇った男に伝言を頼んだ ・のこのこ現れたベルに自分がセマヨースケだと誤認させた ・丘を登ってきた彼女に麻痺の薬入りの水を飲ませた ・麻痺で昏倒した彼女を担いで拠点まで移動した ・あらかじめ用意してあった杭にベルの手足を縛り付けた ・解麻痺の薬を飲ませた ・いよいよお楽しみという段になって俺が突入 というものだったらしい。まぁ殆ど予想通りだったな。 ﹁で、ラルファ、確保してあるんだろうな?﹂ ﹁え? 何を?﹂ おいおい、勘弁してくれよ。 ﹁麻痺の薬とその解毒剤? 解麻痺の薬だよ!﹂ 決まってんだろうが。 ﹁え? もう残ってなかったし、だいたい証拠品でしょ?﹂ あああああああ、一滴でも残ってりゃ鑑定できたのに⋮⋮。まぁ 奴隷が手に入れられるようなものならその気になりゃ手に入るか。 1292 魔石を利用して色々な薬品を作っていることもやっているらしいか らな、この世界は。バルドゥックならそういうのを扱っている店も あるんだろう。 ﹁それもそうか。仕方ない﹂ ここでハタと思い出した。そう言えば今朝倒したスカベンジクロ ウラーは麻痺の特殊技能を持っていた。麻痺になった場合、それを 取り除くには魔法的な解麻痺の薬か魔法しかないと鑑定ウインドウ には書いてあったと思う。俺、麻痺も解麻痺もそんな魔法知らない ぞ。使ったことねぇし⋮⋮解毒の要領でいいのか? なんとなく地魔法と水魔法、無魔法の組み合わせで行ける気もす るが、それぞれどの程度の魔力を注ぎ込めばいいのか⋮⋮。いざと いう時に使えませんでした、とか発動まで15分かかりますじゃお 話にならない。これは後で練習しておく必要があるな。多分、あの 鑑定ウインドウの内容だと麻痺中でも魔法は使えそうな気もするけ どね。意識はあるようだし。だけど、そういう問題じゃない。 ﹁なによ、急に黙り込んで。⋮⋮怒ったの?﹂ ちょっとラルファが心配そうに声をかけてきた。 ﹁あ、いや、違う。別に怒ってないよ。ちょっと考え事。俺は麻痺 も解麻痺も魔法でやったことがないから、練習が必要だなってさ﹂ ﹁あ、そっか⋮⋮ごめんなさい。そこまで考えが回らなかった⋮⋮﹂ ﹁いや、いいんだ。気にするな。あいつが手に入れられるなら俺た ちにだって手に入れられるだろ。奴隷が買えるなら値段もそう高く 1293 ないだろうしな﹂ 俺は申し訳なさそうにしているラルファに明るくそう言うと、言 葉を継いだ。 ﹁で、話は変わるが、明日は迷宮に行く前に朝少しだけベルのお手 並みを見せてもらおうと思う。あと、買い物だ。俺たち三人分の毛 染め液だか毛染め薬だかを買う。バルドゥックは大きい街だから手 に入るだろ﹂ 俺はそう言うとベルを見た。ひょっとしたら反対されるかも知れ んと思った。 ﹁勿論私の腕を見せることは問題ありませんが、何故毛染めが必要 なのでしょうか?﹂ ベルは不思議そうに質問してきた。すると、ラルファが以前俺が ラルファに言ったような事を言う。だから何でお前が自慢げに言う んだよ。いいけどさ。ベルは納得したようだが、セマヨースケがこ ちらを見つけづらくなることを心配しているんだろうな、あの顔は。 ﹁ベル、これは俺の考えだけど、俺は今までにあんたと今日の奴と を含めて五人の転生者に会ったことがある。俺も入れると合計六人 だな。実は最初の奴に会った時に気がついたんだが、もう確信した。 転生者は多分全員日本人なら黒髪黒目だ。ひょっとしてあの事故の 犠牲者に外人がいたら、そいつは違うのかもしれないが、﹃報道番 組の録画﹄のようなものを見たろ? あれで﹃報道﹄されていたのは日本人の名前だけだった。いちい ち全員覚えちゃいないがね。日本に﹃帰化﹄した外人、という線も 否定できなくはないだろうが、そんな低確率の問題を心配しても始 1294 まらない。 だから、転生者は全員黒髪黒目だと思ってもいいだろう。 これは可能性の問題だ。さっきラルファが言ったように、ここは 王都のお膝元と言っても良い街だ。ロンベルトの王族に転生者がい てもおかしくは無い。勿論、ロンベルティアって王都は人口も20 万人くらい居るらしい巨大な街だから確率から考えると王族に転生 している人はいない可能性の方が高いとは思う。 だが、いないとも限らない。だからこれは﹃保険﹄みたいなもの だ。日本に﹃帰化﹄した外人があの事故に居合わせた確率と王族に 転生した確率がどちらが高いかとかいう問題じゃない﹂ 俺がそう言うとベルは納得した顔をして言った。 ﹁確かにアルさんの仰る通りですね。私も自分が黒髪黒目だという ことは知っていましたが、ほかの転生者が同じように黒髪黒目だと いうことも知りませんでした。洋介もほかの転生者に出会っていな ければ知らないでしょうね﹂ うん、俺もクローの顔を見るまでは顔つきはともかく自分だけが 偶然に黒髪黒目だと思ってたよ。 ﹁そうだね。私も一緒。アルと出会って日本人だろうって気がつい たときはびっくりしたから。それにさ、黒髪黒目は珍しいけど、黒 髪だっているし、黒目だっている。赤い髪もいれば赤い目もいる。 赤髪赤目だって黒髪黒目みたいに珍しいんじゃない? 同じように 茶髪茶目も珍しいような気もするし、青髪青目だって珍しいと思う。 何より、私たち三人が全員黒髪黒目ってのはこれはもう﹃ヤバイ﹄ でしょ﹂ なにがヤバイんだよ。小娘。だが、お前の言うことは尤もだ。 1295 ﹁そうだな。確かにラルファの言う通り、あまり神経質になること もないかも知れない。だけど、きっと身体的特徴で探される場合、 まずは黒髪黒目だ。全員髪の色は変えたほうがいいだろうな﹂ 俺がそう言うと、ラルファとベルは何色にしようか悩み始めたよ うだ。何色でもいいよ、もう。 夜も更けてきた、明日も五時前には起きるのだ。皆もそろそろ眠 いだろう。ちょっと一人で考えたいこともあるからここで解散しよ うか。 ・・・・・・・・・ 7442年6月5日 翌朝、ベルの弓の腕と剣の腕を見せてもらった。期待にたがわず 素晴らしい弓の腕は今後大きな戦力になるだろう。剣の方は特筆す るようなものではないが、身を守るくらいは出来るだろう。 また、ラルファ同様に彼女にも魔法を教えることになった。MP も高いし、もし魔法が使えるようであれば充分に大きな戦力になる であろうことは疑う余地はない。是非魔法を覚えてくれ。 なお、契約だが、またもラルファがちゃんとした契約書を作れと うるさかった。内容はラルファやゼノムと交わしたものと殆ど一緒 1296 だが、解除条件として﹁セマヨースケと相談して決定する﹂という のを追加した。これはどうしようもなかった。最初は﹁セマヨース ケを発見するまで﹂と言われたんだ。怪しまれないようにここまで 交渉するのに骨を折った。まぁ仕方ないけどね。 髪染めは俺が赤、ラルファが金、ベルが濃い青になった。俺とベ ルは多少色が落ちたり、髪が伸びても誤魔化しやすい色にしたんだ。 だけどラルファのアホタレは茶色にしとけという俺たちの忠告を無 視して金髪にしやがった。 ﹁昔から一度金髪にしてみたかったんだよねぇ﹂だってさ。 色落ちしてきても金は手前ぇで払えよ、スカタン。因みに、染め たあとの顔を見てお互いに﹁似合ってない﹂と笑いあった。 さて、もう朝の十時を回った頃だ。今日も迷宮に潜りますかね。 今日からは相手がノールやゴブリンなど、それ程強敵そうでもない 場合、前衛をゼノム、ズールー、ラルファに任せて後ろからベルに 援護させてみよう。狭い場所で相手が10匹や20匹くらいなら何 とかなるんじゃないか。 迷宮の中で弓がどの程度使えるかも分からんしな。俺は周りの警 戒だ。あんまり苦戦するようなら都度魔法や銃剣で援護してやれば いいだろう。ついでに細かく鑑定して経験値の入り方でも研究する か。ある程度はバークッドでの夜間の狩りから得た情報で予測はで きるが、いまいち確信を持てないでいる部分も結構あるんだよ。 あ、あと紙と筆記具も買っておいたほうがいいな。地図を作成し ながら入ったほうが今後の効率も考えるといいだろう。場合によっ ては思い切って地図を買ってしまうのも⋮⋮いやいや、80万Zは 1297 大金だ。無駄遣い厳禁。 昨日と同じように﹁ケ・ル・ル・ヘ﹂と言う、意味のない呪文を 唱えて迷宮に挑む俺たち五人。さあ、ここからは気を張り詰めてい かないとな。早速鑑定の視力で前方をスイープしながら辺りを見回 す。昨日は洞穴の行き止まりのような場所に転移してきたが、今日 は長く続く洞穴のど真ん中のようだ。 む、どっちが北だか南だか判らん。 思わずラルファに空間把握の固有技能を使ってくれ、と言いそう になったが止めておいた。ラルファは無魔法を覚えたとは言え、そ の特殊技能のレベルはまだゼロだ。MPも増えていないから3しか ない。自然回復も望めないから、万が一の時にまずいことにでもな ったら大変だ。 いつかのホーンドベアーのようにMPを減らされでもしたら目も 当てられないことになる。あの時、ケリーは僅か数秒程度で無力化 されてしまったのだ。 ここは当分ガマンガマン、と思い、適当に紙に通路を書き込もう としたら、 ﹁北はあっちね。あと、多分傾いてはいないわ﹂ とまだ白紙の紙を覗き込みながら言ってきた。こ、この野郎、い つの間に使いやがった⋮⋮。鑑定の視力のままだった︵鑑定で輝度 を上げたほうが薄暗い洞穴の中で何か物を書くのには便利なのだ︶ ので思わず鑑定したら案の定MPは2になっていた。せっかく俺が 気を使ってやったのに。お前の安全の為なんだぞ、と言えないのが 1298 もどかしい。 俺は、﹁あ、ああ、すまんな﹂としか言えず、地図を書き始めた。 とにかく現在地が解らないので紙の真ん中に斜めに線を入れた︵ ラルファの指示してきた北は洞穴の伸びる方ではなく斜め方向を指 していたのだ︶。これはラルファの魔法の特殊技能のレベルアップ も急務だなと思いながら線を引き終わった俺は、どっちを選ぼうに も何の材料もないので﹁じゃあまずはこっちに行ってみるか﹂と言 ってそろそろと歩き出した。 1299 第二十七話 また遠のいた 7442年6月5日 しばらく進むと洞穴は昨日とは打って変わってクネクネと曲がり 始めた。これじゃ地図なんかまともに書けない。まだ分かれ道こそ 無いが最終的にどちらの方向を向いているのかなんて分かりっこな いわ。本当にラルファのMP増量を急がなきゃな。何とかMP7ま で上げることさえ出来れば5分おきくらいには正確な方向を確かめ られるのだ。既に地図を書くのを諦めた俺はそう考えながらも先頭 を行くゼノムの背を見ながら用心を怠ることだけはしなかった。 ゼノムは罠がないか慎重に地面の様子を確認しながらそろりそろ りと進んでいく。そろそろズールーとでも交代させたほうがいいだ ろう。その時、ゼノムがぼそりと言った。 ﹁これは、棒か何か長い竿が欲しいな。流石に疲れる﹂ 竿か、確かにな。 ﹁そうだな。帰ったら用意することにしよう。ズールー、先頭を交 代しろ﹂ 俺はそう言って今度はズールーを先頭に立たせるとまたそろそろ と進んでいく。ゼノムは最後尾で警戒だ。 その後、しばらく進むと俺の鑑定が前方にモンスターの集団を捉 えた。鑑定してみるとノールだ。ひのふのみの⋮⋮十三匹か。ちょ 1300 うどいいな。俺はズールーの肩に手をかけ、進行を止めると後ろを 振り返った。 ﹁魔物の気配だ。多分ゴブリンか何かだろう。数はおそらく十ちょ い。音を立てておびき寄せよう。ゼノム、ラルファ、ズールーが前 に立って迎え撃つ。俺とベルは後ろから支援する。いいな﹂ 小声でそう言うと、隊列を整えさせた。俺はズールーに声を上げ て魔物をおびき寄せろ、と指示をすると最後尾に下がって督戦する ことにした。当然後ろからの襲撃に対して注意を払うのは俺の仕事 だろう。まぁ一本道だったから多分大丈夫だろうけどね。 ズールーが何やら大声を上げた。意味のある言葉ではないようだ が、鬨の声かなんかだろう。ノール達はすぐに気がついたようでこ ちらに向かって走ってきた。さて、鑑定ウインドウを開いてゆっく り観戦でもしようか。誰を鑑定していようかな? ここはラルファ にしておくか。前衛に立っている三人の中では一番非力だしHPも 低いしな。 ゼノムを真ん中に左翼にラルファ、右翼にズールーというポジシ ョンで横一列に並んだ俺たちを三人しかいないと見たのだろうか、 ノール達はギャルギャル言いながら駆け寄ってきた。途中で先頭の 一匹をベルが弓で撃ち抜いた。胸のど真ん中に矢を突き立てたノー ルはもんどりうって倒れたようだ。先頭のノールが倒れたため、元 々隊列すら無いようであったノールの群れはもうぐちゃぐちゃにな りながら突進してきた。 乱戦になったらまずいかも知れないな、と思いながら、いつでも 援護できるように銃剣を構えながら三人を見ていた。勿論左手はい つでも魔術を放てるように力を抜いている。だが、俺の心配を他所 1301 に、三人は落ち着いてノールに対処しているようだ。ノール達は短 槍を使っているようで、リーチに不利なゼノムとラルファは完全に 防御に徹して時間を稼ぐことだけを考えているようだ。彼らの隙間 を縫ってたまにベルが弓を放つ。 流石は﹃射撃感覚﹄の所有者だ。ラルファの鑑定ウインドウを開 きっぱなしだから固有技能を使っているのかどうかは分からないが、 今のところ百発百中で矢をノールに命中させている。ズールーの方 は両手剣のリーチがあるので、槍を叩いたりして体勢を崩したノー ルの隙を突いて剣を突き込んだりして倒しているようだ。 ショートソード うーん、判りにくいな、こりゃ相手が悪かったな。経験値の分析 については剣や棍棒を使うような相手の方が良いかもしれない。少 なくともゼノムとラルファのリーチ短い組みも相手に攻撃を当てら れるような環境が望ましいな。 おっと、サボっていると思われたら心外だ。一匹くらい倒してお くか。様子を見ながら適当な奴にでも﹃ストーンアロー﹄をぶち込 んでおけばいいだろ。そう思っていたが大した危機もなく戦闘は終 わってしまった。ノールやゴブリンなんて子供に毛が生えたくらい の相手だしな。最後に残った三匹もゼノムが逃げる背中に手斧を投 げて一匹仕留め、残りの二匹はベルがこちらも背中に矢を撃ち込ん で華麗に始末していた。 こちらが何人かいてお互い連携していればそうそう遅れを取るこ ともないか。やはりオークやホブゴブリン位の相手じゃないと苦戦 することもないだろうよ。十三匹のノールの死体の胸を割いて魔石 を取りながらそう考えた。あ、俺だけ四匹も割いてるじゃんか。皆 遅いんだよ。ゼノムとラルファが三匹づつ、ズールーが二匹、ベル に至ってはたった一匹だ。 1302 前世からハゼのような小さなものから1m超のヒラマサまで沢山 魚を捌いていたから、骨に沿って刃物を入れるのは得意なんだけど、 それよりも記憶力の方が大事だ。骨や内臓の位置や形状、魔石がど の辺にあるのか、そのためにはどの辺から刃を入れたら効率的か、 そういう事は慣れと記憶力が物を言う。魚だって内臓全部を捨てる わけじゃないからな。食う場所だって結構あるんだ。 あ、誤解される前に言っておくけど、魔物の肉なんて滅多に食べ られていない。少なくともノールだとかオークだとか、人間型をし て、こちらとは意志の疎通が出来なくても魔物同士お互いに何らか の意思の疎通があるようなモンスターなんか誰が食いたいと思うよ ? 前世だって誰も猿を食っていなかったろう? あ、中国人は猿 食うんだっけ? ホーンドベアーは角の生えた熊にしか見えないし、ジャイアント トードやグリーンクロコダイルなんかも人型をしていないから食べ られていたのだ。まぁよほど飢えていたら食うかもしれないが、そ れだって緊急避難みたいなもんだろ。旨いとか不味いとか以前に気 持ちの問題だ。 魔石を採り、またさらに奥へと進んでいった。 ・・・・・・・・・ 今日はほかの冒険者の遺品を手に入れたり、スカベンジクロウラ 1303 ーのようなヤバイ大物に出会うこともなく何度か戦闘することが出 来た。勿論スカベンジクロウラーみたいな奴が出てきたら危ないか ら有無を言わさず俺が魔法で仕留めるつもりだったけどね。俺は戦 闘時には殆ど手を出すこともなく、周囲の警戒に努めながら経験値 の分析をしていた。 簡単に言うと、モンスターのレベルとHPを乗算したものが経験 値になる。何となくそうじゃないかとは思ってはいたが、俺の場合 ﹃天稟の才﹄の固有技能があるので計算が面倒だから今までは放っ ておいていたのだ。また、モンスターが特殊技能を持っているとそ の限りではないようで、少し経験値が増えるようだ。これは一定値 なのかどうかまではまだ分からない。何割か乗算されているのかも 知れない。そもそもサンプルが少なかった。ホブゴブリンは三匹し か出てこなかったし。場合によっては特殊技能の種類によっても変 わるのかも知れないしな。 なお、殺さないでダメージを与えただけだと経験値は増えない。 但し、そいつがその後死んだ場合は増えていた。つまり、ゼノムで も誰でもいいが、一撃をモンスターに食らわせる。だが、モンスタ ーがその一撃だけで死ななかった場合、経験値は入らない。しかし ながらその後更にもう一撃加えてモンスターを倒したのであれば当 然経験値は倒した魔物の分だけ加算される。これも予想はしていた。 俺が知りたかったのはゼノムが一撃、その後ラルファがもう一発入 れてそれで死んだような場合だ。この場合、経験値全てがラルファ に入るのか? それが知りたかった。 結論を言うとそんなことはなかった。さっきの例を取るとゼノム にもラルファにもそのモンスターが死んだ時点で経験値が入ってい た。量はその時々によって違っていたようなので、ひょっとしたら 与えたダメージ量に応じて分配されているのかも知れない。戦闘に 1304 参加せず、落ち着いて眺めていられたからこそ解ったことだ。 そう言えば、得られる経験値で不思議に思っていたことがある。 バークッドではダントツで親父のレベルが突出していた。お袋も親 父より1レベル低いだけで突出していたと言ってもいい。夜中に狩 りに行くようになって一時は納得していたのだが、モンスターを殺 すと経験値が入る。これはいい。だが、狩人のドクシュ一家はどう なのだ? 息子のケリーは兎も角、親父さんのザッカリーはレベル 10、お袋さんのウインリーはレベル9だったはずだ。彼らは狩り の途中で出会ったモンスターも殺していたろうが、獲物になる動物 を日常的に殺していたはずだ。 俺は狩りの時にはモンスターしか殺さないようにしていたのであ まり気になってはいなかった。漁師はバークッドには居なかったが 魚を獲る漁師だと大量に殺す事になる。釣りなんかだと大物が釣れ た時なんかはすぐに締めてその場で殺してしまうが、漁だと滅多に そういうことはしないからだろうか? 船に引き上げて窒息死させ るのも殺すうちに入る気がするんだが⋮⋮。それを言うならゴブリ ンやコボルドなんかも小動物を狩って暮らしているはずだ。毎日か 何日おきなのかまでは知らないが、日常的に何らかの動物を殺して いないとおかしい。殺せば経験値が入るはずだから、なんぼなんで も2レベルとか3レベルってのは低すぎる。 あの俺が狩りまくっていたラージリーチですら10ポイントくら いの経験値が入るのだ。そういやあいつも特殊能力で﹃吸血﹄なん てのを持ってたな。あれも加算されていたんだろうか? 普通の狩 りや漁なんか行かなかったから普通の生きた動物を鑑定した記憶は 薄い。何匹か見たこともあるが、内容なんかいちいち覚えているわ けもない。鑑定した動物の殆どが〇〇の死体ってなった後だしな。 あ、そう言えば豚と鶏のレベルは0だった。あいつらは自分の力で 1305 餌を取ったりしていないから仕方ないのかもしれないけど。馬もレ ベル0だな。俺の軍馬ですらレベルは0だ。軍馬ならそれなりに訓 練されていると思うんだけどなぁ。 え? 釣りやんなかったのかって? 針もないし、糸だってバー クッドでは貴重なんだ。だいたい俺は海釣り派なんだよ、ハヤみた いなちっこい魚くらいしかいないような川しかないバークッドでど うやって何を釣るって言うんだ。海までは5kmくらいあるんだぞ。 しかも魔物の棲む森を抜けて行かなきゃならないし。そんな状況で 誰が釣りになんか行くもんか。 いい頃合になったので迷宮の帰り道の途中、ローテーションで安 全な列の中央辺りになった際にこんなことを考えていた。あ⋮⋮そ う言えば、豚の解体や鶏を締めるのを何度も見たことはあるが、魔 石はなかった⋮⋮。MPがないと魔石が出来ないのか? ラージリ ーチですらMPはあったし⋮⋮。一回しか見たことはないけれど、 ブラウンスライムにもMPはあった。まぁ全部が全部の謎がそう簡 単に解けるわけもないか。 ・・・・・・・・・ ゴブリンの魔石が価値平均で150くらいが27個。ノールの魔 石は2000くらいの価値のものが21個。オークの魔石は450 0くらいのが12個。ホブゴブリンの魔石も4500くらいのが3 個。 締めて113214の価値の魔石を回収出来た。80万Zくらいの 1306 売上になった。ゼノムとラルファとベルに銀貨を2枚づつボーナス として渡し、皆で晩飯を食いに行った。 一応、予定通り明日は休みにした。皆にゆっくり休んでくれと言 い置いて、一人、宿屋に向かう俺。ほかの四人は一緒の宿なんだよ なぁ。俺だけぼっちとか⋮⋮。あ、いい機会じゃんか、お楽しみに 行っちゃおうかな。今日だけで70万円以上稼いだようなもんだし、 少しくらい楽しんでも⋮⋮別にいいけど、今日もまだランニングを していないことを思い出してしまった。昨日もなんだかんだでラン ニングをしていない。二日連続でサボっちゃダメだろ。明日は休み なんだし、明日でもいいじゃんか。逃げたりしないさ。 腹ごなしも兼ねていっちょしっかりと走り込みますか⋮⋮ ・・・・・・・・・ 7442年6月6日 日の出前に起き、もそもそと服を着ると、朝飯を食いに行った。 卵の入ったオートミールとスズキだかなんだかの白身魚のソテーの 朝飯を食って豆茶を啜ると頭もしゃっきりとしてきた。今日はお楽 しみに行こう。そうしよう。一度宿に戻り、銀貨を7∼8枚ばかり 財布に入れ、洗濯物をカゴに入れて廊下に出しておいた。 ぶらぶらと散歩がてら見て回って良さそうな店があったらフリー で入ってみよう。そう考えてハタと気づく。そう言えば指名制って 1307 あるのか? キールの﹃リットン﹄ではセバスチャンが女を並べて 選ばせるような感じで連れてきたことがあった。あの中から選べと 言うことなのだろうが、あれは俺がウェブドス侯爵のプレートを見 せたからだという気もする。特にそういった事のない普通の客だっ たらどうなのだろうか? 俺が経営者ならフリーで入ってきた、常連ではない客の場合、あ まり客のついていない女の子をまず付けるだろう。新人とかさ。そ の後何度か来るようであればアンケートなどで客の好みを把握して その客が好みそうな女の子を付ける。顔や体、サービス、話など客 が何を好むかわからないし、そうやって少しづつ常連となるような 客を増やしていくしかないのだ。うむ。そういやジャバは元気だろ うか? 風俗店の経営をやらせておくには惜しいほどの男だった。 顔は二度と見たくはないが。 ま、いいさ、こんな小難しいことなんかどうでもいい。俺は休暇 を楽しむためにうろつき始めたんだから、ぱぁっと楽しめばいいの だ。そう思って飯屋ではなく飲み屋の多いと言われている六番通り を目指して歩んでいく。飲み屋が多ければ繁華街だろうし、繁華街 であれば風俗店も傍にあるだろうという安直な考えだが、あながち 外れた考えでもなかろうよ。 うろうろとかなり遠回りをしながら町並みを眺めつつ六番外へと 近づいていく。ああ、お楽しみを終えたら本気でバルドゥックの街 を把握すべく、歩き回ったほうが良いかもな。単純な作りの街だけ ど、実際に歩いて見て回ったほうが覚えられるだろう。 ﹁ジョシュアよう、今日も行くのか?﹂ ﹁おうよ、休みだしな。昨日も稼げたし、腰が抜けるまでやるぜぇ﹂ ﹁本当、好きだなお前ぇ。変な病気もらったばっかだろうに。その 1308 ご面相じゃ断られるかもしれないぞ﹂ ﹁へっへ、﹃ルクソー﹄なら大丈夫だよ、あそこは金さえ払えば入 れてくれるさ﹂ ﹁んな安い店ばっか行ってから、そうなるんだよ﹂ え? 思わずジョシュアと呼ばれた奴の方を見て鑑定してしまっ た。︻状態:病気︵性感染症︶︼だった。うーん、梅毒とか淋病と かエイズとか病名まで出てくれるわけじゃないのか。鼻に醜い痘痕 のような腫瘍みたいなものが出来、とても見られた顔じゃない。お おまかに表記されただけの鑑定ウインドウを消すと、更に考え込ん だ。ここは地球じゃない。梅毒だとか淋病だとか地球と同じ病気だ けがある訳じゃないかも知れない。俺の知らない病気なんかがあっ たらまずいのかな? ポケットの中のゴム袋を弄びながら考える。 魔法では病気を一発で治せない以上、お楽しみは考え直したほう がいいのだろうか? ことが済んだら暫く治癒魔法を定期的に掛け てみれば大丈夫だろうか? 風邪くらいなら初期であればそれで治 せるんだよな。絶対大丈夫な相手を選ぶ方法は⋮⋮女の子を鑑定し てみて状態を見てみるのも手かも知れないが、潜伏期の病気まで鑑 定出来るのかね? 梅毒やエイズなんて、潜伏期は年単位だぞ。長 い時は10年以上だ。そんなとこまで鑑定できるのだろうか? 焦って変な病気でも貰ったらコトだ。幾らコンドームがあったと しても、絶対じゃない。どんなに短く見積もってもどうせ一年以上 はこのバルドゥックに釘付けだろう。商売女も出来るだけ沢山鑑定 してみて安全を確認してからの方が良くないだろうか? だいたい、 性病なんて貰ってきたらラルファやベルに軽蔑されそうだ。幾らな んでも部下である彼女たちにそういう見方で軽蔑されるのは避けた い。 1309 ああ、彼女たちは変な病気を持っていないからって、ラルファと かベルを相手にするなんて全く考えられない。見た目だって俺の常 識からすりゃまだ子供だ。まぁ見た目は俺も同じだけどさ。とにか く、それもあって俺はラルファのMP枯渇問題には神経質なんだよ。 それに、俺は社内恋愛に対しては否定的な見方をする方だ。仕事の 間柄で恋愛関係に発展した場合、良い事なんかあんまりないんだよ。 社内恋愛するなら結婚するくらいでなきゃ認めん。結婚するなら良 いよ。 え? ラルファはズールーのことを気に入ってるんじゃないかっ て? いやいや、流石に本気では言っちゃいないと思うよ。だって、 ズールーは亜人だしね。前世でもさ、俺は黒人の女性に性的魅力を 感じなかった。いや、人種差別の話じゃない。だが、人種が違う︵ そもそも亜人は人間じゃないから人種がどうこうとは別問題だけど︶ のであればなかなか好みにはなりずらいのは本当らしい。 国際結婚が珍しいのは単に知り合う機会が少ないことも大きいの だけれど、この相手との子供が欲しいか、という生物としての根源 的な欲求もあるという説もあるらしい。オースでも種族を超えての 婚姻はあるが、やはり前世の国際結婚並みに珍しいことだし、子供 が出来難いという弊害もある。子供が出来難いのであればヤリ放題 じゃんかという意見もありそうだけどね。それはそれ、これはこれ。 一夜の遊び相手ならそれもいいさ。だが、俺は婚姻を前提とした話 をしているんだ。 だから、ラルファとズールーが結婚したいと言うなら反対なんか しないが、単に付き合っているとかっていうのは⋮⋮。そんとき考 えよう。あ、ベルは恋人が居るんだよな。相手がまだベルのことを 好きなのであれば結婚すればいい。そうでなきゃそんときはそんと きだ。なるようにしかならんだろ。 1310 なんか醒めた。若いんだから走って発散した方が良いかも知れな い。だいたいまだ十四歳だ。こんな年齢で娼館通いもいかがなもの かと思う。俺のこの自制心もいつまで続くかは知らんが⋮⋮多分あ んま長続きはしないだろうな。 うつ 格好をつけたように聞こえたかもしれないが、その通り。俺の本 音は単純だ。よく考えれば性感染症を感染されたら嫌だ。魔法で治 せるかも知れないが、魔法はイメージ力が物を言う。だから、もし 俺の知らない病気なんかだと直せないかも知れない。それから後悔 しても遅い。従って、誰か別の奴でテストしてからじゃないと遊ぶ に遊べないってことだ。 うつ もっと簡単に言うと、誰か健康な奴を数人くらい目星をつけて、 そいつらに性病を感染させる。で、俺が魔法で治せるか試す。OK なら大手を振って安心して遊べる。ダメなら風俗店で遊ぶのは何ら かの理由で俺のMPがゼロになって性欲を抑えきれない時に限定さ れるだろう。 うつ あ、誰かにコンドームを使って何度か遊んでもらって、どれくら いの確率で感染るのかの統計も欲しいな。恐らく数%、悪くても2 0%は超えないくらいだろうが、そう考えるとキールを出たのは早 すぎたかな? ﹃リットン﹄のジャバ、もといハリタイドなら喜ん で協力してくれそうだったのに⋮⋮。 ズールーを使う? おいおい、コンドームにもサイズってもんが あるのを忘れてやしないか? あいつ、身長は190cmくらいあ るんだぞ。俺より頭一つくらいでかいんだ。⋮⋮悔しいが、俺の手 持ちの奴はМサイズなんだよ。Sじゃないところに変なプライドが あるが、実はそもそもSサイズを作ってなく、サイズはМとLしか 1311 ないのは俺とあんたの秘密にしといてくれ。あ、六つ上の兄貴はL なんだ。兄貴は全てにおいて大きな男だからな。 よし、そうと決まったらここは長期戦の構えでいいだろう。繁華 街のど真ん中とは言え、もともと酒場の多い通りだから閉めていな い店だってあるだろうよ。そこで通りを眺めて鑑定しまくってみよ う。いささか俺の主義に反する部分もあるけれど、最終的には感染 症を防ぐことにつながる可能性も高いし、何より俺が楽しめるかど うかと言う崇高な目的を叶えるためだ。鑑定も状態しか見ないよう にしよう。っつーか、余程の事でもない限り名前とか興味ねぇし。 適当な酒場の、通りに面したテーブルに陣取ると道行く人々をM Pに任せて鑑定しまくった。すぐに後悔した。記録を取って統計を 取らなきゃあんま意味ねぇ。俺の主観になっちまうよ。面倒だが筆 記具を用意して出直そう。あ、目的はこの繁華街をうろつく人のう ち、どのくらいが鑑定の性感染症に引っかかるかという割合な。 ・・・・・・・・・ 宿へ筆記具を取りに行こうと、またてくてくとバルドゥックの道 を歩いていたら、声をかけられた。ベルだ。何か用でもあるのかと 思ったら、何でもラルファ達と話し合って手分けして探し物らしい。 探しているのは靴だそうだ。定収入も出来たことだし、まず靴を買 いたいと言うことだった。で、どうせ買うならちゃんとしたゴム底 の靴が欲しいとの事で、靴を売っている店のついでに俺を探してい たのだそうだ。 1312 うーん。ここでゴム底の靴なんて手に入らないと思うけどな。サ ンダルなら可能性もあるような気もしないでもないが、靴はウェブ ドス騎士団に納めているゴム底のブーツしか作ってないはずだ。俺 の編み上げブーツも一品ものだしなぁ。俺が家を出るとき、ごく少 量ではあるが騎士団に納めているブーツと同じものをウェブドス商 会にも入れ始めた頃だ。ゴムはともかく、元になるブーツの生産が 追いつかないんだよ。 俺は話しながら彼女の足を見るとラルファ同様に裸足で、指先の 爪も固くなっているようだった。この分じゃ足の裏の皮も厚くなっ てるんだろうな、などと思って気の毒そうな顔をしたら、ベルは恥 ずかしそうにしていた。もう見られているからか、開き直った顔で 言う。 ﹁とても女の子の足には見えませんよね。家でも両親や兄だけは靴 を持っていましたが、私たち下の兄弟姉妹には靴はなかったんです。 準男爵家とは言え、それ程裕福なわけでもなかったですから⋮⋮外 反母趾の心配がないのだけが唯一ましな点でしょうか﹂ うん、俺もこの靴を作ったのは家を出る時だったから、それまで は裸足だったよ。それどころか長兄であったファーンですら騎士団 に入団する時まで靴を貰えていなかった。実家の財布は俺の家の方 がきつかったと思うよ。それはともかく、ゴム底の靴か⋮⋮。 ﹁うーん、ゴム底の靴ねぇ。多分見つからないか、あったとしても 目の飛び出るような値段だと思うよ。普通のサンダルなら3000 Zくらいだし、革ブーツでも15000Zも出せばそこそこの買え るからそっちにすれば? 正直な話、ゴム製だとどっちも卸値でそ の十倍以上するぞ﹂ 1313 俺は忠告のつもりでそう言った。 ﹁うん、それはラルからも聞いてました。でも、革底だと修理です ぐにお金が掛かるんですよ⋮⋮サンダルだと使い捨てのようなもの ですし⋮⋮﹂ 確かに、普通の革サンダルだと一週間も連続で外、と言うか畑仕 事や隊商の護衛をしたら使い物にならなくなるらしい。街中や家の 中で履くものだ。ブーツの方はサンダルと比べて丈夫に作ってある が、それも護衛などの旅をしたら二週間から三週間で底を張り替え る必要がある。 俺も前世で革底のビジネスシューズを持っていたが、毎日手入れ をしても、外歩きの営業だと一月からいいとこ二月で靴修理屋で底 の張替えだ。あれって一応薄いゴムの底も足裏の中心部と踵に貼っ てあるけど、厚さは1mmあるかどうかだし、そのゴム底が削れて しまうと、あっという間に革底まで削れてすぐに張り替えだ。あま りにもランニングコストがかかるので普段使いなんか御大尽でもな い限り無理だ。と言うよりそもそも通勤以外の外を歩くのには向い ていない。社内の絨毯やフロアタイルの上で履くものだ。俺の場合 はここぞという時の商談に臨む際に履いていた。 ところ変われば贅沢品も変わるもんだなぁ、などと思っても何も 解決しない。確かに靴はあったほうがいい。足の裏の皮が厚くなっ ていたところでゴム底には敵わない。地面の様子を気にせず走れる だけで大きな戦力アップとも言える。これはあれかな? なんとか 手紙でも出してバークッドと連絡を取ったほうが良いだろうな。あ あ、ウェブドス商会でもいいのか。 1314 そう言えば、キールの行政府の冒険者への依頼の掲示板にロンベ ルティアまでの護衛の依頼があったな。キールを出てペンライド子 爵領を抜け、王直轄領に入ってしばらくした頃に馬車が何台も連な った隊商を抜いたな。あれ、いつ頃だっけかな。もう隊商はロンベ ルティアに着いたのだろうか? それともまだ着いていないだろう か? バルドゥックは街の作りが特殊だからわざわざ通り抜けたり はしないだろうなぁ。この街を迂回してロンベルティアに向かうと 思う。 王都に行けばどこかでバークッド産のゴム底ブーツも買えるよう な気もするが、商会に卸してる数なんて10足くらいじゃなかった っけ? すぐに売り切れになってる気もする。このあたりの事情を ベルに説明してやった。とにかく、ウェブドス商会かバークッドに 手紙を出してみようと思っているから、それまでは我慢するか、別 ので誤魔化せとしか言えなかった。 1315 設定資料2︵前書き︶ また設定資料から適当に抜粋です。 読まなくても別に困りませんが、地図くらいご覧いただくとわかり 易くなるかと思います。 なお、本資料はいずれ一章の資料に統合するつもりではありますが、 一章をご覧になっていない方には多分にネタバレの要素を含みます のでこのままの位置に置いておくかも知れません。どうするかは私 の気持ち次第です。これについてご意見を頂いたとしてもその通り には出来ません。たぶん。 1316 設定資料2 ■オーラッド大陸全図 <i96284|9523> 同縮尺程度の日本を対比で載せています。 大体の広さなどを掴んて頂ければ問題ありません。 なお、小説本編では全部の国は登場しない予定です。あまりにも広 すぎますので。 ■オーラッド大陸西部 <i96285|9523> ロンベルト王国とその周辺国 大体の位置関係を見ていただければOKです。 ■ロンベルト王国 <i96286|9523> オレンジ色の円は転生者が転生してきた範囲です。 黒い実線は国境を示していますが、暫定的なもので明確ではありま せん。 国境線はこのあたり、だと思ってください。 また、ピンク色の線は貴族の自治領の境です。この線を跨ぐと法 律が微妙に変わったりもします。ロンベルト王国では貴族領の境界 を直線で構成しています。過去に領土の境界をめぐって国内の貴族 間で内紛が発生し、その際に明確な境界線を定めたことが由来とさ 1317 れていますが、実は初代国王であるロンベルト一世が定め始めたこ とが原因です。 なお、南部と北部に小さな領土が多くありますが、これは国王の 直轄領を少しづつ下賜したことによるものです。流石に古くからあ る公爵家や侯爵家は大きな領土を持っていることが多いですが中に はこの小さな領土に飛び地を持っている上級貴族もいます。自治領 を構えられるのは子爵以上の上級貴族で、男爵以下の下級貴族は上 級貴族の領内に更に小さな自治領を持つことになります。 これは、男爵以下の下級貴族には代官を持つことが許されていな いためです。つまり、男爵以下の下級貴族は大きくても街一つとそ の周辺地域しか領有できません。そのため、街や村の傍に別の集落 は出来にくいです。 ロンベルト王国北部の国境線をご覧いただければご理解も早いで すが、自治領ごと別の国に寝返ることもたま∼にあります。一個ロ ンベルトから隣の国︵グラナン皇国という国です︶に寝返っている ような領土があります。尤もあの辺りは隣の小さな下賜領と合わせ てそもそも隣の国からロンベルトに寝返った感じが、その後更に隣 の国に戻ったという設定です。どうでもいいですね。 また、人口ですがロンベルト王国全土で300万人くらいを想定 しています。人口一万人以上の都市は多くはありません。また、人 口が20万人以上の巨大都市はこの地図中だとロンベルト王国の首 都ロンベルティアだけです。首都の右下の方にくっつくようにして ある人口一万人以上の都市のマークがバルドゥックです。 ■ロンベルト王国地勢図 <i96621|9523> 1318 白い部分は陸地です。海抜0メートルから100メートルまで。 茶色は100メートル以上の山地で色が濃くなるほど高くなって います。 黄緑色の部分は平地です。この範囲内の高低差は10メートル以 内であり、耕作に適しています。但し森林の場合もありますので場 合によっては開墾の必要もあります。海抜は関係ないので高地や台 地状であったりする場合もあるでしょう。なお、地勢図下部のロン ベルト王国とデーバス王国の間に大きく広がる平野は面積だと四国 ちょっとの広さがある、ダート平原です。 なお、ついでですが、水源は別マップにて設定がありますが気が向 いたら上げます。 ■アルの銃剣 <i94610|9523> アルの銃剣ですが、本当の木材だけで作成した初代の銃剣の木銃 は載せていません。初代は弾倉及びグリップはついておらず、本物 の銃剣道に使う木銃を寸づまりにしたような外見です。調べれば画 像は見れるし、つまんないので描きませんでした。初期型から本体 には木材だけでなく、エボナイトを使用しています。現在使用して いる最下部に描かれている二代目はストック部分だけが木材で、あ とはエボナイトで製造しています。フォアグリップもエボナイトで 一体成型になっているとお考え下さい。 なお、最初はbmpで保存していたのですが、いつの間にかjp gになっちゃたので滲んでいるところもありますがご勘弁を。高級 なグラフィックツールなんか使ったことないのでイラストや地図な んかも全部Windows付属のペイントで描いてます。フリーソ 1319 フトもダウンロードしてみましたが、マニュアル読むのに糞時間が かかりそうなので諦めました。 ■能力値 第一章の設定資料だと簡単にしか記載していない能力値についてち ょっとだけ解説します。 ・HP 生命力です。HPが満タンの時に肉体的には最高のパフォ ーマンスを発揮します。減ると走る速さなども落ちると思ってくだ さい。これがゼロになると昏倒して行動不能になります。マイナス の値も存在し、耐久値分のマイナスで死に至ります。なお、HPは 1でも残っていれば行動自体は可能ですが、怪我や傷の種類によっ ては行動どころではありません。例えば腕を切り落とされた場合や、 胴に剣を突き入れられた場合、仮にHPが半分以上残っていても行 動どころではありません。意識はある場合が多いので主人公であれ ば魔法の行使は可能、くらいにお考え下さい。回復方法や上限の上 がる法則などについては一章の﹁第九話 レベルアップ2﹂に記載 があります。 ・MP 魔力/精神力です。こちらもある程度は一章の﹁第九話 レベルアップ2﹂に記載してあります。意志力と言い換えても良い かもしれませんがちょっと異なります。意志力に関わりがあるのは 間違いないですが。 ・筋力 力の強さを表します。どちらかというと瞬発力に近いです。 剣などの直接攻撃のダメージや、命中率︵武器を的に当てる、とい うわけではなく有効打を与えられる、という意味です︶にも関連し ます。なお、以下の能力値にも共通しますが、普段はこの数値の三 分の一から半分くらいまでしか使っていません。全部使うには火事 1320 場の馬鹿力を発揮するような場合です。 ・俊敏 体全体を使った運動など、俊敏さや身のこなしを表します。 戦闘では回避関連に補正がかかり役立つことが多いです。 ・器用 手先の器用さも表しますが、道具を上手く使いこなせるか などや正確な動作が可能かなどに関連します。戦闘では武器の命中 率︵こちらは狙ったところに当てられるか、などになります。例え ば剣で相手の首筋を狙う、などです︶の補正に関連します。 ・耐久 肉体の耐久/持久力を表します。きつい運動を長時間に渡 って行えるか、何か︵苦痛など︶に対してどれだけ音を上げずに耐 えることが出来るかなどに関連します。 ○種族や男女の違いなど 第一章の設定資料だと普人族の男性の能力値表を記載していますが、 あれは、栄養状態も良く、農作業など適度な運動を日常的に行って いると仮定してのものです。栄養状態が悪かったり、運動を殆どし ていないような場合、同じ普人族の男性でもその度合いに応じてい くつかの能力であの表には及ばないことになります。 また、主人公のように適度な運動を超えた﹁体を鍛えることだけを ライ 主眼に置いた﹂トレーニングを日常的に行った場合、あの表を超え る人もいると思ってください。そんな人はまずいませんが。 オス 種族ごとにいくつか設定もあります。例えばズールーのような獅人 族であれば筋力、俊敏、耐久は普人族より優れていますが、器用さ は劣ります。 1321 なお、いずれの種族でも男性より女性の方が筋力で劣ります。少年 期くらいまでは一緒でも青年期などで男性の方に置いていかれます。 その分何かが優れているということはありません。 本当は耐久では女性の方が優れている、という設定も考えましたが、 戦闘においてはあまり関係なさそうなのでオミットしています。出 産時の苦痛に耐えられたり、脂肪を蓄えやすいので体力消費で死に にくいなど、広義の耐久性では現実は女性の方が男性を上回ってい るらしいのですが、能力値では考慮しませんでした。 この部分は能力値とは別だと私は考えました。 また、もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、普通の 健康な大人の倍の筋力を得るのは大変なことです。例えば長剣で切 りつけたダメージを倍にするために︵レベルアップなども駆使して︶ 筋力を鍛えてもそう簡単には倍にはなりません。全部の能力値を倍 にするには転生者でも15∼16レベルくらいは必要ですし、この 世界の人なら30レベル以上というとんでもないレベルが必要にな ります。ついでに言うと能力値の最高は30才位を想定しています が、その年齢まで1レベルの人なんかまずいないので倍にするには もっと高いレベルが必要になります。 なお、25レベルを超えるような人は伝説の超英雄並です。このレ ベルでも一般の人の倍も能力値はありません。単純な肉体的な強さ よりも戦闘などで得た実戦の経験や、稽古で鍛えた腕の方がものを 言います。尤も転生者がこのレベルにまでなれば多少の経験などひ っくり返せるフィジカルを得ている可能性は充分にありますが。 このあたりは一章の設定資料のレベルアップ経験値表︵鑑定の技能 MAXでも見れる︶をご覧いただければある程度ご納得いただける 1322 かと思います。現時点︵二章二十七話︶で登場している最もレベル の高い人物はバルドゥックのトップクラス冒険者でレベルは19で すが、その人の今まで稼いできた経験を倍にしてもレベル25には なれません。 ■固有技能 アルの仲間︵?︶の固有技能設定の公開です。 幕間の登場人物や、まだ登場していない人物の固有技能も殆ど設定 がありますが、ストーリー進行と共に公開するでしょう。固有技能 に気づかないままで死んでいった不幸な幕間の人には固有技能は考 えてません。レベル9の追加能力は本人が使ったあとでないと鑑定 できない設定です。また、固有技能で受動使用のものはレベルゼロ のうちは鑑定できません。 なお、固有技能の使用時ですが、魔法などの特殊技能と異なり、現 在のレベル以下の効果を使用することはできません。例えば鑑定で すが、現在主人公は鑑定のレベルはMAXの9です。しかし、レベ ル2相当の鑑定として使用するのは不可能です。その代わり、全て のレベルにおいて特記事項がない限り使用するMPは1に固定され ています。 天稟の才︵受動使用︶ スキルレベルあり 端数切捨てのため、最初は5以上の経験値を得なければ固有技能は 発動しない。レベル1まで上がれば2.5以上で発動するし、レベ ル2なら1.67以上の経験値獲得で発動する。つまり、天稟の才 による追加で獲得できる経験値が1以上の時でないと発動しない。 従って、最高レベルの9であれば0.5以上の経験値獲得でも発動 する。MPに注意が必要。 1323 0 経験値獲得20%アップ 1 経験値獲得40%アップ 2 経験値獲得60%アップ 3 経験値獲得80%アップ 4 経験値獲得100%アップ 5 経験値獲得120%アップ 6 経験値獲得140%アップ 7 経験値獲得160%アップ 8 経験値獲得180%アップ 9 経験値獲得200%アップ︵特殊技能経験値もアップ・魔法 だけか?︶ 鑑定︵能動使用︶ スキルレベルあり 1レベル上昇で更に詳細に︵名前なら家名の解説、種族なら簡単な 説明などサブウインドウを二階層まで開ける︶ 0 名前 1 性別・種族︵無生物なら材料・組成︶ 2 状態︵病気や麻痺・毒など︶ 3 年齢︵無生物なら作成・加工日︶ 4 レベル︵無生物ならおおよその価値・相場︶ 5 HP/MP︵最大値も︶︵無生物なら耐久値︶ 6 能力値︵無生物なら性能︶ 7 技能︵無生物なら効果︶ 8 経験値 9 ︵次のレベルまでの必要経験値︶︵表形式での経験値表閲 覧︶ 誘惑︵能動使用︶ スキルレベルあり 1324 基本的には性愛的な好意を得ることができる。 0 同種族の異性を誘惑1日間 1 同種族の異性を誘惑1日間 2 同種族の異性を誘惑4日間 3 同種族の異性を誘惑9日間 4 同種族の異性を誘惑16日間 5 同種族の異性を誘惑25日間 6 同種族の異性を誘惑36日間 7 同種族の異性を誘惑49日間 8 同種族の異性を誘惑64日間 9 異性を誘惑81日間︵試さないと解らないだろうね︶ 耐性︵毒︶︵能動使用︶ スキルレベルあり 自己が認識する毒物への耐性 0 毒効果軽減55% 1 毒効果軽減60% 2 毒効果軽減65% 3 毒効果軽減70% 4 毒効果軽減75% 5 毒効果軽減80% 6 毒効果軽減85% 7 毒効果軽減90% 8 毒効果軽減95% 9 毒効果軽減100%︵受動使用・但し以前に経験したものの み?︶ 空間把握︵能動使用︶ スキルレベルあり 範囲内の侵入物検知及び方角などの正確な把握 1325 0 空間把握周囲5m 1 空間把握周囲10m 2 空間把握周囲15m 3 空間把握周囲20m 4 空間把握周囲25m 5 空間把握周囲30m 6 空間把握周囲35m 7 空間把握周囲40m 8 空間把握周囲45m 9 空間把握周囲50m︵全ての異物感知・情報量多すぎて頭こ んがらがるかも?取捨選択の修行が必要か?︶ 射撃感覚︵能動使用︶ スキルレベルあり 使用者の射撃能力の補正 0 射撃能力5%アップ 1 射撃能力10%アップ 2 射撃能力15%アップ 3 射撃能力20%アップ 4 射撃能力25%アップ 5 射撃能力30%アップ 6 射撃能力35%アップ 7 射撃能力40%アップ 8 射撃能力45%アップ 9 射撃能力50%アップ︵MPを1余計に消費して100%ア ップ︶ 1326 第二十八話 推論 7442年6月30日 ベルが俺たちのパーティに合流してから、最初の月が過ぎようと していた。毎週、月・火・木・金を迷宮に挑む日と決め、水・土を 休日と定めた。特に俺のパーティはサーチアンドデストロイで積極 的に戦闘を行っているから迷宮内部での往路はかなり緊張を強いら れ、体力や精神力の消耗が激しい。本当は一日置きに休みを挟もう かとも思ったのだが、今後二層あたりまで行けるようになった時の ことを考えると迷宮内部で夜を明かすことになるだろうから、二勤 一休を基本にした。 約一ヶ月の間、無理はしないように誰かが怪我をしたか、昼飯を 食ってちょっとしたくらいで引き返すようにしている。戦闘は迷宮 に入るたびに毎回のように発生していた。だから、魔石の採取で今 のところは大きな黒字になっている。初日のように、過去の冒険者 の装備品を入手できたようなボーナスこそなかったが、ゼノムと俺 を除いて全員レベルは1づつ上昇している。俺はたま∼に援護する だけに止めていたことと、ゼノムは元々レベルが高いので次のレベ ルまでの必要経験値が無茶苦茶多いからだ。 なお、実家と、念のためウェブドス商会へ手紙は書いた。ラルフ ァたちの足型を紙に描き、それも同封した。ラルファとベルの分は 少し大きめに作って欲しいとも書いたが、バークッドまでどのくら いの時間で届くのかはわからない。最短で、あと4ヶ月くらいでは 品物が届きそうだが、どうだろうか? キール方面へ向かう隊商に 預けただけだからさっぱり予想がつかない。 1327 今日は土曜日なので休みだ。ズールーといつものように朝飯を食 い、食い終わったあとでズールーに今月分の給料だと言って銀貨を 5枚渡してやった。年収60万Z。奴隷を所有していない小さな自 作農より少しだけ多い収入だし、週給1万Zに相当する。正直なと ころ、バルドゥックのような大きな都市だとこの金額だけで生活す るのは困難だが、宿代と食費は全部俺持ちだから奴隷としては破格 の高給だ。だが、この一月の様子を見て決めた。こいつは使える。 よく言う事を聞くし、剣もそこそこ使える。何より忠誠心もあるよ うに見えるので、今後はよほどの人材が現れない限り、俺の奴隷頭 だ。 流石にまだ一月程度の付き合いなので、俺たちが転生者であるこ とは話していない。なんとなくだが、こいつなら複数の転生者が現 れていることによって、今後の勢力争いや転生者を探そうとする可 能性に思い当たるかもしれない、と思ったからだ。現代日本ではな いのだから、引き抜きや裏切りについて神経質なまでに心配するの もどうかと思うのだが、一月程度で完全に人格を見抜けたと思い込 むほど楽天家ではないし、別にいいだろ。一応このことは他のメン バーには伝えてある。 高い給料にしきりと感謝するズールーを他所に、早々に来月の目 標を練る。今月は﹁パーティ内の連携能力を確認・出来れば高める﹂ という隠れた目標を立てていたのだが、まぁクリアと言っても良い から、来月の目標を決めるのだ。 ・一層突破 今のところ闇雲に歩いているだけでろくに地図も書 いていない。無理くさい。 ・ちゃんとした地図を書く ラルファのMPが3の現在の状況で 1328 は非現実的な感がある。毎日二回、固有技能ではなく、魔法を使う ように言っているが、この調子だと無魔法がレベル1になるにはあ と五ヶ月以上かかるだろう。流石に一日三回魔法を使ってMPをゼ ロにするのは年齢から言って避けたい。1%のMP上昇に賭けても 仕方ないし、何よりラルファとゼノムは同じ部屋に寝泊まりしてい るようだから、何かあってからでは遅い。ズールーに夜這いをかけ るなんてのもなんとなく嫌だし。地図は買っちまおうかな。そうし たら一層突破も夢じゃないか⋮⋮。MPが7にさえ、7にさえなれ ばいいのに。もう面倒くさいから晩飯抜きの状態でMPをゼロにし て飯食わせて寝かせちまおうかな、などと考える。夜中に起こして 二回使わせれば一日あたり魔法の経験値を5稼げるから二月半でレ ベルアップだ。だが、皆と一緒にまともに晩飯を食えないのは⋮⋮ 流石に可哀想だ。 ・俺のレベルアップ 目標としては今一な気もするが、本気で一 日中俺を戦闘の矢面に立たせれば一気に解決だ。その気になれば今 日これから一人でだってやろうと思えば出来るだろう。バックアッ プメンバーがいないから無理は禁物だが。わざわざ目標にするほど ではない。 ・戦闘奴隷をもう一人増やす これは良いかも知れない。この一 月の稼ぎは一千万Zを少し超える。ボーナスでゼノム、ラルファ、 ベルにそれぞれ30万Zくらいは渡している。戦闘要員がもう一人 増えれば更に安定した戦いが出来るだろう。親父から貰った金は結 構使ってしまってはいたのだが、元の金額には届かないまでもかな り近いところまでは回復出来ている。ここらでもう一人奴隷を増や すのも手かも知れない。あと数百万Z稼いだら奴隷を買ってもまだ 余裕は残る。これで行くか。 食後の豆茶を啜りながら、心ここにあらずと言った様子で考え込 1329 んでいた俺だが、目標を定めたのであれば行動あるのみだ。ズール ーに晩飯まで暫しの別れを告げ、俺は飯屋を出ると、取り敢えず今 日のトレーニングのためにプロテクターを身につけるため、宿に取 って返した。あ、今まで言ってなかったけど、俺の宿は﹃ボイル亭﹄ で、ゼノム達が逗留している宿は﹃シューニー﹄って名前の木賃宿 に毛が生えたような奴な。 ・・・・・・・・・ ランニングを終え、プロテクターを水洗いしたあと、また俺は着 替えて﹃奴隷の店、ロンスライル﹄に出かけた。もう知ってるんだ ぜ。奴隷の取り置きなんか当たり前だってな。﹃ターニー商会﹄の 糞ノームめ。俺が奴隷素人だと思って焦らせようとして騙しやがっ た。あんな店、二度と行ってやるもんか。 店に入って声を掛けるとマダム・ロンスライルはにこにこと愛想 の良い笑顔を浮かべて近づいてきた。相変わらず商売っ気は強いん だな、このマダムは。 俺は名乗ると右手を差し出してステータスオープンを掛けて貰う。 奴隷のような高級品をやりとりするような場合だとやはり身元の確 認は必要なので、これが一般的な行為、というか礼儀だということ に慣れてきた。いきなり相手にステータスオープンをかますのは非 常に失礼な行為だが、こちらから明かすのは失礼には当たらない。 むしろ、自分の身分はこうこうこういうものだ、だから信用して取 引をして欲しい、と言う意味に当たる。 1330 俺のステータスを確認し、不思議そうに顔を見たマダムはようや く髪を染めた以前の顧客だと気づいたようだ。それはいいんだが、 同時に気になることを言った。 ﹁すっかりお噂になっておりますよ﹂ どういうことだ? なぜ噂になるのだろう? ベルを助けて暴行 犯を突き出したからだろうか? ﹁迷宮に入る度に何十万Zも稼いでくる新人冒険者だってそれはも う評判ですよ。そこに戦闘奴隷を販売した当店もお陰様で鼻が高い ですよ﹂ そういう事か。確かに普通は出来るだけ戦闘を回避して奥の階層 を目指すのが当たり前なんだよな。一攫千金になるような特殊な品 物が発見されるのは基本的に二層からだと言うし、敵となる相手を ぶっ殺して経験値を稼いでレベルアップするなんて情報を知ってい るのは俺だけだろうからな。俺だってそれを知らなかったら出来る だけ戦闘を回避して少しでも奥地を目指すことに執心していただろ う。そうじゃなかったら価値の低い魔石しか採れないゴブリンなん か誰が相手にするかよ。オークやホブゴブリンは魔石の価値も結構 高いが、俺たちもすぐに誰かが怪我を負ってしまう程強いんだ。だ が、他の冒険者たちの口の端に乗るくらいにはなっていたのか。 そう思って聞いてみるとちょっと違ったようだ。魔道具屋に頻繁 に魔石を販売しているので茶飲み話に魔道具屋から聞いたらしい。 それをちゃっかり利用して宣伝にも使っていたのだ。別にいいけど。 とにかく、新たな戦闘奴隷を見繕いに来た、あわよくば唾でもつけ ておこうとしている、という俺の考えを言うと、マダムはすぐに戦 1331 闘奴隷を用意すると言って奥に引っ込んだ。 暫く待っていると再び現れたマダムに奥に呼ばれた。ちっ、また 女の戦闘奴隷しかいやがらねぇ。女は戦力にはならんから⋮⋮あれ ? ラルファとベルは転生者だから別格としても、年齢が二十代前 半くらいまでであれば別にいいんじゃね? そういや前回は戦闘力 アップに焦っていたから男に拘っていたのだろうか? なんだか釈 然としないものを感じる。釈然としないまま鑑定をし、やはり大し た事なかったので釈然としないまま店を出た。 ・・・・・・・・・ 腕を組み、頭を捻りながら﹃ボイル亭﹄を目指して歩く。そう言 えばこのところ違和感があったり釈然としないことがあるような気 がする。なんだろう? これ? 気のせいか? 何かが歯に挟まっ たようなままの気分で宿にたどり着くと、ベッドに寝転がって天井 を見上げる。 まぁ大した事では無いだろうが、なんとなく気になる。 既に習慣化している思考で整理とまとめを行い始める。 あれ? 何を考えていたんだっけ? そうそう、最近感じる違和 感とかそう言ったものだ。なんか忘れそうだな。ここは一つ誠に面 倒ではあるが何かに書いて整理したほうが良いかも知れない。 1332 俺はベッドから起き上がると窓を開けたが、それでも部屋の中は まだ暗いので明かりの魔道具を点灯した。机を前に椅子に腰掛ける と、地図を書くために購入した紙を机に何枚か取り出した。 一つ一つ不自然な感じを覚えたり、違和感を覚えたり、釈然とし ないことがあるような出来事を書き連ねていく。書き始めてちょっ としてから気がついた。 何だこれ!? 一つ一つは別にどうということはない。それだけ見れば、特に問 題はない。だが、俺が覚えている範囲で違和感を覚えたことを書い ているうちに震えが来た。 どこかおかしい。 どこがどうおかしいかと言われると、ちょっと返答に困る。 だが、何となくおかしいと思うのだ。 俺にしてはおかしな行動がいくつかある。その時のことを出来る だけ思い出してみると俺にしてはおかしな言動も思い出された。簡 単に言うと、まるで頭でっかちな子供のような言動がある。一見す るだけであれば結果としてそう間違ってもいないので、少しくらい であればそういうこともあるだろうと流してしまいそうだ。この分 だとすぐには思い出せないが他にもおかしな言動をしていることす ら考えられる。と言うよりそう思う方が現実に近いだろう。 あっれ∼? これは一体どういう事だろう? 1333 一個一個整理と分析をしてもいいが、その前に全体的なことを考 えるべきだろう。どんなことを言っていたか、やっていたか、本来 ならどうすべきだったかを考えることは大切なことではあるだろう が、過ぎたことは取り返しがつかない。それより、大切なのは今後 だ。この件は簡単に結論を下さず、よく考える必要がある。 全体として見ると、俺の思考の道筋におかしいところがある。例 えばAという出来事が発生する。それに対して過去の俺はBという 方法で対処した。しかしながら冷静に考えるとCという方法を取る のが本来の俺のような気がする、ということだ。この﹁冷静に考え る﹂というのも曲者だ。実は考えているのではない、思い出してい るのだ。前世の俺の行動などから、こういう人物であるならこのと きはCという方法を選ぶのではなかろうか、ということだ。 まぁ今は考えるよりも思い出して当てはめる方が分かり易いかも 知れない。 記憶を遡る。どんどん、どんどん遡る。思い出せる限界まで遡る。 俺の一番古い記憶は前世の三歳くらいの頃の記憶だ。当時住んでい た家の日当たりのいい部屋で干していた布団の上に寝っ転がっては しゃいでいた記憶だ。暖かい布団のさらりとした感触と懐かしい匂 い。それしか思い出せないが、多分これが俺の最古の記憶だ。ぼん やりとだが天井からぶら下がっている丸い蛍光灯が二つ付いた電灯 や引き戸から見える外の光景も思い出せる。それ以外は家の外観も 含めてさっぱりだが。 ここから成長に伴って爆発的に記憶量は増していく。と言っても 小学生中学年くらいまでは既に断片状になっているが、その量は増 える。確か宇宙戦艦のアニメが放送していたのは小学校に入る前だ。 三つ上の兄貴が夢中になって見ていた。小学生高学年ぐらいで機動 1334 戦士の放送があった。俺も早朝から起き出して朝五時から友達と模 型店に並んで整理券を手に入れてプラモデルを買った。初めて買っ たのは主役機ではなく敵役の緑色の奴だ。 その頃だっけ、もう少し前だっけかに地元の少年野球のチームに 入って⋮⋮あまり勝てなかったけど面白かった。ああ、ユニフォー ムのままダイヤル式のチャンネルのTVに齧り付いていたから、野 球チームに入ったのはもう少し前か。中学にあがってすぐに水泳部 に入った。高校も水泳部だった。インターハイにはもう少しのとこ ろで出られるくらいまで行ったんだ⋮⋮。初めて出来た彼女。すぐ に振られた。その次の彼女とはそこそこ続いたが俺の防衛大学校入 校と同時に疎遠になってそれっきり⋮⋮。 その後は前世の俺が死ぬまでの濃密な記憶。楽しかったこと、辛 かったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、浮かれていたこと、 落ち込んだこと⋮⋮。その時その時の出来事や感情とともにはっき りと思い出せる。流石に子供の頃のようなおぼろげなものは少ない。 勿論、断片的になっているし、登場している人物の顔なんか、最後 に会った時の顔に置き換わっているような気もする。だが、問題な く思い出せる。転生し、その後の事もだ。そして、なんとなく理解 した。 記憶があるからそれに伴った知識も知恵もある。だけど⋮⋮だけ ど、俺の性格の根幹を成している精神性はどうだろう? 精神年齢といってもいいかも知れない。少し違う気もするけど、 今はいい。確か神様はこう仰っていた ﹁あなたは前世で45才まで生きました。今世ではまだ1才ですが、 その精神年齢は46才と言っても差し障りはないでしょう。ですが、 あなたのいまの肉体は1才です。体力もそれ相応となっています。 あなたの感情や考え方はその年齢の肉体が持つ感性などに引っ張ら 1335 れています。ですが、あと2∼3ヶ月もすれば、そのあたりの整合 性はとれる、というか今の肉体に精神が慣れるので、精神年齢相応 の喋り方も問題なく出来るようになるでしょうし、感情の制御も問 題なく行えるようになるでしょう。そのあたりは時間の問題だと思 ってください﹂ この内容をそのまま捉えてしまっていいものだろうか? 最初に﹁精神年齢は46歳といってもいい﹂と言うセリフがある。 これは字面通り捉えても問題あるまい。問題はその後だ。 ﹁あなたの感情や考え方はその年齢の肉体が持つ感性などに引っ張 られています。ですが、あと2∼3ヶ月もすれば、そのあたりの整 合性はとれる、というか今の肉体に精神が慣れるので、精神年齢相 応の喋り方も問題なく出来るようになる﹂という部分が問題だ。 確かに喋り方は問題がなくなった。しかし、精神年齢自体がその ままだとは言っていない。と言うより、肉体年齢の持つ感性などに 引っ張られると言っている。 整合性が取れるのは、肉体相応に若くなった精神年齢の方だ! 元々持っていた知識や知恵がそのまま残されているので気が付か なかった。ものの感じ方や考え方が肉体に引っ張られて若くなって いるのだ! それに、最後に出ていたあのウインドウ。新たな人生のスタート。 転生。普通転生と言ったら輪廻転生のことを指す。宗教的によく言 う、生まれ変わりのことだ。復活ではない。復活は以前の肉体・記 憶・人格など全ての同一性が保たれることを言うだろうが、その部 分で根本的に異なる。俺の転生の場合、記憶と人格は保たれたのだ ろうが肉体は明確に異なる。 肉体が異なればその精神性や人格に影響を与えないわけがない。 転生するまでは立派な大人だったのだ。それがいきなり赤ん坊にな 1336 っただけでもものすごいストレスだ。いちいち覚えちゃいないが、 最初の頃は立ち上がるとことすら出来なかったし、手足の長さの感 覚だって全然違っていたのだ。感情の制御なんかちっとも上手く行 かずにいつもイライラしていた気さえする。そもそもこの普人族の 肉体自体、地球で言う人間と同一なのかすら怪しい。その新たな肉 体に合わせて記憶はともかく、人格にあたる精神はすり合わせが必 要なのだ。仮説に過ぎないが、纏めた結論はこうだ。 ・俺は死んで赤ん坊として転生した ・その際に記憶とそれに伴う意識、と言うか知恵は継承した ・この部分の理屈は分からないが神様がやったことだろうし、考え ても分かるわけはないから今は保留でいい。尚、理由も今となって はどうでもいいし、この場合関係ない ・だが、その精神は新たな肉体に合わせて時間を掛けてすりあわせ ていった ・その期間は一年から一年半くらい? ・推測に過ぎないが九割方すり合わせが終わるのがそのくらいの期 間だろう。あとはもっと時間をかけてゆっくりとすり合わせが行わ れている感じがする ・既にすり合わせが終わっているのかは不明 ・精神年齢はある程度肉体の年齢に近くなったのだが、元々の人格 だって完全に消えるわけじゃない。あくまですり合わせただけだか らだ。これは希望的観測ではない。14歳という年齢から考えられ る一般的な人物よりは大人っぽい言動が自然に出るし、それに俺自 身が不自然さを覚えることはないからだ。このところ感じている違 和感は、ある行動について、記憶にある俺という人物ならこんなこ とはしたり言ったりはしないはずだ、というものに近い ・どのくらいの割合︵数字でなんか表せないけれど︶で元の人格が 残っているかなんてわかりっこないが、少なくとも今の俺の精神年 齢は45歳の前世の俺よりはかなり若いだろう。肉体年齢通り14 1337 歳ってことはないだろうとは思う。もう少し上くらいな気もする ・失った人格は隠れているのか、完全に消えてしまったのかは不明。 記憶から推測するしかないが、消えたような気がしないでもない これが正しいのかは分からない。このままの材料だけなら判断す らできないだろう。どこかで間違っているか、材料が少ないために 見落としている可能性があると思っておいたほうがいい。そもそも あまり大きな問題もなく過ぎ去っていった自分の行動のおかしな部 分を思い出すだけでも大変な苦労なのだ。違和感を覚えたこともあ ったろうし、何も覚えなかったことだって沢山あるはずだ。むしろ そっちの方が多いと思う方が自然だろう。 多分最初の一年から一年半くらいで二十歳前後まで急激に若くな り、その後は数年かけてゆっくりと少しづつ若くなって行った。だ が、肉体年齢まで行くほどではなかった。その少し上くらいで安定 したのか? その後は少しづつ成長したのか? そのあたりは全く 解らないが、こう考えるとある程度の理屈は通る、と思う。見落と してないよな? まぁ見落としていたとしてもどうしようもない。 問題はこの状況によってどんな弊害が起きるだろうか、というこ とだ。一つは幼くなった俺の精神性が引き起こすであろう考え違い や、早急な判断だ。これは用心したとしても今俺が持っている精神 年齢を超える判断は難しいだろう。勿論、用心して考えることによ ってミスは減らせるから、用心は必要だ。何事も熟考してあたる必 要があるだろう。 次に、過去に俺が判断した内容がおかしくて、それによって現在、 または今後問題を引き起こす可能性、だ。これは大変だ。転生して から今まで行ってきた全ての行動を洗い出し、疑ってかからねばい けないことになる。きちんとした判断が行なえていたのかの検証に 1338 は膨大な作業を必要とする。極端なことを言えば今朝支払ったズー ルーの給料の妥当性なんかまで検証する必要がある。 もっと言えばなぜ戦闘奴隷を買ったのか、とか、ズールーで良か ったのか、と言ったことまで検証が必要になる。もっと遡ってゴム 製品の開発だとか、そもそも家を出る必要があったのか、とか、国 を起こす妥当性、とか、数え上げればキリがない。例えば、綿火薬 は作れることが分かっているのだから銃をさっさと作ったほうが良 いかも知れない、とか、雷管の開発とかそんなことまで今から考え、 検証する必要がある。 ここまで考えたあたりで、既に俺は川崎武雄ではなく、アレイン・ グリードなのだから川崎武雄のような考え方や価値観にこだわる必 要なんかないんじゃないか? と思い、面倒な思考作業を放棄しそ うにすらなった。このあたりが若い精神性というやつか。そもそも 思考の纏めすら最近は面倒くさくなって頭の中に表組を作ることす らしなくなった。昔は少しでも整理しようと、わかりやすく、要点 を書き出す報告書のような感じで考えたりしていたはずだ。いつか らか面倒になって来たのだ。 ともあれ、これ以上は折に触れて考えるより他はないだろう。だ が、ここ最近あった事くらいは考慮してもいい。まずは大きな問題 であるラルファの魔力量だ。魔法の修行は急がせるべきだろう。昔 の俺であればまずラルファに対して可哀相ではあるが出来るだけ多 くの魔法の特殊技能の経験を積ませようと努力しただろう。これは やらねばなるまいよ。とにかく、休日だとは言え、完全にフリーに するというのも甘すぎる。張り詰めた精神を休めるのは当然必要な ことではあるが、別に寝て過ごしたって構わないのだから。 次は新たな奴隷だ。マダム・ロンスライルにはもっと良い戦闘奴 1339 隷を仕入れておけとは言ってあるものの、具体的な注文は何一つつ けなかった。ちょっと考えてみるか。あと、思い起こせばズールー を購入したときのことだ。あの時俺は沢山いる女性の戦闘奴隷には 見向きもしなかった。女性は男性と比べると力で劣っているからあ ながちおかしな判断ではなかったということも出来るが、年齢やレ ベルを確認した記憶がない。そこそこ見た目がいい奴隷だっていた。 俺としては奴隷の面倒を見るから出来るだけ気心の知れやすい男性 を選ぶのもありだとは思うし、戦闘力から言ってもまず男性のほう が上だからそれはいい。 奴隷ごときに騎士団で鍛えられている義姉さんとか姉貴のような 剣の腕なんざ最初から期待しちゃいない。従士だったズールーだっ て剣は使えるがまだまだ荒削りな動きが目立つしね。だいたい、も しいたらとても俺が買えるような額ではないはずだ。騎士が奴隷に 落ちるということはズールーのように戦時捕虜になったが身代金が 払えない、という人物のはずだ。平民の騎士の身代金は金貨20枚 以上するんだぜ。そのレベルの値段がつくに決まってるし、そんな 掘り出し物みたいなのが居ればそもそも奴隷商だって一言何か言う はずだ。何も言わないなんて有り得ない。 だが、奴隷なら、その、コンドームを使うことだって出来⋮⋮い やいや、立場を利用して無理やりなんていうのは趣味じゃない。そ れに⋮⋮恥ずかしいじゃん。いろいろな客を取っている商売女であ れば馬鹿にはされても一時のものだし、そもそも対価を払っている からそう面と向かって馬鹿にはすまい。しかし、俺の奴隷だとその 後も付き合うことになる。まだ装甲板が一枚多いことなんか万が一 にも知られたくない。バカ娘に知られたら、絶対からかわれる。俺 がもっと成長して一皮剝けて何かが張ったビッグな男になるまでは、 女の奴隷、今後も禁止。 1340 と言うのは冗談だが、それにしてもおかしい。自分の奴隷に手を つけないくらいの自制心くらいはある。あるはずだ。あると思いた い。と、すると一体なぜあのとき俺は確かめもせずズールー、いや、 男性の奴隷に拘ったのか? 戦闘力の向上に躍起になっていたから、 というのも確かに理由だ。でも、確認くらいしたって損はないだろ ? 精神的に若返っていたから大人の女性に気後れした? 今更? ないない。あ、誤解されても嫌だから予め言っておくけど俺は神 聖な存在ではなく火星人だよ。火星人だよ。一気呵成な男なんだ。 かせ⋮⋮まだ14歳だからこれからに期待しててくれ。 考えても良く解らんことなんか考え続けても、それこそ仕方ない。 これは精神年齢の問題じゃないだろ。次にいこう、次。ベルの魔法 だ。彼女はかなり多いMPを持っている。だから魔法を使えるなら 戦力の底上げに直結する。うまい具合に後衛だし。この一月ほど、 魔法の修行を行っているが、筋は悪いものの一生懸命に取り組んで いる。修行を始めてからすぐに使えるようになる方が珍しいから、 長い目で取り組ませよう。 ⋮⋮そろそろいい時間だ。昼飯も食わずに何時間も考え込んでし まった。ズールーには給料を渡した時に、もう休日の昼は好きにし ろと言ってあるから問題はないが、思いもかけず長い考えになって しまった。今日は晩飯を食うときに魔法の修行と、新しい奴隷を揃 えるつもりであることを言っておこう。 待ち合わせてある飯屋に向かう途中、俺はロンスライルの店に寄 ると、注文をつけた。男女どちらでもいいが、出来れば20歳前後 くらいの年齢。これは若けりゃ良いと言うものでもないから妥当だ ろう。あとは可能であれば戦時捕虜からの奴隷。それと、木剣でも いいから買う前に腕を試させろと言っておいた。 1341 飯屋に行くと既に全員が集まっていた。呑気なラルファを見なが ら、明日から魔法の修行で扱いてやると思い、俺は今後の計画を口 にした。 1342 第二十八話 推論︵後書き︶ さて、アルは幾つかのことに気がつきました。 これはある意味で異常なことですが、そこは主人公補正だと思って ください。 また、とても全部は気付いていませんし、彼の推測が正しいかも不 明です。まだまだはっきりとはしないでしょう。 1343 第二十九話 弔い方 7442年8月14日 夏の終わりも近づいた暑い日、今日も今日とて迷宮に挑む俺たち 五人。何度も迷宮へは潜っているのでもう一層に出てくるモンスタ ー相手の戦闘には手馴れたものだ。だが、油断出来るような事でも ない。一歩間違えれば大怪我をするし、その先には死すらあるのだ。 前衛の三人はもう何度怪我をしたのかすら分からない。だいたいい つも集中力が切れ始める午後になってから出てくる相手に怪我を負 わせられて退却するのだ。今日もそうだ。粗末な槍を構えて突進し てきたノールの攻撃を躱せずにズールーの腿が傷ついた。 すぐに俺が援護に入り、敵を殲滅するとズールーの傷の治療を行 う。ズールーは申し訳なさそうに詫びるが、別段俺は腹も立たない。 確かに油断していたズールーが悪いのだが、ズールーなら大丈夫だ ろと思い込んで咄嗟に援護出来なかった俺やベルにも非はあるし、 慎重に進んでいるから集中力も切れかけている時間帯だ。ズールー の足だってまだ痛みは残っているだろうから少し早いが今日はこの 辺で引き返すか。 そう思いながらノールの魔石を採ろうと哀れなノールの胸を切り 裂いていた時だ。どこかから人の声がした﹁助けてくれ﹂という意 味のある言葉は人の声以外の何者でもないだろう。迷宮に潜り始め て二ヶ月半、内部で誰か生きた冒険者に出会うのは初めてのことだ。 俺たちは顔を見合わせると声の響いてきた洞穴の奥を見つめた。勿 論何も見えやしないが、ついそうしてしまう。これは動物の習性の ようなものだろう。 1344 ﹁どうする?﹂ ラルファが聞いてきた。彼女には厳しく魔法の修行を行っている。 本人も早く自在に魔法が使いたいのだろう、ろくに文句も言わず、 毎日のように修行に明け暮れているが、まだ無魔法のレベルが1に なるにはあと一月くらいはかかるだろう。前回のレベルアップでM Pが伸びなかったのがつくづく惜しい。このところの戦闘それ自体 を目的にしたような迷宮行は実は大部分がラルファのレベルアップ を目的にしているようなものだ。 ﹁様子を見ながら前進しよう﹂ 俺が答えると、ベルが口を挟んできた。 ﹁でも、助けてって聞こえたわ。急いだほうがいいと思います﹂ 彼女の口調もかなり砕け、柔らかくなっている。だが、俺に対し ては丁寧に喋ろうとしているのでわざわざそれを直す必要もないか ら放っておいている。彼女はつい先日、無魔法を覚えた。今はラル ファ同様に修行をしているが、あと一週間もしないうちにレベルが 上昇するだろう。ラルファの30倍以上の量を誇るMPは魔法の経 験を稼ぐにおいても非常に有効で、ちょっとラルファが気の毒にな るくらいだ。そんなベルにゼノムが言う。 ﹁急ぐ必要はない。迷宮では全て自己責任だ。助けないとは言わん し、助けるなとも言わん。だが、この先はまだ通った事のない場所 だ。罠があるかも知れない。助けに行こうと焦って罠にかかったら 目も当てられん﹂ 1345 常に冷静沈着なゼノムはパーティーの柱だ。彼の言葉には一家言 が有り、誰もがその忠告を良しとする。当然俺もだ。 俺は水魔法で手を洗うと手拭いで手を拭き、地図を広げると現在 地を再度確認した。転移されてきた周辺の地形から判断して、今俺 たちのいる場所はおそらく、ここだ。地図が正しければこの先10 0メートルほどで洞穴は左に折れ曲がり、その後少し進むと大部屋 に繋がっている。その大部屋には俺たちが進むであろう洞穴の他に 別の洞穴二つが接続しているはずだ。そう、地図を買ったんだが、 この地図が食わせ物だった。結構間違っていると思われるし、罠の 位置も記載があるがとても足りていない。無いよりはかなりましで はあるので重宝してはいるが、とても完全に信用が置けるものでは ない。 わきま 地図を確認する俺をズールーが眺めている。彼も何か言いたいこ とがあるだろうが、彼は身の程を弁えているので俺が許可するまで 無駄口を叩くようなこともない。いい部下だ。 ﹁じゃあ、ゼノム、俺と先頭を頼む。ズールーを真ん中にして、後 ろはベル、ラルファ、頼む﹂ 俺は簡単にそう指示をするとノールの死体を置いて銃剣を手に取 った。ゼノムと並んで慎重に歩き出す。ゼノムは3m程の長さの竿 で床を叩きながら前進する。もう少しで左に折れる曲がり角、と言 うあたりで床を叩くゼノムの竿の音が変わった。罠か。俺たちは罠 を避けて洞穴の端を歩き、罠をやり過ごすとこの先にある筈の広間 を目指してまた進みだした。 助けを求める声はまだ続いでいる。角を曲がったからか、大きく なっている。俺は 1346 ﹁今行くぞ! 頑張れ!﹂ とだけ声を掛けるがやはりペースを上げる愚を犯すようなことは せずに慎重にゼノムとともに歩を進めていった。俺の声が聞こえた のか、声の主は ﹁スライムだ! 気をつけろ!﹂ と俺達に忠告を与えてくれた。スライムか⋮⋮。昔バークッドの 外れで一匹だけ見たことがある。あいつに攻撃を加えられるのは俺 の魔法だけだろう。 ﹁スライムには魔法しか効かない。昔一度だけ見たことがある。火 で焼き払うしかない。⋮⋮あいつは、多分助けられない⋮⋮﹂ 俺はそう言うとゼノムから竿を受け取り先頭に立った。俺がバー クッドの狩人のザッカリー・ドクシュから聞いている話だとスライ ムは犠牲者を包み込んで溶かしてしまうらしい。生きたまま溶かさ れるとか、あまりにもおぞましい死に方だろう。せめて楽に殺して やったほうが彼のためだろう。そう思った。 俺は振り返りはしなかったが、全員がついてくる気配が続いてく るのを感じた。このお人好しどもめ。あ、魔石採る気か? 俺でさ え普人族や亜人の魔石を採ったことはないんだぞ⋮⋮お前ら、まじ で人の胸を切り開く気か? 冒険者稼業を長年やっていたであろう ゼノムならともかく、ラルファやベル、ズールーまでもがその気な のか? 今は置いとこう。 広間を覗けるくらいまでの距離にまで接近して、恐る恐る広間を 1347 覗き込んだ。広間は30m四方くらいの大きさで他の迷宮内同様に 壁や天井がほの明るい光を発している。部屋の中では阿鼻叫喚とで もいう様な地獄絵図が展開されていた。俺の後ろでラルファとベル が﹁ひっ﹂と息を呑んだ。 部屋中に濃い緑色の粘液が散らばり、冒険者のパーティーを飲み 込んでいた。既に動かなくなった者が四人。あちこちで倒れ、スラ イムに体中を包まれている。部屋の隅で胸まで飲み込まれ、僅かに こそ 自由が残されている右腕に握った剣で、残された腕と頭を包み込も うとたかってくるスライムを刮げ落とそうともがいている人影が一 つ。 そいつは俺たちの姿を認めると、 ﹁た、助けてくれ! こいつら、どうしようもねぇ! 何をしても 死なねぇんだ!﹂ と叫んできた。とにかく、なんとかするしかない。俺は銃剣を肩 にかけ直すと両手を広げて部屋の中に向けた。﹃フレイムスロウワ ー﹄で焼けるやつだけでも焼き尽くすしか出来ることはない。叫ん でいる男までの邪魔なスライムを焼き殺し、男のそばまで寄った。 男は相変わらず剣でスライムを刮げ落とそうとしているが、いかに も無駄な努力であることは明白だ。時間の問題でこの男もスライム に飲み込まれ、窒息したあとにゆっくりと溶解、消化、吸収されて しまうのだろう。俺は自分が出来ることをするしかない。 俺は﹃フレイムスロウワー﹄を細いガスバーナー状に調整し、男 の体を焼かないように調整するとスライムに包まれかけた男に魔術 を近づけていった。もう少しでスライムに魔術が届く、というとこ ろでスライムは急激な動きを見せた。男の全身を覆うべくゆっくり 1348 としか動いていなかった粘液状のスライムは炎を感知した瞬間、丸 まったのだ。まぁ予想はしていたので驚くには値しないのだが、丸 まった場所はスライムの体があるうちで、炎から一番遠い場所だっ たというのが問題だ。つまり、男の胸のあたりに収縮した感じで丸 まったのだ。体積自体は変わらないのだろうから。ちょうど男の胸 を中心とした粘液の球体を作り出してしまったことになる。 ええい、ままよ。死ぬなよ。そう思いながら今度は﹃フレイムス ロウワー﹄の炎を広げた。胸を中心に下は腹の辺り、上は頭までス ライムに包まれた男は、窒息死への恐怖と、下半身を灼く炎の熱を 感じて転げ回った。だが、スライムを殺すことには成功したようだ。 ピクピクと痙攣する男をそのままに、部屋中に﹃フレイムスロウワ ー﹄を飛ばして目に見えるスライム全てを殺しつくすのにそう時間 はかからなかった。 とにかく、当面の危険であるモンスターは排除した。次はこの男 の治療だろう。俺は男の傍にかがみ込むと治癒の魔術で男を治療し てやった。同時に鑑定する。男は24歳。レベルは8だ。冒険者と しては駆け出しから中堅へ、と言ったところだろう。男の仲間だろ う、死体をゼノム達が引きずって集めている。同時に死んだスライ ム︵もともと粘液状の体なので汚い水溜りのようにしか見えないが︶ の中からラルファとベルが嫌そうな顔で魔石を拾い出しているのが 見える。 死体を鑑定してみるとスライムはグリーンスライムという奴だっ た。濃い緑色の、藻が浮きまくったような汚い粘液だったから、昔 見たブラウンスライムとは違うと思ってはいたが、やはり違ってい たようだ。 とにかく、男も回復したので喋るくらいはできるだろう。 1349 ﹁危ないところでした。だけど、スライムは全て焼き殺したから、 もう大丈夫でしょう﹂ 俺がそう言うと、男は ﹁あ、ああ⋮⋮ありがとう。俺はターナー。ターナー・ドルレオン だ。あんたは?﹂ そう言ったのでこちらも名乗ってやった。すると、男は感心した ように言う。 ﹁しかしすごい魔術の腕だな。こんだけの魔法が使えりゃあなぁ⋮ ⋮﹂ そう言うとターナーは、傍に並べられた仲間の死体を見て悔しそ うに唇を噛んだ。 まだ、火傷の痛みは残っているだろうに、男は気丈に立ち上がる と死んだ仲間の胸にナイフを突き立てた。俺があっけにとられなが ら目を見開いている間に、手早く胸を割くと魔石を取り出したのだ。 その様子を見ていたのだろう、ベルが震える手で俺の手をきつく握 ってきた。顔色が悪い。多分、俺の顔色も相当悪いだろう。同時に 怒りがこみ上げてくる。こいつは、仲間の死体を切り刻んで、一体 何をやっていやがる! 見ちゃいられないので声を掛けようとしたら、最初の一人目の魔 石を握った血まみれの手を胸に押し抱いてターナーは泣き出した。 ﹁∼∼∼っ! アリス⋮⋮アリス⋮⋮っ﹂ 1350 えっ? なに? なんなの? これ? ﹁人から魔石を取るところを見たのは初めて? 結構いるよ、ああ いう人﹂ ラルファがそっと俺達に近づいてきて教えてくれた。そうか、遺 品のような物か⋮⋮。確かに知識としては知っていた。バークッド にいた頃、俺は合計で五回くらい葬式を見た。そのうち一回はホー ンドベアーに一度に六人も殺された時だが。全ての葬式では河原で 遺体を焼き、残った骨の中から魔石を取り出して、それを埋めてい た。骨や灰はそのまま川に流していた。確かに魔石を遺骨がわりに していた。遺族は、夜中に誰にも見られないように深い穴を掘り、 そこに魔石を埋めるのだ。 場所はどこでもいい。死んだ本人が好きだった場所でもいいし、 畑の隅でもいいし、庭先でもいい。とにかく、誰かに掘り起こされ ないように、たったひとりの人間が知っているだけでいい。それを 聞いた俺は、宗教観が違うだろうし、墓を造る考え方自体が違うの だと納得していた。自然に帰る、という意味では原始的な感じがし ないでもないが、この世至るところ、全ての物に神は宿るという神 社の教えからは自然な感じがした。一応火葬と言えないこともない し、その頃の俺は何も疑問を抱かなかった。 だが、このように迷宮の中で死ぬこともある。当然火葬なんて悠 長なことはしていられない。逆に人が死んだら火葬するという頭に 凝り固まっていた俺は彼の仲間四人の遺体を、彼が転移してきた場 所まで運ぶのは骨だと思っていたくらいだった。 悲しんでいる彼を他所にゼノムとズールーは黙々と粘液で汚れた 1351 遺体の懐を漁り、財布などの貴重品をより分け、散らばった剣や槍 を探し集めていた。どうやらこの部屋はスライムの巣だったようで、 剣や盾、槍などがかなりの量で貯め込まれていたらしい。柄や木製 部分などは腐ったりしてもう使い物にはならないが、売れそうな部 分だけでも結構な量がある。まだ新しいものはきっとターナーの仲 間が使っていたものだろう。 ひとしきり魔石を抱いて悲しみに暮れたターナーはのろのろと他 の仲間の胸を割き、魔石を取り出した。その間に俺たちは遺品を検 分し、売れそうなものとゴミにしかならないものにより分けていた。 彼の仲間の武具はどれもまだ十分に使い物になるだろうが、助けて やったとは言え、仲間だった人の持ち物を売り飛ばして金に変える というのもいかがなものか、と思いつつ、とにかくより分ける。彼 の仲間の武具は剣が二本に槍が二本、盾が一つ。あとは彼の仲間の ものではないだろう、錆が浮き、柄が腐り落ちた剣が三本と柄の腐 りかけた槍が一本。穂先だけになってしまった槍が四本。売れそう なものはこれだけだ。盾の部品だった金属パーツなどもあるにはあ ったが、こんなのゴミだろ。あとは彼の仲間の懐以外が出処の現金 が合計で120万Z程。 ここまで整理がついた時に仲間からすべての魔石を取り終えたの だろう、ターナーが声をかけてきた。 ﹁すまないな。礼は金で勘弁してくれ。俺の有り金全てだ﹂ そう言うとターナーは自分の財布を取り出してひっくり返した。 銀貨や銅貨の中で金朱がひとつ混じっている。まぁくれるというな ら貰っておこう。俺は彼の仲間の装備品を盾に乗せ、槍はロープで 縛って纏めると、遺体から出てきた財布とともに彼に渡すと言った。 1352 ﹁わかりました。礼は有り難く受け取ります。あと、これは貴方の お仲間の遺品です。持って帰ってください﹂ ﹁いいのか?﹂ ターナーは驚いたように言う。最初に有り金全て出してなかった らこうは行かなかったよ。 ﹁ええ、勿論です﹂ 俺がそう言うとターナーは感謝の表情を浮かべて受け取った。 ﹁ありがとう。感謝する。助けてもらったばかりか、仲間の遺品ま で⋮⋮﹂ ﹁お気になさらず。もうお礼はいただきましたしね。それより、一 人で大丈夫ですか?﹂ 俺がそう言うと、ターナーは ﹁大丈夫だろう。ここまではかなり歩いたが、一本道で分かれ道も なかったから転移の水晶までは魔物もいないはずだ﹂ と答えた。 ﹁そうですか、では、お気をつけて﹂ ターナーは再度礼を述べると重たい装備品を担いで俺たちが来た のとは別の洞穴に向かって歩いて行った。彼の姿が消え、暫くする とゼノムが言った。 1353 ﹁どうするか見守っていたが、遺品を財布まで含めてすべて渡して やるとはな⋮⋮﹂ 口調は皮肉っぽいが、表情は笑っていた。 ﹁礼はきっちり貰ったからな⋮⋮﹂ 俺がそう言うとラルファが ﹁ゴブリンの魔石一つ見逃さない守銭奴のアルがねぇ⋮⋮﹂ とからかってきた。この野郎⋮⋮誰が守銭奴だ。 ﹁お前は、まだ魔石が転がってないか探しとけ。前にいたイモムシ の時は犠牲者の魔石を探すの忘れてたわ﹂ そう言って追い払った。鑑定で探せ? バカ言え、鑑定の視力を 使っても地面の石ころ一つ一つが視線を動かすたびに輝度が上がる んだぞ。魔石だけ輝度があがることなんかないんだ。そんな便利な ものかよ。視線の先に写る全てのものが鑑定対象なんだからな。勘 違いされても嫌だからここでもう一回おさらいしておくが、鑑定の 視力は俺の視線の先にある鑑定の対象になるものだけが輝度が上が る。それを意識の中でクリックするように選択して鑑定するんだ。 多分気体以外のおよそ全ての物が鑑定対象になる。小さな石ころが 沢山あったとしてもその中から魔石だけを選ぶのは普通に手間がか かるんだよ。あと、そうだな、例えば全身を板金鎧で鎧った人がい たとする。俺は多分その人の鑑定は出来ない。ヘルメットのスリッ トの奥に視線を固定することが難しいからだ。目の前で暫く動かな いでいてくれるとかなら出来るだろうけどね。それに髪の毛でもな 1354 びかせてくれていたら問題はないだろうな。 ﹁でも、アルさんは正しいと思う。仲間の遺品を取り上げてしまう のは⋮⋮きっとあの人も気分が悪いでしょう﹂ ベルがそう言ってくれた。うんうん、仲間ってのはこうでなきゃ な。 ﹁私はご主人様にお仕えできて良かったと思っています﹂ ズールーもそう言ってくれた。そうかそうか。俺も良い奴隷を持 てて良かったよ。 ラルファには帰り道で魔石を取るのを途中で放り出したノールの 魔石を取る栄誉をくれてやった。あ、30匹近いスライムを焼き殺 した俺はレベルが上昇し、11レベルになった。 ・・・・・・・・・ 戦利品を魔石とともに処分したら合計で200万Zを超えた。当 然礼金としてターナーから受け取った分は別勘定だけどね。いつか らか俺の中では50万Zを稼ぐ毎に1万Zのボーナスを出すように ルールづけをしている。200万Zを超えたのでゼノム、ラルファ、 ベルそれぞれに銀貨を四枚ずつボーナスとして支給してやり、晩飯 までは解散だ。﹃ボイル亭﹄に戻ると言伝があった。 1355 マダム・ロンスライルからだ。どうやら一人、俺のおメガネに叶 いそうな奴隷が入荷したらしい。行ってみるか。 急いでシャワーを浴びて着替えると、俺は﹃奴隷の店、ロンスラ イル﹄へと歩き始めた。いい奴隷が入荷しているといいなぁ。パー ティの人数が増えると戦力の向上に繋がるのは勿論だが、それ以上 に神経を使う迷宮探索が楽になるのが大きいと思うんだよ。罠発見 専門のやつとかいないのかね? もしいるなら多少ガイド料が高く ても雇っちゃうんだがな。 ﹃奴隷の店、ロンスライル﹄に着くと俺はマダムに声を掛けた。 ﹁いらっしゃいませ、グリード様。ご伝言はお聞きになりまして?﹂ お聞きになりましたからこうして馳せ参じたのですよ、マダム。 ﹁ええ、折角良い奴隷が入荷したとご連絡を頂戴したのです。是非 拝見させて頂こうかと思いましてね﹂ 俺がそう言うと、マダムはニッコリと微笑んだが、すぐに表情を 曇らせて言った。 ﹁私は良い戦闘奴隷だと思うのですが⋮⋮戦時捕虜からの奴隷では ないのですが⋮⋮﹂ まぁ戦時捕虜からの奴隷が望ましい、というだけで腕さえ良けれ ばいいのだから、試させてもらえさえすれば文句はないよ。 ﹁そうですか、いや、大丈夫ですよ。拝見させて頂きましょう﹂ 1356 俺がそう言うとマダムは安心したのか、また奥に引っ込んでいっ た。 いつものように暫く待っていると、また姿を現したマダムが俺を 呼びに来た。いそいそと後を付いて行き扉をくぐると、四人の人影 が並んでいた。端から順にまず最初に顔つきや体格をチェックしよ うと眺め始めた。体格は全員その種族において悪くはないだろう。 ﹁一番右端の女が今回おすすめの奴隷です﹂ マダムがおすすめする奴隷を鑑定する。 ︻マルソー・エンゲラ/12/8/7442 マルソー・エンゲラ /20/8/7421︼ ︼ ︻女性/14/9/7422・犬人族・ロンスライル家所有奴隷︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:20歳︼ ︻レベル:6︼ ︻HP:90︵90︶ MP:4︵4︶ ︻筋力:13︼ ︻俊敏:17︼ ︻器用:10︼ ︻耐久:14︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻特殊技能:超嗅覚︼ ︻経験:36128︵43000︶︼ ふーん。悪くはないが、なぜこいつを薦めるんだろう? 顔の造 作が十人並みなのはまあどうでもいい。だが、実際どうなのよ? 戦時捕虜ではないのなら一体何が売りになるんだ? 1357 ﹁彼女は先日壊滅的な損害を受けた冒険者グループから放出された のです。ですから迷宮へは何度も入っていますから、問題はないで しょう﹂ ああ、そういうことね。 ﹁そうですか。ですが、腕の確認はさせてもらいますよ﹂ 俺がそう言うとマダムは下働きの男に木剣を二本持ってこさせた。 その間に念の為に残った奴らを鑑定してみたが、俺の琴線に触れる ような奴隷はいなかった。木剣を受け取ると一本をエンゲラに渡し、 裏庭に向かいながら彼女に言った。 ﹁俺は治癒魔術が使える。怪我をしても治せるから、気にせず本気 で打ち込んできてもいい。もし俺に買われたいなら手は抜かないほ うがいいぞ﹂ 近くで見たエンゲラの肌は小さな傷があちこちにあった。過去に いた所では治癒の魔法を使える奴はいなかったのだろうな。 実際に試してみると腕の方はまぁそこそこと言ったところだ。俺 のパーティだと、白兵戦では俺、ゼノム、ラルファ、ズールー、ベ ルの順で腕が落ちていくが、どうにかベルよりちょっと落ちるくら いの腕はありそうだ。俺は出来るだけエンゲラに傷をつけないよう に明らかにそれとわかるように加減したり、寸止めしていたし、エ ンゲラの剣を受けるほど俺の腕は悪くないから、どちらも無傷だっ た。ま、いいだろ。 ﹁お前、バルドゥックの迷宮にはどのくらい入ったんだ?﹂ 1358 俺はそう聞いてみた。 ﹁ちょうど一年前くらいからです。ですが、そのうち全く迷宮に行 かなかった時期が3ヶ月程あります﹂ ﹁そうか。今まで何人に仕えた?﹂ ﹁全部で三人です。最初のご主人様はすぐに私を売って故郷に戻ら れてしまいました。その後、暫くして別のご主人様にお仕えしたの ですが、その方も私を売ると故郷に帰られました。その次のご主人 様が前回の方です。10人のパーティでしたが、つい先日、私を入 れて六人しか生き残れない戦いがありました。その後、ご主人様は 私をこの店に売りました。故郷に帰ると仰られていました﹂ なるほどね。 ﹁最初の主人はお前を買ったのか?﹂ ﹁いいえ。私は農奴出身です。最初のご主人様が冒険者になられる と言うことで、私を含めて三人の奴隷を連れて故郷を出たのです﹂ 農奴出身か。だが、農奴出身でこれだけ剣が使えるということは 才能はあるんだろ。 俺はマダム・ロンスライルに向き直ると言った。 ﹁この女の値段はいかほどですか?﹂ ﹁迷宮の経験もあるので650万Zです﹂ 1359 うーん、ズールーと比べると安いが、女だしなぁ。普通の戦闘奴 隷の相場は女性が600万Zくらいから700万Zくらいで、男性 は650万Zから750万Zくらいが相場だ。出身が兵士だったり 従士だったりすると更に高くなっていく。騎士なんかは目が飛び出 るほど高い。このエンゲラという犬人族の奴隷は農奴出身ではある が迷宮で数ヶ月生き残っている実績があるから多少高くなっている のだろう。 ﹁剣の腕はご覧になったでしょう? あれでもその価格ですか?﹂ こういうこともあろうかと、俺はエンゲラを子供扱いでもするか のようにいなしたんだ。 ﹁⋮⋮630万Zでは如何でしょう?﹂ ふむ、まぁいいだろう。 ﹁わかりました。630万Zで彼女を買います﹂ 1360 第三十話 実験 7442年8月15日 ズールーと同じように神社で命名の儀式を済ませると、エンゲラ は俺に引き渡された。ゼノム達には昨晩の食事の際に、新しい奴隷 がやっと入荷したので買う事にすると言ってある。エンゲラを引き 連れて昼食の為に待ち合わせしていた飯屋に足を運ぶ。俺がエンゲ ラを連れて待ち合わせの飯屋に入ると、入口脇のテーブルにいたラ ルファが声をかけてきた。 ﹁その人が言ってた新しい戦闘奴隷?﹂ なんだ、こんな場所の席しか空いてなかったのか。エンゲラを値 踏みするような目つきで声を掛けてきたラルファに答える。 ﹁そうだ、昨日腕は見てる。剣はベルくらいだな﹂ 俺はそう言うとエンゲラに向き直り、言った。 ﹁エンゲラ、ここにいるのが俺のパーティーだ。挨拶しろ﹂ 俺がそう言うと、エンゲラは姿勢を正して丁寧に言った。 ﹁マルソー・エンゲラです。本日からご主人様にお仕えすることに なりました奴隷です。これからよろしくお願いします﹂ 彼女が挨拶するとベルが口を開いた。 1361 ﹁私はベルナデット・コーロイル。ここに座って。あと、私のこと はベルと呼んで﹂ そう言うとベルは中腰のまま右隣の席に移り、左隣に座っていた ラルファとの間に席を空けた。エンゲラはびっくりしたような表情 をしながらも、どうしたものかと俺の顔色を覗うように俺とベルの 間に視線を泳がせていた。俺はエンゲラに頷いてやると、 ﹁俺のところでは気にするな。座れ﹂ そう言って俺もズールーの左に座る。エンゲラは﹁失礼します﹂ と言ってラルファとベルの間に座った。 ﹁私はラルファ・ファイアフリード。私のことはラルでいいわ﹂ ﹁俺はゼノム・ファイアフリードだ﹂ ラルファとゼノムが相次いで自己紹介した。次はズールーか。 ﹁俺はダディノ・ズールーだ。お前と同じでご主人様にお仕えして いる。俺のことはズールーと呼んでくれ。あと、俺以外の方々は奴 隷じゃないからな﹂ うむ、挨拶も済んだようだな。じゃあ、飯にするか。 給仕を呼ぶと皆口々に食べたいものを注文している。おっと、エ ンゲラに言っておくのを忘れていた。 ﹁エンゲラ、遠慮はするな。食って丈夫な体を作ることも俺の奴隷 の仕事だ。何でも好きなものを食いたいだけ頼め。あ、俺は豚のソ 1362 テーと魚の煮付け。ケイスァーゴがあればそれにしてくれ。あと、 ビール﹂ ﹁アル。あんたいつも野菜食べないのね。野菜も食べなさいよ。キ ャベツひと玉持ってきて。四つ割りに切ってね。それから別小皿に マヨネーズもつけて﹂ うるせーよ。こんな事を言うのはラルファだと思ったろ? その 通り、この元女子高生はなぜか知らんが、全員に必ず生野菜を食べ させようとする。それにはズールーも辟易としているようだが、最 近はベルもラルファに同調気味だ。お前は兎だから良いだろうよ。 なお、ゼノムは昔からのことなのですっかり慣れているようだ。 ﹁⋮⋮その、よろしいのでしょうか?﹂ 小声でエンゲラがズールーに確認している。 ﹁ああ、良い。好きなものを食べて構わない。俺も最初は驚いたが な﹂ ズールーも焼肉を頼んでいるようだ。だが、こいつは酒は飲まな いんだよな。肉体的には俺より年上なんだから飲めばいいのに。確 認したエンゲラはそれでも何を頼んでいいかわからないようで、結 局ズールーと一緒の焼肉にしていた。今日は水曜だから休日だ。ズ ールーは料理が来ると自分の分の料金を支払っている。それを見て エンゲラは目を丸くしていた。勿論、大した料金じゃない。焼肉だ って350Zだし、パンも20Zだ。俺は心配そうなエンゲラに微 笑むと彼女の分の料理の代金を支払い、言った。 ﹁俺のとこでは奴隷には月末にまとめてその月の給料を出す。今月 1363 末まではお前の必要なものは全部俺が出す。それと、迷宮に入るの は月・火・木・金だ。水曜と土曜は体を休めるために休日にしてい る。ただ、土曜の午前中だけは連携の訓練だ。今後、お前にも給料 を出すが、そうなったら水曜と土曜の昼食代だけは自分で出せ。そ れ以外の食費と宿泊の費用は引き続いて俺が出すがな﹂ これは世間一般の常識から言って俺が特別に奴隷を優遇している わけではない。まぁ、払っている額は奴隷に対してはそこそこ多い とは思うが。普通は給料を払って衣食住については奴隷の個人裁量 に任せるか、全て面倒を見る代わりに雀の涙程度の給料しか支払わ ないかのどちらかが多く、どちらかというと都市部では前者が一般 的だが、後者もそれなりに多い。逆に農村部では後者が圧倒的多数 を占める。 ﹁それはそうと、今日はこのあと、俺はちょっと用事がある。飯食 ったらエンゲラの武具は買いに行くが、その後連携の確認だけはし ておいてくれ﹂ そう言ってキャベツにマヨネーズを付けてばりぼりと食べる。生 キャベツには辛味噌が欲しいよな。あの、日本の焼き鳥屋なんかで ついてくるやつ。ズールーはキャベツは苦手なようで、遠慮してい るのがありありとわかるが、ラルファは容赦なく、ズールーにも食 えと言っている。獅人族なんだから、手加減してやれよ。 食事が終わり、エンゲラの武具を揃えに行く。彼女の得物は剣ら しいからどうせなら本人に選ばせてやろう。バランスとか使いやす い長さとか、それぞれ好みがあるだろう。あとは⋮⋮革鎧も必要だ ろうな。ブロードソードを一本、100万Z也で購入し、革鎧もズ ールーの鎧を作った店で注文した。52万Zだった。 1364 その後はズールーに連携について皆と良く教育しておけと言って 任せることにした。 ・・・・・・・・・ 俺は今、一人で迷宮に入っている。ちょっと確認したいことがあ ったからだ。このところの迷宮行で、パーティの戦闘力や連携につ いてはしっかりと把握出来ているし、経験値を得る法則についても ある程度わかってきた。次はレベルアップだ。レベルアップ時にど ういう法則で能力値が上昇するのか、それが知りたかった。ある程 ︼ 度仮説は立てているが、それが正しいかも確認しておきたい。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︼ ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:11︼ ︻HP:110︵110︶ MP:7425︵7425︶ ︻筋力:17︼ ︻俊敏:19︼ ︻器用:16︼ ︻耐久:18︼ ︻固有技能:鑑定︵MAX︶︼ ︻固有技能:天稟の才︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.7︶︼ 1365 ︻特殊技能:火魔法︵Lv.7︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.8︶︼ ︻経験:156221︵210000︶︼ 先日のレベルアップで上昇した能力値についてだ。俺はランニン グのおかげでレベルアップとは別に耐久値が1上昇していた。あく まで予想だが、トレーニングを積んだ効果がミルーのように現れた と言えるだろう。引き続きランニングは行っているので、更にまだ 伸びるような気もしている。 それとは別に、今回のレベルアップでおかしなことがあった。H Pが上昇しなかったのだ。その代わり耐久値が2上昇していた。M P、筋力、俊敏、器用、耐久が全部1づつ上昇し、HPが上昇しな かった代わりに耐久が更に1上昇していた。結論から言うとこっち のほうが俺にとって都合がいい。レベルアップ時にHPが1上昇す るよりも耐久が1上昇した方が結局上昇するHPは2になるし︵耐 久は合計で2上昇したことになるから耐久の上昇分でHPは4上昇 している︶、耐久の能力がさらに上がる方がなにかと都合が良いだ ろうと思えたからだ。 全ての能力値が上昇しなかったことは昔一度だけ経験している。 最初のレベルアップの時だ。あの時は筋力が1上昇したほか、MP が5も上昇し、他は一切上昇しなかったのだ。今回HPが上昇しな かったのはどういうことだろうか? 実はこれについて昨晩考えて いた。俺の前回のレベルアップは今年の初め、まだバークッドにい た頃のことだ。あの時は全ての能力値が上昇していた。その時と、 今回の違い。その時と最初のレベルアップの違いを考えてみた。記 憶もあやふやになっているところもあるが、概ねこれだろうという 仮説を立てた。 1366 それは、鑑定のサブウインドウで見られる︻レベルアップ時には その直前のレベルでよく使用した能力のうち1番目と2番目の能力 について1ポイント上昇する。能力にはHPとMPも含まれる。但 し固有技能を所持している場合、上昇する能力値は1番目∼6番目 になる︼の部分からの想像だ。﹁但し﹂以降が赤字になっているの は固有技能の絡む転生者のためなのだからだろうが、問題は書いて ある内容だ。 ﹁レベルアップ時にはその直前のレベルでよく使用した能力のう ち﹂という記載があるが、これが曲者だ。最初のレベルアップの時、 その経験のほとんどは魔法使用で得たものであり、あとは剣の素振 りだった。つまり、魔法と剣を振っていた腕の筋肉だ。確か5歳頃 のことだ。体全体を使ったきちんとした剣の振りなども出来ず、腕 だけで振っていた。あのレベルアップに懲りて、出来るだけ運動を しようと思ったし、剣の修行にも熱を入れたのだ。更にもっと体を 使うため木銃も作って足技も取り入れた銃剣格闘も思い出しながら 稽古したんだ。その効果のおかげか、それ以降のレベルアップでは 全ての能力値が1づつ上昇していた。 だが、それを続けていたという意識はあるのだが、今回のレベル アップではHPの上昇はなかった。違いはひとつだけ。最初のレベ ルアップと今回のレベルアップで共通し、それ以外では異なってい たもの。それは、俺がレベルアップ前のレベルだった時に傷を負っ たことがあるかないかということだ。最初の時は赤ん坊から幼児の 間の5年間ほど、俺は全くケガらしいケガななんかしたことはなか った。 勿論、虫刺されくらいはあるし、擦り傷程度の小さな傷もあるが、 そのくらいではHPは減少しない。小さな傷くらいではHPが減少 1367 することはないのだ。多分、体の致命的ではないような場所に縫い 針を1cm位の深さで刺すくらいの傷でもHPは何ら変わることは ないと思う。それが複数箇所になったとき初めて刺し傷が増えるに 従って少しづつHPは減少するだろう。 そして、今回のレベルアップの前である、レベル10だった期間。 つまり、今年の一月の終わり頃から先日までの8ヶ月弱の間、俺は ろくに傷を負ったことはなかった。多分俺が最後に傷を負ったのは ミルーとの組手の時だろうから、それ以前のことになる。レベル1 0になってから、長年因縁があったホーンドベアーを親子揃って殺 したとき、べグルを始末したとき、その後、バルドゥックへの道中、 迷宮での戦闘。俺は一度として怪我をしていなかったと思う。 全く怪我をしないまま、レベル10から11になったのだ。だか らレベル10の間、俺は一度もHPの能力││と表現するのも変だ が││を使用していない。俺にはレベル10でいた期間、HPが減 少したという意識がない。同様にMPを使っていない、とか、筋力 なんか利用していなかった、と思えるようであれば意図的にレベル アップ時に上昇する能力を選択できるのではないだろうか。こう仮 説を立てたのだ。 HPはともかく、正直な話、レベルアップの際に伸びず、代わり に別の能力が伸びて欲しいものがある。言わずと知れたMPだ。俺 の場合、固有技能のおかげで幼少時からMP増加の魔力切れを何度 も行っているため、もうこれ以上はいらない。現在では意図して魔 法を使わなければ使い切るなんてことすら難しいし。それならHP が上昇した方がまだ俺の生存の役に立つ。だから、実験だ。 多分、もうMPを使わないというのは有り得ないだろう。前衛の 援護でも使うし、誰かが怪我をしたら治癒で使う。もうこれは諦め 1368 る他ない。俺は肉弾戦だけでも相当やれるとは思うが、全く怪我を しないなんてのは運の要素も強いから、怪我を一度でもしたらその 回復に魔法を使うことになる。 今回の実験内容は、こうだ。 ・魔力を半分位消費するか、二時間だけ行けるところまで行ってみる ・戦闘は出来る限り魔法で戦う。とにかく怪我をしないことだけを 念頭に置く ・だが、またMPだけ大幅に伸びても問題なので少しは接近戦も必要 ・出来る限り敵を減らし、出来れば一対一の状況で接近戦を行う これで実験してみるのだ。うまくオークだとかホブゴブリンだと かが出てくれれば数日でレベルアップできるだろう。暫く俺の休日 がなくなるがどうせランニング以外は散歩してるか休んでいるかな のだ。このところ戦闘で矢面に立つこともないし、迷宮を進む時は 順番に先頭をローテーションしているから精神的肉体的な疲労も最 初の頃ほどではない。ダメなら尻尾を巻いて逃げ出せばいい。 俺は迷宮内に転移すると周りを確認した。いつも転移してくるよ うな洞穴の途中だ。こっちに行ってみるか。地図を確認してもこん な真っ直ぐで殺風景な洞穴内だと、何回かカーブや分かれ道でもな い限り現在地の推測すらできないからどっちに向かっても大差はな い。 俺は一方向に向かって足を踏ん張ると同時に左手を前方に伸ばし、 風魔法を使う。魔力によって生成された大量の空気を無魔法で前方 に飛ばす。外と違って洞穴内だから生成された空気は洞穴の壁や天 井によって拡散する方向が限定されるが、急激に発生した空気で俺 の体が後方に飛ばされないように空気を前方に噴出させるために無 1369 魔法を使うのだ。足を踏ん張っているのはなんとなくそうした方が いいかなぁ、という程度に過ぎない。 何のためにこんなことをしているのかというと、落とし穴を覆う 土を払うためだ。今の第一層では、罠のほとんどが落とし穴であり、 ごく希に音を立てて脅かすような別の罠があるくらいだ。尤も、音 を立てると周囲のモンスターをおびき寄せかねないので危険な罠で あることは間違いがないし、少しでも戦闘を回避しようとしている 他の冒険者のパーティー等からは嫌がられている。 見たところ罠はないようだ。それでも完全には安心できないから 慎重に前進する。ある程度進んだところで今度は目の届く先、前方 40m位のところで﹃オーディブルグラマー﹄の魔術を連続して使 い、大きな破裂音を何度も立てた。これで傍にモンスターがいれば、 風には気がつかないか、見過ごしても何事かと思ってこちらに寄っ てくるだろう。鑑定を使い前方を見据える。 とにかくこちらに近寄るまでに出来るだけ数を減らし、可能なら 全滅させる方法を考える。土や氷で埋めてしまってもいいが、そん なことをすると洞穴を埋めてしまいかねない。まかり間違えて二層 への通路を塞いでしまったりしたらことだから、それは避けるべき か。若しくは最後の手段だな。その気になれば面倒ではあるが後で 消すことも出来るし。 また、モンスターはほぼ確実に多数で襲って来るだろう。こちら はたった一人なのでその接近時の速度にも本来は注意を払う必要が ある。だが、俺の目で捉えられないほど速ければ別だが、そんなジ ェット機のような速度を出せる奴などいるわけもないだろう。俺の 知る限り鷹だか隼だかの鳥がオースでは最速だ。急降下時には時速 300Kmとかの超速度が出せるのかも知れないと思うが、洞穴内 1370 でそんな速度を出せる生物がいるとはとても思えないから俺が何ら かの魔法を使う前に傍に寄られることもないだろう。それに、仮に まずい事態にでもなれば魔法も使って50mくらい全力で後退して 転移の水晶でさっさと迷宮から外に逃げ出すだけだ。 数分もするとモンスターの一団が現れた。ちっ、ゴブリンかよ、 しけてやんな。﹃ウインドカッター﹄を魔力多めで使い、数秒で全 滅させてやった。数はいちいち数えていなかったが、十匹以上いた だろうが経験値は1000弱しか入らなかった。一度出るか。すぐ に転移の水晶棒を握り、迷宮の外、転移の小部屋の脇の小部屋の一 つに転移する。もう一度転移の小部屋へと向かう。迷宮の入口の建 物を出ない限り、何度でも迷宮への出入りは可能だ。 これを利用してわかりやすい地形へと転移するまで幾度も迷宮に 入り直すことまでやっている連中もいる。彼ら同様に俺も迷宮入口 の転移の水晶を使って再度迷宮へ転移する。同じようにモンスター をおびき寄せ、魔法で遠くから弱い相手数匹を残して殲滅する。こ れを何回も繰り返せばまず傷を負うことなく、経験値を稼げる、と 思った。 何回同じことを繰り返したろうか? もう5∼6回くらいはやっ たろう。いずれも現れたモンスターはゴブリンだ。魔石の価値も低 いので死体はそのまま放っておいたままだが、おそらく70∼80 匹くらいは殺したろう。おお、そう言えばゴブリン自体は弱いし、 経験値も低く、魔石も大した価値の無い相手だが、天稟の才の経験 値は稼げるな。この調子で頑張ればあと数日もゴブリンを殺し続け ていけば数日で天稟の才もレベルがMAXになるだろう。思わぬ副 産物だな、こりゃ。じゃあゴブリンが相手だとしても回数さえこな せばいいのだから、ここは頑張っておくか。 1371 俺の天稟の才の経験値は今1524︵2560︶だ。簡単に言え ば俺がこれまで殺したモンスターの数は全部で1524匹というこ とになるだろう。ごめん、嘘をついた。模擬戦なんかだと10くら いの経験値が入ることもあるので本当はもっと少ないと思う。いい とこ500匹くらいかな? 1500匹は流石に盛りすぎた。その ほとんどが蛭とゴブリンだ。ホブゴブリンなんかのような大物は滅 多にいなかったしね。せいぜい1∼2ヶ月に一回、狩りに行く生活 だったし、そんなもんだろ。 とにかく、あと1000匹くらい殺せば天稟の才のレベルが上昇 し、更に経験値は入りやすくなるだろう。ノールでもいいから今日 はゴブリン以外の敵をやったら止めとくか。そう思ってまた迷宮に 転移した。やっとノールのお出ましか。最後だと思って﹃チェイン ライトニング﹄を二連発して一匹を残して全滅させた。最後に残っ たノールも深手を負っているようで、楽に突き殺せた。12匹のノ ールの経験値は3000を少し上回っていた。面倒だが、ノールの 魔石を見逃す手はない。一個2000位の価値だ。金額に直すと2 万Zだしね。売っても14000Zくらいにはなる。迷宮への入場 税なんか1個でお釣りがくるんだ。さっさと魔石を採取するとこの 日は引き上げた。 予想通り魔石は合計で162000Zくらいの金になった。経験 値も今日一日で9000くらい稼いだ。あと二∼三週間くらい休日 を潰せば実験結果は分かるだろう。 1372 第三十話 実験︵後書き︶ 奴隷階級からの解放条件について 1.自分の購入金額、または評価金額の百倍を持ち主に支払う︵こ の場合階級は平民になる︶ 2.持ち主に解放して貰う︵この場合自由民になる︶ これしかありません。 通常は2の方法です。元々の持ち主が所有している奴隷を解放する メリットは特にありませんので、多くの場合は誰か別の人に買い取 って貰い、解放の為に新しい持ち主が自分を買い取った金額+αを 新しい持ち主に支払うことによって奴隷階級から逃れることになり ます。この+αは事情によってかなり上下します。クローが女冒険 者のジェーンに自分を買い取らせ、その後解放してもらったような 場合、自分を買い取った金額も含めて支払いはなかったでしょう。 僅かな例ですが、才能があると思われる農奴や戦奴を領主である貴 族が従士として取り立てるようなケースもあります。こういった場 合もクローのように支払いが発生することはないと予想されます。 また﹁新しい持ち主﹂をそもそも縁もゆかりもないような人に頼む のであれば相当な金額になると思われます。考えやすい状況ですが、 奴隷自身が自分の境遇や主人の扱いに不満を感じてその境遇から積 極的に逃れようとする場合などがこれに当てはまりますが、そうい った場合、主人は販売自体を渋るかもしれませんし、値を釣り上げ るかも知れません。 なお、奴隷への給料の支払いは当たり前のことと認識されています。 1373 なぜなら、奴隷は自分の代金の百倍の代金を持ち主に支払うことに よって﹁平民﹂の身分ごと自分を買い戻せるという大前提があるか らです。この習慣、と言うより完全に有名無実化している法律があ るため、そのチャンスを奪うことは一般的に悪とされています。従 って額はともかく、全く給料を支払わない、という関係は存在しな いといっていいです。 農村部では奴隷が一人前に働けるようになった頃︵恐らく12∼1 3才前後の年齢になります︶、だいたい月に5000Zくらいの給 料になります。食料は持ち主が自前で生産しているし、物価は都市 部ほど高くないからです。子供の奴隷にも税のかかる六歳以上にな ったら給料は支払われます。ほんの小遣い程度の小銭でしょうが、 これは必ず支払われると思ってください。当然、こんな額では一生 かかっても百倍の金額を支払える訳などあるはずもありませんが、 建前として行われているようなものです。 対して都市部では奴隷は農奴のような単純労働者ではなく、下働き や職人になっていることが多いです。つまり、生産上かなり役に立 つ人材もいることになります。役に立つ職能を持っているなら、給 料はきちんと支払われるし、場合によってはかなりの資産を所有で きるようにもなります。勿論、百倍は無茶でしょうが、その人柄や 職能に目をつけたスポンサーだって出てこないとも限りませんし、 主人と話し合いなどを行って、名目上誰かに販売して解放してもら うという手だってあります。 奴隷同士の婚姻については以前クローの幕間でちらっと述べていま すが、奴隷とそれ以外の階層の婚姻や既に婚姻をしている奴隷の一 方が解放されるようなケースなどについてはまた折を見て書く事に します。 1374 第三十一話 不安1 7442年8月16日 今日、迷宮に入ろうとしたとき、入口で税吏の護衛をしていたチ ャーチさんに呼び止められた。来週の金曜、例のデレオノーラを含 むバルドゥックの騎士団に収監されている犯罪者達の裁きと刑の執 行が行われるらしい。俺とベルは証人として立ち会うようにと言わ れた。しょうがない、その日は迷宮行は休みだな。 なお、裁きに逮捕から二ヶ月以上の間が開いた理由を聞いてみた ら、領主の都合だった。バルドゥックは王直轄領なので領主は国王 なのだが、当然国王自らがこんなケチくさい仕事でわざわざバルド ゥックまで来ることはないし、普段から街自体の政治運営には代官 を立てている。だが、その代官自体も実は日本人的な感覚で言う全 権代理ではない。あくまで行政権のみに権限は限定されているのだ。 そもそも正式には代官ですらない。バルドゥックはロンベルティア と並んで本当の意味での直轄領に近いから正式な代官もいない。 司法権は領主か、正式に領主から任命されている親補職である代 官にしかない。そのため、実務のみを担当するバルドゥックの行政 長官︵慣習によって代官級として扱われているし、実際にそう呼ば れてもいる︶では犯罪者への裁きを行うことは出来ないのだ。その ため、一年に四∼五回ほど、隣の王都から暇を見て正式な領主であ るバルドゥック伯トーマス・ロンベルト三世陛下がわざわざバルド ゥックまで来て裁きを行っている。今回はその正式な領主である陛 下の都合が付かなかったことが理由であるとのことだった。 1375 とにかく、来週の金曜か。忘れないようにしなきゃな。そう思っ てチャーチさんに礼を言って皆の所に戻ろうとした時に再度呼び止 められた。今度は忠告だった。ベルは外国人だ。貴族ではあるがロ ンベルト王国に本家を持っていないので王国内での扱いは法的には 平民に準じたものになっている。当然税の処理もそうなるとのこと で、彼女は毎月行政府まで出向いて納税を行っている。その時の納 税証明書も念のため一緒に持っていったほうがいいとのことだった。 役に立つことはないだろうが、あくまで念のためと言う以上の意味 はないとの事ではあったが、忠告はありがたく受けておくべきだろ う。 ベルと二人、顔を見合わせながら皆の所に戻った俺達はデレオノ ーラの裁きと刑の執行に立ち会うため、来週の金曜の迷宮行につい ては休みにする旨を説明すると、迷宮に入った。 ・・・・・・・・・ 7442年8月20日 エンゲラの加入によって直接の戦闘力は多少上がったが、それ以 上に役に立ったのは犬人族の特殊能力である﹃超嗅覚﹄だ。迷宮内 に生息するモンスターはそのほとんどがえも言われないような饐え た臭いを発していたり、吐き気を催すような生臭い匂いを放ってい る。これらの魔物を彼女の鼻は正確に嗅ぎ分けられるのだ。 少なくとも、俺の実験期間が終わるまでの間、ヤバイ敵のいそう 1376 な場所に突っ込むような可能性は減ることはありがたい。これだけ でもエンゲラを買った甲斐があるというものだ。そう思って、一人 儲け物だとにやにやしたりしたが、すぐにこんなものはおまけに過 ぎなかったことが判明した。彼女の真価はもっと重要なものであっ た。エンゲラは以前から迷宮に入っていただけあって、俺達より迷 宮内での知識が豊富であった。 例えば、迷宮内に転移してきた場所、この転移してくる場所には ある程度の限定があるらしい。現時点で四百箇所以上の転移場所が 確認されているらしいが、大抵は転移してきた場所の近辺に目印が あるそうだ。そんなものあったか? と思って皆興味を覚えて聞い てみると、簡単なことだった。転移先の転移の水晶の台座にはいろ いろな筋彫りのような文様が刻まれているのだが、その中に一箇所、 必ず方向を示すような紋様が混じっているらしい。その先にある壁 に小さく数字が書いてあるとのことだった。数字は当然、今まで訪 れた冒険者が削りつけたものだ。また、もし同じ場所に転移しても 台座に刻まれている紋様は一定ではないとのことなので、台座に紋 様が刻まれていることは当然気づいていたが、今まで気にせず、碌 に調査もしないまま放っていた。 なんだ、こんな簡単なことがあったのか。これで最初に転移して きた場所についてはほぼ特定できることになるが、解せん。俺の購 入した地図は幾らか不正確ではあるものの、一層のかなりの部分と 罠の位置についての情報が載っている。その中に転移場所らしき情 報は一切混じっていない。何という片手落ちの地図か。だが、その 疑問にもすぐにエンゲラは答えてくれた。 通常、販売されている地図は大別して四種類ある。一つは当然地 形を描いたもの。次はそれに加えて罠の情報を追記したもの。これ が俺が購入した地図だ。そして、もう一つは転移情報が記載された 1377 もの。地図の至るところに番号が振られているそうだ。これと先ほ どの罠地図は両方とも情報量が多いので一枚の地図にはしていない のが普通だそうだ。俺が持っている地図だってA3くらいの大きさ の羊皮紙を九枚も束ねたもので、地形に合わせて罠の情報が書いて あるが、とても一枚には収まらないので分割してあるのだ。この地 図だって地形は非常に小さく描かれている。縮尺は3000∼50 00分の1くらいじゃないだろうか。くらい、というのは、俺たち の感覚だが、一枚の羊皮紙内に描かれていても、場所によって縮尺 が変わっているとしか思えないからだ。だから地形図と言っても不 正確な部分がある。 これに転移情報まで記載したら、一枚の羊皮紙に記載できる地図 の範囲は当然小さくなる。つまり縮尺が大きくなった地図になるの で、いきなり何倍もの量の紙が必要になってしまう。羊皮紙だから 何十枚とかになると重いし、嵩張るからわけているのだそうだ。こ んな情報があること自体俺は知らなかった。誰からも聞いたことも なかった。さもありなん、エンゲラから聞いた話では、この情報と 地図については入手方法自体が特別なものだった。朝方に入口広場 に来るような普通の迷宮地図屋では取り扱っておらず、バルドゥッ クの街外れで人目を避けるようにこっそりと営業していた。 普通は有力な冒険者のパーティーの紹介がないと販売をしないそ うだ。俺は700万Zという大金を積んで無理やりその地図を購入 した。これで俺の財産はかなり目減りしてしまった。稼がないと⋮ ⋮。焦りは禁物だがな。 なお、もう一種類の地図は更に詳細に情報が記されているもので、 引退や壊滅などでバルドゥックから引き上げる冒険者が作成してい た地図らしい。これは滅多に出回ることはないから簡単に手に入る とは思わないほうが良さそうだ。 1378 この部分だけでもエンゲラの知識は役に立っているのだが、もっ と重要なのは、彼女が強敵の居る場所を幾つか覚えていたことだ。 と言っても覚えている場所は僅か四箇所にしか過ぎないが、それで も強敵の事前情報は大きな知識だ。スカベンジクロウラー、ブルー スライム、プロペラテイル、ガルガンチュアスパイダー。どれもこ れも知らないで踏み込んだら危険な相手だ。 これから暫くはエンゲラをどのように組み込むかをいろいろテス トしてみる必要がある。安定するまでは無理をせず、訓練のつもり でじっくりと取り組むべきだろう。だが、これだけいろいろな知識 を持っている割にエンゲラの剣の腕は俺達のパーティーの中では一 番低い。とは言っても、貴族出身で正式な剣の手ほどきを受けてき たベルより少し劣る程度だから特に不満はない。バークッドの若手 従士もこんなものだった。 俺が少しだけ疑問に思ったのは、彼女の今までいたパーティはほ ぼ全て壊滅しているということだ。文字通りの全滅は無いが、迷宮 行を継続できないほどのダメージを受けたことだ。この程度の腕で、 一層の踏破は無理だと思う。仮に一層を踏破できて二層に行けたと しても被害はあるだろう。なぜもっと安全に、ゆっくりと進まない のだろうか? もしかしたらエンゲラは他のパーティーから金でも 貰い、自分の所属していたパーティを壊滅に引き込む役回りなのか? 彼女の出自や今まで仕えてきたと言う主人たちとの馴れ初めなん か、どこまで本当かは知れたものではないが、ついそんな物騒なこ とまで心配してしまう。冷静に考えるとその可能性は無視できるく らい極小なので俺の取り越し苦労であることは明白なのだが、つい エンゲラに聞いてしまう。 1379 ﹁エンゲラ、お前の前の主人たちは、なぜ奥地を目指そうとしてい たんだ? こう言っちゃなんだが、気を悪くしないで聞いてくれ。 お前の剣の腕はそう悪くはないが、おそらくお前自身も気づいてい る通り、俺達の誰が相手でも一対一で勝てる相手はいないだろう。 その程度の腕のメンバーがいるまま、奥地を目指そうとする考えが わからん﹂ 俺が迷宮内での小休止中にそう言うと、エンゲラは意外そうに返 事をした。 ﹁え? 私には何故ご主人様がそう仰られるのかがわかりません。 私のような奴隷は普通は一番先頭に立たせて、私がやられるか耐え ている間に他のメンバーが敵を殺すのでしょう? 逆に、ご主人様 のパーティーだと私はなかなか先頭にならないので有難いくらいな のですが⋮⋮﹂ そう答えてきた。まぁ多少予測はしていた内容ではある。 ﹁それは解らんでもない。だが、そんなことをしてお前が倒れてし まったらパーティー全体の戦闘力が落ちるじゃないか。俺はそう金 持ちじゃないからお前を使い潰すなんて勿体無くてとても出来ない。 前の主人は全員大金持ちの御大尽だったのか?﹂ 俺がそう尋ねると、困ったように返答してきた。 ﹁そのぅ、私が言うのもなんですが、奴隷は盾です。回避できない 戦闘を突破するのに使うのが普通だと聞いております。勿論、直前 まで戦闘を回避すべく努力は行われますが、それでも、下層へ行く 前など、どうしても回避できない戦闘は発生しますから、そういっ た時の保険のようなものです。二層へさえ行けて、その後頑張れば 1380 奴隷の一人や二人くらいの財宝などを発見できることもありますか ら⋮⋮﹂ ﹁その理屈はわからんでもないが、必ず財宝が見つかるなんて話は 聞いたことがない。奴隷の一人や二人と軽々しく言ってくれるが、 お前とその装備だけで800万Z近い金が掛かってる。いいか? 800万Zだぞ? それを二人分とか言ったら1600万Zだ。2 000万Zの財宝を見つけたって割に合わんだろ﹂ ﹁えっ?﹂ ﹁えっ?﹂ ﹁あの、何故割に合わないのでしょう。今の計算だと400万Zも 儲かるではないですか﹂ ﹁えっ? 何言ってんの? そんな訳あるか。その証拠に今のトッ プチームと言われているパーティーにも奴隷がいるところはあるが、 ここ数年、殆どメンバーは変わってないと言うじゃないか。そんな 無駄遣いのような⋮⋮無駄な投資なんか誰もしないだろ﹂ 俺はこいつが何を言っているのかよく解らん。エンゲラはまだ何 か言うようだ。 ﹁それは、トップチームを比較に出しても意味が薄いでしょう。大 半のパーティーは奴隷を盾にするものでございますよ。その間に下 層への突破を目指すのです﹂ だめだ、こりゃ。つい下唇を突き出していかりや長介風に言いそ うになってしまう。つい他のメンバーの顔を見回すと、ゼノムやズ 1381 ールーは黙って聞いていたが、ベルとラルファは俺と同意見のよう だ。ベルが言う。 ﹁エンゲラ、なぜ貴女はそんな事を言うの? 盾に使って欲しいの ? 私も直接奴隷を使ったことはないから大きなことは言えないけ ど、あなたの言うことはおかしいと思うわ。奴隷といえど、生きて いる人じゃない。可哀想だとかそう言った感情論を言うつもりもな いわ。だけど、よく聞いて。貴女は生きている人なのよ。これが何 を意味しているかわかる? もっと解り易く言うと⋮⋮そうね、経 済効果、と言ったほうが理論的に説明できるわね。アルさんは貴女 を800万Zで買った。このお金を回収して儲けを出すにはその何 倍も回収しなければとても割に合わないの﹂ ベルは経済学部だったのかな? いや、関係ないけど。 ﹁貴女の価値は貴女を買った金額だけじゃないわ。その後、連携を 確認したり、一緒に訓練をすることになった先週の土曜日の午前中 の私たちの時間も見えないお金が掛かっているの。例えば、貴女が 今日死んだとしましょう。そうすると、最初の連携確認の時間や先 週の土曜日の午前中、それだけじゃないわ。一緒に迷宮に入った時 間も全て無駄になるの。なぜなら、私たちはパーティーに貴女がい ることを前提に訓練や戦闘をしてきたから。貴女が死んでしまった らそれらが全て無駄になってしまう。もし新しい奴隷と入れ替えた ら最初からやり直しだわ。だから、私達は簡単に貴女を失うような ことは出来ないの﹂ うん、まぁ、それもある。 ﹁それにね。生きているのであればその経験はお金には代えられな い程の財産になるの。私達は貴女が来るまで迷宮の事で知らないこ 1382 とは沢山あったわ。地図のこともそうだし、転移先の見分け方もそ う。それらは生きている人が持ち帰った情報でしょう? 生きた知 識なのよ。危険なモンスターだってそうよ。話に聞いているだけと、 実際に戦ったことがある人では全く違うわ。迷宮での戦闘に慣れて レベル上げ だ。ド○クエでも いるということはそれだけで大きな財産なのよ﹂ そうだ。何と言ったっけ。ああ あったじゃんか。あんまやってないから詳しくはないが、次のエリ アに安全に移動するためにプレイヤーの戦力拡充のために弱っちい モンスターを罪も無いのに虐殺しまくって経験値を稼ぐことをゲー ムでもするじゃないか。俺がもっと幼い頃、ミュンと夜中に行って いた狩りのようなものだ。剣の稽古だって広義のレベル上げに該当 するだろう。俺も休日に一人でやっている実験もそうだし、今この 瞬間も俺の中ではそれらに近い感覚ですらある。しかし、エンゲラ はまだ納得していないようだ。 ﹁しかし、それではなかなか二層に行けないではないですか? 時 間はお金より貴重なものだと言います。少しでも早く二層に到達し たほうが多くのお金を稼げる可能性が高まります。これは可能性の 問題だと以前のご主人様は仰っておりました。あのお方は別段特別 なお考えがあったようには思えません﹂ エンゲラはまだ自説を曲げていない。自殺願望でもあるのか? この女は。ところで、平均して新人の冒険者パーティーが一層を突 破できるようになるには大体一年から一年半くらいかかるそうだ。 このあたりかな、説得、と言うか納得させる材料は。 ﹁ベル、もういいよ。だが、エンゲラ。ベルの言うことを後でよく 考えてみろ。あと、俺達の腕はお前が今まで居たパーティーと比較 してどうだ? 不足しているか?﹂ 1383 俺がそう聞くと、エンゲラはすぐに答えた。 ﹁いいえ、不足どころか人数も少ないのに数段上だと思います。怪 我らしい怪我も殆どしていませんし。でも、三層か四層くらいを目 指すのでございましょう? その為に連携や私を混ぜた戦い方の練 習だと思っておりました。そりゃあ、一戦くらいで使い潰すのが勿 体無い事だと言う事くらい私だって理解しております。ですが、下 層への転移の水晶までには必ず一回は強敵のいる部屋を通る必要が あると聞いております。そこを突破するための私なのではないかと 思っていたのですが⋮⋮﹂ ﹁ふーん、俺達にお前を加えても一層の部屋にいるような強敵を突 破するのは難しいと思っているんだな。ああ、まだ見せたことはな かったな。まあいいや。じゃあお前に言っておいてやるよ。来月に 入ったら二層を目指して本格的に迷宮を進む。で、地図もあるこっ たし、来月中には二層にたどり着いて見せる。そこである程度稼い だらまた二層の地図を買う。二層の敵の強さは一層よりは強いらし いが、基本的には一層とそう変わらないと聞いている。二層の地図 を買ってから⋮⋮そうだな⋮⋮二ヶ月以内に三層に行ってやる。誰 一人として欠ける事なく辿り着いてみせる。当然戦闘には危険もあ るだろうから、場合によっては他の誰かを守るために盾のような役 割を命じることもあるかも知れない。だが、特定の場所を突破する ためだけにお前を含む誰かを盾にするようなことはしない。その時 にまたお前の感想を聞かせて貰う。さて、休憩は終わりだ。もう一 息、行くぞ﹂ そう言って立ち上がると先頭に立って洞穴を進んだ。 1384 ・・・・・・・・・ 7442年8月23日 今日はデレオノーラの裁きの日だ。朝起きてから持っている中で 一番上等な服に着替えると、いつもの店に朝飯を食いに行った。ベ ルには予め言ってあるので、彼女もそれなりの服装ではあるが、い かにもちょっと上等な冒険者ですという程度の服だった。まぁ実際 そうなのだし、準男爵家の人間とは言え、家を出ている次女で本業 も冒険者なのだからドレスを来て証人台に立つというのも変な話だ から、ま、いいだろ。一応安物ではあるがブーツも履いているしな。 俺たちは世間話をしながら昼近くまでだらだらと時間を潰し、時 間も迫ってきたので行政府前に向かった。 キールみたいに一人一人、罪状を確かめたりして裁くのかと思っ ていたら、もっとぞんざいに処理されていた。罪人もキールより多 く、証人の控えの席自体が裁きの演台から遠かったので国王は遠目 にしか見ることは出来なかったが、見た感じ普通のおっさんだった。 鑑定してみると年齢は48歳、レベルは10だった。それなりに訓 練しているか、若い頃訓練していたのだろう。国王なんて当然忙し いだろうし、大罪人とか天下の大泥棒とかであれば別なのだろうが ケチくさい盗みや強姦、冒険者同士の諍いから発展した殺人程度ば かりなので流れ作業のように刑は進んだ。キールみたいに逮捕自体 に対して文句も言わせない。全員猿轡をされていたからだ。 罪状が述べられ、証拠や証言もあることが告げられるとさっさと 1385 頷いて罪を認めるものが大半だった。たまに死罪や、手足の切断刑 の時に首を横に振るものもいるくらいで、そういった時には証人が 呼ばれはするものの、簡単に証言を取ると、問題なく刑は遂行され た。鞭打たれている罪人の横ではもう次の罪人に刑を言い渡してい る。そんな感じさえ受けるほどあっさりと刑は遂行されていく。 へりくだ 俺はてっきり、国王がわざわざ来て処罰を決定するのだからもっ と厳かに、何と言うか、全員土下座モードで遜りながらゆっくりと のっと 進行すると思っていたが、そんなことはなかった。勿論、かなり丁 寧な礼儀作法に法って証言されるし、周りの人々も貴人に対する礼 を弁えて対応しているが、さもありなん。バルドゥックには平民も 自由民も奴隷もいて、犯罪者とそれに絡む被害者や証人の大半が貴 族階級ではないのだ。いちいち宮廷内のような洗練された礼儀作法 などを求めても意味のない事だと理解しているのだろう。著しく礼 を逸脱しない限りは問題視されないようだ。 どんどん裁きは進んで行きついにデレオノーラの番になるという とき、事件は起こった。なんと、デレオノーラが脱走を企てたらし い。当然ながら即座に取り押さえられ簀巻きのようになって引き出 されていた。 貴族階級への略取と強姦未遂。ベルは外国人ではあるが、貴族階 級だ。デーバス王国とは南の国境線を巡って定常的に紛争が続いて いる。どうなるのかと心配をしていた時期もあるが、いろいろな筋 から話を聞いた限りではまず死罪であろうとのことだった。だが、 この時、脱走騒ぎなどで進行が遅れたことで国王が興味を持ってし まった。俺達に証人として証言台に立つように言われたのだ。 証言しないままさっさと刑を遂行して欲しかったが仕方ない、俺 とベルは控えの席から立ち上がると証言台に移動し、ステータスオ 1386 ープンを掛けられ、本物の証人であること、記録されている身分通 りであることを確認されると証言をした。日本人であった事実以外 を言いたい放題言う。デレオノーラは猿轡を噛まされたままなので 何かを喚いたりも出来ないから俺達の証言に反論すら許されない。 俺達の証言を聞いた国王は壇上で少し考え込んだ。その時、国王 に耳打ちをした人がいた。金属製の高価そうな鎧に身を包んだ護衛 隊の隊長かなにかだろう。その人の耳打ちを聞いた国王は、刑を言 い渡す前に俺に質問をしてきた。 ﹁そなた、グリード士爵家の者だと言ったな。出身はウェブドス侯 爵領か?﹂ え? なにそれ? 関係あるのかよ? ﹁はい、ウェブドス侯爵領のバークッド村の出身です。父のヘグリ ィヤールが領主をしております﹂ ﹁やはりそうか。姉はいるな?﹂ ﹁はい、一人﹁後で顔を出せ﹂ え? ﹁はっ、後ほど参内させていただきます﹂ 俺がそう言うとデレオノーラに刑を言い渡した。やはり斬首によ る死罪だった。恨みがましい目つきで俺を睨んでいたが、猿轡を噛 まされたままでは何も言えまい。まぁ悪いことしたんだから死んど け。それに相手が貴族だったことが最悪だったな。 1387 刑場の端っこでデレオノーラは刑死した。 ・・・・・・・・・ 国王に呼び出しを受けた俺は、気が気ではなかった。 一体何の用だろう? 関係ありそうなのはミルーのことだ。わざ わざ姉が居るか聞いてきたしな。国内最精鋭の第一騎士団所属の新 進気鋭の騎士。なんかやらかしたんじゃないだろうか? あの姉貴 のことだ。国王のお手つきになれとか言われて断ったとか、ひっぱ たいたとか⋮⋮。美人だし、見てくれはいいからな⋮⋮。でも、そ こまでアホじゃないと思う。だとしたらなんだ? ⋮⋮ひょっとして⋮⋮戦死か? おこり 急に瘧のように体が震えだした。証人の控えの席に戻り、青い顔 で考え事をし始めた俺を心配そうに見ていたベルが俺の手を握って くれた。 ﹁大丈夫ですよ。犯人逮捕の協力のお褒めの言葉とかじゃないです か?﹂ 違うんだ、そんなことじゃないんだ。そうか、ベルには俺の姉が 国王直属の騎士団に居ることは言ってなかったな⋮⋮。 1388 第三十二話 マージン 7442年8月23日 ミルーに、姉貴の身に何か起こったのか? 戦に出て戦死とか? まさかな。 だって、あの姉ちゃんだぜ。 俺ほどではないが、規格外のMPを持ち、騎士としての実力だっ てそれなりに有る姉ちゃんだ。そう簡単に死んだりするもんか。俺 は刑場の露となった元日本人で転生者のデレオノーラのことなんか すっかり忘れて、一体ミルーの身の上に何が起こったのか想像して みたが、悪い考えしか浮かんでこなかった。 なぜ国王は俺の出身地を尋ねたのか? なぜ国王は俺に姉が居ることを確認したのか? つまり、バークッド出身の領主の息子であることを念を押して確 認したのだろう。グリード士爵家の次男であることはステータスオ ープンで確認されているから、再確認なんだろう。同姓がいないと も限らんし。 国王と家の繋がりは薄い。僅かに母ちゃんが王都の政治家である 1389 サンダーク公爵家の傍系の出身であるというだけだ。公爵と言うか らには王家とも何らかの繋がりくらいはあるだろうが、母ちゃんは 三男の四女とか言ってたから、いくらなんでもその線は薄いだろう。 何代か遡ればどこかで繋がりくらいあっても不思議でもなんでもな いが、そんなのもう他人と一緒だし。 やはり、直属の騎士団にいる姉ちゃんが一番近いと言える。しか しなぁ、騎士団長だとか副団長だとかであれば直属の部下だろうが、 その下の新米騎士なんか顔も知らなくても不思議じゃないし。叙任 の時に謁見くらいあっただろうからその時に見初められでもしたか? こんなことを考えているうちにサクサクと滞りなく裁きは進み、 もうそうそろ終わるという段になって騎士が一人、俺のことを呼び に来た。未だ震える足取りで騎士の後を付いて行く。行政府の庁舎 内まで連れて行かれた。 げっそりとした青い顔で待っているとまた先ほどの騎士が俺を呼 びに来た。俺の顔色をみた騎士は心配して声を掛けてきた。 ﹁どうしました? グリード様。お顔の色が優れないようですが? ご気分でも?﹂ ﹁あの⋮⋮ひょっとして姉になにかあったのでしょうか? 私の姉 はミルハイア・グリードと申しまして、第一騎士団に所属している はずなのですが⋮⋮﹂ ﹁ええ、存じておりますよ。同僚ですからね。グリード様はグリー ド卿の弟御でしょう? ならばご存知でしょうに⋮⋮﹂ この人は第一騎士団の人だったのか。何をご存知だというのか? 1390 ﹁何をです? 姉は無事なのでしょうか?﹂ ﹁え? 一体何の話ですか? 当然無事ですよ。今朝もピンピンし て王都の駐屯地内の食堂で朝食をお替りしていた様ですが⋮⋮?﹂ そっ⋮⋮か。一気に落ち着いた。だが、だとすると何だ? ﹁姉ではない、としますと、陛下は一体私にどのような?﹂ ﹁さぁ? そこまでは⋮⋮しかし、そんなにご心配はいらないでし ょう。お怒りのご様子でもなかったようですし⋮⋮さぁ、着きまし た。入ったら拝謁です。部屋の中ほどまで俯いて進み、それから臣 下の礼を取って下さい。武器は持っていないようですし、右膝を立 てて跪いて右腕を膝に乗せ、左手は拳を握って床に立てて下さい。 許可が出るまで下を向いていて喋らないでください﹂ そう言うと第一騎士団の騎士は扉を開けてくれた。同時に俺の来 訪を告げる。 俺は騎士に言われた通りの形で跪いて礼をした。 ﹁うむ、グリードよ。よく参ってくれた。面を上げて良い﹂ ﹁はっ﹂ 俺は顔を上げると国王トーマス・ロンベルト三世を見上げた。 部屋は、絨毯敷の結構大きな部屋だ。学校の教室二つ分くらいだ ろうか。華美にならない程度の装飾はあるものの、花瓶の花と額に 1391 かけてある風景画だけが目立った装飾品で、部屋の奥には王国の国 旗がかけてある以外、大した装飾もなかった。国旗の前が一段高く なっており、そこに設えた椅子に国王が腰掛けていた。国王の左後 ろには裁きの最中に国王に耳打ちした金属鎧がいた。 ﹁まず、最初に訪ねたいが、そなた、ゴム製品の修繕は出来るか?﹂ は? ﹁はっ、大抵のものでしたら出来ますかと⋮⋮ですが、今この場に は補修用の材料がございませんので、一度私の逗留している宿に戻 る必要があります﹂ ものすごくホッとしながら答えた。そう言えば数年前から王都で も評判になっているんだっけ? サンダルでもブーツでも直します よ。どうせベルトでも切れたんだろ? それともクッションに穴で も開いたか? ﹁おおそうか、頼みがあるのだが、明日、余とロンベルティアの城 まで同行して直して欲しい物があるのだ﹂ 国王はそう言うとチラリと後ろの金属鎧に気を払ったが、俺に向 き直ると更に言葉を続けた。 ﹁ローガンめが規則を盾にそなたの姉を貸してくれんのでな。確か、 姉は第一騎士団におるのだろう?﹂ ローガンってのが誰なのかは知らないが、大方騎士団でのミルー の上官かなにかだろう。 1392 ﹁はい、お陰様をもちまして、我が姉のミルハイアは陛下のお側に てお仕えさせて頂いております﹂ 俺がそう答えると国王は満足げに頷いたが、金属鎧が喋った。 ﹁陛下、騎士団の騎士は訓練で忙しいのです。連携訓練等では部隊 の誰が抜けても統一された訓練になりません。グリードも騎士団の 一員として重要な要員と成っておりますし、今後は他の騎士団や郷 士騎士団の指揮を執ることもあるため、座学にも手を抜くわけには 参りません。休養だって立派な任務なのですぞ、いかな陛下とは言 え私的に使うなどとは⋮⋮﹂ なんか苦言を呈している。 ﹁わかっておる。だからグリード卿ではなく、その弟が見つかった のだから、良いであろうが﹂ 国王は金属鎧にそう返答すると、俺を見て言った。 ﹁そう言えば、そなた、冒険者を生業としておると聞いたが、あの 変わった鎧は使っておらんのか?﹂ ﹁は? 鎧? あ⋮⋮その⋮⋮﹂ ﹁陛下、本日はお裁きの証人として呼ばれることは分かっていたは ずです。鎧姿で証人台に立つはずもないではないですか﹂ おお、金属鎧、ナイスフォロー。ポイント高いぜ。 ﹁はい、今、そちらの護衛の方が仰られた通り、本日は鎧は着用し 1393 ておりません。ご希望とあらばこれから着用して参りますが⋮⋮﹂ 俺がそう言うと、今度は金属鎧が身を乗り出した。 ﹁む、そなたもあの鎧を使っておるのか⋮⋮そう言えば今年からグ リード卿の鎧も少し格好が変わったし、従士でも使い始めた者もい るが、そなたの鎧もあれらと同じものなのか?﹂ プレートメール ﹁は⋮⋮その、私のは些か異なります。本来あの鎧は金属鎧同様に 着装する個人に合わせて細部が異なりますので⋮⋮﹂ 姉ちゃんと一緒に来た従士の人達、ちゃんと使ってくれてたんだ な。急いでたし量産型だけどさ。因みに俺のは見た目は四世代目ゴ ムプロテクターで、ほぼ彼らのものと同一だが、材質や構造に更に 工夫が取り入れられて内実は四・五世代目相当になっている。大し た違いじゃないけどさ。各世代の特徴は今度気が向いたときにでも 話そう。 ﹁む⋮⋮そうか。いや、気にしないでくれ。あ、いや、後で少々時 間をくれぬか。少し話がしたい﹂ ﹁は。気ままな冒険者ですので時間はございます。御遠慮なくお申 し付けください﹂ 俺が金属鎧にそう答えると、それまでにやつきながら金属鎧を見 ていた国王が言う。 ﹁ふむ、騎士団は忙しいのではなかったか? グリードよ、そなた の時間をこやつのために割くのだ、しっかりと金を請求してやるが よいぞ﹂ 1394 あんたには請求しちゃいかんのか? 多分明日一杯はあんたのた めに費やすことになるんだがな。冗談だけどさ。 ﹁は⋮⋮そんな、滅相もございません﹂ 俺は平伏しながら答えた。 ﹁うむ、ローガン、良かったな、金はいらないそうだ。だが、お前 にもメンツというものがあろう? けじめは付けろよ﹂ にやにやしながら金属鎧を見て言う。この金属鎧がローガンか。 裁きの時に国王と一緒に鑑定しておいても良かった。こう近いとお いそれと鑑定も出来やしない。 ﹁ではグリードよ。明朝、余と共にロンベルティアまで参れ。頼ん だぞ。下がって良い﹂ ﹁はっ、その前に一つだけお聞かせください。修繕の必要な品は何 でございましょうか?﹂ ﹁おお、そうだった。言うのを忘れていた。ベッドだ﹂ ああ、ウォーターベッドか。 ﹁穴でしょうか? 裂けたのでしょうか?﹂ ﹁穴だ。一箇所な。剣で突きおった、モリーンめが⋮⋮﹂ なにそれ? まぁいいや。 1395 ﹁確かに修繕を承りました。明朝、陛下とともにロンベルティアま で同行し、後にベッドの修繕をさせていただきます﹂ ﹁うむ、頼んだぞ。では、下がれ﹂ ﹁はっ、失礼いたします﹂ 部屋を出ると額に汗をかいていた。俺を迎えに来てくれた騎士は 充分に問題のない態度だったと褒めてくれた。また、明朝﹃ボイル 亭﹄まで迎えに来てくれるそうだ。ああ、ついでだ、その時にでも モリーンについて聞いておくか。 ・・・・・・・・・ そろそろ晩飯の時間も近い。ああ、長引かなくてよかった。エン ゲラにはまだ一銭も渡していないから晩飯抜きにさせるところだっ た。まぁそうなったとしてもズールーが出してやるような気もする。 精神的に疲れた顔で行政府を出ようとしたら、別口の騎士に呼び止 められた。なんだ? と思ったら少し待っていてくれと言われた。 なんだよ、もう。俺は奴隷に飯食わせなきゃならんのよ。あ、ロー ガンが後で時間くれって言ってたっけ。 十分ほど待っていたら金属鎧のローガンが来た。 ﹁待たせてすまんな。俺は鎧を脱いだら飯に行こうと思っている。 1396 一緒にどうだ? あと、出来ればそなたの鎧を持ってきてはくれま いか? 見せて欲しいのだ﹂ ﹁? はい、解りました。夕食をご一緒させていただきます。鎧も お持ちしましょう﹂ ﹁ああ、荷物持ちに一人付ける。店の場所はそいつが知っているか ら来てくれ。四番通りの﹃ドルレオン﹄と言う店だ。今から⋮⋮そ うだな、一時間後くらいに俺は店に着く。すまんな﹂ ﹁いえ、お気になさらず﹂ ﹁では、後でな﹂ そう言うとローガンは行政府内へと踵を返した。後ろ頭を見つめ て鑑定した。ロッドテリー・ローガン。ローガン男爵家当主。レベ ル17。すっげ。レベル17。すっげ。レベル17。マジすっげ。 男爵家当主? 第一騎士団で男爵? え? 団長か? 俺は荷物持ちを拝命させられた騎士︵多分従士だろうけど︶に言 って、﹃ボイル亭﹄までの道の途中にあるいつもの飯屋に寄っても らった。既に全員いたが、第一騎士団の団長と会食のため、今日は 一緒に食えないことと、明日も王都に行かなくてはならないので明 日一日バルドゥックにはいないことを告げると﹁少し早いが﹂と言 ってエンゲラに今月分︵正確には半月分だが︶の給料として200 00Z︵銀貨2枚︶を渡した。週給に直すと8000Z︵銅貨80 枚︶だからズールーより2000Z︵銅貨20枚︶少ない。これが 奴隷頭の分だよ、ズールー。あと、今晩と明日の食事代や宿代とし て彼らに少し多めに金を渡すとさっさと﹃ボイル亭﹄に向かった。 時間ねぇもん。 1397 鎧一式を従士に手分けして持ってもらい、えっちらおっちらと﹃ ドルレオン﹄に向かいながら従士に国王の言っていたモリーンとは 誰かと聞いてみた。王妃の愛称だった。モーライルって名前だった から、モールとかモーラだと思ってた。しかし、王妃様が剣でウォ ーターベッドを突いて壊したのかよ。王妃様、ご乱心か? なんとなく深く関わらないほうがいいかも知れない、と思った。 ﹃ドルレオン﹄に着いたがローガン男爵はまだ到着していなかっ た。しかし、国王の護衛の騎士達は数人いた。俺と荷物持ちの従士 が店に入ると、従士と顔見知りらしい幾人かが声を掛けてきたが、 俺たちが持っている俺の鎧に気が付くと遠巻きにこちらを観察し始 めたようだ。なんか居心地悪いね。 そうこうしているうちにローガン男爵が現れ、会食となった。従 士はいつの間にか俺達のテーブルから離れ、同僚のテーブルに混じ って食事をしながらほかの同僚たちと俺たちの方を窺っていた。 ﹁すまんな、わざわざ。コース料理でいいかね?﹂ ﹁はい、お願いします。で、今私が使っている鎧をお持ちしました。 これがそうですが⋮⋮﹂ 俺がそう言うと、ローガン男爵は、給仕を呼んでコース料理を二 つ注文すると ﹁ああ、ちょっと見せてくれないか? ふむ、やはり軽いな⋮⋮ふ む⋮⋮なるほど⋮⋮ほほう⋮⋮こうなっていたのか⋮⋮おっ、これ は⋮⋮﹂ 1398 ひねくり とか言いながら俺のプロテクターを弄り回していた。 ﹁あのう、団長閣下、何か問題でも?﹂ あまり夢中になって観察を続けていたので、遠慮がちに声を掛け てみた。 ﹁お、おお。すまんすまん。いやな、グリード卿の鎧や、グロホレ ツやアムゼルの鎧とどう違うのか興味があってな⋮⋮﹂ ﹁はぁ⋮⋮﹂ ﹁ところで、この鎧だが、作成には二日もあれば良いと言うのは本 当かね?﹂ おお? 買ってくれるのかな? ﹁そうですね、ざっくりでしたら二日もあれば。本当に細かい調整 まで行うには四日ほど欲しいですが、二日もあれば姉や従士の方々 へお作りしたものと同様には作れると思います﹂ ﹁ほう、聞いていた通り早いな﹂ ローガン男爵はそう言うと、また篭手部分や肩当てなど、細かい ところを見ていた。しょうがないので俺は飯を食うことにする。こ れ、奢りかな? 国王がケジメは付けろとか言ってたから奢りだろ うな。結構美味いな。今後この店はなにかの際に使えるな。そう思 ってバクバクと食っていた。 1399 ﹁おい、お前ら、こっちに来て見せて貰え。新型のゴム鎧だぞ﹂ ローガン男爵は離れたテーブルでこちらの様子を伺っていた騎士 たちに声を掛けた。騎士たちはすぐに寄ってきて口々に﹁失礼しま す﹂とか言って鎧を興味深そうに見始めた。俺の体に合わせて多少 デザインは変わってはいるが基本的にはミルーや従士たちに作って やったものと大差はない。昔ミルーに渡した試作第三世代プロテク ターのように各所にDリングをつけたり、胸部や大腿部などの大き なプレート部のエボナイト部分の盛りとその材質についていくらか 改良を施し、腰部の構造を多少変化させたりしているくらいだ。全 体としては彼らに渡しているものよりちょっと進化した程度だ。た だ、口々に﹁軽い﹂とか﹁これなら強度的にも充分﹂とか言ってい る。うーん、姉ちゃんもあの二人の従士に渡した鎧も大差ないはず なんだけどなぁ。観察させるほど見せてないのかな? ﹁あのぅ、姉と従士の方々へお作りしたものとそう変わらないはず なのですが⋮⋮﹂ そう言ってみた。すると、 ﹁新型の鎧に興味があってね。どうせ買うなら新しい物がいいじゃ ないか﹂ ﹁この材質で盾も作れるのですよね? グリード卿のは左腕に盾が 取り付けられますよね﹂ ﹁これなら、腰も充分に守れそうだ﹂ とか口々に言ってきた。チャンスだろうか? くに ﹁えーっと、もしご購入をご希望でしたら、故郷に連絡しますよ。 サイズ合わせに出向かせましょうか? 但し、その場合は十着単位 1400 のご注文と、ご注文ロット毎に納期には三∼四ヶ月ほど頂きますが ⋮⋮﹂ そう言ってみた。すると、ローガン男爵を始め、全員が食いつい てきた。 ﹁そ、それは本当か!? グリード卿達からはバークッドまで出向 プレートメール かなきゃ作れないと聞いていたんだ。多少納期がかかるとは言って も四ヶ月だろう。俺の金属鎧なんか一年以上かかったんだぞ。それ に比べれば早い!﹂ ﹁それに、サイズを測りに来てくれるなら願ったりだ! 流石に鎧 を作るのに一月半も休暇は貰えないしな﹂ ﹁よーし、今がへそくりを使う時だな!﹂ ﹁価格は? なぁ幾らくらいなんだ!?﹂ ﹁た、盾も頼めるかな。カイトシールドで!﹂ おお、こりゃいい商売になりそうだ。 ﹁そうですね。サイズは私でも測れますから、皆さんのサイズを採 寸させて頂ければお作り出来ますよ。遅くとも⋮⋮そうですね、も う九月も近いのでギリギリ年内にはお届けできるかと思います。ま た、価格ですが、私と同じ物で宜しければ3000万Z︵金貨30 枚︶というところですかね。これ、鎧に使うにはゴムの素材のうち 良質な部分を凝縮しなければなりませんからゴムを結構使いますし。 あ、御代は半額先払い、残金は納品時で結構ですよ﹂ スプリントメイル そう言ってみた。結構吹っかけた。まぁ値切られてからが勝負だ しな。金貨30枚。高級な重ね札の鎧並みの価格だ。いいとこ20 00万Z︵金貨20枚︶位に落ち着くだろ。そしたら一着あたり金 貨1枚分くらい貰ってもばちは当たらないだろ。 1401 ﹁ぐっ、やはりそのくらいするか⋮⋮いや、しかし⋮⋮﹂ ﹁やはり結構な値段だな。重量と防御力を考えれば安いか⋮⋮﹂ ﹁いや、安いだろ﹂ ﹁買えなくはないよな﹂ ﹁盾は? 盾は幾らするんだ?﹂ マージン あれ? 値切ってこない。流石第一騎士団。高給取りなんだなぁ。 なら遠慮する手はないだろう。俺の取り分は多い方が望ましいわけ だし。 ﹁それから、姉がお世話になっている第一騎士団への納入ですから ね。特別サービスですが、胸に紋章を一箇所無料で入れさせていた だきます。勿論、大きく防御力を損なわないようにレリーフにしま す。大きさは⋮⋮そうですね、5cm四方くらいまでですかね。紋 章は家紋でも、騎士団のものでも王国のものでも何でも結構ですよ﹂ そう言ってみた。テイラーなら問題なく作れるだろ。 ﹁む、そうか。紋章まで入れてくれるのか⋮⋮﹂ ﹁ええっ、俺、家紋入れちゃおうかな﹂ ﹁これ、うちの小隊でお揃いの鎧にすれば格好良くね?﹂ ﹁お、それいいな。いま小隊長が護衛当番だろ? あとで言ってみ ようぜ﹂ ﹁たっ盾にも紋章入れてくれるのか?﹂ おっ? 食いついてきたな。もうひと押しかな。 プレートメール ﹁なお、修繕ですが、修繕は姉が出来るはずですから、ご心配はい りません。いつでも水で丸洗い出来るのも特徴ですから金属鎧のよ 1402 スプリントメイル バンデッドメイル うに手入れに時間を取られることもないですし、内側に革を使った 重ね札の鎧や金属帯鎧などと違って汗などで嫌な臭いになることも ないですよ。まぁ新品のうちは多少ゴムの匂いが鼻につくかも知れ ませんが、その私の鎧、卸して半年位ですがもうそろそろ匂いも気 にならなくなっています﹂ これでどうだ? ﹁ぐむむ⋮⋮確かに修繕費用が殆どかからないのは知ってはいたが スプリントメイル ⋮⋮安いな⋮⋮﹂ ﹁俺の重ね札の鎧、剣を受けるたびに修理で金かかるんだよな⋮⋮﹂ ﹁そうか、維持費が安いのも魅力だよな﹂ ﹁グリード卿、臭くないもんな﹂ ﹁盾もグリード卿に頼めば修繕してくれるのかな?﹂ いい感じだな。ここでがっついちゃダメだ。 ﹁明日には私も王都まで行きますので、お返事はその折にでもいた だければ結構ですよ。それに、恐らくまだ数年は私はバルドゥック におりますからいつでもお声掛け頂ければ結構ですよ﹂ 今日はここで引いておけばいい。急いては事を仕損じるとも言う しな。明日、国王のウォーターベッドの修繕が済んだあと採寸する ことになった。 その晩の飯は美味かった。他人の金で食う飯は旨い︵※但し、ジ ャバを除く︶。 俺はホクホクとしながら﹃ボイル亭﹄に向かうと早速皮算用を始 める。えーっと、実家には一着2000万Z︵金貨20枚︶くらい 1403 だろうな。と言うことは一着辺り1000万Z︵金貨10枚︶も抜 マージン ける。10着なら1億Z︵白金貨︶だ。うは、うはは、うははは。 かつてない程の大儲けに興奮してきた。え? 利鞘取りすぎだろう って? だって、エボナイトって硫黄や木炭が多いからゴムはあん ま使わないし、プロテクター一着分のゴムってサンダルだと50足 くらいの量のゴムしか使わないんだぜ。 確かにエボナイトの歩留まりの事とかもあるから実際にはもう少 し使うけどさ。サンダル一足40000Z︵銀貨4枚︶。60足で 240万Zくらい。それでも大儲けなんだから、それを2000万 Zで売るから、儲け自体は親父や兄貴の方が多いんだ。だから、俺 がそのおこぼれに預かったっていいじゃんかよ。迷宮に潜るのがア ホ臭くなる気もするが、第一騎士団の人数は騎士が100名くらい に従士が50∼60名くらいだと聞いている。一度売ったら終わり に近いから迷宮にはこれからも行くさ。 1404 第三十二話 マージン︵後書き︶ アルはゴムプロテクターを望外の価格で販売できそうだということ に浮かれ、税金を忘れています。まぁ国内の貴族家でもあるので売 上金全額から見ると大した額じゃないのですが、これだけの金額と なると結構な額になります。売上の10%が消費税︵食料や衣服等、 生活必需品はもっと税率は低いです︶と言うか、贅沢税としてバル ドゥックもしくはロンベルティアの行政府に収める必要があります。 販売先が国の機関なので金額を誤魔化すのはほぼ不可能でしょうし、 もし誤魔化せたとしても発覚すると一発死亡クラスの重犯罪です。 つまり、アルは3億Zの売上に対して3000万Zの税を支払い、 ついでにアルの性格だと実家の分の税︵恐らくこちらはキールに払 います︶も持とうとするでしょうからそちらにも2000万Zの税 が必要になります。利益自体は想定の半額になりますね。それでも 5000万Zが手元に残りますので、非常に大きな商売です。この 金額はゴム産業に手を付ける前のバークッド村全体の一年間の税収 の3割近くに相当します。 1405 第三十三話 売り込みPart2 7442年8月24日 約10km程離れたロンベルティアまで国王の行幸帰りに同行す る。ラルファとベルも同行したがっていたが、国王と一緒だと言う と、流石に遠慮した。当然俺は軍馬に騎乗している。国王は八頭立 ての大きな馬車に座乗し、その周りを固める騎士も軍馬に騎乗して いる。思ったより人数は少なかった。馬車の警護は総勢50人くら いであろうか。そう言えば、従士と言えど、元は全員騎士なんだよ な。全員が第一騎士団ということもあるまいが、ここは王都のお膝 セン 元でもあるし、治安は相当いいみたいだ。街道も綺麗に整備されて いるし、二時間ほどでロンベルティアに着いた。 トラルリバー 王都ロンベルティアは巨大な街だ。街の中に東側からキールの中 央川がどぶにしか見えないような幅20m以上はあろうかという二 本の川が流れ、その川は西の海に注いでいる。川に挟まれた大きな 中洲状の土地側の川岸はしっかりと護岸工事がなされ、石垣のよう な川岸に200m近くはあろうという幅広の河川敷、高さ6mはあ ろうかというこれまた石垣のようなしっかりとした土手となってい るが、反対側は100m程度の幅の河川敷に4m程度の高さも無い 様な土手という、比較すると申し訳程度の治水工事と言える。いや、 これでも充分しっかりしてると思うけどさ。 街全体が少しばかり台地状になっているからか、川面から地上ま では4m近くあった。そこに街中を走るどぶ川が幾本も注いでいる。 キールほど計画的には作られてはいないようだが、その規模から考 えると充分に清潔だし、王都を囲む塀もあるから、余計に立派に見 1406 える。これ、首都として考えると理想的な土地かも知れん。 ロンベルティアの街の中央には王城があった。三重の堀を持ち、 金箔を貼った瓦屋根の天守閣を持つ美しい大きな城だ。見た感じで 大阪城を思い出す。五層の大天守を持つ勇壮且つ壮麗な姿は流石に 大きな王国の城だと唸り声を上げるほどだ。大天守の周りには二の 丸、三の丸もあるようだ。その他櫓も多数見て取れた。 キールにも城はあるにはあったが、そう言われなければ気がつか ないような程度の城だった。申し訳程度の堀と大きな柵を巡らせた 石造りの三階建てのこじんまりとした、丸亀城を更にしょっぱくし た感じの城だったしね。遠目から大店だと言われれば﹁ああ、そう ですか﹂と言いそうな程度だったのだ。しかし、ここはロンベルト 王国の王都であり、親父やお袋の話が本当ならオーラッド大陸西部 で最大の人口を抱える超大都市だ。人口は22∼23万人くらいだ というから東京都調布市くらいの人口か。都市部の面積はもうちょ っとあるだろうけどね。 九十九折になった道を進んで王城へと入る。暫く城内の開けた場 所で待っていると迎えの人が俺を呼びに来た。俺はサドルバッグか らゴムの修理キットを取り出すと、馬と武器を預け、案内の人の後 を付いていった。 ・・・・・・・・・ ここは多分三の丸近辺の一室だ。ここで待つように言われてから 1407 かれこれ30分は経つ。ベッドの修理とはいえ国王の寝室に入って 作業をするわけもないだろうから、今頃は寝台からウォーターベッ ドを剥ぎ取って運んできているところか。手持ち無沙汰なので念の ためと思い、修理キットを再度確認する。ここで失敗でもして国王 の不興を買い、姉貴に迷惑でもかかったら俺は一生自分を許せない だろうしな。 生ゴムのボトル、良し。硫黄パウダー、良し。木炭、良し。添加 剤、良し。念のためないと困るから持ってきた小さなバケツ、問題 ない。割れないように外側を硬質ゴムと生ゴムの層でコーティング したガラス瓶に入れた各種酸類も今回は使用しないだろうが全部あ る。うん、大丈夫だ。あとは水の張った桶が最後の検査用に必要だ が、さすがにこれは持ち歩けないのでさっき頼んでおいた。 そうやって道具を確認していると、ウォーターベッドや桶を持っ た下働きの奴隷たちと共にわざわざ国王がここまで来た。跪いて臣 下の礼を取り、頭を垂れる。 ﹁よい、面をあげよ。余の頼みで来て貰ったのだ、それにどうやっ て修繕するのか興味もあるしな﹂ ええ∼、傍で見てるのかよ⋮⋮やりにくいなぁ、もう。 ﹁は、では、早速修繕いたします。まずは傷になった部分を見せて ください⋮⋮﹂ おお、これは限定品で一番最初に売り出したウォーターベッドじ ゃないか。確か、三年くらい前に売った奴だ。国王に買われていた んだなぁ。ざっと見たところ丁寧に使っていたようで、剣による穴 以外は経年もあってそれなりに傷んではいるものの綺麗なものだ。 1408 耐久性は十分だったことが証明されたな。尚、剣の穴はウォーター ベッドの真ん中の水室になっているポールを上下から貫通していた。 穴、二箇所じゃんか。でも、ど真ん中のポールだとベッドとしては 使い物にならないな。 ・・・・・・・・・ 剣で突かれただけあって、傷は鉤裂きのようになっているわけで もなく、きれいなものだった。これなら傷の周囲をヤスリがけして 毛羽立たせ、同素材のゴムを塗ってから同じように毛羽立たせた板 状のゴムを貼り付ければ大丈夫だろう。程なくして作業は完了した。 あとは乾燥させ、空気を入れてみて桶に突っ込んで漏れがないか確 認するだけだ。そう思って最小限の乾燥の魔術を使おうとしたとき だ。 部屋におばちゃんが入ってきた。若いころはさぞ美しかったのだ ろうが、四十代半ばくらいの既にお肌の曲がり角をいくつも曲がっ たおばちゃんだ。だがまぁ、かなりの美人ではある。周囲の奴隷が 国王同様に臣下の礼を取ったので俺もそれに倣った。王妃かな? モリーンさんだっけ? ﹁そなたですか? ベッドを修理しようという不届き者は﹂ は? え? この人、なんか怒ってない? っつーか、不届き者 って⋮⋮。 1409 ﹁は、いえ⋮⋮その⋮⋮﹂ なんと答えたものか、言葉に詰まる。 ﹁不届き者とはなんだ!? 言葉を慎め! この者は朕自らが頼ん で修理に来てもらったのだぞ!﹂ おお、助かる。助かるが国王陛下さんよ、一人称が公式の場で使 う朕になってるぞ。 ﹁あなた、これを修理したらまた誰かを引き込むのでしょう? 今 度は誰? 奴隷くらいなら妾も大目に見ますが、城で下女として働 く平民や貴族は許しませんよ。また無用に世継ぎを設けるおつもり ですか!?﹂ 王妃殿下、すごい剣幕でまくし立て始めた。 ﹁な! コングースのとこの次女には慰謝料を払ったろうが! 例 え男児でも世継ぎには当たらんわ!﹂ あんたな⋮⋮。 ﹁そういう問題ではありません! ⋮⋮そなた達、部屋を出て扉を 閉めなさい!﹂ 王妃がそう言うと奴隷たちは弾かれた様に部屋を飛び出していく。 俺もそうしようと腰を浮かせるが、国王に腕を掴まれた。 ﹁グリードよ、修繕はまだ終わっておらんのだろう? そなたは部 屋を出るにはあたらん! 作業を継続せよ!﹂ 1410 ﹁いいえ、そなたも作業を中止して部屋から出なさい。あなた、今 日はもうしっかりとお話を聞いていただきます!!﹂ どうしろってんだよ。俺は国王に腕を掴まれたままなんだぜ。 ﹁いや、構うな! さぁ、グリード、作業を続けよ!﹂ ﹁⋮⋮そうですか、そこまで仰るならあたくしにも考えがあります ! 誰か! ユールとベッキー、マリーンを呼んで参れ! 今すぐ にじゃ!﹂ 俺を挟んで国王と王妃が言い合いをしている。ついでに何人か増 えるみたいだ。 ﹁それと⋮⋮いいでしょう、グリードとやら。作業を続けなさい。 っとちょっと待って。ステータスオープン⋮⋮士爵家の者か。ちょ うど良い、ここに居合わせたのもなにかの縁です。そなた、これか らの話を聞いて意見を述べなさい。これはロンベルト王国王妃とし ての命令です。いいですね!﹂ ﹁っは、はいぃ﹂ つい返事をしてしまった。 ﹁⋮⋮モリーン! 我が王家の問題に他人の意見を聞くのか!?﹂ ですよね。 ﹁今更隠せるような問題ではありません!! もう既に王都中の者 1411 が知っているではないですか! だいたい、秘密でも何でもありま せんよ、もう! グリード! そなたはさっさと仕事を片付けなさ いな!﹂ なによ? この王様、そんなにお手つきしまくりなの? 羨まし い。俺はさっさと乾燥させ、水の張ってある桶にベッドの修繕部分 を突っ込むと栓から息を吹き込み始めた。別にMPをけちったり、 魔法を隠そうとしているわけじゃない。何か作業をしていないと巻 き込まれそうだからだ。 息を吹き込みながら王妃を鑑定した。モーライル・ロンベルト。 ロンベルト公爵家第一夫人。レベル8。魔法は火魔法以外レベル3 ∼4と結構高い。うむ、王妃だ。ロンベルト家は公爵、侯爵、伯爵、 子爵家も兼ねている。各領地の領主としてその時々に応じて使い分 けているだけだ。全部でいくつ持っているかなんて知らんけど。伯 爵だけで10以上あるとは聞いたことがあるな。 慌ただしい足音と共に、一人女性が駆け込んできた。鑑定すると ユールスフォル・ロンベルト。ロンベルト公爵家第二夫人だった。 ゴム栓を咥えたまま頭だけ下げる。暫くしてまた一人、マリーネン・ ロンベルト。ロンベルト伯爵家第一夫人。その後更に暫くして一人、 レベッカ・ロンベルト。ロンベルト侯爵家第一夫人。それぞれとび きりの美人だ。 国王と四人の嫁さんと、ゴム栓を咥えた若い男。部屋には俺が息 を吹き込む音だけがしている以外、何の音もしていない。遅れてき た三人は事情が掴めないのだろう。俺がなんらかの凶事の元凶でも あるかのように俺に注目している。一緒に国王とその第一夫人も俺 を見つめている。 1412 息継ぎをしながらゴム栓の管に息を吹き込み続ける俺。そろそろ いいかな。傷の部分を桶に突っ込む。空気は漏れない。OKだ。 桶から出し、ゴム栓に棒を突っ込んで空気を抜くと、表面の水を さっと拭き取ってから乾燥させた。中身が空になったウォーターベ ッドを丁寧に折り畳み、道具を片付けると、 ﹁修繕は終わりました。では、これで⋮⋮﹂ と言った。つい、って感じで見逃してくんねぇかな? ﹁そうは行きません。先ほど申したでしょうに。さあ、そこで聞い ていなさい﹂ やっぱね。俺は改めて跪いて臣下の礼と取ると、沈黙した。 ﹁さて、グリードよ。そなたはこの国王陛下が何人の子を設けてお るか存じておるか?﹂ とモリーンが聞いてきた。知らねぇよ。 ﹁いいえ。王妃殿下。私めはつい先日、ウェブドス侯爵領バークッ ドより出てきたばかりの田舎者ですゆえ、ご長男のロンバルド公リ チャード殿下とご次男のロンドール公ウィリアム殿下、ご長女で既 にバーグウェル公爵のご長男に嫁がれたビアギッテ殿下のお三方し か存じ上げません﹂ まぁこのあたりは常識だから俺でも知っている。 ﹁ほう、バークッドの出自か⋮⋮それでか⋮⋮まぁいいでしょう。 1413 正解は8人です﹂ モリーンが言った。まぁ四人の嫁さんが二人づつ産めばいいくら いだからそんなもんだろう。うちの母ちゃんより少ないし。 ﹁はっ、己の無知さに呆れ果てます﹂ ﹁よい。して、そなたはこの人数をどう思いますか?﹂ どう思うって⋮⋮異常ではないだろ。王族だから流石に幼少時に 亡くなるなんてことはないだろうし、少ないわけでも、かと言って 多いわけでもないんじゃね? ﹁は、巨大なロンベルト王国を治めるべきお世継ぎですから、次代 への安心と連綿と続く安寧とした治世の継続を感じさせる人数かと ⋮⋮﹂ ﹁そうですね。それだけであればなんと安心なことでしょうね。先 ほどの人数は嫡出子です。庶子は生まれているものだけで65人で す﹂ な!? りょ、ろく⋮⋮じゅ⋮⋮ご? 流石に聞いた言葉が信じられずポカンとしてしてまう。 ﹁この数を聞いてそなたはどう思いますか?﹂ ﹁⋮⋮その⋮⋮あの⋮⋮お、おそ、恐れながら⋮⋮い、些か⋮⋮そ のぅ⋮⋮﹂ 俺が言葉に詰まったのを見て、モリーンが言う。 1414 ﹁恐れることはありません。正直に言いなさい、先ほど私はそなた に命令しました﹂ その口調は厳しいものだった。 ﹁す、すこぅし、多い、かなぁ? と⋮⋮﹂ ﹁もうよい! これ以上子供は作らんように注意する! それで良 いではないか!﹂ 国王が口を挟んできた。た、頼む。胃が痛くなるまえに有耶無耶 にしてくれ。 ﹁あなた! まだ話は済んでおりません!! グリード、その65 人のうち、59人がここ一年強の間に生まれています。それから妊 娠中の庶子は34人です。そなたはこの件についてどう思いますか ?﹂ はぁぁ? ってことは⋮⋮おい! なんじゃそら! ﹁そ、そうですか⋮⋮相当がんば⋮⋮いえ、陛下のご健康が⋮⋮﹂ ﹁健康に問題があったらそんなに子供が出来るもんですか! 真面 目に答えなさいな!﹂ お、おっかねぇ。 ﹁あ、い、いくら、幾ら何でも多過ぎるかと⋮⋮﹂ 1415 言うしかなかった。 ﹁これ、グリード、そなた⋮⋮言ってはならんことを⋮⋮﹂ 国王が額に手を当てて宙を仰いでいる。だ、だってさ、幾ら何で も二年やそこらで、合計93人ってあんた⋮⋮。言い訳できねぇだ ろ⋮⋮。 ん? 二年やそこら? なんだか符合するような⋮⋮。 ﹁そうです! 常識外に多すぎるのです!! ユール! ベッキー ! マリーン! そなた達も言いたいことはあろう! 言うのじゃ !﹂ ﹁陛下! 私ももう堪忍袋の緒が切れました!﹂ ユールが垂れた目を吊り上げた。 ﹁今日という今日は!﹂ ベッキーの顔が紅潮した。 ﹁きっちり言わせていただきます!﹂ マリーンの勝気そうな目が三角になった。 おお、怖。 そのあとは大変だった。口々に自分の夫である国王を責め立てる 王妃四人。俺は俯いたまま何も言えなかった。もう20分くらい罵 1416 っている。国王たる者がそんなことでいいのかとか、王城で働く下 女はそんな事のために雇っているのではないとか、あのウォーター ベッドの弾力がとか、あれが来てから始まったとか、病気になる可 能性も考えてくれとか、慰謝料だけでン十億Zにのぼり、国庫を圧 迫しているとか、最近では国民からも色ボケ国王とか桃色国王とか ひどい呼ばれようだとか、王妃に魅力がないから他の女に手をつけ たとか言われてキィークヤシイ⋮⋮。 だが、流石にこれだけ言って腹の虫も少しは収まったのかどうな のかは知らないが、だんだんと罵倒も止んできた。単に疲れただけ かも知れないけどさ。まぁ俺は黙って様子を見ていただけだから落 ち着いて考えられたよ。この世界にはスプリングがない。だから国 王と言えど、ベッドは木製の寝台の上に上等ではあるが布団を敷い て寝ているのだろう。 そんな生活をしていたところに寝心地もよく、丈夫で、上でプロ レスごっこをやっても耐えられるゴム製で適度な弾力も備えたウォ ーターベッドが来た。普通に寝っころがっても体型に合わせてある 程度変形する優れものだ。上になったり下になったり多少の激しい 運動をしてもぼよんぼよんとまではいかないが、それに近い反発力 はある。楽になったろうね。 つまりは、俺のせいか。 そして、同時に大切なことを思い出した。 この世界の一般的な財布は、硬貨しか通貨がないため結構でかい。 軍パンの両腿の脇みたいにでかくて底の深いポケットに財布を入れ るのが普通だ。そして、俺は前世の若い頃、財布には必ずあるもの を入れていた。防衛大学の在校中でも外出の際には入れていた。結 1417 婚してからは流石にやらなくなっていたけどね。ところが、今、流 石に一つ一つとまではいかないが、十個一パックのまま入っている。 いつ実戦になっても良いようにだ。敵はこっちの都合なんか考えち ゃくれないからな。キールでサンプルで一パック、最後にアホ共に 一パック使っているから、残りは八パックもある。80個の実弾を 持っているのだ。持ち歩いているのは1マグ10発だけだけど。 ああ、兄貴⋮⋮。また兄さんに助けられることになるな⋮⋮。俺 は本当に一生ファーンに頭が上がらないかも知れない。 ﹁陛下、それと妃殿下方、僭越ながら私めに良いアイデアがござい ます﹂ 俺がそう言うと、全員が俺に注目した。ユールが声をかけてきた。 ﹁そなた、ゴム職人ではないですか。平民や自由民が王族の歓談中 に声を挟むなど、不敬を疑われかねませんよ?﹂ 彼女は俺のことを心配して声をかけたのだろう。垂れ目が魅力的 な美人さんだ。しかし、歓談中ときたか。あと、俺グリードって呼 ばれてたはずなんだけどな。って流石に田舎士爵家なんざ知らんか。 ﹁よい、その者は士爵家の者じゃ。そもそも妾が意見を言うように 命じておる。妾が許すゆえ、申してみよ﹂ モリーンが言ってくれた。俺は一度息を吸うと、覚悟を決め口を 開く。ここが正念場だ。 ﹁は、まず、今回の件ですが、今、皆様方のお話をお聞きしまして、 思うことがございます。確かに陛下はお盛んでいらっしゃる。です 1418 が、一国の国王としての義務を放り出してまで⋮⋮その、のめり込 んでいる訳ではないのですよね?﹂ ﹁当然だ。これでも余は国王だからな。仕事はしっかりと勤めてお るわ。だいたい、ここ数年でも領内の治水工事や今まで溜まってい た決裁、陳情に上がってきた領主間の紛争解決など効率はむしろ上 がったくらいだろうが!﹂ そんなん、俺に言われても。 ﹁⋮⋮確かにほぼ全ての問題は無くなりましたね﹂ モリーンが言った。そうなんか。 ﹁だろう? 近年で俺ほど働いた国王もそうそういないだろう。ス トレスだって抱えている。そなたらは適当に下の貴族と飯を食った り、踊っていれば良かったのだろうがな! いいか、俺は、疲れて るんだ! 少しくらいその捌け口があってもいいだろうが! おい ! モリーン。レイダー地方の治水工事、去年完璧に終わったよな !? 誰のおかげだ! ユール。サングーラルの地形調査も終わっ たよな!? あそこは俺の曾々祖父さんの代から手つかずだったん だぞ!? それを一昨々年から始めて三年かからず済ましてやった 先代 わ! ベッキー。グラナン皇国との不戦協定の延長だってうちに有 利に交渉したよな!? あれ、俺の爺さんが棚上げにしてたやつだ ぞ!? 俺が解決したんだ! マリーン。お前んとこの実家のファ ルエルガーズ伯爵とローダイル侯爵の間の300年前の借金問題、 あれ、お互いが納得するように調整してやったろうが! 法律まで 作ったしな。あの法律作るのだって次代でも似たようなことになら んように相当頭使ったんだぞ! おかげで他の領主共からも感謝さ れたろうがよ! 俺が国政を投げ出して遊蕩してたのであればいく 1419 らでも責めるが良い! だが、自分で言うのも何だが俺、結構頑張 ってねぇ? 王国中興の祖とか言われても良いくらいだわ! 俺が 即位したのが35の時だ。今俺は48。たった13年間でこんだけ、 いやもっとやってるだろうがよ! え? お前らがいいもん食って ひらひらと踊ってられるのは誰のお陰だよ。言え! 言ってみろ!﹂ 国王は一気にそう怒鳴ると肩で息をした。すげーな。こりゃ中興 の祖と自称しても恥ずかしくないわ。しかし、それとは別に子供作 りすぎだろ。 ﹁﹁こ、国王陛下です﹂﹂ 嫁さんのうち若いベッキーとマリーンがそう言って平伏したが、 上の二人は違うようだ。 まつりごと ﹁そんなの当たり前の事です! ベッキー、マリーン。立ちなさい ! あなた、確かにあなたは政で功績を上げていらっしゃいます。 ですが、それとこれとでは全く違います。それをお解りなさい!﹂ モリーンは厳しいな。 おなご ﹁そうです。陛下。いろいろストレスをお抱えなのは理解致します し、女子に手が出るのをお止するにはあたりません。良いでしょう。 ですが庶子の数が尋常ではございません。あと一人で三桁ではない ですか。それに、我々がただ踊っているだけだとお思いですか? あそこは我々の戦場です。踊りながら他の領主から情報を得、それ らを逐一報告しています。可能なら所見も付け加えておりますよ。 それに、あなたが国政に集中していられるよう、軍事的な方面で私 は補佐しております。ここ10年近く、紛争への視察は全て私とマ リーンが行っていますし、各騎士団の訓練進捗や装備の更新など、 1420 面倒な仕事も多いのですよ。モーライル様は宮中を掌握され、貴族 たちは皆様頭を垂れておいでです。ベッキーは事務処理であなたを 補佐しているでは御座いませんか? 陛下お一人の功績ではござい ません﹂ ユールは垂れ目で一見大人しそうな、綺麗なおばさんだが、きっ ついこと言うな。 ﹁モリーンは正室だから宮中の掌握はそれこそ当然だろう? ユー ルはお前、第一騎士団で24で中隊長まで行ったくらいだしよぉ。 お前、俺なんて30まで第一騎士団にいたけど28でやっと小隊長 だったんだぞ。ベッキーはロックモルト侯爵んとこでさんざん仕込 キャノンボール まれてたから事務仕事得意だし、マリーンだってファルエルガーズ んとこの郷士騎士団の火の玉だろうがよ⋮⋮適材適所で当たり前の ことしてるだけだろ?﹂ あーあ、それ言っちゃいけねぇだろ。ところでユール王妃は第一 騎士団で若くして中隊長まで行ったんか。姉ちゃんの先輩だな。道 理でこの人だけレベル12と頭一つ上なわけだわ。 ﹁あら、適材適所。良い言葉ですわね。あなたも適材適所で国王職 やってんだから当たり前です! ユールの言う通りです! 三桁! 三桁だけは許しません! そこなグリードも多すぎると申してい たではないですか! だいたい避妊もせずに⋮⋮非常識ではありま せんか! 我々がその度に先方の親御さんに頭を下げているのをご 存知ないのですか! ベッキーやマリーンは若いからと言って平民 階級の親にまで頭を下げて回ったのですよ!!﹂ モリーンが非難した。あらら⋮⋮やっぱね。 1421 ﹁豚の腸をお使いなさいとあれほど申し上げているではないですか !﹂ ベッキーが更に突っ込んだ。 ﹁そうです、そうでなければ外に⋮⋮﹂ マリーンも追随する。 ﹁だって、中で出した方が気持ちいいし⋮⋮﹂ おい! おっさん! これ以上は聞くに耐えんなぁ。⋮⋮さて ﹁皆様方、些か興奮の度合いが過ぎるかと⋮⋮口調もお戻りになっ ておいでですよ。さて、先ほど僭越ながら良いアイデアがあると申 し上げました由、よもやお忘れではございませんですよね? ⋮⋮ 結構です。まず二点、確認がございます。最初の確認は王妃様方に です。国王陛下が、その、お手つきをなさることに反対はないので すね?﹂ 俺はただひとり落ち着いた顔つきで冷静にそう言った。 ﹁⋮⋮仕方ないとは思っています。確かにストレスも多いでしょう し、陛下お一人で決定しなければならないことは数多くおありでし ょうから、多少ハメを外すくらいは良いとは思っています。ですが、 それと子供を作ることは別問題です!﹂ モリーンが国王を睨みながら言った。他の三人も頷いている。国 王は他所を向いて気まずそうだ。 1422 ﹁では、妊娠を伴わなければお許しになられるのですね?﹂ ﹁そうですね。ですが、相手を孕ませるのはダメです。外聞が悪す ぎます。十人やそこらでしたら私たちも何とも思いません。今の状 態は度を越して天の彼方まで飛び出しているくらいです﹂ 引き続いて彼女はそう言って国王に詰め寄る。このまま放ってお けばさっきのが再燃するだけだ。 ﹁では、次の確認です。陛下、私も田舎者では御座いますが陛下の お仕事が激務であることは想像に難くありません。ですが、王妃様 方のお気持ちも非才の身ではございますが理解できます。また、年 齢こそ若輩ではありますが、同じ男として陛下のお気持ちも理解で きるつもりでは御座います。そこで、この品をご紹介致します。私 も貴族の端くれに名を連ねておりますからには⋮⋮私は男として世 の女性、いや、母体を労わり、望まない妊娠を避けるため普段から 持ち歩いている品でございます﹂ そう言って財布からゴム袋を取り出して見せた。当然彼らはこの 品が何だかわかろうはずもない。 ﹁先ほど私の出自はウェブドス侯爵領のバークッド村であると申し 上げました。ご存知かとは思いますがバークッドはゴム製品の産地 です。強靭な弾力を持ち、よく伸び、よく縮む。ゴムの性質の一端 ですがこの品はその性質を満遍なく発揮できております。これは豚 の腸に取って代わる品です。どうぞお手に取ってご覧下さい。袋の 中には10個入っておりますが、袋は今まで密封されておりますの で品質に問題はございません。また、使い心地や滑りをよくするた め、ローションに漬けられています。ローションは海草由来の天然 素材で、言うなれば食物加工品ですので、体に付着しても、舐めて 1423 しまったり、飲み込んでしまったりしても何の害もありません﹂ 俺の発言を聞いてユールが興味深そうに俺を見て言う。 ﹁そなた、バークッドのグリード家の者ですか⋮⋮ミルハイアは姉 君ですか?﹂ ﹁は、ミルハイアは私の姉です。今は第一騎士団にて陛下にお仕え してございます﹂ ﹁そうですか。ならばこの品は安心できるでしょう。モーライル様、 どうぞ﹂ ユールは俺からゴム袋を受け取るとモリーンに渡した。袋を手に 取って袋ごとおそるおそる観察していたモリーンは思い切って袋の 封を切ることにしたようだが、上手く切れないで苦戦しているよう だ。マリーンが腰の長剣︵平時の宮中では王族と護衛以外の武装は 許されていないのだろうか︶を引き抜いて切ろうとしたので、それ を止めさせて言った。 ﹁マリーネン妃殿下。袋は端の角だけを少し切り取り、中身を押し 出すようにしてください。一度封を開けたら残りは袋に水が入らな いよう、氷水にでも漬けて保存願います。⋮⋮そうです。一つづつ 丁寧に押し出せば出てきますから⋮⋮はい、それがこの品の本体、 製品名を﹃鞘﹄と言います。ゴムの産地、バークッドが新たに世に 問う新製品です。使い方は豚の腸と一緒ですが、その﹃鞘﹄は普段 巻かれていますので、形が違うようにお感じになるのもご無理はご ざいません⋮⋮﹂ あとはキールの娼館﹃リットン﹄のハリタイドの時と一緒だ。コ 1424 ンドームを恐る恐る触ったりしてその感触を確かめているのを黙っ て眺めていれば良い。 ﹁⋮⋮さて、今はそれ一袋ですが、バルドゥックの私が逗留してい る宿には同じものがあと六袋ございます。兄に手紙を書けば年末に は更に多く手に入れられます。まぁいきなりご信頼頂けないのは承 知しております。ですが、今晩にでも王妃様方にご使用になられて お試しいただければ如何かと⋮⋮ベッドも直りましたしね﹂ その後、使用にあたっての注意点︵装着時には空気を入れないよ うに気を使うこと。一度使用後は破棄し、再使用しないこと︶を幾 つか述べ辞去することにした。気に入ったら向こうから連絡を取っ てくるだろ。気に入らない訳はないがな。 え? あと一袋あるはずだって? 知ってるよ。数くらい数えら れるわ。 1425 第三十三話 売り込みPart2︵後書き︶ 別に貴族だからといって王族の会話中に話しかけることは不敬罪を 問われないわけではないです。今回は会話とは言えず、仲裁の意味 が強いですし、アイデアがあると言ったので王妃に見逃されたので しょうね。 また、国王の小隊長への出世は遅くはありません。むしろ最初から 騎士の経験もなくミルーくらいの年齢で第一騎士団に放り込まれて ︵王位継承権のある王子か王女のみは入団試験が免除されます︶小 隊長にまでなっているので騎士としても結構優秀であったと言える でしょう。奥さんの第二王妃が格別にすごいだけです。剣や槍、乗 馬の才能に恵まれていたのでしょうね。 1426 第三十四話 ブランディング 7442年8月24日 うまやばん その後、国王と王妃たちに解放された俺は疲れた顔で馬まで戻っ た。修繕の道具をしまい、今度は巻尺を取り出して厩番の奴隷だか なんだかに第一騎士団のローガン男爵の居場所を尋ねた。 言われた通りさっきまで居た三の丸と、二の丸の中間あたりに行 くと、昨晩の騎士達を含む10人くらいの集団がたむろしていた。 おいおい、第一騎士団は忙しいんじゃないのかよ? 彼らに挨拶す ると丁重に一室に案内された。ここで採寸をするのだろう。全裸に なろうとする奴もいたので、 ﹁ゴムの鎧は鎧下の上に着用しますので、鎧下は着たままで結構で すよ﹂ と言って早速採寸を始める。一人あたり15分くらいかけたので 延べ三時間近くかかって採寸を行い、各人のサイズを記録した。ゴ ムプロテクター十着にカイトシールドが二枚、姉貴と一緒のバック ラーみたいな小さな盾は四枚も注文が来た。うは、結構いい商売だ よな。 俺が内心のニヤつきを表に出さないように我慢しながら記録して いると、ローガン男爵が語りかけてきた。 ﹁しかし⋮⋮十着もの鎧を本当に年末までに出来るのかね? ちょ っと心配になってきた﹂ 1427 別に問題ないよ。俺の後はテイラーが鎧を一人で作ってたんだし。 誰か手伝えばもっと早くなるだろうし、兄貴や義姉さんも喜んで手 伝うだろうしね。ゴムだってもう五番の畑からも採取出来るように なってるはずだし、そろそろ六番だっていけるだろ。それに⋮⋮団 長閣下とユールスフォル妃殿下にはお世話になったようだからな。 ﹁ん∼、まず問題ないと思いますが⋮⋮。姉がお世話になっている 方のご依頼ですから、無下にはできません。問題は私の手紙と前金 がどのくらいの時間で届くかですねぇ。手紙の場合、方向の合う隊 商がいないと時間かかりますから⋮⋮届くまで長いと一月半くらい はかかるかもですね﹂ ﹁お姉さんのことは気にしないでくれ。こちらだって彼女に抜けら れるのは問題なんだ。しかし⋮⋮確かにご実家までは距離があると 言うしなぁ。⋮⋮おお、そう言えばバルはまだいるか?﹂ ﹁は、ここに﹂ ﹁お前、ペンライド子爵んとこまで行って演習の監督するんだろ? そん時手紙と前金も一緒に持っていけ。で、そこでキールあたり まで行きそうな隊商見つけて言付けろ。出発は明後日だっけか?﹂ ﹁は、そうですね。いい考えです。グリード君、明後日の朝、宿ま で手紙を受け取りに行くよ。前金はその際に一緒に持って行けばい いかな? 今日でもいいが、ロンベルティアの贅沢税の窓口は午前 中で閉まっているから、バルドゥックでの納税なら問題ないと思う よ。手間なら明日にでもこちらで納税しておくが⋮⋮。バークッド の商会登録番号は何番だい?﹂ 1428 バルと呼ばれた騎士はそう俺に話しかけてきた。税金忘れてた。 クソ。あと商会の登録番号って何だよ。知らんがな。 ﹁え? 商会? 登録番号? あぁ、手前共は商会は持っておりま せん。今までバークッドの産物はウェブドス侯爵領の外だとウェブ ドス商会に取り持って貰っていました。どうしたら宜しいでしょう か?﹂ わからんことは素直に聞くに限る。こういうの知ったかぶると後 がまずいからな。 ﹁む、そうか、商会としての登録がないと今後まずいな。⋮⋮おい、 誰か行政府まで行って登録してこい。君は士爵家の人間だから登録 には僅かな金しかかからん。50万Zだ。うちの奴が一緒に行けば 登録もさっさとしてくれるだろ。あと、他領からの取引になるから 区分は二号の三種で登録するんだぞ。それで我が国の国内では自由 に商売ができる。税はロンベルティアかバルドゥックのどちらかで 払えば良い﹂ ローガン男爵が教えてくれた。流石第一騎士団の団長ともなると いろいろ知っている。ありがたい忠告だ。でも、50万Zを僅かな 金って⋮⋮団長職だからか男爵だからか知らんが⋮⋮。 ﹁お教え頂き有難うございます。では、採寸の記録も済みましたの で登録に行きたいと存じます。あと、その前に姉に挨拶したいので すが、可能でしょうか?﹂ 俺がそう言うとローガン男爵は、 ﹁え? ⋮⋮まぁいいか﹂ 1429 にやつきながらそう言うと、 ﹁おう、第三中隊って今日は河川敷だよな? そうだな⋮⋮ハック。 お前一緒に行ってやれ。商会の手続きもな。この前の⋮⋮なんだ⋮ ⋮あのどっかの伯爵領の商会から槍を買ったとき登録したのもお前 がついて行ったんだろ? 頼んだぞ﹂ 一人の騎士に声をかけた。 ﹁はっ、分かりました﹂ 20代後半に見えるハックと呼ばれた騎士は男爵にそう答えると、 俺に言う。 ﹁俺が一緒に行くよ。じゃあ行こうか?﹂ ハックに付いて馬に跨ると行政府まで行った。ハックと行政府の 担当者の説明によると、商会は各領地で登録が必要で、その種別に よって扱う品や税、取引が可能な土地があるらしい。外国を含めた どこの土地でも取引が出来て、全ての商品を扱える最強の商会が一 号一種。外国との取引も含めて取引する土地には縛られないが、軍 需物資のみ取り扱えないのは一号二種。逆に軍需物資のみは一号三 種。王国内ならどこでも取引可能なのは二号で種別は同様に分けら れる。ロンベルティアやバルドゥックなど、王国内でも王領のみだ と三号になる。当然三号二種ってのが登録数は一番多い。飯屋や宿 屋もこれに当たる。次が三号一種になる。 なお、ここで言う軍需物資とは武器や防具だけでなく、保存食料 や軍馬と鞍やサーコートなどその装備品、軍用のテントや馬車など 1430 も含まれる。現代日本で言う軍需物資で含まれないのは食料だけだ。 医薬品や普通の食料、家具などは軍需物資には含まれない。つまり、 バークッドの産物で言うとサンダルは無理やり含めることも可能だ が、縫製していない単なるゴム引き布は含まれない。クッションも 鞍に装着するものは含まれるが一般的な膨らんだ座布団みたいなや つは含まれない。ウォーターベッドも含まれ⋮⋮ないだろうな。 登録料金は一号が一億Z。但し平民や自由民の場合だ。貴族は一 千万Zで済む。二号が五千万Z。貴族は五百万Z。三号は百万Z。 貴族は十万Zだ。そして種別で二種は追加なし。一種は三倍。三種 は二倍だそうだ。あれ? おかしいぞって思うよな。二号三種の俺 なら本来一億Z必要だ。貴族であることを差し引いても一千万Zだ。 当然今言った金額は何の伝手もなく、後ろ盾もない場合だ。だが、 俺にはウェブドス侯爵のプレートも真っ青な第一騎士団がついてい るのだ。騎士団は、その装備品の購入や研究のため、各地の武具な どを少量づつ購入しているので、第一騎士団は手数料のみで二号三 種の商会なら無理やりねじ込めるほど権力を持っているのだった。 そうじゃないと剣一振、槍一本買うだけで間に入るであろう商会に、 事によったら何重にもマージンを取られるからだ。 俺の場合、実家で生産しているのでメーカー直取引だと思われた のが幸いした。三種だろうが商会さえ正式に出来上がればこっちの もんよ。本来コンドームも医薬品だが、なんたって名称は﹃鞘﹄だ しな。男の武具だと言い張れば国王は﹁うん、おっけ﹂とか言って くれるだろう。ダメなら国王に口きいて貰って一種へ種別変更すれ ばいい。まぁ正規ルートでも五百万Zで種別変更は可能だから、半 月くらいの迷宮の上がりを突っ込めばやろうと思えばいつでもでき る。 1431 それより、面倒な資格審査だとか免状の発行手続きだとかそうい ったものをすっ飛ばせるほうがでかい。ビバ! 絶対君主制! 立 憲君主制だとか民主制だったらこうはいかんだろ。 あと、商会のプレートというものが作られるらしい。ウェブドス 侯爵のプレートと同じもので国内の通行証みたいなものか? いや、 国内なら貴族である俺は問題なく通行できる。あ、ズールーとかエ ンゲラとかバークッドに連れて行くには便利だな。このプレートは 二∼三週間で出来上がるらしい。 さて、行政府での用は済んだ。あとは姉ちゃんのしけた面でも拝 んだらバルドゥックに戻るか。ハックの後を付いて河川敷に行く。 おお、訓練しているな。今日は騎乗してはいないようだが、あれが 第一騎士団の訓練か。そういやキールの騎士団の訓練とかも碌に見 てなかったな。ハックは、 ﹁今、第三中隊は訓練中だ。中隊長に許可を貰って来るからちょっ とだけここで待ってて貰えるかな﹂ そう言うと馬の腹を蹴って訓練中の騎士団に向かっていく。中隊 長ってオースでもチュウスケとか陰口叩かれてんのかな? ﹁小休止!﹂ 中隊長らしき人が声を上げた。全員へたり込むようにしている。 あ、あの鎧は姉ちゃんかな? 違った。従士の人か、姉ちゃんはあ んなに体格よくない。ああ、あれが姉ちゃんか。ハックに声を掛け られたらしいミルーはこちらを見た。俺が手を振るとやっと俺に気 がついたようで、疲れているであろう体を引きずってこっちに来た。 1432 ﹁姉ちゃん、久しぶり﹂ 俺が笑みを浮かべながらそう言うと、 ﹁あんたね。降りなさいよ。それと、何? その頭? アルの癖に 色気づいたの? 生意気ね﹂ と言って来た。確かにな。そう言われても本当のところを言い返 せないのが辛いところだ。﹁似合ってるだろ?﹂と言って誤魔化す のが精一杯だ。 ﹁この馬、どうしたのよ? いい馬じゃない?﹂ 姉ちゃんはそう言いながら俺の軍馬の首筋を撫でる。 ﹁ああ、家を出るときに兄貴が贈ってくれたんだ。ウェブドスの騎 士団で兄貴が乗っていたんだって。いい馬だろ?﹂ 俺は自慢げにミルーに言った。兄貴が乗っていただけあって良く 躾けられているし、以心伝心で俺の命令が伝わることも言った。 ﹁え? この子、お兄ちゃんが乗ってたのか⋮⋮﹂ おうともよ。欲しいだろ? やらねぇよ。 ﹁で、冒険者になってるの?﹂ ミルーは軍馬の首筋を撫でながら言った。 ﹁ああ、今はバルドゥックにいる。迷宮に入っているんだ﹂ 1433 ちょっとだけ胸を張る。 ﹁そっか⋮⋮あんたなら一人でも大丈夫か⋮⋮。怪我しないように 気をつけるのよ﹂ なんだよ、優しそうなこと言いやがって。 ﹁ふっ、一人だと思ってるのか? 部下ももう五人いるんだぜ。三 人は途中で出会って雇った。二人は奴隷で俺が買った。っつっても 一人は親父から家を出るときに貰った金で買ったんだけど、もう一 人の方は迷宮で稼いだ金で買ったんだぜ﹂ ﹁ええっ? そんなに稼いでるの? あんた、凄いじゃない!﹂ おう、もっと褒めろや。 ﹁おうよ。金貯めて大金持ちになったらなんか奢ってやんよ﹂ ﹁ムカつくわね。でも、鎧はどうしたの? あるんでしょ?﹂ ﹁ああ、今日は国王陛下に呼ばれて王城に行ってたか﹁ええっ? なんでよ!?﹂ 俺が国王に呼ばれて登城したことに驚いたらしい。ま、そうだよ な。 ﹁陛下がさ、ウォーターベッド使ってくれてたんだよ。その修繕﹂ ミルーは吃驚したようだ。知らなかったのか。 1434 ﹁へぇ! 凄いね! 家で作ったものが陛下にも使われてたんだ!﹂ ﹁そうなんだよ。しかもさ、最初にほら、義姉さんがゼットとベッ キーを身篭った後に作った最初のロットだった! お得意様だ。あ れ、卸値七百万Z︵金貨七枚︶もするんだぜ﹂ 俺と一緒に喜んでくれている。 ﹁七百万Zかぁ。ベッドに七百万は出せないなぁ﹂ そらそうだ。 ﹁なんだよ、姉ちゃんには今年の頭に俺の奴やったじゃんか? あ れまだ使ってるんだろ?﹂ ﹁うん、あのベッドいいね。お陰でぐっすり眠れる﹂ お、そう言えば第一騎士団の人は皆金持ちそうだったな。給金幾 らくらいなんだろ? ﹁そういや、姉ちゃんも第一騎士団なんだから結構給料高いんだろ ? 幾らくらい貰ってるのさ?﹂ そう聞いてみた。 ﹁うーん、私はまだ若いし、騎士に成り立てだから大したことない よ。年間1320万Zね﹂ は? あんた、まだ18だろ? っつーか、その年齢で1320 1435 万Zって⋮⋮す、すげーな。ラルファなんかボーナス除けば年収2 40万Zだぞ。奢るどころか奢ってくれ。俺が吃驚した表情をして いるので何を勘違いしたのか更に言って来た。 ﹁これでも従士の時より増えたんだからね﹂ いやいや、少なくて吃驚したんじゃなくて、多くて吃驚だよ。あ、 そうか、ミルーは家を出てすぐに騎士団に入ったんだ。金の価値な んか知らんだろうな。騎士団に入るまで一回も買い物すらしたこと なんか無いはずだ。 ﹁姉ちゃん⋮⋮それ、無茶苦茶多いぞ。多分バークッドの家の一年 の生活費より全然多い。ウェブドス騎士団の従士なんか週給430 00Zだぞ。年収なら250万Zくらいだ。正騎士だってその倍は 貰えないだろ﹂ 呆れながら言った。 ﹁え? そうなの? 私、従士の時幾らだったかなぁ? 去年は一 千万は無かったと思う。そう言えば、聞いた話だと他の騎士団の給 金の三倍くらい貰ってるのよねぇ。多いのかしら?﹂ ふざけんな、糞が。母ちゃん、金銭感覚くらい身につけさせてか ら家を出そうぜ。 ﹁姉ちゃんさぁ⋮⋮休みの日に買い物とか行かねぇのか? 外で飯 食ったりしねぇのかよ? 服くらい買うだろうによ⋮⋮﹂ ﹁え? 休みの日は体を休めろって言われてるから、座学の予習と 復習ね。あとは寝てる。服は鎧下で充分だから持ってないわ。ご飯 1436 は駐屯地で無料だしね。私の場合、鎧の修理代もかからないし。あ、 そうそう。お兄ちゃんに用意して貰った剣、手入れしながらまだ使 ってるわ。他の人の剣なんか半年くらいでボロボロになるのに。こ の剣はちっとも傷まないの。打ち合わせても丈夫なのよね。良い剣 だわ﹂ そりゃそこらの鋳造の剣と一緒にしないでくれ。鑑定だと鍛造特 殊鋼なんだぞ。価値だってあんたの年収には及ばないがそこらの剣 十本分くらいするんだ。っつーか、真面目にやってたんだな⋮⋮じ ゃなきゃ幾らなんでも正騎士なんかになれないか。俺なんか筆おろ ししようとあっちこっちふらふらしてたってたのに⋮⋮結局まだだ けど、何だか申し訳なくなってきた。 ﹁今まで貰った金、殆ど手付かず? 使ってねぇの?﹂ ﹁うん、買い物行く暇とかあんま無いし。あ、休暇で家に帰る時、 宿に泊まったりご飯食べたりしたよ。安くて吃驚した。第一騎士団 だから値引きしてくれたのかな?﹂ もういいです。わかりました。 ﹁まぁ、貯金は悪いことじゃないけど、もう少し街を歩いて色々な ものの相場とか学んだほうがいいと思うよ。そんなんじゃ将来結婚 したら苦労するぞ。俺も家を出るときに父ちゃんに十日は街の様子 を見て勉強しろって言われたんだ﹂ そう言うのが精一杯だった。 ﹁そっか。今度暇を見つけて街に出てみるわ﹂ 1437 ﹁ああ、そうした方がいいと思うよ。俺はまだ何年かはバルドゥッ クに居るつもりだから、今度飯でも食おうぜ。バルドゥックの﹃ボ イル亭﹄ってとこに泊まってる。手紙でもくれたら休みを合わせる よ﹂ ﹁そうね。今度ね﹂ ﹁あ、それと言い忘れた。俺さ、ローガン男爵とその他九人から鎧 の注文貰ったぜ。姉ちゃんと従士の人が宣伝してくれたからかな? 皆欲しがってたみたいだね。ついでにローガン男爵の口利きで商 会も作った。グリード商会な。バークッドのゴム製品を第一騎士団 に卸すんだ。あと、なんて言ったっけ。そうだバルさんて人が明後 日出かけるんだろ? 注文の手紙を届けてくれるらしいから、姉ち ゃんもそれまでに手紙書けば持って行ってくれると思うよ﹂ ﹁え? バルって⋮⋮第二中隊のバルミッシュ小隊長じゃないの! そんな人に頼めるわけ無いでしょ! あんたも遠慮しなさいよ﹂ いや、知らねぇもん⋮⋮。鑑定でも士爵だったからさ。騎士団だ し、士爵くらいならごろごろいると思ったんだよ⋮⋮。 ﹁それに、鎧の注文はいいけど⋮⋮剣は注文受けちゃダメよ。この 剣欲しがってる人、多いのよ。兄から譲り受けた家宝ですって誤魔 化してるけど、これ、あんたが材料作ったんでしょ? 沢山作れな いものなんでしょ? 注意しなさい﹂ お、おう、そうだった。そう言えば昔、一振だけ販売用に作った な。あれ、誰が入手したんだろうか? まぁいいや。誰か近づいて きたし。セーガン・ケンドゥス士爵か。レベル14。士爵だから隊 長なんだろうか? 1438 ﹁あ、隊長。すみません、時間を頂いて﹂ ミルーが畏まって言う。やっぱ隊長だったか。 ﹁君がグリードの弟か。俺はケンドゥスだ。第三中隊の中隊長をし ている。君のことはグリードから聞いているよ。強いんだってな。 もし時間があればちょっと手合わせしてくれるかな?﹂ 冗談じゃねえ、今はレベルアップの実験中だ。かすり傷すら遠慮 願いたい。 ﹁あ、その⋮⋮これからバルドゥックに戻らないといけないんです。 お手合せはまた次回お願いします。私は今はバルドゥックに逗留し ていますから、今後も鎧の納品などで何度か顔を見せます。その折 にでも⋮⋮今日はご希望に添えず申し訳御座いません﹂ 申し訳なさそうに、丁寧に頭を下げた。 ﹁え? 鎧の納品だって!? これか? この鎧か!? バークッ ドまで誰か採寸に行ったのか?﹂ ケンドゥス士爵はミルーの肩に手を置いて捲し立てた。なんでそ ういちいち食いついてくるかなぁ。 ﹁あ、いや、ローガン男爵に請われまして、本日、鎧のご購入をご 希望の方々の採寸を王城でしておりました。お陰様を持ちまして、 ローガン男爵を含めて第一騎士団の方々より十着のご注文を頂戴い たしました。有難うございます﹂ 1439 再度丁寧に頭を下げた。姉ちゃんの上司だし、心証良くしておか ないとな。 ﹁ええっ! 俺ァ聞いてないぞ、そんな事!! どういうことだよ !﹂ いや、まじで知らんがな。 ﹁え? あ⋮⋮と、申されましても⋮⋮そのう⋮⋮﹂ 俺はしどろもどろになってごにょごにょ言っている。姉ちゃんは 突然怒り出した隊長に青くなっている。 ﹁なんてこった⋮⋮。おい! ハック! 貴様! ちょっと来いや !﹂ 第三中隊の休憩中の騎士達と世間話に興じていたハックが呼びつ けられた。吃驚して駆けてきた。他の騎士の面々も隊長さんの胴間 声に驚いているようだ。 ﹁は、何でしょうか?﹂ 息せき切って駆けつけたハックは駆けつけるなり直立不動で言っ た。 こいつ ﹁おい、貴様、よもや⋮⋮よもやグリードの実家に鎧を注文してね ぇだろうなぁ?﹂ え? なに? ダメなの? 1440 ﹁は、え、その、注文しました﹂ ﹁俺ァ聞いてねぇぞ。おい! 貴様ら! ちょっと集まれ!﹂ 休憩中の騎士達が何事かと集まってきた。勝手に装備品を頼んだ らダメとかあるのか? いや、あるわけないよな。団長自ら注文し てたし、バルミッシュさんも注文してた。ぞろぞろと騎士や従士達 が集まってきた。 ﹁おい、お前ら。グリードの実家で作ってる鎧、今日注文受付だっ てよ!﹂ ﹁﹁まじか!﹂﹂ ﹁﹁え? バークッド村まで行かなきゃいけないんじゃねぇの?﹂﹂ ﹁﹁買うわ﹂﹂ ﹁﹁幾ら?﹂﹂ 口々に好きなことを言いながら寄ってきた。うーんここまで人気 だとはなぁ。昨晩と採寸の時にそれなりに予想はしてたけど⋮⋮。 困ったな。バルミッシュ小隊長のおかげで手紙は相当早く着きそう だけど、この分じゃテイラーに兄貴や義姉さんが生産を手伝っても 結構大変なことになりそうだ。親父もブランド化を狙っていたから、 簡単に手に入っちゃいけないな。ここは援護射撃が必要だろう。 ﹁あのう⋮⋮誠に申し訳ございませんが、今回のご注文の受付は今 朝受けた十着で締切なんです⋮⋮次回は今回お受けさせて頂いた品 の納品時に採寸いたしますので⋮⋮その時も十着でしょうが⋮⋮す みません﹂ ⋮⋮。 1441 ⋮⋮⋮⋮。 ﹁ひ、ひどいっすよ、中隊長∼﹂ ﹁なんすか、それぇ∼。つっかえねぇ中隊長だなぁ。ぬか喜びさせ やがって﹂ ﹁でも、買えるんだよな﹂ ﹁次回っていつごろかな?﹂ ﹁⋮⋮ハック⋮⋮どういうことだ?﹂ ケンドゥス士爵がドスの効いた声でハックに言った。 ﹁え? いや、そのぅ。俺は、昨日陛下の護衛でバルドゥックに行 きまして⋮⋮昨晩いつもの飯屋で飯食ってたら団長とグリード君が そこに来て、グリード君の新型の鎧を見せてくれてたんです。俺た ちが欲しそうにいろいろ言ってたら、そのぅ、十着なら注文を受け てもいいって言ってくれて⋮⋮﹂ ハックはおどおどとしながら答えた。 俺は固唾を飲んで成り行きを見守るしかない。が、ここで流され るとブランド力は落ちる。彼らの注文を受けてはいけない。改めて 自分に言い聞かせた。 ﹁で?﹂ ケンドゥス士爵のこめかみに青筋が浮かんでいる。 ﹁ローガン団長と、二中一小と二小で十人だったんで⋮⋮団長は副 1442 団長や二中のバルキサス中隊長にも注文を受けるまで喋るなって言 って⋮⋮﹂ ハックは泣きそうになっている。 ﹁⋮⋮そういうことか⋮⋮ちっ、あのオッサン⋮⋮やってくれるじ ゃねぇか⋮⋮しかも、新型とはな⋮⋮﹂ こ、こええ⋮⋮ケンドゥス士爵はふつふつと湧き上がる怒りを堪 えているようだ。俺は団長にはミルーを庇って貰った恩があるから 必ず 第三中隊でお願いする 好意的なんだが、そんなのこの人には知る由もないんだろうしな。 ﹁⋮⋮グリード君。次の注文受付は よ。あと、価格も教えてくれないか?﹂ 急ににこにこと額に青筋を立てて笑みを浮かべながら言って来た。 ﹁はい、分かりました。次回は第三中隊の皆様よりご注文をお受け しましょう。なお鎧は一着三千万Z︵金貨30枚︶で半額前払いに なります。胸部中央に一箇所5cm四方までのお好きな紋章をレリ ーフで彫り込みます。本日ご注文をお受けした方々からは胸部の紋 章は第一騎士団の紋章にして欲しいとのご依頼であったことを申し 添えておきます。また、盾はカイトシールドとバックラーシールド がオプションで追加できます。カイトシールドは六百万Z、バック ラーシールドは三百万Zです。盾には表全面にご希望の紋章をお入 れします。こちらは全てそれぞれの方の家紋にてご注文いただきま した。バックラーシールドをご希望の場合、鎧の左腕には固定用の アタッチメントが付きますが、左腕内蔵の簡易金属盾はオミットさ れます。丁度姉がその装備です。ご覧になられてください。また、 バックラーシールドオプションのない簡易金属盾はアムゼルさんか 1443 グロホレツさんに見せていただいてください。なお、鎧のデザイン は彼らの物とは多少異なることをご了承ください﹂ 俺は営業用スマイルを浮かべて一息で言い切った。 そして、また息を継いでから口を開く。 ﹁販売後のアフターメンテナンスは当面の間毎月15日に私が騎士 団の駐屯地まで赴いて行いますが、緊急の場合、姉でも可能です。 メンテナンス料金は損傷状態によって異なりますのでその時でない とわかりませんが、一例を挙げさせていただきますと上腕部や胸部、 大腿部などのプレート部分の表面の傷は一箇所10000Z︵銀貨 1枚︶。ボルトによる貫通の補修で一箇所20000Zが目安です。 盾の損傷については軽微なもののみお受けすることになるかと存じ ます。その場合修繕部分のレリーフが損なわれる場合があることも お含みおき下さい﹂ こんなもんかな。メンテナンス料金が個人的には高い気もするが、 金属鎧のメンテナンス料金はこの十倍以上するらしいから、ま、い いだろ。 俺の口上を聞いた中隊長以下第三中隊の面々は口々にメンテ料を 考えるとすごく安いだの第二中隊の奴ら、上手くやりやがってだの 勝手なことを言っていた。その後、次回の注文を受けることを確約 させられてからやっと解放された。 ・・・・・・・・・ 1444 バルドゥックへの道すがら、次回はまあいいとして、その次は別 口の騎士団からもちょびっとだけ注文を取れば原材料の逼迫とか言 って値段を釣り上げられそうだな、と一人満足していた。 さぁ、面倒だけど帰ったら兄貴達に手紙を書かないとな。 ・・・・・・・・・ 7442年8月30日 昨日の夜、王城から﹃ボイル亭﹄に使いが来て、予想通り俺の残 弾は1マグ10発になってしまった。金額については60000Z ︵銀貨六枚︶だが、後日払うとのことだった。流石に国王に信用取 引は出来ないとは言えず、この分だと末々とかの締め払い制度につ いても考慮しないといけないなとか変なことを考えたりしていた。 土曜の午後、休日なので実験を継続するため俺はまた一人で迷宮 に潜っている。あと10000くらいの経験値でレベルは上昇する はずだ。魔法でモンスターの数を減らしたあと意識的に白兵戦を行 い殺しまくっている。今日は運良くオークの一団を見つけられて一 気に8000近くの経験を稼げたから楽にレベルアップできそうだ。 このゴブリンどもを全滅させることが出来ればレベルアップする かどうか微妙なところだな。ぎゃあぎゃあと喚くゴブリンの集団に 距離を置いて魔法を掛けて半数以下に減らす。一気に突っ込んで状 1445 況が掴めていないでまごまごしている奴の首筋を切り裂きながら銃 床で右隣の奴を殴り倒し、同時にくるりと反転しながら左の奴の脇 腹に銃剣を突き刺して蹴り抜く。昔、陣地強襲でさんざんやった動 きだ。一気に三匹のゴブリンを無力化させ、残りはあと三匹。左の 奴に﹃ストーンボルト﹄の魔術を食らわせ、同時に真ん中の奴に銃 剣を突き入れる。これはフェイントで真ん中の奴を牽制するだけだ。 その後右のゴブリンに﹃ウインドカッター﹄をお見舞いしつつ体勢 が崩れている真ん中の奴に弾倉部でぶちかましを入れる。 ︼ その後は一匹ずつ喉を突いてやってトドメを刺して終わりだ。 レベルアップしたようだ。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︼ ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:12︼ ︻HP:116︵116︶ MP:7426︵7426︶ ︻筋力:18︼ ︻俊敏:21︼ ︻器用:17︼ ︻耐久:19︼ ︻固有技能:鑑定︵MAX︶︼ ︻固有技能:天稟の才︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.7︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.7︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.8︶︼ 1446 ︻経験:210008︵270000︶︼ うっし。HP以外がすべて上昇し、俊敏が合計2上昇している。 これは俺が予想していたパターンだとDだな。俺はレベルアップの 能力値上昇の仮説として四パターンを予想していた。一つ目は俺の 意思や何かとは全く無関係に神のような何かがレベルアップ中の俺 の行動すべてをカウントしており、厳密にそのカウントに基づいて 能力値上昇が管理されているというもの。これがパターンA。 二つ目は厳密にカウントされてはいるもののその回数の割合に基 づいて上昇する能力値が決定されるというもの。これがパターンB。 三つ目はそもそも管理などは存在しておらず、あくまで己の意識中 で使ったか使わなかったかだけで決定されるというもの。これがパ ターンC。四つ目は今回のケース。パターンC同様、能力を使った 回数などは関係なく、俺がどの能力に意識を重点的に置いていたか を元に上昇する能力が決定されるというもの。パターンDだ。 今回の実験中、俺が気をつけていたのは傷を負わないことだ。そ の為には相手の攻撃は全て躱す。勿論、戦闘中に魔法で相手の頭数 を減らしたり、こちらの攻撃の際には出来るだけ高ダメージになる ように突き入れ方を選んだりはしていたが、それらより強く意識し ていたのは相手の攻撃をいかに躱し、こちらが傷を負わないように 反撃に転じられるようにするかということだ。とにかくこれに集中 していた。剣でも銃剣でも相手の攻撃を受け止めたり、受け流した りするのではなく、全く掠らせたりもしない様に躱す事に重点を置 いていた。 冷静に分析すると相手の攻撃を躱すことよりもこちらが剣なり銃 剣なりで直接相手に突きを入れたり切りつけたりした回数や、場合 によっては固有技能もあるからMPを使った回数の方が数としては 1447 多かっただろう。だが、今回は俊敏が伸びた。つまり、自分がどれ だけ重要視し、意識して能力を活かしていたかが重要なのだろう。 これである程度方針が立てられる。ラルファは魔法の修行もして いるがMPが僅かしかないため、一日で魔法の修行が行える回数は ごく僅かにしか過ぎない。それらよりも迷宮での戦闘中の方が自分 たちの命が掛かっている分、意識を強く持って集中していたのだろ う。それは間違った行動ではないが、俺には少々都合が悪い。勿論、 今後の彼女の為にも今のうちに魔法を、MPを使用することの意識 付けをしっかりとやらせたほうがいいだろう。 そう言えば、明日からは二層目指して頑張るんだっけかな。んじ ゃ、もう少し頑張ってから皆と飯を食おう。 1448 第三十四話 ブランディング︵後書き︶ さて、一段落したので、次からは二章の幕間ですよ。 幕間十五話までは実は一章の幕間だったのです。 もうね、どんな罵詈雑言を貰っても幕間はやりますよ。覚悟決めま したので。 1449 幕間 第十六話 手塚雪乃︵事故当時17︶の場合 ああ、なんで美佐は隆史先輩の良さがわからないんだろう。 美佐とは高校で知り合った。すぐに意気投合し友達になったが、 彼女はちょっと浮いている。別に皆と話す時など話も合わせてくる し、特に問題も感じさせない。同じように笑い、同じように悲しみ、 同じように怒る。だけど、多分わたしだけが気付いているが、彼女 はいつもどこか上の空だ。 腹の底で何を考えているのかわからない、と言ったほうが合って いるかもしれない。勿論、彼女はそんな事おくびにも出すようなこ とはしない。私が気付けたのだって付き合っているうちになんとな く、そう感じたに過ぎない。だから本当は単なる私の思い込みにし か過ぎないと思うこともある。普段は楽しくお喋りするし、芸能人 やテレビ、読モの格好いい人なんかで盛り上がりはする。そういう 時は私も美佐が上の空だとは思わない。 人付き合いもいい。今日だって私と他の子が義理チョコを忘れた ので買いに行くのに付き合ってくれたのだ。学校に戻るバスの中で 彼女に隆史先輩の良さをこんこんと説いてやっているとき、事故は 起きた。 ・・・・・・・・・ 1450 気が付いたら私は人生をやり直していた。生まれ変わったのだ。 ログホーツ村という田舎で農奴の娘として生まれた私は、小さな頃 から家の中のことだけでなく、農作業まで手伝わされた。幼少時に 覚えたステータスオープンで固有技能があることは知っていたが、 私の技能は使い方も解らない︵知りたくもないが︶し、私にステー タスオープンをしても誰にも見えないようなので黙っていた。今後 この固有技能を使うチャンスはあるかも知れないし無いかも知れな い。私の意に沿う形で使うことがあれば嬉しいことだとは思う。特 殊技能の方は使うには使えるが普段役に立つことはまずない。 毎朝日の出前に起き、日没とともに眠る。農作業は全て手作業で あり、重労働だ。こんなことならもっと社会科や歴史の勉強をして おくんだったと何度後悔したか知れない。両親と兄弟姉妹はそんな 生活に文句も言わず黙々と働いている。しかし、私には不満だった。 私と私の家族を所有する平民の家族は奴隷たちに辛く当たり、次々 と仕事を押し付けてくる。これがこの世界の一般なのだとしたら、 なんとひどい世界だろう。 食事だけは充分とは行かないがまず問題のない量を毎日出してく れたし、少ないが給金も貰えることが唯一の慰めだった。貯めた給 金で村の狩人から雉のような鳥を買って水炊きにして食べるのが我 が家の贅沢だった。 そうこうしているうちに私は七歳になり、神と出会った。神は言 う。あの事故の原因や転生、ここは地球ではないこと。あの事故で 他の犠牲者もこの世界に転生してきていること。私の質問に許され た時間は僅か一分。魔法。亜人。身分社会。急ぎ足で聞けたのはこ オース こまでだ。しかも表面を舐めた程度のことしかわからなかった。し かし、とにかくはっきりした。もう絶対に戻れない。私はこの世界 1451 で生きていくしか方法はない。私に襲いかかる絶望。 それから奴隷階級を抜け出す方法を改めて探り始めた。今まで知 っていたのは自分の値段の百倍のお金を所有者に払うこと。多分私 の値段は金貨一枚くらいだということ。そして、私の給金は月に銅 貨二枚であるということ⋮⋮。このまま給金が増えないなどという ことはありえないが、もしこのままだと仮定すると一銭も使わずに 給金を貯め続けても支払いには42000年近く掛かるという絶望。 他の方法もあるにはあるが、自分だけの力では行えない。どこか で必ず他人の、しかも自由民以上の手助けを必要とする。他人の手 助けが得られない場合、やはり自分で何とかする以外にないが、ど う考えてもそれは無理。また、他人の力を借りる事が出来たとして も、私の持ち主が私の販売を認めなければそれでおじゃんだ。 と言うことは持ち主からは嫌われたほうがいい。いざという時に 手放しても惜しくない人材である必要がある。農作業の手を抜くか ? いや、それでは家族に負担が掛かるだけだ。せいぜい持ち主と 会話するときに生意気そうにしておくくらいしかない。 他に何か方法はないか? 考えろ。よく考えろ、私。脱走するか ? ⋮⋮ダメだ。上手くログホーツ村から逃げおおせたとしても、 奴隷がたった一人でうろついていたらすぐに捕まるだろう。勿論一 見して奴隷だなんて、どこかから小奇麗な服でも盗めばそうそう分 かりはしないだろうが、仕事を得る時など必ずステータスオープン はついてまわるだろう。販売証明も持たず、持ち主も傍にいない奴 隷など、逃亡奴隷以外の何者でもない。 ノーム 領主の子供と結婚するという手もあるが、生憎と領主は矮人族だ。 種族を超えての婚姻はないわけではないが、子供の出生率は極端に 1452 低いらしいから、貴族である領主やその家族がそんなことするとは 思いにくい。村には行商の商人以外滅多に外部の人間が来ることも ない。王国の外れの田舎の村でここが国境のどん詰りなのだ。あの 山を超えた先は外国だ。 ⋮⋮! 外国? 外国へ逃亡したらどうか? 国内では逃亡奴隷 として捕まってしまう公算が高いが外国であればどうなのだろう? ステータスでは私はロンズ家所有奴隷になっている。外国だと逃 亡奴隷として捕まっても、何と言ったっけ? そうだ、亡命希望と か言えば何とかなるのではないだろうか? 亡命って聞いたことある。日本にも外国から亡命してきた人もい たと報道されていたような気もする。やるしかない。だけど、まだ 子供で体力もない。山を越える途中で死んでしまうかもしれない。 見たことはないが危険な魔物のようなものもいるらしい。あの山を 今超えるのは無理だ。もう少し力を蓄える必要がある。山の向こう すぐに人里があるかどうかも判らない。食料も要るだろう。あと何 年かは耐えるしかない。 ・・・・・・・・・ 私が十歳になった時、給金が銅貨二枚から大銅貨一枚になった。 一気に五倍だ。これで8000年後には⋮⋮考えるのをよそう。そ んなある日、七歳上の姉が結婚することになった。相手はやはり村 の奴隷の男で姉より二つ上の同種族の男だ。持ち主が同じなので何 の問題も無く結婚は出来るらしい。結婚の前日、昼過ぎに姉は村の 1453 領主であるドーヴン士爵家に結婚の報告に行くと言って農作業を抜 け出した。両親は俯いて見送っていたのが印象的だった。 姉は夜になってから帰ってきた。疲れたような顔で戻ると食事も 取らず寝床に潜り込んでしまった。挨拶だけなのに随分と時間がか かったものだ。まぁ明日は姉の結婚だから美味しいものが振舞われ る。楽しみだ。農作業も必要最小限で済むし⋮⋮そう思ってゆっく りと寝た。 姉の結婚式は豪華に執り行われた。勿論私たち家族の基準でだ。 前世のファミレスにも及ばないような料理でもそれなりに美味しい。 二つ上の姉と四つ上の兄と一緒にお腹いっぱいになるまで料理を詰 め込んだ。 ・・・・・・・・・ 四年後、兄も結婚した。この世界の結婚適齢期は早い。特に奴隷 は財産なので十代も後半になると持ち主から結婚を催促されたりも する。兄のお嫁さんは姉が嫁いだ先の娘だった。普段から家族ぐる みで付き合いがあったので下の姉と私は心の底から祝福できる。 また美味しい料理が振舞われ、私は満足して床についた。 ・・・・・・・・・ 1454 その翌年、ついに私は成人した。十五歳だ。そろそろ頃合だろう か。家族や親戚は良い人たちだけど現状に碌に不満も言わないよう な、人生を諦め切った人達でもある。このままだと、いずれ私もこ の村で結婚し、子供を産み、育て、死んでいくのだろう。村の外へ の渇望が抑え切れなくなりつつある。なお、成人とともに私の給金 は大銅貨一枚から大銅貨二枚に増えた。この後、二十歳くらいに大 銅貨三枚になるのだそうだ。 やってられるか。なんとしても抜け出さなくては。密かに準備を 始めた。貯めていた給金ではとても身を守るような物を贖うことは 出来ない。安物のボロボロのナイフ一本だって銀貨二枚はするのだ。 だが、このお金は脱出時の食料を調達するお金だ。上手く行ったら 先々でも食料を調達しなければならない、大切な軍資金だ。ボロい ナイフはそれなりに役に立つだろうが、直接命に関わる食べ物を無 視することは出来ない。私には狩人のようにナイフで獲物を獲った り、肉を捌いたりする技術はないのだから。 暇を見つけては村の狩人などに山の様子や道などを訊いてみる。 ちゃんとした道なんかあるはずもないだろうとは思っていたが、や はりあるわけがなかった。私が知りたかったのは狩人が普段行かな いような場所とその理由だ。もし追われた場合、きっとこの狩人が 追っ手として派遣されるだろう。それを巻かないといけない。 彼らの裏をかいて道なき山野を逃亡しなければならないのだ。だ から、少しでも彼らの寄り付きそうもない、土地勘が働きにくいよ うな場所を選んで逃げる必要があると思った。 1455 そうこうしている内に、私の脱走を押しとどめる理由が発生した。 知れたこと、魔法の講習だ。村の治癒師が魔法を教えてくれるとい う。才能がある人であればちょっと練習しただけで魔法が使えるこ ともあるらしい。だが、私の周りには魔法が使える人は家族も含め て一人もいなかった。私に魔法が使える才能があったとしてもその 可能性は極小だろう。でも、魔法には単純なあこがれ以上のものが ある。使い方によっては私の逃亡を手助けする大きな力になるかも しれない。 学んでおいて損はないだろう。ここでも前世について後悔した。 何故もっと真剣に学校で勉強してこなったのだろう。この世界の言 葉には英単語が含まれていることは気付いていたから、英語を勉強 していれば言葉の習得はもっと楽だったかもしれないし、数学だっ て役に立ったはずだ。特に木材などで何か道具を作ったりするよう な場合、幾何や物理などどれほど役に立つのか想像もできない。社 会や歴史は言わずもがな、理科だって生物は役立ったろう。恐らく 直接生活に関わりのないのは音楽や美術、書道などの芸術関連くら いではないだろうか。 治癒師の言葉を一言一句聞き漏らすまいと真剣に魔法に取り組ん だ。一週間ほどで私には魔法の才能があることが判った。単純に嬉 しかった。ひょっとしたら脱走せずとも私の扱いが変わるかも知れ ないとさえ思った。しかし、予想はしていたが勿論そんなことはな かった。それが解った時には、少し落胆した。だが、どんなもので も、非力でも力は力だ。まともに魔法が使えるようになるまでもう 少し頑張ってみよう。 ・・・・・・・・・ 1456 翌年、私が十六になって暫くした頃、二つ上の姉も結婚する事に なった。また美味しいものがお腹いっぱい食べられる。結婚の前日、 姉は領主へ結婚の報告に行くと言って農作業を抜けた。夕方頃、俯 いて戻ってきた。悲しそうな顔だった。一体何があったと言うのか ? 私は頑なに口を閉ざそうとする姉に何があったのか聞いてみた。 ついに根負けした姉は力なく微笑むと、将来私の身にも起こるだろ うから教えておいてあげると言って、ぽつぽつと喋った。 聞いてから愕然とした。 初夜税。 なんとおぞましい響きであることか。 結婚を控えた新妻の初夜を貰い受ける権利。 そんなものが存在しているということすら許しがたい。 領主のドーヴン士爵は﹁婚姻前の姦通は不道徳だ﹂と言っていた ことがあり、幼い私を感心させたものだが、こんな理由があったと は⋮⋮。 エルフ 私たちは精人族だ。両親や姉兄も私の基準で考えると大層見栄え のする美しさだった。私も薄い顔つきで、前世の面影を強く残して はいるものの、相当な美形になっていたことは知っている。だが、 異種族間ではあまり恋愛や性欲の対象にはならないらしいことも同 時に理解していた。私の場合、前世の価値観が残っているから普人 1457 族だろうが、亜人だろうが格好のいい人は格好いいなぁ、と思って いた。 まだ小さい頃にこういう考え方をする人は少数派であることを知 ったので、その後は特に外見に構うことも無くなった。正確に言え ばそんな事よりも今日の食事のメニューと夜までにやらなければい けない仕事をどう片付けるかで精一杯だったと言う方が正しいけれ ど。 ノーム ドワーフ 領主のドーヴン士爵は矮人族の癖に村の三分の一近くいるノーム だけでなく、第二勢力の普人族はおろか、山人族、エルフなど他の 亜人も性欲の対象にしていたのだろうか? いきなり殴られたよう に目の前が真っ暗になった気がしたが、直後、体の奥底から燃え上 がるマグマのような怒りが沸いてくる。 私たち奴隷は領主や持ち主の道具なのか!? 人らしい生活を送 るのがやっとの状況で、誇りまで差し出さねばならないのか!? やっと結婚をすることが出来、辛い生活の中でほんのささやかな幸 せを分かち合うことも許されないのか!? 上の姉も、兄のお嫁さんも、下の姉も、それから⋮⋮私も。 これでは文字通り人以下の奴隷ではないか! 瞬間的に頭に血が 上った私は、驚く姉を振り払い、持ち主の納屋から草刈鎌を持ち出 すと領主の家に向かって全力で走った。折しも領主の家では夕食の 最中だった。ちらと見たテーブルの上には結婚式や年明けの正月で も無い限り私達奴隷では口に入れる事も出来ないような豪勢なメニ ューだった。 晩餐の最中、突然に髪を振り乱して乱入してきた私に呆気に取ら 1458 れる領主とその家族達。何を叫んだのか覚えていないが、鎌を振り 上げて私はドーヴン士爵に襲いかかった。 ・・・・・・・・・ 気が付くと体中青痣だらけで簀巻きのように縛り上げられていた。 体中至るところが悲鳴を上げている。私の持ち主も含め、村の平民 であり、同時に領主に仕える従士達が納屋の土間に転がった私の監 視をしている。 ﹁何故いきなりご領主様に襲いかかったんだ?﹂ ﹁一体何と言うことをしてくれたんだ!﹂ ﹁奴隷の分際で、お貴族様に手をあげるとはな⋮⋮﹂ ﹁こりゃ死罪が妥当だろ﹂ ﹁ご領主様への狼藉だ。大罪人はフォーグルに突き出すほかないな﹂ フォーグルとはこの地方の大都市の名で、このログホーツ村から は南東の方にかなり距離があるということは知っている。このログ ホーツ村を含めた西ラードンナ地方やラードンナ地方など、広大な 領地を所有する⋮⋮確か、なんとかという公爵が治めているはずだ。 私は大罪人としてフォーグルまで連れて行かれ、そこで裁かれるら しい。 激情に駆られるまま貴族に手を上げるという重犯罪を犯した私は 既に死刑を覚悟していた。だが、死ぬ前に公爵とやらに一言でも訴 えてから死にたい。こんな田舎の貧乏くさい村で処刑されなかった 1459 ことだけでも幸運だ。最後に、奴隷の身分の悲惨さを、人権すら認 められない理不尽さを、心の底から訴えて死んでやる。それまでは 何をされようが決して音を上げるもんか。 ・・・・・・・・・ 数日後、私は両手に手枷を嵌められ、両足は僅か60∼70cm 程の縄で縛られ、腰縄を打たれた格好で200km近い距離を僅か 10日も掛からない程の時間で歩かされた。野良仕事で慣れていた ので足は怪我こそしなかったが、狭い歩幅で無理やり歩かされたた めにフォーグルまで辿り着いた時には体力的にはボロボロの状態だ った。フォーグルでは騎士団が管理する牢に放り込まれ、一ヶ月程 放って置かれた。 牢屋では当然自由はなかったもののきちんと三食、まともな食事 が供された。勿論豪華なメニューではないが、普段食べていたもの とそれほど遜色もない。都会では犯罪者すらこのようにまともな食 事を与えられるのか。衝撃だった。てっきり、生きるか死ぬか程度 の量で、残飯のような物だろうと思っていたのだ。実際、フォーグ ルまでの道程では私に出された食事は酷いものだった。 ある日、急に牢から外に引きずり出された。遂に裁きの日が来た のだろう。まぁいい。私は死ぬまで人間として誇りだけは失うまい。 訴えたいことを存分に訴え、刑吏を睨みつけながら死んでやろう。 半ば捨て鉢になったような気持ちで裁きの場に引き出された。 1460 フォーグルの広場のような場所で刑は執行されるらしかった。壇 上で裁きを下しているのは領主である公爵だろう。40前だろうか ? 整った顔立ちで、仕立ての良い服を着込んだ普人族の男性だ。 裁きを待つ犯罪者は私を含め50名ほどらしいが、その全てが重犯 罪人らしい。それもそうか。盗みなど大した罪ではない犯罪者は村 で裁かれていた。重犯罪者だけ上級の貴族に裁きを任せるのだろう。 私の前に裁かれた30人近くの犯罪者たちはほぼ全て死罪か複数 の手足を切り落とされる刑に罰金が加わっている。金貨で何枚とか いう罰金など払えるわけもないだろうからどんどん死刑を宣告され ていく。だが、申し開きくらいはさせて貰えるようだ。その場合、 犯罪の証人が呼ばれていた。良かった、私の訴えくらいは聞いて貰 えるチャンスはある。貴族たちに、自身の存在すら罪深いことだと 訴えて死のう。 ・・・・・・・・・ 私の番が来た。壇上に立つ公爵の前に引き出され、係員に罪状が 読み上げられていった。そして、次には私に罪を認めるか否か、認 めないのであればその理由についてを公爵から尋ねられるのだろう。 私の罪状は貴族階級への傷害だった。良かった、あの士爵に傷くら いは与えられていたのか。自然と笑みが溢れそうになる。だが、私 は罪状を認めず、申し開きをせねばならない。 ﹁汝、アラケール・カリフロリスはその罪を認めるか?﹂ 1461 公爵が言う。今までの定形通りだ。 私は猿轡を外されたので、予定通りの台詞を口にした。 ﹁認めません﹂ 公爵の目を見つめ、きっぱりと言った。 ﹁ならばその理由を述べよ。そして、本件の証人をこれへ﹂ ここまでは想定通りだ。ドーヴン士爵とその長男が証人台に立つ と私は口を開いた。 ﹁ログホーツ村の領主であるドーヴン士爵はその地位を利用し、奴 隷に非人道的な仕打ちを繰り返しておりました。私は姉兄の敵を討 とうとしただけです。初夜税と言って結婚前の女性の処女を無理や り奪っていました。人の尊厳を踏み躙る行いです。私の姉二人の処 女を無理やり奪ったのはそこに立つドーヴン士爵です。兄に嫁いで きた義姉の処女も奪ったに違いありません。私は姉兄の尊厳への復 讐を行おうとしただけです。それに﹂ そこまで言った段階で公爵は手を挙げ、私の発言を遮った。これ も予想通りだ。恐らく今まで申し開きを行っていた犯罪者たち同様 に私の発言の真偽を証人に問うのだろう。 ﹁証人に聞く。今あった話の事実はあるか?﹂ ほらね。だが、どうせ認めはすまい。徹底的に戦ってやる。 その時だ。公爵が立つ台の後ろの列から大声が上がった。 ﹁異議有り! 父上、今しばらく私に彼女と話す時間を下さい!﹂ 1462 何だ? 一体? 声を張り上げたのは見たところ私と同年代くら いの普人族の男で、発言の内容からすると公爵の息子なのだろうが、 その顔を見て私は自分の目を疑った。日本人だ! 普人族特有の前 世の西洋人のような顔立ちだが、彫りは若干薄い。細い一重の目に あまり高くない鼻。エルフ程尖っておらずやや丸っこい顎。日本人 と西洋人のハーフのような顔立ちだが、あの艶やかな黒髪と言い、 黒い瞳と言い⋮⋮ああ、この男は私と同じ運命を辿った人か⋮⋮。 男は父親である公爵の返事も待たずこちらへ歩いてきた。急な展 開に私も含め誰ひとり喋ることも出来ない状況の中、私の顔を見つ めながら力強く歩んでくる。その顔にはうっすらとした笑みさえ浮 かんでいた。 ﹃よう、日本人だな。俺が言うことが分かるな? 分かったら頷け﹄ 小声で日本語︵!︶でそう語りかけてきた。あまりの事に仰天し ながらも震える顔を何度も上下させる。 ﹃よし、次だ。俺はあんたが何をしたとかその理由とかは今はどう でもいい。勿論後でしっかりと聞かせて貰うがな。俺の奴隷になる なら助けてやる。お前をこの状況から救い出せるのは俺だけだ。今 すぐ決めろ﹄ そう言うと彼は私の目を見た。 ﹃私はどうなってもいい。でも言わせて欲しい。何で身分の違いが あるの? 私が何をしたというの? 貴族なら処女を無理やり﹃も ういい。言いたいことは俺も良く解る。俺達はそういう世界を変え たいと思ってる。俺と一緒に来るか?﹄ 1463 私の言葉を遮ると男は微笑みながら優しい声音で言った。今、何 と言った? 世界を変える? 変えられるのか? この、あまりに 不公平で理不尽な世界を!? 目を見開いて言葉を詰まらせた私に向かって、男はひどく優しい 声音で続けた。 ﹃辛かったな。この世界はおかしいもんな。どうする? 俺の奴隷 となって協力するか?﹄ ﹃あいつを殺したい。そうしたら何でも言うことを聞くわ﹄ 私がそう言うと。 ﹃ほう⋮⋮これはこれは⋮⋮よし、助けてやる。その言葉を忘れる なよ。あの士爵を殺してやる。それから、当分黙ってろよ﹄ 目を細めながら満足そうに男は言った。 ﹁父上! 確認が取れました! アラケール・カリフロリスは私の 手の者です。彼女から報告を受けました。私は改めてこの場でセル ムンク・ドーヴン士爵を告発します! 罪状は領主に対する反逆罪 ! 彼女は確かに彼らが父上に対する反逆を企てたと言っておりま す。証拠はたった今私が聞きました! 私が証人です! なお、今 おのこ の彼女の発言は予め私との間で決めていた合言葉です。私は、ロー ジブル伯として、ストールズ家の男子として私の領民を預かる士爵 が父上に対する反逆を企てたことを看過できません! 今この場で 私自らが謀反人への誅を下し、領内の綱紀を粛清し、領を治める貴 族としての範を垂れてみせましょう! 者共! ドーヴンを取り押 1464 さえよ!﹂ 男はそう叫ぶが早いか腰から剣を引き抜いてドーヴン士爵とその 長男に向かって走った。ドーヴン士爵は、最初は唖然としていたよ うだが、自分たちは無実でそんなつもりは毛頭ないと言い張ってい たようだが、すぐに周りを囲む騎士達に取り押さえられ、地面に押 し付けられた。 有無を言わせる暇など殆ど与えず、男は士爵親子の脳天に剣を振 りおろし、士爵を黙らせた。あっという間の出来事だった。あまり の急展開に男と騎士以外は咄嗟に動けなかったようだ。壇上の公爵 すら呆気にとられている。 ﹁カリフロリスの拘束を解け! 彼女に罪はない! 私が後見する !﹂ 男が言うと騎士が寄ってきて後ろ手に縛られた私の縄を切ってく れた。 ﹁父上! お褒めください。たった今、私、ロージブル伯センレイ ド・ストールズめが反逆者に誅を与えました!﹂ あまりのことに周囲はシーンと静まり返っている。私も目を見開 くばかり状況を把握できない。今、この男はドーヴン士爵を殺した のか? 恐る恐るドーヴン士爵の死体に目をやる。親子揃って脳天 を割られ、傷口からは脳みそだか肉片だかをはみ出してうつ伏せで 倒れ伏したままぴくりとも動かない。正直なところ士爵自身はとも かく、士爵の長男には何の恨みも無い。無いがいい気味だと思った。 1465 ・・・・・・・・・ 数ヵ月後、十七歳になった私はセンレイドの情婦になっていた。 私が彼に惚れるのは時間の問題だったのだろう。身分が違いすぎる し、そもそも種族が違うので結婚こそ出来ないが、私は彼のおかげ で自由民になる事ができた。危地から救い出してもらっただけでな く、生活に困ることも無いように自分の側仕えとして雇ってくれた のだ。その後、私の事件をどう処理したかまでは解らないが、彼に は返せない恩ができた。 私たちはお互い本名を名乗り、身の上話を交換した。彼のことを セクシャルテクニック 好きになっていく自分に気がついたとき、初めて自分の固有技能の 使い方がわかった。私の固有技能の﹃性技﹄は最低限自分が相手に 対して一定以上の性的な欲望を抱いていることが能力使用の条件の ようだ。連続して使うと途中から訳が解らなくなるほど狂おしいく らいの性欲に支配され、それが私達の性感を更に刺激する。同時に 彼も底なしの体力でもあるかのように私を貪ってくれた。種族が違 うのは現時点ではお互いに取って良いことのようだ。望まない妊娠 を心配する必要がない。常にお互いを直接感じ合うことができる。 それが堪らなく嬉しかった。 転生して初めて会えた日本人は、私にとって文字通り白馬の王子 様だった。 1466 ・・・・・・・・・ 更に数ヵ月後、セルと共に王都ランドグリーズに赴いた私はもっ と吃驚した。セルは私を驚かせようと黙っていたらしい。次期国王 であるアレキサンダー・ベルグリッド殿下も日本人だったのだ。セ ルは一年の半分ほどを実家であるストールズ公爵領の首都フォーグ ルで過ごし、残りの半分を王都ランドグリーズで過ごしているとの ことだった。今年は私のために実家での時間を多めに取ってくれた らしい。 そして、次期国王であるアレキサンダー・ベルグリッド殿下とは アレク、セルと呼び合う親友と言って良い仲であった。私はすぐに アレク殿下に紹介され、いろいろと日本語で話をした。アレク殿下 の周りにも数人の日本人がおり、私もすぐに彼らと親しくなった。 身の上を聞いてみると、どうやら私が一番若いらしい。亡くなっ た時お婆ちゃんだったという宮廷魔術師に頭を下げて弟子入りさせ て貰った。この人は両親ともに宮廷魔術師であり、自らも昨年から 宮廷魔術師として登城しているらしい。若いが国内は疎か、この世 界でも一番優れた魔術師だともっぱらの噂で、将来を嘱望されてい る。本人は自分はお婆ちゃんだから、と言うのが口癖のようだが、 とてもチャーミングな方で、人柄も良いので私は母親のような気さ えしている。 最初に自己紹介する時、私は自分の固有技能を言うのが嫌だった。 恥ずかしかったからだ。だけど、セルが私の肩を抱きながら自分の 女だと公言してくれたので思い切って言ってみた。少しの沈黙のあ と爆笑だった。私はセルのほっぺを思い切りつねることしか出来な 1467 かった。 こうして私はデーバス王国の中枢に近いポジションに自分の居場 所を定めることが出来た。戦うことも、皆のように過去の知識を活 かして今後の策を練るようなこともなかなかおいそれと手伝うのも 大変だったが、充実した生活だった。まだ今は雌伏の時だが、もう 少し皆が力を蓄えたとき、改革の為に動き出すのだという。最年少 の私はマスコットのようなものだが、それでも皆は分け隔てなく仲 間として私を受け入れてくれた。どうにかして恩を返したい。 こんな世界だ、無血での改革など全員が最初から諦めている。ア レクやセルは最悪の場合、自らの親を殺して権力を掌握するような ことまで覚悟しているらしい。それがこの地に住まう全ての人達の 為になると信じて⋮⋮。 少しずつでも前進している実感が全員を大きな高揚感で包み、口 々に理想を言いながら酒を酌み交わす生活のなんと素晴らしいこと か。 1468 幕間 第十七話 戸村勇吾︵事故当時35︶の場合 ダイヤグラム 路線バスを運転して10年以上が経つ。決まりきった道を決めら れた時間に沿って走るという面白いとは言えない職だが、俺は気に 入っている。昼下がりのこの時間、比較的乗客の数は少ない。 運転席と料金台の反対側には買い物帰りのおばちゃんが座り、俺 の後ろの座席には年齢不詳だが整った顔のOLが座っている。乗車 するときに見たが好みの顔つきだった。グレーのパンツスーツにコ ート姿が俺のフェチ心をくすぐったのを覚えていた。あとは疲れた リーマンと高校生らしき小僧・小娘どもだ。小僧どもは大人しく座 り騒いではいないようだが、小娘どもはわいわいと喋っている。尤 もこのくらいであれば注意するには当たらない。いつもの光景だ。 踏切前で一時停車し、線路へと進入する。 信じがたい光景を最後に目にして俺は死んだ。 ・・・・・・・・・ どのくらいの時間が経ったのか。何日か、何週間か、何ヶ月か。 やっと自分を取り巻く状況を朧げながら理解することが出来て来た。 不思議なことに俺は記憶を持ったまま外国の田舎に生まれ変わった らしい。話されている言葉には聞いたことがある単語も含まれてい 1469 た。何にしろ言葉を覚えるのが先決だろう。 誰もそばにいない時にこっそりと日本語で喋ろうとしたこともあ ったが、まだ赤ん坊で体が出来上がっていないせいか上手く喋れな かった。下手に喋って大騒ぎされるのも問題だろう。いずれは日本 語で喋って転生したことなどを伝えられたら、妻や息子に会うこと もできるだろう。 だが、それはもう少し先の話だろうな。 ・・・・・・・・・ そうこうしているうちにここが地球ではなさそうなことが理解出 来て来た。なぜなら、親や兄弟、親戚だか何だか知らんが、初めて 顔を見るような人間が尽く俺に対してあることをしてきたことに気 がついたからだ。 ﹁ステータスオープン﹂ まじな 最初は何の事やら解らなかったから全く気にしていなかった。お 呪いか何かだろうくらいにしか思っていなかった。 真の理由が解ったとき、俺は気が狂いそうになった。既に狂って るのかも知れないとさえ思ったくらいだ。 視界に青色のウインドウが浮かび上がるとこんなことが出てきた。 1470 ︻ベッド︵幼児用︶︼ なんだ? こりゃ? 目につくものは手で触りさえすれば布団だろうが布切れだろうが 何だろうが名前が日本語で表示されるのだ。だが、しばらくしたら 飽きた。 また暫くしたら生まれてから一年以上経った赤ん坊に名前を付け るらしい。俺には既にミュールという立派な名前があることは知っ ている。今更どういうことだ? と思うと同時に天啓のように閃い た。思わず自分の顔を触りながら言ってみた。 ﹁ステータスオープン﹂ ︻︼ ︻男性/14/2/7428︼ ︻普人族︼ ︻特殊技能:偽装Lv.0︼ ︻固有技能:耐性︵麻痺︶︼ おお、自分にも使えるのか。記載事項が増えている分、ウインド ウも大きくなっている。そう言えば皆俺の手や頭に触りながらやっ てたっけ。特殊技能だか固有技能だかは良くわからんし、文字の色 が異なる部分が気になるといえば気になるが、これが俺のステータ スなのだろう。名前が無いのはまだ名付けられていないからか? 名付けられたら変わるのだろうか? その後暫くして命名の儀式が執り行われ、予想通り変わった。 1471 ︻ミューネイル・サグアル/15/4/7429︼ ︻男性/14/2/7428︼ ︻普人族・サグアル家四男︼ ︻特殊技能:偽装Lv.0︼ ︻固有技能:耐性︵麻痺︶︼ おお、俺の本当の名前はミューネイル・サグアルって言うのか。 ミュールは愛称だったんだな。しかし、四男とはな。上にまだ兄だ か姉だかが居そうだが、俺より五∼六歳上の兄と十くらい年上だと 思われる姉しか知らなかった。だからてっきり次男だと思っていた。 親父は滅多に顔を見せないが年齢は40をとうに超えているよう な外見だし、お袋はまだ二十歳を過ぎたばかりくらいの年齢だろう。 その他、親父と同年代に見える女性もいたが、最初は言葉もわから ないので家政婦か何かだと思っていた。よく考えたら俺のお袋が俺 よりも十以上年上の姉を産める訳ないもんな。二人共親父の嫁さん らしい。羨ましいが俺には肥ってはいるが愛する妻がいるのだ。も う会えないだろうから死んだも同然だろうが。 ・・・・・・・・・ 数年が経った。俺はサグアル家の跡取りらしい。姉はともかく、 兄は最低一人は健在なのになぜ俺が跡取りなのか? 簡単だった。 ﹃偽装﹄の特殊技能を持って生まれてきたかららしい。代々この特 殊技能を持って生まれた男子が次代の家長となるのが掟らしい。代 1472 々の特殊能力とかどこの伝奇小説だよ。 本当は長男であるミューライルが家督を嗣ぐ筈だったらしいが、 まだ幼い頃に病死してしまったそうだ。長男の他に姉が三人いたら しいが、長女のミュリースは家業である諜報員として外国に潜入中 だ。次女のミュネリンは﹃偽装﹄を持っていなかったので普通に育 てられ、既に他家へ嫁いでいるとのことだ。三女のミューロスは今 は家から離れ、別の場所で修業中とのことだ。四女であるミュータ ンス姉さんも﹃偽装﹄を持っているが、女なので家督継承権からは 除外された上、将来の潜入要員として厳しく躾けられている。次男 のミュロンドは偽装を持っていたが、年端もいかないうちに無理な 修行で事故死してしまったそうだ。三男のミュレイル兄貴は残念な ことに﹃偽装﹄は持っていなかった。その為か親父は四十路を迎え た最初の嫁さんではなく、新たに妻を迎え俺を産ませたのだそうだ。 また、サグアル家が家業として諜報活動に従事していることを知 っているのは現時点で国王陛下ただお一人だそうだ。昨年までは先 代の陛下もご存命だったらしいので今では本当に一族を除けば陛下 お一人しか我ら一族の稼業を知る者はいないのだそうだ。そして、 陛下ご自身も我らの﹃偽装﹄の特殊技能についてはご存知ないとの ことだった。決して一族以外には口外してはいけない、ときつく言 い含められた。固有技能に、秘密の特殊技能で稼業がスパイ。本当 に小説か漫画だな。 俺も数年もしたら特殊技能を使いこなせるように修行が開始され るらしい。何でも﹃偽装﹄の特殊技能を使うには準備が必要なのだ そうだ。大体、特殊技能や固有技能に気がついてもどうやって使っ たらいいのかすら知らない以上、どうしようもない。そう思って毎 日ぼんやりと過ごしていた。どうせ俺は家督を嗣ぐのだし、潜入要 員にはなるまいから、まぁ安心だろう。 1473 ・・・・・・・・・ 特殊技能の﹃偽装﹄の修行開始の準備とは、何とも不思議なこと に誕生日が同一で、同種族同性別の者が必要らしい。どうしてもそ う言った人間が用意できないときは誕生日が多少離れているか、年 齢も異なる人間でも良いらしいが、その場合、相性のようなものが あり、合わないと﹃偽装﹄の特殊技能が使えないのだそうだ。相性 が合いさえすれば準備が整っていれば頭の中にその人物を思い浮か べることで能力は使用できる。 長女のミュリースはどうしても誕生日が合う人間が見つからなか ったそうで、結局、﹃偽装﹄の特殊技能は持たないが相性の良かっ た次女であるミュネリンが偽装元に選ばれたらしい。つまり、﹃偽 装﹄の特殊技能とは、ステータスの偽装であり、自分の特殊技能な どをそのレベルも含めて偽装元の人間のステータスを借りて来てス テータスを誤魔化す能力らしい。 俺と同じ誕生日の男の子はなかなか見つからなかった。 しかし、ひょんなことから見つかった。国王の世継ぎであるアレ キサンダー・ベルグリッド殿下である。名前と所属は偽装の対象に 選択可能なので名前まで偽装することは出来ないがその他を偽装す る、つまり、俺の特殊能力である﹃偽装﹄を隠すことが出来れば、 充分とは言い難いが、少なくとも長女であるミュリースのように﹃ 偽装﹄の特殊技能を隠すことは可能である。偽装元としてはギリギ 1474 リ合格点だ。 偽装元として自分の意識に登録︵?︶するにはその偽装元の人物 の身体の一部が必要になる。血液が一番いいらしい。たまたまだが、 サグアル家は表向きは国王に直接仕える従士であった。親父が登城 する度に必死に、それこそ目を皿のようにして髪の毛などを探した そうだが持ってきた髪の毛はどれも王子のものではなく、俺との相 性も良くなかった。何本の髪の毛を食わされたのか覚えてすらいな いが、何度も腹を壊したのを覚えている。そのうちに親父は、王子 と同じ、すなわち俺と同じ誕生日の人物の情報を得ることができた。 こちらもビックリだが、ストールズ公爵家のご長男であるセンレイ ド・ストールズ様だった。 公子であれば王子よりは大分ましな選択肢か。今度こそ何とか血 液なり髪の毛なりを入手すべく親父は相当奔走したらしい。やっと 髪の毛が入手できたのは俺が10歳になった頃だった。その時点で は既に別の人物の血液も手に入っていたので別にそんなに高貴な方 の髪の毛など必要ではなかったのだが、偽装元のサンプルは多いほ ど都合が良いのは確かだ。今更ながら思いついたアイデアだが、最 悪の場合、王子なり公子なりのステータスを騙れるわけだから俺が 彼らの影武者として死亡する役割も出来るなぁ、と気がついたが、 そんな事を命じられてはたまったものではないので黙っていた。 とにかく、ストールズ公爵の継子の髪の毛が手に入った。偽装元 の追加データとすべくそれを飲み、偽装の特殊能力を使い、確認の ためステータスオープンをかけた俺は腰を抜かすほどの驚愕に包ま れた。 ︻センレイド・ストールズ/21/1/7429︼ ︻男性/14/2/7428︼ 1475 ︻普人族・ストールズ公爵家長男︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻固有技能:超回復Lv.4︼ ⋮⋮なん⋮⋮だと⋮⋮? 既に今を遡る事三年前、最初の偽装元 が見つかって、本格的に戦闘︵表向きは従士であるので剣などの戦 闘の訓練は行われるのだ︶や言語の訓練が始まってしばらくした頃、 神に会っていた俺は知っている。固有技能はオースに生まれ変わっ たあの事故の犠牲者しか持っていない、ということを⋮⋮。しかも この公子の固有技能のレベルは4と非常に高い。これがもし魔法の 技能であるなら大人の魔法使いが一人前とされる特殊技能のレベル だ。こいつはかなり前から固有技能の使い方を学んでいたのではな いだろうか? なお、偽装しても固有技能はステータスオープンで は他人から見れないようなのでそこは安心した。 これはチャンスだ。何とかこのセンレイド・ストールズと連絡が 取れないものだろうか。日本人で公爵家の継子であればその口利き で俺も出世できるだろう。サグアル家は国王に直接仕える従士の家 系だから、裏で俺が仕える形にはなるだろうが、それは別にいい。 金が貰えて少しでも安楽な暮らしに近づければいいのだ。オースに だって同郷の誼という言葉くらいはあるだろう。 俺はどうやって連絡を取るべきか頭を捻った。直接会うのが一番 良い方法だがあまりにも非現実的だろう。次は手紙を書くのが良い 方法ではあるのだが、いきなり手紙を書くような間柄でもない。だ いたい秘密裏に入手した髪の毛だから礼状を書くというのも変だ。 サグアル家は国王に直接仕える従士ではあるが、一族の修行のため、 王都とは離れた場所に住んでいる。親父だけが定期的に登城してい るだけだ。今はどうしようもないのだろうか? 悶々としながら家 督を継ぐべく剣の稽古や言語の勉強に明け暮れる日々が続いた。 1476 しかし、事態は急変する。翌年の春、陛下主催の園遊会が催され た。園遊会は年に一度行われ、王都に居る行政関係の高官や軍人な どの貴族、地方在住でも有力貴族たちが招かれる。サグアルは数少 ない陛下の直属の従士だ。身分は低いが陛下に直接お仕えする立場 であるので、園遊会には毎年招かれている。いつもは親父とお袋が 行くのだが、たまたま今年はお袋の体調が優れず、滅多に我儘を言 わない俺が連れて行けと我儘を言って駄々をこねた。この機会に何 とかしてストールズ公子に近づいておきたかった。 園遊会の場では子供達は大人たちの歓談を邪魔しないよう、隅の 方に纏められるとのことだった。俺はワクワクしながら園遊会へと 出かけたが、公子はおろか王子に会う事も出来なかった。王族であ るベルグリッド家と公爵のストールズ及びダンテス両公爵家はデー バス王国においてそもそも扱いが異なっていたのだ。子供達も一般 の貴族などの子弟とは扱いが異なり、大人達に混じって園遊会の正 式な会場にいるとのことだった。 一体どうしたものか。頭を捻るがいいアイデアはなかなか浮かん でこない。果実水を飲みながら俺よりも少し幼い貴族の子供が落書 きのような絵を地面に描いているのをぼうっと見ていた。その時、 頭に閃いたことがあった。一か八かだ。日本人なら絶対に気がつく はずだ。気がつかれなかったり、万が一無視でもされた時は間違え て酒を飲んで酔っ払ったことにすればそう大きく咎められることも ないだろう。まだ十一歳だし。 とにかく言い訳のために酒が必要だ。そっと子供達をまとめてい る場所から抜け出し、警備の騎士だか従士だかの目を盗んで園遊会 の会場の隅にあるワイン樽からワインを盗み飲むと、元の場所に戻 りテーブルクロスを剥ぎ取った。そしてテーブルクロスの中心あた 1477 りに口に含んでいた赤ワインを垂らした。即席の日の丸だ。これを 目立つように木に登って振ってやろう。 テーブルクロスを引き摺りながらするすると木に登る。子供たち が手を叩いて喜んでいる。俺は大きくテーブルクロスを広げ、振り 回した。振り回し始めた時には既に木に登った馬鹿な子供を怪我し ないうちに引き降ろそうと騎士や従士達が集まっていた。時間はあ まりない。 騒ぎは伝わったろうか? 心配になるが騎士たちの﹁危ないから 降りてきなさい﹂との言葉を無視しながら必死に手製の日の丸を振 る。もう最後の手段だ。日本語で何か叫んでやろうか、と思ったと き、園遊会場から子供が二人、こちらに向かって駆けて来たのが見 えた。騎士たちに引き摺り下ろされた俺は酔った振りを続けていた が﹁道を開けよ﹂という子供の声に﹃気がついてくれて助かった﹄ と日本語で返した。俺は賭けに勝った。 ・・・・・・・・・ 驚いたことに王子も日本人だった。彼らも彼ら以外の日本人と会 ったのは初めてだそうだ。俺は自分の特殊技能については喋るわけ には行かないので遠くから見かけ、日本人だと確信したので咄嗟に ああいう行動をするしかなかった、と誤魔化したら、特に疑われる こともなく信じてくれたようだ。俺たち三人は黒髪黒目に加えて日 本人的な面構えだったし、日本人ならわかるくらいには日本的な顔 つきは誤魔化しようもなかったからだ。 1478 ﹃偽装﹄の特殊技能については言うわけにはいかないと思ったが、 ステータスオープンを求められたときに解除した。何人か偽装のサ ンプルは持っていたが、固有技能付きのサンプルは公子のものしか ない。同じ固有技能を持っているのは神が言っていた条件に反する ので名前を俺のままにしていたとしても怪しまれる。公子のステー タスを偽装元のデータとして持っていることを黙っているほうがい い。今後は王子のステータスも秘密裏にいただいておこう。 その後、何度も三人で会った。彼ら二人は電車側の犠牲者らしい。 バスを運転していたことは黙っていよう。既に事故の原因は全員知 ってはいるが、万が一俺が恨まれたりしたら厄介なことになる。サ ラリーマンだったことにすれば角も立つまい。職業以外は嘘をつく 必要もないので全部喋った。 王子と公子は遡ること五年前、六歳の時点で会っていたらしい。 どうやって同族を探したものか二人で考えていたとのことだ。黒髪 黒目で探すといっても王国は広大だし、現時点で両人ともまだ子供 であるため軍隊や役人を動かす権限もない。国を良くしようと思い、 いろいろ試そうとしたものの、農業の知識については俺同様に全く 持っておらず、何をしていいかもわからない。 黒色火薬など軍隊の強化策もあるにはあるが、今すぐにやったと してもなんの実権もないまま行うと将来あるかも知れない権力簒奪 の際に不都合が発生する可能性を考慮して手は付けていないらしか った。ロンベルト王国との小競り合いも最早定期的な行事のように 形骸化しており、勝ったり負けたりである意味安定しているので急 務ではないと判断しているとのことだった。 身分についても王族と公爵の後継者で俺だけが平民だと文句を言 1479 ったら、ある程度権力を掴んだらそのうち陞爵くらいはさせるとの 言葉を貰ったので、納得した。それなりに手柄は必要だろうが、な んの伝手もないまま先の見えない仕事をするよりは余程いい条件だ と思った。 俺の稼業のことも話した。親父に口止めされており、現在の国王、 つまり王子の親父と俺の一族しか知らない諜報を担っている血筋で あることを包み隠さず伝えると二人は喜んでくれた。俺が成人して 暫くしたら何とか親父を処分するなり、引退に追い込んで俺が一族 の実権を握ることについての計画も練った。 オースについての情報交換や推測もいろいろ行った。殆どは神に 聞いたことが中心だが、王子と公子が出会った時に公子はまだ神に 会っていなかったそうだ。王子は3分程質問の時間があったそうだ が、碌な事しか聞けなかったことを後悔していたそうだ。だから二 人は公子が神に会う際の質問内容について相談を繰り返したそうだ。 そして公子はそれを頭に叩き込んでいたそうだ。実際に公子が神に 合った際に許された質問時間は俺と同様に1分だったそうなので、 予定していた質問内容について全ては聞けなかったそうだが、たっ た一人で過ごし、王子同様碌な質問も出来なかった俺より余程物を 知っていた。 おおまかに言って生まれ変わった日本人はロンベルト王国とデー バス王国各地に分散して生まれたらしい。場所など正確な位置は教 えてもらえなかったそうだが、これだけでも将来的に仲間を探すの に有利な情報だ。自分の生まれた場所が解ればその周囲では生まれ ていないことは判るしな。王子は王都ではなく、王都より200K m弱北にあるランドバーゲルの別荘で生まれたらしい。公子はこれ また公爵領ではなく、更に北にあるベッシュワイド侯爵領である母 親の実家で生まれたらしい。俺も王都ランドグリーズから東北東に 1480 100Km以上離れた谷にある一族の村で生まれた事を言った。 話を総合して王都内でもう一人位日本人がいても不思議ではない ことも三人で同意した。ロンベルト側の生まれ変わりについては外 国だしどうしようもないので放っておくしか無いとのことだった。 そりゃそうか。また、神の言った生まれ変わりのアドバンテージの 情報のうち、不明な点についても二人の考えを聞いてみた。彼ら二 人のレベルアップについての考えと俺の考えが一緒だったことに安 心した。つまり、固有技能か特殊技能など、レベルのあるものの上 昇をレベルアップと言うのだろう。俺が神に会ったのも﹃偽装﹄の 特殊技能がレベルアップした直後だったはずだ。これは神に会うた めに公子が実験して判明したそうだ。彼の固有技能である﹃超回復﹄ のレベルが上がった時に神は現れたそうだ。 レベルアップのボーナスとやらは正確には不明だが、特殊技能の 使用回数の事らしい。彼らも特殊技能のレベルが上がった時に恐る 恐る試したりして確信を得たらしい。特殊技能のレベルが上昇した 時とかその後しばらくすると使用回数が増えていることがあったと のことだ。俺の偽装も今はレベル3だが、無理すれば一日10回以 上は使える。偽装をちょくちょく変えることなんか殆ど必要ないの であまり意味はないが。一度﹃偽装﹄の特殊技能を使えば三時間は ステータスを誤魔化せるのだ。寝ないで連続して使っても八回で丸 一日カバーできるのだ。 俺は固有技能のレベルアップをしていないのでこちらもレベルア ップしたら使用回数が増えるのだろうか? 二つの技能を持ってい る俺は彼らに羨ましがられた。 俺は彼らの口利きで13歳になると同時に彼らと一緒に王国随一 と名高い白凰騎士団に入団させて貰えるらしい。俺たち三人の中で 1481 一番騎士としての適性が高い奴が騎士団に残り、最終的には軍隊を 掌握しよう、ということになった。残った二人は騎士の叙任ととも に騎士団を抜けて政治的な権力を握るべく動く。 彼らの目が俺に期待を寄せているのが判る。この中だと俺だけが 政治的な権力から程遠い地位だ。騎士としても平民なので栄達には 時間がかかるだろう。彼らは俺の肩を叩くと﹁可能な援護射撃は出 来るだけする。何か小さな手柄でも立てたらそれをネタに陞爵して 騎士団内でも出世できやすくするようにするから。期待している﹂ と同時に言って来た。畜生、やっぱり俺の役目かよ⋮⋮。仕方ない とは言え、正式な騎士になったら実戦に出る可能性だってあるんだ ぞ、と文句を言ってやるくらいしかできなかった。 だが、サグアル家の後を継いでも、平民のままでそれ以上は余程 のことでもない限り出世の望みは無かったことを考えると、白凰騎 士団には入団できるわ、王子と公子との繋がりは出来るわ、良い事 ずくめなのは間違いがない。親父や二人のお袋、兄貴までもが喜ん でいるしな。 なお、諜報についてだが、これは内実を隠さず報告した。外国と はそもそも距離もあるので無線機など存在しない世界ではリアルタ イムな情報のやり取りはしようがない。入ってくる、と言うより狙 っている情報も次の派遣部隊の指揮官クラスの名前が最上の情報だ。 子爵以上が入っていれば身代金は莫大なものになるからその時を狙 って精鋭を多めに出す。運よく捕虜に出来れば言うことはない。 そもそも侵略や国家存亡にかかわるような大戦争なんか一生のう ちで一度あるかどうかという頻度らしいから、ロンベルト王国やカ ンビット王国の軍隊の様子など普段から知っていることには実はあ まり大きな意味はない。流石に数千人とか万に及ぶ大部隊を動かせ 1482 ばサグアルの諜報網には絶対に準備の初期段階で引っかかる。人数 さえ把握できれば進撃速度なんか非常に遅いからゆっくり準備した って大丈夫なのだ。 情報戦が大切なことであるのは三人とも重々承知しているが、現 代の地球でもあるまいし、開戦即攻撃が来るとかその逆とかは有り 得ない。軍事的には国境線の小競り合いでボーナスのように身代金 を稼げさえすれば問題はない。ダート平原だって両国とも惰性のよ うに取り合いを続けているだけだ。確かにいい土地なのだろうが︵ 三人ともダート平原なんか見たこともないが︶本気で獲得するなら もっと戦力を集中して一気に橋頭堡を築き、その橋頭堡に更に人を 集中して要塞化してしまえば、いつでも有利にことを運べるはずだ、 というのが三人の共通化した見解だった。 これは将来の手柄のために残しておくべきだというのが結論だっ た。心配なのはロンベルト側に先にこれをやられることであるが、 その場合、先方で発想の転換があったはずだ。俺たちのような日本 人が絡んでいると見て間違いが無いだろう。だとすれば話し合いの 余地は残される筈で、多少不利ではあるが少しだけでもこちらの権 利を主張し、それを認めさせるくらいは出来るだろう。日本人同士 なら相互利益を主張すれば話し合いに応じるはずだし、その結果、 大規模な侵略から交渉だけで国を守ったという手柄を得られること も考えて、今は放置することにしているのだそうだ。 それよりも国力を上げるため、社会制度の改革や、技術的な部分 での改革など目指す分野は軍事よりも民生の方が多い。無駄が多く、 優秀な人材が埋もれかねない身分制度だが、これは大きく変えるこ とは難しいし、何より俺たちの特権を脅かされかねない。民主共和 制にするのも良いだろうがそれは俺たちの死後にでも行われるよう に下地を作りさえすればいい。ロンベルト王国への牽制のために一 1483 定の軍事力は必要だが、むしろ先方にいるはずの日本人を刺激しな い程度に抑え、日本人がいないと思われるカンビット王国方面に軍 事力を傾け、そちらで領土的な野心を満たし、国力を高め、ロンベ ルト王国への比肩を目指し、しかる後に友好条約を結んだほうがお 互いのためだという事については全く異論はない。 これにはいくつか理由があるが、ロンベルト王国と我々デーバス 王国が現時点で本気で戦った場合、新兵器でもない限りはどう考え てもロンベルト王国には勝てそうにないと言う事だ。新兵器とは銃 砲だ。俺と出会う前に黒色火薬は作ってはいるそうだが、お粗末な もので、爆薬として使うか大砲の発射薬くらいにしか使えそうにな いらしい。金属加工の技術が未熟なことが主な原因だそうだ。よく は知らないが銃を作るには強靭な鉄鋼が必要で、その為には今の刀 槍類を作れる程度の技術ではとてもとても及ばないそうだ。 公子が元公安警察官だったそうで、武器類について多少だが知識 があるために、いろいろ調査した結果、彼が結論を下した。俺たち のよく知る銃は作れない。作れても火縄銃。だが、金属加工技術が 未熟すぎるし合金の比率や原料など覚えていないので初期の火縄銃 が作れれば御の字くらい。それでも何発か発射したくらいでもうま ともに狙いもつけられないようなお粗末なもの。金属製の盾と金属 鎧だと相当近距離でないと致命傷は与えられない。弩の方が余程脅 威に値する。だそうだ。 俺はそれでも銃は強いだろう、たくさん用意して織田信長のよう に三段撃ちでもすれば使えないことはないだろうと主張してみた。 すると王子が反論した。何千丁も鉄砲は作れない。現時点では最高 技術の結晶になるはずで作れる職人なんか数える程しかいないだろ うし、技術の伝承や拡散なんかは印刷技術の発達が必要だ。無理す れば活版印刷も出来なくはないだろうが基礎技術が発展もしていな 1484 いので、文字情報だけだと碌に技術的な拡散は出来そうにない。イ ラストや写真の印刷ができるようにでもならない限りは夢物語に近 い、とのことだった。版画はどうなんだ? と言ってはみたものの、 細かい図や絵は非常に手間が掛かり、テキスト一冊の版を作るだけ で何年もかかる。それなら手書きでコピーしたほうがまだ早いであ ろう事くらいは途中から俺にも理解できた。 彼らの結論もその通りだった。魔法で何とかしようにも俺たち三 人はまだ魔法の修行も始めていないし、聞いた話だとそんなに便利 なものでもなさそうだ。怪我の治療などには無類の威力を発揮する し、攻撃に使うことも出来るようだが、戦争のような大規模なもの になると宮廷魔術師クラスの魔法使いが必要で、そんな人は国内に も数人程度だろうから考慮には値しない。勿論戦略兵器、いや、局 地的な戦況に影響を与えることは出来るので魔法使いは貴重な破壊 兵器扱いでできるだけ大人数を集めようということにはなった。 十人に一人程度しか魔法が使えず、その中でも優秀な人は極ひと 握りだ。優秀な人でも低威力の﹃ファイアボール﹄を二発くらい打 てれば上等で今の筆頭宮廷魔術師のロボトニー伯爵ですらそれなり の威力で二発打つのがやっとくらいらしい。その時の威力は密集し ている敵に打ち込んで直撃で一人殺し、周りの二三人に傷を付けら れる程度だから知れている。発射数を抑えて威力に魔力をつぎ込ん でもダイナマイトよりちょっとましくらいだそうだ。だが、ダイナ マイト一発があれば局地的な戦闘には大きな影響を与えることはで きる。一流の魔法使いは無魔法のレベルが5とからしい。今のデー バス王国には百人もいないだろうとのことだ。一昨年まで現役だっ た当時の筆頭宮廷魔術師でも無魔法のレベルは6だったそうだ。 その程度だと数千人とか万単位の軍隊に一発や二発打ち込んだと ころで大勢をひっくり返すことなど出来はしない。あとは元素魔法 1485 でも地魔法のレベルが高ければ埋め殺す事もできるらしいが、レベ ル4程度だと人一人埋め殺すにもかなり魔力を使うらしいから非現 実的だそうだ。レベル5程度はないと実用的ではないらしいが、宮 廷魔術師は疎か、ベンケリシュの迷宮に挑んでいるトップクラスの 冒険者でもレベル5の元素魔法がやっとだからあまりに貴重すぎる 人材だ。流矢にでもあたって死なれる方が怖い。 ロンベルト王国やカンビット王国はデーバス王国とは違って国力 もそれなりにあり、魔法使いも多いらしい。噂だがロンベルトの筆 頭宮廷魔術師は無魔法のレベルが今年7になったそうだ。だとする と元素魔法は6とか最低でも5はあるだろう。魔法使いの育成は軍 事的にも必要なことだろう。 要するに銃も碌な品質では作れず、量産もほぼ無理、魔法も攻撃 力としてはお粗末なもので、せいぜい突然の襲撃から指揮官の身を 守る護衛くらいにしか使えそうもない。ということだ。正攻法で数 を揃えた軍隊が一番強いと言う事だ。その為には時間が非常にかか る。五ヵ年計画程度の一朝一夕な見込みでは強力な軍隊は作れない、 という結論になる。数十年かけて軍隊を強化する以外、ほぼ道はな い。その為には国に地力が必要で、少しずつ国力を上げていく他に 近道はない。 考えた末、農耕への家畜の導入を進言してる状況らしい。だが、 牛馬の費用は非常に高いし、数が増えにくいのが難点だ。このあた りの情報収集や、迷信の打破に今は神経を使っているらしかった。 そんなある日のことだ。俺たち三人がいつものように王城の空き 地でああでもないこうでもないと日本語で相談しているところに一 人の宮廷魔術師が通りかかった。宮廷魔術師と言えど、普段から軍 事的な事に従事していることは少ない。どちらかというと魔法使い 1486 たちは学者のような扱いであり、政治的な事務処理などの役職に就 いている方が多いのだ。宮廷魔術師とは称号みたいなもんだ。 ﹁おや、アレキサンダー王子とそのご友人方、今日はいい天気です ね。何かお飲み物でも奴隷に申し付けておきましょうか?﹂ 宮廷魔術師はにこやかにそう言った。 ﹁ああ、ゲグラン男爵か。そうだな、なんでもいい、皆に一杯ずつ 頼んでおいてくれないか?﹂ アレクがそう言うと、ゲグランと呼ばれた宮廷魔術師は答える。 ロール ﹁分かりました。桃水で宜しいですか? ところで、皆さん髪と目 の色が同じなのですね。私の娘も実は皆さん同様、髪と目の色が黒 いのですよ。宜しかったらお仲間に入れてやってくれませんか?﹂ ゲグランは純粋に王族や公子に娘を近づけたいのかも知れない。 しかし、彼の発言内容には三人とも言葉を失った。どうにか持ち直 した王子が言う。 ロール ﹁あ、ああ、桃水で良い。それと、男爵。男爵の娘さんだが、会う くらいは問題ない。こ、こちらは男同士だし、話が合うかもわから ぬゆえ、仲間に入れられるかは約束までは出来ぬがな⋮⋮﹂ ロール ﹁解りました、桃水を三つご用意させるようにします。娘の事はお 気になさらず、単なる挨拶のようなものですからね。仰る通り、男 の中に入れさせようだなんて本気で思ってはおりませんよ﹂ ゲグランはそう言ったが、それでは今度はこちらの気がすまない。 1487 ﹁あ、いや、男ばかりだといささか乱暴な話ばかりになるから、是 非今度紹介してくれぬか? 頼む﹂ アレクがそう言うと、ゲグランは恐縮してしまったが、無理矢理 に明日連れて来いと言ってアレクはゲグランを開放した。 その後俺達は、興奮したように話し合ったが、日本人かどうかす ら解らないのに気の早いことだとお互い笑いあった。 ・・・・・・・・・ 翌日、ゲグラン男爵に連れられてきた女の子は自らをレーンティ ア・ゲグランと名乗り、四人目の仲間となった。彼女の齎した魔法 の知識は俺たち全員が彼女の弟子となって魔法の修行をさせること になった。 ・・・・・・・・・ 翌年、ロンベルト王国に潜入していた長女のミュリースの死亡が 伝えられた。状況は分からないが正体が露見したのではなく、たま たま魔物に殺されたのだそうだ。公子は潜入工作員の手駒が減った 1488 と嘆いていたが、俺も王子も元々長期潜入の間諜は大した役には立 っていないから全く気にしなかった。会った事もなく、生まれる前 に家を出ていた長女なんか、名前を知っているくらいで他人も同然 だ。 俺は魔法が使えるようになった。無魔法以外では火以外全てに適 性があったらしい。レーンは全元素が使える。彼女の魔法の才能は 俺たちとは比較にならず、かなりの実力者だ。彼女が自分で言うに は既に無魔法のレベルは四になっているそうだ。正に魔法の天才だ。 固有技能も魔法に関する事だし、全員一致で将来の筆頭宮廷魔術師 だと言っている。 俺たちの未来は明るい。 1489 11月22日︵ 幕間 第十七話 戸村勇吾︵事故当時35︶の場合︵後書き︶ 解り難いとご意見を頂戴しましたので2014年 土︶の活動報告より抜粋します。 −−−− ■ミュンの経緯と偽装の特殊能力について ﹁偽装﹂はステータスを借りてくる技能です。本来は同じ生年月日 で同種族、同性別の他人の体の一部を摂取することで﹁偽装﹂の特 殊技能は使えるようになります︵100%︶。ですが、そうでなく とも相性が合えば偽装は可能です︵1%︶。そして、相性は血族で あればそこそこ高い可能性で合います︵親等により変動します。親 子など一親等の場合100%、兄弟や祖父母孫など二親等は50%、 叔父叔母や甥姪など三親等は10%、従兄弟など四親等で5%、五 親等以降で他人とみなされ1%︶。 あくまで可能性の問題なので何百人もいる村があれば数人は相性 も合うでしょう。しかし、あまりに生年が離れすぎていると不自然 極まりないですのでステータスを借りてもあまり不自然でない人と 出会う確率は低いと思われます。なお、異種族や性別が異なる場合、 能力は作用しません。 ミュンはサグアルの長子で長女でしたが、掟により男子が家督者 を継ぐため、最初から捨て駒の潜入要員が目に見えています。生年 月日の調整なんか出来ないので丁度いい隠れ蓑が見つからないこと もままあります。 遺伝確率 一族の男子の子に遺伝で受け継がれることが多い。男子の子が遺伝 1490 する確率は子供の性別にかかわりなく50%。女子は1%。但し、 能力を持っていない場合、確率はゼロ。近親婚による累積はない。 偽装持ち父親の子は男女とも50%の確率で偽装持ち。 偽装がない父親の子からは偽装持ちは生まれない。但し、子供を設 けた相手が偽装持ちの一族の女性の場合、母親が偽装持ちになるの で1%の確率で偽装持ちの子供が出来る。 偽装持ち母親の子は男女とも1%の確率で偽装持ち。子供を設けた 相手が偽装持ちの男子の場合、父親が偽装持ちになるので50%の 確率で生まれた子供に偽装が遺伝する。 偽装がない母親の子からは偽装持ちは生まれない。以下同じ。 略年表 7409年 長女ミュン︵ミュリース︶誕生 ︵ミュリースと命名される。但し未だ男児が生まれる前の女児で偽 装を持っているため将来の潜入要員になる可能性が高いので儀式は 念のため次女以降に予定されていた名前であるミュネリンを付ける。 次女以降が生まれなかった、生まれても同じく偽装を持っていたら その時はその時。まだこの子が幼いならこの子をミュネリンにすれ ばいい︶ 7410年 長男ミューライル誕生 ︵偽装持ち。家督者になる可能性が高いので普通に命名の儀式を受 ける︶ 7411年 次女ミュネリン誕生 ︵偽装を持っていないので予定通りミュネリンと命名される。儀式 でも同様にミュネリンで済まされる。この時点でミュネリン・サグ アルは二人だが、サグアル家長女と次女の違いがある︶ 7416年 三女ミューロス誕生 1491 ︵男子が一人だと心もとないので両親は頑張った。でもやっと出来 た子も女児。しかも偽装持ち。念のためミュン同様に四女予定のミ ュータンスと命名の儀式を受ける︶ 7417年 次男ミュロンド誕生 ︵やっと出来た二人目の男子。偽装持ち。長男の予備になる可能性 もあるので普通に命名︶ 7418年 長男ミューライル病死 享年八歳。合掌。ミュロンドが男子の長子となる。両親の悲しみは いかばかりか。 7421年 四女ミュータンス誕生 ︵偽装持ち。三女の為に頑張ったが流石に五歳も離れているし、偽 装を持っているので三女の隠れ蓑にするにも無理がある。と言うか 三女は同じ生年月日の別人が見つかっている。三女は一度従士など 他家へ養子に出されてちゃんと﹁ミューロス﹂にステータスの命名 を再度受ける。ミュータンスはそのまま命名︶ 7424年 次男ミュロンド事故死 長男が亡くなって期待を掛け過ぎた。無理な修行はダメ。両親の悲 ︵ry 7424年 三男ミュレイル誕生 偽装なし。両親は落胆する。この時点で父親は他家の偽装持ちの男 子を養子にしようとするが家長である父親の血を引いた子の方が良 いと母親に反対される。 7426年 流石に母親も三十半ばを超え体力的に辛くなってくる。 仕方ないので慌てて第二夫人を娶る。 1492 7428年 四男ミューネイル︵転生者︶誕生 偽装持ちでラッキー、これで安泰。大事に大事に育てねば。 ここで注意が必要なのはサグアルに偽装持ちの男子が複数人生ま れることも過去にあり、一族では女児のステータスの名前被りが当 たり前になっています。また名前被り自体は犯罪でもないですし神 社への犯罪行為にもなりませんので命名自体はお金さえ払えばやっ てくれます。 ついでに、ミュンの本当の名前はミュリースで、両親など家族も そう呼んでいますが、ステータス上では比較的年の近いミュネリン のままです。本来であればウェブドスへの潜入前に同じ生年月日の 人が見つかれば一番良かったのですが、無理でした。 1493 第三十五話 二層 7442年9月1日 ﹁んじゃ、行くか。皆、用意はいいな?﹂ 皆が頷いたのを確認し、迷宮内に転移した。慎重に周囲の様子を 確かめ、地図を参照して現在地を把握する。番号から言って多分こ こだろう。 洞穴を進むと暫くして右に曲がった。その直後に別れ道がある。 ああ、じゃあ、現在地はやっぱりここだな⋮⋮。だとすると二層へ の転移の水晶棒までに部屋を三つ通らなければならない。いつもな ら危険なので部屋には行かないで引き返すか、迷宮に入りなおすが、 今日からは二層を目指すから構うことはない。突き進むだけだ。罠 の地図もあるので迷宮行はかなり楽になった。今日中に二層に行け るかな? 誰も怪我をしないといいのだが。 30分程そろそろと進み、最初の部屋に着いた。予め部屋の住人 は俺が一人で始末すると告げている。鑑定で覗いてみると、グリー ンスライムだった。ふん、火に弱いことはもうバレてるんだ。﹃フ レイムスロウワー﹄で汚水のような深い緑色の粘液を消毒してやる わ。 俺は部屋の入り口に立つと﹃フレイムスロウワー﹄の魔術であっ さりと30匹近くいたスライムを燃やし尽くした。エンゲラが口を 半開きにしてその光景を見ている。お前のご主人様の実力の片鱗は どうよ? ん? 滅多なことでは奴隷を使い潰すなんてしねぇぞ。 1494 ケチだからな。多分全部焼き殺したろう。俺は全員にボーナスアイ テムである、以前の冒険者の遺留品と魔石を探すように言うと部屋 の奥に続く道から新たなモンスターが来ても良いように監視を受け 持った。 暫くして遺留品の収集は終わったようだ。やはりボロっちい剣と か槍とかはあったが、古すぎて錆びており、原型すら留めていない 物しかなかった。最近は誰も入らなかったらしいな。現金は銀貨を 中心に100万Z近く回収できたから良しとするか。 すぐに先へと続く洞穴に入っていく。また注意して罠を避けなが ら数十分進む。そろそろ次の部屋に着くはずだ。さて、ここには何 が巣食っているのかな? 鑑定の視力で入口から眺めてみてもモン スターは見えなかった。端っこに隠れているのか。じりじりと部屋 の入り口に近づく。⋮⋮いやがった。でっかい昆虫みたいだ。四本 足で小さな頭の両脇から二本の長い触角だか触手だかが生えている。 先端に行くに従って細くなる尻尾の先にプロペラみたいな妙ちくり んな突起があるようだ。鑑定してみると﹁プロペラテイル﹂だった。 ふむ。初めての相手だな。鑑定をゆっくり読むのはぶっ殺してか らでも遅くない。銃剣をスリングベルトで肩にかけると﹃ライトニ ングボルト﹄を左手から放ち、即右手から﹃ストーンジャベリンミ サイル﹄をぶち込んで殺した。多分﹃ライトニングボルト﹄だけで 死んでたような気がする。死体を更に損壊したので、鑑定だと︻死 体︵プロペラテイル︶︼になっちゃったよ。まぁいいか。他にはい ないようなので次の部屋を目指すか。こいつのことはエンゲラから 聞いているから、魔石を取るような愚かな行為は必要ない。 プロペラテイルには特殊技能として、あの触覚だが触手だかで触 れた金属を錆びさせる能力があるらしいのだ。間違ってナイフで触 1495 っちゃったら事だ。それに、どうせ遺留品も錆の山になってるだろ う。放っておくに限る。帰り道でまだ死体が残っていて、俺の魔力 や体力にも余裕があるようなら地魔法で石斧でも作って解体すれば いいだろ。ま、二層への転移の水晶棒から直接入り口に戻っちゃう とは思うけどね。 ここまでまだ部屋の住人としか戦闘になっていない。この分だと ほぼ万全なまま二層に行けそうだ。二層の地図はないからちょっと だけ様子を見て帰ることになるのだろうけどね。 更に前進する。途中でノールが六匹うろついていた。部下たちに 経験を積ませるのもいいが、今日は二層を目指すのだ。MPはまだ まだ腐るほどあるし、ケチっても意味がない。エンゲラに俺の接近 戦能力も披露したい欲求が頭をもたげかけたが、走って突撃をかま そうと足に力を入れる寸前で思いとどまり安全に魔法で殺した。 そして、最後だと思われる部屋に着いた。ここもぱっと見るだけ だと敵の姿は見えなかった。しかし、敵の正体はわかる。今迄進ん できた洞穴は地図が正しければ︵多分、少なくともこの道筋に限っ ては正しいだろう︶部屋の隅っこに繋がっている筈だ。 部屋の真ん中を見渡すのは部屋に相当近寄らないと難しいだろう。 だが、ここからでも充分に把握できる。でっかい蜘蛛の巣の端っこ が見えるのだ。こいつは話に聞いていた﹁ガルガンチュアスパイダ ー﹂のお出ましかな? 蜘蛛の巣は火魔法で燃やしてしまえばいい か。 早速﹃ファイアーボール﹄を撃ち込んだ。蜘蛛の巣の端っこあた りに命中し、燃え盛る石を周囲にぶちまけた。首尾よく蜘蛛の巣に 火が付けられたたようだ。すぐに両手を広げ﹃フレイムスロウワー﹄ 1496 を使い、炎を噴出させながら部屋に入る。いやがった。部屋の真ん 中で蜘蛛の巣の中心に体長2m、脚を広げると5m位になりそうな でっかい蜘蛛がいた。そいつ目掛けて﹃フレイムスロウワー﹄を浴 びせかける。体表を覆う繊毛のような細かい毛に火が燃え移った。 蜘蛛は転げまわって苦しんでいる。 油断せず、魔力を注ぎ込んで﹃フレイムスロウワー﹄の火勢を強 め、焼き殺した。こいつには毒があるらしいから、接近戦は嫌だっ たしな。無事に﹁ガルガンチュアスパイダー﹂を殺したあと、室内 を見回した。 む、あれは⋮⋮卵⋮⋮いや、繭か? 蜘蛛の巣の所々には繭みたいになった獲物がくるまれていた。ゴ ブリンだとかノールだとか、冒険者も犠牲になっていたようだ。と ロングソード ブロードソード スピア シールド っくの昔に死んでいたようだから助けられなかった。遺留品は状態 の良い長剣が三本、段平が二本、槍が二本。盾は見付からなかった。 あと、現金が合計で130万Z程。うっは。大漁だな。ガルガンチ ュアスパイダーの魔石は10000近い価値があった。売れば7万 Zくらいにはなりそうだ。 他の洞穴を覗き込み安全を確認しながら部下が戦利品を集めてい るのを眺めた。うーん、結構稼げたな。お、あの剣は良い状態だ。 だが、あの槍は穂先が折れている。錆び付いてはいないようだから 一応回収かなぁ。 その後もまた一時間ほど歩き、途中で出会ったゴブリンとノール を魔法で蹴散らしながら無事に二層へと転移する水晶棒がある30 m四方くらいの小部屋に辿り着いた。ここで小休止にするか。ゼノ ムに時間を聞くと、時計の魔道具で時間を確かめてくれた。まだ午 1497 前10時過ぎくらいらしい。 お茶には丁度良い頃合だろう。流石に迷宮の中には荷物になる水 は持って来てはいなかったが、水筒くらいは準備している。水魔法 と火魔法でお湯を出し、各人の水筒に入れると茶の葉を入れた。オ ースの茶ははっきり言ってあまり美味くない。地球の茶とは違うの だろう。俺の好きな豆茶は炒った豆を煮出して作るから流石にここ では味わえない。 ふうふうと熱い茶を冷ましながら全員で大して美味くない茶を飲 みつつ休憩した。 口々に魔力の残量を心配された。 ﹁アル、魔力は大丈夫か? 相当魔法を使っていたろう? 今日は 引き返したほうがいいんじゃないか?﹂ ゼノムが言った。 ﹁そうよ。二層のモンスターも一層とそう変わりはないらしいけど、 万が一の時取り返しがつかないよ﹂ ラルファも言う。 ベルは魔法についての知識が低いのか、よくわからない顔をして いる。 ズールーはお茶を啜りながらも油断なくこの小部屋に接続して来 ている洞穴に目をやっている。 エンゲラは呆然とした面持ちで俺を見ていた。 エンゲラに自慢したい気持ちが沸いて来たが、彼女の感想を聞く 1498 のは三層に行ってからだ。ここで彼女の感想を聞いても多分本当に 俺の自慢にしかならないから黙っていよう。 ﹁ああ、大丈夫だよ。じゃあ、二層の様子をちょっと見たら今日は 戻ろうか。その前にお茶くらい飲ませてくれ﹂ 数度の戦闘で俺のMPは確かに消費されているがまだ7100く らい残っている。500も使ってない。特に蜘蛛だとかプロペラテ イルとか強敵そうなのは魔力に糸目をつけず威力が高まるように魔 力を注ぎ込んで一気に葬ったからな。使いすぎな気すらする。ああ いった敵への適切な魔力の使い方も会得したほうが良さそうだ。効 率が悪すぎる。まだまだ休日に一人で迷宮に潜ったほうがよさそう だな。 他愛のない会話とお茶を啜る音だけが転移の小部屋に響いている。 すると、どこかからか、複数の足音が聞こえてきた。すわ、モンス ターか!? 俺たちはお茶を捨てると水筒を部屋の隅に放り投げ、 武器を手に立ち上がった。 足音のする洞穴から離れてそちらを伺う。暫くすると八人で構成 ベルデグリ・ブラザーフッド されているパーティーが現れた。身につけている装備品や腕に巻い ている布の色は碧緑色だ。見覚えのある顔がいる。﹁緑色団﹂か。 エルフ リーダーの精人族は先に部屋にいた俺達を見ると、口を開いた。 ベルデグリ・ブラザーフッド ﹁おう、俺達より先に来てた奴らがいたか。⋮⋮知らない顔だな。 俺はロベルト。ロベルト・ヴィルハイマーと言う。この緑色団のリ ーダーだ。あんたらのリーダーは誰だ? ちょいと話をしようじゃ ないか﹂ 1499 おう、想像していたより渋い声だな。エルフは見た目が美しいか ら、それなりに年を取っているとは言え、もっと高い声を想像して いた。 ﹁リーダーは私です。アレイン・グリードと申します﹂ ベルデグリ・ブラザーフッド 俺がそう名乗ると、緑色団の面々から失笑が起こった。 ドワーフ ﹁あの山人族がリーダーじゃねぇのかよ﹂ ﹁まだ小僧じゃねぇか﹂ ﹁変な鎧だな﹂ ライオス ドッグワー ﹁小僧一人に小娘が二人。パーティーの半分がガキとはね⋮⋮﹂ ﹁獅人族の男と犬人族の女はそこそこやりそうね﹂ ﹁返り血も受けてないから、運良く戦闘せずに辿りつけたのかしら ?﹂ ﹁一箇所は大部屋を通らないと行けないから、大方誰かが主を殺し た後だったんだろ﹂ 口々に好き勝手ほざいてやがる。まぁ気持ちは解るけどよ。彼ら のような超ベテラン相手だと多少馬鹿にされたところで怒る気すら 湧かんわ。 ﹁おい、その辺にしとけ。済まなかったな、グリード君。我々は二 層に行きたい。後から来ておいて申し訳ないが、先に転移させて貰 ってもいいか?﹂ トップチームのリーダーだけあって無駄に俺を侮るような発言は してこなかった。うん。金持ち喧嘩せずだよね。 ﹁ええ、どうぞ。我々はもう一休みしてから進むつもりですので、 1500 御遠慮なく⋮⋮﹂ 俺がそう言うと、 ﹁おい、行くぞ。⋮⋮ド・ゲ・ヌか。全員ちゃんと掴んだな。ドゲ ヌ!﹂ そう言うと彼らの姿は一瞬半透明っぽくなったかと思うと光の粉 を散らすようにして掻き消えた。転移を外から見るとこんな感じな のか。 ﹁なんなの? あいつら、感じ悪ぅ﹂ ラルファが口を尖らせながら言う。 ベルデグリ・ブラザーフッド ﹁彼らは緑色団です。バルドゥックでも指折りのトップチームです。 五層まで到達しているとか⋮⋮﹂ エンゲラが答えている。やはりトップチームだけあって有名人な んだな。 ﹁緑だかなんだか知んないけど、名前くらいさっき聞いたから知っ てるわよ。それにしても態度L過ぎ。頭ん中に緑青でも浮いてんじ ゃないの?﹂ とし 態度Lとか、何十年ぶりに聞いたんだろ。ラルファ、貴様、やっ ぱ年齢を謀ってねぇだろうな? ⋮⋮謀っていたとしても何の害も ねぇけどよ。履歴書不実記載だぞ⋮⋮あ、履歴書なんか書かせてな かったわ。 1501 ﹁五層か⋮⋮凄いな﹂ ズールーが感心したように呟いた。 ﹁実力もあるのでしょうね﹂ ベルもズールーに追随している。 ﹁まぁその実力があるからあれだけのことを言えるんだ。見ただけ でわかる。あいつら全員相当強いぞ﹂ ゼノムがそう言って締めた。 放り投げた水筒を回収し、装備の点検をする。 ﹁じゃあ、どうせ彼らと同じ場所には転移しないだろうから、俺た ちも行くか。今日は様子見な。ちょっとしたら帰るぞ﹂ 水筒をリュックサックに入れながらそう言って、転移の水晶棒の 表面に紫色に浮き出た呪文を読む。ド・ル・ヘ・メか。黄色の呪文 は上層に上がる呪文だ。﹁我らを戻せ﹂って奴だ。入口の転移の小 部屋の脇に沢山並んでいる小部屋のどれかに転移するのだろう。 ﹁ほんじゃ行くぞ。⋮⋮皆、握ってるな。ドルへメ!﹂ ・・・・・・・・・ 1502 一見して二層は一層と似てはいるが湿気が強い。この分だと二層 で先達の冒険者の装備を回収するのは一層よりも運が必要になるの かもしれない。 通路となっているなんとなく湿気の多い洞穴の真ん中に転移の水 晶棒がある。矢印っぽい模様も確認できた。そちらの壁を探したが、 番号が刻まれている場所は発見できなかった。二層は一層のように 転移先の地図は無いのかな? ⋮⋮あったとしても値段は更にとん でもなさそうだけど。 どうせ初めてだし、地図もないから通路をどっちに進んでも大差 あるまい。適当に﹁こっちに行ってみよう﹂と言って先頭に立って そろそろと進み始めた。すぐに俺の右にゼノムが並び、3mくらい の竿で地面を叩き始めた。微妙に曲がった洞穴をゆっくりと時間を かけて100mくらい進んだ頃だろうか。床を叩く棒の音が変わっ た。罠か。その周辺を叩いて落とし穴らしい罠を回避しようとする が、どこも軽い音しかしない。 うっそ、まじかよ。落とし穴が通路全体を塞いでることもあるの か。 全員が俺を見た。1.戻って反対側を行く。2.戻って反対側を 行く。3.戻って反対側を行く。他にあんのかよ!? なぜ俺の顔 を見んのかね? ﹁戻ろう。転移の水晶棒の反対側を行ってみよう﹂ 罠の警戒も必要ないし、今歩いてきたばかりの道だ。ここまで1 5分近くかけて慎重に歩いてきたが、戻りは2分とかからず転移の 1503 水晶棒まで戻ってこれた。さて、反対側を行ってみますかね。 同じように床を叩きながら慎重に進む。今度は200mくらい進 んだところでまた音が変わった。慎重に他の場所も叩いてみる。う ん、全部音が軽いね。 ⋮⋮落とし穴に挟まれてるじゃねぇか! あ∼、クソ。 ﹁皆、ちょっと下がってくれ。どうなるかわからんが、ちょっと試 してみる﹂ もっと。もっと下がれ。俺は全員を誘導して落とし穴らしき場所 から40m位下がらせた。全員の前に立ち、風魔法で床の上の土だ か砂だかを吹き飛ばすことにしたのだ。実験で潜っているときは毎 回やっていたが、この方法で罠を見つけたことはなかった。確実に 罠があるならどうなるのか、という気持ちもあって試そうと思った。 ばおん! 大量の空気が急激に発生し、無魔法で前方にのみ膨張するように 整形、と言うか、風魔法だけを整流するような壁を作り出す。洞穴 の直径はおよそ10mくらいだし、Lv5くらいの風魔法で発生さ せる空気の量で充分だろ。この先大きな部屋でもない限りはものす ごく簡単に考えて270m先まで通路を埋められるくらいの体積の 空気を一気に一方向に解放したんだし。 全員、俺が何をしたのかわからなかったようだから、風魔法で大 量の空気を作り出し、﹃エアーポンプ﹄みたいに使ったと言ったら 1504 ラルファとベルは納得したようだ。だが、他の三人は﹃エアーポン プ﹄どころか﹃ポンプ﹄なんかも知るはずもない。変な顔をしてい たが放っておいた。ゼノムはすぐに俺たちの事情だろうと当たりを つけられるだろうからいいとして、ズールーやエンゲラは分かんね ぇだろうなぁ。でも仕方ない。 分からない言葉をいちいち全て解説してもらえるなんて甘えた考 えがあったらそれも一緒に吹き飛ばしておこう。俺だってオースの 言葉とか物の名前とか全部知ってるはずもない。誰かが俺の知らな い品物について話していたらそれを解説して欲しいとは思うが、時 と場合くらいは考える。本当に興味があったら迷宮を出たあとにで もゆっくりと聞いてくれ。 罠の場所に行ってみる。完全にとまでは行かないが、ある程度表 面の土は払われていた。うん、風魔法で吹き飛ばすのは正解だった ようだな。通路の幅ほぼ一杯で奥行が4∼5mくらいか。めちゃく ちゃ不思議だ。その証拠に俺を含めて全員が口をぽかんと開けて罠 を見ている。 落とし穴が開いていた。多分深さはそれ程でもないだろう。底だ って見える。3mくらいかな? そう。底が見えるんだ。板か何かの上に土を被せてカモフラージ ュしていて、その板が見えているわけじゃないんだぜ。板も一緒に 吹き飛ばされたんだろうって? 差し渡し4∼5mの落とし穴を塞 ぐ板なら最低でも長さは7∼8mくらいはあったと思う。材質にも よるだろうがそうでないとたわみ過ぎるだろうし。まぁ、そんな板 が何枚も吹っ飛ぶくらいであればいくら光量が低いとは言っても気 がつかない方がおかしいし、音だってするだろう。それだけの長さ とある程度の厚みを備えた板を目の届かないくらい遠くに飛ばせる 1505 ような量の空気も出していない。 恐る恐る、地面から土をちょっとだけ削るようにして掴み取ると ︵簡単に取れるような表面の土は吹き飛ばしてしまったからな︶穴 に向かって放り投げた。投げる前から結果は分かっていたけれど、 試さずにはいられなかったのだ。 予想通り、俺が放り投げた土は地面に浮かんでいる。なぜ予想し ていたかと言うと、落とし穴表面の土が全部綺麗に飛ばされてはい なかったからだ。いや、飛ばされたのかもしれないが、その手前か ら飛んできた土が乗っかっただけかも知れないけどさ。﹁ある程度 表面の土は払われていた﹂って言ったろう? 鑑定してみよう。やはり選択対象にできるみたいだ。と言うこと は気体、それもただの気体ではないということか。 ︻ベッシュズ・フローティングディスク・オートメンディング︼ ︻風・無︼ ︻状態:良好︼ ︻作成日:−/−/−︼ ︻価値:−︼ ⋮⋮魔法だった。しかも俺の知らない奴だ。まぁ俺が知っている 魔術の数なんてたいした数じゃないけど。風魔法と無魔法を組み合 わせていて、現在は正常に発動中ってことか。作成日と価値は魔法 の場合表示されないからこれは問題ない。 問題なのは魔法、もとい魔術の名前が鑑定できることだ。普通、 魔術で発生した現象を鑑定しても名前は表記されない。飛んでいる 途中の魔術弾頭や、吹き出している炎、作り出した水や土を鑑定し 1506 ても使った系統の魔法の種類と、状態だけしか鑑定できない。 サブウインドウも開けるところはない。 ゼノムは竿で叩いている。軽い音がしている。 ズールーは両手剣の先っちょでつついている。 ベルも剣を出してつつこうとしている。 エンゲラも恐る恐るブロードソードの先を伸ばしている。 ラルファだけが違った。足先でつついている。流石だ。 ﹁なんだか水に浮いている板みたいな感じね。微妙に沈み込む感じ がする﹂ フローティングディスクって言うくらいだしな。そろそろ声を掛 けるべきだろう。 ﹁おい、ラルファ。危ないぞ、もう止めとけ﹂ ラルファは素直に足を引っ込めた。 さて、どうするか。多分反対側の落とし穴︵?︶もこうなのだろ う。違うかも知れないが、同じだと考えたほうが自然だ。ここ三ヶ 月ほど一層に潜っていたが、罠を踏み抜いたことは一度もなかった し、正常な罠の構造を調査したこともなかった。誰かが踏み抜いた であろう蓋のない落とし穴を見たことは何度かあったので、落ちて も剣山や竹槍が植えられていないことだけは確認していた。どうせ 穴の形以外大した違いはなかろうと、わざわざ表面の土を払ってま で調査する必要を認めていなかった。 1507 今回みたいに洞穴の幅一杯に広がっていたなんていうことも無か ったしな。調査をしていて落とし穴だけでなく、何かスイッチのよ うな物でもあって、うっかりそれを作動させてしまう方が怖かった。 しかしなぁ⋮⋮。見たところ穴の深さは3mほど。そうと知らず にうっかり嵌ってしまったら、怪我くらいはするだろうし、下手し たら骨折とかも有りうるかも知れないが、死ぬことはないだろう。 壁も床も土みたいだし。綺麗に掘っているというわけでもなさそう だ。勿論、何かの死体があるなんてこともない。 ﹁よし、皆、ちょっと離れてくれ﹂ ﹁どうするんですか?﹂ ベルが聞いてきた。 ﹁埋める﹂ 言うが早いか落とし穴の上に手をかざすと地魔法で土を出した。 俺の掌を起点として土が空中に発生し落ちていく。少しだけ空中に とどまったが、一秒も保つ事はなく、フローティングディスクの魔 術は土の重量に耐え兼ねて沈んでいった。全部ではないが穴を埋め ることが出来た。踏み固められているわけではないからもうちっと ばかり出しとくか。 ﹁進むぞ﹂ そう言うと俺は自分で出した土の上に足を踏み入れた。俺の体重 で土の表面から10cmばかり足が潜るがそれ以外は問題ない。さ っさと落とし穴を渡ると皆付いて来てくれた。 1508 多分あの落とし穴の上にかけられていた魔術は魔法で板のような ものを作り出し、その板はある程度の重量を支えられるものだった、 と考える方が自然だろう。人一人分かどうかは知らないが一定以上 の重量が掛かると耐えられず魔術の効果を失うんだろう。オートメ ンディングってことはその後自動的に回復するとか修復されると見 ていいだろう。ベッシュズってのは判らん。 しかし、落とし穴の罠はそれなりに数もあるし、有名だから飯屋 なんかで耳を澄ませていれば他の冒険者の口の端に乗ることも多い。 だが、今回のような落とし穴の話を聞いたことはなかった。ここ、 二層だよな。ラルファの空間把握も早く使わせてレベルアップさせ たほうが良いのかも知れん。まだレベル1だしな。半径10mとか って、洞穴の天井まで届くかどうかだし。 そんなことを考えながら歩き出して数分。まだ落とし穴を超えて からそう進んでいない。空気で吹き飛ばしていたから100mくら いは落とし穴はないだろうと棒で叩きながら分速30mくらいの結 構速いペースで歩いていた時だ。前方に何かいるのを発見した。床 近くにいるみたいだ。 蛇だ。鑑定だと︻ケイブ・ラトルスネーク︼と出ている。レベル は2。大したことはないだろうが、毒を持っているようだ。毒は⋮ ⋮神経毒か。呼吸不全になるのかな。接近戦はまずいな。 一匹だけだし、魔術を打ち込んで殺しておいたほうが良さそうだ。 ﹁前方に蛇がいる。毒でもあったらまずい。俺が始末する﹂ 俺はそう言うと﹃ライトニングボルト﹄で蛇を殺した。 1509 蛇の死体のそばに寄るとちょっと観察してみた。興味があった。 太さは5cmくらいかなぁ。体長は1m強くらいはありそうだ。名 前の通り尻尾の先には脱皮した皮がくっついている。頭目掛けて電 撃を放ったので頭が焦げていた。ちっ。毒でも回収できないかと思 ったのだが、選択した魔術が悪かったな。だけど、炎で焼き殺して も一緒だろうし、ミサイル系だと胴体をぶっちぎりそうだった。ぶ っちぎっても頭がある方はそのまま生きてる気がしたんだよ。まぁ 毒に腰が引けてたのは確かだけどさ。 ズールーが魔石を採っていた。 更に、今度は用心しながら慎重に進んだ。道は途中で別れ道にな っていた。Yの字の右上の方から俺達が来た感じだ。どうすっかね? ま、今日は様子見に二層に来たような物だ。本格的な戦闘は二層 ではまだ行っていないが、いい頃合いかも知れない。ゼノムに時間 を聞くと11時半くらいだ。戻るか。 二層の転移の水晶棒から一層に戻り、そこから直接迷宮入口の転 移の小部屋の脇に戻ってきた。今日の戦利品は現金も含めて400 万Z︵金貨四枚︶を超えた。ゼノム達には月初めの給料である20 万Z︵銀貨二十枚︶とは別に8万Z︵銀貨八枚︶ずつボーナスを支 給した。久々の大稼ぎだった。 昼飯を食うときに、全員に言った。 ﹁今日の落とし穴の情報を調べよう。あんなのは今まで聞いたこと がない。二層なら行った奴もかなり多いはずだろうがな。それにし ちゃ今まで一回も耳にしないのはおかしいからな。ズールーとエン 1510 ゲラも晩飯代は別に渡す。皆バラバラに飯を食いに行って明日の朝 にでもいつもの店で纏めよう。それでいいか?﹂ 全員頷いてくれた。俺はズールーとエンゲラに金を渡してやると ﹁騎士団で何か知っているか情報を集めてみる﹂と言って店を出た。 騎士団では不思議な落とし穴について何の情報も得られなかった。 夕方適当な飯屋に行って冒険者風の奴等に尋ねてみてもそんな変 な落とし穴は知らない、と言われた。むしろ、妙な情報で混乱させ ようとしているか、俺がでっち上げた出鱈目な罠の情報を売りつけ ようとしているかのように反応された。 飯を食った後、ランニングをしながら考える。 うーむ。三層は二層の地図を買ってから二ヶ月だっけか。エンゲ ラに対して俺が一方的に言い放った約束を守れるのかちょっとだけ 心配になってきた。ちょっとだけな。 1511 第三十六話 修行 7442年9月2日 翌朝、飯屋に集合した俺達はそれぞれ昨晩集めた情報を纏めよう とした。だが、誰もあの不思議な落とし穴についての情報は集めら れなかったようだ。そう言えば全員、決まり悪そうな表情だった。 俺もなんだけどさ。 とにかく、あの落とし穴は別として集められた二層の情報は次の ようなものだ。 1.言い伝えでは二層には妖精の住む水たまりがあるらしいがこれ は初代ロンベルト一世の話からしか確認されていないから与太話の 類だ。 これは今んとこ考えても仕方ない。 2.蛇の噴き出る噴水のようなものがある。 そう言えば蛇、いたよな。まぁ噴水のそばで﹃フレイムスロウワ ー﹄を持続させて焼き殺し続けたら経験値や魔石稼ぎ放題か!? と思ったが、一定数で出てこなくなるらしい。なんだ、つまらん。 3.二層の転移先の地図は売っている。価格は900万Z。 やっぱりあるにはあったんだよ。値段は予想していたけど。と、 すると、昨日の場所はまだ未踏破の地域なのだろうか? 初代ロン 1512 ベルト一世の冒険の言い伝えに出てくる妖精の住む水たまりと関係 があるのか? 4.二層に普段現れるモンスターはオーク、ホブゴブリン、ノール、 コボルド、蛇。但し部屋は別。 そっか。なら、蛇の毒は別として、まぁ安心といえば安心か。 5.罠類は一層同様の落とし穴と音が鳴る仕掛け、それ以外には極 小数しか確認されていないらしいが、弩の仕掛けもあるらしい。 クロスボウ 床のスイッチとか踏んだら何処かの弩からボルトでも飛んでくる のか? 恐ろしいな。 ざっとこのくらいの情報だ。あとは基本的に一層とそう大きく変 わるところはないらしい。 また、二層の情報ではないが、各層で共通した見解、というか常 識らしいのは、部屋の主になっているようなモンスターは行動範囲 が決まっているらしい。基本的には部屋から100m位離れると追 跡を諦めて部屋に戻っていくとのことだった。今のところ、問答無 用でぶっ殺せるから問題ではないが、今後の事を考えるとこれは貴 重な情報と言えるだろう。また、一層だとプロペラテイルとブラッ クガルガンチュアリーチ︵まだ見たことはない︶が楽な主の代表格 らしい。双方ともなぜか単独であることが多い上、移動速度が早く ないので、石でも投げこんで注意を引きつけ、距離を離したあと一 気に走り抜けるのが楽な進み方なのだそうだ。 昨日ぶっ殺したプロペラテイル、経験値はたった一匹で8000 近くも入ったのに。まぁ、八人パーティーで全員が同じくらいのダ 1513 メージを与えて殺したと仮定するなら一人頭350くらいしか経験 は入らないだろうから、俺限定だけど。天稟の才があるのとないの では大違いだな。 んじゃ、行くとしますかね。 昨日のように一層は現在地を確認の後、俺が魔法を使って一気に 突破した。今日は冒険者たちの遺品は入手できなかった。だが、部 屋の主の経験値はやはりすごいな。明日は水曜日だけど俺一人で頑 張れば土曜くらいにはレベルアップすんじゃね? 明日はゴブリン でも相手に白兵戦でもすっか。 二層へと転移する。転移の水晶棒の台座の矢印模様を確認し、壁 を調べてみた。番号を発見した。124だ。仕方ない、昨日の稼ぎ もまあまあある事だし、後で地図買いに行くか⋮⋮。今日からは部 下の経験値のことも考えて二層は俺が戦闘しないでゆっくりと進ん だ。部屋を見つけたので何がいるかと思って鑑定してみた。﹁オウ ルベア﹂とかいう、ふくろうだか熊だかよく判らん奴がいるようだ。 特殊技能も無いようだし、やらせてみようか。 ゼノムとズールーが中央先頭に立ち、ゼノムの外側をエンゲラ、 ズールーの外側をラルファ、後ろからベルと俺が援護というフォー メーションで行こう。全員に指示すると、ゼノムは斧を、ズールー は両手剣を構えて突撃した。彼らの後ろを走っていたエンゲラとラ ルファは部屋に入ってすぐに散開した。ベルは部屋の入り口で弓に 矢を番えている。俺はベルの邪魔にならないように控え、全体の推 移を見守りながら、別の洞穴に意識を注ぐ。 オウルベアは一匹だけだった。ズールーは突撃の足を緩めず、勢 いがついたまま、オウルベアの腕による攻撃を掻い潜ると胴体に両 1514 手剣を突き刺した。ほぼ同時にズールーの左を走っていたゼノムも 転がって腕を掻い潜るとオウルベアの右後ろ足に斧を叩き込んで、 そのままオウルベアの後ろに回り込んだようだ。 ゼノムの更に左後ろを走っていたエンゲラがブロードソードでゼ ノムが掻い潜ったオウルベアの左前足に切りつけ、さっと身を引い ている。ズールーの外側のラルファはズールーの巨体によってオウ ルベアから自分の身を隠すように移動していたが、ズールーが両手 剣を突き刺したあと、ズールーの陰から飛び出してオウルベアの胴 体左側に手斧を打ち込んですぐにゼノムのように後ろに回り込んだ。 直後、俺の脇で弓弦の音がした。ベルが矢を放ったのだ。矢は剣 や斧で傷付けられた痛みに絶叫を上げているオウルベアの顔から生 えているふくろうのような嘴の中に突き立った。うわ、痛そう。し かし、あのひん曲がった嘴の間に矢を突き立てるとか、どんだけ神 業なんだよ。偶然じゃねーの? ベルの矢が致命傷にでもなったのか、目に見えてオウルベアが弱 ってきたのが判る。既に矢は噛み折られているが、矢尻は口の中に 突き刺さったままだろう。ベルも弓を床に落とすと剣を引き抜いて フクロ叩きに参加するようだ。ふくろうだけに。あとは余程油断で もしない限りこのまま終わりだろう。 この部屋でも戦利品は入手できなかった。オウルベアの魔石を採 取し、鑑定してみた。価値は8000くらい。売って56000Z ってとこか。悪くないな。 オウルベアの絶叫と戦闘の音で近くのモンスターが来ないうちに ここを離れて先に進んだ方がいいだろう。正直、部屋の中での戦闘 は出来るだけ避けたい。出入り口が一箇所か二箇所しかないのであ 1515 ればあまり問題ではないが、複数の洞穴に接続していることが多い から、どこからどれだけモンスターが現れるか判ったもんじゃない しな。囲まれでもしたら大ピンチだ。 全員装備の再点検をして、入ってきた洞穴の正面に続く洞穴に足 を踏み入れた。 今日は午後四時頃までかけて慎重に進んだが、その後は洞穴内部 をうろついているモンスターと二度戦闘になったが部屋には当たら なかった。入り口に転移して戻った頃には夕日でバルドゥックの街 に長い影が降りていた。 ・・・・・・・・・ 7442年9月6日 今日は土曜だから休日だ。朝飯を食い、二時間ほど腹ごなしを兼 ねてランニングで汗を流すと、また一人迷宮に降り立った。今日は 雑魚相手に白兵戦を重ね、レベルが上がったら前々から計画してい たことをやるのだ。魔石採取を放って戦闘を繰り返せば昼くらいに はレベルが上がるかも知れない。 弁当にするためサンドイッチを150Zで購入し、水筒に突っ込 んで腰のDリングにかける。銃剣をスリングベルトで肩にかけ、水 筒とは反対側にナイフもぶら下がっていることを確認すれば準備は OKだ。 1516 また﹃オーディブルグラマー﹄ででかい破裂音を連続して立てる ︼ とモンスターが近寄ってくるのを待つ。何度も繰り返し、レベルが 上昇した。 ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︼ ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:13︼ ︻HP:122︵122︶ MP:7345︵7427︶ ︻筋力:19︼ ︻俊敏:23︼ ︻器用:18︼ ︻耐久:20︼ ︻固有技能:鑑定︵MAX︶︼ ︻固有技能:天稟の才︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.7︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.7︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.8︶︼ ︻経験:270022︵350000︶︼ よし、今回も先週と同じようにHPではなく、俊敏が上昇したな。 ん? 先週? おお、僅か一週間でレベルアップか。天稟の才に加 え、部屋の主との戦闘を全く避けず、ぶっ殺しまくったからなぁ。 このところ何ヶ月も相手にしなかった部屋の主も今週だけで10回 近くたった一人で殺したし。働いたわぁ、俺、相当働いたわぁ。 1517 いやいや、こんな自己満足なんかどうでもいい。さって⋮⋮試す かな。 ﹃ファイアーボール﹄ ﹃キルクラウド﹄ ﹃スリープクラウド﹄ ﹃アシッドクラウド﹄ ﹃スタンクラウド﹄ ﹃ディスインテグレイト﹄ ﹃ウェッブ﹄ ﹃グロウススパイク﹄ ﹃クァグマイア﹄ ﹃コラプス﹄ 今まで俺が不得手だった主に戦闘に使う数々の魔術の練習だ。家 を出るまでの魔法を修行していた13年間に母ちゃんに教えて貰っ た戦闘用の攻撃魔術は使いこなせるようにしておきたい。とりあえ ず普通に使うくらいの魔力でやる意味は薄いので威力や範囲を高め にして練習しよう。これ以外にも幾つかあるが、グラベル、アロー、 ジャベリン系統の各種ミサイルや﹃ショッキンググラスプ﹄に始ま る電撃系統の魔術はたくさん使ってるし、まぁ問題ない。当面の間、 これら不得手な魔法について休日は迷宮の中でガンガン練習しよう か。 解麻痺の魔法や解毒の魔法についても練習したいものだ。だけど なぁ。傷の治療ならいざ知らず、毒を飲むとか嫌だわ。マリーの言 っていた魚で練習しようかな。麻痺は⋮⋮麻痺薬買ってくるのもい いかな。何事も経験だ。死なないなら一度くらい経験しても悪くは ない⋮⋮はず。特にこっちは宿の中でも出来るだろうしな。 1518 あとは⋮⋮特にラルファと部下たちのレベルアップか。既に肉体 レベルの話はしてはいるし、奴隷は除いてゼノム、ラルファ、ベル だけでも⋮⋮いや、ズールーとエンゲラだって⋮⋮。むぅ⋮⋮結局 今と一緒じゃねぇか。取り敢えず拘束用の﹃ウェッブ﹄から練習す るか。魔力は多めに使ってもいいからある程度の大型のモンスター や、ホブゴブリンやオークなら二∼三匹位までなら纏めて拘束でき るくらいで練習した方が効率は良さそうだな。だが、拘束だけなら 床上50cm∼1m位を氷漬けにするという手もある。当面は拘束 は氷漬けでもいいか。最初はやっぱ﹃ファイアーボール﹄で行こう。 ずっと思い切り撃ってみたかったし。 こうしてずるずると一月ほど、二層で戦闘を繰り返し、休日は俺 の魔法の練習に充てた。久々にギリギリまで魔力を使い、朝のうち に宿に帰り、残った魔力を放出すると昼過ぎまで寝込み、魔力を回 復させると起き出して迷宮でまた練習、ということをやった。MP は増えなかった。 ・・・・・・・・・ 7442年10月1日 迷宮から戻ると宿に荷物が届いていた。荷物と一緒に手紙も入っ ていた。俺に部下が出来たことを喜んでくれていた。きっちり雇い、 それが継続しているのは俺が部下達を粗略に扱っていない証拠だ、 と言っている。あの手紙を書いた時はさほど長い期間雇用していた わけじゃないから褒め過ぎなんだけどね。バルドゥックの迷宮だと 1519 鎧にも傷が付いたりして修理も大変だろうと、ラテックスや硫黄、 木炭、木酢液なども多めに送ってくれたようだ。俺の鎧には傷一つ 付いちゃいないが、親父達の心遣いが有難かった。 荷物の方は以前頼んでおいたゼノム、ラルファ、ベル、ズールー のブーツだ。エンゲラ、ごめん。お前のはないんだ。一緒におまけ で入っていたサンダルだが、もしサイズが合わないようならゴムの 修理用のキットでお前用のサイズに改造してやるから勘弁な。あ、 ところで、このブーツやらの金、どうすんだろ。ま、いいか。第一 騎士団の鎧で沢山稼げるからこんくらい、奢ってくれよ。サンダル まで入れると卸値で80万Z︵銀貨80枚︶しちゃうけど。 晩飯の時、ブーツを持って行ってやろう。そう思ってズダ袋にブ ーツを詰めようとしていた時だ。いくつか重いブーツがあるのに気 がついた。型くずれしないように藁を詰めてあるのだが、重いやつ は底の方にゴム袋が入れてあった。20袋もある。ブーツなんかと 合わせると100万Z︵金貨一枚︶か。しかし、入っているのはラ ルファとベルのブーツじゃないか。気が付かないで渡していたら大 惨事を招くところだった。ブーツには一緒に兄貴からの手紙が入っ ていた。 ﹁アル、キールの娼館に勧めていてくれたんだな。俺の教えた店は 良かったろ? お前のおかげで沢山の注文が貰えた。ありがとう。 そろそろ足りなくなる頃かと思ったので鞘を入れておく。お前も士 爵家の人間なんだから変な女を妊娠させるなよ。お前の事だからそ の辺はちゃんとしているだろうから安心しているがな。村のことは 心配するな。予定外の鞘の受注でまた牛を買うこともできた。助か っているよ。体に気をつけて頑張れよ。ファンスターン﹂ 兄貴からの愛情のこもった手紙に、思わず頬を濡らしてしまった。 1520 今日あたり、第一騎士団の鎧の注文と沢山の前金、それと追加の 鞘を要求する手紙が届いているはずだ。ウェブドス侯爵領の手前の ペンライド子爵領までは第一騎士団に運んでもらっている筈だし、 それから先も気をつけて隊商に言付けているはずだから時間はかな り短縮されて届いているはずだし。俺が商会を作ったことももう知 っているだろう。 ・・・・・・・・・ 晩飯の時、ブーツとサンダルを抱えて飯屋に入ってきた俺を見る とベルが歓声をあげて喜んでくれた。恐縮するズールーやエンゲラ にもそれぞれブーツとサンダルを渡してやると早速足を通すようだ。 エンゲラのサイズの問題も無かった。 喜んでくれてよかったよ。それぞれ金を払おうとするのを押しと どめて﹁俺の実家からの贈り物だから、金はいいよ﹂と言うと納得 してくれた。ブーツ組には靴下くらいは買っておけと言ったが、靴 下は結構高いんだよな。靴自体贅沢品だしね。ま、こんくらいは仕 方ないだろ。高いとは言っても靴下一足1000Zくらいだし。ズ ールーだって買えるだろ。 ところで、ベルとラルファが今晩から宿を変える。流石にシャワ ーもない宿は辛いらしい。よくシャワーもなしでこの夏を乗り切っ たもんだよな。俺なんか部屋にでかい樽を幾つも買ってきてそこに 氷作ってたくらいだ。風魔法と無魔法の持続を組み合わせて冷たい 1521 風を部屋の中で回転させてた。風を回転させていなくても体感で部 屋の中は5∼6度くらいは下がっていたはずだ。 100Zという高価なシャワーでも無いよりはあったほうがずっ といい。それに、洗濯や部屋の掃除など、馬の世話以外にもサービ スは充実している。財布を部屋に置いておいても安心出来るという のもでかい。今更高級な宿の有り難みに気づいて過去の馬鹿な自分 を後悔するのも人生勉強だ。若人よ、頑張りたまえ。 なお、ゼノムは当然ラルファと同じ部屋だからゼノムも引っ越し て来る。まぁ、一人20万Zの基本給で、宿泊だけで毎月15万Z もかかるのであれば5000Zもする高級な宿を使いたがらないの も肯けはするので今までは放っておいた。だが、基本給とは別に相 当ボーナスを得られることについて確信したのだろう。 昨晩、俺が記録していた収支を計算すると、迷宮に入る日のボー ナスは一人頭17870Zが平均支給額だった。6月の頭から9月 末までの約4ヶ月間、ざっくりとではあるが、毎月給料の他に35 ∼36万Zくらいはボーナスを出していた勘定だ。しばらく様子を 見て、これならいける、と思ったのかどうかは知らんが、俺として も部下たちの生活レベルの向上は嬉しい。 支出のことを考えると家でも購入したほうが良いのかも知れない が、それだと生活の雑事に振り回される。洗濯だとか、掃除だとか、 飯だとか、奴隷でも買えば良いのではあるが、馬の世話や財産の保 証など留守中の安心にはとても代えられない。だいたい、俺の目標 額が一億Zとかの小額であればそうやって短期的な支出を減らすこ とも有効ではあるだろうが、残念なことに目標額はその百倍以上な のだ。そして二十歳くらい、遅くとも三十路を迎えるくらいまでに はそのくらい稼いでいないと俺の夢はとても叶えられないだろう。 1522 ちみっとした金額をケチることに意味はない。とにかくさっさと 更に下層を目指し、貴重な魔法の掛かった品物を入手して大金を得 ることが目的なのだ。その為の準備をしなくちゃな。 飯のあと、大して多くない荷物を持って引っ越してきたゼノム達 に今月の目標を告げた。 ﹁今月の最終週、二層を超え、三層を目指す。それまでの四週間は 以前にちらっと言った事があるが、各人の肉体レベルの上昇を目指 す。もう一層と二層で得られる戦闘経験についてはかなり学んでい るはずだから、ここらで各人の戦力の底上げを図るために経験値を 得て肉体レベルの上昇を目標にするぞ﹂ 俺がそう言うと、ゼノムが口を開いた。 ﹁うん、いい考えだな。俺たちの場合、戦闘はお前の実力が飛び抜 けているせいで正直なところ足を引っ張っているのが心苦しかった。 だが、二層と三層は一番冒険者が死ぬと聞いている。油断は禁物だ ろうな﹂ それを聞いた俺は、 ﹁確かにそうだね。ゼノムの言う通りだ。よほど危険な部屋の主で ない限り、皆は基本的には俺抜きでも二層で戦える実力があるとは 思う。ラルファも無魔法のレベルがやっと上がったし、ベルも無魔 法だけじゃなく、元素魔法も二種類覚えたようだから、今後は怪我 をしても多少はマシかもしれないな。だが、こういったことがゼノ ムが今言った油断に繋がるんだろうな。他の冒険者たちも、一層を 超え、二層も奥地まで行けるようになるころに、油断から死ぬんだ 1523 ろうな。気は引き締め続けないといけない﹂ ラルファとベルは神妙な顔で聞いていたが、彼女らの顔つきを見 るにやる気が出てきたようだ。 明日から皆のレベルアップを目指す。計画的に効率良く経験値を 稼ぐ必要がある。この日のためにある程度経験値入手の法則を調べ 続けていたのだ。 エンゲラを納得させ、二層を突破し、更に下層を目指すためには いつかやらねばならないことだった。エンゲラはあんま関係ないけ どさ。いいじゃん、俺のモチベーションアップの足しにはなったん だからさ。 1524 第三十六話 修行︵後書き︶ 迷宮の情報は各冒険者たちのノウハウも多く含まれるので、そう簡 単には入手はしづらいです。主人公たちは今までも出来る限り情報 入手の動きはしていました。 1525 第三十七話 資格 7442年10月2日 今日から月末までは部下たちのレベルアップを目指すため、経験 値を稼がせなくてはならない。効率よく経験値を稼ぐため、一層か ら出来るだけ部屋を沢山回るべく、迷宮へ出たり入ったりしている。 出来れば二層までの間に十以上部屋を通る様な場所が望ましいのだ が、ここで時間をとられても仕方ない。適当なところで我慢してお く。 迷宮入口から一層へ転移されてくる場所は確認されているだけで も四百ヶ所以上ある。そして二層へ転移可能な転移の水晶棒は迷宮 の中心とされる場所に一か所だけ。四百以上ある転移先から二層へ 行けるのは半分もない。少なくとも二層へ行けなければ経験値を稼 ぐ効率も多少ながら落ちるので、二層へと接続する転移先であれば、 どこでもいい。 運よく︵?︶二層への転移の水晶棒までに八個の部屋を通る場所 に転移することができた。スライム以外であれば部下たちにも直接 ダメージを与えられるので、ここにしよう。いつものようにゼノム に竿を持たせ、床を叩きながら進んでいく。途中、六匹のホブゴブ リンの集団と出会った。こちらが先に気づいたので、皆を待たせ、 俺だけ先行した。こちらが一人だと思い込み、油断して俺に襲い掛 かるべく走ってきたホブゴブ︵リンつけるのが面倒くせぇ︶の下半 身を氷漬けにして身動きできなくすると、部下を呼び、死の恐怖に 泣き叫ぶホブゴブを一人一匹ずつ始末させた。残った一匹はラルフ ァにやらせた。 1526 ズールーとエンゲラは下半身の身動きが取れず、碌に反撃すら出 来ない相手を殺すということに多少抵抗があったようで、少し非難 がましい目つきで俺を見たが、俺が目に力を入れて﹁殺せ﹂と言う と素直に従った。ゼノム、ラルファ、ベルの三人は淡々と自分の目 標を殺していたが、これは予め説明してあったからだろうか。ああ、 ブーツとサンダルが来てよかった。靴がないと氷の上に乗るのもつ らいだろうからな。 それともかくとして、ホブゴブは人の形をして、自らの意思や思 考力もある魔物だ。先のように恐怖を感じて泣き叫ぶことすらする。 ゼノムは別格だろうが、女二人には荷が重いかも知れないと思って いたのだがな。二人のうち無神経そうな方に聞いてみたら﹁私たち が生きていくのに必要なことだしね。昨晩、散々話し合ったよ。ベ ルも彼に会うため、会ってからも力は必要だろうからって言ってた からね。私たちは大丈夫。⋮⋮抵抗が無いと言ったら嘘になるけど、 私も昔、ゼノムが殴り倒したゴブリンなんかの止めを刺したことな んか何度もあるし、問題ないわ。ベルのフォローだけ考えてあげて﹂ と来た。無神経呼ばわりしてすまん。 ベルの方はラルファが言った通り﹁仕方ないですからね。強さは 私も欲しいですし、モンスターは人に似てますが人じゃない、と思 うようにしてます。彼に会う前に死んじゃったら私の人生は何の意 味も無いですから、大丈夫です﹂と言っていた。気丈なことだ。奴 隷二人はどうでもいい。俺の言う通り動いとけばいいよ。嫌ならさ っさと金を払って自分を買い戻すことだ。だが、俺から離れられる かな? しかし、天稟の才がないと、なかなか経験値が入らないな。ホブ ゴブはオークと並んで迷宮探索中に遭遇する敵の中ではかなり経験 1527 値的に実入りのいいモンスターではあるが、それでも一匹殺して3 00も入らない。部屋の主だって、平均すれば2000くらいだろ う。半分以上、作業のような安全な戦闘を続け、魔石を回収しつつ 二層への水晶棒に辿り着いたのは昼も大幅に過ぎた頃だ。 いつもならそろそろ引き返す時間だ。だが、朝から昼過ぎまでの 半日以上もの時間を掛けて得られた経験値はそれなりに多かった。 平均すると一人頭4000くらいの経験値を獲得している。この分 ならゼノムはともかく、他の四人は今週から来週中にはレベルが一 つ上がるだろう。ラルファには以前から魔力を使っていることを強 く意識しろと言っている。とにかく少しでも早くラルファのMPを 7以上にするのが目的なのだ。 ラルファにだけ多少多めに経験を稼がせているのもそのせいだ。 ラルファのMPが7にさえなれば五分に一回特殊技能も使えるし、 MPを1しか消費しないごく初歩の無魔法を使わせて魔法の特殊技 能のレベルアップも図れる。本当は休日にラルファと二人で迷宮に 入り、彼女だけに大量に経験を稼がせたいくらいでもある。だが、 まだそこまで命じなければならないほど焦りがあるわけでもない。 体と精神を解放する休日は必要だろうし、今は好きにさせている。 少しづつ理解してくれればいいと思っている。高圧的に押し付け るのは簡単だし、短期的に見ればある程度の効果も見込めるだろう が、彼女は俺の奴隷ではないのだから。魔法の経験値は魔法で生き 物にダメージを与えるのが一番稼ぎやすいが、それは危険も伴うの でおいそれとは出来ない。まして魔法を覚えたての頃なんか魔力の 集中を開始してから魔法が完成するまでどれくらいの時間がかかる かわかったもんじゃないし。 通常は魔法で何か作業をするのが一番稼げる。攻撃の魔術や、元 1528 素魔法をただ使っても経験値は獲得できるが、その量は小数点以下 だから、経験を稼ぐというよりは特定の魔術の練習をするという意 味合いが強い。その点、ゴムの作業は魔法の経験を稼ぐにはある意 味で理想に近いだろう。それでも1入るかどうかなんだけどね。 殆ど誤差みたいなものだけど、その効率は数倍だ。ことによった ら十倍くらい変わる。この経験値の獲得量の差は、魔法を使うとき に適正な目的意識を持っているかいないかの差だと思っている。普 通のオースの人の場合、成人後に修行を積み、適性があれば無魔法 やら元素魔法やら何かしら一つ、魔法の特殊技能を覚える。なお、 魔法の特殊技能が無い状態から有る状態、つまりレベル0になるま では経験値という概念は多分ないだろう。 多分適性やなんかで使える使えないは生まれた時から決まってい る。コツを覚えるのにいくらか個人差がある程度だろうと俺は予想 している。マリーのように一生懸命修行に身を入れ、三週間くらい 時間をかけても使えない奴は使えないし、その反面、クローや俺た ち兄弟のように一日∼数日で使えるようになる奴もいる。俺が思う に、若いうちの方がいいみたいではある。また、MPが多ければ覚 えやすい気もしている。ラルファは別だが、ベルがその証明をして くれたと思う。 その後は、やっとレベル0になった魔法の特殊技能を使っての修 行に入るのだが、ここで特に目的を意識せずにスプーン一杯くらい の僅かな水を出したり、ちょっと強力なキャントリップのような物 を使って喜んでいるような奴はなかなかレベル1にはならない。水 を出すならそれを作物の成長を念頭に置いて畑に撒いてみるとか、 キャントリップでも炎を揺らすなど、自分の中で何らかの、そう、 使った魔法を何かに利用するという強い目的意識が必要だ。そうす るとただ魔法を使うよりは早くレベルが上がる。で、修行した元素 1529 魔法や無魔法のレベルが2になったとき、初めて他の元素魔法や無 魔法の修行に入るのだ。 何か魔法の特殊技能を持っていればその他の魔法を覚えるのは最 初よりはかなり楽になるらしい。既に魔法を使うという感覚につい て理解しているからだろうか。そして、次に覚えた技能を同じよう に頑張ってレベル2にする。この時点で、魔法が使えなかった頃と 比べてMPは合計で4増えていることになる。成人するくらいだと もともと3から4くらいのMPがあることが多いので、合計で7か ら8のMPを持つことになる。ここからは修行はだいぶ楽になる。 何しろ6を下回らなければMPは5分に1くらいの速さで回復す るのだ。ここで調子に乗ってレベル2の元素魔法とかレベルは0と か1だとしても無魔法や他の元素魔法と組み合わせて使わないのが コツだ。再度使う魔法はレベル0とかレベル1の消費MPを1に抑 えたものにする。ここからは爆発的に経験が稼げるようになる。二 つ覚えた魔法の特殊技能のどちらかのレベルが3になったとき、よ うやっと三つ目の特殊技能の修行を始める。 このあたりから魔法が使える人間でも個人差が出てくる。三つ目 の技能を覚えられる奴もいるし、覚えられない奴もいる。覚えられ るならその魔法についてもレベル2を目指す。覚えられないようで あれば仕方ないので既に覚えている魔法について継続してレベルを 上げるように努力するしかない。組み合わせの修行はその後だ。 この方法は、俺がまだバークッドにいた頃、ゴムの製造の為に従 士の子弟達に魔法の修行をつけているうちに気がついた。恐らく普 通の人が一番効率良く魔法の修行を行える方法だ。本当は姉ちゃん のように五歳くらいから始めるのがいいんだけどね。そうもいかな いから俺はこの方法に気付いてから、言葉巧みに誘導してゴムの担 1530 当に教えていた。そもそも、ゴムの担当は当然目的意識を持って魔 法を使っていたのに対し、他の従士や農奴はただ適当に魔法を使っ ており、その成長に差があったから気づけたことだ。 普通は魔法が使えるようになったらとにかく毎日魔力切れ寸前ま で魔法を使うことを繰り返すのが修行だと思われていた所に、こう した方法を作業にかこつけて持ち込んだ。一見すると誤差でしかな いが、積み重ねるとでかい。鑑定出来ない奴には多分分かりっこな い。ひょっとしたらある程度は気づくかもしれないが、確信を持つ には至らないだろうし、サンプルも少ないだろうからまず気づかな いと思っている。俺だって確信を持ったのは10歳を過ぎた頃なの だ。そもそも、子供の頃にMPを増やすことさえ出来れば実はあま り意味がない方法だし。 10歳までは特殊技能のレベルアップなんかよりMPを増やすた めのMP使いきりを数多く経験させ、その後有り余るMPで修行し たほうが効率は比較するのもバカバカしい程だからだ。これはラル ファとベルが証明している。 あとは⋮⋮そうだな。夜眠くなったと意識した時に可能ならMP を使い切ってすぐに寝る。運がよければMPが増えるからな。MP が低いうちはこれもそう馬鹿にしたものでもない。毎晩、眠気を感 じた時に続けていれば1年で3くらいは上がる可能性があるのだ。 合計で10もMPが無い頃の1の上昇はでかいからな。尤も、これ だけは流石に勧めてはいなかったけど。物好きは姉ちゃんくらいな もんだ。 まぁ、最悪の場合、何らかの攻撃魔法が使えるようになったら、 俺に対して使わせて経験を稼がせるのも一つの手だと思っている。 痛い思いはするだろうが、生き物にダメージを与えて経験を稼ぐに 1531 は俺相手が一番好都合だ。何しろ急所にさえ当たらなければ俺はす ぐに自分で回復できるからね。そうなったら彼女たちの休日を潰し たとしても文句を言わせるつもりはないけど。 この魔法の経験値の入手効率については、俺は誰にも、それこそ 親父やお袋にも話していない。 ・・・・・・・・・ この日は二層への入口に到着した時点で昼過ぎになっていたので、 昼食を摂った後、二層へ行ってみた。二層でも二つの部屋で経験を 稼ぎ、今日は退却することにした。戦利品もある程度得ることがで きたし、部屋の主も知らない相手は出てこなかったから、全部氷で 拘束して経験はかなり稼げたし、言う事はない。スライムだけは俺 が焼き殺したので、実は俺も結構経験が入った。 その後、迷宮から引き上げた俺達は戦利品を処分すると晩飯を食 いに出かけようと、一旦荷物や装備を置きに行くため宿に戻ったら 俺宛に言伝があった。モーライル妃殿下からだった。そろそろだろ うとは思ってはいたが、意外と早かったな。だけど、明日来いとか、 俺の都合は無視か。別にいいけどさ。確か前回から一月ちょっと経 っている。国王陛下、ほぼ毎日二回ペースか。 明日は水曜で休みだから、俺の魔法の修行が多少遅れはするが、 たまにはロンベルティアまで足を伸ばすのも悪くない。ランニング をして、汗を流し、早めに床についた。 1532 ・・・・・・・・・ 7442年10月3日 朝飯を食ったあと、俺は馬上の人となり、一路ロンベルティアの 王城を目指している。僅か10km程の距離だし、道も整備が行き 届いているので単騎だとてれてれ行っても二時間もかからない。た まには駆け足をさせてみよう。⋮⋮いい気持ちだ。すっかり上機嫌 で王都の馬具店で砂糖を買い軍馬に舐めさせてやったりして指定の 時間である10時までの余った時間を潰した。 ふみ その後、10時前に王城へと登城すると、当然ながら警備の兵に 止められた。妃殿下からの文を見せるとどうやら話は通っているら しく、案内の兵を付けてくれた。 二の丸の前あたりで待っているように言われたので、所在なく、 馬の手綱を握りつつおのぼりさん宜しくキョロキョロと城内を見回 しながら立っていた。馬を結ぶ専用の杭のようなものはあるが、勝 手に繋いでいいものかどうか、判断がつかなかった。 ﹁おお、グリードよ。よく来てくれました。ささ、馬は適当な杭に 繋ぐが良い。こちらに来りゃれ﹂ モリーンが出てきて俺にそう言った。 1533 ﹁これはこれは、モーライル妃殿下。本日はお招きに預かり﹁挨拶 はもう良い。さぁ、来りゃれ﹂ 仕方ないので手早く馬を繋ぐと、モリーンの後に付いて行く。 ゴム製衛生用品を持ち込んだ俺に対して、礼を述べねばならない、 と言う事で俺が呼ばれた、という形ではあるが、その本心は見え透 いている。もっと寄越せと言いたいのだろう。 二の丸の一室に招き入れられるとモリーンだけではなく他の妃殿 下達も勢ぞろいしていた。どうせ足りなくなったから売ってくれ、 と言われるだけだと思っていたのに、これは一体何事か、と思った ら、口々に俺に礼を述べ始めた。どうやらコンドームのおかげで、 妃殿下達の夜の生活も満足が行くようになったらしい。今までは正 室や側室である妃殿下達の妊娠を恐れて別の女を抱き、その結果と して庶子をもうけることになっていたようだ。国王陛下は挿入感の 悪い豚の腸を使うのを嫌がり、その為に避妊を考慮せずにお手つき を繰り返していたのが、あれ以来嘘のように治まり、妻である妃殿 下達も満足しているとのことだった。 ﹁とにかく、妾達はそなたに感謝しています。陛下のお手つきも治 まり、毎晩妻の誰かを相手にご満足いただけるようになりました﹂ 皆を代表してモリーンが言った。 ﹁そなたに感謝を。また陛下が私共に目を向けて下さる様になりま した﹂ ユールも相変わらずタレ目だが、三十代も後半になっているとい うのになんとなく膚艶も良い様だ。 1534 ﹁陛下のお手つきがなくなってホッとしております﹂ ベッキーは三十代半ばだが、おとなしそうな見た目の通り、おっ とりとした喋り方だ。前回の真っ赤になって怒鳴っていた姿はなん だったのか。 ﹁私は、もう二度と陛下にお相手頂けないかと⋮⋮そなたのお陰で す﹂ マリーンは三十前後の勝気そうな人だが、今回はしおらしく俺に 礼を言っている。 しかし、三十過ぎの女性が夜の営みについて十四の小僧に揃って 頭を下げるというのもどうなのよ? まぁ、礼を言うのに相手の年 齢は関係ないだろうし、一応俺も末席と言えど貴族だから、そう不 思議な光景でもないのかも知れないが、こちらとしては背中が痒く なる。うーん、こんなことで照れくさがっているあたり、俺の精神 年齢は本当に59なのだろうか? と改めて思ってしまう。 人生経験と知識は記憶がある以上、それなりに備えているという 自覚はある。しかし、感性や論理的な思考力は肉体相応かそれに近 いくらいにまで引き戻されていると考えたほうがいいのか。思考力 が一番成長するのは人にもよるが十代後半∼三十前後だと言われて いたような気がする。勿論何にでも例外というのは存在するが、例 外なんか考慮してもなんの意味もないだろう。 少し考えてしまったが、いきなり妃殿下達に口々に礼を言われ、 面食らったようにしか見えないだろうから不自然なこともないだろ う。俺は膝をつき、臣下の礼を取ると、 1535 ﹁何を仰いますやら、妃殿下方。ご自分達で仰られたことをもう一 度思い出してくださいませ。陛下は最初から妃殿下方をお求めだっ たのではございませんか? 確かに陛下にも責任はございましょう。 しかし、その大元は陛下が妃殿下方に⋮⋮妃殿下方のお体に負担を かけないためのお気遣いから来たものだと愚考いたします。私など は陛下の妃殿下方への深い愛を思い、感じ入る次第でございます。 私も陛下に習い、妃殿下方の様に美しく、一生をかけて愛するに足 る女性を娶りたいものだと思います﹂ と恭しく述べた。 ﹁おお、グリードよ、そなた、欲がないですね。普通なら功を誇る ところであろうに﹂ ﹁まっこと、グリードの弟は見所がありますね﹂ ﹁ええ、それに、そのようなことを言うなど⋮⋮照れるではないで すか﹂ ﹁本当に、妾達の欲しい言葉を言ってくれますね。そなたは。仕官 を望むならこのマリーネンが後ろ盾になっても良いですよ﹂ ふむ、気に入ってくれてよかったよ。あれは兄貴の工夫の結晶だ。 原型は確かに俺が作ったが、材料の改良や、実際の使い心地などの 手間暇をかけて完成させたのは兄貴だ。兄貴の苦労が王族に認めら れたようで何だか嬉しいよな。そもそも俺は元々持っていた地球の 知識を思い出したに過ぎない。最初にコンドームを開発した人に敬 礼! 1536 ﹁いえいえ、私など礼儀も知らぬ田舎者の山出しの小僧に過ぎませ ん。仕官などとてもとても⋮⋮。確かに例の品は私の実家であるウ ェブドス侯爵領バークッド村で開発・製造されましたが、グリード 家の、私の商会を通じて紹介したに過ぎません。功績は全てバーク ッドのグリード家にございますれば、私など⋮⋮﹂ そう言って頭を垂れる。モリーンはそんな俺を気遣ったのだろう か。 ﹁おお、商会であることを忘れていました。代価を払わねばなりま せんね。それに、これから先も引き続いて注文をさせて貰いたいと 思うておるのですよ﹂ そう言ってくれた。ここで食らいつくのが俺だよ。 ﹁いえ、私のグリード商会は第一騎士団に装備品を卸しているのみ の二号三種の商会です。一種ではございませんので、先の品につい てはお代は頂けません。商売が出来ないのです⋮⋮﹂ 悲痛な声音と顔つきで言った。 ﹁そう言えば、そなた、先日もウォーターベッドの修繕に来ており ましたね。修繕費用は受け取ったのですか?﹂ ユールが言った。確か最初に俺のことをゴム職人と呼んでくれた よな。間違ってねぇけど。 ﹁いいえ。殿下、先ほど申し上げましたとおり二号三種の免状しか ないものですから、軍事関係の商売しか出来ないのです﹂ 1537 もっと、もっと同情を! ﹁なんと⋮⋮それでは只働きではないですか⋮⋮申し訳ないですね。 修繕の材料だってゴムでしょうからかなり高価であるのでしょう?﹂ ベッキーが言った。彼女は事務処理で国王を補佐しているらしい から、経理、と言うか国の財務関係もある程度は首を突っ込んでい るかもしれない。 ﹁お気になさらず、殿下。その分は私めがバルドゥックの迷宮で体 を張れば良いだけのことです﹂ もう一声! ﹁そんな⋮⋮バルドゥックの迷宮など冒険者の損耗率は一割に迫る とか⋮⋮危険ではないですか?﹂ キャノンボール マリーンが言った。そういやこの人も昔は騎士団にいたらしいな。 確かファルエルガーズ伯爵家の出で火の玉とか言われてたような⋮ ⋮。 ﹁私は家督もない次男の冒険者でありますれば⋮⋮二足の草鞋でも 履きませんことにはなかなか⋮⋮﹂ そうそう、もっと気の毒に思ってくれ。 ﹁モーライル殿下、この者の姉は第一騎士団で将来を嘱望されてお ります。それだけで信用が置けるかと⋮⋮﹂ ユールがそう言ってモリーンを見た。 1538 ﹁そうです。私も姉を知っておりますが、真面目に訓練に取り組み、 頭角を現しているとか。彼女の弟であるなら、ここは褒美を振舞っ ても宜しいのではないでしょうか?﹂ マリーンが言った。この人も姉ちゃんのこと知ってたんか。しか し、姉ちゃんがねぇ⋮⋮。 ﹁⋮⋮そうですか、では、免状については今後のこともあるので必 要でしょうから私から口利きしておきましょう。代価も前回の分も 含め支払います﹂ モリーンが言った。よっしゃ。500万Z浮いた。正直代価はど うでもいいわ。だが⋮⋮。 ﹁しかし、それですと修繕費用とゴムの代価だけですね。ああ、免 状もありますが、どちらかというと今後の為の私共の都合のような もの、褒美ではないかと⋮⋮﹂ ベッキーが言った。よっ、流石、財務官僚! 違うけど。きちん と勘定できる人は違うね! そんくらい誰でも勘定できるだろうけ どさ。でも冷静に計算しているあたり、俺の評価は高いぜ! 王族 ともなれば地球より文明が遅れているオースでもしっかりしてるな。 ﹁確かにそうですね。これ、グリードよ。そなた、何か望むことは ありますか?﹂ モリーンは俺を見ながら言った。気が変わらないうちにな、言っ ておこう。 1539 ﹁おお、何というお心遣い。痛み入ります。二号一種になれば確か に今後もお納めできましょう。そうですね⋮⋮では、遠慮なく申し 上げます。例の品物ですが﹃王室御用達﹄と包装に記載し、王家の 紋章を使いたいのですが⋮⋮他の貴族様方にもお納めするときに箔 が付きますので⋮⋮私共ではかの商品は豚の腸に取って代わる画期 的なものであると自負しております。ですが、そのままですとなか なか信用もされづらいかと心配でして﹂ 思い切って言ってみた。普通は金一封とか感状とか新たな領地︵ これは無茶苦茶か︶とか要求するのかも知れないが、王都の貴族や 大商人がこういう時どうしているかなんて知らんし。すると四人が 口を揃えて笑いながら言った。 ﹁やはりな。そうでないかと思っていました。実は先日から褒美を どうするか四人で相談していたのです。ここで金一封だのなにか褒 美の品などを要求してくるようであればそなたの才は知れたもの。 重く用い、我ら王室が直接取引するに値しません。免状も取りやめ るつもりでした。しかし、今後に繋げるようなことであれば⋮⋮前 回のそなたの言が真剣なものであるとの証明と思うておりました。 騎士団の姉について一言も触れないのも気に入りました。確か、年 末には更に多く手に入れられるのでしたね。王家としてグリードの 商会に注文しましょう。御用達だの紋章だのについては妾が許すゆ え、好きに使いなさい﹂ 何と、試されていたのか。流石に有用な品とは言え、王室が直接 取引する相手は見定めるということか。お眼鏡にかなわないならウ ェブドス商会を通じての間接取引で終わってしまったということか。 もともと、この件で欲を掻くつもりはなかったが、助かった。 ﹁グリードの弟は歳に似合わず頭も回るようですね。それとも、本 1540 気でそう思い欲がないだけなのか⋮⋮どちらでもいいですが、先を 見れるなら直接の取引に値します﹂ ﹁そうですね。一時の欲に負けるようであればそのような者とは直 接取引は行えませんからね﹂ ﹁全くです。しかし、あの姉といい、この弟といい、グリードの家 と言うのは⋮⋮﹂ ほーっ、よかった。恐縮しながら頭を下げ続けるくらいしかでき ないが、繋がった。しかし、一時的とは言え手のひらの上で踊って いたとはな。 ﹁は、有り難き幸せ。さて﹃鞘﹄ですがまだ残りはございますか? 陛下のご様子ですとそろそろ⋮⋮﹂ 少しは俺も気が回るところでも見せておかなきゃな。っつっても 兄貴が運良く補充を送ってくれたから助かっただけで、俺の功績は ゼロに近いけど。忘れずに持ってきたことくらいか? ﹁年末まで入らないと思っていたのですが、あるのですか!?﹂ ﹁いくつ!?﹂ ﹁ぜ、全部売ってくりゃれ﹂ ﹁やはり呼んで正解でしたでしょ? 気が利く男だと思っていまし た!﹂ やっぱな。 1541 ﹁年末まで約90日、二十袋、二百個ございますよ。必ずお気に召 して頂けると信じておりましたので、早馬を飛ばしました﹂ 全く嘘だけど。しかし、流石三十路を超えた女性は、その⋮⋮強 い欲をお持ちですね。果物でも肉でも女でも熟成した腐りかけが旨 いんだよ。 ・・・・・・・・・ コンドームは一袋13000Zで販売する。運ぶ手間賃や、ちみ っとだけ俺のマージンを考慮して決めた。別にこれで儲けるつもり は最初からない。キールより高いが、ある程度の収入があるなら買 える値段にしないとダメだしな。帰ったら手紙書いとかなきゃ。年 末の鎧と一緒に持ってきて貰わんとな。 あ、言うの忘れたけど、王家の紋章って円に囲まれた三本足の鴉 だ。上級の貴族なんかでも使っている人気の意匠だけど、何の飾り もなくシンプルに使えるのはロンベルト公爵家だけだなんだぜ。ど っかの傭兵一族みたいだよな。グリードの家紋は丸の中に漢数字の 三みたいな横棒三つな。日本風に言うなら丸の内に三つ引両紋って やつだ。え? どうでもいい? そんな冷たいこと言うなよ。 1542 第三十七話 資格︵後書き︶ コンドーム如きで褒美などとはやり過ぎな感もあるかも知れません が、専制国家の指導者の家庭不和は政治の不安に繋がります。指導 者は出来るだけ後顧の憂いなく政務に邁進するのが理想です。特に 今回のケースでは国王の庶子の問題や妻達のプライドや嫉妬、外聞 などが大きく絡んでいます。 当然、それらはある程度顕在化していますが、まだ政情に不安が出 るほどではない状況でした。その前に解決できたために褒美なりな んなりという話になったと思ってください。この件で王室はアルの 商会の免状の種別を切り替えただけです。多分事務手数料くらいの 費用しか計算する必要がないでしょう。コンドームに王室御用達だ の紋章だのをつけても王室にはなんらの損害もありませんし、別に 得もしないでしょうからどうでもいいはずです。そのどうでもいい ことを商売に利用する事を思いついた商人は今後も伸びる見込みが あるということでつばでも付ける感覚なのでしょう。 また、魔法関連ですがアルはオースのルールを完全に把握してるわ けではありません。かなりの部分について考察を重ね、テストした りしていますが、全部のことについては解っていません。余人の及 ばないレベルでダントツに理解が深いことは確かですが。その証拠 にMPがあるなら誰でも修行さえ繰り返せばいつか必ず魔法が使え るようになるとは思っていません。 1543 第三十八話 黒黄玉1 7442年10月4日 今日、ラルファとエンゲラのレベルが上昇しそれぞれ8と7にな った。 ラルファは今回のレベルアップと無魔法のレベルアップでMPは 5にまで増えた。7までもうちょっとだ。 エンゲラは加齢もあってレベルアップの上昇分に加えてHPとM Pもちょっと増えている。魔法使えないから意味は薄いけど。まぁ ﹃超嗅覚﹄の有効半径がレベルアップに伴って伸びたのでこれは素 直に嬉しい。1レベルあたり20mくらいの範囲だからパーティー では最長距離のレーダーになっていると言ってもいい。だが、迷宮 内だと匂いはしても結局方向は前方しかありえないのでこの先に臭 いを発する何かがあることしかわからない。腐ったモンスターの死 体とスカベンジクロウラーの区別などはできない。 器用以外はラルファと一緒なので器用の能力値の比較がしやすい。 俺が思うに、武器の扱いや文字通り手先の器用さを示しているので はないだろうか。手先の器用さについては検証方法もよくわからん のでどうでもいいけど。豆を箸で摘ませてとなりの皿へ移すとか、 意味ないし。 ラルファの得物は手斧だ。対してエンゲラはブロードソードだ。 動き回る相手への命中率は心なしかラルファの方が上のような気が する。普通に日用品として扱うだけなら扱いは手斧の方が簡単だが、 1544 戦闘に使うとなると急に変わってくる。ブロードソードなんかより 手斧の方が余程器用に使いこなさないと目標へ有効打は与えられな いだろうし、武器を使っての受けなど、どう考えても手斧の方が難 しいだろう。 幼少時からゼノムに叩き込まれてはいるだろうから慣れもあるの だろうが、確かにラルファの方が器用に武器を使いこなしている感 じを受ける。 なお、彼女たちがレベルアップする直前に﹁常に感覚を研ぎ澄ま せておけ﹂と言っておいた。だが、通り一遍の言葉だったからか、 レベルアップの瞬間を感じ取ることはできなかったようで、その瞬 間の前後で何ら様子が変わったようには見えなかった。やっぱ普通 は気づかないよなぁ。俺だって、この敵を殺したらレベルアップだ、 と思って予め気をつけていないと気づかないんだし。ま、これは仕 方ないし、気付いたところで結果が変わるわけでもない。 とにかく、ラルファのMPがやっとレベルアップで増えた。大い なる一歩だ。ほんの少しだけ修行の効果も上がるだろう。この日は このあと少しだけ稼いで退却した。 ・・・・・・・・・ 7442年10月5日 今日はベルのレベルが上昇し7になった。 1545 順調に魔法の修行の効果が現れている。流石に元々のMPが高い とすげーな。だが、どうやら風魔法は適性がないみたいだ。姉ちゃ んと同じタイプか。﹃超聴覚﹄もレベルアップに伴って可聴範囲が 広がっているから、エンゲラ同様にパーティーのレーダーになって いる。こちらは1レベルあたり10mだ。エンゲラの﹃超嗅覚﹄よ りは詳細に解る。二本足か這いずっているのか昆虫みたいに複数の 足があるのか、時間さえかけて集中したら足音から大体の素性はわ かる。移動していないと当然無力だけど。だが、俺の場合は視線が 通らないとダメだから曲がり角の先や部屋の入口から見えない範囲 にいるモンスターについては無力なので視界外でも移動してさえい れば気が付けるのは大きいだろう。 ・・・・・・・・・ 7442年10月7日 今日はズールーで、8になった。 ゼノムと並びパーティの前衛として、切込隊長のように突っ込ま せている。レベルアップにより更に頑健で力強さを増した。﹃夜目﹄ は効果範囲であれば鑑定よりよほどよく見えるらしい。視界内全体 インフラビジョン が明るく感じ、僅かな光でもそれを増幅して目に映す感じなのだろ うか。1レベルあたり5mと短いが、有効だ。ゼノムの赤外線視力 インフラビジョン とは異なり可視光線が全くないと見えないのでそこは考えようだ。 赤外線視力は1レベルあたり3mだしな。 1546 ﹃瞬発﹄の方は今まで使っていないのでよくわからない。ピンチ の時に使うものだろうしな。一度使ったら数時間使えないので何が 起こるかわからない迷宮内部で検証だけの為に使わせるのも不自然 だ。今度の連携確認の時にでも使わせてみようか。今なら8秒間、 筋力と俊敏が上昇するはずだ。 ・・・・・・・・ 7442年10月25日 今月に入ってから精力的に経験値を稼がせたのでゼノムを除き更 にレベルが1づつ上昇している。反面、俺は大して経験を稼いでい ない。休日に攻撃魔術の修行をすると決めていたので、これは覚悟 していた事なのでいいけど。現在のレベルは俺が13、ゼノムが1 6、ラルファが10に近い9、ベルが8、ズールーが9、エンゲラ が8だ。ちょっと露骨にラルファを優先させ過ぎた嫌いはあるが、 仕方ないだろ。 先週は腕が鈍ってもいけないので経験値効率は無視して部屋の主 は避けて一層のあちこちをうろついて魔法を使わずにきっちりと戦 闘を繰り返したしな。短期間でレベルアップを繰り返したため、自 覚くらいはあるかと思うのだが、誰も何も言ってこないのに拍子抜 けした。だが、どうやらわざわざ俺に言わないだけでそれぞれ思う ところはあるようだ。エンゲラやズールーも魔物を殺したあと、不 思議そうな顔で武器を握る己の腕を見つめたりすることがある。 1547 さぁ、今日からは三層を目指して進むぞ。いつものように入口広 場で全員で装備を確認する。武器、良し。防具、良し。地図、良し。 保存食、良し。全部良し。OKだ。簡単に今日の行動予定を宣言す る。一層と二層については時間を無駄にしないように出来る限り俺 の魔術を使い突っ切る。可能であれば氷漬けにして経験を稼ぐこと も俺は念頭に置いておく。そして、とにかく三層を目指す。二層の 地図は最高精度のものでも恐らく全体の7割くらいしか記述されて いない。俺たちで空白部分を出来るだけ埋めるようにしてきたが、 それでもほんのちょっとだけしか埋められていない。 今後、四層、五層、六層と何度も往復する羽目になるのだから出 来る限り空白は埋めるに越したことはない。多分トップチームの連 中もそうしているはずだ。迷宮内への転移の水晶棒を握り、今回の 転移の呪文を唱える前に、再度全員で装備を点検した。問題ない、 じゃあ、行くぞ﹁ダグト!﹂ 一層を俺の魔法で突っ切る。部屋は四つあったが最後の一つは誰 かが通った後なのか分からないが主がいなかった。今度、時間をか けて主の復活まで粘ってみようかな。どのくらいの間隔で復活する のか、どのように復活するのかは興味がある。モンスターによって 間隔が異なるのかとか、調査項目は沢山あるだろう。 二層への転移の水晶棒の小部屋近辺に辿り着いた。どうやら先客 が居るらしい。ベルが話し声がすると言っている。ベルのレベルか ら言って彼女の特殊技能の﹃超聴覚﹄の有効範囲は半径80mだ。 これは俺の推測に過ぎないが、この範囲内で1ホンでも小さな音が したら能力使用中の彼女の耳には捉えられる。対して、俺だって耳 の傍であれば1ホンの音でも聞こえることは聞こえる。だが、音は 空気の振動によって伝わるから、発生源から距離が開くとどんどん 1548 減衰していく。少し離れたら1ホンの音なんか俺の耳には届きはし ないだろう。本当に届かないかなんて解らないけどさ。まぁ数字は あくまで例だから適当に流してくれ。 100ホンの音は1メートル離れる毎に1ホンずつ減衰すると仮 定する。空気抵抗などできっちりした斜めの直線グラフのように減 衰する訳は無いけど、まぁここではそう思ってくれ。そうすると俺 の場合100ホンの音は100メートル先までは聞こえることにな る。対してベルの場合、80メートル先の1ホンの音を捉える事が 出来るので、80メートル分俺より可聴範囲が広い、という訳だ。 本当はもっと複雑なのだろうが、そう考えるとわかりやすい。 今回の場合、ベルは話し声が聞こえると言った。迷宮の中で外で 話すようなボリュームで話すことは考えづらい。休憩時のパーティ 内での話し声も聞こえるのはせいぜい5mくらいだろう。10mも 離れると多分聞こえない。そのくらいのボリュームで話しているは ずだ。つまり、俺が言いたいのはベルの特殊能力で捉えた音の発生 源は﹃超聴覚﹄の効果範囲外であることが多い、ということを言い たいだけなんだけどね。 まぁベルの普段垂れた、能力使用時だけピコンと立ち上がるパッ シブソナーの考察はこのくらいにしておこう。会話の内容を聞き取 るにはもっと近づかないとダメだそうなのでそろそろと近づく。十 中八九他の冒険者だろうからそうそう争いにはならないだろうが、 用心に越したことはない。人数くらいは把握しておきたい。⋮⋮八 人か。楽しそうなくすくす笑いが聞こえるとベルが言っている。 ま、大丈夫だろ。小部屋のすぐそばまで来ると流石に俺の耳にも 聞こえてくる。男女が数人で会話しているようだ。俺たちの発する 音くらいはもう聞こえていてもいいはずだ。警戒していないのだろ 1549 リ・ブラザーフッド ベルデグ うか。それとも、油断しきっている間抜けか? いつだったか、緑 色団が今の俺達と立場を逆にして接近して来た時には俺達はかなり 神経質に警戒をしていた。 部屋に入ると、八人の男女が明かりの魔道具を囲んで野営をして いたところだった。野営? 迷宮内で? 確かに数日∼一週間も潜 る奴らはいる。トップチームの連中は五層に行って帰るまでたっぷ り一週間以上かけるのが普通らしい。いつか見た奴隷でパーティを 固めているロズウェラとか言うエルフだって三日も潜っていたらし いから、野営は普通のことなんだろう。俺だっていずれはそうしな ければならないと思っていた。だが、まだ一層で午前中だぞ? ﹁やあ、私はアレイン・グリードと申します。このパーティーのリ ーダーをしています。後から来て申し訳ありませんが、先に二層へ 転移させていただいて構わないでしょうか?﹂ ベルデグリ・ブラザーフッド 緑色団のリーダーのロベルト・ヴィルハイマーを真似て言ってみ た。 先方のパーティーのうち一人が立ち上がって答えた。 ブラックトパーズ ﹁ええ、どうぞ。私はレッド・アンダーセン。パーティー黒黄玉の スローターズ リーダーをしているわ。それより貴方、アレイン・グリードと言っ たわね。こんなところで殺戮者に会えるとはね⋮⋮。ねぇ、時間あ るならちょっと話でもしていかない? お茶くらい出すわよ﹂ スローターズ ブラックトパーズ はい? 殺戮者? 俺たちが? そんな物騒な名前で呼ばれてる の? なんで? それに、黒黄玉って言ったらトップチームの一角 じゃないか。 1550 とんでもない呼ばれ方をして一瞬混乱した俺だったが、トップチ ームの話を聞けるチャンスだし、何故そんな呼ばれ方をされている のかちょっとだけ気になったので、 ﹁はぁ⋮⋮。いいですよ。ちょっと小休止な﹂ そう言って彼女に近づいた。 勧められるまま明かりの魔道具を囲んで座ると、差し出されたお 茶を手にとった。レッド・アンダーセン。29歳。アンダーセン子 爵家三女。レベル17。魔法は無魔法がレベル4の他は水と火魔法 がレベル3と4で使えるようだ。艶やかに磨かれた茶色い革鎧に胸 甲をつけ、布製の丈の短いマントを羽織り、濃いピンク色の長い髪 をポニーテールに纏めている。 ﹁頂きます﹂ そう言ってお茶に口を付ける。魔法で作り出したお湯ではなく、 ちゃんと沸かしたものらしい、豊かな香りが口中に広がった。携帯 コンロの魔道具で沸かしたのだろう。水も運んでいるのか。余裕あ るな。 ﹁若いな﹂ ﹁ああ﹂ ﹁成人くらいか﹂ ﹁これで、あんなに⋮⋮﹂ アンダーセン以外のパーティメンバーが俺を見てぼそぼそと話し ている。 1551 ﹁レイダー産の葉よ。いい味でしょ?﹂ アンダーセンはそう言って俺と同じように茶を飲んだ。高いのだ ろうか? 豆茶派の俺にはどうでもいいけど。 ﹁はぁ、美味しいですね﹂ 何から聞いたもんかね。 スローターズ ﹁ところで、グリード君。殺戮者ってこれで全部? 六人しかいな かったの?﹂ アンダーセンは俺の目を覗き込むようにしながら聞いてきた。 スローターズ ﹁え? はい。私のパーティーはこれで全部ですが、その、殺戮者 というのは一体⋮⋮?﹂ ﹁貴方たち、最近有名よ。いつもいつも迷宮から沢山の魔石を持っ て帰るって。数は下手するとトップチーム並らしいじゃない? 最 初はマグレか誰かの後でも付けて魔石を稼いでいるって話だったけ ど、いつもいつも大量の魔石を持ち帰るから、そのセンは薄いだろ うしね。出会う魔物を全部殺してなきゃとても有り得ない程の数ら しいじゃない?﹂ む。そっちから名前が付けられたのか。別に隠すつもりもないか らいいけど。有名になりゃそれだけ部下も集めやすくはなるだろう しな。 ﹁あ、いや⋮⋮その通りなんですけど⋮⋮何かまずかったですかね ?﹂ 1552 ブラックトパーズ メンバー 俺がそう言うと、黒黄玉の構成員がざわついた。 ﹁まじだったのか?﹂ ﹁本当にあの数全部を殺したって言うの?﹂ ﹁とんでもねぇな⋮⋮﹂ ﹁いやぁ、幾らなんでも冗談だろ﹂ ﹁そうよ、いっつも二時とか三時くらいには戻るらしいじゃない?﹂ ﹁それは俺も聞いた。幾らなんでもそんな短時間でなぁ⋮⋮﹂ ブラックトパーズ ⋮⋮微妙な顔をするしかない。まぁ気持ちはわかる。黒黄玉の輪 から少し外れたところで車座になっているラルファ達も聞き耳をた てているようだ。阿呆が喧嘩でも売らないうちに何とかしなきゃな ぁ。 ﹁いいえ、まずくはないわ。ただ、良いことを教えてあげるわ。ま ず、私たちの事は知っているかしら?﹂ ブラックトパーズ ﹁はい。黒黄玉と言ったらトップチーム五強の一角で有名ですしね﹂ 俺はそうおべんちゃらを言ったが、彼女たちにとっては当たり前 のことらしく、無視された。 ﹁まぁ、そうね⋮⋮私たちが迷宮に入ったのは昨日の昼過ぎ。と言 うより殆ど夕方ね。深夜過ぎまでかけてここまで来たの。で、時間 も遅かったからそのまま野営して、今に至るわけ。その間に得た魔 石の数は幾つだと思う?﹂ ﹁さぁ、三十個くらいですかね?﹂ 1553 外れていることを知りながら言ってみる。因みに、俺たちがここ まで来る間に稼いだ魔石の数は部屋の主から三つと途中で出会った ホブゴブリンから六つ、オークから五つ、ノールから二十二個。ゴ ブリンは魔石の価値が低いので採取の時間が勿体ないので放ってお いたが三十くらいはある。 ﹁四つよ。部屋の主から二つ。あとはどうしても戦闘せざるを得な かった相手から二つね﹂ ある程度想像はしていたが、何じゃそら。少なすぎるだろう。部 屋の主の魔石は安いやつでも五万Z︵銀貨五枚︶以上で売れるから、 それが二つあれば赤字ではないが⋮⋮。それを聞いて微妙な表情に なった俺に気がついたのか、彼女は更に聞いてきた。 ﹁貴方たちはここまでに幾つ稼いできたの?﹂ おいおい、それ聞くのかよ。まるで追い剥ぎのセリフじゃんか。 俺が黙っていると、 ﹁別に取りゃしないわよ。まぁ、言いたくなければ﹁三十六個です﹂ 仕方ないので正直に言い、魔石の詰まった革袋を腰から外し、ぼ とぼとと俺の前に積み上げた。トップチームの感想、と言うより価 値観も聞いてみたかったしな。 ﹁えっ?﹂ ﹁さん⋮⋮?﹂ ﹁さんじゅ、ろく?﹂ ブラックトパーズ 俺の申告数に黒黄玉の面々は驚いたらしい。アンダーセンはそれ 1554 を聞くと、 ﹁たった六人で⋮⋮噂通り凄いわね。でもね、教えてあげる。一層 の魔物はあまり強くないわ。私たちでも一層の魔物であればそれく らいは稼げるでしょうね。だけど、二層、三層、それ以降を目指す なら出来るだけ戦闘を避けることね。三十六個って多分私たちが四 層を抜けるくらいの数だわ。そうやってギリギリまで体力を節約し て、やっと五層に行けるの。そんなんじゃ二層や三層に行ってから 苦労するはずよ。見たところ貴方を含めてまだ若い子が半分もいる から魔力だってそう持たないでしょ?﹂ どうやら彼女は最近売り出し中のパーティーのリーダーを名乗る 俺が小便臭い若造だと知って忠告をしてくれるつもりらしい。 ﹁確かに私のパーティーで魔法を使えるのは三人だけですね。まと もに戦力として機能するのはそのうち一人しかいませんが。仰る通 り魔力の節約は重要ですよね﹂ 神妙な顔つきをして俺がそう言うと、アンダーセンは、 ﹁そうよ。それと、今、すぐに二層に行こうとしたでしょ? 普通 は転移水晶の小部屋で休憩をして体力を回復させてから次の階層を 目指すものよ。出来るだけ戦力を消費しないように、最高の戦力を 保ったまま下層に行くの。だから、避けられる戦闘は全部避けるの が理想ね。どうしても通らなきゃいけない部屋くらいね。戦うのは。 さっき聞いたけど、私達のことを知っているなら話は早いわ。いい ? 私達ですら一層を抜けるのに八時間以上掛かった。そして、大 事を取って二層へ行く前に休んでいるの﹂ と言って、魔石を一つずつ袋に戻し始めた俺を見た。 1555 やっぱな。以前エンゲラの言っていたことからも推測していたし、 ここ数ヶ月で集めた情報でもその通りだった。つまり、出来るだけ モンスターの集団は迂回したり、何処かへ行くのを息を潜めて待っ たりして戦闘しない。どうしても通らなければならない部屋は可能 なら主が追ってこないような距離まで一気に走り抜け、先を目指す。 そして、一層二層では殆ど得ることの出来ない財宝を目指す。大抵 の場合、宝石などの原石がこれに当たる。志半ばで倒れた冒険者の 遺品なんかはあくまで副産物でありボーナスだ。どうやって手に入 れたのかは不明だが、魔法の掛かった品などを装備している魔物な んかであればン億からン百億Zの財宝を得られるも同義なのでその 時は危険を顧みずに戦う。年に一つくらいそういう幸運に恵まれ、 且つ生還できるパーティーもある。 魔石を袋に戻しながらちょっと思う。 簡単に言うと、迷宮に挑む冒険者というのは、略奪者も同義だ。 放って置いても迷宮からはモンスターは出てこない。そんな事例は いままで一度として無いと聞いている。まぁ今後も絶対に無いとは 言い切れないが、可能性としては俺が考える必要はないだろう。そ うなったら騎士団が相手をするだろうしね。とにかく、放って置い ても無害な迷宮にわざわざ危険を犯してまで潜るのは財宝を得るた め以外の何者でもない。普通はそれを略奪者と言うだろう。宝石の 原石なんかを後生大事に抱え込んでいる魔物なんかいないとは思う けど、財宝を得るにあたって邪魔だからというだけの理由でそのま までは別に何の害も無いモンスターを殺すのだ。 ゴブリンだってオークだって人族には違いあるまい。言うなれば 亜人と一緒だ。ゴブリン同士、ある程度の意思の疎通は見られるし、 思考能力や知的レベルが普人族や一般的に言う亜人よりだいぶ低い 1556 だけの亜人だ。普段外に出てこないで害もない精神薄弱者の家に無 理やり押し入って、侵入者を排除するために攻撃してきた相手を殺 し、金目の物を奪うのと何ら変わりはない。と、なると出来るだけ 戦闘を避ける彼女たちの方が俺と比べてまだマシなのか? いや、 殺す数が異なるだけでやっている事、目的とするところは同じだ。 ﹁なるほど、そうですね﹂ これ以上は無駄だな。俺と彼女たちでは魔力の効率が違う。忠告 は有り難く受け取るとして、忠告以外の情報を収集したらとっとと 先を目指したほうがいいだろう。俺は更に言葉を継いで、 ﹁ですが、迷宮内での野営は体力はともかく、警戒などで気持ちは 休まらないのではないですか?﹂ と言った。 ﹁あら? 転移水晶の部屋の周囲100mくらいは魔物は近づいて こないのよ。知らなかった? だから一人だけ警戒していれば問題 はないわ﹂ ベルデグリ・ブラザーフッド なんと。そうだったのか。緑色団が来た時の過剰な警戒が恥ずか しくなった。だが、これはいい情報だ。迷宮内で安心して休むこと が出来るのであれば、食料さえ充分なら俺は幾らでも粘れるだろう。 ﹁はい、知りませんでした。貴重な情報をありがとうございます﹂ アンダーセンに頭を下げながら言った。 ﹁いいのよ。三層や四層に行くような人じゃないとまず知らないし 1557 ね。三層や四層への転移水晶の部屋なんかいつも誰かがいるくらい だし、どうせこの先進んでいけば嫌でもすぐに解ることだしね。気 にしないで﹂ アンダーセンは気にした風もなく手を振りながら言った。エンゲ ラは三層までは行った事がないそうだから知らなかったんだろう。 あ、そうだ、 ﹁ところで、以前私たちが二層に行った時のことなのですが、妙な 落とし穴を見たことがあるのですが、お尋ねしても宜しいでしょう か?﹂ これ聞いとこう。最近すっかり忘れてた。 ﹁妙な落とし穴?﹂ アンダーセンも俺の言葉に興味を惹かれたらしい。 ﹁ええ。洞穴の端から端まで広がっていて、奥行は5mくらいの越 えられないような大きな落とし穴です。穴は透明な板のようなもの で塞がれていて、他の落とし穴同様に土でカモフラージュされてい ます﹂ ﹁そんな落とし穴は知らないわね⋮⋮私たちが知っているのは迷宮 内どこにでもあるような直径5mくらいのやつと、四層くらいから 出てくる、その中に先の尖った杭が埋め込まれている奴、あとは、 壁が落とし穴になっている奴ねぇ。寄っかかるとひっかかるのよ﹂ うーん、彼女の言うタイプくらいは十分あり得るだろうと予測し ていたが、例の落とし穴はトップチームのリーダーでも知らないの 1558 か。 ﹁そうですか、私達も見たのは一回だけなんですけどね﹂ 残念だが仕方ない。もっとさっきのような小技なんかも聞いてみ たいが、進んでいけば自然とわかるだろう。このくらいにして先を 目指したほうがいいかな。 ここ ﹁でも、超えられそうにない落とし穴か⋮⋮。一層も全部踏破なん かされてないから⋮⋮ましてや二層なら未踏破地域の未確認の罠で しょうね﹂ ま、そんなとこだろうな。 ﹁そうですね、では、そろそろ私達は二層に行きます。いろいろお 教え頂き有難うございました﹂ そう言って立ち上がろうとしたが、アンダーセンは俺の腕を掴み 座らせた。 ﹁ちょっと、今まで何を聞いていたの? きちんと休んで行きなさ いな。あんたたち、どうせ今朝入ったんでしょう? 今は九時過ぎ よ。三時間かそこらで一層を突破して来たのなら消耗しているでし ょう? 魔石もそんなに取るくらいだから、何度も戦闘はあったん でしょ?﹂ 困ったな。殆ど消耗なんかしてないんだが⋮⋮レベル5とか6く らいの氷でモンスターを拘束しながら進んできたので、MPなんか ここまでに100ちょいしか使ってない。当然誰も怪我なんかして ないし、体力だって問題ない。 1559 ﹁ご忠告は大変有り難く思っております。しかし、私達はちょっと 事情がありまして、先を急がねばならないのです。また、ほとんど ブラックトパーズ 消耗はしておりませんので、全く問題はありません。お茶、美味し かったです。有り難うございました。黒黄玉の皆さんの幸運を祈っ ています﹂ そう言って立ち上がると、 ﹁行くぞ﹂ と言って転移の水晶棒に向かった。ゼノム達も立ち上がる。 ﹁そう、ならもう何も言わないわ。でも最後に一つ。アイスモンス ターには気をつけなさい。最近、極たまにだけど一層や二層で氷が 発見されているわ。そこには食い荒らされた魔物の死体もあったり する。まだ冒険者で遭遇したという話はないけれど、本来は五層に 居るはずのアイスモンスターだと思われるわ。体長3mくらいの白 いトカゲを見つけたらすぐに逃げなさい。氷の息を吐いてくるわ。 対抗するには最低でも4レベル以上の高位の火魔法が必要になるの よ。無理しないでね﹂ へー、そんなんいるんか。俺は振り返ると彼女に丁寧に礼を言い、 水晶棒を握る。 ﹁ログタレ!﹂ 二層に転移した。今週中に何としても三層へ辿り着き、エンゲラ との約束を果たすのだ。 1560 1561 第三十八話 黒黄玉1︵後書き︶ 転移水晶の部屋の安全地帯の知識ですが、一層やどうにか二層へ行 ける程度のレベルが低い︵肉体レベルではなく、冒険者としての知 識や腕のレベルという意味です︶冒険者には知られていません。そ れなりに実力がある冒険者達の間では、自然とある程度の情報共有 が発生します。勿論、秘匿するべき情報を漏らすことなどは有り得 ませんが。例えば、四層のどの場所に宝石の鉱脈があり、もう暫く 取れそうだなんて情報は口が裂けても言わないでしょう。特定のモ ンスターの弱点なども喋るとは思えません。その反面、新種の罠な どは情報交換があるでしょうし、特定のモンスターに攻撃が効かな いなんてのも情報交換のネタになるでしょう。 誰も自分とそのパーティー以外の成功など願っていません。苦労話 はするでしょうが﹁このようにしたら成功する﹂などという話は何 らかの対価を得るか、そうでなければ誤魔化すか、嘘の情報を流す ことすら考えられます。︵﹁このようにしたら成功した﹂という話 ではないです︶ わかりやすく言うと、現実の世界で同業他社に重要な情報を話す人 はいません。しかし、業界で常識とされている関連なら情報交換は 当たり前のように発生します。知らない奴に常識を教えることくら いはするでしょう。ですが、それも相手のレベルを見て話されるべ き内容は変わりますよね。アンダーセンはアルのパーティーが遅か れ早かれ死ぬこともなく三層や四層に行くようになると思ったから 言っただけでしょう。 現実にゴールドラッシュの鉱夫や宝石の鉱脈堀達は絶対に情報を漏 1562 らしません。そんなやり方じゃ絶対に砂金は取れないよ、とは言う でしょうが、こうすれば取れる、とかそういう情報には価値が発生 します。そう言った情報は家族や、仲間内で秘匿されるのが普通で す。なお、そんなやり方じゃ⋮⋮というのは明らかに初心者がセオ リーから外れたやり方をしている時に言う事であって、ベテランが 変わったやり方をしても注意するような人はいないでしょう。 少額でも確実に競馬に勝てる方法を見つけたとして、一体誰がそれ をほかの人に言いますか? 金貰っても言わないのが普通でしょう ね。 また、今回の話の中で四人が二レベルも上昇しています。ちょっと ステータスを置いておきます。 ︻ラルファ・ファイアフリード/25/12/7429︼ ︼ ︻女性/14/2/7428・普人族・ファイアフリード家長女︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:9︼ ︻HP:102︵102︶ MP:6︵6︶ ︻筋力:14︼ ︻俊敏:19︼ ︻器用:17︼ ︻耐久:16︼ ︻固有技能:空間把握Lv.1︼ ︻特殊技能:無魔法Lv.1︼ ︻経験:106225︵110000︶︼ ※ラルファは7レベルまでレベルアップ時のボーナスはMPに入ら なかった代わりに能力値やHPがちょっと高いです。 1563 ︻ベルナデット・コーロイル/4/4/7429︼ ︼ ︻女性/14/2/7428・兎人族・コーロイル準男爵家次女︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:8︼ ︻HP:90︵90︶ MP:73︵73︶ ︻筋力:13︼ ︻俊敏:19︼ ︻器用:13︼ ︻耐久:12︼ ︻固有技能:射撃感覚︵Max︶︼ ︻特殊技能:超聴覚︼ ︻特殊技能:無魔法Lv2︼ ︻特殊技能:地魔法Lv2︼ ︻特殊技能:水魔法Lv1︼ ︻特殊技能:火魔法Lv2︼ ︻経験:66892︵80000︶︼ ※ベルは最初のレベルアップ時にアル同様にMPがそこそこ増えた 設定です。種族の性質と相まって能力値はちょっと低いです。 ︻ダディノ・ズールー/3/6/7442 ダディノ・ズールー/ 20/7/7422︼ ︼ ︻男性/24/5/7421・獅人族・グリード士爵家所有奴隷︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:21歳︼ ︻レベル:9︼ ︻HP:110︵110︶ MP:5︵5︶ ︻筋力:18︼ ︻俊敏:18︼ ︻器用:11︼ 1564 ︻耐久:17︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ナイトビジョン ︻特殊技能:瞬発︼ ︻特殊技能:夜目︼ ︻経験:83024︵110000︶︼ ※白兵戦闘向きな種族なので素晴らしい能力値を誇っています。 ︻マルソー・エンゲラ/15/8/7442 マルソー・エンゲラ /12/8/7422︼ ︼ ︻女性/14/9/7422・犬人族・グリード士爵家所有奴隷︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:21歳︼ ︻レベル:8︼ ︻HP:97︵97︶ MP:5︵5︶ ︻筋力:13︼ ︻俊敏:18︼ ︻器用:10︼ ︻耐久:16︼ ︻特殊技能:小魔法︼ ︻特殊技能:超嗅覚︼ ︻経験:65011︵80000︶︼ ※普人族より総合的に少しいいくらいです。 また、誠に申し訳ありませんが、リアル生活で年度末も近づいてお り、感想への返信が厳しくなって参りました。 誤字脱字のご報告くらいにしか直接お礼は出来にくいです。 折角ご感想やコメントを頂戴しているにも関わらず、きちんとお返 事できないのは大変に心苦しいのですが⋮⋮本当に申し訳ありませ ん。ごめんなさい。なお、当たり前ですが頂戴したご感想は全て拝 読させて頂いています。 1565 今後は活動報告の内部で、気になったり、補足しなきゃいけないな、 と言うようなご感想について返信する﹁かも知れない﹂程度にお思 い頂けますと幸いです。 1566 第三十九話 三層到達 7442年10月25日 さぁ、二層だ。転移の水晶の部屋で三十分ほど休憩出来たから結 局丁度良かったな。 ﹁アル。アイスモンスターってお前のことだろう?﹂ ﹁アルさん、アイスモンスターって、貴方のことでは?﹂ ﹁﹁ご主人様、アイスモンスターとはご主人様のことでは?﹂﹂ ﹁ア︵略﹂ あ、やっぱり? 実は俺もそうじゃないかと思ってたんだよね。 ﹁だが、五層にはいるんだろう? 氷トカゲ。知らない情報が掴め たのはでかいぞ﹂ ﹁誤魔化すな﹂ ﹁誤魔化した﹂ ﹁﹁誤魔化しましたね﹂﹂ ﹁誤︵略﹂ ﹁なんだよ、別に誰にも迷惑かけてねーからいいだろ。あとラルフ ァ、おめーだけ楽すんな﹂ ったく、こいつは⋮⋮。 ﹁さ、それより二層だ。気を引き締めていくぞ﹂ 1567 と、その前に、エンゲラに聞いておこうかな。こいつ、転移の水 晶の部屋の周囲は安全地帯だって知っていたのか? いや、確か二 層までしか行った事は無いはずだ。知っていた可能性は低いだろう ブラックトパーズ なぁ。いいか、責めるみたいになっても嫌だし。それに、アンダー センも言っていたが、黒黄玉は夜中に一層の転移の水晶の部屋に来 たからそのまま野営しただけだろうし。俺たちも今まで何度も二層 へは行っていたが、一層の転移の水晶の部屋で野営している奴らに 出会ったことはない。恐らく、ある程度以上の水準に達した冒険者 なら常識なのかもしれない。俺たちはまだその水準に達していなか っただけだろう。 ﹁とりあえず、現在位置の確認だな﹂ 転移の水晶の台座の模様から、その先を調査する⋮⋮62か。こ こだな。 全員で頭を突き合わせて地図の中から62番を探し、現在位置の アタリをつけた。 三層への最短距離だと部屋を四つ通る必要がある。ま、いいだろ。 俺が頷いたのでゼノムは竿で床を叩いて進み始めた。すぐにその 脇にズールーが並び、ゼノムの後ろにエンゲラ、ズールーの後ろに ラルファがつく。俺とベルは最後尾で後方の警戒だ。 グリーンガルガンチュアリーチ一匹、レッドスライム二十四匹、 オウルベア二匹と部屋の主を続けざまに撃破し、魔石を回収する。 まだアイスモンスターがどうこう言ってる奴が約一名いるが、誰か に迷惑がかかる訳じゃないし別にどうでもいいわ。⋮⋮そろそろ最 1568 後の部屋が近いはずだ。ベルの聞き耳を頼りに少しずつじりじりと 進む。ベルによると多分複数の足がある動物のようなものが何匹か いるらしい。エンゲラもオークやゴブリンとは違う獣の臭いがする と言っている。 その先の通路を右に曲がるとすぐに大部屋になるはずだ。まずは 敵の姿を確認せねばなるまい。俺は全員に動くなと手振りで伝える と、そうっと壁から顔だけを出して部屋を覗き込んでみる。 いた。毛が長く、頭の両脇から曲がった角を生やしているジャコ ウウシのような見た目のやつだ。鑑定してみるとロゼという奴らし い。全部で⋮⋮六匹か。レベルもたいしたことはないし、特別何か 特殊技能を持っているなんてことも無い様だ。サブウインドウを開 いてみると光を嫌い好んで洞窟などに生息しているモンスターのよ うだ。 多分、突進してあの角で攻撃してくるんだろう。さて、どうしよ うか。数がもっと少なければ部下たちに戦闘させてもいいだろう。 しかし、六匹もいる。それと、見た目通りジャコウウシならオスか らは香水も取れるはずだが、そんなもの以上に毛皮に価値が有るは ずだ。牛なだけに肉も食えるかも知れない。と、言うより家畜に出 来ればむっちゃくちゃ儲かるはずだ。牛一頭六百万∼八百万Z︵金 貨六∼八枚︶もするんだ。 何とかして捕獲したい。⋮⋮無理か。牛が転移の水晶棒を握れる わけ無いわ。 だが、ジャコウウシから取れる毛皮だけでもひと財産になる。正 確には毛だけどさ。バークッドと違い、バルドゥックは冬は結構寒 いらしいから良い値段で売れるはずだ。前世でジャコウウシの毛か 1569 ら作ったキヴィアック56%生地のアホみたいに贅沢なマフラーを 美紀の誕生日にプレゼントしたことがあるが、30万円近く飛んで いった。万が一オースで高く売れなかったとしても柔らかく、暖か いからラルファとベルの街用の手袋とかマフラーとかには出来るだ ろ。そんときは紡績と仕立て代くらいテメーで出せ。ああ、こいつ ら若いからキヴィアックとか知らないかもしれないなぁ。勿体ねぇ。 ま、ロゼがジャコウウシとは限らないんだけどね。 そうと決まれば出来るだけ体に傷つけないように殺さなきゃな。 やっぱ下半身、と言うか、足を氷漬けか。 俺は部屋の地面から50cmくらいを氷漬けにして、ロゼを動け ないようにすると、頭部だけぶん殴って殺せと言って、自ら手本を 見せた。この後、再度魔法で氷を除去して皮を剥ぐのだ。物凄く時 間がかかるだろうが仕方ない。一頭あたり三人がかりで一時間くら い掛けて皮を剥いだ。血まみれだし、臭いけど、仕方ない。 皮を剥いだ後、魔石を採り、ついでにヒレっぽい骨盤の内側部分 の肉もちょっとだけ削り取り、鑑定してみると︻ロゼの大腰筋︼と 出た。無害のようだし、火魔法で焼いてみた。塩も胡椒もないので どうかと思ったが、焼くといい匂いがした。やっべ、軽々しく焼く んじゃなかった。これで匂いに誘われた他のモンスターとか出てき たらたまらんわ。 ラルファが物欲しそうにこちらを見ている。匂いに釣られたモン スターよりましか。一口食うか? と聞いてみたら、嬉しそうにか ぶりついた。おい、一口って言ったべや!? 全部食ってんじゃね ぇよ! しかし、塩胡椒なしの上、熟成もしていなくてもそこそこ イケるんか。んじゃ全部取っておくか。一頭あたり2kg弱のヒレ が取れる。カルビっぽいバラ肉は⋮⋮まぁいいか。マルチョウみた 1570 いなモツはズールーがじっと見ていた。猫科だけに内臓食いたいん か? でもうんこ詰まってるはずだぞ。よしとけ。 ここまで考えたときにあれっ? と思った。そういや、迷宮の中 のモンスターって何食ってるんだ? ほかのモンスターの死体か? しかし、ロゼは草食、と言うか苔食ってるらしいからまあいいと して、オークとかホブゴブリンとかは一体何を食ってるんだ? 共 食いか? そんなんで足りるのか? 生殖活動は? 子供のオーク だとかゴブリンだとか迷宮の中では見たことないぞ⋮⋮。一層も二 層へと続く場所に繋がってないエリアなんか腐るほどあるし⋮⋮。 どういうこっちゃ? これはマジで今度時間をかけて一層の部屋で調査してみる価値は あるな。今はいいけど。 剥いだ皮を縄で縛ってズールーとエンゲラに持たせると、 ﹁この先は三層への転移の小部屋までは部屋は無いはずだ。そこま で行って一休みしよう。多分あと1kmも無いはずだ﹂ そう言ってゼノムから竿を受け取り、先頭に立って床を叩きなが ら進んだ。 ・・・・・・・・・ 途中、一回だけノールの十二匹の集団に出くわしたが、魔法を使 1571 うことなく一蹴し、魔石を採ると先に進んだ。そろそろ三層への転 移の小部屋に到着する頃だろう。何人もの話し声が聞こえてくると ベルが言っている。程なくして俺達にも聞こえてきた。 30m四方くらいの転移の小部屋︵強力なモンスターが巣食って いる部屋に比べれば、というだけだ︶には合計で四十人程の冒険者 が体を休めていた。時刻はそろそろ午後七時くらいになる。後から 来たので俺達は愛想笑いを浮かべながら壁際の空いている場所に腰 を下ろすと一休みすることにした。毛皮を運んでいるズールーとエ ンゲラが目立ったが、仕方ない。 ブラックトパーズ この中に黒黄玉のような別のトップチームはいるんだろうか? 興味を覚えて集団ごとに数人、リーダーらしき人を鑑定してみたが、 レベルはいいとこ俺くらいだった。多分、いないだろう。 水筒にお湯を出し、胡椒のよく効いた干し肉を入れて即席スープ を作る。全員でスープを飲み、小一時間ほど休憩した。その後、装 備品を確認して異常がないか点検する。問題は見つからなかった。 じゃあ、取り敢えず、今日のところは三層を覗いてから帰るか。 俺がそう言うと全員立ち上がり、転移の水晶棒に近づいていく。 休んでいる冒険者たちが見守る中、俺たちは三層へと転移した。 ・・・・・・・・ 聞いていた通り三層の様子は今まで通ってきた一層や二層とは大 1572 きく様変わりしていた。転移の水晶棒とその台座に大きな違いは見 られないが、床、天井、壁は明らかに人工的な石造りへと変貌して いた。ただ、ここだけは一緒なのか、全体的にうっすらと発光して いる。気をつけて見るとわかるのだが、光は誰かが立っている床か ら壁、天井までぐるりと一周する感じで輪のように一番光量が高い。 そこから距離が開くほど光量は落ちていき、30∼40m程先で見 えなくるくらい光量が落ちるところも一緒だ。きっと部屋に入ると 立っている床と天井部分が一番光量が高くなるんだろう。壁に一定 距離まで近づくと壁も光を発するとは思うけど。 俺たちは幅10m弱くらいの長く伸びる通路の真ん中に転移した ようだ。 予め聞いて、情報として知ってはいたものの、全員が不思議そう に床や壁を触ったりしている。石の表面は日本の城の石垣程度には 表面が均してあるようだ。地面も同じ感じなので、転んだり、モン スターなどに突き飛ばされたりしたら結構な怪我をするかもしれな い。俺以外の下半身を鎧っていないメンバーはおろし金で肌を擦ら れるのに近いような怪我すら覚悟しなくてはならないだろう。ズボ ン履いてるからその通りではないけど、それでも相当痛い思いはす るだろうな。気を付けないとな。 通路の前後を見回して、急な襲撃もなさそうなことを確認すると、 俺は口を開いた。 ﹁さて、エンゲラ、二層の地図を買ってから二ヶ月以内に三層に来 たぞ。誰一人として欠ける事なくな。前にも言ったが、お前の感想 を聞かせて貰おう﹂ 責めるような口調にならないことを注意しながらも、あれ? 口 1573 調はともかく結局責めてるよな? ま、別に責めちゃってもいいけ ど、と思う。だけど、責めるのも可哀想ではある。しょうがない、 いいか。 ﹁と言っても、別にお前を責めたり、無理やり何か言わそうとは思 ってない。お前は俺の奴隷なんだから、俺の考え方と価値観に合わ せろ。それは義務だろう? それを解ってくれればいい﹂ できるだけ優しく言った。エンゲラは最初に俺が言ったことを聞 いたときに少し表情が硬くなったが、次のセリフで安心したようだ。 俺は更に、 ﹁他所は他所、うちはうち、だ。お前の言う通り時間は金よりも貴 重だ。だが、多分だが、俺たちはバルドゥックの冒険者の中でもか なり早く三層へ行った方だと思うぞ。つまり、これは他のパーティ ーより時間を短縮しているということになる。普通は三層に行くま かね では潜り始めてから二∼三年はかかると言うらしいじゃないか。確 かに俺は今、それほど多くの現金は持っていないが、他のパーティ ーが支払った数年の時間を買ったに等しいことは理解できるな? ⋮⋮よし。これからもお前の考え方を聞くこともあるだろう。そう いう時は思うところ、感じるところを素直に言ってくれ。それが俺 の考えや価値観と違う時には都度言ってやる。その時に俺に合わせ ればいい。何も元から持っているお前の考えや価値観すべてを俺に 合わせろと言っているんじゃない。俺が指摘した部分だけでいい。 お前は俺の奴隷であって、人形じゃない。いいな﹂ 俺の長広舌を黙って聞いていたエンゲラは黙ったまま俺に頭を下 げた。別に急いだからといって金を払ったわけではないけどね。俺 の現金が少ないのはあんまり関係ない。あ、転移先の地図買ったか ら、それだけでも一財産をはたいたし、あの地図のおかげで二層突 1574 破の効率は段違いに変わったはずだから、金で時間を買ったと言っ てもあながち間違いではないか。 ﹁じゃあ、そろそろいい時間だし、帰って飯でも食うか。今日はさ っきの牛の肉も少し食ってみようぜ﹂ なんだか妙な空気になったのを振り払うように明るく言い、水晶 棒を握る。 ﹁さっきの肉、旨かったか?﹂ ゼノムがラルファに聞きながら水晶棒を握った。やっぱ亀の甲よ り年の功だよな。サンキューな。 ﹁うん、結構イケた﹂ それに答えながらラルファも水晶棒を握った。てめーは食った分 減らすからな。 ﹁私は牛は食べたことがありません。楽しみです﹂ 会話に参加しつつズールーも水晶棒を握った。たくさん食ってく れ。 ﹁牛は滅多に食べられないしね。私も食べたことないわ﹂ ベルもそう言いながら水晶棒を握る。俺もオースじゃ食ったこと ないよ。家で買った牛馬はまだ死んでないし。親父の持っていた馬 が一頭、俺が家を出る頃に死にそうになってたから、実はそれを食 えなかったのは心残りだったけどね。 1575 ﹁⋮⋮あの、すみませんでした⋮⋮。私の⋮⋮﹁いいさ、もう解っ たろ。気にすんな、じゃ、行くぞ﹃ヘンルイチ﹄﹂ さっきまでいた二層の転移の水晶の小部屋に戻った。三層に行っ たばかりですぐに戻ってきた俺たちだが、別に奇異の目で見られる ようなことはない。転移した先の場所が地図にない未踏破地域だっ たり、あまりに転移の小部屋までの間に部屋が多いような場所だっ たり、そもそも転移の小部屋に通じていない場所であったりするこ ともあるので、こういうことはままあるからだ。ま、俺達は戻るん だけどね。 二層の転移の水晶棒をまた全員で握ると中心部専用の呪文を唱え る。 ﹁我らを戻せ﹂ ブラックトパーズ 更に一層の転移の水晶の小部屋に戻る。黒黄玉は流石にもういな いか。先程まで数十人が居て、それなりに賑やかだった光景ががら んとしたものに変わる。 そして、もう一度。 ﹁我らを戻せ﹂ さっきまで三層に居たというのに、一気に入口の転移の水晶の小 部屋の脇の部屋に戻った。建物を出ると十月も終わりそうな夜であ り、流石に肌寒い感じが強くなっている。キヴィアック、売らない 方がいいかなぁ。入口広場から三番通りに入ってすぐにある魔道具 屋に行き、魔石を処分すると、皮が邪魔だし、臭いから、飯の前に 1576 皮、と言うか毛を何とかしたほうが良い、という事になった。しか し、既に時間も遅い。紡績するにも店は閉まっているだろう。仕方 ないのでズールーとエンゲラだけ先に宿へ荷物を置きに行かせた。 彼らが宿泊しているのは相変わらずそこそこ安い宿なので、未処 理の毛皮を持って入っても文句は言われないだろう。盗まれる心配 も無いことはないが、蚤だのダニだのがいそうな一見すると汚い毛 皮なんか誰も持っていかないような気もする。まぁ盗まれたら惜し いことは惜しいが、別に致命的なものでもなし、あまり気にしても 仕方ないだろう。 俺は残った連中と連れ立っていつもの飯屋に行く。肉は俺たちが 手分けして持っているから問題ない。 飯屋に入ると持ち込み料で1000Z︵銅貨十枚︶取られたが、 ロゼのヒレを塩コショウで焼いてくれるので、久々のヒレステーキ を涎を垂らしながら待つことにした。折角のヒレなのでレアがいい が、それで旨いかよく解らないので一応ミディアムくらいまでも注 文しておいた。細かい焼き方は指示してもうまく伝わらなかったよ うで、結局ウェルダンの一歩手前って感じになってしまった。値は 少々張るが﹃ドルレオン﹄に行っておけば良かったかな? ま、全 部食えるわけじゃないから﹃ドルレオン﹄は明日以降行けばいいか。 焼き方に文句は残るがロゼのヒレは美味かった。うーん、モンス ターでも美味い奴は美味いな。ホーンドベアーを思い出す。冷静に 考えてホーンドベアーの方が上なような気もするが、別にロゼのヒ レに全く不満はない。 ﹁こいつは美味いな﹂ ﹁やっぱり塩胡椒したほうが美味しいね﹂ 1577 ﹁柔らかくて美味しいですね﹂ ﹁これは⋮⋮美味いですね⋮⋮﹂ ﹁こんな美味しい肉を食べたのは初めてです﹂ おうおう、もっと食えもっと食え。沢山あるからな。ラルファが キャベツ食えって言わずに肉ばっかり食ってたのも頷ける。どうせ なら限界まで肉を持って来れば良かったかもしれないな。六人でヒ レを三本、3kg近くペロリとたいらげてしまった。一番食ったの はズールーだけどさ。 腹もいっぱいに膨れたので解散する。いつもならゼノム達と一緒 に宿に帰るのだが、今日はヒレ肉を抱えて﹃ドルレオン﹄を目指し た。せっかくなので高級な店で熟成から任せたほうが良さそうだと 思ったからだ。﹃ドルレオン﹄で金を払い︵20000Zも取られ た︶、肉を預けると宿に戻り、流石に疲れたのでサッとシャワーを 浴びただけですぐに横になった。だって、明日も早いしな。あ⋮⋮ 朝からずっと、夜まで迷宮に入ってたから、ランニングしてねぇ⋮ ⋮。仕方ない、億劫だがひとっ走りしてくるか。 着替えて宿を出たところで上から声をかけられた。ベルの部屋の 窓から、彼女とラルファの顔が覗いていた。なんだよ、明日も早い んだからとっとと寝ろよ。彼女たちは俺を手招きしている。しゃあ ねぇな、もう。俺がベルの部屋に行くと、二つある椅子の一つにラ ルファが座っており、ベルはベッドに腰掛けていた。空いている椅 子を引いて俺が座ると、ベルが口を開いた。 ﹃アルさん。少しお話ししたいのですが⋮⋮﹄ ん? 日本語? 顔つきからして深刻なものではないとは思うが、 何よ? 俺、忙しいんだけど。いや、別に忙しくないけどさ。 1578 ﹃なに?﹄ ブラ ﹃あのね、このところ、ベルと話してたんだけどさ、解らない事が あるから教えて欲しいの﹄ ラルファが言った。ちょっと深刻っぽい。魔法のことかな? ﹃なに?﹄ ックトパーズ ﹃アルさんの目的のことです。今日、一層の転移の水晶の部屋で黒 黄玉の人に言っていましたよね? ちょっと事情が有って先を急ぐ って。事情ってなんだろう、って思っていましたが、三層に降りた ところでマルソーに言っていたので、ああ、事情って、そう言えば マルソーと約束してたなぁって思ったんですけど⋮⋮それだけです か?﹄ ベルが言った。確かにアンダーセンに言った事情はエンゲラのこ とを指して言っていた。だけど⋮⋮それ以外に俺が急ぐ事情があり そうだということに気づいたってことかな? 俺が黙っていると、 今度はラルファが言う。 ﹃正直なところね、アルは私達が居なくても相当迷宮の先に行ける と思う。⋮⋮それは本当でしょ? だから、ずっと考えていたんだ。 じゃあ、なんでお金を払ってまで私たちと一緒にいるんだろう? 高いお金を払ってまでズールーやマルソーを買ったのはどうしてだ ろう? って﹄ ﹃⋮⋮﹄ 1579 ﹃それに、私達にかなり情報を伝えてくれましたよね? 最近は鍛 えてもくれました。魔法も教えてくれています。私は、彼をこの街 で待つって決めているから本当にありがたいと思っています。アル さんと一緒に居られれば死ぬ危険も少ないし、お金も沢山稼げます。 でも、それでアルさんは何を手に入れられるのですか?﹄ そうだなぁ。彼女達と行動を共にして、そろそろ5ヶ月、半年近 く経つのか。ラルファなんかはもう少し長いけど、まぁ大きな変わ りはない。普通に考えれば、どこの慈善家だよって思うよな。 ﹃うーん、確かに目的はある。短期的にはバルドゥックの迷宮で大 儲けしたいと思っている。まぁ、流石に何年かかかるとは思ってい るけどね。だから、俺は高確率で数年はここにいるつもりだ﹄ こんなんじゃ流石に丸め込まれてくれないだろうなぁ。 ﹃⋮⋮﹄ ﹃⋮⋮﹄ ﹃今言ったことは本当だ。それに、前にも言ったことはあるが、ラ ルファもベルも転生者だ。転生者は肉体的に強くなりやすいから﹃ そんなに私たちは信用がないですか?﹄ ﹃⋮⋮別に隠すつもりはないよ。多分言ったところで、それを聞い た君達が誰かに話しても何の害もないだろうな⋮⋮多分ね⋮⋮。い ずれ話すつもりではいた﹄ 1580 第三十九話 三層到達︵後書き︶ ベルとラルファはいつの間にかエンゲラと親しくなっています。 1581 第四十話 パーティー︵前書き︶ 長いのでウザい人は最初の五分の一くらいと最後の五分の一くらい でもいいです。 1582 第四十話 パーティー 7442年10月25日 うーん、別に話しても問題はない。問題はないが、問題はある。 非現実的だと言われ、馬鹿にされないだろうか? 子供っぽいと言 われ、軽く見られないだろうか? その結果、契約終了と同時に去 られでもしたら⋮⋮。あ、向こうからは契約切れないか。だけどな ぁ⋮⋮。折角、知己を得、部下にした転生者だ。だが、こんな短期 間で本当に相手の性格や心の内など見抜けるはずもない。それは向 こうだってそうだろう。わずか数ヶ月で俺の何がわかるというのか? 濃い交流をすれば期間など関係ないなどという幻想を信じるほど 間抜けではない。あれほど俺を可愛がってくれた両親だって、俺の 夢を聞いて認めてくれはしたが、共感はしてくれなかった。俺が抱 いている夢はそれ程荒唐無稽に近いものだということは理解してい る。だから、ここで彼女たちに話したら両親ほど俺の事を心配して くれているわけではないだろうから、共感はもとより理解すらして 貰えない可能性を慮るとなかなか口に出すのは躊躇われる。 だが、いずれ必ず言わなくてはならないし、出来れば共感して協 力して欲しいというのは本音だ。今後もっと多くの人を集めねばな らないが、その大半は俺が彼らに利を提供することが俺に従う理由 になるはずだ。別に給料以上の忠誠心などハナから期待するほうが どうかしているというものだろう。 しかし、俺は神でも何でもないので、全ての管理を一人で出来る などと自惚れたりはしていない。一人で出来ない以上、腹心は必要 1583 だ。問題は彼女達が俺の腹心として、ある意味で給料以上の忠誠を 誓ってくれるかどうかということだ。俺には彼女達の心を惹きつけ る何かがあるなんて思えない。もちろん、二人共出会いはそれぞれ の危機を救う形になっているから、俺に対する恩の気持ちくらいは あるだろう。あるよな? 無いと素で泣けてくる。 十分な報酬を支払い、特別困るような生活もさせていない。扱い だってそれほど悪いことはないだろう。奴隷のように無茶に扱った ことなども一度もないと思う。だから、俺に恩義くらいは感じてく れているとは思いたい。だが、忠誠なんてそれとこれとは全く別も のだろう。幾らかは彼女たちからも情報を得られているのでお互い 様と言えなくもないが、それにしたって俺のほうが支払超過なはず だ。 ちょっと考え込んでしまった。 ﹃そうだな⋮⋮正直なところ、言うのは構わない。だけど、言うと ある意味で軽蔑されるかも知れない、と怖がってもいる、と言うの が本音だな﹄ 俺がそう言うと、ベルが口を開いた。 ﹃アルさん。先程も言いましたが、私達はそんなに信用がないです か?﹄ ﹃信用がないとか信用している、と言うのとはちょっと違うなぁ。 僅か数ヶ月ではあるが、同じ釜の飯を食ってきた仲だ。信用はして いるさ。だけど、そういうのとは違うんだ。そうだな、ちょっと脇 道に逸れるかも知れないが聞いてくれ。ベル、君は両親や兄弟の事 をどう思っている?﹄ 1584 いきなり両親や家族を持ち出されてちょっと面食らったのか、ベ ルは多少言葉に詰まりながらも答える。 ﹃え? 私の両親、ですか? コーロイルの家は多分オースでも一 般の準男爵家だと思います。それほど裕福ではありませんでしたが、 生活に困るようなこともなかったです。それなりに愛されて育って きたことも理解しています。でも⋮⋮どうなんでしょう⋮⋮どこか 本当の両親じゃない気もします。育てて貰った恩は当然感じていま すし、私も両親や兄弟を愛していると胸を張って言えますが⋮⋮結 局、私は彼を探す為に、家を出ました。 当然、最初に言い出した時は反対もされました。多分両親は村に 残って従士の誰かと結婚するか、さもなければ別の村の領主の子供 と結婚させたがっていたと思います。それは理解できます。自分の 娘が安定した生活を送れるように心を砕いていたのは理解できます から。ですが⋮⋮私はどうしても彼と会いたいんです。逢わなけれ ばいけないんです﹄ まぁ今まで付き合ってきた中でほぼ推測していた通りの回答だ。 ﹃そうか、ラルファ、お前は? ゼノムをどう思っている? ああ、 言いたくなければ無理にいう必要もないよ﹄ ﹃いっつも思うんだけどさ、何で私だけお前扱いなのよ? 別にい いけど。ゼノムはねぇ、やっぱりお父さんだね。私、転生前は高校 生だったけど、両親はあんまり家に居なかったし、正直印象薄いん だよね。刷り込みって言ったっけ? あのひよことかが生まれて最 初に目に付いた動くものを親と間違えちゃうの。あんな感じかな? 生まれ変わって気がついたらいつもゼノムが傍にいて、私を守っ てくれてた。危ないことも何度もあったし。それでもゼノムは私を 1585 見捨てないで育ててくれてた。確かに本当の親子じゃないけど、も う何年も一緒にいるし、すっかり家族ね﹄ ま、そんなもんだろ。 ﹃そうか。だけど、扱いについてはてめーの胸に手を当てて考えろ。 オメーは生意気なんだよ。それから、ベルの方がずっと可愛いから な。分け隔ては当たり前だっつーの。あと、別にいいならそもそも 言うな。黙ってろ、そういうところがいちいち子供なんだよ、お前 は﹄ こいつは思ったことをズケズケと言うからな。特に俺にだけ。あ る意味ミルーに近い。 ﹃はっ、なぁんだ、アル、ベルのこと可愛いと思ってるの? 好き なの? 残念でした、ベルには彼氏いま∼す。ベルの胸は彼氏のも ので∼す﹄ こ、このやろ⋮⋮。このむかつく笑顔を殴りつけたくてしょうが ない。おさまれ、俺の右腕よ。 ﹃ああ、ベルは可愛いだろ? お前と違ってこましゃっくれた事な んか言わないしな。あと、お前ごときにいちいち言われなくても彼 氏がいることくらい知ってるわ。ああ、ベル、気にしないでくれな。 こいつがあんまり阿呆だから﹃ふふっ、解ってますよ。多分アルさ んは私のことは仲間とか部下以上に思ったりもしていないでしょ? そのくらい解りますよ。ラルだって本気で言っていないですから﹄ だよな。確かにベルの胸は注目に値するが、兎人族の平均くらい で、種族から見ればそうおかしくもない。日本人的な感覚だと充分 1586 おかしいけど。だが、俺はベルの胸に意識を取られたことなんかな いぞ。興味がないわけじゃない。むしろある。しかし、胸を注目さ れていい気になる女も日本人ならそうそういないだろうことも知っ てる。 ﹃まぁ、ラルファのことは放って置こう。で、今聞いた件だけど、 俺は自分の両親や兄弟は好きだ。今年の春まで一緒に暮らしていた けど、確かに恩もあるにはあるが、そんなものより愛情の方が強い。 地球 転生して一つだけ良かったことは、家族が増えたことだと思ってい オース るくらいだ。 だが、いまの両親もまえの両親も俺の中で何一つ変わるところは ない、というのは言いすぎかも知れない。君達には実感も少ないだ ろうが、俺は転生した時は45だったんだ。対して俺の両親は二人 共そのとき二十代だ。最初は小僧とか小娘に見えた。何しろ俺より かなり若いんだからな。だが、一緒に暮らし、面倒を見てもらって いるうちに自然と尊敬できるようになった。日本じゃ有り得ない苦 労やなんかも間近で見ていたからかもな﹄ 俺は鋼のような強靭な意思で今にも暴れ出しそうな右腕をねじ伏 せ二人を見ると、更に言葉を続けた。 ﹃ベルは、こう言っちゃなんだが、怒らないで聞いてくれ。両親よ り彼のほうが大切だと思ったから家を出た。違うか? 違わないよ な。いや、いいんだ。ある意味で当然だよ。俺だって地球の両親は 大切だったけど、それ以上に女房の方が大切だった。極端すぎる例 だが、どちらかを選べと言われたら悩むくらいはするだろうが、結 局女房を取るだろう。それと同じことだ。 だが、これも冷静に、感情抜きで考えて欲しい。自分の事を真に 理解してくれているのはどっちだ? 自分が大変な間違いを犯した として、庇ってくれるのは? 仮にだが、俺があまりに下らない犯 1587 罪に手を染めたとしても、女房には愛想を尽かされて三行半を突き つけられる可能性はあるが、俺の両親はたとえ俺が間違っていても、 叱り飛ばしはするだろうが結局は庇ってくれると思う﹄ 俺の言葉に二人共考え込んでいる。彼女たちの答えが聞きたいわ けじゃないので、俺は続ける。 ﹃話を戻す。俺は家を出るにあたって目的については家族に話して いる。彼らは馬鹿にしないで聞いてくれた。多分、共感は得られな かったとは思うが、俺の事を認めて、しっかりやれ、と言って許可 をくれた。それは俺の事を理解しよう、認めよう、自由にさせてや ろう、という深い愛情があったからだと思う。変な言い方になるが、 そんなの無理だ、悪いことは言わないからこっちにしておけ、と言 うのだって愛情だ。どっちが良いなんてことじゃない。どっちでも いいんだ。ただ、心の底から馬鹿にしなければ、それは愛情だよ。 俺はそう思っている﹄ 二人は俺の目を見ている。 ﹃⋮⋮ラルファ、ベル。二人共大切な俺の部下だ。だけど⋮⋮だけ どさ、俺の目的を、夢を聞いても俺の両親のように笑わない、なん てことはないだろうと思ってる。むしろ、呆れかえるかも知れない、 とか、見捨てられるんじゃないか、とか思って、それが怖かった。 申し訳ないが、流石に二人から俺の両親と同じような愛情を感じた りはしてない。二人共そんな気持ちなんかないだろう? 二人にだって、例えば、ベル、君だって彼に言えなくても、両親 には言えるようなこともあるはずだ。ラルファだってそうだろう? お前に彼氏がいたかどうか知らないが、友達でも親友でもいい。 彼だか彼女だかには言えないけど、両親やゼノムになら言えること なんかあるはずだ﹄ 1588 そう言うと俺はラルファを見、ベルを見た。彼女たちは理解した んだかしてないんだか解らないが、それなりに咀嚼はしてくれたよ うで、頷いている。 ﹃それと、全く逆のこともある。俺は女房には言えることでも両親 に言えないこともあった。だが、その場合、重さが違う。この場合、 どちらかというと、両親に不安を抱かせないように、心配させない ように、という方が強い。結局両親を理解しているから、こんなこ と言うと心配させるだろう、とか、いらぬ気を回させてしまうだろ う、という方が近い。 同じように、例えば男同士、女同士でなら言えることもあるだろ う。友人でもこいつには言えるがあいつには言えない、なんてこと もあったはずだ。だけど、言える内容の許容範囲については自分が 真剣に話す場合、家族であり、おそらく自分を一番理解してくれて いる両親に対してが一番大きいはずだ﹄ 同意は得られたようだ。ま、ここは人それぞれだろうから一概に は言えないんだがね。彼女たちは転生前は若かっただろうし、学生 だったらしいから、当時の俺よりはよほど両親に対する依存などは 大きいだろう。ラルファも両親とは疎遠だったらしいが、彼女も馬 鹿じゃないから、両親に一定の感情は持っていたろう。 ﹃今話した内容は、今まで俺が究極としている夢をこれまで家族以 外に話していなかった理由だ⋮⋮。この後に及んで俺はまだ迷って いる⋮⋮。思い切って言ってしまえ、という気持ちと、言ったら表 面上は納得してくれたり、理解してくれていても、俺がいないとこ ろで馬鹿にされてしまうんじゃないかという、臆病な気持ちがぐち ゃぐちゃになっている。これは決して二人のことを信用していない という事じゃない、というところは解ってくれるか? さっきも言 1589 ったが、別に話しても直接害はない。二人がみだりに言いふらした りしないということも理解している。そのくらいは信用、いや信頼 しているよ、だけどなぁ⋮⋮﹄ 俺が言葉に詰まると、ラルファが言う。 ﹃ん∼、アルの言いたいことは解る、と思う。でも、そんなに変な こと考えてるの?﹄ ラルファの後を継いでベルも言う。 ﹃確かに、言いにくいことはあるでしょう。でも、私達は何日も二 人で相談してきました。時にはゼノムさんや、ズールーやマルソー とも話したこともあります。皆、最初は不思議がっていました。で も、あるときゼノムさんが私達に言ったんです。長くなりますが聞 いてください。﹁ズールーとマルソーはアルの奴隷だから、この際 置いておこう。だが、俺達三人はアルに金で雇われているに過ぎな い。使用人と一緒だ。使用人がみだりに主人の心に踏み込むべきで はないだろう。だけど、お前達二人は唯の使用人じゃない。もしア ルが心を開いてくるなら、それは同じ転生者であるお前達だけかも 知れない。ベルとの出会いの件もある。転生者だからと言って決し て味方になる奴ばかりでもないだろう。だが、それでもアルは仲間 が欲しいんじゃないかな? 自分の心の内をそっくり吐き出せるよ うな、家族に近い存在が欲しいと思う。多分アルにはアルの考えが あるだろうし、意地もプライドもあるだろう。そこは配慮してやら んとアルに限らず誰の心を開くことも出来はしないだろう﹂って言 ってました。一言一句同じじゃないですが、意味は同じです﹄ そっか、ゼノムがな。 1590 ﹃もう三ヶ月以上は毎晩話してるね。大抵はベルと二人だけど、ゼ ノムやズールー、マルソーも入ることもあったよ。それこそ、いろ いろ考えてきたよ。アルがお金を稼ぎたいというのは本当だと思う。 これはハッキリしてると思ってる。だけど、何のために? 生活費 くらいだったら一応貴族なんだし、まじめに働けばそうそう困るこ と無いでしょ? 迷宮での稼ぎだって、私たち、すごいじゃない。 一層や二層でならアル一人だけでもものすごく稼げるよね? もっ と贅沢な暮らしだって出来ると思う。 正直な話、私達も生活していくだけなら商売とか料理屋でもやれ ばそこそこいけそうな気持ちはあるよ。昔はそうでもなかったけど、 お陰で元手は相当出来たからね。ゼノムと二人でなら充分何か小さ い商売や店くらいは出来るとは思うわ。でもね、アルが求めてるの はそんな、何百万とか何千万Zとかいう金額じゃないんでしょ?﹄ そうだな。何百億って単位だよ。 ﹃私達もいろいろ考えてみたんです。それだけの大金が必要なこと ってなんだろう? 奴隷を買う必要があることってなんだろう? って﹄ ﹃ま、幾つか考えて結論も出したんだけどね。一、奴隷を沢山買っ て何処かいい土地の開墾をして正式な爵位を得て領主になる。二、 とても大きな商売を始めたい。外国と大きな商売をするとかね。そ の商売の資金。三、お金を貯めて賄賂に使う。ロンベルト王国で国 に、公務員? として働くのに就職活動のためにお金が必要。宮廷 魔術師を目指すのかな。四、三に近いけど同じく賄賂に使って騎士 団に入団して騎士を目指す。運がよければどっかの領主の騎士団長 に拾ってもらえそう。五、海賊王に俺はなる。このどれかって思っ たの﹄ 1591 一と二は至極真っ当だが、三や四ってどうよ? そんな事しなく ても俺なら⋮⋮ま、いいや。それに五は一体何だよ。どこかで聞い たフレーズだが。っつーか海賊王って完全無欠な大犯罪者じゃねー か。世界中どこ行ってもまともに相手にされねーよ。こん中では一 番近いけど。ま、一と五の一部を足した感じが一番近い。 ﹃今のアルさんの話を聞いた限りだと三や四ともかく、一や二とい うこともなさそうです。ひょっとして、ゴムの実でも食べたんです か? バークッドで﹄ ベルも冗談言えるんだな⋮⋮。 ﹃まさか、本当に海賊王目指してるわけじゃないでしょうけど、た とえそうでも私は笑わないよ。もうアルの強さ知ってるもん。あれ だけ魔法使えるのって凄いよ。私なんか魔法は使えるようになった けど全然だしね∼﹄ ラルファ、お前って意外と⋮⋮いいやつかもな。 ﹃そうです。私たちはアルさんの目的を聞いて笑って馬鹿にするよ うなことは決してありません。そこは保証します﹄ ベルも、ありがとう。だけどさ⋮⋮ ﹃二人共、ありがとう。この通りだ﹄ そう言って二人に頭を下げる。そして、 ﹃だけどさ、怖いんだ。いい年したおっさん、いやもう爺さんか。 が何言っているんだって言われそうでな⋮⋮﹄ 1592 本当に二人の気持ちは有難いし、嬉しい。俺と一緒で見た目は小 娘だが、二人共30を超えている精神年齢のはずだ。うん? 30 を超えている? ﹃⋮⋮ちょっと⋮⋮ちょっと待ってくれ⋮⋮﹄ 俺はこめかみを右手で掴み、左手の掌を二人に向けると、考えを 整理した。 俺の精神が肉体年齢にある程度引っ張られているのは本当だろう。 後から考えるとどうも本来の俺では考えられないような行動を取っ ていることもある。その時は違和感なく行動しているが、後々自分 の行動やその結果について整理している時などに度々気がついてい た。 ある意味で﹃自分の国を作りたい﹄という夢だってそうだと思っ ている。中学生くらいの年齢で、無茶苦茶な暴力を振える膨大な魔 力を持ち、恐らくだが既にロンベルト王国の宮廷魔術師のなんとか 侯爵を超えた魔法の特殊技能レベルを誇っている。レベルアップな どのルールにも固有技能のおかげで気がつき、更にはその為に必要 な経験値の効率は最終的に他人の三倍に達する。レベルアップ自体 でも一般の人よりも大きく成長でき、こちらも三倍だ。 魔法の技能とそれを支える膨大な魔力のおかげで、先に敵対的な 相手を発見できさえすれば、迷宮の中でも苦戦すらしない。本気で やろうと思うなら、銃や大砲のような遠距離から精密に狙える兵器 が存在しない︵おそらく存在したとしても精密に狙えるのはいいと ころ数十メートルが関の山だろう︶オースの世界でなら俺一人で数 百人からことによったら千人くらいの軍隊なら文字通り全滅させる 1593 ことも出来るだろう。資金と時間さえ許すのなら、腕のいい鍛冶職 人などを雇い入れ、オースでは大量破壊兵器とでも言うべきものす ら作り出せる自信もある。 こんな状況で度々だかいつもだかは判らないが︵多分、いつも、 という感じが正しいと思っている。そうでなければちょっと説明が つきづらい︶中学生並みのメンタリティーであれば﹃自分の国を作 りたい﹄というのも頷ける。正直な話、日本の戦国時代の成りあが りの代表格、斎藤道三には俺は小学生の頃から憧れていた。織田信 長や豊臣秀吉、徳川家康に武田信玄、上杉謙信など、日本では大人 も子供も憧れている人は多い。むしろ、いい社会人や組織の管理職、 会社経営者たちが真剣に﹁豊臣秀吉に学ぶ人心掌握術﹂とか﹁先を 見通す戦略眼:織田信長﹂とかいうビジネス書を読みふけっている のだ。 全員、立身出世物語は大好きだ。俺だってそういった本は何冊も 読んだ。歴史小説も結構読んだ。俺の周りの同年代の人たちもかな り読んでいたように思う。少なくとも管理職になってから勉強を続 けないようであればそれ以上の昇進なんか難しい。お堅いビジネス 書だって少しでも読者に手に取って貰いやすいように人気のある戦 国武将から名を借りてきたりしているのだ。 それはともかく、俺が肉体に精神が引っ張られている状況であれ ば、彼女たちにもそれは当てはまるのではないだろうか? 十四歳 といえば大人への入口の年齢と言えなくもないが、所詮はローティ ーン。たかが知れている。何しろ俺だって後々思い出して悶えるよ うなことはある。そりゃ、多少は笑われるかも知れないが、今の様 子から考えて、笑うだけで済まされることもないだろう。慰めるく らいはしてくれそうだ。 1594 ﹃ま、いいか⋮⋮。俺の目的は、国を作ることだ。いつか、自分の 国を興して、その国の国王になりたい。今は、その為の資金稼ぎの 期間だと思ってる。金は出来るだけ沢山必要だからな⋮⋮。っはは ⋮⋮笑ってもいいんだぞ。そうだな、怒ってもいい﹄ 俺の言葉を聞いていた二人は、お互いちらっと見つめ合うと吹き 出した。⋮⋮やっぱな。そうだよな。こうなる気がしてた。だから 言いたくなかったんだよ⋮⋮。こりゃ明日から面倒くせぇな。ベル はともかくとして、ラルファはからかってくるだろう。だいたい、 ベルだって俺の目的を聞いて笑って馬鹿にするようなことは決して ありません、とか言った舌の根も乾かないうちにこれか⋮⋮。仕方 ないといえば仕方ないが。 ﹃ちょ、ベル、聞いた? 俺の国を作る、キリッ、だって。一緒じ ゃん﹄ ⋮⋮どうしてやろうか? ﹃っぷ、確かに聞いた。でも、私の勝ちね﹄ え? 私の勝ち? 勝ちって、賭けでもしてたのか? ベルとラルファ が? 俺の目的当てクイズ? は? なに? 俺ってここまで舐め られてたの? ふつふつと怒りの感情が湧き上がってきた。このガ キ共、俺をダシに遊んでやがったのか? 荒唐無稽だとか、子供っ ぽいとか言われて笑われるのであれば仕方ない。そういう意味なら 馬鹿にされるのも覚悟してた。 だけど、内に秘めた想いをネタに賭けをしていただと? 人を小 1595 馬鹿にするのも大概にしろ。煩いことは言いたくないが、俺は彼女 達よりも年上だし、且つ雇用主だぞ。ここは我慢して後々二人だけ の時にでも隠れて笑うのならまだ我慢も出来る。だが、面と向かっ て﹁賭けをしてます﹂だと? そして笑いものか。俺はつくづく人 を見る目がない。いや、転生者だからと言って傍に置いたのは俺の 意思でもある。俺の傍にこいつらが現れた運が悪いってことか。二 人共社会人経験もないまま死に、まともな方法で働きもせずその後 子供からやり直したのだ。 ああ、前世の部下たちが懐かしい。彼ら彼女らはまともだった。 真剣な話し合いの場で上司を面と向かってあからさまに馬鹿にする ようなことはなかった。TPOを弁えた立派な社会人だった。腹の 底では何を思っていたのかは解る訳もないが、常にさりげなく俺に 敬意を払ってくれた。俺も自分の上司にはそうしていた。俺は営業 部次長兼営業一課長として、上司である取締役営業部長やその上の 肩書き付きの経営陣には常に敬意を払って接していた。処世術では ない。それは当たり前のことだ。 きっと俺は今、苦虫を噛み潰し、額に青筋でも立てているかのよ うな表情でいるんだろう。前世の十四の頃の俺なら手が出ていても おかしくないくらい腹を立てている。感情が肉体年齢に引っ張られ ているとは言え、経験もあるし、その経験を下地にした性格もある 程度は醸成されているだろうから、ただの十四歳ではないのだろう が、腹が立つものは立つ。 ﹃お前ら⋮⋮舌の根も乾かんうちに⋮⋮畜生⋮⋮﹄ そこに直れ! 素っ首叩き落としてやるわ! 出来るわけねぇけ ど。だが、これを放っておいたら彼女達の今後にも良くない。説教 が必要だ。怒鳴りつけたい言い訳にも丁度いい。面と向かって目上 1596 の人間を小馬鹿にするリスクを解らせてやったほうかいいだろう。 何も、心の底から尊敬しろとか言うつもりもないし、そんな事これ っぽっちも思ってもいない。別に心の中では馬鹿にしてたっていい さ。尊敬に値しない上司などゴマンといるだろうしな。だがそれを 表には出すな。上司は上司という、ただそれだけで尊敬し、敬愛す るに値する存在だ。そういう上司の方が尊敬に値しない上司より数 多く存在するのも事実だ。そういう人だからこそその立場まで出世 できたのだから。もしくはそういう人を出世させ管理職として用い ている組織の方が強靭で大きく成り易いとも言える。 ﹃アルさん、笑ってしまったのは謝ります。ごめんなさい。でも、 決してアルさんの夢を聞いて、それを馬鹿にして笑ったのではあり ません。私の予想とぴったりだったから嬉しくて笑ってしまったん です。聞いてください。私達は先ほど、アルさんの目的について沢 山話し合って来た、と言いました。 その中で一つ、建国、というのがありました。それを言ったのは 私です。私はいい夢だと思います。小さくまとまるより、よほど男 らしくて大きな夢じゃないですか? 何も恥ずかしいところは無い と思います。確かに、もし日本でそんな事を言う人がいたら私も馬 鹿にして笑っていたかもしれません。でも、ここは日本ではありま せん。オースです。建国のチャンスは幾らでもあると思います﹄ ﹃そうね。笑ったのは悪かったわ。謝る。ごめんなさい。ベルが言 ってたことと同じだったからね。私はねぇ、アルはお金稼いでそれ を裏金にして袖の下使って宮廷に入り込んで裏から国を乗っ取ると かそういうのかと思ってた。それはそれで面白そうだと思うんだよ ね。でも、結構健康的じゃない? アルはもっと⋮⋮腹黒いタイプ かと思ってたんだよなぁ。遠くからバレないように魔法で邪魔なや つ殺すとか、アルなら誰にも知られないで出来そうじゃない? で、その責任を全然違う人に擦り付けてその人がやったように証 1597 拠を作るの。魔法で。言い逃れできないように証拠を作り上げて責 任引っ被せて殺すとかさ。そうして段々出世していって気がついた ら大臣? だっけ? ああ、摂政ね。ありがと。そんな感じで政治 家の最上位になって国王とか王族はすっかりアルのことを怖がって アルの顔色窺いながら暮らすとかさ。で、私たちはそんなアルのこ と知ってるからアルにお金貰って幸せに生活するの﹄ ⋮⋮怒鳴りつけてやろうかと思ったが、賭けてたわけじゃないの か? まぁ当てっこくらいな感じか? いや、そんな事よりやっぱ ラルファ、お前さ⋮⋮。一体お前の中で俺はどうなってるの? ﹃⋮⋮まず、俺の夢の内容について予想したりしてたのはいい。そ のくらいは別に問題ないよ。だけど、もしそれで賭けをしていたの なら怒るぞ。ベルも⋮⋮俺のことを馬鹿にして笑ったんじゃないと いうことは信じるよ。だが、ラルファ、お前は本当に馬鹿だな。そ んなこと言って俺が嬉しがると思うのか? 何が私達はお金をもらって幸せになるの、だよ。ふざけんな。仮 にそうなったらお前みたいなアホは真っ先にぶっ殺して後顧の憂い を断つわ。だいたい、お前、俺の事そんな風に思ってたわけ? な にその陰険な感じの奴。誰? え? 俺? 俺なの? 俺今までお 前に陰険に当たってきた事無いよね? お前、そんなに俺の事陰険 野郎にしたいの? 何か俺に恨みでもあるの?﹄ 一気に言うとどっと疲れた。 ﹃ばっかねぇ。別にアルに陰険になって欲しいんじゃないよ。そう やって行けるくらいのコネや頭はあるでしょ? お金さえあればそ のくらいアルなら出来るでしょ? あんた、頭良さそうだし、力も あるしさ。成功率考えたら私の案の方が安全な上に実現性高いじゃ ない? 感謝して欲しいのはこっちだよ。アイデア料でボーナスく 1598 れてもいいんだよ?﹄ もういいや、こいつは。だけど、こいつもよく考えたら俺の夢の 内容について笑ってたわけじゃないんだよな。大方二人で予想して いる時にベルが俺のセリフと同じかソックリなことでも言ったんだ ろうということは解った。なんだか毒気も抜かれたし⋮⋮さて。 ﹃うるせー、馬鹿。何がアイデア料だ。お前の案は却下だ。採用に 値せん。⋮⋮それより、ちょっと真面目な話、どうなんだ? 変だ と思わないのか?﹄ 俺はそう言うと二人を見た。 ﹃アルさん、アルさんは気付いているかは解りませんが、私は思う ところがあります。ラルには否定されましたが⋮⋮聞いて貰えます か?﹄ ん? ﹃最近、私の頭が変なんです。あ、いや、頭がおかしいとか気が狂 ってるとか病気だとかとは違うんです﹄ ベルが喋りだすとラルファが口を開いた。 ﹃ベルは考え過ぎだって。私は何も感じないし、変だとも思わない けどな﹄ ﹃だから、ラルは元々若かったから⋮⋮私も若かったけどラル程じ ゃないから。アルさん、まず、先程のアルさんの質問の件ですが、 私は変だとは思いません。それどころか、羨ましいとか、わくわく 1599 する、という気持ちすらあります。実は⋮⋮何年か前から思ってい たことが関係していると思います。聞いて貰えますか?﹄ ベルは再度俺に質問をしてきた。しかし、俺の夢に対して、羨ま しいとか、わくわくする、だと? ﹃話は私の精神性についてのことになります。私は転生する前に2 1歳でした。学校の成績もそれなりに良い方だったと思っています。 だけど、たまに思うんです。これ、私の考え方じゃないかも知れな い、私はこんなことで喜んだり、ここまで悲しんだりしないはずだ って⋮⋮。でも思い返してみると十代の半ばくらいであれば充分に 納得できたりもするんです。私が一番おかしいと思ったのは、私が 生まれて暫くした頃のことです。上の兄弟にあやされた私は別に大 したことでもないのにすごくおかしかったり、悲しんだりしてしま っていたんです。 そういった感じは年と共に段々と減っていきました。でも、どう 考えても二十歳過ぎたいい年の大人が、文字通りの子供だましのよ うなあやされ方で一喜一憂したりしているんです。その時は別に問 題に思ったりはしないのですが、後から考えると明らかにおかしい んです。そういった事は赤ん坊の時だけじゃありません。今、この 瞬間もです。怒らないで聞いてください。私はアルさんの夢につい て実はある程度推測していました。勿論、建国以外でも何の不思議 もありませんでしたけど。建国、というのもあるかも知れないなと 思っていたんです﹄ ⋮⋮。 ﹃私たちは二十一世紀に生きていた日本人です。失礼な言い方です が、その日本人が国を作りたい、と言うのには違和感があります。 今ある国の中で出世したい、力を示して有名になりたい、とかの方 1600 がまだしっくりきます。それだって、充分に変わっています。普通 なら内閣総理大臣になりたいとか言うのって、小学生ですよね。 一億人以上の人口がいる中で内閣総理大臣に上り詰めるのは大変 な困難が予測されるからです。個人の力だけではどうしようもない でしょうし、お金も、出来れば親が政治家でその票田を受け継ぎで もしたとしてもなかなか難しいことは十代も前半くらいで理解して いる人がほとんどです。まだプロスポーツ選手を目指した方が現実 的だと思います。それだって幼い頃から目標に定め、適切なトレー ニングを積んだ上に、才能に恵まれないと難しいでしょう。タレン トなどの芸能人もしかり、です﹄ ベル⋮⋮。 ﹃今のオースはアルさんも以前言っていた通り、文明レベルも、文 化レベルもいいとこ戦国時代です。一部江戸時代くらいに発達して る部分もあるとは思いますが、下手すると奈良とか平安時代かと思 うようなところも多くあります。専制封建政治が行われ、血筋で身 分も分けられ、奴隷が当たり前のようにいて、尚且つ魔法があり、 魔物がいます。ステータスオープンや技能など、ゲームみたいなと ころもある、変わった世界です。こんな世界にアルさんや私たちは 生まれ変わってきました。はっきり言って、こんな世界で日本人の 知識を持っているのであれば、いろいろなことが出来るでしょう。 国を作るなんてこともその一つだと思います。能力と、それを支 える強固な意志があれば何をやってもいいのです。軍隊を組織して 土地を侵略するなんて、当たり前のことじゃないですか。モンゴル 帝国を築いたチンギスや、鎌倉幕府を開いた源頼朝だって沢山人を 殺し、殺させたはずです。中にはなんの罪もない人たちや赤ん坊だ っていたでしょう。そりゃあ、人殺しは良くないことです。 でも、そんなの当たり前のことです。チンギスや源頼朝だって理 由もなく人を殺したりなんかはしなかったでしょう。究極的には自 1601 分の覇道に邪魔だ、という理由があったはずです。だからと言って 二十一世紀の日本人は彼らのことを残虐だと言って責めたりはして いません。なぜなら、その当時において普通のことをやっただけだ からです。当時、国王や豪族になりたがる人は内閣総理大臣を目指 す小学生より多くいたのではないでしょうか。勿論、非常に困難な 道は予想されますから、諫められたりして諦めたりした人も数多く いたでしょう。非現実的だと言って笑う人だっていたに違いありま せん。 それは、その当時だと内閣総理大臣やプロスポーツ界の頂点を目 指すようなことだったからでしょう。でも、でもですよ、私たちは 普通の人とは違うんです。確実に才能に恵まれています。肉体レベ ルの上昇具合は三倍なんでしょう? その上固有技能もあります。 いいじゃないですか、新国家建設。だいたい、考えてみてください。 バルドゥックの迷宮だって、本来数年がかりでなきゃ足を踏み入れ られないような階層に数ヶ月で辿り着いたんですよ。勿論、それは アルさんがいなければ無理です。でも、どうですか? あんなに体 が大きくて、戦争にも行ったことがあるズールーより、ラルの方が 強いんですよ?﹄ ベル⋮⋮お前。ベルはくたっと垂れた耳を髪とともに撫で付けて 位置を修正しながら続けた。 ﹃そういった事が事実として判明している以上、国王を目指すなん ていいじゃないですか。国を作るなんて格好いいじゃないですか。 私は笑いません。アルさんなら出来るんじゃないか、とすら思いま すよ。困難があったとしても何とか乗り越えて行けるんじゃないか って⋮⋮。こんな感覚を受ける私がおかしいのも解っています。と ても成人を過ぎ、更に十何年も経った人が思う感覚じゃないことは 理解しています。でも、そう思ってしまうんです。これは、私の気 持ちが本来の年齢相応ではなく、今の年齢に近くなっているからだ、 1602 と思っています。私たちは記憶や経験は持っていますが、また赤ん 坊から成長し直しているんです。感性は若くなっているんですよ、 きっと。 だけど、記憶があるからこういう事は恥ずかしいことだって思う んですよ。記憶があるからリスクばっかり考えて失敗することも心 配してしまうんです。そりゃ、私だって冷静に考えて建国だなんて 難しくて大変で、いくら能力や特別なレベルアップに恵まれていて も失敗して死んじゃうかも知れないって思います。でも、そうなら ないための記憶と経験じゃないんでしょうか? 私たちは学んでき ました。こういう時代で建国に成功した事例を。失敗した事例を。 それを知っているだけで能力だとか特別なレベルアップだとかより すごいことだと思います。 私は、いろいろ考えていた中で、建国、ということに思い当たっ たとき、納得と憧れを感じました。やっぱり私を助けてくれた人は 凄いんだなって思いました。私は、恋人が転生していることを知っ てから、彼にもう一度会うために無我夢中で、それ以外のことを冷 静に考えることすらしていませんでした。生活の全てを彼と会うこ とだけに傾けて、余裕なんかなかったというのが本音ですが、これ は言い訳です。 勿論、彼のことは好きです。愛しています。もう一度会いたいで す。でも、それだけじゃ日本での人生の続きを生きることが目的み たいですよね。その通りなんですが、それだけでは恥ずかしいと思 います。私は彼ともう一度、オースで生きるんです。日本ではあり ません。彼の子供を産み、育て、オースに根を張るしかないんです。 彼に会ったその時、私が子供のように彼と会うことだけを目的に、 何も考えず、ただ生きて来たなんて思われたくありません。 私は彼と未来を作りたいんです。彼と、子供に誇れる人生を送り たいと思います。彼と会えたらお手伝いしたいくらいですよ﹄ ベル⋮⋮お前⋮⋮長いよ。でも、そうか、ベルも精神が肉体に引 1603 っ張られていることについて気づいていたのか。ラルファは元々が 若すぎたから気付かなかったのかな? クローはともかく、マリー はその辺どうなんだろう。 ﹃ベルはさ、難しく考え過ぎなんだよ。私はあんまり変な感じはし ないね。でも、それはそうとして、アルが自分の夢を言ってくれた のは嬉しかったよ。やっと認めて貰えた気がした。私も別にアルの 夢については笑ったりしない。アルがいいならいいんじゃないの? でも、そうなったら給料上げてよね。下手したら今より大変にな るじゃない?﹄ ラルファ、なんだよ、お前⋮⋮。馬鹿じゃねぇの? 国作るんだ ぞ。そう簡単に行かないんだぞ。糞。給料分以上にこき使ってやる からな。覚悟しとけよ。 ﹃⋮⋮そっか。二人共ありがとう。それとベル、彼氏が、洋介さん が反対したらどうするつもりなんだ?﹄ ベルは意外そうな顔をして言ってきた。 ﹃え? 洋ちゃんは反対しないと思いますよ。むしろ喜んで手伝う かもしれません。私が話せばきっとわかってくれると思っています﹄ ふーん、そうなのか。洋ちゃんのことは全く知らないからコメン トしようもないけど、女に言われたくらいでそうそう手伝うかね? まして、手前の女に危険が及ぶかも知れないんだぞ。ま、今から 心配しても始まらない。そん時はそん時か。 ﹃わかった。洋介さんのことは今はいいや。その時改めて考えるこ とにしよう。ラルファ、ゼノムはどうなんだ? 何か言っていたか 1604 ?﹄ ラルファは椅子の上で右膝を立てていたが、体を左に傾けると、 ぷぅっと屁をこいた。本当に女か、お前。 ﹃あ、ごめんごめん。おならでちゃった。出物腫れ物所嫌わずって ね。えへへ﹄ ﹃えへへじゃねぇよ! 屁ぇこいてんじゃねぇよボケ! ベルも何 とか言ってやれよ!﹄ ベルは眉根を寄せてしかめっ面をしていた。心なしか耳の垂れに も力強さを感じられない。もともと力強くなんかねぇけど。 ﹃ラル、行儀悪いって言ってるでしょ。それに、今は真面目な話中 よ﹄ ﹃だからごめんって。で、何だっけ? ゼノム? ゼノムはねぇ、 それでアルと友達になれるなら好きにしたらいいって言ってくれた よ﹄ こいつ 友達? 誰が? 俺が? ラルファと? 何で? いや、確かに 以前ゼノムからラルファには自分が連れまわしていたせいで友達が いない、と聞いたことはあるが⋮⋮。 ﹃そうですね。友達ですね。友達なら相手の夢に協力したっていい のではないですか?﹄ ベルも頷きながら言う。え? お前もか? 俺、別に友達なんか いなくったって⋮⋮。日本でも友達は何人かいたが、オースでは一 1605 人もいなかった。俺はそれでいいと思っていたし、変に情に流され たりする可能性もあるからいらない、と思っていたくらいだ。だけ ど、友達か⋮⋮ ﹃お前が俺の友達とか片腹痛いわ。少なくとも俺と同じステージに 立ってから言え。馬鹿﹄ ﹃ふっふーん、そう言いながらアル、にやけてる﹄ ﹃にやけてますね﹄ ﹃にやけてねぇよ。痒いだけだっつーの。アホ﹄ ﹃ま、いいけどさ。でも、友達であって彼女でも何でもないからね。 勘違いしないでよ。あ、これツンデレじゃないから。ああ、アルは ツンデレとか知らないか。私、そもそもアルの顔、好みじゃないし﹄ はぁ、もういいや。こいつには何を言ってもダメだ。俺だってお 前なんか好みじゃねぇわ。 だが、今日、俺たち三人はパーティーになったと思う。 俺に仲間が出来た。 ﹃あ、そうそう、もうひとつ教えて? アルは休みの日とか早く引 き上げた日、繁華街の食堂で何やってるの?﹄ ﹃は?﹄ ﹃だって、ベルが言ってたよ。繁華街の食堂で道を眺めながら何か 1606 真剣にメモ取ってたの見たことあるって﹄ ﹃はい?﹄ 思わずベルの顔を見る。まさか、性病のチェック、見られてたの か!? ﹃え? 私はたまたま見かけたことがあるだけで⋮⋮見かけた時に 声を掛けようとしたら、真剣な顔で食堂に入っていって、何かメモ を取っていたから今後の作戦でも落ち着いて考えようとしているの かなってラルに言った事はありますが⋮⋮﹄ ﹃え? ああ、見られてたのか。いろいろな、計画とか⋮⋮その、 迷宮でのフォーメーションとか? 考えてたんだよ﹄ ﹃ふーん、ちゃんと色々考えてるんだね。頑張ってよね。言ってく れれば私もベルも手伝うからさ。ねっ?﹄ 誤魔化せはしたようだが、なんか、いろいろ台無しな気分だ。身 から出た錆だが。 1607 第四十話 パーティー︵後書き︶ 無駄に長くてすみません。 また、頂いたご感想ですが、基本的に活動報告でお答えするように しています。 お答えなどに絡んでたまに設定についても書いていますので、ご興 味があればたまにでも覗いて見てください。 1608 第四十一話 匂い 7442年10月26日 前日、あんな事があったのでラルファとベルにどんな顔をすれば いいのか、一瞬悩んだが、別に変わった事など必要無いと思い直し、 いつもと同じように接した。彼女たちも特にいつもと変わった所は なかったので、安心した。いつものように装備を確認し、迷宮へと 入っていった。 超特急で一層と二層を進み、二層の転移の水晶の小部屋に着いた 時にはちょうど昼頃だった。持ってきたサンドイッチと魔法で沸か したお湯で作ったスープで昼食を摂り、小一時間ほど休息する。休 息中にラルファとベルと冗談を言い、ゼノム、ズールー、エンゲラ もそれに加わったりした。いつもと一緒だ。いや、心なしかラルフ ァの顔つきが硬いのに気づいた。 ﹁どうした? 疲れたのか?﹂ 一層と二層を突破するだけで15km近くは歩いているだろう。 既に両方とも何度も歩き、罠の位置が記載され、幾つかは自分たち で追記した地図もあるから、緊張はかなり軽減されている。とは言 え、時速2.5km近い速度での迷宮行だから辛くないはずもない し、疲れていないわけもない。 ﹁ううん、大丈夫。でも、ちょっと気を張ってたのかな? ほら、 昨日あんな事話したじゃない? だから、頑張らなくっちゃな、失 敗できないなって思ってさ。ふぅ、でも、やっぱりちょっと疲れち 1609 ゃったのかも⋮⋮。ごめん、もう少し休ませて﹂ そう言えば俺たちの中でもベルだけは耐久が12とかなり低い。 ベルの次に低いのはラルファとエンゲラだが、それでも16もあり、 ベルよりも数字の上では33%も高い。今後、彼女の耐久はレベル アップと加齢でも増加はしていくだろうが、今回ラルファの方がベ ルより先に参ったのは何故なんだろう? ベルが兎人族ということ と何か関係があるのだろうか? それとも、単にラルファが緊張感 に弱く、疲労しやすいからなのだろうか? そっとベルの様子を窺 ってみるが、彼女は特に変わった様子もなくエンゲラと楽しそうに なにか話している。 一ヶ月、二ヶ月を争うような急ぎの迷宮行というわけでもない。 今後のことを考えるとここらで今まで棚上げにしてきた事を出来る だけ解明しておいた方が良いかも知れない。 ﹁そうか、無理はするなよ。辛いならいつでもそう言えよ﹂ よし、今日は折角ここまで来たが、三層をちょっと覗くくらいに して戻るか。明日以降暫くは迷宮は程々にして、ちょっと棚上げに していた所でも何とかしてみよう。 ﹁え? ⋮⋮うん⋮⋮ごめんね。なんか、アル、優しくなった? でも、勘違いしちゃやだよ﹂ ラルファが両肩を抱くようにして俺から身を遠ざける。 ﹁お前さ、本気で俺を怒らせたいの? 何なの?﹂ 決めた、ラルファ、すまんがお前をダシにさせてもらう。屁こき 1610 虫にぴったりなへたれな役割を与えてやろう。っつーか、やっぱ三 層も行けることまでは行くわ。 ・・・・・・・・・ バルドゥックの迷宮の第三層。石造りで薄暗く、通路の幅も一層 や二層のように10mない。多分一層や二層よりも50cmくらい は狭くなっている。勿論、所々では10m以上になったり2mくら いになったりすることはある。空気は淀み、停滞して流れを感じさ せないが、全く流れていないわけでもないらしく、たまに頬を撫で ることもある。 エンゲラがラルファに何か囁いている。お前ら、仕事中の私語は 慎め。でかい声じゃなくて、ひそひそ声だから、ま、別にいいけど。 ひたひたとその通路を歩いていくのだが、もう3mの棒では床を 叩いてもほとんど役に立つこともない。これは落とし穴が無いので はなく、落とし穴の構造が変わったからにほかならない。一層や二 層では落とし穴の表面に板を被せ、その表面を土で覆ってカモフラ ージュさせていたから、表面を叩けば音も変わり、すぐに見破るこ とはできた。だが、ここ三層では落とし穴はすっかり様変わりして いる。 一見すると通路と同じような石の板でカモフラージュされている。 落とし穴の中に数本の棒を立て、その上に通常の通路のように見え る石垣を薄くしたような石の板を載せているようだ。薄くしている 1611 とは言え、その厚みは15cm程もあり、棒でちょっと叩いたくら いでは音の変化なんか聞き分けられない。ベルの聞き耳は音がよく 聞こえるようになる類のものだから、微妙に異なる音を聞き分けら れたりはしない。せいぜい足音から相手が何本の足を持っているか、 発生源がいくつあり、移動しているかを聞き分けられる程度だ。 落とし穴を見分けるには少しずつ前進して足で踏んでみるか、ゼ ノムやラルファの持つ手斧の背を使って床を叩いて行くしかない。 手斧とは言え、片刃の先端は重い鋳鉄の塊だから、流石に叩いた時 の音も変わるし、落とし穴の蓋が微妙に動く感じも解る。面倒だか ら大きなローラーのような丸い石を地魔法で出し、それを転がして いこうかとも思ったが、流石にそんな事していたら俺の魔力を以っ てしても数㎞で魔力が尽きてしまう。実験などする必要も無いくら いだ。そもそもそれだけの距離を移動する間、魔力はともかく、俺 の集中力が持ちそうにない。移動や戦闘をしながら魔法を行使出来 るようになっているとは言え、極度に神経を使うし、そんな状態が 十分も続けばきっと精神疲労でヘロヘロだ。そんな所にモンスター でも出てきたら目も当てられない。そうなったらきっと俺は役に立 つことすら難しいだろう。 前進速度のことを考慮すると斧でいちいち叩いていくのは効率が 悪すぎるのでそろそろと用心深く進む他はない。先頭に立つ奴が一 歩踏み出し、踏み出した足に出来るだけ体重をかけないようにしな がら石の床をつつく。そこに落とし穴があるのであれば床は僅かに 揺れるからわかる。そうしたら横に移動して同じことをやり、大丈 夫なようであればそこを進むのだ。一層や二層とは異なり、土の床 ではないので目印になるようなものなどを突き刺しておくことも難 しい。仕方ないので地魔法で土を出し、ここら辺りだろうという場 所にぶち撒いておくしかない。 1612 過去にはいろいろな方法がとられていたようで、ペンキだかなん だか知らないが塗料が撒かれているような物も発見した。念のため 足先でつついてみるとやはり落とし穴のようで、微妙に動く感じが する。石の蓋と本物の床の間には注意してよく見るとわかるくらい の筋のような隙間もないことはないが、薄暗いので、こちらに注意 を払っていると亀よりも遅い前進速度になってしまうのですぐに諦 めた。だが、やはり過去から相当な人数が行き来しているのであろ うことは疑う余地もなく、あちこちに落とし穴を示す目印のような ものがあることがわかったので、そこそこ移動速度は保てているの が救いだった。 つまり、目印があるような場所であれば過去に誰かが探索してい るのだ。勿論、見落としの可能性は否定できないが、いくつかでも 目星がついているのは助かる。だが、別れ道などでは明らかに誰も 通っていないような通路を発見することも多かった。そういった場 合、少しだけ用心して進んでみてその先になんの目印も発見できな ければ引き返し、別の道を進む。目印が発見できたのであればその まま進んでもまず問題はない。 これで正解かどうかは判らないが、正解と信じでもしないと効率 は比較するのも馬鹿馬鹿しい程に落ちるので仕方なかった。三層へ の入口となる二層の転移の小部屋にいつも誰かが居て野営している ことの意味がわかった。三層へ行く前に一度体を休めないととても やってはいけないだろう。いざ、三層へと足を踏み入れても、そこ に過去誰かが通ったという明確な証拠︵まずは転移の水晶棒のそば に掘られている番号だ。これがあれば確実に誰か来ている。次は落 とし穴なんかの目印だ。これを探し当てるまでは用心深く進む他な いので最初にかなり神経を使うことになるが︶を見つけられないの であれば、再度二層に戻り、また新たに三層へと転移をする。 1613 今まで以上に進行速度は鈍り、精神的な疲労は積み重ねられてい く。しかし、それでも三層で得られるものは大きいのだ。石造りの 通路ではあるが、部屋は石造りのものと土の地肌がむき出しになっ ているものと二種類あるらしい。石造りの部屋は今まで同様に強力 なモンスターが巣食っているほか、ごく希にではあるが、使用法も 判然としない拷問部屋にでもあるような不思議な器具があることも あるという。尤も、めぼしい物は大半が持ち去られた後らしいし、 数も少ないので、見たこともないという冒険者も多いらしい。 問題は土の地肌がむき出しになっている方だ。こちらも迷宮内部 の他の部屋のように強力なモンスターの住処になっているらしいの だが、壁を掘り返すと希に宝石の原石を発見できることがあるらし い。要は宝石の鉱脈内にあるということだけなのだろうが、理由は ともかく、宝石の原石が採取できる可能性がある、というのが冒険 者たちをこの層、いや、バルドゥックの迷宮自体に誘う魅力になっ ているのだ。 これを聞いて、俺は最初、なるほど、と思うと同時に疑問も湧い てきた。いろいろな宝石やら鉱物が採取できるのはいい。ここはオ ースであって地球ではないし、今更そのくらいの差異では驚きはし ない。だが、発見した宝石の原石は、普通カットしないとあまり意 味がない。宝石のカットは職人技で、宝石を美しく見せるためにい ろいろなカット方法があり、そのカット方法によっても価値は変わ るというのは、きっと地球同様だろうとは思う。だが、そもそもカ ットし、研磨する道具なんてあるのか? 研磨は魔法で出来なくは ない。小魔法の研磨を繰り返しても時間はかかるだろうが出来なく もないだろう。無魔法が使えるなら多少効率は上がるのでそちらで もいいだろう。だが、カットはどうなのだろう? たがね 鏨のような道具でやるのだろうか? だが、一度でも失敗したら 1614 おじゃんだ。全く無価値になることはないだろうが、価値は大幅に 落ちるだろう。機械なんかもある訳もないだろうし、そこは職人技 なのだろうか? だとすると単純なカットしかできないだろう。恐 らくファセットでもステップやミックスが限界でブリリアントは無 理だろうし、下手したらカボッションでお茶を濁していることすら 考えられる。 場合によっちゃブリリアントカットを施したダイヤモンドならむ ちゃくちゃな高値がつくのかな? ダイヤモンドのオースでの価値 なんざ知らんけど。まぁ安くはないだろう。宝石の原石だって俺な ら鑑定すればきっと何の宝石かは判るに違いあるまい。うむ。三層 からは金の匂いがする。そう思えば神経を磨り減らす面倒な探索に も熱も入ろうというものだ。 幸運にも今回はまだ三層のモンスターとは一度も顔を合わせてい ないが時間もいい頃合だろう。ラルファの表情に幾分憔悴が見られ る。暗いから誰も気づかないのだろう。あ、そうか。こりゃまずっ たな。屁こき虫とかまじすまん。 ﹁ラルファ、大丈夫か? かなり疲れているみたいだが、無理して いないか?﹂ ﹁え? うん、大丈夫。問題ないよ﹂ 気丈なことだ。根性があるのは嬉しいが、流石に限界まで引っ張 るつもりも最初からない。潮時だろう。 ﹁ちょっと小休止しよう。今日はここまでだ。ゼノム、ズールーと 一緒に前方を見張っていてくれ、10分経ったらエンゲラと俺と交 代だ﹂ 1615 ズールーが仁王立ちのようになってパーティーの前に立って前方 の警戒を始め、ゼノムがその横3m程の場所に立つと、俺達は車座 になって座り、お茶を飲むことにした。いつものように魔法で出し たまずいお湯で茶を淹れると全員に渡し、俺は口を開いた。 ﹁今日は昼過ぎから二層と三層を行ったり来たり、結構やったな⋮ ⋮五回か。発見した落とし穴は六個。そのうち地図に記載がなかっ たのは多分未踏破の場所の一つだけだな。転移の水晶棒に番号が確 認できたら、油断はできないがまずは問題ないと見ていいかも知れ ない。まだ口の開いた落とし穴を見てはいないから帰りに一つあっ た奴に土でも載せて蓋を崩してみる。どんなもんか見ておく﹂ そう言うと水筒でお茶を飲む三人を見回した。特に異論は無いよ うだ。ラルファもいつになく真剣な顔つきで聞いていた。 ﹁さて、ラルファ。お前が無理していることはわかってる。これか らは恥ずかしがらずにちゃんと言えよ﹂ ﹁え?﹂ ラルファが意外そうな顔で答えた。 ﹁全部言わせんな、恥ずかしい。調子の悪い時はそう言え。ベル、 エンゲラもそうだ。これからはしんどい時はちゃんと言ってくれ。 今までその辺に気を使っていなかった俺が悪かった。ごめん﹂ ﹁アルさん⋮⋮﹂ ベルもやっとラルファの異常に気が付き、思い当たったのだろう。 1616 多分、今日最初に三層に降りてきたとき、エンゲラは気付いていた のだろう。流石犬人族、血の匂いでわかったんだろうな。出来れば そん時言って欲しかった。 その後、ゼノム達と見張りを交代し、さっさと退却した。 月に一回は有給休暇、というのも何だが、体調不良による迷宮探 索の休みを認めることにした。もちろんその当日がそもそも休みで ある水曜か土曜の時は別だ。だが、下手したら全員の命に関わるか ら、調子が良くないときは遠慮なく言うように命令した。そんな時 はそいつを除いた残りで一層辺りで適当に経験値稼いでりゃいいだ ろう。 あーあ、だから女の数は少ないほうがいいんだよ。転生者ならと もかく、やっぱエンゲラ買わない方が良かったかなぁ、とちょっと だけ思った。今更売るのも憚られるし、可哀想だし、もうしょうが ねぇけえど。決めた。迷宮に行く間はパーティーの人数も限られる し、もう女の戦闘奴隷は絶対買わねぇわ。これ以上増えたら、場合 によっちゃ殆ど迷宮で探索を進行できない週とか出そうな気がする。 今日はたまたま運良くモンスターに出会わなかったけど、二日目三 日目の血の匂いに反応する奴とか出てきたらたまんねぇわ。 ・・・・・・・・・ 7442年11月29日 1617 一月程が経つと、俺達にも三層での探索についてようやくコツも 掴めてきた。コツと言っても大したものではない。床を構成する石 段、というかタイルだが、足でつつく時のコツだ。楽な姿勢や、ど の程度体重を乗せるといいのかなど、段々と掴めてきた。 ラルファもレベルが上昇し、遂にMPが7になった。魔法や固有 技能についてこれからはかなり経験を積めるようになるだろう。こ れについては素直に嬉しいことだった。当分は出来るだけMPを増 やしたほうが良いので魔法の特殊技能のレベルアップを目指し、あ る程度、MPが二桁くらいになったら﹃空間把握﹄の固有技能のレ ベルアップもさせた方がいいだろう。 ベルデグリ・ブラブ ザラ ーッ フク ット ドパーズ 迷宮内でよく顔を合わせる他のパーティーにも知り合いも出来た。 緑色団や黒黄玉はトップチームなのであれ以来会ったことはないが、 二層の転移の小部屋くらいまで来れるような連中とはそれなりに親 しくなった。だが、まだ二層の転移の小部屋で野営するような度胸 はなかった。何しろ俺達のパーティーは半数が十四歳の小僧と小娘 なのだ。ゼノムやズールーもいるとは言え、俺の寝込みを襲われで もしたら大変な事態になるだろう。俺たちが二層の転移の小部屋に 行くたびにそれなりの魔石を抱えていることは既に知れ渡っている ようで、親しげに話しかけてくる連中も、どうやってモンスターを 皆殺しにしているのか、秘密を探りに来ているような印象は否めな い。 それに、三層での宝石採取もそう簡単ではないことも理解してき た。何百年も冒険者を受け入れている迷宮だ。三層とは言え、それ なりに探索はされている。月に一度くらい、そこそこの価値︵二∼ 三千万Z︶の宝石の原石が出ることもあるらしい、程度だそうだ。 折角ツルハシを買い、重い思いをして運んでいたのがバカバカしい くらいだ。 1618 もうそろそろ、三層でのコツもそれなりに掴めてきたとは思うの で、四層を目指してさっさと通り過ぎるだけの階層にした方がいい だろう。そもそも、採取できる宝石類だって下層の方が貴重なもの が出やすいらしい。結局三層では宝石の原石も、言われていた変な 道具のあるという石造りの部屋も見つからなかったが、まぁ別にい いだろう。 ちょっと整理してみると、三層では宝石の原石が採取できる可能 性が出てくるので本来、稼ぐなら三層以降が適切だ。四層からは貴 金属類も交じるらしい。五層はトップチームくらいしかまだ足を踏 み入れていないのでよくは分からないが、それでも得られる情報だ とさらに貴重な宝石や貴金属鉱石が得られるようになるとのことだ。 どうせ一月に一個取れるかどうかだろうが、出来るだけ人が入り 込んでいない場所の方が取れる可能性は高いに決まっている。やは り、三層はさっさと通り過ぎ、下層に可能性を求めるべきだろう。 魔石採取にあまりこだわらなければ一層は約三時間、二層もそのく らいの時間で突破は可能だ。問題は三層だ。罠のこともあるし、そ れなりに時間はかかりそうだ。仮に同じくらいだとしても︵そんな 事は絶対にないだろうが︶四層で探索可能な時間は二∼三時間だろ う。どう考えても朝から入って一日目の終わりに三層の転移の小部 屋に行けるかどうか、という程度ではないだろうか。 この日の終わり、探索を切り上げる段になって、俺は三層にこれ 以上時間を割くことを中止し、明日は休日なので来月から四層を目 指すことを宣言した。同時に必ず四層前の三層の転移の小部屋では 休息が必要になること、その為に野営に必要な道具を揃えること、 四層以下の地図は売っていないので、自分達で地図を作成しなけれ ばならないこと、従って、もう今までのようにサクサクと突破する 1619 ことが難しくなることを言い、全員を見回した。誰も意見はしてこ なかったので、明日の午後は休日ではあるが、手分けして必要な買 い物をすることを言い、迷宮を出た。 宿に帰るとバークッドから手紙が届いていた。12月の28日頃 にバルドゥックに到着するように家を出るらしい。いつもと違い、 かなり長い間バークッドを空けることになるので、兄貴一人と従士 だけで来るとのことだった。年末年始は日本人らしく合計一週間く らい休みにするのもいいかな、と思った。 ・・・・・・・・・ 7442年11月30日 午前中、いつものように連携の訓練を行い、昼食を挟んで買い物 に行く。保存食と携帯コンロの魔道具についてはラルファが立候補 したので彼女とゼノムに任せる。食料はともかく水だが、水は俺が 魔法で出せる。まずい水だが飲む分には困らない。他のパーティー は見るからに重そうな桶や水袋を手分けして運んでいるのだ。話を 聞くと、水魔法が使える魔術師は水の生成のため、戦闘に魔力を使 わないのは常識のようだ。 水魔法レベル2でどんぶり一杯くらいは出せるし、レベル3なら バケツくらい出せるから、出来るだけ魔力は節約して荷物を軽くす るらしい。それでもお茶など嗜好品を飲む時くらいは旨いものを飲 んで疲れた精神を癒す必要はあるので一人数リットルの水も持って 1620 いくそうだ。うーん、気持ちは解る。あの時ご馳走して貰ったお茶 は確かに美味かった。野営の時に豆茶を飲むのだって水魔法で出し た水よりはちゃんとした水を持っていき、それで作るべきだろう。 多少重くはなるだろうが、いつもは空の水筒に水を入れて来るくら いは言っておいたほうがいいかも知れない。 残った俺たちは毛布などの寝具の調達だ。バルドゥックは迷宮に 冒険者が群がっている街なので、寝袋のような便利グッズがあるか と思っていたのだが、そんなものはどこを探してもなかった。俺も ベルも前世の記憶から野営時は寝袋が非常に有用な道具であること を知っていたのでこだわりが強かった。 ブラックトパーズ 確かに二層の転移の小部屋で野営していた連中や、いつか一層で 野営していた黒黄玉の連中は寝袋なんか使っていなかった。テント もなかった。床に薄っぺらい毛布を敷き、それにくるまって寝てい た。しかし、俺もベルもどうにもそのスタイルについては微妙な気 持ちになる。バルドゥックまでの道すがら、基本的には宿に宿泊し ていたので野営は数える程しかしていないが、俺の場合、ハンモッ クで寝ていた。流石に迷宮内でハンモックを吊れるような丁度いい 木など生えているはずもない。仕方ない、ここは毛布で我慢するよ りあるまい。 以前採取したロゼから紡績した糸で毛布を人数分作成して貰うよ う注文した。ラルファやベルの手袋とか作らなくて良かった。出来 上がるまでに一月くらいかかるらしい。キヴィアックの毛布とか、 どんなお大尽だよ、と思わんでもないが、暖かい毛布は必要だろう。 あれからとんと見かけないが、またロゼと二層で出会うことがあっ たら何が何でも確保だな。 キヴィアックの毛布が出来上がるまで休むわけにもいかないから、 1621 仕方ないので適当な薄い毛布も購入した。畳んでその毛布を入れる ための袋も別途購入した。これをリュックサックの上部に紐で縛り 付ければいいだろう。リュックサックも戦闘の度に放り投げている のでもっと痛みは早いかと思っていたのだが、革製のリュックサッ クは思ったより頑丈なようで、あまり傷んではいないので買い換え る必要はないだろう。 テントについては俺やゼノムはともかく、女性は欲しがるかと思 っていたのだが、やはり欲しがった。着替えやなんやで視線を遮る ものが欲しかったのだろう。大きいし、荷物になるのでこれは遠慮 してもらいたかった。そもそも、テント内でゆっくり着替えられる ような立ち上がれるくらいの大きさのものは一人で運ぶのも楽では ない。冒険者用のテントも二人かせいぜい三人用の簡易シェルター なので、中で立ち上がるのは無理だ。着替えの時くらい毛布で覆っ てやるから、それで我慢しろとしか言えなかった。 1622 第四十一話 匂い︵後書き︶ 女性の戦闘奴隷について鑑定すらしなかった最大の理由です。一応、 当初から考えてはいましたが、あまりにも反応が大きくてびっくり しました。以前、アルの考察の中で、ズールーを購入するときの女 性の鑑定をしなかった理由について語らせていますが、その時には 女性の月経については触れていません。メッセージなどで幾人かの 方からご指摘の通り、アルは○○○○○○○○○○○○○○○○○ ○○○。本当はエンゲラさんにはこの辺りかもう少し前で経血の匂 いが原因で退場してもらうことも考えていましたが、アルの実力を 考えるとあまりに不自然なので生き残ることになりました。良かっ たねマルソーちん。あと、アルも財産が減る前に気付けてホッとし ていることでしょう。 1623 幕間 第十八話 西岡若菜︵事故当時17︶の場合 ﹁いや∼、買えてよかったよ∼、付き合ってくれてサンキュ∼﹂ 私はそう言うとバスに乗り込んだ。私の他、二人がバレンタイン デーの義理チョコを買い忘れていたので、買い忘れた二人と、単に 付き合ってくれた一人の四人で学校を抜け出して買いに来たのだ。 義理とは言え、見栄もあるし、ホワイトデーのお返しにも期待でき るからコンビニの安物で済ますのも憚られる。一人あたり千円は掛 けないと回収がおぼつかない。 バスは空いていた。私たち四人は車体左側中央くらいの入口から バスの先頭の方へ移動すると優先席に座った。全員並んで座れる椅 子はこれしかないし、優先席が必要そうな人が乗ってきたら譲れば いいだけだ。それまでは会話を楽しむくらい問題ないだろう。 美佐と雪乃は先頭側に座り、私と陽子は入り口付近の後ろ側に座 った。私たちの前の一人がけの椅子には先頭から順にOL風のパン ツスーツ姿の電子パッドを見ている女の人としけた顔の若いサラリ ーマン風の男、三十過ぎに見えるこれまたサラリーマン風の男が座 っている。その後ろには高校生らしい男の子が腰掛けてスマホかパ ッドでも見ているようだ。私たちより前の一人がけの椅子には買い 物帰りらしいおばさんがいた。入口を挟んだ後部にはバスの左側の 二人がけに高校生らしい男の子が二人並んで腰掛けている。 次のバス停でまた一人、乗客が乗って来た。高校生の男の子だ。 彼は私達の前のつり革に掴まると窓の外を眺めていた。制服は進学 校のものだ。たまに私たちの方に目を向けるが、そこそこ整った顔 1624 付きに釣り合わない、嫌な感じの目つきだった。 買い物のこと、クラスの男子のことなど、私たちの話題は尽きる ことがない。 その時、目の前の座席に座っていたサラリーマン達やつり革に掴 まっていた男の子が驚愕の表情で私たちの背後に注目した。 口を大きく開ける間抜けな彼らの顔が私が最後に目にした光景に なった。 ・・・・・・・・・ ぼうっとしたまま、時間だけが経って行った。一年程は何をする こともなくただ生きていただけだった。なぜなら、何かできるよう な体ではなかったからだ。私は赤ん坊になっていた。 最近、ようやっと物に掴まりながらなら立てるようになった。今、 私は長い夢を見ているのだろうか。そんな気さえする。 そして、訪れた命名の儀式。グリネール・アクダムと言うのが私 の本名らしい。グィネ、グィネと呼ばれていたので、てっきりグィ ネが私の名前だと思っていた。どうやら愛称らしい。同時にステー マ タスオープンも知ったのだが、よくわからなかった。名前だとか誕 ッピング 生日だとかの他に固有技能とか色違いの字もあった。だいたい、地 形記憶とか、意味がわからない。地形を覚えて何になるというのか。 1625 と、思ったら、頭の中が透明になった気がした。なんだろう、この 感覚、と思っているうちに暫くしたら急に眠くなってしまった。 言葉を覚え、近所の子供達と遊ぶようになった。固有技能の使い 方ももう理解している。使うとしばらくの間、頭が明晰になった気 がする。明晰、と言うのには語弊があるかも知れないが、クリアに なったというのもおかしい感じがするので仕方ない。その時間中に 私が入って観察した建物や通った道については、ほぼ完璧に記憶で きるのだ。思い出すのは容易だ。俯瞰して空撮写真や見取り図のよ うに思い浮かべることすら簡単に出来る。この能力については以前 会った神に話を聞いて使い方を学んだ。確か、ステータスオープン を知ってから暫くした頃だ。 神とはいろいろ話をした。私はバスに乗っていた時に事故に遭っ て死んでしまったらしい。事故後の報道番組を録画したような物さ え見せてもらった。犠牲者は39人。数が多いのはバスに突っ込ん できた電車の方でもかなりの人数が亡くなっていたからだ。犠牲者 の名簿のような画面も見せてもらった。ぱっと見だが全員日本人の ようだった。私の名前が赤い四角で囲んであったので、他の人の名 前は見落としたが、雪乃の名前も含まれていたことだけはどうにか 覚えていた。一秒足らずでは仕方ないだろう。 質問が許された時に聞いてみたら、雪乃だけでなく、美佐も陽子 も一緒にあの時に死んでしまい、この世界に同時に生まれ変わって いるらしい。どこに生まれ変わったのか聞いてみても教えてくれな かった。なんて意地悪な神様なんだろうと思ったが、どうしようも ない。あとは彼氏︵今は新しい彼女と宜しくやっているらしい。一 年以上経っているので仕方ないが、浮気者、と思った︶や両親家族 のことを聞いたり、固有技能や時間の概念、お金のことなどを聞い た。まだ時間が余ったので、どうやったら元の生活に戻れるのかを 1626 聞いてみたが、過ぎ去った時間を取り戻すことが出来ないのと同様 に不可能だと言われた。なら神とか言うな、と思ったが、そこまで 万能ではないと言われてしまった。そういうものなんだろう。 とにかく、そうしているうちに時間は過ぎ去っていき、気がつく と目の前には人を小馬鹿にしたようなことが書いてあるステータス のような窓が浮かんでいた。絶望して泣き喚きながらウインドウを 振り払い、私は泣きつかれて眠ってしまった。 ・・・・・・・・・ 数年が経ち、私は両親と一緒に旅をすることが多くなっていた。 旅といっても所謂旅行ではない。行商だ。私の家の家業は行商人だ った。街に自宅はあるが、店は持っていなかった。たまに行商で余 った品物を、売り物として露店に並べるくらいで、基本的には近隣 の町村を回る行商人だ。カラス麦や粟などの雑穀の種籾や、仕入れ た獣の皮やちょっとした嗜好品、石鹸や布、衣類などの生活必需品 を馬車に山のように積み込んでそれを必要とする人達へと届けるの だ。私がまだ十歳にもならない頃は馬車を御する父母の膝に座って いたりしたが、そのうち馬車の脇を歩いたり、馬車を引く馬の背に 乗ったりするようになった。 護衛には冒険者を雇うことが多かった。私達はあまり危険だとさ れるような場所には行かないようにしていたが、足手まといの私が 成長するにつれ、行商の範囲は広がっていた。それに伴い、野盗の ような犯罪者はおろか、魔物への警戒も怠ることは出来ない。遠く 1627 の村などでは生活必需品と言えども、その村で生産出来ないような ものは高く買ってくれるし、その村の特産品があれば仕入れを行う こともある。 特産品と言っても大抵はお茶の葉だったり、タバコだったり、農 産物が殆どで、ごくまれに綿花や羊毛などを仕入れ、本拠地である ロンベルティアまで戻った時に家よりも大きな商会や、紡績業を営 む商家に卸したりするくらいのもので、あまり変な商品︵投機的な 意味での変な商品ということだ︶を扱うこともなく、堅実に商売を 行っていた。 両親は私を商売に同行させることで、顧客や仕入先に将来の後継 者の顔を売りたいのだろうし、私にも早く商売に慣れて欲しかった のだろう。違うかもしれないが私はそう思っているので真相などど うでもいい。いつか婿を取り、アクダム商会を大きくして行くこと こそが両親が私に求めることなのだろうから。これは当たり前のこ とだろうし、私も自然に受け入れることはできる。むしろ、神が言 マッピング うことが本当なら、私はこのオースで生きてゆかねばならいのだし、 家業がある方がありがたいくらいだ。私の固有技能の地形記憶も考 えてみれば便利な能力だ。私が目にした場所なら俯瞰して思い出す ことができるのだから、これ程家業に合った固有技能もあるまい。 行商に付いていった最初のうちは頭の中の地図帳を拡大する意味 でも頻繁に固有技能を使っていた。何しろ眠くなったら父親か母親 の膝の上で寝てしまえばいいのだ。まぁそのうちに固有技能にも慣 れてきたのだろう、眠くなることも少なくなってきた。尤も、これ は同じ道を何度も往復することも多いのでわざわざ固有技能を使う 必要も減ってきたこともあるのだが。 父と母は堅実に貯金をしており、もう少しで今の家を売り、ちゃ 1628 んとした店を構えられるくらいのところまでお金が溜まったのが私 が十五歳になる頃だった。そんなときだ、事件が起きたのは。 ・・・・・・・・・ とある山の森の中の曲がりくねった道をいつものように二人の冒 険者を護衛に雇って進んでいた時だ。馬車の右側の冒険者に投げ槍 が突き立った。魔物の襲撃だ! 年に一∼二度くらいこういうこと もある。奇襲によって護衛の冒険者が目の前で死んだところを見た こともある。私は馬車を盾にするべく、馬の背から降りると馬車の 左側へと移動した。お父さんとお母さんも荷台から槍を引き出して いる。馬車の左側を警備していた冒険者は盾を構えながら馬車の後 ホブゴブリン ろを回って右側に駆けていった。 オーク 案ずることはない。豚人族や中鬼人族クラスの魔物が襲撃を掛け てきたのだろう。粘って一∼二匹倒せば負傷した仲間を庇いながら 退却するはずだ。 私は気持ちを落ち着かせながら怪我をした冒険者の様子を見た。 右腕の肩に近いあたりに投げ槍が刺さったようで、大きな傷から血 が出ている。彼は魔法が使えるらしく、必死に治療しようと左手を 患部に当てて魔法を使おうとしているようだが、痛みのために精神 を集中できないのだろう。左手の指の間から血がドクドクと出てい るばかりで傷はちっともふさがらない。お母さんを呼ぼうかとも思 ったが、今は冒険者とともに魔物から馬車を守るので精一杯だろう し、もともとお母さんは大して魔法を使えるわけでもない。 1629 仕方ない。すぐに死ぬほどではないだろうから、あとでゆっくり 傷を治すしかあるまい。それよりは一刻も早く魔物を追い払うのが 先だろう。私も荷台から私の槍を取り出すと加勢しようとした。 馬車の反対側では、冒険者を中心に両親が彼を援護するような感 じで戦闘が行われているようだ。しかし、ひと目その戦闘を見た私 は目を疑った。相手は見たところオークだろう。数もそう多くはな い。五匹のオークが手に手に槍を持って冒険者や両親に襲いかかっ ている。常なら両親が粘っている間に冒険者がオークの一匹や二匹 に重傷を負わせればそれで退却していくケースだ。 だが、今回の襲撃者は同じオークでもいつものオークとは異なっ ていた。オークのうち小柄な一匹が大きな犬のような魔物の背に騎 乗しているのだ。いや、犬ではない。灰色の毛皮を持つ2.5m程 の体長の恐ろしい狼だ。冒険者はその狼に騎乗したオークの相手を するのがやっとで、両親にはそれぞれ二匹ずつのオークが襲いかか っている。助けなきゃ! 急いで荷台から槍を取り出した私は加勢すべく槍を振り回しなが ら奇声をあげることしかできなかった。槍の使い方は多少お父さん に習ってはいたが、所詮は素人だ。私の攻撃なんか当たるはずもな い。でも、これでいいのだ。一匹でも引きつけて近寄らせなければ それでいい。何も私が倒す必要なんかないのだから。そのためにわ ざわざ高いお金で冒険者を雇っているのだ。 私は槍を振り回しながらお母さんに攻撃を仕掛けているうちの一 匹の注意を引きつけることに成功した。よく見て一対一で相手をす れば傷を負わせることはともかくとして、拮抗状態に持ち込んでグ ダグダにするくらいなら全力でかかれば出来る。と、﹁うおっ﹂っ 1630 というお父さんの叫びが聞こえた。傷を負ってしまったのだろうか。 心配だが、今はどうしようもない。ちらっと見る限りでは特に怪我 も負っていないように見えたのでとにかく冒険者が狼に乗ったオー クを何とかしてくれるように祈るしかない。 しかし、すぐに判ったことではあるが、どうやらお父さんが声を 上げたのは攻撃を受けたからではなく、相手に攻撃を突き入れた時 の気合だったということが解った。お父さんが相手をしていた二匹 のうち一匹が傷を負っていた。やった! これでオーク達は引いて いくだろう。 だが、何と言うことか。オークの一匹が傷つき倒れるのを目撃し たと同時に、頼みの綱の冒険者は槍を突き出した手を狼に銜えられ てしまい、体勢が崩れた胸にオークの槍を受けて突っ伏してしまっ た。役立たずの給料泥棒! と思いながらも、どうしようもない。 お父さん、なんとかして! 私も頑張るけど、お父さん! お願い! そう言えば最初に投げ槍を受けてしまった冒険者はどうしたのだ ろう? もう傷の治療は出来たのではないか? 痛みのあまり魔法 が使えそうもなかったことなどすっかり忘れ、私はもう一人の冒険 者が加勢に来ないことにすっかり腹を立てていた。今はお父さんが 狼に乗ったオークともう一匹のオークを相手に奮戦し、お母さんと 私が一匹ずつオークを相手に時間を稼いでいる状況だ。 お父さんが倒したオークだって死んだわけじゃない。這いながら 戦場から離れ、傷の治療をしているようだ。まぁ足に槍を受けてい るようだからそう簡単には戦線に復帰してくるとは思えない。だが、 こちらの冒険者は胸に槍を受けていた。死んでいないにしても重症 だろうから、怪我をしたオーク以上に復帰は絶望的だ。 1631 だが、やはり給料分の働きはしないといけないと思い直したのだ ろう、馬車の影から左手に槍を構えた冒険者が﹁うおおっ﹂という 雄叫びをあげてお母さんが相手をするオークに飛び込んでいった。 冒険者の槍は狙いたがわず、オークの胸を突き刺し、即死させた ようだ。やった! これでもう大丈夫だろう。そう思ったのも束の 間、槍をオークに突き刺した冒険者は怪我をした右腕を狼に食いち ぎられそうになった。冒険者は倒れ、余勢を駆った狼はそのまま母 親に体当たりをし、突き飛ばすと騎乗したオークが母親に槍を突き 刺した。 ﹁ジュリ!﹂ ﹁お母さん!﹂ 父親と私の叫び声が木霊する。 しかし、既にお母さんは物言わぬ骸と化していた。 叫んだ隙にお父さんがオークの槍に下腹辺りを突き刺されたよう だ。 もう駄目だ。 私は半狂乱になりながらめちゃくちゃに槍を振り回すことしかで きない。足の間を温かい液体が伝い落ちる。 その時だ。 流れるように駆け込んできた男はお父さんを槍で突いたオークを 斬り伏せ、体を半回転させると、狼の横腹に剣を突き入れた。すぐ 1632 に剣を引き抜き、左腕で狼に騎乗しているオークの槍を掴み寄せる と、体勢を崩したオークの腹にも剣を突き入れた。あっと言う間の 出来事だった。 そして、狼を蹴りつけた反動で騎乗しているオークから剣を引き 抜き、油断なく剣を構えた。私の目の前にいたオークはそれを見る と一目散に逃げだして行った。そして、狼に騎乗したオークも腹の 傷を抑えながら同様に傷ついた狼に乗ったまま退却していった。 私は辛くも窮地を脱することができた。 残ったオークに止めを刺している男をぼうっと見ていることしか できなったが、父親のうめき声を聞くと手にしていた槍を放り投げ、 父親に駆け寄った。 ﹁お父さん! 大丈夫!?﹂ ﹁ああ、グィネ。お前、怪我はないか? ジュリはどうだ?﹂ 土気色というのだろう。真っ白に紙のように血の気が失せた顔に 汗が浮かんでいる。どうしよう? どうしたらいい? ﹁ちょっとまって﹂ そう言ってお母さんを振り返る。まだ生きていたら治療しないと ! そう思って振り返ったが、先ほど現れた男がお母さんの傍にし ゃがみ込み首に手を当てていたが、私を見ると首を振った。ああ⋮ ⋮。 ﹁おと、お父さん! お母さんが! おかあさんがぁぁっ!﹂ 1633 溢れる涙をこらえきれずに泣き出す私を見てお父さんは悟ったよ うだ。 震える手を伸ばし私の頭を撫でると、口の端から血の泡を吐きな がら言う。 ﹁グィネ。多分俺はもうだめだ。よく聞け。金はいつものところに ある。荷物は出来ればヘンゲル村で全部処分しろ。商会の免状は俺 名義の白免状だからお前には譲ってやれない。とにかく⋮⋮荷物を 金に変えたら、あとは⋮⋮お前が何とかしろ。おま⋮⋮お前は道も よく覚えられるしいい商人になれる⋮⋮はず⋮⋮。ゴボッ﹂ ﹁もういいよ! もういいから、喋らないで! ねぇ、あなた、治 癒の魔術使えない? 薬でもいい、何か、お父さんを助けて!﹂ 私は男に向かってそう叫ぶが、彼は悲しそうに顔で頭を振った。 父親を挟んで私の向かいにしゃがみ込むと、 ﹁男二人と奥さんか? 女性は事切れていた。間に合わなくて申し 訳ない﹂ そう言って父親に頭を下げた。 エルフ ﹁あ⋮⋮あんた、精人族か? いい腕だな⋮⋮。頼みが⋮⋮ある。 こ、この先の⋮⋮ヘンゲル村まで⋮⋮娘と⋮⋮荷物を護衛⋮⋮して ⋮⋮くれないか? 謝礼は⋮⋮30万⋮⋮Z払う﹂ ﹁引き受けよう。必ず娘さんと荷物をヘンゲル村まで送り届けよう﹂ 1634 ﹁あ、あり⋮⋮ありが⋮⋮とう。娘を⋮⋮グィネを⋮⋮頼む⋮⋮﹂ そう言うとお父さんはがっくりと力が抜けたように首を落とした。 私は、今日、家族を亡くした。 ・・・・・・・・・ 私を助けてくれた男はトルケリス・カロスタランという名の若い エルフだった。しかし、それよりも驚いたのはその顔だ。エルフに しては線が太く、髪も目も私と同じく黒々としている。眉はきりり と太く、濃く、男らしさを匂わせる。顎も普通のエルフほど尖って はおらず、しっかりとした力強い輪郭だった。ただ、全体的に野暮 ったい雰囲気もあるし、造作自体は美しい範疇だろうが、とてもエ ルフのような美しさではない。鼻も低く、ちょっと潰れたような感 じだ。耳とアーモンド型の瞳がなければエルフではなく、美形の普 人族と言っても過言ではないだろう。 ドワーフ 先方も私の顔を見て気がついたようでびっくりしている。私の身 長は130cm程しかない。それ以外に山人族の特徴をあまり受け 継いではおらず、ドワーフとしては線が細い方だ。まだ髭こそまと もに生えていないが、あと数年もすればショックではあるが私にも 髭が生えてくるはずだ。普通なら別に恥ずかしくはないが、目の前 のエルフの顔を見て、否応なく思い出された前世の常識から私は顔 が紅潮するのを抑えられなかった。恥ずかしい、そう思ってしまう。 1635 あの後、お互いに自己紹介をする段になってようやくお互いの顔 をきちんと観察したとき、同時に気がついた。それからの道中は日 本語で会話をしている。 エルフは本当の名を瀬間洋介というらしく、やはりあの事故で亡 くなった犠牲者の一人らしかった。当時は電車に恋人と乗っていた そうで、その恋人と再び会うために冒険者として旅をしているそう だ。恋人の名は相馬明日香。二人共同い年の大学生だったらしい。 私はその恋人に嫉妬した。私の危機を救ってくれた王子様の心に は既に別の女性が住んでいたのだ。だが、所詮はエルフとドワーフ だ。結婚できたとしても子供を作れるわけではない。それに、恋人 がエルフだとは限るまい。そうでなければ私にだってチャンスはあ るかもしれない。献身的に尽くせばいつか私の気持ちを解ってくれ る時が来てもおかしくはないではないか。 彼に付いて行こう。 と決めるのにほとんど悩みすらしなかった。確かにお父さんの残 した商売の人脈や仕入れルートは惜しいといえば惜しいが、二頭の 馬や馬車、王都には小さいが家もある。自由民なので王領を出なけ れば行動の自由もある。貴族の彼には及ばないが、日本人なら身分 の差などないも同じだろうという甘えもある。 ヘンゲル村で荷物すべてを処分した私は、彼に護衛の礼金として、 今回処分した荷物の代金、380万Zを全て渡して言った。家の貯 金なら壁の鼠の穴の奥に隠してあるからここで全部渡してしまって もお金の問題は少ない。もともと持っていたお金まで渡すわけでも ないので、現在私の手元には150万Zくらいはあるし。 1636 ﹃私も一緒に連れて行って。もう両親もいないから問題はないわ。 馬車もあるし、王都には家もあるわ。彼女を探すなら大きな街に拠 点を持つのも悪くないと思わない?﹄ 彼は350万Zを返しながら、 ﹃ありがとう。すごく嬉しいよ。護衛の代金はいただくけれど、そ れ以上のお金は受け取れないよ。それに、他人の君にそこまで甘え ることはできないよ。でも、王都か⋮⋮確かに大きな街なら居るか もしれないな。俺は今まで大きな街は避けていた。冒険者としての 依頼を受けるためだけに寄っていたくらいだ。結構あちこちの小さ な村は回ったが、確かにこれじゃいつ見つかるかなんて解らないな ⋮⋮。そろそろちゃんとお金も稼がなきゃいけないし⋮⋮﹄ ﹃遠慮しないで。お金はあげる。私も友達に会いたい。一緒に探さ ない? あ、そうだ王都の隣にはバルドゥックっていう街があって そこには迷宮があるの。冒険者たちがたくさん集まって魔石や宝石 を換金しているって言うわ。彼女さんもきっとあなたに会いたがっ ているなら、そろそろ家を出る頃でしょう? 冒険者をやっている かも知れないよ? それにバルドゥックならお金も稼げるし、まず はあそこに行くかも知れないよ﹄ 藁にも縋る思いで言う。 ﹃⋮⋮確かに、そうだな。闇雲に動き回っても難しいか⋮⋮。バル ドゥックの迷宮なら俺も名前を聞いたことくらいはあるし、想像は つくよ。これでも二年近く冒険者をやっているんだ。確かにグィネ の言う通り、もし明日香が俺を探すのならそこで資金を貯めようと してもおかしくはない、だろうが⋮⋮﹄ 1637 ﹃だろうが?﹄ ﹃彼女の性格からして荒事はなぁ⋮⋮冒険者やってるとか想像でき ないよ﹄ そう言って苦笑いした。 白い歯が光る。 1638 幕間 第十九話 沼岡清悟︵事故当時40︶の場合 ﹁根元お前さ、さっきなんで何も喋らなかったの?﹂ ﹁え? だって、沼岡さんが説明するって言ってたじゃないですか ?﹂ こいつの事がどうにも好きになれない。仕事に熱意が感じられな い。言われたことしかやらない、言った事でも忘れることがある。 すぐに口答えする。謝ることができない。仕事の要領が悪い。残業 も嫌がる。有給は全部消化する。それから⋮⋮酒も付き合わないし、 タバコも吸わない。女にも興味が薄い。趣味はゲームとアニメーシ ョン。あと一飜で数え役満じゃねぇか。 ﹁いや、だって、納期の連絡間違えて先方さんに伝えたのお前だろ う? なぜ謝らないんだよ?﹂ ﹁だって、元々間違えたのって生産管理の西田さんが俺に間違えて 伝えてきたからですよ? 謝るなら西田さんでしょう? 俺は西田 さんに言われた納期をそのまま先方に伝えただけっすよ? なんで 俺が頭下げなきゃいけないんすか? 俺の頭はそんなに安くないっ すよ﹂ 小さな子供か? そもそも口を尖らせて言うほどの内容か!? ﹁え? それは先方には関係ないだろう、ウチの会社が間違えたん だから、担当のお前が代表してまず謝るのが筋だろう?﹂ 1639 ﹁筋ってなんすか? それを言うなら大体、沼岡さんが俺の上司な んだし、沼岡さんが開口一番、謝ったじゃないすか﹂ もういい。いつものことだ。こいつには何を言っても無駄だ。 そう言えば、先日参加したある管理職向けの企業セミナーで講師 が言っていた。企業や組織に必要な人材とは、ってやつだ。 1.協調性のあるリーダー フ 経営者は社員から信頼されなければならない。リーダーシップが ェアネス あるのは当たり前。人間的魅力は別に必要ない。求められるのは公 平性と目標を示す能力。そしてそれに向かって一直線に進む姿勢。 2.発想力のある参謀 トップダウン式においては経営陣が有能でないと会社が機能しな い。リーダーに対して目標達成のための案を提出し、是非の判断を 仰ぐ。こちらも人間的魅力などどうでもいい。リーダーの示した長 期的な目標達成のため、中期的な目標を提示し、それを達成するた めに、限られた手駒を使っておおまかな道筋を立てられる能力が大 切。 3.教育力のある管理者 会社を維持する為には次世代の人材を教育しなければならない。 求められるのは、短期的な目標を立て、達成のために部下を管理監 督そして教育し、自ら率先して導いていく必要がある。人間的な魅 力︵この人に付いていこう、この人のやることなら安心だ、この人 を助けてあげたい︶の発露も必要だ。 4.やる気のある平社員 1640 この中で一番苦労も多く、責任が重いのが3の中間管理職だそう だ。いかに平社員をうまく使えるか、それが現場においての最重要 課題。教育も出来ない、管理も出来ない、そんな奴が管理職になれ ばその会社はどんどん落ちぶれていく。やる気のある無能には仕事 を教え、やる気のない有能には目標やキッカケを与える。やる気の ない無能は上に言ってさっさと切り捨てるか窓際に放置する。これ が中間管理職のお仕事。これやる覚悟がないなら一生平社員でいろ よ、正直迷惑だからな。と言っていた。 あれっ? っと思った。ドイツのなんとかという将軍の言ってい たこととちょっと違ったからだ。確か勤勉で愚鈍は銃殺にするしか ない、とか、そんなことだったはずだ。やる気のある無能ってのは 勤勉で愚鈍に該当するのではないか? そう思って聞いてみた。す ると、こんな答えが返ってきた。 ﹁それは大昔の軍隊の話ですね。怠惰で優秀なものは前線指揮官に、 勤勉で優秀なものは参謀に、怠惰で愚鈍なものは兵隊に、勤勉で愚 鈍なものは処刑するしかない、という奴でしょう? ですが、実際 には当てはまりません。その発言当時は教育レベルが現在と比較に ならないくらい低すぎたので当時はそれでも良かったのです。更に 当時の軍隊では教育する期間も非常に短く、人の命も安価でした。 現在では当時言われていたようなレベルでの愚鈍な人間はいません よ。誰でも日本語を解しますし、計算も出来る。つまり、特別な事 情でもない限りは一定以上の知能は持っていると見ていいでしょう。 愚鈍は馬鹿と言い換えてもいいでしょう。馬鹿なので自分の力量 を知らないか理解していない、ということです。私の言う無能は馬 鹿とは異なります。どちらかと言うと、能力が足りない人、という 意味です。利口でも無能な人はいるということです。利口なので自 分に能力が足りないことを理解しています。愚鈍な者や馬鹿はそも そも勤勉だろうが怠け者だろうが必要ありません。即刻切り捨てる 1641 べきです。また、勤勉とやる気がある、という所も混同しないでく ださい。 勤勉は美点の一つです。勤勉さは大切な要素ですよ。そもそも勤 勉な馬鹿というのは存在しません。勤勉なら普通は馬鹿を脱します からね。それに対してやる気がある、というのは勤勉とはイコール ではありません。やる気があるけど怠惰な人だっています。やる気 というのは、必要な時に必要なだけ勤勉になれるということです﹂ これを聞いて俺はなるほど、と思った。確かに一番人数も多く、 それに比して年齢も若く経験が足りないのが平社員だ。彼らは概し て無能と言ってもいいだろう。もちろん優秀な奴もいるが、それは 例外とか規格外だ。有能さに合わせた役目を割り振ってやればいい。 それを直接管理監督する管理者に求められるのは教育力かも知れな い。俺の隣に座っている、こんなやる気のない無能をいつまでも切 れないでいる俺も管理職として無能ということか。無能ならまだし も、こいつが会社に存在し続けることで会社にとって害ですらある。 俺に人間的な魅力があるかどうかはさて置き、確実にすぐ出来るこ とはやる気のない無能を切り捨てることだ。 もう俺は無能な管理職でいるのはいやだ。帰ったら部長に相談し よう。 腕を組みながらそう考えた。 バカは俺の隣でスマホをいじっている。 俺に人事権はないが、直接的な意味での人事権はほぼ現場の管理 職が持っているといってもいい。首を切る最終決断をするのは人事 部長だろうが、こいつがあまりにもやる気がなく、無能だから切り 捨てろと最初に進言するのは俺だからだ。勤務態度や勤務評定、会 1642 社が求める水準からあまりにも乖離し、それでもなお良し、とする ならそれ相応の覚悟もあるということだろう。 残り短いであろう会社人生をせいぜい楽しんでおけ。 その時、列車が急停止をするべく制動をかけたようだ。あまりの 急制動にキキーッという派手なスキール音が車内にも大きく響く。 同時に慣性によって先頭方向へと進み続ける俺とバカ。 ゴッという音がしたと思った時には俺は意識を手放していた。 ・・・・・・・・・ 一体何があった? 事故か? 根元みたいな阿呆と一緒に乗って いたから事故に遭ったんだろうか? そりゃ言いすぎか? 体が動 かしづらい。感情が高ぶって仕方ない。我慢できない。 いい年した四十男の俺が声を上げて泣き出した。どこか痛めたの だろうか、やけに甲高い声に聞こえるが、あまり不自然な感じもし ない。 ・・・・・・・・・ 1643 半年か、それ以上か、いや、一年は経ったか。時間の経過ととも にぼんやりと事態が掴めてきた。何が起きたのか皆目見当もつかな いが、俺はどうやら外国に生まれ変わったらしい。どう見ても俺の 体は赤ん坊にまで縮み、それに伴って力や体力、感情までもが相応 になってしまっているようだ。ついでに言うと片親だと思っていた のだが、ちゃんと両親共にいると知ったのは最近だ。母親にも髭が 生えているなんて、誰が思うよ。 今まで積み重ねてきた記憶と知識はある。だが、ある時に愕然と したことがあった。あまりに暇なので前世の最後の時を思い浮かべ ていた時だ。そう、根元のバカのポカのせいで客先にお詫びに行っ た帰りの電車。 根元が言っている内容はそれほど変なのか? 変だ。いや、変と は言い切れない。冷静に、集中して考えると俺の知識や常識は変だ、 と言うが、もっと奥の方、感情は若干だが根元に賛成しているのに 気付いた。あの時以外でも、常々苦々しく思っていた彼の発言の数 々⋮⋮。 ﹁そういうの、社畜って言うんすよ?﹂ ﹁そんな自分のプライド捨てて、どうすんすか?﹂ ﹁労働者の権利っすよ!﹂ ﹁別に会社のために働いてるわけじゃねーすっから、俺の人生っす﹂ バカ丸出しの発言の数々だが、俺の心根では賛同の声が上がって いる。今までの人生で学んできた知識や経験と照らし合わせて明ら かに間違っていると判断できるが、真剣に考えないと、つい何の気 なしに﹁そうだそうだ﹂と言う俺がいる。なんだこりゃ? 俺は根 元級のアホになっちまったのか? まぁ用心して考える癖をつける 1644 他ないだろう。 根元のアホについて考えるのも嫌になったので、妻や息子たちな ど家族のことを考える。もうずっと会っていない。元気にやってい るだろうか? 病気はしていないだろうか? 生活はどうなってい るのだろうか? ああ、勤務中の事故なんだし、会社からかなりの 見舞金も出るだろうし、保険もある。息子二人も数年で成人だし、 それまで生活するくらいは問題ないか。ん? 会社からかなりの見 舞金? 根元にもかよ! あんな奴に一円たりとも会社の資産を払 わせるのは忍びないなぁ。 暇過ぎて仕方ないのでこんなことばかり考えていた。家族のこと を考えるとすぐに感情が高ぶり、泣き出したりしてしまうのにもも う慣れた。そんな時だ、新しく見る顔の殆どが俺にあることをして いるのに気が付いた。彼らは大抵﹁ステータスオープン﹂と言いな がら俺に触る。この国だか地方だかのお呪いだと思っていた。 しかし、命名の儀式で神官だか司祭だか僧侶だかよく判らないが、 聖職者までもがお呪いを唱えて俺に触った。そして、そのお呪いの 時だけちょっと台詞が長かった。最後にはネームドと言っているよ うに聞こえた。言葉の端々に英単語や場合によっては日本でもお馴 染みの単語が交じることには気がついていた。だから英語圏ではな い、どこか別の国だろうと思っていた。 簡単な言葉くらいは既に覚えていた。聖職者にネームドと言われ たあと、父親は俺に触れるとステータスオープンと言い、直後に聖 職者に﹁確実に名前が変わっている﹂みたいなことを言っていたの だ。ちなみに俺の新しい名前はズヘンティス・ヘリオサイドだ。ヘ リオサイド士爵家の長男で跡取りだ。 1645 そして気が付く、真のステータスオープンの意味。俺はあまりの ことに動転して泣き出してしまうほどだった。︻固有技能:予測回 インフラビジョン 避︼だと? 意味がわからん。だいたい技能って何だ? 他にも︻ インフラビジョン 特殊技能:赤外線視力︼なんてものまであった。特殊技能について はすぐに理解できた。赤外線視力と思い浮かべると視界が変わるの だ。なんというか、色とりどりのサイケデリックな視界になる感じ だ。しかし、固有技能はイマイチよくわからなかった。何度か使っ てみたが、何が変わったのか全く理解できなかった。使ったあとは 眠くなってしまうのでさっぱり理解できないので忘れてしまった。 固有技能について真に理解できたのは三歳くらいのことだ。二つ 上の姉と喧嘩したときに思い出して使ってみた。心なしか姉の平手 の目指す位置がわかったような気がした。気がしただけでよけられ なかったが。喧嘩の間、何度か使ったが、俺が急に眠り込んでしま ったので姉は殺してしまったのかと大慌てだったそうだ。 そのとき、なんとなく理解できた。﹃予測回避﹄とは、何か俺め がけて運動している物の目標点を﹁予測﹂し、最適な﹁回避﹂の為 の体の動かし方がなんとなく理解できる、という物だった。使い方 を理解するとすぐに固有技能のレベルは上昇し、俺は神に会った。 許された質問時間の半分ほどを使い、残された家族のことを理解 すると、残りの半分は俺が疑問に思っている点を聞いてみた。俺の 種族や政治形態、時間の概念、通貨の概念、このあたりでタブーと されていること。魔法については当時知らなかったので聞き漏らし たのは痛恨だった。まぁ、今は問題ないが。あと、固有技能を使う と眠くなることについても聞き忘れた。まぁ今は十回や二十回くら いではちっとも眠くならないから問題ないといえば問題ない。 世の中のことが朧げではあるが理解できた。もう三年も経ってい 1646 るので今更前世に未練はない。あったが、家族はそれなりにやって いるらしいからいいだろう。俺は俺の今後を心配すべきだ。まずは 根元のバカを探す必要があるだろう。あんな奴でも一応俺の部下だ ったのだし、まだ首にする前だ。前世の人間関係を持ち込んでも意 味は薄いだろうが、それでも繋がりは繋がりだし、いくらバカとは 言え、日本で教育されていたのだからオース一般の人達よりは少し はオツムも上だと思いたい。 事故死したのはほぼ同時だったろうし、席も隣だったから、意外 と近くにいそうな気もする。同じ村にいたりしてな。事故死した人 たちは﹁同時に生まれ変わっている﹂らしいから同年代だろう。探 すのは簡単そうだ。⋮⋮ちっとも簡単じゃなかった。村には俺と誕 生日の近い子供はいなかった。一番近い子でも半年離れていた。念 のため、無理を言って会ってみたがどう見ても幼児だ。演技とも思 えない。 ドワーフ そうこうしているうちに七歳になり、剣の修行が始まった。どち らかというと剣よりは斧槍に稽古の重点が置かれていた。山人族は 大人でも身長が低いので剣の稽古も決して悪いことはないのだが、 リーチのある武器か、リーチが短くても手斧など力の込めやすい武 器を好む。十歳まではほぼ素振りで型をなぞるだけだが、十歳から は模擬戦も組まれるらしい。俺の固有技能が真価を発揮するのはそ の時だろう。それまではあまり意味はない。それに、レベルアップ 時の成長率も俺は高いらしい。今からあまり固有技能を使ってレベ ルアップを急いでも仕方ないだろう。最後にモノを言うのは地道な 稽古のはずだ。レベルアップは暫く考えず、ひたすら稽古に邁進し、 体を作るほうが先だろう。 オースには魔物もいるらしいから、子供の時分から戦い方を学べ ることは幸運だ。学生時代は空手をかじっていたこともあるが、魔 1647 物を相手に俺の半端な空手が通用するとはとても思えないので、武 器は必要だろう。銃でもあれば一番いいのだろうが、あいにくとそ こまで文明は発展していない。火薬がないのはともかくとして、金 属が青銅だとか鋳鉄だとかで止まっていて鍛造すらろくにしていな い。俺にそんな知識なんかないのであるものをうまく活用したほう がいいだろう。四十人近く日本人が生まれ変わっているのなら優秀 な奴だっているだろうし、誰か作るんじゃないだろうか? そして十歳になり、遂に稽古は模擬戦も交じるようになった。俺 はここぞという時に固有技能を使い、村でも負けなしと言われるの たい にそう時間はかからなかった。十二歳になる頃には攻撃を当てるこ とは微妙だが、相手の、ここぞという渾身の一撃を躱し、体が崩れ たところに必殺の一撃を入れる俺の戦闘スタイルは親父や祖父、従 士達にも手放しで褒められた。才能の見込まれる俺は来年からドー ヴィン伯爵領の騎士団に入団を推薦されるらしい。 騎士団か、格好いいな。銀色の板金の鎧を身に付け、馬に乗り、 斧槍で魔物を退治する、絵本に出てくる騎士そのままだ。ゲームだ と勇者ってやつか。ギガデインとかの魔法も有るのだろうか? 是 非覚えたい。一層稽古に身が入った。村の子供と遊ぶ時間なんかも 惜しい。昔は誘惑に負けそうになり我慢するのに骨が折れた。流石 に今ではもう遊ぶなんて気持ちは無い。急がないと根元はバカだか ら死んじまうかも知れないしな。騎士になったら冒険者ってやつで もやって探しながらあちこちを旅するのもいいだろう。あ、俺長男 だった。まぁ騎士団で出世すれば士爵家は姉ちゃんが適当な婿でも 貰って継ぐだろう。 果たして十三歳になったとき、ドーヴィン伯爵の騎士団の入団試 験において俺は優秀な成績で文句なく合格となった。そのころ既に 騎士団内でも万全な状態の俺に攻撃を入れられる奴はいなかった。 1648 一年後、努力が認められ、才能もあったらしい俺は国内最強の白凰 騎士団への転団も決まった。 ・・・・・・・・・ 白凰騎士団に入ると、驚きの連続だった。ベルグリッド家の王子 にストールズ家の公子、さらには平民だが、サグアルというデーバ ス王国の諜報を担っている一族の族長の息子まで一年前から入団し ており、既に俺の先輩として在籍していた。当然、俺もすぐに彼ら に声を掛けられた。 彼らには更に有力な仲間がいた。一人はゲグランと言って女性だ が宮廷魔術師の男爵家の両親の元に生まれた優秀な魔法使いだ。全 員彼女には魔法の師事をしており、既に魔法が使えるようになって いるらしい。羨ましいことだ。また、もう一人、男性の仲間もいた。 バーンズと言う男で、自由民なので騎士団には入れることができな かったそうだ。普段は冒険者としてオース人の仲間とデーバス王領 のあちこちを旅して地形の把握に努めているらしい。流石に王子や 公子とは言え、十四歳で権力を掌握出来るはずもなく、平民のサグ アルを騎士団に押し込むのが精一杯だったそうだ。 このうちゲグランの方は日本で婆さんだったらしい。しかし、な かなかそれを感じさせない若く豊かな感性を持った人だった。魔法 使いに憧れていたらしく、オースに魔法があることを知り、かなり 小さな頃から両親に魔法の手解きを受けて育ったとのことで、既に かなりの実力も持っている。もう一人のバーンズと共に数ヶ月に一 1649 度くらいだが冒険者として旅をして魔法を使うこともあるらしい。 そして、俺にも魔法を教えてくれるそうだ。彼女は、 ﹁折角神様が生まれ変わらせてくれた世界よ。誰でも必ず魔法が使 えるようになるはずよ。だって、そうじゃなきゃ魔法が存在してい る意味がないもの。勿論才能に違いはあるでしょうけど、私はそう 信じてる。皆魔法が使えるなんて、素敵じゃない?﹂ と言って微笑んだ。ドワーフの俺にも使えるのだろうか? 俺の知らない重要なことも幾つか教えてもらった。まず、俺もそ ろそろ忘れかけている根元の件だが、探すのは絶望的らしい。事故 の犠牲者は一定以上の距離を置いてこの世界にばらばらに生まれ変 わっているらしい。おそらく俺や王子達同様に黒髪黒目なのだろう が、名前は違うだろうし、年齢相応の容貌に人種的な特徴が足され ているらしい。なお、俺のような亜人に生まれ変わっているという ケースは彼らも初めて知ったらしく、非常に驚いていた。 バーンズの弁によると、地球での両親から貰った遺伝子とこの世 界の両親から貰った遺伝子が混ざっているのではないかという推測 だった。本当かどうかなんて確かめようもないので、全員それで納 得しているらしい。真実を知ったところで別に何かが変わるわけで もない。 ところで、俺の白凰騎士団入りを一番喜んでいたのはサグアルだ った。どうも俺が入るまでは騎士団に残り続け、軍を掌握するとい う役割を押し付けられていたらしい。そして、俺が入団する以前に 出会っていた彼らは皆一様に戦闘が苦手で、一番マシでどうにか白 凰騎士団の水準を満たせるかどうかと言うのが、サグアル。次にス 1650 トールズ公子、そしてベルグリッド王子という順番だったらしい。 ベルグリッド王子の実力は男性陣で最低だとは言え、ドーヴィン 伯爵の騎士くらいの実力はあるから、そう卑下したものでもない。 だが、揃いも揃ってこんな有様では軍の掌握は難しいだろう。バー ンズはストールズ公子くらいの実力があった。騎士団で正式に訓練 を受けたわけでもないのに大したものだが、どうやら前世は高校の 体育教師で剣道部の顧問をしていたらしい。なお、ゲグランも貴族 なので一応剣の心得もあるが、護身の域を出てはいない。 確かに指揮官クラスは個人の武力、と言うか剣や槍の技はどうで もいいと言えばそうだが、文明・文化レベルの低いオースではそれ なりに戦闘力も大切なファクターだ。その上で交渉力や調整力、政 治力がないと侮られやすいことは確かだ。少なくとも軍の中で権力 を求めるのであれば、個人の武勇はある意味で不可欠だとも言える。 そういった意味で俺は白凰騎士団の団長を目指すことを求められ た。そう簡単にはいかないだろうが、今後成人し、その後王子が正 式に即位でもすればまず問題なくできるだろうとの予測だった。だ が、可能であれば即位を少しでも早めたい。 二十歳は流石に無理だろうが三十前には完全にデーバス王国の権 力を掌握し、ベルグリッドが国王、サグアルが内務大臣︵大将軍も 兼任させられるところに俺が現れた︶、ゲグランが筆頭宮廷魔術師 を兼任した王立魔法学校の校長︵本人の強い希望だそうだ︶、バー ンズが外務大臣と文部大臣を兼任、ストールズが宰相とそれ以外の 大臣を兼任、という絵図を描いているようだった。 何とも呑気と言うか、捕らぬ狸の皮算用とでも言ったらいいのか、 評に苦慮する内容だ。だが、何も示さないよりはよほど良い。彼ら 1651 の不足している穴を俺が埋めればいいだけだろう。話を聞くに彼ら だってそれなりに苦労はしてきたのだ。少しでも国力を高め、将来 デーバス王国を発展させよう、という心意気は買える。その為の準 備だってやれる範囲ではやってきたことも聞いている。 デーバスの中枢に日本人が多く集まればそれだけで噂になるし、 権力を掌握してからなら何だって出来る。多少無茶だが、黒髪黒目 を基準に全国で人探しだって可能だろう。大々的に発表すれば、噂 を聞いた日本人が集まってくることすら考えられる。その中に根元 もいるかもしれない。あいつは日本人としては愚鈍で馬鹿だが、切 り捨てるのは忍びないからな。 1652 幕間 第十九話 沼岡清悟︵事故当時40︶の場合︵後書き︶ 次の話からまた本編に戻ります。 また、いただいたご感想に全てお返事ができません。 申し訳ありません。 活動報告でまとめてお返事することがあります。 1653 第四十二話 罰 7442年12月24日 今日はクリスマスイブだが⋮⋮前世の、特に信仰してもいない宗 教のイベントなんか流石にラルファもベルも平気でぶっちぎるよう だ。午前中の連携訓練のあと、二人で食べたい昼飯のメニューを話 し合っている。俺も変な気を回さなくて良かったとホッとした。下 手にケーキ︵っぽい何か︶とかプレゼントとか用意してたら浮きま くってラルファに気の毒な子を見るような目つきで見られたに違い ないだろう。 来週の木曜には兄貴もバルドゥックに到着する予定だし、宿の予 約くらいはしておこう。尤も、どうせ一日二日、下手したらもっと ずれるかも知れない、とは思っている。キールからここまでかなり 距離もあるからね。第一騎士団の第三中隊の人達は、このところ毎 日のように誰か宿までやって来て、兄貴の到着を首を長くして待っ ている。 兄貴が来ても採寸は王都でやるんだし、そこまで急がなくても今 回は第三中隊の人から注文を受けると決めているから、別に逃げや しないよ。安心してくれよ。迷宮から帰ってきて宿の前に立ってい る騎士団の人を見るたびにそう思うが、無下にもできない。お茶を 出して﹁まだです﹂と言ってお帰り頂くのもいい加減面倒になって きた。 迷宮の方は遅々として進まず、なかなか三層を突破できずにいる。 あ、いや、四層をちらっと見に行ったことはあるし、四層への転移 1654 の小部屋までなら行けることはいける。だが、時間がかかりすぎる のだ。二層から三層へ転移し、三層のどこに転移したか、現在地を 確認するまでにそれなりに時間がかかる。分からなければ分かる場 所に転移するまで繰り返してもいいが、それだと余りにも面倒だし、 一向に三層の地図は埋まらないのだ。 現在手に入る地図でも最高精度と言われているものを大枚はたい て︵聞いて驚け、なんと1200万Zだ︶購入したのだがそれでも 信頼できるのは半分くらいだろう。何回も転移と調査を繰り返し、 それぞれのパーティーで作成している地図の精度を高めねば、安定 的に四層へ行くのは難しい。地図のない場所に転移しても多少無理 をして三層の転移の水晶棒がある小部屋に行くことはできるが、下 手すると三層の突破だけで丸一日かかるくらいだ。何度か挑戦して みたが、まともな三層の地図がないと四層へ行くのに迷宮に入って から24時間とか30時間とかすごく時間がかかってしまう。 四層に行く前に充分に休息を取るにしても三層の転移の小部屋の 床はゴツゴツした石垣を水平にしたような作りだから、普通はまと もに休息を取るのは難しい。簡単に言うと眠りにくい。交代で見張 りを立て、休息を取ろうにもどうにも疲れが抜けない。一層と二層 を六時間で突破し、二層の転移の小部屋で一時間ほど休息を取り、 その後可能なら六時間程度で三層の転移の小部屋にたどり着く。そ こで一晩休息し、四層突破に半日くらいかけ、四層の転移の小部屋 でゆっくりと休みたい。これが理想だ。 尤も、俺たちの場合は魔力に余裕があるので、実は三層の転移の 小部屋でもかなり有利に休息できる。簡単だ。地魔法で土を適量出 して、その上に毛布を敷けばいいのだ。いつも最後に﹃アンチマジ ックフィールド﹄で土は消しているので誰も再利用出来ないように しているのはわざとだけどね。迷宮内を汚したままなのはどうかと 1655 思うので、とか理屈は付けようと思えば付けられる。まぁ、みんな が排泄するときとかいつも俺が土を出して渡してやってるからどう 考えても他のパーティーに対する補給だとか援助みたいにしたくな いだけなんだけど。 三層突破に六時間。そのくらいのスケジュールをほぼ確実にこな せるようにならないと三層突破とは言い難いだろう。今のペースで 三層の地図を埋めていくことが出来れば、恐らくあと三ヶ月くらい でそうなりそうだ。尤も、これは順調に行った場合の想定なので一 ∼二ヶ月程度は後ろにずれ込む可能性は高いと思っている。まぁ、 だとしても相当に早いペースであることは間違っていない。 まだ三層のモンスターには充分余裕のある戦いが出来るから、他 のパーティーよりも心理的に余裕を持っていられるのは大きい。い つかは厳しくなるだろうが、この余裕は是非とも失いたくない。最 近は攻撃に魔法も補助的に使い始めたベルの経験が非常に良く伸び ており、元々のMPの多さも相まってかなり戦力の底上げになって いる。ラルファも無魔法のレベルは2になり、地魔法と火魔法も双 方レベルが1になっている。MPも二桁に到達し、そろそろ固有技 能の上昇を目指すのもいいだろう。 ズールーやエンゲラも大分腕が上がり、立派な前衛として機能し ている。焦ることはない。ゆっくりと進めばいい。失敗した時に払 うのは自分たちの命なのだから。 土曜の午後、昼飯を終えた俺は一人一層の片隅で攻撃魔術の鍛錬 をしながらそう考えていた。既に俺の知っている攻撃魔術は長いも ので二秒くらい、短いと一秒かからずに発動できるまでになってい る。一層のモンスターを相手にすることもあるので経験値は鰻登り だ。俺のレベルも更に上昇し、今では15レベルになっている。魔 1656 法の特殊技能も全てのレベルが8に上昇し、無魔法はあと10万く らいの経験でレベル9になるだろう。 天稟の才の方も遂にあと百匹でMAXレベルが見えてきた。順調 だ。何もかも上手く行っている。今日はこれくらいで切り上げ、ラ ンニングをして一汗かいたら皆で飯でも食おう。クリスマスイブだ から俺が奢ると言ったら、ラルファもベルも驚くだろうか? 驚く だろうな。でも気配りは大切だしな。 そう思いながら今殺したノールの魔石を採取し、転移の水晶棒を 握った。 ・・・・・・・・・ 夕方、いつもの店に集まる。ゼノムはともかくとして、ズールー やエンゲラの夕食はいつも俺が負担しているから、どうしようかな。 自分の奴隷にプレゼントとか、バカみたいだしな。まぁ気にしても 仕方ない。クリスマスとかズールーとエンゲラは知らないだろうし、 意味がない。 だが、今日くらいはいいか。﹃ドルレオン﹄に行こう。先月はロ ゼのヒレを食いに何度か通ったし。少しだけ豪華な料理を頼み、ビ ールを飲み、楽しく過ごした。やはりラルファもベルも特に何も考 えていなかったようだ。クリスマスイブだから、今日は俺が全部持 つと言ったら顔を見合わせて笑い、遠慮なく食い散らかしやがった。 四人でボイル亭まで戻り、それぞれ部屋に別れる。 1657 どうせラルファはベルの部屋に入り浸りなんだから、ゼノムを一 人にしてお前らが二人部屋にすればいいじゃねえか、と思うが、そ こまで干渉して嫌がられても不愉快だし、放っておく。100Z払 ってシャワー室で自家製シャワーを浴び、部屋に戻ると、ラルファ とベルが扉の前にいた。なんだよ。 ﹁ん? どうした? 何か用か?﹂ ﹁あのね。今日、クリスマスイブじゃない? だから、ベルと二人 で用意していたの﹂ え? ﹁いつもお世話になっているので、アルさんに私たちからプレゼン トです﹂ お? ﹁え? あ? すまん。ありがとう﹂ おお、感動した。 ﹁じゃ、おやすみ﹂ ﹁おやすみなさい﹂ インバネス 二人に貰ったプレゼントはとんびだった。今は寒いし、俺も上着 は持っていなかった。街中で着るには丁度いいだろう。有り難く受 け取るとしよう。よく見たら内側に俺の名前が刺繍してあった。下 手糞だが﹁川崎武雄﹂と読める。川と武の画数の少ない二文字の方 1658 がどちらかというと下手糞だ。多分こっちはラルファだろうな。 そう言えば、生前、女房からコートをプレゼントしてもらったこ とがあるなぁ。美紀の場合、いつも何か服とか靴とかだったような 気がする。俺の誕生日は⋮⋮いつだっけ? ああ、7月25日だ。 最近は2月14日という意識が強くて思い出すのに時間がかかった。 誕生日は夏物でクリスマスは冬物だったな。⋮⋮プレゼントと言え ば、椎名も気が利いたプレゼントが多かった。あいつが入社して間 もない頃、まだ俺の小間使いと言うか、アシスタントみたいな感じ でしごいていた頃だ。神妙な顔で﹁いつもお世話になっているので ⋮⋮﹂とか言ってクリスマスにちょっといいボールペン貰ったな。 こいつ、気が利くなぁ、と思って翌年から俺も何かやるようにした けど。 あいつも今頃は死んだ頃の俺くらいの年に近い、んだっけ? 元 気かねぇ? 美紀ももう60を越しているはずだ。再婚出来ていれ ばいいんだけどな。俺の二つ上だから流石にもう貰い手もいないか ⋮⋮。きっと再婚してなきゃ、うまいもん食ってそれなりにやって はいるだろう。あの頃確か小さな貿易商社で経理部長になったばか りのはずだ。辞めてなきゃそれなりに収入もあるし、生活には全く 心配いらないだろう。俺の保険金も結構あるはずだしな。 クリスマスプレゼントを貰ったからか、ふと前世に思いを馳せて しまった。自然と笑みが浮かぶ。そうだ、女房ももう婆さんだ。あ いつは今の俺を見たら何と言うだろう。ゴムプロテクターを装着し、 銃剣を構え、手製の編み上げブーツで迷宮の中をそろそろとおっか なびっくり歩いている俺を見たら笑うだろうか。その理由が新国家 建設の資金稼ぎと聞いたら床を叩いて転げまわって爆笑するに違い ない。 1659 ゴムプロテクターを鎧掛けに掛け、その上にインバネスを丁寧に 掛けると、いつものように全裸でベッドに潜り込んだ。そろそろパ ジャマが欲しいな。でも、オースでは全裸で寝るのが普通だ。パジ ャマなんてそれこそ本物の王侯貴族くらいしか着ないのではないだ ろうか。もうすっかり慣れてしまったが、寒い時期になるとパジャ マが恋しくなる。小さい頃は幼児用ベッドで、それを卒業したら両 親に挟まれて寝ていた。ある程度大きくなってからは子供部屋で兄 弟三人で大きなベッドで寝ていた。しばらくすると個人用にベッド を貰えたが、それまでは夜寝るときは必ず傍に誰かがいた。天井の 板なんか何回鑑定したか覚えていない。 人生いろいろあるもんだなぁ。 ・・・・・・・・・ 7442年12月27日 今日は水曜で休みの日だ。と言うか、思い切って1月4日の水曜 まで休みにした。ベルとラルファは、保護者のゼノムと一緒に明日 から王都見物に出かけるらしい。ズールーとエンゲラは特にやる事 もなさそうだったので、明日くらいには来るであろう兄貴とベル達 と一緒に王都に連れて行ってもいいだろう。その日の晩にはバルド ゥックに帰るだろうけど。 朝飯を食ったあと、ランニングを終え、さて、迷宮に入ってこの ところ続けている魔法の練習を始めようか、それとも今日一日休日 1660 で時間もあるから一層の部屋で適当な主をぶっ殺してどうやって復 活するかの調査でもしようかと考えながらボイル亭まで戻ってきた ら、見覚えのある人影がいて、なにやら騒ぎになっていた。 どうやら予定より一日早く兄貴達が到着したらしい。今日の当番 ︵笑︶である第一騎士団の第三中隊の人が兄貴達の一行の荷物から アタリをつけて話しかけ、正解だと知るや勝手に護衛を買って出て いるのが原因らしい。おいおい、兄貴達だって疲れてるんだし、予 定より早いんだから一日くらい休ませろや。どんだけ鎧が欲しいん だよ。 ﹁やあ、兄さん。わざわざありがとう﹂ ﹁おお、アル! ⋮⋮髪染めたのか? 都会に出るとお前でも色気 付くんだなぁ﹂ ⋮⋮色気づいたわけじゃないんだがな。それより、この人だ。 ﹁ロッシュさん。まだ予定には早いですよ。それに団長閣下と第二 中隊への納品は明日以降ですし、採寸はその後ですよ﹂ ﹁おお、グリード君! そうは言うがな、一日でも早く注文をした いんだよ。ってこちらがお兄さんだったか。すみません、お顔を存 じず失礼いたしました。私は王国第一騎士団第三中隊第五位階第四 こくしゅう 位、騎士ベインロルフ・ロッシュと申します。噂に名高い﹁ウェブ ドスの黒鷲﹂に会えて光栄です。我ら第一騎士団はグリード商会の 皆さんを歓迎します。王城の騎士団本部まで護衛致します﹂ こくしゅう ロッシュさんはそう言って兄貴に挨拶した。っつかウェブドスの 黒鷲ってなんだよ。 1661 しゅう こく ﹁ああ、ご挨拶は先ほど伺いました⋮⋮。しかし、ウェブドスの黒 鷲ってのは勘弁してもらえないですか? もう現役ではありません し⋮⋮﹂ 兄貴も辟易とした表情で言っている。こりゃ兄貴、そう呼ばれて いることを知っていて俺達に隠してたな。 ﹁いえいえ、副団長や妹のグリード卿からも貴兄のご活躍のお話は 伺っておりますよ。何でも剣の腕と馬術では副団長のビットワーズ 卿も舌を巻くとか﹂ ほほう、やっぱ兄貴はすげーな。第一騎士団からスカウトされる だけのことはある。もっと聞かせてくれ。 ﹁それと、申し訳ありませんが我々は長旅でいささか疲労しており ます。馬も休ませないといけませんし、王城には明日必ず参内しま すので今日のところはどうか⋮⋮﹂ ちっ、もう少し話聞いてみたかったのにな。だが、確かに長旅だ ったろうし、疲れてもいるだろう。今日一日ゆっくり休んで明日予 定通りロンベルティアの王城に行けばいい。俺だって兄貴とゆっく り話もしたいし、従士達とだって話をしたい。 ﹁確かにそうですな。失礼いたしました。ですが、明日はまた我ら 第三中隊の者がここまでお迎えに上がります。その者と一緒に登城 下さい。そちらの方が登城時の問題もないでしょう﹂ ロッシュさんはそう言うと丁寧に兄貴に頭を下げ、踵を返した。 1662 ﹁アル、部屋の予約は出来てるか? いい加減休みたい。実は、一 泊ずらして昨日の朝から夜っぴいて皆歩きっぱなしだったんだ。疲 れたよ﹂ ﹁ああ、勿論予約はしてあるよ。大丈夫。馬車はあっち、馬は向こ うに馬房があるから﹂ そう言ってボイル亭の小僧を呼びに宿に入ろうとする俺の腕を掴 んで、兄貴が口を開いた。 ﹁アル、一日早く着いたが今日は予定はあるのか?﹂ ﹁いや、大丈夫。まぁ、たとえあったとしてもそんなものどうにで もするよ﹂ ﹁そうか、ならいい﹂ ・・・・・・・・・ 宿の手続きを済ませ、各人、部屋で休息を取る段になった。俺は 兄貴と一緒に階段を登り、部屋まで案内しようとしたら、丁度ベル の部屋からベルとラルファが出てきた。 ﹁あれ? アル⋮⋮誰?﹂ ﹁ああ、俺の兄貴だ。ファンスターン・グリードだ。兄貴、こいつ 1663 らはラルファとベルナデット。普人族の方がラルファ・ファイアフ リード、兎人族の方がベルナデット・コーロイル。俺の⋮⋮俺の、 仲間だ﹂ ﹁初めましてグリードさん。ベルナデット・コーロイルと申します。 アルさんにはいつもお世話になっています﹂ ベルはにっこりと笑ってきちんと挨拶した。 ﹁ああ、俺はファンスターン・グリードだ。ファーンでいいよ。い つもアルが世話になっているようだね。ありがとう﹂ 兄貴も笑いながら返している。 ﹁あ、あの⋮⋮ラルファ・ファイアフリードです。はじ、初めまし て。あ、あの、アルにはいつもお世話しています﹂ 何言ってんの? こいつ。 ﹁ふふっ、初めましてラルファさん。ありがとう。アルも助かって いるみたいだね。よろしくね﹂ 流石に兄貴も笑いが抑えられないようだ。 ﹁ふぁ、はい! 任せて下さい!﹂ 本当にお前、何言ってんの? 俺の保護者気取りか? ﹁もういいだろ、俺の部屋はこっち。兄貴の部屋はあそこだよ﹂ 1664 ﹁ああ、じゃあ、まずお前の部屋に行こうか﹂ そう言うと兄貴はスタスタと歩き出した。俺もそのあとに続く。 俺が鍵を開けて戸を開くと ﹁なんだ、結構綺麗にしているじゃないか﹂ と言って入っていった。 ﹁そりゃそうだよ﹂ ﹁さて、アル。そこに立って歯を食いしばれ﹂ ﹁え? なに、ぶごうっ﹂ あ、兄貴⋮⋮そこ腹⋮⋮歯ぁ関係ねぇ⋮⋮。 ﹁魔法は使うな、起きろ﹂ ﹁何⋮⋮を、いきなり、ぶげぇっ﹂ また⋮⋮そこ⋮⋮腹⋮⋮。 ﹁なぜ殴られたか解るか?﹂ 俺は何がなんだかわからないうちにいきなり兄貴のボディーブロ ーを二発食って床をのたうっていた。胃の中身を吐きながら今度こ そ立てないでいた。なんで? ﹁くっ、な、なんで⋮⋮ぐっ﹂ 1665 床をのたうっていた俺の髪を掴んで俺を引きずり起こすと今度は 頬にパンチが入った。く、クソ⋮⋮世界を狙えるぜ。じゃねぇ、歯 は折れていないようだが、口の中が切れた。思わず殴られた左頬に 手が伸びる。兄貴はその手を掴み、 ﹁魔法は使うな。まだ解らんか。仕方ないな。⋮⋮まぁこんくらい でいいか。お前、魔法の修行法を他人に教えたろう? お袋のやり 方だ。⋮⋮殴られた理由が解ったか?﹂ あ⋮⋮。教えた。火を揺らす無魔法の習得法を教えた。クローと キャントリップス マリー、ラルファにベル。四人も教えている。俺が気がついた幼少 時の魔力の増大法は置いておいても、小魔法からではない、無魔法 の効率的な習得法だ。門外不出を両親に言い渡されていたはずだ。 だが、何で兄貴がそれを知っている? ﹁夏、キールに納品に行ったとき、騎士団の従士二人に挨拶と礼を された。バラディークとビンスイルという従士だ。覚えているだろ う? 話を聞くとお前が助けてやったそうだな。それはいい。困っ ている領民を助けるのは貴族として当たり前のことだしな。大方彼 らの境遇に同情でもして魔法を教えたんだろうが、何故親父の許し を得ないうちに勝手なことをした! たまたま彼らはまだ誰にも口 外していなかったようだから、俺が口止めしておいた。彼らはお前 に相当な恩を感じているようだから決して口外しないと誓ってくれ た﹂ ぐ、ま、マリーも魔法を使えるようになったか⋮⋮。だが、まず ったな。っつーか、何でそんな重要なこと忘れるかね? 俺。 ﹁兄貴⋮⋮。ごめん。実は、さっきの二人にも教えた。すぐに口止 1666 めしてくる﹂ 俺がそう言った時、扉を叩く音がした。兄貴は振り向いて戸を開 けた。扉の向こうに立っていたのは、ベルとラルファの二人だ。丁 度いい。口止めしなきゃ。 ﹁あ⋮⋮ベル、ラルファ﹁アル! どうしたの!﹁アルさん!﹂ ゲロの上に這いつくばっている俺に二人が駆け寄ってきた。兄貴 はちょっとびっくりしたようだ。 ﹁お兄さん! これは一体どういうことですか?﹂ 別に俺が大怪我を負っているわけでもないということはすぐにわ かったのだろう、ラルファが兄貴に詰め寄った。っつかお兄さんっ てなんだよ。 ﹁そうです! アルさんが何かしたのですか? アルさん、治療を ⋮⋮﹂ ベルが俺を抱き起こそうとしてくれる。 ﹁治療はいい。これは罰だ。俺は殴られて当たり前のことをしたか らな⋮⋮。ラルファ、ベル⋮⋮。いきなりだけど、最初の魔法の習 得法、そうだ、炎を揺らすやり方な。あれ、俺の家の秘密なんだ。 誰にも言わないと約束してくれ。頼む、この通りだ﹂ ベルに抱え上げられながら俺は二人に頭を下げた。もう二人共炎 を揺らす修行を脱しているから覚えているかどうかなんてわからな いけど、彼女らが今後誰かに魔法を覚えさせようとしたら今は忘れ 1667 ていたとしても必ず思い出すだろう。 二人共了承してくれた。絶対に口外しないと誓ってくれた。つい でに、俺が殴られた理由にも納得がいったようだ。黙って聞いてい た兄貴が口を開く。 ﹁さて、お嬢さん方。どこかいい店があったらちょっと早いけど俺 達と昼食に付き合ってくれないか? 申し訳ないけど早めに食事を して少し眠りたいんだ。あと、もし良かったら夕飯もご一緒させて 欲しい。こいつは明日の朝まで飯抜きだからね。いいな、アル。お 前は明日の朝までこの宿から一歩も出るな。ここで一晩反省しろ﹂ ﹁わかった⋮⋮。明日の朝までここで反省する⋮⋮。ごめん⋮⋮﹂ ﹁親父とお袋には黙っておいてやるから安心しろ﹂ ﹁うん⋮⋮ありがとう﹂ ﹁じゃあ、二人共、行こうか。あ、そうだ、お前、奴隷いるんだよ な。飯どうしてんだ?﹂ ﹁朝と夜は俺が出してる﹂ ﹁そうか、今日はお前の代わりに俺が出す。ん、ラルファさん、ア ルの奴隷がどこにいるか解るかい?﹂ ﹁はい、大丈夫です。アルはそこで反省してなさい﹂ くそ。 1668 ・・・・・・・・・ 昼になった。腹の虫が泣いている。切れた口の中が痛い。頬も腫 れているようだ。 ・・・・・・・・・ 夜になった。腹が減った。誰かこっそり飯を持ってきてくれると いう、都合のいい話はなかった。バークッドの従士達やゼノム、ラ ルファはともかく、ベルには期待していたんだが。もういいや寝る。 ・・・・・・・・・ 7442年12月28日 そろそろ夜が明ける。一日空きっ腹を抱えて反省し、考えた。何 故あんな重要なことを忘れて教えてしまったのか? 決して調子に 乗ってほいほいと教えたわけではない。転生者だし、部下にしてや 1669 ろう、その為に恩を売るのにちょうどいいからと教えたのは確かだ。 キャ だが、どう考えても不自然だ。いくら俺でも親父の言いつけを守ら ントリップス ずに勝手に教えるとか、意味不明だ。そもそも着火の魔道具から小 魔法の魔力検知で覚えたっていいのだ。効率は落ちるが、それでも 魔法が覚えられる奴は時間はかかるものの問題なく覚えられる。 俺はこんなことも知っているんだぜ、すごいだろう、みたいな自 慢するような気持ちだって全くない。単に親父の言いつけを忘れて いただけだ。俺、こんな忘れっぽかったかな? 忘れてたというこ とは取りも直さずそうなんだろうけど、それにしてもなぁ⋮⋮。 前世の記憶だって薄れかけている部分は当然あるが、結構覚えて いると思う。 これは、俺の精神性の若返り︵?︶と何か関係があるのだろうか? ねぇだろうなぁ。 他に何か忘れていることとかないだろうな? なんか怖くなってきた。 自分が健忘症だと気づいた若年性健忘症の人みたいだ。 わからないことは出来るだけ材料を集めて整理しなおすか、取り 敢えず棚上げにして後で材料が新規に入手できた時に判断する、と いうのも物事にあたる上で有効な方法だが、今回ばかりはな。ひょ っとしたらこんなことを思っていることすら忘れ⋮⋮心配性だな、 俺は。なら書いておけ。まだ日の昇る前だが、昨日はさっさと寝た し、もう眠くない。寒いが服を着ればメモだって取れるだろ。 1670 1671 第四十三話 反省 7442年12月28日 今日はこれから王城の騎士団本部へ納品に行くので、そろそろ支 度を整えておいたほうがいいだろう。出発は飯を食ってからだろう からこの時期なら午前七時くらいか。正直、丸一日何も食べていな いので腹はペコペコだ。 下履きを履いて靴下も履き、鎧下を身に付ける。編み上げのブー ツに足を突っ込み、ゴムプロテクターを装着し、必要なものをDリ ングにぶら下げる。念のためゴムの修理道具なんかも一式袋に入れ、 そのままサドルバッグに放り込めるようにする。あとは銃剣を確認 して、販売証明︵領収証︶を用意する。 そして、兄貴が呼んでくれるのを待つばかりだ。時計の魔道具で 確認したら時刻はまだ五時過ぎだ。 すべての準備を整えてベッドに腰掛け、さっき書いたメモを見直 す。 うーん⋮⋮一体何が起きているんだろう。 記憶の抜け、と言うか、記憶していること自体の忘却、と言うか、 何と表現したらしっくりくるのかは分からないが、取り敢えず記憶 障害でいいや。そう高い頻度で記憶障害を起こしていることは無い とは思うが⋮⋮。 1672 もしこれが転生と関係があるとすれば転生者全てに起こっている のだろうか? 精神の若返りは、ベルの話からして全員に起こっていると考えら れなくもない。だけど、ベルやラルファと話していた限りにおいて 彼女達が記憶障害を抱えているようには思えない。 それはクローやマリーにしても同様だ。今から思えばマリーも精 神が若返っていた感もある。だが、彼らに記憶障害があるようには 思えない。もしあったとしたら大変だ。魔法の習得法について口止 めされたことを忘れでもしたら面倒なことになっちまう。まぁ、冷 静に考えて魔法の習得法も魔力の増大法もいずれ広まる可能性は否 定できない。双方共に情報が拡散することは重大な問題を孕んでい る。 変な言い方だが、シャーニ義姉さんから実家のウェブドス侯爵家 に秘密が漏れる可能性だってあるのだ。まぁ、これは家に義姉さん が正式に嫁いで来て、子供まで設けたため、今ではあまり気にして いない。オースでは嫁いだり婿入りした場合、以前の実家とは縁が 切れ、新しい家の人間になるという意識が強い。 これは、特にバークッドだけの考え方ではなく、ウェブドス侯爵 領のあるジンダル半島地方ではごく普通の価値観だということは既 に理解している。なのでシャーニ義姉さんのラインは置いておいて もいいだろう。シャーニ義姉さんから漏れることを心配するならお 袋からお袋の実家であるサンダーク公爵家に漏れる事まで心配しな ければならないからだ。 兄貴のところでは子供が二人生まれている。この後も新しい子供 ができないとも限らない。どうせその子達にも姉貴のように五歳く 1673 らいから魔法を叩き込むのだろう。そして、その子達も大きくなり 新たに子供を設ける時が来る。姉ちゃんだっていつまでも独身でも ないだろうし、俺にだっていつ子供ができるか知れたもんじゃない。 オースの人々にとって魔力が多ければそれだけで有利な人生を送れ るのは確かだ。 尤も、MPで10やそこら多いくらいだと⋮⋮やっぱすっげー有 利だよな。それが文字通り桁が違うとなれば大変だ。いずれ俺や姉 ちゃんはともかく、兄貴くらいの魔力を持つ人も⋮⋮いや、姉ちゃ んくらいもないことはないか。とにかく、膨大な魔力を持つ人もぽ ちぽちグリードの血筋から出始めることだろう。 オースでは大体二十歳前後で最初の子供を持つのが普通で、大抵 の場合複数もうける。今から三世代、五∼六十年も経てば子供を作 る数にもよるが姉ちゃんくらいの魔力を持った人が十∼二十人くら いになってもおかしくはない。そうなるとどんな奴が混じっていて も不思議はない。 俺みたいなうっかりさんがポロっと言ってしまう可能性が高い。 早いか遅いかの違いだ。これを防ぐには一子相伝にして伝承者以外 を殺すとか、そういったことが必要になる。親父も流石にそこまで は考えていないだろう。もしそうなら兄貴に二人の子供が出来た今、 姉ちゃんと俺は二人揃ってとっくに殺されていなきゃおかしい。親 父もお袋もねずみ算式に増えることに気がついていないなんて馬鹿 なこともあるまい。 おそらく、親父は永遠に秘密を守ること自体は考えていないだろ うし、守れるなんて思ってもいないだろう。 だが、バークッドみたいな田舎の一士爵家だと何十年後かは解ら 1674 ないが異常に魔力の高い者達の出身として大きく脚光を浴びる事態 も考えられる。その時までに一族の誰かが国内でも高位の要職に就 いていればある程度の庇護は期待出来るだろう。 姉ちゃんを第一騎士団に無理やり押し込んだのも頷ける。まぁ第 一騎士団なら魔力関係なしに受験出来るだけでも凄い事なので、こ れは偶然だろうが、兄貴の凱旋に合わせて戦場から戻るまでの時間 でお袋と相談して考えたのかも知れない。 俺が新しい国の国王を目指すと言って家を出る時にだって、止め られはしなかった。今から思ってみると確かに俺の好きなようにや らせてくれた形になってはいる。 しかし、俺の魔力量はそれこそ規格外で、転生者でもなければ、 そして、魔力をMPという形で観察できなければ絶対に達すること は出来はしない。まして推し量るなんてまず無理な注文だ。 異常な魔力量を誇る兄姉だが、両親は俺の魔力量がその何倍もの 量があることは既に知っていた。ことによったらコイツ︵俺︶なら 建国は無理かも知れないがどこか外国で要職に就くくらいのことは 出来るかも知れない、くらいは思われていた可能性もある。 無理だったとしてもロンベルト王国に戻り、宮廷魔術師として頭 角を現すくらいは造作もない。その程度は計算していたとしても何 の不思議もない。万が一上手く行って小さな国でも作れるなら俺を 頼って一族揃ってバークッドから身を寄せたって構わないのだ。そ う考えると兄貴を始めとする俺達兄弟が成長し⋮⋮そうだな、三十 ∼三十五歳くらいになるまでの間は魔法の修行法や魔力の増大法が 知れ渡るのは好ましくはないだろう。 1675 例をいくつか考えてみよう。例えば姉ちゃんだ。上手く第一騎士 団に入団することができた。あの様子なら騎士団でもそこそこ出世 するだろう。団長にまでなれるかどうかはわからないが、中隊長と かあたりまで行けたのなら、少なくともロンベルト王国内で暮らす 分には申し分ないほどの財産や爵位、それから騎士団を背景とした 常設軍の後押しが得られるだろう。 ﹁あの﹂グリードの一族なら異常な魔力を持った子供たちが輩出さ れるのも頷ける。 こういうことになるだろう。そして﹁あの﹂グリードの一族に連 なるものは結構な率でそこらの魔術師以上の力を持つのが当たり前、 なにか秘密もあるようだが、国軍の中枢に食い込んでいるし、厄介 なことでもして目を付けられたら大変だ、というように誘導すらで きる可能性は高いだろう。外国に目を付けられることもあるだろう が、その時は条件次第でその国に一族郎党寝返ってしまうのも手で はある。 俺だって成功すれば王族だ。王族に秘密があるのは当たり前だろ う。いや、知らんけど。王様である俺が﹁それは我が王家の秘密よ﹂ とか勿体つけて言えばいいだけだ。そうやって何十年か時間を稼げ さえすれば問題ない。あとは秘密がバレたとしてもそれまでに築き 上げてきた地位や財産があれば子孫も有利に人生を送れるだろう。 多分、親父はこう考えたはずだ。当然細部は違うだろうけどね。 似たような思考をしたのではないかとは思う。 それはそうと、昨日のラルファだ。あいつ、最初は慌てて俺を庇 ったが、すぐに兄貴の側に回りやがった。まぁ、俺が家族の決まり を破ったのは確かだし、殴られたのや罰を受けたのは仕方ない。む 1676 しろあの程度で済んで良かった。だけど、お前もその恩恵に浴して いたろうがよ。くっそ、なんなの、あいつ? そう言えば様子も変 だったな⋮⋮。⋮⋮あ。さてはあいつ、兄貴に惚れたな。ふざけん な、お前を義姉だなんて呼びたくねぇよ。徹底的に邪魔してやろう か。 こんな自分勝手な妄想をしていたら扉が叩かれた。開くと兄貴が 立っていた。兄貴は腫れた俺の頬に手を当てると治癒の魔法で俺の 傷を治してくれた。 ﹁親父やお袋がどう思って言ったかきちんと考えたか? ウェブド スの騎士団にいる二人は折に触れて俺も様子を見ておいてやる。三 ∼四年経ったら迎えに行くそうだな。彼らもそれくらい鍛えられれ ばいっぱしになっているだろう。その時、彼らに恥ずかしくないよ うにお前もしっかりと成長していなきゃならん。⋮⋮わかったな。 さぁ、飯を食いに行こう。今朝はお前の奢りだ。旨いものを食わせ てくれよ﹂ ・・・・・・・・・ いつも朝飯を食っている店に兄貴や従士達を案内し、ゼノム達俺 のパーティーの面々も集合した。昨日の昼から俺がいなかった理由 については兄貴が俺に用を言いつけたことになっていた。なので従 士達や俺の奴隷二人も何か言ってくることはなかった。パンとスー プ、豚肉のソテーの朝食を摂り、今日は全員で王都に行く。 1677 兄貴と俺を除くとこの中では王都に行った事があるのはミルーの 受験の時に同行した従士のショーンと若い頃に行ったことがあると いうゼノム、捕虜となって奴隷市に出されたズールーだけだ。なの で、全員が楽しみにしているようだ。碌に王都を見たことのないズ ールーや、一度も行ったことのないエンゲラもオーラッド大陸西部 で最大の都市であるロンベルティアをゆっくりと見て回れるれるの は幸運だと考えているようだ。 ﹁ちょっと今日の予定を確認するぞ。アルと俺達は王城の騎士団本 部に行って納品後すぐに採寸する。多分二時間程度で終わるだろう。 だから昼食をロンベルティアで摂ったら夕方までは自由時間だ。い ろいろな物があるだろうから各自見聞を広めるためにも見て回れ。 落ち合う場所については後で決める。ゼノムさんたちは今日から一 週間王都に滞在するのですよね?﹂ 兄貴が言った。 ﹁ええ、既に宿も取ってあります。﹃グリンフ亭﹄という宿です。 グリード卿御一行は王都に宿泊はしないのですか?﹂ ゼノムが答えたが、 ﹁えっ? お兄さん達、今日帰っちゃうんですか? いろいろ案内 して欲しかったのに⋮⋮﹂ ラルファが口を挟んできた。お前、俺の兄貴はガイドじゃねぇよ。 ふざけんな。それから、ゼノムだって貴族の跡取りである兄貴には 丁寧に喋ってるじゃねぇか! 何よその親しげなべしゃりは? ひ ょっとしてお前、バークッドのグリード家、舐めてねぇ? 1678 ﹁ん? アルに聞いていなかったかい? 俺達は今夜は王都に泊ま るけど、明日の朝バークッドに帰るよ。ごめんね。俺達の宿は﹃ロ ンヘルーク亭﹄と言うんだ。場所がちょっと判りづらいから別の所 に一回集合してそれから宿に向かうんだ﹂ そういや兄貴、昨日、ラルファ達ともすぐに打ち解けていたな。 今もなんだか弟の友達というよりは会社の後輩とかに接するような 自然な話し方だった。っつーか、家の外の兄貴のことは全然知らな かったけど、やっぱ人当たりよくて格好良いな。 ﹁グリード卿、お願いがあります。納品時の登城の際に、私と娘の ラルファ、ベルナデットも同行させて頂いても宜しいでしょうか? 是非一度王城を見せてやりたいのです﹂ ゼノムが頭を下げて兄貴に頼んでいる。 ﹁ん? ああ、どうだろうね﹂ 兄貴が俺を見た。何だ? ﹁グリード商会の長はアルだから、俺に決定権はないですよ。アル、 どうなんだ?﹂ え? あ? ああ、そういうことか。 ﹁別に構わないよ。ズールーもエンゲラも連れて行くし⋮⋮﹂ 俺がそう言うとゼノムは破顔し、ズールーとエンゲラも驚きの声 を上げている。 1679 ありがとうな、ゼノム。 ・・・・・・・・・ 宿に戻ると第三中隊の人が迎えに来ていた。この人が王城まで俺 たちを護衛︵必要ないが︶し、参内の手続きもしてくれるんだろう。 第三中隊の人は兄貴や従士達、あと何を勘違いしたのかゼノムを始 めとしてズールーやエンゲラにまで丁寧に挨拶をしていた。そして、 グリード商会の長である俺に対してもさぞや丁寧に挨拶をするのか と思ってふんぞり返っていたら、 ﹁あんた、ちゃんと顔洗ってきた? ハンカチ持った? 綺麗な格 好しなさいよね﹂ と来たもんだ。くそ姉貴。 俺達兄弟三人が軍馬に騎乗し、二頭立ての馬車二台と従士が四人、 そしてゼノム以下五人が徒歩という、合計十四人でロンベルティア を目指す。今の時間は午前七時ちょうど位。10kmも離れていな いので道の状態も良いし午前十時には王城へ着くだろう。隊列の先 頭で俺を真ん中に三人並ぶと久々に兄弟の会話を楽しむ。 途中、十分程度の休憩を一度挟んだだけで問題なく王城へと着い た。 王城へ参内し、二の丸と三の丸の中間くらいの広場に着くと、第 1680 一騎士団の人たちがたむろしていた。俺たちの姿に気づいたのだろ う、歓声が上がる。団長のローガン男爵の姿もある。兄貴に背を押 され、俺は男爵の前に立つと丁寧に頭を下げて言った。 ﹁団長閣下、ご注文頂いておりました品物の納品に参りました。⋮ ⋮あちらでございます。採寸通りに仕上げておりますが、出来まし たらすぐに着装していただき、ご確認願います。万が一サイズに問 題があればすぐに修正いたします﹂ 俺がそう言うと男爵は ﹁うん。すぐに着装できるよう、注文した者は全員鎧下だけにして いる。首を長くして待っていたよ。さぁ、皆、確認だ。すぐに着装 して見ろ!﹂ 言うが早いか男爵は馬車まで小走りに駆けていった。その後を第 二中隊の人たちが続いていく。バークッドの従士が名前を聞いて荷 台から木箱を手渡している。木箱の蓋には第一騎士団の紋章と注文 者の名前が彫ってあり、側面にはグリードの家紋とバークッド村産 である文章が同様に彫られていた。箱だけで結構金かかってるんじ ゃ⋮⋮まぁドーリットあたりの職人に頼めばひと箱20000Z︵ 銀貨二枚︶というところか。あの辺りだとそう大した価格でもない だろう。 広場には今回受領しない人たちまで結構見に来ているようだった。 中には第一騎士団以外の人も相当数いるようだ。俺は兄貴と顔を見 合わせると頷いて言った。 ﹁では、第三中隊の方、次回生産ロットの採寸を致しますので、こ ちらにおいでください﹂ 1681 従士が六人もいるし、そのうち四人はゴムの生産にも携わってい る連中だ。採寸は彼らに任せればいいだろう。一人十五分として合 計で一時間もしないで採寸は終わるだろう。採寸している傍では男 爵と第二中隊の面々が俺達兄弟やバークッドの従士達を参考に鎧を 装着している。 正騎士が鎧を装着するのに第一騎士団の従士は手伝わないのだろ うか? 姉ちゃんに聞いてみると﹁私も、アムゼルとグロホレツもいつも 一人で装着しているし、装着に掛かる時間も短いからね。それも羨 ましかったみたいね。一人で短時間で装着出来るようになりたいん でしょ? 昨日皆で装着の仕方を教えてあげたしね﹂と返ってきた。 スプリントメイル バンデッドメイル 確かにゴムプロテクターは一人で着脱可能なように作ってある。 スプリントメイル 俺は普通の重ね札の鎧や金属帯鎧なんか親父が持っていた古い型の 重ね札の鎧しか知らなかった。だから、ほとんど参考にすらせずに、 最初から一人で着脱できることを念頭に置いて作っていたので今迄 あまり気にしていなかった。参考にしたのはプレートの位置や形状 くらいだ。今では世代が進んでいるのでほとんど面影は残っていな いが。 そう言えば親父もお袋も俺が何か言う前に一人で鎧を着脱してい たからなぁ。一番最初の角ばったプロトタイプのテストの時に親父 が着るのを手伝ったくらいだっけ。 そうか、一人で着脱できるというのも売りなのか。 そうこうしているうちに採寸も進み、幾人か着装の終わった人も 1682 出てきた。ジャンプしたり、軽く走ってみたりして感触やサイズを 確かめているようだ。﹁軽い、軽い﹂という喜びの声が聞こえてく る。俺は揉み手をしながら男爵に近づくと言った。 ﹁団長閣下、如何でしょうか? 私共バークッドの鎧は?﹂ ﹁うん。こりゃ軽くていいな。サイズもぴったりだ、違和感もない。 ⋮⋮これなら﹂ ﹁? これなら?﹂ ﹁あ、いや、こっちの話だ。ところで残金を支払わねばな。おい、 ノース! グリード君に残金を渡してやれ。グリード君。彼に残金 は全てあずけてある。彼から受け取ってくれ。しかし、軽いな。お おっ、うむ、肩がよく回る⋮⋮﹂ どうやら忙しいみたいだ。ノースと呼ばれた人が袋を持って小走 りに駆け寄ってきた。重い袋を受け取ると兄貴と一緒に数えた。金 貨162枚、1億6200万Z、確かに受け取りました。金額の入 った販売証明︵領収証みたいなものだ。前金の分と合わせて贅沢税 の納税に使う︶にサインを貰い、懐にしまう。すると、兄貴が袋を 小分けにして多い方を俺に渡してきた。 ﹁ではグリード商会長、これにサインを﹂ そう言うと今度はウェブドスの様式の販売証明にサインを求めて きた。金額は⋮⋮2億1600万Zだ。 ﹁うん⋮⋮はい。ウェブドスの方の贅沢税も一割でしょ? 216 0万Zは俺が払うよ﹂ 1683 ﹁ダメだ。俺たちの方は税を払っても問題はない。大きな声では言 えんが、今回の件、親父もすごく喜んでいる。それに⋮⋮お前は金 が要るだろう? 親父は半々でも良いくらいだと言ってたんだ。俺 もそう思うが、お前の手紙に迷宮でも頑張っていると書かれていた しな。お前の言葉に甘えさせてもらうことにした﹂ 兄貴はそう言って俺に頭を下げた。よしてくれよ。 ﹁あ⋮⋮うん。わかった。ありがとう﹂ ずっしりとした重みの金貨の袋が手渡された。金貨108枚、1 億飛んで800万Zだ。ここから3240万Zの贅沢税を払えば残 りは俺のものだ。あ、第三中隊の人達から前金も受け取らないとな。 いち早く採寸を終わらせたケンドゥス士爵の傍に行き、声を掛けた。 ﹁ケンドゥス中隊長。大変お待たせいたしまして申し訳ありません。 今回採寸させていただいた鎧の納品は4月の終わりくらいになるか と思います﹂ ﹁おお、グリード君。今回は我ら第三中隊の注文を受けて貰ってあ りがとう。で、な。物は相談だが、次回もウチから注文させて貰え ﹁ケンドゥス! 手前ぇコラ! 騙しやがったな!?﹂ 広場に響く胴間声に全員が驚いて声の主を見た。身長2m近いク マみたいなおっさんに率いられた鎧下姿の男達が数十人、こちらに 向かって物凄い形相で走ってきた。30∼40人くらいいるのか? ベルとラルファは明らかに怖がっている。他の人たちは俺も含め て何がなんだかぽかんとするばかりだ。 1684 ﹁あ、まず⋮⋮﹂ ケンドゥス士爵は体を縮こませると彼から隠れるように馬車の裏 へと身を隠した。 ﹁おい! うるさいぞ! ジェフ! 客人の前だ。騒ぐな!﹂ ローガン男爵がでかいおっさんを一喝した。 ﹁う、はい、団長⋮⋮その鎧⋮⋮くそ。あんたもケンドゥスの野郎 とグルかよ! っざけんなよ! グリードを推薦したの俺じゃんか よ! おいコラ、グリード! てめぇ、俺に恩があるよな? な? だからグリード商会に言ってくれよ。俺の鎧の注文も受けてくれ ってよぅ。なぁ、頼むよ﹂ そのおっさんを見た兄貴はすぐに駆け寄っていった。 ﹁お久しぶりですビットワーズ卿、その節は大変お世話になりまし た﹂ ビットワーズ卿? じゃあこのクマみたいな我侭言ってるおっさ んがジェフリー・ビットワーズ準男爵? 第一騎士団副団長の? 慌てて俺も駆け寄る。 ﹁初めまして、ビットワーズ卿。兄と姉が大変お世話になりました。 私はグリード商会のアレイン・グリードです﹂ こくしゅう ﹁おう、ウェブドスの黒鷲じゃねぇか。元気か? それと、ん? グリード商会? おお、あんたが! なぁ、頼むよ、もう一着、受 注してくれよ。だいたい、最初は団長と二中の連中で、次が三中だ 1685 けって、そりゃない﹁ちょ、副団長! ご自分だけですか? 俺ら もいるんですけど。あんまりですよ﹂ もう何がなんだか、収拾がつかない。 ﹁静かにせんか! 馬鹿共!﹂ 団長がまた一喝した。一気に静まり返った。ラルファ、びびって 漏らしてねぇといいけどな。 ﹁お前ら、それでも栄えある第一騎士団か!﹁お前が一番五月蝿い わ! ローガン!﹂ え? 国王かよ。あと、妃殿下もその後に付いて来ている。あ、 まずい。俺は慌ててバークッドの従士達とゼノム達の所に駆け寄る なら と﹁国王陛下だ。俺の真似をしろ﹂と小声で言って臣下の礼を取っ た。全員顔色を変えて俺に倣った。 ﹁昼飯前の散歩をしていたらよぉ、五月蝿ぇんだよ。何だよ、一体 ?﹂ 傍まで来た国王がローガン男爵に声を掛けた。 ﹁は、その⋮⋮騎士団の装備品の件で⋮⋮見解の相違から議論が、 その⋮⋮些か白熱しておりました﹂ ローガン男爵は苦し紛れに言った。 ﹁ん? ローガン団長、その鎧⋮⋮陛下、グリードが来ております わ﹂ 1686 ユールが気づいたようだ。 ﹁ん? おお、グリード。おるのか? 面を上げい!﹂ お、俺かよ⋮⋮。兄貴達の訳ねぇよなぁ。 ﹁はっ、ここに﹂ 仕方ない。跪いたまま顔を上げる。 ﹁おお、おお、遠いな﹁おお、グリード、こちらに来りゃれ﹂ モリーンが俺の顔を見つけ国王を遮って声を掛けてきた。仕方な い、行くか。バークッドの従士やゼノム達はおろか、兄貴や姉ちゃ んまでびっくりしているようだ。そりゃそうだろうなぁ。 俺は国王たちの傍まで行くと再度跪き、臣下の礼を取った。 ﹁グリードよ、登城は年明けだった筈では?﹂ モリーンが俺に言った。 ﹁はっ、モーライル妃殿下。本日は第一騎士団への装備品の納品で 登城致しましてございます﹂ ﹁そうか。少し早いが、そのぅ、例の物は今日はあるかえ?﹂ 小声になった。 1687 ﹁はい、ございます。馬車に載せております。今納品したほうが宜 しいですか?﹂ 俺も小声で返す。 ﹁いや、今はよい。あれば良いのじゃ。のう、皆もそうであろう?﹂ モリーンはそう言って他の王妃達を見回した。 ﹁ええ、そうですね。ですが、あとひと袋、六つしか残っておりま せん。年明けと言っても、次はいつ来るのですか?﹂ ベッキーが言った。 ﹁えー、一月三日か四日の参内を考えておりました﹂ 俺がそう言うと、今度はマリーンが口を開いた。 ﹁え? 今日が28日だから⋮⋮ぎりぎりではないですか。モリー ン様、どうします?﹂ ﹁この場だとちと人目が気になりますね。グリード、そなた、仕事 が終わったら誰ぞに声を掛けなさい。我ら誰でも良い、手の空いて いるものが行くゆえ、必ず呼ぶようにの。我らは当分二の丸に居ま す﹂ モリーンが俺に言った。相変わらず小声だ。 ﹁はっ、了解いたしました。仕事が済み次第お声をかけさせていた だきます﹂ 1688 ﹁グリード、あれな、俺、気に入ったわ。お前んとこ、いいもん作 ったな﹂ 国王がそう言って去っていくまで跪いて見送った。 ・・・・・・・・・ その後、ローガン男爵が整理をした。今回は仕方ないので既に予 約のある第三中隊からの受注を受けるが、次回以降は団長が調整を して発注することになった。兄貴や村の従士達、ゼノム達も、ゴム プロテクターの人気に目を白黒させていた。第三中隊の今回採寸を した人達から前金を受け取り、それを従士のショーンに渡しながら、 ﹁ゴム鎧、人気だろう?﹂ と笑いかけると、 ﹁ええ、大したものです。お屋形様もここまでは予想されておりま すまい。良い息子を持ってさぞ鼻が高いことでしょう﹂ と褒めてくれた。 ﹁ところで、グリード君、あと、グリード卿、今日はこの後、予定 こくしゅう はあるかね? もし無いのであれば昼食後にでも第三中隊の訓練に 胸を貸してやってくれないか? 俺も噂に聞くウェブドスの黒鷲と 1689 出来のいい弟の実力を見てみたい。どうだろう?﹂ 第三中隊長のケンドゥス士爵がそう言ってきた。確か、以前断っ たんだよな。俺はコンドームの件が片付けば別に問題ない。しかし、 兄貴は折角の王都だ、従士達といろいろ見て回りたいだろう。 ﹁おう、そうだな。久々にあれ見せてくれよ﹂ 副団長のビットワーズ準男爵も声をかけてきた。あれってなんだ? ﹁ああ、グリードが言うには自分は兄弟の中で一番弱いそうだ。兄 貴と弟がどんなもんか、見てみたいな﹂ 団長のローガン男爵まで輪の中に加わってきた。えー、魔法抜き なら多分俺が一番弱い気もするぞ。それにいくら兄貴でも第一騎士 団で揉まれてる姉ちゃんには流石に一歩譲るんじゃないか? ﹁あのぅ、団長閣下、皆さん、申し訳ありませんが兄は明日には戻 るのです。今日は私が午後お伺いしますので、なんとかそれでご勘 弁を⋮⋮﹂ そう言って頭を下げたが、 ﹁いや、お客様のご要望だ。私等のような若輩で宜しければ是非稽 古をつけてください。アル、心配しなくても一日くらい帰るのを伸 ばせばいいだけだ﹂ 兄貴は俺の肩に手を置いてそう言って笑った。 昼食後に以前第三中隊が訓練していた河川敷に行くことになった。 1690 姉ちゃんは昼食を兄貴と一緒に摂るらしい。勿論ゼノム達もだ。俺 は⋮⋮警護の人に妃殿下達にグリードの用が済んだと伝えて貰いに 行くしかない。下手すりゃ俺だけ昼飯抜きかよ。 ゼノム達も折角なので第一騎士団の訓練を見るつもりらしい。ど うせ時間はあるだろうし、参考にはなるかもしれない。だが、ラル ファよ。今のところ大人しいが、お前、姉ちゃんの前で兄貴に色目 使ったら死ぬぞ。一応釘は差しておいたほうが良いだろうか。いや いや、あいつの恋路の邪魔をするんだった。ここは放っとくべきだ ろ。 1691 第四十三話 反省︵後書き︶ アルが三世代後くらいの魔法使いの人数を十∼二十人としている のは間違いではありません。アルの兄弟の子供や孫の各人が親戚間 で婚姻をしないで三人づつ子供を設けた場合、3×3×3×3で8 1人ですが、アルは全員が魔法の適性があるとは思っていません。 いいとこ十人に二人から三人だと考えています。自分を含め兄弟三 人が魔法を使えたのは偶然だし、ある意味で母親であるシャル、と 言うか公爵家の遺伝が強く出たのではないかとも考えています。オ ース一般で言われている十人に一人よりは多いだろうと考えている 程度です。これはバークッドの従士やその子弟でも魔法が使えるの はやはり十人に一人くらいの少数だったからです。 転生者の場合は、ひょっとしたら神の言う﹁アドバンテージ﹂で 全員が魔法の才能があるかも知れない、くらいには思っている可能 性があります。ですのでゼノムやズールー、エンゲラに魔法を教え ようとは思っていません。前回の話でマリーも魔法が使えるように なったらしいことが判明しましたので、おそらく転生者なら全員魔 法が使えるようになる、と思っているかもしれません。例外として ベイレット・デレオノーラが魔法を覚える前に死んでいますが、そ れとて魔法の修行をしていないだけで、修行をすれば使えるように なった︵真実ですが︶と考えているのでしょう。少なくともアルの 出会った転生者五人は出会った時点で魔法が使えた人は一人もいま せんでした。流石に自分を入れてもサンプル数が少なすぎますので 安易な判断は下せないでしょうが、それでも暫定的に何らかの判断 を下すならばアルの考えはそうおかしなものでもないと思います。 また、魔法の技能の習得方法ですが、世間一般に知られている方 1692 キャントリップス 法は、着火の魔道具でもコンロでも明かりでも何でもいいのですが、 放出される魔力を小魔法の魔力感知で感じ取ることを何回も繰り返 すうちに魔法の特殊技能に目覚めるのを待つ、という受動的な方法 です。 キャントリップス これは費用の掛かる魔石を消費して小魔法でひたすらに魔力感知 を続けるものなので、金と時間が許されないと魔法の特殊技能の習 得自体が難しいです。以前、主人公がマリーから聞いた一般的なや り方というのもありますが、あれは地方独特の迷信に近い方法です。 そもそも、能動的に元素魔法を習得するのは非常に難しく、あの方 法で全くダメ、と言う事はないでしょうが、ギターの演奏を覚える のに指導者もいない状態で録音した曲だけを頼りにギターの弦に歯 で齧り付いているようなものです。無魔法を習得するのにはシャル が考えた方法は非常に優れています。但し、条件として傍に既に魔 法が使える人がいて、最初のうちは魔力を通すという感覚をある程 度指導してもらう必要があります。 これがやたらと流出したら今でこそ十人に一人という程度の魔法 使いの人口が爆発的に増える事が考えられます。主人公を始めとす る一般の人は魔法の才能を持って生まれてくる人間だけが魔法を使 えるようになると思っていますが、それでも十人に一人以上の割合 で魔法の才能を持っているとは思っています。つまり、魔法使いの 人口が十人に一人だったのが二人とか三人とかなる可能性がある、 と考えています。 魔法は確かにすごいものですが、現時点では使える人なんかひと 握りで、それでも脅威になるほどではないというのが一般常識です。 この一般常識がひっくり返るかも知れないことにシャルの魔法の習 得法の恐ろしさがあります。何しろ、金がかからないのなら自作農 である平民の子供に畑仕事に出る前とかにやらせる可能性だって無 1693 いことはないです。まぁ魔力切れで眠ったり何か貪り食っているう ちはまだましでしょうが、十歳を超え、性欲まで出てくるようにな れば別の問題も発生する可能性もありますけどね。そんな事より魔 法の特殊技能が二∼三レベルだとしても治癒魔法の使い手が倍にな ったりしたら紛争時や戦争などでの国家間のバランスさえ崩す可能 性が出てきます。 それに十歳以下から始めたら魔力の増大についても明らかにサン プル数が増え、気付かれるでしょう。現時点では魔力切れの問題も あるし、常識では成人くらいから始めるのが普通ですが、サンプル 数が増えたら常識を疑うという人だって出てきやすくなるでしょう。 ある意味で魔力の増大法よりもシャルの魔法の特殊技能の習得法の 方が圧倒的に重要な秘密です。 アルは一日に複数回魔力を空にすることで魔力を成長させました が、その魔力増大法については実は広まったとしてもあまり心配す るような事でもありません。なぜなら幼児の時点で魔法を覚えさせ たとしてもある程度はMPが増えると思いますが、一定量に達する と、おそらく眠くなるまでMPを使うようなことはしないでしょう。 放っておいても少しづつ回復しますし、何度も連続して魔法を使う ような集中力を発揮できる子供などそうそういないと思います。何 回か魔法を使ったら疲れてしまって飽きて、別のことに興味を引か れるか魔力は空になっていないのに疲れから寝るかするでしょう。 アルは転生者で感性などは若返ったりもしましたが意志力は大人 のままです。だから出来たことです。また、ファーンとミルーは魔 法を使って疲れてもシャルが無理やり︵曽祖父の言葉を忠実に遂行 して︶魔力が空になるまで泣こうが喚こうが強制的に魔法を使わせ たのであの魔力に達しているとお考え下さい。それに加えて魔力を 追加して魔法の威力を上げたりして効率的に魔力を消費するやり方 1694 についてアルが発見してそれを伝えていると考えたほうが自然かも しれません。 普通ならMPが50を超えるくらいまでになれば相当の魔力です。 そこまで行けば指導者の魔術師も満足すると思います。それより魔 法の特殊技能の経験を積ませるために魔力を空にするよりも適当に 回復させて︵休憩させて︶再度魔法を使わせようとするのが普通の 思考だと思います。魔法の特殊技能のレベルが上昇すれば魔力が増 えることは知られていますので。 あと、ラルファがファーンやアルに親しげな感じで話しているの は法的に問題ありません。正確にはファーンもアルもベルも貴族で はなく、貴族家の一員という準貴族身分です。たとえ公爵家の跡取 りでも何らかの爵位を襲爵していないうちは正確には貴族ではなく、 準貴族身分です。但し平民とは区別され、明確に貴族の一員ではあ ります。 また、王位継承権を持った王族は特別な存在で、常に敬語且つ丁 寧に相対しなければいけない義務がありますが、それ以外の貴族に 対しては親しげに振舞ったり、﹁十年ぶりに会ったが相変わらず巨 体だなぁ﹂とか明らかに冗談だとわかる範囲で馬鹿にしてもそれだ けでは罪になりません。しかし、﹁お前、口臭いよ﹂とか﹁身軽な デブってキモイ﹂とかだと捉え方によっては貴族侮辱罪が適用され ます。このあたりは親告罪なので言われた方が訴え出るか、領主で あればその場で判断できます。 1695 第四十四話 高い評価 7442年12月28日 兄貴達とその場で別れ、警備をしている兵隊にモリーンへの伝言 を頼んだ。兄貴達やゼノム達からは当然のように﹁国王陛下と王妃 殿下達の呼び出しはなんだ?﹂と聞かれたが﹁今晩話す﹂と言って その場は逃れた。まぁ実家には手紙で伝えてはいるので、問題はな い。だが、流石にあの場でコンドームの納品とは思えないだろうし な。 暫く待っていると二の丸の一室に呼び出された。指定された部屋 に行くと警備の兵隊がいたが、俺が傍まで行くと既に話は通ってい るらしく何も言わないのに通してくれた。部屋の中にはユールとマ リーンが居り、国王とモリーンとベッキーはいなかった。どちらか というと軍人上がりらしいこの二人の方が話がしやすい。 ﹁グリードです。ご無沙汰しておりました﹂ 部屋に入るなりそう言って跪き臣下の礼を取った。 ﹁おお、グリード、して、例のものは?﹂ 挨拶もせずユールが言った。あ、やべえ。王室に納品用のやつ、 馬車に積んだままだった。っと財布に一袋入ってる。今回はこれで いいか。 ﹁は、こちらに。正規の納品用の品は馬車にありますので、後日納 1696 品に参上しますが、あの場では、そのぅ、騎士団の方々も沢山おら れましたゆえ、馬車から荷を降ろせなかったのです。ですので、今 あるのはこのひと袋だけです。来週改めてご要望頂いております数 量をお納めに参りますので今日のところはこれでご容赦を⋮⋮﹂ そう言って最後に残っていた一袋を献上した。 ﹁面を上げて構いませんよ。グリード。礼を言います。もうそろそ ろ残りの数も心もとなくなっておりました。助かりました﹂ マリーンがそう言って俺から最後の一袋を受け取り胸に押し抱い た。うーん、うちの村で作った商品をそうやって大事そうにしてく れるのは嬉しいな。 ﹁ところでグリード。あなた、騎士団の装備品の納入に来たと言っ ていましたね。鎧の納品だったのですか?﹂ ユールが質問した。不思議そうだ。 ﹁はい。今私が着用しているものとほぼ同じものを第一騎士団から ご注文頂き、本日十着納品させて頂きました﹂ 俺がそう答えると、 ﹁え? 本当に十着だったのですか?﹂ と言われた。こんな事で嘘言ってどうするよ。 ﹁は? はい。確かに十着納品致しましたが⋮⋮ローガン団長閣下 以下、第二中隊の方々に合計十着でございます﹂ 1697 ﹁マリーン、第一騎士団の帳簿はどうなっていますか?﹂ ﹁はい、そう仰られるかと思い、既にこちらに用意してあります。 ユールスフォル様﹂ え? なに? 抜き打ち検査ですか? だって鎧は個人で買うん だろ? 何買ってもいいんじゃねぇの? 兄貴からはウェブドスの 騎士団では武器は支給されるけど防具の類は個人調達だって聞いて たぞ。姉ちゃんも何も言ってなかったし⋮⋮。 プレートメール ﹁ああ、グリード、貴方は心配いりませんよ。⋮⋮おかしいですね。 8月の終わりに申請されているのは金属鎧六着の補助費⋮⋮え? たった9700万Z︵金貨97枚︶? これでは三着くらいしか買 えないではないですか⋮⋮﹂ ユールはそう言って俺をひとまずは安心させたが、その後になに やら不穏な発言をしている。 ﹁9700万Zですか? グリード、本当に十着の鎧を納品したの ですか? 詳しく事情を教えて貰えますか?﹂ マリーンも続いて疑問を持ち、俺に質問してきた。何だ? ﹁はい。確かに十着、納品いたしました。8月にご注文を頂戴した 方々から採寸し、本日全ての納品を終えました﹂ 他に言いようはない。なにやら面倒な感じになってきた。汚職と か、それ系の。 1698 ﹁いいですか。グリード、ユールスフォル様は安心しても良いとは プレートメール 仰いましたが、事はそう簡単な問題ではありません。まず、私の疑 問に答えなさい。一つ、たった四ヶ月で十着の金属鎧の納品をどう やってしたのか? 申し訳ありませんが、そなたの出身のバークッ ドは鎧の産地として有名ではありません。職人もそれほどいないで プレートメール しょう。一つ、そなたは十着の鎧を納品したと申しましたが、補助 費の申請は金属鎧六着分になっており、価格も異常に安価です。販 売証明を見せなさい。一つ、先に関連しますが、今回納入した鎧の 単価を言いなさい﹂ 物憂げな顔をしたユールとは対照的に厳しい表情でマリーンが俺 に詰問した。何だ何だ? ﹁は、まず、バークッド村で鎧を生産する場合、細かな調整迄含め て完全な鎧を製造したとして⋮⋮大体四日∼五日で三∼四着は鎧の 製造が可能です。但し、これは原材料が充分に備蓄されている場合 です。それからこちらが今回納品した鎧の販売証明となります。単 価は一着三千万Z︵金貨三十枚︶です。それとは別にカイトシール ドは六百万Z、バックラーシールドは三百万Zです。申し訳ありま せん。バークッドはウェブドス侯爵領の奥地、ジンダル半島の先に ありますので⋮⋮その、輸送費用も馬鹿にならないので⋮⋮結構高 価になってしまいます﹂ 正直に答えた。それ以外に道はないし、何だか厄介事に巻き込ま れているようだが、俺は単なる一納入業者だ。善意の第三者でいた い。まぁ、鎧の製造速度は本当に総力を挙げて製造するならもっと 速いだろうし、数ももう少し多いだろう。 ﹁﹁え?﹂﹂ 1699 プレートメール ユールとマリーンが口をそろえて疑問に思ったようだが、何が疑 問なのか? ゴム鎧が帳簿上、金属鎧になっていることまではどう 考えても俺の責任じゃない。俺が責められる必要はないはずだと平 気な顔をして畏まっていると、 ﹁マリーン、ローガン団長とビットワーズ副長をここに﹂ ﹁はい、早速﹂ そう言うとマリーンは部屋の外の警備兵に何か言うと戻ってきた。 ﹁グリード、そなた、嘘は申しておりませんね。今のそなたの発言 には重要な問題がいくつかあります。ローガンとビットワーズの発 言次第では更に重要です﹂ ユールが少し厳しい声で言った。 ﹁はっ。誓って嘘では御座いません。すべて真実です﹂ そう言って頭を垂れた。 暫くして団長と副団長が部屋に入ってきた。マリーンはすぐに気 が付いたようで手の中で弄んでいたゴム袋をさっとポケットにしま った。 ﹁お呼びでしょうか、ユールスフォル妃殿下、マリーネン妃殿下﹂ そう言って俺同様に臣下の礼を取る。ユールが口を開く。 ﹁そなた達に聞きたいことがあります。まず、八月に申請されてお 1700 プレートメール ります金属鎧の六着分の費用、これはグリードの商会に注文した鎧 ですか?﹂ ローガン男爵が答える。 ﹁はっ。新しい鎧ですので、種別が近いものにて申請しました﹂ ﹁そうですか。種別はいいでしょう。しかし、今グリードから聞い たところ、今回納入したのは十着分だというではないですか。数が 違うのは何故ですか?﹂ またユールが質問した。 プレートメール ﹁はっ。個人装備品の鎧の補助費は七年に一度しか認められません ので⋮⋮。私は五年前に金属鎧を新調するときに申請しております し、他にも三人、既に補助費を申請しておりましたので、その分の 人数を差し引いて、今回は六名分の補助費の申請にしております﹂ ローガン男爵が答えた。へー、鎧の新調の費用も補助して貰える のか。さすが第一騎士団。高給といい恵まれてるな。 プレートメール ﹁そうですか、では、そこも良いでしょう。次に価格です。単価は 今グリードに聞きました。私の知る金属鎧より明らかに、異常な程 安いですね。それから納期も数にしてはおかしいと思いますが、そ なた、よもや脅して値段を交渉したり、無理に納品を急がせたりし ていないでしょうね﹂ だんだんとユールの口調が厳しくなっていった。納入業者を虐め るな、ということだろうか。 1701 ﹁は、はっ、勿論そのような事は一切⋮⋮﹂ ローガン男爵もある程度理由を悟ったのか、微妙に俺を責めるよ うな感じも伺える。俺、そんな事一言も言ってないぞ。 プレートメール ﹁先ほど五年前に金属鎧を新調したと申しましたね。その時の価格 は幾らでしたか? それと、注文から納品までの期間は?﹂ 今度はマリーンが聞いた。 プレートメール ﹁はっ。⋮⋮確か7400万Zだったかと⋮⋮。あと、納期は一年 二ヶ月程だったかと﹂ プレートメール ローガン男爵が答えた。高級な金属鎧ってお高いのね。以前見た 男爵の金属鎧は確かに高価そうだった。それにすごく時間かかるん だな。 プレート ﹁ローガン、今のそなたの言葉と、グリードへの注文は矛盾してい メール ませんか? 一着三千万Zの価格で、納期は十着で約四ヶ月。金属 鎧がそんなに手軽に出来ると思うてか! しかもそなたが今着てい る鎧はグリードのもの同様に黒染めまでしておろう! こんな短納 期で価格もそこまで違うとなると今の鎧業者は皆潰れるわ! グリ ードのところにも大きな負担であろう! そなた、一体どういうつ もりか!﹂ 途中からユールは激しだした。まずいな。俺のところの生産力は さっき言ったはずなんだがな。価格についても言いだしたのは俺だ。 多少不興を買っても口を出さざるを得んか。 ﹁恐れながら、ユールスフォル妃殿下。発言をご許可くださいませ﹂ 1702 俺はそう言うしかなかった。 ﹁許す。なんですか?﹂ ユールはそう言って俺の顔を見た。その表情はお前のために言っ てやってるんだぞ、と言わんばかりだ。 プレートメール プレートメール ﹁恐れながら、ユールスフォル妃殿下。勘違いがあるようでござい ます。まず、私の鎧は一見すると金属鎧ですが、金属鎧ではありま せん。ゴム製の鎧です。それに、先ほど申し上げたバークッド村の 生産力も嘘ではございませんが、原料のゴムも無限にはございませ ん。今ですと四ヶ月に十着くらいの原料が精一杯です﹂ そう言って畏まった。ローガン男爵はあからさまに安心した様子 で息をついている。 ﹁﹁え?﹂﹂ ユールとマリーンは信じられないことを聞いたというように声を 合わせている。 プレートメール ﹁金属鎧ではない? ゴム製? ゴムは柔らかいではないですか。 鎧になるのですか? それに見たところ⋮⋮グリード、そなたの鎧、 触ってもいいですか?﹂ マリーンがそう言って畏まる俺の前にしゃがみ込んで来た。 ﹁は、どうぞ。⋮⋮と、小手で宜しければ外しますが﹂ 1703 そう言って俺は左手の小手を腕に固定するゴムベルトに手をかけ た。 ﹁え? そのように⋮⋮案外簡単に外れるのですね﹂ ちなみにゴムプロテクターは第二世代から体のパーツごとに着脱 が容易になるように設計してある。簡単に装着の仕方を説明すると 以下のようになる。 最初に腹部と背中の下部を覆うような胴回りのパーツに両足を突 っ込んでわき腹をゴムベルトで固定する。ここはあまり強く締めな くてもいい。次に上腕部のパーツを着ける。上腕部外側のプレート と肘をガードする半球に近いパーツが一体になったものをつけてベ ルトで固定する。 それから胸部と背中の上部が肩で接続された胸部パーツをかぶり ︵胸くらいの丈で袖無しのノースリーブのシャツの右脇の下だけが 切れているようなものを想像してくれ︶、右脇の下あたりにあるベ ルトを締めて前後から身体を挟む様に固定する。右だけが切れてい るのは剣で切られるのは左側が多いからでそれ以上の理由はない。 肩の防具は両肩のパーツをゴムベルトで体の前後から繋げてあり、 胸部のパーツの上から着用する。肩部から腕にかけてこれまた細い ゴムベルトで上腕部のパーツに固定する。 同時に腹部と背中下部から上に伸びている幅広のゴムベルトの先 のフックを胸部の内側に引っ掛ける。ここは背中側を誰かに手伝っ てもらったほうがいいが、慣れれば予め引っ掛けておくことで対処 可能だ。最初は腹部のパーツもゴムベルトで肩からかけるようにし ていたが今の世代では改良済みだ。 1704 次に腰だ。以前言ったことがあるが脇がつながっていない寸詰ま りの砂時計見たいなやつを履いてベルトで腹部と背部にフックで引 っ掛ける。これだと腰の両脇が心もとないので、腹部パーツの脇前 後に草摺みたいな腰部を保護する複数の腰パーツを引っ掛けるが、 腰パーツには全部をまとめるベルトも付いているのでこれも締める。 胴体部のパーツはパーツ間に隙間が出来ないように重なっている部 分が結構ある。 グリーヴ 脚部はブーツを履き脛当てをふくらはぎの上下にゴムベルトで固 定。足の甲については好みの問題だが、俺の場合はエボナイトで爪 はいだて 先を固めてある編み上げブーツなので何もつけていない。大腿部の グリーヴ はいだて パーツである佩楯もゴムベルトで固定し、こちらは結構重量もある はいだて ので。同時にゴムベルトで腹部にも引っ掛ける。脛当てと佩楯は双 方共に、ベルトで留める後ろ側は5cmくらいの隙間はある。佩楯 とは言うものの、日本の具足のように湾曲したでっかい板というわ けではない。もうちょっと足にぴったりフィットしたものだ。俺が 他の呼び方を知らないだけなので気にしないでくれ。 薄い肘位までの皮手袋に手を通す。そして篭手のパーツに手を突 っ込んで手の甲と拳に付いている金属のメリケンサックの内側の紐 に親指以外の指を通してから握りを確認し、ベルトを締め全体を固 定する。篭手部分は外側は肘に近い下腕部から拳までを完全に覆い、 内側も下腕部中央10cmくらいをほぼ完全に覆えるようになって いる。内側中央に分割線があり、多少隙間は開くがベルトを締める ことによってほぼ隙間はなくなるように調整してある。 なお、本来は鎧下も各所にベルトを通すためのベルトホールなど をつけているのが理想だが、鎧下のベルトホールはなくても長時間 に渡って装着しないのであれば大きな問題ではない。 1705 そしてラグビー選手のようなインナーヘルメットを被り、あごパ ーツで固定したあと、昔のドイツ兵とか自衛隊で使っているような アウターヘルメットを被ってインナー同様に皮ひもであごの下で固 定する︵今はヘルメット自体インナーもアウターも着けていないが︶ いたざねしころ 。アウターのヘルメットは昔の日本の兜のように両脇から後頭部に かけてエボナイトの板で板札錣のようにしている。前立ては好みも あるだろうし、付けていない。 グリーヴ こんな感じなので小手とか脛当てなんかは最初に外すことになる し、慣れていれば外すのは楽だ。さっさと外した左の篭手をマリー ンに渡す。ユールも興味深そうに見ているのですぐに右側の篭手も 外して渡す。 こんこんと叩いたり、いろいろな角度から捻くり回している。俺 の篭手は俺専用の特別製で本来であれば篭手の外側に鉄の棒を入れ て簡易盾にしているのだが、俺はその代わりにミュンに使い方を仕 込んでもらった千本を十本ずつ入れている。太さ3mm、長さ20 cmくらいの鉄の針だ。盾としても使えるが、引き抜きやすいよう に、篭手の表面には千本を収納する穴に沿って切れ目が入れてあり、 引き抜くのではなく、端っこを持ち上げるようにすればすぐに外せ るようにしている。それにマリーンが気付いた。 ﹁これは何ですか?﹂ ﹁普段は簡易的な盾の代わりに腕の外側に仕込んでいる鉄線です。 防御力を重視する場合もっと太い鉄の棒を四本、下腕部に入れます。 本格的に盾を使うのであれば、そう言った物は重量増になるので入 れません﹂ 俺の説明で理解したのかどうかはわからないが、頷いているので 1706 理解してくれたのだろう。だが、俺は冷や汗ものだった。武器を持 ち込んでいるじゃないか。手裏剣とバレなかったのでホッとした。 次から気を付けよう。メリケンサックがあるので、篭手も武器だか ら外しますとでも言って入口の衛兵に預ければ問題ないだろう。 ﹁これは全部ゴムで出来ているのですか?﹂ ユールが聞いてきた。 ﹁一部革紐なども使っていますし、金属部分もありますが、基本的 にはゴム製です﹂ 俺がそう答えると、 ﹁え? そうなのですか。ずいぶん軽い鉄だとは思いましたが、そ もそも鉄ではないのでしたね⋮⋮﹂ と言ってまた叩いたりしている。 プレートメール ﹁恐れながら、両妃殿下。確かにその鎧はゴム製であり、防御力自 体は金属鎧に及びません。しかし、その重量はご覧の通り、非常に 軽く、体も動かしやすいのです。ご存知の通り、第三中隊のグリー ド卿や従士のアムゼルとグロホレツも使っており、性能は証明され ております。そして、何よりも安価です。修繕費用も驚く程安いの です。今第一騎士団では、抜け駆けして八月に発注した団長以下十 名と、今回発注した第三中隊の十名については問題﹁それは今関係 ないだろう﹂ ビットワーズ準男爵が鎧について説明したが、男爵への弾劾にな る前に男爵が止めた。準男爵は恨めしそうに男爵を見ているが、男 1707 爵はどこ吹く風だ。 それを聞いたユールとマリーンは可笑しそうに笑うと言った。 ﹁どうやら我らの勘違いのようですね。許すが良い。それに、高性 能で安価な装備は歓迎ですしね⋮⋮。しかし、ゴム製だったとは⋮ ⋮﹂ ユールはそう言いながらまだ俺の篭手をいじっていた。 プレートメール ﹁見たところ黒染めの金属鎧かと思っていたのですが⋮⋮たしかに よく見ると違いますね﹂ マリーンもそう言って俺の篭手に手を通したりしている。 ﹁しかし、ビットワーズ、そなた、団長が抜け駆けして鎧を発注し たのを問題視しているようですが、鎧程度のことでそのように目く じらを立てる必要もないではないですか? そなたも副団長ならも う少し心を広く持ちなさい﹂ ユールがそう言うと、 プレートメール ﹁はっ、しかし⋮⋮しかし、この鎧は金属鎧には及ばないまでもそ れに迫る防御力を持ち、且つ何分の一、という軽量です。毎度毎度 騎乗して戦うわけではありませんので、騎士や従士達の命に関わり ますれば⋮⋮それを団長はまずご自分とその場にいた第二中隊の者 達のみで発注し、それを指摘した第三中隊も自分たちだけで次回の 発注をしてしまいました。私などは今回の納品直前にそれを知った のですよ。先週ですよ、知ったの。それも二中の奴らがポロっと漏 らしたから解ったんですよ。しかもその後三中のケンドゥス卿など 1708 は納品場所について私を謀りまでしています。到底簡単には容赦で きません﹂ ビットワーズ準男爵が恨めしそうにローガン男爵を見ながら言っ た。第一騎士団、せっこいなぁ、と思うが、確かに命に関わるなら 幾らでもせこくもなるだろうし、糾弾する気持ちもわからんでもな い。 ﹁ふふっ、そう言いますな、ビットワーズ。次回の注文は貴方達が すれば良いではないですか﹂ マリーンが可笑しそうに言った。 ﹁はっ、ですが、次回以降の注文は団長が仕切るそうで⋮⋮。それ に⋮⋮お言葉ですが両妃殿下方も既に現場を離れていらっしゃいま す。前線で働く騎士の安全を﹁ビットワーズ! 無礼ですよ。私も 10年前までは第一騎士団の第一中隊長をしておりました。そなた の気持ちは理解しています。⋮⋮しかし、そこまで良いものですか ?﹂ ビットワーズ準男爵の言葉をユールが遮って言った。 ﹁はっ、失礼いたしました⋮⋮む、丁度良いことがあります。午後、 河川敷の騎士団の演習場で余興がございます。そこなグリードとそ の兄姉、それと団長と私、ケンドゥス卿で模擬戦を行います。その 中で今回の鎧を着用していないのは私とケンドゥス卿だけです。ご 覧になりませんか?﹂ ビットワーズ準男爵が挑戦的な目つきでユールに言った。 1709 ﹁おい、演習場では妃殿下方をお迎えする用意もしておらんぞ﹂ ローガン男爵が慌てて諌めようとしたが、 ﹁ほう、それは面白そうですね。グリードと一緒の鎧ですか⋮⋮ふ む、見に行きましょう。それと、寒いのは大丈夫です、我らも元は 騎士団出身ですからね。部隊単位での模擬戦ではなく、一対一の形 式までは最近見ておりませんでしたから、ちょうどいい機会です。 それに、グリード卿の兄は⋮⋮確か本来グリード卿の代わりにそな たが第一騎士団への編入を推薦したことがありましたね。いいでし ょう﹂ ユールがそう言って決定したようだ。姉ちゃんの箔を付ける為に も頑張らなきゃな。あ、そうだ、兄貴や従士達、ゼノム達にも妃殿 下の行幸があることを事前に言っておくべきだろう。 ﹁グリード、そなたもやるのですか。怪我をしないように気を付け なさい。そなた、本業は冒険者で普段はバルドゥックの迷宮で魔物 を相手にしているのでしょう? 冒険者は体が資本ですよ。それに、 そなたには商会もあるのですからね﹂ マリーンが俺のことを心配して言った。しかし、来週の納品物を 心配しているようにしか聞こえない。 1710 第四十四話 高い評価︵後書き︶ 以前からメッセージなどでご質問を頂いていたゴムプロテクターの ある程度細かな説明をしてみました。まぁ所詮私の想像の産物でし かないので大したものではありませんが。 1711 第四十五話 模擬戦 7442年12月28日 何だか妙なことになったなぁ、でも、姉ちゃんをアピールする良 いチャンスだ。あまり恥ずかしいところは見せられないよな。まぁ、 いざとなったらさっさと氷漬けにしちまえばいいだろ。昔姉ちゃん もローガン男爵にやったらしいし。どう考えても普通の模擬戦形式 で一対一なら俺に負ける要素は無い。ズールーやエンゲラにもいい とこ見せてやらなきゃな。 馬に乗って贅沢税の納税のために行政府へと向かいながら一人に やにやしていた。さっさと行政府で税金を払い、適当に何か腹に入 れて河川敷に向かわなければな。 税金を払う前、適当な飯屋を見つけたのでそこで食事をした。馬 を店の裏の厩に預け、道沿いの席に陣取った。ベーコンと豆のスー プと豚肉のピカタに、白いパンだ。さすが大人口を抱える王都だけ あって、ちょっと高い気もしたが、満足できる食事だった。精算は 後払いだし。それにしても、オースでピカタを食ったの、初めてだ ったな。どっかで豚カツでも作ってねぇかな? 所謂日本のソース はないだろうが、マヨネーズはあるし辛子だって探せばあることは わかってる。ああ、これで米があれば言う事はないんだが、無い物 ねだりをしても仕方ない。 いつものように豆茶を追加で頼み、くちくなった腹に満足して通 ドワーフ りを眺めていた。少し先のブロックを行商人の馬車が通ってゆく。 御者台に山人族らしき男と女、護衛に普人族の男が二人に、あれは 1712 背が低いからまだ子供だろうか? 女も一人いるようだ。どこでも 見られる風景だ。ん? あの護衛だか行商人の子供だかの女⋮⋮髪 を一本の大きな三つ編みにしているようだが、黒い髪だ。 ︻グリネール・アクダム/2/7/7429︼ ︼ ︻女性/14/2/7428・山人族・ロンベルト王国ロンベルト 公爵領登録自由民︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:3︼ ︻HP:65︵65︶ MP:11︵11︶ ︻筋力:11︼ ︻俊敏:6︼ ︻器用:15︼ マッピング ︻耐久:11︼ ︻固有技能:地形記憶︵Lv.8︶︼ インフラビジョン ︻特殊技能:小魔法︼ ︻特殊技能:赤外線視力︼ ︻経験:7821︵10000︶︼ おっと、黒髪だからと言ってつい意味もなく鑑定しち⋮⋮何? 今赤字があったよな? 細かく見る前に彼女が視界から消えちまっ たから判らんが、赤字があったと思う。固有技能だ! こうしちゃ いられん! せめて声くらい掛けておかねば! 俺は席を立とうと隣の椅子に立て掛けてある鞘付きの銃剣を手元 に引き寄せる。あまり慌てすぎて血相が変わっていたのだろう、ち ょうど豆茶と持ってきた給仕の女が﹁ひいっ﹂と叫んで豆茶を零し ていた。俺は銃剣を引っ掴んで 1713 ﹁馬を回せっ﹂ と叫び店の外に飛び出した。しかし、店から ﹁食い逃げだ、食い逃げだぁっ!﹂ と叫び声が上がる。しまった。 ﹁後でちゃんと払うよっ﹂ 豆茶はともかく飯の金払ってねぇ。だが、あとで十倍払ってやる よ。と厩舎に向かって駆け出そうとしたとき、腕を掴まれた。くそ。 ﹁グリード君じゃないか? おいおい、食い逃げはいかんぞ﹂ だだだだだ団長じゃねぇか! まじかよ⋮⋮。 ﹁ああ、金は後できちんと払い﹁どれだけ急いでいるのかは知らん が、今きちんと払いなさい。そうでないと見過ごせなくなるよ﹂ ⋮⋮あああ、畜生。 ﹁はい。⋮⋮ほれ、代金だ。釣りはいらねぇ。それより馬を回して くれ、急いでな﹂ そう言って財布から銀貨を一枚探り出すと店の給仕に渡す。クソ 高い800Zの昼定食代加えて豆茶代に10倍以上の10000Z 払ってやるわ。 ﹁グリード君。どうしたんだ? 君らしくないな。貴族たるもの、 1714 もっと余裕を持ちなさい。そんなに慌てんでも演習場は逃げはせん よ。まだ多少時間に余裕もあるしな﹂ はっとして周りを見回すとローガン男爵の他、ビットワーズ準男 爵と、名前の知らない騎士団の団員らしき人達も数人いて、意外そ うな顔つきで俺を見ていた。⋮⋮ダメか⋮⋮。馬を急いで回してく れたとしても、ある程度時間もかかる。この昼食時の人通りの多い 王都では馬車一台なんかどこか道を曲がりでもしたらあっというま に見失ってしまう。ああ、こんなことなら、馬をお茶代代わりに預 けて後で取りに来るとか、さっさと先に金を払って、馬は預けたま まに必死に走れば何とかなったかも知れない。 転生者らしき人物を見つけ、興奮のあまり我を忘れるなんてなぁ。 ⋮⋮正直無理もないとは思うけどね。 頭をガリガリと掻き、照れくさいのを誤魔化すと、 ﹁お騒がせしました。よく考えれば慌てるようなこともありません でした。税金を払いに行くの失念していたのを急に思い出し、つい 慌ててしまいました。お見苦しいところをお見せしてしまいました。 大変申し訳ございません﹂ そう言って頭を下げた。 ﹁大丈夫だよ。贅沢税は販売証明の日付から一ヶ月以内に支払えば いい。心配はいらないよ。だが、君でも大金を持っていると慌てる んだな﹂ そう言って笑ってくれた。確かに今一億Zを上回る大金を持って いる。恥ずかしいがそういうことにして流したほうが良さそうだ。 1715 俺は再度頭を下げ、ようやく引き出されてきた馬に跨ると念のため 先ほど馬車を見かけたあたりまで行って見る。しかし、やはりと言 うべきか既に馬車の姿を見つけることは出来なかった。 行商人か護衛の冒険者か、とにかくロンベルティアまたはロンベ ルティアを巡回路にした転生者がいるらしいことははっきりした。 最悪の場合、一ヶ月くらいしたらこのあたりで網を張っていれば引 っかかるかも知れない。その時はラルファやベルだって捜索には協 力してくれるだろう。 とぼとぼと行政府まで赴き、税金を支払うと、河川敷の演習場に 向かった。 ・・・・・・・・・ 演習場には姉ちゃんを始めとして兄貴達やゼノム達も既にいた。 俺が遅れて到着すると、早速質問攻めにあった。夜説明するって言 っていたはずだが、まぁ仕方ないだろう。既に王家に﹃鞘﹄を納品 していると伝えていた筈の兄貴までびっくりしていた。いくら王室 に納入しているからといって身分の高い王族と直接顔見知りになっ ているとは思わないだろうしな。 無理もない。縁あってゴム製品を直接納品していると言って誤魔 化した。姉ちゃんにはウォーターベッドの修理で直接顔を合わせた ことがあると言っていたのでそれ程不思議そうには思われてはいな かったようだが、流石に王妃達全員が俺の事を知っていたのは意外 1716 そうだった。ついでにユールとマリーンが視察に訪れることも言っ た。 兄貴と姉ちゃんと俺でみんなから離れて話をする。 ﹁ミルー、団長と副団長、それに中隊長だったか⋮⋮どのくらいの 腕なんだ? あと魔法は使ってもいいのか?﹂ 兄貴が姉ちゃんに聞いた。 ﹁そりゃそれぞれ凄く強いわ。魔法は⋮⋮どうかしら。私たちが魔 法を使うと簡単に勝てちゃうし、私は最近模擬戦の時に魔法は禁じ られているのよね⋮⋮﹂ 姉ちゃんが返事をする。まぁそうだろうなぁ。単なる魔法合戦で 俺達に勝てる奴なんてそうそういないだろう。いつもいつも魔法ば っかり使っていたら稽古にならんし。 ﹁アル、とりあえず魔法をどうするか始まる前に確認するが、ミル ーの話だと多分魔法は使えないと思ったほうがいいだろう。俺達が それぞれ誰を相手にするかはわからん。だが、ただではやられるな。 絶対に粘れ。模擬戦の内容によるが、いいところまで勝負できたよ うなら、最後に俺達がミルーを相手に模擬戦してギリギリで負ける。 いいな﹂ うん。それでいい。できれば姉ちゃんの援護になるようなことを してやりたい。 ﹁ああ、わかったよ。正直、俺は第一騎士団の人相手にどこまでや れるかはわかんないけど、できるだけ粘るよ。姉ちゃん、槍使って 1717 もいいんだよね?﹂ 兄貴の考えに賛成すると俺は肩にかけていた銃剣を握り直した。 ﹁別にいいけど、あんたのは刃を潰してないしダメよ。木剣じゃそ の槍の中に入れられないでしょ? 私達姉弟の稽古じゃないんだか ら真剣でやるわけないでしょ? それに、今日は鎧を新調した人も いるから金属製の模造刀も使わないでしょうね﹂ ﹁木槍はあるんだろ、それでやるさ﹂ 全部の技は使えないだろうが何とかするしかない。 ﹁あんたが使ってるくらいの短い木槍もないわよ﹂ おえぇ? 俺、勝目ねぇ気がする⋮⋮。そりゃ俺だって剣はそれ なりに使えるよ。親父や兄貴ともいい勝負くらいはできる。だが、 第一騎士団の人相手は⋮⋮流石に無理だろ⋮⋮。魔法も使えない、 銃剣もダメ、ああ、これで粘るとか、地獄だな。まぁレベルアップ で地力は上がっているはずだからそっちで何とかするしかないのか ⋮⋮。あ、そうだ。 ﹁や、槍に鞘つけたままならどうかな? エボナイトの鞘だし、こ れなら﹁中身は鉄でしょうに。⋮⋮だいたい、ユールスフォル妃殿 下とマリーネン妃殿下もお見えになるのでしょう? 大怪我させる 可能性のある物は無理に決まってるじゃないの﹂ 一刀両断だった。仕方ねぇ。 ﹁アル、まぁ頑張れ。槍を使えないと厳しいなどと言っていて迷宮 1718 の冒険者は務まるのか? 贅沢言わないで用意されたものでやるし かない。俺だって、第一騎士団の方相手にそう簡単に勝てるなんて 思っちゃいない。でも、やるしかないんだ。いい機会だと思って胸 を貸してもらうしかない。その上でミルーをアピールできるように 頑張るだけだ﹂ そう言って兄貴が締めた。俺がげっそりと青い顔をしてゼノム達 のところに行くと、ラルファが声をかけてきた。 ﹁アル、頑張ってね。応援するからね﹂ おう、俺が半殺しになるのを見ててくれ。だが、せめて一太刀く らいは入れてやりたい。 ﹁アルさん、頑張ってくださいね。私も応援しますよ﹂ ベル、応援は有難いけど、お前に治癒魔法の練習させてやれそう だ。どうせ使わないだろうが魔力は温存しておけよ。 ﹁ご主人様、ご主人様でしたら例え正騎士が相手でも勝てるでしょ う﹂ ズールー、お前、デーバスの出身だから第一騎士団をそこらの適 当な騎士団と一緒にしてるんだろ? そんなんだったら俺も気が楽 だよ。 ﹁ご主人様、大丈夫です、いつものように魔法で弱らせればいいの です﹂ エンゲラ、魔法使っちゃいけないそうだ。格好いいとこ見せてや 1719 れそうにないかも。 ﹁アル、お前さんなら第一騎士団が相手でもそこそこやれると思う。 いつもみたいに得意の槍をぶん回してやれ﹂ ゼノム、銃剣も使用禁止が言い渡された。剣でやるしかねぇんだ よ。まぁ蹴りも使ってもいいだろうし、土を蹴り上げて目潰しして もいいだろう。こちとら騎士じゃねぇし、正規の軍人ですらねぇ。 普通科連隊上がりの泥臭い冒険者の戦い方を見せるしかねぇだろ。 手裏剣は封印だけどな。 あ、そういやいいもんあった。最近ご無沙汰だったあれだ。こい つも使ってなんとしても一太刀くらいは浴びせないと格好がつかね ぇ。そうこうしているうちにだんだんと騎士団の人達も午後の訓練 もあるから集まってきた。河川敷の隅に建っている掘っ立て小屋み たいな物置から練習用の木剣や木槍も運び出され、用意されていく。 俺はその様子を横目に一人装備の点検を進める。体の各所を防護 するプロテクターのズレを修正し、屈伸したりジャンプしたりしな がら違和感を潰していく。腰の草摺にDリングでぶら下げてあった 水筒や小物入れなど邪魔なものは全て外し、少しでも身軽にする。 ヘルメットをサドルバッグから出して被り、顎当ての脇で緒を締 める。同じデザインのヘルメットを被った俺たち兄弟はお互いを見 てにやっと笑う。兄貴は首をコキコキと鳴らすようにしてから肩を 揺すり訓練用の木剣を手にした。姉ちゃんも両肩を一回転ずつ回し てから木剣を引き抜いた。 俺は、手を開いたり閉じたりして握りを確認し、同様に手頃な木 剣を手にすると一度素振りをしてバランスを確かめた。俺達から少 1720 レートアーマー スプリントメイル フルプ し離れた所ではビットワーズ副団長が従士二人に助けられながら板 金鎧を装着している。ケンドゥス中隊長も重ね札の鎧を従士の補助 を受けて装着している。ローガン団長だけは俺たちそっくりなゴム プロテクター姿だ。 団長が歩いてきて言った。 ﹁すまんが今日は魔法なしな。怪我したら治療できる奴は沢山いる から安心してくれ。ああ、グリードに治療して貰ってもいい。二本 先にいいのを入れたほうが勝ちな。あと、グリード君は騎士の経験 もないらしいから騎乗はしない。これでいいか?﹂ 予想していた通りだ。今更否やは無い。 ﹁﹁解りました﹂﹂ ﹁はっ、了解﹂ 姉ちゃんだけ軍人口調だ。現役だし、当たり前だけどな。 さて、俺の相手は誰かいね? もう両手両足を封じられているようなもんだし、誰が相手でも勝 てないだろう。せめて一番強い人が俺の相手をしてくれれば兄貴と 姉ちゃんの援護にはなる。でも、どうせ三人とも無茶苦茶強いだろ うし、あまり意味はないか。 今のうちに鑑定しておこう。 ︻ロッドテリー・ローガン/28/6/7426︼ ︻男性/20/5/7402・普人族・ローガン男爵家当主・ロン 1721 ベルト公爵騎士︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:40歳︼ ︻レベル:17︼ ︻HP:135︵135︶ MP:25︵25︶︼ ︻筋力:23︼ ︻俊敏:23︼ ︻器用:18︼ ︻耐久:21︼ ︻特殊技能:地魔法Lv.2︼ ︻特殊技能:水魔法Lv.3︼ ︻特殊技能:火魔法Lv.3︼ ︻特殊技能:風魔法Lv.3︼ ︻特殊技能:無魔法Lv.4︼ ︻経験:726253︵810000︶︼ ︻ジェフリー・ビットワーズ/21/7/7438︼ ︻男性/2/6/7405・普人族・ビットワーズ準男爵家当主・ ロンベルト公爵騎士︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:37歳︼ ︻レベル:17︼ ︻HP:140︵140︶ MP:15︵15︶︼ ︻筋力:23︼ ︻俊敏:20︼ ︻器用:20︼ ︻耐久:24︼ ︻特殊技能:風魔法Lv.4︼ ︻特殊技能:無魔法Lv.4︼ ︻経験:687921︵810000︶︼ 1722 ︻セーガン・ケンドゥス/28/9/7440︼ ︻男性/17/6/7414・普人族・ケンドゥス士爵家当主・ロ ンベルト公爵騎士︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:28歳︼ ︻レベル:14︼ ︻HP:138︵138︶ MP:16︵16︶︼ ︻筋力:23︼ ︻俊敏:19︼ ︻器用:18︼ ︻耐久:23︼ ︻特殊技能:地魔法Lv.2︼ ︻特殊技能:水魔法Lv.3︼ ︻特殊技能:風魔法Lv.2︼ ︻特殊技能:無魔法Lv.3︼ ︻経験:439160︵450000︶︼ 三人が三人とも猛者と言ってもいいんだろうな。魔法が無しなの であれば三人の実力はあまり変わらないのかも⋮⋮いや、騎士団の 訓練と戦場で練り上げた実戦経験を考慮すれば団長と副団長が別格 に強いんだろうなぁ。ケンドゥス士爵のレベルは今の俺より低いが、 実力は確実に俺より上だろう。 もう仕方ねぇ。やれるところまで全力で頑張るしかない。各能力 の値では俺も負けてない。できる限りそれを活かして踏ん張るしか ない。よし、皆見てろ。どうせなら薄汚くても足掻いて、足掻きま くって負けてやる。向こうだって流石に姉ちゃんの言葉を鵜呑みに して姉ちゃんより強いなどとは本気で思ってねぇだろ。確かに技で は及ばないかも知れないが、俺だってもう何匹もの魔物を剣や槍だ 1723 けで倒してるんだ。それこそ掠らせもしないでな。チビの頃一対一 でホーンドベアーとやりあった時ほど絶望的なわけでもない。 バークッドが舐められてたまるか、一泡吹かせてやる。 ﹁んじゃ、総当りな。全員一回ずつやろうか﹂ フルプレートアーマー 団長がそう言った。Oh.....予想外。治療さえきっちりで きるならまぁ予想してしかるべきだったな。 ﹁妃殿下方が到着し次第始めるぞ、体を温めておけよ﹂ プレートメール 副団長が言う。模擬戦とは言え本物の金属鎧どころか板金鎧を着 た人とやるのは初めてだ。あんなのどこにどうやって打ち込んだら 有効と判定されるんだよ。 こくしゅう ﹁あまり硬くならないようにな。ウェブドスの黒鷲の実力、楽しみ だ﹂ 中隊長もそう言って笑う。俺なんかおまけくらいだろうな。だが、 見てろ。多分あんたが一番与し易いだろ。 そうやって俺達の気持ちを和らげようと話しかけてくれているう ちに妃殿下達も演習場に到着した。全員、跪いて臣下の礼を取る。 ﹁よい、面をあげてください。無理を言って急に出張ってきたのは 私達なんですから、気にしないでください﹂ プレートメイル スプリントメイル ユールがそう言ってにっこりと微笑んだ。って、二人共鎧姿だ。 胴回りだけ金属鎧であとは重ね札の鎧のようだ。なんて言うんだっ 1724 け。まぁいいや。それにしても見事な鎧だな。各所に装飾も入って おり高価そうだ。 ﹁よし、全員起立。始めるぞ、付いてこい﹂ 団長がそう言って少し離れた円形の訓練場に向かった。あそこで やるのか。 ・・・・・・・・・ 向こうの一番手はケンドゥス中隊長が相手らしい。なら最初は俺 だろう。俺は兄貴に﹁お先に﹂と言って訓練場へと歩き出す。最初 ︼ に俺がやれば相手の手の内を少しでも引き出せて、兄貴が楽になる だろう。⋮⋮やったるわ! ︻アレイン・グリード/5/3/7429 ︼ ︻男性/14/2/7428・普人族・グリード士爵家次男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:14歳︼ ︻レベル:15︼ ︻HP:134︵134︶ MP:7425︵7431︶ ︻筋力:21︼ ︻俊敏:27︼ ︻器用:20︼ ︻耐久:22︼ ︻固有技能:鑑定︵MAX︶︼ 1725 ︻固有技能:天稟の才︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:風魔法︵Lv.8︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.8︶︼ ︻経験:461085︵560000︶︼ な? 各能力の値だけなら俺もそう見劣りはしないだろう? 最 近意識して伸ばしている俊敏がどれだけのもんか試してやる。俺は ケンドゥス中隊長の目前までゆっくりと歩いて行って向き合うと木 剣を構える前に一礼し﹁よろしくお願いします!﹂と頭をさげた。 そして後頭部にいいのを貰って這いつくばった所を蹴られ、背中を 木剣で叩かれて負けた。なんじゃそら。木剣とは言え、ヘルメット がなかったら死んでたわ。 ﹁グリード君、演習場に入った瞬間に戦闘は始まっている。敵に頭 を下げる必要はない。君の負けだ﹂ 審判をしている第二中隊のバルキサス中隊長がそう言った。流石 に俺は文句を言ってやろうとしたが、兄貴と姉ちゃんが渋い顔をし ていたので諦めた。くそう。そんなんありかよ。怖くてゼノム達の 方を見れねぇ。ラルファとか馬鹿にするだろうな。負けた方が残る のが一対一の模擬戦のルールらしい。治療するような傷は受けてい なかったので、そのまま続けられる。魔法で治療してもそう簡単に 痛みが消えないほどの大怪我を負うか、相手が一巡するか、勝つま でこの演習場から出られないということらしい。 フルプレートアーマー 次は副団長が相手のようだ。今度こそ何としても食らいついてや る。俺は覚悟を新たにして油断なく構えていた。重厚な板金鎧に通 1726 常のものよりもふたまわり近く大きなカイトシールドを構え、長剣 プレートメール を模した木剣を上段に構える副団長には隙がない。今度こそ俊敏さ を活かして、重い金属鎧を着込んだ相手を翻弄し、死角から狙いす ました一撃を加えてやる。 副団長はじりじりと摺足で近づいてくる。 土の表面がむき出しの演習場に12月の冷たい風が吹き土埃が舞 う。 俺は両手で木剣を青眼に構えたまま同じように摺足で左方に移動 する。盾を使わせたくはないし、右手一本で剣を振るなら相手から 見て右に位置したほうが相手もやりにくいはずだ。彼我の距離がだ んだんと縮まってゆく。 5m⋮⋮。 4m⋮⋮。 3m。 もう少し。 と、その時、副団長は俺の予想を上回る速度で踏み込んできた。 バークッドのゴムプロテクターを身につけた平均的な従士並の速度 だ。速い! 気合いとともに俺の右肩から袈裟懸けのように木剣を振り下ろし フルプレートアーマー ながら踏み込んでくる副団長が着用しているのは本当にあの重そう な板金鎧なのか? 1727 そう思うのも束の間、袈裟懸けに振り下ろされてくる剣を潜るよ うに右側に体を投げ出して何とか初撃を躱すのに成功した俺は、右 手一本で副団長の胸を狙って突きを入れるが、盾に阻まれ、虚しく 左方向へと剣先を逸らさせれてしまった。 しかし、そのまま俺から見て左方向に逸らされた右手の運動に逆 らわずに左腕を後方に振るようにして左方向に回転しながら腰を落 とし、左足で副団長の左膝を狙って回し蹴りを放つ。﹁徒手格闘﹂ ﹁銃剣格闘﹂﹁短剣格闘﹂における﹁関節蹴り﹂の変形だ。 エボナイトで固めた俺のブーツの踵がガラ空きの左膝の裏を外側 から掬うべく回転する。 左足の踵を副団長の左膝を覆う装甲の端に引っかけることができ た。このまま足を振り抜いて膝カックンのように体勢を崩すのが狙 いだ。 だが、何と言う事か、確かに遠心力まで利用して踵を左膝を覆う 装甲の端に当てたはずなのに、びくともしない。左の腿から爪先ま で膝の裏に筋のような隙間がある以外完全に覆われた板金鎧は確実 に膝の裏に当てない限りは変な方向に曲がらないのだろう。 すぐに足を丸めて右前方に転がった。寸前まで俺の左足が伸びて いた場所に盾が垂直に振り降ろされ地面に突き立った。あ、危ねぇ ⋮⋮。 転がった勢いを利用して立ち上がると右手に握ったままの木剣を 右に振りながら今度は右回転して副団長に向き直る。その間に副団 長も盾を地面から引き抜いて方向転換を終えていた。 1728 位置を入れ替えてほぼ最初の状態に戻った。流石第一騎士団の副 団長を張るだけあって、見事な身のこなしだ。まともに行ったらど う考えても俺に勝ち目はない。 今度はこっちが先手を取りたい。いくら身のこなしが上手く、早 かろうがあれだけの重量物だ。俺ほどではない。落ち着いてフェイ ントを織り交ぜながら翻弄し、スピードを活かして勝機を見つける のだ。 右手に木剣を握り、左手はバランスを取るように心持ち左に伸ば し、前に踏み出した右足に体重をかける。 今度は盾が構えられている右方向へと飛び込む。副団長は俺に追 従して盾を開いていく。今だ! 盾に隠れるように腰を落としたま ま飛び込んだが、盾に隠れて俺の左腕の動きは見えまい。盾の右側 面に左手を掛けると思い切り左に引いた。上手くいけば副団長は盾 を左側面から身体の正面にずらせるはずだ。同時に右手に持ってい る彼の木剣は上手く振れないだろう。 そう思ったが。俺が盾に左手をかけた瞬間に判断したのだろう。 俺の左手の動きに逆らうことなく、副団長は右方向に回転し、遠心 力も利用して右手に握った剣で俺を殴り倒すことにしたようだ。 このままだと俺は思ったより抵抗がなく、軽い感触のまま勢いに 任せて左方に体が開いてしまう。だが、これでいい。予定とは違う がこれも昔から散々やってきた動きだ。右手に握った剣を立てて体 に引き付けると肘を突き出して回転中の副団長の背中に肘打ちを入 れる。 1729 フルプレートアーマー 背中まで装甲のある板金鎧とは言え、背中に肘打ちを入れられて 体勢を崩さずに耐えられるものか。 背中に綺麗に肘打ちが入り、回転を止められた副団長はたたらを 踏んだ。その隙に今度こそ理想的な形で副団長の右膝の裏に関節蹴 りを入れてやると、簡単に体勢が崩れた。後ろからヘルメットの飾 りに左手を伸ばし、それを掴んで下に引き降ろしながら、後頭部に 右膝蹴りを叩き込んだ。 フルプレートアーマー 本当なら脳震盪だ。だが、流石に板金鎧のヘルメットは頑丈らし い。それとも後頭部の隙間にクッションでも入れてあるのだろうか。 勿論ダメージはあるようだが、そのまま背中から地面に倒れても副 団長は唸りながら動いていた。だが、もう何もできまい。俺の足元 に仰向けで頭をこちらに向けて倒れている副団長の頭部に剣を当て た。 ﹁グリード君の勝ち!﹂ 審判がそう宣言した。相手を仰向けに倒し、その頭を抑えている。 一撃どころか好きなように打ち込める。だから勝ちになったのだろ う。おおおっ! 勝った! 副団長に勝ったぞ! 両拳を握り締め て演習場を後にした。演習場の外に出て兄貴の横に立った。誇らし かった。兄貴は低い声で﹁良くやった。次は俺だ。見てろ﹂と言っ ︼ てニヤリと笑みを浮かべると俺と入れ違いに演習場に足を踏み入れ た。 ︻ファンスターン・グリード/1/4/7438 ︻男性/21/1/7422・普人族・グリード士爵家長男・ウェ ブドス侯爵騎士︼ ︻状態:良好︼ 1730 ︻年齢:20歳︼ ︻レベル:8︼ ︻HP:94︵94︶ MP:339︵339︶ ︻筋力:15︼ ︻俊敏:16︼ ︻器用:12︼ ︻耐久:14︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.6︶︼ ︻経験:74969︵80000︶︼ ︼ 見劣りするように見えるが、そんなことはない。この内容は経験 値以外今年の春に家を出た頃となんら変わりはない。だが、僅か9 ヶ月くらいで9000もの経験を得ている。相当稽古したのだろう し、精力的にパトロールもしたのだろう。 フルプレートアーマー 兄貴は油断なく木剣を構えながら副団長が起きあがるのを待って いる。板金鎧だと一人で起き上がれないのかと思ったがそんなこと はないようだ。転がって俯せになると腕立て伏せのように手をつい て上半身を起こし、同時に膝立ちになり、そのまま木剣と盾を手に して上半身を起こすと、続いて両膝を付いた状態から片足ずつ立ち 上がった。 まぁ一人で起きれないとか、俺の膝蹴りで脳震盪を起こすとかだ と、戦場で馬から落ちたくらいで気を失って簡単に死んじゃうだろ。 それに近くで見たし、実際に打撃を与えたりして判ったが、あれっ て重そうだけど、重量は全身に分散されているようだし、結構身軽 に動けるのな。 1731 そのまま兄貴と対戦するようだ。俺のような邪道の、正統派では フルプレートアーマー ない剣術相手にさぞ戸惑ったことだろうが、兄貴は正統派だ。俺と 同じようなもんだと思ってると頑丈な板金鎧を着込んでいるとは言 え、怪我するぞ。 俺は姉ちゃんと同じように木剣を地面に突き立ててそれに手をか けながら兄貴と副団長の模擬戦が始まるのを見守っていた。 副団長は俺の時と同じように盾を構えている。兄貴は右手に木剣 を握り、左手は軽く添えているだけだ。 兄貴が先に仕掛けた。親父譲りの稲妻のような速度で踏み込み気 合とともに木剣を上段から振るう。副団長はそれを盾でいなすと、 右手に握った木剣をやはり上段から振り下ろす。 左下腕の簡易盾で受けたようだ。直径1cm程の鉄の棒が四本も 仕込まれている。痛いことは痛いだろうが、骨は折れないだろうし、 痺れもすまい。その証拠に左腕で副団長の木剣を受けると同時に外 側に腕をふるい、木剣の軌道を体から逸らしている。 それと同時に兄貴は後方に飛び退るとすぐに木剣を両手で水平に 構え突きと共に突進した。今度は左手が柄の傍にあり、木剣も心持 ち左腰に寄せられている。右手は添えるだけ。 副団長もすぐに対応し、右手に持った木剣で下腹部を狙って突き 込んできた兄貴の木剣の軌道を逸らし、左手の盾で殴りつけようと 振りかぶる。それを兄貴は予測していたのか。 木剣に添えていた右手を伸ばし、副団長が振り上げた盾の下端に 手を当てるとそのまま上に突き上げた。そして、盾の下を潜りざま 1732 に左手の木剣で胴に斬り付け、副団長の右横を潜り抜けていった。 ゴン、という鈍い音がして明らかに有効打と判定されたようだ。 審判のバルキサス中隊長が左手を挙げる。だが、まだ、一本を先取 しただけだ。模擬戦はそのまま続く。その後もまるで両手利きであ るかのように右に左に副団長を素早い動きで翻弄するとともに殆ど 一方的に攻撃を繰り返すが、有効打はなかなか出なかった。 もう一分近くそんな状態が続いている。流石に兄貴と言えど疲れ もあるだろう。そろそろ決めないとまずい。俺と模擬戦をしていた 時も、俺が防戦に徹して、それが上手く嵌ったときは兄貴の体力切 れで勝つこともあったのだ。 兄貴が右上段から袈裟懸けにしようと剣を構えて副団長に突進し た。ああっ! それはまずい! と、突進しながら盾に木剣を振り 下ろすかに見えたが、兄貴は狙っていたようだ。木剣を盾に当てる ことなく角度をずらして振り下ろし左手に持ち替えるとそのまま下 から盾を迂回するような、地を這うような動きからゆっくりと上昇 し、副団長の右腿に突き入れた。 今回の模擬戦で最初の方に下腹部を狙って左突きを放って以来、 攻撃は全て上段や中段からだった。初めて見せた下段からの攻撃に 副団長は戸惑ったのだろうか。とにかく兄貴の下段からの攻撃は綺 麗に決まった。 ﹁グリード卿の勝ち!﹂ 兄貴がにやっと笑みを浮かべながら戻ってきた。﹁いや、流石だ。 勝てたのはほとんど偶然だろう。同じ鎧なら負けていたろうな﹂と ぜぇぜぇと息を吐きながら言っているが、勝ちは勝ちだ。俺は一戦 1733 ︼ 負けた︵なんて思ってはいないが︶が俺達兄弟で第一騎士団の副団 長からそれぞれ一勝ずつ勝ちをもぎ取れたのだ! さぁ、今度は姉ちゃんの番だ。 ︻ミルハイア・グリード/15/12/7439 ︼ ︻女性/2/2/7424・普人族・グリード士爵家長女・ロンベ ルト公爵騎士︼ ︻状態・良好︼ ︻年齢:18歳︼ ︻レベル:8︼ ︻HP:82︵82︶ MP:866︵866︶ ︻筋力:14︼ ︻俊敏:15︼ ︻器用:14︼ ︻耐久:11︼ ︻特殊技能:地魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:火魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:水魔法︵Lv.6︶︼ ︻特殊技能:無魔法︵Lv.7︶︼ ︻経験:66241︵80000︶︼ さて、姉ちゃんの剣を見るのは今年の頭に休暇で家に帰って以来、 ほぼ一年ぶりだ。第一騎士団で仕込まれた剣はいかほどのものか。 木剣を構えながら演習場に向かった姉ちゃんは左腕のアタッチメ ントに取り付けたバックラーシールドも構えつつ腰を落とした。 兄貴には及ばないものの明らかに年初より進歩を見せた素早い動 きから右手一本で木剣を振るい、副団長と互角に戦っていた。重い 1734 鎧を身に付け、その割には素早い動きだが、それ以上に早く動き回 る姉ちゃんに防戦に追い込まれている。だが、兄貴ほど上手く翻弄 できてはいないようだ。お互いにまだ有効打は一度もないが⋮⋮。 姉ちゃんの動きにキレが足りなくなってきた。副団長もそれなり に疲れているようで、幾分速度も落ちてはいるようだが、その割合 は姉ちゃんほどではない。 くそっ、頑張れ! ああっ、副団長の盾のぶちかましが綺麗に入った。体勢を崩し、 片膝立ちになったところに上段から雨のように剣撃が振り下ろされ ている。それを左腕のバックラーシールドと右腕の木剣まで使って いなしながら、なんとか体勢を整え、立ち上がろうとするもついに 右肩に一発いいのが入った。 審判の右手が上がる。 だが、まだ模擬戦は継続している。踏ん張れ。ここから逆転だ! 副団長の木剣を受けながら左に転がった。その勢いを利用して距 離を稼いで立てばいい。だが、副団長の猛攻でかなり体力を奪われ ていたのか、大分キレが落ちている。 副団長も相当疲れてはいるようだが、姉ちゃんほどではない。俺 から数えて三連目だとは思えないほどの底なしの体力だ。だが、姉 ちゃんだって負けてはいない。確かに体力も落ち、動きにキレも無 くなってきてはいるが、そのおかげで基本に立ち返ったかのように 技が丁寧になっている。 1735 俺は思わず声が出そうになったが、ここはぐっと我慢だ。拳を握 り締めて心の中でだけ声援を送る。 フルプ しかし、数分も粘ったのが功を奏したのか、副団長にも動きに明 レートアーマー らかにキレがなくなってきた。いくらなんでもあれだけ重そうな板 金鎧に身を包んでいりゃ疲れもするだろうし、汗など熱気も篭るん じゃないか? 底なしの体力だと思えたが、やはり限界もある。今 こそ最初のようにスピードで翻弄すべきだ。これならなんとかなる。 左足で地面を蹴りつけ一瞬で右に移動した姉ちゃんは右上段から 狙いすました一撃を振り下ろした。このタイミングならもう盾での 受け止めは間に合わないだろう。一本取れる! だが、副団長は無理矢理体をねじ曲げると右腕に持つ木剣を姉ち ゃんに向かって突き上げる。 副団長の左鎖骨の辺りに姉ちゃんの木剣は振り下ろされたが、同 時に左の腿に副団長の突きが襲いかかる! 姉ちゃんは副団長の体勢からそれを見越していたかのように空中 で体を捻ると木剣を手にしたまま転がった。すぐに立ち上がり再度 副団長の右側に回り込んでもう一撃を与えた。 ﹁グリード卿の勝ち!﹂ バルキサス中隊長は左腕を挙げながら宣言した。 やった! 俺達全員が副団長に勝った! 思わず左腕だけでガッ ツポーズを取ってしまう。おっと妃殿下方の前ではしたなかったな。 だが、誰も俺のことなんか気にしちゃいないだろう。どよめきが場 1736 を支配している。え? 姉ちゃんが副団長に勝ったのって初めてだ ったのか。そうか、そりゃ良かった。嬉しいだろうな。 副団長は姉ちゃんにも負けたが、これで相手が一巡したので交代 だ。 ⋮⋮と、俺か。良し! 俺も頑張ってまた勝つぞ! 五分近く粘ったが、団長は強かった。俺は全身全霊で立ち向かっ たが、ゴムプロテクターに身を包んだ団長は親父よりも速い速度で 俺を翻弄した。足技なんか繰り出す暇もない。縦横無尽に繰り出さ れる木剣にたちまち防戦一方に追い込まれ﹁あっ﹂と思った時には 斬られ一本取られてしまった。更に粘ってもどうしようもなかった。 どうにか隙を見つけて土を蹴り上げて目潰しに使うが予測されてい たようで、奥の手を使う余裕もなく再度連続攻撃を受け、結局躱し きれずに負けた。 俺はこれで三人を相手にしたので交代だそうだ。俺は姉ちゃんに 情けない顔を向けたが、頷いてくれただけだった。とぼとぼと肩を 落として戻る俺に兄貴は﹁よく頑張った。最後まで諦めないのは立 派だった。⋮⋮見てろ﹂と声を掛けてくれた。姉ちゃんはそんな兄 貴の背中を真剣な顔つきでじっと見つめている。 ああ、そうか。姉ちゃんにとってこれは余興じゃなくて訓練なん だな。俺も団長と兄貴の模擬戦から何か得られるものがあるかも知 れない。見逃せない。 1737 第四十六話 ウェブドスの黒鷲 7442年12月28日 団長と兄貴の模擬戦はお互い激しく動き、白熱した。木剣と木剣 を打ち合わせ、躱し、所々で﹁エイッ!﹂﹁ヤァッ!﹂﹁ツェェェ イ!﹂﹁むうん!﹂﹁トォッ!﹂と二人の気合がほとばしり、左腕 の簡易盾で相手の打ち込みが威力を発揮する前に踏み込んで弾き、 弾かれた方はすぐさま飛び退って距離を取り、再度激しい技の応酬 がある。団長はゴムプロテクターを着たのが初めてとは思えないほ ど使いこなしている。 兄貴は滅多に見せない奥の手の二連突きまで披露したが、団長は 一発目を右手の木剣で受け流したあと一瞬だけ驚いたように顔を歪 めただけで、二発目を左腕で払うなど初見にも関わらず見事な対応 をした。俺がそれを出来るようになったのは兄貴に稽古をつけて貰 ってから一月近くかかったのに⋮⋮。 一度両手で木剣を保持したあと、どちらの手に持ち替えるかわか らない、兄貴の両利きの技にも見事に対応してみせた。剣術とはこ こまで練り上げられるものなのか⋮⋮呼吸すら忘れて見入ってしま う。 しかし、兄貴も勝てなかった。俺同様に粘りはしたものの、結局 団長に苦杯を嘗めさせられた。しかも兄貴と同じ二連突きに負けた。 突き出す時の型に若干違いはあったので元々団長も使えたのだろう。 速度は団長の方が上だった。 1738 続いて兄貴と第三中隊の中隊長のケンドゥス士爵との対戦だ。団 スプリントメイル 長との対戦で疲れているだろうが、副団長を相手にした時と同様に 重ね札の鎧を着込んだ中隊長を翻弄し、隙を作り出すと二連突きを 二発とも決めてあっという間に勝ってしまった。すげー、流石だ。 姉ちゃんと中隊長はいつもやりあっているのだろう、お互い相手 の手の内を知り尽くしているようで、最初はなかなか動きがなかっ た。そのうち、痺れを切らしスピードに乗り翻弄しようとする姉ち ゃんをどっしり構えて迎え撃つ中隊長の図になった。だが、技では 中隊長の方が上のようだが、どうしても姉ちゃんのスピードに負け てしまうようで、結局姉ちゃんと一本ずつ取ったところで十分くら い経過し、引き分けと判定されてしまった。 次は姉ちゃんと団長だ、と思ったら団長は一回休憩すると言い出 した。そして、驚いたことに姉ちゃんと団長の前に俺と中隊長の再 戦だそうだ。そりゃ最初のアレ、無効だよな。あれで負けってあん まりだ。確かに胸を借りるのだからと礼をした俺が悪い。 でも、あれは模擬戦とは言えないだろ。確かに俺はいくら胸を貸 してもらうとは言え、模擬戦時には礼をする必要はないこと自体は 知っていた。しかし、姉ちゃんの直接の上司に当たる人に失礼な事 は出来ないと思って深く考えずにやっただけで、大丈夫だろう見逃 されるだろうという甘えがあった。いかなる時でも模擬戦時には挨 拶や礼など必要ないと勉強にはなったが、それだけだ。その程度流 石に口で言えばわかる。中隊長の方は何一つ得るものがなかったは ずだ。 なんとしても、何をしても、奥の手を使ってでも勝つ! もし卑 怯と言われたって構うもんか。姉ちゃんはOKと言ってくれたんだ。 姉ちゃんと引き分けた中隊長に勝てば⋮⋮まぁそんなことはいいや。 1739 今は戦って勝つことだけを考えろ。 俺は今までの対戦時のように訓練場に入る前に一度しゃがんで手 の平に土をつけて滑り止めにする。そして、少し休憩を挟んで演習 場で俺を待つ中隊長と木剣を構えて向き合う。やはりまずはスピー ドで翻弄すべきだろう。俺は一気に距離を詰めると左手で木剣を突 き入れる。 中隊長も俺の突きを木剣でいなして返す刀で斬り付けてくるが、 さっき団長と対戦したばかりの俺にしてみればかなり余裕を持って 躱すことが出来る。団長と違い、足技を使う余裕もある。だが、中 隊長はやはりゴムプロテクターを着けている人との模擬戦をやり慣 れているのだろう。正統派の剣術を行っていたであろう第一騎士団 としては外道のような足技だのについては戸惑いもあるようだが、 木剣での攻撃はほとんど完全にいなし、受け止めてきて、確実に反 撃までしてくる。 俺は少し飛び退って4m程距離を開け、仕切り直しをするように 見せかけた。中隊長も腰を落として構え直し、いかなる攻撃も受け 止め反撃する心積もりのようだ。俺は短剣格闘の左脇構えのように 右半身になって右足を前に出すと木剣を持った左腕を引き同時に木 剣を握ったままの左手を左腰に近づける。上体を限界まで左方向に 捻った俺の体が邪魔になって、中隊長からはまるで右肩と捻った上 体で俺が剣先を隠しながら力を溜め込んでいるようにしか見えない だろう。 俺の左腰には奥の手がDリングにゴムひもでぶら下がっている。 木剣の柄ごと奥の手を握り右腕を剣に添えるかのような動きで握 ったまま体の前を右から左腰の方へ移動させていった。木剣を握り 1740 ながらDリングのヒンジを曲げて奥の手をしっかりと剣の柄ごと握 る。 右手はそろそろ限界まで左腰の方へと伸ばされている。 そっと散弾スリングショットの内部に右手に握りこんだままだっ た土を流し込んだ。 流し込んだ右手でコンドーム型の先端の緒を掴んだ時、一気に上 体を戻し、左手を突き出す。引き伸ばされた散弾スリングショット の緒を離し、スプーン大さじ一杯より少し多いくらいの目潰しを中 隊長の顔目掛けて撃ち放った。 中隊長は一体何が起きたのか俄かには理解できなかったろう。勢 いよく射出された目潰しは狙い違わず拡散し、一瞬のうちに目の部 分だけに網の貼られたヘルメットを通り抜け、俺が想定した通りの 効果を発揮した。俺は発射と同時にスリングショットも木剣も手離 すと中隊長目掛けて右に弧を描くようにして距離を詰める。 滅茶苦茶に木剣を振り回しているが、流石にそんなものに当たる わけはない。彼の右膝辺りに内側から蹴りを入れ、体勢を崩すと一 本背負いの要領で右腕を掴み︵スプリントメイルの腕部分の内側は 革製であり、掴む事自体は問題ない︶﹁チェェイストー!﹂と大袈 裟な掛け声一閃、右腕を肩に担ぎながら腰を落としつつ左回転する と、中隊長の太ももにケツを当てて肩ごしに投げた。そして、メリ ケンサック付きの篭手のままヘルメットに突きを放ち、寸止めする。 副団長を相手にしたとき同様、頭部へ好き放題メリケンサックを 打ち込める。 1741 ﹁グリード君の勝ち!﹂ 勝ち名乗りを受けた俺はすぐに中隊長のヘルメットを引き抜くと 魔法でシャワーのように水を出し、目潰しに使った土を洗い流した。 勝てた嬉しさでシャワーの加減を失敗し、手袋の内側にもちょっと 水が出てしまったのはご愛嬌だ。 よし、姉ちゃんが勝てなかった中隊長に勝てた! 嬉しさのあま り小躍りしたいくらいだったが、我慢した。でも、中隊長といい、 副団長といい、もう一回やったら多分剣で勝負する限り勝てないだ ろうな。そう考えると何度も戦っているのに一本取った姉ちゃんは すごい、と改めて思うが、絶対に口には出さない。 その後、満を持して団長と姉ちゃんがやった。驚いたことに団長 は姉ちゃんに魔法を解禁した。俺たちは出来る限り離れて模擬戦を 見学する。埋めこそしなかったが、﹃ウォーターボルトミサイル﹄ ︵攻撃力ほぼゼロ︶で簡単に決着がついた。二発目が当たる前には 団長も魔法まで使って必死に迎撃しようとしたようだが、精神集中 の間もなく魔法が実体化する前に姉ちゃんの魔術の直撃をくらって 負けた。いくら鎧が軽くなっても姉ちゃんに魔法を解禁させたらそ りゃ無理だろう。 ﹁うーん、この鎧なら魔法も躱せると思ったんだがな⋮⋮だが、確 かに良い鎧だ。軽くて動きやすい。重さの割に防御力も高い。気に 入った﹂ 団長が言ったことを聞いて全員が呆れている。身軽に動けるくら いで誘導の魔法が躱せたら誰も苦労しないよ。誘導されているミサ イルを無効化するには幾つか方法はあるが、全て結構困難なものば かりだ。 1742 1.射手の誘導圏外に逃れる 2.誘導中の弾頭が目標に命中するより早く射手の集中力を乱す 3.射手の視線を遮る 4.目標到達前の飛行中の弾頭を消す 5.弾頭が命中する前に﹃アンチマジックフィールド﹄で弾頭自体 を飲み込んで消す このうち最初の方法は速度差の問題からまず無理だ。もともと誘 導射程圏ギリギリの所にいるか、せいぜい10mくらいの場所から 自分の脇に高位の風魔法でも使って自分自身を誘導射程圏から弾き 飛ばすくらいでなきゃ無理だ。それに、相手の誘導圏内か圏外かな んてそう簡単に判断できるはずもない。余計にMPを込めて多少射 程を延長することだって出来なくはないのだから。 二番目も普通は難しい。魔術が発動したあと、距離や魔術にもよ るがコンマ数秒からせいぜい数秒程度の時間で射手の集中力を乱す のは非常に困難だ。相当熟練した魔術師でもない限り、そして飛来 してくる弾頭より圧倒的な速度差で反対に魔術弾頭を相手に到達さ せられるような魔術を使えなければ無理だろう。更には誘導終了後 クロスボウ も最後の飛行ベクトルは残っているからそれを躱す必要がある。弓 矢や弩を使うにしても予め狙いを付けてでもいない限りは速度の問 題もあってまず無理だ。 三番目が一番実用的だ。大きな遮蔽物に隠れたり、魔法が使える なら土壁でも出してそれに隠れてもいい。目標が見えない以上、射 手は勘で狙う以外の方法は取れない。弾頭が﹃ファイアーボール﹄ のように破裂するタイプだと勘で狙っても被害を免れることは困難 なので絶対ではないが、有効な方法ではある。盾でだって熟練の技 で防御すれば弾頭の種類や威力にもよるが物によっては受けたり逸 1743 らせられないことはない。これは相当難しいが。 四番目は次に実用的だ。消すと言ったが正確には何か別の物に当 てて実質的に無効化すると言ったほうが良いだろう。二番目と併用 することが一番多いケースだろうが、飛んでくる弾頭によってはあ まり意味がないこともある。確実なのは同じようなミサイル系の魔 術で迎撃することだが、困難なのは想像に難くないだろう。 最後のはまず無理だ。出来るのは俺くらいだろ。﹃アンチマジッ クフィールド﹄は魔術の中では低位だが、全元素魔法も必要だし少 なくとも飛来してくる弾頭以上にMPを込めなければ貫通される。 一度しか使わないつもりでギリギリまでMPを込めて﹃アンチマジ ックフィールド﹄を張ってもいいが、相手がどれくらいのMPを込 めて撃ち込んできたのか不明な以上、分の悪い賭けでしかない。 いずれにせよ俺達三兄弟︱︱と言うか、今回の場合姉ちゃんか︱ ︱の場合は、ほぼどんな防御を行われてもそれを貫通または有無を 言わせない大威力で防護ごと吹っ飛ばすことが出来る。団長だって それなりに魔法が使えるようだからこのくらいのことは解っている だろうにと思わんでもない。 これで模擬戦は終わりか。俺が二勝一敗︵中隊長との最初の一戦 は見逃して貰えたようだ︶。兄貴も二勝一敗。姉ちゃんは二勝一分。 うおっ、勝った。俺の二勝って実は剣なんか碌に使ってないので如 何なものかと思うし、同じ手がもう一回通用するとはとても思えな いが、俺を抜いても勝ちだ。特に兄貴は正々堂々、剣技だけで副団 長と中隊長に勝っている。 あれ? でもゴム鎧を着た団長に勝ったのは魔法を使った姉ちゃ んだけで⋮⋮副団長や中隊長も重い鎧を着てた。言っても詮無いこ 1744 とだが、同じ条件なら兄貴ですら勝てたかどうかというところだろ うか? 重い鎧を着ていた副団長や中隊長にすら二回目は勝てない だろう俺は、彼らが俺と同じゴム鎧を着ていたら小細工を弄する間 も無く団長のように一方的にやられたんじゃないだろうか。 皆が口々に俺達の事を賞賛してくれるが、俺は一人浮かない顔付 きをしていたのだろう。 ﹁これグリード、そなたは第一騎士団の副団長と中隊長に模擬戦と は言え勝ったのですよ。もう少し素直に喜んでも良いのですよ﹂ ユールが俺に言った。 ﹁そうですよ、大したものです。あなたの兄上も流石、優れた騎士 ですね﹂ マリーンもそう言って褒めてくれた。だが、俺は⋮⋮ ﹁はっ、ありがたきお言葉、感謝致します。しかしながら、私が勝 てたのはこの身軽な鎧のおかげですし、剣技は全く通用しませんで した。二度目は勝てないでしょうし、実質は負けです﹂ そう言って頭を垂れた。すると、 ﹁まぁ、そう卑下したもんでもない。お前さんは年の割には相当強 い。剣技だってそう劣ってはいないぞ。うちの入団試験を受けても 合格できる。それに、うちの正騎士だってお前さんに負ける奴は大 勢いると思うぞ。今からでもうちに来ないか? どうだ?﹂ 副団長が笑いながら言ってくれた。 1745 ﹁そうですよ、グリード。そなた、何か勘違いをしてはいませんか ? 十六、七でそれだけ剣を使えたら立派なものです。まして今日 戦ったのは我が国で最高の使い手の三人と言っても言い過ぎでは無 いのですよ﹂ ユールが微笑みながら言った。 ﹁は、ありがとうございます。それと、お誘いは大変嬉しいのです が、私はバルドゥックの冒険者ですし、商会もあります。あと、私 は再来月に成人を迎えますがまだ十四です﹂ 俺、そんなに大人っぽい顔かな? 東洋人の特徴もあるし、俺の 常識なら年より幼く見えると思うんだが。まぁお世辞もあるんだろ。 表情とか、言ってることなどからは確かに十四には見えにくいだろ うしなぁ。それにモリーン以外は俺のステータスを見てないし、正 確な年齢を知らないのも無理はないし、仮にステータスを見ていた からといっていちいち覚えちゃいないだろ。俺も団長達の年齢とか 細かい鑑定内容なんか覚えてない。 ﹁あら? そうでしたか。話からもっと年上かと思っておりました よ。ならばもっと喜びなさい。十四で第一騎士団に誘われること自 体異例です。そなたら兄弟は優秀ですね﹂ ユールがそう俺のこと、俺たちのことを褒めてくれた。 ﹁妃殿下方、私の言いたかったことをご理解頂けましたでしょうか ? 言い訳は致しませぬが、私とて次にグリード君とやりあえば負 けるつもりは御座いません。ですが、今回私は負けました。戦場に 二度目は御座いません。これが戦場であれば私はグリード君に仕留 1746 められていたのです。確かに驚く程実力は高かったですが、まだ十 四歳の正規に騎士の訓練を受けてもいない彼に負けたのです。それ はケンドゥス卿も同様です。今回彼に勝てたのは新型の鎧を着けて いた団長だけです。これが何を意味するか、賢明なる妃殿下方には ご理解頂けたと思っておりますが⋮⋮如何でしょう、朝の私の言葉 が全く正当なものであったと言うことを﹁ああ、よいよい、そなた の言いたいことは解りました﹂ ビットワーズ準男爵の言葉を遮って、ユールが言った。 ﹁そうですね。有効な鎧だということは判明しました。先を争って 手に入れたがるのも無理無き事ですね。ローガン団長、騎士団の戦 力を鑑みて今後は公平に発注するようにしなさい﹂ マリーンが後を引き継いでローガン男爵に命じた。 ﹁ははっ、殿下のお言葉、肝に銘じます﹂ そして、王妃達は訓練場を後にした。彼女達を見送ったあと、男 爵が兄貴に言う。 ﹁グリード卿、もう一戦いいかな? 今度は騎乗戦だ。武器は剣で﹂ ﹁わかりました。馬は私の馬で宜しいでしょうか?﹂ 兄貴は落ち着いて答えている。 ﹁ああ、勿論構わないよ﹂ どうやら兄貴と騎士団長でもう一戦らしい。騎乗戦か。 1747 兄貴は軍馬に跨り、右手に木剣、左手で手綱を持ち、凛々しい騎 乗姿でありながらどこか優美さをも漂わせている。俺も騎乗戦闘は 練習したことは練習したが、殆ど出来ない。今度時間を取って騎乗 戦闘も練習したほうがいいだろう。あ、いや魔法なら使えるからそ れでもいいかな。 団長と兄貴の間は70∼80mくらい離れている。お互いに向き 合った状態で同時に駆け出し、最接近した時に木剣で斬り付け合う のだ。落馬したらその時点で負け。いいのを二発入れられても負け だ。そう言えば兄貴はバークッドでシャーニ義姉さんとたまにやっ ていたっけ。 そろそろ始まるようだ。緊張感が高まってくるのが分かる。 どちらともなく馬の腹を蹴った。 二頭の軍馬がだんだんと加速していく。 お互いに右手に剣を掲げあげている。 最接近したとき、軍馬の速度は相当なものに達していた。 二人共同時に剣を振るう。 木剣と木剣で打ち合ったようだ。 演習場の端まで行き、また向き合った。 今度はすぐに馬を加速させた。 1748 また、剣と剣での相打ちのようだ。 傍目で見ていても二人の緊張感がここまで伝わって来る。 握り締めた拳に汗をかいているのか、それともシャワーをミスっ た水がまだ手袋に残っているのか、不快な感触だが、自然と強く拳 を握っていた。 お互い高度な技、と言うか、軍馬の加速力も利用して力一杯木剣 を相手の急所目掛けて振るっているようにしか見えない。 三合目。 四合目。 五合目。 決着はつかない。 そして、六合目が始まる。 軍馬が走り出し、二人の距離はぐんぐんと縮まっていく。 兄貴は左から、団長は右から。 また相打ちのようだ。 七合目が始まった。 1749 今まで同様に加速してお互いの距離を縮める。 走り始めてすぐに、副団長の唸り声が聞こえた。 よく見ると兄貴の左足は鐙にかかっていない。 あれでは体重を右足だけで支えることになってしまう。 ﹁全員、よく見てろ!﹂ 副団長が吠える。 団長と交差するとき、兄貴は団長の剣を自分の剣で受け、体勢を 崩した。 何とか剣で受けたが体は後方に反り返り、落馬寸前、と思ったの も一瞬の事だった。 そのまま手綱を手放し、馬の背に自分の背を預ける。 そして左足を上げ、馬体の上で身を縮めた。 ここで解ったが、右足も鐙に掛かってはいなかったようだ。 今まで腿の力だけで馬の胴を挟んでいたのか。 そして背筋と腕の力を使って倒立から体を跳ね上げたと思ったら 空中で体を捻り、団長のすぐ後ろに座っていた。 ロンベルティアの空に黒い鷲が舞った瞬間だった。 1750 いつの間にか剣は左手に持ち替えられており、空いた右腕を後ろ から団長の右腕に絡ませていた。鞍もない馬の尻の上で、よく右腕 一本を団長に絡ませるだけで落馬しないものだ。全員息を呑んで見 つめている。それは恐るべきバランス感覚に対してか、一瞬ではあ ったが華麗なアクロバットを見せた異常な身体能力に対してか、そ の両方か。 左手に持った剣で団長の左脇腹に攻撃し放題だ。 二頭の軍馬の向こうにいる審判の左手が挙がる。 ﹁グリード卿の勝ち!﹂ ・・・・・・・・・ ﹁大道芸ですよ。あんなものは限定された状況でしかそうそう使え ません﹂ 兄貴が言う。俺も姉ちゃんもあんなの初めて見た。騎士団の人達 も度肝を抜かれたようで、口々に兄貴を褒め称えている。 どうやら知っていたのは副団長だけだったらしい。昔の戦争の時 に一度だけやったことがあったとのことだ。シャーニ義姉さんもこ んなこと教えてくれなかった。口止めしてたんだそうだ。村の従士 達は大はしゃぎだった。俺もそれに混じりたかった。 1751 ﹁いいか、ゴム鎧ならあんなことも出来るようになるんだ﹂ 団長がそう言っていたが、流石にあんなアクロバットは兄貴しか 出来はしないだろ。その証拠に誰も団長の言葉には首肯していない。 ﹁ファーンさん、格好いい! 流石ねぇ﹂ ラルファがうっとりとして俺の兄貴を見ていた。 ﹁結婚して子供もいる。変なこと考えるなよ﹂ ﹁知ってるわよ。そんなこと。第二夫人でもいいから﹁お前、重婚 希望か? 本当に元女子高生かよ。それに義姉さんは凄い美人だぞ。 兄貴がお前なんぞ相手にするとは思えんわ﹂ ﹁え∼、でも私もファーンさん、格好いいと思いました。あの馬か ら飛び移ったの、すごかった!﹂ それは俺も否定しないけど、ベルも兄貴派かよ、洋ちゃんに言い つけるぞ。 ﹁ご主人様、流石です。正騎士に二勝です。それに一敗したとは言 え、相手は騎士団の団長なのですから、充分です﹂ エンゲラ、女性陣で俺の戦果を褒めてくれたのはお前だけだ。俺 はいい奴隷を買った。 ﹁ええ、驚きました。あのような戦い方もあるのですね。訓練の時、 ああいった戦い方をなされておりませんでしたので意外でした。感 1752 服しました﹂ ズールーもなんだかんだ言って感心してくれたらしい。 ﹁アル、立派だった。第一騎士団相手に一歩も引いていなかったぞ﹂ ゼノムも褒めてくれた。 ﹁チェストー、とか言っちゃって、吹き出しそうになったわよ。あ れ﹃柔道﹄じゃない﹂ 皆が俺のことを褒めているので思い出したように俺に向き直った ラルファが言った。一本背負いは柔道の技でもあるが、徒手格闘に も取り入れられているからな。ある意味道着無しでも投げられる数 少ない貴重な技だ。 ﹁まぁ似たようなもんだ。今まで魔物相手が多かったし、使うこと もなかったけどな。碌に稽古もしていないのによくもまぁ体が動い たと思うよ。自分でもびっくりだ﹂ 本当に俺自身びっくりだ。自然に体が動いた。しかし、若い頃に 叩き込まれた動きはなかなか忘れないものだな。考えるより先に自 然と昔のまま体が動いていた。型の反復練習というのは恐ろしいも のだ。勿論、一人で出来る稽古であれば可能なときにはちょこちょ こやってはいた。だが、投げ技ばかりは一人では稽古出来なかった しな。この分なら絞め技も覚えているだろうな。あとでズールー相 手にちょっと稽古してみようかな。 演習場を後にした兄貴と従士達は一度宿に向かうそうだ。それに 合わせてゼノム達も宿にいくとのことだ。俺と奴隷二人は晩飯を皆 1753 で食ったらバルドゥックに戻る。取り敢えず兄貴達の宿まで行き、 納品用の王家の紋章を入れたゴム袋を受け取り、包装したままサド ルバッグに入れ、晩飯までは王都見物だ。 ズールーとエンゲラはそれぞれ適当に見て回ると言っているし、 俺は兄貴と話したいが、まだ従士達とも満足に話をしていない。朝 バルドゥックからロンベルティアへ向かう途中、兄姉とは沢山話を しているから、今日はいいだろう。どうせ明日の朝、バルドゥック へも寄ってくれるらしいからな。今日は兄貴をラルファとベルに貸 してやろう。 俺はショーンやダイアン達バークッドの従士達と久々に会話を楽 しんだ。ショーンは姉ちゃんの受験の時にもロンベルティアに滞在 していた事もあるのでこの中では王都通だ。当時親父達と宿泊した 宿や姉ちゃんの合格が決まった時に皆で食事に行ったというレスト ラン。バークッドへの土産を買ったという露天の商店街などをぞろ ぞろと見て歩いた。 いつかキールに行った時の俺のように皆きょろきょろとおのぼり さん宜しく珍しそうに王都の町並みを見ていた。 ﹁アル様、お屋形様が仰られておりました。来年か再来年には村か らゴム職人の家族を一家族王都に住まわせ、鎧や販売した商品の修 繕をやらせるそうです。職人の家族は数年おきに交代させるそうで す。グリード商会の本拠地となるような建物を見繕っておいて欲し いそうです﹂ ショーンがそう言って俺の注意を喚起した。この話は今朝兄貴か らも聞いていた。要するに鎧などの保守拠点兼、直売所のようなも のを構想しているらしい。元々は以前俺が書いた手紙でそういった 1754 ものを考えて欲しいと頼んでいた事だ。人選は親父に一任するから 忠誠心の高い奴を寄越してくれるだろう。 ﹁ああ、分かってる。来年の秋くらいまでには交渉も済ませて用意 しておくことにするよ。兄さんにも言ってあるけど、春と夏の納品 の時に進捗を報告出来るようにしておくよ。いい場所取ってやるか らな。期待しておいてくれ﹂ ﹁勿論、アル様のことです。期待しておりますよ。しかし、この鎧 が第一騎士団の方々にあんなに人気があるとは⋮⋮非常に驚きまし たよ﹂ ショーンが言った。俺とショーンの会話に従士のジェイミーも加 わってきた。 ﹁そうです。三年前に鎧を支給されたときも凄く嬉しかったのです が、こんなに人気のあるものだとは⋮⋮。第一騎士団の方々が先を 争って喜んで購入していらっしゃいましたからね。あ、そうそう、 アル様、来年から作業小屋も拡張するんですよ。今は六番の畑から もゴムが取れるようになりましたし、来年の夏前には七番もいける でしょうからね﹂ そうか、もうそんな時期になったのか。 ﹁そうか、そりゃ良かった。今日で判ったと思うけど、この鎧、結 構人気だろ? 三∼四ヶ月毎に十着くらいの量にしないと収拾がつ かなくなりそうなんだ﹂ 俺がジェイミーに答えると、ダイアンも傍に寄ってきて言う。 1755 ﹁ん∼、それなんですけど、アル様、何故もっと注文を受けないの ですか? 今ならその倍以上作ることも出来ますよ。まぁその分他 の製品に少し皺寄せが行っちゃいますが、出来ると思いますけど⋮ ⋮﹂ そう遠慮がちに口にしたが、俺は彼女に向かって微笑むと口を開 いた。 ﹁うん、それはそうだろう。だけど鎧なんてさ、一度買ったら余程 の事でないと暫くは新しいの必要ないしな。だから一気に売っちゃ うとその後苦労するんだ。世の中に出回っているうち以外の鎧の量 も考えて少しづつ売るんだ。 理由は二つある。一つはうちが一気に沢山出回らせると他のとこ ろの鎧が売れなくなる。そうなると売れなくなった所は仕方ないか ら値段を下げてくるだろう。それが繰り返されると誰も儲けられな くなる。そうなると今まで鎧を作っていたところはうちを恨んだり して最悪の場合嫌がらせをしてくるかも知れない。 もう一つは鎧の価格を崩さない程度に量を絞ることによってうち の鎧はあまり出回っていないけどその分高級品として認知されてい くようになる。つまり、同じ数を売っても儲けが大きくなるという ことだ。それから少しずつ、少しずつ量を増やしていく。同時に鎧 以外のゴム製品も、こっちは沢山売る。ゴム製品と高級鎧ならバー クッドって言うイメージを作るんだ﹂ そこまで言うと他の従士も俺の側に寄って来て一緒になって聞い ていた。俺は足を止めると、 ﹁道端で話すことでもないな。ちょっと皆で一杯豆茶でも飲んでい こうぜ﹂ 1756 と言って手近な飯屋に向かった。 その後小一時間ほど親父と兄貴に送った手紙に書いた俺の構想や、 今後予想されることなどを話すと、また王都観光を楽しんだ。 夕方、予め決めていた待ち合わせ場所に行くと既に皆が揃ってお り、そのまま夕食を摂る。俺とズールー、エンゲラは皆にひとまず 別れを告げてバルドゥックへと夜道を戻った。どうせこの辺りには 魔物もうろついていないからとふざけてズールーやエンゲラの頭や 尻尾、それに俺の銃剣の先なんかに﹃ライト﹄の魔術をかけたりし て遊びながら帰った。 1757 第四十六話 ウェブドスの黒鷲︵後書き︶ 前回の話を書いたまま今回の話も書いていますので、題名は続きに なっていませんが、話としては前後篇になっています。 1758 第四十七話 ある年末年始休暇 7442年12月29日 朝、兄貴達がボイル亭に寄ってくれた。昨日模擬戦をしたので帰 る日を一日伸ばすかとも思っていたが、予定通り今日出発するとの ことだ。次は四月の半ばから終わりくらいには来れるとのことだ。 またその時は納品と受注がメインになるが、王都での拠点になるよ うな場所に目星をつけておいて欲しいと改めて頼まれた。勿論その つもりなので大船に乗った気で任せろと言ったが、ミュンと同じく 通じなかった。 それより、王室向けにと作ってもらったコンドームだが、今回持 ってきて貰ったのは50袋もある。いくらなんでも王室もそんなに 需要はない。ロンベルティアの貴族や高級娼館に卸す為のサンプル として使えとのことだった。いろいろ話を聞くと兄貴はまだ改良の 余地があるといって品質の改良に取り組んでいるらしい。オースで の俺にはまだ実戦経験がないが﹁で、どうだった? この前送った のは前のやつよりはもう少し良くなってると思うんだ。お前も気が ついたことがあれば聞かせてくれよ﹂とか言ってる。 仕方ないので﹁途中にいくつかクビレを作ってみたらいいのでは﹂ と言うと非常に感心してくれた。﹁なんと! クビレか⋮⋮やはり お前はよく気がつくな。戻ったら早速試作してみよう。型自体新た に作り起こさねばならんが、俺はいいアイデアだと思う﹂と言って くれた。正直な話俺のアイデアでもなんでもない。 前世の衛生用医療品メーカーの方々には頭が下がる思いで一杯だ。 1759 俺は彼らの功績を盗み、まるで自分が思いついたかのように言って いる。申し訳ないが、これもひとえにオースでの感染症予防のため だ。あ、クビレと感染症予防には因果関係は無いような気もする。 昼頃まで今後の大まかな計画や現時点の品物の評価などを話し合 い、兄貴達は帰っていった。 その後、ランニングで汗を流し、迷宮に入って魔術の練習を行っ たあと、ズールーとエンゲラと夕食を食べてこの日は休んだ。 ・・・・・・・・・ 7442年12月30日 今日は大晦日だ。尤も、日本のように大晦日だからといってバル ドゥックの街の様子に変化はない。奴隷たちと朝食を摂るとき、念 のために今日の晩飯は遅くなるかもしれないと言っておく。俺はま たサンドイッチの弁当を買い、空の水筒を弁当箱がわりに迷宮へと 入った。 今日は、今まで棚上げにしていた部屋の主の復活のメカニズムに ついて調査するつもりだ。今まで万が一の危険を避けて一人で迷宮 に入ったときは部屋まで行ったことはなかった。今日は夜まで半日 かけてでも調査する腹積もりだ。 途中で出会ったゴブリンの一団をさっさと全滅させ、最初の部屋 1760 の主だったブラックガルガンチュアリーチを仕留めると、念の為に 死体を部屋の隅まで引き摺って移動させ、反対側の部屋の隅にあっ た石に腰掛けた。勿論死体から魔石は採取は行っていない。現在時 刻は午前七時半だ。 三十分が経過した。何も変わったことはない。 更に一時間が経過した。何も変わったことはない。 一時間経過。何も変わったことはない。 一時間経過。部屋のそばまで魔物の一団らしい足音が近づいてき たようだ。銃剣を手に取りいつでも魔術をぶっ放せる様に用心した が、結局足音は遠ざかっていった。 一時間経過。丁度昼になった。部屋の反対側で暗闇に埋もれてい る死体の方を用心しながら昼食を摂った。用心は無駄になった。 一時間経過。何も起きず。 一時間経過。便意を催して来た。用心しながら別の隅っこで用を 足し、土をかけておく。 一時間経過。全く変化はない。いい加減飽きてきた。お茶を入れ た。 一時間経過。相変わらず変化はない。 一時間経過。もう十七時だ。そろそろ時間切れか。 1761 三十分経過。いい加減そろそろ帰ろうとしたときだ。部屋の中央 部に靄のようなものが渦巻き始めた。が、渦巻くばかりで特に何が 起きると言う訳ではなさそうだ。靄自体を鑑定しようとしても出来 なかった。怖くなったので出来るだけ靄に近づかないようにして部 屋を出た。毒ガスだったりしたらまずいからな。 部屋の外から観察しているうちに靄がだんだんと濃くなっていく のがわかる。これが部屋の主の復活なのだろうか。今近寄るのはご めんだが、もう少し様子を観察しても良いだろう、俺を鑑定しても 健康状態に変化はないようだしな。 靄はどんどん濃さを増し、渦の中心部は深い霧のように濃い白色 になっている。だんだんと白色部分が大きくなってきた。既に靄に 気がついてから五分近く経っているだろうか。 と、渦の中心からぱっと明るい白い光が漏れた。そう強いもので はない。そうだな、30∼40Wくらいの蛍光灯程度だろうか。光 はすぐに消えた。光が消えたと同時に霧も晴れた。そして、いまま で渦を巻いていた霧の中心部には魔物がいた。スカベンジクロウラ ーだ。出現したばかりでぷるぷると震えている。 これが魔物の復活なのか!? いきなり成体で、部屋に出現するのか!? とするとゴブリンやオークなんかは通路に出現するのだろうか? ぽかんとしたままぷるぷる震えているスカベンジクロウラーを見 つめていたが、すぐに我に返り﹃アイスジャベリン﹄二発で始末し た。最初に仕留めたブラックガルガンチュアリーチと共に魔石を採 1762 取し、麻痺と解麻痺の薬の原料になる口のそばに生えている四対八 本の触手を根元から切り落とし、ゴム袋に入れるとさっさと迷宮を 後にした。 今回は部屋の主を殺してから復活︵?︶するまで半日弱の時間が かかっていた。 部屋の場所や階層、元の部屋の主や復活してくる主の種類によっ て時間は変わるのだろうか? それとも一律か? 変わるとしたら その条件は? 疑問は尽きない。 尤も、このような形で復活しなくても、例えばどこかから新しい 主がやって来るなどでも余計疑問は残るので、少なとも一つだけは 確実に疑問が解消されたことに満足しておくべきだろう。 いつの間にか修復される罠。 いつの間にか復活するモンスター。 ひょっとしたら宝石や金属の鉱床もいつの間にか復活するのだろ うか? 一攫千金を夢見る冒険者達を何百年も連綿と飲み込んで来て、近 年では五層までしか誰も辿り着けないと言う巨大な迷宮。復活のサ イクルはそれぞれ異なるにしてもこのバルドゥックの迷宮には元々 一定の﹁形﹂があり、その﹁形﹂が崩されたとき、元の﹁形﹂に戻 るように何者かによって手が加えられているか、自動的に戻るよう な機能が組み込まれているとしか思えない。 勿論、これは俺の妄想だ。根拠はない。あるのはたった一つの﹁ 1763 サンプル モンスターが成体で復活してきた﹂と言う証拠だけだ。今回たまた ま見ることが出来たが、これが必ず起きる事なのか、それとも今回 限りの不思議な事象をたまたま俺が目にしたのかの判断もつかない。 サンプル いずれにせよ性急な判断をしても仕方ない。今後も今回のように 少しずつ証拠を収集していって判断の根拠となる材料を揃えるしか ないだろう。 その晩、遅い食事の時、思い切ってズールーとエンゲラに今日あ った出来事を話してみた。すると二人揃って激昂してきた。内容は 危険な迷宮にたった一人で潜るとは何事だ、大事なご主人様に何か あったら奴隷としては一大事だ、という事だった。 その大事なご主人様というのは俺の事で、俺の行動が俺自身を危 機に陥らせるものであることに納得が行かないらしい。俺が死んだ らお前たち、自由になるんじゃねぇの? なんでそんなに怒るの? と思って詳しく聞いてみた。 すると、奴隷を所有したまま持ち主が亡くなった場合、奴隷は財 産なので誰かに相続されるのだそうだ。この場合、バークッドの両 親か、兄貴が士爵位を継いだ場合、俺は自動的に法的には兄貴の次 男になる。﹁グリード士爵家次男﹂だしな。今まで当主だった親父 は元の身分である﹁グリード士爵家三男﹂になる。母ちゃんは変わ らず﹁第一夫人﹂で義姉さんも﹁第一夫人﹂だ。 田舎の貧乏貴族であるうちの場合、士爵位の襲爵に伴って命名の 儀式を行うのは親父と兄貴だけで、その他の人はそのまま放って置 かれる。これが複数の爵位を持つ貴族であればまた事情は異なる。 まぁ今は関係ないのでこれについてはまた機会を改めて話そう。 1764 とにかく、俺が死んだ場合、俺の財産である彼ら二人の奴隷は親 父か兄貴のどちらかが相続することになる。常識で考えて田舎の貴 族が戦闘奴隷を所有することは希だ。普通はその貴族に仕える家臣 たる従士達が戦闘者である兵隊を兼ねているからよほどの事情がな いと戦闘奴隷は飼っておいてもあまり意味がない。 近々戦争へ出兵するなど特殊な事情があるか、近隣の魔物が何ら かの事態により急速に増加し人里を襲うなどという事情でもない限 り穀潰しに近いので歓迎はされない。人手が足りなければ農奴とし ての労働力にしても良いかも知れないがそれは勿体無い。 そうなると奴隷商に販売して現金化することが普通だ、という事 になる。販売された戦闘奴隷は次に購入される主人を自ら選ぶこと など出来よう筈も無いので、現在の主人である俺以上に待遇の良い 主人に購入される可能性について考える。そして、俺の待遇がそこ そこ良いことが彼らの心配の種になる、という事だ。 そこまで聞いて俺は口を開く。 ﹁じゃあどうすんだよ。お前ら、休日も俺にくっついて迷宮に入る か? 連続して迷宮に入って緊張感に耐えられるのか? 翌日から の通常の迷宮探索に支障を来たさないか? こう言っちゃなんだが、 昔ならいざ知らず、今の俺は一層でなら殆ど緊張なんかせずに魔物 と出会っても全滅させられる。部屋の主と一対一で戦っても問題な く勝てるぞ﹂ ﹁ですが、ご主人様、万一ということもあります。せめて我々のど ちらかをお供に付けて下さい。そうでないと奴隷として安心できま せん﹂ 1765 ズールーが強い口調で主張してきた。むぅ、奴隷に安心感を与え るのも主人の務めだろうな。だけどなぁ⋮⋮俺、攻撃魔術の練習が 殆どだし。ああ、こっちの方は結構上達しているからまぁいいか。 これから暫くは迷宮の仕組みの調査にかけるつもりだったんだよな。 基本的には待ち時間が殆どになるはずだ。誰か傍にいれば話し相手 には事欠かないか。 ﹁ん⋮⋮まぁいいか。わかったよ。次からどっちかを連れて行く。 ⋮⋮じゃあ、水曜はズールーで土曜はエンゲラな。でも翌日以降、 ぼーっとしてたら許さねぇぞ。いいな﹂ ﹁﹁はい、わかりました﹂﹂ 二人揃ってほっとしたように返事をしてきた。 ﹁まぁ明日から三日は俺も休む。迷宮には行かないよ。だから次は 一月六日の土曜からな。最初はエンゲラからだ。いいな﹂ そう言って話を切り上げた。あと、今日は奴隷たちの給料日だ。 ズールーに50000Z︵銀貨五枚︶、エンゲラに40000Zと、 今月分の給料を払い、解散した。明日は正月だし、餅代でもやろう かと思ったが、オースにそんな習慣はないので止めた。癖になって も困るしな。 ・・・・・・・・・ 1766 7443年1月1日 あまり意味はないと思ったが朝飯を食ったあと、ランニングの前 にバルドゥックの神社に初詣に行き、賽銭として10000Z︵銀 貨一枚︶を喜捨してきた。鳥居の前などで礼をして柏手なんかを打 っている俺を神官達は変なものを見るような目つきで見たが知らん もんね。そもそも初詣とかお参りとかいうことも一般的じゃないし。 普通は神社なんて命名の儀式か両替くらいでしか人は来ない。 ちなみに、銀朱以上の貨幣はこのあたりだとロンベルティアの神 社でのみ鋳造されている。どうやって鋳造しているか、完全に秘密 のベールに包まれており、それを暴こうとして神社の敷地に足を踏 み入れた者には物理的に天罰が下る。 神社間での貨幣や魔石の遣り取りのための専用の荷馬車に攻撃を かけた者も同様だ。天罰は人だとか魔物だとかの区別無く襲いかか る。神社の荷馬車の傍なら安心だとコバンザメのようにくっついて きても同様に天罰が降りかかる。一時的に交差するとか追い抜くと か追い抜かれるなんてときは問題ない。 天罰は空から雷が落ちてくる。唯一、神がこの世界に存在する証 拠と言える。銀や金、白金、魔石を神社に持ち込むと貨幣の材料に なるので買い取ってくれるが、レートは低い。ましなレートで買い 取るのは神社が認めた王家だけらしい。 こんなことを言うと神社に認められなければ国家建設など出来な い、と思えるがそれは違う。例えば、オーラッド大陸西部を例にと ると貨幣を鋳造している神社を持つ国はロンベルト王国、グラナン 皇国、スイーサーグ帝国、コーラクト王国にしかない。中でもスイ ーサーグ帝国には貨幣を鋳造できる神社が二箇所あるらしい。バク 1767 ルニー、カンビット、デーバスには貨幣を鋳造出来る神社はない。 確かに貨幣が鋳造されている国はそうでない国と比較して豊から しいが、結局はそれだけの違いでしかない。貴金属や魔石をそれな りの価格で換金可能かどうか、という程度のことだ。特に魔石は正 規の王家が持ち込んでもレートはかなり悪いらしい。魔道具屋に売 ったほうが余程金になる。貴金属も正確に貨幣の価値に対する等価 ではないらしい。まぁ、レートを無視すればどこの神社でも貨幣と 交換してくれるので、別に貨幣を鋳造できる神社は絶対に必要とい うわけではない。 鋳造する際に魔石に何らかの処理をしてそれも加えているので、 銀朱以上の貨幣はステータスオープンで名前が出てくる。普通に鋳 造している銅貨とか大銅貨とかは金属の名前が出るだけだ。従って 高額の貨幣の偽造はまず出来ない。銅貨類や賤貨類を偽造しても殆 ど旨みがないため誰もやらない。 過去には神社に軍隊を派遣して鋳造技術を得ようとした輩もいた らしいが、尽く天罰によって滅ぼされてきたとのことで、ここ千年 くらいは伝説を信じようとしない阿呆が盗みに入ろうとして雷に打 たれ、黒焦げ死体になる事件がたまーにあるくらいだ。神社に務め る神官や司祭、巫女なんかも邪なことをやろうとすると容赦なく天 罰が降りかかるので、神社には絶対といって良い信頼が置かれてい る。 だからと言って原始宗教みたいに崇め奉られているわけでもない。 ごく普通に生活に密着しているのだ。神官や司祭も結婚するし、子 供も生まれる。神社から官職に応じた給料を受け取って生活を営ん でいるのは市井の人達と同じだ。但し職は相続ではないので子供に 継がせられるとは限らない。 1768 その分多少その地域の平均的な収入よりはましな給料が払われて いるらしい。神社で働く人はその身分的な出身を問われない。但し 犯罪歴は考慮されるらしく、一度でも何らかの犯罪に手を染めた人 であればそれが公になっているかいないかは問わず採用されないと も聞くが、これは眉唾らしい。 大体の場合、子供の時分にお告げのようなものを得て、それで神 社に行く。そして採用されるのだ。極希に大人でもそういう人もい るらしい。嘘を言ってお告げを受けたと申告しても天罰が下るらし い。神社の職員の採用は狭き門なのだ。中には職員が採用されない まま無人になってしまった神社もないことはない。そういった場合、 上級の神社から人が派遣されてくることが殆どだが、上級の神社で も人手が足りない時などは暫く放って置かれたりする。 そんな神社でも盗みに入ろうとすれば天罰はあるし、数年もすれ ば誰かやってくるからあまり問題にはなっていない。天罰を与える 神もそれ以外では寛容なようで、神社に直接手出しをするような無 法でも働かない限りはどんな重犯罪者でも裁きは人の手に委ねられ ている。 まぁこのように流通する貨幣の量のコントロールを神社︵=神︶ が行っているのでインフレやデフレはあまり心配しなくてもいい。 似たような事態が起こっても一時的なものですぐに収束してしまう。 それこそ迷宮から魔法の品物なんかが出てきたとしてもせいぜい数 百億Zだし、そこまで高価な物などン十年に一個出るかどうかだ。 一国の経済がそれでいきなりどうにかなるなんてことはない。だっ て、貧乏なバークッド村ですら元々の税収は1億8千万Zもあった んだ。可処分所得はその二十分の一くらいだったけどさ。 1769 正月早々ランニングしながらこんなことをつらつらと考えていた。 捕らぬ狸の皮算用と言われても経済は大事だからな。いつか国を作 った後に慌てて調査したりなんかしたくない。普段から地道に調査 と言うか情報収集は必要だ。 正月ばかりは一斉に休日になる。役所も商店もどこもかしこも必 要最低限しか営業していない。普段から月曜日は休みにしている店 が多いのは正月のためか。今日出勤するものは代わりに明日休む。 だから今日明日はあまり営業している店は多くない。飯屋は普段通 りやっているのでそこは救いだが、客と比べて店員の数も普段より 相対的に少ないからてんやわんやの状態だ。 餅食いてぇな。雑煮でもいい。でも餅米はおろか米もないから仕 方ない。結局いつもと同じようなメニューの昼飯を食いながら、今 日は一日どうしようかと考えた。いい機会だからついに今まで使っ ていなかった﹃鞘﹄を実戦に使用しようかと思ったが、正月は休み だった。仕方ない。正月早々迷宮に潜るのも嫌だし、このところサ ボりがちだった性病チェックでもしようか。人通りは少し減っては いるが調査に支障はない。 ボイル亭から筆記用具を持ち出して道行く人に次々と鑑定を掛け、 状態をチェックする。もう延べで一万人くらいは調査した。当然同 じ人間にも鑑定している可能性は高いが、繁華街を歩く人の調査だ から別にいい。明日は一日使って統計を出そうかな。 ・・・・・・・・・ 1770 7443年1月2日 日課のランニングを終え、昼飯までちょっと剣の型のトレーニン グを行った。昼飯を食ったあと、晩飯までは今まで調査した内容に ついて集計だ。 サンプルは一万二千人くらいあった。そのうち半数は良好だが、 残りの半数は何らかの怪我か病気だ。病気も感冒とか気管支炎とか 大したことない物を除いていく。性感染症はなんと1661人もい た。 内容まではわからないが少なくとも性行為を感染源とする諸症状 であることは間違いないだろう。繁華街をうろつく人のうち14% 近くが性病に感染しているのか。恐っそろしいな、こりゃ。多分毛 ジラミなんか鑑定ではわからないだろうからそれも入れるともっと 多いだろう。 ピレスロイドシャンプーとかパウダーとかないし、せっかく生え 揃った毛を剃るのも嫌だ。性感染症にはコンドームは絶大な威力を うつ 発揮するが、毛ジラミには無力だ。そして毛ジラミは90%近くの 高確率で感染るはずだ。戦闘中や息を潜めている時に股間が痒くな ったら命に関わる。うーむ、ヤル前にいちいち陰毛をチェックして 卵がないか観察するのもアレだしなぁ。 確かピレスロイドは蚊取り線香の原料の除虫菊のはずだけど、菊 なんか見たことない。作るのは困難だろうなぁ。また棚上げかなぁ。 王都に行けば貴族を相手にするような高級店もあるかな。そこなら 安心かも知れない。ああ、くそ。この年代の健康体が恨めしい。 1771 そういえば俺も昔、中高生の頃は性欲にまみれていた。隠してい たはずのエロ本の位置が微妙に変わっていた時には母親の顔をまと もに見られなかった。高校生頃にはビデオもあったので友達に借り たビデオを家族がいない間を狙って見ていた。防大生徒になってか らは⋮⋮言いたくない。 俺、これから暫くこんな感じなんだろうか? 不安になってくる。 本能に根ざした欲望だし、抑え付けても限界はあるだろう。下手し たらラルファに土下座して頼んでいるとか嫌だ。それくらいなら思 い切って一か八か王都の高級店で楽しむか、今まで通り自分で何と かするかした方がマシだ。 毛ジラミは別にして、きちんとコンドームを着けていれば9割く らいは安全だろう。単純計算で感染確率は1.4%か。これが多い か少ないか。あ、いや、既に発症していれば断ればいいんだからも っと確率は低くなる、のか? 潜伏期って感染するんだっけ? ま ぁどちらにしても可能性は高くても数%というところだろう。 一体俺は命に関わるわけでもないことにこんなに熱心になって何 をやってるんだ? 正月早々道行く人の性病チェックをして、今日 はその集計だ。それで導かれた性病の感染確率は多く見積もってい いとこ2∼3%程度。 大丈夫な可能性は高い。明日にでも行くか。どうせ明日はコンド ームの納品に出向くつもりだったし、そのついでにちょっと遊ぶく らいいいだろ。いや、遊ぶわけではない。王家の紋章を入れたゴム 製衛生用品、サンプルの性能を試さねば他の貴族など高貴な方々に お薦めする事は出来ぬ。これは商会長としての義務だ。 1772 ・・・・・・・・・ 7443年1月3日 朝飯を食い、そそくさと身支度を整えると王都へと出発した。今 日は鎧は付けていない。念の為剣だけは腰に下げているが、貴族で すよと言っているようなもので、あんまり意味はない。このあたり に魔物なんか出るわけないしな。 王城へ登城し、受付を済ませて参内すると指定された場所で妃殿 下の誰かが受け取りに来るのを待っていた。まだ午前十時くらいだ というのに顔がにやけてくる。いかんいかんと気を引き締めなおす が、しばらくすると俺の心はまた自由の海に漕ぎ出して想像の翼を 広げてしまう。 何回か百面相のようにした頃、やっと妃殿下が来た。なんとか表 情を取り繕い、新年の挨拶をそつなく行って納品だ。今回やってき た妃殿下はベッキーだ。 ﹁グリードよ、御足労をおかけしますね。この﹃鞘﹄のおかげで陛 下の悪癖も収まり、本当にそなたには感謝しております。これから も宜しくお願いしますね﹂ 彼女は湖のような微笑みを湛えて俺の労を労ってくれた。 ﹁は、レベッカ妃殿下には有難いお言葉を賜りまして、このグリー ド、心より嬉しく思います。今後共グリード商会をお引き立て下さ 1773 いませ﹂ そう言って頭を下げ、退出した。 王都に出た俺は、晴れやかな顔でロンベルティアの繁華街へと移 動する。 繁華街の外れの適当な飯屋で豆茶を飲んで一休みするとともに、 馬を預かって貰うべく交渉し、ついでに評判のいい店を聞いてみた。 勿論店の従業員にはチップとして銀朱を握らせてやる。こういう時 にケチケチしても碌な事はないのだ。 ﹁料金は高くてもいい。安心して遊べてランクの高い女がいる店が いいな。貴族なんかがお忍びで行くような店なら言う事はない﹂ ﹁旦那、そんな高級店、50000∼60000Z︵銀貨5∼6枚︶ もしますよ。それもでいいんですかい?﹂ 俺と同年代くらいの普人族の小僧が言う。俺も小僧か。まぁいい や。だが、流石に高いな。勿論今更惜しむような金額ではないが、 これではまるで日本の平均的な風俗店の価格だ。下手したらバーク ッドの農家の月収より高い。 小僧にいろいろ話を聞いてみると、最低は1000Z︵銅貨十枚、 または大銅貨一枚︶からあり、平均は5000Z︵銅貨50枚︶く らいらしい。キールの﹃リットン﹄は30000Z︵銀貨三枚︶く らいだから、なるほどあそこも高級店だったのだな、と改めて思う。 だが、安全は金に代えられない。ここで僅かな金をケチっても意味 がない。どうせ行くなら最高級の店に行くべきだ。そのくらい稼い でいるのだから当たり前だろう。 1774 俺は﹁いいからその店の名前と場所を教えてくれ﹂と言って小僧 から場所を聞き出した。ここから歩いて10分くらいのところにあ るらしい。ま、そのくらいの距離であれば馬に乗っていく必要はな い。道順を改めて聞いて確認すると、財布の中身に目を通し、颯爽 と歩き出した。 うむ、十五になる前に出来そうだ。だが、そんな事よりも休みに 入ってから自家発電を我慢してきたのだ。否が応にも盛り上がる期 待感に胸を膨らませ、王都の道を歩く。 数分歩いたところで見たことのあるような集団が目に入った。う わ、見回りの騎士団だ。第一騎士団も見回りのローテーションに組 み入れられているのか。ぼーっと歩いてなくてよかった。遠目に見 ただけで路地に入ったので俺のことに気がつかれてはいないだろう が、万が一あの中に姉ちゃんがいたらまずい気がする。 暫く時間を潰そう。 手持ち無沙汰だが壁に寄りかかって道行く人を眺める。 ああ、タバコがあればな。俺は前世30歳頃から喫煙の習慣があ った。別段ヘビースモーカーというわけではなかったが、徹夜で麻 雀をしたり、飲みに行ったりするうちに自然とタバコを吸うように なっていた。転生してからは子供だったし、喫煙自体健康に悪いこ とは承知していたから吸いたいとも思わなかった。家族も喫煙はし ていなかった。尤も家族の場合は高級な嗜好品であるタバコは高く 売れるのでそれを吸うのは勿体無い、というだけだったような気が する。 まぁ、折角健康な新しい体に生まれ変わったのだ。わざわざこれ 1775 だけの理由で今更喫煙するほどのこともない。だいたい、オースの タバコは紙巻ではなく、葉巻の他はパイプやキセルで吸うのが一般 的だから常々携帯して気軽にちょっと一服するというわけにも行か ないから、面倒だし、いいのだ。 爺になって王宮だか王城だかの奥で孫に囲まれる頃幾らでも吸え ばいいさ。 少し時間を潰し、また先程の道に入る。と、路地から今度こそ見 知った奴らが出てきた。ゼノム達だ。慌てて道沿いにあった衣料品 店に駆け込んだ。そっと様子を窺っていると、彼らは王都観光の最 終日を満喫しているらしい。楽しそうに何やら話しながら俺の目指 す方向へと進んでいく。 すると、ゼノムとラルファ達が別れた。なんで? と思ってその まま様子を窺っていた。ラルファ達は別の路地に入っていく。ゼノ ムは直進している。頭の中にクエスチョンマークを盛大に浮かべた 俺はそっと店を出てゼノムに気づかれないよう距離を保ってついて いく。 ⋮⋮。 ⋮⋮⋮⋮。 おい、なんでその店にあんたが入るんだよ。さっきまで娘とその 友達と和やかに話していたその足で、何故娼館に入れる? くそ。 この店はダメだ。待合室や建物内の廊下で万が一鉢合わせしたら 1776 嫌だ。どういうシステムになっているか解らないし、高級店だから 別の客と顔を合わせるなんて事がないように気は使われているとは 思うけど、なんか嫌だ。大体ゼノムだっていい大人だし、こういう 店にだってそりゃ行くだろう。 わかった。この店はゼノムの縄張りだと認めよう。 後からのこのこと来た俺の出る幕はない。 畜生、こんなことなら次点の店の場所も聞いてくるんだった⋮⋮。 一度戻るか。 さっきの飯屋まで戻り、にやにやと﹁お早いお帰りで﹂と言う小 僧に恥を忍んで次点の店の場所を聞いてみた。すると、さっきの最 高級店は特別で有名だが、それ以外は風俗街みたいなところで固ま って営業しているらしいことがわかった。豆茶を飲みながら話を聞 く。 ⋮⋮ふんふん、なるほどね。 俺は丁寧に教えてくれた小僧にまたチップとして銀朱を握らせる と、残った豆茶を飲んだ。これ飲んだら早速風俗街へ行こう。熱い 豆茶をふぅふぅと冷ましながら飲む。何の気なしに外を覗くと通行 人と目が合った。ラルファだ。横にベルもいる。ラルファがにこに こしながら服が入っているであろう袋を下げて店に入ってきた。 ﹁どうしたの? なんで王都にいるの?﹂ ﹁アルさん、明けましておめでとう御座います。今年もよろしくお 願いしますね﹂ 1777 ラルファとベルがにこにこ笑いながら話しかけてきた。 ﹁ああ、明けましておめでとう。今年も宜しくな。⋮⋮俺はゴム製 品の納品で王城に行ってたんだよ﹂ 俺がそう言うと、 ﹁あ、明けましておめでとう御座います。本年も何卒宜しくお願い します﹂ とラルファも新年の挨拶をしてきた。本当にお前は⋮⋮。 ﹁ところでゼノムは? どうした?﹂ 白々しく聞いてみた。 ﹁ああ、昔の知り合いに会うんだって。昔ゼノムが王都にいた頃、 知り合った人が高級な、その⋮⋮﹂ ラルファが顔を赤くした。 ﹁? 高級な?﹂ おいおい、ゼノム、まさかあんた⋮⋮。 ﹁ちょっと言いにくいですね。そのぅ、女の人が色々サービスして くれる店を経営しているそうで、挨拶に行くと言っていました﹂ うひゃ、ゼノム、本当か嘘かは知らないけど、ストレートに言っ 1778 たなぁ。しかし、ベルは口調は恥ずかしそうだが、顔は平然として いる。まぁ前世では既に成人していたし、こんな世界で今更恥ずか しがる内容でもないと開き直っているんだろうか。 ﹁ん⋮⋮。そうか。じゃあ暫くはゼノムはいないのか。ちょっと早 いけど飯どうするんだ?﹂ ゼノムはお楽しみであればそれなりに時間がかかるだろう。さっ き小僧から聞いたシステムだと三∼四時間は遊べるらしいしな。 ﹁え? ゼノムと一緒に食べるよ。もう店決めてあるし。お昼に﹃ コンスリー﹄ってお店で待ち合わせしてるよ﹂ 今、ちょうど十一時位のはずだ。本当に挨拶だけだったのか、ゼ ノム。なんか勝手に勘違いしていたようだ。 ﹁お、そうか、じゃあ一緒に行くよ。どうせその後宿から荷物取っ て帰るんだろ? 馬があるから乗せてやるよ﹂ 仕方ない、今更別れるのも変だし。 ﹁よかったです。私もラルも結構服買っちゃったから。助かります﹂ ベルがにっこり微笑んでそう言ってくれた。 またダメだったか⋮⋮トホホ。 1779 第四十八話 網 7443年2月5日 魔物の復活について大分わかってきた。 部屋の主を殺してから平均して十時間前後で靄のようなものが部 屋の中心に発生し、新しい主が生まれる。生まれたばかりの主は年 齢は当然ゼロ歳だが、レベルは最初からある程度高い。そして、同 時に今まで見落としていた事項にも気がついた。鑑定の項目の中に 経験値の表記が無いのだ。 俺やラルファ、その他普人族や亜人を鑑定すると鑑定項目の最終 行には経験値と次のレベルまでの経験値が表記されている。ところ が迷宮内のゴブリンだとかなんとかスパイダーだとかいうモンスタ ーには経験値の行自体が無い。ホーンドベアーとかバークッド近辺 の森にいたモンスターにはあったっけかな? いちいちそんなとこ まで覚えちゃいない。 少なくともバークッド近辺にいたモンスターは子供や赤ん坊が生 まれ、育てていた。ゴブリンの小さな赤ん坊を見たこともあるし、 ホーンドベアーは母子諸共に殺した。ホブゴブリンの子供らしき個 体を見たこともある。しかし、迷宮内部では少なくとも見かけ上は 成体であり、子供など成長過程の個体を見かけたことは一度もない。 このところ調査した復活の内容から推測して迷宮内のモンスター と外部のモンスターは似て非なるものであるかも知れない。それと も迷宮の外部のモンスターも迷宮内同様に何処かで靄から生み出さ 1780 れているのだろうか? まぁ俺は学者じゃないし、モンスターの繁 殖や生態に関してはどうでもいい。それよりも行動様式やその思考 法、攻撃方法や特殊能力について理解できればいい。いずれ学問的 に解明されるのかもしれないが、それは俺の役目ではないだろう。 まだ復活のサンプルは数える程しか見ていないので確信を持つに は至ってはいないが、現時点で共通していることは 1.部屋の主を殺すと平均十時間で新しい部屋の主が誕生する。 2.旧部屋の主と新部屋の主は同じモンスターであるとは限らない。 3.靄が発生してから大体5∼6分くらいで新部屋の主が出現する。 4.出現したばかりの新部屋の主はまだ良く動くことは出来ない。 5.旧部屋の主を殺してから復活するまでの間、通路をうろついて いるモンスターが部屋に侵入してくることもある︵つまり、部屋の 主を殺したからといって部屋は安全地帯にはならない︶。 ということだ。差し当たってこれだけ判れば十分だ。部屋の主を 殺せば数時間はその部屋は主がいない状態になることが判るだけで も情報としては大きな前進だろう。 ・・・・・・・・・ 7443年2月14日 俺とラルファ、ベルは揃って十五歳の誕生日を迎えた。加齢に伴 ってHPは1づつ増加したが、俺とラルファの能力値は変化がない。 1781 ベルだけは俊敏も1上昇し、HPは合計で2増加した。種族の違い からくる成長差だろう。 その日の夜、晩飯から帰ったあと、ボイル亭の俺の部屋に二人を 呼んだ。誕生日のプレゼントとして、俺はラルファには薄いが丈夫 な革手袋を、ベルには耳だけを出せる兎人族用の帽子を贈った。去 年クリスマスに俺だけインバネスを贈って貰ったし、そこそこ高級 な物を奮発してやった。双方共名前を刺繍してやった。大野美佐と 相馬明日夏だ。防大出身者の裁縫スキルを舐めるなよ。名前の刺繍 は生まれて初めてやったが、ボタン付けはもとより、カケハギまで 出来るんだ。それに、俺の縫い針は剣と同様に鍛造した鋼を研いで 作った特別製だしな。 ﹁アルさん、ありがとうございます。大事にします﹂ ベルは嬉しそうに微笑んで受け取ってくれ、早速被ってくれた。 うん、良く似合ってるよ。 ﹁え? ネーム入ってる⋮⋮ちょっと、これ、アルが入れたの? 裁縫すごく上手だね。裁縫が趣味だったの? でもそれってちょっ と男としては暗い趣味じゃない?﹂ おま、おまえね。礼くらい言えや。それに暗いとか何よ? 偏見 だろ。昔から腕のいい仕立て職人は男だろうによ。 ﹁でも、嬉しいよ。ありがとう。私も大事に使わせてもらうよ﹂ 俺が額に青筋を立てているのに気がついたのか、ラルファも手袋 に手を通しながら礼を言ってきた。手袋だからお前のには二つもネ ーム入ってるんだよ! 面倒だったんだよ、コラ。最初からそうし 1782 てろ、ボケ。 ﹁アル、これ、あげる。私から誕生日プレゼント。ベルにはこれ﹂ ラルファは俺には厚手の靴下を一週間分六足、ベルにはマフラー を渡していた。靴下は素直に嬉しいな。ベルも喜んでいる。 ﹁アルさん、私からはこれを贈ります。ラルはこれね﹂ ベルは俺に普段使い用のベルトに付ける革製の丈夫な小物入れを、 ラルファにはマフラーを渡していた。お前ら、マフラーの交換して るだけじゃんか。別にいいけど。 ﹁あとね、今日はバレンタインデーだから本当は義理チョコでもあ げようかと思ったんだけど、チョコレートなんてないからねぇ。普 通のお菓子で我慢して﹂ ﹁私もチョコレートがないので、普通のお菓子なんですけど⋮⋮す みません﹂ ラルファからはスポンジケーキの出来損ないみたいなオース一般 のケーキとベルからはクッキーの出来損ないみたいな、これまたオ ース一般のクッキーを貰った。 ﹁二人共、ありがとうな。実は俺からも追加で贈り物、と言うか話 がある。去年の年末、王都に俺の兄貴達と鎧の納品に行った時のこ と、覚えてるか?﹂ ちょっとだけ真剣な顔で話し出す。 1783 ﹁うん、覚えてるよ﹂ ﹁ええ、覚えています﹂ 雰囲気が変わったことを察したのだろう、二人共少し改まった様 子で返事をしてきた。 ﹁あの後、河川敷で模擬戦をしたよな? 俺だけ別の用事で遅れた けど﹂ ﹁ああ∼、そうだね﹂ ﹁ええ、ですが、それがどうかしましたか?﹂ 俺は二人の目を見ながら続ける。 ドワーフ ﹁あの時、俺は遅れて飯を食ってた。その時にな、ちらっとだが日 本人っぽいのを見かけた。女の、多分、山人族だ﹂ ﹁﹁えっ﹂﹂ ﹁すぐに見失っちまったが、冒険者か行商人のような格好だった。 荷物を積んだ馬車を護衛していたみたいだった。結構な量の荷物が あったみたいだから出発の時だったか、それとも仕入れた後だった かのどちらかだろう。黄色い麻袋も見えたからカラス麦かなんかの 種籾も扱っているようだな。雑穀の種籾を扱う商人はこの時期春蒔 きの種籾の販売で忙しい。だから仕入れた直後だったとしてもすぐ に行商に出かけているはずだ。大体二ヶ月から三ヶ月くらいはあち こちの村を回るだろう﹂ ﹁なるほどね﹂ ﹁そうなんですか﹂ 1784 ﹁あれが年末⋮⋮ひと月半くらい前だから、早ければそろそろ戻っ てくるかも知れない。流石にちょっと早いとは思うけどね。だが、 俺たち以外の転生者らしき人物が一人、王都かその近辺を根城にし て、少なくとも確実にその巡回路に王都が含まれている。馬車は一 台だけだったようだし、領地を跨いでの商売じゃないだろう。で、 だ﹂ もう二人にも理解できたようだ。 ﹁これから暫く、王都で網を張る。そうだな、来週、2月19日か ら当面の間、迷宮探索は休みにして俺達は王都に行って主要な街道 を見張る。実入りが減っちまうがこれは勘弁してくれ。その人がバ ルドゥックを通るとは限らないから、面倒でも王都で網を張ったほ うがいいと思うんだ。但し、もうわかってるとは思うが、転生者は 今日で十五歳、成人だ。洋介さんの件もあるからベルには無理にと は言わない。どうかな?﹂ ラルファはベルの顔をちらと見て口を開いた。 ﹁私は行くわ。転生者なら仲間に引き入れたほうがいいもの。だけ どねぇ⋮⋮﹂ だけど何だよ? ﹁なんで女ばっかりなのよ? あんた、ひょっとして男の人避けて ない?﹂ ﹁はぁ?﹂ 1785 ﹁冗談よ、冗談。任せて、私も一緒に行って見張るよ﹂ 何なんだ、こいつは。クローは男じゃないか⋮⋮ってクローの事 はこいつは話でしか知らないか。 ﹁⋮⋮私も行きます。バルドゥックに洋ちゃんが来たとしてもそれ はお金を稼ぎに来るはずです。だとしたら数年は腰を据えるつもり でしょう。大丈夫です﹂ 俺はベルが休みの日や午後早い時間に迷宮から上がったあと、街 中の大きな通りをぶらぶらと歩き回っているのを知っている。勿論、 ラルファと買い物をしたりもしているが、あれは洋介さんを探して いるんだ。おかげで俺もあまり変な場所に足を踏み入れ辛くなって いるが、止めろなんてとても言えない。 男の冒険者が行くような安い飯屋兼酒場、連れ出し娼婦のいるよ うな下品な飲み屋、娼館の固まっているブロック。そんなところで 店の中を窺いながらゆっくりと歩いているベルを見かけることもあ る。見晴らしの良さそうな飯屋の一角で俺みたいにお茶を飲みなが ら通りを眺めていることもある。 スローターズ 流石にここ数ヶ月は殺戮者のメンバーだと知れ渡っているようで、 ショートソード ちょっかいを掛けられるような事も無いみたいだし、魔法も使える し、しっかりと剣も携行しているから放って置いている。そんな彼 女が洋介さんとは直接関係なさそうな転生者の網張りに協力してく れるというのは有難かった。 ﹁ありがとう、二人共。助かるよ﹂ そう言って頭を下げる俺に、 1786 ﹁やめて下さい、アルさん。当然ですよ﹂ ベルが問題なんか何もない、という感じで答えてくれた。ベル、 ありがとう。俺が礼をするのも何だか変な気もするが、素直に有難 いと言う気持ちになる。 ﹁うんうん、いいっていいって。王都での宿代持ってくれりゃそれ でいいよ﹂ そりゃ宿代くらいは持つつもりだったが、いちいちお前に言われ るとなんか腹立つわ。 俺達は来週からの網張りについて遅くまで話し合った。 ・・・・・・・・・ 7443年2月25日 王都で網を張り始めてからそろそろ一週間が経つ。ゼノムをリー ダーにズールーとエンゲラは一層でちょこちょこ稼いでいるようだ。 俺がいないので稼ぎはゼノムの物だ。ズールーとエンゲラにはゼノ ムの言うことをよく聞いて、戦いの訓練のつもりでしっかり集中し ろと言い渡してある。休日にゼノムが俺たちの様子を見に来た時に 話を聞く限りでは特に問題もなく、やばい敵のいる部屋には近寄ら ないようにして稼いでいるらしい。 1787 まぁ今彼らの事を心配しても始まらない。俺達三人は飽きもせず 街角に立ったり、飯屋でお茶を飲んだりして幾つもある街道を監視 している。夜、飯を食ったあとに毎晩暗い河川敷で訓練もしている し、王都に来てからは彼女たちと三人で毎朝ランニングもして体が 鈍らないように気をつけてはいるが、戦闘の勘のようなものが失わ れないか、鈍らないかが三人の心配の種だ。 とにかくまだ一週間だ。最低一ヶ月は粘る必要があるだろう。少 なくとも四月までは粘るつもりでいる。 ・・・・・・・・・ 7443年2月30日 俺だけ一度バルドゥックまで戻り、奴隷たちに給料を払った。彼 らには詳しい事情は説明していないが、王都で用事のために暫くそ ちらで過ごすと言った時に、王家とか騎士団との商談のことだと勝 手に勘違いしているようなので特に訂正することなく、勘違いさせ たままにしておいた。 ゼノムには一日早く給料を渡して王都に向かった。 ・・・・・・・・・ 1788 7443年3月3日 雛祭りだが、ラルファもベルも何も言ってこないし、今更感が強 いので俺も気づかない振りをした。もう彼女達も精神記憶的には三 十を越えているし、雛祭りごときでガタガタ言うはずもないとは思 っている。精神記憶的に三十を越えていても、そのメンタリティは 十五だから心配はしたのだが、俺が観察している感じだとラルファ は年相応、ベルは一歳位上、俺は二∼三歳くらい上の感じみたいだ。 ベルと話していて二人でそう結論付けた。これはもともとの年齢、 というより、受け継いだ記憶量の多さ、人生経験の多さが成長に影 響しているくさい。だから俺よりだいぶ年上の人であれば今でも二 十歳くらいのメンタリティを保って︵と言うと誤解される。早く成 長して十五にして二十歳くらいのメンタリティにまで成長した、と 言う方が合っているだろう︶いるかも知れない。 俺が見かけた転生者はどんな人だったのだろう? 新しく生まれ変わってどんな人生を送ってきたのだろう? ベルを襲おうとしたデレオノーラの例もある。 変な奴じゃないと良いんだが。 出来れば固有技能くらい把握しておきたかった。 すぐに視界から消えてしまったから名前すら覚えていないのは痛 1789 恨だ。 ・・・・・・・・・ 7443年3月7日 そろそろ三週間が経つ。網には引っかかってこない。名前もわか らなければ仕方ない。ラルファが﹁見間違いだったんじゃないの?﹂ と言って来る。だんだん俺もそんな気もしてきた。だが、確かに赤 い字を見たはずだ。 ・・・・・・・・・ 7443年3月10日 いつものように飯屋で豆茶を啜りながら道を眺めていた。特に何 事もなく、適当に昼飯を食い、そろそろ時刻は夕方近くなった頃だ。 外と比べて多少暖かい店の中、椅子の背にインバネスを掛けて足を 投げ出しながら人の流れを観察している。 キャットピープル お、あの猫人族の姉ちゃん、なかなかいいケツしてやんな、と目 で追っていた。少し先の通りを行きかう馬車の中、空の荷台の馬車 1790 エルフ がある。御者台には二人の男女が座っている。背の低い女性の方が 馬車を御しているらしい。男の方は線が細い。精人族か。遠目には それくらいしか解らない。 二人とも黒髪だ。そして顔つきもどことなく日本人を彷彿とさせ る。逸る心を抑えながら鑑定する。確か俺が見かけたとき、馬車に は男女二人が乗っていて、その周りを三人の男女が護衛していた。 俺が気になったのはその護衛のほうだ。ひょっとして別の転生者だ ろうか。 ︻グリネール・アクダム/2/7/7429︼ ︼ ︻女性/14/2/7428・山人族・ロンベルト王国ロンベルト 公爵領登録自由民︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:15歳︼ ︻レベル:3︼ ︻HP:68︵68︶ MP:11︵11︶ ︻筋力:12︼ ︻俊敏:6︼ ︻器用:16︼ マッピング ︻耐久:11︼ ︻固有技能:地形記憶︵Lv.8︶︼ インフラビジョン ︻特殊技能:小魔法︼ ︻特殊技能:赤外線視力︼ ︻経験:7869︵10000︶︼ ︻トルケリス・カロスタラン/13/5/7429︼ ︻男性/14/2/7428・精人族・カロスタラン士爵家三男︼ ︻状態:良好︼ ︻年齢:15歳︼ 1791 ︻レベル:6︼ ︻HP:82︵82︶ MP:26︵26︶ ︻筋力:11︼ ︻俊敏:17︼ ︻器用:14︼ ︻耐久:12︼ ︻固有技能:秤︵MAX︶︼ インフラビジョン ︻特殊技能:小魔法︼ ︻特殊技能:赤外線視力︼ ︻経験:41862︵43000︶︼ ︼ 赤字だ。転生者を発見した。しかも二人も同時に。行先を突き止 め、ラルファとベルの応援を頼むべきだろうか。それとも、まずは 俺一人で接触すべきだろうか。能力の確認や考える時間も惜しい。 1792 第四十九話 涙 7443年3月10日 いくら行き先を突き止めたとしても応援を頼んでいる間に移動で もされたらお終いだ。ここは俺一人でもまずは接触すべきだろう。 すぐに店を出て馬車を追う。馬車は空荷のようで、そこそこスピー ドも出るんだろうが、ロンベルティアの街中で全速力で移動などす るはずもない。せいぜい子供が走るくらいの速度だから見失いさえ しなければすぐに追いつける。左手に握ったインバネスをひらひら となびかせながら追いすがる。 ﹁ちょっと待ってくれないか﹂ 返事はない。自分たちに声を掛けられたとは思っていないのだろ う。御者台に座る二人は何か話しながらこちらを振り向きもしない。 ﹃おーい、ちょっと待ってください﹄ 日本語で話すと初めて反応があった。ぎょっとしたように振り向 いて来た。俺は少し息を切らせながら御者台の脇まで行くと更に言 葉を継いだ。 ﹃良かった。日本人ですよね? もし良かったら少し話がしたいん ですが﹄ 俺は笑顔を見せながらそう言った。 1793 ド ﹃あんたも日本人か! 若菜ちゃん、君の言う通りロンベルティア に来て正解だったようだ﹄ エルフ ワーフ 精人族の男が驚きと嬉しさの入り混じったような声で隣に座る山 人族の女に言っている。ワカナってのは女の元の名前か? ﹃え、ええ。私も驚いた⋮⋮﹄ ワカナと呼びかけられたドワーフの女も目を見開いて俺を見つめ ながらそう口にした。まぁこちらとしては、予想できた反応だし、 今更驚くには値しない。こうなることを想定して網を張って時間を 潰していたんだ。ひょっとしたらもう一人転生者と会えるかも知れ ないしな。 ﹁こんなところで立ち話もなんです。折角なのでどこか落ち着ける 場所で話をしたいのですが⋮⋮。この後時間はありますか? 用事 とかありませんか?﹂ コモン・ランゲージ ラグダリオス語に戻して言ってみた。もしかしたら彼ら二人は外 国とかバークッド以上の糞ド田舎の出身で最初の俺の言葉が分から なかった可能性もある。 ﹁ええ、でも一度家に戻りたいわ。馬車と馬の世話をしないといけ ないし⋮⋮﹂ コモン・ランゲージ ドワーフの女が答えた。綺麗なラグダリオス語の発音だった。単 に周囲が騒がしくて後ろからの呼びかけが聞こえなかっただけか。 ﹁ああ、それもそうだな。あんた、話は夜でもいいかな? 俺達は 夜出直すよ、どこか店で話をしよう﹂ 1794 コモン・ランゲージ エルフの男も多少訛りがあるもののラグダリオス語で話した。と ころで、どうも通行の邪魔になっているらしい。さっさとアポイン トメントを取り付けて切り上げた方が良さそうだ。 ﹁わかりました。店はこちらで取っておきます。グリードという名 で予約をしておきます。店は⋮⋮そうですね、﹁ローキッド﹂でい いでしょうか? ご存知ですか?﹂ ローキッドは昔姉貴の合格祝いで使ったという高級レストランだ。 かなり有名らしい。 ﹁え?﹁ローキッド﹂? そんな高いお店⋮⋮﹂ ﹁ご存知のようですね。ご安心ください、誘ったのは私です。勘定 はこちらで持ちますので﹂ 二人を安心させるように微笑みながら言う。金ならあんだよ、金 ならよ。最初くらい俺が奢ったる。 ﹁そう? じゃあお言葉に甘えさせて貰うわ。七時くらいでいいか しら?﹂ ﹁七時ですね。解りました。お待ちしています。グリードと言うの は私の名です。アレイン・グリードと申します。日本では川崎武雄 と言いました﹂ ﹁私はグリネール・アクダム。日本だと西岡若菜﹂ ﹁俺はトルケリス・カロスタラン。同じく瀬間洋介だ﹂ 1795 俺の右眉が跳ね上がった。このイケメンが瀬間洋介か? エルフ にしちゃ普人族っぽいが、非常にハンサムだ。むしろ線の細い美形 の多いエルフよりも魅力的であるとも言えるだろう。今は女連れだ、 ベルのことは黙っておいたほうが良いかも知れない。もしこの二人 が相思相愛だったら⋮⋮困る。ベルは充分に分別のつく立派な大人 だから、最悪の場合自ら身を引くかも知れない。しかし、恋愛感情 なんてものはそう簡単に割り切ることなど出来はしないだろう。ま して、俺は一途に瀬間洋介を想い続けるベルのことを間近で見続け てきている。 あれから十五年だ。事故で無理やりとはいえ離ればなれになった 男女が新しいパートナーを見つけ心変わりするには十分お釣りが来 る期間だ。むしろ十五年も一途に想い続けるベルが異常とさえ言え るかも知れない。だが、彼女は⋮⋮大切な⋮⋮大切な俺の仲間だ。 俺の心情としてはベルを応援してやりたい。しかし⋮⋮。 取り急ぎ名前は確認出来た。今は割り切るべきだ。道の脇に退く と彼らを見送った。そして後ろから鑑定する。 マッピング な、﹃地形記憶﹄だと!? マッピング ︻固有技能:地形記憶;技能使用中に目にした地形を詳細に記憶で きる。また、能力使用中に以前記憶した地形に侵入した場合、それ を理解することができる。一度記憶した地形を忘れることはない。 技能はそのレベルに応じて使用時間が延長される。効果時間は技能 レベルの二乗×一分間持続する。効果時間内に再度技能を使用する ことは不可能である。一度記憶した地形を再度参照する場合、以下 の三通りの方法を選択できる。一、自分がその場にいるかのように 一人称視点での参照。二、上空から俯瞰するように眺める。三、二 1796 と同様の俯瞰だが地図のように不要な要素だけを取り去ったシンプ ルな参照からいずれか一つを選択可能。参照時には魔力を消費する ことはない。但し、いずれの場合も自分が直接目にしたことの無い 場所︵例えば建物の屋上や何かの陰になっている場所など︶につい ては空白となる。記憶が可能なのは視覚情報のみであることに留意 せよ。何らかの要因によって視覚情報を欺瞞された場合、欺瞞状態 で記憶することになる︼ もう一つは﹃秤﹄か。これはベルに名前を聞いたことがあるな。 ︻固有技能:秤;技能使用後、技能レベル×一分間︵技能レベルゼ ロはレベル1として扱う︶以内に意識中で選択した二つの対象の比 較を可能にする。比較は重量、体積、硬度、粘度、温度などどちら がどれだけ高いか︵多いか︶を分数で理解することが可能となる。 レベルに応じて比較項目の選択肢は増加する。また、選択する対象 を一つにすることでその対象の分割点を正確に把握し、自分が望む 場合その分割点で切り分けたりすることが可能。但し、対象に傷つ けられるだけの硬度を持つ道具や、容器などは別途必要になる。技 能レベルに応じて分割の能力は上昇する。なお、いずれの場合も自 分の意識上で﹁一つ﹂として認識できるものが対象となるが、レベ ルに応じて対象の状態︵固体・液体・気体などや何らかの集合︶の 選択肢は増加する。比較する場合、効果時間は一瞬であり、分割は 意識を集中し、他から邪魔が入らず作業を継続する限り永遠である︼ ふっふ。見つけた。遂に見つけた。俺が予想していたのとはちょ っと違うがどちらも非常に、非っ常∼に役立つ固有技能だ。そして 二人共固有技能のレベルが高い。MAXと8だ。MPも双方二桁を 超えているのもナイスだ。もし魔法でも覚えられるなら更に多少底 上げもできる。肉体レベルも大して高くないからMPを意識して伸 ばすことすら可能かも知れない。 1797 やさ 万が一にも取り逃したくない。最低限彼ら二人の家とやらの場所 を掴んでおくことは必要だろう。﹁ローキッド﹂の予約? まだ十 六時過ぎだし、そんなもんどうとでもなるだろ。ベルの為にも正確 な居所は掴んで置いたほうがいい。 左手に持っていたインバネスを身に付け、50m程の距離を置い て尾行する。人通りも多いし、彼らも尾行されている事など露ほど も考えていないようだ。楽しそうに何か会話をしている。アクダム に微笑みかけるカロスタランの横顔を眺めながら唇を噛むと、心を 何かで塗りつぶしながら尾行に専念した。俺には特別な尾行のテク やさ ニックなどありはしないが、そんなもん、尾行を用心されてなきゃ 関係ない。二十分ほどで彼らの家を突き止めた。何の変哲もない家 だった。倉庫や厩舎もあるようで、店舗を持たない小規模な商家と いった佇まいだ。屋根は瓦葺きではなく板葺きで、小さな傷みもチ ラホラと見える。 門を開け、馬車を誘導するアクダムとそれに従うカロスタランを 距離を置いて眺めながら、ベルにどう話をしたものか、悩んでいた。 ・・・・・・・・・ 流石にいきなりベルの持ち場に直行するほど馬鹿ではない。と言 うか、先にラルファに相談したかった。ラルファの持ち場まで行く 間に﹁ローキッド﹂に予約を入れる。十九時、五人。コース料理で 個室。代金は先払いで15万Z︵銀貨15枚︶。高ぇ。一人三万か 1798 よ。だが、必要経費と割り切るしかないだろう。 金のことはいい。確実に役に立つ転生者に渡りをつけられるなら 安いもんだ。問題はベルだ。いつも丁寧に喋り、ラルファみたいに 俺をおちょくったりせず、影に日向に俺を立ててくれている。彼女 の泣いた顔は見たくない。 アクダムとカロスタランの様子からは二人が愛し合っているよう には見えなかったが、そんなことたったあれだけの時間でわかるは ずもない。もしカロスタランがベルとよりを戻すことになったら、 アクダムが泣くのだろうか。彼らがどの程度深い付き合いをしてい るかなど解りよう筈もない。だが、彼らは﹁家﹂に帰ると言ってい た。二人で暮らしているのだろう。 と言うことは、それなりに深い関係にある可能性は高いと言える だろう。種族こそ違うが、同じ日本人同士だ。話も合うだろうし、 日本語で会話すること自体精神を癒してくれる。例えば、俺だって ラルファやベルと二人で同じ家に暮らしていたら遅かれ早かれ情は 湧いてくるだろう。 疑問は残るし、気持ちの整理を付けること自体大変だが、何とか するしかない。 ラルファを見つけた。交差点の角に立ってベルに貰ったマフラー を首に巻き、俺のやった皮手袋をしている。ぼうっとした表情で道 行く人を見ている。 ﹁ラルファ。見つけた﹂ ﹁アル! いきなり驚かさないでよ、もう﹂ 1799 いきなり横から話しかけた俺に吃驚したようで文句を言ってきた が、すぐに俺の話に食いついてきた。 ﹁ええっ!? 見つけたの? やった! で、どうなの?﹂ ﹁男女の二人組だ。レストランで話す約束をしてきた。念のため家 も尾行して突き止めてあるよ﹂ ﹁へぇ、二人もいたんだ。良かったじゃない!﹂ 何も知らないラルファは嬉しそうに言う。俺がラルファでもそう 言うだろうけどね。 ﹁何よ⋮⋮その顔、元気ないね。やっと見つけたんでしょ? あ、 あんた男がいたからって落ち込んでるの? ばっかねぇ﹂ せっかく時間を掛けてまで転生者を見つけたというのに、どこか 浮かない顔をしていたんだろう。続けて言ったラルファの言葉に俺 は平坦な声で返事を返す。 ﹁いんや。もっと大きな問題があるかもしれない。ベルにはすぐに 言えない。まずラルファに話を聞いて欲しいんだ﹂ ﹁え? どういうことよ?﹂ ﹁いいから聞け。まず、男の方。エルフだ。カロスタランという名 前で、元の名を⋮⋮瀬間洋介と言う﹂ ﹃ええっ? マジで!?﹄ 1800 日本語でマジとか久しぶりに聞いたわ。 ﹁待った、続きがある。彼はもう一人の転生者の女と一緒に暮らし ているようだ。同じ家に入っていった。話かけたのは往来のど真ん 中だったからいつまでも話もできなかったし、女連れだったから洋 介さんにはベルの話はしなかった﹂ ﹁え? ⋮⋮まぁ。十五年だしね⋮⋮そういう事も⋮⋮あるかもね ⋮⋮でも﹂ ﹁ああ、そういう事もあるだろうな。だからまずお前に話をしたん だ。で、もう一人の女の方、ドワーフでアクダムという名前だ。元 の名は西岡若菜というらしい﹂ ﹃ええっ? マジで!?﹄ またかよ。嘘言ってどうする。マジですよ。 ﹁若菜、生きてたのかぁ⋮⋮﹂ ラルファの目に涙が浮かんだ。 ﹁え? 知り合いか?﹂ ﹁うん、友達。一緒にバスに乗ってた⋮⋮﹂ ﹁そうか⋮⋮﹂ まいったな、こりゃ予想外だ。 1801 ﹁二人がどれくらい親密なのかはわからない。顔見て話をしたのな んて一分くらいだしな。ひょっとしたら、どちらかが雇われている とかで付き合ってないのかも知れないが、同じ家に入っていったの は確かだよ。多分どちらかは商人なんだろうな。倉庫のある商家の ような家だった。俺が見つけたときは二人で仲良く馬車に乗ってい たよ。アクダムがお前の友達だったのなら⋮⋮お前の友達のどちら かが辛い思いをするかも知れない﹂ ﹁うん⋮⋮﹂ ﹁で、ベルにはどう話をしたもんかと思ってまずお前のとこに来た んだが、こうなるとあれだな。全部見たまま言う方がいいかも知れ ないな⋮⋮﹂ ﹁うん⋮⋮そう、だね﹂ 気落ちした表情でラルファがボソリと言う。 ﹁ラルファ、気持ちは解るがお前が気に病んでも仕方ないぞ。こう いうのはなるようにしかならんだろうしな⋮⋮﹂ ﹁うん⋮⋮わかってる。けど⋮⋮﹂ ﹁ああ、そうだな。だけど、本当にお前は気にするな。せっかく友 達と会えるんだ。ベルだって彼氏と会えるんだ。そんな顔してるな ら置いていくぞ。今日は糞高いレストランでコースを頼んだんだよ。 元気出せ﹂ ﹁うん、そうだね。そうする。割り切るしかないね。ごめん、私、 1802 役に立てそうにないや⋮⋮﹂ ﹁けっ、そんなのハナから思ってねぇよ。せいぜい旨いもん食って 元気だしとけ。そんくらいしか取り柄ないだろ、お前﹂ そう言って慰めるくらいしか出来なかった。 ・・・・・・・・・ 十七時半、ベルの担当している場所まで二人で行くと、訝しむ彼 女を適当な飯屋に誘い、豆茶を頼む。そして、言いにくいことを言 う。 ﹁ベル、いい話と、よくわからない話がある。まず、いい話からし よう。日本人を見つけた。二人組だ。片方はエルフの男性でカロス タランと言う﹂ 俺は努めて事務的に話を切り出した。 ベルの顔が嬉しそうに輝く。 ﹁やったじゃないですか! 今日会えるのですか?﹂ ﹁ああ、勿論だ。高級レストランを予約してある。今夜十九時だ。 それから、落ち着いて聞けよ、ちょっと複雑かも知れん﹂ ﹁はぁ﹂ 1803 ﹁その男、カロスタランの元の名は、瀬間洋介と言うそうだ﹂ ﹃どこですか!? すぐに行きます。洋ちゃんは、どこにいるんで す!?﹄ 予想通り、凄い勢いで迫られる。まぁ覚悟はしてた。 ﹁複雑かも知れない、と言ったろ。いいから聞いてくれ。彼とは必 ず会えるから﹂ ﹃でも、でも、またどこかに行っちゃったら⋮⋮﹄ ベルの目に涙が浮かんでいる。瀬間洋介の無事を嬉しがる涙か、 すぐに会わせようとしない俺を恨んでの涙か。 ﹁大丈夫だよ、家も突き止めてある。だいたい不思議に思わないか ? 普通の状況なら俺は洋介さんにベルの話くらいすると思うだろ ?﹂ ベルははっとしたように俺を見つめる。 ﹁で、日本人は二人組と言ったろ⋮⋮。もう一人、ドワーフの女が いた。アクダムという名で、元の名は西岡若菜、ラルファの友達だ そうだ⋮⋮﹂ ﹁ええっ!? ラル、良かったじゃない!﹂ ベルは目に溜まっていた涙を零して、今度は心の底から、という 感じでラルファに笑いかけた。 1804 ﹁うん⋮⋮でも⋮⋮﹂ ラルファは辛そうに身をよじり、ベルから顔を背けた。 ﹁ベル、まだ話は終わっていない。いいか、落ち着いて聞いてくれ。 彼らは⋮⋮同じ家に入っていったよ。親しげに会話しながらね⋮⋮﹂ それを言う時の辛さといったらなかった。だがベルは﹁それがど うした﹂とでも言う様に表情も変えず聞いていた。 ﹁ああ⋮⋮そういうことですか⋮⋮。ご心配をおかけしたようです ね。でも、大丈夫です。以前お聞きしましたが、転生者は全員かな りの距離を保って生まれています。洋ちゃんは私を探す過程でその 人と出会ってたまたま一緒にいたに違いありません。それを言った ら私もアルさん達と毎日一緒にご飯を食べ、同じ宿に泊まっていま すよ? でも、洋ちゃんはそれを知ったとしても何も言わないし、 気にしないと思います。勿論経緯は私からもちゃんと彼に説明しま すが、私と同じことですよ﹂ ぐ⋮⋮む⋮⋮そう言われるとすぐに言い返せない。 ﹁む⋮⋮確かに⋮⋮そうなんだが⋮⋮。ベルは強いな⋮⋮﹂ ﹁うん、強いね⋮⋮﹂ 俺とラルファはベルの言葉に絶句して、在り来たりのことしか口 にできなかった。 ﹁強い? 私が?﹂ 1805 ベルは能面のように表情を消しながら言う。 ﹁私は強くなんかないですよ。こう言っては何ですが、日本人の感 覚そのままだと子供のうちはいいでしょうが、そろそろ大人になら なければいけない時期です。事故で生まれ変わったのがこんな世界 ですからね。既にアルさんもラルも経験があるようですから言いま すけれど、私も家からバルドゥックに来る間、私に近づいてきた人 を何人か殺しました。 これは私が強いからではありません。弱いからです。本当に強い のなら相手が罪を犯したり、まさに罪を犯そうとしているときでも 殺さずに改心させる道を選択するはずです。私はもう日本人ではあ りません。オース人です。強かろうが弱かろうが関係ありません。 オースのやり方で生きていくと決めたんです。 だから、例え洋ちゃんが犯罪に手を染めて汚れていたとしても関 係ありません。例え誰かを愛していたとしても関係ありません。最 後に私の隣にいてくれれば満足です。 何より私は彼の事を信じています。彼がオースの社会に染まって いたとしても問題ありません。それもまた彼なのですから。オース の冒険者は普通はちょっと仕事をしてお金を貰って、そのお金でお 酒を飲んだり、女性を買ったりしているのは当たり前のことです。 もし洋ちゃんがそうしていても私は彼に幻滅したりなんかしませ んよ。だって、オースではそれが普通ですから。あまり多くはない ですが女性が家長である貴族家なんかだと夫を複数持つ方もいらっ しゃいます。 あは⋮⋮何言ってるんでしょうね、私。 言ってること滅茶苦茶ですよね。 ⋮⋮。 1806 ⋮⋮⋮⋮。 でも、でも、私は洋ちゃんともう一度生きて会えることに感謝し ています。 そのチャンスをくれたアルさんに感謝しています。 強いということを、私を襲った人を排除しても殺さずに騎士団に 引き渡したアルさんを尊敬しています。 なんでもいいんです! 彼に、洋ちゃんに会えさえすれば、なん でもいいんですよ!! 会わせて⋮⋮彼に⋮⋮。 お願い⋮⋮もう一度⋮⋮。 お願いです⋮⋮。 お願いします⋮⋮﹂ 最初は静かに話し始めたものの、遂には俺たち二人に掴みかから んばかりに涙を流しながら激昂したベルをなだめるのには苦労した。 時刻はそろそろ十八時を回った頃だ。俺はラルファに手早く作戦 を説明した。俺達は先に店に行き、カロスタランとアクダムの到着 を待つ。彼ら二人が店に来たら、すぐに小便にでも誘ってカロスタ ランと二人になり、ベルのこと、アクダムとどういう関係なのかを 聞く。それから注文でもするふりをして店の個室以外の場所で待機 していたベルとラルファに状況を説明する。 1807 とにかく、なりふり構わずいきなりベルがカロスタランのところ にすっ飛んで行って抱きついたりして状況を混乱させるのだけは避 けたいと思ったのだ。ラルファも賛成してくれたので待機中のベル についてラルファに任せることにした。 もし問題がなければ今晩はさっさと二人でどこぞに消えてもいい と言ってベルを納得させるのにすごく時間がかかった。念の為に万 が一ベルとカロスタランが途中退席するにしても二十一時くらいま では﹁ローキッド﹂で食事を続けること、最終的にアクダムとどう なるにせよ俺達二人は今晩中には宿に戻ることだけをベルに理解さ せた。 ・・・・・・・・・ そろそろ十九時だ。高級レストラン﹁ローキッド﹂の個室で俺は 腕を組んでカロスタランとアクダムの二人の到着を待っている。店 には五人全員が個室に入るまで食器も用意しないでくれと言ってあ る。ベルとラルファを別室に控えさせることも了承させた。また、 いつかの轍を踏まないように、遅れて︵と言っても時刻通りだろう が︶くる二人のエルフとドワーフの男女の服装については頓着しな いように言い含め、袖の下も店のボーイに渡してある。準備は万端 だ。 一体彼ら二人はどういう関係なんだろうか? 1808 恋愛関係か、雇用関係か、それとも単なる友人関係か。 正直なところ恋愛関係でなければ全く問題はない。 そうなると老婆心で早とちり︵とまでは言えないとは思うが︶し た俺が笑われれば済むだけの話だ。頭をかいて苦笑いでもしていれ ばいい。 恋愛関係だとしてもそれが一方的なものであればまだましだ。 例えカロスタランの方がアクダムに恋慕していたとしても、俺の 見た感じだとベルの方が日本人的な感覚で言えば圧倒的に美人だし 可愛い。身体だってベルの方が⋮⋮いや、これ以上は止しておこう。 だが、好みの問題もあるし、アクダムの人格に惚れたということも ある。 アクダムの方がカロスタランに惚れていた場合、ベルとカロスタ ランは相思相愛ということになり、アクダムはそれに一方的に入り 込もうと横恋慕する存在ということになる。その場合、アクダムに ついては友人だったということもあるからラルファに任せるという のもありだろう。 カロスタランとアクダムが相思相愛だった場合が一番厄介だ。ラ ルファはどうか解らないが正直なところ俺はベルに肩入れするだろ うし、こう言っちゃなんだが、俺の影響力は大きいだろう。今まで はカロスタランともアクダムとも接点はなかったが彼らも日本人だ。 同族意識くらいあるだろう。ましてベルとラルファとはそれぞれ前 世に縁があった相手だし、無視することも困難だろう。ある意味で ベルとラルファの生殺与奪を握っている俺のことも当然無視は出来 まい。 1809 人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてしまえ、という諺の通り、 恋路に口を出すつもりはないが、どうしても態度や口の端に乗りそ うな気がする。自重すべきだろう。どう考えても俺は中立の方がい い。 そんなことを考えていたら部屋がノックされた。 さあ、気持ちを切り替えろ。 1810 第四十九話 涙︵後書き︶ 今日読み直していたら二章第十四話のラルファの固有技能の説明文 に重要な抜けがあることに気づきました。追加修正しています。 1811 第五十話 再会 7443年3月10日 エルフ ドワーフ 部屋をノックしてきたのは店のボーイだった。客が二人到着した ので通して良いか確認に来たのだ。精人族の男と山人族の女の二人 組とのことなので通せと言った。 ボーイの後ろからカロスタランとアクダムが部屋に入ってきた。 きょろきょろと珍しそうに豪華な内装を眺めながら﹁悪いな﹂とか ﹁ご馳走になります﹂とか殊勝なことを口にしている。アクダムは 着替えたのだろう、こざっぱりとした服装だったが、カロスタラン の方は薄汚れた服だった。袖の下払っておいて良かった。 ﹁ああ、すみません、ちょっとトイレに行ってもいいですか? カ ロスタランさんも一緒にどうです? 結構すごいんですよ﹂ 予めトイレは見ておいた。大理石のような石を掘って作られた小 便器があり、排水口に香料を入れた袋がある、オースでは無茶苦茶 贅沢なトイレだ。 俺は少し強引にカロスタランを誘ってトイレに行く。トイレに入 るなり話し出した。 ﹃あんた、瀬間洋介と言ったな。あのアクダムさんとどういう関係 なんだ?﹄ ﹃いきなりタメ口かよ。まぁいいけど﹄ 1812 何言ってやがる。出会ったときや、ついさっきぞんざいな口を聞 いていたのはそっちの方だろうに。 ﹃知り合ったのはひと月くらい前かな? 彼女の両親の隊商がオー クに襲われてれいるところを助けた。それだけだけど、それがどう した?﹄ ほーっ、良かった⋮⋮。安心した。 ﹃そうか⋮⋮良かった⋮⋮。安心した。少なくともあんたにあの子 に対する恋愛感情はないんだな? それだけ確認したかった﹄ 俺がそう言うと、カロスタランは意味がわからないように聞いて いたが思い当たったのだろう。 ﹃ああ、そういうことか。確かにあの子、ドワーフにしちゃすっき りしてて可愛いからな。彼女のことは気の毒に思うけれど俺には彼 女への恋愛感情はないから安心してくれていいよ。邪魔もしないよ﹄ なにか勘違いされているようだ。それに、どうもこの話しぶりだ とアクダムの方がカロスタランに気があるのか? それともこいつ が単に自意識過剰なだけなのか? ﹃ああ、そういうことじゃない。俺が確認したかったのはあくまで あんたの気持ちだよ。洋介さん。ついでにもう一つ確認させてくれ。 あんた、女はいるのか?﹄ 俺がそう言うと、彼は俺から少し身を遠ざけながら言う。 1813 ﹃俺はホモじゃないからそっちの期待はしないでくれ。俺には好き な女がいる。彼女を探さなきゃならないんだ﹄ 誰がホモだ、この野郎。まぁいい。俺はニヤリと笑うと ﹃そうか。あと俺もホモじゃないからな﹄ とだけ言って用を済ませたブツをズボンにしまう。チラと隣りを 覗う。あ、こいつ俺より小せぇ。しかも同じように被ってやがる。 こんな所ではあるがやっぱり日本人なんだなぁと思って少しだけ嬉 しくなった。 ﹃あんたがそう言ってくれて俺は今嬉しいんだ。期待してくれてい いぜ﹄ 水瓶から柄杓で水を掬い、手を洗いながらそう言うと、 ﹃期待って何を? そりゃ日本人に会えたのは嬉しいことだし、い ろいろ話を聞きたいと思っていたけどさ⋮⋮ああ、そんなにここの 料理はすごいのか?﹄ 俺と同じように手を洗い、壁に掛けられた手ぬぐいで手を拭く彼 の背を押しながら、 ﹃まぁまぁ、とにかく期待してくれ﹄ と言いながら個室に戻った。テーブルにはアクダムが一人、少し 不安そうな面持ちで残っていたが俺とカロスタランが部屋に入ると 安心したような表情になった。 1814 ﹃ああ、そうだ。アクダムさん、あんたも期待してくれ﹄ ﹃え? なに?﹄ 俺がそう言うと彼女は不思議そうな顔で俺を見、そしてカロスタ ランを見た。カロスタランは、 ﹃よくわからない。ここの料理はすごいらしい﹄ とか言ってる。 ﹃ちょっとコースを注文してくる。少し待っててくれな﹄ そう言って俺は席に着くことなく扉を閉め、部屋を出た。 すぐにベルとラルファが控えている部屋に行き、ノックもせずに 扉を開ける。彼女たちは席にもつかず立ったまま開いた扉の向こう に立つ俺をそれぞれの思惑が込められた瞳で見つめている。ここで 勿体付ける趣味はない。 ﹃ベル、待たせてごめんな。良かったな。すぐに行ってやれよ﹄ 途中まで聞いたベルは俺を押しのけて走り出した。すれ違う時に ちらりと見た彼女の表情は歓喜に溢れていた。 ﹃さ、ラルファ、俺たちも行こう﹄ ﹃うんっ﹄ ラルファも安心したように笑顔だ。きっと俺も笑っていることだ 1815 ろう。俺が向き直り、ラルファが部屋を出るとき ﹃洋ちゃんっ!﹄ と言う、ベルの叫び声が聞こえた。俺とラルファは顔を見合わせ ると声のした部屋へと歩いて行った。 ・・・・・・・・・ 部屋に入るとベルとカロスタランが抱き合っていた。予想はして いたが、キスまではしていないようだったので許す。にやつきなが ら部屋に入る俺をラルファが押しのけて叫ぶ。 ﹃若菜!﹄ そういやこっちもそうだった。 ﹃え? 誰?﹄ あれ? ﹃私よ、美佐。大野美佐だよ!﹄ ラルファがアクダムに抱きついている。そりゃいきなり飛び込ん で来て抱きつかれたら顔なんかわかんないだろ。アクダムの顔には 混乱した表情が浮かんでいたが、彼女の目はカロスタランに向いて 1816 いた。ありゃ、やっぱりこりゃ面倒なパターンかな? だが、ラル ファが名乗ったので驚いたようだ。 ﹃ええっ!? 美佐? 本当に!?﹄ ﹃うん! うん! 美佐だよ!﹄ ちょっと待て。ベルとカロスタラン、ラルファとアクダム。そし て俺。何故俺だけ独りよ? しょうがねぇけどさ。部屋の真ん中に 設えてある六人掛けのテーブルを境にして右と左で再会に打ち震え、 嬉しさのあまり咽び泣いているふた組を見ながら、腕を組みつつそ れぞれに目をやる。 ベルとカロスタランは今にもキスするんじゃないかというほど顔 を近づけて抱き合い、泣き笑いだ。ラルファとアクダムはお互いキ スこそしそうにはないが、手を取り合って再会を喜んでいる。喜ぶ 仲間の顔を見てベルとラルファそれぞれに対して﹁良かったな﹂と いう暖かい感情が湧き上がる。 まぁ仕方ないだろう。でも、もうそろそろ五分近くも経つ。俺は 再会を喜び合う彼らを他所に、テーブルの左右に三脚づつある肘掛 付きの椅子の位置をずらすことにした。入口付近から部屋の中を見 る俺から向かって左側にラルファとアクダムを座らせ、右側にベル とカロスタランを座らせよう。 一番手前の右側の椅子を一脚、テーブル奥のお誕生日席に移動さ せる。当然この上座が俺の席だ。ついでに声の一つも掛けておこう。 ﹃お前ら、喜び合うのはいいけど、そろそろ店の奴が部屋に入って くるぞ。いい加減にして席に着いたらどうだよ?﹄ 1817 お誕生日席に座って足を組みながらそう言うが、俺の声はフィル ターにでも掛けられているのか彼らの鼓膜には届いた様子は窺えな かった。アクダムはたまにカロスタランをちらりと見ているが、そ れでもラルファと会えたことも嬉しいのだろう。喜んでいることは 確かなようだ。しかしなぁ⋮⋮本当にちょっとだけ辛くなってきた。 ﹃おい、いつまでそうしてるつもりだ? そろそろいい加減にしと け﹄ いくらなんでもそろそろいいだろう。俺はこの使えそうな二人を 雇わなきゃならんのよ。カロスタランの方は以前ベルが自信有りげ に大丈夫だと請け合っていたので、まぁいいとしても、アクダムの 方も捨てがたいんだ。とっとと契約書にサインさえしてくれりゃラ ルファとここでいつまでもきゃいきゃい言ってようがどうでもいい けどさ。 まぁ今のうちに出来ることをやっておくか。もともと転生者は一 人だろうと思っていたので契約書は一セット三通しか用意していな かった。念のため紙自体は数枚予備を用意してある。ペンとインク を店から借りて、こいつらがきゃあきゃあ言っているうちにもう一 セット書いておくべきだろう。王都の高級店だし、それくらいの用 意はあるだろうよ。 席を立って部屋を出るとボーイを呼び、料理を出すのを二十分ほ ど待ってくれと伝えると同時にペンとインク、それと契約用の魔石 を使うので皿も用意してくれと言った。 二∼三分で希望の品は用意された。俺が言わなかった指に傷を付 けるピンまで用意されていた。まぁ俺がナイフを持っていることな 1818 したた んか知らないだろうしな。まだ尽きない会話を続けているベルやラ ルファ達を尻目に、新たな契約書を認める。文面自体はラルファの ものと同一だ。文量もたいしたことないからすぐに書き上げる事が できるだろう。 一言一句間違えることなく、程なくして追加で一セット三通の契 約書を作成することができた。因みに、三通目の契約書を作成して いる時に、こいつらも流石に落ち着いてきたようだ。 懐から契約用の同価値の魔石を二個取り出して用意してもらった 皿の上で擦り合わせ、適量の魔石の粉を作る。せっかく用意しても らったピンだが、使わずにナイフを取り出すと右手の親指を切って 血を出す。ナイフのが血が出やすいしな。血が出たままの右手の親 指で、皿の上の魔石の粉の三分の一くらいと混ぜ、それに左手の親 指の腹をつけて、合計六通ある契約書の俺の名前を書いた上に拇印 を押していく。 俺がやっている作業を全員が見ていた。最後に右手の傷を治癒魔 術で治し、血で汚れた指をこれまた店に用意されたハンカチで拭い ︵水魔法で洗わなかったのは単に床を汚したくなかったからだ︶、 一応出来上がりだ。契約書に乾燥の魔術をかけ、六枚を重ねて俺の 前のテーブルの右脇に置き、その上に魔石の粉の皿やインク、ペン とペン皿を置いて、口を開いた。 ﹃もういいのか?﹄ 俺がそう言うとベルは恥ずかしそうに頷き、ラルファは﹁えへへ、 つい。ごめん﹂と言って頭を掻きながら舌を出した。カロスタラン とアクダムは俺が事もなげに魔法を使っているのに驚いているよう だ。 1819 ﹃じゃあ、そろそろ料理も来ると思うし、せっかく日本人同士会え たんだ。話をしようか﹄ ラルファのおかげで空気も柔らかくなったこともあり、話しやす い雰囲気だ。 ﹃まずは自己紹介からだな。もう知っているとは思うけど、俺はア レイン・グリード。ロンベルト王国のウェブドス侯爵領バークッド 村の出身だ。日本では川崎武雄、死んだときは45歳のサラリーマ ンだった。固有技能は﹁魔法習得﹂だ。アルと呼んでくれ﹄ 俺がそう言いながら、両手を広げてカロスタランとアクダムに伸 ばす。カロスタランはぽかんと俺の左手を見ていたが、アクダムは 俺の右手におずおずと手を伸ばして触れると﹁ステータスオープン﹂ と言って俺のステータスを見た。それを見たカロスタランも慌てて 俺の左手に触れてステータスを見ている。 次は自分の役割だと思ったのだろう、ベルが口を開いた。 ﹃私はベルナデット・コーロイルです。デーバス王国ストールズ公 爵領ラーライル村の出身です。日本では相馬明日夏と言いました。 死んだときは21歳の大学生でした。固有技能は﹁射撃感覚﹂です。 私のことはベルと呼んでください﹄ 主にアクダムに向けて言った。彼女から見てテーブルの右向こう にいるアクダムに向けて手を伸ばしている。 ﹃私はラルファ・ファイアフリード。ロンベルト王国ヘンティル伯 爵領ラルファ村の出身ですが、捨て子だったので両親は知りません。 1820 私を拾って育ててくれたのはゼノムという名のドワーフです。死ん だときは17歳の高校生。私の固有技能は﹁空間把握﹂です。私の ことはラルでいいです﹄ ラルファもテーブルの左向こうのカロスタランに向けて手を伸ば しながら言った。 ﹃ん、じゃあ、次は俺だな。俺はトルケリス・カロスタラン。ロン ベルト王国ローゼンハイム伯爵領のヨーグッテ村が出身痛っ﹄ ベルがカロスタランの手を抓ったらしい。 ﹃久々だろうけど、きちんと喋って。最初から﹄ やれやれ。ベルに諫められたカロスタランは﹁んんっ﹂と咳払い すると、 ﹃私はトルケリス・カロスタランです。ロンベルト王国ローゼンハ イム伯爵領のヨーグッテ村の出身です。日本では瀬間洋介と申しま した。死んだときは明日夏と同じく21歳の大学生でした。固有技 能は﹁秤﹂です。あんまり役に立たない固有技能ですけど⋮⋮。私 のことはトリスと呼んでください﹄ そう言ってトリスは左手をラルファに、右手を俺に伸ばして言っ た。 ﹃えーっと、私はグリネール・アクダムです。ロンベルト王国ロン ベルト公爵領⋮⋮王領のロンベルティア、この街の出身です。美佐 マッピング ⋮⋮ラルと一緒にバスに乗っていて事故に遭いました。17歳でし た。固有技能は﹁地形記憶﹂です。私のことはグィネと呼んでくだ 1821 さい﹄ グィネも右手をベルに、左手を俺に伸ばして自己紹介した。自己 紹介が終わったとき、店のボーイが三人、ノックをして部屋に入っ てきた。二人はランチョンマットのようなナプキンをテーブルに敷 き、食器を並べている。もう一人は人数分のグラスを配膳している。 最後に食事を配膳し始めていいか聞いてきたので頷いてやると下が っていった。俺は、 ﹃ベル、いいか? 飯くらい食って行くだろ?﹄ とベルに聞くとすました顔で ﹃ええ、勿論です﹄ と返答してきた。じゃあ、さっさと話をした方が良さそうだ。そ の時に前菜をボーイたちが運んできた。見た目がラタトイユのよう な冷たい野菜の炒め物と鳥のハム、何かの木の実を甘く煮たもの、 羊肉のカルパッチョなど、全部で七種類の前菜が盛り付けられたプ レートが配られた。同時に白ワインが注がれる。全員に行き渡った あとまだボーイがいたので、 ﹁じゃあ、折角なので乾杯しよう。無事に出会えた奇跡、おめでと う。乾杯﹂ と言ってワインを飲む。うん、結構美味しいワインだ。よくわか んねぇけど。でも、すごく飲みやすい。皆口々に﹁乾杯﹂と唱和し てワインに口をつけているが、アクダムだけ戸惑っている。 ﹁あの⋮⋮確かに成人してるけど⋮⋮いいのかな? 私、お酒は初 1822 めて飲むんだ﹂ ああ、そういう教育方針の家庭なのかな? そういえば今晩彼女 は両親に何と言って出てきたのだろうか? この辺から話してみよ うか。もうボーイも出て行ったし、面倒だし、日本語でいいだろ。 ジュース ﹃ん? 無理にとは言わないよ、果実水とか水が良ければそっちを 注文しようか?﹄ ﹃え? ⋮⋮大丈夫です﹄ グィネは美味そうにワインを飲んでいるベルとラルファをちらり を見ると自分も口をつけた。 ﹃あれ? 美味しい⋮⋮んっ⋮⋮なに、これ?⋮⋮んっ⋮⋮﹄ ⋮⋮ドワーフの血だろうか。一口飲んだら初めてその美味さに気 がついたかのように一度グラスを見つめるがすぐに美味しそうに飲 み始め、グラスを空けてしまった。 ﹃ちょっと⋮⋮若菜、飲みすぎて酔っ払っちゃダメだよ﹄ ラルファが心配そうに注意している。 ・・・・・・・・・ 1823 メイン コンソメみたいなスープも飲み、主菜の牛肉︵!︶のポワレとタ ンヴィルム︵浅い海に住む舌平目のような魚︶のムニエルが出てく る頃には皆お互いの事が解って来て食卓は和やかな雰囲気に包まれ ていた。グィネとトリスは出会ってひと月くらいらしい。 冒険者二人を護衛に雇い、両親と五人で行商中の山道でオークの 集団に奇襲され、グィネを残して殆ど全滅に近い時に、颯爽とトリ スが現れて危地から救ってくれたのだそうだ。そりゃ惚れもするか。 生前、俺の部下で若くして二人の子持ちでジャニーズ系のイケメン だった井上に横恋慕する他の課の女子社員の目つきだった。 オークの襲撃の事を話すとき、グィネは涙ぐんでいた。僅かひと 月前の出来事だ。両親を一度に失い︵目の前で魔物に殺されるとい う、これ以上ないほどショッキングな失い方だろうし、無理もない︶ 、更には家業であったアクダム商会も三号二種の白免状で相続はで きない状況に追い込まれていたのだからこれは仕方のないことだ。 家業を続けるにしても百万Zの金を掛けて免状を取るところからや り直さなくてはならない。コネも何もなく免状を申請したって正式 に免状が交付されるのにはどうせ何ヶ月もかかるだろう。 まぁこのあたりは俺にとっては好都合ではあるが、他人の不幸を 喜ぶようでなんだか心地悪いことは確かだ。少なくともその時馬車 に積んでいた積荷は全て処分して現金化しているとの事で、今現在 抱えている商会としての在庫は雑穀の種籾と野菜の種くらいらしい。 まぁ時期も良いし処分しようと思えばさっさと処分することはでき るだろう。モンスターの襲撃なんかで白免状の持ち主が不慮の死を 遂げたのであれば納税に多少時間がかかっても大目に見られるだろ うしな。 トリスの方は家を出たのが13歳頃と今から二年ほど前だった。 1824 僅か一分しかない神との面会時間でベルの転生を知り、転生者の転 生場所にも距離が離れていることを確認したらしい。おかげで他の ことはほんの僅かしか確認できなかったそうだ。 相当頭の回る奴なんだと思っていたら、最初の説明の時の報道番 組みたいなビデオを見せられたとき、自分の名前の直下にベルの名 前があったから気づけたとのことだ。すぐにベルの転生を確認し、 ベルの転生場所を聞いたがこれは答えて貰えなかった。俺は点滅す る赤い四角で囲まれた自分の名前と犠牲者全体が漢字二文字の苗字 と二文字か三文字の漢字の名前だったことくらいしか確認できなか った。 が、俺と同様に転生場所の決定方法を聞いてある程度以上の距離 を保って転生していることを知り、どの程度の距離かを聞いたら最 低100Km以上であると教えてくれたそうだ。そのため、人を探 すのに困難そうである大きな街を避け、小さな村を中心に旅して回 っていたらしい。路銀も心細くなっていたときにたまたまグィネの 馬車が襲われていた所に出くわしたとのことだ。 俺たちもそれぞれの出会いを話した。専らラルファとベルが話し、 俺が足りない部分を補足する感じだ。俺がラルファとベルの危地を 救う形で出会っていたことを聞いてグィネの俺を見る目がちょっと 変わったようだ。それまでは﹁なんだ、この金魚のフンは﹂みたい な感じであったのに対し、今では明らかにトリスと同様に見られて いる気がする。多分これは俺の自意識過剰ということでもないと思 うが⋮⋮。なんだ、こいつ。 トリスの方は俺達とベルの出会いを聞き、話が終わったとき、席 を立って深く俺にお辞儀をしながら礼を述べてきた。なんだ、なか なか素直じゃないか。 1825 メイン ソルベ 主菜を食べ終え、口直しとして蒸し鶏の入ったサラダを食べなが ら話は続けられた。転生者の有用性と危険性についてだ。トリスも グィネもそういったことについては殆ど考慮していなかったそうで、 真剣に耳を傾けていた。転生者のアドバンテージや肉体レベルの情 報については契約書にサインさせてから話すつもりだ。 デザートの果物ゼリーが供されるとそろそろ話す内容も終わりが 近づいてくる。 ﹃さて、ここまではいいかな? ⋮⋮うん。今、ベルとラルファは ライオス ドッグワー 俺が雇う形になっている。他にラルファの養父のドワーフと俺の戦 奴の獅人族の男と犬人族の女の合計六人でバルドゥックの迷宮に挑 んでいる。トリス、グィネ、どうだろう? 一緒にやらないか? 勿論、ベルやラルファと同じようにしっかりと給料は払う﹄ 俺はトリスとグィネの二人を交互に見ながら話した。そこでラル ファが口を挟んできた。 ﹃給料は月に20万Z。稼ぎの多い時は別にボーナスが日払いで貰 えるよ。私とアルがバルドゥックに来たのは去年の6月からだけど、 平均すると結局毎月50万Z以上貰ってるね﹄ 何故そこでお前が胸を張るんだよ。すると、ベルも続けて口を挟 んできた。 ﹃それと、休日は水曜日と土曜日の午後ですね。まぁこれはもっと 深い階層に潜るようになったら変動するとは思いますけど。あと、 グィネ、その⋮⋮月に一日は別に休暇が貰えます。私は月に二回あ るけど、軽いから⋮⋮﹄ 1826 ああ、生理休暇ね。⋮⋮グィネも一緒だと更にそういった意味で 休日が増えちゃうこともあるのかよ⋮⋮。ま、しゃあない。いいけ どさ。 ﹃勿論一緒に同行させてください。明日夏⋮⋮ベルにも一緒に来て 欲しいと言われていたし、私には定職もないですから有難いくらい です。アルさん、お願いします﹄ トリスがすぐにそう言って来た。ベルが自信を持って言うだけは あったな。だけど、単に金がないから食いついてきたとも言えるが。 ﹃ああ、歓迎するよ。じゃあ、契約書にサインをしてくれ。内容は ベル達と同じだ。ほい﹄ そう言って一セット三枚の契約書を渡す。グィネはどうなんだろ う。一緒にサインしてくれると面倒がなくて助かるんだが。 ﹃若、グィネ、あんたはどうするの? 商会はすぐには出来ないん でしょう? アルは商会も持ってるよ。あと、アルはすごく強いか ら迷宮でもあんまり危ないこともないかなぁ﹄ こっちはラルファが勧誘をするようだ。 ﹃うー⋮⋮でも、冒険者か⋮⋮強いってどのくらい強いのよ? あ と商会って免状は?﹄ グィネがラルファに質問している。 ﹃うーん、去年の年末に第一騎士団の副団長って人に模擬戦で勝っ 1827 てた﹃ええっ!? 嘘でしょ?﹄ 俺、そんなに強そうに見えないかな? 体つきも年の割には結構 いい体を作っていると思うんだけどなぁ⋮⋮。 ﹃うん、目の前で見たもん。あと、アルのお姉さんも第一騎士団に いるしね。お兄さんがこれまたすっごく強くて格好いいの!! ね、 ベル、アルのお兄さんのファーンさん、超格好良いよね!!﹄ 急にラルファに話を振られたベルは念のためとトリスと一緒に契 約書を読んでいた。 ﹃え? ファーンさん? うん! 格好良かったね﹄ 契約書から顔を上げてベルが答える。トリスはちらともベルの顔 を見ず、契約書に視線を落としたままだ。耳に入らなかったのか、 元々嫉妬心が薄いのか、それともベルを信頼しているのか。よくわ からなかった。グィネが続ける。 ﹃それで、商会の方の免状は? ウェブドス侯爵領の出だそうだか ら、三号じゃ話にならないよ﹄ 俺が答えようと口を開きかけたが、またラルファが答えた。 ﹃免状は知らないけど、王様と直接取引しているよ。ロンベルト陛 下と王妃殿下達に直接声を掛けられてるもん﹄ 今度こそグィネは疑わしそうな顔つきで俺を見た。 ﹃今は持ってきてないけど俺のグリード商会の免状は二号一種の赤 1828 免状だ。ロンベルト国内ならどことでも好きなだけ取引ができるよ。 バークッドのゴム製品、聞いたことはないかな?﹄ 俺がそう言うと、グィネも思い当たったのだろう。 ﹃あ⋮⋮ゴム製品って⋮⋮聞いたことあります⋮⋮見たことはない ですけど⋮⋮でも、すごいですね。二種ならともかく、二号一種な んてウチじゃとても⋮⋮﹄ 彼女は免状の料金の貴族特権を知らないのかも知れない。ま、い いけど。貴族でもない普通の人が二号一種の商会を作るならコネが なきゃ一億五千万Zかかるしな。結局俺は手数料のたった50万Z で済んじゃったけど。ゴムプロテクターとコンドーム様々だな。 ﹃君にはオースでの商売の経験もあるから、是非一緒に来て欲しい な。今年か来年にはロンベルティアに商会の拠点も作るつもりだし ね。出来るだけ急いで候補の建物を探さないといけないんだ﹄ 俺は微笑みながらグィネに語りかけた。 ﹃でも⋮⋮私、槍もあまり使えませんし⋮⋮そのぅ⋮⋮た、戦うの は⋮⋮ちょっと、怖い⋮⋮と言うか⋮⋮﹄ ま、そうだろうね。机の反対側ではトリスが契約書にサインをし 始めた。しめしめ。 ﹃なぁに言ってんのよ。私でも出来るんだから、大丈夫よ。ドワー フなら斧か槍が一番合ってるってお父さんも言ってるからね。すぐ に使えるようになるよ。それに、私がいるし、アルも守ってくれる よ﹄ 1829 ラルファがグィネの背中を叩きながら言った。よし、お前、脳足 りんの癖に最近なかなかいい働きしてるじゃねぇかよ。俺とベルの 薫陶の賜物だろうな。なんてね。 ﹃まぁ読んでみてくれ。内容はトリスに渡したものと全く同じ、ラ ルファとも同じだよ。あ、ラルファとはゼノムと二人一組での契約 だったっけ﹄ そう言いながら契約書を渡す。おずおずとそれを受け取って眺め 始めたが、押されると弱いタイプなのか、トリスが既にサインを始 めているのを目の前で見たからか、碌に読みもしないで顔を上げた。 トリスのサインが終わるのを待っているらしい。 サインの終わったトリスからペンとインク皿を受け取ると契約書 にサインをし始めた。俺はトリスにナイフを渡してやり、魔石の粉 の入った皿をテーブルの上でずらして彼の前に動かしてやると、 ﹃残っている魔石の粉の半分に自分の血を混ぜて拇印を押してくれ。 傷はすぐに治すよ﹄ そう言ってトリスが拇印を押すところを見ていた。グィネのサイ ンも終わったようだ。 よし、有効な手駒を更に二人、配下に置けたと考えてもいいだろ う。三枚組の契約書のうち一枚をそれぞれに渡してやり、傷を魔法 で治療してやった。契約書の残った二枚のうち一枚を俺が保管し、 残った一枚は⋮⋮行政府で保管してもらう。正式な契約が高価であ る理由の一つだ。魔石入りの血で押した拇印はステータスオープン を掛けることができるんだよ。 1830 これで彼らは俺からそう簡単に逃げられない。 1831 第五十話 再会︵後書き︶ ちょっとマジでリアルが洒落になってません。 明後日の更新は幕間にさせてください。 短いので明後日の次は明々後日も幕間を更新します。 1832 幕間 第二十話 根元正明︵事故当時25︶の場合 ああ∼、くっそダリぃ。 ここは駅のホームだというのに課長はバカみたいに俺の態度につ いて怒っている。 なんだか、哀れにすらなってくる。 本来俺とは関係のないミスについて客先に謝罪しないことや俺の 話を聞く態度が気に食わないとのことらしい。 ミスとは納める製品の納期の連絡ミスだ。 何故ミスが起きたかと言うと、まず、客先から俺に納期の確認を された。 で、俺が生産管理部門の人間に確認したときに担当者から聞いた 内容をそのまま相手に伝えたに過ぎないのだ。 だから、責任は間違えた生産管理の担当者にあって、俺には無い と思う。 それを、この腹の出た課長は ﹁そもそもそんな日付が出てくる時点でなぜ不思議に思って確認を 怠ったのか﹂ と怒り狂っている。 確認するのは俺の仕事じゃねーし、そんなに給料もらってないよ。 あーあ、電車行っちゃった。 次の電車は鈍行だし、その次の電車まで待たなきゃなんねーじゃ ん。 15分もこのおっさんの小言を聞きながらホームで待つのもかっ たるい。 1833 まぁ黙って立っていりゃあそのうち気が済むだろ。 案の定、おっさんは ﹁もうお前にこれ以上言っても無駄のようだな﹂ と言って話を切り上げてくれた。 いつものパターンだ。 くび はっ、馘首に出来るもんならしてみろよ。 たかが一介の課長ごときに人事権なんざあるわけがねぇ。 ・・・ 大体、俺は親父の従兄弟である藍村さん︵当社の取締役だ︶の引 きで入社してやったんだ。 藍村さんは若い頃、親父の兄貴である俺の伯父に相当世話になっ たとかで藍村さんは俺の親父にも頭が上がらないらしい。 大学こそ一留しているが、現役で入学したんだ。 あんたみたいに浪人するのが嫌だからと滑り止めの都留文科大学 ? だっけ? 山梨だかどっかの田舎大学を出た奴とはそもそもの出来が違うん だよ。 妙ちきりんな関東出身のDQN高校生が入るような程度だろ? どうせ。 俺の大学はそんな聞いたこともない学校なんかと比較にならない。 私立サウスアジア大学と言ったら地元では誰でも知っている。 バスの路線にも﹁SA大﹂って名前がついてるくらい地元秋田で は結構有名だ。 韓国や中国の有名な大学とも交流があるんだ。 そんなところに推薦で無試験入学した俺は優秀といっていいだろ うよ。 そこで経済学を学んできた俺と一緒に働けるだけでも有難いと思 1834 えよ。 悔しかったら国公立大学くらい行ってから俺に説教垂れてみろ。 覚えてろ、社畜め。 俺は入社に当たって藍村さんから期待されているんだ。 ﹁正明くん、君には当社で一番優秀な沼岡の下についてもらうよ。 あいつは確か教員免状も持っていたはずだから君に教えるには丁度 良いだろうしね。何事も下積みが一番大事だからね。数年しっかり 修行するようにな。昇進なんかその後のことだよ﹂ 俺がいつ頃幹部社員になれるのか聞いたらこう言ってたんだ。 だからあと二∼三年もすりゃあ俺が次長か部長になってあんたに 説教する番だ。 本当にこの社畜のおっさんのことがどうにも好きになれない。 勤務時間中はいつも仕事や客の話題ばかり、仕事ばかりで気持ち が悪い。 この前だってカスタム品の注文処理の社内伝達方法なんか聞いて もいないからちょっと二∼三日程度後回しにしていただけで説教し てくるし、別注品の受注入力だって何ヶ月か前に一度聞いたことが ある程度のことを間違っていると翌朝になってから細かく指摘して きた。 あんた、俺のストーカーかよ。 そもそも幹部候補の俺には営業の現場仕事なんか興味はないんだ よ。 だいたい理由を言おうとしても口答えするなと言うし、俺が直接 悪いわけでもないことを客先に無理に謝らそうとする。 なんで俺が悪くもないのにいちいち客に頭下げなきゃならねーん だ? 二言目には筋を通せとか、言っていることが安いヤクザみたいだ。 1835 俺は役員に期待されている幹部候補生だぞ。 先週だって勤務時間を15分過ぎての残業を命じてこようとした。 確かにその日に受注処理すれば翌日の朝に処理するより一日納期 は早まるが、それだけのことじゃねーか。 こんなおっさん共がいるから日本経済は弱くなったんだ。大学で 習ったぜ。 18時過ぎているのに大阪の客が会社の傍まで出張で来ていて、 今日は泊まりだからというだけで何故酒に付き合う必要があるのか? 酒なんか飲みたい奴だけで好きなだけ飲んでいりゃいいだろうに。 友達ですらない奴となんで自腹で飲みに行かなきゃならねーんだ。 偉そうに奢ってやるとか、大物ぶりたいだけか。 だいたい、居酒屋なんてタバコの煙で充満して副流煙で肺癌にで もなったらどう責任取るつもりなのか。 そのあとはお決まりの風俗だろ、どうせ。 そんな酒だとか風俗とかで使う金額で新刊の小説やマンガ、ブル ーレイやプレステなんかのゲームがどれだけ買えると思ってるんだ。 やっと快特が来た。スマホで異世界転生の小説を見てるほうが余 程健康的だ。移動時間中くらい好きにさせろ。しかし、この﹁男な ら性風俗王を目指さなきゃね﹂って馬鹿だよな。異世界でゴムをつ くるのはいいとして、なんでわざわざ難易度高そうなコンドームよ ? 意味わかんねー。だいたい、主人公まだコンドーム使えてねー し。ムカつく主人公ざまぁって言えばいいのか? 童貞のままどう やって性風俗王を目指すんだか、呆れて物も言えん。ま、かくいう 1836 俺も童貞だけどね。三次元に興味はないよ。俺と付き合いたかった らモニターの中に入ってから言ってくれよ。 あ? おっさんと一緒に宙に浮いてる? ・・・・・・・・・ 一体何が起きたのか? 事故か? と思う間に泣き出した。なん だよ、この声。俺の声か? 泣いたのなんて大学に入学してから、 ゲーセンで弟の同級生の中学生にカツアゲされて以来だ。 ・・・・・・・・・ だんだんと状況が掴めてきた。どうやら俺は﹁文豪になろう﹂と かのウェブ小説でよくあるジャンルの主人公のような状況にあたっ たらしい。転生だ。まだ異世界か、現実の地球のどこかかは不明だ が、家具や家の造りから見て異世界だろう。しかし、英語っぽい単 語もあるようだし、地球のどこかかも知れない。 半年が経ち、だんだんと言葉もヒアリングだけだが覚えてきた。 ここはなんとかとかいう偉い貴族の領地の更にすっごく辺境の奥地 らしい。村の名はウェンビル。それ程裕福でもないが、ものすごく 1837 貧乏と言うほどでもない感じだ。いや、俺の感覚から言うと貧乏な んだけど、少なくとも食事は満足にできる。現実の地球だってここ 以上に貧しい場所なんか腐るほど⋮⋮人間以外がいた。ここは地球 じゃない。 異世界転生か。本当に? 魔法とかあるのかな? それとも現代地球の知識で内政しちゃうのか? 最近よく、大人たちがヴァリオーラがどうとか言っている。 最初は人名かと思ったが、どうやら違うようだ。 昔、最後に出現した村をそこに住む人ごと焼き払って根絶したと か言っている。 なんだろう? そうこうしているうちにヴァリオーラとやらの正体がわかった。 病気の名前だった。 この村でも患者が出たのだそうだ。 だが、すぐに領主が断固として患者の住む家を住人を生きたまま 焼き払った。 正直なところホッとした。 1838 俺の家族も表面上は酷いとか言っていたが、家の中では、ホッと しているのが解る。 うん、仕方ないよね。 ヴァリオーラって伝染病みたいだし。 領主は批判されようとも正しい対応をしたんだろう。 ・・・・・・・・・ 一家全員の体調が悪い。 揃って風邪でも引いたのか? 熱もあるし、頭痛もひどい。 調子が悪くなり始めた翌々日。 既に俺の調子は戻っている。 俺の母親が俺を見て悲鳴を上げる。 なんだ? その日の夜、理由が判明した。 1839 俺の三つ上の兄を見たからだ。 顔に大きな発疹のようなできものがいくつかできている。 なんだろ? 俺にもあるのか? 顔を触ってみるとどうやら俺の顔にもできものがいくつも出来て いるようだ。 兄の顔を見た両親は青ざめている。 ヴァリオーラ。 あの伝染病の症状らしい。 親父は﹁もうだめだ、今晩荷物をまとめて一か八か山奥に夜逃げ する﹂と言っている。 お袋も﹁そうね。もう私たちもヴァリオーラだろうし⋮⋮なんと か逃げて治ったら戻るしかないわ﹂と言って荷物をまとめ始めた。 荷物といっても着替えがちょこっとと可能な限りの食料だ。お袋 は俺を抱き、兄貴を背負い籠で背負う。親父はお袋同様に背負い籠 に荷物をうず高く積み、両手には持てるだけの荷物を入れたカバン を下げる。 夜陰に乗じて村を出た。 途中、何度も休憩しながら一晩中山を歩いたようだ。俺は寝たり 起きたりだった。 1840 なんとか丁度いい木の洞を見つけてその中にお袋と俺たち子供を 寝かせた。 親父は木の傍に枯葉を集めてそこに横になった。 ・・・・・・・・・ 家族全員、顔や体にできものが出来ていた。 確実にヴァリオーラという病気らしい。 もう一回発熱し、それさえ乗り切れれば助かるし、二度と感染は しないらしい。 小康状態の親父やお袋は枯葉を集め、枝を切って過ごしやすい環 境を整えるのに熱心だ。 最初に俺の体中のできものが破れ始めた。膿と血が滲み、高熱に うなされる。 次に兄、そして両親へと症状は展開していった。 熱に浮かされた俺は今が昼なのか、夜なのか、まだ生きているの か、既に死んでいるのかすらよくわからない。 1841 何故かと言うとできものが潰れたためか目がよく見えなくなった からだ。 体中に痛みが走り、呼吸も苦しい。 高熱のため意識もはっきりとはしない。 なあに、オヤジも言ってた。 ヴァリオーラでも四人の家族全員が助かることもあるって。 亡くなるにしても発症患者十人中せいぜい三人くらいらしい。 しかも子供は比較的助かりやすいって。 俺は大丈夫だろう。 何しろ異世界転生出来たくらい運がいいんだ。 俺はきっと助かるさ。 俺は助かるさ。 助かるさ。 きっと。 き⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮う⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ ⋮⋮⋮。 1842 1843 幕間 第二十話 根元正明︵事故当時25︶の場合︵後書き︶ ごめん、またこんな話だよ。もう諦めてください。 また、文中に登場する学校名は入試難易度ランキングで適当に拾っ てきたものを参考にしているだけです。万が一ご不快にお感じの方 が居ればおっしゃってください。可能な限り早急に対応します。 1844 幕間 第二十一話 野村幸吉︵事故当時90︶の場合 さすがにこの年齢になると身体の各所に目立つ衰えが出てくる。 だが、頭もまだはっきりとしているし、歩くことにも大きな支障は ない。17歳で陸軍に現役志願兵として志願して二年過ごした直後 に再召集を受け、独立混成第十五聯隊所属の上等兵として再出征す るときに母親から貰った虎の刺繍の千人針のことは今でもはっきり と覚えている。 残念ながら成人直前に沖縄戦で捕虜になったものの、若年兵で階 級も低かったため終戦後すぐに釈放された。引き揚げて来てから裸 一貫で作り上げた商社を後任である息子に譲ってからもう十年以上 が経つ。 八年前に女房を亡くしたが、その年に曾孫が出来た。時の経つの は早いものであんなに可愛かった孫以上に可愛い曾孫ももう小学生 だ。今週末には遊びに来てくれるとのことで今からこの上なく楽し みである。今日はその時の為に曾孫におもちゃを買ってやりに新宿 のデパートを目指して最近出不精になった身体に鞭打って出てきた。 家政婦の時子さんに心配されはしたものの、私の体は老境を迎え たとは言えまだ充分に動くし、頭もはっきりしている。曾孫のおも ちゃを買いに行くくらいわけはない。 先頭車両の最後部、四人掛けの優先席の先頭部に腰を降ろす。 私の座っている前の座席には曾孫よりも幼い子供を連れた父親と 社内の吊り広告を見上げている中年のサラリーマンが座っており、 1845 私の隣には一つ空席を置いて仲の良さげなアベックが座っている。 前の座席の男の子が靴を脱がされ、椅子に登ると窓に手をついて車 窓から流れゆく景色を夢中で眺めている。 昔、まだ幼かった孫を連れて電車で遊園地に行った時にも同じよ うな事をさせたことがあった。当時は私も女房もまだ50代であっ たが男の子と女の子の二人の元気な孫を連れて遊びに行くというこ とが重労働であることにびっくりしたものだ。懐かしい気持ちにな り、小さな男の子の背を見ながら頬が緩むのを自覚した。 なんと愛らしい子だろうか。男の子の仕草を眺めているだけで新 宿までの暇つぶしになる。眠そうな父親を意に介さず、車窓に手を ついて夢中で眺める男の子の後ろ姿を見て、なんとなく既に老人と 言ってもいい息子の小さな頃に思いを馳せる。 私にもあの父親のように若かった時があった。隣に座っているア ベックのように若かった時があった。彼らもいずれ歳をとり、子を 産み、育て、私のように老いてゆくのだろう。私は今の境遇を不幸 だとはちっとも思っていないが、彼らが今の私のような年齢に達し たとき、自分の人生を振り返ってどう感じるだろうか? これからの日本を作っていくのは彼らのような若い人達だ。せめ て後悔することない人生を歩んでいって欲しい。男の子の後頭部を 眺めながら、そんな取り留めのない思いに囚われていた。 列車が急ブレーキをかけた。 派手なスキール音につづき、乗客全員がバランスを崩して前方に 向けて浮遊する。目の前でうとうとしていた中年のサラリーマンが ハッとしてポールを掴んだところに親子連れの父親が突っ込んだ。 1846 サラリーマンはそれでもポールを離さず耐えていたようだが、直後 に男の子を抱きとめるためにあっけなくポールを掴んだ手を離して しまった。 私には横からアベックの片割れの女性がぶつかってきた。彼女と 一緒に宙を泳いだのも束の間、私の胸部にどこかのポールが直撃し、 私の意識は薄くなっていく。 かつての上官であった田所分隊長は﹁お前らのような若過ぎる兵 隊が最前線に出てくるようになっちゃおしまいだ﹂と仰っておられ た。田所軍曹は沖縄の県民が立て篭る壕に火炎放射器を放射しよう とする米兵に銃剣突撃を敢行し、見事討ち取ったあと、他の米兵か らの銃弾を受け、我々若年兵が見守る中、そう仰って戦死された。 粗製濫造の銃剣はひん曲がっていた。 戦時の繰り上げ任官で小隊長として指揮を取っておられた九州帝 大の学生であったという吉野少尉も衛生要員の女子学生達が立て篭 る壕の前に仁王立ちになったまま戦死された。壕の入口を自らの体 で塞ぎ、家宝であったという軍刀を地面に突き刺して両手両足を広 げ護国の鬼のようにかっと目を見開いたまま弁慶の立ち往生であっ た。 小隊長は﹁とにかく生き延びろ。これからの日本人を産み育てる 女性を守り、恥を忍び、耐え難きを耐え泥を啜ってでも生きろ。捕 虜になってでも生き延びて日本の未来を守り育てる男になれ﹂と常 々仰られていた。その小隊長が戦死なされるとは小隊の誰も予想し ていなかった。 かつての私の上官たちが共通して仰られていたのは﹁若い奴がこ れからの日本を作っていくのだ。だから貴様らは何としても生き残 1847 れ﹂という事だった。最終的に我々若年兵が恥を忍び米軍に投降し たのはそのお言葉を守るためだ。私は彼らに胸を張って﹁自分は頑 張りましたよ﹂と言える人生を送れたのだろうか。 ・・・・・・・・・ 一体なにが起こったのか? なぜ私は生きているのだろう? 事 故だろうか? 混乱することしきりだったが、どうにかこうにか事 情を飲み込むのにかなりの時間を要した。私は赤ん坊として生まれ 変わったらしい。若い頃占領軍の主計科将校と交渉するために必死 になって覚えた英語も多少は役に立った。 赤ん坊として生まれ変わった私の頭は非常に柔らかく、新しいこ とを覚えるのにも然程の苦労は必要なかった。それこそ乾いた砂が 水を吸うが如く新たな知識を吸収していける。若いとはそれだけで 素晴らしいものである。命名の儀式を経てあらかたこの世界の言語 を喋れるようになるまで二年もかからなかった。 親の目が離れ始める三歳くらいまで成長してやっとわかってきた。 大昔の西洋のような土地だが、いろいろ変なところもある。まず、 私の生まれたゴーバン村にはいろいろな人種が住んでいた。地球の エルフ ドワーフ ノーム ハーフリング 人類にあたる普人族は最大勢力であることは間違いがないらしく、 バニーマン ドッグワー ウルフワー キャットピープル 全人口の四割近くいる。その他、精人族、山人族、矮人族、小人族、 ライオス タイガーマン 兎人族、犬人族、ドッグワーの亜種の狼人族。それから、猫人族、 キャットピープルの亜種の獅人族、私の種族である虎人族など、沢 山の亜人がいた。 1848 建物などは茅葺きや板葺き屋根で土壁と大昔の日本を彷彿とさせ る作りが多い。無人だが立派な鳥居を備えた小さな神社まであった。 着物はシャツやズボンなど西洋風の物が多いが、前開きの着流しの ような物も無い事はない。食物は和風のものはなく、全てが洋風だ った。米がないのが地味にきつい。 ただ、私には重要な秘密もあることに早期から気付いたのは幸運 なことであったろう。生後一年半程で命名の儀式を受け、そこで本 ヴァリアンス 格的な意味を知った﹁ステータスオープン﹂のおかげで私は自らの 特殊性に気付くことができた。︻固有技能:根性︼。使い方もイマ イチ不明だがわざわざ︻固有技能︼なんてついているくらいだから、 私だけの技能で、且つ技能と言うからには使い方があるはずだろう。 ヴァリアンスと言うくらいだから根性とかド根性のようなものだろ う。 ナイトビジョン 私の知る限り他に誰も持っていない固有技能とは異なり、種族の 技能である︻特殊技能:夜目︼と︻特殊技能:剛力︼は別段珍しく もなんともない。タイガーマンは頭の上に丸い短い毛の生えた耳が あり、頭髪と同色と黒での縞の尻尾︵私の場合、頭髪も黒いので尻 尾は全体が真っ黒となる︶を持ち、体格こそ普人族とあまり変わら ないものの、概して力が強く、且つ俊敏な種族だ。 隣の家の二つ上のライオスのトミーと喧嘩するときに﹁うわぁぁ ぁ﹂と叫びながら﹁ここで引いたら舐められる、根性を出せ﹂と思 った瞬間、体が軽くなった感じがして、全力のパンチを何発かトミ ーに叩きつけたところで、猛烈に腹が減り、集中できずにいいよう にやられた。家に駆け込んで余っていた朝食の残りのパンを貪り食 うとそのまま倒れこむようにして眠ってしまった。 1849 ︻剛力︼の特殊技能を使わなかったのは、力を出しやすくなる分、 踏ん張りが必要となり、俊敏に動くのが難しくなるからに過ぎない。 ライオスの︻瞬発︼とは異なって、喧嘩や戦闘には使いにくい技能 なのだ。昼過ぎに起きた時、なぜトミーのような幼児の行動にあん なに腹を立てムキになって喧嘩したのか不思議だったが、結局トミ ーとはつまらないことを原因に何度も喧嘩する間柄になった。 こんなことが何度かあって初めて気がついた。﹁根性を出せ﹂と ヴァリアンス か﹁全力で行くぞ﹂などと考えながら気合を込めた叫び声︵雄叫び とでも言うのか︶を上げると︻固有技能:根性︼の技能を使えるの だ。だが、ものの数秒程度でド根性は切れる。しかしながらその間、 私の身体能力は驚く程上昇する。それこそライオスの種族が持つ特 殊技能の︻瞬発︼など児戯にも等しいほど身体能力が向上する。感 覚が鋭くなるわけではないし、勘が良くなるわけでもないが、力や 俊敏さ、無限に湧いてくるかのような体力を感じ取れるほどだ。そ れは火事場の馬鹿力とでも言う方がしっくりとくる。 ヴァリアンス ︻固有技能:根性︼は喧嘩以外でも使えることも解った。何か行 動するときに気合を入れ、心の中で﹁行くぞ!﹂とか﹁やるぞ!﹂ と覚悟を決めればいい。だが、非常に体力を使うのか、体力を前借 りするのか分からないが、何回か使うと我慢が困難なほど眠くなる ことが多い。無性に飢餓感を覚え、口に入りそうならそこらの雑草 ですら食いたくなることもある。使いどころが肝要だ。 そうしているうちに日本語を喋る神を名乗る存在と遭った。やは り、列車の事故で私は死んだのだという。私を含め事故の犠牲者は 39名にも登る大惨事だったそうだ。最後に中年のサラリーマンに 抱きとめられた男の子は無事だといいのだが⋮⋮。順番として年寄 りから死んでいくのが正しい世のあり方だと思うのだ。 1850 夢の中のような得体の知れない場所での神との会見で、もう自分 は死んでおり、日本には帰れないことを理解した。最後に曾孫に会 えなかったことが心残りといえば心残りだったが、今では十一歳に なり、体も歳の割には大柄で元気に成長しているらしい。 私はもう一度別の世界で人生を一から送れるらしい。ならば今度 は笑える人生を送りたいものだ。かつてのように常に何かに追われ るような、追い求めても手の届かないものに手を伸ばすような、張 り詰めたようなものではなく、心の底から笑える人生を送りたい。 その為には記憶を保ったまま生まれ変わった私はそれだけでかなり 有利だろう。 この世界はおとぎ話であるかのように魔物が棲み、なんと魔法ま であるという。年甲斐もなくわくわくしてきた。よく話を聞いてみ ると私と一緒に亡くなった38人の人達も同じく記憶を持ったまま 生まれ変わっているとのことだ。まずは彼らと出会うことも考慮に 入れておいたほうが良いかもしれない。 常々から疑問に思っていた事も聞いてみた。時間や暦、通貨や食 物、身分や人種など聞くことは沢山あったが、僅か十数分という限 られた時間ではそれらを聞くので残念ながら時間切れとなった。 目が覚めたとき、目の前に浮かぶ﹁ステータスオープン﹂のよう な窓を消しながら浮き立つ心を抑えがたい事に苦笑し、朝飯を食べ る。今日こそトミーと決着をつけるのだ。 ・・・・・・・・・ 1851 それから更に数年が経った。私、フィオレンツォ・ヒーロスコル は立派な少年に成長していた。我がヒーロスコル家はファルエルガ ーズ伯爵領のゴーバン村の領主であるイーガルド士爵家に仕える従 士である。ヒーロスコル家の三男として生を受けた私はそれなりに 楽しそうな人生を送れる選択肢は多い。このまま別の従士の娘と結 婚し、入り婿としてその家を継ぐか、何か手柄を立て、新たな従士 の家を独立して営むか、別の村でそれをやるのか、はたまた努力し て騎士団に入団し、そこで認められ軍人として過ごすか、または騎 士団で実績を上げ、どこかの従士長になるべく地方領主への人脈作 りをするのか。金を貯めて商売を始めたっていい。 自由にやりたいことを己の才覚で出来るのだ。いろいろなしがら みのある貴族ではないし、かと言って制限の多い自由民や奴隷階級 でもない。何か好きなことをやるにはこの平民の階級は便利なこと この上ない階級だ。両親も家を継ぐ人材である兄さえ立派に成長し てくれたらそれ以下の子供達については好きにしろと公言している。 何をするにしても先立つものは金だし、体も資本と言える。従士 家族の義務とも言える軍事訓練にも熱が入ろうというものだ。元々 私は剣も槍も使えはしないが昔の兵隊時代を思い出して熱心に稽古 に打ち込んだ。この頃には固有技能なんかに頼らなくてもそこそこ な腕になっていた。十歳を迎え模擬戦を行うようになってから、実 力のかけ離れた大人たちを相手にするような時に少し使うくらいだ。 領主のイーガルド士爵は私には才能があると褒めてくれた。 十三歳という若年で領内のパトロールにも随行を許可され。初め てゴブリンを仕留めたのもこの頃だ。ひと月に一∼二度あるパトロ 1852 ールの際に何度も手柄を上げた私は、一歳繰り上げて十四歳で伯爵 の騎士団に推薦を受けた。勿論推薦を受けただけで入団できるほど 甘い代物ではないが、この世界では騎士の叙任を受けることは人生 で大きなアドバンテージを得られることと同義だ。私に否やがあろ うはずもなかった。 領内各地から選りすぐられた年上の入団希望者を退けて入団試験 を突破できたのは勿論固有技能のおかげとも言えるだろうが、地力 を高めるのに積み重ねた努力が実ったとも言えるだろう。話に聞い たところでは平民出身者が正騎士の叙任を受けるのは早くて三年、 平均すれば四年程だという。だとすると私は平均だとしても十八と いう若さで一人前のエリートになれるということだ。なぜなら騎士 団とは前世で言う、中学校から大学、士官学校の全てを兼ねている と言って良い、ほぼ唯一の高等教育機関だからだ。 うん。それだけ若ければ騎士団を辞めてからも何でもできるだろ う。普通は正騎士の叙任を受けると給金はいきなり跳ね上がるので すぐには辞めないで暫く続ける人も多いと聞く。だが、私は従士の 間も無駄遣いする気はないし、しっかりと貯金をしておくつもりだ った。裕福なファルエルガーズ伯爵家の騎士団では武器も防具も貸 与してもらえるので最終的には剣の一本も購入するだろうが、それ 以外、生活必需品以外に金を使わなければ従士の給料でも四年もか ければそれなりに蓄財も可能だろうと思った。 それから風来坊とでも言うような冒険者をやりながらちょっと世 の中を見て回り、自分が納得の行く仕事を見つければ良い。そう考 えていた。 1853 ・・・・・・・・・ 騎士団に入団したところ、驚くべきことがあった。生まれ変わっ たこと自体驚くべきことではあるし、固有技能や亜人、魔法なども 驚くべきことだろう。だが、初めて自分以外の日本人に出会えたの だ。これを驚くべきことと言わずして何と言えばよいのか。 ロートリック・ファルエルガーズ。ファルエルガーズ伯爵家長男。 次代の大貴族とでも言うべき男の子は私と同じ事故で生まれ変わっ た日本人であった。長姉のマリーネンは彼よりも十六歳も年上で、 十年程前にロンベルト王国の現国王陛下であるトーマス・ロンベル ト三世陛下に嫁いでいる。最初はお互い、やけに日本人みたいな顔 つきだな、と思っていたのだが、勇気を出して日本語で語りかけた のが決め手になった。 オース ロリックはこの世界がイヤでイヤで堪らなかったらしい。彼は私 より一年早い十三歳で伯爵家の特権を使って騎士団に入団していた とのことだが、成績は低空飛行を続けており下から一二を争うよう な酷いものだった。ロリックは彼の同期の中では座学はトップだっ た。しかし、ファルエルガーズ騎士団では座学はあまり重要視され ていないのか、評価に占める割合はかなり低いので彼の成績自体良 くなかったのは専ら戦闘技術での評価が最低だったに過ぎない。も ともと争い事は嫌いな質だそうだ。だが、私が騎士団の入団前既に ゴブリンを何匹も仕留めた話をしたり、ゴブリンやノール程度なら 結構簡単に倒せる事を教えてやると興味を持ったらしい。 お互い日本人ということもあって、すぐに私と彼はすっかり仲良 くなり、どこへ行くのも一緒だった。私同様に稽古に熱を入れ、私 1854 同様に大いに人生を楽しむことにしたようだ。日本時代の話や身の 上話もした。電車の中で向かいに座っていたらしいことも判明した。 尤も、これは私が気にかけていた男の子が彼の息子らしいことから の推測に過ぎないのだが。 老人であった私と違い、当時彼はまだ三十という若さであった。 日本人ということでお互い丁寧に喋っていたが、私の年齢を聞いて 驚いた彼はそれから私に対して敬語を使うようになった。身分が違 うので不自然だから止めた方が良いと言ってやっと直った。だが、 日本語で喋る時は相変わらず敬語のままだった。日本語の時は日本 人だからと彼はそこは譲らなかった。私も悪い気はしないのでその ままにしておくことにした。 こうして日本人に会えるということも解った私たちは、いつしか ﹁他の日本人を探したい﹂と思うようになるまでさほどの時間はか からなかった。だが、彼には立場がある。伯爵家を継いで次代に引 き渡すという役目もある。正騎士の叙任を受け暫くしたら騎士団を 離れ、伯爵家の跡取りとして騎士団とは比較にならない高レベルの 領地経営などについて学ばねばならないだろう。 お互いが十五の春を迎える頃、彼の成績も急上昇を遂げていた。 と言っても最低だったのがどうにか及第を超えるというくらいでは あるが。そして、二歳下の彼の弟が騎士団に入団してきた。彼の弟 のベルサイアスは優秀な子だった。出来の悪い兄︵勿論、私はロリ ックのことを出来が悪いとはちっとも思っていない︶を侮るような こともせず、常に一歩下がって頭でっかちと揶揄されている兄を立 てる発言をしていたし、座学は勿論、剣や槍、騎乗技術等でも初年 度としては優秀な成績を修めた。 私? 私は固有技能のおかげもあり、同年の入団者は疎か、一年 1855 次上の者たちと比較しても上だった。座学も正直なところ日本で学 んだ下地があればどれもこれも片手間で出来る程度だ。暗記に多少 毛が生えた程度の内容だ。数学など小学生低学年程度の四則演算で 止まっているし、物理や生物なども同様だ。社会科︵専ら歴史︶や 農業科学︵科学なんて殆どなく、基本的には領地経営の為の農業知 識程度に過ぎない︶の方が我々にとって馴染みが薄い分苦労する程 度だった。 但し、魔法についてだけは私もロリックも熱心に学び、教官であ る魔術師が閉口するくらい質問攻めにしていた。最初は小魔法だけ だったが成人してからは本格的に魔法の修行もカリキュラムに入り、 毎日灯りの魔道具と睨めっこする時間が続いた。睨めっこと言って も、目は閉じる。二人一組になり上半身裸で相手の上半身にサーチ ライトのような明かりの魔道具を当てたり逸らしたりする。顔には 光を当てず、体だけ照らす感じだ。そのうちに魔法の光を皮膚で感 じ取れるようになる。 光が当たった部分がなんとなく、鳥肌が立つような感覚、とでも 言えば良いのか、とにかく魔法の光が当たっていることを目を閉じ たまま感じ取れるようにするのが魔法の特殊能力を得る手段なのだ。 魔法修行専用に光が拡散しないよう、長い筒の奥に仕込まれた魔道 キャントリップス 具でペアの体を照らす必要があるので二人一組での修行が推奨され ている。 キャントリップス こうすると魔力検知の小魔法が使えるようになる。次はこの魔力 検知の小魔法を使って再度光を感じる事を繰り返す。ここまで来る と着火の魔道具の小さな炎でも構わないが、魔石の消費量を考慮す ると灯りの魔道具の方がコストパフォーマンスは良いらしいので不 便ではあるが二人一組での修行が推奨されているのだ。 1856 キャントリップス 私たちは熱心に魔法の修行に取り組み、お互いに5ヶ月という驚 異的な速度で無魔法の特殊技能に目覚めることが出来た。小魔法は 日に何度も使えるものではないので、騎士団の訓練や任務、座学の 勉強をやりながらの修行であったため、二人共一年はかかるだろう と覚悟していただけに拍子抜けすらしたものだが、嬉しい誤算であ ったことに間違いはない。 ・・・・・・・・・ そうして私の騎士団生活二年目が過ぎていった。三年目に入り、 二人共十六歳になったある日、私たちに出征の命が下った。遥か南 のデーバス王国とのダート平原でのよくある小競り合いだ。今回は ファルエルガーズ騎士団が戦力の中核を担うらしい。指揮官はファ ルエルガーズの騎士団長であり、ロリックの叔父でもあるコンレー ル卿が執るのかと思ったが、王国中央からバルキサス卿という騎士 と数人の彼の部下が派遣されてきており、コンレール卿率いる我ら ファルエルガーズ騎士団はバルキサス卿の指揮下に組み入れられた。 我々二人が想像していたより遥かにのんびりとした戦争だった。 確かに数度あった合戦は想像通り激しいものではあったのだが、両 軍の下級兵士や従士達の士気はあまり高いとは言えず、戦死者もそ れほど多くはなかった。なんとなく雰囲気で合戦が始まり、いつの 間にかどちらかが戦線を後退させ合戦が終息する。勿論相手を出し 抜こうと少人数の偵察部隊を複数送り、敵の様子を探ったりもして いるのだが、めぼしい成果も上がらず、戦闘時以外では士気の低さ が露呈していた。特に今回の紛争ではロンベルト王国側は開拓村の 1857 防衛であるので積極的に討って出ることをしなかったことも理由の 一つではないだろうか。 そうした中で数少ない合戦の度に少しずつ手柄を上げ、私は合計 で三人の敵兵を討ち取る手柄を上げた。ロリックも一人だけではあ るが敵兵を討ち取った。私と出会った頃、あんなに戦闘に対して腰 の引けていたロリックも成長したのだなぁ、と感慨深い思いだった。 村の周囲に防衛線を張ってから二ヶ月程がたったある日、敵部隊の 後退が確認された。これからひと月程、念の為に駐屯し、特に問題 が起こらないようであれば引揚げだ。 数少ない戦果のうち私の上げたものは敵兵三人ではあったが、確 実な死亡が確認された敵兵の数は70人弱であり、戦果のうちの約 5%が私個人のものだった。全部隊で個人では最高の戦果だった。 おかげで叙任も早まるそうでこれは非常に嬉しい。ロリックも手柄 を上げていたのでやっと正式な叙任が見えてきた。 ﹁これでベルスにも格好が付くな﹂ とロリックが言っている。兄の面目が果たせてホッとしていると いうところだろうか。続けて私に、 ﹃ノムさんは叙任を受けたらどうするんです? 騎士団に残ります か? それとも以前から言われていたように、冒険者として出て行 かれるのですか?﹄ と聞いてきた。因みにノムさんと言うのは私の本名の野村を縮めた ものだ。 ﹃うん、江藤くん。私はそうしようと思っているよ。せっかくだか 1858 らね。オースを見て回りたい。私はこの人生を楽しみたいんだ﹄ ﹃そうですか⋮⋮。羨ましいなぁ。本音を言えば私も一緒に行きた いですよ。でも、私の叙任はもう少しかかるでしょうしね⋮⋮。ノ ムさんに会って私も大分変わったと思いません? 感化されちゃっ たんでしょうね。昔は自ら戦うなんてイヤでイヤで仕方なかったの に⋮⋮今回の戦争では結構落ち着いて戦えました。それで周りを見 回して解ったんですよ。俺には貴族なんて向いてません﹄ ﹃⋮⋮。﹄ ﹃戦争で指揮を取ることなんて出来そうにないです。魔物は殺せて も、人を斬るのは辛かったです。それに、もう領地と屋敷に篭って 外に出ないなんて生活もどうかと思っていますよ。確かに、俺はあ の時死んだんです。佑太もちゃんと成長しているようですし⋮⋮正 直な話、未練はありますがね﹄ ﹃そうか﹄ ﹃息子に会いたいです。抱きしめてやりたいです。生まれたばかり でまだ二回しか抱いていない娘に会いたいです。もう⋮⋮十六か⋮ ⋮今の俺と同い年だから、高校生ですかね? 女房に似ているとい いなぁ⋮⋮。それらと比べたらファルエルガーズの領地を相続する ことなんか俺にとって何の価値もありませんよ﹄ 寂しそうに、悔しそうにロリックが言った。 ﹃⋮⋮だが、それは仕方ないだろう? 今更会いに行くことは出来 そうにないしなぁ﹄ 1859 ﹃そうです。もう無理なんですよ。俺、ずっと、夢を見ていたんで すよ。成長した息子と娘の夢です。怖がって領地の屋敷に引っ込ん でいる俺を情けなく感じている子供たちの夢です。でも、戦争に行 ってからはぴたりと止まりました。実は殺した相手の夢でも見るか と思っていたんですけどね⋮⋮。見ますけど。 でも、その殺した相手の夢と一緒に、国を守って戦った俺のこと を誇らしく思う子供たちの夢も重ねて見えるんです。見えるんです が⋮⋮﹄ ん? ﹃祐太がね、言うんですよ。顔つきや体つきはすっかり大人なのに、 あの頃のままの声で﹁後悔しないように生きてくれよ﹂って。ヒナ タもね、ああ、太陽の日に向かうと書く日向なんですが、まだ正式 に名前決まってなかったんですけど。娘です。若い頃の女房そのま まの姿と声で、でも日向だって解るんですがね⋮⋮神様と逢った日 のウインドウの言葉みたいなことを言うんですよ﹄ そりゃあ、考え過ぎではないか? あのウインドウの言葉がそん なに印象深かったのだろうか? だから夢の中でも子供達に喋らせ ているんだろう。私が黙っていると、 ﹃だからね、後悔しないように生きようと思っています。ノムさん みたいにこの人生を楽しんで見るのもアリかなって思うんですよ。 だからお願いがあるんです。俺が叙任するまで騎士団を離れるのを 待って頂けませんか?﹄ ﹃おいおい、江藤くん。それはどうかと思うぞ。君は長男で次期伯 爵だろう?﹄ 1860 ﹃別に長男が継がなければいけないという法はないですよ。男子で ある必要すらありません。伯爵位はベルスが立派に襲爵してうまく やっていけるでしょう。あいつは俺と違って出来もいいですし、人 当たりもいいから皆からのウケも良い。幸いなことに俺はずっと出 来の良くない奴だと思われています。今回ちびっとばかし手柄を挙 げられたのは偶然に近いと思われている節さえ窺われますしね﹄ ﹃だがな⋮⋮﹄ ﹃いや、いいんです。卑下している訳じゃありませんよ。確かに俺 はあまり出来のいい伯爵後継者とは言えませんしね。︻耐性︵ウィ ルス感染︶︼なんて固有技能も役に立っているんだかいないんだか よく解りませんしね。ああ、十年近く前、高熱が出た時に試しに意 識したら嘘みたいに引いていったことがあるから役には立っている んでしょうけど。とにかく戻ったら今の領主である親父に相談しま す。それまでは待って下さい﹄ ﹃勿論、それは構わんし⋮⋮道連れが増えることは歓迎するよ⋮⋮ だが⋮⋮﹄ ﹃いいんです。ノムさんと一緒に俺にもオースの人生を楽しませて くださいよ。このままだとオースのことを碌に知らないまま領地の 中で死んじまいそうですよ﹄ 私は幸福なのだろう。私を慕ってくれる若者がいて、一緒に人生 を謳歌してくれるのだ。まぁ今は私も若者だが。 ・・・・・・・・・ 1861 ロリックが正騎士の叙任を受けたのはそれから半年近く経った年 末のことだ。 ロリックは家を出ることを許された。私が心配していた反対も大 きくなかったようで、上等な剣と槍、軍馬まで用意され、かなりの 餞別を貰ったらしい。 私たちは交互に騎乗し、まずは王国の首都ロンベルティアを目指 している。一度、大都市を見ておきたかったのもあるし、人が集ま るところなら日本人がいてもおかしくはないだろうという目論見も あった。私たちは二人共戦争以外で伯爵領を出たこともない田舎者 だったし、正騎士の叙任も伯爵領の首都であるロバモルスで行われ たので半分以上は物見遊山の気分だった。 寒い風が吹き抜ける街道を期待に胸を膨らませ、若者たちが行く。 1862 幕間 第二十一話 野村幸吉︵事故当時90︶の場合︵後書き︶ ロリックは邪魔になるので餞別に金属鎧は貰っていません。 フィオ︵フィオレンツォ︶と同等の革鎧です。 土曜の更新までに本編が書き上げられない場合、また幕間でお茶を 濁すかもしれません。すみません。 1863 第五十一話 有効な治癒魔術の使い方 7443年3月10日 ﹃じゃあ、契約書は失くさないでくれな。出来れば信用がおける場 所に預かって貰うのが一番だ。俺も一通自分で保管して、最後のは 行政府に預ける。だから俺が給料を払わなかったりしたら契約不履 行で訴え出て強制執行させることが出来る。そういう時は納税証明 書かステータスオープンで貴族の証明が必要になるけどね﹄ そう言って二人の顔を見て微笑んだ。 ﹃まぁ、心配はいらないわよ。そのあたり、アルはしっかりしてる からね﹄ ﹃無理なことを言うこともありませんし、ちゃんと実力を考えてく れますから⋮⋮アルさん、あの話はしないのですか?﹄ あの話ってどの話かね。大体想像つくけど。 ﹃ああ、これから話をする。君達はもう神様に逢っているからレベ ルアップのことは知っていると思う。⋮⋮うん、予想通りだ。だが、 それだけだと30点と言わざるを得ない﹄ トリスとグィネが不思議そうに見ている。 ﹃これは以前俺が会った転生者と話したり、実際に自分で検証した り、いろいろな場面から想像したに過ぎないから、完全に正解であ るとは言えないが、限りなく100点に近い回答だと思う﹄ 1864 俺はそう前置きをすると一口お茶を口に含んだ。俺の好きな豆茶 ではないが、高級店で扱うのにふさわしい、馥郁たる香りと味に満 足する。 ﹃レベルは技能のレベルの他にもう一つある。便宜上、肉体レベル と呼んでいる。技能のレベルのようにステータスオープンで見たり あ と思ってまず間違いないだろう。君達は前世でゲームで遊んだ することは出来ないから証明は出来ないけれど、肉体レベルは る ことはあるかな? うん、二人共若いからあるだろうとは思ってい た。なら話は早いな﹄ コンピューターのロールプレイングゲームになぞらえて簡単な説 こういう情報がある ということを入れることが大 明をする。当然いきなり納得なんかするはずもないが、今は知識と して頭の中に 切だ。正直な話、二人共レベルはたいしたことないからすぐに上昇 するだろう。特にグィネのレベルは低いからあっという間に何レベ ルも上昇するはずだ。そうなると流石にステータスの上昇の恩恵に ついても実感出来ると思う。ズールーやエンゲラと言った、充分に 種族的に元々のステータスが高い亜人ですら連続してのレベルの上 昇に気づいた節があった。 元々の能力値が低いグィネが同様にレベルアップを繰り返したら 確実に気がつくはずだ。これはトリスだって同様だろう。だから、 今はこれでいい。 ﹃その辺は迷宮で魔物、モンスターを狩っていけば君たちもおいお い自覚すると思うよ﹄ そう言ってまた二人の顔を見た。どうにもうさんくさげな表情だ。 1865 ﹃うん、いきなり信じられないのも無理はないね。そうだな簡単な 実験をしてみようか? トリス、君は二年くらい冒険者をやってい たと言っていたね。ベルはだいたい一年で、しかも女性だ。二人で 腕相撲でもしてみるとよくわかると思うよ﹄ ﹃え? 面白そう。私もやりたい! 最近結構力出てきたと思うん だよね!﹄ ラルファ、お前には言ってないよ。ま、いいけどさ。 ﹃まぁ、ここでやるのも、ほら、なんだ。トリス、後でベルとやっ てごらん。多分だけど勝てないよ。君が俺たちの想像もできないほ ど、いつも訓練に打ち込んで鍛えているなら別だけど、それにして もベルの力には驚くはずだ。そうすればさっきの話にもある程度納 得が行くと思う。グィネは⋮⋮そうだな、こんなのはどうかな?﹄ 俺は部屋の入り口あたりの何もないところに行くといきなり倒立 をする。そのまま肘を曲げていき、体を地面と水平になるまで下ろ し、水平倒立へと移行した。そしてまた倒立へと移行する。勿論手 のひら以外を床には着けていない。何度か繰り返したあと、水平倒 立のまま腕立て伏せもする。息はちょっと乱れた程度でどうという ことはない。 うん。初めてやったが、高い能力値に支えられているからこそ出 来ることだろう。トリスとグィネは唖然としていた。ベルとラルフ ァも驚いていたようだが、この二人にはどこか納得したような表情 が浮かんでいる。 ﹃今のは前世だと相当トレーニングを積んだ体操選手くらいじゃな 1866 いと出来そうにないことはわかるよな? まぁ体操選手ってのは言 い過ぎかも知れないけど、筋力だけじゃ無理だ。バランス感覚も必 要なことくらいは理解できるだろう? 高負荷の運動を継続できる 体力も必要だしね。ベルもラルファもここまで出来るかは解らない けど、二人共15歳の女性と言うには不自然なくらいの体力や筋力 があることは確かだよ。本当に後で腕相撲をして確かめてみるとい い﹄ 唖然として口を開いたままのトリスとグィネに言った。続けて、 ﹃あと、二人共、ロンベルト王国出身なら知っていると思うけど⋮ ⋮特にグィネはロンベルティアだから当然知っているはずだから⋮ ⋮これは自慢だけど、さっきラルファが言った通り、俺は昨年の年 末、ちょっと縁があって第一騎士団の団長、副団長、第三中隊の中 隊長の三人と模擬戦をした。団長には惜しくも負けたけど、残りの 二人には勝った。で、これは負け惜しみだけど、王妃殿下の前での 模擬戦のため、俺は一番得意な武器を使うことは許されなかった。 固有技能が関係するからもっと得意な魔法も使えなかった。それで も団長とはそこそこ打ち合えたよ。当事者の話だけで実際に目にし ていないから信じ難いだろうけど、事実だ。肉体レベルの上昇によ るものが大きいと思う﹄ 流石にレベルアップのおかげの能力上昇だけではないとは思うが、 それでも魔物を殺すことによって地道に︵俺の場合、天稟の才があ るのでそう威張れたものではないが︶危険と隣り合わせの苦労を重 ねる必要もある。幼少時から叩き込まれた剣技もそうだし、前世の 知識である格闘の鍛錬だってしてなきゃあれだけのことはできなか ったろう。 ﹃断言するけど、トリスもグィネも時間をかけて稽古や⋮⋮これが 1867 適当な表現と言っていいのかはわからないけど、魔物を殺すことに よる経験を積めばこれくらいはいずれできるようになると思う﹄ ・・・・・・・・・ その晩は一度全員で宿まで行き、財布などを持ったあと、改めて 宿の前でトリスとベル、ラルファとグィネ︵二人は今晩グィネの家 に泊まるらしい︶、そして俺の三グループ︵俺だけグループではな いが︶に別れる。明日は各自で朝食を摂ったあと、この︵今まで俺 とラルファも併せて三人で宿泊していた︶宿で落ち合うことにした。 時刻は既に21時を回っている。 俺はそっとゴム袋をトリスに渡してやることを忘れなかった。可 能性は極小だとは言え、万が一にもベルが当たりを引いたらまずい しな。最後に宿のトイレで﹃最初だからな。奢りだよ﹄と言ってト リスにゴム袋を渡してやったとき、すぐには何なのか理解できなか ったようだが、流石に日本人なだけあってすぐに理解したようだ。 ﹃あ、ありがとうございます﹄と言って顔を赤くして礼を言って来 た。素直なのはいいことだ。Mサイズで合うといいんだがな。ま、 大丈夫だろ。 ベルの肩を抱きながらトリスが宿に消えていくのを三人でにやつ きながら眺めたあと、一人で歩き出そうとした俺にグィネが声をか けてきた。 ﹃アルさん⋮⋮その⋮⋮もし良かったら、部屋もありますし今晩は 1868 家に泊まりませんか?﹄ ﹃そうよ、アルも一緒に来なさいよ。どうせ一人で寂しいんでしょ ?﹄ 無駄な宿泊費が浮くのは嬉しいといえば嬉しいが所詮は端金だ。 ﹃ありがとう。でも君達も久々に会ったんだ、積もる話もあるだろ う? 折角のお誘いだけど今日は遠慮しておくよ。じゃあ、明日ま たここでね。あと、オメーはあとで殺す﹄ 笑いながらそう言って歩き出した。胸を張れ、寂しくなんかない。 ・・・・・・・・・ 俺の向かう先は決まっているのだ。そう、正月に邪魔が入って行 けなかった王都の最高級店、その名も﹁エメラルド公爵クラブ迎賓 館﹂だ。なんとも品のない名前だが、何故か名前からして俺の琴線 に触れる。迷うことなく店までの道を歩く。 キールの﹁リットン﹂は嬢のレベルは高かったと個人的に思うが、 店の作り自体は外見と一部の待合室は大したことなかったが、この 店は格が違った。開け放たれた玄関の両脇には明かりと暖房の魔道 具があり、玄関のすぐ正面のカウンターには﹁リットン﹂にいたセ バスチャンよりも品の良い紳士が上品な笑みを湛えて姿勢よく立っ ていた。 1869 早速店に入り、紳士に声を掛けるべく威儀を正す俺の肩が叩かれ る。 何だよもう、俺はこれから⋮⋮え? ﹁アル? あんた、何やってるの?﹂ 訝しそうな顔で俺を見る姉ちゃんが居た。姉ちゃんは鎧姿で武装 までして完全装備に近い格好だ。後ろには姉ちゃんと同型のバーク ッドのゴムプロテクター姿の⋮⋮そうだ、従士アムゼルや他の従士 らしき人も数名居る。なんか木の棒を沢山積んだ大八車のようなも のを曳いているようだ。勿論押している人もいるみたい。 ﹁お? ん、あ⋮⋮ああ、その、⋮⋮そうだ、売り、売り込みにね、 ちょっとね﹂ 急に現れた姉ちゃんに吃驚してしどろもどろになりながら誤魔化 す。 ﹁売り込みって⋮⋮何をよ?﹂ 姉ちゃんは睨みつけるように俺を見ている。 サンプル ﹁い、いや、その⋮⋮売り込みっつーか、試供品配りに⋮⋮ね﹂ ﹁まだ子供の癖にこんなところで、こんな時間に⋮⋮兄さんと父さ んに﹁ちょっ、これ、これをだよ!﹂ 慌てて腿のポケットから財布を出し、中から﹃鞘﹄を取り出して 見せた。 1870 ﹁せ、先月十五になったぜ、俺。もう成人してるよ。だから、一人 前に商売を広げるのに大変なんだよ。去年姉ちゃんにも言ったろ? 商会を作ったばっかなんだよ。鎧だけじゃなくて色々売らないと さ⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁それより姉ちゃんこそこんな時間にそんな格好で何を?﹂ ﹁夜間行軍と陣地構築訓練よ馬が使えないから徒歩! 今から行く の!﹂ 店の前で俺と騎士がなにやら問答をし始めたので店から紳士が出 てきた。 ﹁お客様ですかな?﹂ ﹁あ⋮⋮いえ﹂ 姉ちゃんは赤くなって俺の後ろに隠れるようにした。 ﹁ああ、その⋮⋮新型のゴム製品をですね⋮⋮えぇと、私はグリー ド商会の商会長でアレイン・グリードと申します。それで、是非お サンプル 試し頂こうかと⋮⋮豚の腸の代わりになるもので、本日はご挨拶が てら試供品をお持ちしましたので⋮⋮これです。商品名は﹃鞘﹄と 申します﹂ ﹁はぁ﹂ 1871 紳士は胡散臭そうな顔つきで俺の手に乗せている﹃鞘﹄を見つめ た。 ﹁こっ、こちらの製品は王室にも納めさせて頂いております逸品で ございます。一度お使い戴ければその良さについてご理解頂けるも のと存じます。どうぞ﹂ ﹁はぁ﹂ 紳士の手を取ると、無理やり﹃鞘﹄を袋ごと押し付け握らせる。 ﹁グリード商会はゴムの産地、ジンダル半島のバークッドから直接 仕入れを行っておりまして、質、価格ともに必ずご満足頂けるもの と存じます。ご用命の際はバルドゥックのボイル亭のグリードまで お願い致します!﹂ ﹁はぁ﹂ ﹁では、今日のところはこれで。失礼いたしましたっ! ⋮⋮用事 は済んだから、ほら行くよっ!﹂ ・・・・・・・・・ 7443年3月11日 昨晩転がり込んだ安宿を出る。三月のこの日、薄曇りという訳で 1872 もないのに太陽はいつもより薄暗く感じられた。このところ網を張 ったあと、毎晩のようにベルやラルファと宿で話していたから疲れ でも出たのかも知れん。 そう考えながら少々寝不足の頭で宿に向かう。 宿に俺が着くと殆ど同時にラルファとグィネも到着した。ベル達 は出てこない。 ﹁おいラルファ、お前、呼んで来いよ﹂ なんか俺が呼びに行くのも嫌なのでラルファに言った。 ﹁ええ∼、ちょっとそれはねぇ⋮⋮﹂ だよな。 俺たちはベルに気を使って宿を空けたんだよ。 知り合いに気兼ねする必要のないようにしたんだけどなぁ。 ベルならそのくらい分かりそうなもんだけど、やっぱり嬉しかっ たんだろうな。 丁度良いのでグィネに話しかける。 ﹁グィネ、ちょっと相談があるんだけど、いいかな?﹂ ﹁はい、なんですか?﹂ 小さな体で俺を見上げてくる。 ﹁昨日ちらっと話したことなんだけど、俺の商会の本拠地をロンベ 1873 ルティアに作ろうと思ってね。不動産屋とか知り合いがいたら紹介 して欲しいんだが、どうかな?﹂ 俺がそう言うと、彼女はちょっと困った顔をしながら返事をして きた。 ﹁ごめんなさい、知らないんです。そのあたりのことは全部お父さ んがやっていたので⋮⋮﹂ ﹁ああ、そうか、気にしないでくれ、もし知っていたらという程度 の話だ。第一騎士団にでも紹介してもらうよ﹂ 申し訳なさそうな彼女に気にしなくていい、と言いながらもあま り第一騎士団に頼りすぎるのもいかがなものかと思っていた。でも、 仕方ない。姉ちゃんは⋮⋮知ってそうにねぇよなぁ⋮⋮。ああ、行 政府で紹介して貰うという手もあるな。 ﹁それはそうと、グィネ、君が一緒に来てくれるのは嬉しいよ、あ りがとうな﹂ マッピング グィネの︻固有技能:地形記憶︼は、恐らく迷宮を進む上で最高 の手助けになるだろう。ラルファの空間把握による方位の掌握と併 せて、多分俺たちだけが正確な迷宮の地図を作成できる筈だ。 ﹁いえ、正直に言うと、私もこれからどうしようか悩んでいたので ⋮⋮。商会の免状を取り直すにしても時間もかかると思いますし⋮ ⋮。本当はトリスと暫く冒険者をやってベルさんを探すのを手伝っ てもいいかなぁって思っていたんです⋮⋮﹂ 首から下げた小さな袋を撫でながら言った。昨晩の話だと、あの 1874 袋の中にはグィネの両親の魔石が入っているらしい。出先で亡くな ったので魔石だけ王都に連れてきたとのことだった。 ﹁そうか、人生山あり谷ありだ。いろいろあるだろう。だけど、後 悔しないように一生懸命やってりゃそのうち良い事もあるさ。安心 してくれ。俺のパーティーに入ったことを後悔はさせないつもりだ よ﹂ ﹁そうよ、アルはすっごく強いし、いろいろ知ってるしね。何をや るにしてもある程度の力は要るでしょ? 死んじゃおしまいだけど、 アルと一緒ならそう簡単には死なないわよ﹂ 俺達の話を聞いていたラルファも首を突っ込んできた。珍しく俺 のことを持ち上げている。 ﹁ああ、その点は安心してくれていいよ。無理をさせるつもりもな いしね﹂ そんな事を喋っているうちにベルとトリスが出てきた。ベルは少 し歩き方がおかしい。 ︻ベルナデット・コーロイル/4/4/7429︼ ︼ ︻女性/14/2/7428・兎人族・コーロイル準男爵家次女︼ ︻状態:裂傷︼ ︻年齢:15歳︼ ︻レベル:9︼ ︻HP:95︵97︶ MP:75︵75︶ ︻筋力:14︼ ︻俊敏:21︼ ︻器用:14︼ 1875 ︻耐久:13︼ ︻固有技能:射撃感覚︵Max︶︼ ︻特殊技能:超聴覚︼ ︻特殊技能:無魔法Lv2︼ ︻特殊技能:地魔法Lv2︼ ︻特殊技能:水魔法Lv2︼ ︻特殊技能:火魔法Lv2︼ ︻経験:103243︵110000︶︼ ああ、俺って最低だな。しかし、裂傷か。HPも2減っている。 いま治癒魔術をかけたらどうなるのだろうか? ベルも効果は大し たことないものの、治癒魔術はもう教えている。なぜ使おうとしな いのか。使ったら怪我している部分が治っちゃうからだろうな。 ﹁ベル、なにその歩き方、変なの﹂ 知ってはいたがラルファは本当に馬鹿だな。ほら、ベルとトリス の顔が真っ赤になっちゃってるじゃないか。グィネも微妙な表情で ラルファの尻を叩いている。多分ラルファの頭まで手が届かないか らだろうけど。 ﹁黙ってろ、阿呆。俺たちはもう朝食は食ったが、トリス達はどう なんだ? まだならゆっくり食ってきて構わないぞ。その間に馬を 用意して来るからな﹂ 俺がそう言うと、グィネがハッとして言った。 ﹁あっ、私、馬が二頭に荷馬車がありますけど、どうしましょう?﹂ ああ、そう言えばそうだ。それに多少在庫も残ってると言ってい 1876 たな。トリスとベルは俺たちに会釈をして歩き去った。やっぱ飯食 ってなかったのか。昨晩は随分とお楽しみのようで⋮⋮俺もだけど な。 ﹁それもそうだな。普段はバルドゥックで迷宮に入るから、もしす ぐに必要無いなら処分した方が⋮⋮いや、良かったら俺に買い取ら せてくれないか? 多少相場に色をつけてもいいよ﹂ ﹁うーん⋮⋮でも⋮⋮いや、そっちのがいっか。アルさん、お願い します﹂ ﹁わかった。後で相場を調べるからそれからでいいかな?﹂ ﹁あと、ついでに家もどうしようかな⋮⋮﹂ 流石に家は買取りたくないわ。いや、金の問題じゃない。あの程 度金貨10枚もありゃ買えるし。ボロいし、場所も良くないから完 全に死に財産になっちまう。転売するにしてもそう簡単に買い手も 見つかりそうにない。 ﹁もし売却を考えているなら、これから行政府まで行って不動産屋 を当たるつもりだから、そこで話してみたらどうかな?﹂ 俺がそう言うと、 ﹁あ、それもそうですね﹂ とグィネは納得したように言った。 ﹁え? あの家、売っちゃうの? ずっと住んでたんでしょ?﹂ 1877 ラルファがちょっと心配したように言った。 ﹁うん、でも、昨日考えたの。誰かに貸すのもいいけどね。借り手 探すのも⋮⋮あ、不動産屋さんで聞いてみればいいのか﹂ グィネはそう言うと一人納得していた。 ﹁うーん、今日も王都に泊まった方が良さそうだな。ラルファ、俺 達はこの宿を出よう﹂ ﹁そうねぇ。そうしよっか。若菜、今日も泊めて﹂ ラルファがグィネを拝むようにして言った。 ﹁それはいいけど、若菜ってよりグィネって呼んでよ。何回も言っ たでしょ? 若菜は死んだし、私はお父さんとお母さんに付けても らった名前があるの﹂ そりゃそうだ。 ﹁えへへ、ごめんごめん、つい、ね﹂ ﹁アルさんもどうですか? 昨日はお陰さまでラルと沢山話できま したし、気兼ねは要りませんよ﹂ 舌を出して謝るラルファを他所に、グィネは俺の方を向いて言っ て来た。 ﹁そりゃ助かる。ありがとう。でも、いいのか?﹂ 1878 ﹁え? いいの? ⋮⋮まぁアルなら変なことしないでしょ。でも 別の部屋で寝るからね﹂ 俺もグィネも冗談だとは解ってはいるが、つくづくラルファは空 気の読めない馬鹿だな、という顔をしていたと思う。 ・・・・・・・・・ それから、行政府で紹介を受けた不動産屋に行ってみた。ロブン 男爵という人が自ら経営している不動産屋だった。どちらかという と主に貴族を相手にする不動産屋らしい。グィネの家の借り手につ いてはひと月もすれば見つかるだろうとのことだ。これは王都には 領地を持たず、官職だけで生計を営む貴族も多く、当然ながらあま り裕福ではない人もいるからだそうだ。そう言った貴族に賃借の需 要はあるらしい。当然一度手入れは必要だろうけれど。 だが、俺の希望するあたりの商会の本拠となるような売り物は無 いそうだ。 仕方ない、商業向けの不動産屋を探すしかあるまい。又は、鎧の メンテナンス用という名目で第一騎士団に泣きつくのも最悪の場合 ありっちゃありだ。 一日かけて可能な事は全て行った。 1879 明日は全員でバルドゥックへと移動する。丁度土曜で迷宮探索は 休みだし、明後日の月曜から改めて迷宮には再チャレンジだ。今度 は、秘密兵器を擁しているからな、サクサク進めるようになるだろ う。 待ってろよ、さっさと大金を稼げるマジックアイテムをゲットし てやるぜ!! 1880 第五十二話 順番 7443年3月12日 今日、改めて商業向けの不動産屋に行ってみた。出来れば王城に 近い大通りの店舗付の建物が︵一家族分位居住可能なスペースも当 然必要になる︶いい。また、作業場所にもなるので水回りの良い、 つまり排水のしやすい立地であることが望ましい。これらの希望を 伝え、見つかったらバルドゥックのボイル亭に逗留しているのです ぐに連絡が欲しいと言っておいた。購入であれば3000万Z︵金 貨30枚︶、賃借であれば年で200万Zくらいまでと伝えてある。 この金額は相場よりは若干高い。 言いたいことだけを言ってさっさと不動産屋を後にしたが、見込 みのありそうな場所について下見をしたりしていたので結構時間を 食ってしまった。その間グィネ達はグィネの家まで馬車と当面の荷 物を取りに行っている。大した量ではないだろうが、在庫となって いる雑穀や野菜類の種などについても知り合いの商会に引き取って 貰うように交渉もしてくるらしい。 彼らもそれなりに時間もかかるだろうし、俺のほうが用が早く済 むと思っていたが、待ち合わせ場所には彼らの方が既に先に到着し ていた。お互いに時間がどれくらいかかるか全く判らなかったので 時間は昼過ぎくらいとしか決めていなかったから仕方ないのだが、 四人も待たせてしまったのは申し訳ないと思った。だが、彼らも俺 が到着する十分前くらいについたようで、丁度良かったとのことだ った。 1881 馬車を見ると荷物はトリスのものらしいバックパックが一つと、 こちらはグィネの物だろう、籐で編んだ四角い大きな籠が二つ、小 さな籠が三つ四つ見えている。どれも籐で編んだ蓋が付いている。 流石にベルやラルファよりも荷物は多い。 なお、グィネの馬と馬車は、二頭の荷馬についてはそれぞれ50 0万Zと600万Zで、荷馬車の車両は200万Zの合計1300 万Zで引き取る事で話が付いた。馬の価格が違うのは年齢によって 金額が異なるためだ。馬の寿命は平均して30年弱くらいだそうだ。 希に40年位以上生きることもあるらしい。 一頭は12歳で働き盛り種付け盛りなので最高レベルの金額で、 もう一頭は20歳なので多少値段を引いたが、それでも正直なとこ ろ相場よりも100万Zずつくらい高く買った。荷馬車の方は相場 通りだ。グィネは感謝していたが、いいんだ。金で買える感謝なら タイミングよく買っておくに越したことはない。それを見ていた三 人も三者三様の顔つきでいたしな。当然、馬商で相場を聞いてから それに色をつけた形なので、俺の事を相場も知らない馬鹿、と言う 目では見られていなかったのを付け加えておく。 午後になって全ての用事を済ませた後は、いよいよバルドゥック へ向けて出発だ。荷物も大分少なくなっているから御者台に二人、 荷台に二人乗っても問題ない。うん、まぁ今後の移動のことを考え ると、確かに馬の価格は高めだけど悪い買い物ではなかったな。商 会の拠点を作った後も、荷馬車があれば便利さは段違いだしね。そ れまではこうして小型のバスのように使えばいい。 夕食前に迷宮から引き揚げて来たゼノム達と合流し、改めて紹介 をしながら全員で夕食を摂った。いつもの予定からずれてしまった が、明日の午前中は連携の訓練をする。迷宮に入る前にトリスとグ 1882 ィネの動きをしっかりと見定めておく必要があるからだ。 多分、当分の間グィネを戦力として数えるのは危険だが、身のこ なしや持久力、足の速さを見ておく必要がある。ようやく四層に顔 を出した程度の冒険者ではあるが、俺がいるので戦闘で困ることや 退却するような場面などそうそう無いだろう。だが、迷宮では何が 起こるかわからないのだ。 全部の場所が踏破されているわけでもないし、二層で一度だけ足 を踏み入れたことのある妙な罠など、迷宮の不明な点は数え上げれ ばキリがない。一層ですら隅々まで全ての情報が記載された完璧な 地図はないのだ。これはグィネの固有技能をもってしても作成する のは難しいだろう。目で見た部分の情報しか記憶できないのであれ ば、罠の情報は無いも同じだしね。 ・・・・・・・・・ 7443年3月13日 一夜明けた月曜日、朝食後は全員での連携訓練だ。トリスは出身 の士爵家で剣の技術は叩き込まれているとのことだが、あの晩、ベ ルと腕相撲をして負けたそうで、決まり悪そうな顔でそれを話して いたのを覚えている。 ﹁トリス、グィネ、よく聞いてくれな。剣や槍はだいたい決まった 型がいくつかある。覚えなきゃならん型なんて実は数える程しかな 1883 い。簡単に言うとボクシングを思い出せ。ジャブとストレート。基 本のパンチはこの二つだ。応用でフックとアッパーカットがあるが、 究極的にはジャブとストレートだけでもいいんだ。まずはジャブを 正確に打てて、タイミングよく強いストレートを打ち込めることが 肝要だ。これがきちんと出来ればチャンピオンには成れないかも知 れないが相当いいとこまでは行ける。ここまではいいな?﹂ パンチの型をシャドウで示しながら言った。頷く二人を見ながら、 ﹁攻撃であるパンチは今の二つで最初は充分だ。だが、忘れちゃい けないのは防御方法だ。ステップ、腕によるガードやスウェー、ダ ッキング、ウィービングなど攻撃方法よりも防御方法の方がずっと 多い。勿論、防御から反撃に転じるテクニックも数多くある。だか ら、攻撃は基本となるようなものを一つか二つ、きちんと練習して、 あとは身を守るための技術を磨くのがいいと思う﹂ ちょっと二人には不満そうな表情が浮かんでいる。 ﹁ん、納得がいかないみたいだね。どちらからでもいい、理由をど うぞ﹂ そう言って肩を竦める。 ﹁先に攻撃をして相手を倒せばそれ自体有効な防御になると言える のでは?﹂ トリスが不思議そうに言った。 ﹁私は、トリスさんがオークと戦って勝つのを見ました。私はとも かく、今までのトリスさんの戦いのスタイルじゃあ、ダメなんです 1884 か? 私なんかと一緒に稽古して貰うのが心苦しくて⋮⋮﹂ グィネもトリスの直後に言った。彼女の場合、防御を重視すると いうのは自分のせいだと言いたいのだろう。 ﹁ん、そうか。まずトリス、君の言っていることは間違っていない。 攻撃は最大の防御なり、とも言うしね。だけど、自分の攻撃を凌ぎ 続けるような強い相手、と言うか、防御の上手い奴が出て来てたと き、どうするんだ? 仲間を置いて逃げるのか? それも間違って はいない。自分が死んだらそこで終わりだからね。だけど、仲間を 見捨てて逃げる奴はそれだけで信用をなくすぞ﹂ 俺がそう言うと、トリスは慌てて言う。 ﹁そんな、逃げるわけないじゃないですか。頑張りますよ﹂ ﹁え? 頑張ってどうするの? こっちの攻撃を当てられなきゃ、 防御の練習をしっかりしてないとすぐに攻撃を当てられて怪我する ぞ。それくらいならさっさと逃げてくれた方がマシだよ。怪我した 体で場所を塞いだり、それを庇う為に誰かの負担にならないように してくれた方がずっといいしね。俺が言いたいのは頑張るなってこ とじゃない。力の限り頑張って怪我するまでの時間を伸ばせ。まず そのための努力をしろってことだ﹂ トリスはちょっと言葉に詰まったようだ。その間に俺はグィネに 向き直って彼女に言う。 ﹁グィネ、それは君が心配することじゃない。いいか、俺は決して 君たち二人のことを馬鹿になんかしていない。確かに君も言ってい た通り、グィネは戦いは苦手なんだろう。でも、そんなことを理由 1885 に馬鹿にしたり軽く見たりはしない。だけど、過信もしない。迷宮 では逃げられる方向が決まっていることが多いんだ。場合によって は逃げ場がないことすら考えられる。逃げる方向を守り、逃げ場が ないときは体を張って反撃の糸口が掴めるまで粘る。これが大事な んだよ。そもそもトリスとグィネの実力も知らないしね⋮⋮﹂ それでもグィネは目の前で自分を救ってくれたトリスの戦闘力に は敬意を払っているのだろうし、トリスはトリスで実家で習った剣 術に自信があるんだろう。何しろその剣術は二年間も彼の身を守っ てくれたのは確かなのだから。 だけどな⋮⋮多分、俺が予想するに、一対一で戦うなら、トリス はゼノムやラルファには敵わずとも、ベルとかズールー、エンゲラ あたりには勝てるのかも知れない。正直なところ、それすらも俺は 疑わしいと思ってはいる。まぁ勝てるにしろ、それが一体どうした というのが本音だ。 迷宮内で一対一になる場面なんかそうそうないし、戦争でだって ないだろう。少なくとも両親や兄貴、義姉さんから話を聞く限りに おいて一対一なんて場面は滅多に発生しないらしいことは知ってい る。うーん、言葉で言っても難しいかもしれないなぁ。でも俺が相 手するのも正直大人げない気もする。 ﹁ま、いいだろ。確かに君たちの、特にトリスの実力が優れている のなら俺たちとしても願ったりだからね。模擬戦、するかい?﹂ 腕を組みながら言う。正直お遊びだとしか思えないが、理解して さえ貰えればいいので、きっかけは何だっていいのだから。訓練を 始めたばかりなので他の皆はまだそれぞれ思い描く相手に向かって 一人で素振りをして体を温めている段階だ。 1886 トリスは自信有りげに、グィネはおずおずと二人が頷くのを見た 俺は、皆に声をかけて集合させた。 ﹁悪いな、ちょっとトリスとグィネからリクエストがあった。模擬 戦をご所望だそうだ。我こそはってのは居るか?﹂ 皆、きょとんとしている。 ﹁うん、まず実力を知ってそれから訓練や連携内容を確認しようと 思ってね。トリス、君の武器は剣でいいんだな? うん。そうだな、 じゃあズールー、トリスの相手を頼む。エンゲラはグィネの相手だ。 グィネは槍使っていいよ。⋮⋮トリス、ズールーはこの五人の中だ と真ん中くらいの実力だ。グィネ、エンゲラの実力は五人の中では 一番低い。それぞれ一対一でやってみようか。⋮⋮いいか? 始め !﹂ トリスはズールーより僅かに実力は高いようだが、剣のリーチの 差もあって攻めあぐねているようだ。グィネは戦闘自体慣れていな いのだろう、あっさりとエンゲラに距離を詰められて負けてしまっ た。ズールーはまだ粘っている。直撃を避け、両手剣を時には盾の ように使い、防御に徹している。攻撃らしい行動をしたのは最初の 数合だけで、今は既にたまにフェイントをするくらいだ。 ゼノムは無表情で腕を組み、ラルファはちょっとしたら興味を失 ったように欠伸をしたそうに、ベルは厳しい表情でトリスとズール ーの模擬戦を見ている。さっさと終わったエンゲラとグィネは俺の 立ち位置の関係でどんな顔で見ているかはわからない。 うん、もうすぐトリスは負けるだろう。確かに彼は多彩な攻撃を 1887 放っている。一見するとスピードでズールーを翻弄しているかのよ うに見えなくもない。だが、純粋な剣技ではトリスの方が上と見た ズールーはさっさと俊敏に動くことを止め、防御に徹している。ぶ っちゃけた話、俊敏さではズールーは俺のパーティー内でもかなり 高いほうだ。鑑定で見える単純な俊敏の値以上にズールーは俊敏だ。 最小限の動きでトリスの攻撃をかわし、あまり派手に動き回らな いだけだ。トリスは押しているように見えるが、そろそろ五分以上 動き続けている。体力も尽きるだろう。ズールーは落ち着いて致命 傷になるような攻撃だけに注意を払っている。そろそろいいかな。 模擬戦の決着を付けることが目的じゃないし。 ﹁はい、終わり﹂ そう言って二人の間に俺の木剣を差し込んだ。 ﹁トリ﹁トリス、解った