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大学電気教員協議会 60 周 年 記 念 誌
大学電気教員協議会 60 周 年 記 念 誌 平成 22 年 3 月 31 日 幹事大学 福岡工業大学 目次 はじめに ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 1 愛知工業大学 工学部 電気学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 3 大阪府立大学 大学院工学研究科 電気・情報系専攻 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 15 岡山大学 工学部 通信ネットワーク工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 17 京都工芸繊維大学 大学院工芸科学研究科 電子システム工学部門 ・ ・ 19 近畿大学 工学部 電子情報工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 21 拓殖大学 工学部 電子システム工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 23 電気通信大学 電気通信学部 電子工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 25 東京理科大学 理工学部 電気電子情報工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 27 東洋大学 理工学部 電気電子情報工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 29 長崎総合科学大学 工学部 電気電子工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 31 日本大学 工学部 電気電子工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 33 日本大学 理工学部 電子情報工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 49 兵庫県立大学 大学院工学研究科 電力部門/電気系工学専攻 ・ ・ ・ ・ ・ 55 福岡工業大学 工学部 電気工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 57 福山大学 工学部 情報工学科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 59 山口大学 大学院理工学研究科 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 63 ※ここに掲載した会員教室名は会員名簿の記載に従っています。一方,寄稿文はいただいた原稿 をできるだけ原文に近い状態で掲載しており,各ページの執筆者の方々の所属は必ずしもここ に掲載したものとは一致しておりません。 はじめに 本冊子の成り立ちは,平成 21 年度大学電気教員協議会の幹事校をお引き受けするに当た り,会則の付則に記されている「本会則は昭和 25 年 8 月 10 日から有効とする」という一 文を目にしたことに端を発します。 私は昭和 33 年生まれで,当然この会の設立当時の社会の記憶はありませんが,ニュース 映像などで目にする断片的な情報と私の子供時代の記憶からは,戦争によって荒廃した社会 を立て直し,日本の社会を少しでも良い社会に発展させていくために先人が集まってこの会 が設立されたことが想像され,そしてそれが還暦を迎えるまで守り続けられてきたことが, 非常に重い事実として感じられました。 最近,世の中の変化によって,大学における単純な「電気工学科」という名称の学科の数 は激減しています。しかし,電気工学,あるいはその関連分野における教育・研究の継承と 発展が日本のみならず世界全体として重要であることは論じるまでもありません。本会が還 暦を迎えるに当たり,平成 21 年度総会において,次のようにご提案申し上げました。 「これを機会に設立当時のことをご存じの方々から自由形式で文章(随筆)をお寄せいた だき,それを幹事大学でとりまとめて 1 冊の冊子とし,PDF形式で会員の皆様にお配 りしてはと考えました。PDFでお配りする限り費用はかかりませんので,若手の方々 がこの会に期待することなど何でも,「大学電気教員協議会の 60 周年に寄せて」あるい はそのほか自由なタイトルで,原稿をお寄せいただき,冊子にまとめるというのはいか がでしょうか?」 議論の結果,(1)「すべての会員教室から何らかの文書を寄せることとして記念事業を行う」 こととなりました。またその他に (2)「分科会のテーマがどのように移り変わってきたかも 可能な限り調べて掲載する」こととなりました。 目次に記されておりますように,16 の会員教室より何らかのレスポンスをいただきました。 前述の (1) に従って文章をお寄せくださった会員教室,(2) に従って過去の総会や研究集会 の資料の情報をお知らせくださった会員教室,また,実際に資料をお送りくださった会員教 室もありました。私の怠慢により (2) の取りまとめ作業は十分な内容となっておりませんが, お寄せいただいた情報はできる限り本誌に掲載するように努力しました。残念ながら,お送 りいただいた資料の一部は掲載することができず,それらについては現物のまま次期幹事校 へ引き継がせていただくことと致しました。また,冊子にまとめるに当たり,注釈をつけた 方がわかりやすいと感じられました場合には,脚注として記載しました。 最後になりましたが,ご協力いただいた多くの会員教室の皆様にお礼申し上げます。また, この会のますますの発展を祈念致します。 平成 21 年度 大学電気教員協議会 幹事大学代表 福岡工業大学 工学部 電気工学科 教 授 梶原 寿了 1 2 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 愛知工業大学 工学部 電気学科 編集者注:他に,平成 9 年度大学電気教員協議会の報告書を保管しているとのご連絡をいただきま した。また, 同じ資料を日本大学工学部電気電子工学科清水博文先生からもお送りいただきました。 3 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 4 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 5 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 6 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 7 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 8 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 9 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 10 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 11 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 12 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 13 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:愛知工業大学 工学部 電気学科 14 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:大阪府立大学 大学院工学研究科 電気・情報系専攻 大阪府立大学 大学院工学研究科 電気・情報系専攻 大学電気教員協議会 60 周年にあたって 大阪府立大学大学院電気・情報系専攻 電気情報システム工学分野 「今後の協議会に期待すること」 川本俊治 以前にこの協議会に参加しましたことと、近年の社会環境および高等教育研究環境が急変 していますことに鑑みて、今後の協議会への期待を述べさせていただきます。 グローバル社会により、大学もほとんど同じような社会の影響を同時に受けて、大量の情 報が行き交う中で、世界中の高等教育が急激に変化しています。特に日本では、電気系工学 のみならず、18 歳人口の減少と、科学技術立国を宣言しているにも拘らず、 理系離れ工学部離れが進行しています。 一方で、電気系工学を専攻する学生に対する社会の要求として、JABEE をはじめ、環境問 題、エネルギー問題、国際化、技術英語、TOEIC、インターンシップ、プレゼン能力、コミュ ニケーション能力、マネージメント能力、デザイン能力、電気系工学と機械工学・応用化学・ 生物学など副専攻の知識、が総合的に求められていると考えられます。このような状況下で、 協議会はまずどのように何を議論すればよいのかを整理・検討していただきたいと思います。 その中で、今回の連合講演会のような ICT 教育を取り上げることも大事でしょうし、ます ます拡がる学問領域の電気系工学を、全国の大学の電気系工学の教員が参加する教員協議会 で、よりグローバルな視点から電気系工学教育・研究を話し合えるテーマも、並行して設け て下さることに、大いに期待しています。 「大学電気系教員協議会に参加して」 勝山豊 大学電気系教員協議会には、2 回参加させていただきました。いずれも、旧知の先生方とお 会いして、近況などをお聞きする良い機会になっていました。特に遠い大学の先生とは、こ のような機会がないと、お会いすることが少なくなります。また、研究内容が近い先生を紹 介いただくなど、よい交流の機会となっています。もうひとつ有意義であったことは、電気 系の研究・教育について、他の大学の状況や、現在の関心事について見聞きできたことです。 電気系といっても私は通信系に属しますが、他の大学で中心となる講義科目の状況は大いに 参考になりました。また、JABEE の準備を進めているところですが、他の大学での具体的な 状況や、受審された経験など貴重なものでした。このような状況の中、大学電気系教員協議 会の今後の発展を期待しています。 「大学電気系教員協議会に期待すること」 山下勝己 大学電気系教員協議会発足から 60 年とのこと、その間、各年度に懸念されている種々の問 題等が提起され、その礎になるような教育研究集会および特別講演等が実施されてきたこと と思います。各大学では種々の問題を抱えており、教育現場で携わるものとしては、同協議 会は問題意識の共有化、更に、対応策等をお聞きできる有益な場として捉えています。 15 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:大阪府立大学 大学院工学研究科 電気・情報系専攻 さて、ここ数年の電気系の受験状況を見ますと、電気系の志願者の低下が非常に目立って きたように感じます。以前は、電気系の受験倍率は高く、非常に優秀な学生が入学しており ましたが、ここ数年は、他分野に押され気味の感があります。この点に関して、諸説は種々 あろうかと思いますが、何らかの対応を早急に採らならければ、電気系の将来は、必ずしも 明るいものとは思えません。仮に、早急な対応を図っても、結果が出るのは数年および十年 スパンだと思います。できれば、短期的および長期 的視野に立った解決策を検討する研究集会等を実施して頂き、今後の電気系の発展に御尽力 されることを期待します。 「大学電気系教員協議会に出席して」 森本茂雄 私が大学電気教員協議会に参加したのは1度だけであるが,そのときの感想をまとめてみた い。 協議会では,総会の後分科会に分かれて特定のテーマでパネルディスカッションおよび討論 を行うが,私は「工学におけるわかる授業は作れるか」という分科会に参加した。その中の グループ討論では,同じ講義科目を担当する他大学の先生方と教育の内容,レベル,工夫点 などについて話し合い,他大学と異なる点や同じ点などを認識することができ,大変有意義 な討論を行うことができた。本来のテーマについて結論は得られなかったが,問題点の共有, 他大学の状況把握など貴重な情報を得る機会となった。普段は学会で研究関係の話をする先 生方と教育について真剣に議論できる機会として協議会は有用であると考えるが,今後は, 勉強会・意見交換会だけに止まらず,全国の電気系教員が協力して何らかの行動を起こすこ とも重要ではないかと考える。 「大学電気系教員協議会に参加して」 大橋正治 この大学電気系教員協議会には、過去 2 回出席したことがあります。2009 年は、私が学科 の代表として出席しました。私は、教育研究集会の第 3 分科会「ゆとり教育世代の入学者の 学力の実態とリメディアル教育への取り組み」に参加しました。そのなかでは、入学してく る学生の学力低下の実態とその対応策、高校生の学習実態・意識変化と学校指導、小中高大 連携による e ラーニングシステムの開発についての講演とそれに対する議論がなされました。 この中で、取り上げられていたように、学生の日本語および英語の能力の低下ですが、学生 と会話をしていて痛感することが最近多々あります。 この学生のコミュニケーション能力を如何にして向上させるかが、電気系の専門教育だけで なく、大学教育を行っていく上での課題であると思います。大学教育は、基本的に学生が自 ら学習し学ぶことであるが、現状はいささか異なるようである。このあたりについても議論 したらどうかと思います。日本の将来を担う若者を多く育てるために、大学電気系教員協議 会の役割がますます重要になってくると思います。今後の電気系教育の発展を期待します。 ( 以上 ) 16 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:岡山大学 工学部 通信ネットワーク工学科 岡山大学 工学部 通信ネットワーク工学科 平成 10 年度電気教官会議開催の思い出 岡山大学 古賀隆治 このときはとにかく張り切った.当時,私は 53 歳.今考えても元気だった.今とは体力・ 気力ともに全く違う. 開催の数年前から学科内で,電気系教官会議を招致しようという話が出ていた.そのころ は,岡山大学は田舎の大学で,全国的にはあまり具体的に知られていないことを常々感じて いるので,多くの方を岡山大学に招き,広大で開放的なキャンパスや,明るい周辺の雰囲気 を知ってもらいたい,教員にとっては今後各地に出かけるときにその土地の先生方にすっと 溶け込める条件を作りたい,という目的であった.当時のその意見の中心が先輩の中田教授 と私だったので,必然的にまだ若い小生が責任者となった.2 年ほど続けて開催担当の意思 表示のうえ,平成 10 年は岡山大学で,と決まった. 苦労したのは,特別講演の講師えらび.どんな話を,どんな方に御願いすべきかがよく判 らない.結局知人の紹介で「備前焼で飲むとビールや白ワインが旨い」という話であった. 当時,岡山大学にはこの協議会の総会にふさわしい会場がなかったので,総会場と懇親会 は近隣の結婚式などをよく行うホテルで,分科会は工学部の教室で,ということにした.今 では,岡山大学内に総会も開ける立派なホールもあるのだが,当時は戦時中の陸軍のキャン パスをそのまま使い,建物も何割かはそのまま,という状態だったのが残念であった.また, 大学の正門通りにはまだ電力・通信の架空線が残り,電気屋の我々としては我慢のならない 状況であった.ちょうど前年度から地中化工事が始まったので間に合うか,と期待したが, さにあらず,我が会期中もまだ工事が続き,総会場のホテルから分科会場までバスを用いた が工事のための渋滞で歩く方が早い始末.これも参加者に申し訳ない思いをした.その後平 成 20 年度国体のために美観を向上する工事が行われ,今では架線もほとんど地中化されて いる. テーマは前年度のアンケートをベースに,1)「基礎科目と学生実験」(座長:板倉文忠名 古屋大学教授),2) 「大学院教育と飛び級」 (座長:仁田旦三東京大学教授)3) 「理工系離れ」 (座長:森眞作日本工業大学教授)とした. これらのテーマを見ると,来年の協議会のテーマにしてもおかしくないような気がする. 事情はむしろ深刻になってきているのではないだろうか.3)の分科会には 4 人のパネラー のうちに,工業高等学校協会,および地元の高等学校の先生をお招きして,大学の入り口以 前のお話を伺った.印象的だったのは,「要するに高校では,大学入試に役立たないので実 験をやらないのです」という発言があった.私は,早速翌年の入学試験の面接時に,道具を そろえておいて,「オームの法則が成り立つことを実験で示せ」という問題を出したところ, 予想外の問題に面食らった受験生の反応が様々で実におもしろかった. 見学会は,備前・閑谷(しずたに)学校,吉備路・倉敷,瀬戸大橋の 3 コースとした.私 自身は瀬戸大橋コースに添乗したが,当時はまだ大橋が完成してから間がなく,話題性があっ た.これも今では飽きられて観光地としては寂れてしまっている. 17 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:岡山大学 工学部 通信ネットワーク工学科 18 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:京都工芸繊維大学 大学院工芸科学研究科 電子システム工学部門 京都工芸繊維大学 大学院工芸科学研究科 電子システム工学部門 2010.1 大学電気系教員協議会 御中 京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科・電子システム工学部門 です。本協議会には毎 年参加させていただいております。自由テーマでの投稿を依頼されましたので、当学として は主に大学院教育指導面から当部門(大学院では専攻)の紹介を簡単にさせていただければ と存じます。 現代社会の基幹技術:電子材料からシステムまで 電子システム工学専攻では、次世代の電子システムを構築するための様々な要素技術、設 計・解析理論、システム技術を中心とした教育研究を行っており、材料・プラズマ・デバイ ス・回路・電磁波・光・信号処理・通信・システムの領域をカバーしています。 専攻では、企業の研究開発部門や研究教育機関において高度専門技術者・研究者として活 躍できるよう各専門に関する最新の講義を開講し、同時に体験的学習のための実験・演習に 力点を置いています。さらに、知的所有権などの社会的視点を涵養するための共通科目の受 講を推奨しています。 電子システム工学専攻には、2009年度大学院1 年生が36 名在籍しており、各研究室 に分属して修士研究に取り組んでいます。これら学生の研究指導は、主として電子システム 部門の教員と学内他部門の教員が担当しています。教員には、国際的に著名な研究者も多く、 また、民間企業との共同研究も積極的に推進しています。 現代のキーテクノロジーであるエレクトロニクスや情報通信技術を修得するとともに、専 門知識を活用し将来に向けた新しい技術開発を先導する能力、新しい技術を社会に適合させ るための総合力を身につけた技術者、研究者を育成することを目的としています。 現在の生活は、電子工学と深くかかわっています。日々使用する家庭電器(液晶テレビ、 プラズマテレビ、DVD、iPod等)をはじめ、パソコン、携帯電話等の情報機器、また情報 を伝達する光通信、無線通信、衛星放送、インターネットなどの通信ネットワーク、さらに 最近では自動車、ロボットのような機械でも、電子の役割が大きくなり電子工学の知識、技 術が重要になっています。また、これらを動かすエネルギーも重要です。これらの分野を総 合的に捕らえて、研究する分野が電子システム工学専攻です。 この分野では、電子の働きにより種々の機能を果たすデバイスの物理的しくみを理解した り、情報を光や電磁波に載せて伝達させたり、電子回路を組み上げてシステムを構築するな ど、幅広い専門知識やそれを活用する能力が必要になります。 電子システム工学専攻では、より高度な専門知識を身につけるための講義科目の受講に加 え、研究室において少人数で最先端の研究活動を行わせ、自分の頭で考えて未来を切り開い ていけるように指導しています。__ 京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科・電子システム工学部門 2010年度部門長 19 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:京都工芸繊維大学 大学院工芸科学研究科 電子システム工学部門 20 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:近畿大学 工学部 電子情報工学科 近畿大学 工学部 電子情報工学科 「大学電気系教員協議会に期待すること」 近畿大学工学部 電子情報工学科 大学電気教員協議会発足 60 周年おめでとうございます。多数の電気系の大学教員が時機 に合ったテーマで講演、懇談する機会をご提供いただき会員学科としてお礼を申し上げます。 電子情報工学に係る技術者の育成という点からは勿論のこと、大学あるいは大学教員とい う視点からも、今ほど変化がめまぐるしく先の読めない時代は無いと思っております。集積 回路技術の進歩による低廉化と高機能化は機器や設備のコンピュータ利用を加速し、コン ピュータ通信ネットワークによるシステム化の現状は技術者教育に大きな影響を及ぼしてい ます。 大きく状況が変化する時代であればあるほど、それに対応できるような教育でなければな らない、小手先の技ではなく基礎的な本物の知識や技能の修得が必要だと考えています。し かしコンピュータを実践的に使いこなす能力が求められ、その量がますます増えるばかりの 状況の中で真に本質的な電子情報教育を維持することの困難さがあります。 さらにもう一方で受験生の減少と理工系離れは特に地方大学ほどその影響が大きく、大学入 試が入学者を選抜する仕組みになっていないという現状があります。入試競争倍率が高く、 大学での学習に必要と思われる能力以上の水準で合格者を出すことができていた時代ではそ れが大学での学習を保証する仕組みになっていました。入試という入学者選抜方式に依存し ない高等教育の実質化をどのように実現していくかが喫緊の課題になっています。 大学電気系教員協議会には、まずは電気系技術者の社会的評価の向上についての取り組みを ぜひお願いしたいと思っています。技術者として生きることが子供たちにとって夢となり、 憧れとなるような評価を得て、大学としては、意欲を持ち、目標を持って電気系技術者とし ての学習に取り組んでくれるような学生を受け入れたいと願っています。第二としては、入 試に依存しない電気系技術者育成のための高等教育の仕組みとはどのようにすれば可能なの かについて衆知を集めて方向性を示していただきたいと思います。多くの電気系大学で試行 錯誤している問題であろうと思います。ほんの数年前に使っていた教科書で学習させること が現在では困難になっているとは誰しもが感じていることであろうかと存じますが、理解の 難しい所を割愛したり、教科書を漫画仕立てにすることが対策になろうとは思えません。教 育システム、カリキュラム、科目教育法について、与えるべき知識、習熟しなければいけな い技術とは何か、どのようにすれば身につけさせることができるかについて、大きな見通し を協議会の先生方と共に考えていければと考えております。 新しい時代の電気系技術者教育とは何かについての指針もなく、またそのような教育を実現 するための手法も明示されることなく、大学教員個々の努力、勤勉が求められています。大 学電気系教員協議会がそのような問題について協議の場を提供し、大きな方向性を示す機関 になることを期待しています。 21 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:近畿大学 工学部 電子情報工学科 22 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:拓殖大学 工学部 電子システム工学科 拓殖大学 工学部 電子システム工学科 大学電気系教員協議会に期待すること 会員教室 拓殖大学工学部電子システム工学科 この協議会が発足してから平成22年8月で満60歳を迎える。人間であれば還暦であり、 昭和25年生まれの日本人は団塊の世代として日本の高度経済成長に大きく貢献した世代に あたる。 本協議会が電気電子工学分野の技術者や研究者を多数育て、日本のエレクトロニクスが世 界一の座に着く原動力になったと言っても過言ではないだろう。 昭和25年当時は米国ではカラーテレビ放送も始まっていたが、日本ではテレビの本放送 には遠く、一般の家にはラジオしかなかった。そのラジオも真空管式でスイッチを入れても 直ぐに音が出ず、のんびりしていた。しかし、傍熱型真空管のラジオにはぬくもりがあり、 中を覗けばカソードの辺りが赤くなっていて、電気電子回路に興味を抱くきっかけにもなっ た。 昭和30年を過ぎると白黒テレビの普及が始まるが、まだまだ高価であった。街角の電気 店や街頭テレビの前には黒山の人集りができた。本協議会が満7歳になるころには一般家庭 にも広がり始めるが、電気屋さんがテレビを運んで来ただけで見物人が集まった。エレクト ロニクスに夢のあった時代である。 ラジオもテレビもトランジスタやICの時代になり、電卓が登場し、会社ではコンピュー タが使われ始めた頃、本協議会は成人を迎えたことになる。高校生にとって電気電子工学分 野は相変わらず花形産業であり、電気工学科や電子工学科はどの大学でも人気学科であった。 本協議会の発足から30年が経ち完全に一人前の大人になった昭和50年代後半には、カ ラーテレビやクーラーなどの家電製品の普及が一段落し、エレクトロニクスは生活を支える 縁の下の力持ちの役割を演じるようになる。 やがてパソコンが身近なエレクトロニクス機器になり、電気電子工学より情報工学に若者 の興味が移り始める平成2年には、本協議会は不惑の時代に入る。世界の頂点を極めた日本 の半導体産業が次第に力を失いITブームが去る頃には50歳になり、電気電子工学の子供 とも言える情報工学が働き盛りの時代を迎える。 電気電子工学分野が高校生から支持されなくなっている現状に気付いていない会員もいる かも知れない。しかし間違いなく受験生には人気のない分野になってしまっている。その原 因はエレクトロニクスが成熟した技術分野であり(そういうふうに見られている)、日常の 生活には欠かすことのできないものであるが、テレビもクーラーもあるのが当たり前で、縁 の下の力持ちとしての役割はしっかりと果たしていることにある。芝居でいえば黒子の役割 であり、スポットライトのあたるスターを夢見がちな高校生には魅力に乏しいように見えて いるのである。果たして電気電子工学分野は年を取るだけなのであろうか? 本協議会が60周年を迎える平成21年は、後世、環境の時代の始まりと位置付けられる のではないだろうか?確かに日本に環境庁が発足して40年が経ち、大気汚染問題やダイオ キシン問題、地球温暖化が大きな社会問題になってからかなりの時間が経過している。しか 23 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:拓殖大学 工学部 電子システム工学科 し、一般の人々が環境問題に大きな関心を持ち、このままでは人の住めない地球になってし まうのではないかとの危惧を共有し始めたのは、つい最近である。 環境問題の中でも二酸化炭素の排出量削減が大きなテーマになっているが、環境問題とい うと化学の分野と受け取る向きが多い。しかし、環境にやさしい電気エネルギーの供給や電 気自動車の普及に最も大きな影響力を持つのは、電気電子工学分野である。 半導体や家電で活躍している技術者が環境技術に転身するだけでは、太陽光発電などの自 然エネルギー分野の技術者や研究者は全く足りない状況になるだろう。日本の原子力発電技 術(稼働後の管理技術も含めて)は世界最高水準にあるが、この技術を輸出するにも技術者 が足りない。なぜなら高校生の電気電子工学離れが進んだために、大学で電気電子工学を学 んだ技術者の絶対数が少なくなっているからである。産業界の要請を満たすことは出来ない。 本協議会に期待したいのは、電気電子工学分野の技術者・研究者が増えるよう啓蒙活動に 力を入れて欲しいということである。また、環境問題を解決する技術として電気電子工学を 位置付け、カリキュラムの見直しの議論を行う機会を作って頂きたいということである。 本協議会が古希を迎える頃には、電気電子工学の活躍によって、地球温暖化に歯止めがか かっていることに期待したい。 24 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:電気通信大学 電気通信学部 電子工学科 電気通信大学 電気通信学部 電子工学科 大学電気教員協議会 60 周年記念事業に寄せて 電気通信大学 電気通信学部電子工学科 学科長(平成 21 年度) 金子正秀 電気通信大学電子工学科は昭和 34(1959)年に設立されました。その後、昭和 49(1974) 年に大学電気教官協議会の幹事校を引き受け、東京都調布市のキャンパスにて協議会を開催 しました。当時、電子工学科教授として協議会開催の手伝いをされた本学、長谷川伸名誉教 授に、当時の様子を振り返って頂きました。 なお、本学電子工学科は、平成 22(2010)年 4 月の全面的な学科改組に伴い、平成 22(2010) 年 3 月を以って半世紀に亘る(51 年間)歴史に幕を閉じます。 大学電気教官協議会の思い出 電気通信大学で大学電気教官協議会が開かれたのは 1974 年夏休み、前年の協議会に出席 した本学電子工学科の平島正喜教授(当時学科主任、後に 1976 ~ 82 年学長)が次年の幹 事校を引き受けられたと推測します。同教授を長とする実行委員会が組織され、準備・運営 に当たりました。当時本学を動かしこの協議会で活躍した教官は既に他界されました。私は 教官の経験浅く知識も乏しい状況でしたが、実行委員会を手伝った立場から思い出を記しま す。記録がなく記憶も怪しい 35 年前のこと、思い違いや失礼があるかと思います。お許し 下さい。 電気通信大学が逓信省の機関から新制大学に改組発足したのは 1949 年、守備範囲は大学 名が示す電気通信でした。70 年代はその関連領域ながら若干距離を置く情報系・物性系・制 御系の計 7 学科が整備中で、学内は工事が絶えず、新顔教官と学生が増える一方、併設の短 期大学は全国的な志望者減のため存続が問題となり、少々落ち着かない状況でした。本協議 会会員の電気通信系はその頃近代化再編を終え、学部 4 学科(電波・通信・電子・応用電子) と修士課程が完成、「電通大を電子時代に相応しい組織と博士課程を備えた研究重視の大学 にしたい」と上司平島教授や意を同じくする教授は常々夢を語っていました。 「国立大学工学部 1 学科は 4 講座、教授・助教授・助手各 4 名が標準構成だ。少ない学科 で必要な教育範囲をカバーすれば同じ分野の教官密度が低く、大きな研究課題の実施も学位 審査も困難、電気教官協議会の主催も難しかろう。本学電気通信系は 24 講座あり、整備中 の関連学科を含めれば弱電系教官は 100 人を遥かに超える。大規模な研究や博士の審査、国 際会議の主催も可能となり、今後日本を支える電子・情報・通信・制御系の科学技術・産業 の中心となり得よう。電気教官協議会はこれまで歴史のある大規模校 10 校が交替で幹事を 担当された。来年(1974 年)の協議会はぜひ本学学内で実施し、分科会テーマに大学院問 題を設定したい。新制ながらここまで育った電通大を見て頂く事は来訪されるお客様にプラ 25 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:電気通信大学 電気通信学部 電子工学科 ス、本学にとっては博士課程設置の適性を認識して頂く絶好の機会と思う。また本学教官に は将来ビジョンに向けた情報収集や意見交換の格好な場となる。」 若手教官は夏休み期間は実験や論文執筆に忙しく、電気教官協議会の開催に当初は気乗り 薄でしたが、実行委員会でこう激励され、本気で働きました。 実行委員長はじめ 4 学科を主導した当時の教授の多くはメーカーの出身で、「本学は東京 郊外。ご来訪の方には足場が悪い点ご迷惑、それを相殺してご満足をお持ち帰り頂くように。」 と、実行委員会の度にサービス精神を強調され、学内見学の他に電々公社通研など見学コー スを設定し、サービスに努めました。またバイトを雇うことを避け、開催通知、会議室設営、 当日の受付や案内等に教官や技官を割り振り、老若一体感を持って動いたように思います。 初日開催の分科会は夫々数十人規模で、冷房装置のある会議室を使いました。2 日目の総 会の参加数は 300 名を超すため定員 500 人の階段教室を使用しましたが、夏の最中という のに冷房がありません。議論の末、当時研究室に普及していたウィンドクーラをこの日だけ、 といっても工事期間を含め 1 週間ほど多数の研究室から借用し、騒音を考えて会場の予備室 周辺に集中的に移設しました。前夜から運転して低温の空気を教室に蓄え、構造上冷え難い 教室後部の座席を利用されないよう来客を前部の低い席に誘導しました。仮配線が原因の停 電や「暑い、寒い、うるさい」の苦情を心配しましたが幸い苦情はなく、無事に閉幕してほっ としました。今では考えられない経験と思います。 1974 年といえばまだ 69 年の大学紛争の余韻が残り、紛争の火種となった古い学生寮も校 地の一隅に残っていました。学内に種々の立場の人がいてトップダウンで企画が進むと、抵 抗勢力が現れるのが実情でした。ところが電気教官協議会実施にはそれがなく、教職員、事 務職員と関係学生が心を一つに準備・運営に努力して成功し、その後に良い経験を残しまし た。 大学院について電通大はその後「連合大学院」をはじめ幾つかの試みに参加または主導的 な役割を果たした後、念願が適って 1987 年に博士課程が設置され、現在に至っています。 35 年前の夏の協議会は研究重視大学に向けて電通大教官のベクトルを揃える第1歩、あの 努力は有効だったと考えています。 (電気通信大学 名誉教授 長谷川伸) 26 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:東京理科大学 理工学部 電気電子情報工学科 東京理科大学 理工学部 電気電子情報工学科 将来を見据えての大学電気系教員協議会の持続に期待 東京理科大学理工学部電気電子情報工学科 中西久幸 我が国の工学教育は電気関連技術の発展に強く係わり合いをしてきている。その背景から、 大学電気系教員協議会は今から60年ほど前の戦後復興の中で、電気工学教育の重要性を先 見の明がある電気系の先生たちにより設立されたといわれている。そして毎年、幹事校が大 学教育にかかわる時流に合わせて話題提供して、全国的規模の研究集会が開催されてきた。 それは今でも、電気系教育に良い意味での大きな影響を与えてきている。 私の所属する学科は創設40数年になる。本学科の設立に尽力なされた山田直平先生は教 室会議の席上、「大学電気教官協議会(旧名称)には多くの教員が参加すべし、これはむし ろ義務であると思うべし」と提言された。このことが学科の方針となり、毎年欠かさず、参 加をさせていただいている。 大学電気系教員協議会の幹事校を担当すると、その会員の学科は業務上、1年間にわたり、 所属教員に大きな負担を強いることになる。本学科の場合、2002年度にお引き受けでき たのは、その当時の学科内で、社会的にも存在感の大きかった正田英介先生と学科主任の村 田雄司先生が中心となり、精力的に誘致活動を行ったからである。本学科は一丸となり、我 が国の大学電気系教員の方々に貢献すべきときと情熱高くもちあがった。研究集会で取り上 げた第1分科会のテーマは「高等教育におけるIT利用」、第2分科会は「特徴のある大学 院教育」、第3分科会は「企業から見た大学教育」、そして特別講演は「利き酒の科学」と好 評高く開催された。結果的に、本学科教員全員はこのときの大学電気教官協議会を成功裏に 成し得て、誇りに感じた。 現在活躍中の教員の多くにとって、過去の報告書からは、当時の問題を採り上げた教員か らの火事場見物の野次馬発言程度にしか過ぎないと憶測するかもしれない。しかし、福岡工 業大学幹事校の多大な努力で生まれるであろうpdf版の集大成の報告集の中からは、過去 に埋もれていた名言や、今でも直面している困難な問題に十分に対処できる提言などをきっ と多く含んでいるであろう。今後の電気系教育活動に活かされ、かつ感銘を与えると信じ、 今から出版される日を楽しみにしている。 大学電気系教員協議会は各地で毎年開催され、発展していくことを期待する。 編集者注:他に,2002 年(平成 14 年度)大学電気教官協議会の教育研究集会資料と会員教室名簿 および出席者名簿をお送りいただきました。また,平成 11,12,13,16,18,19,20,21 年度 分の資料を所蔵しているとのご連絡をいただきました。 27 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:東京理科大学 理工学部 電気電子情報工学科 28 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:東洋大学 理工学部 電気電子情報工学科 東洋大学 理工学部 電気電子情報工学科 大学電気教員協議会60周年にあたり 東洋大学 理工学部 電気電子情報工学科 大学電気教員協議会60周年、誠におめでとうございます。当学科は、昭和36年、工学 部の電気工学科として発足し、本年で48年を迎えました。大学電気教員協議会の発足から 12年後のスタートでしたが、本協議会の活動を通じ、諸先輩先生方の様々なご経験を学ぶ ことが出来たことは当学科の運営にとり誠に有益でありました。御礼申し上げます。当学科 は、発足後、目覚ましく変化する社会の要請、状況に応えるべく、電気電子工学科、電子情 報工学科と学科名称の改称と共に、教育・研究内容の改革を進めて参りました。また、平成 21年度には大学改革の目玉として、工学部を理工学部に再編し、サイエンスの考え方を加 味し、社会の要請に応え得る人材の搬出と社会貢献を目標に新たな取り組みを開始いたしま した。その中で当学科は電気電子情報工学科として新たな取り組みにチャレンジいたしてお ります。学部の再編、学科の改称は個々の教員にとりましても具体的な教育・研究内容を吟 味する際に大きな課題を抱えることを意味し、教員個人で抱え込まず、他の教員と議論、討 論することは非常に有益であると考えます。このような中で60年の歴史を誇る大学電気教 員協議会の活動を通じて、電気系という同一の範疇を生業とする教員間で毎年毎年、具体的 なテーマ、課題について議論、情報交換ができることは、当学科にとってのみならず、日本 の電気系の大学教育にとり誠に有益であると確信いたします。また、社会の多様化は、現在、 大学の多様化、学生の多様化をますます加速させており、このような状況に如何に対処して ゆくか、如何に組織として貢献、あるいは、生き抜いてゆくかも、各会員教室に求められて いることと思います。更に、同じ電気系の会員教室間でも各大学の教室で具体的に求められ ている内容も多様化しており、本協議会活動を通じて、このような状況を的確に把握、理解し、 それを学科運営に展開することは非常に有益であると確信いたしております。当学科といた しましては、今後も電気系教員協議会と改称した新たな協議会に微力ながらも参加、活動さ せていただきたく考えております。最後に、各会員教室の抱える課題を高所から整理、協議 会活動を通じて具体的テーマに関して公式、非公式に議論する場を継続して提供する組織体 としての大学電気系教員協議会のますますの発展と社会への貢献を祈願し、当学科からの一 文とさせていただきます。 29 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:東洋大学 理工学部 電気電子情報工学科 30 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:長崎総合科学大学 工学部 電気電子工学科 長崎総合科学大学 工学部 電気電子工学科 拝啓 貴校ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 先日の大学電気教員協議会は大変ためになり、日々の講義に反映させております。 首記の件ですが本校では ” 過去の予稿集等の送付 ” とさせて頂きます。 以下が、本校で保存しております予稿集等の年度のリストです。 昭和 59 61 63 平成 1 4 5 6 7 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 21 以上です。 宜しくお願いいたします。 長崎総合科学大学 工学部 電気電子工学科 助教 田中僚 編集者注:上のようなことでご連絡をいただきました。せっかくの情報をいただきながら,ご連絡 を差し上げないままになってしまい,申し訳ありませんでした。 31 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:長崎総合科学大学 工学部 電気電子工学科 32 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 日本大学 工学部 電気電子工学科 編集者注:ここに掲載しております他に,本冊子の 4 ページから 14 ページに掲載の資料と同じ資料 もお送りいただきました。また,平成 12 年度の研究集会分科会予稿集,会員教室名簿および出席 者名簿,報告書の冊子をお送りいただきましたが,ここでは掲載を省略させていただいております。 33 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 34 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 35 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 36 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 37 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 38 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 39 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 40 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 41 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 42 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 43 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 44 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 45 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 46 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 47 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 工学部 電気電子工学科 48 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 理工学部 電子情報工学科 日本大学 理工学部 電子情報工学科 昭和 60 年度 大学電気工学教育研究集会・大学電気教官協議会 昭和 60 年 7 月 26 日 日本大学理工学部習志野校舎(現、船橋キャンパス) 総会次第(第一部) 一、挨拶 一、前年度事業報告および決算報告 一、新規加入教室承認および紹介 一、経過報告 第一分科会 情報化社会をめざしてハード・ソフト教育のあり方 パネリスト 北大 宮本 衛市 日大 細野 敏夫 京大 坂井 利之 東大 大越 孝敬 司会 九大 駒宮 安男 第二分科会 ???教育の細分化と総合化 パネリスト 早大 堀内 和夫 金沢大 式部 幹 横国大 芹澤 康夫 東工大 末松 安晴 司会 日大 宮城 弘 第三分科会 大学における研究と企業における研究(その生涯教育) パネリスト NTT 木村 達也 富士通研究所 黒川 兼行 東北大 穴山 武 阪大 浜川 圭弘 司会 日本電気 植之原道行 編集者注:昭和 60 年に日本大学理工学部習志野校舎(現,船橋校舎)で開催されました協議会の残っ ていた式次第と会場の様子を写した写真をお送りくださいました。 49 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 理工学部 電子情報工学科 (特別)講演 ◎「電気事業における技術的諸問題」 東京電力 藤森 和雄 ◎「海洋空間利用と日本」 日大 加藤 渉 総会次第(第二部) 一、大学電気工学教育研究集会 分科会総括報告 一、次期幹事大学選出 一、その他 一、閉会のことば 見学会 1.筑波万国博覧会 2.国立歴史民族博物館 3.?(東京 - 市原) 会場入り口 50 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 理工学部 電子情報工学科 総会 ( 第一部 ) の様子1 総会の様子 2 51 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 理工学部 電子情報工学科 第一分科会 司会者とパネリスト 第ニ分科会 司会者とパネリスト 52 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 理工学部 電子情報工学科 第三分科会 司会者とパネリスト 特別講演の様子 53 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:日本大学 理工学部 電子情報工学科 総会 ( 第二部 ) 54 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:兵庫県立大学 大学院工学研究科 電力部門/電気系工学専攻 兵庫県立大学 大学院工学研究科 電力部門/電気系工学専攻 「雑感」 大学電気系教官協議会は戦後間もなく、連合軍司令部が日本の通信教育の遅れは大学教育 にあるとの指摘が発端と言われる。本協議会の会則は昭和 25 年 8 月 10 日に施行されている。 その後、数度の改定が行われているが、平成 14 年度の規約によると、第2条で「本会は大 学の電気工学教室・通信工学教室・電子工学教室・情報工学教室及びこれに相当する教室相 互の緊密な連絡を図り、工学教育の改善振興に資することを目的とする」とある。 教育研究集会は事前のアンケートにより決められたテーマで、3分科会として実施された。 過去に採択されたものには、「高等教育における IT 利用」、「特徴ある大学院教育」、「企業か ら見た大学教育」、「大学における知的財産権について」、「高等教育における e-learning の活 用」 、 「特色ある大学教育支援プログラムについて」、「小中高校生への教育をとおした社会貢 献」などがある。 総会特別講演は幹事大学の地域性を生かし、しかも参加者の興味を惹くものであった。「紀 行文に見る米沢」、「利き酒の科学」などであった。特に印象に残ったものに、平成 16 年 7 月のホテルクレメント徳島で催された四国霊場第一番札所、霊山寺住職の芳村超全氏の「四 国八十八ヶ所霊場について」の法話がある。その中で芳村住職の先達で参加者全員がゆっく りと噛みしめるように、「仏説、摩訶、般若、波羅蜜多、・・・」と、唱える場が設けられて いた。その会場に響き渡る般若心経で、心が洗われるように感じたことをいまでよく覚えて いる。 科学技術の進歩と共に、新しい電子素子、コンピュータやインターネットが出現した。そ れに呼応するように各大学に電気系の新学科が誕生した。受験生に人気のある学科は電気工 学科・通信工学科から、電子工学科、情報工学科へと移っていった。そのために従来からあ る学科は常に新しい学科の科目を取り入れ、時代の流れに対応する必要に迫られた。このよ うな時代にあって大学電気教官協議会は、上述したように常に新しい時代の情報を全国の電 気系大学・大学院に広める重要な役割を果たしてきた。姫路工業大学電気工学科にあっては、 電気教官協議会に出席した先生方が、その協議会で得た情報を教室会議で報告し、資料を回 覧した。 昭和 20 年、30 年代の我が国の工学部電気系学科には電気工学科、通信工学科、電子工学 科があった。現在、電気工学科を名乗る国公立大学は3大学、私立では8大学になっている。 通信工学科は私立2大学のみである。電子工学科は国立2大学、私立6大学である。電気系 では電気、電子、情報のキーワードを組み合わせた学科名が多い。その内、電気電子工学科 は国立で 29 大学、私立で 17 大学あり、電気系学科の名称で最も多く採用されている。 姫路工業大学も時代に乗り遅れないように、昭和 24 年設立の電気工学科に加えて昭和 40 年に電子工学科を、更に平成 5 年に情報工学科を新設した。カリキュラムでは電気工学科と 電子工学科に共通科目を約 50%も設けた。更に情報工学科が平成 5 年に新設されると、こ こでも3学科に共通の科目を設定して、新しい学問領域を取り込んだカリキュラムにした。 その後、平成 16 年の県立大学の統合で、大学名称が姫路工業大学から兵庫県立大学に変更 55 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:兵庫県立大学 大学院工学研究科 電力部門/電気系工学専攻 されたときに3学科を統合し、電子情報電気工学科にした。しかし、理工離れの時代、大学 の志願者数と入学定員が等しい時代にあって、電気系学科の生き残りをかけた新たな挑戦が 必要であろう。 今後、大学電気工学教育研究集会および大学電気系教官協議会の果たす役割は一層重要に なると思います。大学電気系教官協議会のますますのご発展をお祈りします。 兵庫県立大学 大学院電力部門 兵庫県立大学 大学院電気工学専攻 56 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:福岡工業大学 工学部 電気工学科 福岡工業大学 工学部 電気工学科 平成 21 年度大学電気教員協議会を終えて 福岡工業大学 工学部 電気工学科 准教授 高原健爾 平成 21 年 7 月 11 日に福岡工業大学で大学電気教員協議会および大学電気工学教育研究 集会が開かれた。協議会総会では, 議案 1:幹事大学の決定方法について 議案 2:名称変更について 議案 3:60 周年記念事業について それぞれ話し合われ,次年度からは名称を「大学電気系教員協議会」として新たな歴史を重 ねることとなった。続く,研究集会では 第 1 分科会「実践ものつくり教育」 第 2 分科会「工学分野におけるコミュニケーション教育」 第 3 分科会「ゆとり教育世代の入学者の学力の実態とリメディアル教育への取り組み」 の 3 つの分科会で,貴重な発表と活発な意見交換がなされた。特別講演では,高野山大学教 授 武内孝善氏から「大宰府の空海」という題で,北九州における空海の足跡をたどりながら その情報収集・発信についての興味深い話がなされ,それに対して多くの質問がなされた。 その後,総会の第 2 部があり,17:30 から本学食堂オアシスで懇親会となった。懇親会では, 幹事大学スタッフが集めた焼酎と,本学理事長から差し入れられた焼酎が所狭しと並べられ, 参加された先生方には,博多の夜の序盤戦を十分に満足いただけたことと思う。 大学教員の役目は教育と研究であり,それに関連するテーマについて,年に 1 回全国の電 気系の教員が一堂に会して活発な議論を行うことは,非常に有意義なことである。特に,教 育改革に関する話題は,参考になる内容も多く,非常に勉強になる。しかしながら,様々な 大学で行われている先進的な取り組みも,(我々の予想を超えて)さらに先を行く学生に対 して効果を発揮できなくなってきているのではないだろうか。18 歳人口の減少に伴って,一 部を除いて,大学の入試はその選別機能を十分に果たしていない。加えて,入学生の学力は 年々低下しており,今後専門教育が成立しないこともあるだろう。この事態は,わが国の方 針が,年月をかけて小学校から高校までの教育をダメにしてきた結果だが,大学は最後の砦 となりうるのであろうか。卒業生の質保障が求められる昨今,それが形骸化してしまう可能 性は常にあり,良心ある教員の努力がそれをかろうじて防いでいるのが現状ではないだろう か。各教育機関で取り組まれている改革の成果の裏には,担当教員の苦悩と疲労が見られる 気がする。現状を変えるためには,どうしたら良いのかわからないが,毎年開かれる本会議で, 様々に交わされる意見が今後の大学教育の改善につながることを信じている。 57 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:福岡工業大学 工学部 電気工学科 58 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:福山大学 工学部 情報工学科 福山大学 工学部 情報工学科 本協議会の分科会討議は指針、特別講演と見学会は思考の幅を広げる糧 福山大学 工学部 情報工学科 河野 俊彦 記 われわれ福山大学の情報処理工学科は、日本に於ける私学では第 10 番目(中国地域では 国立大を含めて最初)の情報系学科として昭和 61 年(‘86 年)に開設して以来、本協議会に 参加してきた。勿論、別の組織である理工系情報学科協議会にも参加していて、両協議会の 討議内容を参考にしながら、学科運営を行ってきた。(なお、福山大学としては、電子電気 工学科が昭和 50 年からスタートしており、既に以前から、本協議会には参加していた。) 我が国に情報系の工学科が出来たのは昭和 45 年からで、最初の年には国立大学 5 大学と 私学では金沢工業大学ただ 1 大学のみであった。それから 16 年後の福山大学に開設当時は まだ、プロパーの教授陣となる人材は十分に育っていなかった事もあって、大半は電気工学 出身のスタッフでスタートした事と、学科名を情報処理工学科としたように、カリキュラム もハード(電気関連科目)科目を比較的多く含んでいたこともあって、大学電気教官協議会 (当時の名称)での討議内容も非常に参考になった。更に、全国の教員各位ともなじみが多く、 インホーマルミーティングも有用であった。本協議会は 2 日間に及び、第 2 日目には見学ツ アーを 3 ~ 5 コースもセッティングして頂いて、お世話された幹事大学では大変な行事であっ たと思いますが、これでも会社工場や巨大公共施設などを見学させていただいて大変参考に させていただきました。このときに資料を頂いたものや一部製品見本なども講義の教材に活 用させていただきました。このような情報交換の場は絶対に必要であります。 参加させて頂いて、何時の間にか 20 年を超えてしまい、本協議会も 60 周年を迎えたよう で、計算上は本会の 1/3 もの期間お付き合いさせて頂いたことになります。本会の序盤 1/3 の 20 周年頃から第一次ベビーブーム世代が大学入学となり、学生数の増大期を迎え、昭和 40 年代には、時を同じくして、技術立国による経済大国に向っていく最中で、特に工学部が 増設されて、本協議会参加教室が倍増したと思われます。電気系学科に入学して来る学生も、 偏差値最上位の者たちで、活気に満ちていました。そして、昭和 60 年頃までの中盤 1/3 の 期間には、更に、情報系学科の新設が続きこれらの参加があって、本協議会も勢力的に巨大 組織となり、会場も地方の大学ではまかないかねるようにもなって、立派なホテルを会場に、 益々、活発な活動を展開してきました。そして、後の 1/3 が始まる頃、第二次ベビーブーム 世代が大学に入学するようになり、このような時に、われわれ、福山大学情報処理工学科も 参加することになりました。新設して間もないわれわれ学科でも、学生定員 100 名を臨時定 員増が認められて 120 名としても、それをはるかに超えて入学して来た時もありました。 しかし、ここ数年の間は、一転して、少子化傾向になり、更には、理科離れ現象も加わっ て、全国的に工学部志望者が激減して、国立大学でも電気系の学科を減らしたにも関わらず、 特に、電気系に来る学生の入学志願時の偏差値は全学部学科で最下位になった。そして、はっ きりとした目的を持たず、入れたから入学して来たと言う学生も多くなり、ここ 10 年の間 に全くの様変わりである。勿論、本協議会の参加教室数は激減してきつつある。従って、こ こ数年は、共通する問題点として、分科会では、基礎教育強化の対策、理科離れによっても 59 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:福山大学 工学部 情報工学科 のづくりに興味を持たない学生に、いかに工学を学ばせるか、などの課題が論ぜられるよう になって来た。 一昨年から、われわれ学科でも対応策として、学生の能力に合わせてカリキュラムの見直 しをして、より専門範囲を狭めて、ハード面の科目を大幅に減らして情報工学科と改組した。 これには、学生定員の大幅削減と教員の世代交代も関与している。そこで、実は、時あたか も 60 周年と言う記念の年の本年度を以って電気系の本協議会からは脱会することにしまし た。 20 年あまりの長きに渡って参加し、分科会では指針となり得る適切な討議議題を企画して 頂いて感謝しています。また、特別講演でも適切な話題を提供して頂き、思考の幅を広げて いただき、見学会でも時代の先端技術や地域の伝統文化に触れさせて頂くことが出来ました。 有難うございました。 末尾ながら、本協議会の今後ともますますの活躍を祈念して、60 周年記念の感想文を閉 じます。 60 ÿøùûûĤĢ+ĭ¸ħ ë±k¾ġđĖĮþā! pw?Cŧ N?Cś ňŒĴŐĺŀĴý |«?Cß ŬŨźŴżůśýŮźūŻũŲŻ ź} UcŝŞVYŖõu UcŝşVYŖţuŞŢp UcŝŠVYŖöuŝp 61 ðóñkGś ŞŞş. ðôñkGś ŞŞŜ. ©O?C ©OR?Cś C UcŞŜVYŖţu UcŞŝVYŖţuððp RCßġđĖĮķŊńŎ ĶŗĺŏŔk¾ 8oġđĖĮCDÚiğ ?CĢk¾2éŘġå MëĢl«k¾ğå -ĢĢ3Jś3JZ y¾c µCĢ9¦k¾ř µ?CĤĢk¾ĢÌé Ïâċ©PÓ0ì½ Q?Cś ŶųŹŵżŷŰźàß UcŝťVYŖţuð÷p F×ĩĢĜĕĭk¾ RCµ?CĢLk¾ğe MëĤĢk¾İğđ üúģk1İĠĢīďġ=Đ ¶ÆmġÈĮ³ś³ºÔǼk¾ ĘĚ§Ò Įėğē{ĚĒŧ Í1ċvz3ãì N[?Cś |°ý³ UcŝŤVYŖõuñïp ċśŞšŜ. =èĢrĢeǼk¾Ŧ ÿøùûûĢğ\ĢÜ ĒĬČ?CĒĬ GÅR?Cś ĵŐŔŃýńŎŗA UcŝţVYŖţuŝŠp Īğĭk¾ĢC¼Ģ ?HXĢ®śëßN?Cì6t C#ĢF`ğőŌłIJıŒk êàì B3ìkg ¾ĤĢ+ĭ¸ħ RCµ?CĢ,ğ,ś ģČģ*ś%ÛŪŵũűŭ rĢRCµë±k «CĽŔľŗàċçqªì ¾Ģčĭo ÀčĮ?Ck¾jhŇœ 47&ŕdæ:ġěĎĝś ĵŐŋġěĎĝ xdæNJċÂzÕì½ ?CġđĖĮ£¡Ñġ ë±k¾ġđĖĮìăí ěĎĝ ĆăĂĈćąćĄĢġěĎĝ ^P?Cś ýŭŸŶźų^P UcŝŢVYŖţuŞŞp !ĔÝĢ«Cś¯Ã«?Cì N¨Aìkg åA§Ģ²Ĥ/Ėĝś@ ?CċÙÞãċkg ĢÁğåA"]eÇ ĩĢĜĕĭİ¢fĘĚë±k Ř?sĢÁŦ>®ġœʼnŔİřś ¾ ?sÁ?I~1ìÄ·ì ĒĬÈĚ?Ck¾ =įĮCČ=įĮ?C ?CğňŔĿōŗņĻŅļ eǼËE´YġěĎĝ nrĢRCk¾ğ?CÊ pĢ?Ck¾Ģ2é Ś,ĒĬ,ĦĞŚ _ĢčĮ?Câk¾ ä¬5ÖĢ¤ğk¾ p³k¾ĢØ ª?Cś ªņŎŗý å¥CĢkĐo ÎċśċÎS nĘĎCÜk¾ğ?Câk¾Ģ ¿¯ĘĚeǼ¾cĢĚĨ ěĢ»Đoś%Û?C¹àċ ĢRµk¾ aċ(< °ò«śŁŗʼn UcðšVYŖţuŞŠp ċśŝťš. 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は今でも鮮明に記憶がよみがえる。協議会が有用であったことの証として、以下に感想を交 えて回想してみたい。 2.講義の改革(学生の興味を持続させる努力) 1980年代の中頃だったと思うが、神奈川大学(?)で開催された時、末武国弘先生が 講演された。講義するに当たり、導入部から展開部にかけていかに学生の興味を持続させる かに関して、教育工学的な観点も踏まえた OA 機器の利用・活用法、学生の講義参加(双方 向型)については聴講者も巻き込んだ実演入りのお話しだった。今で言うFD研修そのもの で、大変感銘を受けかつ参考になった。初・中等教育の指導要領の改訂(いわゆるゆとり教 育)以後の学生諸君が入学し始めて、導入教育、動機づけ教育、学生の学力低下等が話題と なり、FD研修が大きく話題となる以前の事だったので、非常に印象に残っている。末武先 生には『科学論文をどう書くか-口頭発表の仕方まで』というご著書がある。私はその内容 を自分の学位論文公聴会での発表に参考にしたこともあり、先生のご講演をより身近なもの にも感じて聴講したことを思い出す。 高専に入学してくる学生諸君は、自分の方向性・将来展望をある程度は意識して進学して くる。それでも、1-2年生諸君にはそれぞれの学科に対応した導入教育を意識的に行って 基礎科目および専門科目に対する勉学意欲の向上を図り、4-5年生諸君には専門科目の講 63 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:山口大学 大学院理工学研究科 義の充実と同時に各自の将来展望も含めた就職・進学等の進路指導を行い、入学から卒業ま での一貫したキャリア教育を実施する必要を強く感じている。その意味からも先生方のFD 研修は欠かせない。 3.学部・大学院教育と専攻科教育 札幌市で開催された時(1995年)には、北海道大学総長(当時)の丹保憲仁先生の講 演があり、大学院重点化が話題になっていた頃で、北大の改革を例にしながら工学部・大学 院教育の新しい展開を話題にされた。大学・大学院教育は、工学・理学系の分野では修士課 程を含む6年の教育がふつうになりつつある。従来、教養・学部・大学院という、組織的に も異なる3段階の教育レベルを取ってきたが、学部を2段階に分離した教育の不連続を改め て学部4年一貫の教育に転換せざるを得なくなった。大学院重点化は学部教育を専門基礎に 重点を置いて再構築することと対になっている。以上を前置きにしながら学部教育(高校か らの遷移期間、学部専門基礎教育)と大学院教育(修士課程、博士課程)の在り方について 興味深い内容を話された。この講演で、“ びっくり過程 ” と “ 狭士(せまし)” の2つの言葉 が印象に残っている。 前者の “ びっくり過程 ” は、学部教育の導入部での話で、すでによく分かっていることを 教えられ学んできた段階を卒業して、世の中には人類の知らないことが多いことを知り始め なければならない。専門家としての資質と能力を備えていくためには、価値観の転換を含む 「びっくり(させる)過程」が必要があるとのこと。これも動機づけ過程の一つと思われる。 これと前後して山口大学においてもいわゆる教養部の廃止が決まり、全学出動体制による、 共通教育(教養教育)がスタ-トした。責任母体が曖昧になりがちで未だに問題を抱えてい るが、大学全入時代を控えた最近の学生への動機付け教育とも関連して、学部教育の実質化 はますます重要となっている。 後者の “ せまし ” は、博士後期課程の3年はさまざまな理由から工学 “ 狭士 (せまし) ” を作っ ているとして実社会では敬遠されがちであることを意識したものだ。大学内においてすら世 の中のことを知らない教師を再生産するプロセスとして問題になっており、真の博士を作り 出すシステムを考えたいとの意思表示でもあった。 やや事情は異なるが、高専においても専攻科の充実(実質化)が重要となってきている。 高専の本科(5年制)を卒業する学生諸君の約4割が進学の路を選んでいる。1つは大学へ の3年次編入であり、他の1つが高専にて更に2年間研鑽を積む専攻科への進学である。専 攻科修了生は大学評価学位授与機構に学位申請し、合格すれば学士の学位を取得できる。技 術の高度化、社会構造の変化を反映して、より高度な科学技術の知識と実践を学生が希望し、 企業・社会もそれを受け入れているためと思われる。ところで、前述の如くに研究者を育て る比率の高い大学においても大学院学生の教育が問題となっている。教員が大学院学生を自 分の研究助手に使うような形で学生を扱わないできっちりしたカリキュラムで講義して議論 を進める教育が望まれている。高専の目的は実践的な技術者の養成が第一義であり、高専の 場合は大学以上により学生の教育に徹しなければならない。専攻科学生の場合、研究課題を 通じて教育するという立場をより明確にし、教育と研究は分けて考える必要を感じている。 64 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:山口大学 大学院理工学研究科 4.これからの技術者と日本技術者教育認定機構(JABEE)について 2000年前後の頃と思うが、工学院大学学長(当時)の大橋秀雄先生(現 JABEE 会長) の JABEE の必要性に関する講演を聴いた。協議会ではなく別の学会での特別講演だったかも しれない。いずれにせよ、世界で信用されるための技術士の資格、Engineering の捉え方の 西欧と日本の違い、教育プログラムの品質保証と JABEE の関係、技術者はプロとして認知さ れなければならない、等を熱っぽく話された。 JABEE 審査のことが話題になり始めた頃、電気エネルギ-分野の教育を担当していた私は、 電気主任技術者認定制度との比較をしていたように思う。定期的な審査は備品のチェックと 開講カリキュラムのチェックが主であり、やや静的な審査(表面的)との印象を持っている。 それに比較すると、JABEE 審査は動的な審査(実体的)と感じていた。だた、学科として電 気主任技術者用の認定資格を維持するにはカリキュラム変更や設備備品の維持管理にかなり 神経を使っていた。特に、電気・電子・情報・通信と電気系分野が拡大していく中で、認定 制度維持の条件を満たすことが難しくなる傾向にあり、いずれにせよ学科教員の理解と協力 が必要である。 さて、JABEE に関してだが、電気学会が JABEE 受審の試行を実施した折、私ども山口大学 の電気電子工学科は受審に手を挙げた。審査団も受審者側も手探り状態だったことを覚えて いる。また、審査員になるための研修会にも参加した。これらを通して、JABEE 審査は学生・ 教員の双方にとって教育の質の向上・保証に繋がるのではないかと思った。しかし、種々の 基準を満たしているかどうかを判定するためにそれを示すドキュメントが求められること、 恒常的な改善を実施するためにいわゆる PDCA サイクルで組織を動かすこと、等が要求され るため、慣れないと食わず嫌いを作り出す可能性が高い。 ところで、宇部高専では、工学(融合複合・新領域)関連分野で “ 創造デザイン工学 ”、経 営工学関連分野で “ 経営情報工学 ” の2つの教育プログラムが JABEE 認定を受けている。実は、 この11月末に、“ 創造デザイン工学 ” の認定継続審査を受けたばかりである。担当責任者は その準備で苦労したと思うが、学生にとって質の高い良い教育を保証するための外部評価と して、JABEE 受審は一定の有効性を持っている。従って、審査方法等に関して、今後とも改 善に向けた工夫があってしかるべきと思う。 5.人材育成について 12月の始めに京都で開催されたある学会に参加した。プログラムのなかに、“ ○○研究 の展開と人材育成への期待 ” という特別企画があり、基調講演とパネルディスカッションが もたれた。人材育成に関して言えば、○○研究を発展させるためには人材が必要だ。○○分 野に学生を呼び込むには大学院修了後のポスト確保が必要といった意見が出されていた。確 かに研究者養成にはそういう面が強いかもしれない。その一方で、○○分野が社会から受け 入れられるにはもっと広い視野で考えるべきだと感じ、少し違和感を持った。○○分野が社 会から認められるには○○分野を手がけた人間が大学・研究機関のみならず企業・社会関係 等の広い分野に巣立っていく必要があり、そのためにも○○分野の研究を多くの学生が希望 するようでなければならない。つまり、学生諸君から見ても興味深いと思わせる研究テ-マ を今いる教員各自がやることにつきると感じた。そして、人間として精神的にも肉体的にも 65 大学電気教員協議会 60 周年記念誌:山口大学 大学院理工学研究科 タフな強い個人を育てることが必要と思う。京都大学、山口大学、宇部高専と職場が変わっ たが、社会に巣立つ学生諸君は勿論のこと、学生諸君を相手にする教員もタフな人間でなく ては勤まらない。特に、山口大学、宇部高専での先生方の働きを見ていて、旧帝大系の大学 院で条件の整った場所で順調に研究を進めてきた人の中に、なかなか独り立ちできないで自 分を見失う人を見かける。条件の悪い地方大学で頑張る教員ほどタフでなければ勤まらない。 しかも、数から見てもそこで巣立っていく学生諸君が日本を支える技術者集団を支えている のではないか。 さて、最後に教員(研究者)養成の観点から一言。今後の学生教育はますます重要かつ手 のかかる仕事となっていくことが予測される。やや逆説的に響くが、環境の整った条件の良 い大学がひ弱な人間を作り、タフさの要求される大学に供給するということのないことを願 う。 6.おわりに 「科学技術創造立国」を謳う日本ながら、大学志願者の理工系離れが言われて久しい。な かでも工学系において電気系への志願者が激減していくという厳しい状況が続いている。し かしながら、大学卒業生、大学院修了生に対する社会からの需要は以前にもまして強く、こ のギャップに忸怩たる思いがする。高専においても同様の傾向がある。パソコン、ロボット、 自動車、等のマスコミを賑わす商品はその大部分を電気系の技術が支えている。にもかかわ らず、志願者をはじめとする一般の人々には、これら商品と大学の電気系学科・技術とが上 手く結びついていない。メディアでのアピ-ル不足と思われる。電気系分野のますますの発 展とこの分野の人材養成に関して、今後とも本協議会が企業・社会を巻き込んで展望シナリ オを検討・作成していただければ幸いである。 (平成21年12月26日) 66 大学電気教員協議会 60 周年記念誌 2010 年 3 月 31 日 発 行 発行責任者 福岡工業大学工学部電気工学科 〒 811-0295 福岡市東区和白東 3 丁目 30 番 1 号 電 話( 0 9 2 ) 6 0 6 - 4 8 2 4(学科事務室) 梶原寿了