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誇れるわが町ー沖野の今むかし
誇れるわが町 沖野の今むかし 沖野市民センターでは、市民企画講座『見たい、知りたい、伝えたい-地名から学ぶ沖野の今昔(いまむかし)』を 開催しました。 (平成 26 年 10 月開催、講師・丹野 實氏)沖野の昔の地名から、地域の歴史や土地の成り立ちを知 り、沖野の昔と今をまとめました。 ●陸上自衛隊霞目飛行場 バ ①やよい町内会 (沖野一丁目) 一丁目 イ パ ス ●マクドナルド A 沖野八幡神社 ②沢田町内会 (沖野二丁目) 二丁目 郷 B 三枚橋(さんめばし) B D ③中柵町内会 (沖野三丁目) 三丁目 ● 生 協 ⑦舘町内会 (沖野七丁目) 七丁目 ●沖野小 ●沖野市民センター ●老人福祉センター 県 ④中河原町内会 (沖野四丁目) 四丁目 道 F 堤防 道井 道土 道浜 線 道 道 広 E 広瀬川 C ●沖野中 A 堀 E D 清凉寺 ●サンマリ 六 F C 沖野城跡 ● 仙 台 銀 行 ⑥横掘東・西町内会 (沖野六丁目) 六丁目 ●沖野団地 ⑤三ツ橋町内会 (沖野五丁目) 五丁目 瀬 川 ● 七 十 七 銀 行 ●沖野東小 上飯田第一町内会 ●〒 ●セブンイレブン ●消防署 沖野の町内会名・地名の由来 ( )は昭和 61 年に実施された住居表示変更前の字名 ①やよい町内会(字三ノ坪)弥生時代に農耕で栄えた所 条里制の土地割(坪割)に由来している ②沢田町内会(字洞円寺)地主の沢田さんの名字に由来 町内に洞円寺という寺があった ③中柵町内会(字中柵・神柵)沖野城の柵のあった場所 柵とは敵を防ぐための砦(とりで) ④中河原町内会(字砂押)広瀬川が氾濫すると砂が押し寄せた 砂地でさつまいもやかぼちゃを栽培 ⑤三ツ橋町内会(字河原)三本の堀があり、三つの橋がかけられていた ⑥横堀東・西町内会(字七町・要害・無尻橋)七軒の農家があった所 要害とは城のとりでの意 無尻川は そこで流れが終わる川 住民は横堀(六郷堀の横にある堀)のあたりに田畑があった ⑦舘町内会(字舘・北門)戦国時代に豪族・粟野氏の城があり、その中心があった A B 沖野八幡神社 三丁目 16-33 C 三枚橋(さんめばし) 三丁目生協西側 D 沖野城跡 七丁目付近 清凉寺 七丁目 43-60 城の北西側に残る 二重土塁と水濠跡 鎌倉初期の創建。 火災にあい火玉が現在地 に飛び火したという言い 伝えがある。江戸時代、地 域の和算家・丹野清晴が奉 納した算額が現存 E F 八幡神社付近の集落より中 河原へ行くため、三本の堀 に土橋がかけられて いた。(現在はコンク リート)橋のたもとに 湯殿山碑がある。 室町時代、国分氏の家臣・ 粟野大膳の城があった。東 西四百m南北三百m程の大 きさで現在は二重土塁の一 部 と水濠 跡のみ 確認で き る。(見学はできません) 1571 年開山、曹洞宗の由緒 あるお寺。毎朝6時にご住 職がつく梵鐘の音が町内に 響き渡る。境内には江戸時 代の和算家・丹野清晴之碑 がある。 広瀬川と二つの堤防 バス通りの県道井土浜線は周囲より一段高くなっているが、この道路こそ洪水や鉄砲水から村を守った旧堤防だった。 古くは“にでこうじ”と呼ばれていたという。 “にでこうじ”とは二大工事(幹線道路土木工事と六郷堀改修工事の二つ の工事)のこと。昭和三十三年に新堤防が完成し、旧堤防は“そとでぼう” (外堤防)と呼ばれるようになった。 名 産 品 三 五 年 四 一 年 四 八 年 五 二 年 五 三 年 五 八 年 六 〇 年 町 村 制 に よ り 六 郷 村 誕 生 沖 野 カ ボ チ ャ ( 河 原 町 青 果 市 場 ) 沖 野 の 戸 数 沖 野 町 内 会 発 足 仙 台 バ イ パ ス 開 通 市 街 化 区 域 に 指 定 沖 野 小 学 校 開 校 宮 城 県 沖 地 震 沖 野 東 小 学 校 開 校 沖 野 中 学 校 開 校 ( 六 郷 中 学 校 よ り 分 離 ) 死 者 六 三 人 ( 沖 野 ) 、 天 保 の 飢 饉 死 者 三 五 人 ( 沖 野 ) 戸 数 七 五 、 人 口 四 八 二 人 百 戸 程 度 戸 数 一 二 〇 戸 戸 数 七 〇 〇 戸 戸 数 一 五 〇 〇 戸 、 人 口 五 〇 九 八 人 戸 数 二 九 〇 〇 戸 、 人 口 一 〇 〇 〇 〇 人 ⇒ 二 二 年 平 成 ⇒ ( 居 城 を 岩 出 山 城 よ り 移 す ) ( 沖 野 は 八 軒 の 家 族 か ら 始 ま っ た ) 天 明 の 飢 饉 ⇒ 沖 野 の 戸 数 五 〇 ぐ ら い か ? ⇒ 沖 八 軒 ⇒ 伊 達 政 宗 、 仙 台 城 を 築 城 ⇒ 粟 野 氏 一 二 代 大 膳 重 国 、 国 治 伊 達 政 宗 に よ り 滅 さ れ る ⇒ 清 凉 寺 、 開 山 昭 和 ⇒ 粟 野 氏 九 代 国 定 、 沖 野 城 築 城 大 正 ⇒ 粟 野 氏 、 名 取 郡 を 支 配 ( 茂 ヶ 崎 城 ) 明 治 ⇒ 条 里 制 が 施 行 ( 二 ノ 坪 、 三 ノ 坪 が で き る ) 江 戸 ⇒ 遠 見 塚 古 墳 で き る 戦 国 ⇒ 鎌 倉 ⇒ 平 安 ⇒ 沖 野 の 出 来 事 大 和 ⇒ 時 代 六 一 年 七 月 三 年 二 三 年 二 六 年 沖 野 市 民 セ ン タ ー 、 老 人 福 祉 セ ン タ ー 設 立 東 日 本 大 震 災 戸 数 五 八 二 四 戸 、 人 口 一 四 三 〇 九 人 沖 野 町 名 住 所 表 示 変 更 ( 小 字 名 無 く な る ) 沖野のココが好き!~私たちの沖野じまん~ ◆田んぼから見る雪の蔵王・春夏の緑の蔵王 られる田園風景 ◆田んぼの色が好き ◆平坦地でどこまでも自転車で走れる ◆自然が残されているところ ◆夕陽がきれい ◆吹く風が気持ち良くて散歩に最適 ◆ゴミが落ちていないきれいな町 ◆田んぼ越しに見る仙台市街や四季の表情 るキジの姿とケーンという鳴き声 ◆小学校・中学校・高校と全部ある ◆沖野すずめ隊が活躍 ◆買い物が便利 校から泉ヶ岳を望む四季折々の眺め ほかにも誇れること いろいろある… わが町 沖 野 ◆空が大きくて星空がきれい ◆初日の出が見 ◆霞目飛行場西側の緑地で見られ ◆田んぼからながめる蔵王山脈の冬景色 ◆スポーツが盛ん、特にサッカー ◆東高 発行:平成 26 年 12 月 1 日 (アンケートより抜粋) 資料提供:丹野 實 氏 (沖野地区老人クラブ連合会会長、元六郷地区町内会連合会会長) 作成:平成 26 年度沖野市民センター事業「沖野の今昔」企画会議編集委員 黒田憲子、吉田美恵子、荒よう子、小野良男 (講座アンケートより) 問合せ:沖野市民センター 仙台市若林区沖野 7-34-43 TEL 022(282)4571