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見えない世界の住人たち一 『夏の夜の夢』 論

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見えない世界の住人たち一 『夏の夜の夢』 論
見 えな い世界 の住人 たち一 『夏 の夜 の夢』論
英米文学教室
岡
村
俊
明
バ ターを作 ろうと牛乳 をか きまわ して も作れない場合 がある。 エ イル (麦 芽酒)を 発酵 させ よう
として も発酵 しない場合 がある。手引 き臼で穀物 をひ こうとして もひけな い場合がある。新鮮 な牛
乳 もクリエム (上 皮 )が な くな り,牛 乳の味 が希薄 となってしま う場合がある。
これ らは百姓 のおかみさんの家内労働であるが, どの場合 も無駄骨 になった例 である。
田舎家で見 られ る次 の ような小 さな事件 もある。
酒杯 にはいったエ イル を飲 もうとす るとき,焼 き林檎 が酒杯か ら飛 び出 して きて,飲 んでいたば
あさんのぺ しゃん この乳房 に,エ イルがかか るときがある。 また,三 脚椅子 にすわ ろうと思 って
,
そこに何 もなかった場 合 ,す わ ろうとしたばあさん は,ひ っ くりかえって しまい,ま わ りのひ とび
との咲笑 をまね くことになる。
また田舎家の外での出来事 もある。何 ものかが近 くにお り,村 の若 い娘 たちをこわが らせ る。あ
るい は,村 の夜道 を気持 ちよ く歩 いていた若者 も,い つ までたって も,家 に帰 りつ けな くなる場合
がある。
同 じ田舎家の外で も,人 間 の若い男女 ばか りでな く,動物 の雌雄 の世界 の出来事 もある。肥 えて
元気のよい若 い雄馬 の近 くに,雌 馬 をはなしてやった とすれば どうなるのか。 いや,現 実の雌馬 な
らまだいい として,そ れが何 か梨空 の ものであれば,元 気 のよい雄馬 は相手 を見失 って うろたえる
のは必定である。
こうい う失敗 はすべ て は行為者 の責任一人間 の責任であ り,動 物 の責任 である。 しか しこうい う
いたづ らを引 き起 こしてい る,日 に見 えない ものの存在 があるとすれば どうなるのか。 この答 は後
回 しにして,次 の ことも考 えてみよう。
季節 の異変がある場合がある。真 っ白な霜 が咲 いたばか りの真 っ赤な蓄薇 の上 に降 り,「 冬」じい
さんの禿頭 に夏 の日のつばみが咲 きこぼれ ることがある。あるいは,春 も夏 も,実 りの秋 もきび し
い冬 も,い つ もの装 い を変 えて しまい,あ げ くのはては,そ れぞれの季 節 の ものを見 ただけで は
,
私 たちはどれが どれや ら見当が つかない とい うときがある。
季節の異変 ぼか りでな く,そ れ をも含 めた大 きい 自然界の異変 がある場合 もある。例 えば,海 か
らたちのぼった霧 が大地 に降 り,そ のためガWIIは 岸 を乗 り越 えてあふれだす。あるい は,潮 の干満
を司 る月が青白 く,不 気味な ほど青 白 くな り,大 気 に水気がみなぎり,そ の湿気 のため病気 が まん
えんするような ことが ある。
自然 の異変 は,必 然的に,人 間界 に異変 を引 き起 こす。
牛 がす きを引 いて も,ま た百姓が汗水た らして働 いて も,実 りの秋 も迎 えずに麦 は くさって しま
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岡村俊明 :見 えない世界 の住人たち― 『夏の夜の夢』論
う。野原が一面水浸 しになったため,お りにいれ られた羊 も死 んで しまい,そ の羊 の死骸 をか らす
が食 う ことが ある。
そうい うこともあって,人 々 は冬 の楽 しみ もお もうにまかせず,賛 美歌 やキャロル を歌 って過 ご
す ことがで きない。 このよ うにして,季 節 の異変 ,自 然の異変 は,春 か ら秋 にか けての人 々の労働
を無駄 にし,労 働 の果実 か ら成 り立 つ冬 の楽 しみの基盤 を失わせて しまうことになる。
これ まで述 べ て きた ことを大別すれば,田 舎家 をとりま く河ヽさな事件 と人間界 をとりま く異変 と
い うことになろう。前者 は人 間 (あ るい は動物 )が 注意すれば,失 敗 とはな らずにすむ ものであろ
う。後者 な らば,そ の異変 は,防 げない まで も,今 日な らば,そ の被害 を減少で き,そ の原因 を科
学的 に説明で きるものであろう。
それが,シ ェイクス ピアの 『夏 の夜 の夢』 で はまった くちがってい る。 前者 は妖精 パ ックが引 き
起 こした ものであ り,後者 は妖精 の王オベ ロン と妖精 の女王タイタエ アの喧 嘩 が 引 き起 こした もの
となっている。
で はパ ックとは一体 なにものか といえば,元 来英国中世伝承 の悪鬼 ,あ るい は悪 い妖精であった。
しか しこの作品 で は,ロ ビン・ グ ッ ドフェロ ウ又 はホブ ゴプ リンとも呼 ばれてお り,例 えば,ロ ビ
ン・ グ ッドフェロウ とは,人 間 には害のない楽 しいい たづ らをす る妖精 である。
とい う ことは,シ ェイクス ピアは,悪 い妖精 パ ックか ら,お どろお どろしい,不 気味なイ メージ
をすっか り取 り払 い,こ のような罪 の無 いい たづ らをさせてい るのである。
で は,オ ベ ロン とタイタエ アはどうい う妖精 なのか。彼 らは本来 ,英 国民間伝承 には知 られて い
なかった妖精であるが ,シ ェイクス ピアはギ リシャのオブィドやシェイクス ピアの同時代人 ロバ ー
ト・ グ リーンな どの作品か らヒン トをえて,超 自然的な力 をもつ妖精 の工及 び女王 としている。
こうい う田舎家 をとりま く小 さな事件や,人 間界 をとりまく異変 を起 こした といわれている妖精
達 は,こ の劇 に登場す る人 間違 とも交流す ることになる。
妖精 は本来肉体 を持 たない存在 であるが,こ こで は肉体 をもって舞台 に登場 す る。彼 らは登場人
物 には見 えないが,観 客 には見 える一 こうい う意味で二 重構造 となってお り, この二 重構造が この
劇 で は重要である。
なぜな らば,妖 精達 が登場人物 に も観客 にも見 えない存在 であるな らば,ご く普通 の民 間伝承 と
な り,な ん ら面 白味 がない。彼 らが登場人物 には見 えな い存在 であ り続 けなが ら,観 客 には見 える
とい う ことで,登 場人物 の心理現象 と彼 らに対す る妖 精 の働 きを観客 は具象的 に理解す ることがで
きるのである。
妖精 たちは,小 さな事件 にしろ,大 きな 自然 の異変 にしろ,ど ち らも超 自然力 を行 使 して い るこ
とが伝 えられ るが,実 際 には,彼 らはこの劇 で はこうい う事件や異変 を引 き起 こさない。ただ,彼
らは人 間 にあることをす るだけである。
それ は何 だろうか。人間のまぶたに惚れ薬 をぬ り,目 が さめた とき最初 に見 た人 を恋 させ るので
ある。
妖精 の超 自然的特性 をもってすれば,惚 れ薬 とい う具象的な薬剤 は不必要 で はな いか と思われ る。
その惚れ薬 の働 きをさらに考 えてみよう。
『夏の夜 の夢』 は,ア セ ンズの公爵 シーシュース とその婚約者 ヒポ リタ,ラ イサ ンダー とその恋
人ハ ー ミア,デ ィミー トリアス と彼 がかって愛 したヘ レナを中心 とす る宮廷 の世界 と,ク イ ンス
,
ボ トム,ス ナ ッグを中心 とす るアセ ンズ の職人連 の世界 か ら成 り立 っている。
そして彼 ら人間 (登 場人物 )に は見 えないパ ックと妖精達の世界 もある。
鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第 44巻
第
1号
(1993)
ここで は,宮 廷 の世界 の人 間関係 が複雑 である。 ライサ ンダー はハ ー ミアを愛 してお り,ハ ー ミ
アもライサ ンダー を愛 して い る。二人 は相思相愛 である。 これだけな ら問題 ないが,ハ ー ミアの父
イージー アスは,ハ ー ミアの夫 をディミー トリアス と定 めてお り,し か もディミー トリアス もハ ー
ミア を愛 してい る。 ハ ー ミアを二人 の男 が愛 して い る,い わゆる三 角関係の愛の構図 となって い る
のである。
そのハ ー ミアを愛 して い た二人 の男 が,突 如 として,そ れ まで顧 みなかったヘ レナ を愛す ことに
なる。
こん な ことが あるのだ ろうか。種明か しをすれば簡単 である。 パ ックが間違 って,ラ イサ ンダー
とデ ィ ミー トリアスのまぶたに惚れ薬 をぬ り,彼 らがねむ りか らさめて最初 に見 たヘ レナを愛す こ
とになったので ある。
根 がいたづ ら好 きのパ ックだか らこのような間違 い をして も不思議で はないのだが,も しパ ック
がデ ィミー トリアスだけのまぶたに惚れ薬 をぬっていれば,彼 が ヘ レナを愛す ことにな り,問 題 は
なかった ことになる。 あるい は,パ ックが間違 ってライサ ンダーの まぶたに惚れ薬 とぬった として
も,ラ イサ ンダーが もっ とハ ー ミアの近 くに寝 てお り,彼 が起 きた ときに,ヘ レナで はな くて,ハ
ー ミア を見てい た とすれば,以 前のように彼 はハ ー ミアを愛 して い ることだろう。
このよ うなパ ックの直接 ,間 接 の間違 いが, この劇 の恋人 たちの関係 を複雑 にしている。 パ ック
の間違 いに よるこうい うもつれがなかった劇 を想定 してみるな らば,た しかに,そ れ は単調 で異質
な劇 になることで あろう。
ともか く,二 人の男 たちは突然 に心変わ りをし,私 たち観客 は,パ ックと妖精達 の姿 を見 る こと
がで きるために,男 たちの心変わ りを容易 に理 解す る ことが で きる。
で は,そ の種明か しを見 せ られている私 たちは,突 如 とした,奇 異な恋人 たちの心変わ りを,喜
劇的 に理 解す ることがで きるが, もし妖精達 が,私 たち観客 には見 えない存在であ り,惚 れ薬 の介
在 がなか った とすれば,恋 人 たちのそのような心変わ りは,不 自然 な ことだろうか。
人間の心理現象 は不 可解 な要素か ら成 り立 っているもので ある。実際の ところ,私 たちは愛 した
り,憎 みあった りす るが,い つ もそうで はな く,徐 々 に,あ るい は突然 に,こ れ まで憎 んでいた人
を愛 した り,ま たはその逆 もある。心 は変化 もす るのである。要 は,私 たちの心 は変化 の作用 を受
けるとはい え,現 代的 にいえば,私 たちの責任 で変化す るのである。
い くらかの例 を引 き合 いにだしなが ら,惚 れ薬 の介在 のない恋人 たちの心変わ りについて考 えて
みよう。
『ロ ミオ とジュ リエ ッ ト』 では,ロ ミオはロザ リン ドにかなわぬ想 い を捧 げて いた。彼 はその ロ
ザ リン ドを一 日みるために,キ ャプ レ ッ ト家 の宴席 に出かけ,一 日見てジュ リエ ッ トを激 し く愛す
ようになる。それ以来 これ まで愛 してい た ロザ リン ドの ことを彼 は一 言 も言わな くなる。ロ ミオ は
突如 として心変わ りをして,ジ ュ リエ ッ トを愛す ようになったのだ。
,
もし妖 精 が登場 し,ロ ミオに惚れ薬 をぬ り,そ のため ロ ミオが突如 としてジュ リエ ッ トを愛 す よ
うになってい た ら,私 たちはその種明か しが分 か り,『 夏の夜 の夢』と同 じように,腹 を抱 えて笑 う
ことだ ろう。
『お気 に召す まま』 で は心変わ りの一種 ともいえる,一 目惚れの恋が扱われて い る。オ リヴ ァー
はシー リアを一 日見 て好 きになって しまう。二人 の出合 い は,ロ ザ リン ドの語 るとこ ろによる と
つ ぎのようになっている。
,
あんなにだしぬけな ことった ら,仕 牛同士のけんかか,シ ーザ ー の「来
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岡村俊明 :見 えない世界の住人 たち―『夏の夜 の夢』論
た,見 た,勝 った」 とい う高言 じゃあるまい し。だって,君 の兄 さん と
僕 の妹 とは出会 ったか と思 うと見 つ めた,見 つ めた と思 うと恋 をして
恋 をしたか と思 うと,た め息 をした,た め息 をしたか と思 うと,お たが
い その訳 を尋ねあい,訳 が分 か った と思 うと,解 決法 を求めあい,そ う
,
い った段取 りで,結 婚 へ の階段 をつ くって しまって,そ れをひたす ら駆
け昇 る。 でな い と,結 婚前 にひたす らひ どい ことをしかねない。 二人 は
恋 の狂 気 に とりつかれて,い っしょになろうときめている。梶棒 で も引
き離 しはで きない。 (5幕 2場 )(私 訳 ,以 下 同 じ)
ともか く,一 日惚れの恋 とはこういうもので はなか ろうか。他 の作品 にも多 くの一 目惚れの恋人
たちが い るが, この種 の突飛 さがある。
私 たちが早送 りのテープ を聞 くように,彼 らは突如 として恋 をす る。 一 日惚れ の恋 はどれ も不 自
然 といえば,不 自然 といえる。逆説的 に言 えば,不 自然 であることが 自然 なのである。
で は,恋人 たちの突然 の心変わ りがJい 理的 に理解 され る以上 ,そ れ を引 き起 こす妖精 の惚 れ薬 は
不要で はないか ということになる。実際,そ れ は不要 なのである。 しか し,恋 人 たちの心理 は説明
で きて も,劇 その ものは大 きく変わる ことになるだ ろう。
で は,そ れがない『夏の夜 の夢』 を考 えてみよう。
なかった場合 ,劇 作 りの次の三つのことが 目につ くだ ろう。
その第 一 は,恋 人 たちの心変わ りは,結 論 として は不 自然 で はない として も,そ れ を心理的に不
自然 で はない と観客 に理 解 させ る別 の手立 てが必要であろう。例 えば,『 ロ ミオ とジュリエ ッ ト』で
は,他 の要素 (ま たは人 )を 取 るに足 らない ものだ と考 えさせ るような,ジ ュ リエ ッ トにた いす る
ロ ミオの強 い情熱的 な愛 な どである。 この劇 で もそれ を補 う ことはで きるが,そ うなれば喜劇 の恋
としては不適 となるだろう。
第 二 は,妖精 が惚 れ薬 を使わずに,そ の超 自然的な力 で,恋 人 たちを心変わ りさせ ることが考 え
られ る。 しか しその場 合 は,惚 れ薬 のような,具 象的な分 か りやすさがな く,そ の心変わ りが引 き
起 こす はずの喜劇感 の欠 如 が 目につ くことだろう。
第 二 は,惚 れ薬 に似 た ものを人間が用 いて,恋 人 たちの まぶたにぬることが考 えられ る。しか し
,
人間には妖精 の神秘的な力 がないため,そ の薬剤 の効果 も半減 し,妖 精 自身 が与 える惚れ薬 の強力
な速効性 は期待 で きない ことになる。
結論 として,妖 精 の惚れ薬 はな くともよいが,な ければ この劇 は違 った種類 の もの とな らざるを
えない ことになる。楽 し くて,爽 やかで,さ まざまな法則 ,呪 縛 か らとき放 たれた解放感 ,爽 やか
な季節 に見 た楽 しい夢 の喜劇感 が,こ の劇 か ら消 えて しまうことだろう。
そうい う意味で,こ の劇 には妖精 の惚 れ薬 は再 び必要 となって くる。
登場人 物 には見 えない存在 である妖精 が,観 客 には見 え,そ の妖 精 が登場人物 に働 きか けるため
に,彼 らの心が変化する さまが,私 たちには面 白い ように分か るのである。人間 の心理 現象 ,特 に
愛 とい う不可思議な現象の変化が,こ こで は具 象的 に喜劇的に表現 されていることになる。 これ こ
そが この劇 の根幹 であろう。
しか し,次 のような問題 もある。
恋人達 の突然の心変わ りは このよ うに理解で きる として も,ろ ばの頭 をのせ られたボ トム をどの
ように理 解すれば よいのだ ろうか。
パ ックが ボ トムに ろばの頭 をのせ る。 ろばの頭 をのせ られたボ トム は,ろ ばのような人 (馬 鹿 )
鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第 44巻
第
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(1993)
とな り,妖 精 の女王 タイタニ アに愛 され る。比喩 を介 して,ボ トム はろば人間 とな り,そ の人間に
許 された異界 にはい ることになる。
ボ トム は異界 にはいって,妖精達 を直接見 ることがで き,直 接話す ことがで きる こととなる。彼
は異界の住人 となって い るのである。
ボ トム は妖精 と同次元 の存在 となったが,こ れ は比 喩 だけで は説明で きない。オベ ロン とタイタ
エ ア も妖精であ り,超 自然 の存在 である。超 自然力 を持 つ た ものが,同 じ超 自然力 を持 ったものに
,
人間がなされ るの と同 じ惚 れ薬で,ボ トムに恋 をさせるのは,パ ックが ライサ ンダーにしたことと
は異質 である。後者 は人間の心理現象 ともそごをきたす ことはないが,前 者 はそうで はない。異次
元の住人が人間に恋 をす る とい う異次元 の世界 の出来事 である。
現実的な言葉 を使 つて表現すれ ば,ボ トムは愚かな人間 にのみ許 されたろば人間 となって,現 実
世界 で は不可能 な ことが可能 となる夢 の世界 にはいった ことになる。 その夢 を表現す る言葉 は,夢
か らさめて もとの人間世界 に帰 って きたボ トムが,愚 かな男 にぶ さわ しい支離滅裂 な言葉 で しか表
現 で きない ものである。
おれ はまった く妙 な ものを見た。おれの見 た夢 はどんな夢か人間の知恵
で はとて もい えない ものだ。 これを説明 しょうとするや つ はバ カだ,い
や ログヾだ。た しかおれ は一おれが経験 したような ことをい えるや つがい
るものか。たしかおれ は一たしかおれの頭 に一 しか しまてよ,お れの頭
にのって い た ものがなんだったか いお うとす るや つ は阿果 だ。人間の目
が聞 い た こともない,人 間 の耳 が見 た こともない,人 間 の舌 が考 えた こ
ともない,人 間 の心が しゃべ った ことのない もの一おれの夢 つてそんな
ものだったなあ。 (4幕 1場 )
このよ うにして,こ の劇 で は恋人 たちの突然の心変わ りと妖精 の女王 とのボ トムの不思議な体験
が い きい きと描 かれている。
そして最終幕 で は, これ ら二種 の出来事 に最後 の解決 が与 え られて い る。
ヒポ リタが「 あの若 い恋人 たちの話 しはほん とうに不思議ですね」 と尋ね,そ れ にたい してシー
シュースは次 のように答 えるか らである。
本当 とは思 えぬほ ど不思議 な話 だ。 こんな奇想天外 な話 ,こ んな他愛 も
ない話 は,信 じられないほどだ。恋人 たち と狂人 は熱 っぽい頭 をもち
,
ものを作 り出す想像力 をもって い る。 そのために,冷 静 な理性で は考 え
つか ない ような ことを思 いつ くのだ。狂人 と恋人 と詩人 は想 像力 で こ り
かた まって い る。巨大な地獄か らはみでるほ ど多 くの悪霊 を見 る,そ れ
が狂人 だ。 それに劣 らず狂気 にか られ る恋人 は,ジ プシー女の顔 に絶世
の美女 ヘ レンを見 る。詩人 の 目 は霊妙なる狂気で まわ りまわ り,天 か ら
地 へ,地 か ら天 へ と視線 を移す。そ して,想 像 の力 は未知 の事物 の形 を
作 り出すにつれ,詩 人のペ ンはそれ らの ものに形 をあたえ,あ りもせぬ
空気 に等 しい ものに,そ の場所 と名前 を与 える。強烈の想像力 はこのよ
うな魔力 をもって い るので,何 か喜 びを思 いつ くだけで,想 像 の力 はた
ちまちその喜びをもた らす ものを知 る。 あるいは,夜 中 になにか恐 ろし
いの を想像す るだけで,簡 単 に草 む らが熊 にも見 えて くるのだ。(5幕
場)
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岡村俊明 :見 えない世界の住人たち一『夏の夜の夢』論
恋人 は狂人 に等 しい ことになる。冷静 な理性 では考 えつか ない ことをす るか らである。 そして こ
の恋人 の心の動 きは,詩 人 の想像力 と結 びつ けられて い る。
霊感 をえた詩人 の想像力 は,未 知 の ものに も形 を与 え,ど んな不可思議 な もの も作 り出 して しま
うことになる。この劇 の恋人 たちやボ トム の異界 での体験 を作 りだ した もの も詩人 の想像力 である。
詩人の想像力が作 りだ した妖精 は,別 な役割 をになっていることが劇 の最後 で分 かって くる。
パ ックは
,
私 たち影 のごときものが,皆 様 のご満足 にかない ません ときは,こ れ ら
の幻 が現れてお りましたあいだ,皆 様 が,た だ しばらくまどろまれた
,
と思 っていただ ければあ りがたい ことで す。 このつ まらない,た わ いの
ない話 は,た だ一 時 の夢 のような もので ござい ますので,皆 様 のお とが
めだてがな ければ と存 じます。 もしお許 しい ただけました ら,私 たちこ
ん ごは改 めるつ もりで ございます。 (5幕 1場 )
これ はきわめて重要な意味 をもつ最後 の台詞 とい うことになる。
第一 は,ボ トム は夢 をみて きたが,一人 ボ トムぼか りでな く,こ の芝 居 を見て い る観客すべ てが
夢 を見て きた,と い う構 図 を提供 して きた ことにな る。
第 二 は,ア セ ンズ の職人 たちの劇 中劇 の演技 ばか りでな く,役 者すべ ての演技 のつたなさにたい
して,パ ックがかゎって観客 に詫 びてお り,観 客 が批評家 として これ を許す とい う構図 を提供 して
い るのである。
第 二 は,妖 精 は影 のように実体がな く,見 えない存在 といいなが らも,現 実の人間の影(ShadOWl
と言 う意味で,役 者 であることを示 しているので ある。役者 とは現実 の人 間 や この世 の出来事 を舞
台にのせ る虚構 の存在 であるが,こ れ こそ現実である。 また妖精 も虚構 の存在であ りなが ら,現 実
の存在である。
最後の台詞で,異 界 の住人達 の出来事 は,演劇的 に見事 に解決 されている。そして この言葉 は
シェイクス ピアが い う
,
,
どんな芝居 も要す るに人生 を映す影 にす ぎな い。 (5幕 1場 )
と呼応 している。
(1993年 4月 20日 受理 )
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