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社会的生産基盤を支える地域コミュニティの役割
遠州尋美
日本福祉大学
目次
はじめに
1.バブルの崩壊,グローバル化と製造業の危機
1―1.土地・証券バブルの崩壊
1―2.バブルとその背景
1―3.バブルの崩壊,グローバル化と産業構造の変化
2.空洞化の懸念と産業構造調整論
2−1.空洞化懸念の高まり
2−2.空洞化否定論で貫かれた経済白書
2−3.政府,財界の産業構造調整論
2−4.産業構造調整論の落とし穴
3.日本の主要産業地域を支えた構造
3―1.投入産出関係から見た関連集積地の形成と変動
3―2.地域的生産集団の諸特徴
(1)西三河産業地域
(2)大田区産業地域
4.円高・バブル及びその崩壊と産業地域
4−1.自動車産業における階層的下請関係の解体
(1)バブル及びその崩壊と西三河産業地域
(2)トヨタグループ企業の多角化戦略と「系列」関係の相対化
1) 多角化戦略
2) 脱トヨタ化と「系列」の相対化
3) 「系列」相対化の背景
(3)多角化と「系列」関係の相対化がもたらすもの
4−2.大田区産業地域における空洞化の進展
(1)バブルとその崩壊による企業淘汰
(2)技術基盤崩壊の危機
5.東アジアのバブル崩壊と産業集積問題
5−1.東アジア経済の危機
5−2.アジア危機と進出企業
5−3.アジアの危機と産業地域の重要性
6.社会的生産基盤の再建による危機の克服
6―1.グローバル化と社会的生産基盤
6−2.社会的生産基盤の整備における中央政府の役割
6−3.社会的生産基盤の整備における地域コミュニティの役割
―墨田区の経験とその教訓―
(1)日本の生活文化を支えてきた墨田区産業地域
(2)「工房文化の都市」建設をめざした墨田区産業政策
1) 「中小製造業基本実態調査」−墨田区産業政策の起源
2) 『イーストサイド』と墨田区産業政策の概要
1
3) 「3M」運動の展開
(3)バブル崩壊後の不況の長期化と墨田区産業地域
(4)域内循環を生み出す積極的産業政策の展開へ
はじめに
1980年代,主要先進諸国が国際競争力の低下と高失業率などの問題に苦しむ中で,日本経済は
順調な拡大を続け,21世紀には合衆国に代わって世界経済の牽引車の役割を果たすことを期待さ
れていた。日本の高い国際競争力の秘密を探ろうと,世界中の研究者が日本研究に熱中し,合衆
国をはじめ,先進諸国の主要企業が日本的生産システムの導入にしのぎを削った。
量産された日本研究,あるいはその対極として,合衆国経済のパフォーマンスの低下と企業競
争力の減退の原因を究明し,競争力回復への処方箋を提供しようとした研究は様々である。
あるものは,単一モデルの大量生産によって規模の経済を実現しようとする伝統的大量生産シ
ステムの限界を主張し,トヨタの「ジャスト・イン・タイム」システムに代表される,市場対応
型の,相対的な多品種少量生産システムの優位性を検証しようとした。例えば,MITが5年の歳
月と500万ドル以上を投じた自動車生産システム研究プロジェクトは,各国の代表的自動車生産
工場の労働投入量を仮想的モデル車種当たりに換算することによって,工場ごとの労働生産性の
比較を試みた。その結果,日本の自動車メーカー各社の日本国内工場の労働生産性が最も高く,
ついで合衆国内の日系企業工場,合衆国企業の国内工場が続き,ヨーロッパ企業の労働生産性が
最も劣ることを見出した。同時に,合衆国企業の国内工場の労働生産性に著しい向上が見られた
ことから,日本的生産システムの優位性は明らかだが,そのシステムは移転可能であり,移転に
よって合衆国企業の競争力は回復しうると結論づけたのである(Roos, Womack, Jones 1990)。
またあるものは,全米自動車労組などとの紛争の歴史の中で築かれた対決的労使関係の硬直性
に対する日本的労使慣行の柔軟性に注目した。景気循環に対応してレイオフと再雇用を繰り返し,
職種別に固定的な賃金体系を持つアメリカ的雇用システムよりも,生涯雇用,年功制賃金,ボー
ナスによる利益分配などを特徴とする日本的雇用システムのほうが,労働者の企業への忠誠を引
き出す上で優れていると主張された。工程別に職種が細分化され,単一工程にのみ固定的に従事
するアメリカ的労働編成の硬直性に対し,一人の労働者が複数の工程をこなし,配置転換によっ
て異なる職場を経験する日本的労働編成の柔軟性が強調され,「改善グループ」や「QCサークル」
は,労働者の経営参加を促進する民主的労使慣行であり,イノベーションの源泉であるともては
やされたのである(Roos, Womack and Jones 1990; Detouzus et al. 1989; Halberstam 1986)。
日本製品の品質の高さ,消費財生産分野での技術革新の活発さに対しては,四半期ごとの業績
評価に追われるアメリカ企業の短期的経営姿勢に対比して,株式持合いや系列を基礎とした日本
2
企業の長期的経営戦略が評価された。政府主導による戦略的産業政策も脅威の的となり,日本異
質論の根拠のひとつとなった。1980年代までのMITI(通産省)は,世界最強の競争力を誇る日本
産業の守護神としてあがめられていたのである(Johnson 1983; Okimoto 1990; Detouzus et al.
1989; Jacobs 1991)。
こうした様々な研究の結果導き出された結論の中で,最も重要なものは,次の4点であった。
第一に,高品質で市場のニーズにマッチした競争力のある優れた製品を生み出す上で,経営と
研究開発,生産現場の緊密な連携が重要だということである。イノベーションはショップ・フロ
アからしか生まれないという主張は,世界本社の最上階にあるゆったりしたオフィスで,現場の
実態も知らずに,地球規模で分散した生産工場,R&D(研究開発)センター,セールス・オフィ
スから送り込まれるグラフや表だけをにらんで経営戦略を練っていた,大量生産型大企業の経営
陣への痛烈な批判を含んでいた。経営と研究開発,生産現場の緊密な連携は,通信回線による情
報の伝達だけでは実現できず,フェース・ツー・フェースのコミュニケーションが行い得るよう,
それぞれの空間的近接性の確保や人事交流の活発化も必要だと結論された。
第二に,プロダクト・イノベーションだけではなく,プロセス・イノベーションに目を向けた
と言うことである。もちろん,プロダクト・イノベーション,すなわち,他の企業にはまねので
きない斬新な製品を開発するということは,絶対的に重要だ。しかし,現実にそれが企業業績に
寄与するには,何よりもそれが市場で売れなければならない。機能的にどれほどすばらしくとも,
消費者の購買力の彼方にあっては何の意味もない。安く,しかも高品質な製品を,歩留まりよく
生産するということが一層重要だ。企業の収益の源は,優れた製品を開発する事以上に,高品質
の製品を効率よく生産する生産プロセスを実現できるか,ということにかかっていたのである。
20世紀のはじめにフォードが大量生産システムを生み出したのと同様なインパクトを,トヨタの
ジャスト・イン・タイムが与えたのだった。
第三に,コマーシャル・プロダクション(消費財生産)の重要性を強調したことである。半導
体やマイクロ・プロセッサ,液晶など,現在のハイテク生産物のもととなる技術のほとんどは,
合衆国の企業や研究者によって開発された。しかし,それらは単独では利益を生まない。日常的
に我々が使用する様々な消費財に組み込まれてはじめて市場に出ることができ,従って,生産者
に利益をもたらすことができる。合衆国は,科学技術のブレークスルー(大躍進)を達成する上
では,他国の追随を許さないが,その技術を日常我々が使う様々な消費財に応用し製品化する上
では,日本企業に遙かに及ばない(Florida and Kenney 1990)。軍事利用に限られていたカー
ボン・ファイバーが,ゴルフクラブのシャフトや釣り竿に使われて,はじめて大量に消費される
道が開けたように,技術の有用性は,消費者の検証を経て利益に転化されうるのである。
3
第四に,競争力を高める上で,代表的大企業の経営努力や生産システム以上に,中小企業とそ
の地域的集積が果たす役割が重要だと言うことである。内製化率が高く,下請け企業との関係が
希薄な合衆国大企業に対して,日本の大企業は多数の下請け企業と長期的,安定的な関係を有し,
製品開発プロセスにも参加させるとともに,大企業の監督下で下請け組織の末端まで省力化,合
理化を徹底してきた。最小の開発投資,短い開発期間で,欠陥の少ない高品質の製品を効率よく
生産できたのは,地域的に凝集された高度な下請け組織に負うところが大きいのである。
ところが,1990年代に入ってバブルが崩壊し,それまで高度成長の陰に隠れていた政・財・官
の醜い癒着があからさまになると,日本システムの輝きは急に色あせたもののように思われるよ
うになった。しかも,他方で,あれほど競争力の後退に苦しんでいた合衆国経済が回復し,あた
かもインフレなき持続的成長を達成しつつあるかのように思われるようになると,80年代の日本
研究が明らかにした論点は,闇の彼方に押しやられてしまった感がある。
代わってメディアや書店に平積みされた膨大な新刊書を通して流布されるようになったのは,
次のような議論である(日本経済新聞社 1995他)。
第一は,グローバリゼーションの進展を前提とし,新たな装いを凝らした国際分業論である。
すなわち,経済活動において事実上国境の壁が失われてしまった今日においては,先進国の生産
労働者は低賃金の途上国労働者と直接的な競争にさらされるようになっており(Reich 1991),
労働集約型の低付加価値部門が途上国に移転するのは当然の流れである。従って,先進国は,低
付加価値部門を維持し保護することをやめ,高付加価値部門へ経済の構造転換を図ることこそが
重要だと主張する。別の言い方をすれば,高度金融機能を軸とする情報化・サービス経済化推進
論であり,モノづくりからの撤退論でもある。そしてさらには,このような転換は,短期的には
中小企業の倒産や失業の増大を招くものの,中長期的には新しい競争力のある産業を育て,雇用
の拡大にも結びつくと結論づける。
80年代の日本システムの躍進から引き出された,経営と研究開発,生産現場の緊密な連携とモ
ノづくりの復権という教訓(Cohen and Zysman 1987)は完全に否定され,グローバリゼーショ
ンの進行を,先進国経済の空洞化をもたらすものではなく,むしろ,大量生産経済に代わる新た
な経済秩序への発展過程として,積極的に評価するものへと取って代わられた。
第二に,上述した新国際分業論の立場は,当然のことながら,バブル崩壊後の不況にあえぐ日
本経済への処方箋として,規制緩和と市場開放の一層の推進を主張し,金融ビッグバン待望論を
展開することになる。「護送船団方式」と言われて日本経済の躍進を支えてきた通産省主導の産
業政策や大蔵省主導の金融政策は,経済の非効率や,政・財・官の癒着と腐敗の元凶とされ,経
4
済システムとは直接関係のない,環境規制や都市計画規制などの社会的規制までが攻撃の対象と
なっている。
第三の論点は,日本的経営・労使慣行からの脱却である。右肩上がりの成長神話が崩壊したも
とでは,かつては労働者の忠誠を引き出すシステムとして評価された生涯雇用や年功制賃金を維
持することが企業にとって重荷になってきた。とりわけ,大幅なリストラによって競争力を回復
した合衆国大企業と競争する上で,ホワイトカラーの生産性の低さが問題とされている。年俸制
や能率給,退職金の先取り支給など,これまでの労使慣行を覆す賃金システムの導入が図られる
ようになり,派遣社員や嘱託,臨時雇用への依存が急速に高まった。このような労使関係の変化
に対応して,今春(1998年)には,労働法の全面改定がはかられようとしているのである。
第四は,デファクト・スタンダード(事実上の業界標準)の重視と収穫逓増論の登場である。
企業が成功できるかどうかの鍵を握るのは,必ずしも,性能の上で優れた商品を市場に出すこと
ではない。ビデオ戦争で,性能の上で明らかに優れていたソニーのベータ方式がVHF方式に敗れ
たように,性能が劣っていても市場を支配することができる場合がある。これは,ソフト・ウェ
アとハード・ウェアとが分離し,それぞれ異なる企業によって生産される傾向が強まったことに
起因するものであり,それによって80年代前半までとは全く異なる競争関係が出現したのである。
AV製品や情報通信機器,マルチメディアなどの最先端製品群は,ハード・ウェアそのものだけ
では全く用をなさない。CD,レーザー・ディスク,ビデオ・テープ,アプリケーション・ソフト
などと同時に使用してはじめて役割を発揮するのであって,そのためにデータの記録・再生方法,
通信方法などの規格化,標準化がはかられねばならなくなった。その結果,ある特定の方式がシ
ェアの過半を占めて事実上の標準となると,たとえ,その方式が他の方式よりも劣っていても,
ソフト・メーカーはこぞってその方式を採用するようになる。魅力あるソフト・ウェアに乏しい
他の方式の劣性は一層助長され,市場占有率の格差は一層拡大する。かくして,それまでの経済
学の常識を覆し,収穫逓増の法則が支配することになったのである。この最も良い例がマイクロ
ソフトのウィンドウズとインテルのマイクロプロセッサの組み合わせであろう。性能や機能に優
れたアップルのマックOSとモトローラのマイクロプロセッサの組み合わせは,アップルがマック
OSの公開を拒み,自ら標準化への道を閉ざしたために,せっかくのチャンスを失ったのである。
しかし,それならば,80年代の生産システム研究の結論は誤りだったのであろうか。新国際分
業論や規制緩和論に従って,モノづくりから撤退し,生産機能の海外展開とサービス経済化を推
進することが,日本経済の再生の方向を示すものと考えてよいのだろうか。日本のバブルと崩壊
が日本の代表的な産業地域に与えた影響を分析することによって,規制緩和路線と構造転換論が
空洞化を推し進め,日本経済の回復と発展の基盤を掘り崩す危険を持つことを論じるとともに,
5
80年代の生産システム研究の意義を改めて確認し,地域産業の発展における社会的生産基盤とそ
れを支える地域コミュニティの役割について論じたいと思う。
1.バブルの崩壊,グローバル化と製造業の危機
1―1.土地・証券バブルの崩壊
戦後最長と言われ,バブルに踊った「平成景気」が崩壊し,一転して戦後最悪の「平成不況」
に陥ってすでに8年が経過した。この間,回復基調に戻ったと思われた時期もあったが,1997年
4月の消費税増税や社会保険料率の引き上げ等による国民負担の増加と,その後に襲ったアジア
諸国の通貨不安,山一証券や北海道拓殖銀行の経営破綻に端を発した金融不安の再燃によって,
再び出口の見えない不況へと後戻りした。
バブルが崩壊した結果,「平成景気」が実体経済の拡大をある程度は反映していたとしても,
主要には土地と金融の投機的側面により強く依存していたことが明らかとなった。
まず,バブル崩壊を象徴的に表している株価の下落を戦後の不況時の株価下落と比較してみる
と,バブル崩壊が如何に深刻であったかがわかる。
表1.戦後の主要な株価の下落
1949∼50年
1952年
1961∼65年
1971∼74年
1987年
1989∼1992年
ドッジデフレ
スターリン暴落
40年不況
第一次オイルショック
ブラックマンデー
平成不況
-51.8%
-38.7%
-44.2%
-37.2%
-21.1%
-63.2%注)
注)1992年8月18日東京証券取引所一部平均株価14,309円(終値)を底値として計算。
(出所)日経新聞1992年8月19日他。
戦後,今回の不況まで,最も深刻な株価の下落は,1949年から50年にかけて生じたいわゆるド
ッジデフレによるものであった。中国革命の進展によって,日本を反共の防波堤として急速に復
興させる必要を感じていたアメリカ合衆国は,1949年2月,デトロイトの銀行家であったジョセ
フ・ドッジを占領軍の財政顧問として送り込んだ。彼は激しいインフレを収束させるために,極
端な緊縮政策を断行した。財閥に対する攻撃は中止され,円とドルのレートは固定された。国家
予算が劇的に切り詰められた結果,借金を抱え,生産能力が低い割に大勢の労働者を抱えていた
中小企業が大量に倒産した。大企業でも大量解雇が強行され,解雇者数が三分の一に達した企業
もめずらしくはなかった。労働争議が頻発するが,占領軍の指示のもとに経営側が勝利し,大企
6
業の地位はこれ以後確たるものとなったのである(Halberstam 1986)。厳しい緊縮政策の結果,
インフレは鎮静するが,株価は51.8%もの下落を記録し,このときの経済の冷え込みはのちにド
ッジデフレと呼ばれるようになったのである。
1960年代前半の40年不況では44.2%,日本の高度成長に終止符を打った第一次オイルショック
でも37.2%の下げを記録するが,ドッジデフレを上回ることはなかった。ところが,バブル崩壊
後の株価下落は,これまでとは全く様子の違ったものとなった。1989年12月に38,915円の史上
最高値をつけた東京証券取引所一部(以下,東証一部)平均株価は,1992年3月16日,5年ぶり
に2万円を割るとそのまま反騰することなくあっさりとドッジデフレの記録を上回った。8月18
日には14,309円まで下落したのである。1989年の最高値以来の下げ幅はなんと63.2%,2年9
カ月で,失われた株式時価総額は,東証一部だけでもほぼ日本のGNPに匹敵する規模と推定され
る。
バブルのもう一方の主役であった地価も,株価と同様の歩みをたどった。新聞各社は,1992年
3月27日付け朝刊で,国土庁発表の1992年1月1日付け公示地価が,前年1月1日の公示地価か
ら17年ぶりに下落したことを大きく伝えていた。1990年の中頃から頭打ちの傾向を見せていた地
価は,1991年に入ってはっきりと下落に転じていた。公示地価の下落は,田中角栄の『日本列島
改造論』による狂乱地価の後,オイルショックによって景気の落ち込んだ1975年以来のことであ
った。新聞各社の論調は,地価の下落による経済への悪影響を心配するよりは,むしろ政府の地
価対策が後退することを懸念し,一層の地価下落を期待するものが多かった(1992年3月27日付
『朝日新聞』社説など)。この時点では,地価の下落は一過性のものと認識されていたのである。
しかし,その後も地価は下げ止まらず,1997年1月1日の公示地価まで6年連続の下落となった。
この間の地価下落は,ピークであった1991年1月1日に比べ,全国平均で,住宅地では22.5%,
商業地では43.5%であったが,とりわけ大都市圏の商業地で下げ幅が大きく,東京圏で62.5%,
大阪圏ではなんと68.3%も下落したのである。住宅地ではバブル以前の1986年に比べ,依然とし
て1.5倍程度の水準であるが,商業地についてはほぼバブル以前の水準に戻ったことになる。さし
もの土地神話も完全に崩壊した。
7
表2.公示地価の変化
87年
<住宅地
>
東京圏
88年
89年
90年
91年
92年
(%
指数
(%
指数
(%
指数
(%
指数
(%
指数
(%
指数
)
)
)
)
)
)
21.5
52
68.6
87.6
0.4
88
6.6
93.8
6.6
100
-9.1
90.9
大阪圏
3.4
38.2
18.6
45.3
32.7
60.2
56.1
93.9
6.5
名古屋圏
1.6
56.1
7.3
60.2
16.4
70
20.2
84.2
全国平均
7.6
57.2
25
71.6
7.9
77.2
17
<商業地
>
東京圏
48.2
55.2
61.1
89
3
91.7
大阪圏
13.2
34
37.2
46.6
35.6
名古屋圏
6.4
48.5
16.8
56.7
全国平均
13.4
56.4
21.9
68.8
93年
94年
100 -22.9
77.1
18.8
100
-5.2
94.8
90.3
10.7
100
-5.6
94.4
4.8
96.1
4.1
100
-6.9
93.1
63.2
46.3
92.5
8.1
100 -19.5
80.5
21
68.6
22.4
84
19.1
100
-7.6
92.4
10.3
75.9
16.7
88.6
12.9
100
-4
96
95年
96年
97年
<住宅地
>
東京圏
(%
指数
(%
指数
(%
指数
(%
指数
(%
指数
)
)
)
)
)
-14.6
77.6
-7.8
71.6
-2.9
69.5
-5
66
-3.4
63.8
大阪圏
-17.1
63.9
-6.8
59.6
-1.9
58.4
-4.3
55.9
-2.2
54.7
名古屋圏
-8.6
86.6
-6.1
81.4
-4
78.1
-3.6
75.3
-1.7
74
全国平均
-8.7
86.2
-4.7
82.1
-1.6
80.8
-2.6
78.7
-1.6
77.5
<商業地
>
東京圏
-19
75.4 -18.3
61.6 -15.4
52.1
-17.2
43.2 -13.2
37.5
大阪圏
-24.2
61 -19.1
49.4 -15.3
41.8
-15.8
35.2
-9.9
31.7
名古屋圏
-13.7
79.7 -11.5
70.6 -12.7
61.6
-12.6
53.8
-8.5
49.3
全国平均
-11.4
85.1 -11.3
75.4
67.9
-9.8
61.2
-7.8
56.5
-10
(出所)総務庁統計局『第46回日本統計年鑑』他
1―2.バブルとその背景
戦後最長と言われた「平成景気」が,土地・証券バブルに踊らされたものであったことは,株
価と地価の上昇を,その他の経済指標と比較してみると,一目瞭然である。バブル以前の1983年
からバブル最盛期の1990年のはじめまで7年間の各種指標の変化を見ると,消費者物価は極めて
安定していて1.1倍,京浜地区に居住する人々の世帯収入は1.4倍,またGNP名目値の上昇率は1.5
倍にすぎなかった。ところが,東京圏の住宅地地価は2.3倍に,東証一部平均株価は4倍にも急騰
した。株価と地価の上昇率が飛び抜けて高かったのである。
このバブルの背景となったものが,公定歩合を史上最低の2.5%まで引き下げた超低金利政策と
金融自由化に後押しされた,エキティ・ファイナンス(株式の増発によって行う資金調達)にあ
8
ったことは疑いない(宮崎 1992)。しかし,見逃してならないのは,土地・証券バブルは円高
不況を脱出するために意図的に煽られたものだったことである。
バブルが膨張し始める直前,日本は円高不況に見舞われていた。円高容認・ドル安肯定で合意
した先進5カ国蔵相会議(G5,1985年9月)を受けて円が急騰し,輸出産業が大きな打撃を受け
たのである。日本政府は,貿易黒字を抑制するため,「内需型経済構造への転換」を国際的に公
約していたが(いわゆる前川レポート),そのために実施した内需拡大策は,中曽根内閣が打ち
出した民間活力活用政策を大規模に推進することにほかならなかった。すなわち,公定歩合を史
上最低まで引き下げるとともに,電電公社,専売公社の民営化に引き続いて国鉄の分割・民営化
を断行し,国公有地とNTT株の売却を進め,民活法(民間事業者の能力の活用による特定施設の
整備の促進に関する臨時措置法,1986年),リゾート法(総合保養地域整備法,1987年)に基
づいて規制緩和を進めながら,NTT株売却益などを原資に,大量の資金を大規模公共事業と民間
開発に注ぎ込んだ。同時に,改定中の第4次全国総合開発計画では東京の国際金融センター構想を
打ち出し,オフィス需要を過大に見積もって再開発ブームをあおり立てた。周知の通り,今回の
土地の暴騰が国有地の払い下げをきっかけとして始まったが,株高もNTT株の上場を成功させる
ために政治的に操作されたとも言われている。このようにして演出された空前の開発ブームと株
式投資熱のなかで,大企業は,土地投機,株式投機を円高不況乗り切りのために利用した。すな
わち,日本の輸出産業は,巨大な貿易黒字に表れているように,空前の利益をあげていたが,円
高による景気の後退が懸念される状態では,設備投資を拡大することはできなかった。大企業は,
莫大な余剰資金を土地投機,株式投機にふりむけたのである。地価の急騰は,とりわけ構造不況
業種といわれた重厚長大産業にとっては打ち出の小槌だった。臨海部に膨大な土地を持つ製鉄・
造船・金属関連の大企業は,何の労力もなしに莫大なキャピタル・ゲインを手中に出来たからで
ある。1992年分の地価税申告では,課税地の9割が法人の所有であり,さらに55%は資本金10
億円以上の大企業の所有であった。投機による法人への土地集中の実態が明らかとなったのであ
る(『朝日新聞』 1993年2月26日)。
このキャピタル・ゲインは,いったいどれだけの規模に達したのであろうか。都留(1990)は,
日本における異常なキャピタル・ゲインの背景を分析し,企業保有資産の含み益とそれを目当て
とした金融機関の行動について警告している。まず,バブル最盛期であった1988年についてのあ
る試算では,この年全国で発生した土地に関わるキャピタル・ゲインは416兆円に達し,GNPの
343兆円をはるかに上回っていたと言われている。ちなみに,この年のアメリカ合衆国の土地に
関するキャピタル・ゲインは,GNPの3%だったというから,いかにすさまじいものであったか
がわかる。もちろん,売買を通じて実際に実現されたものははるかに小さかったであろう。しか
9
し,法人が所有する土地の場合,例え実現されず含み益として残されていても,それを担保とす
る金融措置や,株価の上昇に寄与することによってエキティ・ファイナンスを容易にした。これ
を国土庁の報告によってみると,1988年における企業の土地の総資産額は514兆5千億円に達っ
するが,他方帳簿価格は80兆6千億円なので,その差433兆9千億円が含み益と言うことになる。
1970年の同様の試算では,土地総資産額は42兆5千億円,帳簿価格7兆6千億円,含み益は34兆9
千億円だったから,結局18年間に含み益を400兆円拡大したことになる。都留がとりわけ注目す
るのは,同じ報告が,法人の持つ未利用地のうち78%には利用計画がなく,また利用していない
理由の50%は「当初から利用する意志なし」であったと指摘している点である。1978年の調査で
は「当初から利用する意志なし」は9%に過ぎなかったから,明らかに含み益を目的とした企業の
土地所有が増大したのである。
1―3.バブルの崩壊,グローバル化と産業構造の変化
円高不況による金余り対策が生んだ土地・証券バブルの崩壊は,実体経済の縮小と連動してい
た。景気の後退とともに消費は伸び悩み,企業は設備投資を手控えるようになった。あまりにも
急激な地価の上昇から住宅建設も停滞した。この状況は1992年に入ってますます深刻になり,4
―6月期には国内総生産(GDP)はマイナスとなり,7―9月期にはついに国民総生産(GNP)
もマイナスとなった。1989年に消費税導入のかけ込み需要の反動から一時マイナスになったこと
はあるものの,実質的には円高不況時の1986年1―3月期以来,6年半ぶりのマイナス成長であ
った。GDPは1992年を通じて回復せず,1992年度の成長率は0.8%と,ついに戦後2番目に低い
成長にとどまったのである。その後やや持ち直すかと思われたGNPも,証券不祥事の発覚や阪神
淡路大震災の影響などによってそのつど回復の芽を奪われ,1997年4月の消費税導入をきっかけ
として,後退局面へと後戻りすることになった。
バブルとその崩壊による深刻な不況は,日本の産業構造にも重大な影響を及ぼさざるを得なか
った。その影響は,とりわけ,製造業に最も厳しくあらわれた。図1に見るように,製造業の国
内総生産(名目値)は,卸売・小売,サービス,不動産,建設など他の経済活動分野が,バブル
崩壊後も増加ないしは横ばいであるのに対し,不祥事に揺れた金融・保険業とならんで,1990年
の水準を割り込み,一貫して減少傾向にある。
10
10億円
500000
450000
農林水産業
鉱業
400000
製造業
建設業
350000
300000
電気・ガス・水道業
卸売・小売業
250000
金融・保険業
不動産業
200000
150000
運輸・通信業
サービス業
100000
50000
5 年 1993
60 年 1985
昭和50年 1975
0
図1.名目GDPの変化
(出所)総務庁統計局『第46回日本統計年鑑』4-8表より作成
このような製造業の収縮は,貿易摩擦や円高による輸出品の国際価格の急上昇の影響を回避す
るために,保護主義傾向を強める合衆国やヨーロッパ,あるいは労働コストの安い途上国へ生産
拠点をシフトさせてきた,代表的輸出企業の動向と結びついている。日本の製造業の海外生産比
率は,通産省の工業立地動向調査などによると,円高直前の1985年には3.0%にすぎなかったが,
1992年度には6.2%,1993年度末には7.4%に達し,現在では10%を越えていると推定される。
海外生産を行う企業数は1996年には5,000社を越え,最近の円安でやや減速したものの,この流
れに歯止めをかけることは難しい。しかも,同時に,部品の海外調達も増加している。
11
とりわけ,海外展開が著しいのは,日本の代表的輸出産業である電子・電機と自動車産業であ
る。
製品ロットが相対的に小さな電子・電機は,比較的早い段階から,低賃金労働力を求めて組立
加工部門の海外移転を積極的に進めてきた。特に,1990年代に入って東アジア諸国の急成長が始
まって以降のアジア展開には目を見張るものがある。海外進出の先頭を切ったのは,音響機器メ
ーカーのアイワで,1993年度末にはその海外生産比率は77%,94年度には81%,95年度上期に
は86%,同年度末ではついに88%に達した。同じく音響機器メーカーのパイオニアもアイワを急
追し,94年度上期には20%にすぎなかった海外生産比率を,95年度末には35%,96年度末には
50%へと引き上げた。音響機器に限れば,海外生産比率は80%に達するのである。大企業も同様
で,松下,ソニーらの大手電機5社の海外生産比率は,すでに30%を上回っている。
このような電子・電機メーカーの急速な海外進出によって,電子・電機分野における生産地地
図に大きな変化が生じたのは当然である。1994年度には,アジアにおける日系企業全体の生産額
は,4兆5600億円と国内生産の2割を占めるまでになったが,音響映像機器ではすでに国内生産
を上回り,1兆2900億円と国内生産の1.3倍の規模に達した。その後も,アジアへのシフトは続
き,96年には,業界全体の海外生産比率は,カラーテレビで86%,ビデオで76%に達し,音響映
像機器の大半は,輸入が国内生産を上回るようになったのである。
しかも重要なことは,付加価値の低いものは海外へ,高付加価値部門は国内でという棲み分け
論も,成り立たなくなってきたという事実である。周知のように,1990年代に入って,集積回路
(IC)やマイクロ・プロセッサなどの先端製品の生産がNIEs諸国に移るともに,フロッピーやハ
ードディスクなどの記憶媒体とその駆動装置,カラーテレビ,ビデオ,電子レンジ,一眼レフカ
メラなどはアセアンに,そして洗濯機,複写機,ヘッドホンステレオなどは中国へと主要生産地
がシフトしてきた。それでも,大型カラーテレビやワイドテレビなどの高付加価値製品やS-VHS
などの高画質ビデオ機器などの国内生産は維持されるとの見方もあった。しかし,1996年に,三
菱電機が高画質ビデオも含めてビデオの国内生産を全面廃止するなど,高付加価値製品分野での
流出も,すでにはじまっているのである。
1980年代までは,海外進出のテンポが鈍く,進出先も貿易摩擦の回避から合衆国やヨーロッパ
など先進諸国中心であった自動車も,90年代に入って海外生産を加速させた。1997年の実績では,
トヨタ,日産,三菱,本田,マツダの大手5社で450万台を越え,自動車11社全体ではアジア経
済の失速から全般的に計画値を下回ったもののほぼ600万台に達した。過去10年間に海外生産は
400万台以上増加したことになる。逆に国内生産は1000万台をわずかに上回るにとどまり,ピー
12
ク時からは300万台以上も落ち込むことになった。大手5社の海外生産比率は,トヨタ,日産,
三菱,本田,マツダの順に,28%,39%,40%,45%,14%となっている。
輸出産業を中心とした生産拠点の海外シフトと部品の海外調達の増加に,バブル崩壊による不
況が加わった結果,先に見たような製造業の縮小がおこった。大企業自身の国内生産の縮小に加
えて,下請けへの発注減,単価の切り下げ等が行われたからである。このような産業構造の変化
は,工業生産額の減少とともに,下請け企業の転廃業を加速し,雇用吸収力にも重大な影響を与
えた。経済企画庁が発表した1996年地域経済レポートによれば,1991年から94年までに,音響
機器では61,000人,ビデオ機器では54,000人も従業者数が減少し,電機メーカー全体では
214,000人の雇用が失われた。3年間の減少率は,それぞれ,40%,46%,11%に達したのであ
る。一方,自動車産業の従業者数減少率は4.7%で,製造業全体の減少率8.3%を下回っているが,
鋳物,プレス,金型などの関連産業では71,000人,13%も雇用を減らした。系列や下請け企業の
集積している関東,近畿,東海の大都市圏への打撃が特に深刻で,日本の経済成長を支えてきた
地域構造にも重大な変更を迫るものとなっている。
2.空洞化の懸念と産業構造調整論
2−1.空洞化懸念の高まり
上述のような製造業生産の縮小と主要輸出産業分野での雇用の減少に対し,産業空洞化が生じ
るのではないかという懸念が広がっている。
日本貿易振興会は,1994年版及び1995年版『ジェトロ白書・投資編 世界と日本の海外直接
投資』において,産業空洞化へ懸念を次のように指摘した。すなわち,1980年代後半から急進展
した海外生産の拡大によって,先行した繊維産業,後に続いた自動車産業や電子・電機産業など,
それぞれがたどった道筋に違いはあるものの,主要産業分野のいずれもが,海外進出先に本格的
な生産一貫体制を築きつつあること,その動きは一層加速するであろうこと,その結果,一般機
械,電気機械ではローエンド製品,輸送機械,精密機械では主力量産品までもが空洞化の危険に
直面し,特に地方の量産工場にその影響が強く出る可能性があるとしている(日本貿易振興会
1994, 1995)。
また,経団連も,1995年10月に発表した『日本産業の中期展望と今後の課題』において,政府
の景気回復宣言にもかかわらず,経営者の実感とかけ離れているとした上で,日本経済の各分野
にわたって空洞化が生じており,とりわけ製造業に関しては「成熟化しつつある一方で,円高や
アジアの発展を背景に生産の海外移転が急速に進んでおり,国内において産業の高度化,新産業・
新事業の創出がなければ,将来における経済の発展,雇用の確保,国民生活の向上は期待できな
13
い。」とした上で,「日本経済はまさに繁栄の持続か没落かという重大な岐路にさしかかってい
るといっても過言ではない」と強い危機感を表明したのである(経団連 1995)。
2−2.空洞化否定論で貫かれた経済白書
産業界を中心に空洞化に対する懸念が広がるなかで,政府,とりわけ経済企画庁の認識は,そ
れとは対照的に極めて楽観的なものであった。経済企画庁は,『平成6年版経済白書』(以下,
『6年版白書』)および『平成7年版経済白書』(以下,『7年版白書』)において,2年続け
て産業空洞化に対する詳細な分析を行ったが,そこで展開された主張は,むしろ「空洞化否定論」
とでも言うべき極めて強気なものだったのである(経済企画庁 1994, 1995)。
『6年版白書』は,まず,「現象としての空洞化」を(1) 輸入品との競争に国産品が敗れるこ
とによって生じる国内生産の縮小,すなわち「輸入品による国内生産の代替」(2) 生産基地が海
外に移転し,現地生産が拡大することによって生じる輸出を目的とする国内生産の縮小,すなわ
ち「輸出の海外生産による代替」(3) 競争によって製造業が不利になると,結果として非製造業
のウェートが増す「非製造業による製造業の代替」の3つのルートをたどって,雇用,実質賃金,
生産性等,国内経済に悪影響があらわれることと定義し,その上で,円高によって,「現象とし
ての空洞化」が生じているかどうかを,統計処理をもとに検証しようとした。その結果,次のよ
うな結論を導いている(経済企画庁 1994)。
(1) 為替レートは購買力平価によって定まる,との前提で計算された均衡レート(ある意味で
は適正なレート)と,現実の為替レートを比較すると,93年までは,均衡レートを上回る
円高となったことはなかった(80年代後半の急激な円高は,円安方向に大きく振れていた
現実のレートが,均衡レートに戻ろうとする運動)。ただし,93年以降の円高は,均衡レ
ートを上回る増価であり,日本産業の価格競争力を後退させている。
(2) 1985年から93年にかけて,輸入浸透度(国内で販売される商品に占める輸入品の割合)は,
非耐久消費財,耐久消費財,資本財ともに上昇しているが,アメリカが1980年代前半に経
験したほど大きなものではく,国内生産の輸入による代替は進んでいない。
(3) 海外直接投資,特にアジア向け投資が今後も増大すると考えられるが,直接投資は,為替
レートによってのみ決定されるものではなく,国内の景気回復が緩やかな状況では,円高に
もかかわらず,直接投資の急激な拡大は生じない。ただし,アジア向け直接投資については,
低生産コストを目的とした生産拠点の構築にあるので,為替レートの影響は無視できない。
(4) しかし,アジア向け直接投資の増大は,貿易を刺激し,西太平洋地域の相互関係を一層緊
密にする。すなわち,アジア各国が,ダイナミックに比較優位を変化させながら,それぞれ
14
がより高付加価値な産業にシフトし,それに基づいて水平的分業を活発化させるというプロ
セスを押し進めている。従って,日本のアジアへの直接投資は,アジア諸国の成長力を高め,
需要面でのスピルオーバーを通じて日本の経済活動にもプラスの効果を持つ。事実,アジア
諸国への直接投資の増大にともなって,日本からの資本財の輸出が増加している。また,海
外移転で解放される資源をより高付加価値分野にふりむけていくことができれば,国内産業
全体の効率性が高まり,経済全体のパイもまた大きくなる。
(5) 一方,為替レートの増価が,貿易財の価格低下を引き起こし,非貿易財(サービスなどの
非製造業)の相対価格を上昇させることから,貿易財部門から非貿易財部門に資本移動が起
こる可能性はある。すなわち,結果としてのサービス経済化である。これによって,日本全
体の生産性が低下するなら,空洞化が発生する危険がある。日本の非製造業の生産性は他国
と比較して特に低いわけではないが,製造業より低く,物的部門とサービス部門の相互補完
性も強まっているので,規制緩和等によって非製造業の競争条件を確保し,生産性の向上を
はかることが課題である。
『7年版白書』も,『6年版白書』の考え方を踏襲した上で,さらに一層徹底した空洞化否定
論を展開した(経済企画庁 1995)。
(1) 日本経済全体に占める製造業のウェイトは,名目ベースにおいて付加価値,雇用とも,1960
年代後半までは増加し,70年代にかなりの減少を記録した後,80年代は安定している。一
方,実質ベースの付加価値ウェイトは,1980年代に入ってからも増大し,90年代に入って
横這いとなり,最近になってやや低下している。名目と実質の付加価値ウェイトの格差は製
造業と非製造業の生産性格差によるものである。従って,製造業の縮小という意味での空洞
化は,名目ベース,実質ベース,雇用のいずれの面でも発生していない。
(2) 1986年から93年まで,製造業全体の輸入浸透度が1.2%上昇したが,就業者,雇用者ともに
増加した。為替レートの増価とともに比較劣位化した産業(繊維,精密機械等)では,輸入
浸透度の急上昇とともに就業者も減少したが,比較優位産業がこれをカバーした結果である。
輸入浸透度が大きく高まっているのは,低付加価値品で,特に「同一品目の低級化」が顕著
である。すなわち,為替レートの増価は,日本の製造業の高生産性,輸出競争力の高さを反
映したもので,均衡レートから極端に乖離したものでない限り,円高が空洞化につながる危
険はない。
(3) 1990年代に入って,アジア向け直接投資では,部品企業が増大し,投資目的も「第三国へ
の製品輸出」から,「進出先マーケットの拡大」「日本への逆輸入」「現地企業への部品供
給」などが増え,当事国の相互依存と水平的分業の進展を反映している。それゆえ,耐久消
15
費財おける直接投資は輸出代替局面に入ったが,資本財については輸出誘発局面にあり,依
然,輸出全体に対して誘発的である。一方,直接投資資金は,再投資と現地調達がすでに本
社からの送金を上回り,直接投資が国内投資資金を枯渇させる心配もない。
(4) 従って,アジアを中心とした海外投資の拡大は,アジア規模での資本投入の増大であり,
資源配分の効率化によって日本企業の体質強化に貢献する。為替の均衡レートからの大幅乖
離は,直接投資の如何にかかわらず日本製品に打撃を与えるので,その場合でも,直接投資
は輸出を代替するものではなく,円高によって輸出が減少するなかで,海外生産は世界市場
に足場を確保する方策であると考えるべきである。海外投資は本来貿易創出的であり,資本
財の輸出を促し,現地の所得向上で高付加価値品に対する需要も増え,逆輸入による低価格
品の消費もできる。
『7年版白書』は,これらの論拠から,「海外投資の増大が一気に空洞化を進めると考えるの
は正しくない」と結論しているのである。
2−3.政府,財界の産業構造調整論
このような,空洞化否定論から導き出される政策的結論は,比較劣位化した産業の切り捨てと
高付加価値産業へのシフト,新産業の創出といった産業構造調整不可避論であり,金融ビッグバ
ンなど,非製造業分野を中心とした規制緩和論である。
経済企画庁は,産業構造調整のあり方を『平成8年版経済白書』(以下『8年版白書』)で次
のように描いている(経済企画庁 1996)。
すなわち,戦後の日本の高成長を支えてきたのは,「後発国の利益」に基づく「キャッチアッ
プ型経済構造」にあったとする。その結果,高い生産性上昇率を持つ比較優位産業が,世界経済
の時々の状況に応じてダイナミックに変貌をとげつつ輸出競争力を高め,それによって日本経済
を牽引する一方で,その躍進に支えられて生産性上昇率の低い比較劣位産業が温存され,両者の
格差を拡大しながら併存するという産業構造を築いた。一方,激しい競争のもとで生産性向上を
迫られる貿易財産業に対して,非貿易財産業の生産性は相対的に低いままに維持された。日本の
内外価格差が大きいのは,貿易財産業と非貿易財産業との内々価格差にあるとみるのである。そ
のため,貿易財における比較優位産業,比較劣位産業,非貿易財産業という三者の実力が大きく
異なる「重層型」の構造が日本の産業構造の特徴となったとするのである。
次に,『8年版白書』は,この「重層型」産業構造が,バブル崩壊後の景気回復を遅らせる足
枷となったと論をすすめる。
16
まず,不況にもかかわらず,生産性の極めて高い特定の製造業の均衡レートに引きずられて,
円高圧力が解消せず,その結果比較劣位産業はますます強い産業調整圧力にさらされた。しかも,
比較劣位産業の産業調整には時間がかかることから,輸入の伸びは芳しくなく,貿易黒字も縮小
しない。それは一層の円高を招くことになる。すなわち,均衡レートの増価,黒字の拡大,現実
の為替レートの増価という悪循環の発生である。もし,このような悪循環が,加速すれば,少数
の超比較優位産業しか生き残れない「オランダ病」を引き起こすことにもなりかねず,さらに,
それらの産業の均衡レートさえ上回る為替レートのオーバーシュートが生じることになれば,新
規産業の台頭がままならぬ,文字どおりの空洞化に直面することになる。他方,貿易財(製造業)
と非貿易財(サービス等の非製造業)の内々価格差が解消されなければ,為替レートが貿易財の
均衡レートに落ち着いても内外価格差は解消されず,国内経済の高コスト化を招く。それは結局,
日本経済全体の競争力をそぐことになる。
すなわち,キャッチアップの終了した今日,「重層型」産業構造から脱却する産業構造調整が
必要とされていると言うのである。そのシナリオは次のように描かれる。
ひとつのシナリオは,比較優位産業の輸出に規制を課すことによって黒字を抑制することであ
るが,それは,その産業の生産性を引き下げ,雇用を減らし,国民の生活水準を低めることとな
るから,論外である。従って,目指すべきは,比較劣位産業や非貿易財産業の生産性の向上,す
なわち底上げである。さらに,日本の比較劣位産業が,途上国においては比較優位産業であるこ
とを考慮し,途上国との国際分業を一層発展させることが重要である。途上国の経済発展を促し,
輸入をてこに比較劣位産業の生産性向上を刺激し,国民の生活水準の上昇につながるからである。
一方,規制緩和等の競争メカニズムの強化によって,国民経済の2/3を占める非貿易財の生産
性向上がはかられれば,内外価格差の解消に貢献し,国民経済の高コスト体質の緩和にも有効で
ある。それゆえ,これを達成する鍵は,規制緩和等による競争環境の整備,比較優位構造を反映
した輸入の増大,不確実下の技術フロンティアの拡大にある。また,これまでの日本の市場経済
を規定してきた「日本型経済システム」に変容をせまり,自己責任原則を徹底し,市場経済を律
する透明なルールとインセンティブ・メカニズムをつくりあげなければならない,と主張してい
るのである。
このような,産業構造調整論と規制緩和論は,経済企画庁とは違って空洞化への強い懸念を表
明している,財界の主張にも共通している。経団連は,1996年1月,経団連の長期ビジョン『魅
力ある日本の創造をめざして』(同年10月一部改定)を発表したが,21世紀の日本の望ましい経
済の姿として次の4点を掲げた(経団連 1996)。
17
1. 真に豊かな市民社会を支えるため,活力に満ちあふれる経済が構築されている。
2. 安全,健康に関する合理的な規制以外は,原則として撤廃され,不透明な行政指導は行われ
ない「脱規制社会」が構築されている。また,各種制度,商慣行は,諸外国にとってもわか
りやすいものとなっており,市場の透明性が確保されている。その結果,公正かつ自由な競
争が行われ,既得権益の上にのって事業を展開している事業者は市場から淘汰される。
3. これまでの「一国フルセット型産業構造」からアジア・太平洋諸国との調和ある分業体系が
形成されている。その中で,国内においては,強靱な製造業と生産性の高い非製造業から構
成される「ハイブリッド型産業構造」となっている。起業家精神が発揮され,21世紀のリー
ディング産業として期待される情報通信産業をはじめ,個人・企業・社会のニーズに合った
新産業・新事業が相次いで登場している。
4. 利便性,効率性,透明性に優れ,グローバル・スタンダードに調和した,金融資本市場が確
立し,わが国は,国際金融センターとして,内外の投資家,資金調達者のニーズに十分応え
ている。
上記中,「一国フルセット型産業構造」というのは,後に引用する関が,東京都商工指導所在
任中から取り組んできた中小企業の生産現場の緻密な観察をもとに日本の産業構造を特徴づけた
もので,経済企画庁の言う,「重層的」産業構造と完全に同一ではない(関 1993)。しかし,
関の思いとは異なるであろうが,比較劣位産業の切り捨てを公然と主張するには躊躇のある経済
企画庁に対して,切り捨てやむなしという経団連の本音を率直に表現したものとも言えるだろう。
2−4.産業構造調整論の落とし穴
空洞化否定論と,その政策的帰結である産業構造調整論と規制緩和論は,長期の不況の中で苦
しい生活を強いられている一般国民と中小企業者の立場からは,極めて危険な内容を持っている。
規制緩和が「経済的規制」ばかりか,国民生活の安全で快適な生活の維持に不可欠な「社会的規
制」までをもターゲットにし,下請や不採算部門の切り捨てによる倒産の増大や雇用保証の喪失,
社会福祉や医療保障制度の破壊と負担の増大を招く危険が極めて大きいからである。
しかし,それだけではなく,日本経済全体の活力・競争力の維持という点でも,重大な錯誤が
あると見るべきである。すなわち,産業空洞化への理解が,「現象としての製造業の縮小を通じ
て,雇用,実質賃金,生産性など,国民経済に悪影響が生じること」と現象的レベルの皮相なも
のであり,それゆえ,生産性の向上→実質賃金の上昇→国民生活の向上と極めて,短絡的な描き
方をしている。生産性向上が,コスト指向による生産拠点の海外移転と犠牲の中小企業への転嫁
18
によって実現されており,それが空洞化懸念を強める最も根本的原因となっていることを無視し
ているのである。そのうえ,アジアの成長への過大評価もある。アジア諸国への海外移転が大規
模に進んでも,それによって,アジア全体の成長力が高まり,水平的分業の展開により日本もと
もに繁栄しうるというシナリオは,タイでのバブル崩壊に始まったアジア地域の深刻な経済危機
により,破綻の縁に瀕している。
問題は次の点にある。
日本が,戦後のキャッチアップ過程で達成してきた著しい生産性向上のメカニズムが,大規模
かつ高密度な産業の地域的集積によって達成されてきたという事実を無視し,従って,その意味
を正しく評価していない。
次章で改めて確認するように,自動車産業,電子・電機,産業機械など,日本の高度成長の主
役となった機械工業の競争力は,その設計・開発,そして数千点,数万点に及ぶ膨大な部品の加
工から完成品の組立,さらにはその製造機械,プロセスまでのすべてを,国内で,しかも,ある
限定された地域でまかなうことができたことに負っていた。そして,その大きな部分を膨大な中
小企業が担ってきたのである。「系列」に象徴されるような,資本的な結びつきや長期の安定的
な受発注関係を背景として,大企業が内製することがコスト的に不利な部分を中小企業に負担さ
せ,また,品質管理や開発過程にまで中小企業を巻き込むことによって,著しい価格競争力と高
い技術開発力を生み出していたのである。
さらに重要なことは,この産業集積は,全体として機能を発揮する。集積の一部分だけを他国
に移転して,効果的な連携を保って機能させることはできない。これが「フルセット型」産業構
造の意味である。それゆえ,製造業の縮小は,単なる規模の縮小ではない。日本の主要産業の生
産基盤である,産業集積の崩壊を引き起こす。産業集積の形成は,極めて長期のプロセスだから,
一度それが崩壊すると再び回復することはほとんど不可能になる。ここに空洞化問題の核心があ
る。
経済企画庁にしろ,経団連にしろ,製造業の一部が失われても,それに代わる高付加価値の産
業部門が発展して,雇用を吸収するならば問題はないという立場にたっている。移転している産
業は,日本のように労働力コストの高い国では支えきれない生産性の低い分野なので,それは途
上国にまかせて身軽となり,自分は,生産性の高い高付加価値分野に特化すればよいというので
ある。しかし,上述したように,業種という視点でくくれば生産性が高い産業であっても,資本
装備率をあげて生産性の向上をはかることが困難な部分を,大企業の過酷なコスト要求に耐えて
中小企業が担ってきたことによって,その生産性が維持されてきた。すなわち,産業の内部に,
産業集積の一部として生産性向上が困難な部分を抱えていたことが競争力の源だったのである。
19
それゆえ,低付加価値分野は途上国で,高付加価値分野は日本でという棲み分けが,簡単にでき
るものなのか,大いに疑問と言うべきだろう。
第2の問題は,企業の繁栄と,国民経済が豊かになることとの区別が曖昧にされ,混同されて
いることである。アメリカ経済の空洞化が問題とされたとき,アメリカを起源とする多国籍企業
が苦境にあったのかといえば,決してそうではない。生産効率が低く,労働組合の影響力の強い
国内の工場を閉鎖する一方で,途上国の低賃金労働力や安い資源,緩やかな環境規制や無いに等
しい労働者保護システムなどを活用して,連結ベースでは巨大な利益をあげ続けていたのである
(Harrison and Bluestone 1988)。国内では,レイオフが頻繁に繰り返され,労働者の実質賃
金が下がり続けている中で,多国籍企業の経営者は,自分が雇用する国内労働者の数百倍もの報
酬を得ている(New York Times 1996; Barlett and Steele 1996)。多国籍企業にとっては,出
身国の経済や出身国内での業績よりも,連結ベースで高収益を確保することのほうが重要だ。そ
して出身国経済が空洞化しても,連結ベースで高収益を維持することは可能なのである。『7年
版白書』が,グローバル化のもとでの企業の最適投資戦略により国内投資が抑制されても連結経
常収支は改善されると肯定的に述べているが,国民の暮らしよりも多国籍企業の利益を優先して
いると受け取られてもしかたがないだろう。企業の多国籍化がますます進行するもとでは,企業
収益と国民経済とを区別して考えることが必要である。我々にとって重要なのは,人々の生活で
あり,その意味でも産業集積をどのようにして維持するかを問題とする必要があるのである。
それゆえ,空洞化問題を正しく理解し,それに対処する展望を示すには,産業集積の意味と役
割を正確に認識することが出発点となる。
もっとも,産業集積の持つ意味を正しく評価すれば,自動的に展望が示しうるわけではない。
先に述べた関や,日本経済の転換についての議論をリードしている中谷なども,産業集積の役割
を決定的なものとして重視しながらも,「日本のように経済大国になった国が,いつまでも『フ
ルセット』型産業構造を維持できるはずがないし,閉鎖的な系列関係に埋没していられるはずも
ない」という認識である。やはり,アジアとの棲み分けによって,崩壊した「フルセット」型産
業構造を補う「国境を超えた機能本位の開放型企業間ネットワークへの転換」を説いているので
ある(中谷 1996)。
確かに,自由貿易とグローバル化のもとで,これまで日本が築いてきた産業構造をそのまま維
持することが不可能であり,アジア地域とのネットワークを重視した,サブリージョナルな経済
構造の実現を展望する必要があることは認めざるをえないだろう。しかし,それにもかかわらず,
製造業の縮小を押し止めることができなければ,ネットワークの構築自体,絵に描いた餅になる。
集積の崩壊は,生産性向上と技術開発力の基盤そのものの崩壊であるとするならば,新しい高付
20
加価値産業が育つはずもない。あらゆる意味で活力を損なった,日本とネットワークを組む必要
性も失われるだろう。日本の地域的産業集積が,産業地域としての機能を維持しうるぎりぎりの
規模を確保し活かす展望を同時に示すことが重要なのである。
第3章以下,日本の主要産業地域を支えた構造と役割,バブル崩壊後の不況と海外進出の急進
展が与えた影響を確認し,産業地域を維持する展望について検討していく。
3.日本の主要産業地域を支えた構造
3―1.投入産出関係から見た関連集積地の形成と変動
1980年代までの戦後日本経済の発展は,個別企業,とりわけ代表的大企業の経営努力だけでな
く,大企業を頂点とする様々な経済主体のネットワークと連携,そして,その空間的投影である
産業地域によって支えられてきた。
かつて筆者は,高度経済成長期にあった1970年産業連関分析表を用い,諸産業間の投入産出関
係にもとづく集積の効果と都市地域の成長との関連を分析したことがある。その結果得られた結
論を簡単に記せば,次のようなものである(遠州尋美 1980, 1983, 1986; Enshu 1986,1987)。
第一に,すべての産業部門は,社会的分業を通じて関連産業グループを形成すると考えられる
産業部門と,自分以外の特定の産業部門との関連を認めがたい産業部門とに分けられる。
第二に,関連産業グループは,グループ内の諸産業部門が空間的に近接して立地することによ
り集積の利益を得ることは明らかである。すなわち関連集積をもたらす可能性が強く,従って,
生産集団と呼んでもさしつかえない。
これらの生産集団は,投入・産出関係から,原材料とその加工部門という,単純で直線的な関
係に限定される集団と,その枠を越えて,多数の部門を擁する複雑で大規模な集団を構成するも
のとに分けられる。両者の違いは,波及効果の規模と広がりの双方とも大きく,生産集団の核と
なり得るような産業部門を含むかどうかにより,後者はこれを含むが,前者は含まない。
波及効果の規模と広がりの双方とも大きいということは,生産過程で多数の産業部門から資本
財を購入すると同時に,その製品も資本財として,他の多くの産業部門から購入されるような財
を生産することを意味している。筆者は,これを集積中心産業と名付けた。また,集積中心産業
を含む生産集団は,構成する産業部門間の相乗効果によって,著しい集積の利益と高い内的発展
力を期待することができる。従って,相乗集積型生産集団と呼ぶことにした。相乗集積型生産集
団として特定されたのは,次の3グループである(産業(品目)分類は,1970年産業連関表160
部門表に準拠)。
21
(1) 鉄道車両,自動車,自動自転車・自転車,その他の輸送機械,重電機器,精密機械,建設
補修,非住宅新建築を集積中心産業とする,鉄鋼一次製品及び各種機械器具のグループ,非
鉄金属及び関連する機械類のグループ
(2) その他の軽電機器を集積中心産業とする,非鉄金属及び関連する機械類のグループ
(3) 有機化学基礎薬品,ゴム製品を集積中心産業とする,有機化学工業原料及び化学工業のグ
ループ
他方,集積中心産業を含まない生産集団は,関連集積の可能性は高いが内的発展力を期待する
ことは困難だろう。そこで,限定集積型生産集団と呼ぶことにした。以下の6グループが該当す
る。
(1) 石炭・同製品,鉄鋼原料のグループ
(2) 繊維原料,繊維製品のグループ
(3) 無機化学工業原料と化学工業のグループ
(4) 畜産品に関連するグループ
(5) 木材に関連するグループ
(6) 砂糖・清涼飲料水のグループ
第三に,特定の産業部門と顕著な関連を有しない産業部門は,それ自身が顕著な集積に発展す
ることが困難であるか,もしくは人口・産業の既存の集積に応じてほぼ均等に分布することにな
ると予測できる。後者は,普遍産業と呼ぶことができ,産業の集積特性を考える上で無視できな
い。
普遍産業は,さらに,もっぱら家計消費に対応する最終消費財・サービス用役を生産すること
によって,居住人口と相関して普遍的に分布する産業部門と,多数の産業活動にサービスするこ
とによって,地域の産業総集積量に相関して普遍的分布をする産業部門とに分けられる。前者を
家計消費依存型普遍産業,後者を労働手段型普遍産業と呼ぶことができるだろう。
家計消費依存型普遍産業は,民間消費需要生産誘発依存度が高く,原材料の入手における制約
が小さいこと,また,投入・産出上特定の産業との関連が希薄なために生産集団を形成しないと
いう条件から,普遍的分布をする産業である。160部門表における産業分類(商品分類)で見る
と,製穀製粉,パン・菓子,その他の食料品,酒類,小売,保険,住宅賃貸料,地方鉄道・軌道,
道路旅客輸送,医療,その他の公共サービス,その他の対個人サービスが該当する。
労働手段型普遍産業は,総需要の増加に敏感に反応して生産を誘発される特徴を持ち,投入と
産出の双方において多数の産業部門と関連すること,また,大規模な固定資本設備を要しないと
22
いう条件によって普遍的に分布する産業である。卸売,金融,電力,対事業所サービス,印刷・
出版が該当する。
第四に,労働手段型普遍産業は,多数の産業部門の活動にとって不可欠な共通の基盤となり,
よって間接的に産業の集積を促進する効果を持つ。また,労働集約度が高く,生産コストに占め
る労働費の割合も高いのが特徴である。これは一面で生産性の向上が難しい分野でもあるが,反
面,需要の拡大による雇用吸収力も大きいことを意味し,しかも多数の産業部門と関連すること
から,不況に強い産業でもある。固定資本が比較的小さいことから参入も容易である。従って,
雇用の効果という点においても,潜在的過剰人口の涵養池という意味においても重要な位置を占
めている。
相乗集積型生産集団,限定集積型生産集団,集積中心産業,家計消費依存型普遍産業,労働手
段型普遍産業は,いずれも理論的に抽象された型である。従って,全ての産業を数値指標を用い
て機械的に分類できるわけではない。統計分類のあり方によっては,分類に含まれる産業も異な
ってくるだろう。従って,上述した産業部門(商品分類)との対応関係は,ある意味では便宜的
なものである。また,使用したデータが1970年の産業連関表であり,現在の花形産業である,半
導体やパーソナル・コンピュータなどは当然に含まれていない。しかし,日本の高度経済成長と
産業地域の成長・発展を理解する上では十分な有効性を持っている。その有効性は,巨大都市圏
による統計的攪乱を避けるために,3大都市圏を除いた全国238都市圏の戦後成長パターンの分
析によって検証されたのである。
すなわち,第五に,投入産出関係から普遍的分布をすると推定される産業は,現実にも普遍的
に分布し,普遍産業と呼ぶにふさわしい。また,同じく投入産出関係から限定集積型生産集団,
相乗集積型生産集団を構成すると考えられる産業は偏在的分布を示し,関連集積地を形成する。
第六に,これらの分布に見られる規則性により,都市圏は,限定集積型生産集団を中心とする
都市圏,相乗集積型生産集団を構成する産業が核となる都市圏,流通を媒介する労働手段型普遍
産業の集積により中枢管理機能が卓越する都市圏,もっぱら家計消費に依存する産業からなる都
市圏とに類型化することができる。すなわち,1972年の事業所統計結果を用いて分類すれば,限
定集積型生産集団を中心とする都市圏分類には,足利,桐生など18都市圏からなる繊維工業型,
鳴門,宇部,水俣などからなる化学工業型(一部の特化型を除く),釧路,八戸,銚子などの食
品(水産)加工型,能代,日田などの木材加工型,室蘭,君津・木更津などの鉄鋼業型,三条,
燕などの金属加工特化型,多治見,常滑などの窯業特化型,因島,相生などの造船業型などが該
当する。相乗集積型生産集団を中心とする都市圏分類には,日立,厚木など26都市圏からなる電
気機器型,豊田,刈谷,浜松など自動車工業型,加古川・高砂など一般機器特化型の一部をあげ
23
ることができる。札幌・江別,仙台・泉,広島・府中・海田,福岡・春日・大野城などが中枢管
理機能が卓越する流通消費型に分類され,もっぱら家計消費に依存する消費型には,函館,一関,
津山,萩などの地方小都市と,盛岡,高松,熊本など,地方中核都市の次に位置する県庁所在都
市が含まれる。消費型は,繊維産業や組立型の電気機器のウェートがやや高い都市間も含めると,
90都市圏と全体の38%を占めた。
第七に,1960年から1980年まで20年間の人口及び産業の集積変動を観察すると,上述の分類
の基礎となった産業構成の違いは,都市圏の集積拡大の格差に反映している。一般的に言って,
相乗集積型生産集団の関連集積が認められる都市圏,労働手段型普遍産業の集積規模が大きい都
市圏の成長力は高く,限定集積型生産集団を中心とする都市圏,もっぱら家計消費依存型普遍産
業にのみ依存する都市圏の成長力には限界があった。しかも,相乗集積型生産集団を構成する産
業が集積する都市圏も含めて,同一の類型に含まれる都市圏の中にも分解現象が見られる。すな
わち,高度経済成長期に顕在化した地域間格差の拡大は,ドルショック,オイルショックによっ
て高度経済成長が終焉した後も続いていた。
第八に,労働手段型普遍産業や相乗集積型生産集団の関連集積がないかぎり,より成長力の高
い産業構造に転換することは極めて困難である。すなわち,1972年から1981年における産業構
成の変化によって,各類型に対する都市圏の帰属の変化を分析すると,類型が変わったものは全
体の6分の1にすぎず,しかも,そのうち6割は主要産業の停滞もしくは衰退によって生じてい
た。集積拡大によって類型移動した15都市圏に共通する特徴は,行政の中心であることや交通上
の優位性を基礎に,流通を媒介する労働手段型普遍産業の拡大があった都市圏,もしくは以前か
ら相乗集積型生産集団を構成する生産集団の関連集積地に近く,自らも一定の関連集積を持って
いた都市圏であることである。もちろん,限定集積型生産集団に特化する都市が常に停滞傾向を
持つわけではない。造船業型や繊維工業型の都市圏も,高い成長力を持っていた時期もあった。
しかし,一旦その産業が不況に陥ると,都市圏全体として停滞,もしくは衰退の憂き目を見たの
である。一方,相乗集積型生産集団を構成する産業を誘致しても,誘致先が関連集積に発展する
ための産業的条件を持っていなければ,期待した効果を発揮することは困難なのである。
筆者がこのような分析を行ったのは,高度成長期における臨海コンビナート型開発や,地域の
条件を無視した画一的な農村工業化の展開を批判し,地域の人や技術,既存の集積など,地域の
資源や内在的条件に依拠した開発へと転換する必要を主張することに目的があった。しかし,同
時にこの分析は,戦後の日本経済の発展を主導した代表的輸出産業の発展は,同一産業部門内に
おける垂直的分業に加え,多数の産業部門の水平的分業を通じて展開したこと,しかもそれは,
その分業関係が空間的に凝縮された限られた地域において担われたことを示すものでもあった。
24
換言すれば,個別企業の生産活動の結果としてではなく,地域的な関連集積の総体として,すな
わち地域的生産集団として担われたのである。
3―2.地域的生産集団の諸特徴
産業部門間の投入産出関係というマクロな分析から想定される地域的生産集団の形成とその特
徴は,企業間,あるいは事業所間の受発注や財・サービス用役の流通など,ミクロレベルの観察
よって完全に裏付けることができる(遠州尋美 1980)。
すなわち,限定集積型生産集団は,いわゆる川上から川下へいたる工程毎に専門分化した専門
企業が問屋,もしくは商社の統括のもとに,上流から下流へ向かう直線的な結合関係のもとで生
産を行うのが,一般的な形態である。例えば,典型的な限定集積型生産集団を形成する産業であ
る織物業についてみると,生地織物の場合には,産元商社が供給する糸が,撚糸→管巻(あるい
は,整経→サイジング)→製織→晒→染色→整理の工程毎に事業所から事業所へと受け渡されな
がら,製品に仕立てられ,最後に産元に引き取られて完結する(先染織物の場合は,染色と製織
の位置が入れ替わる)。
一方,自動車産業などの相乗集積型生産集団の場合には,最終組立ラインを頂点として,一次
→二次→三次という階層的な下請け関係を基礎としながらも,数千∼数万社に及ぶ部品メーカー
が,相互に複雑な受発注関係を有し,網目状の結合を形成している。とりわけ,企業規模が小さ
くなればなるほど,特定の企業との系列関係は薄れ,一般的労働手段としての機能,役割を強め
ていくのが共通の特徴である。
しかし,そのような一般的特徴を保持しながらも,代表的な産業地域のそれぞれは,地理的条
件や歴史的形成過程,産業としての性格,中核となる企業の経営スタイルなどによって,独特の
構造を持ち,発展過程で発揮された機能やバブル期以降の海外進出ラッシュや不況の影響の現れ
方も異なっている。ここではそのすべてについて論じることはできないが,日本の代表的産業地
域のうち,トヨタの企業城下町として日本の高度成長の牽引車となった豊田市,刈谷市を中心と
する西三河地域,工作機械からハイテク機器まで,日本の最先端技術の発展を,その中心的大企
業の労働手段となって支えてきた東京都大田区について,その産業地域としての特徴を既存の文
献をもとに簡単に整理しておこう。
(1)西三河産業地域
豊田市,刈谷市を中心とする世界有数の自動車産業地域,西三河の発展は,豊田自動織機から
分離・独立したトヨタ自工(現トヨタ自動車)が,1938年に挙母町(現豊田市)に本社工場を設
25
立したことに始まる。しかし,本格的な発展は,日本最初の乗用車量産工場となった元町工場が
操業を開始する1960年代以降のことである。以後,1960∼70年代を通じて,上郷,高岡,三好,
堤,明知,下山,衣浦,田原の各工場を次々と開設し,積出しセンターや部品センターも含める
とおおよそ1,600ヘクタールに及ぶ広大な敷地を所有するにいたった。このようなトヨタの拡張に
伴い,豊田自動織機,トヨタ車体,アイシン精機,愛知製鋼,デンソー(旧日本電装),豊田工
機,豊田合成などのグループ企業も急速に生産を拡大し,同時に,膨大な数の企業がトヨタ自工
およびトヨタグループ企業を頂点とする巨大な下請け組織へと組み込まれていった。1970年代後
半には,一次下請け168,2次下請け4,700,3次以下が31,600という数字が記録されている(都
丸・窪田・遠藤 1987)。
トヨタを世界的大企業へ押し上げた生産効率の高さは,トヨタ式生産システムとして世界中の
注目を集めたことはよく知られている。それは「ジャスト・イン・タイム」(いわゆる「カンバ
ン」方式)と「自働化」として特徴づけられる(大野 1978)。
自動車は,数千種類,数万点に及ぶ部品から成り立っている。従って,生産の全工程において,
部品や資材の在庫を極力減らすことがコスト削減に大きく貢献する。部品を保管する空間的節約
はもとより,在庫管理に必要な人員や保管時における品質維持のための諸設備を節約できるから
である。トヨタは,最終組立ラインにのみ示された生産計画に従って,最終組立ラインから遡っ
て,使用された部品を前工程から調達し,前工程は引き取られた分だけ補充するという方法によ
ってこれを達成した。最終組立から粗形材準備部門までの全工程の厳密な同期(ジャスト・イン・
タイム)を実現するため,後工程が必要とする部品・資材の量とタイミングに関する情報を前工
程に伝達する手段として「カンバン」が用いられたことから,「カンバン」方式と呼ばれたので
ある。
一方,「自働化」は,単なる自動化ではなく,「働」の字を用いることに意味を持たせている。
すなわち,徹底的な無駄の排除が主眼であり,そのため,生産現場における労働者の一挙手一投
足をつぶさに観察し,付加価値を生まない無駄な作業を同定して,それを代替できる自動機械の
開発・導入をはかることを「自働化」と呼んだのである。これによって,当然に人減らしが進む
ことになった。
しかし,「ジャスト・イン・タイム」や「自働化」が,トヨタ本体やトヨタグループ企業にだ
けとどまっていては,生産の効率化を達成することはできない。
まず,膨大な下請け組織の末端までジャスト・イン・タイムを徹底する必要がある。そのため
には,元請工場と下請工場との空間的近接と,整備された輸送路の存在が前提となる。西三河地
区に凝集された,トヨタおよびグループ企業工場と膨大な下請企業群の集中立地,そして,工場
26
配置の拡張にあわせて整備されていった街路網によって,元請工場と下請工場とは,概ね20分以
内の時間距離に結びつけられることになった。それとともに,末端下請けに犠牲を転化する強力
な支配・従属関係が不可欠である。指定納品時間に遅れ,元請工場のラインを止めた場合に課せ
られる高額の罰金や,それを繰り返して下請けから排除される危険と対面しながら,厳しい緊張
関係のもとで操業が続けられてきた。
自働化の徹底も,強力な支配・従属関係のもとで,その徹底が図られた。トヨタやトヨタグル
ープ各社は,しばしば下請企業に直接技術者を派遣し,作業行程を徹底的に観察して,改善点を
指導するとともに,その改善を前提として単価の切下げを迫ったのである。この要求は極めて過
酷なものであり,「乾いたタオルを絞る」と言われるほどであったが,反面,それなりの合理性
を持っており,その指導に従う限りは強大なトヨタの庇護の下で経営を維持しうる,という信頼
感もあった。
以上,要するに,トヨタおよびトヨタグループ企業を頂点とする階層的下請関係を軸に,数万
者に及ぶ膨大な企業群が相互に密接な受発注関係で結ばれながら,粗形材準備部門から各種部
品・内装材生産,最終組立,塗装,試験まで,関連集積全体としてシステマチックな同期生産を
行ってきたのである。
(2)大田区産業地域
自動車と並んで,日本の代表的な輸出産業であり,今なお世界市場で最大のシェア,最も高い
競争力を発揮している産業用機械・工作機械の発展とイノベーションを支えてきたのが東京都大
田区である。
大田区の産業地域としての発展の基礎は,京浜工業地帯の形成という維新後の近代工業化過程
と,富国強兵政策による軍需産業育成とを背景として,明治後期から大正初期にかけて築かれた。
明治42年(1909年)に東京瓦斯大森工場が設立されたのを皮切りに,日本特殊鋼,東京瓦斯電気
工業,新潟鉄工などが次々と建設されていった。いずれも,機械金属工業の分野で今日の日本を
代表するメーカーの前身である。これらの企業を核として,第二次世界大戦期までには,大田区
地域は日本最大の機械金属工業集積地に発展していった。その特徴は,素材型,資源型の大規模
装置型工業の立地する神奈川県臨海部とは対照的に,加工組立型,資本財生産型機械メーカーの
集積地となったことである。この特徴は,第二次世界大戦による破壊を乗り越えて受け継がれ,
高度経済成長の牽引車となった(関 1991, 1995他)。
大田区産業地域の特徴は,高度加工技術を有する中小零細金属機械工業の高密度集積である。
工業統計調査によれば,1995年における大田区の工場数は,6,787,従業者数は62,864人で,東
27
京都全体の10.0%および8.8%を占め,ここ数年の急激な減少にもかかわらず,依然都内随一の集
積規模を誇っている。このうち,機械金属関連業種はプラスチック製品製造業を含めて5,758工場
で,区内工場の84.8%を占めている。一方事業所規模では,1∼3人が3,304,4∼9人が2,207
と,9人以下の工場が8割以上を占め,零細性が際立っている。
表3.都内主要区の工業の推移(1983∼1995年)
工場数
東京都
大田区
葛飾区
足立区
墨田区
従業者数
東京都
大田区
葛飾区
足立区
墨田区
出荷額等 億円
東京都
大田区
葛飾区
足立区
墨田区
1983
99867
9190
8131
7570
7657
1983
1006124
95294
51275
52434
49722
1983
186682
15372
6373
6759
6875
1985
93128
8897
7662
7075
7133
1985
995006
95640
50022
50904
47951
1985
193529
16912
6920
7115
7508
1988
84925
8151
6683
6646
6612
1988
887311
80445
42973
47321
42856
1988
202004
16175
6384
6962
7379
1990
80008
7860
6498
6321
6321
1990
865543
77367
42606
46187
41442
1990
233511
17941
7136
8102
7964
1993
72623
7160
5811
5617
5782
1993
784568
69003
36839
40304
37578
1993
207351
14929
5837
6573
7101
(出所)自治労都職労経済支部『バブル崩壊後の町工場経営の実態』1997.
表4.大田区の従業者規模別工場数(1995年)
総数
1∼3人
4∼9人
10∼19人
20∼29人
30∼49人
50∼99人
100人以上
6787
3304
2207
710
298
124
82
62
(出所)自治労都職労経済支部『バブル崩壊後の町工場経営の実態』1997.
28
1995
67667
6787
5471
5168
5514
1995
718435
62864
33545
36228
34901
1995
201394
13947
5311
5718
6425
このような大田区機械金属工業の小零細性は,高度経済成長過程で強められた。用地不足から
大規模工場の埋立臨海部への流出が続く一方,中卒求職者の激減によって労働力不足が生じ,区
内事業所はその規模を縮小せざるを得なかった。加えて,1965年のいわゆる「40年不況」や1973
年のオイルショック後の不況によって倒産や人員整理が相次ぎ,解雇された職人達による創業ブ
ームが生じた。これらの要因から,工場数の増加と小規模化が進行したのである(西村 1997)。
規模の零細性にもかかわらず,日本の代表的工作機械メーカー等で研鑚を積んだ職人企業の技
能レベルは極めて高く,しかも,金型制作,鍛造,切削加工,プレス,研磨,メッキまで,あら
ゆる種類の技能に対応した企業群が,わずか90分程度の時間距離の中に密集している状況は,区
内から転出した産業用機械・工作機械メーカーにとっても,試作品の制作や少量の特殊用途の部
品の調達になくてはならないものとなった。こうして,賃加工から出発して区内工場の10%程度
を占めるにいたった製品開発型企業を中核として,川崎・横浜の臨海部や多摩川,鶴見川流域に
立地する工場群にサービスしただけでなく,全国的規模での加工センターの役割を担うようにな
った。すなわち,産業用機械・工作機械メーカーやハイテク企業の企画開発部門と密接な関係を
持ち,様々な専門的技能を持つ多数の小零細企業が協力して(「仲間まわし」と呼ばれる),新
製品の試作品や希少部品などのあらゆる需要に応じてきたのである(関 1991,1993,1995)。
2―1に示した投入算出関係に基づく分析からは,大田区産業地域も西三河産業地域と同じく
相乗集積型生産集団に分類される。しかし,西三河産業地域とは異なって,中核的大企業を内部
に含まず,製品開発型企業を含みながらも,地域集積全体として西三河産業地域の自動車に匹敵
するような,特定の完成品の生産に携わっているわけではない。それゆえ,特色ある完成品を生
み出す垂直的かつ水平的分業の地域的関連集積地として生産集団を捉えるならば,大田区に限定
せず,神奈川県臨海部などを含む京浜地域として問題とするべきかもしれない。しかし,西三河
産業地域と異なり,大田区の中小零細企業群は,内部に階層性を宿しながらも,特定の企業への
従属関係はほとんどなく,生産活動における協力関係は,区外企業との関係よりも,区内企業と
の関係のほうがはるかに濃い。すなわち,区外企業からは独立して,区内企業の総体として,日
本の機械金属工業における一般的労働手段となってきた(関は,これを「公共財」としての役割
と呼んでいる)。そこに,大田区産業地域の本質的な特徴があり,従ってそれを独立した地域的
生産集団として認識する意義があろう。
29
4.円高・バブル及びその崩壊と産業地域
以上のように,主たる製造品目あるいは業種,歴史的・地域的特徴によって関連集積のあり方
に違いはあるものの,日本の主要産業は,関連する企業の垂直的・水平的分業を地域的に凝集し
た産業地域によって担われてきた。かつて世界中から羨望のまなざしで見られた日本経済の競争
力の高さは,個別企業の努力よりも,膨大な数の中小企業を含む,階層的もしくは網目状の共同
生産ネットワークに依存して達成されてきたのである。
そこに,円高・バブルによる生産拠点の海外移転の進行とバブル崩壊後の長期の不況が襲った
のである。それは,当然のことながら,この共同生産ネットワークにも様々な衝撃を与えた。そ
こで,次に,その影響を具体的に見ていこう。
4−1.自動車産業における階層的下請関係の解体
(1)バブル及びその崩壊と西三河産業地域
西三河産業地域は,上述のように,トヨタとそのグループ企業を中核とした階層的かつ相互依
存的産業集積によって,世界最大の自動車生産コンプレックスのひとつとして,日本経済の発展
を支えてきた。
1995年工業統計によって西三河産業地域の工業集積(従業者4人以上の事業所)をみると,
6,250工場,従業者294,018人,製造品出荷額等は,14兆2,069億円,付加価値額は,3兆8,262
億円に達している。日本最大の工業県である愛知県のほぼ中央部を占め,県内のシェアは,工場
数では19.9%とほぼ5分の1に過ぎないが,従業者数と付加価値額ではそれぞれ32.7%,33.8%
と概ね3分の1,出荷額では42.2%を占めている。1工場当たりの従業者規模は47人で,県内平
均25.6人の1.6倍で,工場規模がかなり大きいことを物語っている。
産業中分類による地域内の産業構成は,アメリカ合衆国のデトロイトと並ぶ世界最大規模の自
動車生産基地としての特徴を反映し,輸送用機械器具製造業(以下,輸送機器)が圧倒的なシェ
アを誇っている。工場数こそ862で,地域内の13.8%を占めるに過ぎないが,従業者数,製造品
出荷額等(以下,出荷額),付加価値額は,それぞれ,142,908人(48.6%),10兆1,304億円
(71.3%),2兆2,448億円(58.7%)を占めているのである。
一方,西三河産業地域のもうひとつの特徴は,規模の格差と大企業の強大さである。従業者規
模4∼9人の小規模工場が工場数のシェアで全体の56.5%と過半を占めているが,従業者のシェ
アはわずかに7.2%である。出荷額,付加価値額のシェアはさらに小さく,それぞれ1.8%,3.5%
と占めるに過ぎない。対照的に,工場数では0.6%に過ぎない従業者規模1,000人以上の大規模工
30
場が,従業者数では43.5%,出荷額と付加価値額にいたっては,それぞれ66.1%,55.6%と過半
を占めるのである。工業統計のうち愛知県のデータとして公表された結果では,従業者規模3人
以下の零細工場が除外されている。しかし,1991年事業所統計の結果によると,愛知県の製造業
事業所数は69,137事業所であり,工業統計のほぼ2倍に達している。すなわち,工業統計の結果
表が対象とする数に匹敵する零細工場が存在しており,それらを含めるなら,規模による格差は
はるかに大きいのである。
このような規模の格差は,当然,生産性格差と連動している。従業者一人当たり付加価値額は,
1,000人以上の大規模工場では1,682万円であり,次いで200∼299人の中堅工場が,1,566万円と
健闘しているが,全体的には規模が小さくなるほど生産性も低下している。従業者規模4∼9人
の小規模工場の従業者一人当たり付加価値額は620万円で,1,000人以上の大規模工場の3分の1
程度に過ぎない。
このように,激しい内部格差を含みながらも,西三河産業地域が,依然として世界最大規模の
集積を誇る自動車生産基地であることにはかわりがない。しかし,バブルとその崩壊の影響は決
して無視できるものではなかった。
1980年代後半のバブル期において,当初,円高不況による影響があったものの,西三河産業地
域の製造業は,積極的に生産力の増強をはかった。すなわち,工場数はほとんど変化はなかった
ものの,多くの工場が従業者規模を増大させ,1985年以降1991年のピーク時までに,地域全体
として,34,057人,率にして12.3%,製造業雇用が拡大したのである。この結果,出荷額,付加
価値額も順調に拡大した。それぞれの増加額は,順に5兆156億円(42.6%),1兆1,277億円
(31.9%)にも達した。この間,円高の進行によって,工業製品の卸売物価は約7%以上も低下
したから,実質的な増加はさらに大きかったのである(卸売物価の総平均はさらに低下,『第46
回日本統計年鑑』(1997)15-1表)。
バブル期における西三河産業地域の生産力の拡大は,単なる規模の拡大にとどまらず,生産性
の向上を伴うものであった。1985年に1,274万円だった従業者一人当たり付加価値額は,円高不
況の影響で1986年から3年間低迷するが,1989年には1,538万円に一気にジャンプアップしたの
である。しかし,この時には,すでに後退への予兆が現れ始めていた。出荷額と付加価値額は1991
年まで増加を続けるが,従業者一人当たり付加価値額は1989年をピークに減少に転じ,1991年
に一旦持ち直すものの,1993年には1,122万円と,名目値で1985年の水準を下回るまで後退して
しまったのである。
生産性の後退とともに,生産額と雇用の縮小も生じた。1991年のピーク時から,1995年まで
の4年間で,工場数で約10%,672工場,従業者数で約6%,17,785人減少したが,出荷額と付
31
加価値額の減少はさらに大きかった。出荷額では2兆5,723億円,付加価値額では8,396億円,そ
れぞれ,15.3%,18.0%の減少だった。
この間,円高とバブル崩壊後の不況の影響を,最も激しく受けたのは,繊維工業,木材・同製
品,家具・同製品などである。出荷額において,繊維工業が85年以降のピーク時から50%以上も
後退したのを筆頭に,他の2業種も30%以上後退した。しかし,これら3業種の西三河産業地域
に占める割合は1%にも満たないので,産業集積全体に与える影響は著しく小さい。一方,輸送
機器は,上述のように,地域の出荷額の71.3%と圧倒的なシェアを占めているが,そのピーク時
からの後退は約14%で,地域全体の後退をわずかに下回った。しかし,プラスチック,非鉄金属,
一般機器,電気機器など,自動車産業を周辺から支える産業分野では,出荷額の後退は20%を超
える大幅なものとなった。
また,この製造業生産の縮小を従業者規模によってみると,次のような特徴がある。
工場数の減少率が最も小さかったのは,従業者規模50∼99人の中堅工場である。1995年には
304工場で,ほぼピーク時の工場数を維持した。他の規模階級では減少率は15∼13%で大きな違
いはみられなかった。一方,従業者数の減少は,1,000人以上の大規模工場を除き,どの規模階級
でも工場数の減少にほぼ比例していた。しかし,1,000人以上の大規模工場では,工場数が12.3%
減少したのにもかかわらず,従業者の減少率は6.6%にとどまった。他方,4∼9人の小規模工場
を除き,どの規模階級でも,出荷額や付加価値額の減少は従業者数の減少を上回った。このよう
にして,上述した生産性の後退が生じたのである。付加価値額と従業者一人当たり付加価値額の
減少は,特に500∼999人,および1,000人以上の大規模工場で顕著であり,それぞれピーク時の
73%台,75%台に落ち込んでいる。
以上のように,1995年までのところ,バブル崩壊後の不況の長期化にもかかわらず,雇用の喪
失は出荷額の落ち込みに比して低い水準にとどまっている。操業時間の縮小など,雇用調整以外
の手段によって対応していることの表れであろう。しかし,その結果,特に大規模工場で生産性
の落ち込みが目立ち,さらに回復が遅れるならば,大規模な雇用調整に発展する危険が高まって
いる。他方,工場数の過半を占める4∼9人の小規模工場では,出荷額の減少と工場数,従業者
数の減少が比例しており,需要の縮小に,廃業もしくは雇用調整以外の手段で対応することが著
しく困難なことを示している。従って,中核となる大規模工場が,大規模なリストラに踏み出す
ことになれば,製造業の縮小が一気に加速されることになろう。
(注)西三河地域の地域区分は,愛知県21世紀計画にもとづくもので,以下の市町村を含む。
(豊田加茂地区)豊田市,三好町,藤岡町,小原村,足助町,下山村,旭町
(岡崎額田地区)岡崎市,幸田町,額田町
32
(衣浦東部地区)碧南市,刈谷市,安城市,知立市,高浜市
(西尾幡豆地区)西尾市,一色町,吉良町,幡豆町
33
表5.西三河地域の産業集積の変化(産業中分類)
(1)工場数の変化
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
1985
6744
421
61
991
215
211
211
91
134
43
13
427
76
9
604
198
84
758
989
226
829
31
122
1992
6594
376
55
679
185
176
214
92
144
40
11
509
80
7
544
182
78
828
1084
277
871
32
130
1986
6762
412
56
955
214
206
225
87
144
43
11
443
81
12
588
192
82
821
967
261
813
30
119
1993
6583
386
57
652
181
176
213
94
151
41
11
503
78
6
546
191
69
840
1078
281
881
30
118
1987
6525
395
55
905
195
196
226
86
147
43
11
449
76
8
555
186
78
790
951
250
785
27
111
1994
6145
370
50
474
286
99
203
89
142
42
13
481
70
6
530
178
65
747
981
263
850
27
179
(出所)愛知県『愛知県の工業』の各号.
34
1988
1989
1990
1991
6798
6585
6922
6797
404
386
397
380
61
53
58
56
848
805
781
733
210
188
194
182
201
187
201
184
231
223
217
223
91
86
90
92
145
142
149
145
41
41
42
43
13
14
12
12
465
465
494
513
82
79
85
83
6
6
7
6
589
550
581
550
187
178
189
188
83
79
82
83
895
885
903
893
1044
1045
1132
1112
267
255
276
286
777
771
875
873
30
29
31
35
128
118
126
125
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
6250
90.3
672
100.0
374
88.8
47
6.0
59
96.7
2
0.9
456
46.0
535
7.3
272
95.1
14
4.4
93
44.1
118
1.5
198
85.7
33
3.2
87
92.6
7
1.4
150
99.3
1
2.4
43
100.0
0
0.7
12
85.7
2
0.2
469
91.4
44
7.5
74
87.1
11
1.2
7
58.3
5
0.1
527
87.3
77
8.4
172
86.9
26
2.8
69
82.1
15
1.1
783
86.7
120
12.5
1060
93.6
72
17.0
264
92.3
22
4.2
862
97.8
19
13.8
28
80.0
7
0.4
191
100.0
0
3.1
(2)従業者数
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
1985
277746
9673
833
15189
3085
2483
3541
2680
1804
4347
164
11621
2180
80
9424
7443
1712
14222
28783
28599
126412
1145
2326
1992
308082
11660
863
9679
2552
2422
3565
2085
3390
3993
323
14992
2363
90
8724
7723
1659
15136
35237
19497
152843
6479
2807
1986
282916
9991
827
14093
3056
2496
3725
1857
2763
4187
121
13213
2356
93
9346
7409
1726
15392
30301
30272
126321
1188
2183
1993
305444
12051
884
9315
2411
2352
3257
2127
3501
4061
191
14280
2326
73
8699
7802
1433
15058
32518
28885
145874
6114
2232
1987
283682
10265
873
13612
2914
2387
3620
1907
2857
3970
x
12942
2366
68
9072
7107
1730
15530
29918
32007
127212
974
x
1994
297241
11962
841
7391
3540
1535
3332
1903
3528
4000
349
13719
2066
79
8679
7318
1462
13715
30725
28152
144835
5257
2853
(出所)愛知県『愛知県の工業』の各号.
35
1988
1989
1990
1991
290842
295332
303066
311803
10276
10324
10826
11240
887
798
863
855
12695
11601
11578
10860
2997
2668
2587
2463
2338
2393
2453
2392
3762
3883
3829
3788
2053
1988
1995
2105
2929
3066
3249
3307
3873
3848
4032
4021
x
186
166
189
13177
13864
14144
15395
2392
2376
2414
2371
x
41
68
68
9378
9332
9413
9142
7179
7304
7883
7995
1768
1782
1779
1838
16823
17051
17015
15782
33371
34155
35947
36713
34698
35802
29649
19512
126661
129578
134180
152158
928
924
6394
7012
2463
2368
2602
2597
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
294018
94.3
17785
100.0
12220
100.0
0
4.2
839
94.6
48
0.3
6871
45.2
8318
2.3
3207
90.6
333
1.1
1456
58.3
1040
0.5
2996
77.2
887
1.0
1900
70.9
780
0.6
3354
95.1
174
1.1
3777
86.9
570
1.3
306
87.7
43
0.1
13470
87.5
1925
4.6
2372
98.3
42
0.8
77
82.8
16
0.0
8527
90.5
897
2.9
7558
94.5
437
2.6
1484
80.7
354
0.5
14307
83.9
2744
4.9
30514
83.1
6199
10.4
28008
78.2
7794
9.5
142908
93.5
9935
48.6
4949
70.6
2063
1.7
2918
100.0
0
1.0
(3)製造品出荷額等(億円)
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
1985
117636
2735
257
2453
476
418
590
590
246
2236
78
3042
714
6
1846
3422
795
2547
6976
4916
82730
153
410
1992
165365
3305
278
1626
633
566
800
495
614
2310
144
5617
816
29
2145
4188
680
3908
10170
6839
117712
1725
765
1986
115158
2786
248
2127
459
422
637
435
408
2125
58
3349
701
6
1886
3064
710
2853
7060
5086
80125
201
411
1993
153243
3345
266
1444
566
549
681
477
609
2160
99
4983
735
14
2061
3819
486
3651
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6648
110112
1575
479
1987
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2611
236
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420
663
439
401
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x
3096
675
5
1858
2977
647
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5603
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158
x
1994
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3291
264
1196
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421
697
415
606
1956
138
4315
664
17
2019
3564
522
3186
7629
6579
105750
1474
585
(出所)愛知県『愛知県の工業』の各号.
36
1988
1989
1990
1991
130318
145390
160135
167792
2622
2715
2888
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231
231
269
271
2110
1665
2148
2187
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393
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556
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473
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902
955
907
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455
463
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506
536
547
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2144
2187
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x
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97
107
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4527
5294
703
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x
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31
32
2010
2148
2269
2226
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4019
4208
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819
947
896
3414
3775
4124
4040
8371
9883
11256
11415
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7535
8601
7998
90754
101888
110703
116853
178
229
1497
1770
481
528
563
716
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
142069
84.7
25723
100.0
3227
96.5
118
2.3
222
79.9
56
0.2
1163
47.4
1290
0.8
565
79.0
150
0.4
370
65.4
196
0.3
649
68.0
306
0.5
437
74.1
153
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633
100.0
0
0.4
2009
83.8
387
1.4
126
87.5
18
0.1
4148
73.8
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2.9
895
100.0
0
0.6
15
46.9
17
0.0
2008
88.5
261
1.4
3546
81.1
827
2.5
560
59.1
387
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3293
79.8
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2.3
8260
72.4
3155
5.8
6636
77.2
1965
4.7
101304
86.1
16408
71.3
1451
82.0
319
1.0
549
71.8
216
0.4
(4)付加価値額(億円)
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
1985
35381
1096
72
809
121
143
227
186
109
881
20
936
280
2
950
810
180
911
2603
1536
23255
84
171
1992
39811
1443
98
617
149
229
337
166
273
1011
50
1662
435
4
1137
1252
199
1536
4290
1747
22348
564
264
1986
30235
1185
79
636
114
157
275
136
159
924
18
1087
325
2
993
728
226
1109
2694
1732
17401
97
159
1993
34279
1549
96
579
119
184
298
149
249
926
40
1530
395
11
1084
1172
117
1430
3529
1840
18259
554
169
1987
32526
1144
82
740
97
156
306
147
164
871
23
990
339
2
1017
830
251
1103
2478
1951
19590
91
154
1994
34999
1466
95
482
189
119
309
133
269
834
57
1368
376
4
1046
1066
158
1257
2895
2229
19869
550
229
(出所)愛知県『愛知県の工業』の各号
37
1988
1989
1990
1991
36989
45433
43945
46658
1175
1194
1182
1485
81
82
86
92
713
648
670
710
126
101
116
149
153
189
210
254
314
459
449
446
146
148
144
162
199
204
226
254
839
885
952
1054
x
40
37
43
1053
1275
1275
1575
354
387
395
416
x
1
6
4
1118
1207
1252
1192
983
1140
1152
1295
268
263
320
310
1301
1459
1599
1658
3057
3935
4780
4645
2240
2099
2701
2364
22565
29416
25626
27695
93
124
564
617
177
176
204
249
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
38262
82.0
8396
100.0
1464
94.5
85
3.8
85
86.7
13
0.2
449
55.5
360
1.2
157
83.1
32
0.4
118
46.5
136
0.3
311
67.8
148
0.8
151
81.2
35
0.4
281
100.0
0
0.7
882
83.7
172
2.3
52
91.2
5
0.1
1261
75.9
401
3.3
562
100.0
0
1.5
4
36.4
7
0.0
1088
86.9
164
2.8
1048
80.9
247
2.7
169
52.8
151
0.4
1337
80.6
321
3.5
3377
70.6
1403
8.8
2192
81.2
509
5.7
22448
76.3
6968
58.7
595
96.4
22
1.6
230
87.1
34
0.6
(5)従業者一人当り付加価値額(万円)
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
総数
12 食料品
13 飲料飼料
14 繊維工業
15 衣服身回品
16 木材同製品
17 家具同製品
18 紙同製品
19 出版印刷
20 化学工業
21 石油石炭製品
22 プラスチック
23 ゴム製品
24 皮革同製品
25 窯業土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械
30 電気機器
31 輸送機器
32 精密機器
34 その他
1985
1274
1133
864
533
392
576
641
694
604
2027
1220
805
1284
250
1008
1088
1051
641
904
537
1840
734
735
1992
1292
1238
1136
637
584
945
945
796
805
2532
1548
1109
1841
444
1303
1621
1200
1015
1217
896
1462
871
941
1986
1069
1186
955
451
373
629
738
732
575
2207
1488
823
1379
215
1062
983
1309
721
889
572
1378
816
728
1993
1122
1285
1086
622
494
782
915
701
711
2280
2094
1071
1698
1507
1246
1502
816
950
1085
637
1252
906
757
1987
1147
1114
939
544
333
654
845
771
574
2194
x
765
1433
294
1121
1168
1451
710
828
610
1540
934
x
1994
1177
1226
1130
652
534
775
927
699
762
2085
1633
997
1820
506
1205
1457
1081
917
942
792
1372
1046
803
(出所)愛知県『愛知県の工業』の各号
38
1988
1989
1990
1991
1272
1538
1450
1496
1143
1157
1092
1321
913
1028
997
1076
562
559
579
654
420
379
448
605
654
790
856
1062
835
1182
1173
1177
711
744
722
770
679
665
696
768
2166
2300
2361
2621
x
2151
2229
2275
799
920
901
1023
1480
1629
1636
1755
x
244
882
588
1192
1293
1330
1304
1369
1561
1461
1620
1516
1476
1799
1687
773
856
940
1051
916
1152
1330
1265
646
586
911
1212
1782
2270
1910
1820
1002
1342
882
880
719
743
784
959
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
1301
84.6
237
1198
90.7
123
50.6
1013
89.2
122
42.8
653
100.0
0
27.6
490
80.9
115
20.7
810
76.3
251
34.2
1038
87.8
144
43.8
795
99.8
1
33.5
838
100.0
0
35.4
2335
89.1
286
98.6
1699
74.7
576
71.7
936
84.4
172
39.5
2369
100.0
0
100.0
519
34.5
987
21.9
1276
95.9
54
53.9
1387
85.5
235
58.5
1139
63.3
660
48.1
935
89.0
116
39.4
1107
83.2
223
46.7
783
64.6
429
33.0
1571
69.2
699
66.3
1202
89.6
140
50.7
788
82.2
171
33.3
表6.西三河地域の産業集積の変化(従業者規模別統計表)
(1)工場数
総数
4∼
9人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
総数
4∼
9人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
1985
6744
4048
1173
623
307
286
153
40
44
36
34
1992
6594
3651
1252
681
341
309
178
64
37
43
38
1986
6762
3990
1189
652
320
288
159
46
48
35
35
1993
6583
3786
1153
658
329
300
176
64
40
36
41
1987
6525
3749
1194
653
303
303
151
55
43
38
36
1994
6145
3425
1148
626
307
292
166
61
44
37
39
1988
1989
1990
1991
6798
6585
6922
6797
3990
3737
4010
3782
1203
1227
1225
1296
640
653
692
711
344
331
339
333
284
292
305
311
162
164
172
172
57
61
57
72
44
45
44
37
37
39
41
47
37
36
37
36
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
6250
90.3
672
100.0
3530
87.2
518
56.5
1174
90.6
122
18.8
618
86.9
93
9.9
286
83.1
58
4.6
304
97.7
7
4.9
157
88.2
21
2.5
63
87.5
9
1.0
42
87.5
6
0.7
40
85.1
7
0.6
36
87.8
5
0.6
1985
277746
24271
16324
15290
11959
20007
21574
9616
16629
25203
116873
1992
308082
22413
17407
16716
13259
21472
25292
15818
14027
30477
131201
1986
282916
24286
16587
15967
12440
20144
22181
11095
18780
24512
116924
1993
305444
22936
15984
16229
12775
20546
24738
15934
15538
25387
135377
1987
283682
23035
16668
15993
11805
21151
21135
13011
16387
26123
118374
1994
297241
21055
16034
15421
11933
19925
23088
15060
17037
26532
131156
1988
1989
1990
1991
290842
295332
303066
311803
24202
23116
24392
23252
16909
17300
17228
18035
15780
16137
17000
17551
13440
12783
13221
13087
19977
20445
21349
21688
22725
22910
24356
24159
13764
14678
13848
17434
16495
17162
16887
13772
25448
27525
28079
33317
122102
123276
126706
129508
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
294018
94.3
17785
100.0
21310
87.4
3082
7.2
16343
90.6
1692
5.6
15277
87.0
2274
5.2
11112
82.7
2328
3.8
20907
96.4
781
7.1
21918
86.7
3374
7.5
15716
90.1
1718
5.3
16098
85.7
2682
5.5
28873
86.7
4444
9.8
126464
93.4
8913
43.0
(2)従業者数
総数
4∼
9人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
総数
4∼
9人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
39
(3)製造品出荷額等(億円)
総数
4∼
9人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
総数
4∼
9人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
1985
117636
2210
2473
2771
3116
5116
5843
2885
5719
8795
78707
1992
165365
2649
3442
4006
3711
6910
8042
7522
7153
14593
107338
1986
115158
2274
2553
2847
3136
4939
5707
3765
6145
8708
75084
1993
153243
2603
2954
3619
3333
5794
8315
7725
6060
10969
101871
1987
116223
2117
2528
2879
2859
4981
5158
4254
5978
9066
76403
1994
146003
2358
2871
3365
3097
5558
7256
6666
6737
11637
96459
1988
1989
1990
1991
130318
145390
160135
167792
2384
2518
2892
2845
2705
3167
3324
3666
3084
3436
4023
4354
3350
3450
3922
4155
5300
5657
6388
6857
6229
6290
7799
8230
4936
5789
5934
7765
6591
7161
7415
6115
9243
10875
12981
15239
86497
97047
105457
108566
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
142069
84.7
25723
100.0
2521
87.2
371
1.8
2935
80.1
731
2.1
3380
77.6
974
2.4
2841
68.4
1314
2.0
6004
86.9
906
4.2
6535
78.6
1780
4.6
6881
88.6
884
4.8
6291
84.8
1124
4.4
10770
70.7
4469
7.6
93911
86.5
14655
66.1
1986
30235
1152
1061
1048
1061
1763
1639
1378
2291
2503
16339
1993
34279
1392
1306
1400
1120
1907
2857
2707
1898
3217
16473
1987
32526
1086
1125
1093
994
1779
1578
1430
2154
2872
18416
1994
34999
1252
1215
1280
1033
1996
2392
2374
2090
3093
18273
1988
1989
1990
1991
36989
45433
43945
46658
1273
1363
1535
1562
1141
1352
1444
1652
1190
1247
1450
1616
1232
1248
1400
1437
1855
1931
2196
2474
1946
2076
2720
2652
1831
2089
2050
2870
2218
2022
2147
1822
3103
3306
4005
4258
21200
28798
24999
26313
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
38262
82.0
8396
100.0
1321
84.6
241
3.5
1291
78.1
361
3.4
1304
80.7
311
3.4
1018
70.8
419
2.7
2237
90.4
237
5.8
2278
79.7
580
6.0
2462
85.8
409
6.4
1966
85.8
325
5.1
3119
73.2
1140
8.2
21268
73.9
7530
55.6
(4)付加価値額(億円)
総数
4∼
9人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
総数
4∼
9人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
1985
35381
1072
1018
975
1007
1712
1633
954
2148
2813
22050
1992
39811
1447
1496
1516
1301
2426
2542
2565
2064
4001
20452
40
(5)従業者一人当り付加価値額(万円)
総数
4∼
1985
1274
442
1986
1069
474
1987
1147
471
1988
1272
526
総数
4∼
623
637
842
856
757
992
1292
1116
1887
1992
1292
645
640
657
853
875
739
1242
1220
1021
1397
1993
1122
607
675
684
842
841
746
1099
1314
1099
1556
1994
1177
595
675
782
838
916
754
773
853
921
917
977
1059
1098
929
945
1028
1141
857
906
1117
1098
1330
1423
1480
1646
1344
1178
1272
1323
1219
1201
1426
1278
1736
2336
1973
2032
1995
95/ピーク ピーク-95 95構成比
1301
84.6
237
77.4
620
92.3
52
36.9
859
907
981
1130
1005
1622
1471
1313
1559
817
863
877
928
1155
1699
1222
1267
1217
758
830
865
1002
1036
1576
1227
1166
1393
9
人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
9
人
10∼ 19人
20∼ 29人
30∼ 49人
50∼ 99人
100∼ 199人
200∼ 299人
300∼ 499人
500∼ 999人
1,000人以上
1989
1538
589
790
854
916
1070
1039
1566
1221
1080
1682
86.2
92.7
83.4
93.8
90.0
92.2
83.0
75.7
72.0
1990
1450
629
126
67
182
71
116
132
250
346
654
1991
1496
672
47.0
50.8
54.4
63.6
61.8
93.1
72.6
64.2
100.0
(出所)愛知県『愛知県の工業』の各号
(2)トヨタグループ企業の多角化戦略と「系列」関係の相対化
海外生産の進展と不況の長期化によって,自動車の国内生産台数が100万台以上減少する中で,
生き残りのための新たな動きも生じている。トヨタグループ各社が脱自動車化の動きを強めてい
ることに示されるように,多角化と従来の「系列」の枠を超えた取引が活発化しているのである。
1) 多角化戦略
トヨタ自動車自身が,古くからフォークリフトなどの産業用車両や無人物流システムの開発販
売を手がけ,この分野で30年以上にわたって国内販売シェア第1位を記録してきたほか,1975
年にはトヨタホームを設立して住宅販売に乗り出すなど,積極的な事業分野の拡大を行ってきた
ことは,よく知られている。1980年代にはいると,1984年に日本高速通信,1986年には国際デ
ジタル通信へと相次いで資本参加し,情報通信分野に進出したが,90年代には,ファクトリー・
オートメーションや,コンピュータ・ソフトウェア開発,海洋リゾート開発,セラミックスなど
の新素材開発などの分野へと事業範囲を急速に拡大している。
41
このようなトヨタ自動車の動きに呼応するように,トヨタグループ各社も90年代に入って脱自
動車化の動きを強めた。
グループ企業最大手のデンソー(旧日本電装,1996 年10月社名変更)は,幸田製作所を中心
に,自動車電話などの情報通信機器や独自仕様のカーナビゲーション・システムの開発・販売に
力を入れるとともに,カーエアコンで蓄積した技術を活用した空気清浄機や遠赤外線ヒーターの
開発・商品化など,自動車以外への積極的な進出をはかっている。この間,開発した新商品は,
アルカリイオン整水器,幅広バーコード・小型バーコード・2次元コードなどの読取装置,ディ
スプレーフィルム,運送トラックの衛生通信による管理システム,生ゴミ処理機,リモートIDシ
ステム,ポータブル冷風器,抗菌24時間風呂,ビル用照明器具,移動データ通信から高速道路交
通システムまで,驚くほど多彩である。さらに,国内生産だけでなく,1998年8月からは,カリ
フォルニア州ビスタでデジタル方式の携帯電話の生産に取り組むことを決定し,その準備をすす
めている。
アイシン精機も,流体ベッドやシャワー,ガスエアコンなどの住宅関連機器,在宅医療通信シ
ステムに力を入れているが,三内丸山遺跡の発掘調査では,アイシン精機が開発したレーザー利
用の実測図作成装置が試験利用されて,話題を読んだ。自動車用ゴム,プラスチック製造を手が
ける豊田合成は,ゴムリサイクル新技術の開発をすすめる一方,電飾ボード用発光ダイオードの
売上げが好調だ。従来,徳島県の企業ただ1社だけが独占していた青色発光ダイオードの量産化
に成功したことで,弾みがついた。トヨタ車体は,オゾン水を用いた殺菌脱臭装置やリニア技術
を応用したドアの自動開閉装置に取り組み,自動車用特殊鋼で高い技術力を持つ愛知製鋼は,磁
石やチタン材料などの活用でユニークな製品を発表している。磁石式入れ歯固定装置,小型モー
ターに最適なプラスチック磁石,チタン製ゴルフパターなどであるが,ナゴヤドームで用いられ
たチタン材も,愛知製鋼の開発である。グループ企業の総帥である豊田自動織機は,積極的な合
弁戦略で新規分野に取り組んでいる。従来からの物流システムに加えて,ソニーと合弁で液晶表
示装置の新会社を設立したほか,フランスでは現地企業と合弁によるフォークリフトの製造工場
を設立した。半導体市況の低迷から白紙に戻ってしまったが,TIとの合弁で半導体製造にも取り
組もうとしていたのである。
2) 脱トヨタ化と「系列」の相対化
このような「脱自動車化」と言い得るような多角化の動きとともに,「脱トヨタ」への模索も
始まっている。
42
デンソーは,日産系のカルソニックと共同配送を始めたほか,ドアロック用センサー部品を日
産系のカンセイに供給している。また,海外においては,アメリカに設立したロバートボッシュ
との合弁会社が,ボッシュブランドで米国日産に供給しているほか,1996年7月には,アメリカ・
ビッグスリーの品質基準(QS-9000)を取得し,ビッグスリー向け供給体制の強化を図っている。
グループ第2位のアイシン精機は,ブレーキ部品を日産に直販しているほか,主として海外の
合弁企業を通じて販路の拡大を進めている。中国では,日産系ユニシアジェックスと合弁企業を
設立し,また,商用車用自動変速機でGMと提携,フランスのルノー,スウェーデンのボルボにエ
ンジン部品を輸出している。BMWにも,エンジン部品を供給する契約を結んだ。さらに,エンジ
ンの冷却水ポンプと潤滑油ポンプの英国工場をバーミンガムに設立し,ルノーとボルボ,トヨタ,
日産の現地工場に供給する予定で準備を進めている。
海外での合弁事業を通じて,トヨタ以外への販路の拡大を進めているのは,豊田合成も同様で
ある。96年7月には,ブリジストン・オーストリアと合弁することに合意し,自動車用ゴム部品
の製造・販売会社を設立した。現地に進出しているトヨタ自動車や三菱自動車工業への販売を強
化するほか,ゼネラル・モーターズ(GM),フォードなどの工場に納入する。米国の大手自動
車メーカー,ビッグスリーとの取引を拡大するため,アメリカ合衆国に新工場を建設する計画も
ある。
自動車部品と工作機械の豊田工機は,好調な工作機械分野で,グループ外企業との積極的な事
業提携を行っている。三次元成型器は,アメリカのヘリシス社と提携し,東洋エンジニアリング
と共同で工作機用CAD・CAMシステムの開発を行った。さらに,ヤマザキマザック,東芝機械,
日本IBM,三菱電機,エス・エム・エルと6社共同によるパソコン機械制御システムを開発し
ている。海外でも,97年5月には,アメリカの部品メーカーTRWとパワーステアリング部品の英
国子会社を設立し,欧州の日系メーカー,フォルクスワーゲン,ルノー向けの生産を行っている。
98年2月には,インドの代表的工作機械メーカー,マイソール・キルロスカ社と販売委託・業務
サービス委託契約を結び,日系企業以外への売り込みを強化しようとしている。
このような脱トヨタ化は,グループ企業以外の系列部品メーカーにも広がっている。例えば,
愛三工業も,燃料供給装置用バルブを日産に直販している。一方,トヨタ自動車自身も,系列企
業へ「自立」を推奨しつつ,97年2月のアイシン精機火災の教訓を踏まえ,系列外のゼクセルに,
ディーゼルエンジン用電子燃料噴射装置を発注するなど,自ら「系列」関係の相対化に踏み出し
ている。
43
3) 「系列」相対化の背景
グループ企業の多角化とともに「系列」相対化の動きが加速しているのは,当然,貿易摩擦や
円高による海外進出と長期化する不況によって,自動車の国内生産が縮小し,下請企業の立場か
ら販路の拡張を推進する必要に迫られたことによるが,一方,1980年代後半の海外生産の経験や,
95年1月の阪神淡路大震災,97年2月に発生したアイシン精機刈谷工場の火災が重要な影響を与
えている。
1985年9月のプラザ合意後の急激な円高と貿易摩擦の深刻化から,自動車メーカー各社は,相
次いでアメリカ合衆国に現地工場を設立した。これまで,国内の階層的下請関係に依拠して強い
価格競争力と高品質を達成してきた自動車メーカーは,現地工場を立ちあげるに際して,日本と
同様の生産システムを合衆国内に再現しようと試みた(Florida and Kenney 1991; Enshu
1991)。その結果,自動車メーカーに追随して,系列下請メーカーの多くも合衆国に進出するこ
とになったのである。
進出した完成車組立工場と下請工場は,合衆国の企業よりは,相対的に賃金水準は低く,生産
性も高かった。しかし,合衆国内で日本的な労使関係を貫徹するには制約も大きく,経営的なう
まみは少なかった。むしろ,ほとんど赤字の状態であったと考えて良い。この結果,親企業に追
随した下請企業のいくつかは,親企業の現地工場ばかりではなく,ビッグスリーなどの米国企業
や,親企業以外の日系企業への食い込みを図ることになった。
一方,日本と同様の生産システムの再現が理想ではあると言え,合衆国まで同行できる下請企
業は決して多くはない。中核部分は同行した系列企業に担わせるとしても,相当部分は,現地の
サプライヤーに依存するほかはなかった。しかし,満足のいく技術レベルにある現地サプライヤ
ーを得ることは難しく,親企業の側からも,進出した日系企業どうしで相互補完する体制づくり
が模索されることになった。日系総合商社も一枚加わって,「系列」を超えた相互補完システム
が,海外で形成されていったのである。
しかし,このような経験にもかかわらず,それが日本の国内でも一定の形をとるのは容易では
なかった。急速な円高の進行に見合って,合理化を進め,均衡レート(円レートの採算ライン)
を引き上げていくには,「系列」関係を最大限に活用することが必要だったからである。例えば,
トヨタは,目標採算ラインを1ドル=100円に設定し,それを94年から3カ年計画で達成するた
めに,下請企業に厳しい原価引き下げ要求を行った。系列部品メーカーはこれに応え,95年9月
には予定を1年3カ月も早く達成したのである。しかし,トヨタはそれにも満足せず,円高がさ
らに進んだことから目標採算ラインを1ドル=90円に引き上げて,部品メーカーに一層の減価引
44
き下げを迫っている。その後,円安に回帰し,1ドル=100円に戻った後も,年二回の減価低減
要求は継続しているのだという(『朝日新聞』1996年5月24日,名古屋版朝刊)。
しかし,95年1月に神戸市を襲った阪神淡路大震災と,97年2月のアイシン精機刈谷工場の火
災が,「系列」相対化の転機となった。関連産業の集中立地と在庫を持たない「ジャスト・イン・
タイム」システムの脆弱性を露見させることとなったからである。
1995年1月17日未明に阪神地域を襲った直下型大地震は,一見,華やかな開発で彩られた巨大
都市に潜むもろさを白日のもとにさらけ出した。死者の数はおよそ6,000人,福井地震の4,000人
を大きく上回り,戦後最悪の被害となった。震度7の激震は,住宅や産業施設にも甚大な被害を
与え,神戸経済が被った損害額は9兆円を超えると考えられている。しかし,経済に与えた損害
は,地元神戸だけにとどまらなかった。トヨタ本社工場,マツダ本社工場,本田技研熊本製作所
および浜松製作所,三菱自動車水島工場,同岡崎工場など,下請け部品メーカーの被災や物流施
設の麻痺によって,被災地以外の自動車組立工場も,一時,操業停止に追い込まれたのである。
さらには,驚いたことに,マレーシアでも三菱と共同で生産していたプロトンの工場が九日間も
停止するなど,影響は広く海外にまで及んだ。このように被害が広域化したのは,機能の集中に
一因がある。個別企業でみれば,合理化集約化によって,製品目ごとに特定の工場に集中するよ
うになり,また伝統的な下請け支配システムから部品調達も特定の系列部品メーカーに限定され
ていた。そのため,地震によって部品供給業者が操業停止に追い込まれると,代替部品の調達に
支障をきたすことになった。一方,生産能力に直接被害がなかった場合でも,部品の積み出しが
神戸港に集中していたため海外に部品を送ることができず,海外進出工場の生産を停止せざるを
得なかったのである(遠州 1995)。
また,操業停止の直接の原因にはならなかったものの,自動車産業にとって深刻だったのは,
神戸製鋼の一部操業停止による自動車用特殊鋼の不足であった。大同特殊鋼と愛知製鋼がフル稼
働して代替生産を行い急場をしのいだが,薄氷を踏む綱渡りだった。製品は車種や部品ごとに仕
様を細かく規定され,品質も厳格だが,とりわけその仕様は企業秘密に属している。鉄鋼メーカ
ーが各社独自の製品を開発しているだけでなく,ユーザー側の注文も多種多様で,肩代わり生産
をするにもノウハウがどこまで開示されるか,難しい問題を抱えたのである。もし,神戸製鋼の
高炉が閉鎖されることにでもなっていれば,やがて,自動車産業全体に計り知れない被害を与え
たことだったろう。
阪神淡路大震災の記憶がまだ生々しく残る97年2月1日,トヨタのグループ企業第2位のアイ
シン精機刈谷工場が全焼した。刈谷工場が生産していたのは,ブレーキ力を車輪にバランスよく
配分する上で欠かせない,プロポーショニング・バルブ(以下,PV)と呼ばれる重要部品で,ト
45
ヨタグループ企業のなかでもアイシン精機ただ1社だけが扱っていた。「セルシオ」「スターレ
ット」以外の全車種,トヨタの生産車の9割がこれを搭載していたから,その影響は甚大だった。
トヨタは,系列企業も含め,全国に30の車体組み立てラインを持っているが,出火翌々日の3日
には,直系子会社のトヨタ自動車九州など11工場で生産ラインが止まり,4日はダイハツ工業池
田工場を除く29ラインが停止することになった。
トヨタは,グループ企業のうち,デンソー,豊田自動織機製作所,豊田工機の3社に代替生産
を依頼するとともに,アイシン精機自身も,試作工場の加工ラインと半田工場にPVラインの移設
を進め,迅速な復旧に取り組んだ。その一方でライバル企業の下請メーカーや,自動車部品メー
カーではないブラザー工業を含む20社に代替生産を委託した。その結果,7日には一部ラインで
操業が再開され,10日には通常生産に,そして操業停止から2週間後の17日にはフル稼働するま
でに回復させたのである。結局,PVの代替生産を行ったのは,トヨタの直系納入メーカー36社
と,アイシン精機に連なる「中部アイシン協力会」(88社)のうち22社を軸に,計62社に達した
という(『朝日新聞』1997年6月6日,東京版朝刊)。
このようにして,驚くべき迅速さで復旧を果たしたが,4月に予定されていた消費税アップに
対するかけ込み需要に対応しようと,フル生産体制にあっただけに,受けた損害は著しく大きか
った。
トヨタの2月期の生産台数は計画を67,000台下回り,やはりアイシン精機からPVの供給を受け
ていた三菱自動車も,輸出用の組み立て車両から引き抜いて国内生産用に振り向けるなどの対応
を行ったが,結局,一部のラインを閉鎖しなければならず,減産は4,000台に達した。
一方,トヨタと三菱の生産ラインの停止は,アイシン精機以外の部品メーカーをも減産に追い
込んだ。エンジン用部品を供給している系列の愛三工業は,4日朝から4割の生産ラインを停止
した。ハンドルやバンパーなどの樹脂製品を納めるグループ企業の豊田合成,エンジンやギア用
の鍛造部品を作る愛知製鋼も一部ラインを停止したほか,売り上げの五割近くがトヨタ向けの中
央発條は,車体を支えるばねを作る碧南工場やアクセル用のケーブルを作る藤岡工場の操業を取
りやめた。売り上げ全体の約3割がトヨタ向けの自動車用の電線メーカー,住友電装や,トヨタ
直系ではないシートメーカーのニッパツも,トヨタ車向けが中心の豊田工場のラインを停止した。
東海ゴム工業も,振動防止用ゴムなどを作る本社工場と松阪工場で,四分の一のラインが止まっ
たのである。
さらに操業停止の影響は,エネルギーを供給する中部電力や東邦ガスにまで及んだ。その結果,
2月の鉱工業生産指数は5.9%も落ち込んだという。大和総研によれば,トヨタの売上高の減少は,
その後の増産を考慮しても,600億円に達したのである。
46
アイシン精機の火災とその影響の大きさは,重要部品の生産を1社に集中する危険性を改めて
浮き彫りにした。また,復旧過程での系列を超えた代替生産の取り組みは,「系列」からの解放
の必要性と可能性を,逆の方向から示したのである。
(3)多角化と「系列」関係の相対化がもたらすもの
トヨタとトヨタグループの動きに見られる,外国企業との国境を越えた積極的な共同生産体制
の構築や,狭い「系列」の殻を打ち破る活発な相互取引の展開は,経済企画庁や経団連,さらに
は中谷までもが期待する「オープン・ネットワーク型企業」(中谷 1996)への胎動であるかの
ように見える。実際,これだけ経営環境が厳しさを増す中,依然として大幅な収益増を実現して
いるトヨタの強さを目の当たりにすると,トヨタのような経営に徹すれば,空洞化の懸念など杞
憂に過ぎないかのようだ。しかし,実際はそれほど単純ではない。
第一の問題は,トヨタグループ企業が進める多角化,多様化が決して容易ではないと言う点で
ある。
1997年3月期には,グループ各社とも好調な決算を行ったが,新規事業展開の表向きの華々し
さとは裏腹に,トヨタに依存しての好決算だった。例えば,豊田自動織機製作所は,TIとの合弁
による半導体製造会社の設立を目指していたが,半導体市況の低迷から挫折を余儀なくされた。
反面,同社は前年比10%も売上げを伸ばしたが,トヨタから受託した小型車の生産が寄与したの
である。グループ第2位のアイシン精機も,住宅関連や医療機器分野に参入しているが,まだ到
底利益の出る段階ではない。その一方で,売上げに占めるトヨタ向け比率は57.1%で,むしろわ
ずかながら増加している。すでに,それぞれの主力製品分野で見れば,世界でもトップクラスの
大企業であるグループ企業でさえ困難な多角化が,より小規模な下請企業に容易なはずはない。
これまで,ぎりぎりまで,そぎ取られた合理化の徹底によって,新分野に投資する余力を失って
いるからである。
第二の問題は,グループ企業や系列部品メーカーに「自立」を説くトヨタ自身が,依然として
「系列」システムに深く依存していることである。
この間の円高に対抗して均衡レートを引き上げるために,トヨタは,下請企業に過酷な原価削
減を強いることによって,1年以上も早く目標を達成したことは既に述べた。この結果,一時,
1ドル=80円の超円高にさらされた時期にあたる,1996年3月期の決算でさえ,販売台数の減少
による売上げ減にもかかわらず,増益となった。トヨタグループ8社のうち変則決算である2社
を除く6社の決算も,豊田紡織を除き,トヨタ同様,増益だった。他方,対照的に,名古屋証券
取引所に上場している系列部品メーカー4社の決算では,いずれも減収・減益だったのである。
47
年に2度繰り返される5%の原価削減を続ける限り,2次下請以下では1ドル=105円を超えて
は利益を出せない。トヨタは,下請企業の犠牲の上に1ドル=100円を超える円高であってもな
お利益の出る体制を達成したのである。
アイシン精機の火災からの復旧過程でも,系列の威力をまざまざと見せつけた。確かにアイシ
ン精機の火災は,一面で,重要部品をグループ内の特定の1社に委ねる危険を明らかとし,代替
生産には,系列を超える幅広い企業が参加して,「系列」解体のきっかけとなりうる実績を作っ
た。しかし,他方で,代替生産を軌道に乗せるには,系列部品メーカーの自発的な復旧協力が不
可欠だった。車種別に100種類にも及ぶPVの生産には,それぞれ異なる治具や羽具が必要だ。数
百種類もの治具や羽具を短時日で取りそろえ,汎用加工機械を使っての代替生産は困難を極めた
が,火災からわずか2週間で,アイシン精機の生産量に匹敵する代替生産レベルに到達し得たの
は,系列システムの底力だった。
第三に,以上のように多角化も,「系列」からの自立も困難であるにもかかわらず,グローバ
ル化とそのもとでの競争の激化によって,否応なしに「系列」関係の見直しを迫られている。
筆者は,かつて,この系列の見直しがもたらす事態を予感させるような出来事に遭遇した。1989
年から91年まで取り組んだ文部省科研費国際学術研究の一環として,2度にわたって訪問した,
P社の事例である。
P社は,マツダの下請としてガラス加工を一手に担ってきたI社が,ミシガン州ロックウッドに
設立した現地法人である。マツダが,ミシガン州フラットロックにあったフォードの休眠工場を
譲り受け,マツダ・モーター・USA(MMUC)を設立した際に,マツダの求めに応じて,1987
年8月に進出した。進出に要する費用は,当時の金額で5億5,000万円であった。資本金1億2,000
万円の中小企業には大変な投資だが,来るべき国際化への布石として決断したものだった。P社の
主要業務は,フォードのガラス・ディビジョンが納入するガラスに,モールやガラスの開閉に必
要な金具等を装着してMMUCのフラットロック工場に納品することであり,簡単な治具を用いて,
極めて正確な位置に金具を装着するノウハウに優れていた。装着位置の誤差は,0.5mm以内であ
ることが要求された。工場立ち上げ時に,フォードから納品されるガラスの不良率が著しく高か
ったことによる混乱と,組合の結成,ストなどの試練を経て,翌年には生産を安定させた。MMUC
の生産増強とともに,ブロード・キャスト方式(ジャスト・イン・タイムの一形態)に対応した
設備投資や,工場の拡張にも取り組み,優良サプライヤーとしての表彰も受けた。1990年11月に
2度目の訪問を行ったときには,全てが順調であるかのように思われた。ところが,1991年のフ
ルモデルチェンジによって,MMUCでの生産車種が全てフォード車に切り替えられたとたん,ガ
ラスの開閉は,上下式ではなく内側から押すシステムが採用されることになった。P社の一番の売
48
りである,ピンポジションへの金具取り付けが不要となったのである。P社の受けた打撃の大きさ
が思いやられる。P社の親会社であるI社が,マツダの誘いを受けて大きな負担をおしてまで進出
し,進出後も,品質の向上と積極的な投資に取り組んできたのは,マツダが,その努力に報いて
くれるはずだという信頼があったからである。品質競争や価格競争に敗れたのならやむをえない
としても,進出を請われた中核技術を発揮する道を閉ざされたのでは,何を信頼すれば良いのだ
ろうか。
「系列」関係の相対化が一層進むなら,P社の例は特殊な例ではなくなるだろう。元請けは,こ
れまでの関係にこだわることなく,そのときどきに最も有利な条件を提示したサプライヤーと契
約すればよいのだから,経済合理性に合致しているようにも思われる。しかし,その一方で,こ
れまでのように,過酷な原価削減要求を下請企業に貫徹することは著しく困難となるだろう。そ
のような関係のもとでは,元請けが下請を選ぶだけではなく,下請が元請けを選ぶことにもなる
からだ。それでも,高い競争力を維持しようとするならば,変わらなければならないのは,下請
部品メーカーの経営姿勢ではなく,超円高のもとでも系列下請け組織に犠牲を転化して高収益を
あげてきた大企業のあり方,西三河産業地域で言えば,トヨタの経営姿勢なのである。
4−2.大田区産業地域における空洞化の進展
(1)バブルとその崩壊による企業淘汰
中小零細金属機械工業が高密度に集積する大田区産業地域は,産業別の従業者数の構成で見る
限り,トヨタを中心とする自動車産業の集積地である西三河産業地域と類似している。しかし,
両者の集積変化の推移は,全く異なっている。
西三河産業地域は,上述したように,80年代後半のバブル期の大規模な設備投資を背景として,
その集積規模を拡大させた後,90年代に入って,とどまるところを知らない円高とバブル崩壊後
の不況から,集積規模を縮小させることになった。これに対し,大田区の場合には,9,190工場を
記録した1983年に工場数においてピークに達した後,一貫して減少を続けてきた。日本中が設備
投資に沸いたバブル期でさえ集積を拡大することなく,むしろ縮小のテンポを速めたのである。
このような大田区産業集積の長期的で一貫した縮小は,従業者数で見れば,さらに早く,1960
年代前半に遡る。1950年代から60年代はじめにかけて,中学卒業期を迎えたベビーブーム世代を
中心に大量の若年労働力を受け入れてきた大田区は,出生率の低下と高校進学率の上昇とによっ
て急激な労働力不足に見舞われることになったのである。工場数は,1980年代前半まで,緩やか
ながら増加を続けたので,従業者数の減少の中での工場数の増加という一見矛盾する傾向が,そ
49
の後20年間にわたって続くことになった。その結果,第3章で述べたような,工場規模の零細化
が進行することになった(大田区産業振興協会 1996)。
従業者数の減少の中でも工場数が増え続けたのは,大企業の移転や「40年不況」,第1次,第
2次のオイルショック後の不況などによって,比較的大規模な企業も含めて倒産が増加する危機
に幾度となく直面しながらも,大企業からスピンアウトしたり,大企業の移転や合理化,あるい
は倒産などによって解雇された労働者によって,流出したり閉鎖された工場数を上回る,大量の
新規創業が相次いだからである。長期的に見て緩やかながらも持続していた経済の拡大が,独立
創業を支えるとともに,集積の厚みや貸し工場の存在など,独立創業を受け入れるインフラにも
恵まれていたからである。
一方,慢性的な労働力不足は,中小零細企業にも一定の技術革新を迫るものとなった(西村
1997)。工作機械の導入と分業化の進展である。とりわけ,独立創業のブームによって生じた多
数の零細企業は,規模の制約から特定分野に専門特化する以外になく,その結果,専門零細企業
どうしの企業間分業が進展し,緊密なネットワークが築かれることになった。このネットワーク
の形成には,独立創業者が修業時代に熟練を磨く手段であった「わたり」を通して蓄積された,
人的つながりが貢献した。
このようにして形成された企業間分業ネットワークに,さらに大きなインパクト与えたのが,
70年代半ばからのマイクロ・エレクトロニクス(ME)革命とNC工作機の急速な普及であった(関
1993)。この両者によって,下請賃加工に甘んじていた中小企業の中から,その一部がハイテク
型の「製品開発型企業」へと脱皮する可能性が開かれたのである(関 1993, 1995)。開発力の
ある中堅企業を中核としながら,高度な加工技術を持つ零細専門企業の大量集積という大田区産
業地域の際だった特徴は,このような経過を経て形成されたのだった。
ところが,80年代にはいると,大田区工業集積のトレンドに大きな変化が表れた。従業者数だ
けでなく,工場数も減少し始めたのである。従来,移転や廃業する工場があっても工業集積が全
体として維持されてきたのは,それを上回る独立創業があったからである。しかし,「3K」とい
う言葉で象徴されるような若年労働力の製造業離れに加え,円高やバブルによる操業条件の悪化
によって,独立創業も困難となったのである。
工業統計によって,1985年から95年まで,10年間の大田区工業集積の変化をみると,工場数
は8,897から6,787に,従業者数も95,604人から62,864に,それぞれ減少した。2110工場,32,740
人の雇用が失われたことになる。減少率は,それぞれ25.7%,34.2%であり,雇用の減少が工場
数の減少をさらに上回っていたことがわかる。また,製造品出荷額等(以下,出荷額)は1兆3,948
50
億円(17.5%),粗付加価値額は482億円(6.5%)の減少にとどまり,工場数と従業者数の減少
率を下回った。
一方,大田区産業地域の特徴である,プラスチック製品製造業を加えた金属機械7業種につい
てその変化を見ると,特に減少率の大きいのは電気機械器具と精密機械器具で,工場数で約3分
の1,従業者数では,前者が50.1%,後者が42.7%もの減少となった。比較的減少率の小さかっ
たのは,金属製品と一般機械器具で,工場数では,それぞれ16.0%と21.6%,従業者数では,22.7%
と29.7%の減少にとどまった。電気機械器具は海外生産比率が最も高い業種であり,精密機械器
具は,輸出競争力の減退傾向が著しい業種である。大田区の製造業集積の縮小にも,海外投資の
拡大とグローバル化の展開が影を落としているのである。
さらに規模別の変化では,従業者数「3人以下」の零細工場と,「10∼19人」の小規模工場の
減少率が比較的少ないのに対し,「30∼49人」,および「50∼99人」の中規模工場の減少率が
特に大きい。特徴的なのは,減少率の大きな中規模工場と,比較的減少率の小さな他の階層とで
減少のパターンが異なっていることである。すなわち,「100人」以上の比較的大規模な工場は,
1985年から87年までの円高不況期に年率9%以上で急激に減少したが,バブル期以降は安定して
いる。また,比較的減少幅の小さかった,「3人以下」の零細工場と「10∼19人」の小規模工場
では,円高不況期とバブル末期及びバブル崩壊直後の90年代初期において最も減少率が高く,93
年以降は減少率が小さくなっている。これとは対照的に,比較的減少率の大きかった「4∼9人」,
そして最も減少率の大きかった「30∼49人」「50∼99人」の中規模工場では,90年代に入って
から減少率が高まったのである。また,それら中規模工場の下位に位置する「20∼29人」も最近
になって減少率が高まっている。
これらの傾向から,円高不況期,バブル期,そしてバブル崩壊の過程を通じ,海外進出も含め
て,発展志向の強い一部企業の転出が進む一方,体力の弱まった企業の淘汰が進行したことを読
みとることができる。
まず第一は,過去10年間の集積変動パターンから,大田区中小企業は,従業員100人以上の大
規模工場と,20∼99人の中規模工場,10∼19人の小規模工場,10人未満の零細工場とに区分で
きる。
第二に,小規模工場の前後で階層分解が進行しており,その下位にある零細工場は,不況の長
期化のもとで生産拡大の可能性をほとんど閉ざされ,経営の縮小を余儀なくされている。工場規
模もじりじりと後退しているが,3人以下の最零細層になると,他に転職の可能性も乏しく,家
族経営の特性により平均利潤を相当下回っても存続できることから,ドラスティックな廃業の増
加を免れている。
51
第三に,大田区産業地域の中核を担うべき中規模企業が,バブルとバブル崩壊の影響を最も激
しく受けている。中規模工場は,そのかなりの部分を,70年代の独立創業ブームの中で誕生し,
賃加工から出発して徐々に規模を拡大してきた企業によって占められている。従って,本来,事
業拡大意欲の最も高い層と考えられる。しかし,円高不況とその後のバブル経済の膨張は,全体
として設備投資への意欲を拡大させたが,反面,地価の高騰等によって,大田区内での事業拡張
の可能性を著しく制限した。その結果,中規模企業のかなりを占める発展志向企業の大田区から
の転出を促進させるとともに,大田区に残った工場の相当数も,工場面積の増加を伴わない範囲
で,積極的な設備投資を行ったものと考えられる。当然,バブル期に行った設備投資は,バブル
の崩壊後は企業収益を著しく圧迫し,それが原因となって倒産する企業も発生したであろう。上
述のように,中規模工場は,円高不況期,バブル期を通じて他の層よりも高い減少率を示してい
たが,バブルが崩壊する90年代に入って一層減少速度を増したのは,以上の状況が反映していた
ものと考えられる。1993年以降,中規模工場の中でも規模の小さな「20∼29人」の工場で減少
率が急上昇しているが,中規模企業を直撃したバブル崩壊の影響が,より小規模な企業を巻き込
みつつあると考えられる。
円高不況期,バブル期,そしてポスト・バブル期を通じて大田区産業地域内で企業淘汰が進行
したことは,従業員一人当り粗付加価値の増加傾向によって裏付けられる。すでに指摘したよう
に,この間,出荷額や粗付加価値額も減少したが,その減少率は,工場数や従業者数の減少率を
下回った。その結果,出荷額や粗付加価値額の減少にもかかわらず,従業者一人当り付加価値額
は,1985年の772万円から,1995年の1,098万円へ,42.2%も上昇したのである。雇用調整以外
の手段でバブル崩壊後の不況に対応している西三河産業地域が,従業者一人当り付加価値額を低
下させているのとは,対照的な結果である。
52
表7.大田区の産業集積の変化
(1)工場数
1985
8897
8151
7860
7160
95/85
95−85
(%)
6787
76.3
-2110
3902
3246
890
415
210
145
88
3676
2868
830
387
194
130
66
3589
2760
812
387
179
118
65
3377
2416
724
348
139
91
66
3304
2207
710
298
124
82
62
84.7
68.0
79.8
71.8
59.0
56.6
70.5
-598
-1039
-180
-117
-86
-63
-26
食料品
飲料・たばこ・資料
繊維工業
衣服・その他の繊維製
177
5
18
94
151
6
12
90
138
6
11
76
120
6
9
67
111
6
8
58
62.7
120.0
44.4
61.7
-66
1
-10
-36
木材・木製品
家具・装備品
パルプ・紙・紙加工品
出版・印刷・同関連
化学工業
石油製品・石炭製品
プラスチック製品
ゴム製品
なめし革・同製品・毛
129
218
93
384
44
3
485
38
7
118
192
82
358
38
3
434
33
6
116
189
72
354
34
3
435
36
6
100
171
64
335
32
3
394
29
5
26
165
64
304
31
3
383
26
5
20.2
75.7
68.8
79.2
70.5
100.0
79.0
68.4
71.4
-103
-53
-29
-80
-13
0
-102
-12
-2
64
111
154
1863
2761
1317
409
379
4
140
64
99
135
1800
2535
1180
373
319
2
121
63
90
129
1745
2495
1095
364
283
5
115
53
89
110
1664
2243
955
327
270
4
110
47
83
109
1564
2164
891
315
247
2
175
73.4
74.8
70.8
84.0
78.4
67.7
77.0
65.2
50.0
125.0
-17
-28
-45
-299
-597
-426
-94
-132
-2
35
総数
1 ∼
4人
4 ∼
9人
10 ∼ 19人
20 ∼ 29人
30 ∼ 49人
50 ∼ 99人
100人以上
12
12
14
15
品
16
17
18
19
20
21
22
23
24
皮
25
26
27
28
29
30
31
32
33
34
窯業・土石製品
鉄鋼業
非鉄金属
金属製品
一般機械器具
電気機械器具
輸送用機械器具
精密機械器具
武器
その他
1988
1990
(出所)東京都統計協会『東京都統計年鑑』の各号.
53
1993
1995
(2)従業者数
1985
総数
12 食料品
12 飲料・たばこ・資料
14 繊維工業
15 衣服・その他の繊維製
品
16 木材・木製品
17 家具・装備品
18 パルプ・紙・紙加工品
19 出版・印刷・同関連
20 化学工業
21 石油製品・石炭製品
22 プラスチック製品
23 ゴム製品
24 なめし革・同製品・毛
皮
25 窯業・土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械器具
30 電気機械器具
31 輸送用機械器具
32 精密機械器具
33 武器
34 その他
1988
1990
1993
1995
95/85
95−85
(%)
65.8
-32740
72.6
-1033
104.4
15
17.5
-141
56.8
-221
95604
3772
338
171
511
80445
3061
370
68
458
77367
3149
397
65
340
69003
3068
359
58
299
62864
2739
353
30
290
491
1481
762
6433
1441
140
4426
667
38
468
1414
701
6184
1268
140
3912
549
35
510
1432
630
6242
1265
122
4040
495
29
347
1186
591
5714
1253
113
3461
418
23
125
1090
584
4808
1254
x
2951
273
x
25.5
73.6
76.6
74.7
87.0
-366
-391
-178
-1625
-187
66.7
40.9
-1475
-394
979
1684
1315
13272
23606
22660
5620
4238
589
1286
991
1408
1182
12890
20458
16424
4428
2846
x
1190
832
1334
1012
12271
20084
15089
4066
2516
339
1108
612
1259
931
11297
17239
13039
3784
2469
1462
1146
445
1147
868
10257
16602
11299
3555
2430
x
1338
45.5
68.1
66.0
77.3
70.3
49.9
63.3
57.3
-534
-537
-447
-3015
-7004
-11361
-2065
-1808
104.0
52
(出所)東京都統計協会『東京都統計年鑑』各号
54
(3)製造品出荷額等(億円)
1985
総数
12 食料品
12 飲料・たばこ・資料
14 繊維工業
15 衣服・その他の繊維製
品
16 木材・木製品
17 家具・装備品
18 パルプ・紙・紙加工品
19 出版・印刷・同関連
20 化学工業
21 石油製品・石炭製品
22 プラスチック製品
23 ゴム製品
24 なめし革・同製品・毛
皮
25 窯業・土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械器具
30 電気機械器具
31 輸送用機械器具
32 精密機械器具
33 武器
34 その他
1988
1990
1993
1995
95/85
95−85
(%)
82.5
-2965
85.6
-109
139.1
168
16.6
-16
73.3
-7
16913
756
429
19
27
16175
680
812
5
32
17942
789
777
5
24
14930
701
542
5
22
13948
648
597
3
20
43
189
103
1448
383
55
671
124
3
51
219
102
1531
346
53
637
104
4
64
272
100
1730
379
53
742
118
4
40
190
97
1531
352
57
627
97
3
22
153
92
1378
305
x
509
69
x
50.5
80.7
89.5
95.2
79.5
-21
-37
-11
-69
-78
75.9
55.7
-162
-55
170
660
273
1666
3632
4116
1219
655
94
203
226
582
204
1690
3646
3525
982
521
x
222
206
701
226
1921
4242
3603
1153
508
89
237
183
557
160
1586
3541
2887
941
462
438
262
114
565
144
1455
3475
2481
1001
479
x
300
67.1
85.6
52.8
87.3
95.7
60.3
82.1
73.1
-56
-95
-129
-211
-158
-1636
-218
-176
147.5
97
(4)付加価値額(万円)
1985
総数
従業者一人当り粗付加価値額
1988
1990
1993
1995
95/85
95−85
(%)
73833382 72500399 80093668 73118352 69017483
93.5 -4815899
772
901
1035
1060
1098
142.2
326
(出所)東京都統計協会『東京都統計年鑑』の各号.
表8.大田区における従業者規模別工場数とその年平均変化率の推移
1985
198588
1988
198890
1990
199093
1993
199395
1995
1
総数
∼
4
8897
3902
1.97
8151
3676
1.19
7860
3589
2.01
7160
3377
1.09
95/85
(%)
6787
76.3
3304
84.7
4
∼
9
3246
4.04
2868
1.9
2760
4.34
2416
4.42
2207
68.0
10
∼
19
890
2.3
830
1.09
812
3.75
724
0.97
710
79.8
20
∼
29
415
2.3
387
0
387
3.48
348
7.46
298
71.8
30
∼
49
210
2.61
194
3.94
179
8.08
139
5.55
124
59.0
50 ∼
99
人
100人以上
145
3.58
130
4.73
118
8.29
91
5.07
82
56.6
88
9.15
66
0.76
65
-0.51
66
3.08
62
70.5
人
人
人
人
人
55
(出所)自治労都職労経済支部『バブル崩壊後の町工場経営の実態』1997.
56
(2)技術基盤崩壊の危機
80年代後半以降,大田区産業地域内で企業淘汰が進行し,その結果従業者一人当り粗付加価値
が上昇したことを,私たちは,どのように評価したらよいだろうか。工業集積全体が縮小したと
はいえ,残った企業はそれなりに体力のある企業であり,むしろ収益力は拡大したと楽観的な見
方もできるかも知れない。しかし,第一に,工場数でいえば8割を占める10人未満の零細工場が,
階層分解の進行により,徐々に活力を失っていっていること,また,第二に,大田区産業地域の
中核を担うべき,中規模工場の流出が加速していることから,決して楽観視することができない
ことは明らかである。
まず,大田区産業地域が規模の零細性にもかかわらず,極めて精度の高い加工技術を駆使して
新開発商品の試作に携わり,日本の代表的な輸出産業である産業用機械・工作機械の発展とイノ
ベーションを支えてきたのは,専門企業間の密度の濃い分業ネットワークを築いてきたからであ
る。独立創業した小企業が,乏しい資本力の中で,その存在意義を主張し,激しい競争に食い込
むためには,それまでに獲得した熟練を磨き,クラフト的生産を行う以外に有効な道はない。特
殊技能への専門化とネットワークの形成は,このような独立小企業にとって必然的な選択であっ
た。その結果,「仲間まわし」によって得意分野で協力しあい,どんな高度な要求にも,短時日
で的確に応えることができたのである。また,この「仲間まわし」は,個々の工場のキャパシテ
ィーを超える大量の需要があったときにも,逆に,需要が減退し苦境に立つ企業が生じたときに
も,相互に仕事を融通しあい,景気の循環に柔軟に対応することをも可能としてきた。
しかし,その反面,このシステムは,その特性によって,個々の企業の小零細性が固定化され
るという限界も内包していた。すなわち,特殊技能への専門特化は,その技能への熟練を深める
ことには効果的であったが,熟練の幅を広げる上では制約となった。さらに,特殊技能への専門
化は,量を伴う需要へのアクセスを阻害し,その結果,資本蓄積を妨げて,規模拡大の可能性を
狭めた。しかも,規模の零細性から,家族以外の従業員の受け入れは最小限にとどまり,「わた
り」によって,専門特殊技能が他に伝搬することをも困難にしたのである。このようにして,零
細専門企業の分業ネットワークが,短期間に驚くべき高密度で高度加工技術の集中集積を実現し
たが,他方で,このシステムからの発展を困難とし,急速なグローバル化というこれまでとは全
く異なる競争条件の出現に対して,柔軟に対応することを困難にしているのである。
すなわち,零細専門企業の分業ネットワークが応札する需要が要求する高度な加工水準は,最
近のコンピュータ制御による最新鋭工作機械によっても代替することは難しく,またそれを導入
してもその償却に見合う受注量を確保することは困難である。それゆえ,資本装備率を大幅に引
57
き上げることは不可能で,労働生産性の向上にも限界がある。円高によって,発注企業から突き
つけられる単価引き下げ要求を吸収する術はほとんどない。それだけに,後継者には魅力に乏し
く,労働者の確保もままならない。経営者の高齢化が進み,しだいに集積の厚みは細って行くこ
とになるのである。
このようにして,徐々に崩壊していく,零細専門企業の分業ネットワークは,ある日突然機能
不全に陥ることになる。専門特殊化された個別企業の分業ネットワークは,あくまでもネットワ
ーク全体として機能するので,それを構成する専門技術のどれか一つだけが欠けても,全体が働
きを失ってしまうのだ。しかも,上述したように,専門化した熟練は,それを蓄積している企業
から他に伝搬して行くことが困難となっている。いかに大量の集積を持つ大田区といえども,失
われた技術を,地区内で代替することは至難なのである。
以上のような零細専門企業の分業ネットワークの危機対応能力の限界や,小零細性を固定化す
る傾向は,これまでの大田区産業地域の評価と矛盾するかのような印象を与えるかも知れない。
関は,大田区中小企業の中から生成された「製品開発型企業」を極めて高く評価し,その成功物
語がさらに独立創業を促した,と述べている(関,1991, 1993, 1995)。すなわち,「基盤的技
術」によって,日本の主要輸出産業の発展とイノベーションを支えてきた「公共財」としての役
割に目を向けるとともに,その厚みの中から「製品開発型企業」が成長し,そのいくつかが,ユ
ニークな技術を武器に,世界の檜舞台で活躍している事実を,大田産業地域の活力をあらわすも
のと見てきたのである。関が,「プロタイプ創出機能」を重視し,その獲得に将来への展望を見
いだそうとするのも,その認識のあらわれである。
しかし,現実は甘くはない。高度経済成長期以降,大田区産業地域を構成してきた工場の圧倒
的多数は,いつの時期でも10人未満の零細工場だったのであり,その中からキラ星のごとく出現
した「製品開発型企業」は,集積全体からみれば例外的な存在であった。それらが大田区の名声
を高め,地域外の大企業と大田区産業地域を結びつける上で果たしてきた重要性は評価されなけ
ればならないが,過度の強調は,現実を見誤ることにもなりかねないのである。
しかも上述したように,「製品開発型企業」として,大田区産業地域の「プロトタイプ創出機
能」の触媒の役割が期待される中規模企業が,90年代に入って流出の度合いを早めているのであ
る。
もちろん関も,このような事態の深刻さは認識している。「歯槽膿漏的」崩壊が進行している
という警告は,衝撃的でもあり,説得力もある。しかし,「歯槽膿漏的」崩壊を押しとどめる展
望を持てない関は,一転して,「製品開発型企業」の流出を悲観するべきではなく,大田区の持
つ機能が大田区の狭い範囲をうち破って外に広がったと認識すべきだと主張する。大田区内に押
58
しとどめることが重要ではなく,むしろ大田区と,移転した「製品開発型企業」との絆を高める
ことが重要だというのである。そして,それをさらに発展させ,大田区の「基盤的技術」の集積
をアジア全体の「共有財産」とする技術トランスファー・センターとなることに,大田区の将来
像を求めるのである(関 1993)。だが,「歯槽膿漏的」崩壊が続く大田区と,外部の「製品開
発型企業」とがネットワークを維持するメリットがどこにあるだろうか。「歯槽膿漏的」崩壊に
歯止めをかけずに,アジアの技術トランスファー・センターになりうるだろうか。不可能だと言
わなければならない。
5.東アジアのバブル崩壊と産業集積問題
西三河産業地域と大田区産業地域の分析によって,為替レートの異常な増価にあおられた日本
の製造業企業の活発な海外展開や,バブル期に膨らんだ過剰な設備投資と不良債権の存在による
不況の長期化とによって加速された製造業の縮小は,日本の主要輸出産業の優れた価格競争力と
技術革新を支えてきた産業地域に打撃を与え,日本経済が空洞化する危険を高めていることが,
明らかとなった。すなわち,経済白書や経団連が描く日本経済再生のシナリオが,今日の危機の
実態に基づかない空論であることは明らかである。それに加えて,そのシナリオの破綻を決定的
なものとする深刻な事態が発生した。タイのバブル崩壊にをきっかけに表面化した,東アジア経
済の危機である。
5−1.東アジア経済の危機
1997年7月2日,香港の中国返還にまつわる喧噪の陰で,アジアの将来にとって重要な一つの
ニュースがひっそりと伝えられた。タイ通貨当局が,米ドルにバーツを連動させていた「通貨バ
スケット方式」を改め,市場での実勢に応じて変動させる「管理フロート制」へと切り替えたの
である。外国人投資家によるタイ・バーツの投機売りに抗しきれず,実質的なバーツ切り下げを
図ったのだった。タイ・バーツの切り下げは,90年代に入って毎年2桁近い成長を続けてきたタ
イ経済が,バブルの崩壊ととも陥った深刻な不況のひとつの帰結だった。
アジア経済は,1996年の半ばにはその不調が明らかとなっていた。長引く日本の不況のあおり
から,韓国やシンガポールは輸出が低迷して経済成長が鈍化した。マレーシアでも電子部品の輸
出不振は相当深刻で,しかも1996年8月の大停電は,マハティール首相の強気の姿勢にもかかわ
らず,エネルギー基盤のぜい弱さを見せつけることになったのである。
変調をきたしはじめたアジア経済の中でも,とりわけ深刻な様相をていしていたのがタイであ
った。1996年上半期の輸出が対前年比3%増にとどまり,政府予想の20%増を大幅に下回ったが,
59
後半期にはさらに悪化してマイナスに転じた。賃金水準の高騰で,繊維製品や靴など労働集約型
製造業の輸出競争力が低下したことが最も大きな原因である。そこに,不動産不況が追い打ちを
かけた。数年来続いた建設ラッシュでバンコク都心のオフィス面積やコンドミニアムが急増し,
空き家が増えて賃貸料は3割も低下している。さらに政治不安が株価の下落に拍車をかけ,個人
消費にもかげを落としはじめた。あれほど好調だった新車の販売が前年を下回るようになったの
である。バンコク版バブルの崩壊だった。
1995年1月のメキシコ通貨危機に端を発したタイ・バーツの投機売りが,このようなタイ経済
の悪化を背景に再び活発化した。タイ・バーツが切り下げれられれば,ドル換算による資産の目
減りを嫌って外国投資が逃げ出す恐れがある。企業のドル建て債務も膨らみさらに成長の足を引
っ張ることにもなりかねない。通貨当局がタイ・バーツの防衛に懸命になったのは当然のことで
あった。シンガポールをはじめ通貨危機の波及を恐れる周辺諸国との協調介入も行って必死で投
機売りに対抗した。しかし結局抗しきれず,ついに変動相場制へと踏み出さざるを得なかったの
である。
タイの変動相場制への移行に伴って,タイ・バーツの下落が始まると,通貨危機は,直ちにア
ジア諸国に波及した。7月11日には,フィリピン通貨当局も,通貨ペソの変動幅を拡大し,事実
上ペソの切り下げを実施した。マレーシア・リンギも下落し,ついで,インドネシア,台湾も通
貨防衛を放棄した。8月14日には,インドネシアが変動相場制に移行し,台湾も,10月17日,台
湾ドルの下落を容認したのである。通貨危機は,さらに韓国にも波及した。1996年には,1ドル
=700ウォン台の後半だったウォン・レートは,1997年夏には1ドル=900ウォン台に,そして11
月には,ついに1ドル=1,000ウォンの大台を割り込んだのである。韓国通貨当局は,断続的に市
場介入を行ったが成功せず,11月23日,ついにIMFへの支援要請に踏み切ることになった。
このようなアジア各国の通貨切り下げに対し,中国政府はあくまで香港ドルの米ドル連動性を
死守しようとした。すでにその3割が華南地方で流通している香港ドルの下落が,国内で悪影響
を引き起こすことを嫌ったのである。しかし,この香港ドル防衛政策の結果,短期金利が上昇し,
それは株式市場の暴落を引き起こすことになった。8月半ばから乱高下を繰り返していた香港株
式市場のハンセン指数は,10月23日に過去最大の下げ幅を更新し,その後も動揺を繰り返した。
アジアから撤退した投機資金は,一斉にアメリカの金融市場になだれ込み,アメリカの空前の
株高を演出しているが,アメリカのバブル崩壊から世界同時恐慌にいたる,最悪のシナリオの誘
因となることが危惧される。
60
5−2.アジア危機と進出企業
アジア危機の発生は,生産拠点のアジア移転を進めてきた日本企業にも,重大な影響を与えて
いる。
アジア危機のそもそもの原因は,国内の労働力コストの上昇から,輸出が低迷するようになり,
それまでの高成長を支えていた,輸出志向工業化戦略が十分機能しなくなったことにある。それ
ゆえ,輸出生産基地として活用してきた日系現地企業の輸出向け生産計画に大幅な修正を求めら
れたのは当然である。
さらに,バブル経済のもとで所得を伸ばし,その恩恵に潤ってきた,高所得層や中間所得層が
大きな打撃を受け,その結果,国内の消費需要が一気にしぼんだ結果,市場アクセス型の海外生
産も大きな影響を受けることになった。
アジアのバブル崩壊で,アジアの中間所得層の受けた打撃の大きさは,日本のバブル崩壊で日
本の中間所得層が受けた影響よりも,はるかに劇的である。例えば,タイの場合,正確な数は把
握できないが,解雇されたり自ら経営する企業の倒産で失職したもの多いという。バブル期に購
入した住宅や自動車を,ローンが払えず手放した事例など,中間所得層の窮状を報じる記事が,
新聞をにぎわしている。ベンツを運転して交差点で停車中に,そのベンツが差し押さえられたと
いう話もある。交通整理をする警察官がアルバイトで差し押さえを請け負っているのだという。
公共事業への影響も深刻だ。BOTと呼ばれる民活手法で建設が進められてきた2つの高架鉄道
建設事業は,いずれもその継続が危ぶまれている。香港のホープウェルが受注したバンコク近郊
路線は,ホープウェルが事実上計画を投げ出し,工事は完全にストップしてしまった。タナヨン
(タイ有数のデベロッパー)が受注した都市内路線も,工事は継続されているものの,建設を請
け負ったイタルタイ(タイとイタリアの合弁企業)への工事代金の支払いは滞っており,いつ工
事がストップしてもおかしくない状態だ。
輸出不振と国内の消費の低迷による進出企業への影響の一端を,タイに進出した自動車産業の
操業短縮によって見てみよう。日本からは,トヨタ,いすゞ,日産,三菱,ホンダ,日野の6社
が進出していたが,トヨタが28万台の年間生産計画を半分以下の12万5,000台に変更したのをは
じめ,6社合計で,68万3,000台から35万5,000台へ縮小された。減産率は48%に達したのであ
る。トヨタが週休4日制,いすゞは週休3日制,日野は隔週休業を採用するなど,各社は,操業
短縮によって危機を乗り切り,現地従業員の解雇は極力避けたい意向である。しかし,いすゞは
臨時工600人との雇用契約を打ち切り,正社員2,400人の7割が自宅待機を余儀なくされ,解雇に
よらない対応も限界に近づきつつある。
61
このようなアジア現地工場の減産は,部品をはじめとする日本からの資本財輸出にも当然影響
を与えている。「途上国との国際分業によって途上国の経済発展を促し,輸入をてこに比較劣位
産業の生産性向上を刺激して,国民の生活水準の上昇につなげる」(経済企画庁 1996)という
経済白書のシナリオは,完全に破綻したと言わねばならない。
5−3.アジアの危機と産業地域の重要性
過去10年間に及ぶ東アジアの発展は,外国資本の直接投資によってもたらされたのであり,国
際的な投資と貿易の展開から自由ではありえない。経済成長を急ぐあまり,外資依存の輸出志向
工業化を続けてきたが,結局,導入に成功したのは組立加工部門にとどまり,部品から完成品に
いたる一貫生産体制を国内に築くことができないうちに,中国という強大な競争者に行く手を阻
まれることになったことが,アジア危機の根本的な原因である。
しかも,次のような文脈から,今後ますます周辺諸国との競争は激化する。まず,ゼロサム的
な輸出競争で永遠に勝利者の立場を維持することは不可能である以上,これまでの成長の原動力
だった域外輸出への依存を脱して,内需型の経済に転換することが不可欠となる。しかし,イン
ドネシア,タイを除き,アジアNIEsやASEAN諸国の大半は,いずれも人口規模が小さく,生産
力に見合った国内市場の形成が不可能である。そこで,残された道は,中国,インド,ベトナム
を含めた地域的な分業・経済循環を作り出し,アジア地域全体がひとつの経済単位として内需型
の経済構造を築くことにならざるをえない。これは,域内における自由化の促進を前提にするか
ら,域内諸国,地域間の競争は,決して緩和されず,いっそう激化するのである。
この間,アジア諸国間において工業製品の相互貿易が活発化したことから,垂直的貿易構造か
ら水平的貿易構造への変化が進み,持続性の高い域内経済循環の形成が進んだとする見方もあっ
た(渡辺利男・足立文彦・文大宇 1997他)。経済企画庁や経団連の将来展望も,このような認
識を背景にしている。しかし,アジア危機が発生したことから,持続性の高い域内経済循環の形
成を示すものでなかったことが明らかとなったのである。
アジア諸国の工業化手法のうち最も際だったものは,フリートレード・ゾーン(FZ)型の輸出
工業基地の建設である。工業インフラが整備された一定区画の工業用地を用意し,輸出目的で生
産する限り,税の減免や出資規制を撤廃することで,外国企業の誘致をはかってきた。しかし,
この手法の最大の弱点は,一種の治外法権的な囲い込みとなるため,周辺地域への波及効果に乏
しく,地元にサポーティング・インダストリーが育たないことである。結局,日系企業の場合,
資本財の多くを日本や他の日系進出企業に頼ることになり,統計上,水平貿易が拡大したように
見えても,進出企業間での取引が相当のウェートを占め,本来の意味での域内循環を築くことが
62
できなかったのである。FZ型の開発では,結局,唯一の優位性は低賃金であるから,常に拡大し
つつある工業化フロンティアから挑戦にさらされる。賃金が上昇すると,急速にその優位性を失
わざるを得ない。中国のような強大な競争者が現れると,たちまちその地位を失うことになるの
である。
この弱点は,シンガポールが主唱し,マレーシア,インドネシアとの間の協定によって具体化
が図られたグロース・トライアングル構想にも受け継がれている。このねらいは,異なる比較優
位を持つ地域間で国境を越えて相互補完的リンケージを築き,全体として一つの経済単位として
発展させようと言うものであり,技術集約型や知識集約型産業に特化するコア地域と労働集約型
産業と観光業をターゲットとするペリフェリー(周辺地域)とのリンケージが典型的なパターン
である。労働集約型産業の導入はフリートレード・ゾーン型の投資拠点の造成によって実現しよ
うとしている。ジョホール―シンガポール―リアウ地域に最初のグロース・トライアングルが形
成された。この場合,コア地域がシンガポールであり,インドネシアのリアウ諸島に労働集約型
工業団地が形成された。
この計画が構想された背景は,賃金水準の上昇とともに一旦シンガポールに立地した外国企業
の中にシンガポールから移転する企業が目立ってきたことにある。すでに情報施設やハブ・ポー
ト,ハブ空港などの優れたインフラを持つシンガポールは,それを最大限に活用するために,移
転企業の引き留めをはかるよりも,これを機会に高負荷価値型の知識集約型産業への構造転換を
はかることを選択した。すなわち,豊富な土地と水,低賃金労働力の供給ができる周辺地域にシ
ンガポール主導で工業団地を造成し,中枢管理機能をシンガポールに残すことを条件に,移転の
便宜をはかることにしたのである。
グロース・トライアングルは,シンガポールの立場からは合理的なものである。しかし,周辺
地域の立場で考えたとき,その将来は容易ではない。リアウ諸島のバタム島に建設された工業団
地も,他のFZ同様,ジャングルを切り開いて作られた飛び地的工業団地で,共生すべきコミュニ
ティを持っていない。やはり,唯一の優位性は低賃金だから,常に拡大しつつある工業化フロン
ティアの挑戦に耐えられるか疑問であろう。
結局,アジア危機の発生も,日本の経済発展を支えたような産業地域形成の重要性を示してい
る。上述したように日本は,円高期以前からすでに十分に高所得であったが,国際競争力を失わ
ず,欧米先進国がかつて経験したような空洞化の危機に直面したことはなかったが,それは,大
企業とサポーティング・インダストリーやプロデューサー・サービスなどとの緊密な地域的ネッ
トワークを築くことによって,地域全体としてコストを削減し,品質の向上と技術革新をすすめ
63
る地域メカニズムが作られたことに負っている。アジア危機も,日本の空洞化の進展も,この地
域メカニズムの欠如,もしくは崩壊という,共通の問題に根ざしているのである。
6.社会的生産基盤の再建による危機の克服
6―1.グローバル化と社会的生産基盤
以上の分析から,経団連が描く「『一国フルセット型産業構造』からアジア・太平洋諸国との
調和ある分業体系へ」,あるいは中谷が主張する「国境を超えた機能本位の開放型企業間ネット
ワークへの転換」などの産業構造調整論は,産業地域の崩壊による基盤的技術の解体への危険を
軽視している点で,日本経済の展望を示す指針となり得ないことは明らかであろう。
もちろん,自由貿易とグローバル化のもとで,これまで日本が築いてきた産業構造をそのまま
維持することが容易ではなく,アジア地域とのネットワークを重視した,サブリージョナルな経
済構造の実現を展望する必要があることを否定しようと言うのではない。しかし,グローバル化
の進んだ今日において,産業地域の役割が薄らいだわけではなく,むしろ,より一層重要性が増
していることを認識することが重要なのである。なぜなら,以下に述べるように,国民国家,国
民経済の相対化が,逆に,産業振興における地方の役割を強めることになるからである。
経済のグローバル化の進展は,確かに国民経済を相対化し,国家の産業政策や財政出動による
経済運営の効果を,著しく限定的なものとしている。なぜなら,国家が行える産業政策は,結局
のところ,戦略的産業部門への投資や開発を促すために行う補助金の支出や税の減免など,金融
インセンティブの提供にとどまらざるを得ない。今日のように,労働賃金をはじめとして,先進
国と途上国との間に生産コストの大きな格差が存在する状況下では,コストの格差を解消するほ
どの金融インセンティブを,与え続けることは不可能だ。他方,マクロ政策も,国際的な投機資
金が,主要国の通貨当局のコントロール能力を超えて膨張してしまった現状では,その役割に限
界が生じたのもやむを得ない。
しかし,そのことは逆に,地域の持つ意味を相対的に大きくしていることを見逃してはならな
い。すなわち,中央政府の金融インセンティブやマクロ政策の重要性が後退した結果,各企業の
立地選択は,自分が立地しようとしている地域が持っている,具体的な操業環境により強く影響
されることになるはずである。支援産業(サポーティング・インダストリー)が十分に育ってい
るのか,資金調達は容易なのか,産業インフラは整っているのか,必要な労働力,人材を確保で
きるのか,市場へのアクセス,情報の確保は可能なのか,そのような具体的条件が,政府の産業
政策よりも重視されることになるのである。
64
従って,グローバル化の進展の中で,産業地域の持つ役割は一層重要性を増すのであるが,同
時に,産業地域も新しい条件に応じて,それ自身,進化することが求められる。
現在,私たちが直面している大規模な経済の変動は,戦後資本主義を特徴づけてきたフォード
主義蓄積システムが崩壊し,それに代わって,国境を越えて機能する地球規模の蓄積システムが
形成されつつあることと結びついている(遠州 1993, 1995)。しかし,同時に,フォード主義
的大量生産経済を支えてきた技術体系が陳腐化し,パーソナル・コンピュータやマルチメディア,
インターネットの発展に見られるように,日々新しい技術が誕生し,しかも猛烈な速度で変化し
つつある。新しい技術の研究・開発は,実用的な要求に基づいて始まるのではなく,それ自体が
自己目的化して進展し,その活用法が事後的に模索されることの方が主流になっているかのよう
にさえ見える。こうした中では,技術やノウハウは,企業などの組織ではなく,その開発や実用
化を担う個人により多く蓄積されるようになり,従って企業の成功や発展も,機械や設備などの
物的資本よりも,人的資本により大きく依存するようになっている。従って,より優れた人材を
どれだけ容易に確保できるかが,企業の立地選択に大きなウェートを占めるようになったのであ
る。
それゆえ,産業地域としての必要条件には,支援産業や生産者サービスなど産業機能の集積に
とどまらず,人々が住み働く場として十分に魅力的な条件を持っていることが付け加えられなけ
ればならない。産業機能と同時に,環境,福祉,医療などの基本的生活手段が十分に整備された,
アメニティ豊かなまちであることが要求されているのである。私は,垂直的・水平的分業関係の
地域的関連集積と基本的生活手段の充実とによって,今日の新しい技術条件に柔軟に対応し,地
域全体としてコストを削減し,品質の向上と技術革新をすすめる地域メカニズムを,社会的生活
基盤(social structure of production)と呼びたいと思う。すなわち,今日,重要なのは,社会
的生産基盤の充実発展を図ることなのである。このような社会的基盤の成熟に,中央政府が果た
しうる役割はほとんどない。それを担いうるのは,人々が生活し,生産活動が実際に展開されて
いる現場,すなわち,地域のコミュニティと,その政治的・行政的実体である地方自治体なので
ある。
6−2.社会的生産基盤の整備における中央政府の役割
もちろん,中央政府に全く役割がないと言うわけではない。地域コミュニティがその役割を全
うするために必要な,前提となる条件の整備は中央政府の責任である。
前提となる第1の条件は,「基盤的技術」の維持に,社会的に投資することである。この点で,
筆者は,関の言う「マニファクチャリング・ミニマム」(関 1993)に同意する。ただし,その
65
具体化が,地方圏と東京圏との「リンケージ・プラン」では,かえって,そのコンセプトをあや
ふやなものにしてしまっている。重要なことは,「基盤的技術」を担う中小零細企業が,その技
術を正当に評価され,将来に展望がもてる単価が保証されることなのだ。ドイツやイタリアのマ
イスター制度のように,社会的な認証と価格維持システムの確立を,明確に主張することを避け
てはならない。
第2は,適切な競争条件を確保するために必要な,市場への介入である。系列化された下請け
部品メーカーの蓄積を阻害するような極端な系列への締め付けは,日本産業全体の実力を超えて
不当に均衡レートを引き上げることになる。1ドル=100円を超えてなお利益が出るというのは,
日本全体としての購買力平価を基準に考えるなら,極めて異常なことである。これは,上述の分
析で示したように,系列化された下請け企業の蓄積条件を破壊するような,激しい収奪によって
達成されたものであることは明らかである。無意味で不必要な規制の緩和は必要であるが,資本
力の圧倒的格差に基づいた支配・従属関係による強制は,到底,自由な競争の結果とは言えない。
このような取引の悪影響には,積極的に介入して,適切な競争条件を実現する必要がある。独占
禁止政策の不十分性を見直し,その柔軟で機動的な展開によって,対等平等のパートナーとして
共同生産体制を構築できる基礎的条件を整備するのは,中央政府の責任である。
第3は,雇用不安の解消と女性の労働参加を促進するために,より積極的な労働政策を展開す
ることである。見かけの華やかな好景気の裏側で,合衆国においては,実質賃金の低下が続き,
貧富の格差が拡大するとともに,雇用の安定が犠牲にされてきた。いま,日本において合い言葉
のひとつとなっている「日本的労使慣行からの脱却」は,アメリカと同様の事態を引き起こす危
険を拡大している。一方,高齢化・少子化の流れの中で,女性か安心して労働に参加できる条件
を整えることが緊急に求められている。アメリカと同様な格差の拡大を抑止し,女性の労働参加
を保証するのは中央政府の責任である。
第4に,これらを推進するための基本的システムを整備するのは,中央政府の責任であるが,
それを地域の条件に応じて具体的に展開するのは,多くの場合,地方自治体が担うべきである。
従って,基本システムの整備を行った上で,地方が具体的に展開できるための地方分権と財政保
証を行うことが重要である。中央政府は,このような行財政改革を速やかに推進しなければなら
ない。
第5に,今回のアジア危機は,国際的な投機資金が,瞬時にかつ大量にアジアの金融市場から
撤退し,合衆国市場に逃避したことによって発生した。そもそもアジアの急成長自身が,外資の
過剰流入によって,実態以上に過大評価されていたものである。投機資金の規模が特定の国の金
融市場を完全に支配しうる規模に拡大した現状では,投機資金の活動を野放しにするのはあまり
66
にも危険である。国際的な資本移動を適切に管理することは,それぞれの国・地域の持つファン
ダメンタルズを適切に反映した,その意味で公正な競争を維持する上で不可欠である。投機資金
と資本移動の適切な管理を行う,国際的なシステムの確立に勤めるのは,中央政府の責任である。
これらの,基礎的条件が整備されるなら,地域コミュニティは,社会的生産基盤の成熟に,重
要な役割を発揮しうるだろう。
6−3.社会的生産基盤の整備における地域コミュニティの役割
―墨田区の経験とその教訓―
それでは,社会的生産基盤の整備に,地域コミュニティは,どのようにして,その役割をはた
すことができるだろうか。それを一言で言うならば,産業政策をまちづくり全体と結びつけて展
開するということにほかならない。しかし,抽象的な議論をできるだけ避けるために,東京都墨
田区の経験をもとに検討しよう。
(1)日本の生活文化を支えてきた墨田区産業地域
大田区産業地域とならんで,東京都墨田区は,東京都を代表する中小製造業の高密度集積地で
ある。しかし,その製造品目は,衣服,袋物,アクセサリー用品やガラス器,ゴムやプラスチッ
ク製品などの日用品が中心である。これらは,投入算出関係から言えば,限定集積型生産集団を
構成する産業であり,そのような多品目が関連集積する可能性は大きくはない。しかし,巨大消
費地東京の中で成長・発展してきたというたぐい稀な条件によって,大田区にも似た小零細企業
の共同生産ネットワークが築かれてきた。
墨田区は,東京都下でも最も早く近代工業が芽生えた土地である。江戸期からの瓦,染色,皮
革などの地場産業や本所横川町の銅座などの立地の上に,空き家となった武家屋敷などの土地資
源,旧武士層などの労働力を活用して,メリヤス,マッチ,セルロイド,石鹸,靴・鞄,時計,
自転車,ビールなど,新しい都市生活に対応した近代的消費財工業が発生することになった。こ
の工業集積は,1918年の関東大震災,第二次世界大戦と2度に渡る壊滅的な打撃や,大規模装置
型工場の転出,高度経済成長期以降の工業立地規制の影響を受けながら,小規模雑貨系軽工業の
高密度集積地という特徴を強めてきたのである(墨田区商工対策室産業経済課 1987;墨田区商
工部産業経済課 1992;すみだ中小企業センター 1987)。
工業統計によれば,1995年の区内立地工場数は5,515,従業者数は34,901人で,それぞれ東京
都全体の8.1%,4.9%を占めている。1工場当たりの平均従業者数は,6.3人で極めて小規模なが
ら,大田区,葛飾区,足立区と並んで,都内でも有数の工業集積を持っていることは間違いない。
67
しかし,機械金属が圧倒的多数を占める大田区などと比べると,機械金属の比率が3分の1程度
とあまり大きくないことなど,かなりの違いがある。東京都商工指導所在任中から精力的に都下
中小企業の調査研究を行ってきた関(1995)の指摘によれば,東京都全体との比較において,墨
田区の工業集積の特徴は次のようなものである。
まず第一に,業種構成において特徴的なのは工場数における都内のシェアで20%を超える繊維,
ゴム製品,10%台の紙製品,皮革関連,金属製品,鉄鋼などである。第二に,機械金属の中では,
金属製品のウェートが極端に高く,機械金属工業の中軸をなす,一般機械,電気機械,輸送用機
械,精密機械の割合は小さい。すなわち,機械金属工業と言っても,日用消費財に関する零細な
プレス加工が大半で,区内の工業集積全体として日用消費財に大きく偏っている。第三に,従業
員3人以下の企業が55%と過半を占め,規模の零細性が著しい。すなわち,小規模雑貨系軽工業
と一口に言っても,極めて多種多様な産業の巨大な複合体なのである。
このような特徴に加え,関(1991,1993)は,大田区を中心とする城南地区との比較の上に,
墨田区製造業の限界として,工場数及び工場規模の傾向的低下(大田区の場合は規模は縮小しつ
つ工場数が増加する傾向がバブル期まで続いてきた),ME化の遅れ,リーディング企業の欠如,
そして住工混在による立地条件の制約を指摘している。その意味では,工業集積規模では大田区
に遜色はなくとも,地域産業としてのまとまりや発展のための潜在力という点では,やや力強さ
を欠いていたと言えるかも知れない。
しかし,そのような限界があったとは言え,墨田区製造業の展開の上で,多種多様な産業を内
包する複合的集積が果たしてきた役割を無視することはできない(墨田区商工対策室産業経済課
1987)。
まず,日本の日常消費財生産分野における墨田区の役割の大きさである。墨田区は人口比で言
うと全国の0.17%に過ぎないが,1990年において出荷額で50億円を超える生活雑貨系業種につい
て,その全国シェアをみると,ニット,製版,製本・印刷物加工,その他のゴム製品,なめし皮,
革製履物,袋物,がん具・運動競技用具,ペン・鉛筆・絵画用品その他の事務用品,装身具・装
飾品・ボタン同関連製品で1%を超えている(人口一人当たり出荷額に換算すれば全国のほぼ6
倍以上)。なかでもなめし皮は13.9%,袋物は7.4%もの高水準である。しかも,ニットや袋物に
代表されるファッション産業の場合,銀座や原宿の専門店を通じて発信される先端的デザイン商
品のほとんどが,墨田区を中心とする城東地区で生産されている。すなわち,集積の絶対的規模
以上に,日常消費財生産分野で果たしている役割は大きいのである。
第二に「日用消費材のまち」という特徴自体が,墨田区をはじめとする城東地区のアイデンテ
ィティーを高めてきたということである。毎日の暮らしに必要な消費財なら,衣服,ハンドバッ
68
グ,装身具,ガラス器や調度品まで,とりわけファッション関連商品で墨田区で作れないものは
ほとんどない。日用品を扱う問屋や商社にとって,必要な生産委託者を見つける上で,これほど
好都合な地域はない。
第三に,第二の裏返しだが,日用消費財,とりわけファンション関連商品なら,どんな種類の
製品,デザインに対する受注でも,区内の製造業者の協力で対応できる。例えばニット製品の仕
上げを例にとれば,糸やボタンからミシンの部品や修理まで,必要な材料,部品,サービスのほ
とんどを区内で調達できるのである。すなわち,大田区産業地域ほど明確ではなくとも,小企業
の共同生産ネットワークが形成されており,それが墨田区産業地域を支えてきたのである。
したがって,国民経済全体に対する寄与や,戦略的産業政策という観点から見て,墨田区の工
業集積が必ずしも重要視されるものではなかったとしても,私たちの生活文化をリードしてきた
代表的産業地域として評価すべき存在である,と言うことができる。
表9.出荷額からみた生活雑貨系工業分野における墨田区の位地(1990年)(億円)
145 ニット製造業
151 外衣製造業(和式を除く)
184 紙製品製造業
185 紙製容器製造業
193 印刷業(謄写印刷業を除く)
194 製版業
195 製本業,印刷物加工業
233 ゴム・ベルト・ゴムホース・工業用ゴム製品製造
業
239 その他のゴム製品製造業
241 なめし皮製造業
244 革製履物製造業
247 袋物製造業
251 ガラス・同製品製造業
343 がん具・運動競技用具製造業
344 ペン・鉛筆・絵画用品その他の事務用品製造業
345 装身具・装飾品・ボタン同関連製品製造業(貴金
属・宝石類を除く)
349 他に分類されない製造業
計
(出所)墨田区『墨田区産業振興プラン』1995
注)墨田区における出荷額等が50億円を超える業種
69
墨田区
544.7
63.2
51.1
187.9
615.8
102.5
85
170.7
全国
全国比(%)
45318
1.20
25264
0.25
5526
0.92
27709
0.68
69663
0.88
6784
1.51
3983
2.13
18798
0.91
71.4
323
66.1
176
135.6
129.1
55.7
52.1
3224
2317
4894
2374
21218
12760
4119
2801
2.21
13.94
1.35
7.41
0.64
1.01
1.35
1.86
105.2
2935.1
17777
274529
0.59
1.07
(2)「工房文化の都市」建設をめざした墨田区産業政策
1) 「中小製造業基本実態調査」−墨田区産業政策の起源
このようにして,日用消費財工業の大量集積によって,明治期以来,日本の生活文化を生産面
で支えてきた墨田区だったが,日本の高度成長の進展の中で早くも大きな壁に突き当たった。全
国的な工業再配置の進展と公害問題の深刻化によって,主要企業の移転と規模の縮小化,従業員
の転出が進行するようになったのである。上述のように,大田区産業地域の場合,従業者数の減
少は,1960年代前半に始まったが,独立創業ブームによって,工場数の増加は1980年代前半ま
で継続した。しかし,墨田区産業地域の場合には,工場数も,1970年に9,703工場を記録した後
減少に転じ,その傾向はとどまることなく今日まで続いたのである。
墨田区製造業の長期的縮小は,しだいに,区民の生活基盤を掘り崩すものとして,行政当局と
区内事業者,区民の危機感を深めることになった。そのような危機感を背景として,墨田区が全
国的にも最も進んだ中小企業政策を展開することになった最初の出発点が,1977年に実施された
「中小製造業基本実態調査」だった。区内9,313工場を対象に,区の中堅職員200名を動員して悉
皆調査を実施したのである(関 1995)。この調査は,1979年の「中小企業振興基本条例」の制
定,1980年の「産業振興会議」の設置に結実し,以後,墨田区の中小企業政策の土台となった。
2) 『イーストサイド』と墨田区産業政策の概要
1980年代に本格化した墨田区産業政策の展開にとって,第2の転機になったのが,ユニークな
産業白書『イーストサイド 工房ネットワーク都市の構図』(1987)の発行だった。今日の墨田
区の一連の産業政策は,この準備過程で(1985年から86年)実施された区内の産業を中心とした
各種実態調査(墨田区製造業・卸売業企業台帳調査,墨田区機械金属工業の構造分析,墨田区繊
維雑貨工業の構造分析,墨田区人口動態分析調査,区内企業の円高影響調査,墨田区商工実態調
査)の結果を受けたもので,「産業の活性化」とか「まちおこし」が単なるイメージ先行の政策
ではなく,詳細な実態調査に基づいて策定された積極的な政策であることは強調されてよい(遠
州敦子 1995, 1996)。そこから導き出されたのは,産業のまち,墨田のアイデンティティー確
立の重要性だ。もちろん単なる住宅だけのベッドタウンとは根本的に違う。しかし,産業のまち
と言っても,都心のオフィスビル街や,臨海工業地域のように,産業施設だけで人の住まないま
ちでもない。頭脳を備えたものづくりの現場が織りなす密度の濃い生産ネットワークと,それを
支える地域の生活文化。担い手である職人たちの労働の場であり暮らしの場でもある,「工房」
70
生活を結節点とする,広い意味でのまちづくりの一貫として,産業政策を位置づけようとしたの
である(墨田区商工対策室産業経済課 1987)。
墨田区の産業政策は基本的に3つのパートから構成されている。第一は産業拠点作りである。
ファッションセンター,工房サテライト(工場アパート),工場建替え用貸工場,産業立地支援
事業などから構成されるこの政策群は,産業活性化のための物理的保障政策といえる。第二はイ
メージアップ戦略である。産業フェア,「3M運動」,「イチから始める運動」,「すみだ工房
文化ギャラリー」などによって,ものづくりの町としての墨田を多くの人に認識してもらこと,
同時に作り手の技と誇りを育てることをねらいとしている。第三は産業技術の向上と商工業の安
定のための政策で,各種の融資制度,相談・指導制度,異業種交流の促進制度,セミナー制度な
どで構成される政策群からなる。まさに墨田区の産業を構成する中小の事業所の経営安定・発展
のための総合的な保障といえる。
3) 「3M」運動の展開
墨田区の産業政策は,「中小製造業基本実態調査」調査がベースになったことにもあらわれて
いるように,基本的には行政主導の政策ではあるが,事業者の主体的参加を促す「しかけ」が意
識的に用意され,現実に多くの事業者の参加を得て「運動」として展開されているところに最大
の特徴がある。その最も際だった取り組みが「3M」運動である。
産業振興会議における第3回ファッション産業部会(1984年12月)でこの運動が提言された。
この席上「どうすれば墨田区のファッション産業がイメージアップされ,人が集まるか」という
テーマについて討論し,「真の活性化は,墨田という1つの都市がアイデンティティ(主体性)
を取り戻すことによって,初めて実現されるのではないか」という結論を得た。その具体化とし
て,「墨田区の特性,風土,歴史,伝統を考え,それを未来にどのように成長させていくべきか
を考えていく必要」から,
A 小さな博物館を数多くつくっていく ………Museum
B マイスター(ドイツ語で職人の親方)を育てていく………Meister
C モデルショップを増やしていく ………Model Shop
の3本を柱として地域の活性化に取り組むこととなったのである。
それゆえ,墨田区の「3M」運動を構成する「マイスター運動」「モデルショップ運動」「小さ
な博物館」は,それぞれが独立した存在ではない。この3つの運動が関わりをもって発展してい
くことで,墨田区の産業に対する人々の認識を獲得し,技術的向上を果たし,なにより売れる商
品を開発していくことを目指している。「小さな博物館」のガイドマップの解説によれば「『マ
71
イスター運動』は墨田の産業を支えてきたものづくりの技術を継承して,感性あふれる,付加価
値の高い製品を創り出している方を『すみだマイスター』に認定し,その技術を公開してもらう
ことにより,ものづくり技術の普及・向上を図り,さらに次代に向けての新しい技術を育成する
基礎」の運動である。1990年に14人のマイスターを認定したことを皮切りに,1995年までに43
人が認定された。一方「『モデルショップ運動』はマイスターが制作したオリジナル製品が買え
てマイスターの技術を見ることができる企業直営の店」で「墨田の製品のクオリティ自体が『話
題』を呼び,繁盛することで,生産者が流通に対して『売り手市場』を確立するための運動」で,
1989年に4店舗が認定でされ,1995年現在は,5店舗が認定されている。「小さな博物館」は
区内にある知られていない産業製品,資料,技術の収集を公開し,墨田の産業と文化を区内外に
広く PR するための施設である。1986年12館でスタートし,1995年までに24館に拡大した(遠
州敦子 1995, 1996)。
3Mのいずれも,参加する事業者には実利的メリットはほとんどない。「マイスター」に認定さ
れても,その技術を普及・継承する事業を自ら行うとき,50万円を限度に,その費用の3分の2
が補助されるが,後は区の広報誌で紹介されたり,公共施設に作品が展示されるだけで,仕事の
上で特に優遇されるわけではない。「小さな博物館」も,50万円を限度とする設置費用の補助と,
月2万円の運営経費補助の他,看板の支給とガイドマップに掲載されるだけ,「モデルショップ」
も,200万円を限度に,初期改装費の2分の1の補助と,共同PRがあるだけだ(墨田区商工部
1996)。いずれも,参加者の実質的持ち出しで運営されているのが実態だ。
「すみだマイスター創作大賞」も同様だ。職人たちが自分の技と誇りをかけて,新しい商品の
開発に取り組む。大賞には200万円の賞金が与えられるが,開発にかけた時間と費用を考えれば,
賞金が目的となり得ないことは明らかだ。
それでもこれらの活動に事業者が熱心に参加しているのは,「運動」の意義に共感しているか
らだ。墨田区産業政策は,打算を超えた職人と企業の心意気に支えられて発展してきたのである。
(3)バブル崩壊後の不況の長期化と墨田区産業地域
「3M」運動に代表される事業者参加の産業政策の展開の中から,新しい発展の芽生えも生じて
きた。金属部品加工工場など32社でつくる共同受注グループ「ラッシュすみだ」が誕生し,それ
ぞれ異なる得意分野を生かして,新しい需要の掘り起こしに成果をあげはじめているのである。
「会の事務局は,津幡会長(45)が経営する医療機器加工会社。発注を受けると,会員工場の生
産能力などをもとに仕事を振り分け,製品はすべて事務局に集めて検査後に納品する。売り上げ
は,担当した会員へ回す。会としての紹介料などは一切とらない」(『朝日新聞』1993年2月8
72
日,東京版朝刊)システムだ。産業政策と言うよりも文化運動の趣のあった墨田区の取り組みが,
新しい都市産業のあり方を育てた事例として評価することができるだろう。
しかし,革新的な産業政策の展開にもかかわらず,ユニークな製造業集積を生かして日本の生
活文化の発信地となってきた墨田区産業地域も,長期的な縮小傾向を押しとどめることができな
いでいる。1995年の工場数は,5,514工場で,ピーク時の約57%にまで後退した。従業者数の縮
小はさらに大きく,おおよそ10万人に達したピーク時と比較すると,1995年時の34,901人は,
約3分の1に過ぎない。しかも,この減少傾向は,近年になってさらにその速度が速まっている
ことが重要である。すなわち,従業者数で見ると,1970年代に年平均3.5%∼6%近い急激な減
少を経験した後,1980年代前半には年率1.9%までその速度が低下したが,85年以降に再び減少
速度を増し,80年代後半は年率2.88%,90年代に入ってからは,年率3.38%で減少しているので
ある。この縮小傾向は,多くの業種に共通しているが,バブル前後の1988年と93年とで,産業小
分類による集積変化を観察すると,生活雑貨系工業よりも,機械金属系工業の地盤沈下がより深
刻なことがうかがえる。
一方,1985年から95年までの10年間に,従業者一人当り付加価値額は,集積規模の縮小にも
かかわらず,689万円から988万円に,43.5%上昇している。全体として縮小傾向の中で,労働生
産性が向上したことは,大田区同様,墨田区においてもこの間企業の淘汰が進展したことを意味
している。
墨田区産業地域は,西三河産業地域や大田区産業地域とは異なり,生産集団内部で相互に投入
産出しあう関係は希薄である。すなわち,投入産出関係から見れば,必ずしも集積の利益は大き
くない。しかも,機械金属系も含めて,家計消費に直接依存する日用雑貨との関連が強いので,
個人消費が著しく後退したバブル崩壊後の不況の影響をまともに受けるのは,やむを得ない側面
もある。また,途上国との激しい競争にさらされている業種に偏っており,この間の円高の影響
が深刻なのも当然である。従って,そうした厳しい条件の下にありながら,円高不況期以降,1985
年から95年までの減少率が,工場数で22.7%,従業者数では27.2%,出荷額では14.4%であり,
いずれも大田区の減少率を下回ったことを考えれば,むしろ,よく健闘していると見るべきかも
しれない。
しかし,企業淘汰の進展と長期的縮小傾向の持続によって,産業政策の展開にも困難が増して
いることは間違いない。後継者不足と労働力確保の困難性は,やはり深刻で,「小さな博物館」
も,現在の館長が退いた後も継続できるか危ぶまれる状況にある。
73
表10.墨田区の製造業集積の変化(産業中分類)
(1)工場数
1985
総数
12 食料品
12 飲料・たばこ・
資料
14 繊維工業
15 衣服・その他の
繊維製品
14・15 繊維計
16 木材・木製品
17 家具・装備品
18 パルプ・紙・紙
加工品
19 出版・印刷・同
関連
20 化学工業
21 石油製品・石炭
製品
22 プラスチック製
品
23 ゴム製品
24 なめし革・同製
品・毛皮
25 窯業・土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械器具
30 電気機械器具
31 輸送用機械器具
32 精密機械器具
33 武器
34 その他
1988
1990
1993
1995
95/85
95−85 95構成
(%)
比
5514
77.3
-1619
100.0
119
61.7
-74
2.2
7
70.0
-3
0.1
7133
193
10
6612
170
6
6321
143
8
5782
127
8
664
409
593
425
615
356
532
336
84
744
12.7
181.9
-580
335
1.5
13.5
1073
90
145
359
1018
79
140
356
971
75
131
340
868
72
106
345
828
65
106
341
77.2
72.2
73.1
95.0
-245
-25
-39
-18
15.0
1.2
1.9
6.2
648
631
618
597
567
87.5
-81
10.3
46
2
42
2
39
6
34
6
33
4
71.7
200.0
-13
2
0.6
0.1
302
291
290
270
264
87.4
-38
4.8
278
686
268
634
262
627
247
556
243
502
87.4
73.2
-35
-184
4.4
9.1
130
73
53
1696
589
93
38
103
117
64
53
1451
544
107
43
90
506
100
47
43
1241
460
105
35
83
1
431
95
52
56
1172
433
100
36
84
1
406
73.1
71.2
105.7
69.1
73.5
107.5
94.7
81.6
526
104
61
47
1351
520
110
48
94
1
475
-35
-21
3
-524
-156
7
-2
-19
1
-120
1.7
0.9
1.0
21.3
7.9
1.8
0.7
1.5
0.0
7.4
(出所)東京都統計協会『東京都統計年鑑』の各号.
74
77.2
(2)従業者数
1985
総数
12 食料品
12 飲料・たばこ・
資料
14 繊維工業
15 衣服・その他の
繊維製品
14・15 繊維計
16 木材・木製品
17 家具・装備品
18 パルプ・紙・紙
加工品
19 出版・印刷・同
関連
20 化学工業
21 石油製品・石炭
製品
22 プラスチック製
品
23 ゴム製品
24 なめし革・同製
品・毛皮
25 窯業・土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械器具
30 電気機械器具
31 輸送用機械器具
32 精密機械器具
33 武器
34 その他
1988
1990
1993
1995
95/85
95−85 95構成
(%)
比
34901
72.8 -13050
100.0
966
61.3
-610
2.8
405
57.9
-294
1.2
47951
1576
699
42856
1439
502
41442
1033
458
37578
1058
403
3424
1575
3217
1630
3135
1349
2789
1165
349
3140
10.2
199.4
-3075
1565
1.0
9.0
4999
316
618
2262
4847
335
616
2240
4484
289
606
2177
3954
262
480
2053
3489
216
451
1969
69.8
68.4
73.0
87.0
-1510
-100
-167
-293
10.0
0.6
1.3
5.6
4915
5244
5258
5312
5075
103.3
160
14.5
1938
x
1551
x
2259
24
2102
38
2200
x
113.5
262
6.3
1934
1813
1875
1725
1723
89.1
-211
4.9
2036
3955
2180
3570
1779
3587
1737
3154
1612
2756
79.2
69.7
-424
-1199
4.6
7.9
1603
701
299
8463
3484
3805
286
1012
1501
629
255
7313
2923
854
258
2122
953
455
234
5732
2196
665
234
1644
x
1869
-650
-246
-65
-2731
-1288
-3140
-52
632
2.7
1.3
0.7
16.4
6.3
1.9
0.7
4.7
2664
1161
452
216
6113
2419
761
255
1828
x
2095
59.5
64.9
78.3
67.7
63.0
17.5
81.8
162.5
3050
1354
646
238
6937
2722
896
278
1991
x
2551
61.3
-1181
5.4
(出所)東京都統計協会『東京都統計年鑑』の各号.
75
(3)製造品出荷額等(億円)
1985
総数
12 食料品
12 飲料・たばこ・
資料
14 繊維工業
15 衣服・その他の
繊維製品
14・15 繊維計
16 木材・木製品
17 家具・装備品
18 パルプ・紙・紙
加工品
19 出版・印刷・同
関連
20 化学工業
21 石油製品・石炭
製品
22 プラスチック製
品
23 ゴム製品
24 なめし革・同製
品・毛皮
25 窯業・土石製品
26 鉄鋼業
27 非鉄金属
28 金属製品
29 一般機械器具
30 電気機械器具
31 輸送用機械器具
32 精密機械器具
33 武器
34 その他
1988
1990
1993
1995
95/85
95−85 95構成
(%)
比
6425
85.6
-1084
100.0
7509
7380
7965
7101
270
421
211
435
221
435
194
369
203
349
75.1
82.8
-67
-72
3.7
6.3
496
139
531
140
577
129
506
104
29
451
5.9
323.8
-466
312
0.5
8.2
635
28
65
253
670
31
78
257
705
28
88
280
610
26
66
265
481
20
62
259
75.7
71.2
96.3
102.5
-154
-8
-2
6
8.7
0.4
1.1
4.7
695
739
818
843
829
119.3
134
15.0
1045
x
1438
x
1473
8
1649
17
1474
x
141.1
429
26.7
212
199
251
201
189
89.1
-23
3.4
260
565
305
535
260
664
256
505
232
429
89.1
75.9
-28
-136
4.2
7.8
181
274
78
804
421
743
37
118
185
254
52
776
352
140
28
331
149
166
48
645
294
114
31
204
x
229
-31
-109
-31
-159
-127
-629
-6
86
2.7
3.0
0.9
11.7
5.3
2.1
0.6
3.7
363
171
186
43
716
299
122
36
275
x
255
82.6
60.4
60.6
80.2
69.8
15.3
84.2
172.7
404
193
300
54
849
369
157
36
360
x
415
56.6
-175
4.1
(4)粗付加価値額(万円)
1985
総数
従業者一人当り粗
付加価値額
1988
1990
1993
1995
33025020 36995810 40876783 37739584 34481801
689
863
986
1004
988
(出所)東京都統計協会『東京都統計年鑑』の各号.
76
95/85
(%)
104.4
143.5
95−85
1456781
299
表11.墨田区主要製造業の従業者数推移(産業小分類 1990年における出荷額が50億円以上)
1988
総数
【生活雑貨系工業】
145 ニット製造業
151 外衣製造業(和式を除く)
184 紙製品製造業
185 紙製容器製造業
193 印刷業(謄写印刷業を除く)
194 製版業
195 製本業,印刷物加工業
233 ゴム・ベルト・ゴムホース・工業用ゴム製品製造
業
239 その他のゴム製品製造業
241 なめし皮製造業
244 革製履物製造業
247 袋物製造業
251 ガラス・同製品製造業
343 がん具・運動競技用具製造業
344 ペン・鉛筆・絵画用品その他の事務用品製造業
345 装身具・装飾品・ボタン同関連製品製造業(貴金
属・宝石類を除く)
349 他に分類されない製造業
【機械金属系工業】
223 工業用プラスチック製品製造業
229 その他のプラスチック製品製造業
264 製鋼を行わない鋼材製造業(表面処理鋼材を除
く)
269 その他の鉄鋼業
281 ブリキ缶・その他のめっき板等製品製造業
282 洋食器・刃物・手道具金物類製造業
284 建設用・建築用金属製品製造業(製缶板金業を含
む)
285 金属プレス製品製造業
286 粉末や金製品製造業,被覆・彫刻業,熱処理業(ほ
うろう鉄材を除く)
288 ボルト・ナット・リベット・小ねじ・木ねじ等製
造業
289 その他の金属製品製造業
296 特殊産業用機械製造業
297 一般産業用機械・装置製造業
299 その他の機械・同部分品製造業
308 電子機器用・通信機器用部分品製造業
323 医療用機械器具・衣料品製造業
327 時計・同部分品製造業
341 貴金属製品製造業(宝石加工を含む)
【その他の工業】
パン・菓子製造業
動植物油脂製造業
油脂加工品・石けん・合成洗剤・塗料製造業
医薬品製造業
その他の化学工業
(出所)墨田区『墨田区産業振興プラン』1995
77
1990
1993
構成比 93/88(
(93)
%)
37578 100.0 87.7
16836
44.8
89.5
2552
6.8
88.8
457
1.2
78.8
472
1.3 109.8
1253
3.3
84.5
3668
9.8 102.9
693
1.8
90.2
833
2.2 104.6
1442
3.8
83.5
42856
18808
2874
580
430
1483
3563
768
796
1726
41442
18123
2802
516
426
1426
3507
725
903
1403
339
1274
356
974
1357
913
294
612
292
1366
323
1030
1227
715
337
521
227
1040
325
1015
1068
634
307
514
0.6
67.0
2.8
81.6
0.9
91.3
2.7 104.2
2.8
78.7
1.7
69.4
0.8 104.4
1.4
84.0
469
13485
503
497
281
604
13093
607
533
278
336
11353
567
567
190
0.9
71.6
30.2
84.2
1.5 112.7
1.5 114.1
0.5
67.6
348
358
742
868
368
306
738
872
262
256
703
902
0.7
75.3
0.7
71.5
1.9
94.7
2.4 103.9
1508
1882
1245
1938
1086
1569
2.9
4.2
72.0
83.4
731
667
545
1.5
74.6
862
496
511
1308
309
532
1432
317
2459
815
216
332
360
736
827
414
436
1321
330
535
1333
345
2851
464
199
309
355
1524
545
322
417
1214
195
520
1221
272
2609
516
172
275
x
1646
1.5
63.2
0.9
64.9
1.1
81.6
3.2
92.8
0.5
63.1
1.4
97.7
3.2
85.3
0.7
85.8
6.9 106.1
1.4
63.3
0.5
79.6
0.7
82.8
4.4 223.6
(4)域内循環を生み出す積極的産業政策の展開へ
墨田区の経験から,社会的生産基盤を築く地域コミュニティの役割に関し,次の結論を導くこ
とができる。
第一に,墨田区では,行政をあげて区内製造業者の実態把握につとめ,区民生活における生産
活動の重要性についての共通認識を育てるとともに,それに基づいて,全国でも最も優れた産業
政策を確立した。その方法論の特徴は,産業のまち・すみだのアイデンティティーを掘り起こし,
区民全ての認識に高めるとともに,それを出発点として,全国的にも「すみだブランド」の認知
を勝ち取るというものである。すなわち,産業政策を,産業のまち・すみだのまちづくりの一環
として展開しようというものだった。この方法論により,区内事業者を結集する「運動」の組織
化に成功し,縮小傾向の中でも,それなりの活性化に貢献した。まちづくりとしての産業政策と
いう方法論を確立し,その優位性を実証した意義は大きい。
第二に,それにもかかわらず,円高不況期からポスト・バブル期にいたる経済環境の激変から,
墨田区産業地域を防衛することは容易ではなかった。1960年代に端を発する長期的縮小は,一層
加速され,まちづくりとしての産業政策「運動」に区内事業者を結集する上での困難を拡大して
いる。長期的な縮小傾向に歯止めをかけるためには,区内の所得が区外に流出することを防ぎ,
区内で循環するようなメカニズムを作り出すことが最も重要である。すなわち,これまでの行政
施策の枠を超えて,「需要」の創造と「域内循環メカニズム」の形成に踏み出す時期に来ている。
その点で,1995年に発表された『墨田区産業振興プラン』が,住宅供給連動型工房街区整備を含
む『すみだものづくり街区整備事業』を打ち出したことは,まちづくりとしての産業政策を一層
前進させるものとして評価できる。
第三に,「工房文化の都市」のコンセプトを,区内に蓄積された産業資源を効果的に活用でき
る技術要素にまで具体化することが必要である。例えば,「バリアフリー」と「パッシブ・ソー
ラー」(日照の日変化によって生じる空気の動きなどを効果的に利用する省エネ型の温湿度環境
制御手法)などは,墨田区の産業資源を活用する技術要素となりうる。これらの技術要素を前提
として,「工房文化」住宅や「工房文化」街区の基本デザイン仕様を定め,その仕様に適合する
住宅部品を認証して普及につとめるなら,需要創出と域内循環メカニズムの形成に貢献すること
ができる。さらに,「工業集積地域活性化支援事業」など,さまざまな補助事業と連動させれば,
民間活力を活用したまちづくりの具体的前進も期待できる。
第四に,第二,第三で述べた方向を実現する主体として,アメリカ合衆国のコミュニティ・デ
ベロップメント・コーポレーションのような非営利のまちづくり法人を育て,活用することが必
要である。このまちづくり法人を,「すみだマイスター創作大賞」などで発表されてきたユニー
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クなアイデアの商品化に活用するならば,『すみだブランド推進事業』を具体的な成果に結びつ
けることも可能となる。区内の中小製造業者と工務店を組織化する要の役割を担うならば,「工
房文化の都市」を具体化する『すみだものづくり街区整備事業』もよりダイナミックに展開でき
よう。
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