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オレーシャの創作における「ファクト」と フィクションの問題――短編『恋』を

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オレーシャの創作における「ファクト」と フィクションの問題――短編『恋』を
SLAVISTIKA XXVI (2010)
オレーシャの創作における「ファクト」と
フィクションの問題――短編『恋』を中心に
古 宮 路 子
オレーシャは,1927 年に雑誌『赤い処女地 Красная новь』に発表した小説
『羨望 Зависть』
が注目を浴びて,華々しい作家デビューを果たした。とはいえ,
『羨望』は文壇で単に称
賛の的となったわけではなかった。新しいソヴィエト社会と革命前の古い社会のメンタリ
ティを二項対立図式に当てはめた世界観は,この作品を問題作として文壇における議論の
対象とするものだった。1 サリスは『羨望』の社会的意味合いをめぐる論争が,以後十年
間のオレーシャの創作をも規定したと見ている。つまり,1930 年代半ばまでの創作は『羨
望』についての説明と弁解だというのである。2 これは言い換えれば,この時期の作品は,
オレーシャがソヴィエト社会との関係の中で自身の文学観について語っている文学,いわ
ばメタ文学であるということである。
本論考が主な対象として取り上げる短編『恋 Любовь』もまた,そのような『羨望』以
後十年間の期間の作品である。1928 年に雑誌『土地と工場 Земля и фабрика』二号にて発
表されたこの作品は,
『羨望』との間に二つの短編『リオムパ Лиомпа』
,
『伝説 Легенда』
を挟むとはいえ,『羨望』をめぐる議論の熱が未だ冷めやらぬ時期のものである。論考で
は『恋』を,
『羨望』以後十年間に書かれた諸作品における,メタ文学というテーマ上の
連続性のもとにとらえつつ,さらに『恋』がより集約的に表明しているテーマを解明する。
そのことによって,同時代の文学潮流の中でオレーシャが自らの方法をいかに見出してい
ったのかを明らかにしてゆきたい。
まずは,
『恋』がどのような話であるかを概説しよう。これは,例えば 1974 年版のオレ
ーシャ選集では全部で 7 頁にも満たない,ごく小さな規模の短編である。3
主人公の青年シュヴァーロフはマルクシストを自負する唯物論者である。しかし,公園
のベンチで恋人のリョーリャを待っている彼の目の前で,世界は変容を始める。彼の眼に
は,宙を飛ぶ鳥や蠅や甲虫によって作り出された都市が見え,植物の形,土の色,虫の声
1
一例として,Полонский Вяч. П. Преодоление «Зависти» // Новый мир. 1929. № 5. С. 189-208.
Rimgaila Salys, “Understanding Envy,” in Rimgaila Salys, ed., Olesha’s Envy: A Critical Companions
(Evanston: Northwestern University Press, 1999), p. 31.
3
本論考ではオレーシャの 1935 年の選集と 1974 年の選集を用いている。両者は書名による区別が
不可能なため,引用の際は発行年も付すこととした。
2
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古 宮 路 子
といった全く興味のないはずのことで彼の注意は一杯になってしまう。困惑する彼の前に,
黒ずくめの服装で,青白い肌をした男がやってくる。この男は全世界を正しく知覚してい
るが,ただ一つ「色弱 дальтонизм」のため全て青く見えるのである。遠くにリョーリャ
が現れると,色弱の男はシュヴァーロフが「危険な道に立っている」と警告して立ち去る。
リョーリャが近付くにつれ,シュヴァーロフには木々の枝が拍手喝さいで彼女を出迎えて
いるように見える。やってきた彼女に,彼は「存在しないものが見え Я вижу то, чего нет.」
「イメージによって思考し始めている Я начинаю мыслить образами」こと,「観念論者に
なりかかっている Я становлюсь идеалистаом.」のではないかという危惧を訴える。する
とリョーリャは,それは恋という感情を反映させて世界を見ているためだと答える。
リョーリャの家で一夜を過ごしたシュヴァーロフは,朝目を覚まして世界の変容が完成
したことを知る。彼は思考を物質化させる能力を身に着け,虎についての想像が,縞模様
の血に飢えた雀蜂となる。リョーリャの家を立ち去ったシュヴァーロフは,自分が幸福の
あまり「恋の翼で空を飛んでいる Летит на крыльях любви」ことに気づく。二時に公園に
やってきたシュヴァーロフは,ベンチで眠りこんでしまう。夢の中に色弱の男が現れ,自
分をアイザック・ニュートンであると名乗る。ニュートンが万有引力の法則に反して空を
飛んだことをなじったところで,シュヴァーロフは目を覚ます。そこにはニュートンの代
わりにリョーリャがいる。世界を正しく見られないことに耐えきれなくなった彼は,リョ
ーリャを置いて走り去る。憔悴しきって丘に腰をおろしたシュヴァーロフの前に,色弱の
男が現れる。シュヴァーロフは彼に,色彩のディテールを除いて全世界を正しく知覚でき
る彼の虹彩と,自分の恋を取り換えてくれるよう懇願する。しかし,色弱の男はそれを断
わり,立ち去ってゆく。
色弱の男とのやりとりから一時間後,シュヴァーロフは「公園の奥深い中心で в недрах
парка」眠っているリョーリャを見出した。リョーリャの胸の上に身を傾けてうっとりし
ているシュヴァーロフに,灌木の向こうから色弱の男が呼びかける。やはり,自分の虹彩
とシュヴァーロフの恋を交換しないかと。しかし,シュヴァーロフは素っ気なく申し出を
断る。
以上が『恋』の大まかな出来事の流れである。この作品にはオレーシャ特有の美しい比
喩表現が随所に散りばめられているため,美しく変容した世界の勝利を宣言するかのよう
な結末によく合致し,一つの纏まりのある作品世界を形成している。とはいえ,作品をも
う少しつぶさに検証してゆくと,それは単に美的世界を描いたというより,もっと具体的
に,同時代の文壇の相応物に対するオレーシャの考え方を示したものと言えそうである。
そのような見地から,本論考は,この作品の共時的な側面を検証してゆきたいと思う。そ
のための最初の手掛りとなるのは色弱の男である。
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オレーシャの創作における「ファクト」とフィクションの問題
断っておく必要があるのは,世界の全てが青く見えるというこの作品の「色弱」の症状
が,実際のそれとは完全に異なった,純粋な創造の産物ということである。この色弱の男
は色彩のディテールを除いて全世界を正しく知覚している。そして,感情を通して世界を
変容させて知覚してしまうシュヴァーロフを非難するのだが,彼の正しい知覚とはいかな
るものかというと「彼は眼鏡を通して自分の青い写真の世界を見ていた Он видел сквозь
очки свой синий фотографический мир.」という記述からも明らかなように,カメラの目で
世界を見ることなのである。1920 年代のロシアでカメラの目としてまず思い浮かぶのは,
映画の分野で「キノグラス」を主張し,
『カメラを持った男』
(1929)等を制作,ドキュメ
ンタリー映画の先駆けとなったジガ・ヴェルトフであろう。そして,彼の映画論が部分的
に流入した文学の分野とは,ザラムバニによれば,「ファクトの文学」である。4
詩人マヤコフスキイ,批評家ブリーク,チュジャーク,トレチヤコフ,シクロフスキイ,
写真家ロトチェンコを主要メンバーとするアヴァンギャルド達は,1927-28 年の間,雑誌
『新レフ Новый ЛЕФ』を発行し,
「ファクトの文学」を提唱してきたが,河村彩が指摘す
るように,その文学活動の理論的モデルは写真であった。5 これに対し,1920 年代後半に
は,プロレタリア系作家組織も,
「峠」派のような同伴者作家の組織も,19 世紀リアリズ
ムへの回帰を目指し,それに倣おうとするようになっていた。アヴァンギャルドはそのよ
うな同時代のリアリズム文学を絵画に喩える。19 世紀リアリズムの絵画は,画家の意図
によって,描写対象を実際とは異なる位置に置き換えることで,何らかのシュジェートを
実現しようとするが,「ファクトの文学」はそのような描出方法を対象の歪曲であると非
難していた。同じことは文学でもいえる。例えば人の顔について書こうとするとき,リア
リズム作家は実在する特定の一人の人物の顔を描くのではなく,何人もの人物の顔を研究
して,それら全ての特徴を総合した実在しない一つの顔を描こうとすると,ブリークは批
判的に述べている。そのような絵画的リアリズム文学に対して,
「ファクトの文学」は作
者の主観を介入させず,シュジェートを排し対象をあるがままの配置・姿で描くやり方を,
写真というイメージで捉え,自らの理想としていたのである。6
1920 年代の文壇のグループは,大枠として,プロレタリア系作家組織,同伴者作家グ
ループ,アヴァンギャルドの三つに分けられる。オレーシャの場合,『羨望』はプロレタ
リア系作家組織にも好評で,その雑誌『文学の哨所にて На литературном посту』にも文
4
Заламбани М. Литература факта: от авангарда к соцреализму. СПб., 2006. С. 23.
河村彩「革命のアルヒーフ―『ファクトの文学』と写真をめぐって―」
『ロシア語ロシア文学研究』
第 39 号,2007 年,67-69 頁。
6
もちろん,完全に客観的な描写などというものがそもそも達成されうるものでなかったことは,
ザラムバニや河村も指摘するところであるし,
「ファクトの文学」のメンバーもその矛盾を感じ取っ
てはいたようである。
5
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古 宮 路 子
章を掲載している。7 その一方で,『新レフ』も作家としてデビューする以前の彼の南部
ロスタでの活動を評価していて,8 明確に一つのグループに収まりきらない点がある。と
はいえ,ポーランド貴族の末裔という出自や,デビュー直後は特に『赤い処女地』,
『土地
と工場』といった同伴者作家の作品を多く掲載する雑誌で作品を発表していたことから,
基本的には同伴者作家と位置付けてよいだろう。
三グループは文学的,政治的に熾烈な抗争を繰り広げたが,その際,文学論争の対象と
なった問題の一つに,描出を巡る問題があった。同伴者作家グループの有力な論客であっ
たのがアレクサンドル・ヴォロンスキイである。レーニンに抜擢されて国立出版所の一員
となった彼は,1921 年に雑誌『赤い処女地』を創刊,編集を務めた。党派性に囚われな
い方針から,結果的にそこは同伴者作家の活躍の場となり,やがて彼を指導者とする「峠」
派も結成された。彼は政治的にトロツキイに近い立場にあったため,トロツキイの失脚後
は特にラップの彼に対する攻撃が強まり,1927 年には『赤い処女地』の編集を降板する
ことを余儀なくされた。そのため,オレーシャの『羨望』を見出したのは,代わって編集
を務めたラスコーリニコフである。とはいえ,ヴォロンスキイの唱えていた芸術論は,同
時代の文壇で相当な影響力を持っていたと思われる。
ヴォロンスキイは,芸術を生活の認識と定義する。労働通信員などの一般人の投稿に大
きな意義を見出していた「ファクトの文学」とは対照的に,彼は,普通の人間において現
実は歪んだイメージとして知覚されるのみであり,それを正しく認識し,描くことは彼ら
には不可能と考えていた。9 その一方で,日常生活によって曇らされていない芸術家の目
は,普通の人々と異なり,世界の美や本質を見抜くことができる。ヴォロンスキイはこの
ような世界の本質を見抜く芸術家の眼差しをある時は「直観の力 сила интуиции」,10 あ
る時は「芸術家の個性 индивидуальность художника」11 と呼んだ。したがって,彼の考
える芸術家の役割はその能力によって世界の本質を洞察することにあるが,本質は当然,
見掛けとは異なる姿として知覚されるため,変容した様相を取って描かれる。12 つまり,
芸術家の直感の力によって対象を変容させるのであるが,そのような描出方法は「ファク
トの文学」の立場から言わせれば「芸術家の心のプリズムを通した」事実や出来事の屈折
7
Олеша Ю. К. Писатель о себе // На литературном посту. 1928. № 4.
Кирсанов С. И. Черноморские футуристы // Новый ЛЕФ. 1927. № 8-9.
9
Воронский А. К. Искусство видеть мир. М., 1987, С. 540.
10
Там же. С. 545.
11
Воронский А. К. Искусство, как познание жизни, и современность: к вопросу о наших литературных
разногласиях // Белая Г. А. (ред.) Из истории советской эстетической мысли 1917-1932. М., 1980. С.
291.
12
Воронский. Искусство видеть мир. С. 542.
8
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オレーシャの創作における「ファクト」とフィクションの問題
ということになるのであった。13
以上から明らかなように,世界の正しい知覚ということの意味は「ファクトの文学」と
ヴォロンスキイとの間で大きく異なる。前者にとってのそれが,カメラで撮ったようなあ
りのままの現実を知覚することであるとすれば,後者にとってのそれは,芸術家の直感的
洞察力によって世界の本質を感じ取り,描くことなのである。これらの立場がある一方で,
プロレタリア作家組織は 20 年代後半から,19 世紀リアリズムの作品の描出方法の模倣を
目指すようになった。しかし,19 世紀リアリズムは既に述べたように,
「ファクトの文学」
の写真志向に対し,絵画というモデルのもとで捉えられていた。
したがって,『恋』における登場人物の対立は,基本的に「ファクトの文学」とヴォロ
ンスキイの間の対立を背景にしていると考えられる。既に述べたように,オレーシャは基
本的には同伴者作家のグループに属すると考えてよい。実際,
『新レフ』の論文「
『創造的』
個性に抗して」
(1928 年 2 号)で,ブリークがヴォロンスキイの悪しき影響を受けた若手
作家について述べる時,そこでは暗にオレーシャが念頭に置かれていたと推察される。と
はいえ,特定のグループの文学論に与するというよりは,各グループの様々な主張を自分
なりに解釈しつつ,時にはそれらを取り入れ,また時にはそれらに取り込まれながら,自
らの作品に反映させていったのがオレーシャの立場であろう。1920 年代末~30 年代半ば
までの創作について言う限り,オレーシャの散文は作家自身が投影された人物を主人公と
する,同時代の様々な文学的見解の闘技場であり,極めてメタ小説的性格の強い小説群で
あるといえる。
留保付きながら言えるのは,短編『恋』において,主人公の恋する青年シュヴァーロフ
はヴォロンスキイの芸術論における芸術家の役割を担っている,ということである。彼は
次のように言う。
― Происходит какая-то ерунда. Я начинаю мыслить образами. Для меня перестают
существовать законы. Через пять лет на этом месте вырастет абрикосовое дерево.
Вполне
возможно. Это будет в полном согласии с наукой. Но я, наперекор всем естествам, увидел это
дерево на пять лет раньше. Ерунда. Я становлюсь идеалистом.
「なんだか馬鹿げたことが起こっている。僕はイメージで思考するようになりつつあるのだ。
僕にとっては法則性がなくなってしまった。五年後にはここに杏の木が立っているだろう。全
13
Брик О. М. Против «творческой» личности // Новый ЛЕФ. 1928. № 2.
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古 宮 路 子
くありうることだ。完全に科学に合致する。でも僕は,あらゆる自然に逆らって,その木を五
年早く見てしまった。馬鹿げている。僕は観念論者になりかかっているのだ。」14
シュヴァーロフの「僕はイメージで思考するようになりつつある」という発言は明らか
に,ヴォロンスキイが論文「生活認識としての芸術と同時代性 Искусство как познание
жизни и современность」
(1923)で自らの芸術論の根拠として引用した,19 世紀の批評家
ベリンスキイの言葉「芸術家はイメージによって思考する」を踏まえているからである。
«Поэзия, ― писал еще Белинский, ― есть истина в форме созерцания; ее создания ―
воплотившиеся идеи, видимые, созерцательные идеи. Следовательно, поэзия есть то же, что
мышление, потому что имеет то же содержание... Поэт мыслит образами, он не доказывает, а
показывает ее... Высочайшая действительность есть истина; а как содержание поэзии ― истина,
то
и
произведения
поэзии
суть
высочайшая
действительность.
Поэт
не
украшает
действительности, не изображает людей, какими они должны быть, но каковы они суть»
ベリンスキイはさらに書いている。「詩とは,直感という形式をとった真理である。形式の創
造とは,具象化された理念,目に見える,直感的な理念である。したがって,詩は思想に等し
い。なぜなら,同じ内容をもつからである……。詩人はイメージによって思考する。彼はそれ
を証明するのではなく,見せる……。最高位の現実とは真理である。そして,詩の内容は真実
であるから,詩作品とは最高位の現実である。詩人は現実を飾り立てず,人々をあるべき姿で
描くのではなく,あるがままに描くのである」15
ハンゼン=レーヴェによると,芸術をイメージによる思考と定義する考え方はベリンス
キイに起源し,ソヴィエト期の文学論において再注目された。16 先の引用で明らかなよう
に,ヴォロンスキイもまた,この発想を自らの文学観の基礎としているのである。その一
方,ハンゼン=レーヴェも述べていることだが,フォルマリスト達はそのような考え方を
断固として否定していた。このことは,例えばシクロフスキイの論文「手法としての芸術
Искусство как прием」(1917)が次の一節で始まり,それを覆すことを目的としている点
に,端的に表れている。
«Искусство ― это мышление образами». Эту фразу можно услышать и от гимназиста, она же
является исходной точкой для ученого филолога, начинающего создавать в области теории
14
15
16
Олеша Ю.К. Избранное. М., 1974. С. 198. 以降,和訳および下線はすべて論者によるものである。
Воронский. Искусство, как познание... С. 290.
Ханзен-Лёве О. А. Русский формализм. М., 2001. С. 459.
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オレーシャの創作における「ファクト」とフィクションの問題
литературы какое-нибудь построение. Эта мысль вросла в сознание многих; одним из создателей
ее необходимо считать Потебню.
「芸術とはイメージによる思考である」この文言はギムナジアの生徒からも聞くことができる
し,文学理論の領域で何らかの体系を作りだし始めている文学研究者にとって,それはまさに
出発点である。この考え方は多くの人々の意識に根をおろしている。それを作り出した者の一
人にぜひ数え入れなければならないのはポテブニャーである。17
シクロフスキイはこのように,ベリンスキイに起源をもつ,芸術=イメージによる思考
という発想が,ポテブニャーに至るまで脈々と続き,同時代においても支配的であること
を指摘した。そしてその上で,この考え方を批判し,芸術を理解する上でより重要な概念
として「異化」を提唱した。その意味で,彼のこの論文の画期性が現代に至るも認められ
ているのである。
したがって,『恋』で主人公が発言する「僕はイメージで思考するようになりつつある
のだ」という言葉からは,彼がヴォロンスキイの芸術論における意味での芸術家という役
割を担い,アヴァンギャルドの芸術論とは一線を画す存在として設定されていることが窺
える。
ところで,ヴォロンスキイは,芸術とはイメージによる思考である,という定義を前提
としつつも,ベリンスキイの主張に訂正を加えている。
Утверждение Белинского, что поэт «не изображает людей, какими они должны быть, но каковы
они суть», нуждается, однако, в существенной поправке. Когда поэт или писатель не
удовлетворен окружающей действительностью, он естественно стремится изобразить не ее, а то,
каковой она должна быть; он пытается приоткрыть завесу будущего и показать человека в его
идеале. Он действительность сегоднящнего начинает рассматривать сквозь призму идеального
«завтра».
詩人は「人々をあるべき姿で描くのではなく,あるがままに描く」とするベリンスキイの主張
は,しかしながら,本質的な訂正を要する。詩人あるいは作家が彼を取り巻く現実に満足して
いないなら,彼は当然,それを描くのではなく,それをあるべき姿で描こうとするものだ。彼
17
Шкловский. В. Б. Гамбургсеий счет. М., 1990. С. 58.
37
古 宮 路 子
は未来のとばりを少し開いて,人物をその理想の姿で見せようとする。彼は今日の現実を理想
の「明日」のプリズムを通して見始めるのである。18
ベリンスキイは人々をあるがままに描くべきだとしているが,芸術家はむしろ,現実を
理想というプリズムを通した,あるべき姿で描くべきだ,というのである。
『恋』の中で,
杏の種が若木に成長した五年後の理想の未来を,恋する心の「プリズム」を通して現在の
現実の中に見出すシュヴァーロフは,まさにヴォロンスキイの言う意味での芸術家の役割
を果たしている。19 マルクシストをもって自認していたシュヴァーロフは,自らの視覚の
変化を「観念論者になりかかっている」と危ぶむが,
「観念論」という言い方は「ファク
トの文学」が小説において主観や情緒を重視する描写や虚構を非難するときに用いるレッ
テルであった。これらの点からも,『恋』の主人公シュヴァーロフが,ヴォロンスキイの
芸術論を色濃く反映した登場人物であることがわかる。
以上のように考えてゆくと,『恋』の結末には一定の文学的意味が与えられていること
が明らかになる。世界を美しく変容させる恋人の目を,世界を写真の目で見る色弱の男が
羨むようになる,という結末は,芸術家の感性で世界を美しく変容させて描く描出方法の,
世界をありのままに描く「ファクトの文学」の描出方法に対する勝利宣言なのである。対
象の描出において作者の介入を極限にまで退けることを目指す「ファクトの文学」に対し,
むしろ,作者の芸術的感性を駆使して対象を美しく輝かしく描き出すことこそが,芸術の
喜ばしい役割である,とする主張であると考えてよいだろう。オレーシャは『羨望』で,
シュヴァーロフ同様に世界を美しく変容させて見る主人公カヴァレーロフを登場させた。
カヴァレーロフは作家本人が認めている通り,オレーシャの立場を代弁する存在であった
が,20 小説の結末では敗北することとなった。しかし,『恋』のシュヴァーロフは,オレ
ーシャの同時期の作品群では異例なことに勝者となった。作家が『恋』を「自分の最良の
作品」と述べたことには,そのような理由もあるかもしれない。
それにしても,なぜカヴァレーロフは敗北し,シュヴァーロフは勝利したのだろう。そ
の理由の一つは彼らがどのような相手を敵としたかにあるかもしれない。カヴァレーロフ
が敵対したのは,新しい社会で成り上がって贅沢な暮しをしている人物の象徴である,政
府高官アンドレイ・バービチェフと,プロレトクリトが作り上げた「新しい人間」を彷彿
させる,スポーツ選手ヴォロージャ・マカーロフであって,両者とも体格がよく,非常な
18
Воронский. Искусство, как познание... С. 290.
沼野充義は「五年後」という表現が五カ年計画を踏まえてのものであることを指摘している。
Нумано М. Коментарий к рассказу Юрия Олеши «Любовь» // 『外国語科研究紀要』第 39 巻 5 号,1990
年,55-56 頁。
20
Олеша Ю. К. Избранное. М., 1935. С. 4-5.
19
38
オレーシャの創作における「ファクト」とフィクションの問題
健康を誇る。その一方で,シュヴァーロフが敵対した色弱の男は,青白く,僧侶のような
黒ずくめの服装をしており,弱弱しい印象を与える。さらに,彼が色彩を全て青と知覚し
てしまう「色弱」であるという点は,彼の写真の目が完全ではないことを強調している。
つまり,「ファクトの文学」の描出面での不完全さへの示唆が窺えるのである。
考え起こせば,「ファクトの文学」の目指す作者性の消去という点に対し,オレーシャ
は『羨望』の時点から危惧を抱いていたようである。カヴァレーロフの「今ではこう言わ
れます。お前の個性どころじゃない,最も非凡な個性さえ無価値だ,と Теперь мне сказали:
не то что твоя, – самая замечательная личность – ничто」21 という嘆きに対し,例えばブリ
ークが『新レフ』(1928 年 2 号)に掲載した論文「『創造的』個性に抗して」を照らし合
わせてみよう。
Буржуазно-интеллигентская теория творчества, «марксистски обработанная» Воронским и
Полонским, говорит о том, что основной задачей творчества является передача фактов и событий,
«преломных сквозь призму души художника».
ヴォロンスキイやポロンスキイが「マルクス主義的に加工した」ブルジョワ・インテリゲンツ
ィア的創作理論によると,創作の基本的課題は「芸術家の心のプリズムを通して屈折させられ
た」事実や出来事を伝えることだという。22
ここで述べられているような,出来事を伝達する際に芸術家の個人的な質や見解を反映
させる方法を批判する「ファクトの文学」の傾向は,当然オレーシャの創作には全くそぐ
わないものである。
ザラムバニはバルトの考え方を適用し,「ファクトの文学」の掲げた作者性の消去は論
理的に不可能であると指摘している。23 実例としてザラムバニが挙げるのは,トレチヤコ
フの「ビオ・インタビュー(インタビュー伝記) Био-интервью」である『鄧惜華(デン・
シ・フア) Дэн-Сы-Хуа』である。これはトレチヤコフが中国人男性シ・フアにインタビ
ューをして書いたもので,主人公シ・フアが自分の生涯について語る日記の形式をとって
いる。しかし実際には,例えばモスクワの気候についての言及など,シ・フアの語りの言
葉にはしばしば作者トレチヤコフの言葉が入り混じり,語りの構造は複雑になっている。
ザラムバニがこのような『鄧惜華』をトレチヤコフとシ・フアの同一化による現実と空想
の一体化と呼び,「ファクトの文学」が自らの対立項として強く糾弾していた「空想
21
22
23
Олеша. Избранное. 1974. С. 23.
Брик. Против «творческой» личности. С.12.
Заламбани. Литература факта. С. 103-105.
39
古 宮 路 子
выдумка」,「フィクション беллетристика」に融合してしまったことを指摘しているよう
に,この作品は「ファクトの文学」が理論として目指していた描出方法からは一歩退いて
いると言ってよいだろう。
あるいは,トレチヤコフが通信「曇った眼鏡で Сквозь непротерные очки」(
『新レフ』
1928 年 9 号)において,ともすれば紋切り型の芸術的隠喩法に陥ってしまいがちなこと
を嘆くときにもまた,「ファクトの文学」が対象を写真の目で,作為を加えずありのまま
に描くという理念を実現しようとしていかに困難を覚えていたかが窺われる。24
『恋』の色弱の男の写真の目が,色彩に混乱のある不完全なものであることは,以上に
述べたような「ファクトの文学」の問題点をオレーシャが認識し,人物像に反映させたた
めと考えられる。
しかし,オレーシャは『恋』を書くに当たって「ファクトの文学」を完全に否定しきっ
たのであろうか。虹彩を交換してほしいというシュヴァーロフの申し出を断って立ち去っ
てゆく色弱の男の姿は,次のようにグロテスクに描かれる。
Ему трудно было двигаться по наклону. Он полз раскорякой, теряя сходство с человеком и
приобретая сходство с отражением человека в воде.
彼には斜面に沿って動くのが困難だった。両足を不格好に広げて滑り降りながら,彼は人間と
の類似を失ってゆき,水に映る人間の姿に類似してきた。25
岩本和久は,色弱の男が「水に映る人間の姿」であるということは,文字通り彼がシュ
ヴァーロフの鏡像,つまり分身であることを表していると指摘する。26 「写真の目」によ
る世界描写を断固として拒絶したかに見える結末を持つ『恋』において,主人公と色弱の
男がどこかで表裏一体の存在であるというのは,何を意味するのだろうか。
この問題について考えるために,
『恋』以後,30 年代半ばまでのオレーシャの創作活動
に目を転じてみよう。
『恋』が発表された翌年の 1929 年,オレーシャは『私は過去を眺め
る Я смотрю в прошлое』,
『人間の素材 Человеческий материал』という二作品を相次いで
発表したが,ペパードはオレーシャがこれらの作品を契機に,これまでの「フィクション
belles letters」から告白的な調子の自伝的スケッチへと移行したと指摘している。27 この指
摘を裏付けるように,1930 年頃から書き始められたと思われるオレーシャの日記には,
「フ
24
Третьяков С. М. Сквозь непротерные очки // Новый ЛЕФ. 1928. № 9. С. 24.
Олеша. Избранное. 1974. С. 202.
26
岩本和久『脆弱な《私》の肖像:オレーシャの作品にみる自己愛と同一化』博士論文(東京大学,
1995 年),149-150 頁。
27
Victor Pepperd, The Poetics of Yury Olesha (Gainesville: University of Florida Press, 1989), p. 38.
25
40
オレーシャの創作における「ファクト」とフィクションの問題
ィクション беллетристика」を嫌悪し,日記や回想録といった記録に活路を見出そうとす
るオレーシャの姿勢が散見される。そのようなオレーシャの考え方は,1999 年に『別れ
の書 Книга прощания』というタイトルでようやく一部が公にされる運びとなった日記と
いうごく私的な意見表明の場においても散見される。
Вместо того чтобы начать писать роман, я начал писать дневник. Читатель увлекается мемуарной
литературой. Скажу о себе, что и мне гораздо приятней читать мемуары, нежели беллетристику.
(Последнее ненавижу.) Зачем выдумывать «сочинять»? Нужно честно, день за днем записывать
истинное содержание без мудроствований, а кому удастся ― с мудроствованиями.
小説を書き始める代わりに,私は日記を書き始めた。読者は回想録に夢中なのだ。私はと言う
と,私もまたフィクションよりも回想録の方が読んでいてずっと気持ち良い。(フィクション
を憎んでいる。)何のために「でっち上げる」ことを思いついたのだろう。正直に,一日一日,
利口ぶることなく本当の内容を記すのだ,利口ぶっていて誰が成功できようか。28
また,同様の見解はチュコーフスキイ家の来客の寄せ書き『チュコッカラ』にも記され
ている。
Самым решительным образом в этой знаменательной книге утверждаю: беллетристика обречена
на гибель. Стыдно сочинять. Мы, тридцатилетные интеллигенты, должны писать только о себе.
Нужно писать исповеди, а не романы. Важней всех романов ― самым высоким литературным
произведением тридцатых годов этого столетия будет «Чукоккала».
この記念すべき本の中で最も決定的な形で断言しよう。フィクションは死すべき運命にある。
でっち上げるのは恥ずべきことだ。われら,三十年代の知識人は,自らについてのみ書かねば
ならない。書くべきは告白であって,小説ではない。どんな小説よりも重要になるのは,今世
紀三十年代の最高の文学作品となるのは『チュコッカラ』だ。29
そしてここで注目すべきは,フィクションに嫌悪感を抱くに至ったオレーシャが自らの
進むべき方向として,雑誌『新レフ』という形では 1928 年に既に消滅していた「ファク
トの文学」を示唆してさえいることである。
28
29
Олеша Ю. К. Книга прощания. М., 1999. С. 35. 1930 年 5 月 5 日付。
Чуковский К. И. Чукоккала. М., 1999. С. 235. 1930 年 9 月 2 日付。
41
古 宮 路 子
Я решил написать книгу о том, как Мейерхольд ставил мою пьесу. Ненавижу беллетристику, с
радостью хватаюсь за возможность заняться токой литературой факта.
私はメイエルホリドが私の戯曲をいかに上演したかについての本を書こうと決めた。フィクシ
ョンを憎み,そのようなファクトの文学に喜んで飛びついている。30
ザラムバニが指摘するように「ファクトの文学」を構成していたメンバー中でも,シク
ロフスキイをはじめとするフォルマリストは,回想録,書簡集,自叙伝といった文学的な
個人の記録に注目していた。31 そのような文脈では,オレーシャが志向した自伝もまた,
広い意味での「ファクトの文学」と言いえたのである。
描写対象を思いがけないものに結びつける比喩を多用し,世界を美しく変容した姿で描
き出すことが,1920 年代末から 30 年代初頭という,作家として最も充実していた時期の
オレーシャの作品の特徴であることが,これまでの諸研究で指摘されてきたことである。
32
オレーシャによるフィクションの否定は,一見,従来指摘されてきた彼の作品の特徴と
矛盾するように感じられる。
この疑問を解くために必要なのは,彼が言うところの「フィクション беллетристика」
とは何なのかを明らかにすることである。ハンゼン=レーヴェによれば,1920 年代のロ
シアにおいて「フィクション」という言葉が意味したのは,ターザン等の冒険ものや探偵
もののような作品を念頭に置いた,シュジェートのある,西欧の小説のことである。33 そ
のような「フィクション」を志向した作家として,ハンゼン=レーヴェはルンツを中心と
するセラピオン兄弟の「西欧派」や,エレンブルグといった作家たちを挙げている。一方
オレーシャは日記で,この「フィクション」について「シュジェートやら,主人公やら,
典型的な人物達やら,なんでもありの短編 серия рассказов с сюжетом, с героем, с типами
– с чем угодно」34 とか「典型的形象や,傾向や,出来事などなどの出てくるありふれた
長編小説で,私には不可能なものだ обыкновенный роман с характерами, страстями,
30
Олеша. Книга прощания. С. 28. 1930 年 3 月 15 日付。
Заламбани. Литература факта. С. 17.
32
主要なものを以下に示す。Nils A. Nilson, “Through the Wrong End of the Binoculars,” in E. J. Brown,
ed., Major Soviet Writers (New York: Oxford University Press, 1973), pp. 254-263. また,Elizabeth K.
Beaujour, The Invisible Land: A Study of the Artistic Imagination of Iurii Olesha (New York and London:
Columbia University Press, 1970). ロシアでは Чудакова М. О. Мастерство Юрия Олеши. М., 1972. わ
が国においては Нумано М. Утопическое воображение в русской литературе начала двадцатого века:
роман Юрия Олеши «Зависть», как сплетение разных, «утопических» голосов // 『スラヴ語スラヴ文
学の比較対照研究:科学研究費補助金(総合研究 A)研究成果報告書』,1988 年。
33
Ханзен-Лёве. Русский формализм. С. 500-501.
34
Олеша. Книга прощания. С. 36.
31
42
オレーシャの創作における「ファクト」とフィクションの問題
событьями, и т. п., ― для меня вещь невозможная」35 などと述べている。このようなオレ
ーシャによる「フィクション」の定義と,ハンゼン=レーヴェの指摘する当時の「フィク
ション」の意味に共通するのは,シュジェートが大きな役割を果たす作品であるという点
である。つまり,オレーシャが批判した「フィクション」を規定する最も重要な要素とし
て,シュジェートの存在を挙げることができる。そして,まさにそのようなシュジェート
の軽視は,オレーシャと「ファクトの文学」との近接点といえる。というのも,アヴァン
ギャルド達が「ファクト」の対立項と見なしていたものとは,「虚構 выдумка」あるいは
「フィクション」だったからこそ,彼らは「脱シュジェート散文 вне-сюжетная литература」
を唱えていたからである。
オレーシャ本人の主張はともかくとして,彼の作品にはシュジェートがあるのか否か。
この問題に関しては見解が分かれるところである。例えば,オレーシャとは個人的にも近
しい関係にあり,『一行とて書かざる日なし Ни дня без строчки』の編集にも中心的役割
を担ったシクロフスキイは,『羨望』について,対位法があるのみでシュジェートは存在
しないと述べている。36 他方,サリスは『羨望』を分析した論文の中で,この小説の語り
の構造の複雑さを指摘しつつ,出来事を時系列に沿って解説している。37 つまり,サリス
の立場ではシュジェートは存在するということになる。
ここで,オレーシャが小説の書き方を次のように指南したという,グランの回想に目を
向けてみよう。
― Не думайте о сюжете. Это не так важно. Начините рассказ с того, как пошел дождь и вы
зашли с девушкой в подворотню. Напишите о вчерашнем дне. Или вот вы пришли на стадион...
Я берюсь из любой начальной фразы сделать рассказ...
「シュジェートのことを考えてはいけません。さほど重要ではないのです。雨が降り出して,
あなたと娘さんが門の下に立ち寄ったところから物語を始めなさい。昨日のことをお書きなさ
い。そうでなければ,ほら,あなたは競技場にやって来て・・・。私はどんな最初のフレーズか
らでも物語を始めますよ……。」38
この発言から窺えるように,オレーシャの作品におけるシュジェートを考える上では,
ある・ないという二分法はあまり有効ではないのかもしれない。西欧の冒険もの,探偵も
35
Там же. С. 109.
Шкловский В. Б. Гамбургский счет. С. 542.
37
Salys, "Understanding Envy," pp. 19-23.
38
Глан Н. Без титра // Суок-Олеша О., Пельсон Е. (ред.) Воспоминания о Юрии Олеше. М., 1975. С.
290.
36
43
古 宮 路 子
ののような,シュジェートが作品の牽引力として重要な役割を担っている「フィクション」
が片方の極にあるとしたら,その対立項にあるオレーシャの小説は,その魅力がシュジェ
ートにはないことを作家本人が認識して書いている,シュジェートが重要な役割を果たさ
ない作品なのである。つまり,シュジェートはある・ないではなく,重要か・副次的かに
よって区別される。
この点に即して『恋』を考察してみると,まず気付くのは個々の場面の結びつきが非常
に緩いことである。この作品は行間を空けることによって四つの部分に分けられている。
物語はシュヴァーロフとリョーリャが昼間に公園で待ち合わせる場面から始まる。しかし,
第二の区分では,場面は夜のリョーリャの家に変わっている。昼間,彼らが何のために公
園で待ち合わせたのかについては何も言及されない。リョーリャの家で夜を過ごすためな
ら,公園で待ち合わせたりせず,シュヴァーロフが直接家に出向けばよいのである。同様
に,翌日の二人の行動も動機が不明瞭である。朝,恋の翼で飛翔するような心地でシュヴ
ァーロフがリョーリャ宅を出たところで,二か所目の区分が終わる。そして,それに続く
場面は午後二時,彼が再びリョーリャと待ち合わせるために公園にやってきたところであ
る。彼はそれまでの間,どこで何をしていたのだろう。さらに言えば,再び待ち合わせる
なら何のために一旦リョーリャの家を出なければならなかったのだろう。シュヴァーロフ
が色弱の男に虹彩の交換を断られる場面で三番目の区分は終わり,その一時間後に彼が眠
っているリョーリャを見つけるのが最後の場面である。リョーリャがなぜ眠っているのか
について,何の説明もない。ただ,「シュヴァーロフが彼女を探し当てたのは公園の奥深
い中心であった。 Шувалов отыскал ее в недрах парка, в сердцевине.」という表現に注目す
るなら,現実に街の中にある公園では,奥深い場所は中心ではなく周縁であるという矛盾
に思い至る。この場面において,公園とはシュヴァーロフの心を意味するのであって,も
はや作品上のどこか特定の地点ではないのである。
以上のように,『恋』だけを取り上げても,それが場面相互の動機付けを欠いた,シュ
ジェートの緩いものであることがわかる。このシュジェートの緩さは,1920 年代末 30
年代初頭のオレーシャの散文作品の多くに当てはまる。特に代表作『羨望』の第二部は,
このようなシュジェートの性格を逆手にとって,時系列を不確定なものにすることによっ
て,出来事の因果関係も不明瞭になり,夢と現実の区分が曖昧になったような印象を読者
に与えることに成功していると,論者は考える。これは先に挙げたサリスの見解とは必ず
しも一致しないことだが,
『恋』で主人公シュヴァーロフが世界を変容させて見ているだ
けの状態から,いつの間にか心象世界に入り込んでしまっているように,
『羨望』の第二
部も,作品内の現実の地点から,イヴァンが仕組んだ夢の世界へ,場面と時間はそれぞれ
の結びつきの弱さを利用していつの間にか移行しているのである。
44
オレーシャの創作における「ファクト」とフィクションの問題
そして,このようなシュジェートの緩さもまた,オレーシャと「ファクトの文学」を結
ぶ糸である。
「ファクトの文学」は「脱シュジェート散文」を提唱したが,その理由は描
写対象としての「モノ」に対する彼らの関心の強さゆえである。全体としてのまとまりを
形成する個々の細部や事実に対する関心の増加ゆえに,シュジェートを構成する力が弱ま
ってゆくのだと,ブリークは述べている。39 つまりそこには,シュジェートによる筋立て
を排し,対象を仔細に描こうとする考え方がある。
このような「モノ」の描出を優先させた結果起こるシュジェートの後景化は,1920 年
代末~30 年代初頭のオレーシャの散文の特徴でもある。彼は世界を変容させて描く方法
として特に比喩を多く用いたが,沼野充義が指摘するように,その比喩は通常対象とはあ
まり結びつけて考えられないような意外性のあるものに喩えるという特徴があった。40 そ
の結果,オレーシャの作品の中で,奇抜な比喩を纏った「モノ」の数々は突出した存在感
を放つようになる。チュダコーヴァの言葉を借りれば,小説内の出来事とは無関係な諸要
素が,出来事に対して二次的ではない,独立した範疇となる。41 つまり,シュジェートの
存在が希薄になっていったのである。このような傾向は,意に反して,主人公の注意が草,
木,土,昆虫,鳥といった様々な対象に向いてしまうという,『恋』の冒頭の場面でも示
唆されている。
イングダールは『羨望』の主人公カヴァレーロフの「光学器械」としての目が,ヴェル
トフのキノグラスを思わせると指摘している。42 カヴァレーロフの目は,世界を変容させ
て見るカメラの目なのである。そのようなカヴァレーロフと同じ役割を『恋』において担
っているのが,シュヴァーロフである。ここから明らかになるのは,シュヴァーロフと色
弱の男が分身の間柄というのは,彼らが一見対照的なようであって,実は「虹彩」という
カメラのレンズ一枚の違いしかないということである。この「虹彩」のことを,オレーシ
ャは『羨望』では逆さまに覗いた双眼鏡と呼び,『作家の手記 Записки писателя』(1930)
では「仮想の双眼鏡 мнимый бинокль」43 と呼ぶ。それらの役割は共通である。「世界を
新しいやり方で見る видеть мир по новому」44 こと,すなわち,目の前にある世界という
対象を想像力を働かせてより美しい姿に変容させて描くことである。ということは,オレ
39
Брик О. М. Разложение сюжета // Литература факта. 1929. С. 226-227.
沼野充義『ユーリイ・オレーシャの創作技法;世界を見る技術』修士論文(東京大学,1977 年),
331 頁。
41
Чудакова М. О. Мастерство Юрия Олеши. М., 1972. C. 66.
42
K. Ingdahr, A Graveyard of Themes: the Genesis of Three Key Works by Iurii Olesha (Stockholm: Almqvist
& Wiksell International, 1994), p. 35.
43
Олеша. Избранное. С. 239. (『作家の手記』は 1956 年に『世界で В мире』と改題されたため,こ
の選集でも後者の題で収録されている。)
44
Там же.
40
45
古 宮 路 子
ーシャが目からそのような「虹彩」を取り外したとき,彼の目の前に広がるのはありのま
まの「モノ」
,つまり「ファクトの文学」が目指した描写なのである。
オレーシャはたしかに,視覚的モデルの下に捉えられた芸術観や,世界を変容させる芸
術家という考え方において,ヴォロンスキイに多くを負っている。しかし,言葉の上では
同じ「世界の変容」を目指したとはいえ,ヴォロンスキイとオレーシャの描出の図式には
根本的な違いがある。ヴォロンスキイは,世界の真理や歴史といったものが芸術家の感性
を通してイメージという形で知覚され,表現されると考えていた。その際,描かれる世界
は目に見えるままの世界とは異なる,変容した姿を取るが,それは真理や歴史がそのよう
な姿だからである。だから,ヴォロンスキイの言う「世界の変容」は,芸術家個人の想像
力によって恣意的になされるものではない。このことを,ヴォロンスキイは次のように述
べている。
Мир должен представить в его произведении как он есть сам по себе, чтобы прекрасное и
безобразное, милое и отвратительное, радостное и горестное казалось нам таким не потому, что
так хочет художник, а потому, что оно содержится, есть в живой жизни.
世界はそれ自体としてあるように,彼[芸術家]の作品で提示されねばならない。そうするこ
とで,美しいものや醜いもの,愛すべきものや嫌悪すべきもの,嬉しいことや悲しいことがわ
れわれにそのように感じられるのは,芸術家がそれを望んだからではなく,そのような事柄が
内包されて,生きた生活の中にあるから,ということになるのである。45
しかし,オレーシャにとってのイメージは,そのような目に見える世界の内側にある本
質ではなく,映画のスクリーン上に映し出される映像という純粋に視覚的なモデルのもと
に捉えられる外面的なものであった。既に『羨望』の本編に入らなかった未発表の原稿に
おいて,オレーシャは新しい芸術である映画が小説を駆逐する可能性を予告している。そ
の理由とは,小説は作家の描くイメージを読者の脳裏に想起させるが,映画はそのイメー
ジをスクリーン上に映し出すことでより正確に受け手に伝えられるからであった。彼がそ
う考えるとき,小説におけるイメージと映画のスクリーン上の画像が同一視されているこ
とは明らかである。46
オレーシャの「世界の変容」とはいかなるものであるかを考える上で,『作家の手記』
における次の発言は非常に示唆的である。
45
46
Воронский. Искусство видеть мир. С. 554.
Ingdahr, A Graveyard..., p. 147.
46
オレーシャの創作における「ファクト」とフィクションの問題
На краю оврага, на самом краю ― даже по ту сторону ― растет какое-то зонтичное. Оно
четко стоит на фоне неба.
Это крошечное растение ― единственное, что есть между невом и моим глазом.
Я вглядываюсь все сосредоточеннее, и вдруг какой-то сдвиг происходит в моем мозгу:
происходит подкручиваниюе шарниров мнимого бинокля, поиски фокуса.
И вот фокус найден: растение стоит передо мной просветленным, как препарат в
микроскопе. Оно стало гигантским.
窪地の端,一番端の,その向こう側にまでも,傘のような形の植物が生えている。それは空
を背景にはっきりと立っている。
この散りぢりになった植物は,空と私の目の間にある唯一のものだ。
私は一層注意を集中させる,すると不意に私の脳の中で位置ズラシが起こる。仮想の双眼鏡
の蝶番が回って,焦点が合わせられる。
さあ焦点が合った。植物は私の眼前に,顕微鏡で見るプレパラートのように明瞭に立ってい
る。巨大なものになったのだ。47
ここで表明された創作観によく表れているように,オレーシャにとっての「世界の変容」
とは,光学機械という作者の目で,剥き出しの対象としての「モノ」を視覚的に変貌させ
て撮り,それを読者の脳裏というスクリーンに映し出すことである。そして留意すべきは,
先に確認したように,その際のフィルムの編集,すなわちモンタージュにおいて,シュジ
ェートがさほど重視されなかったことである。というのも,その点に,以下のように述べ,
シュジェートを重視したヴォロンスキイとのもう一つの相違があるためである。
Он хочет [...], чтобы богатый жадно собранный бытовой материал художник вправил, в одну
могучую цельную и гармоничную картину, чтобы из отдельных, разрозненных черт встал новый
герой наших дней во всей жизненной правдивости и художественной правдоподовности.
彼[読者]が望んでいるのは[中略],貪るように集められた豊富な生活の素材を芸術家が壮
大で一貫性ある調和的な一枚の絵にあてはめること,個々のばらばらになった特徴から,あら
ゆる生きいきした迫真性と芸術的な本当らしさをもった,われらの新しい主人公が現れること
である。48
47
48
Олеша. Избранное. 1974. С. 239.
Воронский. Искусство видеть мир. С. 400.
47
古 宮 路 子
「ファクトの文学」が「脱シュジェート」として目指したのは,シュジェートの脱規範
化と,主観による美的表現を排除することの二点であった。前者の点でオレーシャは「フ
ァクトの文学」に近く,後者の点では真っ向から反する。『恋』の色弱の男は,そのよう
な相反しつつも表裏一体の関係をよく体現しているといえる。また,ハンゼン=レーヴェ
が指摘するように,「ファクトの文学」の陣営内でも,シュジェートの排除に留まったの
がシクロフスキイをはじめとするフォルマリストであったのに対し,主観の排除まで目指
したのはチュジャークらであった49 ことに思いを巡らせると,オレーシャは「ファクトの
文学」の中でもフォルマリストの立場に共感していたことが推測される。とはいえ,既に
述べたように,『恋』で提起されている「イメージによって思考する」芸術家像や,映画
が本を駆逐するというオレーシャの発想の根拠にある,バラージュの映画論『視覚的人間』
(1922)に,50 フォルマリストが反対していたことを考えると,51 彼がフォルマリストの
見解に全面的に賛同していたとも言い切れない。
芸術家の想像力によって美しく変容した世界を描く作風ゆえ,オレーシャの散文は空想
的と捉えられるのが自然かもしれない。それにもかかわらず,本人は『作家の手記』で自
らの創作が「実に純粋で,実に健全なリアリズム」であることを強調している。
Нужно видеть мир по-новому.
Чрезвычайно полезно для писателя заниматься такой волшебной фотографией. И притом
― это не выверт, никакой не экспрессионизм! Напротив: самый чистый, самый здоровый
реализм.
世界を新しいやり方で見る必要がある。
このような魔法の写真術に取り組むことは作家にとって非常に有益だ。それに,これは奇矯
でも,いかなる表現主義でもない。逆だ。実に純粋で,実に健全なリアリズムなのである。52
他方,オレーシャは「フィクション」について「シュジェートやら,主人公やら,典型
的な人物達やら,なんでもありの短編」53 とか「典型的形象や,傾向や,出来事などなど
の出てくるありふれた長編小説で,私には不可能なものだ」54 などと述べ,それを批判し
49
Ханзен-Лёве. Русский формализм. С. 487.
とはいえバラージュは,映画が発達しても本は残ると考えていた。ベラ・バラージュ(佐々木基
一訳)『映画の理論』學藝書林,1992 年。
51
Ханзен-Лёве. Русский формализм. С. 342.
52
Олеша. Избранное. 1974. С. 239.
53
Олеша. Книга прощания. С. 36.
54
Там же. С. 109.
50
48
オレーシャの創作における「ファクト」とフィクションの問題
ている。つまり,彼にとっての「フィクション」の性格をさらに定義づけるなら,いくつ
かの同種の対象を総合して一つの典型や傾向を作り出し,それをシュジェートに沿って配
置することで読者を楽しませる作品,といえる。オレーシャの描出方法では,対象は総合
されることなく,まさに目というレンズの前にある一個の「モノ」のまま,緩いシュジェ
ートの中に置かれる。その意味で,彼の作品は「フィクション」に比べ虚構性の度合いが
低い。彼が「フィクション」を「でっち上げる сочинять」55 ことだと述べているのはそ
のためである。それと同時に,まさに「モノ」を描いているという点にこそ,彼の「リア
リズム」の根拠があるのかもしれない。
オレーシャの創作におけるリアリティと虚構のありかたは,「ファクトの文学」の文脈
での「ファクト」と「フィクション」という二項対立では捉えきれない。
『恋』はそのこ
とを鮮やかに表明している作品であると言えよう。
«Факт» и беллетристика в творчестве Ю. Олеши
― на материале рассказа «Любовь»
КОМИЯ Митико
В 1928 году Олеша опубликовал рассказ «Любовь», в котором герой Шувалов,
видящий мир в измененном виде, победил дальтоника, видящего мир с фотографической
точностью.
При
тогдашнем
настроении
литературного
мира,
где
авангардисты,
предлагающие «литературу факта», стремяющуюся к устранению субъективности писателя,
спорили с мнением Воронского, утверждает, что субъективность художника изменяет
изображение мира, «Любовь» представляется рассказом, который показывает антипатию
Олеши к «литературе факта».
Тем не менее, если обратить внимание на то, что дальтоник – это второй Шувалов, то
55
Чуковский. 1999. С. 235. 1930 年 9 月 2 日付。
49
古 宮 路 子
другая сторона «Любви» станет ясной. По мнению авангардистов, противоположностью
«факта» является беллетристика. Олеша часто писал о своей ненависти к ней сразу после
опубликования «Любви».
На первый взгляд такое поведение Олеши кажется противоречивым, потому что он
умело изображал мир в прекрасно измененном виде. Однако противоречие разрешится
пояснением смысла беллетристики для Олеши. Слово «беллетристика» в 20-ые годы 20-го
века в России означало западные сюжетные романы как приключенческие или детективные
романы. Олеша ненавидел беллетристику не из-за ее субъективности, а из-за наличия
сюжета, что тоже критиковали авангардисты под словом «вне-сюжетная проза».
Несмотря на критику Олеши, проблема наличия сюжета в его творчестве еще не
решена исследователями. Для того, чтобы исследовать сюжет Олеши, нужно пользоваться
мягким определением: важна или вторична роль сюжета. С этой точки зрения «Любовь»
написана в очень свободной структуре сюжета. Из-за такой низкой важности сюжета Олеша
считал его чужим своиму творчеству.
Глаза Кавалерова, героя «Зависти», - это глаза оптического прибора, видящего мир в
измененном виде, и глаза Шувалова в «Любви» играют ту же самую роль. Поэтому,
Шувалов отличается от дальтоника только одной линзой, которую называют «радужной
оболочкой». Такая характеристика лиц в «Любви» намекает на симпатию Олеши к
«литературе факта». Несмотря на то, что он противоречил авангардистам по своей
субъективности изображения, он соглашался с их пренебрежением к сюжету.
В творчестве Олеши, где вещи расположены в несинтезированном виде под
свободным сюжетом, уровень вымысла ниже, чем в беллетристике, в которой один тип
возникает из нескольких однородных вещей, расположенных по сюжетной структуре.
«Любовь» ярко выражает реализм и вымысел, характерные для творчества Олеши, в их
противопоставлении «факта» и беллетристики «литературы факта».
50
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