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Japanese Culture and Art II

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Japanese Culture and Art II
Japanese Culture and Art Ⅱ
田口 知洋
1 授業概要
日本文化の形成史の分岐点を、明治維新に置き、明治維新以降から現代までの「日本の
文化と芸術」の発展史を扱う。幕末の開国以来、
「日本の文化と芸術」は、様々な画期を
経て発展してきたが、その画期にはその都度、欧米先進国の近代的成果や動向が直接作用
している。一方、近代以前に培かわれた「日本の伝統文化と芸術」も、悉く近代化の波に
晒され、中には惜しまれながらも消滅したものもある。しかし、歌舞伎のようにその命運
を保った伝統文化や芸術の多くは、試行錯誤の末に、近代化に適応しその勢いを取り戻し
た。あらためて現代日本文化の諸相を見れば、日本の伝統という土壌の上に移植された西
洋文化は、いつの間にか日本の土質に適合し、様々な分野で独自の成長を遂げていること
がわかる。かくして、現代の日本においては、西洋的なるものと、日本の伝統的なるもの
が、賑々しく共存している。この講義の目指すところは、このような現代日本文化の形成
過程を、様々なメディアの発展史を通して概観することである。
2 学修目標
近・現代の日本文化の形成史を、1.幕末期から今次大戦に至る日本文化の近代化と革
新期、2.戦後復興期以降の大衆文化の隆盛期、3.情報システムの発達を背景にしたメ
ディア及びそのコンテンツの多様化期に分け、それぞれの時期に突出した出来事、人物、
作品などの精査を通して日本文化の屋台骨を大局的に理解することを目標に置く。
来日する人の多くが日本の文化的な魅力を、西洋的なものと東洋的なもの、或いは、現
代的なものと伝統的なものが同時に存在するという点をあげている。伝統的な日本を代表
するものといえば、能、浮世絵、歌舞伎などであるが、それに剣道や弓道といった武道
や、宮本武蔵に代表されるような武士道にも関心が集まる。能が初めて西洋人の目に触れ
たのが大航海時代で、ポルトガルやスペインの宣教師や貿易商人たちが能舞台に見とれて
いる様子が屏風絵などに残されている。しかし、多分野にわたる日本の伝統文化がいちど
きに西洋人の目に触れたのは、万博が介在して巻き起こった 19 世紀後半のジャポニズム
の時代であった。一方、それ以前の幕末動乱期には、髷を結い両差しを帯びた、れっきと
した武士たちが江戸幕府の命を受けて欧米諸国を訪れた。中には長州藩のように、渡航の
禁を破って、若手の武士たちをイギリスなどの先進国に密航させた雄藩もあった。幕末に
活躍した有名無名の武士たちの写真は、欧米諸国にも多く出回ったが、西洋人とは極めて
異質な武士たちのいでたちや言動は、欧米の各地で語り草になった。これら以外にも開国
当時海外に紹介された日本文化は枚挙にいとまがない。芸者、人力車、漆工芸、富士山な
どが絵画や写真や実物、さらに体験記などを通して西洋社会に広まり、今でもその痕跡は
随所に残っている。現在、日本のビデオゲームやアニメといった大衆文化が国際化し、西
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欧に限らず多くの文化圏の若者たちが、日本発のメディアやコンテンツを共有しながら青
年期を過ごしている。このように現代日本の大衆文化が世界的に浸透した背景には、幕末
から明治にかけての日本文化の盛んな紹介とその普及という事実があり、これがその土台
となっているのである。
一方、日本国内では、多くの分野で外国人を雇い入れ、経済、法律、政治、建築など、
社会基盤の近代化が早急に進められた。また、先進国で学んだ多くの留学生たちもやがて
帰国し、外国人に代わって近代化を押し進めた。そして、先進国に後れを取っていた軍事
力も徐々に近代化され、その軍事力を清やロシアに行使して勝利すると、日本はようやく
先進国の一員として認められるようになった。このような過程の中で、美術や文学といっ
た芸術分野の近代化も官民をあげて進められた。
しかし、急激な近代化は日本社会や日本人の精神構造に、様々な矛盾やひずみを生み出
す要因ともなった。この近代化が抱える内部矛盾にいち早く反応し、それとの格闘を表現
したのが日本の近代小説である。中でも夏目漱石はこの問題に、真っ向から取り組んだ。
彼はイギリス留学での見聞や精神衰弱の体験から、日本の近代化が内発的なものでなく外
圧によってもたらされたものであるという弱点を見抜き、そこから派生する近代日本人の
精神的葛藤を主題として描いた。
この他にも、明治政府が押し進めた近代化の負の側面は、少数民族であるアイヌ民族の
近代史からも見て取れる。日本の開国に伴い、来日した西洋人の中には、アイヌ民族に関
心を抱き、アイヌ語を研究する者なども現れた。また、彼らの手でアイヌ民具の蒐集も行
われた。このようにヨーロッパ諸国が少数民族としてのアイヌの文化に強い興味を示した
のに対し、明治新政府は、同化政策によってアイヌ民族の日本人化を図り、北海道の開拓
を進めた。その結果、アイヌ独自の文化は衰退しその人口も徐々に減少した。
一方、作家の有吉佐和子は、小説「紀ノ川」で急速に変化する三世代の家族史を具に描
いた。日本の近代化は、国家の動向ばかりでなく、日本人ひとりひとりの命運も大きく左
右したのである。このように国家から家族に至るまで、近代化という課題に最も敏感に反
応し独自の対応を果たした近代の日本を、文化や芸術の形成過程を通して理解することが
1 期目の目標である。
さて、日本の近代化に一応の目安がつき、江戸幕府が欧米諸国と結んだ不平等条約の改
正にイギリスをはじめ列強諸国が応じ始めた頃、映画というまったく新しいメディアがフ
ランスとアメリカで誕生し、それは瞬く間に世界に広がり、程なくして日本においても民
衆を虜にした。日本映画の黎明期は、ちょうど日露戦争の戦勝期にあたり、民衆は銀幕に
映る日本軍の活躍に歓喜し、たちまち映画熱が日本中に広まった。同時に、映画が注目し
たのが江戸からの伝統演劇である歌舞伎だった。こうして大衆の心をとらえた映画が次に
求めた主題は、とっくに滅びたはずの侍や忍者が活躍する剣劇だった。神社の境内や河原
の地べたで演技する映画役者は、磨き込まれた檜舞台で演技する歌舞伎役者からは泥芝居
として蔑まれたが、
映画は大衆の熱烈な支持を受け欠くことのできない娯楽へと発達する。
さらには明治以来盛んになった西洋演劇の担い手、小説家、画家、など異分野の中からも
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映画に進出する人材が現れ、映画理論や撮影機材の発展とともに、数多くのスターも登場
し、時代劇から現代劇、果ては前衛映画まで、その表現領域はずんずんと拡大した。
こうして日本映画は第一期の黄金時代を迎えるが、やがて、軍国主義の伸長とともに映
画人や観客たちも戦争に巻き込まれていく。多くの戦意高揚映画が作られ、映画人の多く
も戦場に送られ、山中貞雄といった有為の人材も若くして前線の病院で倒れた。しかし、
この間にもやがて来る敗戦と戦後の復興に向けて、撮影所では様々な試行錯誤や研鑚が途
切れることなく続いていた。そして終戦の直前に監督デビューを果たしたのが、後に第二
次黄金時代の牽引役を果たした黒沢明だった。また、戦後製作されたゴジラの特撮監督円
谷英二も、戦争末期に作られた「ハワイ・マレー沖海戦」で映画史に残る特撮場面を撮影
している。
戦後の復興期、映画は引き続いて日本文化の先導役を果たした。新旧の監督たちの作品
が海外の映画祭で次々と大賞を受賞し、映画は第二次黄金期に入った。この急速な映画熱
再興の背景には戦前までにため込まれた人材、方法論、機材、そして大量の外国映画の公
開といった映画資源の蓄積があった。戦争という苦い体験を通して、これらの資源を吟味
し、日本の伝統を見直すことで、日本映画は一皮脱皮し、国内ばかりでなく、海外でも高
く評価されるようになった。
その一方で、日本にもようやく SF 雑誌が本格的にアメリカから紹介され、やがて多く
の文化ジャンルに SF が浸透するようになる。しかしそれ以前から SF 世界を探求し、未来
社会が直面する問題を予見するような漫画を描いて人気を博したのが、後に漫画の神様と
いわれるようになる手塚治虫だった。大衆文化隆盛の先陣を切り開いた日本映画、そこに
割り込むように出現したテレビアニメ、そして、手塚治虫が開拓したストーリー漫画、そ
れに続いて登場したギャグ漫画、果ては過激な描写で人気を博した劇画など、戦前までは
ほとんど欧米文化の移入に専心していた日本だが、戦後登場したこのようなコンテンツが、
やがて世界各地で支持を受けるようになる。
その理由の一つは、明治・大正期に日本が西洋文化を常に追い続け、人体の骨格観察に
基づいた写実的なデッサンから、象徴主義文学に至るまで、常に世界標準に的を絞って学
び取って来たことが、戦争というフィルターを潜り抜け、戦後の経済発展と平和の中で、
多様なコンテンツとして自然に表現されるようになったことである。もう一つは、近代化
という課題に最も敏感に反応し独自の対応を果たした日本の多様な経験が、コンテンツの
構成に反映されているため、取り扱う主題や表現が多種の国々に訴えかける普遍性を獲得
しているからである。第三には、明治期以前の豊富な伝統の蓄積があげられる。文化の中
心的担い手は、貴族や僧侶から武士へ、そして町人へと徐々に変化したが、武士は貴族の
文化を破壊せず、むしろ温存しそれを吸収した。そして江戸時代の町人たちも井原西鶴の
「好色一代男」や歌舞伎の演目「義経千本桜」などが示しているように、貴族文化や武士
文化を、
これも否定や破壊をせずに、おおらかに取り入れた。こうして蓄積された伝統が、
明治期以降吸収された西洋起源の様々な文化的要素と巧に結びついて現代のコンテンツが
生み出されている。
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情報産業が発達した 1990 年代以降、各種の芸術分野では、若い才能あるクリエーター
が毎年のように輩出し、多彩な表現活動を繰り広げている。彼らの強みは、過去(伝統)、
現在(近代化)
、未来(サイエンス・フィクション)を手に入れ、それらを縦横に駆使で
きるようになった点にある。
文化や芸術は精神の血液となる大切な栄養素である。ここに示したような近・現代の日
本文化形成の屋台骨を理解することは、留学生の知的な体力を強化する。これが第 2 の目
標である。
3 評価方法
出席、
宿題、
発表、レポートで評価を行っている。宿題は一講義毎に、その都度重要なテー
マや人物などの調査を復習と予習に分けて課している。また、発表については予め講義の
テーマに沿った課題を提示し、学生が自分で選んで講義毎に発表を行っている。レポート
は 4 つの選択肢を設け(フィクション、ノンフィクション、著名人物との対話、実地調査・
見学)
、課題の執筆にあたっては最低一冊の関連図書を読むことを条件付けている。
4 テキスト
毎回 60∼70 コマほどの写真に、解説文を載せて構成したパワーポイントの映像を使っ
て講義している。それらをプリントアウトしたものをテキストとして、毎回配布してい
る。さらに講義の内容に沿ったテレビ番組、映画などを再編集し、ナレーションや台詞な
どを英語に翻訳しながら映写している。ウエブサイトで公開された情報もテキストとして
活用している。また、講義内容に関わる文献からの引用も適時行い、講読に使用してい
る。
5 受講者の反応について
留学生学生たちにとって、講義、クラブ活動、ホームステイ、小旅行、日本人学生との
交流などが、日本理解の源である。それらに、漫画、アニメ、テレビゲーム、小説、音楽
などが加えられ、学生たちの日本観が形成されていく。各地の現代建築を訪ね歩き、スタ
ジオジブリの美術館を見学し、陶芸家の工房を訪問して楽焼を体験するといった様々な体
験がレポートや発表に反映される。学生それぞれの発表は、それを聞く学生にとっても良
い刺激になっている。また、講義において漫画、アニメ、ゲームなどへの学生の関心は強
く、それらに関するテレビ番組や、作品の有名シーンを映写すると、時折歓声があがる。
6 今後の課題
学生の関心の広がりに対応して、テーマの幅をより広げることを心掛けている。近・現
代の諸相に万遍なく学生の関心を向かわせることも重要なので、地味な話題にも取り組ん
でいきたい。講義時間と回数は限られているのでテキストや予習・復習の課題をより充実
させて、学生の発言の機会や、鑑賞するビデオの種類なども増やしていきたい。
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