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バー君主
Roaming China 漫遊中国 北京 My Home Town in China 蘇州 河南 上海 四川 湖北省 広東 台湾 北京 (チン・ヨウ/Shen Ye) ファーウェイ・ジャパン端末営業統括部長 北京生まれ。北京大学電子工学部卒 1997年に来日、2007年にファーウェイ・ジャパン入社 大学合唱団で知り合った妻、7歳の長男、2歳の長女と暮らす 北京の下町文化遺産 胡同(フートン) 私の生まれ故郷「 北京 」 と言えば、北京 ダックや天安門広場、紫禁城などを連想する 方も多いと思いますが、北京の文化は、 「胡 は、一歩裏通りに入るとまだ胡同が残ってい ウェイ・ジャパンに入社した翌日、私はトレーニ ます。市井の人々の暮らしに密着した情報網 ングのため深セン本社に出向きました。 しか としての役割は、今も変わりないようです。 し、 トレーニングを10分も受けないうちに本社 テノールで稼いだ賞金で ヨーロッパ「豪遊」 い起こせば、 あれは入社間もない私へのストレ 同(フートン)」 と 「四合院(スーハーユェン)」 国営科学研究機関である中国科学院の化 ス・テストだったかもしれません。 抜きでは語れません。四合院については次 学専任研究員だった両親の影響を受け、私も 今日に至るまで、 ファーウェイでは多くの 「スト ページの『Kaleidoscope∼異文化の万華 自然と理系の道に進みました。大学生活の一 レッチング・アサインメント」 で順応力と臨機応変 鏡』 をご参照いただくこととして、 ここでは「胡 番の思い出は、 なんと言っても初めての海外 力を鍛えられてきました (笑) 。やる気のある社員 同」について少しご紹介します。 旅行です。北京大学合唱団のテノール歌手と には、 たとえ経験が浅くてもどんどん仕事を任せ るのもファーウェイ企業文化の特徴です。 北京にはおびただしい数の胡同が故宮 して、 スペインで開催された世界大学生合唱コ (紫禁城) の周囲に張り巡らされています。 ンクールへ出場したのです。勝利の女神が私 「胡同」 とは細い路地を指し、元代から700 たちに微笑んでくれたおかげで、 優勝賞金で全 年近く続いてきた庶民の住宅街には、今なお 団員とヨーロッパ諸国を3週間かけて周遊しま 日本の下町のような人情味にあふれた近所 した。本当に贅沢かつ貴重な体験でした。 付き合いが残っています。近年は観光スポッ トとして外国人観光客から人気を集め、特に 三輪車タクシーでの胡同めぐりが、新たな観 高い対応力と行動力を求められる ファーウェイの企業文化 目標はお客様との成長 2011年11月に創立6周年を迎えたファー ウェイ・ジャパンの端末部門は幾度もの難関を 乗り越え、 ようやく花を咲かせ、実を結び始めま した。技術とイノベーションを生み出す豊富な人 光アトラクションとして注目を浴びています。 大学を卒業した私は、中国のソフトウェア 材をもって、 ポケッ トWiFi、 デジタル・フォ ト・フレー このところの都市の近代化や再開発が進 開発会社に就職し、2カ月後、一言の日本語 ム、高性能モジュールなど、実用性とコスト・パ むにつれ、街の風景もかなり変わり、 かつて北 も話せないまま日本にやってきました。ファー フォーマンスの高い製品を日本市場に送り出す 京市に3,000本以上もあった胡同も今は毎 ウェイ・ジャパンでセールス&マーケティングの ことができました。 これは、 お客様との信頼関係 年数十本単位で消えています。北京屈指の 職を得るまで、京セラなどの日本企業で10年 を築き上げてきた証 (あかし) でもあります。 これ 繁華街である王府井(ワンフージン)、 そして 間ほど、通信プロトコルのソフトウェアなどの からも通信事業者とのビジネス・パートナーシッ 市街の西側にある西単 (シーダン) あたりに 開発に携わっていました。 プをより強固にして行くことを目指し、 エンド・ユー 日・中企業間の経営スタイルによる文化の ザーに愛される端末製品を日本市場にさらに導 差異もいろいろあります。たとえば、 日本企業 入していきたいと思います。 はプロジェクト実行前の綿密なプランニング と順次に物事を推し進めるプロセスを重視す ることに対し、中国企業の多くでは社員によ り臨機応変な判断力、つまりフレキシビリティ とそれに伴う行動力を求められます。 胡同を駆け巡る三輪車は観光客に人気 32 の重役から呼び出され、 日本から来たお客さん をアテンドするように任命されたのです。今、思 / JAN.2012 実際、私にもこんな経験があります。 ファー 沈さんの中国語ワンポイントレッスン チン・ ドゥオ・ ドゥオ・ヅー・ジャオ [qing duo duo zhi jiao] (初対面の人に) よろしくお願いします。 Words of Chinese Wisdom 言葉の贈りもの ∼故事成語の知恵 中国の故事成語には、現代に生きる私たちのヒントとなる知恵がたくさんある。 Words of Chinese Wisdomでは、 そんな中国の先人の知恵について言葉を紐解きながら紹介する。 wei wei nuo 解釈 自分の意見を少 しも主張せずに、 また、 nuo 『唯々諾々』 事の良し悪しに関わらず、 他人の言いなりに なって盲従する様を指す。 「唯々」 とは地位や 唯々諾々 (いいだくだく) として命令に従う 身分の低い者が高い者に対して 「はいはい」 と返事すること、 「諾々」 とは身分の高いものが 低い者にすぐさま承知することを意味する。 歴史的背景 中国戦国時代の法家 ・韓非の著書『韓非子』の八姦編の言 八姦編では、 姦臣が君主の心をとらえて私欲を満たす計略8種とそれを防ぐ 葉である。韓非の生まれた戦国末期は、中国は7カ国に集約され、統一への 方法を説く。 計略の1つが、 姦臣は、 裏では君主の側近たちに金品を贈って手 機運が高まっていた頃であった。諸国間の争いの連続でもあり、 それは人材 なずけ、 表だっては彼らのために法を曲げてやり、 彼らの機嫌をとることでその力 登用の活発化へも影響していた。位が下の者にも君主の権限が委譲される を利用し、 君主の心を自分の都合の良いように変えるというものだ。 こともあったが、 この弊害もあり、韓非は君主の権力を法によって一元化・体系 化することによって強国になることを説いていた。 Kaleidoscope ( 出 典:韓 非 子・八 姦 編 ) 異文化の万華鏡 中国の伝統的家屋∼四合院∼ 一昔の中国北方の住宅と言えば、四合院が 現在、 北京市内に残されている四合院の中で、 代表格だ。北京の四合院は伝統的な民家とし 住居のほか、 ホテル、 レストラン、 またはプライベー て、元の時代(1271年∼1368年) に建てられ トクラブとして使用されている建築物も少なくな 始めた。ただし、現存する四合院の大多数は清 い。北京の西単 (シーダン) ・西 (シーロンシェ の時代 (1644年∼1911年) から1930年代に ン)胡同内に位置する 「北京中国会」 ( Beijing かけて造られたものだという。 China Club www.thechinaclubbeijing.com) がその1つである。かつて、清朝康熙皇帝の第 四合院の「四」は、東西南北の四面を表して 四合院には中庭がつき物 二十四子が暮らす御所だったこの400年にもお つの面に家屋がある、 あるいは壁に囲まれた家 時代が進むにつれ、北京も大きく変貌した。特 よぶ歴史的建築物は、1990年代後半に北京 屋のこと。構造上の特徴として、四合院には中 に、2008年北京オリンピックに向けて推進され 市内でも指折りの宿泊施設つき高級会員制ク 庭がつき物だ。通常、中庭の東西に家長を除い ていた都市開発に伴い、胡同(フートン:細い路 ラブに生まれ変わり、内外の政財界名士が集う 社交場となっている。 いる。 「合」 は取り囲むという意味で、四合院は四 た家族の寝室、書斎、食堂となる 「廂房(シァン 地のこと) に佇む多くの古い四合院が取り壊され ファン) 」 がある。 そして敷地の北側に居間兼応 てきた。一方、 アンティーク色の強いこの中国伝 接間となる 「正房 (ツァンファン) 」、 その左右に家 統的家屋に惹かれて購入する外国人も増えて 長の寝室となる 「耳房 (アーファン) 」 がある。 いる。地価の高騰が拍車をかけ、 その中には、4 昔は、 「 三代同堂 (堂とは居間のこと)」 といっ 億元(1人民元=約12円) で取引された物件も た、 ひとつの大家族が1カ所の四合院で暮らす あったそうである。売買価格の真偽はともかくとし のが習わしだったが、今では、東西南北の家屋 て、既存の四合院が希少価値であることは確か にそれぞれ異なった家族が暮らすのが一般的で だ。 そのため、北京市政府は25の四合院保護区 ある。中庭はいわば井戸端会議の場となる。 を定め、 この貴重な文化遺産を守ろうとしてる。 「北京中国会」内バーエリアの一部 / JAN.2012 33