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心理的援助の方法としての遊戯療法 - 追手門学院大学 地域支援心理
心理的援助の方法としての遊戯療法 駿地 眞由美 それに対してFreud, S. が助言したものをも 1.はじめに とに父親がハンスに関わるというかたちで行 子どもにとって、遊びは生活であり、生き われたものであり、よって、Freud, S. は間 ることそのものであるとも言える。さまざま 接的にハンスのセラピーに携わったに過ぎな なファンタジーやイメージを通して子どもの い。しかし、子どもの疾患は一般に教育と訓 心は豊かに展開され、育まれていく。 練の不足であると信じられていた時代にあっ 遊びを用いた子どもへの心理臨床的援助に、 て(Reissman, J., 1966) 、子どもの呈する問 「遊戯療法」がある。発達の偏りや遅れを疑 題に心理的要因を見て取り、心理的側面から われる子どもたちへの心理臨床的援助につい の援助を考えたということは非常に画期的で て検討する本プロジェクトにおいても、遊戯 あったし、その際に遊びが治療的に用いられ 療法をその実践と研究の方法に置いている。 たということは遊戯療法の成立にとってきわ その実際については次章以下で示されるので、 めて重要な意味を持っていたと言える。 本章では、遊戯療法についての全般的説明を ま た、Freud, S.(1920) は、 1 歳 半 の 男 行いたい。 児が糸巻きで“いないいない遊び”をしてい るのを観察し、そこに母親の不在の再現と、 それによる苦痛を鎮める遊びを見た。つまり、 2.遊戯療法の理論と発展 母親がいなくなるという受動的に与えられた まず、遊戯療法とは何かを理解するために、 苦痛な体験を、子どもは遊びによって能動的 その理論や、成立と発展の歴史について概観 に再現し、そうすることによって苦痛を鎮め、 しておきたい。 それを主体的に支配しようとしていると考え たのである。こうした遊びの理解の仕方も、 (1)遊戯療法の萌芽 遊戯療法の考え方に大きな影響を与えること 遊戯療法についての考え方の萌芽は、精神 となった。 分析の創始者であるFreud, S.(1909)の「ハ ンスの症例」に見出される。これは、馬に噛 (2)遊戯療法の初期の発展−精神分析的遊 み付かれるのではないかという恐れのために 戯療法− 外出できなくなった5歳男児の事例であり、 精神分析を実際に子どもの心理療法に適用 エディプス・コンプレックスの典型例とされ し、子どもの心理療法における遊びの重要性 ている。けれども実際のセラピーは、Freud, を明らかにした人が、Hug hellmuth, H. で S. が直接関わったものではなく、ハンスの ある。しかし、大人への精神分析の方法を子 遊びについてのメモをハンスの父親が持参し、 どもに適用することの難しさに注意を促した −11− 06 01-02-01 原著 駿地 vol.04.indd 11 2008/07/29 20:16:40 駿地 眞由美:心理的援助の方法としての遊戯療法 が、特定の方法を打ち立てることはしなかっ が、両者の考えは後の遊戯療法に多大な影響 た(Hug hellmuth, H., 1921)。Landreth, を与えた。たとえばFreud, A. の理論は、親 G.(2002)によると、1900年代初期には、子 への教育的対応や並行面接の重要性として発 どもの観察を集積しながら間接的に治療的関 展したし、Klein, M. の理論は、遊びを象徴 わりを持つことが子どもへの心理療法の頼り 的に理解することについての意義を明らかに だったようである。 したと言える。 そのような中、遊戯療法の初期の発展に寄 与したのがFreud, A. とKlein, M. であった。 (3)関係性と遊びの治癒力 どちらも「精神分析的遊戯療法」と言えるが、 ある程度精神分析的な考えに頼りつつも、 超自我形成をめぐる発達理論や、導入準備期 セラピストと子どもの「関係」に治癒的意義 の必要性、感情転移の扱い方などについての を認めるものに、Taft, J. やAllen, F.H. らの 考え方の差異により、両者間で長い論争が起 「関係療法」がある。この考えにおいては、 こったことは有名である。 セラピーの根本は子ども自身の成長力にあり、 Freud, A. は、子どもの場合には、病気へ それを助ける人間関係が重要となる。そして、 の洞察や、セラピーへの自発性・意欲などが 子どもの過去にさかのぼるのではなく、セラ 見あたらないとして、導入準備期の必要性を ピストとの関係性の中で現在の情緒的問題を 説いた(Freud, A., 1928)。そして、子ども 扱っていこうとする。 に自由に遊んだり話したりさせ、それをセラ このように関係療法は、子どもとセラピス ピストが手伝うことによって、セラピストが トとの関係性を重視する視点を提出したこと 子どもの信頼を得ることがまず必要であり、 において非常に意義深いものであったが、そ セラピーはそれから開始されるとした。つま こで用いられる遊びは治療関係を成立させる り、Freud, A. にとっては、遊びはセラピス ための手段として考えられるに過ぎず、つま トとの関係性作りのためのものであり、本格 り、遊びそのものには治療的な意義は認めら 的な言葉による精神分析を行うための下地と れていなかった。また、先の精神分析的遊戯 なるものであった。また、両親と子どもとの 療法においても、遊びそのものが重要なので 今現在も続く関係を重視して、セラピストへ はなく、それに基づいた分析・解釈を行うこ の転移は起こらないと考え、環境要因の働き とに意味があった。 かけや教育的アプローチ、親への面接を重視 一方、遊びのもつカタルシス(心的浄化) した。 を強調したLevy, D.M. の「解放療法」など 一方のKlein, M. にとって、子どもへのセ の発展もあったが、子どもの遊びそのものに ラピーの目的は超自我の圧倒的な支配力から 治療的意義を認めようとしたのが、Erikson, 発達しつつある自我を守ることであり、遊び E.H. やLowenfeld, M.、Winnicott, D.W. らで は無意識の象徴的表現とみなされ、大人の分 ある。 析と同様に分析・解釈できるものであった。 Erikson, E.H. は、セラピストと子どもの そのため、Freud, A. が重視した教育的アプ 関係の大切さをそのまま認めるものの、遊び ローチは非分析的処置として捉えられ、また、 そのものにも大きな意味があると考えた。す Freud, A. が子どもの陽性感情のみを扱おう なわち、適切に選択され組織化された遊びや、 としたのに対し、Klein, M. は子どもの陰性 子どもの自発的な遊びには「生まれ変わる性 感情も重視し、その解釈を行った。 質」や「成長しつつある能力」があり、 「遊 その後いくつかの点で歩み寄りが見られた びそのものに治癒力がある」。そして、遊び −12− 06 01-02-01 原著 駿地 vol.04.indd 12 2008/07/29 20:16:46 追手門学院大学 心のクリニック紀要 第4号 2007 によって世界の雛形がつくられ、経験が処理 (4)Axline, V.M. の子ども中心療法 され、現在は劇化され、ふたたび生への希望 Rogers, C.R. のクライエント中心療法の考 が強化されると考えられる(Erikson, E.H., えを遊戯療法に適用したのがAxline, V.M. で 1977)。よってErikson, E.H. にとっては、遊 ある。彼女は子どもの主体性と自己治癒力に びを演じ尽くすことが子どもに許されている 強い信頼を置き、「子ども中心療法」を創始 最も自然な自己治療の方法であり、それを守 した。これは「非指示的遊戯療法」とも呼ば るのがセラピストの役割であった(Erikson, れ、わが国の遊戯療法の基礎になっている。 E.H., 1950) 。 Axline, V.M. は遊戯療法について、「問題 また、Lowenfeld, M.(1939)は、子ども 児が自分を援助するのを助ける方法」と言っ は遊びそのものによって治癒をもたらされる ている(Axline, V.M., 1964) 。「問題児が」 と主張し、解釈や転移なしに治療できる、ま と日本語で訳しているのは語弊があるかもし た、視覚のみならず触覚のような感覚要素を れないものの、Axline, V.M. にとって遊戯療 もつ治療法として、砂箱の中にイメージを表 法とは、 “問題を持った子どもをセラピスト 現させる方法をつくり出した。これは「世界 が援助する方法”ではなく、“子ども自身が、 技法」と呼ばれるが、子どもは遊びを通して 自分の抱えている問題について自分で解決し 自分のすべてをそこに示そうとしているので たり、自分を助けたりするのを援助する方 あって、せっかくのその努力を解釈などによ 法”なのである。また、Axline, V.M. は、子 って干渉してはいけないと言う。これはその どもからセラピーとは何かと問われたとき、 後、Kalff, D. の「箱庭療法」へとつながって 次のように答えている。 「それはね、ここへ いくことになる。 来てなんでも好きなように遊んだりお話しし さらにWinnicott, D.W. は、遊ぶことは創 たりしていいってことなのよ。あなたが好き 造的体験であり、「遊ぶことそれ自体が治療 なようにしていい時間のことよ。あなたが好 である」と言う。そして、信頼できる大人(セ きにつかっていい時間のことなの。あなたが ラピスト)が遊びの世界を保証すると、子ど あなたになる時間のこと」 。つまりアクスラ もは最初不安と戸惑いを覚えるかもしれない インによると、遊戯療法とは、その子どもが が、そのうち子どもは自分自身を突然発見し、 自分らしくなるのを援助する方法のことであ 私は存在する、生きていると実感し、そこか る。これを「自己実現」というふうに言うこ ら子どもによる創造的な広がりが起こってく ともできようが、自分が自分らしくなろうと る よ う に な る と 述 べ て い る(Winnicott, する力は、そのまま、 「自己治癒力」でもある。 D.W., 1971) 。 セラピストはそれを信じるのであり、その力 これらの流れの中で重要なのは、「遊ぶこ がセラピーを推し進めることになる。 と」そのものに意味が見出され始めたことで こうした考えの背景に徹底してあるのは、 あろう。そして、自発的に遊べる状態へと子 すべての子どもに成長への力が備わっており、 どもを導き、そこでの遊びの展開を守るセラ 適切な環境さえ与えられればそれは最も完全 ピストの役割の重要性や、遊びのもつ非言語 な機能を果たすことができるという人間観で 的・イメージ的・身体感覚的要素、その形態 ある。そして、成長を螺旋形に変化していく 面もまた重要であることなどが明らかにされ 姿、つまり相対的なダイナミックな変化の過 てきたと言える。 程として考え、不適応行動であっても、それ は内的自我が自己実現しようとする精一杯の 表現として捉えられる。これらの考えは、子 −13− 06 01-02-01 原著 駿地 vol.04.indd 13 2008/07/29 20:16:47 駿地 眞由美:心理的援助の方法としての遊戯療法 どもの成長や、子どもへの心理的援助を考え ているのが現状である。そして、子どもの抱 る上で非常に重要であろう。 える問題や困難が多様化する現代において、 そのような考えから、Axline, V.M. は、遊 遊戯療法の発展はますます期待され、その目 戯療法における基本原理について次の8つを 的も拡大してきていると言える。 挙げた。それはすなわち、①ラポールの確立、 しかし、東山(2005)の言うように、遊戯 ②あるがままの受容、③許容的な雰囲気、④ 療法の目的の拡大は、遊戯療法の効果や有効 適切な情緒的反射、⑤主体性の尊重、⑥非指 性、適用範囲を曖昧にする欠点も持つ。よっ 示的態度、⑦長いプロセスの認識、⑧制限で て、「プレイセラピストは遊戯療法を手段と あり、これらは遊戯療法の種々の理論的立場 するアプローチにセラピストとしての問題意 を超え、プレイセラピストにとっての基本的 識をハッキリさせる必要がある」(東山、前 な原理となっている。 出)ことをよく銘記しておく必要があるだろ う。 (5)その後の発展 また、遊戯療法の対象となる子どもたちに 遊戯療法の歴史は欧米においてもまだ浅く、 ついてもさまざまに論議されてきた。特に自 それだけ可能性もある。たとえばKaduson, 閉症のような発達障害を伴った子どもへの遊 H.G. & Schaefer, C.E.(2000)では、対象や 戯療法については、随分議論されてきた経緯 問題によって、認知行動遊戯療法や、ゲシュ がある。それにはRutter, M.(1968)の「自 タルト遊戯療法、家族遊戯療法、集団遊戯療 閉症言語/認知障害仮説」が大きく影響して 法など、多様な工夫が試みられている。 いるが、この説が提出されたことにより、自 遊戯療法の効果についてもさまざまな面か 閉症など器質的問題が考えられる子どもたち ら実証されてきた。たとえばRayら(2001) に対しての遊戯療法は効果がないとされ、行 は、94の研究のメタ分析から、遊戯療法が子 動療法や感覚統合療法、薬物療法などが盛ん どもの心理的援助にとって効果的であること に試みられるようになった。しかし、たとえ を見出した。Landreth, G.(前出)も、さま 器質的疾患が中核にあるにせよ、それによっ ざまな研究をレビューした結果、攻撃的で行 てその子らが二次的に抱える不安や傷つき、 動化される振る舞いの減少、学習障害をもつ 苛立ち、悲しみなどの内的体験世界に情緒的 子どもの学問的能力の向上、精神的発達の遅 に寄り添っていくことが重要であるし、適切 れた子どもの情緒的・知的問題の減少、虐待 に自分を表現できないことによって不適応行 を受けた子どもたちの情緒的適応の改善、心 動になってしまうことへの共感的かつ教育的 身症的困難の緩和、自己概念の改善など、あ な関わりや、その子らの抱える発達課題に応 らゆる診断上のカテゴリーに入る子どもたち じての成長促進的なアプローチが求められよ にとって遊戯療法の効果が証明されてきたと う。そして、 「治療者との関係性を基盤に他 している。 者へと開かれ、身体像の獲得とともに心の世 わが国で遊戯療法の実践研究がなされるよ 界を誕生させる自閉症児が居るのも事実であ うになったのは、1950年代後半からである。 って、そこに自閉症の遊戯療法の新たな可能 先述のとおり、多くのセラピストはAxline, 性があると思われる」と千原(2002)が言う V.M. の立場を基本としていると思われるが、 ように、近年、自閉症などの発達障害をもっ 実際のセラピーにおいては、その子どもの抱 た子らへの遊戯療法の可能性は大きく見直さ える問題や、セラピストのよってたつ理論、 れ、実践に基づくさまざまな報告がなされて 個性、経験に応じて、折衷的・修正的に行っ いる(伊藤、1984;森、1996, 1998, 1999;山 −14− 06 01-02-01 原著 駿地 vol.04.indd 14 2008/07/29 20:16:48 追手門学院大学 心のクリニック紀要 第4号 2007 上、2000;橋本、2005;吉岡、2005など) 。 さまざまな面から理解できるが、その治癒的 つまり、どういう子どもに遊戯療法の効果 機能を整理しようとするとき、弘中のまとめ があるか(あるいはないか)という議論では が参考になるだろう。弘中(2000)は遊戯療 なく、どのような問題や障害を伴った子ども 法における遊びの治癒的機能として、以下の であっても、その子らの抱える困難や傷つき ようなものを挙げている。 に寄り添っていくことが重要なのであり、そ ①関係の絆としての遊び.…遊びを用いる の子らがより自分らしく生きられることを援 ことによって、治療関係が結ばれ、維持され、 助する方法としての遊戯療法を考え、その質 深まる。信頼できるセラピストであるからこ を高めていくことが求められていると言える そ、子どもはいっそう自由に自分の内面を開 だろう。 き、遊びを通じてそれを表現し、治療的な展 開が促進される。 ②認められ、大切にされる体験の場として 3.遊戯療法における遊びの治癒的機能 の遊び.…セラピストが子どもの遊びを大切 以上、遊戯療法の理論と成立についてみて に扱うことによって、子どもは自分を認めら きた。子どもにとって遊びは生活そのもので れ、大切にされていると感じる。それ自体治 あり、自分を表現するための自然な媒体であ 療的なものであり、人が精神的に健康に生き る。よって、子どもの心理的援助の方法とし るのに最も重要な基盤や、自己肯定感となる。 て遊びが用いられるようになったのは当然の この自己肯定感に基づいて、子どもの対人関 成り行きと言えよう。 係は大きく変容することが期待される。 また、理論的立場の違いや、遊戯療法の発 ③人間関係の投影の場としての遊び.…さ 展の歴史において、遊びについてもさまざま まざまな重要な人間関係が遊びの中に投影さ に捉えられ、変遷してきた。すなわち遊びは、 れる。もしセラピストとの関係において投影 単に子どもをセラピーに導入するための手段 しているものが、その子どもの問題を集約的 のみならず、遊びの中で子どもはさまざまな に表す性質のものであるならば、子どもとセ 自己表現をする。そして子どもは、遊ぶこと ラピストがその関係を大切にすることを通し を通して主体的・能動的に世界と関わり、そ て、子どもの問題を扱い、解決に導くことが れによって自らの体験や、世界を再構成して 期待できる。 いく。さらに、遊ぶことそのものに自己治癒 ④カタルシス・代償行動としての遊び.… 力があることや、子どもが遊び尽くすことを 子どもは夢中になって遊ぶことによって、情 守るセラピストとの関係性が重要であること 緒的な解放を得、心身の状態をよい水準に保 も認められてきたが、その関係性をつなぐも つことができる。また、現実に追求すること のも遊びであると言える。そして、遊びは、 が困難な願望・衝動を遊びの形で達成させて 象徴化やイメージの力、創造性を育むが、そ 代償的な満足を得ることができる。 れのみならず、全身的な活動として直接的に ⑤表現としての遊び.…言葉ではとても言 子どもの感覚や身体に働きかけるものでもあ い尽くせないような深くて複雑な思いを、遊 り、まさに、「遊び」とそれを守るセラピス びの象徴的表現は適切に表すことができる。 トとの「関係性」の中で、子どもの心身は豊 ⑥心の作業<場><手段>としての遊び. かに育まれていくと言えよう。 …子どもが抱える内的課題が遊びという心的 このように考えると、子どもにとっての遊 活動の中で扱われ、遊びの中で子どもはさま びは大人にとっての言語以上のものであり、 ざまなことを体験し、癒されたり成長を促さ −15− 06 01-02-01 原著 駿地 vol.04.indd 15 2008/07/29 20:16:49 駿地 眞由美:心理的援助の方法としての遊戯療法 れたりしていく。遊びという、意識と無意識 ように理論的整理のための仮説構成概念であ の中間領域において、自我の変容を引き起こ って、それぞれ重なり合う部分は多いし、単 す決定的な体験が生じる。 純に対立するものではない。たとえば「関係 ⑦意識化・意識化以前の体験としての遊び. 性」がないと「意識化」も十分機能しないし、 …子どもの遊びはイメージや身体感覚とも密 接な関係にあり、前概念的水準の体験を豊富 どのようなものであれ、遊戯療法は基本的に 「体験性」を強く伴う。 に引き起こし、子どもの内的変化をもたらす。 しかしこうした枠組みを時に意識化して持 ⑧守り.…遊びは、子どもにとって重要な つことは必要であり、そうすることで、遊戯 さまざまな心的活動を実験するための強靭な 療法における遊びの意味のみならず、セラピ 容器である。子どもの行動が「遊びの枠」に ストが自らの関わり方を振り返ったり、子ど 収まることによって、遊戯療法の場が治療的 もの特性に合わせてそれを工夫したりすると に守られる。 いうことも可能になるだろう。遊ぶことに意 さらに弘中(2002)は、遊びの表現として 味を求めすぎず、遊ぶことそのものを楽しむ の機能が重要なのか、体験としての機能が重 ことももちろん重要であるが、曖昧になりが 要なのか、また、遊びにおけるセラピストの ちで、ともすればただ遊んでいるだけのよう 関わりが重要なのか、遊びそのものが子ども に受け取られがちな遊戯療法では、セラピス に与える影響が重要なのか、という視点から、 トは、遊びや遊ぶことの意味をしっかり言語 遊戯療法・遊びの治療的機能を整理するため 化し、理論化していくことが必要であると思 の試論を提出している。それぞれの視点を横 われる。それは、子どもの「遊べない状態」 軸、縦軸にとったものが図1であるが、第一 を理解することや、「遊ばない段階」の重要 象限の特性は「意識化」であり、精神分析的 性に気づくことにもつながっていくだろう。 遊戯療法などが当てはまる。第二象限は「関 本プロジェクトにおいて遊戯療法がどのよ 係性」であり、関係療法や子ども中心療法が うに行われ、それがどういった意味を持つと 入る。第三象限の「体験性」には箱庭療法な 考えられるのかについては他章に譲ることと どが含まれる。もちろんこれは、弘中も言う し、次に、一般的な遊戯療法の形式や対象な 図1 遊戯療法・遊びの治療的機能の分類(弘中,2002) −16− 06 01-02-01 原著 駿地 vol.04.indd 16 2008/07/29 20:16:50 追手門学院大学 心のクリニック紀要 第4号 2007 どについて示しておきたい。 週1回決まった曜日・時間に、同じ部屋(プ レイルーム)で行われる。遊具や備品を壊さ ないこと、セラピストの身体に危害を加える 4.遊戯療法の基本的事項 ような過度な攻撃行動を許さないことなど、 (1)遊戯療法の形式 さまざまな「制限」も用意されるが、そうし 一口に遊戯療法といっても、さまざまな形 た制限があることによって、セラピー全体を 式がある。たとえば、子どもとセラピストが 抱える護られた時空間が生じ、子どもとセラ 一対一で関わりあう「個人遊戯療法」もあれ ピストとの安定した関係性が育まれ、子ども ば、複数の子どもと一人ないし複数のセラピ の遊びは真に自由に展開する。そして、確か ストが遊び、その間で生じる相互的なダイナ な構造があるがゆえに、セラピストはその中 ミックスを特徴とする「集団遊戯療法」もあ での子どもの遊びや言動の意味を理解するこ る。一般の心理相談室やカウンセリングルー とができるし、枠や制限の手ごたえを感じる ムなどでは個人遊戯療法が基本であると思わ ことによって、子ども自身、自分の衝動や行 れるが、療育教室などでは集団遊戯療法がよ 動を理解し、コントロールすることが可能と く行われている。このほか、子どもの遊戯療 なる。そうしてプレイルームは日常とは異な 法場面に親(母親)が同席し、子どもとプレ る空間となり、そこで展開される遊びが治癒 イセラピストの遊びの様子を見て、子どもへ 的機能を持つと考えられるのである。 の関わりを母親に観察学習してもらう場合や、 子どもと母親の関わりをセラピストが促進し (2)対象 たりする場合などもある。 遊戯療法の対象は、言語表現よりも遊びで 遊びの内容によっても、大きく分けると2 の表現ややりとりのほうが適切あるいは自然 つの形式がある。ひとつは「自由遊戯療法」 な、幼児から小学生段階くらいまでの子ども と言われるもので、遊びを決めるのは子ども が中心である。しかし、適用年齢を明確には であり、子どもが自由に遊ぶのにセラピスト 設定しがたく、子どもの特性・個性や発達の は従う。Axline, V.M. の子ども中心療法など 程度によって異なってくる。セラピスト側の が典型である。もうひとつは「制限遊戯療 もつ遊戯療法の目的や発達理論によっても違 法」で、人形遊びや水遊びなど、セラピスト いが見られる。 のほうが意図的に子どもを特定の遊びに導入 一般には、心因性の問題を持つ子どもへの する。遊戯療法の最も標準的な形は自由遊戯 遊戯療法の効果が期待されている。しかし、 療法だと思われるが、自由遊戯療法を行って 発達障害児に遊戯療法を適用することについ いても、その子どもの心のプロセスや発達課 ての議論の変遷から明らかなように、遊戯療 題に添って、セラピストは遊びや遊び方をこ 法の質を問わずしてその効果を議論するのは まやかに工夫している。それがただの遊びと 妥当ではないだろう。 違うところであり、セラピストは子どもとの 関わりの中で、その子どもの抱える問題やこ (3)設備・遊具 れからの課題を適切に見立て、明確かつ柔軟 プレイルームは、子どもが自由に遊ぶのに な援助方針をもつことが必要であるし、その 安全であるよう、やわらかい素材で覆われて ための適切な工夫をしながら遊戯療法に臨む いる。当施設においても、プレイルームの床 ことが求められる。 はあたたかい色のやわらかい絨毯になってお 通常、1回のセッションは40∼50分であり、 り、子どもたちは靴を脱いでそこに上がり、 −17− 06 01-02-01 原著 駿地 vol.04.indd 17 2008/07/29 20:16:53 駿地 眞由美:心理的援助の方法としての遊戯療法 自由に飛び跳ねたり、寝転がったりできるよ まざまな自己表現をし、世界と関わっていく。 うになっている。 そして、他者との情緒的関係性を紡いでいく また、そこには、さまざまな遊具が用意さ 中で、自らの生の存在を確かめ、内的世界を れている。深谷(2005)は、遊具選びのポイ 豊かに展開し、心と身体を育んでいく。 ントとして次のようなものを挙げている。① よって、子どもへの心理的援助にとって、 子どもの興味を引き、来談を持続させるもの、 遊びは最も自然な媒体であり、遊戯療法はす ②子どもに自由度の大きさを知らせるもの、 べての子どもに提供されうる方法であると言 ③子どもとプレイセラピストの関係を深める えよう。しかしそれが専門的援助として機能 もの、④子どものストレスを解消し、攻撃性 するためには、子どもの不安や傷つき、悲し を発散させるもの、⑤表現活動を促進するも みなどの体験世界にそっと寄り添いながら、 の、⑥精神的な活動を促進するもの、⑦子ど 子どもの抱える問題や、発達段階における躓 もをフラストレイトさせたり活動を抑制させ き、今後の課題と潜在可能性をしっかりと見 たりしないもの。 据え、また、子どもをとりまく家族や幼稚園、 具体的には、人形、楽器、乗り物、おもち 学校、社会などの環境要因や、それらと子ど ゃの武器、積み木、ごっこ遊びの道具、描画 もとの関係性などの理解も含めた、全体的で 用具、粘土、運動用具、絵本、ゲーム、箱庭 的確な「見立て」がなされることが必要であ などであるが、遊具の数や種類は、遊戯療法 る。その上でその子どもに添った統合的でき の立場や目的とするところによって異なる。 めこまやかな援助を工夫しなければならない。 子どもの年齢や個性、プレイセラピーのプロ それは山中(1981)が、子どもの心理療法の セスに応じても遊具はさまざまに工夫される 基礎として、 「子ども全体の人格的理解」と が、重要なのは、遊具そのものではなく、そ 「正しい診断学的理解」とを合わせ持った上 れが子どもの自己表現を促すものであること、 に子どもを受け止めることの大切さを説いて そして、そこに託されたメッセージを読み取 いることと同じであろう。そうして、遊びと り、それらをまるごと抱えるセラピストがそ いう「窓」 (山中、前出)を通して、その子 こにいるということであろう。よって、たと どもが世界と関わろうとしている、そのつな え遊具の数が限られていても、セラピストの がりの力を見出し、自らとの関係性の中でそ 関わりやそこに投影されるものによって遊具 れを大切に育んでいくことが重要であろうと は豊かに使用されるし、無限の可能性を持ち 思われる。それは、本プロジェクトで対象と うる。そして、使用される遊具の変化を遊び なっている子どもたちにとっては、なおさら の流れ全体の中で捉えることや、同じ遊具で 重要なことであろう。 あってもその遊び方の質がどのように変化し どのような立場の遊戯療法であれ、子ども ていくかに着目することも重要であると言え の潜在的な自己成長力や自己治癒力に深い信 る。 頼を置いていることが重要であることは言う までもない。しかしそれは、伊藤(2005)が 言うように、遊戯療法の場が子どもの「心の 5.おわりに 器」となり、子どもの示すものがしっかりと 以上、遊戯療法の基本となる事項について セラピストに受け止められるときに可能とな 説明してきた。子どもにとって「遊び」や「遊 ることをよく銘記しておきたい。 ぶこと」は大人の言語以上のものであり、子 どもはそれを通して、身体をも巻き込んださ −18− 06 01-02-01 原著 駿地 vol.04.indd 18 2008/07/29 20:16:54 追手門学院大学 心のクリニック紀要 第4号 2007 場から見えてくる子どもの今.In:東山紘久・ 伊藤良子編:遊戯療法と子どもの今.創元社. 339 352. 文献 Axline, V. 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