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彦根バルブ産業集積地における中小メーカーの有機的

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彦根バルブ産業集積地における中小メーカーの有機的
METI NEWS
彦根バルブ産業集積地における中小メーカーの有機的連携
∼立地条件を克服して比較優位を築いた地場産業∼
経済産業省製造産業局 素形材産業室 課長補佐 堀 琢 磨
1.はじめに
「彦根にバルブ工業が発達したという事実について
は、誰しもが、まずその立地条件に首をかしげるので
ある」。『彦根バルブ 70 年史』(1965 年)は、この文
に始まる。原材料・副資材・燃料に乏しい、大消費地
ではない、域外から移転して集まったわけではないと
説明する。「立地条件なくして成立した地方産業であ
るということの裏には、他の地方ではみられない何か
特殊な歴史的事情があったことを示唆している」と述
べ、一旦産地になると比較優位を持つ、と解説する。
滋賀バルブ協同組合(彦根市)によれば、彦根周
辺には、バルブメーカー 27 社と、それを支える 70
∼ 80 社が操業を続け、バルブに関わる従業員は 1,500
名に達する。滋賀県が、彦根市に、「滋賀県東北部工
業技術センター彦根庁舎」を置き、バルブに関する
分析・材料・組織試験等を行っている。また、社団
写真 1 水 道 施 設 用 の 大 口 径 バ タ フ ラ イ 弁(butterfly
valve)。円盤が弁棒を軸に回転する構造である。
法人日本バルブ工業会が、支部組織として、東京支部、
東海支部、近畿支部に並び、彦根支部を持つことか
らも、彦根地区がバルブ産地として大変重要である
ことがわかる。2013 年 1 月中旬、鉛フリーの銅合金
素材「ビワライト」について、米国展開を開始する
ことが、各紙
(注 1)
に掲載され、注目が集まっている。
ビワライトは、滋賀バルブ協同組合及び滋賀県が特許
を持つ新素材であり、彦根発の素材である。
このように、19 世紀末から現在まで、彦根は、バ
ルブの大産地である。特別な立地条件がないのに、大
産地となった理由は、どこにあるのであろうか。産地
として発展した経緯に、中小企業経営のヒントを見い
だせることはできるだろうか。
彦根のバルブ企業は、明治時代以降、現在に至るま
で、時代に応じて、製品と業態を変え、そして、企業
統合、協同組合、共同受注等、あらゆるスタイルの共
同活動を行ってきたことに特徴がある。そこで、本稿
では、製品と業態の変化、中小メーカーの共同活動を
中心に報告する。
写真 2 産業用玉形弁(globe valve)(左)は、ハンドル
により弁体が上下し、開閉する。右は水道用ソフト
シール仕切弁。
(注 1)日刊工業新聞 2013 年 1 月 17 日、滋賀彦根新聞 2013 年
1 月 19 日、日本水道新聞 2013 年 1 月 21 日
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2.彦根バルブ産地の特徴
彦根バルブ産地の特徴は、次の 10 点にまとめられる。
彦根バルブ産地の特徴
① 創業:彦根において創業した地場企業から構成さ
れ、域外から移転してきた企業は、ほとんどない。
② 材質:金属製バルブが中心であり、産地の傾向と
しては、普通鋳鉄から、ダクタイル鋳鉄及びステ
ンレス鋳鋼にシフトしている。
写真 4 水道本管バルブには、左開きと右開きの地域が存在
する。
③ 工程:自社においては加工・組立・検査工程に特
化している。かつては、ほとんどの企業が鋳造工
程を持っていた。現在、鋳造品は、社外から調達
する。
④ 用途:水道用、船用、産業用(陸用)の3用途が
そろう。他方で、家庭用水栓(蛇口等)は、ほと
んどない。
⑤ ロット:少量多品種のオーダーメイド品について、
競争力を持つメーカーが集まっている。
⑥ 産地問屋と、域内における工程間分業は、発達し
なかった。初期において、大阪の機械問屋と結び
ついている。
⑦ 新素材への挑戦:硫化物分散型鉛フリー銅合金「ビ
ワライト」等、新しい素材に挑戦している。
⑧ 表面塗装:コーティング技術を持つ企業が地域内
で育っている。
写真 5 明治末から大正初期に使われた製糸用座繰機カラン
(左は蒸気用、右は水用)。カランは、鶴(オランダ
語 kraan、英語 crane)の意味。形状が、鶴の首に
似た水栓金具である。
(写真提供:滋賀バルブ協同組合)
⑨ 海外に生産拠点を持つ企業もあり、国内工場と海
外工場で、製品の棲み分けを行っている。
⑩ 滋賀バルブ協同組合と滋賀県東北部工業技術セン
ターが同じ建物にあり、両組織の連携した活動は、
産地の企業を、しっかりと支えている。
3.産地における工程の変化
彦根における 3 大地場産業は、バルブ、仏壇、繊維
である。仏壇に関する技術と、繊維設備の部品需要か
ら、バルブ産業が生まれてきた。当時、紡績産業が急
成長しており、繭から糸を取り出す時に、蒸気と水を
使用する。蒸気管や水道管を開閉するバルブを、カラ
ンと呼んだ。彦根バルブの発祥は、金工職人である門
野留吉氏が、大阪の機械問屋と結びつき、補修用のカ
ラン(水栓)を作り始めたことであるとされている。
図 1 及び図 2 に、工程に注目して、産地の企業形態
についての概念図を記した。かつて、バルブメーカー
は、鋳造∼加工∼組立∼検査までの一貫生産を基本と
していた。鋳造工程を内製する企業があることに加え、
写真 3 水道用耐震形バルブ。伸縮性を確保した構造になっ
ている。
鋳造専業企業や、ポンプ製造企業(鋳造品内製)によ
るバルブ参入が行われた。いずれも、一貫工程を築い
ていった。ポンプは自社設計で在庫を持つことがで
きるのに対して、当時のバルブは規格がなく、仕様が
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鋳造
加工・組立・検査
〈一貫生産のバルブメーカー〉
鋳造∼加工・組立・検査
注文・販売
→
・20∼43名
大阪の機械問屋
・溶解炉(こしき炉又はキュポラ)1基
(金融機能も兼
・加工機械30台以上
ねる)。 一貫生
産を行う企業や、
↑
加工企業に発注
↑
〈鋳造企業〉
〈従弟独立等によるバルブメーカー〉
銑鉄鋳物又は
銅合金鋳物を → 旋盤加工・検査
・5∼9名
扱う。
する。
→
・加工機械8台
・一貫生産の企業からの注文も受ける。
写真 7 塗装工程
図 1 昭和 10 年までの産地構造
鋳鍛造
加工・組立・検査
注文・販売
バルブメーカーは社外
〈バルブメーカー〉
卸・小売
から調達する。
加工∼検査
自治体水道局
・50名(平均)
水道公社
・加工機械20台以上
エンジニアリ
注:弁箱(特に鉄系鋳物)・海外工場を持つ企業は5社 ング会社
は、中京圏等の鋳物企業 ある。海外組立品は、現地 建設会社
に発注。弁棒(鍛造品) の鋳物を使用する。
は、産地企業等に発注。 ・国内の営業拠点を持つ企業が多い。
図 2 現在の産地構造
写真 6 鋳造工程(銅合金)
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写真 8 鋸を作る鍛冶業から、バルブ業に移った。
写真 9 鋸の製造技術は、スラリーを止める、ナイフゲート
弁の仕切板にいかされている。
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一品毎に異なる注文生産であるから、見込み生産のポ
ンプから、注文生産のバルブに品目を変更することは、
(1)企業統合
① 企業合同
事業者にとってドラスティックな変化である。
小倉(1965)によれば、昭和 18 年 7 月∼ 10 月にか
金属の溶解は、こしき炉又はキュポラを用い、フラ
けて、県の調整を経て、受注品の高度化や資材配給
ンが普及しなかった時代、全員が一斉に同じ工程の作
等を背景に、約 40 社が 5 つの株式会社に統合された。
業に取りかかり、次の作業を一斉にこなしていったと
資材の配給を得て、生産を行っている。その後、継続
いう。需要拡大期において、徒弟等による開業が相次
した企業や解消した企業がある。
ぐ。独立開業者は、旋盤を購入し、加工に特化する。
② バルブメーカーへの株式売却
他方で、一貫生産企業や加工企業に納める鋳物メー
好調時において、株式を売却したケースもある。技
カーも生産を拡大していく(図 1)。バルブの注文・
術力を得た企業は生産ラインを改善させて継続し、一
販売は、大阪の機械問屋が行っていた。不況になると
方で、資本を入れた企業は分野を拡大させている。
少量で手間のかかるものの生産が中心(木型屋は多忙)
となり、好況になると都合が良い品種の量産(新しい
(2)ビジネスにおける企業同士のつながり
型はない)が中心となる傾向にあった。
① 問屋系列の発達(各機械問屋−バルブ企業)
図 2 は、現在の姿である。バルブメーカーは、バル
明治 20 年代、大阪の機械問屋は、彦根の門野氏に
ブの独自性を出しやすい、加工∼組立∼検査工程に、
バルブを注文し、全ての販売を引き受けた。当時、共
特化している。鋳造品(弁箱)や、鍛造品(弁棒)は、
通の規格はなく、個別の設計に応じて受注生産を行っ
専門企業に外注する。装置産業と言われる鋳造・鍛造
ていた。次々に、商権及び金融機能を持つ各問屋と各
工程を抱えると莫大な固定費がかかることになるし、
メーカーとの系列が次々に形成されていく。主に取引
注文毎に異なる材料を用意することや材料置換への対
を行ったのは、大消費地に近い大阪の機械問屋であり、
応が難しくなる。
彦根に産地問屋は発達しなかった。富山県高岡市の鋳
物産業に見られるような、問屋制工業や工程間分業は
4.産地における有機的連携
発達していない。
どのような背景において、企業はどのようなスタイ
② 複数同業者の共同受注・生産による新分野への挑戦
明治 41 年、門野氏と吉川氏は仲買人から、船用バ
ルによって、共同の取組を進めたのであろうか。二以
ルブの注文を受けて、生産を行った。彦根における船
上の事業者が有機的に連携し、経営資源を有効に活用
用バルブ製造の最初の経験であるとともに、業界協同
した事例は、大きく 4 つに分けられる。
の端業者であると言われている。
③ 親工場−独立開業者の協力関係
産地における共同の取組
(1)企業統合
企業合同、同業者への株式売却
(2)ビジネスにおける企業同士のつながり
問屋系列の発達、複数同業者の共同受注・生産、
親工場−独立開業者の協力関係、共同出資による
鋳造企業の設立
(3)組合におけるつながり
組合と組合連合会、人材育成コースの設置、共
明治 30 年∼昭和 20 年にかけて、門野氏の工場から
少なくとも 8 者が独立した。徒弟制度と、のれん分け
を通じて、協力工場の体制が構築された。
④ 共同出資による鋳造企業の設立
バルブメーカーと鋳造専業企業の共同出資により、
新たな鋳造企業が設立された。新しい鋳造企業は、近
隣の操業環境が良い場所に鋳造工場を建てるととも
に、中国にも鋳造工場を設立している。バルブメーカー
は、両工場から素材を調達している。
同工場の設置
(4)検査、試験・研究
検査(日本水道協会検査事業所)、試験・研究(工
業技術センター)
(3)組合におけるつながり
① 組合と組合連合会
昭和 35 年、8 つの組合を集めた連合会として、滋
賀県バルブ事業協同組合連合会がつくられた。この流
れを、滋賀バルブ協同組合が引き継ぎ、現在に至って
いる。同協同組合は、研究開発事業、試験検査事業、
研修事業等を行っている。
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② 人材育成
工業技術センターになった後も、各社は試験設備を活
昭和 28 年、彦根鋳物機械技能者養成協会が設置さ
用している。
れ、義務教育修了者を対象に、人材養成コースが開設
された。昭和 38 年には、高校卒業者を対象に、バル
ブ高等技術研修所(3 か月コース)が開設された。他
5.滋賀県東北部工業技術センター
方、県の取組としては、昭和 36 年、県立職業訓練校に、
2011 年、滋賀県東北部工業技術センターは、創立
鋳造科、機械科が設置されている。
100 周年をむかえた。高い付加価値のバルブを生産す
現在、人材育成コースとしては、バルブ開発技術者
る上で、バルブに関する分析・材料・組織試験や研究
を対象とした基盤技術者養成研修「國友塾」がある。
開発を行う同センター彦根庁舎の役割は非常に大き
近江が輩出した「國友一貫斉」に因んで名付けている。
い。同庁舎と、滋賀バルブ協同組合は、同じ場所に併
③ 共同作業場の設置
設されており、バルブ企業にとって、強い味方である。
彦根鉄工機械工業組合は、組合員が利用できる共同
この連携に加えて、大学の協力により、「ビワライト」
の作業場(外国製の旋盤・フライス盤を設置)を整備
が生まれた。
していた。
バルブ性能試験装置は、バルブを取り付けた配管に
通水することにより、圧力・流量・水温・振動等を測
(4)検査、試験・研究
① 検査
続配管における流量流体特性の実測(容量係数、損失
滋賀県水道用弁管工業協同組合は、水道弁検査のた
係数、キャビテーション係数、流れの可視化)を可能
めの体制作りを行い、日本水道協会大阪支部東部検査
としている。同センターは、依頼試験分析を実施する
所(現、日本水道協会滋賀検査事業所)が、彦根市に
とともに、バルブ性能試験装置、精密測定機器、材料
設置された。
試験、微小観察機器、分析機器等の設備を有料で開放
② 試験・研究
している。「バルブの納入先である自治体に対して提
彦根金属工業協同組合連合会等の誘致活動が実を
出するため、成績書を発行する公的機関が産業集積地
結び、連合会設立の昭和 35 年に県立機械金属工業指
にあるのは、大変有り難い」という声を、複数の現場
導所が設置され、産地の技術支援体制が整備された。
で聞いた。
写真 10 昭和 30 年代のバルブ加工工場
(写真提供:滋賀バルブ協同組合)
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定し、特性値を算出評価する設備である。バルブや接
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写真 11 下水道用仕切弁(gate valve)。大人(中央左)の
身長より高い、大きなバルブを製造している。
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写真 12 滋賀バルブ協同組合は、滋賀県東北部工業技術セ
ンター彦根庁舎に併設する。 写真 13 バルブ性能試験装置に、バルブを取り付け、
流量流体特性値を得る。 6.まとめ
新人研修における講義の最後に、このようにお話しし
彦根におけるバルブ産業のはじまりは「人」であり、
た。流体の種類(空気、ガス、水、蒸気、スラリー等)、
流体の温度や圧力、材質、用途(水道、船舶、化学プ
発達した理由は、共同の取組で紹介した「人のつなが
ラント、発電プラント等)、使用環境(屋内、屋外、地下、
り」であった。
宇宙)の異なる製品を扱う仲間が集って、バルブの未
冒頭の立地条件に関する話に戻ろう。確かに、鋳鉄
来について語る。同じ用途においても、口径、接続方
バルブの一貫生産を行っていた当時、鋳造工程におけ
式、材質、構造等が異なる。量産ラインにおいて見込
る原材料(銑鉄、スクラップ)、副資材(砂)、燃料(コー
み生産できるものもあるし、発注者が一品ごとに仕様
クス)には恵まれていなかったものの、現在は、加工
を指定するものもある。
に特化しており、不利な条件はない。一旦産地になる
バルブ産地の企業は、日々、グレードアップしてい
と優位性が生じるのは何故か。彦根のケースでは、①
る。例えば、 ① 多角化(膜濾過浄水装置の製造・販
バルブ特有の耐圧検査(弁箱耐圧検査、気密試験、弁
売等)、② 表面処理技術の導入(粉体塗装、自己修復
座漏れ試験)の体制が整っている、② 設計の際に非常
素材等)、③ 新素材を用いたバルブ製造、新素材「ビ
に重要なキャビテーション係数等を実測する試験設備
ワライト」の海外展開、④ 耐震性バルブの製造・販売、
が産地に整っている、③ 120 年近くの歴史を有する彦
⑤ 設備の内製、⑥ 仕様が異なるオーダーメイド品(用
根バルブは、地域のブランドとなっている、④ 様々な
途、口径、流体の種類、性状、流量、圧力、温度、材質、
用途・材質を持つ企業が集積しており、必ず作れる企
表面処理、構造、駆動源、操作方法、防爆性等)にお
業がいるという確実性が期待できる、⑤ 工業会組織が
けるリードタイムの短縮化と在庫レス、⑦ 高品質鋳物
存在する、⑥ 交換部品であるバルブを注文するにあた
の調達ルート確保、⑧ 海外工場と国内工場における製
り、産地の継続性が保証されるため、継続的に注文を
品の棲み分けである。彦根支部を持つ社団法人日本バ
出しやすい、⑦ 名古屋・大阪の中間に位置するという
ルブ工業会は、2013 年 4 月に、一般社団法人として一
交通の利便性をいかして材料調達や製品輸送の拠点と
歩を踏み出す。流体制御を担う異業種ネットワーク集
しての強みを発揮している等の特徴が見られる。
団が、相互に磨き合って、更なる発展を遂げることを
「バルブは、流体を制御する役割を担い、あらゆる
願う。
産業・インフラ分野の配管設備において必要不可欠な
安全装置として使用されている。バルブという括りは、
引用文献
異業種の集まりであり、この素晴らしきネットワー
小倉栄一郎(1965)彦根バルブ七十年史.滋賀県バルブ事業
クを大切にして下さい」。社団法人日本バルブ工業会
協同組合連合会,80 pp.
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