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Page 1 愛媛豊共同リポジトリ Instutional Repository:the EHIMEarea
>> 愛媛大学 - Ehime University
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コンテンポラリーダンスの舞踊観
牛山, 眞貴子
愛媛大学教育学部保健体育紀要. vol.1, no., p.119-128
1997-03-00
http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/handle/iyokan/660
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IYOKAN - Institutional Repository : the EHIME area http://iyokan.lib.ehime-u.ac.jp/dspace/
愛媛大学教育学部保健体育紀要第1号:119-128,1997.
コンテンポラリーダンスの舞踊観
牛山償貴子')
VisionofContemporary-dance
MakikoUshiyama1)
Keywords:contemporary-dance,mOvement-vocabulary,Creation
キーワード:コンテンポラリーダンス身体言語創
詞を選択した点からも,このダンスのもつ,時代との
深い連関を推測することができる。
作
このように,世紀末に誕生したコンテンポラリーダ
1°はじめに
ンスを単に新しいダンスとしての染捉えるのではな
く,時代の何らかの要請があり,現代の人や社会への
コンテンポラリーダンスは,20世紀最も新しく誕生
した芸術舞踊である。4年後始まる21世紀の舞踊を展
問いかけとして浮かびあがってきた芸術舞踊として捉
えることが重要である。
望する上で,コンテンポラリーダンスは1980年代ヨー
舞踊史において,人及びそれをとりまく社会と舞踊
ロッパ,北米,1990年代日本の隆盛から考えるなら
は,生活を接点に,伝達手段として,あるいは情緒的
ば,欠くことのできない存在であり,今後多くの研究
な豊かさを育む文化として成立してきた。真の豊かさ
者と舞踊家によって,公演を通した芸術性の追求と,
とは何かという問いかけに,もはや高度成長期バブル
研鱗が積まれていくことであろう。
時代のように経済力のみを挙げる人は少ない。心の豊
しゆうえん
一つの世紀の終駕に誕生したコンテンポラリーダ
ンスは,仏語を用いたヌーヴェルダンスで称される場
かさが何によって育まれるか,芸術の中にいくつかの
キーワードが隠されている。
合も多い。舞踊研究者であり,早期にヌーヴェルダン
本研究では,コンテンポラリーダンスの創作者(舞
スについて,多くの文献を手がけている前田')は,「人
踊家)に若目し,その舞踊創作及び公演作品の中に存
間の歴史としてもまた世紀末的変動においても最も飯
在する人間観,社会観を通して,コンテンポラリーダ
要なもののいくつかが,ここ十数年間に起きている。
ンスの時代性を考察する。
社会現実を鋭敏に映し出すヌーヴェルダンス
三浦31は「舞踊は,自我の構造としての身体社会の
(‘‘ヌーヴェル,',即ち‘‘新しい”)もまた,時代の
制度としての身体を浮き彫りにする。」41と言及し,
レイド
変容から逃れることはできない。」2)と述べ,「新しさ」
「身体の零度」とし、う発想を世に送り出している。確
を意とする名の舞踊が,新しさを追求する次の新しさ
実に.今日まで,舞踊が身体に依拠するものであるこ
のために古くなってしまうという現象を指摘してい
とは,不変とされながらも,新しく誕生したものと,
る。世紀末にスタートし,複雑な問題を抱えた人と社
古くから引き継がれてきたものとの間には,構造上明
会の有り様がこのダンスの端緒となった現実から,時
らかな変容が見られる。21世紀,人が心の豊かさを求
代性を排斥してこのダンスを語ることはできない。
めていかなる方向に指針を求めていくのか,舞踊に視
近年,合理性を尊ぶフランス人の気質からか,仏語
点を置いて考察していく。
であるヌーヴェル,即ち新しいの意をもつ表現を使用
2.コンテンポラリーダンス
する場合が減少し,コンテンポラリーダンス(仏語で
はダンス・コンタンポレーヌ)と言いかえることが多
くなっている。
コンテンポラリーダンスの定義を示すにあたって,
コンテンポラリー,即ち「その時代の」という形容
このダンスが従来のダンスと異なり特定の傾向を持つ
l)愛媛大学教育学部
〒79O愛媛県松山市文戚町3番
1.Fαc“yoノ“““m釦,E姉加eU郷”ア魂y,
B岬紗o・CAO,3,Mα#”yα加α・sAj,邸j癖,〒790,
"”邦
120
牛山
わけでなく,コンテンポラリーダンスという言葉の適
ンス,バレエ等の他のジャンルに身を置いていた形跡
応範囲が非常に暖昧である点を認識しておかなければ
が多数残されている。
ならない。
コンテンポラリーダンス発生までの動向は「ダンス
むしろ,新しいというよりも,定説的な観念を他の
ジャンルのダンスやパフォーマンスから吸収し,その
創作の新しい動向」51の中で概要を述べた。本稿では,
逆の方向性を持つ発想,理論を構築したとも考えられ
歴史的な展開ではなく,むしろ年代よりも創作者(舞
よう。
踊家)の活動記録をもとに,社会との接点,つまりそ
松津は,厳しい見解としながら「ヌーヴェルダンス
のコンセンサスを把握することを目的としている。そ
(コンテンポラリーダンス)には,タンツテアター方
こで,コンテンポラリーダンスの椛造上,各創作者
式,脱中心的遍在なうオーメイション,コンタクトイ
(舞踊家)に見られる新しさ,即ち従来のダンスとは
プロピゼーションの振り付け法,あるいは日本の舞踊
異なる側面として挙げられる要因を示し,それをコン
の様式などの諸作法を折衷した点にある。(中略)そ
テンポラリーダンスの一つの枠組として提示すること
れ自身のオリジナリティは,実はほとんどないのでは
に定義をとどめたい。
ないか。」’0)と論及している。
一つの新しいダンスがコンセンサスを得るまでに
(1)コンテンポラリーダンスの枠組
①コンテンポラリーダンスでは,作品
を構成する一つ一つの動きに,ほとん
ど振付家(創作者・舞踊家)が所有す
る共通のテクニックが見い出せない。
②即興的に,ダンサーが動いているか
のような印象をもつ。伝承性を排除し,
その身体から発した身体言語の連関に
よって,ドラマ性を作っている。ドラ
マ性は演劇的発想ではなく,観者に生
じるダンサーとのイメージコミュニケ
ーションによる衝動である。
③時代の変化や混乱という現実と直結
した表現。6)
④ダンスとは異なったジャンルに属す
る者の創る作品をも,偏見なく柔軟に
取り入れる大きな許容範囲をもってい
た現象。7)
⑤無秩序が秩序へと転化していく真の
ダンスへの有機的な契機。8)
は,他の芸術分野同様,今あるものとの衝突は回避で
きない。衝突の結果,共存の道が開かれることもある
が,コンテンポラリーダンスもまた,安全なバレエ団
の周辺に完全に組織されたバレエ教育や,公演などの
下部構造との衝突'1)も報告されており,そのためにコ
ンテンポラリーダンスとして実体を現わすまでに,か
なり多くの期間が費やされている。
その多くの期間が,20世紀の舞踊であるモダンダン
スの発生や舞踊の発生に比べて,長いものであったか
短いものであったかは,現状では断定することができ
ないが,決して,円滑な20世紀の舞踊への参入ではな
かったことが想像される。
(2)コンテンポラリーダンスのアーティスト
コンテンポラリーダンスにおいて,国内及び海外公
演歴を持ち,安定したカンパニーと支援母体に支えら
れ活動を続けるアーティストについて考察する。
近年,発刊された(1994年∼1995年)著書のうち,
「バレエ,ダンスの饗宴」「ダンス・ハンドブック」
「ヌーヴェルダンス横断」は,早期からコンテンポラ
リーダンスに着目し,アーティストの作風,またその
公演活動について豊富な資料を掲載している。各書で
コンテンポラリーダンスは,1960年代より創造的な
芸術活動を求めて−早く動き出した演劇の活況を引き
継ぐものであった91が,フランス,ドイツ,アメリカ,
取り上げられている主なアーティストの一覧を表①∼
③に示した。
ヨーロッパ,特にフランス中心の資料のため,アメ
カナダを中心に,吹代の文化を創造するための政府の
リカを中心とする北米に関する情報が少ないが,その
文化政策,振付コンクールの開催等が発展の契機,'と
点については今後の検討課題として取り組承,アメリ
なった。このように創作者(舞踊家)が作品発表の機
カを中心としたコンテンポラリーダンスの資料収集
会を得てコンテンポラリーダンスは,明確な実体を得
後,検討を加える。
た。したがって,コンテンポラリーダンスがその実体
を示し,コンセンサスを得るまで,現在,コンテンポ
ラリーダンスに属する創作者(舞踊家)の1980年代以
前の活動については,モダンダンス,ポストモダンダ
コンテンポラリーダンスの舞踊観
表1キーワード率典編集
「バレエ・ダンスの饗宴」
北
ヨ ー ロ ツ パ
フ
フ
ソ ス
121
フ ラ ン ス 以 外
ア メ リ カ
米
アメリカ以外
マギー・マラン
ピナ・バウシュ(ドイツ)
ウィリアム・フォーサイス
ラララ・ヒューマン
レスキス
モリス・ベジャール(ベルギー)
カロリン・カールソン
ステップス(カナダ)
ジャン・クロード・ガロッタ
ローザス(ベルギー)
そ の 他
山海熟(日本)
レジーヌ。シヨピノ
ダニェル・ラリュー
アンジュラソ・プレルジョカージュ
「ダンスハンドブック」
表2ダンス・マガジン編集
北
ヨ ー ロ ツ パ
フ ラ ソ ス
マギー・マラン
フ ラ ソ ス 以 外
ピナ・バウシュ(ドイツ)
ジャン・クロード・ガロッタ
アンヌテレサ・ド・ケースマイ
ジャック・ガルニエ
ケル(ベルギー)
ドミニク・バグエ
スザンヌ・リンケ(ドイツ)
レジーヌ。シヨピノ
マイケル・クラーク(イギリス)
ア メ リ カ
カロリン・カールソン
米
アメリカ以外
そ の 他
ジネット・ローラン
(カナダ)
ダニエル・ラリュー
ジャン・クリストフ・マイヨー
表3前田允編集
「ヌーヴェルダンス横断」
北
ヨ ー ロ ッ パ
フ ラ ソ ス
フランソワ・ヴェレ
ヴィム・ヴァンデケイピユース
キャロル・アルミター
ラララ・ヒューマン
ジュ
ステップス(カナダ)
ミッシェル・アレ・エ
ジャン・ピェール・ペ
ガヤン
ロー(カナダ)
マース・カニングハム
ダニエル・デノワイエ
(ベルギー)
アンヌテレサ・ド・ケースマイ
ケル(ベルギー)
ジャン・ゴーダン
カリーヌ・サポルタ
ジョセフ・ナジ
クリスティーヌ・ジェラール
アメリカ以外
ア メ リ カ
ジャン・クロード・ガロッタ
ミッシェル・ケレメニス
米
フラソス以外
(ユーゴスラビア)
カロリン・カールソン
(カナダ)
そ の 他
矢野英征
(日本)
勅使川原三郎
(日本)
山海塾(日本
アコーニ
(セネガル)
レジーヌ・ショピノ
ヤン・ファーブル(ベルギー)
キリナ・クレモナ
カトリーヌ・ディヴェレス
ラインヒルト・オフマン
アルヴィン・ニコライ
アエ・スー。
ジャック・パタロッツィ
アーン(韓国
(ドイツ)
ドミニク・デュピュイ
オディール・デュポック
ピナ・バウシュ(ドイツ)
フィリップ・ドゥクフレ
ルイ・ホルダ(ドイツ)
ダニェル・ドッペルス
マジャス・ポグライ
マーク・トムキンズ
(スロペニァ)
ドミニク・バグエ
ペーター・コバックス
プーヴィェ/オバディア
アソジェラソ・プンルジョカージュ
マギーマラン
マチルド・モニエ
ダニエル・ラリュー
クリスティーヌ・バスタン
クレ・アンジュ
フィリップ・トレー
フレデリック・レスキュール
ヴァン・マエラム/ブロヴィオ
・トルトリ
ルシンダ・チャイルズ
パスカル・デレイ
ミッシェル・マンヌ・ド・メイ
(ハンバリー)
ビル。T・ジョーンズ
122
牛山
くまれるノンバーバルコミュニケーションを彼は増幅
3.コンテンポラリーダンスの人間観と社会
観
させる形で「身振りによる思考」’割と自らが呼ぶスタ
イルを作り出した。
特別な幼年期からのダンスの英才教育などは受けて
本章において,コンテンポラリーダンスの人間観・
おらず,1978年,米国ニューヨークで,マースカニン
社会観を明らかにするために,4人の舞踊家を取り上
グハムと出会うことで「ダンスはいかなる人でも歳で
げ,その思想,作風(作品の構造),評価,ダンサーと
も,またいかなる方法を用いてもできる」ことを知
の関係を通して考察を行う。
り,勇気づけられ,振付家として開眼したといわれて
4人の舞踊家は,ジャン・クロード・ガロッタ
い
る
'
4
)
。
(Jean・Claude・Gallotta)一フランス−,マギー・マラ
ガロッタの作品は,優秀な技術性の高いダンサーが
ン(Maguy、Marin)一フランス−,カロリン・カール
演じるために作られるものではなく,彼のムーブメン
ソン(Carolyn・Carlson)−アメリカー,ピナ・バウ
ト即ち動きの言葉は,技術とは表裏するもので,逆に
シュ(Pina・Bausch)−ドイツーである。尚,それぞ
ダンサーにとって挑戦的なものかもしれない。
れのプロフィールは前田允「ヌーヴェルダンス横断」
を参考にその概要をまとめた。
代表作「ママーム」の中では,「大人たちに再び専有
された子供の世界」を主題とし,この中で,優しく笑
いたくなるような動き,はしゃぐ行為,刺激的で狂気
A
, ジャン・クロード・ガロッタ
Jean・Claude・GaIIotta
(1950年∼,フランス生まれ)
一プロフィールー
20歳でタップダンスに取り組む。以降
クラシックバレエを始める。美術には当
初強い関心を持ち探求。しだいに舞踊芸
術中心に進む。(コンテンポラリーダン
スヘ)1976年∼1978年路上・室内での
パフォーマンス。
ニューヨークへの研修を経て,1979年
自己のグループ,エミール・デュポアを
設立。このグループはダンサーはもとよ
り俳優,音楽家,美術(造形)を含む。
1982年,グルノーブルに後に「グルノ
ブル国立振付センター」となる舞踊団を
創立し,1986年グルノーブル「文化の家」
の芸術監督となる。日本での活動は,水
戸芸術館独自企画(フランス現代ダンス
絵うょう
に満ちた動き,男女を問わず行われる抱擁,掛けj曲『・
奇声をともなったジムナスティックな動きが主流に
なっている。それは,「動き」「行為」であって,「踊
り」「振付」という従来の踊るという枠組からは離脱
している。
あたかも従来のバレエから派生したダンステクニッ
クを有するダンサーに,観念的に浸透した経験を捨て
させるかのどとく,日常的な身ぶりとフィジカルな動
きが必要になってくる。またガロッタは「言語が生ま
れ,人の本来有する身体表現力を奪いとった」と言及
している。
「モダンダンス・プルミエ(モリス・ベジャールー
ピナバウシュの世界)」のVTR'5)の中で,ジャン・ク
ロード・ガロッタの作品「ドクター・ラビュス」創作
プロセスに関するインタビューが30分にわたり残され
ている。
その記録には,彼とダンサーが共に究明する舞踊観
が語られており,そこからもガロッタの人間観・社会
観をうかがい知ることができる。
フェスティバル・IN・MITO)1994
<ジャン・クロード・ガロッタ>
年。代表作である「ユリシーズ」他上演。
多くの刺激と影響を日本のダンス界に及
ぼす。他「ママームI。Ⅱ」「ダフニス
とクロエ」など。
1.人間観
①1人の人物が例えば8人になる多重人格性を人は
もつ。
ガロッタは,美術を専攻する学生であった事が実証
②人とのつながりの中で,伝統が失われ,侵略者も
するように,空間の榊成力に独自性を有している。自
いなくなった場所であっても,衝突は起きる。これ
身の言葉にも「私は造形美術とダンスに橋をかけたい
は,出会いから,パズルのような人間関係を作り出
と思った」l2jと述べられており,彼の着眼点は従来の
す
.
ダンス領域の枠にとらわれていない。人間の行動にふ
③人間のもつ神秘性。神秘性は冷たく難解であり,
コンテンポラリーダンスの舞踊観
123
人は安心すると同時に挑発される。安易な感情は,
創作者としてのマランはその活動の源をコンテンポラ
偽りで安っぽい。ガロッタは,人を泣かせるのは誰
リーダンスに求めた。マランは,ベジャールのもとで
でも出来るが,そうではなく感情の再発見を求めて
学び,ダンサーとしての活躍をしたが,ベジャールの
いる。
哲学や舞台の美学iこ明ら力、な擦れを感じ始めて離れて
十
④愛を永遠の主題として取り上げる。
いった。「ベジャールは古代ギリシア人のような完壁
愛は,使い古されながらも,常に新しい解決があ
な,若くて美しいダンサーしか受けつけないが,私
り,人はダンスを通して,明確に深く愛を語ること
は,その行き方に反発した。私の舞台に漂うユーモア
ができる。
は,その体験からきているのかもしれない」16'このマ
ランの言動からも,彼女の舞踊観は,ダンサーたちと
2.社会観
作り上げる創作プロセスの中でも土台となるコンセプ
トと主題の設定に大きな特徴がある。
①現代において感情は,微かなものである。実に小
日本でも上演された作品「サンドリヨン」及び「レ
ひつせい
さなことから畢生の芸術は生み出せるが,現代は,
ポルシオン/それが私に何の関係があるのさ」は,コ
小さなものを切り捨てる。
ンセプトの特徴が,実際の舞台からも強い衝撃となっ
②古きもの,歴史,古典からの知恵の導入。現代芸
て表出されていた。
術の空虚さを埋めるためには,古典の感情の豊かさ
「サンドリヨン」は物語「シンデレラ」を仮面をつ
が見直されるべきである。今までに捨てられてきた
けた人形劇スタイルに仕立て,物語のストーリーの再
感情の言葉からの新しい活力の補給が必要である。
現ではなく,そこに登場する人形の感情描写に重点が
置かれている。
B、マギー・マラン
Magy・Marin
(1951年∼フランス生まれ)
生のダンサーの感情表現よりも,仮面からにじ染出
る人間の控えめな感情の方が,より多くの観者の想像
力を誘発する。ダンサーの美しい形態や高度な技術が
じゅぼん
一プロフィールー
トゥールーズのコンセルヴァトワール
でクラシック・バレエのレッスンを始め,
ニナ・ウィルポアのもとで学んだ。
その後,ストラスブール・オペラ座で
準ソリストとして踊る。技術的にも高度
な技能を有し,ついでムードラに入り,
ミシャ・ヴァン・ノックのグループ,シ
ャドラの設立に参加。モダンダンサーと
しての地位を確立。その後,モリス・ベ
ジャールに師事し,20世紀バレエ団で踊
る
。
1978年,同じ20世紀バレエ団だったダ
ニエル・アンバッシュとともに箱舟舞踊
団を設立。ここからコンテンポラリーの
新しい方向性を樹立していく。
「メイB」「バベル・バベル」などを
発表し'983年からクレティユを本拠とし
1984年,カンパニー・マギー・マランと
改称し,1986年にはリヨン・オペラバレ
エ団に「サンドリヨン」を振りつけた。
仮面と全身を覆う衣裳(肉揺神)によって完全}こ消去
されても,清澄な感動がその動きによって引き出され
ていく。マランは,視覚的な既成の美にとらわれるこ
となく,感動をもたらす美が多元的に存在することを
「サンドリヨン」によって実証した.
「レポルシオン」は,フランス革命二百年記念祭の
一環として委嘱を受けた作品であるが,マランは,
「革命」が言葉を変えた人殺しであり,文明が引火し
た欲望の渦が引きおこしたものであり,一体正義は何
あぱ
なのかを間し、かける否定的な実態を暴いた作品に仕上
げた。フランスでは賛否両論を呼び,マランに対する
評価も分かれた。
グロテスクな殺人の描写を日常的な肉屋や工場にシ
チュエーションを置きかえることで,革命は正義のた
めよりも,食欲や性欲といった人間の平凡なありふれ
た欲とさして違いのないものとして描き,権力者を風
刺する。この手法は,今までの英雄として描かれ続け
た者への訣別と,東欧世界(政治的)崩壊という現実
に呼応するすぐれた時代性を持っている。
マランの時代を読象取る能力は作品「メイB」でも
発揮されている。
‘‘死と老い”一高齢化社会を取り上げた作品はコン
テンポラリーダンス作品の中でも少ない。父の死とサ
マギー・マランのダンサーとしてのキャリアは,バ
レエ及びモダンダンスの両領域で開花した。しかし,
ミュエル・ベケットの文学から想を得たマランは,
「人生という旅を続ける人間の孤独な姿,そしてその
124
牛山
果てに待ちうけている死。人のこの避けられない宿
とで踊りに執着を持ち続けることが皆無であった点
命」17)を取り上げた。マランはダンサーに,全身を白
を告白している。
い粘土でおおい,ダンサーの有する高度な身体能力を
ほとんど使用しない動きで老人を表現することを要求
ひそう
③マランの代表作の一つである「七つの大罪」で,
創作中,二人のダンサーが現実の恋愛関係を持った
こ⑦けい
した。悲槍と1,,うよりも,道化のように滑稽な姿で作
ことから着想を変え,「アダムとイヴ」の登場シー
品に登場させる。
ンを設定した。人間の感情それが架空の人物であ
老いとともに起こる問題や老人同志の衝突,愛,性
れ,現実の人物であれ常に状況に応じて揺れ動く不
などの人生の様相胸が,時に激しく時にユーモラスに
確かなものであることをマランは熟知しており,そ
進行しつつ,やがて,ダンサーの体や顔の粘土が乾い
の内面的瞬間や外面的瞬間の「ゆらめいて見えるも
てはがれ落ち,その問から,老いていない若いダン
のjに人間の本質を見い出そうとしている。
サーの肉体が露出していく。
マランは,死について「私にとって死とは身体の否
<社会観>
定ではなくて,身体の中にある動物性を確認すること
なのだ。」1,)と述べている。この表現主義的手法で冷静
たんび
①マランのインタビューから,社会の動きに人が動
に描く創作は,耽美主義的な'ミレエからスタートした
くネガティブな発想ではなく,人の動きによって社
マランのプロフィールからは想像もつかぬ方向変換と
会が流動していくポジティブな人間主体の思想を見
いえよう。しかし,コンテンポラリーダンスの新しさ
い出すことができた。
は,この従来の様式と表裏のところに所在し,描けぬ
世界を切り拓いてきたことの立証とも言えるのであ
る
。
むしろ,マランは未来よりも,現実を凝視し,現
たど
実を知るためiこ過去を辿ろうとする。
マランは生後1ヵ月以内の赤ちゃんの動きは,自
次に「モダンダンス.プルミエ」(VTR)の創作プ
分でコントロールできない動きであり,泡の中で自
ロセスに関するマランのインタビューから,その人間
己の世界を構造化する美しい動きと捉えている。し
観,社会観について考察を行う。
かし,まだそれが生命の純化と断定はできない。今
日の複雑化していく社会は,自己抑制が効き,他と
<マギー・マラン〉
の連関は発達しているが,逆に自己の世界を構造化
できず,自己不在のまま進んでいく。あるいは自己
そうしつ
1.人間観
喪失への道を歩男A続けて1,,る。マランは,その現実
に警麺を鳴らすために,作品創作に挑んでいるよう
①マランは,自己を特定の立場に置かず,常に観
客,彼女の表現では「小市民」の目線を保ち続けて
にさえ感じられる。
②作品に対して「完全に満足している作品はない。
いる。インタビューの中でそれを象徴する二つの発
いずれにしろ中間しかない。でも中間の成果を上げ
言がある。
るのもすごく努力が必要です。」と述べたマランは,
「若い女と死というテーマは,私が大切にしてい
常に,「でも作らなければならないから作る.」とい
るもの。二人の関係ではなく,それは多分私自身の
う一つの使命感に追われている。マランの作品創作
こと。」
における動機と人間が日々感じてし、る愛情の飢餓や
「よくパーティーをする。気分が乗ってくると素
人(ダンサーではない人含)が歌ったり踊ったりす
2が
社会への不安,対人関係から生じるフラストレー
ションは同質の根を持つものと思われる。
るでしよ。私は,そんな方が好き。皆,すごく面白
い事を言い始める。私の作品の本質はそこなの。あ
る事についての作品ではなく観客と向かい合うこと
なのです。」
C,カロリン・カールソン
Carolyn・Carlson
(1943年∼,アメリカ生まれ)
②マラン自身は,ダンサーとしての優れたキャリア
を持ちながら,踊ること自体に夢中になった事はな
く,古典にしろ,モダンにしる基本的には,踊り
−プロフィールー
8才からクラシック・バレエを学び,
(振り付け)には興味がない。舞台芸術即ち,照
サンフランシスコ・バレエに入団。1965
明,ホール,舞台上の造形物,劇場本体への愛情と
年アルヴィン・ニコライ(ポスト・モダ
踊りへの愛情の比重は等しく,ダンサーであったこ
ンダンス)カンパニーへ入団。
コンテンポラリーダンスの舞踊観
1968年,パリ国際舞踊フェスティバル
で最優秀女性舞踊手賞を受賞。
1972年,アビニョン・フェスティバル
において「死せる夢のための儀式」を発
表し,翌年パリ・オペラ座に招かれ「密
度21.5度」を振り付けた後,振り付け家
兼エトワールとして契約。
1975年に設立されたGTOP(パリ・
オペラ座現代舞踊研究グループ)の責任
者になり,1980年までの5年間在任。
モダンダンスをフランスに伝え,ヌー
ヴェルダンスに多くの影響を与えた。
125
ロセスに関するカールソンのインタビューから,人間
観及び社会観について考察を行う。
<カロリン・カールソン>
1.人間観
①ダンサーのパーソナリティーを重視する。
カールソンは,インタビューの中で,「作品を踊
るダンサーをどのような観点で選ぶのか」という問
いに次のように答えている。
「私は,テクニックだけでは,ダンサーは選ばな
い。彼らの人間性に関心を持つ。(中略)即興を見
て,彼らの自由な空間を見て,テクニックは璽祝し
カロリン・カールソンは,アメリカ及びパリにおい
て,モダンダンスの一流ダンサー,バレエのエトワー
ル(主役)として,1968年∼1975年の7年間,特に顕
ない。もちろん,皆テクニックはあるが,私はそれ
を超えたい。」
②振り付け中のカールソンは,ダンサーに頻繁に話
著な活躍を残している。カールソンの恵まれた容姿,
しかける。自己のイメージをわかりやすく言い換え
感性,感覚にもとづいて,踊られ,語られるイメージ
た言語表現やダンサー自身に状況を与え,「あなた
の連なりがもつ表現の豊かさは,類を見ない。
なら,どうするの?」という問いかけが交わされ
しかし,カールソンは,あえてモダンダンスに留ま
る。コミュニケーションを頻繁に取るカールソンに
らず,1975年コンテンポラリーダンスヘの移行を計
ついて,ダンサーは「以前と自分は変わらないが,
る。「GRTOP」(パリ・オペラ座現代舞踊研究グルー
カールソンは僕自身の個性,想像性をのばすやり方
プ)の責任者として着任し,芸術監督としてオペラ座
をする。」と評価している。
におけるアメリカ人の時代を築いた.
また,観客という人間に関しても,彼女は次のよ
カールソンがフランスのヌーヴェルダンスに与えた
うな言葉で独自の人間観を述べている。「観客と私
影響は大きいが,カールソンの作品には,アメリカモ
の間に愛を感じる。だから色々な冒険が出来る。5
ダンダンスの色彩が強く残されており,フランスの
分間,ただじっとしていても観客は私をわかってく
ヌーヴェルダンスと同次元の作風ではない。
れるだろう。」
カールソンは,独自の無機質な抽象性を保ちつつ,
人間の内面性を掘り下げ,表出していくモダンダンス
カールソンと,ダンサーの関係は愛情を伴ったコ
ミュニケーションが根源に在り,カールソンと観客
に近い舞踊観を潜在的に残し続けているように感じら
との関係は「愛」である。この「愛」を別の表現で
れる。
言い換えることができるとすれば,それは「信頼」
前田20)は,カールソンが「GRTOP」在任中の語録か
といえるだろう。即ち,ダンサーという「人」と
せいずい
ら,彼女のヌーヴェルダンスの糖髄につ1,,て吹のよう
カールソン,観客という「人」とカールソンの両者
に論述している。
に存在する信頼が作品の創作を推進する力になって
「ダンスという語は存在しない。ただ,大事なの
いる。
は,存在する,生成するという語である。どんな役割
も強いられることはない。役割には終わりはないの
2.社会観
だ。私のダンスは流れ,そして,それに従う川のよう
なものである。」彼女にとって,振り付けは,パフォー
①カールソンは,インタビューの中で,政治や社会
マンスなしには,また舞台上での「生」への移行なし
に関するコメントをしていない。唯一,新約聖書を
には何の価値もない。さらに川のように流れるダンス
取り上げた作品「ダンテー神曲一」の中で宗教につ
とは,無制限の可能性を信じて,既成のフォルムに留
いて語っている。
まることから脱出し,新しい未知のフォルムを発見す
るための長い時間を指すのであろう。
次に「モダンダンス・プルミエ」(VTR)の創作プ
「新約聖書は,宗教としての物語としてではな
く,光と間の観念が而白かつた。私は根源的なもの
を信じています。それは,光。あるいは,存在。神
1
2
6
牛山
について…何かしら。
光は,創作中にそれを感じる。そしていつも,(胸
に触れて)ここにあるのよ・いつも。」
の土を踏んで男と女が群れをなして踊る。赤いスカー
フが犠牲のしるしだ。」鋤
また,作品「カフェ・ミューラー」については,「カ
宗教における救済のための象徴的存在としての神で
フェを再現した情景(椅子,テーブルが散在して置か
はなく,カールソンは自己の心の内側に感じる光を
れた状態)とともに,椅子とテーブルを動かし続ける
特別な存在として認知している。
だけの男。その男に身を投げ出し続けるだけの女。絶
②カールソンは,北欧系のアメリカ人として生まれ
望そのものを目にしているような情景は否も応もな
アメリカ,フランス,イタリアで教授,振付芸術監
い。ただ痛々しさだけが見るものの胸に突きささって
督として暮らしている。生活様式も一つの枠にとら
くる。」24)とピナ・バウシュの作品に出会った驚きと感
われず,さまざまな文化圏を体験し,その暮らしの
動を述べている。
中で,しだいに彼女は社会という枠を形づくる境界
線を消去していったのかもしれない。
日本でも上演された作品「カーネーション」は,舞
台上に一万本以上のカーネーションが配置された。舞
台上に登場する男と女は,日常性を持つ,ありふれた
D、ピナ・バウシュ
Pina・BausCh
(1940年∼,ドイツ生まれ)2')
人に見える。即ち,従来のダンサーという枠を破った
存在感のある男と女が居た。ピナ・バウシュは,あり
のままの日常とその中に潜在する人間の異常性格と異
常行動,抽象的ではなく具体的な女と男の関係を描
はたん
く。暴力,セックス,性格破綻とし、った禁忌とされて
いた世界にどんどん踏象込んでいく。それは,モラル
や慣習で表面を固く武装した踊り手や観客の武装をは
ぎとっていくようだった。
1970年から1980年,社会は変動し,ベトナム戦争後
の病むアメリカ,共産主義の没落,ソ連の解体,ベル
リンの壁の崩壊からイデオロギーの時代が終結し,そ
の変動をピナ・バウシュは,敏感に感じとり,作品の
中に新しい着想が生まれた。フランスの観客は−早
く,社会不安と人間のありのままの美しさと醜悪さの
両面を率直に表現するピナ・バウシュを受け入れた。
ガロッタ,マラン,カールソンよりも,ピナ・バウ
シュは,観客に強いインパクトで社会性を残す。今の
時代が何を求めているのか,観客は,快・不快どちら
かの心の状態に分かれても,この問いかけに動揺し,
やがて現実を想起し考え始める。
ピナ・バウシュの転機として,前田勤は,作品
「カーネーション」を挙げ,この作品は,彼女のドイ
ツという祖国の歴史の残酷さに対置したもので,愛の
祈りや希望を表した「やさしさ」を求めるピナ・バウ
シュの転換点である鋤と述べている。
それまで「怒り」「社会告発」「異常性をもった人
間」「不条理」を追訴してきたピナ・バウシュが触れ
始めた「やさしさ」は,深い思索と創造性によって
ユーモアや遊びの形で表現されていく。
三浦22'は,ピナ・バウシュの作品「春の祭典」を初
めて見た時の印象を次のように語っている。
「見終えて,しばらく席を立つことができなかっ
ピナ・バウシュは,ダンサーが使用する動きについ
て,「ダンスがそれ自体意味をもつには,個人個人と
の接触が必要である。人々はお互いに離れることはで
た。いったい何に感動したのかさえわからなかった。
きない。問題は我含に関することであり,何かが我盈
(中略)舞台の上には,本物の土が敷きつめられ,そ
を動かし,突然それが踊りの身振りになる2,。」と見解
コンテンポラリーダンスの舞踊観
を述べている。
127
自分と関係のある事柄だけです。」と述べた。彼女
一般通念で考える振付という定義は,ピナ・バウ
の作品が他者への思想の押しつけではなく,問題提
シュに関しては全く当てはまらない。ダンス・テク
起できる衝撃を観客に投げかけることができる理由
ニックとは別の次元に彼女の考える身体言語は,運動
は,自己の徹底的な客観的分析と虚飾や虚栄を逸脱
として存在している。
した自分史の開示,一種のカミング・アウトとさえ
次に「モダンダンス・プルミエ」(VTR)の中で,創
作活動を語るピナ・バウシュのインタビューから,彼
女の人間観と社会観を探る。
感じる開示への強い決意にあると思われる。
③「モダンダンス・プルミエ」の中で,彼女の作品
を演じるダンサーが,ピナ・バウシュの教授法につ
いて次のようなコメントを残している。「私が入っ
<ピナ・バウシュ>
たころ,ピナは私たちに即興をやらせ始めました。
『6つの優しい言葉と6つの激しい言葉を言え。』
1.人間観
とか。現在では与えられたテーマを私たちが発展さ
せることもあります。」
①ピナ・バウシュは「モダンダンス・プルミエ」の
このような教授法が可能な理由の一つに,演者を
中で「私は何であるか,それが出発点です。」とイン
選定する場合,ピナ・バウシュは,即興を課し,一
タビューに答えている。
緒にやれそうだと感じた人を慎重に選んでいること
「私」が何であるか,その存在の意味を探して
が挙げられる。ピナ・バウシュが演者から引き出す
椎うこう
tti樫する人間をピナ・バウシュは,作品の中で多数
ものは,プライベートなものではなく,ピナ・バウ
描いている。
シュ自身も共通に感じる何かだ。彼女自身が感じる
以下,「モダンダンス・プルミエ」の中で紹介され
から取り上げる。「他の人たちもそれを感じるはず
ている幾つかの事例を挙げる。
だ。」その確信が持てたものを最終的に絞り込み,
a・片手にピストルを持った女とスーツにインディ
作品を構造化している。ピナ・バウシュが選んだ演
アンの髪飾りを着用した男がワルツを踊る。
者,演者に選ばれたピナ・バウシュ,この相互関係
b・女装して生きる男と男装して生きる女の恋。
から始まり,時間をかけて培われた信頼の中で作品
c・上半身裸体の女の髪を背後から引っぱる男。し
は形成されていく。
だいに声を立てずに泣く女。
d・下着姿のまま倒立を続ける女。
2.社会観
e,靴を食わえて横たわる女.
f,椅子に腰かけた3人の男。使う言語は3人別々
①ピナ・バウシュは,クルト・ヨースの元を離れ,
である。言語が通じないとわかっていながら,絶
ニューヨークへ留学した時代を思い出し,次のよう
えず話しかけ続ける男。その男に,異なる言語で
にコメントしている。
あし,づら
相槌をうつ男。2人の会話に入るでもなく,まf二
異なる言語の好きな言葉しか言わない男。
9.集団で女をレイプする男達。逃げながら別の集
団を捜す女。
h,ずっと水槽のベッドで眠る女。
「ニューヨークは,人種のるつぼ。ニューヨーク
の活力と創造性を私は求めた。そこは,ジャングル
染たいな…自然に帰った感じがした。」ピナ・バウ
シュの舞踊団は,多人種多国籍,年齢不祥の演者に
よって構成されている。本拠地はドイツでありなが
この異常性に満ちた行動が,ある時にはタンゴ,
ら,無国籍の舞踊団という印象が強い。ピナ・バウ
ある時には日木の昔の歌謡曲,クラシック他どこか
シュは,言葉を使わないで語ることを美しいと捉
聞き慣れたポピュラーな音楽の中で続く。
え,これは国境とも国籍とも無関係であると明言し
これは日常ではない。しかし,日常性をもった身
ている。彼女の考えるコミュニティ(共同体)とい
体の,生活感のある演者によって表現されるピナ・
う概念は,通俗的な社会という枠を逸脱して,共感
バウシュの世界は,現実に肉迫する迫力で観者の心
する事と価値観の同一性が根源にあると推測でき
を引き寄せていく。
る
。
②ピナ・バウシュは,作品のコンセプトについて,
③ピナ・バウシュは公演地のパリを例に挙げ「人々
「私の個人的な感情や意見に基づいて作っている。
も伝統も大好き。私は色含な儀式が好きだ。自分が
でも,私と同じ人がいるかも・・・自分の事だから誠実
わからなくなるほど,私は色んな事に興味がある。」
に語れるのです。あなたではなくて,自分のこと。
と所見を述べている。彼女は,国ではなく人間が生
128
牛山
活する地域の独自性に関心と暖かい感情を持ってい
ミュニケーション能力の再育成を確実に要請してい
る。時代に適応していくというよりも,受容する。
る
。
ピナ・バウシュの舞踊観は,受容から始まり,時に
は他者に対して排他的になりがちな国民性や地域性
ゆろ
の壁を緩やかに崩しながら,吸収して1,,く容積を有
今後,コンテンポラリーダンスの動向について,ア
メリカ・アジアにおけるコンテンポラリーダンスの資
料を加えながら,その展開を追っていきたい。
している。
註
4.展望
1)前田允(まえだ.ただし)(1931年∼)日本大学
教授,舞踊台本作家「モリス・ベジャール」「オ
以上,コンテンポラリーダンスの舞踊観について,
特に4人の舞踊家を取り上げて考察を行ってきたが,
その創作の根源には常に人の存在があり,伝統を否定
せず受容することから新しい着想を得ていることが理
解できた。
4人の舞踊家に共通する,人間の心理と行動に対す
ペラ座の子どもたち」他著書多数
2)前田允1995年ヌーヴェルダンス横断
P236新書館
3)三浦雅士(ふうら・まさし)(1946年∼)文芸評論
家ダンスマガジン編集長「主体の変容」「メ
ランコリーの水脈」他著書多数
る鋭い洞察力,時代への適応力というよりはむしろ時
4)三浦雅士1994年身体の零度P267識談社
代を吸収していく能力,事象に対する豊かな好奇心
5)牛山員貴子ダンス創作の新しい動向一コンテン
が,コンテンポラリーダンスの舞踊家の創作姿勢から
ポラリーダンス愛媛大学教育学部保健体育学教
読承取られ,他者に働きかける強い外向性を作品中に
見い出すことができる。
モダンダンスが自己の内面に潜む感情を抽象化して
いく作品創作と技術の確立を導き,次にポストモダン
ダンスが,動きのミニマリズムを計りながら,内面性
室論集第10号1995年
6)前田允1995年ダンスハンドブック
P177新書館
7)キーワード事典編集バレエ/ダンスの饗宴
1995年P202洋泉社
から脱却する抽象化を誕生させた。しかし,コンテン
8)前掲(7)書P204
ポラリーダンスは多くの場合,再び具体性を持ち,状
9)前掲(7)書P206
況を伴った動きの構造化によって人間への問いかけに
10)前掲(7)書P202
帰る方向性を示した。
11)前掲(2)書P234
コンテンポラリーダンスを構成する動きは,日常性
12)前掲(6)書Pl84
を多分に含む。日常のしぐさや身ぶり,対人関係から
13)前掲(6)書Pl84
偶発的に生じる行動が,動機となって動きを創造して
14)前掲(6)書P184
いくコンテンポラリーダンスの作品は,熟練された高
15)「モダンダンス・プルミエ」1988年制作ポニー
度な技術をもつダンサーのみを必要としない。状況設
キャニオンカラー/モノラル/110分
定や装置,衣装,照明,音楽を含む総合体として,演
16)前掲(6)書Pl82
者の技術を問わず,表現できるものも多く含まれてい
17)前掲(6)書Pl83
る。しかし,このような技術に対する捉え方の変化の
18)前掲(6)書Pl83
中で創作者の創意にダンサーが適応できるか否か,ダ
19)前掲(6)書P183
ンサーはこれまでとは異なる角度の厳しい創作者から
20)前掲(2)書P114
のジャッジを受けることになるであろう。
21)ピナ・バウシュのプロフィールについては,「ダ
21世紀,コンテンポラリーダンスが向かう方向は,
ダンサーが作り出す運動美からしばし離れ,運動が身
ンス・ハンドブック」Pl79の中で三浦氏が記述
した内容をもとに柵成した。
体言語として,豊かな機能を果たすダンス発生の起源
22)前掲(6)書Pl78
であるノンバーバル・コミュニケーションの復興に向
23)前掲(6)書Pl78
かうと考えられる。20世紀末,人間はそれぞれをつな
24)前掲(6)書P178
いできたはずのコミュニケーションに行き詰まりを感
25)前掲(7)書P66
じ始め男女間,世代間,国際間それぞれに難題を抱え
26)前掲(7)書P66
ている。時代は,人間が本来有するべき表現力や.
27)前掲(7)書P70
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