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Goodnews
Goodnews
2014.2
救いの福音と恵みの証しを伝えるグッドニュース
スペシャル企画
新年のメッセージ
もし信じるなら
神の栄光を見るであろう
異国で暮らしながら
タウングーで行われた
修養会
無銭伝道旅行記
深い山奥で出会った
あるおじさん
聖徒の人生
この川の流れる所では、
すべてのものが生きている
今月のメッセージ
その血を見て、
あなたがたの所を過ぎ越すであろう。
災いが臨んで、
あなたがたを滅すことはないであろう。
信仰生活をする中で、問題が迫って来ると「私が邪悪だからだ。
祈らなかったからだ。」と思うことがあります。それはサタンの
罠です。神様は、救われた人に臨む呪いを阻まれます。その人が
悔やんだり過ちから立ち返ったり善を行い忠誠を尽くしたからで
はなく、イエス・キリストが十字架の上で流された血をご覧にな
り、そうなさるのです。イエス様が十字架につけられて、私たち
が受けるべき呪いを既に受けられたからなのです。私たちが受け
るべき呪いは、十字架の上で完了されました。
「…わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろ
う。わたしがエジプトの国を撃つ時、災いが臨んで、あなたが
たを滅すことはないであろう。」(出エジプト記12:13)
イエス様が十字架で死なれた後、神様は私たちに何の呪いも臨
まないようにされました。この御言葉を信じてください。
私たちに迫ってくる苦難は、単なる苦難のままで終わりません。
ヨセフが売られてポテパルの家で奴隷生活をしたことや牢屋に閉
じ込められたことなどは、エジプトの総理になるための過程でし
た。パウロがピリピの獄に入れられたのは、獄吏を救い、ピリピ
教会を成長させるためだったのです。私たちに迫ってくる苦難は
決して呪いではありません。それは神の御心を成し遂げ、神の栄
光を現し、私たちに祝福を与えるために与えられたことなのです。
―パク・オクス牧師の説教より 友達と一緒にマンゴー3千個をとった時。ガーナの太陽は赤々と燃え盛り、虫はうじゃうじゃしていた。
大変だったが、ワールドキャンプに参加した友達の間食になるマンゴー狩りはやりがいのあること
だった。またキャンプのために韓国から来られた方々にマンゴーを差し上げることができ幸せだった。
(ソン・ヒョンウク短期宣教師とトーゴから来たエディー)
ローマに行く途中で遭った激しい暴風
使徒行伝27章を見ると、パウロがローマ行の船で激しい暴風に遭った話が書い
てあります。
「わたしたちは、暴風にひどく悩まされつづけたので、次の日に、人々は積荷を
捨てはじめ、三日目には、船具までも、てずから投げすてた。幾日ものあいだ、
太陽も星も見えず、暴風は激しく吹きすさぶので、わたしたちの助かる最後の望
みもなくなった。」(使徒行伝27:18~20)
2014年には福音のために生きよう
神の計画によって
ローマへ行った
パウロのように
今月の説教
パク・オクス牧師
(グッドニュース・ソウル江南教会担任牧師)
船に乗った人々は助かる最後の望みもない状況に置かれていました。彼らは船
を軽くするため積荷を全て海に投げ捨て、あげくの果てに船員たちが使っていた
船具までも捨ててしまいました。そのようにしてでも船を軽くして暴風から逃れ
ようとしましたが、助かる望みもない絶望的な状況に追いやられました。
神の計画の中にあるパウロは全く違った
パウロが乗った船には276人の人が乗っていましたが、彼らはローマに向かって
いました。彼らの中には囚人として裁判を受けに行く人もいて、囚人を護送する
軍人もいました。お金を稼ぐために向かう人がいて、また家族に会うために向か
う人もいたでしょう。目的地は同じだったのですが、目的は皆それぞれでした。
救われた兄弟姉妹がこの世で暮らしながら、
ある人は「お金をたくさん稼いで幸せに生きよう」と目標を立てます。
また、ある人は働いてお金を稼ぎますが、
食事も服を着ることも寝ることも家を買うことも
他の人々の目的はお金を稼ぐなり家族に会うなり自分の目的を果たすためでし
たが、パウロの目的は全く違いました。パウロがローマに向かうのは囚人として
裁判を受けるためでした。ところが、それは名目であって実際はカイザル皇帝の
前でイエス・キリストを証しローマの人々に福音を伝えるためでした。
パウロがローマで福音を伝え、人々が救われ、教会が建てられ…。このように
車を買うことも福音のためにします。
神の計画の中にあるパウロは他の人々とは全く違いました。激しい暴風の中で食
福音のために生きている人々は決して倒れません。
べ物も尽き疲れて絶望の中にいる時、パウロが彼らに言いました。
パウロが乗ったローマ行の船が暴風に襲われた時、
「みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの
他の人々はみんな嘆きました。パウロは彼らとは違いました。
中に立って言った、「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレ
「私は確かにカイザルの前に立つ。
そして私がローマで福音を伝えて多くの人々が救われるのだ。
神の御心が成し遂げられる前に死ぬことはない」と確信していました。
テから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。
だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたが
たの中で生命を失ものは、ひとりもいないであろう。昨夜、わたしが仕え、また
拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、『パウロよ、恐れる
な。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなた
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グッドニュース 2014.2
今月の説教
5
福音のために生きる人は
問題があっても困難が迫ってきても、
神様がご自身の御心を成し遂げられるために働かれ
どんな問題にも勝つことができます。
と同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。だから、皆さん、元気を出
れたのです。その役目を終える前には決して死にません。恐れたり心配したりす
しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけ
る必要はありません。」
て信じている。われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない。」(使徒
電話を切って婦人は宣教師に今電話で聞いた話を伝えました。驚いたことに、
行伝27:21~26)
その時から熱が下がり始めたのです。それから体が回復しはじめ、数日後にはと
パウロにははっきりとした神の御心がありました。パウロはただローマに向か
ても健康になりました。その宣教師は今日もその国で福音のために力強く働いて
っているかのように見えますが、それは神の御心を成し遂げるためなのです。そ
います。
れでパウロは「私が必ずカイザルの前に立つ。ローマで福音を伝えて救われる人
が起こるようになる。それを成し遂げられるのが神の御心だ。だから私は決して
死なない。」と信じていた。
神の御心を成し遂げるのはどのような状況の中にいても…
それぞれの目的を持ってローマ行きの船に乗った人々のように、今日も多くの
人々が朝起きて自分の目的を果たすために忙しく走り回って働いています。世の
中にはいろんなことがあります。それらを大きく2つに分けると一つは「お金を
「そのことを終えるまでは決して死ぬことはありません。」
たくさん稼いで幸せに生きよう、子供を産んで豊かに暮らそう。」と自分の計画
時には、私と共に福音を伝えている伝道者が困難な状況に置かれることがあり
に従う生き方です。そして、もう一つは福音のために生きる生き方です。神様が
ます。海外にいるある宣教師が「デング熱」という恐ろしい熱病にかかり死にそ
福音を伝えるのを喜ばれることを知り、「福音を伝えるために生きよう!」と思
うになってしまいました。私が宣教師のいる教会に電話をすると、父親は病院に
っている人は、自分のために生きている人とは全く違います。そのような人は、
入院していると息子さんが教えてくれました。病院に電話して宣教師につないで
問題があっても困難が迫ってきても、神様がご自身の御心を成し遂げられるため
欲しいと頼むと、代わりにその宣教師婦人が電話に出ました。命が危うい状態だ
に働かれていることを知り、どんな問題にも勝つことができます。
ったため婦人は「先生、私たちどうしたらいいでしょうか。」と言って泣き出し
ダビデは神様が自分を王として立てられ、イスラエルを統一し聖殿を建て、神
ました。婦人の心には夫がもう死ぬのだと思っていました。私が言いました。
様がイスラエルの真の神になることを望んでおられるという事を知っていました。
「死にません」
その心を受けて生きている間、ダビデは多くの戦争に一度も負けたことがありま
「そうでしょうか?」
せんでした。神様が共におられたからです。
「そうでしょうか、じゃありません。誰が宣教師をそこに送ったんですか、パ
アブラハムもその妻もとうてい子供を産めないほど年をとっていました。しか
ク牧師が送ったんですか?それとも、グッドニュース宣教会が送りましたか?い
し、彼を通して天の星のように、海の砂のように多くの子孫を与えることが神様の
いえ、神様が送られたんです。神様が福音を伝えるために宣教教師をそこに送ら
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グッドニュース 2014.2
今月の説教
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賢いキリスト者は
神の御言葉の中で神の御心を発見し、
自分の人生を神の御心や計画の中に合わせます。
そのような人は絶対に滅ぶことがなく呪われることもありません。
御心でした。そしてその子孫からキリストが生まれ、我々を救うことが神の摂理
2014年には福音のために生きますように
でした。そのためアブラハムはどうしても子を産まなければならないのです。
私は救われてから色々と考えるようになりました。「神様は私が何をするのを
ヨセフはエジプトに奴隷として売られました。しかし、ただ奴隷として売られ
喜ばれるのか?」神様がご自身の御子をこの地に遣わし十字架に付けられ死ぬよ
たのではありません。エジプトの総理になりエジプトの全ての人々を助けるだけ
うにさせて、私たちの全ての罪を贖われました。しかし、多くの人々がその事実
でなく神の民であるイスラエルの子孫を飢饉から救い出すためという目的があり
を知らず罪の中にいました。私はこの福音を伝えることが一番大事だと思い、こ
ました。神様の御心を成し遂げるためには、どんな状況の中でも成し遂げられる
のことのために一生を捧げようと思いました。過去50年間、福音を伝えながら
のです。
敵対する人にも多く出会い、私を欺き非難する人もたくさんいました。しかし、
一度も倒れることなく今も力強く福音を伝えていられるのは、私が歩いてきた道
が私の道ではなく神が計画された道であって、神の御心の中にある道であるから
です。
賢いキリスト人は…
救われた兄弟姉妹の中で、ある人は「お金をたくさん稼いで幸せに生きよう」
と目標を立てます。また、ある人は働いてお金を稼ぎますが食事も服を着ること
も寝ることも家を買うことも車を買うことも福音のためにします。福音のために
生きている人々は決して倒れません。
パウロが乗ったローマ行の船が暴風に襲われた時、他の人々はみんな嘆きまし
た。パウロは彼らとは違いました。「私は確かにカイザルの前に立つ。そして私
がローマで福音を伝えて多くの人々が救われるのだ。神の御心が成し遂げられる
前に死ぬことはない」と確信していました。
救われたキリスト者が豊かな生活に焦点を合わせて生きると、暴風に見舞われ
ると倒れ、病気になったり事業に失敗して倒産すれば絶望の中に陥ります。しか
し絶対に滅ばない人がいます。それは自分のために生きる人ではなく、主のため
福音のために生きる人です。そのような人はどんな難しいことにも勝ち、神様の
御心を成し遂げるのです。
2014年の2月になりました。誰でも自分のために生き、自分の目的のために生き
ているのなら最後に倒れてしまいます。2014年には救われた兄弟姉妹みんなが自
分のためでなく福音のために生きて欲しいのです。その人生は言葉で言い表せな
い程、祝福された人生だからです。
救われましたが依然として昔と同じ方法で生きているキリスト者が多くいます。
しかし、賢いキリスト者は神の御言葉の中で神の御心を発見し、自分の人生を
神の御心や計画の中に合わせます。そのような人は絶対に滅ぶことがなく呪われ
ることもありません。どんな困難からも勝利を得て、神の御心を成し遂げていく
のです。
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グッドニュース 2014.2
今月の説教
9
2月の証し
信仰の第一歩
私は1992年全州で行われた大伝道集会に参加し福音を聞いた。
それ
からこの宣教会を悪く言う人の話を聞いて教会に通わなくなったまま、
さまよいながら辛い時間を送った。
ある土曜日、家にひとりでいたときに
「明日は日曜日だけど私はどこに行けばいいのか?」
と悩んでいると胃痙
攣が起きた。生死の境をさまよいながら
「主よ。助けてください!とても苦
しいです!」
と主を求めた。目が回り手足も曲がっていく危険な状態にな
り、胃液まで吐き出してからやっと息ができた。
そして約一時間後、西全
州教会(現喜びニュース全州教会)のある兄弟が電話で「教会に一度来て
ください」
と言った。私を呼ばれる主の声と思い、教会に通えるようになっ
た。
主の恵みで教会に通い始めてから牧師の言ったとおり母が救われた。
そのことによって教会や牧師に心を開くようになった。教会で過ごしてい
るのがとても感謝だった。
しかし私より先に救われた青年の姉妹たちが
結婚するのをみてとても悩んだ。私も救われた人と結婚するべきだろう
が気に入る相手に会えないかもしれないと思うと心が暗くなった。心がド
ンドンこの世へ傾いていった。
脳下垂体に腫瘍が…
教会を少しずつサボり始めてドンドン休むようになり心が世の方に流
れていった。
しかし心は全く楽しくはなくむしろ神を恐れていた。
ある日、頭がひどく痛くて大きい病院に行ってMRIを撮った。脳下垂体
に腫瘍があると言われた。手術しないといけないが、手術を受けたとして
人の奴隷でもなく考えの奴隷でもなく、
ただ御言葉の奴隷として
も生きるという保証がないと言われた。手術が
成功するとしても脳下垂体はホルモンを管掌す
るところなので子を産むことはできないと言わ
れた。医者の話を聞きながら、私は死の前に立
結婚、妊娠や出産、マイホーム、子供の病気…。私には何一つ
っていた。
「私が今、主の前に行くなら何を持っ
上手くできることがなかったが、神は人生に必要なすべてのことを満たして
ていけばいいのだろう?教会から離れて生きて
くださった。全て備えられているぶどう園を農夫たちに貸してあげた主人のように、
きたのに主が私になんと言われるだろうか?」
何よりも自分の考えを捨てて神の御言葉を信じるように導いてくださった。
恥ずかしい一方、私が受けた救いがとても大き
キム・ヒョンジョン 作
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グッドニュース 2014.2
く価値のあるものだという事に気づいた。
2月の証し
11
病が治りたい気持ちはあまりなかった。
救われて生きてきながら死の前に
立ってみたその時ほど主と近くて
幸せだった時がなかったからだ。
しかし、驚くことに主は私を救ってくださった。
すると心から主が「君が本当に私を信じるなら私があなたに足萎えの
兄弟を花婿として与えても受け入れられるでしょう?」
と聞かれた。私は
「はい、主よ。誰かが私に毒入りの水をくれるとしても、私がその人を信じ
るのであればその水をもらって飲むことができます。
」
と答えた。
そしてまもなく今の主人とお見合いをした。健康な人でとても感謝だっ
た。
しかしその当時私は、脳下垂体にあった腫瘍のせいか月経が一定せ
ず年に1、2回ほどで、生理痛で病院の救急室に運ばれたこともあった。
このようなことが結婚を前にして内々に心配になった。
「子供を産めない
その足で教会に戻り牧師にすべてのことを申し上げた。牧師はパク・オ
クス先生に按手の祈りをしてもらえるようにしてくれた。
デドクの修養館で
パク牧師に按手の祈りを受けたが、先生は「神様。
この若い姉妹に神の愛
を教えてください。
」
と祈られた。
正直私は病が治りたい気持ちはあまりなかった。救われて生きてきな
がら死の前に立ってみたその時ほど主と近くて幸せだった時がなかった
からだ。
そのように生きながら主の前に立ちたかった。
しかし、驚くことに
主は息をするのも大変だった頭痛から私を救ってくださった。
そして正常
に暮らせるように恵みを施してくださった。
「足萎えの兄弟を花婿でくれるとしても受け入れられるでしょう?」
年が30を超えると、家では結婚できない私に対し家の恥だと考え始め
た。
そのように見られるのが嫌で盆暮れにも家に戻らず、救われた姉妹同
士で暮らしていた部屋でゴロゴロしながら、
自分の哀れな身の上を話し
ながら時間を費やしたりした。
のではないか?」
心配な心で聖書に接していると、主を求めるものは恥をかくことがない
という御言葉を神が見せてくださった。
そしてその御言葉のとおりに結婚
するやいなや子を産むようにしてくださった。誰にも言えなかった私の難
しさを、主が世話をしてくださったのだ。私は子を産めない人だったが神
は私に語ったとおり働いてくださった。
御言葉を聞けば聞くほど私は小さくなり神は大きくなっていった。
集会の最終日、私は心から主と約束を結んだ。
「主よ。私は死ぬ体でし
たが主がこのように生かしてくれました。私の人生はもう主に任せて生き
ます。私の人生全てをあなたにかけます。
」
すると心から主が「君が本当に私を信じるなら私があなたに足萎えの
兄弟を花婿として与えても受け入れられるでしょう?」
と聞かれた。私は
「はい、主よ。誰かが私に毒入りの水をくれるとしても、私がその人を信じ
るのであればその水をもらって飲むことができます。
」
と答えた。
そんなある日のことだった。大伝道集会に参加して御言葉を聞いてい
たら、講師の牧師が「皆さん神に人生を任せてください。
」
と叫ばれた。
そ
の御言葉が自分の心を叩いた。
「今私に一番大事な問題は結婚だけど、
私はこの問題を丸ごと神に任せられるのかな?」
という疑いの中で御言
葉を聞き始めたが、御言葉を聞けば聞くほど私は小さくなり神は大きくな
っていった。
集会の最終日、私は心から主と約束を結んだ。
「主よ。私は死ぬ体でし
たが主がこのように生かしてくれました。私の人生はもう主に任せて生き
ます。私の人生全てをあなたにかけます。
」
12
グッドニュース 2014.2
神がくださった
長男の1歳の誕生日。
貧しかった私たち夫婦は
子供が生まれてから
暮らしの問題で
神を求め、
恵みを受けなければ
ならなかった。
2月の証し
13
病が治りたい気持ちはあまりなかった。
救われて生きてきながら死の前に
立ってみたその時ほど主と近くて
幸せだった時がなかったからだ。
しかし、驚くことに主は私を救ってくださった。
そしてまもなく今の主人とお見合いをした。健康な人でとても感謝だっ
ながら、
「神が私たちに職場も下さり家もくださる」
と思った。私の中ではそ
た。
しかしその当時私は、脳下垂体にあった腫瘍のせいか月経が一定せ
のように主の心が大きくなっていくけれど、状況は依然として子供の粉ミル
ず年に1、2回ほどで、生理痛で病院の救急室に運ばれたこともあった。
こ
クを買うお金もなくておどおどしていた。 約一ヶ月が過ぎて、夫は教授の
のようなことが結婚を前にして内々に心配になった。
「子供を産めないの
推薦である会社に願書を出した。会社で求める条件と夫の学歴が合わなく
ではないか?」
て心配だった。結局夫は臨時職でKAI(韓国航空宇宙産業株式会社)に入社
心配な心で聖書に接していると、主を求めるものは恥をかくことがない
した。すると一ヶ月ほど働いてから会社の経営陣の交替によって臨時職を
という御言葉を神が見せてくださった。
そしてその御言葉のとおりに結婚
全て片付けることになった。臨時職の90%は退社し10%だけ正社員として
するやいなや子を産むようにしてくださった。誰にも言えなかった私の難
採用することになった。夫はどうなるだろう?夫は学歴が10%以内に入れる
しさを、主が世話をしてくださったのだ。私は子を産めない人だったが神
条件を備えていなかった。
しかし私たち家族に食べ物をくださる神が夫を
は私に語ったとおり働いてくださった。
あなたの夫の能力は大麦のパン5つにしか至らないけれど
夫は大学院で勉強していたので我が家では一定の収入源がなかった。
正社員になるようにしてくださった。
そしてまもなく約束通りに社員マンショ
ンもくださった。
このことは私の心に大きい教訓を残した。神の御言葉が私の心に聞こえ
てから、その御言葉に込められた神の心を探る方法を学んだ。門柱に耳を
二人で暮らすときは生活が厳しいことが大きな問題にはならなかった。
と
傾けて主の声を待ち望むしもべの心、主の御言葉が人生の中に現れるま
ころが上の子を産んで、子供がお腹をすかせて泣くと胸が潰れるような思
で主だけを見上げ待ち望む忍耐を神様は私に教えてくださった。
いをした。夫は勉強を止め就職活動を始めた。セールスをすると言った。
私が知っている夫は誰かを説得して何かを売ることができるような者では
バッタのように飛び上がろう
なかった。
それは不可能なことのようだった。
時間がたち広州に引っ越してきた。教会の中で1年ほど暮らしたが、早朝
そんな中、
ワールドキャンプの教師として参加したが、
イエス様が魚2匹
に起きて部屋の扉を開けると礼拝堂での早朝礼拝の御言葉を聞くことが
と大麦のパン5つで5千人を食べさせた御言葉を聞いた。主が私に
「あな
できた。御言葉を聞いては食堂に降りていって姉妹たちと一緒に朝ごはん
たの夫の能力は大麦のパン5つと魚2匹ににしか至らないけれど、私が
の支度をした。
そのように教会の中で過ごした日々は複雑で枝葉が多かっ
祝福すれば5千人を食べさせても余る能力をもつようになる。私が祝福す
た自分の生活を単純できれいに片付けてくれた。旅人の人生がどんなもの
るよ」
とおっしゃるようだった。絶望の中にいた私にその御言葉は望みに
なのかを考える時間になった。
なって心の中に根を張った。
その後三番目の子供の出産を前にして牧師に家を買ってくださいと言
キャンプが終わって家に戻りそのようにおっしゃった神の御心を探り始
われた。
お金は50万円しかなかった。マンションは千6百万円だった。手も
めた。聖書を読むと、神がカナンに至ったイスラエルの民たちに地を区別
足も出なかった。
そのことに付き合ってくれる人は誰もいなかった。
「無い
してくださるのだが、その地には城もあって野もあった。
イスラエルの民た
袖は振れぬ」
というけれど、私たちの家族は親戚など助けてくれるところが
ちにとどまる家も下さり、食物を得る野も共に用意してくださる神の心を見
なかった。私たち夫婦はお互いに顔を合わせてどうすればいいか分からず
14
グッドニュース 2014.2
2月の証し
15
茫然としていた。
その時、
アメリカのマジソン・スクエア・ガーデンで聖書セミナーが行われ
た。
アメリカの兄弟姉妹たちに伝えられた御言葉が私にも伝わった。
「バッタ
はどこに着地するかわからないけれど一旦飛び上がります。神様はそのバッ
タを清いと言われます。
」私たち夫婦はその御言葉の前で心を決めた。
これ
家に戻ってきた息子は熱が40度まで上がっては
急に34度に落ちることを繰り返した。
何も食べれず顔はどんどん
黒くなり頭が割れるほど
痛いとしきりに苦痛を訴えた。
からどうなるかは全く分からなかった。契約金を設けられるかどうかも知らな
かった。
しかしバッタのように飛び上がるときに神が助けてくださるという思
いがした。心を決めると、夫の会社が今までなかった
「退職金の中間精算制
度」
を試行した。
そのお金でアパートを契約した。
そしてマンションを担保に
借金をして家を買い入れた。
マタイによる福音書21章で、
ある人が農夫たちにぶどう園を貸した。かき
をめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立てたぶどう園だった。
そ
のぶどう園のように神は私の人生に必要なすべてのものを満たしてくださっ
た。私はそうやって主がめぐらしてくださったかきの中で本当に幸せな時間
を過ごした。
「主よ。息子が死んだら私も死にます!」
2009年、長男が小学校に入学した冬に新型インフルエンザが流行った。
学校に行ってきた息子がひどい頭痛で立ち上がれなかった。すごい熱を出
して顔が黒くなった。病院に診察に行ったが、伝染性が強い病気で病棟から
離れた組立式の建物で診療を行っていた。痛みがひどかった息子は待ち
時間を耐え切れず地べたに倒れて苦痛を訴えた。薬が足りなくて薬ももら
えない状況だったが拝み倒して
「タミフル」
をもらって帰ろうとしたが、医者
が後ろから
「検査の結果が出る前に薬を飲ませたら耐性ができてしまうか
ら、結果が出るまで1週間待たなければなりません。
」
と言った。
家に戻ってきた息子は熱が40度まで上がっては急に34度に落ちること
を繰り返した。何も食べれず顔はどんどん黒くなり頭が割れるほど痛いとし
きりに苦痛を訴えた。私がやってあげられることは何もなかった。ニュース
では20代の女性が新型インフルエンザで死んだなど連日怖い話を流して
いた。私は恐怖でなすすべを知らずに苦しみ神に泣き叫んだ。
「主よ。息子を助けてください!息子が死んだら私も死にます!私をどうか
哀れんでください!」
その時私には神が息子を守ってくださるという信仰がなかった。
どうして
でも信仰をもって自分の心にある怖い心を追い出したいけれど、息子の状
態がすこし良くなると信仰が出来るように見え、急激に悪くなるとまた恐怖
に捕らわれた。信仰の人のように毅然としていたいが状況からくる恐怖の前
で慌てている自分が嫌だった。
私は恐怖の前でおののいていたが、主は息子を誠実に守ってくださった。
神の守りの中で育つ3人の子供たち。
1週間後息子が新型インフルエンザだと確定された。
しかしその時には薬
を服用しなかった状態でウイルスに全部勝ち、すでに治っていた。
しかし他
の人に伝染することを防ぐために薬を飲まなければならないという病院の
指示で、息子は治ったあとにタミフルを飲んだ。
信仰の導き手であり、
またその完成者である
イエスを仰ぎ見みつつ
その後「私たちはエンジンが壊れた船と同様でイエス・キリストとつなが
れなければなりません。
」
という話を聞いて自分自身を見るようになった。私
は自分のなかから信仰を出したかったが、私自体は信仰を作り出すことが
できない人だという事実が分かった。
16
グッドニュース 2014.2
2月の証し
17
「信仰の導き手であり、
またその完成者であるイエスを仰ぎ見みつつ、」
(ヘブル人への手紙12:2)
信仰はただイエス・キリストに属することだった。完全者であるイエス
の心につながること、
どんな状況でも変わらない主の心を受け入れるこ
と、それが私にとって道だった。神は私がどれほどしがないものなのかを
教えてくださり、
自分から離れて主を仰ぎ見るようにしてくださった。
その
ことは私の信仰生活のターニングポイントになった。
その後あることに会
うたびに私の中から上がってくる心でなく
「主の心はどうなのか?」に焦点
を合わせるようになった。
人の奴隷でも考えの奴隷でもなく、
ただ御言葉の奴隷として
1年が経って、長男が学校でまた倒れることがあった。検査の結果不整
脈を判定された。私の親から遺伝した病気が息子にも遺伝した。
モーセの
親がモーセをもう隠しきれなくなりパピルスで編んだかごに入れて川に捨
てるように、神は私がよく育ててみたかった子供を主の手におろすように
された。
そのように私の心を導き主の中で暮らす幸せをひとつずつ教えて
くださった。
暮らしの中で、教会の中で難しいことに会うたびに私は苦しんでいた
が、そのことは全て私に主の世界を教えてくれる道具だった。一度は自
分が王宮の安楽な暮らしに溺れていたエステルのようだということを主
が見せてくださった。神がくださったことによって楽しさに陥って暮らし
ていたのだ。エステルが命を得るために王の前に出でたように私もまた
神は私がよく育てようとしていた子供たちを主の手に下ろすようにして、
主が守られ育てられることを見せてくださった。
それによって主の中で生きる幸せを教えてくださった。
生きるために主の前に出て、主は聖書の勉強が出来るように導いてくだ
さった。
長い間この地で暮らしながら私の中で形成された考えや観念がどれ
ほど私を毒にして滅びるようにするのかを、主はいろいろなことを通し
て見せてくださった。
それで永遠に変わることのない神の御言葉に焦点
を合わせ、神の御言葉がどうなのか耳を傾けられる心を許してくださっ
た。神の御言葉は種のようでその中には神のすべての力が込められて
いる。私の心に臨んだ神の御言葉が今も生きて自分の考えの皮を剥い
ている。
その御言葉が私を人の奴隷でも自分自信の奴隷でも考えの奴
隷でもなく、
ただ御言葉の奴隷として生きるように導いている。
18
グッドニュース 2014.2
2月の証し
19
ボアズの畑
人生にも見える面があって、見えない心の世界があります。心の世界で神様に
出会い形成された信仰の世界がない人は、根のない木のようです。聖書はこのよ
うな者を悪しき者と言い、悪しきものは風に吹き去るもみがらのようだと言われま
す。穀物の殻であるもみがら、穀物のない殻だけでは風に勝つことはできません。
いくら大きい船だとしても風に勝つことはできません。見えない錨が海の深くさし
込まれてこそ、激しい暴風に勝つことができるのです。同様に神とつながった心が
ある人こそが、
この世に勝つことができます。心の中心にイエスがおられる人こそ
罪悪から勝てるのです。
根は日照りが続く時に伸びます。地表から水分の供給ができないため、水を探
して根が地底まで伸びていくのです。
「しかし、約束が、信じる人々にイエス・キリス
トに対する信仰によって与えられるために、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込
めたのである。」
(ガラテヤ人への手紙3:22)
神様は私たちの心にイエス様を与えるために、私たちを罪の下に閉じ込めまし
モソ竹(孟宗竹)
キム・ソンフン(ハンバ教会担任牧師)作
た。暗闇の中で光が見えるように、私たちが暗闇の中にいる時、イエスの光が輝か
しく私たちを照らします。姦淫の現場で捕えられた女は、罪が表れて人々に石で撃
ち殺されそうになった時、イエス様だけが見えました。イエスの御言葉が、その女
に向かっていた全ての裁きを追い出されました。神はこの女にイエス様を与える
中国の東部地域に育つ「モソ
(孟宗竹)」
という品種の竹があります。
この竹は植
ために、彼女を暗い罪悪の中に閉じ込められたのです。
えてから4年間は地上に芽を出さず、枯れてしまったかのように見えるため、それ
サマリアを滅亡から救った4人のらい病人。神様が用意された食物は目に見え
を掘り起こし他のものを植えたい誘惑が何回もやってくるそうです。
ところが、5年
ない所にあり、それを先に発見したのが四人のらい病人でした。彼らは自分たち
目になると筍が伸びてきて、その後からは一日30cmづつ伸びて6週で高さが15m
が頼っていたサマリアの町には食物がなかったため、それに頼っていれば必ず死
になり、28mまで伸びてその一帯が竹森になるそうです。モソの竹は4年間、地上
ぬという事実が分かり、その町を捨てて神様に頼りました。神様は彼らにご自身が
には何も出てきませんでしたが、土の下では伸び続けていました。深さ数十メート
用意された全てのものをくださいました。それによって、彼らは自分たちだけが生
ルまで根を下ろして、かき集めた養分を一気に地上に表すのです。
きたのではなく、サマリアの町の人々を皆救う大きな働きをしたのです。
「しかし、
私たちは見えることに重点を置き、それが全てだと思います。
しかし、実際は見
聖書に書かいてあるとおり、
『目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮か
えないものが大事なことがわかります。詩篇の1篇では「幸いな人」に関して話し
びもしなかったことを、神は、
ご自分を愛する者たちのために備えられた』のであ
ています。
このような人は流れのほとりに植えられた木の、時が来ると実を結び、
る。」
自分が見聞きしたことに頼らない人は、神様が準備された素晴らしいものを
その葉もしおれず、その成すところは皆栄えると言っています。葉がしおれないの
味わえるのです。
は根を深く下ろしているからなのです。根が水につながっているので、干ばつの年
目に見えるのは殻であって、大事なものはその中に隠れている穀物です。見え
にも心配ありません。逆に根を深く下ろしていない木は、実が多ければ風が吹い
ない根を深く下ろしてこそ、干ばつに勝ち、いつも実を結ぶようになります。私たち
たとき簡単に倒れます。いくら良い実を結んでも、その実は風に吹かれると自ら倒
に一番大事なのは、私たちの心の根が神に向かって深く根を張り、神の御言葉に
れてしまいます。
出会うことなのです。
20
グッドニュース 2014.2
2月の証し
21
1.福音を伝えているか?
2014新年メッセージ
ノアは神様から、
この地を洪水で天の下から滅ぼし去るという話を聞きまし
もし信じるなら
た。
その話を聞いただけでなく、信じました。
それで福音を伝え始めました。
し
神の栄光を見るであろう
2014年、神様は私たちにご自身の栄光を見せたいと思っておられます。
かし、
ノアの8人の家族以外は皆滅んでしまいました。神様は多くの人々の命
を救うことを望んでおられるはずなのに、
どうしてそのようなことを許されたの
でしょうか?そこには理由があります。
ノアが福音を伝えて多くの人々が御言
葉を聞きましたが、彼らは御言葉を軽蔑し受け入れませんでした。
どれほど悲
しいことでしょう。
私たちの人生をご自分の栄光で満たすことを望んでおられます。
いつか私の知り合いのある教会の伝道者が、私を訪ねてきてこんなことを
私たちに要求されるのはただ一つ、信仰。
言いました。
「牧師先生。私の教会は福音のある教会なのに、ずいぶん前から
神の御言葉を信じ神の栄光を見ましょう!
救われる働きがありません。
しかしグッドニュース宣教会では救われる人々が
起きます。聖霊様が働かれているのがわかります。
」そう言って、その方は私に
聖書を教えてくれと言いました。
歳月が過ぎ、私たちがいくら福音を伝えても救われる働きが起きない時が
来るかもしれません。人々がだんだん福音を伝えることを負担に感じています。
私がテグ宣教学校で福音を伝える暮らしを始めた当時には、救われる人々
「人々を救いに
がたくさん起きました。彼らの中の多くの人々が言いました。
「この福音はとて
導くことを願うのか?
「あなたの事業を
成功させたいのか?
も貴い!これを知らないがためにどれほど多くの人々が死んでいくか!私は福
もし信じるなら神の
音だけのために私の一生を全てを捧げよう!」
栄光を見るであろう!」
それから40∼50年が経ちました。
その
時英語が上手で聖書もたくさん読み、
よく
もし信じるなら神の
悟り、福音もよく伝えていた兄弟が多くい
栄光を見るであろう!」
「息子に病気が
あるのか?
私が治すことを
「子供が福音の働き手に
もし信じるなら神の
なることを望むのか?
栄光を見るであろう!」
もし信じるなら神の
栄光を見るであろう!」
22
グッドニュース 2014.2
ました。
しかし、歳月が経ち、彼らは福音
から離れ始めました。今はその当時に福
音のために生きようと言っていた人々の
中で、福音を伝えながら生きている人は
いません。
サタンは私たちが福音を伝えるように
放っておきません。
ノアの洪水の当時に
も人々は神の名を呼びましたが、彼らの
新年のメッセージ
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スペシャル企画 2014新年の御言葉_パク・オクス牧師
心は福音から離れてしまいました。今グッドニュース宣教会に属しているからと
実を結ぶことができない木も多くあります。
いって、皆福音を伝えているのではありません。
もちろん、力強く福音を伝えて
彼らはなぜ実を失ったのですか?
いる働き手もいます。
ある兄弟は牧師でも伝道師でもありませんが、福音を伝え
神様がくださった実をよそにして、
救われる働きが起きています。
しかし、多くの兄弟たちが福音を伝えません。
他のところにはまってしまったからです。
聖書は救われた人について
「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスに
あって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過すようにと、
あらかじめ備えて下さったのである。
」
(エペソ人への手紙2:10)
「私も王になりたい。
しかし、私には神様がくださった貴い実とワインがありま
私たちは福音を伝えるために新しく作られた作品だと言われました。
しかし、救
ワインがあります。私が王になると、実を結んでその実でワインを作ることに心
われた人々が福音を伝えません。
どれほど衝撃的なことでしょう。
を尽くすことができるでしょうか。人々がお腹を空かせた時、私からぶどうの実
を求めるはずです。楽しい時ワインを求めるはずです。
その時、私に実がなかっ
たらどうなるでしょう。私も本当に王になりたいのですが、神様がくださった実を
2.実が大事なのか?
実らせワインを作ることがもっと大事なので、私は王にはなりません。
」
士師記9章では、
もろもろの木が王を立たせようと議論し、
オリーブの木を訪
ぶどうの木は神が自分にくださった実を貴重に思いました。王になれるチャ
ねていきます。
『オリーブの木よ。
あなたはとても素晴らしい。わたしたちの王に
ンスを捨てるほど貴重に思っていました。
なってください』。
オリーブの木は驚きました。
創世記1章では神様が「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のあ
「私を誘惑しないでください。神様は私に油を搾れる実をくださったのです。
る実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」
と言われました。神がこの世の全て
神様がくださったこの仕事を捨てたくはありません。正直、王になりたい心はあ
の木に種をもつ実をくださったのです。
りんごやぶどうのような木は今も依然と
ります。
しかし、私には王になるより実をつけることがもっと大事です。
」
してその実を結んでいます。
しかし、実を結ぶことができない木も多くあります。
もろもろの木はまたいちじくの木に訪ねて行って遠慮がちに言いました。
彼らはなぜ実を失ったのですか?神様がくださった実をよそにして、他のところ
「いちじくの木よ。
あなたの実はとても美しいです。
しかし、私たちの王になる
にはまってしまったからです。神は救われた私たちにも福音を伝え、実を結ぶよ
ともっとすばらしいのではありませんか。私たちの王になってください。
」
うにしました。
しかし人々は神が許された実を結ぶことより、他のところに心を
いちじくの木は大いに誘われましたが、
こう言いました。
奪われ実を結べない人生を送っています。
「神様が私にくださった実、人々を喜ばせるこの貴い実を王になるために捨
私が申命記を読みながら驚いた事実があります。神がイスラエルの民に彼ら
てるわけにわいけません。私は昨日のように今日も実を結ぶことを喜び、王には
がある町を攻めようとする時、木を切りその町を攻める機具を作り使いなさい
なりません。
」
と言われました。
しかし、実を結ぶ木は切ってはならない。実の結ばない木を切
もろもろの木はやむを得ず、ぶどうの木に訪ねていきました。
り倒して機具を作れと言われました。実を結ぶ木は神に保護され、実のない木
「ぶどうの木よ。
あなたが私たちの王になってください。
」
は呪われるということを言っています。今日、実を結ばない暮らしをし、それで悲
ぶどうの木は深く考えてから答えました。
惨になった兄弟姉妹が多くいます。
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グッドニュース 2014.2
新年のメッセージ
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スペシャル企画 2014新年の御言葉_パク・オクス牧師
もろもろの木がぶどうの木に言いました。
を結ぶようにしてくださったのですが、サタンはこのように言います。
「ぶどう木よ。私たちの王になってください」
「あなたは実を結んだことがないでしょう。
あなたが実を結ぶなんて無理。
「私は王より実を結ぶのが好きです。
」
いっそのこと王になったほうがいい。
」
「王になるととてもいいですよ。
」
「でも私は実を結ぶのがもっといいです。
」
多くの木が実を失いましたが、2013年の一年間にも多くの兄弟姉妹たちが
このようにオリーブの木、いちじくの木、ぶどうの木は今日に至るまで実を守って
困難な中でも実を結ぶ人生を生きるのを見て、
とても感謝しました。
います。
しかし多くの木が神がくださった実を捨てました。私たちの周りに実を結
ソウルのある姉妹は血管が伸びてしまう珍しい病気になりました。血管が普
べない木が多くあります。神様が創造される時、彼らも皆実を結ぶようにしてくだ
通の人の4倍も伸びてしまいました。
ある日その姉妹が私に訪ねてきて、
「牧師
さったのにです。
先生、私手術を受けないといけないそうです。
お祈りお願いします。
」
と頼まれま
木の話は私たちのことを言っているのです。今日救われた多くの兄弟姉妹が、神
した。私がお祈りをしました。少し時間が経ってその姉妹から再び連絡がありま
がくださる実には興味がありません。実に心を注ぐべきなのに、王や長官になる
した。
「先生、今日手術しなければ死ぬそうです。
しかし私は信仰で治りたいの
ことに心を奪われ、神がくださった実を結ぶ人生を捨てました。神は私たちが実
です。
」
姉妹は血管がとても伸びていますが、今信仰によって病気に勝っています。
姉妹の治療を担当するその分野で権威のある医者から
「今手術をしなければ、
あなたは1週間以内に死にます。
」
と言われました。姉妹が「手術するとどうなり
木の話は私たちのことを言っているのです。
今日救われた多くの兄弟姉妹が、
王や長官になることに
心を奪われ、神がくださった
実を結ぶ人生を捨てました。
ますか?」
と聞くと、体が麻痺するかもしれないし命に危険がある可能性もある
が、今、何もせずこのままいると死んでしまうのが明らかなので、わずかな期待
をかけて手術しなければならないと言われました。
しかし、姉妹は信仰によって
手術を受けませんでした。今は健康です。去年の秋のソウルの大伝導集会には
友達を連れてきました。友達が救われとても喜んでいました。
その友達は福音
があるという教会に通い福音の知識がありましたが、信じられなくて苦しんでい
た方です。少し前のクリスマスカンタータ公演の時も、姉妹は多くの人々を招待
しました。
神様が姉妹を連れて行きたくても、姉妹を通して救われる実が起き続けてい
るのです。医者は姉妹が生きていることで驚きます。姉妹も、
自分は死ぬ体だが、
神の恵みによって生きていることがわかります。姉妹は他のことはせず、
ただ忙
しく福音を伝えます。普通の人は、その様な状況に置かれれば、本当に死んだら
どうしようと思って恐れながらじっとしているでしょうが、
「わたしが生きている
理由があるなら、それは福音を伝えるためなんだ」
とあちこち駆け回りながら
福音を伝えています。
それで救われる人が起き続けているのです。
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グッドニュース 2014.2
新年のメッセージ
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3.もし信じるなら神の栄光を見るであろう
「イエスは彼女に言われた、
もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、
あなた
に言ったではないか。
」
(ヨハネによる福音書11:20)
マルタは兄ラザロが死んだ後、
イエス様に会いました。
イエス様に
「主よ、
もし
あなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」
と言い
ました。
その時イエス様はマルタに
「あなたの兄弟はよみがえるであろう」
と言わ
この御言葉がとてもいいのです。
「もし信じるなら神の栄光を見るであろう」
何も頑張らなくても、
ただ信じるなら神の栄光を見るのです。
れました。
イエス様はラザロをよみがえらせるために来られました。ベタニヤにいるラザ
ロが死にましたが、誰が生かすことができましょう。誰ひとり死んだ人をよみがえ
らせることはできません。
しかし、
イエス様は我々とは違います。
イエス様はラザ
ロをよみがえらせることが出来ます。
イエス様はラザロを生かそうと心を決めま
した。
マルタは「あなたの兄弟はよみがえるであろう」
というイエス様の御言葉を聞
きました。
イエス様の御言葉には力があるためできないことがありません。
イエ
ス様がよみがえると言われたのならよみがえるのに、マルタは「死んだ人がどう
やって生きるの?ありえない!」
と思いイエスの御言葉を受け入れませんでした。
イエスはラザロのお墓に行かれました。墓の中のラザロを生かすためには、
墓に置かれていた石を取りのけなければなりませんでした。
イエスはマルタに
「石を取りのけなさい」
と言われました。するとマルタが「主よ、
もう臭くなってお
ります。四日もたっていますから。
」
と言いました。
マルタはイエス様の御言葉を
信じず状況を信じました。状況を見るとラザロが生き返るなんてあり得なかっ
たからです。
イエス様の御言葉は力です。言われたことはその御言葉が成し遂げてくださ
います。
イエス様が「あなたの兄弟はよみがえるであろう」
と言われたならよみ
がえます。
しかしマルタは「死んだ兄がどうやって生きるんですか?ありえません
よ。終りの日のよみがえりの時にはよみがえるでしょう。
」
と自分の考えを信じま
した。
ラザロが腐って臭くなっていますと答えたマルタに、
イエス様がもう一度言わ
れました。
「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、
あなたに言ったではないか。
」
この御言葉がとてもいいのです。
「もし信じるなら神の栄光を見るであろうと、
あ
なたに言ったではないか!」何も頑張らなくても、
ただ信じるなら神の栄光を見
るのです。
皆さんに今まで救われる実がありませんでしたか?祈っても答えてもらえませ
んでしたか?生きていくのが大変でしたか?主は皆さんの中で働くことを望んで
おられます。
そして、言われます。
「あなたの事業を成功させたいのか?もし信じるなら神の栄光を見るであろう!」
「人々を救いに導くことを願うのか?もし信じるなら神の栄光を見るであろう!」
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グッドニュース 2014.2
新年のメッセージ
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スペシャル企画 2014新年の御言葉_パク・オクス牧師
主に任せてください。
そして主が成し遂げられることを信じてください。
2014年には皆さんの人生が
神の栄光で溢れるでしょう。
私の人生を振り返ってみると、神が私になさったことが多くあります。病気も治り、
福音を伝えられるように導いてくださいました。最初から成し遂げられたことは一
つもありません。私の目には到底出来そうに見えなかった時、御言葉を信じました。
すると神が働き始めました。今日も神が働かれることを信じます。
神が私たちに働かれることを信じてください。私が伝道すると、人々が救われる
ことを信じてください。私が祈ったら夫が変わることを信じてください。私が御言葉
を伝えると子供が変わり、貴い福音の働き者になることを信じてください。するとみ
なさんが神の栄光を見るでしょう。神を信じるなら主と同じ心になります。すると神
が私たちを通してご自身の栄光をあらわされます。
「子供が福音の働き手になることを望むのか?もし信じるなら神の栄光を見る
であろう!」
「息子に病気があるのか?私が治すことをもし信じるなら神の栄光を見るであ
4.2014年は…
ろう!」
2014年は皆さんが健康になるように願っています。皆さんに神の御霊が満た
主は我々に
「もし信じるなら神の栄光を見るであろう!」
と言われます。
されることを望みます。皆さんがされる全てのことに神が働かれた証が出来るよ
さあ、
この御言葉をまず信じましょう。
そうすると皆さんの中に神の栄光が現れ
うに。神様が皆さんにもっと深く働かれるように。神様が福音を伝えたことで得る
るでしょう。救われる実が結ばれ、神の働きが起きるでしょう。
喜びで満たされるように。神様が豊かな物資を与えられ皆さんが豊かな物資で
神は我々を通して力強く働くことを望んでおられます。神は皆さんに働く全て
福音の働きが出来ますように。青年たちは良い夫や妻に出会い、結婚をして幸せ
の用意を備えました。難しい問題がありますか?病気になってしまいましたか?
になりますように。皆さんから福音を聞いて救われる実がたくさん起きますようお
聖書がよく読めませんか?祈りが上手くできませんか?献金をする時、
もったい
祈りします。
ないと感じますか?子供が問題を起こしますか?それは主に任せてください。
そ
して主が成し遂げられることを信じてください。2014年には皆さんの人生が神
の栄光で溢れるでしょう。
30
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新年のメッセージ
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異国で暮らしながら
タウングーで行われた修養会
キム・デイン(ミャンマー宣教師)作
ミャンマーは?
1989年、国名を「ビルマ」から
「ミャ
ンマー連邦共和国」に変更。1983
年に起きた「ラングーン事件」の痛
みもあったが、2012年5月14日に韓
国―ミャンマーの頂上会談を行っ
て以降、韓国の関心が集まっている
国である。
ターナーカー
木の皮を水
に濡らし石の
「ターナーカ
盤に研いだ
ー」。天然日焼
粉を顔に塗る
け止めだ。
国土は日本の約1.8倍程度で、人口は
6千万人と推定される。韓国人は2
千人ほどが住んでいる。首都は2006
年に「ヤンゴン」から
「ネピド」に変わ
ったが、
まだ人口の60∼70%ほどが
ヤンゴンに集中している。
以前ヤンゴンから車で6時間かかる田舎の町「タウングー」
で冬の修養会兼
IYFキャンプを行った。
ある高校を借りたが、教室ごとに仏像が一つずつ置かれる
仏教国家では、それはほとんど不可能なことだった。
ここでは大抵の学校で学生
たちが授業の30分前に仏像に拝んで瞑想の時間を持つ。教師も校長先生から普
政治的混乱で経済が立ち遅れ現在
は貧困な国であるが、1970年代で
も韓国よりは経済的に進んでいた。
金、翡翠、玉以外に多くの天然資源
があり、国土の大部分が沃土なの
で稲作に良くゴムの木や品質の高
1988年に始まった軍事政府を経て政
通の教師まで大体仏教徒だ。
そのため私たちが借りようとしていたある学校の校
治が安定し、2010年には民政が始まっ
長先生は最初からダメだと言った。
自分には学校を貸してあげる権限もないし一
た。民主化運動や解放の流れに乗って、
外国人の旅行客や事業家たちがミャン
マーへ急激に押し寄せている。発展の
可能性がとても高い国だ。
いチークの木が良く育つ。発展の可
能性がとても高い国だ。
の広報映像を見て心を開いた。
そして生徒たちの冬休み期間である去年の12月
に、冬の修養会やIYFキャンプを行うように許可してくれた。
修養会をする間、室内体育館を借り外部で福音伝道集会も行ったが、千人を
上回るタウングーの市民が参加して福音を聞き喜んでいた。確かにイエス様は
衣装の「バソー」
というスカートやビー
私たちと共におられた。
チサンダルを好む。
ミャンマーには、物
2010年にパク・オクス牧師を招待しタウングーで聖書セミナーを行ったことが
が所々に残っている。バソーを履いて
自転車に乗ったりボールを蹴ったりし
ているのがよく見られる。
もし木陰で
男がうずくまっていると、それは大体女
性のように座って小便をしているので
ある。
グッドニュース 2014.2
員会に行ったら文部省に行きなさいと言われた。
あれほど冷たかった方々がIYF
ミャンマーの男はまだズボンより伝統
質主義に世間擦れしていない純粋さ
32
度も貸してあげたこともないから、教育委員会に行ってみなさいと言った。教育委
あった。
その時にはタウングー教会は小さい建物を借りて使っていた。当時パク
先生は大きい礼拝堂を得るように祈ったが、その後建物が建てられている500余
坪の土地を奇跡的に購入した。
ちょうどその土地はカトリック所有の土地で、
ミャ
ンマーでは唯一宗教敷地として認められたところだった。仏教国家にも関わらず
自由に礼拝が捧げられる場所を得たのだ。今はタウングー教会がその都市で大
きい教会になり、今回冬の修養会までできたのだ。私たちと共におられる主に栄
光を!
異国で暮らしながら
33
切り株に座って 編集部
52回の
腕立て伏せと
人生
52歳のある牧師がおられる。先生は特に運動をたくさんしたり生まれ
つき身体的に優れたいい体格の持ち主ではなかった。
だからといって太
美しい思い出が多い人はその心に
「幸せの小川」が流れる。深い感激
っていたり病弱でもない平凡な体格の人だった。
その牧師は腕立て伏せ
を与える大きくて栄えあることを経験した人の心には「幸せの川」が流れ
をいっぺんに20∼30回ぐらいできた。
ところが不思議なことはその牧師
る。
その幸せな心は私たちの体を導き、人生の道で出会う手強い敵のよう
は腕立て伏せを自分の年の52回まで出来る秘訣を得た。
に思える逆境を乗り越えさせる。
その秘訣はこれだ。腕立て伏せの回数に合わせてその年の時のことを
イエス・キリストの中で味わう幸せほど偉大で美しいものはない。軟弱
思い出すのだ。例えば30回目をする時、
「私が30歳の時、次男が生まれ
て邪悪な私たちに注がれる主の恵みや主を信じる時に現れる大きい力
たな」
とその時のことを思い出す。
そのように52年の歳月を思い出しなが
を味わう時、私たちはこの世のものではない幸せを感じるようになる。
そ
ら腕立て伏せをしていると体が疲れを忘れ、いつの間にか52回を終える
のように味わった幸せが私たちの心の中で小川になり大きな川になって
そうだ。
、私たちが福音の働きをするたびに出会う様々な問題や様々な苦難の山
先生が何を思い出すかは分からないが、幸せなことを思ったはずだ。
を超えることができるようにする。
暗くて辛いことが思い浮かんだら、腕立て伏せに力が入らず苦しんだは
ずだからだ。
その牧師はきっと素晴らしい52年を思い出しただろう。
34
グッドニュース 2014.2
切り株に座って
35
無銭伝道旅行記
深い山奥で出会った
あるおじさん
ジョン・グンチャン(ボルギョ教会牧師)作
お金を持たずに出る無銭伝道旅行。
グッドニュース宣教会の教役者たち
は度々無銭伝道旅行に出ます。
しかも、かなり冷え冷えとした季節。
どこで
寝て、食事はどうするのか?すべてに神の御手を感じます。そして伝道旅
行中に出会った心の貧しい人。彼が福音を受け入れ救われて喜びや感謝
を話す時、伝道者は言葉にできない喜びや感謝を共に感じ、神に栄光を
捧げます。教役者たちの無銭伝道旅行記を連載で紹介します。
の旅程は、
ソウルから出発し全州まで行きその周りの田舎町で伝道すること
だった。
初日、ひたすら歩いたり車に乗せてもらったりしていたら、いつの間にか夜
中になっていた。私たち夫婦は町並みもない野原を歩いていた。11時頃、車1
台が通り過ぎるのを見て手を挙げたら乗せてくれた。全州のどこでもいいから
町に降ろしてくださいと頼み、最初は少し話をしたがあまりにも疲れていたの
で眠ってしまった。運転していた青年に起こされて目を開けたら、全北大病院
の葬儀場の前だった。
そこで今晩は泊まったらいいですと言ってチョコパイや
私が救われた話
無銭伝道旅行の話を始める前に、私が主と共に生きるようになったいきさつを
短く話したい。
「このままお酒を飲み続けると3年以内に死にます。
」救われる前、
私の体はお酒によって肝硬変になっていた。30を超えたばかりの時だった。
そん
な忠告にも耳を貸さず「お酒でも思い切り飲んで死のう!」
ともっと多くお酒を飲
み始めた。胃から出血が起き、血を吐いた。母が病院でもらってきた薬は飲まずに
全部捨てた。
そのように暮らしながら家族の導きで夏の修養会に参加し、
「罪の赦
し・生まれ変わる秘密」
を読み、伝道集会に参加し御言葉を聞いているうちに救
われた。1987年のことだ。
無銭伝道旅行に出発
数年前、
グッドニュース・ウイジョンブ教会で教役をしていた時、妻と一緒に旅
立った無銭伝道旅行。神様が働かれるだろうという思いもあったが、
「空腹は我慢
したとしても、
どこで寝ればいいんだ」
と心配していた。私たち夫婦の伝道旅行
36
グッドニュース 2014.2
チョコレート、お菓子が入っている袋をくれた。甥にあげようと買ったものだっ
たのだが、伝道旅行をしている私たちにあげたいと言っていた。
暖かく一晩を過ごして、朝二人で祈り、神様がなぜ私たちを葬儀場に導い
てくださったのかを考えた。私たち夫婦から出てくるものは全て死んだものだ
からそれに頼るなとおっしゃるようだった。
「あるおじさんが私たちをこの山間に下ろして行きました」
病院から出てイムシル郡に到着し、
ある町の会館に入り15人のおばあさんに
福音を伝え始めた。2時間程度福音を伝えると心がとても幸せになった。
その日の
夜は隣町の村長の配慮により会館で夕ご飯を食べ、豚肉が入ったキムチチゲや
大根キムチを美味しく食べて暖かい所で寝ることができた。
翌朝、お湯でシャワーを浴び、朝ごはんを美味しく食べて祈ってからまた足を
踏み出した。今日は主がどんなところへ導いてくださるだろうか…?
あっちこっち村を回りながら伝道するうちにまた夜になった。
その夜をどう過ごす
無銭伝道旅行記
37
「私が癌にかかってから空気のいい所で休養をすればいいと
言われて、
この奥山に入って来て住んでいます。私が癌で
いつ死ぬかわからないのに、神様が牧師先生のご夫婦を
私の家まで送って下さり福音を聞かせてくださって、
私を救ってくださいました!とても感謝します!」
か途方に暮れたが、
「神様がまた私たちのために用意しておいたはずだ」
と思った。
それで夜が更けても私たち夫婦は歩き続けた。
しばらくすると車が通ったのでまた
「神様が牧師先生のご夫婦を私の家まで送ってくださいました。」
乗せてもらって、
どこでもいいので下ろしてくださいと言うと、
ある山間に私たちを下
暖かく寝て朝早く起きて、私たちは祈った。
その夫婦も起きて食事をした後、私
ろしてくれた。
とても絶望的だった。
そこがどこなのかも知らず、
ただ山道を歩き始め
たちはその夫婦に福音を伝え始めた。感謝なことに、癌にかかった主人が救われ
た。10時が少し過ぎた時だった。
た。主人はこう言われた。
しばらく歩いていたら車のライトが見えたので、手を挙げて止めてとりあえず乗せ
「私が癌にかかってから空気のいい所で休養をすればいいと言われて、
この奥
てもらった。女性が運転をしてご主人はとなりに座っていた。
山に入って来て住んでいます。私は長老教会に16年間通いましたが、
こんな御言
「どこまで行かれるかわかりませんが、私たちは無銭伝道旅行をしています。
ある
葉は初めて聞きました。私が癌でいつ死ぬかわからないのに、神様が牧師先生の
方が私たちをこの山間に降ろして行かれました。
」
ご夫婦を私の家まで送って下さり福音を聞かせてくださって、私を救ってください
女性は「誰がこんな山奥に降ろしていったの?」
と言い寝場所はあるのかと聞い
ました!とても感謝します!」
た。ないと答えると
「こんな夜中にどこに行くつもりですか?」
と言い、
自分の家に泊
主人は感謝な心を熱く私たちに伝えた。
まるよう言われた。奥さんは癌にかかったご主人の治療のために娘の家に行って2
とても深い山の奥にあるその家を出ながら、私も神にとても感謝した。癌にか
ヶ月ぶりに帰るところだと言った。
その時はちょうど口蹄疫の発病を抑えるため、外
かっていた主人を思い、私たちを山間まで送り、2ヶ月ぶりに家に帰ったその夫婦
部の人や外部に出て行った村人が入ってくることを禁止していたからだ。
に出合わせた神様!そして主人の心を開かれ福音を受け入れて救われるようにし
村長からもう来ていいと連絡を受けて、2ヶ月ぶりに家に帰る途中、その山間で私
てくださった神様を思いっきり賛美したかった。
たち夫婦に出会ったのだ。
奥さんはさらにもっと深く高い山間に入り始めた。到着してみるとポータブル・ハ
奥さんは私たちをイムシル村まで乗せてくれた。
その後も神様は伝道旅行の期
ウスが一軒建てられてあった。2ヶ月間ボイラーを起動させていなかったためボイラ
間中ずっと私たちと共におられた。伝道旅行の最後の日、全州から高速バスに乗
ーも凍っていたが、劇的に稼働した。すぐご飯を炊きチゲを作り、
とてもおいしく夜
ってソウルに帰る私たちの心は幸せでいっぱいになっていた。
中に食事をした。
38
グッドニュース 2014.2
無銭伝道旅行記
39
私の道の明かり
とを知り、私の状態について言われた。私は干渉される
幸せな大学1年
チェ・ウンギョン(プサンデヨン教会)作
のが嫌で牧師婦人に自分の変わった姿を見せるために
努力したが、牧師婦人はそれを受け入れてくれなかっ
釜山の釜慶大学英語英文学科の1年生の私は、幼い
御言葉が聞こえた。
た。
御言葉が心に
数ヶ月後、
自ら手に負えないほど自分の本音が表れ始
入ってから私はもう
めた。勉強しながら明るく過ごしている友達とは違って、
「今死んだら天国に行けるのかな?」
暗い私の心にこの
私は考えに溺れて泣きながら時間を過ごした。
自分が
精神病患者のようで、
自己中心で汚く思われた。
これ以上自分の姿に
縛られる必要は
なかった。神が私を
頃から教会で育てられた。
自動車関係の仕事をしていた
父(チェ・ナムヒョン牧師、
ジェチョン教会)が教会の牧師
神様が私を罰しないと言われた。
これ以上罰しない
に導かれ教役者の道を歩み、以降私の名前の前には自
そのような状態でドイツのワールドキャンプに参加し
然に牧師の娘という修飾語がついた。
その修飾語は私
た。2012年6月8日午前、キャンプの講師であるパク・オ
と言われることが
の名前だけでなく私の心にもついた。
クス牧師が姦淫の現場で捕えられた女の話をされた。
私のそばにいた人々は、私によく明るく優しいと言っ
その女は死ぬしかなかったが、
イエス様がその女を罪
た。
それで私は自分が明るくて優しい子だと思っていた。
から解放してくださった話を聞いた。牧師先生はこの聖
自分勝手な悪い姿が出てくると隠そうと必死だった。
書の御言葉がその女だけではなく今日神様が私に言
中学校の卒業を前にして父の教役地の移動があり、親
われる御言葉だと言われた。
についてカンウォンドに引っ越した。
自然に私が進学し
「私もあなたを罰しない。
」
ようとしていた高校には行けなくなり、
ウォンジュのリン
暗い私の心にこの御言葉が聞こえた。御言葉が心に
カーン・ハウススクールに入学した。
そこでも楽しい心
入ってから私はもうこれ以上自分の姿に縛られる必要
で友達と明るく過ごしていた。
しかし2年生になり
「今死
はなかった。
その日私はたくさん泣いた。私は本当に悪
んだら天国に行けるのかな?」
と疑問が湧いてきた。
自
なので誰が見ても地獄に行くことが当然だったのに、
イ
分の心に神の御言葉がなく福音を信じる信仰がないと
エス様がそんな私のために血を流されたことに感謝し
いうことを発見した。
このような問題を話したが、周りで
た。神が私をこれ以上罰しないと言われることがとても
は私の信仰が揺れていると言うばかりで深く話し合お
感謝だった。私の心に平安と幸せが満ちた。
とても感謝だった。
うとはしなかった。
救いの問題についてこれ以上話したくなく、
日常に
戻って過ごそうとしたが思ったとおりにいかなかった。
その時、
ちょうどグッドニュース・ウォンジュ教会に新しい
牧師が移動してきた。
その牧師婦人は私が表では明るく
しているが、裏では人の顔色を伺いながら暗く過ごすこ
40
グッドニュース 2014.2
条件がない私に神様が条件になってくださる。
救われた直後は「私たちの宣教会や親の人生に働か
れた神様が、今は自分の心にも働かれた。
」
と思ったが、
時間の経過とともに教会に導かれたい思いが生じた。
私の道の明かり
41
(上)学院祭の時
アフリカのボランティアを広報した。
(下)
ワールドキャンプの
ボランティアを通して救われた
同じ学科のヘジョン
(左)
と。
ドイツのキャンプが終わって帰ってきて本格的に大学
一生懸命勉強したが中間テストの結果は悲惨だった。
入試の準備を始めた。漠然と入りたかった大学や学科を
その上帯状疱疹にまでかかって病院で横になっていろ
目標に2ヶ月間準備した。
しかし神様は自分の希望とは関
いろなことを考えた。神様が一生懸命勉強する私を嫌
係ない大学や学科に私を導かれた。私が想像できない
がられているのではなく、神様を信じられず不安の中
私はこの世に
方法で一つ一つ道を開いてくださって、釜慶大学英語英
で勉強している私に干渉しておられるという思いがし
属しているもの
文学科に合格するようにされた。
そのように神様が私の
た。私は神に叫んだ。
道を開いてくださることが感じられたが、
自分の心には不
「神様!私には知識もなく、体も弱いです。
こんな姿を
安や恐れがあった。
神様が誰よりも知っておられるのですから、私の経験
イエスに属している
高校3年も終わりかけていた2012年の11月末のある
や考えではなく、神が望む方向や方法で私を導いてく
人であるため、
早朝の集いで、
イエスの手に持たれた大麦のパン五つと
ださい!」
魚二匹の話を聞いた。
「この世では大麦のパン五つと魚
それからは私の考えとは違ったが、牧師がおっしゃっ
この世では条件が
二匹のような条件では結果も小さくなるしかないが、聖
た通りにゆっくり休みながら楽しく勉強した。
しばしば
書が言われる世界では有り余るほどもっと豊かで満ち溢
「このように勉強していていいのかな?」
と思ったがとに
条件になって
れるように神様が働かれる」
という御言葉だった。今まで
かく信じてついていった。不思議なことに1学期の期末
くださるという
私は、大学には合格したものの入学してから勉強するに
テストの成績が随分上がった。他の友達に比べると依
は英語の実力が足りなく、性格も気が弱くて友達と付き
然として遅れていたが、成績と関係なく主が自分の心
合うこともうまくいかずお金もない、
という自分の条件だ
に喜びを与えてくださるという信仰をくださった。学校
けを見ていた。
しかしその朝御言葉を聞きながら、私はこ
の校則によると私は奨学金がもらえなかったが、いき
の世に属しているものではなくイエスに属している人で
なり学校の奨学金制度が変わり成績と関係なく2学
あるため、
この世では条件がない私に神様が条件になっ
期にも全額奨学金をもらうようになった。
てくださるという思いがした。
自分の中にあった不安がな
夏休みの間に同じ学科の友達が釜山で行われた
くなった。
ワールドキャンプにボランティアとして参加して救われ
その朝御言葉を
聞きながら、
ではなく
ない私に神様が
思いがした。
た。
とても感謝した。心を分かち合える友達ができたの
牧師がおっしゃったとおりゆっくり休みながら楽しく勉強した。
だ。大学で送った初めての一学期の間、神がご自分の約
2013年の春、釜山に引っ越して来て大学の生活を始
束のとおりに私の条件とは関係なく働かれるのが不思
めた。私はリンカーンハウススクールの英語の教師にな
議で感謝した。
る夢を抱き、良い成績を取れるように一生懸命勉強した。
釜山デヨン教会のパク・ヨンジュン牧師は私に休みなが
その願いは私が持っているものではなく
らしなさいと言われたが、
「私は他の子より5倍勉強して
神がくださったから
のビリなのに、牧師は私の状態が分かってないからそう
2学期が始まる前、聖書の御言葉を聞いている時に、
言われるのだよ」
と思っていた。
42
グッドニュース 2014.2
「勉強も大事だが、神と信仰を学ぶのがもっと大事で祝
私の道の明かり
43
福だ」
と神様が心に線を引いてくださった。
それからは学
校生活や福音の仕事が重なる時、負担でなく喜びで福音
の働きをともにすることができた。
ある日教養科目の授業で、教授が学生全員に5分以内
で自由主題で発表するようにと課題を出した。初めに発
いよいよ発表の日、人々は幸せを探し求めるが聖書の御
言葉以外に幸せを探し出すことはできないと言って、神
様が私に許してくださったことを大胆に話した。
うまく話
聞いて私の出番では「5分聞いて天国に行こう」
というタ
イトルで友達に話したいと思った。
その心が神がくださっ
た心なのか、私がただ思ったことなのかがわからなくて
神に教えてくださいとお祈りした。
数日後、早朝の集まりの時だった。偶然「あなたは彼の
心の願いをゆるし、そのくちびるの求めをいなまれなか
った。
〔セラ〕
」
(詩篇21:2)
という御言葉が心に入ってきた。
私が思ったことが神様がくださった願いであることが分
学校で友達と一緒にグッドニュースコア
海外ボランティアを広報している。
かった。
しかし
「ちょっと待って。
この心に従ったら学校で
変な子だと陰口を言われる」
と思い始めた。私は教会の
大学生の集まりでこのことを話して祈りを頼み、御言葉を
聞きながら心に再び力を得た。
2014年に海外ボランティアに行くためにグッドニュー
スコアの団員に申し込み、2次ワークショップの公演で幸
せは聖書の御言葉のみにあると正確に学ぶことができた。
ワークショップが終わった後釜山に戻ってきてからも、
こ
のことが心にずっと留まっていて力を得て発表を準備し
た。準備する過程でサタンは私の足りない姿を見せて挫
折させたが、詩篇に書かれている
「彼の心の願いをゆる
この世のいろいろな
せず、
また時間も超過していたが、学生たちがかなり真
ことが私の目を奪い
剣に聞いていた。神に感謝した。
好奇心を起こさせて
表した友達は「5分で終わる韓国史」
というタイトルで退
屈で長そうな韓国史を簡単明瞭に話した。友達の発表を
考えが湧き上がり、
誘惑したが、
神様は結局御言葉通りに私を導かれた。
神は結局
2学期には学校生活に慣れて、
この世の誘惑にも心
御言葉通りに
を少し奪われたが、私の中におられる御霊がそれに気
付かせてくれ神様が願う道に私を導かれた。
私を導かれた。
私にはできることも秀でたこともあまりないのに、私
は自己中心である。
このように不足な私が救われた後、
自分の姿とは全く関係なく神様が御言葉で私を導いて
くださることを確かに感じた。
自分の考えが湧き上がり、
この世のいろいろなことが私の目を奪い好奇心を起こ
させて誘惑したが、神は結局御言葉通りに私を導かれ
た。神の御言葉に導かれると自分が努力することなく休
めてとても幸せだった。
今年はグッドニュースコアの団員として1年間海外
ボランティアに行く。2013年には周りにいる人々に直
接福音を伝えられなくて惜しかったが、2014年には海
外に出て思い切り福音を伝え実を結ぶ一年を送るとい
う希望がある。
これからも私の姿とは関係なく神様が恵
みを施し、私を平安や幸せの中で福音の働きをしながら
生きるようにしてくださると信じる。
し」
という確かな御言葉が私の心を導いていった。
その願
いは私が持ったのではなくて神様がくださったのだから、
最後も神様が責任を取ってくださるという思いをした。
44
グッドニュース 2014.2
私の道の明かり
45
宣教師手記2回
初めて踏んだベナンの地
2001年2月初めてベナンに入って行った。私のよう
神様を待つことと
神様の時を待つこと
な不足な者が他国に行って福音を伝えられるように導
いてくださった神様や教会の前に涙が出るほど感謝し
た。トーゴの国境を越えたらベナンの地だった。一度
も踏んだことがなかった地、韓国では聞いたこともなか
った地を踏んだ時、私の心には感謝が溢れた。道端
キム・クァンウン(ベナンの宣教師)作
に並んでいるヤシの木、そして車の中からも大西洋が
見える場所、ここで私が福音を伝えられるということが
ベナンに福音を伝えさせてくださった神様と教会の前に、
涙が出るほど感謝しました。下手なフランス語で伝える福音を聞いて
人々が救われ教会に来るのがただ不思議でした。しかし悲しみや苦痛、
そして倒れることもありました。そのすべてのことを経て、
神様は私をベナンに福音を伝えるものとして立たされました。
とても光栄なことだった。
「私はベナンに福音を伝えに来たのであって、
ナイジェリアの宣教師ではないだろう?」
ガーナとトーゴにおられた二人の宣教師は、私たちの家族が到着する前に先
にベナンに行って、私たちが住む家を探してくれた。4部屋で、集まりができる大
きいリビングルームがある家だった。
私たち夫婦は毎日午前と午後に伝道に行った。しかしベナンはフランス語を使
う国で英語ではコミュニケーションが難しかった。言語を学ばなければ福音を伝
えることもできなかった。首都のコトヌーにはナイジェリア人がたくさん住んでいて
先に彼らにあって英語で福音を伝えた。しかしナイジェリア人は教会に繋がらな
かった。
一度は「私はベナンに福音を伝えに来たのであって、ナイジェリアの宣教師で
はないだろう?」と思った。それからナイジェリア人に会わずにベナンの人にだけ
会おうと決めた。実際ベナン人に福音を伝えようとすると、やはり言語という壁に
ぶち当たった。フランス語を習わなければならないのに、どうやって勉強すれば
いいのかが分からなかった。家庭教師をやとうお金もなかった。
ある日、本屋で英仏辞書を買って「地獄はフランス語でなんというのだろう?天
国は?」と単語を一つずつ覚え始めた。幸いなことにフランス語は英語と語順が
似ていた。フランス語を勉強するとき、聖霊が先生になってくれた。私を教える家
庭教師は人間ではなくて聖霊だった。
46
ベナン宣教の初期。
御言葉を伝えている筆者。
グッドニュース 2014.2
私の道の明かり
47
人々が私の言うことをよく理解していた。
勇気づけられて福音を伝え始め、
驚くことに一人一人救われていった。
そして彼らが教会に通い始めた。
ランプを灯して集まり、隣から水を買って
使わなければならなかったが…
ベナンに行って数ヵ月後、大家さんが電
話、水道、電気を全部止めてしまった。私
たちは理解できなくて大家さんに理由を聞
いた。すると大家は「家を契約する時、1年
分を先払いして毎月家賃を出さないといけ
少しずつ言葉を習いながら人々に話し始めた。人々が私の言うことがわからない
ないのに、どうして数ヶ月間お金を払わな
と思っていたが、よく理解していた。勇気づけられて福音を伝え始め、驚くことに一
いのですか?」と言った。お金を払わなかったから全部止めたということだった。契
人一人救われていった。そして彼らが教会に通い始めた。ただ不思議だった。私
約するとき、お互いの認識が違ったようだ。私たちの方式では1年分を先に払った
が韓国にいた時には直接福音を伝えて教会に出た人がひとりもいなかった。しか
のなら、1年間は払わずに暮らせるはずだが、ベナンでは1年分を先払いして毎
しベナンでは、やっと覚えた下手なフランス語で福音を伝えても人々が救われて
月家賃を出さなければいけなかった。大家さんはものすごく怒りながら今すぐ出て
教会に通い始め、とても嬉しく感謝した。
行けと言い、お金を払えと言った。
そして人々の心に福音が入ると、彼らは通っていた教会を果敢に捨てて私たち
払うお金がなく夜にはランプを灯して集まり、水は隣から買って使わなければな
の教会に通った。福音がどれほど驚くべき力を持っているのかが分かった。東洋
らなかった。それ以外にもいろんな困難があった。しかし福音を伝えている間、私
から来た白人、大金持の国から来た白人、人々はその白人からお金を得ようとし
たちは難しいことをすべて忘れていた。
たが、彼らは私からお金ではなく福音を得て神様に出会った。(アフリカでは東洋
人を白人と言う)
「これはどういうことなのか…!」
その頃、私たちは毎月一回ずつガーナに行って集まりを持ち、ガーナの教会
から生活費を受けてひと月を過ごした。ある日、ガーナに行って来た日、妻が「
頭が痛い」と言いながらベッドで横になった。マラリアにかかったのだ。薬を飲ま
せたが治らなくて「明日は病院に行ってみよう」と思った。力がないときは、はちみ
つを飲ませたらいいと思って妻にはちみつをやろうと思ったが、妻は目がうつろ
になり昏睡状態に陥ってしまった。急いで家を出てタクシーに妻を乗せて大学病
院に向かった。夜遅く病院についたが、病院から妻に投与する薬を買って来い
と言われた。私はあっちこっち走り回って薬を買って医者に渡した。
翌朝、医者に妻の状態を聞いたら、何事もなかったかのような表情で妻が死ん
だと言った。
「これはどういうことなのか…!」
子供たちが心配になった。
48
グッドニュース 2014.2
私の道の明かり
49
しかし限界にぶつかると
「アフリカが嫌だ。
マラリアで人が死ぬ所、
怖くて行きたくない!」
というように考えるようになった。
私はオルバだった。
福音の前で生きてきた自分の姿が見えた。私も限界に会うまでは福音が好き
で教会が好きだった。しかし限界に会うと福音が自分の心から去っていき、二
度とアフリカへ行きたくなかった。限界に会う前には「アフリカのような祝福の地
が他にあるだろうか?福音を伝えるにとても良い。人々が救われたら皆教会に
来る…」と伝道が楽しかった。しかし限界にぶつかると「アフリカが嫌だ。マラリ
「子供たちにどのように言えばいいのか?」
妻は子供をとても愛していたので、子供たち
を愛していた妻がいなくなったと思ったら涙が
流れ始めた。
「もう会いたくても子供たちが母に会うことがで
きないんだ!」
私は子供たちの前で止めどなく泣いた。
アで人が死ぬ所、怖くて行きたくない!」というように考えるようになった。
私はオルバだった。神様は自分の姿を見せて下さり、私の心を再びアフリカ
へ行ける心に変えてくださった。
「罪を赦す方法を正確には知らないことを見ると、
あなたの心に罪がありますね。」
再びベナンに来て新しい家を契約し福音を伝え始めた。その前に救われた兄
弟姉妹15人程があっちこっち回りながら集まりをしていた。主がご自身の血で買
われた教会を守っておられた。
「神様、このようするためにアフリカへ送ったのですか?」
ある日は兄弟たちと一緒に新しい家に設置する教会の看板を作っていた。そ
パク・オクス牧師先生に電話をかけたが、通話状態が良くなくて何をおっしゃっ
の時、バイクに乗って通りかかったある人が止まって、どんな行事があるのかと
ているのかが全く分からなかった。火葬をして小さいツボに妻の骨を入れ、飛行
聞いた。教会の看板を作っていますと答えて「もし聖書の勉強がしたかったら夜
機で仁川空港についた。神様を恨み始めた。
来てください」と言った。その人がそうしますといった。私たちはその人が来ると
「神様このようにするためにアフリカへ送ったのですか?福音を伝えようとベナ
は思っていなかった。ここの人々の中でまた来るという約束を守った人はひとり
ンに行ったのにこれはどういうことですか?」
もいなかったからだ。ところがなんと彼が夜の集まりに参加した。集まりが終わっ
アフリカを恐れ始めた。実はマラリアは妻より私の方がよくかかった。それゆえ
て彼と交わりをしようとすると、私に自分の名詞を渡した。彼の名前は「サイジェ
私の中でアフリカに対する心は完全に終わってしまった。修養館があるデドクの
ヌ・クロド」といい、牧師であり宣教師だった。
山に妻を葬った。
「あ、牧師先生ですね。そうしたら私が一つ質問をします。旧約聖書でイスラエ
ルの民が罪を犯したらその罪をどうやって贖うのかご存知ですか?」
私はオルバだった。
彼はにっこり笑いながら答えた。
今の妻と再婚してからパク牧師の部屋で集まりを持ったとき、ルツ記の御言葉
「はい、よくわかっています。彼らが罪を犯したら、獣を連れて来てその獣の血
が思い出された。ルツやオルバの姿を見ると、限界の前に立った二人は全く違う
で罪を贖ったり、時には水で清めました。」
態度を示した。ルツは限界に会ってもナオミについていったが、オルバはナオミ
「旧約聖書でどうやって罪を贖うのかが分からなければ、新約聖書でもどうや
についていく途中で背いてしまった。
って罪を贖うのかよくわかりません。あなたは罪を贖う方法を正確にはわかりま
50
グッドニュース 2014.2
私の道の明かり
51
せんね。電話番号を知っていると言っても、1つだけ間違えて知っていたら話したい人と
通話できません。電話番号が正確に分かれば話したい人と電話できるように、罪を贖う
方法も正確に分かってこそ罪が贖われるのです。先生は罪を赦される方法がわかって
いるようですが、正確にはわかっていないです。先生の心には罪があるのではないです
か。そうでしょう?」
「はい」
「来週、私たちの教会で聖書セミナーが行われるので是非参加してください。」
「そうします」
実は聖書セミナーの計画はなかったが、クロドのために聖書セミナーを行った。そして
彼が聖書セミナーに参加して救われた。最終日には御言葉を伝える前にクロドに証し
する時間を与えた。数人しかいないが、その兄弟姉妹たちが彼の証を聞いてどれほど
喜んだことか…!そのように喜ぶ姿は初めて見た。現地の牧師が救われて証をしたこと
が、かなりの喜びだったようだ。
「今すぐ伝道者として立たせ他の地域に送ろう!」
「前にした御言葉を伝えてください。そうでなければ教会から離れていってください。」
クロド兄弟が救われたが、150人ほど集まる自分の教会があったので、私たちの教会には
なかなか来られなかった。ある日クロド兄弟から「うちの教会で復興会を行いますが講師を
探しています。」と言うので、「私を招待してください」といった。兄弟がとても喜んでいた。そ
の復興会で多くの人々が救われたが、私たちの教会につながった人は数人に過ぎなかっ
た。
クロド兄弟が救われて自分の教会で福音を伝えると、長老たちが兄弟を呼んでこう言っ
たそうだ。
「先生、この御言葉を伝えるのはいいですが、そうすると兄弟姉妹たちが十分の一の献
金をしません。だからこの御言葉を伝えないで前にした御言葉を伝えてください。そうでな
ければ教会から離れていってください。2週間以内に決定してください。」
感謝なことにクロド兄弟は私たちの教会に通い始めた。牧会していた教会を離れたため
に月給がもらえなくなり、すぐ生活に困る状況だったが、真理を捨てることができなかった
のだ。その後兄弟を通して神様が素晴らしい働きをされるのを見た。兄弟から福音を聞い
て一人ひとり救われ教会の中に入って来た。神様がルツのためにボアズを用意しておいた
ように、心から限界を乗り越えた兄弟に神様が用意された祝福が待っていた。
52
グッドニュース 2014.2
ベナンに教会が始まって2ヶ月ぶりに宣教学校を始めようという話を聞いた。学
生一人で宣教学校を始めた。宣教学校が出来てから授業で聖書を黙想し話し合
うことができてとてもよかった。それから実質的に私たちを助けてくれる人も私たち
と親しくしている宣教学生だったので、宣教学校はいろいろと感謝だった。
宣教学校をすると私を教えてくださった先生の心を少しでも感じることができた。
宣教学校を始めてから今まで私は宣教学生たちを教えるより自分を教えている。
学生たちの姿を見ると到底伝道者として立たせられないが、神様の御心や私を
教えてくれたパク牧師の心を見ると彼らを伝道者と立たせることができる。
ある日、2人の宣教学生が無銭伝道旅行に行ってきて証をした。彼らの旅程の
中で神様が働かれたことを聞いた。その時、創世記41章でエジプトの王「バロ」が
ヨセフに神様が働くことを見て直ちに彼をエジプトの総理として立たせたことが思
い出された。
「バロは神様が働かれることを見るやいなや人を立たせたんだ!彼が過去囚人
だったとしても異邦人であってもそのような外見を見ずヨセフを立たせた!」
アフリカに福音の働き手が必要だということは分かるけれども、宣教学生を立たせ
られず他の都市に送らなかったが、直ちに立たせて他の地域に送ろうと思った。
私の道の明かり
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そうやって宣教学生たちを伝道者として立たせ他の都市に派遣し始めて、今で
それからは出かけるたびにどんなバイクが良いかを探した。外に出かけたら
は9ヶ所の地域教会が建てられた。
「今日は誰にあって聖書の話をしようか?」を考えるより「どんなバイクを買ったら
実は兄弟姉妹たちも宣教学校に入ることを恐れていた。暮らしがとても難しいだ
いいかな?」と考えた。そしてある日創世記に書かれているノアの姿を見てすご
ろうと思っているからだ。この世でお金も希望もなく苦労して生きているけれど、宣
く驚いた。ノアは雨が止んですぐ箱舟から出てきたわけではなかった。
教学校にいくともっと大変だろうという考えで宣教学校に入りたがらない。その考
「雨が止んだら箱舟から早く出たかったはずなのに、何故そうしなかったのだ
えを乗り越えて入って来た人々が訓練を受け伝道者になり力強く福音に仕えて(
ろう。箱舟の中だと獣の鳴き声もうるさいし排泄物の匂いも臭いからすぐにでも
福音を支えて)いる。
出たかっただろうが、どうして出なかったのだろう?」
御言葉を見るとノアは神様が箱舟から出てこいと言われる時まで待っていた。
不便でも神様の時を待とう不便でも神様の時を待とう
その御言葉の前で私はとても恥ずかしかった。心を変え、バイクを買うことを諦め
私たちの礼拝堂を立てる前には2年に一回ずつ引越さなければならなかった。
て不便でも神様の時を待つことにした。
最初探した家は大通りのそばにあったが、新しく引っ越した家は道路から随分離
一ヶ月ほど過ぎたとき、ある兄弟が訪ねてきて「先生、私の家族を宣教学校に
れているところだった。大通りに家があった時は家を出てすぐ、バイク・タクシーを
入れてください。」と言った。そうしてくださいと答えて、来るときバイクを持ってく
ひろって市場に行ったり用事をすることができた。しかし、新しく引っ越した家では
るのかを聞いた。ここでは兄弟たちが宣教学校に入るとき自分のものを家族に
しばらく歩いてようやくバイクやタクシーを拾うことができた。どこかに出かける時、
全部あげてやって来る。宣教学校に持って来る場合はほとんどなかった。ところ
いろいろと不便だった。それでバイクを一台買いたいと思っていた。
が兄弟が「はい、バイクを持ってきます」と言った。
兄弟が宣教学校に入ってから教会にバイクができた。神様はバイクだけをくだ
さったのではなく、上手なバイクの運転手(その兄弟)もくださった。良いバイクで
はなかったが、神様の導きを待ってからもらったので新しいバイクを買うよりも嬉
しかった。神様の前でとても感謝だった。 アフリカで不便なことを考えるより神様を待っていれば、神様の時を待ってい
れば神様が必ず働かれる。ここで暮らすのは韓国で暮らすより不便なことが多い
けれど、その分神様が働かれるのを見ることができる。
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グッドニュース 2014.2
私の道の明かり
55
聖徒の人生
この川の流れる所では、
すべてのものが生きている。
イ・ホンモク
(ヤンチョン教会)作
「おおよそこの川の流れる所では、
もろもろの動く生き物が皆生き、
また、はなはだ
となって流れ出るであろう」
と言われました。
それはイエスを信じる者が受ける御霊を
多くの魚がいる。
これはその水がはいると、海の水を清くするためである。
この川の
指しています。
イエスが言われた
「聖書に書いてあるとおり」は、エゼキエル47章にあ
流れる所では、すべてのものが生きている。
」
(エゼキエル47:9)
る宮の敷居の南の端から命の川が流れ下ったように、御霊が心に流れ込んだ人はそ
の腹(心の奥底)から行ける水が川となって流れ出るのです。
命の泉
イエスは女に答えて言われた、
「この水を飲む者はだれでも、
またかわくであろう。
し
エゼキエル47章でエゼキエルは、宮の敷居の南の端から水が流れ出て、その水が彼
かし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが
のくるぶしからひざに達し、腰にまで達し、遂には渡り得ないほどの川になるのを見まし
与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
(ヨ
た。
この水が至る所では生き物が皆生き、海の水を清くしました。
この水が流れる所には
ハネによる福音書4:13∼14)
望みや喜び、幸せが溢れました。宮の敷居の南の端から流れてくる水が、大きな働きを起
6人の夫を変えながら心が飢え乾いて生きてきたサマリアの女に、
イエス様はエゼ
こしたのです。
キエル書に書いてあるような生ける水を与えられました。
その生ける水が女を不幸か
イスラエルにある死海の海は、魚が生息できない死んだ海です。
このような海も、宮の
ら救い出し、その心に喜びや望みが満たされるように変えてくださいました。
敷居の南の端から流れる水が入れば清くなり、漁師たちが集まり網を張る場所になるで
宮の敷居の南の端から流れ下った水が流れる所は命の働きが豊かになったように、
イ
しょう。
そして、
この水が流れる川の両岸には各種の果実が実り、その葉は枯れることなく
エスに会う人は皆生きました。
イエスが38年の間病気に悩んでいる人と会うと、絶望
月毎に新しい果実が実り、その葉は人の病を治す薬になると言われました。
この全てのも
の中で生きていた彼が床を持って立ち上がり喜びを得ました。
イエスが姦淫の現場で
のを生かす生ける水が宮の敷居の南の端から流れるのを、エゼキエルは見たと言いまし
捕えられ石で打ち殺されそうになっていた女に会って話をしていると、彼女が命を得ま
た。
した。
イエスが野原で人々と話していると、食べ物がなくお腹を空かせていた人々がお
腹いっぱい食べることができました。
「この水は…流れて…落ち下り、その水が」
(エゼキエル47:8)
聖書に書いてある通り
「この川の流れる所では…この川の流れる所では」
(エゼキエル47:9)
イエス様はヨハネによる福音書7章39節で「だれでもかわく者は、わたしのところにき
イエスに会う人は誰でも、
どんなことがあっても命を得ました。
イエスがくださる泉は、
て飲むがよい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川
私たちのたましいや肉を豊かにし、力溢れる驚きの水です。
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グッドニュース 2014.2
聖徒の人生
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エデンの園を潤す4つの川、エゼキエルが見た万象を
生き返らせた川の水、使徒ヨハネが見た新しいエルサレムの
水晶のように輝いているいのちの水の川、
それらが意味している
御霊が私たちの中に今も流れています。
エデンの園の命の水の川
この句節には「神と子羊との御座」から命の水の川が流れ出ますが、
これは神と小羊
「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き…」
(創世記2:15)
イエスを招いた心の御座から、御霊の泉が流れ溢れるという事実を言っています。私
神が人をちりで作られエデンの園に置かれました。エデンの園を詳しく観察してみると、
たちの心に神の御座があり、その御座から流れ出る御霊の泉が私たちの心に流れて
エゼキエル書に書いてある¬¬宮の敷居の南の端から流れ下る川のような姿があります。
いるということを、覚えなければなりません。
エデンから流れ出て園を潤し、そこから分かれて四つの川となりました。
その川の名が
エデンの園を潤す4つの川、エゼキエルが見た万象を生き返らせた川の水、使徒ヨ
聖書に書かれています。
ハネが見た新しいエルサレムの水晶のように輝いているいのちの水の川、それらが意
その第一の名はピソンで、
「生き返る、栄える」
という意味です。第二の川の名はギホン
味している御霊が私たちの中に今も流れています。
といい、
「つかえることなく破って出る」
という意味です。第三の川の名はヒデケルといい、
その意味は「力強く溢れる」
です。第四の川はユフラテで「結実する、実る」
という意味を持
っています。4つの川の名前が持っている意味を見ると、エゼキエルがまぼろしで見た川
かわいている者には価なしに飲ませよう。
「わたしは、かわいた地に水を注ぎ、干からびた地に流れをそそぎ、わが霊をあなた
の意味と同じだという事がわかります。
の子らにそそぎ、わが恵みをあなたの子孫に与えるからである。
」
(イザヤ44:3)
神様がアダムをエデンの園に置かれたのは、川のような御霊を受けて全ての栄光に満
生ける水の川が溢れていても、乾いていない人が飲むことはありません。
しかし乾い
たされて生きて行く、聖徒の祝福ある人生を見せてくださったのです。罪を赦され御霊を
た者は、
ただ水だけを思います。
自分がいつも悪であることが分かる人は、いつも義に
受けた聖徒たちがどれほどすばらしい人生を歩めるのかを、聖書は語っています。
ちりの
乾いていて、神はそのように渇きをおぼえる者に水を与えてくださいます。乾いた地に
固まりに過ぎない価値のない人間を、神様が永遠に乾くことがない所、エデンに置かれ
水を注がれると言われました。神様は乾いた人の心を生き返らせ、霊的な実を下さり、
たということが、
とても感謝です。
病を治され、信仰によって成すすべてのことを祝福されると言われます。私たちが何も
「御使いはまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。
この
できないちりであることに気付いた時、乾いたものになり、主に戻るのです。
その時、主
川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの
木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
」
が命の水の泉で全てのものを生き返らせるのです。
「…かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。
」
(黙示録21:6)
(黙示録22:1∼2)
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聖徒の人生
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パク・オクス牧師の証 169回
地の果てまで福音を、世の終わりまで主とともに
不信感でいっぱいに
なっていたある兄弟との対話
「兄弟、そのとおりです。救われた私たちは清く祝福のある人生を生き、福
音のために生きるべきです。
しかしそうではない人もいます。伝道者も神の
御言葉に従って生きなければならないですが、時にはミスをしたり過ちを
犯すこともあります。私も信仰生活をする中で聖書が本当に良く恵みで聖書
に浸って生きる時もあるが、時には聖書を読もうとしてもよく読めなく邪念
ばかり浮かんでくる時もあります。祈ろうとしても心配事ばかり思い浮かぶ
時もあって、私も神の前で過ちを犯す場合が多くあります。」
私の話を聞いて兄弟がまたいろいろな話をしたので、私はこのように答
えました。
「けれども私たちの教会は違います。兄弟たちに不足な点はありますが、
私たちの中には神の御霊が生きておられて、私たちは毎日変わっていくの
です。伝道者たちも変わっていきます。去年と今年は違います。
もちろん伝道
者たちが皆変わったわけではありません。
でも肉に属した生き方をしてい
た人が、信仰の方に移って変化しているのです。」
兄弟が驚きながらまん丸になった目で私を見ました。
去年の一年も我が教会の中で教役者たちに問題があって、困難にあった
り心を傷付けられた兄弟姉妹がいるのは事実です。
しかし、御霊の恵みで多
くの教役者たちが変化しているということを忘れることはできません。変化
して新しい人生を歩む教役者の口から出る話を聞き、彼が伝える御言葉を
聞く時にはとても幸せです。
「病院は病を治すところなのに患者が多い」
「神の御霊が生きておられて私たちが
毎日変わっていっている」
この間、ある若い兄弟と交わりをしました。兄弟の心は不信でいっぱい
になっていました。教会や神のしもべに対して不信の念を抱いていました。
兄弟は深く試みに落ちて絶望に陥っていました。兄弟がいろいろな話をし
ましたが、聞いている私も胸が痛みました。
救われた人はイエスの中で清く祝福された人生を歩むのですが、
しばし
ば兄弟姉妹たちが罪の中に陥ったり過ちを犯したりすることがあります。
伝道者の中にも過ちを犯す場合があって、心を痛めることがあります。兄
弟がそのような話をしたため、
とても辛く感じました。私は兄弟にこのよう
に言いました。
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グッドニュース 2014.2
若い兄弟に続けて話しました。
「兄弟、私の話よく聞いてみてください。病院は病を治すところです。理論
的に考えたら、病気を治したら患者がいないはずなのに、患者が多いではな
いですか。特によく治してくれる病院ほど患者がもっと多いのです。
ソウルに
もサムスン病院やアサン病院のような病院はすごい規模です。建物も大きく
て病室もたくさんあります。そのような病院はすぐ患者でいっぱいになって
います。そして病院なのに患者も死に、霊安室もあります。」
単純に考えれば、病院は病を治すところだから患者が徐々にいなくなり、
みんな治って元気に帰る気がします。
しかし、評判の良い病院ほど患者がた
くさん集まり死んでいく人もいます。
もしその病院に行って皆死んでいくので
あれば、誰がそこに行くでしょうか。その病院に行って寝たきりになって帰っ
てくるなら、誰がそこに行くでしょう。良い病院には具合の悪い体で行って、
病気が治って丈夫な体で退院する人が多いのです。
地の果てまで福音を、世の終わりまで主とともに
61
罪が多く軟弱な人が来て
救われ、明るく生きるように
変化していくところが教会なんだ!
教会の中にいる人々は
その過程の中にいるんだ!」
患者の中にはまだ病気が治っていない人がいて、治っていく人がいて、
中には治れなくて死んでいく人もいる。だからといって人々が「その病院
の入院患者が病気で死んだですって。ある人はまだ治ってないんだって。」
と言って病院に行かないのではありません。教会がそうだという話を兄弟に
してあげました。
私たちの教会に初めて来る人々を見ると、ある問題や絶望の中にいた
のですが、救われる人が多いです。救われてからの彼らの人生が新しくな
り明るくなって、彼らが幸せな人生に変わります。だからと言って彼らが完
璧だというわけではありません。失敗することもあれば、過ちを犯す時も
あります。そのように生きて
「あ、私は本当に足りなく軟弱な人間なんだ!」
と自分の姿を悟り、主に頼るのです。そうするうちに信仰がどんどん大きく
なり、神の貴い働き手として立たせられて行くのです。
兄弟は私の話を聞いて驚いていました。私が話を続けました。
「初代教会の時代に、エルサレムで数多くの人々が救われました。そし
て迫害があると聖徒たちが散らばって福音を伝え、ピリポはサマリアに
行って福音を伝えたのです。そのように困難の中でも福音を伝えた信仰の
人がいて、ペテロやパウロ、バルナバのように力がある人もいました。
しか
し逆に兄弟姉妹の心に悲しみを与えた人も教会の中にいました。イエス
の弟子の中にイスカリオテのユダがいて、聖霊に満たされた初代教会の
時も、
アナニヤとサッピラがいました。教会はいつも完璧な人が集まると
ころではありません。罪の中に溺れている人々が来て救われ、暗く生きて
きた人々が明るく変化するのが教会です。病院では治療をしますが、病室
で横になっている人もいれば死んでいく人もいるように、教会に来て救わ
れないまま帰る珍しい人もいるのです。そして救われたけれどまだ肉に属
している人がいるのも事実です。
しかし神の恵や御言葉により兄弟姉妹た
ちが成長して、福音のために生きようとする心が起こっています。それで完
全で清い人生を歩む兄弟姉妹も多いのです。」
兄弟は話を聞いて
「そうか!」
と心を開いてくれました。
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「教会は完全な人が集まるところではないのだ!」
兄弟に付け加えて言いました。
「私は今までの50年を福音の中で生き、数多くの人々に会いました。そし
て多くの人が救われるのを見ました。
しかし彼らがみな信仰に立ったので
はありません。ある人は救われてから人生が変わり、福音のために自分の
ものを全て捧げます。そのように主の前で貴く使われる人も多いのですが、
救われたその翌日試みに落ちて教会に通わなくなる人もいます。他の人を
刺すような人もいます。そのような人が御霊の中で新しくなり変わるところ
が教会です。神様が教会の中におられ私たちを導き人を変えられることを
見ています。
兄弟は長い間試みの中にいましたが、その日私と話し合って考えが変わ
りました。
「あ、教会は完全な人が集まるところではないんだ!罪が多く軟弱な人が
来て救われ、明るく生きるように変化していくところが教会なんだ!教会の
中にいる人々はその過程の中にいるんだ!」
去年1年間を振り返ってみれば、救われて証しする人が数多くいました。
その姿を見ることが牧師として最も幸せな時です。
しかし、
まだ信仰が幼い
状態で肉に落ちている人もいないわけではありません。神様が様々なこと
を通して、そのような人々をひとりひとり信仰によって立たせ変えているの
です。そのような姿を見ているとどれほど感謝なことか・・・
!
私は福音を伝える時、
「私が」福音を伝えるとは思いません。福音を聞く
人々は「神様が」用意された人々です。救われて教会の中で試みに落ちた
人がいても、神様が帰らせてくださるのです。そのように人々を新しくされ
る神に感謝と栄光を捧げます。
地の果てまで福音を、世の終わりまで主とともに
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