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海外研修 報告書 - 京都府私立幼稚園連盟

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海外研修 報告書 - 京都府私立幼稚園連盟
第12 回 公益社団法人 京都市私立幼稚園協会
海外研修 報告書
∼ベトナム∼
2014 年
(平成26 年)6月14日∼6月18日
公益社団法人 京都市私立幼稚園協会
Contents
子どもたちの光り輝く未来のために
京都市長 門川 大作
京都とベトナムの更なる幼児教育の発展を目指して
京都市教育委員会
教育長 生田 義久
視察(ティンエンムー寺、グエン朝王宮)
京都市教育委員会
指導部学校指導課 有澤 重誠
フエ市庁舎訪問 こどもみらい館事務局長
山本 雅之
ベトナム記 桃林幼稚園 理事長 大西 敏之
ミーソン遺跡を訪問して
さつき幼稚園 堀内 清志
視察報告 Bo Cong Anh kindergardten ( たんぽぽ保育園 ) 川西幼稚園 柿崎 舞
ベトナムの文化・国民性の考察
八条幼稚園 中浦 さや
海外研に参加して
清水台幼稚園 植村 義弘
ベトナムを訪れて
洛東幼稚園 小林 正英
子どもたちの光り輝く未来のために
京都市長 門川 大作
植村義弘会長を団長とされる京都市私立幼稚園協会第12回海外視察団の皆様が、本市のパ ー ト ナ
ー シ テ ィ であるベトナムの古都フエ市で輝かしい研修成果をあげられましたことを心からお慶び申し
上げます。また、私の親書を届けてくださったことに心から御礼申し上げます。
6月14日の早朝、出発式に伺った折、先生方の使命感に満ちたお姿を拝見し、10年前の教育長在
任中に参加させていただいたスペイン・イタリアへの海外研修の素晴らしい思い出がよみがえり、胸が
熱くなりました。そして、この度、先生方が数々の知見を得られましたことは私にとっても大きな喜び
です。
先生方が視察されましたフエ市は、ベトナム戦争で「テト攻勢」の舞台となった激戦地であり、多く
の人々や歴史的遺産が被害を受け、大変厳しい時代を経験されたまちです。しかし、市民の方々の力強
い取組により復興を遂げられ、1993年にはベトナムの家庭文化を伝える“建造物群”がベトナム初
の世界文化遺産に登録されました。
また、同市は50以上の寺院がある“宗教都市”
、7つの大学に人口の10%以上の学生が学ぶ“大学
のまち”
、さらには伝統産業から先端産業まで盛んな“ものづくり都市”であるなど、本市と共通する点
が多く、昨年には日越外交関係樹立40周年に合わせてパートナーシティ提携を行ったところです。
子どもたちへの教育支援にも力を入れておられる同市で、現地の幼稚園視察や教育関係者との意見交
換を通じて得られました貴重な御経験を先生方が協会や各園のお取組に大いに活かしてくださることを
念じております。
私といたしましても、この報告書でしっかりと学ばせていただき、それを今後の京都市政に役立てて
まいります。
結びに、本報告書が多くの教育関係者の目に触れ、本市幼児教育の更なる発展に繋がりますこと、本
海外研修の今後一層の充実並びに各園の御発展を心から祈念いたします。
京都とベトナムの更なる幼児教育の発展を目指して
教育長 生田 義久
“蒸し暑い真夏の京都が涼しく感じた” というほどの想像を絶する暑さの中、第12回海外視察研修が、
素晴らしい成果とともに無事終えられたことを心からお慶び申し上げます。また、教育委員会から山本
こどもみらい館事務局長・有澤学校指導課担当課長の2名が同行させていただいたことを深く感謝申し
上げます。
出発式において、先生方の意欲に満ちた明るい表情を見て、私が視察団としてニュージーランドへ訪
問した時のことを思い出し、
「もう一度、同行させていただきたい。
」としみじみと実感しておりました。
この度、視察されましたフエ市とは、昨年「学術・教育・福祉」分野におけるパートナーシティー協
定を結んだところであり、特に「教育」分野での関わりが深く、京都大学がフエ大学と大学間交流協定
を締結されるなど、各方面での交流を行っております。そうした中、今回、フエ市長から「幼児教育に
大変関心があり、互いの教育事情について意見交換をしていきたい。」旨の話があったとお聞きしました。
先生方には今回の訪問をきっかけに、出発式の横断幕にもありました「京都とベトナムの教育をつなぐ
希望の架け橋」として、今後のますます交流を深めていただくことを御期待申し上げます。
今回はフエ市のほか、ダナン市内の幼稚園など、多くの施設を訪問された中で、国全体で“子育てに
取り組む姿勢”や“幼児教育・保育に対する関心・期待の高さ”など、本市教育の更なる充実を図る上
で、大変学ぶものが多かったとお聞きしております。
現地で直接感じられた御経験を本市教育の発展に活かしていただきますよう、よろしくお願い申し上
げます。
本市といたしましても「まちづくりは人づくりから」という理念の下、門川市長を先頭に京私幼の先
生方の力強い御支援をいただきながら、幼児教育・子育て支援に全力で取り組んでまいります。
結びに、この度の研修成果により、私立幼稚園協会や各園での御取組がさらに発展し、京都の幼児教
育が世界をリードしていくことを心から祈念いたします。
視察(ティンエンムー寺、グエン朝王宮)
京都市教育委員会 指導部学校指導課
有澤 重誠
6 月 17 日(火)快晴、午前中に行われた本研修の重要任務であるフエ
市庁舎の訪問を終え、ほっとしたところで、昼からは、当初予定では、
フエ市内にある生活状況が厳しい子供たちを支援する機関『ベトナム
の「子供の家」を支える会』を訪問することになっていましたが、同
会を運営する代表の日本人の方があいにく日本に帰国しているとのこ
とで、フエ市内の名所視察(ティンエンムー寺、グエン朝王宮)に変
更となりました。
ティンエンムー寺
一つ目に見学したのはティンエンムー寺です。フォン川沿
いの丘の上に立つ、1601 年に創建された寺です。この寺が建
つ前に、ある老婆が「まもなくここに支配者が現れ、彼が塔
を建てるだろう」と周辺に住む人々に予言したという伝説が
あります。その老婆は、実は天女だったのではと考えられた
ことから、ティエンムー寺=“天女の寺”と呼ばれるように
なったとのことです。川のほとりとはいえ、この日もうだる
ような暑さで日陰にいても汗が止まらないほどでした。
入口で記念撮影後、階段を上がると、各層に仏像をまつった
高さ約 21m の七層八角形の塔がそびえ立っていました。
<ティンエンムー寺の塔>
フエ市を代表する建物の一つだそうです。
進むと本殿が見えてきます。ベトナムでは、主に大乗仏教の信仰があついそうです。この日は、さす
がにこの暑さのせいかでしょうか、参拝されるベトナムの方はあまり見受けられませんでした。本殿か
らさらに裏庭に進むと、水色の外車が展示されていました。1963 年に時の大統領の仏教弾圧に対しこ
この住職が抗議行動としてサイゴン(現ホーチミン)で焼身自殺をした際に現地まで乗った車だそうで
す。
道中のバスの中で通訳のミーさんの話によると、ベトナム
のお坊さんは、結婚、酒はご法度で、また精力となるニンニ
ク、玉ねぎは食べないとのことでした。日本の様子と比べて
どうでしょうか。
<ティンエンムー寺
本殿へ>
グエン朝王宮
次に、見学したのはグエン朝王宮です。グエン朝王朝は、ベト
ナム最後の王朝で 1802 年から 1945 年まで 13 代にわたって続
きました。王宮は、初代皇帝の時代に建造が開始され 1833 年に
完成、1993 年にはベトナム初の世界遺産に登録されました。
王宮の周囲は、高さ5mの城壁と水を湛えた濠に囲まれ、王宮前
広場にあるフラッグタワーが城外からも勇壮に見えました。
この地は、ベトナム戦争時には戦闘の舞台ともなり、1968 年の
フエ攻防戦で王宮の約 80%が甚大な被害を受けたようです。
<フラッグタワー>
1990 年代に入ってから修復工事が開始され、王宮の正門にあたる王宮門をはじめ 20 年以上も経った今
でも工事が行われていました。
王宮門は、入口が3つあり、中央の入口は皇帝のみが使うことが許されることから、一般の見学者は
残りの左右の門からの入場となります。ここから先は、皇帝の公式行事等に使用された「太和殿」やグ
エン朝の菩薩寺の「顕臨閣」
、皇帝とその家族のために音楽や舞踊が演じられた劇場「宮廷劇場」等が
見学できますが、厳しい暑さの中で1時間以上かけて修復中の各建物を見学することについて、時間
面・肉体面・学習面等の効果を鑑み、王宮門入口までで見学を終了といたしました。
この研修を振り返って
まずはこの暑さ、今までに体験したことのない暑さでした。日本に帰国したときは、涼しい!いや少
し寒いと感じるほどでした。下調べでは、子どもたちは早朝7時までには学校に通っているとのことで、
登校時間には早すぎるのではないかと思いましたが、この暑さなら納得です。日本でも指折りの暑さを
誇る京都の夏も、乗り越えられると思えたほどでした。街並は、まるで昔の日本にタイムスリップした
かのような懐かしい感覚を憶えました。昼間は暑さもあって人通りは少ないですが、夕方になると人が
街中に溢れ、夕食を祖父母・両親・子どもの3世代で囲むという風景があちこちで見られました。
また、信号がないロータリーが数多くあり、多くのバイクが行き交う中でも、それぞれの運転者は互
いを確認したり、譲り合ったりしながら運転しており、穏やかな国民性が伺われました。それから、中
学生くらいの子どもたちが仕事を手伝っている姿もよく見られ、生きたキャリア教育が実践されている
光景を目にすると、日本も行政が用意周到に準備したものでなく、各家庭で実践される取組が一層必要
なのではないかと思いました。
また、幼稚園に訪問した際、子どもたちに
出会い、その愛くるしさには国境はないこと
を実感しました。働きに出る女性が多いこの
国では、幼児教育・保育に対する関心・期待
の高さが伺われ、就学前の教育・保育の重要
性をあらためて見直す機会となりました。
この研修を通して、私立幼稚園協会の先生
方のエネルギッシュなパワーに圧倒されまし
たが、私を温かく団員として迎え接していた
だき、楽しい大変有意義な時間を過ごすこと
ができました。先生方に深く感謝申し上げま
す。ありがとうございました。
フエ市庁舎訪問
こどもみらい館事務局長 山本
雅之
6 月 17 日(火)
、いよいよフエ市庁舎訪問の日。この日も快晴、おなじみとなったベトナムらしい、う
だるような暑い日でした。
午前 8 時半にホテルのロビーに集合、今日は公式訪問、ビシッとした雰囲気でバスに乗り込みます。
市庁舎訪問予定時間が、当初の午前 9 時から午前 9 時半に変更になったため、ホテル出発後は暫しバス
の車窓から市内視察。第 13 回世界歴史都市会議の舞台となった「サイゴン・モリン・ホテル」も見学す
ることができました。会場にふさわしい、重厚感のある格式を感じる佇まいでした。
その後、フォン河のほとりにある市庁舎に到着、フランス様式のすばらしい建物を見ながら中庭で待
機していると、案内のガイドさんがなにやら慌てている様子。新しい庁舎が別の場所に完成し、しばら
く前に市庁舎が移転したとのこと。再びバスで新庁舎へ移動。時間に余裕があったため良かったのです
が、前日のバスパンク事件に続くハプニングでした。
さて、改めて新庁舎に到着。こちらはガラスを多用した現代的な建物で、正門で職員の方に出迎えて
いただき応接室に案内していただきました。
懇談には、グエン・ヴァン・タン市長、フエ市人民委員会事務局次長、市教育局次長、幼稚園の園長
先生2名、グェン・イック・ホアン市国際協力センター所長以下3名の職員の皆さんという多くの方々
に対応していただき、手厚いおもてなしに感謝です。
懇談は、冒頭人民委員会事務局次長から挨拶と出席者紹介、さらにフエ市長から、
・フエ市と京都市は昨年パートナーシップ協定を結んだところであり、歴史文化都市として互いに共通
するところが多い。
・京都には3回訪れたことがあるが京都市民は大変親切だった。今後も京都から様々なことを学んで生
きたい。
・幼児教育には大変関心があり、今回の訪問を大いに歓迎する。お互いの教育事情について意見交換し、
今後も良い関係を築いていきたい。
というご挨拶をいただきました。
訪問団側からは植村団長から
・歓迎していただき感謝する。
・門川大作京都市長から、パートナーシップシティとして貴市との親睦をさらに深めていただきたいと
仰せつかっている。
・京都市では、子育て環境日本一を掲げ、京都で育てて良かったと市民に実感してもらえる子育て施策
を積極的に進めている。本日の訪問を通じて貴市から大いに学び、その成果を京都に持って帰りたい。
という挨拶を申し上げ、また、フエ市長から、
(今回の訪問では日程の関係上フエ市内の幼稚園訪問は
なかったものの、
)国際協力センターを通じて、フエ市内の幼稚園の視察受け入れは可能であり、交流を
図りたい。との提案をいただきました。
その後、フエ市から各訪問団員に記念品を頂き、訪問団からは門川大作京都市長の親書の手渡しと記
念品の贈呈をさせていただき、市長は時間の都合で退席、そこからは幼児教育に関する意見交換となり
ました。
フエ市には31の公立園と15の私立園があり、私立は宗教関係の団体が運営していること。
対象年齢は3歳から5歳までで、約8割の子どもが通っていること。
保育時間は概ね朝7時から夕方5時までで、現在は夏休み期間であるが、共働きの世帯も多いことか
ら半数程度の子どもたちが登園していること。
クラス定員は日本とほぼ同じ(3歳は 20 名、4・5歳は約 30 名)であること。
保護者は教育に対し協力的ではあるが、要望等はあること。
教育内容は、国や市の教育局で統一していること。
私立の場合、国や市からの財政支援はないこと。
等、詳細かつ丁寧に教えていただき、和やかな雰囲気の中、公式訪問は終了しました。
個人的な感想ですが、
・フエ市は京都市との友好関係の一層の発展を非常に大切にしておられること
・幼児教育を重要視されており、
「子育ては国育て」という考え方が伺えたこと
・
(今回のベトナム訪問全体を通じ)日本に比べ、近隣や祖父母といった子育て環境(コミュニティ)が
機能していること
・女性が活躍している国であること(人民委員会事務局次長、教育局次長ともに女性でした。また、交
流の中でも、共働きの世帯が多いことに言及がありました。
)
などのことが、印象に残った訪問となりました。
私としては、特に何の準備もせず、行き当たりばったりで恥ずかしい限りでしたが、その分、植村団
長を始め、幼稚園の先生方の積極性やバイタリティーに圧倒された訪問になったと思っております。
先生方、有難うございました。
ベトナム記
桃林幼稚園
理事長 大西敏之
今から半世紀前、私が学生であった当時、ベトナムは戦争の最中であった。連日のように日本でも新
聞やテレビにおいて報道がされていた。アメリカとソ連(今のロシア)の代理戦争がベトナムの地で展
開されていた。大型兵器が使えないジャングル戦で多くの兵士の犠牲者を出したアメリカ軍は密林に枯
れ葉剤を空中より散布した。その毒性は樹木のみならず母親の胎内にいた赤ちゃんに大きく影響した。
かつて日本の九州でもおこった水俣病以上の状態をひきおこし、国際社会においても非難される事とな
った。こうした攻撃にも関わらず負け戦となった同軍はベトナムからほうほうの体でベトナムから脱出
し退散した。
~
ハノイ国際空港にて ~
これから我々はダナン市に向かう飛行機ですが機内に
行くには、いったんシャトルバスで行きタラップで乗り込
みます。同国の 一、二位の都市ハノイ国際空港において
すらこの状態です。
こんな飛行場の待合室ではこの国の家族連れがたくさ
ん見受けられた。祖父母と若夫婦それに子ども達。待合で
いるそれらの家族の様子は一体感を感じさせてくれる光
景であった。お祖父さんが孫を抱き、兄弟姉妹達が一緒に
遊び、親がゆったりと見ている 今のこの国のようすから
察するに、この場所にいる家族はお金持ちやエリートと思
えます。日本であれば鼻もちならない人がエリート意識を
臭わせている場であり場面です。しかし、その種の人達に見受けがちな高慢さが感じられません。
~
ミーソン遺跡 ~
ベトナム戦争によってこの遺跡もかなり崩された
ましたが、徐々に修復されています。この場所にアメ
リカ軍が落とした砲弾が(人の背丈程)戦争のこれも
遺跡としてありました。
~ フエ市庁舎
~
左の近代的な建物はフエ市庁舎です。40℃近い外気にもかかわらず、表敬
訪問で市長様とお会いした部屋はやや肌寒く感じる程に冷房がきいていまし
た。同市の国際協力センター所長グェン・イック・ホアンさんはとても日本語
が上手な方でした。ダナン市のたんぽぽ保育園のファン・ツゥ・ハンさんと同
じく親日家がおられることは嬉しいことです。
~
ホイアン ~
今年は高瀬川開削400年になります。角倉了以
とその子素庵によって京の町に完成しました。当時、
角倉家は安南(今のベトナム)との朱印船貿易をや
っていました。かつては日本人街があり「日本橋」
と名づけられている屋根のついた橋があるホイアン
の港に来ていたかもしれません。左上の写真はそん
なホイアンの昔ながらの町屋二階窓から見た風景で
す。
ミーソン遺跡を訪問して
さつき幼稚園
堀内清志
どこの遺跡に行っても、周りの空気と違った厳かさと清々しい空気の変化を感じてきまし
たが、ミーソン遺跡も例外ではありませんでした。一瞬にして周りの空気が変わったような
気がしました。
ガイドのミーさんの説明もそこそこに、遺跡群の遺跡をしらみつぶしに飛び回って探検し
ました。途中立ち止まって、何も考えることなくボーと空を見上げると、新井満氏訳の「千
の風になって」を口ずさんでいました。
「私のお墓の前で 泣かないで下さい。そこに私はいません。眠ってなんかいません。
千の風に 千の風になって あの大きな空を吹き渡っています」
お墓ではないのですが、古の人たちの魂が清々しい気持ちで眺めているような気がしたの
です。今、私がここに居られることに幸せが込み上げてきました。
いくつもの祠堂の入り口や窓が一直線上に並んでいるので余計に広さや奥行きを感じた
のでしょう。古の建築技術の素晴らしさも推しはかれる遺跡群でした。
一通り回ってからガイドのミーさんと合流しました。2世紀から17世紀まで栄えたチャ
ンパ王国の聖地として栄えたこの場所は、周囲2キロメートルもの範囲の中に70ケ所もの
宗教的建築物があったそうです。当初はシブァ神を祀る木造建築であったものが、8世紀か
ら13世紀の間にヒンドゥー教を主とした仏教なども含んだ混合宗教としてレンガ造りに
代わっていったそうです。そのおかげで現在まで立派に残り、今この遺跡は世界遺産になっ
ています。
遺跡は現地の人が見つけたのではなく、フランス軍が見つけ、金銀財宝や装飾品・創作物
はフランス本国に持ち帰られてしまったそうです。今はフランスの博物館に飾られているそ
うです。ベトナムにとっては残念なことですが、盗賊に荒らされ貴重な品が散りじりばらば
らにならなかったことだけでも、喜ばなけれ
ばと思いました。
その後、度重なる戦乱やベトナム戦争時の
爆撃によってかなりの部分が破壊されてしま
いました。それでも苔むした祠堂や壁面を飾
るチャンパの女神像、古代チャム語の碑文な
ど、チャンパ独自の見事な文化を辿るのに十
分な遺跡が残っています。
今尚、修復工事がされているということでしたが、まさに今、この視察中に修復をされて
いる祠堂がありました。しかし、日本の修復工事と違って何とものどかな雰囲気の中での作
業でした。祠堂のあちこちにセメントでの修復の跡が多く目につきました。ガイドのミーさ
んによると、本当は建設当時の技法でレンガを接着していきたいと思っておられるのだが、
レンガの接着剤の成分がユーカリの木からではないかと思われながらも未だに解明されて
おらず、セメントでの修復に頼らざるを得ず、セメントでの修復ではカビが生え、苔が祠堂
内部に生えてくる状況だということで、改めて内部に入って確かめました。間違いなく苔が
生えてきていました。
現在の科学で以てしても解明できない、カビも発生させず内部に苔も生えさせない接着剤
を作り出す昔の人の知恵の素晴らし
さには、感嘆を覚えずにはいられませ
んでした。
しかし、清々しい空のもと、感心し
たり童心に帰ってはしゃいだり、楽し
いひと時が送れたのが最高によかっ
たです。明日からの幼稚園視察、市庁
舎視察に向けて頑張ろうとするエネ
ルギーが湧いてきました。
視察報告
Bo Cong Anh
kindergardten
(たんぽぽ保育園)
柿崎
舞(川西幼稚園)
6 月 16 日 ベトナム ダナン市内にある「たんぽぽ保育園」に訪問さ
せていただいた。
日本在住経験がある女性オーナーと、日本での保育実績のある女性園
長のハン園長が日本式の教育を取り入れ運営している。
日本で美術教師をしていた職員を合わせ、2 名の日本人職員が常駐し、
バリエーション豊かな内容を用意している。2014 年 6 月現在、在園児
180 名 5 ヵ月~1 歳(1 クラス)
・2 歳(3 クラス)
・3 歳(2 クラス)
・4
歳(1 クラス)
・5 歳(2 クラス)と、1 クラスあたり 20~25 名。
クラス名は、いちご・もも・りんご・ぶどう・すいかなどの果物の名前がつけられていた。そして、
年齢ごとに広い保育室を設け、少人数クラスで、園庭には鉄棒やブランコなどの遊具も完備している。
園児たちが、元気いっぱい「こんにちは~」と笑顔で出迎えてく
れた。この幼稚園では、日本式の教育を重視して取り入れ、朝の歌、
手遊び、体操、授業内容など日本語を交えながらの保育で、親近感
があったように感じた。
入園について~入園は9月からの募集。待機児童もいる。
入園金 4,000 円 月謝 13,000 円(私立幼稚園・保育園 保護者実費)
保育時間は、月~土 6:30~16:30(18:00)
食事は、保育時間に朝・昼・おやつ・牛乳 2 回行っている。
夏休み 5 月 25 日~8 月(保護者の要望によって、預かりをしているため、園の休みはなし)
ベトナムでは、幼稚園・保育園の運営にあたって、国の補助がない
ため、園の運営費などは、全て授業費がもとになっている。基本的に
両親共働きの家庭が多く、子どもを幼稚園・保育園に通わせている家
庭は比較的裕福であること、また低所得で園に通わすことのできない
家庭は、近所の人に子どもの面倒を見てもらうなど、地域での助け合
いや交流があるようだ。または、公立の保育園(食事のみ・1カ月
50,000 ドン)に入園させる家庭がある。
ベトナムの平均所得は、一か月 20,000 円程で、公務員 15,000 円、
IT 企業エリート階級 30,000 円となっている。この状況から考えると、
子どもを私立幼稚園・保育園に通わすことのできる家庭は、比較的裕
福な家庭と思われる。訪問させていただいた、たんぽぽ保育園ではベ
トナム人の子どもだけでなく、親が日本やフランス人などのハーフの
子どもも在園しているが、園での授業はベトナム語で行い、日常の「おはようの歌」、「おかえりの歌」
や手遊びは日本語の歌詞を交えて歌っていた。室内の装飾では、日本の幼稚園・保育所を参考にしてい
るように感じた壁面やお誕生日表などが飾られていた。
ハン園長が日本とベトナムの子育ての違いについて話された。その中で、印象に残っているのが子ど
もの離乳食の進め方で、子どもは自分でご飯を食べられるようになってきたのに、家庭では手間を省く
ためにミキサーにかけて子どもに食事を与えるといった現状があるそうだ。そういった現状を踏まえ、
たんぽぽ保育園の方針でもある「日本式の保育」を園長の経験を活かして、日本に比べ子育てに関する
知識が乏しい妊婦さんや保護者への指導に取り組んでいるそうだ。
この日、見学させていただいたのは子どもたちが登園し
朝の自由遊びから、室内に入り朝の活動が行われていた。
保育を見させていただいて印象に残ったことは、各保育室
にピアノがなく、園にあったのは 5 歳児クラスの一台だけ
だったこと。音源なしで、歌唱をするなど普段私たちが行
っている保育とは、少し異なる部分が見られたように感じ
た。しかし、室内温度30℃以上ある室内の中で、子ども
たちは裸足になり(園庭は土足)、体をたくさん動かし、
元気いっぱい歌ったり体操をする姿を見て、とてもたくま
しい子どもの一面を見ることができた。
私は、園を訪問させていただく前に某テレビ番組で、た
んぽぽ保育園が取り上げられていたのを偶然みていて、現
場職員の松井さんとお話しできたこと、また実際の子ども
たちの様子を聞かせていただいたことを嬉しく思いまし
た。また、子ども達が可愛い笑顔で「こんにちは」「さよ
うなら」など、日本語で挨拶を交わして迎えてくれた子ど
も達の温かい気持ちを嬉しく感じ、たんぽぽ保育園の職員
の方々や、子ども達との出会いに感謝したいと思います。
ベトナムの文化・国民性の考察
八条幼稚園 中浦 さや
ベトナムの幼児教育視察研修に参加させて頂
き、有意義な学びの機会に恵まれました。数日の
滞在でその国の文化や国民性を論評することは
大変失礼かと思いますが、とても明るく素敵な
人々との出会いを通して私が抱いたベトナムの
印象を中心に報告させて頂きます。
事前研修で「ベトナム人は温厚で勤勉である」
と伺いましたが、研修を終えその通りであったと
実感しています。出会った多くの方々が非常にフ
レンドリーで、笑顔を向けて下さったのがとても
印象的でした。
研修旅行中、積極的に同世代の若者と交流する機会を持ちました。その中で、仕事に活かす為に英会
話を学んでいる方や、会計士資格取得を目指し勉強をしている方など非常に向上心のある若者達に多く
出会いました。その勤勉な性格は、日本人に非常に似ているという印象で、あまり文化的ギャップがな
く、日本の友人と会話しているような錯覚を抱いた程です。
日本人と共通する点はその他にも見受けられました。工芸品や衣料品はその国の文化性を如実に表し
ますが、ベトナムの土産物品などを見ると非常に細密でありベトナム人の手先の器用さが伺えます。根
気も必要な刺繍等もベトナム人の緻密さを示すもので
した。ベトナムの女性のドレス「アオザイ」やスーツを
取り扱った店では、オーダーメイドをその日のうちに仕
上げてホテルに届けるサービスがあり、まさに日本のサ
ービスに通ずるものだと思いました。それぞれの文化や
国民性はその国の自然・風土の環境や歴史的背景、政治
体制、社会産業構造等によって育まれます。温暖で農
耕・漁業を中心とした社会コミュニティー形成という観
点から日本との共通点も多く、日本人と似ている点が多いというのもうなずける気がします。
そんな中、日本の現在の姿と若干異なるのではないかと感じる点が 3 つありました。
1.
女性の社会参加率が非常に高く、社会の中で活躍している方が多い。
今回の研修でお世話になった行政の方々や通訳の方は多くが女性で、ハツラツと自信を持って仕事を
されていました。ベトナム戦争で男性が出兵し、女性が社会生活を守らざるを得ない歴史的状況が、現
在の女性の社会参加率の高さの一因であるのかもしれません。
2.
国家意識が強く、ベトナム国民としての誇りを持つ人が多い。
100 年間フランスの植民地であったこと、ベトナム戦争を経験し、現在も領土問題で近隣大国との緊張
感があることから、常に国民が国家の一員であることを意識する土壌があるのかと思います。日本のよ
うに四方を海に囲まれた島国ではなく、陸つなぎで他国と向き合ってきた歴史的背景が大きいのでしょ
う。日本も同様に戦争を経験し領土問題を抱えていますが、特に若い世代の国家観については、ベトナ
ムの人と差異があるように感じました。
3.
地域コミュニティーが機能している。
研修旅行では教育施設以外に、ベトナムの人々の日常
生活を知るために市場や商店街、居住地域にも出向きま
した。高温多湿の気候によるものでしょうか、商店や住
居のドアはなくオープンのままで、いたるところで井戸
端会議がされている様子で、人々が心をオープンにして
近隣と接している風景に出会いました。帰国後ベトナム
のコミュニティー意識について調べてみたところ、近所
付き合いや助け合い、地域参加意識においておおよそ8
割以上の人々が意識を持って取り組んでいるというアン
ケート(大島,2008)があり、現在の日本の都市部とは
随分と違っているという印象を受けました。
以上、何点か考察しましたが、日本においても都市部と過疎地域ではその生活実態やコミュニティー
のあり様も大きく違います。ベトナムも南北に細長い国土を持ち、北部と南部では国民性に大きな違い
があると聞きます。今回訪問したフエ、ダナンはちょうど中間に位置する中規模都市ですが、また機会
があれば他の都市も訪問し、様々な方々と交流したいと思います。
ベトナムは近年、経済発展がめざましく日本も友好国として関係を築いている国です。近代化に伴い、
ベトナムにおける出生率は 1.77(The World Bank,2012)と東南アジアの中でも少子化が進んできて
います。ベトナムの環境問題や少子化問題の今後を見守る中で、日本が抱える課題解決方法も明らかに
なってくるのではないでしょうか。いずれにせよ、国際社会の中でベトナムは日本にとって信頼できる
パートナーであることは間違いありません。
海外研に参加して
清水台幼稚園 植村義弘
初めての訪問国 ベトナム、私にとってはベトナム戦争のイメージが強すぎ、あまり良い印象は持って
はいない中での参加でしたが、その印象とは逆に、意外と思っていたよりは街は賑やかで都会、そして
人々もフレンドリーだったので安心して滞在できました。ただ、高温多湿で昼間の移動は大変でした。
今回は団長としての参加で、事故がないように、皆が楽しむように、そしてしっかりとベトナムの幼児
教育を視察し,京都市のパートナーシティであるフエ市の市庁舎を訪問し、親交を深める、その目的が達
成できるようにいつもより緊張感を持っての参加です。
一番大事なのは滞在中の食事、食事が口に合わないとこの国にいる事自体が苦痛になります。ベトナ
ムの代表料理、米粉で作られた麺料理、フォーは日本人の口にも合います。また、最初の夜に数人と夜
食で行った料理屋さんの焼き肉も美味しく、カエル料理にも挑戦し、恐る恐る食べましたが、なかなか
の美味でした。ただビールが冷えてない、氷を入れて冷やせと言われましたが、氷を入れて飲む勇気は
ありませんでした。どの料理にもパクチー等の癖のある香草が入っており、どちらかと言うと苦手です
が、それを除けば料理は大満足でした。
幼稚園訪問はダナン、ホテルを改装した幼稚園で経営者は日本に留学をされてた方、園長先生も日本
に留学し、そして保育関係の仕事をしておられた方で、最初にお話をさせて頂いた時は日本人かと思う
ほど日本語も堪能でした。日本語で朝の歌を子どもたちが歌い、いくつかのベトナムの歌も歌ってもら
い大きな歓迎を受け、充実した時間を過ごす事が出来ました。
そしてこの海外研の大きな目的の一つ、フエ市の市庁舎訪問、近代的な綺麗な市庁舎でフエ市の市長に
門川京都市長の親書を渡し、その後教育関係者達との懇談で両市の教育事情について話が盛り上がりま
した。
全ての目的は達成でき、何よりも、無事トラブルもなく元気で帰国できた事で一安心、ご参加頂いた
全ての先生方のご協力のおかげで、実のある研修会になった事、そして楽しい時間が過ごせた事を感謝
致します。
ベトナムを訪れて
洛東幼稚園
小林正英
「ベトナムの生水には気を付けろ」
、出発前から散々言われていたのに・・・。ハノイ空港内のカフェ
にてフォーとベトナムコーヒーを皆でいただく。フォーも食べやすくベトナムコーヒーは濃い目のコー
ヒーに練乳とたくさんの氷でとても美味しく・・・うん?氷?
やばい!まだ研修も一日目なのにほとんどのメンバーが飲
んでしまった!でもさすが空港内の水、誰もトイレに駆け込
むことはありませんでした。
ハノイでトランジット後、夜の7時にダナンの空港の自動
扉を抜けるとそこは、まるでサウナニュージャパンであった、
しかもミストサウナかというぐらいの湿気で今後が思いや
られる。
ホテルへの移動中、バイクの多さに驚く。ほとんどが125CC 前後の小型バイクで街中では9:1ぐ
らいで車に比べてバイクが圧倒的に多い。そのほとんどが二人乗り~四人乗り(四人までは合法らしい!)
そしてみんな気が狂ったようにクラクションを鳴らしている。
こちらではクラクションは警告の意味ではなく自車の存在を周りに示すために使っているそうだ。我ら
が観光バスも例にもれずクラクションを鳴らしながらバイクの間を縫うように飛ばす。一番前の席に座
ったのが運のつきで怖くて前が見ていられない。ホテルまでに少なくとも20台はひき殺したかと思っ
たが降りて見てみても傷一つありませんでした。ベトナムに降り立ってたかだか3時間ほどでカルチャ
ーショックが半端ない。
夜も更けたころ、何人かで夜の下町に繰り出しビールケースをテーブル代わりにした露店居酒屋でビ
ールと網焼きを注文する。出てきた缶ビールは常温で、氷が入ったグラスを一緒に手渡される。アカン
アカンこの氷はホンマにアカン奴や、とぬるいビールをそのまま飲みながらカエルの足らしきものを網
で焼く。「味はまあまあやね」などと話していると僕のかかとの後ろを何か生き物が走り抜けていった。
「大っきなネズミでした!」と向かいの席にいた中浦先生から宣告される。強烈なベトナムの洗礼を受
けながら夜は更けていく。1日目にしてもう帰りたい・・・。
翌朝気を取り直し早起きして6時半からホテル周辺を一人でジョギング。一日で一番気温が低い時間
帯で、それでも30度近くあるがまだ何とか走れる、と思ったのもつかの間、7時前に太陽が姿を見せ
始めるがいなや生命の危険を感じるぐらいの猛暑で命からがらホテルにたどり着く有様。
この日はホイアンとソーミン遺跡という世界遺産めぐりの1日である。ホイアンでは福田先生に買っ
てもらった日よけ傘帽子を全員でかぶり、シクロという
日本で言えば観光地の人力車みたいな三輪の自転車に乗
って市内を巡る。江戸時代には日本とも交易があり、日
本人が地中の魔物を押さえ日本での地震を封じるために
作ったという伝説が残る「日本橋」等を視察した。
午後はベトナム戦争の傷跡も痛々しいソーミン遺跡を
視察。世界遺産にも関わらず観光客が見当たらない。ガ
イドさん曰く、この時期は暑すぎてシーズンオフの為観
光客は少ないのだとか。
さて三日目の朝、昨日の反省を生かして5時前に起きて植村先生と二人でジョギング。1日で一番気
温の低い時間帯は走りやすく、まだ薄暗い中ベトナムの人々もダンスを踊ったり体操をしたりで驚くほ
ど活動的でした。同じ時間、金桝先生と柿崎先生も地元の若者にまざってバトミントンを楽しんでいた
らしい。
この日は月曜日、午前中にダナン市内のたんぽぽ保育園を訪れ
る。保育料の設定等からこの国ではかなりの高額所得者向けとい
う。ここは元々ホテルだった建物で日本在住経験のあるオーナー
と園長が日本の教育を基本とした保育園として経営していると
いうことだ。お二人のお話を聞き、日本人保育士二名を含む保育
を視察させて頂いた。子どもは積極的に「おはようございます!」
と日本語で挨拶してくる。保育中も生き生きとした表情が印象的
だった。
午後にフエ市に向けてバスで移動中にガイドさんから衝
撃の一言が!「バスがパンクしました。
」すぐさま道端の修
理工場へ。工場と呼ぶにはあまりに頼りない掘っ建て小屋
でラフな普段着の男性二人がバール一本とやかんの水を使
って乗用車の何倍もの大きさのタイヤを外す様は感動すら
覚えた。
4日目、ベトナム最終日。パートナーシップシティであるフ
エ市庁舎訪問。この旅一番の近代的な建物にビックリ。エアコ
ンも素晴らしく効いた装飾も立派な来賓室にてフエ市長をは
じめたくさんの方々にお出迎え頂いた。市長さんと植村会長の
会談後に門川京都市長の親書をお渡しして今回の視察研修の
もっとも重要な役割を無事果たす。
午後は気温42度の中ティンエンムー寺と世界遺産のグエン朝王宮を訪問。視察も終盤で少しは暑さ
に慣れるかなと思ったが最後まで暑さには勝てなかった。
最後まで道も渡れなかった。市内の道路はバイクが何百台と走っていて交差点もロータリー形式が多
いため途切れることがない。山羽先生と道の反対側にあるお土産屋さんに行こうと思ったがしばらく佇
んだのち断念するなどなど。
アジアの人々のたくましさにひょっとしたら日本人が忘れかけているのかもしれない生きる力の原点
を見た気がした。そして市教委さん二名をはじめ素晴らしい仲間たちと共に体験した異国異文化の視察
研修は自分の人生に強烈なそして素敵な思い出を沢山残してくれたように思う。
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