...

脳性麻痺のリハビリテーション ―身体の復権のために

by user

on
Category: Documents
30

views

Report

Comments

Transcript

脳性麻痺のリハビリテーション ―身体の復権のために
脳性麻痺のリハビリテーション
―身 体 の 復 権 の た め に ―
重症心身障害児施設ソレイユ川崎
キーワード:
理学療法士
人見眞理
脳性麻痺、リハビリテーション、身体、
システム、病態解釈
はじめに
脳損傷の事実だけでは、リハビリテーションの指針にはならない。そこで、診断(病
型 分 類 )と は 別 系 列 で リ ハ ビ リ テ ー シ ョ ン の 理 論 と 実 践 を 組 み 立 て る 必 要 が あ る 。し か
し、理論は常に仮 説でし かなく、実践は常 に試行 錯誤でしかない。そうし たリハビリテ
ー シ ョ ン の 在 り よ う が か ろ う じ て 許 容 さ れ る た め に は 、そ れ が 常 に 対 に な っ て い る 必 要
があると考えている。
理論構築のための仮説
理論構築のための仮説には、例えば次のようなものが含まれる。
1)
周産期や乳幼児期の脳損傷による随意運動障害は、健常であれば不定形な随意運動
や他者との交流によって自動的に得られるはずの、
「 展 開 性 」あ る い は 神 経 シ ス テ ム
(ネットワーク)の構築(再組織化)のされ方に影響する。
2)
それは、展開的と言うよりは、生存のための必要性に応じた代償や取捨選択の中で
獲 得 さ れ た 知 覚 や 機 能 を 繰 り 返 し 強 化 す る よ う な 、循 環 的 な 安 定 を( と り あ え ず は )
志向するように思われる。
3)
表面に現れている障害像(正常発達からの逸脱または遅滞)は、本人なりの再組織
化すなわち安定化に向かっている姿である。
( そ れ は 多 く の 場 合 、生 存 に と っ て そ の
場 し の ぎ の 安 定 で あ り 、 シ ス テ ム は 全 体 と し て 破 綻 に 向 か う 。)
4)
安 定 し よ う と す る シ ス テ ム に と っ て の 不 安 定 要 因 と は 、身 体 の 存 在 そ の も の で あ る 。
身体は常に、なんらかの感覚入力を脳に送り、それへの対処を促す。
5)
従って、システムの安定化は、当面の生存にとって不要な身体情報を無視(消去)
するか、どのような入力に対しても同じ出力回路を使うことによって図られる。
6)
その結果、身体は、本人のシステムの中では、ただそこに在るだけの物理的な存在
として、物理的な影響下に置かれるか、出力の一定の様式の影響下に置かれること
になる。関節拘縮、変形、姿勢の異常などの身体に現れる「障害」は、その結果で
ある。知覚、注意などの認知面の障害として評価されるものは、安定したいシステ
ムが採用しているネットワークの一面である。当然の帰結として、志向性、身体内
151
東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究
Vol.3
感などの発達の展開性の要素が制限または封印されている場合が多い。
7)
正常発達からの逸脱または遅延を量的、時間的、外観的な観点から観察するだけで
は、リハビリテーションの具体的な実践の方針とはならない。表面的に現れている
「障害」がどのような背景(安定を志向するシステム)と共にあるのかということ
を読み解くことが、実践のための最初の評価となる。
8)
従って、理論のための仮説には、実践のための仮説が含まれる。実践をとおして常
に吟味されなければならないのは、この、実践のための仮説と、それに先立つ評価
(病態解釈)である。
9)
リハビリテーションの目的は、安定を志向するシステムに、不用意にあるいは強引
に不安定要因を持ち込むことではなく、現有のシステムと身体との関係を仲介し、
システムの側に変化(差異)への柔軟性が生まれることによって身体のあり様も緩
やかに変化するという展開を得ることである。
10) 実 践 に お け る 効 果 は 、 本 人 の 身 体 面 お よ び 行 為 の 変 化 と し て 確 認 さ れ る 。 ま た 、 そ
の変化の中に、自動的な展開性の要素が含まれているかどうかという点から評価す
ることができる。
実践のための手続き
セ ラ ピ ス ト 側 か ら 見 え る 「 障 害 」 は 全 て 「 出 力 の 異 常 ( 過 剰 、 過 少 、 調 整 不 全 )」 と
いう様相を呈し、その多 くは定型的である 。セラ ピーは、そうした 定型的 な出力を生む
定 型 的 な ネ ッ ト ワ ー ク が 採 用 さ れ て い る シ ス テ ム に 対 し 、身 体 の 側 か ら 注 意 深 く 差 異 を
持ち込む形で進行する。
出 力 は 同 時 に 入 力 と な る と い う 観 点 か ら 、出 力 の 様 式 を 換 え ら れ れ ば 入 力 の 内 容 や 質
も 変 わ り 、発 達 に 向 け た 再 組 織 化 が 得 ら れ る か の よ う に 考 え ら れ が ち で あ る が 、出 力 の
様 式 を 他 者 が 換 え る こ と に よ っ て 得 ら れ る 入 力 は 、他 者 に 換 え ら れ た 出 力 と い う 入 力 で
あ る 。そ れ は 当 面 の 生 存 に と っ て 好 ま し い 変 化 で あ れ ば あ る ほ ど 、刺 激 反 応 様 式 に よ る
循 環 を 強 化 し 、身 体 を 状 況 限 定 的 な 枠 組 み に 固 定 す る( す な わ ち シ ス テ ム に は 差 異 が 持
ち 込 ま れ な い 仕 組 み を 強 化 す る )。
従 っ て 、結 果 的 に 本 人 の 身 体 と シ ス テ ム と の 関 係 が 展 開 的 に 変 化 す る 方 向 へ 向 か う た
めには、それへ向けて「仕掛ける」という方法を取らざるをえない。そのためには、以
下の手続きを省略しないことが肝要であると考えている。
1)
実践(セラピー)のための仮説を得るために、病態解釈を行なう。
2)
病 態 解 釈 と は 、セ ラ ピ ス ト の 現 実 と し て 見 え て い る 異 常 性 の 背 景 の 読 み 解 き で あ る 。
すなわち、安定を志向するシステム、あるいは掻き乱されようとしているシステム
の読み解きであり、真の病理はどこにあるかという問いへの一応の解答を作ること
で あ る 。往 々 に し て 、病 態 と し て 、現 象 の 原 因 と な る 現 象 が 提 出 さ れ が ち で あ る が 、
原因と結果という形式で見えているものは、依然としてセラピストの現実である。
病態解釈は、本人が直面している不整合に言及するものとなる。
3)
そこから、実践(セラピー)のための仮説的な方針を立てる。これには、当面の手
152
脳性麻痺のリハビリテーション―身体の復権のために―
掛かりとする具体的な身体部位やそのあり様が含まれる。
4)
方針が当面支持されるかどうかは、少なくとも当該身体部位を含むネットワークに
差異が持ち込まれる余地を感じ取れるか、すなわち、差異を持ち込む場として想定
された身体部位やあり様は適切なのか、また、病理として仮説されたシステムの変
化につながる余地があるか、という吟味によって決定される。
5)
方針は多かれ少なかれ常に修正される。それは、一回~数回のセッションで、病態
解釈が更新されるからである。
6)
すなわち、セラピーにおいて、子ども(患者)との「やり取り」が成立していると
したら、彼らのシステムは既に同じ環境にはなく、彼らの振る舞いは、なんらかの
病理やシステムの持つ傾向を、改めて浮き彫りにするからである。このとき、差異
を持ち込む場や病理の在り処を見直す機会となる。
7)
「やり取り」の成立は、セラピーにとって必須である。それは、表面的には「セラ
ピストと共に」という関係性に向き合うことであり、本人にとっては世界に向き合
うことのシミュレーションでもある。しかしより厳密には、本人のシステムが世界
の差異に向き合うことのシミュレーションである。時に、真に向き合うこと自体を
巧妙に退ける病理もある。したがって、セラピストは、シミュレーションをシミュ
レ ー シ ョ ン す る か の よ う な 擬 似 的 な「 や り 取 り 」に 対 し て は 敏 感 で あ る 必 要 が あ る 。
8)
な ん ら か の( 微 細 な )
「 展 開 」が 得 ら れ た と 感 じ ら れ た な ら 、そ れ ま で の 仮 説 を ほ と
んど捨てるかのようにして、改めて病態解釈に向かう必要がある。そうした、相手
の自動展開性に間髪を入れずに寄り添うことができるかどうかは、その場でのセラ
ピ ス ト と し て の 臨 床 的 態 度( 測 度 )に よ る 。
( セ ラ ピ ス ト が 、個 人 的 な レ ベ ル で 啓 発
し あ い 、 思 考 を 深 め る 必 要 が あ る 所 以 で あ る 。)
9)
方法的には、本人の展開可能性に向けられたものであるかどうかという一点から、
毎回検討を加える。
症例供覧
< 症 例 1>
概要:
5 歳 11 ヶ 月
男児
在 胎 36 週 、2930g で 出 生 。空 腸 閉 鎖 が あ り 、
生後 5 日目に手術を受けている。術後 5 ヶ
月 間 ICU で フ ォ ロ ー さ れ た 。 低 栄 養 状 態 と
説 明 さ れ た と の こ と 。1 歳 6 ヶ 月 時 に 脳 性 麻
痺の診断を受ける。大脳基底核に小さな梗
塞があると説明されている。
7 ヶ 月 時 よ り 他 施 設 に て 理 学 療 法 開 始 。当 施
設 に お け る 初 診 は 2 歳 11 ヶ 月 。 週 1 回 の 頻
図 1.
度( 一 回 60 分 ~ 80 分 )で 3 年 間 定 期 的 に 理
少 し の 接 触 や 音 な ど で 、一 気 に 反 り 返 っ て
学療法を実施し、現在も継続中。
いた。
153
症 例 1( 2006 年 4 月 頃 )
東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究
Vol.3
初期外部観察:
未 定 頚 。主 に 接 触 刺 激 を 契 機 と し て 筋 緊 張 が 低 下 し た 状 態 か ら 瞬 間 的 に 亢 進 状 態 へ 移 行
し 、 し ば ら く 戻 れ な い (図 1)。 発 語 は 発 声 程 度 。 母 を 呼 ぶ な ど の 目 的 的 な 発 声 は な い 。
著明な関節拘縮は ないが 、脊柱は軽い左凸 側彎傾 向あり。自力での 体位変 換、移動は不
可 。 常 時 咽 頭 喘 鳴 あ り 。 経 口 摂 取 可 ( ペ ー ス ト 食 )。 ア イ コ ン タ ク ト は 不 明 瞭 。 対 象 物
の注視、追視も不明瞭だが、母が視界に入ると、数秒後にニッコリすることが多い。柔
ら か い 音 、メ ロ デ ィ ー な ど で も 同 様 だ が 、強 い 音 や 突 然 の 音 に は 反 り 返 り が 誘 発 さ れ る 。
初期内部観察:
身 体 と は 唐 突 に 急 激 な 筋 収 縮 を 感 じ さ せ る も の で あ り 、世 界 は 、自 分 の 気 づ き と と も に
転 覆 し た り 、新 た に 何 か を 感 じ 取 る 暇 な ど な い ほ ど の 規 模 と 速 さ で 変 動 し た り す る 。そ
う し た 世 界 に 気 づ く た び に 、毎 回 驚 愕 し 混 乱 し て し ま う( た め に 急 激 に 反 り 返 っ て し ま
う )。
初期病態解釈:
視 覚 や 聴 覚 を 自 分 か ら は 使 わ ず に 、前 後 の 脈 絡 な く 入 る 強 い 筋 収 縮 に は 非 対 応 で い る と
いう安定のしかたが見出されている。
治療のための初期方針:
自 分 の 身 体 や 世 界 と 関 係 性 を 構 築 す る た め の 準 備 と し て 、知 覚 し た 対 象 や 自 分 の 身 体 に
持続的に向かう、様々に感じ分けるなどの経験が必要である。
訓練内容と経過:
視 覚( 注 視 、見 比 べ 、追 視 )( 図 2)と 接 触( 触 っ た こ と や 触 っ た も の が 変 わ っ た こ と に
気づくだけでなく 、そこ から連続して触っ ている 感触を感じ取る)と動き(身体の重さ
が か か る 部 位 の 変 化 と し て 、身 体 全 体 の 向 き に 上 肢 や 頭 な ど の 身 体 部 位 を 一 致 さ せ る こ
と と し て 、セ ラ ピ ス ト や 母 に 近 づ く こ と と し て )を 主 要 な テ ー マ と し た 課 題 を お こ な っ
た。
・
約 3 ヵ月後~注視と追視が確実に見ら
れるようになった。
・
約 6 ヶ月後~ゆっくりとした姿勢変換
の間じゅう何か(おそらく重さの変化)
に注意を向けていることができるよう
に な っ た 。ま た こ の 頃 か ら 共 同 注 視 も 見
られるようになった。
・
約 1 年 後( 3 歳 11 ヶ 月 )~ 見 て い る も の
が 動 い て も あ ま り 驚 か な く な り 、む し ろ
動 き を 注 視 し た り 、同 じ 動 き を 見 せ る と
図 2.
最後にニッコリしたりするようになっ
頭の重さが本人の肩に乗る位置を保持し
た 。ま た こ の 頃 か ら 話 し か け に 喃 語 の よ
ながら、座位で視覚的な注意を向ける訓
う な 発 声 で 応 じ る よ う に な っ た 。し か し 、
練。見えにくいところから出てくるもの
大 き な 動 き に は 、そ れ が 外 界 で 起 こ る も
に気づき、注視し、追視するよう促す。
154
症 例 1( 2006 年 7 月 頃 )
脳性麻痺のリハビリテーション―身体の復権のために―
の で あ れ( 何 か が 急 に 近 づ く な ど )、自 分 に 起 こ る も の で あ れ( バ ギ ー に 乗 っ て 移 動
す る な ど )、四 肢 に 放 散 反 応 が 著 明 に 出 現 す る 状 態 が 続 い た 。ま た 、足 底 へ の 荷 重 に
はあまり注意を向けていない様子であった。
・
約 1 年半後~何かに驚いて反り返ってもその後自分で戻ろうとする動きが出るよう
になった。
・
約 2 年 後 ( 4 歳 11 ヶ 月 ) ~ 動 き の 中 で 四 肢 へ 荷 重 さ れ て も そ れ に 対 す る 変 化 が な い
状 態 は 続 い て い る (動 か し て も ら う の を 待 っ て い る 様 子 )。 呼 び か け に 四 肢 の 動 き や
目をそちらに向けようとする動きが見られるようになり、大きく動くとき(抱き上
げてバギーに乗せるなど)には、これから行く先を見せて説明するように話しかけ
ると、反り返らずに移動でき、移動した後にニッコリするようになった。
・
約 2 年半後~ぬいぐるみを見せると笑いかけたり喃語様の発声が見られたりするよ
う に な っ た 。座 位 で テ ー ブ ル の 下 か ら 人 形 が 出 て く る と ニ ッ コ リ し た り 、
「バイバイ」
と言うと泣きそうな顔になったりするようになった。
・
約 2 年半後(5 歳 5 ヶ月)~仰臥位で、一側から呼ぶとまず目、次に頭、さらに自
分でそちらを向こうとする動きが確実に見られるようになり、骨盤の回旋を手伝う
と自力で向くようになった。上側の上肢も時間はかかるが自力で持ってくるか、手
を当てるとそこにすっと置けるようになった。
「 マ マ の 方 」「 バ ギ ー の 方 」 な ど 、 よ く
知 っ て い る も の の 名 前 を 出 す と 、そ こ へ
向 こ う と す る( 探 そ う と す る )よ う に な
っ た ( 図 3)。 毎 回 使 っ て い る ぬ い ぐ る
み の う ち 、し ば ら く 見 つ め て か ら 必 ず ニ
ッコリするものが出てきた。
一 緒 に 触 る と き に 、右 上 肢 に 伸 張 反 射 が
見られるときには左は脱力状態となり、
左上肢で触っているうちに左手指に伸
張 反 射 様 の 動 き が 出 始 め 、右 は 緊 張 が 解
除 さ れ る と い う こ と が わ か っ て き た 。ま
た 、ど ち ら か と 言 う と 、 右向 き で い る こ
図 3.
とが多い傾向もはっきりしてきた。
「ママの方に向いてごらん」と言う
母 は 、自 分 の 様 子 を よ く 見 て い た り 、声
と、母がいる側に目を向け、何とか
掛けでこちらの意図が通じていると感
頭や手足を動かそうとする。
症 例 1( 2008 年 11 月 )
じるようになった。
現在の病態解釈と仮説的治療方針:
随 意 的 な 粗 大 な 動 き が 意 図 に 一 致 し た も の と し て 出 始 め て い る 。そ の 際 、動 く 方 向 や 到
達 点 は 明 確 に 意 識 さ れ て い る よ う に 思 わ れ る 。世 界 が 動 く 、あ る い は 自 分 自 身 が そ こ へ
向かう(動く)ということがどういうことなのかを了解できてきたと感じる。また、感
情的な表出が、母や周囲の人(保母、セラピストなど)やよく知っているぬいぐるみな
ど と の 関 係 性 の 中 で 自 然 に 出 る よ う に な っ た 。し か し 、自 身 の 中 で 何 ら か の 表 出 に つ な
155
東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究
Vol.3
が る ま で に 相 当 の 時 間 が か か っ て い る ( た め に 他 者 に 中 断 さ せ ら れ る こ と は 多 い )。
ま た 、対 象 に 対 す る リ ー チ で の 振 る 舞 い か ら 、左 半 球 中 心 の 動 き が 形 成 さ れ つ つ あ る と
感 じ る 。視 覚 と 特 に 上 肢 の 動 き が 一 致 し て 起 こ ろ う と し て い る の を 感 じ る が 、逆 に す ぐ
には見えない下肢への注意が少ない。
今後は、左右の連 絡や統 合、全体の動きと 骨盤や 下肢の動きとの関 係性、足底の圧と自
分自身の動きとの関係性などを課題にしていく必要があると感じている。
< 症 例 2>
概要:
4 歳 6 ヶ月
女児
在 胎 38 週 、 2611g で 出 生 。 仮 死 あ り 、 低 酸 素 性 虚 血 性 脳 症 、 症 候 性 て ん か ん の 診 断 。 3
ヶ月入院。
4 ヶ月時より地域の療育センター利用。その後、てんかんセンターに 6 ヶ月間入院。
その後は近医(大学病院)でフォローされている。脳波診断上、てんかん発作は後頭葉
から起こっていると説明されているとのこと。
当施設初診は 2 歳 9 ヶ月時。一旦訓練開始したが、3 歳時にボイタ法訓練のため母子入
院 ( 当 施 設 初 診 前 に 決 ま っ て い た と の こ と ) し 中 断 。 そ の 後 3 歳 11 ヶ 月 よ り 当 施 設 で
の 理 学 療 法 を 再 開 し て 現 在 に 至 る 。 週 1 回 ( 一 回 60 分 ) の 頻 度 で 継 続 中 。
初期外部観察:
未 定 頚 。常 に 不 愉 快 そ う に 眉 間 に 皺 を 寄 せ て い る 。10 秒 前 後 の 小 規 模 な て ん か ん 発 作 が
10 分 に 1 回 程 度 見 ら れ る 。上 下 肢 を 不 定 形 に 動 か す が 目 的 的 で は な い 。他 動 的 に 四 肢 を
動 か す と 泣 く ( 何 も し な く て も 泣 き 出 す こ と も あ る )。 発 作 時 は 、「 う ー 」 と い う 小 さ な
発声とともに、眼球、頭が右へ行き、手足を硬直させる。肩、肘は覚醒時には他動的に
も 伸 展 が 困 難 で あ る が 、睡 眠 時 に は 全 可 動 域 を 抵 抗 な く 動 か す こ と が で き る 。頭 は 常 に
や や 右 へ 向 い て い る こ と が 多 く 、左 上 下 肢 は 伸 展 傾 向 、右 上 下 肢 は 不 定 期 に ぎ こ ち な く
動 か す 傾 向 が あ る ( 泣 く と き な ど )。 母 は 「 抱 っ こ し て い な い と 泣 い て し ま う 。 ま だ 一
度も笑ったことがない」と。
再開後も上記とほとんど変わらない印象を受けた。
初 期 内 部 観 察 ( 再 開 後 ):
自 分 か ら 何 か に 向 か う と い う こ と な く 、た だ 身 体 に 感 じ ら れ る 様 々 な 外 力 の 中 で 為 す 術
もなく困り果てて いる。何か身体内に感じ られる 不愉快さがあり、それが 何かがわから
な い こ と が ま た 不 愉 快 で 、人 に 触 ら れ た り 動 か さ れ た り す る こ と が 、新 た な 不 愉 快 さ を
上 乗 せ す る こ と に な っ て い る 。抗 て ん か ん 薬 を 飲 み な が ら も 小 さ な て ん か ん 発 作 は 頻 発
しており、どこか からど こかへ繋がるとか 自分が どこか(何か)に到達す るといった経
験 よ り は 、繋 が ろ う と し て は 断 ち 切 ら れ 、到 達 し よ う と し て は そ こ が 立 ち 消 え る よ う な
経 験 を 蓄 積 し て い る 。身 体 は 常 に そ の 経 験 と と も に あ り 、抱 っ こ 以 外 に 落 ち 着 く 先 を 見
出せていない。
初期病態解釈:
ど こ へ も 繋 が っ た り 到 達 し た り す る 必 要 の な い 場 所( 抱 っ こ )に 身 体 を 置 く こ と を 欲 す
156
脳性麻痺のリハビリテーション―身体の復権のために―
る こ と で 、断 ち 切 ら れ た り 立 ち 消 え た り す る こ と に よ っ て 頻 繁 に 安 定 を 乱 さ れ る こ と を
防ごうとしている。
治療のための初期方針:
世界に向かうため の手掛 かりを得る必要が ある。自分の身体につい ても、感じ取る、感
じ分ける、持続的に注意を向けるというような経験を積み重ねる必要がある。
訓練内容と経過:
世界に向かう手掛 かりと して、注視から少 しずつ 追視、見比べにつ なげる ことと、見て
いるものに触る、さわっ てから見るなど、自分の 身体部位とその動 きとを 一致させるこ
と を 主 要 な テ ー マ と し た 。自 分 の 身 体 に 向 か う 手 掛 か り と し て 、一 定 の リ ズ ム で 移 動 す
る 圧 や 接 触 を 感 じ 取 る こ と と 、あ る 身 体 部 位 か ら 身 体 全 体 へ と つ な が る 動 き を 感 じ る こ
となどを主要なテーマとした。再開後から現在までの約 6 ヶ月間の変化として、
・
注視できたと思えた瞬間にてんかん発作が起こるという状態から、狭い範囲での追
視が可能になった(長く提示したり、二つを見比べさせたりすると、発作につなが
る こ と が 多 い )。
・
視界の端に何かを提示すると、目を閉じたまま頭だけ向けることが増えた。しばら
く待っていると開眼し、注視する。
・
頭の動きが以前より自由になり、正中に保持(介助)しやすくなった。
・
不機嫌そうに上下肢を動かしているときに、ある身体部位から徐々に身体全体の大
き な 動 き に し て い く と 静 か に な り 表 情 も 穏 や か に な る 。や め る と ま た バ タ バ タ す る 。
動 き た い と い う 意 思 を 感 じ ら れ る よ う に な っ た ( 母 も 同 様 に 感 じ て い た )。
・
素材の差異にもじっと注意を向けている様子が見られるようになった。
・
泣く以外に表情が大きく変化することはないが、不機嫌以外の表情が増えた。
・
接触と視覚とを合わせいく過程で、肩の放散反応が軽減するようになった。
などが挙げられる。
現在の病態解釈と仮説的方針:
視覚的に世界が「見える」というところ
までは来ている。また、その気づきと頭
の 動 き は 一 致 し つ つ あ る ( 図 4)。 た だ 防
御的に抱っこを求めるだけでなく、
「動く」
という自分の身体に起こることに快を感
じられるようになってきている。本人の
志 向 性 の 質 が 変 化 し て き た 。そ れ に 伴 い 、
頭や上肢を他動的に動かしやすくなった
ことから、恐らく、身体に感じる不快感
に伴う放散反応として、肩、頚部などの
図 4.
緊張亢進があるものと思われる(発作が
提示されたものを短時間、注視するこ
いつも以上に頻発するときは抱っこして
とができるようになった。
い て も 機 嫌 が 悪 い )。
157
症 例 2( 2008 年 11 月 )
東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究
Vol.3
今後、差異の感じ 取りや 展開していく(繋 がって いく)ことを子ど もらし く快と感じる
経 験 を 蓄 積 し て い く 必 要 が あ る 。て ん か ん 発 作 の 発 現 に 至 る 前 に 休 止 を 入 れ る な ど 、限
りなく連続に近い 断続的 な感じ取りとして 、視覚 と接触、視覚と運 動、視 覚と運動と接
触など、モダリティ間の繋がりを作ることを課題にしていけるのではないか。
まだ、特定の他者(両親やセラピスト)に向けた表出はない(誰が抱っこしても泣きや
む )。 自 分 の 身 体 と と も に 特 定 の 他 者 が い る と い う こ と へ の 気 づ き は 今 後 の テ ー マ と な
ると感じている。外界に向かうということの中に組み込んでいく必要がある。
< 症 例 3>
概要:
1 歳 2 ヶ月
男児
在 胎 41 週 、 3202g で 出 生 。 体 重 増 加 せ ず 2 ヶ 月 入 院 。 1 歳 時 体 重 5900g( 6 ヶ 月 時 か ら
100g 前 後 の 増 減 を 繰 り 返 し て い る )。 PVL( 脳 室 周 囲 白 質 軟 化 症 ) 疑 い と 言 わ れ て い る
だけで、脳損傷の 存在は 明確には指摘され ていな い。脳波の異常も ない。アトピー性湿
疹あり。5 ヶ月から離乳食開始。特に極端に少食というわけでもなく、検査の結果ホル
モンの異常もないと診断されている。
当施設初診は 6 ヶ月時。最初の 2 ヶ
月は月 2 回の頻度とし、その後週 1
回 の 頻 度( 一 回 約 60 分 )で 理 学 療 法
を実施し現在に至る。食事内容など
について栄養指導も受けている。
初期外部観察:
未定頚。全身に力を入れて伸び上が
るように反り返る動きがあり、新生
児 の Moro 反 射 様 の し が み つ く ( 空
を掴む)ような動きが見られた。話
し手の顔や周囲を見つめ、動く物を
左右に追視することもできた。ベビ
ーカーに座らせたり、膝の上に座っ
たりするのを嫌うということで、お
父さんが横抱きに抱いて揺すってい
た。医師が聴診器を当てようと近づ
くと泣き出し、看護師があやそうと
抱っこするとよりいっそう号泣した。
抱っこをしていても散歩に出ると泣
いてしまい、風が吹くとさらに泣く
図 5-1,2
ということであった。両親の声掛け
仰向けで手で何かに触らせるとそれをじっ
には微笑むこともあり、両手を持っ
と見つめているが、少し姿勢を横向きにし
て揺すったり抱っこで揺らしたりす
ようとしただけで、泣き始めてしまう。
158
症 例 3( 2008 年 5 月 )
脳性麻痺のリハビリテーション―身体の復権のために―
ると笑うこともあった。
その後、定期的に セラピ ーを行なう中で、姿勢変 換をさせられる( または 抱っこ紐など
の 狭 い 場 所 で じ っ と さ せ ら れ て い る ) こ と を 極 端 に 怖 が る こ と ( 図 5-1,2)、 ま た 、 他 の
人(セラピストな ど)や ぬいぐるみの人形 も、何 度同じものを見せ てもい つも緊張した
表 情 で 見 つ め て い る が 、色 テ ー プ を 貼 っ た だ け の パ ネ ル に は 穏 や か な 表 情 で 向 か い 合 い 、
手で触れさせると笑顔を見せるほどの余裕が感じられるということなどが観察できた。
し か し 、視 界 に 入 ら な い と こ ろ で 自 分 の 手 や 足 に 何 か が 接 触 し て も す ぐ に 目 を 向 け る こ
とはなく、気づか ない様 子でさえあった。特に下 方への追視はすぐ に途絶 える。上肢は
常に肩が後退して おり、手指屈曲位でいる ことが 多い。空腹や眠気 、蒸し 暑さなどの不
快 な 体 性 感 覚 に す ぐ に 注 意 が 向 き 、不 愉 快 で 泣 い て し ま う と そ れ 自 体 に も 不 快 を 感 じ て
さらに泣くという悪循環となることが多い。
新 し い も の や そ の 動 き な ど は じ っ と 注 視 し て い る が 、笑 う こ と は な く 、ふ と 我 に 返 っ て
反り返ったり泣き出したりする。
両親は、物静かで常識的。親戚や近所の付き合いもあり、落ち着いた家庭。
初期内部観察:
順調に育たない小さな身体は、何かに激
しく消耗していることを窺わせる。両親
が環境を整えることによって、本人のシ
ステムはかろうじて均衡を保つことがで
きている。
初期病態解釈:
自分の身体やそれを取り巻く外界との関
係性を了解していくような時期と場面で、
自分の身体へのベクトルの強度を測量す
るような注意が働いてしまう。特に視界
に入ると、そのような注意が働いてしま
う。それが働かない方が本人にとっても
平和なので、自分のシステムの庇護者と
しての両親に強い愛着を持っている。
治療のための初期方針:
「測量モード」が働かない状態で体性感
覚を感じ取る必要がある。直接見えない
身体部位から始め、最後に短時間、視覚
図 6-1,2
と照合する。あるいは、関係性を感じな
症 例 3( 2008 年 11 月 )
セラピストの声掛けや動きに注目し、
くてすむ対象に向かいながら、姿勢が少
予測的に笑って待つようになった。ま
しずつ変化したり戻ったりすることを経
た、人形の見え隠れなどに注目して、
験 す る 。「 測 量 モ ー ド 」 が 発 動 さ れ た ら 、
それを楽しめるようになった。
こちらは一度撤退する必要がある。
159
東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究
Vol.3
訓練内容と経過:
上記仮説を得るまでに半年近くかかった。仮説を得てから 3 週間(3 回実施)の間に、
以下のような変化があった。
・
セ ラ ピ ス ト の 声 か け に 笑 う よ う に な っ た 。い つ も 見 せ て い た ぬ い ぐ る み に 笑 い か け 、
喃語様に声を出したりするようになった。
・
大きな体位変換には泣いてしまうが、側臥位で 5 分以上遊んでいられるようになっ
た( 長 く な る と 、下 側 の 肩 に か か る 重
さ を 感 じ る の か 、泣 き 出 し て し ま う )。
・
初 め か ら 介 助 で 床 座 位 に す る と 、し ば
らくぬいぐるみなどで遊べるように
な っ た ( 図 6-1,2)。
・
急 激 な 反 り 返 り は ま だ 見 ら れ る が 、待
っていると戻れるようになった。
・
大きな姿勢変換には少し我慢した後
・
ぬ い ぐ る み や パ ネ ル を 見 せ る と 、見 せ
に 泣 き 出 す こ と が 多 い ( 図 7)。
・
た側の上肢が必ず動くようになった。
図 7.
しかし、両側同時に動くことはない。
大きな姿勢変換には泣きそうになる
体 重 が 少 し ず つ 増 え だ し た( 1 歳 2 ヶ
( 少 し 我 慢 で き る )。
症 例 3( 2008 年 11 月 )
月 時 体 重 6400g)。
現在の病態解釈と仮説的方針:
自 分 に 見 え て い る 世 界 で 、自 分 に 対 す る ベ ク ト ル の 強 度 を 測 量 す る よ う な 注 意 が 働 い て
し ま う と い う の は 一 種 の 被 害 妄 想 の よ う で あ る が 、世 界 を シ ャ ッ ト ア ウ ト し て し ま う こ
ともなく、他者を威嚇したり攻撃したりすることもない。
む し ろ 本 人 は 、自 分 自 身 に よ っ て 自 分 の シ ス テ ム 全 体 が 脅 か さ れ る こ と で 、た だ 怖 い と
い う 思 い で 泣 い て い た と 感 じ る ( 0~ 1 歳 と し て 当 然 )。
無 機 的 な も の だ け で な く 、ぬ い ぐ る み や セ ラ ピ ス ト に も 子 ど も ら し い 愛 着 を 持 ち 始 め て
お り 、こ ち ら も 、他 者 と の 関 係 性 の 中 で 少 し ず つ 自 分 の 身 体 に 起 こ る こ と を 了 解 し て い
く こ と が で き る の で は な い か と い う 展 望 を 持 て る よ う に な っ た( 両 親 と 共 有 し て い る )。
肩 周 囲 の 放 散 反 応 や 反 り 返 り に は 心 理 的 な も の が 反 映 さ れ て い る と 思 わ れ る が 、対 象 物
に 接 触 し よ う と す る と 手 指 に 伸 張 反 射 様 の 緊 張 亢 進 と 手 、肘 、肩 に 放 散 反 応 が 強 ま る こ
とや、特に右上肢 の動き が少なく、視野も 左側が 優先されやすい傾 向は、最近顕著に観
察 さ れ る よ う に な っ た 。ま た 、左 上 肢 の 正 中 を 越 え た 動 き や 両 側 同 時 に 正 中 に 向 か う 動
き に 抵 抗 す る こ と が 観 察 さ れ る よ う に な っ て き た 。そ の た め 、左 半 球 損 傷 や 左 右 の 連 絡
経路の障害の可能性も考え始めている。
現 在 は 、「 測 量 モ ー ド 」 の 発 動 に 注 意 し な が ら 、 左 か ら 右 へ の 視 覚 的 な 動 き と 接 触 、 正
中 に 向 か う 動 き 、正 中 と そ こ か ら 外 れ た り 戻 っ た り す る 動 き な ど を テ ー マ と し て 行 っ て
いる。
160
脳性麻痺のリハビリテーション―身体の復権のために―
< 症 例 4>
概要:
6 歳 3 ヶ月
男児
在 胎 30 週 5 日 、 1542g で 出 生 。 1 ヶ 月 で PVL の 診 断 。 2 ヶ 月 で 退 院 。 定 頚 7~ 9 ヶ 月 。
寝 返 り 1 歳 前 後 。ず り 這 い 1 歳 3 ヶ 月 。ハ イ ハ イ 1 歳 7 ヶ 月 。つ か ま り 立 ち 2 歳 3 ヶ 月 。
5 歳時に股関節周囲や足関節周囲の筋緊張を緩めるため、合計 7 箇所の筋解離術を受け
る 。 そ の 前 後 に 下 肢 装 具 ( swash) を つ け 両 手 に ロ フ ス ト ラ ン ド ク ラ ッ チ ま た は 歩 行 器
を使った歩行練習を中心としたセラピーを受けている。
尿 便 意 あ り ( 夜 尿 も な し )。 自 食 可 能 ( 右 手 )。 椅 子 の 乗 り 降 り も 自 力 で 可 能 。 車 椅 子 の
自 操 可 能 ( 最 近 )。 手 を 洗 う 間 な ど 、 短 時 間 つ か ま り 立 ち が 可 能 。
当 施 設 初 診 は 5 歳 3 ヶ 月 時 ( 術 後 3 ヶ 月 )。 以 後 週 1 回 ( 一 回 60~ 80 分 ) の 頻 度 で 理 学
療法を実施し、現在に至る。
当 初 、前 施 設 で の セ ラ ピ ー と 両 立 し な い の で ど ち ら か を 選 択 す る よ う に 母 に 依 頼 し て い
た が 、母 は 6 ヶ 月 ほ ど 併 用 を 試 み た 様 子 。現 在 は 実 質 的 に は 当 施 設 で の セ ラ ピ ー の み と
なっている。
初期外部観察:
ハ イ ハ イ や 椅 子 に 座 る 動 作 は 、上 肢 の 力 を 中 心 に 行 な い 、お 尻 を 突 き 出 し た よ う な つ か
ま り 立 ち を し 、少 し 傾 く と 転 倒 を 予 期 し た よ う に 目 を つ む っ て 手 足 を こ わ ば ら せ る 。椅
子座位では、前方 や側方 に傾くため、常に 肘掛け につかまって、頭 を後方 に反らせてい
る。
少し舌足らずな喋 り方で 、発語に伴い、口周囲や 顔面に放散反応が 見られ る。会話の内
容は年齢相応で、理解力 や記憶力もある。尿便意 も言葉で伝えるこ とがで きる。靴下や
靴 を 履 く と き に は 、 手 で 大 腿 を 持 ち 上 げ て 協 力 し よ う と す る ( 両 側 と も )。
こ ち ら が 挨 拶 を す る と 横 を 向 き 、質 問 す る と そ れ と は 関 係 の な い 話 を し 、何 か 課 題 を し
よ う と す る と 急 に 歌 を 歌 い 始 め た り 、別 の 遊 び を 始 め た り す る 。下 肢 に つ い て 問 わ れ る
と特にその傾向が 目立つ 。また、人形を 渡すと四 肢を四方八方に捻 じ曲げ 、不自然な構
えを作って歩かせる真似をする。対象物が見えない状態(テーブルの下やタオルの下、
筒の中など)で触 ったり することには抵抗 が強く 、何とか見ようと する。家では足の下
にオモチャなどがあっても構わずその上に座り込んでいるとのこと。
床に寝かせると、まだ何 も始めていないう ちに、また頼んでもいな いのに 、数を数え始
め「 10 ま で 数 え た ら 終 わ り で し ょ う ? 」と 聞 く 。少 し 課 題 に 注 意 が 向 い た か と 思 う と ボ
ー ッ と し た 表 情 に な り 、呼 び か け て も 上 の 空 で 返 事 を す る よ う な こ と が 頻 繁 に 見 ら れ る 。
後 ろ か ら 介 助 し て 歩 く と 、足 を 出 す た び に 頭 と 体 幹 を 横 に 傾 け 手 を 胸 ま で 挙 げ 、全 身 に
力をこめる。また、突然両足とも脱力してしゃがみこむ。
やや右向きの傾向があり、左隅にあるものを見落としやすい。
初期内部観察:
外界との関係性や 自分の 身体(自分自身 )との関 係性に向き合うこ とを、繰り返し回避
し 、何 か 新 た に 求 め ら れ た り 問 わ れ た り す る こ と が 生 じ な い 世 界 に 居 続 け よ う と し て い
る。
「 知 っ て い る こ と 」と「 で き る こ と 」ま た は「 わ か る 」こ と が 同 じ と 感 じ て お り 、
「知
161
東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究
Vol.3
ら な い 」「 で き な い 」「 わ か ら な い 」 こ と が 増 え て い く の を 恐 れ て い る 。 し か し 、 外 界 に
注 意 を 向 け 探 索 し た い 気 持 ち も 強 く 、自 分 の 行 為 に よ っ て は 何 も 展 開 し な い こ と に 、う
すうす気づいている。
初期病態解釈:
「 知 ら な い 」「 で き な い 」「 わ か ら な い 」 こ と が 自 分 の 世 界 を 大 き く 制 限 す る も の と 解 釈
し て い る 。そ れ は 本 人 に と っ て 、身 体 と 外 界 と の 関 係 性 の 構 築 や そ の 更 新 に 失 敗 す る こ
と ( シ ス テ ム の 破 綻 ) に 等 し い 。 そ の た め 、 関 係 性 を で き る だ け 「 知 っ て い る 」「 で き
る 」「 わ か る 」 範 囲 に 固 定 し て お こ う と し て い る 。 そ れ に 一 番 近 い の は 、 周 囲 に 言 わ れ
る と お り の パ フ ォ ー マ ン ス を 遂 行 す る こ と と 理 解 し 、そ の 役 割 を 選 択 し て い る 。自 ら の
判断を必要とする選択の局面に立つと、
「怖い」
「 心 細 い 」気 持 ち に な っ て 逃 げ て し ま う 。
治療のための初期方針:
「 知 ら な い 」「 で き な い 」「 わ か ら な い 」 こ と か ら で も 展 開 で き る と い う 経 験 を 積 み 重 ね
る 必 要 が あ る 。最 近 接 領 域 を 外 さ な い こ と が 必 要( 課 題 の 設 定 と し て も セ ラ ピ ー と し て
も )。
訓練内容と経過:
体性感覚から自分 の身体 の側と身体が接し ている 面(外界)の側 の両方を 感じ取り、そ
れを、身体をとおして「わかった」という経験にすることを主要なテーマとした。
当初は、単純な表 面素材 の違いに注意が向 けられ なかったが、次第 に左右 の比較、上下
肢(足底と手指で感じているもの)の比較を取り入れ、身体部位の細分化よりは、より
細 か い 注 意 を 必 要 と す る( 同 じ 課 題 で 差 異 の 幅 を 小 さ く す る )課 題 へ と 移 行 し て い っ た 。
・
足底や手指の接触課題(表面素材の違い、左右の比較)にはエラーがなくなった。
しかし、集中していないときには左にはエラーが多い。
・
差 異 が 感 じ 取 れ な い と き 、「 わ か ら な
い」と言うようになった。
・
椅 子 座 位 は 肘 掛 が な く て も 、足 底 が 設
置していれば自立。
・
靴 下 や 靴 を 履 く と き 、手 を 使 わ ず に 足
を持ち上げるようになった(両側と
も )。
・
壁 を 背 に し て 、つ か ま ら ず に 立 っ て い
られるようになった。
・
介助歩行で突然脱力してしゃがみこ
むことがなくなった。
・
図 8.
車 椅 子 の 自 操 が 自 立 し た( 前 進 、後 進 、
症 例 4( 2008 年 11 月 )
テーブルの下にある足の形や位置を
方 向 転 換 、 ブ レ ー キ 着 脱 と も )。
感 じ 取 っ て 、視 覚 的 に 照 合 し て い る と
現在の病態解釈と仮説的方針:
こ ろ 。見 え な い 身 体 部 位 に つ い て の 課
少しずつ課題に向かえる(注意の質を課
題 に も 、き ち ん と 向 か え る よ う に な っ
題に合わせて細分化できる)ようになっ
てきた。
て い る ( 図 8)。 し か し 同 時 に 、 概 念 的 な
162
脳性麻痺のリハビリテーション―身体の復権のために―
こと(方向、左右、正中、同じと違うなど)については、一度具体的なものに置き換え
ないと「わかった 」と思 えない(知ってい る言葉 と了解できている 内容が 必ずしも合致
していない)とい うこと がわかってきた。特に三 次元的にイメージ するこ とや、実際に
見 て い な い も の を 比 較 し た り す る こ と を 非 常 に 苦 手 と し て い る こ と が わ か っ て き た 。し
た が っ て 、目 に 見 え な い 体 性 感 覚 な ど は 、本 人 に と っ て あ ま り 現 実 味 の な い も の と し て
感じてきたのかもしれない。本人にとって「知っていてもわからない」という事態は、
相 当 深 刻 な 恐 ろ し さ で あ っ た と 思 わ れ る 。 最 近 、 母 か ら 、 家 で 姉 が 見 て い る TV ア ニ メ
を 一 緒 に 見 て い て 、 少 し 怖 い キ ャ ラ ク タ ー が 出 て く る と (『 サ ザ エ さ ん 』 の よ う な マ ン
ガ で あ っ て も )異 常 に 怖 が っ て 泣 き 叫 ぶ と い う 話 を 聞 い た が 、架 空 の も の が 現 実 の も の
で あ る か の よ う に 怖 が る の も 、現 実 に 感 じ 取 っ て い る も の に 現 実 味 を 感 じ 取 れ ず に 怖 が
るのも、同質のことであるように思われる。
現 在 は 以 上 の よ う に 解 釈 し な お し 、直 接 視 覚 や 具 体 的 な 物 へ の 置 き 換 え な ど で 十 分 に 準
備してから課題に向かうような展開にしている。
現 在 は 、三 次 元 的 な 視 覚 イ メ ー ジ( 見 て い る 面 と 異 な る 面 で 感 じ 取 っ た も の と の 照 合 な
ど)を主要なテー マとし ている。今後は 、身体全 体のイメージにお ける足 底の位置や構
え、足底での荷重と全体像との関係などがテーマになってくると考えている。
おわりに
彼 ら は 、脈 絡 の な い 外 界 か ら の 侵 襲 と 自 身 の 身 体 内 か ら 起 こ る 雑 音 や 混 乱 を な い 交 ぜ
に 攪 拌 し た 上 澄 み の よ う な 場 所 に い る と 感 じ る 。し か も 多 く の 場 合 、彼 ら は そ こ で 平 和
に暮らしている。彼らの脳は、この不整合を検出できない。しかし、彼らの世界がその
ようであるなら、上澄みにしか生きられる場はないということには深い共感を覚える。
上 澄 み の 中 で か ろ う じ て 均 衡 を 保 っ て い る 彼 ら の シ ス テ ム と 身 体 は 、少 し 体 調 が 変 化
しただけでも、急に比重が大きくなった物体のように混沌の中に沈んでしまう。実際、
そうした浮き沈みのさなかで完全に破綻するケースもある。しかし、多くのケースは、
少 し ず つ で は あ る が 、差 異 が 生 ま れ る 関 係 性 の 中 に 踏 み と ど ま り 、よ り 多 く の 差 異 を 受
け入れ、自らそれ に向か う方向へと展開す る。あ るいは、動きの始 まりに わずかに本人
の 意 図 を 感 じ 取 れ る よ う に な り 、出 力 の さ な か に 自 ら 調 整 を 加 え る よ う に な る 。そ れ は 、
身体の側からの、僅かずつの復権(リハビリテーション)である。
しかし、それと共に、彼らが「障害」の裏に抱えている病理が次々に表面化してくる
ような印象も受け る。そ れは、隠れていた 病理が 表層に移動すると いうよ りは、病理も
ま た 彼 ら の 経 験 と 共 に 展 開 す る か の よ う で あ る 。時 に 現 有 シ ス テ ム が 再 生 さ れ た か に 見
え、時にむしろ病 理が強 化されたかにすら 見える 。そのように、彼らは彼 らの病理ごと
変 化 す る 。彼 ら の 身 体 の 復 権 の 可 能 性 と は 、そ う し た 病 理 の 展 開 可 能 性 で あ る の か も し
れない。
163
東洋大学「エコ・フィロソフィ」研究
Vol.3
参考文献
・
Perfetti.C.: 認 知 運 動 療 法
運動機能再教育の新しいパラダイム, 協同医書出版社.
1998
・
Puccini.P, Perfetti.C.: 子 ど も の 発 達 と 認 知 運 動 療 法 , 協 同 医 書 出 版 社 . 2000
・
河 本 英 夫 : シ ス テ ム 現 象 学 オ ー ト ポ イ エ ー シ ス の 第 四 領 域 , 新 曜 社 . 2006
・
藤 田 一 郎 :「 見 る 」 と は ど う い う こ と か
・
人見眞理:小児期の脳損傷に対するリハビリテーション -認知運動療法とともに
脳 と 心 の 関 係 を さ ぐ る , 化 学 同 人 . 2007
( 総 論 ) - , 認 知 運 動 療 法 研 究 第 6 号 . 日 本 認 知 運 動 療 法 研 究 会 . 2006
・
人 見 眞 理:行 為 と メ タ フ ァ ー
脳 性 麻 痺 の ケ ー ス か ら , 現 代 思 想 2006 年 11 月 号 . 青
土社
・
人 見 眞 理:勇 者 は ど こ へ 向 か う の か 「 発 達 障 害 」に 対 す る 臨 床 展 開 , 現 代 思 想 2007
年 5 月号. 青土社
・
人 見 眞 理 : 「 ゼ ロ の キ ネ ス テ ー ゼ 」 ま で に 脳 性 麻 痺 の 身 体 , 現 代 思 想 2008 年 12
月号. 青土社
164
Fly UP