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巻頭エッセイ
現代の文明を問い直す
竹村牧男
たけむら まきお
東洋大学学長
(専門は仏教学)
現代の文明の問題を取りあげるとき、今日
ではあの3・11の東日本大震災を考えない
わけにはいかない。大地震と大津波という大
自然の威力をあらためてまざまざと見せつけ
られたと同時に、原発事故という重大な人災
も加わって、東日本の自然、そして村や町、
人々の生活は想像を絶するほど痛めつけられ
た。数えきれないほど多くの方が亡くなり、
また被災され、そして避難するなどして、大
変な被害と苦悩をもたらしている。関東北部
から東北にかけて、太平洋沿岸部は何百キロ
にわたって壊滅状態である。被災地域の過
疎・高齢化という条件も関わって、その復興
には、相当長期の時間を要するであろう。
今回、被害を大きくした要因の一つに、や
はり悲惨な原発事故があることを無視するこ
とはできない。数カ月もたってようやく出て
きた情報によれば、放射能の放出において、
広島の原爆の一六八個分というひどさである。
特に、地震のあった直後の数日間に、大量の
放射能が出ていたようで、今後、その影響が
どう出るかひそかに心配されている。
今後、原発をどうするのか、具体的には現
実的に考えていかなければならない面もあろ
うが、
少なくとも新設はもはや困難であろう。
そこで、従来のクリーン・エネルギーの効率
の大幅な改善や、さらに新たな方法の実用化
等に全力をあげなければならないに違いない。
今夏の電力制限下において特段の問題はなく
乗り切れた背景には、家庭や企業の痛みを分
かち合う行動があったおかげと思われるが、
一方、これまでの我々の生活に、いかに無駄
な電力消費があったかをも示すものでもあっ
た。我々としては今般の事態を機会に、人間
と自然、そして現代文明を主導する科学・技
術と人間の問題を深く考え、それを今後の自
分自身の生き方につなげていくべきである。
原発事故に見られる問題の根本、本質は、
いったいどこにあるであろうか。それは、人
間はどんなことでも技術を用いて制御・支配
可能であるという考え方だと、私は思う。根
底に、
自然を支配しきろうとする立場がある。
そこに、根本的な人間のおごり、高慢な姿勢
があり、本来のいのちのあり方を超え出てし
2
まったという、実は非常にいびつで奇怪なあ
り方に陥っていたということがあるのではな
いかと思うのである。大自然に対する謙虚さ
や怖れかしこむ感情を忘れてしまい、人間は
何でもできるというおごりに陥っていたのだ
と思うほかない。
日本人は特に深く自然を愛していると思わ
れがちだが、実際には高度成長期以降か、環
境汚染・環境破壊をためらわず推し進めてき
た。その背景には、日本独特の深刻な問題が
介在している。梅原猛は、
『哲学の復興』
(講
談社現代新書、一九七二年)
「日本思想の原点
を求めて」において、
「日本人にとって、自然
とは、
われわれがそこから生まれた母であり、
無限の恩恵を、われわれに与えるものであっ
た。このような自然への無限の甘えをもった
日本人が、西洋文明に内在する自然支配の思
想をうけ入れるとき、事態は、はなはだ悪く
なったのである。つまり、日本人は、自然を
いくら虐待しても、なおかつわれわれに無限
の恩恵を与えてくれる母と考えたからである。
……私は、この点に、自然愛好国民の日本人
が明治以後、もっともはなはだしい自然虐殺
者になった秘密があるのではないかと思われ
る」と述べている。この指摘は、正しいと思
われる。日本人は、自然はすべてを受け入れ
てくれる母であると感じているがゆえに、ど
れほど自然を支配し破壊しても大丈夫、許さ
れる、いつか復元するという幻想を抱いた可
能性は十分ある。しかしこのような安易な姿
勢は、深く反省されるべきであろう。
実は梅原は、この著書のなかで、すでに次
のようなことも言っている。
「今、世界的に、
特に日本に起こっている現象は、このような
自然の怒りなのであろうが、自然の怒りとい
う感覚をもてないわれら日本人は、依然とし
て現在もなお自然に甘えつつ、自然支配を続
けているのではないか。われわれが健康な自
然観を回復するには、自然を人間の対立物と
見るヨーロッパ的自然観の否定であるととも
に、自然を、われわれのいかなる我意をも甘
やかしてくれる永遠の母と考える従来の日本
人の自然観の否定でなくてはならない」
。
当時
の日本・世界に起こっていた現象がどのよう
3
なことであったのか、今日の現象はその比で
もないと推察されるわけで、我々はヨーロッ
パ的自然観と日本人の自然観を超える新たな
自然観の哲学を構築しなければならないであ
ろう。
私は、現代文明を作り上げた科学、とりわ
け自然科学という学問そのものにも、実はさ
まざまな問題がつきまとっていることを見逃
してはならないと思う。自然科学の立場は基
本的に、
自然を対象においてそれらを分割し、
その構成要素を取り出して、その諸要素を何
らか操作することによって、めざす目標を実
現していこうとするものといえよう。
つまり、
「分割して支配する」
( divide and rule
)とい
うのが科学の基本的立場である。
そこには、本来、有機的につながっていて
分割しえないものを分割するという問題があ
る。その結果、自然の全体性、生態系などを
破壊することになったり、人間に重大な副作
用を引き起こしたり、多くの問題を生み出す
ことになった。その反省から、関係性・全体
性をそのまま受け入れた中で物事を考察する
というエコロジーの考え方の重要性も指摘さ
れるようになったわけである。それは、東洋
思想の可能性を喚起するものでもあった。
また、自然を支配できることから、人間の
欲望の充足が可能となり、その結果、ますま
すそのことを追求していくという姿勢に人間
を追い込んでいっている。便利さや快楽の追
求にばかり走ることになり、そのためには精
神的に高い地平での満足感やいのちそのもの
の安全性、
健康性などを犠牲にしてまででも、
欲望の充足に向かっていくことになっている。
この結果、人間は高尚な精神的価値を見失う
と同時に、そこに自らが住み生きている自然
環境に配慮することを忘れ、自然環境を痛め
つけてきた。本来、自然は対象ではなく、自
らを支える場であり、具体的にはその地域共
同体の伝統文化がしみ込んでいる意味世界で
もあったのに、科学・技術はそのいのちの世
界を解体・蹂躙していくものでもあった。
実は科学の立場は、対象は見えているが、
その対象に向かう主観、あるいは自己そのも
のは問題にされ得ない構造にある。人間の心
4
や行動を研究の対象にしたとしても、それら
に対象的に関わる立場では、その関わる側の
主体のことは隠れたままである。この世界は
本来、物と心、主観と客観、世界と自己とか
ら成り立っているのに、
その自己の側の省察、
考察がすっぽり抜けおちてしまう。
この結果、
生きるということの根本が忘れ去られ、ただ
欲望の充足の道をめざして、対象に関わり追
いかけるのみということにもなってしまう。
とすれば、科学が発達すればするほど、自
己とは何か、人間として生きるとはどういう
ことなのかといった問題の明瞭な自覚・認識
がなければ、科学・技術の暴走をとどめるこ
とはできなくなってしまうであろう。したが
って我々はこの科学・技術が覆い尽くしてい
る現代社会にあって、もう一度、自己とは何
かを根本的に問い直す必要がある。そのこと
を踏まえて、どう生きるべきかをしっかりと
自覚することが大事なのだと思うのである。
自己はけっして自己のみに完結していない。
たとえば、
自己は環境なしには生きられない。
ゆえに自己と環境は切り離せない。また他人
なしにも生きられない。ゆえに自己と他者も
切り離せない。もちろん自己はかけがえのな
い個として、自由でなければならない。しか
し他者もまた同様に自由でなければならない。
互いに絶対に自由でしかも切り離せない。そ
の他者との関係は、同時代だけでなく、過去
から未来まで広がっている。ここに世代間倫
理も生まれざるをえない。こうして、完結し
た個人と対象としての自然という立場を超え
て、他者と断絶を介してつながっている、場
としての環境に支えられている自己という立
場から、物事を考えていくべきである。この
ことに関しては、哲学や宗教の役割が大いに
見直されることになるであろう。特に仏教思
想には、多くの汲むべきものがあるように思
われる。
もちろん、科学は計り知れない恩恵を人間
に与えてくれた。その功績を否定するつもり
は毛頭ない。しかし一方、科学の限界も見究
め、またあらゆる人間のいのちの十全な実現
のために、何をめざして科学を用いていくか
を、今や深く考えるべきだと思うのである。
5
さい
ポチは 10歳になる
にんげん
さい
こ
人間でいえば 70歳を超えた
ろ う けん
老犬です。
まいあ さ
ちか
すなは ま
で
毎朝、近くの砂浜に出て
うみ
なが
す
海を眺めるのが好きです。
す
好きというよりも
わか
と き
しゅうか ん
それは若い時からの習慣が
いま
つづ
そのまま今も続いているのかも
しれません。
う
す う か げつ
いえ
き
生まれて数ヶ月してこの家に来たポチは
か ぞ く
か わい
家族みんなに可愛がられましたが
と く
しょう が く
ねんせい
く ん
特に小学6年生のひでと君とは
なか よ
とても仲良しになりました。
まいあ さ
く ん
すなは ま
は し
毎朝ひでと君は砂浜を走ります。
れ んしゅう
ランニングの練習です。
いっ し ょ
は し
ポチも一緒に走ります。
6
まいにちすなは ま
は し
毎日砂浜を走ったことで
く ん
し
し
ひでと君とポチは知らず知らずのうちに
きゃく り ょ く
脚力がつき
ちゅう が く
り く じょう た い かい
く ん
中学の陸上大会でひでと君は
ゆ う しょう
優勝しました。
いえ
かえ
く ん
家に帰ったひでと君は
まいにちいっ し ょ
は し
毎日一緒に走ったポチに
ゆ う しょう
優勝メダルをかけて
ふた り
き ねん し ゃ し ん
2 人で記念写真をとりました。
く ん
こ う こ う せい
ひ
ひでと君が高校生になってしばらくしたある日
く ん
ど う きゅう せ い
こ
ひでと君は同級生のとも子さんと
いっ し ょ
かえ
き
一緒に帰って来ました。
こ
み
とも子さんはポチを見ると
い
かわいい、かわいいと言って
あたま
まわ
ポチの頭をぐるぐるとなで回します。
こ
す
ポチはとも子さんが好きになりました。
7
すなは ま
ど
て
う え
砂浜の土手の上で
く ん
こ
ひでと君ととも子さんは
うみ
むか
すわ
海に向かって座り
たの
はなし
よく楽しそうに話をしていました。
ふた り
う し
すわ
ポチは 2 人の後ろに座って
うみ
なが
海を眺めています。
そうしゅん
ひ
ひなまつ
おわ
ころ
ある早春の日、ちょうど雛祭りが終わった頃でした。
ご
ご
ひ
ざ
あ
ポチは午後のうららかな日差しを浴びて、というよりも
く せ
いぬ ご
や
じょうはんしん
い
いつもの癖で、犬小屋に上半身を入れ
せ な か
し り
ひ
あて
ひ る ね
背中からお尻を日に当て昼寝をしていました。
とお
なに
きょだい
はるか遠くで何か巨大なものが
う ご
かん
動くような感じがします。
お
あ
みみ
た
起き上がって耳をぴんと立てると
うみ
ほ う
み
海の方を見つめます。
8
と つぜん
おと
突然、ゴーという音とともに
だい ち
ゆ
は じ
大地がぐらぐら揺れ始めました。
じ し ん
地震です。
や
ね がわら
おと
どこかで屋根瓦がザーという音をたてて
お
落ちていきます。
おも
いぬ ご
や
か
こ
ポチは思わず犬小屋に駆け込みましたが
こ
や
は
ゆ
小屋は跳ねあげられたり、揺さぶられたり
き け ん
とても危険です。
ひろ
で
ポチはとにかく広いところへ出ようとしました。
は し
すなはま
ど
て
う え
い
走って砂浜の土手の上に行ったのです。
うみ
はる
ひ
う
かがや
海は春の日を受けてきらきらと輝 いていましたが
ど と う
おと
かん
かすかに怒涛のような音が感じられます。
うみ
よ う す
か
は じ
しばらくすると、海の様子が変わり始めました。
いま
まいにち
うみ
み
ポチは今まで毎日、いろいろな海を見てきました。
は
ひ
うみ
あらし
うみ
ゆき
うみ
いま
み
うみ
ちが
晴れた日の海、嵐の海、雪の海、今まで見てきた海と違います。
ふあん
ポチは不安になりました。
なに
おそ
お
何か恐ろしいことが起こりそうです。
9
ふ だ ん
ほ
ポチは普段はほとんど吠えることがない
いぬ
おとなしい犬でしたが
と き
おお
こ え
ほ
この時は大きな声で吠えながら
まちじゅう
は し
街中を走りまわりました。
ひとびと
それで人々はようやく
うみ
い へ ん
き
海の異変に気がついたのです。
じ し ん
それまでは地震のことで
あたま
頭がいっぱいでした。
おお
ひとびと
す く
ポチはこうして多くの人々を救いましたが
ご
く ん
あ
その後、ひでと君とは会ってはいません。
こ
き
とも子さんも来ません。
く ん
こ
うみ
なか
おじいさんは、ひでと君もとも子さんも遠い海の中に
い
い
行ってしまったと言います。
まいにちはま
で
だからポチは毎日浜に出て
うみ
むこ
く ん
こ
かえ
く
海の向うからひでと君ととも子さんが帰って来るのを
ま
待っているのです。
―――― おわり ――――
10
特集
山田 これまで五年間にわたって、エ
コ・フィロソフィを掲げてわれわれは
活動をしてきました。それでも、
「エ
コ・フィロソフィと環境哲学はどう違
うのか」とか、
「エコ・フィロソフィの
中身は一体何なのか」という質問をい
まも受けます。一般的には、まだまだ
エコ・フィロソフィが理解されていな
いと感じます。私立大学戦略的研究基
盤形成支援事業に応募しましたのには、
エコ・フィロソフィをもっと社会的に
認知していただきたいという思いがま
ずありました。
そのためには、第一に、エコ・フィ
ロソフィをきちんと確立しなければな
りません。第二に、確立されたら終わ
りではなくて、エコ・フィロソフィの
継承と展開をはからなければいけませ
ん。それには教育が関係します。です
から、今後五年間の活動の中心は、エ
コ・フィロソフィの確立と教育である
と考えています。
河本 エコ・フィロソフィの活動をわ
れわれが始める前から、環境哲学、あ
るいは環境倫理学といわれる学問分野
がありました。新しく出てきた問題に
哲学者が乗り込んでいって、哲学の新
しい分野を開拓していくというスタイ
ルで、生命倫理学や環境倫理学などが
生まれました。それらは、既存の哲学
のやり方で新しい問題を考えるという
ことで、伝統的な哲学に応用倫理学の
一部門を付け加えるものでした。生命
倫理でも環境倫理でも、倫理というか
エコ・
フィロソフィの新たな展開
エコ・
フィロソフィは
何を目指してきたのか
稲垣 東洋大学「エコ・フィロソフィ」
)は、
学際研究イニシアティブ( TIEPh
これまでサステイナビリティ学連携研
究機構(IR3S)と連携しつつ五年
間活動してきました。今年度から私立
大学戦略的研究基盤形成支援事業の資
金が得られ、新たな五年間に向けての
再スタートを切りました。エコ・フィ
ロソフィがこれからどのように展開し
ていくか、機構長の山田先生と第三ユ
ニット代表の河本先生に議論していた
だきたいと思います。
まずこれまでの経緯について山田先
生にお願いします。
11
対 談
エコ・フィロソフィの課題
――東日本大震災に直面して
らには、やはりカントをもちだし、カ
ントはこういっていますとか、誰それ
はこういっていますとか、そのような
議論の展開の仕方をとっていました。
エコ・フィロソフィを始めるに当た
って、エコ、つまり環境あるいは生態
的な事柄について考えるときに、これ
までの哲学のスタイルで取り組むので
はなしに、哲学そのもののやり方を変
えてみようではないかということがあ
りました。そのとき、哲学の何を基盤
にするかということで、試行錯誤しな
ければならなかったというのがこれま
での実情です。山田先生もメンバーで
あるエコ・フィロソフィの第三ユニッ
トでは、結局のところ、環境をどうデ
ザインしていくかというところから考
えることになりました。システムの問
題ですとか、制度の問題ですとか、そ
ういうところにまで立ち入らないとい
けないということが出てきたのがここ
までの経緯です。
12
河本英夫
山田利明
かわもと ひでお
やまだ としあき
東洋大学文学部哲学科教授
(専門は科学論,システム論)
東洋大学文学部中国哲学文学科教授
(専門は中国哲学)
■司会進行
いながき さとし
東洋大学文学部助教
(専門は哲学,現象学)
山田 エコ・フィロソフィは三つのユ
ニットをつくって取り組んできました。
第一ユニットが自然観探求、第二ユニ
ットが価値観探求、第三ユニットがい
まいわれた環境デザインでした。それ
ぞれに成果を挙げたのですが、ユニッ
トに分けたためにそれぞれが分立して、
従来とあまり変わらないものになって
しまったのではないかという懸念をも
っています。
今回の戦略的研究基盤形成支援事業
への申請でも、一応は前回と同様の枠
組みを踏襲しましたが、それはわかり
やすく表現するためであって、私の気
持ちとしては、三つのユニットが渾然
一体となって、総合学としてのエコ・
フィロソフィをつくりあげていくべき
だと考えています。
問題を発見し選択肢を提示する
稲垣 エコ・フィロソフィは哲学のや
り方を変えてみるということでしたが、
そもそも哲学とは何をするものなので
しょうか。
河本 基本的には、どのような問いを
立てるのかということを、哲学は行っ
ているのだと思います。工学や自然科
学系の学問には、多くの場合、ある問
題に対してどのような解決があるのか
を提案することが求められています。
問があるときに、その答えを組み立て
るのが、問題解決型の学問です。サス
テイナビリティ学に関わってきた多く
のメンバーは、問題解決を志向してき
ました。何が解決されるべき問題であ
るかということは、時代のさまざまな
制約や要請によって決まります。そも
そも何が問題であるのかということが、
実は見えていないことも往々にしてあ
ります。問題を見えるようにする作業
が必要で、それをするのが哲学の課題
です。
ある用語が設定されていて、それに
対する見方を変えなければいけない、
あるいは、問い方を変えなければいけ
ないという場面は割とよくあります。
例えば、日常的に使っている「ごみ」
という言葉です。
「廃棄物」といっても
いいです。居住環境のなかで、ごみと
いうと、燃やせるごみ みたいな形で、
ある決まった回収日に出せば、どこか
に消えてくれるものだとわれわれは思
っています。 燃やせるごみ は収集さ
れますと、もちろん燃やされるわけで
すが、それで何もかも消えてしまうの
13
稲垣 諭
「
「
」
」
ではありません。燃やす過程で、熱が
出て、二酸化炭素も出て、燃えカスが
残ります。家庭からはなくなっても、
それで終わりではありません。
熱とは、
一連のエネルギーの最終形態であり、
エネルギーのごみです。そのため二酸
化炭素量を減らす以前に、ごみそのも
のを減らすか、ごみを別の形に転化で
きるかが問われます。
リサイクルが大切だとよくいわれま
す。リサイクルにかかるものはまだい
いのです。リサイクルにかからないも
のが必ずあります。それについてどう
考えていくのかという指針をある程度
もっておかないと、
「ごみ」の量がある
しきい値を超えてしまったときに、人
間の生活の安全性を脅かすような局面
にもなりかねません。
山田 確かに、われわれが普通に生活
していく上で出す「ごみ」には、簡単
に処理できるものもあるでしょうし、
再利用可能なものもたくさん含まれて
いるでしょう。再利用して、最終的に
は森の中で虫やバクテリアが分解して
土に返してしまえればいいのだけれど
も、われわれが出す「ごみ」にはそう
ではないものがたくさん含まれていて、
これまでにもさまざまな問題を生み出
してきました。
河本 捨てることのできない「ごみ」
があります。東日本大震災以降、非常
に深刻な「ごみ」の問題に直面してい
ます。放射性廃棄物です。これは捨て
ることのできない「ごみ」の一番の典
型です。これを「廃棄物」と呼んでい
いのか疑問です。
「廃棄物」といってし
まうと、捨てられるかのような語感が
あります。放射性廃棄物は捨てられな
い、自分たちが抱え込む以外にない、
非常にやっかいな物質です。
「ごみ」という言葉でとらえられる
ものの種類が、ここ五〇年ぐらいの間
に非常に増えました。
捨てられない
「ご
み」もたくさん積み上がりました。問
題がまだ見えないままで、コスト計算
の中にも入っていないものがあるに違
いありません。
江戸時代には、糞尿は回収して畑で
使って、ちゃんと回っていました。都
市の人口密度が高くなると、回収して
回すというやり方では対処できなくな
って、別の選択肢を考えないとならな
くなりました。そのようなときに、問
題を見出して、選択肢を提示するのが
哲学の課題です。選択肢が提示できれ
ば、工学や自然科学系の人たちが問題
解決に乗り出せます。選択肢を提示す
るところで、環境をどうデザインして
いくかという発想が絡みます。
データがないために
問題とされていないことがある
山田 放射性廃棄物の問題に、否応な
しに、われわれは直面しなければなら
なくなったのですが、それ以前から、
14
二酸化炭素を廃棄物といっていいのか
わかりませんが、それによる地球温暖
化問題を大いに意識しなければいけな
くなっていました。普通に家庭から出
す目に見える「ごみ」と違って、目に
見えない「ごみ」もあるのだと、最初
に考えなければならなかったのはフロ
ンガスでした。
河本 フロンガスは、オゾン層を破壊
するとわかって問題になったのですが、
オゾン層は、化学反応によって破壊と
再生をたえず繰り返していて、ある平
衡点を保つことで存在しています。そ
の化学反応にフロンガスが関与し、再
生が間に合わなくなるような作用をす
るために、オゾン層が破壊されるので
す。実際に上空でそのようなことがお
きているとデータが取られ、これは大
変だということになりました。南極、
北極ではかなり大きなオゾン層の穴が
空いていますが、極地域ではオゾン層
の修復しにくい条件があるように思え
ます。
福島第一原発の事故で、さまざまな
放射性物質が大量に放出されました。
大気の流れは一様ではなく、とぐろを
巻くようにして動くために、周囲より
も放射性物質が多く溜まる、いわゆる
「ホットスポット」が生じます。家庭
内や庭でもごみの集まりやすい場所が
あります。
いくつかの条件が重なって、
特定の箇所にごみが集まってしまうの
です。放射性物質の実態はデータを取
ってみないことにはわかりません。調
べないままになっていることがまだた
くさんあるのに、原発からどれだけ距
離が離れていれば大丈夫みたいな発想
をいまだに使っています。
問題の発見にはデータが必要です。
それが十分でないために知られずにい
ることがたくさんあるのです。
山田 海の中でも、放射性物質の濃い
部分と薄い部分があって、原発からの
距離が近くても薄いのに、遠くても濃
いようなところがきっとあるのでしょ
う。いまのところはデータの集積がな
くてほとんどわかっていません。わか
っていないから、いまどう対処すべき
かの方策もないし、将来的にどう考え
ていったらいいのかということもない
ままになっています。われわれはデー
タがないままに、壮大な実験の真っ只
中に置かれているのです。
稲垣 気づかれないままに、問題とし
てはすでに成立している現実が、ほか
にもきっとあるのでしょう。それに対
して、そのような現実を発見し、どの
ような問いを立て入っていくのかとい
うところで、従来の哲学のやり方だけ
ではなく、システムのデザインや選択
肢を考えることが重要なのですね。
大震災から何を復興するのか
稲垣 原発の事故のことが出ました
15
ので、大震災以後の日本社会のデザイ
ン、選択肢といった課題を考えてみた
いと思います。短期的なスパン、長期
的なスパンで、どのように考えたらい
いのでしょうか。
河本 短期的には、問題解決型で対応
できる事象がたくさんあるでしょう。
ライフラインを復旧させ、住む場所を
つくり、産業を働けるような形にまで
戻していく。それには数年はかかるで
しょう。それを進めつつ、三〇年とか
五〇年のスパンで考えておかなければ
いけない問題もあります。それには問
題解決型とは違った対応が必要です。
山田 復興という言葉があります。復
興は、前と同じものをそのまま作り直
すことではないとよくいわれます。大
きな事件や事故があったときに、
当然、
そこに反省がなくてはいけません。交
通事故でも、車がぶつかりやすい場所
だという反省があれば、車線の幅を変
えるとか、角の隅切りを広げるとか、
見通しをよくするとかの改善が行われ
ます。東日本大震災はこれだけの大災
害ですから、当然、その反省に立った
教訓が盛り込まれた復興を考えなけれ
ばいけません。
漁港を集約化するとか、
住宅地を高台に移すとか、いろいろな
議論があります。
しかし、漁港を集約化するというこ
とは、小さい漁港がなくなるというこ
とです。そうしますと、漁港が存在す
ることで成り立っていたその地域の文
化はもうそれで終わってしまいます。
高台に集団移住し、新しい場所で、今
までの生活がまた営まれるようになる
かというと、必ずしもそうではないで
しょう。人間を動かすと、どうしたっ
て違ったものができてくるでしょう。
そのようなことを考えに入れない復興
の議論は、無意味ではないかと私は思
っています。
それの何がいけないかというと、何
のための復興なのかということがない
のです。第一義的には、やはり被災者
の生活が元に戻ることでしょう。その
視点がほとんど欠けていると思います。
災害の教訓は活かさなくてはいけませ
ん。より災害に強くなるとか、管理し
やすくなるとか、そういう観点だけか
ら都市設計をすると、漁港の集約化と
か、高台へ移住するとか、そういうこ
としか語られなくなってしまいます。
地元の人がどのような生活を取り戻し
たいと願っているのか、何を求めてい
るのかというところが一番重要な発想
のもとになっていなければ、本当はい
けないのです。
ネットワーク化でリスクを回避
河本 港湾の集約化のことをいまい
われましたが、中央がお金を握ってい
ますと、地方からは、それをよこせと
いう声が出ます。どこかの地域がお金
16
を得ますと、必ず別の地域から同じよ
うによこせといいます。あそこに道路
ができたのなら、うちにも道路が欲し
いと。それで、一日に何台も通らない
道路が全国につくられるようなことに
なりました。
インドでも中国でも欧米でもあまり
ないことですが、日本では、自分のと
ころにつくってくれないのだったら、
相手にもつくらせないという発想があ
ります。相手が少しよくなれば、まわ
りまわって自分のところも少しはよく
なるはずなのに、自分のところにお金
がこないのなら、相手にもこさせない
ようにしよう、たとえ自分が損をして
でも相手に損をさせようとする、心理
的に奇妙なことが日本でおこります。
こうした竦み型ネットワークは、全体
が躍動し伸びている間は有効に機能す
る場面もありますが、経済や社会が停
滞期に入ると、ネットワーク自体の選
択肢を狭くしてしまう傾向があります。
そのようなことから、結局、広く薄
くお金をばらまくことになって、小さ
な漁港がたくさんできましたし、空港
も、各県ごとにつくられるようなこと
になりました。
外国の空港を見ますと、
滑走路以外はでこぼこだったりします。
日本の空港はどこも綺麗に立派にでき
ています。何千億もつぎ込んで、一日
二便しか飛ばないようなところがある
一方で、拠点となる空港、ハブ空港の
整備では、韓国に遅れを取りました。
同じような漁港を各地につくって、
自分のところの船は自分の港に入ると
いうことではなくて、港に個性をもた
せ、船のタイプのよって陸揚げするに
はこちらの港が便利だとか、ここの港
がいっぱいだったらあちらの港に入る
とか、漁港をネットワーク化する方法
もあるはずです。
山田 小さな漁港や小さな空港がた
くさんあるのは、防衛という観点から
みると有利なのではありませんか。一
つの大きな港、
一つの大きな空港だと、
そこで何かあったときには、全体が駄
目になってしまいます。小さいのをた
くさんもっていることには危険を分散
する利点があると思います。
河本 その点で、現実にわれわれは危
機を経験しました。日本の電力会社は
大手一〇社がありますけれども、その
一つに何かあったときにリスクを回避
するリスクヘッジの仕組みをもってい
ませんでした。東京電力で電力不足の
問題がおこると、たちまち計画停電を
しなければならなくなりました。電気
を使う側も、東京電力が湯水のごとく
電気を出してくれるという奇妙な大前
提の下で、リスクを考えていませんで
した。選択肢が足りていなかった実態
が、今回の災害で露呈したのです。
おっしゃる通り、漁港がたくさんあ
るのはリスクヘッジになります。ネッ
トワーク化すればなおよいのです。さ
らにいうと、漁業権もネットワーク化
17
されるといいのではないかと思います。
沿岸地帯にいい漁場があるためには、
川の上流にしっかりした森林が存在し、
そこから川を通して海にたくさんの有
機物が流れ込むことが大切です。漁業
と林業が一緒にネットワーク化する仕
組みが本当はあるといいのです。漁業
の復興でいま出ている発想は、中央集
権的に拠点を形成しようとするもので
すが、ネットワーク化の仕組みこそつ
くるべきです。
生活のデザインを組み換えて
選択肢を増やす
山田 復興の話でよく耳にするのは、
建物をどうするのか、施設をどうする
のか、ハードの問題ばかりで、新しい
システムをどのようにつくるのかとい
う議論がありません。
システムを考え、
それに合わせたハードをつくるのが順
序だろうと思うのですが……。
河本 居住区が二つあるというシス
テムはどうでしょうか。今回、避難し
た人たちは、学校の体育館のような公
共施設で何日も過ごさなければなりま
せんでした。一番気の毒なのは福島県
の方々で、本人には何の責任もなく、
家も壊れていないのに、福島第一原発
から近いというだけで家から出なけれ
ばなりませんでした。もしも、もう一
つの居住区があったらどうだっただろ
うかと想像します。
自分の家でずっと暮らすというのも
一つのやり方ですが、二つの地区で暮
らすという選択肢があってもいいので
はないでしょうか。もう一つの居住区
をもっていれば、災害時などにはそち
らにいくことができます。軽井沢の別
荘とかではなくて、例えば空港がどの
県にもあるのだったら、その周りにロ
グハウス式の居住区をつくっておいて、
町全体でそのログハウスにしばらく避
難して暮らしたらいいのです。山村に
は、住み手がなくなった空き家がたく
さんあるところがあります。ハコモノ
行政で誰も使わないようなものを建て
るよりは、空き家になった住居に手を
入れて使えるようにした方がいいので
はないでしょうか。一年間に二カ月間
とかはそこで暮らして、普段とは違う
生活のスタイルで暮らしをしてみる。
そのような選択肢があってもいいので
はないでしょうか。
稲垣 そのような選択肢がもともと
あれば、土地に対する固有の愛着はも
ちながらも、復興の議論も何か違う形
にもなったのかもしれません。環境を
デザインするということが、節電とか
節約とか、どちらかというと抑制を掛
けるようなやり方ではなくて、別の価
値観、別の選択を発見していくような
ところがあるといいのですね。
河本 短期的な問題解決型の対応の
次にくる長期的なところでは、生活の
デザインを組み換えるようなことを考
18
えたらいいのです。選択肢を増やすと
いうことです。
選択肢がないままだと、
結局、どこも同じような横並びの復興
になってしまうのではないかと危惧さ
れます。
地域の人が選択肢を
増やせるようにする
河本 どのような選択肢があって、そ
れぞれの地域がどのように個性化する
のかということは、地元の人にしかわ
からないことがたくさんあるでしょう。
中央が実情のわからないままに事を進
めて問題をかえって複雑にしてしまう
ようなやり方は改めなければなりませ
ん。
原発に近い地域の人たちは、居住区
が危険だから外に出るようにと、強制
的に退去させられました。「危険だから
どうしますか」という問い掛けがあり
ませんでした。
犠牲者や被害者が出て、
後で訴えられでもしたら困るというこ
とがあったのでしょうか。本当は、
「こ
の町では皆さんどうしますか」と、聞
かなければいけなかったのです。子ど
もが小さいから遠いところに移りたい
とか、老い先短いから放射能を浴びて
も寿命は大きく変わらないのでこのま
まここにいたいとか、いろいろな答え
があったと思います。
山田 チェルノブイリのときに、よそ
の土地に行きたくないということで、
立ち退かない人たちがいました。そう
いう選択肢が社会主義下でもありえた
のに、いまの日本は、右向くときには
全員右を向かなくてはならないような
風潮といいますかシステムになってい
て、不自由な社会になっているような
気がします。
河本 もとの生活を取り戻そうとす
る復旧を進めてきていて、しかし、基
本的に、もと通りにはなりません。新
しい生活をつくっていくことになりま
す。そのモデルとなるものを中央から
もらうのではなくて、自分たちで立ち
上げることが重要です。基本的なデザ
インの設計は中央でしてもいいのです
が、自分たちで工夫してこれを作り替
えてくださいという投げ掛けが、中央
から地元になければいけません。
山田 三月一一日まであった生活は
もうありません。それでも、地震がな
くて、津波もなくて、原発事故もなか
ったとして、それ以前の生活の延長と
して一〇年、二〇年後に自分たちの生
活がどうなっていただろうかと考える
ことが、復興の基本にあるべきではな
いかと私は思います。
電力の選択肢を増やす
稲垣 電力供給においてまさに、選択
肢の貧困が露わになりました。電力の
三〇パーセント弱ぐらいが原発でつく
られ、われわれはそれを与えられたも
19
のとして使うしかありませんでした。
ドイツでは、例えば再生可能エネルギ
ーが四〇パーセントであるとか、自分
でプランを選択して料金を選ぶことが
できます。自然のエネルギーの割合が
高くなると料金が高くなりますが、そ
れを承知の上で、自分でプランを選べ
ます。
山田 日本で電力が一〇社くらいの
少ない会社で供給されていること自体
がおかしいのかもしれません。半ば国
家事業のようなものとして、電力会社
の体制がつくられてきたのですが、今
後は自由化ということになっていくの
でしょう。五〇社ぐらいに細かく分け
た方がリスクが小さくなるのかもしれ
ません。
河本 少なくとも、電力をつくる発電
事業と、電力を送る送電事業を分離す
ることになるでしょう。個々の家庭で
も発電して、家にきている電線に乗せ
て電気を送れるようになる。アメリカ
には電力会社が五〇〇社ほどあって、
小さな会社も発電して電気を売ってい
ます。
企業や病院で自家発電機を備え、
自前の電力を活用しているところが数
多くあります。余ればどこかで利用し
てもらえばよいということで、売電で
は大してもうけなくてもいいのです。
発電から送電までを、日本では限ら
れた数の電力会社が抱え込んでいます。
自然エネルギーは、元来太陽がくれる
エネルギーですから、自分のものだと
抱え込んでいいものではありません。
自然エネルギーの普及を妨げてきたの
は、既存のシステムを動かしてきた
人々だというのが実態です。
原子力をどうするのか
山田 日本に明治五(一八七二)年に
鉄道が走ってから百数十年が経ち、ラ
イト兄弟が一九〇三年に飛行機を飛ば
してから一〇〇年以上になります。一
〇〇年前に、新幹線が日本中を走るな
どとは夢のまた夢で、想像した人は誰
もいなかったでしょうし、世界の空を
ジェット旅客機が飛びまわるとは、ラ
イト兄弟も考えなかったでしょう。一
〇〇年で技術が大きく変わるというお
おざっぱな目安があるとしますと、原
子力発電はどうなのでしょうか。世界
で最初の原子力発電から五〇年余りで、
どれぐらいの技術的な発展があったの
でしょうか。原理としてはあまり変わ
っていないような気もするのですが、
どうでしょうか。
河本 原子力発電技術の基本は同じ
で、
安全性に対して厳しくなったのが、
五〇年間のおもな変化でしょう。それ
でも、頻繁に事故がおこっています。
日本でも福島第一原発の前にもいくつ
もの事故がありましたが、他の地域で
は事故があっても伏せられている可能
性があります。
20
人類の安全管理の技術の元をたどり
ますと、どうやって火を使うかという
のが最初だったのでしょう。大昔に火
がどこにあったのかといいますと、山
火事です。四〇度ぐらいの温度の空気
でも速く流れて木にぶつかると自然発
火がおこります。山火事の火を、自分
たちが使えるようにすることから始ま
って、人類は、原発の安全管理にまで
きたのですが、要するに、一挙に燃え
上がらないように抑え込む、つまり閉
じ込めて制御することでは同じです。
山田 抑え込めなかったために、福島
第一原発では重大な事故になったわけ
ですが、もしも、いままでとは別の発
想で核を制御できるようなシステムが
つくれないとすると、原子力発電はや
めるような議論になるのではないです
か。
河本 原発を続けるかやめるかは大
きな選択肢で、国民投票にかけなけれ
ばいけないような大問題です。仮に原
発を残すとしたら、絶対に近いまでの
安全性を確保しなければならず、大き
な資金の投入が必要です。
逆にいうと、
これまでは安全性の確保に十分なお金
を使っていなかったのです。一番いけ
ないのは、
今回の事故さえ終息すれば、
もとに戻っていいという発想です。現
状で安全が足りていなかったものを、
そのままにするのは最もまずいやり方
です。一方で、原発を捨てることを選
んだ場合には、その分のエネルギーを
得る別の供給源に投資しなければなり
ません。
稲垣 原発に関して、原発がなくては
日本の社会は維持できないという立場
と、なくても十分にやっていけるとい
う立場とで、それぞれが異なるデータ
を出して議論していて、どのデータを
手掛かりにして選択すればいいのか難
しいと感じています。
河本 短期的にみますと、原発を止め
て不足する電力を火力発電で埋めると、
電力料金は上がります。すでに現実に
おこっているように、台湾や韓国が、
電力をたくさん使う日本の企業に対し、
日本の三分の一の価格で電力を提供す
るから移転しませんかと、誘致にきて
います。企業は収益を出すことが使命
ですから、電力料金の値上げでコスト
高になるのなら海外に出ていくでしょ
う。そのようなことがあるので、これ
まで原子力発電のコストを安くしよう
としてきたのです。放射性廃棄物の管
理に本当はコストがかかるはずなのに、
小さく見積もられていました。これま
でとは違う基準でデータを見直さない
といけない局面にきています。
信じられないことに、原子力発電を
いまの比率で維持した場合のコストと、
火力発電所に置き換えていった場合の
コストの計算が、政府でもできていま
せん。基礎となるデータがなくて、立
場を競い合うと、意見が両極化するの
は避けようがありません。いまは、そ
21
のようなことをしているときではなく
て、復興を現実の形にしていくために
いくつかのデザインを描き、シミュレ
ーションをして、細かいところまでデ
ータを洗い直してみないとならないは
ずなのです。
山田 原子力をやめて火力発電に切
り替えれば、二酸化炭素の排出が増え
て、地球温暖化への対応が違ってきま
すでしょう。ならば火力ではなくて太
陽光パネルだといったときに、いまは
問題にされていませんけれど、数十年
先に、太陽光パネルがごみとなって出
てきたときに、どういうことになるで
しょうか。そこまで将来について想像
力を働かせておかないと困ると思いま
す。
展開可能性と継続性
稲垣 節電とかが厳しくいわれます
と、豊かさについては、やや語りにく
くなっているような気がしますが、も
う一回考えてみる必要があると思いま
す。
地震の当日に、東洋大学には六〇〇
人ほどが帰れずに泊り、私はいなかっ
たのですが、暗い中から、明かりとと
もにやってくる人がいるので、誰かと
思ったら、山田先生が提灯をもってや
ってきたという話を聞きました。普段
の生活では提灯は絶対に使いませんが、
このような場面で使われることで、文
化の再発見のようなことがあるような
気がします。電気ではなく、提灯を使
うようなことも、別の価値観として組
み入れていける社会もありうるのでは
ないでしょうか。
山田 電球をやめて提灯にして、江戸
時代のような暮らしをするのは無理で
しょうけれど、豊かさというのは、単
なる経済的な豊かさなのではなくて、
いろいろな選択がありうることなのだ
という見方はできると思います。
河本 ある地域で規制をはずす特区
ということが行われていますが、一国
多制度といいますか、国の中にいくつ
か違う制度が併存して、地域ごとに選
べるという形も可能だと思います。電
気のない、ろうそくでの生活をしたい
人がいて、そういうことが可能な地域
を設定することだってできるはずです。
一九七三年にオイルショックがあっ
て、スーパーからトイレットペーパー
がなくなる騒ぎがありました。その時
期に、石油をあまり使わない省エネ技
術が急速に進みました。そのことを思
いますと、技術が変わることで、現在
の生活よりも選択肢が増える可能性は
あります。何かやろうとするときに大
事なのは、展開可能性と継続性です。
稲垣 展開可能性というのはネット
ワークの自在さみたいなものですか。
河本 ネットワークが自在になると、
ある一つのことが同時にいくつかの副
22
産物を生み、その副産物が次の選択肢
を開きます。
哲学に想定外があってはいけない
稲垣 長期的な見方に立った多様な
選択肢が、今まであまり考えられてこ
なかった理由には、自分の日常に引き
寄せてしまうとほとんど実感のもてな
いものばかりだったことがあるのでは
ないでしょうか。災害への対応も、い
つおきるかわからなのだからと、普段
は割り引いてしまうところがやはりあ
ったのだと思います。
山田 三〇〇年に一回の大津波とか
になりますと、いまからそこまで用意
しておく必要はないでしょうと、予算
の配分の段階で、ばっさり切られてし
まうようなことが多かったのでしょう。
三〇〇年に一回の大津波はいつくるの
か、
それはわかりませんけれど、
今回、
そのような大津波がくるのをわれわれ
は見てしまったわけです。いつくるの
かわからないのが明日にもくると備え
る発想がないといけないのです。
河本 哲学は自由にものを考えるの
が特技です。想定外などという言葉は
絶対使ってはいけないのです。あらゆ
ることを考えるところから始めなけれ
ばいけません。
大きな災害がおこって、直接の被害
者ではないわれわれがどのように対処
したらいいのかわからないでいたとき
に、いちばんわかりやすかったのが節
電でした。電気の使用を減らして我慢
することで、復旧なり復興に貢献して
いると考えることができました。節電
は、本当は、震災の後で、自分が生活
の中でどのような工夫ができるのかと
考えるところから出てくるはずのもの
だったのに、外からの強制力で節電し
なければならないという話になってし
まったとすれば、どうも筋の違うとこ
ろに流れてしまったような気がします。
山田 昔の冷蔵庫がない時代には、一
日一回は買い物に行って、食べ物を買
って料理をして食べていました。それ
と同じような工夫をすれば、冷蔵庫は
もっと使わなくてすむようになるので
す。それは、暗くても我慢する、暑く
ても我慢するということとは違うよう
に思います。
河本 これまで当たり前にしていた
ことを考え直す本当はいい機会だった
のです。にもかかわらず、計画停電と
いわれてあわててしまい、別の選択肢
を考える用意がないままに、とにかく
我慢するという発想が強くなってしま
った。
ポスト三・
一一の思想に向けて
山田 「ポスト三・一一の思想」とい
いますか、本当に一瞬といっていい間
23
に、あれだけ広い地域で、あれだけの
多くの人が亡くなるという事態にわれ
われは直面し、それをどう理解したら
いいのかということが、まだできてい
ないと思うのですが、
どうでしょうか。
河本 大きな自然災害に遭った人に
対して、
それに釣り合うだけの共感を、
災害に遭っていない人がもてるのかと
いいますと、
それはとても難しいです。
大変さはわかっても、自然災害に遭っ
た人と、そうでない人との間にある溝
を埋めるのが無理であるならば、それ
ぞれの人間が自分のやれることを全力
でやりましょうとか、自分は災害に遭
っていないのだから我慢をしましょう
とか考えるようになるのは仕方ないこ
とです。全力でやるとか、我慢すると
かは、本人の自己満足の方にいってし
まう可能性があります。自己満足も重
要ですが、自分に何ができるのかと考
えるときに、自己満足とは別の形で、
どれだけの工夫ができるのかというこ
とが大切なのだと思います。その努力
をするなかで、自分に欠けていて見え
ていなかったものがあると気付くよう
な発見をすることが重要なのです。
山田 われわれ自身をどう見直すか
ということが「ポスト三・一一の思想」
の展開の方向ですね。さきほどから出
ている我慢というフレーズが私は気に
なっていまして、時代がかった言い方
になるけれども、
「特攻隊の論理」だと
感じるのです。「欲しがりません勝つま
では」とか「神州不滅」とか、数字的
な裏付けも何の根拠もなしに、ただ一
生懸命やれば何とかなるという精神論
で敵艦に突っ込む。我慢、我慢でいく
と、何かそういう流れになってしまう
気がしてなりません。我慢することで
連帯感をもとうする。夜の電気は余っ
ているのだから、明るくしてもいいの
だけれども、暗い中でも我慢すること
で、被災地との連帯感、共感をもとう
とする心理は一体何なのでしょうか。
河本 釣り合うものがないときに、最
後に行き着くのは自己犠牲です。戦争
中でいうと、周囲の人が死んでしまっ
て、自分だけが生き残った。死んだ人
に対して釣りわせるものはどうしても
ないけれど、どうかして気持ちの上で
釣り合わせようとすると、非常な無理
がかかって、我慢であったり、自己犠
牲あったりにいくのです。しかし、そ
うするだけのエネルギーがあるのなら
ば、もっと別の違う形で展開して、そ
れぞれの人にとって力が出しやすいよ
うな仕組みを設定するのがよいはずで
す。
稲垣 つまり、自己犠牲から自己発展
へですか。
河本 そうそう。
山田 そのことについて、エコ・フィ
ロソフィの観点からさらに何かいえる
でしょうか。
河本 ここまでの議論においては、エ
コが前面に出ることはなくて、その先
24
を考えますと、自明だとして選択肢を
設定しないままに置いてきてしまった
ものがたくさんあるわけですから、も
う一回、選択肢を立て直していくこと
になります。選択肢を設定するところ
では、エコが出てきます。例えば、新
しい居住区をつくるときに、風の流れ
や水の流れを考えに入れましょうと主
張する。自然発生的にできてきた町で
は、風の流れや水の流れに沿っている
こともあれば、そうでないこともあり
ます。今回の復興に当たって、居住区
の新たな設計ができるのなら、そこに
エコを入れるのです。日本でエコを入
れますと、人為性が薄れて自然性が濃
くなり、まちが一つの里山のようにな
っていくでしょう。そのようにならな
いと、自分たちの住んでいる地域だと
いう感覚が出てこないということもあ
ると思います。そうしたところへステ
ップを踏んでいくプロセスが描けるの
ならば、哲学としての仕事が相当にで
きると思います。
山田 エコ・フィロソフィは実践哲学
ですから、そのようなことに参画して
いくことを考えたいですね。
そこで、最初の話にもどりまして、
ではエコ・フィロソフィとは何か、と
いうことになるのですが、いまここで
語られた多くは、システムを問題とし
た内容です。初めに河本先生がいわれ
たように、新しい問題を従来の哲学論
にあてはめて考えたとして、そこから
出てくる議論は、従来のワクを抜けき
れないものになってしまう。エコロジ
ーという、きわめて多くの側面をもっ
た事象に対して、いままでの哲学論を
もって考えても、全てが完全に解釈で
きるとは考えられません。そうであれ
ば一つ一つ事象を解釈していくシステ
ムを考えるところにエコ・フィロソフ
ィの本来的な意義があると思います。
稲垣 今、山田先生も述べられました
が、
これまでの哲学の思想や議論では、
どうしても過去の哲学者が何を言って
いたかや、抽象的な規範のようなもの
の炙り出しに力が注がれてきました。
しかし、東洋大学の「エコ・フィロソ
フィ」では、地域社会やそこで暮らす
人々が、いっそう豊かになるための選
択肢が、おのずと浮かび上がってくる
ようなシステムそれ自身の形成のあり
方の問い直しが重要であるということ
を、確認できた気がします。例えば、
どんなに正しそうに見える行動規範で
あっても、それがそのもとで生きる
人々や地域社会の豊かな選択肢を生み
出すことにつながっていないのであれ
ば、あえて選択しないという可能性も
見込むことができますし、そこにこそ
本当の自由や、豊かさ、創造性、多様
性が生み出されるのだとも思えます。
本日は長時間にわたり、ありがとう
ございました。今後五年間の探究の幸
先の良いスタートがきれそうなお話を
聞くことができました。
25
環境問題は、それについての単なる
知識の習得の問題ではなく、私たちが
現実の世界でどのようにふるまうのか
にかかわる実践的な行為の問題です。
人間の行動の変化は、知識と直接的な
関係で結ばれておらず、そのため、た
とえ環境問題にかかわる知識を網羅で
きても、それがその人の行為を変化さ
せ、世界とのかかわり方を変化させる
ことになるかは、また別問題です。例
えば、数学や歴史の試験のような場合
には、記述式のテストで高得点を取れ
ば、その知識が習得されたこととして
認定されます。しかし環境問題にかん
してはどうでしょうか。記述式の試験
で高得点が取れれば、その人は、環境
問題に積極的にコミットしていると言
えるのでしょうか。私たちは各種メデ
ィアを通して、氷河が溶け、シロクマ
の住処が脅かされていたり、海面上昇
で沈みつつあるツバルについても知識
として知っているかもしれません。と
はいえ問題なのは、そうした現実に対
して、私たちに何が「できる」かです。
知っていることは重要なことですし、
多くの事柄の大前提であることは確か
です。しかし問題になっているのは、
知っていることの一歩先であり、知る
ことだけからは到達できない実践と現
実とのかかわりなのです。ここに、環
境問題に関する教育の難題があります。
東洋大学の「エコ・フィロソフィ」
が目指しているのは、私たちが生きて
いるこの環境世界で、どのような行為
を選択することが、自分を豊かにし、
かつ自然環境の「持続可能性」に貢献
できるのかを、学生一人一人が自ら考
え、現に行為するための指針となるこ
とです。そこで本学では、この「エコ・
フィロソフィ」を多くの学生に知って
もらおうと、五年ほど前から、学部学
科を超えた「全学総合科目」として「エ
コ・フィロソフィ入門」という講義を
行っています。東洋大学は、一一学部
26
エコ・フィロソフィの新たな展開
特集
教育現場におけるエコ・フィロソフィ
稲垣 諭
東洋大学文学部助教
いながぎ さとし
(専門は哲学,現象学)
図 1 テレビ会議システムを用いた講義.
からなる総合大学であり、東京都文京
区にある白山キャンパス、白山第二キ
ャンパス、埼玉県にある朝霞キャンパ
ス、川越キャンパス、群馬県にある板
倉キャンパスと五キャンパスにわたっ
て一貫教育が行われています。
ただし、
キャンパスがそれぞれ離れているため、
学部学科を超えて履修できる講義はあ
りませんでした。
しかし考えてみると、
環境問題は、地球の大気変動から、自
然環境の悪化、動物種の絶滅、資源高
騰等による社会環境の変化、個人のラ
イフスタイルの変化に至るまで、さま
ざまな分野に浸透している問題です。
だとすれば、
どの学部学科であっても、
すべての学生が、そのような問題の一
端に触れ、環境にかかわるということ
の大切さを知る機会をもっていてもお
かしくはありません。そのような経緯
から生まれた講義が、「全学総合科目と
してのエコ・フィロソフィ入門」
です。
実際の講義は、図1にもありますよ
うに、遠隔操作できるテレビ会議シス
テムを用いて、五キャンパスを相互に
モニターとマイクで結び付けることで
行われています。講義の内容は、環境
問題について哲学的に思考するという
スタイルが基本となって、さまざまな
分野の先生にオムニバス形式でお話し
いただいています。参考に二〇一一年
度の講義スケジュールを表1に掲載し
てあります。
この講義を行うようになってから、
通常の講義以上に、学生のリアクショ
ンに対する敏感さが教員に必要なこと
が分かりました。白山キャンパスが講
義の発信キャンパスになりますが、そ
の他のキャンパスは画面上で講義を受
けることになります。そのため、ただ
講義を聴くだけの受け身の姿勢では、
どうしても集中力が続かず、私語が増
えたりもしてしまうからです。その代
わりに、
画面上のキャンパスの学生に、
27
表 1 2011 年度全学総合ⅠA『エコ・フィロソフィ入門』講義スケジュール.
28
ずから行うには、具体的な手順、目に
見える効果、
行為を行っている実感が、
とても大切な基礎条件となります。こ
れらが、講義内においても提示されれ
ば、それによって単なる大学の一コマ
の講義という意味を超えて、自分が生
活するさいの行為の手がかりになるの
です。
昨年度からは学生の要望もあって、
『エコ・フィロソフィ入門――サステ
イナブルな知と行為の創出』(ノンブル
社)という講義の教科書も刊行されま
した(図2)
。この教科書は、これを読
んで覚えればよいというのではなく、
常に疑問を持ちながら、日常を振り返
り、自分で問いを立てるための材料に
してもらえるよう作られたものです。
環境問題への関心が目覚めると、各
キャンパスの環境の違いや、自分の身
体の中の環境、地元や地域の環境、人
間関係を構築する職場やサークルなど
における環境というように、細かな日
常へのまなざしが目覚めることにもな
ります。例えば、東洋大学では今年か
ら、
「エコ・キャンパス」を実現するた
めに「エコ・ポイント」制度も導入し
始めました(
http://www.toyo.ac.jp
)
。家庭での
/ecocampus/index_j.html
電力使用量を昨年より減らしたり、環
境関連のイベントに参加したりするこ
とで、ポイントが付与されます。こう
したことがきっかけになって、学生み
ずからが変化することになれば、それ
がほんの些細な変化であっても持続的
に環境問題へとかかわる芽が育つこと
になります。
今後も東洋大学では、この講義を継
続することを通じて、
多くの学生に
「エ
コ・フィロソフィ」を実践してもらえ
るよう努めていきます。
29
自分が行っている環境への取り組みの
工夫などについて質問して、答えても
らうと、他キャンパスの学生もそれに
応じて発言したり、そうした試みを行
っている学生がいることに驚いたりと
様々な反応が生まれます。双方向の交
流や、体験型の試みがどうしても必要
なのは、その中で知識や理論では伝え
られない、実感としての環境の問題に
触れることができるからです。実はこ
のことは、最初に挙げた人間の行動の
変化の問題にも密接に関係しています。
社会心理学の先生の講義でも話題にな
りましたが、環境に親和的な行動をみ
図 2 『エコ・フィロソフィ入門』(松
尾友矩・竹村牧男・稲垣諭編,ノン
ブル社,1800 円(税別)).
多くの人に環境配慮的な行動をとってもらう
には、どのようにしたらよいのであろうか。二
〇一一年三月一一日の東日本大震災以来、日本
国民の節電に対する関心はかなり高まったが、
環境配慮行動というのは、節電だけに限らず、
4 R と 呼 ば れ て い る 行 動 ( reduce, reuse,
( or refine
)
)である。電力不足
recycle, refuse
や放射線汚染への対応によって、地球温暖化に
対する注目度は相対的に減ったようであるが、
この問題が消失したわけではない。引き続き、
新たに生じてきた問題と共にわれわれが直面し、
解決していかなければならない問題である。
こうした状況において社会心理学はどのよう
な方策を提言できるのであろうか。社会心理学
は、心理学の一領域であり、社会学や文化人類
学とも関連の深い学問である。心理学は、われ
われの周囲にある種々の刺激(光や音、物体な
ど、物理的エネルギーをもつものの総称)に対
してわれわれがどのようにそれらを認識し、そ
れらに対してどのように行動するのか、われわ
れの認知や行動に関する法則性を明らかにし、
その背景にあるメカニズムやプロセスを明らか
にしようとする学問である。その中で、社会心
理学は、特に他者(自分以外の個人)を刺激と
して、
われわれがその他者をどのように認識し、
他者とどのように相互作用し、どのように集団
行動をとるかなどについて明らかにしようとし
ている。冒頭に掲げた問いは、社会心理学の中
でも対人的影響( interpersonal influence
)と
呼ばれる領域のものである(今井、二〇一〇)
。
それでは、ある特定の行動を他者にとるよう
に働きかけるには、どのようにすれば効果的な
のであろうか。
すべての状況に効果的で、
かつ、
その効果が持続される方法はないが、「コミット
メント」
という概念が一つのヒントになる。
少々
聞き慣れない言葉であるが、あるものごとに対
して何らかの形で
「関わりをもつこと」
である。
われわれには、自分の行ったコミットメント
によって、その後の自分の行動の影響を受ける
傾向がある(ジュール & ボーヴォワ、二〇〇
六)
。例えば、ある場所へ行くためにバスが来る
のを待つことがコミットメントである。この場
合、待ち時間が長くなればなるほどコミットメ
ントが大きくなり、途中でバスを待つことを止
30
エコ・フィロソフィの新たな展開
特集
環境配慮行動と説得納得ゲーム
今井芳昭
いまい よしあき
慶應義塾大学文学部人文社会学科教授
(専門は社会心理学)
め、ほかの交通手段に変更することにためらい
を感じるようになる。
バスを待つという行動
(コ
ミットメント)が、その後のバスを待つ行動を
促すことになる。
コミットメントが大きいほど後続の行動への
影響は大きくなるが、最初から大きいコミット
メントを人に行わせる確率は低い。そこで、実
行コストの小さい、つまり簡単にできる行動を
繰り返させたり、徐々にコストの大きい行動へ
変化させたりしながら実行させていくことが必
要になる。例えば、あるシリーズ本の第1回配
本の代金は、それ以降のほぼ半額に設定されて
おり、消費者にとってハードルが低くなってい
る。それで、つい購入し(コミットメント)
、そ
の中味を見て(これもコミットメント)
、興味を
もてば、多少値段が高くても次回配本時も購入
する確率が高くなる。
それでは、多くの人に環境配慮行動をとるよ
うにコミットさせるにはどのようにしたらよい
のであろうか。その一つの方法として愛知教育
大学の杉浦淳吉氏が開発した説得納得ゲームを
挙げることができる(杉浦、二〇〇三)
。説得納
得ゲームは、だいたい次のような手続きで行わ
れる。まず、説得の大枠のテーマ(例えば、環
境配慮行動)を決め、各プレイヤーは説得の送
り手になった際にどのような内容で受け手に説
得するか(例えば、電気製品のメインスイッチ
をこまめに切る、エコバッグを携行する)
、その
際、どのような説得理由を提示するか、それら
をどのような順序で受け手に話すか、顔の表情
や言葉遣い、声の調子、相手との距離をどのよ
うにしたら効果的になるかなどを考える。
そして、
プレイヤーを送り手と受け手に分け、
まず、一〇~一五分間、送り手が受け手に説得
する。その後、役割を交代して、今まで送り手
だった人たちが受け手側になってゲームを行う。
それが終わったら、上記のプロセスをもう一度
繰り返し、各プレイヤーが送り手と受け手の役
割を二回経験する。こうした手続きのメリット
は、送り手と受け手の双方の立場を理解できる
ようになること、一回目の体験に基づいて、二
回目には、さらに自分なりに工夫を重ねる機会
を得られることである。
ゲームの目的は、できるだけ多くの人から納
31
得のサインをもらうことである。一人の受け手
に費やす時間は自由であるが、多くのサインを
得るために、サインがもらえにくそうな場合は
適度に切り上げて、次の受け手を探す必要があ
る。また、受け手は、必ず一度は送り手に反論
するようになっていて、二人の間で議論が生じ
るような工夫がされている。送り手はその反論
に反駁し、新たな理由も挙げて、受け手に納得
してもらえるように努力する。
筆者は、
「依頼と説得の心理学」という社会心
理学の専門科目の授業中にこの説得納得ゲーム
を実施するのであるが、
受講生の評判は、
毎年、
結構良い。ゲーム本来の目的とは別に、こうし
た状況でなければ、同じキャンパス内にいても
話をする機会のない他学部、他学科の学生と議
論できるという副次的な効果もあるようである。
このゲームではプレイヤーとして行動するだ
けでなく、その後に行われるゲームの振り返り
も重要である。そのために授業内の振り返りだ
けでなく、ゲームに関するレポートも提出させ
るのであるが、相手を説得するにあたり、どの
ような工夫をしていたかを尋ねると、次のよう
な回答が帰ってきた。受け手が Yes
と答えるよ
うな質問から始めた、最初から主張点を明確に
しないで受け手の関心を引いた(コミットメン
トの形成)
、
受け手に合わせて話し方の速度や丁
寧さ(類似性の形成)を変えた、相手からの反
論をいったんは肯定した(相手の承認)
、論拠を
提示する際に、指を使ったり、あらかじめ論拠
を紙に書いたりした(視覚化)
、広告コピーのよ
うな簡潔な言葉を繰り返した、相手に合わせて
強調する論拠を変えた(個別化)
、あらかじめ受
け手の反論も考慮に入れた妥協点を設定してか
ら主張した、最初から自分の論点の短所を挙げ
て受け手の反論を封じるようにした
(先制攻撃、
両面提示)
、具体例(例えば、ブランド名、店名)
や具体的な数値を用意した(具体化)
、故意に抽
象レベルの高いテーマ(例えば、過剰包装)を
設定してその具体例は受け手に決めさせた(コ
ミットメントの形成、心理的リアクタンスの防
止)
、受け手に自由度(例えば、
「できる範囲で」
「なるべく」
)を与えるような主張をした(心理
的リアクタンスの防止)
、
あらかじめ論拠
(論点)
を列挙しておいた、自信をもって論理的に話し
32
た、相手の目を見ながら話した、適度に強調表
現を使用した(例えば、
「なんと!~」
)
、などで
ある。
環境配慮行動について集団で討論する場合に
比べると、ゲームであることによって比較的敷
居が低くなり、参加しやすい状況になっている
ようである。討論のように全く自由な状況では
なく、ゲームのルールというある程度の制限事
項に従って参加するという心理的な安心感もあ
る。その上で、環境配慮行動について自分であ
る程度考える機会が与えられ、一時間程のゲー
ムを通して環境配慮行動へのコミットメントが
高まることになる。
このゲームのもう一つのポイントは、自己説
)ということであろう。つ
得( self-persuasion
まり、人に説得するという行為が、自分を説得
することにつながる可能性が高いということで
ある。自分が人に対して表明した意見と実際に
自分がとっている行動との間に乖離があると、
人は心理的に不快な状態になる。認知的不協和
の状態である(フェスティンガー、一九六五)
。
自分が人に述べた事実を消すことはできないか
ら、不快な状態を修正する一つの効果的な方法
は、自分の行動を自分の言明に合わせていくこ
とである。つまり、人に説得した通りに行動し
ていくことである。
説得納得ゲームを行うという状況を設定する
ことができれば、そして、一時間ほどの時間を
用意できれば、この説得納得ゲームは、環境配
慮行動について考え、人とやりとりするための
有効なツールの一つであるということができる
であろう。
引用文献
フェスティンガー、L(一九六五)末永俊郎(監訳)
認知的不協和の理論―社会心理学序説、誠信書房
今井芳昭(二〇一〇)影響力―その威力と効果、光文
社新書
ジュール、R・V & ボーヴォワ、J・L(二〇〇六)
これで相手は思いのまま―悪用厳禁の心理操作術、阪
急コミュニケーションズ
杉浦淳吉(二〇〇三)環境配慮の社会心理学、ナカニ
シヤ出版
33
供給を上回った場合には、計画停電が実施さ
儀なくされる。それでもなお、電力の需要が
れ、その対象地域の人々はエアコンどころか
二〇一一年三月一一日に発生した東日本大
大きなダメージを受けた。この発電所からの
全ての電気が使用できなくなるという悲劇的
震災の影響により、福島第一原子力発電所が
電力供給を受けている地域は、電力不足によ
事態に直面することになる。
題となった。今回、私は社会心理学の立場か
度変容アプローチ」の二種類の解決方法が存
究知見によると、「構造変革アプローチ」
と
「態
では、社会がこのような悲劇的な事態に陥
ら、この問題が日本人の環境配慮行動に与え
在しているという。前者は、協力(例 電
:力
の使用を減らす)には報酬を与え、非協力(例 :
電力の使用を減らさない、または、増やす)
して、七月以降、日中の最高気温が三〇℃を
た影響について考えてみたいと思う。
には罰則を与えるような社会システムを整え
るのを防ぐためには、どのような方法が有効
社会的ジレンマとは、「個人が利己的な利益
なのであろうか。これまでの社会心理学の研
追求を行うことにより、社会的なコストが発
る方法であり、後者は、個人の状況認知や価
越えるようになり、電力の使用に関する「社
生し、結果的には、社会全体を悲劇的状態に
「電気事業法二七条に基づく電力使用制限
値観を変容させることで、協力行動を促進す
令」は、まさに構造変革アプローチであると
陥れるという事態」である。例えば、夏にな
さに耐えかねてエアコンのスイッチを入れる。
言える。構造変革アプローチは、短期的に社
る方法である。
益を多くの人が追求した結果、東京電力管内
会的ジレンマを解消する有効な方法であると
しかしながら、暑さをしのぐという個人の利
り、気温が上昇したことにより、個々人は暑
会的ジレンマ」が生じ、日本社会で大きな問
る計画停電や節電を余儀なくされてきた。そ
(専門は社会的認知・文化心理学)
は、電力供給不足になり、電力使用制限を余
34
エコ・フィロソフィの新たな展開
特集
東日本大震災が日本人の環境配慮行動に与えた影響
――電力の使用に関する社会的ジレンマとその解決方法を例に
菅 さやか
東洋大学社会学部助教
すが さやか
であるとは言えない。すなわち、長期的、継
いるために、長期的に考えると、有効な方法
非協力が増加してしまうという問題を抱えて
のにコストがかかる上に、
監視がなくなると、
ステムを構築したり、それを維持したりする
考えられているが、非協力の者を監視するシ
ターの使用を一部制限したり、エアコンの使
消灯を行ったり、エレベーターやエスカレー
づく電力使用制限令」を受けて、出来る限り
している東洋大学は、「電気事業法二七条に基
く機能したように思える。例えば、私が勤務
ローチと、態度変容アプローチの両方が上手
実際のところ、今年の夏は、構造変革アプ
様々な措置をとった。
そのような措置により、
用を必要最低限にしたりという節電のための
れる。具体的には、①メンバー間のコミュニ
東洋大学に通う学生や、勤務している教職員
度変容アプローチの方が有効であると考えら
ケーションを促進することで、全体に対する
は、
「節電」という行為に対する意識が自ずと
続的に、社会的ジレンマを解消するには、態
信頼感や連帯感を高める、②各自がどのよう
高まった。また、大学の至るところに、昨年
目にすることにより、前段落でも挙げたよう
なジレンマ状態に置かれているかの知識を共
る安心感を与える、といった方法をとる必要
に、実際に協力している人の割合が高いこと
いるかを示すグラフが貼られており、これを
がある。すなわち「節電」について周囲の人々
や、協力することに対する安心感が感じられ
に比べて日々どの程度の電力の削減ができて
とよく会話し、さらには電力使用状況をこま
るようになったように思う。その結果、節電
有する、③実際に協力してくれる人の割合が
めにチェックしたりすることで、自己の置か
前になっていったように見受けられる。この
に協力することが、多くの人にとって当たり
高いことを知ってもらい協力することに対す
人々の多さを認識すれば、自発的に協力行動
ような一連の流れは、東洋大学だけでなく、
れた状況を把握し、協力行動をとっている
をとれるようになる可能性がある。
35
る。また、新聞や、テレビ番組、インターネ
ため、今後、非協力の者が大幅に増えること
変容アプローチも充分に機能したはずである
はないと期待したい。
多くの学校や企業でも生じていたと考えられ
ットの検索サイト、街中の掲示板など、様々
うな取り組みの実践があったと考えられる。
明の利器に頼って、上下に移動をしている。
と、若干気まずい気持ちを覚えながらも、文
を使うたびに
「使っても大丈夫なのかな……」
この原稿の締め切りである九月も下旬にさ
東日本大震災と、それによる福島第一原子
また、自分の研究室では、天井についた大き
なメディアにおいて東京電力管内の電力使用
力発電所の被害があってはじめて、節電とい
な蛍光灯をつけずに、デスクのスタンドライ
しかかった今、「電気事業法二七条に基づく電
う環境配慮行動に真剣に取り組むようになっ
トのみで生活するのに慣れてしまい、むしろ
状況が表示され、それが多くの人の目にふれ
た人は多いと思う。今後、地震発生前と同じ
力使用制限令」
も解除され、
東洋大学内でも、
だけの電力供給が行われるようになったとし
この方が落ち着いて感じられさえする。まさ
ることにより、ジレンマ状況に関する知識の
ても、私たちは、今の気持ちを忘れず、地球
に、こういった気まずさや、慣れこそが、態
可能になったのを見ると、私自身は、それら
環境のために継続的に節電を行っていけるよ
度変容アプローチの効果であるように思う。
全てのエレベーターやエスカレーターが使用
うにしなければならない。先にも述べたよう
ただし、人間の記憶や態度は容易に変化し
の事態が避けられたことの背景には、このよ
に、構造変革アプローチによって社会的ジレ
態度変容アプローチの効果がどれくらい持続
てしまうものである。それゆえ、このような
共有が行われた。計画停電が回避され、最悪
ムをなくすと、非協力の者が増えてしまう可
するかについては、未知である。地震が起き
ンマの解消を追求した後では、監視のシステ
能性がある。しかしながら今年の夏は、態度
36
ていける日本社会になることを期待する。例
在するならば、今後も継続的に節電を実施し
的な態度を形成することができた人が多く存
肉な気もするが、節電に協力することへ積極
実際に行動をとれるようになったことは、皮
たことで、
節電という環境配慮行動を意識し、
心理学会は、社会に生きる人々の心を研究す
研究も多く存在する。私が所属する日本社会
震そのものを扱った研究や、それに関連する
様々な研究知見を生みだしている。また、地
でも環境配慮行動への取り組みに対して、
学という学問領域は、国内外限らず、これま
いる取り組みを紹介しておきたい。社会心理
ついて人々が日常的に話をしたりといったよ
る た めに 社会心理学から の提言と情 報
:
(
)」
https://sites.google.com/site/jsspjishin/
というサイトを立ち上げ、
研究者のみならず、
る学問領域として、「東日本大震災を乗り越え
に節電という環境配慮行動が継続されていく
一般の方々に向けても、
情報を発信している。
節電についてメディアが取り上げて、それに
のではないだろうか。また、今回の地震で、
る舞うべきか、もしくは、人がとった行動は
このような事態において、人がどのように振
えば、電力の使用状況の周知を継続したり、
電力以外にも、水や食料をはじめとした、あ
私たちにもたらした教訓を胸に、多くの日本
もたくさんいることであろう。今回の地震が
サイトをご覧になっていただければと思う。
ものなのかについて関心のある方には、是非
どのような心の働きにより起こってしまった
うなことがこれからも続けられれば、結果的
りとあらゆる資源の大切さに気付かされた人
人が、節電以外の環境配慮行動にも継続的に
私自身、一社会心理学者として、教育および
役に立てるように邁進する所存である。
研究を通して、復興や防災に関して少しでも
取り組めるようになることを願う。
最後に、
今回の地震やそれを受けた環境配慮
行動について、日本の社会心理学者が行って
37
「進歩」を原動力とする近代史は、自然と
の闘争状態からの克服にはじまった。とりわ
け西洋の近代化とは、自然を「闘争の相手」
から「搾取の対象」へと抑圧させてゆく歴史
であったということもできる。このことは、
「西洋の近代に追いつけ、追いこせ」という
イデオロギーのもとで近代化を遂げた日本も
例外ではない。ただし、経済的・物質的豊か
さという近代の所産は、環境問題に代表され
るような破壊という矛盾と、対立的にしか存
在しえなかったのである。
やがて自然の破壊が誰の目にも明らかとな
り、自然に対する新しい態度の模索がはじま
った。最初に欧米社会で議論されたのは、破
壊されゆく〝美しく雄大で恵み深い自然〟
(いわゆる原生自然)をいかに守るべきか、
ということであった。あるいは自然に人格や
権利を認めるという方法も発明された。今日
自然はかけがえのない生命を育むと同時に、 然をコントロールできる、という過信が蓄積
されてゆく限り、
「恐ろしい自然」はさらなる
大胆にもすべてを奪い去ってゆく。
破壊力を潜在化させる。
(専門は環境思想研究)
七月末、テントを担ぎ宮城県石巻市と塩釜
市の被災地をまわった。津波で壊滅した地域
では、
忙しく瓦礫撤去のトラックが行きかい、
ここにあるはずの日常には、ただ土ぼこりだ
けがまっていた。
伝えられるものは、ただ無言。生きている
自分が、不自然に感じられた。たびたび、息
をすることまで忘れる。あたり前にあったは
ずの何もかもが、何一つ無くなっていた。
「経
験したことのない衝撃、沈黙、無力感……」
誰かにこの状況を伝える言葉を考えながら、
瓦礫の上を歩いた。
しかし、どうやっても言葉にならないもの
とは、このことである。自然は恐ろしい。自
然とはときに、人間の叡智と力をはるかに超
える脅威となってあらわれ出る。こうした自
然の側面は、これほど自然環境への配慮や知
識が高まった今日でさえも、考慮の外に追い
やられてきたのではないだろうか。人間は自
38
エコ・フィロソフィの新たな展開
特集
「恐ろしい自然」との共生
関(山村)陽子
東洋大学「エコ・フィロソフィ」学際研究イニシアティブ助手
せき(やまむら) ようこ
の環境哲学や環境倫理学は、こうした運動の
中から誕生したものなのである。
しかし、いずれの場合も不具合が生じてく
る。恵み深い自然は、無慈悲でもある。自然
に権利が認められても、
義務は果たされない。
美しく雄大な原生自然を守ろうとすれば、か
わりにどこかで蹂躙され続ける土地や、生命
の工業生産を必要とするのだ。
そこで日本では、人間活動の及ばない原生
自然の保護を訴えるよりも、生活や文化、歴
史を通じて取り結ばれてきた自然(風土や里
山)に注目するようになった。各々の人間社
会や文化、歴史は、その土地の自然の特性と
緊密に結びついて構成されている。よって、
人間と自然は無関係に存在しえるものではな
く、むしろ関係性をいかに築くべきかという
ところに、持続可能性を担保するための真の
課題があるのではないか――すなわち
「共生」
のあり方である。ただし共生する相手とは、
大きな恵みを与えるとともに凄まじい破壊力
を合わせもった相手である。結局のところ、
自然は人間にとって闘争の相手であり続ける
のではないか。闘争という緊張感を通じてこ
そ、「共生」
へと至る道があるように思われる。
また、今回の地震と津波による原子力発電所
の事故は、
「経済発展」や「安全」
、
「環境にや
さしい」といった近代的価値の実現が、脆く
も失敗した例である。〝都会の煌めき〟は、
「アンゼン」という人間の知と技術に支えら
れていたはずであった。
原発事故は人類の知識や技術そのものが問
題であったというよりも、それをいかに利用
すべきかについての態度や、哲学・思想の問
題であると考える。経済成長を前提とする近
代システムと、「もっとエネルギーを」
という、
進歩の哲学そのものを問い直す時がきたので
はないだろうか。
ヘーゲルという哲学者に「疎外
)
」という概念がある。疎外
( Entfremdung
とは、人間が自分たちのためにつくりだした
ものが、逆に人間に抑圧的に現れることを指
す。ヘーゲルはこれを、共同体から自立した
39
近代的な個のあり方を論ずる中で用いるが、
人間の所産である様々な近代的価値、たとえ
ば自由や平等、権利、進歩、合理性、安全…
が、逆に人間への抑圧を生じ、疎遠なものに
なってしまうという。なぜなら、価値とは常
に二面的で、対立的なものを付随してくるの
だ――安全/危険、自由/不自由、合理性/
非合理性、環境にやさしい/環境にやさしく
ない、のように。加えてヘーゲルは、この対
立する両者が乗り越えられ高次の段階に移行
することを、
「止揚( Aufheben
)
」という言葉
で説いている。
こうしてみてゆくと、まさに今回の原発事
故によって、
「安全」が一方で生存を脅かす矛
盾をも生じるということを思い知らされたこ
とであろう。今後は、安全という価値の一面
的な実現のもとで自然の脅威と危険性を隠ぺ
いすることなく、対立する二項を認識した上
で高次の段階へ向かうことが、
「進歩」の方途
であるように思う。
ところで「疎外」概念はまた、マルクスの
歴史哲学と、彼の人間‐自然関係を洞察する
概念としても用いられた。
マルクスによれば、
人間と自然は
「労働」
という過程
(
「物質代謝」
)
を介して結びついているという。しかし、近
代の私的所有と資本制経済(すなわち所有や
経済的進歩といった近代的価値)の実現によ
って、労働そのものが人間から疎外され、ま
た人間の「非有機的身体」である自然が、人
間から疎外されてしまうという。マルクスの
エコロジカルな点は、自然が人間の身体であ
る、という見方にあるといえるだろう。自然
は科学的な研究の対象であるばかりではなく、
また単なる経済的資源でもないのだ。
東北三陸地域は漁業を柱としながら、市場
主義システムの合理性とは異なる合理性を保
ちつつ、おのおのの社会や歴史、文化を形づ
くってきた。この「異なる合理性」が〝前近
代的〟として押しのけられることなく、また
海に育まれてきた人々の、闘争を通じた自然
との共生関係が、
「復興」や「創造」という価
値のもとに「疎外」に至らぬことを願う。
40
く場合、サービス頻度がそこそこに高く、到
二駅の距離である。勤め先から羽田空港に行
筆者の勤め先は目黒区駒場にあり渋谷から
性の高さを示す一つの側面である
な創造性の源であり、我が勤め先の知的生産
技術、さらには芸術などに不可欠である深遠
り、結構なことである。これもきっと科学や
普段とは違うことの不安
着までの時間期待値も一番短いと信じて、渋
谷に出て品川経由の電車を使うことが多い。
移動時間の最短化により得られた結果に準じ
長々と経路選択最適値問題が一筋縄でいか
の最適化にあるのではない。単に筆者が羽田
ないことを説明したが、本題はこの経路選択
誰もが同じように考え、行動しているのか
に行くには電車を利用することを説明する前
た行動である。
と思っているとこれが違う。所用時間もサー
それほど頻度があるわけではないが、羽田
振りである。
うことで渋谷から直通バスを使う人、昔から
空港に行く場合、品川から京急電車を利用し
ビス頻度も問題と思うが、乗り換え不要と言
羽田はモノレールと決めている人、
高額の上、
ている。最近、京急蒲田駅近くで経験した言
二〇一一年の今日現在、この京急蒲田付近
渋滞遅延リスクもあるのにタクシー利用の人
まあ、驚くほどのことでもないが、様々な
は高架工事とホームの改良工事が進行してお
いようのない不安が今回のテーマである。
考えがあり、様々な行動がなされていること
り、電車の運行は工事の影響により変則的に
など、様々な人がいる。
は、自由な発想、多様性な考え方の現れであ
41
!?
加藤信介
かとう しんすけ
(専門は都市・建築環境調整工学)
東京大学生産技術研究所教授
く、杞憂であることはわかっている。しかし
ろん、運転手が間違いに気付かないはずはな
日本の複線の電車は例外が多少あるかも知
左側通行原則の複線区間を高速で逆走された
運行されている。
れないが、複線区間では左側通行が原則であ
不安は、今でも容易に思い出せる。
複線区間の逆走に不安を感じるところがも
る。前に行くには左側、後に行くには右側と
決まっている。自動車と同じく正面衝突を避
ル区間でかなり長い距離を複線区間で右側を
う一つある。こちらは日常的である。京王線
複線区間であり本来の左側通行する電車が
逆走する電車がある。しかも上下の列車間隔
ける大原則であろう。筆者はその例外にまだ
ほとんどなのに、京急蒲田駅を通過する最速
は短く、短時間に多くの上下線のすれ違いが
の終着駅である新宿駅も、新宿手前のトンネ
の電車が工事中のためか、支線区間で一駅以
あるのに。電車間隔が短く、信号システムに
出会っていない?……と思う。
上、結構なスピードで右側通行をするのを経
絶大な信頼を置いている故であろうが電車は
確信に満たハイスピードでこの逆走区間を走
験した。
車窓からの景色の見え方が違う。この区間
知れないが、異常な長さの逆走である。明日
事中なので短い区間なら右側通行もあるかも
たのではないか。しかし車内放送もない。工
不安で一瞬、汗をかいた。何か間違いがあっ
ったホームも八王子側が途中から大きくカー
ームが延長された結果で三線となり、直線だ
しかし電車の長編成化に対応して一昔前にホ
駅で地下にもともと四線のホームがあった。
理由はわかっている。京王線新宿駅は終着
る。
の新聞にポイント信号故障による電車の正面
ブする。地下で拡張場所が限られたため、も
でも結構な頻度ですれ違い電車があるのに!
衝突記事が掲載されるとまで連想した。もち
42
遠くの場所に移されての逆走であろう。筆者
トカーブを緩くして高速走行するためさらに
て延伸し、三線の振り分けポイントもポイン
的な警告システムは反射的な定型システムで
い。普段とは様子が異なることに対する原始
(前頭葉部分)はきっと使われないに違いな
儀式行為は、定型所作なので脳の知性部分
のためであろう。
はいつもこのトンネルの壁の見え方が違うこ
あり、合理的にものを考える前頭葉は使われ
ともとの四線の振り分けるポイントが潰され
とで気付く右側通行する電車が、確信に満ち
ていないに違いない。
筆者は相応に年を重ねて肉体的な老化を実
た高速走行することに不安を感じる。逆走区
間は危険な場所として徐行しなくて良いのか。
感している。普段と様子が違うこと、原則を
この日常とは異なること、原則を破ること
う。今自分に出来ることは、この不安を意識
強くなった。引退時期が近づいた兆候であろ
他の乗客は不安を感じないのか。
に不安を感じるのは、動物の基本的な性質で
して前頭葉の知性でこれを振り払い、普段と
外れることに対する不安も年を重ねるごとに
ある。普段と違うこと、普段と様子が異なる
違うことや原則を外れることを恐れないよう
それに付けても世の中には若者の原則を外
ことに身の危険を感じことが他の捕食動物の
う。不安を感じるものが生き残り、種を存続
れた行いに、しかめ面して邪魔する若作りの
にすることだ。
させたに違いない。
この根源的な性質ためか、
老人が多い。ああはなりたくないと昔から思
攻撃から身を守ることにつながるからであろ
人は何か良くないことが起こった時、普段通
っていた。
43
りでなかった何かに原因を求める。儀式と名
のつく定型的な行動所作は、この不安の解消
連載
エッセイ
の髪は今でもたっぷりとあり、一つに結んでいる
とずしっと重みを感じるくらいなのに。
しかし、ふと周りの男性を見渡してみれば、た
しかに、
髪は全体的に一様に薄くなるのではなく、
薄くなりやすいところがあるようである。わたし
の場合はいわゆる「後退型」らしい。こうしては
いられない。今のうちに何とか対策をとらなけれ
ば!
ついこの間まで、側面の髪を長く伸ばして、な
べぶた式に頭頂部にかぶせている男性や、髪の生
える方向に逆らって少ない髪を下から思い切り上
にあげているバーコードおじさんを見ては「往生
際が悪いなあ」と冷たい目で見ていたのに。もう
それどころではない。私もああなる前に何とかし
なければ。
と、思っていたところ、新聞の全面広告が目に
飛び込んできた。私より年上の女優さんが美しい
黒髪を長く伸ばし、頭頂部の分け目にみっしりと
髪が生えているアップの写真に目が釘付けになっ
た。あるメーカーの女性用育毛剤の宣伝だった。
とだか えみこ
千葉大学准教授
(専門はリスクコミュニケーション)
44
寄る年波
以前この欄で書いたことがあるのだが、私は髪
の毛が他の人と比べるとすごく多いとこれまでに
何人もの美容師に言われてきた。高校生の頃は、
「いずれおばさんになったら髪がたくさんほしい、
と思うようになるよ」と言われたが、いつまでた
っても髪は減らず、美容師さんを困らせていた。
白髪染めをしているのだが、その薬剤が人の三倍
も必要らしい。いつも行っている美容師さんが、
私の頭に薬剤を付けながら、
「あ、足りない…。す
いません。すぐ作ってきます」と走っていくこと
が時々ある。そして戻ってきて「大目に作ってい
るんですけどねえ」と毎回不思議そうに言うので
ある。もしかしてまだまだ増殖しているのか?と
思ったほどだ。
しかしそんな私も寄る年波には勝てない。つい
に髪の毛がはらはらと落ちる年齢になってきたの
である。数年前から、前髪が抜けやすくなってい
ることには気づいていたが、ある日鏡を見て愕然
とした。すでに前髪部分の地肌が透けて見えるよ
うになっているではないか。そんなばかな。後ろ
戸髙恵美子
今までこの種の広告に目が行ったことはなかった
のだが、
「これはすばらしいものを見つけた」と思
った私は早速電話して「一週間お試しセット」一
〇〇〇円也を購入した。
中身がわからないようにメーカーの名前しか書
いていない、何やら後ろめたいような宅急便を受
け取り、いそいそと箱を開けると、片手に握れる
ほどの小さな育毛剤のボトルと使用説明書が入っ
ていた。なになに、どうやって使うのかな。ドキ
ドキ。「…洗髪後に薬剤をスプレーし三分間マッサ
ージします…」ん?そうか、三分間マッサージし
ないといけないのか。「これを半年間続けると効果
が現れます」
。なんと!半年も続けるのか。早速そ
の夜、髪を洗ってからスプレーし、マッサージを
してみたが…。三分間のマッサージの長いこと長
いこと。こんなに頭をマッサージしたことはこれ
までにない。しかしこれを半年間続けるのか…。
大変だなあ。
「するってえと何かい? クマさんや、
マッサー
ジをしなければ、薬を付けても効果はない、とこ
ういうわけなんだね」
「おお、これはご隠居、いいところに。そうなん
ですよ。これまで髪のことなんて気にかけたこと
もなかったもんで、これからはせいぜいプシュプ
シュ! スプレー、もみもみ! マッサージに励
みますよ」
「しかしクマさんよ、
以前たしか脂肪燃焼するス
ポーツウエア、というものを買った時も『このウ
エアを着て毎日三〇分のエクササイズをするとや
せる』という説明書を見て、
『そんならウエアのお
かげか運動のおかげかわからねえ』
、
と怒っていた
よなあ」
「
(伏し目がちに)そ、そういえばそんなことも
ありましたね。
この薬剤もそういわれてみると…」
「そうだろう? 薬剤のおかげかマッサージの
おかげかわからねえんじゃないかい? 脂肪燃焼
できるウエアも、ようするに、お前さん楽してや
せようとして失敗したんだったよな」
「おっしゃるとおりで。そんじゃあ、まずは半年
間マッサージが続くかどうかを試してみまさあ」
というわけで、スプレーは三日も使わず、もち
ろんマッサージはたまに思い出したようにするだ
けである。
もう、なるようになれ!
連載
エッセイ
45
東洋大学社会学部
大島尚教授
価値意識をアジア各地で調査
・
h
P
・E
I
T
――東洋大学の「
エコ フィロソフィ」
学際研
究イニシアティブ(
)
では、アジア各地
で価値意識を調査されました(
のウエ
ブサイト(
)
で『
東洋大
学「
エコ フィロソフィ」
研究』
誌をダウンロー
ドして読むことができる)
。そのときの質問
項目をみますと、「
自分たちの地域を暮ら
しやすくするためには、なによりも住民の
努力が必要だと思いますか」
とか「
あなたは、
値段の高い品物でも環境を守るためなら買
おうと思いますか」
といった問いが並んでい
ます。それらの設問を、先生ご自身に当て
はめて考えたことはおありでしょうか。
h
P
E
I
T
/
p
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.
c
a
.
o
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o
t
.
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p
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i
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/
:
p
t
t
h
大島 そう尋ねられると、自分はどう
かと考えたことはなかったです。この
設問はこれでいいのかというチェック
はしましたけれど、自分だったらどう
答えるかとは考えませんでした。この
種の心理学の調査では、自分はどうな
のかと問うことは初めから塞いでいる
ところがあります。自分がどうかと考
え出すと、結果の解釈に影響を及ぼす
恐れがあるので、考えない習慣になっ
ているのです。心の問題は実は自分の
ことでもあるのですが、客観的な立場
でものをいうために、心理学者には主
観を入れない観測者に徹する姿勢が必
要です。
――調査のための質問項目はどのようにし
てつくったのですか。
大島 このような調査では、過去の類
似の調査と比較可能にするため、前例
を参照します。今回はサステイナビリ
ティや環境に関する調査でしたから、
関連する前例を可能な限り洗い出し、
そのなかから、調査対象とするアジア
地域で聞くのに適切だと思われる質問
を抜き出して整理しました。そのうえ
で、独自の質問も加えてあります。質
問紙を渡して自分で書いてもらうやり
方をすると、字の読めない人からの答
えが得られないなどの問題があります
46
ので、調査員が直接に質問して答えを
聞くというやり方をとりました。
――調査員は調査対象地の人ですか。
大島 そうです。大規模な調査では、
研究者自身が実際の調査まで行うのは
ほとんど不可能ですから、現地の調査
会社と提携して行います。調査票のも
とは日本語と英語でつくり、英語を現
地で使われる言葉に訳してもらい、さ
らに現地の言葉と日本語の両方がわか
る人にみせて、意味が同じになってい
るか、誤解を生まないかなどをチェッ
クしました。調査の前に、現地の調査
会社にでかけて、ひとつひとつの質問
について、こういう意味であるという
ことを説明して確認しました。
――国民性によっては、設問自体が必ずし
もうまく合わないこともあるのではないで
すか。例えば、「
自然は神が創ったものなの
で、人類は自然を尊ばなければならない」
という問いがありますけれども、日本人に
とってはあまりぴんとこないと感じます。
大島 確かに、その問いには疑問を感
じないでもなかったのですが、過去の
調査にもありましたので、国際的な比
較には必要と判断して入れました。日
本人の多くは神を信じていないので、
この質問にはノーと答えるかというと、
そうではなくて、かなりのパーセント
の人がイエスと答えていて、心配した
ほどの偏りはありませんでした。特定
の宗教ではなく、
一般的な意味での
「神
がつくったもの」と考えて答えを選ん
でいるようです。
日本人の場合に特徴的なのは、極端
な答えを選ばない傾向です。答えを四
段階とか五段階とかにわけますと、日
本人は端はとらなくて、中央部分のど
ちらともいえないようなところを選ぶ
傾向があります。世界の他の国々と並
べると、あいまいな答えを選ぼうとす
る日本人の国民性が出ます。
社会の心理の背景にあるものを探る
大島 このような調査の結果から、日
本人にはこれこれの傾向があるとか、
ベトナム人はどうだとかいうのですが、
それはあくまでも分布でみているので
あって、日本人やベトナム人がみなそ
うだというのではありません。ベトナ
ム人はこういうものだと、ステレオタ
イプ的なものの見方をするのではなく、
きちんと測定し、平均や分布をみて考
えるのがこのような社会心理学の調査
の意味です。
――われわれはベトナム人はこうだみたい
ないい回しで理解したがるところがありま
47
すが、社会心理学から得られる成果は、ど
のように受け止めたらよいのでしょうか。
大島 ベトナム人でも日本人でも個
人個人は当然ばらついています。社会
心理学では、統計的にみてある傾向が
出てきたときに、
それはなぜなのかと、
背景にある文化や自然環境、社会環境
を考察します。日本とベトナムで傾向
に差があれば、違いがどこからくるの
かを考えます。
調査で得られるものは、時代や状況
で変わります。調査はあくまでもその
時点での傾向をみるものです。調査で
得られた傾向に反映しているものは何
であるのか、いまの社会の中から探る
のです。例えば、ベトナムでは、コミ
ュニティ意識が強く、昔は日本でもあ
ったように、隣近所で鍋釜を貸し借り
するような関係があります。お互いど
うしがよく知り合っていて、長く続く
コミュニティがあることは、環境意識
に何らかのつながりをもつでしょう。
また、ベトナムでは水害のような災害
が多く、そのことが自然観に反映して
いると考えられます。そこにはっきり
とした因果関係を示せるわけではない
ので、推測の域を出ないといわれれば
そうかもしれませんが、
国別で比較し、
西洋と東洋で比較し、いろいろなレベ
ルでみて、全体としてうまくとらえら
れる説明を見出そうとします。
コミュニティの力を強めるのは
――調査でとくに印象的だったことがあり
ますか。
大島 いまいったコミュニティ意識
でしょうか。日本の調査はある大都市
で行ったのですが、他国に比べてコミ
ュニティ意識の低さが顕著でした。「あ
なたが困っている時に、近所の人はあ
なたを助けてくれると思いますか」と
いう問いに、日本のとくに男性は、多
くが
「そう思わない」
と答えています。
考えてみれば、マンションに住んで、
隣が誰だかもわからず、昼間はずっと
会社で、
地域とのつながりがなければ、
そういう答えになるでしょう。ベトナ
ムでは、
「とてもそう思う」が六四パー
セント、
「まあそう思う」が二一パーセ
ントで、男女の差はありませんでした
が、日本では「とてもそう思う」が全
体で一六パーセント、男性では九パー
セントしかありませんでした。
コミュニティの力を、われわれはソ
ーシャル・キャピタル(社会関係資本)
としてとらえています。しっかりした
人間関係があればそれだけで資本とし
て有効に機能します。コミュニティの
再生がよくいわれますが、現在の日本
では簡単ではありません。私自身、町
のお祭りとかはほんの一部の人がやっ
ていることと、
横目で見るだけでした。
防災関係でも、訓練に集ってくるのは
お年寄やこどもばかりで、一番肝心な
壮年や青年はいません。こういう調査
48
をして、やはりコミュニティの力は必
要と思っても、どうしたらいいのかと
いう答えを見つけるのは簡単ではあり
ません。
――身近なコミュニティのつながりの強さは、
どのように自然観や環境観に反映するので
しょうか。
大島 自然観は個人の信念のような
ものからくるところが大きいでしょう。
環境意識に関しては、コミュニティの
つながりの強さが、どういう行動をと
るかというところで表れると思います。
誰でも、自分の住んでいるところはい
い環境であるほうが望ましいので、地
域の結びつきがある程度強ければ、み
んなで力を出し合って、環境をよくし
ていこうということになるでしょう。
地域がばらばらですと、誰かがやって
くれるだろう、役所に任せればいいと
いうことになりがちです。行政が行う
とお金がかかりますが、地域で協力し
合えば、税金は使わずに、ソーシャル・
キャピタルが活用できることになりま
す。最近、市町村が、
「環境のまち」な
どと宣言して、環境をよくする活動を
し、地域のまとまりがよくなったとい
う例を聞きます。地域のコミュニケー
ションをよくして実際の行動に結び付
けていくところに、社会心理学が関わ
れることがあると思っています。
社会心理学の命はデータだ
――ところで、初歩的な質問で恐縮ですが、
社会心理学という分野はいつごろに始まっ
たのでしょうか。
大島 心の問題は古くはギリシャ哲
学から議論されてきました。実証科学
であることを目指す心理学が始まった
のは一九世紀の後半です。心の活動の
基本は、感覚を通して外界から情報を
得ることですから、どういうものを見
せたら、どういう音を聞かせたら、ど
のような心の活動がおこるのかという
ことを、科学的に調べて積み上げてい
くことが心理学の主流になりました。
人と人の関係や集団のふるまいなどを
調べる研究は、実証的にみていくのが
難しいという批判もあって、社会心理
学が心理学の一分野として大きな流れ
になったのは二〇世紀後半からです。
私が心理学を始めたころは、日本心理
学会の中で「社会・文化」のカテゴリ
ーの研究発表はまだ多くありませんで
した。最近では、社会心理学を必要と
する現実の問題がたくさんあるもので
すから、
ずいぶんと盛んになりました。
――先生は最初から社会心理学の研究を
やろうとしたのですか。
大島 もともとは認知心理学の分野
で実験的な研究をしていました。認知
心理学は情報科学の影響を受けて発展
した分野ですが、
一九八〇年ごろから、
基本的な実験室での研究成果を積み上
げて現実の世界につながるのかという
問題提起が出されるようになりました。
49
そのころ東大で助手をしていて、
私は、
その後東洋大学に採用してもらい、こ
こが「社会心理学専攻」だったもので
すから、移ったのを機に社会心理学を
始めたのです。ただ、現実の問題に取
り組みますと、人それぞれに自分の経
験をもとに、人間の心理とはこういう
ものだといえてしまう可能性があるの
で、きちんとしたことをいうには、根
拠となる実証的なデータ、実験的なデ
ータがなければなりません。いつでも
データに戻れる理論をつくっていく必
要があるのです。
ところです。サステイナビリティ学連
携研究機構(IR3S)と連携して「エ
コ フィロソフィ」
学際研究イニシアテ
ィブをスタートさせたとき、心理学を
見渡して、環境問題に関連した成果は
世界的にもあまりありませんでした。
それなら、われわれから始めたいとい
う思いがありました。
大島 そうです。東洋大学の学長に松
尾友矩先生がなられたときに、いちば
ん心配されていたのは、東洋大学は大
きくなり、それぞれの領域で研究を進
めているけれど、大学の顔となる研究
がないのではないかということでした。
大学全体で学際的に取り組めるテーマ
を設定しようと、学長を中心に議論を
し、私も参加しました。そこから、共
生というテーマが出てきまして、
哲学、
史学、社会学、社会心理学、経済学、
――東洋大学ではエコ・
フィロソフィの前に共
生学を掲げておられました。先生はそのと
きからの参加メンバーなのですか。
・
幸せとは何かを問うエコ・
フィロソフィ
――社会心理学において環境は大きなテー
マになっているのでしょうか。
大島 残念ながら環境問題を扱う人
はまだ少数です。拡大したいと思って
も、
連携する相手がなかなかいなくて、
各方面から仲間を集めようとしている
経営学、法学、地域研究といったさま
ざまな領域から人を呼び集めて、情報
交換をし、
何度も研究会を行いました。
当初は、いきなり大勢が集ったために
やや拡散したところがありまして、そ
こにIR3Sの話がきたので、共生を
ベースにしてサステイナビリティにア
プローチをしようと、メンバーを哲学
分野と社会心理学分野にしぼって「エ
コ・フィロソフィ」の確立を目指すこ
とになりました。
社会心理学が、エコ・フィロソフィ
で何を問いかけてきたのかといいます
と、物資的には裕福ではあるけれども
二酸化炭素をまきちらす生活が本当に
幸せなのか、人間にとって幸せな生活
とは何なのか、もう一回見直してみま
せんかということがありました。裕福
な生活であっても、自分自身の道徳心
や社会的な規範にどこか反するような
行動は、
何かしらの不快感を伴います。
それを、
「まあいいか」とすませてしま
50
わずに、人間の心の中にある道徳心、
倫理感、宗教心、コミュニティ意識、
満足感などに立ち戻って考えるには、
社会心理学からのアプローチが必要で
す。
――地球温暖化を防ぐために二酸化炭素
を減らせと教条的にやらされたのでは長続
きしません。個人の幸福とか満足とかとど
こかで結びつかないと……。
大島 制約をかけるとか、金銭で誘導
するとかは、心理学からみると本当の
解決にはなりません。たとえば、解決
が難しい問題として、社会心理学のテ
ーマの一つである社会的ジレンマがあ
ります。
目先の利益とか個人の利益が、
集団の利益や社会全体の利益と矛盾す
るような状況では、自分の利益を追求
すると社会の利益が損なわれます。具
体的には、買占め、買い溜めのような
ことです。
――大震災の直後にはガソリンスタンドに
車の長い行列ができ、ガソリン不足があっと
いう間におこりました。
大島 人が並ぶと、不安になって自分
も並び、並ぶ人が増えると、それで実
際にガソリンがなくなり、ますます品
不足が進むという、教科書通りの経過
であのようになりました。
自分の幸せは自分個人だけで追求で
きると思い込んでいれば、まわりと隔
てて豪邸を建て、何でも買い込んで、
食べたいものを毎日食べるということ
になるのかもしれませんが、それで幸
せなのでしょうか。価値観調査で、
「あ
なたは幸せだと思いますか」とか「い
まの生活にどの程度満足しています
か」と聞きますと、決して経済的には
裕福でない南米の国などで、幸せであ
る、満足しているという答えが多く返
ってきます。
GDPとは対応しません。
それをどう解釈するかというところで、
「貧しいのに満足しているのは変だ」
「豊かな生活を知らないからだ」で終
わってしまっては違うと思います。国
際的な文化交流、情報交換を進め、G
DPでは測れない幸せの指標を議論し
ていかないといけません。
率先して行動する意識を
――エコ・
フィロソフィの活動としては今後ど
のようなことを考えているのでしょうか。
大島 各国の意識調査を行ってきま
したので、それを続けたいと思ってい
ます。幸せとは何であるかといったこ
とに踏み込むような調査もしたいです。
道徳的に正しいことをしたことによる
満足感とか、ものは豊かでなくても幸
せを感じる生き方などについて、デー
タで示せるように発展させたいです。
もう一つ、社会的ジレンマ状況につ
いての実験的な研究もしたいと思って
います。とくに、自分に多少の損失が
あっても、みんなのために行動しよう
というボランティアがどういう状況で
出てくるのか、そういう人が出てくる
と集団がどう変わるのか、そのあたり
51
を実験を踏まえてみていきたいです。
――大震災の復興がこれからも長期にわ
たって続いていくなかで、ボランティアは大
切なテーマになりますね。
大島 昔から、アメリカはボランティ
ア団体の数がものすごく多いのに、日
本は少ないといわれてきました。その
違いはどこからくるのか。ごく身近な
話をしますと、ゼミで「コンパの幹事
を誰かやってくれないか」
といっても、
「自分がやります」と手を挙げる学生
が最近はとくに少なくなっています。
欧米ならきっと誰かがすぐに手を挙げ
て、
「私も手伝う」と続く人が出るのだ
ろうと思います。ボランティア意識に
関する文化の違いは日本の国際化とも
関係するでしょう。
――日本では、どちらかというと、周囲か
ら突出しないようにする心理が働いている
気がします。
大島 無難に黙って人にまかせてお
くのが自分にとって利益になり、自分
から率先して何かをすると損になると
いう考えを若い人がもっているようで、
心配です。
ボランティアをすることで、
自分の中に満足感が生まれ、それを次
につなげていけるような社会的な環境
が必要だろうと思います。
――何かしら損をするような経験をして
きたのでしょうか。
大島 何らかの経験から、黙っている
のが得だと学んでしまったのだとする
と不幸ですね。つい最近の話で、私が
この大学にきたときから最近までのゼ
ミの学生が集まる大同窓会をやりまし
て、その準備をするまとめ役になって
くれたのが、私がきたときに新入生歓
迎行事の委員長をやった人でした。彼
がいうには、「あのときは望んで委員長
をやったわけではなかったし、委員長
は結構大変で、委員が集まらなかった
り、
いうことをきかない人がいたりと、
いろいろな経験をしたけれど、そのこ
とが就職してからずっといまも生きて
います」と。
大学は進学率が高くなったとはいえ、
やはり使命の一つとして、社会のリー
ダーになりうる人材を育てるというこ
とがあると思います。授業で知識を与
えるだけでなくて、集団を引っ張って
いくことの意義を体験的に知る場を提
供していくべきでしょう。現実には、
教員が関われる部分はそう多くはなく
て簡単ではありませんが……。インタ
ーンシップにしても、ボランティアに
しても、自分の意志で取り組むという
より、
就職に有利になるからみたいな、
どちらかというと受身のかたちで成り
立っている面があって、自分自身で多
少の無理をしてでも挑戦してみるとい
う意識が減っているように感じていま
す。
――それは気がかりですね。
大島 若い人は時代の要請に敏感で
すから、このままではいけないと気付
けば、変わってくるのだろうと思いま
すが。
52
人の意識にまで働きかける
――変えていくには何が必要でしょうか。
大島 ボランティアに限らず、何かを
変えるには、情報提供が必要です。情
報が乏しければわからないまま何も変
わりません。ただ、情報が多すぎると
受け手は処理しきれませんので、求め
たものに対して適切な情報が返ってく
る仕組みがほしいです。
ニュースでも、役所の広報でも、情
報の流し方では、社会心理学をいかせ
るところがあります。環境広告は一つ
のテーマです。広告は芸術的なセンス
とかで作られることが多いのでしょう
けれど、広告を見る側がどのような心
理になるのか、どういう行動をおこす
ようになるのかというところは、社会
心理学的な現象です。
ごみの不法投棄をやめさせようとし
て、不法投棄の現場の写真を見せて、
不法投棄のためにこんなひどいことに
なっていますというのは、逆効果であ
るといわれています。結果として、他
の人がそういうことをしていると伝え
ていることになっているからです。そ
れよりは、他の人もきちんとやってい
ますよと伝える方が効果的です。ホテ
ルなどでも、「みなさまも協力してくだ
さっています」というような伝え方を
されると、シーツは毎日取り替えなく
てもいいかといった選択をするように
なります。
――禁止するより、みんなで一緒にやりま
しょうということですね。
大島 近ごろは、「トイレをいつもき
れいに使ってくださりありがとうござ
います」といった掲示をよくみかけま
す。何もかもがそのようになってしま
うと、それもどうなのかとは思います
が……。
環境意識の調査は最初にシンガポー
ルで行いました。シンガポールは環境
先進国といわれ、ごみをポイ捨てする
だけで罰金とか、場合によっては重い
罪になります。リー・クアンユーさん
が首相だったときに、小さな国を世界
に対してアピールする一つの手段とし
て環境政策に力を注いだのです。とこ
ろが、実際にシンガポールにいって、
向うの社会学の先生に話を聞きますと、
シンガポールの人たちの環境に対する
意識は実は遅れているそうです。アパ
ートの中の見えないようなところでの
ごみ捨て行動はひどいものだそうです。
捕まってしまうようなところでは守る
けれども、何のためにそうするのかと
いう意識がまだできていないのです。
上からの制約を厳しくすると、逃げ道
の方へといってしまうようです。私た
ちの調査結果からも、ベトナムや中国
より環境意識が低いことがわかりまし
た。上から法律で抑えつけて、見かけ
はきちんとなっても、人々の意識にま
で働きかけないと本当の解決にならな
いということは、
まさに心理学的です。
53
福島第一原発事故後の
ドイツでの原子力発電を巡る議論
畑 一成
はた かずなり
)研究員
・
h
P
E
I
T
リビア内戦への英米仏の介入まで連日
トップニュースとして伝えており、震
災発生翌日に福島第一原発一号機で爆
発が起きると、その四時間後にはシュ
トゥットガルトで反原発の抗議デモが
行われ、六万人に及ぶ「反原発の人間
鎖」が作られたと報じられている。福
島原発での事故の詳細が明らかになる
前に、国内の原子力政策の見直しが議
東洋大学「エコ フィロソフィ」学際研究イニシアティブ(
(専門は哲学)
核化学の父と称されるオットー・ハ
ーンを輩出するなど、原子力利用はド
イツから始まったといって過言ではな
い。そのドイツが福島での原発事故に
対してどのように反応をしたのか。ド
イツ在住者の視点で語ってみたい。
地震発生当初からドイツの反応は大
きく、
かなり素早かった。
メディアは、
論されており、ドイツのメディアの多
くは、自分たちドイツの原発は大丈夫
なのかと、国内の原発の危険性を主題
化し、政府の原子力政策に疑問を投げ
かけていた。メルケル首相は、三月一
一日ブリュッセルでのユーロ危機に関
する会議を終えて帰国するやいなや、
国内の原発の安全性を訴え、その火消
しに躍起になる。ドイツでは早々に政
府の原発政策に対する批判と、それに
対応する政治家という内向きの形にな
っている。こうした早い反応はつまる
ところ、ドイツには福島での原発事故
前からすでに原子力に関して国民も含
んで多くの政策論議がなされていたこ
とを物語っている。
多くのテレビニュースでは、チェル
ノブイリでの原発事故映像を福島と重
ね合わせるように放送されていた。い
ま二〇代後半の若者が、チェルノブイ
リ原発事故後にしばらく野外で遊ぶこ
とができなかったことなどからも、こ
54
若手の
部屋
の事故は幅広い世代の記憶に新しい。
それゆえにメルケル首相は、すぐに原
発の稼働期間などの見直しをすると発
表し、自身の原子力政策に対する態度
を転向させたのだが、実のところ福島
原発の事故以後のドイツの原子力政策
はほとんど変わらなかったといってよ
いだろう。ドイツ社会民主党と同盟九
〇/緑の党との連立政権は、原子力発
電の廃止を決めた改正原子力法案を二
〇〇二年に成立させ、二〇二一年にす
べての原発が停止させることを決めて
いた。だが現政権は二〇一〇年に原発
の稼働期間を平均で一二年延長する法
案を成立させた。それが今回の福島第
一原発での事故を受けて、五月三〇日
にその延長稼働を取り消すことになり、
二〇二二年までに全原子力発電所を停
止させることになった。結局一年間の
稼働が延長されることになっただけで、
大きな方針転換と呼べるものではない
だろう。
産業界では、四月一二日に原子力事
業を手がけるシーメンスはアレバとの
原子力合弁事業を解消し、ロシアの原
子力企業との提携を解消させる動きに
出ており、これからの電力事業を太陽
光発電へと転換していくと発表してい
る。
需要者側でも例えばドイツ鉄道が、
八月に電力会社大手のRWEとの間で
水力発電による電力を一五年間購入す
る契約を交わしていたりしている。こ
うした産業界と経済界の動きは、ドイ
ツが原発事業から降りるという方向性
をより決定的に示している。
ドイツが早期に原発からの脱却を決
めたのはなぜか。エネルギー政策は国
家安全保障に直結しており、それゆえ
に長期かつ安定的なエネルギーの確保
は国家の至上命題である。そうだとす
ると、この分野での急激な変化はまさ
しく異例なはずである。彼らの議論の
ひとつに、ドイツの太陽光発電や、風
力発電の技術は現在のところトップレ
ベルであり、その分野へと早めに軸を
移すことで、競争が激化する前の市場
を大きく占めることできるのではない
かというものがある。つまり、エネル
ギー政策の変更は対応可能であり、む
しろ積極的にビジネスチャンスへ変え
ることができると期待している。当面
はガスを中心とした火力発電も並行さ
せて、再生可能エネルギーを増やして
いこうという予定で、将来はサハラ砂
漠に広大な太陽光発電所を建設し、そ
れをヨーロッパに送電する計画なども
ある。ある意味、ドイツが原発事業か
ら撤退できるのは、フランスやイギリ
スなどの他の先進国が原発から脱却し
ないからだといえるかもしれない。
それよりも大きな理由は、やはり原
発の安全性への不信感である。自然災
害は、
何も日本に限ったことではなく、
ドイツにもある。ドイツでは地震がな
いといわれているが、実際にはある。
アフリカプレートからユーラシアプレ
55
ートに負荷がかかり、スイスのバーゼ
ルからフランクフルトにかけて大きな
断層がある。そのほか断層のある地域
を含め、
一〇〇年に一度はM六 一規模
の地震が、
一〇年に一度はM五 一の地
震がドイツで起こっている。そしてこ
の断層付近にいくつか原発がある。地
震に加え、地盤沈下や、川辺に多く原
発を建設していることから洪水による
危険性が指摘されている。
こうした自然災害に加えて人為的な
災害も懸念されている。その第一がテ
ロによる原発への攻撃である。テロの
危険性を認識しているはずの原子力発
電所がどのような対策を講じているの
かを北ドイツ放送が取材している。取
材班が、ある原子力発電所に船で近づ
き、発電所近くでしばらく停泊させて
みる。つまりテロの可能性がある不審
な船を装う形である。警官が駆けつけ
てきたのはかなり時間がたった後で、
緊迫感というものもあまりなかった。
原発事業者側の主張とは異なり、十分
な防護がなされているというわけでは
ないようである。
私が通うカイザースラウテルン工科
大学でも福島第一原発での事故に対し
て関心が高く、識者を招いての講演会
が七月に催されている。二〇〇席以上
はあった席は埋め尽くされ、立ち見の
人も少なくなかった。その講演の中で
紹介されたある日本語がある。それは
「
」
(想定外)である。また
Souteigai
八月八日付の Spiegel
誌も「日本はこ
の災害からどのような教訓を得たの
か」という題で、同じく「 Soute-gai
」
を、今回の震災を代表する言葉として
あげている。日本ほど自然災害に対し
て備えのある国はないのに、どうして
ここまでの大惨事にいたってしまった
のかとドイツのニュースではよく問わ
れている。彼らが取材していたるとこ
ろで聞いた言葉は、
「想定外」という一
言だったそうだ。しかも日本だけでな
くドイツでも同じように、政治家や専
門家はこのような事態が起こることを
想定していなかったと述べている。今
回の原発事故が証明したこととは、数
百年に一度の出来事というものが、も
はや机上の仮定ではなく、対処しなけ
ればならない現実なのだと、ドイツで
は論評されている。それを前提に、も
う一度自分たちドイツの社会が担って
いるものは何なのかを見直すとどうな
るのか。原発の危険性が真っ先にあが
ることになる。
原発は安全だと主張し、それは嘘だ
と反論する、このいわゆる推進派と反
対派の対立構造はドイツでも変わりな
い。 推進派は、多重防護が施されてい
る原発が最大事故に至る可能性がかな
り少ないという。あすにも数百年に一
度の自然災害が起こり、何重にも仕掛
けられた防護をすべてすり抜け、原子
炉が制御不能状態に至るのは、数百万
分の一、あるいはそれよりももっと少
56
・ ・
ない可能性である、それゆえ原子力発
電を続けるという判断は、十分合理的
であるという。
それに対して反対派は、
それでも事故が起きる可能性が全く排
除されたわけではなく、例えば宝くじ
で極端に低い確率であっても大当たり
する人が出るように、事故は起こるこ
とだと考えるべきであり、そうならば
原発を停止させることこそが合理的な
判断だという。どちらも合理性な判断
であり、極端に低い可能性を巡って争
われているがゆえに優劣をつけがたい。
ではどのようにして結論を導くのか。
今回のドイツの場合、ドイツ政府の臨
時諮問機関「倫理委員会」が大きな役
割を果たしたといえる。二〇二二年ま
でにすべての原発を停止させるという
メルケル政権の選択は、事実上この倫
理委員会の報告書を採用したものとい
える。この倫理委員会は社会学者や司
教、
哲学者などからも構成されており、
ロッティンゲン環境大臣が述べるとお
り「最後は社会的政治的な価値づけ」
を行うことを期待された。その委員会
は脱原発を提言することになったのだ
が、こうした倫理委員会の判断の根底
にあるものは何か。一例として神学者
であり哲学者でもあるR・シュペーマ
ンが述べる、原子力政策を決定するに
際しての重要なキリスト教由来の原則
が挙げられる。トゥティオリスムス
と呼ばれるもので、安全
Tutiorismus
採用主義と訳されている。これは新大
陸発見などの大航海時代を背景とした
一六世紀スペインから展開された議論
で、キリスト教道徳における蓋然論
と呼ばれる議論に関連し
Probabilism
たものである。安全採用主義の主題を
概略的に述べると、
「二つの道があり、
どちらかに決める明確な判断材料がな
い場合、どのようにして一方を選ぶべ
きなのか」ということになるだろう。
その際の原則は、
「自由」な判断ではな
く、より「安全」に向かった判断でな
ければならない、つまりは「迷ったら
安全な方を選べ」というものである。
あまりにも素朴なことと思えるが、こ
うした思想背景の有無で、現実の結果
に大きな差ができる。同時代に「疑わ
しきは被告人の利益に」という裁判原
則が成立したのだが、この原則がなけ
れば判決が全く違ったものになりえる。
高度な知識や判断の奥に隠れたこうし
た原則が、現実の社会の形を決めてお
り、それが東日本大震災という極限状
況で前景化したのである。
ドイツは日本と同じく近代国家であ
り、
「自由」という価値観を共有してい
る。それと同時に、被災地で見られた
公共の利益のために進んで自らの自由
を制限する日本人の倫理性は、日本か
らのレクチャーとして伝えられ、ドイ
ツに近代国家の根幹に対する再認識を
呼び起こしている。
57
ソーラーおもちゃ
東京大学のある文京区(東京都)では、保育園の
耐震工事に合わせて、太陽光発電を導入している。
これまで三園の屋上にソーラーパネルが設置され、
玄関にはモニタがついて発電の様子や発電量がわか
るようになっている。おりしも脱温暖化プロジェク
トの一環で、保育園・幼稚園で環境教育プログラム
をやり始めた。園にきいたところ、特に子どもたち
に太陽光発電について話をしているわけではないと
のこと。節電・省エネだけではどうも面白くないし、
未来社会の担い手である子どもたちに、夢と希望、
そして将来のエネルギー選択のために少しでも心に
残るものを伝えたい! ということで、太陽光発電を
ールがついていて、音楽にあわせて子どもたちが一
斉に歌い出す場面もあり、感動的だった。時間も忘
れていろんなソーラーおもちゃで遊ぶ子どもたち。
特に青空のもと、日なたで勢いよく走っていたソー
ラーカーが日陰に入った途端にシュン…と止まるの
を見ながら、太陽光発電を実感したもよう。
「いま太
陽が隠れたから止まったんだよね!」と嬉しそうに
叫ぶ 。
「これでどうして電気ができるの?」
「うちに
もパネルつけてみたいなぁ。」という子も。
この体験によって心に感動と驚きが残り、知的探
究心の引き金となって、サステイナブルな行動・社
会を形成する源泉になることを期待したい。
太 陽 光 が あ た る と … ぶ る ぶ る 動 き だ す ソー ラ ー
バ ッ タ 。 ぴ ょん ぴ ょ ん 跳 ね る ソ ー ラ ー カ エ ル 。
取り入れることにした。
センス・オブ・ワンダーの言葉に代表されるが、
綱 わ た り を 始 め る ソ ー ラ ー モ ン キ ー 。 ソー ラ ー
ペ ッ ト ボ ト ル を 再 利 用 し て 作 っ た レイ ン ボ ウ
に人気のおもちゃです。
カ ー や ソ ー ラー ロ ボ は も ち ろ ん 、 ど れ も 子 ど も
幼児には単なる知識教育よりも、感動を喚起する参
加型、体験型のプログラム活動が大切だ。太陽エネ
ルギーから電気が作られる、
ということだけでなく、
文・構成 平松 あい)
扇風機は、ソーラーパネルから電気が作られて
(こどもサステナ
提供:文の京知恵の実現センター(主体的行動の誘発による文の京の脱温暖化プロジェクト)
もっと根源的に、私達の生活、地球の営みが太陽の
エネルギーによってなされている…という壮大な
ことまで伝えるべく、循環、食物連鎖など含めた紙
芝居を製作。そして、ソーラーパネルで豆電球を点
灯させて見せる実演や、ソーラーおもちゃでの遊び
を企画した。
ソーラーパネルで豆電球を点灯させると、
「あっ、
ついた!」と食い入るように夢中で見る子どもたち。
段ボールの大きなソーラーハウスは大人気で、出た
り入ったりしながら遊び、自ら太陽がわりのライト
0歳からの
こども サステナ
にまなぶ
秋の号
2011
ソーラーおもちゃ
東京大学のある文京区(東京都)では、保育園の
耐震工事に合わせて、太陽光発電を導入している。
これまで三園の屋上にソーラーパネルが設置され、
玄関にはモニタがついて発電の様子や発電量がわか
るようになっている。おりしも脱温暖化プロジェク
トの一環で、保育園・幼稚園で環境教育プログラム
をやり始めた。園にきいたところ、特に子どもたち
に太陽光発電について話をしているわけではないと
のこと。節電・省エネだけではどうも面白くないし、
未来社会の担い手である子どもたちに、夢と希望、
そして将来のエネルギー選択のために少しでも心に
残るものを伝えたい! ということで、太陽光発電を
ールがついていて、音楽にあわせて子どもたちが一
斉に歌い出す場面もあり、感動的だった。時間も忘
れていろんなソーラーおもちゃで遊ぶ子どもたち。
特に青空のもと、日なたで勢いよく走っていたソー
ラーカーが日陰に入った途端にシュン…と止まるの
を見ながら、太陽光発電を実感したもよう。
「いま太
陽が隠れたから止まったんだよね!」と嬉しそうに
叫ぶ 。
「これでどうして電気ができるの?」
「うちに
もパネルつけてみたいなぁ。」という子も。
この体験によって心に感動と驚きが残り、知的探
究心の引き金となって、サステイナブルな行動・社
会を形成する源泉になることを期待したい。
太 陽 光 が あ た る と … ぶ る ぶ る 動 き だ す ソー ラ ー
バ ッ タ 。 ぴ ょん ぴ ょ ん 跳 ね る ソ ー ラ ー カ エ ル 。
取り入れることにした。
センス・オブ・ワンダーの言葉に代表されるが、
綱 わ た り を 始 め る ソ ー ラ ー モ ン キ ー 。 ソー ラ ー
に人気のおもちゃです。
カ ー や ソ ー ラー ロ ボ は も ち ろ ん 、 ど れ も 子 ど も
幼児には単なる知識教育よりも、感動を喚起する参
加型、体験型のプログラム活動が大切だ。太陽エネ
、
文・構成 平松 あい)
モーターを動かす仕組みがよくわかります。
(こどもサステナ
提供:文の京知恵の実現センター(主体的行動の誘発による文の京の脱温暖化プロジェクト)
エネルギーによってなされている…という壮大なこ
とまで伝えるべく、循環、食物連鎖など含めた紙芝
居を製作。そして、ソーラーパネルで豆電球を点灯
させて見せる実演や、ソーラーおもちゃでの遊びを
企画した。
ソーラーパネルで豆電球を点灯させると、
「あっ、
ついた!」と食い入るように夢中で見る子どもたち。
段ボールの大きなソーラーハウスは大人気で、出た
り入ったりしながら遊び、自ら太陽がわりのライト
のソーラーオルゴ
It’s a small world
でパネルを照らして家の中の電球を点灯させたりし
た。これには
0歳からの
こども サステナ
にまなぶ
秋の号
2011
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