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地域振興のマーケティング

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地域振興のマーケティング
本資料は、平成 15 年 3 月 16 日に千葉県流山市で行った講演「地域振興のマーケティング」
を市の職員の方が録音し、講演禄として作成して下さったものに、井原が加筆し図などを
加えたものです。本資料の著作権は流山市と井原にあると理解しております。
地域振興のマーケティング
東洋学園大学現代経営学部
井原 久光
井原ですよろしくお願いします。今日は、「地域振興のマーケティング」というタイトル
で、地域活性化プロジェクトの難しさや商店街衰退の原因についてお話しします。まず、
タウンマネージメントというものは、簡単ではないということをお話しします。それから、
巣鴨、小布施、長浜の事例を見ていただきます。
私は、マーケティングを専門にしておりますので、個店で商売をしているそれぞれの方が
自分達の身の回りの事をもう一度見直せば、自然と変わってくるという立場です。もしか
すると流山市でやっていることや皆さんがやっていることと違う部分があるかもしれませ
んが、視点が違うところや、少しでも参考になるところがあればと思います。
中心市街地活性化法とは
私は、地方の商店街をたくさん見てきました。長野大学に9年間いて、長野県を中心とし
て、地方の商店街が抱える問題をたくさん見てきたので、そういった面からお話しさせて
いただきます。
①縦割行政への反省
中心市街地活性化法案というのは、基本的にそれぞれの大臣の元に枠組みがあって、これ
が県にいってそれぞれの行政につながるということですが、これはある意味でよい法案で
す。というのは、それまでの法案は、通産省とか文部省とか別々の行政が街にかかわりを
持ってきたからです。
ところが街というものは生活の舞台ですから、教育行政で学校があるのと商工行政で商店
街があるのとは関係なく自分達が暮らしているわけです。ですから、そういう意味で中心
市街地活性化法案というのは、縦割り行政をできるだけ、一つの窓口で、処理するという
考え方で、悪くはないと思います。
しかし、一方では、丸投げ的なところも出てきます。国というのは街に関与できないので
す。民主主義の世界ですから、国がこうしろといって街を作るわけではないのです。そう
すると県や行政体に頼むことになります。
行政体も全部できないので、さらに部分に分けます。結局出てくるのは、商工会や商店街
の集まりがある舞台にタウンマネージメントオーガニゼーション(TMO)というまちづ
くりのための機構みたいなものを作らせて、そこに企画させて、一見街を自分達で作らせ
たみたいになるのですが、簡単ではありません。街は元々そのようにできているわけでは
ないのですから・・・。
ところで、中心市街地活性化法も法律である以上なんらかのコンセプトを決めないと施行
案ができません。法律用語は難しいので、中心市街地活性化研究会がA、B、C、D、E に
まとめている街づくりのキーワードをご紹介しましょう。
まず、A は「アクセシビリティ」。まず求心力のある街を作りましょうという話です。そ
れから B は「バリアフリー」。高齢者や障害者も参加できる街を作りましょう。C は「コミ
ュニケーション」。働き、住み、憩うということを大切に、人や情報が交流する街を作りま
しょうとなります。D は「デモクラシー」。自律したみんなが作る街です。E は「エコフレ
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ンドリー」。低エネルギーで、自然や環
中心市街地活性化研究会の掲げるキーワード
境にやさしい街。というわけです。とて
① Accessibility(求心性のある街)
Accessibility(求心性のある街)
も分かりやすい上に、ABC順になって ①
多様な交通手段とアクセス可能性を重視
多様な交通手段とアクセス可能性を重視
いるのでスローガンとして使うには便
②
② Barrier-free(参加しやすい街)
Barrier-free(参加しやすい街)
利だと思います。
高齢者、障害者、子供をもつ女性などへの配慮
高齢者、障害者、子供をもつ女性などへの配慮
ただ、このようなスローガンはいいの
③
③ Communication(人や情報が交流する街)
Communication(人や情報が交流する街)
ですが、現実を見てみますと、スローガ
「働き」「住み」「憩う」場づくり
「働き」「住み」「憩う」場づくり
ン通りになかなかならないのも事実で ④ Democracy(自律した街)
④ Democracy(自律した街)
す。それは次にお話しますが、概ね、こ 自主的な街づくり活動を大切に
自主的な街づくり活動を大切に
のような考え方と、住民参加タウンマネ ⑤
⑤ Eco-friendly(環境にやさしい街)
Eco-friendly(環境にやさしい街)
ージメントの思想に基づいているのが エネルギー消費が少なく環境負荷の低い街づくり
エネルギー消費が少なく環境負荷の低い街づくり
中心市街地活性化法といえましょう。
中心市街地活性化研究会編『中心市街地活性化戦略』pp.8-9.
今までの商業調整が中心だった法律、
あるいは縦割り行政の法律を反省して、大店法などを止めたのです。あのような商店街の
利害を優先するか、街に進出する新しい経済体の利益を優先するかというような商業調整
ではなくて、中心市街地活性化法をやるという、たいへん思想的にはよいわけです。
②タウンマネージメントの現実
ところが、地域活性化プロジェクトにも問題点があります。まずは、行政としては当然で
すが、色々なことを一遍にやるわけです。この機会に街並みを整備しようということにな
ります。例えば、駅前を便利にしようと思うと大きなロータリーを作り、バス停を作り、
歩道橋を作り、スクランブル交差点を作るじゃないですか。
地方では、暗いアーケードを撤去したり、電柱や電線は地中化して、区画整理をやって、
公園を作って、環境対策をして、バリアフリーで段差を少なくして、そして防災対策上、
ごちゃごちゃしたところを整理して、消防車が入れるようにする。
プロセスとしては簡単に街を変えられないので、今お話している中心市街地活性化法に加
えて都市計画法、独自のまちづくり条例などを作ることになります。そうしないとそこに
住んでいる人を動かせないからです。
そのためには、決められたステップとして、マスタープランを作らなければならない。そ
うすると書類作りのプロとして、コンサルタントが出てきます。美しい話を必ずします。
協議会が結成されて、どんどん合意形成のプロセスが長くなることがよくあります。地方
の場合、商店会代表や婦人会などをたくさん集めて、大きな会議を開いて、一見住民参加
を得ているような演出をするわけです。
ところがここでワークショップがよく行われますが、そこに出てくるのは、商店街を利用
しない人なのです。思いつきの無責任な意見を言うのです。これは大きな悩みの種です。
商店主ならば、自分の言ったことに責任がありますが、そういうことがないのです。その
他、マルチメディア、IT 技術、エコマネーの実験場にしたい人が出てきます。そのような
人たちが必ず言うのは、商店街をネットワーク化し、ウェブ上にショッピングモールを作
るなどです。何とかマネーとかの地域通貨を活用するなどと言います。そのような人は、
自分達の思想を広めたいのです。
そういう人は、商売をしていますか?責任をとりますか?良かれと思ってのことかもしれ
ませんが、結果的に、NPO や市民団体がややこしくしてしまうことが多いのです。そして、
自治体のご意見番という人が結構います。自治会長などが、私を通さないで、なんで街を
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変えるのだと出てくるわけです。
このように、ぐちゃぐちゃしているうちに街がややこしくなります。TM 思想、タウンマ
ネージメントの思想が出ていますが、街は、生きているのです。息づかいや風情を無視す
ると街は死んでしまいます。
それにも係わらず、このような生態系を無視して、戦略というビジョン作りから、書類作
りから、将棋の駒のように部分をいじって台無しにするようなことが地方ではたくさん行
われています。
例えば駅前開発ですが、行政では、都市計画や防災面から、りっぱなロータリーを必ず作
りますよね。地方の駅を降りた人はどうなりますか。ロータリーがあったら渡らないです
よ。そして急坂の歩道橋があっても、お年よりなどは利用しません。あるいはスクランブ
ル交差点ですが、駅前を大きくしたので、スクランブル交差点は、非常に長く待たなけれ
ばなりません。警察が信号管理していますが、警察は自動車が渋滞を起こさないような管
理で信号を決めます。そうすると1分半待って、15秒で渡らなければなりません。この
ような交差点は誰も渡りません。ということはどういうことかといえば、駅前に商店街は
作るなということです。商店街に行こうとしても行けないのです。歩道橋を上ったり、ス
クランブル交差点で待たされて、向こうに切り離されるわけです。大きなバス道路を作る
ことは、商売上では大きな川を作るようなものですから、商店街は片肺飛行になります。
商店街同士のつながりがなくなったら、集客、売上にはつながりません。つまり、住民が
言っていることと行政がやっていることと商店街がやっていることが、なかなか合致しな
いのが現実です。長野県は新幹線が通り、駅前ががらりと変わりました。その分だけ、商
店街がつぶれてしまった状況があります。
③Plan と Do の問題
もう一つの問題は、Plan、Do、See が回らないということがあります。計画を立てて、
実行して、見直して、また計画を立てる。これはマネジメント・サイクルや管理過程論と
いって経営学でよく言われていることです。
ところが、多くの自治体(行政)の計画は、Plan だけです。その後ができないのです。
できたとしても箱物作りです。駅前の箱物を作るのにお金を出しますが、そこまでです。
駐車場の運営はしません。駐車場の運営は誰がやるのでしょうか。実行する人が計画しな
いとだめだし、その人が反省に基づいて修正していかなければなりません。
ところが、多くのタウンマネージメントは作って終わり、考えて終わり、なんかやって終
わりとなるので、そこが、後の人たちの大きな問題点になります。「船頭多くして船山に登
る」という言葉がありますが、たくさんの人が関与して責任は持たない。国→自治体→TMO
と丸投げ状態です。Plan→Do→See が次の Plan へと循環しないのです。結局こういうこと
が一般的に行われています。
もう少し具体的な話をしましょう。まず、ハード面ですが、アーケードを作るか、プロム
ナード化の3点セットをやる。これは後でもう一度お話しますが、それ以外に、駐車所を
作る、公衆トイレ、送迎バス、循環バス、無料バスをやろうという話しがまず出ます。そ
れから、空き店舗対策として NPO やギャラリーとか貸店舗をしたりすることが必ず出てき
ます。回遊対策として、ベンチ、マップ、案内板、ウォークラリーなどを必ず企画します。
それから滞留作りとしては、イベント広場、憩いの場、待合の場があります。
これらの個別対策自体は悪い話ではありません。私はケチを付けているわけではありませ
ん。こういうことが一般的にどこでも導入されていくから、結局は、街の風情がなくなっ
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てしまうのです。
道路設計に関して申し上げますと、日本と欧米の街の作り方が基本的に違うということで
す。日本では、街道の辻にお店が出てきたわけです。ところがモータリゼーションになる
とこの辻からだめになります。ヨーロッパでは、街の中央に広場があり、そこから車は外
へ出て行くようになっています。そうすると四つ角がよい場所として残っていくのです。
特にヨーロッパではロータリー式の広場が多く、道も広いので、縦列駐車が可能ですが、
日本では道が狭いので、駐車場を別に作ることになります。そして、四つ角のところが一
番車を止めにくいので、お客さんが離れます。日本の地方の商店街では、四つ角のところ
からつぶれていくのです。
プロムナード3点セット(セットバック、カラー舗装、ストリートファニチャー)と(業
者が用意する)メニュー方式というのが街づくりでは必ず出てきて、コンサルタントが得
意とするパターンです。
街を広くしたい、道路を広くしたいので、まずセットバックするわけです。次に広くした
舗装をきれいにデザインする。つまり、カラー舗装といって色をつけたり、レンガや石を
敷き詰めて石畳を行います。ストリートファニチャーというのはコンサルタントの作った
和製英語で、街灯、電話ボックス、オブジェ、プランターなどを歩道に置く。こうした 3
点セットが必ず出てきます。
コンサルにとってやりやすいのは、ヨーロッパの都市をスライドで映して「このような美
しい街にしましょう」と言えることです。ただし、美的センスが売りですから実際の使い
勝手は後になりがちです。山形で聞いたことですが、曲線を生かしたプロムナードを作っ
たら冬に雪に埋もれて、曲線部分の段差に躓く人が出たそうです。都会のデザイナーは雪
国での除雪・融雪対策に考えが及ばないので、歩きにくい道を作ったと地元の人は言って
いました。石畳は一見「見栄え」が良さそうですが、石やレンガの微妙な段差が車椅子の
障害者や買物用カートを引いて商店街を利用する高齢者にとって嫌われるので、そのため
に商店街から足が遠のくというようなことがあります。
ともかく、見てくれ優先のカラー舗装や石畳化を推進して、みんなで日本の街をこわして
きたのです。どこの街へ行っても同じような風景が作られてきたわけです。もちろん、あ
る程度の特色作りはなされるのですが、それは業者が用意するメニューの中から選ぶもの
になりがちです。たとえば、街づくりにはアーケードも必ず出てきますが、この場合(天
井を丸くした)ドーム型にするか、
(明かりのデザインが特徴の)シャンデリア型にするか、
(旗や看板を取り入れた)広告型にするか、メニューから選んでいくのです。メニュー方
式では本当の特色はなかなか出せません。
こうして、その土地らしい風情がなくなって、街自身が持っていた色合いがどんどんなく
なってしまい、日本中の街がまったく同じような街になってしまったのです。スライドで
お見せしているのは上田という街ですが、アーケードが暗いので取りました。街が明るく
なりました。それまで、みすぼらしくしていたのが、全部見えてしまうので、商店は自分
の店の前をきれいにしました。そういう意味で良かったともいえます。しかし、街の色合
いが薄れていったのも事実です。
ソフト面でも同じようなメニューが用意されます。イベントとして、例えば夏だったら七
夕をやってみようという話が出てきます。そういうことで、よく起こるのが、イベント疲
れです。人が集まって、ごみだけ落ちて金が落ちない。
悪くはないですよ。フリーマーケットや餅つき大会などや、歩行者天国、コンテストや共
同広告なども必ず出てきます。これを悪いと言っているわけではありません。これをそれ
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ぞれ工夫をして自分の街に取り入れて街の色を出していくことは、良いことなのですが、
イベントのためのイベントは疲れるだけで長続きしないということです。とりわけ、それ
が行政や外部コンサルタントの考えた「お仕着せ」のアイデアだった場合です。なぜなら、
Plan(計画)と Do(実行)をする主体が別々だからです。
商店街衰退の原因
今までが一般的に行われる、商店街活性化のハードやソフトの形態ですが、ところで、な
ぜ、商店街がだめになるのでしょう。
①外部環境の変化
第 1 は都市化です。人口が流出することが一つの都市化ですが、もう一つありまして、
都市的なライフスタイルが地方に伝播することも都市化です。地方が東京と同じような生
活をすることも都市化と言います。これがダブルで利いてきます。
都市化すると、まず最初に、生活時間が深夜にシフトし、コンビニが進出してくる。商店
街がそういったところから崩れてくるわけです。商店街は、自分でやっていますから、2
4時間営業には向いてないわけです。
次に、個食、外食の増大ですね。ファーストフード店やファミリーレストランが増えて、
商店街から八百屋、魚屋、肉屋といった生鮮三品を扱っている店がなくなります。そうす
ると、商店街がさびしくなります。毎日買い物に行く人も少なくなります。
女性の社会進出に伴って購買行動も変化します。主婦がいなくなるだけでなく、働いてい
る女性は、途中のスーパーやコンビニで帰りに買い物をするわけでダブルで利いてくるの
です。
都市的なライフスタイルが浸透すると、個別の販売、つまり、通販とか、インターネット
販売が増えてきます。商品が高度化し、小売業者の機能が低下しています。情報誌が氾濫
していますし、雑誌広告やパッケージ情報などで商品そのものから、直接情報を得られる
ものが増えてきています。店の前で、商店主が説明することが少なくなりました。
買い物の途中で立ち話をする主婦が少なくなりました。わざわざ商店街に足を運ぶことが
なくなってきました。都市化にともなって、商店街のもっていたコミュニティ機能が低下
しているのです。
第 2 は、モータリゼーションです。これが(環境変化として)商店街衰退の直接の原因
です。そもそも自動車の便利さが大きいですね。加えてショッピング形態としては、ワン
ストップショッピングとセルフ・セレクションが定着しました。これは、スーパーマーケ
ットが代表的ですが、一箇所に行くとあらゆるものが買えるわけです。それからセルフ・
セレクションですから、気兼ねなく自分で買えるわけです。持ってぐるっと回って好きな
ものを選べるので、買いやすいわけです。
さらに、流通革命と価格破壊が進行して、業態が変化するわけです。郊外店でディスカウ
ントストア、ホームセンター、ロードサイド店などです。ロードサイド店とは、道路のそ
ばにある、洋服店やおもちゃの店などですが、これはカテゴリーキラーと言いまして、例
えばアオキや青山のように、紳士服ならその分野に集中して、他のお店をやっつけるわけ
です。
大型店に比べて目立ちませんが、その他に商店街内部へ進出するチェーン店やコンビニの
存在があります。例えばフィルムというのは、昔は写真屋さんが店で現像していましたが、
今は、写真の現像を専門にするチェーン店がありとあらゆるところにできましたので、写
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真屋さんがつぶれていきます。
コンビニもそうです。郊外店ばかりでなく、商店街の中にチェーン店が入っていくわけで
す。チェーン店というのは、郊外店と同じだけの規模のメリットを持っているわけです。
あらゆる小さなところを吸い寄せて共同で購入するわけです。
さらに巨大なハイパーマートやアウトレットについてですが、長野県の軽井沢のアウトレ
ットモールは、ものすごい集客で、群馬の方からも来ているそうです。
もう一つは、大資本のノウハウが蓄積しているわけです。よく「大資本は横暴」と言われ
ますが、大資本は勉強しています。以前は、スーパーでは、冷たいパンを売っていました
が、今、パンの匂いのしないスーパーは少なくなりました。スーパーの中でパン焼きをし
ているのです。昔はスーパーで買えないパンを商店街の小さな手作りパン屋が代替してい
たのですが、スーパーの中で生地を焼いているのですね。
ありとあらゆる物をスーパーの中で売るようになりました。スーパーは勉強して、進化し
ているのです。お客さんのリストを作り、商品を開発し、手作り感覚を出して、昔の商売
人がこつこつやってきたことをスーパーが勉強してやっているわけです。
こういうことが大きな原因です。交通ネットワークが発達することによって地方の消費需
要が大都市に吸い上げられる現象を「ストロー現象」と言います。このグラフを見ても東
京が回りの県から、いかに人を集めているかがわかります。地方は、外から人を集めるこ
とがほとんどありません。外にどんどん経済が流出しているのです。
新幹線を作ったら長野市は、逆に経済圏を東京に奪われてしまいました。普通は、新幹線
を作るとよくなるように思われますが、逆に外に出て行くということが起こります。
②商店街内部の問題
もう1つ大きなポイントは、商店街内部の問題です。内部にどういうことがあるかと言え
ば、統制不可能な要因と統制可能な要因の2つがあります。
第1の統制不可能なところでは、人材、資金力、スペースが、大資本に比べてないという
ことです。生活や居住の場であるため、大資本がやるように簡単に物を動かせないという
ことがあります。
後継ぎが外に出てしまって、商売を継いでくれないという問題もあります。そうなると商
売の張りがなくなります。店をリフレッシュしたくても後継ぎがないのなら、そのままに
してしまって、どんどんさびれてしまうという問題があります。
第2は、統制可能なのだけれど、うまくいかないことがあります。商店街にまとまりがな
いことです。多くの商店がつまらないことで、仲が悪かったりします。商売は大きくなっ
たり、小さくなったりするので、店の境界線に物を置いたりするなどで、隣どうしが口を
きかない店もあります。
商店会長は、持ち回りや任期制が多いのですが、1・2年くらいでやめてしまいます。そ
うすると決められた仕事しかやらなくなります。もう一つは、行政区画に合わせた組織区
分毎に何丁目商店会と商店会もたくさんあり、全体としてのまとまりがないことです。
それから、社長感覚の人が多い。自分は「一国一城の主」だと言っているくせに行政や補
助金頼みなのです。本当に自立しているのかと思われる人が多いのです。それから、勤め
人感覚の人が多くて、商店街のシャッターが下りるのが早いのは、野球中継を見るために
5時くらいにシャッターを閉めて帰ってしまうのです。
一度シャッターの閉まった商店に行ったら、二度と行きません。商店街のよいところは、
住んでいるところにあります。シャッターを半分開けておいて、夜遅くても、売ってくれ
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Copyright © Hisamitsu Ihara
るところにあるはずです。
それから座売りという下手な商売があります。どういうことかと言うと売れないお店は、
中から睨んでいるのです。お客さんが来ないかと、外ばっかり見ているわけです。睨まれ
るとお客さんは入りにくくてしょうがないわけです。待ちの姿勢でいられると行きたくな
くなります。
イトーヨーカ堂の伊藤さんは、千住で羊華堂をやっていた時、店の中におらず、店の前を
掃除して、店を外から、お客さんの視点で見ていたそうです。そして、隣の店の前まで水
を撒いていたそうです。そうすると周りの店まで、自分の店のイメージができるそうです。
隣の店まで水を撒くと自分の店が広く見えるわけです。商売はそうやらなければなりませ
ん。
次に賽銭箱商売というのがあります。ある店のことですが、自動販売機を置いたら、人が
たくさん集まったので、自動販売機を増やして、店の周りを全て自動販売機にした。そう
したら、ご主人は、商売をしなくなったそうです。ご主人がやっていることといえば、自
動販売機に入ったコインを数えることぐらいで、賽銭箱の小銭を数えているようなもので
す。商売人は勉強をしなければならないのに、それを放棄しちゃったのです。
次によくあることは、同じ発想で商店街を活性化しようとすることです。たとえば、温泉
や城下町で何か街おこしをしようとしますが、日本中に温泉や城下町はあるわけです。先
ほどお話しましたように、イベント疲れも必ずあります。たとえば、花火大会やお祭りが、
りっぱなのですが、人はたくさん集まるのに、ごみが増えても金が落ちないのです。
次に売れない商店街ほど、愚痴、思想家、若者嫌いの商店主が多いのです。駅前でたむろ
している高校生を毛嫌いして箒で掃くように追い払うのですが、それが酒屋のご主人だっ
たりします。将来の大切なお客さんを自分から減らしているのです。
厳しい話をして申し訳ありませんが、一般論ですが、地方の商店主は、勉強不足です。ス
ーパーは進化しています。それに対して全然商売の勉強をしないのです。そのくせ、政治
のせいだ、景気のせいだ、大資本のせいだと文句を言う。
③本当にモータリゼーションが原因か?
ここに問題があります。商店街はモータリゼーションでだめになったと言っているところ
に問題があります。長野県の消費者購買動向調査では、駐車場がないから商店街に行かな
いという回答が一番多いという結果でした。
このスライドは、丸亀町町営駐車場でうまくいった例ですが、長野県の場合、立体駐車場
が古いのです。今、四輪駆動車が多くなりました。実は幼稚園への送り迎えなどで四駆を
使うのが奥さん方なのですが、駅前にある古い駐車場は狭くて、車を入れづらいので駐車
場の広いジャスコに行こうとなります。
長野大学で調べたところ、本当は、駐車場がないからではなく、若者向けの店がないから
商店街に行かないという統計がでました。1 番は若者向けの店がない、2 番が遊ぶ場所がな
い、おいしい店がないから行かないとうのが3番で、駐車場がないという理由は4番目で
した。商店街に必要なのは、駐車場なのか、それとも魅力ある商店なのかを考えなければ
なりません。
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商店街にあったら良いもの︵複数回答可︶
そこで、先ほどの長野県の
250
調査ですが、確かに「駐車場
がない(87.4%)」のが商店
高い
200
街へ行かない一番の理由で
中高
中低
したが、次に出てくるのが
150
低い
「品揃えが悪い(47%)」
で、
「 買 わ ず に 出 に く い
100
(43.1%)」が続きます。
これわかりますか?商店
50
街の店には、入店と出店に目
に見えないハードルがある
0
所
のです。店に入りにくいし、
店
店 車場 延長 機関 店主 ベント の他
そ
間 交通
い
けの 遊ぶ場 飲食 駐
イ
向
しい
買わずに出にくいのです。
業時
の良
い
営
仲
若者
お
それから、「一箇所で間に
長野大学調査(2001年)
合わない(42.9%)」
「価格が
高い(38.2%)」「営業時間が短い(34.2%)」「自宅や通勤先から遠い(28.9%)」があって
「品質鮮度が悪い(18.5%)」
「店の雰囲気が悪い(13.7%)」
「接客が悪い(6.9%)」などが
あげられています。
要するにソフトなんです。一番は確かに「駐車場がない」ということですが、その他はみ
んな商店街でよい経験をしていないのです。こういうところに大きな問題があります。
巣鴨の事例
さて、ここで視点を変えて3つの事例を説明します。まず巣鴨のことからお話しましょう。
①歴史は創るもの
巣鴨といえばとげぬき地蔵ですが、とげぬき地蔵というのは高岩寺の愛称です。とげぬき
の由来ですが、元々、妻の病気回復を願っていた小石川の田村という人が見た夢に僧侶が
現れ「印像を与えよう」ということで授かった木のふしのようなものが起源になっていま
す。それをハンコ代わりに刷ったお札を御影(おすがた)というのですが、毛利家の女中
が誤って針を呑み込んだ時、御影のお札で針が出たとされています。このお札は、体と心
のトゲを抜くとして1枚100円で販売され、小さくちぎって飲むことができるそうです。
ところが、巣鴨では、高岩寺ではなく、真性寺という別のお地蔵さん、江戸六地蔵をお祭
りする寺の方が有名だったのです。江戸六地蔵というのは、各街道の出発点に 6 箇所あっ
たお地蔵さんのことです。巣鴨は中山道へ行く最初の街で、宿場というか休憩所だったわ
けです。そこに旅立ち姿で編み笠をかぶったお地蔵さんが作られたのです。今も、巣鴨駅
から行くと、とげぬき地蔵の高岩寺の手前に、真性寺があって、立派な編み笠姿のお地蔵
さんを見ることができます。
つまり、編み笠地蔵が最初にあったところに、明治24年に高岩寺というとげぬき地蔵が
上野(下谷屏風坂)から来たわけです。でも、とげぬき地蔵の方は最初から有名だったわ
けではありません。和菓子屋の「福島屋」の夫婦がとげぬき地蔵の宣伝をしたのが、大正
の終わりだそうです。昭和の初めになって雨傘に高岩寺というとげぬき地蔵の名前を入れ
て参拝客に無料で配って宣伝に努めたそうです。要するに後から有名になったわけです。
実は、昭和50年代になって、読売新聞の記者が「おばあちゃんの原宿」と書いたことに
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Copyright © Hisamitsu Ihara
よって外によく知られるようになりました。
実は私なぜ知っているかというと、私は小学生の頃この辺で育ったからです。昔はそれほ
どたいした商店街ではなかったのです。確かに縁日はあって大勢の人が来ていたのですが
今のように毎日は賑わっていなかったのです。だから「歴史は創られる」ということです。
私が言いたいのは、日本中、どこでも掘ったら歴史があるということです。だから、歴史
は、昔からあるというイメージではなく、「創る」ということです。これが大事なポイント
です。
②モータリゼーションとの共存
もう一つ、モータリゼーションとどう共存するかということです。巣鴨の場合、旧中山道
がありまして、新中山道ができましたが、これは自動車道、国道です。これに対して、旧
道沿いの巣鴨地蔵通り商店街が取り残されてしまいましたが、取り残されたところが強み
になったのです。人は、狭くて、ちょっと怪しげなところに行きたがるのです。広いとこ
ろで、自動車がどんどん来ると人は不安になるのです。
巣鴨地蔵通りでは、一方通行の道ですが、ここに時々車を通しています。細い道に車がく
ると歩行者は道の両端を歩くことになります。車が後ろから来るたびに、道の左右に寄っ
てジグザグに歩きます。
また、車をいっぺんに通さないのです。関係車両だけ通します。自分達の商売に関係ある
車だけ通すのです。歩行者天国にすると道路の真中だけを歩くので売上に結びつかないが、
時々自動車を通すと店の前を歩いてくれる。そうゆう発想をするのですから、巣鴨には商
売人がいます。
もう一つは、交通のアクセスです。巣鴨には都営三田線が走っていますが、その駅があり
ます。また、都バスの車庫があるので、都バスも停まります。また、都電が走っていて、
その新庚申駅があります。
東京都は美濃部さん以来、福祉行政に力を入れてきました。一番早くシルバーパスを作り
ました。老人に無料の都営地下鉄、バス、都電のパスを作りました。今は有料化されまし
たが、非納税の高齢者は 1,000 円で一年間使えるそうです。おばあちゃんは一般に扶養さ
れる身で非課税ですから、安い交通費で巣鴨まで行けるわけです。
そうするとどうなるかというと、時間はたっぷりあるのですから、東京中から、都電、都
バス、都営地下鉄を使って乗り継いでやってくるのです。お年よりは一日中暇なんです。
ゆっくり乗り継いで、巣鴨に到着します。
本当は、往復で2千円ぐらいかかるのに、ただで来られたらどうしますか。2千円分商店
街で落としていくのです。ただで来た分だけ、巣鴨で買い物をしたり、食べていくわけで
す。
③コンセプトの重要性
その次は、「のんびり、ぶらり、歩ける街」ということについてお話しましょう。実は、
この街は行政を頼りにしなかったのです。池袋がどんどん大きくなった時に、プロムナー
ド化(それが、カラー舗装の3点セットだったかは知りません)が、案として持ち上がっ
たのです。ところが、巣鴨商店街はそれに反対したのです。行政がやるような街にしたく
ないと。
逆に、空き店舗は作らないという考え方を徹底しました。一戸でも店舗がなくなったら、
入れようじゃないかということです。全体のイメージを大切にしようということで、ハイ
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Copyright © Hisamitsu Ihara
カラな表示は絶対にやらない。ということも合意しました。カタカナで看板を書いてはい
けないとみんなで決めました。
これは普通ではないですよ。普通は、コンサルタントがやってきて、カラー舗装にして、
英語の名前の街にしましょうとします。なんとかストリートと作ってしまうのです。巣鴨
は自分達のイメージを大切にしようとしたのですが、ここに策士がいるのです。
銀座には『銀座百選』という小冊子があって、昔は向田邦子さんが書いていましたが、巣
鴨も月に1度、『巣鴨百選』という小冊子を出しています。ところが、これはりっぱなエッ
セイストの登場する随筆集ではなく、巣鴨周辺のお寺の住職さんに話を聞いてきて、どこ
そこの墓は、先代が何々で江戸時代にはどうしたなどと小さな話しをたくさん書いてある
のです。
これで商店街の人たちは巣鴨を見直すので内部の人はみんなまとまるのです。巣鴨という
のは、昔からお岩さんの墓があったり、染井墓地に行くと遠山の金さんの墓とか色々ある
のですが、江戸時代をイメージできるものが次々と書かれています。
この冊子は巣鴨信用金庫などに置いてありますが、おばあちゃんが持って帰って読むと、
やっぱり巣鴨は江戸情緒を残す遺産があるのだと、今度行った時にぐるっと回ってみよう
となります。
つまり、私がお話ししたいのは、外と内をまとめる情報、これはITではないですよ。こ
ういう小さな読み物を定期的にしっかり出して、街を興しているわけです。お地蔵さんの
街というイメージを作っているのです。
それから、巣鴨では、長い任期の木崎さんが、ずっと理事長をしています。私も木崎さん
から聞いた話の受け売りをしゃべっているのですが、大学の先生やジャーナリズムなど、
みんな木崎さんの所に行くのです。それが活字になって他で配られるとやっぱり商店街は
一つだということになるわけです。
もう一つ、一般の商店街というのは、何とか5丁目商店街とか、3丁目商店街などと行政
区分で分かれています。ところが、巣鴨は客層に合わせた組織になっています。商店街を
みると駅から高岩寺までが第一支部、高岩寺から郵便局までが第二支部、郵便局から庚申
塚までが第三支部です。
駅からまず来なければいけないのが高岩寺です。とげぬき地蔵で拝みます。このために来
るのですから。ここに来るのは、外来客です。ここにあるのは薬屋やうなぎ屋、団子屋で、
外来客が金を落とす仕組がたくさんあります。
高岩寺から郵便局までは、元気なおばあちゃんが、もう少し行ってみようとなります。こ
の外来のお客さんと地元のお客さんがちょうど行くところに何があるかというとマルジと
いう服を売っている店です。それから小間物を売っている店、何となく探索して面白い宝
物を売っている店、それと休憩できる喫茶店が多いのです。ここまで歩いてきたので、ゆ
っくり休みましょうというお店があります。
この商店街の郵便局から先が地元のお客さん用で、歯医者さん、床屋さん、クリーニング
屋さんとかコンビニ風のお店があります。クリーニングを出しにわざわざ外来の人は来ま
せん。こうゆう意味で商店街がよくできています。
④逆転の発想
空き店舗があった時もマツキヨなんかが出てきます。マツキヨのような外から来た店がど
のように共存しているかは後でお話します。逆を行く発想、不揃いの街並みが大事です。
街をきれいにしないことです。きれいにすると人は寄り付かなくなってしまいます。
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コンサルタントに合わせて、カラー舗装し、ファニチャーを置くと、背広では行けるけど、
普段着では行けなくなります。駅前にきれいなビルを補助金で作ると、家賃をとったりす
る人が増えて、商売が不熱心になります。貸しスペースに出てくるのは、英会話学校、旅
行代理店、銀行の支店です。呼び込みをしない店ばかりです。街はきれいになったのに、
商売はしていないわけです。閑散としてしまいます。不揃いの街、おもちゃ箱をひっくり
返したような街がいいのです。雑然としているから掘り出し物が見つかるような面白さが
生まれる。
先ほどお話しましたように、巣鴨では、しゃれた看板やPOPは禁止します。漢字とひら
がなを徹底します。中には床にPOPを貼る衣料品店もある。年寄りは下を向いて歩くか
らで、商売人の発想です。
モータリゼーションとの共存のところでお話しましたように、歩行者天国にしないで時々
車を入れます。そのことで店の近くまできてもらうのですね。これも逆転の発想ですが、
道が混雑する高岩寺あたりでは歩道も作らないようにしています。段差はお年よりにとっ
てバリアなのです。その結果、段差のない道にワゴンが立ち並び、雑然とした軒先商売が
可能になりました。そして、路地と露天の陰が立ち食いの場になりました。
巣鴨に行くとおばあちゃんが立ち食いをしています。ある程度の年代の人は、立ち食いが
よくないと言われて育ちましたが、原宿で若い女の子がクレープを食べるように、おばあ
ちゃんが巣鴨だと露天商の何とか焼きを食べるのです。これは、まったく同じ現象です。
原宿だと青山通りを車通りとして、竹下通りを細い道にして、ごちゃごちゃした道がある
から、女の子たちは、そこへ行ってしまうのです。巣鴨も全く同じで、ごちゃごちゃして
いるところに面白みがあって、原宿で若い子がTシャツを買うように巣鴨ではおばあちゃ
んがババシャツを買います。
それから、逆転の発想の続きですが、巣鴨では店を改装しないそうです。これを聞いた時
は驚きました。店を改装しないとまずいのではないかと聞くと、サン・まつみやという店
が新館を作ったら売れなくなったそうです。ある程度の年齢になると場所で覚えているそ
うです。名前で覚えてないそうです。行ってみたらお店がないということになってしまい
ました。
それ以来、場所を変えず、改装しない。ただ小さな手直しはやっていますが、逆転の発想
で、コンサルタントは、改装しなさいと言ってたのに、そうするとだめだということを商
売人は自分で感じとったわけです。
駐車場やトイレは完備しているとサイト上では書いてありますが、ほとんどないのです。
どうしたかというと店のトイレを活用することにしました。30万人ぐらい来るので、用
足しする人もたくさんいるに違いありません。
トイレを作ると色々な人のたむろする場所になったり、清掃も大変なので、公衆トイレは
作らないことにしたのです。その代わり、逆転の発想で、お店のトイレをきれいにしても
らうことにしたそうです。お店のトイレを使ってもらったら、使った人はただでは帰らな
いですよ。何か買って帰ろうと思います。商売人です。逆転の発想をするか、しないかで
大きな違いが出ます。
⑤競争の重要性
さて、次に信仰は息抜きということから競争の話をしましょう。お伊勢さまや善光寺でも
同じですが、拝むときは、清らかに拝むのですが、自分の垢を全部落とした気持ちになる
ので、帰りにはたくさん買って帰ってくれるのです。
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巣鴨には、開運塩大福、元祖塩大福、名物塩大福という3つの大福もちがあります。どこ
が違うのかわかりませんが、これが客を呼ぶわけです。後で小布施の事例でも、3つの店
の競合について話しますが、同じ物をたくさん集めることがたいせつです。
競合店を集めてはいけないように思うじゃないですか。それは、違います。商売は「競う」
ことが発展の活力ですから、ラーメンの街、餃子の街など同じ物に競争させないとだめで
す。
もう一つ。信仰は息抜きといいますが、現世のご利益(りやく)といえば、健康志向です
ね。巣鴨でも薬屋さんが多くて、つぶれるのではないかと心配したのですが、大間違いで
した。
色々話を聞いてみたら、例えば笹屋製薬本舗は、カウンセリング販売と言って、お客さん
に対面で色々な話をしてくれるお店なのです。品揃えの万盛堂と言いますが、ここにはた
くさん色々な物が置いてあります。○○丸とか言って、普通の薬屋さんで売っていないも
のがあります。それ以外にも、マツモトキヨシがありますが、ここは「安さのマツキヨ」
といわれて、おばあちゃんはここではピップエレキ絆なんかをまとめて買い込むそうです。
漢方薬の店とマツキヨは、全然競合していないのです。むしろ、薬屋が集積しているから、
相談できる店もあり、珍しい薬も手に入り、安い品も買えるわけで、お互いが支えあって
いるのです。
おばあちゃんたちは、いろんなところで時間を費やして帰ってきます。便乗しているのが、
鰻屋です。「鰻は目に良い」と言っています。焼き鳥は「滋養強壮」、チョコは「食物繊維」
というのですが、ちょっと嘘っぽいです。チョコレートをたくさん食べると逆に胃の活動
が悪くなって便秘になりそうですが・・・。よくわかりませんが、巣鴨では、必ず健康の
キーワードがあって、競合の店が集積しています。競うことが街のイメージを統一してい
るのです。
⑥外部資源を活かす
次に外部資源を生かしていることに気がつきます。商店街にないものを外部の力を借りて
補っているのですが、巣鴨信用金がすごく協力をしています。3階が開放されていて、落
語やイベントをやっています。待ち合わせや休憩の場所になっています。ここで親友がみ
つかるのです。孤独なお年よりが巣鴨に行くと一日楽しめるのです。おまけに巣鴨信用金
庫に行ったら気の合う人に会えるのです。気の合う人に会ったら、また行こうとリピータ
ーが増えるのです。お茶とアラレのサービスもあります。スタンプラリーがあり、地蔵手
帳があって粗品がもらえます。
露天商も外部の力です。露天商には、荒っぽい人がいますが、巣鴨では商店街の役員が、
露天商の人といっしょに旅行に行くそうです。すると、名前と顔を覚えられた露天商は悪
いことをしません。自分達にない魅力を作ってくれます。寅さんみたいな人が人を集めて
くれるのです。巣鴨の魅力には、露天商が作ってくれたものがあり、それが人を集めてい
るのです。そして露天の陰が買い食いの場になっています。そのようなぐちゃぐちゃの所
に人は魅力を感じるわけです。
⑦そこでしか買えないもの
次に、デパートやスーパーで買えないものを扱っているという話をしましょう。コバヤシ
スポーツという私にとって忘れられない店があります。東京オリンピックの時、東洋の魔
女、金メダルで日本中が盛り上がった時、おやじが急に連れてってくれたのが、ここで、
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おやじが買ってくれたのがバレーボールでした。しかし、二度と使わなかった。おやじは、
バレーボールなどやったことがなかったのです。よくやくざ映画を見たあと肩で風を切っ
て歩いている人がいますが、おやじも相当感激したと思います。
そんな思い出もあって、コバヤシスポーツなどが、巣鴨でどうやって商売しているのかを
見に行きました。普通は、若者向けスポーツ店とおじいちゃん、おばあちゃんは関係ない
じゃないですか。
そうしたら、ステッキを売っていました。それから、ステッキを忘れないようにつけるス
トラップもありました。ステッキは、傘とおんなじで忘れ物が多いのですが、小林スポー
ツ特製のストラップをつけていると忘れないで済むというわけです。それに、滑り止めの
ゴムチップなども売っていました。普通のスーパーなどでは買えないものです。
あとマルジの赤パンツもなかなかすごいですよ。若返る、元気はつらつ赤パンツ。東洋医
学では、気の発信基地といわれる丹田のツボを刺激して、心身を奮いたたせ体を暖める作
用があるとされます。この店がババシャツを初めて出したところです。また、モンスラを
初めて出したところです。モンスラとは、モンペのようなスラックスで、はきごこちがよ
いそうです。肌着はマルジと決めている方もいるそうですから、たいしたものです。
⑧イベントとコミュニケーション
定期的なイベントとしては、お地蔵さん関係と商店街関係があり、月に1度はやっていま
す。巣鴨は「4の日」というのを作ったので人が集まるようになりました。これも逆転の
発想かもしれませんが「イベント疲れ」になるような大きな祭りをしないのです。
繰り返しますが、何とか祭でどんとやると、イベント疲れで、ごみだけ落ちて人は来ない
です。そのかわり、巣鴨では「4の日」という定期的な縁日を使うことにより、イベント
の日を覚えてもらっているわけです。
それに加えて演歌歌手のCD発表会などをしょっちゅうやっているわけです。だから道端
で、ただで歌謡曲が聞けたり、落語が聞けるわけです。巣鴨に行くと、いつも何かをやっ
ているという、そうゆうイベントの企画をやっているのです。
次に、巣鴨で特徴的なのは「ヒトのための買い物」が多いこと。靴下なんかを近所の人の
分まで買って帰る。土産物コミュニケーションですが、その場所にオリジナルのものを作
り、「こだわり」「本物」
「なつかしさ」を感じさせるもの大切で、そうすると場所がブラン
ド化してくるものです。
例えば「舟和の芋ようかん」ですが、東京のどこでも売っています。ところが、巣鴨とい
う街がブランド化したので、「舟和の巣鴨店」とスタンプが押してあります。これがお孫さ
んへのお土産や言い訳になります。4の日は、おばあちゃんにとって楽しみで、ゆっくり
遊んでこられるが、おばあちゃんは行った証拠物件をもって帰るわけで、これはコミュニ
ケーションの手段です。
街は「交通、商圏、資本」で作られると考える人は、道路整備や核店舗誘致や駐車場建設
といったハードに頼ろうとしますが、街は「コミュニケーション密度」に応じて発展する
という立場の人はソフトを考えるわけです。ドンと大きな祭りを演出する人は、前者の資
本派ですが、定期的なイベントやお土産コミュニケーションを考える人は、後者の商売人
です。
小布施町の事例
次に長野県の小布施町ですが、小布施堂、桜井甘精堂、竹風堂と同じ栗菓子を作っていま
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す。巣鴨で、開運塩大福、元祖塩大福、名物塩大福という3つの大福もちの店があるとい
う話をしましたが、小布施でも競合店があって競って大きくなったのです。
ところが、栗菓子屋は、全国展開したのですが、人が集まらなかったそうです。明治時代
からこの町は栗が有名で、羊羹が保存食として便利だったのです。ところが、東京のデパ
ートに置いてもらうとか、全国発送しているのですが、物が行っても人が来ないわけです。
この辺も全国の町おこしや村おこしの参考にしてもらいたいのですが、名産品があること
と街づくりは必ずしも一致しないわけですね。ところが、昭和 40 年代後半、竹風堂が飲食
とセットで栗料理や栗菓子を売り始めると周辺から人が集まってきたのです。食はとても
大事です。街づくりで早く変えようと思ったら、何かおいしいもの、そこでしか食べられ
ないものを作ることが大切です。
それから小布施の場合「修景運動」というのが有名です。正確には「うるおいのあるまち
環境デザイン協力基準」を守って、街の外から見えるものは、統一しようという運動です
が、景色を修復するので「街並み修景運動」というそうです。
具体的には、建物を外観と色は、周囲の景観にあわせるとか、屋根の形状は、気候・風土
面から陸屋根を避けるとか、路と接する所は、極力緑化するとか、道路沿いの塀は、生垣
などで緑化するとか、倉庫・物置など外から見えるものは、位置と色を工夫するのです
これは、市村さんという小布施堂の社長が町長になってから始まりました。市村さんは
1976 年に北斎館という葛飾北斎の絵がある美術館を作りました。最初は「田んぼの美術館」
と言われ、あまり人が来なかったようですが、美術館のイメージを核に、修景運動を展開
した結果、駅、バス停、郵便局、銀行の支店などが同じイメージになって、統一された街
並みになりました。その後、花作り運動を始め、空き店舗なども花を置いてさびしくしな
いわけです。こういう促進事業をやっていきました。
なぜ、北斎館を作ったかというと、元々小布施堂は、酒屋さんだったのですが、葛飾北斎
が江戸から逗留にきたわけです。地方の名主のような方がパトロン化したわけです。絵が
いくつか残っていたので美術館を作ったわけです。その美術館を小布施堂の色合いで作り、
そして小布施堂の色合いを広めていったわけです。
ですから、小布施堂のイメージが街じゅうに広まって、「外はみんなのもの、内は自分の
もの」ということで、家を建てるときは、サッシなどは内側でやり、外は、瓦や城壁に統
一していきました。
それから、「ア.ラ.小布施」と言いますが、街づくり会社を作りました。資本金が 2,600
万円で、出資者は 50 万円ずつ56人、みんな自腹を切りました。行政の出資率は4%、100
万円だけです。
次にハイウェイミュージアムというのがあります。地方ですし、車社会ですから、外から
ハイウェイでやってくるわけですが、街の入り口に小布施でいつもやっている博物館のよ
うなものを作り、小布施は「文化的な街」というイメージを作っています。
外の力を借りるということですが、巣鴨の場合は、露天商でしたが、小布施の場合は、ど
ちらかというと、市村さんはヨーロッパが好きで、海外のしゃれた風景です。ただ、コン
サルタントに作らされたヨーロッパではなく、自分で見たヨーロッパですから、生のもの
が入っているのです。それから、芸術家をたくさん呼んでいます。ギアマン通りと呼んで
いますが、三上理子さんという方がガラス細工をやっているお店や画家の方もいます。
セーラさんは、長野オリンピックにボランティアで参加した方ですが、このセーラ・カミ
ングさんが小布施堂の取締役に迎えられました。蔵部(くらぶ)というアーリーアメリカ
ン調のイメージで作った日本の料理屋がありまして、ここで日本酒を飲みながら、アメリ
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カ的な雰囲気を味わえます。セーラさんのノウハウを借りたり、セーラさんを広告塔とし
て講演に行かせて、小布施はとてもハイカラな街だというイメージを作っています。
ハイウェイミュージアムの常設展やフラワー・コンテスト、コンサートなど、巣鴨と同じ
ように、小布施でも定期的にたくさんイベントがあります。スライドにありますように小
布施町に来る人の数も、売上も伸びています。
長浜の事例
今度は、長浜の例です。長浜というのは、歴史のある街です。古くは今浜とも言われてい
ましたが、秀吉が信長の長をもらって作った街で楽市・楽座もあって、昔から交通の要所
でした。浜ちりめんというのがありましたが、明治以降だんだんだめになりました。
中心地の北国街道と大手門通りの辻にシンボルとなる銀行がありました。百三十銀行とい
いますが、黒い壁だったので「黒壁銀行」として地元の人たちに親しまれていました。と
ころが、長浜駅は東海道線から外れていましたので、昔は歩いて旅してきたのが、鉄道に
変わり、だめになりました。東海道線の駅、米原に人をとられてしまったのです。
もう一つ大河ドラマで「花の生涯」という、井伊直弼が中心となるNHKのドラマがあっ
たのですが、それで彦根がブームになって客をとられて、相対的に長浜の地盤沈下が起こ
りました。
ところで、例の黒壁銀行ですが、百三十銀行が撤退して、長浜キリスト教教会が黒壁銀行
の建物を買い取りました。ところが、1987 年にあまりにも建物のメンテナンスと固定資産
税にお金がかかりすぎるため、教会も移転することになり、9,300 万円で売りに出ました。
いよいよ、1988 年には取り壊し予定になりました。そんな時、笹原さんや伊藤さんなど地
元の有志が街のシンボルを守ろうと、黒壁銀行の保存運動を始めました。
ところがその時に偉かったのが、三山さんという方で、今は、隣町の市長をしていますが、
黒壁銀行の保存は役所でもできるが、
「施設は使われなければ街は興らない」というのです。
1,000 万円ぐらいの金を町で捻出することはできるが、教育委員会の資産になってしまう。
黒壁銀行があったというだけになってしまう。そこで、施設は保存するだけではなく使わ
せなければならないと街づくりの会社を作る話が起こってきます。
その際、総額で 1 億円必要ですから、伊藤さんは、500 万円ぐらい出せる近江商人はたく
さんいるので、20 人集めようと言ったのですが、笹原さんは、1,000 万円出さないとだめ
だと言ったそうです。
その根拠は、それぞれ親しい人が2∼3人いるだろうということで、6人を自分達で握っ
てしまおうということです。6人の株主で 6,000 万円集めれば、この街づくり会社は、自
分達のコントロールがきくというのです。
もう一つは、500 万円ならポケットマネーで出せるが、1,000 万円なら店に断って出すこ
とになる。店に断るということは、責任をとるということでいい加減なことはできないと
いうことです。そういうふうに始まったのが、街づくり会社「黒壁」です。
この黒壁をやった直後の日曜日に通行量調査をしたら「4人に犬1匹」だけだったそうで
すから、いかに商店街がさびれていたかが分かります。今日の長浜の隆盛を見ると、逆か
ら言えば、どこでも「歴史は創れる」ということ。どこでもわずかの期間に大きくするこ
とができるということではないかと思います。
さて、建物の保存はできたが、何をしようということになりました。その時に、京都烏丸
通で事業をしていた長谷社長という人が出資者の一人で、ガラスがよいと言い出しました。
アートガラスは、マイナーな存在なので世界が狭いそうです。だから特徴が出せるという
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ことのようです。商圏からすれば長野県あたりまで、ガラスの街はないそうです。函館と
か広島にはあるかもしれませんが、少なくても近畿圏では、ガラスで有名な街はないそう
です。それからガラス工芸家は世界が狭いので頼めば出店してくれることがわかりました。
だから、ガラスでいってみようということになりました。
欧州感覚になることや女性客が取り込める、手作りである、ということもポイントになり
ました。手作りですが、ガラスは吹くとぱっと膨らむので見栄えがよいのだそうです。と
いうことで始まったわけです。
アートイン長浜などの継続的なイベントをやったわけですが、基本的には「売り場対売り
場の戦い」をしないのです。この街の特長は、巣鴨と違って、自分たちでは小売業をやら
ないことです。
でも、商売人を呼ぶのです。小売業をよく知っている人たちに店を任せるということで、
ディズニーランドで言えばオリエンタルランドというイメージで次々とアトラクティブな
店を誘致して、街の空き店舗を変えていきました。
文化事業としては、ガラス館や工房をやっていますが、販売事業としては、オルゴールな
どの外販をやっています。飲食サービスもノウハウを持った人を誘致してやっています。
このスライドでまとめたのが、黒壁が中心となった空き店舗対策ですが、黒壁○号館とし
てどんどん増やしていきました。これに関連した大きなポイントは長浜信用金庫の協力を
得られたことです。
巣鴨信用金庫もそうでしたが、最近合併したような大きな銀行は、小さな商店街にお金を
貸してくれません。逆に、地元の金融機関は商店街が活性化しないと潤わないわけです。
地元の信用金庫が頼みです。そこで融資をしてもらい、そのお金を元に東京や大阪のノウ
ハウを持ったレストラン経営者などを集めてきて、よい事業を行うというのが株式会社黒
壁の大きな特徴です。
文化事業、販売事業、飲食サービス事業に分かれています。最初はガラス系で黒壁1号館、
2号館、3号館と空き店舗を次々に変えていきました。ただ、私の見に行った印象では、
その日の様子だけで話をしてはいけませんが、小布施の方が少し景気がよいかも知れませ
んね。長浜の方はちょっと商売に走りすぎたかもしれない。
私は、本当に土着の生活をしている商人たちにはちょっと迷惑になっているのではないか
と心配になりました。ハイカラなお店をどんどん誘致したのはいいのですが、外の資本で
自分達が新しい街を作ったので、観光客にはいいのですが、地元で買い物をしている主婦
の感覚では、どうかなというところがあります。ただ、もちろん、すべてが戦略的だし、
比較的短期間に群を抜く集客力を達成したわけですから、成功した事例と思います。
3つの事例の共通点
3つの街は、共通点がたくさんあります。第1に、行政や核店舗に頼らなかったのです。
核店舗に頼ると、核店舗がいなくなったとき困るわけです。私は、岡谷というところも行
って見たのですが、岡谷は、「2核、ワンモール」といって一番よいのです。核店舗がイト
ーヨーカ堂と東急デパートがあり、その間に童画館通り商店街がありました。ここはすご
くいいのです。両方の核店舗と駐車場も完備しております。ところが、最初にイトーヨー
カ堂がなくなり、東急も出て行きました。商店街は町並みの整備に投資をして、各店舗も
お金を出して店を改装してきましたから、核店舗がいなくなった後に残された商店街は大
変です。そういう意味では、行政や核店舗に頼らずに自分達の街を作ることが必要です。
第2に、ハードとソフトが揃っていること。ハードとはシンボルです。巣鴨だとお地蔵さ
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ん。小布施だと北斎館、長浜だと黒壁スクエアが人を集める中心です。そして巣鴨も小布
施も長浜もソフトとしての商売人のやり方が活気づいています。
第3に、仕掛け人がいて、みんながまとまっています。巣鴨では木崎さんとか、小布施で
市村さんとか、長浜の笹原さんとか、とにかく中心となる人がいて、長い間、継続して街
に関与しているということが大切です。
第 4 に、やる気のある人を見抜いていること。赤穂浪士の団結ではないですが、血判状
ですよ。アラ小布施も自腹を切っています。黒壁もお金を高くして、1,000 万円出した人し
か商売に口を出せなくしたわけです。団結を見抜く仕組があった。世の中には口だけ出し
て何もしない人がたくさんいるのです。口だけ出す人をできるだけ排除しなければなりま
せん。
第 5 に、軸やコンセプトが変わってないことが大切です。どんな街にしたいとか、商店
街にしたいとか明確になっているのです。
第6に、変化は小さな芽を作って大きくしていること。一挙に変えるのではなく、少しず
つでも変えていこうという継続力があります。これは軸やコンセプトが変わっていないと
いうことと関係があります。
第 7 に、「半周遅れはトップランナー」と私は言っているのですが、一見古いところが、
勝組なんです。巣鴨だとお地蔵さんの雰囲気ですか。小布施だと屋根瓦と昔の土塀の雰囲
気。 長浜で言えば黒壁です。半周遅れは、逆に新鮮なんです。21世紀は、逆にそれが
よいわけです。小布施で、外のカフェテリアで飲んでいたら、商工課の課長が「21世紀
は第1次産業の時代ですよ。」と言われて驚きました。私は、講演のたびに IT 化だとかサ
ービス産業だとかと話してきたのですが、考えてみると土の香りがする癒しが、今だから
こそ求められているのかも知れませんね。土地にあるものを使って、包み込まれるような
雰囲気を確かに小布施は持っています。
第 8 に、歴史は創られたということです。小布施で江戸時代の壁を見せてもらったので
すが、ぼろぼろでした。だから、小布施にある壁は最近作ったものです。長浜で黒壁の保
存運動が始まったのは 1988 年です。
第9に、外部の力を借りているということです。巣鴨で言う露天商、小布施では外国人、
長浜なら芸術家などです。小布施では三上理子さんのようなガラス工芸家を呼んでギアマ
ン通りなどと言っているのですが、長浜でも近くに芸術短大があるそうで、その学生さん
など外の資源をうまく利用しています。
第 10 に、地元の金融機関をうまく利用しています。巣鴨信用金庫の話をしましたが、小
布施も八十二銀行や地元の信用金庫を使っています。長浜が長浜信用金庫の融資で大きく
なった話もしました。
第 11 に、ターゲットは女性客だということが共通項です。巣鴨の場合はおばあちゃんで
すが、小布施の場合は、花作りと食ですから奥さん方が好きですね。あそこに行って、ガ
ーデニングを見て、花を買って、おいしいオコワや栗饅頭を買って帰りましょうとなりま
す。長浜の場合も、ガラスとかオルゴールとか女性客がたくさん集まってきます。
第 12 は、競合が活力になっています。巣鴨の塩大福餅や小布施の栗オコワなどです。競
うから商売が盛んになるという原則を忘れないことです。
第 13 に、手作り感覚、露天や工房とかガラス細工とかが共通に出てきます。昔はショッ
プというのは、税金の関係もあったのですが、間口は狭いけれど工房があったのです。昔
のお店は後ろで作ったものを外に出して売っていたわけです。そのような手作りが商店の
原点にあるわけです。ところが最近は仕入れたものを売ることが多くなったので、逆にそ
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れを見せる。そこで作っていることを見せていくことがポイントになっているようです。
第 14 に、観光客と地元のミックスがあります。たとえば、小布施の場合は、県内リピー
トが高いのです。長野市あたりから、ちょっとした歓送迎会をやろうとすると小布施堂の
「蔵部」あたりでやろうということが多いようですね。長野市あたりから平日の客がある
程度あって、かつ土日とか祭日とかゴールデンウイークに県外から観光客が来ているので
す。というのも、もともと人口が少ないところでは、商売は成り立たないわけです。観光
客をうまく利用して街を大きくしていったわけです。これは、巣鴨でも長浜でも同じです。
こうしたことは、3つの街だけに共通するのではなく、他の街にも当てはまります。青梅
市の住江町商店街は、91 年の「青梅宿アートフェスティバル」というイベントがきっかけ
で、街道沿いに「月光仮面」のような昔の映画看板を建てて大正・昭和のイメージつくり
をし始めたようです。イベントだけに終わらせなかったのですが、そのイメージは私が「半
周遅れはトップランナー」といっていることと共通します。青梅宿映画街道ばかりでなく、
豊後高田、山形県高畠町などでも、なつかしい昭和の原風景というか、レトロ感覚という
か、そうゆうものを出している街が話題になっています。
青梅の場合、アートフェスティバルの企画委員長だった横川秀利さんが、その後も街づく
りのリーダー役を果しています。これは仕掛け人がいて、そのキーパーソンが長い間リー
ダーシップをとっているという巣鴨や小布施の例と共通します。また、青梅では漫画家の
赤塚不二夫さんとの出会いや小泉八雲の作品『雪女』の舞台だったことをうまく活用して
います。外部の力を借りて、新しい歴史を創造しているのです。
ただし、商店街を訪れる人は増えたものの、現時点では売上に直結しているとは必ずしも
いえないようです。映画看板だけを見て帰ってしまう人もいるようです。新たな客層に合
った品揃えや店作りが課題といえましょう。つまり、商店街活性化の最後のポイントは個
店が力をつけるということです。お互いに商売に熱心で競争するということです。巣鴨な
どには、これが見られるのですが、そこが一番大切ですので、後で、もう一度、強調して
おきたいと思います。
まとめ
今日の話をまとめてみたいと思います。最初に、中心市街地活性化法の現状とタウンマネ
ージメントの難しさについてお話しました。そして、商店街衰退の原因についてお話しま
した。
衰退の原因に「モータリゼーションとライフスタイルの変化」や「外部資本の進化」とい
った外部要因をあげました。その背景には人口が流出する都市化と都市的生活様式が地方
に波及する2つの「都市化」があることも指摘しました。大型スーパーやコンビニチェー
ンなどの外部資本が都市的ライフスタイルに合致した形で進化してきたのです。
この外部資本を代表するのがショッピングセンターですが、欧米のダウンタウンの再開発
などはショッピングセンターのビジネスモデルを活用しているように思えます。
これは「街は管理できるのか」という本質的な問題に行き着きます。タウンマネージメ
...
ントは、街は管理できるという考え方にたっていますが、私は、これはショッピングセン
ターの管理手法を参考にしているからだと思います。
たとえば、ショッピングセンターは新しい土地に出店して、テナントミックスを簡単にや
ってしまいます。テナントミックスとはお店の場所を変えるということです。大きいショ
ッピングモールでは、売れない店があるとつぶしたり、場所替えしたりすることができる
のです。ところが、商店街は住宅地にあって、既得権がたくさんあるわけです。ショッピ
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ングセンターのように、簡単に将棋の駒を変えるように移転したりできないのです。
販売促進でも同じです。ショッピングセンターは、プロモーションミックスと言って全体
にマーケティング的なことができます。例えば共同で広告宣伝をやったり、色々なマスコ
ットを作ったり、色々なことができます。ところが、商店街では個別にやらなければなり
ません。ショッピングセンターでやるようにタウンマネージメントはうまくいかないので
す。
情報でも同じで、ショッピングセンターでは、コンピュータなどを使って集中管理してい
ます。ところが、商店街では、情報は店がそれぞれ顧客台帳をもっていて、情報が分散し
ています。
実施母体でも同じで、ショッピングセンターはディベロッパーがまとめてすることができ
ます。ところが、商店街は、誰が企画するのか不明確です。
タウンマネージメントの考え方は、ショッピングセンターの運営方法を街づくりに応用し
ようというもので、ショッピングセンターのノウハウを活かそうとするのが、タウンマネ
ージメントの感覚です。具体的には、タウンマネージメントオーガニゼーション=TMO
というものを作って、そこに街を企画させて、統一した街のイメージを作り、共通のカー
ドを作ったり、広告宣伝をして、ショッピングセンターがやっているようなことを商店街
に移そうとする。それが、
タウンマネージメントの考
モータリゼーションとライフスタイルの変化
えです。
外部要因
ところが、ショッピング
商
外部資本(ショッピングセンター)の進化
外部資本(ショッピングセンター)の進化
センターならできるけれど、 店
問題提起
街
商店街では、様々な利害が
TMO思想は外部資本のビジネスモデルを商店
衰
あり、そこに住んでいる人
街活性化に活用しようとするもので無理がある
退
がいるから簡単ではないと
の
要
いう話を今日はしました。
統制不可要因:資源・制約・後継者
因
街は自然発生的に生まれ、
内部要因
時代とともに変化してきて
統制可能要因:顔・まとまり・個店
統制可能要因:顔・まとまり・個店
いますから、簡単に管理す
生態的発展のヒント
ることはできないのです。
商店街の「顔」や「まとまり」を作ったり、個店のマーケ
ティング力を見直すことによって生態的に発展させる
タウンマネージメント構
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想に基づいた街づくりは、
色々な人の利害関係が入っているから、ショッピングセンターを作るようなTMOの考え
方通りにはいかないのです。コンサルタントや工学系のデザイナーのような人の描いた街
は、風情や人々の息遣いが消えて死んだようになってしまうのです。
伝統的な商店街は、肩を寄せ合うように集まった家々の間に無秩序に商店が立ち並んで生
まれたのです。そこにある狭く曲がりくねった道のたたずまいに安心感があり、手の届く
距離、声を掛け合える距離に商売の息遣いがあって人情がかようのです。
「街は生きている」
のです。生物が時間をかけて進化するように「街の風情」はある程度の期間を経て出来上
がるのです。特に、商店街は、地域的歴史的な特性に基づいて自然発生的に生まれた商業
地域であり、これをむやみにいじることは難しいといえましょう。
では、どうしたら良いか。もう一度、原因分析に戻ってみましょう。図にもありますよう
に、商店街衰退の要因は、モータリゼーションやショッピングセンターの進化のような外
部要因ばかりではないのです。内部要因にもあるのです。もちろん、内部要因でも、「資本
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や人がない」
「跡継ぎがいない」など、自分たちではどうしようもない統制不能要因もあり
ます。
でも、内部要因の大部分は、自分たちが変えることができる統制可能な要因です。外部の
せいだと言って、統制可能な要因を見落として、自分たちが変えられるのに変えようとし
ないできたのです。
だからむしろ統制可能なのに、それに手をつけずに商店街がうまくいってないところ、特
に商店会長がしょっちゅう代わるとか、変な仲たがいをしているとか、そこを変えてみよ
うということを主張しているのです。私は、街の生態的発展を損なうことなく商店街が生
き残るために図のようなことを提唱しています。
まず「地元、足元、魅力の元」を見直すということです。商店街は半径 500 メートルに
地元の商圏がありますので、歩いて来てくれる地域のお客さんを大事にして、商売の原点
を見直して、地域らしさを見直すということです。
次に、「土俵、発想、体質」を変えるということです。競合店を回避するとは、スーパー
との競合を回避するということです。スーパーにない品をもつ。ごちゃごちゃと雑然とし
たところに宝探しの魅力が生まれ
生態的発展のヒント
るように、弱みを強みに変える。巣
鴨なども一見すると弱いですよね。
地元(地域の顧客)
地元(地域の顧客)
を見直す
足元(商売の原点)
次に体質を変えて、
「自律と自立」
足元(商売の原点)
魅力の元(地域らしさ) 魅力の元(地域らしさ) をめざす。私は、「ジリツ」を精神
的な「律」と経済的な「立」に分け
土俵(競合を回避)
リーダー
リーダー
ています。行政や大資本に頼らない、 土俵(競合を回避)
を作る
発想(弱みを逆転)
発想(弱みを逆転) を変える ルール
ルール
という気概と、外部の力や観光客の
体質(自律と自立) シンボル 体質(自律と自立) シンボル 力を借りて経済的に自立するとい
小さな芽(成功事例)
小さな芽(成功事例)
うことですが、これらは矛盾しない
競う心(学びと工夫)
競う心(学びと工夫) を大切にする
のです。行政や核店舗に頼ると上下
統一したイメージ 統一したイメージ 関係になるが、露天商や外国人のよ
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うな異質な力を借りることは共存
関係で横の関係になる。人間は一人で生きていけないから「律」をもって「立」をなす必
要があるのです。
それから、「リーダー、ルール、シンボル」を作る。商店街の役員がコロコロ代わるので
はなく、しっかりしたリーダーを作ること。これは、外部からの取材に同じ人がいつも答
えるという意味でも重要です。例えば巣鴨の木崎さんのような人です。ルールは、巣鴨で
いう「街で横文字をやめよう」とか「空き店舗はこうしよう」などということ。小布施で
いえば、街並み修景運動でいう「外はみんなのもの、内は自分のもの」などの例です。シ
ンボルとは、お地蔵さん(巣鴨)や北斎美術館(小布施)や黒壁スクエア(長浜)のよう
に、そこに行ったら誰もが訪れる場所、その街だと思い起こせるシンボルです。
また、「小さな芽、競う心、統一したイメージ」を大切にするということです。ちょっと
したお店がうまくいったら、それが起爆剤になることがあります。上諏訪の商店街にウエ
ハラサイクルという自転車屋さんがあるのですが、この店が高校生を集めています。店舗
は駅から遠いし、立地的には決して良くないのですが、ご主人が勉強家でツール・ド・フ
ランスのような海外の自転車レースを見に行って、流行をチェックして競争自転車用の水
筒やヘルメットを売っているのです。自転車は高校生がお小遣いで買える最高級の商品で
10 万円もするようなマウンテンバイクが売れているとか。ママチャリのようなスーパーの
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自転車ではなく、その店にしかない商品を扱うことで商店街を利用する地元の顧客をつか
んだのです。なるほどと思って店を出たら、その前に高校生の好みそうな T シャツやジー
ンズを売る店があって、輸入雑貨のような形で繁盛しているのです。そうです。
「競う心」
が「統一したイメージ」に結びつき、点が面展開に広がって両方の店に相乗効果が働いて
いるのです。
最後に「個店が力をつける」ということで「商売人の気持ちを忘れない」ということを時
間の許す範囲でお話します。たとえば、コンビニで雑誌を読ませるように、長居客を大切
にすることも忘れてはなりません。巣鴨に行くとベンチが多いのです。そこで、お茶と自
由な雰囲気を味わう。店に賑わいをもたらしてくれるのですから、長居をしてくれるお客
さんは大切です。
同じように、忘れ物を大切にする。お年よりは忘れ物が多いのです。忘れ物があったら、
日にち、お客さんの特長を記録して、長く保存しておくとお客さんは喜びます。お客さん
は、4の日に帰ってくるので「ここに忘れ物をなさいませんでしたか?」「お客さんのもの
じゃないですか?」となるとすごく喜んで、また買ってくれます。お菓子だったら、また
新しいものを差し上げる。こういうことが商売の原点です。
長居客でもそうですが、リピーターとよばれる常連のお客さんはぶらっと店に入るわけで
す。必要があって何かを買いに行く(to buy something)のではなく、その店に買い物に行
く(to go shopping)わけで、そのようにすることが大切です。そのためには買い物を楽し
める環境を作ることが大事で、店舗設計に回遊性を取り込むのもその 1 つです。
昔の薬局は、入りづらく暗い感じでした。プライスタグ(値段の札)などあまり書いてあ
りませんでした。カウンターが正面にあって、白衣姿の薬剤師さんが睨みつけていました。
その後ろの方に胃腸薬とか置いてあって、手にとれないのです。お腹が痛く胃腸薬が欲し
い時は、出された薬が高くても、しょうがなく買ってしまう。ところが、そうゆうお客さ
んは、二度と来なくなるのです。
マツモトキヨシは、店内を回遊できるようになっています。カウンターも横にあって店の
人も正面に向かって睨んでいません。全品に価格表示があって、三共の胃腸薬や大正漢方
胃腸薬とか手にとって比べられますので二度三度と来る人で店が賑わうのです。
人間は、ぐるっと回って楽しむのです。デパート、スーパーなど奥さん方は、買うものを
これと決めて行かないのです。肉、魚、野菜と回って、今日はこれと決めるわけです。こ
ういった店なら入りやすいということで、それがその店に買い物に行く(to go shopping)
ということです。
ところが、これを普通のお店は嫌います。顧客が回遊するように中央に棚を置くと、見え
にくい場所ができて万引が起きるからです。だから正面にカウンターを置いてお客さんを
睨んで、結局、入りにくくしてしまうことが多いようです。確かに商売は難しいのですが、
最初に万引きを考えてしまうと商売の発展性がないように思います。お客さんを信用して
いない店は商売も大きくなりません。商売は難しいからこそ、工夫をしてそれを乗り越え
る楽しみがあるわけで、その辺にきっと商売の醍醐味があるのでしょう。
それから、最後に5つの「どうぞ」運動ですが、お客さんに「傘、お茶、椅子、荷物、ト
イレ」をどうぞとすすめる、こういうことをやっている街が長野にあります。この気持ち
が大事です。
もっともっと、商売のことをお話したいことがたくさんあるのですが、時間を少しオーバ
ーしましたので、この辺で終わります。ご清聴、有り難うございました。
以上
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